四ツ谷文太郎の幻想怪奇語 (綾辻真)
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序幕

始めましての方は始めまして。
お久しぶりの方ははお久しぶりです。
NARUTOでの二次小説の投稿を一先ず止め、また新たに違う作品を書かせていただきました。
真に勝手かとは思いますが、この作品を見て楽しんでいただければ嬉しい限りでございます。


一人の、男がいた――。

 

 

 

怪談を愛し、他者の悲鳴を大いに好む……変わった男がいた――。

 

 

 

彼は『怪談を創る』ことに情熱を注ぎ、創り上げたその怪談を持ってして何人もの人間を恐怖と悲鳴の渦へ巻き込んでいった。

そして怪談に執着するあまり、ついには()()()()をも怪談に仕立て上げてしまい。生身の人間のまま、彼は怪異の存在へとなり、人々から噂されるようになったのだった――。

 

だが、怪異になったからと言って彼は普通の人間に変わりははく、年をとるにしたがって彼の怪談に対する活動も徐々に衰退していった。

それと同時に彼が今まで築きあげてきたオリジナルの怪談も人々から少しずつ忘れ去られていくこととなる。

 

高齢者となり、身体が思うように動かなくなってしまい、ベッド生活を送るようになってしまった彼にはもう怪談を創る気力も体力もほとんどなくなってしまっていた。

しかし、怪談と他者の悲鳴に対する愛着だけは決して弱まることはなかった――。

 

意識が深い闇に落ちる直前、彼は心の底から願う。

 

次に生まれ変われるのなら、また新しい怪談と悲鳴を生み出していきたいと――。

 

 

 

 

 

 

所変わってここは幻想郷――。

魑魅魍魎が跋扈する外界から結界で隔離された隠れ里――。

その幻想郷の端っこに小さな神社が立てられている。名は『博麗神社』。外と幻想郷を隔てる博麗大結界を代々管理する巫女が住む神社。

 

その現在の巫女である博麗霊夢(はくれいれいむ)はいつもの日課である朝の境内の掃除をするために、竹箒片手にその日も神社から外に出た。

初夏の空気をいっぱいに吸って、すがすがしい気持ちで掃除を開始しようと一歩踏み出し――その動きをすぐに止めた。

 

神社に置かれている賽銭箱。それに寄りかかるようにして誰かが眠っていたのだ。

怪訝に思いながら霊夢はその男に近づく。

見た目、黒髪長身の若い男、それ以外では外の世界の人間が着るような服に身を包んでいるだけのどこにでもいる普通の男に見えた。

 

(外来人?……いや、それにしたってこの気配は……?)

 

静かに寝息を立てるその男を観察しながら、霊夢は持っていた竹箒の先っちょで男の頬をグリグリと突っついた。

 

「ぐほっ!?誰だ人の永眠を妨げる奴は!?」

「あ、起きた」

 

霊夢によって無理やり覚醒された男はゆるゆると身体を起こすと、大きく間延びをする。

そして眠気がすっかりなくなった眼で辺りをきょろきょろと見回し、驚きに眼を丸くする。

 

「……どこだここは?……あの世、なのか?」

「なんだ、あんたあの世に行きたかったの?なら三途の川までなら案内してやってもいいわ。くれるモノくれればだけど」

 

そう言って霊夢は親指と人差し指で輪を作ってそれを男の目の前に突きつけた。

それを男は軽くスルーし、今度は足元に眼を落とす。そして再び驚愕。

 

「な、なんだこの体は!?」

 

男は今の自分の姿を見て驚いていた。それもそのはず、男はさっきまで白髪の高齢老人の姿だったのだ。

それが怪談を創っていた最盛期の肉体に戻っており、しかもご丁寧なことに服装もその当時普段着同様に着こなしていた中学の制服の姿になっていたのだ。

動揺しながら自分の身体を触りまくる男に霊夢はじとりとした眼で声をかける。

 

「ちょっと。お金も何もくれないならどっか行ってくれる?私忙しいのよ」

 

そう言って霊夢は竹箒を肩に乗せ、もう片方の手でシッシと男を追い払うような仕草をした後、男から離れようとする。

そこに慌てて男が声をかける。

 

「待ってくれ。ここがどこだか知ってるなら教えてくれ」

「なんだ、やっぱり外から来たのね。……ここは『幻想郷』よ。人と異形が共存する理想郷」

「!?……幻想郷、だと……?ここが……?」

 

呆然と響きながら男は空を見上げ、反対に霊夢は眉根を寄せた。

 

(反応が妙ね……幻想郷のことを知ってる……?)

 

再び怪訝な表情で男を見つめる霊夢。その視線を受けながら男は顔を俯かせるも、次の瞬間にはバッと顔を上げて空に向かって高々に笑い声を上げた。

 

「ひゃーーーーっはっはっはっはっはっはぁっ!!!そうかそうか、ここがっ!!ここが俺が()()()()()()()()()()と願っていた幻想郷かぁ!!素晴しい、素晴しいぞこれは!…夢?幻?何でもいい!!今事実として俺は幻想郷の地に立っている!!それだけで湧き上がるこの高揚感!!嬉しくて頭がおかしくなりそうだ!!」

(もうおかしくなってんじゃないの!?)

 

狂ったように笑う男を見てドン引きする霊夢だったが、ため息を一つ吐くといまだ笑い続ける男に鋭い口調で声をかける。

 

「いい加減早く出てってくれないかしら。じゃなきゃ神社にあだ名す()()として髪の毛一本残さず滅してやるわよ?」

 

懐から一枚のお札を取り出しながら霊夢は男に殺気を含ませた言葉をかける。しかし意外にも男が見せた反応はきょとんとした表情(モノ)だった。

 

「妖怪?何を言ってる、俺は人間だぞ?」

「人間ですって?馬鹿言わないで。確かに姿は人間だけど、あんたから出てる気配は明らかに人外のモノよ。……でもまあ妖怪って言うにも少し違う感じがするわね。例えるなら以前起こった『都市伝説異変』で現れた都市伝説の怪異らの気配に近いかしら?」

「何だと?」

 

それを聞き、男は再び自分の身体に目を落とす。

そして何か考え込む仕草をすると、腑に落ちた表情を携えて顔を上げた。

 

「……なるほど、そう言うことか」

「何一人で納得してんのよ」

 

首をかしげる霊夢に対し、男は手で制す。

 

「いや良い。こっちの問題だからな。……それより今更だが、あんた名前は?」

「……博麗霊夢。この幻想郷の博麗大結界を管理する楽園の素敵な巫女よ。覚えておきなさい。……あんたは?」

「四ツ谷文太郎。怪談と他人の悲鳴を何よりも好む、ただの変人さ♪」

「自分で言うことそれ?」

「ヒヒッ……さて霊夢。俺はこの幻想郷で第二の生活を始めようと思うが、よろしいか?」

「あっそう。面倒事起こさないって言うなら好きにすれば良いわ。何かやらかしたときはすぐに私が飛んできてあんたを袋叩きにするだけよ」

「怖っ!?」

 

こうして怪談と悲鳴をこよなく愛する男――四ツ谷文太郎の幻想郷を舞台とした第二の生活が幕を開けた。この後彼が巻き起こす奇妙な出来事がいくつも生まれることとなるのだが、それはこの場にいる博麗の巫女や四ツ谷本人でさえもまだ知らない――。




次の話も早めに投稿します。


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第一幕 赤染傘
其ノ一


前回のあらすじ。
幻想入りを果たした四ツ谷文太郎はそこで博麗霊夢と出会う。


緑に囲まれた一本の小道を一人の男、四ッ谷文太郎が歩いていた。

 

「人里って言うのはこの道をまっすぐ行けば着くんだよな?」

 

霊夢から人のいる場所への道順を教えてもらったのだが、もうかれこれ一時間以上も歩き続けているのに、道の向こうには建物の屋根一つ見えては来ず、四ツ谷は少々不安になり始めていた。

 

(道に迷ったか……もしかしてデタラメ教えられたんじゃないだろうな……?)

 

そんなことを思い始めたときだった。

不意に誰かに見られているのを感じ、四ッ谷は視線が来る方向へ眼を向ける。

道から外れた林の中、木の陰になってはっきりとは見えないが、複数の影がまるで獲物を見つけた獣のような目でこちらを見つめていた。

 

(ッ!?普通の獣とは何か違う…!あれが妖怪か……!)

 

そんなことを思っている間にも、林の中にいた妖怪たちはじりじりと四ツ谷との距離を詰めてきていた。

 

(俺を食べるつもりか!……く、来るならかかってこい!)

 

そう心の中で叫びながら両拳を握るも、膝は明らかに笑っていた。

しかし妖怪たちは、林から出るか出ないかの所で動きを止め、四ツ谷の匂いを嗅ぐかのようにしきりに鼻を鳴らすと、やがて興味が失せたかのように一斉にきびすを返し、林の奥へと消えていった。

それを見た四ツ谷はブハーッと息を吐いて一気に脱力する。

 

「助かった。……だが奴らの様子を見るに、やはり俺は人間ではなくなっているみたいだな……」

 

自分の目の前に両手をかざして四ッ谷は一人ごちた。

幻想郷は外の世界で忘れられたモノたちが行き着く場所。それは()()()()()も知っていた。

しかし、幻想入りしたからといって四ッ谷が外の世界の人たちに忘れられたわけではない。これでも四ツ谷には身内がおり、死ぬ直前まで自分を看病してくれた人たちがいたのだ。

それ故、外の世界で人間としての四ッ谷文太郎はいまだ忘れられてはいない。

むしろ忘れられたのは()()()()()()()()()()()()である。

『怪談、四ッ谷先輩』は四ツ谷が最盛期である学生時代に自分自身を怪異に仕立て怪談として創ったモノであった。

彼自身この怪談が永遠に続くように試行錯誤してきたつもりだったのだが、時の流れとは非情なもの。彼に降りかかる老化現象や時代の移りようにはさすがの四ツ谷も勝つことができなかった。

時と共に風化してゆく『怪談、四ッ谷先輩』。

ある時を境にしてその噂はぷっつりと途切れてしまった。

忘れ去られた怪異としての四ッ谷文太郎の器は人間として死んだ四ツ谷文太郎の魂と融合を果たし、幻想入りをしたのだった。

 

(……それ故俺の記憶も魂も人間として死んだものではあるが、この肉体は怪異そのものだと言う事になるんだな……)

 

歩きながら自分の存在について物思いにふける四ッ谷。しかしその足が不意に止まる。

 

(――と、言うことは、だ。……今のこの俺には人間のときにはなかった超常的、魔術妖術的な能力が備わっているかもしれないってことだよな!?)

 

いっちょ試してみるか。と、四ッ谷は何もない場所に向かって手のひらをかざす。そして――。

 

「ハアアアアアアアアアアアァァァーーーーーー!!!!」

 

奇声を上げながら四ッ谷は手に力を入れる。魔弾でも撃ちだすのではないかと思われる構えだが、肝心の手のひらからは魔弾はおろか非常識的なものは何一つ生まれはしなかった。

 

「ぐっ!!まだまだぁーーーー!!!!」

 

その後も四ツ谷は構えを変え、力の入れ方を変え、思いつく限りのことを試行錯誤しながらおこなったが、力を入れるために発した奇声があたりに木霊すだけで、一時間後には小道を肩を落としながらとぼとぼと歩く四ッ谷の姿があるだけであった。

 

 

 

 

太陽が空の真上に差し掛かった頃、四ッ谷はようやく人里を眼にする。

 

(あれが人里か……結構大きそうだな)

 

四ツ谷はそう思いながら人里へと近づいていく。すると人里の入り口らしい門が見えて来た。

 

(……まずは昼飯だな。それから、これから生活する住処を確保して……ああ、働く場所も確保せにゃならんな)

 

問題が山積みだなと四ッ谷は頭をガリガリとかいた。しかしそこで再び足が止まる。

すぐ横の茂がガサガサと激しく揺れたからだ。

 

(何だ?)

 

また新手の妖怪か?と四ッ谷は身構える。その瞬間その茂みから一つの影が飛び出した。

 

「おどろけー♪」

 

恐怖心を掻き立てる所か逆に気が抜けそうな声を発しながら飛び出してきたのは、大きな傘を指した少女であった。

服は全体的に水色を基調とした洋服。髪も水色だが眼は水色と赤のオッドアイ。素足に下駄を履いてカラコロとかわいらしい音を立てていた。

両手に持つ大きな傘は紫色で大きな一つ目とこれまた大きな口からはみ出る赤い舌が特徴的だった。

そんな変わった姿をした少女の登場に四ツ谷はただ――白けた眼を少女に向けていた。

 

「……あ、あの……お、おどろけー!」

「………………」

 

気まずい空気の中、少女は再び四ッ谷を驚かせようとぐわーっと両手を挙げて威嚇するポーズをとる。

しかし、四ッ谷は毛ほども微動だにしない。それ所か人差し指を自分の鼻の穴に突っ込むとホジホジと中のハナ○ソをかき出し、それを指で丸めると、唐突に少女の額にピトリとくっ付けた。

 

「ギャーーーーーーッ!?汚い!ななな何するんですかーーーーっ!?」

「お前はハ○クソだ!!」

 

額の汚物を払いながら少女は叫ぶも、四ツ谷も少女に指を差して叫び返す。

ええっ!?っと驚く少女に対し四ッ谷はまくし立てる。

 

「何が『おどろけー』だ!恐怖の『き』の字も感じやしない!お前は本当に人を驚かす気があるのか!!ハロウィンのお化けの格好をしたガキどもの『トリック・オア・トリート!』の方がよっぽど怖さがあるわ!!」

「ふ、ふぇえぇ!?わちき全然怖くないの!?」

「当たり前だ!お前が飛び出してきたときのあまりの恐怖感のなさに一瞬笑い所なのか迷ってしまったぞ!」

「そ、そんな……」

「まったく、これならさっき会った妖怪どものほうがよっぽど怖く感じ……む、どうした?」

 

ふいにへなへなと座り込んだ少女を見て、四ッ谷は一時的に彼女への罵詈雑言を止めた。涙眼で俯く少女に一瞬言い過ぎたかと感じた四ッ谷だったが、彼女のつぶやき声が耳に入り、どうやらそうではないということが分かった。

 

「うぅ……このままじゃわちき、()()で弱くなる一方だよ。……ううん、このままじゃこの幻想郷でも消滅しちゃうかも……」

「む?妖怪は何も食べないとすぐに消滅するものなのか?なら、何か食べる物で空腹を満たせば――」

「……あ、違う違う。この場合わちきの言う空腹っていうのは()()()()()()()()()ってことなの……」

「畏れ?……ああなるほど」

 

合点がいったとばかりに四ッ谷はポンと手を打った。

妖怪たちにとって『畏れ』は生命線である。人が恐怖することで畏れが生まれ、それを妖怪が取り込むことで存在を維持しているのだと、四ツ谷も昔、聞いたことがあった。

 

「うぅぅ……このまま畏れが取れなくなったら……わちき…本当に……」

 

絶望に沈む少女を見て、四ッ谷は思案顔になる。そして何かを思いついたように顔を上げると、少女の目の前にしゃがみこみ、少女と同じ高さの目線で声をかける。

 

「……お前、名前は?」

「ふぇ?……た、多々良、小傘……」

「多々良小傘。お前、今から俺の助手になれ!」

「……ふぇ!?」

 

唐突に告げられた「助手になれ」発言に少女――小傘は眼を丸くする。

それにかまわず、四ッ谷は不敵な笑みを浮かべて続けて言う。

 

「その代わりといっちゃなんだが、お前に嫌と言うほど畏れを食わせてやる!」

「え、えぇっ!?ほ、本当に!?本当に畏れが貰えるの!?」

「ヒヒッ、ああ男に二言はない!……ただし、色々と()()()をする手伝いをしてもらうがな!」

 

そう言って立ち上がると四ッ谷は人里の入り口へと大手を振って向かってゆく。

その姿はまるで凱旋する王様のようにすがすがしくも堂々とした足取りであったと後に小傘は語る――。

 

「さぁ着いて来い多々良小傘。いざ、新たな怪談を創りに……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お題目は――『妖怪、赤染傘(あかぞめがさ)』だ!!」



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其ノ二

前回のあらすじ。
人里の入り口で多々良小傘と出会い、彼女を使い四ツ谷は怪談を創ることを画策する。


博霊の巫女、霊夢が言うにはこの幻想郷に住む人間は妖怪たちに比べるとほんの一部に過ぎないという――。

しかしその人間たちが唯一住む集落、人里は意外なほど広かった。

 

(結構人がいるなぁ。もう村っていうレベルじゃないな。町と言ってもおかしくないかもな)

 

そんなことを思いながら、四ツ谷は先ほど出会ったばかりの唐傘妖怪、多々良小傘と共に大通りを歩んでいた。

「まずは下ごしらえだ」そう言って四ツ谷は目に付いた古着屋へと入っていった。小傘も後に続く。

四ツ谷は古着屋の店員に自分が今着ている下着以外の制服や履物全てを売り払い、代わりに安物の着物と腹巻、下駄を購入した。

 

「何で腹巻も?」

「腹冷やしたら困るだろうが」

 

小傘のツッコミに四ツ谷は涼しげな顔で即答した。

制服を売り、着物を購入したがそれでも結構多くのお釣りが残った。

古着屋を出た二人は今度は近場の立ち食い蕎麦屋で簡単な昼食を取る。

腹が膨れた二人は次に食材の並ぶ小売店、生活用品が揃う道具店と次々と来店する。

小売店では主に晩御飯の調達、道具店では紙で出来た真っ白い番傘と大量の赤い絵の具を買い込んだ。

道具店を出てすぐ、恐る恐る小傘は四ツ谷に声をかけた。

 

「あのー、四ツ谷、さん?わちきはいつ頃畏れを貰えるのでしょうか?」

「まあ待て。お前が活躍するのは今日の夕方、降魔時(おおまがどき)と呼ばれる時間帯だ」

「え?何でその時に?」

「もちろん……『演出』の為に、さ」

 

そう言ってニヤリと不気味に笑い四ツ谷は続けて言う。

 

「なぁ多々良。『最恐の怪談』ってどんなモノか分かる?」

「最恐の……怪談……???」

「最恐の怪談……それを創る為には三つの条件が必要となる――。語り手、聞き手そして――演出だ……!」

「……その最恐の怪談を創るための条件である演出の為に、夕方に事を起こす必要があるってこと?」

「そのとおり。まあ本当なら聞き手を()()()()()()()()()()()()()前振りとして怪談を噂話にして流すことも考えたんだが。……ここは幻想郷、怪異とは常に隣り合わせの世界だ。怖い話には外の世界の人間たち以上にこっちの人間は信じ込みやすいと俺は踏んだ」

 

「しかし……」と四ツ谷は顎に手を当ててなにやら考え込む。

 

「その演出ももう一押し何か足りないんだよなぁ~」

 

空を見上げながら四ツ谷はつぶやくも、すぐに顔を前に戻す。

 

「ま。まだ予定の時間には十分に余裕がある。――先に今晩の寝床を確保しに行くとするか」

「寝床?それならわちき心当たりがあるよ。この先の寺子屋の先生なら良い場所知ってると思う」

「ほぅ?」

 

小傘が先導し、四ツ谷がそれについて行く。

その先には小さな寺子屋がたたずんでいた――。

 

 

 

 

「私に用があるというのは君か。はじめまして、この寺子屋で教師をしてる上白沢慧音だ」

「これはご丁寧に。四ツ谷文太郎と言う。今日、この幻想郷にやってきた者だ」

 

寺子屋を訪れた四ツ谷と小傘を迎え入れたのは銀髪の長い髪を持った驚くほどの美人だった。

上白沢慧音と名乗ったその美女は服の上からでも凹凸のはっきりとした体型を持っていた。

服の裾から除く深い胸の谷間に眼が行きかけた四ツ谷だったが、すぐに眼を慧音の顔に戻した。

四ツ谷のそんな視線に気付いていないのか慧音は四ツ谷の顔をまじまじと見つめながら呟く。

 

「外来人か……。ん?いやだが、君から漂うこの気配は……」

「ヒヒッ、お察しのとおり、俺は人間の姿をしているが中身はまるっきり違う存在でね」

 

四ツ谷のその返答に、そばにいた小傘は驚き、慧音は少し眉根を寄せ警戒心を見せ始める。

だが四ツ谷は慌てて二人に弁解する。

 

「あーだがご安心を。人ではないが別に人にあだ名す特殊な能力とか、この人里に危害を与える気とかもないですから(怖がらせはするがね♪)」

「……む、そうなのか?」

「ええ。中身は違いますが、それ以外は普通の人間と変わりないですから」

 

四ツ谷のその言葉を聞いて、慧音は警戒心を薄めた。

そこへ再び四ツ谷が言葉をかける。

 

「今日ここへ来たのは他でもありません。住む場所を探してて、ここに来ればいい所を教えてくれると聞いたんですが」

「ああ家を探しているのか。……わかった、いくつか心当たりがあるからあたってみることにしよう。少し時間がかかるからまたここに来てくれれば助かる」

「わかりました。それじゃあ適当に時間をつぶしてきます」

 

そう言って四ツ谷は慧音に軽く会釈すると小傘をつれて寺子屋から去っていく。

しばらく歩いた後、小傘は四ツ谷に声をかけた。

 

「四ツ谷さんて妖怪だったの?」

「んー?いんや、正確には元人間の怪異だな」

「元は人間だったの!?……でもどうして今はそんな存在に?」

「ヒッヒッヒ、何大した事じゃない。外で自分を怪異に仕立てて怪談として噂を流したのさ。それが忘れ去られて幻想郷に流れ着いたってだけのハナシさ♪今の俺の存在はそれが原因かな?」

 

四ツ谷のその返答に小傘は吐いた口が塞がらなかった。

 

 

 

 

 

「……さて、あらかたやることは全てやったが……やっぱり演出にもう一つ何かが欲しいところだな」

 

日が傾きかけた人里の中を小傘と歩きながら四ツ谷は独り言を呟く。

それを聞いて小傘も口を開いた。

 

「それが何なのか分からないと怪談が成功しないの?」

「んー、成功はするだろうが、百パーセントじゃないな。どうせなら完璧な形で怪談を成功させたいし」

「『赤染傘』……だっけ?その怪談を行えばわちきは本当に畏れが貰えるんだよね?」

「もちろんだ。何せその妖怪、赤染傘は()()()()()()()()()()

「……へ?今なん――きゃあっ!?」

 

問いかけようとした小傘の言葉が途中から悲鳴に変わる。

すぐ横の民家の柱に繋がれていた犬に吼えられたからだ。

ガウッガウッ!!と大きな声で吼えられ小傘は反射的に飛びのいていた。

しかし反対に四ツ谷はその犬に興味を持ったようでゆっくりと近づいていく。

 

「ほぅ~元気のいい犬だ。どら、さっき小売店で買った干し肉だ。旨いぞぉ~」

 

そう言いながら干し肉を取り出すと犬の鼻先に近づけた。

犬はそれをバクリと噛み取ると、クチャリクチャリと音を立てながら食べ始めた。

それを見た小傘は恐る恐る近づいていく。

 

「び、びっくりした~。……もう、妖怪を驚かすなんてとんでもない犬だよ」

「アホか。妖怪ならこれぐらいのことにビビッてどうするんだ。……それよりも喜べ多々良」

「……え?」

 

旨そうに干し肉を食べる犬を見ながら四ツ谷の顔が不気味に歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『妖怪、赤染傘』……完成したぞ」




少し短めですが、投稿しました。


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其ノ三

前回のあらすじ。
人里に入った四ツ谷と小傘は怪談を始めるための準備に取り掛かる。


人里の中心部にある広場――。

夕方となりもうすぐ夜になるという時刻ではあれど、そこにはまだたくさんの人間がいた。

未だ仕事中の者。仕事が終わり帰ろうとする者。夕飯の支度に取り組む者。そして遊びに夢中になって時が立つのを忘れている子供たち――。

そんな者たちのいる広場に今――一つの異物が入り込む。

自然な流れでゆっくりと広場に入ってきたそれは、誰の眼に留まることなく、誰の意識に留まることもなく、真っ直ぐに広場の中央に立つと、両腕を大きく上げて広場全体に大きく声を響かせた。

 

「さてお立会い!!これからお出しするのは身の毛もよだつ怪談話!忙しい方もそうでない方もちょっと脚を止めまして、私の(ハナシ)に耳を傾けてもらえればこれ幸いです!お代は入りません。語るお話も一話のみ!決して長くはありませんので皆々様には損は全くありません!」

 

その声に広場にいた全員がその声の持ち主に眼を向けた。

どこからいつ現れたのか広場の中央に一人の男が立っていた。

黒っぽい着物になぜか腹巻を巻いた長身の男は怪しげな眼光をその眼に携え、広場にいる人たちを一望した。

興味を持ったのかまず遊んでいた子供たちが男の下に駆け寄った。

続いて時間に余裕がある者たちや仕事が終わったばかりの者たち、最後に仕事中にもかかわらず興味本位のみでやって来た者がその場に集まった。

しかし興味を全く持たず、そそくさと広場を去っていく者たちもいたが、それでも五十人近くの人間がその男――四ツ谷文太郎の下に集まった。

群衆の中から誰かが声を上げる。

 

「本当にタダなのかい?」

「ええ本当です。皆々様にはただ静かに私の怪談を聞いてもらえれば十分です」

「言っとくが俺たちはちょっとやそっとじゃ怖がらねえぞ?ここは幻想郷だ。人里の外じゃ妖怪どもがうじゃうじゃいやがる。それ故子供から大人まで肝の太い奴らが多いんだぜ?」

 

群衆の一人が言ったその言葉に四ツ谷は「それはそうだろう」と心の中で呟いた。

こんな魑魅魍魎がひしめく世界に囲まれるようにして人間が集落を築いて生きてるんだ。自然と度胸がつくのは当たり前だと言える。

しかしその反面、超常現象や非現実的なことをすんなりと受け入れてしまう傾向があることも四ツ谷はこの一日のうちに気付いていた。

四ツ谷はその問いににやりと笑うと、口を開く。

 

「その点はご心配なく。これから私が語る怪談は『最恐の怪談』。心の奥底に刻み付けるような最上級の恐怖噺でございます」

「へぇ……そんなに怖いのかい?」

「はい。決して時間の無駄にはならないかと――。あ、そうだ。噺を始める前に皆様の中に心臓が悪い方はいらっしゃいませんか?もし私の噺を聞いたせいでショックで心臓が止まってしまい死んでしまったとしても、私は責任をもてませんので、そういった方がいるのであれば、速やかにこの場を離れることをお勧めいたします」

 

そう言って四ツ谷は群集を端から端まで眺めた。見てみる限りその場を離れようとする者は一人もいない。

どうやら心臓の悪いものは今この場にはいないな、と四ツ谷は内心でホッとした。

そしてすぐさま気を引き締めると、群集全員の耳に届くような大きな声で幕開けを宣言する。

 

 

 

 

 

 

 

「――さァ、語っていきましょう。貴方たちのための怪談を!!!」

 

 

 

 

 

 

パンッ……!

 

 

 

 

四ツ谷の両手が打ち鳴らされ、その場がシンと静まり返る。

 

 

 

 

辺りには風の音と、近くに生える木々のザワザワという木の葉の擦れる音しかしない。

 

 

 

 

その中をゆっくりと四ツ谷の声が流れ始めた――。

 

 

 

「お題目は『妖怪、赤染傘』」

 

 

 

その名を聞いて、群衆の何人かが首をひねる。そのような名前の妖怪なんて見たことはおろか聞いたこともなかったからだ。

しかしそれにかまわず四ツ谷の怪談は続く――。

 

 

 

「……ある一人の女の子がいました。その娘は赤い色が大好きで赤い物なら何でも集めていました。赤い着物に赤い履物、赤い髪飾りに赤い手鏡などなど、それこそ自室を赤一色で埋め尽くすほどの執着振りでした。……中でも彼女のお気に入りだったのが母親に買ってもらった赤い傘でした。彼女は肌身離さずその傘を持ち歩き、雨の降らない日でもそれを持って友達と遊んでいたりしました……」

 

 

 

その噺を聞きながらその場にいた何人かがゾッとした。

彼の噺の内容にではない。()()()()()()()()、だ。

その語り声のリズム・音程・声量そして言葉はまるで催眠術のように直接脳の中に響いてくるようだったからだ。

 

 

 

「……ある日、少女の友達が少女の持つ赤い傘を一日だけ貸してほしい、と少女におねだりしたのです。友達は、彼女があんまり赤い傘を大事にするものだから、うらやましく思ってしまったのです。……最初こそ断っていた少女でしたが、最後には根負けして、友達に一日だけその赤い傘を貸したのでした」

 

 

 

ここで四ツ谷は幾分か声のトーンを落とす。

 

 

 

「……その日の夜のことです。少女の友達は少女から借りた赤い傘を持ってはしゃいでいましたが……それが元で転んでしまい、持っていた赤い傘を半ばから折ってしまったのです」

 

 

 

ボキリ……!とまるで木の棒を折るような仕草をしながら四ツ谷の声が響いてゆく。

 

 

 

「……自分がとんでもないことをしたと気付いた友達は、自分が持っている傘を少女にあげて許してもらおうと考えました。翌日、少女の友達は少女に赤い傘を壊してしまったことを謝罪し、代わりに自分の傘を少女に差し出したのです。その傘は真っ白な傘で少女の赤い傘とはまるで違うものでした。……怒った少女は友達からその傘を奪い取り、その傘で友達に殴りかかりました。それに恐怖した友達は少女から逃げます。それを見た少女は恐ろしい形相で傘を振り回しながら友達を追いかけます。しかし――」

 

 

 

 

 

 

「ガアンッ……!!!」と突然四ツ谷が声を上げ、その場にいた全員がビクリと肩を震わせる。

 

 

 

 

 

 

「……追いかけている最中、少女は走ってきた荷車に跳ね飛ばされてしまったのです。少女は即死、体中が血まみれとなり、少女を中心に赤い水たまりが広がりました。そして、彼女の握っていた白い傘も、彼女の血に染め上げられ真っ赤に色づいたのでした」

 

 

 

 

 

 

一呼吸置いて四ツ谷は「それからの事です……」と続きを話し始める。

 

 

 

 

 

「少女が死んだその近辺を白い傘を持った血まみれの少女が現れるようになったのは……。妖怪となった血まみれの少女は、手にした包丁で出会う人全てを片っ端から惨殺し、血まみれとなったその死体に白い傘をすりつけ、傘を真っ赤に染め上げると喜びながらどこへともなく消えていくのです。……今も彼女は行く当てもなくさ迷いながら、眼に留まった人間に近づいて、決まり文句を響きながら相手に包丁を振りかぶります――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アナタノ赤チョウダアアアアアアァァァァイッ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『キャーーーーーーーッ!!!!』

 

四ツ谷の叫び声に群集の、主に女性陣から悲鳴が上がる。

そして一呼吸置いて今度はその中の一人の男が声を上げた。

 

「は、はは……確かに真に迫っていたがまだまだだな。そんな怪談じゃ俺は驚かないぜ」

 

そういう男の膝がわずかに笑っていたのを四ツ谷は確かに目撃していた。

そして言い終わるや否や男はきびすを返す。

 

「怪談はもう終わりみたいだな?じゃあ俺はもう帰らせてもらうぜ?」

 

そう言って立ち去ろうとする男を先頭に、他の里人たちも帰ろうと動き始める。

――しかし、そこに四ツ谷の声がかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を言っているのです?怪談は、まだ終わってはいませんよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

その言葉を聴いてその場にいた全員の足が止まる。そして振り返り、四ツ谷を見た。

四ツ谷のその顔は不気味に歪められ、その顔を見た何人かが「ひっ!」と声を漏らした。

それにかまわず四ツ谷は続けて言う。

 

「『妖怪、赤染傘』……この噺には――()()()()()()()()。……本番はまだ始まってすらいない……真なる恐怖も、まだ、生まれてすらいない」

 

そう言って四ツ谷は再びパンッと両手を打ち鳴らし、人々に向かって静かに語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さァ、はじめましょう。『妖怪、赤染傘』……その最後の物語を……!!」



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其ノ四

前回のあらすじ。
広場で怪談を始めた四ツ谷は『妖怪、赤染傘』の怪談を人々に聞かせる。


太陽が西の山へ沈み始め、広場を紅く染め始める。

数十人もの人間がまだそこにいるというのに、吹き抜ける風がはっきりと聞こえるほど、その場には静寂が満ちていた。

その中心に立ち、静かに流れていく四ツ谷の怪談――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――赤染傘の少女は、自分が死んだ場所を中心にさ迷い、出会う人全てをその手に持つ包丁で惨殺し、白い傘にその血を塗りたくる日々を繰り返していきました。しかし時が立つにつれ、その場所には人がほとんど寄り付かなくなったのです。……当然と言えるでしょう。行ったら死ぬかもしれないその場所に誰が好き好んでいこうと思いましょうか。……好奇心から行く人はいるかもしれませんがね。しかしそれでも時の流れとは残酷なモノ……。ついにはその場所はおろか、彼女の存在すらも人々の記憶の彼方に消えてしまったのです。そう……彼女は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ま、まさか……!?」

 

青ざめた顔で群衆の中の一人がそう呟き、それと同時にその場にいた大半の人間が()()()()()()()()

それを正解と言わんばかりに、四ツ谷はにやりと笑うと答えを出す。

 

 

 

 

 

 

 

「――そう、彼女はやって来ているのですよ……幻想郷(ココ)に、ね……」

 

 

 

 

 

 

 

人差し指で足元を指しながら四ツ谷が響き、群衆の何人かが生唾を飲み込んだ。

中には脚がガタガタを震えだし、今すぐにこの場から去りたいと思う人もいたが、四ツ谷の語りの力がなせる業なのか、どういうわけか地面に縫い付けられたように脚が動かない。

それに気付いていないのか四ツ谷はかまわず言葉と続けていく――。

 

 

 

 

 

 

 

「彼女は幻想郷じゅうをさ迷い歩きながら、出会う者全てに包丁を振りかざし、そこから出た血を白い傘に擦り付けていくのです。……それこそ人間、獣、妖怪問わず……くちゃり、くちゃり、くちゃり、とね……」

 

 

 

 

 

 

「も、もうたくさんだ!赤染傘だと!?そんな妖怪、見たことも聞いたこともないぞ!どうせみんなあんたのでっち上げだろ!?そんな妖怪、いるわけが――」

 

(いな)

 

我慢しきれず叫びだす一人に四ツ谷は人差し指を立てて否定する。

 

「……ここは幻想郷ですよ?非常識が常識に変わる世界。架空が現実と成り得る世界――」

 

 

 

 

 

 

 

「――そんなモノなどいないと……誰が言い切れるのです……?」

 

 

 

 

 

 

叫んだ者がその言葉に押し黙ってしまい。そしてその隙を突くかのように、四ツ谷は耳を澄ませるような仕草をする。

 

「ほぅら、聞こえませんか?風に乗って妙な音が聞こえてくるのが……くちゃり、くちゃり、くちゃり、くちゃり……と……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クチャリ……

 

                             クチャリ……

 

 

 

 

           クチャリ……

 

 

 

 

   クチャリ……

 

 

 

                      クチャリ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『!!!!!?????』

 

その場にいた四ツ谷以外の人々に戦慄が走った。

四ツ谷の声ではない、その異様なる音は風に乗ってはっきりと自分たちの耳の鼓膜を震わせていたのだ――。

 

「まるで……肉の塊に()()を擦り付けている様ではありませんか……」

 

「……も、もういい、わかったからもうやめてくれ!」

「う、嘘だ……こんなこと、が……」

「お家帰りたい、お家帰りたい、お家帰りたい……!」

 

四ツ谷のその言葉に、もう逃げ腰になっている群集の何人かが独り言のように呟いていく、しかし四ツ谷はそれにかまわず、いっそう声を響かせる。

 

「やがて彼女は人里の広場へたどり着き――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!手には生き血を啜ったばかりの包丁と、赤く染め上げられた白い傘を持って……!!」

 

同時に群集の背後にコツ……コツ……と、一つの足音が近づいてくる。

それと同じく、その場にいた全員の鼻腔(びこう)にゆっくりと異臭が入り込んでくる。

それは誰もが嗅ぎなれた()()()()()()()()()臭い――。

やがてコツリ、と足音が止まり、それと同時に群衆は何かに操られたかのように、一斉に、しかしゆっくりと背後へ振り返った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そこには少女がいた。

――()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつては白かったのであろう傘は何かの紅い液体で赤と白の斑模様となり、その液体はまだ乾ききっていないのか、ポタリポタリと無数の雫を滴らせていた――。

傘を持つ手とは反対側の手には、これまた紅い液体で彩られた包丁を握っており、先ほどから漂ってくる異臭はその包丁から発しているモノであった――。

 

 

 

時刻は夕暮れ、降魔時(オオマガドキ)――。

 

 

 

まるで全身に返り血を浴びたかのように夕日で真っ赤に染まった少女は、傘の陰から眼だけをギョロリと除かせて、ガタガタと震える群集に小さく言葉を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ア

        ナ     タ

 

 

 

          タ   

                   チ

  

 

 

    ノ

 

 

 

 

              あ

                             か

 

 

    チョー

 

             ダ

                                     イ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『-----------------------------ッッッ!!!!』

 

ほとんどの者たちが声にならない悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすが如く、我先にとその場から逃げ去っていった――。

そしてあっという間に広場には人の気配がなくなり、その場には四ツ谷と紅い少女だけが残った――。




おまたせしました。
最新話です。


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其ノ五 (終)

前回のあらすじ。
四ツ谷によって真なる怪談を聞かされ、人々はその怪異に恐怖する。


「……え?え?皆どうして逃げて行ったの?……わちきが、皆を驚かせたの???」

 

群衆が逃げ去り、その場に残った二人のうち、何が起こったかわからずポカンとする紅い少女――多々良小傘はただただ呆然と立ちすくんでいた。

その反面、もう片方の四ツ谷文太郎は嬉々とした表情で笑い声を上げる。

 

「ひゃーーーーっはっはっはっはっはぁっ!!久しぶりだ、久しぶりの阿鼻叫喚だ!!もう何年も聞いていなかった他人の悲鳴がこんなにも心地の良いモノだったとは……!!他人の不幸じゃなく、他人の悲鳴は蜜の味って言うのかこれは?まあ、どっちでも良い!久しぶりの快感に違いないからな!!」

「ちょ、ちょっと一人で盛り上がってないで説明してよ!?」

「ん?説明も何もいらないだろ?お前があいつらを驚かせて、お前を見たあいつらが逃げて行った。それだけのハナシだ」

「ええっ!?でもわちき、何もしてないよ!?事前に言われたとおり()()()()を持って『あなたたちの赤ちょうだい』って言ったこと以外は……」

 

そう言って小傘が差し出したのは、昼間四ツ谷が買った大量の赤い絵の具をぶちまけた白い傘と、小傘が広場に入る前に近所の魚屋で借りてきた魚をさばく包丁だった――。

この包丁、魚をさばいたばかりの物で、水洗いも何もしてない状態だった。それ故、包丁の刃には乾ききっていない魚の血が付着し、その生臭さも消えきってはいなかった。

 

「臭っ!!その包丁俺に近づけるな。臭いが移るだろうが!」

「わちきだってさっさと返したいよ、こんな生臭い包丁!――ひゃうっ!?」

 

すると突然、小傘が身体をビクンと震わせ、その場にへたり込んでしまった。

 

「おい、どうした!?」

「あ、ああああっ、来るっ!入って来る!わちきの中に、大量の『畏れ』がっ!!」

 

聞き方によってはとんでもなく卑猥に聞こえる言葉を並べながら、小傘は自分の身体を掻き抱いて何かに酔いしれるような表情で天を仰いだ。

その姿を見た四ツ谷はやや引きながら小傘に声をかける。

 

「……本当に大丈夫なの、か……?」

「すごい……こんなに濃厚でたくさんの『畏れ』……わちき始めてかも♪……能力も格段に跳ね上がって、力があふれてくる……!!」

「……?どう言うことだ?」

「……分かりやすく言うと、今までのわちきは下級妖怪程度の存在だったけど、『畏れ』という『経験値』を大量に取り込んだことで下級妖怪から一気に大妖怪クラスぐらいにまで大幅レベルアップしちゃったってこと♪」

RPG(ロールプレイングゲーム)かよ!?」

 

四ツ谷のツッコミがむなしく響き、少しして落ち着いたのか小傘が立ち上がった。

 

「ふぅ~すっごい満足♪これならもう畏れがなくても数十年単位で存在を維持できるね♪」

「そ、そりゃよかったな」

「ありがとう。あなたのおかげでわちき生まれ変わった気分だよ」

 

満面の笑みで感謝の言葉を述べる小傘だったが、先ほど小傘の痴態を見てしまった四ツ谷にとっては複雑な心境だった。

しかし、小傘はそれに気付かず、四ツ谷に声をかける。

 

「それにしても『最恐の怪談』ってすごいね。怖いことに慣れてるはずの人里の人間がここまで恐怖するなんて」

「……ま、その恐怖を爆発させたのは紛れもなく小傘、お前だがな」

「あ、やっぱりそうなの?」

 

「気付いてなかったのか」と四ツ谷はため息をつく。

 

「言ったろ?『最恐の怪談』には語り、聞き手、演出の三つの条件が必要だってな。俺がその三つを巧みに使い、やつらの恐怖心を膨張させたのさ。風船のようにな。そしてその恐怖が膨らんで破裂寸前の風船にとどめの一撃――すなわち『針』の役目を担ったのがお前だ。俺の語りと演出がリアリティを生み出し、聞き手であるやつらの恐怖を煽り、最後にお前という『赤染傘』を登場させたことで架空の存在から現実のモノへと変化させ、『最恐の怪談』を完成させるに至ったのさ」

「ふ~ん、じゃあさっきから聞こえているこの『くちゃり、くちゃり』って音も演出?」

 

小傘が指を立てて四ツ谷にそう問いかける。人里の群集を怖がらせる要因の一つとなったその音は未だに広場に響いていた。

 

「ああ……っつうか、この音はお前もついさっき聞いたばかりだから分かるだろ?」

「あ。やっぱりアレなの?」

 

四ツ谷と小傘は同時に音のする方向へ眼を向ける。

そこに生えている茂みの中で、さきほど四ツ谷と小傘に吼えてかかった犬が、四ツ谷からもらった干し肉をくちゃり、くちゃりと美味しそうに食べている光景があった。

 

「タネさえ分かれば子供騙しだね。コレ」

「ヒッヒッヒ。それでも何も知らないやつらには効果覿面なんだよ。……おっともう一つ、重要なことを忘れていた」

「?」

 

 

 

 

 

 

 

「――怪談の閉めをまだやっていなかったな……」

 

そう言って四ツ谷は両手を持ち上げて不気味は笑みを浮かべたまま言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『妖怪、赤染傘』……これにて、お(しま)い」

 

パンッ!と両手を打ち鳴らし、四ツ谷の怪談は閉幕した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、もう日も沈んだことだし、あの教師のところに行って早いとこ寝る場所紹介してもらわないとな」

「……あ、あのー四ツ谷、さん?その必要ないみたいだ、よ?」

 

青ざめた表情で四ツ谷の背後を凝視し、そう呟く小傘。不審に思って四ツ谷も背後を振り返る。そこには――

 

「……広場のほうから悲鳴が聞こえたから来てみれば……」

「「………………」」

「……お前たち、一体何をした?」

 

昼間会ったばかりの美人教師が鬼の形相で立っている姿が眼に飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

その後、その場に正座させられた四ツ谷と小傘は実に三時間にもわたって彼女のありがたい説教を受けることとなるのだが、それはまた別の噺――。




妖怪、赤染傘終了です。
次は第二幕へと入ります。


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第二幕 金小僧
其ノ一


第二幕突入です。


日に日に夏の日差しが強くなり、本格的な夏が到来した幻想郷――。

いつの間にかセミが鳴き始め、チリンチリンと風鈴を売り歩く人も見始めた人里で一人、上半身裸になり、汗だくで大八車を押す男がいた――。

 

「おい、にいちゃん!力入ってねえぞ!もっと腰を入れろ腰を!!」

「ぜぇ、ぜぇ……はあ、はあ……う、うるせぇ。に、肉体労働は……専門外なんだよ……!!」

 

大八車を引っ張る禿頭に鉢巻をした男の激昂に大八車を押す黒髪の男がそう反論した。

この男こそ、最近幻想郷へやってきた怪談好きの変人、四ツ谷文太郎その人であった――。

 

上白沢慧音の紹介で小さな長屋の一番端っこの家に住むことが出来た四ツ谷だったが、先立つものがないと生活できるわけがないため、こうして日雇いの仕事を貰ってはそれであくせく働くという日常を送っていた。

しかし、思ったほど自分に合う仕事がなく、それでいて条件なども厳しいものが多かったため、選り好みが出来る状況ではなかった四ツ谷は、仕方なく何とか出来そうな仕事を片っ端から請けるという方法を取っていた。

 

荷運びの仕事が終わり、水の入った竹筒を持ってへたり込む四ツ谷に、先ほど一緒に大八車を動かしていた鉢巻の男が近づいてきた。

 

「よう、にいちゃん。仕事ご苦労さんだ。これ今日の給金だ、確認してくれ」

 

そう言って鉢巻の男は四ツ谷に給料袋を渡した。

受け取った四ツ谷はその場で中身を確認する。するととたんに四ツ谷の眉間に皴が寄り、ため息も漏れた。

 

「……やっぱり日雇いの給金てこんなモンなのか?一日生活できる分はおろか、一食喰うのにも厳しいぞコレじゃ」

「まあ、そう文句言うな。金が貰えるだけ幸せだと思わなきゃあな。……と、言いたいところだが、にいちゃんの言うことにも一理ある」

 

鉢巻の男のその言葉に四ツ谷は思わず顔を上げる。そこには真剣な顔をした鉢巻の男の顔があった。

鉢巻の男は続けて口を開く。

 

「少し前までは日雇いの仕事でも数日分は生活できる給金が貰えてたんだぜ?」

「何?……ならなんで今はこんなことになってんだ?」

 

四ツ谷のその問いに鉢巻の男は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「……ある男のせいだ」

「ある男?」

「……そいつが人里の財政をひっ迫させていやがんだよ。そいつはな……ちっ、噂をすればだぜ。その疫病神のお出ましだ」

 

そう言って憎悪の眼を向ける鉢巻の男の視線を四ツ谷は追った。

そこには高そうな着物を着た初老の男が歩いていた。その後ろには屈強な身体を持った数人の男たちが護衛のようにつき従っている。

その集団、特に初老の男に向ける周りの人々の視線はどれも憎憎しげなもので、その一つとして好意的に受け取れそうな視線はなかった。

 

「金貸しの半兵衛(はんべえ)。金の力でこの人里を牛耳ろうとしているクソ野郎だ」

「金貸しの半兵衛?……あいつが今人里に金銭問題を起こしているのか?」

 

四ツ谷のその問いに鉢巻の男は半兵衛に向けていた目を四ツ谷に移す。

 

「にいちゃんは確か外からやってきたんだったな?なら知っておいたほうが良い。この人里は出来てからこの方、長と呼べる人物、つまり為政者と呼ばれるやつがいないんだ」

「何?……それでよく今までやってこれたな」

「実際、うまくやってたんだよ。なんとかな。……しかし最近になってその為政者になって人里の頂点に君臨しようってやつが現れた。それがあいつだ」

 

くいっと顎で半兵衛を指してみせる鉢巻の男。

 

「やつは本業の金貸しの仕事だけでなく、人里の物価流通にまで入り込んで、あくどい諸行をしているらしいぜ。おかげでやつの屋敷の蔵には目が飛び出るほどの大金がうなってるって噂だ」

「……そりゃまた、迷惑なやつだな」

「ああ。やつの毒牙でもう何人か追い込まれて自ら命を絶ったって聞く。寺子屋の慧音先生も何度かやつの所に直接交渉に行ったらしいが……馬の耳に念仏状態だとよ」

「あの教師の説教に耐えたって言うのか!?」

 

以前、慧音の説教を小傘共々三時間のフルコースで受けた四ツ谷にとってそれは信じがたい話だった――。

 

「ったく!……金を貯めてその金の力で里の頂点に立つだか何だか知らんが、その前にこの里の経済が破滅しちまうよ」

 

そうブツブツと文句を言った鉢巻の男は、四ツ谷に軽く手を振るとさっさとその場を去っていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい、師匠ー。晩御飯の用意できてるよー♪」

 

その日の夕方、クタクタになって長屋に帰ってきた四ツ谷を満面の笑みを湛えた多々良小傘が迎えた。

先日の『赤染傘』の一件で四ツ谷のことを『師匠』と呼んで慕い、毎日のように四ツ谷の長屋に足を運ぶようになっていたのである。

仕事で疲れきっていた四ツ谷は力なく小傘に問いかける。

 

「ただいま……。今日の晩飯何?」

「今日の献立は、白米にメザシ一匹だけだよ」

「……うぅ、いつまで続くんだこんな生活」

「はいはい、嘆かない。ご飯が食べられるだけでも幸せだと思わなきゃ」

 

そう言って小傘は自分のお椀を手に取ると、「いただきまーす」とその中の白米を口に放り込み始めた。

 

ちなみに小傘は自分の分の食料は自宅から長屋に持ってきて、四ツ谷の分と共に調理している。

一度四ツ谷は小傘に「食料に余裕があるなら少し分けてくれ」と頼んだことがあったが、小傘はブンブンと首を横に振って「ウチもそんなに余裕無いんで無理です!」と断られていた。

それならば、時間が空いたときでいいから自分の給金稼ぎの手伝いをしてほしいと頼んだのだが、「それも無理」と一蹴されてしまう。

だがそれも仕方のないことだろう。小傘は先の『赤染傘』の件で人里ではちょっとした有名人になってしまっていた(主にホラー的な面で)。

以前は小傘のことを馬鹿にしていた人間も、今じゃ彼女を怖がってあまり近づこうとしなくなったのだ。

恐怖の対象となった小傘に仕事をくれる人間なんて、よっぽどの物好きぐらいな者だろう。おまけに今じゃ大妖怪クラスの強さを持つようになったのだから尚更だ。

また、大妖怪クラスの存在になったからと言って小傘自体の見た目は何も変わってはいない。強いて言うなら彼女がいつも持っている目玉と舌の付いた紫の大きな傘が『赤染傘』の影響からか紫から赤に変色していたくらいだろう。

 

小傘に頼ることが出来ない以上、後は畑でも作って自給自足の生活という手もあるのだが、肉体労働が苦手な四ツ谷が長続きするかははなはだ疑問である。

 

(どうするかなぁ……)

 

量の少ない晩御飯をもそもそと食べながら、四ツ谷はこれからの生活設計に一人思い悩むのだった――。




自分は日常的な部分を文章に起こすのは苦手かもしれません。


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其ノ二

前回のあらすじ。
幻想郷の人里で生活をし始めた四ツ谷だったが、人里は今、経済的な不況に陥っていた。


「はあ……」

 

日が落ちたばかりの暗い道を提灯片手に人里の教師、上白沢慧音は家路へと向かっていた。

彼女の足取りは重く、ため息も深い。

それと言うのも、原因はさっきまで話をしていた相手、金貸しの半兵衛が原因である。

今、人里の財政ひっ迫の原因が半兵衛にあることも彼女はとっくに掴んでおり、彼の悪行を阻止しようと何度も説得に向かったのだが、結果は全て同じであった――。

 

(昔はあそこまで悪いやつじゃなかったんだがな……)

 

慧音は物思いにふける。かつて半兵衛は慧音の教え子であり、その当時の教え子たちの中ではダントツに手のかかる子供であった。

悪戯や危険行為を行うことが多く、その度に何度も説教を行うのは日常茶飯事だったほどである。

現在、彼女の説得にどこ吹く風なのはひとえにその時の賜物とでも言っていいだろう。決して褒められたことではないが。

それでも、子供の頃の半兵衛は物分りがよく、悪いことをしたら素直に謝罪も出来る面もあったのである。

 

(……一体どこで教育を間違ってしまったのか……)

 

いつの頃からか、金に魅入られ、金をかき集め、果てには人里の頂点に立つという野望まで抱いた彼はもはや彼女の知っている半兵衛では無くなっていたのだ。

 

(……このままでは里は壊れてしまう。何とかしなければ……ん?)

 

そこまで考えて、慧音はピタリと脚を止めた。

自宅の前に提灯を持った人影が立っていたのだ。だが、提灯で照らされたその顔は慧音のよく知る人物でもあった。

 

「阿求……か?」

「あ!慧音先生。よかった、帰ってきてくれたのですね」

 

そう言ってパタパタと慧音に駆け寄ってくるのは、紫のおかっぱの髪に花の髪飾りを付けた着物の少女――稗田阿求であった。

切羽詰ったかのような彼女の顔を見て、慧音は険しい顔で問いかける。

 

「こんな暗い時間に、何かあったのか?」

「はい……実は折り入って先生に相談したいことがありまして……」

「そうだったのか。ここじゃ何だ、家に入って話を聞こう」

「いえ、お構いなく。話が終わり次第すぐに帰りますので……実は相談というのは私の屋敷の近所に住むある老人の事でして……」

「老人?」

「はい。その老人は息子夫婦と一緒に暮らしているのですが、最近その方の様子がおかしいのだと息子夫婦から私に相談を持ちかけられまして……」

「様子がおかしい?……どんなふうに?」

「まるで……()()()()()()()()()()()()()、です」

 

阿求のその言葉に慧音は眼を丸くする。それに畳み掛けるようにして阿求は言葉を重ねた。

 

「それに、奥さんほうがこの間、その老人がある人と出会っているのを偶然目撃していたようなのです」

「ある人?」

 

慧音の問いに、阿求は答えづらそうに顔を歪めたが、意を決してその人の名前を言い……その名を聞いた慧音はさらに驚愕したのであった――。

 

「金貸しの……半兵衛さん、です……」

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、人里の別の場所でも深刻な問題に直面している家庭があった――。

 

「おかあさん、今日の晩御飯コレだけ?」

「ごめんね瑞穂(みずほ)。今日はコレでがまんしてね」

 

明らかにご飯としては量の少ない夕飯に5歳くらいの女の子がそう響き、その母親らしい女性が申し訳なさそうに謝った。女性は身体が弱く、出した声もどことなく力が入っていないようだった。

そんな二人のそばにもう一人、少女が自分のお膳を前に座っていた。ぱっと見、14,5歳くらいのその少女は、意を決したかのように、女性に声をかける。

 

「お母さん、私もっと働いてお金貯める!」

(あざみ)……。嬉しいけれどそれはだめ……今貴方が受け持っている仕事の量も多いって言うのに、これ以上増やしたら私より先に貴方が倒れてしまうわ」

「大丈夫!私、丈夫な体だけが取り柄だから……それに、私ももう15歳だから、いざとなったら――」

「――だめよ薊」

 

薊と呼ばれた少女の言葉にかぶせるようにして、母親である女性の声がかかった。

その声はさっきとはまるで違う、鋭さを帯びていた。

 

「それ以上言ったら、お母さん許さないから……」

「でも……でも、お母さん……」

「いいから。生活の事も、半兵衛さんから借りている借金の事も、私に任せて、あなたは無理せずに家庭を支えてくれればそれでいいから……」

「…………」

「さ!この話はここまで。明日もがんばらないとね。ご飯食べたら早く寝ましょう」

 

そう言って強引に話を打ち切った母親は夕飯を食べ始める、それにつられるようにして薊とその妹である5歳の少女――瑞穂も黙って夕飯を食べ始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何?いなくなった!?」

 

阿求から相談を持ちかけられたその翌日、慧音は阿求と共に件の家族の家を訪れた。

しかし、肝心の老人が今朝から姿が見えなくなっていることを息子夫婦から聞かされる。

その話を聞いて、険しい顔で阿求が慧音に声をかけた。

 

「先生。まさか……!」

「……まだ()()と決まったわけじゃないが……急いで探したほうがよさそうだな。すまないがお前たちも探すのを手伝ってくれ」

 

慧音にそう言われた息子夫婦は強く頷き、四人は人里の中を散り散りになって老人を探し始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?今なんて……?」

 

日雇いの仕事で小売店を訪れていた薊は、店主の信じられない第一声によってその場に立ち尽くした。

そんな薊を見て、店主は気まずそうに言葉をかける。

 

「だから、お嬢ちゃんに頼んでいた仕事だがよ、アレ無しになっちまったんだ。すまねえな」

「そ、そんなどうして……!?」

「あん?そりゃあの半兵衛のせいさ。あの野郎、片っ端から金をかき集めるもんだから、人を雇う金も無くなっちまってよう!こっちもえれぇ迷惑してんだ」

「わ、私、働いてお金を稼がないと……もう後が無いのに……」

「いやホントすまねぇな。また別の仕事でも探してくれや。それじゃあな……!」

「あ……!」

 

止める間もなく店主はいそいそと店の奥へと引っ込んでいった――。

それを見た薊は絶望的な気持ちになる。と言うのも今日、仕事をドタキャンされたのはこれが初めてではなかった。

 

()()()()()()――。

 

もう今日行うはずだった仕事のほとんどをドタキャンされてしまっていた。

この様子ではもはや残っている仕事先も絶望的と言わざるを得ないかもしれない――。

フラフラと小売店から出てきた薊はいく当ても無くさ迷った。

時間はまだ、朝――。今から家に帰ったところでどうしようもなかった。

そんな薊の脳裏に昨日母親に言おうとしたことが浮かんだ――。

 

それは()()()……。

 

異性に自分を買ってもらおうと言う所業であったが、当然それを母親が許すわけが無い。

だが、そうでもしないと家族が路頭に迷うのは日の目を見るよりも明らかだと言う事は薊自身が分かっていた。

自分の着物をぎゅっと掴み、薊は覚悟を決める――。

そして大通りを歩きながら、薊は誰に買ってもらおうかと行き行く男性たちに選定の眼を向ける。

自分は異性に対する経験は皆無。せめて()()()()()()()()人がいいなと考えながら、彼女は歩を進めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だあぁぁぁっ!!仕事ドタキャンされた!!今日の飯どうすりゃいいんだぁぁ!?」

 

同じ頃、四ツ谷も薊と同じ状況に陥っていた。その隣には小傘もいる。

頭をガシガシ掻きながら天を仰ぎ見る四ツ谷に小傘は慌てて励ます。

 

「お、落ち着いて師匠!一日何も食べなくったって死にはしないよ!?」

「ぐうぅぅぅ……!」

 

今度は力なくうな垂れた四ツ谷。小傘はそんな四ツ谷におろおろしだすも、視界の端に団子屋を見つけ、ポンと手を叩く。

 

「そ、そうだ!あそこの団子を買って帰りましょう!あそこの団子屋安いですし、団子でも腹の足しにはなりますよ!」

 

そう言って四ツ谷が何か言うよりも先に脱兎の如く小傘は団子屋に駆け込んでいた。

後に残ったのは、途方に暮れ、ため息をつく四ツ谷だけが残った。

ぼんやりとたたずむ四ツ谷。そこに一つの影が近づいてきた。

おずおずと四ツ谷に近寄ってきたその者は、放心状態の四ツ谷を見て若干ためらいの様子を見せるも、意を決して彼に声をかけた。

 

「あ、あのっ!」

「……あん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――わ、私を……買ってくださいッ!!!」




前回に引き続きオリジナルキャラクター登場です。


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其ノ三

前回のあらすじ。
仕事を失った四ツ谷の前に一人の少女が声をかけてきた。


「……はぁ?」

 

突然、少女が発した「自分を買ってくれ」宣言に四ツ谷はポカンとなった。

その少女はぱっと見十代半ば、背は低いものの整った目鼻立ち、肩までかかる黒髪を風になびかせてたなかなかの美少女であり、その体型も着物に隠されてはいたが、背の低さと反比例して胸部の盛り上がりが著しく目立っていた。性欲に忠実な男ならすぐさまお持ち帰りするほどだったろう。

だが、あまりの事に思考が停止状態となった四ツ谷を前に、その少女――薊も四ツ谷の返答を待つべくぎゅっと眼をつぶって身を硬くする。

二人のいる空間だけまるで時が止まったかのように、静寂がその場を支配する。

しかし、そばの団子屋から出てきた小傘の第一声で、すぐにそれが解消される事となる。

 

「師匠ー、やりましたー!何とか格安でみたらし団子二本手に入れられましたよ……ってあれ?何ですかこの空気?」

「……っ!?」

 

小傘の登場で一番驚いたのは薊であった。無理も無い、今から如何わしい事をするかもしれない相手に女性の同伴がいたのだから――。

 

「ご、ごごごごめんなさい!今のは無かった事にしてください!そ、それじゃ……!!」

「え、あ、ちょ、ちょっと待て!!」

「え?師匠、どこへ行くんですかー!?」

 

勢い良く一礼してその場を逃げ出す薊を、半ば無意識的に追いかける四ツ谷。状況が飲み込めず、みたらし団子を両手に持ち二人の後を追いかける小傘――。

四ツ谷は自分がなぜあの少女を追いかけているのか分からなかった。しかし一つだけ分かとすれば、今ここで彼女を捕まえないと後々、手遅れな事になるかもしれないと思ったからだ。主に彼女の貞操が。

里の大通りを疾走する三つの影――。しかしその追いかけっこはすぐに終わる事となる。

 

唐突に彼女が脚を止め、それを見た四ツ谷は体力が尽きたのかと思い、自分も彼女の数メートル手前で脚を止めた。小傘もそれに習う。

しかし四ツ谷はすぐにそうではないと理解した。

彼女はある一点を見つめ、驚きに固まっていたからだ。それに気付いた四ツ谷は彼女の視線を追う。

そこには人里に流れる川にかかるアーチ状の橋があった――。

その橋のちょうど中央付近に老人が立ち尽くしており、何を思ったのか老人はその橋の欄干を跨ぎ、()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたか!?」

「いいえ、どこにも……!!」

 

老人を散り散りになって探していた慧音と阿求は偶然ばったり出くわし、状況を確認しあう。しかしお互いに収穫が無いと分かると内心肩を落とした。

 

「一体、どこへ行ってしまったんだ?」

 

そう言って辺りをキョロキョロと見回す慧音に阿求の声がかかる。

 

「先生!あの橋の上にいるのって……!」

 

そう言って指差す方向を眼で追うと、そこにはアーチ状の橋があり、自分たちが探していた老人がそこから身投げしようとする光景が映ったのだった。

 

「何している!待っ――」

 

慧音が老人に向かってそう叫ぶも、途中で別の二つの叫び声が重なった。

 

「ワァーーーーーー!?」

「ちょ、ちょっと待ってください!?」

「!?」

 

橋の向こう側から、二つの影が老人に駆け寄り、羽交い絞めにする。

その二つの影はどちらも慧音の見知った者たちだった――。

一人は、つい数年前まで自分の寺子屋の生徒であった薊という少女、そしてもう一人はつい最近、この幻想郷にやってきたばかりの変わった人型怪異、四ツ谷文太郎であった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、放せ!わしなんぞ生きててもしょうがないんじゃ!」

「何があったかは知らんが、こんな朝っぱらから死のうとすんじゃねーよ!?」

 

四ツ谷と薊の腕の中で暴れながら叫ぶ老人に四ツ谷はそう叫び返す。

だが、見た目に反して老人の力は強かった。半ば無理やり二人の拘束から離れる。

 

()()()()()()()()()()、息子夫婦に合わせる顔が無いんじゃあぁぁ!!!」

 

半狂乱になってそう声を上げると、四ツ谷の身体を老人は思いっきり突き飛ばした。

 

「うぉっ!?」

 

老人とは思えぬ力で突き飛ばされた四ツ谷の身体は、背中から橋の欄干にぶち当たり――そして()()した――。

 

『あ』

 

その場にいた全員の声が重なる、ぐるんと視界に空が移り、次の瞬間に四ツ谷が見たのは、流れる川の水面に映った自分の顔であった――。

 

「四ツ谷!?」

「師匠ー!?」

「ワァーーーーーーーーッ!!?」

 

慧音と小傘の叫び声を背景に、四ツ谷は悲鳴を上げながら川の中へ転落していった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

十分後、橋のそばの川岸にて、四ツ谷たちの姿があった。

四ツ谷は下着に阿求が気を効かせて持ってきてくれた毛布をかぶって焚き火のそばで暖を取っていた。その反対側で小傘は四ツ谷の着ていた着物と腹巻を乾かしている。

その少しは離れたところでは、慧音と阿求が薊と老人から事情を聞いていた。またそのかたわらには後から駆けつけてきた息子夫婦の姿もある。

遠巻きにではあるが、騒ぎを聞きつけた数十人の野次馬の姿もあった。

 

やがて事情を聞き終えた慧音と阿求が、薊を引き連れて四ツ谷たちの元にやってくる。

慧音が四ツ谷に声をかけた。

 

「四ツ谷、大丈夫か?」

「今は夏場だから風邪を引かないかもしれないが、気分は最悪だ……。で?あの二人の事情は聞けたのか?」

 

四ツ谷の問いに慧音は「ああ」と短く響き、背後を振り返る。

そこには動揺する息子夫婦に、涙を流しながら深々と頭を下げる老人の姿があった。

 

「……あの老人は半兵衛にだまされていたらしい。老い先短いゆえに息子夫婦のためにコツコツとお金を貯めていたらしいが、それに目を付けた半兵衛に『もっとたくさん稼げる方法を知っているが乗らないか?』と告げられて……な。結局、今まで貯めていた分はおろか、莫大な借金まで背負わされる羽目に……」

「……それで、『息子夫婦に合わせる顔が無い』って叫んでやがったのか……。それで、そっちのやつは?」

 

四ツ谷にギョロリと眼を向けられ、向けられた少女、薊は一瞬肩をビクリと震わせる。

それを見た慧音は小さくため息をつくと説明する。

 

「薊も似たようなものだ。半兵衛に作った借金を返そうにも、仕事が無くなってしまって、思いつめて身売りしようとしたらしい。……それで自分を買ってくれる相手を探していて声をかけたのがたまたまお前だったと言う事だ」

(俺のどこがよかったんだ……?)

 

そんな事を思いながら、四ツ谷は薊をまじまじと見つめる。そんな視線に気まずいものを感じたのか、薊は小柄な身体をますますちぢ込ませた。

そんな彼女を見た四ツ谷はため息をつくと、次の瞬間には真剣な顔で慧音に問いかけた。

 

「んで、どうするんだ先生?」

「……どうする、とは?」

「決まってるだろ?半兵衛の事だよ。……あんただってもう分かってるだろ。あいつがいる限りこの里は破滅する。いやもう暴動だって起こってもおかしくない所まで来てる。今すぐ手を打たないと、この里は終わりだ」

「そ、れは……」

 

それはもはや確信していると言える四ツ谷の言葉に慧音は言葉を詰まらせ、俯く。

そんな慧音に四ツ谷はさらに言葉をかけた。

 

「……もしあんたに何の妙案も無いって言うなら、この一件――。()()()()()()()()()()

「お前に、か……?」

「ああ」

 

慧音と四ツ谷のそんなやり取りに、小傘が口を挟んでくる。

 

「……師匠、もしかしてプッツンきちゃってます?」

「ああ、とうに、な……」

 

事実、四ツ谷は今日一日の事だけでも内心頭に来ていた。一向に改善所か悪化する自身の生活。そんな自分の境遇も知らず、自分を買ってと迫ってきた少女。そして、投身自殺を図る老人を止めようとして逆にその老人に川に突き落とされてしまうと言う始末――。

川に落ちた瞬間に四ツ谷の中で何かが断ち切れる音が確かに響いたのだった。

そしてその怒りの矛先を一人の男に集中させる。

自身の生活、少女、そして老人の件、全ての元凶である金貸しの半兵衛――。

たった一度、チラッとしか見たことがないあの初老の男を四ツ谷は完全に敵と認定したのだ。

打倒、半兵衛を誓う四ツ谷に慧音は慌てて反論する。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。何をするつもりかは知らんが、殺生事とかをするつもりなら――」

「あん?そんなことするつもりなんて全くねーよ。ただやつにドぎつい灸をすえてやるだけさ。あの金の亡者に、二度と金が見れないくらいの『恐怖』を与えてな……!」

「師匠やるの?『最恐の怪談』」

 

小傘の問いかけに、四ツ谷は不気味にニヤリと顔を歪ませた。

その顔を見たほとんどの者はぞくりと身を震わせた。だが中には『最恐の怪談』という言葉を聴いて内心興味を持つ者たちもいた――。

四ツ谷は立ち上がると、薊に眼を向け、口を開く。

 

「……薊って言ったっけ?」

「え?あ、はい」

 

突然声をかけられ動揺する薊をさらに動揺させる事を四ツ谷は口にする。

 

「お前の身柄、買ってやる。……ただし、性交相手じゃなく()()()()としてだがな!」

「………え?助手、二、号?」

「そうだ。今からお前は小傘と一緒に人里じゅうに俺が言う怪談を流せ。そうすればお前の抱える金銭問題は解決する。いや、お前だけじゃなく里じゅうの金銭問題も、か」

「――その話、本当なのか?」

 

四ツ谷の言葉に反応したのは、全く知らない第三者の声だった。

その声のほうへ四ツ谷たちが振り向くと、先ほどまで遠巻きに見ていた野次馬たちが四ツ谷たちに近づいてきていた。

野次馬の一人が言う。

 

「本当にあの半兵衛の鼻を明かす事ができるのか?」

「ヒヒッ、ああ、俺は嘘は言わねーよ。なんだったらあんたらも協力してくれるかい?」

 

四ツ谷のその言葉に野次馬のほぼ全員が了承した。

それを見守っていた慧音も、大きくため息をつくと口を開く。

 

「里の者たちが協力すると言った以上、私も協力しなければ立つ瀬が無いな」

「私も、です。何でも言ってください。協力しますよ?」

 

そう慧音の背後から阿求も賛同する。

その場にいる者たちを一望し、四ツ谷は嬉しそうに顔を歪ませる。

 

「ヒッヒッヒ!嬉しいねぇ。これだけの人数が協力してくれるなら、間違いなく今回の『最恐の怪談』は成功しそうだ……!!」

 

そう言って立ち上がると、四ツ谷は群衆の中心に立ち、口元に人差し指を立てながら静かに響く。

 

「――まず、怪談の噂を流すための()()()()だが……。他人にその怪談を話す際、必ずこう切り出せ……『誰にも言ってはダメだ』とね……」

 

何故?とはその場にいた誰も言わなかった。きっと『最恐の怪談』のためには必要な事なのだろうと思ったし、怪談の噂を流すためのルールみたいなものなのだろうと、その場にいた全員がなんとなくそう感じていたからだ。

 

静かになった川岸に一人、四ツ谷文太郎の声が木霊する。

 

「――さあ、それじゃあ始めようか。いざ、新たな怪談を創りに……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お題目は、金の化身……『妖怪、金小僧(かねこぞう)』だ……!!」




四ツ谷たちの反撃開始。
同時に四ツ谷の本領発揮です。


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其ノ四

前回のあらすじ。
老人に川に突き落とされた四ツ谷は、打倒半兵衛を誓い。
金小僧の噂を里に流し始める。


――ねぇねぇ、知ってる?妖怪、金小僧の話。

 

――え?知らない?

 

――なら……誰にも言っちゃダメだよ?あのねぇ…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、待ってくれ!その箪笥や布団を持っていかれたら明日からどうすれば――」

「うるさいのう!ちゃんと金を返さん貴様が悪いんじゃろうが!恨むんなら自分を恨む事じゃの!」

 

そう言って民家から屈強な男たちを使って家具を運び出しているのは、今噂になっている金貸しの半兵衛その人だった。

彼はいつものように借金を作らせた相手の家に押しかけ、金が返せないと分かると代わりに家の家具を半ば無理やり差し押さえて、家具を奪っていくのである。

 

「ふん、古臭いが少しは金に換えられそうじゃわい」

 

荷車にくくりつけた家具をポンポンと叩き、半兵衛は一人ごちた。

そしていざ家具を運ぼうとしたとき、半兵衛は遠巻きに見ている周囲の人間たちが、皆一様に恨みがましい眼を自分に向けていることに気付いた。

 

「なんじゃお前たち。ワシに文句でもあるのか!!あるならはっきり言ってみろ!!」

 

屈強な護衛を背後に立たせ、半兵衛は周囲に怒鳴り散らす。

いつもはこうやると皆一瞬にして沈黙するのだが――。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

 

 

「はん!金貸しの半兵衛がまた悪どく稼いでるぜ!護衛がいなけりゃ威張り散らせもしねえ小悪党風情が!」

「なんじゃと!?貴様今なんて言った!!」

 

群衆の一人が大声で言ったその言葉に、顔を真っ赤にした半兵衛が噛み付く。

それでもニヤニヤと笑うその者に苛立ちを覚えた半兵衛は護衛の一人を向かわせて、暴力を持って黙らせようと考え、口を開くも、それよりも先にその者が声を響かせた。

 

「そんなことばっかやってると、いずれお前の所に金小僧が現れるぞ!」

「……金小僧?」

 

聞いた事のない言葉に半兵衛は首をかしげ、それを見たその他の群衆の一人が口を開いた。

 

「知らないのか?今、里じゅうで噂になってる妖怪のことを?」

「妖怪、じゃと……?」

「そうさ。金小僧は使われず溜め込まれたままの金銭が、長い年月を経て妖怪化した、言わば金の付喪神(つくもがみ)さ。『チリーン、チリーン』と手に持った鈴を鳴らしながら現れて、出会った人間に『やろうかぁ、やろうかぁ』と呼びかけて来るんだ。で、そいつが『ほしい』とか言ったら、そいつの目の前に金銀財宝を置いて去っていくんだぜ」

「……ほう?そんないい妖怪がいるなら、ワシも是非ともあってみたいものじゃ」

 

もしそんな妖怪が本当に入るのなら、自分の野望をかなえるための足がかりになってもらおうと、半兵衛は内心そう企むも、悪そうな笑みを浮かべた群衆の一人の言葉にあっさりと崩れ去る事となる。

 

「だが半兵衛、あんたん所に来る金小僧は()()()そんなモンを与えには来ねえよ。何故なら金にがめついやつの前に現れる金小僧は、()()()()()()をそいつに与えるからさ」

「何……?」

「金によって不幸に落とされた者、金によって命を絶ってしまった者、そんなやつらの怨念や憎悪を金小僧は吸収し、その元凶となった者の前に現れる。そして、他と同じように『やろうかぁ、やろうかぁ』と声をかけてくるが、『ほしい』と言って与えるのは財宝などではなく、金によって死んでいった者たちの『呪い』そのもの……つまり――」

 

 

 

 

 

 

「――お前の『死』だああああっ!!!」

 

 

 

 

 

「ッ!!?」

 

群衆の一人のその叫び声に、半兵衛はビクッと反射的に飛びのいた。

途端に周囲から笑い声が続々と上がる。

 

「ハハハッ!本気でビビリやがったぞ半兵衛のやつ!いい歳した男が情けねえな!」

「き、貴様らよくもワシに恥を掻かせたな!全員顔は覚えたぞ!近いうちにこの借りは返させてもらうからな!覚悟しておけよ!!」

 

半兵衛は群集に向かって怒鳴り散らすと、護衛の男たちに荷車を押させながら、大股でその場を去ってゆく。その背中にまたもや群衆の一人の声がかかる。

 

「あ、そうそう。『死』を与える金小僧には、腹に金で死んだ者たちの顔が浮かんでるんだってよ。覚えていて損は無いぞー?」

 

半兵衛はそんな言葉に反応せず、護衛を連れてその場から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふん、馬鹿馬鹿しい。何が金小僧だ。そんなモノ、今まで聞いた事もないぞ。大方、ワシを良く思っておらん里の者たちのでっち上げだ!」

 

群集たちから離れ、しばらくした後に半兵衛は一人毒付いた。

護衛を連れてドシドシと歩く彼の表情は、この上なく最悪だと言う事は見て取れた。

しかし次の瞬間――。

 

 

 

 

                 チリーン……

 

 

 

 

「!?」

 

耳に響いてきたその音に、半兵衛はビクリと反応し、その顔は慄きに変わっていた。

だが、そこにあったのは民家に吊るされた風鈴が風に揺らいでいるだけだった。

 

「な、何だ風鈴か……くそっ、驚かせおって……!!」

 

風鈴如きにビビッてしまった自分に半兵衛はやり場の無い苛立ちを隠そうともせず、仕事に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

そして、その様子を少し離れた所で見ていた者たちがいる。

それは先ほど半兵衛に金小僧の怪談を聞かせた里の民衆たちであった――。




今回は少し短めです。

追記

今回四ツ谷は出番無しです。


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其ノ五

前回のあらすじ。
半兵衛が金小僧の怪談を耳にする。


「へえ~、あの男風鈴の音にもビビッてたか……重畳、重畳♪」

 

長屋の端っこの家にて、半兵衛に金小僧を語った民衆の一人の話を聞いて、四ツ谷は満足そうにそう言いながら、手に持った握り飯にかぶりついた。

その場には四ツ谷と民衆たちの他に、小傘、慧音、阿求、薊といったこの一件の関係者が居合わせている。

老人との一件で、四ツ谷はまず自宅に溜め込んでいたなけなしの食料を全て薊に提供し、薊を助手二号として正式に雇い入れ、小傘と薊、そして民衆たちを使って人里に金小僧の噂を流したのだ。

そして、完全に食料を失った四ツ谷は噂が広まっているその間、慧音に自分の食事管理を頼み、食生活の問題を何とか耐え忍んでいたのだ。

だが、慧音は自分が持ってきた握り飯を食べながら、前述の言葉を呟く四ツ谷に首をかしげた。

 

「……なあ四ツ谷。何故半兵衛はそこまで金小僧の噂を恐れているのか私には分からないんだが……。それに聞いている限りじゃ、お前も半兵衛が()()()()()を予想していたように聞こえる」

「んぐ、んぐ……ぷはぁ~。……そりゃそうだろ。なにせ半兵衛がそれほど恐れるってことは=自分が今まで里のやつらにしでかしてきた事への良心の呵責(かしゃく)から来るモノなんだからな」

「何?」

 

握り飯を飲みこみ、そう呟く四ツ谷に、慧音のみならずその場にいたほとんどの者が驚いた。

それにかまわず、四ツ谷は続ける。

 

「やつはちゃんと気付いてたのさ。自分が金を巻き上げる事で、周りがどんな反応を見せているかなんてな。当然だ。もう何人も金で自害に追い込んでいるのに、憎悪を向けてこないやつなんているわけがない――」

 

そこで四ツ谷は一段とトーンを落とし、言葉を紡ぐ。

 

「――だがやつは、それでも他者への良心の呵責より自身の野望を選んだ。……だからあんな護衛を雇ってまで悪行を重ねているんだよ」

「…………」

「まったく。もはや後ろから包丁でグッサリ刺されてもおかしくない状況まで来てるってのに、そこまで金を溜め込んで為政者になろうとしてるのかは俺にもわからんがね。だがこのままじゃあいつが為政者になる前にこの人里が終わるのは間違いないって言うのだけは俺にもわかる――だから終わらせるんだよ」

 

そう言って握り飯を食べ終わった四ツ谷は立ち上がり、その場にいる全員に言い聞かせるようにして声を響かせる。

 

「この人里の為にも、そして()()()()()()()()()()、あの男の精神を野望ごと根元からへし折ってやらなきゃな……!」

 

そう言って不気味にニヤリと笑うと、四ツ谷は阿求に眼を向ける。

 

「……それで、頼んでたものは全部用意してくれたのか?」

「え?ええ……ですが、アレだけの準備で本当にうまくいくのですか?」

「ヒッヒッヒ!任せとけ。……それじゃあ全員に最後通達するぞ――」

 

 

 

 

 

「――決行は三日後、子の刻だ……」

 

 

 

 

 

 

 

「まったく!一体なんだと言うんだ。どこもかしこも金小僧の噂ばかり……!」

 

深夜、立派な屋敷の一室、そこで半兵衛は高そうな壷をきれいに布で拭きながら、苛立たしげに一人呟いていた。

金小僧の怪談を初めて聞いて以来、人里のどこへ行っても金小僧の噂は否応無く半兵衛の耳に入ってきていた。

最初こそ半兵衛は噂を無視し、仕事に打ち込んでいたが、頭の奥底では金小僧の存在がへばりつき、離れようとはしなかった。

それが三日も続き、半兵衛の苛立ちも治まるどころか、ますます持って拍車がかかる。

 

「……くそっ!」

 

半兵衛は拭いていた壷を乱暴にゴロンと転がすと立ち上がり、その部屋を照らしていた一本の蝋燭の明かりを持って、隣の部屋へ続く襖を開けた――。

そこには人里から吸い上げ、今まで溜め込んできた金銭の入った千両箱が山のように積まれており、それを見た半兵衛はにやりと笑う。

 

「クックック!……だが、ようやくだ。長い時間をかけてようやくここまで来たのだ。これだけあればワシが人里の頂点に立つのは間違いない……!」

 

そもそも半兵衛が当初、為政者になろうと思ったのは()()()()()()()()()()()のである。

彼は最初、魑魅魍魎に囲まれた人里が、ただ異形たちの食い物にされているだけの事に不満を抱き、自身が人里の頂点に立って人間を導いていこうと考えたのが事の発端だった。

そのためには資金が必要と思い金貸しとなったのだが、時が立つにつれ、彼の中で変化が訪れる。自分の下に集まってくる金にいつしか魅入られた彼は、やがて目的よりも手段のほうに集中するようになる。つまり、目的を建前に手段で金を集め優越に浸るような人間に成り下がってしまったのだ。

もはや彼の中では目的の為政者になって何をするつもりだったかなどきれいさっぱりなくなっていた。

あるのはそれを言い訳に自身の中の欲望を満たせようという欲求のみであった――。

 

「フフフッ……!」

 

山積みされた己の欲望を愛おしそうになでる半兵衛。だがそこでふいに、またもや金小僧の怪談が脳裏を掠めた。

彼の頭の中で噂の一部が響かれる。

 

 

 

 

 

――金にがめついやつに与えられるのは……『死』だってさ……。

 

 

 

 

「くだらん!なにが『死』だ……!」

 

半兵衛がそう叫んだ瞬間――。

 

「……へえ~、こりゃ傑作だ。金の()()が『死』を恐れるとは」

 

唐突に別の声が部屋に響き、半兵衛は飛び上がらんばかりにバッと背後へ振り向いた。

先ほどまで閉まっていたはずの障子の一部が開かれ、その障子に寄りかかるようにして一人の長身の人影が立っていた。

外の月明かりの逆光で人型のシルエットとしか見えないその人影は、ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。

 

「だ、誰だ!?」

 

半兵衛は慄きながら手にした蝋燭の明かりを人影にかざす。

浮かび上がったのは黒っぽい着物に腹巻、そして黒い髪を揺らし不気味に笑みを浮かべる顔であった。

その表情を見て半兵衛は一瞬息を飲むも、すぐにその侵入者に向けて怒鳴りつけた。

 

「な、なんだ貴様は!一体どこから入り込んだ!屋敷の周りは見張りで固めているはずだぞ!?」

「ヒッヒッヒ!さぁ~どうしたんでしょうねぇ?大方、金小僧でも見て逃げ出したのかもしれませんねぇ。あの怪談は今里で一番多く囁かれていますから……」

「怪談だと……?まさか、あの下らん噂を流したのは貴様か!?一体なんの目的があってあんないもしないモノの噂を――」

「否。何故いもしないと言い切れるんです……?」

 

人差し指を半兵衛の眼前に突き出し、侵入者――四ツ谷文太郎は否定する。

そして続けて言う。

 

「いますよ金小僧は。しかもやつはもう()()()()()()()()()……」

「な……に……?」

「今晩私がここに来たのは金小僧の結末をあなたに語り聞かせるためです……」

 

そう言って、一拍おいた四ツ谷は不気味な笑みをさらに歪め、部屋全体にその声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さあ、語ってあげましょう。貴方のための怪談を……!!」



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其ノ六

前回のあらすじ
金小僧の噂を知った半兵衛の前に四ツ谷が現れる。


時刻は子の刻を回り、シンと静まり返った大きな屋敷の一室で、二人の男が対峙していた。一人はこの屋敷の持ち主の金貸しの半兵衛。そしてもう一人は突然この部屋に現れた奇妙な語り部、四ツ谷文太郎であった。

四ツ谷を睨み付けながら半兵衛は叫ぶ。

 

「ふ、ふざけるなよ若造が!金小僧が来ているだと!?馬鹿もやすみやすみ言え――」

「――なら半兵衛さん。何故あなたは今そんなにも――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

「何故あなたは今そんなにも、怯えているのですか……?」

 

四ツ谷の指摘に半兵衛は一瞬何を言われたか分からず呆然となり、そこに再び四ツ谷が繰り返し問いかけたのだ。

しばしの静寂後、また四ツ谷は口を開く。

 

「……わかっています。あなたが今一番恐れているモノ、それは今まであなたが蹴り落とし、追い詰めて破滅させてきた者たちから来る恨みつらみ、憎悪、そしてその復讐が自分に降りかかる事……それがあなたを怯えさせる全ての元凶……!」

「……ッ!!」

「金小僧はそんな彼らの恨みを一身に背負い、あなたを殺そうとする、言わば復讐の代行者にあなたは見えるのでしょうね……」

「ば、かな……里のやつらのこと、など……!」

「なら……アレを見ても、そう言えますか……?」

 

そう言って四ツ谷は障子が一面に立つ方へ指を向ける。次の瞬間――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               バンッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひぃっ!?」

 

唐突に障子の外側から()()()張り付き、半兵衛は反射的に悲鳴を上げた。

見るとそこには、月明かりに照らされてうっすらと人の顔と両手のシルエットが障子に張り付いていた。

それを見た半兵衛は息を呑む。それと同時にまた――。

 

 

 

 

 

 

 

   バンッ!!    

 

              バンッ!!

 

 

                           ババンッ!!

 バンッ!!

 

 

 

           バンッ!!

 

                    バンッ!!

 

 

 

 

     バンッ!!

 

                              バンッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!!?」

 

障子一面に人の顔と手のシルエットが無数に現れ、中を覗き込むようにして障子に張り付いてきたのだ。

たまらず、半兵衛は腰を抜かし口をパクパクと開閉させる。

だがそれとは正反対に四ツ谷は何事も無いかのように呟く。

 

「……おやおや、あれはどうやらあなたに()()()()()()()()()()()のようですね」

「ッッッ!!!」

「どうやらあなたに会いたがっているようだ……せっかくですから、会って上げてはいかがですか……?」

「な、なにを言って……!」

 

そう言って半兵衛は四ツ谷に目をむけ、そしてまた障子の方に目を戻すと――。

 

 

 

 

 

 

――顔のシルエットは全て消え去っていた。

 

 

 

 

 

「……?」

 

半兵衛は這うようにして障子に近づき開くと、恐る恐る外を見た。

そこには何の変哲も無い夜の庭先が広がっていた。

 

「消えた……のか……?」

 

そう呟いて安堵しそうになる半兵衛に四ツ谷は無情な言葉を投げかける。

 

「いいえ、消えてはいませんよ彼らは。その証拠に聞こえませんか……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こちらへと近づいて来る……鈴の音が……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                チリーン……

 

 

 

 

 

 

 

「ひぃっ!??」

 

自分の耳に入ってきたその音色に半兵衛は再び戦慄する。

チリーン、チリーンと鈴の音は四ツ谷の言うとおり、この部屋に近づいてくるようだった。

それと同時に――

 

 

 

 

 

        ズルリ……!

 

 

 

 

 

                    ズルリ……!

 

 

 

 

 

まるで大きな巨体を引きずるような足音が部屋へと近づいてくるのを半兵衛は確かに聞いたのだった。

 

「……知ってますか?金小僧のその姿は、小僧とは名ばかりに大判のような巨大な顔を持つ金色の大男のようなのだと……」

 

四ツ谷の説明を聞いてか聞かずか、半兵衛は部屋の隅に縮こまってガタガタと震えだした。

それと同時に月が雲の向こう側に隠れ、蝋燭の光源以外がその場を闇で支配された。

四ツ谷はその蝋燭を持って、いまだ震え続ける半兵衛に歩み寄り、耳元でそっと囁いた――。

 

「……これはあなたが生み出した怪異だ。……あなたが作った憎悪と恨みを一身に背負ってやってきた怪異だ。……どこへ逃げようとあなたの前に必ず現れる。金小僧となって現れる――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ほら……もう来ましたよ……半兵衛さん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にそう響いた四ツ谷は唯一の光源となった蝋燭の炎をフッと息で吹き消した――。

完全なる暗闇の世界が生まれ、一寸先すらも何も見えなくなった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ああああああああああああああぁぁぁぁぁーーーーーーーーッッッ!!!!」

 

半兵衛はパニックになり部屋中を転げまわる。逃げなくては一刻も早くこの場から逃げなくては!だが、そうは思ってもどこへ行けばいいのかも分からず、半兵衛は手探りで出口を探す。

するとその手にピトッと硬い何かが触れ、半兵衛の動きが止まる。

それは硬くもひやりとした()()――。

ドクン、ドクンと自分の心臓が大きく聞こえ出し、それと同時に半兵衛は誰かに唆されたかのように顔をゆっくりと上げる。

荒い息を吐き、全身に冷や汗を流しながら見上げた先には――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大判のような大きな顔で半兵衛を見下ろすその男は、腹に無数の顔を浮かばせながら半兵衛に向かって小さく響く――。

 

 

 

 

 

 

    ヤロウカァ……?

 

 

 

                         ヤロウカァ……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、いらな……い……。いらない!いらない!!いらないいらないいらない……!!!いらないいイィィィィーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!」

 

叫び声を上げながら障子を突き破り庭先に転げ出ると、半兵衛は屋敷を飛び出してまだ明かりの灯る人里の繁華街へと向かって走り出していた――。



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其ノ七 (終)

前回のあらすじ。
半兵衛は四ツ谷から金小僧の怪談を聞かされ、屋敷から逃げ出す。


「繁華街に逃げていった半兵衛は、今頃阿求たちが回収しているはずだ」

「ヒヒヒッ!上出来だ。これでもうあいつは人里で荒稼ぎする事はないだろうな。いやもうお金すらまともに見れなくなっちまってるかもな」

「まったく……。すこし薬が効きすぎたんじゃないか?」

 

半兵衛が屋敷を飛び出してすぐ、屋敷の庭先に慧音と四ツ谷の姿があった。

少し離れた所では()()()()として参加した、十人ほどの民衆がわいわいと騒いでいる。

皆、半兵衛が血相変えて逃げていった事に胸がすっとした思いでいたのだ。

民衆たちが行ったのは、最初に出てきた障子に浮かび上がる無数の顔だった――。

彼らは四ツ谷の語りを合図にして、障子に自らの顔と両手を貼り付けたのだ。そしてまた四ツ谷の言葉を合図にして、半兵衛が四ツ谷に気を取られている一瞬の隙を突き、障子から離れてすばやく縁の下にもぐりこんだのだった。

こうすることで、張り付いていた無数の顔が一瞬で消えたように見せかけた『演出』ができ上がるのだが、それには両者のタイミングが必要となる。

何せ四ツ谷が「会って上げてはいかがですか?」という言葉で半兵衛の注意を四ツ谷にそらせ、その数秒の間に民衆は音も立てず、素早く隠れる必要があったのだから――。

だが一発勝負だったのにもかかわらず、両者とも半兵衛に気付かれずうまく成功させるこができた。

そしたら後は簡単だった。薊が阿求に用意してもらった鈴を鳴らし、慧音が両足にくくり付けた、土の入った小さな麻袋二つを廊下でズルリ、ズルリと引きずって、あたかも金小僧がやって来ていると言う『演出』を行い、半兵衛の恐怖心を最高潮まで高めてみせたのだった。

傍から見れば、子供の悪戯ともいえるレベルの仕掛けであったが、そこに四ツ谷独特の語りが加わる事でこうまで様変わりするものなのかと、慧音は内心感心し、同時に疑問もわいていた。

 

「なあ四ツ谷。一つ聞きたいんだが……半兵衛は最後()()()()()()()()……?蝋燭の火が消えてからは私たちは何もしなかったはずなんだが……」

 

慧音は四ツ谷にそう問いかけた。

上白沢慧音は普通の人間とは違い、半妖の部類に入るため、あの暗闇の中でも夜目が効いていたのである。だから障子の隙間から部屋の中の半兵衛の様子を逐一知る事ができた。

彼女が見たのは、半兵衛が暗闇の中で暴れながら、必死に手探りで出口を探り、()()()()()()()()()()()()()に手が触れ、それを見上げた瞬間にまるでこの世のものではない()()()を見てしまったかのような悲鳴を上げて、屋敷を飛び出していったという光景であった。

慧音のその言葉に、四ツ谷は不気味にニヤリと笑うと、静かに言葉をつむいだ。

 

「さぁ?……半兵衛はナニカを見たみたいだな――」

 

 

 

 

 

 

 

「――ナニカ居ると……()()()()()()んじゃないか……?」

 

 

 

 

 

 

四ツ谷がそう言って「ヒッヒ!」と笑い、反対にその答えを聞いた慧音は意味が分からないといった表情で首をかしげた。

そんな二人の下に、鈴を持った薊が近づいて来る。

 

「四ツ谷さん。慧音先生。本当にありがとうございました!これでお母さんと妹に安定した生活をさせることができます……!」

 

そう言って深々と頭を下げて礼を言う薊に、感謝される事に慣れていない四ツ谷はそっぽを向き、慧音は「気にするな」と片手で制した。

そして手を下ろした慧音は続けて言う。

 

「それに感謝するなら、小傘にも礼を言ってくれ。今回()()()()()()のは他ならない彼女だと私は思うからな」

 

慧音のその言葉は事実であった。彼女は今回、直接金小僧の怪談には関わってはいなかったが、その前段階である()()()をたった一人でやってのけたのだ。

半兵衛の屋敷に一番先に乗り込んだ彼女は、屋敷じゅうにいた何人もの見張りを畳んだ傘を武器に、相手に気付かれず一瞬のうちに意識を刈り取り、瞬く間に屋敷の警戒網を壊滅させたのだ。

ちょっと前の彼女なら人間一人を相手とした喧嘩でも勝つ事は難しかっただろうが、『赤染傘』の一件で大妖怪クラスの実力を得た今の彼女にとっては、この程度の事は赤子の手をひねるよりも簡単な事であった。

 

「ほんとに信じられん光景だった。あの小傘がこれほどまでに強くなったなんて」

「いやぁ、アレには俺もほんとに予想外だったよ」

 

額を押さえてそう呟く慧音に、四ツ谷もそう同意した。

かくしてこの一件は落着し、一足先に民衆たちは家路に着いた。そして四ツ谷たちも屋敷の門前で待っていた小傘と合流し、家路へと向かう。

だがすぐに四ツ谷は脚を止める。それを見た慧音が声をかけた。

 

「どうした四ツ谷?」

「いや、この怪談の閉めをまだやってなかったんでな……」

 

そう言って半兵衛の屋敷へ振り返った四ツ谷は両手を持ち上げて、静かに声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『妖怪、金小僧』……これにて、お(しま)い……」

 

パンッ!と、手を打ち鳴らし、かくして金小僧の怪談は閉幕した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、帰るぞ」

 

そう言って四ツ谷は家路へ向けて歩みを進めようとして――

 

 

            チリーン……

 

その音を聞いて再び脚を止め、ジトリとした眼で薊へ振り向く。

 

「薊。突然鈴を鳴らすのやめてくれよ」

 

四ツ谷はそう抗議するも、薊はブンブンと首を振る。

 

「私……()()()()()()()……」

 

薊のその言葉に、一瞬にしてその場に緊張が走った。

 

「……じゃあ、今の音はどこから――」

 

慧音がそう呟いた瞬間、再びチリーンと鈴の音が辺りに響いた。

そして同時に聞こえてくるズルリ、ズルリと巨体を引きずるかのような足音が聞こえてくる。

四ツ谷を含め、その場に居た全員が何かに操られるかのようにして、音の聞こえるほうへと顔を向けた――。

そして()()()視界に納めた瞬間、全員が驚愕する事になる――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そこには()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男は片手に持つ鈴を鳴らし、大判のような大きな顔についた口を小さく動かし、声を響かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やろぅかぁ~……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉を聴いた全員がさらに身を硬直させる。その中で一番激しく混乱していたのは他ならない四ツ谷自身であった。

無理も無い。先ほど閉めくくったはずの怪談が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

「な……に……!?」

 

夏の夜空に放心したかのような四ツ谷の呟きが、小さく響いた――。




今回で金小僧は終了。
しかし、ここで四ツ谷自身にも予想しなかった展開が――!


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第三幕 折り畳み入道
其ノ一


第三幕突入です。


金小僧の一件から数日後、人里を財政ひっ迫の危機に貶めてきた金貸し半兵衛は、その悪質な荒稼ぎをピタリと止めた。

それにより、里の財政は日に日に回復し、半兵衛が悪行を行う前の活気溢れる里へと戻り始めていた。

しかしその反面、その立役者を担った四ツ谷の家には重たい空気が漂っていた。

その場には四ツ谷をはじめ、小傘、薊、慧音、そして()()()()――。

皆一言も口を開かず、沈黙だけが辺りを支配し、ただただ時間だけが過ぎていった。

だが不意に玄関の戸が開かれ、そこから阿求が顔を出す。

皆が阿求に顔を向けると同時に、阿求が口を開いた。

 

「すみません。今戻りました」

「いや、大丈夫だ。……それで、どうだった?」

 

慧音の問いに、阿求は静かに首を振った。

 

「ダメでした。今まで書いた『幻想郷縁起』を全て読み返してみたのですが……やはりこの幻想郷に金小僧が実在したという記録はありません。()()()()()()までは、ですが……」

「……そうか。ならやはり()()()()()が言ったとおり、あの晩、四ツ谷の怪談で生まれた妖怪だということになるのだな……」

 

ため息をつきながら慧音は部屋の一角に眼を向け、言う。つられてその場に居た全員もそこに視線を集中させた。

そこには全身を金色に染めた大きな顔の大男が鎮座していた。片手には鈴も持っている。

 

「……まさか金小僧が、師匠の怪談と半兵衛から生まれた畏れで、実体を持って顕現しちゃうなんて……師匠、一体これはどう言うことですか?」

「知るか。どう言うことなのか俺自身が聞きたいよ」

 

小傘の問いに、四ツ谷はそっけなく答える。すると慧音が口を開いた。

 

 

 

 

「――程度の能力……」

 

 

 

 

その呟きに、その場に居た全員が慧音に集中する。

 

「……幻想郷では時折、特殊な能力に目覚める者が人妖問わずいる……。『空を飛ぶ程度の能力』や『心を読む程度の能力』、『運命を操る程度の能力』など、な……。おそらく四ツ谷もそういった特殊な能力に目覚めていたのだろう」

 

慧音がそう言った直後、それを引き継ぐかのようにして今度は阿求が口を開いた。

 

「……そもそも妖怪などの怪異は、そう言った噂が広まり、それを聞いた人々から畏れが少しずつ生まれ、それが長い年月を経て集まり、形作られた上でようやく妖怪となって実体を持つようになるのです。そのときの畏れの多さによってその力も大小と変わってくるものだと聞きます……しかし――」

 

そこまで言って阿求は険しい顔つきで四ツ谷を見る。

 

「――四ツ谷さんの能力は、()()()()()()()()()()()()()()()()……!それも下級妖怪から大妖怪クラスまでの実力を持った妖怪たちを自在に生み出すことができる……!」

「さしずめ、四ツ谷の能力を幻想郷風に名づけるのなら――」

 

 

 

 

 

 

「「『怪異を創る程度の能力』だな(ですね)……」」

 

 

 

 

 

 

慧音と阿求の声が重なり、再び部屋の中に沈黙が降りた。

しかし、すぐに小傘が声を上げる。

 

「ちょっと待って。師匠は金小僧の怪談の前に赤染傘の怪談を語った事があるんだよ?……でも、あの時は赤染傘なんて妖怪は生まれなかったんだけど……」

「……それは簡単だ」

 

小傘の問いに答えたのは意外な事に四ツ谷本人だった。四ツ谷は小傘に言う。

 

「赤染傘の怪談は小傘、()()()()()()()()怪談だからだ」

「え?」

「元々赤染傘はお前を元にして創った怪談だからな。おそらくそれであの時生まれた大量の畏れが全てお前に吸収されたんだろうよ……しかし、とんでもない能力を持ってしまったなこりゃ……」

 

そう呟いてため息を吐く四ツ谷。そんな四ツ谷に今まで黙っていた金小僧が口を開く。

 

「……父上。父上がそう悩む必要などありません。我輩が邪魔なようでしたら父上の為、どこへなりとも去りましょう」

「そうはいくか。俺が創り出したって言うなら最後まで責任を持つのが創作者の義務だ。そう簡単にほっぽり出せねーよ。……あと『父上』て呼ぶのやめろ。俺はお前の父親になったつもりは無い」

「そうは言っても父上。父上を父上と呼んで何がいけないのですか?我輩は父上が父上だから父上と呼んでいるのですから気にする必要は父上にはなにもないと思うのですが――」

「『父上』連呼すな!何、ワザとなの?ワザとだよな、おい!?」

 

「……そもそもだ!」と言って四ツ谷は立ち上がる。

 

「俺には伴侶はおろか恋愛対象となった異性など、人っ子一人いやしないんだ!何せ怪談のネタ集めに奔走するあまり、学校卒業はおろか、婚期まで逃がした男だからな!……もちろん、生涯独身!童貞すら捨て切れなかったゴッドハンドマスターだぜ!イェイ!!」

「それ自慢話になりませんよ師匠!?少しは異性に興味持ったりとかしなかったんですか!?」

「俺の恋人は怪談と他人の悲鳴だ!!!」

「言い切っちゃったよ!!?」

 

いつの間にか四ツ谷と小傘の漫才ショーと化したその場であるが、ただ二人、慧音と阿求は深刻な顔を崩す事はなかった。

それもそのはず、四ツ谷の持った能力は人里はおろか、幻想郷全体を大きく揺るがしかねない脅威を孕んでいたからだ。

もしこの男が能力を乱用し、多くの新しい怪異を生み出して勢力を拡大してしまったら、妖怪たちの間で何とか均衡を保っているパワーバランスもあっさり崩壊してしまう。それどころか新しい怪異が多く幻想郷にいつ居てしまったら、今まで居た既存の怪異たちは外の世界同様、幻想郷の片隅に追いやられてしまうかもしれない。

そんな事になってしまえば、博麗の巫女はおろか、あの()()()()()が黙っているはずが無いだろう――。

 

(どうする?四ツ谷は人里の経済危機を救ってくれた男だ。そんなやつを敵に回すようなことは私にはできない。かと言って四ツ谷の能力をあの賢者が見過ごすわけが無い。未だに何の接触も図ってこないのが不気味だな。……まだ四ツ谷の存在に気付いていないのか、それとも……)

 

そんな事を考えながら、慧音は四ツ谷に声をかけた。

 

「四ツ谷、しばらく怪談を創るのを止めて、普通に生活してみてはどうだ?」

「何っ!!?そんな事できるか!!俺から怪談取ったら一体何が残るって言うんだ!?あれは俺のライフワークだ!!例え誰がなんと言おうと、それだけは譲れんね!!」

「だが、お前の能力はこの幻想郷には脅威的過ぎる!未だ自分の能力を扱いきれていないお前がそれを多用したら、幻想郷全体を敵に回すことになりかねないのだぞ!?」

 

慧音がそう叫んだと同時に四ツ谷は押し黙り考え込む仕草をする。

 

(わかってくれた、か……?)

 

そう思った慧音であったが、四ツ谷が次に発した言葉で、そうではなかったと気付いてしまう。

 

「たしかにこの能力を扱いきれてないままじゃ、次の怪談を創るには危険かもしれんな。……よし、()()()()()()!」

「……は?いや、え、ちょっと待て。お前今なんて言った!?」

「ん?だから実験だよ実験!俺の能力がどこまでだったら発動し、どこまでだったら発動しないかの検証を行うんだよ」

「け、検証って、どう言うことだ!?」

 

動揺しながら聞き返す慧音に四ツ谷は何事も無いかのように口を開く。

 

「ほら、俺金小僧の一件の時、その噂流すために川岸で怪談を語っただろ?なのにその時は金小僧は生まれなかった。何故か?」

「そう言えば……」

 

四ツ谷のその言葉に、薊が同意する。

続けて四ツ谷が言う。

 

「……それで思った。もしかしたら俺の能力は、()()()()()()()()でしか発動しないんじゃないかってな」

「だから実験なんですね。……ですがそのためにまた新しい妖怪を創るというのは……」

「もちろん実験で使う怪談は一つだけだ。もしその実験中にまた新たな怪異ができたとしても、一体だけならまだ許容範囲だろ?」

 

阿求の言葉に四ツ谷はそう返答し、阿求は押し黙る。それは慧音も同じだった。もはや何を言っても考えを曲げるつもりは無いと、二人はにやりと笑う四ツ谷を見てそう直感していた。

四ツ谷は振り向き、そこに居る小傘、薊、金小僧を一望すると声を響かせる。

 

「今回は実験的に行う怪談なため、どうなるかは俺もわからないが、とりあえずこの実験で使う怪談だけは教えておく――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お題目は――『妖怪、折り畳み入道(おりたたみにゅうどう)』だ!」



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其ノ二

前回のあらすじ。
四ツ谷の能力が判明し、その能力をもっとよく知るために実験を行い始める。


「……旅人が夜の山を歩いていると、コロン、コロンと坂の上から小さな(つづら)が転がり落ちてきました……。旅人は誰かが落としたのかと辺りを見回すも、周りには旅人以外の人間は誰も居ません。不審に思っている間に、箱は旅人の目の前で止まりました。すると今度は箱の蓋がカタカタと音を立てて動きます。……動物でも入っているのかと旅人が蓋を開けると、中から巨大な蒼い腕がにゅうっと伸び、旅人の首を掴みました……!見ると箱から出てきたのは蒼い坊主頭の大入道。金色の眼に鋭い牙、上半身は山伏のような格好で下半身は折りたたまれた紙を伸ばしたかのような薄っぺらい帯状の姿。大入道は捕まえた旅人を見てにやりと笑うと、鋭い歯を持つ大口をガバッと開いて――」

 

 

 

 

 

 

 

「――ガアアアアァァァァーーーーーーーーッ!!!!」

「きゃあああああっ!!!」

「ひゃあああぁぁぁ!!!」

 

今にも『食らいつくぞ』と言いたげなポーズを取りながら、四ツ谷は大声をあげ、つられて小傘と薊が悲鳴を上げた。

それを見た四ツ谷は両手を叩く。

 

「ヒャハハハハッ!ナイス悲鳴!やっぱり他人の悲鳴って言うのは心地いいなぁ♪」

「……まったく、悪趣味なやつだな」

 

高笑いする四ツ谷に慧音は呆れた言葉を漏らす。それにかまわず四ツ谷は小傘と薊に声をかける。

 

「怪談の内容は覚えたな?……それじゃあ早速行動開始と行こうか」

「この怪談を人里に流せばいいんですね師匠」

「いんや。今回は人里に限らず()()()()()()に流すんだ」

「何?幻想郷じゅうにだと!?」

 

四ツ谷の小傘への返答の言葉に慧音は食らいつき、四ツ谷はそれに答える。

 

「ああ。今回の怪談は広範囲にわたって行うからな。噂が広がるまで時間はかかるだろうが、……ま、気長にやっていこう。人里内は主に薊が、外は俺と小傘が広める」

「……あの、父上。我輩は?」

 

そう言って自分に指を刺す金小僧。

 

「お前は別件だ。俺にこんな能力が宿ったって事は、お前にも何かしらの能力がある可能性がある。お前はここに残ってそれを見つけろ」

 

そう言い残し、足早に長屋を出ようとする四ツ谷に今度は阿求が声をかけた。

 

「待ってください四ツ谷さん。ちょっと気になっていたんですが、四ツ谷さんって空は飛べるんですか?それと弾幕ごっこなども……」

 

その言葉に四ツ谷はきょとんとした顔を見せた。

 

「空を飛ぶ?弾幕ごっこ?……何だそれ???」

 

ピキンと、一瞬空気が凍った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……知らなかった」

 

数十分後、慧音たちの説明で弾幕ごっこのルールや空を飛んでの移動がこの世界にあることを知った四ツ谷は俯いてそう呟いていた。

しかしショックを受けていたのは何も四ツ谷だけではなかった。説明をした慧音たちも軽い衝撃を受けていた。

 

「ま、まさか師匠が弾幕どころか空を飛ぶことすらできないなんて……」

「あんなとんでもない能力を持っているから、てっきりそれぐらいできるものと思っていたが……ほんとに普通の人間とあまり変わらないんだな。と言うか、ほんとに人外か……?」

 

小傘と慧音の言葉に四ツ谷はますます肩を落とした。それを見た阿求が呟く。

 

「百歩譲って弾幕はまあ良いとしましょう。ですが、空が飛べないとなると不便になりますね。幻想郷は意外と広いですから、あちこちに噂を流し広めるだけでも下手したら何ヶ月もかかってしまうかもしれませんよ?」

 

その言葉に室内に沈黙が降りたが、すぐに元気な声が部屋に響いた。

 

「はいはいはーい!それならわちきが何とかできるかもしれない!」

 

何かを思いついたような顔で小傘がそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、はわ、あわわわ……!」

 

一時間後、人里の外れ、畑が延々と続く場所に四ツ谷たちの姿があった――。

そのうちの一人、薊はなんと巨大な傘に乗って宙に浮いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

金小僧を長屋に残した一行は、小傘の提案で道具屋を訪れ、そこで二本の持ち手の部分がフック状になった傘を購入した。

そして人里の外れまで来ると、小傘は購入したばかりの傘に妖力を吹き込んだ。

妖力を吹き込まれた傘はその力で大きくなり、傘が開いた状態で空中をふよふよと漂い始めたのだ。

ポカンとその光景を見る四ツ谷たちに小傘が声をかける。

 

「これでこの傘たちはわちきの力でプチ妖怪化、これに乗って『念』を送れば自由に操縦する事もできるよ」

 

そう言って巨大化した傘のフックの持ち手部分に足をかけて、中棒を握り、小傘は空へと上昇して見せた。

それを呆然と見上げる一同。

 

「……あれは本当に人一人を驚かすのにも苦労していた小傘なのか……?」

 

信じられないといった感じてそう響く慧音であったが、それに答えてくれる者はいなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

じっとしていても始まらないという事で、その妖怪傘を使い、初めての自転車もとい初めての巨大傘の運転が始まる事となった。

ちなみに傘を二本用意したのは四ツ谷だけでなく薊にも乗ってもらうためだ。

何かあった場合、一緒に人里の外まで来てもらう必要があるかもしれない。遠出で一緒に行動する事があったときの万が一の可能性を考えての四ツ谷からの提案であった。

傘操縦の特訓自体は意外と難しくは無かった。コツさえ掴んでしまえば簡単なもので、四ツ谷はものの十分程度で傘の操縦をマスターする。

そして今度は薊の番となり、おっかなびっくりで傘の操縦をし始めた。

薊の操縦を眺めながら、慧音は四ツ谷に質問してみた。

 

「なあ四ツ谷。さっきお前が話していた折り畳み入道なんだが……あれはお前が考えたオリジナルの妖怪なのか?」

「いいや。アレは元々とある妖怪漫画家が創ったオリジナル妖怪でな。生み出されてまだ百年も経っていないはずだから、まだ幻想郷には居ないとふんで、俺流の工夫(アレンジ)を加えてみたんだ。ちなみに金小僧も別の漫画家さんによって生み出されている」

 

四ツ谷の隣に立つ、小傘、慧音、阿求は同時に「へー」と相槌を打つ。それと同時に上から「きゃあ!?」という小さな悲鳴が聞こえ、全員が一斉にそちらへと眼を向ける。

突風にでもあおられたのか、傘が小さくゆらゆらと揺れており、薊が必死に中棒にしがみ付いている光景が眼に入った。

一応、中棒と薊の腰には命綱が結ばれており、持ち手の足場から足を踏み外したとしても落ちる事はない。それ故、四ツ谷たちも然程心配はしていないのだが、それとは別に四ツ谷と小傘には気になる()()が薊に存在していた――。

薊が傘の中棒にしがみ付いた事により、彼女の豊満な胸の谷間に中棒が挟まれる形となり、それがなんとも言えない妖艶さをかもしだしていた――。

 

「……まだ十五なんだよな?慧音先生よりもデカいんじゃないか、アレ?」

「いいなー。わちきもあんなバインバインなの持ってみたいなー」

 

二人がそう呟き、同時に小傘はあまり膨らみの目立たない、自分の胸をぺたぺたと触りだす。それを見た慧音は呆れた。

 

「今の言葉、微妙にセクハラだぞ四ツ谷。それと小傘、大きいのを持っても全然いいことなんてないんだぞ。……足元は見えにくいし、肩はこる。寝るときも苦労するし、外に出れば男衆のいやらしい眼の注目の的だ」

 

()()()()()()()現在進行形で苦労している者の言葉にはどこか重みが感じられた。

聞かないほうが良いか、と四ツ谷は考えていると、またもや上空から悲鳴が上がる。今度はなんだと、四ツ谷は見上げ――。

 

「ブッ!?」

 

大きく吹き出した。

空中にいる薊は何故か上下逆さまになって浮いており、そのせいで着物の裾が重力に負けて大きくめくれ上がり、足の付け根近くまでその中身を露にさせていた。

真っ白い瑞々しい美脚が視界に入り込み、四ツ谷は慌てて眼をそらし、同時に隣に居た小傘が慌てて薊を助けに向かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなトラブルが起こりはしたが、四ツ谷も薊も妖怪傘の操縦をマスターし、時刻が昼時に差し掛かった事もあり、四ツ谷たちは一路、長屋へと戻った。

長屋に着くと金小僧が出迎え――。

 

「父上喜んでください!我輩の持つ能力が判明しましたぞ!」

 

――開口一番にそう言った。

 

 

 

 

 

 

そして一時間後、長屋のちゃぶ台の上には、昼食にしては豪華な料理が所狭しと並べられており、それらを四ツ谷たちは一心不乱に掻き込んでいる姿があった――。

 

「もぐ、もぐ……『隠し金を召喚(しょうかん)する程度の能力』ね……。外の世界の埋蔵金や今や伝説となった金銀財宝などを自分の下に引き寄せ、召喚する能力とは……。これもう働かなくて良いんじゃないか?」

「馬鹿な事言ってるんじゃない」

 

食べながらそう呟いた四ツ谷に慧音の鋭いツッコミが入っていた――。




小傘が段々とチート化。
同時に薊がこの作品の微エロ要員に決定しました。
また、金小僧の能力もさりげなく判明。


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其ノ三

前回のあらすじ。
四ツ谷と薊は妖怪傘を使い行動範囲を広める。


折り畳み入道の怪談は、四ツ谷たちがあちこちに流しただけでなく、それを聞いた者たちからまるで病原菌が伝染するかのごとく、他者へと広まっていき、わずが一週間程度で幻想郷じゅうに噂が知れ渡るようになった。

そして、それは博麗の巫女の耳にも入るようになる――。

 

「折り畳み入道?何それ、聞いた事がない妖怪ね」

「ああ、私も初めて聞いたときそう思った。でも今幻想郷じゅうはその噂で持ちきりだぜ?」

 

居間でよく神社に顔を出してくる腐れ縁の魔法使いの少女――霧雨魔理沙(きりさめまりさ)の話を聞きながら、博麗霊夢は入れたてのお茶をズズッと口に流し込む。

魔理沙はお茶請けに用意された醤油煎餅をバリボリと食べながら続けて言う。

 

「だが、たかが一妖怪の噂がこれほどまでに広まるなんておかしいぜ?裏で誰かが何か企んでるとしか思えん」

「……でしょうね。でもまだ誰が何をしようとしてるのか私にもさっぱりね。面倒な事を考えてなければいいのだけれど……」

「……そう言えば、この噂が流れる前、人里の中だけだが似たような噂が広まったことが二度ほどあったな」

「……なんですって?」

「私は人づてで聞いた程度なんだが、赤染傘だの金小僧だのこっちも聞いたことの無い妖怪ばっかりだったな」

 

魔理沙の話を聞いて霊夢は眉間にしわを寄せる。

偶然にしてはできすぎている。もしや何かしらの異変が起こる兆候なのではないか。

思案顔でお茶を飲む霊夢は魔理沙に問いかける。

 

「ねえ、その噂最初に広まり始めたのはいつ?」

「あん?えーと確かついこの前、夏の初めごろだったみたいだぜ?」

 

夏の初めごろ、その言葉を聞いた霊夢の脳裏にある一人の男の姿が浮かんだ。

その同じ時期に出会った、見た目は人間、だが中身は怪異そのものであるその奇妙な男――。

その男を人里へと見送ったときの事を霊夢は思い出していた。

黙り込んだ霊夢を見て怪訝な顔をしながら魔理沙は声をかけようと口を開きかけたが――。

 

「あら、その様子だともう霊夢は会ってるみたいね。あの男に」

 

いきなり第三者の声が部屋に響いたかと思うと、二人のすぐそばの空間がぱっくりと裂け、そこから複数の目玉のようなものが顔をのぞかせる別空間が見えた。

そしてそこから優雅に紫色のドレスをふわりとなびかせた金髪の女性が姿を見せる。

 

「紫!?」

「……やっぱり、あの男の仕業なのね紫」

 

魔理沙が驚きに声をあげ、その反面最初から気付いてたとでも言うかのように霊夢は別段動じることなく、現れた金髪の女性――八雲紫(やくもゆかり)にそう問いかけた。

紫はフフッと笑うと霊夢の問いに答える。

 

「ええそうよ。……でも誤解しないでね霊夢。彼は決して幻想郷を危機に陥れるつもりは無いみたいだから、ただ彼自身に宿った能力を調べるためにあえてあんな怪談を幻想郷じゅうにばら撒いただけなのよ」

「……何なのよ、その能力って――」

「ちょ、ちょっと待った二人とも。私にもちゃんと説明してくれよ」

 

二人だけで話が進められようとしているのに気付き、慌てて魔理沙が割り込んでくる。

それを見た霊夢はため息をついて、魔理沙に説明し始めた。

 

「夏の初めに会ったのよ、その男に。この神社の境内でね。……確か名前は四ツ谷文太郎って言ったかしら。……見た感じ大した力も持っていなさそうだったから人里へ送り出しても大丈夫だと思ったんだけど……」

「ええ、確かに彼は怪異だけれど、寿命の概念が無い事以外は普通の人間とそう大差は無いわ。弾幕を撃つどころか空だって飛べないみたいだしね」

 

「だけど」と、紫は目を細め、幾分か声のトーンを落として続けて言う。

 

「彼が幻想郷の影響で覚醒した能力は……決して見過ごせるものではないわ」

 

そう言って紫は彼――四ツ谷文太郎の『怪異を創る程度の能力』を霊夢たちに説明し始めた。

説明が進むにしたがって、魔理沙の顔から焦りが、霊夢の顔からは深刻さが浮き彫りになる。

紫の説明が終わると魔理沙が声を上げた。

 

「おいおい、やばくないかそいつの能力!早めに何とかしたほうがいいんじゃないか!?」

「私もそう思うわ。でも紫、それでも何の行動も起こさずにここで手をこまねいているのは何でなの?……あんたならもうとっくの昔にあいつに接触して処分なり何なりしていると思うんだけど?」

 

霊夢のその問いに、紫は懐から扇を取り出し、それを広げると口元を覆い隠してそれに答える。

 

「……私はね霊夢。貴女たちのように彼の能力をただ単純に危険なモノだとは思っていないのよ。私は彼の能力は……()()()()なんだと考えてるの」

「諸刃の剣……?」

 

霊夢が首を傾げたと同時に、縁側から声がかかった。

 

「おーい、霊夢はいるかー?」

 

聞き覚えのあるその声に霊夢たち三人は一斉に外へと眼を向けた。

そこにいたのは銀髪のストレートロングヘアを地面すれすれまで伸ばし、深紅の大きな瞳と整った顔立ちを持つ美少女が立っていた。

白いシャツと紅いもんぺを纏ったその少女――藤原妹紅(ふじわらもこう)は霊夢たちに軽く手を上げると彼女たちに歩み寄る。

 

「妹紅じゃない。珍しいわね、何のよう?」

「ああ、実はちょっと気になる事があってな――」

 

そう霊夢に問われ、妹紅は昨晩迷いの竹林で出会った()()()()の話をし始めた――。




今回は短めで、しかも四ツ谷は登場しません。


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其ノ四

前回のあらすじ。
折り畳み入道の噂が霊夢たちの耳にも入る。


その日妹紅は、永遠亭に薬を購入しに来た人里の人間を家に送り届け、自分も自宅に帰るため迷いの竹林に戻ってきていた――。

その時には日はすっかりと沈み、辺りはもう真っ暗になっていたが、妹紅にとってはそれはいつものことで、臆することなく片手に小さな炎を灯らせるとそれを光源に竹林の中を家へと向かって真っ直ぐ突き進んでいた。

そろそろ家に着くころとなったとき、妹紅は不意に脚を止める。

暗闇の中、竹やぶの奥に小さな明かりが見えたからだ。

それと同時にその方向から微かに人の声も聞こえた。

 

(何だ?誰かいるのか?)

 

そう思いながら妹紅は明かりの方へ歩みを進めた。

近づくに連れてそこに何があるのかはっきりしだしてくる――。

未だ距離があるが、そこには複数の妖精たちや妖怪たちが集まっていた。

彼らはそこにある光源を囲むかのようにしてその中心に何かを見ていた。

何をしているんだ?と、首をかしげながら妹紅はその群集に向かってさらに歩を進める。

だが次の瞬間、彼らが何かに操られるようにバッと振り返る。

 

「!?」

 

妹紅も反射的に歩みを止めるも、彼らが見ている方向は妹紅がいる所とは別の方向。そこには何も無くただ夜の闇だけが広がっていた。

にもかかわらず次の瞬間――。

 

『---------------------ッッッ!!!!』

 

妖怪たちはそこに()()()()()()()()を見てしまったかのように、声にならない悲鳴を上げた。

 

「!!?」

 

その悲鳴を聞いた妹紅はその場で固まる。その間に妖精や妖怪たちは蜘蛛の子を散らすようにしてその場から逃げ出した。

 

(な、何だ!?一体何が起こった!??)

 

混乱しながらも妹紅は右腕に大きな炎を纏わせると、先ほど彼らが見ていた方向に眼を向ける。しかしそこにはやはり何も無く、変わった所も怪しいと思える所も全く無かった。

何か狐に摘まれたかのような、それでいて得体の知れない何かに纏わり憑かれたような感覚を感じ、妹紅は生唾を飲み込む。

 

(今そこに……()()()()の、か……?)

 

呆然と立ち尽くす妹紅の耳に突然笑い声が響き、それにつられて眼を向ける。

そこは先ほど妖怪たちが囲んでいた場所であった。そこには複数の蝋燭が地面に立てられており、先ほどから見えていた光源はこの蝋燭の火のものだと分かる。

その蝋燭の群れの中心に、一人の男が立っていた――。

黒っぽい着物に腹巻をした長身のその男は、悪戯が成功した子供のように竹やぶの隙間から見える月に向かって高々に笑い声を上げていたのである。

 

「ひゃーっはっはっはっはっはぁっ!!!いいな、イイナァ!!妖精や妖怪どもの悲鳴も案外悪くないじゃないか!!人間も妖怪も妖精も宇宙人も神ですらも、悲鳴は全て平等であり、そこに微塵の変化も無い!!そして全ての悲鳴は、俺のモノ!!!」

 

やや意味不明なことを口走りながらそこにいる男――四ツ谷は再び不気味に笑い声を上げる。

そして、ようやく妹紅の存在に気付くとピタリと笑い声を止めた。

 

「あん?誰だ?」

「……そ、それはこっちのセリフだ!誰だお前は!?一体何をしていた!?」

 

妹紅はそう言って四ツ谷に噛み付くも、四ツ谷はキョトンとした顔で答える。

 

「……何って、俺はただ怪談を語ってただけだ」

「怪談だと!?それであいつらが逃げて行ったとでも言うのか!?馬鹿もやすみやすみ言え!!」

「馬鹿とは心外だな。例え異形の存在と言えど、その心に恐怖心があれば、未知の存在に対してビビッてしまうのは当たり前だ」

「未知の存在、だと……?さっきまでそれがここに居たって言うのか!?」

「さぁ?ひょっとしたら、()()()()()じゃないか?」

 

そう言って四ツ谷は妹紅の背後を指差す。

それにつられて妹紅は大きくその場から飛び退くと両腕に炎を纏わせ、構える。

しかし、やはりそこには何も無く、ただ夜の闇が広がるのみ。

 

「……?」

「シシシッ!」

 

呆然とする妹紅に四ツ谷の笑い声が聞こえ、そこでようやく自分がからかわれたのに気付いた妹紅はこめかみに青筋を浮き立たせながら四ツ谷を睨む。

それを見た四ツ谷は両手で妹紅を制す。

 

「……悪かった。だが、俺がさっき言った事は本当だ。俺はあいつ等を相手に怪談を聞かせ、それにビビッてあいつ等は逃げ出した。それだけのハナシさ……」

「……一体なんでこんな所で怪談を行っていた?」

「なに、ちょっとした実験さ。別に何か大きな事をやらかすつもりは無い。……それにこの実験も()()()()()()()()()

 

四ツ谷のその言葉を聞いて、妹紅は眉根を寄せる。それと同時に暗闇の中から見覚えのある少女が四ツ谷の方へ走ってきた。

 

「師匠ー、結果出ました!やっぱりダメですね。()()は出ませんでした」

「そうか……まぁ、予想通りだな」

「小傘!?」

 

その少女――多々良小傘の存在を確認した妹紅は声を上げ、小傘も妹紅がいることに気付くと「あ、妹紅さん。こんばんは」と言ってぺこりと頭を下げて見せた。

だが妹紅は別に小傘がここに居る事や、四ツ谷を「師匠」と呼んでいる事に驚いていたわけではなかった。

彼女が驚いていたのは、小傘から漂う妖気であった。ついこの前会ったときは簡単にあしらえる程の実力しかなかった下級妖怪であったのに、今会っている彼女はそれとは月とすっぽんの力を滲み出していたのである。何があったかと聞き出したくなるのは当然だと言える。

だがそれを聞くよりも先に、四ツ谷が小傘に声をかける。

 

「小傘。ここでの用は済んだ。撤収するぞ」

「あ、はい。分かりました!後片付けしてきますね!」

 

ビシッと敬礼した小傘は妹紅が止める間もなく、風のようにその場を去ってゆく。

四ツ谷もきびすを返し、その場を去ろうとしたのを妹紅は止める。

 

「ま、待て!」

「ん?何だ、まだ何か用か?」

 

歩みを止め、四ツ谷は妹紅に眼を向ける。妹紅の方は色々と聞きたいことがあったのだが、今は一つだけに留めておく事にし、それを四ツ谷に問いかける。

 

「あんた、名前は?」

「……四ツ谷文太郎。最近、幻想郷にやってきた、しがない変人さ♪」

 

その名を聞いて妹紅は僅かにピクリと反応した。その名だけは親友であり寺子屋の教師でもある慧音から聞かされていたからだ。

何でも怪談と他人の悲鳴が大好きな奇妙な男だと、なるほど納得だなと、目の前に居る四ツ谷を見ながら妹紅はそう思った。

そう思っているうちに、今度は四ツ谷が妹紅に問いかける。

 

「そう言うあんたは誰だ?」

「……藤原、妹紅。慧音から私の話は聞いてないのか……?」

「!……へぇ、あんたがねぇ」

 

そう言って四ツ谷は妹紅をしげしげと眺める。すると遠くのほうから小傘の声が響いてきた。

 

「師匠ー!帰る準備できましたよー!」

 

その言葉を聴いた四ツ谷は再び妹紅に背を向けた。そしてそのまま口を開く。

 

「……あんた俺が何でこんな事をしているのか知りたいって顔してるな?なら、明日の夕刻、人里の広場に来て見るといい……そこでさっきあいつらに聞かせたのと同じ怪談を語ってやる」

 

そう言い残すと今度こそ四ツ谷は妹紅を残して夜の竹林の闇の中に消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、言う事なんだ」

 

博麗神社の居間でそう妹紅は締めくくり、その場に沈黙が降りるも、すぐに魔理沙が声を上げた。

 

「妖怪どもをビビらせるなんて、そいつどんな怪談を聞かせたんだよ」

「……おそらく、今幻想郷じゅうで噂になっている折り畳み入道じゃないかしら?でもただの妖怪の怪談で同じ妖怪を怖がらせるなんて、どんな語り方をしたのかしら?」

 

霊夢がそう呟き、それに妹紅は同意する。

 

「まったくだ。それにあいつの言う『実験』が今日で終わるらしい。何かあるとすればその時だと思って、一応お前にもそれを伝えに来たんだ」

 

「一応って何よ」とジト目で妹紅を睨む霊夢。すると今度は紫が妹紅に声をかける。

 

「彼は今日の夕刻に、人里の広場で怪談を行うって言ってたのね?」

「……ああ」

「そう。なら霊夢、私たちもそれに参加しましょ♪……こっそりとね」

「こっそり?何でよ?」

「だって堂々と私のような存在やあなたがやってきたら、彼警戒するかもしれないでしょ?」

「う~ん、言われてみれば……」

 

腕組みをして霊夢はうなり。そこに魔理沙と妹紅も声を上げる。

 

「面白そうだな!なら私も行くぞ!」

「私も行く。あいつに誘われた手前、見に行かないわけにもいかないしな」

 

かくしてその場に居た四人全員がその日の四ツ谷の怪談に参加する表明をした――。




ランキング入り。ありがとうございます!
これからもどしどし書いていこうと思いますが、なにぶん文章表現が苦手なため、ちぐはぐな部分が多々あると思いますが、読んでくれる皆々様には温かい眼で見守ってくれると嬉しいです。


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其ノ五

前回のあらすじ。
藤原妹紅は昨晩、迷いの竹林で四ツ谷に会った事を霊夢たちに伝える。


「はぁ……まさか一週間足らずで幻想郷じゅうに噂が広まってしまうとは……」

 

霊夢たちが四ツ谷の怪談、その最後の実験の情報を知ったその日の午後、慧音はその日の授業を終え、寺子屋の外の廊下をテクテクと歩きながら、そう一人ごちていた。

ため息をつき、空を見上げると太陽は大きく傾き、青かった空は赤みを帯び始めている。もうすぐ夕方だ。

 

「四ツ谷たち、そろそろ最後の実験に取り掛かってる頃か……」

 

そうポツリと言った瞬間、慧音の目の前の地面が唐突に()()した――。

 

「おわっ!?」

 

突然の事にどうする事も無く、慧音は土煙と爆風に飲み込まれる。

幸いな事に爆風はそれほど強いものではなく軽くよろける程度の衝撃だったが、それでもそれなりの力はあったようで、慧音の丈の長いスカートを瞬く間に持ち上げて見せ、その真っ白い美脚を露にさせた。

 

「ッ!!」

 

それに気付いた慧音は慌ててスカートを押さえ、身をちぢ込ませる。

そしてゆっくりと土煙が晴れると、目の前には小さなクレーターができており、その中心には黒い髪をなびかせた――。

 

 

 

 

 

――鴉天狗の少女が立っていた。

 

 

 

 

 

背中に黒い翼、白いシャツと黒のスカートを身に着け、片手には八手の団扇、もう片方にはカメラを持ったその少女は、陽気な笑顔を貼り付けて今だスカートを抑えたままの慧音に声をかけた。

 

「どもー♪毎度おなじみ、清く正しい射命丸でーす!今日は慧音先生に突撃取材を申し出に来ましたー!」

 

厄介なやつが来た。と、慧音は嫌そうな顔を隠そうともせず、射命丸と名乗ったその少女を見つめる。

そんな慧音の視線を一身に受け止めても笑顔を崩さずに射命丸は口を開く。

 

「そんな嫌そうな顔をしないでくださいよ♪もうすぐ夕方、夕飯の時間なのでそうお手間は取らせません」

「……夕方なら鴉はもう山に帰る時刻だろ?さっさと帰れ、可愛い七つの子が待ってるぞ?」

「はっはっは!言いますね慧音先生も。しかし未婚者で子供も無く、仕事に生きる私には関係の無い事です!日夜、特ダネを求め東西南北、天上や地下をも駆け回る新聞記者の私には自由な時間など与えてはもらえないんですよ。いや~ままならないものですねぇ~」

(ゴシップ記者が何を言うか)

 

やれやれと大げさに首を振る射命丸に慧音はジトリとした眼を向けた。

そしてため息をつくと本題に入ろうと口を開く。

 

「……で?今日はどう言った用件で来たんだ?」

 

そう慧音が聞いた瞬間、明らかに射命丸の眼の色が変わった。

今だ笑顔を貼り付けてはいるが、眼だけは全く笑っていないのが見て取れる。

それを見た慧音は自分の背筋に冷たいモノが走るのを感じ取った。

一瞬とも永遠ともつかない間をおいて、射命丸は口を開いた。

 

「……最近この幻想郷じゅうで噂になっている『折り畳み入道』なる妖怪の事をご存知ですか?」

「……ああ、知っているが?」

「今回はそのことで取材をしに参りました」

「……何で私に――」

「赤染傘、金小僧」

「!?」

 

唐突に出てきたその単語に慧音は息を呑み、それを見た射命丸はニヤリと口端を吊り上げた。

 

「これは折り畳み入道が広まる前に人里で噂になっていた妖怪ですよね?しかも折り畳み入道同様、全く聞いたことの無い妖怪です。もちろん私もですが」

「…………」

「偶然にしては出来すぎてますよねぇ。短期間でこれだけ聞いたことの無い妖怪の噂が出回るなんて……」

「……私には、何とも……」

「またまたとぼけちゃって。もう誤魔化すのは止めにしましょうよ――」

 

 

 

 

 

 

 

「――あなた深く関わってるでしょ?」

 

 

 

 

 

 

「っ!!」

 

確信めいたその言葉に今度こそ慧音は驚きに眼を見開いた。

それにかまわず射命丸は続けて言う。

 

「……そう結論付けた理由の始まりは、人里に住む金貸しの半兵衛さんの件でしたねぇ。正直あの人のことは私たち妖怪の間でも何とかしたいと思ってたんですよ。人里は私たち妖怪にとっては唯一人間の住む貴重な場所、そこが崩壊する事は私たちにとっても命の危機に繋がります。ですが、なにぶん人間たちの間で起こった問題故、無闇に踏み込む事は妖怪たちが取り交わしたルールに違反する事になりますからね」

 

事実、人里で中で起こった出来事には外の妖怪たちは干渉してはならないという暗黙のルールが存在していた。

それ故、人里が崩壊の一歩手前となっていたにも関わらず妖怪たちは黙って静観していた。いや、()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ですがそんな時、唐突に人間たちの間で囁かれるようになった怪談がありました。……金小僧ですよ」

「…………」

「どこからか生まれた金小僧の噂は瞬く間に人里に広まり、そして半兵衛さんの耳にも入りました。……それからすぐでしたね。半兵衛さんの悪行がナリを潜めたのは」

「…………」

「危機が去ったのは私たちにとっても嬉しい事ですが、見知らぬ妖怪の噂が立ってすぐにそれですよ?おかしいと思うでしょう?だから私は色々調べて回ったんです。そしたらついこの前まで人里どころかこの幻想郷では見なかった一人の男の存在が浮上したんです」

 

射命丸の話を聞きながら沈黙を貫いていた慧音はそこで生唾を飲み込む。

そんな慧音に射命丸は歩み寄ると慧音の顔を覗き込むようにして顔を近づけ小さく呟いた。

 

「――四ツ谷文太郎」

「!!」

 

その名が出た瞬間、慧音は半歩後ずさり、射命丸は悪戯が成功したようにニヤリと笑う。

 

「深く調べた結果、その名の男が関わっている事が分かりました。金小僧だけじゃありません、その一つ前に流れた赤染傘や今流れている折り畳み入道にも彼が関係している。そしてそんな彼に慧音先生、あなたも浅からぬ関わりがある」

「……短期間でよくそこまで調べ上げたものだ」

「……記者の執念、舐めないで下さいよ?マスゴミとかパパラッチとか罵られようと、そこにネタが転がっている限り、固いガードも突破して丸裸にし、公の場に晒しモノにしてやりますよ」

「随分と下品な言葉を使うんだな。ゴシップ記者であることが抜けている気がするが?」

「そこもちゃーんと自認していますよ♪」

 

そこで二人の間に沈黙が流れる。お互いの眼を見つめて、と言うより睨みあったまま、時間だけが過ぎていく。

やがて慧音はため息をつき、射命丸に背中を見せる。

 

「悪いがお前に話すことは何も無い。人里を救ってくれた恩人を売るようなマネは私はしたくは無いんだ。……残念だが他を当たってくれ」

 

そう言って歩き出す慧音の背中に射命丸のため息がかかる。

 

「……そうですか、しかたありませんね。まあ、生真面目なあなたの性格上そういう事も考慮していましたから、無理には聞き出しませんよ。大人しく他を当たります」

 

そう言って射命丸もまた飛び立とうとし、思い出したかのように慧音の背中に声をかけた。

 

「あ、そうだ。ところで慧音先生?先生って結構、()()()()()を履く趣味がお有りだったのですね」

 

その言葉で歩いていた慧音の動きがビキリと止まった。

そして首だけをギギギっと鳴りそうな動きで射命丸の方へ向ける。

そして問いかける。

 

「……見た、のか……?」

「ええまあ……私が着地したときにチラッと。でも意外です先生があんな子供っぽい下着を好むとは――」

「どどどどどどうやって見た!?すぐにスカートは押さえたぞ!?」

「私は記者であると同時に幻想郷最速の称号も持っているんですよ?あなたの反射神経よりも速く、スカートの中を覗き込んで確認する事ぐらい朝飯前です♪」

「ここここの変態鴉天狗がっ!!」

「あ。疑うようでしたら今ここでその下着の色や特徴などを答えて差し上げましょうか?……大声で」

「わーっ!!わーーーーっ!??」

 

顔を真っ赤にした慧音は射命丸に駆け寄ると、彼女の口を両手で塞ごうとする。しかし射命丸はそれをひょいひょいとかわし、涙眼になる慧音を面白そうに見続けていた。

 

十分後、その場には地面に手をついて精神をへし折られた慧音と、それを勝ち誇った顔で見下ろす射命丸の姿があった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方になり、太陽が山の向こうに沈み始めた頃、広場の近くにある小さな路地に四ツ谷、小傘、薊、金小僧の姿があった。

四ツ谷は他の三人を見回すと口を開く。

 

「今から最後の実験を開始する。と言うか今回の実験こそが()()()みたいなものだからな。気を引き締めて行うぞ」

 

その言葉に三人が同時に頷き、四ツ谷はきびすを返し、広場の中心へ向かう。

思えばここで怪談を行うのも赤染傘の一件以来だな、と心の中で思いながら、四ツ谷は怪談開始の決まり文句をいつものように唱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ行くぞ……いざ、新たな怪談を創りに……!」




次回、四ツ谷の本領発揮回です。


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其ノ六

前回のあらすじ。
射命丸は慧音から四ツ谷の事について問いただそうとする。


「あ!赤染傘のにいちゃんだ!」

「ほんとだ!また怪談を話しに来たの?」

 

()()を持って広場に足を踏み入れた瞬間、そこで遊んでいた何人かの子供たちが四ツ谷の存在に気付き、駆け寄ってくる。

その子供たちには四ツ谷も見覚えがあった。以前、赤染傘を聞かせた聞き手の群衆の中にその子たちも居たのだ。

子供たちの声に広場に居たほとんどの者が四ツ谷に気付く。

前みたいにふって湧いた登場はできなかったか、と四ツ谷は小さく苦笑するも子供たちに言葉をかける。

 

「ああ。今日も怪談をここで語りに来たんだ。……お前らもまた参加するか?」

 

その問いに子供たちは一斉に頷く。皆、興味津々と言った顔をしていた。

 

(前回は逃げ出すほど怖がっていたが……。無邪気と言うか、怖いもの見たさと言うか……)

 

そんなことを考えながら、四ツ谷は子供たちを連れて移動する。

やがて広場の一角に四ツ谷は腰を下ろした。そこには木箱や葛篭(つづら)など大小さまざまな箱が積まれてた場所であった。

準備をする、と言って四ツ谷は持ってきた荷物――風呂敷包みから大きな蝋燭を大量に取り出す。

それに一本一本火をつけ、地面に無造作に立てていった。

四ツ谷がそんなことをやっている間に、彼の前には子供たちの他にも大人たちも集まってきた。

その誰も彼もが四ツ谷には見覚えがあった。そこに来た全員が、前に赤染傘の怪談を聞きに来た者たちだったからだ。

その中の一人が四ツ谷に声をかけた。

 

「よお、また会ったなにいちゃん。またやるんだろ?怪談。俺たちも参加させてもらうぜ」

「ヒッヒッヒ。前は怖がって逃げて行ったのに、物好きな事で」

「や、やられっぱなしなのは癪だからな。今度は怖がるどころか、こっちが鼻で笑ってあしらってやるよ」

「そいつは良い。俺も語り甲斐がある」

 

そんな言葉を交わしながら、四ツ谷は次々と蝋燭を立てていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あやや、どうやらまだ始まってはいないみたいですね。間に合ってよかったです)

 

四ツ谷たちから少し離れた物陰に鴉の新聞記者――射命丸文(しゃめいまるあや)の姿があった。

先刻、慧音をいじり倒した彼女は、慧音から全ての情報を搾り取り、その脚で四ツ谷の元にやってきていたのだ。

 

(……もう少しだけ近づいても大丈夫でしょうかね?)

「それ以上近づかないほうがいいわ。小傘に気付かれてしまうもの」

 

四ツ谷たちに近づこうとした射命丸の背後から唐突に声がかかり、彼女は反射的に振り向くと眼を丸くした。

そこには妖怪の賢者――八雲紫を先頭にして博麗霊夢、霧雨魔理沙、藤原妹紅というそうそうたる顔ぶれがあったからだ。

 

「……これはこれは、皆さんも彼の怪談をお聞きにここへ?」

「ええそうよ。さっきも言ったけど鴉天狗さん、それ以上彼らに近づかないほうがいいわ。大妖怪となった唐傘娘が眼を光らせているもの。それでも行くなら入念に気配を消してから行きなさい」

 

射命丸の問いに紫はそう答え、同時に忠告する。

そこへ霊夢が声をかけた。

 

「ここに来る前にも妹紅から聞いたけど、本当なの紫?あの小傘がそんなに強くなったって」

「にわかには信じられないんだぜ」

 

魔理沙もそれに同意する。彼女たち二人は以前、小傘と弾幕ごっこを繰り広げているため、彼女の実力を熟知していたのだ。

小傘の実力は霊夢と魔理沙でも簡単にあしらえる程度だったが故、今の彼女の変化を聞いてもいまいちピンと来なかったのである。

そんな二人を見て紫は小さくため息をつく。

 

「……本当よ。あの男――四ツ谷文太郎の協力で以前とは比べ物にならないくらいに強い力を持っているわ。……もし、また彼女と弾幕ごっこでもする機会があるなら、そのときは全力で向かう事をお勧めするわ」

 

紫がそう言った直後、今まで黙っていた妹紅が彼女たちの脇を通り過ぎて、スタスタと四ツ谷たちのほうへ向かい始めた。

それに気付いた魔理沙が慌てて妹紅の背中に声をかける。

 

「お、おい!お前は近づいていいのかよ!?」

「……私はあいつ(四ツ谷)から直接、参加して良いって言われたからな。隠れて聞く必要は無いのさ」

 

そう言って背中越しに手をひらひらと振った妹紅は、四ツ谷を囲む群集の一人に加わっていった。

 

「ちぇ、何だよあいつだけ」

「そうぶーたれないの。私の境界の能力で彼の怪談を間近で聞いているようにしてあげるから」

 

ブツブツと文句を言う魔理沙に紫はそう言いながら自らの能力を発動した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷の怪談に集まった聞き手の数は、前の赤染傘の時よりおよそ半数に落ちていた。

それでもその場にいる者たちのほとんどは以前、赤染傘の怪談を聞きに来ていた者たちであり、聞き手の人数としても十分な数であった。

皆肝が据わってるなぁ、と四ツ谷は思いながら口を開きかけ――それをすぐに止める。

群衆の中に昨晩竹林であった少女の姿を視界に納めたからだ。

長い銀髪に紅いもんぺを纏ったその少女は軽く片手を上げて四ツ谷に挨拶する。

それを見た四ツ谷は不気味にニヤリと笑うと、今度こそ群集全体に向かって声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、語り始めましょうか……貴方たちのための怪談を……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽が半分、山の向こうに隠れ、辺りが薄暗くなってゆく――。

四ツ谷の周りには無数の蝋燭が立て終えられ、彼の姿をユラユラと下から照らす。

蝋燭の海の中に座る四ツ谷の笑みが、その光源によってよりいっそう不気味さが増していた。

その蝋燭の海を囲むようにして、妹紅たち聞き手は黙って四ツ谷の言葉に耳を傾ける。

 

「皆さんは最近、幻想郷で噂になっている『折り畳み入道』なる妖怪をご存知ですか……?」

 

四ツ谷のその言葉に群衆の一人が手を上げて答える。

 

「ああ知ってるぜ。箱の中に潜んで近づいてきたやつを捕まえて食べてしまう妖怪だろ?」

「……でも、噂になっている割にはありきたりだけどな、その怪談」

 

隣にいた他の聞き手がそう答え、何人かが「うんうん」と頷いた。

そこで四ツ谷が静かに口を開く。

 

「……その『折り畳み入道』の怪談ですが――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少しだけ……()()()()()()()()……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

四ツ谷のその言葉に、群衆の一人からそう声が漏れた。

かまわず続けて四ツ谷は口を開く。

 

「……折り畳み入道は肌は蒼く、上半身は山伏のような服を纏い、下半身は折りたたまれた帯状の姿だと言います。つまりは……()()()()()()()()()()()()()()……。ならば、その妖怪はどうやって移動しているのでしょうか……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……箱を転がして移動している?……否」

 

 

 

 

 

 

 

「……両手を脚代わりにして這うように移動している?……否」

 

 

 

 

 

 

「……実はその場にとどまって、移動する事などない?……否」

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷のその語り、リズム・音程・声量そして言葉はその場にいた聞き手たちの頭の中に直接響いてくるようだった――。

まるでその場にいる全員が催眠術にでもかかったかのように静かに四ツ谷の語りに耳を傾ける。それは少しはなれて静観していた霊夢たちも同じであった――。

 

「――知っていますか?()()()()()()()()()が一体どんなふうになっているのかを……」

 

四ツ谷のその言葉の意味が理解できず、何人かが首をかしげる。しかしかまわず四ツ谷は続ける。

 

「……葛篭、行李、道具箱、化粧箱、衣装入れなどなど……箱にはさまざまなモノがあり、同時にその中身も多種多様のモノが収納されています。分かりきった事ですがね……しかし――」

 

 

 

 

 

 

「……その箱が蓋で閉じられ、密閉されたとき……()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 

 

 

「……密閉された箱の中など、誰も確認する事などできはしません。何も変化などしているわけがない。……そう言う人もいるでしょうが……もし、もしも本当に()()()()()()()()()()()()()()……?」

 

 

 

 

「――無数に存在する密閉された箱の中が……()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

 

四ツ谷のその言葉に、群集の何人かがゴクリと喉を鳴らした。

その中の一人――妹紅は眉根を寄せて静かに四ツ谷の噺を聞いている。しかしその頬には一筋の汗が流れていた。

四ツ谷の怪談は続く――。

 

「折り畳み入道はその異界に住む妖怪……。その異界を通って箱から箱へと移動しているのです。……そしてそこから現れ、目の前にいた標的を()()()()()()()()()()――」

「……え?引きずり、込む……?」

 

群衆の一人、その者の疑問の声に四ツ谷は「そうです」と答え、続ける。

 

「折り畳み入道は狙った相手を食べるのではなく、箱の中に引きずり込むのです……。何しろ箱の中の異界は折り畳み入道しか存在していません。……彼は寂しがっているのです……自分しかいないその世界で一人ぼっち……だから、()()()()()()()

 

四ツ谷のその言葉に何人かの背筋に冷たいモノが走る――。

 

「箱の中に引きずり込んだ者を、彼は()()()()()()()()()()()()()()、そうやって仲間を次々と増やしてゆくのです――。自分の異界に住人が増え、かの妖怪は大層喜んだ……しかし――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

両手の指を合わせ、幾分かトーンの落ちた四ツ谷のその言葉に()()がゾクリとした。

ジワリジワリと皆の脳の中が四ツ谷の恐怖で支配されてゆく――。

四ツ谷のやや口調を強め、語りを続けてゆく。

 

「……足りない、まだ足りない!もっと欲しい、もっともっと仲間が欲しいと、かの妖怪は渇望する!そして四方八方、あらゆる箱の中を移動して仲間を集めるのです……!箱の中からカタカタと蓋を鳴らして外をうかがい、近づく相手に己が巨大な蒼い腕を伸ばし捕まえ、自分の世界へ連れ去ってゆく……!!」

 

そこで四ツ谷はいったん言葉を止め、辺りに静寂が満ちる――。

それと同時に日が完全に山の向こうに隠れ、辺りは暗くなって来る。

その中で唯一、四ツ谷が立てた無数の蝋燭の明かりだけが辺りをうっすらと照らしていた。

数秒とも数時間とも感じる静寂の後、四ツ谷は静かに口を開き、再開する――。

 

「ほら……聞こえませんか?ヤツが蓋を鳴らして外をうかがう音が……。カタ、カタ、カタ、カタ、カタ、カタ、カタ、カタ、カタ、カタ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

      カタ……

                カタ……

 

                              カタタ……!

 

  カタ……

                    カタ……

 

 

 

 

           カタタン……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………ッ!!??』

 

乾いたその音が無数にあたりに響き渡り、その場にいた全員が硬直する。

 

「う、嘘だ……空耳だ……こんなこと……ある訳が……!」

 

妹紅の隣にいた聞き手の一人である男が、独り言のように呟く。

 

(空耳……?違う……!私の耳にもはっきりと聞こえている……!私だけじゃないこの場にいる全員が今、四ツ谷の怪談の世界に飲まれているんだ……!)

 

妹紅がそんなことを思っている間にも、四ツ谷の怪談は続く。

 

「――やがて蓋を押し上げ、両目だけを隙間からのぞかせて、ヤツは外の様子をうかがう……!」

 

四ツ谷は両手で顔を覆い、指の間から両目を出す仕草をする。その双眸が唐突にニヤリと歪められた。

 

「――()()()()()()()()()()()()ヤツは、箱を揺らして倒し、その蒼い大きな腕を箱の中からヌッと伸ばす……!」

 

 

 

 

 

 

                 ガタッ……!!

 

 

 

 

 

「ひっ!?」

 

突然何かが倒れる音が響き、誰かが小さく悲鳴を上げる。その場にいた全員がその音のしたほうへ顔を向け――そして、()()を見てしまう。

近くに積まれていた木箱の一つ、小さな木箱が倒れており、蓋が開かれたその中から人間のものとは思えない巨大な蒼い腕らしきモノが這い出てくるのを……!

 

「ひいぃぃっ!?」

「きゃああぁぁッ!?」

 

腕から一番近くにいた群集の何人かが悲鳴を上げて腰を抜かす。

それを見た妹紅が動こうとした所に、再び四ツ谷の声がかかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それを合図にして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!標的たちを見下ろし、鋭い牙をむき出しにして不気味に笑いながら……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉に妹紅だけでなく、その場にいた全員の動きが止まる――。

何か得体の知れないモノが、いくつも自分たちを見下ろしている……そんな感覚に陥り、全員が一斉に、しかしゆっくりと首を動かした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

まるで周りに置かれているいくつもの箱の中から飛び出してきたかのようにそびえ立つその影たちは、妹紅たちを大きな双眸でギョロリと見下ろし、その大きく鋭い牙を持つ口を歪めゲゲゲッと笑って見せ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

『----------------------------ッッッ!!!!』

 

それを見た群集は前回同様、声にならない悲鳴を上げて、散り散りになって逃げてゆく――。

腰を抜かした者たちも這うようにその場を去っていき、その場に残ったのは四ツ谷と妹紅の二人――そして少し離れた所で様子を見ていた霊夢たちだけであった――。

いくつもの黒い巨大な影を見た瞬間、霊夢はお祓い棒と札、魔理沙はミニ八卦炉(はっけろ)、射命丸は八手の団扇を構えて飛び出そうとする。

しかしそれよりも先に紫の腕が彼女たちの行く手を遮り、静かにそれでいて冷たさを感じる重い声を響かせる――。

 

「鎮まりなさい」

 

その声に彼女たちが止まり、水を被ったかのように頭が急速に冷えていくのを感じた――。

 

「紫?」

「……よく、見て見なさい」

 

声をかける霊夢に紫はそう促し、霊夢たちはもう一度、異形たちのほうへ眼を向けた――。

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

戦闘体勢を取り、両手に炎を纏わせた妹紅も徐々に落ち着いてくると同時にその影たちの正体を目の当たりにする――。

 

それは()()()()――。

 

蝋燭の光に照らされた箱や妹紅たちの影が立ち並ぶ家々の壁に大きく映っているだけであった――。

狐に摘まれたように呆然となる妹紅の背後で四ツ谷は笑いながら立ち上がる。

 

「ひゃーーーっはっはっはっはっはぁっ!!赤染傘の一件で神経が太くなったと思っていたが、そうでもなかったか……!まだまだ俺の怪談のほうが勝っていたようだな……!」

「い、一体これはどう言うことだ!?お前、一体何をした!?」

 

動揺しながらも妹紅は笑い続ける四ツ谷に詰め寄る。

 

「あん?前にも言わなかったか?……()()()()()()()()()()()()()

「馬鹿な!じゃあさっきのはどうやってやったと言うんだ!?」

「さっきの?」

「今さっきまでいた折り畳み入道の群れだ!!お前も見ただろうが!!」

「……いんや。俺は見ていない――」

 

 

 

 

 

 

「――俺が見たのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()

 

 

 

 

 

 

「な、に……?」

 

四ツ谷のその言葉に妹紅はさらに呆然となった。

それでもなお四ツ谷に食いつく。

 

「……じゃ、じゃあ!その前に見た、あの蒼い腕は……!?」

「アレの事か?」

 

四ツ谷がそう言って指差す方向に妹紅が目を向けると、そこには木箱が倒れており、中から()()()()()()()()()()が顔を覗かせているだけであった――。

 

「あ、あれが……?」

「そ♪あんたたちはアレを腕だと錯覚してたんだろうな」

「で、でも……今、そこに、確かに……なに、か……が……!」

「……あんたたちはナニカを見たみたいだが――」

 

 

 

 

 

 

 

「――ナニカ居ると……()()()()()()()()()()()()()……?」

 

 

 

 

 

 

 

不気味に笑いながらそう響く四ツ谷に、妹紅は今度こそ何も言えずその場に立ち尽くすしかなかった――。

それは離れた所で見ていた霊夢たちも同じであった。

 

「……あ、アレが全部幻覚だったって言うの!?」

「嘘だろ!?私の目にも確かに折り畳み入道が見えてたんだぜ!?」

 

動揺しながら霊夢と魔理沙がそう響き、射命丸は険しい顔で黙ったまま、四ツ谷を見続けている。

そこへ紫の声がかかった――。

 

「――口三味線(くちじゃみせん)

 

その呟きに三人の視線が集中する。それを受けて紫も続けて言う。

 

「……口先だけで聞き手側を巧みに騙す手法よ。……でも、彼の語りはそんじょそこらのモノよりも次元が違う。……まるで催眠術にでもかけられたかのように、彼の語る全てがあたかも目の前で起こっているかのように錯覚させ、聞き手側を翻弄する……!忌々しくも()()()()()()()()が彼の怪談の世界に知らず知らずのうちに引きずり込まれていたのよ……」

「…………。知らず知らずのうちに、この場に居た全員が、ですか……。その言葉を聴く限りだと、まさか……()()()()……?」

 

射命丸のその問いに、霊夢と魔理沙が驚いて紫に眼を向ける――。

紫は小さくため息をつくと、扇を開き、それで口元を隠すと静かに響く――。

 

「……本当に忌々しいわね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!」

 

 

 

 

 

紫がそう言った直後、四ツ谷の元に駆け寄る一つの影があった――。

 

「師匠!」

「ん?小傘か……」

 

四ツ谷は自分に駆け寄ってくる少女――小傘の姿を確認する。小傘は四ツ谷の前で止まると唐突に話を切り出した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……出ました、()()です!現れますよ、()()()()()()が……!!」




半日以上をかけて小説を書いてみました。
誤字などのミスがあれば、気軽に報告してください。


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其ノ七 (終)?

前回のあらすじ。
四ツ谷は妹紅を交えた人間たち相手に怪談を語る。
離れた所で霊夢たちがいることも気付かずに……。


聞き手の人々から溢れ出た『畏れ』が空中で集まって一つとなり、置かれていた木箱の一つに吸い込まれるようにして入っていく――。

そして一分もしないうちに、その木箱が一人でにガタガタと揺れたかと思うと、突然蓋がバッと開き、そこから蒼い肌の山伏の格好をした大入道が姿を現した――。

 

「なっ!?これも幻覚か……!?」

「……いいや。さっきまでのは確かに虚構だったが、()()()()()()

 

呆然と呟く妹紅に四ツ谷がそう答えると、ゆっくりとした足取りで、その怪異――折り畳み入道に歩み寄る。

生まれたばかりだからか、寝ぼけ眼で辺りをきょろきょろと見回した折り畳み入道は、四ツ谷の姿を視界に納めると、途端にその双眸を大きく見開いた――。

 

「……大体予想はしていたが、やはり今回の実験で生まれたな。……ようこそ幻想郷へ。そして誕生おめでとう――折り畳み入道」

 

四ツ谷のその言葉に、折り畳み入道は嬉しそうに笑い、四ツ谷を見下ろす。

 

「ゲゲゲゲッ!オラを創ってくれてありがとう、父ちゃん!」

「……あー、悪いがその『父ちゃん』って言うのやめてくれ。間違ってはいないが、どうにも抵抗感がある」

「じゃあ……パパ?」

「鳥肌感ハンパない!?却下だ!頼むから父親的呼び名から離れたモンを考えてくれ!」

 

頭を抱える四ツ谷の元に、薊と金小僧も姿を現す。

妹紅は金小僧の姿に眼を丸くするも、その場に居た誰もそれに気付かなかった。

薊が口を開く。

 

「四ツ谷さん。『演出』の後片付け終わりました」

「ご苦労さん。まあ、片付けって言っても、薊には空き箱をカタカタ鳴らしてもらい、金小僧にはあの青い敷物が入った箱を倒してもらっただけだけどな」

 

四ツ谷のその言葉に妹紅が口を開く。

 

「なっ……たかだかそれだけの仕掛けのみでアレだけの事をやってのけたって言うのか!?」

「ああ……単純なものだろ?だが、やりようによってはそんな簡素な仕掛けでも想像を上回る効果を発揮する事があるのさ。……実際に体験したんだからわかるだろ?」

 

四ツ谷がそう言って妹紅は押し黙った。

そして「さて」と響くと、四ツ谷は懐からメモ帳を取り出し、開く――。

 

「……これでだいたいはっきりさせる事ができたな。俺の『怪異を創る程度の能力』、その発動条件が――」

 

 

 

 

 

 

「――『最恐の怪談』を行ったとき、そしてその聞き手が『人間』であるときだって言う事が……!」

 

 

 

 

 

 

事実、赤染傘の時も金小僧の時も、発生した『畏れ』が特徴的な動きを見せたのは、四ツ谷が『最恐の怪談』を『人間』に聞かせた時だったのである――。

金小僧の一件の時、四ツ谷は金小僧の噂を広めるため、川岸で民衆相手に怪談を聞かせたのだが、その時は『最恐の怪談』の一条件、『演出』を行ってはいなかった。

また、その時四ツ谷は噂を流すための金小僧の怪談を、皆に教える事に重点を置いていたために、『語り』の方にもあまり力を入れておらず、結果民衆たちから出た『畏れ』も大した量ではなく、集まるどころか方々に散っていったのである――。

それは今回、折り畳み入道の怪談を噂で流すため、薊にそれを教えた時も同じであった――。

それを確認するために、今日の昼間に人里の別の場所でも怪談を行ったのだが結果は同じとなった。

また、人間以外からも『畏れ』を出す事が可能なのかと、昨晩迷いの竹林で妖怪相手に『最恐の怪談』を行ったのだが、その時は怪異が生まれるどころか、『畏れ』すらも聞き手の妖怪たちから出る事がなかったのである――。

 

「よって赤染傘、金小僧、そして今回の折り畳み入道で行った実験と経験から、俺の能力の仕組みはざっとこんな感じじゃないかと結論付けた」

 

そう言って四ツ谷はメモ帳にサラサラと文字を書くとそれをその場の全員に見せた。

 

 

 

1:『怪異を創る程度の能力』は『最恐の怪談』を行った時に発動される。

 

2:その時、聞き手が『人間』でなければならない。(人外が相手だと怪異どころか、畏れすら生まれない)

 

3:条件が揃っている状態で、その時語られた怪談にモデルがいる場合、生まれた畏れは全てそのモデルに吸収される。

 

4:『演出』を抜いた状態で『人間』に怪談を語った場合、畏れは出るが、量や濃度は『最恐の怪談』の時と比べても低く、集まる事もなく逆に方々に散っていく。

 

 

 

「ふーん、つまりあんたはその怪異を創りだす能力の全容を知るために、わざわざこんな実験(こと)をしていたわけか」

 

納得したような声を上げる妹紅に四ツ谷は肩をすくめる。

 

「まあ、正直まだ()()()()()()()()()()()()、大体はな……。しかしまいった。これからは妖怪相手に怪談を語るべきか?いやでも、人間の悲鳴もなかなか捨てがたいんだよなぁ……」

 

独り言を呟きだした四ツ谷にため息をつきながら妹紅は声をかける。

 

「怪談を創るのを止めるという選択は無いのかお前には」

「無いね。怪談を創るのは俺の生き甲斐だからな。……とにかくこれからはこの能力が発動しないように気をつけながら、かつ思いっきり怪談を行える方法を模索していくしかないな。……悪いがあんたもしばらくこの事は他言無用にしてくれ。特に博麗の巫女とかに知られると面倒だしな」

 

そう四ツ谷は妹紅に頼み込むが、当の彼女は苦笑しながら首を横に振る――。

 

「悪いが四ツ谷。もう手遅れだ」

 

そう言って妹紅は四ツ谷の背後に眼を向ける。つられて四ツ谷たちも妹紅の視線の先を追い――。

 

「ゲッ!?」

「あっ!?」

「み、巫女様!?」

 

四ツ谷、小傘、薊が順に声を漏らした。

そこには言わずもがな、紫、霊夢、魔理沙、射命丸の四人が立っていた――。

 

「久しぶりね。中々に面白い出し物だったわよ?四ツ谷文太郎」

 

軽い口調で霊夢は言うが、その眼は全く笑ってはいなかった。

その横から紫が歩み出る。

 

「初めまして四ツ谷文太郎さん。私はこの幻想郷の創設者にして妖怪の賢者もしております、八雲紫よ」

「あんたが……?」

「師匠!!!」

 

四ツ谷が呟いたのとほぼ同時に小傘が叫んだ。

次の瞬間、四ツ谷の背後で空間が大きく裂け、そこからほっそりとした白い手が伸びて振り向こうとした四ツ谷の後頭部を鷲掴みにする。

 

「……ッ!!?」

 

何が起こったか気付くよりも先に、四ツ谷はその白い手の持ち主――()()()()()()()()()()()()()()()()()に羽交い絞めにされてしまっていた。

 

「あら……?今日は全然姿を見せないと思ったら、そんな所にいたのね、藍」

 

四ツ谷を拘束した美女――八雲藍(やくもらん)は、霊夢の言葉には答えず、主である紫に声をかけた。

 

「終了しました紫様」

「ご苦労様、藍」

 

紫が答えたと同時に小傘は「師匠!」と叫んで駆け寄ろうとするも、そこに霊夢と魔理沙が割り込み妨害する。

 

「れ、霊夢さん、魔理沙さん……!?」

「小傘、あんたちょっと見ないうちに随分と出世したじゃない?」

「今のお前なら全力で相手してやる事ができるんだぜ?」

 

動揺する小傘に霊夢と魔理沙はそれぞれお祓い棒と八卦炉を持って威嚇する。

それと同時に金小僧と折り畳み入道も動こうとするも、その二体にも妨害者が立ちふさがる――。

 

「……動くな。まだ生まれて間もないのに直ぐに灰に還されるのは嫌だろ……?じっとしていろ」

 

両腕に炎を纏わせた妹紅の重い声が金小僧と折り畳み入道に降りかかった。

どうやら彼女は四ツ谷たちに味方するより、今は霊夢たちの方に着いたほうが得策だと考えたようだった。

 

「あ、あぁぁ……」

 

そして最後に残った普通の人間である薊もどうする事もできずオロオロとするばかりであった。

もはや完全に四ツ谷を助ける者がいなくなる。

頭を地面に押し付けられた四ツ谷は、眼だけを動かして目の前に立っている紫を恨みがましく見上げる。

紫はそんな四ツ谷に膝を折って顔を近づける。そして扇を広げ、口元を隠すと眼を細めて小さく響いた――。

 

 

 

 

 

「四ツ谷文太郎さん。あなたの身柄……この私が預かるわ――」




第三幕終了(?)です。
怒涛の展開です。誤字脱字などを見つけられた場合、お気軽に報告して下さい。

加筆:この話のサブタイトルに(?)を付けました。何故付けたかは今後の話を見て行けば分かると思いますのでw


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幕間 怪談祭り
其ノ一


幕間の物語に突入です。


夜――。

 

人里で一際大きな屋敷、稗田阿求の自宅の広間で多くの者が集まっていた――。

今回『折り畳み入道』の怪談を行った関係者と数人の聞き手たち、そして屋敷の主と寺子屋の女教師がそれぞれ思い思いの場所に座り、視線を一箇所に集中させている。

そこにはこの一件の中心人物である四ツ谷文太郎が八雲の式、八雲藍に背後から拘束され座っていた――。

そしてその四ツ谷の正面には八雲紫が鎮座している。

しばしの間その部屋は静まり返っていたが、それに飽きたのか四ツ谷が口を開いた。

 

「妖怪の賢者……たしか八雲紫って言ったっけ?……いい加減、コイツ何とかしてほしいんだけど?」

 

背後にいる藍を顎で指す四ツ谷に紫はニコリと笑い答える。

 

「あらダメよ。放したら途端にそこの唐傘娘やあなたが創った妖怪たちが、私たちからあなたを引き離してどこかへ逃走するかもしれないでしょ?」

 

その言葉に小傘、金小僧、折り畳み入道がわずかに顔をしかめた。どうやら図星だったらしい。

それを見た四ツ谷はため息をつく。

 

「だったら羽交い絞めじゃなく、せめてロープとかで拘束してくれ。正直この体勢は()()()()()きつい」

「あら?ひねっている腕が痛いの?藍にはあまり痛くならないように手加減するように言ってあるんだけど?」

「いや肉体的にじゃなく、精神的に。……さっきから俺の背中に彼女の()()()()()()()がこれでもかって言うほど押し付けられているんですが……」

 

かつて『傾国の美女』として名を馳せた藍の身体はその二つ名に恥じない抜群のプロポーションをほこっており、その胸部も老若男女を問わず無意識に眼を向けてしまう程の破壊力を持っていた。

それが四ツ谷を背後から羽交い絞めにした時、服越しではあれど彼の背中に押し付ける形となり、美しい形を保っていたのが押し潰れて歪められていた。

 

「……生涯童貞を貫いた身としては()()()はとんでもない凶器だ。速く拘束を解いてくれないと、話もできないし、()()()()も暴れ出しかねない」

「あらあら、男冥利に尽きるんじゃない?藍のって結構柔らかくて気持ちいいでしょ?フカフカしてもいるし」

「あん?クッションとしてか――(メキッ)ぎゃあっ!?」

 

藍にさらに腕をひねり上げられ四ツ谷は小さく悲鳴を上げる。

それを見た小傘が「師匠!」と叫び身を乗り出す。同様に金小僧と折り畳み入道も動こうとするも紫と霊夢に睨みつけられその動きを止める――。

小傘たちにとってもこの二人を敵に回すのはできるだけ避けたいことであった――。

大妖怪となった小傘でも紫と霊夢二人の相手ではどうあがいても勝機は無く。かと言って金小僧と折り畳み入道の力を合わせてもその結果は変わらなかった――。

何せ半兵衛一人分の『畏れ』でしか生まれていない金小僧は下級妖怪レベル、小傘の時の約半数の人間からしか『畏れ』を取れていない折り畳み入道でも中堅妖怪レベルに届くか届かないかの実力しか持ち合わせていなかった。

その三体が力を合わせてもこの二人に勝てるかどうかは怪しく、またすぐそばには霊夢たちの方に味方している魔理沙や妹紅もいるのだから尚更と言える。

おずおずと座りなおす三体を尻目に紫はため息をつくと藍に声をかける。

 

「藍?」

「……申し訳ありません紫様。この男の言い方に少しイラッときてしまいまして……」

「……ふぅ。まあ良いでしょう」

「俺は良くねえよ……」

 

四ツ谷が文句を言うも紫はそれを軽くスルーし、懐から扇を取り出しそれを広げると、口元を隠して四ツ谷に声をかけた。

 

「……四ツ谷文太郎さん。あなたの事は調べさせてもらったわ。……外の世界、()()()()()()()()()()()()、随分と面白い人生を送っていたようね」

 

その言葉に直接、事情を聴かされていた小傘と元は人間だと言う事をほのめかされていた霊夢以外の全員が眼を丸くした。

それにかまわず紫は続ける。

 

「小さい頃、(はなし)上手な祖母の影響で怪談が好きになり、祖母の噺のネタがなくなると自分で怪談を創るようになる。……その記念すべき最初の怪談は()()()()()()()()()()()()――。中学校……ここで言うところの寺子屋の生徒時代に、自分を死んだ者と偽り、周囲を騙して学校に何年も居座り続けた。卒業もせずにずっとね……。でもそうやって長い年月をかけて創り上げたのが、あなたの人生最初の怪談『幻の生徒、四ツ谷先輩』だった――」

 

そして一呼吸間を置くと、さらに紫の言葉が続く。

 

「……その怪談を皮切りに、あなたは次々と新しい怪談を創り上げていった……協力者も集い、語りだけでなく『演出』にも思考錯誤を施し、それを聞いた人々に恐怖と悲鳴をもたらし続けた。学校にいられなくなり、社会に出た後もずっと……そして高齢者となり、天寿を全うした後、あなたの魂は忘れ去られていた『幻の生徒、四ツ谷先輩』としての怪異の器と融合し、この幻想郷で蘇る事となった――」

 

そこで紫はため息をつく。

 

「……皮肉なものね。人間のまま怪異となり、人々に恐怖を撒き散らしたあなたが、死んでから本物の怪異になってしまうなんて……」

「……そうでもない」

 

紫の言葉に四ツ谷は否定し、続けて言う。

 

「俺にとって人間だった頃の人生の終盤は()()()()()()だった……。身体も頭の回転も鈍くなり、寝たきり生活になってからは、俺の愛した怪談も悲鳴もどこか遠い世界の存在に成り果ててしまった……。人生の全てを捧げていたそれらを失った俺は絶望の淵に立たされていたんだ……。だが自分の怪異と融合し、この幻想郷に幻想入りを果たした時、俺は心の底から狂喜した。これで俺はまた『四ツ谷文太郎』として生き続ける事ができる。また自分で悲鳴を生み出していく事ができる――」

 

 

 

 

 

 

 

「――また新しい怪談をいくらでも創り続けていく事ができる……!」

 

 

 

 

 

 

不気味に笑いながらも、真っ直ぐに紫を見つめ、四ツ谷は最後にそう力強く言い切った。

しばしの沈黙の後、今度は霊夢がため息をついて言う。

 

「はぁ……。呆れるほどの怪談馬鹿ね。そんな事に人生の全てを捧げるなんて」

「ヒヒッ。確かに他人から見れば呆れる行為かもしれないが、俺は結構充実していたぞ?人生の終盤は絶望的だったと言ったが、そこを除いても大半は楽しかったしな」

 

そう言ってふはっはっはっは!と笑う四ツ谷にもはや呆れてモノも言えないと言った表情で霊夢は口を閉じた。

それに入れ替わるようにして今度は妹紅が口を開いた。

 

「……よく怪談一つの為に人生を費やす事ができたモンだな。ただ好きなだけじゃそこまでできなかったろ?……何か怪談にこだわる理由とかあったのか?……お前自身、人に言えない過去とかあったり――」

「いんやないよ?何度でも言うが俺はただ怪談が大好きなだけだ。好きな事に熱中する、それが人にとって最大の原動力だからな。俺の場合、それが怪談を創って他人を驚かすと言う事であっただけだ。…………ただ、まあ……そうだな……」

 

言葉の最後のほうで四ツ谷は口を濁し、僅かに俯いた。その表情は悲しみを幽かに含んだ苦笑と言えるモノであった。

何かを考えるようなそぶりを見せた四ツ谷は、少しの沈黙後、ゆっくりと口を開く。

 

「――『目標』はあったかもしれん、な……」

「『目標』、ですか……?」

 

薊が聞き返し、四ツ谷は「ああ」と答える。

そして全員を見渡すようにして四ツ谷は問う。

 

「お前らさ。俺の言う『最恐の怪談』が()()()()()()()で創られたかわかる?」

「え?うーんと、とてつもなく怖い怪談で、相手を骨の髄まで怖がらせる?」

「そのまんまじゃないの」

 

魔理沙の返答に霊夢はそうツッコミを入れた。

それを見た四ツ谷は笑う。

 

「ヒッヒッヒ。確かにそれもあったが、もう一つ別の目的もあった。……それは、()()()()()()()()()()()()()だ」

「記憶に……残し続ける事……?」

 

阿求がそう呟き、四ツ谷は頷き、続けて言う。

 

幻想郷(ココ)じゃあどうかは知らんが、外の世界じゃ殺人事件一つ起こして騒がれたとしても、せいぜい一週間程度で沈静化してしまう」

「まあ当然ですね。皆誰しもとっくに終わった一件でいつまでも騒いでるわけありませんもん。その一件が自分とは無関係なら尚更。新しい事に眼を向けていくのが人の(さが)ってやつですからね」

 

射命丸がうんうんと頷き、四ツ谷はそれに苦笑した。

そしてまた真剣な顔になって口を開く。

 

「……そしてそれは事件だけじゃない。人の努力で生み出された功績や作品、()()だってそうだ……。記録には残るかもしれんが、本当の意味で人々の記憶に残り続けるモノはほんの一握りだけだ」

 

そこで四ツ谷は一息ついて、言葉を続ける。

 

「……俺が求めるのはな。時代や世代が変わろうと、()()()()()人々の間で永遠に生き続ける、そう言う怪談なんだよ。何十年、何百年経とうが未来永劫語り継がれていく、それが俺が怪談に求める理想だった……」

「……その理想を実現化させるのが、あなたの言う『最恐の怪談』?」

 

紫の問いに四ツ谷は「……ああ」と答えた。

 

「……だが、俺の『最恐の怪談』を持ってしても時代のうねりには敵わなかった。俺が生み出した怪談、そのどれもが一時世間を騒がせただけで後は衰退の一途を辿り、やがて人々の記憶と共に時の間へと消えていってしまった……。そう、俺が心血を注いだ最初にして最高の傑作でもあった『幻の生徒、四ツ谷先輩』までもな……」

 

四ツ谷の無念さが伝わるかのようなその言葉に、その場にいた全員が沈黙する。

だが次の瞬間、四ツ谷は顔をガバッと上げる。

 

「――ま。それでも俺は諦めるつもりは無いがな!」

「へ!?」

 

先ほどまでの重い空気から一変した四ツ谷の態度に、魔理沙が反射的に声を漏らした。

それにかまわず四ツ谷は続けて言う。

 

「『最恐の怪談』を持ってしても人々の記憶に残らないって言うなら、俺は最恐を上回る最恐の怪談……『()()()()()()()』を創り上げて今度こそ人々の記憶に残り続けるモノにしてやる!!せっかくこの世界で蘇る事ができたんだ。これを活用しない手はないしな!!」

「……さ、さすが師匠です!」

 

いたって前向きな姿勢をとる四ツ谷に小傘は眼を輝かせる。それは彼に生み出された金小僧と折り畳み入道も同じであった。

それを見ていた他の者たちは皆呆れた顔をしていたが、その内の何人かは内心「この男らしいな」とどこかホッとした部分を見せていた。

そして四ツ谷は「……さて」と呟くと、再び紫に眼を向けた。

 

「……俺の過去と目標を語っても、今の問題を解決しなきゃ意味がない。八雲紫――妖怪の賢者様よ……単刀直入に聞く、()()()()()()……?」

 

四ツ谷のその問いに、紫は再び扇で口元を隠して見せた――。




近いうちに新しいタグをつける予定です。


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其ノ二

前回のあらすじ。
紫たちに捕らえられた四ツ谷は彼女たちに自分の人間時代の頃の話と目標を語って聞かせる。


「幻想郷は全てを受け入れる……それはそれは残酷な事……」

 

稗田邸の広間で紫の声が木霊する。

 

「……これはこの幻想郷のキャッチフレーズみたいなものでね。どんな存在であろうと、どんな悪人であろうと、幻想郷は等しくそれらを受け入れる。だから四ツ谷さん、私はできる事ならあなたのことも受け入れようと思っているわ。でもそれには――」

「――俺の能力は目に付きすぎる……?」

 

四ツ谷の言葉に、紫は頷く。

 

「……今この幻想郷は危ういバランスの上に成り立っているの。妖怪と人間の関係だけでなく、妖怪同士の間でも、ね……。そこへ来てあなたの『怪異を創る程度の能力』は、そのバランスを根底からつつき、崩壊させる恐れがある。あなたの能力で生まれた新参の怪異たちがこの世界に溢れれば、既存の妖怪たちと間違いなく衝突を起こす事になる。……そうなれば、最悪妖怪同士の戦争となり、人里にもその火の粉が飛び火するかもしれない」

「……俺自身、そんな事態にはなって欲しくはないな。殺戮から来る阿鼻叫喚なんぞ俺も願い下げだ。やっぱり悲鳴って言うのは、多くの生者から程よく鳴いてもらうに限る」

 

四ツ谷のその返答に、紫と周りの何人かの眼がジトリとなる。

 

「……動機が不純だけど、まあいいわ。あなたも幻想郷がそんな未来を迎える事を望んではいないみたいだし。……でも、能力発動の引き金になる怪談だけは止めるつもりは無いのよね?」

「当たり前だ。それはさっきのやり取りで十分分かってると思ったが?……まあ、俺も能力が発動しないように細心の注意は行うつもりだし、いろいろと対策も考えるつもりだ」

「それではまだ完全に安心するには程遠いわね」

「……なら俺にどうしろと?」

 

口を尖らせてそう言う四ツ谷に、紫は薄く笑う。

 

「四ツ谷さん……あなたは幻想郷のおかげでこうやって蘇る事ができた。今あなたがここにいられるのも全て幻想郷のおかげ。ならその()()()()()のが人情と言うものではなくて?」

「恩に、報いる……?」

 

首を傾げる四ツ谷に、紫は懐から小さなメモ帳を取り出し、四ツ谷の前に掲げて見せた。そのメモ帳は四ツ谷には見覚えのあるものだった。

 

「!?……それは、俺のメモ帳!いつの間に……!?」

 

驚く四ツ谷を尻目に紫はメモ帳をパラパラとめくる。

 

「先ほどの折り畳み入道の実験から得られたあなたの能力の使い方や仕組みがここには細かく書かれているわ。特に私が気になったのは使い方の()()()()()。そこをうまく活用すれば、あなたの能力はこの幻想郷に大きく貢献する事ができる」

「何……?」

 

疑問符を浮かべる四ツ谷から、紫は今度は慧音に話しかける。

 

「慧音先生」

「ん!?な、なんだ?」

 

今まで静観していた慧音が突然声をかけられ、ビクリと体を震わせた。

それにかまわず紫は慧音に問う。

 

「……確か一週間後に人里で夏祭りが開催されるのではなかったかしら?」

「あ、ああ、そうだ。それがどうかしたのか……?」

 

慧音のその問いに紫は答えず、再び四ツ谷に向き直った。

 

「四ツ谷さん。あなたにはその夏祭りの出し物で『怪談』を行ってもらいます」

 

紫のその言葉に、その場にいる全員が驚く。

四ツ谷も眉間に小さなしわを寄せて口を開く。

 

「……俺は指図されて怪談を語るのは好かんのだが……」

「あら。この世界にいられなくなってもいいの?私の頼みを聞いてもらえれば、この世界にいる妖怪たち、ひいてはこの幻想郷のためにもなるんだけれど?」

 

紫のその言葉に四ツ谷は少し考えるそぶりを見せた後、ため息をついて口を開く。

 

「……背に腹は代えられない、か……。一つ聞くが、俺に拒否権は?」

 

四ツ谷のその問いに、紫は可愛らしくフフッと笑うと――。

 

「もちろん……な・い・わ♪」

 

――そうバッサリと切り捨てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから一週間後――。

人里の広場で夜、予定通り夏祭りが開催された。

いくつもの露店が立ち並び、広場の中央には簡易ながらも大きなステージが設置され、何人もの人間が、曲芸や手品などを披露し、観客たちを楽しませていた。

そこから少しはなれたところで、小傘、慧音、阿求の三人が顔をつき合わせていた。

慧音が口を開く。

 

「……四ツ谷は今どうしてる?」

「もう直ぐ出番なので、舞台裏で薊ちゃんに着付けの手伝いをしてもらってます」

 

小傘の答えに慧音は「そうか……」と短く答え、小さくため息をついた。

 

そしてステージのほうへ眼を向け、呟く。

 

「しかし、あの賢者は一体何を考えているのだろうな」

「さあ、わかりません。……ですが、先週の話の最後で、賢者様は『彼を使って私も一つ実験してみる』ような事を言ってましたから、おそらくこの舞台に四ツ谷さんを立たせて何かをやるつもりなんだと思います」

 

阿求がそう言い、慧音が再びため息をついた。

 

「まったく……何の実験を行うのだか……」

 

夏の夜空に無数の打ち上げ花火と提灯の明かりが輝き、どこからか祭囃子も聞こえる中で、慧音は小さくそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、人里から離れた博麗神社でも、人里ほどではないにせよ賑やかな宴会が開かれていた。

境内に赤い敷物があちこちに引かれ、その上に酒や肴の類が乱雑に並べられ、それらを飲み食いしながら幻想郷じゅうから集まった人間、人外の類たちが各々好き勝手に騒ぎ明け暮れていた。ただし、そのほとんどが女性であったが――。

 

「しっかし、こうやって見るとお前らほんと()()()()()()-」

 

境内の一角に、ある敷物の上に座り、酒を飲んでいた魔理沙がそう言った。

その目の前には居心地が悪そうに金小僧と、折り畳み入道がチビチビとお酒を飲んでいる。

そのそばには他にも、霊夢、紫、射命丸、妹紅、さらに少し離れて藍やその式である(ちぇん)と言った面子も座っていた。

 

「……まあ、妖怪としての姿なら間違っちゃいないんでしょうけど、こういった場所でだとやっぱり目立つわよね」

 

魔理沙の言葉に霊夢がそう同意する。

確かに神社内にいるほとんどが女性、しかも人間に近い姿の妖怪ばかりなため、性別的には男性で明らかに異形丸出しである金小僧と折り畳み入道は場違いな存在だといえた。

そんな二体に紫は声をかける。

 

「そう身を小さくしないの。後で慧音先生たちだけじゃなく、四ツ谷さんもこっちに呼ぶ予定だから、それまでの我慢よ。……で、藍。四ツ谷さんの出番はまだなの?」

 

紫が藍にそう聞き、藍は「少々お待ちを」と言って懐から懐中時計を取り出す。そして時間を確認した後、口を開く。

 

「……ん、もう直でございますね」

「そう。では折り畳み入道さん、ちょっと人里にいる四ツ谷さんに準備は良いか確認してきてくれないかしら?」

「……ああ?お、オラに命令できるのは父ちゃんだけ――」

(……ニッコリ♪)

「わ、わかった……!」

 

とてつもなく怖く感じる笑顔を紫に向けられ、気圧された折り畳み入道は渋々()()()()身を隠し――。

――一分もしないうちに再び箱の中から現れた。

 

「……今帰った。父ちゃんが『いつでもOKだって霊夢らに伝えてくれ』って」

『速っ!?』

 

あまりにも早い帰還にその場にいた霊夢、魔理沙、射命丸、妹紅の声が重なる。

それを見た紫はクスクスと笑う。

 

「さすがは『箱から箱へと移動する程度の能力』かしら?大小問わず、目的地に箱の類があるのであれば、瞬間移動のごとき速さで移動する事ができるってなかなか便利よね。……さてとっと♪」

 

まだ酒の入ったお猪口を置いた紫は博麗神社の真上に向かってゆっくりと飛び始めた。

それを見た霊夢、魔理沙、射命丸、妹紅も後に続く。

数十メートル程の高さまで飛ぶと、紫たちはその場で浮いたまま止まった。

目の前には花火と提灯の明かりで照らされた人里の夜景が一望できた。

 

「いよいよ、始まるのね……」

 

紫の隣に立った霊夢の声が夏の夜空に小さく響いた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人里の夏祭りも佳境に入り、ステージで出される催し物も最後となった――。

それと同時に広場の提灯が次々と落とされていく、そして数えるほどの光源だけを残し、辺りが薄暗くなった。

ステージの前の観客席に座っていた人々がざわつき始めるも、直ぐにそれが治まる。

一本の大きな蝋燭を持って一人の男がステージに上がってきたからだ。

黒い羽織に袴を纏った黒髪のその男は用意されていた座布団の上に静かに正座すると、その前に持っていた蝋燭を立てて、深々と一礼をした。

そして観客席を一望すると静かに口を開いた。

 

「この夏祭りに参加していらっしゃる老若男女の皆々様方。こんばんは。(わたくし)今宵の夏祭り、その催し物の最後の締めを任されました……四ツ谷文太郎と申します。以後お見知りおきを……」

 

そう言ってその男――四ツ谷文太郎は再び深々と一礼をする。

どう言ったわけか、マイクも使ってもいないのに彼の声は自然と広場全体に轟き、観客席の人間だけでなく、歩いていた人たちの耳にも自然と入り込み、その脚を止めさせた。

蝋燭の光源で照らされた四ツ谷の顔には不気味な笑みが張り付いており、それを見た何人かの人間が背筋をゾクリとさせる――。

再び四ツ谷が口を開いた。

 

「……さて、今宵私が出します最後の催し物でございますが、おそらくこの場におります何人かは私の顔をすでに知っており、また私が行う催し物、その内容が何なのか薄々気付いていらっしゃるかと思われます。しかしながらまだ私の事をご存じない方のためにあえてその内容を公開させていただきます……」

 

四ツ谷はそこで一呼吸置いて、再び口を開く。

 

「私が行います最後の出し物、それはずばり――『怪談』でございます。……怪談と聞きまして明らかに落胆した方も何人かいらっしゃるでしょう。わかります。何せココは幻想郷、怪談話には事欠かない幻想世界でらっしゃいます。……しかし、一言で怪談と申しましても、私の語る怪談は一味も二味も違うモノでございます。自分で言うのもなんですが、一度聞けば夜も寝られず、仕事中も頭に張り付いて離れないほどといったトラウマ級の恐怖を皆様にご提供できればと思っております。そう言った怪談、そのいくつかを今この場をお借りいたしましてお披露目させていただきたいとう存じます……」

 

再び、四ツ谷の言葉が止まり、今度は人差し指を前に出して響く。

 

「……さて、怪談を始めます前に、私から一つお客様にご要望をお願いさせていただきます。先程申しましたように、私の怪談はとても恐ろしいものとなっております。そのため心臓に持病がある方、何か障害を持っている方々はこの場から退席される事を強くお勧めいたします。もし、私の怪談のせいでショックで死んでしまったといわれても、私は一切責任を持つ事ができませんので、そのつもりでいてください。……さて、今この場にそう言った方々はいらっしゃいますでしょうか?いらっしゃるようでしたら退席される少しの間、こちらは待っていらっしゃいますがー?」

 

四ツ谷は観客席全体にそう声をかける。しばしの静寂後、四ツ谷は観客席にいる人々を隅から隅まで真剣な目で眺める。誰も動こうとする者がいないことを十分に確認すると、四ツ谷は一つ息を吐いて再び観客席のほうへ眼を向けた。

眼は不敵にギラつき、不気味な笑みを張り付け続ける四ツ谷は今度こそその場にいる人々に向けて静かに声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

「それでは観客席、ならびに脚を止めて私の噺に耳を傾けていらっしゃいます皆々様……始めさせていただきましょう――貴方たちのための怪談を……!」




今回さりげなく折り畳み入道の能力を公開させていただきました。


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其ノ三

前回のあらすじ。
夏祭りに四ツ谷は人里の民衆に怪談を語り始める。


幻想郷のとある森の中――。

小さな焚き火を囲んで、数体の下級妖怪たちが持ち寄った酒と肴でささやかな酒盛りを開いていた。

博麗神社で開かれているそれよりも遥かに規模が小さかったが、本人たちはそれなりに楽しんでいるようだった。

だがその内の一体が酒の入ったぐい飲みに口をつけようとして、不意にその手を止めた。

そして訝しげに木々の間から覗く夜空を見上げた。

不審に思った他の妖怪たちが声をかける。

 

『おい、どうした?』

『いや……何か感じねえか?』

『ん?……何だこの感じ。()()()()()()()()()空から降ってきて、俺の体の中に吸い込まれていきやがる』

『ちょっと待て。この感覚、俺覚えがあるぞ?……そうだもう何年も昔、俺が幻想郷に来る前だ……!』

『ん?ああそうだ……そうだそうだ!思い出した!いや懐かしいなこの感覚……!』

『ああそうだな!……何でかは知らんが――』

 

 

 

 

 

 

 

 

『――()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

人里――正確には人里広場から大量の『畏れ』が吹き上がり、天へと上る。そしてある程度の高さまで上ると、そこから四方八方へ散り散りとなり、幻想郷じゅうに降り注がれていった――。

そしてあちこちに住まう妖怪たちに分け隔て無くそれが吸収されていく。

何年も、あるいは何十年何百年も、人から『畏れ』を取っていなかった妖怪たちにとってそれは青天の霹靂であった。

突然、自分たちの身体に命の綱とも言える『畏れ』が入り込んだのだ、驚きや動揺と共に狂喜に湧くのは当然だと言えた。

 

なおも降り続ける『畏れ』の雨――それは博麗神社にも届いていた。

 

「おいおい、なんなんだいこの『畏れ』の雨は?……随分と心地良いじゃないか!」

「信じられない……これほど大量の『畏れ』が降ってくるなんて……一体どうなって……」

「うにゅぅ~~!何だか分からないけどコレ気持ち良い~~!!」

「『畏れ』が振ってきているのかー。そうなのかー」

 

唐突に頭上から降ってきた『畏れ』の雨に神社にいた妖怪たちは驚きはしたものの、すぐにはしゃぎ始めた。

そして今まで以上の乱痴気騒ぎ(らんちきさわぎ)を起こし始め、それが段々とヒートアップしていく。

その反面、その現象について行けず、ポカンと首をかしげているのは人間や妖怪以外の『畏れ』が()()()()()()()()であった。

彼女たちから見れば今まで大人しく飲んでいた妖怪たちが突然立ち上がって、『畏れ』だの何だのと言って人目を省みず楽しそうに踊りだしたのだから無理も無い。

そもそも『畏れ』そのものは眼には見えず、それを感じる事ができるのは妖怪だけなのだから尚更である。

 

そしてその光景を眼下に捉えながら、妹紅は紫に声をかけた。

 

「どうやら、実験は成功みたいじゃないか」

「……ええ、そのようね。四ツ谷さんの能力、その使い方の一つに『演出』を抜いた『怪談』を人間相手に行うと、出てきた『畏れ』は方々に散っていくっていうのがあった……。でもその『畏れ』が空気中で消滅するのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と睨んでいたけど……」

「……予想通りだったってわけね」

 

霊夢がそう言い、紫は頷く。

 

「ええ……いえ、予想以上かもしれないわ。コレほどまでの大量で濃厚な『畏れ』が人里の人間たちから抽出できるなんて初めてのことよ……」

「なに?まさかまた新しい妖怪が生まれるなんて事ないわよね?」

「それは無いわ。『畏れ』は幻想郷じゅうに拡散してるし……むしろ逆にこれらが一つに収束していたら、とんでもない大妖怪が生まれていたかもだけど」

 

詰め寄ってくる霊夢に紫はやんわりとそう返し、静かに人里へと眼を向けて、ため息交じりに続けて言う。

 

「……ほんとに憎らしいわね。私が何年も頭を悩ませていた幻想郷の問題の一つをこうもあっさりと解決するなんて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いくつもの怪談が四ツ谷の口からつむぎだされ、それを耳にした聞き手(人間)たちは何度も恐怖に慄き、悲鳴を上げる。

『演出』を抜きにはしてはいるが、彼の卓越した語りは人々から恐怖の感情を引きずり出すには十分な素質を含ませていた。

四ツ谷が今現在語っている怪談は、一つ目小僧やろくろ首などとてもメジャーなモノばかりであった。それこそ幻想郷はおろか外の世界の人間ですら何度も聞いて飽きられているほどの……。

しかし、そんな聞き飽きた怪談でも、四ツ谷の手にかかれば一変する――。

彼は語りだけでなく、時に見ぶり手振りで表現を行いながら、語っている怪談の内容があたかも今現実に目の前で起こっているかのように聞き手たちにそう錯覚させ、彼らから恐怖と悲鳴、そして『畏れ』を同時に引きずり出す事に成功していたのだった。

しかし、一つの怪談を聞き終えても、聞き手たちの中から退出するものは一人もいなかった。

 

彼らは恐怖と同時に魅入られていたのだ。四ツ谷の語りとその語りでつむがれる怪談に――。

 

目の前であたかも本当に起こっていると思わせる四ツ谷のその話術。そして恐ろしいと思いながらもついつい続きを聞きたくなるという自分たちの中から湧き出てくる好奇心が、彼らを突き動かしていたのだ。

もっと聞きたい、もっと聞きたい。と言う欲求が彼らの中で広がり、四ツ谷の怪談に食い入るように聞き入る。

やがて四ツ谷の怪談が全て終わるも、聞き手たちの中からアンコールが沸き起こる。

四ツ谷の怪談に惹かれ、一部始終、怪談の内容に聞き入っていた彼らは完全に四ツ谷の怪談の虜になっていたのだ。

聞き手たちから湧き上がるアンコールの嵐に四ツ谷は一瞬眼を丸くするも、すぐに不気味にニヤリと笑い、その期待に答えるため、あらかじめ用意していた予備の怪談を聞き手である観客たちに語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すげぇ……。人里の中も()も祭り騒ぎじゃないか……」

 

人里だけでなく、幻想郷全体が祭りのような喧騒に包まれている光景を見下ろしながら、魔理沙は半ば呆然としながら呟いた。

そこへどこからか藍が現れ、紫に近づくと小さく耳打ちをする。

それを聞いた紫がやや感心した声を漏らす。

 

「へえー、アンコールまで出たの。彼の怪談結構気に入られたみたいね」

「アンコールですって?……バッカ見たい。怖がってるくせにもっと聞きたいなんて」

「それだけ彼の語りには人を惹きつける何かがあるってことよ」

 

霊夢の呆れたその言葉に、紫はクスクスと笑う。

そこへ今まで人間と妖怪たちの喧騒が溢れる幻想郷を見下ろしていた妹紅が目を細めて静かに口を開いた。

 

「なあ、紫……。もしかしたらあいつ(四ツ谷)に対して警戒しなきゃいけないのは、やつの能力なんかじゃなく――()()()()()()()()()なんじゃないか……?」

「……そうかもしれないわね」

 

妹紅のその言葉に紫は静かに同意した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪談を語り続ける四ツ谷は歓喜に酔いしれていた。

『最恐の怪談』を語れない事は彼にとって唯一残念なことであったが、それでも今の状況は十分満足のいくものであった――。

自分の怪談に恐怖しながらもそれでも熱心に聞き入ってくる聞き手たち、彼らから悲鳴が上がることで、自分は今この悲鳴の中心にいるのだと、深い感動を覚える。いや、悲鳴だけではない、人里の外では自分が生み出した『畏れ』が幻想郷じゅうの妖怪たちに降り注ぎ、それに喜び騒いでいるのだと思うと、今自分は人里だけでなく幻想郷の中心に立っているのだとそう四ツ谷は思えてならなくなってくるのだった――。

 

しかし、そんな楽しい時間も残念ながら終わりが来る――。

 

最後の怪談を語り終え、四ツ谷は名残惜しげに聞き手たちに声をかける。

 

「……さて、これにて(わたくし)の怪談は終了となります。聞き手である観客の皆々様、長々と私の怪談に付き合っていただき、真にありがとうございました」

 

そう言って頭を下げる四ツ谷に観客たちから「えー」と落胆の声が上がり、またもやアンコールがかかる。

しかし、それに答えず四ツ谷はそのアンコールを手で制す。

 

「……いやいや申し訳ありませんが、本当にコレでネタ切れでございます。したがって今宵はコレで終了となりますが、私もいずれまた別の形で怪談を行おうと思いますので、その時にまた聞きに参って頂ければ幸いです。……それではコレにて幕引きとさせていただきましょう――」

 

そう言って夏祭りの最後を締めくくるかのようにして、四ツ谷は両手を夏の夜空に響くように高々と打ち鳴らした――。

 

 

 

 

 

 

 

「四ツ谷文太郎の怪談祭り……これにて、お(しま)い――」




四ツ谷の名前の『ツ』は大文字ではなく小文字だった事に今更になって気付きました。
しかし、今から修正しようにも時間がかかりそうなので、この作品では四ツ谷の『ツ』は大文字で通していこうと思いますので、読んでいただいてもらっている読者の方々にはどうぞご容赦のほどよろしくお願いいたします。


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其ノ四 (終)

前回のあらすじ。
四ツ谷の怪談で、幻想郷じゅうに『畏れ』が雨のように降り注いだ。


夜も更け、夏祭りの後片付けが終わり、人里が就寝に静まり返っても、博麗神社は未だに宴会が続いていた――。

怪談が終わった直後、紫のスキマによって半ば強引に博麗神社に招かれた四ツ谷たちはそこで他の妖怪たちと自己紹介を交わし、宴会に参加させられていた。

外の世界で天寿を全うした四ツ谷は、酒に対して多少は慣れていたため、チビチビとだが飲み続ける事ができた。

しかし、今四ツ谷の隣で()()()()()()()()()()()()少女にはいささかきつかったようであった――。

その少女――薊は、四ツ谷と共に博麗神社に連れてこられていた。いたって普通の人間なのだが、四ツ谷の助手ということもあって紫が特別に()()したのだった――。

博麗神社が妖怪たちの巣窟になっていたことに薊は驚き、同時に近寄ってくる異形たちに戦々恐々とし、四ツ谷と小傘のそばから離れられなくなっていた(と言ってもその二人も人間ではないのだが)……。

それでもこの宴会に馴染もうと頑張ろうとしたのか、魔理沙に勧められたお酒を飲むも、全く耐性がなかったらしく、お猪口三杯分であっけなく撃沈したのだった――。

 

(まったく……酒飲んだ事ないなら、無理に飲むなっつーの)

 

そんなことを思いながら、「すー、すー」と寝息を立てる薊のために、四ツ谷は小傘に掛け布団を持ってくるように頼む。

そのまま放置していたら風邪を引く、そういう懸念もあったにはあったのだが、それ以上に四ツ谷は()()()()()()があり、それを目から離したいがために掛け布団を一刻も早く必要としていた。

隣で眠る薊は()()()()()()()であった。いや、熟睡しているため無防備になるのは仕方ないが、その姿は完全に眼の毒すぎた。

四肢を投げ出して眠る彼女の着物は大きくはだけ、真っ白い美脚を惜しげもなく太ももまでさらけ出し、胸に実るその豊かな二つの山脈も大半を露出させ、肩から()()近くまでその肌を完全に露にしていたのである。

しかも、その時になって四ツ谷には気づいた事が一つあった。

 

(こいつ上の下着(ブラ)、着けてねえ!?)

 

チラチラと薊の胸辺りを何度も確認するも、それらしきものがどこにも見当たらない事に四ツ谷は薊の大胆さに慄きを隠しきれずにいた。

その上、仰向けに寝ても形の崩れないその二つの山が薊が呼吸するたびに小さく揺れ、汗を掻いたのか髪の一部が口元に張り付き、赤い顔をして眠る薊とマッチしてその妖艶さがMAX状態になっていた。

もはや『食べてくれ』と言わんばかりのその寝姿に、隣に座る四ツ谷は半ばパニック状態である。

そんな彼に悪戯心が芽生えたのか魔理沙が声をかける。

 

「なあ、そいつ襲わねえの?」

「なっ!?ななななな何を言ってんだお前は!?」

「だって私から見てもそいつ結構な上玉だぜ?(オオカミ)なら直ぐにでも食らいつきそうだ」

「ば、馬鹿言うな!年端もいかない娘をこんな大衆の面前でやれるわけないだろ!?」

「え。人前じゃなきゃいいのか?」

「人の揚げ足を取るなああぁぁぁーーー!!?」

 

珍しく慌てる四ツ谷の元に掛け布団を持った小傘が現れ、四ツ谷はそれを受け取ると直ぐに薊に掛けてこの話はそれっきりとなった。

 

 

 

 

 

 

 

ひと段落して落ち着いた四ツ谷は静かに酒を飲んでいると、今度は紫が声をかけてきた。

 

「お疲れ様。どう?幻想郷(ココ)の空気には慣れた?」

「あん?……まだまだってところか。ここの住人は一癖も二癖もありそうなやつらが多そうだからな」

「フフフ……、今日はありがとう。私たちが長い事悩ませていた問題の一つがやっと解決できたわ。これで私も少しは肩の荷が下りるってものよ」

「……ヒッヒッヒ、そりゃよかったな。で、どうなんだ?これで俺も正式にここの住人の仲間入りできたのか?」

「うーん、一応は、ね。でもやっぱり貴方の持つ能力は危険な事に変わりないから、私たちと霊夢でこれからも貴方の監視はしていくつもりよ。もちろん、私の許可無く『最恐の怪談』を『人間』に語ることも禁止ね。それを破って次々と新しい怪異を創り出したら、今度こそ貴方を処分しなければならなくなるから」

 

冷たい口調でそう言う紫に、四ツ谷は「善処しよう」と一言呟いた。

その一言に満足したのか、紫は小さく笑うと、席を立とうとし――そこで大事な事を思い出したのか動きを止めた。

 

「あ!そうそう……。貴方にもう一つ、大事な話があるの」

「……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?()()()()()ですか?」

 

博麗神社の宴会が終わり、妖怪たちがそれぞれ家路に着き、四ツ谷たちも人里へ徒歩で帰りながらの道中、小傘がそう声を上げた。

その場には、四ツ谷、小傘、薊、金小僧、折り畳み入道の五人しかおらず、その中で熟睡している薊は小傘に背負われており、折り畳み入道は四ツ谷が背負っている背負子(しょいこ)に括り付けられた木箱の中で顔だけを出していた。また、金小僧は提灯を持ってそんな四ツ谷と小傘の先頭に立って歩いている。

驚いた顔をする小傘に四ツ谷は頷く。

 

「ああ、あの賢者が言うには近々、里の人間たちに頼んで俺専用の拠点を作ってもらうつもりらしい。なんでも今の人数じゃあの長屋は狭すぎるだろうというあの女なりの配慮なんだと。もうすでに慧音先生とあの阿求って子には話を通してあるとか言ってたな」

「……なんか胡散臭くないですかそれ……?」

 

金小僧の問いに四ツ谷は「まったくだ」と同意する。

 

「……だが()()()()()()()()()()()()()()()()を作るとか言ってたから多少なりとも興味はある。それに今住んでる所が人数の多さで狭くなっているって言うのも事実だしな……ここはあえてお言葉に甘えようと思う」

「そうですか。……それにしても、新しい拠点かぁ~。一体どんなのが立つんだろ?」

 

小傘の呟きに四ツ谷は「さあな」と答え、空を見上げる。

 

「……また厄介ごとのタネにならなきゃいいが……」

 

夜空に浮かぶ月を眺めながら、四ツ谷はそう響かずにはいられなかった――。




幕間の物語、終了です。
今回少し短めです。
タグを新しく追加いたします。


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第三幕 続・折り畳み入道
其ノ一


第三幕の続編です。
この話で折り畳み入道の物語が完全完結します。


トンテンカンカンコンコントン……!

 

夏祭りが終わって数日後、人里の端っこ、田畑に近い所に四ツ谷と彼が率いる者たちのための新たな拠点作りが開始された。

土地をならし、土台を作り、柱を立ててと着々と工事が進行していく。

それを四ツ谷と小傘、そして薊はボーッとした表情で眺めていた。

小傘が口を開いた。

 

「この調子なら冬までには完成しそうですね。いや~どんなのができるんだろ。楽しみですね~」

「なんでも外の世界で言う多目的施設……いわゆる体育館みたいな所に生活設備を備えた建物を作るらしい……俺が怪談を行うためのでっかい舞台も作るらしいぞ?」

「そうなんですか?……でもそれだけ大規模な施設を作るのでしたらなおさら何もしないのは心苦しいですね」

 

四ツ谷のその言葉に、薊は俯きがちにそう答える。が、それにすぐさま四ツ谷は返す。

 

「まあ差し入れもしなきゃならんが……それ以前に何もしないって事はないんだぞ薊。これでも一応、建設費用はこっち持ちになってんだからな」

「え、そうなんですか?」

「ああ。まあ俺らには金小僧の能力があるから特に問題は無いんだがな」

「あー、そうですね。……そう言えば今思い出しましたけど、先日の宴会での霊夢さん、金小僧さんの能力にえらくご執心でしたね」

「あー確かにな」

 

小傘の言葉に、四ツ谷は先日宴会の最中に起こった霊夢と金小僧の出来事を思い出していた。

宴会での自己紹介のとき、金小僧は自身の能力、『隠し金を召喚する程度の能力』もその場にいた全員に披露してしまっていたのだ(その時召喚したのは()()()()()()()()()()()()()())。

それを見た瞬間、貧乏巫女である霊夢の目の色が一変する――。

金小僧に擦り寄った霊夢はあまりふくらみの目立たない自身の胸を金小僧に押し付けるように密着させると、これまたあまり聞くことの無い、甘ったるい猫なで声を金小僧の耳元で囁く。

 

『ア~ン、金小僧ォ~?貴方の能力の恩恵をこの神社にも納めてもらえるのなら、四ツ谷が新しい妖怪創っても、多少目を瞑ってあげてもいいけど、どぉ~~う?』

 

金小僧の胸元へ指で円を書くようにしてクネクネと動かしながら言い寄る霊夢に金小僧本人は背筋に悪寒が走り、周りで見ていた者たちは全員ドン引きしたのだった。

 

「金であそこまで性格変わるもんなのかあの守銭奴巫女は」

「あ、あははは……」

「私、あの光景を見て巫女様の印象変わっちゃいました」

 

四ツ谷の呟きに、小傘が空笑いし、薊はどこか遠くを見つめてそう響いた。

結局あの後、霊夢の迫力に押され、月に一度神社へ納金するという約束を半ば無理矢理させられる事となったのだった。

 

(あの時の霊夢ときたら、一人有頂天になって変な踊りを踊ってやがったな……)

 

そんなことを思いながら四ツ谷はため息を一つすると、小傘と薊に向き直る。

 

「……ここに居てもしょうがない。長屋に帰るぞ」

「「あ、はい」」

 

二人が頷いたのを確認した四ツ谷はきびすを返して金小僧と折り畳み入道がいる長屋に帰ろうとしたとき、背後から声がかかる。

 

「あ!四ツ谷のおにいちゃんだ!」

「ほんとだ!やっと見つけた!」

 

その声に四ツ谷たちが振り向くと、五人の小さな少年少女たちが駆け寄ってくるのが見えた。

その子供たちに四ツ谷は見覚えがあった。赤染傘、そして折り畳み入道の怪談を行った時に聞き手の中にいた子供たちであった。

歳の大きな順から名を太一(たいち)千草(ちぐさ)佐助(さすけ)(けい)育汰(いくた)と言った。

それぞれの年齢が太一は十歳、その一つ下が千草、佐助は八歳で蛍は六歳。一番年下の育汰は五歳であった。

五人は仲がよく、毎日のように一緒に遊んでいるのだが、最近は四ツ谷の怪談に()()()()していた。

と言うのも先の四ツ谷の行った赤染傘と折り畳み入道の怪談が主な原因であった。

その怪談で怖がって逃げていった子供たちであったが、やがてその恐怖がスリルと好奇心を刺激する形となり、今では自分たちから四ツ谷の元にやってきて怪談をせがむようになっていたのである。

子供たちの姿を視界に入れた四ツ谷は顔を不気味に歪めて声をかける。

 

「シシシッ!またお前たちか。怖い怖いって騒ぐくせに、最近毎日のように俺の所に来るじゃないか?」

「うん!確かににいちゃんの怪談は怖いけど、何度も聞いてたらすごくドキドキしてもっと聞きたいって思うようになっちゃったんだもん!だからお願い、また怪談聞かせて?」

 

太一が代表して四ツ谷にそう言うと、四ツ谷はふはっはっはっはと笑って見せた。

 

「怖いもの見たさ……いや聞きたさもここまで来れば立派なもんだ!いいぞ、語ってやる。せいぜい小便ちびらないよう気をつけな!」

 

そう言って四ツ谷は近くに転がっていた大きな石の上に腰を下ろした。

そして四ツ谷を囲むようにして五人の子供たちと共に小傘と薊も聞き手として四ツ谷の前に立った。

四ツ谷は子供たちを一望すると、お決まりの怪談を語るための前口上を唱えた。

 

「それじゃあ始めるぞ?……お前たちのための怪談を……!」

 

そう言って四ツ谷が怪談を語り始め、それを子供たちと小傘と薊はワクワクしながら耳を傾けて聞き入っていた。

 

だが、誰一人気付く事は無かった――。

 

彼らのいる所からすぐそばの物陰で、何者かが彼らを……正確には()に視線を注いでいる事に――。

ハア、ハアと荒い息を吐きながら、彼女の全身を舐めるようにして下から上へ、上から下へと怪しく視線を這わせている事に――。




今回も短めです。
今回登場した子供たちですが、名前は出ていなかったのですが、一応赤染傘と折り畳み入道の怪談の聞き手たちの中にいました。
そして名前なのですが、彼らの名はぐるっと一周するように、輪になるように繋げてみました。


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其ノ二

前回のあらすじ。
四ツ谷はやってきた子供たちに怪談を語る。
だがその近くになにやら怪しい影が忍び寄っていた――。


「おい、何度言ったら分かりやがる!!こんな簡単な作業すらできないのかてめえは!?」

「う、うるさいぞ下民風情が!!俺を誰だと思ってんだ!?」

「あん!?お前は()()()()()()()()()()()()()()()()!?せっかく仕事を与えてやろうと思って雇ったってのに、仏心を見せた俺が馬鹿だったよ!!」

 

とある商店の中、そこでその店の店主とそこで雇われた日雇いの男が言い争っていた――。

三十代前半と思われるその日雇いの男は、仕事でその商店を訪れ、働き出したのだが、働き始めて半日も立たずして()()()()、店主と口論するという事態にまで発展したのだった。

しかもその日雇いの男は、明らかな自分のミスであるにもかかわらず、常に上から目線で店主に乱暴な言葉を吐き出す。

少しの間不毛な言い争いが続いたが、ついに店主のほうがキレた。

 

「もういい、お前はクビだ!!とっとと出て行きやがれ!!二度とウチの敷居(しきい)はまたがせねえからな!!」

「ケッ!!言われなくてもこんな品の無い貧乏店なんぞ二度と来るか!!」

 

売り言葉に買い言葉。お互いに暴言を吐き散らすと、日雇いの男は大股で商店から出て行った――。

この日雇いの男、名は庄三(しょうぞう)と言い、彼はついこの前まで人里の財政をひっ迫させていた――。

 

 

 

 

 

――金貸し半兵衛の……()()()()であった……。

 

 

 

 

 

半兵衛の一人息子として生まれた庄三は、半兵衛とその周囲の人間によってこれでもかと言うほど甘やかされて育った。

寺子屋にも通わず、常に豪華な屋敷の中で最低限の教育だけを学んで、後は遊び呆けるという毎日を送っていたのである。

そんな教育とも言えない教育を受けて成長すれば、自然と一般人では手に負えないドラ息子になってしまうのは当然の帰結と言えた。

思春期に突入した頃、彼は屋敷に奉公に来ていた一人の女中に手を出した――。

初めて味わった人間の三大欲求の一つ、その快楽を骨の髄までたっぷりと楽しむと、もう彼は()()に病みつきになっていた。

初体験で味を占めた彼は、その日から目に付く若い女性に片っ端から手を出していく。

時には誘導的に、時には無理矢理、女性たちを己が毒牙にかけていった。

配下の者を使い、拉致同然に若い娘を屋敷に連れ込んで暴力を持ってその身を支配した事も数え切れないほどあった。

繁華街にある女郎屋の常連にもなり、そこの女たちと連日連夜、朝から晩まで()()()()()()事も何度もあった。

当然、地獄のどん底に叩き落し、泣かせた女は数知れず。その中には彼の子を身篭った娘も多くいた。

その子を盾に被害者女性たちから訴えられた事も多く、被害者女性たちの家族も連れて屋敷に押しかけられた事もあった。

そこでその子たちの教育費と無理矢理手を出した女性たちへ慰謝料を払う広い度量があれば、まだ少しは彼を見直す事ができたかもしれないが――。

 

――彼はどこまでも冷酷非情であった。

 

人里一番の稗田家ほどではないが、それでも高い財力と権力を持つ半兵衛の息子故、その力を利用して被害者たちの悲痛な訴えを闇に葬り去る事ぐらい簡単な事であった。

時に大金を押し付けて黙らせ、それでも受け取ろうとしない女性たちは配下を使って人知れずその身に宿す子供共々()()された。

中には事故を装って子供だけを()()されてしまい、失意のうちに自殺してしまった娘もいた。

庄三の背後にいる強大な有力者――半兵衛の存在に被害者の娘たちとその家族たちは次第に戦う気力を失い、泣き寝入りする日々を送っていた。

それに気付いた稗田家と寺子屋の教師である慧音が血相変えて屋敷に乗り込み、半兵衛を通して庄三にもう二度とこんな事をおこさないよう厳重注意をしたが、半兵衛同様、庄三も口約束だけでまるで反省の色を見せなかった。

そんな女にだらしのない庄三だが、意外と小物じみた所があった。

それは人里内の自分の家よりも格下の家の者、それも何の能力も持たない非力な女性ばかりに狙いを定めている所であった。

この幻想郷には人外とは言え、美人の枠内に入る女性たちがたくさん住んではいるものの、そのほとんどが強力な自衛の術を持つ者ばかりである、それ故彼は()()()()報復される事を恐れ、できるだけそう言った女性たちには手を出さないように心がけていたのだ。

したがって、同じ人間である霊夢や魔理沙、人里で一番の美人と歌われる慧音や権力的に位の高い稗田の娘とその仲の良い()()といった者たちには目をつけてはいるが手を出せずにいたのである。

まあ、歯がゆい思いをしていた彼であるが、それでも毎日のように他の娘たちに手を出していたのでその気持ちを埋めなおす事ができてはいたのだが……。

 

 

 

 

そんな彼に歪んだ運命の出会いが訪れた――。

 

 

 

 

いつもの如く、女郎屋からの朝帰りで屋敷に戻った庄三は、門前で自分の父、半兵衛と話している母娘に目を奪われた。

少し病弱そうではあるが、美人に入る母親もそうであったが、それ以上に庄三の眼が行ったのは娘のほうであった。

烏の濡れ羽色と言える艶やかな黒髪、まだ幼さは残るものの整った顔に陶磁器のような白く滑らかな肌を少女は持っていた。

歳は十代中頃、背は低くまだ子供っぽさが抜け切れていないその顔立ちとは反比例して、身体は大人である事を着物の上からでも強調していた。

少し動くだけで着物を突き破って来るのではないかと思える豊満で美しい曲線を描く胸。それとは逆に帯で隠れてはいるものの、驚くほどほっそりとしたウェストのくびれ。そして胸ほどではないにしろ、一目で安産型と分かるふっくらとした尻周り。太すぎず、かと言って細すぎない年齢に似合わないその均整の取れた抜群のプロポーションが幼さの残る顔立ちと合わさって可憐でありながらも妖艶な美しさを全身から滲み出していた。

その穢れを全く知らないと感じさせるあどけなさと、隠し切れない色香を纏う美少女――薊を見て、庄三は無意識に舌なめずりをする。

これほどの()()()()()がまだ残っていたのかと物陰に隠れた庄三は両目をぎらつかせ、薊の全身を舐めるように視線を這わす。

それと同時に半兵衛と薊の母親の会話に耳をそばだてた。

話の内容は庄三には聞きなれたもので、借金返済日の延長を頼み込むモノであった。

それを聞いた庄三はニヤリと笑う。

これをネタにして薊に()()()()()()()()()()()()()仕向けようと考えたのだ。

彼には彼女をさらって無理矢理という手もあったのだが、反抗されたら手がかかりそうな上、彼女ほどの上玉はじっくりと味わいたいという欲望もあったため、それを没にしたのだ。

薊と母親が帰った後、庄三は父半兵衛に彼女たちの自宅の場所を聞きだした。

聞いて直ぐ向かいたい衝動に駆られたが、今の自分は朝帰りで、体力的にも気力的にもそんな余裕が無かった。

寝所に飛び込んで熟睡した後、夕方近くになってようやく起き、その脚で薊の家へ訪れた。

彼にとっては残念な事に、その時薊は外出中だったが、代わりに家にいた母親に「薊に俺から親父に借金の事で口添えしてやってもいいぞ?」という伝言を薊に伝えるように()()し、その日は帰ったのだった。

もちろん彼自身は借金の解決をするつもりはさらさら無く、この伝言の内容も裏を返せば「俺から親父に相談してやるから、代わりに俺のモノになれ」というものであった。

気が速い事にこれで薊は自分のものになると既に確信し、ウキウキとした顔で家に帰る庄三であったが、この時薊の母親はこの伝言を薊に話すつもりは無かった。

彼女は庄三の悪行を噂で耳にしていたため、庄三がどういうつもりでこの伝言を薊に伝えるように言ったのか、その企みが丸分かりだったのである。

それ故、薊にはこの伝言の事は伝わらずじまいであった――。

数日立っても何の音沙汰も無い事に少し訝しむ庄三であったが、薊が自分のモノになることは決まっていると思っていたため、気長に待つ事を考え、その間は女郎屋巡りをして女遊びに現を抜かしたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょうどその頃からであった……人里に『妖怪、金小僧』の噂が広まりだしたのは――。




今回のオリジナルキャラクター兼悪役、庄三の話です。
これは前編で次後編上げます。


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其ノ三

前回のあらすじ。
オリキャラ、庄三の人生が語られる。


庄三の人生が百八十度変化したのは、『妖怪、金小僧』の噂が立って直ぐの事であった――。

 

いつものように女郎屋で女遊びに明け暮れ、浮いた気分で早朝に帰宅した彼に待っていたのは、この時間帯にはまだ閉められているはずの正門が全開にされており、入って見るとあちこちで警護の人間が倒れている光景だった――。

一体何があったのかと庄三は屋敷じゅうを見て回る。

警護の人間は全員気絶しているだけであったが未だ伸びており、屋敷は荒らされた形跡が無かったため、盗人が入ったわけではなさそうだった。

そうこうしている内に庄三は半兵衛の部屋にたどり着き、その部屋の隅で縮こまってガタガタと震える父親の姿を見つけた。何故かその部屋の一部の障子が()()()で突き破られたかのように破壊されていた。

何があったのか庄三が半兵衛に問いただすも、半兵衛はこの世のものではない何かを見てしまったかのように、しきりに「金怖い、金怖い」と呟くだけであった――。

昨日まで金の亡者たるや里の人間たちから金を巻き上げていた父親が、一晩のうちに金に怯えているその光景に、庄三は信じられない気持ちでいっぱいだった。

 

そこから先は坂を転げ落ちるかのように、彼の日常が瓦解する――。

 

庄三が止める間もなく、半兵衛は今まで里の民衆から巻き上げて貯めた金銭を全て返しきり、借用証文なども全部処分してしまったのだ。

もちろんあの薊の家の証文も全てだ。

そして、もう何も見たくないといった様子で部屋に閉じこもり、布団を被ってガタガタ震える毎日を半兵衛は送ったのだ。

半兵衛の変化で一番被害が出たのは彼の仕事である金貸し業であった。

何せ仕事の重要な役目は全て半兵衛がしていたらしく、彼がいなければ仕事が成り立たなくなるのは当たり前の事であった。

かといって息子の庄三に代役ができるわけも無い。最低限の教育しか受けていない彼には金貸しのイロハすら学んではいなかったのだから。

 

あっという間に家業は傾き、自然崩壊を起こす。

そして一月もしないうちに半兵衛、庄三親子は財産、屋敷、土地、そして配下の人間たち全てを失うこととなった。

変わりに与えられたのは掘建て小屋のような安い借家。

そこに住まうようになっても半兵衛の金銭恐怖症は治る様子を見せず。愛想をつかせた庄三は彼を永遠亭の精神科に半ば強引に入院と称して押し込んで、あっさりと親子の縁を切ったのだった。

実の父親を一切のためらいも無く捨てた。

もともと彼にとって父親である半兵衛は自分が生きていくための()()としてしか価値観を見ていなかったのである。

そしてこれからは自分で稼ぎながら楽して生きて行こうと仕事を探すも、何分今までの生き方が生き方だけに、そう自分にあった職は見つからず、ようやく見つかっても直ぐに追い出される日々が続いたのだった。

気がつけば借家生活が始まった時よりもひもじい生活となり、一日三食どころか一食すら得る事ができるかどうか難しくなっていった。

 

(畜生、どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!!俺は金貸し半兵衛の息子だぞ!?この人里で偉いやつの息子なんだぞ!!)

 

今はもう過去の話だというのに、彼は未だに自分はまだ天上の人間だと思って疑わなかった。

それ故、一般人相手に対しての態度も変える事が無かったため、周りから馬鹿にされる上にタコ殴りにされることもしばしばあった。

足しげく通っていた女郎屋の従業員や女性たちも今の彼の境遇を知ると、途端に手のひら返し。

文無しなのにやってきた庄三を速攻でつまみ出し、呆然となる彼に今まで彼に対して溜め込んでいた不平不満を洗いざらいその場にぶちまけて去っていったのだった。

日に日に病んでくる庄三の精神。

やがて彼は仕事を探すのを止め、日がな一日人里中をぶらついた。

曇りきった眼で地面に落ちている小銭を探したり、まだ食べられそうな残飯を見つけると家にもって帰ってそれに食らいついた。

姿もどんどんとやせ細り、髪はボサボサ、髭も伸び、頬は痩せこけ、纏った着物も雑巾のようにボロボロになっていた。

 

乞食のような生活が続いたある日、彼に運命の再会が訪れる――。

 

いつものように人里を徘徊していた彼は寺子屋の前で談笑する二人の女性を目撃する。それはその寺子屋の女教師である上白沢慧音と彼が以前眼をつけていた薊であった――。

その光景を見た庄三の中で理不尽とも言える憎悪の炎が燃え上がる。

何故、自分の(モノ)になるはずだったあの娘が、何の不便も無いかのような笑顔を浮かべているのか。何故、掃き溜めのような生活をしている今の自分よりも穏やかで幸せそうな声で談笑しているのか……。

 

許せない……。

 

許せない……!

 

許せない……!!

 

物陰から慧音と会話を続ける薊に庄三は理不尽な恨みを含んだ眼で睨みつける。

そして心が完全に闇に支配された時、庄三の中で一つの決意が生まれた。

 

(――あの娘、汚してやる……!!今の俺よりももっと惨めな姿に変えてやる……!!)

 

笑顔を見せる薊に庄三は血走った眼を大きく見開いてそう硬く決心したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日から庄三は薊をつけ回し始めた。

何とか一人になる時を狙おうとしたが、彼女の近くにはいつも人がおり、なかなか襲う機会が見つからなかったのである。

いつからの知り合いなのか、彼女は黒髪長身の男と、大きな傘を持った娘と良くつるんでいた。

とくに大傘の娘とは仲が良いらしく、朝自宅から出かける時も夕方になって帰る時もいつも彼女に送り迎えをしてもらっていたのである。

いっその事、大傘の娘の時か家に帰ったときを見計らって強引に襲おうかとも考えたが、貧乏生活で体力の落ちている今の自分が複数の女性相手に有利に立てるかどうかわからなかった。

とくに大傘の娘とは真正面からやり合ってはならないと彼の本能が警報を鳴らしていた。

ならば五歳になるというもう一人の娘を人質にしてとも考えたが、彼女がいつも行く遊び場も人目が多く、そこ意外でも母親の目が届くところにいつもいたのでその娘をかどわかす事も難しかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

意外と隙の無い彼女の私生活に、庄三は歯がゆい思いをしながら、今日も彼女をストーカーするのであった……。




庄三の話、後編です。
加筆:文章を少し追加しました。


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其ノ四

前回のあらすじ。
庄三が薊をモノにしようとストーカーを始める。


「師匠、お疲れ様です」

「おう」

 

小傘から水の入った竹の水筒を受け取り、四ツ谷はそれに口をつけた。

数口喉を鳴らして水を飲む。

そして、水筒から口を離すと、前方に眼を向けた。

そこには四ツ谷の怪談を聞き終えて別の遊びをし始めた五人の少年少女の子供たち、それに混ざって楽しげに一緒に遊んでいる薊の姿があった――。

それをしばし見つめた後、小傘に声をかける。

 

「小傘、()()()()()()()……?」

「……はい。また何とも物凄い目つきで薊ちゃんを見ていましたね。もういないみたいですけど」

 

小傘が頷いてそう言い、四ツ谷は頬杖をついて思案にふけった。

「薊を付け狙う者がいる」そう小傘から伝えられたのは今から一週間以上前だった。

偶然それに気付いた小傘が率先してさり気なく薊を警護すると共に四ツ谷にそれを報告したのだ。

血走った眼で明らかに薊に対して如何わしい事をしようとしていることを小傘から聞き、四ツ谷はどう対処したものか考えをめぐらせる。

幸い小傘がいち早く気付いてくれたおかげで、薊にはまだ魔の手は伸びていない、今は、だ。

だがこちらが薊を一人にするような隙さえ見せれば、相手は直ぐに薊を襲いに来るだろう。

いっそこちらが先手を打って容疑者を確保しようかとも考えたが、小傘から相手の様子を見るに浮浪者っぽく、先のことを全く考えていない目つきをしているらしく、厳重注意だけで解放してもまた同じことを繰り返しそうだと四ツ谷はそう聞かされた。

人里には警察は無いが自警団は一応存在する。

しかし、それは治安維持組織と言うよりも人里の民衆を集っただけの単なる素人の寄せ集め組織に過ぎなかった。

一応結成されて百年近くは立つため、それなりの功績がいくつかあるが、妖怪は関わらず、かつ人間内で起こった事件だけ上げても、せいぜい窃盗や喧嘩の類ばかりであった。

しかも捕縛された者たちの処罰も、厳重注意や数日の牢屋生活を経て釈放という何とも甘いものばかりなため、今回のストーカーの一件もおちおち任せられそうに無かった。

薊の件もそうだが、人里の治安維持システムはもっと入念に試行錯誤したほうがいいのではないか、と完全に無関係なはずなのに四ツ谷はそちらのほうでも頭が痛くなる思いであった――。

そんな四ツ谷に小傘が気まずそうに再び声をかけた。

 

「……それと師匠、言いにくいのだけど今回は()()()()、隠れて見ている者がいます。しかも今も師匠の後ろに隠れてます」

「何?」

 

それを聞いて四ツ谷は振り返る。それと同時に背後に建っていた民家の物陰から、最近良く顔を合わせている鴉天狗の少女がひょっこりと顔を出した。

 

「あやや、見つかっていましたか。ちゃんと気配を消していたのですが……さすがは大妖怪となった小傘さんは一味違いますね~」

 

陽気な笑顔を顔に貼り付けながら、その少女――射命丸文は軽い口調でそう言いながら四ツ谷と小傘に歩み寄ってきた。

それを見た四ツ谷は深いため息をつく。

 

「射命丸、また来てたか……」

「どもども~、毎度おなじみ清く正しい射命丸でーす!ご機嫌いかがですか、四ツ谷さん?」

「最悪だ。お前の顔を見たら気分が悪化した」

「またまた~心にも無い事言って♪同じ『文』ちゃん同士、仲良くしましょうよ~?」

「ええい、なれなれしく呼ぶな!」

 

にじり寄って来る射命丸に四ツ谷は両手で制しながら叫ぶ。

折り畳み入道の一件以降、毎日のように自分の元へ訪れては、やれ「新聞を買って」だのやれ「特ダネがあれば教えて欲しい」だのと迫ってくるこの少女にさすがの四ツ谷も辟易していた。

しかし、何度あしらってもめげずにやって来るこの鴉天狗の執念には脱帽も禁じえなかったのも事実であった。その証拠に四ツ谷はこの少女の書く『文々。新聞』とやらを数日前に購入してしまっていたのである。

うんざり顔をする四ツ谷の肩をゆすりながら、射命丸は声をかける。

 

「ね~え、四ツ谷さ~ん。また新しい怪談を行わないのですか~?今、幻想郷は貴方の影響で怪談ブームに突入しようとしているのです。その火付け役である貴方がこのまま何もしないのはもったいなさ過ぎますよ~」

「……あん?怪談ならさっきそこで遊んでいるガキ共に語ったモンがいくつかあるから、ネタが欲しいならそいつらに聞け」

「そんな()()()()()なんかじゃなくて、私が欲しいのは『最恐の怪談』のネタですよ~」

 

射命丸のその言葉に四ツ谷は眉根を寄せた。

 

「……お前、分かってて言ってんのか?俺が『最恐の怪談』をやったらどうなるかぐらい知ってるだろ?」

「それは『条件』がそろえばの話ですよね?ならそれに気をつければ問題ないじゃないですか」

「そりゃそうだが――」

「――それに」

 

射命丸は四ツ谷に顔をズイッと近づけると続けて言った。

 

「……あなたは他人に止められても、ひたすらに我が道を行く存在です。私には分かります。名前でも、()()()()()()()()()()()()()ですから、私と貴方は……♪」

「…………」

 

それを聞いた四ツ谷は沈黙し、それと同時に射命丸は四ツ谷から顔を離す。

そしてまた陽気に笑って見せると、再び口を開いた。

 

「……それに何もタダとは申しませんよ?私のほうからも情報を提供させていただきます。今貴方が欲しいのはズバリ、あの人間の少女――薊ちゃんでしたか?彼女に付きまとっている男の素性ではないでしょうか?」

「!……知っているのか?」

「はい♪その情報と交換で手を打つのはどうでしょうか?」

 

射命丸のその言葉に四ツ谷は考える素振りを見せる。そしてしばしの沈黙後に口を開いた。

 

「……正直な所、俺も新しい『最恐の怪談』をやりたい。……あの賢者や巫女の事とか関係無くな。……だが……それを抜きにしても、()()()()それをやる事ができないんだ」

「……え?どう言うことですか?」

 

それに問いかけたのは射命丸ではなく、そばで二人の会話を聞いていた小傘であった。

射命丸も小首をかしげる。

そんな二人を見て、四ツ谷は「簡単な事だ」と言って続けて口を開いた。

 

「――前回行った『折り畳み入道』な……実はあれ、()()()()()()()()()()

「「ええっ!?」」

 

四ツ谷のその言葉に、小傘と射命丸は同時に驚きの声を上げた。

それにかまわず、四ツ谷は小傘に問いかけた。

 

「小傘。俺が怪談を語った後、毎回何をしていたか覚えてるか?」

「え?……えっと、両手を鳴らして、題目の怪談の名前を言った後、『これにて、お(しま)い』って……あ」

 

そこまで言った小傘ははたと気付く。それを見た四ツ谷も「そうだ」と言って口を開く。

 

「『折り畳み入道』の怪談だけ、俺は話の締めをやってない。……いや、()()()()()()。賢者共の横槍のおかげでな……!」

「あややや~……」

 

少し苛立たしげに響く四ツ谷に、射命丸も少し気まずそうにそっぽを向いた。

何せ自分もその『賢者共』の中に入っていたのだから。

いや実際は四ツ谷捕縛のその時、射命丸は藍に捕まった四ツ谷の写真を取ってただけで何もしていなかったのだが、紫たちと一緒に登場し、四ツ谷を助けるそぶりもしなかったので、四ツ谷からして見れば、紫たちの仲間、すなわち()()()()()()()と見えたのである。

 

「……でも怪談の内容自体はもう終わってるんですよね?じゃあもういいんじゃ……」

「そうはいくか」

 

小傘のその言葉に、四ツ谷はやや強い口調で返し、続けて言った。

 

「小傘。語り手が決してやってはならない禁忌(タブー)の一つを教えてやる……。語り手は物語を語りだしたら、それを()()()()語らなくてはならない……。途中放棄して中途半端に終わらせることは絶対にしてはいけないのさ。例えそれが話の締めでも、な……」

「そ、そうなんですか……?」

 

あまり見たことの無い四ツ谷のその険しい顔での主張に、小傘は少したじろきながらそう呟いた。

それを見た射命丸はため息をついて四ツ谷に声をかける。

 

「……ではまず、『折り畳み入道』の怪談を終わらせる所から始めなければなりませんね」

「だな。……まあ近いうちに()()()()()()()()だから、それまで待ってな」

「……む~、分かりました。そうさせていただきます」

「シシッ、そうしろ。なんなら、()()()に立ち会うことを許可してもいいぞ?」

「ほんとですか!?よっしゃあ!!」

 

四ツ谷の言葉に射命丸はガッツポーズを取る。

それを見て、今度は四ツ谷が射命丸に問いかけた。

 

「さて……、今度はお前の持ってる情報を洗いざらい吐いてもらおうか」

「わっかりました!何でも聞いてください♪」

「……前もって言っとくが、情報に嘘偽りは混ぜるなよ?事実が捻じ曲がるからな」

「そーんな事はしませんよ!私は新聞記者ですよ?情報が命だというのにそんなことするわけないじゃないですか」

 

心外だと言わんばかりに腰に手を当てて胸を張る射命丸に対し四ツ谷はげんなりとした表情で言う。

 

「よく言う。お前の書いた新聞を読んだが、素人目でも気付きやすいゴシップ新聞だったぞ?しかも、その内容の中に何割かの()()も混ぜてあるみたいだから余計にたちが悪い」

「はっはっは!それが我が『文々。新聞』の()()()()()なんですよ♪新聞を読んだ読者様方にその内容を自由に()()()()()()()()()楽しんでもらうという趣向なんです♪」

「……その受け取り方が最悪な場合、その読者が()()()()()()()()()のか、お前は考えないのか……?」

「考えたことはありますよ?でもそれを変えるつもりは毛頭ありません。それが私のやり方であり、()()でもありますからね……。それに――」

 

 

 

 

 

「――例えそんな事になったとしても、それはその方が()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってだけの事……そこまで私は責任持てませんよ♪」

 

 

 

 

射命丸がそう言って、その場に沈黙が降りる――。

四ツ谷と射命丸はしばしお互いの視線を交わしていたが、次の瞬間ため息と共に四ツ谷が口を開いた。

 

「なるほどな……。確かに俺とお前は()()()()()()かもしれん」

「……でしょ?」

 

そう言って射命丸は笑って見せる。その眼は決して笑ってはいなかったが……。

それを見た四ツ谷は再度ため息をつくと、真剣な眼で射命丸に声をかける。

 

「……それじゃあ話せ。お前の持っている()()()()()()()()()()()をな」

「はい♪」

 

笑顔を顔に貼り付けたまま、射命丸は元気良くそう答えた――。




ネタは豊富に考えてあるのに、それを文章に起こすのはどうにも苦手な自分です。
ですがそれでも見てくださっている皆々様には深く感謝しています。


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其ノ五

前回のあらすじ。
子供たちに怪談を語った後、四ツ谷は射命丸と出会い、庄三のことについて情報を得ようとする。


庄三は道端に落ちていた小銭を拾い集めて貯めた分で、久しぶりにまともな食事にありつこうとしていた。

一件の蕎麦屋の暖簾をくぐり、カウンターの席に座る。

浮浪者姿の庄三を見た店主は一瞬叩き出そうと包丁片手に構えるも、庄三が金を差し出してきたことにより、渋々庄三を客と認め、彼のための掛け蕎麦を作り始めた。

そうして出された出来立ての掛け蕎麦に庄三は一心不乱にかぶりついた。

空腹が満たされるに連れて、思考のほうも動き始める。

考える事はやはり、薊の事だ。

 

(くそっ、また()()そこねた……!一体いつになったら一人になりやがる!その時が来たら思いっきり可愛がってやるのによぉ……!!)

 

そんな勝手な事を考えている庄三の背後――蕎麦屋の出入り口からまた客が来店する。

カラン、コロンと下駄の音を立てながら、その客は庄三の隣の席に腰掛けた。

無意識に眼だけをその客に向けた庄三は、客の顔を見るなりすすっていた蕎麦を噴出しそうになった。

黒っぽい着物に何故か腹巻をした長身で黒髪の男が座っていたのだが、庄三はその男の顔を良く知っていた。

何せターゲットとして付きまとっている娘――薊とよく行動を共にしている男なのだから――。

 

(名前は確か……四ツ谷文太郎っつったか……?何でこの店に?……まさか、俺があの娘に付きまとっている事がばれたんじゃ……?)

 

庄三がそんなことを思っている間に、四ツ谷はカウンターの向こうにいる店主に声をかける。

 

「おっさん、掛け蕎麦一丁!」

「はいよー、掛け蕎麦な!……って、お!お前さん覚えてるぜ!確か四ツ谷文太郎っていったか?俺、夏祭りの時あんたの怪談聞いてたんだぜ?」

「ほほぉーう、そうなのか?……で、どうだった?俺の怪談は?」

 

庄三のほうに眼を向けることなく、四ツ谷は店主と談笑を始めた。

それを見た庄三は内心安堵する。

 

(……どうやら俺の事はまだ気付かれてはいないようだな。ただ蕎麦を食いに来ただけか……。にしてものん気な野郎だ。知り合いの娘が危ない目にあおうとしてるってのによぉ)

 

心の中で四ツ谷を馬鹿にして笑う庄三。それに気付かずに四ツ谷は店主と談笑を続ける。

そしてその途中、店主が身を乗り出して四ツ谷に軽い提案をする。

 

「なあ、またあんたの怪談を聞かせてくれよ。蕎麦のお代、安くしとくからさ」

「え?今ここでか?」

「おうよ。……駄目か?」

 

そう言って手を合わせて頼み込む店主に四ツ谷は考えるそぶりを見せる。

しかし直ぐに四ツ谷は店主にニヤリと笑って答えた。

 

「いいぞ。簡単な小話程度なら語ってやる」

「本当か!うれしいねぇ、一体どんな怪談を語ってくれるんだ?」

 

いい歳して目を輝かせる中年店主に対し、四ツ谷はシシッと笑って口を開く。

 

「おっさん、今人里に流れている噂の一つに『折り畳み入道』って怪談があるのを知ってるか?」

「ああ知ってるぜ。それがどうかしたか?」

「ヒッヒッヒ。今から語るのは、その『折り畳み入道』に関する挿話(エピソード)だ……!」

 

そう言って四ツ谷は店内全体に響かせるようにして怪談を語り始めた――。

 

「……ある一人の男が、とある里の娘に目を留めました。……男は彼女の美しさに見惚れ、何としてもモノにしたいと思ったのです……。しかし、肝心の彼女は男に見向きもせず、業を煮やした男は、深夜帰宅途中の彼女を襲い人気の無い場所へと連れ去った……」

 

四ツ谷の語りは店内にいる店主はおろか従業員や他の客たちの動きを止めさせた。

そして自然と四ツ谷の声に耳を傾ける。

それは庄三とて例外ではなかった。

彼は怪談など露ほどの興味も無かった。彼の頭にあるのは女性をモノにするという欲求のみである。それ故、四ツ谷の語りが始まる直前まで彼は聞く耳持たずといった感じで一心に蕎麦をすすっていたのだ。

しかし、四ツ谷の怪談が始まった途端、彼の耳だけが彼の意思から離れたかのように一字一句聞き逃さないとそばだてたのである。

まるですきま風のように耳から脳内へとするりと入ってくる四ツ谷の声に庄三は内心動揺する。

それに気付いているのかいないのかかまわず四ツ谷の怪談は続く――。

 

「……人気の無い場所へ娘を連れてくると、彼女が持っていた()()を剥ぎ取り、それを無造作に捨てる。そして気絶した彼女の衣服に手を掛けようとしたその時――」

 

 

 

 

 

 

「……カタ……カタ……カタタッ……!と、捨てたばかりの娘の荷物から奇妙な音が鳴り響く……。男は不審に思って荷物をあさると、大き目の木箱の蓋がカタカタと動いている光景が飛び込んできました……」

 

 

 

 

 

 

ゴクリと店内にいた誰かが固唾を飲み込んだ。シンと静まり返る店内に四ツ谷の声だけが響き渡る――。

 

「きっと小動物か何かだ……。男は自分にそう言い聞かせ、木箱の蓋に手を掛ける。しかしその瞬間、男の背筋に冷たいモノが唐突に走り渡った……。呼吸は大きく乱れ……蓋にかかる両手も震え始める……。何か得体の知れない空気がその場を支配し、それと同時に蓋の動きも激しくなっていく……!……カタカタカタカタガタガタガタガタ!ガタッガタッガタッガタッ!!ガタッ!!!ガタッ!!!!ガタッ!!!!!……」

 

四ツ谷の語りに()()が出始めると同時に、店内にいる人間はその身を凍りづかせる。

 

「蓋の動きが激しくなってくると今度は箱全体も暴れ始める!!それと同時に男の呼吸も心臓の拍動も激しくなっていく……!!恐怖が男を支配するも、それを振り払うようにして男は意を決して箱の蓋を開けた……!!!」

 

 

 

 

 

 

「――開けて……しまった……」

 

 

 

 

 

 

そこで四ツ谷は語りを止める。店内に静寂が充満し、数秒とも数時間とも思える間が空いた。

そして四ツ谷はゆっくりと続きを語り始める――。

 

「……箱の中は何も無い……ただ無限に続く闇が広がっていた……そしてその闇の深淵……暗闇の奥底に金色に輝く二つの双眸が、男を見上げていた――。二つの目玉は男に向かってニヤリと歪めると、物凄い勢いで男に向かって近づき、暗闇から生やした蒼い巨大な両腕を男に向かって突き出し――」

 

 

 

 

 

 

 

 

ガタン……!!

 

 

 

 

 

 

 

唐突に大きな音が店内に響き渡り、四ツ谷の語りが中断される。

見ると四ツ谷の隣に座っていた庄三が椅子から転げ落ち、尻餅をついた状態で目を白黒させていた。

そして直ぐに自分が注目されている事に気付いた庄三は「か、帰る!!」と言って店を飛び出していった。

後に残ったのは事態を飲み込めずポカンとする従業員や客たち、そして頭をガシガシとかく四ツ谷だけであった。

 

「あらら~、怖がらせすぎちゃったか……。()()()()()のつもりだったんだがなぁ」

 

独り言を呟く四ツ谷に、店主は目を輝かせて叫ぶ。

 

「そ、それで?それでどうなったんだ!?続きは!?」

「んー?……知ってるか?折り畳み入道は襲った相手を食べるんじゃなく、箱の中へ引きずり込んでそいつも自分の仲間――折り畳み入道に変えてしまうのさ……」

 

四ツ谷が何を言いたいのかその場にいた全員が気付いた瞬間、激しく縮み上がった。

それを尻目に見た四ツ谷は、今度は庄三が出て行った出入り口の方へと眼を向けて、

 

()()()()()()()()()()()()()()……」

 

そう小さく呟いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷という男に出会って以降、ただの人里の娘であった薊の周囲の環境は激変した。

助手として雇ってくれた四ツ谷が実は人間じゃなかった事にも驚いたが、その周りにいる者たちも人間ではなく異形の類だと知り、当初薊は驚愕と恐怖でいっぱいだった。

しかし、一度会話をしてみると、四ツ谷も小傘も金小僧も折り畳み入道も全員、話せば分かる者たちばかりで、会話を重ねていくと共に彼女の中の警戒心や恐怖も日に日に薄らいでいったのである。

そしていつしか、四ツ谷と小傘という二人の怪異に挟まれながらも、笑っている事ができる自分に気が付いたのであった――。

その結果、(四ツ谷)らのいる所が自分のもう一つの居場所になった事を理解した彼女は、毎日足しげく彼らのいる長屋に通うようになる。

そして蕎麦屋で四ツ谷と庄三が会った日の夕暮れ、いつものように長屋で帰り支度をした薊は、その家主である四ツ谷にぺこりと頭を下げる。

 

「それでは四ツ谷さん。今日はこれで……」

「おう、気をつけてな……」

 

そう言って四ツ谷は手を振り、()()()()()()()()薊の背中を見送った――。

そして完全に薊の姿を見失った頃、唐突に四ツ谷の横から声がかかる。

 

「師匠、本当にあの子を一人で帰しちゃってよかったんですか?」

 

小傘だった。最近は薊の送り迎えをしていた彼女であったが、今回は四ツ谷の指示で家まで送る事を止められたのだった。

少々棘のある小傘の言葉に、四ツ谷はため息をついて答える。

 

「……酷なようだがな。これも『立つ鳥跡を濁さず』……薊が平穏に生活できるようにするために、後腐れの無いように決着(ケリ)を着けなきゃならん……。そのためには、(あいつ)には少々危ない橋を渡ってもらわにゃあな……」

 

「それに……」と四ツ谷は小傘のほうへ眼を向けて続けて言う。

 

「……お前も、あんな状況で毎日あいつの送り迎えなんてできるのか?」

「それは……無理です、ね……」

 

段々と声を小さくしながら答える小傘に四ツ谷は「だろ?」と言ってもう一度薊が帰っていったほうへ眼を向けた。

 

「……心配するな、危なくなったらちゃんと助ける。あの野郎の毒牙には絶対にかけさせねーよ。それに――」

 

 

 

 

 

 

 

「――()()はちゃんと伝えた。後はあの野郎の()()()()()だな……」

 

星が瞬きだした空に四ツ谷の声が響いて消えた――。




『折り畳み入道』もいよいよ佳境に入ります。
感想やお気に入り登録など、いつでも待っていますw


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其ノ六

前回のあらすじ。
四ツ谷は蕎麦屋で庄三を含んだ店内の人間全員に、『折り畳み入道』に関係するエピソードを語って聞かせた。


(やっとだ……あの小娘(ガキ)、やっと一人になりやがった……!!)

 

提灯を片手に家路へと急ぐ薊の背中を物陰から見ながら、庄三は歓喜に震えた。

今日の昼間、蕎麦屋で不快な思いをした庄三だったが、待ちに待った機会を前にその不満は一気に吹っ飛んだのである。

そして無意識に自分の懐に手を入れると、そこにあった小瓶を握り締める。

それは永遠亭へ父親の見舞いと称して訪れ、そこの薬師から自分が不眠症だと偽ってもらった睡眠薬であった。

しかもその薬は即効性で、一粒服用すれば朝まで()()()()()()起きないという強力なものであった――。

 

(ククククッ……ようやくこれを使う時が来たようだなぁ)

 

舌なめずりをして笑いながら、庄三は小瓶から薬を一錠だけ汗ばんだ手のひらに乗せ、それを握り込む。

そしてはやる気持ちを抑えながら、今か今かと好機を見計らった。

やがて薊が人気の少ない通りに入った時、腹を空かせたオオカミの如く、庄三は薊の背後から襲い掛かった――。

 

「……え?むぐっ!!?」

 

いきなり背後――と言うよりは横から抱きつかれた薊は突然の事に一瞬自体が飲み込めず呆然となる。

その隙を突いて庄三は手のひらに隠していた錠剤を、半開きになっている薊の小さな口の中へ放り込んだ。

 

「……ッ!?」

 

そして同時に薊の口と鼻を錠剤を放り込んだほうの手で塞ぎ、もう片方の手を薊の腰に回し羽交い絞めにする。

そこに来てようやく自体を飲み込んだ薊がなりふり構わず庄三の腕の中で必死にもがいた。

手にしていた提灯は地面に落ち、燃え始める。

着物もズレて乱れ、真っ白い太ももが着物の間からチラチラと見え始めた。

だがそれを気にする余裕は今の薊には毛頭無かった。必死に襲撃者の腕の中から抜け出そうとするも、痩せてしまっているとは言え、大の男である庄三の力の前に非力な薊にはどうする事もできなかった。

そして鼻と口を塞がれてしまっているため、当然呼吸する事ができず、息苦しさから薊は無意識に口の中に入れたままになっていた睡眠薬の錠剤を喉の奥にごくりと飲んでしまったのである。

そして一分もしないうちに薊に変化がおき始める。

唐突に強烈な睡魔が薊を襲い、急速に意識が遠のき始める。

必死に動かしていた身体も力を失い、やがて薊の意識が完全に闇に飲み込まれると、己が意思に関係なくその身を庄三に預ける形となってしまったのである。

 

「……は、ははははっ!やっと大人しくなったか……!」

 

暴れたせいで髪は乱れ、顔を紅くして眠る薊の顔を庄三は覗き込む。

 

(なんとも()()()寝顔じゃないか……)

 

貧困暮らしになってからというもの、庄三は一度も風呂には入っていなかった。そのため浮浪者姿なのはもちろんの事、肌も黒く汚れ、体臭なんて鼻が曲がりそうなほど強く発していたのである。

そんな穢れの塊とも言える自分の腕の中に、一点の穢れも知らない純粋な娘が抱かれていると思うと庄三は異様に興奮した。

生唾をゴクリと飲んで、その薄い桜色の唇に今すぐ接吻したい欲望に駆られるも、それを庄三はグッと我慢する。

ここにはまだ人気がある。いつ誰がやってくるかわからない。もっと人気の無い所へ連れて行ってゆっくり楽しもう……。

 

(こりゃ()()じゃ終わりそうにねぇな……クククククッ……!)

 

欲望を必死に抑えながら、庄三は気を失った薊を引きずって人里の闇の中へと消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、長屋にいる四ツ谷は()()お茶をすすっていた――。

小傘と金小僧は薊の身辺警護につかせており、()()()()()が起こった場合の保険でもあった。

そして残った折り畳み入道だが、彼にはまた()()()()を担ってもらっていた。

シンと静まり返る部屋の中でズズッと四ツ谷がお茶を飲む音だけが聞こえる。と、その時そばに置かれていた着物をしまっている葛篭がガサガサと音を立てて震えたのだ。

それが三回ほど続き、それ以降動く様子は無かった。

しかし四ツ谷はそれを見届けると、自分が今もっている湯飲みに目を落とす。

そして今日の昼間に蕎麦屋で語った怪談の内容を思い出しながら、誰に聞かせるわけでもなく、小さく独り言を響かせた――。

 

「動いたか……。さぁて、()()が虚構のまま終わるか、否か……。始めるとしようか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気の全く無い薄暗い林を見つけると、庄三はその中へ薊を引っ張り込んだ。

 

『――業を煮やしたは男は、深夜帰宅途中の彼女を襲い人気の無い場所へと連れ去った……』

 

「……?」

 

その瞬間、妙な違和感を覚え、庄三は辺りをきょろきょろと見回した。

しかし周りには誰もおらず、ただ虫の鳴き声だけが響いていた。

小首を傾げるも、今はこの娘のほうが先だと自分の腕の中にいる薊に目を落とす。

よく眠っている薊の顔を見てほくそ笑むも、直ぐに不機嫌な顔へと変わる。

それというのも、彼女が長屋を出てから今までの間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が移動の際、どうにも邪魔になってしょうがなかったのだ。

そんなもの、連れ去る際に先に取っとけば良かっただけの話だったのだが、その時の庄三の頭の中では薊を人気の無い所に連れて行く事が優先されていたため、それが後回しになっていたのである。

 

「ったく、邪魔だ」

 

苛立たしげに庄三は、薊からその木箱を背負子ごとひっぺがし、それを適当に投げ捨てた。

 

『……人気の無い場所へ娘を連れてくると、彼女が持っていた荷物を剥ぎ取り、それを無造作に捨てる――』

 

「!?」

 

ガタリと木箱が地面に落ちる音と共に、先程よりも強い違和感を感じた庄三はまた辺りを見回す――。

だがやはり周りには何もおらず、庄三は得体の知れない胸騒ぎに襲われる。

 

(な、なんだっていうんだ……?)

 

庄三はこの違和感の正体に薄々とだが気付き始めていた。

 

――それは、既視感(デジャヴ)

 

今、自分が行っている出来事と同じ事を前に聞いたような気がしたからだ――。

そしてそれをいつ、どこで、誰に聞いたかも庄三は薄っすらと思い出していたのだが、直ぐに首を振って()()を否定する。

 

(馬鹿な、偶然だ!……それよりも今は目の前の生娘に執着すべきだ…!)

 

そう考えながら、木箱と捨てたと同時に地面に無造作に転がした薊に眼を向ける。

仰向けに地面に寝転がった薊は少々あられもない姿を庄三にさらけ出していた。

暴れて着物が乱れてしまい、その瑞々しい両素足を太ももまで露にしており、帯も少し解けているようだった。

胸元も肩口までさらされており、そこに実る二つの山脈はいまだ大半が着物の中に隠れてはいるものの、仰向けに寝ていているのにもかかわらずその美しい曲線が崩れる事は無く、薊が呼吸をする度にゆったりとした動きで上下していた。

その純粋ながらも妖艶な薊の姿は、庄三には誘っているとしか思えず、何度目かの生唾を飲み込むと、誰かに操られるかのようにふらりと薊に近づくと、荒く息を吐きながら緩んだ帯を解こうと右手を伸ばし――。

 

『――そして気絶した少女の衣服に手を掛けようとしたその時――』

 

 

 

 

 

 

 

            ……カタ……カタ……カタタッ……!

 

 

 

 

 

「!!???」

 

()()()()()()()()()響き渡り、反射的に庄三は捨てたばかりの木箱のほうへと振り返った。それと同時に木箱の蓋がカタカタとなり始め、庄三は戦慄する。

それと同時にまた脳内にあの男――四ツ谷文太郎の声が木霊した。

 

『――木箱の蓋がカタカタと動いている光景が飛び込んできました……』

「ヒッ!??」

 

庄三は腰を抜かし、未だカタカタと動く木箱を凝視する。

もう疑いようが無かった――。

 

 

 

――今日の昼間に蕎麦屋で四ツ谷が語った怪談と同じ事が、()()()()()()()()()()()()()()()()……!

 

 

 

(う、嘘だ……そんなわけあるかぁ!!あいつはこうなる事が最初から分かっていたとでもいうのか!?……在り得ねぇッ!!……あれだって『きっと小動物か何かだ』、ろ……ヒィッ!!!???)

 

庄三の思考の一部が四ツ谷の怪談と重なり、庄三は得体の知れない不気味さに凍りついた。

もはや彼の頭の中には薊に対する執着は完全に消えうせ、代わりに人差し指を口元に立てて不気味に笑いかける四ツ谷の姿が現れていたのである。

だが脳内に現れた四ツ谷はそれ以上語ろうとはしない。彼は庄三が期待通りに動いてくれるかどうか、今か今かと楽しそうに待つかのように気味の悪い笑顔を貼り付けたまま微動だにしない。

いくら自分が頭の中に作り出した虚像とはいえ、静かにたたずんだまま自分をあざ笑う四ツ谷の姿に庄三はふつふつと怒りがこみ上げてきた。

 

(……ふ、ふざけるなよ下郎が!!これからという所で俺の楽しみを邪魔しやがって!!見てろ、今すぐお前のそのふざけた怪談なんかぶっ壊してやる!!!)

 

心の中でそう叫ぶと、庄三はそばに転がっていた大きめの石を掴み、木箱へと歩み寄る。

そして石を持った手を頭上に高く持ち上げ、反対の手を乱暴に木箱の蓋へ掛ける。

それと同時に、再び脳内の四ツ谷が怪談をリピートし始めた。

 

『――呼吸は大きく乱れ……蓋にかかる両手も震え始める……』

 

 

 

 

「ハア……ハア……ハア……ハア……!!」

 

――ブルブルブルブル……!!

 

 

 

 

『――何か得体の知れない空気がその場を支配し、それと同時に蓋の動きも激しくなっていく……!――蓋の動きが激しくなってくると今度は箱全体も暴れ始める……!!』

 

 

 

 

――……カタカタカタカタガタガタガタガタ!ガタッガタッガタッガタッ!!ガタッ!!!ガタッ!!!!ガタッ!!!!!

 

 

 

 

『――同時に男の呼吸も心臓の拍動も激しくなっていく……!!』

 

 

 

 

――ドクン、ドクン、ドクン……!ドクッ!!ドクッ!!!ドクン……!!!!

 

 

 

 

鬼の形相ではあったが、庄三の全身は既に恐怖に飲まれていた。体全体がガタガタと震え、ブワッと冷や汗があふれ出し、両目はむき出しになって激しく揺れる木箱を睨んでいたものの、その瞳の奥に現れたのは間違いなく『恐怖』の色であった――。

 

(ふ、ざけるな……ふざけるな!ふざけるな!!ふざけるなふざけるなふざけるなアアァァァ!!!……俺は!俺は金貸し半兵衛の息子だぞ!!この人里で……いや、この幻想郷で一番偉い男なんだぞぅ!!!人間だろうが妖怪だろうが神だろうが誰も俺にたてついていいはずが無い!!!)

『――恐怖が男を支配するも、それを振り払うようにして男は意を決して――』

 

 

 

 

 

 

 

「……良い訳が無いんだアアアァァァァーーーーーーー!!!!!」

 

 

 

 

 

 

『――……箱の蓋を……開けた……!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ……開けて……

 

 

 

                       ……しまった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あ?」

 

慟哭とも呼べる庄三の怒声と共に蓋が開かれ、その中を見た庄三は呆けた声を漏らした。

 

 

 

――闇だった。

――闇一色の世界が箱の中に広がっていた――。

 

 

 

そしてその闇の遥か底――深淵とも呼べるそこに()()()()()()()、庄三を見上げていた。

その眼と自分の眼が合った瞬間、庄三は理解する――。

 

 

 

 

――自分は選択を……()()()ということに……。

 

 

 

 

だがもう後の祭りであった――。

一瞬のうちに、庄三と金色の目との距離が縮まり、闇の中から巨大な蒼い腕が現れ、箱から飛び出すと、庄三の頭部を覆うようにしてガッシと掴んでいた。

その瞬間、庄三の中でナニカが決壊する――。

 

「---------------ッ!!!!!」

 

腹の底から庄三は悲鳴を上げるも、それは自分の頭を掴む蒼い手の手のひらに遮られ、そばで眠っている薊はおろか、周囲の者たちの誰にもその悲鳴が届く事は無かった――。




次が『折り畳み入道』の最終話です。
加筆:少し文章を追加しました。


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其ノ七 (終)

前回のあらすじ。
庄三は四ツ谷の怪談による()()を無視し、箱を開けてしまう――。


「……ぅ……ん…………?」

 

朝の日の光に当てられ、薊は目を覚ました。

気だるげに体をゆっくりと起こし、周囲を見回す。

 

「……あれ…………?」

 

自分が今いる場所がどこか理解したと同時に薊は首をかしげた。

そこは四ツ谷の長屋であった――。

そこで薊は襦袢(じゅばん)姿で四ツ谷の布団の中で眠っていたのである。

でもそんなはずは無いと、薊は内心動揺する。

自分は昨日確かにこの長屋を出て、自分の家に帰ろうとしていたのだから……。

しかし、その家に帰っている時の記憶が途中からスッパリと彼女の中から消えうせていたのである。

幸か不幸か、彼女は庄三に襲われる直前からそれ以降の記憶を綺麗さっぱり失っていたのであった――。

だが薊本人にして見れば、それでも不安は拭い切れていなかった。

無理も無い。この長屋を出て家へ帰っていたはずなのに、次の瞬間にはその長屋で眼を覚ましていたのだから、動揺もするだろう。

纏っている少し乱れた襦袢を直し、自分の身体をぎゅっと抱きしめて小さく震える始める薊であったが、唐突にカタッという音が小さく部屋に響いた。

薊はビクッとなって音のした方へ眼を向ける。

そこには背負子(しょいこ)にくくり付けられた木箱が合った。

それは昨日、帰る直前の薊に()()()()()()()()()()()であった――。

その時四ツ谷はこう言っていた。

 

『……特別給金(ボーナス)だ。その中には反物と玩具が多く入っている。……母親と妹にプレゼントしな……』

 

普段の四ツ谷ならあまりやらない行動であったが、疑う事を知らない薊は喜んでそれを受け取ったのだった――。

その木箱の蓋が少しだけ持ち上がっており、そこから金色の双眸が顔を覗かせていた。

普通の人間なら驚愕していただろうが、薊はその眼の持ち主をよく知っていたため、それほど驚かず、四つん這いになって布団から出てその木箱に近づいた。

そして木箱の前でペタンと座ると、その眼の持ち主――折り畳み入道に恐る恐る声をかけた。

 

「……あ、あの……、折り畳み入道さん……私、どうしてここで寝ていたのでしょうか……?昨日は家に帰ったはずなのに……。何か知りませんか……?」

 

そう問いかける薊に対し、折り畳み入道は小さくはこの中から首を振った。

「知らない」という答えだと理解した薊は「そうですか……」と呟いて俯いた。

彼女の中で不安が次第に大きくなっていく。しかしそれは直ぐに解消される事となった。

何を思ったのか折り畳み入道は、箱の中から巨大な自分の腕を片方だけ出すと、その大きな手のひらで薊の頭をポンポンと優しく撫でたのだった――。

突然の事に薊は一瞬驚くも、直ぐに彼女は折り畳み入道のその行動を快く受け入れていた――。

何故だろうか?今自分の頭を撫でている目の前のモノは人ではない異形だというのに、薊にはそれが嫌悪所か逆に心地よく思えるモノだったのだ――。

 

「……えへへへ……」

 

自然と笑みもこぼれ、いつの間にか薊の中から不安は跡形もなく消え去っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから丸一日たった翌日の早朝――。

人里の人々が起き出して来る時間帯、大通りの脇にある小さな路地の物陰に、壁に背中を預けて四肢を投げ出し、力なく座り込んでいる男の姿があった――。

庄三だった。だがその姿は浮浪者だった時よりもさらに酷い有様になっていた。

伸びに伸びていた髭や髪は一日のうちに黒から白へと変わり果て、開けっ放しになっている口からは涎を垂らし、眼も完全に焦点を失ってギョロギョロと彷徨っていた――。

たった一日のうちに数十年分老け込んだ彼は、もはや完全に廃人と化していたのであった――。

そんな庄三に近づく三つの影があった。

それは小傘、射命丸、そして四ツ谷の三人であった。

小傘は四ツ谷の付き添いに、射命丸はスクープのために四ツ谷について来ていた。そして変わり果てた庄三を目にした瞬間、すぐさまカメラを取り出しその光景を写真に収めていった。

そして最後に四ツ谷は()()()()()()()()()()()()、庄三に近づく。

四ツ谷が前に立ったのにも関わらず、少しの反応も見せない庄三であったが、構わず四ツ谷は口を開いた。

 

「……あの時、蕎麦屋で語った怪談はな……()()()()()()()()()だったんだよ……。アンタのようなタイプは状況によってその行動が単調になりやすいからな……。薊を一人にすればどうなるかくらい手に取るように分かったよ……」

 

そこまで言っても庄三はわずかの反応も見せなかった。もはや完全に彼の精神は破綻していたのである――。

彼を恐怖のどん底に叩き落した折り畳み入道によって――。

だがそれでも構わず四ツ谷は言葉を続けた。

 

「……あそこで俺の怪談に込められた意図に気付き、箱を開けずにそのまま立ち去ってくれれば、俺も深追いはしなかったんだがなぁ……。……だが、アンタはそれを無視して開いてしまった……。決して開けてはならない、(パンドラ)を、な……」

 

そこまで言った四ツ谷はハアとため息をついて頭をガシガシと掻いた。

そして庄三に背中を向けると、最後に庄三に向けてこう響いた――。

 

「……だが、それでもアンタに対して一つだけ感謝している事がある……。……これで俺も、ようやくこの怪談に終止符が打てる――」

 

 

 

 

「――また新しい『最恐の怪談』を創ることができる……」

 

 

 

 

そう言い残すと、四ツ谷は写真を取り終わった射命丸と子傘を連れて早々に路地から去っていった――。

庄三は終始無言を通していた。いや、もはや彼には四ツ谷の声すら、耳に入ってはいなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大通りを歩く四ツ谷たち三人の脇を何人かの里の民衆が通り過ぎていった――。

どうやらさっきまで会っていた庄三が他の人間によって発見され、騒ぎになり始めているようであった――。

だが四ツ谷たちはをそれに気にも留めず、歩き続ける。

鼻歌交じりに射命丸は新しい新聞を作る為にメモに文字を走らせている。

それを横目に見ながら小傘は先頭を歩く四ツ谷に声をかけた。

 

「まったく師匠。今回は本当に文句が言いたくてたまりません。薊ちゃん本当に危なかったんですからね?」

「……わかってるって、その事に関しちゃ本当に悪かったって思ってるよ。これからちょっとずつだが、薊には今回の埋め合わせをやっていくつもりだ……」

 

そう言ってバツが悪そうに四ツ谷は空を見上げた。

雲一つない朝の空は果てしなく広がっており、息を吸うと清々しい気分になりそうだった。

四ツ谷は気分を変えるようにして一度深呼吸をすると、独り言を響いていた――。

 

「――かくして人里で猛威を振るっていた悪徳親子は消え去り……。『折り畳み入道』は一人の人間の少女と種族の垣根を越えた絆を結んだ、か……。なんとも王道的なハナシじゃないか……」

 

小さく笑みを浮かべ、その澄んだ()()()に向かって四ツ谷は高々に手拍子を打った――。

 

 

 

 

 

「『妖怪、折り畳み入道』……()()()()()()()、これにて……お(しま)い……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから先は後日談となる――。

 

民衆によって発見された庄三は早々に永遠亭に運ばれ、父親である半兵衛同様、精神科へと入れられた。

しかし永遠亭の唯一の薬師であり、医者でもある八意永琳(やごころえいりん)は彼ら親子を治す気は毛頭なかった――。

彼ら親子の悪行は彼女の耳にも届いていたのだ。それ故彼女は二人を治すよりも新薬開発のための()()()()()としてここで生かし続けたほうが利があると考え、彼らを入院治療と称して永遠亭に監禁したのだった――。

 

そしてそれと同時期、人里で木箱をくくり付けた背負子を背負った薊をよく見かけるようになった。

何も知らない人が見れば何かの荷物を運んでいるだけだと思うのだろうが、彼女と親しい者たちは知っていた――。

その背負っている木箱の中に人ではない異形が潜んでおり、そのモノと薊はコンビを組んでよく行動を共にしているのだという事を……。

 

彼女と()のモノがこれからどういった運命を辿るのかは……それはまた別の噺である――。




『折り畳み入道』完結です。
次から新しい語が始まります。


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第四幕 死神に愛された女
其ノ一


新章開幕です。
この話では主に小野塚小町ともう一人、オリジナルキャラクターにスポットを当てて進んでいきます。


――おねーちゃん、いらっしゃーい!

 

――おう、椿(つばき)。また来たよ。今上がってよかったかい?

 

――うん!()()()()()()()()ならいつでも大歓迎だよ?……待ってて、今お茶入れるから。

 

――手伝うよ。ここに来る前に菓子屋で饅頭買ってきたんだ。一緒に食べようか。

 

――うん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅ……ん……」

 

幻想郷、三途の川の此岸(しがん)、その近くにある大岩の上で一人の女性がゆっくりと身を起こした。

彼岸花を思わせる赤い髪が揺れ、目頭を指で揉んでそばに置いてあった大きな鎌を手にもって女性は立ち上がり、大きく伸びをする。

夏の終わりが近い時期、その空気を大きく吸ってその女性――小野塚小町(おのづかこまち)はこれまた大きく息を吐いた。

 

「はぁ~っ、随分と懐かしい夢を見たねぇ……」

「どんな夢です?」

「きゃんっ!?」

 

唐突に直ぐ背後から声がかかり、小町は驚愕し飛び上がる。

その途端脚がすべり、彼女は大岩から転げ落ちて尻をしたたか地面に打ち付けていた。

 

「……ったぁ~~い」

 

尻をさすりながら小町は立ち上がり、恨みがましい眼で先ほどまで自分が寝ていた大岩の上に立つ、少女へと眼を向けた。

緑色の髪を風になびかせ、両手に『悔悟(かいご)の棒』を持ったその少女へと小町は声をかける。

 

「んもぅ、驚かさないでくださいよ四季様ぁ~」

「仕事をさぼってこんな所で昼寝をしているあなたが悪いのでしょう?……毎回のことながら、本当にこりませんね」

 

小町の上司であり、三途の川の向こう、是非曲直庁(ぜひきょくちょくちょう)で裁判長を務める閻魔である少女――四季映姫(しきえいき)・ヤマザナドゥは凛とした表情を崩さぬまま、ひらりと小町の前に降り立った。

そんな映姫に小町は口を尖らせて反論する。

 

「……今日のノルマはちゃんと達成してありますよ」

「ん?……おや珍しい、サボり魔のあなたがどう言う風の吹き回しですか?」

「私だってそういう日はありますよ!人を見かけで判断しないで下さいよぉ~」

「あなた死神でしょうに」

 

腰に手を当てて豊満な胸を張って得意気になる小町に映姫は呆れた目を向ける。

そして小さくため息をつき、再び口を開いた。

 

「いつもそれくらいやる気があれば文句はないのですが……。まあ、今回は私が誤解していたみたいですし、潔く非を認めましょう。すみませんでした」

「え゛!?四季様が謝るなんて珍しい……っていうか、部下に頭を下げないでくださいよ!?」

「こういうことはきっちりと白黒つけるべきなのです」

 

きっぱりと小町にそう答えると、映姫は踵を返し、歩き出した。

それにつられて小町も後を追う。

 

「四季様、どちらに?」

「人里です。私も今日の仕事は終わりましたので、いつもの『日課』に行きます。……あなたも来ますか?」

「あー、私ももうやる事ありませんし、そうしましょうかねぇ~」

 

そう呟くと小町も映姫に連れ立って人里へと向かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まったくあなたという人は、妻子持ちであるにもかかわらず、稼いだ金銭のほとんどを酒代に回すとはどう言うつもりですか!大事な家族にひもじい思いをさせて恥ずかしくはないのですか!?お酒が好きで止められないのは仕方ないでしょう。しかし、それにも限度があります!好きなものに熱中しすぎていて、それ以外のことがおろそかになっている。そう、あなたは少しお酒に溺れすぎている!」

「うぅ……申し訳ねぇです……」

 

数十分後、人里のとある酒場に映姫と小町の姿があった。

映姫はそこで昼間から酒を飲んでいた里の男を捕まえるといつもの如く、くどくどと説教をし始めたのである。

丸椅子の上で正座をさせられ、うな垂れる男を哀れに見ながら、「速く終わればいいなぁ~」と小町は思ってしまうのだった――。

 

そうして一時間後に酒場を出た映姫と小町はあてもなく里の中を歩き出した。

彼女たちが出た後、酒場で一人の男がグロッキーになって机に突っ伏していたのは言うまでもない。

 

「……さて、次は誰に……む?」

「どうしました四季様?……ん?」

 

次の説教相手を探して歩いていた映姫の脚がピタリと止まり。

小町も動きを止めて映姫の視線を追う。

そこには多くの子供たちに囲まれて一人の長身の男が何かを語っていたのだ。

黒い髪に着物の上から何故か腹巻をしたその男は、子供たちを相手にどうやら()()を語っているらしく、不気味に笑いながらおどろおどろしくも耳の奥に残るような声をあたりに響かせていた。

 

「……コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ……!乾いた下駄の音が路地裏に響き渡り……女は息を呑んだ。……普通の足音とはどこか違うことに彼女は気づいてしまったからです。……その音はまるで()()()()()()()()()()()()()音をあたりに響かせており、彼女の直ぐ後ろまで迫ってきています……」

 

男の語りが進むにしたがって、子供たちは前のめりになってゴクリと唾を飲む。

 

「……そして背中から『ヒヒヒッ』という笑い声が響き、女は誰かに唆されたかのようにゆっくりと後ろへと振り向いた……そこにいたのは――」

 

 

 

 

「――お前どぅわああああぁぁぁーーーーーーー!!!!!」

 

 

 

 

『っきゃーーーーーーーーーーー!!!!!』

 

子供たちの背後、何も無い所に指をさして叫んだ男の声に、子供たちは一斉に悲鳴を上げて身を硬くする。

それを見た男――四ツ谷文太郎は先ほどとは打って変わって大きな声で笑い出した。

 

「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃあ!!ナイス悲鳴だったぞお前たち!やっぱり怖がらずにはいられなかったみたいだなぁ!!」

「うー悔しい……。次!四ツ谷にいちゃん次だよ!」

 

子供たちの中の一人がそう言い、四ツ谷はにやりと笑う。

 

「おお、いいぞ?今度はもっと怖いのを聞かせてやる!」

 

そう言って四ツ谷は次の怪談を子供たちに語り始めた。

それを映姫と小町が少し離れた所で見ており、子供たちに聞かせている怪談に聞き耳を立てながら、小町が口を開いた。

 

「……あの男、たしかこの前の博麗神社の宴会に来ていましたね?……新参の怪異で確か名前は――」

「――四ツ谷文太郎です。……しかし、なるほど。()()()()()()()とはいえ、中々の話術ですね。能力のこともあって、あの八雲の賢者からはひそかに警戒と同時に重宝もされていると聞き及んでいます」

 

映姫がそう言って怪談を語り続ける四ツ谷をじっと見ると、続けて口を開いた。

 

「……しかし、小さな子供たち相手にあれは少々調子に乗りすぎているのではないでしょうか?大人気ないというか何というか……」

「はあ……」

「……決めました小町。今度は彼にします」

「え!?説教ですか!?」

「言わずとも分かるでしょう?それに彼が幻想郷に来た()()についても私としても思うところがありますしね」

 

そう言うと、映姫は四ツ谷の怪談が終わるまでその場でじっと待ち始めた。

なんとも律儀(りちぎ)である。

小町は映姫に小さく苦笑を浮かべると、自分も映姫同様、四ツ谷の怪談が終わるのを彼女の横で待ち始める。

四ツ谷の怪談に耳を傾けながら――。




この話は短めで終わらせるつもりなのですが、もしかしたら予想外に長くなるかもしれません。


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其ノ二

前回のあらすじ。
四季映姫と小野塚小町は人里へやってきた時、子供たち相手に怪談を語る四ツ谷を見つける。


「またねー、四ツ谷にいちゃーん!」

「おーう、気をつけて帰れよー」

 

怪談を語り終えた四ツ谷は家路に向かう子供たちに向かって別れを告げ、さて自分も帰ろうかと踵返そうとした時、唐突に自分の手が何者かに掴まれる。

なんだ?と思って捕まれた手のほうに顔を向けると、そこに見知った顔が――。

 

「小傘?どうし――」

「――師匠!今すぐここから逃げますよ!!」

「……は、はあ?!お前いきなり現れて何言って――」

 

ふって湧いたかのように現れて、いきなり自分の手を掴んで引っ張る小傘に四ツ谷の頭の中で『?』マークが飛び交う。

だがそれに上乗せするように更なる混乱が四ツ谷を襲った。

小傘に引っ張られて走り出そうとした方向へ回り込むようにして、身の丈はある巨大な鎌を持った赤髪の女が現れたのだ。しかも小傘同様、()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 

赤い髪の女は大鎌を小傘に向け、口を開く。

 

「おっと、そうは問屋が卸さないよ忘れ傘!四季様はその男に用があるんだ。怪談が終わるまで待っててやったのにいきなり現れて連れて行かれちゃあこっちが困るってモンさ!」

「……いや、いきなり現れたのはお前もそうだろ?っつーかお前誰だ……ん?いや、違う。どこかで見たことあるな?……確かこの前の神社の宴会にいなかったか?」

 

まだ内心動揺しながらも問いかけた四ツ谷に対し、赤い髪の女は意外といった表情を作る。

 

「へえ~、覚えてくれてたのかい?あの時は軽く自己紹介しただけだったのにさ。……それじゃあ改めて自己紹介といこうかね?私は小野塚小町。三途の川の渡し守もしている死神さ。そしてあんたらの後ろにいるのが、地獄の最高裁判長である四季映姫様さ!」

 

そう言って赤い髪の女――小町は四ツ谷と小傘の背後へと眼を向け、二人もその視線を追って振り返る。

そこには緑色の髪を持ち凛とした表情でたたずむ少女がいた。

それを見た小傘は「あちゃ~」と小さく響いて頭を抱える。

対して四ツ谷は未だに状況が飲み込めず顔に『?』マークを浮かべていた。

そんな二人の前に緑の髪の少女――四季映姫・ヤマザナドゥが歩み寄った。

そして一礼すると口を開く。

 

「始めまして……いえ、また会いましたね。ご紹介に与りました、地獄で閻魔をしております、四季映姫・ヤマザナドゥといいます。以後お見知りおきを……。ちなみに『ヤマザナドゥ』は役職名に当たります」

「……あんたが、閻魔?……なんかイメージと違うんだけど」

 

四ツ谷の疑問はもっともである。外の世界で絵図などで伝えられている閻魔と今目の前で閻魔を名乗る少女を照らし合わせても、とても同一人物とは思えなかった。

しかしその疑問にも四季は淡々と答えてみせる。

 

「違っていて当然です。私は元々十王様方から中途採用されてこの幻想郷担当となった、言わば派遣された閻魔なのです。あなたの想像する閻魔はおそらく十王様方から来ているものでしょう」

「そ、そうなのか(なんかちょっとホッとした)……。俺の名は……もう知っていたよな?あんたもあの宴会にいたはずだし……」

「四ツ谷文太郎でしょう?ええ、覚えておりますので自己紹介は不要です。……それにしても――」

 

映姫は四ツ谷の背後にいつの間にか隠れていた小傘に眼を向け、続けて言う。

 

「多々良小傘。まさかあなたがここまで力をつけていたとは驚きです。(四ツ谷)の近くにいた私たちよりも離れた所にいたのにもかかわらず、私たちが動くよりも先に瞬時に彼との距離と縮め、彼を連れて逃げようという算段だったみたいですが……。いかんせん、小町の()()を前にして四ツ谷文太郎を連れて逃げるなどできはしませんよ?」

「うぅ……」

「……とは言え、一瞬でも私たちより先に先手を取った事は『見事』と認めますが」

 

うめく小傘に映姫はそう締めくくると再び四ツ谷に眼を向けた。

 

「……さて、四ツ谷文太郎。今回あなたに声をかけたのは他でもない、あなたに説教するためですよ」

「……は、はあ?何で俺が……!?」

「あなたは自分の創った怪談で他者を恐怖に落としいれ、悲鳴を上げさせそれに酔いしれている。……それ自体が悪い事だとは申しません。しかしあなたには幻想郷に影響を及ぼす『怪異を創る程度の能力』があり、『怪談』はその能力を発動するトリガーの役割を持っています。だがあなたはそれを知っていてもなお怪談を語るのを止めようとしない」

「…………」

「……おまけにその怪談に他者を平気で巻き込む傾向がある。そう、あなたは少し自己中心的すぎるのではないですか?」

「…………」

 

映姫の説教に四ツ谷は黙って耳を傾けている。その間も映姫の言葉は続く。

 

「……それにあなたが今怪異としてこの場に存在している事にも異議があります。本来ならあなたの魂はとおの昔にあの世に送られ、裁かれていなければならないのに……。まあそのことに関しては偶然が重なった結果でありますし、強く責めはいたしませんが。それを抜きにしてもあなたはもう一度自分を見つめなおす義務があります」

 

『悔悟の棒』を四ツ谷に突き付け、映姫はそう締めくくる。

しばしの沈黙後、四ツ谷はゆっくりと口を開いた。

 

「……言いたい事は、それで終わりですか?閻魔様」

 

丁寧な口調でそう言って四ツ谷は不気味に笑い映姫を見据えた。そして続けて言う。

 

「俺は何も変えるつもりはありませんよ。昔も今も……そして未来(これから)も、俺がやる事は何も変わらないし、怪談も止めるつもりは無い」

「……何故かお聞きしても?」

「簡単だ。それが俺――()()()()()()()()()()。俺から怪談を取ったら何も残らないし、生き甲斐も消える。そんなのはただ生きた死人と変わりない。だからこそ誰から何を言おうと絶対に止めはしない――」

 

 

 

 

 

「――例えそれで、()()()()()()()()()()()、だ……」

 

 

 

 

「…………」

 

四ツ谷のその返答に、映姫は沈黙し、彼を見つめる。

自分がどうこういったところで、彼は考えを改めるつもりは毛頭ないことは今の言葉の中でひしひしと伝わってきたからだ。

なんとも『我』が強い。そう思ったとき、彼女の中で少し前にこの人里を脅かしていた一組の親子の顔が浮かんだ。

金貸し半兵衛とその息子の庄三である。

彼ら二人には映姫も手を焼いた。何度訪れて説教をしても、彼らは少しも心を入れ替える様子は見せなかったのである。

彼らは気付いていたのだ。映姫が説教をするだけで()()()()()()を一切しないことを。

彼岸の住人であり、魂を裁く映姫は生者である半兵衛たちに手を上げる事はできないのだ。

それ故、彼らも彼女の言葉に耳を傾けず、悪行を続けたのだった――。

 

(……だからこそ、あんな結末になってしまったのは些か悔やまれますが……)

 

後に半兵衛親子の末路を部下から聞かされた時の事を思い出しながら、映姫はそう感じていた。

欲と我の強かったどうしようもない親子であったが、少しでも救える道があったのではないか、と……。

まあ結局は彼ら同様、同じく我の強い目の前の男(四ツ谷)に精神をへし折られる形になってしまったのは、なんとも皮肉な話である。

 

(……まあ、今となってはもう終わった話ですね)

 

内心で自己完結すると小さくため息をついて、映姫は四ツ谷と目線を合わせる。

不気味な笑みを貼り付けてはいるものの、意志の強い真っ直ぐとした眼を彼女は見据えた。

 

(……私個人の願いではありますが、できることなら彼にはあの親子と同じ末路を辿らないで欲しいですね……)

 

そう思いながら一瞬小さく笑うと、映姫は四ツ谷に言葉をかけた。

 

「……あなたの言い分は分かりました。ならば私ももうこれ以上そのことに関してはなにも言いません。思うように自分の意志を通していくとよいでしょう」

「ヒヒヒッ、言われなくてもそうする――」

「――で・す・が!」

 

四ツ谷の言葉に重ねるようにして再び映姫が声を上げ、悔悟の棒も再び彼に突きつけた。

その迫力に一瞬四ツ谷はたじろぐ。

それに構わず、映姫は悔悟の棒をブンブンと振って、四ツ谷に言葉をぶつける。

 

「それでもあなたは自分の楽しみの為、野望の為に聞き手のほうを些かないがしろにしている節がある。それに先ほど『やる事はこれから先も何も変わらない』とおっしゃいましたが、その保障はどこにあるのですか?ないでしょう!?」

「うっ……」

「いい機会です。あなたの意思、その基盤をしっかりとするためにも、今からたっぷりと多々良小傘と一緒に説教してあげましょう!!」

「ふぇっ!?私もですかぁ!??」

 

今まで会話の外だったのにもかかわらず、いきなり会話の中に引っ張り込まれた小傘の仰天する声があたりに響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから後の四ツ谷の記憶は途中からスッパリと無くなっていた――。

小傘と共に道端に正座をさせられ、マシンガンのように激しくもそのどれもが正論という映姫の説教を聞いていたのだが、よほどそれが精神的ダメージになったらしく、次第に意識が遠のき、気を失ってしまったのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……や…さ、ん……。よ……や…さん……。……しっかりしてください、四ツ谷さん……!」

「……うぅぅ……ん……?」

 

自分を呼ぶ声が聞こえ、闇の中にあった四ツ谷の意識が浮上していく。

そしてゆっくりと眼を開けるとそこには見慣れた顔が心配そうに自分を覗き込んでいる光景が飛び込んできた。その後ろには五歳くらいの少女がキョトンとした顔で立っている。

 

「……薊か?」

「ああ……気がついたんですね?よかった……」

 

薊がホッと胸をなでおろし、四ツ谷はムクリと上半身を起こした。

意識を手放すまではまだ昼間だったが、今はもう夜になっていた。

満点の星々と月が辺りを薄っすらと照らしている。

映姫と小町はとおの昔にどこかへと去った後だった。

四ツ谷がふと横を見ると、そこには先ほどの四ツ谷と同じように気絶して倒れている小傘の姿があった。

目頭を指で押さえて眠気を取る四ツ谷に薊は声をかける。

 

「一体どうしたんですか?二人してこんな所で倒れているなんて……」

「……お前の方こそ何でこんな夜に外、出歩いてるんだ?」

「妹と一緒に銭湯に行ってたんです。……その帰りに近道しようと思ってこの道に入ったら四ツ谷さんたちが倒れていて……」

 

なるほど、と四ツ谷は内心納得し、薊とその妹である瑞穂を交互に眺めた。

薊は最近外出時に必ず木箱を背負っており、今日もそれを背負っていた。だが今回はそれに追加して右手に提灯を、左手には石鹸と手ぬぐいが入った風呂桶を持っていた。瑞穂も同様である。

二人ともつややかな黒髪がしっとりと濡れており、顔や着物の間から覗く肌も風呂上りなためか上気していた。

まだ幼い瑞穂はまだしも、薊は普段よりいっそう色っぽくなっている。

そんな薊に顔を覗きこまれ、四ツ谷は内心ドキドキしなから薊から視線を外す。

そして直ぐにハッとなって薊に確認する。

 

「薊、今何時だ?」

「え?えっと……さっき()()()()()が鳴ってましたから、おそらく……」

「……マジか、もう()()()()()()()()!?一体どんだけ長い説教だったんだよ!?こうしちゃおれ……っとと!」

 

時刻を確認した四ツ谷は慌てて立ち上がるも、まだ説教でのダメージが残っているのか足元が少しふらついた。

大丈夫ですか、と薊が歩み寄るも四ツ谷はそれを手で制す。

 

「大丈夫だ。……それにしてもまっずいなぁ、今日の晩飯の買い出しまだだったのに、もう店はどこも閉まってるだろうしなぁ……」

 

ため息をついて頭をガシガシとかいて呟く四ツ谷に薊が声をかける。

 

「あの、夕餉の買い出しまだだったんですか?」

「ああ……いろいろあってなぁ……。それにまだ本調子じゃないから今から小傘連れて家に帰り着けるかどうかもわからん……くそっ」

 

悪態をつく四ツ谷に薊は俯いて何か考え込むと、次の瞬間顔を上げて四ツ谷に一つ提案していた。

 

「――あの……よかったら私の家に泊まっていきませんか?……家はここから程近い所にありますから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し迷ったが、四ツ谷は薊の提案に甘える事にした。

未だ意識の戻らない小傘を半ば無理矢理肩に担ぎ、ゆっくりとした足取りで薊の家に向かう。

その途中、薊の木箱の中に入っていた折り畳み入道を通して、四ツ谷の長屋にいる金小僧に今日は薊の家に泊まっていくことと、夕飯は残り物で我慢して欲しい事を伝えた。

その時折り畳み入道に、「()()()()()使()()()()()()()()()()?」と提案されたが、何分気力も体力も限界に来ていた四ツ谷は、この状態で小傘を連れて()()()()()()()()()()()()()と考えた。それに家に帰ってももう一人分の食べ物しか残っていないため、ここで無理に折り畳み入道の能力を使って帰るよりも薊の厚意に甘えた方がいいだろうと思えたのだ。

小さな小屋のような薊の家に着くと、先に薊と瑞穂が家に入り、そこにいた母親に事情を話した。

母親は以前から薊に四ツ谷たちの人となりを聞いていたため、あまり悩むことなく家に二人を招き入れた。

そしてその家の一室を貸し与えてもらい、布団まで用意をしてもらった。

 

「なんか……悪かったですね。突然押しかけてきた上、布団まで用意してもらえるなんて……」

「いいえ。……薊から聞いております。あなたのおかげでこの里の経済危機が救われたのだと……私たちもあなたのおかげで生活が楽になりましたし、これぐらいなんてことはありませんよ」

 

頭を下げて言った四ツ谷の言葉に少々体が弱そうなその母親はニッコリと微笑み、四ツ谷にそう答えた。

なんとも恐縮してしまう四ツ谷を尻目に母親は静かに部屋から出て行く、が不意にその脚が止まり、四ツ谷へ顔を向けて口を開いた。

 

「そう言えばまだ名乗ってませんでしたね――」

 

 

 

 

 

 

「――私の名前は椿()といいます。……薊の事、これからもどうぞよろしくお願いしますね」

 

 

 

 

 

 

そう言い残すと今度こそ薊の母親――椿は静かに部屋から出て行った。

四ツ谷は今だ肩を貸していた小傘を布団に寝かしつける。

すると今度は薊がいくつかの握り飯とお茶を持って部屋に入ってきた。

 

「あの、お腹すいているようでしたらこれ食べてください。残り物で作ったモノですけれど……」

「お。ありがたい」

 

そう言って四ツ谷は薊の持ってきた握り飯にかぶりついた。二、三個ほど食べてお茶で流し込むと四ツ谷は一息つき、何気なく部屋を見渡す。

するとある一箇所に眼が留まり四ツ谷訝しげに眉根を寄せた。

そこにあったのは仏壇だった――。

ただ普通の仏壇だったのならそれほど気には留めなかったのであろうが、四ツ谷から見てその仏壇は少々異常だった――。

それはその仏壇に並べられた()()()()――。

十近い数の位牌が小さい仏壇に所狭しと並べられていたのだ。

 

「――なあ、あの仏壇の位牌……」

「……え?」

 

四ツ谷の指摘を受け、薊も仏壇に眼を向け、そして明らかに顔を曇らせる――。

少しの間をおいて薊が小さく響いた。

 

「……あれは亡くなった私の家族の位牌です――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お母さんのおじいちゃんとおばあちゃん……そして()()()()()()()と私の兄弟たちの――」




久しぶりに長めに書けたような気がしますw

加筆:この四幕は何かと矛盾が目立ったため、この話だけ少し加筆修正いたしました。


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其ノ三

前回のあらすじ。
四季映姫の説教を受けた四ツ谷と小傘は、薊の家に一泊する羽目になる。


薊の母親、椿が()()()()と結婚したのは、彼女が十六になったばかりの頃であった――。

当時、人里の団子屋で働いていた彼女はその近所では有名な()()()であり、彼女を口説こうと人里の大半の若者たちが、こぞって団子屋を毎日のように訪れていた。

彼らは彼女に振り向いてもらおうと、あの手この手で椿を口説き落とそうと必死だった。そのおかげで団子屋が大繁盛したのは言うまでもないが。

そして当の彼女は、その中の一人と急接近する事となる。

大工見習いであり、ゆくゆくは棟梁の座を約束されていた最初の夫は不器用ながらも根は優しい青年であった。

椿はそんな彼に段々と惹かれるようになり、一年も経たずに祝言を挙げるまでにいたった。

幸せいっぱいの二人を見て、彼女の心を落とそうとしていた他の男衆が血の涙を流したのはここだけの話である。

結婚した椿は、一年後に彼との間に男児を儲け、その翌年には女子も生まれた。

 

その女子というのが薊である――。

 

幸せを絵に描いたような生活、椿と彼女の家族は順風満帆な人生を送っていた。

……しかし、彼女の幸せは唐突に破局する事となる――。

 

薊が生まれて半年もしないうちに、最初の夫が仕事中に足を踏み外し、建設途中の家の上から転落し、亡くなったのだ。

 

生まれて間もない子供たちと共に残され、悲しみに暮れる椿であったが、子供たちのためにもいつまでも塞ぎ込んで入られないと、女手一つで家庭を支えていく決意を固める。

そして結婚と同時に辞めていた団子屋の仕事に再就職し、働きながら子供たちを育てていった。

また、同じ時期に彼女を再び口説こうという若者たちの執念も再発する。

二児の母親になったのにもかかわらず、彼女の美貌は健在で、それどころか子供を生んでからの彼女はより一層()()()()()()()()()()()に磨きがかかったらしく、未亡人であるにもかかわらず彼女は男衆の心を惹きつけていた。

そして最初の夫が死んでから三年後、彼女は()()()()()と再婚する事となる。

彼はとある家具職人の息子で、椿がまだ未婚の頃から彼女に熱烈なアプローチをしていた男であった。

最初こそ断り続けていた椿であったが、彼の必死の説得で最後には根負けし、彼と二回目の祝言を挙げることとなった。

彼は前の夫との間に生まれた薊たちにも優しく、人となりもよいため、椿も彼と共に歩む未来に期待に胸を膨らませていた。

……だが、その希望も唐突に瓦解する。

 

椿が二人目の夫の子供を身篭ったのが発覚した頃、立て掛けられていた何本もの材木が突然倒れ、たまたまそばを歩いていた二人目の夫はその下敷きとなって亡くなったのだ。

 

またもや失意のどん底に叩き落される椿。しかし彼女を襲う不幸はまだ留まりはしなかった――。

 

五歳になったばかりの彼女の息子――薊の兄が川に転落し、溺死したのだ。

 

愛する家族を立て続けに二人も失い、ショックのあまり呆然と過ごす椿。だが自分にはまだ薊とまだ生まれていないお腹の子が居ることに気付き、自分に喝を入れるかのように仕事に身を投じていくようになる。

一時期流産の危機に陥っていたが、持ち直すのが速かったため、彼女はお腹にいた新しい家族をしばらく後に無事生む事ができた。

二人目の夫との唯一の子供である男児を家族に向かえ、彼女はより一層仕事に打ち込むようになる。

 

そして、彼女を口説こうとする男衆も――()()()()()()()()()()――。

 

彼女の周りで立て続けに人が死んでしまったため、その頃には人里の民衆の間で彼女に対する根も葉もない不吉な噂が、(まこと)しやかに囁かれるようになったのだ。

 

あの女は……()()()()()()()()なのだと――。

 

そんな噂が流れると共に、それまで彼女に夢中になっていた男衆は水を被ったかのようにその熱意が冷め、彼女から距離をとるようになる。

そして彼女に対する陰口も人里で小さく囁かれるようになったのだった。

しかし、二人の子供を育てるのに必死な彼女にとって、そういった周囲の変化に気にする余裕はまったくなく。

ただただ残された二人の子供たちと共に今を生きていく事で必死になっていたのだった。

そうした生活が数年続き、彼女や彼女の周囲も落ち着きを取り戻し、平穏な日々が続いていたのだが……。

また、彼女の元へ不幸が魔の手を伸ばした。

 

二人目の夫との間に生まれていたただ一人の息子が行方不明となり、数日後に()()()()で無残な姿となって発見されたのだった――。

 

妖怪に襲われたのは明白で、まだ幼いその身体のあちこちが食荒らされていた。

その亡骸を見た椿がどうなったのかは想像に難くない。

発狂こそ何とかしなかったものの、完全に無気力な状態となり、仕事をやめて日々家で塞ぎこむようになった。

まだ十にも満たない少女であった薊もそんな彼女を支えようと必死に身の回りの世話をしていた。

またその様子を見かねて、近所に住んでいる椿よりも少し年下の青年も、毎回彼女の元を訪れ、薊と一緒に身の回りの世話をするようになった――。

二人の思いが通じたのか、椿は日に日に気力を取り戻し、また以前のように働けるまでに回復する事ができた。

また、途中で好意ができたのかその年下の青年は、彼女に結婚の申し出をしてきた。

だが立て続けに夫を二人も失っていた彼女にとってその告白を直ぐに返答する事ができなかった。

しかし彼に何度も説得され、彼女自身も愛する者を失い心身ともに参っていたため、彼に心の拠り所を求めるようにして流されるように彼と結婚したのだった。

そうして()()()()()と一緒になった翌年に双子の姉妹が生まれ、それぞれ穂積(ほづみ)()()と名づけた――。

新しい家族ができ、彼女の顔に再び笑顔が戻る。

しかし、そんな彼女を嘲笑うかのように再び悪魔が彼女の幸せを刈り取っていく。

 

瑞穂たちが生まれたその年、三人目の夫が夜、仕事が終わって家路へと急いでいる時に背後から何者かに刃物で刺され、絶命したのだ。

 

そしてその数年後――四ツ谷が幻想郷へ来る一年ほど前、双子の姉妹の片割れである穂積も突然この世を去っていく事となった――。

死因は薊の兄同様、川に転落したことによる溺死であった――。

 

また再び絶望に突き落とされた椿であったが、その時にはもう既に彼女の中には()()が芽吹いていた。

度重なる愛する者たちの死に彼女の中で当に涙は枯れ果ててしまっていたのだ。

無表情で葬式を行う彼女を見て、周囲の者たちは彼女に死神が憑いているという噂により一層信憑性を持ち、彼女に近づくものは老若男女を問わず激減したのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんっつーか、壮絶な人生を送ったんだな、お前の母親」

「はい……私自身も、何度もくじけそうになりました」

 

話を聞き終えた四ツ谷はガシガシと頭をかいてそう言い、薊は俯きながら小さく答えた。

そうして二人して仏壇に置かれた十近い位牌へと眼を向ける。

 

「……しかし、話を聞いてて思ったんだが、やっぱりおかしいだろ?これだけの人数が立て続けに死んでしまうなんて裏で何かしらの悪意が動いているとしか思えん」

「私もそう思います。でも、私一人じゃどうする事もできなくて……それにこんなことお母さんに言ったらまた負担をかけちゃうかもしれませんし……」

 

そう呟いて薊は俯いて沈黙し、四ツ谷も返答に困り、天井を仰ぎ見ながら押し黙った――。

明確な答えが出ないまま夜が更けていった――。

 

 

 

 

 

 

その翌朝、四ツ谷と薊は小傘と一緒に薊の家の前にいた。

小傘は最初、四季映姫の説教を聞いていたはずなのに、気付いたら薊の家で朝を迎えていた事に驚いていたが、薊の説明を聞いて空笑いを響かせた。

そうして薊に声をかける。

 

「あははは……今日は本当にごめんね薊ちゃん。ちゃっかり朝食までごちそうになっちゃって」

「いいんですよ。お二人にはいつも良くしてもらっているのですから、これぐらい問題ありません」

 

そう言って薊はにっこりと微笑んで見せた。

そして続けて言う。

 

「……またいつでもここにいらっしゃってください。大した持て成しはできませんが、母も妹もお二人と話す事を楽しんでいたみたいですし、来ていただけれるだけでも私も嬉しいですから」

 

そう言って再び笑って見せる薊。と、そこへ第三者の声が響いた。

 

「おや?薊ちゃんじゃないか、こんな朝早くから元気だねぇ」

 

そう言って声をかけてきたのは六十代とおもしき顎に髭を生やした老人だった。

人のよさそうな顔でニコニコと薊たちを見る。

そんな老人に薊も会釈する。

 

「あ、()()()()。おはようございます。大家さんも今朝は速いですね」

「はっはっは!この歳になると朝起きるのが早くなっていかんよ。この老体じゃあ朝からすることなんて何もないというのにねぇ」

 

大家さんと呼ばれた老人は笑いながら薊にそう返すと、今度は四ツ谷と小傘に眼を向けた。

 

「……ところで薊ちゃん。そちらの二人は……?」

「あ、こちらは私がお世話になっているお二人で、四ツ谷さんと小傘さんっていいます。……ちょっと昨日、いろいろあって家に泊まってもらったんです」

「へぇ……」

 

大家が小さく相槌を打ち、薊は今度は四ツ谷たちに向き直って口を開く。

 

「四ツ谷さん、小傘さん。こちら私たちに家を貸していただいてもらっている。大家さんの義兵(ぎへい)さんです」

「……義兵です。今後ともよろしくお願いしますね。小傘さん、四ツ谷さん」

 

そう言って大家――義兵は握手を求めるようにして手を差し出した。四ツ谷と小傘は黙ってそれに答える。

そして握手し終えたと同時に薊が口を開く。

 

「大家さんはお母さんが子供のときからの古い知人で、困った時はいろいろと助けてもらったりしているんです」

「はっはっは!椿ちゃんはワシにとっては娘みたいなものだし、薊ちゃんと瑞穂ちゃんは孫のようなものだからね。困った時はお互い様じゃよ」

「ありがとうございます。あ、そうだ!大家さん、まだ朝食まだですよね?よかったら家で食べていきませんか?」

「おや、いいのかい?それじゃあ、お言葉に甘えようかねぇ」

 

義兵はそう言うといそいそと薊の家の中に入っていった。

義兵を招きいれた薊は四ツ谷たちに口を開く。

 

「それじゃあ四ツ谷さん。また後でそちらに伺います」

「おう、まあゆっくりと来な」

 

ニッと笑って四ツ谷はそう言い。薊は最後に軽く会釈して家の中に戻っていった。

四ツ谷と小傘だけがその場に残り、数秒間沈黙がその場を支配する。

しかし唐突に四ツ谷が小傘に向かって口を開いた。

 

「……小傘、気付いたか?」

「はい……。あの義兵っていう大家さん。わちきたちが薊ちゃんの家に一晩泊まったって知った時、一瞬だけだけど、物凄い目つきでわちきたちを睨んでましたね。……いえ、正確に言うと、わちきたちじゃなく、()()()()()ですけど……」

「うーん?……俺あの大家の気に触ることなんてしたかねぇ……?」

 

首をかしげながら四ツ谷は自分の長屋に帰ろうと踵を返し――その動きを途中で止める。

視界の端に()()がチラリと見え、四ツ谷はそれが見えた場所へもう一度視線を戻す。

しかしそこには何も気になるモノなど()()()無かった。

 

「……?」

 

四ツ谷は再び首をかしげる。気のせいなどではない、先ほどチラリと見えたモノは今も四ツ谷の記憶の中に鮮明に映っていたからだ。

遠目で物陰に隠れていたとは言え、()()()()()()()()()()()()()四ツ谷が見間違えるわけがなかった。

先ほどチラリと見えた――彼岸花を思わせる赤い髪、そしてそれを持つあの女死神のことを――。




最新話です。
感想、評価などお待ちしております。


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其ノ四

前回のあらすじ。
薊の家に一晩泊めてもらった四ツ谷たちはそこで大家を名乗る男と出会う。


四ツ谷と小傘が長屋へと帰ったその同じ日の昼頃、椿は人知れずとある青年と密会をしていた。

二十代前半だと思われるその青年は必死な形相で椿に言葉を投げかけていた。

 

「……椿さん、僕の気持ち分かってはもらえませんでしょうか?」

「…………」

 

青年からの問いかけに椿は目を伏せて沈黙する。

今椿は青年から求婚(プロポーズ)を迫られていた。

青年は彼女の娘、穂積が亡くなってしばらくしてから、毎日のように彼女の元を訪れ彼女に求婚していたのだった。

現在三十代前半の歳で、未だに美しい容姿を保ち続けている彼女が、相次いで家族を亡くし周りから陰口を叩かれて、苦しめられているのが我慢ならなかったが故に起こした青年の行動であった。

周囲から『死神に憑かれた女』と囁かれ、彼女から距離を置いた男衆の中にも未だに影ながら彼女に思いを寄せる者が何人かいた。この青年もその一人である。

青年は十近く椿とは歳が離れてはいたが、彼女への恋心は強く、それは何年経っても衰える事はなかった。

その想いが穂積の死をきっかけにして一気に爆発したのである。

 

「薊ちゃんも瑞穂ちゃんも、ちゃんと自分の娘として大事にしていきます。椿さんも前の旦那さんたち以上に幸せにして見せます。ですから、どうか……」

「……お気持ちは、とても嬉しいです。ですが……あなたは知っているのでしょう?私と一緒になるという事が、()()()()()()()()()……」

 

恐る恐るといった感じで椿は青年に問いかけるも、青年はキッパリと返してきた。

 

「あんな噂はデタラメだ!今まであなたの身に起こった事は、ただ不幸が重なっただけに過ぎない!僕がそれを証明してあげますよ!」

 

根拠の無い、それでいて力強く放たれた青年のその言葉に、椿は内心で揺れ動いた。

そして彼女の中で僅かに、本当に僅かに、『この人となら今度こそは』という淡い希望が浮かび上がってしまったのだ。

その隙を突くかのように、青年の言葉が椿を畳み掛けてゆく。

 

「お願いです。もうあなたが苦しむ顔など見たくないのです。もし僕に何かあったとしても……信じてください、僕は絶対に死にません。どんな手を使ってでも生にしがみ付いて、あなたを守って見せます……!」

 

椿の両手を握り、必死に懇願して詰め寄ってくる青年に、椿はついに根負けして小さく頷いてしまうのだった――。

 

 

 

 

 

 

そんな二人のやり取りを、少し離れた物陰で見ている者がいた。

鬼のような形相で歯軋りをし、爪が皮膚に食い込んで血を滲ませるほどに握りこぶしを作って青年を睨みつける。

そして自分のプロポーズを受け入れてくれた椿を力いっぱい抱きしめる青年に向かって小さく呟いた――。

 

「殺す……!」

 

 

 

 

 

 

 

同じ日の夜、人里の繁華街にて一人の女性が大通りを歩いていた。

二つのお団子を作ったピンク色の髪を持っており、右腕は全体に包帯でグルグル巻き、左腕には鎖のついた腕輪をつけたその女性は、花と茨の刺繍が入った服を纏っていた。

仙人を名乗るその女性、名は茨木華扇(いばらきかせん)といい、彼女は仙人という肩書きがあるにもかかわらず、先ほどまで酒屋で飲んでおり、軽いほろ酔い気分で家路に着こうとしていたのである。

 

「~♪ちょっと飲みすぎちゃったかしら?ま、こういう日があってもいいわよね~」

 

少し千鳥足になりながら独り言を呟く華扇。均整の取れた身体、整った顔立ち、どこの誰もが見ても美人に分類される女性であったが、当の本人は夜の人気の少ない通りに向かってフラフラと歩いていった。

その道を通れば()()()()()()()へ近道で行く事ができるからだ。

異性なら誰もが目を引くという容姿なのにそれを理解しているのかいないのか彼女はドンドン奥へと進んでいく。

しかし突然彼女の脚が止まった――。

どこから現れたのか夜の闇の中から一匹の猫が現れ、彼女の脚にすがり付いてきたからだ。

近所で飼われているのであろうその猫は何かを訴えるようにして「ニャー、ニャー」と鳴きながら、華扇の脚にくっついて来る。

 

「ん~?キミ、どうしたのかな?」

 

そう言いながら猫を抱き上げようとした華扇だったが、それより先に猫が離れ、華扇に向かって、まるで「こっちに来て」と言いたげに首を動かし、走り出した。

それを見た華扇は首をかしげながらも何かただ事ではないことが起きていると直感し、猫の後を追う。

走り出してからそう時間もかからず、猫は華扇を目的の場所へと連れてきていた。

 

「!?」

 

そこは人気の無い小さな路地。その路地の真ん中に月明かりに照らされて若い男が頭から血を流して倒れていた――。

 

「ちょ、ちょっとあなた大丈夫!?しっかり!!」

 

酔いが完全に吹っ飛んだ華扇は慌てて男に駆け寄って抱き起こす。

抱き起こしたと同時に男の口から苦悶の声が漏れ、まだ生きている事に華扇は小さく安堵した。

しかし、頭部から大量の血を流している事から油断を許さない状況だと思い直し、男に声をかける。

 

「気を確かに持って!今すぐ永遠亭に運んであげるから!!」

「ぅ……ぐぅ……も、申し訳、ありま、せん……つば、き……さ……」

 

聞き取りにくいほどに小さくそう呟いた若い男はガクリと頭を垂らし、動かなくなった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、椿は洗濯をするために家の直ぐそばにある井戸へ水を汲みに来ていた。

その傍らには近所のおばさんたちが井戸端会議をしており、姦しく世間話をしていた。

椿はおばさんたちに軽く会釈すると、家から持ってきていた桶に井戸水を注ぎ始める。

するとおばさんたちの所に、また別のおばさんが慌てた様子で駆け寄り開口一番に叫んだ。

 

「ちょっと聞いた!?夕べ繁華街の近くの路地で男の人が頭から血を流して倒れていたそうよ!!」

「ええ本当!?妖怪にでもやられたの!?」

「いいえ。どうやら鈍器か何かで頭を殴られたみたいだから、人間の仕業じゃないかって話よ」

 

おばさんたちの話に耳を傾けながら、椿は静かに水汲みを続ける。

元々盗み聞きする趣味は無いのだが、周囲をはばからずやかましく話し続ける彼女たちの声は嫌でも耳に入ってきてしまっていたのだ。

 

「ふ~ん。で、その殴られた男の人、どうなったの?」

「すぐに永遠亭に運ばれたって話だけど、どうなったのかは知らないわ。……でもね実はその殴られてた男、私知ってんのよ。ウチの旦那の仕事仲間でね、何度か顔合わせてるのよ。確か名前は――」

 

今だやかましく話し続けるおばさん連中。その話題を持ってきたおばさんから被害者の男の名前が出た途端――。

 

 

 

              バタッ……

 

 

 

何かが倒れる音がその場に響き、おばさんたちが何事かと一斉にそちらへと眼を向ける。

そこには()()()()()()()()椿()()姿()があった――。

いきなりの事態に眼を丸くして呆然となるおばさんたち。だがそれに上乗せする形でさらに驚愕する出来事が起こった。

どこから現れたのか彼岸花を思わせる赤い髪を持った女が椿に駆け寄り、彼女を抱き起こしたのだ。

身の丈はあろう巨大な鎌を持って――。

 

「椿!おい、しっかりするんだ!椿!おい!!」

 

その場に固まって震え始めるおばさんたちを無視し、その女性――小野塚小町は必死に気を失った椿に向かって声をかけ続けたのだった――。




少し短いですが、キリがいいのでここで投稿させていただきます。


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其ノ五

前回のあらすじ。
椿に告白した男が何者かに襲われ、椿自身もそれを聞いて倒れてしまう。


「……大丈夫。何かしらの精神的ショックを受けて、気を失っただけみたいね。今日一日安静にしていれば元気になるわ」

「ありがとうございます……よかった……」

 

永遠亭の薬師、八意永琳の弟子であり、よく人里へ行者姿で変装して薬を持ってやってきている玉兎の少女、鈴仙・優曇華院(れいせんうどんげいん)・イナバの説明を聞き、薊は安堵の声を漏らし、後ろに控えていた四ツ谷と小傘も胸をなでおろす。

瑞穂は遊びに出かけているらしく、その場にはいない――。

四ツ谷の長屋にいた薊に、「椿が倒れた」という知らせが届き、慌てて帰宅したのだ。

その知らせを薊と共に聞いていた四ツ谷と小傘も椿の容態が気になり、一緒に着いて来ていた。

薊の家にはすでに来ていた鈴仙が()()、布団の中で横たわって眠る椿の様態を診ており、その結果報告を聞いたのが今し方であった――。

安堵から顔が緩む薊、しかしそこで鈴仙が「ただ……」と付け加える。

 

「あなたのお母さんは日ごろから少し無理をして働きすぎているみたいね。疲労からか体のあちこちがボロボロになっているわよ?」

「……ッ!?」

 

鈴仙のその言葉に薊が息を呑み、鈴仙は続けて言う。

 

「見た目病弱そうな人だけど、診断してみて元々は健康的で活発な女性だったと私は思うの。……でも何年も無理に働きすぎたせいで身体に負担が溜まってしまって体調を崩しやすい体質になってしまったのかもしれないわね」

 

そう言いながら鈴仙は自分の持ち物である薬箱からいくつかの薬を取り出した。

 

「とりあえず師匠が作った体力回復薬に節々の関節に効く湿布薬、後いくつかの疲労回復に役立つ薬もここに置いていくわね。お代は後払いって事で良いから」

「……重ね重ねありがとうございます」

 

鈴仙のサービス精神に薊は深々と頭を下げて感謝し、それを受けた鈴仙は笑って手を振って見せた。

その時、玄関のほうから「ちょっと失礼するわよー」と言って数人の女性が薊の家に入ってきた。

それは近所に住むおばさん連中であった――。

おばさんたちの中の一人が薊に声をかける。

 

「こんにちは薊ちゃん。お母さん大変だったねぇ」

「いえ……お騒がせしてすみません……」

「いいのよ……でも薊ちゃん。やっぱりあなたのお母さん、一度博麗の巫女様にお払いしてもらったほうがいいわよ」

「え?どう言うことですか……?」

 

眼を丸くしてそう問いかける薊に、おばさんたちの一人が言いにくそうに少し口を歪めるも意を決して口を開いた。

 

「……知っているわよね?薊ちゃんのお母さんがその……()()()()()()()()()()……」

「っ……はい……」

「……実は彼女が倒れた時、私たちその場に居合わせたんだけど、その時にね……見ちゃったのよ――」

 

 

 

 

「――巨大な鎌を持った赤毛の女が、彼女に駆け寄って抱きかかえるのを……!」

 

 

 

「え!?」

 

その言葉に薊だけでなく、四ツ谷と小傘も反応した。

それと同時に他のおばさんたちも口々に言い始める。

 

「そうよぉ。あれは間違いなく死神だったわ。前に人里にいるのを見たことあるもの!」

「そうそう、たぶんあなたのお母さんに憑いている死神はあの女のことよきっと!」

「間違いないわ。……夕べ誰かに頭を殴られた男がいたこと知ってる?……どうやら彼もあなたのお母さんに言い寄っていたいたみたいなのよ」

 

最後のおばさんのその言葉に、薊は再び驚愕した。

 

「そ、それ、本当のことなんですか!?」

「本当よ!だからあの死神はその男を殺したんだわ!きっとそう!……そしていずれはあなたのお母さんの魂まで刈り取るつもりなんだわ!!そうに決まって――」

「――それはないと思いますよ?」

 

途中から興奮気味にそうまくし立てるおばさんのその言葉にぴしゃりと歯止めを利かせたのは、意外な事に鈴仙であった――。

呆然となるおばさんに鈴仙は続けて言う。

 

「……だって、彼女――椿さんの容態を見てくれって血相変えて永遠亭(ウチ)に駆け込んできたのは、その死神……小野塚小町さんなんですから」

 

そして鈴仙は「それに……」とさらに言葉を続ける。

 

「あなたが言っている男の人……()()()()()()()()()()?」

「え!?」

「重傷ではありましたが、その場に居合わせた仙人の応急処置のおかげで一命は取り留めました。……まあ、まだ昏睡状態ではありますけど……」

 

最後に鈴仙がそう締めくくり、その場に沈黙が降りた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴仙とおばさん連中が帰り、その後、正午になろうとしている時間になって四ツ谷と小傘も引き上げようと腰を上げる。

そして家の前で薊に見送られていた。

薊が口を開く。

 

「すみません四ツ谷さん。今日はもう早上がりということでいいでしょうか?」

「ああ。母親に『身体を大事にするように』と伝えといてくれ」

「はい……」

 

小さく頷いた薊に見送られながら四ツ谷と小傘は長屋へと向かって歩き出した――。

が、その途中で四ツ谷は不意に脚を止めた。それに気づいて小傘も脚を止める。

 

「?師匠、どうしたんですか?」

「……小傘、あの小野塚って奴がよく行く所とか知らないか?」

「小町さんですか?えーと、確かミスティアっていう夜雀が開いている屋台によく行っているらしいですよ?」

「……。その夜雀の屋台ってどこでやってる?」

「今ですか?……確か『再思の道』辺りだったと思うんですが……」

 

小傘の返答に四ツ谷は『再思の道』に関する記憶を頭の中から引っ張り出す。

幻想郷の地理に関して、以前慧音から大体のことを教えられており、大雑把ではあるが四ツ谷は『再思の道』がある大体の場所を把握していた。

頭の中で整理を済ませた四ツ谷は小傘に声をかける。

 

「……小傘、ちょいと寄る所ができた。先に戻ってろ」

「え?今から、ですか?」

「ああ……。少し昼飯に遅れるかもしれんが、早めに戻ると金小僧と折り畳み入道にも伝えといてくれ」

 

「そんじゃ」と言って四ツ谷は持って来ていた妖怪傘を取り出し、それを巨大化させるとそれに乗って空へと上っていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

その五分後、四ツ谷は上空で一人の少女と対峙していた。

げんなりとした表情を隠そうともせず、四ツ谷は目の前の少女を見据える。

その視線を受けて『悔悟の棒』を持った緑髪のその少女は口を開いた。

 

「随分と嫌そうな顔をしますね四ツ谷文太郎。それ程までに私と会いたくなかったのですか?」

「……そりゃ一昨日(おととい)あれだけ絞られりゃあ顔合わせたいとも思わねーよ。四季映姫殿?」

 

ため息混じりにそう答えた四ツ谷は続けて言う。

 

「……まあ、状況が状況なだけに、あんたにも聞かなきゃならない事があったからな。遅かれ早かれ顔を合わせていたことには違いない」

「そうですか。……それで、私に聞きたいこととは……?」

 

その少女――四季映姫の問いかけに、四ツ谷は小さく首を振った。

 

「……その前に一つ聞く。俺がこっちへ来る事をどうやって知った?あんたどう見ても俺がここへ来る事を知って待ち構えていたとしか思えん」

「簡単な事です。『浄玻璃(じょうはり)の鏡』であなたのことを見ていたのです。閻魔である私の必需品の一つですよ」

「ほう……、ならやっぱりあんたは知ってると見て間違いなさそうだな――」

 

 

 

 

「――薊の母親……椿の周辺で起こった不可解な死の真相について……」

 

 

 

「…………」

 

四ツ谷のその言葉に映姫が押し黙るも、かまわず四ツ谷は続けて口を開いた。

 

「薊は俺の助手二号だ。あいつが俺の片腕として全力で働いてもらえるようにするためにも、あいつの不安材料は根こそぎ払わなきゃならない。……だからこそ単刀直入に聞く――薊の母親、椿の身に起こった事は全て偶然が重なっただけの災厄なのか、それとも……」

 

そこまで言った四ツ谷に、映姫は小さくため息をつくと直ぐに答えてみせた。

 

「……あなたの考えている通り。彼女の周りで起こった事は全て……()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

その答えに四ツ谷は「やっぱりそうか……」とため息混じりに呟き、続けて問うた。

 

「それじゃあ、あんたの部下……小野塚はそのことを知っているのか?」

「いえ、彼女には何も教えてはいません。……()()()()()()()()()()

「?」

「……それに関しては、この後小町本人からにでも聞けばいいでしょう。……彼女と椿の関係も含めて、ね……」

 

映姫のその返答の後、少しの間沈黙が流れる。しかし、それを破るようにして四ツ谷は重たげに口を開いた。

 

「最後の質問だ。……そんなとんでもない事をやらかしたそいつは、一体どこの誰――」

「ストップです」

 

四ツ谷のその問いかけに映姫は手を上げて待ったをかけた。

そして続けていう。

 

「それを教える事は私の立場上、お教えすることはできません。重大な違反になりますからね」

「……そうか」

「――ただ」

「!」

「……どのみち()はもう()()はそれほど在りはしませんので、何人もの人間を手にかけてる故、遅かれ早かれ地獄行きは免れないでしょう」

 

そう言った映姫は沈黙し、反対に四ツ谷はニヤリと口を吊り上げてみる。

 

「シシシッ、いや、いいさ。……それだけ()()()くれれば十分だ。そうかそうか、やっぱり()()()だったか……!」

「……一人勝手に納得している所悪いですけれど、今あなたが頭に浮かんだ人物が犯人かどうかは、私は肯定も否定もできませんからね」

「いやいやいいさ。そこは()()に直接聞くさ」

 

「それじゃあな」と言って四ツ谷は映姫の脇を通り過ぎて、目的の場所へと再び向かおうとする。

しかしその背中に映姫が声をかけてきた。

 

「四ツ谷文太郎。最後に一つだけ聞きます」

「……?」

「あなたに……()()()()を救う事ができるのですか?」

 

映姫のその問いに、四ツ谷は肩をすくめて答えた――。

 

 

 

 

 

「……さぁねぇ。だが俺がやる事は何も変わりはしない。今も、昔も……そしてこれからも、な……」

 

 

 

 

 

四ツ谷の姿が完全に見えなくなったのを見計らい、映姫は首を横に動かし、()()()()()()に向けて声をかけた。

 

「……そこにいるのでしょう?出てきなさい……八雲紫」

 

それと同時に空間が大きく裂け、そこから紫色のドレスを纏った金髪の女性――八雲紫が姿を現した。

 

「……やはりバレていましたか。さすがですね四季様」

「本当なら今この場で説教してやりたい所ですが……今回私は()()()()()()()をする立場故、早々強気には出られそうにありませんから」

「私に頼み、ですか……?」

 

首をかしげる紫に、映姫はその内容を静かに告げた。

その瞬間、紫の目が丸くなる。

 

「……よろしいのですか?四季様がそのような事をなさって……。前回の()()()()()では、新しい怪異が生まれなかったため見逃しはしましたが、今回もそうなるとは……」

「怠け癖があるとは言え、小町は私にとって大事な部下の一人に違いありませんから。彼女の為なら、これくらいの泥はいくらでも被ってあげましょう」

 

「ですから……」と、映姫は紫を真っ直ぐに見つめる。

その視線に根負けしたのか、紫は小さくため息をつくと、

 

「貸し一つ、ですよ……?」

 

そう呟いていた――。




部下に対して仕事と説教には厳しいが、それ以外の個人的な事には甘いというのが自分の考える四季映姫様のキャラ設定であります。


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其ノ六

前回のあらすじ。
椿の見舞いに行った後、四ツ谷は小傘と別れ、一人小町を探す。
そしてその途中、四季映姫と出会った――。


「ミスティアー。お酒、もう一本おかわりー」

「……小町さん、もうそこまでにしたらいかがですか?もう在庫切れそうですし、まだ昼間ですよ?」

 

『再思の道』、その近くの林の中に屋台が置かれ、そこに店主のミスティア・ローレライと客として訪れている小野塚小町の姿があった。

小町は既に大量の酒を飲み干しており、ぐでんぐでんに酔っ払っていた。

いつもとは違って狂ったように酒を飲み干していく小町にさすがのミスティアも待ったをかける。しかし小町はをれをパタパタと手を振って拒絶する。

 

「いいのいいのー。代金の事なら心配ないよ?お金はたーっぷりと持ってきてるんだからさー」

「そういう事を言ってるんじゃ……」

「……なぁ頼むよぉ、今日はもう……何も考えず……とことん飲みたいんだよぉ……」

 

そう響きながら小町はゆっくりとカウンターに突っ伏した。それを見ながらミスティアは小さくため息をつく。

そこへ新たな来客が訪れ、小町の隣にドカリと腰を下ろした。

そしてその来客は突っ伏している小町に冷ややかな言葉を投げかけた。

 

「真昼間から酒浸りとは良いご身分じゃないの」

 

聞きなれたその声に小町は腕の間から片目だけを出してその来客を見た。

ピンク色の髪を持った片腕に包帯を巻いた女が自分を冷ややかに見下ろしている姿が映り、小町は再び目を腕の中に隠し小さく響いた。

 

「なんだ、華扇(あんた)か……。ほっといてくれよ……」

「いいの?またあの閻魔様に見つかっても知らないわよ?」

「……大丈夫だよ、今日は有休とってあるから。四季様も文句はないはずだよ」

「……あっそう!まあ、私もあなたの事を気にかける義理なんてないし、別にいいんだけど……一応報告だけはしておこうかなって思ってあなたを探してたのよ」

 

少し苛立たしげにそう言う華扇に小町はわずかに顔を上げた。それと同時に華扇がミスティアからお酒を一本注文し、再び言葉を紡ぐ。

 

「……夕べ誰かに殴られて怪我をした男いたでしょ?……その人を見つけたのが私でね、応急処置のかいがあって何とか命拾いしたよ」

「……そうかい。まあ、()()()()()()……」

「……あの男、気を失っている間もうわ言が多くてね、しきりに『椿さん』、『すまない』なんて言葉を何度も繰り返してたのよ」

「…………」

 

華扇のその言葉に、小町は何も返さずただ沈黙を貫く。そこへ華扇が険しい顔で小町に顔を近づけた。

 

「ねぇ、椿って昔あなたが()()()()()()()()()()()()椿ちゃんのことよね?……あの()が結婚してから余り会わなくなったみたいだけど、一体何があったのよ?あの娘も、あなたも……!」

 

華扇は昔、小町と椿がよく一緒に人里を歩いている姿を何度も見ていた。椿が結婚する以前の話である。()()()()()()()()()()()()笑いあう彼女たちを見て、意外だとばかりに眼を丸くした事は今でも覚えていた。

だからこそ椿の家族が相次いで亡くなった時、小町が彼女の元へ駆けつけることなく、ただ距離を置いて彼女を見守るだけにとどめていた事に華扇は信じられずにいたのだ。

小町と椿の関係など華扇は深くは知らない。

だが、二人がお互いを深く信頼しあっていたのは傍からでもよくわかったのだ。

沈黙を続ける小町に、華扇がさらに詰め寄る。

 

「ねえ、黙ってないで何とか言って――」

「――そいつは俺も聞きたいなァ」

 

唐突に第三者の声が響き渡り、小町と華扇は同時に声のした方へ眼を向けた。

いつからいたのか小町をはさんで、華扇とは反対側の席に黒い髪を持った長身の男がそこに鎮座していた。その片腕には畳まれた傘を引っ掛けて――。

突然ふって湧いたかのようなその登場にその場にいた三人は面食らうも、その男の事はそこにいた三人全員、面識があった――。

代表するかのようにして小町がその男の名を呟く。

 

「四ツ谷……文太郎……」

「よ。随分と辛気臭い顔をしてるなァ?酒の飲みすぎで腹でも下したかぁ?」

 

片手を上げて不気味に笑いかける四ツ谷に、小町は嫌そうな顔を隠そうともせずそっぽを向く。

それに構わず、四ツ谷も華扇同様、ミスティアから酒を注文する。

そして再び小町に向かって口を開いた。

 

「悪いが、俺の大事な助手二号の家庭の危機だ。あいつが俺のために思いっきり働けるようになるためにも、さっさとあいつの不安要素を取ってやりたいのさ。そのためには小野塚……あんたが知っている事を全部話してもらう必要がある。……洗いざらいしゃべってもらうぞ?でなきゃ俺も帰れねーからな」

「……ったく、なんだってんだいどいつもこいつも……!」

 

苛立たしげにそう呟いた小町は空いたガラスのコップに酒を並々と注ぎこむと、それを一気にあおった。

そしてぶはぁーっと、息を吐くと再びカウンターに突っ伏した。

そんな彼女に華扇は声をかける。

 

「……いいから、話してみなさいよ?あんなに妹みたいに可愛がっていたのに、ケンカでもしたの?」

「……さっき『気にかける義理はない』って言ってたくせに随分と積極的じゃないか……。あと、妹みたいに、じゃない――」

 

 

 

 

 

 

「――()()()、椿は私の……」

 

 

 

 

 

 

「「え!?」」

 

唐突なその発言に華扇とミスティアは共に驚愕の声を漏らし、四ツ谷も目を丸くした。

だが、直ぐにそれは解消される。

 

「……と言っても血の繋がりは無いがね。ま、当たり前さ私は死神、あの娘は人間だからね」

「……どう言うことよ?」

 

華扇の問いかけに小町は観念したかのように「どこから話したもんかねぇ」と響いた後、ポツリポツリと話し始めた――。

 

「……あれはもう、二十年以上も前の話になるねぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小町と椿が出会ったのは()()()()()()()であった――。

当時、魂たちの渡し守の仕事をしていた小町の前に幼い少女が現れたのだ。

十にも満たないその幼女は『川の向こうへ行かせてほしい』と小町に懇願してきた。

だが小町はそれを許可するわけにはいかなかった。

何故なら幼女は霊体ではあったが、()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()

通常死んで三途の川を訪れる者たちは全員魂の姿となって口も利けなくなってしまうからだ。

それなのにその幼女がまだ人の姿で喋れるということは、まだ肉体との繋がりが途絶えていないということ、つまり――()()()()()()()()()()()()()()ことを意味していた。

 

 

 

 

 

 

 

「……その幼女が当時の椿でねぇ、彼女は()()()()から仮死状態となって三途の川へ現れたのさ。まあ、いわゆる臨死体験ってやつだね……」

 

 

 

 

 

 

その後小町は、彼女を現世に戻すべく、その手続きをするために映姫の所へ連絡した。

しかし間の悪いことにこの頃、外の世界で大きな戦争でもあったのか、大量の死者が是非曲直庁になだれ込んできており、映姫は猫の手も借りたいほどに多忙な日々を送っていたのだった。

もちろん、その影響は三途の川にも出ており、川岸には舟を待つ死者たちの魂でごった返していた。

そのため、小町に帰ってきた映姫の伝言は「仕事がひと段落次第、手続きをしますので、その間その子の面倒はあなたがすること」というものだった。

映姫の指令に従い、小町は自分の仕事を他の死神に代わってもらうと、その日は一日中彼女と共に遊んだ。

最初こそ不安げな顔で小町と共に行動していた椿であったが、小町の明るい性格に影響されてか次第に心を許していき、小町に笑顔を見せるようになった。

それを見た小町も気を良くして思いつく限りの遊びを彼女と共にやり明かした。

やがて二人は遊びつかれて大きな岩の上に腰掛けると、小町は持っていた水筒を椿に差し出した。

そして、もうそろそろ映姫が仕事をひと段落させ、椿を現世へ帰すための手続きに入った頃だろうと思った小町は、椿に現世へ帰れることを明かしたのだ。

しかし、返ってきたりアクションは小町の予想外のものであった。

先ほどまで日の光の中で咲く花の如く笑っていた彼女の顔が、小町のその言葉で急激にしぼんでしまったのだ。

面食らう小町に椿は俯きながらポツリと呟いた。

 

『帰りたくない。天国に行ったお父さんとお母さんに会いたい……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞けば椿の両親はその一年前に流行り病で二人とも亡くなっていたらしくてね。両親が死んだ後、彼女は親戚中をたらい回しにされながら生活していたみたいなんだよ。……幸せとは程遠いその生活に、ある日椿は思い余って近くを流れていた川に飛び込んで両親の後を追おうとしたのさ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このまま死んだ両親の元に行かせてと懇願する椿であったが、小町はそれを聞き入れることはできなかった。

仕事という理由もあったが、個人的にも椿の要求は聞き入れがたいものだったのだ。

今まで数え切れない魂たちを彼岸へと連れて行った彼女は話はできずとも、その魂たちがどんな思いで死んでいったのか、長く死神として存在していた小町にはなんとなくではあるが、感じ取れるようになっていたのだ。

中にはもっと生きたいと切実に願う者たちも少なくは無く、小町はそんな魂たちの叫びに身につまされるものを胸中に響かせていた。

それ故、椿の願いがあまりにも酷なものに感じ、受け入れがたいものと思えてならなかったのである。

なんと言われようと彼女は両親の分まで生きなければならない。だが、今彼女を現世に送り返したら、また今日と()()()を繰り返す事は明白だった。

さんざんに考え、迷った挙句、小町は椿に生きる希望を持ってもらうために、()()()()を彼女にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホントに……今になって考えるとどうして私はあの時()()()()をしようと思ったのか不思議でならないよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

椿が現世へ送り返される直前、三途の川の岸辺にて、小町と椿が向かい合ったまま直接地面に座り込んでいた。

その二人の間には酒の入った瓢箪と、小さな杯が二人分置かれていた。

それを見ながら椿は小さく響く。

 

『きょうだいさかずき?』

『ああそうさ。まあこの場合は兄弟じゃなく()()()になるけどね。この杯を飲み交わした二人は同時に兄弟の契りを交わす事となり、家族と同等かそれ以上の絆を結ぶ事になるのさ』

『……じゃあ、それをすれば小町おねえちゃんは私の()()()()()になるの……?』

『はっはっは!そういうことになるねぇ。死神と家族になるのは嫌かい?』

 

小町のその問いに椿はブンブンと首を振る。そして確かめるように小町に聞き返した。

 

『ホントに……ホントにもう私は一人ぼっちじゃなくなるの……?これからはずっと……小町おねえちゃんがそばにいてくれるの……?』

『……ああ、ずっと一緒さ。……さすがに死神辞めるわけにはいかないから、椿と一緒に暮らす事はできないけど、仕事が終わったら毎日お前に会いに行ってやる……!』

『ホントに?毎日ずっと……?』

『ずっと……ずーーーっとさ!約束する……だから――』

 

 

 

 

『――もう死のうなんて、思うんじゃないよ……?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんのちょっと飲むだけでいいって言ったのに、その時椿のやつ、注いだ酒を一気に飲み干しちゃってさ。酒に耐性の無い幼女がフラフラになって現世へと帰っていく姿が面白くって思わず笑っちゃったよ。ハハッ……!」

 

その時の事を思い出したのか小町が小さく笑って見せる。少しの間笑い声を上げた小町は、また再び落ち着いた口調で話し始めた。

 

「……でも、その日からなんだよね……。私と椿の……楽しい『家族ごっこ』が始まったのは……」




最新話、投稿いたしました。
それと少し遅いかもしれませんが、皆々様メリークリスマス!


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其ノ七

前回のあらすじ。
小町は四ツ谷たちに、自分と椿の過去を話し始める。


『あ、小町おねえちゃんいらっしゃーい!』

『今日も来たよ椿。今は家の人はいないのかい?』

『うん!おじさんたちは今日は夕方まで出かける用事があるみたいだから』

『そりゃあいい!私も今日は速く仕事が終わったからね~。今日一日は思いっきり遊べそうだね!』

『うん!』

 

 

 

 

 

『今日はね、ここに来る途中で団子買ってきたんだ。一緒に食べるかい?』

『うん♪』

『はい、これは椿の分だ。ちゃんと噛んで食べるんだよ?』

『パクッ……モグモグ……おいしー♪』

『ははっ!そうかそうか、美味しいか!なら、また今度も買ってきてあげるよ!』

 

 

 

 

 

『えへへ、小町おねえちゃんと銭湯に来るのも久しぶりだね♪』

『そうだね~、椿も浴場で走る事も無くなったから、転んで大騒ぎする事も無くなったし』

『もぅ~、そんな前の事思い出さないで!』

『はははっ……ん~?精神的だけじゃなく、身体的にも成長したみたいだねぇ~?随分と立派に()()()()()じゃないのさ』

『え、そうかなぁ……?小町おねえちゃんのよりも小さいから、まだまだじゃない?』

『いやいや、私のを基準にしちゃあいかんさ。もう大人の女と言ってもおかしくないよ椿のは。成長期に入ってから随分と女らしくなったよぉ~?うりうり~♪』

『きゃっ!?もぅ~、おねえちゃん!変な所触らないで~!』

 

 

 

 

 

『あ、()()()()()。いらっしゃい!』

『来たよ椿。どうだい団子屋(ここ)の仕事のほうは?もう慣れたかい?』

『ええ、なんとか……。でもここって結構忙しいのね。予想以上にお客さんがたくさん来るし……』

『いやそれ、大半が椿目当て……』

『へ?何……???』

『いやなんでも……。それよりも椿聞いたかい?あの女っ垂らしの庄三がまた年頃の若い娘をかどわかして手篭めにしたって……』

『うん……お客さんが話してるの聞いた……。私もいつ、標的にされるか……』

『……させやしないよ。させてたまるものかい。どこぞの権力者だろうが、ボンボンだろうが関係ない。私の妹に手を出すってことがどう言うことか、骨の髄まで教えてやるよ!』

『姉さん……』

『安心しな椿。庄三なんぞの穀潰(ごくつぶ)しに手なんか出させやしない。私が絶対守ってやるから、な?』

『うん……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……およそ十年……長いようであっという間だったよ椿との生活は……。まあ、それ程までに楽しかったって事なんだろうけどね……。でもそんな日々も、ついに終わりが来ちゃってね……」

「あの()が結婚する事になったから?」

 

華扇のその言葉に小町は頷いて答えた。

そして続けて言った。

 

「ある日椿が紹介してきた男は大工見習いでねぇ、他者に対して不器用な面があったが、椿を心底大事に想っている事が十分理解できたよ。私もこの男になら安心して椿を任せられるって思うのにそう時間はかからなかったしね……。そして、あの娘の結婚が決まった時、椿はその男と一緒に私の所に来てこう言ったんだ……『ぜひ、私たちの祝言に来てほしい』ってね……。私はその時了承したけど……結局は行かなかった。……いやだってそうだろう?一生に一度の祝い事だっていうのに、不吉の象徴たる死神である私がその席に出席するなんざ、場違いにも程があるからねぇ……」

 

そこで小町は酒を一口あおって飲んだ。そして再び口を開く。

 

「……それっきり、私は椿に会いに行くのをぱったりと止めた。そしてしばらくしてあの娘の様子を見に、家を訪れたんだ。庭先から家の中を覗くと、ささやかながらも温かい、家族の団欒の光景が広がっていたよ。二人の赤ん坊を大事に両手に抱え、愛する夫と寄り添う椿の顔は幸せに満ちていたねぇ、本当に……。でも、それと同時に実感したんだ。もう椿の隣には私じゃなくあの男がいる。もう私はあの娘のそばにいる必要はないんだ、ってね……。あの男なら私の代わりに椿を幸せにしてあげる事ができる……そう思ったからこそ、私はその時椿たちに声をかけずに去ったんだよ…………なのに――」

 

「――なんで、こんな事になっちまうかねぇ……」と泣きそうな声で小町はカウンターに突っ伏した。

しかし、その状態でも小町は話を続けた。

 

「……椿の夫が死んだ事を聞かされた時、私は真っ先に椿の元へ駆けつけたよ。夫を亡くしたばかりのあの娘は話しかけるのもためらうほど、深く沈んでいてね。周囲の人間もそうだったが、私もあの娘に声をかけることができなかったよ……。だってそうだろう?約束を反故(ほご)にした上、長い事行ってやらなかったのに、今更どの面下げてあの娘と会えっていうんだい……?」

 

小町のその言葉に、今度は四ツ谷が思い出したかのように口を開いた。

 

「……そう言や、昨日薊の家の前であんたを見かけたが……ひょっとして、ちょくちょくあの家へ様子見に行ってんのか?」

 

その言葉に小町はバツが悪そうにそっぽを向き、それを見た華扇とミスティアが呆気に取られた表情を作った。

 

「だ、だってしょうがないじゃないのさ!直接会うわけにはいかないし……そりゃ私だって外の世界で言う所のストーカーまがいな事をしてるって実感してるよ!でも、でもそれ以外に私のできる事が思いつかなかったんだよぉ……」

「全くあなたは……」

 

荒げていた声が段々と尻すぼみになっていく小町の言葉を聴きながら、華扇は呆れた表情でそう呟く。

それに構わず、四ツ谷が再び口を開いた。

 

「……それで、毎回あそこへ密かに様子を見に行っているのは分かったが……それ以外では?」

「いいや何も……あの後長男も死んじまうし……再婚できて家族が増えてもまた誰かが死んでしまうから、里の人間たちから椿が『死神に憑かれた女』だって噂されてますます椿に会いづらくなくなってしまうし……」

「要するににっちもさっちも行かなくなって途方に暮れてしまったわけ?」

 

華扇の鋭い指摘に思わず「うぐ……」と声を漏らす小町。

四ツ谷はそれを見てため息をつくと再び声を上げた。

 

「……それにしても意外だな、まさか小野塚と椿さんが姉妹の契りを交わしてたとは」

「意外なのは私もさ。まさか椿の娘があんたんとこで助手になってたなんてねぇ」

 

そう呟いた小町は四ツ谷に顔を向ける。その顔は先ほどとは打って変わって真剣なモノになっていた。

 

「……それで?こんな話を私から引きずり出して、一体何しようってのさ?」

「んー?いやなに――」

 

 

 

「――あの人に取り憑いている()()()()()()()を払いに行くんだよ」

 

 

 

「「「…………は?!」」」

 

どこか散歩に出かけるような軽い口調で放たれた四ツ谷のその言葉に、その場にいた三人がポカンとなった。

それに構わず四ツ谷はミスティアからとうに出されていたコップ一杯分の酒を一口飲んだ。

 

「ん、美味いなこの酒」

「ちょ、ちょっと待ちなさい!なにそれどう言うこと!!?」

 

動揺しながら叫ぶ華扇に四ツ谷は静かに響く。

 

「……あんたたちも気付いてるんだろ?あの家族の死が()()()()()()()()()()()()

「……ッ!」

 

その言葉に反応して立ち上がったのは意外にも華扇であった。

当の小町は俯いたまま反応しない。

華扇が四ツ谷に声を上げる。

 

「意図して起こったって……じゃああなたは彼らが死んだのは――」

「――ああ、間違いなく作為的な……ぶっちゃけると『殺し』だよ、間違いなく……。さっき会った閻魔もそれを認めてたよ」

「閻魔って……四季映姫様が!?」

 

驚く華扇の隣で小町がため息をつく。

 

「やっぱりね……そうじゃないかと私も気付いてたんだけど案の定だったか……。ま、四季様が何も知らないわけないもんね。私と椿の関係にも気付かないわけないし。……だからこそ私に何も言わなかったんだろうけどねぇ」

「……ああ、それを話したら最後、あんたが()()()()()()()()()()()……気付いてたんじゃないか?」

 

四ツ谷がそう言い、小町は今度は深くため息をついて頭をガシガシとかく。

 

「やれやれ……死神がまだ寿命の残る生者を殺めるのはご法度(はっと)。それを破ったら消滅させられてしまうからねぇ。……四季様には頭が下がる思いだよホント……」

「……閻魔様のその思惑に()()()()()()()()()()……あんたからも何も聞けなかったんだろ?」

 

そう言った四ツ谷に全部分かっていたかとばかりに「チッ」と舌打ちをする小町。そして険しい顔で四ツ谷を見据え、口を開いた。

 

「……で?その犯人とやらの目星はついてるのかい?」

「ああ……確証はないが、たぶん、な。俺は今晩、そいつに会うつもりだ」

「え、大丈夫なの?危険じゃない?」

 

ミスティアがそう四ツ谷に聞くも、四ツ谷は「ま、何とかなるだろ」と呟いて酒の勘定をカウンターに置くと静かに立ち上がる。

そして小町に向けて問いかけた。

 

「小野塚……あんたも一緒に来るか?」

「私は……やめとくよ……。今更騒いだ所で何かが変わるわけでも――」

「いいのか?あの人不幸にしたままで」

「――ッ!!」

 

四ツ谷のその言葉に小町はビクリと身体を硬直させる。

それに構わず、四ツ谷は眼を細めて問いかけ続ける。

 

「……あんたは自分が椿(あの人)に近づけば彼女の迷惑になると思ってるのかもしれないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「!」

「もう一つ、あの人と一緒にいたときのあんたは……死神としてのあんただったのか?それとも――」

 

 

 

「――あの人の()()としての、あんただったのか……?」

 

 

 

「…………」

「悪いな。余計な世話だったか」

 

言葉とは裏腹にニヤリと四ツ谷は笑うと、手をヒラヒラと振ってミスティアの屋台から去っていった。

後に残された三人はしばし沈黙していたが、ふいに小町は大きく息を吐いて独り言のように響いた。

 

「……ったく、新参者のくせに、生意気な口を利くねぇ……ミスティア、お酒もう一本」

「え?あ、はい……!」

「ちょっとあなた、もういい加減に……!」

 

お酒を追加する小町に華扇が慌てて止めに入るも、小町はそれを手で制してニッと笑って見せる。

その顔がさっきまで酒に溺れていたものとは別のモノだと気付いた華扇も動きを止めた。

小町は静かに告げる。

 

「別に自棄酒の続きをしようってわけじゃないさ――」

 

 

 

 

 

「――この酒は()()()()だよ。ただの、ね……」




今回結構、難航しましたが、何とか書き上げる事ができました。
この話は短めに終わらせるつもりでしたが、まだまだ終わりそうにありません。
もうしばしお付き合いの程、よろしくお願いいたします。
また、年明け前に投稿できてよかったと思います。
今年はこれで投稿収めとさせていただきますが、また新年からもよろしくお願いいたします。
それでは皆様、よいお年を!!


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其ノ八

前回のあらすじ。
小町の過去を聞いた四ツ谷は小町たちにこれから椿に憑いた死神を払いに行くと宣言する。


「すみません。私がこんな状態で心配をおかけしてしまったみたいで……」

「いいえ。困った時はお互い様ですよ」

 

布団から上半身を起こした椿は、小傘が持ってきてくれた夕餉のお膳を受け取って小さく笑って見せ、それに小傘も笑って返した。

小町たちと別れた四ツ谷はその日の晩に、小傘を連れて再び薊の家を訪れていた。

そしてお見舞いと称してまたもや薊の家に一晩泊めてもらえるよう取り次いだのだった。

椿と小傘のいる部屋の隣の部屋で薊と瑞穂が夕飯の準備をしており、その部屋の隅っこで四ツ谷だけが何も手伝おうとはせず、床に寝転がって持ってきた本をのんびりと読みふけっていた。

その本はついこの間見つけた、貸本屋『鈴奈庵(すずなあん)』という店から借りた本であった――。

 

「むー、四ツ谷おにいちゃん。晩ごはんの用意、手伝ってくれないのー?」

「おう、悪いが瑞穂。俺は本を読むので忙しい」

「ご本を読むのがお仕事?」

「そうだぞー?俺も忙しいし、お前も忙しい。だからここには怠けているやつは一人もいない。うん」

 

口を尖らせて文句を言う瑞穂に、四ツ谷はそう言って軽くあしらい、それを聞いていた薊は苦笑した。

 

「……それにしても良かったですね。椿さんの、その……交際相手の人、命が助かって」

「ええ、本当に……。彼が死んでしまったら、また私は自分を責めさいなんでいたことでしょう。生きていてくれて良かった……」

 

ためらいがちに言った小傘のその言葉に、椿は心底安堵した顔でそう呟いていた。

そこへ薊が声をかける。

 

「でもお母さん。その人と交際していたのなら、私たちにも言ってくれればよかったのに……」

「ごめんね薊。本当は断るつもりだったのだけれど、必死になって説得してくる彼をどうしても振り切れなくて、今の今まで長引く形になっちゃってね……。結局最後は私のほうが折れることになったの」

 

「でもね……」と椿は続けて言う。

 

「彼、とってもいい人なの。それは間違いないわ。薊と瑞穂の事も大事にするって言ってくれたし。……それに半兵衛さんに借金を作っていた頃、彼のところも厳しい状況だったっていうのに、蓄えや金銭を無償で提供してくれたり、色々とお世話になっていたの……」

「え!そうだったの!?」

 

椿のその話が初耳だったとばかりに薊は声を上げて驚いた。

そこへ四ツ谷が質問を投げかける。

 

「……あの義兵って大家からも、その時何か借りてたりしてたのか?」

 

その言葉には椿は小さく首を振った。

 

「いいえ。私が団子屋で働いていた頃からの知り合いだったけれど何も……。まあでも、あの頃はどこも厳しかったから、そんな余裕なんてなかったでしょうし……」

 

椿のその返答に、四ツ谷は僅かに目を細めた。

それと同時に椿がため息をついて哀愁を漂わせる表情で言葉を続ける。

 

「……でも、頼りっぱなしはやっぱりダメよね。彼に返してもらう必要はないって言われたけど……これから少しずつ返していかないと」

「え?でもお母さんその人と祝言を挙げるんじゃ――」

「彼とは……()()()()()()()()

「えッ!?」

 

椿のその発言に薊は驚き、一瞬遅れて四ツ谷、小傘、瑞穂も驚いた。

悲しげな眼で俯いた椿はゆっくりと口を開く。

 

「今回の事で、ほとほと懲りたわ。やっぱり私は誰かを好きになっちゃいけないんだって……。私が誰かと夫婦(めおと)になれば、必ずその人は不幸になってしまう……。その人との間にできた子さえも……」

「お母さん……」

「薊……私ね、今まで何度も再婚したのは、今までの夫たちが好きだったということや、薊たちのため、っていうだけじゃないの……。私もまた、()()()()()()()()()()()と思う……」

 

「どういうこと?」と薊が問いかけ、椿は続けて言う。

 

「薊、それに瑞穂……。私はあなたたち二人を心の底から愛しているわ。それはこれからだって変わりない……。でも、それでも二人の娘を抱えて女手一つで働きながらあなたたちを育てるのは、苦しかったし、つらかった……。だからこそ私も誰かを頼っていきたかったんだと思う……。その結末がどんなものなのか分かっていたはずなのに、私は心の拠り所を探して、誰かを愛し、夫婦になってそしてその人に甘えて支えてもらい安堵するということを繰り返していたのよ……。ホント……最低な母親よね……」

「お母さん……」

「おかあさん……」

 

弱々しげな椿の告白に薊と瑞穂は母親のそばに座って、ぎゅっと椿の手を握った。

それを見た椿は小さく笑って見せる。

 

「でも……それももう終わり。これ以上私のわがままで誰かを不幸にするわけにはいかないし、これからはどんなにつらくても、私はあなたたちを一人でだって守って生きていくつもりよ」

 

そう言って椿は愛する愛娘二人をやさしく抱きしめる。しかし腕の中にいる薊の顔が晴れやかになることはなかった。

 

「でもお母さん……。今永遠亭で入院している人のことは……?その人はまだ生きてるんだよ?」

「……彼も今回死ぬような目に会ったのよ?私に関われば命が危ない事くらい十分できたはずよ。……もう、私に愛想をつかしたんじゃないかしら?きっと退院しても私の前には二度と現れないでしょうね……」

「……それはどうかなぁ?」

 

そこで唐突に四ツ谷が薊たちの会話に割り込んできた。

薊たちが四ツ谷のほうへ眼を向けたと同時に、続けて四ツ谷は口を開く。

 

「今のあなたの言い方からすると、その男は知ってたんですよね?あなたに関わればどうなるかくらい……」

「え、ええ……。私もそのことを持ち出して私と関わる事を止めるように説得した事もありましたから……」

「……それでもその男はあなたのことをあきらめなかった。それは何故か……?それは彼があなたのことを心の底から愛していたからに他ならない。……だってそうでしょう?今まで何人もあなたの周りで亡くなっているのに、自分にその『死』が降りかからないと誰が自信を持って言えますか?だが彼は、それを理解してもなお、あなたと共に添い遂げるることを選んだ。それは彼があなたを心底愛し、守り、幸せにしたいと想っていたからじゃないですかねぇ?」

 

四ツ谷のその力説に、椿はふと彼の言葉を思い出す。

 

『……どんな手を使ってでも生にしがみ付いて、あなたを守って見せます……!』

 

彼のその言葉を思い出したとき、椿の眼から一筋の雫がこぼれた。

四ツ谷は静かに立ち上がると、はっきりとした口調で響く。

 

「心配しなくても大丈夫ですよ。……もう、誰もあなたの周りで死にはしませんし、傷つく事も在りません。……何故なら――」

 

 

 

 

「――俺があなたに憑いた死神を払うつもりですからね♪」

 

 

 

 

「……え?それはどう言う――」

「――さあさあ、そろそろ晩飯にしましょう。腹へってもう我慢できそうにないですからね♪」

「……マイペースですね師匠」

 

椿の問いかけに重ねるようにして四ツ谷はそう言い、我先にと自分の膳の前にドカリと腰を下ろした。

それを呆れた顔で小傘が見ていた。

 

少し暗い空気にはなったものの、食卓はそれ相応に賑やかになった。

先ほどの暗い雰囲気は吹き飛んで、椿も薊も楽しそうに四ツ谷たちと談笑しながら夕食を食べる。

しかしそんな明るくなった食事会を影からこっそりと見ている者がいた――。

薊の家の格子窓から中を覗き、楽しそうな食卓の光景を見て、その者は鬼のような形相で、歯軋りをする。

特に椿と楽しげに談笑しながら夕食を食べる四ツ谷にその視線が注がれた。

 

「許せん……!」

 

殺意を含んだその言葉を小さく響かせ、その者は夜の闇へと溶け込むようにして姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜、誰もが寝静まった時刻に薊の家の戸口に四ツ谷と小傘が立っていた。

椿、薊、瑞穂はとうに就寝しており、薊と椿は居間で、椿はその隣の部屋で寝ていた。

というのも、眼がさめたとは言え、椿の体調はまだ本調子ではないため、彼女に負担をかけないために、あえて今夜は椿以外の者は違う部屋で寝ようということになったのだった――。

小さな寝息を立てながら眠る薊と瑞穂を尻目に四ツ谷は小傘に声をかける。

 

「……それでどうだ?()()は今も近くにいるのか?」

「はい間違いなくいます。少し離れた所でわちきたちを見てますね。夕飯の時もすごい形相で師匠を見ていましたよ?」

「ヒッヒッヒ、やれやれただ夕飯を一緒に食べたってだけでそこまで怒る事かねぇ?何人も殺しているからもう()()()が効かなくなってるのか?」

「のん気な事いってる場合ですか師匠。狙われてるっていうのに……。それと師匠、小町さんの気配も近くにありますよ?」

「お、そうか。やっぱり来たかあの女死神は。まあ、()()()()()()()()が来ないんじゃ洒落にならんか」

 

そう言って四ツ谷は口の端を大きく吊り上げた。重畳、重畳と言いたげな不気味な笑顔である。

だがそこで四ツ谷でも思いもしなかった言葉が小傘から紡がれる。

 

「ですが師匠。どうも小町さん以外にも近くに潜んでいる者が二、三人ほどいるみたいですよ?まあそのどれもが知っている気配なんですけど……」

「何?誰だ……?」

「えっとですね――」

 

小傘がその者たちの名前を四ツ谷に伝え、それを聞いた四ツ谷はうーんと首をひねる。

数秒の沈黙の後、四ツ谷は小傘に声をかける。

 

「……たぶんそいつらは何もしてくる事はないだろうが……一応邪魔が入らないように監視しといてくれるか?」

「分かりました師匠!」

 

そう言ってビシッと小傘が敬礼し、四ツ谷は小さくため息をついた。

そして踵を返すと、先ほどとは打って変わって真剣な顔つきになり、背中越しに小傘に声をかける。

 

「……俺が囮となって()()をおびき出す……。小傘、お前は少ししてから()()()()で配置につけ」

「はっ!」

 

背中越しに小傘の声を聞きながら、四ツ谷は玄関の戸を開き、外の闇へと足を踏み入れる。

その闇に溶け込むようにして四ツ谷の声が小さく響いた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ行くぞ……いざ、新たな怪談を創りに……!」

 




少し遅いですが、皆様明けましておめでとうございます!
前回の投稿から一月近く間を空けて申し訳ありません。
なんとか最新話を書き上げましたので投稿させていただきます。


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其ノ九

前回のあらすじ。
四ツ谷は、薊の家に泊まりこみ。椿に取り付いた()()を誘き出そうと我策する。


(……どうやら、ちゃんとついて来ているみたいだな)

 

宵闇の人里の中を提灯片手に四ツ谷は目的の人気のない里外れへと足を向けて歩いていた。

その十数メートル後を何者かが自分をつけていることに、四ツ谷は気配で気付いていた。

人間だった頃ならば気づくことはなかったであろうその僅かな気配は、怪異となったことでほんの少しだが感じる事ができるようになっているみたいであった。しかし――。

 

(……なんだ、この()()()は?)

 

薊の家を出てから今までの間、四ツ谷は追跡者に対してある疑惑を抱いていた。

今自分は人気のない通りを歩いて目的地に向かっている。そう()()()()()()()()()

今ここに居るのは四ツ谷一人。小傘たちは一足先に目的地にて怪談の準備をしてもらっている。

四ツ谷自身途中で追跡者――()()()が自分を襲ってくることも危惧していたため、懐に短刀を隠し持っていた。さらにはできるだけまだ人気のある通りを歩いているのだが、それでも人気がなくなってしまう場所はいくつかあったのである。

それなのに今四ツ谷をつけている者は人気がなくなった瞬間が今まで何度も会ったのにもかかわらず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

本来四ツ谷は不気味な感覚というものを()()()()()()()なのだが、今は彼自身がその不気味な感覚におちいっていた。

何か()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という思いすら湧き上がってくる――。

 

(……今思えば、薊の家で小傘と分かれた直後……奴の気配が()()()()()()()()だったな……あの時は気のせいだと思って気にはしなかったが、まさか――)

 

四ツ谷がそんなことを思っているうちに、目的の場所へとたどり着いていた――。

人里の外れ、周りは田畑ばかりで、その所々に農具を納めるための小さな小屋や林が点在しているだけであった――。

月明かりと四ツ谷の持つ提灯の明かりだけがその場を照らす中、四ツ谷は自分の周りに複数の気配があることを感じ取る。

どれが誰の気配かなど、四ツ谷には分からなかったが、その中には先ほどまで自分をつけていた者の気配もあった――。

そろそろ怪談を始めるべきか、と四ツ谷がそう考え始めた時だった。急速に自分に向かって来る気配を感じ取り、四ツ谷はすぐさまその方向へ眼を向けた。

するとそこには血相を変えて自分のもとへ走ってくる小傘の姿。

小傘は四ツ谷のそばへ駆け寄ると彼が何かを言うよりも先に開口一番に叫んだ。

 

「師匠、()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

「何ッ!!?」

 

その言葉に、四ツ谷は驚いてバッと背後へと振り向いた。

そこには林と多くの茂みがあるだけであったが、かまわず四ツ谷はそこに潜んでいるであろう自分をつけていた者に向かって叫ぶ。

 

「おい!そこに隠れてるのは分かってる!!直ぐに出て来い!!」

 

そう四ツ谷が叫んで数秒後、その茂みの中から一人の男が這い出してきた。

少々酒の臭いを滲み出していたその男は、四ツ谷たちにとっては()()()()()()()であり、そのことに四ツ谷と小傘は驚く。

そんな二人に構わず、出てきた男は少々うろたえながら、口を開いた。

 

「な、何なんだよお前ら!?」

「そりゃこっちのセリフだ!誰だお前は!?俺をつけていたのは、()()()()()()()()()()()!!」

 

珍しく切羽詰った表情を浮かべて叫ぶ四ツ谷に、男は若干うろたえながらも言葉を紡ぎ出す。

 

「……さ、酒飲んだ帰りに途中で()()()()()に出会って、『金を渡すから、ちょっとの間だけあの男(お前)をつけてくれ』って言われて……」

「何だとぉ!?」

 

四ツ谷が素っ頓狂な声を上げたと同時に、周りに隠れていたほとんどの者が姿を現した――。

四ツ谷の怪談の仕掛け人である金小僧と折り畳み入道、そしておそらく様子を見に来たのであろう茨木華扇が姿を現す。

異形の姿をした金小僧と折り畳み入道を見て、四ツ谷をつけていた男は「ヒッ!?」と小さく悲鳴を上げて腰を抜かした。

それに構わず、華扇が四ツ谷に詰め寄った。

 

「ちょっとどう言うこと!?一体、何があったの!?」

「……あの()にまんまと一杯食わされていたらしい。あの爺、どっかで俺が誘い込もうとしていることに感づいたんだろうよ。……だからこんな()()を立てて、自分はまんまと雲隠れしやがったんだ……!」

 

苦虫を噛み潰したかのような顔で四ツ谷はそううめいた。

そんな苦悶に満ちた四ツ谷の様子にも構わず、華扇はさらに詰め寄る。

 

「じゃあ……あなたが本当に怪談を語らせようとしていた相手はどこいったのよ!?」

「知るか!第一こっそり覗き見しようとしていたクセに、偉そうにキャンキャン吼える――」

 

唐突に四ツ谷の声がピタリと止まり、辺りに静寂が満ちる。

真顔になった四ツ谷にその場にいた全員が眉根を寄せた。そして――。

 

「……まさか……!」

 

そう響いた四ツ谷の顔が見る見るうちに険しくなる。

そして次の瞬間、四ツ谷は折り畳み入道に向かって叫んでいた。

 

「折り畳み入道!今すぐ俺を薊の家に戻せ!今すぐだ!!」

「きゅ、急にどうしたんですか師匠!?」

 

小傘のその問いかけに、険しい顔で四ツ谷はそれに「後にしろ!」と口を開きかけるも、その動きが唐突に止まる。

その時になって、今回の怪談に必要となる者が()()()()()()()ことに初めて気が付いたのだ。

 

「おい、()()()はどうした!?」

「え、あれっ!?そう言えばいつの間にか……」

 

四ツ谷の言葉に初めて気付いた小傘は辺りをきょろきょろと見回し、四ツ谷はそれを見て悪態をつく。

 

「クソッ!あの女まさか……一刻の猶予もないぞ、折り畳み入道!速くお前が入っている箱を薊の家に置かれている箱と繋いで、俺たちを送ってくれ!!」

「わ、わかった……!!」

 

珍しく鬼気迫った顔で四ツ谷がそう叫び、折り畳み入道は面食らいながらもでそれに頷いたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折り畳み入道の『箱から箱へと移動する程度の能力』は何も折り畳み入道本人だけを移動させるだけの代物というわけではない。

今現在折り畳み入道が使用している箱ならば、大きさにもよるが誰でも入り込む事ができ、任意の場所の箱に繋げる事ができるのだ。

四ツ谷は折り畳み入道が使用している葛篭の中に入り込むと、そこを通って薊の家にとんぼ返りした。

台所においてあった米櫃(こめびつ)の中から飛び出すと、居間に敷かれた布団に寝ている薊と瑞穂の枕元を横切って、椿が寝ているであろう隣の部屋へと向かった。

 

「ぅ……ん……?」

 

静かに歩いたつもりだったが、内心焦っていたせいか意外と足音を大きくしてしまったらしい、四ツ谷が立てた物音に薊が起きてしまった。少し遅れて瑞穂も目を擦りながらゆっくりと起き上がる。

薊は目を覚ました直後、母親の部屋の前に立つ四ツ谷の姿を見て訝しげに声をかける。

 

「……?四ツ谷さん、一体どうしたんですか?」

「……ごめんね薊ちゃん起こしちゃって」

 

それに答えたのは四ツ谷ではなく、小傘であった。

四ツ谷の後を追って米櫃から出てきたのだ。また、小傘の後を金小僧、華扇と続いて出てきていた。

四ツ谷は薊たちが起きたことにも気にも留めず、目の前の部屋の襖をバンッと開け放った。そこには――。

 

「……え?お母さん……?」

「チッ!やっぱりか……!」

 

目を丸くして響く薊の声と四ツ谷の悪態が重なる。

その部屋は()()()()()()()()――。

部屋の中央に敷かれた布団は激しく乱れ、そこに寝ていたであろう人物は影も形もなかったのである。

また四ツ谷が立つ位置から見て部屋の反対側、縁側へ出る面に立て付けられた障子も一枚だけ開け放たれていた――。

 

「……おかあさん、どこいっちゃったの……?」

 

薊の着物の裾を握って瑞穂が不安げに小さく響く。

それに四ツ谷は冷徹に答える。

 

「……悪いな瑞穂、薊。どうやらお前らの母親はまんまと連れ去られちまったらしい……()()に、な」

「そ、そんな!四ツ谷さん……!」

 

焦って叫ぶ薊を四ツ谷は手で制した。

 

「安心しろ、まだ大丈夫だ。……そうだろ小傘?」

「はい師匠!直ぐ近くに()()()の気配を感じます。この家から向かって右斜め向かいにある家屋から、椿さんの気配と一緒に……!」

「……え?その家って……」

 

小傘のその言葉に、何かに気付いたらしく薊が小さく呟く。

だがそれに構わず小傘が続けて言う。

 

「……でもおかしいです。あの二人の気配がその家の()()()()()()感じるんです」

「ほう……()()()()()()()()を作ってたのか……よし、直ぐ向かうぞ。薊は瑞穂とここに残って待っていろ」

 

そう一方的に薊たちに伝えると、四ツ谷は小傘と金小僧を連れて薊の家を飛び出した。

少し遅れて華扇も四ツ谷たちの後に続く。

少し前を歩く四ツ谷の背中に向かって華扇は声を上げた。

 

「ちょっと、一体どうするつもりよ!?」

「……決まってるだろ?」

 

振り返ることなく目的地に向かってずんずんと進みながら四ツ谷は口を開いた――。

 

「……いろいろと予定は狂ったが、『最恐の怪談』だけは何としてもやり遂げて見せる……!」

 

決意を秘めた目でそう響いた直後、視界の端で()()()()()()()()()()()が揺れたのを四ツ谷は確かに見て取ったのだった――。




皆さんお久しぶりです。
いや本当に申し訳ありません。一月以上も間を空けてしまって……。
家の諸事情とかで書く時間があまりなかったのですが、これから投稿ペースを縮めていこうと思います。
いや、楽しみにしていただいている皆様には本当にすみませんでした。


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其ノ十

前回のあらすじ。
四ツ谷は『聞き手』に裏をかかれて椿を連れ去られてしまう。


「…………ぅ、ん……?」

 

暗闇から意識がゆっくりと浮上し、椿はゆっくりと眼を見開いた――。

目に入ったのはランタンの吊るされた()()()()天井。居慣れた自分の部屋の天井ではない事は直ぐに分かった。

 

「えっ!?」

 

慌てて起き上がろうとするも、手足が動かない。

首を動かして自分の手を見ると、手首に枷がつけられていた。

どうやら椿は木製の台に仰向けに寝かされた上、両手足を枷で固定され身動きが取れないようにされているようだった。

 

「えっ?ええっ!??」

 

自分の今の状況に動揺し、四肢を動かして枷を解こうと椿はもがく。

しかし、がっちりと取り付けられた枷は椿の身体を少しも放そうとしなかった。

 

「……おや?もう起きてしまったのかい?薬の効き目が薄かったのかのぅ……?」

 

そんな声が当たり響き、その()()()()()声に驚きながらも、椿は声のした方へ首を向けた。

そこには予想通りの人物が今まで見た事がないニヤニヤとした気持ち悪い笑みを浮かべてそこに立っているのを眼にする。

その姿を見たと同時に椿は意識を失う直前の記憶がフラッシュバックする。

自分の部屋で寝ていた所へ、誰かが()から入ってくる物音と気配に気付き、椿は眼を明けて上半身を起こそうとした瞬間、突然何者かが椿の口と鼻に湿()()()()を押し付け、布団の中に押し戻し、押さえつけたのだ。

唐突に起こったその事態に椿は眼を見開き、その襲撃者の顔を間近で見た。いや、見てしまったのだ。

自分を実の娘のように大切にしてもらっていた者の顔を――。

 

 

 

 

 

「……大家、さ……ん……?」

 

 

 

 

 

呆然とそう響いた椿の声に、大家と呼ばれたその老人――義兵の歪んだ笑みが一層深まった。

 

「気分はどうかね、椿ちゃん?」

「……ど、どうして……どうして大家さんが……?」

「ふふっ、女性とは言え老体であるこの身で君をここまで運ぶのはさすがに苦労したよ……」

 

義兵のその言葉で、椿は自分の記憶が間違い出ないことを自覚し愕然となった。

そんな彼女にお構いなしといったふうで、義兵は彼女を覗き込むように顔を近づける。

そして囁くように口を開いた。

 

「……君がいけないんだよ?あのような()()()と結婚なんかして、私が一匹一匹()()するのにどれだけ苦労したか」

「……え?」

 

害虫?駆除?……それに、結婚って……。

義兵が並べた言葉の数々が、椿を一つの残酷な結論へと導いた。

 

「……ま、まさか、大家さん……」

「ようやく気付いたようじゃのう……」

 

椿が浮かべた推測が事実だと言わんばかりに義兵は口を歪める。

そして誇らしげに椿に向かって語り始めた。

 

「本当に苦労したんじゃよ?……最初に君に()()()()()()あの大工見習いの男。あ奴に気付かれず弁当と一緒に持参してきた水筒にこっそり睡眠薬を入れるのは……。その睡眠薬も、自生している薬草を使って()()()()本を片手に一から作ったのじゃからなおさらのう。……ま、その苦労もあってあ奴が家の上で作業している際にその薬が効いたのは重畳じゃったがのぅ」

「そ、そんな……!」

「二人目の害虫は簡単じゃった。奴に向かって材木を倒したらあっさりと死によったわ。……三人目もそうじゃったのぅ。背後から包丁で刺したらぽっくり……いやはや、人とはもろい生き物じゃのぅ」

「――ッ!??」

 

さも何でもない事のようにしみじみと響く義兵に対し、椿は絶望に染まった顔を浮かべる。

そして悲鳴じみた声で義兵に叫んだ。

 

「ど、どうして、どうしてこんな事を……!!」

「『どうして』?……全て椿ちゃん、()()()()()()()()()。これ以上君が他の男たちに()()()()のは我慢ならなかった」

「……え?」

 

義兵の答えに呆けたような声を上げる椿。

そして、過去を振り返るように義兵がポツポツと語り始めた。

 

「椿ちゃん。恥ずかしい話じゃが、ワシは若い頃に病気で生殖機能が使い物にならなくなってしまってのぅ……。それが原因で当時結婚したばかりじゃった女房に見限られ、見捨てられたんじゃ……。それから数十年は本当に灰色一色の人生じゃったよ。自分でも生きているのか死んでいるのかわからんほどのぅ……。じゃがある日、団子屋で一人の娘と出会った事で世界が一変したんじゃ。……君じゃよ、椿ちゃん」

「わ、たし……?」

「……一目見て惚れたよ。団子屋で一生懸命働く君は、さながら野を自由に舞う蝶のように美しかった。その生き生きとした姿にワシは虜になったのじゃ。……毎日のように団子屋に通っては笑顔で働く君の姿を見ているだけで心が安らいだよ。本当に幸せな時間じゃった……」

 

しみじみと至福の時の過去を思い出し、義兵は顔をほころばせる。

しかし次の瞬間、その顔が般若の形相へと一変する。

 

「じゃが君は堕落した!どこの馬の骨ともわからぬ男に(うつつ)を抜かし、野から一変して結婚と言う名の『虫かご』の中に自ら入り、その中で害虫に心身ともに穢され、害虫の子を産み落とした!!君の美しさは野の中でこそ際立っていたと言うのにッ……!!」

「そ、そんな……そんな理由であの人を殺したのですか!?」

「『そんな理由』とは何じゃ!!君をあのおぞましい『虫かご』から解放するためなら何でもするよワシは!!……じゃが君は最初の男が死んで『虫かご』から開放され、自由になったのにも関わらず、また新しい害虫と一緒になって再び『虫かご』の中へと戻っていった……!!」

「私は幸せでした!あの人たちと夫婦になって、子供もできて、家族が増えて嬉しかった!!なのにどうして……!?」

「結婚など、所詮『人生の牢獄』にすぎん!!君は騙されておるのじゃよ椿ちゃん!そんな中に幸せなどあり得るものか!!真なる幸福は広く美しい野の中にこそあるのじゃよ!!」

 

義兵の一方的な『幸福』の押し付けに、椿は激しく動揺する。

会話が成立しなくなってきた義兵の目は曇りに曇っていた。父親のように慕っていた者が自分をそんな歪んだ目で見ていたのかと思うと椿はさらに絶望を感じずにはいられなかった。

現実から目を背けるようにして、椿を首を振る。しかし彼女の頭の中で更なる『絶望的な推測が』フッとよぎってしまった。

 

「……ま、まさか……おお、や、さん……()()()()()、も……?」

 

間違いであってほしいと願いながら、すがるような目で椿は義兵を見上げる。

しかし、現実はかくも冷酷非情であった――。

光を失った義兵の目が笑い、真実がつむがれる。

 

 

 

 

 

()()()()()()()……」

 

 

 

 

 

「……嫌っ……嫌ぁっ……!!」

 

聞きたくないとばかりに激しく首を振って椿は抵抗する。

耳も塞ぎたいのに四肢は枷で封じられそれは叶わない。そんな椿に言い聞かせるようにして義兵は彼女の耳元で口を開く。

 

「やはり十にも満たない子供とは大人の男を殺すよりも手軽で簡単じゃな。上の男子と下の女子は川岸で遊んでいた所を軽く突き飛ばし、二人目の男の子に至っては迷子になっていた故に()()()()()()()()()()()()()を教えてやったらあっさりと死によったよ」

「いやああぁぁぁっ!!!どうして!?どうしてそんな酷い事を!?あの子たちには何も罪なんてなかったのにいぃぃっ!!!」

 

涙でぐしゃぐしゃになった顔で椿は義兵に非難の混じった眼で訴える。

そんな彼女を真顔で義兵は冷徹に答えた。

 

「……あの子たちは()()()()()()()()()()()()()()……それだけじゃよ」

「…………へ?」

 

義兵が何を言っているのか分からず、再び呆けたような声を漏らす椿。

それに構わず、義兵は真実を語り始めた。

 

「……ワシも幼い子供に手を掛けるつもりは最初はなかったのじゃがのぅ。成長するにあたってあまりにも()()()()()()が故にやむなく、のぅ」

「……な、何を言って……」

「……おかしいとは思わなんだか椿ちゃん?何故ワシが()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

言われて初めて気付く。薊は義兵に狙われることなく十五年経った今でも生きている。瑞穂も同様だ。

そんな二人を義兵は狙う素振りすら見せない。それはその二人と他の子たちとでは()()()()()がそこに存在していたからだ。

 

「双子であった瑞穂ちゃんと穂積ちゃんを引き合いに出せば、理由も分かるかもしれんのぅ。あの子たちは双子であったが、『二卵性』じゃった。……方や瑞穂ちゃんは母親である君に顔立ちが良く似ている。そしてもう一方である穂積ちゃんは――」

 

義兵がそこまで言った瞬間、椿は雷に打たれたかのように硬直する。

義兵が……彼が言おうとしている子供たちを襲った動機が否が応でもわかってしまったからだ。

でもそんな……()()()()()のためにあの子たちが死んだというのか?

あまりにも受け入れがたい真実に椿は力なく首を振る。

 

「嘘……嘘……うそ、よ……」

「フフフフッ……ようやく気付いたようじゃのぅ椿ちゃん。そうとも――」

 

 

 

 

 

 

「――あの子たちが皆、()()()だったからじゃよ」

 

 

 

 

 

 

「あ、あぁぁ……」

「あの子たちが成長するにしたがって、殺した父親の面影がちらほらと見え隠れしてきおった!君を穢しつくした憎き害虫共の血を宿した『子蟲共(こむしども)』!!しかもその血の中に君の血も混ざり、尚且つ君の中から生まれた存在だと思うと余計に汚らわしく、腹立たしいわ!!」

 

頭の中が真っ白になる椿に向かって、義兵は容赦なく自分の腹の中に溜まった怨嗟の念を吐き出していく。

だが、その時にはもう椿には義兵の声は届かず、心ここにあらずといった状態であった。

その目は既に光を失っており、視線を何もない虚空へと彷徨わせるだけであった。

それに気付いた義兵はこれは良いとばかりに喜色満面の笑顔を見せる。

 

「おやおや……ショックで放心でもしたのかのぅ?まあ、大人しくなってワシも好都合じゃが。……ま、見たまえ」

 

そう言って義兵はシワだらけの手を椿の頬に添えて無理矢理視線を義兵の背後に向けるように顔を動かせた。

そこにはどうやって用意したのかガラス製の棺が床に置かれており、その中に()()()()()が並々と入れられていた。

パッと見てその棺の大きさは椿()()()()()()()()()()()()()()()()()()であった――。

 

「……君にはこれからあの棺に入って()()()()()()()になってもらうよ?これ以上『害虫共』に君を穢させない為にも、君の美しさを永遠のモノにしたいしのぅ。なに、薊ちゃんと瑞穂ちゃんの事は心配せずとも良い。ワシが責任を持って面倒見てやろう。……ワシ好みに()()行って従順な()()()に仕立ててやるわい。その棺に入れられた君の肢体を眺めながらのぅ」

 

そう言って義兵は部屋に木霊するほど大きく笑って見せる。

しかし椿にはその笑い声も届かず、その棺をボンヤリと眺め続けているだけであった。

ひとしきり笑った後、義兵は懐から鞘の付いた包丁を取り出し、鞘を引き抜く。

銀色に輝く鋭利な刃物が椿の目の前にさらされた。

 

「……さて、まずはその邪魔な着物を剥ぎ取らせてもらおうかのぅ」

 

そう言って義兵は椿の纏っている襦袢を締める帯に手を掛け、着物と帯の隙間に包丁を滑り込ませると、一気に引き裂いた。

布が裂かれる音が部屋に響くも、椿はその光景をボンヤリと見続けるだけであった。

もはや彼女の中で抗う気力はすっかりと失っていたのである。

義兵は呼吸を荒げながら椿の着物を包丁で切り裂いていく。そうやって着物の中から彼女の肌が多く見えてくると、義兵の興奮も大きく高まっていった。

そうして包丁を動かす手が止まった時、そこには一糸纏わぬ椿の姿が露になっていた――。

その肢体を凝視しながら義兵は生唾をごくりと飲む。

それ程までに椿の身体は三十代に入ったとは思えないほど、その美しさを保っていたのである。

少しやせ細ってしまってはいるが均整の取れた体型とシミ一つない陶磁器のような滑らかで透き通るような白い肌は老人である義兵でも目を奪われるモノであった――。

程よく盛り上がった二つの双丘とは対称的に驚くほど締まった腰のくびれ、その腹部は複数の子供を出産したとは思えないほどたるみが殆ど見て取れることはなかった。

そしてそこから腰下へと続くラインは美しい曲線を描いてゆったりと脚部へと向かっており、薊の母親であるという納得のいく『美』がそこに現れていた。

 

「美しい……」

 

その惚れ惚れする肢体に自然と義兵の口からそう漏れていた。

しかしすぐにハッとなり首を振る。

 

「いかんのぅ、呆けている場合ではなかったわい。あの妙な若造と唐傘娘らが何時ここを嗅ぎつけてくるかわからんからのぅ。事を急がねば……!」

 

そう言いながら、義兵は椿の肌の上に包丁の側面を乗せるとそれを無造作に滑らせるように動かし始めた。

包丁の刃が彼女の肌に当たらないようにゆっくりと――。

 

「……さて、椿ちゃん。どう言う風にして楽になりたいかのぅ?老いてしまったが故か()()()()()()()()()()()あの『害虫』を仕留めきることはできなんだが、君は絶対に苦しまずに一瞬で、尚且つこの肢体にあまり傷が目立たない程度に息の根を止めてあげたいんじゃがなぁ~」

 

そういやらしい笑みを浮かべながら義兵はそう響き、包丁を椿の鎖骨から胸、腹、腰、そして脚のほうへと向かって滑らせて行く――。

冷たい鉄の包丁による愛撫に椿の身体はビクリと反応する。

それは官能から来るモノなどではなく、恐怖から来るモノであった。

包丁の感触を通じて彼女瞳に僅かながら光が戻ってくる。

そして空っぽになってしまった頭の中で一人の女性の姿が浮かび上がった。

 

彼岸花を思わせる赤い髪と等身大の大きな鎌を持ったその女性はいつも自分を助けてくれた。一緒にいてくれた。笑い会ってくれた――。

祝言の約束を破られた時、すごく落ち込んだ。でもその反面、()()()()()()()()とは薄々気付いていた。

彼女の事だから自分の存在のせいで祝言をぶち壊すような事はしたくなかったのだろう、と……。

 

 

 

――そんな事……気にする必要なかったのに……。

 

 

 

今あの人はどこで何をしているのだろう……?

元気にしているのだろうか?体調は崩してはいないだろうか?……今も私を……妹だと思ってくれているのだろうか……?

――家族だと……想っていてくれているのだろうか……?

 

「よしよし、一気に首の頚動脈でいかせてもらうよ?……じっとしているんじゃよ?手元が狂って顔を切り裂いてしまっては元も子もないからのぅ」

 

目の前にいる大家……いや、()()()()()ケダモノがそう呟いて、下卑た笑みを浮かべながら手に持った包丁を椿に近づけていく――。

それを視界に映した椿は、その眼からはらりと大粒の涙を一滴こぼし――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――助けて……小町おねえちゃんッ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

――そう(こころ)からの叫びを口から解き放っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

突然の事に義兵は驚きで目を丸くする。

椿に近づけていた包丁を持った手が()()()()()()()()()()()()()()のだ。

慌てて自分の腕をつかむその腕の持ち主のほうへと目を向ける。

 

眼が合った――。

 

彼岸花を思わせる真っ赤な髪を揺らし、同じく深紅の色を持った瞳の中に怒りの炎をたぎらせて、その女死神は呆然とする義兵を眼光で射抜く。

 

「――触るな」

「ヒッ!??」

「……その汚い手で椿に触るな。――殺すぞ」

 

あまりの迫力に、義兵は一瞬気圧された。その時、天井に吊るされたランタンの火がふいにフッと消え、部屋が真っ暗になる。

 

「……ッ!??」

 

それと同時に掴まれていた手が離れ、義兵は尻餅をつく。

そして暗闇の中、侵入者に向かって慌てて包丁を振り回すも、包丁は空振りするばかりで何も当たる様子はない。

それを理解した義兵は次に手探りで棚においてある蝋燭を掴み取ろうとする。

暗闇の中故、多少時間はかかったが何とか手に蝋燭を持つ事ができた。そして懐にあった火打石で火をつけ、辺りを照らし出す。

だが蝋燭で照らし出された台には、既に椿の姿も侵入者の姿もなく、枷も全て外されていた。

 

「なっ!?……くそっ!!」

 

逃げられた事をすぐさま理解すると、義兵は蝋燭と包丁を持って、今いる部屋――()()()から地上へ出るための階段を駆け上がり、自宅の居間へと続く扉を蹴り開け、さらに居間を横切って玄関から外に飛び出した。

外は真っ暗。椿も襲撃者もとこへ行ったかも分からず、義兵は焦りと苛立ちから顔を真っ赤にする。

 

(畜生!!……一体なんだったんだあの女は!?……いや、なんだっていい!!直ぐに椿共々見つけて殺してやる――)

「……変態な上に老害とは……醜悪極まったな、大家さん」

 

怒りを含んだ思考の海に入っていた義兵の耳に静かながらも冷たい声が届き、義兵は思考を途中停止させ、声のした方へと眼を向けた。

その瞬間、カラコロと下駄の音を響かせて、夜の暗闇から一人の男が姿を現す。

黒髪に着物の上から腹巻をした長身の男を視界に納めた義兵は驚きで目を見開く――。

 

「き、貴様は……!!」

「……老体に鞭打つ趣味は俺にはないんだが、あんた相手なら容赦なくやれそうだ。それじゃあ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――怪談を、始めましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

不気味に笑みを顔に貼り付けながらも冷たい視線で義兵を見下ろすその長身の男――四ツ谷文太郎は死刑宣告がごとき口調で義兵に向かって静かにそう響いた。




おまたせしました。
今回はR-18ギリギリと思われる表現が含まれていますので、ご容赦のほどよろしくお願いいたします。


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其ノ十一

前回のあらすじ。
椿が義兵から真実を聞かされ、殺されそうになるも、小町がそれを救出する。
追いかけようとした義兵の前に四ツ谷が立ちふさがった。


「……おかあさん、大丈夫かな……?」

 

不安げにそう響く瑞穂の頭を薊が優しく撫でた。

四ツ谷の指示に従って大人しく家で待機している二人であったが、やはり母親の事が気がかりで仕方なかった。

内心、心配になっていることを誤魔化すように、薊は瑞穂を抱き寄せる。

そのひょうしに瑞穂の顔が薊の豊満な胸の谷間にすっぽりと埋まる形になるが、瑞穂が嫌がる様子はなく、それ所か薊の背中にそっと手を回した。

 

(……もう少ししたら、様子を見に行ってみようかな)

 

薊がそんなことを考え始めた時、ふいにドンドンと玄関の戸を激しく叩く音が響いた。

それにビクリと反応した二人は恐る恐る玄関のほうへ抱き合ったまま向かう――。

そして玄関の戸の前まで来ると、薊は瑞穂を自分の背後へ下がらせ、いまだ戸を叩いている人物へと声をかけた。

 

「……ど、どちら様ですか?」

『! その声、薊ちゃんかい!?悪いがここを開けてくれるかい?椿が……!』

 

戸の向こうから聞こえてきた知らない女性の声のその言葉に、薊は反射的に(かんぬき)を外して戸を開け放っていた。

 

「……ッ!?」

 

そしてそこに立っていた者を見て薊は息を呑んだ――。

彼岸花を思わせる赤い髪に等身大の大鎌を背負った女性が、どこで取ってきたのか()()()着物で身体を隠すようにして纏わせた椿を抱いて立っていたのだ。

お姫様抱っこされている椿は気を失っているらしく、赤い髪の女性に力無く身体を預けていた。

その光景に一瞬呆然となる薊だったが、次の女性の言葉で現実に引き戻される。

 

「……すまないね。直ぐに椿を休ませてあげたいんだが、入って良いかい……?」

「は、はいっ!直ぐに布団敷きますね……!」

 

薊は慌てて瑞穂を連れて椿の部屋に向かい、先ほどまで椿が使っていた布団とはまた違った新しい布団を押入れから引っ張り出し、それを部屋の中央に急いで敷いた。

家に上がりこんだ赤い髪の女性――小野塚小町は抱えている椿を慎重にその布団の上に横たえ、その上に静かに掛け布団を乗せる。

スゥスゥと静かに寝息を立てる椿を見て、その場にいる三人はホッと一息ついた。

小町は椿の纏う()()()()()を着替えさせようかとも思った。

義兵の家から脱出する際、椿は義兵に襦袢を引き裂かれ全裸であった。そのため、そばにあった義兵の着物を拝借していた。

あの義兵の着物を椿に纏わせるのには些か抵抗があったが、裸の椿を運び出すわけには行かず、致し方無しと割り切って椿に着せたのだった。

その着物もその役目を果たしたのだから、直ぐにでも着替えさせたい衝動に駆られる小町であったが、そこへ唐突に横から声がかかった。

 

「あ、あの……」

 

振り向くとそこには不安げな薊の顔と、その薊の着物にしがみ付いて同じように不安げな眼を向けてくる瑞穂の姿があった――。

そこに来て小町は今この状況は非常に気まずいものだとすぐさま理解する。

何せ自分は巨大な鎌を所持しており、これで自分が死神だということは少なくとも薊には分かってしまっただろう。しかも『死神』という名は母親の椿に人里の者たちが陰口でつけられた呼び名である。もしかしたら自分が椿を不幸にしている張本人とも思われているのではなかろうか。

ここは一度立ち去ったほうが賢明かと、小町がそう思ったとき、薊が口を開いた――。

 

「あの小町さん、ですよね?前に宴会で会った……」

「あ、ああ……久しぶり、だね……」

「……母の……()()()()()()()()()()()()?」

 

薊のその言葉に小町は目を丸くする。

 

「……え?……な、何でその事を?!」

「母からよく聞かされていましたから。……よかった。間違っていたらどうしようかと……」

「あ……うん……」

 

胸をなでおろす薊に半ば呆然となって小町はそう呟いていた。

自分のことを未だに姉と想っていたことに小町は驚きを隠しきれていなかった。

あんな別れ方をしたため、もう愛想を付かして家族と思われていないんじゃないかと思っていたくらいだからだ。

だからこそ、どうしても小町は聞きたくなった。

 

「噂で聞いてないかい?その……お母さんを苦しませている死神がいるって……」

「え、小町さんがそうなんですか!?」

「ち、違うよっ!?」

 

驚いて問いかけに問いかけで返した薊に小町はそう反論する。すると意外な事に薊はすぐさまホッとした顔を浮かべた。

 

「よかった……。小町さんが悪い人じゃなくて……」

「……し、信じてくれるのかい?」

「はい。母を十年も大事にしてくれた方が、こんな事をするとは思いたくありませんでしたし、それに……」

「それに?」

 

小町の問いに、一呼吸の間をおいて、薊は笑顔で答えた。

 

「……四ツ谷さんも、そう言ってましたから……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は今から数時間前。四谷たちが夕餉を終え、椿たち親子が寝床に着こうとする直前まで遡る――。

心中に不安を覚えた薊は椿が寝た後、本を読み続けている四ツ谷に声をかけた。

 

「あの……四ツ谷さん……」

「ん?なんだ?」

「その……私たちから家族を奪って母を悲しませている人って……もしかして小町さんって人、ですか……?」

 

その言葉に四ツ谷は本から顔を上げる、その双眸はわずかながら驚きで見開かれていた。

 

「……あー、やっぱりお前知ってたのか。小野塚が椿さんの姉だって事」

「はい。母からよく聞かされていましたので……」

「ふぅん……」

 

そう呟いて、四ツ谷は再び持っている本へと視線を落とした。数秒の間をおいて四ツ谷の口が開く。

 

「……お前はどう思う?小野塚が犯人だと思うか?」

「え?」

 

その問いかけに一瞬驚いた顔を見せる薊だったが、その後ゆっくりと俯き、両手をぎゅっと握り締める。

 

「……正直、思いたくありません。母が小町さんの事を語るとき、すごく幸せそうな顔をいつもしていたんです。それだけで母がどれだけ小町さんを好きだったか分かったんです。そんな小町さんが今は母を苦しませているなんて……考えたくありません」

「そうか」

 

薊の答えに四ツ谷は短くそう呟いた。その口元はわずかに緩んでいたが、薊はそれに気付く事はなかった。

再び四ツ谷は本から顔を上げ、薊に向かってどこか力のこもった声で言う。

 

「安心しろ。小野塚は犯人じゃねーよ。真の犯人(死神)は別にいる」

「そうなんですか!?」

「ああ……それに小野塚は昔も今も、何も変わっちゃいないと思うぞ?お前が想像するとおりであり、椿さんの記憶に残るとおりの――」

 

 

 

「――不器用で馬鹿な死神だよ」

 

 

そう小さく響くと四ツ谷は持っていた本をパタンと閉じた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、そう言ってましたから!」

「……ほほ~ぅ。馬鹿な死神、ねぇ……。あいつとは一度『オ・ハ・ナ・シ』が必要かねぇ~?」

 

悪意の欠片もなく笑顔で回想を締めくくる薊とは対照的に、小町も笑顔を顔に貼り付けてはいたものの、こめかみに血管を浮き立たせており、間違いなくカチンときていた。

だが、その感情も次の薊の言葉で消沈する。

 

「……でも、小町さん。それでも私と瑞穂は小町さんに対して思う事がないわけじゃないんですよ?母の事を想って祝言に来なかった事も、母が苦しんでた時に駆けつけてきてくれなかった事も……!」

「あ、うん……」

 

薊の言葉にシュンとうな垂れる小町に、薊は続けて言葉を投げかけた。

 

「だから……約束してください、小町さん。……もう黙って母の元からいなくならないって……何時でもいいので母に会いに来てくれるって……!」

「!……ああ、わかったよ。約束、する……」

 

優しさを含んだ椿の言葉に、小町は泣きそうになるのを必死にこらえながら、俯きがちに頷いた。

しかし次の瞬間、小町の脳裏で何かが引っかかった。

 

(ん?……約束……四ツ谷……?)

「あっ!!」

 

脳裏で引っかかっていたモノ――今の今まですっかり忘れていた事に小町は反射的に顔を上げ、それに反応して薊と瑞穂も何事かとビクリと驚いた。

それに構わずやや青ざめた顔で小町が呟く――。

 

「しまった……!四ツ谷の怪談……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四ツ谷はというと、小さな家々が立ち並ぶ通りで義兵と対峙していた――。

義兵の手には包丁と火の付いた蝋燭。対して四ツ谷は手ぶらという状況であったが、懐にはひそかに短刀を所持しており、()()になってもある程度は対処できた。

だが四ツ谷自身はもうこれ以上、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

少し前に小町と共に義兵の家に忍び込み、そこで地下室へ続く扉を見つけ、少しだけ扉を開けて中の様子を伺った。

そこには大きな台に寝かされ、手足を拘束された椿と包丁を持った義兵がいた。

タイミングを見計らって怪談を始めようと考えていた四ツ谷であったが、義兵が語りだした真実に隣にいた小町がみるみると般若の形相になっていくのに気付き、宥めようと声をかけようとした瞬間、今度は椿の纏っていた襦袢を義兵が包丁で切り裂き始めたのを見て、身を乗り出した小町を戦々恐々とした面持ちでしがみ付くようにして必死に押さえたのだった。

今下手に動けば、直ぐそばにいる義兵に椿を人質に取られる可能性があることを踏んでの行動であった――。

だが、最後に椿が響いた()()()()()小町が完全にプッツンしてしまい、こちらの手を振り切って椿を救出し、何処へともなく椿と共に姿を消してしまったのだった――。

地下室でパニックになって義兵は暴れていたが、四ツ谷も予想外の展開に半ばパニックになって慌てて義兵の家から飛び出したのがつい先ほどであった。

 

(……何とか直ぐに()()を確保する事ができたが、最悪怪談が中止になる所だったぞ!!)

 

考え無しに飛び出した小町(今回の主役)に対して四ツ谷は内心、文句を言いたい気持ちで一杯だったが、直ぐにそれを押し殺し、今は目の前の男の対処を行おうと気持ちを切り替えた。

その目の前の男――義兵は本性をむき出しにして四ツ谷に叫ぶ。

 

「貴様っ!!貴様の仕業か!?四ツ谷、()()()ッ!!」

「ほォ!姓名しか教えてないのに俺の名を知っているとは……。……なるほど、事前に俺たちのことを調べていたんだな?だからこそ俺が椿さんの家から一人で出てきたとき、警戒してあんな代役を立てたのか……」

「貴様が夜中に一人で出てきたとき、何となく嫌な予感はしていた!貴様が人の振りをした()()()だと言う事も薄々感じてはいたわい!!」

「ハッ!!歳食ってる割には随分と鋭いじゃないか!だがそれにしてはその目的や行動が滅茶苦茶だがな!」

「何っ!?」

 

怒りに歪む義兵の顔に深みが増すも、四ツ谷はそれを絶対零度のごとき視線で見下ろし続ける。

そして続けて言う。

 

「あんたのやる事は全て矛盾だらけだ。椿さんへの『幸福』を謳いながらも、その行動は彼女から家族を奪い悲しませるというもの。彼女が半兵衛の為に金銭に困っていた時も、何もしなかったそうじゃないか。真に彼女の事を想うなら、わずかながらも支えとなってやるべきだったというのに……!」

「…………ッ!!」

「……結局あんたは自分の利己主義(エゴ)を椿さんに押し付けていただけ。椿さんのではなく自分の『幸福』の為に自分勝手な理屈を通し、彼女から無益に家族を次々と奪った最低な死神だ……!!」

「だ、黙れ……黙れぇッッッ!!!!」

 

四ツ谷の言葉に怒りの沸点が越えたのか、義兵は大きく包丁を頭上へと振りかぶり、四ツ谷へと振り下ろそうとする。

だがその包丁を持った手が頭上に持ち上げられたままピタリと止まった。

振り下ろす直前、それよりも先に四ツ谷が動き、彼の長い指先が義兵の眉間数ミリ手前まで突きつけられたからだ。

突然の事に義兵は反射的に包丁を振りかぶった状態のままの姿勢で止まってしまう。

驚く義兵に向かって四ツ谷は冷たく言い放った。

 

「……そんなあんたに、彼女の『幸福』をどうこう言う資格は、無い……!」

「……きっ、貴様ぁッ……!!」

 

呻くようにそう響きながら義兵は四ツ谷を睨みつける。だがそれにお構い無しとばかりに四ツ谷も語気を強めていく――。

 

「あんたとの会話もここまでだ。ここから先は、黙って俺の言葉のみをその老弱(ろうじゃく)した耳をかっぽじいて聞いてもらおうか――」

 

その瞬間、本能からか義兵の脳内で危険を知らせる警鐘が鳴り響く――。

それはまさに終焉へと向かう開幕のベル。義兵の人生最後の舞台の幕が上がった瞬間だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さァ、語ってあげましょう!!アナタの為の怪談を!!!」




申し訳ありません。
また一月以上間を空けてしまいました。
楽しみにしていただいている皆々様には本当に頭の下がる思いです。


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其ノ十二

前回のあらすじ。
小町は椿を救出し、彼女の自宅へと運ぶ。それと同じくして四ツ谷は義兵に怪談を語り始めた。


    シャキ……

                                  シャキリ……

 

               シャキ……

 

 

 

                      ジャキリッ……!

 

 

 

 

 

 

  

         シャキ……

                              シャキッ……

 

 

               ジャキン……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何処からとも無く風を切り裂く鋭い刃の音が聞こえてきます……その中には風だけではなく、別のナニカを裂く音も混ざり、少しずつ……しかし確実にそれはこちらへと近づいてくるのです……。その音は草を刈る音か木の枝を切る音、もしくは――」

 

 

 

 

 

 

 

「――人の、命か……!」

「……ッ!?」

 

四ツ谷の言葉に、義兵は思わず息を呑んだ。

夜の闇の中――唯一の光源が義兵の持つ蝋燭の火一つのその場所で、義兵はもう片方の手に持つ包丁を振り上げた姿勢で動きを止めていた。

眉間数ミリ手前に四ツ谷の指先が突きつけられ、四ツ谷の眼光と共に刺さるその威圧感に無意識にその体制で静止する形となったのだった。

対峙する二人の間で四ツ谷の声だけがただただ響く――。

一呼吸置いて四ツ谷は静かに語りだした――。

 

「……一人の、死神がいました。……その死神は両親と死に別れ、天涯孤独となった少女を愛していました――。健気に生きるその少女を()()()()()()()()見守っていました。……やがて少女は成長し、一人の男と結ばれ、子宝に恵まれました。幸せの絶頂にある少女でしたがその反面、独占欲の強かったその死神は彼女を孤独に戻すべく、彼女の周りの家族たち……その魂を一つ一つ刈り取っていったのです……。一つ……二つ……三つ、と……」

「は……ハッ!その死神がワシか!!今更そんな事言って何だと言う――」

「――ですが」

 

四ツ谷の怪談に口を挟んだ義兵だったが、その言葉を途中で四ツ谷が遮る。そして続けて言う――。

 

 

 

 

 

「――その死神は知らなかったのです。その少女には自分以外にもう一人、彼女を愛している死神がいることを……」

 

 

 

 

「……は、はぁ?何を言って――」

「――その死神は……先ほどあなたも会ったはずですが……?」

「!!」

 

四ツ谷のその言葉に、ついさっき地下室でであった得体の知れぬ女の顔が脳裏をよぎる。あの赤い髪の女がそうだというのか?

動揺する義兵に構わず、四ツ谷は怪談をつむぎ続ける。

 

「その死神は……長い時間少女と共に生きてきました。彼女が寂しがらぬよう、悲しまぬよう、ずっとそばにい続けてきたのです……。そして彼女に伴侶となる者が現れ、独り立ちを迎えた時、その死神は黙って静かにその身を引きました……彼女の幸せだけを、切に願いながら……」

 

「しかし――」と、四ツ谷は声のトーンを幾分か落とし、言葉を吐き出した。

 

「――その幸せが同じ死神(あなた)の手によって破壊された時、死神(彼女)は怒りに狂った……!そして、()()()()()()()()()()()を引きつれ、大鎌を振り回しながらその死神(あなた)を探し求めたのです……!!」

「……ッ!!??」

 

まるで脳内に直接刻み込むかのような四ツ谷のその声と言葉は、義兵の顔から瞬く間に血の気を失せさせ、大量の冷や汗を滝のように流させるように十分だった――。

自然と呼吸と心臓の鼓動が激しくなり、同時に膝も笑い始める――。

そんな義兵の目の前で四ツ谷は静かに言葉をつむいだ。

 

「――そして今夜、その悲願が成就する……!長きに渡って探していた憎き同胞を見つけ出した……!」

 

 

 

 

 

もう一人の死神(あなた)を、見つけた……!!」

 

 

 

 

 

「……くっ、くだらん!!何を馬鹿な!!ワシを(たばか)るつもりじゃろ!?し、死人を連れて死神がワシのところへ来るなど、そんな事……あるワケ――」

「――時に大家さん」

 

叫びだす義兵のその言葉を四ツ谷は再び自分の声で静かに重ね止める――。

その瞬間、水をうったかのように辺りは静まり返るも、直ぐに四ツ谷が辺りに木霊した――。

 

「……何故あなたはまだその姿勢で固まっているのでしょうか?……ああ、すみません。今のは失言でしたね――」

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 

ヒクッと、義兵は自分の呼吸が止まる音を耳にした。

数秒とも数時間とも思える間をおいて、義兵は双眸を大きく見開いたまま、その眼だけをゆっくりと動かした――。

その視線の、先には――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――大家さん……。

 

 

 

 

 

 

 

 

青白い顔をした椿()()()()()()が、義兵の蝋燭を持った腕にしがみ付いていた――。

 

「!!!!????」

 

あまりの事に義兵は口をパクパクと開閉する。言葉だけでなく声すらまともに発せ無いようであった。

死んだ時に頭から地面にぶつかって落ちたのか、その男の頭は完全に陥没しており、大量の血と共に脳漿(のうしょう)も頭から垂らし、義兵を恨めしげな目で見つめていた。

 

――……大家さん、酷いじゃないですか……。俺の水筒に一服盛るなんて……。見てくださいよ、あなたのおかげで俺の頭、こんなになっちゃったじゃないですか……。

「ヒィッ!!?」

 

悲鳴を上げて反射的に顔をそらす義兵。しかし、顔を向けた先にも自らその命を奪った二つの顔があった――。

 

――大家さんあなたでしょ?私に向かって角材を倒してきたのは……。

――苦しい……苦しいです大家さん……。あなたが刺してきた包丁が肺にまでたっしていて呼吸するたびに苦しいんです……。

 

最初の夫ほどではないが同じく頭から血を流している椿の二番目の夫と、背中に大量の血のシミを作った三番目の夫が、それぞれ義兵の包丁を持つ腕と胴体にしがみ付いていた。

二人とも最初の夫同様、青白い顔で義兵を恨めしげに見つめてそう響く――。

 

「あ、ああぁぁぁ……!!……ヒィィィィッッ!!??や、やめろ!!は、放せ……放せええぇぇぇーーーーっ!!!」

 

何とか自分にしがみ付いている三人を振りほどこうと、義兵は必死に頭を振りながら暴れる。

その視線がふと、足元を向いた時、義兵は再び硬直した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――三人の幼い少年少女が青白い顔で義兵の両足にしがみ付き、義兵を見上げていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

二人は少年、残り一人は少女。そのうち少年と少女の二人は()()()()()()()()()()()()、異様なほどに体がブヨブヨに膨らんでいた。

しかしもう一人の少年はそれ以上に酷い姿をしていた――。

獣にでも食われたのか、顔の右半分と左腕と右足が見事に食いちぎられており、お腹にいたっては食い破られて(はらわた)がデロリとはみ出て垂れ下がっていた――。

 

――くるしぃよぉ……おおやさん。どうしてボクをかわにつきおとしたの……?くちからおみずがはいってきて、つめたくてくるしいよぉ……。

――()()()のからだ……こんなにぶよぶよにふくらんじゃった……おおやさん、どうしてなの……?ほづみ、なにかわるいことでもしちゃったの……?

――いたい、いたいよぉ……。おおやさん……こわいよーかいが、ボクのからだ、おいしそうにムシャムシャたべるんだ……。ボクのおててとあしがなくなっちゃったよぉ……。どうしてボクにうそのみち、おしえたの……?

「あ、アアアァァァァァァーーーーーーーーーー!!!!!」

 

地の底から響くようなその声にもはや頭が真っ白になってパニックになる義兵。そのひょうしに手に持っていた蝋燭が地面に落ちた。

それを、いつの間にか指先を義兵から離していた四ツ谷が、火が消える前に静かに拾い上げた。

それを見た義兵は必死になって叫ぶ。

 

「だ、だずげでぇぇぇーーーッ!!ダズゲデッ!!」

「……もう、遅いですよ。大家さん」

 

涙と鼻水と涎で顔をグシャグシャにした義兵が四ツ谷に助けを求めるも、四ツ谷はそれを冷酷に突き放す。

そして続けて響いた。

 

「……あなたが人間を辞め、死神になった瞬間から、こういう末路を辿るのは決定付けられていた――。一人の女性の人生を自分の思う様に弄ぶ為、人としての心を失い、他者の命を奪うことになんら躊躇(ためら)いもなくなってしまった、あなたの人生は――」

 

そして四ツ谷は蝋燭を持って静かに義兵の眼前に迫る。

蝋燭の火で不気味に照らされた四ツ谷の顔は果てしなく感情の抜け落ちたかのような無表情であった――。

それを見た義兵は全身からブワッと汗がでてくるのを感じた。

恐怖でカチカチと歯を鳴らす義兵に四ツ谷は最後の言葉を投げかけた――。

 

「ほぅら……聞こえてきたでしょう?……同胞(あなた)を連れ帰るため、地獄の底からやって来た――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――もう一人の、死神の足音が……!!」

 

 

 

 

 

 

 

そう響いた瞬間、四ツ谷は手元の蝋燭の火をフッと吹き消した。

辺りは完全な闇となる。一寸先すら見えなくなった――。

しかし、その闇の中から小さくも、だが確実に義兵に向かって近づいてくる音があった――。

 

 

   コツ……

 

                              コツ……

           コツ……

 

 

 

                        コツ……

 

 

 

     コツ……!

 

                             コツッ……!

 

 

            コッ………!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!!!!」

 

息を呑む義兵。それと同時に足音と共に何か鋭い刃物のようなモノが風を切り裂く音が聞こえ出す――。

 

 

 

 

 

 

 

    シャキリ……

 

                シャキリ……!

 

                              シャリンッ……!!

 

 

 

 

 

 

「あ、あああぁぁぁ……!くるな……くるなぁぁ……!!」

 

体を死者たちでしがみ付かれ、逃げたくても逃げられずにいる義兵にはもはやそう響きながら祈るしかなくなっていた。

だが無情にもその音は義兵に近づくのを止めず、彼の直ぐ真後ろまで迫っていた――。

そして唐突にその音が止んだ次の瞬間、ガバッと彼の顔を真っ白い手のひらが覆われる。

 

「ヒッ!!!!」

 

小さく悲鳴を上げる義兵。その白い手の指の隙間から、青白く輝く鎌が自分の喉下に突きつけられたのが見て取れた。

皮膚に当たるその冷たい感触がこれは現実なのだと嫌でも義兵の頭を理解させる。

もはや呼吸すら止まりそうになっている義兵の顔が、それを鷲掴みにしている手によって強引に動かされる――。

無理矢理義兵の視線が自分の肩口のほうへ動かされる。それと同時に雲間からゆっくりと月が顔を覗き、あたりを薄っすらと照らし出した。

もちろん義兵の背後にいるモノも――。

 

「!!!」

 

義兵は目を見開く――。

それは全身を黒い布ですっぽりと覆っており、頭部の部分もその布でフードのように被され、顔所か表情すら陰になって見て取れない。

しかし、そこから覗く髪の毛は何処までも紅く、まるで血を滴らせたかのような色だと義兵は感じた。

するとその髪の間から鋭い眼光が義兵を射抜いた。

 

「あ、ああぁぁぁ……」

 

力なく声を漏らす義兵の耳元で、地獄の奥底から響くような声で、そのモノは言葉をつむいだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――……サァ、同胞ヨ………地獄(ウチ)ヘカエルゾ……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「------------------------------ッッッ!!!!」

 

月下に義兵の声にならない悲鳴が木霊した――。




ゴールデンウィークに入っても色々と忙しく、今の今まで投稿できず、真に申し訳ありません。


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其ノ十三

前回のあらすじ。
四ツ谷は義兵に怪談を語った――。


真夜中に唐突に轟いた悲鳴に近所の住人たちは何事かと家から飛び出した――。

そして散策して直ぐに通りの真ん中で気を失って倒れている義兵の姿を発見したのだった――。

白目をむき、口からは泡を吐き、その上脚の間から大きな水溜りを作ってぴくぴくと痙攣(けいれん)する義兵は住人たちを唖然とさせるも、すぐさま彼を永遠亭に運ぶため行動を起こす。

その光景を少し離れた物陰から四ツ谷は見つめていた。

 

「ふぅ……、一時はどうなるかと思ったが、何とか終わったな」

「『何とか終わったな』じゃないわよ!どう言うことなのよコレ!?」

 

ため息混じりに響く四ツ谷の背後からそう声が上がり、四ツ谷は振り向いた。

そこには先ほど、義兵に鎌を突きつけていた黒い布を纏ったモノが立っていた。

そのモノが顔を隠している部分の布を無造作に剥ぎ取る。そこから現れたのは、血のように濃い紅――ではなく、淡い桜色の髪の毛を持ち、頭に二つの団子を作った茨木華扇のブスッとした顔であった――。

何処から調達したのか、()()()()()()()()()()()()()ドシドシと大股で四ツ谷に華扇は詰め寄る。

 

「何で私があの死神の()()でこんな格好されなきゃならないのよ!?」

「仕方ねーだろ?主役がいきなりどっか行ってしまって、この場であいつに一番容姿が近かったのはお前だったんだからな。つーか、文句ならあの死神に言ってくれ」

 

ため息交じりに四ツ谷はそう響いた。

そもそも今回の怪談は小野塚(彼女)がメインだったというのに、その彼女が怪談を始める前に消えてしまい、急遽代役として華扇に白羽の矢が立ったのである。

しかし、主役不在で怪談を行うという異例の事態は四ツ谷自身、前代未聞であったため、彼自身も小町には文句が山のようにあった。

 

「……まったく。今回の怪談は予想外の連発だった。『聞き手』には一杯食わされるし、主役は蒸発するしでこっちも散々だぞまったく……!」

 

今後の教訓として思案していくべきだな。と一人うんうんと頷く四ツ谷に、華扇はこれ以上文句を言っても無駄だなと深いため息をつく。

そして今一度視線を四ツ谷に戻すと今度は真面目な声で彼に問いかけた。

 

「ねぇ、あの義兵って男、私が近づくまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、あなた彼に何か術でもかけてたの?金縛りとか、幻術とか……。すっごい悲鳴を上げてパニックになってたけど……」

「いんや。俺はただ怪談を語っただけだ。……金縛りだの幻術だのそう言った類のイロハすら知らねーよ」

 

肩をすくめてそう言う四ツ谷に、華扇は「えっ!?」と目を見開いた。

 

「で、でも義兵は確かに()()()を見たようだったけど……!?」

「さァねェ……。大方自分が殺した奴らの幻でも見てしまったんじゃないか……?だが、もしそうだとしたら、奴の心の中にも多少なりとも罪悪感が燻っていたかもしれないなぁ……。じゃなきゃ、俺の語りでもそんなモノは見えやしないさ。ヒッヒッヒ!」

 

意味深にそう不気味に笑う四ツ谷に華扇は納得できないと言った風に眉根を寄せた。

しかし直ぐに考える事を放棄したのか、華扇は再びため息をつくと、片手に持った鎌を弄びながら独り言のように呟いた。

 

「……とりあえず今はこの埋め合わせを彼女(小町)にしてもらう必要があるわねぇ。私が彼女の代わりに死神をやってあげたんだもの」

「ああ、それに関しては俺も同感だ。散々俺の計画(怪談)を引っ掻き回してくれたくれたんだからな。タダで済ますわけにはいかねーよ。……なあ、小野塚?」

 

そう言って振り返った四ツ谷の視線の先、民家の陰に隠れてこちらの様子を伺う赤い髪の女死神の姿があった。

気付かれているとは思わなかったのか、肩をビクリと戦慄(わなな)かせて驚く小町。

 

「……き、気付いてたのかい!?」

「おかげさまで。怪異になったことで多少なりとも気配に敏感な体質になったモンでね。ヒッヒッヒ!」

 

小町の問いに軽い口調で答える四ツ谷。しかしその目は全く笑っておらず、獲物を見つけたような笑みを顔に貼り付け、ゆっくりとした足取りで小町に近づく。それは四ツ谷の後ろにいる華扇も同じであった。

しかしそれとは反対に小町は引きつった笑みを浮かべてじりじりと二人から距離を取ろうと後ずさる。

 

「……わ、悪かったよ!謝るから今回の事は勘弁しておくれ!」

「あらあら、それで済ませようとするなんて、少し虫が良すぎるんじゃなーい?」

 

満面の笑みで小町に近づきながら華扇はそう響いた。

ああ、こりゃやばい。そう感じた小町は能力を使ってこの場から逃げようと踵を返すも、その動きが唐突に止まる。

小町の気配を察知していたのか、彼女の直ぐそば、民家の隅に置かれていた大きな木箱から、唐突に金小僧と折り畳み入道、そして小傘が飛び出し、小町の行く手を遮ったのだ。

 

「のわっ!??」

 

驚いて反射的にその場で硬直する小町。だがその一瞬の隙が命取りとなった。

彼女の両肩を背後からそれぞれ四ツ谷と華扇がガッシリと掴む。

ビクリと大きく反応した後、小町は血の気の引いた顔をギギギッという音が鳴りそうな動きで後ろへと向ける。

そんな彼女に四ツ谷と華扇が冷酷に響いた。

 

「覚悟は――」

「――できてるわよね?」

 

夜の人里に若い女の悲鳴が木霊した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、人里の上空で事の成り行きを静かに見ていた者がいた。八雲紫である――。

眼下で地面に正座させた小町を華扇と共に説教する四ツ谷を見ながら、紫は小さく彼に拍手を送った。

 

「やんややんや。今回も素晴らしい出し物でしたわよ?四ツ谷文太郎さん」

 

そんな彼女の背後に緑の髪を持った小柄な人影が姿を現す。紫は別段驚く事も無くその者に声をかけた。

 

「……やはり、あなた様も見に来てらっしゃったのですね。四季様」

「……なにぶん私の部下の問題ですからね。気にならないわけはありません」

 

紫に声をかけられた四季映姫はつれなくそう答えた。

四ツ谷が薊の家を出た時、小傘が感じた複数の気配。それは華扇とこの二人の気配だったのである。

映姫は紫の横に並ぶと彼女と同じく眼下に眼を向けながら口を開いた。

 

「……今回の四ツ谷文太郎の『最恐の怪談』……その題材が『死神』ということは恐らく……」

「ええ、あの義兵という老人から出た『畏れ』は全て『死神』に吸収される事となるでしょうね」

 

紫のその言葉に映姫はホッと胸をなでおろす。

 

「……だとしたら少し安心しました。何せこの幻想郷の管轄にいる死神は数多くいますからね。恐らく義兵の『畏れ』は分散されて一人一人に吸収されると思いますが、それも微々たるものでしょう」

「あらあら残念♪今度は一体どんな怪異が生まれるか期待していましたのに♪」

「……心にも無い事を。私の前で嘘をつくとはいい度胸です」

 

鋭い目で映姫は紫を睨みつけようと、目線を横に移動させる。しかしそこには既に紫の姿は影も形も無かった。

しかし、何処からとも無く紫の声が映姫に語りかける。

 

「今日の昼間の頼み事……忘れてはいませんわよね?『今回の怪談が新しい怪異を生み出す可能性があったとしても決して手出しはしないでほしい』と言う……」

「…………」

 

映姫は静かに目を伏せた。彼女は紫に今回の件は絶対に手を出さぬよう釘を刺していたのだ。

全ては長年()()()()の事で悩み続けている部下の為。その悩みを解消させるため、何としても四ツ谷文太郎の『最恐の怪談』を成功させるべきだと彼女は考えたのだった。

その為なら、例え今回の怪談でまた新たな怪異が生まれるという責任を背負うのも覚悟の上で――。

 

「結果的に怪異は生まれませんでしたが、あなた様が私に貸しを一つ作ったことは紛れも無い事実。いずれ返してもらうつもりですのでゆめゆめお忘れ無きように……」

 

そう言い残すと紫の気配は完全にその場から消え失せたのであった――。

一人残された映姫は疲れたようなため息を一つつく――。

 

「予想以上に……高い代償だったかもしれませんね……」

 

そう呟いて映姫は何とも複雑な顔を浮かべながら、暗雲が多く漂う夜空を見上げるのであった――。




ようやくこの話も次が最後です。
この話を書き始めた当時はここまで話と時間が長くなるとは思いもよりませんでした。
ですがやっとここまで来れて自分も嬉しい限りです。

あと一つ、お知らせです。
今回の第四幕は何かと矛盾が目立つ所があったので、この話の『其ノ二』で補整のための文章を少し書き足しましたので、良ければ見ていって下さい。


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其ノ十四 (終)

前回のあらすじ。
四ツ谷の怪談が終り、かくして椿を取り巻いていた一件は幕を閉じる。


迷いの竹林の奥深くにたたずむ診療施設『永遠亭』――。

その一室である診察室で二人の女性が頭を抱えていた。

永遠亭唯一の薬師兼女医である永琳、そしてその弟子の鈴仙である。

彼女たちが今頭を悩ませていたのは今日の夜明け前に人里から担ぎ込まれてきた老人の件であった――。

義兵が運び込まれた時には気を失っていたのだが、目が覚めたら覚めたで支離滅裂な言葉を並べ、意味不明な行動なども起こす状態になっていた。まるで重度の痴呆症にかかったかのようである。

しかしふとした拍子に何かにおびえ始め、「死神が……死神が……」とブツブツ呟きながら部屋の隅に縮こまるという言動も起こし、それらを繰り返すようになったのである。

彼を落ち着かせ、正気に戻させることは永琳の腕なら造作も無い事だったが、しかし彼を治すことに彼女は大いに悩んだ。

そう言うのも、義兵の症状は今現在(表向きは)この永遠亭で治療を受けている人里の悪徳親子、半兵衛と庄三の状態にとても酷似したものだったからである。

半兵衛と庄三はそれぞれ金小僧と折り畳み入道の祟りに会ったと人里の人間たちがそうもっぱらに噂し会っていた。

そしてその噂と一連の騒ぎの中心に、最近この幻想郷にやってきた怪異の男――四ツ谷文太郎が絡んでいる事も、独自の情報網を持つ永琳の耳にも入っていたのである。

悪事の限りを尽くした半兵衛、庄三の二人は四ツ谷の手によって処断された。

ならばこの義兵という老人も四ツ谷の手にかかるほどの悪事を手に染めていた可能性が高いと永琳は睨んでいた。

それ故、彼女は義兵の治療にためらいを覚えたのである。

いっそ前の二人同様、監禁して新薬開発のための実験台になってもらおうとも考えたのだが、何分半兵衛よりも高齢なため、試験薬の効果に体が耐え切れる保障は何処にもなかった。

だからと言って一度その身を預かってしまった手前、放置するという考えはだせなかった。

配下の兎たちが半兵衛たち同様、彼の身の回りの世話をしてくれてるため、今のところは()()()()()()()()ことはできるが、この先一体どう処理したものかと永琳は弟子と共に頭を捻らずにはいられなかった。

 

「はぁ……いっそ人里から介護士でも雇ってそいつに全部押し付けてしまおうかしら?」

「もう丸投げですね師匠」

「考えるのが疲れたってだけよ……。そう言えばさっき退院していった人間の男、急いで人里に帰って行ったみたいだけど何かあるのかしら?」

 

永琳のその問いに鈴仙は顔をほころばせて口を開く。

 

「あー、あの人ですか?――」

 

 

 

 

 

 

「――何でも改めて意中の想い人に告白するようですよ?今回の件で悲しませた分、今度はしっかりと彼女に誓いを立てるんだって言って……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

義兵が永遠亭に入院して数日後、四ツ谷の新しい拠点となる建築途中の建物の真向かいにこれまた新しい民家が建つこととなった。

永遠亭から帰ってきた青年に改めて告白され、それを受け入れた椿であったが、その直ぐ後に二人はある問題に直面する事となる。

青年の家は完全なる独り身のための民家だった故、椿たち三人と一緒に住むということは難しく、そのため当初は祝言を挙げ終えたら、椿たちの家で一緒に住もうという計画だったのである。

しかし、その家を貸し与えていた大家の義兵の本性を椿は見てしまい、その上その義兵から真実を聞かされたため、彼から借りている今現在住んでいるこの家にこれからもずっと居続けるというのは椿本人には些か抵抗のある事態となってしまったのだった。

そのため、祝言後に新しい家に引っ越そうという提案があがったのだが、今現在人里には四人以上の人間が住める借家は無く、椿と青年ははたと頭を抱えてしまったのである。

しかし、その問題も意外な所から助け舟が来る――。

四ツ谷が椿たち二人に新築を建ててそこに住めばいいのでは?と提案してきたのだ。

しかし、新しい家を建てる費用も余裕も今の自分たちの所にはない事を椿は四ツ谷に言った。

だが再び、四ツ谷から信じられないセリフがかけられる。

 

「んじゃあその費用、俺が全て受け持とう。あ、無担保、無期限返済で利息も無しってことで、返せる時にちょくちょく返してくれればいーし」

 

軽い口調で四ツ谷からそんな提案を出され二人は開いた口が塞がらなかったのは言うまでもない。

だが椿は義兵から自分を助けてくれたのはひとえに彼の協力もあったことを聞かされていたため、若干躊躇(ためら)いながらも、四ツ谷を信じて彼の提案に甘える事を決めたのであった。

だが、いくらなんでも何のメリットも無くそこまで大盤振る舞いする四ツ谷ではない。

彼自身は椿たちにそうやって恩を売っておいて第二助手である薊を自分の元に長期にわたって働かせる口実の一つにしたのだ。

まあ、間接的に命も助けたし、過去のしがらみからも開放したのであるからこれ位の事はいいだろうと、四ツ谷は内心そう考えていた。

それに薊本人も四ツ谷たちの下で働き続ける事はまんざら嫌でもなかった。

何度も四ツ谷たちに助けられたため、彼女自身恩義や信頼を感じて彼らから離れて転職する事が考えられなくなっていたのである。

 

骨組みができた四ツ谷の新拠点建設予定地の前に急遽(きゅうきょ)、大き目の民家が立て始められていく――。

ちなみに、何故その場所なのかというと、真向かいにあるほうが薊が直ぐにやってこれるという事と、ただ単に今現在、人里の建設業に関わる人間の大半が四ツ谷の拠点造りに携わっているため、直ぐ真向かいにある方が同時に建設を行うのに何かと手間が省けると考えたからだ。

もっとも、規模と優先する要素の大きさから先に完成させるのは民家の方になってしまったが。

 

「……費用のほうは金小僧が居るおかげでなんとでもなるけれど、さすがに人員まではそうは行かないしねぇ~」

 

急ピッチで民家建設の作業をしていく人々を離れた所で薊と一緒に見つめる小傘がそう響いた。

薊はしばらく無言でその作業風景を見つめていたが、意を決したかのようにクルリと小傘に向き直り、真剣な顔で口を開いた。

 

「小傘さん。借金の事といい、今回のお母さんの事や新築の事といい、本当にありがとうございました。小傘さんたちには返しきれない恩義ができてしまい、正直どうやって返せばいいか分かりません。……でも、私の心身と生涯をかけて、絶対お返しますので何なりと申し付けてください……!!」

 

自分の着る着物をぎゅっと握って深々と頭を下げてそう言う薊に小傘は慌てふためく。

 

「ちょ、ちょっとこういうことは師匠の前でしてもらわなくちゃ……っていうかそんなにかしこまらないで!頭を上げて!?いつもみたいに気楽にして仕事していてくれたらいいから、ね!?」

「で、でも……」

「いいの、いいの!師匠もそのほうが安心すると思うし、ね!?」

「は、はぁ……、分かりました」

 

渋々そう答えた薊に小傘はホッと胸をなでおろした。そしてふと顔を上げる――。

 

「……そう言えば師匠、一体何処に行ったんだろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、薊の家にて椿は一人、干して乾いたばかりの洗濯物をたたんでいた。

瑞穂は家から近い小さな空き地で友達と遊んでおり、家には椿しか居なかった。

てきぱきと衣類をたたんでいくその椿の背中を玄関の戸口の隙間から見ている女性が居た。――小野塚小町である。

数日前に危ない目に会ったというのに、背中越しにチラチラと見える椿のその横顔は、まるで憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。

だがそれでもまだ思うところがあるようで、若干その顔には陰が見え隠れしていた。だがいずれそれも時間が解決してくれるだろう。

彼女が元気そうなのを確認した小町は椿に気付かれないように静かに踵を返して去ろうとし――。

 

「――待って」

 

ふとそんな声が響き、小町の脚は自然と止まった。

それと同時に再び背後から声がかかる。

 

「……どうして入ってこないの?()()()()()()()お茶とお菓子を用意して待っているのに……」

 

小町の背後で戸が開かれる音が響く。小町は振り返らず小さく呟く。

 

「……だって、私は……あんな別れ方しておいて今更……」

「うん。悲しかったし、少しつらかった。……でも、()()()()()()で消えるほど、私たちの縁はもろかったの?……違うでしょ!?」

 

背後からかかる声が若干強くなる。しかし小町は何も答えず、黙ってその声を聞き入っていた。

 

「……あの十年、私は本当に幸せだった……!姉さんと姉妹になって、一緒に泣いたり笑ったり、時には喧嘩なんかしたりしてすごく楽しかった……!血が繋がっていなくたって、貴女が人間じゃなく死神だって関係ない!昔も今もこれからだってずっと、ずっと――」

 

 

 

 

 

「――貴女は私の大切な家族です……小町姉さん」

 

 

 

 

 

その声――椿から優しくつむがれたその言葉に、小町は片手で顔を覆って肩を小さく震わせた。

そんな小町を背後から抱きしめる。

 

「……今度こそ、来てくれますよね?私たちの祝言に」

「ああ……行く……必ず、行く……。今度は、絶対に……!」

「祝言が終わっても、また会いに来てくれますか……?」

「ああ……毎日だって、行ってやる……!もう絶対に、離したりは、しない……!」

 

小町がそう響いた後、二人はもう言葉を交わさず、そのまま立ち尽くしていた。

そんな二人を離れた所から見守る者が一人いた。――四ツ谷文太郎である。

片手で顔を覆い、俯く小町を背後から優しく抱きしめる椿を見て、四ツ谷は小さく笑みをこぼした。

そして、静かに踵を返して去りながら、誰に言うでもなく小さく両手を鳴らし、声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『死神に愛された女』これにて……お(しま)い……」




これにて第四幕終了です。
いや~長かったです。
書ききれて本当に良かったです。
さて、次の話はまた速い内に出します。


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第五幕 とおりゃんせ
其ノ一・表


とーりゃんせー とーりゃんせー

こーこはどーこの ほそみちじゃー


風に乗って歌声が聞こえてきます。何百年も続き受け継がれてきた『とおりゃんせ』……。
誰もが知っている童謡でしょう……。
しかしこの童歌には、ある恐ろしい噺が密かに囁かれていたのです……。


とーりゃんせー とーりゃんせー♪

 

こーこはどーこの ほそみちじゃー♪

 

てんじんーさまの ほそみちじゃー♪

 

 

 

 

朝も早くから近所の子供たちは家を飛び出して元気にはしゃいでいる。

『とおりゃんせ』を謳いながら遊ぶ子供たちを見ながら、私は自然と顔をほころばせた。

夏が終わり、残暑の残る時期となったが、今日は朝からとても晴れやかで清々しい一日を迎えられていた。

洗濯物を入れたかごを両手に持って深く深呼吸する私の背後の玄関から、夫である清一郎(せいいちろう)さんが顔を出す。

 

真澄(ますみ)、行ってくるよ」

 

いつものように仕事に行く時、決まって彼は私に微笑みながらそう声をかける。

それに私も笑って答える。

 

「ええ、行ってらっしゃい。寄り道しないで帰ってきてね?」

「わかってるよ」

 

そう言いながら清一郎さんは玄関から外に出る。

それに続いて私たちの愛しの一人息子である清太(せいた)も玄関から元気よく外に飛び出してきた。

もう直ぐ七歳の誕生日を迎える清太の目線に合わせるようにして私はしゃがみ込む。

 

「清太おはよう~。今日も清太は元気だねぇ」

「おはようお母さん!」

 

元気に朝の挨拶をする清太に私は優しく頭を撫でる。くすぐったそうに身をよじる息子を抱き寄せると、誠一郎さんに向き直った。

 

「清太、お父さんは今から仕事に行きますから、『いってらっしゃい』しましょうね?」

「うん!お父さん行ってらっっしゃーい!」

 

清太は大きく手を振って清一郎さんを見送る。しかし清一郎さんは、

 

「……行ってくる」

 

そう素っ気無く言ってさっさと仕事に向かって行ってしまった。

 

(……まったくあの人は清太に不器用な所が全然直ってないわ)

 

清一郎さんは私には笑顔をよく見せるのだが、清太には全く愛想の無い態度を取る。

私が清太ばかり相手にするものだから妬いてるのかしら?そう思いながらシュンと悲しそうに俯く清太の頭を撫でて私は言った。

 

「大丈夫。お父さんは清太の事嫌ってなんかいないわ。ちょっと清太とどう接していいかわからないだけよ」

「……ほんと?」

「ええ。だから気にせず遊んでらっしゃい」

「うん!」

 

元気が戻った清太は近くで遊んでいた子供たちの輪の中に入っていった。

私はそれを見届けた後、いつもの家事仕事に取り組むため、家の中へと戻っていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼時を過ぎた頃、私は借りていた本を返すために貸本屋『鈴奈庵』へと脚を運んでいた――。

読書は清一郎さんと結婚した後の私の唯一の趣味だ。

家事が終わって空いた時間になると鈴奈庵から借りた本を読むのが私の日課だった。

金貸しの半兵衛が人里に猛威を振るっていた頃は読書する時間もなく毎日を多忙に過ごしていたが、その半兵衛がどこかへ消えてくれたおかげで、私に読書の時間が戻ってきてくれたことは嬉しく思う。

今日も鈴奈庵の暖簾(のれん)をくぐって借りていた本を返すために店の隅にある机へと向かう。

そこには飴色の髪を鈴の付いた髪留めで左右に結んだ、この店の可愛らしい看板娘さんがそこに座っていた。

丸眼鏡をかけて読書をしていたが、私が来たのに気付くと慌てて眼鏡をはずし、本も閉じる。

そしてかけていた椅子から立ち上がると、その娘さん――本居小鈴(もとおりこすず)ちゃんは営業の為の笑顔を作って私を出迎えた。

 

「いらっしゃいませ真澄さん!今日は本の返却に?」

「ええそうよ。それとまた新しい本をいくつか借りていってもいい?」

「もちろんです!どれでも好きな本を選んでいってください!」

 

元気よくそう言う小鈴ちゃんに私も笑顔を作り、借りていた本を机の上に置いた。

そして小鈴ちゃんが全部の本が返却されたのを確認したのを見て、私は本棚の列へと脚を運んだ。

十数分の時間をかけて私は本棚から二、三冊本を引っ張り出し、左腕に抱え込む。

 

「……後一冊、何か無いかなぁ~?」

 

そんなことを呟きながら、私は本棚に並ぶ本の群れに目を泳がした。

その目が不意に止まる。一冊の本にその視線が止まったのだ。

私は誰かに唆されたかのようにその本を取り、ペラペラと(ページ)をめくり、流し読みをする。

そして唐突にとある頁でその動きを止めた。

 

「…………」

 

しばらくその頁の内容を読んでいたが、次の瞬間にはパタンと本を閉じ、他の本と一緒にその本も小鈴ちゃんの元に持っていっていた。

 

「小鈴ちゃん、この四冊お借りするわね」

「毎度ありがとうございます!……おや?」

「?どうしたの?」

「あ、いえ……。真澄さんにしては意外な本を選んだなって思いまして。……すみません」

「いいのよ。ちょっと読みたくなっちゃってね。()()()()()って思うかもしれないけれど」

 

愛想よく笑って私はそう言った。そして小鈴ちゃんから本を借りて鈴奈庵を出て家路へと向かう。

 

(……もうすぐ清一郎さんと清太が帰ってくるわね。今日の晩御飯は何にしようかしら……?)

 

そんな事を考えながら私は我が家へと脚を速めた――。




第五幕、開幕です。

あと今回から、原作同様前書きのほうに四ツ谷先輩の前口上みたいなのを乗せていこうと思っています。


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其ノ二・表

夜明けと共に起きた私は、外に出て朝の空気を一杯に吸い込んだ。

今日もいい天気。今日も気合を入れて家事仕事にはげまないと。

それに今日は()()()()。清太の誕生日だ。

だから今晩は気合を入れた料理を作らないとね。

いつもどおり清一郎さんを送り出した後、私は()()()()()鈴奈庵で借りた本を返しに行く事にした――。

一週間前と同じく、鈴奈庵に来た私を小鈴ちゃんは迎え入れてくれた。

 

「あ、いらっしゃいませー!真澄さん!お久しぶりです!」

「久しぶり、小鈴ちゃん。本返しに来たわよ」

「はい、ありがとうございます!え~と……はい、全冊返却、確かに受け取らせてもらいました!」

「……それじゃあ、私はこれで」

 

そう言って踵を返して店を出ようとする私に、小鈴ちゃんは「え?」と声を漏らす。

振り返ってもう一度彼女を見ると、目をパチクリと見開いて驚いていた。

首をかしげて私は小鈴ちゃんに口を開いた。

 

「?どうしたの?」

「あ、いえ……今日は別の本をお借りにならないのかと思いまして……」

「あー、ごめんね。今日は私にとって特別な日なの。だから急いで準備しないと……」

「特別な日?」

「ええ、そうなの。本を借りるのはまた今度にするわ。じゃあね!」

 

そう言い残して私は鈴奈庵から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……この間いなくなったウチの鶏、まだ見つからなくて……」

「まあそうですの?ウチの飼っていた猫も昨日からどこにもいなくって……何か心当たりありませんか?」

「いいえ……。そう言えばウチの隣のおじいさんが飼っていた犬もいなくなったんですって」

「本当ですの?……いやだわぁ、まさか妖怪の仕業じゃ……」

「巫女様に相談したほうがいいのかしら……?」

 

家路に向かう途中、近所の奥様方の会話が耳に飛び込んでくる。

私はそれに聞き耳を立てながら、静かに自宅の玄関をくぐった。

そして奥の間にいた清太に向かって微笑みながら祝福の言葉をつむいだ――。

 

「――おかえり、清太……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、私は奮発して晩御飯を豪華なものにした。

いつもならそうそう食べられない料理がお膳の上に乗せられる。うん、我ながら豪勢ね。

そうこうしている内に清一郎さんが帰ってきた。

疲れて帰ってきた清一郎さんを私は彼のお膳の前に座らせる。

 

「お、今日は偉く豪勢だな」

「そりゃそうよ。何てったって私たちの最愛の息子の誕生日ですもの。財布の紐も緩むわ」

「……そうだな」

「うふふ!それじゃあ三人で一緒に食べましょう!待ってて、今清太呼んでくるから!」

 

そう言って私は隣の部屋にいる清太を呼びに、その襖を開ける。

清太は私がこの日のために新しく買った着物を纏ってそこに立っていた。

私は清太の手を取って微笑みかける。

 

 

「さぁ清太。晩御飯よ、一緒に食べましょう?」

「うん!」

「ふふふっ、清太その着物、すっごく似合うわよ?」

「ありがとうお母さん!」

 

満面の笑みを浮かべる清太。そんな清太を見て私は再び笑いかけると清太の手を取って清一郎さんの待つ隣の居間へ向かおうとし――。

 

 

ガシャアンッ!!!

 

 

唐突に何かが割れる壮大な音が響き、私は何事かと音のした居間のほうへ振り返った。

するとそこで待っているはずの清一郎さんの姿が何処にも無く、盛大にひっくり返され、料理と食器の破片が散らばった彼のお膳だけが転がっているだけであった。

その光景に呆然となった私だが、直ぐに別の音が響きハッとなる。

玄関の戸が乱暴に開け放たれる音と、誰かが玄関から外に飛び出す足音が聞こえたのだ。

 

「あなた!?」

 

私は慌てて玄関に向かう。しかしそこで見たのは大きく開かれた玄関の戸とそこからのぞく墨汁を垂らしたかのような真っ暗な夜の闇だけであった――。



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其ノ三・表

あの後、夜が明けるまで清一郎さんが帰ってくるのを待っていたけれど、結局あの人は帰ってくる事はなかった。

一体どうしたというのだろう?

清太の大事な誕生日だったというのに、気合を入れて作った料理が全て冷めてしまった。

突然いなくなってしまった清一郎さんに私は内心苛立ちを感じずには入られなくなっていた。

 

「お母さん……」

 

不安げに私を見る清太。その声を聞いて私はハッとする。

どうやら苛立ちが顔に出てしまっていたらしい。

私は一変して笑顔を清太に向ける。

 

「大丈夫、怒ってないわよ清太。きっとお父さんは急に仕事先に何かあって、それで慌てて出て行ったんだと思うわ。心配しなくてももう直ぐ帰ってくるわよ」

 

そう私が声をかけると、清太は幾分、安心したような顔を見せた。

しかし日が完全に顔を出した頃になっても清一郎さんが帰ってくる様子は無かった。

そろそろ探しに行ったほうがいいだろうか?と私がそう考え始めた時だった。

コンコンと玄関の戸を叩く音が響いた。

清一郎さんが帰ってきたのだろうか?

はやる気持ちを抑えて私は玄関へと向かう。そしてその戸を開いて来客を視界に納めるも、その人は清一郎さんとは全くの別人であった。

しかし、私と清一郎さんにとっては()()と呼べる人だった。

 

「まあ、慧音先生?お久しぶりです。お元気でしたか?」

「ああ真澄、久しぶりだな。お前こそ息災で何よりだ」

 

かつて私と清一郎さんが子供の頃に寺子屋で学問を教えてもらっていた教師の上白沢慧音先生であった。

意外な人物の来訪に、私は驚きながらも先生を家へと上げた。

そして居間に敷いた座布団に先生を座らせると、私は先生にお茶を差し出した。

 

「すまない」

「いいえ。遠慮なく、ごゆっくりくつろいでください」

 

慧音先生のその言葉に私は笑ってそう答える。

先生はお茶に一口、口をつけるとゆっくりと今日の来訪内容を話し始めた。

 

「実は清一郎の事なんだが」

「え?あの人、今何処にいるのか知っているのですか!?」

「あ、ああ……。実は急に体の調子が悪くなったみたいでな。今永遠亭で治療中なんだ」

「永遠亭に……?」

 

それを聞いた私は内心疑問に満ちていた。

昨日帰ってきたばかりの清一郎さんは仕事で疲れているそぶりは見せていたものの、体調を崩している様子は無かったからだ。

長年彼と夫婦でいる私には彼が体調に異常があれば真っ先に気付けるようになっていたのだ。

それなのに彼が永遠亭に入院したということはどういうことだろうか?

しかもそのことを慧音先生がわざわざ言いに来たというのもおかしくはないか?

いぶかしむ私の様子に気付いてか慧音先生は慌てて口を開く。

 

「だ、大丈夫だ。清一郎はちょっとした風邪でな。すぐに治って帰ってくるだろう」

「はぁ……ただの風邪、なのですか……?」

「ああ……ちょっとタチの悪いのにかかったのだが、数日すれば退院できると、そこの薬師も言っているから安心しろ」

 

歯切れの悪い慧音先生のその言葉に私はますます不信感を抱かずにはいられなかった。

だが、かつての恩師の言葉なのだからと、一先ず今は信じようと私はそれを受け入れた。

 

「わかりました。慧音先生を信じます。あの人が今何処にいるのか分かっただけでも安心しました。……速いうちにお見舞いに行かないと……」

「ああいや……。その必要はない。ホントに直ぐに退院できるようだからな。お見舞いまで行く必要はないだろう」

「そう、ですか……」

 

まるで「お見舞いに行くな」と言いたげな先生のその言葉に私の中で言い知れぬ不安が渦巻き始めていた。

今日の先生は何かおかしい。ハキハキと喋るしっかり者の慧音先生、それが今日に限っては言葉は歯切れが悪く、妙に落ち着きがないという素振りを見せている。

ホントに清一郎さんはただの風邪なのだろうか。ホントに彼は永遠亭で入院しているのか。

考えれば考えるほど不安が膨らんでいく――。

意を決して口を開こうとしたその瞬間、私の背後にあった襖の戸がガタガタと揺れた。

突然の事に私と慧音先生はビクリと肩を震わせる。

 

「今のは……?」

「ああ、清太ですよ慧音先生。全くあの子ったら、何か悪戯でもしてるのかしら……?」

「清太、が……?」

 

いぶかしむ慧音先生に私は「ええ」と頷く。

そして今が好機とばかりに、このおかしな空気を一先ず変えようと私は両手を鳴らす。

 

「そうだわ慧音先生。実は清太を寺子屋に通わせようと考えてますの。あの子も昨日でもう七歳になりましたから、勉学を身に着けるべきだと思いまして……」

「清太を寺子屋に……?」

「はい。……あ、そうだ。こう言う事は清太本人にも聞いてもらわなきゃいけませんよね?待っててください、今呼んで来ますので」

 

そう言って私は立ち上がると、隣の部屋の襖を開け、そこにいた清太に話しかけた。

 

「清太、今慧音先生っていう寺子屋の先生が来ててね。清太を寺子屋に通わせようって話があるの」

「寺子屋?」

「そう。一杯勉強して一人前の大人になる所。清太と同じ歳の子供たちも一杯いるから、直ぐ友達になれると思うわよ?」

「ホント?」

 

私の話を聞いた清太の顔がパッと明るくなる。そんな清太を私は微笑ましく思いながら続けて口を開く。

 

「ええそうよ。だから一緒に慧音先生の話を聞き――」

 

そこまで言った瞬間だった。私の肩を何者かがガバッと強く掴んできたのだ。

 

「っ!?」

 

何事かと私は振り向き――そして次の瞬間には全身を凍りつかせた。

慧音先生がいた。

しかし先程までとは違い、今の慧音先生は明らかに様子が一変していた。

その顔は感情が抜け落ちたかのような無表情で、両目だけがコレでもかというほど見開かれていたのだ。

 

「け、慧音先せ――」

「――離れろ」

「え?」

「それから離れろ、今すぐにッ!!」

 

そう叫んだ慧音先生は私の腕の中にいる清太と私を無理矢理引き離そうと手を掛けてくる。

私は反射的に清太をかばうように、抱きしめながら先生に背中を向けて清太を守る。

それでも先生は私から清太を引き離そうとするのを止めない。

突然の事態に腕の中の清太も泣きじゃくり始める。

 

「うわぁん!!お母さん、怖いよぉぉ!!!」

「止めて下さい慧音先生!清太が怖がってます!!」

「離れるんだッ!!!」

 

私たちを引き離そうとする先生から、私は必死に清太をかばう。

一瞬の隙を突いて私は先生を突き飛ばし、清太を抱えて台所に走る。

そこに置いてあった包丁を掴むと私は一息置いて追ってきた慧音先生にそれを突きつけた。

包丁を突きつけられ、先生は大きく動揺する。

 

「真澄!?」

「清太に何をするんですか慧音先生!!先生がこんな事をするなんて思いませんでした!!」

「違う!!聞いてくれ真澄!!」

「出てってください、今すぐ!!ここから!!」

「待て、私の話を――」

「出て行けッ!!!!」

 

そう怒鳴り散らし、私は包丁を振り回して先生を家から追い払う。

先生が玄関から外に出た瞬間、私は玄関の戸をぴしゃりと閉め、閂で戸を固定する。

その瞬間、戸がバンバンと激しく叩かれ始める。

おそらく外から先生が叩いているのだろう。しかしそれを無視して私は包丁を持ったまま居間で泣きじゃくる清太を抱きしめ、戸を叩く音が止むのを息を潜めて待ち続けた。

一体何が起こっている?慧音先生のあの変貌。清一郎さんの行方不明。色々な事が一度に起こって整理が追いつかなくなっている私がいた。

 

「……お母さん」

 

その声に私は視線を落とす。そこには私の腕に抱かれ、涙で顔をグシャグシャにした清太の顔があった。

……そうだ。何が起こっているのかわからないけど、この子は私が守らないと。

清一郎さんがいない今、この子が頼りにできるのは私だけだ。

私は清太の不安を払拭するかのように強く抱きしめる。

それは外で慧音先生が戸を叩くのを止めるまで続いた――。




前回の『其ノ二・表』の前半部分の文章内容が少し気に入らなかったので、修正させてもらいました。


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其ノ四・表

慧音先生とのいざこざから数日たった。

あれから私は清太のそばからできるだけ離れないようにしている。

清一郎さんもいまだ帰らず。私はたった一人で清太を守り続けているのだ。

清太を一歩も家から出さず、私もできるだけ家にいるようにしているのだが、唯一食事の買出しだけはそうはいかない。

清太を家に一人残すのは不安で仕方なかったが、他に頼れる人もいなかったため、私は出かけるときは必ず直ぐに帰れるように心がけた。

今日も近場の商店にて、食材を大量に買い込む。いちいち買い出しに行く回数を減らすためだ。

多くの食材を入れた袋を両手に抱え家路へと急ぐ。

一体いつまでこんな状況が続くのだろう。言いようのない不安と緊張感が疲労へと変わり、口から大きなため息となって吐き出される。

……そう言えば昨日も散々だった。清太のために大きなお肉を手に入れて来ようと思っていたのに、横から邪魔が入って結局手に入れられずじまいであったのだ。

それを思い出して再び私は大きなため息をついてしまっていた。

そうこうしている内に家の近くまでやってきたが、そこで私はふと脚を止める。

たくさんの子供たちが大きな石に座った男を囲むようにして、何かを話している光景が目に入ったからだ。

子供たちに囲まれているその男を見た瞬間、私はゾクリと背筋に冷たいモノが走るのを感じた。

男は長身で黒い髪を持ち、同じく黒っぽい着物の上から何故か腹巻をしていた。

腹巻以外なら何処にでもいるような男にも見えなくはないが、彼の全身から何か得体の知れない不気味さが滲み出しているかのように私は思えたのだ。

しかし、そんな男が子供たちと何を話しているのか少し気になり、私は彼らに気付かれないようにそろりそろりと近づいていった。

ある程度距離が縮まった所で彼らの会話が聞こえるようになる。

 

「『とおりゃんせ』……?」

 

と、子供たちの一人がそう呟いた。

それに男がゆっくりと頷く。

 

「そう……『とおりゃんせ』だ。真夜中に『とおりゃんせ』の歌が何処からか聞こえてきたら、気をつけろ。聞こえたら最後、その者は近いうち神隠しにあい、二度と帰って来れなくなるからな……」

 

その男の言葉に子供たちはビクリと体を震わせる。

そんな子供たちに男は「特に」と呟いて、続けて口を開く。

 

「……(よわい)七歳になる子供の家に出るからな。……ここに今年七歳になる子供はいるか?」

 

男のその問いかけに子供たちの何人かが手を上げる。その誰もが泣きそうな顔になっていた。

そんな子たちに男は小さく笑いかける。

 

「安心しろ。お前らの所には出ねーよ」

「どうして?」

 

一人の子供の問いかけに男は答えた。

 

「歌が聞こえるのは真夜中。その頃はお前たちは眠って夢の中だろ?夢の中じゃ歌声は聞こえねーよ」

 

「それに……」と続けて男は言う。

 

「この幻想郷には博麗の巫女様もいる。いざとなりゃ、その人にお払いしてもらえば一発で解決さ♪」

 

そう男が締めくくると、子供たちは明らかに安堵の表情を浮かべる。

そんな子供たちに男はパンパンと両手を鳴らす。

 

「さァ、今日はここまで。もう直ぐ夕方だ。暗くならねーうちに、さっさと家に帰って、飯食って風呂に入って寝な。夜遊びなんかしてもし『とおりゃんせ』が聞こえても俺は知らねーぞ?シシシッ!」

 

その言葉を合図にしてか、子供たちは散り散りになって自分たちの家に帰っていく。

私も家路へと脚を向けるのを再開した。

馬鹿馬鹿しい、『真夜中のとおりゃんせ』?そんな話、今まで聞いた事がないわ。

きっとあの男、デマカセを並べて子供たちを怖がらせるのが好きなんじゃないかしら?

悪趣味としか言いようがない。立ち聞きした事を少し後悔しながら私は自宅の玄関をくぐった。

 

その晩、ホラ話だと思っていたそれが実際に自分の身に降りかかるとは知らずに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、私は何かあった時のために、護身用として包丁を枕元に忍ばせ、清太を抱いて就寝した。

今日の家事の疲れもあって次第にウトウトしだし、やがて夢の中に落ちた――。

 

……。

 

…………。

 

………………。

 

どれくらい立っただろうか。私はふと誰かに唆されたかのように目を覚ました。

辺りは真っ暗、まだ真夜中である事を悟ると私は再び寝ようと目をつぶろうとし――。

 

 

 

 

    ……とーりゃんせー……

 

                 ……とーりゃんせー……

 

 

 

 

  ……こーこはどーこの……

 

                        ……ほそみちじゃー……

 

 

 

 

 

 

「!!!???」

 

一気に目が覚めた。

静かな、それでいてはっきりと耳に入ってくるような歌声が何処からか聞こえてきたのだ。

それは正しく――『とおりゃんせ』であった。

 

「まさか!?」

 

家の近くで出会った男の話が脳裏をよぎり、ガバッと被っていた布団を払いのけて私は立ち上がる。

そして枕の下の包丁を引き抜くと辺りの様子を伺った。その間も『とおりゃんせ』の歌声は響き続ける。

 

「お母さん……?」

 

清太も起きてしまい不思議そうに私を見上げていた。

 

 

 

 

 

    ……ちっととおしてくだしゃんせー……

 

                   ……ごようのないものとおしゃせぬー……

 

 

 

 

 

その歌声を聴きながら私はハッとなる。

 

「誰かが家の外から歌っているのね!?」

 

そう判断した私は庭先へと出る障子を開け放ち、縁側から外に飛び出した。しかし――。

 

「嘘……。声が、()()()……!?」

 

まったくと言っていいほど歌声が聞こえなくなり、私は唖然となる。慌てて家の中に戻ると――。

 

 

 

 

     ……このこのななつのおいわいにー……

 

               ……おふだをおさめにまいりますー……

 

 

 

 

――再び、歌声が耳の中に入ってきた。

 

「嘘……そんな……。ま、まさか、家の中にいるの……!?」

 

私がそんなことを呟いている間に、

 

 

 

 

   ……いきはよいよい……

 

                        ……かえりはこわいー……

 

            ……こわいながらも……

 

        ……とーりゃんせー……

 

                           ……とーりゃんせー……

 

 

 

 

 

『とおりゃんせ』の歌詞は終わりを迎えた。

私ホッと胸をなでおろす。しかしそれは一瞬の事であった。

 

 

 

   ……とーりゃんせー……

 

                 ……とーりゃんせー……

 

 

 

再び『とおりゃんせ』が家の中に木霊し始めた。

 

「ッ!!??」

 

私は戦慄し、身を固くするも、すぐに包丁をもって家中の部屋という部屋を見て回る。

しかし、何処にも誰もおらず、人の気配もしない。

その間にも繰り返し繰り返し『とおりゃんせ』が家の中で響き続けた。

自分の心臓の動悸が激しくなり、呼吸も荒くなっていくのが分かる。

 

「いやっ……嫌ああぁぁッ!!!」

 

私は耳を塞ぎ、清太のいる寝室へと向かう。

寝室に飛び込むと清太をかき抱きしめる。

清太を守るように……。清太を誰にも奪われないように……。

そうしていてどれだけ立ったか、いつの間にか『とおりゃんせ』の歌声は止んでいた――。




加筆:少し文章を追加しました。


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其ノ五・表

博麗神社の一室にて、二人の少女がちゃぶ台を挟んで神妙な顔を突き合わせて座っていた。霊夢と魔理沙である。

少々、重い空気を纏わせながら霊夢が口を開いた。

 

「『とおりゃんせ』?」

「そう、『とおりゃんせ』だぜ霊夢」

 

魔理沙が頷き、数秒の沈黙の後、再び霊夢が口を開く。

 

「ふ~ん、真夜中に『とおりゃんせ』の歌が聞こえてしまうと。その家の七歳の子供が神隠しにあう。ねぇ……」

「ああ。人里は今その噂で持ちきりだ。特に子供たちの間でその噂が浸透しているみたいだぜ?」

「子供はそういった事を鵜呑みにしやすいしねぇ~」

 

のん気な口調でそう響く霊夢であったが、その顔はうんざり顔であった。

「またか」と言いたげな表情でちゃぶ台に頬杖を付く。

それに構わず魔理沙は霊夢に声をかけた。

 

「なぁ霊夢。『真夜中のとおりゃんせ』なんて、今まで聞いたことあったか?」

「ないわね」

「だよな?私もだ」

「…………」

「…………」

 

二人の間に沈黙が流れる。二人とももう分かっているのだ。この妙な噂の出所がどこからかということに。

二人の頭の中には「シシシッ!」と不気味に、それでいて腹が立つような笑いを浮かべる一人の男の顔が浮かんでいた。

 

「……霊夢。これってやっぱ……」

 

魔理沙のその言葉に霊夢はため息交じりに答えた。

 

「十中八九、あの怪談馬鹿の仕業でしょうね。今度は一体何企んでるのかしら?」

「紫たちが密かにあの怪談馬鹿を監視しているはずだよな?ったく、あっちもあっちで何やってるんだ?職務怠慢じゃないか」

 

霊夢は首謀者である男――四ツ谷文太郎を。魔理沙はその男を監視しているはずの八雲一家へとそれぞれ愚痴をこぼした。

余談ではあるが、霊夢たちの間では四ツ谷はもはや『怪談馬鹿』という呼び名で定着していた。

少々不憫に思えるが、呼ばれている本人が怪談に異常な執着を見せているのは周知の事実なため、自業自得ともいえる。

 

「はぁ~。面倒くさいけど……これは少し調べてみたほうがよさそうね」

 

今日、ひときわ大きなため息を吐いた霊夢はすっくと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「留守みたいだな」

 

人里、そこにある四ツ谷の住む長屋の前に到着した魔理沙は、格子窓から中の様子を伺い、霊夢にそう言った。

霊夢も魔理沙の横に立って、格子窓から四ツ谷の家の中をのぞく。そこは確かにもぬけの殻で、人の気配すらなかった。しかし――。

 

「……逃げたわね」

「何?」

 

ポツリとそう響いた霊夢に、魔理沙は疑問の声を漏らす。

霊夢は無言で自らのアゴをしゃくり、室内のある一点を見るように魔理沙に促した。

そこにはちゃぶ台が置かれており、その上には複数の湯飲みが置かれていた。

しかもその湯飲みのほとんどがまだ()()()()()()()()()()。淹れたてである事を示すかのように微かに湯気まで立ち上っていた――。

 

「さっきまでここにあいつらがいたって証拠よ。おそらく小傘あたりが私たちがここに来る事を察知して、早々にとんずらこいたんだと思うわ」

「だが今はまだ昼間だぜ?人里の真ん中で、異形丸出しの金小僧とか連れてどうやって逃げ……折り畳み入道か」

 

魔理沙のその言葉に霊夢は「正解」と短く答えた。

そして小さくため息をつくと続けて言う。

 

「……恐らく私たちがここで張り込んでてもあいつ等が帰って来ることはないわ。ここは一旦引き上げましょ」

「そうするしかないか……」

 

魔理沙も早々に霊夢に同意して、二人は四ツ谷の長屋から離れていった。

しばらく歩いた所で魔理沙は霊夢に声をかける。

 

「それで?これからどうするんだ?」

「あの怪談馬鹿の事に関しては今のところ何の考えも浮かばないわね。とりあえずは、今日の夕餉の買出しをして様子見ね」

 

その言葉に魔理沙は大きく反応し、霊夢の前に回りこむ。

 

「晩飯の買出しか?だったらさ。私もそのお相伴(しょうばん)にあずかりたいんだが」

「あん?何で私があんたに夕飯をおごらなきゃならないのよ?」

 

そう言った霊夢の前で魔理沙はパンと両手をあわせ、深々と頭を下げた。

 

「頼む!今、懐具合が洒落にならないほどピンチなんだ。大親友の危機だと思って少しくらい情けをかけてくれてもバチは当たらんだろ?」

「誰が大親友よ。バチも何も私があんたを養って何か良い事があるなんて思えないんだけど?」

「なぁいいだろ?今日ぐらい。お前も金小僧のおかげで最近は懐が潤ってるって話じゃないか。一人ぐらい増えた所で痛くもかゆくもないはずだろ?」

 

魔理沙の必死とも言える懇願に霊夢は数秒の沈黙の後、ため息と共に折れてしまった。

 

「……しょうがないわね。今回だけよ?」

 

霊夢のその言葉に魔理沙は「よっしゃ!」とガッツポーズを作る。それと同時に続けて霊夢が口を開く。

 

「いい機会だから、今晩は豪勢に行こうかしら?いつもならそうそう食べられないモノを一杯買い込んで」

「マジか!?太っ腹だな!!」

 

霊夢のその提案に魔理沙は飛び上がらんばかりに大いに喜んだ。そうこうしている内に市場に着いた二人はさっそく物色を開始する。

しばらく買い物をしていた時、霊夢の脳裏にふと疑問がよぎり、それを魔理沙に向けて口に出していた。

 

「そう言えば魔理沙。あんた夕飯の事、アリスには相談しなかったの?あんたの事だから、こういうことを真っ先に相談しそうなのはあいつだど思ったんだけど?」

 

霊夢の言うアリスとは魔法の森に住んでいる、人形遣いの魔法使い、アリス・マーガトロイドのことである。彼女と魔理沙、そして霊夢は比較的仲が良く、良く行動を共にする事も多いのだが、魔理沙はどちらかというと霊夢よりもアリスのほうが親しみが深い。

その大きな理由は彼女たちの住んでいる家の位置関係に他ならないだろう。

霊夢の住む博麗神社は幻想郷の最東端に位置しており、魔理沙はアリス同様、魔法の森の中に住んでいる。

つまりはアリスの家は魔理沙の家のご近所さんと言えるのである。

それ故、魔理沙とアリスが出会う頻度は霊夢よりも多かった。

霊夢のその問いかけに、魔理沙は少々バツが悪そうに頭をガシガシとかいた。

 

「あー、実を言うと私もアリスにそのことを相談しようと、今朝あいつのとこ行ったんだよ。でもアリスのやつ何か野暮用があるからって断ってきてさぁ」

「野暮用?詳しくは聞かなかったの?」

「んー?そんなプライベートな事いちいち聞くほど私は無神経じゃないぜ?」

 

「どの口が言うか」と再び市場で物色し始めた魔理沙の背中にそう言おうとした。その瞬間であった――。

 

「ッ!!?」

 

何か言いようのない寒気を感じ、霊夢はバッと背後へ振り返る。

その視界に入るのは市場の通りを行きかう多くの里人たち。そのうちの一人に霊夢は無意識に目を留めた――。

通りをフラフラとした足取りで歩く若い女性、パッと見、二十代後半あたりのその女性は整った顔立ちとは裏腹に、その両目の真下にはっきりとした隈を作っており、どう見ても寝不足ですと言いたげな表情を顔に貼り付けていた。

ゆっくりとした足取りで目の前を横切っていくその女性に、霊夢はずんずんと歩み、近づいて行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……あれからもう三日たつ。毎晩のように、『とおりゃんせ』が家の中で響きだし、その度に私は家中を走り回るハメになった。

歌声が響きだすと、家の部屋という部屋を見て周り、家の周囲にすら目を光らせた。

だが何処から歌声が響いているのか皆目件等つかずであった――。

しかも日を重ねるにつれ、その歌声が段々と大きくなっていっているのが分かる。

まるで得体の知らないナニカが、『とおりゃんせ』を歌いながら自分たちにゆっくりと近づいてきているような錯覚にすらおちいって来る。

精神と体力をすり減らしながらも、それでも私は清太を守る決心を固めて、今日も買出しをして家路に着こうとしていた。

そこへ背中から声がかけられる。

 

「……そこの人、ちょっと待ちなさい」

「……?」

 

力なく私は振り返ったが、呼び止めた人物の顔を見て一気に気を張り詰めた。

 

「み、巫女様!?」

 

幻想郷で知らぬ人はいない、博麗の巫女様がそこに立っていたのだ。

予想外の人物の呼びかけに、私は巫女様に向き直り、ピンと背筋を正す。

 

「こ、こんにちはです巫女様。……私に、何か……?」

 

私のその問いかけに、巫女様はハッキリとした口調で言う。

 

「貴女、()()()()()()()()?それも結構ヤバそうなモノに」

「!!?」

 

鋭い目で紡がれたその問いかけに、私は息が止まる思いであった。それに気付いていないのか、巫女様は続けて言う。

 

「貴女の今のその疲れきった姿も、それに関係してるんじゃない?……話して見なさい」

 

巫女様のその言葉に私は先日から聞こえてくる『とおりゃんせ』の事を言ってるのだと思った。解決してくれるのであればありがたい。私は内心安堵し、口を開きかけ――。

 

「…………」

 

直ぐに口を閉じた。

何故だろうか?最初こそ話してもいいだろうと思ってたのに、次の瞬間、私の中で何かが警鐘を鳴らし、その行動を妨害したのだ。

理由は分からない。ただ……ただ、巫女様に事の仔細を説明すれば、彼女はその調査の為に私の家にやって来る。そうなれば、清太とも顔を合わせる事になる。

何故だか分からないが、私は清太と巫女様を()()()()()()()()()()()()()()、そう思ったのだ。

急に黙り込む私を見て、巫女様は怪訝な表情を作る。

 

「どうしたの?」

「え、ぁ……その……」

 

要領を得ない私に巫女様は苛立たしげに眉根を寄せる。

 

「今貴女に憑いているモノはこの人里内で会ったのよね?だったらソレは今現在人里の中にいる事になるわ。得体の知れない危険度の高いモノを人里に居座らせるのは博麗の巫女として許す訳にはいかないのよ」

 

巫女様のその言葉に対しても、私は明確は答えを出す事はできなかった。

私の中で現在進行形で、『とおりゃんせ』を駆逐してほしいという願いと、巫女様に頼んではいけないという感情がせめぎあって、中々言葉として口に出せなかったのである。

だがその瞬間、行きかう人ごみの中から別の少女の声が私の耳に届いてきた。

 

「霊夢ぅー!何処行ったぁー!?デカイ肉買ったが、私金持ってないんだぁー!速くこっち戻って店員に金渡してくれぇー!」

 

その悲鳴にも似た声に巫女様は深々としたため息を吐いた。

 

「まったく魔理沙ったら……。いいわ、この話はまた後日するとしましょ?……その間は気休め程度だけど……」

 

そう言いながら巫女様は懐から一枚の護符を取り出し、それを私に差し出してきた。

 

「私の霊力を込めた退魔札よ。これを持ってればある程度の災厄から身を守ってくれるはずだから。――それじゃあね」

「あ……!」

 

一方的に巫女様がそう言い残すと、私に護符を押し付けてさっさと人ごみの中へ入り、去って行ってしまった。

私は手渡された護符を両手に持ったまましばらくの間、呆然と立ち尽くしていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして、そんな真澄と霊夢のやり取りの一部始終を少しは離れた所から隠れて見ていた者がいた。

人里の寺子屋教師、上白沢慧音であった。

彼女は霊夢が去っていた後も、そのまま立ち尽くす真澄をただジッと見つめていた。

その瞳に一つの決意を携えて――。




前回の投稿話の所々を少々修正させていただきました。


加筆:申し訳ございません。今回の話でも、最後の方で文章を追加させていただきました。
最近こんな調子で加筆修正が多くて、皆々様には大変申し訳なく思っています。


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其ノ六・表

今日も夜が来た。

就寝につこうと、今夜も私は清太を抱き寄せ、枕の下に包丁を忍ばせて横になる。

昼間、博麗の巫女様からもらった護符は寝室の隣の部屋、そこにある神棚に置いてある。

巫女様の強力な護符が今回はあるのだ。今夜が『とおりゃんせ』が来る最後の夜になるだろう。

私は神棚に祭られた護符に深い信頼を抱きながら、清太と共に深い眠りの中へと落ちていった――。

 

……。

 

…………。

 

………………。

 

どれくらい眠っただろうか。私は自然と真夜中に目が覚めてしまった。

最近いつもである。いつも夜中に何故だか目が覚め、そして――。

 

    ……とーりゃんせー……

 

                         ……とーりゃんせー……

 

「っ!!!」

 

まただ!また、『とおりゃんせ』が聞こえてきた!!

しかも昨日よりもますます声が大きく部屋に響いてきている!!

私は布団を引っぺがし、枕の包丁を取り出すと、隣の部屋に飛び込んで神棚に置かれた巫女様の護符を引っつかみ、それを持って寝室に戻ると部屋の中央でそれを掲げたのだ。

これさえあればもう『とおりゃんせ』は消えるに違いない。私はそう確信していた。……だが、現実は非常にも私を馬鹿にしたように嘲笑う。

 

「……ど、どうして!?どうして消えないの!??」

 

どんなに護符を掲げて見せても『とおりゃんせ』が止む気配は一向にない。それどころか――。

 

「……お、おかあ、さ、ん……くるし、いよぉ……!!」

 

何故だが隣にいる清太が急に苦しみだしたのだ。清太が苦しみだすと共に、部屋に響く『とおりゃんせ』の声も大きくなっていく――。

 

 

 

 

  ……とおおおおぉぉぉぉぉーーーーーー……

 

             ……りゃんせええええぇぇぇぇぇーーーーーー……………!!!

 

     ……とおおおおぉぉぉぉぉーーーーーーー……

 

            ……りゃんせええええぇぇぇぇぇーーーーーー…………!!!

 

 

   ……こおおぉぉぉぉーーーーこぉはぁどおおおぉぉぉこぉのぉぉぉ……

 

       ……ほぉそぉみぃちぃじゃああああぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!!

 

 

 

 

 

「ひいぃぃぃ!!!???」

 

ビリビリと部屋全体が振動するほどの声量が、何処からか木霊する。

あまりの五月蝿(うるさ)さに私は包丁と護符を持ったまま両耳を押さえる。

その横で顔色を真っ青にした清太が両目を大きく見開いて苦しみ蹲る。

 

「……お、かぁ、さ、ん…………!!」

「いやっ!!もう嫌あああぁぁぁぁーーーーーーーっ!!!」

 

私は大きくそう叫ぶと清太の手を掴んで家の外へと飛び出した。

真っ暗な人里の中を包丁と護符、そして清太を抱えて、私は目的もなくただ闇雲にひた走る。

もはや誰もが寝静まる時刻、周囲の民家からの明かりは一つも無く、出歩く人の影も皆無であった。しかし――。

 

「ヒッ、ひいぃぃぃ!!!」

 

『とおりゃんせ』が、『とおりゃんせ』の歌声が私と清太を後ろから追いかけてきていた。

「逃がしはしない!」そう叫んでいるかのように『とおりゃんせ』の歌声がおどろおどろしく響き渡り、着実に私たちに追いつこうとしているように段々とその声が近づいてくるのが分かった。

 

「いやああぁぁぁぁぁーーーーーーっっっ!!!!」

 

夜の空に私は大きく悲鳴を響かせる。私は清太を抱え、死に物狂いでまだこの時間でも賑わっているであろう繁華街の方へと全力で走って行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し時間はさかのぼって、場所は博麗神社――。

昼間に高い食材や酒を買った霊夢と魔理沙は、それらを使って豪華な晩御飯を作り、二人だけの宴会を開いたのだった。

普段なら食べられないような料理や高い酒を飽きるほど飲み食いして舌鼓をうった二人は、満腹感と酒の余韻から早々に就寝についた(ちゃっかりと魔理沙は霊夢に泊めてもらった)。

布団を被って直ぐに爆睡する二人であったが、時刻が深夜を回った頃、ふいに霊夢がカッと両目を開けて飛び起き、自分が着ている寝巻きを脱ぎ捨て下着姿になると、すぐにいつも自分が着ている巫女服へと着替え始めた。

ガサガサと大きく音を立てて着替える霊夢の騒々しさに、隣で寝ていた魔理沙が枕を抱えてのっそりと上半身を起こして目覚めた。

 

「んぁ~……。どうしたんだ霊夢ぅ~?」

 

目を擦りながらそう響く魔理沙に、霊夢は端的に答える。

 

「嫌な予感がする。人里の方から……!」

 

険しい顔で着替えながらそう響いた霊夢に魔理沙もただならぬモノを感じ、一気に眠気を吹っ飛ばす。

 

「……待ってろ。直ぐに私も着替える……!!」

 

そう言って魔理沙も慌てて着替え始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月明かりが照らす夜の幻想郷の空を、霊夢と魔理沙が全速力で人里へと飛んでいく――。

そして、寝静まった民家が密集する場所へと二人は降り立つ。

すると直ぐに霊夢が口を開いた。

 

「魔理沙、何か歌声が聞こえない……?」

 

そう言われて魔理沙は耳をすまし、直ぐに答えた。

 

「ああ、微かに聞こえる……。これは……『とおりゃんせ』だぜ霊夢……!!」

「ええ、しかもこの声……聞き覚えがあるわね。……結構いい声してるじゃない、あの()()()()

 

そう呟きながら耳をすませる霊夢は、繁華街のある方へと指をさした。

 

「……あっち、繁華街の方へ向かってるわね」

 

霊夢がそう言った瞬間だった。唐突にその方向から――。

 

「いやああぁぁぁぁぁーーー………!!」

 

絹を裂くような女の悲鳴が小さく届いた。

 

「霊夢!」

「ええ!」

 

二人は頷きあい、悲鳴の上がった方へと飛び出そうとする。しかしそこで二人の前に唐突に現れる人影があった。

 

「待ってくれ!」

「お前は……慧音!?」

 

両手を広げて二人を止める人影――上白沢慧音に魔理沙は驚きの声を上げる。

霊夢は慧音のその行動に苛立たしげに眉根を寄せる。

 

「どきなさい。邪魔するならあんたから退治するわよ!」

「頼む霊夢。今回だけは……いや、少しの間だけで良い、動くのを待ってはくれないか……!」

 

慧音が必死に懇願するも、霊夢は首を縦には振らない。

 

「聞けない相談ね。……私の『勘』が警鐘を鳴らしてるのよ!あの『とおりゃんせ』が聞こえてくる方向に何か厄介なモノがいるって……!しかもあの先には繁華街があるわ。このままほっとくわけには行かない事ぐらいあんたでも分かるでしょ!?」

「分かっている!分かっているが、だが……!」

 

いまいちハッキリしない慧音の物言いに霊夢も段々と痺れを切らし始め、お祓い棒と札を取り出して構えを取ろうとし――。

 

「落ち着きなさい霊夢」

 

唐突に第三者の声がその場に響き、霊夢はその動きを止めた。

その声の持ち主は民家の影から現れ、慧音の横に立つ。

その者の姿を視界に納めた瞬間、魔理沙は再び驚きの声を上げた。

 

「お前……アリスッ!?」

 

そこには短めの金髪に青い瞳、赤いヘアバンドにケープを羽織り、青のロングスカートをはいた、まるで等身大の西洋人形のような少女――アリス・マーガトロイドがそこに佇んでいたのであった。

 

「な、何でアリスが……!?」

「……なるほど。この一件、アンタも一枚噛んでたってわけね。アリス」

 

予想外の人物の登場に魔理沙は動揺するも、横にいる霊夢は冷静に状況を見極めそう響いていた。

そんな霊夢に、アリスはため息混じりに呟く。

 

「噛んでるって言うよりも、巻き込まれたってクチかしら?慧音先生と()()()に……」

 

やれやれと肩をすくめたアリスだったが、直ぐに真剣な顔つきになり、続けて言う。

 

「霊夢、魔理沙。今回の一件は少々複雑でね。だからそれを解きほぐして解決するためにも、わざわざ『とおりゃんせ』なんて怪談話を人里に流したりする手間暇をかけたのよ。……まあ、あなたたちの事だから、理由を聞いたところで「そんなの関係ない」と言い張って問答無用で沈静化させるかもしれないけど、少しはこちらの苦労も分かってほしいものだわ」

 

少々愚痴っぽくそう言ったアリスの横で慧音が口を開く。

 

「霊夢、魔理沙。事情は全て説明する。だから、少し……少しだけで良い。私たちに時間をくれ、頼む……!!」

 

そう言って深々と慧音は頭を下げた。

まさかの慧音のその行動に霊夢と魔理沙は目を丸くして顔を見合わせる。

数秒の沈黙後、霊夢が深いため息をついて腕を組む。

 

「……一から十まで。全部きっちりと話して見なさい。一体何があったのか」

 

霊夢のその言葉に、顔を上げた慧音は苦しげな顔でポツリポツリと話し始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、真澄は清太を抱えて繁華街へと走り続けていた――。

一向に背後から聞こえる『とおりゃんせ』も清太の苦しむ顔も止まず、焦りと恐怖だけが、真澄を支配していく。

近道をするために、雑木林の中に入り、繁華街を目指す。

やがて繁華街の明かりが大きくなり、もう直ぐ到着するという安心からか真澄は安堵の表情を見せるも、直ぐにそれは掻き消える事となる。

真澄たちの前に突如として一つの陰が立ちはだかったからだ。

突然の登場に真澄は自然と脚を止めてしまい、その陰を注視する。

そしてそれが以前見た事がある者だと認識すると真澄は声を漏らしていた。

 

「あ、貴方は……!!」

 

それは以前、真澄の家の近くで子供たち相手に『とおりゃんせ』を語っていた男であった。

長身に黒い髪、着物の上から腹巻を纏い、カラコロと下駄を鳴らすその男は、真澄たちの姿をその目に納めると、一度ゆっくりと目を閉じ、再び目を見開いて、真剣な顔で静かに声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

「さァ、語ってあげましょう。貴女の為の……怪談を……」




今回で表編は終了です。
次回から裏編に突入し、一体何が起こっていたのかその全容が明らかになっていきます。


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其ノ一・裏

――最近、真澄の様子が変だ……。

仕事を終え、家路へと向かう俺――清一郎は、そんなことを思い、悩んでいた。

様子がおかしいのは()()()()()()()()()のだが……。ここ一週間、それに輪をかけて奇行が目立つようになった。

最初に様子がおかしいと感じたのはそう……確か、真澄が趣味の読書のために鈴奈庵から本を借りてきて直ぐだったか……。

突然、奥の間の出入りを禁止され、真澄はそこに長い時間篭るようになってしまったのだ。どうしてか問いただしても、「大丈夫、ちょっとの間だけだから」と言って笑ってはぐらかされてしまうのだ。

おかしいのはそれだけではなかった。家に帰る度に鼻につく微かな異臭が漂っており、それが日に日に濃くなっているような気がする。雨戸や障子なども一日中閉まりきりにしていると近所の人たちから聞いたこともあった。

一体真澄は何を考えているのだろう……?

俺は深いため息をついて、歩きながら夜の空を仰ぎ見た。

 

(ああ、真澄……俺は一体お前にどうしてやるべきだったのだろうな……)

 

そんなことを思いながら、俺は過去を振り返っていた――。

 

 

 

 

 

清一郎と真澄との付き合いは、二人がまだ慧音が教師を勤める寺子屋の生徒の時から続いていた――。

その頃から二人は傍目から見ていても思想相愛の仲で、近い将来夫婦になるだろうと周りの者たちはそう噂していたほどであった――。

寺子屋を卒業した後も二人の交流は続き、時がたつに連れ二人の距離も次第に近づき、より深いものになっていた。

そろそろ自分と夫婦(めおと)になってほしいことを真澄に伝えようかと、清一郎がそんなことを考え始めていた時、事件は起こった――。

 

金貸し半兵衛の息子――庄三の手によって、十七になったばかりの真澄がかどわかされてしまったのだ――。

 

清一郎と真澄の両親がそれに気付いた時には全てが遅すぎた。

失踪して二日後の朝に庄三の手によって身も心もボロボロにされた真澄が両親の元に帰って来たのだ。

見るに痛ましい真澄のその姿を見て、真澄の両親は泣き崩れ、清一郎は怒りのあまり、庄三の元に殴りこみをかけていた。

だが庄三の屋敷に着くなり、清一郎は庄三の配下の者たちに阻まれ、庄三本人に会うこともできず、その配下の者たちに酷い暴行を受けて医者の世話になる羽目になってしまったのだった。

結局、庄三の事に対しては泣き寝入りするしかなく、傷が癒えた清一郎はやむなく真澄の治療に全力を注ぐ事を決めた。

心に深い傷を負った真澄は寝食などの最低限の生活行動以外は何もすることはなく、ただ自室に篭ってぼんやりとした目で塞ぎ込むようになってしまった。

何とか外に連れ出そうと彼女の両親はいろいろと手を尽くすも、その度に彼女は強く拒絶し、酷い時は周りの目も気にせず暴れる始末であった。

特にあれほど仲の良かった清一郎にでさえ、『異性』だという理由だけで強い拒絶反応を見せ、手当たり次第に物を投げつけてくるほどであった。

重傷と言っていいほど心を病んでしまった彼女であるが、それでも清一郎や真澄の両親はできうる限りの手を尽くして彼女と接してきた。

そのかいあって、彼女の症状は時間がたつと共に次第に緩和されていき、回復の兆しが見えるまでになった。

そしてついには、普通に会話ができるまでに改善され、清一郎たちは大いに喜んだのだった。

これを機に乗じ、清一郎は真澄に自分と夫婦になってもらえないかと告げる。

最初こそ躊躇っていた真澄だったが、清一郎の必死の説得で、最後には首を縦に振って了承の意を伝えた。

 

それから直ぐ、二人は祝言を挙げ、夫婦となって暮らすようになった。

 

その頃にはもう、心に深い傷を負って病んでいた彼女は鳴りを潜め、以前のような笑顔を見せるようにまでなったのである。

裕福とは言えずとも、ささやかな幸せをかみ締めていく清一郎と真澄。

そんな二人の間に子供ができることとなった――。それが清太である。

清太が生まれたことで、真澄の顔により一層の笑顔が浮かぶようになった。そんな彼女の様子を見て、清一郎ももう大丈夫だろうと心底安心したのだった。

そしてそんな日々が数年の間、なんら変わりも無く穏やかに過ぎって行った。

だが……再び、清一郎と真澄に悲劇が降りかかる事となる――。

 

五歳になった清太が友達と遊んでいる最中に、誤って井戸に落ちてしまい、()()()()()()()――。

 

井戸から引き上げられたときには、清太は既に事切れており、それを見た真澄は気が触れたかのようにその場で絶叫した。

清太の亡骸を見た清一郎もその場で呆然とし、周りの者たちも誰も真澄を落ち着かせようとする者はいなかった。

この瞬間、真澄の塞がれていた心の傷が再び開くこととなる――。

 

それから清太の葬式の後、以後彼女は何も無い空間に清太の名を呼ぶようになったのである。

 

誰もいない空間に笑いかけ、話し掛け、食事時には()()()のお膳を用意するまでに彼女の奇行は目立つようになった。

まるでそこに、死んだ清太がいるかのように――。

近所の者たちも気味悪がり始め、清一郎は何度も真澄に清太が死んだ事を伝えたが、彼女はがんなりと聞き入れようとしなかった。

意を決し、清一郎は永遠亭に真澄を連れて診て貰うことにした。

だがひとしきり診断した後、そこの薬師、八意永琳の口から出た言葉は「治療拒否」の意だった――。

何故か、と動揺しながらそう問い詰める清一郎に永琳は落ち着いた口調で、清一郎に言い聞かせるようにして言った。

 

『いくら私の薬でも、心を治すなんて事はできはしないわ。なにかしらの術を使って記憶操作や精神操作をすれば一時期は改善されるでしょう。でも後々、自分の記憶や周りの状況、言動に決定的な齟齬(そご)があることに気付き、彼女は今以上に病んでしまう危険性があるの。私が言えるのは唯一つ、何もせずにただ時間が解決してくれる事を願って彼女を見守る事のみよ』

 

無情なその言葉に清一郎は愕然となる。そんな彼に永琳は『そもそもよ』と続けて口を開く。

 

『彼女のあれはね、一種の()()()()()()なのよ。ああいう言動を取る事で彼女は自分の心を無意識に守ろうとしているの。自分の息子はまだ生きている。そう思い込むことで平静を保とうとしているのよ。……もし、それでも彼女をその幻想世界から現実世界に引き戻そうと思うのなら、覚悟なさい。それは心の防衛措置が外れた時、彼女の心が無情な現実に押しつぶされる時なの。……そうなってしまってはもう、取り返しはつかない。彼女は前回のような……いえ、前回以上の傷をその心に受けることになるわ。……もう二度と、ろくな会話もできないほどに、壊れてしまうから……』

 

以来、清一郎は永琳のその言葉を守り、真澄に何もせずただ時間が解決してくれるのをひたすらに待ち続けた。

それからもう二年は経った。真澄は未だに回復の兆しは見えていない。

彼女に対して何もしてやる事ができない清一郎はただただ、己の不甲斐なさに苛立ちをつのらせるだけであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気がついたら清一郎は自宅の玄関前に立っていた――。

真澄との過去を振り返っている間にいつの間にか自宅へと着いていたらしい。

思考を一端止め、今は真澄に帰って来た事を伝えよう。清一郎はそう思い、目の前の玄関の戸を開けた。

 

「ただいまー!」

「あら、清一郎さん。おかえりなさい!」

 

清一郎の声に、すぐに真澄が出迎えてきた。そして、清一郎を居間へと連れ、そこに用意されていた()()()の夕飯のお膳の一つ、その前に真澄は清一郎を座らせる。

清一郎は自分の目の前にある夕飯を見て目を丸くする。

いつもよりも豪華な料理が、お膳一杯に所狭しと並べられていたからである。

 

「お、今日は偉く豪勢だな」

「そりゃそうよ。何てったって私たちの最愛の息子の誕生日ですもの。財布の紐も緩むわ」

 

真澄のその言葉に清一郎の顔に一瞬暗い影を落とす。

そうだった。と清一郎は思い出していた。

今日は清太の誕生日だ。生きていれば七歳になっているはずのあの子の誕生日。清一郎はそのことをすっかり忘れていたのである。

 

「……そうだな」

 

上機嫌な真澄の声に清一郎はそっけなくそう返してしまっていた。

思えば清太関連となるといつもこうなってしまう。もういない清太に向かって真澄が一人で話し掛け、笑いかけるのはまだいい。

だが、それを自分にまで振ってくるとどう答えていいかわからない。

そのため()()()()()()()()()清太に愛想の無い言葉をかけてしまう自分がいたのだ。

しかし、何もいないとわかっているとは言え、自分にとっても最愛の息子だった清太に冷たい態度を取ってしまうのは清一郎としても胸が少し痛む思いだったのである。

そんな清一郎の気持ちに気付いていない様子で、真澄はウキウキとした口調で口を開いた。

 

「うふふ!それじゃあ三人で一緒に食べましょう!待ってて、今清太呼んでくるから!」

 

そう言って真澄は立ち上がり、隣の――()()()へ続く襖の前に立つと、それを大きく開けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

襖が開いた途端、そこからむわり、とした吐きそうなほど鼻の曲がる異臭が奥の間から溢れ出て、あっという間に居間全体に蔓延した――。

 

だが、今の清一郎はそれを気にしている余裕など微塵も無かった――。

文字通り、()()()()()()()()()()見てしまい。恐怖で頭を真っ白にしてその場で固まってしまっていたのだ――。

 

何も飾り気の無かったはずの奥の間のそこかしこに大量の血がべっとりとついており、部屋全体を赤い斑模様に染めていたのである。

壁には血だけでなく、何かしらの呪文が書かれた紙が何枚も部屋のあちこちにベタベタと張られており、畳が敷いてある床には、大量の血液に混じって、鶏の羽や猫の尻尾、さらには犬の首らしきモノまで転がっていた。また、排泄物を思わせる汚物や残飯らしき物体もあちこちに落ちて、奥の間の畳のほとんどがそれらで穢され、異臭の原因となっていたのである。

 

そして、その奥の間の中心に、()()は居た――。

 

奥の間の中心に立てられた、蝋燭の火に照らされたソレは、子牛ほどの大きさをした()()()()()()だった――。

ブヨブヨの胴体に手足のような大きく太い突起が生えており、それらを使ってバランスを取って立っているのが分かる。そしてその肉塊の頭部は胴体と融合しているのか、首といえる部分が何処にも無く、ただその部分に両目と口だとおもしき大きな『くぼみ』が空いているだけであった。その『くぼみ』の中は何も無く、ただそこから黒い闇が広がっているだけであった。

また、口だと思える『くぼみ』からは、白い泡のようなものを吐きながら、鴉の鳴き声にも似た奇声をそこから発せられていた――。

あまりにも唐突に見せられたその光景に、清一郎は顔を真っ青にして、歯をカチカチと鳴らしていた。

そんな清一郎の様子に気付かず、真澄は奥の間へと足を踏み入れる。

クチャリ、クチャリと、血だまりや汚物などを踏みつけても真澄はまるで気にする様子も無く、中央にいる肉塊へと歩み寄った。

そして、目線を合わせるかのようにして真澄はその肉塊の前にしゃがむと愛しげにその肉塊へと声をかけた。

 

「さぁ清太。晩御飯よ、一緒に食べましょう?」

――……ア゛ァーー……

「ふふふっ、清太その着物、すっごく似合うわよ?」

――……ア゛ァーー……――……ア゛ァーー……

 

真澄はその肉塊にかぶせられた着物を見てそう言葉を肉塊に投げかける。

今日買ってきたばかりの子供の着物であったが、肉塊の体表からにじみ出る体液や周囲の汚物で、新品とは思えないほど汚れきってしまっていた。

清一郎は未だ目の前で起こっている光景が信じられずにいた。

真澄は肉塊と会話しているように見えるが、その実、肉塊が勝手に奇声を発しているだけで真澄との会話がまるでかみ合ってない。つまり、真澄は一方的に肉塊に語りかけているだけだという事に清一郎は真っ白になった頭の片隅で何となくそれだけは理解した。

だが到底受け入れられなかったのは、その肉塊を真澄が「清太」と呼んでいる事だった。

自分たちの愛した一人息子があんな肉塊などと――。

そのとき不意に肉塊の顔が真澄の肩越しに清一郎(こちら)を見たような気がした。

 

「ッ!!!」

 

息を呑む清一郎。その瞬間、肉塊がわずかに顔を歪め、清一郎に向かって薄っすらと笑いかけた。

少なくとも清一郎にはそう見えてしまった。

その瞬間、清一郎の中で何かが弾け、後ろに向かって尻餅をつく。その途端脚が前にあったお膳を盛大に蹴ってしまい。食器と料理が一瞬、(ちゅう)を舞った――。

 

 

ガシャアンッ!!!

 

 

その大きな音と共に、清一郎の中の恐怖心が一気に爆発した。

考える間もなく清一郎の身体が勝手に動く。這うようにして玄関へと向かい、戸を乱暴に開け放つと、全速力で夜の人里の中を裸足で駆け出していた――。




裏編の始まりです。
最初は真澄の夫、清一郎の視点から入りました。


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其ノ二・裏

バンバンバンバン……!!バンバンバンバン……!!

 

今日の仕事を終え、就寝に着こうとしていた矢先、上白沢慧音の自宅の玄関の戸が激しく叩かれた。

あまりにも強く叩いてくるので、慧音は何事かと、急ぎ玄関へと向かう。

閂を外し、戸を開けると一人の男が飛び込んできた。

一瞬警戒心を見せる慧音であったが、その男の顔を見た途端ソレは直ぐに霧散する。

 

「お前……清一郎じゃないか……!」

 

両膝に両手をついて片を上下させながら激しく呼吸を繰り返す元教え子である清一郎の姿がそこにあったのだ。

どう言うわけか、何故か裸足で草履(ぞうり)などは履いておらず、土で素足が汚れきっていた。

 

「どうした、そんなに慌てて……何かあったのか!?」

「……っ……っっ…………!!」

 

慧音の問いに、清一郎は口をパクパクとさせて必死にそれに答えようとする。

しかし、全速力でここまで走ってきたせいか、思うように声が出ないようであった。

 

「落ち着け!そこに水がめがある。それを飲んで一息つくんだ」

 

慧音にそう言われ、清一郎はそばにあった水がめに駆け寄って、上に乗っていた柄杓とかめ蓋を取ると、柄杓で中の水をすくってがぶがぶと飲み始めた。

そして、柄杓の水を一気に飲み干すと、荒い息をしながらゆっくりと深呼吸をした。

ある程度落ち着いたのを見た慧音は、再び清一郎に問いかけた。

 

「それで?一体全体どうしたというんだ……?」

 

慧音のその言葉に、呼吸を整えながら、それでも一生懸命に清一郎は言葉をひねり出した。

 

「はあ……はあ……!た、助けてください慧音先生……!妻が……!真澄が……!!――」

 

 

 

 

 

 

「――真澄がバケモノに取り憑かれてしまったんです……!!」

 

清一郎からもたらされたその知らせに、慧音は驚きを隠せなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清一郎から一通りの経緯を説明された慧音は、一先ず彼を近所の知り合いの家にしばらく泊めてもらえるよう頼んだ。

何せ慧音は独り身、家はときどき親友の妹紅が泊まりに来るため、決して狭いというわけではないのだが、幾ら元教え子とは言え、女の独り暮らしの家に男を泊めさせるというのは些か抵抗があったのだ。

清一郎をその知り合いの家に預けた後、慧音は日が昇るのを待って様子を見るために真澄の家を訪ねた。

真澄の容態の事は慧音自身も知っていた。以前、何度か彼女の目の前でも、そういった言動を真澄が行ったのも見ていた。

 

(……まずは会って、話をするべき、だな)

 

清一郎の話が本当なら事は清一郎と真澄の二人だけの問題では無くなるかもしれない。下手をすれば、近所に住んでいる者たちにも被害が及ぶ可能性があった。

真偽の程を確かめるべく、慧音は真澄の家の玄関戸をノックした――。

戸が開かれ、出迎えた真澄は慧音の顔を見るなり一瞬驚いた顔をするも、直ぐに笑顔を浮かべた。

 

「まあ、慧音先生?お久しぶりです。お元気でしたか?」

「ああ真澄、久しぶりだな。お前こそ息災で何よりだ」

 

玄関先で二言三言、真澄と会話した後、慧音は真澄の家に上げてもらった。

一歩家の中に足を踏み入れた途端、慧音は家の様子が明らかにおかしい事に気付いた。

もう日が出ているというのに、未だ雨戸や障子が硬く閉められており、その薄暗い屋内のあちこちに人の背丈ぐらいはあろう燭台(しょくだい)が設置され、その上には大きめの蝋燭がユラユラと火をともしていた。

ろくに掃除をしていないのか薄っすらと埃が舞っており、室内の空気もどことなく重く感じた。

そして清一郎の言ったとおり、どこからか異臭が漂ってくるのを慧音の嗅覚が感じ取った――。

わずかに眉をひそめて慧音は前を歩く真澄に導かれるままに居間へと通される。そしてそこに敷かれた座布団の上に座ると、真澄は慧音の前にお茶を差し出して、自身は慧音の対面へと座った。

 

「すまない」

「いいえ。遠慮なく、ごゆっくりくつろいでください」

 

そう言って真澄は慧音に笑いかけた。作り笑いでもなんでもない、()()()()()()()()。一切の陰りを見せないその顔に、慧音は内心動揺する。

こんな顔ができる者が、心に病を抱え、あまつさえ得体の知れぬ異形と同居生活を送っているということに、慧音は疑問を抱かずにはおれなかった。

だが慧音自身、彼女が病で起こした言動を間近で見ており、昨日駆けつけてきた清一郎の必死な様子から見てしても、それが事実なんだと判断せざるおえなかった。

内心の動揺を抑えるため、慧音は差し出されたお茶を一口飲む。一息ついて落ち着いた所で、慧音は何から話をするべきか思案する。

 

(……とりあえずは清一郎の事から説明すべきか?あいつも慌ててこの家から逃げてきたと聞くし……)

 

だがこの家にいる異形を見た恐怖で逃げ出してここには帰って来れないなどと、直球で言える訳がない。

自分でも抵抗はあるが、これも真澄と清一郎の為と割り切り、慧音は嘘を含んだ説明を真澄に語りだした。

 

「実は清一郎の事なんだが」

「え?あの人、今何処にいるのか知っているのですか!?」

 

慧音から発せられた「清一郎」という名に、真澄は身を乗り出して食いつく。

その勢いに一瞬面食らった慧音だが続けて口を開いた。

 

「あ、ああ……。実は急に体の調子が悪くなったみたいでな。今永遠亭で治療中なんだ」

「永遠亭に……?」

 

言ってしまってから慧音は内心、頭を抱えたくなるほど後悔する。

 

(何を分かりやすい嘘をついているのだ私は!?)

 

生来、慧音は嘘をつくのがとても下手だった。いや苦手とも言っていい。実際、以前起こった『折り畳み入道』の一件で射命丸から問いただされた時の事も考えて明らかであった――。

事実、今目の前に座っている真澄も明らかに首を傾げて慧音を怪しんでいる様子である。

それを見た慧音は慌てて口を開く。

 

「だ、大丈夫だ。清一郎はちょっとした風邪でな。すぐに治って帰ってくるだろう」

「はぁ……ただの風邪、なのですか……?」

「ああ……ちょっとタチの悪いのにかかったのだが、数日すれば退院できると、そこの薬師も言っているから安心しろ」

 

一つ嘘をつけば、どんどん深みにはまっていく。自分でも下手すぎるな、と肝を冷やしながらも、それでも慧音は嘘をつき続けていかなければならなかった。

だがそんな慧音の思いに反するかのように、真澄の顔からいぶかしむ表情は消えず、それどころかかえって疑惑の面が増しているかのように見えた。

内心冷や冷やする慧音。

だが次の瞬間、彼女から出ていた疑惑の目が霧散する。

 

「わかりました。慧音先生を信じます。あの人が今何処にいるのか分かっただけでも安心しました。……速いうちにお見舞いに行かないと……」

「ああいや……。その必要はない。ホントに直ぐに退院できるようだからな。お見舞いまで行く必要はないだろう」

「そう、ですか……」

 

一応、表面上は納得してくれたらしい真澄に慧音は内心ホッとすると同時に、後悔の念にさいなまれた。

元教え子にこれほどまでの嘘をついた事が今まであっただろうか。それも自分を「信じる」と言ってくれた者に対してだ。

次第に鉛のように気分が重くなっていく慧音。いづれこの埋め合わせはしないといけないな、と考え始めた時だった。

唐突に真澄の背後にあった襖がガタガタと揺れ、慧音と真澄は同時に肩を振るわせた。

 

(何だ……?)

 

明らかに風で揺れた感じではない襖を凝視し、慧音は真澄に問いかける。

 

「今のは……?」

「ああ、清太ですよ慧音先生。全くあの子ったら、何か悪戯でもしてるのかしら……?」

「清太、が……?」

 

いぶかしむ慧音であったが直ぐにハッとする。

清一郎の話では、真澄は肉塊の異形を「清太」だと思い込んでいるという。だとしたら、今しがた襖を揺らしたのが真澄の言う「清太」だと言うのなら……。

そこまで考えた慧音は段々と自分の中から血の気が引いていくのを感じた。

そんな慧音の様子に気付いていないのか、真澄は両手を鳴らし、一転して明るい声で慧音に声をかけた。

 

「そうだわ慧音先生。実は清太を寺子屋に通わせようと考えてますの。あの子も昨日でもう七歳になりましたから、勉学を身に着けるべきだと思いまして……」

「清太を寺子屋に……?」

 

ありえない。真澄の言葉に慧音は内心強く否定する。

清太が七歳になる所か、寺子屋に通う事になるなんてもはや絶対にありえない事だ。だって清太は、もう……。

 

「はい。……あ、そうだ。こう言う事は清太本人にも聞いてもらわなきゃいけませんよね?待っててください、今呼んで来ますので」

 

そう言って真澄は立ち上がり、背後の襖の前に立った。それを見た慧音は慌てて真澄の背中に「待て」と声をかけようとする。

しかし、それよりも前に真澄はその襖の戸を開け放ってしまっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時になって慧音は、自分がまだ清一郎の話を完全に信じきれていなかったことを理解する――。

元教え子だった真澄が得たいの知れない異形を「清太」と呼び、我が子のように愛でているなど、にわかには信じられない事だったからである。

だがこの瞬間、慧音は清一郎の言っていた事が全て本当の事なのだと否が応なく納得せざるおえなくなった。

壁と床一面にぶちまけられた大量の血と汚物、吐き気を催すほどの異臭を放つ部屋の中心に、ソレは佇んでいた――。

青紫色の肉塊の異形――清一郎の言ったとおりの化物がそこに存在していた。

呆然とする慧音とは裏腹に、真澄はその部屋に何の躊躇いもなく入っていく――。

そして異形の前にしゃがむと、優しくそれに語りかけた。

 

「清太、今慧音先生っていう寺子屋の先生が来ててね。清太を寺子屋に通わせようって話があるの」

――……ア゛ァァーー……

「そう。一杯勉強して一人前の大人になる所。清太と同じ歳の子供たちも一杯いるから、直ぐ友達になれると思うわよ?」

――……ア゛ァァーー……――……ア゛ァァーーァァーー……

 

鴉の様な奇声を上げて真澄の言葉に答える異形。いや、慧音から見て真澄と異形の会話はまったくと言っていいほどかみ合ってなかった。

清一郎の言うとおり奇声を発する異形に一方的に真澄が語りかけている。

それを理解した時、慧音は肉塊の異形が空洞のような口を異常なほど大きく開けたのを見た。まるで目の前にいる真澄を飲み込もうとしているかのように――。

その光景を見た慧音はすぐさま立ち上がると、汚れるのも構わず部屋に飛び込み、真澄の肩を強く掴んだ。

 

「っ!?け、慧音先せ――」

「――離れろ」

「え?」

「それから離れろ、今すぐにッ!!」

 

そう叫んだ慧音はすぐさま真澄と肉塊を引き離しにかかる。

だが真澄は慧音に背中を向けてそれを妨害する。

だが慧音はそれでも肉塊から真澄を引き離そうとするのを止めない。

 

――……ア゛ァ……――……ア゛ァァァーー……ァァ……!

「止めて下さい慧音先生!清太が怖がってます!!」

「離れるんだッ!!!」

 

真澄が止めるのも聞かず慧音は肉塊に手を出そうとする。今の慧音には真澄と肉塊を離すこと以外頭には無くなっていたのである。

そんな慧音を一瞬の隙を着いて真澄が突き飛ばす。

 

「ああっ!?」

 

血と汚物にまみれた畳の上にベチャリと慧音は悲鳴と共に尻餅をついた。

その隙に真澄は肉塊を抱え部屋を飛び出した。一瞬送れて慧音も追いかける。

そして台所で追いついた所で、慧音は真澄に包丁を突きつけられたのだ。

 

「真澄!?」

「清太に何をするんですか慧音先生!!先生がこんな事をするなんて思いませんでした!!」

「違う!!聞いてくれ真澄!!」

「出てってください、今すぐ!!ここから!!」

「待て、私の話を――」

「出て行けッ!!!!」

 

慌てて慧音が説明しようとするも、真澄は聞く耳を持たず、包丁を振り回して慧音を追い立てる。

そしてついには慧音を玄関から外へと追い出し、真澄は慧音を締め出したのだった。

 

「真澄、聞いてくれ!それは清太じゃない!清太じゃないんだッ!!」

 

バンバンと戸を叩きながら、必死に玄関越しに慧音は声を上げる。

しかし、何度声を上げても家からは何の返答もなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅぅ……」

 

それから少しして、人気の無い路地の民家の陰で、一人膝を抱えてすすり泣く慧音の姿があった――。

元教え子に嘘をついたこともそうだが、その教え子に包丁を突きつけられ、家から追い出された事がよほどショックだったらしい。

誰に気付かれるでもなくシクシクと泣き続ける慧音に、唐突に声がかかった。

 

「……け、慧音先生?どうしたんですかこんな所で……!?」

「……まったくいい歳した女教師が日の高いうちからこんな所でマジ泣きしてるなんて、ドン引きレベルだぞ?」

「よ、四ツ谷さん、そんな言い方は……」

 

聞き覚えのある男一人と、少女二人の声に、慧音は泣きはらした顔を上げる。

そこにはやはり、予想通りの三人が立っていた。

大きな赤い唐傘を持ったオッドアイの少女に、黒髪の大人しそうな美少女、そして同じく黒髪で腹巻を巻いた長身の男がそこに立っていた。

慧音が何かを言おうと口を開きかけた瞬間、長身の男が瞬く間に険しい顔を見せる。

 

「慧音先生……。先生のその服についてるのって、もしかして……血か……?」

 

真澄に突き飛ばされた時についたスカートの血のりを目の当たりにし、その男――四ツ谷文太郎は重い口調で慧音にそう問いかけた――。




慧音先生視点からの話でした。
四ツ谷文太郎とその一派、本格的に登場です。


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其ノ三・裏

あらすじ、再開です。

前回のあらすじ。
四ツ谷たちは、路地で一人泣く慧音を見つける。


四ツ谷たちが一人すすり泣く慧音を見つけたのは、全くの偶然だった――。

たまたまその日、薊の母親である椿の祝言の為の必要な道具や、今日の昼食の買出しのために四ツ谷は小傘と薊の手伝いに同行していたのだ。

ひとしきり必要なものを買い込んだ四ツ谷たちは帰路に着くため、近道でその路地に入ったのだが、そこで運よく慧音を見つけたというのが事の顛末であった――。

四ツ谷たちの手を借りて自宅へと戻った慧音は、服や身体についた血や汚物を洗い落とすため、一度風呂に入った。

そして長襦袢に着替え、心身ともにさっぱりした所で手ぬぐいで髪を拭きながら、慧音は四ツ谷たちの待つ居間へと戻って来たのだ。

しかし、居間に戻ってきた慧音は目を丸くする。

風呂に入る前よりも明らかに居間にいる人数が一人増えていたからだ。

慧音に気付いた四ツ谷が口を開く。

 

「おお、出たか慧音先生。ついさっき、この男――清一郎つったっけ?……がここにやってきたんだが、どうも先生が今関わっている一件の重要人物らしいって言うんで、ちょっと話を聞かせてもらったぞ?」

 

四ツ谷のその言葉に清一郎は慧音に軽く会釈する。

その清一郎はどこか落ち着きがないように見える。それは最近人里で()()になっている四ツ谷や小傘がいるせいだろう。

赤染傘としての小傘の噂は清一郎の耳にも入っており、その彼女を連れまわす四ツ谷の存在もそれと同時に知っていたのだ。

だが、自宅であの肉塊の異形を見てしまっていたためか、まだ人間の姿を取っている四ツ谷や小傘に対してはまだ親しくとまでは行かないが接する事はできたのである。

そんな四ツ谷たちに慧音は小さくため息をつく。

 

「……そうか。それじゃあもう大体の説明をする必要はなさそうだな」

 

そう言って慧音は四ツ谷たちのそばに歩み寄り、彼ら四人の輪の中に自らも加わった。

薊の横に腰を下ろし、「ふぅ……」と小さく息を吐く慧音。そんな慧音を他の四人がジッと見ていた。

 

「?……何だ?」

 

その視線に気付いて首を傾げる慧音。それと同時に四ツ谷たちはそれぞれ明後日の方へそっぽを向いた。

四ツ谷と清一郎にいたってはそっぽを向くだけでなく、頬にわずかに赤みが差しているように見える。

眉根を寄せる慧音に、苦笑しながら小傘が口を開いた。

 

「あーそのー、慧音先生の今の姿がちょっと目の毒なんじゃないかと……」

「え、ま、まさか、見えてるのか!?」

 

慧音は慌てて自分の身体を見下ろし、確認する。

しかし、分厚めの長襦袢は女性として肝心な所は完全に隠しており、生地が濡れて薄っすらと透けているという様子でもない。

別にどこもはだけている訳でも、露出しているわけでもないというのに妙な反応を見せる四人に慧音は再び首をかしげた。

 

「何だ?別にどこもおかしい所はないのだが?」

「あーはい。確かにそうなんですけど。そのー、湯上りの慧音先生ってどうにも色っぽくて、ちゃんと隠してても同性の私でもちょっとドキドキしてるっていうか……」

 

そう言って小傘は再び苦笑した。

美人の湯上り姿とはどうにも目に付いてしまう。どんなに面積の広い服を着ていても、そこから溢れる色香はそうそう隠し切れないものもある。

特に里一番の美女と歌われる慧音はその素材も上物であった。

長襦袢の間からのぞく湯の熱で火照った肌や顔、まだ乾ききっていないしっとりとした銀髪、そして長襦袢の上からでも隠しきれない慧音の均整の取れた身体の曲線。

それぞれが慧音の『美』を高め合い、周囲の意識を惹き付けていたのである。

女性経験のない四ツ谷はおろか、既婚者の清一郎、そして同性である小傘と薊でもこれである。

その破壊力は想像を絶すると言っていいだろう。

だが慧音本人にして見れは四ツ谷たち四人に呆れた目を向けざるおえない。

たった今、風呂に入ってきたばかりなのだから、こうなってしまうのは当たり前だ。

もっと分厚い生地の着物をこの長襦袢の上から着ればいいのかもしれないが、残暑が残るこの季節、風呂上りだというのにすぐに汗をかいてしまう行為は些か抵抗があった。

さっきよりも深いため息をついた慧音はこの妙な空気を払拭するかのように「コホン」と大きく咳払いをした。

 

「私ばかりに意識してても仕方ないだろう。今話さなきゃならないのは真澄の事だ」

 

慧音のその言葉にようやく四ツ谷たちはそっぽを向いていた顔を元に戻した。

それぞれが真剣な様子を見せていることを確認すると慧音は清一郎の知らない、自分が真澄と接触した時の状況を四ツ谷たちに語り始めた。

ひとしきり慧音が語り終えると、薊が口を開いた。

 

「その……肉塊の異形は危険なモノなのですか?そうでないのなら別に今すぐにどうこうする必要はないんじゃ……」

「いや、ほっとくわけにはいかない。……あの部屋の惨状……とても友好的な怪異が潜む所じゃない。それに――」

 

そこまで言って、慧音はゆっくりと目を閉じ、再び開けると続けて口を開いた。

 

「……ひと目見て分かった。アレは危険な存在だと……。アレを知ってるわけでも、ましてやそれ相応の理由があるわけでもない。ただ、私の中の本能が激しく警鐘を鳴らしていた。このまま放置していたら周囲の人たちにも危害が及ぶかもしれないと……」

「俺も……そう思う……」

 

慧音の言葉に、清一郎はポツリとそう同意する。そして続けて言った。

 

「先生の言うとおり、俺もひと目見てアレがヤバイモノだってことが否応にも分かった。……どこから現れたかは知らないが、真澄がアレを「清太」と呼んで今も身を寄せ合って生活していると思うと、とても耐えられない……!」

 

ひねり出すようにそう響いた清一郎は、次の瞬間、うずくまる様にして頭を抱え、そして叫んだ。

 

「だが、それ以上に怖い!あの家に戻るのが!!今すぐアレから真澄を引き離したいのに、体が言う事聞かない!!アレを初めて見た時だって、自分可愛さに真澄を置いて一人だけ逃げちまった!!真澄(あいつ)の夫だって言うのに、なんて情けねーんだよ、俺はッ!!」

「清一郎……」

 

悲痛な清一郎の叫びに、慧音もどう声をかければ良いか分からないといった様子だ。

そこへ小傘が声を上げる。

 

「なら、霊……博麗の巫女様に頼むというのは?彼女ならすぐに退治してくれるはず――」

「――いや、止めとけ小傘」

 

そこまで言った小傘に、今まで黙っていた四ツ谷が待ったをかけた。

「何故?」と言いたげな小傘に四ツ谷は続けて言う。

 

「その化物を奥さんが『自分の息子』だと思い込んでるんだろ?今、あの巫女に頼んで化物を殺して見ろ、それは奥さんにとって『自分の息子』を殺されたのも同義だ。奥さんの今の『容態』でそれをやって見ろ、どうなるかくらい……容易く想像つくだろ?」

 

四ツ谷のその言葉にその場にいる全員がハッとなる。

おそらく今の真澄は自分の中の幻想の「清太」をその異形に重ね合わせて見ている状態なのだ。

そんな彼女から異形を引き離し、それを殺すという事は、同時に彼女の中の幻想(清太)までも壊すという事になる。

そうなったらもう、彼女自身も完全に現実の前に壊れてしまい、下手をすれば()()()()()にまでなってしまうかもしれない。

 

「じゃあ……じゃあ、どうすればいいんだ!?」

 

そう叫ぶ清一郎を前に、四ツ谷はしばし沈黙するも、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「……事は繊細(デリケート)な問題だ。これを解決するには慎重に事を進めていかなければならない。……そのためにはもっと情報が必要だな……」

 

そう言って四ツ谷は清一郎を見つめて、問いかけた。

 

「……その奥さんの様子がおかしくなったのはいつからだ?何も昨日、突然ってわけじゃないんだろ?」

「あ、ああ……。確か一週間ほど前からか……あのバケモノがいる奥の間を独占し始めて、俺をその部屋に入らせようとしなくなったんだ。その頃から微かに異臭も漂ってきてはいたが、まさかあんなのがいるなんて……」

「一週間ほど前?……その時何か変わったことはなかったのか?」

 

再びの四ツ谷の問いかけに、清一郎は眉根を寄せて考える。

そして直ぐにハッとなった。

 

「そうだ。鈴奈庵だ……!」

「鈴奈庵?」

 

首をかしげる薊に清一郎は強く頷く。

 

「貸本屋『鈴奈庵』。あいつ週に一度、そこで本を借りて読書するのが趣味だったんだが、奥の間を独占し始めた日も、その鈴奈庵に行く日で……そう言えばそこから帰ってきた時のあいつ、妙にウキウキしてたな……。何か()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って感じの、そんな嬉しそうな顔だった……」

 

清一郎がそこまで言った途端、すっくと四ツ谷が立ち上がった。そして全員を見下ろして静かに響く――。

 

「行ってみる必要がありそうだな……鈴奈庵に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一週間前、ですか……?ええ、来ましたよ真澄さん」

 

長襦袢から私服に着替えた慧音と清一郎、そして四ツ谷、小傘、薊の五人は全員で鈴奈庵を訪れていた。

突然団体で来た四ツ谷たちに看板娘である本居小鈴は一瞬目を丸くするも、直ぐに客として迎え入れ、慧音の「真澄が一週間前にここに来たか?」という質問に、そう答えていた。

「やっぱり、そうか……」と響く慧音に代わり、今度は四ツ谷が小鈴に問いかける。

 

「それで?奥さんはその日、一体どんな本を借りてったんだ?」

「あ、はい。昨日返されてきたばかりなので、まだ本の内容は覚えていますよ?ちょっと待っててください、今持って来ますので」

 

そう言って小鈴はパタパタと陳列する本棚の中へと入っていき、五分もしないうちに問題の本、四冊を持って四ツ谷たちの元に戻ってきた。

机に広げられたその四冊の本の()()()()が、裁縫や料理に関する教本であったが、一冊だけそれらとは全く関係のない異質な本が混ざっている事に四ツ谷は気付いた。

四ツ谷はその本を手に取り、眉根を寄せてその本のタイトルを独り言のように呟いた――。

 

 

 

 

 

「『世界の魔術図鑑』……?」

 

 

 

 

 

「あー、その本ですか?私も随分変わった本を借りていくなーってその時思いました」

「……奥さんがコレを借りてったのか?」

 

四ツ谷の問いかけに、小鈴は頷く。

 

「何でも子供向けに書かれた()()()みたいなんですけれど、(イラスト)や漢字を控えめにした大きな文字を使って分かりやすく魔術が書かれているんですよ?」

「なっ!?そんな魔導書めいた本を一般向けに出しているのかお前は!?」

 

小鈴の説明に驚いた慧音はそう小鈴に食ってかかった。

しかし小鈴はいたって涼しい顔で答える。

 

「大丈夫ですよ。例えその本の内容を見て実験しようとする人がいたとしても、()()()()()()()()()

「何?どう言うことだ?」

「いやだって……その本に書かれている魔術、()()()()()()()()()()

「何だと……?」

 

目を丸くする慧音をよそに小鈴は四ツ谷の持つ問題の本を指差して説明する。

 

「先ほど言ったでしょ?『子供向け』だって……。おそらくこの本を書いた著者は子供たちに魔術に興味を持たせる『戯作本』としてこれを書いたんじゃないかと思います。よくよく内容を見れば『嘘っぱちだ』、と分かる部分があちこちにありますしね。……実を言うと昔私もこの本の内容に沿って、いくつか魔術の実験をした時があったんですよ」

「……え!?大丈夫、だったの……?何か起こったりなんかは――」

 

薊が心配そうに小鈴にそう問いかけるも当の小鈴本人は肩をすくめて首を振った。

 

「ぜーんぜん!なーんにも起こらなかったですよ?だから私も一般向けに出してもいいと判断して本棚に入れてたんですから」

 

小鈴が薊にそう説明している間も、四ツ谷はその本をじっと見つめていた。

そんな四ツ谷に慧音が声をかける。

 

「……気になるのか?その本が」

「ああ……。だが俺は()()()じゃないから、この本に奥さんが変わってしまった要因があるのかどうか分からないがな」

「専門家、か……。ん、まてよ?もしかしたら明日ならその専門家に会う機会があるかもしれない」

「何?本当か?」

 

慧音の言葉に、四ツ谷は顔を慧音に向ける。

それに頷いた慧音は続けて口を開いた。

 

「ああ、毎週決まった日の決まった時間に、人里を訪れて子供たちに人形劇を披露してくれる魔女がいるんだ。……と言うか、お前も前に宴会で顔ぐらいは見ているはずだ――」

 

 

 

 

 

 

「――彼女の名は、アリス・マーガトロイド。『七色の人形遣い』という二つ名を持つ、れっきとした魔法使いだ」




次回、アリスが本格的にこの話しに関わってきます。


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其ノ四・裏

前回のあらすじ。
鈴奈庵で『世界の魔術図鑑』を見つけた四ツ谷は、慧音からこの本の分析のために魔法使いであるアリスに依頼する事を進められる。


四ツ谷たちが鈴奈庵を訪れた日の翌日の昼過ぎ。

人里の広場の片隅に、子供たちだけの人だかりができていた。

その中心に居るのは金髪の人形のような容姿を持った、見た目十代後半と思える美少女であった――。

彼女の名は、アリス・マーガトロイド。魔法の森に住む人形師の魔女である。

趣味なのかどうかは不明だが、彼女は毎週決まった日時にこの広場で子供たち相手に人形劇を披露していた。

今日はいつも持ち歩いている魔導書(グリモワール)の他に、彼女には不釣合いなほど大きな皮製のトランクケースを両手で持って広場にやってきていた。

彼女は子供たちの前でそのトランクケースを地面に置き、蓋を開ける。

すると、どういうギミックか中から小さな簡易なつくりの小劇場が飛び出る絵本の如く、一瞬のうちにそびえ立ったのである。

 

『うわぁ~』

 

目をキラキラさせてその小さな劇場を見る子供たち。すると今度はその劇場の上に小さな人形が数体現れる。

アリスの操る糸によってまるで生きているかのように動き回る人形たち。

その人形たちはまるで絵本に出てくるような可愛らしい風体で、その一体一体が『王子様』『お姫様』『兵士』『王様』などといった姿をしていた。

その何体もの人形をたった一人で操りながら、アリスは子供たちに声をかける。

 

「さぁ、みんな。今日も始めるわよ。アリス・マーガトロイドの人形劇、じっくりと楽しんでいってね」

 

そう言ってアリスは、今日のために用意した物語を口ずさみながら、劇場の舞台の上の人形をその物語に沿って動かしていく――。

生きているように動き回る人形たちと、それと共に紡ぎだされるアリスの物語に耳を傾けながら、子供たちは時間が過ぎるのも忘れてその演劇を見続けたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そして王子様とお姫様は結婚し、一人の男の子をもうけて三人で末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」

 

一通りの演目が終り、一瞬の静寂の後で子供たちからおびただしい拍手が送られる。

そんな子供たちに片手で自分のスカートを摘み、優雅に一礼するアリス。

そして子供たちに向けて笑いかけながら口を開く。

 

「さて、今日はもうここまで。遅くならないうちに家に帰りなさいね。来週はもっと面白い人形劇を披露してあげるから」

 

アリスのその言葉に、子供たちはキャッキャとはしゃぎながら散り散りになって去っていった。

そんな子供たちにアリスは軽く手を振ると、小劇場をたたみ、先ほどまで使っていた人形たちと共にトランクケースの中にしまった。

そして蓋を閉じたと共に一息吐くと、背後へと振り返り、そこに立っている者たちへと声をかけた。

 

「……それで?私に一体何の用かしら?」

 

そこには四ツ谷、慧音、小傘、薊、清一郎の五人が立っていた。

その彼らに対し、アリスは怪訝な顔をしながら応対する。

 

「……何とも変わった組み合わせね。見慣れた顔に、一度しか会った事のない顔……始めて見る顔もあるわね」

「……ヒッヒッヒ。中々いい人形劇だったぞアリス・マーガトロイド。物語はいまいちだったが、人形を操るお前の傀儡術は一級品だな」

「会ってそうそうご挨拶ね。……前の宴会以来かしら、四ツ谷文太郎さん」

 

不気味な笑みを浮かべてそう言う四ツ谷に、ブスッとした態度でアリスはそう返した。

そこで四ツ谷の横に立っていた慧音が一歩前に出た。

 

「すまないなアリス。一仕事終わった後で悪いが、ちょっと相談に乗ってもらえないだろうか」

 

申し訳なさそうにした慧音がアリスにそう言葉をかける。

それを聞いたアリスは四ツ谷たち全員を一瞥し、小さくため息をつく。

 

「……何か、厄介な事が起こっているって感じね。面倒事に巻き込まれるのは勘弁なんだけどね……」

 

そう呟きながらも、アリスは慧音に話しをするよう、そっと耳を傾ける素振りをした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トランクケースの上に腰を下ろし、脚を組んで慧音の話を一通り聞いたアリスは顎に手を添えて思案顔になる。

その表情にはわずかに険しさが宿っていた。

 

「肉塊……壁に張られた無数の呪文の紙……鴉の様な鳴き声、ね……」

 

どこか含みのある独り言を呟くアリス。そして数秒の沈黙の後、その顔を上げて慧音に声をかけた。

 

「……それで、その奥さんが借りてったっていう『世界の魔術図鑑』、だったかしら?……その本、今持ってるの?」

「ああ、ある。さっき鈴奈庵から借りてきたんだ」

「見せてちょうだい」

 

そう言って手を差し出すアリスに、一瞬遅れて慧音は持参してきた手さげかばんの中からその本を取り出すと、アリスの手の上にそれを乗せた。

手渡された『世界の魔術図鑑』をアリスは最初の頁からペラペラとめくっていく。

本の内容を読んで、最初こそ「くだらない」と言いたげな表情を顔に貼り付けていたアリスだったが、頁をめくるに連れて、その整った顔の眉間にシワが寄り始め、目つきも鋭いものへと少しずつ変わっていく。

周りの者たちが固唾を呑んで見守る中、ふいに頁をめくっていたアリスの手が止まる。

そしてその頁に書かれている内容を目を大きく見開いて凝視すると、ふぅ、と一息ついてその本から目を離した。

そして、慧音に向かってアリスは口を開く。

 

「……この本って鈴奈庵から借りてきたのよね?ならそこの娘さん……小鈴ちゃんだったかしら?彼女に伝えておきなさい。この本は速いうちに処分しなさいって」

 

本を掲げて真剣な顔でそういうアリスに慧音は目を丸くする。

 

「やっぱり、何かあるのか?その本に……」

「ええ。あなたたちの言う事が本当なら、その奥さんは十中八九この本を読んでその肉塊を()()()んだわ」

「作った?真澄がか!?」

 

そう声を上げたのは慧音ではなく清一郎であった。

呆然とする清一郎にアリスは頷く。

そして『世界の魔術図鑑』に目を落としながら、その場にいる者たちへと説明し始めた――。

 

「……この本にのっている魔術は確かに全て『デタラメ』よ。それ相応の理論を立てて書かれてはいるけれど、どれもそう()()()()()()()で実現性が皆無に等しいわ。机上の空論……いえ、それにも値しない()()ね……」

 

「でも……」と、アリスは続けて言う。

 

「ごく一部……()()()()()()()()()()()()()がのっているわ」

「……うん?成功するけれど、失敗する……?どう言うことだ?」

 

慧音がそう言って首をかしげる。アリスはそれに答える。

 

「さっき私が言った『デタラメ』っていうのはね……()()()()()()()()()しかのっていないって意味なのよ」

「「「「???」」」」

 

慧音だけでなく今度は小傘、薊、清一郎も首をかしげる。

しかしその中で一人、四ツ谷だけがその言葉の意味を理解し、静かに口を開く。

 

「つまり……その一部っていうのは、()()()()()()()()()()ってことか……?」

 

四ツ谷のその言葉に「意外だ」とばかりに目を丸くしたアリスが頷いて肯定した。

そしてアリスは説明を再開する。

 

「そう、この本に書かれている魔術のほとんどは、行っても『何も起きない』モノばかり。でもその一部だけは違う。一定の確率で術が発動してしまう代物なのよ。まあ、(四ツ谷)の言ったとおり、完成とは全くかけ離れた失敗作しかできないから、そういう意味も含めてこの本に書かれていること全てが『()()()()』ってことになるわ。……恐らくこの本の魔術を試したって言う小鈴ちゃんは、この『何も起きない』魔術ばかりを実験で行ったんじゃないかしら?……でも、結果は言わずもがな。だから、一般に見せても安全だと判断して店に出してしまったってわけ」

 

アリスはそう言って、先程まで自分が凝視していた頁を四ツ谷たち全員に見えるようにして本を掲げてみせる。

 

「……恐らく、その真澄って奥さんが行ったのはこの頁の魔術よ」

 

そう響いてアリスが見せた頁の魔術名はこう書かれていた――。

 

 

 

 

 

 

『死者蘇生ノ法』と……。

 

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

絶句する慧音にアリスは呆れた目を向ける。

 

「何度も言うようだけど、この魔術は完成されたモノじゃないわ。例え術が発動しても、できるのは失敗作だけよ。……あなたたちの言う肉塊に、ね。……言葉所か、自我すら持っていないわ」

「……ど、どうして真澄が、そんな魔術を……?」

 

清一郎の問いに、アリスは肩をすくめる。

 

「さぁねぇ。あなたたちの話だと、その奥さんは精神を病んでいたんでしょ?普通の人ならこんな魔術、真に受けなかったでしょうけど、子供を失って不安定な状態だったあなたの奥さんなら……どう言う反応をしたか、想像できるんじゃない?」

「…………」

 

険しい顔で沈黙する清一郎。それを見たアリスは天を仰ぎ見る。

 

「……きっと藁にもすがる思いだったんでしょうね。自分の中に我が子が生存しているという幻想世界を作っていても、心のどこかではその子が既に死んでいる事を()()()()()()んだと思うわ。……だからこそ、あの本に手を出し、そして成功させてしまった。失った我が子を取り戻すために……」

「……でも、結果的できたのは……」

 

薊がポツリとそう響き、それを聞いたアリスは頷く。

 

「そう……自我を持たない、ただ本能のままに動き、奇声を発する肉塊。……でも、彼女にとって()()()()()()()()()()()んだと思うわ」

「どうでも良かった……?」

 

怪訝な顔をしてそう言う慧音に、アリスは再び頷く。

 

「ええ。最初こそ落胆したかもしれないけど、恐らく彼女、結構前向き思考ができる人間だったんじゃないのかしら?自分の中の幻想世界の我が子を肉塊に重ね合わせる事で、生きていた頃の我が子へと近づけようとしたのよ」

「馬鹿な!そんな事が……!」

「そう考えれば。あなたたちの見た肉塊に対する彼女の言動にも説明つくんじゃない?より現実性を求めるのなら、実際に声も聞けず、触れることすらできない幻よりは、奇声であっても声を発し、物理的に触れる存在のほうが、より我が子だという認識も高まるでしょうしね」

 

否定しようとした清一郎の言葉にかぶせるようにして、アリスがそうきっぱりとそう継げる。

しばしの静寂後、再びアリスが口を開いた。

 

「そもそも、この魔術の一番の厄介な所は、魔法使いや魔術師、またそう言った分野のイロハすらかじっていなくても、手順さえ踏めば全くのド素人でも発動する可能性があるって所なのよ。それ故、その奥さんでも成功する事ができた。生まれたのは全くと言っていいほど完成から離れたものだったけどね」

 

ため息をつきながら、アリスは自分の手に持つ問題の本に目を落とした。

 

「……この本の作者がどんな意図でこの本を書いたのかは知らないけど、子供向けにするのであれば、つめが甘いとしか言いようがないわね。……恐らく自らひらめいて作った思い付きの魔術だけじゃなく、四方から仕入れた魔術の情報を見て、どう見ても『デタラメ』だと判断し、安全だと思った魔術をこの本にのせたんだと思うわ。その虚構にまみれたモノたちの中に一握りの『劇薬』が混じっている事も知らずにね……」

 

少々忌々しそうに手の中の本を見つめるアリス。それを黙ってみていた四ツ谷が静かにアリスに問いかけた。

 

「……さっきの肉塊の下りと言い……。お前、随分その魔術に関して詳しいように見えるんだが……」

「!」

「ひょっとしてお前、やった事あるのか?()()()()

 

四ツ谷のその言葉に、ピクリと反応するアリス。しばしの静寂後、アリスはため息と同時に「降参」とばかりに両手を上げた。

 

「……あなたの言うとおりよ。昔一度、これと全く同じ魔術の儀式をやった事があるのよ。私の研究の集大成である『自立』を目的とした人形作成の一環としてね。その時も青紫色の肉塊の異形ができちゃってね。()()()()()()()()()()

「……?」

 

アリスの言葉に、四ツ谷は眉根を寄せた。

彼女が今しがた最後に言った「参っちゃった」という言葉がやけに引っかかったのだ。

その疑問はこの後すぐに解消される事となる――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一通り、アリスから説明を聞いた後、四ツ谷たちは輪になって今後のことを話し始めた。

 

「……とにかく、これでどうして真澄の所にあの肉塊がいるのか、その理由がはっきりしたな」

「はい……夫としてはあまり納得したくない事実ではありますが……」

 

慧音の言葉に、清一郎が渋々と言ったていで頷く。

そこへ小傘が声を上げた。

 

「……でも、根本的な解決の糸口にはなりませんでしたね。これからどうしましょうか?」

「やっぱり、無理矢理、は無理ですよね……」

 

薊がポツリと沿う響き、慧音が頷く。

 

「ああ……こうなったら、時間をかけて真澄から肉塊を引き離していくよりは方法がな――」

「――ちょっと待ちなさい」

 

唐突に慧音の言葉を遮るようにして、はたから四ツ谷たちの話を聞いていたアリスが待ったをかけた。

全員の視線がアリスに集中する。

言葉を遮られた慧音が怪訝な顔でアリスに声をかける。

 

「何だ?」

「……その奥さんから慎重に肉塊を引き離すのは賢明だと思うけど、()()()()()()()()()()()()ほうがいいわよ」

「……?どう言うことだ?」

 

再び問いかけた慧音に答えるようにして、アリスは深刻な顔でこの場を凍りつかせる言葉を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

「その奥さん……()()()()()()()()()()()()?その肉塊に食われて、ね……」

 

 

 

 

 

 

 

ピキリ、と四ツ谷たちは一瞬周りの時間が止まったかのような錯覚におちいった。

一瞬とも永遠とも言える静寂の後、最初に動いたのは真澄の夫である清一郎であった。

 

「……ど、どう言うことだそれは!?」

「今言ったとおりよ。あなたの奥さんは自ら生み出したその肉塊の餌となって食い殺されるわ」

「ど、どうしてそんな事が分かるんだ!?」

 

慧音のその問いに、当然と言った風にアリスは答える。

 

「……分かるに決まってるでしょ?他ならぬ体験者(わたし)がそう言ってるのよ?」

 

そう言って自らを指差すアリスに、誰も何も言えなかった――。

続けざまにアリスは口を開く。

 

「今までこの儀式の事を魔術魔術と呼んではいたけれど、正確には『呪術』……呪いの類に入るわ。そしてその呪いの儀式には、発動するとその代償が術者に返って来るモノが多いのよ。『人を呪わば穴二つ』。そしてこの肉塊を生み出す術もその例に漏れず。儀式で肉塊を生み出すことに成功しても、最後には術者はその肉塊に食われて死ぬ……」

 

冷徹に、それでいてはっきりと静かに響かれるアリスのその言葉に、未だ誰も何も言葉を返せなかった。

そして締めくくるようにしてアリスは最後に言葉をつむぐ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……私の時はその肉塊に対抗し、消滅できる力があったから、今も私は生存しているけれど……何の力も持たない普通の人間の彼女に……対抗できる(すべ)なんてあるのかしら……?」




アリスの説明、いかがだったでしょうか?
所々、納得できない所があったかもしれませんが、そこは目をつぶっていただけると幸いです。


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其ノ五・裏

前回のあらすじ。
四ツ谷たちはアリスから肉塊の正体についていろいろと聞き出した。


「……何故私はここにいるのかしら?」

「その台詞(せりふ)、もう三十五回目だぞアリス。いい加減諦めてはくれないか」

「そっちから他人(ひと)を巻き込んでおいてそう言いますか慧音先生?……帰っちゃっても良いんですよ、私」

 

深夜を回った夜の人里。真澄の家のすぐそばにある民家の物陰で、慧音とアリスはそんな会話を交わしていた。

困り顔の慧音とは対照的にアリスは満面の笑みを浮かべている。ただし、アリスの方はこめかみに蒼い筋の血管が浮き出てはいたが。

二人の会話をすぐそばで聞いていた四ツ谷はシッシ!と笑い、彼女たちの間に入り込む。

 

「いやだが、今の台詞はとても哲学的だったと思うぞアリス。……何故ここに自分がいるのか。それは誰にも分からない事だ。分からない事はそれすなわち『未知』だ。人は未知なるモノに恐怖し、そして悲鳴を上げる!それこそが真理であり、人が最後に行き着くカタストロフィだ!!」

「……わけ分からない事言って茶化さないでくれるかしら?四ツ谷さん」

 

アリスの怒りの矛先が慧音から四ツ谷に変わる。

しかし四ツ谷はそれでもシッシッシ!と笑みを漏らし、その視線を受け流す。

今日の昼間に、アリスから肉塊の話を聞き、肉塊が術者――すなわち真澄を襲うという話を聞いた四ツ谷たちは急遽アリスを引っ張って真澄の家に張り込む計画を立てたのだった。

その理由は簡単。アリスが肉塊を生み出していた体験者だからであった。

今現在、真澄は例の肉塊と暮らしてはいるが、彼女が肉塊に襲われている様子はない。それはつまり、肉塊が彼女を襲うようになるのには、まだ時間に有余が残っているという事だと四ツ谷たちは推察した。

事実、アリスも肉塊を生み出してしばらくしてから襲われたと証言している。

だが、有余が残っているといってもそれがいつまでなのか皆目見当もつかない。それ故四ツ谷たちは唯一、例の儀式の経験があるアリスに意見と、ついでにその肉塊を見てもらいタイムリミットがいつ頃になるか、見定めてもらうと言う事を決めたのだった。

しかし巻き込まれた当の本人は都合や拒否権など完璧に無視で話が進められたものだから、彼女(アリス)にして見ればたまったものではない。

いろいろと文句を並べ立ててはいたが、慧音の必死の説得で結局最後にはアリスの方が折れてしまい、しぶしぶ承諾するという形になってしまった。

クールな性格ではあれど結構根負けしやすく、かつお人好しなアリスの意外な一面であった。

そんなこともあって現在アリスは、慧音と四ツ谷と共に真澄の家を張り込んでいる状況になっていたのである。

ちなみに、この場には今この三人以外の者はいない。

もう寝静まる時刻とは言え、集団で行動するのは何かと目立つため、小傘や薊、清一郎は慧音の家で待機中なのである。

アリスは四ツ谷に棘のある視線を投げるのを止めて、深いため息を吐くと、真澄の家へと眼を向ける。

 

「……それで?私はあの家にいるその肉塊の様子を見ればいいのかしら?」

「ああ。だが真正面から向かって真澄がそれに会わせてくれる訳がない。どうすれば……」

 

そう言って思案顔になる慧音に四ツ谷が横から声をかける。

 

「折り畳み入道を呼んで、『箱』を通じて進入するか?」

「……そんな必要はないわ。この子がいれば十分よ。――上海(シャンハイ)

 

そう響いたアリスは、右手をしなやかに動かす。その指にはいつの間にか細長い糸が結び付けられており、その糸に惹かれるようにして、どこからか金色の髪をなびかせた小さな可愛らしい西洋人形が空中を飛びながら現れたのだ。

人形はアリスに近づくと、彼女の肩にちょこんと乗っかった。

それを見た四ツ谷はアリスに問いかける。

 

「こいつは?」

「私の最高傑作、上海よ」

「上海に侵入してもらうって言うのか?」

 

慧音の問いかけにアリスは頷いた。

 

「ええ。上海ならあの家に容易く入れるわ。でも肝心の肉塊は私自身が直接見てみないと判断がつかない。そこで――」

 

そこまで言ったアリスはパチンと指を鳴らす。するとアリスの肩に乗っていた上海がふわりと浮き上がると、彼女の前に回り込んで向かい合わせとなる。

すると次にアリスは上海の顔――正確には両目の部分に右掌(みぎてのひら)をかざし、反対に左掌(ひだりてのひら)を自分の両目にかざした。

 

「――――」

 

一呼吸の後、アリスは何かしらの呪文を小さく響いた。

するとアリスの両掌(りょうてのひら)から小さな魔法陣が現れ、一瞬のうちに消えた。

 

「何をしたんだ?」

 

慧音の問いかけにアリスは何でもないかのように答えた。

 

「別に。ただ私の視界と上海の視界を一時的に接続(リンク)させただけよ。これで上海の目をかいしてその肉塊を見る事ができるわ」

 

そう響いたアリスは最後に上海に「行って」と指示を出す。

それと同時に上海は、ヒュンと空中を飛ぶと真澄の家に入って行った。

障子を僅かに開け、家の中に入った上海は居間に忍び込む。

そこに誰もいないことを確認すると、奥の間に続く襖へとゆっくりと近づき、襖に手を掛けるとゆっくりと開けた――。

そこには清一郎と慧音が見た時ととまったく変わっていない惨状が上海の目の前に広がっていた。

服が汚れる事を恐れ、上海はふわりと空中に浮き、部屋の中央にいる肉塊に近づいた。

生き物とは違う、無機物である上海に興味がないのか、肉塊は上海が部屋に入ってきても微動だにしない。ただ呼吸だけをしているだけでそこに存在していた。

 

「うぷっ。話では聞いていたけど酷い光景ね。私の時はここまで酷く散らかしはしなかったわよ」

「……それで?奴は今どうしてる?」

「大人しいものよ先生。生き物じゃない上海に見向きもしないわ。近づいても何の反応も無しね」

 

慧音にそう言いながらアリスは上海の目を通して肉塊を観察し始めた。

 

「これは……予想以上に()()()()()()……。この様子から見て、彼女が襲われるとすれば一週間以内って所かしら……?」

「育つ?あれがか……?」

 

慧音にそう問われ、アリスは再び頷いた。

 

「餌をあげれば、少しは、ね……。ひょっとしたら、餌をあげてそうやって育たせるから術者が食べられるのかもしれないけれど、はっきりとは断定できないわ」

 

そこへ四ツ谷がアリスに声をかける。

 

「さっき一週間以内といったが、もう少し正確な時期を割り出せないのか?」

「難しいわね。儀式を行っていた当時だったら、明確な時期を()()()()()かもしれないけど、今は全然……。だいたいこの儀式をやったのもだいぶ昔の話でね。細かい所はうろ覚えなのよ。当時記録していた研究資料も、自立人形開発の役に立たない事が証明されるとさっさと処分しちゃったしね。……こんな事なら処分しなきゃ良かったわよ」

 

深いため息を吐いたアリスは、もうここには用はないとばかりにさっさと上海を回収しにかかった。

しかし、その行動が途中で止まる。

 

「……あら?」

「ん?どうした?」

 

四ツ谷がアリスにそう声をかけたと同時に、ガラガラガラと唐突に真澄の家の玄関戸が開く音が響いた。

その音を聞いた四ツ谷、アリス、慧音の三人は反射的に音のした方へと眼を向ける。

するとそこには今まさに玄関から外に出ようとする真澄の姿があった。

真澄は家の中――正確には清太だと思っている肉塊へと向けて抑揚のない声を放つ。

 

「じゃあね清太……。すぐに戻ってくるから、いい子にして待っているのよ?」

 

そう一方的に言った真澄はゆっくりとした足取りで、夜の人里の中を歩き始めた。

その背中を四ツ谷たちは無言で見つめるも、すぐに慧音が口を開いた。

 

「……こんな夜更けにどこへ行こうというんだ真澄は?」

「さァな。……だが、なーんか胸騒ぎがするな。着いて行ってみるか」

「……あの肉塊の方はどうする?」

「放置だ。今下手に手を出したら、あの奥さんが帰ってきた時どうするんだよ」

 

四ツ谷と慧音がそういう会話をしている間に、アリスは上海を回収し、二人の会話に混ざってきた。

横で上海をふよふよと浮かせながら、アリスは欠伸をかみ殺し口を開く。

 

「行くならさっさと行きましょうよ。私もさっさと終わらせて速く帰って寝たいわ」

「……一緒に来てくれるのか?」

「乗りかかった船よ」

 

本来なら肉塊の観察だけで終わるはずだった役目だというのに、慧音の問いかけにアリスはきっぱりとそう返して見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の人里の闇の中を、提灯も持たずゆっくりとした足取りで真澄は歩く。

少し距離を置きながら、四ツ谷たちも真澄の後を追った。

しばらくして、真澄は寝静まったある一件の民家の前にたどり着く。そしておもむろに自分の着物の袖から手ぬぐいを取り出すと、それで頭を覆って『ほっかむり』にし、静かにその民家に敷地へと足を踏み入れていった。

それを見た四ツ谷たちは眉根を寄せる。

 

「ん~?こんな時間にこの家に用があるのか?」

「わからない……」

 

四ツ谷がそう言って首をかしげ、慧音も理解できないとばかりにそうポツリと呟く。

そこへ民家の玄関付近をじっと見ていたアリスが二人に問いかけた。

 

「ねぇ、何か変じゃない?」

「?何がだアリス」

「先生。普通他人の家を訪問した際は、玄関戸をノックするか、中にいる家人に聞こえるように声を上げるとかするんじゃないかしら?……でもそんな音も声も全然しないわよ?」

 

そう言えば、とばかりに四ツ谷と慧音は真顔で民家の方へと再び眼を向けた。

そしてしばらくして真澄が民家からゆっくりと出てきた際、三人は驚きで目を丸くする。

 

「「「!?」」」

 

真澄の腕の中には、まだ幼い寝巻き姿の小さな少女が抱えられていた――。

恐らくこの民家に住んでいるのだろうその少女は、熟睡しているのか真澄に抱きかかえられているのにも気付かずに、スゥスゥと静かに気持ちよさそうな寝息を立てていた。

真澄はその少女を起こさないように慎重な足取りで再び夜の人里の中を歩き出す。

そんな真澄の姿を半ば呆然としながら見つめる四ツ谷たち。

数秒の静寂後、最初に四ツ谷が口を開いた。

 

「オイ、あれってどう見ても拉致じゃ――」

「馬鹿な!真澄がそんなことするわけないだろう!!」

 

そう叫んで四ツ谷にくってかかる慧音を押しとどめるようにして、アリスが静かに声を響かせる。

 

「落ち着いて先生。……とにかく後を着けて見ましょう」

 

アリスの言葉に慧音も渋々頷いて同意する。

それを見届けたアリスはチラリと真澄を――正確には真澄に抱えられている少女へと眼を向ける。

 

「あの女の子……まさか……」

 

小さく響かれた声であったが、そばにいた四ツ谷はアリスのその声を敏感に聞き取っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばしの間、少女を抱える真澄を距離を置いて四ツ谷たちが後を着ける状態が続いていたが、やがてそれも終りを迎える事となる――。

人里の人気の無い開けた土地があり、そこへ真澄が向かおうとしている事を慧音とアリスはほぼ同時に気付いた時、怪訝な顔をして四ツ谷は二人に声をかけていた。

 

「なぁ、さっきからあの奥さん何かブツブツ言ってねえか?」

「何?……確かに何か言っているようだが……」

 

四ツ谷にそう問われ、慧音も耳を済ませてそう同意する。

運がいいのか、今真澄は四ツ谷たちから見て風上に立って歩いており、その独り言のような小さな声が、風に乗って風下を歩いている四ツ谷たちの耳にかろうじて届いていたのだ。

しかし、あまりにも小さな呟き声なため、四ツ谷たちは真澄が何を言ってるのかわからない。

そこで再びアリスが行動を起こす。

 

「ちょっと待ってて、もう一度上海を使うわ。今度は聴覚を接続(リンク)させて、彼女が何を言ってるのか聞き取ってみる」

 

そう言って手早く自身の耳と上海の耳を接続させたアリスは、素早く上海を真澄へと飛ばす。

何か思いつめるような顔で一人ブツブツ呟く真澄は、上海が自身の真後ろに来ていることも気付いていないようだった。だが上海の方はこれ幸いにと、真澄が何を言っているのか聞き取るため、耳を傾けた――。

そして、その声の内容がはっきりとアリスの耳に届いた時――。

 

「え……?」

 

アリスは一瞬面食らった表情を作った。

 

「どうした?」

 

慧音の問いかけにアリスは半ば呆然としながら、言葉の内容を四ツ谷と慧音に聞こえるように響かせた。

 

「……『これも清太の、ため』……?」

 

そうアリスが響いたほぼ同時に、真澄は空き地の中へ入っていた。

そして近くの木の根元に少女の背を預けさせるようにして寝かせると、右手を自身の背後――自身の着物の結び目の中に手を突っ込むと、そこから()()()()()()()()()()を取り出して見せたのだ。

 

「え……?」

 

その光景に慧音は呆然となり、四ツ谷とアリスは瞬時に顔をこわばらせる。

真澄は出刃包丁に巻かれた布を無造作に解くと、包丁を頭上高く掲げ、今もなお静かに眠っている無垢な少女の心臓へと狙いを定めるようにして振り下ろさんとし――。

 

「何やってるの!!」

 

唐突に響き渡ったその声に、真澄はビクリと大きく反応し、同時に眠っていた少女もゆっくりと眼を開け始める。

それを見た真澄は慌てて空き地から走り去っていく――。

先ほど叫んだ声の持ち主は意外な事にアリスであった。アリスは逃げていく真澄に向かって上海を放つ。捕まえるためではない。彼女がこの後どう行動するのか監視するためだ。

そうしてアリス自身は上半身を起こして小さな手で目を擦る少女に駆け寄った。

少し遅れて四ツ谷もそれに続く。

 

「あなた、大丈夫!?」

 

少女の両肩に手を置いて、怪我がないか確認するアリス。

そんな突然現れたアリスに少女は最初、キョトンとした表情を向けるも、自分が今家ではなく見知らぬ空き地にいることや、本能的に何か怖い目に会いそうになったのを周りの様子から察したのだろう。

 

「……う、うわぁ~~~ん!!!」

 

瞬く間に少女の顔が歪み、泣きじゃくりながらアリスに抱きついてきた。

そんな少女をアリスは抱きしめ返し、優しく背中をさする。

その様子を見た四ツ谷はアリスに問いかけた。

 

「なぁ、ひょっとしてその子は……」

「ええ、人形劇(うち)の常連よ。さっき見たときまさかと思ったけど……こんな事になるなんて……」

「……やっぱりな、どうりで見たことあるような顔だと思った」

 

アリスの答えに、四ツ谷も納得する。

今日の昼間にアリスの人形劇を見に来た子供たちの中に、この少女もいたことを四ツ谷はわずかながらに覚えていたのだ。

そこへ唐突にジャリッと四ツ谷の背後から足音が聞こえた。

四ツ谷が振り向くと、そこには放心状態の慧音が立ちすくんでいた。

慧音は今しがた起こった出来事が未だ信じられないようで、何かにすがるような面持ちで四ツ谷に声をかける。

 

「……よ、四ツ谷。今、真澄は一体……。み、見間違いだよな……?」

 

慧音のその様子から四ツ谷は彼女の心中を察する。

無理もない。かつての教え子が、犬猫だけでは飽き足らず、今度は()()にまで手を出そうとしていたなど――。

だが四ツ谷はあえて慧音のそのささやかな懇願を突き放すかのように首を横に振った。

 

「……残念だがな慧音先生。俺にもこいつ(アリス)にも、先生が見間違いだと思っているモノがはっきりと見えていたよ」

 

四ツ谷のその言葉に、アリスは少女を抱いたまま小さく頷いて同意し、それと同時に慧音はまるで糸が切れたかのようにその場にペタンと崩れ落ちた――。




二、三週間ほど間を空けてしまい申し訳ありません。
話の細かい所を考えるのに少々難航してしまいました。
投稿をお待ちしている皆々様には頭が下がる思いです。


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其ノ六・裏

前回のあらすじ。
四ツ谷たちは真澄が幼い少女をその手にかけようとしている所を目撃する。


泣き疲れた少女は再び深い眠りについた――。

その間にアリスは彼女を自宅へと送り届けた。幸いにも少女の家族全員が熟睡していたため、誰も少女が寝ている間にさらわれていた事など、気付いていない様子であった。

未だ寝静まりかえるその家に、アリスは忍び込むと少女の布団にその持ち主を寝かしつけ、何事もなかったようにその場を立ち去ったのだった――。

 

そしておよそ一時間後、上海を回収し、四ツ谷と慧音と合流したアリスは慧音の家にいた。

どうやら真澄は先の一件のあと、すぐに自宅へと逃げ帰っていたらしく、しばらく出てくる様子がなかったため、アリスは上海を自分の所へ呼び戻したのだった――。

時刻はもうすぐ夜明けを迎える。

だがそこにいる者たちは皆、葬式の通夜のように静かであった。

慧音の家に待機していた小傘、薊、清一郎も四ツ谷たちから事のあらましを聞いて呆然となっていた。

しばらくの静寂の後、それを破ったのは清一郎の声であった。

顔面蒼白となった清一郎は俯く慧音に声をかける。

 

「……ほ、本当なんですか慧音先生?嘘ですよね?真澄が人様の子供を殺そうとしただなんて、そんな……」

「…………」

 

だが、慧音は答えない。

代わりにアリスがそれに答えた。

 

「残念だけど本当よ。慧音先生だけじゃない、私も四ツ谷もそれを見ている」

「嘘だ!!……真澄が、そんなことするなんて……!第一、何で真澄がそんなことをする必要が……!」

 

叫び声のような清一郎のその問いに、誰も何も答えなかった。

清一郎本人も含め皆、声には出さずともその答えが大体想像がついていたからだ。

肉塊のいる部屋の惨状から察するに、真澄は近所で飼われている動物たちを肉塊の餌にしていた節がある。

……もし、もし真澄がそれらの動物たちだけでは飽き足らず、もっと()()()肉塊(清太)に食べさせてあげたいと考えるようになたのだとしたら……?

そこまで考えた時、その場にいた全員の背中に何やら薄ら寒いものが走ったような気がした――。

このままでは本当にマズイ。

肉塊が真澄を襲うまでまだ一週間近くはあるとは言え、今回の事からそれよりも前に真澄が人の道から大きく外れる可能性が出てきてしまったのだ。

 

「……慧音先生?最近この人里内で誰かが行方不明になったとか、変死した人間がいたとかの話はなかった?」

「……え?い、いや。私が知る限り、そんな報告は来ていない」

 

アリスの問いかけに慧音は力なく顔を上げてそう答え、それを聞いたアリスは「そう」と短く呟く。

 

「……なら、あの奥さんが人間を殺そうとしたのは恐らくこれが『初犯』ね……。だとしたら、まだ彼女を引き止められる事ができるんじゃない?」

 

そう言うアリスの言葉に、その場にいた()()()()()()がハッとなる。

そうだ、今回が人間を殺そうとした初めてのケースなら、それは未遂になったため、まだ彼女を人の道(こちら側)に引き戻せる可能性があるということなのだ。

希望が見えて来たと思える慧音たちであったが、それに水をさすかのように先ほどとは打って変わって冷たい口調でアリスが言う。

 

「……でも、いつまでも足踏みしている余裕はないと思うわよ?今回は防げたけど、また彼女が同じ事をしないとは限らないしね。彼女が再犯するのが先か、肉塊が彼女を食うのが先か……どちらにしても最悪な結末しか待ってないわ」

 

全員が押し黙り、その場に再び沈黙が降りる。

その沈黙の間、アリスは思考をめぐらせていた。

元々、この一件はアリスには関係ない事であったが、自分の常連客が危険にさらされた事で見てみぬ振りができなくなったのだった。

最悪、彼女(真澄)が壊れてしまう事を覚悟して、彼女が再び犯行を犯す前に肉塊を無理矢理にでも消滅させて阻止するべきか、と考え始めた時、視界の端に四ツ谷の姿を捉えた。

慧音の家に戻ってきてから一言も話さず終始思案顔の四ツ谷に、アリスは少々気になって四ツ谷に声をかける。

 

「四ツ谷さん。さっきから考え事をしているみたいだけど、何か妙案があるなら言ってみてくれないかしら?見たところ、あなた何か策を思いついているのではなくて?」

 

アリスのその言葉にその場にいた全員が四ツ谷に視線を向ける。

同時に四ツ谷の口元が小さくニヤリと歪んだ。それを見たアリスは自分の予想は正しかったと理解する。

しかし、その直後に四ツ谷が発した言葉は全くの予想外のモノであった――。

四ツ谷はあぐらを掻いた両膝に両肘をつき、両手の指を組んで静かに()()()()()――。

 

 

 

 

 

 

 

「……『とおりゃんせ』……」

 

 

 

 

 

 

 

「「「…………………ハァ?」」」

 

唐突にそう響いた四ツ谷のその言葉に、アリス、慧音、清一郎はポカンとなってそう声を漏らした。

声こそ出さなかったものの、薊もポカンとした表情で四ツ谷を見る。唯一小傘だけが何かに気付いたらしくピクリと眉を動かしただけであった。

そんな周りの反応を無視するかのように、四ツ谷は続けて語り始めた――。

 

「……とある小さな集落に伝わるお噺です。その集落に住む人たちの間で(まこと)しやかに囁かれる神隠し伝説がありました……。誰もが寝静まる真夜中、七歳の子供が住まう家に、突然に、しかし静かに何者かの歌声が響き渡るのです……」

 

「何の話をしている!?」と慧音が叫ぼうとするも、その言葉は口から放たれる事なく途中で止まる。四ツ谷の言の葉の力なのか、彼の声が慧音の耳から脳内に反響し、自然と彼女の言葉を止めさせたのだ。それはアリスも清一郎も同じであった。

呆然としている間にも慧音たちの前で四ツ谷の噺が続く――。

 

「……どこから、ともなく、聞こえてくる……

 

 

 

  『とーりゃんせー……           

 

                 とーりゃんせー……

 

 

       こーこはどーこの……          

 

                        ほそみちじゃー……?』

 

 

 

……その歌声を決して聴いてはいけません。一度聞いてしまったら最後、毎夜のように『とおりゃんせ』が現れます……」

 

噺が進むに連れ、四ツ谷の声のトーンが次第に下がっていく。同時に誰かが固唾をゴクリと飲んだ。

 

「……そしてそれを聞き続けたら最後、その家の七歳の子供はどこへともなく姿を消してしまうのです……。そう――」

 

 

 

 

 

 

 

「――そのモノの手によってええエエエェェェーーーーーッ!!!!」

「キャアアアアアァァァァーーーー!!??」

 

薊の背後に指をさして突然そう叫ぶ四ツ谷に反応して、薊も悲鳴を上げて身を硬くする。

反射的に四ツ谷以外の全員が薊の背後へ目を向けるも、そこには()()()()()何もなかった――。

ポカンとなる慧音たち、そこへ四ツ谷の笑い声が響き渡った。

 

「ひゃーっはっはっはぁっ!!良い悲鳴だったぞ薊!ナイス絶叫イタダキマシタ☆」

「……は?いや、あの、ええと……ありがとう、ございます……?」

 

唐突に四ツ谷に褒められ、薊は何がなんだかわからず、そうトンチンカンな言葉を返していた。

そこで慧音がいち早くハッとなり、険しい顔で四ツ谷に詰め寄る。

 

「……な、何をいきなり話し始めているのだお前は!?」

「あん?聞いてて分からなかったか?俺は怪談を語っただけだぞ?」

「か、怪談って……馬鹿者が!今はそんなことをしている場合じゃ――」

 

そこまで言った慧音だったがすぐに何かに気付いたかのようにハッとなる。そして目を大きく見開いて四ツ谷に問いただした。

 

「……待て、ひょっとして……まさか、お前……!」

「……ああ、そのとおりだ……」

 

慧音の予想が正しいと言わんばかりに、四ツ谷は顔を不気味に歪める――。

 

 

 

 

 

 

 

「……今回のお題目は『とおりゃんせ』。……そして聞き手はあの奥さんだ……!」

 

 

 

 

 

 

 

「……な、何を考えているんだお前はああぁぁぁーーー!!??」

「グエッ!?」

 

半狂乱で四ツ谷の胸倉を掴む慧音。それに悲鳴を上げる四ツ谷を無視してたたみかける様に慧音は四ツ谷に怒声を浴びせる。

 

「分かって言っているのか!?真澄は半兵衛たちの時とは違い、まだ間に合う可能性があるんだ!!それなのに『最恐の怪談』を行おうとするなんて、本末転倒だろ!!お前は真澄を廃人にする気かぁ!!?」

「ちょっ!く、首が絞まって……!まて、まてまて、くるぐるぐる゛じい゛ぃぃーーーー!?」

「お、落ち着いてください慧音先生!」

 

胸倉を掴む慧音の両手が首までも圧迫する形となり、四ツ谷はその息苦しさに身悶える。

それを見た小傘が慌てて慧音を羽交い絞めにし、四ツ谷から引き離した。

ゲホ、ゲホッと咳き込んでうずくまる四ツ谷に慧音は未だ般若のような形相を向ける。

 

「事は真澄の精神を壊さず、あいつからどうやって肉塊を引き離すかなんだぞ!?もう少し真面目に考えられないのかお前は!!」

「はぁ……はぁ……し、失敬な。俺だって真面目だ!!悲鳴を聞くことに関しては誰よりもな!!!」

「お前っ……!!」

 

あんまりな四ツ谷の言い分に慧音は顔を真っ赤にし、小傘に羽交い絞めにされているのにもかかわらず、再び四ツ谷に食って掛かろうとする。

今まで黙って聞いていた清一郎も険しい顔で腰を浮かした。

そんな二人に対して四ツ谷はやや強めの声で言葉を投げかける。

 

 

 

 

 

 

 

「――それに……この怪談を行わない限り、()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

「何……?」

 

唐突な四ツ谷のその言葉に、一転して鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする慧音。

同時に清一郎も同じような顔で動きを止める。

それを見た四ツ谷は、自分の考えている事をその場にいる全員に打ち明け始めた。

 

「……いいか?事の一番の課題が、どうやってあの奥さんの精神を壊さず肉塊から引き離すかだろ?……だが、あの奥さんは肉塊を自分の息子だと思い込んで離れようとしない。自分の中の幻想を肉塊に重ねてな。彼女の中の狂気がその幻想を生み出し、肉塊に合わせていると言ってもいい……。なら、どうすればいいか。答えは一つだ――」

 

 

 

 

 

 

 

「――奥さんを支配している心の狂気を、()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 

 

 

 

 

四ツ谷のその言葉にアリスがハッとなる。

 

「四ツ谷さん。まさかそのために?」

「ああ」

「……それで真澄を()()()()()で肉塊から引き離そうというのか?だ、だが、そんなにうまくいくのか?」

 

頷いた四ツ谷に怒りを静めた慧音が再び問いかける。

それにニヤリと笑って四ツ谷が答える。

 

「ああ……。でなきゃ、最初っから言っちゃいねーよ。……で、お前たちはどうするんだ?俺の案に乗るのか?乗らないのか?」

 

今度は四ツ谷が皆に問いかけ、その場に沈黙が流れる。

だが、すぐにそれが終りを迎える。

 

「師匠がやるならわちきはやるよ!」

「わ、私も!四ツ谷さんを信じます!」

「……他にいい案は浮かばないし、仕方ないわね」

 

小傘、薊、アリスが四ツ谷に賛同する。

数秒置いて、今度は清一郎が重たい口を開く。

 

「……わかった。俺もそれに従おう」

「清一郎……」

 

苦渋の表情で頷く清一郎に慧音は眼を向ける。

その清一郎は顔を上げ、真剣な目で静かながらも迫力のある声で、言葉をつむいだ。

 

「……だが、分かってるな?もし失敗して真澄に何かあったら……俺は一生お前を許さない……!」

「シッシッシ!ああ……煮るなり焼くなり好きにするといい。……で?慧音先生は?」

 

四ツ谷にそう問われ、慧音は数秒の沈黙後、大きくため息を吐いた。

 

「清一郎が了承したのなら。私から言う事は何もあるまい?」

「決まりだな」

 

すっくと立ち上がった四ツ谷はいつもどおり不気味な笑みを顔に貼り付けながら、玄関戸へとゆっくりと歩み始める。

 

「俺の命と『最恐の怪談』の全てをかけて、必ずやこの怪談は成功させて見せる……!!」

 

そして、玄関戸を大きく開け放ち、『最恐の怪談』創り、その第一歩のために、外へと足を踏み出した――。

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ行くぞ……いざ、新たな怪談を創りに……!」




最新話投稿です。
誤字脱字報告。感想など気軽に投稿してください。


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其ノ七・裏

前回のあらすじ。
四ツ谷は怪談『とおりゃんせ』を行うことを宣言する。


その日、四ツ谷たちは人里のあちこちに『とおりゃんせ』の噂を流し、最後に四ツ谷自身が、本命である()()()にもその怪談を聞かせて慧音の家へと帰ってきていた。

帰ってきた四ツ谷、小傘、薊を慧音と清一郎が向かえ、慧音が四ツ谷に声をかけた。

 

「首尾はどうだった?」

「とりあえず怪談の()はまいて来た。後は『最恐の怪談』を行うための()()()をやる必要がある。そのためには、夫である清一郎(あんた)に了承してもらいたい事がある」

「俺に……?」

 

話の途中で慧音から清一郎に視線を移し、四ツ谷がそう言い。清一郎はそれに首をかしげた。

四ツ谷は静かに口を開く。

 

「奥さんを助けるためにはまず奥さん自身の精神を()()()に追い込む必要がある。やり過ぎない程度にな」

「……一体、何するつもりだ?」

「端的に言って『怖がらせる』。もちろん物理的な方法じゃなく間接的にだが」

 

はたから聞いていても、なんとも馬鹿げた要求であったが、それを言った当の本人が心底真剣な顔で言ってきたので誰も抗議の声を上げはしなかった。

頼まれた本人である清一郎自身も四ツ谷の気迫に飲まれてか怒る事もできず、ただ彼の視線を真正面から受け止めるだけであった。

永遠とも一瞬とも言える間をおいて、ようやく清一郎は口を開く。

 

「……それは、本当に必要な事なんだな?」

「ああ。じゃなきゃこんな事、あんたに頼むことすらしねーよ」

 

四ツ谷のその言葉に、清一郎は観念したとばかりに深くため息を吐く。

 

「……分かった。俺も一度はアンタに従った身だ。今更文句は言わんよ」

「ヒッヒッヒ!そうこなくっちゃな!」

 

真剣な顔から破顔(はがん)した四ツ谷は、次の瞬間には清一郎の肩に手を置き、彼の耳元で続けて口を開いた――。

 

「後、あんたには『最恐の怪談』で一役買ってもらうつもりだ。()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから時が立って、時刻は深夜。真澄の家の前、民家の影にて四ツ谷たちの姿があった――。

ただしそこにいたのは四ツ谷、薊、アリス、そして折り畳み入道の三人と一体であったが……。

他の者たちは当然の如く慧音の家で待機中となっていた。

真澄の家の明かりは既に落ちており、就寝した事が伺えられる。

そんな真澄の家を見ていた四ツ谷だったが、ふいに背後から薊か声をかけてくる。

 

「……あ、あの、四ツ谷さん。私はどうしてここに呼ばれたのですか?」

「んー?ああ、お前には今から『とおりゃんせ』に()()()()()()

「……ええっ!!?」

 

他の者たちとは違い、いたって普通の人間である自分がここに連れてこられたこと自体不思議だったのに、そこからまた予想の斜め上を行く四ツ谷の発言に、薊は驚きを隠せずにいた。

だが四ツ谷は薊のそんな様子を無視するかのように、続けて口を開く。

 

「お前、結構歌上手かったよな。今回はお前の歌唱力をこの怪談の肝にさせてもらうつもりだ」

「あ、え?……そう、なんですか?私そんなに歌うのが上手でしたか?」

 

突然、自分の歌唱力をほめられる薊だったが、彼女自身は自分の歌声がそれ程上手かったとは思っていなかったため、自信なさげに四ツ谷にそう返していた。

しかし、四ツ谷や今はいないが小傘も、薊の歌声はプロの域に近いと思っている。

二人は何度か、彼女が妹の瑞穂に膝枕をして昼寝をさせている所を見ている。そこで彼女は瑞穂に子守唄を聞かせていたのだ。

その時聞いた歌声はとても良質で、無意識のうちに四ツ谷と小傘がその場で聞き入ってしまうほどであった。

そしてその歌声に目を着けた四ツ谷が、今回薊を『とおりゃんせ』にしようと考えた理由であった。

 

「折り畳み入道」

「はいよぉ、父ちゃん」

 

四ツ谷に声をかけられた折り畳み入道がそれに答える。

一瞬、「父ちゃん」と呼ばれた事に反論しそうになった四ツ谷であったが、今はそれをぐっと飲み込む。

そして、四ツ谷は薊を折り畳み入道の入った葛篭へと来るように促した。

恐る恐る葛篭の前に立った薊に四ツ谷が口を開く。

 

「折り畳み入道の『箱から箱へと移動する程度の能力』は、何も物や生き物だけを移動させられるだけじゃねーんだ。外の世界で言う『電話』のように、声のみを離れた所にある箱へと送る事ができる」

 

そう言って四ツ谷は折り畳み入道に目配せする。

それを見た折り畳み入道は、一度は葛篭の中に戻る。

そして数分が立ったころ、再び葛篭から現れた。

 

「今、()()()の中にある全ての『箱』の蓋を()()()()()()()。いつでもいいよぉ?」

「よぉし、後は『聞き手』に折り畳み入道の『妖気』を軽く当てて、起こすだけだ」

 

折り畳み入道の言葉に四ツ谷は満足そうにそう響き、薊に眼を向ける。

 

「……そうしたら薊、次はお前の番だ」

「は、はい!」

「気負いするな。落ち着いてゆっくりと静かに歌え」

 

そう言った四ツ谷は、再び折り畳み入道に目配せし、それを見た折り畳み入道は再び箱の中に入る。

そして今度は一分もしないうちに折り畳み入道は戻ってきた。

 

「起こしてきた」

「よし、今だ薊。葛篭の中に向かって『とおりゃんせ』を歌え……!」

 

四ツ谷のその言葉に薊は頷き、同時に折り畳み入道は薊が葛篭に向かって歌えるようにするため、邪魔にならないところへと移動する。

それと入れ替わるようにして、薊が葛篭へと顔を近づけ、静かに『とおりゃんせ』を歌いだした――。

 

 

 

 

――その効果はすぐに現れた。突然、さっきまで寝静まっていた真澄の家のほうが慌しくなり、バタバタと家の中を走り回る音がしだしたのだ。同時に、障子や襖をバンッ、パンッと激しく開ける音も響きだす。

 

 

 

 

「……どうやらあの奥さん相当パニックになってるみたいだな。薊、その調子で『とおりゃんせ』を繰り返し歌え」

 

四ツ谷のその言葉に薊は頷き、再び『とおりゃんせ』を歌いだした。

その様子をしばらく見つめていた四ツ谷であったが、そこでふと、自分が今まで疑問に思っていたことを隣に立っている人形のような少女に問いかける。

 

「そう言や。なんでお前ここに来たんだ?」

「あら、いちゃいけないの?」

 

唇を軽く尖らせながら、その少女――アリスが四ツ谷にそう返す。

四ツ谷は今回、アリスをここに連れてくるつもりはなかった。だが、慧音の家を出るとき、何故か一緒にくっついてきたのだ。

 

「ここに来ても別にお前にしてもらえることはなかったんだがな」

「そうみたいね。でも、まあそっちはどうでもいいのよ。ただ……ちょっと気になることがあって」

「気になること?」

()()()()、よ……」

 

アリスのその言葉に、四ツ谷は反射的にアリスに眼を向ける。すると、アリスも四ツ谷に眼を向けており、自然と二人の視線がぶつかった。

数秒の沈黙後、アリスのほうから視線を外し、再び口が開かれる。

 

「……聞いた話だと、あなた、私と同じで元々この一件とは無関係だった見たいじゃない?なのになんでついこの間あったばかりのあの男(清一郎)のためにここまでのことをする気になったのか、気になってね……」

 

アリスがそう言ったと同時に、四ツ谷もアリスに向けていた視線を薊たちのほうへと戻し、それに答える。

 

「……昨日の晩にお前が言ったのと同じ理由だ。『乗りかかった船』だよ」

「嘘」

 

その答えをアリスはバッサリと切り捨てた。だがすぐに首を横に振り、先ほどの否定を却下する。

 

「……いえ、嘘ではないけれど、それだけが理由ってワケじゃないでしょ?もっと他に動機があるんじゃない?」

「さぁねぇ……」

 

少々鬱陶(うっとう)しそうに、四ツ谷は口を尖らせてそっぽを向く。

そんな四ツ谷をアリスは正面に回りこんで、下から見上げる形でじっと見る。そして不意にアリスの目がジトリと細まった。

 

「あなたもしかして……『新しい怪談を創るためのネタになる』とかなんていう理由でこの一件に関わったわけじゃないでしょうね?」

 

アリスのそう指摘した途端、四ツ谷の両肩がビクリと跳ねた。二人の間に気まずい空気が流れ始める。

だが、それを打ち破るかのように四ツ谷は口を開いた。

 

「……そ、そんな事は……ナイデスヨ……?」

「ちょっと、こっち見て喋りなさいよ」

 

眉間に深いシワを寄せ、アリスは四ツ谷にそう言うも、四ツ谷は眼をアリスに向けようとしない。

その状態の沈黙が数秒続き、唐突にアリスが深いため息を吐いて、四ツ谷から離れた。

 

「もういいわ。これ以上問いただしてみても、あなたは()()()()を言いそうにないしね。……先に言った二つの理由、あれらも実は建前でしょ?本当の理由はもっと別にある。でも……」

 

そこまで言ったアリスはクルリと四ツ谷に背中を向け、肩越しに四ツ谷に眼を向ける。

 

「……あなたの性格上、それを言葉に出す事はない。なら、これ以上の問答は無駄ってモノでしょ?だから、もういいのよ」

 

そう続けて言ったアリスは、何故か最後に四ツ谷に向かってクスリと笑って見せた。

人形のように整ったアリスの流麗な笑顔に、四ツ谷は一瞬面食らう。その間にアリスは顔を正面に戻し、路地の奥へと向かって歩き始める。

 

「……先に先生の家に戻ってるわ。あなたたちも用が済んだらさっさと帰ってきなさいね」

 

そう言い残して――。

 

 

 

 

 

残された四ツ谷はフゥ、と深いため息を吐いて頭をガシガシと掻いた――。

そばではまだ薊が葛篭に向かって『とおりゃんせ』を歌っている。後一回、歌わせたら今日は切り上げよう。そう決めて四ツ谷は薊の歌が終わるのを待った。

アリスの四ツ谷に対する指摘は確実に的を射ていた。

『乗りかかった船』も『怪談を創りたい』という理由も、確かに四ツ谷の中にあった。だが、それらよりももっと大きな理由を四ツ谷は内心に隠していた。

だが()()()()、そうそうおいそれと口に出せるわけがなかった。それはアリスが言ったように、四ツ谷の性格がそうしていたのだ。

だから口が裂けても、四ツ谷は()()()()()()言える訳がなかった――。

この幻想郷に来たばかりの頃、右も左も分からない自分に住む家を提供し、この世界の仕組みや生き方を教えてくれた恩人であり、おせっかいやきな()()()のためなどと――。

そう、四ツ谷は元々清一郎のために動いていたわけではなかった。ただその清一郎と真澄(元教え子たち)のために思い悩んでいた慧音のために一肌脱いだにすぎなかったのだ。

 

「……まさかアリス(あいつ)、それに気付いたんじゃないだろうな?」

 

彼女が最後に浮かべた笑みを思い出し、額に冷や汗を流しながら響かれた四ツ谷の独り言が、風に乗って夜の空へと上り消えていった――。




いや~、暑い日が続きますね。
この暑さのために、気力が薄れ、書く速度が遅くなっている自分です。
ですが、何とか最新話を書くことができてホッとしています。


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其ノ八・裏

前回のあらすじ。
四ツ谷たちは真澄の家に『とおりゃんせ』を流し始める――。


その次も、その次の晩も、四ツ谷は薊に『とおりゃんせ』を歌わせ続けた。

その度に、真澄は家中を走り回る事となり、その様子を見た四ツ谷は順調に計画が進んでいる事に内心満足していた。

薊も薊で四ツ谷の指示通りに『とおりゃんせ』を歌い続けた。四ツ谷から()()()()をしっかりと守ってである――。

最初の『とおりゃんせ』が歌い終わった直後、薊は四ツ谷から「次の晩は今回よりも口調を強くして歌え」と言われていたのだ。

何故そうする必要があるのか薊が問いただした所、四ツ谷はニヤリと笑って見せ――。

 

「簡単だ、『演出』だよ。こうする事で『とおりゃんせ』を歌うナニカが段々と近づいてくるように思えて恐怖心が増してくるだろ?」

 

そう軽い口調で響いたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷の『とおりゃんせ』が始まってから三日目の昼――。

薊の淹れるお茶を待ちながら、四ツ谷は長屋で小傘の報告を受けていた。

 

「あの奥さん、相当参ってました。フラフラしながら買い物へ行く準備をしていましたよ」

「そうか」

 

それを聞いた四ツ谷は思案顔になる。

ちょっとした揺さぶり程度の前振りだったが、意外と効果が出ていたらしい。

『とおりゃんせ』が流れると同時に、彼女は家の中を走り回っていたが、結局『箱の中』から歌が響いてきている事には最後まで気付かなかったようだ。

まあ、家中にある『箱という箱』から一斉に『とおりゃんせ』が響いてきたら、どこが歌の発生源か分かるわけがない。

そのうえ彼女は、()()()()()()()をも見つけるつもりだったらしく、人が隠れられそうなところばかり見て、小物入れなどの箱には全く目もくれていない様子であった――。

 

「あの様子ではもう持ちそうににありませんよ師匠?」

 

不安げにそう響く小傘に、四ツ谷は一度目線を下に落とすと、再び小傘に眼を向けて頷く。

 

「ああそうだな……。ぼちぼち、頃合のようだ――」

 

 

 

 

 

 

「――今夜、『とおりゃんせ』の仕上げをするぞ……!」

 

 

 

 

 

静かながらも力の篭った四ツ谷のその言葉に、その場にいた小傘、金小僧、折り畳み入道は同時に頷いた。

同時に薊が四ツ谷たちにお茶を運んでくる――。

 

「四ツ谷さん、お茶が入りましたよー」

「よし、そうと決まれば手順を説明するぞ?まずは――」

 

そう言いながら薊がちゃぶ台に乗せた湯飲みの一つへと手を伸ばす四ツ谷だったが、そこへ唐突に小傘が「待った」をかけた。

 

「……ちょっと待ってください師匠!今何かが急速に人里――しかもこの長屋へと迫ってくる者たちがいます!これは……霊夢さんと魔理沙さん!?」

 

小傘がそう叫んだと同時にすぐさま四ツ谷が皆に指示を出す。

 

「すぐに全員、折り畳み入道の葛篭へと飛び込め!折り畳み入道、繋げる先は慧音先生の家だ!」

「りょ、了解!」

「へ?あの、お茶は……!?」

 

折り畳み入道は四ツ谷の指示に頷き、能力で今自分が入っている葛篭の中を慧音の家の衣装入れの箱と繋げる。

突然の展開に場違いな事を響いてオロオロしだす薊を、小傘が手を掴んで葛篭の中に最初に入っていく。

そして続けて金小僧、四ツ谷と続き、最後に折り畳み入道本人が葛篭の中に入って箱を閉めた。

箱が閉められたのと、霊夢と魔理沙が四ツ谷の長屋の前に降り立ったのはほぼ同時であった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷たちが慧音の家に着いたとき慧音は家を留守にしているらしく、誰もいなかった。

仕方なく四ツ谷たちは彼女が帰ってくるまで、先ほど霊夢たちによって中断されたミーティングを再開する。

そうして待って、夕方になる時刻に差し掛かった頃、慧音は清一郎と共に家に戻ってきた。

戸締りはしっかりとして出たはずなのに、帰ってきたら四ツ谷たちがいた事に慧音は一瞬驚きで目を丸くするも、折り畳み入道を見てすぐに理解した。

対して清一郎は四ツ谷の創った怪異である金小僧と折り畳み入道を()()()()()()、腰を抜かしそうになっていた。

まだ人間の容姿に近い小傘ならまだしも、どう見ても人間ではない異形丸出しの姿の二人では、さすがに驚愕せずにはいられなかったらしい。

半ばパニックになる清一郎を、慧音が慌ててなだめすかすのにしばしの時間がかかった――。

何とか落ち着かせはしたものの、それでも清一郎はやはり金小僧と折り畳み入道が気になるのか、チラチラと目線を向けていた。

それを見た慧音は小さく苦笑するも、それよりも先に清一郎と合流する前に見た()()()()()が気になっており、それを教えるために四ツ谷に声をかけ、話し始めた。

 

「……あの巫女が奥さんに?」

「ああ……退魔札を渡していた。霊夢も真澄に目を着けたようだった」

「……でしたら霊夢さんのことですから、今回わちきたちがあの奥さんに『最恐の怪談』を行う事を知るのも時間の問題かもしれませんね。……さっき長屋(うち)にやって来ていましたし……」

「何だと?」

 

小傘のその言葉に、慧音の顔から一層険しさが増した。

そして再び四ツ谷に向かって口を開く。

 

「どうする?怪談を中止するか?」

「馬鹿な。今が絶好の機会だというのに、みすみす先延ばしになんぞできるか」

 

そう言って一度目をつぶって思案顔になる四ツ谷だったが、すぐにニヤリと不気味に笑いながら目を見開く。

 

「……このさいだ。()()()()()()あの二人にも一つ、『とおりゃんせ』完成の為に()()()()()()()()とするか……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。明かりの落ちた真澄の家に四ツ谷、薊、金小僧、折り畳み入道、慧音がやってきていた。

しかし、彼らよりも先に()()が来ており、先頭に立ってその者の姿を見た四ツ谷は目を丸くする。

 

「……なんだ。今夜も来ていたのか?」

「随分ね。()()が危ない目に会ってるのに気にならないわけがないでしょ?……それに、私の創った物語がいまいちだと言ったあなたの怪談が、一体どんなモノかも興味あるしね……」

 

月下の下に風に金髪をなびかせたアリスが、不敵にニヤリと笑いながら、そう答えていた。

そして続けて四ツ谷に向かって問いかける。

 

「ねぇ、あの奥さんの夫と小傘はどうしたの?」

「あの二人は今、所定の場所で待機させている。今夜が『とおりゃんせ』の総仕上げだからな」

「あら、そうだったの?」

 

四ツ谷の返答に、これは丁度いいわね。とばかりに口元に手を添えてクスリと笑うアリス。

そんなアリスを四ツ谷はスルーし、薊にと折り畳み入道に声をかける。

 

「準備はいいな?まずは今夜も前と同じ手順であの奥さんを起こし『とおりゃんせ』を歌う。その途中で薊、今度はこのメガホンを使って『とおりゃんせ』を歌うんだ」

 

そう言って四ツ谷は薊に黄色い簡易性の拡声器――外の世界の応援団などが使う俗に言うメガホンを取り出し、渡す。

 

「わかりました。途中からこれを使って歌えばいいんですね?」

「ヒヒッ!そうだ薊、それを使えば声がもっと大きく響くようになるはずだ。『演出』効果を高めるにはいいモンだろ?」

「ふーん、それを使うの?だったらその効果とやら、私がもっと向上させてあげましょうか?」

 

そう言って唐突に横からアリスが四ツ谷と薊の会話に割り込んできた。

怪訝な顔をする二人に目もくれず、アリスは薊の持つメガホンにそっと手を添えると、小さく何かの魔法の詠唱を響いた。

その途端、メガホンに小さな魔法陣が現れ、すぐに消える。

ポカンとする四ツ谷と薊にアリスは得意気に口を開く――。

 

「今この道具に『拡声反響効果』の魔法を付与したわ。これで外の世界の『マイク』並みの音響が出せるようになったはずよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その効果はすぐに現れた。

アリスの魔法付与されたメガホンを渡された薊は最初、いつもどおりに『とおりゃんせ』を歌い、そしてその途中からそのメガホンを口につけて歌いだしたところ、なんとその歌声が家から漏れてこちらにまで聞こえるようになったのである。

静かに歌っていてこれである。もし大声で歌っていたら周りの民家にまで必要以上に届き、安眠妨害で苦情が出ていたかもしれない。

 

「いやっ!!もう嫌あああぁぁぁぁーーーーーーーっ!!!」

 

そうこうしている内に真澄が肉塊を連れて、叫びながら家から飛び出してきた。

真澄に抱きかかえられるというより、むしろ彼女の身体に張り付く感じで連れられるブヨブヨとした肉塊を目の当たりにし、薊の口から小さく「ひっ!?」という悲鳴が漏れる。

しかし、隣に立つ四ツ谷はその光景を見て瞬時に周りのモノたちに指示を飛ばす。

 

「俺は先に折り畳み入道の能力で先回りし、所定の場所に向かう。その後金小僧はその葛篭を持って()()()()()()()()()()。そして薊は()()()()()()()()箱に向かって再び『とおりゃんせ』を歌い続けろ。そうしながら同じ所定の場所へと向かえ!」

 

四ツ谷のその言葉に、薊、金小僧、折り畳み入道が同時に頷く。

それを見た四ツ谷は、すぐさま葛篭の中へ姿を消した。

残された金小僧はその葛篭を抱えて、真澄の後を追って駆け出す。そして薊は地面に置かれていた、前もって四ツ谷が用意していた彼女でも抱えられるほどの木の小箱を持ち上げ蓋を開けると、ゆっくりとした足取りで目的地に向かいながら『とおりゃんせ』を歌い始めた。

その歌声を聴きながら、慧音とアリスも薊の後を追おうとするも、不意にアリスが立ち止まり、それに気付いて慧音も無意識に足を止めた。

 

「どうしたアリス?」

「……まったく。相変わらず末恐ろしいわね。彼女の『勘』は……」

 

慧音の問いには答えず、夜空の一点を睨みつけながら、アリスは毒付く――。

何事かと慧音もアリスの視線の先を追い、同時に理解する。

月明かりに照らされて、夜の闇の中をこちらに向かって飛んでくる二つの人影があったのだ。

その二つの影は、遠目からでも目を凝らせば分かるほど、特徴的な色合いの服を着ていた。

慧音とアリスにとっては見慣れた紅と白、黒と白をそれぞれ基調とした服。それを見ただけで誰がやって来たのか二人は瞬時に理解したのである。

 

「霊夢と魔理沙か!?くそっ、どうやって嗅ぎつけたんだ!?」

「大方、霊夢のあの化物じみた『勘』でしょ?厄介極まりないわね。……慧音先生、彼の怪談を成功させるため、しばし()()()()をしましょ?」

 

アリスの提案に慧音は力強く頷き返した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして、『裏』は『表』と交じり合い、現在に至る――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『所定の場所』である繁華街近くの雑木林――そのそばに立てられた小屋に置かれている木箱から現れた四ツ谷は雑木林の中に身を隠し、『聞き手』が来るのをじっと待った――。

そうして金小僧と『とおりゃんせ』によって追い立てられた真澄と肉塊がやって来たのを見計らい、四ツ谷は一人と『一体』の前に姿を現す。

 

「あ、貴方は……!!」

 

唐突に現れた四ツ谷を視界に納め、真澄が目を大きく見開く。

対して四ツ谷は見ていてもおぞましい肉塊を、まるで宝物のように抱える真澄を眺め、一度目を閉じ再び開く――。

その目に映るは、果たして異形を我が子と信じ、仕舞いには人の道に外れようとする彼女に対する嫌悪かそれとも哀れみか――。

それは誰にも分からない。分かる事があるとするならただ一つ――。

 

彼はただ()()()()――。全てを賭けた『怪談』を――。

 

今宵の幕は……今、開かれた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さァ、語ってあげましょう。貴女の為の……怪談を……」




裏編、これにて終了です。
次からは山場である『結』編が始まります。
後、タグを少し追加します。


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其ノ一・結

前回のあらすじ。
『表』と『裏』が合わさり、四ツ谷の『最恐の怪談』の幕が上がる――。


人里のとある雑木林の中――。

そばにある繁華街の喧騒が、どこか遠くにあるかのように聞こえてくる。

隔離された幻想郷のそのまた中に、また別の切り離された空間ができたのではないかと思えるほど、その場は異様な雰囲気に満ち満ちていた。

薄暗い雑木林の中に一人と一組の存在が対峙する。

片方は黒髪に着物の上から腹巻をした四ツ谷文太郎――。

もう片方は、人里の一角に住まうごく普通の主婦()()()真澄と『清太』――。

真澄は目の前に立つ四ツ谷に警戒の目を向けながら、手に持った包丁の切っ先を四ツ谷へと向ける。

しかし、四ツ谷はそれに臆することなく、静かに、それでいてはっきりとした声で語り始めた。

 

「……『とーりゃんせー、とーりゃんせー、こーこはどーこのほそみちじゃー?』……どこから、ともなく、風に乗って歌声が響いてきます……。それは誰もが知っている童謡(どうよう)……。誰もが一度は聞くであろう童歌(わらべうた)……。それが夜の闇の中から木霊するのです……。ほら……この歌声、ですよ……」

 

そう言って四ツ谷は耳を澄ませる仕草をする。すると、雑木林に入る前まで真澄たちを追いかけていた『とおりゃんせ』の歌声が、またどこからか響いてきたのだ。

それを耳にした真澄が「ヒッ!」と小さな悲鳴を上げるも、すぐにキッと目を鋭くし、四ツ谷に包丁を突きつけながら叫ぶ。

 

「ちょ、ちょっと貴方邪魔よ!!どきなさいよッ!!!」

「……何を焦っているのです?それ程までにこの歌声が怖いですか?神隠しを(いざな)う、この『とおりゃんせ』の歌声が……」

「あ、貴方ね!あんなおかしな怪談を人里に流して、こんな手の込んだ事をしでかしたのは!!よくもこんな酷い事を――」

 

半狂乱になって叫ぶ真澄に、四ツ谷はスッと人差し指を突きつけ、その言葉を途中で止めさせる。

 

「酷い事?これはまた異な事をおっしゃられる。()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

「っ!!?」

 

何でそれを知っている!?とばかりに真澄の顔は驚愕に染まる。

それに構わず、四ツ谷は語りを続けていく――。

 

「……それに、もはやどうこう言った所で、もう遅いのですよ……。この『とおりゃんせ』が聞こえてしまったら最後。……必ず、神隠しは起こるのです」

「い、嫌よ!清太は誰にも渡さない!!神隠しなんて起きはしない!!!」

 

『清太』を背中にかばいながら、真澄はそう叫ぶ。

しかし四ツ谷はそんな真澄に言い聞かせるようにして口を開く。

 

「『とおりゃんせ』は七歳の子供がいる家にしか現れない。……アナタが背中にかばっているその『清太』君も、七歳なのでしょう?……なら、『とおりゃんせ』の神隠しに会うのは――」

「――違うッ!!」

 

真澄の一際大きな拒絶の叫びが、雑木林の中に木霊する。

髪を振り乱し、必死な形相で強く否定し続ける。

 

「違う!違う違う違うッ!!清太は神隠しに会いはしない!!()()()()()()()!!」

「……『会うわけがない』?何故、そう断言できるのですか?」

 

四ツ谷は首をかしげて真澄にそう問いかける。それと同時に、真澄の言葉が一時的に詰まり、俯いてしまう。

何故だかは彼女自身にも分からない。だがこれ以上、目の前にいるこの男に言葉を投げかけると、後戻りのできない()()まで口走ってしまいそうで、彼女の中の本能がそれに歯止めをかけたのだった。

しかし、そんなことをしている間にも、辺りに響き渡る『とおりゃんせ』が次第に大きくなっていき、真澄の中の焦りもそれと同時に高まっていく。

もはや限界間近となり、真澄は目の前にいる四ツ谷を傷つけてでも押し通ることを決意し、再び顔を上げ……そして固まってしまった――。

 

「……何故、なのですか……?」

 

いつの間に近づかれたのか、すぐ目の前に四ツ谷の顔があったからだ――。

無表情ながらも得体の知れない迫力で覗き込まれ、真澄は尻込みする。

しかし、逃がさないとばかりに四ツ谷の眼力に射抜かれた真澄は思うように動けなくなっていたのである。

そんな真澄に四ツ谷は再び問いかける。

 

「……『何故』、なのですか……?」

「……そ、それ、は……だって……だって……!」

 

目の前の四ツ谷と周りから響く『とおりゃんせ』の歌声から真澄は次第に追い詰められ、その恐怖とこの状況に対する理不尽からなる苛立ちから、半ば無意識にその言葉を口から解き放っていた――。

 

「――だって、清太は()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

その瞬間、『とおりゃんせ』の歌声がピタリと止み、辺りは静寂に満ちた。

 

「……え?」

 

真澄は今しがた自分が言った言葉が信じられず呆然となる。

 

「……わ、私、今……なん、で……?」

 

狼狽する真澄に対し、四ツ谷は静かに目を閉じると、ゆっくりと真澄から距離をとり、静かに声を響かせた――。

 

「……そう。アナタの息子は七歳になどなってはいない。なりはしない。それは()()()()()()分かっている事なのです」

「な、何を言って――」

「――神隠しに会ったのは、『清太』君ではない」

「……え?」

「本当に神隠しに会ったのは――」

 

静かに、それでいてはっきりとした口調で、四ツ谷はゆっくりと指をさす――。

 

 

 

 

 

 

 

「――アナタですよ。真澄さん……」

 

 

 

 

 

 

 

「……は?え?わ、私が……?い、一体何を言ってるのよ!?ふざけるのもいい加減にしなさいよッ!!!」

 

ヒステリックに叫ぶ真澄とは対照的に、四ツ谷は冷静に語り続ける。

特異といえるその声は、真澄の耳から脳内へと入り、浸透していく――。

 

「……アナタは心のどこかでは()()()()()()。自分の息子が、七歳の子供ではないことを……。永遠に七歳の子供になど()()()()()()事を……」

「ち、ちが……違、う……」

「だが……()()を受け止める事はアナタにはできなかった。それ故、アナタは代わりとなる(モノ)を作り出し、それを愛でる事でいなくなった我が子の影を追いかけたのです……。そのために自らが『現実』から『幻想』の世界へ閉じこもる(神隠しに会う)結果になるとは知らずに……」

「違うッ!!!」

 

再び大きく首を振って、真澄はまた強く否定する。

 

「清太は!私の息子はここにいるッ!!話しもできるし触れられる!!幻なんかじゃない、れっきとした本物――」

「――ならば。今一度、アナタの息子をしっかりと見ておあげなさい。……先ほど清太君が七歳の子だという、『幻想』を否定した今のアナタになら、はっきりと見えるはずです。……そこにいる、アナタが自分の息子だと言い張るモノの、本当の姿が……!」

 

四ツ谷が真澄の言葉に重ねるようにしてそう響き、辺りに静寂が下りる――。

数秒後、真澄は歯をカチカチと鳴らしながら、身体を震わせてゆっくりと背後に眼を動かしながら、呟く。

 

「……せ、清太……?そこに、いるのよね……?幻な、分けないもんね……?今も、生きてるんだもんね……?」

 

そうして、視界に映った愛しの息子の姿は――。

 

「お母さん……オかあサン……おカあ、さン………オ、ガァ、ざ……ン……アァ、あアあァァ、アアァ……――……ア゛アァァ……――……ア゛アアァァ……――……ア゛ア゛ア゛ァァァァァァーーーーーーッッッ!!!

 

醜く奇声を上げる、大きな肉塊の姿であった――。

 

「あ、あああぁぁぁぁ……!!!」

 

『幻』という名のフィルターが外れ、今まで自分が愛でていた存在の正体を目の当たりにし、絶望に染まった真澄は絶叫する。

そんな真澄に肉塊は大きく口を開き、食らい着こうとするかの如く、真澄に覆いかぶさってきた。

 

「ヒィィィッ!!」

 

反射的に真澄は両腕で自分を庇う構えを取る。

その瞬間、真澄が包丁を持っているのとは反対の手、そこに握った()()()退()()()が強い光を放った。

光を浴びた肉塊は、まるで壁に突き当たったかのように大きく弾かれた。

 

――ア゛アアァァァ……!!――ア゛ア゛アアアァァァァ……!!!――

 

肉塊はそのまま地面に身体をしたたか打ちつけ、苦しそうにのた打ち回る。

そう、肉塊は『とおりゃんせ』の歌声に苦しんでいたわけではなかった。真澄が霊夢からもらい、家を飛び出してから今の今まで身に着けていた退魔札の浄化の力によって苦しんでいたのだ。

苦しみ、身悶えながら、地面を転げまわる肉塊を見て、真澄は呆然としたままカシャンと両手に持った包丁と退魔札を取り落とした。

そして、乱れた髪をさらに両手でガシャガシャと掻き乱し、双眸からボロボロと涙を流しながら叫ぶ。

 

「嫌ッ!!嫌アアァァァッ!!どうして、ねぇ、どうしてどうしてどうしてなのォ!?私は、清太さえそばにいてくれればそれで良かった!!何で、どうして私たちをそっとしてくれなかったのよおぉぉぉッ!!!」

 

慟哭ともいえる真澄のその叫びに、そばで見ていた四ツ谷が答えた。

 

「……そう。確かにアナタの為を想うのであれば、我々もアナタに干渉なんかせず、距離を置いて見守っているべきだったのでしょう。……ですが、アナタが鈴奈庵で()()()を手にしてしまった時、その状況が一変してしまった……!アナタ自身も、()()を何の躊躇いもなく手を掛けようとしてしまう程にまで……!」

 

四ツ谷のその言葉に今度は真澄は両手で頭を抱え響く――。

 

「……だ、だって……清太がもう『このお肉飽きた』って言うから……!もう、犬猫や鶏なんかのお肉じゃ食べなくなってきたから……!」

 

真澄のその答えに、四ツ谷はやや哀れみを含んだ目を彼女に向ける。

 

「……アナタはもうそこまで正常な判断ができないほど人の道から外れようとしていたのですか……?考えても見てください。アナタの息子さんは『人間の肉が食べたい』などと言う子供だったのですか?」

 

四ツ谷のその言葉に真澄は虚空を見つめながら呆然と立ち尽くすしかなかった。

もはや何も考えられない。そんな表情を顔に貼り付けている真澄に向かって、四ツ谷は再び目を閉じるとゆっくりと告げた――。

 

「――だが、まだアナタは……()()()

 

四ツ谷がそう響いたと同時に、真澄はゆっくりと顔を上げ、四ツ谷を見た。

その両目から滂沱の涙を流しながら――。

真澄のその視線を受け止めながら、四ツ谷は続け響く。

 

「まだ引き返せるのです。手遅れになっていない今なら、いくらでもやり直すことだってできます。だからこそあなたは今一度、現実世界(こちら側へ)戻って来るべきだ……!」

 

そう言って四ツ谷はゆっくりと右手を真澄に向かって差し出す。

しかし、真澄はその手を取ろうとせず、呆然とした表情のまま力なく首を横に振った。

 

「いやぁ……いや、よぉ……戻りたくない……戻れるわけ、ない……だって、そんな事したら、私は……!」

 

そう。頭の中が真っ白になっている今の真澄でも、それがどう言うことなのかおぼろげながら分かっていた。

現実に戻ることは、それは同時に『清太の死』も受け止めなければならないという事――。

彼女にとって、清太が生きているという『幻想』は、自身の心を保ち続ける最後の生命線だった。

その『幻想』だけは、どうしても失うわけにはいかない。それが失ってしまったら、自分はもう、()()()

最愛の人がいなくなってしまっては、もう自分を支え続ける事はできなくなってしまう。

だが、目から光が消え、絶望の淵に佇むそんな真澄の内心を汲み取ったのか、四ツ谷は静かに語りだした――。

 

「アナタは、本当に自分が()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「え……?」

「アナタは一人ではない。忘れてはいけません。アナタにはもう一人、()()()()()がいるではありませんか」

「あ……」

 

四ツ谷の言おうとしている事に気づき、真澄の目に光が戻り始める。

それと同時にジャリッと地面を踏む足音が真澄の背後から聞こえ、真澄は無意識にそちらへと目を向ける――。

そこへ四ツ谷の語りが雑木林の中に静かに響いた。

 

「帰っておあげなさい。現実(そこ)には、アナタが幻想(むこう)へ行った後も、いつかアナタが帰ってきてくれる事を信じ、また二人で共に歩んで行こうと――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ただひたすらに願い、そして待ち続けている者が確かにいるのですから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

真澄の目に映ったのは自分が愛するもう一人の家族であった――。

小傘に連れられて現れたその者は、真澄同様、双眸に涙を流してジッと真澄を見続けていた。

 

「……あ、あな……た……?」

「真澄……すまんッ……!」

 

その謝罪の言葉は、何に対してのモノだったのかは、周囲の者たちには分からずじまいであった。

しかし、その『声』を聞いた瞬間、真澄の顔は先ほどまで同様、涙を流しての呆然としたモノであったが、それでもどこか憑き物が落ちたかのように晴れやかなモノへと変わっていた――。

まるでお互いが惹かれあうように清一郎と真澄の二人は少しずつ歩み寄っていく。それを四ツ谷や小傘。そしてやや離れた所から、少し前に到着していた薊に金小僧、折り畳み入道に慧音とアリス()()が見守っていた――。

 

 

 

だが、これで全てが一件落着……とまでにはいかなかった――。

 

 

 

――ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアァァァァァーーーーーッッッ!!!!

 

突如雑木林に轟く咆哮。その声の出元をほとんどの者が目で追った――。

見ると先程退魔札で吹き飛ばされた肉塊が身体を起こして、亀のような速度ではあるが、真澄に向かっていく姿が目に映ったのだ。

かつて『清太』と呼ばれていたソレは、まだかなり離れてはいるが、真澄とのその距離は次第に縮めて来ていた。

それを見た周囲の者たちは一斉に戦闘の構えを取るも、それよりも先に真澄と肉塊の間に立ちふさがる者がいた――。

意外な人物のその行動に周囲が目を丸くするも、そんな彼らの事などお構い無しと言わんばかりに、その者は不気味な笑みで口を開く――。

 

「おっと、待ちなよ()()()の肉塊クン?今宵は特別だ。最後にキミの為の怪談を語ってあげようじゃないか……!」

 

異形を目の前に恐れもせず、月明かりの下に照らされた四ツ谷の顔は、確固たる自信に満ちていた――。




四ツ谷の『最恐の怪談は』まだ終わりません。次の話まで続きます。
その後、後日談を少しした後、次の章に入っていきます。


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其ノ二・結

前回のあらすじ。
真澄を正気に戻した四ツ谷は、次に肉塊と対峙する。


「薊、そこにいるな?」

「あ、はい!います!」

 

唐突に四ツ谷に名前を呼ばれ、薊はビクリとしながらも反応する。

その声を聞いた四ツ谷は、お互いを抱きしめあっている清一郎と真澄を庇うようにして立ちながら、口角を大きく歪ませた。

そして、続けて口を開く。

 

「もう一度、歌え!」

 

短い言葉ではあったが、四ツ谷が何を言っているのかすぐに理解した薊は大きく頷くと、静かに、それでいてはっきりとした口調で『とおりゃんせ』を歌い始めた――。

その歌声を背景音楽(BGM)に、四ツ谷は今もなおこちらに向かって進んでくる肉塊に向けてゆっくりと語りだした。

 

「自我を持たない『呪い』の塊である異形は一人の女性の手によって生まれました。女性はせわしなく異形を世話しましたが、異形の肉塊にとっては彼女もまた、彼女が捧げてくれる餌と同等の価値でしか意識していなかったのです……」

――ア゛ァァァーーー……――ア゛ア゛ァァァーーー……!!――

 

四ツ谷は語り続けるも、肉塊は歩みを止めることは一切なかった。

自我を持たない肉塊に言葉など理解できるわけがない。この異形はただ本能のままに行動しているにすぎなかった。そう、本能のままに自らを生み出した術者、すなわち真澄を食べる事にしか今は執着していない。

それ故、前に立つ四ツ谷が何かを言っていても興味どころか意識すら一切向いては来なかった。この異形が唯一意識しているのは四ツ谷の後ろにいる真澄だけなのだから――。

だからこそ肉塊は四ツ谷も、それ以外のことも一切無視するが如く歩みを止めない。ただひたすらに真澄を食らうために突き進む――。

しかし、それは四ツ谷も分かっていた。

言葉も自我もない肉塊の異形に何を語った所で理解する事はないことは初めからわかっていた。

それ故四ツ谷も、そんな肉塊の行動を気にすることなく勝手に語り続ける。

 

「……そして、いざ女性を食らおうとしたその時、どこからか響いてくる『とおりゃんせ』の歌声と共に、()()()()()が辺りに木霊したのです……!」

 

 

 

 

 

   ザザッ……!

 

 

                ザザッ……!!

 

 

                              ザザザザッ……!

 

 

       ザッ……!

 

 

                    ザザッザザッ……!!

 

 

                                     ザザッ……!

 

 

 

 

 

四ツ谷のその言葉と共に、薄暗い雑木林の中で、茂みや草を踏み分けて二つの足音が忙しなく響きだした。

それと共に、肉塊の動きが初めてピタリと止まる。

それは得体の知れない何かが、自らに危害を与えようとしている事に()()()に気付き、その歩みを止めたようであった――。

だが例えそれに気付いていなかったとしても、その異形の結末は何も変わりはしなかったのだが――。

動きを止めた肉塊に向けて、四ツ谷は静かに語り続ける。

 

「……その足音は異形を『無』に還す為にやって来た言わば『殲滅者』のモノ。一人はとがった帽子を被った白黒服の魔女。そしてもう一人は、紅白の衣装に身を包んだ調停者たる神性の巫女……!夜空を背景(バック)に二人は肉塊の頭上へ大きく跳躍する……!」

 

同時に草むらから二つの影が飛び出し、肉塊の頭上へ躍り出た。

四ツ谷が言うように一人は白黒の服にとがった帽子を被った金髪の少女、そしてもう一人は紅白の服を纏った巫女姿の少女であった。

白黒少女は手にミニ八卦炉を、紅白少女はお祓い棒と札を肉塊に構え空中を舞う。

 

「ったく、待ちくたびれたんだぜ!一瞬でケリをつけてやるから周りの奴らはさがってな!」

「めんどくさいモノを作ってくれたもんだわ!昼間あげた退魔札の分も含めてこの代償は高くつくわよ!」

 

空中を舞い踊る二人の少女――魔理沙と霊夢の声が辺りに響き渡り、その声につられてか肉塊が頭上を見上げ、そこにいる霊夢たちを見た瞬間――。

 

――ア゛、ア゛アアァァァーーーー!!?――

 

肉塊の全身に今まで感じた事のない衝撃が走った。

呪いの塊である肉塊は目の前にいる二人の少女は自分の天敵――自分を消滅できる力を持った者たちだと本能的に感づいたのだ。

 

――ア゛アアァァァァァーーー!!!ア゛ア゛ア゛ァァァァーーーーーー!!!!――

 

真っ黒い空洞のような目と口が大きく開かれ、肉塊は腹のそこから搾り出すように一際大きく鳴いた。

それは肉塊の中で初めて生まれた感情――『恐怖心』からなるモノだということに、肉塊本人は最後まで気付く事はなかった。

だがその表情を真正面から見ていた四ツ谷だけは、それに気付いたようで苦笑混じりに不気味な笑みを一瞬浮かべていた。

霊夢と魔理沙から攻撃が放たれる直前、四ツ谷は肉塊に背を向け、静かに怪談の幕を引き始める――。

 

「後の結末は言わずもがな。……それにしても、子供愛しさに女性に生み出されたよいものの、最後は女性を食らうことなく消滅させられるとは――」

「『マスタースパーク』ッ!!」

「『夢想封印』ッ!!」

 

魔理沙から極太のレーザーが、霊夢からは虹色に輝く無数の弾幕が放たれ、肉塊を中心に辺りを真昼のように光が照らし出す――。

その光の中に消えていく肉塊を肩越しに見つめながら四ツ谷は響く、薊が歌う『とおりゃんせ』と重なるようにして――。

 

「――まさに、『生き(いき)はよいよい、かえりは地獄(こわい)地獄(こわい)ながらも(とお)りゃんせー(とお)りゃんせぇー』……♪」

 

人間にとっては脅威だが、それでも幻想郷全体からして見れば、肉塊は下級妖怪のレベルと然程変わりはしなかった。

それ故、霊夢と魔理沙が繰り出した攻撃は些かオーバーキルだと言えたが、それでも肉塊を『瞬時』に消滅させるには十分すぎる威力であった――。

やがて光が消え、肉塊がいた場所には、()()()()()()()()()()()。大きく焼け焦げた地面が広がっているだけで、肉塊の肉片所か体液すらもはやどこにもなかったのである。

静寂が包み込むその場に、四ツ谷の柏手(かしわて)が静かに鳴り響いた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『とおりゃんせ』……これにて、お(しま)い……」




短いですが、ここで投稿させてもらい、次は後日談に入ります。


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其ノ三・結 (終)

前回のあらすじ。
四ツ谷は肉塊にも怪談を語り、その直後に霊夢と魔理沙が肉塊を退治して事態は収束を向かえた。


『とおりゃんせ』の一件が幕を閉じ、数日たった博麗神社での出来事である――。

特に今現在やる事のない霊夢は、いつものように縁側に座り、入れたてのお茶とお茶菓子をそばに置いて、ぼんやりと日向ぼっこを楽しんでいた。

そこへどこからか別の女性の声が霊夢に声をかける。

 

「――まったく。最近(たる)んでるんじゃないのかしら、霊夢?」

 

霊夢がした方へ眼を向けると、そこにはいつの間にか紫が立っていた。

紫はドレスの裾を翻し、霊夢に歩み寄ると、断りもいれずに霊夢の横――お茶とお茶菓子が置かれているほうとは反対の場所へ静かに腰を下ろした。

霊夢はそんな紫を目だけ動かして見つめた後、その視線を正面の庭先へと戻し、紫に向かって声をかけた。

 

「しばらくぶりじゃない。一体何のよう?」

「別に何も?霊夢の様子を見に来ただけよ。深い意味はないわ」

「そう。って言うか、アンタも今までどこにいたのよ。こっちはちょっと大変だったんだから」

「『とおりゃんせ』、かしら……?」

 

紫のその返答に霊夢が紫を見る。

 

「あら、知ってたの?あの怪談馬鹿(四ツ谷)の新しい怪談」

「まぁね。この幻想郷で私の知らない事はほとんどないわよ」

 

胸を張ってそう言う紫に霊夢は呆れた眼を向ける。

 

「知ってたなら何で動かなかったのよ。また新しい妖怪が生まれるかもしれなかったのよ?結果は、()()()()()()()けど……」

「あら、ならいいじゃない」

「よくないわよ。あんたもあの怪談馬鹿、監視しているはずでしょ?何見逃してんのよ」

「……これでも私は多忙なのよ。毎日のように幻想郷の一住人だけを監視してばかりとはいられないの」

 

当然とばかりにそう言う紫であったが、隣にいた霊夢が『多忙』という単語に、わずかにピクリと反応した事に気付く事はなかった。

数秒の沈黙後、霊夢が口を開く。

 

「……藍と橙はどうなのよ?」

「藍は結界の維持と管理、それに幻想郷の見回りとかもしなければならないから無理よ。橙もそのサポートで手が空かないしね。ね?まさに『猫の手も借りたい状態』でしょ?」

 

紫のその言葉に、霊夢は大きくため息をついた。

 

「……それで、鈴奈庵の妖魔本の件同様、あの馬鹿のことも私に丸投げにしようって魂胆なのね」

「別にいいでしょう?異変の時にしか動かず、真昼間からこんな所でぼんやりしているあなたにはいい薬よ」

 

霊夢と紫の視線が交差しピリッとした空気がその場に一瞬だけ生まれる。

だがすぐに再び大きく息を吐いた霊夢は視線を紫から外した。

 

「……まったく。何であの怪談馬鹿を幻想郷の一住人に迎え入れたのよ」

「あら、嫌だった?彼の能力は結構、重要よ?あれのおかげで私たちの肩の荷もだいぶ軽くなったしね」

「まあ、理屈的には私も分かってるのよ?あの馬鹿の存在はこの幻想郷の均衡を取るのに必要だってことぐらい……でもね――」

 

 

 

 

 

「――あいつが怪談を語る時……本気で油断なんてできないわよ。事『最恐の怪談』を語る時にはね……」

 

 

 

 

「……何かあったの?『とおりゃんせ』の時に」

 

顔はぼんやりとしているが目だけは真剣な霊夢を見て、紫もやや顔をしかめてそう問いかけた。

それに霊夢は小さく頷いて話し始める。

 

「私と魔理沙が()()()に着いた時、あの奥さんは四ツ谷の怪談で更生された直後だったわ。その後あの肉塊の異形が動き出した時、私は問答無用ですぐに退治するつもりだった。たぶん魔理沙も。でもその()()()()()()()()()。あの馬鹿の怪談に」

「止められた?どう言うこと?」

「言葉通りよ。あいつが突然割り込んできて怪談を語り始めた時、まるで金縛りにあったかのようにその場に動けなくなったのよ。『余計な事をせずに黙って聞け』と言わんばかりにね。そしてあいつの怪談の中に私と魔理沙が登場した時、さっきとは打って変わって何かに突き動かされるように体が勝手に動き始め、気付いた時にはあの異形を退治していたのよ」

「まさか、あなたが操られたって言うの?」

「あいつが怪談を語っている時はそんな事、思ってもいなかったけど、怪談が語り終わった後、何かおかしいと思える箇所がいくつか出てきたわ。別にあいつの怪談に乗っかるつもりなんてなかったのに、私も魔理沙も()()と待機していたし、異形を退治する時もまるで示しを合わせたかのように()()とタイミングよく飛び出して行ってたし……」

「…………」

 

霊夢のその言葉を聴いて思案顔になる紫。そんな彼女に構わず霊夢は続けて言った。

 

「今にして思えば、『折り畳み入道』の一件から妙だったわね。魔理沙はともかく、人からして見れば規格外の部類に入るはずの(あんた)や妹紅、射命丸なんかがそろってあの怪談馬鹿の語りに翻弄された。もちろん私も、ね……」

「…………」

「ねぇ、本当にあいつ何者なの?元人間の怪異ってだけじゃ説明できないと思うんだけど……?」

 

霊夢のその問いかけに紫はすぐには答えずそのまま沈黙していた。しかしやがて小さく息を吐くと、霊夢に静かにに話し始める。

 

「……彼は元人間の怪異。それは本当よ。天寿を全うした後、彼の魂は人々に忘れ去られた自身の怪談と融合してこの幻想郷にやって来た。それは間違いないと思うわ」

「じゃあ一体どうして――」

「――私もね霊夢。『折り畳み入道』の一件で私自身に起きた幻覚の事が気になって、あの後もう一度彼の事を調べ直してみたのよ。……そしたら、分かったわ」

「……?」

 

首をかしげる霊夢を尻目に紫は淡々と語り始めた。

 

「彼がまだ人間だった頃、彼の祖父と曽祖父は有名な噺家(はなしか)だったらしくてね。祖母の方もその才能を色濃く持っていたみたいで、言わば彼の一族は天性ともいえる強い噺家能力の血が流れている家系だったのよ」

「そうだったの?でも、それだけじゃ不十分ね。私も()()()()()()()()だから、天性の才能だけで片付けるには無理があるわ」

「意外と自覚はあったのね。まあ、もちろんそれだけじゃないわ。何度も言ってるけど、彼は天寿を全うして幻想郷(ここ)に来た。それはつまり、それまでずっと()()()()()()()()ということになるわ」

「……!まさか……!」

 

紫が言おうとしている事に気付き霊夢はハッとなる。対してそれが答えだと言わんばかりに紫は大きく頷いた。

 

「そう。彼の『語り』は言わば人間だった時にその一生のほぼ全てをかけて『研鑽(けんさん)されてきたモノ』。おそらくまだ十代の頃から彼は怪談を語り続けていたのだと思うわ。それこそ『十』や『百』なんかじゃない、『千』……もしくはもっと上の『万』という気の遠くなるような数の怪談を彼は人々に語り続けていたんじゃないかしら?そしてその無数の怪談を語り続けていくうちに、彼自身の『語り』――『言霊(ことだま)』の能力が次第に磨かれ向上されていった……」

「……元々一族から受け継いだ天性の噺家としての才能と一生をかけて切磋琢磨されて蓄積された経験……。なるほどね……」

 

腑に落ちたといわんばかりの霊夢のその響きに、紫は再び頷く。

 

「そう……その二つが合わさる事により、彼の持つ『言霊』は人としての枠を越え、それこそ私たちのような神妖(じんよう)にまで通じる領域にまで昇華されて行ったのよ」

「……とんでもない話ね」

「ええ、まったくよ。おそらく彼の『怪異を創る程度の能力』もそれが一つの要因なんじゃないかしら?」

 

そう言って二人の間に沈黙が流れた。数秒とも数分ともいえるその沈黙の後、再び紫が口を開く。

 

「……彼を(ほふ)る事は簡単よ。周りに大妖怪になった唐傘娘や彼の創った怪異たちがいるけど、それでも私にとってはそれは全く問題にならない。彼自身も怪異となったとは言え、老いない事以外は人間だった頃とほとんど何も変わらないわ。物理的な『死』なら赤子の手を捻るが如く、彼に与える事ができる。……でも――」

「――それはもうできない?」

 

紫の言葉に重ねるようにして霊夢がそう言い、それに紫がまた再び頷いた。

 

「……彼はもう既にこの幻想郷のシステム……あなたと同じでこの世界を維持するための大事な歯車の一部に組み込まれているの。彼をこの幻想郷から消すことは、もう私にはできないわ……」

「ふーん。ま、面倒事が起きないようだったら、私はどっちでもいいんだけどね。正直、殺生事なんて起きてほしくないし。……何事も平穏にして平和。日がな一日ごろごろしているのが一番よ」

 

霊夢のその返答に、紫はジトリ目で苦笑してみせる。

 

「……私としてはあなたにもう少し、博麗の巫女としての責務と実力向上の為の修行へのやる気を持ってほしい所なのだけれど」

「嫌よめんどい。今だってちゃんと異変は解決してるんだし、これ以上何の不満があるって言うの?頂点に君臨した者にとってこれ以上の鍛練はノーサンキューよ」

「言うじゃないの。はぁ……やっぱりあなたは一度、スキマツアーにでも放り込んでその性根を一から叩きなおしたほうがいいのかしらね」

「あら、そんな事言っちゃっていいの?」

 

霊夢がそう呟いた瞬間、明らかに場の空気が一変した事を紫は感じ取った。

すぐに紫は霊夢の方へ眼を向ける。するとそこには背筋がゾクリとするほどの満面の笑みを浮かべた霊夢の顔があった。その目は全くと言っていいほど笑っておらず、絶対零度の如く冷たい炎を宿していたが。

明らかにさっきと様子が違う霊夢に紫は一瞬面食らう。しかしそれに構わず霊夢は口を開いた。

 

「ホッカイドウって言う所の『さっぽろらーめん』って言うのは美味しかった?アキタって所の『きりたんぽ』は?シガの『ふなずし』ってどんなの?オオサカの『たこやき』ってソースが美味なの?トクシマの『なるとほそめんうどん』って歯ごたえあるの?ヤマグチの『ふぐさし』は?ヒロシマの『おこのみやき』は?ナガサキの『かすてら』って菓子、最高みたいじゃない?カゴシマの『くろぶた』は?オキナワの『ごーやちゃんぷるー』は?」

 

早口でポンポンと霊夢の口から出てくる外界の郷土料理に紫の顔から瞬く間に血の気が引き、引きつったものに変わる。

 

「れ、霊夢?……どうして、それを……?」

「三日前、やって来た橙を軽く問い詰めたらあっさりと白状したわよ。ここしばらく幽々子(ゆゆこ)と一緒に外の世界に行って『全国食い倒れ郷土グルメツアー』に参加してたんだって?」

「え、えーといやそのあの、そ、外の世界の福引でたまたま当たっちゃって、使わなきゃもったいないなーって思って幽々子とちょっとね……」

「へぇ~?見た感じ、お土産とか買ってきてる様子はないし、こっちは色々あったっていうのに、そっちは随分と食べることに『多忙』だったみたいねぇ~?」

「…………」

 

もはや完全に『詰み』だと言わんばかりの状況に紫は固まる。その目の前で霊夢がゆらりと立ち上がる。

反射的に紫も慌てて立ち上がり霊夢から距離をとる。

そしてゆっくりと紫に向き直った霊夢の周りにはいつの間にか大きな紅白の陰陽玉二つが浮かんでおり、霊夢自身の背後にはどす黒いオーラが炎のように揺らめいていた。

それを見て戦々恐々とする紫に対して、般若の形相で『鬼巫女』へと変化した霊夢は死刑宣告がごとく、紫に言い放った――。

 

「スキマツアーに送られる前に、私があんたを『博麗式地獄めぐりツアー』に招待してやるわよ!……覚悟しやがれええぇぇーーーーーッッッ!!!!」

 

その直後、霊夢の『不可能弾幕』の雨に紫はなす術もなく、スキマを使って死に物狂いでその場から逃げだしたのは言うまでもない――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、人里の団子屋で一人の男と二人の女性が団子を食べながら話をしていた――。

男は四ツ谷文太郎。そして二人の女性は慧音とアリスであった。

四ツ谷はあんこの付いた団子をほおばりながら、慧音に問いかける。

 

「……で?あれからあの夫婦の方はもう大丈夫なんだな?」

「ああ、今のところ平穏に暮らせているようだ。というか、前以上に仲睦まじくなっているみたいだ。ただ、近所から白い目を向けられてやや肩身の狭い思いをしているようだが……」

 

そう答えながら慧音は心苦しそうに目を下に落とした。

あの『とおりゃんせ』の一件の後、犬猫や鶏の消失の犯人が真澄だという事がバレ、しかもそれが異形を生み出す儀式の生贄に使われたと知った近所の人々はあからさまに真澄と清一郎から距離を置くようになった。

だが、その事を暴露したのは他ならぬ真澄自身であった。真澄は清一郎と話し合い、近所の人々に全てを話し、謝罪をし、一からやり直すためにそれを告白したのであった――。

顔を不安げに暗くする慧音に今度はアリスが声をかける。

 

「……あの旦那さんが付いてるんだから大丈夫よ。溝は出来たみたいだけど、それも時が解決してくれる事を祈りましょ?慧音先生もあの奥さんを支えていくつもりなのでしょ?」

 

アリスのその言葉に慧音は力強く頷く。

 

「ああ、もちろんだ。元とは言え、私の可愛い教え子を孤立させるつもりはない」

「ヒヒッ!そのいきだ慧音先生。で?アリス・マーガトロイド。お前もあの本の事はあの貸本屋の娘に念を押して言ったんだろうな?」

「もちろんよ。即急に処分するよう小鈴ちゃんにはちゃんと言っておいたから安心していいわよ。……ふぅ、これでようやく一件落着ね」

 

団子を一口食べ、アリスは脱力するように天を仰ぎ見た。

つられて四ツ谷と慧音も同じく天を仰ぎ見る。

外に置かれた長いすに座っていた三人は晴れ渡った秋空をただジッと見続けていた。

しばらくそうしていた後、ふいに慧音が四ツ谷に向けて口を開いた。

 

「そう言えば四ツ谷。今回は『とおりゃんせ』の怪異は実体化しなかったみたいだが、何故だか分かったのか?」

「……あーまあ、確信を持っていえるわけじゃないが、何となく、な。……恐らく『恐怖対象』が主な原因じゃないかと思う」

「恐怖対象?」

 

首をかしげる慧音に四ツ谷は頷いてみせる。

 

「ああ。あの奥さんは別に『とおりゃんせ』の怪異に対して恐怖してたわけじゃない、()()()()()()()()()()()()()()恐怖してたんだ。その恐怖に対する方向性の違い、それが今回『とおりゃんせ』が実体化しなかった主な原因だと俺は睨んでいる。……まあ、『とおりゃんせ』自体が歌声だけの実体の持たない()()()()()怪異だったからだとも言えるが、そこまではやっぱり俺でも何とも言えんね。また研究の余地ありだな俺のこの能力は」

「……あまりハメを外しすぎてまた霊夢や賢者らに睨まれんようにな。……それじゃあ私は失礼する。これからまた子供たちに教鞭を振るわなければならないからな」

 

そう言って慧音は長いすに団子の代金を置くと、最後に四ツ谷とアリスに向けて口を開く。

 

「四ツ谷、アリス。今回の事は本当に感謝している。お前たちがいなかったら今頃どうなっていたか……」

「気にするな。こっちが好きでやった事だ。今回の事も、たまたま俺の怪談がこの一件を解決しただけにすぎん」

「同じく、っていうか私の場合あなたたちに巻き込まれたのが事の発端なんだけど?」

 

二者二様の返答ではあったが、慧音は満足そうに笑みを返すと軽く手を振って四ツ谷とアリスから去っていった。

慧音が去った後、アリスもお金を置いて立ち上がる。

 

「私もそろそろお暇するわ。新しい人形劇の内容も考えないといけないから。……あ、そうだ四ツ谷さん」

「?」

「……ちょっと悔しいけど、あなたの怪談、中々よかったわよ?今度人形劇のストーリー考案の手伝いをしてもらえるかしら?」

「ヒヒッ!そのジャンルが『怪談』なら喜んで。……だが別のジャンルならノーサンキューだから他をあたってくれ」

「……本当に怪談の事しか頭にないのねあなた」

 

呆れた眼を四ツ谷に向けるアリスであったが、すぐに気を取り直して四ツ谷に「じゃあね」と響くと優雅な足取りでその場から去っていった。

残された四ツ谷も団子を全て食べ終えるとお金を置いて、晴れ晴れとした空の下、家路へと向けて歩みだした。

どこからか風に乗って楽しそうに歌う子供たちの声を聞きながら――。

 

『とーりゃんせー、とーりゃんせー、こーこはどーこのほそみちじゃー?……てんじんーさまのほそみちじゃー……ちっととーしてくだしゃんせー……♪』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談であるが、アリスに『世界の魔術図鑑』を早々に処分するように忠告された小鈴ではあったが……。

 

「フフフッ♪失敗作とは言え、こんな本が一般の本の中に埋もれているなんて知らなかったわ♪他の妖魔本同様、これも厳重保管対象ね♪」

 

その忠告を無視して彼女の妖魔本コレクションの一つに加えられた事実は、本人以外誰も知られる事はなかった――。




これにて『とおりゃんせ』終了です。
次回からまた新しい章に入っていきます。


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第六幕 踊るしかばねと墓まねき
其ノ一


  おいで……

                         おいで……



             こっちへ、おいで……








荒れ果てた墓地の中、その墓石の下から誰かの呼ぶ声が聞こえます……。
誰も訪れる者がおらず、一人寂しく朽ちていく墓の下、その地下深くに眠る『その者』は――。




           ――一体誰を呼んでいるのでしょうか……?








秋が深まり、人里を囲む周囲の山々が見事な紅葉に色づいた頃、とある山の中腹にある大きな岩の上に、大きな角を二本生やし、両手首と腰にジャラジャラと鎖を巻きつけた小柄な少女が大きな瓢箪を片手に座っていた。

彼女の名は伊吹萃香(いぶきすいか)――。

鬼の四天王の一角に立つ、この幻想郷でも上位の実力を持つ生粋の鬼である。

今日彼女は、いつも肌身離さず持ち歩いている瓢箪、『伊吹瓢(いぶきびょう)』片手に一人、紅葉狩りを楽しんでいた――。

伊吹瓢の中に入った『酒虫酒(しゅちゅうざけ)』をゴクゴクと飲みながら赤く色づく木々を萃香は眺める。

だがふいに、酒を飲むその手が止まり、萃香は瓢箪を凝視し、ポツリと一人呟く。

 

「ああ……そう言えば、もう数年が立つんだよね。()()()()()()()()……」

 

先程とは一転して、哀愁(あいしゅう)の漂う表情を顔に浮かべ、萃香は天を仰ぎ見る。

日は高く、空は晴れ渡っているというのに今の彼女の内心はどんよりと曇り始めていた。

 

「……大事にするって約束したのに、ごめんよ()()()……」

 

誰に対してかも知れぬ謝罪の言葉が、萃香の口から小さく漏れ、それは心地よくふく秋の風の中へと消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の晩、人里の近くに立てられた大きな寺、周囲の者たちから通称『妖怪寺』と呼ばれている『命蓮寺(みょうれんじ)』にて一つの騒動が起こった――。

 

その夜、命蓮寺では小さな葬式が行われていた。

人里に住んでいたとある老婆が寿命を向かえ、静かに息を引き取ったのだ。

その老婆の葬式が親族や近所の者たちの手によってこの寺で行われていたのである。

命蓮寺の住職である聖白蓮(ひじりびゃくれん)は、誰とでもわけ隔てなく接する博愛主義者な女性であり、その人当たりの良さに惹かれてか、妖怪人間など種族を問わず毎年のように入門者が集まってきていた。

いつもは寺で修行三昧、されど賑やかさを欠かさない彼女たちではあるが、今宵はそういうわけにはいかない。

白蓮本人は死者を弔うため、いつものゴスロリ調のドレスではなく、住職らしく黒の着物に袈裟を纏った姿で老婆の入った棺桶の前に座り経文を読んでおり、その後ろでは老婆の親族や親戚一同が喪服姿で静かに老婆を弔い続けている。

そして入門者のほとんどはその葬式では裏方に徹し、手伝いや準備で慌しく動いていた。

だが、命蓮寺に在籍していながらも、全く手伝いなどをしていない者たちも一握りながらいた――。

命蓮寺の裏手、そこに生える林の中でひっそりと酒盛りを楽しむ者たちがそうであった。

パチパチと燃える小さな焚き火を囲むように、何匹もの狸たちが寝転がっている。

その中に丸眼鏡をかけ、大きな狸の耳と尻尾を生やした女性が、地面にドカリと腰を下ろし、持参してきた瓢箪を杯に傾け、中に入っていた酒を注ぎ込む。

その杯を焚き火をはさんで正面に座っていた、見た目十代後半くらいの黒髪の少女に渡す。

少女は短い黒髪に、これまた黒いワンピースにニーソックスを纏い、背中には左右にそれぞれ、赤い鎌に蒼い矢印を表したかのような奇妙な翼が三枚ずつ生えていた。

丸眼鏡をかけた狸娘は二ッ岩マミゾウ(ふたついわまみぞう)。黒髪の奇妙な翼を持った少女は封獣ぬえ(ほうじゅうぬえ)と言った――。

幻想郷に来る前からの旧友である彼女たちは、命連寺に住んでいるにもかかわらず、葬式の手伝いなどを一切せず、人気のないこの林の中で隠れて酒を飲み交わしていたのであった。

 

「まったく、葬式っていうのは湿っぽくていけないよねぇ。こっちまでしんみりしちゃうよ」

「そう言うな。ワシら妖怪は関係ない事かもしれんが、人間たちにとっては大事な別れの儀じゃぞ?後数刻もすれば今夜の葬儀は終りじゃし、しばしの辛抱じゃよ」

 

マミゾウから受け取った杯の酒を飲みながら、ぬえはそう愚痴り、そんなぬえをマミゾウはたしなめた。

頬を小さく膨らませるぬえであったが、何かひらめいたかのようにポンと手を打つ。

 

「そうだ!なら私の能力を使ってしんみりとした葬式のムードを賑やかで派手なものに――」

「――やめておけ。周囲から反感を買うどころか、聖から『南無三!』を食らうぞ?」

「う゛ッ!?」

「やれやれ……葬式の手伝いがしたくないのなら、ワシと一緒にここで大人しく酒を飲んでおれ。今宵は雲一つない月の明るい夜じゃ。こんな夜に月見酒というのも(おつ)なものじゃぞ?」

 

そう言いながらマミゾウは自分が持つ杯に酒を注ぎ込み、それに口をつけようとする。

しかし、その動きが途中で止まり、代わりにマミゾウの耳がぴくぴくと動き出した。

そして次の瞬間、マミゾウは険しい顔で命蓮寺の方へ眼を向ける。

ただならぬマミゾウのその行動に、ぬえは首を傾げて問いかける。

 

「?どうしたのさ?」

「……妙じゃな。ご本堂の方から『祭囃子(まつりばやし)』が聞こえる……」

「祭囃子?今日って何かお祭りとかあったっけ?って言うか葬式の最中なのに祭囃子って場違いすぎ――」

 

ぬえがそこまで言った瞬間だった――。

 

「-----------ッッッ!!!!」

「「!?」」

 

唐突に命蓮寺の方から女性の声にならない悲鳴が響き渡り、それを合図にマミゾウとぬえは、寝転がる狸たちと酒、焚き火をそのままにして一目散に命蓮寺へと駆け出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間はほんの少しさかのぼり、事件はご本堂での葬式の最中に起こった――。

 

「ん?何だこの音?」

 

葬式に参加していた親戚の一人である男性のその第一声をかわぎりに、そこにいた全員が顔を上げ訝しげにキョロキョロと周りを見渡し始める。

どこからか竜笛(りゅうてき)、太鼓、鈴の音などの祭囃子の音が鳴り響いてきたのである。

 

「祭囃子……?でもなぜ……?」

「聖……」

 

突然響いてきた祭囃子に、白蓮もお経を読むのを止め、周りを見渡し始める。

そんな彼女に、そばで待機していた毘沙門天の代理にして虎の化身たる虎丸星(とらまるしょう)が歩み寄る。

白蓮は星に声をかける。

 

「ああ、星。一体何が……?」

「わかりません。ですがこの音、段々と近づいてきています。ご本堂(こちら)に……!」

 

そう言って星はご本堂の出入り口付近を睨みつけた。その場にいるほとんどのものに動揺が走り始める。

すると今度は――。

 

「……そ、そんな!この音、ご本堂(この中)から聞こえ始めてきたぞ!!?」

 

親族の誰かがそう叫び、いよいよ持ってその場がパニックになった。

何せ、楽器など演奏している者はおろか持っている者さえいないこの場に、大きく祭囃子の音が木霊しているのだから――。

間違いなく祭囃子の音はこの本堂の中から鳴り響いている。しかし、そんな音を出している者は誰一人として見当たらない事に葬儀の参加者たちは次第に顔から血の気が引き始めた。

しかし、これらはまだ序の口であった。彼らにとっての恐怖はこの直後から始まる――。

 

 

 

 

 

 

……ギ、ギギッ……ギギギギッ……ギギギギギィィィ~~~~ッ!!

 

 

 

 

 

突然鳴り響く、木製の何かが()()()()音。何事かと全員がその音のした方へ目を向け――。

 

「-----------ッッッ!!!!」

 

次の瞬間その場に参加していた女性の悲鳴が大きく響き渡った。

皆の目の前にあった棺桶の蓋が()()()()にゆっくりと開かれて、その下の畳みの上に落ちたのである。

そしてそこで眠っている老婆の遺体、その上半身が()()()()にムクリと起き上がったのだ。

 

「ひいぃぃぃっ!!??」

 

ありえないその光景に葬式に参加していた誰かが悲鳴を上げて腰を抜かした。

周りの参加者たちも同じように悲鳴を上げて腰を抜かすものや、呆然となって立ち尽くす者、腰を抜かしながらもその場から逃げ出すものなどが続出する。

そして白蓮本人も呆気に取られてその光景を見つめる。

 

「これは……!」

「聖!」

 

立ち尽くす白蓮を庇うように星は一歩前に出て老婆の遺体を睨みつけた。

そんな視線を気にしないと言わんばかりに、白装束に白の三角の布を頭に巻いたその老婆の遺体はゆっくりと棺桶の中から外に出ると皆が見ている目の前で両腕をゆっくりと持ち上げ、周りで響く祭囃子に合わせるが如く踊り始めたのであった――。

その光景に本堂内は再び悲鳴に包まれる。

お世辞にも上手いとは思えない踊りを祭囃子の中で踊りながら、阿鼻叫喚が響き渡る本堂内を出入り口に向かって進み始める。それと同時に祭囃子も老婆について行くように移動していく。

やがて、本堂を出て境内に老婆の遺体が出たのを見た白蓮はようやくハッとなり、慌てて星を連れて境内へと飛び出す。

境内も本堂と同じように悲鳴の渦が巻き起こっていた。

人間は腰を抜かし、妖怪たちは呆然と踊る老婆を見つめている。

白蓮はどうにかして老婆を止めようとするも、死者の体を無闇に傷つけるわけにもいかず、その場でオロオロとしだす。

そこへ――。

 

「聖!一体何があったの!?」

「う、うわっ!?何だこれ!??」

 

騒ぎを聞きつけて命蓮寺の修行者である、入道を連れ、両手に大きな輪を持った雲居一輪(くもいいちりん)と白い水兵服を纏った船幽霊の村紗水蜜(むらさみなみつ)が駆けつけて来る。

二人も周りの者たち同様、どこからか響いてくる祭囃子の中で踊る老婆の遺体を見て絶句する。

そうこうしている間に老婆の遺体は、踊りながらも寺の門近くへと到達する。

すると老婆の進行方向には獣耳と青緑色の髪を持った少女の姿があった――。

 

「!!響子、今すぐそこから離れなさい!!」

 

それを見た星はその獣耳の少女――幽谷響子(かそだにきょうこ)に向かってそう叫ぶ。

しかし響子は脚がすくんでしまって動けないのか、その場から動けずにいた。

その間にも老婆と響子の距離は縮まっていく。

 

「あ、あぁぁ……!」

 

涙眼になり、踊りながら迫り来る老婆を見つめる響子。

しかし突然、響子の視界の端から二つの影が躍り出て老婆と響子の間に割って入る。

 

「あ……親分さん、ぬえさん……!」

 

その影の正体を見た響子は安心と共にそう呟いていた。

そんな響子を庇うように立ったマミゾウは、未だ目の前で踊り続ける老婆の遺体に愉快そうに声を上げる。

 

「これはこれは……!幻想郷という所は本当に退屈せん所じゃわい。まさか『踊るしかばね』とは……!この老婆は生前悪行でも重ねていたのかのう?」

「んな事言ってないでさっさと退治しちゃおうよ!」

 

そう言いながらぬえはどこからか三又の槍を取り出すと、その切っ先を踊り続ける老婆に向ける。

それを見た白蓮は慌てて叫ぶ。

 

「いけませんぬえ!ほとけ様を傷つけるような事はしてはダメです!!」

「え!?でもさぁ……」

 

ぬえが白蓮に反論しようとしたその時、老婆の身体が急に大きく方向転換する。

そして今度は墓地の方向へ踊りながら向かおうとしている事に気付いた村紗が老婆の遺体に向かって叫ぶ。

 

「ちょっと!墓場(そっち)に行くにはまだちょっと速いよ!?」

「……これ以上はいけません!一輪、村紗。ほとけ様をお止めするのです!」

「はい、分かりました聖!」

「うぇぇ……」

 

白蓮からそう指示され、一輪は生真面目に返事をし、村紗は嫌々ながら、未だ踊り続ける老婆へと駆け寄る。

そして、村紗が老婆の腕を掴もうとしたその時――。

 

 

 

……バタッ……!

 

 

 

「……へ?」

 

まるで糸の切れた人形のように老婆の身体が唐突に崩れ落ち、それを見た村紗は間抜けな声を漏らした。

それと同時に今までうるさいほど響いていた祭囃子の音もピタリと止んでしまう。

その場を何とも言えない静寂が包み込み、誰も何も口を開くものはいなかった。

ただ一人、マミゾウとぬえの背に隠れていた響子だけが――。

 

「……一体、何が起こったって言うの……?」

 

誰にも聞こえないほどの小さな声でそう響き、その声は誰に届く事もなく夜の闇の中へと消えていった――。




新章開幕です。
お盆の時期にこの内容は少々不謹慎だと思ったのですが、ここはあえて投稿させていただきます。ごめんなさい。
命蓮寺組と伊吹萃香、初登場回です。


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其ノ二

前回のあらすじ。
命蓮寺で葬式の最中だった老婆の遺体が、突如として起き上がり、踊りだすという事件が起こる――。


「仏前結婚式?」

「はい、そうです」

 

出されたお茶に手をつけながら、四ツ谷は正面に座る女性に声を上げ、そしてその女性――薊の母親である椿はそれに頷いて答えた。

場所は薊の自宅である義兵の借家。そこには四ツ谷と椿だけでなく小傘と薊と瑞穂、そして椿の義姉である小野塚小町と椿の婚約者(名を修平(しゅうへい)という)がその場に居合わせていた――。

四ツ谷は顎に手を置いて再度椿に問いかける。

 

「仏前結婚式ってあれですよね?お寺で行う結婚式……。何故そうしようと?」

「はい。新しい家ももうすぐできますし、私たちもそろそろ祝言を挙げるべきだと考えました。ですが今手元にある私どもの金子(きんす)では、やはり必要最低限の物しか買い込む事しかできず、挙式そのものを行うにはどうしても費用不足で……」

「ん~?ここにいる身内だけで小さく祝言を挙げるつもりはないので?」

 

椿の説明に四ツ谷は首をかしげてそう言い、それに椿は苦笑して答える。

 

「私も最初その方が言いと思ったのですが、姉さんが……」

 

そう言ってチラリと椿は横に座る小町に眼を向ける。つられて四ツ谷も小町を見た瞬間、小町は声を上げた。

 

「だってそうだろう?私の可愛い可愛い妹の椿の晴れ舞台だ。たくさんの人たちに見てもらいたいってのは姉として当然じゃないか!」

「ちょ、ちょっと姉さん!?」

 

そう言いながら小町は椿を抱きしめスリスリと頬ずりをし始める。

見た目、椿の方が年上に見えるため、この絵面はとてもシュールだ。

戸惑う椿に気にせず、椿は続けざまに言葉を吐く。

 

「椿が着込む白無垢(しろむく)はやっぱり超高級なのがいいよねぇ~♪白粉(おしろい)に紅をさしてこれでもかって程着飾ってやるんだ!そしてそれを四方八方から香霖堂で借りてきたカメラを使って写真に収めるんだよ~!やっぱり同じ角度で撮ったモノは最低三枚はほしいね!観賞用と保存用と持ち歩き用は必須ってね!式場も広々としたものを用意して料理も三々九度の杯も高級なものに――」

「――ね、姉さん!そこまでできる費用なんてないって言ってるでしょ!?」

「だから費用なんて全部私が立て替えてやるって!椿の挙式を華やかなものにするためなら、私は借金まみれになって娼婦に身をやつしても構わない!」

「止めて!本気で止めて!!?」

 

ギャーギャーと二人だけで言い合う小町と椿を、小傘と薊、修平の三人は苦笑混じりに眺め、瑞穂は話の内容を理解していないのかキョトンとした眼を向けており、四ツ谷にいたっては心底どうでもよさそうに冷めた目で二人を見ながらお茶を飲んでいた。

 

小町の奴(こいつ)、椿さんと和解してからとんでもなくデレッデレになりやがったな。婚約者である修平(この男)以上にくっついてるのを見かけるの日常茶飯事だぞ!?いい加減にしてくれないと口から砂糖を吐きそうだ……!)

 

四ツ谷がそんな事を思っている間に、目の前の光景が椿が小町を叱り付ける場面へと切り替わっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正座してシュンとなる小町の横で、わざとらしくコホンと咳払いした椿が再び四ツ谷に向かって口を開く。

 

「話が脱線してしまって申し訳ありません。ですが姉さんの言うとおり、祝言というものは他の人たちにも盛大に祝ってもらうべきだという事に一理あると思い、身内や親戚だけでなく、友人たちなども集めて大きく行おうかと私も修平さんもそう考え直したのです。ですが――」

「やっぱり、費用の問題が?」

 

四ツ谷がそう言い、椿は小さく頷く。その途端再び小町が口を挟む。

 

「だろ!?だから私が立て替えて祝言を盛大なものに――」

「ね・え・さ・ん?」

「ハイ……」

 

こめかみに青筋を立てて鬼気迫る笑顔で椿に見つめられ、小町は再びシュンとなる。

それを呆れた目で見ていた四ツ谷は、椿に向かって口を開く。

 

「それで費用の用立てを誰かに頼もうにも姉はこんな調子で頼めないから、自分にそのお鉢が回ってきたと……」

「本当に申し訳ありません。四ツ谷さんには新築の件でも用立ててもらってるのに……」

「いや、その判断は正しいと思いますよ?少なくとも、祝言一つのために自分の身を滅ぼしかねない行動を取るそこのお姉さんよりかは」

「ぐっ……!!」

 

四ツ谷のその指摘に、小町が小さくうめき、椿は小さく苦笑して見せた。

それを見た四ツ谷は手に持った湯飲みの茶を一口飲むと、椿に返答する。

 

「いいですよ。返済は新築の費用同様、無期限無担保でオッケーなんで。それで、いかほど用立てればいいので?」

「それ程多くは必要ないのです。ざっとこれだけお借りいただければ……」

 

四ツ谷の問いに、椿は両手の指を使って金額を表す。

予想外に()()()表された金額に、四ツ谷は目を丸くする。

 

「え?いいんですかこの程度の金額で?」

「先程も申し上げたとおり、四ツ谷さんには新築の件でもうお世話になっているのに、これ以上欲は出せませんよ。それにこれと今手元にある金子と合わせれば、これから頼みに行く命連寺の住職様には何とか聞き入れてもらえるかと……」

 

椿の言葉の中に『命蓮寺』の単語が出てきた瞬間、そばで聞いていた小傘が反応する。

 

「命蓮寺って事は、やっぱり仏前結婚式ってそこでやるつもりなのですか?」

「ええ。あそこは『妖怪寺』と呼ばれているみたいですが、あそこは人と妖怪が共存できるよう活動している寺らしく、そこで修行している妖怪たちも比較的大人しい者たちばかりだとお聞きしましたので、私たちも安心して頼みにいけるんじゃないかと……」

 

小傘の問いに椿がそう答える。

そこへ四ツ谷がポツリと呟く。

 

「まぁ、この人里で仏前結婚式ができる寺といったらあそこしかないですけどね」

「四ツ谷さんはあそこの住職さんと会った事があるので?」

「いやそれが全然」

 

椿のその問いに四ツ谷はすぐさまかぶりを振った。

以前あった宴会で確かに命蓮寺組の者たちとは何人か顔合わせをした事があった。

しかし、自らに禁酒を課している白蓮本人はその宴会に出席はしておらず、代わりにその白蓮に黙って酒の席に出席している修行者である少女たちに対して、四ツ谷はその住職は本当に目の前の彼女たちに慕われているのかはなはだ疑問視せずにはいられなかった事を今も頭の隅に覚えていたのである。

そんな四ツ谷に椿は手を叩いて一つの提案をする。

 

「でしたら四ツ谷さん。今日のお昼に一緒に命蓮寺へ脚を運びませんか?住職様に仏前結婚式の依頼だけでなく、費用の打ち合わせも四ツ谷さんと一緒にしなければならなくなるかもしれませんので」

 

椿のその言葉に、四ツ谷は少し考える素振りを見せるものすぐに返答する。

 

「今日は別に予定は何も入っていませんし、いいですよ。ただ自分はそう言った打ち合わせには不慣れなモンですから、所々補助してもらえれば助かります」

「分かりました」

 

四ツ谷の言葉に椿は満足そうにそう頷いていた。




今回は短めですが、きりが良いと思い投稿させていただきます。

感想、意見などいつでも受け付けています。


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其ノ三

前回のあらすじ。
四ツ谷は椿とその婚約者が開こうとしている仏前結婚式のため、彼女たちと共に命蓮時に向かうこととなった。


「まあ、祝言を挙げるのですか?それはおめでとうございます!」

 

椿からこの命蓮寺で祝言を挙げさせてほしいという要望を受け、白蓮は両手を合わせて自分の事のように大いに喜んだ。

時刻は昼の中頃。予定通り早速四ツ谷たちは命蓮寺を訪れ、境内にいた白蓮を呼び止め祝言の話をしたのである。

椿の傍らには小傘、薊、そして修平と小町の四人がおり、反対に白蓮の傍には星と寺には住んでいないが彼女の部下であるナズーリンもその場に立ち会っていた。

ほがらかに笑う白蓮に椿は口を開く。

 

「はいそうです。それで祝言の日取りと支払う費用の事、そして祝言会場の準備の事でご相談させていただきたく参りました。今お時間よろしかったでしょうか?」

「はいもちろんですとも!先程ちょうど少し時間が空きました所ですので、話の続きは寺の中で行う事にいたしましょう!ささ、中へどうぞ♪」

 

そう言って白蓮は椿たちを寺の中へと案内する。

その最後尾についていた小傘は、ふと脚を止めキョロキョロと辺りを見回す。

 

「……あれ?師匠、どこに行ったんですか~?」

 

そう呟きながら周囲をうかがうと、少し離れた所で小傘と同じようにあたりをキョロキョロと見ている四ツ谷の姿を見つけた。

四ツ谷はいつものように不気味な笑みを顔に貼り付け、ブツブツと独り言を呟く。

 

「ヒッヒッヒ!この寺予想以上に広いな。しかもこの寺のたたずまいと雰囲気……ヒヒッ、『怪談大会』を開くには絶好の舞台じゃないか……!いつかこの寺でたくさんの『聞き手』共を相手に思いっきり語ってみたいモンだなぁ~!」

「師匠~!何やってるんですか?皆中に入っちゃいましたから、わちきたちも行きましょうよぉ~!」

 

小傘にそう呼びかけられた四ツ谷はハッとなり慌てて小傘たちの後を追った――。

 

そんな二人の姿を少し離れた所で見ていた者たちがいた。マミゾウとぬえである。

ぬえがマミゾウに声をかける。

 

「ねぇ、あれって前の宴会で会った新参者じゃない?確か四ツ谷っていったっけ?」

「らしいのぅ。見たところ、聖に用があるようじゃッたが……」

「にしても小傘の奴、見ているだけではっきりと分かるほど強くなってるね。私らとタメを張れるんじゃない?一度、一戦交えてみよっか?」

 

ぬえのその提案にマミゾウは肩をすくめる。

 

「機会があればの。小傘の事もそうじゃが、ワシはあの四ツ谷文太郎という奴にも興味があるんじゃよ。聞いた話では、あ奴の力で小傘があそこまで強くなったと聞くしのぅ」

「えー?ただ口達者なだけのそこらの人間とあんまり変わりのない怪異にちょっかいかけたって面白くもなんともないよ?」

「お主はホント好戦的じゃのぅ。そういう所は鬼とよぅ似ているわい」

 

呆れ半分にそう言ってため息をついたマミゾウは、四ツ谷と小傘が入っていった庫裏(くり)方へと目を向けながら独り言のように呟く。

 

「ただ口達者なだけならあの賢者や博麗の巫女が目を着けるわけがあるまいよ。それに小傘に『師匠』と呼ばれ、よぅ慕われておる……一度聞いてみたいものじゃな、噂に聞く『最恐の怪談』とやらを……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和室に通された四ツ谷たちは軽く自己紹介を済ませた後、椿と修平のための祝言の打ち合わせを白蓮と話し始めた。

祝言の日取りと段取り、そして命蓮寺側と椿たちの側でそれぞれ用意するものの打ち合わせなど、とんとん拍子に話が進んだ。

というのも実は白蓮自身、仏前結婚式を行うのが始めてだったらしく、今までしんみりとしたお葬式しかしてこなかったため、初めての祝言依頼に内心ウキウキ気分だったのである。

 

「一生に一度の祝い事ですからね。記憶に残る祝言を開けるようにしたいですね~♪」

 

脳裏に祝言の様子を思い浮かべたのか頬に手を添えてうっとりとする白蓮。しかし反対に椿は苦笑を浮かべていた。

無理もない、修平はともかく椿にとって祝言は初めてではないのだから――。

どう返答したものかと椿が内心悩んでいると、用意されたお茶に口をつけながら、ふと四ツ谷が白蓮に向けて口を開いた。

 

「そう言えば、この部屋に通される前にこの寺の修行者らしい妖怪や人間らが忙しなく何かの作業をしていたのを見ましたが、今日はこの寺で何かあるのですか?」

「ええ、まあ……。ちょっと昨日のお葬式の()()()()()……」

 

うっとりとしたまま呟いた白蓮のその言葉に、その場の空気がピクリと反応する。

 

「葬式のやり直し?」

「あ……!」

 

オウム返しにそう響く四ツ谷に、白蓮はしまった、とばかりに口を手で押さえるももう遅い。

白蓮の背後に座っていた星とナズーリンは呆れた顔を白蓮に向け、椿たちは目を見開いて白蓮を凝視していた。

己の失言に固まる白蓮に四ツ谷は再び問いかける。

 

「葬式のやり直しなんてただ事じゃないですね。普通はそんな事はしないでしょう?()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「…………」

 

白蓮は数秒間沈黙を決め込んでいたが、椿たちの視線に押されたのか観念したように口を開いた。

 

「ええ、実は昨晩ある老婆のお葬式があったのですが、そこでちょっとした騒ぎが起こりまして……」

 

そう言ってポツリポツリと白蓮は四ツ谷たちに昨晩の出来事を簡潔に話し始めた。

話を聞いて椿たちの顔が驚きに満ちるも、唯一四ツ谷だけが目を輝かせて満面の笑みを浮かばせた。

 

「ほォほォ!老婆の死体が突然起き上がって、踊りだすとは……!!まさに『踊るしかばね』!色々と常識外な事に関しては事欠きませんなぁ、この幻想郷(世界)は……!!」

「……いいえ。いつもはこのような事、起きることは全くありません。ですが、今回に関しては何故かこんな事に……。そのおかげで何人もの参加者たちが怖がって、継続する状況ではなくなってしまい、それで今晩再びお葬式を開く事となったのです」

 

死者の冒涜(ぼうとく)ともいえる事件が起こったというのに、嬉々として食い入る四ツ谷に内心、不快感を感じながらもそれを顔には出さず、白蓮は淡々と説明を終わらせた。

その瞬間、小傘が手を挙げて白蓮に問いかける。

 

「その……何が原因か分かったのですか?」

「それが全く……。誰かしらの陰謀なども考えたのですが、あの時棺桶に近づいたものは誰もいませんでしたし、それに誰が何の目的で、なども全く皆目が付かないのです……」

 

俯きがちにそう答えた白蓮に今度は壁に寄り添って座り、話を聞いていた小町が口を開く。

 

「さっき四ツ谷が言った『踊るしかばね』は、生前日ごろの行いが悪かった女の死体に魔物が取り憑いて、踊りながら地獄へといざなうって話だが、その婆さんも生前何か悪い事をしてたのかい?」

「いいえ!人当たりも良く、優しいお婆さんだったと聞いております!とても地獄へ落ちるような事をしていたとは考えられないと、縁者の方々も申しております!」

 

身を乗り出して全面否定する白蓮の迫力にたじたじになりながらも小町は両手で白蓮を制す。

 

「わ、わかったよ。……だけど今夜も同じ婆さんの葬式を行うんだろ?()()()()()()()()()()()()()()()って保証はどこにもない。せいぜい気をつけなよ?」

「……分かっております。あのような死者の冒涜、二度も起こさせたりはいたしません……!」

 

決意を固めるが如く、両手の拳をぎゅっと握った白蓮の声が、部屋の中に小さくそう響いた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仏前結婚式の日取りや段取りが一通り終り、椿が四ツ谷と交えて相談しなければならなかった費用の方もあっさりと片付いた(貧困者でも支払える事ができる良識的な値段であった)。

打ち合わせを終え、境内に戻ってきた一行は白蓮たちに別れの挨拶をして寺を去ろうとする。

しかしそこへ白蓮が待ったをかけた。

 

「あ、お待ちください。もうすぐ日も暮れますので、途中まで誰か寺の者を付き添わせて送らせていただきますね」

 

そう言ってあたりをキョロキョロと見回す白蓮の目に、お葬式の準備を行っている一人の妖怪が入り、その者に声をかけた。

 

「あ、次郎八(じろはち)さん。次郎八さん!こちらに来てもらってもよろしいですか?」

「あ、はい。住職様、ただいま!」

 

そう言いながらやってきたのは大きなネズミの妖怪であった。身長は白蓮の頭一つ上はあろうその妖怪は猫背で揉み手をしながら白蓮の横に立つ。

そうしてやってきたそのネズミの妖怪に白蓮は声をかける。

 

「次郎八さん、この方たちを人里の出入り口まで送って差し上げて」

「へへっ、分かりました住職様」

 

そう言って一礼をするネズミの妖怪を今度は白蓮は四ツ谷たちに向けて説明する。

 

「皆さん。こちら旧鼠(きゅうそ)の次郎八さんです。私どもが寺を立てた始めごろにやってきた修行者の方で、長年ここで住み込んで修行をしてる方なのです。決して皆様に危害を加える者ではありませんので安心して下さい。では次郎八さん、お願いいたしますね」

「ハッ、お任せくだせぇ住職様。それでは皆様、参りましょうか」

 

そう言って先導するように次郎八と名乗る鼠の妖怪は、笑いながら人里へと向けて歩き始め、椿たちもそれに習い付いて行く。

そうして最後尾にくっつく形で四ツ谷も歩き始め――その歩みをすぐに止めた。

何気なく目に映った葬式の準備を進める人間や妖怪たち。その中の何人かに違和感を覚えた四ツ谷は、寺の中へ戻ろうとする白蓮を慌てて呼び止める。

 

「ちょっと待って下さい。住職殿」

「はい?何でしょうか?」

 

まさか四ツ谷に呼び止められるとは思っていなかったのか、一瞬意外な表情を見せる白蓮であったが、すぐに四ツ谷に対応した。

四ツ谷は境内のある一点を見ながら白蓮に問いかける。

 

「……あの者たちも、この寺の修行者なのですか?」

「え?……ああ、彼らの事ですか?」

 

そう言って白蓮も四ツ谷と同じ方向へ目を向ける。

そこには今宵の葬式のために焚く、かがり火の用意をする()()()()()()()()姿()()()()()()()()()

三人のうち、二人は鴉天狗でそれぞれ男性と女性。そしてもう一人は女性の白狼(はくろう)天狗であった。

皆、妖怪の山で着る様な山伏風の服ではなく、普段着だと思われる着物を纏って作業をしていた。

その光景を見ながら、白蓮は四ツ谷の問いに頷いて答える。

 

「ええそうですよ。彼らも長年ここで修行者としてこの寺にいる者たちです。ですが彼らは住み込みではなく、妖怪の山から毎日この寺の通って来ているのですけどね……」

「へぇ……意外ですね。妖怪の山に住む妖怪たちは、そのほとんどが閉鎖的な思考の持ち主ばかりで、外から来る者たちに対して風当たりが強く、来ても追い返してばかりだと聞きます。そんな所に住む天狗が数人とは言え、ここに通い詰めているとは……」

 

少々棘のある言い方ではあるが、四ツ谷の言ってることは大方間違いではなかった。

幻想郷の一角にある『妖怪の山』はその名の通り、多くの妖怪たちが住む山である。しかもその大部分は鴉天狗や白狼天狗などの天狗たちが支配しているという話であった。

数年前にその山に守矢神社の二柱と一人の巫女が住み着いても、その現状はほとんど変わらず続いている。

そんな天狗の社会は縄張り意識が強いのか、それとも引きこもり性癖でもあるのか、そのほとんどの者が自分たちの住む里の中はおろか、山そのものから外に出ようという考えの者がほとんどいなかった。

むしろ射命丸のような山から出て、各地をあちこち飛び回る者たちの方が珍しかったのである。

そんな閉鎖的な思考が、妖怪の山に住む他の妖怪たちにも飛び火でもしたのか共感してしまい、いつしか山全体が閉鎖的なものへと変わり、今に至っていたのであった。

その事を稗田の『幻想郷縁起』を読んで知っていた四ツ谷は、三人だけとは言えその閉鎖思考の持つ天狗が命蓮寺に修行者として来ている事に内心驚きを感じていたのである。

しかし、問われた白蓮自身はそれ程疑問に思ってはいない様子であった。

 

「そうでしょうか?あの鴉天狗の新聞記者さんのように、数人とは言え仏教に興味を持ってくれる天狗(かた)たちがいても不思議ではないと思うのですが?」

「…………」

 

首を傾げてそう響く白蓮に四ツ谷は沈黙を持って返し、思案顔になってその場に立ち尽くす。

そんな四ツ谷の姿をみて頭に『?』マークを浮かべる白蓮であったが、すぐにある事に気付き、四ツ谷にあわてて声をかける。

 

「それよりも、四ツ谷さん、でしたっけ?もう皆さん行ってしまわれますよ?行かなくていいのですか?」

「え、あ、やばっ!!」

 

白蓮の声に四ツ谷は慌てて門の外の方へと眼を向ける。見ると椿たちはもう遠くまで歩いて行っており、その姿も米粒大にまで小さくなっていた。

それを見た四ツ谷は慌てて白蓮に軽く礼を言い、大急ぎで椿たちの後を追ったのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

そんな命蓮寺での光景を上空から見下ろしていた者がいた――。

短い黒のスカートを風にたなびかせ、黒い翼を背中に生やして宙に浮き、たった今まで四ツ谷と白蓮の会話の中にあった件の新聞記者の少女は、眼下に映る妙蓮寺を真剣な目で見つめる。

 

「これは……()()()()()、と見ていいのでしょうかねぇ……?」

 

いつもの飄々とした笑顔の外面(そとづら)を顔から剥がした射命丸は、見た目とは裏腹に長年生きてきた者が見せる年季の入った眼光をその目に灯し、誰にも聞こえないような小さな声でそう響いたのであった――。




一月近くも遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。
最新話、難産の兆しもありましたが、何とか投稿する事ができました。
それと、今更ではありますが、お気に入りが1000件突破しました。見てくださってもらっている読者の皆々様には頭の下がる思いです。本当にありがとうございます。

後一つお知らせが。
この章の『其ノ一』の前書きと後書きを大きく編集させていただきます。
お時間があればそちらの方も見てもらえればと思っております。


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其ノ四

前回のあらすじ。

四ツ谷たちは妙蓮寺を訪れ、そこで住職である聖白蓮と椿たちの為の仏前結婚式の日取りや準備の打ち合わせを行うと同時に、昨晩起こった『踊るしかばね』と修行者の中に妖怪の山の天狗がいる事を知る。


日が落ち、夜になった人里。その一角にある四ツ谷の長屋で、四ツ谷と小傘が向かい合って座ったままお茶をズズッと飲んでいた。

すでに薊は自宅に帰っており、長屋にいるのは四ツ谷と小傘、そして台所で夕食の支度をする金小僧だけであった――。

小傘が口を開く。

 

「師匠、今夜も起こると思いますか?『踊るしかばね』なんて……」

「さァな。だがあの寺がいつも葬式を行ってるわけじゃないからな。仮に犯人なんて奴がいたとしたら、寺に死体がある今の現状を見逃すなんてはずがないだろうな。……ま、前回の時点で何かしらの『目的』が達成されていたとしたら、もう何も起こしはしないだろうが……」

「『目的』って何です?」

「それもまだ分からん」

 

小傘の問いに四ツ谷はそう素っ気無く返し、再び自分の湯飲みに口をつけた。

命蓮寺で起こった『踊るしかばね』事件は、密かに緘口令(かんこうれい)が寺の者たちによって敷かれていた。

この一件に関わった者たちは全員、無関係な者たちには一切口にしない体制をとられていたのである。

それこそ命蓮寺の者たちはもちろん、葬式に立ち会った亡き老婆の親族や親戚など全てである。

四ツ谷たちの場合、白蓮がうっかり口を滑らせてしまったため、その事を知る事態となってしまったが、帰り際に寺の門まで送られるまでの間、白蓮たちからこの一件は他言無用である事を何度も念押しされていたのである。

ため息をつきながら小傘もお茶を飲む。

 

「全く。今回わちきたちほとんど関係ないって言うのに、それでも師匠は首を突っ込むんですね」

「関係ない?お前、俺とつるむ前までずっとあの寺に遊びに行ってたって言うじゃねーか。世話になってたんだろ?」

「うっ。そうでした……。でも師匠、師匠がこの一件に関与しようとするのは、単に『最恐の怪談』の創作ができそうだって事だからなんでしょ?野次馬根性所か、それ以上にタチ悪いですよ」

 

見も蓋もない小傘の意見であったが、言われた本人はいたって軽く肩をすくませて答える。

 

「確かにそうかもしれねーな。……ヒヒッ!だが俺なんかよりも()()()()()()()()があの寺に巣くってるのは間違いなさそうなんだがな……!」

「え……?」

 

四ツ谷のその言葉に首をかしげる小傘、四ツ谷は損な小傘を見て不気味に顔を歪ませる。

 

「……あの寺には意外と()()()が多そうだ。一度害獣駆除を勧めたほうがよさそうかもな……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって、命蓮寺――。

昨晩は月の明るい夜であったが、今夜はうって変わってどんよりと曇り空になっている。

寺のあちこちでかがり火がたかれ、その明かりが寺全体を真昼のように照らし出していた。

そして今夜も同じように老婆の葬式が行われていたが、前回と違い葬式場全体にピリピリとした空気が張り詰めていた。

寺の修行者たちは険しい顔つきで周囲を警戒し、葬式の参列者や親族などは不安げな様子を隠しきれずにいる。

そんな空気の中、お経を読むため祭壇に向かう白蓮は、その直前に星に声をかける。

 

「星。後の事は頼みましたよ?」

「はい、分かりました。聖」

 

そう短く言葉を交わし、星は白蓮と別れる。

周囲を伺いながら寺の中を歩き回る星であったが、ふと脚を止めて思案顔になる。

 

(……だが仮に犯人がいるにしても、この寺には人だけでなく多くの妖怪がいるため、気配を探ろうにもそれらが混ざり合って、怪しい動きをする奴を感じ取るのは難しい。どうするべきか……)

 

そんな事を考えている星の近くに、葬式で使われる道具が仕舞われていた空き箱の数々が山積みにされていた所があった。

そのうちの一つ、人一人がすっぽりと入る大きさの空き箱の蓋がわずかに開けられており、その隙間から金色の双眸が外を伺っていた。折り畳み入道である。

 

「…………」

 

周囲にいる者たちは誰一人として気付いている者はいないらしく、人間、妖怪問わず、皆折り畳み入道の潜む木箱の前を忙しなく行きかっていた。

 

時を同じくして寺の外、すぐそばの森の中で()()の囁き声があたりを小さく木霊する――。

 

「……そろそろ、頃合だね」

「うん。始めよっか♪」

「調子に乗らないようにね。()()()()()()()()すればいいんだから」

 

また別の場所では、一つの影が誰に語りかけるわけでもなく独り言を呟く――。

 

「へへへっ……さぁ、思う存分騒ぎを起こしな……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いくつもの思惑が混ざり合い、今宵再び死者が動き出す――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒッ!?……ま、まただ!また聞こえてきた!?」

 

境内のどこからか昨晩と同じように祭囃子が聞こえてくると同時に、参列者の一人が悲鳴を上げ、それが波紋となって他の者たちにも同様が走っていく。

本堂でお経を読もうとしていた白蓮も祭囃子が聞こえてきたと同時に、座布団に据わったその身を再び立ち上がらせる。

その直後、待機していた一輪と村紗が祭囃子の音を本道に入らせまいと、本堂の出入り口に立ちふさがった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭囃子が響いてきた瞬間、すぐさま行動したのは命蓮寺の者たちだけではなかった。

隠れて様子を見ていた折り畳み入道も祭囃子が聞こえてきたと同時に、すぐさま四ツ谷の元へと箱を通って向かった。

そして四ツ谷の長屋の葛篭から顔を出し、彼と小傘に声をかけた。

 

「父ちゃん!祭囃子、聞こえてきた!」

「そうか。よし、すぐに俺を向こうへ送れ。あと、『父ちゃん』言うな」

「待って、わちきもついて行きます!」

 

帰ってきた折り畳み入道にそう返して、四ツ谷と小傘はすぐさま葛篭の中に飛び込んだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂の大きく開かれた出入り口。そこに壁になるかのように村紗と一輪、入道が立ち、近づいてくる祭囃子の音を通さないとばかりに構えた。

 

「祭囃子の音は聞こえるのに誰もいない……。やっぱり姿()()()()()()()()()妖怪かな?」

「分からない……。ただこれが誰かの姦計(かんけい)で、そいつがそう言った類の能力者であったとしても、近づけば祭囃子に混じってそいつの足音や呼吸音なりなんなり聞こえてきてもいいはず……だけど――」

 

村紗の言葉に一輪がそう答え、真剣な目つきで一呼吸置いて続けて口を開いた。

 

「――()()()()()()()()()()……!まるで祭囃子の音だけが意思を持ってやって来ているみたい……!」

 

ゴクリと生唾を飲み込み、何もない()()の虚空を睨みつける一輪。

ネズミ一匹逃がしはしないと言わんばかりの気迫で近づいてくる祭囃子の音の前に立ちふさがる一輪たち。

しかし、その防衛線はあっけなく崩れることとなる。

 

……ゴトッ!……ゴトッ!

 

唐突に村紗と一輪の足元から鈍い音がいくつか響き渡る。何事かと一輪たちは自分たちの足もとに眼を向け――瞬時に身を凍りつかせた。

 

「えっ!?」

「なっ!?」

 

絶句する一輪立ちの目の前には、一体どこから湧いて出たのか手毬サイズの球体が二個。それも火花をバチバチと弾かせた短い導火線付きで転がっていたのである。

ついさっきまで足元には何もなかったはずなのに、まるで何かしらのカラクリで転送されたかのように、唐突に現れたその二つの爆弾に、一輪たちは二重の衝撃を受ける。

 

「一輪!村紗!!」

 

だが、背後から星が一輪たちに喝を入れるかの如くそう叫んだことにより、いち早く一輪がハッと正気を取り戻す。

そして、すぐに遠くへ投げ捨てようと動き出そうと爆弾に手を伸ばすももはや全てが手遅れだった。

一輪の手が爆弾に触れる前に、爆弾の方が先に破裂してしまったのだ――。

 

「「っ!!?」」

 

一輪たちはとっさに両腕で防御の姿勢をとる。しかし彼女たちを襲ったのは熱でも衝撃でもなく、大量の煙であった。

どうやら爆弾は二個とも煙玉だったらしく、その場にいた何人かの小さな悲鳴と同時に、瞬く間に本堂内に真っ白い煙が充満した。

煙に襲われた本堂にいる参列者や親族、そして聖たちはゲホゲホと咳き込み、一寸先すら何も見えない本堂の中を右往左往する。

爆心地にいた一輪は周囲の状況が分からず、その場から動けずにいた。それは隣にいた村紗も同じで二人はそばにいる入道と共に周囲の様子を伺う。すると――。

 

――ヒュン、ヒュン、ヒュン……!

 

突然、()()()彼女たちの脇を通り過ぎて行った。

それを感じ取った村紗が一輪に叫ぶ。

 

「一輪!」

「……ええ。祭囃子と一緒に今何か通ったわね。……それも()()……!」

 

一輪がそう言った直後――。

 

……ギ、ギギギッ、ギギギギィィィィ~~~~~~!!

 

昨晩と同じく、棺桶の蓋がひとりでに開かれ、そこに横たわっていた老婆の死体がムクリと上半身を起き上がらせた。

 

「ま、まただ!……ひ、ひぃぃぃぃ~~~!!!」

 

煙の合間からその光景を見た親族の一人が悲鳴を上げて腰を抜かす。

その悲鳴にも意に介さず、老婆の遺体は棺おけから出ると周りで響き渡る祭囃子の音にあわせて再び踊り始めた。

呆然とその光景を見つめる周囲の者たち。だが昨晩と違い、今回は早々長くは続かなかった――。

 

「村紗!一輪!」

 

煙が収まり始めたのを見計らって、白蓮は村紗と一輪に声をかけ、同時に呼ばれた二人は素早く老婆に駆け寄ると、左右から両腕を捕まえ拘束したのである。

その瞬間、老婆の身体が脱力し彼女たちに抱えられる状態となる。そして一拍置いて祭囃子もフッと音が掻き消えたのであった。しかし、その祭囃子が消える瞬間――。

 

 

 

 

……カチリ……

 

 

 

「……?」

 

ふいに何かの乾いた音が響いたのを一輪だけがはっきりと聞き取っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、その一部始終を隠れて見ていた者たちがいた。

外に置かれていた大道具入れの木箱の中に隠れていた四ツ谷、小傘、折り畳み入道の三人である。

 

「……どうやら早々に収束したみたいだな?」

「昨日に引き続き今日まで……師匠、一体何が起こってるんでしょう?」

「さァな……、まだ何とも言えん。これが意図的なものなのか、そうではないのか……判断材料がまだ足りなさすぎる……」

 

四ツ谷と小傘がそんな会話をしていると、ふいに隣にいた折り畳み入道が声を上げる。

 

「父ちゃん、あれ……!」

「父ちゃん言うな。……む?」

 

そう言いながら四ツ谷は折り畳み入道の視線の先を追うと、そこには呆然と立ち尽くす参列者や修行者の者たちの目を盗んで密かにどこかへと向かおうとする三人の天狗たちの姿があった。

この寺に修行に来ていると言うその天狗たちはこそこそと寺門から外へと出て行く――。

 

「ホォ~、怪しさ満点だな。行くぞ小傘。折り畳み入道はここで待ってろ」

 

そう言って四ツ谷は隠れていた木箱から小傘共々素早く出ると、周囲にいる者たちに怪しまれないように静かに天狗たちの後を追って寺を出て行った。

しかし約二名、その姿を見ていた者たちがいた――。

 

「ん?あやつらは……」

「新参者と小傘じゃん。何でここにいるんだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺のすぐそばにある森の中――。

そこに三人の天狗の姿があり、その三人の前には一人の鴉天狗の少女がいた――射命丸文である。

射命丸は三人の天狗たちから先程起きた『踊るしかばね』について話を聞いていた。

 

「あや~。今回は早くに収束したみたいですね……。まあ、二度も続けばそうなってきて当たり前でしょうが、いかんせん。命蓮寺の方たちは少々つめが甘い。同じ失態を二度も起こしてしまうなんて……」

 

やれやれと肩を落とし、射命丸がそう独り言を呟く。そこへ三人の天狗のうちの一人が射命丸に声をかける。

 

「射命丸様。今回の一件、やはり()()()()()()と何か関係が……?」

「ん~……。まだわかりませんが、その可能性はありますね……しかしそれよりも……」

 

そう言って険しい顔で目の前の三人の天狗を見る射命丸に、睨まれた天狗たちも何事かと反射的に背筋を正す。

 

「……先程私は命蓮寺の方たちは少々つめが甘いといいましたが、どうやら貴方たちもだったみたいですね?……つけられましたね、ネズミに」

 

そう響いて射命丸は天狗たちから後方の茂みへと目を向けた。同時に天狗たちもその視線の先を追う。

そして数秒置いて、その茂みから二人の男女が姿を現した――。

 

「……ヒッヒッヒ。ネズミとは心外だな。先に寺に忍び込んでこそこそしている奴らに言われたかねーよ」

「私たちはちゃんとした『密命(みつめい)』を受けてあの寺に潜入しているのです。あなたのように興味本位で首なんか突っ込んでませんよ、四ツ谷さん」

 

現れた男女のうち、男の方――四ツ谷にそう言われ、射命丸は疲れたようにため息混じりにそう返した。

それでも四ツ谷は引かずに続けて口を開く。

 

「『密命』だの『数年前の一件』だの、気になるワードが出てきてたな?さっきの一件となんか関係あるのか?」

「何故そんなことをあなたに話さなければならないのです?」

「いやなに、あの寺の者たちにとっては俺とあんたらは土足で入ってきた同じ穴のムジナ……いやネズミだ。ネズミはネズミ同し仲良くやろうじゃないか。俺たちも協力できることもあるかもしれないぞ?」

 

ニヤニヤと笑いながらそう言って歩み寄ってくる四ツ谷にと小傘に対し、射命丸の前にいた天狗たちは警戒心をむき出しにして構える。

それを見た射命丸は一際大きなため息をつくと口を開く。

 

「何を滅茶苦茶なことを言ってるんですか。とにかくあなたたちには関係ないことですので早々にお引取り……を…………って、あややややぁ~~、これはまた厄介なことになりましたぁ……」

 

話の途中で『何か』に気付いた射命丸は台無しだとばかりに頭を抱える。

その姿を見て天狗たちだけでなく四ツ谷も首を傾げるも、もう一人四ツ谷の隣にいた小傘だけが顔面蒼白となって背後へと首を向けていた。

 

「……つ、つけていたのですか……?」

「……当然じゃ。怪しい奴らが寺から出て行ったのを見ていたからのぅ。つけないわけがあるまい。大妖怪となったと聞くが、まだまだ修行が足らんぞ小傘?」

 

小傘の言葉に第三者の声がそう答えると同時に、四ツ谷も天狗たちも何が起こったのか気付き、声のした方へ眼を向けた。

そこには狸の耳と尻尾を生やした女性と、三又の槍を持った奇妙な翼の生えた黒服の少女が立っていた。

四ツ谷は彼女たちのことは以前の宴会で顔合わせだけではあったが覚えていた。

 

「……確か、二ッ岩マミゾウに……封獣ぬえ……だったか」

「おお、覚えておったか。前会ったときは自己紹介だけじゃったのに、嬉しい限りじゃ」

 

そう言ってニンマリと笑うマミゾウだったが、その目は明らかに笑ってはいなかった。

視線だけで人を射殺せそうな冷たい目でマミゾウはその場にいる全員に静かに、そして言い聞かせるようにして響いた。

 

「話は聞いた。まさか寺にこれほどのネズミが潜んでおったとはのぅ。双方とも、大人しくワシらについてきてもらおうか。……もし『嫌だ』とぬかすようなら、この場で『駆除』するだけじゃが……どうかのぅ?」

 

返答を聞かれ、その場にいた全員が首を縦に振らずにはいられなくなったのは言うまでもない。




一月以上間を空けてしまい申し訳ありません。
いや、本当にすみませんでした!
最近用事が多かった事と、話の細かい部分が思いつかず難航していた事もあり今まで投稿できませんでした。
しかしながら、それでも僭越ながら朗報が一つ。実はこれとは別にもう一話分作ることができましたので、翌日にまた投稿いたします。


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其ノ五

前回のあらすじ。

四ツ谷たちは怪しい動きをする天狗たちを発見するが、一緒にマミゾウたちにも発見されてしまう。


「気を落とさないで下さい、聖」

「ええ……、ですが、さすがに二度も同じ事が起きればこうなってしまって当たり前です……」

 

命蓮寺の客室にしょんぼりとうな垂れる白蓮を慰める星の姿があった。

その周りには他にもマミゾウやぬえ、村紗、一輪や入道。射命丸にその部下である三人の天狗たち、そして四ツ谷と小傘、折り畳み入道などの姿があった。

先程白蓮は、老婆の親族たちからここでの葬式を中止して人里の実家で家族葬にすると言われたのだ。

一度やならず二度までも老婆が踊りだすという光景を目撃した親族たちはこの寺自体を気味悪がりそう申し出を出してきたのである。

暗い顔で俯く白蓮を尻目にマミゾウは目の前に座る射命丸に口を開く。

 

「今ぬえがこの部屋の周囲に『人除け』と『音漏れ遮断』のための結界を張っておる。それが終わり次第、お主らが影で何をやっていたのか全て吐いてもらうぞ」

「ええわかってますよ。ここまで来た以上、私どもも逃げも隠れもいたしませんから」

 

両手をひらひらと振って射命丸がそう言った直後、タイミングを見計らったかのように、客室にぬえが入ってきた。

 

「マミゾウ。結界を張り終えたよ~」

「そうか。……さて、それじゃあ始めるとしようかのぅ」

 

マミゾウの隣にぬえが座ったと同時に、マミゾウがそう言い、改めて射命丸の方へと向き直った。

その瞬間部屋全体の空気が重くなるのをその場にいた全員が感じ取る。

まるで外界の取調室を思わせるような雰囲気の中、マミゾウはゆっくりと射命丸に問いかけ始めた。

 

「……単刀直入に聞くぞ鴉天狗。あの『踊るしかばね』を起こしたのは貴様らか?」

「本当に直球ですね。もう少し遠まわしに聞いてくるかと思いましたよ」

「残念じゃが、ワシ自身今回のことには少しばかり内心イライラしておってのぅ。居候しているこの寺に騒ぎを起こし、評判を落とすという行為に重ね、その住職に傷心を与えたこの一件を何としても早急に解決し、その元凶を断罪したいと思うておる」

 

淡々とそう言いながら懐から取り出した煙管(キセル)に火をつけ、それを吸ってプカリと煙を吐いたマミゾウだったが、その手に持つ煙管が僅かにミシミシと音を立てている所を見るに、ゆったりとした雰囲気とは裏腹に内心それなりにご立腹だということがその場にいる大半の者たちからも見て取れる様子であった。

そのマミゾウの様子には射命丸もいち早く気付いており、ため息交じりに答える。

 

「ハア……わかりました。わかりましたよ。答えますので一端怒りを静めてください。……先程の質問の答えですが、答えは――『(いな)』です」

「ほぅ……ならば何故、子飼いの天狗どもをこの寺に潜ませていた?」

「それについては少々長い話になりますが、よろしいですか……?」

 

マミゾウのその問いかけに、射命丸がそう答る。

最後の『よろしいですか』という言葉をこの場にいる全員に投げかけているらしく、射命丸は部屋全体に視線を送っていた。

そこへ三人の天狗のうちの一人が声を上げる。

 

「射命丸様。よろしいので?」

「こうなってしまった以上、もうどうしようもないでしょう。……天魔様からは私が直接説明します」

「『天魔』?……今回の一件は天狗の総大将も関与しているのか?」

 

思わぬ所で天狗社会の頂点に立つ存在の名を聞き、四ツ谷は射命丸に問い詰めた。

それに対し射命丸は四ツ谷をやや疫病神でも見るかのような目で見るもそれに答える。

 

「ええそうですよ。この寺の潜入捜査だって天魔様直々の指令だったんですよ。それなのにあなたたちが絡んできたせいで、数年にも及ぶ潜入捜査が全部パーになってしまいましたよ。どうしてくれるんですか」

「ヒッヒッヒ。そりゃあ悪かったな。お詫びと言っちゃなんだが、その潜入捜査とやらも微力ながら協力してやるよ。だからほら、さっさと全部話しな♪」

「清々しいほどに自己中心的でずうずうしい……。私としては『これ以上何もせずに引っ込んでいやがれ』と言いたい所なんですけどねぇ、まったく……」

 

最後に大きくため息をついた射命丸は再びマミゾウたちに向き直り、自分たち天狗たちが今抱えている一件、その一部始終を静かに語り始めた――。

 

「――始まりは数年前……ある異変、いえ『一件』でしょうか……?それの解決の為に霊夢さんや魔理沙さんたちが動いていたちょうどその頃……我々天狗の里でも天狗社会を揺るがすほどの一件が、もう一つ起こっていたんです……」

「天狗の里で……?一体何が?」

 

村紗がそう質問し、射命丸が簡潔に答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「盗難事件です。……それも天魔様が直接預かり、管理していた『鬼の宝』の一つが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ!?」

 

射命丸の言葉に思わず小傘が声を漏らす。周囲の者たちも大なり小なりそれなりに驚愕していた。

それに構わず、射命丸は話を続ける。

 

「……賊は全身黒装束の二人組。日が沈んでからの夜の犯行でした。天狗の里の近くの森に火を放ち、山火事を起こして天狗たちの注意を一点に集中させられ、警戒網を潜り抜けられてしまいました。幸いにも火事はボヤ程度で消す事はできましたが、奴らはまんまと里の中心部――天魔様の屋敷にまで入り込んだのです……。しかも運が悪い事に、その時天魔様は外出中で屋敷所か里にもいませんでした。……奴らは山火事で警戒が薄くなった天魔様の屋敷に悠々と入り込み、宝物庫から鬼の宝を……!」

 

そこまで言った射命丸は両手をぎゅっと力強く握り、口の端を大きく歪めて見せた。

どうやらその一件は彼女にとっても痛恨の極みだったらしく、心底悔しそうな様子がありありと見て取れた。

だがすぐさま射命丸は顔を真顔に戻し話を継続する。

 

「……ですが屋敷の周辺を警護していた哨戒(しょうかい)天狗の一人がその賊たちを発見し、ここに来てようやく事態が山火事を囮にした窃盗だということが天狗たち全員に発覚したのです。消火に当たっていた私もそれを聴き付け、急ぎ賊の後を追いましたが、その時にはもう賊は天狗の里から消えた後でした……」

 

そこで沈黙が訪れ、数秒間耳が痛くなるような静寂が訪れる。しかし再び射命丸が口を開いた。

 

「……私たちはすぐさま捜索隊を編成し、幻想郷じゅうに何人もの天狗たちを放ちました。『他の有力者たち』を刺激しないように密かに、それでいて火急に……。しかし、多くの天狗たちを導入した努力も空しく、ついに賊の足取りを掴むことはできませんでした……」

 

これで話は全てだと言わんばかりに、射命丸は小さなため息と共に口を閉ざした。

代わりにマミゾウが口を開く。

 

「……なるほどのぅ。天狗の里でそんなことが起こっていたとは……しかしな鴉天狗、それと今回の一件、どう関係あるのじゃ?話を聞く限りじゃ命蓮寺(ワシら)には全く無関係な話に思えるのじゃが?」

 

それにすぐさま射命丸が静かに答えた。

 

「……実は探索中、一度だけ哨戒天狗の一人が賊の一人を発見したのです。すぐさま追いかけたようですが、後一歩の所で逃げられてしまい、結局捕まえる事ができませんでした。……その背格好や服装が里に侵入した賊とぴったり一致したため、まず間違いなく探している賊の一人だと確定したのです」

「だから、それと私たちと何の関係が――」

「――()()()()()()()

 

いまいち話が見えないことに苛立ちを覚えたぬえが射命丸に食って掛かるも、それに上乗せするように射命丸が右手の人差し指を下に向け、言葉を重ねた。

一瞬の沈黙後、今度は村紗が口を開く。

 

「ここ……?」

「ええ……、その哨戒天狗が賊を発見した場所がこの命蓮寺なのです。……いえ、正確に言えば――」

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()で、その天狗は隠れている賊の一人を発見したのです……」

 

 

 

 

 

 

射命丸がそう響き、また数秒の沈黙が訪れるも、今度は村紗が射命丸に食って掛かった。

 

「……だ、だから何だって言うのさ。命蓮寺が建つ前のこの場所でそいつを発見したからって私たちには何の関係も――」

 

だが、そこでマミゾウが待ったをかけた。

 

「待て村紗。鴉天狗、お主最初こう言ったな?『霊夢たちが動いていた一件と同じ時に起こっていた一件』だと……もしや霊夢たちが追っていた方の一件と言うのは……」

 

マミゾウの言葉にその予想が正しいと言いたげに、射命丸は力強く頷いて口を開いた。

 

「そう……あなたの想像通り。それはあなたたち命蓮寺組がそこの住職さんの封印を解くために起こした一件――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『聖輦船(せいれんせん)異変』のことですよ……!」

 

 

 

 

 

 

 

射命丸のその言葉に、周囲の者たち……特に命蓮寺の者たちは驚愕に目を見開く。

それに構わず、射命丸はまくし立てるように早口で言葉を紡ぐ。

 

「可笑しいとは思いませんか?あなたたちが起こした異変とほぼ同時期に私どもの里で盗難事件が起きた。しかも最後にここで発見された賊の姿は()()()()()()になっていたと聞きます。それは奴が『何か』をこの場所に埋めたと考えられませんか?その報告を賊を発見した哨戒天狗から聞いた時、私どもはすぐさまここ周辺を掘り返そうと考えました。……ですがそれができなくなった。何故か?言わずともわかりますよね?」

 

命蓮寺組は何も答えず沈黙を通す。それに構わず射命丸は続けて口を開いた。

 

「空き地だったこの場所にこの寺が建ったからですよ。しかも()()()()()()()()()()()()()()です。まるでこの土地に埋められている『何か』を取るなと言わんばかりに……!」

「ち、違います!私たちがこの場所に寺を建てたのは――」

 

反論しようとした白蓮が身を乗り出すもそれを射命丸が左手で静止、続けて言う。

 

「ええ知ってますよ?この地下深くに眠っていた『神霊廟(しんれいびょう)組』のことでしたら私も話しで聞いていますからね。しかし、私……いや、あなたたち命蓮寺組を疑っている天狗たち(わたしたち)からして見れば、それは本当のことを誤魔化している言い訳にしか聞こえないのですよ……」

「そんな……」

 

射命丸のその言葉に、白蓮はペタンと腰を落とし、再び俯いた。

それに入れ替わるようにして険しい目つきをしたマミゾウが射命丸に問いかける。

 

「……それで?お主らはこれから一体どうするつもりじゃ?まさか命蓮寺組(ワシら)天狗たち(お主たち)で全面戦争を起こそうって気なのか?」

「……ぶっちゃけると最悪それも考えています。あの里での一件は私たちにとって拭いがたき汚点となりました。あの時盗まれた『鬼の宝』は伊吹様の物でしてね……。盗まれて意気消沈する伊吹様の前で天魔様がなりふり構わず必死に土下座をして謝罪していた光景が今でもこの目に焼きついてます。我々天狗のプライドをここまでズタズタにしたあの賊どもは決して許すわけにはいきません……!そして、もしその賊どもにあなたたち命蓮寺組が加担しているのだったら――」

 

 

 

 

 

 

 

「――私どもは喜んで命蓮寺組(あなたたち)に宣戦布告の火を放ちましょう……!」

 

 

 

 

 

 

感情が抜け落ちたかのような真顔で怒りのオーラを放ちながら、射命丸はそう言いきって見せる。

それに負けじとマミゾウとぬえも殺気を放ち、射命丸を威嚇した。

バチバチと双方の間で火花が散る中、そのわきから星が割って入る。

 

「待て鴉天狗。確かにお前の話を聞く限りだと私たちは怪しまれても仕方ないかもしれない。しかし、お前の言ったことはまだ全て『状況証拠』に過ぎない。全面戦争をするには軽率だとは思わないか?それに話の内容が入れ替わっている。本題はお前たちが『踊るしかばね』を行った張本人かどうかだ。お前は『否』と言ったが、完全に『白』だと証明できる証拠はここにはあるまい?」

「あー、そのことなんだがなぁ……」

 

星がそう言った瞬間、場違いなほど気だるげな口調で手を上げる男が口を開いた。

それと同時にその場にいた全員がその男――四ツ谷文太郎に視線が集中する。

四ツ谷は周囲の視線を受けても全く動じることなく、あぐらの上に頬杖をついて意見を口にする――。

 

 

 

 

 

 

「……俺はな、話を聞く限りだとその数年前の盗難事件と、今回起こった『踊るしかばね』の一件は――二つとも()()()()()()()()と思うんだが……」

 

 

 

 

 

 

「ほぉ……?」

 

全員が目を丸くする中、四ツ谷のその言葉に興味を示したのか、マミゾウが四ツ谷へと問いかける。

 

「して、そう思う理由はあるのかのぅ?」

「あぁ……最初に起こった盗難事件は山火事を使って警戒網を薄くしての犯行だったんだろ?そして今回の『踊るしかばね』は老婆が踊りだしたことで周囲はそれに釘付けとなった……」

 

四ツ谷のその言葉に、その場にいた何人かがハッとなる。

それに気付いてか、四ツ谷はニンマリと不気味に笑いながら続けて口を開いた――。

 

「……周りの注意を別の所に逸らし、その隙に犯行を行う……。手口がよく似てると思わねーか……?」




昨日に引き続き、最新話投稿です。
感想、誤字報告など気軽にお知らせください。


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其ノ六

前回のあらすじ。
射命丸は数年前の盗難事件を打ち明け、同時に命蓮寺組と対立的な立場を取る。


数年前の天狗の里での事件と今回起こった命蓮寺での『踊るしかばね』事件の二つは、いずれも同一犯の仕業――。

四ツ谷のその回答に周りにいる全員が押し黙った。

しかし、だからと言って命蓮寺、天狗の双方の疑いが晴れることはなく。

これ以上の議論は無意味と判断したマミゾウの提案で、今夜は一端お開きとなった。

お互い確固たる証拠が無いため、双方とも渋々ながら了承し、射命丸は部下たちを連れて早々に山に帰っていく。

命蓮寺組も葬式の後片付けをするために方々に動き回り始め、もうここにいても仕方ないとばかりに四ツ谷と小傘もさっさと人里の長屋へと戻っていった――。

 

「――そのはずだったと思ったが……一体全体どう言うことだこりゃ?」

「まぁまぁそんな嫌そうな眼を向けないで下さいよ。人外にとって夜中こそ活動時間帯。朝までまだまだ長いのですからもう少し付き合ってください♪」

「ほれ♪酒と肴はたくさん用意しておる。語らいの良きつまみとなるじゃろう!」

 

ジト目で見つめる四ツ谷の前には、見るからにウキウキ気分で騒ぐ、つい先程別ればかりのはずの鴉天狗の少女と化け狸の女、そして正体不明の少女の三人が座っていた。

少し離れた所で、金小僧と折り畳み入道の二体が事の成り行きを見守っている。

人里の出入り口で小傘と別れた四ツ谷は、折り畳み入道と共に長屋まで帰ってきたのだが、彼が長屋に入ってほんの十分間の間に、射命丸、マミゾウ、ぬえの順に彼の長屋へとやって来たのであった。

 

「今日はもうお開きじゃなかったのか?」

「命蓮寺の方では、のぅ。大衆の中じゃ中々話せない事もあろう。酒でも飲んで堅い口を緩くして、お互い腹を割って話そうじゃないか」

「なら他所(よそ)でやってくれ。何で俺の家でそれをやる?」

 

畳の上に酒と肴となる食材を並べながら響くマミゾウにそうツッコミを入れる四ツ谷であったが、それに答えたのはマミゾウではなく射命丸であった。

 

「それはもちろん、あなたたちが我ら天狗にも命蓮寺にも属していない完全な部外者の方たちだからですよ。どちらか一方に肩入れなどしない。そういう立場だからこそ信用できるという事もあるんですよ」

「……で、本音は?」

「『あなたたちのせいで厄介な状況になったから責任もって解決に協力しやがれ』……ですかね?」

「裏表激しいなオイ!?」

 

冷めた目で笑みを浮かべる射命丸に四ツ谷はツッコミを入れると大きく息を吐くと、マミゾウとぬえへと視線を戻す。

 

「……で?あんたらは何でここに来た?」

「なぁに、お主見たところ洞察力が鋭そうじゃったからのぅ。ついさっき一輪たちから仕入れた情報を提供すれば何かしらの新しい発見が出て来るんじゃないかとやってきたんじゃが……その道中でそこな鴉天狗がここへ向かってるのを見てこりゃちょうど良いとばかりに後を付ける形でやってきたのじゃよ。……こういうのは天狗側とも情報共有しておいても損はないじゃろ?」

「……まぁ、その情報が重要かどうかにもよりますがね」

 

マミゾウの言葉に射命丸がさり気なくつけ足しをし、それを見た四ツ谷が再びため息をつくとマミゾウに声をかけた。

 

「……それで何だ?その情報っていうのは?」

「うむ。先程起こった『踊るしかばね』での一輪たちに起こった事なんじゃが、いろいろと気になる部分が出てきてのぅ……」

 

そう言ってマミゾウは一輪たちから聞いた出来事をそっくりそのまま四ツ谷と射命丸に告げる。

それを聞いた四ツ谷は顎に手を当てて思案顔になった。

 

「……祭囃子以外何の音もしなかった……脇を通り抜けた複数の気配……祭囃子が止むと同時に響いた『カチッ』っという乾いた音……」

 

ブツブツと独り言を響き続ける四ツ谷をマミゾウたちが黙って見つめる。

そして数分後、顎から手を離した四ツ谷はマミゾウの持ってきた酒の一つをお猪口に注ぎ、それを一口飲んで口内を潤すと――。

 

()()()()()……」

 

そう声を部屋の中に響かせていた。

 

「やっぱり?」

 

怪訝な声でぬえがそう声をかけ、四ツ谷はそれに小さく頷き、口を開いた。

 

「ああ。少なくとも、『踊るしかばね』の()()()()()の方は目星がついた」

「ほぅ……」

 

四ツ谷の言葉にマミゾウは興味深げに呟く。

それを合図にしてか、四ツ谷は静かに説明し始める。

 

「いいか?始まりである数年前の天狗の里の事件。ありゃあ火事を囮にしての犯行だったんだよな?」

 

確認するかのように四ツ谷にそう問いかけられ、射命丸は小さく頷いた。

それを見た四ツ谷は続けて口を開く。

 

「……今回の『踊るしかばね』だってそうだ。周りの注意をそれに向けさせてそれとは別の『何か』を行おうという気配があった……。だが、天狗の里の事件と今回とじゃ大きく違う点が一つある」

 

そう言って四ツ谷は両手の人差し指を立ててマミゾウたちの前に突き出して見せた。

 

「……それは今回の一件は『踊るしかばね』という囮を起こす実行犯と、その隙に別の『何か』を行う主犯がいないと成立しないという点だ」

「……下手人は二人いるという事ですか?」

「いいや。二人『以上』だ……。それも二ッ岩の話で確信した」

 

射命丸の問いに、すかさず四ツ谷は否定し、続けて言う。

 

「実行犯()()は幻想郷縁起にものっている奴らだからおのずと絞り込める。『カチッ』という乾いた音の証言を抜きにして、『祭囃子以外の音が聞こえなかった事』、『脇を通った複数の気配』、そして『姿が見えなかった事』は……()()()()()()()()()を思い出せば察しはつくんじゃないか?」

「起こったときの状況……?」

 

ぬえが首をかしげそう響くも四ツ谷は「回答だ」とばかりにそれを口にする。

 

「最初に起こった『踊るしかばね』。あの晩は雲一つない月の明るい夜だった。そして今回は命蓮寺のあちこちで篝火がたかれ、寺全体を明るく照らしていた……」

 

四ツ谷がそこまで言った途端、マミゾウたち三人は何かに思い当たったのか同時にハッとなる。

それを見た四ツ谷はニヤリと笑った。

 

「それらのキーワードに()()()()合致する()()がいるだろ?()()()()が『踊るしかばね』の実行犯さ♪」

()()()がか?……じゃが、何故奴らがそんな事を……?」

 

マミゾウのその問いかけに四ツ谷は「さァな」と両手を頭の後ろで組んで天井を仰ぎ見る。

 

「案外、そんな深い理由は無いんじゃないか?大方、主犯格の奴に菓子とかで釣られるか唆されるかなんかして起こしたんだろうな……。元々そういう奴らだろ?()()()()()

 

四ツ谷のその言葉にその場にいる全員が押し黙った。

しばしの静寂後、今度は射命丸が口を開く。

 

「……実行犯はそうだったとして……。主犯の方もあなたは誰なのか目星はついてるのですか?」

「いんや。残念ながらそっちの方は全く分からん。いや、ホントだ。何せそっちの方は情報が全然足りんからな」

「それじゃ――」

「――だが」

 

俯いて気を落としかける射命丸に四ツ谷はすぐさま手を上げてそれを制す。

それに気付いた射命丸は再び四ツ谷に眼を向けたとき――。

 

「……主犯の検討はつかないが……そいつを炙り出す事は、できるかもしれんぞ?」

 

――そう、いつもの不気味な笑みを浮かべてそう声を響かせる四ツ谷の顔が視界に飛び込んできていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、別の場所の闇の中で一つの影が静かに蠢いていた。

 

「もうすぐだ……もうすぐで……へ、へへへっ……」

 

長年待ちわびていた『来るべき時』が近い事を確信し、それは静かに笑い出す――。




また、一月かかってしまった……。
しかも今回は短めです。……本当にすみませんでしたorz


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其ノ七

前回のあらすじ。

命蓮寺での一件の後、マミゾウ、射命丸、ぬえの三人は四ツ谷の長屋へ集合し、独自の会談を始める。


命蓮寺と天狗たちの会合から次の日の昼間。

いつものように命蓮寺の境内には、修行者である妖怪や人間たちが、せっせと掃除や鍛錬に励む光景があった。

そのうちの一人、寺門前で石畳に落ちた落ち葉を掃除する響子は、人里へと通じる道から賑やかな声が聞こえてきたのを耳にし、ふいに眼を声のする方へと向けた。

見ると道の向こうから一人の男を中心に、小さな子供たち数人がこちらに歩いてくるのが見える。

 

「?」

 

大人一人に子供複数の来客は珍しく、首をかしげる響子ではあったが、彼らを向かえるために掃除で動かしていた竹箒を止めた。

そして彼らが近づくにつれ、中心にいる男の顔がはっきりと見え始め、響子は目を丸くした。

見るとその男は昨日の昼間に人里に住む女性たちと一緒に訪れ、同じく同日の夜に聖たちと共にマミゾウとぬえに客間に連れ込まれていた者であった。

その時響子は、こそこそと人目を避けて部屋に入っていくマミゾウたちを怪訝に思い彼女たちに声をかけたのだが、軽くはぐらかされた挙句、今見たことは他言しないようにと、逆に頼み込まれる結果となってしまったのだった。

 

(確か……四ツ谷文太郎さん、だったかな?)

 

以前開かれた宴会の席でも軽く自己紹介をして名前を知っていた響子であったが、昨日に引き続き今日も寺を訪れ、しかも今回は複数の子供連れという事に、さすがの彼女も彼をいぶかしむ。

しかし、彼の周りでキャッキャと楽しそうに騒ぐ子供たちの手前、それを顔に出すわけにも行かず、響子は来客を迎える表情を(表向きに)つくり、彼らを迎えた。

 

「命蓮寺へようこそ。今日はどういったご用向きでしょうか?」

「おう。確か幽谷響子っつったか?突然で悪いが、境内の一角、ちょっと借りるぞ?」

「は?え?あ、ちょちょっと!?」

 

軽くあいさつしてズカズカと子供たちと共に寺へと入っていく四ツ谷に、響子は一瞬呆気に取られるも、すぐにハッとなって慌てて彼らの後を追いかける。

 

「ちょ、ちょっと!?いきなり何なんですか?」

「今言ったろ?境内の一角を借りるって。今から子供(こいつ)らと楽しい事するんだから邪魔すんなよ?こっちもそっちの仕事の邪魔しねーから」

「か、勝手な事言わないで下さい!それに、『楽しい事』って一体何を――」

 

そう四ツ谷の背中に声をかける響子。すると突然、四ツ谷は立ち止まり、響子へと顔を向ける。

怪しく、そして不気味に歪む四ツ谷の笑みがそこにあり、妖怪であるにもかかわらず響子の全身がゾクリと総毛だった。

そんな響子に四ツ谷は弾むような口調で返答する。

 

 

 

 

 

「何って決まってるだろ?……楽しい、楽しい……『怪談』さ♪」

 

 

 

 

 

境内に入った四ツ谷は、子供たちを引き連れて本堂の前にやって来る。そして本堂へ上がるための木製の階段、その隅っこへ四ツ谷は腰を下ろした。

その四ツ谷を囲むようにして子供たちはウキウキとした表情で立ったまま四ツ谷を見続ける。

そしてそのさらに後ろに困惑気味の響子が、さらに四ツ谷と子供たちの存在に気付いた修行者の何人かも四ツ谷の下へやって来る。

四ツ谷が連れて来た子供たちは、今や四ツ谷の怪談の常連ともいえる少年少女――太一、千草、佐助、蛍、育汰の仲良し五人組であった。

彼らはよく四ツ谷の元を訪れては『怪談を聞かせてほしい』とせがんで来る。今回も四ツ谷に怪談をせがんだ所、この命蓮寺まで連れて来られたという経緯であった。

その五人を代表して太一が四ツ谷に声をかける。

 

「四ツ谷のおにいちゃん!今日はここで怪談をやるの?」

「ヒッヒッヒ。ああそうさ!やっぱり『怪談』は()()がよく出ると誰もが思える場所……すなわち寺の中でやったほうが雰囲気あるだろ?」

「でも、今昼間だよ?こんな明るいうちから『怪談』をやったって雰囲気も何も無いんじゃない?」

 

当然と言った口調で千草がそう言うも、四ツ谷はやれやれと首を振る。

 

「おいおい、今まで昼間でも『怪談』を語った事なんて何度もあっただろ?その度に『キャーキャー』悲鳴を上げていたのは誰だったかなぁ~?」

「こ、怖がってなんか無いもん!」

 

意地悪げな笑みを浮かべて四ツ谷がそう言った瞬間、佐助がムキになって反論する。

それを見てシッシ!と笑った四ツ谷は子供たちに言い聞かせるように語り掛ける。

 

「言いかお前ら。確かに昼間の寺なんかで怪談をしても恐怖も何も感じないだろう。そう言った『怖い気持ち』ってのはやはり『真夜中』や『いわくありげな場所』こそ引き出されるのも納得だ。……だがな。忘れてはいないか?お前たちの後ろで同じように俺の話を聞いている連中も――」

 

 

 

 

「――人ならざる存在だという事を……!!」

 

 

 

 

四ツ谷の言葉にビクリと反応した子供たちは無意識の修行者の妖怪たちから距離を取ろうとする。

だがすかさず、そこへ四ツ谷のフォローが入った。

 

「ああ、だが心配すんな。この寺にいる奴らは比較的良い奴らばっかりだ。この寺と人里の交流はお前たちだって知ってるだろ?」

 

その言葉に子供たちは頷いておずおずと警戒心を解いていく。対して四ツ谷にダシにされた響子を含む修行者の妖怪の何人かは、何とも微妙な顔で四ツ谷を見ていた。

一拍置いて四ツ谷は再び口を開く。

 

「……まあようするに。俺が何を言いたいのかというと、そう言った『人ならざる怪異』ってのは、どこか遠くの場所にある御伽噺(おとぎばなし)などではなく、いつも自分たちの生活圏のすぐ隣に存在している。そういう奴らの『怪談』がすぐ身近にあるから恐怖するんだよ」

 

そして四ツ谷は子供たちを指差して挑発的な口調で続けて言う。

 

「……したがって『昼間だから全然怖くない』と言っておきながら、すぐ背後にいる真昼間でも活動している怪異たちの存在を確認すると、おっかなびっくりでビビッているお前たちは……ただただ滑稽だ!」

 

バッサリとそう言いきる四ツ谷に子供たちは「むぅ~!」と頬を膨らませる。

それを見た四ツ谷は面白そうに響く。

 

「ほォ~、怒ったか?なら証明して見せな。俺がこれから語る怪談に見事怖がることなく耐え抜いたら、お前たちを妖怪などには(おく)さない、勇敢な人間だという事を認めてやろう!」

「良いよ!望む所だよ!!」

 

太一がそう言ったと同時に、子供たち五人は一斉に四ツ谷の前の地面にドカリと腰を降ろした。

それを子供たちの背後で見ていた見た響子たちはあまりの状況に全員ポカンとした表情で立ち尽くす。

すると本堂の廊下の向こうの方から慌しく複数の足音が近づいてきた。

 

「一体何の騒ぎですか?」

「あれ?何この集まりは?」

「何故人里の子供たちがここに?」

「あなたは四ツ谷さん?これは一体どう言う状況なのですか?」

 

騒ぎを聞きつけてか、聖、村紗、一輪と入道、そして星の順で声を出しながらやって来たのだ。

だがその瞬間、四ツ谷は人差し指を口に当てて――。

 

「シッ……!」

 

そう声を響かせた。短く、それでいて余り力のこもっていない言葉とも言えない声であったが、何故か境内全体にそれは波紋のように広がった。

 

「……お静かに。――今は私の、言葉だけを聞くのです……」

 

静かに響く四ツ谷の声に、聖たちを含むその場にいた全員が()()()口を閉じ、沈黙する。

そして呆気に取られた表情で四ツ谷を見るも、そんな視線には意に返さないとでも言うかのように、四ツ谷はいつもの不気味な笑みを顔に貼り付け、()()()()()()()()()を境内に静かに轟かせた。

 

「……さァ、語ってあげましょう。貴女たちの為の……怪談を……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはまるで白昼夢のように目の前で起き始めた――。

いや、実際には何も起こってはいないのだが、それでも聖たちは()()()まるで現実に目の前で起こっているような錯覚におちいっていた――。

四ツ谷の口からつむぎ出される怪談。それが耳から脳内へとするりと入っていくことにより、あたかも自分たちの視界にはそれが本当に起こっているかのような幻覚を見ていたのだ――。

まるで自分がその怪談の『体験者』になったかのような感覚におちいり、四ツ谷の怪談の進行と共に、目まぐるしく場面が変わっていく――。

そしてハナシの最後に現れる『人ならざるモノ』……それが幻覚と理解できれど、実際にそれが目と鼻の先に現れる。……いや、()()()()()()()()()()に、さすがの聖たちも、悲鳴こそ上げはしなかったものの、全身にゾクリとする冷たい『ナニカ』を走らせずにはいられなかった。

それ程までに四ツ谷の怪談は真に迫っていたのである。

だが聖たちも寺の者として勝手に境内で怪談を始めた四ツ谷を何とかとめようとする。

しかし、一つの怪談が終わるとすぐさま四ツ谷が新しい怪談を始めるので、聖たちはなかなか四ツ谷をとめることができなかったのだった。

しかもそうこうしているうちに聖たちも段々と、そして気付かぬうちに四ツ谷の怪談の世界へと引き込まれていき、ついには一つの怪談が終わっても誰も四ツ谷を止めようとする者はいなくなっていた。

彼女たちも完全に四ツ谷の怪談に魅入られていたのである。

それは、周りで最初こそ興味なく修行や掃除をやっていた他の修行者たちもそうで。

風に乗って耳に入ってくる四ツ谷の怪談を聞くにつれ、終には仕事の手を止め、四ツ谷を囲む群衆の一人に混ざっていく始末であった。

そうして気付けば日も傾き、夕方に差し掛かる頃には、命蓮寺にいる者の()()()()()、四ツ谷の怪談を聞きに集まっており、周りに仕事や他の事をする者が全くいなくなっていた。

それに気付いた四ツ谷は、ぼちぼち頃合とばかりに、自分の怪談に耳を傾けている全員に聞こえるように声を響かせた。

 

「……さて、お集まりの皆さん。そろそろ夕方になる時間帯。この場所が寺ということもかねて、此度は『この怪談』を持って、幕引きとさせていただきましょう……」

 

そう言って四ツ谷はその怪談の題名を全員に聞こえるように、それでいて静かな口調で声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    「――『(はか)まねき』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        おいで……。

 

 

 

 

                                 おいで……。

 

 

 

 

 

 

                 こっちへおいで……。

 

 

 

 

 

生暖かい風が吹く夜の墓地……。そこから生気の無い声がどこからか響いてきます……。

死んで墓に葬られたは良いものの、誰も訪れる事も、誰も手入れがされなくなったそのお墓は……日に日に荒れ果てていきます……。

荒れ果て、朽ちてゆくその墓の主は、孤独故にタチの悪い悪霊へと変貌し、周囲を通りかかる者たちを己が墓の下へと招き、引きずり込むのです……。

それも、その寂しさを埋められるのであれば、別に人でなくても良い……。

鳥でも……獣でも……人間でも……永遠に自分のそばにいてくれるのであれば、誰でも何でも良いのです……。

 

 

 

 

例えそれが……自分と同じ……『亡者』だったとしても……。

 

 

 

 

近くで息絶えたその死者を……怪しく……妖しく……手招きし……墓の下へと招きます……。

死者は導かれるままその墓へと吸い込まれるようにして消えて行き……極楽にも地獄にも行くことなく……永遠にその悪霊――『墓まねき』と共に墓の下に縛られ続けるのです……そう……あなたも――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こっちへおいでえええぇぇぇ!!!」

『----------ッッッ!!!?』

 

唐突な四ツ谷の叫び声に、子供たちを含めたその場にいる何人かが大きな悲鳴を上げる。

悲鳴を上げなかった者たちも顔を青ざめたり、引きつらせたりしてその場に棒立ちになって固まってしまっていた。

そしてそれは聖たちも例に漏れず。村紗と響子は素直に悲鳴を上げ、一輪は血の気の引いた顔で冷や汗を流し、聖と星は表情には出さなかったものの、真顔のまま硬直しており、そこからある程度の恐怖があったことが見て取れた。

そんな彼女たちとは対照的に四ツ谷は空に大きな笑い声を上げながら立ち上がる。

 

「ひゃーっはっはっはっはっはぁっ!!イイ!!実にイイ悲鳴だったぞお前たち♪」

「うぅ……くやしぃ。結局一つも悲鳴を上げずにはいられなかったぁ……」

 

心底悔しそうに俯き、そう響く太一。それは他の四人の子たちも同じであった。

しかし四ツ谷は太一の頭に手を乗せ、優しく声をかける。

 

「そうしょげるな。お前らほどの歳の子供はまだそうやって素直に悲鳴を上げてる方が、可愛げがあっていい……それに――」

 

そこまで言った四ツ谷は太一の前にしゃがみ込み、目線の高さを合わせて再び口を開く――。

 

「安心しろ。お前たちは決して臆病なんかじゃないぞ?俺の怖い怖い怪談を飽きもせずに聞きにやって来るお前らが、そんな肝の小せぇ奴らなわけねーだろ?」

「あ……」

 

ハッとして顔を上げる太一に四ツ谷は「シッシ!」と愉快そうに笑うと立ち上がる。

 

「さァて、もうすぐ日も落ちる。お前ら、暗くなる前にさっさと人里へ帰るぞ」

 

四ツ谷のその言葉に子供たちは「はーい!」と元気よく返事をし、来た時同様、四ツ谷と共に寺門から外へと向かい始める。

その背中を唖然とした表情で見送る命蓮寺一同。

だが、いち早く聖がハッと覚醒し、慌てて四ツ谷の背中に声をかけた。

 

「お、お待ちください四ツ谷さん!あなたは結局、この寺へ何をしに!?」

「あァ?何って、そこの幽谷から聞いてねーのか?俺はただこいつらに怪談を聞かせるためにこの寺に来ただけだ。ここは怪談を語るのにイイ雰囲気を持つ場所だったからなぁ」

「はぁ!???」

 

開いた口が塞がらないといった表情で聖は四ツ谷を見つめる。それは他の命蓮寺の者たちも同じであった。皆一様にポカンと口を開いて目を丸くする。

四ツ谷はそんな彼女たちに背中越しに手をひらひらと振りながら子供たちと一緒に寺門をくぐって行く。

 

「そんじゃあなぁ~。場所提供、ありがとう♪お前らの悲鳴もなかなか心地よかったぞ~?」

 

そう言い残し四ツ谷は子供たちと共に命蓮寺を後にしようとし――ふいにその脚が止まった。

 

「……おっとそうだ。大事な事を言うの忘れていた……」

 

そう呟いてクルリと振り返った四ツ谷は、未だ呆然と立ち尽くす命蓮寺の者たちに向けて、人差し指を口に当てながら静かに声をかける。

 

「……最後に語った『墓まねき』……。あれは『曰くありげな噺』なので決して他言しないように……()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人里、日が沈みかけた道を、子供たちを家に帰した四ツ谷は自宅へと足を向け、歩いていた――。

もうすぐ長屋に着くというとき、その歩みが不意に止まった。

目の前に四つの影が現れ、四ツ谷の前に立ったからだ。

 

「……見つかったのか?」

 

唐突に四ツ谷がそう口を開くと、四つの影のうちの一つ――マミゾウが代表してそれに答えた。

 

「ああばっちりじゃ。ワシとこのナズーリンの配下の狸とネズミたちを動かして主犯を見つけることができたぞ。()()()()()()()()()()()。じゃがまさか()()()この一件の黒幕だったとはのぅ。命蓮寺創設初期に入ってきた修行者だと聞いて、多少は信用しておったのじゃが……」

 

そう言うマミゾウの横から名前を口にされた本人――ナズーリンが前に出る。

 

()()()()()()()、正直嬉しい話かな?……あいつ、聖たちが見ていない所でいつも私を嫌らしい目で見たりくどいたりして、もう辟易(へきえき)していたから……」

()()()()()()()、ですか?」

()()()()()()()、だよ……」

 

影の一人――射命丸のその問いに、ナズーリンはバッサリと切り捨て、それを見た射命丸はやれやれと肩を落とす。

そんな彼女たちをジトリ目で四ツ谷は声をかける。

 

「……で?結局誰だったんだ?いい加減話してくれるか?」

「あはは、ごめんごめん。それはね――」

 

そう言って、影の最後の一人――ぬえが四ツ谷に黒幕の名と、『宝の隠し場所』を伝えた。

それを聞いた四ツ谷は顎に手を当てて口を開く。

 

「へぇ~、あいつかぁ。前に『あの寺にネズミが潜んでいる』とは言ったが、まさか()()()()()()()()だったとはなァ」

「……お主が先ほど聖たちに怪談を聞かせておるとき、()()()()()その場におらず、()()()一心不乱に穴を掘っておったからのぅ。まず間違いないじゃろう。……にしても、辛抱足らん奴じゃ。お主が子供らを連れて寺で怪談を始めた時、何かおかしいとは思わなかったのかのぅ?」

 

呆れた口調で空を仰ぐマミゾウだったが、その考えを四ツ谷は否定する。

 

「いんや。奴はとても辛抱強く、かつ用心深い奴だと俺は思うね。……たった二人で天狗の里の宝物庫を攻略しようとした奴だぞ?それこそ膨大な時間と労力といった手間隙をかけなきゃ、ああもスムーズに盗みなんてできなかっただろうよ……」

「…………」

「命蓮寺だってそうだ。長い時間をかけて()()()()()()()()()、人目を盗んでは掘り返すといった行為を続けてきたんだろう……。だが、いい加減痺れが切れてしまった。それ故に起こしたのがあの『踊るしかばね』だったんだろうな……」

 

四ツ谷の話を聞いてマミゾウは納得したかのように頷く。

 

「まぁ、確かに宝が埋まってた場所は人目を忍んで取り出すには()()()()()()()じゃったからのぅ……。あ奴の視点から考えれば……うん、まあ気持ちは分からんでもないな」

 

一人勝手にウンウンと何度も頷くマミゾウにその場にいた全員が怪訝な眼を向ける。

だがマミゾウはそれには気にも留めず、四ツ谷に問いかける。

 

「……それで?これからどうする?今すぐ奴をお縄にするのかのぅ?」

「ヒヒッ!そんなもったいない事するわけないだろう?」

 

そう即答した四ツ谷は、再び歩み始め、マミゾウたちの間を通り過ぎていく。

そして彼女たちに聞こえるようにして楽しそうに、愉しそうに声を弾ませる。

 

「主犯も実行犯も鬼の宝のありかすらも分かり、『怪談の種』も撒き終えた。後は奴らをじっくりとどう『料理』してやるかを考えるだけさ♪」

「……愉しそうですね、四ツ谷さん」

 

呆れた口調でそう響く射命丸に、四ツ谷は「ヒッヒ!」と笑って見せる。

 

「そりゃそうさ!何せ今回の『聞き手』は()()()()()()!……それはつまり、あの賢者や巫女に睨まれる事無く、思いっきり『最恐の怪談』を行えるという事だ……!!」

 

興奮冷めやらぬといった面持ちで不気味な笑みを深く作る四ツ谷は、歩みを進めながらぎらついた双眸を虚空へと向け一人静かに声を響かせる――。

 

「行くぞ……いざ、新たな怪談を創りに……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~。結局一体何しに来たんだよあの変人……」

 

四ツ谷たちが去った後、村紗水密は少しもやもやとした面持ちで寺の中を歩いていた。

そんな彼女に声がかかる。

 

「村紗様。一体どうしたんです?」

「ん~?何だあんたか……。どうしたってさっき来てた四ツ谷って変人の事さ。いきなり寺に現れて怪談をおっぱじめて、それが済んだらさっさと帰って、もう何がしたかったのかわかんなくってさ~」

 

やれやれと首を振る村紗。しかし彼女に声をかけた者は首をかしげる。

 

「怪談……?前来たあの四ツ谷って方が怪談を寺で始めたんで……?」

「……あれ?あんたその場にいなかったっけ?」

「え?……ええ、まあ……ちょいと()()()()をしていやしてねぇ……」

「へぇ……そうだったんだ……」

 

そこまで相槌を打っていた村紗はふと何かを考える素振りをする。そして唐突に小さくニヤリと笑うと、その者に向けて悪戯っぽく笑いながら口を開く。

 

「ね。だったらさ、あいつから今しがた聞いたとっておきの怪談があるんだけど、聞いてみる?」

 

そう言って人差し指を口につけ、軽くウィンクをした村紗は、()に先ほど四ツ谷が他言無用だと念押しされたばかりの怪談を語り始めた――。

 

「……名前は『墓まねき』って言う私も初めて聞く怪異なんだけど……いい?ここだけのハナシだから、誰にも言っちゃダメだよ?――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()♪」




今回は創作が乗りに乗りましたので、ここまで長く書ききることができましたw
前回よりも速く投稿できた事も嬉しく思います。
また、誤字脱字などの報告も気軽にしていってください♪


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其ノ八

前回のあらすじ。
四ツ谷は命蓮寺の面々に『墓まねき』の怪異を話し伝え、同時に『踊るしかばね』の黒幕を特定する。


「『墓まねき』って言う怪異、知ってる?」

「荒れた墓の下に眠る悪霊の怪異なんだって」

「墓から『おいで、おいで』って誘ってきて……」

「周りの奴らを引きずり込むって言うらしいよ……」

 

四ツ谷が命蓮寺で『墓まねき』の噂を流してからすぐ、寺のあちこちで『墓まねき』の噂が囁かれるようになった。

四ツ谷本人が他言無用と言ったのにもかかわらず、修行者たちは寺を訪れる人里の人間や妖怪たちに次々とその怪異の話を語り、しだいに伝播(でんぱ)されてゆく。

何せこれを話した四ツ谷は得体の知れない変人。

約束を了承したわけでもなく、ましてやそんな義理も無い上、『墓まねき』と言う聞いたことも無い怪異故、その新鮮さと誰かに話したいと言う欲求から、修行者たちは次々とその口を軽くしていったのである。

一応、人目を忍んで噂されてはいるが、それでも寺の中だと有力者である聖たちにバレるのは時間の問題であった。いや、実質筒抜け状態だったといっても過言ではない。

 

「はぁ……、まだ数日しかたっていないというのに、寺の中で『墓まねき』の話を聞かない日は無いですね。もう人里の方でもこの噂が広がり始めているとか……」

 

寺の隅で来訪者である人里の人間に『墓まねき』の話をする修行者の姿を遠目で見ながら、白蓮は深いため息と共にそう響いた。その横には星もいる。

 

「そうですね、聖。ですが噂だけですので別に害があるというわけではないじゃないですか。そっとしておいても問題ないのでは?」

「いえ、それがそうも言ってられなさそうなのですよ。星」

 

そう言って白蓮は別のほうへと視線を向ける。そこには修行者たちが数人集まって何かを話している光景があった。

風に乗ってその者たちの話し声が耳に届いてくる。

 

「……なあ。『墓まねき』ってヤツは、亡者も墓の下に引きずり込むんだよな?……もしかしたら、この間の『踊るしかばね』。ひょっとしたら、そいつの仕業じゃないのか?」

「まさかぁ。『踊るしかばね』はともかく。『墓まねき』なんてのホントにいるかどうかわからんぞ?」

「いや、だがな。最初に起こった『踊るしかばね』の時、あの婆さんの死体、墓場の方へと行こうとしてたの見たよな?……ひょっとしたら墓場にそいつがいて、婆さんの死体を招き寄せようとしたんじゃないか……?」

「何を馬鹿な……と、言いたい所だが、確かに否定しきれないな。この寺(うち)の墓場って結構広いし、『無縁塚(むえんづか)』ほどじゃないが、人里で孤独死した奴や、得体の知れない外来人(がいらいじん)の死体も葬られてはいるから意外と無縁仏の墓はある。隅々まで手入れしている余裕が無いから荒れている所もいくつかあるし、これはひょっとしたらひょっとするかもなぁ……」

 

そんな会話が耳に入り、白蓮は再び深くため息をついた。

 

「先日起こった『踊るしかばね』の一件が、『墓まねき』によって起こされた現象だという事で定着し始めてきているのです。うちが弔った無縁仏の墓は確かに手入れは行き届いてるとまでは言えませんが、それでも年に五回は定期的に掃除しているというのに……」

「どうしますか聖。今すぐ止めさせますか?」

「残念ながら既に手遅れです。もう人里の方までその噂が広まっていると聞きます。……四ツ谷さん(あの方)は厄介な問題を一つ追加していきましたね。困った事です……」

 

そう言って肩を落とす聖。星はそんな聖にどう答えてよいか分からず視線を彷徨わせる。

するとその視線が寺門の外のほうへ向かった途端、無意識にそこで固定された。

寺門の外から数人の影がやって来ているのが見えたからだ。

そしてその集団の先頭に立つ二つの影は星たちの見知った者たちであった。

 

「おー聖ー!星ー!ちょうど良かったわい!」

 

集団の先頭に立って寺門をくぐって来たマミゾウはそう声を上げながら、聖と星に手を振る。

後からぬえ、そして()()()()()()()()()()()()が境内へと入ってきた。

大きな棺桶を視界に納めた聖は、慌てて境内へと飛び出し、マミゾウたちへと駆け寄る。

 

「お、親分さん!一体どうしたというのですかそのほとけ様は!?」

「いやすまんのぅ。実はこの近くで外来人の死体を見つけてのぅ。どうやら妖怪に襲われたらしくて、ワシとぬえが見つけたときはもう既に絶命しておったのよぅ」

「そ、そうだったのですか?それはまた……お気の毒な事です……」

 

マミゾウの話を聞いて、心痛な面持ちで聖がそう響き、修行者たちに担がれた棺に向かって静かに手を合わせ黙祷する。

そんな聖にマミゾウは再び声をかける。

 

「それで、じゃ聖。今晩この者を弔うため、小さな葬式を挙げてほしいのじゃが、構わんかの?」

「もちろんです。ほとけ様が無事、極楽浄土へと旅立たれるよう、お経を上げるのが私の務め。早速準備に取り掛かるといたしましょう。まずはほとけ様を棺がらお出しし、白装束に着替えさせて――」

「――い、いやその必要は無い。死者の身支度はワシとぬえでやる。……あまり棺から出すわけにもいかぬからのぅ」

 

聖の言葉を遮るようにしてマミゾウはそう言い、それに聖は怪訝な顔で首をかしげる。

 

「棺から出すわけには行かない?……それはどういう……?」

「……言ったじゃろ?『妖怪に襲われたらしい』と。……そんな死体が五体満足なまま転がっていたと思うのか?」

 

マミゾウのその言葉に聖はハッとなって棺を凝視する。

それに気付いたマミゾウは意地悪げな笑みで聖の耳元で呟く。

 

「四肢が食い千切られていたのはもちろんの事、顔はバックリと丸かじりにされたのか目も鼻も口も無い。(はらわた)もしこたま抜き取られ、喰い残った内臓の一部がデロリと外へとはみ出し――」

「い、いえ!もうそこまでで十分です!」

 

いらぬ想像をしてしまったのか聖は慌てて両手を突き出してマミゾウの言葉を遮る。

そこへ星もやってきて会話に加わってきた。

 

「……その様な酷い有様だったと言うのに、よく外来人だと分かりましたね。親分さん」

「身に着けている服や私物でのぅ。とにかくそのような惨状の死体を大衆の目にさらすわけにもいかぬじゃろう。この死者も自身の今の体を大衆に見てもらおうなどとは思わぬじゃろうし……」

「……そうですね。分かりました。では親分さん、ぬえ。このほとけ様の身支度をそちらでお任せしてもよろしいでしょうか?」

 

白蓮のその言葉に、マミゾウもぬえも笑顔で頷いて見せた。

その後、白蓮たちは軽くその死者の為の葬式の打ち合わせを済ませると、各々別々の仕事の為、一時その場で解散する。

すると、マミゾウたちと別れた白蓮に、すぐさま近づいて来る者がいた。

 

「……住職様。先ほど親分さん方と何やら真剣な話し合いをされていたようですが、何かありましたんで?」

「ああ、次郎八さん。いえ実は……」

 

そう言って白蓮はやって来た次郎八に、先ほどマミゾウたちが妖怪に食い殺されたらしい死体を運んできたらしく、今晩その死者を弔う為、小さな葬式を開く事を次郎八に伝え聞かせた。

 

「……ほほぅ、そんな事が……。わかりやした。不肖、この次郎八も誠心誠意お手伝いさせていただきやす」

「そう言ってもらえて助かります、次郎八さん。それでは今晩、お葬式を開きますので他の修行者の方たちにもよろしくお伝えいただけますでしょうか?」

「わかりやした。ではさっそく――」

 

そう言って白蓮の元から離れようとする次郎八の耳に、近くで噂話をする修行者たちの会話が風に乗って入ってきた。

 

「……なあ、もし万が一にも婆さんの死体が踊ったのが『墓まねき』の仕業なら、そいつはそれ相応に厄介な悪霊になるんじゃないか?」

「あん?どう言うことだよ?」

「マミゾウ親分から聞いたんだが、『踊るしかばね』ってのは死者を地獄へと連れて行く魔物が起こす現象なんだろ?『墓まねき』は自分の墓から死者を招くだけなら、何も死者を()()()()()()()()()。なら、実際踊らせたのは魔物の方という事になる。……だがもし、『墓まねき』が『踊るしかばね』の魔物を操って、あの婆さんの死体を招こうとしていたのだとしたら……?」

「……ん~、そう考えるのだとすれば『墓まねき』は『踊るしかばね』よりも格上って事になるな。地獄に送らず、『墓まねき』の所へ死体を持っていこうとしていたのだとすれば、な……」

 

ただの仮定の話だというのに、神妙な顔つきで考え込む修行者たち。

 

「…………」

 

そんな修行者たちを黙ったまま真顔で次郎八は見つめていた。

そこへ次郎八の隣に立っていた白蓮が、噂話をしていた修行者たちに声を上げる。

 

「こら、あなたたち。仕事の手が止まっていますよ!井戸端会議はそこまでにして、仕事に戻りなさい!」

 

白蓮のその言葉に、修行者たちは蜘蛛の子を散らすようにしてそれぞれの仕事へと戻っていった。

それを見てやれやれと肩を落とした白蓮は、未だ立ち尽くしている次郎八の背に声をかける。

 

「?どうかしましたか、次郎八さん?」

「……いえ、へへへっ。変わった噂が寺に蔓延していやすねぇ」

「ええ、困ったものです。先日の『踊るしかばね』が、聞いたことも無い『墓まねき』の仕業など、誰が信じられましょう……。ましてや『墓まねき』が『踊るしかばね』の魔物を操ってなど……」

「そう、でやすねぇ……」

「気にしない方がよろしいでしょう。『人の噂も七十五日』。在りもしない噂は、いずれ煙のように消えてなくなりますでしょう。さ、次郎八さんもそろそろ行って下さい」

「へ、へえ……」

 

そう言って次郎八は白蓮に軽く会釈をすると、その場をそそくさと離れて行った。

 

(……そうだ。あるわけねぇ。『墓まねき』なんぞ、ただの絵空事だ……!)

 

内心でそう自身に言い聞かせるようにして……。




最新話投稿です。
短めですがキリがいいので投稿させていただきました。
感想、誤字の知らせ等、気軽にご報告ください。


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其ノ九

前回のあらすじ。
『墓まねき』が寺中に広まり。同時に、マミゾウとぬえが身元の知れない死体を命蓮寺へと運び込んでくる。


マミゾウとぬえが命蓮寺に棺桶を運んだその日の晩。

先日の老婆の葬式とは比べ物にならないほど小さな規模の葬式が寺で行われていた。

本堂の中、白蓮が棺桶の前でお経を唱え、星が白蓮の傍に控えて棺桶の中の死者に向けて静かに黙祷を捧げている。

今宵は三日月であったが、雲一つ無い夜故、寺の周囲を薄っすらと照らし出していた。

しかし、白蓮と星の周囲には村紗を含む数人の修行者がいるだけで全く人気は無く、それを傍から見ている村紗も分かっていた事とは言え、無縁仏として葬られる死者の葬儀はとても寂しいもののように感じた。

そうして村紗は、本堂の入り口から月を眺め見る。

 

(……さて、『踊るしかばね』が起こるとすればもうそろそろなはずなんだけどなぁ……)

 

村紗は、いや村紗だけではない。この寺にいる者たちの()()()()()、『踊るしかばね』を警戒していた。

今回新たに寺に運び込まれた死者。老婆の死体がなくなったとは言え、今度はこの死体に『踊るしかばね』の現象が起こりえないとも限らないのだ。

現に今お経を唱えている白蓮も、隣にいる星も、見た目普段どおりではあるが、それでも村紗でも分かるほどの警戒心を周囲に張り巡らせていたのである。

 

――そして、その予想通りに……命蓮寺に祭囃子の音が鳴り響いた……。

 

『……!』

 

竜笛、太鼓、鈴の音……それらが小さいながらも一斉にその場にいた命蓮寺の者全員の耳に入ったとき、その全員が警戒態勢を取った。

祭囃子は前回同様に本堂の正面、寺門の方からこちらへとゆっくりと近づいてくる。

村紗は前と同じように、本道の出入り口に立ち、構える。

しかし、その時彼女は内心、不安を募らせていた。

とも言うのも、前回この出入り口を一緒に守っていた()()が今朝からどこを探しても見当たらず、どうするべきか迷っていたのである。

 

(もぅ~、一体どこいっちゃったのよ一輪と入道は!?朝からどこ探しても見つからないし!私一人でここを防衛させるなんて……!)

 

一輪と入道に対して、内心そう毒ついている間にも祭囃子は村紗のすぐそばまで迫っていた。

 

「ええい!こうなったら境内一帯に弾幕ばら撒いて――」

 

そう叫んで両手を突き出し、弾幕を放とうとした村紗であったが、突然見えない()()に突き飛ばされるようにして後ろへ倒れ込む。

 

「ひゃあっ!?」

 

村紗が悲鳴を上げると同時に本堂内に祭囃子が木霊し始める。

 

(いつつ……!今確かに何かが……いや、()()()私に体当たりしてきた……!!)

 

床にしこたまお尻を打ちつけた村紗が右手で摩りながら上半身を起こして本堂内へ振り返る。

すると今度は前回同様、棺の蓋がギギギと持ち上がり始めた。

 

「ああ……また、そんな……」

 

同じ失態を三度も犯してしまった現状に、白蓮は小さく嘆きの声を上げる。

しかし、()()()()()はそうは問屋が卸さなかった――。

 

 

 

 

 

 

――ボフッ……!!

 

 

 

 

 

「「「!!?」」」

 

棺の蓋が持ち上がったと同時に、棺の中から真っ白い煙がムワリと飛び出してきたのである。

 

「わっ!?」

「ひっ!?」

「ひゃあっ!?」

 

そして直後に、命蓮寺の誰のモノでもない幼い少女の悲鳴が()()()、本堂内に響き渡った――。

 

「え……?」

 

事態が飲み込めずポカンと立ち尽くす白蓮たち、やがて煙が溢れ出る棺の中から一つの影がムクリと上半身を起こしてきた。その者を視界に捕らえた村紗は反射的にその者の名を呼んだ。

 

「い、一輪!?」

「はあ~、息苦しかったぁ~!まあ、入道と一緒に窮屈な棺桶の中に入ってたら当たり前か。……や!聖に星に村紗、一日ぶり!」

 

のん気にそんな事を言いながら、一輪は棺桶の中から出てくる。同時に白蓮たちが一輪に駆け寄った。

 

「い、一輪!これは一体どう言うことですか!?」

「ごめん聖。マミゾウ親分の指示であの棺桶の中で『踊るしかばね』の()()()()()を待ち伏せしてたんですよ。いや、聖たちを騙すのは忍びなかったけれど、『敵を騙すにはまず味方からじゃ』って親分さんに言われまして……」

 

淡々とそう言った一輪に、まだ半ば理解が追いついていない白蓮は一輪に何か言おうと口を開きかけ――その動きが途中で止まった。

一輪の背後で立ち上る煙……だと思われていたそれは、一輪の相棒である入道であり、その入道の雲に触手の様に絡め取られている()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()――。

それを見上げながら一輪は眉根を寄せて()()()()を睨みつける。

 

「……マミゾウ親分の言ったとおり……『踊るしかばね』の実行犯はあんたたちだったわけか――」

 

 

 

 

 

 

 

「――サニーミルク。ルナチャイルド。そしてスターサファイアの……『光の三バカ妖精』ども……!」

 

 

 

 

 

 

「ちょっと!『光の三・妖・精』!『バカ』なんて付けたら未聞(みもん)の方たちが勘違いしちゃうでしょ!?」

「誰に対しての配慮ですか」

 

赤と白を基調とした服を纏い、オレンジのかかった金髪を二房のツーサイドアップにした三匹の妖精のリーダー格であるサニーミルクが一輪にそう抗議し、それに星が突っ込みを入れた。

 

「……か、彼女たちが『踊るしかばね』を起こした犯人なのですか……?」

「うん。間違いないと思うよ?」

 

唖然とした顔でそう響く白蓮に答えたのは本堂の天上のはりに今の今まで潜んでいた少女であった――。

声につられて白蓮たちが上を向こうとしたと同時にその少女ははりから床へとふわりと着地して見せる。

 

「ぬえ!?貴女今まで上にいたのですか!?」

「そうだよ聖。いやぁ、聖たちに気付かれずにあそこに隠れてるのは大変だった……!まあ、今はそんな事よりも……」

 

そう響きながら、ぬえは入道に絡め取られている三妖精に向き直り、今まで寺で起きていた『踊るしかばね』のカラクリを白蓮たちに話し始めた。

 

「『踊るしかばね』……その死体を操っていたのは間違いなくこいつらさ。サニーミルクの能力、『光を屈折させる程度の能力』で姿を隠し、ルナチャイルドの『音を消す程度の能力』で祭囃子以外の自分たちが発する音を抹消し、本堂へと侵入。そのまま死体を棺桶から出して手足を動かし、『踊るしかばね』を演じて見せたってわけ。んで、さっきから聞こえたままになっているこの祭囃子だけど……最後の一人であるスターサファイアが首から紐で下げている小さな四角い物体があるでしょ?あれは『らじかせ』って言って、簡単に言うと蓄音機みたいに保存していた音を聞くことができる外の世界の道具なの。恐らく香霖堂(こうりんどう)辺りから盗んできたんだと思う。こいつらはそれを使って祭囃子の音を流していたのよ」

 

ぬえに事の全容を暴かれたサニーミルクは悔しそうに顔を歪め、金髪縦ロールの髪を持ったルナチャイルドはシュンと俯き、ぱっつんと切り揃えられた黒髪(いわゆる姫様カット)の少女、スターサファイアは、ぬえに指摘された首から下げている小型のラジカセを揺らしながら、バツが悪そうにそっぽを向いた。

そこへ村紗がぬえの隣にやって来る。

 

「でもさぬえ。確かサニーミルクの能力で屈折できるのって、太陽の光だけじゃなかったっけ?」

「……それは『幻想郷縁起』の中では、でしょ?あの記録者(稗田阿求)がどこまでサニーミルク(こいつ)の能力を知り得てたかは知らないけれど、こいつの能力で屈折できる光は、何も太陽の光だけじゃないわ。事実今回の一件でそれが証明されている」

 

そこまで言ったぬえは、一呼吸置いた後、再び口を開く。

 

「……こいつの能力は強弱関係なく、ありとあらゆる光を操り、屈折させて対象を見えなくすることが可能なのよ。それこそ、月の光やかがり火、この本堂の中にもあるような弱弱しい蝋燭の火なんかも、ね……」

 

それを聞いた村紗は自身の記憶から、前回起こった二件の『踊るしかばね』の状況を振り返っていた。

最初にそれが起こったのは、雲一つ無い月の明るい晩、二度目は曇り空ではあったが、寺のあちこちにかがり火がたかれていた。そして今回も雲一つ無い月があたりを薄っすらと仄かに照らし出す夜であった――。

 

「……なるほど。そういうわけだったのですね……」

 

ようやく全てを理解した白蓮は険しい顔つきで三妖精に歩み寄る。

 

「しかしながら貴方たち……。いくら妖精とは言え、この悪戯は度が過ぎています!ほとけ様の遺体を玩具のように踊らせるなど!死者に対する冒涜ですよ!?」

 

白蓮の静かであるが、迫力のある剣幕に三妖精は一斉にビクリと身体を振るわせる。

だがすぐさまぬえが三妖精に詰め寄ろうとする白蓮を片手で静止しする。

 

「ちょっと待って聖、落ち着いて。こいつらがこんな事したのは()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうだろお前たち?」

 

ぬえの問いに、三妖精はブンブンと首を縦に振った。そして続けてサニーミルクがまくし立てる。

 

「……そ、そうなんだよ!この寺で修行している()()()()()から、上手くやってくれればお菓子を大量にくれるって言うから……!そ、それに()()()()()言ってたよ?『葬式は湿っぽい儀だからお前たちの能力で馬鹿騒ぎして楽しいものにしてくれ』って……」

 

そこまで言ったサニーミルクは口をつぐむ。同時にサァーっと顔から血の気が引き真っ青になった。

何故なら目の前にいる白蓮の顔がみるみる鬼の形相へと変化していったからだ。

それを隣で見ていた他の妖精二人も真っ青になる。特にルナチャイルドは涙眼になって今にも気絶しそうであった。

それは周囲にいた者たちも同様で、白蓮のあまりの変貌振りに、皆彼女から後ずさりする。

それに気付いていないのか当の白蓮本人はゆらりとした足取りで、三妖精に歩み寄る。

「ヒッ!?」と悲鳴を漏らす三妖精に対し、白蓮は鬼の形相を保ったまま、『満面の笑み』を彼女たちに向け、怒りを含んだ優しい口調で語りかけた。

 

「お葬式で馬鹿騒ぎを起こして楽しいものに、ですか……。一体どこのどなたですかその様なふざけた事をおっしゃった『おじちゃん』と言うのは……?ぜひともこの(わたくし)にそのお方のお名前をお聞かせ願えませんでしょうか……?」

 

そう言って鬼気迫る白蓮に三妖精たちが即行で首を縦に振り、この一連の『踊るしかばね』の主犯格の名を暴露したのは言うまでもない。

そして、後になってこの時の事を振り返ったぬえは、マミゾウにこう漏らしている……。

 

「最初の『踊るしかばね』の一件の時に、葬式で悪ふざけを起こさなくて本当に良かった。止めてくれたマミゾウには心の底から感謝している」

 

と……。




最新話投稿です。
ギリギリでしたが、この話しで今年はこれで投稿収めとさせていただきます。
速筆で書いたので誤字脱字があるかもしれませんが、見つけられましたら軽く報告してもらえると嬉しいです♪
もちろん感想なども大歓迎です。
それでは自分のこの作品をご愛読されてくださっている皆々様、よいお年を!


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其ノ十

前回のあらすじ。
命蓮寺の面々は『踊るしかばね』を引き起こしていた実行犯たちを捕まえることに成功する。


祭囃子の音が響いてきた――。

 

どうやらあの妖精ども、ちゃんと予定通りにまたやり始めた見てぇだな……。

 

……今度はもっと長く場を引っ掻き回してほしいもんだ。

 

前回はすぐに死体を掴まれてそそくさと退散しやがって。

 

おかげで全然作業が進まなかったぞまったく……!

 

お!騒ぎを聞きつけてあの()鹿()()()()も動きだしたな……!

 

へへっ!いいぞ……さっさと本堂の方へ行っちまいな!

 

よし、()行っちまったな!……へへっ、俺の記憶が正しければ、()()()()()()()()()()()()()……!

 

頼むから、戻って来るんじゃねぇぞ……。

 

(ズズッ……ズズッ……)くっ!……()()()()()()()()、こんなデケエ石を使うんじゃなかったぜ……!

 

フゥ……やっとどかせた……そんじゃ直ぐにおっぱじめるか……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ザック……ザック……ザッザッ……ジャリッ……!

 

夜の闇の中――命蓮寺の裏手にある庭、その一角にある林の中で一心不乱に穴を掘る影があった――。

シャベルで一心不乱に土をすくっては、それを無造作に周囲に捨てる。

それを数回繰り返し、地面の奥深くを掘り進めるその影は、荒く息を吐きながらシャベルの音を静かにその場に響かせていた――。

やがて大人一人分がすっぽりと入るくらいの深さになったとき、ふいにその手が止まり、影の双眸が大きく見開かれる。

そしてシャベルを穴の外に放り出すと、そこからは自らの手だけで土を掻き分け始めた。

そうして土の中からその姿を現したのは()()――。

一つは大人の半分の大きさはあろう見るからに頑丈そうな木箱。そしてもう一つは――。

 

 

 

――白骨遺体……それも身体は人型ではあったが、頭蓋骨は獣のような縦に伸びた形をした、明らかに()()のそれが、そこに埋まっていたのである。

 

 

 

しかし、穴を掘っていた影はその白骨には目もくれず、死に物狂いの形相でその隣に埋まっていた木箱を引っ張り出す。

一心不乱にその気箱を穴から引き上げた影は、すぐさまその気箱の蓋を開ける。

するとその中には最初の木箱よりも一回り小さい箱が入っており、影はその箱を中から取り出すと再び、その箱の蓋を開ける。するとまたもや中から箱が現れ、影はまたその中の箱を取り出すのを繰り返す――。

そうして4~5回ほど同じ事を繰り返した結果、最後には両手で抱え込めるくらいの大きさの水瓶が現れた。

それを見た影はまるで長い年月、ようやく愛しい人とめぐり合えたかのような興奮を覚え、歓喜に打ち震えた。

それと同時に顔は大きく歪み、口元は耳元近くまで大きく広がり、自然と笑い声が漏れた。

 

「はっ……ははっ……!はははははっ!アハハハハハッ!!……ヒィヒャハハハハハハハアハハハハハハハハハァァッ!!!ヒャーッハハハハハハハハハアハハハヒャハハッハハハハハ………ッッッ!!!!!」

 

月を仰ぎ見ながら高々に笑う影。それは長年の苦労が報われた瞬間であり――。

 

 

 

 

――同時に、終焉を向かえた瞬間でもあった……。

 

 

 

「ほぅ……。それかい?お前さんが天狗の里から盗んだと言う『鬼の宝』は……?」

 

唐突にその場に第三者の声が響き渡り、影はピタリと笑いを止め、同時に驚愕に染まった顔で辺りを見回す。

すると、先ほど穴を掘るためにどかした大石の上に、見知った化け狸があぐらをかいて鎮座しているのを見つけ、さらに驚く。

そうやって呆然と立ち尽くす影に向かって化け狸――マミゾウは哀れな者を見るかのように目を細める。

 

「……長い年月、それこそ天狗どもやワシら命蓮寺の者たちの誰にも感づかれる事無く、息を殺して機会を伺い、隙ができてはコツコツと目的の為に行動しておったようじゃが……。いい加減痺れが切れてしもうた見たいじゃのぅ……。まあ、そうなっても無理は無かったかもしれん。ここはワシら狸たちが酒盛りの溜まり場にしている場所の直ぐそばじゃったからのぅ。ワシがいない時でも配下の狸どもが何匹か毎日のようにたむろしておったらしいから、お主が歯痒い思いをしておったのが手に取るようにわかるわぃ……」

 

そこまで言ったマミゾウは、一呼吸の後、正面に立ち尽くす影の名を呼んだ――。

 

 

 

 

 

 

「そうじゃろ?……旧鼠、次郎八よ」

 

 

 

 

 

 

――ほのかな月明かりに照らされて、その影……次郎八は驚愕の目でマミゾウを凝視していた。

そんな次郎八にマミゾウは短く息を吐く。

 

「……ま、ワシら狸の存在だけが今まで()()()を掘り起こせなんだ理由と言うわけではないのじゃろう。この寺の修行者の妖怪たちの大半が『夜行性』。夜な夜な寺の中や周囲を歩き回る奴らが多かったからのぅ。おまけに潜入捜査をしておった天狗どももいた。ワシらや聖たち、その上そ奴ら妖怪たちの目を欺いて動くというのは……さすがのワシでも想像できんわい」

「…………」

 

淡々と響くマミゾウに次郎八はただ歯軋りをしながら睨みつける。

彼にして見れば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()故、この反応は仕方ないと言えた。

だが、そんな次郎八を見てもマミゾウは涼しい顔で響き続ける。

 

「……ここへ修行者として入り込み、周囲へ不審を与えないようにそれらの目をかいくぐりながら、()()()()()()()()()、さらに人目を忍んで掘り起こすと言う行為は、この寺では容易ならざる事じゃたろうな。じゃがお主は諦める事無くそれをやってのけた。感服じゃよ、その呆れるほどの執念、機を待ち続ける根気、そして他者に気付かれぬように息を殺して隠れ続ける忍耐。……じゃが残念じゃ。最後の最後、お主が痺れを切らしてあんな『踊るしかばね』を起こしたが為にそれらの苦労が全て水泡に帰した……!」

 

マミゾウがそう言った瞬間、次郎八の脇を一陣の風が吹きぬけた。

 

「っ!?」

 

風が収まった時、次郎八の足元にあった水瓶が忽然と消えうせていた。

慌てて周囲を見回すと、少し離れた所にさっきまでいなかった鴉天狗の少女が水瓶を持って佇んでいたのである。

水瓶を抱えた鴉天狗の少女――射命丸文は冷たく次郎八に言い放つ。

 

「これは返してもらいますよ」

「か、返せっ!!」

 

血走った目で次郎八は射命丸に食って掛かる。しかし相手は幻想郷最速と言われる天狗。水瓶を抱えたままでも、彼女からして見れば欠伸が出るほどの動きである次郎八の手をかいくぐって避けるのは簡単すぎていた。

ヒラリ、ヒラリとかわされた次郎八は怒りが頂点に来ていたこともあり、その場で子供のように地団駄を踏むと感情の赴くままに怒声を周囲に撒き散らし始めた。

 

「……くそっ!クソッ!!畜生がぁっ!!!何でっ、何で上手くいかなかったんだぁ!!?どいつもこいつも俺の邪魔ばっかしやがって!!……そうだ、命蓮寺ッ!あいつらがこんな所に寺なんかおっ建てなけりゃあ、こんな苦労もせず、とっくの昔に『鬼の力』を手に入れていたってのにぃぃぃぃーーーっ!!!」

 

普段のゴマをするような言動とはうって変わって感情のままに吐露する次郎八にマミゾウは静かに声をかける。

 

「……『鬼の力』と言うのは、その水瓶の中に入っているモノの事かの?」

「ああそうだ!俺が長い時間をかけて調べ上げた天魔の屋敷にある宝物庫!その中に管理されている『鬼の力を得られる秘薬』!それがこれだ!!俺はそれが欲しくて長い年月をかけて計画を練って盗んだっていうのにッ!!それなのにこの寺の奴ら、俺がこの場所へ隠した直後、タイミングよくこの上に寺を建てやがった!!……おかげでここいら一帯の地形まで変わっちまって――」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「ああそうだよッ!!……おかげで俺は入りたくもない寺に修行者として入門して、周囲の目を忍んで埋めた場所の特定と掘り起こしに無駄な年月を送ることになっちまって……ッ!!」

 

マミゾウの指摘に次郎八はやるせない気持ちで一杯だとでも言うかのような歪んだ顔で頭を抱え、そう叫ぶ。

だがふいに、その顔が上がる。その双眸はもはや焦点が定まっておらずユラユラと揺れている。

 

「……いや、そもそもの始まりは『()()()』のせいだ……。『あいつ』が欲張ってゴネたのがそもそもの始まりなんだ……ッ!!」

「『あいつ』……とは、もしかしてその穴の中で骨になっている()()の事ですか?……一緒に盗みを行った相方だったのでは?」

 

次郎八が掘った穴を見つめながら響く射命丸の問いに、次郎八は即座に否定する。

 

「冗談じゃないッ!!ソレはただ見張り番のためだけに雇ったただの野良妖怪だ!!あの天狗の里の強奪計画は、俺が一から十まで全て調査し建てて実行したモンだ!!だからその『鬼の力』の全ては俺が手にするはずだったって言うのに!『あいつ』は天狗の里からここまで逃げてきた途端、元々予定していた報酬だけでは飽き足らず、あろう事か「『鬼の力』の半分を寄越せ」なんてふざけた事を言ってきやがった!!ほとんど何の役にも立たなかったクセに、調子に乗りやがって……ッ!!」

「だから殺して、ほとぼりが冷めた頃に掘り起こすはずだった『鬼の宝』と共にここに埋めたのですか?」

 

静かにそう再び問いかける射命丸に、半ば自棄になった次郎八が叫ぶように答える。

 

「ああそうだよッ!そうだよ!そうだよ!!そういう事だよッ!!!……全部『あいつ』のせいだ……!何もかも計画通りに行かなくなったのは『あいつ』の欲が出たのが始まりだ!!俺の全てが狂ったのは全部『あいつ』の――」

 

 

 

 

 

 

 

「――その辺にしておいた方がいいのでは?敗北者の戯言(たわごと)ほど見苦しいモノはありませんよ?」

 

 

 

 

 

 

――はっきりと、しかし同時にゾクリとするような不気味な第三者の声が辺りに響き渡った。

反射的に次郎八が振り返ると、そこには着物の上から腹巻を纏った黒髪の男が次郎八を見据えていた。

その顔は不気味なほど真顔ではあったが、双眸はギラつきまるで獲物を捕らえたと言わんばかりの力をその瞳に内包しているようであった。

その男の顔を見た途端、次郎八は思わず後ずさる。

 

「お、お前は……あの『墓まねき』なんてふざけた怪談を流した……!!」

「ヒッヒッヒ。『ふざけた』とは心外ですね……。『踊るしかばね』を起こして騒ぎを起こしたあなたに言われたくありませんよ?」

 

そう言って一歩一歩とゆっくりと次郎八にその男――四ツ谷文太郎は近づきながら静かに声を響かせる。

 

「……ようやく尻尾を捕まえて、大衆の前に引きずり出せたのです。ここいらで決着を着けようじゃありませんか……」

「け、決着……?」

 

次郎八がそう四ツ谷に問いかけている間にも、彼にじりじりと詰め寄られ、最終的に次郎八は、自身が掘り起こした穴の傍まで四ツ谷に追い詰められてしまっていた。

 

「っ!?」

「……そう、決着ですよ」

 

背後に自身が作った穴があることに気付く次郎八に、四ツ谷は再び声をかける。

 

「……『死人使い』と『怪談使い』……。『踊るしかばね』と『墓まねき』……そのどちらが『()()』かという、ね……」

 

次郎八は再び四ツ谷を見る。その顔は不気味に歪み、口の端がまるで耳元まで裂けるように大きく開かれて笑っていた。

そんな四ツ谷を見て、妖怪である次郎八の背筋に冷たい何かが走るのを次郎八自身が感じ取った。

心臓の鼓動がバクバクと高鳴り、何故だか全身から冷たい汗も噴出し始める。

まるで得体の知れない『ナニカ』に魅入られたかのように身体が硬直し、その場に棒立ちになってしまっていた。

そんな次郎八を見下ろすかのように、四ツ谷は優しく、そして静かに――

 

 

 

 

 

 

――『開幕』の言葉を解き放っていた――。

 

 

 

 

 

 

「さァ、語ってあげましょう。貴方の為の……怪談を……!!」




少し遅いですが、あけましておめでとうございます。
今年初めての投稿です。次で四ツ谷の怪談に入っていきます。


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其ノ十一

前回のあらすじ。
『踊るしかばね』の犯行を暴かれ、さらには『鬼の宝』を奪い返されて怒り心頭の次郎八の前に、四ツ谷が現れる。


夜の更ける空の下、命蓮寺の裏で四人の影が佇んでいた――。

 

その一つはご存知狸の親分、二ッ岩マミゾウに天狗の記者、射命丸文。そして寺の修行僧()()()()旧鼠の次郎八。そして言わずと知れた四ツ谷文太郎の四人であった――。

四ツ谷は目の前にいる次郎八に静かに声をかける。

 

「次郎八さん。アナタは先ほど相方がゴネたから殺したとおっしゃいましたね?」

「あ、ああ……。そうだ、そうだッ!『あいつ』が余計な欲を出したのがそもそもの始まりなんだ!!だから全部『あいつ』の――」

「――ですが、そう言ってアナタがその方に逆恨みして憎むように――」

 

 

 

 

 

「――その方も、アナタに恨みを抱いている事を理解すべきです……」

 

 

 

 

 

 

「……は、ハア?な、何言って――」

「――だってそうでしょう?理由はどうあれ、アナタに殺されて冷たい土の下に何年も埋められていたのですよ?アナタを恨んでいても不思議ではないのではないでしょうか……?」

 

四ツ谷の指摘に次郎八は「ぐっ!」と押し黙る。

それに構わず四ツ谷は語り続ける。

 

「……そうして冷たい土の中で誰にも供養されず埋められていたその方は、長くそこにいるうちにいつしか悪霊となって、アナタを自分と同じ場所へといざなうようになったのです……

 

 

          おいで……

 

 

 

                              おいで……

 

 

 

                  こっちへ、おいで……

 

 

 

                                      とね……」

 

首をコテンと横に倒して、力ない動きで右手で手招きをする仕草をしながらそう響く四ツ谷を見て、ゾクリと背筋を振るわせる次郎八。

しかし、直ぐに激しく首を振って声を荒げる。

 

「ば、馬鹿言うなッ!!『あいつ』が俺憎しさに『墓まねき』になったとでも言うつもりか!?……ハッ!冗談も大概にしろッ!!」

「冗談?……ならば先ほどから聞こえる、()()()()()()()()()……?」

「……はぁ?……音……?」

「ほぅら……、さっきから聞こえているでしょう……?『墓まねき』となったアナタの相方が、アナタにこちらへ着て欲しくって、必死に土の中から土を引っかくようにして手招きしている音が……!ホラ……――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――この、『音』ですよ……!」

 

 

 

 

 

 

 

そう響き、ゆっくりとその場にしゃがみこんだ四ツ谷は、足元の地面を二、三度軽く引っかきだした。

 

 

 

         ジャリ……

 

 

                                    ジャリッ……

 

 

 

                      ジャリッ……!

 

 

 

 

土を引っかく音が、夜の(とばり)に静かに響き渡る――。

すると――。

 

 

 

 

 

 

 

                    ジャリッ……!!

 

 

 

 

 

 

「ッ!!?」

 

その音が響いた時、次郎八の呼吸は一瞬止まる。そして、四ツ谷の手元を目を大きく見開いて凝視した。

四ツ谷が地面についている手は三回地面を引っかいた後、止まったままだ。

にもかかわらず、今確かにはっきりと、()()()()()()()()()()()()がこの場に響いたのだ。

呆然とする次郎八。しかしそんな彼を嘲笑うかのように立て続けに同じ音が響き渡る――。

 

 

 

 

        ジャリッ……

 

 

                  ジャリ……

  ジャリッ……

 

 

                              ジャリッ……ジャリ……

 

ジャリッ…            ジャリ……

 

                            ジャリッ……

 

                                      ジャリッ……

 

 

     ……ジャリ……ジャリッ……ジャリッ……ジャリ、ジャリッ、ジャリッ、ジャリ、ジャリ、ジャリッ、ジャリ、ジャリ、ジャリ、ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ……………ッッッ!!!!

 

 

 

 

 

「……な、なんだよ……!何なんだよコレ……!??」

 

()()()()、夜の闇の中から無数に響いてくる『土を引っかく音』に耐え切れず、恐怖に慄く次郎八はその場にうずくまり、両手で耳を塞ぐ。

しかし、周りから響いてくるその音は、次郎八の耳と手の間をスルリとすり抜け、耳の奥底、それこそ脳の奥にまで浸透していく――。

それでも次郎八は、強く両耳を塞ぎ、頭を振って音を聞かないように抵抗するも、まるで効果が無かった。

それと同時に次郎八の呼吸と心臓の動悸(どうき)がいっそう激しさを増し、全身からブワリと冷や汗が噴出し始める。

 

「や、やめろッ!!もう止めてくれッ!!」

「止める?何を?……もしや、この『音』の事ですか……?」

「そ、そうだッ!!さっさと速く止め――」

「止めませんよ」

 

両耳を塞いでうずくまり、そう懇願する次郎八に、四ツ谷は立ち上がって彼を見下ろしながら冷たく突き放した。

そして続けて言う。

 

「アナタの相方が、今か今かとアナタが来るのを待っているのですよ?そんな無粋なマネできるわけないじゃないですか。……アナタの方こそ、速く会いに行ってはいかがですか?」

「ふ、ふざけんなッ!!」

「ホラ……、アナタのすぐ後ろ……その()()の中にその方はずっと待っていますよ……?」

「こ、これは俺が『鬼の宝』を掘り出すのに作った穴だ!!決して『墓穴』なんかじゃないッ!!『墓まねき』なんていないぃッ!!!」

 

声を荒げて四ツ谷の言葉を必死で否定する次郎八。

ハァーッ、ハァーーッと激しく呼吸を繰り返す次郎八に、四ツ谷は次郎八の背後を指差して口を静かに開く。

 

「……では……アレは何ですか……?」

 

四ツ谷の指摘に、次郎八は半ば頭の中が真っ白となり、まるで()()()に唆されるかのように……背後へと、振り返ってしまっていた――。

 

 

 

 

 

「!!!!????」

 

 

 

 

 

()()を見た途端、次郎八の全身が瞬時に石の様に硬直し、その場から動けなくなった。

次郎八から穴を挟んで反対側――先ほどまで何も無かったはずのその場所に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――墓石に立てる、卒塔婆(そとば)が刺さっていたのだから――。

 

 

 

 

 

 

だが、次郎八が硬直した理由は何もそれだけではなかった。

卒塔婆には()()()()()()が、達筆で書かれていたのだ。

見間違えるわけが無い名前。されど自分が殺したあの相方の名前ではない。それは自分が一番親しみのある名前――。

 

 

 

 

――()()()()()名前であった――。

 

 

 

 

それを理解した時、次郎八の全身が恐怖に震え、歯がカチカチと音を鳴らす。

そんな次郎八の直ぐ背後から不気味な声が響き渡る――。

 

「墓穴ですよ……。アナタの相方が……アナタと共に眠るために……アナタ自身の手で掘らせた――」

 

震えながらゆっくりと再び振り向いた次郎八の視界いっぱいに、

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()墓穴ですよ……!」

 

不気味に笑う四ツ谷の顔があった――。

 

 

 

 

 

 

 

                      おいで……

 

 

 

 

 

 

再び、次郎八の耳に『墓まねき』の声が響く。

しかし、今度の声は四ツ谷の声ではなく――自分が殺し、この土の下に埋めた『相方の声』――。

 

「……あ……あ、あぁぁ……うぁ……」

 

恐怖で声が上手く出ないまま、次郎八は再び背後の穴へとゆっくりと眼を向ける。

 

 

 

        おいで……

 

 

                           オイデ……

 

 

 

次郎八自身が長い時間をかけて掘った穴――その穴の中からひょっこりと――。

 

 

 

 

――()()()の顔が次郎八を覗き見ていた――。

 

 

 

光を失った、生気の全く感じないどす黒い双眸――。土にまみれた獣のようなその顔は、見間違えるはずの無い――。

 

 

 

 

                      コッチヘ……

 

 

 

 

(いさか)いの果てに、自身が殺して地面の奥底へと葬った――。

 

 

 

 

 

 

 

                      オ・イ・デ

 

 

 

 

 

 

亡き相方の、顔だった――。

 

 

 

 

 

 

「あ、ああああぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」

 

それを見た途端、次郎八は腹の底からの絶叫を口に出し。同時に立ち上がり逃げようとする。

しかし、それよりも先に穴の中から真っ白い二本の手が伸びてきて、次郎八の両足首をガッシと掴み、そのまま穴の中へと引きずり込んだのである。

 

「ぎゃあああああッッッ!!!!」

 

必死に抵抗して次郎八は穴の淵に捕まろうとするも、運悪く両手がすべり、為す術もなく次郎八は穴の中へと落ちていってしまった。

大人一人分の深さしかなかったはずの穴の中は、底なしの奈落へと変貌していた――。

次郎八の視界には、穴の入り口が瞬く間に小さくなり、漆黒の闇が下から上へと吹き上がるような錯覚におちいる――。

やがて次郎八の視界が穴の下へと向いた時、彼は()()を目にしてしまった――。

 

 

 

 

永遠に続くかと思われる底なしの闇――。その深淵に()()はいた――。

 

 

 

光の無い目で両手を広げ、まるで長年待ち続けた待ち人を迎えるように、三日月のように大きく歪めた口で笑みを称えながら、亡き相方がそこにいた――。

 

「あ、ああああぁぁぁぁッッ!!ゆ、許してッ、許してくれええぇぇぇーーーーッッッ!!!」

 

次第に距離が近まってくるかつての相方の顔に、涙と鼻水、そして涎で顔をグシャグシャにしながら次郎八は必死に懇願する。

だがそのかい空しく、次郎八と相方の距離は瞬く間に縮まっていき――。

そして、最後に次郎八が目にしたのは――。

 

 

 

 

 

 

 

               ――マッテタヨ、アイボウ……――

 

 

 

 

 

 

――そう響く、視界いっぱいに広がる、光のない目を携えた、相方の嗤った顔であった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「--------------------ッッッ!!!!」

 

穴の中から声にならない絶叫が響き渡り、それを合図にしてか今まで傍観していたマミゾウと射命丸が穴のそばへと駆け寄った。

するとそこには深さが()()()()()()()()()()()()穴の底で、白骨化した相方を背にしてガタガタと体を丸めて放心する次郎八の姿があった。

 

「あや~。相変わらず容赦ないですねぇ、四ツ谷さんの怪談は。これはこの後の尋問が大変そうです」

 

以前、四ツ谷の『最恐の怪談』を見ていたことのある射命丸は、次郎八の様子を見て、半ば呆れた声でそう呟いた。

だが、反対に初見であったマミゾウにいたっては、怪訝な表情で四ツ谷に声をかけていた。

 

「お主、一体何をしたのじゃ?」

「何って、怪談を語ったんだが?」

 

キョトンとした顔で四ツ谷がそう答えるも、マミゾウは納得していないと言った表情で続けて言う。

 

「……ワシの目に狂いが無ければ、こやつは先ほど自身の掘った穴に()()()()()()()()落下しただけに見えたのじゃが……こやつのこの様子を見るにとてもそれだけという感じではない。四ツ谷よ、こやつは一体何を見たのじゃ……?」

 

マミゾウの問いかけに、四ツ谷は肩をすくめて小さくニヤリと笑った。

 

「さァねェ……。こいつはナニカを見たようだが、そいつは俺にも計り知れんよ……案外――」

 

 

 

 

 

「――本当に『墓まねき』でも、見たんじゃないか……?」

 

 

 

 

四ツ谷のその答えに再び口を開きかけるマミゾウであったが、もはや何を言った所で無駄と判断したのか、代わりに自らの頭をガシガシとかいて、大きくため息をつくだけに終わった。

そして、そんなマミゾウを尻目に、四ツ谷は()()()()()()()()、小傘、薊、金小僧、折り畳み入道へと声をかける。

 

「おーい、お前らー。撤収するぞー」

「「「「はーい!」」」」

 

()()()()()()()()()()()()小傘たちが現れたのを確認した四ツ谷は、もうここには用は無いとばかりに刺さっていた卒塔婆を回収すると、そそくさと人里へと向けて歩み始める。

その途中、四ツ谷は射命丸にすれ違い頭に声をかける。

 

「後の事は任せる」

「いいんですか?一応あなたたちのおかげで解決しましたし、褒賞ぐらい与えてもいいんですよ?」

「いらねーよ。金小僧のおかげでそういうのは間に合ってるんでね♪……それにしても――」

 

そこまで言った四ツ谷は一端立ち止まり、チラリと背中越しに次郎八の落ちた穴へと眼を向ける――。

 

「……痺れを切らして『踊るしかばね』を起こしたが為に、最後には自ら長年の苦労を水に流してしまうとは……まさに、策を(ろう)して『墓穴を掘る』行為だったわけだな……」

 

そう呟いた四ツ谷は、最後に両手をパンッと合わせて鳴らすと、怪談の閉幕を夜の空へと轟かせたのだった――。

 

「『墓まねき』これにて――お(しま)い……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷たちがその場を去ったのと、白蓮たちがマミゾウたちのもとにやって来るのはほぼ同時であった。

白蓮は穴の中で震える次郎八と隣に埋まる白骨死体に目を丸くする。

 

「これは……親分さん、一体何があったのですか?先ほど尋常ではない悲鳴がここから聞こえてきたのですが……」

 

問いかける白蓮に対し、マミゾウはどう説明したらよいかと頭をかいて唸る。

 

「あー、どう言ったらよいか、正直ワシ自身困る所なのじゃが……。ただ次郎八(こやつ)に対してのみ言える事が一つだけある……」

 

そうして苦笑しながらもマミゾウは簡潔にそれを白蓮たちに語った――。

 

「……今噂の『墓まねき』……。あやつに墓穴へと引きずり込まれたのじゃよ」

 

その答えに白蓮たちがほぼ同時に首をかしげたのは言うまでもない――。




最新話投稿です。
次回、この章のエピローグに入ります。
その後の予定ですが、一端『最恐の怪談』はお休みします。
投稿自体をお休みするのではなく、しばらくは幕間の話やショートストーリーなどで話を続けていこうと思っています。
そしてそれらが終わり次第、また『最恐の怪談』を絡ませた話を書いていく予定です。


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其ノ十二 (終)

前回のあらすじ。
四ツ谷は次郎八に『墓まねき』の怪談を語って聞かせた。


「なーむあーみだーぶつ、なーむあーみだーぶつー」

「なんみょうほーれんげーきょー、なんみょうほーれんげーきょー」

「ぎゃーてーぎゃーてー……おんあびらうんけんそわか……」

 

『踊るしかばね』の一件解決から後日、命蓮寺の本堂にて尼僧の服を纏った光の三妖精の姿があった――。

先の一件で命蓮寺の者たちに捕らえられたサニーたちは、死者の体を弄んだ罰として、半強制的に寺に入門させられ、その性根を鍛えなおすべく日々精進させられていた。

今日も白蓮によって正座をさせられた三人は、一心不乱にお経を読みふける。

 

「うぅ……もう脚がしびれてきたよぉ~。お経も意味不明でつまらない~」

「まだ始まって五分もたってないわよサニー?ルナを見てみなさいよ。あの目、すっかり悟りの境地よ」

「いや、あれって全てを諦めたって境地の目じゃないスター?」

 

光を失い、どこか遠くを見つめる目で黙々と読経(どきょう)するルナを横目で見ながら、ひそひそとそんな会話を交わすサニーとスター。

その瞬間、サニーの左肩に硬い棒のようなものが添えられ、同時にサニーはビクリと肩を戦慄かせる。

恐る恐る振り返ると、そこには警策(けいさく)と呼ばれる木の棒を持った住職姿の白蓮が立っていた。

 

「……読経中に談話とはいい度胸です。まだまだあなたたちには『(かつ)』が足りないようですね」

 

そう言って厳しい目で白蓮は、警策をサニーとスターの肩めがけて振り下ろす。

 

「ギャッ!」

「ひっ!」

 

バシッ!バシッ!という乾いた音と共に、サニーとスターの小さな悲鳴が本堂に響いた。

そして白蓮は次に、先ほどから読経を続けているルナの肩にも警策が添えられる。

 

「これは連帯責任です。申し訳ないですが、あなたにも受けてもらいますよ?加減はいたしますので」

 

そう言ってルナの肩にも警策が振り下ろされる。

 

「あんッ♪」

 

パシッ!という、先ほどとはいくらか軽く叩かれた音と共に、ルナは悲鳴を上げるも、その悲鳴はサニーやスターのモノとは全くの別物であった。

だが、警策の音と共に上げた小さな悲鳴だったため、白蓮はそれに気付かずサニーたちからゆっくりと離れていく。

しかし、ルナの横にいたサニーとスターの耳にはしっかりと届いており、引きつった顔でルナを見つめる。

 

「る、ルナ?何、今の悲鳴?ちょっと普通じゃなかった、よ……?」

 

恐る恐る問いかけるサニーに、ルナは顔を向けることなく呟く。

 

「ん~、そう?……何でかな。まだ入門してからそんなに日がたってないのに、あの棒で叩かれるのが、何だかちょっと気持ちよくなってきたの……。……正座の脚の痛みもジワジワと私を攻め立てて来て、それが快感に感じちゃって……フッ、フフフフ……♪」

「ちょっ!?悟りや諦めの境地なんかじゃない!もっと別のヤバイ境地に達しようとしてるぅー!?」

「ルナダメッ!そこへ行っちゃったら二度と戻ってこれないよぉ!?」

 

友人がとんでもない世界へ足を踏み入れようとしているのに気付き、サニーとスターが必死に止めようと声をかける。

しかしそこへ、声を聞きつけて白蓮がやって来る。

 

「何ですかあなたたち。また読経をさぼって無駄話を……!しかも今度はルナさんまで……!喝が足りない証拠です!今一度受けなさい!」

 

そう言って白蓮は再び警策をサニーたちの肩に振り下ろした。

さっきよりも大きな音が本堂に三つ響き渡り、同時に――。

 

「うぎゃあっ!?」

「ぐふぅっ!!」

「あひぃんッ♪」

 

三妖精の悲鳴(約一名、違うニュアンスを含む)も大きく本堂に木霊した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……やれやれ、あの子たちは……」

 

数分後、三妖精の事を一輪と村紗に任せた白蓮は、自身の肩をコンコンと叩きながら、寺の廊下を歩いていた。

そこへ廊下の向こうから星とナズーリンがやって来る。

 

「どうですか聖。彼女たちの様子は?」

「概ね順調ですね。ただ妖精という事もあって、ここでの生活に慣れるのはまだしばし時間がかかりそうです」

 

星の問いに、白蓮が簡潔に答え、小さくため息をついた。

そうしてふと外――正確には()()()()()()()()()の空へと目をむける。

 

「……本来なら()()寺に再入門させて一から修行をやり直させたかったのですが……」

「……仕方ありませんよ。()()()()()処罰が先です。罪を償い次第、こちらへ送り返してくれるという約束ですので、気長に待つしかありません」

「大丈夫でしょうか?まさか、酷い拷問などを受けているのでは……?」

「そちらは心配ないでしょう。生きたまま、五体満足で返してくれると言う話じゃないですか」

 

白蓮の心配事を星は安心させるように淡々と答えていく。

先の一件で『踊るしかばね』の主犯が、同じ寺の修行者である次郎八であった事をその場にいたマミゾウに告げられ、白蓮たちは少なからず衝撃を与えられた。

その後、天狗たちとの間で次郎八の処分をどうするかという会談がなされ、長い議論の結果、次郎八は先に天狗たちの所で処罰を受け、その刑罰で罪を償ったのち、命蓮寺へと送り返される事となったのである。

そのため、次郎八は一時的に寺から離れる事となったが、代わりに光の三妖精を入門させ処罰もかねて寺で修行をさせているのである。

ちなみに、光の三妖精の処罰に対しては天狗たちは何も言わなかった。何せ次郎八と組んで犯行を行ったのはこの『踊るしかばね』のみで、数年前の天狗の里の一件は全く関与していなかったのだから当然と言える。

かつての次郎八の相方だった妖怪の亡骸は手厚く供養され、事件は命蓮寺、天狗の里共々全て解決となった。

ただ白蓮自身、内心少しだけ気がかりな事があった。

それは先の一件後、次郎八が何かに怯えるようになってしまった事である。

一日中何かに怖がり、震え続け、あまり屋外へ出ないようになってしまい、かと思えば、一人にされると叫びだして「一人にしないでくれ」と懇願するという始末にまでなってしまっていた。

あまりの変貌振りに、白蓮はマミゾウに何があったのか問いかけるも、当のマミゾウははぐらかすばかりで何も答えようとはしなかった。

ただ、「あれは『墓まねき』がやった」そう言い続けるだけであった。

 

(まさか……本当にあの時、あの場に『墓まねき』がいたというの……?でも、そんな……)

 

白蓮自身、当初は『墓まねき』の存在を信じてはいなかった。だが、マミゾウの主張や次郎八のあの様子を見て、心のどこかで本当に『墓まねき』が彼を襲ったんじゃないかと思ってしまう自分がいたのである。

しかし、ふと白蓮の脳裏に()()()()の顔が浮かんだ。

考えてみれば、そもそも『墓まねき』という怪談をこの寺に持ち込んだのはその男である。

『踊るしかばね』の一件にも彼は興味本位からか積極的に関わろうともしていた。

 

(四ツ谷文太郎さん……。まさか、彼が次郎八さんを……?)

 

白蓮がそんな思考に入っていると、横から星の声がかかる。

 

「聖。そろそろ瞑想(めいそう)の時間では?」

「あ、ええ。そうだったわね。では、皆を集めて始めましょうか」

 

星の指摘に白蓮は無理矢理その思考を止め、この後行う瞑想の準備をするため動き始める。

 

(証拠も無く、疑ってかかるのは良くないわよね……。次郎八さんの事は修行の前に、先に『かうんせりんぐ』が必要かしら……?)

 

そんな事を思いながら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって妖怪の山の天狗の里――。

その地下にある牢屋の中で一人の旧鼠が部屋の隅に縮こまってガタガタと震えていた。

それを外で見張りをしている鴉天狗の牢番が横目でチラチラと盗み見る。

その目は『何故怯えているのか』という興味と言うより、むしろめんどくさいモノを見る目であった。

そこへ下駄の音を鳴らしながら射命丸がやって来る。それに気付いた牢番の鴉天狗は姿勢を正した。

射命丸は牢番に声をかける。

 

「どうですか、彼の様子は?」

「ハッ!何も変わりございません。大人しいものですよ」

「それは良かった」

 

牢番の答えに射命丸は満足そうに呟き、牢の中を除き見る。

そこにはこの牢に入れられてから()()()()()()()()()()()()旧鼠、次郎八の姿があった。

それを見た射命丸は異常が無い事に、再び満足そうに頷く。

そんな射命丸の顔を見た牢番が彼女に声をかける。

 

「嬉しそうですね射命丸様。何か良いことでも……?」

「ええ、それはもう。長年失っていた『鬼の宝』を取り戻すことができ、伊吹様も天魔様もとても嬉しそうでした。我々天狗の面子も保つことができましたし、大いに満足ですよ!」

「それは良かったですね」

「ええ、ええ!下手人(次郎八)も大人しいものですし、この様子なら問題なく処罰が行えるでしょう」

「はい。……ああ、ですが……」

 

ふいに牢番が言いよどみ、それに気付いた射命丸が首を傾げて問いかける。

 

「どうかしましたか?まさか、何か問題でも?」

「ああ、いえ。別に大した問題ではないのですが……。この男、四六時中自分の事を何度も何度も呼ぶんです。それも五分おきにです。……ついさっきも『あんたそこにいるか!?』って悲鳴じみた声で呼ばれましたよ」

「ご、五分おきにですか!?」

「ええ。もういい加減うっとうしくて……」

「あ~や、それはそれは……()()()()()()()()()()()みたいですねぇ~」

 

そう言って思案顔になる射命丸だったが、牢番は彼女が何を言っているのかいまいち分からず首をかしげる。

そんな目を気にする事なく、射命丸は一人頷くと、牢番に再び声をかける。

 

「わかりました。私から天魔様に報告して、近いうち牢番の任を誰かと交代してもらえるよう手配しておきます」

「本当ですか!?ありがとうございます!」

 

喜ぶ牢番を尻目に射命丸はこの場から去ろうと動き出し――ふいにその脚が止まり、視線を再び牢の中の次郎八に向ける。

数秒彼を見つめていた射命丸は、何を思ったのか悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて、そっと次郎八に向けて口を開いた。

 

「……おいで……おいで……こっちへ、おいで……!」

 

その瞬間、次郎八の様子が一変する。目をぐわっと大きく見開いたかと思うと、両手で耳を塞ぎ、そして――。

 

「ヒィヤアアアアアアアアアァァァァァーーーーーーーッ!!!!」

 

まるでこの世のモノではないものを見たかのような形相と悲鳴を上げ、牢内を激しく転げまわり始めたのである。

あまりの変貌振りに、牢番は呆気に取られ、射命丸は悪戯が成功した子供のような笑みでそんな次郎八を見つめていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雲一つ無い、月の綺麗な夜。

天狗の里の中央にある天魔の屋敷。その縁側で二人の影が向かい合わせで座っていた。

その二人の間には、次郎八が盗んだ『鬼の宝』である水瓶が置かれている。

 

「……伊吹様。これが賊から取り戻した水瓶です。お納めください」

 

そう言って影の一人、この屋敷の主にして天狗の頂点たる天魔が、向かいに座るもう一つの影――頭に大きな二本の角を生やした見た目が幼女のような鬼、伊吹萃香へ水瓶を差し出した。

そうして差し出された水瓶を萃香は愛おし気に撫でる。

 

「帰って来たか……そうか……」

 

心底安堵したかのように萃香がそう響き、目を細めて水瓶を見つめた。

そして次に天魔へと眼を向ける。

 

「一体誰が盗んでどうやって戻ってきたか……教えてもらえるかい?」

「はっ!」

 

そうして天魔は射命丸から聞いた仔細を萃香に全て報告した。

萃香は終始、その報告にたびたび相槌を打ちながら聞いていた。

一通り報告が終わった後、天魔は萃香に問いかける。

 

「……その下手人なのですが、今地下牢に軟禁しております。奴の処分、いかがなさいましょうか?」

「ん~、いや、そいつの事はそっちに任せるよ。アタシはこいつが帰って来ただけで十分満足だからさ」

 

そう言って大事そうに水瓶をなでる萃香に、天魔は再び声をかける。

 

「随分と大事な物だったのですね?それ程までに思い入れのある宝なのですか?」

「まあ、()()()()()()()()()

「伊吹様にとっては、ですか……?」

 

天魔の問いに、萃香は小さく笑って頷く。

そして視線を再び水瓶に落とし、続けて言う。

 

「……賊はこいつが『鬼の力を得られる秘薬』かなんかだと()()()してたらしいが、実際にはこいつにはそんな力は一切含まれちゃいないよ。ま、()()()()()()()『宝』である事には変わりないんだけどさ」

 

そうして萃香は水瓶の蓋をカパリと開ける。

密閉状態だった水瓶の蓋が開かれ、そこから嗅ぎ慣れた匂いが天魔の鼻に届いた。

 

「これは……お酒、ですか?」

「そう。『古酒(クース)』さ」

 

そう言って萃香は天魔にこの『宝』の事をゆっくりと聞かせ始めた――。

遥か昔、萃香がまだ外の世界にいた頃、ある蔵人(くらびと)の一族と親交を深めていた過去があった。

その一族は代々酒造りを生業としており、その一族の作る酒の中には約百年以上も漬け込まれたモノも存在していた。

大の酒豪である萃香がそれに目を着けないわけがなく、最初こそ無理矢理奪い取ろうと一族を襲ったが、蔵人にとって酒は我が子も同然ゆえ、その一族も必死に萃香に抵抗したのである。

その死に物狂いで抗う一族に、萃香も虚を突かれ、一端は退却するも、やはり酒が諦めきれず、それから何度も一族を襲ったのである。

一族の方も酒を奪われるわけにはいかず、必死に萃香に食らいついていた。

萃香にとっては一族を殺して奪う手段もあったが、彼らの命をかけてでも守ろうとするその意気込みを前に、なかなかその決断ができずにいたのである。

そんな事をしていたため、彼女と一族との酒をめぐる争奪戦は何度もお流れとなってしまっていたが、戦いを重ねるにつれ、次第に両者の間に『親しみのようなモノ』が芽生えるようになった。

言うなればそれは『仲の悪かった二人が、殴り合いの喧嘩をして最終的に和解して仲良くなった』という展開と同じだと言えば分かるだろうか。

戦いの果て、萃香と一族は『互いを酒を愛するもの同士』だと和解し、これにて戦いは幕引きとなったのである。

それから萃香は定期的に、一族の元を訪れては、彼らが作った酒の『味見』を行い一族との距離を縮め、仲を深めていった。

時が立って一族の世代が変わり、見知った者たちがこの世を去ってもその一族と萃香の親交はあまり変わる事無く続き、両者共に平穏な時を過ごしていた。

 

だが、それも長くは続かなかった――。

 

人間たちの間で大きな争いが勃発し、その戦火が一族の住む場所にまで襲って来たのである。

それに気付いた萃香は一族に逃げるように呼びかけるも、全員首を縦には振らなかった。

一族の手元には、すぐには運び出しきれない量の酒があり、それらを捨てて逃げ出すという選択は、蔵人である一族にはどうしてもできないモノだったのである。

そんな時、一族の長が萃香にこう提案してきた。

 

『ここにある自慢の酒、これを好きなだけ持って行ってくれ』と。

 

長は自分たちと共に酒を失うくらいなら、自分たちと同じくらい酒を愛している萃香に自分たちの酒を渡そうと考えたのだ。

だが当然、萃香はその話に乗ることができず、首を激しく振って嫌がった。

そんな萃香に、長は一つの提案を出す。

 

『我らは必ず生きてこの場所を守り抜く。争いが終り、また世に平穏が戻ったら、一緒に酒を飲もう』

 

そう言った長に、萃香は悲しそうに俯くと彼女自身も長に一つの約束をする。

 

『わかった……。それまでもらった酒は全部大事に飲む。一口一口味わいながら大切に飲むから。だから絶対お前らも生き延びろ……!』

 

もはや何を言ったところで一族の決意が曲がらない事は萃香自身薄々と分かっていた。

何せ酒のために鬼である自分に立ち向かった馬鹿げた一族だ。時代世代が変わろうと彼らの酒にかける熱い精神にはさすがの萃香も完敗せざる終えなかったのである。

萃香は一族と約束を交わすと、一族が作った酒をありったけ持ってその場を後にした――。

 

――そして……結果だけを言うと、その約束は()()()果たされることは無かった。

 

一族は戦火に巻き込まれ全滅。そこにあった酒もほとんどが消失してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……鬼は嘘を嫌う種族だ。だがあの時の、長の嘘には……何故か怒りは湧かなかった……。たぶん、アタシも内心分かっていたんだろうね。ああなってしまう事が……」

「伊吹様……」

 

全ての話を終え、古酒に目を落としながら響く萃香に、天魔も目を伏せる。

萃香は水瓶を持ち上げると再び口を開く。

 

「……だが、アタシは約束を守り続けた。あいつらと再会する約束は果たせなかったが、あいつらからもらった酒を大事に飲むと言う約束は今も果たし続けている。……でも、いくら大事に飲んだ所で時と共にその酒も減って行ってね。今じゃこの世に残ってるのはこの一つだけだったのさ」

「そうだったのですね……」

 

納得したように響く天魔を前に、萃香は水瓶の中を覗き込む。酒に自分の顔が映り込んでいた。

 

「……こいつは、アタシとあいつらを繋ぐ最後の『絆』なんだよ。そしてそれこそが……アタシとあいつらの、掛替えのない大事な『宝』なんだ……」

 

そこまで言った萃香は顔を上げると、今度は夜空に浮かぶ月を眺め、続けて言う。

 

「だから嬉しいんだ。(こいつ)が戻ってきたことで、またアタシは約束を果たし続けることができる、ってね……」

 

嬉しそうに笑いながら目を細めて月を眺める萃香を、天魔も穏やかな顔で眺める。

数秒とも数時間とも言える沈黙の後、ふいに萃香が天魔に眼を向ける。

 

「それよか天魔。今日はこの後予定はあるかい?」

「え?え、ええと……特には……」

「そうかいそれは良かった!一献(いっこん)付き合え!この酒でな!」

「ええっ!?そんな、こんな大事なお酒を飲むわけには――」

「アタシが許すって言ってんだ!それとも何か?アタシの酒が飲めないってのか!?」

「よ、喜んでお相手させていただきます!!」

 

先ほどまでのシリアス空気はどこへやら。一変して陽気な性格を取り戻した萃香は、帰って来た古酒で天魔と一緒に月見酒としゃれ込むのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから少し時間がたち、木々の紅葉が地面へと多く落ち始め、冬の到来の兆しが見え始めた頃――。

人里の一角に四ツ谷、小傘、薊の三人の姿があった。

三人は目の前に建つ、完成間近の()()()()()()を見上げていた。

四ツ谷が響く。

 

「もうすぐ、だな……」

「もうすぐ、ですね。……()()()()()()()

 

薊がそう言い、小傘も頷く。

 

「うん。それに……わちきたちの、()()()()()()……!」

 

もう直ぐ冬が訪れると言うのに、三人の間にはまるで新しい出会いに胸を膨らませる春が到来したかのように、皆意気揚々であった。

四ツ谷たちに同時に訪れる『二つの変化』。新しい生活の始まりが直ぐそこまで来ていた――。




これにて『踊るしかばねと墓まねき』終了です。
次回は幕間・その二へと話が続き、その後ショートストーリー詰め合わせ編を行う予定です。


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幕間・弐 新設、四ツ谷会館
其ノ一


幕間・弐となります。
前回の幕間よりも短くなると思います。


秋の終り。雲一つ無い快晴となったその日。

命蓮寺の本堂で薊の母、椿とその伴侶となる夫、修平の祝言が開かれた――。

白無垢に薄い紅を差した椿は三十代とは思えない可憐な容姿で羽織袴姿の修平と寄り添っていた。

その場には寺の関係者だけでなく修平の親族、ならびに椿の娘である薊や瑞穂はもちろんの事、四ツ谷と小傘、それに椿の姉である小野塚小町も立ち会っての式となった。

四ツ谷たちも皆、この祝言の為に祝儀用の晴れ着を纏っており、全員が温かい目で椿と修平を見守る。

この祝言の司婚者(しこんしゃ)である白蓮も祝儀用の袈裟を着こなし、椿と修平の前で二人に勤行(お経)と祝いの表白(言葉)を送った。

そして、誓いの言葉の後に念珠の授与が行われ、焼香、法話の後、合唱礼拝をして椿と修平は本堂を後にした――。

赤を基調とした金の刺繍のやや派手目の晴れ着を纏い、同じく赤い髪をアップで纏めた小町は椿たち二人から一度たりとも眼を離す事無く見つめ、彼女が退場する時、その背中を見ながら誰に気付かれる事もなく、一滴の涙を流したのだった――。

 

祝言が終り。命蓮寺を後にした椿と修平の両名とその関係者たちは、人里の端っこにできた新築物件へと脚を運んだ。

そこにはつい最近できたばかりの二軒の建造物が建っていた。

一軒は椿と修平、そして薊と瑞穂のために作られた民家。

そしてもう一軒は妖怪の賢者、八雲紫が稗田阿求経由で人里の人間に建てさせた、多目的総合遊戯施設――。

 

 

 

 

――通称、『四ツ谷会館(よつやかいかん)』がそびえ建っていた――。

 

 

 

 

この二軒の建物は今から数日前に完成した。

最初こそ四ツ谷会館の建設が先に始まっていたが、後に椿たちの家が造られる事により、先にそちらを完成させることに重点が置かれる事になり、結果先に完成したのは民家の方であったが、そのすぐ後を追うように四ツ谷会館も完成する形となったのである。

そして今回。椿たちの祝言と一緒に、民家と四ツ谷会館の新築完成祝いも兼ねた宴会も同時に行うこととなり、四ツ谷たちは民家の方ではなく、向かいにある四ツ谷会館の方へと歩みを進ませた。

 

外の世界の体育館を思わせる、大きな舞台のついただだっ広い空間に『ござ』が敷かれ、そこにいくつもの長机と座布団が置かれ、さらにその机の上には豪華な酒や料理が所狭しと並べられていた。

一見すると寒そうな空間であったが、あちこちに暖房器具が設置されていたため、それほど寒くは無い室内温度であった。

四ツ谷たちがやってきた時すでに宴会場には民家と会館を建設した大工の方たちとその関係者。さらには上白沢慧音や阿求が来ており、各々思うがままの席に座っていた。

小傘たちも、各自に好きな場所に座り、椿と修平、そしてこの()()()()()()()四ツ谷も上座の主宴席に座ってようやく宴会が開始された。

 

時が経つのも忘れて、皆思うがままに飲み食いをし、椿たちへの祝いの言葉や談笑などもわいわいと交わされ続けたのである。

そして宴会の催し物として、四ツ谷の怪談が行われる事となり、舞台に上がった四ツ谷はそこに置かれた座布団の上に正座すると、祝言の時から纏ったままの晴れ着である羽織袴をゆらりと揺らし、その場にいる皆に向け深々と一礼する。

 

「えー、この度(わたくし)どもや椿さん修平さんたち新婚夫婦のためにこれだけの宴会を開いていただき、真に感謝の言葉もありません。これから私はこの会館の館長として就任し、この人里の人たちのために作られたこの施設を管理し、守る役目をおおせつかる事とあいなりました。就任したてでまだまだ右も左も分からない若輩者の身ではございますが、それでも精一杯この場所を守っていこうと思う所存でございますので、皆々様にはこれからもご指導ご鞭撻(べんたつ)の程、なにとぞよろしくお願いいたします。……さて、それでは催し物という事で、私の得意分野で皆々様を楽しませていければと思います。季節外れになりますが、一時皆様にはこれから語る私の噺に耳をお貸し願えればと、そう思う所存でございます……」

 

懇切丁寧に語られた前口上の後、一息置いて四ツ谷は不気味な笑みを作って続けて言った。

 

 

 

 

 

「……さァ、お聞かせ差し上げましょう。貴方たちの為の怪談を……!」

 

 

 

 

 

この直後、宴会場の馬鹿騒ぎに悲鳴も含まれるようになったのは言うまでもない――。

 

 

 

 

 

 

 

宴会が終わり、参加していた各々が自分たちの家に帰るために人里へと散ってゆく――。

最後の方まで残っていた慧音と阿求を会館前で見送った後、その場には四ツ谷と小傘、薊、瑞穂、椿、修平、小町、そしてこの会館と民家建設の総指揮を取っていた大工の棟梁(とうりょう)だけが残った。

ちなみに瑞穂は、祝言と宴会ではしゃぎ疲れたのか、薊に背負われてスヤスヤと眠っていた。

椿と修平は棟梁にお辞儀をする。

 

「今回私たちの家を建てていただき、真にありがとうございました」

「いやいや良いんですよ奥さん。久々に腕の鳴る仕事をさせていただきました。我々もあの家を長く大事に使っていただければ本望ですよ。もちろん後ろにある会館の館長になるそっちのアンタもな!」

「ええもちろん。大事に住まわせてもらいますよ」

 

椿から一転、棟梁は四ツ谷にも話を振るが、四ツ谷はそれに笑って答えた。

それを聞いて満足そうに頷く棟梁は、最後に椿と修平にこう言った。

 

「あ、そうだ奥さん。旦那さん。あの民家の旦那さんたちの寝室なんですけどね?他の部屋と違って、()()()()()()を高くしてありますから、今晩()る時は周りを気にせず思う存分できますよ?」

 

ニヤニヤと笑いながらそう言う棟梁にさすがの椿と修平の二人も真っ赤になって俯いてしまった。

それを見た棟梁はガハハと笑う。

 

「これは、意地悪がすぎましたな!」

 

そう言って後ろでに手を振りながら棟梁は家路へと向かい去って行ったのだった。

その場に残された四ツ谷たちの間に、やや気まずい空気が流れる。

しかし、それを直ぐに打ち壊すかのように、唐突に小町が修平の前に立ち、両手を修平の両肩にポンと置くと、満面の笑みを浮かべて優しく修平に語り掛けた。

 

「修平君?椿をできるだけ痛めつけないでね?優しく、だよ?」

 

どこか凄みを利かせる小町の笑みと口調を前に、修平はただコクコクと頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

小町が帰るのを見送った椿は、ふと思い出したかのように四ツ谷に問いかける。

 

「……あの、本当によろしかったのでしょうか?今晩だけ薊と瑞穂を会館(そちら)で預けていただいて……」

「ええ、いいですよ。今夜ぐらい旦那さんと夫婦水入らずで過ごしたいでしょう?薊ちゃんも瑞穂ちゃんも、ちゃんと理解していますから大丈夫ですよ」

 

四ツ谷の答えに、椿は少し苦笑すると四ツ谷たちに向けて深々と頭を下げる。

 

「……本当に色々とありがとうございました。これからも薊の事、なにとぞよろしくお願いします」

 

それに四ツ谷は小さく頷いて答えると、椿は修平と共に真向かいにある新しい民家の中へと消えていったのであった――。

そうしてその場には四ツ谷、小傘、薊、瑞穂(睡眠中)の四人だけが残り、小傘は四ツ谷へと声をかける。

 

「師匠、ようやく()()()()終わりましたね」

「ああそうだな……。よしお前ら、疲れてるとこ悪いが直ぐに準備するぞ。薊は瑞穂を部屋に寝かして来てくれ」

「わかりました!」

 

そう言って薊は四ツ谷たちより一足先に、瑞穂を背負って会館へと消えていった。

一足遅れて四ツ谷も小傘と共に会館へと戻る。

 

「さぁて、んじゃ……『()()()』と参りますかね……!」

 

そう小さく響きながら――。




四ツ谷の新拠点完成編です。
この章はあと二、三話で終わるかもしれません。


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其ノ二

前回のあらすじ。
椿の祝言が終り、四ツ谷は『二次会』を行うため、準備に取り掛かる。


薊の新しい家と四ツ谷会館は人里の端っこ、住宅地と田園地帯のちょうど中間あたりの場所に建っていた。

何故そんな場所に建てたのか。それは、建設を企画した八雲紫の思惑による部分が大きい。

はっきり言ってしまうと、薊の家の建設は四ツ谷会館を作るついでであった。

民家建築は四ツ谷が紫に頼んで依頼した事なのだが、それで会館建設完成日が多少なりとも遅れようと紫は気にしなかったのである。

紫が民家を会館の真向かいに建てさせたのも、前に話したとおり、薊を四ツ谷の元に通わせやすくするためと、大工たちの負担を減らすためが目的であった。

では、何故紫は四ツ谷会館を建てさせたのか。

『表向き』は人里の人間のため。雨や雪などの悪天候の時の子供や老人の為の娯楽施設が必要だと考え作られた。会館内には遊戯物や来客用の茶器が用意されており、悪天でも子供は館内で遊び、老人たちはお茶や菓子を食べて談笑できる。

そういう目的で作られたのがこの四ツ谷会館であった。

 

しかし、『裏の目的』は違った。

 

話は少しそれる。近年、いや毎年のように起こっている異変であるが、その異変解決をしているのは博麗の巫女である霊夢や魔法使いの魔理沙などであることは言わずとも知れた事である。

その異変解決後、毎度のように博麗神社で宴会が開かれているのもまた言わずもがなである。

しかし、その博麗神社での宴会を開くのが、年々難しくなってきていたのだ。

 

その理由はただ一つ。宴会参加者の増加である――。

 

毎回、異変を解決するとその異変の関係者と過去に異変を起こした者たちも全員呼んで宴会を開く。

それが異変解決後の行事ではあるが、それを繰り返していけば自然と参加人数が増えていくのは当たり前だった。

それ故、悪天時には必ず宴会に使われていた博麗神社の広間のスペースは、もはや今現在の参加者の人数を許容オーバーし始めていたのである。

天気が快晴なら境内に敷物を敷いたりしてのそこでの宴会なら、まだ可能ではあった。

しかし、宴会は異変解決以外でも桜の花見や花火大会、年末年始なんかの行事でも開かれている。もし宴会開催時に悪天候なれば外での宴会は不可能。中も言わずもがなである。

ならば、紅魔館(こうまかん)白玉楼(はくぎょくろう)永遠亭(えいえんてい)守矢神社(もりやじんじゃ)などの『有力者たちの住処の広間を宴会場に使えばいいのでは』と言う案もあったのだが。

紅魔館はある意味で自由奔放な核弾頭が、白玉楼は場所が冥界な上に近場には曰くありげな巨木があって生者の長居には不向き、永遠亭は一度歩いて竹林を通る必要があり、守矢神社は閉鎖的な天狗の住まう妖怪の山にあったりといった具合に、色々と問題がある故、なかなか博麗神社のような落ち着いて飲み食いできる宴会場の代わりは見つからなかったのである。

 

――そこで紫が考え出したのは、『新しい屋内宴会場を作る』という計画であった。

 

それも地底に住まう者や幻想郷の土地鑑(とちかん)があまり無い者でも、博麗神社のようにある程度分かり安い所にあれば、あまり迷わずにたどり着けるだろうと紫は考えた。

また、その屋内宴会場を管理する者も必要だと紫は考えた。

しかし、自分の式たちは今現在、自分の手足となって一生懸命働いてもらっている手前、そのような管理仕事を追加するのは主としてためらわれた。

なら、異変以外では比較的暇人な霊夢に頼むという手もあったが、その仕事を与えたら与えたで「私の自由な時間を奪われた」と、何かと文句を言って突っかかってくるのは日の目を見るよりも明らかな事であった。

 

どうするべきかと悩んでいる最中に、この幻想郷に現れたのが四ツ谷文太郎であった――。

 

彼は基本、『最恐の怪談』を行う時以外は、人間、妖怪問わずわけ隔てなく友好的であり、怪談と悲鳴好きという変人で怪異ではあれど人間と余り大差なく、能力を除いて決して害ある存在ではなかった。

それに何より霊夢と同じで『壁』を感じない種族差別をしない中立者。

数週間に渡る観察と下調べの果てで出たその結果に、紫が彼に新しくできる屋内宴会場の管理者の白羽の矢を立てたのは言うまでもない。

四ツ谷との交渉は多少難儀すると考えていた紫であったが、その施設に彼専用の舞台を作る事を持ちかけたら、いとも簡単に了承したので呆気に取られたのは記憶に新しい。

しかも、彼の能力の『副産物』も知る事ができ、紫は内心ウハウハであった――。

さらに彼は、その拠点建築場所を人里へと指名してきた。

本来、人里に人外ひしめく宴会場を作るのは賢者である紫には少しためらわれたが、人里は意外と広く、幻想郷に来たばかりの者でも比較的たどり着きやすい所でもあった。

また住んでいるのが人間ばかりなため、人の匂いに敏感な妖怪ばかりがいる地底の者たちでも、それを辿っていけば自然と人里にたどり着きやすいため、宴会場建設の『比較的たどり着きやすい場所にある』という問題は解消される事になるのである。

その問題の解消と人里の人間を襲わないという暗黙の了解が幻想郷じゅうに知れ渡っている事実もあり、障害は無いと考えた紫はさっそく人里に(表向き)四ツ谷文太郎のための新拠点建築計画を実施したのである。

 

そして今宵――椿たちの祝言が終り、誰もが寝静まった人里の四ツ谷会館に、新拠点建設祝いの宴会が密かに開かれた――。

 

四ツ谷会館にやって来る者たちは、皆そろって正面で入り口……からではなく、勝手口のある裏手へと回る。

いくら深夜であるとはいえ、複数の者たちが就寝しているはずの会館に出入りしている所を万が一誰かに見られでもしたらたちまち怪しまれてしまうからだ。

それに比べて会館の裏手はちょっとした雑木林に囲まれているため周りからは誰かがいたとしても気付かれにくく、また会館自体が人里の端っこにある事もあいまって、その勝手口から誰かが出入りしたとしても周囲に気付かれる事が極めて低かったのである。

さらにその勝手口自体普通の民家にある正面口となんら変わりない立派な作りになっており、事前に紫から裏手へと回って入って来るように言われた者たちも、その勝手口の作りを見て本当にこれが勝手口なのかと大半が首を捻っていた。

まあ、それ以上に首をかしげていたのは、そこにその勝手口を作るよう命じられた人里の大工たち自身なのだが。

 

数時間前まで祝言会場になっていた広間には、新たな料理と酒が用意され、綺麗に整えなおされた席に、やって来た鬼、妖精、仙人、神、蓬莱人などの者たちが思い思いの場所へと座っていく。

そしてその中にはついさっき四ツ谷たちと()()()()()()者たちの顔もあった――。

 

「さっきぶりだな。今度は妹紅と一緒に祝わせてもらうぞ」

「改めまして、新拠点完成おめでとうございます」

 

妹紅と共に再びやって来た慧音と深く頭を下げる阿求がそれぞれそう四ツ谷に声をかけた。

それを四ツ谷は笑って答える。

 

「シシシッ!しかしなんだな?別れたばかりだってのにその夜のうちに再び顔を突き合わせる事になるとはな」

「まあね。でも椿や他の人間たちが見ている手前仕方ないさ」

 

四ツ谷の呟きに、再び会館にとんぼ返りして来ていた小町が苦笑交じりにそう答えた。

そうして博麗神社の宴会常連が全員会館にやって来たのを見計らったかのように『四ツ谷会館完成披露宴』という名目の宴会が開始された――。

ちなみにこの時、会館の窓と言う窓には分厚い暗幕のカーテンがしかれ、会館自体にも耐震だけでなく強い防音設備も完備されているため、外からは中の光や音が全く漏れず、周囲から見れば会館はまるで火が消えたかのように静まりかえっていた。

もっとも、防音に関しては大工たちの腕もそうだが、密かに会館に『防音結界の術式』を仕込んでいた紫の力もあったわけなのだが――。

 

そうこうしているうちに、時間だけがすぎ、宴会も終盤を迎えると言う時、ふと酒を飲んでいた四ツ谷のそばに紫が現れる。

 

「四ツ谷さん。遅くなっちゃったけど、拠点完成おめでとう」

「……どうも。で、俺に何か用か?」

「あら、ただこの新しい会館の館長になるアナタに祝辞を言いたかっただけなのだけれど?」

「イヤイヤ……お前の場合、明らかに()()()()()()()()()()……?」

「あら~、気付いてたのぉ~?」

 

妖艶な笑みを浮かべてそう言う紫に「やっぱりか」とばかりに四ツ谷はそっぽを向く。

そして再び四ツ谷に視線を向けた。

 

「……で?何だ?」

 

四ツ谷のその問いに紫は広げた扇で自分の口元を隠すと小さく響く。

 

「……もうすぐこの宴会もお開きになるわ……。その前に、()()()()()()?ア・レ♪」

 

その言葉に四ツ谷は一瞬目を見開くも、直ぐににたりといつもの不気味な笑みを作った。

 

「なんだ、そっちも気付いてたのか」

()()()流されるままに終わった宴会だった見たいだけど、今回はそうはいかないんでしょ?」

 

紫のその問いに、四ツ谷は笑みを深くするだけで何も言わず、そのまま静かに席を立ち上がった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    ――シャアアアァァァァ……――

 

『……?』

 

唐突に舞台に垂れ下がっていた幕がゆっくりと開き始め、飲み食いをしていた客たちが一斉に舞台の方へと目を向けた。

全開となった舞台の中央、そこには見慣れた妖怪の賢者が立っていた。

怪訝な顔をする客たちに、その賢者――八雲紫は広間全体に響くように声を上げる。

 

「えー、皆様。今宵はお忙し……くはない所でもこの宴会に来てくださった事、真にありがとうございます。さて此度の宴会、新参者が就任する会館の完成披露の名の下で開かれた宴会でございますが、それも終りが見えて来たみたいです。……それで最後に、この会館の新しい館長となる四ツ谷文太郎さんに、余興を一つ披露してもらおうと思いますので、皆様には最後まで付き合ってもらえる事を深くお願いいたします」

 

不気味なくらい懇切丁寧にそう言ってぺこりと軽く一礼した紫は、そのままスタスタと舞台袖へと引っ込んで行った。

そして舞台から紫が消えたと同時に、反対の舞台袖から四ツ谷が出て来る。

四ツ谷は普段着の着物に腹巻という姿の上に、先ほど椿たちの祝言に使っていた羽織を纏った状態で現れた。

舞台の中央に立った四ツ谷は持って来た座布団をその場に敷き、その上に正座すると、一呼吸置いて広間にいる全員に向かって頭を一度下げ、声を上げる。

 

「……ようこそ。幻想郷の有力者たる皆々様。先ほど賢者殿からご紹介を預かりました四ツ谷文太郎でございます。と、言いましてもこの場にいるほとんどの方は以前、夏の宴会で初顔合わせを終えていますので今更自己紹介は不要なのかもしれません。しかし、今回この会館の館長に任命された手前、改めてここで自己紹介させていただきたいと思いこの場をお借りしております」

 

つらつらと丁寧な自己紹介をする四ツ谷に、広間にいる大半の者は料理や酒の飲み食いに戻り、そばにいる友人たちと談笑を再開したりして、彼からの興味を無くして思うがままに時間を使い始めた。

中には四ツ谷の話に聞き耳を立てていた者もいたが、それでも目の前の料理や酒に集中している者がほとんどであった。

無理も無い。何せ四ツ谷は見た目ひょろりとした容姿をしており、何かしらの強い力や権力を持っているようには見えなかったのだから。

怪異である以外は見た目、どこにでもいるごく普通の人間の男にしか見えない四ツ谷には関わりの薄い者たちにとっては何の脅威にも感じなかったのである。

所詮は、前回の夏の宴会で自己紹介をかわしただけの、ただ()()()()()男であった――。

それに元々、この宴会に参加したのも出される料理や酒に釣られてというのがほとんどの者の理由でもあった。

だが一部――四ツ谷と直接的に、あるいは間接的に何度か深く関わりを持った者たちは違った。

 

例えば、博麗の巫女とその友人たる魔法使い。

 

(四ツ谷の奴、怪談を始める気ね?)

(まーた、新しい怪異が生まれたりしないよな?)

 

例えば、人里の女教師に記録者、そして蓬莱人。

 

(『語り』だけだから、能力の発動は無いとは思うが……)

(いくらほとんどが妖怪ばかりだと言っても、ハメを外し過ぎなければ良いのだけど……)

(……今度は惑わされないよう、気をしっかり持たないと……!)

 

例えば、地獄の裁判官に死神、そして人形使いの魔女。

 

(相変わらず、怪談と悲鳴に対する欲望が強い……!また説教の余地ありですね!)

(四季様も相変わらず平常運転みたいですね……)

(今夜はどんな怪談を語るのかしら……?)

 

例えば、人里の貸本屋の看板娘と鴉天狗の新聞記者、そして片腕の仙人。

 

(四ツ谷さんの怪談。夏祭りで聞いたことあるのよね……。今度はどんな怪談が聞けるのかなぁ?来年の夏にまた百物語を企画して、四ツ谷さんと阿求の怪談合戦見たいなのやってみたいなぁ~)

(これは……また新たな特ダネの予感……!)

(……また私を『死神に見立てる』とか、しないでしょうね……?)

 

例えば、二本の角を持った酔っ払いの鬼や戒律を厳守する住職に内緒で酒を飲みに来た命蓮寺組。

 

(文の報告にあった四ツ谷文太郎の怪談……どんなモンかじっくり見せてもらおうかね)

「そう言えばあの三妖精、来なかったけどどうしたの?」

「寺で爆睡してるわよ村紗。今日の修行、結構きつかったじゃない。ね、入道?」

「…………」

「私、入道が喋った所など一度も見た事が無いのですが、意思疎通ができているのですか一輪?」

「ちょっと主、宝塔また落としてますよ」

「マミゾウ、ホントに聞く価値あるの?前回の事があるけど、正直まだ半信半疑だよ私」

「まあ、騙されたと思って耳だけでも傾けておりな、ぬえ。……それ、もうすぐじゃ」

 

などなど、それぞれ会話や思惑を出しながらも、しっかりと四ツ谷に目と耳を向けていた。

 

『…………』

 

そしてそんな舞台の四ツ谷を凝視する彼女たちの様子に興味を持った、四ツ谷と関わりの薄い他の何人かの者たちも、横目でながら四ツ谷を見据える。

関心、無関心で様々な広間を見渡しながら、構わず四ツ谷は言葉を続ける。

 

「さて……今宵最後を締めくくるは、ここにいる何人かはもはや理解しているでおりましょう、私の得意分野である『怪談』でございます。今回はいくつかの怪談を語り、それでこの宴会を終了させていただきます。あまりお時間を取らせることはいたしませんので、興味半分でもあれ、この私にそのお耳を拝借願えれば幸いです。……さて、それではぼちぼちと始めるといたしましょう……」

 

この時、この宴会にいた半分以上の者たちは、誰も四ツ谷の言葉に耳所か興味すら向け様とはしなかった。

皆思うように酒と談笑を楽しみ、早々に引き上げるつもりだったからだ。

しかし次の瞬間――。

その者たちも含め、その場にいた全員が一斉に『別世界』へと呑み込まれる事となる――。

 

 

 

 

――そう……四ツ谷の怪談の世界へと……――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さァ……語ってあげましょう、貴女たちの為の……怪談を……!」




次でこの章は完結予定です。
ただ、少し長くなると思いますので、もしかしたらもう一話分継ぎ足すかもしれません。


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其ノ三 (終)

前回のあらすじ。

『二次会』が始まり、四ツ谷は幻想郷の住人たちに怪談を語り始める――。


広間の照明が落とされ、その場の光源は広間のあちこちに立てられた蝋燭の明かりだけとなった。

前もって小傘と薊が用意していたのだ。

そして、その変化は五分と立たずに起こった――。

四ツ谷の怪談が始まって直ぐの頃は、彼と関わりの薄い者たちは皆思い思いに騒ぎ、飲み食いをしていたものの、次第にその喧騒が小さくなっていき、最後には誰も声を発する事無く、舞台上にいる四ツ谷の怪談に耳を傾けていた。

まるで催眠術にかかったかのように、四ツ谷の怪談がその場にいる者たち全員の耳からスルリと脳内へと入っていく――。

そう、人間、妖怪、神問わず、その場にいる者は等しく四ツ谷の怪談に知らず知らずのうちに魅入っていたのである。

 

 

 

例えば、紅き館の幼き吸血鬼とその従者の場合――。

 

「――階段の下、蝋燭の明かりが届かない踊り場の隅に……黒い人型の『ナニカ』が両足を抱え、赤い双眸をむき出しにし、ギョロリとこちらを見据え――」

 

 

 

 

 

                    ガサリ……!

 

 

 

 

 

 

「っ!!?」

 

四ツ谷の階段……その言葉を聞いたと同時に、吸血鬼の従者、十六夜咲夜(いざよいさくや)は、視界の端で『ナニカ』が(うごめ)いたのを捕らえた。

視線だけを()()に向けたとき、咲夜は身を硬直させる。

広間の端、蝋燭の明かりが届いていない薄暗い壁際の空間に()()はいた。

 

――黒い人型をした『ナニカ』が両膝を抱えて座り込み、赤い瞳をギョロリと動かしてジッと咲夜を見つめていたのだ……。

 

「!!」

 

得体の知れないモノを視界に捕らえた咲夜は瞬時に自身のメイド服のスカートをたくし上げると、太ももにつけたナイフホルダーから一本のナイフを取り出すと、それを黒い人型に向けて投擲しようとし――。

 

「止めなさい、咲夜」

 

その腕を自身の主である吸血鬼、レミリア・スカーレットに掴まれ、止められる。

 

「お嬢様?」

「……咲夜。あなたが今ナイフを投げようとした場所を、もう一度良く見て見なさい」

 

レミリアにそう促され、咲夜はもう一度人型がいた場所に目を向け、唖然となった。

 

「え……?嘘……アレはどこに……?」

 

今しがたまでそこにいたはずの得体の知れない黒い人型が綺麗さっぱりその場から消え失せていたのである。

いやそれ所か、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

まるで最初から()()()()()()()()()()()()()()()……。

 

「何も無かったわよ咲夜。最初からそこには何も無かった……。あなたは何も無い空間に向けてナイフを投げようとしていたのよ」

「そ、そんな!?そんな、はず、は……!!」

「何なら周りにいる奴らに確認してもいいわよ?……認めなさい。あなたはあの男の怪談に惑わされてしまったのよ」

 

レミリアにそう言われ、半ば呆然となった咲夜はいそいそとナイフを仕舞うと自身の席に座り直した。

しかし、咲夜から見えない所で、レミリア自身も内心、動揺していた。

一瞬、ほんの一瞬ではあったが、レミリアの目にもあの空間に得体の知れない黒い人型が見えていたのだ。

 

(なんて事……!惑わされたの?この私が……!!)

 

密かに創り、その人型に放とうとしていた掌サイズの光弾を握りつぶして消滅させると、レミリアは悔しそうに小さく唇の端を歪めた――。

 

 

 

 

 

 

 

また例えば、地底に住まう一角を持つ鬼の四天王と覚り妖怪の場合。

 

「――暗い人気の無い路地……『アゥ、アゥ』と、どこからか赤子の鳴き声が響き渡る。……と、突然。背中に軽くぶつかるように『ナニカ』がしがみ付き、耳元で幼い無邪気な声で――」

 

 

 

 

 

 

                    アゥ、アゥ……キャハハッ……!

 

 

 

 

 

「!!」

 

突然、自身の背中に小さな『ナニカ』がしがみ付き、耳元で赤子の鳴き声が響いたのを感じた、地底に住まう鬼の四天王の一角、星熊勇儀(ほしぐまゆうぎ)は、反射的に杯を持った手の反対の腕で、自分の背中に張り付いた『ナニカ』を振り払うためにブンッと大きく動かした。

しかし、その腕はすんなりと空を切る。

 

「……?」

 

そこには何も無かった。

腕に何か触れる感触所か、ついさっきまで自分の背中に張り付いていた気配も綺麗さっぱり無くなっていたのだ。

 

「……な~にやってるのさ、勇儀」

 

そんな声が聞こえ、勇儀は隣へと目を向ける。

そこには、現在一緒に酒を飲み交わしている、自分と同じ鬼の四天王にして、幻想郷に来る以前からの仲間であり、同族であり、旧友でもある伊吹萃香が呆れた目をこちらに向けている光景であった。

 

「い、いや今、私の背中に赤子、が……」

 

勇儀は動揺を抑え切れていないようで、やや言葉を詰まらせながら、片手に持った杯を軽く回しながらあぐらをかいて座っている萃香にそう説明する。

それに対して萃香は簡潔に答える。

 

()()()()()()()よ勇儀。さっきも今も、勇儀の背中には何もいなかった」

「何だって!?」

「事実さ。今あんたは突然、()()()()()()()()()()()()()腕を振った。周りには何もいないのに、だ。それがアタシが見た全てさ」

 

萃香の答えに益々混乱する勇儀。

 

「……この私が……呑まれていたって言うのかい?四ツ谷(あいつ)の『怪談』に惑わされて……!」

「呑まれて『いた』、じゃない。飲まれて『いる』んだよ。現在進行形で。あんたも私も……周りの奴らも皆……!」

「冗談だろ……?たかだかわずかな時間しか生きていない人間モドキみたいな奴の『言の葉』に、この私が惑わされたなんて……!」

 

勇儀にして見ればそれほどまでに信じられない事態であった。

仮にも自身は数百、数千年は生きている古き良き鬼の上位種だ。それが、人間の時の分を含めてもせいぜい百年未満ぐらいしか生きていない怪異の『怪談』に魅入られていたなど、そう易々と受け入れられるわけが無かったのである。

それに対して萃香は短くため息をつくと、口を開く。

 

「冗談?アタシが嘘つくわけないだろ?それでも信じられないって言うんなら、あんたの杯を見てみなよ」

 

そう言われ、勇儀は自身が持つ杯に目を落とす。そこには()()()()()()()()()杯があった。

勇儀は首をかしげ、萃香に問いかける。

 

「……これがどうしたって言うのさ?」

「気付かないかい?あいつの『怪談』が始まって、もう十分ぐらい立つ――」

 

 

 

 

 

 

「――あんたさっきから一度も()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 

 

 

 

「っ!??」

 

萃香の指摘に、勇儀は一瞬息が止まった。

確かにあの男の『怪談』が始まってから杯に口をつけた記憶が無い。

鬼は戦いだけでなく、大の酒豪でも知られる種族だ。いつもの自分なら十分もあれば、瓶所か酒樽の一個は軽く飲み干している。

それなのに今は一度も酒を飲んでいない。()()()()()()()。これは本来ありえない事であった――。

呆然とする勇儀に萃香は自虐的な笑みを向ける。

 

「……ま、そう言うアタシも、さっきから自分の酒に口をつけていないんだけどねぇ~」

 

そう言いながら萃香は自身が持つ並々と酒が入った杯を軽く回しながら続けて勇儀に口を開いた。

 

「……認めなよ。あいつの『言霊』は古き鬼であるアタシたちの精神を支配するに値するチカラを持っている……。大好きな酒を飲むという欲求をないがしろにして聞き入ってしまう程に、ね」

 

漠然と響く萃香のその言葉に、勇儀は半ば放心状態で聞いていた――。

そしてその声は直ぐ近くに座っていた地底の地霊殿(ちりょうでん)の主である覚り妖怪の耳にも入っていた。

 

(何て事……。あの鬼すらも支配してしまうの?彼の『言質(げんち)』は……?)

 

他者の心を読む事に長けた覚り妖怪、古明地(こめいじ)さとりは、四ツ谷の持つ言葉の力に内心驚愕していた。

彼女は周囲の者たちとは違い、彼の『怪談』に恐怖する事も、ましてやそれで幻覚を見ることも無かった。

何せ彼女には心を読む能力がある故、四ツ谷の心を覗き込んで彼が口からその『怪談』の内容を響くよりも前にそれを知ることができるため、その『怪談』自体に驚きや新鮮さを感じる事は無かったのである――。

しかし――。

 

(何故なの……?『怪談』の内容は全て分かっているのに……何故こうも()()()()()()()()()()……?)

 

もう全て分かっているはずだと言うのに、()()()()()()()()()()()()()()()()という欲求が自身の中にある事に、さとりは激しく動揺した。

そして、その時点で理解する。自身もまた、彼の『怪談』に少なからず呑まれているという事に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

また例えば、白玉楼の亡霊姫とその従者である半人半霊の剣客兼庭師の少女の場合。

 

「――目を背けたい。しかし、自分の中にある『何かが』それを許そうとしなかった……。背中に冷たいモノが走り、彼はゆっくりと背後を振り向いた……」

(ふぅん……。これが紫の言っていた四ツ谷さんの怪談、ねぇ……)

 

四ツ谷の怪談を聞いていた白玉楼の主であり、八雲紫の友人でもある西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)は、()()()()()()()()()気分になっていた。

 

(……確かに聞いた事の無い『怪談』ばっかりで新鮮さはあるけれど、()()()()()……。まあ、当たり前かしら。私自身が人外の亡霊と言う存在だし、特に恐怖心とかは沸かな――)

「お待ちしました。幽々子様」

 

四ツ谷の怪談を聞きながらそう思考していた幽々子に声がかけられ、幽々子は一時、考えるのを中止してその声の主に向き直る。

そこには短い白髪の少女がお盆に大量の料理を持って立っていた。

 

「あら妖夢。どこに行ってたの?さっきまで姿が見えなかったけど」

「うぅ……。お、お恥ずかしながら台所へ引っ込んでいました。あの四ツ谷って男が怪談を始めると言った瞬間、ここにいられなくなりまして……」

「もぅ、妖夢ってば本当に怖がりさんね。半分幽霊なのに」

 

自身も半人半霊であって幽霊は平気だと言うのに、何故かそれ以外の怪異には怖がってしまう自分の従者、魂魄妖夢(こんぱくようむ)に対し、幽々子はそう言って苦笑を浮かべてしまう。

それを見た妖夢はますます顔を赤くして俯いてしまうも、次の瞬間には(かぶり)を振って幽々子に持っていたお盆の料理を差し出す。

 

「……そ、それよりも幽々子様。もうそろそろ料理が無くなると思い、新しいのを用意しました。たんと召し上がってくだ、さ……い……?」

 

途中から妖夢の声がおかしくなり、首をかしげて幽々子は妖夢を見る。

するとそこには信じられないものを見たかのように固まる妖夢の姿があった。

 

「……?どうしたの、妖夢?」

「……いやいやいや、『どうしたの?』はこちらの台詞(せりふ)ですよ幽々子様!?どうしちゃったんですかそれ!?」

「?」

 

動揺を隠し切れずにそう言う妖夢に促されるようにして、幽々子は怪訝なまま妖夢の視線の先を追う。

するとそこは自分の席の前、机の上に所狭しと置かれ、どの皿にも()()()()()()()()()()()()があった――。

これがどうしたのか、そう幽々子が聞くよりも先に妖夢は答えを叫ぶようにして響いていた。

 

「私が台所に逃げてからもうそれなりの時間がたっているはずなのに、幽々子様はそれから一口もそれらの料理に手をつけた様子がありません!いつもの幽々子様なら()()()()()()、とっくに完食されているはずなのに……!!」

「……!!」

 

妖夢にそう指摘され、幽々子はようやく今の異常性に気付き、再び目の前の料理に目を向ける。

確かにその通りであった。いつもの自分ならこの程度の量の料理。ぺろりと平らげているはず。

それなのに、彼の怪談が始まってから今まで、一度たりとも手をつけた様子も覚えも無かったのである。

 

(嘘でしょ……?)

 

そこに来てようやく幽々子は気付く。

自分は確かに四ツ谷の怪談に恐怖心は抱いていない。しかし、()()()()()()()()()――。

彼の織り成す怪談の世界に、自身は知らず知らずのうちに呑まれ、引き込まれていたことに、幽々子は内心驚愕したのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それぞれが、それぞれの異常事態に気付き、動揺、驚愕、愕然としている間も、四ツ谷の怪談はその場を静かに流れていく。

もはやその場は、四ツ谷の独壇場。怪談が始まるまで各々が馬鹿騒ぎをしていたのにもかかわらず、今は誰もが静かに四ツ谷の怪談に耳を傾けていた――。

広間をはしゃぎ、飛び回っていた妖精も妖怪も、酒を飲んでいた鬼たちも、料理を暴食していた亡霊も、誰もが等しく四ツ谷の怪談に魅入られ、呑まれていた――。

 

やがて夜が明け始める時間帯となった頃、四ツ谷の怪談は静かに幕を下ろした――。

 

「……今宵は私の怪談はここでお開きとさせていただきます。お付き合いされていただきました皆々様には感謝の弁を述べさせていただきます。真にありがとうございました」

 

そう言って深々と頭を下げた四ツ谷に拍手が送られたが、それは彼をよく知る者たちからのがほとんどで、後は半ば呆然としながら四ツ谷を見つめていただけであった。

そして次の瞬間、彼を見るその者たちの印象ががらりと変わった。

その能力を危険視する者。興味を抱く者。これからの彼の活躍に大いにワクワクする者などそれぞれであったが、皆一様に彼に対して無関心ではなくなっており、むしろ特殊だが、ある意味で自分たちと同じ『人外のモノ』である事を認識した瞬間でもあった――。

中には早々に彼にちょっかいを出そうと考えた者たちもいたが、四ツ谷が壇上から消え、再び舞台に現れた八雲紫の言葉によってそれは中止される事となる。

 

「えー皆様。今四ツ谷さんがおっしゃったように、今宵はここで宴会をお開きとさせていただきます。皆様は新参である彼に対してそれぞれ思うところはございましょうが……私からこれだけは言わせていただきます。彼はもはやこの幻想郷を支える支柱の一柱となっており、この世界に必要不可欠な存在となっているのです。それ故、彼にもし害為す事を考えている者がこの場にいるのであれば、それはすなわち、この幻想郷を……ひいてはこの私、八雲紫やその式、またその他の賢者たちに牙を向ける事と同等であると考えてもらわなくてはなりません。……もしそうなった場合、本気(ガチ)で潰させて頂きますので、そのおつもりで……」

 

静かながらも、凄みを利かせた紫のその言葉に、その場にいた者たちは何も言い返すことができなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が明け、太陽が山の間から僅かに顔を出し始めた頃、四ツ谷会館の前に館長である四ツ谷、小傘、薊の姿があった――。

宴会に来ていた客を全て帰し、三人は朝の空気を吸いながらその朝日に目を細める。

 

「……ようやく終わりましたね~師匠?」

「ああ、正直疲れた」

 

小傘の言葉に、肩に先ほどまで袖を通していた羽織をマントのようにかけた四ツ谷はそう答え、背伸びをする。その途端、四ツ谷の背中からボキボキと骨の音がなった。

力を抜いた四ツ谷は次に薊に声をかける。

 

「お前も疲れたろ?もう朝だが、早く寝な。今日は休館にすっから」

「あ、はい。では一度瑞穂と一緒にお母さんたちの所に戻ってから――」

 

薊がそこまで言った瞬間、向かいにある民家から甲高い悲鳴が響いてきた。

 

「わ、わあぁぁっ!?ね、義理姉(ねえ)さん、勘弁!!」

「修平ィィィ!!私ちゃんと釘刺したわよねえぇぇぇ!?」

「ね、姉さん落ち着いて!?……私は平気だから……!!」

 

その叫び声の主たちと、内容を察した薊は二の句が告げなくなり、真っ赤になって俯いた。

その場に気まずい空気が流れる。四ツ谷はバツが悪そうに頬を指でかくと、薊に声をかける。

 

「あ~、向こうは()()()()()()みたいだから、もう少し瑞穂と一緒に会館(こっち)にいるか……?」

「……はい」

 

四ツ谷の提案に薊は素直に応じる。

その直後、小傘は場の空気を変えるためか、ポンと両手を叩いた。

 

「あ、そうだ師匠。わちきたちから館長就任祝いの贈り物があるんですよ?」

「ん、ほぅ?どんなだ?」

 

四ツ谷がそう問いかけ、小傘は「ちょっと待っててください」と言って会館に入り、直ぐに両手に一つの箱を抱えて戻って来る。

 

「これです」

「開けていいか?」

「はい♪どうぞ!」

 

そう言って差し出された箱を受け取った四ツ谷は箱の蓋を開けた。

するとそこには黒い中折れ帽が入っていた――。

わずかに目を丸くする四ツ谷に小傘は声をかける。

 

「師匠は今日からこの会館の館長ですから、少しでも威厳を高める意味合いもかねて、わちきたちからの贈り物です♪」

「……ほぅ、じゃあ何か?いつもの俺は威厳ゼロか?」

「えっ!?いや、あの……」

「……ヒヒッ、冗談だ。ありがたく受け取っておく」

 

慌てふためく小傘に四ツ谷は軽く笑ってそう言い、中折れ帽を箱から取り出すと、ポンと自分の頭に乗せてみた。

 

「どうだ?」

「似合ってます四ツ谷さん……いえ、館長」

「改めまして師匠。館長就任、おめでとうございます!」

 

薊と小傘に賞賛され、四ツ谷は帽子を片手で抑えながら、いつものように「ヒヒッ」と不気味に笑って見せた――。

 

こうして、人里に新たに建設された『四ツ谷会館』、その館長として就任した四ツ谷文太郎の新たな生活が幕を開けたのであった――。




幕間・弐、終了です。
次回はショートストーリー詰め合わせです。


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小噺集 (四ツ谷幻想入りの夏~翌年の冬の終りまで)
『三日天下』


ショートストーリー詰め合わせ編です。
主に、四ツ谷幻想入りから、翌年の冬の終りまでの期間の中での話を書いていきます。
今回の話は、第一幕後の噺となっております。


四ツ谷によって『赤染傘』となった唐傘妖怪の多々良小傘は、意気揚々に今日も人里で人間たちを驚かす。

 

「おどろけー!」

「きゃあああ!?」

 

「おどろけー!」

「ひいぃぃぃ!!」

 

夕方の黄昏時、夜の暗闇、人気の無い路地、雑木林の中、彼女はやって来る人間たちを手当たり次第に驚かしていった。

時には驚かす前に、顔を見ただけでビビッて逃げていく人間もおり、一瞬呆気に取られる小傘だったが、悪い気はしなかった。

むしろ、赤染傘になった事で『畏れ』が手に入りやすくなり、驚かれるたびに自分の心が満たされるのを感じていた。

調子に乗った小傘は、毎日のように人里の人間たちを驚かしてゆく。

 

「おどろけー!」

「うわぁっ!?」

 

時には真昼間に。

 

「おどろけー!」

「ひゃああっ!?」

 

時には大通りの人の往来で。

小傘の『驚かし』は、次第に大胆なモノになっていく――。

同時に、小傘の気分も良くなり、もっともっとと欲望が次から次へと湧いてくる。

 

 

 

 

 

 

「おどろけー!」

 

 

 

 

 

そう言うだけで人里のいたるところから悲鳴が上がらない事は無かった。

 

(時代が……。わちきの時代がようやく来た……!)

 

小傘はそう思い歓喜に震える。

今までこうやって驚かしても、人間たちは少しも自分を恐れる事は無かった。

それどころか、自分を馬鹿にし、それ所かわずらわしい虫を見るかのように邪見にされたこともあった。

そして次第に自分の力が弱くなり、内側から自分の存在が希薄になっていくのも感じ取っていた。

このままでは直に自分はこの幻想郷でも忘れ去られて、最後には消滅してしまう。

 

焦りを覚えていったちょうどその時、彼女はある男と出会った――。

 

その男――四ツ谷文太郎の手によって、小傘の世界ががらりと姿を変えた。

ただの唐傘妖怪から『赤染傘』という存在へと変わった小傘は、人間たちから恐れられるようになったのだ。

人間たちが自分に向ける反応と、自身の妖怪としての存在そのものが下級から大妖怪級に劇的に変化した事に、小傘は自分の世界を変えてくれた四ツ谷文太郎に心の底から感謝した。

そうやって、来る日も来る日も昼夜、場所を問わず、小傘は人間たちを驚かしてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おどろけー!」

「おお、小傘ちゃん。こんにちは」

 

「おどろけー!」

「あ、赤染傘のおねえちゃんだぁ」

 

「おどろけー!」

「あん?仕事の邪魔だよ。しっし!」

 

 

 

 

「……あ、あれ……?」

 

いつの間にやら元の木阿弥。

 

「調子に乗りすぎだ馬鹿。……だが、二ヶ月ぐらい維持できたんだから、お前としては上出来な方か……?」

 

呆然とする小傘の背後で、彼女が師と慕う男が呆れた声を上げていた。



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『縁の下の力持ち』

時期は第四幕と第五幕の間の出来事です。


パチ、パチパチ……パチパチパチパチ……。

 

四ツ谷たちの住む長屋、その小さな部屋で、大きな図体をした金小僧が器用に小さな算盤(そろばん)の玉をはじいて、出た数を家計簿につけていた。

時刻は夜、行灯のわずかな明かりだけで彼は作業をこなす。

サラサラと小さな筆でこれまた器用に達筆で文字を書きながら、金小僧はチラリと横に目を向けた。

 

「ぐがー……ぐごー……」

 

そこには鼻提灯を出して高いびきで眠る四ツ谷(我が父)の姿があった。

 

四ツ谷は働いてはいない。

 

毎日、鈴奈庵で借りた本を読みふけったり、昼寝したり、たまに外に出ては、子供たち相手に怪談を聞かせるかのどれかだ。

そんな暮らしをしている()()()()()に金が入るわけが無い。だが、それでも普通の生活ができているのは、何を隠そう金小僧の存在が大きい。

いや、事実金小僧におんぶに抱っこ状態である。

一日の生活費も、新拠点建設の費用も、椿たちの祝言資金の一部も、全て金小僧の能力があってこそである。

彼が持つ、『隠し金を召喚する程度の能力』で外の世界から隠し財宝などを召喚し、それを元手にしているからであった――。

 

「ふぅ……」

 

家計簿をつけ終え、金小僧は次に別の方へ目を向ける。

そこには両手で抱えるほどの大きな風呂敷包みが置いてあった。

それを見ながら、金小僧はポツリと響く。

 

「……明日が『納金日』、か……」

 

 

 

 

 

 

 

翌日、金小僧は折り畳み入道の能力を使い、とある場所へとやって来ていた。

そこは、博麗神社であった。

以前に霊夢から定期的な納金の約束をしていた金小僧は、それを果たすために金銭をジャラジャラと入れた風呂敷包みを持って彼女の元へ訪れたのだ。

物置の中にあった大きな葛篭から出てきた金小僧は、その脚で神社の来客用の玄関の前にやって来る。

そして、軽く戸をノックし、神社の主が来るのを待った。

少しして、

 

「はぁ~い、誰よこんな朝っぱらから……って金小僧じゃない」

 

玄関の戸を開けて、神社の巫女、霊夢が姿を現す。霊夢は来客が金小僧だと知ると目を丸くした。

それに構わす金小僧は用件を言う。

 

「霊夢殿、約束の納金です。お納めください」

「ははっ♪ちゃんと渡しに来てくれたのね?関心関心♪」

 

金小僧の抱える風呂敷包みを見て、目を輝かせた霊夢は、意気揚々に金小僧からそれを受け取った。

 

「ウェヘヘェ~♪これでもう食べる事に困る事は無いわね。ようやくこの貧乏生活からおさらばよぉ~♪」

「……では、我輩はこの辺で」

 

上機嫌で金小僧から受け取った包みを玄関の上がり口に置く霊夢を見ながら、金小僧がそう言い、クルリと霊夢に背を向ける。

その途端、ポンと言う軽い衝撃が金小僧の背中に伝わる。振り返ると背中にしがみ付く霊夢の姿があった。

 

「霊夢殿?」

「んふふふぅ~♪ねぇ、金小僧?この際だから、うちの子になんなぁ~い?悪いようにはしないわよ?」

「……なっ!?だ、ダメですよ!我輩には父上がいるのですから!!我輩がいなければ誰が父上を養うのですか!?」

 

そう言って霊夢を引き離した金小僧は、彼女から距離を取る。

それを見た霊夢は少し口を尖らせる。

 

「ふぅーん、結構あいつに対して忠誠心があるのね?……わかったわ。だったらこうしましょう」

 

霊夢はそう言って意地悪い笑みを浮かべると、一枚のカードを取り出した。

それはスペルカードであった。

それを持って霊夢は金小僧に声をかける。

 

「『弾幕ごっこ』よ。私が勝ったら、あんたをもらうわ」

「なっ!!そんなご無体な!?」

「さぁさぁどうする?って言ってもあんた弾幕戦やった事ないわよね?だったら私の一人勝ちね♪」

 

勝ち誇ったかのように言う霊夢に対し、金小僧はしばし俯き、思案顔になる。

直ぐに顔を上げる。

 

「……わかりました。受けましょう」

「え!?」

 

予想外の返答に霊夢は面食らう。それに構わず金小僧は続けて言う。

 

「実はですね霊夢殿。我輩にも最近一つだけ、放てる弾幕ができたのですよ。それも対霊夢(あなた)用の」

「私用の、ですって……?へぇ、面白いじゃない。なら撃ってきてみなさいよ。完璧にしのぎ切って見せるわ!」

 

そう言って構える霊夢を見て、金小僧は内心ほくそ笑む。

そして、直ぐに真剣な顔になると『能力』を発動させ、霊夢に向けて弾幕を開始する。

 

「では、行きますよ――」

 

 

 

 

 

 

 

「――金符『大盤振る舞い』!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「えっ……!?」

 

金小僧の背後から現れた無数の弾幕を見て、霊夢は半ば呆然となった。

それは魔力や霊力などで練られたモノなのではなく。一つ一つが純金でできた小判や、宝石などの貴金属類。それらが雨あられのように霊夢の頭上に降り注いだ。

 

「っキャーーーーーー♪」

 

歓喜の悲鳴を上げる霊夢。この瞬間、彼女の頭の中で弾幕ごっこの事は綺麗さっぱり吹っ飛んでいた。

両目を『$』に変化させて、一心不乱に地面に散らばった小判や宝石をかき集める霊夢。

その間に金小僧は折り畳み入道の協力を経て、すたこらと逃げ去ったのは言うまでもない――。



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『真価』

時期的には第四幕の直後の噺です。


四ツ谷の長屋での一幕――。

椿の婚約者、修平が退院をし、その祝いとしてその日の晩は豪華なものにしようと言う事となった。

とは言え、金小僧の能力で資金面は問題ないにしても、何を作るべきかと一同は思い悩む。

いつものメンバー(四ツ谷、小傘、薊、金小僧、折り畳み入道)に加え、慧音も参加し、一同が頭をつき合わせてウンウンと唸る。

四ツ谷が口を開く。

 

「高い食材を片っ端から買い込んで、それを調理して並べりゃいいんじゃねーか?」

「見も蓋もない。……私だったらこういった祝い事には昔、刺身を用意していたがな(まあ、ここでは川魚の刺身はあまりお勧めできんが……)」

 

慧音の返答に小傘が口を挟む。

 

「お刺身、ですか……?でも川魚のはあまりできそうにありませんよね?寄生虫とかもありますし……」

「んー?ならオラ、いい魚、知ってる」

 

そう言って片手を挙げた折り畳み入道に、全員が注目する。

その視線を浴びながら折り畳み入道は、自身が入っている葛篭に両手を突っ込むと中で何かガサゴソとあさり、そして()()を四ツ谷たちの前に出して見せた。

 

『おおっ!??』

 

()()のインパクトを前に、折り畳み入道以外の面々が、反射的にそう声を漏らす。

それに構わず、折り畳み入道は()()を皆の前にあるちゃぶ台の上にデンと置いて見せた。

 

「おおっ!すごいな!!()()()()()()()()。こんな大きくて活きの良い、立派なマグ……ロ……?」

 

驚愕のままに声を上げる慧音であったが、それが直ぐに尻すぼみとなる。

そう、ソレは……紛れも無く(マグロ)であった。

それも今朝、水揚げされたばかりだと思われる全長3メートル近くにも達する巨大な鮪であった――。

……そう、何度も言うが鮪である。川ではなく、()()()()()()――。

 

『…………』

 

鮪を前にして四ツ谷たちは押し黙る。

 

「「?」」

 

唯一、これを持って来た折り畳み入道本人と、鮪の生態を知らない薊だけが、固まった四ツ谷たちを見て首をかしげていた。

しばしの静寂の後、四ツ谷は意を決したかのように折り畳み入道に問いかける。

 

「……オイ、折り畳み入道。お前この鮪……どこで手に入れた……?」

「……え?今、()()()()()()()()()()一匹もらってきた。今朝水揚げされたばかりの上物なんだって!」

「そうか……。で?()()()魚市場だ……?」

「へ?どこって――」

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()……?」

 

 

 

 

今度は、薊も固まってしまう。

彼女はてっきり、この魚は人里の川から釣られたものだとついさっきまで思い込んでいたからだ。と言うか、こんなでかい魚が、そこいらの川を泳いでいるわけが無いのだが……。

誰もが知っている事だが、四ツ谷たちのいる幻想郷は陸地ばかりで、魚といえば近くを流れる川からしか獲れない。つまり、()()()()()()

それなのに今目の前には、海に生息する鮪がちゃぶ台にその存在感を主張させていた。

つまりこれは、さっきまで海のある場所にいたという事になる。

では何故あるのか?それは今の流れから、折り畳み入道が()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事だ。それはつまり――。

 

「――つまりお前は……行けたのか?()()()()()……!」

「え?言ってなかったっけ?」

 

四ツ谷の問いに折り畳み入道が首を傾げて返答する。

しばしの静寂後、

 

『エエエエエェェェェーーーーーーーーーッッッ!!!???』

 

部屋中に四ツ谷たちの絶叫が響き渡った。

いち早く覚醒した慧音が折り畳み入道に詰め寄る。

 

「嘘だろ!?お前の『箱から箱へと移動する程度の能力』はそんな事もできるのか!?」

「お、うん……。いけなかったか?」

「博麗大結界にも干渉せずにか!?」

「……それが何なのかオラには分からないけど、外の世界に行く時は何も感じなかった」

「し、信じられん……!ん?と言うかお前、魚市場から取ってきたと言ったな?ちゃんとお金は払ったのか!?」

「…………」

「目を逸らすんじゃなああぁぁあぁいィ!?」

 

半ばパニックとなった慧音と折り畳み入道の会話を聞きながら、四ツ谷は一人思考する。

 

(こりゃすごいな……。まさかこいつの能力がここまでのモノだったとは……。ヒヒッ、こいつは使えるな。この能力があればいつでも外の世界の物が手に入り――)

 

そこまで考えた瞬間、四ツ谷の肩にポンと誰かの手が置かれた。

四ツ谷が顔を上げると、そこには真っ青な顔で四ツ谷を見る面々が……いや、正確には()()()()()()()()()()()()青ざめて固まっていた。

嫌な予感を覚えた四ツ谷は生唾をごくりと飲み込むと、最初に自分の肩に置かれている手を、そしてその手の持ち主へと視線を向けた――。

 

「…………(ニッコリ♪)」

 

そこには満面の笑みを浮かべた妖怪の賢者の姿があった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、折り畳み入道の能力は、自称十七歳の賢者の手により、術で弄くられ、その能力は幻想郷内限定のモノへと威力を封じられてしまった。

そして、その日の晩の祝い料理は――人里の川から獲れた、普通の川魚の塩焼きが並べられたという――。



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『引っ越し』

時間軸は、幕間・弐の前日譚です。


椿と修平の祝言前日、四ツ谷たちは新築への引っ越し作業に明け暮れていた。

その二日前には薊の家の荷造りを、そして昨日は修平の家の荷造りの手伝いをし、最後に残った自分の長屋の荷造りを今日行っていたのだ。

荷造りが終わったものから手当たり次第に折り畳み入道の葛篭の中へと放り込み、先に繋げた四ツ谷会館へと送っていく――。

さすがに、薊と修平の家の時は、椿たちに折り畳み入道や金小僧を見られたら何かと厄介だったため、能力も彼らの手も借りられず、悪戦苦闘したのは記憶に新しい。

しかし、今行っている自分の家の引っ越しは、そんな配慮は要らないため、思う存分自身のやりたいように荷運びができ、四ツ谷は内心上機嫌だった。

そこへ引っ越しの手伝いをしていた小傘と薊が声をかける。

 

「師匠~。一端休憩入れましょう?」

「お茶とお菓子も用意してますよ?」

 

それに反応して、四ツ谷は「おう」と答えると、金小僧と折り畳み入道を交えてちゃぶ台を囲み、一息つく。

お茶をズズッと飲みながら、四ツ谷は部屋の中を一瞥する。

 

「……だいぶ片付いたな。ま、そんなに物は置いてなかったから、手間取らなかったが」

「そうですね。荷物全部をあっちに運びましたら部屋割りを決めましょうか師匠。……わちきも明日から、()()()()()()()()()()()()()()

 

そう小傘が呟いた。

四ツ谷会館は大きく分けて体育館を思わせる《遊戯スペース》と四ツ谷たちが住むための《居住スペース》とに別れていた。

居住スペースは普通に生活する分には問題は無かったのだが、唯一の欠点は()()()()()()にあった――。

設計などを大工たちに一任(おまかせ)していたのが主な原因だった。

気付けば、四ツ谷、金小僧、折り畳み入道が住んでも使い切れないほどの、予想以上の空き部屋が出来上がっていたのである。

それ故小傘も、ついでだから一緒に住もうという流れとなり、今現在住んでいる家から会館へと移住する事となったのである。

 

「……今更だが、本当に良かったのか?」

「はい。前の家もだいぶガタが来ていましたし、良い機会だと思います」

 

四ツ谷の問いに小傘がこう答え、自分のお茶に口をつける。

その顔に不満の色がない事を確認した四ツ谷は、話題を変える。

 

「それはそうと、引っ越しした後も色々やらなきゃならない事があるな。近所へのあいさつ回りだとか、引っ越し先の近所への贈り物とか……引っ越しソバ用意した方が良いか?」

「それはこちらで用意しますよ父上」

 

四ツ谷の呟きに金小僧がそう答えた。

それを聞いて満足したのか、フゥと息を吐いて四ツ谷は天井を見やる。

 

「……しかし、なんだな。この長屋もそんなに長く住んでないのに、いざ出て行くとなると何だかちっとばかし寂しくなるな」

「そう、ですね……」

 

小傘がそう同意して同じく天井を仰ぎ見た。

この長屋に住んでいた期間はかなり短い。一年所か、半年も住んではいなかった。

しかし、四ツ谷たちにとってはもうすでに、ここは充分に愛着を持った居場所となっていたのである。

 

『…………』

 

その場にいる全員の間を、何とも言えない切ない空気が流れていった――。

そうして、ささやかな哀愁に駆られながら、長屋での引っ越し作業が無事完了したのであった――。

 

長屋を借りていた大家に礼を言って、金小僧と折り畳み入道を先に会館へ送り出した後、四ツ谷、小傘、薊は今まで住んでいた長屋の前に立っていた。

真昼の晴天の下、四ツ谷たちは明日から会館での新しい生活の為、この長屋へ最後の挨拶を送る。

 

「……行くぞ」

「「はいっ!」」

 

四ツ谷の声に、小傘と薊の返事が重なる。

そして三人揃って深々と長屋に向かって頭を下げたのであった――。

 

 

 

 

 

「「「今までありがとうございました!」」」




……何と言うか。
ショートストーリーの方が筆の進みが良いように思えてなりませんww
明日も恐らく投稿します。


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『新・幻想郷縁起』

時期的には幕間・弐の『二次会』中。四ツ谷が『怪談』を始める直前の出来事です。


四ツ谷会館、その完成祝いの宴会はどこもかしこもワイワイと賑やかなものになっていた――。

好き勝手に騒ぐ妖怪たちを見ながら、そろそろ『怪談』の頃合か、と四ツ谷が考えていた時、稗田阿求が四ツ谷の元にやって来た。

 

「四ツ谷さん。どうも」

「阿求か。何だ?」

「はい、ちょっとこれを見ていただきたくて……」

 

そういて四ツ谷に差し出してきたのは、真新しい『幻想郷縁起』であった。

 

「そいつは、『幻想郷縁起』か?」

「ええ。それも、ついこの間できたばかりの最新版ですよ。この中には四ツ谷さんたちの事も記してありますので、一度目を通してもらおうかと」

「ほぅ、どれどれ……」

 

阿求が差し出して来た『幻想郷縁起』を受け取った四ツ谷は、(ページ)をパラパラとめくると、自分や金小僧、折り畳み入道が載っている所を探し出す。

そうして、自分の名前が載っている頁が眼に留まると同時に手も止める。

すると、四ツ谷はその頁を見てピクリとわずかに反応する。

何故ならそこには、以前から載っていた小傘の解説も改変されて記入されていたからだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ×○×○×○×

 

 

 

 

名前:四ツ谷文太郎(よつやぶんたろう)

 

二つ名:『百奇(ひゃっき)の語り手』

職業:四ツ谷会館・館長

能力:『怪異を創る程度の能力』

人間友好度:高

危険度:低(ただし、場合によっては・高)

住んでいる所:人間の里

 

解説:元人間の怪異。かつては外の世界の住人であったが、怪異となって幻想入りする。怪談とそれで生まれる他者の悲鳴が大好きではあるが、基本人間に対しては決して害ある存在ではない。

しかし、彼の持つ『最恐の怪談』の聞き手に選ばれてしまったら最後、一生正気を失ってしまう。

紆余曲折を経て、八雲紫の手引きで四ツ谷会館の館長に就任する。

暇さえあれば、人間の里の子供たち相手に『怪談』を語っている。

怪異である事以外、普通の人間と変わらず、弾幕を撃つ事も、自力で空を飛ぶ事もできない(空を飛ぶ時は特殊な傘を使う)。一人称は基本「俺」(しかし、『最恐の怪談』時とかには、「私」や「僕」も使う)。

 

 

 

 

 

名前:多々良小傘(たたらこがさ)

 

二つ名:『進化した紅い唐傘娘』

職業:四ツ谷会館・従業員、及び四ツ谷文太郎の第一助手(副業で鍛冶師も行っている)

能力:『(現在の能力不明につき、以前同様《人間を脅かす程度の能力》と記す)』

人間友好度:高

危険度:低

住んでいる所:人間の里

 

解説:かつては人一人を驚かせることすらできなかった下級妖怪だが、四ツ谷文太郎の助力により大妖怪へと進化を果たす。しかし、その性格は以前とは全くと言っていいほど変わってはいない。

大妖怪となって以来、四ツ谷文太郎を『師匠』と呼んで慕い、第一助手として彼の手足となって働く事となる。そのため、以前までよく行っていた命蓮寺に足を運ぶ事が少なくなった。

大妖怪としての彼女の実力は未だ計り知れず、未知数であり、今後も調査し続ける必要があると判断する。また、あまり知られていない事ではあるが、副業で鍛冶師も兼任している。一人称は「わちき」。

 

 

 

 

 

名前:金小僧(かねこぞう)

 

二つ名:『忘れ去られし金精霊』

職業:四ツ谷会館・従業員

能力:『隠し金を召喚する程度の能力』

人間友好度:高

危険度:低

住んでいる所:人間の里

 

解説:四ツ谷文太郎によって生み出された怪異。

埋蔵金から誕生したつくも神のような存在で、その能力は金銭やそれに類する価値あるものを召喚出来るというもの。

その特性故、四ツ谷文太郎率いる者たちの金銭面を管理する役目を担っており、それに関する事を一手に引き受けている『縁の下の力持ち』的存在。

またその能力を持っているがために、博麗の巫女から目をつけられている哀れな妖怪でもある。

四ツ谷を「父上」と呼んで慕っている。一人称は「我輩」。

 

 

 

 

 

名前:折り畳み入道(おりたたみにゅうどう)

 

二つ名:『箱の中の怪奇』

職業:四ツ谷会館・従業員

能力:『箱から箱へと移動する程度の能力』

人間友好度:中(ただし極一部の人間に対しては・高)

危険度:中

住んでいる所:人間の里(あるいは別次元のどこか)

 

解説:四ツ谷文太郎によって生み出された怪異。その二。

下半身が帯状になっている山伏のような姿をした妖怪。箱という箱の類の中を自在に移動できる。

ある意味、生きた『ビックリ箱』のような存在である。

その能力を生かし、他者を箱を介して別の場所へと一瞬へ送ることができる。

とある一件がきっかけで、人間の里に住むとある少女を『相棒』として接するようになる。

四ツ谷を「父ちゃん」と呼び、慕っている。一人称は「オラ」。

 

 

 

 

 

 

   ×○×○×○×

 

 

 

 

 

 

「……どうでしょうか四ツ谷さん?どこか気になる部分があれば、遠慮なく言ってください」

「いんや。別に悪くは無いが……。以前見た『幻想郷縁起』には、小傘は命蓮寺組の奴らと一緒に書かれていたんだが、今回から俺らと一緒に記されるようになったんだな」

「そりゃそうですよ。何せ小傘さんはもう四ツ谷さんの助手なんですから」

 

最新版の『幻想郷縁起』を眺めながら、自分の顎に手を添えてそうポツリと響く四ツ谷に、阿求がそう返す。

 

「それもそうか。……にしても俺の二つ名、『百奇の語り手』ってのはいつついたんだ?金小僧たちもそうだが……」

「気に入りませんか?私が考えた二つ名ですよ?四ツ谷さんのは呼んで字の如く『百の怪奇を語る者』という意味を込めて、そう名づけました」

「『百の怪奇』、ねぇ……ヒヒッ、俺がその気になれば、『百』どころか『千』や『万』の怪談を語る事だって造作も無いぞ?」

「『百』にしたのは、ただ単に語呂が良いからに過ぎないのですが……。どうします?気に入らないようでしたら改変しますが……」

「ヒヒッ、いやいいよ。気に入った!……これで俺も晴れてこの世界の資料に載るほどの有名人となったわけだ――」

 

 

 

 

(――そして晴れて、この世界の『妖怪たち』の仲間入りを果たしちまったわけだ……)

 

 

 

内心苦笑しながら、最後にそう思った四ツ谷は、『幻想郷縁起』に載った自身の名前を指先で優しくなぞって見せた――。

 

 

そしてその数分後に阿求と入れ違いに紫が四ツ谷の元を訪れ、四ツ谷は幻想郷の有力者たちに対して『怪談』を語っていく事となる――。




前回、直ぐに投稿すると書いておきながら、一週間も待たせてしまい、どうもすみませんでした!
次回の投稿も来週以降になりそうです。重ね重ね申し訳ありません!



四ツ谷の『幻想郷縁起』の中の二つ名ななのですが、彼だけは実はもう二つほど考えていたものがあります。

一つは『東方鈴奈庵』風に『創造のホラーテラー』。
もう一つは『東方茨歌仙』風に、原作タイトルの文を取って『詭弁学派な怪人』という二つ名です。

本文のも含め、四ツ谷の二つ名が気に入らないと言う方がいましたら、ご容赦の程よろしくお願いいたしますw


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『妖怪の賢者と人間の幼女』

時期的には前回同様、幕間・弐の二次会途中でのお話です。


四ツ谷会館完成祝いの宴会が開かれ、夜明けまで数時間をきった頃――。

人知れず広間とは別の空き室、その中央に敷かれた布団から、ムクリと上半身を起こす小さな影があった。

 

「ぅ……ん……むぅ……?」

 

小さな手で目を擦りながら起きたその幼女は、薊の妹――瑞穂であった。

寝ぼけ眼のトロンとした双眸で、瑞穂は周囲を見渡す。

 

「……おねーちゃん……?」

 

てっきり一緒に寝てるであろうと思い込んでいた姉がいない事に瑞穂は小首をかしげ、布団から這い出てくる。

そして、暗がりの中で見つけた襖を両手で引き、部屋を出た。

蝋燭の灯された薄暗い廊下を、半ば夢うつつな状態で瑞穂はトテトテと歩いていく。

そしてふいにその脚が止まった。

瑞穂の見つめる先、隙間から光とガヤガヤとにぎわう声が漏れる襖があったのだ。

そこはまさに、酒と料理でドンチャン騒ぎの真っ只中にある、宴会の開かれている広間であった――。

 

「……?(まだ、えんかい、やってるの……?)」

 

もうとっくに今日の祝言の宴会が終わっていたと思っていた瑞穂は首をかしげながら、半ば寝こけている半開きな目を作ったまま、広間へと続く襖へと近づく。

瑞穂が思っていた事もあながち間違いではない。しかし、今行われているのは瑞穂の母、椿の祝言の宴会ではなく、四ツ谷の会館完成祝いの宴会であり、その宴会に参加している者たちは、人間の姿に近けれど、決して人ではない者たちが大半だった――。

そうとは知らず、瑞穂は襖の取っ手に手を掛けようと片手を持ち上げる。

しかし、唐突に瑞穂の背後で声がかかり、その動きが途中で止まる事となる。

 

「こらこら、良い子はまだ寝ている時間よ?」

「……?」

 

瑞穂が振り向くと、そこには紫のドレスを纏った長い金髪の女性――言わずと知れた八雲紫が立っていた。

しかし、紫の事を知らない瑞穂は再び首をかしげる。

 

「……()()()()()()、誰……?」

「おねっ……!?う、うぅぅ……!」

 

瑞穂の予想外の問いかけに、紫は一瞬固まり、そして片手で口元を覆うとそっぽを向いて両目に涙を滲ませた。

決して悲しいわけじゃない。むしろその反対だ。

瑞穂はまだ五歳の幼女。そんな幼女から見れば、(見た目は若けれど)(自分)は多少高齢に見えても不思議は無いと思っていたからだ。

『B○A』はともかく、最低でも『おばさん』と呼ばれる事は覚悟していたのである。

それ故、紫にとってこれは予想外の『嬉しいショック』であった――。

感動のあまり身を震わせる紫に対し、瑞穂はさらに頭に『?』を浮かべる。

 

「……おねえちゃんどうしたの?悲しい事、あったの……?」

「いえ、感涙極まってるの。……ごめんなさいね。もう大丈夫よ」

 

目じりの涙を拭き終えた紫は、改めて瑞穂と向かい合う。

 

「それよりも、あなた。瑞穂ちゃんよね?あなたのお姉さんならこの向こうの広間で宴会の手伝いをしてるから大丈夫よ。だから安心して布団に戻りなさい。あなたもまだ眠いでしょ?」

 

紫のその言葉に、素直に頷こうとする瑞穂であったが、ふいに俯き動かなくなってしまう。

 

「……?どうしたの?」

 

瑞穂の様子がおかしくなった事に気付いた紫は、覗き込むようにして瑞穂を見る。

よくよく見ると、瑞穂の体全体がブルブルと小刻みに震え、両足もモジモジと()()()()()()()()動きをしていた。両手もお腹辺りを押さえている。

それを見た紫は全てを察する。

 

「あらあら……。寒い廊下にいたせいで()()()()()のかしら……?『大きい方』?『小さい方』?」

「……小さいほう……」

 

紫の問いに少し恥ずかしそうに頬を赤らめ瑞穂はそうポソリと答える。

それを聞いた紫は「しょうがないわね」と小さく苦笑してみせると、瑞穂の小さな手をとって、優しく引っ張る。

 

「……(かわや)に案内してあげる。こっちよ……」

 

そう優しく微笑みかける紫に手を引かれるがまま、瑞穂は彼女と共に廊下の奥へと消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。紫様」

「こんなの『お疲れ』にもならないわよ、藍」

 

『お花摘み』を終えた瑞穂を部屋へと送り、布団に寝かしつけた紫を、廊下で彼女の式の藍が待っていた。

紫は藍に問いかける。

 

「……いつからいたの?」

「紫様が、彼女を厠へと送っていくあたりからでしょうか。……言ってくだされば、私が代わりに彼女を送っていきましたのに……」

 

藍のその言葉に、紫はフフッと笑うと、瑞穂が寝ている空き部屋へと振り返り、独り言のように響く。

 

「そうね……その方が良かったのかもしれないけれど、どうしてかしらね?……ひょっとしたら、()()()()()()()()と思ったのかもしれないわね。()()()()()()()()っていうモノに……」

 

そう語る紫の横顔が、親友である幽々子の前でも滅多に見せない、()()()()()()笑みを浮かべていた――。

藍自身も、紫がそんな顔をする所を見た事が無かったので、予想外の状況に目を丸くする。

しかし、そんな珍しい紫の笑みが次の瞬間には霧散し、代わりにいつもの『賢者としての笑み』を藍に向けてきていた。

 

「……それよりも藍、喜びなさい。()()()()()()があったわよ」

「……は、え?と、言いますと……?」

 

一瞬反応が遅れるも、藍は紫にそう聞き返す。

それに紫が再びフフッと小さく笑うと、口を開いた。

 

「……あの子――瑞穂ちゃんと会った瞬間、感じたのよ――」

 

 

 

 

 

 

「――あの子の中から……『高い霊力』を、ね……」

 

 

 

 

 

「高い霊力……?……!!もしや、紫様……!」

 

紫が何を言いたいのか、直ぐに理解した藍はハッとなる。

それを見た紫は嬉しそうに笑みを深くし、そして続けて声を響かせていた――。

 

「ええ、()()()()()()()()()()()()()……?――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――霊夢の後釜……()()()()()()()()()()()の座にすえて置くのは、ね……」




予想より速く書けましたので、投稿させていただきます。


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『慧音先生の会館訪問』

時期的に幕間・弐のその後の話です。


四ツ谷会館完成から一週間後、本格的な冬が到来し、肌寒く、それでいて天気の崩れやすい時季となった。

そんな寒空の下、人里の通りを四ツ谷会館へと向かう者がいた。上白沢慧音である。

その日、寺子屋が休校だったのを機に、彼女は四ツ谷たちの様子を見に行ったのである。

まだ、会館を任されて日が浅いため、もしかしたら四苦八苦しているのではという心配から来た、彼女なりの配慮であった。

外套を纏った慧音は会館の前に着くと、一呼吸置いて会館の出入り口の扉を開けた。

 

「失礼するぞ?誰かいるか?」

「はーい!」

 

会館の中に入って発した慧音の声に直ぐに返事が返ってきた。

パタパタという足音と共に、()()()()小傘が現れる。

小傘は慧音の姿を見て笑顔を作る。

 

「ああ、慧音先生。いらっしゃい!」

「やあ、小傘……ん?小傘、いつも持っている傘はどうした?」

 

あの大きくて赤い、一つ目と長い舌と口をつけた傘を小傘が持っていない事に、慧音は疑問を向ける。

それに小傘が直ぐに答えた。

 

「ああ、あの傘なら私の部屋に置いています。四六時中持ったままだと仕事ができませんから」

「ほぅ?以前は少しの間でも手元から離れていたら落ち着かなくなっていたというのに……」

「あははは~!何か大妖怪になってから、そういう事が気にならなくなっちゃったんですよね~」

 

慧音の言葉に小傘が苦笑しながら後頭部を掻きながらそう言う。

慧音の指摘のとおり、以前の下級妖怪だった小傘は、唐傘妖怪という習性からか、一時たりとも傘を手放す事は無く、食事の時も寝る時も、それこそ風呂に入る時だって持って入っており、一度として自分から手放そうとはしなかったのである。

しかし、四ツ谷によって大妖怪となった今の彼女はそれを気にする事が無くなった。

それは下級妖怪だった『唐傘お化け』から大妖怪『赤染傘』に進化したのが原因なのかは分からない。

だが、現在の小傘は自身で自分の一部ともいえる傘を手放す事になんら支障を受けなくなっているのは確かであった。

 

「……ところで慧音先生、今日はどのようなご用で?」

「ん?ああ、そうだった。まだ会館(ここ)を開いてから日が経っていないから苦労してるのではと、様子を見に来たんだ」

「ああ、そうだったんですか?確かにまだちょっと苦労はしていますが、私も他の皆も少しずつ慣れて来ていますので大丈夫ですよ?」

 

そう言った慧音の言葉に小傘が笑って答える。

その様子に嘘偽り無く無理をしていない事が分かり、慧音は内心ホッとした。

それに対して小傘はここで慧音を帰すのも悪いと思い、慧音を会館に招き入れようと考える。

 

「よかったら上がっていきませんか?お茶をお出ししますので」

「む、良いのか?……なら、少し図々しいかもしれんが、お言葉に甘えるとしようか。一応、四ツ谷たちにも会っておきたいしな」

 

そう言って慧音は小傘の案内で会館の奥へと通されていく。

出入り口から直ぐ入った所にある里人たちの遊戯場である広間には、小さな人里の子供たちが会館の備品であるボールを手に遊んでおり、別の所では老人たちが同じく会館の備品である椅子に座って、用意されたお茶や茶菓子を手に楽しく談笑していた。

そんな光景を見ながら、慧音は纏っていた外套を脱ぎながら小傘に声をかけた。

 

「上手くやっているみたいだな。広間の空調温度もちょうど良い温かさだ」

「まだ、温度調整には時間がかかりますが、そう言っていただけるだけで安心です」

 

小傘が嬉しそうに響く。

この会館での小傘の仕事は、主に事務と会館を訪れる客たちの相手や掃除、備品を用意するといった雑務、そして会館全体の()調()()()を任されていた。

会館の地下には小傘専用の鍛冶場が作られており、鍛冶師という副業を行う小傘は、そこで人間妖怪問わず頼まれた金物類などを製作するという作業をしていた。

それ故、鍛冶場にある大窯(おおがま)は毎日のように火が入れられ、そこから生まれた熱気を壁や床に通したパイプで会館全体に行きとどらせ、空調を調整しているのである。

この寒い時期、されどこの快適な空間で元気に遊ぶ子供たちや談笑する老人たちを横目に微笑みながら、慧音は小傘と共に会館の奥へと足を運んだ。

二人が向かったのは、従業員専用の仕事部屋、『職員室』であった。

そこでは、経理担当の金小僧が算盤片手にパチパチと玉を弾いて、出た数を書類にしたためていた。

その傍らでは折り畳み入道が金小僧が作った書類を纏める手伝いをしている。

人間の姿に近く、親しみやすい性格の小傘と違い、どう見ても異形丸出しなこの二人は、接客を行う事ができず裏方の仕事へと回っているのである。

職員室にやって来た慧音に気付いた金小僧は、軽く会釈をする。

 

「あ、慧音先生。いらっしゃいませ」

「やあ、金小僧。折り畳み入道も元気そうだな」

 

慧音のその言葉に折り畳み入道も軽く会釈をした。

それを見た慧音は次に部屋全体を見回して続けて口を開く。

 

「……四ツ谷と薊の姿が見えないようだが……二人とも出かけているのか?」

「あ、えっと……」

 

何故か口ごもった小傘に代わり、折り畳み入道が答える。

 

「二人なら、今父ちゃんの部屋にいる」

「そうか。なら、一度会いに行った方が良いな」

 

そう言って慧音は踵を返して、四ツ谷の部屋へ向かおうとするも、それを小傘が()()()呼び止める。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい先生。部屋に向かわなくても、少しすればここに戻ってきますから」

「む、そうか?まあ、二人ともここに戻って来るのなら待つとするが……」

「あ、いえ……あの……戻って来るのは、たぶん薊ちゃんだけ、かな……?あ、あははは……」

「……?」

 

いまいち要領を得ず、引きつった笑いを見せる小傘に、慧音は首をかしげる。

 

「薊一人だけ……?四ツ谷は部屋に篭ったままか?ならやはり私が直接四ツ谷の部屋に行った方が二人同時に会えるではないか」

「え、えぇっとぉ……。今は師匠の部屋に行くのは、マズイって言うか……お勧めできないって言うか……」

「一体さっきからどうした小傘?話からして私を四ツ谷の部屋に行かせたくないみたいだが……。!……ま、まさか、あの二人、こんな真昼間から何か如何わしい事でもしてるんじゃなかろうな!?もしそうなら、あの二人はいつの間にそんな関係に!?」

「ふぇっ!?ち、違いますよ!そんなんじゃありませんから!?」

 

慧音の大胆な発言に小傘が慌てて否定する。

だが、それに追い討ちをかけるかのように、慧音は小傘に問い詰める。

 

「ならどう言う事だ!?ちゃんとはっきりと説明してもらおうか!!」

 

慧音の鬼気迫る迫力。その彼女の背後に角と尻尾の生えた獣人としてのもう一つの姿である慧音の幻影が見えてしまった瞬間、小傘は慧音を会館に上げるべきじゃなかったと今更ながらに後悔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷会館の従業員である薊に任された仕事はいくつかある。

そのうちの二つは、小傘同様、会館の事務や接客、掃除、備品整理などの雑務などであるが、もう一つ任されている仕事があった――。

畳み三十畳分の広さがある四ツ谷の自室は、会館でも一番日当たりの良い場所にあり、快晴の日なんかは、その縁側で日向ぼっこをするには最適の所であった。

しかし今は冬。縁側へと続く面にはきっちりと障子で閉められていた。

代わりに部屋の畳の上には火鉢が置かれ、空調温度設備も手伝って部屋全体をポカポカと暖められている。

その火鉢のそば、畳の上に同じく置かれた木製のリクライニングチェアに四ツ谷は寝そべるようにして座っていた。

いつもの着物の上から半纏を着込み、足にはひざ掛け用の毛布を敷いた四ツ谷は、鈴奈庵から借りた大量の本を(かたわ)らに山積みにし、黙々と読書にふけっていた。

そんな四ツ谷の隣、山積みにされた本の反対側に小さな丸い小机が置かれており、その上には湯飲みとお茶の入った急須、そして今朝買ってきたばかりの小さく切り分けた柿の実をそえた小皿が置かれていた。

そしてその小机の直ぐそばに薊がいた。薊は爪楊枝で柿を一つ刺すと、それを四ツ谷の口元へと持っていき――。

 

「はい館長、あーん」

「あー……んッ」

 

差し出された柿の実を四ツ谷はパクリと食べる。

傍から見るとまるで思想相愛のバ○ップルな光景。

しかし、四ツ谷の方は薊の方には全く見向きもせず、その意識も全て手元の本の内容へと注がれていた。

美少女である薊に食べさせられているのにも関わらずである。

だが、薊の方もそれを気にする事は全く無く、黙々と四ツ谷に柿を食べさせ続けていた。

『四ツ谷の世話役』。それが薊に与えられた最後の仕事であり、四ツ谷を敬愛する彼女自身もそれを全うしようとしているに過ぎなかったのである。

したがって、四ツ谷と薊の双方の間には、男女の意識はこれっぽっちもなかった。残念な事に。

しかし、それを黙って見ている事ができない者が今し方現れた。

その者は部屋の光景を目の当たりにし、部屋の入り口で両手(こぶし)をブルブルと震わせて俯いている。

そしてその隣には顔面蒼白となった小傘が佇んでいた。

その二人に薊より先に気付いた四ツ谷が、本から顔を上げて小傘たちに声をかける。

 

「?小傘と……()()()()?……オイオイ、部屋に入る時は一回声をかけてからにしろよ。いきなり入ってきたらビックリするだろ――」

「――こンのォ……大馬鹿者がああああぁぁぁぁーーーーーーーーッッッ!!!!」

 

いきなり慧音に特大の雷を落とされ、それに()()()()()()四ツ谷が思わず椅子から転げ落ちたのは仕方の無い事なのかもしれない――。




次回はこの話の直ぐ後の出来事を書く予定です。


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『誕生、四ツ谷せんせー』

前回の直後からの話です。


四ツ谷の自室、その中央にその部屋の主が正座をさせられ、対面には鬼の形相で仁王立ちで見下ろす人里の女教師の姿があった――。

そしてそのそばには、戦々恐々とした面持ちで二人を見守る少女が二人。小傘と薊である。

慧音に強制的に正座をさせられた部屋の主、もといこの会館の館長である四ツ谷文太郎は目の前に立つ女教師、慧音におずおずと反論する。

 

「……いや俺、一応この会館の館長だから。リーダーとして威厳のある生活しなきゃならないから」

「それが、真昼間から薊を(はべ)らせて趣味の読書にふけりながら柿を食うという事なのか?お前のは威厳を出すためのモノじゃない。ただの自堕落(じだらく)だ」

 

慧音の的確な返答に四ツ谷はぐうの音も出ない。

それに構わず慧音は続けて言う。

 

「とにかくお前も働け。館長であるお前がその様じゃあ、それこそ示しがつかない」

「えー……」

 

明らかに嫌そうな顔を隠そうとしない四ツ谷に、慧音はますます顔をしかめる。

と、そこへ横から小傘が助け舟を出してくる。

 

「あ、あの慧音先生?私たちなら大丈夫ですよ?私と薊ちゃんと金小僧と折り畳み入道の四人でも、十分館内の管理ならできますし……」

「小傘、いくら恩人とは言えこいつを甘やかしてたら近いうち必ずダメ人間……もとい、ダメ怪異になってしまうぞ?」

 

慧音の鋭い指摘に小傘もあえなく撃沈してしまう。

しばしの沈黙のあと、慧音は深いため息をついて両手を腰に当てて四ツ谷を覗き込むようにして問いかける。

 

「全く、お前には他にやる事は無いのか?」

「あるぞ?時折外に出て人里のガキ共に怪談を聞かせたり、広間の舞台で客相手にたまに怪談を行ったり……」

「怪談ばかりじゃないか。しかもそれは仕事とは言えん」

 

四ツ谷のきっぱりとした返答に慧音は頭を抱えながら天を仰いだ。

 

「全く、本当に全く。ただでさえ『問題』を抱えている状況だと言うのに、お前って奴は……」

 

ついつい愚痴っぽく慧音の口から出た言葉ではあったが、四ツ谷はそこ言葉のある部分に耳ざとく食いついてきた。

 

「ん?『問題』?……そっちでも何かあったのか?」

「え?あ、いや……。別にお前が気にするような事じゃない。さすがにこれは怪談では解決できる話じゃないからな」

 

無意識的に口を滑らせたことに慧音は一瞬「しまった」と言う顔をするも、すぐにそう言いつくろった。

だがそれに構わず、今度は四ツ谷の方が慧音にぐいぐいと突っ込んで来る。

 

「そこまで言っといて何でもないと切られたんじゃ余計に気になるなぁ?いいからいいから、話してみ?相談ぐらいなら乗ってやるから」

「な、何なんだお前は?……はぁ、全く……」

 

何故かニヤニヤ顔で詰め寄ってくる四ツ谷に慧音は一瞬たじろくも、直ぐに観念したとばかりに再びため息を吐いて「別に聞いても意味無いと思うぞ」と前置きしてからそれを話し始めた。

 

「……実はうちの寺子屋に長年勤めていた教師の一人が高齢を理由に退職する事になったんだが、代わりの教師となる者が今どこを探しても見つからんのだ。……まあ、教育者というその役職上、この範囲が限られてくる人里内でそういった事ができる者を探すとなればさすがに困難である事は理解はしているが、かと言ってその退職する教師の穴埋めを私たち他の教師でカバーしようにも手が足りない状況なんだ。やはり、もう一人代わりの教師となりえる者が欲しい所でな……」

 

慧音がそう簡潔に説明し終え、しばしの静寂が訪れる。

そこへ今度は薊がおずおずと慧音に声をかけた。

 

「大変そう、ですね先生……」

「だろ……?はぁ……」

 

そう言ってまたもや短くため息をつく慧音であったが、次の瞬間目の前に座る男の口から信じられない言葉が飛んでくる。

 

「……なぁ、慧音先生?その教師の代役、()()()()()()?」

「「「………………………、えぇっ!!?」」」

 

四ツ谷の予想外の返答に、慧音のみならず、傍から状況を見守っていた小傘と薊も驚愕の顔で四ツ谷を凝視する。

そんな視線を受け、「何だよ、そんなに意外か?」とばかりに心外な顔をしながら、口を開く。

 

「そんなに驚く事か?」

「え?あ、いや……って言うかできるのか四ツ谷?教師なんて仕事……」

 

動揺しながら問いかける慧音に四ツ谷は問題ないとばかりに胸を張る。

 

「実を言うとな、俺こう見えて人間だった頃に教師資格の免許を取った事があるんだよ。……中坊(ちゅうぼう)レベルまでのだがな」

「本当か?お前が!?信じられん……!!」

 

未だに信じられずそう言う慧音に、四ツ谷はこめかみに血管を浮き立たせてジト目で慧音を見上げる。

 

「いやに否定的だな。……教師になるの辞めよっかなぁ~?」

「あ、いや、す、すまなかった四ツ谷、ただあまりにも予想外だったためについ、な……」

 

しどろもどろになりながらも慧音は四ツ谷に謝罪をし、一端はその場の一件が落ち着いた。

そして改めて慧音は四ツ谷に向けて口を開く。

 

「それじゃあ……頼めるか四ツ谷?寺子屋の教師を」

「おう、任せろ……♪」

 

胸を拳でドンと叩き、自信たっぷりに四ツ谷がそう答える。

こうして、新たな寺子屋教師が誕生したのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちなみに四ツ谷。私からこの教師の内容が出なかった場合、お前は私の話を聞いた後、どうするつもりだった?」

「そりゃもちろん。適当に相づちを打って、お茶を濁して、先生にはさっさと帰ってもらうつもりだった」

「……四ツ谷、もう一度正座をしろ。これからたっぷり三時間、お説教コースだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後の朝、人里の寺子屋その一教室にてやって来たばかりの子供たちがそれぞれ思い思いにワイワイと騒いでいた。

姦しく子供たちの声が響く教室内、とそこへドンドンと教室へ向かってくる足音が響きだし、やがてその足音の持ち主が教室の戸をガラリと開け放った。

子供たちは最初、先生が来たのかな?と、騒ぐのを止めて視線を教室の出入り口へと向け、すぐに全員が首をかしげた。

そこに立っていたのは子供たち見知った先生ではなかったからだ。

出席簿を片手に立つその男は、着物の上から腹巻をし、そのさらに上に何故か丈の長い白衣を纏っていた。

そして短い黒髪を無理矢理束ねて輪ゴムでとめ、小さなポニーテールを作り、レンズの入っていない黒縁の伊達眼鏡をかけたその男は驚く子供たちを尻目にズカズカと教壇へと上がっていく。

と、そこに来てようやくその場にいた子供たちの何人かがその男の正体に気づいた。

 

「……あれ?もしかして、四ツ谷のおにいちゃん?」

「え?あ!本当だ!四ツ谷のおにいちゃんだ!」

 

その声を聞いた壇上の男――四ツ谷もその子供たちの方へを目を向ける。

そこにいた子供たちは四ツ谷の見知った者たちであった。それは毎日のように四ツ谷の怪談を聞きにせがみに来る、おなじみの少年少女五人組、太一、千草、佐助、蛍、育汰であったのだ。

彼らの姿を確認した四ツ谷も驚きで目を丸くする。

 

「おお、お前ら!何だお前たちのいるクラスだったのか?」

「四ツ谷のおにいちゃん、何でおにいちゃんがここにいるの?」

 

太一にそう問われ、四ツ谷は「おお、そうだった」とばかりに自身の頭をペシリと軽く叩くと、背後にある古ぼけた黒板に持ったチョークを走らせた。

黒板に大きく『四ツ谷文太郎』と縦に書いた四ツ谷は再び教室全体にいる子供たちを一瞥すると、大きな声をその場に響かせた。

 

「えー、私を知らない子もいるでしょうから一応自己紹介をしておきますね。今日からこの寺子屋で教鞭を振るうことになりました四ツ谷文太郎と言います。寺子屋(ここ)に来るのは週に三回、担当科目は『国語』。まあ、一応君たちが寺子屋を卒業するまではここで君たちの先生をしていく予定ですからよろしくお願いしますね!」

 

先程までとはガラリと態度が変わり、懇切丁寧な四ツ谷の自己紹介を聞いた子供たちは皆思い思いに口を開き始める。

 

「あたらしい先生だって!」

「若い先生だね。一体どんな人なんだろう?」

「せんせー、今何歳ですか?」

「人里のどこに住んでますか?」

「好きな食べ物とかありますか?」

「嫌いな物は?」

「座右の銘とかあります?」

「趣味は?」

「好きな人とかは?」

 

矢継ぎ早に子供たちは四ツ谷に質問を浴びせるも、四ツ谷はマイペースにパンパンと両手を叩き、その場を沈める。

 

「はいはいはーい。私への質問は順番に受け付けますよ?その後、授業を行いますが……私の授業は毎回最後にちょっとした催し物を行う予定ですので、皆さん期待して待っててくださいね?」

 

四ツ谷のその言葉にその場にいた大半の子供たちは何だろうと首を傾げるも、四ツ谷と関わりのある太一たちは、すぐにそれが何なのか気がついた。

 

「催し物?四ツ谷のおにいちゃん、それってもしかして……?」

「ヒヒッ、そう君たちの想像通り、毎日にように君たちに語って聞かせている()()さ♪」

 

ウィンクしながら四ツ谷がそう答えた瞬間、太一を始めとした五人全員が目をキラキラと輝かせた。

そんな彼らを一瞥して、四ツ谷は再び教室内に声を響かせる。

 

「――さァ、始めて行きましょう!君たちの為のかいだ(ゲフン!ゲフン!)……教導(きょうどう)を……!」

 

いつもの調子でつい『怪談』と言いそうになったのを慌てて咳払いで誤魔化した四ツ谷は、イマイチ締まりの無い形で教師生活をスタートさせたのであった――。




ちなみに、四ツ谷の教師時の姿は、原作読み切り版『詭弁学派、四ツ谷先生の怪談』の四ツ谷の服装を基にしています。


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『年越し夜話』

時期的には会館完成後の大晦日の夜の出来事です。


年末、一年の終りも差し迫った頃、四ツ谷会館の面々は大掃除に明け暮れていた。

と言うのも、四ツ谷会館は全体的に見えてもかなり広く、それでいて反対にそこに住んでいる者たちは、通い勤めている薊を含めても、わずか五名だけであり丸一日かけても終りはしない事は目に見えていた。

ならば誰か応援を呼ぶ方法もあったが、時期は年末故、どこも同じく掃除や年越しの準備で忙しいためそれはできぬ話であった。

結局、大掃除は四ツ谷たち五名だけで当たる事となり、遊ぶ余裕も無く、会館を隅から隅まで綺麗に掃除し終えたのは、開始から三日後のことであった――。

怠け癖のあった四ツ谷も、事今回にいたっては、一人だけ何もしない訳にもいかないと考えていたのだろう。率先して大掃除の作業に当たっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーン……ゴーン……!

 

 

 

 

 

 

 

そして迎える大晦日の夜。命蓮寺の方向から鐘の音が鳴り響く。除夜の鐘だ。

今年もあとわずか。

大掃除を終え、正月を迎える準備も済ませた四ツ谷たちは、人里中央にある広場へとやって来ていた。

そこではいくつもの露店が立ち並び、広場の中央には簡素ながらも特設ステージが設けられていた。そこでは見知った者やそうでない者たちなどが歌や芸など、様々な出し物を観客たちに披露してワイワイと楽しませていた。

 

「う~さぶっ!今夜はやたらと冷え込むじゃねーか」

 

中折れ帽を被り、分厚い羽織と首巻(マフラー)を纏った四ツ谷は人が行きかう広場の中をどこへとも無く歩き続けていた。

 

「本当ですね~。でも帰ったら金小僧が年越しソバを作って待っててくれるみたいですから、それまでの我慢ですよ」

 

四ツ谷の呟きに、背後を同じく分厚い羽織を纏った小傘が答えた。

今四ツ谷に付き添っているのは小傘だけであった。

金小僧も折り畳み入道も、人目に出られる体躯ではないため、今は会館で留守番をしてもらっている。

薊も今夜は家族と過ごすため、この場にはいない。

 

「ったく……。大晦日の祭りだから何か美味そうなモンが売ってるんじゃないかと露店巡りに出かけたは良いが、こう寒くっちゃその気も失せる」

「帰りますか師匠?」

「いんや、もうちょい粘って探してみる。うぅぅ……『しばれる』のォ……」

 

そんな会話をしながら四ツ谷と小傘が広場を歩いていると、ふいに声がかけられる。

 

「おや、館長さんじゃないですか」

 

その声のした方へ四ツ谷と小傘が目を向けると、見知った青年がそこに立っていた。

一見優男に見える短い白髪に眼鏡をかけたその青年は、軽く手を上げて四ツ谷たちに歩み寄る。

 

「なんだ、誰かと思ったら香霖堂(こうりんどう)の店主さんか」

「森近さん、こんばんは」

 

その青年が知り合いである森近霖之助(もりちかりんのすけ)である事に気づいた四ツ谷は森近に習って同じく軽く手を上げて返し、小傘はぺこりと頭を下げて見せた。

森近は魔法の森の直ぐそばに古道具屋『香霖堂』を開いている店主である。人里の外に店を構える彼はもちろん普通の人間ではなく、人と妖怪の間に生まれたハーフであった。

そんな彼に四ツ谷たちはちょっとした借りがある。

それは会館完成披露宴のおり、会場の室温を上げるためにたくさんの石油ストーブを森近から借りていたのである。

今じゃ小傘の鍛冶場の大窯(おおがま)に火を入れれば会館全体の温度を調節する事ができるが、その時はまだ小傘は温度調節が不慣れだったため、火を入れることができても、なかなか会館の温度を上げることができないでいたのである。

そのため急遽四ツ谷は、魔理沙経由で森近とコンタクトを取り、多くの石油ストーブを借りたという出来事があったのだ。

 

「久しぶりだね。どうだい会館経営の調子は?」

「気長にやらさせてもらってるよ」

「師匠は食っちゃ寝ばかりですけどねー」

 

森近の言葉に四ツ谷と小傘がそう返し、直後四ツ谷は小傘をひじで軽く小突く。

それを尻目に再び四ツ谷は、苦笑を浮かべている森近に目を向けた。

 

「……会館披露宴の時は世話になった」

「あれぐらいどうって事無いよ。噂の怪談(面白いモノ)も聞けた事だしね」

「ストーブの借料(しゃくりょう)と灯油代はまだ払ってなかったよな?明日にでも金小僧に頼んで――」

 

次の瞬間、森近は片手を挙げて制止し、四ツ谷の言葉を遮った。

そして首を振って、四ツ谷に声をかける。

 

「すまない、代金は要らないんだ。でもその代わりに君たちに頼みたい事があって……」

「頼みたい事?」

 

首を傾げる四ツ谷に、森近は「本当に申し訳ない」と言いたげに両手を合わせてお願いするように響いた。

 

「……大掃除、手伝って欲しい」

「ハァ!??」

 

予想外の森近のその言葉に四ツ谷は素っ頓狂な声を上げる。

 

「大掃除って……まだやってなかったのか?」

「いや仕方ないんだよ?うちって店内だけじゃなく倉庫の方も含めると結構広いからさ。一人じゃとてもとても……」

「一人じゃって……アンタんとこ確か一人従業員いなかったか?こう、鳥っぽい奴がさ」

「彼女はダメだ。日がな一日、本読んでるだけで一向に手伝ってもくれない」

 

大きく肩を落として同じく大きくため息をついた森近の周りを何とも言えない哀愁が漂っているのを四ツ谷と小傘は感じ取っていた。

一拍置いて森近は再び両手を合わせると深々と四ツ谷と小傘に懇願した。

 

「だから頼む。もうかなり埃が積もっている状態なんだ。人手は喉から手が出るほどほしい……!」

「わ、わかったわかった手伝いに行ってやる。だが今すぐは無理だぞ?やれるとしたら年明け後になるが……」

 

あまりの事にやや動揺しながら四ツ谷がそう言って了承すると、森近はホッと安心したような顔を浮かべ、頭を上げる。

 

「感謝するよ。実はこちらも今すぐとはできない状況でね。年明けは色々と予定が詰まっている状態なんだ。だから大掃除はもう少し先の話になるけれど、時間の目処が立ったら直ぐに連絡するよ」

「ああ、わかった」

 

四ツ谷が頷いたのを確認した森近は、再びホッと胸をなでおろすと、ゆっくりと踵を返す。

 

「ありがとう、それじゃあ僕はもう行くよ。この後、慧音先生と妹紅と合流して博麗神社の宴会に参加する予定だからね……。よかったら君たちも一緒に来るかい?」

「いんや。今回俺たちはパスだ。今年は会館ですごすつもりだからな」

「そうか。それじゃあお二人ともまた、よいお年を……!」

 

そう言って手をひらひらと振りながら、森近は四ツ谷と小傘の元から去り、人ごみの中へと消えていった。

その場に残った四ツ谷は頭をガシガシとかきながら一人呟く。

 

「やれやれ、年明けも大掃除か……」

「時間ならたっぷりあるから良いじゃないですか師匠?」

 

横から覗き込むようにしてそう言ってきた小傘を軽くスルーしながら、四ツ谷は再び歩き出そうとし、

 

「お!館長さんじゃないか?そこにいるの!」

 

背後から聞こえてきたその声にその動きが止まり、四ツ谷と小傘は同時に振り向いた。

見るとそこには広場に建てられたステージの観客席があり、そこに座っていた観客の一人が四ツ谷に指を刺しているのが見えた。

一呼吸置いて他の観客もその近くを歩いていた周囲の人々も全員四ツ谷へと視線を向け注目した。

そして観客席にいた他の客たちからも声が上がる。

 

「丁度良いや、いま出し物が一つ終わったところなんだ。館長さん、時間があるようだったらここでいくつか怪談を語ってくれよ!」

「いいわねそれ!館長さん、ちょっとこっちへ来てくださいよ!」

「怪談を語ってくれ!とびっきり怖いのをさ!」

「新しいのが良いな!」

「館長さんの怪談はクセになるんだよ!結構好きなんだぜ俺!」

 

そう言ってワイワイと怪談を求める周囲の人々に四ツ谷は面食らう。

そして次の瞬間にフゥッとため息を吐くと小傘に問いかける。

 

「小傘、年明けまで後どのくらいだ?」

「まだ少し余裕がありますね。怪談二、三話ぐらいはいけるんじゃないでしょうか?」

「そうか。……ヒッヒッヒ!こんなクソ寒い中なのに怪談が聞きたいなんてもの好きな奴らだ!」

「その怪談へと向ける好奇心、その引き金を引いたのは間違いなく師匠本人ですけどねー」

 

そう言いながらも小傘の顔は笑っていた。何だかんだ言いつつも彼女も四ツ谷の語る怪談は好きなのである。

小傘のその言葉を聞きながら、四ツ谷は中折れ帽を片手で押さえ、いつもどおりに顔を不気味に歪ませるとゆったりとした足取りで舞台へと向かって歩いていく。

好奇心に満ちた周囲の視線を受けながら、高々に声を張り上げた。

 

「――そこまで言うのであれば語ってあげましょう!今年最後の、あなた達の為の……とっておきの怪談を……!」

 

 

 

 

 

 

雲一つ無い月の明るい大晦日の夜――。

人里の中央で、今年最後の悲鳴が轟渡り……同時に大量の『畏れ』が生まれ、幻想郷じゅうへと広まっていったのであった――。




遅くなって申し訳ありません。
この時期は多忙故、なかなか書く時間がありませんでした。
まだこの状況は続きそうで、次の投稿もまた間が空くかと思われます。
おそらく落ち着くのはゴールデンウィーク明けだと思いますが、それまでこの作品を楽しみにしてもらっていただいている読者の皆々様にはご迷惑かとは存じますが、何かとご容赦の程深くお願い申し上げます。


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『外来人』

時系列的には前回から少したった後の話です。


日本の某山中――。

冬の曇天の下、山間(やまあい)をくねりながら伸びる道路、その要所要所に展望台が設置されている箇所がいくつかあった。

時期が時期なら、景色見たさにドライブに来るカップルや家族連れが多く来る場所なのではあるのだが、今は冬場、山中の木々は葉が落ちているモノが多く、しかも天候も良くないためここにやってくる者は多くはいなかった。

そんな展望台の一つにぼんやりと景色を眺めている少女が一人いた。

危険防止のために作られた木製の手すりに両手を添えて景色をぼんやりと眺めているその少女は、()()()()()()()()()()()()()()()

しかし、その顔立ちは驚くほどに整っており、背中まである黒髪をシュシュで二つに分けて束ね、両肩から前に垂らしいた。

陶磁器のような白い肌、そして均整の取れた身体の上から茶色の厚手のダッフルコートに淡いピンクのマフラーとロングスカート、紐無しブーツを纏ったその女性は十人中八割が「美人」と称するほど魅力に満ちていたのである。

だが彼女の心は今現在、絶望と途方に暮れていた。

何故なら少女――芝垣 梳(しばがき すき)は――。

 

 

――つい先日、家族を全て失い天涯孤独な身の上となってしまったからだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

実家が理髪店という事もあり、自身も理容師になる事を夢見て目指していた梳は、中学卒業後に市内に在る理容美容師専門学校へと入学した。

そして二年の勉学と実技を経て、見事資格免許を取る事に成功したのである。

喜び、これからの未来に夢を膨らませる梳。しかし、それは直ぐに破綻する。

卒業を間近に控えた年明けのある日、両親がドライブ中に事故にあい、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ――。

十七歳、それも一人っ子であった梳にはこの衝撃的な事態は身に重すぎた。

両親を失ったという大きな喪失感。そしてこれからその両親と共に理髪師として働くという夢すらも粉々に散ってしまったのだ。

両親の葬式も親戚や近所の人たちに任せっきりで何かをする気力すら湧いてこなかった。

そうこうしている内に葬式が終えた彼女は、行く当ても無くふらりとした足取りで街中を彷徨い歩いた。

家に引きこもっていても胸のうちのもやもやが増すばかりで一向に落ち着かない。ならば外に出て何処かへ行こうと考えたのだ。

行き先など何処でも良い、ただ現実から逃れられるのであればそれで充分であった。

近場の駅から電車を乗り継ぎ、時にはバスやタクシーを使い、彼女は適当に、思うがままにあちこちへ移動していった。

そして、最終的に着いたのがこの山中の展望台であったのだ。

見知らぬ山中の、誰もいない展望台の上から下の景色を眺める梳。

もはや手元にある金銭はわずかな小銭しかなく、帰るための交通費が明らかに不足していた。

ヒッチハイクをしてもここが何処なのかすらも皆目見当がつかない。なにせ滅茶苦茶に移動した果てにたどり着いた場所なのだから当然だと言えた。

自身のスマホも家に忘れて来ており、近場に公衆電話の類も見当たらないため連絡手段も無い。

それ以前に家に帰れたとしてももはや彼女を迎える者は誰一人としていないため、帰ろうという考えすら彼女の頭の中から抜け落ちてしまっていた。

夢も帰る場所も、何かをやろうという気力すらも失い、彼女は曇った眼で虚空を見上げる。

空もまた、彼女の今の心境を映すかのようにどんよりと灰色に曇っていた。

 

「……いっその事、死んじゃおうかな……」

 

そうポツリと口から零れる。

別に本気で死にたい訳じゃない。だが絶望の中に放り込まれている今の彼女は、何一つとして未来に希望を見出せないでいたのだ。

この先何が起こり、何ができるのか分からない恐怖と不安。それが彼女の口からそんな言葉を漏らさせていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ死ねば?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ドンッ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ……?」

 

唐突に背後から響かれた声と強い衝撃が、思考を止めていた彼女の脳内を一時的に回復する。

何が起こったのか理解するよりも先に、()()()()()()()()()()――。

天と地が目まぐるしく動き回り、次の瞬間、彼女の視界にある光景が目に映る。

それは自分が今し方まで立っていた展望台。そこに二つの小さな人影があった。

視界が急速に動いているため、その人影の詳細な部分はブレてよく見えない。

しかし、その人影のうちの一人がこちらに向けて右手を大きく突き出しているのが僅かに確認できた。

そしてそれは彼女に一つの事実を理解させた。

 

(あ……私、()()()()()()()()()……)

 

そんな事を頭に浮かべながら梳の体は吸い込まれるようにして崖下へと消えて行き、そして同時に彼女の意識を強制的に途絶えさせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?肉の潰れる音がしないね」

「…………」

 

展望台で梳を突き落とした影のうちの一人がそう言い、もう一人は黙ったまま首をかしげた。

声を発した方の影が下を覗き込む。

 

「崖下の木々に引っかかって勢いが落ちちゃったのかな?それでもこの高さだから普通の人間なら打ち所が悪ければ死んでるはずだし……ちぇ~、あの肉がグシャって潰れる音、ボク好きなになァ~」

「…………」

 

両手を頭の後ろで組んで残念そうに響く影をもう一つの影が黙ったまま見続けている。

それを気にする風でも無くもう片方の影は一方的に喋り続ける。

 

「まあ、万が一もしまだ生きてるんだったら、ちゃーんと息の根を止めとかないとね!落ちてる最中に顔見られたかもだし」

「………(コクリ)」

 

影のその言葉に言葉を発しないもう一人の影は小さく頷くと、二人同時に崖下へと飛び降りた。

そして()()()()()で崖の岩肌にせり出す僅かな足場を伝ってぴょんぴょんと下へ下へと降りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

そして数分後、崖下の森の中で首を大きくかしげる二つの影があった――。

 

「あれ~?おっかしいなァ~?()()()()()()()()()……」

「…………」

 

崖下に下りた二つの影は、早々に梳の骸を探したのだが、何故かいくら探しても、今し方ここに突き落としたばかりの彼女の身体は影も形も無かったのである――。

 

「……まさか、あのお姉さん。実はここいらを彷徨う幽霊だったとか……?いやいや、突き飛ばしたあの感触と温もりは明らかに生者のモノだった……。なら、あのお姉さんは一体何処に消えたんだろう……?」

「…………」

 

黙々と思考にふけりながら喋り続ける影を、首をかしげながらもう一人の影が眺め続けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…………。……なんだろう?花の匂いがする……)

 

自身の肌を優しく撫でる風の感触と、鼻をくすぐる花の匂いに、梳の意識は急速に覚醒されてゆく。

ゆっくりと目が見開かれ一瞬の光と共に視界が鮮明に蘇る。そして梳の目は眼前の光景を映し出した。

 

(彼岸花……?)

 

視界いっぱいに広がる彼岸花の群れに梳は目を大きく見開き、倒れていた自身の体を起こした。

森の中、辺り一面に彼岸花が咲き誇り、彼女はその真ん中に倒れていたのである。

 

「こんなにたくさん……あれ?でも彼岸花ってこの時期咲かないはず……」

 

梳の言うとおり、彼岸花は夏の終りから秋の初めの間までに咲くため、年明けのこの時期に咲くのは大いに不自然であった――。

首をかしげる梳であったが、それよりももっと重大な事を思い出す。

 

(あれ……?待って。それよりもどうして私こんな所に……。!……そ、そうだ、私誰かに展望台から突き落とされて……!)

 

急速に記憶が覚醒していき、自身が今し方殺されそうになってたのを思い出す梳。

慌てて自分の体を確認するも、何故か自分の身体には傷はおろか服に汚れの一つも見当たらなかった。

何故?あの高さから落ちたというのに、木々の枝で落下速度が弱まって運よく助かったのだとしたらギリギリ納得はいくものの、傷はおろか服に破れや汚れが一切無いのは明らかに異常であった。

不思議に思いながら梳は、自身が落ちてきた背後の崖を見ようと振り向き――。

 

「!?」

 

直後に目を見開いて固まってしまう。

先程自分が突き落とされたはずの崖が綺麗さっぱり消え失せていたのである。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

「嘘……何で……?」

 

何が起こっているのかまるで分からず、梳はオロオロと辺りを見渡した。

そしてある一点で視界が止まる。

 

「何あれ……。紫の……桜……?」

 

梳の眼に留まったのは大きな桜の巨木であった――。

ただの桜の木ならあまり気にも留めなかったであろうが、その気は明らかにおかしかった。

何故なら桜が咲くにはあまりにも早すぎるこの時期に、既に満開になっており、しかも咲いている花は不気味なほど濃い紫色に彩っていたのだから――。

しかもそれだけに留まらず、更なる光景が彼女を驚愕させる。

 

「人……魂……?」

 

その桜の木の下に青白い火の玉が宙を漂っていた。それも一つや二つではなく無数に。

それは明らかに現実離れした光景であったが、まず間違いなくたくさんの人魂であると、梳はぼんやりと理解した。

その瞬間、満開だった桜の花が急速に散り始める。何が起こったのか分からぬまま梳はその光景を見続けた。

そして花が完全に散った瞬間、桜の木に集まっていた多くの人魂が一斉に動き出した。

ある方向へと一斉に向かいだす無数の魂たち。しかしそのいくつかが梳の姿に気づいたのか、ふわりふわりとした動きで彼女に近づいてきた。

 

「あ……あぁ……!」

 

それを見た梳の中で急速に恐怖が支配する。あの人魂たちは自分に取りつく、もしくは一緒にあの世へと連れて行こうとしているのではないかと、そんな考えが頭をよぎったからだ。

梳は慌てて立ち上がると、おぼつかない足取りで必死に人魂たちから逃げ出した。

 

全速力で走って。走って。走り続ける――。

 

そして体力を使い切った瞬間、彼女は再び地面に倒れた。

そこは先程いた彼岸花の場所から然程遠くない森の中であった。

呼吸を整えながら、梳は頭の中を必死になって整理する。

 

(一体……一体何が起きてるの……?崖から誰かに突き落とされたかと思ったら、次の瞬間には怪我(ケガ)一つ無くあの場所で倒れてて……その上、紫の桜にあの大量の人魂……もう何が何だかワケ分かんない……!)

 

考えれば考える程に今の現状が理解できなくなっていく梳。

とにかく一刻も早くこの場を離れようと、疲れ切った身体に鞭打って上体を起こし――。

 

 

 

 

 

 

 

――赤い眼と眼が合った――。

 

 

 

 

 

 

森の奥、木々で薄暗くなっている場所にソレらはいた――。

梳を見つめる無数の眼光。それらが一斉に梳に突き刺さり、彼女を射すくめる。

だが梳自身、それだけが彼女の動きを封じた理由ではなかった。

見てしまったのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

四足歩行の獣のようなモノ。二足歩行だがその頭部が異常に巨大なモノ。上半身は人間の姿ではあるが、下半身はムカデの様に無数の脚が生えたモノなど。その姿はどれも、人間や梳が図鑑等で知っている動物たちとは程遠い、明らかに未知の異形としか見て取れないモノたちばかりであった。

これが特撮などの特殊メイクによるものならどれ程良かった事だろう。

もしそうであるのなら、これを行った人は世界でも頂点に位置するメイクアーティストとして名が知れ渡っていただろう。

しかし、それらを見た梳は直感的に理解していた。

――こいつらは、()()だ、と……。

 

「……あ、あぁぁ……!」

 

恐怖で腰が抜ける。

気づけば梳は完全にそのモノたちに取り囲まれていた。

木々の間からその身を現したそのモノたちは、サメの様な歯をむき出しにして、涎を垂らしながら、梳の全身を舐めるように視線を這わした。

梳もそれに気づくも、それが決して性的な欲求から来るモノではない事を直ぐに理解する。

何故なら目の前にいるモノたちは明らかに自分を『女』としてではなく、『食べ物』として喰おうとしている眼をしていたからだ。

 

「ヒッ……!?」

 

小さな悲鳴を上げて梳は逃げようとするも、身体は全く言う事を聞かない。

身をよじるばかりでその場から全然動けずにいた。

いつの間にか彼女の顔は涙でグシャグシャに濡れ、ガクガクと身体が震えていた。

次の瞬間、周りにいたモノたちは「もう我慢できない」とばかりに一斉に梳に飛び掛っていった。

その動きが梳にはスローモーションのように映る。

 

(あ……私、死ぬんだ……。こいつらに食い殺されて……)

 

恐怖の感情が振り切れたのか、この時の梳の頭の中は不思議とクリアになっていた。

スローモーションに自身に襲い掛かってくるそのモノたちを、梳はまるで他人事のようにぼんやりと見つめ続ける。

もう恐怖は感じない。考えて見ればこれは丁度良い機会だ。一度は自身の『死』を口にした身だ。食い殺されようが何だろうが、死は死だ。何の変わりも無い。一瞬の内に全てが終わるだろう。

 

……ならば何故自分は今もその眼から涙を流している?

 

いやそれだけではない、たった今までこいつらに恐怖を感じ、逃げようとまでしていたではないか。

何故、死を拒絶するような行動を取った?

自問自答を繰り返す梳の視界いっぱいに、異形の手が接近する。そして次の瞬間――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――スパパパパパァァン……!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

まるでハリセンで連続で引っ叩かれたかのような乾いた音が響き渡り、同時に梳に襲い掛かろうとしていたモノたちは四方八方へ吹き飛ばされていたのである。

今し方まで自身を食べようとしていたモノたちが、次の瞬間には大きく吹き飛ばされ倒れている姿に、梳は何が起こったのか分からず、ただただ呆然と座り込む。

そんな彼女の直ぐ隣から呆れたような声が響いた。

 

「全くあんたたちは!師匠のおかげで人間を食べずにいられるようになったのに、また食べたくなったりしたの?」

 

その声に梳が眼を向けると、そこには自分と同年代くらいの少女が畳んだ大きな赤い傘を肩に担いで仁王立ちに立っている姿が眼に映った。

白と水色を基調とした洋服に同じく水色の短い髪、そして特徴的な赤と水色のオッドアイの瞳を持ったその少女は呆れた顔で周囲のモノたちに声を上げる。

 

「悪いけど、あんたたちの食事はお預け。見つけてしまった以上、この人は()()()()()が預かるから。ほら、解散解散!」

 

パンパンと両手を叩いてそう言う少女に、周囲の異形のモノたちは渋々と言った(てい)で、散り散りに森の中へと消えていった――。

ポツンと一人残された梳は思考が追いつかないまま、隣に立つ少女をただただ見上げ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間はほんの少し前に(さかのぼ)る――。

大晦日の夜に、人里の広場で会った『香霖堂』の店主、森近との約束でその日、四ツ谷と四ツ谷会館の面々は、揃って店の大掃除のために訪れていた。

そして数時間をかけて店と商品の掃除を終えた四ツ谷たちに、森近が最後にこう頼んできたのだ。

 

『すまない。この後新しい商品を仕入れたいから、無縁塚まで一緒に同行しては貰えないだろうか?』

 

その仕事が最後という事もあり、店番を薊と折り畳み入道、そしてその店の従業員である鳥妖怪の娘に任せ、四ツ谷たちは森近と共にリヤカーを押しながら、徒歩で無縁塚まで向かう。

無縁塚は幻想郷を囲む博麗大結界で唯一綻びのある場所であり、そこから別世界へ繋がる事や外の世界の物が落ちて来る事が多い所でもあった――。

そして森近は、そんな無縁塚から落ちてくる物を商品として拾い、店に並べていたりもしていた。

金小僧がリヤカーを引き、残った四ツ谷と小傘、森近の三人は先導するかのように歩き、無縁塚を目指す。

この仕事でようやく終りだと四ツ谷がそう思っていた矢先、ふいに隣を歩いていた小傘の脚が止まる。

 

「……?どうした、小傘」

「……師匠、この先で妖怪たちが集まってきています。しかもそいつらが何かを囲うように……囲っているのは、これは……。!……人間!?」

「何?」

 

気配を察した小傘のその言葉に、四ツ谷は被っている中折れ帽を片手で押さえると、瞬時に黙考する。

見ず知らずの人間を助ける気は全然無いが、これから行く先の道端に食い千切られて転がっている死体を見るなど、正直目覚めが悪い。

それ故、四ツ谷は直ぐに小傘に指示を出す。

 

「小傘、行けっ!」

「ハッ!!」

 

瞬間、小傘の身体は弾丸のような速さで道の向こうへと飛び出して行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなた、大丈夫――!?」

 

妖怪たちを追い払い、一息ついた小傘は、隣に座り込む少女に声をかけ――直ぐに少女の()()を理解すると、顔を少し赤くして、眼を不自然にキョロキョロと彷徨わせ始めた。

 

「……?」

 

小傘の突然の様子の変化に、少女――梳はお礼を言うのも忘れて、どうしたのかと首をかしげる。

それと同時に、道の向こうから男の声が響いてきた。

 

「おーい!小傘ー!大丈夫かー?もうそっちに行って良いかー?」

 

その声を聞いた小傘が慌ててそれに答える。

 

「だ、ダメです師匠!もうちょっとだけ森近さんと金小僧と一緒にそこで待っていてくださいー!」

「あん?何でだー?もう妖怪どもは追い払ったんだろー?」

「そ、そうなんですけど……!助けた人間が女の子で!あの……よっぽど怖かったのか……その……ちょっと……そ、()()()……!」

 

真っ赤になって小傘がそう言った瞬間、道の向こうで「「「えっ!?」」」と三人の男性の声が同時に響き、同じく梳も「えっ!?」と慌てて視線を下へと向けた。

見ると小傘の言うとおり、いつの間にか梳を中心に小さな水溜りができてしまっていた。

そしてこの時になってようやく梳は、下半身から感じる、湿った温もりを意識する事となったのである。

 

「…………」

「あー、その、えーっとぉ……。し、仕方ないよ。あんなにいっぱい妖怪に囲まれてちゃあ、人間なら失禁の一つや二つしちゃってもおかしくないだろうし……。そ、それにほら!結果的に助かったんだから、これくらいの事、命に比べれば安い代償じゃないかなー?なんて……は、ハハハッ……!」

 

何とか梳にフォローを入れようとする小傘であったが、自身もその妖怪の一人なためあまり下手な事が言えず、終いには乾いた誤魔化し笑いを浮かべる始末。

対して梳は、そんな小傘の言葉は一切頭の中に入らず、ただジッと虚空を見続けていた。

その時、彼女の心の大半を占めていたのは、下腹部を濡らした事へのショックや、はたまた得体の知れない魑魅魍魎に食い殺されそうになった事へのショックから来る絶望でもなんでもなかった。

 

今彼女の胸のうちに飛来していたのは――深く、大きな『安堵感』であった――。

 

まだ終わっていない、自分はまだ生存している。そんな思いが今彼女の中を大きくグルグルと渦巻いていたのだ。

自然と再び、梳のその双眸から涙がとめどなく流れ落ちてゆく――。

 

「!……ちょっとあなた、大丈夫!?どこか怪我とかしたの!?」

 

それに気づいた小傘が覗き込むようにして梳にそう声をかけるも、梳はそれに答える事も無くただ涙を流し続ける。

今にして、殺されかけて梳はようやく理解したのだ。

自分は死にたかったわけじゃない、ただ()()()()()()()()()()()

両親の死、そして自身の夢が打ち壊されたという非常な現実から――。

失って空っぽになっていたはずの自分の中から感情が溢れてくる。

どれほど何かをなくしても、どれほど夢を打ち砕かれようと、自分は己が人生だけはまだ幕引きにはしたくなかったのだ――。

それは先程、襲われていた時にも感じていたし、今下半身に感じる湿った感触も決して不快とは思えず、ただただ自分がまだ生きている事への証明になっていると、嬉しささえこみ上げて来くるのであった。

 

(あぁ……、私、まだ生きたかったんだ……)

 

それを悟った瞬間、梳の中の感情の渦が決壊する。

両親を失い、夢を失った悲しみ、怒り、絶望、喪失感……そのほかの様々な感情が混ざり合い、爆発し、彼女の双眸と口から、一気に解き放たれたのだ。

 

「……あ、あア゛ア゛ア゛ァァァァァーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」

 

曇天の下、その空へと轟渡るようにして、家族を失った少女の慟哭が大きく木霊した――。




今回は結構長くなりました。
その分、達成感もあってだいぶ満足感もあります。
そして今回は、レギュラー予定であるオリキャラ登場回でもありました。


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『とある夫婦のその後』

時期的には前回から一月以上たった後です。


四ツ谷会館に新しい住人――『芝垣 梳』が入り、一月以上たった――。

出会った当初は、彼女を外の世界に帰そうと霊夢や紫に相談するつもりであったが、それを提案した瞬間、梳が暗い顔になり。

 

『……もう……帰っても誰もいないんです……。私の居場所は、もう無くなってしまいました……』

 

そう呟いたのを機に四ツ谷はその方針を断念し、会館に住まわせる事にしたのだ。

しかしそれは一時的な処置。

しばらくは住まわせるものの、近い将来どうしたいかは彼女自身の意志で決めてもらうつもりであった。

幸い空き部屋にはまだ余裕があり、生活費も金小僧がいるため言わずもがなであった。

着物姿で会館の仕事をいそいそと手伝う梳。

幻想郷に来た当初は、あまりにも外とは違う非現実的な世界に戸惑いを見せていた彼女も、今ではすっかりと落ち着きを見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃーねー!」

「四ツ谷せんせー!」

「またねー!」

 

いつものように外でぶらついていた四ツ谷は、たまたま寺子屋の教え子たちである太一、千草、佐助、蛍、育汰のいつもの仲良し五人組と遭遇したのである。

会ってそうそう、子供たちに怪談をせがまれた四ツ谷は、その場でいくつかの怪談を語った後、満足した彼らと別れたのであった。

去り際に片手をブンブンと振る子供たちに、四ツ谷もいつもの不気味な笑みを浮かべて振り返す。

と、その時であった。

 

「……あ、四ツ谷さ……館長さんじゃないですか」

 

そう声をかけられた四ツ谷は、その声の主の方へと顔を向ける。

するとそこには、しばらくぶりに見る二つの顔があった。

 

「お久しぶりです。()()()()()()()()()()、でしょうか」

「おやおや……元気そうで何よりじゃないですか、()()()()()……。奥さんの()()()()も息災で何より……」

「……ど、どうも……」

 

そこには以前、『とおりゃんせ』の一件で知り合い、同時にその一件の中心人物でもあった一組の夫婦、清一郎と真澄の姿があった。

あの一件を引き起こした元凶であり、四ツ谷に『とおりゃんせ』の聞き手にされた真澄は、未だに四ツ谷に苦手意識があるようで、夫の清一郎の背中に隠れるようにして、おずおずと四ツ谷に小さく会釈していた。

逆に清一郎は、あの一件を解決してくれた四ツ谷に好印象を持ったようで、友好的に四ツ谷に声をかける。

 

「あの時は本当にありがとうございました。おかげさまで、真澄とまたこうして平穏無事に暮らせています」

「ヒッヒッヒ、そりゃあよかった。……奥さんの方もあれから()()()()()()()?」

「え、えぇ……まぁ……」

 

四ツ谷にそう問いかけられ、清一郎の背後にいる真澄は、若干バツが悪そうにそう答えた。

その続きを清一郎が答える。

 

「……あれから真澄も落ち着いて、普通の暮らしができるまでになっています。もう……『例の言動』も起こさなくなりました」

「ほぅ!それは良かったじゃないですか」

「ええ。ただ……やはり、まだ近所からの風当たりが少し悪いですが、慧音先生の助力もあってそれでも、真澄と二人、元気にやっていけてます」

 

そう清一郎が言い、それを聞いた四ツ谷はすぐに、それがあの一件で真澄が殺した近所の犬猫の事だと察した。

 

「……まぁ、そうでしょうね。家によっちゃあ、犬や猫でも家族の一員として扱っている所もありますから、そうそう簡単に許してもらえる、ってわけにはいかないでしょうね……」

 

四ツ谷のその言葉に、清一郎は「ええ……」と小さく響き、真澄も自分の肩にかかっている分厚い肩掛けを両手でぎゅっと握った。

短い沈黙があたりを支配するも、直ぐに四ツ谷は声を上げる。

 

「……でもまぁ、良かったじゃないですか。奥さんが()()()()()……。また()()()()()行かないように今度はちゃんと捕まえてるんですよ?」

 

その言葉に、清一郎は強く頷いた。

 

「ええ、絶対に。ですが……もう恐らく、()()()()()()()()()()()()()

「?」

 

ふいに出た清一郎のその言葉に、四ツ谷は言葉の意味が分からず首をかしげる。

すると、今まで清一郎の背後に隠れていた真澄がおずおずと前に出て、四ツ谷に向けて口を開いた。

 

「実は、最近体調が優れないと思い、昨日永遠亭に行って薬師様に診て貰ったったのです。そうしたら……」

 

そこまで言った真澄はゆっくりと両手を自分のお腹へと添え、愛おしそうにその言葉の続きを言った――。

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()、らしい、です……」

 

 

 

 

 

 

 

真澄のその発言に、さすがの四ツ谷も目を丸くして真澄の腹部を凝視し、清一郎も柔らかい笑みを浮かべて真澄を見つめた。

数秒の沈黙の後、その場に大きな笑い声が響き渡る。

 

「ヒャーッハッハッハッハッハァッ!!そうかそうか!そりゃあ良かった!!なら、あんたらはもう大丈夫だな!?これからの人生、また三人四脚の歩みができるようになったわけだ!!」

 

先程とはガラリと口調が変わり、まるで自分の事のように楽しそうに、嬉しそうに、四ツ谷はそう叫んでいた。

現に今の四ツ谷の内心は、まるで憑き物の一つが取り払われたかのように晴れやかであった。

それ程までに清一郎と真澄の一件は、四ツ谷自身も気になっていた事案だったのである。

突然の四ツ谷の変わりように、清一郎と真澄は一瞬目を丸くするも、それが自分たちの事で喜んでくれているのだと察すると、途端に笑みがこぼれた。

清一郎が口を開く。

 

「子供が生まれましたら、また妻と子供共々、そちらに参ります」

「ああ、いつでも来い!大した持て成しはできないが、怪談くらいならいくらでも語ってやる!」

「お、お手柔らかに……」

 

四ツ谷のその返答に、真澄が先程とは違う、若干引きつった笑みを浮かべてそう呟いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真澄を気遣うように、彼女の肩に手を回し、清一郎は家路へと愛しい妻と共に去っていく――。

 

「…………」

 

そんな二人の背中を見つめていた四ツ谷の脳裏に、この間会館の住人となった外来人の少女の顔が浮かんでいた。

もう直ぐ冬が終り、春が来る。

あの夫婦には一足先に幸福の『春』が訪れたが、(彼女)の『春』はいつ訪れるのだろうと、四ツ谷は内心、そう思わずにはいられなかった――。




次で小噺集は終りです。
その次から新章突入予定です。


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『蠢く闇』

時系列的には、前々回の『外来人』の直ぐ後の噺となっております。
今回はオリキャラのみの登場だけで、四ツ谷はおろか、東方キャラも一切出てきません。


外の世界のとある森の中――。

月どころか星一つ無い、真っ暗な夜の闇の中で、三つの影が蠢いていた――。

 

「一体何処へ行っていた!?」

 

影の一つが残りの二つの影にそう怒鳴る。

女性の声を発したその声は、白い着物を纏っており、長い黒髪を垂らした頭部には歌舞伎舞台などで見る黒衣(くろご)という役者が着ける頭巾を被っていた。ただし、黒衣が着ける物とは違い、黒ではなく白ではあったが。

そのため、顔は分からないが長身で見た感じ大人の女性と言っても過言ではない体躯をしている。

対する怒鳴られた二人組の影は、まだ子供と言ってもおかしくは無い、少年少女であった。

見た目、双方共に十三、四歳ぐらいの二人で、二卵性の双子であるのか、顔立ちが良く似ていた。

少年の方は、短い白い髪に血を垂らしたかのような真っ赤なやや釣り上がった目の整った顔立ちをしていた。

服は白いシャツに茶色の半ズボンを纏っている。

反対に少女の方は、少年と同じく白髪に赤い目を持った整った顔立ちはしているものの、その髪は足元まで異様に長く垂れ下がっており、前髪も顔半分を覆い隠すのではないかというほど伸びていた。その伸びた髪の間から覗く双眸は、少年と違いタレ眼であり、一見ポヤンとした印象を受ける少女であった。

服は何故かその身体には不釣合いなほど大きな長袖シャツを纏っており、両袖がすっぽりと両手を覆い隠している。少々着崩れも起こしており、首を出している部分は本来の首周りだけでなく、左肩も大きく露になっていた。

また、そのだぼついた服で隠れてはいるが、下には短パンをはいている。

そして、もっとも特徴的だったのが()()()()()()()()であった――。

 

「…………」

 

首に怪我でもしているのか、その白髪の少女は一切声を発する事無く、無表情に頭巾の女性の怒る姿を眺めていた。

その頭巾の女性の怒鳴り声に、少年の方が涼しい顔で答える。

 

「何処って、ちょっとした観光旅行だよ。日本に来るの初めてだしねぇ~」

「馬鹿か!私たちは()()()()なんだぞ!?そんな悠長な事をやっている暇は無い!」

「『私たち』じゃなく、『姐さんは』でしょ?ボクたち日本(ここで)はまだな~んにもやってないもん。……あ、違った。ちょっと前に女の人を一人、()()()()()()()()()っけ?」

 

少年のその言葉に、頭巾の女性がビクリと反応する。

 

「何?殺したのか!?戯けめが!!それで()()()()感づかれたらどうする!?苦労して日本に密入国したというのに、()()逃げ出す羽目になるだろうがッ!!」

 

声を荒げて言う頭巾の女性に対し、白髪の少年はため息を漏らす。

彼の言う崖から突き落とした女性の安否は実質未だ不明ではあったのだが、頭巾の女性の小心的な態度に呆れてそれを報告する事すら頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていた。

 

「……そんなに心配する事じゃないでしょ?人間の一人や二人、意図して死ぬ事なんて今のこの時代でも日常茶飯事な光景だよ?そうそう姐さんの言う()()()に気づかれる分け無いじゃない。……って言うか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ヤツが何初っ端から弱腰になってんのさ」

 

呆れた目を向ける少年に、頭巾の女性が声を荒げて反論する。

 

「う、うるさいッ!!お前たちには分からんのだ!!()()()()()の恐ろしさを!!まだ計画も練っていない今、私たちがここにいる事がバレれば確実に殺されてしまうわ!!」

 

そう言って頭巾の女性は踵を返すと、夜の森の奥へと歩み始める。

その背中に少年は声をかける。

 

「ちょっと姐さん。これから何処行くの?」

()()だ。まずは戦力を募る。幸いにも私と同じヤツを怨敵とする同類がそこにいるからな。そいつを味方につけ、戦力を拡大し、ゆくゆくは()()()()()をも凌駕する一大組織を立ち上げるのだッ!!」

 

頭巾の女性がそう言った直後、「ぐっ!」と苦悶の声を漏らし、片手で自身の顔を頭巾越しに抑えて立ち止まった。

 

()()()()……!おのれ見ていろ!()()()()の一族はいずれ全て根絶やしにしてくれるッ……!!そして、()()()()()を倒し、ゆくゆくは私がこの日ノ本の頂点に君臨するのだッ……!!」

 

頭巾の奥にある双眸に、歪んだ執念と復讐心の炎を滾らせ、頭巾の女性は再び歩み始め、森の奥へと消えていく。

一拍遅れて白髪の少年少女も彼女の後を追って、森の中へと消えていった――。




これにて小噺集は終了です。
次回からまた新しい怪談の噺に入っていきます。


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第七幕 四隅の怪
其ノ一


タッ
   タッ
     タッ
       タッ
         タッ
           タッ
             タッ
               ……


                                   パシッ


                            タッ
                         タッ
                      タッ
                   タッ
                タッ
             タッ
          タッ
       タッ
    ……
パシッ










小さい部屋の中――。
その中を歩く複数の足音が聞こえます……。
一人が壁伝いに歩き、部屋の隅にいる者の肩を叩き止り、代わりに叩かれた者が壁伝いに歩き始め、その先の部屋の隅にいる者の肩を叩き、それを延々と繰り返します。
無限に続くかに思われるこの行動。しかし、かの者たちは気づいているのでしょうか……?
自分たちの中に()()()()()()が紛れ込んでいる事に……。


それは、日に日に気温が上がり始め、春が間近に感じられるある日の事であった――。

数ヶ月前に四ツ谷会館で居候している『芝垣 梳』は、その日の手伝いを終え、暇をもてあましていた。

この幻想郷にやって来た当初は、あまりの非現実な世界に驚愕する毎日であり、その上『安全地帯』であるはずの人里に密かに人間たちに紛れて暮らしている人外たちがいる事にも、梳は驚きを隠せなかった。

しかもそれが、自分を食べようとしていた妖怪たちから助けてくれた四ツ谷文太郎率いる『四ツ谷会館』の勢力が自身のもっとも身近にいる例であるのだから尚更である。

しかし、それも日が経つにつれすっかり鳴りを潜め、彼女は外の生活同様、何不自由無いと言えるレベルの生活を送れるようになった。

だが同時に、彼女の胸のうちに飛来したのは、どうしようもない虚無感であった。

確かに今は落ち着いた生活ができている、しかしそれは所詮他者から与えられたものに過ぎない。

それに彼女は実質『四ツ谷会館』の一員ではない。ただ行く当てが無くて居候しているだけのただの客人でしかない。

事実、四ツ谷たちも彼女に手伝い程度の事をさせてはいるものの、『仕事』と呼べるモノは決してさせてはいなかった。

梳自身も、それに気づいていたため、四ツ谷たちに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだが、今の彼女に『会館から出て行く』という選択を選ぶ勇気が持てなかった。

自分を助けてくれた上、会館に受け入れてくれた四ツ谷たちに深く感謝し、彼らの手伝いをしたいという気持ちも合ったが、その最たる理由が彼女自身、『自分がこれから何をすれば良いのか分からない』と言うモノであった。

両親を失い、帰る場所や夢を失い、迷いに迷ってふとしたきっかけでたどり着いたのがこの幻想郷であった。

ここの生活に落ち着いた当初は、ここでならやりたい事が見つかるのではと淡い期待もあったのだが、変わり映えの無い毎日を過ごすうち、それも希薄になってきていた。

 

(私……これからどうすれば良いんだろう……?何をすれば、良いんだろう……?)

 

ぼんやりとそんな事を考えながら、梳は行く当ても無くふらふらと会館内を彷徨う。

そして、何気に正面出入り口から会館の外に出た梳は、俯いていた顔をふいと上げると、その瞬間ある一点に目が無意識のうちに留まった。

会館の真正面にある新築同然の民家。そこはこの会館に足しげく通っている『四ツ谷会館』の正式な一員である薊の住む家であった。

その家の前で、その件の少女――薊が妹の瑞穂の髪をチョキチョキとハサミで切っていた。

大きな布で瑞穂の首から下をすっぽりと覆い隠し、どこかから持ってきた木箱の上に瑞穂を座らせた薊は、左手に持った櫛で瑞穂の髪を梳きながら、右手のハサミで慎重に彼女の髪を切り落としていく。

 

「…………」

 

それを少しの間眺めていた梳は、次の瞬間ゆっくりとした足取りで二人に歩み寄った。

やって来た梳に気づいた薊は、瑞穂の髪を切る手を止め、梳に声をかける。

 

「あ、梳さん。どうも」

 

ぺこりと軽く会釈する薊に、梳も軽く片手を挙げて答える。

 

「やっ、薊ちゃん。妹さんの散髪をしてるの?」

「あ、はい。ちょっと伸びてきたのが気になっていたので、切っちゃおうと思いまして……」

 

そう言いながら薊は瑞穂の散髪を再開する。

それを梳は横から邪魔にならない程度にじっと眺め始めた。しばしの間、ハサミの音だけが辺りに響き渡る。

しかし、次第に梳の胸の内から、どうしようもないうずうずとした衝動が湧き出てきていた。

と言うのは、薊の瑞穂の髪を切る手つきにあった。

別に下手と言う訳でないのだが、あまり散髪に慣れていないのか、所々で不慣れな様子が窺い知れた。

よく見ると、ちゃんと切り揃えられている様に見えて、所々長さがバラバラになっており、髪の左右のバランスも不安定になっているように見えた。

薊自身、ハサミを持つ手がときどき震えており、妹を傷つけないようにおっかなびっくりで髪を切っているのが丸分かりであった。

そんな姉の心境を知らない瑞穂は、空を泳ぐ雲をぼんやりと眺めていたが。

そんな二人の姿に、少し前まで理容師専門学校に通っていた梳の心に、どうやらその手の職人魂の火が点いてしまったようであった。

我慢ができなくなった梳は、薊に声をかける。

 

「薊ちゃん。ちょっとそのハサミと櫛、貸して」

「え?梳さん……?」

 

突然の要求に呆然となる薊、梳はそんな薊はから半ばひったくるようにしてハサミと櫛を受け取ると、薊と入れ替わるようにして瑞穂の背後に立ち、静かにハサミと櫛を動かし始めた――。

 

チョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキチョキ…………。

 

まるで生きているかのように、ハサミと櫛が梳の手で瑞穂の頭の上で華麗に舞い踊った。

慣れた手つきでリズミカルにテンポ良くハサミが開閉し、同時に切り落とされた髪の毛が宙を舞う。

そうして歪だった瑞穂の髪も綺麗に整えられていき、左右のバランスも良くなって来た。

 

「わぁ……すごい……」

「ふぁぁ……」

 

美しく動く梳の両手に、薊は感嘆の声を上げ、その技術が頭皮に気持ちのいい刺激として受けたのか瑞穂は力の抜けるような快楽の声を響かせた。

そうこうしている内に、瑞穂の散髪が終わる。

 

「はい、できたよ瑞穂ちゃん。……えーと、薊ちゃん、ごめんだけど鏡ってある?」

「あ、はい。今持ってきます!」

 

そう言って、薊は一度自宅の中に入ると、直ぐに頭一つ分の大きさの手鏡を抱えて戻ってきた。

そして瑞穂の前に鏡を掲げ、彼女の今の髪型を映して見せる。

 

「わぁー、きれー!」

 

鏡の中の自分の頭を見て、瑞穂は目をキラキラと輝かせた。

今までバラバラだった髪の長さが肩口できっちりと切り揃えられ、櫛で整えられた髪の一本一本も流れるように美しく緩やかに流れていた。

素人目でも分かるほどの散髪する前と後との変化に、瑞穂も傍で見ていた薊もしばしの間魅入っていた。

そこへ梳が薊に声をかける。

 

「えっと……薊ちゃん。もし良かったら薊ちゃんもしてあげよっか?」

「え?良いんですか!?」

 

やはり薊も年頃の女の子である。梳のその提案に直ぐ様食いついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれー?薊おねえちゃんたち、何してるの?」

 

薊が梳に散髪してもらい始めてすぐ、そこに五人の子供たちがやって来た。

その子たちは毎日のように四ツ谷に怪談をせがみに来る、太一、千草、佐助、蛍、育汰のいつも一緒に行動するメンバーの子たちであった。

いつものように四ツ谷の怪談を聞きに来たのであったが、会館前で散髪をする梳たちを見つけ、太一が代表して声をかけたのだ。

それに髪を切られている薊が答える。

 

「あ、太一君たちいらっしゃーい。今梳さんに散髪してもらってる所なの。太一君たちはまた館長さんに怪談を?」

 

薊のその問いに太一は元気良く頷く。

それを見た薊は少し申し訳なさそうに口を開く。

 

「そっかー。でもごめんね。今館長さん出かけてるの。もうちょっとで帰って来ると思うから待ってる?」

 

その言葉に、太一たちは少し残念そうな顔をするも、薊の「待ってる?」という問いかけに全員が元気よく頷いて見せた。

そして、ちょっと待たせてもらおうと会館の中へ入る――事も無く、彼ら五人は静かに薊たちを、厳密に言えば梳がハサミと櫛を華麗に動かす手元をジッと見つめていた。

傍から見ていても気持ち良いほど動くその散髪技術や、それを受けている薊の心地よさそうな顔に、五人は同時に興味を持ったらしい。

 

「…………。よかったら、皆もする?そっちも髪伸びてきているみたいだし」

 

梳のその提案に、五人は一層目を輝かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薊の散髪が終り、次は子供たちの番となる。

一番年下の育汰が薊と入れ替わるようにして梳の前に座り、彼の散髪が始まる。

散髪を終えた薊は鏡で綺麗に整えられた自分の髪を眺めながら、梳に声をかけた。

 

「本当にすごいです梳さん。ここまで髪が綺麗に整えられたのって初めてです」

「あはは……。私ちょっと前までその手の学校に通ってたからね。自慢じゃないけど先生からも、『もう私が教える事は何も無い』って太鼓判押された程なんだよ?」

「へぇ~。『がっこう』って寺子屋の事ですよね?そこの先生からも認めてもらえるなんて、梳さんはやっぱりすごい人だったんですね」

 

薊のその言葉に梳は少し苦笑しながら続けて言う。

 

「そんなに持ち上げる事かな?私程の腕を持った人なんてこの幻想郷でもいるでしょ?薊ちゃんたちも一度理髪店に行ってみたらどう?ここにもあるんでしょ?」

「……え?『りはつてん』って、何ですか……?」

 

唐突に発せられた薊のその言葉に、梳の手が自然と止まり、顔が薊の方へと向けられる。

見ると薊も梳の方を見ており、キョトンとした目を梳に向けていた。

その顔を見た梳はしばし虚空に視線を彷徨わせると、唐突に思い出したかのようにハッとなった。

 

「……ああ、そっか!この場合『理髪店』じゃなくて『髪結い処(かみゆいどころ)』って言えば分かるかな?散髪して髪を整えるお店の事なんだけど……」

 

その言葉に薊もようやく理解したとばかりにポンと両手を叩いた。

 

「ああ、髪結い処の事だったんですね!()()()()()()()()()()()()()()()()()()って聞いたことがあります♪」

 

腑に落ちたと言わんばかりに顔を綻ばせる薊であったが、反対にその言葉を聞いた梳は真顔になった。

 

「……え?『昔は』って……ちょ、ちょっと待って、え?もしかして薊ちゃん――」

 

 

 

 

 

 

「――()()()?幻想郷に『髪結い処』って……」

 

 

 

 

 

 

少々動揺しながら紡ぐ梳のその問いに、薊は再びキョトンとした顔を浮かべる。

 

「え、あ、はい……。少なくともこの人里にはそういった専門店はありません。皆髪を切ったりする時は、家族に切ってもらうか、自分で鏡を見ての二択だけです」

「そ、そうなんだ……」

 

薊のその答えに何やら思う所があったのか、梳は一度視線を下に落とした後、ゆっくりと視線を上げ空を仰ぎ見た。何かを考えるような素振りを見せる梳であったが、その思考は第三者によって中断される。

 

「おねーちゃん、まだー?」

「!……ああ、ごめんね?」

 

手が止まっていたため、不満の声を漏らす育汰に、梳は慌てて散髪を再開するのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お!なんだなんだぁ?えらく今日は会館前が騒がしいじゃないか。ヒッヒッヒ」

 

外出(散歩)から帰って来た四ツ谷は会館前で見知った者たちがワイワイと騒いでいるのを見て、そう響きながらやって来た。

それに気づいた太一が四ツ谷に声をかける。

 

「あ!四ツ谷せんせー、こんにちはー!」

「おー、お前ら。ちゃんと宿題はやってるかー?」

 

四ツ谷のその言葉に子供たちは元気良く頷いた。

そして、その中の一人、佐助が四ツ谷に声をかける。

 

「今ねー、梳おねーちゃんに髪の毛切ってもらってるんだよ」

「ほぅ……?」

 

その言葉に四ツ谷は梳の方へと目を向ける。今現在、蛍の散髪をしている彼女は熱心に彼女の髪を切っていた。

一生懸命に散髪を行う梳を見て、四ツ谷の目が僅かに細まる。

しばし梳を眺めていた四ツ谷であったが、太一が声をかけた事により我に帰った。

 

「ねぇ、四ツ谷せんせー。また怪談聞かせてよー!」

「ヒッヒ。何だ、またそのために来たのか?しょうがない奴らだなァ~……♪」

 

嬉しそうに声を弾ませながら、四ツ谷は今日子供たちに聞かせるための怪談を頭の中で厳選する。そうして選んだ怪談を決めた四ツ谷は、その場にいる全員に向かって声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

「良し、なら今日は――『四隅の怪(よすみのかい)』って言う怪談でも語ろうか……」




新章突入です。
本来なら別の噺を書く予定だったのですが、唐突に思いついたので急遽この噺をこの章に差し替えましたw


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其ノ二

前回のあらすじ。
会館前で梳が子供たちの散髪をしていると、帰宅した四ツ谷が子供たちを相手に怪談を語り始める。


『四隅の怪』。外出から帰ってきたばかりの四ツ谷は目の前にいる子供たちに向けてそう響く――。

ちなみに館長になってからの外出時の今の四ツ谷の姿は、館長就任時に小傘たちからもらった黒の中折れ帽をかぶり、以前同様、着物の上から腹巻を纏い足には木の二枚歯下駄。さらにその上に黒の羽織を袖を通さずまるでマントのように肩にかけていた。会館の舞台で怪談を行う際は、その羽織に袖を通して怪談を語るようにしている。

 

「『四隅の怪』?何それ、どんな怪談?」

 

興味津々といった表情で太一は四ツ谷にそう尋ねる。

薊や瑞穂も含め、他の子供たちも大なり小なり嬉々とした表情で四ツ谷を見つめる。

ただ一人、梳だけがチラリと横目で四ツ谷を見ると直ぐに蛍の散髪に意識を戻した。

それに構わず、四ツ谷は太一の質問に答える。

 

「元は『スクエア』という名の怪談で、他にもいろいろと別名があるが……今回はあえて和風にこの名で呼ぶ事にしようか……」

「『すくえあ』?」

「変ななまえー」

 

育汰と瑞穂がそう呟き、後ろに立ってそれを聞いていた薊が小さく苦笑を浮かべた。

四ツ谷はそんな二人の声が聞こえなかったのか、近くにあった大きな石に腰掛けて、続けて口を開いた。

 

「そんじゃあ始めるぞ。お前らにも分かるように少し設定を変えて噺をするが、大筋は変わってねーから心配しなくて良いぞ?」

 

ニヤニヤと不気味に笑いながら四ツ谷がそう響き、子供たちはそんな彼の怪談を聞くために一斉に耳を傾ける。

 

「ヒッヒッヒ……さァ、始めるぞ?お前たちの為の怪談を……!」

 

四ツ谷はそう響いたと同時に、両手を軽く叩く。

パンッという乾いた音と共に、その場の空気が一変する。

真昼間だというのに、四ツ谷たちのいる場所だけがまるで世界から切り取られたかのように空気が変化したようであった。

その場の気温が急激に下がり、白昼夢を思わせるように周囲がぼやけ、自分たちは今夢か(うつつ)か分からない未知の空間に迷い込んだのではないかと子供たちはそう感じた。

実際はそんな事は全く無かったのだが、四ツ谷の纏う独自の空気が子供たちにも伝染し、()()()()()()()()()()()()()()()

そんな中で四ツ谷は子供たちに向けて、静かに、それでいてはっきりとした口調で怪談を語り始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ある五人の猟師が、狩りをするために雪山の中へと足を踏み入れた……。最初こそ狩りは順調に進んでいたが、その途中、猟師の一人が崖から足を踏みはずし転落……。慌てて残りの四人が助けに向かうも、打ち所が悪かったのか見つけたときには転落した猟師は息絶えていた……」

 

そこで四ツ谷は一拍置き、そして再び語りだす――。

 

「そのまま狩りを続行するという分けにもいかず、四人は死んだ猟師を背負って早々に下山する事を決める。……しかし運悪くその時、山の天候が崩れ雪が降り始めた……。雪は瞬く間に風と共にその量を増し、終には猛吹雪へと発展してしまう。下山していた四人の猟師も、吹雪になった途端帰り道が分からなくなってしまった。轟々と一寸先すらも見えない吹雪の中、四人は勘を頼りにあちこちさ迷い歩く……。されど、一向に山から出られる様子が無かった……。日も既に落ち夜になり、このまま遭難して凍え死ぬのか?そう思い始めていた矢先、先頭を歩いていた猟師が前方に山小屋があるのを発見する……」

 

四ツ谷がそこまで語ったと同時に、子供たちの誰かがゴクリと唾を飲み込む。

怪談を語る四ツ谷の口調が、緊迫感を漂わせ、そこまで迫真に迫っていると言ってもいいだろう。

 

「……これ幸いにと、四人は山小屋の中に飛び込み、何とか吹雪をしのぐ事ができた。……しかしすぐに四人はまた新たな問題に直面する。……その山小屋は。暖を取るための囲炉裏はおろか、明かりをつけるための蝋燭の類も全く無かったのである。……吹雪はしのげても、このままでは朝が来る前に全員が眠って最後には凍死してしまう。そう思った四人のうちの一人が、ふと残りの猟師たちにとある提案をする……」

 

そこまで言った四ツ谷は僅かに前のめりになり、子供たちに向けて再び口を開く。

 

「……それは自分たち四人が山小屋の四つの隅にそれぞれ座り、最初の一人が壁沿いに歩いて二人目のいる隅まで歩きその人の肩を叩く。一人目が二人目のいた場所に座り、替わりに二人目が一人目の時同様、壁伝いに歩いて三人目のいる隅まで向かう。そして三人目の肩を叩いて、二人目は三人目のいた場所に替わりに座り、それとは反対に三人目は立って同様に壁に沿って四人目の所へ……それを延々と繰り返し、部屋の中を回って動き続ける事で、睡魔を遠ざけ、凍死から免れようと考えたのだった……」

 

次第に四ツ谷の声のトーンが下がっていき、子供たちもどうなるのかと前のめりに四ツ谷の怪談を聞き入る――。

 

「……その猟師の案に残りの猟師たちも賛成し、猟師たちはさっそく亡くなった五人目の猟師を部屋の中央に寝かせると、それを始めたのである……。そして――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――四人は一晩中動き回り、無事眠る事無く吹雪の止んだ朝を向かえ、猟師たちは下山する事ができましたとさ☆……めでたし、めでたし♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………、???』

 

さっきまでとは一変しておどけた様な明るい口調でそう締めくくった四ツ谷に、子供たちのみならず、一緒に聞いていた薊も大きく首をかしげた。ただ一人、梳だけは何の反応も無く、黙々と蛍の散髪を続けてはいたが。

太一が他の子たちを代表するかのように四ツ谷に声をかける。

 

「四ツ谷せんせー。それの何処が怪談なの?全然怖くないんだけど……」

「ヒッヒッヒ。まァ、始めて聞いたんじゃあ何処が怖いかなんて分からないヤツは多いだろうな。だが、これもれっきとした怪談なんだぞ?……なァ、梳?」

 

唐突に四ツ谷は散髪をしている梳に声をかけた。それに反応して梳は散髪の手を止め、四ツ谷に目を向ける。

四ツ谷は梳に問いかけた。

 

「この噺を聞いてても無反応だったって事は、お前も知ってたんだろ?この怪談」

「えぇ、まぁ……。()じゃ結構有名ですもんね、この怪談は……」

 

梳のその返答に、子供たちの視線が一斉に梳に集中する。

「どういうこと?」と言いたげな子供たちの視線に、梳は一瞬呆気に取られるも、直ぐに平静になってそばに落ちていた枝を拾い上げ、子供たちに向けて説明し始めた。

 

「良い皆?この噺のメインは、山小屋の中で行われた四人の猟師の行動にあるの」

 

そう言って梳は、足元の地面に手に持った枝で正方形を描き、その正方形の四つの隅に小石を一つずつ置いた。

 

「この四角形は山小屋の中、そして小石は四人の猟師だと例えて見ていて」

 

梳のその言葉にその場にいる全員が梳の足元へと集中する。

そんな視線の中、梳は四角形の中に置かれた四つの小石のうちの一つに人差し指を置いて声を響かせた。

 

「……最初の一人目が動き、壁伝いに二人目の元へ行き肩を叩く」

 

ツツツ……、と梳は指先で一つ目の小石を動かし、二つ目の小石の隣へと動かす。

 

「……そして、一人目が二人目のいた隅に座り、替わりに二人目が壁伝いに三人目のいる隅へと歩く」

 

指先が一つ目の小石から二つ目の小石へと置き換わり、その二つ目の小石が一つ目同様に三つ目の小石に向けて動かされる。

 

「……さらに、三人目……四人目も同様に……」

 

二つ目の小石が三つ目の小石の隣で止まり、次に三つ目の小石が動かされ、四つ目の小石の隣まで移動する。

そうして四つ目の小石の上に梳の指先が置かれた時、何かに気づいた太一が「あっ!」と叫んだ。

同時にそばで見ていた薊も()()()気づいてハッとなる。

それを合図にしてか他の子供たちも次々に()()()()に気づいていく。

その子供たちの顔に梳は小さくニヤリと笑うと、静かな口調で種を明かした――。

 

「――そう……四人目が向かう先――そこにいた最初の一人目は、既に二人目のいた隅へと移動していて、()()()()()()()()()()()()()。……当初、猟師たちは気づいていなかったみたいね……。この行動には……()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

梳がそう静かに響いたと同時に、それを聴いていた子供たちと薊の顔から血の気が引いていく。

顔面蒼白となった子供たちの背後で、梳の言葉を引き継ぐようにして男の声が木霊する。

 

「……なのに、猟師たちは一晩中山小屋の中を動き続ける事ができた。それは何故か……?それは途中から四人の中に混ざって一緒に動き回っていたヤツがいたからさ……そう――」

 

子供たちは男の声に釣られてゆっくりと振り向く。

同時にそこにいた男は両目を見開いて絶叫の如く声を轟かせた。

 

 

 

 

 

 

 

「――死んだはずの、『五人目』がなあアアァァァァーーーーッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

『------------ッッッ!!!!』

 

四ツ谷の叫びに共感するように、子供たちの悲鳴も辺りに響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷の怪談が終わり、梳による散髪も済ませた子供たちは家路へと向かっていた――。

さっぱりとした自身の髪の毛をいじりながらその途中、子供たちは口々に言葉を交わす。

 

「さっぱりしたねー」

「頭かるーい」

「梳おねーちゃん。上手だったねー」

「うん。それに四ツ谷せんせーの怪談も、今回も怖かったよね」

「うん、でも……。ちょっと怖かったけど、良い幽霊さんっぽかったね。だって四人の猟師さんたち助けてたみたいだし」

「だよね~」

 

そんな事を話していると、唐突に子供たちのうちの一人――太一が皆に声をかけた。

 

「……なぁ、オレたちでやってみない?あの怪談、結構簡単そうだし!」

 

ウキウキ顔で言った太一のその提案に、日頃から四ツ谷の怪談を聞きにやって来ている好奇心旺盛な他の子供たちが食いつかないはずかなかった。




最新話投稿です。
感想、誤字報告、何でもお待ちしております。


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其ノ三

前回のあらすじ。
四ツ谷は子供たちに『四隅の怪』を語り、それに影響した子供たちは行動し始める。


『四隅の怪』を会館前で語った翌日――。

四ツ谷は()()である教師の仕事をするために、寺子屋に来ていた。

一通りの授業を終わらせ、放課後となった時刻。

白衣に伊達眼鏡姿の四ツ谷は寺子屋の職員室、その一角にある休憩室で一息ついていた。

湯飲みに熱々の玉露を急須から注ぎ込むと、四ツ谷は鼻歌交じりに休憩室に置かれた茶箪笥の前に歩み寄る。

そして、茶箪笥の一番上の段の小さな引き戸を開けて中の物を取り出そうとし――唐突に首をかしげた。

 

「……ありゃ?ここに入れといた醤油煎餅(しょうゆせんべい)の袋詰め何処いった?」

 

二日前に四ツ谷自身が買い置きして茶箪笥に入れておいたお茶請けの菓子が無くなっていたのだ。

教員の誰かが食べたのかと思ったが、袋には前もって自分の名前を大きく書いていたため、黙って食べられるような事は無いはずであった。

しかし、現に茶菓子が忽然と消えてしまっているため、四ツ谷は一応同僚である教員たちに聞く事にした。

されどその場にいる全員が知らぬ存ぜぬと首を横に振る。

じゃああの煎餅は何処にいったんだ?と四ツ谷が首をかしげていると、教員の一人が口を開いた。

 

「……もしかしたら、ここにいる方とは違う誰かが誤って食べちゃったのかもしれませんね。……あまり大きい声じゃ言えませんけど……最近多いですから、この手の紛失が……」

「……前々から起こってるんですかこういった事が」

 

教員モードの口調で四ツ谷がそう聞き返し、尋ねられた女教員も気まずそうに小さく頷いた。

 

「去年からですね、こういった事が度々起こるようになったのは。未だに教員の誰かか、もしくは悪戯好きな生徒の誰かが忍び込んで持っていったのかすら分からず仕舞いなんです。……ですが今の所、無くなっているのは茶葉や茶菓子の類ばかりですので、犯人が見つかってもまだ笑って許せる範囲ではあるのですが……もし、これがまだ続くようですと、ねぇ……」

「…………」

 

女教員のため息交じりの告白を四ツ谷は気になる所でもあるのか黙って聞きながら黙考する。

すると突然、職員室の戸が勢い良く開いた。

 

「四ツ谷はいるか?」

 

開口一番に自分の名を呼ばれ、何事かと四ツ谷は職員室の出入り口へと目を向けた。

するとそこには腕組みをして険しい顔で仁王立ちをしている慧音と、背後で気まずそうに身をちぢ込ませているいつもの太一ら仲良し五人組の姿がそこにあった。

眉根を寄せて怪訝な顔をする四ツ谷に、再び慧音が声を上げる。

 

「四ツ谷、お前はこの子たちに一体何を吹き込んだんだ?」

「?……『何を』とは?」

 

未だに状況が飲み込めず首を傾げて問い返す四ツ谷に、慧音は口を尖らせて声を上げる。

 

「『四隅の怪』とかいう怪談だ!もしやとは思うが、また『最恐の怪談』をやろうとしてるんじゃないだろうな!?」

「四隅の……?ああ、昨日そいつらに聞かせた怪談の事か?……いや、別に良いだろ?俺が怪談を語るのは今に始まったことじゃあない。今更、目くじら立てる必要も――」

「――今回はそうはいかん!」

 

何を今更とばかりに四ツ谷は軽い口調で慧音の問い詰めを受け流そうとするも、慧音はそれをぴしゃりと遮る。

そして自身を落ち着かせるためか、一度大きくため息をつくと慧音は四ツ谷に今し方あった出来事を話し始めた。

 

「……さっきこの子たちが誰もいなくなった教室を締め切って何かをやっているのを見つけてな。問い詰めたらお前の名前と『四隅の怪』という怪談の名が出てきたんで、もしやまたお前が何かやらかそうとしているんじゃないかと思ってここへ来たんだ」

 

その言葉に四ツ谷は目を丸くし、そして次に苦笑と呆れを混ぜたような顔で慧音の背後にいる太一たちに言葉をかけた。

 

「何だ。お前ら、アレをやろうとしてたのか?」

「……うん。だってすごく簡単そうだったし、ひょっとしたらうまく行けば本当に出てくるんじゃないかと思って……」

「全く、お前らの後先考えない好奇心には感服する……。ま、今回は運悪く見つかっちまったみたいだが?」

 

意地悪げな顔で四ツ谷がそう呟きながらチラリと慧音を見て、その視線を受けた慧音もジト目で四ツ谷を睨み返した。

 

「……確かに今更怪談を語るなとは言わんが、今回みたいに子供たちが影響を受けてしまうのは見過ごせない。お前も一応教育者なら、そこの所も考えてもらわないと困る」

 

静かならがらも厳しい慧音のその発現に、四ツ谷は黙って肩をすくめた。

それを尻目に慧音は次に子供たちに向き直る。

 

「……さ。もう今日の授業は終わったんだ。お前たちも家にお帰り」

 

四ツ谷の時とは反転して優しい口調で子供たちにそう言い聞かせる慧音。

しかし、今の子供たちは四ツ谷の怪談の影響を受けて好奇心の権化(ごんげ)と化している事に気づいてはいなかった。

 

「えぇ~、やだぁ!『四隅の怪』やってみたい!」

「やりたいやりたい!」

「まだ外は明るいし、帰るのはまだ速いよ!」

「誰にも迷惑かけるつもりは無いし良いでしょ、けーねせんせー!?」

「…………おねがい」

 

口々に子供たちからそう反発され、慧音は一瞬たじろぐ。

 

「い、いやしかしだな。お前たちにもしもの事があったら保護者の方々に申し訳が……」

「「「「「…………………」」」」」

 

何とか説得しようとする慧音を、子供たちは上目遣いに双眸をうるませて見上げる。

 

「「「「「………………………………………………」」」」」

「………………うぅ」

「「「「「…………………………………………ダメ?」」」」」

「クッ……!!」

 

一欠けらの穢れも無い、純真無垢な天使の様な心を持った子供たちの懇願に、流石の慧音も最後には陥落してしまった。

 

「……わかった」

「「「「「やったぁーーー♪」」」」」

 

両手を挙げて喜ぶ子供たち、されどそこで慧音は待ったをかける。

 

「ただし、安全面を考慮して私たち大人が先にその『四隅の怪』とやらをやらせてもらうぞ。それで何も起きなければお前たちの好きにすると良い」

 

静かだが反論させないと言った慧音のその提案に、子供たちは『四隅の怪』ができればそれで良いのか、すんなりとそれを了承した。

 

「それじゃあ一時間後にそれを始めることにしよう。その間お前たちは一度家に帰って荷物を置いて、また寺子屋(ここ)に来ると良い。私はその間に何人か協力者を集めて準備をしておこう」

「「「「「はーい!」」」」」

 

慧音のその言葉に、子供たちは元気良く返事をするとパタパタと足音を鳴らしながら職員室から出て行った。

それを見届けた慧音はその場で深いため息をつく。それと同時に慧音の背後で成り行きを見守っていた四ツ谷が笑いをこらえながら慧音に声をかけた。

 

「クククッ………!慧音先生?先生も結構子供たちに甘いのな」

「やかましい。四ツ谷、お前も今回の事には協力してもらうぞ。何せそもそもの発端がお前の怪談なんだからな」

「ヘイヘイ……それで?俺は一体何すりゃいいんだ?」

「『四隅の怪』に参加しろ」

「ヤダ」

 

即答する四ツ谷に慧音は再びため息をつく。

 

「……そう言うと思ったよ。ならせめて一人でも良いから協力者を連れて来い。なるべく()()()()()()()()()

「演技力の……?どう言うことだ?」

 

首をかしげる四ツ谷に慧音はしっかりとした言葉で返した。

 

「四ツ谷……。私は子供たちに『四隅の怪』を行わせるつもりは一切無い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慧音の()()を聞いた四ツ谷はやれやれと言った面持ちで会館へと戻り、広間に小傘、薊、そして梳の三人を呼んで集めた。

そして寺子屋での事のあらましと慧音の作戦を三人に話した四ツ谷は、『四隅の怪』に協力をしてくれる者を今から小傘たちの中から人選する事を話した。

言わなくても分かることだが、今回『四隅の怪』に子供たちも参加する故、協力者として呼ぶのなら彼らと馴染みがあり、かつ警戒されない者がふさわしい。

そのため、完全に異形の姿をした金小僧と折り畳み入道は論外であった。

それで自然と小傘たち三人の中から選ぶ考えとなったのだが、意外な事に四ツ谷の第一助手であるはずの小傘が真っ先に()退()を宣言してきた。

何でも副業である鍛冶師の仕事が入っているとかで手が離せないのだとか。

それに、いくら人に近い姿だからと言っても自分は大妖怪。参加したら()()起こるか分からないとも付け足してきた。

 

「すみません師匠……」

 

そう小傘が謝ったのを皮切りに、薊も辞退宣言をする。

 

「わ、私もすみません。協力はしたいのですが、さすがに人前で『演技』をするとなると、ちょっと……」

 

そう恥ずかしそうに響く薊の言葉に、四ツ谷も「まぁ、そうだろうな」と納得する。

薊には『最恐の怪談』時に何かと『舞台裏』での『演出』を行ってはもらっているが、今回はそうじゃない。

何せ直接()()()()()()うたなければならないのだ。

そう言った方面での事に関しては彼女に実行は向いていないと四ツ谷も判断せざる終えなかった。

と、なると選ばれる者はもう一人に自然と絞られてくる。

彼女自身もそれが分かっていたのかすんなりと了承の挙手を示した。

 

「分かりました私がやります。……一応中学時代に演劇部に所属していましたし、ある程度の『演技』ならできますよ」

 

役に立ちたいという思いがあったのか、一切(いっさい)嫌そうな顔もせずむしろやる気に満ちた顔でそう宣言する梳に四ツ谷は何も言う事は無かった。

 

「……まァ、兎にも角にも慧音先生要望通り『演技力』の高い協力者を一人、用意できた。あとは慧音先生が残りの協力者に一体どんな奴を連れてくるかだが……できればマシなのを連れて来て欲しい所だな」

 

そう独り言を呟く四ツ谷だったが、それが逆にとんでもないフラグを立てる事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……悪意しか感じねェ!!?」

 

梳を連れて寺子屋に舞い戻った四ツ谷は、そこで待っていた面々を見て思わず絶叫していた。

太一たち五人の子供たちと慧音先生がいるのは当然だが、彼女たちのそばにいる、恐らくは慧音が協力者として連れて来た者たちに問題があった。

その一人が四ツ谷に向かって()()()()()()()()()()()()()()()()()の隣に立つ藤原妹紅。

彼女にいたっては別に何の問題も無い。

四ツ谷自身も慧音が親友である彼女を協力者として連れてくるのは容易に考えがついた。

むしろ問題があったのはそのまた隣に立つ()()()()()()()()

何で『こいつら』を連れて来たのかと、理解できない四ツ谷は慧音に問い詰めずにはいられない面持ちであった。

そんな四ツ谷の気持ちを知ってか知らずか、その協力者二人は闇の深そうな笑みを称えて四ツ谷に声をかけた。

 

「こんにちはね()()()鹿()。まーた何かやらかそうとしているみたいね?」

「面白そうな事しようとしてるって聞いたから、来てやったぜ」

 

口を三日月型に歪めてニヤァと笑いかける紅白巫女と白黒魔女の姿がそこにあった――。




本当に申し訳ありません。
また一ヶ月以上かかってしまいました。
一応、大筋はできているのですが、細かい描写や帳尻合わせが難航していたため今に至ります。
お待たせして本当にすみませんでした。


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其ノ四

前回のあらすじ。
『四隅の怪』を実践するために梳を連れて寺子屋に帰ってきた四ツ谷に待っていたのは、非常な現実であった――。


「……オイ、慧音先生。どういう事だコレは?俺への嫌がらせか!?」

「……すまん、四ツ谷。私としてもこの二人を連れてくる気は毛頭無かったのだが……」

 

子供たちから声が届かない所まで距離を置き、こめかみに血管を浮き立たせた四ツ谷はそう言いながら慧音に詰め寄った。

慧音の方も申し訳なさそうに四ツ谷に謝罪する。

そして続けて口を開き、事の経緯を四ツ谷に話し始めた。

 

「……実は妹紅を誘った後、鈴奈庵の小鈴にも協力してもらおうとそこへ向かったんだ。小鈴もかつては私の教え子だったし、頼んだら協力してくれると思ってな。そしたら運悪く丁度、鈴奈庵にこの二人がいてな……」

「ならコイツら見た時点で回れ右して退散すりゃ良かったんだ。何捕まった上に全部バラしてんだ」

「霊夢の『勘』の異常な鋭さはお前も知ってるだろう?予想外の遭遇で私が少し動揺したのを見て何かあると感づいたらしい。おまけにそれに四ツ谷(お前)も関わっているだろう事もな」

「何だその気持ち悪いぐらいのピンポイント能力は!?もうほとんど透視(とおし)じゃねーか!」

 

言い合う四ツ谷と慧音。だがそこに霊夢が割り込んできた。

 

「ちょっとちょっと、女苑(じょおん)じゃあるまいし人を疫病神あつかいしないでくれる?」

「宴会で会ったあの貧富姉妹の妹の方か?疫病神って言ったら俺からすりゃあお前も似たようなモンだ」

「あらそう?私から見たら里に怪談ばら撒いて騒動を起こそうとしているアンタの方がずっと疫病神だわ。何なら事を起こす前に退治してあげましょうか?」

「待て待て待て、今回の主導者はあくまでも慧音先生だ。俺は協力している側にすぎん」

「でも元凶はアンタの怪談なんでしょ?」

「ぐっ……!」

 

お札を取り出して半眼で睨む霊夢の指摘に四ツ谷は二の句が告げなくなった。

そこへ再び慧音が口を開き、霊夢を説得する。

 

「まあ待ってくれ霊夢。それもこれも子供たちに『四隅の怪』をやらせない為なんだ。ここに来る途中で()()()()の事は話したろう?……ちょっとの間だけで良い、協力してくれないか……?」

 

頭を下げる慧音に霊夢は複雑そうな顔を向けるも、やがてため息と共に頷いた。

 

「はぁ~、仕方ないわね。まあ私もここで無理矢理中止したりなんかしたら、『子供たちの遊戯を妨害した乱暴巫女』として、人里に悪評を立たせる事にもなりかねないしね」

「感謝する」

 

普段、周りの目など何処吹く風だというのに、人里での自分の評判となると途端に気にしだすようだ。

それ故、最終的に霊夢も慧音の頼みに折れたのである。

ホッとしながらそう響く慧音に今度は魔理紗が声をかけた。

 

「……で?まずは何すりゃ良いんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供たちを引き連れ、寺子屋の廊下をズンズンと奥へと進んでいった一行は、ある部屋の前にたどり着く。

先頭を歩いていた慧音が率先してその部屋の引き戸を開ける。

そこには家具一つ無い、およそ八畳(はちじょう)分ほどの広さの空き部屋がそこにあった。

四方をむき出しの土壁に囲まれ、上下を木製の天井と床が広がっている。

出入り口から見て奥の土壁、その右隅の上の方に、申し訳程度に作られた換気や光を入れるための小さな格子窓がちょこんと着いていた。

誰に聞かれるまでも無く、慧音が口を開く。

 

「元はこの寺子屋にある三つの物置部屋の一つだったのだが、去年の大掃除の際にいらない物を一掃処分してな。結果、この部屋の分が綺麗に無くなったと言う訳だ。……今回『四隅の怪』をこの部屋で行おうと思う」

 

慧音のその言葉を皮切りに、各々が一斉に行動し始めた。とは言っても簡単に『四隅の怪』の舞台準備をするだけなのだが。

慧音と妹紅は、奥にある格子窓に内側から木の板で蓋をし、その上に光を通さない厚手の布を多いかぶせ貼り付けた。

こうする事で外からの光を完全に遮断する。

一方、霊夢と魔理沙、四ツ谷に着いてきた梳は、別の物置き部屋から大きな暗幕を引っ張り出すと、部屋の出入り口である引き戸に内側からその暗幕で垂れ幕のように覆ったのである。

これで屋内からこの部屋に光が漏れることもなくなった。

そして四ツ谷はというと、子供たちと一緒に廊下で待機し、慧音たちの準備作業をぼんやりと眺めているだけであった。

暗幕を固定している最中、魔理紗が独り言のように呟く。

 

「しっかし、本当にこんなので幽霊だかが現れるモンなのか?」

「ンなわけないでしょ、馬鹿らしい。部屋の中グルグル回ってるだけでそんなのが出る事なんてそうそう無いわよ」

 

霊夢のその言葉にそばで聞きながら作業をしていた梳も口を開く。

 

「……え?そうなの?外の世界じゃ『四隅の怪』って一種の降霊術としての側面もあるって話だから、もしかしたらこの幻想郷の中だと出るんじゃないかな、と思ってたんだけど……」

 

そう言う梳に霊夢は呆れた目を向けた。

 

「あのねぇ、降霊術って言うのはちゃんとした段階を経て始めて霊が現れるモンなのよ。少なくともこんな簡易的なやり方で霊が現れるなんて私は初耳だし、出るとも思えないわよ。……まぁ、確かにこの幻想郷じゃあそうなる可能性も全く無いとは言えないけれど、今はまだ夕方前、幽霊たちが活動するにはまだ速い時間よ。だから今コレを行ったとしても何も無いとは思うけどね……」

「…………」

「……ま、もし万が一何か起こったとしても、私が万時退治するだけだけどね。……元凶であるあの怪談馬鹿と一緒に」

 

霊夢のその言葉に黙って聞いていた梳は顔を霊夢の方へ向けて口を開く。

 

「え?いや……さすがに恩人を目の前でボコボコにされるのはちょっと……」

「何よ、あいつかばう気?ならアンタから先に退治される?」

「ご、ご無体な……」

 

ジロリと霊夢に横目で睨まれ、梳は引きつった笑みでジリジリと後ずさりする。

「まあまあ」と後ろから直ぐに魔理沙に宥められ落ち着く霊夢だったが、ため息と共に梳を見据える。

 

「……アンタもさぁいつまでもあの怪談馬鹿たちの所に居候しているつもりは無いんでしょ?外来人らしいし、アンタさえ良ければいつでも外の世界へ帰してあげるけど?」

「……っ、わた、しは……」

 

唐突な霊夢のその提案に梳は押し黙り俯くと、両手で自身の着物をギュッと握り締めた。

短い沈黙が場を支配するも、直ぐにそれは終りを告げる。

 

「おい霊夢、何をしている?」

「あー……はいはい、直ぐに済ませるわよ全く……」

 

部屋の奥にいた慧音が霊夢にそう声をかけ、それを聞いた霊夢は適当にそう受け流すと、梳に再び目を向ける。

 

「……ま、何があったかなんて聞かないけど、それなら思う存分悩んで決めなさいな。帰りたくなったらいつでも私に言いなさい……気分にもよるけどね」

 

最後にそう締めくくった霊夢は梳の返事を待たずして作業を再開する。

梳はその霊夢の背中に向けて小さく頷いたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

室内を完全に暗闇にした慧音たちは再びその部屋の前の廊下に出てくる。

慧音は廊下で待っていた子供たちを見ると腰に両手を当てて宣言する。

 

「よし。それじゃあお前たち、準備もできたからいよいよ『四隅の怪』を実践するぞ!」

「「「「「わーい!」」」」」

 

待ってましたとばかりに子供たちが両手を挙げて喜ぶ。慧音はそれを苦笑しながら眺めると、再び口を開いた。

 

「……それじゃあ前の約束どおり、最初はここにいる博霊の巫女様と魔理沙おねえちゃん。そして妹紅おねえちゃんと梳おねえちゃんがやるから、お前たちはここで見ているんだぞ?」

 

慧音のその言葉に子供たちは素直に頷き、それを見た慧音は振り返り背後にいる妹紅たちに声をかける。

 

「それじゃあ頼む」

「ああ、任せてくれ慧音」

「頑張ります……」

「……メンドクサ」

「オイオイ、霊夢……聞こえるぞ?」

 

妹紅と梳は素直に了承し、小さくぼやいた霊夢を魔理紗が同じく小さな声でたしなめた。

そうして今度はその四人が再び出入り口と暗幕を掻い潜って部屋へと入っていく。

彼女たちが入室する際、四ツ谷は彼女たちの向こう――部屋の中の様子がチラリと視界に入った。

入り口から差し込む光よりも向こう側は完全な漆黒の闇だった。格子窓はふさがれ、その上に分厚い布で粘りされたため一縷(いちる)の光も漏れてはいなかった。

部屋の出入り口も内側から暗幕で覆われているため、扉を閉めて暗幕を戻せば、完全に部屋の中は闇一色で支配されるのだろう。

やがて妹紅、梳、霊夢、魔理沙が部屋へと入り、ピシャリと扉が閉まった。

そうして三分もかからないうちに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……。

 

 

 

 

 

 

 

耳を澄ましても聞き取りづらい微かな足音が、部屋の暗幕と扉越しに小さく廊下へと漏れ出してきた。

その音を聞いた子供たちは固唾を呑んで部屋の様子を伺うように扉を見つめる。

そしてそれを見計らったかのように、四ツ谷は子供たちに気づかれないようにさりげなく慧音の横に移動し、慧音にしか聞こえないように小声で声をかけた。

 

「……始まったが、本当にうまく行くのかね。先生の作戦」

「うまく行ってもらわなければ困る。と言うか、そのためにお前に演技力の高い者を連れてくるように言ったはずだが?」

 

横目でチラリと四ツ谷を睨みながら慧音も小声でそう返した。

そして続けて言う。

 

「……お前があの梳と言う外来人の娘を選んだのも、ちゃんと()()()()()()()()()()()()()()なんだろ?」

「ああ、あいつには事前に先生の作戦はちゃんと言ってある。『タイミングを見計らって部屋から転げ出て、「五人目が出た!」って大騒ぎするように演じろ』ってな」

 

四ツ谷のその答えに慧音はそれで良いとばかりに小さく頷いた。

そう、元々この『四隅の怪』で軽く一芝居うち、子供たちを怖がらせて『四隅の怪』をさせないようにする事が慧音の作戦であった。

部屋の中をある程度周り、事前に打ち合わせをしていた梳が部屋から飛び出して子供たちの前で恐怖し騒ぎ立てる演技をするという簡単なモノ。

それを見た子供たちが怖がって『四隅の怪』を自分たちでやろうとする気を失わせることが今回の目的であった。

それは梳だけでなく、今部屋の中を歩き回っているであろう妹紅や霊夢、魔理沙もちゃんと知っていた。

 

――そうこうしている内に『四隅の怪』が始まって五分近くが立った。

 

部屋の中では未だに、タッタッタッタと足音が小さく響いてくる。

四ツ谷が再び小声で慧音に声をかけた。

 

「……そろそろだな」

「ああ……。子供たちには悪いが、危ない事はさせたくないからな。暗闇の中でもし転んで怪我とかされては大変だしな」

 

慧音がそう答えた直後、扉と暗幕越しに小さく、されどはっきりとした口調で少女の声が響いた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……誰よ、アンタ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――()()()()()……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

「あン?」

 

予定外の人物の声に慧音と四ツ谷は一瞬呆気に取られる。

それを合図にしてか、部屋の中がたちまち大きく騒ぎ出した。

 

「うわっ!?れ、霊夢どうしたぁ!?」

「え?ええっ!?何!??何ィ!!??」

「待ちなさいッ!!」

「な、何やってんだよ霊夢……ん?……お、お前誰だよッ!!?」

「ちょっと誰よコレ!?邪魔よ!!……(ドテーン!)ギャッ!?」

 

部屋から溢れ出すパニックと化した少女たちの悲鳴とドタンバタンと転げ、のた打ち回るかのような大きな騒音。

予定外の事態に慧音や四ツ谷のみならず、そばにいた子供たちも呆然となって立ちすくむ。

しかし、速くも慧音がハッと我に帰り、慌てて部屋の扉の前に駆け寄ると、ドンドンと扉を叩いて部屋にいる四人に叫ぶようにして声を上げた。

 

「おい!どうした!?一体何があったん――おわぁっ!?」

 

唐突に引き戸であるはずの扉が跳ね橋よろしく前のめに慧音に向かって倒れてきた。

とっさに横に飛んで回避する慧音、直後バターン!という大きな音と共に扉が倒れ巻き込まれずにすむも、倒れた扉の上に霊夢たち四人が積み重なるように倒れているのが見えた。

一瞬の静寂がその場を支配する。

しかし、直ぐに四ツ谷が倒れている四人に近づいて声をかけた。

 

「……おい、お前ら一体どうし――グエッ!??」

 

四ツ谷の声が途中で苦悶を含んだ悲鳴へと変わる。

四人の一番下にいた霊夢が、他の三人をやや乱暴に押しのけて立ち上がると目の前にやってきていた四ツ谷の胸倉を掴んできたのだ。

 

「この怪談馬鹿!一体どう言うことなのよアレ!?誰なのよアイツ!!」

「な、何!?何!??なんだってんだ一体!?」

「答えなさい!子供たちの為とか言って本当は私たちをからかおうとしてたのね!?何処に潜ませてたの!?まさか、創ったんじゃないでしょうね!??」

「や、藪から棒に何言ってんだお前!?く、苦しいから手ェ離せ!!」

 

半狂乱状態でつかみ合いになる霊夢と四ツ谷。

それを見た慧音が慌てて仲裁に入る。

 

「ま、待て落ち着け!落ち着け霊夢!一体何がどうしたと言うんだ!?」

「どうもこうも無いわよ!!アンタ達でしょ()()()呼んだの!!」

 

四ツ谷の胸倉を掴んだまま今度は慧音に噛み付く霊夢。

慧音はそんな霊夢を必死になって宥め空かす。

 

「本当に落ち着いてくれ霊夢!……子供たちが見ている」

 

慧音のその言葉にピタリと霊夢は口を閉じ、チラリと子供たちの方へ目を向ける。

子供たちは何が起こったのか分からず少しビクビクとしながら一箇所に固まってこちらの様子を伺っていた。

それを見た霊夢は苦虫を噛み潰した顔でそっぽを向くと掴んでいた四ツ谷の胸倉をおずおずと放した。

ぶはぁっと、息を吐いてその場で脱力した四ツ谷を横目に慧音は落ち着いた口調で霊夢に再び声をかけた。

 

「……一体、何があったと言うんだ霊夢?正直、私や四ツ谷も何が起こったのかまるで分からないんだ。だから、ちゃんと一から説明してくれれば助かるんだが……」

「…………」

 

霊夢はそう言った慧音をジッと見つめ続けると、クイクイッと右手で小さくて招きをし、『子供たちから少し距離をとるように』と促す。

それに気づいた四ツ谷と慧音、そして既に立ち上がって様子を見守っていた妹紅、魔理沙、梳は共に霊夢の後に続く。

ある程度、子供たちから距離をとった霊夢は振り返り、慧音と四ツ谷に再度問いかけた。

 

「本っっっ当にあんた達の仕業じゃないの?」

「だから何の事を言っているんだ?予定では梳が騒ぐはずだったのに、何故お前が騒ぎ出した?」

 

両手を腰に当てて険しい目で見て来る霊夢に、慧音は腕を組んで困惑と怪訝を混ぜたような顔でそう問い返した。

霊夢は少し考えるように俯くと、直ぐに顔を上げて今し方部屋の中で起こった事を簡潔に話し始めた――。

 

「……部屋の中を回り始めてしばらくして、目が暗闇の中に慣れてきて辺りがぼんやりと見えるようになったのよ」

 

霊夢の声が静かに小さく廊下に響き渡る――。

周りにいる慧音たちも黙って霊夢の話に耳を傾ける――。

 

「……ほんの少し、今誰が動いてるのか気になって部屋の中をなんとなく見渡して見たのよね。……そしたら、いたのよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……いつからいたのか、部屋のど真ん中にぼんやりと佇んでいる、『五人目』の人影をね……!」

 

霊夢のその告白にその場にいた()()()()の者が、驚きと困惑を隠せずに目を丸くしたのだった――。




最新話投稿です。
すみません。今回も書くのに時間がかかりました。
次は速く投稿できればいいなぁ……。
なるべく速く書けるようがんばりますw


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其ノ五

前回のあらすじ。

霊夢たちの協力の下、『四隅の怪』が行われるも、四ツ谷や慧音すら思っても見なかった予想外な事態が起こってしまう――。


霊夢の話を聞いた慧音はすぐさま先ほど『四隅の怪』を行っていた部屋に飛び込んだ。

そして奥の格子窓に覆っていた木の蓋と布を一息でひっぺがす。

ベリッという音と共に蓋が外され、格子窓から日の光があふれ出し部屋の中を明るく照らした。もう夕方になっており、部屋の中が茜色に染まる。

慧音は部屋の中を見渡す。

 

――誰もいない。

 

何度部屋の中を見渡しても、『者』どころか『物』の影も形も見当たらない。

ガラーンとした空間がそこに広がっているだけであった――。

少し遅れて四ツ谷たちも部屋に入ってきた。

梳だけは子供たちのそばにいる為に廊下側から子供たちと一緒に部屋の中をうかがっている。

 

「……誰もいないぞ?見間違いじゃないのか?」

 

慧音のその問いかけに霊夢は険しい顔で首を振る。

 

「いいえ、確かに居たわ。しかもあの身長と体格からして大人の男。そいつがこの部屋のそこに立っていたのよ」

 

そう言って霊夢は部屋の中央付近を指で指して見せた。

それを見た慧音は困惑した様子で霊夢を見返す。

慧音のその顔を見た霊夢は少しムッとした顔で続けて言う。

 

「信じないつもり?言っとくけど絶対に見間違いじゃないわ。()()()あったんだもの」

「実体も?触ったのか?」

「直接じゃないけど、このお祓い棒で背中を思いっきり殴ってやったわ」

 

そう言って霊夢は何処に隠してたのか長めのお祓い棒を取り出し、慧音に見せ付けるように掲げて見せた。

それを見た慧音は半ば呆れた目を霊夢に向ける。

その直後、霊夢を後押しするかのように魔理沙も声を上げた。

 

「……私も見たぜ」

「……!魔理沙、本当か!?」

「ああ、暗くて顔も見えなかったが、あの人影は霊夢の言うとおり確かに男っぽかった。直後に霊夢や他の奴にもみくちゃにされて何が何だか分からなくなっちまったが……」

 

頭に被る鍔広のとんがり黒帽子を指先でクイッと上げながら、真剣な顔で魔理沙はそう証言する。

 

「……だとしたら、妙だな」

 

唐突に今まで黙っていた四ツ谷が一歩前に出てそう静かに呟いた。

その場にいる全員が四ツ谷に注目すると同時に、四ツ谷は続けて響く。

 

「そいつは実体を持ってたんだよな?……なら、少なくとも幽霊の類じゃないことだけは確かだ。だが、この部屋は四方を土壁に囲まれ、そこの小窓もさっきまで蓋されてた上に布で覆われてて蟻の子一匹入る余地も無かった。……唯一、俺たちが入ってきたこの出入り口も事が起きた時、廊下側に俺と慧音先生に子供(あいつ)らがいて、誰一人として不審な奴が出入りする事はできなかった……」

 

四ツ谷が何を言いたいのか理解した慧音たちは固唾を呑んで彼を見つめる。

その視線を受けて四ツ谷も自身が一番言いたかった疑問を声に出して部屋の中に響かせた。

 

「……じゃあそいつは、一体何処からふって沸いて現れ、一体何処へ消えた……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が西の山の頂上にくっ付き、日の入りが始まったのを確認した慧音は今回はここでお開きという事で、やや強引に『四隅の怪』を打ち切らせた。

そして妹紅と共に子供たちを家路へと送るために彼女たちと一緒に寺子屋を後にする。

四ツ谷はというと、梳と共に未だ寺子屋の空き部屋の中にいた。

四方の土壁を念入りにぺたぺたと触る。もちろんそこには、人が通り抜けられるような穴所かヒビ一つ入っていない平らな壁がそびえているだけであった。

別の壁を調べていた梳が四ツ谷の元へやって来る。

 

「四ツ谷さん、やっぱり何もありませんね。普通の壁です」

「うーん、やっぱ隠し扉の類があるわけないか」

 

四ツ谷が唸りながらそう言った瞬間、

 

「……当たり前でしょ。何で寺子屋にそんなモンがあるのよ」

 

唐突に第三者の声がその場に響き、四ツ谷と梳が声のした部屋の出入り口へと目を向ける。

そこには紅白巫女(霊夢)白黒魔法使い(魔理沙)の二人が立っていた。

魔理沙は棒立ちだが霊夢に至っては扉に背中を預けて呆れた目を四ツ谷に向けている。

それを見た四ツ谷は声を上げた。

 

「……なんだ?お前ら慧音先生らが出た後、帰ったんじゃなかったのか?」

「そうしようかって思ってたんだけどね。ちょっと()()()()()があったから引き返して来たのよ」

 

霊夢がそう言った瞬間、彼女の目が僅かに細まるのを梳は見た。

そして霊夢の視線を受けた四ツ谷もまた僅かに目を細める。

二人の視線が交差し、その空間だけがほんの一瞬、温度が下がったような感覚をそばで見ていた魔理沙と梳が感じ取っていた。

四ツ谷が僅かに口角を上げて口を開く。

 

「ヒッヒ。そうか、丁度良い。俺も()()()一つ聞きたいことがあったところだ」

 

そう言って四ツ谷は霊夢に向かって一歩歩み寄り、続けて口を開いた。

 

「……さっき、お前がこの部屋で起こった事について話してくれたが……俺はお前や魔理沙(そいつ)が嘘を言ってるなんてこれっぽっちも思ってない。だからあの時『五人目』が出たっていうのは信じてるぞ」

「あら、そう?慧音は半信半疑っぽかったのにアンタは完全に信じてくれるなんてね。……嬉しくはないけど」

「ヒッヒッヒ……だいたい、お前らがそんな嘘言う必要なんて何処にも無いだろう?筋立ては変わっちまったが、結果はこっちの考えてた通りの終わり方だったんだからな。……だが、()()()()()こそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

そう響いた四ツ谷は一拍置いて、改めて霊夢を見据えて口を開いた。

 

「……お前、あの時言わなかった事があったんじゃないのか?」

 

四ツ谷の確信とも言える問いかけに、「チッ」と小さく舌打ちをした霊夢はそっぽを向き、僅かに苦虫を噛み潰したかのような表情になる。

そしてやや険しい目を四ツ谷に向けて霊夢は問いかけ返す。

 

「……どうして分かったの?」

「ほとんどは勘だが……、お前があの時『五人目(そいつ)』を討ち損じたのが気になってな。……ここは人里の中、そんな中に幽霊や妖怪の類がいたら()()()問答無用で即退治するのがお前だ。だがお前の話を聞く限り、お前はそいつを討ち逃したんだろ?普段のお前ならそんな事はありえない、例え暗闇の中だろうとな……。となると、その理由はおのずと限られてくる……」

「…………」

 

霊夢は沈黙する。だが構わず四ツ谷は口を開いた。

 

「そいつは、()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

その場に静寂が満ちる。空気が僅かにピリピリする中、霊夢はため息と共に静かに答えを吐いた。

 

「……あの時この部屋に現れたそいつは、幽霊所か()()()()()()()()()()()()……」

「ヒッヒ、やっぱそうか。……なら、()()()()()()()()()()()()()

 

どこかスッキリとした表情で四ツ谷がそう響くも、それを見ていた霊夢は冷ややかな目を向けていた。

そして彼女はゆっくりとした足取りで四ツ谷に近づき始める――。

 

「……私の方も()()()()だったみたいね。……やっぱり引き返して来て良かったわ……」

 

そう響きながら霊夢は四ツ谷に歩む脚を止める事無く近づいてゆく――。

その手にはいつの間にかお祓い棒が握られていた――。

 

「……この一件、()()()()()()()()()()()()()()()……けど、やっかいな芽は前もって摘んでおいた方が良いものね……――」

 

次の瞬間、ヒュンと風を切る音が部屋の中に響き渡る。そしてその直後に四ツ谷の首元に霊夢のお祓い棒が押し当てられていた――。

それでも相も変わらず不気味な笑みを浮かべて霊夢を見下ろす四ツ谷。されどその頬から一筋の冷や汗が伝っていた――。

対して霊夢は冷徹な目で四ツ谷を見上げながら、死刑宣告の如く静かに響いた――。

 

 

 

 

 

 

「――……()()()()




少々短いですが投稿です。
ちょっと予想外な展開になっちゃいました……。
大筋はできているのですが、この後の展開の帳尻あわせどうしよう……。


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其ノ六

前回のあらすじ。

部屋を調べていた四ツ谷は、霊夢にお祓い棒を突きつけられる。


日が完全に山の向こうに隠れ、黒くなっていく空にポツポツと星が見え始めた頃、『四ツ谷会館』の前に二人の少女の姿があった――。

小傘と薊である。二人は数時間前に梳を連れて行った四ツ谷の帰りが少し遅い事を気になりだし、こうして二人して会館の前で四ツ谷と梳が帰ってくるのを待っていたのであった。

薊が口を開く。

 

「……遅いですね館長さんと梳さん。何かあったのでしょうか?」

「うーん、人里の中だからとんでもない事に巻き込まれたって事は無いと思うんだけどねぇ……」

 

腕組みしながらウ~ンと唸る小傘。と、そこへ二人に向かってやってくる人影が一つあった。

その者の足音に気づき、小傘と薊は同時にその人影へと眼を向ける。そこには見知った顔があった。

 

「梳さん!」

「!……お帰り梳ちゃん!」

 

その人影――梳の顔を確認した二人は笑顔で彼女に駆け寄った。されど、梳の顔が暗い夜の中でも分かるほど雲っている事に二人は気づく。

 

「……?どうしたんですか梳さん」

「……ただいま小傘さん、薊ちゃん……あの……」

 

何故か言いにくそうに口ごもる梳を見て小傘と薊はますます怪訝な顔になる。

と、そこへ小傘が()()()に気づいて梳に問いかけていた。

 

「梳ちゃん、師匠はどうしたの?どこかに寄り道でもしているの?」

 

梳と共に出かけたはずのこの会館の館長である四ツ谷の姿が無い事に小傘は疑問を覚えたのだ。

その問いかけに梳は俯きながら数秒間沈黙すると、次の瞬間には小傘と薊に向かって大きく頭を下げていた。

 

「ごめんなさい!」

「!?」

「梳さん……?」

 

突然の梳のその行動に小傘と薊は呆気に取られる。

それに構わず梳は二人に叫ぶようにして声を上げていた。

 

「四ツ谷さんが……博麗神社に監禁(かんきん)されてしまいましたぁっ!!!」

「「…………………………。エエエェェェェェーーーーーーーッッ!!?」」

 

梳に負けない程の二人の絶叫がその場に響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……速いわね小傘。以前のアンタならもうちょっと来るのが遅いと思ったけれど」

「……霊夢さん、一体どう言う事ですか?師匠を監禁するなんて……」

 

事情を梳から聞いた小傘は直ぐに薊を自宅に、梳を会館に帰すと慌てて博麗神社に向かった。

まるでジェット機のような速度で飛んでいく小傘は、神社の境内で待ち構えていた霊夢の前に着地すると彼女と対峙したのである。

そんな小傘の顔はいつもののほほんとしたモノから一転して目を鋭く細めた険しいモノへと変わっていた――。

だが小傘の迫力に霊夢はたじろく事無く軽く肩をすくめる。

 

「どうもこうもないわよ。()()()()が落着するまであの怪談馬鹿はウチで預かるわ。文句は言わせないわよ」

「そんな横暴な……!一体何故です!?」

「……言わなくても分かるはずよ」

 

霊夢の方も目を鋭く細め、静かに口を開いた。

 

「アイツに『最恐の怪談』を語らせないためよ。アンタも梳から大方の事情を聞いてるんなら、大体の察しは着いてるはずよね?……寺子屋に現れた『五人目』の正体が……!」

「ッ……!」

 

その霊夢の指摘に小傘は口ごもる。

事の起こりがあったのは、『人里』の寺子屋の中――。

そして、霊夢の言う『五人目』が幽霊でも妖怪でもないとするなら、それは十中八九――。

 

「……『()()』」

「……そう言う事よ」

 

小傘の呟きに霊夢が頷いた。

二人の間に沈黙が流れる、しかし数秒後に霊夢が再び口を開いた。

 

「……今回の『聞き手』が人間である以上、アイツに怪談を語らせるわけにはいかないわ。折り畳み入道の一件以降、未だ新たな怪異は生まれていないけど、私に言わせればそれはただ()()()()()()()()。次もそうだとは言い切れないのよ」

 

確かに、と小傘も内心霊夢に同感していた。

折り畳み入道の一件後に起こった小野塚小町の一件や『とおりゃんせ』の一件も『聞き手』が人間ではあったが、それら二つの一件は霊夢のいうとおり、いろいろと理由やらなんやらがあって偶然生まれなかったに過ぎなかったのだ。

だから今回『最恐の怪談』を行ったとしても、怪異が生まれないという保障は何処にも無いのである。

そして、怪談と悲鳴の為なら例え忠告されようが新たな怪異が生まれる可能性があろうが構わず行おうとするのが四ツ谷文太郎(師匠)という男である。

そう、霊夢(彼女)にとって今注視すべきは、『五人目』などではなく四ツ谷(師匠)なのだ。

まず今回の一件でも『最恐の怪談』を行うはずだろう。いや、間違いなくやる。

……だけど、それでも――。

それでも、だ――。

 

「……それでも、師匠を閉じ込めるのは納得できません。今すぐ返してください……!」

「博麗の巫女の決断は絶対よ。それでも引かないって言うならいいわ、相手になってあげる……!」

 

霊夢がそう言った瞬間、何処からか二つの陰陽玉が現れ、霊夢の左右に浮かぶ。

同時に小傘と霊夢の間でバチバチと一触即発の火花が飛び散った。

だが、先攻を取ろうと動こうとする小傘に霊夢は静かに口を開いた。

 

「小傘。アンタは大妖怪になって強くはなったのでしょうけど、その力()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「!?」

 

霊夢の突然のその指摘に小傘は思わず動きを止める。

それに構わず霊夢は続けて言った――。

 

「……もしそうなら、知り合いのよしみで忠告しとくわ。その戦意、鞘に収めなさい。いくら強くなろうが『力に振り回されているアンタ』と『力を正確に制御している私』とじゃ勝負は目に見えてるわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博麗神社の一室、小さな文机(ふづくえ)と畳まれた布団、そして細長くそびえる燭台(しょくだい)があるだけの殺風景な部屋に、四ツ谷はいた。

壁に背中を預け、両足を前に投げ出し、両手を頭の後ろで組んでぼんやりと天井を見て座っていた四ツ谷の元に足音が近づいてくる。

その足音が部屋の前まで来ると同時にガララと部屋の扉が開いた。そこでようやく四ツ谷は部屋に入ってきた人物に目を向けた。分かってはいたがその人物は霊夢だった。

霊夢は腕組みをしながら仁王立ちで四ツ谷を見下ろす。

 

「……大人しくしているようで何よりだわ。感心感心」

 

言葉では感嘆していたが、その双眸には警戒の色を浮かべている事を四ツ谷は見逃さなかった。

四ツ谷は壁に預けていた上半身をゆっくりと起こすと霊夢に問いかける。

 

「……さっき、表が騒がしかったみたいだが、何かあったのか?」

「ええ、あったわよ。アンタん所の『赤染傘』がアンタを連れ戻しに来たわ。……追い返してやったけど」

「そうかい」

 

大した事ではなかったとばかりに、四ツ谷は再び両手を後頭部に組んで壁にもたれかかった。

対して霊夢は四ツ谷の反応の薄さに怪訝な顔を浮かべる。

 

「あら?てっきり出れなくて残念がると思ったんだけど、そうでもない見たいね」

「んー?まぁ、今すぐ出られるんならそりゃ両手を挙げて喜ぶんだろうが、無理矢理逃げ出すとなればお前は必ず俺を全力で捕まえに来るんだろ?なら、最初ッから大人しくここにいた方が良いだろうよ。……恐らく小傘も博麗神社(ここ)へ俺を連れ戻しにやって来たのも、衝動的な行動だったんだろう。今頃冷静になって大人しくしているはずだ」

「ふぅん?小傘の事、良く理解しているみたいじゃない?」

「そりゃまだ一年も経ってないにしても、毎日同じ釜の飯食ってりゃあそれなりに、な」

 

何でもないかのように涼しい顔でそう返す四ツ谷に霊夢はため息を着く。

そして真剣な顔で四ツ谷に忠告をかけた。

 

「……言っとくけど、無理矢理逃げるなんて事自体無理だからね。この部屋には箱の類は無いから折り畳み入道の能力は使えないし、そうでなくてもこの部屋の周りには私の結界が張ってあるから()()()()は出入りできなくなってるからね」

「それはそれは……」

 

霊夢の説明に興味無く相づちを打って聞き流した四ツ谷だったが、次の瞬間にはハッとなって再び身を起こす。

 

「ちょっと待て。この一件が終わるまでしばらくこの部屋にいなきゃならないんだよな?だったら……」

「ああ、食事の事?心配しなくても三食ちゃんと配膳するわよ」

「違う、そうじゃない。もっと下世話な話、『用足し』とかどうなんだよ?その時にはちゃんと厠まで送ってくれるのか?」

「ああ、そっち?安心しなさい、そっちの方も抜かりないわよ」

 

そう言って霊夢は四ツ谷が声をかける間もなくスタスタと部屋を出て行った。

 

「?」

 

首を傾げる四ツ谷であったが一分もせずに霊夢が部屋に戻って来る。

あるモノを持って――。

 

「……はい。コレに済ませちゃってね」

 

そう言って霊夢が床にトンと置いたそのモノは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――木製の『おまる』であった……。

 

 

 

 

 

 

 

「ってちょっと待てえええぇぇぇーーーー!!!??」

 

四ツ谷の絶叫が部屋中に響き渡った。

無理も無い。さすがにいろんな意味であんまりすぎる。

突然の四ツ谷の絶叫に反射的に両耳を押さえた霊夢は顔をしかめて四ツ谷に文句を言う。

 

「ちょっと、いきなり叫ばないでよ。ビックリするじゃない」

「やかましい!ビックリしたのはこっちだ!しろってか?俺にコレでしろってかぁ!?」

「うっさいわね。子供じゃないんだからいちいちアンタを厠まで送るわけないでしょうが。こっちだって博霊の巫女として沢山仕事があるのよ。アンタ一人にいちいち構っている暇なんて無いわ」

「仕事ってなんだよ!?知ってるぞ!お前、異変が無い時はいっつも縁側で茶をすすって日向ぼっこしている事ぐらい!」

「はーい、そこ。これ以上ごちゃごちゃ言うようだったら、宝符「陰陽宝玉」の刑よ」

 

いつの間にか右掌の上に陰陽玉を浮かばせて、冷ややかな目で見下ろしてくる霊夢の目に、四ツ谷は引きつった笑みを浮かべるだけであった。

霊夢はそんな四ツ谷を尻目に用は済んだとばかりに、踵を返してそそくさと退室していく。

扉を開けたと同時に霊夢は最後に四ツ谷に声をかけた。

 

「心配ないわよ。恐らくこの一件はそう長引かずに解決に向かうでしょう。ま、あくまでも『勘』だけどね。……それまでアンタが何もせずにここで大人しくしていてくれればそれで全てが丸く収まるって事よ。……あ、そうだ。事件が解決してアンタを解放する時、ついでにソレ『中身ごと』そっちで処分してよね。ソレ自体、アンタのために人里で購入したモンなんだから」

 

クイッとアゴで四ツ谷の前に置かれた『おまる』を指すと、霊夢は今度こそ部屋を出て行った。

残された四ツ谷はまるで『燃え尽きたかのように』全身を真っ白にさせて目の前の『おまる』に目を落とした。

 

「……マジかよ」

 

大きくため息をついて四ツ谷は両手で自分の顔を覆い、そのまま動かなくなった。

部屋の中に静寂が降りる。

数分とも数秒ともいえる間をおいて、突然部屋の中に含みのある笑い声が静かに響き渡った。

 

「……ふっふ………ふひひヒヒヒ、ヒッヒッヒ……!」

 

その笑い声の持ち主――四ツ谷はゆっくりと頭を起こし、覆っていた両手を離した。

そこから出てきた顔は先ほどまでの魂の抜けたかのようなモノなどではなく、いつもの不気味な笑みを浮かべていた。

四ツ谷は霊夢の出て行った扉に向けて独り言のように呟き始める。

 

「……博麗霊夢、確かにお前の判断は間違って無いんだろうな。お前の言うとおり、俺はこの一件に乗じて『四隅の怪』を……『最恐の怪談』を()()()()()()。もちろん『聞き手』が人間であってもだ……。だから巫女として俺をここに閉じ込めたお前の考えは正しいんだろう。だがな――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 「――コレで俺を(しば)ったつもりか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ゾクリ……!

 

「ッ!?」

 

唐突に背筋に冷たいモノが走り、廊下を歩いていた霊夢は反射的にバッと背後へ振り返った。

そこには何も無い、薄暗い廊下が伸びているだけであったが、霊夢はその廊下の向こう――先ほどまで自分がいた四ツ谷を監禁している部屋を睨みつけていた。

目下の警戒対象であった四ツ谷を拘束し、後はこの一件が終わるまで待てばいいだけであったが、何故か霊夢の胸中(きょうちゅう)から胸騒ぎが消える事は無かった――。




お待たせいたしました。最新話です。
また一月近くかかってしまいました。申し訳ありません。
ですが、盆休みに入りましたので近いうちにまた新しく投稿ができると思います。


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其ノ七

前回のあらすじ。

四ツ谷を拘束、監禁する事に成功した霊夢であったが、彼に対する不安は消えることが無かった――。


「そうか……。四ツ谷の館長殿が巫女様にのぅ」

「はい……。『大丈夫だ』って連れて行かれる時、四ツ谷さんはそう言っていましたけど、でも……」

 

寺子屋で起こった『四隅の怪』の一件から翌日の朝。

梳は小傘たちに頼まれた買い物をしている最中、とある老人とばったり出くわし、そのまま話し込んでいた。

禿頭(とくとう)に長く白い髭を口の周りに蓄えた見た目仙人にも見えるその老人は、名を職漁師の運松(うんしょう)と言い、長年山を流れる川から魚を獲り、それを人里で売って生計を立てていた。

人となりが良く、誰とでも接しやすいその容姿と性格から、幻想郷に来た当初の梳も買い物がてらよく相談を聞いてもらっていたのだ。

それ故、今では小傘たち同様に、梳にとって運松は比較的話しやすい相手となっていたのである。

梳は運松に昨日の事を話し、相談をする。

 

「……四ツ谷さん、大丈夫でしょうか?」

「うぅ~む、あの御仁(ごじん)なら心配は無いとは思うがのぅ。案外、ケロッとした顔で帰ってくるじゃろうて」

「そ、そうでしょうか?私、まだあの会館では新参者ですから、まだ四ツ谷さんの事はよく理解し切れていなくって……」

「うむ。お嬢さんから見て館長殿はどんな方なのかのぅ?」

 

運松にそう問われ、梳は数秒考える素振りを見せる。そして、自信なさげに運松に答えを返した。

 

「え、え~と……怪談とそれを聞いた人の悲鳴が大好きな変わった方、でしょうか?」

「うむ、大正解じゃ。余分な部分も足りぬ部分も一切無い完璧な回答じゃな」

「ええっ!?」

 

バッサリと言い切る運松に梳は目を丸くする。

驚く梳を尻目に、運松は四ツ谷に対する私見を彼女に語る。

 

「わしも数回話した程度に過ぎんが、それでも分かる事はあるぞ?四ツ谷館長殿は根っからの『怪談創作』とそれから生まれる『他者の悲鳴』を大いに好いているお方じゃ。悪く言えば、その二つしかかの御仁の頭の中に無いとも言える。それ故、それらに対する情熱は純粋で己が魂を賭けているとさえ思える節すらある」

「そんな……たかが怪談なんかでそこまで一生懸命になれるモノなのですか?」

「他者から見れば『たかが怪談』なのじゃろう。じゃがあの方にとっては『されど怪談』なのじゃ。『怪談』と『悲鳴』のためであれば、全力を注いでそれを成し遂げる。それが四ツ谷文太郎という男なのじゃろう」

 

「それ故に――」と運松は続けて口を開く。その目は先ほどまでとは違ってやや細まり、梳から視線を移動させてジッと博麗神社のある方角を見据えていた――。

 

「事、それらと深く関わっているその一件、巫女様に閉じ込められて転んだとて……あの御仁はただでは起きぬじゃろうがのぅ」

 

梳はそんな運松の姿をぼんやりと見つめる。そして何か言おうと口を開きかけた時、唐突に第三者の声が響いた。

 

「……おい、そこの(ジジイ)

 

乱暴なその口ぶりに、梳と運松が同時に声のした方へと顔を向けた。

そこには見るからに柄の悪い男が二人を――正確には運松を睨みつけていた。

怪訝な顔で運松が男に声をかける。

 

「何じゃ、お主は?」

「アンタだろ?たちどころに怪我が治るっつー『秘薬』を持ってるっていう爺はよォ」

 

つっけんどんな口調で問いかけるその男の態度にそばで見ていた梳は不快に顔をしかめる。

運松も梳ほどではないにせよ、気分を悪くしたのか僅かに眉をしかめた。

男はそんな二人の様子には気にも留めず、ズンズンと運松に近づくと突然その胸倉を乱暴に掴み上げた。

 

「その『秘薬』を直ぐに寄越せ。()()()()痛くて痛くて仕方ねぇんだよ。家にあるってんなら今すぐ持って来いコラァ!」

「ちょ、ちょっと何なんですかあなた!!」

 

明らかな脅し文句で運松に顔を近づけてそう凄むその男に、見ていられなくなった梳が声を上げる。

「あ゛ン!?」と男は視線を運松から梳へと移動させると、運松を掴んでいる手とは反対の手で梳をこれまた乱暴に突き飛ばした。

 

「きゃあっ!?」

「話に割り込んで来てんじゃねえよッ!」

 

地面に強く尻餅をついた梳に、男はそう怒鳴る。そんな男から梳をかばうようにして運松は男の肩に手を置いて口を開く。

 

「これこれ、よさんか」

「うっせぇな爺!テメエも痛い目にあいたいか!?」

「今は朝じゃ。それに人目のあるこの通りで一騒動を起こすつもりかの?」

 

耳元で運松にそう問われ、男はピタリと口を閉ざし、チラリと周りを見渡す。

するとそこには何事かと、遠巻きにこちらの様子を伺う通行人たちの姿が見て取れた。

それを見た男が「チッ!」と大きく舌打ちをし、運松を掴んでいた手を離した。

そして、それと同時に運松が男に向けて口を開く。

 

「『秘薬』が欲しいのであれば、今から家に来ると良い。怪我をしているのじゃったらわしがそこで塗ってやろう」

「……へぇー、やけに気前が良いじゃねぇか爺」

「面倒事はさっさと終わらせるに限るからのぅ」

「ハンッ!さっさとそこへ案内しな!」

 

そう言って乱暴に運松を押しながら歩き始める男。運松は肩越しに未だ地面に座り込んでいる梳に声をかける。

 

「それじゃあ、またのぅお嬢さん。館長さんが帰ってきたらよろしく言っといてくれのぅ」

「何喋ってやがる!さっさと歩け!」

 

男がそう怒鳴りながら運松と共に細い路地の奥へと消えて行く――。

しかし、その場に残された梳はこのまま帰る事などできなかった。

 

「運松さん……」

 

運松の身を案じた梳は立ち上がって着物についた土汚れを軽くはらうと、梳も運松と男を追うようにして路地の奥へと消えて行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運松と男を追って着いた先は、人里では珍しい木造三階建ての大きな家であった。どうやらここが運松の自宅であるらしい。

その家に運松と男が入っていったのを確認した梳は、裏手に回り、眼に留まった格子窓から中の様子を覗き込んだ。

するとそこには勝手知ったる他人の家とばかりに、居間であぐらを掻く男と、奥の間から小さな壷を抱えて出てくる運松の姿があった。

その壷の中身こそ、男が言っていた『秘薬』であった。

以前運松がとある一件で山の河童から貰った代物であり、それを塗ると酷い怪我などたちどころに完治することができる優れ物の薬であった。

もっとも、使いすぎて今ではもう少ししか量が残っていない状況だが――。

運松が男のそばに座ると、男が運松が持ってきた壷を見て口を開く。

 

「そいつが例の『秘薬』か。さぁ、さっさと塗れ。痛みが治まんなくてしょうがねぇ」

 

そう言って男は運松に背を向けると、上半身の着物を脱いで()()を運松の眼にさらした。

運松も覗き見ていた梳も()()を見て目を丸くする。

そこには男の右肩から左斜め下へ背中の中央へ向かうようにして細長い打撲痕が走っていたのである。

青紫色に変色している部分もあれば内出血を起こしているのか赤黒くなっている部分もあり、それらが点々と肩から背中中央に向けて続いていたのである。

まるで何か()()()()()()()()で強くブッ叩かれたかのように真っ直ぐに――。

 

「……これはまた、酷い打ち身じゃのぅ。まるで棒か何かで殴られたようではないか」

「オイ、妙な詮索してんじゃねぇ!さっさと治せ!」

 

男がそう言った直後、苦悶に満ちた表情で、片手で背中を押さえるようにしてうずくまる。

 

「ッくっそ……!()()()()()()()ずっとこんな調子だ!全然痛みも引きやしねぇ……!」

 

そう言って運松を睨みつけながら叫ぶ。

 

「我慢できねぇ!オイ、何ぼさっとしてやがる!!さっさとその『秘薬』を塗って治せっつってんだよォ!!」

「ほいほい、分かった分かった。そう怒鳴りなさるな」

 

運松は男の怒鳴り声も諸共せず、壷の蓋を取るとちょいちょいと右手の先の部分に中の薬をつけ、それを男の背中に塗り始める。

その間、覗き見ていた梳は、男の背中の『棒状の痕』と先ほど男が漏らした『昨日の夕方から』という言葉に引っかかりを覚えていた。

ふと思い出されるのは同じく『昨日の夕方』に起こった四隅の怪の『五人目』事件。そしてその時の博麗霊夢の証言――。

 

 

 

 

 

――『直接じゃないけど、このお祓い棒で背中を思いっきり殴ってやったわ』――。

 

 

 

 

 

(まさか……)

 

単なる偶然。一瞬そうも思った梳だったが、霊夢のその時の言葉と目の前にいる男の背中にある痕と言葉が梳の頭の中でグルグルと渦を巻き始め、留まる事がなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(失敗した……)

 

寺子屋の門前で上白沢慧音は頭を抱えて空を仰ぎ見ていた。

今日は登校日。本来ならとっくに子供たちがやって来て授業を受けている時刻なのだが、今現在寺子屋は教員以外、生徒は誰一人としていなかった――。

 

(私のしくじりだ……。子供たちに口止めをするのをすっかり忘れていた……!)

 

昨日、本当に『五人目』が出てしまったショックからか、慧音は同じく現場を目撃していた太一たち五人組に口止めをしないまま家に帰してしまったのである。

そして、家に帰った子供たちは、それぞれ家族に寺子屋であった出来事を話してしまい、それが今朝になって他の生徒たちの保護者たちの耳へと伝播してしまったのだった。

結果、今日寺子屋にやってきたのはいつもの生徒たちではなく、その保護者たち。

寺子屋に詰め掛けた彼らは昨日の一件を根掘り葉掘りと慧音に問い詰めた挙句、この一件が解決するまで子供たちを寺子屋には通わせないと一方的に言いきって帰ってしまったのであった。

それがついさっきの出来事。

慧音は子供たちを思って行った計画とその後のミスが大変な結果を招いてしまった事に頭を悩ませた。

この分では今日はもはや休校にしなければいかなくなるだろう。

深いため息をつきながら、慧音は寺子屋で待機している他の教職員たちにどう説明したものかと考えながら、寺子屋の中へと足を向ける。

と、そこへ慧音の背中に声をかける者が現れた。

 

「……慧音先生?先ほどここで何か騒いでいたみたいですが、何かあったのですか……?」

 

慧音が振り向くと、そこには二十代前半らしき若い女性が立っていた。

その女性、名を柚葉(ゆずは)と言い、寺子屋の隣の民家に住む娘であり、かつては慧音の教え子の一人でもあった。

成人した彼女は現在、両親と祖父母、そして二人の弟たちと共に暮らしており、彼女自身も反物作りで家計を支えていた。

昔の教え子――とは言え、家が寺子屋の隣なため、卒業後も高い頻度で会う事も多く、慧音にとって柚葉は親しみの深い相手となっていた。

 

「……おはよう柚葉。いや、何と言うか、な……今日寺子屋は休校になるかもしれん」

「え?どう言うことですか?」

「あー……。うん、まあ……さっき、保護者の方たちにも話してしまった事だから今更隠し立てするつもりは無いが、あまり大っぴらにふれまわらないでほしいんだ……」

 

そう前置きして慧音は柚葉に昨日起こった『四隅の怪』の一件を先ほど保護者たちと同じようにぽつりぽつりと語って聞かせた。

そうして一通り話し終えた慧音であったが、その直後に柚葉の様子がおかしいことに気づく。

 

「…………」

 

血の気の引いた真っ青な顔をした柚葉は、何かを考えるかのように自身の足元に視線を落としていた。

 

(どうしたと言うんだ?寺子屋に変なのが出たから怖くなったのか……?)

 

怪訝な顔で慧音がそんな事を考えていると、ふいに柚葉は慧音に向けて顔を上げた。

 

「……あ、あの、慧音先生。その時出たと言う『五人目』ってどうなったのですか?もしかして巫女様に退治されたのですか?」

「え?いや、正直な所分からないんだ。あの後直ぐ部屋に飛び込んだのだがそんな奴の影も形も無くてな……まるで煙のように消えてしまったんだ」

「そう、ですか……」

 

そう呟いて再び視線を落とす柚葉。それを見た慧音はますます怪訝な顔を浮かべた。

柚葉のこの口調。まるで『五人目』と遭遇した自分たちにではなく、『五人目』そのものの安否を気にしているかのようだと、慧音にはそう思えたのだ。

疑問に思って怪訝な顔を向ける慧音に気づいた柚葉は慌てる。

 

「あ、えと……。す、すみません。私これから用事があるので、これで……!」

「あ!待ってくれ!」

 

踵を返して立ち去ろうとする柚葉を慧音は慌てて彼女の腕を掴んで引き止める。その瞬間――。

 

「痛ッ!」

「!?」

 

そう強く掴んだはずではないのに、柚葉の顔は痛みに耐えるかのように大きく歪んだ。

それを見た慧音は反射的に手を離してしまう。

そして次の瞬間、慧音は見た――。

手を離した瞬間に柚葉の着物の袖が大きくめくれ上がり、慧音が掴んでいた方の腕が手首から肘にかけて露になる。

そうして見えた女性らしい白い肌の上に……()()()()()()()()()()()()()()がくっきりと浮き出ていたのだ――。

呆然となる慧音を尻目に、柚葉は慌てて腕を着物の袖に隠すと逃げるように自宅へと戻って行ったのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしよう。塩を切らしてたのすっかり忘れてたわ……」

 

博麗神社の境内で博麗霊夢は頭を抱え悩んでいた。

彼女は先の言葉通り、人里で塩を購入するのを忘れており、それを思い出して今から買いに行こうかどうしようかと迷っている最中であった。

いつもなら迷わず人里へ買いに向かうのだが、今回はその()()()()()()()。何せ見張っていなければならない奴が神社の中にいるからだ。

 

(どうしようかしら?『五人目』の一件がいつ解決するか分からない以上、このまま塩が無い生活はちょっと痛い。誰か呼んであいつを見張ってもらおうかしら?……あーでも、私の周りにいる奴って今一つ信用に欠ける奴ばっかなのよねー。……でも逆に買出しに行かせるのもどうかと思うわね。誰かに自分の財布を任せるわけにはいかないし……。じゃあ、やっぱり誰かにあいつを見てもらうしか……)

 

そうウンウンと唸りながら霊夢が考え込んでいると唐突に彼女の背中に声がかかった。

 

「やっほー♪霊夢さん、おひさ……ってあれ?何か悩み事ですか?」

「……あー、まぁねー。って言うか本当に久しぶりじゃない。ここずっと顔を見てなかったから()()()()で何かあったんじゃないかって思ってたわよ」

 

しばらく聞いていなかった声を耳にして、僅かに安堵の息を混じらせたため息を吐きながら、霊夢は声の持ち主へと振り返りながらそう言った。

そうして真正面から向き合った霊夢は続けてその人物へと声をかける。

 

「……元気そうじゃない――『菫子』」

「どうもー♪霊夢さん。遊びに来ちゃいました♪」

 

黒い帽子に眼鏡をかけ、茶色の髪と瞳を持つ『外来少女』――宇佐見菫子(うさみすみれこ)は、手をひらひらと振りながら、明るい口調で霊夢にそう返した――。




本っっっっ当に申し訳ありませんでしたぁっ!
前回、近いうちに投稿すると書いておきながら、結局また一ヶ月以上かかってしまいました!
いや、ホントに申し訳ありませんorz
できれば次回こそ速めに投稿できればと考えております。

さて今回、『東方茨歌仙』から職漁師の運松を、『東方深秘録』から宇佐見菫子を登場させてみましたw


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其ノ八

前回のあらすじ。

四ツ谷が監禁された翌日、人里で梳がとある男と、慧音がとある女性と接触し、幻想郷の外からとある少女が来訪する。


「むー……」

「…………」

 

四ツ谷が監禁されている部屋の中、その虜囚である四ツ谷文太郎とそれに向かい合う形で頬を膨らませて不機嫌さを隠そうとしない少女――宇佐見菫子が座っていた。

眉根を寄せて睨んでくる少女を四ツ谷はジトリ目で見つめ返す。

しばしそうしている事数分、唐突に菫子の方から口を開く。

 

「……何で私がこんなヒョロイ男の監視なんてしなきゃならないのよ」

「いきなり失礼な奴だなオイ」

 

菫子のつっけんどんな態度に、四ツ谷はますます持って顔をしかめた。

そして続けて口を開く。

 

「っつーかいきなり部屋に入ってきて第一声がそれかよ。……自己紹介くらいできねーのか?こちとら()()()()()()()初対面だぞ?」

 

一応、四ツ谷は菫子の顔は知っていた。

人里でも度々見かけてたため、自然と覚えていたのである。

当初は気にも留めていなかったが、外界の服装、それもこうして人里の外にあるこの博麗神社にたった一人でやって来ている手前、ただの人間ではない事をこの時になって四ツ谷は気がついた。

それと同時に霊夢の知り合いなら、以前から参加している宴会に彼女の姿が無かった事にも疑問に思った。

まあ、その疑問対象である菫子は外の世界ではまだ未成年の歳故に、お酒が全く飲めない体質だったため宴会があっても毎回不参加であったという理由(わけ)なのだが。

 

「そりゃ悪かったわね。……宇佐見菫子、見た感じでわかると思うけど、これでも『外来人』ってヤツよ。それも『常連』の、ね。あ、一応名前は知ってるからそっちの自己紹介はいらないわよ、四ツ谷文太郎さん」

 

菫子の答えに四ツ谷は怪訝な眼を向ける。

 

「……常連の外来人だぁ?じゃあ何か、お前はこの外の世界と隔離された幻想郷を自由に行き来してるっつーのか?」

「ええ、そうよ。こう見えてただの人間じゃなく、俗に言う『超能力者』ってモンなのよねー私」

 

そう言って菫子は部屋の端においてある文机に右手の人差し指を向けると、クイッとその指を曲げてみせる。

途端に文机が宙に浮かび、フワフワと空中を漂い始めた。

それを見て口を開けてポカンとなる四ツ谷。そうこうしている間に菫子は浮かせていた文机を何事も無かったかのように元の場所へと戻していた。

しばしの静寂後、再び四ツ谷は菫子に向き直り、口を開いた。

 

「……つまり、お前のその能力のおかげで幻想郷への行き来ができるようになったわけか?」

「正確には違うけど、この能力がきっかけで幻想郷への行き来が可能になったと考えてもらって良いわ。……にしても全く、霊夢さんたら幻想郷(ここ)へ遊びに来た私にいきなり留守番押し付けるなんて、どういう神経してるのかしら?」

「さぁてねぇ、あの巫女の傍若無人ぶりは今に始まった事じゃないだろ?」

「……まぁね。って言うかアンタも霊夢さんの事知った風に言うけど、新参の妖怪じゃないの?」

 

ちなみに、四ツ谷は菫子の顔は知っていたが、菫子は四ツ谷の顔は知らなかった。

人里に行っても四ツ谷の顔はそこらへんを歩いている通行人Aくらいにしかとらえていなかったのである。

 

「まあ、新参って言えば新参かな?去年の夏からだが……。あと、妖怪じゃなくて怪異な」

 

そう言う四ツ谷に菫子は怪訝な顔を浮かべる。

 

「……アンタってそんなに危険な怪異なの?あの霊夢さんが監禁するくらいだから相当じゃない?」

 

いや、だとしたら霊夢さんがこの男を人里で放置しておくのはおかしいか。と、内心考えを改めていた菫子の前で、四ツ谷は肩をすくめる。

 

「さぁね。俺はただ怪談が大好きなだけだ……。ただそれが条件で発動を生じる俺の『能力』の方を危惧してんだよあの巫女は」

「ふぅん……。じゃあしなきゃいいじゃない、怪談」

「ハハッ!俺に死ねと言うのか?」

「それほど!?」

 

四ツ谷の返答に菫子は呆れと驚愕を混ぜたかのような顔を浮かべる。

そんな菫子の前で四ツ谷は「俺の怪談から生まれる婦女子の悲鳴こそ生き甲斐♪」と叫びながらウシャシャシャ!と笑って見せた。

それを見た菫子は今度は呆れと疲れを混ぜたかのような顔で大きなため息をつくと、自身のスカートのポケットからスマホを取り出すとそれをいじり始めた。

その時になって菫子の興味は四ツ谷からスマホの中身へと移行していたのだが、四ツ谷の方はまだ菫子に興味が向いたままであった。いや、正確には少し変わって菫子の持つスマホへと視線が行っていたが。

 

「……何よ?」

「いや~、久しぶりに見たと思ってな。それ」

 

四ツ谷の視線が気になったのか菫子がそう聞き、聞かれた四ツ谷は人差し指でチョイチョイとスマホを指差して答えた。

それを聞いた菫子はキョトンとした顔でスマホを掲げてみせる。

 

「え、なに?あんたスマホ(コレ)見た事あんの?」

「当たり前だ。今じゃ怪異だが、コレでも元は外の世界で生きていた人間だぞ?」

 

あぐらを掻いて座ったまま、四ツ谷は両手を腰に当てて威張るように胸を張ってみせる。

それを聞いた菫子は、興味がスマホから四ツ谷に戻ったのか、やや身を乗り出して目を見開く。

 

「え、ウソ……。あんた元は人間の怪異だったの!?」

「ああ、そうだ。前世じゃいろいろとやらかして今世じゃこんな存在になっちまったがな」

「へぇ~。そんな存在(ヤツ)、始めて見た」

 

目を爛々と輝かせて四ツ谷をジロジロと眺める菫子。

そんな視線に少し居心地が悪くなったのか、四ツ谷はやや強引に菫子に言葉を続けて投げかける。

 

「そ、それよりもお前、スマホ(そいつ)で何してんだ?ネットサーフィンか?」

「え?……ああ、ちょい違うかな?私、ブログ作っててさ。今日あった事なんかも日記にしてそのブログに書き込んでんのよねぇ~」

「へぇ……ん?ちょい待ち。『今日あった事』?それってこの()()()()()での事か?」

「そだよ?こっちで言う『幻想郷縁起』も記載したりしてるんだよ。ただし、個人名とかは伏せてあるけどね。何ならちょっと見てみる?――」

 

 

 

 

 

 

 

「――名前は『幻想郷現代録(げんそうきょうげんだいろく)』。結構自信作なんだよね~」

 

 

 

 

 

 

「……!?」

 

そのブログの名前を聞いた瞬間、四ツ谷はまるで雷にうたれたかのような衝撃を受ける。

それに気づいていない菫子はニコニコ顔でスマホの画面を四ツ谷の目の前に掲げて見せた。

しばしの沈黙が場を支配する。

 

「…………」

「……ん?どうしたの?」

 

まるでピンで縫い付けられたかのように固まる四ツ谷の様子に菫子は怪訝な目を向ける。

すると次の瞬間、四ツ谷の両手が菫子のスマホをそれを持つ手ごとがっしりと掴んだ。

 

「ひゃあっ!?ちょ、ちょっと何すん――」

 

いきなりの事に菫子は座ったまま身構えるも、それに構わず四ツ谷はスマホをガン見したまま菫子に問いかけた。

 

「――つかぬ事を聞くが、お前さ……『飲むおしるこ』って名前のユーザー、知ってる?」

「……へ?確か前に私のブログの常連だった人がそんな名前だったけど…………………え゛ッ!?」

 

記憶を掘り起こしながらそう響く菫子が途中でハッとなり、プルプルと震える手で四ツ谷を指差す。

 

「ま……まさかぁ……!?」

「……どうも、始めまして『秘封倶楽部会長』さん。『飲むおしるこ』こと四ツ谷文太郎です。以後お見知りおきを。……あ、オフ会開きますか?」

 

おどけた調子ながらも、やや複雑そうな笑みを浮かべて四ツ谷は菫子にそう声をかけた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いやぁ、驚いた。こんな所で『飲むおしるこ』さんに会うなんてねぇ」

「いやこっちも驚いたわ。まさか幻想郷(ここ)でこのブログの創作者に出会うなんて夢にも思わなかったぞ」

 

一旦落ち着きを取り戻した四ツ谷と菫子は座りなおして向き合い、改めて会話を始めた。

 

「……そう言えば、去年の初夏ぐらいからだったわよねぇ。『飲むおしるこ』さんが私のブログにぱったりと来なくなったのって……。毎日のように感想欄に書き込みをしてくれてたのに……」

「その頃に俺はくたばってこっちに流れて来たからなぁ。当時はもう寝たきり老人だったからお前のブログの日記更新を毎日のように心待ちにしてたんだぞ?何せその日記に書かれた幻想郷の出来事を読むのが、怪談ができなくなったその頃の俺の唯一の生き甲斐だったからな」

 

菫子は過去を振り返りながらそう呟き、四ツ谷も当時の事を思い出しながらため息混じりにそう答えていた。

そして続けて口を開く。

 

「……あの頃、あのブログを何度も読み返しては色々と物思いにふけった。当時は半信半疑だったが、本当にこんな世界があって実際に行ける事ができたなら、怪談のネタには事欠かなかっただろうってなぁ。だがまさか実際に俺自身が怪異になって幻想郷に来ることになろうとは思いもしなかったが」

「でしょうね……。って言うかあなた本当に怪談の事しか頭にないんだね。私のブログを見ててもっと他に思う事は無かったの?魔法とか異質な能力が使えるかも~、とか」

「ヒッヒッヒ。そりゃちょびっとは考えた事はあったがな。だがやっぱ俺にとって一番なのは『怪談創作』とそれから生まれる『悲鳴』なんだよ」

「筋金入りだねあなた」

 

深いため息を一つ吐く菫子。そして今度は幾分か真面目さが含まれたかのようにトーンがやや下がった口調で四ツ谷に問いかけた。

 

「『飲むおしるこ』さん……いや、四ツ谷さん。私の能力でここから出してあげよっか?」

「あン?急にどうした?」

「私こう見えてもファンは大事にする(たち)なのよ。私のブログを終生愛読してくれたあなたをこのまま虜囚として見ているのはどうもね……。それに、こっちの都合も気にせず無理矢理私に番兵を押し付けた霊夢さんにも思うところがあるし……」

 

霊夢にここの見張りを押し付けられた時の事を思い出したのか、少しむくれて言う菫子に四ツ谷は苦笑を浮かべる。

 

「……せっかくの提案だが遠慮しとく。今ここを離れれば間違いなくあの紅白巫女は血眼になって俺を探すことになるだろうからな。……それよりも――」

 

菫子の提案をやんわりと断りながら、四ツ谷は身を乗り出して続けて口を開いた。

 

「――……あんたに頼みたいことがある。人里の俺の会館にいる奴らにちょいと言伝を頼んじゃくれないか?」

「何?あなたまで私を使いっぱしりにするつもりなの?」

 

ジト目で口を尖らせながら文句を言う菫子に対し、四ツ谷は不気味な笑みを浮かべながら彼女に『提案』した。

 

「……俺がこれから行う計画に乗ってくれりゃあ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うまくすりゃあ、あの貪欲紅白巫女の鼻を明かせられるんだが、どうだ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷のその言葉に鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔を浮かべる菫子。そして数秒後には――。

 

「へぇ~……」

 

――興味深げに口を三日月形に歪め、不気味に笑い返す彼女の姿があった。

それから十数分後、神社に帰ってきた霊夢に一言、「ちゃんと見張っていた」事を伝えると菫子は彼女と入れ替わりに人里へと向かって行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「運松さん、大丈夫ですか!?」

「……なぁに、これくらい平気じゃよ。自分で言うのも何じゃが、歳を食ってるように見えて意外と丈夫なんじゃよわしは」

 

四ツ谷と菫子が会話をしている頃、梳は()()()()()()()()()の運松を介抱していた。

河童の秘薬を塗って楽になったとばかりに気分良く腕をグルグルと回していた男に向かって、運松が『治療費』について話しかけた所、男はいきなり運松を強くぶん殴ると、倒れる運松にも目もくれず、さっさと運松の家を出て行ったのだ。鼻歌混じりに。

その光景を一部始終見ていた梳は、男が去った後、慌てて運松の元へと駆けつけたのだった。

 

「やれやれ()()()()()()()()()()()お嬢さん。あの男に気づかれるんじゃないかと内心冷や冷やしておったぞ?」

 

運松のその発言に、梳は眼を丸くして驚く。

 

「気づかれていたんですか運松さん……。それにしてもあの男の人酷すぎます!運松さんに無理矢理治療を迫っておいて、治った途端運松さんにこんな事して帰っちゃうなんて!!」

「うぅむ、わしもダメもとで聞いてみただけじゃったが、それが奴の癪にでも障ってしまったのかもしれんのぅ」

「でも、だからってこんな……!」

 

憤る梳をやんわりと運松が宥める。

そして、今度は男が出て行った玄関口を見つめながら一人ポツリと響く。

 

「……それにしてもあの男、あの様子からして昔とまるで変わらずみたいじゃのぅ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、皆大人しゅう過ごしているものとばかり思うておったが……どうやらそうでもない者もおったようじゃのぅ」

「……え?運松さん、一体何の話を……?あの男の人、運松さんの知っている人なんですか?」

 

首を傾げて問いかける梳に、運松は眼を向ける。

 

「……ん?おお、そうか。お嬢さんは最近、幻想郷(ここ)に来たばかりじゃったから、知らぬのも無理はなかったかのぅ」

 

そう言って運松は再び玄関口に視線を戻し、続けて口を開いた。

 

「いやのぅ、わしも直接話すのは今回が初めてじゃったが、あの男は一年前までこの人里を好き勝手しておった()()()()()()のもとにおってのぅ――」

 

 

 

 

「――金貸しの名は『半兵衛』と言うて、あの男は半兵衛の元取り巻き用心棒連中の一人だったのじゃよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(柚葉……あの時見た彼女の腕の痣は一体……?)

 

一方、教師陣を家路へと帰し、寺子屋の戸締りをしていた慧音は、先ほどの柚葉の様子が気になって仕方なかった。

あの痣はとてもちょっとした不注意なんかでできるような代物とは思えなかった。明らかに人為的にできた痣だと慧音にはそう思えて仕方なかったのである。

 

(……まさか、身内の誰かから折檻(せっかん)を……?いや、彼女の家族は皆、温厚な人ばかりだ……。そんな事をするとはとても思えない……。じゃあ、一体誰が……?)

 

『四隅の怪』の一件に引き続いて厄介そうな事が再び重なり、慧音は頭を悩ませる。

ウンウンと唸りながらも寺子屋の正門を閉めようとした時――。

 

――ガラガラガラ……。

 

「!」

 

唐突に隣の民家――柚葉の家の玄関戸が開く音が響いた。

その音に反射的に慧音は、チラリと柚葉の家の方へと目を向け、そして僅かに目を見開く。

そこにはまるで誰かに見られるのを恐れるかのように、おずおずと家から出てくる柚葉の姿があった。

それを見た慧音は正門の影から柚葉の様子をうかがう。

柚葉は慧音に気づく事無くその場を早足で去っていった。

 

「柚葉……?」

 

一人そう響いた慧音は柚葉の様子が気になり後を追うために歩き出す――。

柚葉は人目を避けるように、裏路地を入って奥へ奥へと進んでいく。

慧音もその後を柚葉に気づかれぬ距離を保って追って行った。

――そうして辿り着いたのは、柚葉の自宅からそう遠くない所にある、小さな空き地であった。

木々に囲まれ、近くに家々の建物も見えるも、聞こえるのは鳥のさえずりくらいで辺りはシンと静まり返っていた。

慧音は茂みの影から先に到着していた柚葉の様子を見た。

柚葉の目の前には、一本の木に背中を預けた見るからに苛立たしげな表情を浮かべている男がおり、どうやらこの男に柚葉は呼び出されたようであった。

機嫌が悪そうな口調で男が口を開く。

 

「遅いぞ」

「……ご、ごめんなさい」

 

対する柚葉は今にも消え入りそうな声でそう答えた。

そんな彼女の身体が僅かにカタカタと震えているのを慧音の目はしっかりととらえていた。

まるで肉食獣に食べられかけている小さな動物のように怯える柚葉を見ながら、男はフンッと鼻を鳴らすと。

右手をぶらぶらと振りながら、柚葉に差し出した。

 

「ほら、()()()()()()。さっさと出せよ」

「……はい」

 

柚葉は着物の袖から小さな袋を取り出すとそれを男に差し出した。

男はその袋を乱暴に手に取ると中身を確認する。

 

「……チッ、こんだけかよ。もっと持ってこれなかったのか?あ゛ッ?」

「……ごめんなさい」

 

ドスのきいた声で男が怒鳴り、それに柚葉は身をちぢ込ませながら小さな声で謝罪する。

そんな柚葉の頬に、唐突に男の張り手が飛んできた。

 

「きゃあっ!」

「なっ……!?」

 

バチンという音がその場に響き渡り、直後に柚葉は叩かれた頬を押さえる。

それを唐突に見せられた慧音も同時に絶句した。

そして今すぐその場に飛び出そうと慧音が身構えた瞬間、それよりも先に男が柚葉の胸倉を掴みあげて声を上げた。

 

「いいか?次来る時はこれよりも倍の金を持って来いよ!?最近は賭場にもロクに行けてねぇんだからよ!!」

「……わ、わがり、ました……」

 

胸倉を掴まれた男の手でゆさゆさと揺さぶられながら、柚葉は涙眼になりながら声を震わせてそう響いた。

それを見て再び鼻を鳴らした男は、次の瞬間に柚葉の身体をジロジロと眺めると、あろう事かとんでもない言葉を柚葉に投げかけた。

 

「フン、まあいいや。足りねぇ分は体で楽しませてもらうからな」

「……え?な、何を……!?」

 

柚葉が動揺する声を上げる間に、男は柚葉の胸倉を掴んでいた手を放し、今度は柚葉の身体に抱きつくように羽交い絞めにする。

そして、柚葉の着物の上から両腕を蛇のように這わせ始めたのだ。

怖気の走る感覚に悲鳴にも似た柚葉の声が上がる。

 

「ッ!や、やめてくださいッ!」

「何言ってやがる。()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

そう言いながら男が柚葉の(ふところ)、その内側に右手を滑り込ませようとした瞬間――。

 

「やめろッ!!」

 

最早我慢ならないといった形相で慧音が茂みの中から飛び出し、男に向けて声を荒げた。

 

「……け、慧音先生……」

「……チッ!」

 

いきなり慧音が現れたことで、柚葉は涙眼で目を丸くし、対して男は「これからだったのに」とばかりに明らかな苛立ちを含んだ舌打ちを慧音の耳にも届くほどに大きく響かせた。

そんな男にも気にも留めず、慧音は柚葉から男を引き離し、柚葉を自分の背中に隠すようにして男を睨み付けた。

 

「一体何をやっているんだ貴様は!白昼堂々、金銭を巻き上げた上に乱暴狼藉に走るとは最低だぞ!!」

 

一喝する慧音。されど男は何処吹く風といった(てい)で軽く鼻で笑うと、これまた白々しいほどの軽い口調で慧音に言葉をかけた。

 

「何言ってるんですか慧音先生?誤解ですよ。俺じゃなくて()()()()()()()先に言い寄ってきたんですよ。『私と楽しい事しなぁい?』なんて言ってね」

「ふざけるなッ!彼女からお金まで奪っておいて、よくもいけしゃあしゃあと!」

「ああ、コレですか?」

 

そう言いながら男は先ほど柚葉から奪い取った金銭の入った小袋を掌の上で転がして見せながら、続けて口を開いた。

 

「これは()()()()()()?その女から奪ったなんて何か見間違ってません?」

「貴様、いい加減に――」

 

慧音がまた声を上げかけるも、それよりも先に男が慧音の背後にいる柚葉を覗き込むようにして、やや強めの口調で声をかけた。

 

「――なァ、そうだよなぁ?コレは元から俺の金だったよなぁ?」

 

男のその声に柚葉はビクリと大きく肩を震わせた。

そして数秒後、おずおずと呟く。

 

「………………はい、その通り、です」

「柚葉!?」

 

思わず柚葉へ振り向く慧音。そして絶句する。

柚葉は両手で自身の身体をかき抱きながら震えていた。

その双眸は光を失い、瞳孔が大きく揺れ動いていたのである。

あまりにも弱弱しい柚葉のその姿に、慧音も二の句が告げなくなる。

そんな彼女たちを嘲笑うかのように男が再度柚葉に言葉をかけた。

 

「あーそうそう、そんでもって誘って来たのもお前だったもんなぁ?ほーんと、日の高いうちから何考えてんだろうなぁ?」

「…………はい、私が……誘いました。……ごめん、なさい……」

 

目尻に涙をためて、今にも消え入りそうな声で柚葉はそう響いた。

「あ~嫌だ嫌だ」と肩をすくめて笑う男を背に、慧音は何とも言えない顔で柚葉を見つめた。

一体、彼女に何があったのか?一体、いつから彼女がこんな状況におちいっていたのか?……そんな疑問が慧音の頭の中でグルグルと渦を巻いていた。

 

「…………ッ!」

 

やがて、柚葉は男の笑い声か慧音の視線に耐えられなくなったのか、その場を脱兎の如く走りだした。

 

「柚葉!」

 

慧音は柚葉に声をかけて止めようとするも、柚葉はそれを振り切って去って行った。

思わず後を追おうとする慧音の背に、男の声がかかった。

 

「慧音先生?教師ならちゃんと状況をちゃんと読んでから行動しましょうよ?見た目若いですけど、もう何十年も生きてる見たいですし、中身耄碌(もうろく)しちゃってんじゃないですかぁ?」

「貴様ッ……!」

 

睨みつける慧音の視線をへらへらと笑って受け流しながら、男は踵を返す。

 

「そんじゃ、俺は失礼しますよ?これでも俺、ちょー忙しい身なーんで」

 

心底馬鹿にするかのように左手を振り、もう片方の右手で柚葉から奪った袋を弄びながら、男もその場から去っていった。

 

「…………」

 

一人取り残された慧音は悔しそうに唇を噛み締める。

男の言葉は一々腹が立つものばかりであったが、自分が耄碌してるという点については悔しいながら納得せざるを得なかった。

何せ毎日のように顔を合わせていた身近な元教え子、挨拶をすると笑って返してくれた彼女が、よもやこんな劣悪な境遇におちいっているとは夢にも思わなかったのだから。

慧音は彼女をそんな状況に追いやった男に、そして何よりも、そんな彼女の苦しみに気づいてやれなかった自分自身に酷く腹を立てた。

 

(どうすれば……、どうすれば彼女を救える……?)

 

そうして一人思考を始めた慧音は無意識に歩き出す。特に意味など無い。ただ動いているとより集中力が高まって思考できる感覚が慧音にはあったのだ。

そうして慧音は思考に没頭しながらいつの間にかその足は大通りの地面を踏みしめていた。

 

「……あれ?慧音先生?」

 

慧音が大通りに出た瞬間、唐突に彼女に声がかけられた。

一旦思考を停止し、慧音は声をかけた人物へ顔を向ける。

と、そこには肩に息を切らせて走ってくる梳の姿があった。

 

「梳?そんなに息を切らせてどうした?」

「ハァ、ハァ……丁度良かった先生……」

 

問いかける慧音の目の前に立ち止まった梳は、(ひざ)に両手をついて呼吸を整えながら口を開く。

 

「あの……すみません、慧音先生。こっちの方にガラの悪そうな男の人が来ませんでしたか?」

「……その表現だけだと少し判断に困るのだが……その男がどうしたというんだ?」

 

再びの慧音の問いかけに梳は肩を怒らせて声を上げた。

 

「酷いんですよその男!いきなり運松さんに怪我を治せって言ってきて、怪我を治した途端、運松さんを殴ってさっさと帰っちゃったんです!」

「なにっ!?運松さんは無事なのか?」

「はい。頬がちょっと腫れちゃっただけでしたけど、老人相手に許せません!見つけ次第、一発引っ叩いて運松さんに謝らせようと思って追っかけてきたんです!」

 

憤る梳を見て慧音は、この娘はこんな顔もできるのかと、内心少し驚いていた。

この幻想郷に来たばかりの梳を始めて見た慧音の当初の印象は、内向的で誰かと接する事が苦手な少女だと思っていた。

だが、それは外の世界とはまるで違う幻想郷の環境に右往左往していただけであり、数ヶ月たった今ではその生活にも慣れ、梳は徐々に本来の調子で人と接する事ができるようになっていたのである。

意外と真っ直ぐで押しの強い性格だった梳を見ながら、同時に慧音は彼女の言う男について気になった。

梳の語る男の言動は、先ほどまで柚葉に手を上げていた男と酷似しているように思えてならなかったのである。

もう少し、その男の特徴などを詳しく聞こうと慧音が梳に向けて口を開きかけた時――。

 

「――ありゃ?慧音先生と……初めて見る顔だね。こんにちは。こんな所で二人で何を話てるんですか?」

 

唐突に第三者の声が慧音と梳にかけられ、二人は同時に声の持ち主へと眼を向ける。

するとそこには、慧音には久しぶりで、梳にとっては初対面となる少女の顔があった。

 

「お前は……」

「えっと……誰ですか?」

 

慧音と梳の呟きが聞こえなかったのか、その少女は自身の『用件』を口にする。

 

「あ、そうそう慧音先生。この人里に『四ツ谷会館』って建物がある場所って知ってますか?……そこの住人たち(あて)に四ツ谷さんから言伝(ことづて)を預かっているんですよ」

 

屈託無く笑いかけながら、その少女――宇佐見菫子はそう声を響かせていた――。




また、一月経ってしまった……orz
ここ数ヶ月間、出筆が難航している自分がいます。
誠に申し訳ありません。
ですが、日に少しずつ書き進めているかいがあってか、今回一万字越えを達成することができました。

(何気に一万字越えは今回が初めてなんじゃなかろうか……?)

また次回の投稿も遅くなるかもしれませんが、心待ちにしてくださっている読者の皆々様には本当に申し訳ありませんが、もうしばしお待ちくださいますよう、心からよろしくお願い申し上げます。


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其ノ九

前回のあらすじ。

慧音、梳は二者二様の出来事に遭遇した後、里の大通りで宇佐見菫子と出会う。


「始めまして!私は宇佐見菫子。幻想郷(ここ)に常連で遊びに来ている外来人よ。よろしく!」

 

四ツ谷会館の広間に集まったそこの従業員たる小傘たち全員と上白沢慧音。そして彼女たちを前にして仁王立ちでそう自己紹介する菫子の姿がそこにあった。

菫子とは初対面となる梳、薊、金小僧、折り畳み入道は同じく自己紹介をして返した。

そうして自己紹介が終わった途端、慧音が菫子に問いかける。

 

「それで、どう言う事なんだ?お前が四ツ谷から言伝を預かってるって」

「あー、実は私さっきまで、そちらのとこの館長さんの監視をしてたんだよね」

「はぁ?」

 

怪訝な顔で首をかしげる慧音を尻目に、菫子は先ほどまで博麗神社での出来事を簡易的にまとめて慧音たちに話して聞かせた。

それを聞いた会館の者たちは安堵の表情を浮かべる。

 

「よかった……、じゃあ師匠は元気なんだね」

「まぁね。あれくらいでへこたれる様なタマじゃないよ、あなたたちの館長さんは」

 

それくらいあなたたちも分かってるでしょ?と、胸をなでおろす小傘に菫子は苦笑混じりにそう言葉をかける。

そうして彼女は、次に両手を腰に当てると真剣な表情でこの場にいる全員に向けて口を開いた。

 

「館長さんの『最恐の怪談』――『四隅の怪』を完成させるため……私は今回特別に、あなたたちと館長さんを繋ぐ連絡役になってあげるわ」

 

感謝しなさいと、胸を張る菫子は続けて小傘たちに言う。

 

「……それじゃあ、さっき受け取った館長さんの伝言を――」

「――あ、ちょっと待ってくれ菫子」

「……何よ、慧音先生?」

 

話の腰を折られ、不機嫌な顔を向ける菫子に、慧音はある事を頼み込む。

 

「実は私の方からも、四ツ谷に話したい事があるんだ。悪いがその伝言も奴に届けてはくれないだろうか?」

「……わ、私もです」

 

慧音の言葉に便乗してか、梳も慧音の隣に立つ。

真剣な目で自分を見つめる慧音と梳を交互に見つめ、菫子は顎に手を当てて眼を細めると――。

 

「……今回の一件に、無関係ってわけじゃなさそうね……」

 

そう小さく言葉を響かせていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それからおよそ一時間後、四ツ谷の伝言と慧音たちの伝言を()()()伝え終えた菫子は、立ち寄った団子屋でみたらし団子を購入し、それを頬張りながら人里の中を気ままに歩き回っていた。

()()()役目を終えて肩の荷が下りた菫子は、団子を食べながらこれからの事を思考していく。

 

(とりあえず、今日の役目は終了したけど、大丈夫なのかしら?……あの梳って()()()()()()任せちゃって……)

 

まぁ、任された当の本人は使命感に燃えていたが、如何せん、やはり不安は拭いきれそうに無いようで、その瞳が僅かに揺れていたのを菫子は見逃さなかった。

 

(……ま、無理ないけど。いざとなったら、きっちりフォローしてあげなくちゃ。……それに――)

 

食べかけのみたらし団子を持った手をプラプラと揺らしながら、菫子は前途多難な明日を憂う様な顔を浮かべ――。

 

(――私の方も、まだ問題は残ってるしねぇ……)

 

――そう小さくため息をこぼしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――四方は調べたが、何も無かった。……だとすれば、残るは「上」か「下」だけだ』

 

意外にも四ツ谷の伝言の中には、慧音に宛てたモノもあった。

菫子を経由して受け取った四ツ谷のその言伝(ことづて)に、慧音は数秒、怪訝な表情を見せていたが、すぐさまハッとなり、菫子や小傘たちと分かれると急いで寺子屋に向かった。

寺子屋には生徒はもちろんの事、教師たちもすでに帰宅していたため、中はシンと静まり返っていた。

まだ鍵をかけていなかった正門から寺子屋の中に入った慧音は、まっすぐにとある部屋へと歩いていった。

そこは昨日、慧音や四ツ谷たち……そして五人の生徒たちと共に例の『実験』を行った――。

 

 

 

 

――『四隅の怪』の発端となった物置部屋であった。

 

 

 

慧音は静かに戸を開けて部屋の中に入っていく。

そこには昨日と何も変わらない、物一つ置いていないガランとした空間が広がっているだけであった。

しかし慧音は、部屋に入るなりその場にしゃがみ込むと、両手を這わせながら床板を触り、『調べて』いく――。

そうして、床には何の異常も無い事を確認すると、今度は目線を上に上げ、天井を睨み付けた。

隅々まで天井に視線を這わせること数秒――或る一点に慧音の目が止まり、たちまちその顔が歪んだ。

 

「……クソッ!どうして昨日、すぐに気づけなかったんだ……!!」

 

一人悪態をつく慧音のその視線の先――天井の中央部分、そこに敷き詰められた天井板の一枚が僅かにズレて、浮いているのが確認できたのだ。

慧音はすぐさま職員室へと向かい、そこに置いてあった木製の踏み台を持って戻ってくると、それを浮いた天井板の真下に置いてその上へと登り、両手でその天井板を動かした。

しっかりとはめ込まれていなかった天井板は簡単に動き、天井の中央に闇に塗られた四角い穴が出来上がった。

その穴の中へと慧音は自らの頭を突っ込ませ、天井裏の様子を垣間見る。

そこにあった光景を目にした慧音の頭の中で、前に鈴奈庵で読んだ事のある外来本――外の世界では『推理小説』というジャンルで出版されていたその本の内容を思い出していた。

 

「なるほどな……『怪談』ではなく『ミステリー』の方だったわけか……」

 

慧音がそう呟いた瞬間であった。

ガタリ!と、寺子屋の正面玄関の戸が乱暴に開かれる音が響き渡った。

 

「……っ!」

 

その音を聞いた慧音は慌てて屋根裏から頭を引っ込めると、天井板を元の状態に戻し、踏み台を持って隣の部屋へと静かに移動すると、息を殺してその部屋の戸の隙間から外の様子をうかがった。

玄関戸を開けた何者かは、ドンドンと廊下に足音を鳴らしながら、さっきまで慧音がいた部屋へと近づいていく。

そうして、その部屋の戸の前に立った人物の顔を、隣の部屋の戸の隙間から様子を(うかが)っていた慧音の目にしっかりと焼き付けられた。

それは間違いなく、数時間前に慧音の昔の教え子に乱暴を働こうとしていたあの男の顔であった――。

男は慧音が見ているのにも気づかず、鼻歌を鳴らしながら例の部屋へと入って行った。

そして、その部屋の天井付近から、何かごそごそと音が小さく響くと、それっきり静かになったのである。

慧音は隠れていた部屋から出ると、男が入ってきたであろう玄関へと向かい、そこから静かに寺子屋を後にする。

いつもはその玄関戸も正門も、しっかりと戸締りをしているのだが、今回慧音が寺子屋に戻ってきたため両方とも鍵をしていなかった。

にもかかわらず、今やって来たあの男は、それを不審に思う事無く寺子屋に入ってきた。

それは男が日常茶飯事的に()()()()鍵を外し、大胆なことに堂々と玄関と正門を出入りしていたという事ではなかろうか。

もしかすると、何かの手違いで寺子屋から締め出されたとしても別のルートで寺子屋に侵入する術を持っているのかもしれない。

 

(……どちらにしても、可愛い生徒たちの学び舎にあんな下劣な男が巣くっていたのだと思うと……許し難いな……!!)

 

寺子屋を背にその場を去る慧音は、そんな思考の海に意識を沈めながら、両手拳(りょうてこぶし)をわなわなと震わせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻がお昼を回った頃――。

人里にある某空き地にていつもの仲良し五人組である太一たちがいた。

されど子供たちは遊ぶ素振りもせず、輪を描くように立ち尽くしたまま、まるで葬式のように静かに俯いていた。

と、そんな子供たちに声をかけるものがいた。

 

「……あ、いたいた。みんな!」

 

聞き覚えのあるその声に五人はビクリと反応し、おずおずと声のした方へ顔を向けた。

そこには大きな葛篭を背負った薊が手を振りながらこちらへ駆けて来るのが目に入った。

薊は子供たちから少し手前で立ち止まると、呼吸を整えながら両膝に手をついた。

そして最後に大きく深呼吸をすると顔を上げて改めて五人組と向き直る。

 

「探したんだよみんな。何処にいるのか分からなくてあちこち探し回っちゃった」

「薊おねえちゃん……」

 

柔らかな笑みを浮かべる薊とは対照的に、五人で一番年長である太一が不安げな眼を薊に向けた。

その視線の意図を薊は重々理解していたため、笑みを浮かべながら小さく頷くと子供たち全員に向けて優しく語りかけた。

 

「……うん、何も言わなくてもちゃんと分かってるよ。大丈夫。みんなは何も悪くないよ」

「でも……オレたちが母さんたちに昨日の『四隅の怪』のこと教えちゃったから、今日の授業なくなっちゃったんでしょ?」

 

太一が消え入りそうな声でそう呟く。

昨日、『四隅の怪』の遭遇で興奮が消えきれないまま帰された太一たちは、それぞれの家族にその時あった事を全部打ち明けてしまったのだ。

それを聞いた彼らの保護者たちも他の生徒たちの家族にそれを話してしまい、結果寺子屋はその日、臨時休校を余儀なくされてしまったのである。

その一部始終を見ていた太一たちは子供ながらに、自分たちが喋ってしまったことで休校になってしまったことに自責の念に駆られたのであった。

太一の言葉でしょんぼりする一同。されど薊は優しく彼らを諭す。

 

「ううん。だとしても太一君たちだけの責任じゃない。最終的に『四隅の怪』の実験を行う決断をしたのも、太一君たちに口止めを忘れていたのも、全部『私たち』の方なんだし……」

 

実際、薊自身はその場に居合わせてなかったため、ほとんど関係なかったのだが、薊はあえて慧音や四ツ谷たちにではなく、自分も含めて『私たちの責任』だと答えた。

そこには太一たちの不安を和らげるための意図と、主である四ツ谷が霊夢に軟禁されたという事実から決して自分も無関係ではないという彼女なりの考えがあっての事だった。

そこで言葉を区切った薊は一度息を吐くと、今度は真剣な目を太一たちに向けて口を開いた。

 

「……みんなにお願いがあるの。今私たちは今回の一件を解決するために色々と動いているんだけど、みんなにも少し手伝って欲しいことがあるの。力を貸してくれる?」

 

薊のその言葉に、太一たちは少し驚いてお互いの顔を見合わせると、確認するかのように薊に問いかける。

 

「……そうすれば、また寺子屋に通えるようになるの?」

「うん、きっと。そしてこの『四隅の怪』の怪談も終わるはずだよ」

 

力強く頷く薊に太一たちは真剣な目で再び問いかけた。

 

「何をすればいいの?」

 

その言葉に薊はゆっくりとそしてはっきりとした口調で説明をし始めた――。

 

「……みんなには今、人里に流れ始めている『四隅の怪』の噂に、少し()()()を付け加えて欲しいの……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドンドンドンドン……!ドンドンドンドン……!

 

「おーい、博麗霊夢ぅー!いるよなー?ちょっと来てくれー!」

 

ドンドンドンドン……!ドンドンドンドン……!

 

「おーい、霊夢ぅー!霊夢さーん!怠惰巫女の紅白霊夢さーん!」

 

ドンドンドンドン……!ドンドンドンドン……!

 

「貪欲貧乏巫女ー!楽園の素敵な(笑)巫女ー!究極系唯我独尊利己・独占至上主義(ジャイアニズム100%)巫女ー!」

「だぁーっ!うっさいわね、口に陰陽玉詰め込むわよこの腐れ怪談馬鹿ッ!!」

 

部屋の出入り口の戸をドンドンと叩きながら、霊夢への罵詈雑言を並べ叫ぶ四ツ谷に、半ばキレ気味の霊夢が戸を押し破るかのように中に入ってきた。

ちょっと言いすぎたか?と内心冷や冷やしながら、鬼気迫る勢いで自分に詰め寄る霊夢を四ツ谷は両手で宥める。

 

「悪い悪い。ちょっと頼みたい事があってな」

「頼みぃ~?私は今すっごく忙しいの!博麗の巫女は多忙なのよ!一々アンタの事にかまってらんないのよッ!!」

「……昼寝することが巫女の仕事なのかい?」

 

意地悪げな顔でピシャリとそう問いかける四ツ谷に、さっきまでの機嫌の悪さが嘘の様に今度は霊夢の方が押し黙った。

 

「……何の事よ?」

「顔に畳と(よだれ)の跡」

 

四ツ谷の指摘にハッとなった霊夢は、四ツ谷に背を向けるとペタペタと自身の顔を触り始めた。

そうして一分ほどして霊夢は腕を組んで、四ツ谷から自分の顔についた跡が見えないように横向きに立ちながら彼を見据えた。

その落ち着いた様子から、先ほどまでの怒りが収まった事を感じ取り、内心四ツ谷はホッとする。

それに気付いているのかいないのか、霊夢の方はさっさと本題を切り出すため口を開いた。

 

「それで?私に用ってなんなのよ?」

「いやなに、ずっとここに閉じ込められてるから退屈なんだよ」

「……だから私に話し合い手になれって、そう言う事ね?OK、今すぐ『夢想封印』して永眠させてあげる」

「ヤメテヤメテ」

 

再び目が据わり始めた霊夢に四ツ谷は必死で待ったをかけ、霊夢が行動するよりも早く自分の要望を口に出した。

 

「暇つぶしのための道具が欲しいんだよ。ここにいる以上、頼めるのはお前だけだろ?」

「……道具って、具体的には何が欲しいのよ?言っとくけど、値の高い物やここから脱出するのに関係ありそうな物は渡せないわよ」

「……筆記用具と紙束をくれ。物書きでもして時間をつぶす」

 

筆と紙――四ツ谷から頼まれた物に霊夢は彼を睨みつけながら思案顔になる。

それらを使えば、自分が眼を放したすきに外部と連絡を取るのではと考えたからだ。

だが直ぐに、霊夢はその考えを否定した。

仮に外部と連絡しあうためだったとしても、『最恐の怪談』を語ることができる唯一の存在である四ツ谷がここにいる限り、何をどうやっても怪談を創る事はできないと考えたのだ。

長いようで短い沈黙の末、ため息と共に霊夢の口が開く。

 

「……分かったわよ、用意してあげる。ただし、もうこれ以上騒ぐんじゃないわよ?次やったら本気で潰すから」

 

殺気を含んだ霊夢のその言葉に、四ツ谷は引きつった笑みでホールドアップサインを出した。

それを見た霊夢は溜飲が下ったのか殺気を霧散させてさっさと部屋を出て行った。

そして部屋の戸をしっかりと閉めて四ツ谷を再び閉じ込めると大きく背伸びをする。

 

「う~ん……はぁ~っ。まだ寝たり無いわね。四ツ谷(こいつ)に渡す物渡したらさっさと昼寝の続きといこうかしら……ふぁ~っ」

 

そう独り言を呟いて霊夢は欠伸を一つすると、ゆらゆらと身体を揺らしながら廊下の奥へと消えて行った。

一方部屋に残された四ツ谷は、霊夢の独り言が聞こえていたらしく、戸に背中を預けたまま立ち――。

 

「ごゆっくり……♪」

 

不気味な笑みを浮かべながら小さくそう呟いていた――。




お久しぶりです。
前回の投稿から二ヶ月以上たってしまいました。
また次回の投稿も間が空くかもしれません。本当に申し訳ありませんですorz
そしてその反面、今年中に新たに投稿できた事にホッとしている自分がいます。
毎回愛読してもらっている皆々様には頭が下がる思いです。
それでは皆様、早い切り上げになりますが今年の投稿はここまでにさせていただきます。

よいお年を!!


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其ノ十

前回のあらすじ。

博麗霊夢と『聞き手』の知らぬ所で、慧音と四ツ谷会館の面々が静かに動き出す――。


翌日、外の世界から再び幻想郷にやって来た宇佐見菫子は、その足で博麗神社の境内の地を踏みしめる。

トンと神社のまん前に降り立った菫子は辺りを見回す。

ここの主、博麗の巫女の姿は無い。

それを確認した菫子は意識を集中させるために眼を静かに閉じた。

そして己が精神内で、この神社に囚われの身になっている男へと意思を飛ばした。

 

(――……聞こえる?『飲むおしるこ』さん……)

 

数秒後、菫子の言葉に答えるようにして彼女の脳内に男の声が返って来た。

 

(……こちら『飲むおしるこ』。おはようさん『秘封倶楽部会長』殿……)

 

男の声――四ツ谷文太郎の声を聞き、菫子は一先ず安堵するも、一抹の不安はいまだ残っていた。

 

(おはよ……随分と覇気の無い声ね。もしかして、徹夜した?)

(あぁ……だが心配すんな。()()はちゃんと完成してある。およそ一時間前にな……)

 

欠伸を噛み殺したかのような声で、菫子の脳内で四ツ谷の声がそう響く。

それを聞いた菫子はホッと胸をなでおろす。

 

(お疲れ様……。所で霊夢さんは中にいるの?)

(ああ……。今の時間だと朝飯作ってる最中じゃねぇかな)

(そう……。ならここにいるのを怪しまれないために、一言彼女に声をかけてから()()を回収するわね)

(了解。……しかし、便利なモンだなぁお前の超能力……『テレパシー』っつったっけ?離れた所にいる相手と意思疎通できるって結構使えるじゃん)

 

四ツ谷は素直に菫子の持つ超能力の一つ、『テレパシー』を絶賛した。

これなら、霊夢に気づかれずに会話による情報交換が可能であり、実際昨日も霊夢に気づかれずにそれを成功させている。

昨日、菫子は慧音や小傘たち会館組と会話している最中(さなか)、それを発動して四ツ谷と彼女たちとの情報交換を可能にしたのだ。

まあ、何のことわりもなくその時菫子に『テレパシー』で意思疎通することになった四ツ谷は、唐突に頭の中に響いた彼女の声に腰を抜かしそうになったのはここだけの秘密だ。

だが菫子は高評価する四ツ谷に、ため息交じりにそれを否定する。

 

(いいえ、残念だけど四ツ谷さん。私の『テレパシー』は意外と結構不便なのよ。今あなたが()()()()()だからそう思えるだけで、そうじゃなかったら真逆の評価を出してるわよ、きっと)

(ん?どう言うことだ?)

 

疑問の声を出す四ツ谷に菫子は端的に答える。

 

(私の『テレパシー』は意思を飛ばす相手の現在位置が()()()()()定まっていないと発動しないのよ。つまり、『携帯電話』タイプじゃなく『固定電話』タイプ。意思を飛ばす相手が今現在、移動していたり何処にいるのか私自身が正確に把握していなければ、全く使い物にならないの)

(ありゃ、そうなのか)

(そうなのよ。今あなたと意思疎通できているのも、あなたが監禁されて移動ができない状況だからこそなのよ)

 

ままならないわ、と肩を落として首を振る菫子。

そうして彼女は霊夢と会うために移動を始め――。

 

(……それじゃあ私は行くわね、後で必ず()()()()()から)

(あ、ちょっと待ってくれ)

 

――唐突に四ツ谷に呼び止められ、その歩みを止める。

 

(何?)

(この後慧音先生に会ったら、こう伝えといてくれ……『決して()()から眼を離すな』ってな)

(……わかったわ)

 

小さく頷いた菫子は今度こそ霊夢に会うために動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは~。霊夢さん」

 

調理場を訪れた菫子は、竹筒を使って米の釜炊きをしていた霊夢の背にそう声をかけた。

声をかけられた霊夢は振り返り、相手が菫子だと知ると少し意外そうな顔で口を開く。

 

「あれ?菫子、今日も来たの?案外暇なのね」

「…………」

 

悪気は無いにせよ、霊夢の無自覚な棘のあるそのもの言いに、菫子の眉がわずかにピクリと動いた。

胸の内から込み上がってきた感情を抑えながら、菫子は作り笑いを浮かべて霊夢に答える。

 

「……ええ。今ちょっとした長期休暇に入ってまして、この時間帯でも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「へぇ~、そっちの学校……こっちで言う所の寺子屋は、今春休みか何かかしら?」

「ええ、まぁ……。ですが私の場合はちょっとばかし違うんですよね」

 

含みのある菫子のその言葉に、霊夢は首をかしげる。

 

「……どういう事?」

「あれ?言ってませんでしたっけ?」

 

霊夢のその反応に、菫子も一瞬キョトンとした顔になるも、直ぐにキリッとした顔でどこかの軍人見たくビシッと敬礼を取って高らかに宣言した。

 

(わたくし)、宇佐見菫子は、先日を持ちまして高校を卒業し、今年の春から大学へと入学する事とあいなりました!」

「……だいがく?」

「……まぁ、速い話が今まで通っていた寺子屋より、もう一段階学力の高い寺子屋へと進学したって事ですかね。今はその高校卒業から大学入学までの休みの期間なので、私もあんまりやる事無いんですよねぇ」

 

菫子の話を聞いて、霊夢は少し考える素振りを見えると、再び菫子に問いかけた。

 

「……もしかして、ここしばらくアンタが幻想郷に来るのが少なかったのも、それが原因?」

「ええ、まぁ。大半はそうですね。大学進学のための受験戦争におわれていましたから……」

 

苦笑を交えてそう答える菫子に、霊夢は少し哀れみを含んだ同情的な顔で菫子の肩をポンポンと叩いた。

 

「そう……。よくは分からないけれど、大変だったみたいね。アンタ……」

「霊夢さん……」

 

自分の苦労を理解してくれているのかと、そう思って一瞬うるっと瞳を揺らいだ菫子だったが、次の瞬間にそれが粉々に霧散する事となる。

 

「そんなアンタに渡したい物があるの……コレよ」

 

そう言って霊夢がポンと自分の手に握らせてきたモノを見て、菫子の目が文字通り点になった。

それは小さな紙切れで、その表面には小さな文字がびっしりと書き綴られていた。

嫌な予感を覚えた菫子は引きつった笑みで恐る恐る霊夢に尋ねる。

 

「れ、霊夢さん、これは……?」

「見て分からない?買い物リストよ。食材だけじゃなく日用雑貨とかもそれに書かれているわ」

「ま、まさか霊夢さん、私に人里でコレを……?」

 

そう再び尋ねた菫子の目の前で、霊夢は然も当然だと言わんばかりな顔で両手を腰に当てて口を開いた。

 

「アンタ今暇なんでしょ?日々忙しく幻想郷の秩序を守っている私を労ってやろうとは思わないの?手が空いてるんなら、こっちの負担を軽減する手助けをするのは当然でしょ?」

「そ、そんないきなり――」

「――何、断るの?博麗の言葉は絶対よ。拒否権は無いわ。それとも今から何かやることでもあるとか?」

「え?いや……そういうわけでは――」

 

口篭る菫子に、霊夢はニヤリと笑いかける。

 

「――だったら良いわよね?アンタ今、ヒ!マ!なんだし。……あ、あとそこには書かれていないけど団子屋で抹茶団子もついでに買ってきてね。新発売みたいなのよ。よろしくね~♪」

 

『ヒマ』を強調させて畳み込むように霊夢がそう言いきり、話はもう終りと言わんばかりに、菫子を外へと送り出すかのように手をひらひらと振って見せた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博麗神社、その調理場から正反対に面した場所に四ツ谷が監禁されている部屋があった――。

四ツ谷は部屋に唯一ある格子窓から、傍目からでもはっきりと見える隈を真下に作った双眸で外の様子を除き見る。

そうしたまましばらくしていると、ようやく目的の人物がゆっくりとした足取りで現れた。菫子だ。

菫子は格子窓越しに四ツ谷と対面する。

 

「おお、来たか。あの巫女には感づか、れ……なか、った……よ……なぁ…………?」

 

最初こそ眠気を払うように覇気のある声で菫子に語りかけていた四ツ谷であったが、途中から風船がしぼむかのように段々と萎縮していき、終には途切れてしまう。

そして短い沈黙の後、四ツ谷は今度は恐る恐る菫子に声をかけた。

 

「……お、オーイ宇佐見?何かあった……?」

「え?何が?」

 

対して声を弾ませながら晴れ晴れとした口調でそう答えた菫子は満面の笑みであった――。

だが、四ツ谷はその笑みに恐怖を感じていた。

何故なら菫子のその気持ち悪いぐらいに深めたその微笑の向こうで、赤い憤怒の炎が轟々と燃え広がっているのを確かに感じ取ってしまったからだ。

満面の笑みの裏の確かな怒り。それを見た四ツ谷はすぐさま先ほど菫子が霊夢と何かあった事に感づいたが、それを追求する勇気が四ツ谷には無かった。

それ程までに目の前の菫子から吹き出る迫力が凄まじかったのである。

四ツ谷が内心、肝を冷やしているのに気づいていないのか、菫子は淡々と言葉をつむぐ。

 

「何を言っているのか分からないけれど、速く『例の物』を渡してもらえる?」

「……あ、ああ、分かったよ」

 

これ以上の追求は身を滅ぼすと判断した四ツ谷は、さっさと話を進めるべく格子の間から()()を菫子に渡した。

 

――ソレは、文字がびっしりと書かれた紙束であった。

 

四ツ谷からその紙束を受け取った宇佐見は僅かに眉根を寄せる。

 

「……意外と厚みがあるわね。()()を書くだけなのに、えらく気合を入れたじゃない?」

 

宇佐見のその言葉に、四ツ谷は得意気に口を開く。

 

「俺サマ特製の『マニュアル』だ。そこには『台詞』だけじゃなく、どういった雰囲気や口調、しぐさで語ればいいのかも事細かに書いてある。コレをマスターすれば、()()()は俺と同じ境地に立てる!……()()()()、だが」

()()()がそれを聞いても、嬉しくないと思うけどね」

「残念ながらあの巫女から紙と筆しか手に入れられなかったから『本』にする事はできなかったがな」

「心配ないわ、なんだったらこっちで加工するから」

「シッシ♪助かる」

「んじゃ、コレ預かっとくわね」

 

そうして用は済んだとばかりに片手で紙束をひらひらと振りながらその場から去ろうとする宇佐見であったが、おもむろに立ち止まると、部屋の中の四ツ谷へと振り返り、先ほどとは違って大きく眉根を寄せて顔をしかめると最後に四ツ谷に問いかけた。

 

「……所でさっきからその部屋の中、微かに『異臭』がするのだけれど?」

「その事には触れるな」

 

忌々しげに顔を歪めて四ツ谷はそっぽを向く。

その視線の先には大きな風呂敷包みがあり、その中には先日、霊夢から用意された『おまる(異臭の原因)』が入っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

宇佐見が神社から去ったのを確認した四ツ谷は、壁に背を預けると一息ついた。

それと同時に、調理場の方から腹立たしいほどに楽しそうな巫女の鼻歌が風に乗って微かに耳に届いてきた。朝餉(あさげ)の準備ができたのだろう。

 

「……随分とまぁ、気分が良さそうで。さっきの宇佐見の様子と言い、周りに敵を作ってることに気づいているのかねぇ……?」

 

呆れを混ぜた口調で四ツ谷は一人呟く。

 

「まァ、いいさ。そのおかげでこっちは順調に事が進んでるし、せいぜい()()()()()笑っとくがいい。……後々、その顔が歪むのが目に浮かぶ」

 

ニヤリと不気味に笑みを浮かべると、四ツ谷は両手を頭の後ろで組んで天井を仰ぎ見ると、小さく声を響かせた――。

 

 

 

 

 

 

 

「……さァ、行くぞ。いざ新たな怪談を創りに……!」




読者たちよ、私は帰ってきた!!

……すみません、ふざけすぎました。
前回投稿した大晦日から三ヶ月以上。四月に入り『新元号』も決まって世の中新時代の幕開けってな感じですね。

次回の投稿はなるべく速く作れるよう頑張ります。


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其ノ十一

前回のあらすじ。

宇佐見は四ツ谷からとある『マニュアル』を託される。


「ねぇねぇ聞いた?先日寺子屋に出たって!」

「『四隅の怪』ってやつだろ?怖いよなぁ、寺子屋ってそんな怪談あったのか?」

「聞いた感じじゃ、一種の『降霊術』らしいな。誰かが面白半分に寺子屋でそれやって、そんでホントに出ちまったって話だぜ?」

「実際、慧音先生がいる前で起こったんだって」

「方法からしても信じられねぇよなぁ。部屋ン中グルグル回るだけでそんなのが出るモンなのか?」

 

人里にじっとりしっとり、紙に垂れた墨がゆっくりと広がるように、『四隅の怪』が広がってゆく――。

里にひしめく無数の言葉、噂が噂を梯子して、次第に大きくなってゆく――。

日中、日の高いうちにも関わらず、大通りのあちこちでその噂は囁かれていた。

歩いているだけでも嫌でも耳に入ってくるその噂に、先日柚葉や運松に手ひどい乱暴を行っていた(くだん)の男はくだらないとばかりに大きく舌打ちをする。

そんな怪談あるわけがない事は男自身がよく知っていた。

 

何せ今噂になっている『四隅の怪』の『五人目』の正体は、何を隠そう『自分』なのだから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その男――名を『周蔵(しゅうぞう)』と言い。かつて一年近く前まで、人里で金貸しをしていた半兵衛に雇われていた用心棒の一人であった――。

また周蔵は、半兵衛の息子である庄三とも仲がよく、用心棒をする傍ら、彼と共に女遊びにはまってもいた。

時に庄三の命令で標的にした女性をかどわかし、庄三と共に毒牙にかけたのも一度や二度ではなかった。

もっとも周蔵は決まって庄三のおこぼれを頂戴する形ではあったが、雇われている身であるが故、文句など言えるはずは無かった。

されど、周蔵は腕っ節に自身があったため用心棒の仕事はまだ楽な方で、女遊びもおこぼれを我慢すればとても充実したものだったため、周蔵自身は偉く気に入っていたのである。

しかし、先の『金小僧』、『折り畳み入道』の一件で半兵衛、庄三親子は失脚。

金貸し業が廃業となると同時に半兵衛の用心棒たちも仕事を失う事となった。

それは周蔵も例外ではなく、行き場を失った彼は仕方なく次の仕事を見つけようとするも、なにぶん今までの生活が生活だっただけに、庄三同様、そうそう身の丈にあった仕事が見つからず、手に入ったとしても長続きしない状況が続いた。

そしてついに、今まで使っていた借家の家賃すら払えなくなり、大家に家財をほとんど取られて追い出されてしまった。

途方に暮れる周蔵であったが、そんな時運悪く彼に眼をつけられてしまった者がいた。

 

それが柚葉であった――。

 

()()()()()周蔵は柚葉を脅迫し、自身の棲家を用意するよう強要した。

実家に上げるわけにも行かず、困り果てた柚葉は仕方なく自宅の隣にある()()()()()()()に彼の住処を用意したのであった。

柚葉は家族から怪しまれない程度に少しずつ家のお金を削っては、それを周蔵の生活用品に変え、寺子屋に人がいない夜の時間帯や休校日を狙って、それらを寺子屋の屋根裏へと運んでいったのである。

そのうちに寺子屋の天井裏には必要最低限の生活空間ができ、周蔵は子供たちの学び舎の直ぐ頭上にて、悠々自適の第二の生活を始めたのであった――。

一段落した周蔵は、柚葉から生活費を恐喝、もとい工面(くめん)してもらう傍ら、寺子屋の備品をちょくちょく拝借するようになった。

例えば、小腹がすいたという理由で職員室に教職員が置いておいた弁当や茶葉、()()()を盗む事も――。

そんな柚葉の『ヒモつき』となっての生活がしばらく続きはしたものの、突然にその生活に大きな転機が訪れた。それもつい先日の事である。

 

柚葉から工面(という名の恐喝)で手に入れた金銭で、夜通し女郎屋で遊び呆けた周蔵は、余った金で酒を買い、翌日には一日じゅう住処である寺子屋の天井裏で寝酒を楽しんだ。

それ故、女遊びと酒の効果で熟睡した周蔵が次に眼を覚ました時、すでに夕方に差し掛かる時刻であった。

天井裏、(はり)(はり)に渡された薄く、されど強度が強い四畳半分にまで広く敷き詰められた板の上に、さらに安物の布団が敷かれており、その周囲には小物類や酒瓶、衣類などが散乱していた。

周蔵はその布団からのっそりと起き上がる。

二日酔いとまだ寝起きであった為、頭の中はまだ少し朦朧としていたものの、周蔵は今いつ時かを確かめる為に一度背伸びをすると、いつも自分が天井裏へと行き来している張り板へと向かい、それをずらした。

そして、その下に見えるはずの空き部屋に差し込む日の明るさで、今現在の時刻を知ろうとしたのだ。

しかし、空き部屋の光景を見て周蔵は目を丸くする――。

 

そこは一面墨を垂れ流したかのような無限の闇が広がっていた。

 

一体どういう事だ?長く寝すぎた感は確かにあったが、もしや夜まで寝続けてしまったのか?

周蔵は寝惚けた頭の中でそう考え、一度下に降りようと自身の身体をゆっくりと空き部屋の床へと下ろしていく――。

だがやはり、この時の周蔵は酒と寝起き直後の状況で思考が鈍っていたようであった。

この時彼に、もう少し警戒心があったのなら、真っ暗な空き部屋の中から響いてくる()()と何人かの()()()()に気づけたはずなのである。

周蔵自身、それにようやく気づけたのは両脚を空き部屋の床につけた直後であったが、その時には全てが遅すぎた――。

 

「……誰よ、アンタ……?」

 

突如、乱暴に着物を掴まれ、それと同時に殺気の含んだ少女の声が耳元で響かれた。

 

「!?」

 

部屋に人がいた事を認識した瞬間、周蔵も瞬く間にパニックにおちいった。

唐突に殺気を含んだ声を浴びせられ、反射的に掴まれた手を振り払ってしまう。

それと同時に部屋の隅という隅からまた別の少女たちの声が聞こえ始め、周蔵のパニックはうなぎ登りに上昇していく。

 

「待ちなさいッ!!」

 

背後から先ほど掴みかかってきた少女の声と気配を感じ取り、周蔵は必死に跳躍しながら手探りで先ほど自分が出てきた天井の穴を探す。

その時には周囲にいた少女たちもパニック状態になっていた。

壁や他者に身体があちこち当たり、混乱の渦へとおちいっていく。

だがそんな中、天が周蔵に少しだけ味方をする。

何度目かの跳躍で彼の手が天井の穴のふちに触れたのだ。

一瞬安堵の表情を浮かべる周蔵。しかし、それが直ぐに変化する。

混乱で魔理沙たちにもみくちゃにされた霊夢が苦し紛れに自身のお祓い棒で周蔵の背中を思いっきり殴ったのだ。

 

「――ッ!!」

 

声にならない悲鳴を口の中で押し殺し、痛みに顔を歪めながらも手に触れた穴のふちを放す事無く、そのまま懸垂(けんすい)の要領で身体を天井の穴の中へと滑り込ませ、直ぐに穴に蓋をする。

極度の混乱状態となった周蔵は一先ず、嵐が過ぎ去り落ち着くまで天井に身を潜めることに徹する事にしたのであった。

その間も、少女――霊夢に与えられた背中の激痛は少したりとも治まる様子は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……チッ!!」

 

人里に満ちる噂話で、先日起こった事の全容を知ることとなった周蔵は再び大きな舌打ちをした。

何故彼がそんなにも気が立っているのか。それは結果的ではあれど自分が『四隅の怪』とやらの『五人目』、つまり怪談として人里の人間たちに知れ渡ってしまい、それが気に入らない事もそうなのだが、その噂を耳にする度にその時に与えられた背中の激痛が記憶と共に蘇ってしまい、さらに彼の精神をささくれ立たせる要因となってしまっていたのである。

『四隅の怪』の噂を耳にする度に彼の心にイライラが積み重なっていく。

だがふいに、周蔵はその噂の中に妙な(ハナシ)も一緒に混ざっている事に気づいた。

 

「……?」

 

眉根を寄せて歩みを止め、道端で噂話をする里の人間たちの声に耳を傾ける。

 

「……でもよぉ、実際()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……はぁ?何言ってんだお前?」

 

とある里人の男のその言葉に、その場にいた他の里人たちは皆怪訝な顔を向ける。

皆のその様子に「あれ?お前ら知らないの?」と眼を丸くして語り始めた。

 

「『四隅の怪』は、実際『五人目』が出るか、しばらく立っても出てこなければ中断しても問題はないんだが。……もし儀式をやっている者たち以外、例えば外部からの第三者の妨害などによって無理矢理中断させられた場合、『五人目』は怒って妨害した者に『呪い』をかけちゃうってハナシだぜ?」

 

初めて聞く『四隅の怪』のもう一つの顔にその場にいる小さく全員が生きを飲んだ。

そして、恐る恐るそのうち一人が問いかけた。

 

「……『呪い』って、どんなのだよ?」

 

問われた里人の男は一拍間を置くと、静かに語りだす。

 

「……何でも、そいつは『五人目』にあの世へと連れ去られ、そこで他の『死者たち』と共に()()()()()『四隅の怪』をさせられるらしい」

「お、終わらないって……」

「言葉のまんまだよ。密閉された四角い空間で他の死者たちとぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる……。そこから出るどころか儀式を止める事もできず未来永劫、永遠にそれを繰り返し続けなければならない……終り無き無限螺旋が待ってるのさ……」

 

「ひぇ~」と誰かが小さく囁き、その場に沈黙が流れた。

そこまで聞いていた周蔵は何かを振り切るかのようにその場を離れる。

 

「くだらねぇ……!」

 

イライラを含んだ足取りで周蔵は一人そう毒つく。

されど、何故か彼の頭の中では今し方の話がしっかりとこびりつき、離れようとはしなかった――。

自分が怪談のネタにされた事と先ほどの話で、周蔵の機嫌はますます悪くなっていた。

まだ日は高いが、憂さ晴らしに今から女郎屋に行って女遊びとしゃれ込むか。などと考えていると、目の前に見知った女性が立っている事に周蔵は気づいた。柚葉であった。

柚葉は周蔵に背を向ける形で誰かと話し込んでいた。

丁度良い。と、周蔵は下卑た笑いを浮かべた。

 

(遊ぶ金をせびるついでに、久しぶりに拝ませてもらおうかねぇ)

 

ねっとりとした視線を柚葉の身体に這わせながら、周蔵はどんな声で鳴かせてやろうかと今から妄想を膨らませて柚葉に近づいていき……直ぐにその動きを止めた。

ここに来て周蔵は、柚葉が話し込んでいる相手が誰なのかようやく気づいたのだ。

 

それは、上白沢慧音だった――。

 

周蔵にも気づかないまま、慧音と柚葉は二言三言何かを会話すると、慧音は柚葉を連れてその場を立ち去っていった。

後には周蔵だけがぽつんと取り残され、ポカンとなっていた周蔵はやがて怒りに顔を歪めていく。

 

「クソッ!!」

 

うまく行かない事に腹を立てた周蔵は、そばの店先に立ててあった看板を力任せに蹴り飛ばしていた――。




最新話投稿です。それと同時に記念すべき100話達成です!

いや~、何とかここまで書き続けていくことができました。
これからも書き続けていく所存ですので、これからもよろしくお願いします。
そして、記念すべき100話目なので何か番外編をやろうかと最初思ったのですが、すみません。やっぱりこのまま本編を継続させていくことに決めました。
ですが、気が向いたらもしかしたら後々やるかもしれませんので、期待せずに待っていてくださいw


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其ノ十二

前回のあらすじ。

人里に『四隅の怪』が広まるも、『聞き手』はそれが気に入らずにおり、同時に柚葉は慧音にどこかへと連れて行かれてしまう。


「……あの、慧音先生?これは、一体……?」

「ん?……あー、まあ、気にするな。と、言っても無理な話だろうが、今は何も考えずここでしばらくくつろいでいて欲しい」

 

柚葉の問いかけに、慧音はあいまいながらそう答え返した。

今、柚葉がいる場所は慧音の家。柚葉は数時間前に大通りで慧音と出会い、何故か慧音に彼女の自宅へと半ば強引に連れてこられ、そこの今でゆっくりとお茶をすすっている状態であった。

わけも分からず慧音の家に連れ込まれた柚葉は、動揺としつつも慧音にさらに言葉を投げかける。

 

「あの……私、この後仕事があるんですけれど……」

「ならこの家からしばらく通うが良い。しばらく……最低でも数日かな?私がお前の面倒を見ようと思っている」

「えっ!?」

 

唐突に自分をしばしこの家で預かるという慧音のその発言に柚葉は眼を丸くした。

それを気にする風でもなく慧音はお茶をすすりながら淡々と言葉を紡ぐ。

 

「すでにお前の家族にも了承の意を得ている。この部屋の隣に空き部屋があるからそこを使ってくれ」

「そ、そんないきなり……。しかも父さんたちも了承したって、そんな勝手に……一体どうして……!」

「――お前のためだ」

 

一段トーンが下がった慧音のその言葉に、柚葉は小さく息をのんだ。

いつの間にか慧音は柚葉を真っ直ぐに見据えていた。

柚葉の胸のうち――心の奥底まで射抜くようなその視線に、柚葉は動揺する。

慧音は言葉を続ける。

 

「……お前があの男と浅からぬ縁があることぐらいすでに気づいている。お前は前にあの男をかばっていたが、傍から見ていても脅されているのが丸分かりだったぞ?その上、お前に手を上げての乱暴狼藉。かつての教え子をこのままほっとけるわけが無いだろう」

「……っ、……か、帰ります……!」

 

そう言って立ち上がる柚葉であったが、そこで慧音も言葉を重ねる。

 

「……言っておくが、お前を預かるのは私の独断じゃない。……お前の両親からの頼みでもあるんだ」

「え……?」

 

動きを止めて呆然となる柚葉に慧音は言葉をかけ続ける。

 

「……気づいていたよ、お前の家族()()が。最近お前の様子がおかしい事に……」

「嘘……」

 

身内には完璧に平常を装っていられていると思っていた柚葉にとって、慧音のその発言は衝撃的であった。

――一体いつから気づかれていた?半年ほど前にあの男と再会した時から?それともまさか……数年前の()()()、から……?

目の前が段々と真っ暗になるような錯覚を覚えた柚葉であったが、唐突に慧音の声に引き戻される。

 

「まったく……こっちが預かりたいと頼みに行ったのに、逆に頼まれた時は正直空いた口が塞がらなかったよ」

 

やれやれと肩をすくめてそう響く慧音は、次の瞬間に真剣な目で柚葉見つめた。

 

「……お前に一体何があったのかとか、何を抱えているのかとか、そんな事無理に聞くつもりは無い。……だが、このままじゃいけない事ぐらい、お前自身がよく分かっているはずだろう?」

「慧音先生……」

「無理かもしれないが、ゆっくりでいい。お前が私、いや――()()()に話せる事ができる日が来るようになるまで……お前を守ると約束する」

 

硬く芯の通った慧音の視線を受け、柚葉は俯き沈黙する。

そうして一分近くそのこう着状態が続くも、最終的に折れたのは柚葉であった。

観念した彼女は、慧音に向けてよく見ていなければ分からないほど、本当に小さく頷き返していた。

その顔は酷く苦しげであったと後に慧音はそう語っている――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって四ツ谷会館では広間で小傘、薊、菫子の三人が、車座になって()()()()を行っていた――。

一心不乱に三人は、白い布に針と糸を通してチクチクと縫って行く。

今日は休館日。小傘たち以外誰もいないシンとした空間内で、唐突に薊の声が響く。

 

「……今回の『最恐の怪談』……。成功するのでしょうか?」

「分からない。でも、師匠が『絶対うまく行く』って言うのなら、わちきたちはそれを信じてやるしかないよ」

 

小傘がそう答えると同時に、一緒に裁縫をしていた菫子は小さくため息をつくと、自分のひざの上に乗った白い布を両手で広げ、掲げてみせる。

 

「しっかし、本当にこんな単純な仕掛けで『演出』がうまくいくモンなの?」

「人は極度の恐慌状態におちいった時、心に余裕が無くなり周りが見えなくなってしまうんです。師匠はそんな人の恐怖心を膨張させ、精神を手玉に取って操ることに長けているんです。でも――」

 

そう言葉をつむぎながら、小傘は自身のひざに乗っている白い布を持ち上げて、続けて言う。

 

「――それは今まで師匠の常人離れした『語り』があったからこそできた事。でも今回師匠が博麗神社に囚われの身となっている以上、それは出来なくなりました」

「え?でも……」

 

そう呟いて薊は広間の隅で黙々と()()()()()()()の姿に眼を向ける。

菫子経由で四ツ谷から『例の紙束』を渡された()()は、それから直ぐに()()()()()を全うするためにここ数日、食事や寝る間を惜しんで練習に打ち込んでいた。その集中力は何度か声をかけても気づかれないほど没頭したモノであり、小傘たちもそんな()()に呆気にとられてしまうほどであった。

薊の視線と言葉にそれに気づいた小傘であったが静かに首を振った。

 

()()()のあの集中力なら本番でも()()()()()()()()『語り』が出来ると思う。でも残念だけど、それでも師匠の実力には遠く及ばない」

 

四ツ谷が幻想入りして以来、彼の怪談を一番多く間近で聞いていたのは、他ならない小傘である。

彼の卓越した話術は、人間や妖怪、神すら問わず多くの者の心を惑わせ支配し、翻弄する事に長けているのだと。

だからこそ分かるのだ――。

 

――それが一朝一夕で習得できるほど、簡単な代物ではないという事に――。

 

()()があの調子で特訓を重ねれば、少なくとも()()()()上出来な『語り』ができるだろう。

だが、所詮はそれだけ。

()()が四ツ谷のような話術を手に入れるために、それ以上先へと進むには想像を絶する努力が必要となってくるだろう。

それこそ――自身の人生を全て投げうる覚悟でもない限り……。

 

「そしてそれは……()()()自身もよく分かっているはずだよ」

 

()()を見ながら小傘はそう響く。

 

()()()は結構しっかりした性格してるから、()()()()を引き受けた時も同時に気づいてたんじゃないのかな」

「……そう言えばこの間、一度会館前で聞いていましたね。館長の怪談」

「ハハッ、じゃあなおさらだね。あれが見様見真似で出来るほど甘くないって事、()()()が気づかないわけないと思うよ」

 

薊が()()()()()()()()()()の事を思い出してそう言い、それに小傘が苦笑交じりに答えた。そして続けて言う。

 

()()のあれは所詮付け焼刃。それでもああやって熱心に特訓するのは、自分の命を助けてもらった上この会館に居候させてもらっている師匠の恩義に報いたいからなんだと思うよ」

 

小傘のその言葉に、しばし黙っていた菫子は小さくため息をつくと、白い布を摘んで口を開く。

 

「……じゃあ今回の『最恐の怪談』は、『語り』の方じゃなく『演出』の方に重点が置かれるってわけね」

「そう言う事です。……でも、()()()()である()()の『語り』も、決して無用のモノなんかじゃないですけどね」

 

菫子の言葉に、小傘はしっかりと頷いてそう答え返した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……『四隅の怪』の噂が減少するどころか逆に拡大している?」

 

一方、博麗神社では遊びにやって来た魔理沙から人里で流れている『四隅の怪』の噂が治まるどころか大きくなっている事を聞き、霊夢は眉根を寄せた。

霊夢のその反応に魔理沙は頷く。

 

「ああ。しかもその噂にはいつの間にか『儀式を邪魔すると呪われる』とかって言う初耳な話も混ざってるんだ」

 

魔理沙の話を聞きながら、霊夢はちゃぶ台に頬杖をついて怪訝な表情でチラリと四ツ谷が閉じ込められている部屋の方へと視線をやる。

しかし、直ぐに視線を魔理沙へと戻すと口を開いた。

 

「気にしすぎじゃない?噂には尾ひれがつきやすいし、第一問題のあの怪談馬鹿は私がしっかりと見張ってるのよ?あいつの『最恐の怪談』が起こるわけないじゃない」

「だが霊夢、あの怪談馬鹿には小傘とかの協力者がいるんだぜ?念のためにあいつらも監視した方がいいんじゃないか?」

「えぇ~?面倒くさいわぁ。こっちで最重要『怪異』を押さえてるんだし大丈夫なんじゃない?」

 

ちゃぶ台の上に上半身を寝そべらせてグータラな発言をする霊夢に「お前なぁ……」と、呆れ顔で響く魔理沙。

 

「……心配しなくてもあの怪談馬鹿のいない小傘たち(あいつら)に『最恐の怪談』ができるわけも無し、ほっといても問題ないでしょ?」

 

霊夢は四ツ谷を封じた事で完全に『最恐の怪談』が起こらないと高をくくっていた。

確かに魔理沙の話も少し気にはなっていたが、肝心の四ツ谷が手の内にある以上、杞憂だと内心霊夢はそう判断したのだ。

その判断が大間違いだとも気づかずに。

 

「むぅ~……」

 

霊夢のその返答に魔理沙は小さく唸ると、一つため息をついて立ち上がり、霊夢に帰ると一言伝えると神社を後にする。

境内で箒にまたがると魔理沙は飛ぶ直前に肩越しに背後の博麗神社――正確には四ツ谷が閉じ込められている部屋へとチラリと視線を向けた。

 

「……霊夢のあの慢心が命取りにならなきゃいいが……」

 

魔理沙もまた四ツ谷の怪談への執着心に内心警戒を寄せていた。

霊夢の手で四ツ谷を封じているにもかかわらず、『四隅の怪』は今だ人里に広がり続けている。

それが魔理沙には不気味で仕方なかった。

だが、当の霊夢がああ言って何もしない以上、自身にできる事は何もないと(かぶり)を振り、魔理沙は空へと舞い上がり博麗神社を後にした――。

その時、魔理沙が気にしていた件の男――四ツ谷は床に寝転がって片腕を枕代わりに横になっていた。

 

その顔に薄く笑みを浮かばせて――。




これにて平成最後の投稿とさせていただきます。
令和に変わっても皆様の期待に答えられるよう頑張っていきたいと思っています。


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其ノ十三

前回のあらすじ。

慧音が柚葉を保護し、四ツ谷会館組は『四隅の怪』の準備段階を開始する。


「くそっ!!」

 

慧音に柚葉を保護されて以来、周蔵のイライラは日増しに高まっていった。

ここ数日、柚葉は基本的に慧音の家に篭りっきりで、ふと外出する時も決まって慧音が付き添っており、中々柚葉に接触する事ができなかったのである。

しかも、慧音が外出して家に柚葉一人の時があっても、その時には必ず慧音と入れ違いに赤いもんぺを纏った白い長髪の慧音の『友人』が家にいるため、家に侵入する事もできなかったのだった。

周蔵は苛立ちから道端の小石を大きく蹴り飛ばした。

その小石が大きく数回地面を跳ねて少し離れた民家の障子を突き破り、中から「誰だぁっ!?」とそこの家主の怒声が響くも、周蔵はそれに気にする事無くさっさと歩き続ける。

周蔵は歩きながら、懐から金銭の入った袋を取り出した。

柚葉から奪い取った金銭、その持ち金は後わずかとなっていた。

あと一日か二日分しか持ちそうに無いその現実に周蔵の苛立ちが加算される。

 

「クソ女がッ!あの先公(センコー)の家に居つきやがって、ただじゃすまさねーぞ……!!絶対に引きずり出してやる……!!」

 

飢えた獣のように眼を血走らせて人里の中をうろつき回る周蔵。

 

「……畜生、今はとりあえず金だ。どうやって手に入れる?あの女の家に忍び込んで盗み取るか。それとも別のあてを探して――」

 

ブツブツと独り言を呟いていた周蔵の口がピタリと止まり、同時に歩みも止まった。

そして、先ほど呟いた言葉の『とある一部分』を静かに復唱する。

 

「あの女の……家……」

 

それを響いた途端、周蔵の口元が耳まで裂けるかのように不気味にニイィと歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の昼頃、柚葉は慧音と一緒に彼女の自宅で炊事洗濯を手伝っていた。

慧音の家に居候して以降、周蔵とはぱったり会うことが無くなったがあの男の事、そう簡単に諦めるはずが無いと柚葉は内心そう思っており、ビクビクと今だ周りを気にしながら暮らす生活が続いていた。

家の裏に干してあった洗濯物を柚葉が取り込んでいる最中、慧音は今し方訪れてきた来客の相手をしていた。

 

「よっ!慧音。柚葉の様子はどうだい?」

「いらっしゃい妹紅。彼女なら少しずつだが落ち着いてきているよ」

 

来客――藤原妹紅にお茶を出しながら、慧音は妹紅の問いにそう答える。

居間に上がった妹紅は用意してもらった座布団に腰を下ろして慧音を相対する。

 

「そうか、ならいいんだが……本当に大丈夫なのか?話に聞くだけでもとんでもない下衆野郎なんだろ?その男。……もういっその事、悪事を考えないくらいにボコボコにしてやったらどうだ?そうすればこんな()()()()()()をしなくてすむし、手っ取り早い」

 

お茶に口をつけながら妹紅がそう言った。

柚葉と件の男の事、そしてその男を『聞き手』とした今回の『最恐の怪談』の事は慧音経由で妹紅も知っていた。

それに慧音は静かに首を振る。

 

「あの手の男は体罰などで反省する輩ではないだろう。いや、むしろ逆効果だ。それをやったら逆に奴の恨みを大きくし、最後には何をしでかすか分からなくなってしまうだろうな」

「……やっかいなこったな」

 

難しい顔でそう言う慧音に妹紅はやれやれと首を振った。

()()()はあれど、慧音も妹紅も見た目に反して長い時を生きてきた身だ。

人間であれ妖怪であれ、彼女たちはその者と会合、もしくは間接的にその者を見聞きする事ができれば、大体どんな人物なのかおおよその把握ができたのだ。

それ故、周蔵のような暴力を主とするタイプは同じく暴力で対応しても再び暴力で返して来るだろう。

そうなってしまえば、後はもう終りの無い殴り合いの輪廻。

その上、憎悪だけが積み重なって最終的に行き着くのは周蔵の暴走による後味の悪い結末だけだろう。

どんな結末なのかは今は分からないが、ロクでもない事になるのだけは目に見えていた。

そんな妹紅の態度に慧音は苦笑混じりに口を開く。

 

「……そうならないためにも、お前も四ツ谷(あいつ)の『最恐の怪談』に賭けてみようと考えたのだろう?」

「そうなんだが……。本当に『四隅の怪』なんぞでその男を黙らせることができるのかねぇ?」

「おや?あいつの『最恐の怪談』の力は妹紅だって味わってたと思ったが?」

「そりゃあね。……でも()()()()()。頼みの四ツ谷本人がいない以上、不安に思うのは当然だろ?」

「それは…………?」

 

妹紅の問いに答えようとした慧音であったが、ふと()()()に気づき、言葉を途中で止め怪訝な顔で裏口の戸へと視線を向けた。

それに気づいた妹紅も怪訝な顔で慧音に問いかける。

 

「どうした、慧音?」

「……いや、妙なんだ。少し前に裏庭に洗濯物を取り込みに行った柚葉がまだ戻って来ないんだ。……どうしたんだろう?」

 

そう言って立ち上がった慧音は裏口の戸へと向かい、戸を開けて裏庭の様子を見た。

そうして戸の間から入り込んだ太陽の光と共に視界に入った裏庭の光景を見て慧音は眼を丸くする。

 

「……!?」

 

そこには地面に転がった洗濯籠とそこからこぼれ出た洗濯物の衣類の数々。そして、その傍でシクシクと嗚咽を漏らしながら両手で顔を隠して俯き泣いている()()()姿()があった――。

坊主頭で見るからに柚葉よりも歳下なその少年を見た慧音はあわてて周りを見渡すも、肝心の柚葉の姿が無かった。

何か嫌な胸騒ぎを覚えた慧音は目の前で泣いている少年の下に駆け寄る。

それと同時に遅れて妹紅も裏口から顔を覗かせた。

慧音は少年の両肩に手を置くと、下から覗き込むようにして少年を見て声をかける。

 

「君、どうしたんだ?何でこんな所で泣いているんだ?」

「……慧音、せんせい……ごめん、ごめんよぉ……っ!」

 

唐突に響かれる慧音に対する謝罪の言葉、しかしその声を聞いて慧音は少年が何者なのか直ぐに理解した。

 

「お前、健二郎(けんじろう)か?柚葉の下の弟の……」

 

柚葉の家族、二人いる弟の次男だと慧音が悟ると同時に少年――健二郎はゆっくりと慧音に向けて顔を上げた。

 

「なっ……!?」

 

そうして見えた健二郎の顔に慧音は絶句する。

 

――双眸を充血させ、涙でグシャグシャとなった健二郎の頬には、はっきりと、強く殴られたような大きな腫れがくっきりと出来上がっていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間はほんの少しだけ遡る――。

慧音と妹紅が談話をしている、まさにその最中に起こった。

ガサリという音と共に柚葉の背後の茂みが揺れ、同時に柚葉はビクリと身体を強張らせる。

 

(まさか、あの男が来た……?)

 

恐る恐ると背後を振り返る柚葉しかし目にしたのは予想の斜め上を行く光景だった。

 

「なっ!健二郎ッ!?」

 

そこには自身の下の弟が頬に大きな腫れを作って涙眼になっている姿があった。

 

「い、一体どうしたのその顔!?」

「うぅ、えぐっ……姉ちゃん……!」

 

慌てて柚葉は健二郎に駆け寄る。よく見ると健二郎が着ている着物も所々が汚れていた。

嗚咽(おえつ)を漏らしながらも健二郎は一生懸命に柚葉に何が起こったのかを説明した。

――友達と遊んで家に帰ろうとしていた矢先、知らない男の人に突然人気の無い路地裏に連れ込まれ、いきなり強く殴られたのだという。

そうして殴って倒れたところを、二、三度お腹に蹴りを入れられ、最後に首根っこを掴んで顔を無理矢理上げさせられると、紙切れを渡してきてこう言ったのだという。

 

『これをお前の姉ちゃんに渡してこい。分かってるだろうがこの事を誰かに話してみろ、今度はコレぐらいじゃすまねーからな……!』

 

グリグリと額を強く押し付けて恐ろしい眼光でそう脅してきたその男は、さっさとその場を去っていったのだった――。

 

「うぅ……ごめんよ、姉ちゃん。オレもう、怖くて……怖くて……っ!」

 

健二郎の話を聞いて柚葉は一瞬頭の中が真っ白になる。

今まで自分にばかり眼をつけていて、家族には何もしなかったあの男がここに来て手を出してきたのだと知り、柚葉の身体は自然と震えた。

だがなんとか平静さを取り戻すと健二郎から男から渡されたという紙切れを受け取った。

紙切れには短い字でこう書かれていた――。

 

――金持って今夜寺子屋に来い――。

 

その文を見た柚葉はぐしゃっと紙を握ると、何かを決心したかのような険しい顔を浮かべて健二郎をその場に残し、足早にその場を去っていったのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「慧音先生ッ!オレの事はいいから、姉ちゃんを!姉ちゃんを助けてッ!!」

 

それだけ言うと健二郎は再び泣きじゃくり始めた。

恐怖のあまり、言われるがままに姉に男――周蔵の伝言を伝えてしまった健二郎であったが、たった一人の姉が自分のせいで酷い目に会うのだけはどうしても許せなかったのだ。

周蔵に口止めされていたのにも関わらず、勇気を振り絞って慧音と妹紅に事の全てを吐き出していた。

事態を重く見た慧音と妹紅はすぐさま行動を開始する。

 

「慧音、お前はその子を永遠亭に届けてくれ!私は四ツ谷会館に行く!」

「分かった!健二郎を届けたら直ぐに戻る!」

 

そう言って慧音と健二郎と別れた妹紅はすぐさま飛ぶように四ツ谷会館へと急行した。

 

四ツ谷会館に着くと、妹紅は広間を横切って職員室へと飛び込んだ。

いきなりやって来た妹紅の姿に眼を白黒とさせる会館の一同。

それに構わず妹紅が口を開こうとして、一同の中に会館の者ではないにせよとても見知った顔があるのに気づき、反射的にその者の名を呼んでしまう。

 

「菫子?」

「……やっほー、久しぶり妹紅さん。どしたの急に?」

 

職員室の隅にある休憩スペース。そこで今まさにお茶請けの饅頭に食いつこうとした宇佐見菫子が、突然現れた妹紅に面食い、食べようとするポーズのまま挨拶をしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……四ツ谷さんからの伝言。やっぱり明日の夜やる予定だったけど、繰り上げて今晩やるって」

「やっぱりそうなったか……」

 

妹紅から慧音の家での出来事を聞かされた菫子はすぐさま四ツ谷と連絡(テレパシー)を取った。

そして、数回向こうにいる四ツ谷と会話を交わした後、菫子は能力を切って周りにいる小傘たちに開口一番でそう言い、それを聞いた妹紅はポツリと小さく呟いた。

そして、妹紅は菫子に眼を向けると続けて問いかける。

 

「だが、大丈夫なのか?丸一日ほど前倒しになっちまったが」

「おおむね大丈夫ですよ。細かな最終調整はこれからするとして、『演出』に必要な準備は万端ですし、『語り』の方も特訓ではもうミスはありません。後は『本番』次第ですね」

 

そう言って菫子はチラリと壁際にいる()()に眼をやった。

それに気づいた()()も小さく、それでいてはっきりと頷いてみせる。

それを見た菫子はもう一度妹紅に眼を向ける。

 

「こっちの事は、任せてください」

「そっか。なら私は、この後慧音と合流して一緒に柚葉を探してみるよ」

 

そう言って妹紅は踵を返し、四ツ谷会館を後にする。

そうして去って行くその背中を見つめながら、()()は一人ポツリと響いた。

 

「……しくじる訳には、いかないよね……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四ツ谷会館を出た妹紅はその足で人里の出入り口へと向かっていた。

と、丁度そこへ永遠亭から帰ってきたばかりの慧音と鉢合わせする。

 

「妹紅!」

「慧音、戻ってきたか!あの小僧の容態はどうだった?」

「あの薬師の話では大した事は無いらしいが頬の腫れがひどいらしく、もしかしたら骨までいってるかもしれないから大事を取って一晩預かるとの事だ」

「預かる?永遠亭にか?なら小僧の家族にも知らせた方がいいんじゃないか?」

「ああ、そうだな。もしかしたら柚葉も実家の方に帰ってるかもしれん。急ごう」

 

そう言って二人は柚葉の実家へと同時に駆け出していった――。

 

――そしてそれとほぼ同時刻。

柚葉の家では夕餉の準備に追われていた。祖父と柚葉の上の弟はそれぞれの友人宅、父親は仕事場と外出しており、家にいるのは祖母と母親だけであった。

調理場にいた二人であったが、買い忘れがあったのか祖母は買い物籠を持って外へ、母親は(もよお)したのか厠へと向かい、調理場には誰もいなくなった。

すると、調理場にある裏口の戸がゆっくりと静かに開かれ、そこから一人の女性が調理場へと入ってくる――。

 

この家の長女であるその女性――柚葉は、キョロキョロと辺りを見回して誰もいないことを確認すると奥へと進み、そして目に付いた()()をゆっくりと手に取っていた――。




もう少し書き進めようかとも思ったのですが、一先ず投稿させていただきます。
後もう一話くらい、ゴールデンウィーク中に投稿したいなぁ……。無理かなぁ……?


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其ノ十四

前回のあらすじ。

柚葉の弟、健二郎が災難に会い、柚葉も姿をくらました。
慧音と妹紅が柚葉を捜索し、四ツ谷会館の者たちもいよいよ動き出す。


日が完全に山の向こうへと隠れ、人里を夜の闇が包み込む。

されどその空には星が瞬き、輝く月が辺りを薄っすらと照らしていた――。

 

博麗神社の居間。そこでそこの神社の巫女である博麗霊夢は、ちゃぶ台に頬杖をついて何も無い虚空をジッと見つめていた。落ち着かないのか、あぐらをかいたその足を細かく揺さぶっている。

夕餉が終り、食器を片付けてしばらくした頃、急に胸の内側から理由の無い胸騒ぎを覚えて落ち着かなくなっていたのである。

そうして何故急にこんなに落ち着かなくなったのか少し考えてみる、すると霊夢の脳裏に一人の不気味な笑みを浮かべる男の顔が浮かんだのだ。

その瞬間、霊夢はその男を監禁している部屋の方へを顔を向ける。

ジッとその方向を見ていた霊夢であったが、直ぐに頭を振った。

 

そんなわけない。あいつは私が封じている。()()()()()()()()

 

そう自分に言い聞かせても、霊夢の中から不安が消えることが無く、それ所か大きくなっているような気さえし始めてきた。

ジッとしていられなくなった霊夢は唐突に立ち上がると、男を閉じ込めている部屋へと向かった。

監禁部屋の前に立った霊夢は中の男に気づかれないように、ゆっくりと引き戸の取っ手に手を掛け、開く。

そうして数センチの隙間を空けて、中の様子を覗き込んだ。

その部屋にいる男――四ツ谷文太郎は、こちらに背を向けたまま右腕を枕代わりに寝転んでいた。

そこ光景を見て霊夢は少し安堵する。そうしてもう少し四ツ谷の様子を見ようと引き戸の隙間を大きくするために取っ手を持つ手に力を入れた。

その瞬間、部屋の中から声が響く。

 

「……意外だな。お前の方からこっちに来るなんて」

「!……気づいてたの?」

 

寝たまま肩越しに四ツ谷と眼が合い、霊夢はゆっくりと戸を開けて中へと入っていった。

同時に四ツ谷も身体を起こし、あぐらをかいて座った姿勢をとる。

霊夢もドンと腰を下ろして四ツ谷と相対する。

数秒の沈黙後、先に口を開いたのは四ツ谷だった。

 

「――で?何か用か?」

「……別に。ただ様子を見に来ただけよ。ま、アンタの顔なんて好きで見に来るようなモンじゃないけどね」

「ひどい言われようだなぁ、オイ」

 

唐突に失礼な事を言われたのにも関わらず、四ツ谷は軽くシッシと笑って見せる。ソレが気に入らなかったのか霊夢は眉根を寄せてムスッとした態度を取る。

 

「……アンタ、私にぶち込まれてから今までずっとこの部屋にいるわよね?」

「ああ」

 

何を今更、とでも言うように小首をかしげながら霊夢の問いに四ツ谷はそう答え返す。

霊夢は続けて口を開く。

 

「なら、言い方を変えるわ。……アンタ、裏で何か動いてない?私の知らない所で」

「さぁてね。仮にそうだったとしても……どうだって言うんだ?」

「何ですって?」

「……俺がここにいる限り、新しい怪異が生まれる事が無いし、()()()()()『最恐の怪談』も語れないし、起こらない。……()()()()()()()()()()?」

「それは……」

 

曰く、その通りであった。

今回の『聞き手』が誰かは知らないが、四ツ谷がここにいる限り、()()()()()()『最恐の怪談』を語る事はできないし、能力が発動する事は決して無い。

霊夢自身、それはよく分かっていた。

だと言うのに、この腑に落ちない気分は一体なんなのだろうか?それも今日に限って、時間がたつにつれ段々と高まってきている、今この瞬間も。

 

――今夜何かが起こる。

 

それは霊夢が生まれ持ち、(つちか)い、そして一番頼りにしている『勘』がそう告げていた。

だからこそ、今一番危険視している四ツ谷(こいつ)を目の前にして睨みつけている状態になっているのである。

 

「……もし、本当に何か企んでいるようなら今すぐ止めなさい。これは博麗の巫女の命令よ」

「そうは言っても……ここから動けない俺に何ができると?それに、何かしているって言う確証も無いんだろ?」

「あくまでも何もしてないって言い張る気?……いいわ。なら、私にも考えがある」

「シッシ……なんだ、拷問でもしようってのか?」

「生憎とそっちの趣味は無いわよ」

 

そう言って霊夢は立ち上がり、部屋の出入り口へと歩いていく。そうして外に出ると四ツ谷に向かって振り返り、言う。

 

「今夜は寝ずの番よ。恐らく今夜何かが起こる。その時、アンタが何かおかしな動きをしたら、私は問答無用でアンタを退治してやる」

「相変わらず怖い事言う。夜更かしは美容の大敵だぞ?年頃の娘がおいそれとして良いモンかね?」

「心配無用よ。今日の昼間にたっぷり寝たから眼がさえちゃってるの。一晩くらいどうって事無いわ」

 

そうして霊夢は引き戸に手を掛けて続けて口を開く。

 

「見張りはこの部屋の前の廊下でするから。だってこの部屋少し()()んだもの」

「誰のせいだぁ!?」

「あ゛ン!?何か言った?」

「イエ、ナンデモナイデス」

 

睨みを利かす霊夢の気迫に、四ツ谷は直ぐに萎縮する。

それに溜飲が下がったのか霊夢は上機嫌になる。

 

「ま、アンタがここで何もしなければ、今夜は『最恐の怪談』なんて起きはしない。今夜を凌げれば私の勝ちは決まりよ」

 

高をくくったかのように胸を張り、そう最後に言い残すと霊夢は戸を閉めて部屋を出て行った。

部屋に残された四ツ谷はやれやれと頭をかく。

 

「ったく、いつから勝負事になったのかねぇ?……まぁでも――」

 

 

 

 

 

 

「――言質(げんち)は確かに取ったぞ、博麗霊夢……」

 

そう誰にも聞こえないほど小さな声で、四ツ谷は顔を不気味に歪めて笑った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして寺子屋の前――。

その直ぐそばにある民家の角に上白沢慧音の姿があった。

数時間前に寺子屋の隣にある柚派の家を妹紅と訪ねたところ、家には柚葉の母親しかおらず、突然やって来た慧音たちに首をかしげていた。

その様子から柚葉が家に帰ってきていない事を察した慧音と妹紅であったが、健二郎の事も話さなければならず、二人は()()健二郎が今、永遠亭にいる事を母親に伝えた。

それを聞いた母親は大慌てで永遠亭に行く支度をすると、帰ってきた祖父母、夫、長男と共に妹紅の案内で永遠亭へと向かったのであった。

そうして一人残った慧音は、いずれ寺子屋に柚葉がやって来るだろう事を見越して、今まで寺子屋前の民家の物陰で身を潜めていたのだった。

ジッと寺子屋の門前を見つめる慧音。門はしっかりと戸締りがされ、寺子屋の周囲は不気味なほど静まり返っていた。

すると、慧音の背中に聞き慣れた少女の声がかけられた。

 

「よっ!慧音」

「……!妹紅、柚葉の家族たちは?」

「ちゃんと永遠亭に送り届けたよ。でも、あっちに着いたとき柚葉がいない事に首をかしげてたな。向こうさんはてっきり知らせを聞いて彼女が先に来ているもんだとばかり思ってたらしい」

 

少女――妹紅の報告を聞いて慧音は顔を険しくさせる。

しかし、そんな慧音の顔を見て妹紅は続けて口を開いた。

 

「安心しろ。適当に理由をつけて後から来るって事を伝えといたよ。もちろん、健二郎の方にも口止めはしておいた」

「そうか……いや、それなら必ず柚葉を連れて永遠亭に行かなければならないな」

「そういうこった。……あの時、あの場で知らせた事が健二郎の件だけにしといてホント正解だった。柚葉の事まで話してたらそれこそ話がややこしくなってただろうさ」

 

やれやれと首を振る妹紅に慧音は同感とばかりに頷く。

と、そこへ慧音たちが待ち望んでいた人物がようやく通りの向こうの暗闇から現れる――。

 

「柚葉……」

 

小さくそうポツリと響いた慧音の視線の先、そこにいる柚葉は身をちぢ込ませて周囲に誰もいない事を確認するかのように、入念にキョロキョロと見渡すと寺子屋の門前へとやって来た。

そうして門前に立った柚葉は今一度、周囲に誰もいない事を確認すると、ゆっくりと門を叩こうとし――。

 

――ガラッ……!

 

「!?」

 

突然、門の戸が開かれ、そこから出た手が戸を叩こうとしていた柚葉の手を乱暴に掴むと、そのまま柚葉を寺子屋の中に引きずり込んだのである。

 

「――っ!!」

「待て、慧音!」

 

柚葉が寺子屋に連れ込まれ、門の戸が乱暴に閉まるのを見た慧音は慌てて追おうとするも、それを背後から妹紅が肩を掴んで引き止めた。

振り返る慧音に、妹紅が静かに首を振ってみせる。

 

「柚葉が寺子屋に入っちまった以上、ここから先は()()()()に任せるっきゃない」

「だが……!」

「今追って入ったら、かえって邪魔になるだけだ」

「……っ」

 

妹紅のその言葉に、慧音は悔しそうに唇をかんだ。

やがて慧音は柚葉の消えていった寺子屋へとゆっくりと眼を向け――。

 

「柚葉……」

 

――彼女の身を案じるかのように、小さくそう呟いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柚葉を連れ込んだ人物は言わずもがな、周蔵であった。

周蔵は柚葉の腕を乱暴に引っ張りながら、寺子屋の中に入り、職員室へとやって来た。

そこで周蔵は柚葉を職員室の中へと乱暴に放り込むと、職員室の戸を後ろ手で閉めた。

 

「ったく、手間取らせやがって……!あの先公(センコー)(とこ)駆け込めば大丈夫だとでも思ってたのか?あ゛ッ!?」

「……私を先生の家から連れ出すためだけに、健二郎にあんな酷い事したの?」

 

周蔵の怒鳴り声に臆す様子も無く、俯いたまま恨めしげに柚葉は収蔵を睨み上げ、静かながらも怒りを含んだ声色でそう問いかける。

それが気に入らなかったのか、周蔵は柚葉の頬を強かに引っ叩いた。

 

「う゛ッ!」

「何か文句あんのか、あ゛ぁッ!?てめーが分けわかんねぇ事すっから(わり)ぃンだろーがッ!!」

 

逆らうなど許さないとでも言わんばかりに、語気を荒げ、支離滅裂な事を怒鳴り散らしながら、周蔵は柚葉の胸倉を掴み上げ乱暴に揺らした。

それでも柚葉の顔から恐怖の色が現れず、それ所か先ほど殴られた拍子に口内を切ったらしい口の端から血を滲ませて、彼女の顔は憤怒と憎悪に歪んでいた。

それを見て心底面白くなさそうに周蔵は大きく舌打ちをすると、柚葉を思いっきり突き飛ばした。

床に転がった柚葉の前にしゃがみ込むと、何かを寄越せと言わんばかりに周蔵は右手を彼女に差し出す。

 

「ほら、さっさと金寄越せよ。持って来てんだろーが。さっさと渡さねぇとてめーの身内、全員(なぶ)りモンにすっぞゴラァッ!!」

「…………」

 

周蔵の怒声を浴びながら、床に倒れていた柚葉は俯いたままゆっくりと上半身を起こした。

そうして静かに右手を左袖の中へと入れる。

 

「!」

 

その瞬間、何かを察したかのように周蔵は柚葉から飛び退く。

それと同時に、周蔵の目の前を一筋の銀閃が横一文字に走った。

一足遅れて()()を包んでいた手ぬぐいがパサリと床に落ちる。

 

「てめぇ……!」

 

周蔵は忌々しげに柚葉を見る。

よろよろと立ち上がる柚葉のその震える両手には、自宅から持ち出してきた包丁がしっかりと握り締められていた。

 

「オイ……何のつもりだよ、そりゃあよォ?」

「……もう私にも、家族にも一切近づかないで……!こんなのもう耐えられない!私が言いなりになってれば家族にも周りにも手は出さないし、()()()()()って言ってたけど、もう苦しくて仕方ないの!家から黙ってお金を持ち出すのも、あんたの暴力のはけ口になるのも、もう嫌ッ!……この先もずっとあんたの言いなりになったまま生きていくなんて我慢できない!……そんな絶望しかない未来(さき)しか無いのだったら、私は――」

「――俺をあの世に突き落として、自由になろうってか?上等だよオイ、やってみろや。そんなへっぴり腰の(アマ)相手にそうそう殺されてたまっかよ。人殺した事もねぇクセにいきがってんじゃねーぞ(メス)がッ!」

 

心底つまらなそうに周蔵はそう言いながら、気だるげに両腕を広げて柚葉を挑発してみせる。

 

「さぁ、どこ刺すよ?心の蔵?それとも(のど)か?腹は止めといたほうがいいぜ?一撃で仕留めなきゃあ手痛い反撃にあっちまうからよォ」

「……っ」

 

あからさまに小馬鹿にしたような言葉を周蔵から浴びせられ、柚葉は悔しそうに唇を噛んだ。

しかし、もう後には引けない。

例え咎人(とがびと)となろうと、自分の為にも、なによりかけがえの無い家族の身を守るためにも。

目の前の男をこのまま野放しにしておく事は、今の柚葉にはできなかった。

決意を固めた柚葉は、自身の足に力を込める。

包丁を腰の高さの位置で固定し、腰を落として周蔵を睨みつける。

そして静かに息を大きく吸い込むと――。

 

「――ッ!!」

 

床を蹴って周蔵へと体当たりする形で突っ込んでいった。

柚葉の眼には自分が周蔵の胴体、その中央へと吸い込まれるような光景が流れ、そして――。

 

――パシンッ……!

 

「……え?」

「ばーか」

 

呆ける自身の声と周蔵の声、そして次に頬に再び痛みが走り、気づいた時には柚葉は再び床に転がされていた。

何が起こったのか分からず、柚葉は寝転がったまま周囲をキョロキョロと見渡す。

そして、視界にあるモノが飛び込んできて、それ見て柚葉は驚愕する。

それはたった今まで柚葉がしっかりと握っていた包丁。それがいつの間にか職員室の端、柚葉から離れた遠い所にまで転がっている光景であった。

そして瞬時に柚葉は理解した。

自分が周蔵を刺そうとした瞬間、周蔵は腕を振って柚葉の持つ包丁を軽々と弾き飛ばし、何が起こったのか分からずにいる自分の頬に平手打ちをして張り倒したのだと。

呆然となる柚葉を見下ろしながら、周蔵は嘲笑うように響く。

 

「ハッ!本当にどうしようもねぇぐらいに馬鹿な女だなてめーは!俺は少し前まで半兵衛の旦那の所で用心棒をしていたんだぞ?当時はてめーみてぇに旦那と刺し違えて恨み晴らそうっていう奴らが多くて、そういう馬鹿を返り討ちにしてんのが日常茶飯事だったんだよ。今更、非力な女が包丁持って襲いかかって来たってびびるわけねーだろうが、バーカ!」

 

容赦なく浴びせられる周蔵の嘲笑(ちょうしょう)と否が応でも痛感させられる自身の無力さに、柚葉はその双眸に涙を並々とため、唇をかんで周蔵を睨み上げる事しかできないでいた。

そうして、ひとしきり柚葉を笑った周蔵は一息つくと、真顔で柚葉を睨み下ろし呟く。

 

「さーて、その様子じゃ俺の金は持って来てねぇ見てぇだし、こいつはちょいとお仕置きが必要みてぇだなぁ?」

「……!?」

 

その瞬間、柚葉の背筋に悪寒が走る。先程までとは違い、周蔵の目が獲物を見つけた(ケダモノ)のソレへと変化している事に気づいたのだ。その視線が自身の足の方へと注がれている事も。

慌てて視線を落とすと、そこにはついさっき張り倒されて床に転がされた拍子に着物の裾が乱れてしまったらしく、自身の両脚が太ももの下半分まで大きく露出している光景があった。

それを見てこれから()()されるのか嫌でも理解してしまった柚葉は、直ぐに視線を上げるも時すでに遅く、そこには自身に覆いかぶさろうとしている周蔵の姿が映ってしまった――。

 

「ひっ!?ぎっ、い、いやぁっ!!」

「オラ、大人しくしろよ馬鹿女!痛い目合いたいのかよ?あ゛ぁっ!?」

 

柚葉に覆いかぶさった周蔵は、乱暴に柚葉の着物の帯を解き始める。

それと同時に着物全体が大きく崩れ、周蔵はその着物の隙間に両手を無造作に突っ込むと、柚葉の生の身体――その各部を乱暴にこね回した。

 

「あっ!?う、ぐぅぅ……!いやっ、いやあっ!!」

 

周蔵の下で必死に暴れ抵抗する柚葉。しかし所詮男と女の力の差、どちらが優勢かなど眼に見えていた。

それでもなお抵抗し続ける柚葉に、苛立った周蔵は彼女の頬を再び引っ叩く。

2、3度往復ビンタをされ、柚葉の頬が段々と腫れ上がり、赤みもますます濃くなってゆく。

 

「う、うぅぅ……!」

「ハア、ハア……!今更、抵抗してなんになんだよ?あ゛?()()()()()()()、あんなにやらしくアンアンヒイヒイ鳴いて乱れてたクセによォ……!」

「……!!」

 

周蔵のその言葉に、柚葉は大きく眼を見開いた。

そこには息を荒くし、血走った眼に下卑た笑みを貼り付けた周蔵の顔があった。

その顔を見た瞬間、柚葉の脳裏に封じ込めていたはずのおぞましい記憶がフラッシュバックする――。

 

――数年前。

まだ十代後半で花も恥らう乙女であった柚葉は、ある晩友人宅からの帰りに金貸しの半兵衛の息子――庄三の息のかかった者たちによってかどわかされてしまったのだ。

帰る時、友人から家の者に自宅まで送ってもらう事を進められ、悪いと思いそれを断った事を柚葉は今でも激しく後悔している。

連れ去られた柚葉はそのまま庄三の屋敷に連れ込まれ、そこで筆舌に尽くしがたい屈辱を受ける事となった。

肉体的にのみならず、女性としての尊厳も精神も、何もかもを庄三によって踏みにじられ、最後には柚葉は言われるがまま、されるがままの人形へと成り下がっていった――。

やがて、思うが侭に楽しんだ庄三はようやく柚葉を手放したが、すぐにその身は別の男へと渡り、そこでも耐え難い苦渋を強いられる事となる。

その男こそ当時、庄三の父――半兵衛の用心棒をしていた周蔵であった。

周蔵は柚葉の事を大いに気に入ったのか、庄三よりも長い時間をかけて彼女を弄んだ。

身体の上をヌメヌメとした体液を纏った巨大な芋虫が這い回るかのような、おぞましく耐え難い気持ち悪さと、時折来る暴力的な痛みに、柚葉はいつしか意識を手放していた――。

 

――そうして、次に眼を覚ました時には全てが終わっていた。

 

夜明け前の路地裏で、一糸纏わぬ姿で、着ていた着物を乱雑にかぶせられた状態で冷たい地面の上に転がされていたのだ。

その後――家族や友人にばれないように『処理』を必死に行った。

夜が空け切る前に、誰にも見られないよう近くにあった小川で着物や自信の身体についた『跡』を必死になって洗い落とし、人目に付かない場所で着物を干して、近くの民家の外に置いてあった(むしろ)を身体に巻いて着物が乾くまで茂みの中で(うずくま)り、隠れた。

その間、今し方までの悪夢のような光景が脳裏で鮮明に蘇ってしまい、自然と眼から涙が滂沱のように溢れた。

嗚咽を必死になって押し殺し、その身に受けた屈辱に耐えながらも、柚葉は人知れずその茂みの中で小さくすすり泣き続けたのだった――。

やがて時が経ち、柚葉自身あの時の悪夢のような出来事をただの『夢』だったとして心の奥底へと封じ込めた。

『処理』を終えた当初は家族の皆から何処へ行っていたのかと心配されたが、前もって考えていた言い訳で何とか切り抜け、その場は怪しまれる事は無かった。

柚葉も今までの生活に戻りたい一心で時折蘇るあの時の記憶を必死に頭の外へと追いやり続けた。

それが功を奏し、()()()()今までどおり普通の暮らしができるようになり、平穏な時が流れた――。

 

――半年ぐらい前に、再び周蔵が目の前に現れ、あの時のおぞましい行為をたてに脅迫して来るまでは……。

 

「……あん時のお前、最高に良かったぜぇ……!あそこで手放さずもっと楽しんでおけば良かったと思えるぐらいになぁ……!」

「ぐっ、うぅぅ……!」

 

職員室の中――両手で着物の中の柚葉の身体を弄び、胸元の乱れた着物の上から周蔵は顔面をグリグリと押し付け、深呼吸するかのように彼女の体臭を堪能する。

その時には柚葉は抵抗する事に疲れ果て、周蔵のされるがままになっていた。

 

「ハッ、ようやく大人しくなったか」

 

一度、顔を柚葉から離した周蔵は口元をいやらしく歪める。

蛇のように柚葉の全身に視線を這わせながら、今度はどんな声で鳴かしてやろうかと妄想を膨らませ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

そうして柚葉の両脚を掴むと、それを大きく開かせ自身の腰をその間へと挟みこませる。

 

「ヘヘッ……今度からもう絶対に逆らえないようにたっぷりと『教育』を施してやるよ。寺子屋だけになぁ……!」

 

そう言いながら周蔵は自身の下腹部をまさぐり、『ソレ』を取り出しにかかる。

疲れ果てていた柚葉は周蔵のその行為をぼんやりと眺めていたが、周蔵が『ソレ』を取り出した瞬間、再び彼女の脳裏に過去のおぞましい記憶が断片的に次々と蘇った。

 

――……まただ。また、こんな……。

 

柚葉は災厄が降りかかり続ける自身の境遇を嘆かずにはいられなかった。

いっその事、全てを投げ出して自ら命を絶てればどれほど楽だったか。

だが、その選択は柚葉には選べなかった。

それを考えるとどうしても後に残していく家族や友人の事を想わずにはいられなかったのだ。

皆と一緒にいたい。皆と共に生きていたい。そんな思いが彼女の身体の奥底からふつふつと力を湧き立たせる。

そして、それは今も……。

 

「いやぁっ……!!」

「あッ、てめっ!!」

 

全身の力を振り絞り、最後の悪あがきだと言わんばかりに四肢を滅茶苦茶に動かして柚葉は全力で抵抗を再開する。

突然、また柚葉が暴れ始めた事に周蔵は驚くも、すぐに彼女を大人しくさせようと彼女のを押さえつけて拳を振るおうとする――。

 

――だが、それよりも先に……天は最後の最後で柚葉に味方した。

 

恥じらいなど考えず、なりふり構わず滅茶苦茶に動かされ丸見えとなっている柚葉の瑞々しい両脚。

その右脚が偶然にも周蔵の股座――吐き出しとなっている『ソレ』を容赦なく蹴り上げたのだ。

 

「んごぉがぁぁーッッッ!!?」

 

急所を思いっきり蹴られた事により、言葉にできないほどの激痛が周蔵の全身を襲い、口から悲鳴が漏れた。

あまりの痛みに頭の中が真っ白となり、体中から脂汗が吹き出る。

口からは泡が吐き出され、周蔵は下腹部を両手で押さえながら柚葉の上に倒れこんだ。

 

「う、あぁ、うぅぅ……!」

 

その下から必死になって這い出る柚葉。周蔵も真っ白になっていた頭の中が覚醒し、柚葉が逃げようとしている事に気づくと、すぐさま捕まえようとする。

しかし、あまりにも強烈な一撃だったためか、片方の手が下腹部から放す事ができず、もう片方の手だけしか動かせない状態になっていた。

また、今もなお全身に激痛が走っていたため、その痛みのせいで狙いが定まらず、大きく乱れていた柚葉の着物すらロクに掴むことができなかった。

結局、『男の痛み』に耐えられず周蔵の手は空を切り、柚葉は周蔵の魔の手から何とか逃げ出すことに成功する。

乱れ、着崩れした着物を両手で押さえ、必死になって職員室から飛び出した柚葉は、寺子屋の玄関へと向けて走り出した。

一方、周蔵は痛みのせいで柚葉を追いかける事ができず、その場に蹲ったままだった。

されど、少しずつ全身を支配する痛みが引いていくのと同時に反比例して、周蔵の中からマグマのような怒りが湧き出し、顔を憤怒の表情で染め上げる。

 

「ぐっ、かっ、はぁっ!お゛ぉぉっ、う!う゛ぅぅっ……あ、あの(アマ)許さねぇ……!捕まえて(イカ)れるまで滅茶苦茶にして……二度と餓鬼のできねぇ体にしてやる……ッ!!」

 

ようやく動ける程に痛みの引いた周蔵は鬼の形相で涎を垂らしながら、よろよろと職員室を出る。

廊下へと出た瞬間、ふわりと視界の端に白い『何か』がチラつき、無意識に周蔵はその歩みを止めてそちらへと顔を向ける。

するとそこには、()()()()を着た何者かが、廊下の奥の曲がり角へと消えていく姿があった。

 

「待てやぁ!クソ(アマ)がァッ!!」

 

怒りと痛みで麻痺した思考で、それを柚葉だと思った周蔵は、声を荒げながら今だおぼつかない足取りで廊下の奥へと消えた人影を追いかけ始めた――。

 

――柚葉が逃げた方向とは、()()()()の寺子屋の奥深くへと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方柚葉は、寺子屋の玄関を飛び出し、そのまま門の戸を開けて大通りへと出た。

その瞬間、彼女の前に二つの影が立ち塞がる。

 

「ひっ……!?」

 

立ち止まり身体を震わせて怯える柚葉。しかし、その二つの影のうち、片方が見知った相手だと分かるとその恐怖が霧散する。

 

「……け、慧音先生……?」

「柚葉……」

 

影の一つ――慧音の顔は悲しげに歪んでいた。

その視線は、先程の周蔵による暴行でできた柚葉の乱れた髪や完全に聞くずれして両腕で押さえている着物を行き来している。

柚葉のその姿を見た瞬間、慧音はすべてを察してしまった。寺子屋の中で何があったのか、そして連鎖的に柚葉が周蔵に何を脅されていたのかを――。

慧音の視線に気づいた柚葉は気まずそうに俯く。

 

「け、慧音先生……、これは……その……」

 

何とか言い訳しようとするも何と答えて言いか分からず、しどろもどろとなり声も小さくなる柚葉。

だが次の瞬間、柚葉の身体を温かいモノが包み込む。

 

「すまなかった。柚葉……」

「先、生……?」

 

突然、慧音に抱擁され柚葉はその場で固まってしまう。

しかし、それを気にせず慧音は続けて柚葉に囁きかけた。

 

「……実家がここと隣同士だった事もあるが、私は寺子屋を卒業した後もずっとお前を見てきた。会う度に私に向けてくる屈託の無い笑顔を見て、私はお前が日々平穏無事に家族と暮らしているものとばかり思っていたんだ……。あの時、お前の腕にできたあの(あざ)を見るまでは……」

「……っ」

「……直ぐ傍にいたのにも拘らず、今の今まで私はお前の助けを呼ぶ叫びに気づいてやる事もできなかった。何とも不甲斐ない、私は……教師失格だよ」

「せ、ん……せい……」

 

耳元で囁かれる恩師の優しい言葉に、今まで溜め込み、押し殺していた思いが胸の内から氷解していくのを柚葉は感じた。

自然と双眸から再び雫か零れる。

されどそれは、先程のあの忌まわしい男と対峙した時に溢れた、憎悪や憎しみに彩られたモノなどではなかった。

長年の苦しみから解放されたかのような安堵や嬉しさから溢れ出た涙を両目に溜めた柚葉の耳元で、慧音は静かに、されど力強い声で柚葉に言葉をかける。

 

「……今からではもう遅すぎるだろうが、それでも、言わせてほしい。……柚葉、私はお前を助けたい――」

 

 

 

 

 

 

「――私に、お前を守らせてくれ……!」

 

 

 

 

 

 

「せん、せいっ……!うぁ、う゛あぁあぁぁぁぁぁぁ……っ!!!」

 

もう限界だった。

柚葉は、慧音の胸に顔をうずめると子供のように泣きじゃくった。

恥も外部もなく泣き叫び続けると、自然と自分の胸の中にあった『しこり』の様なモノが煙のようにゆったりと消えていくような気分を柚葉は感じていた。

長年の呪縛から開放され、嗚咽を漏らしながら自身の腕の中で鳴き続ける大切な教え子を、慧音もその眼に涙を溜めながら、その背を優しくさすって慰め続ける。

そして、そんな二人をもう一つの影――妹紅が見つめていた。

やがて妹紅は視線を移動させ、寺子屋の方を見据えて一人小さく呟いた。

 

「……後は任せた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待てやゴラぁっ!!逃げてんじゃねぇぞ(アマ)がァ!!」

 

廊下の向こう、闇の中に薄っすらと浮かび上がる白い影を追って怒り心頭にわめき散らしながら、周蔵は追いかける。

いくつかの教室の前を通り過ぎ、やがて白い影はとある部屋へと入っていくのを周蔵は目撃する。

そして何の疑いも浮かべる事もなく、周蔵も白い影を追ってその部屋へと飛び込んだ。

 

「ようやく追い詰めたぞ!覚悟はできてんだろうなぁクソあ――」

 

白い影に追いついた周蔵はその影に怒声を浴びせるも、直ぐにそれが収束し、止まる。

真っ暗な部屋のその中央に一本の蝋燭が黒く細い燭台の上でゆらゆらと小さく揺らめいており、その直ぐ傍に先程の白い影の人物が背中を向けて静かに佇んでいた。

それを目の当たりにして、周蔵は先程まで自分の中に湧き立っていた怒りが急速に治まっていくのを感じた。

 

――違う。

 

怒りで曇っていた視界が晴れ、今まで柚葉だと思っていたその白い影が全くの別人であった事に周蔵は気づいたのだ。

背丈が違っていたし、何より纏っている着物が全く違っていた。

()()()()の着物を纏っていた柚葉と違い、この人物は完全な純白の着物の上に頭部には尼僧が使うようなこれまた純白の丈の長い御高祖頭巾(おこそずきん)と呼ばれるモノを纏っていたのだ。

明らかに柚葉とは似ても似つかない全くの別人。

だが周蔵は、寺子屋に自分と柚葉しかいないという思い込みと、柚葉に蹴られた急所の痛み、さらにそれが原因で憤怒し、頭に血が上って正常な判断ができなかった事で目の前の人物を柚葉だと誤認したまま追って来てしまっていたのだ。

 

その上、さらに言うならば。追い詰められたのはその白い着物の人物などではなく、それを言った本人である周蔵の方であった――。

 

「!……ここは……?」

 

そこで周蔵はようやく気づく。今し方飛び込んだこの部屋は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()だという事に――。

 

――ピシャリ……!

 

唐突に今し方、周蔵が入ってきた部屋の戸が()()()()()()()()()

 

「!?……な、何だァ!??」

 

戸が閉まった音に一瞬ビクリとした周蔵だが直ぐに戸に駆け寄って開けようとする。

しかし、どうしたわけか戸はビクとも動かない。

(かんぬき)や押さえ棒で固定されているのではなく、まるで『何かの強い力』ようなモノで押さえつけられているかのように一ミリたりとも動く様子が無かった。

 

「ぐっ!く、そぉがぁ!何なんだよコレ!?」

 

全力で戸をこじ開けようとしているのにも拘らず、全く開く様子が無い事に周蔵は苛立ちと()()が混ざったかのような声を上げる。

すると唐突に、周蔵のその背中に声がかかった。

 

「……もう、出られませんよ」

 

静かだがどこか底冷えするようなその()()()に、周蔵の肩はビクリと震え、そして直ぐに振り向く。

見ると先程まで背中を向けていた白い着物の人物が、いつの間にかこちらに向き直り、顔が見えないほどに(こうべ)を深く下げながら静かに立ち尽くしているのが見えた。

「何を言っているんだ?」そう言いたいのに、周蔵の口はそれを紡ぐ事ができなかった。

明らかに普通じゃない雰囲気を纏うその人物――声からして恐らく女だろう――から発せられる迫力に気圧されてしまっていたのだ。

中々口が思うように動かせない周蔵を前に、その白装束の女は静かに、それでいてはっきりとした声で言葉を続けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          『……さァ、語ってあげましょう。あなたのための、怪談を……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!?」

 

薄暗い廊下の上で一人酒盛りをしながら番をしていた霊夢は、突然自分の中でざわついていた胸騒ぎが急激に跳ね上がったのを感じ取った。

酒の入ったお猪口を放り出し、すぐさま立ち上がって眼前にあった四ツ谷を監禁している部屋へと飛び込んだ。

バンッ!という戸が吹っ飛ぶのではないかという音を立てて霊夢が部屋を覗き込むと、そこには敷いた布団の上に座っている四ツ谷の姿があった。

四ツ谷は突然、戸を乱暴に開けて入ってきた霊夢に眼を白黒させる。

 

「な、何だぁ……!?」

「アンタ、一体何やってんの!?」

「え?いや何って寝るために布団敷いたんだが……?」

 

自分の尻の下に敷いてある布団を指差しながら四ツ谷はやや動揺しながらそう言った。

そんな四ツ谷を尻目に、霊夢は部屋の中を見渡す。

布団が敷かれた事意外、別段変化の無い部屋の状況に霊夢は大きく首をかしげた。

おかしい。確かに自分の中の胸騒ぎが一際大きく跳ね上がったというのに、異常が見当たらないというのは一体どう言う事なのだろうか……?

不可解に思いながら霊夢は部屋の中心に鎮座する四ツ谷を睨みつける。

 

「……何だよ怖い顔して。楽園の素敵な(笑)巫女が大の男の寝床に乱入とは、鴉天狗が食いつきそうなネタだな」

「なっ!?馬鹿にしないで!私は『雑食』じゃないのよ!誰がアンタとなんか、清純な巫女である私のイメージが崩れちゃうじゃない!」

「清純~?昼間っから酒喰らって昼寝しての怠惰な生活をしているゴミ箱巫女の間違いじゃねぇのか?」

「ほほぅ?どうやら本気で口に陰陽玉詰め込まれたいらしいわね?なんなら鼻と耳とケツの穴にも一緒にねじ込んでやりましょうか?」

「死ぬわ!窒息死するわッ!!」

 

ったく、と悪態をつきながら四ツ谷は霊夢を背にして布団の上に寝転がる。

 

「用が無いならさっさと出て行ってくれ。俺は眠いんだよ」

「……本当にアンタ、何もやってないでしょうね?」

「この部屋になんら異常は無く、俺もここにいる。なら、何もしてないって事だろ……?」

 

どうでも良さそうに四ツ谷がそう呟くも、霊夢はまだ納得が出来ないとでもいうように顔をしかめ、もう一度部屋の中を見渡した。

しかし、何度見てもやはり異常は見られず、霊夢はやむなく部屋を後にする。

渋々と言った体で霊夢が戸を閉めたと同時に、寝ている四ツ谷の顔が小さく歪んだ。

 

「ま、()()だが、な……」

 

彼の口から囁くようにそう響かれた声は、ついに霊夢の耳に届く事は無かった――。




最新話投稿できました。

前回の感想欄にて、「『最恐の怪談』の前にもう一話分はさむ」という事を書いていましたので、なんとか一話分で纏めようと奮闘した結果、一万字を軽く超える事態とあいなりましたw
ですがそれも遂行できましたので、次はいよいよ『最恐の怪談』を始めていこうと思います。


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其ノ十五

前回のあらすじ。

寺子屋から柚葉は逃げ出し、周蔵は正体不明の白装束の女と対峙する。


深夜の寺子屋の中――。

そこにある物置として使われていた空き部屋にて、今一人の男と一人の白い女が対峙していた。

一人は柚葉を探してこの部屋までやって来た男――周蔵。

もう一人は今だ名前すら分からぬ正体不明の女、その女が静かに周蔵にむけて()()()()()――。

 

    タッ……

           タッ……

                  タッ……

                         タッ……

                                タッ……

                                       タッ……

 

 

 

 

    ……暗闇に沈んだ部屋の中から足音が響く……。

 

                ……壁を伝って隅から隅へ、歩き回るは異形の死者……。

 

 

 

    ……人に混じりて戯れに、人をからかう無邪気な怪奇……。

 

 

 

 

 

                ……されどその()を止めては成らず、(さまた)げず……。

 

 

 

 

 

                 ……断てばその者禁忌に留まり――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             ……永劫終わらぬ歩みを送る(呪いを貰う)――

 

                                           」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで感情の篭っていない声色で白い女はそう響く。

しかし、周蔵はそんな事意に返さずといった風にフンと鼻を鳴らすとつかつかと白い女に近づいていく。

 

「ハンッ!何わけ分かんねぇ事グダグダ言ってやがる!さてはてめぇだなぁあの妙な呪いだのなんだのといった噂流したのは!?一体何のつもりだよてめぇッ!!」

 

そう叫んで周蔵は女の胸倉を掴むと大きく右拳を振り上げ――。

 

 

 

 

 

 

                   ――そして静止した。

 

 

 

 

 

「……は?」

 

2、3度体を大きく揺さぶる仕草をした後、周蔵は信じられないものを見るかのように、今し方振り上げて()()()()()()()()()()()()()()自身の拳を見上げる。

それもそのはず、すぐさま女に振り下ろそうとしていたその拳――正確には右手から肘にかけての部位がまるで見えない誰かに掴まれたかのように空中で固定され、自身の意志では動かなくなっていたのである。

 

「な、何だよコレ!?」

 

とっさに周蔵は女を掴んでいた左手を離し、空中にピタリと止まった自身の右手を掴む。

その間に女は周蔵から数歩距離を取り、ジッと周蔵を見つめていた――。

それに気づく事無く、周蔵は必死に動かなくなった右手を動かそうとがむしゃらに体全体を揺らす。

 

「クソがッ!どうなってんだよコレ!?何なんだよ一体!!?」

 

どんなに暴れてもビクともしない自分の右腕に、周蔵の顔から段々と焦りが浮かび始める。

 

「てめぇ、俺に何かしや――っ!!?」

 

もしや目の前の女が自分に何かしたのかと考えた周蔵は、再び女の方へ顔を向け怒鳴ろうとし……その顔を見て絶句した。

――白い女はいつの間にか俯かせていた顔を上げており、傍に立っている蝋燭の仄かな明かりにその顔を照らしだしていた。

その顔はまるで死人を思わせるかのような真っ白い肌をしており、周蔵を見つめるその双眸は人の持つ眼とは思えない生気の全く無い不気味な()()()()を宿していたのだ。

そうしてその顔は表情が抜け落ちてしまったかのように真顔で周蔵を見つめ続けていたのである。

その薄気味の悪い面相に周蔵の顔から血の気が引き、自然と生唾をゴクリと飲み込んでいた。

と、同時に周蔵の脳裏に「もしやこの女は、この世の者ではないのでは?」という疑念がふつふつと湧き出してきてくる。

――しかし、それとは別の面では()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という思いも薄っすらと浮かんできていた。

何故かは分からない。しかし、この女の顔は以前どこかで見た事がある。そう、声もだ。抑揚の無い声だが、やはりどこかで聞いた事がある。と、この時周蔵はそう感じていた――。

だがそれを深く考えるよりも先に、この状況から生まれた周蔵の『恐怖心』が、真綿で首をじわじわと締め付けるが如く、周蔵の全身へと侵食を開始していた。

そして、それに拍車がかかる――。

 

 

 

 

……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……!

 

 

 

 

 

「……っ!?」

 

今自分たちがいるこの部屋の中から、自分やこの女のモノではない、()()()()()()が静かに響きだしたのだ――。

しかも最初は一つだったその足音が、やがて二つ……そうして三つと段々と増えてきたのである。

 

 

 

 

   ……タっ……タッ……    タタッ……   タッ……       タッ……タッ……

 

          タッ、タッ……タ……           タタタッ……

 

 タッ……タッ……タッ……             タッタ……        タッ……

 

……タッ……タッ……タッ、タッ……………タッタッタッ……タタッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッタッ……タッ……タ……タッ……タタタッ……タッ……タッ、タタッ…………タッ……タッ……タッ……タッ、タッ……タッタッ……タッ……タッ……タッ……タッタッ、タタッ……タッ……タッ……タッ……タッ、タッタッタッ……タッ、タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッタタタタタタタタタタタッッタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッ、タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ…………ッッ!!

 

 

 

 

 

 

「……な、なん、だ……?オイ、何なんだよオイこりゃあっ!?」

 

部屋じゅうに響き渡る無数の足音に、周蔵は今この場でただならぬ事が起こっている事をようやく認識する。

されど、それを理解した今となってはもはや後の祭りであった――。

 

「ヒタヒタと……、壁伝いに歩みを続け……隅に佇む同胞(はらから)の……肩を叩きて送り出す……」

 

再び目の前の白い女が抑揚の無い声で響いた。

女は不気味に光る金色の瞳で周蔵を射抜きながら言葉を紡ぎ続ける。

 

「……次の隅も、その次も……そこに佇む同胞の、肩を叩いて繰り返す……。進み止まりを繰り返し、果て無き輪廻を歩み行く――」

 

感情の篭らない女の声が呪詛のように部屋全体へ響き渡る。

その薄気味の悪さに周蔵は喉の奥を震わせるも、それでも強気な態度を崩さず女に向けて声を絞り出す。

 

「……ふ、ふざけんじゃねぇぞ陰湿女ァ!一体誰なんだよてめぇはよォ!?」

 

周蔵のその問いに、女は黙ったままゆっくりと右手の人差し指で周蔵を刺し、静かに響く。

 

「……私は……()()()()()()()()()……。私が()()()()()()()()()を、お前に妨げられた者……」

「は……?」

 

女の言っている事が理解できず、呆けた声を漏らす周蔵。

すると――。

 

 

 

 

 

 

――……『パサリ』……。

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が部屋に小さく響き渡った。

何だ?と思い、部屋を見渡した瞬間――。

 

「……ッ!!?」

 

周蔵は心臓が止まるかと思えるほどの衝撃を受ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――一体いつからいたのか、部屋の四隅――そのうちの三隅に目の前の女と同じく白い着物と頭巾を纏った人影がそれぞれ佇んでいたのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全員が体格からして恐らく女であろうその者たちは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その薄暗い闇の中で一際妖しく白くぼんやりとその姿を現している。

俯き沈黙を守ったまま不気味に立ちすくむその容姿はまるで自分たちがこの世の者ではないという事を強調するかのようであった。

先程まで自分と目の前の白い女だけしかこの部屋にいなかったはずなのに、まるで闇そのものの中から降って湧いて現れたかのようなその三人の白い女たちに周蔵は戦々恐々となる。

そんな周蔵を他所に、目の前にいる白い女は隅にいるうちの一人の女を指差す。

すると、指差された女は俯いたまま壁伝いにゆっくりと歩みを始めた――。

 

 

 

タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ……

 

 

 

歩みだした女の足音が部屋の中で小さく響く――。

そうしてその先の隅に立つ別の女のもとまで歩み寄ると、その肩にゆっくりと手を置いた。

すると、肩をふれられた女は先程まで歩いていた女と入れ替わるようにして、同じく俯いたまま壁伝いに歩き始めた――。

 

 

 

                                         タ

                                         ッ

                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                          、

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                                          、

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                                         タ

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                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                          、

                                         タ

                                         ッ

                                         ・

                                         ・

                                         ・

                                         ・

                                         ・

                                         ・

 

 

 

 

 

壁伝いに女が歩いている間に、周蔵はふと人里で流れている『四隅の怪』の噂について思い出していた――。

 

『……何でも、そいつは『五人目』にあの世へと連れ去られ、そこで他の『死者たち』と共に終わらない『四隅の怪』をさせられるらしい』

 

人里の人間が話していた言葉が、周蔵の脳裏に大きく木霊する。

そして、次に思い出したのは先程白い女が言っていた言葉――。

 

『私が混ざるはずだった儀を、お前に妨げられた者……』

(ま、まさか……!)

 

周蔵はこの瞬間、目の前の白い女が言っていた言葉の意味を理解する。

混ざるはずだった儀とは、おそらくついこの間、今いるこの部屋で行われ、それを意図的にではないにせよ自身が妨害してしまった『四隅の怪』の事だと――。

なら、まさか。目の前にいる女たちは本当に人ではないというのか――?

だとしたら、噂に聞いた()()()()は――!?

生唾を再びゴクリと飲みながらそんな事を周蔵が考えている間に、いつの間にか目の前に立っていた白い女も空いていた四番目の隅へと移動しており、そこからジッと周蔵に上目遣いに静かに睨みつけていた。

やがて二人目の白い女が三番目の隅に立つ白い女の肩を叩き、入れ替わりにその女が俯きながら歩き出す。

 

 

 

 

       ……ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ,ッタ

 

 

 

 

三番目の女がさっきまで目の前に立っていた白い女――もとい、四番目の隅に立つ女に近づくにつれ、周蔵の心臓の動悸が少しずつ激しくなり、全身から嫌な汗がブワリと吹き出てくる。

そうして三番目の女がついに四番目の隅に立つ女の方に手を置くと、その女はゆっくりと壁伝いに次の隅へと歩みだした――。

 

 

 

 

 

,

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,

 

 

 

 

 

光源は中央に立つ蝋燭一本という薄暗い部屋に静かに女の足音が鳴り響く――。

彼女たちが動いている間、周蔵は右腕だけでなく身体全体がまるで金縛りにあったかのように動けなかった。

まるでギュッと冷たい手で心臓を鷲掴みにされたかのように身が硬直し、動きが取れない。

そして得体の知れない不気味な『ナニカ』が体の芯の奥からジワジワとせり上がって来る感覚に周蔵は囚われていた。

いつの間にか口の中もカラカラに乾き、息遣いも激しさを増してくる――。

そうやって内心、不安と恐怖に駆られている周蔵の目の前で、四番目の隅にいた女は最初の女が歩みだした一番目の隅へと到達する。

しかし、そこにいた女はすでに二番目の隅へと移動しており、そこには誰もいない。

四番目の女は一番目の隅のすぐ手前で立ち止まると、ジッとその隅を見つめたまま立ち尽くしていた。

数秒、あるいは数分にもなるかとも思える長く短い沈黙が部屋を支配する――。

だが、やがて四番目の白い女が静かに口を開いた。

 

「……この儀は、四人では行えない……続ける事ができない……」

 

そう言いながら、白い女はゆっくりと周蔵へと向き直る――。

感情の抜け落ちたかのような真っ白い顔を周蔵へと見せながら、白い女は静かに右手を上げて周蔵を指差した――。

 

 

 

 

 

 

「……()()()()、必要だ――」

 

 

 

 

 

 

「――ッ!」

 

白い女からその言葉を聞いた時、周蔵はまるで死刑宣告を聞いた死刑囚のように顔面を蒼白とさせる。

嫌な汗が顔からダラダラと溢れ、口の中だけでなく喉の奥もカラカラとなる。

それを合図にしてか、他の三人の女も一斉に周蔵へ指を刺しながら口々に響き始める――。

 

 

 

 

     「おまえだ」

 

                                  「そうだ、おまえだ」

 

 

 

          「おまえが必要だ」

 

                      「おまえ」

 

                                「おまえだ」

 

 

               「オマエ」

 

 

 

 

 

 

 

                  「五人目(おまえ)が、必要だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!!」

 

指を刺しながら一斉に自分を呼んでくる女たちに、周蔵は冷や汗を流しながら歯をガチガチと鳴らす。

もうこの時点で周蔵の精神は弱い方へと流れて行っていた。

されど、それでも周蔵は最後の気力を踏ん張って女たちを弱弱しいながらも睨みつける。

そうでもしなければ周蔵の精神――心がへし折れて屈してしまいそうだったからだ。

そしてそれは、今まで自身の腕っ節だけで様々な境遇を切り抜けてきた周蔵のプライドが許さない事でもあったのだ。

しかし、その最後の悪あがきとも呼べる行動も、直後に水泡に帰す事となる――。

 

「……ふ、ふざけんなよクソ(アマ)ども!こんな事してタダで済むと思ってんのかよッ!!タダで済むと――」

 

大声でわめきながら、周蔵は動かない右腕以外の手足で滅茶苦茶に暴れ始め――。

 

 

 

――直ぐに体と声が止まった。

 

 

 

「がっ……!ご、がぁ……ぁ……!!」

 

顎が右腕同様、見えない力によって固定され、声が途中で止まる。

同時に暴れ始めた身体もまるで金縛りにあったように硬直し、指先一つ動かせなくなってしまった。

自身にとっては理不尽かつ、不愉快極まりない状況に周蔵の顔は怒りで真っ赤になりどうにか声を出そうと必死にお腹に力を入れた。

 

「――ッ!――――ッ!!」

 

されど、もはや声は少しも発することもできず、やがて喉が痛み出し次第に叫ぶ気力が薄れていく。

それと同時に体力の方も尽きていき、周蔵の怒りの感情も彼の中で一回りして沈静化してしまった。

それを待っていたかのように、四隅に立っていた女たちが一斉に動き出す――。

 

「さァ……一緒に行きましょう。……私たちと共に……」

 

 

 

 

 

     「行こう」

                                 「行きましょう」

 

 

 

 

 

 

            「こっちへ……」      「来て」

 

 

                                     「来てくれ」

 

 

 

 

   「来て欲しい」

 

 

                                 「来るんだ」

 

 

       「来なさい」

 

 

                      「来い……」

 

 

                                        「来い」

 

          「こい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   「来い……!

 

 

 

 

 

ゆっくりとした足取りで四人の女が一斉に動けなくなった周蔵へにじり寄る。

 

(や、やめろ……く、来るなぁ!)

 

叫べなくなった周蔵は心の中で必死に声を上げる。

四人の女が動き出した瞬間、もはや彼の中の怒りが完全に消え失せ、代わりに得体の知れない存在に襲われるという恐怖心が彼の中を一色に染め上げていた――。

もはや恥も外部もなく双眸から涙をボロボロと流しながら周蔵は誰にともなく全力で懇願し続ける。

 

(た、頼む!誰でも良いから助けてくれッ!頼む!何でもするから……っ!!)

 

やがて四人の女が周蔵の目と鼻の先まで近づき、四方から八本の青白い手が周蔵の視界を覆い隠そうとする――。

 

(く、来るな……来るな来るな来るなくるなくるなくるなくるなやめろやめろやめろやめろやめろやめろォあア゛ァぁぁぁぁあ゛ぁぁァァァァヤ゛メ”ロ゛ぉぉぉぉォォォォッッッ!!!!)

 

赤く腫れ上がった両眼をカッと見開き、最後の力を振り絞って心の中で慟哭する周蔵。

何の根拠も無いというのにこの叫びが今の状況を全て消し去ってくれると信じて叫び続ける――。

だがその願いが天に通じる事は全く無く。周蔵の視界はあっさりと複数の手によって一筋の光も見えないほどに塞がれ、同時に周蔵の意識も闇の中へと落ちていった――。

 

 

 

 

                         ・

                         ・

                         ・

                         ・

                         ・

                         ・

 

 

 

 

 

 

 

 

――どのくらい立っただろうか……。

 

ふと、周蔵の意識が覚醒し、辺りを見渡した――。

 

――ど、何処だよ、ここ……?――。

 

そこは部屋の中だった。しかし、さっきまでいた部屋とは違う事を周蔵は直ぐに理解できた。

蝋燭の明かりが一切無い、一面に墨を垂らしたかのようなどす黒い底無しの闇の空間。されど自分や部屋の輪郭がはっきり見えるという不可思議な部屋の隅に周蔵は()()()()()()()――。

見ると他の三隅に先程の白い四人の女たちが立っており、そのうちの一人は壁伝いに歩いていた。

ゆっくりとした足取りで女が歩き、先に立つ女の肩を叩いて入れ替わりにその女が歩き出す――。

暗闇の中でもぼんやりとその姿を白く浮かび上がらせるその女たちはそうやって繰り返し、一つ前の隅に立っていた女が周蔵の元へやって来る。

周蔵は逃げ出そうとするも、身体がまるで自分の物じゃないかのようにビクリとも動かず言う事が聞かない。

やがて女が周蔵の目の前にやって来ると、その青白い手を周蔵の肩に置いた。

 

――ヒッ……!?――。

 

着物越しでも伝わってくる氷の様にひんやりとした手の感触に、反射的に周蔵の身体はビクリと跳ねる。

しかし、本当の恐怖はここからであった――。

 

――な、何だぁ!?――。

 

女の手が肩に触れた瞬間、周蔵の体は持ち主の意思とは関係なく動き出したのだ。

慌てて周蔵は止めようとするも、周蔵の体はまるで別の何かが憑依したかのように一向に本人の言う事を効かない。

そのまま壁伝いに歩くと、その先の隅にいた女の肩を周蔵は自分の意思とは関係なく叩いていた。

そして、その女が動き出すと周蔵の体はまるで地面に縫い付けられたかの様にその場に固定される。

 

――ど、どうなってんだよ、コレ……!??――。

 

激しく動揺する周蔵を他所に、女たちは壁伝いに歩いてそれぞれの肩を叩き、進み止まりを繰り返す。

そして再び、周蔵の肩に手が置かれ、周蔵の体は()()と歩み出す。

 

――や、やめろ!止まれ!止まれっつってんだろォ!?――。

 

懇願するかのように周蔵は叫ぶも、身体は全く言う事を効かない。

 

 

 

……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……。

 

 

 

角にいる女の肩を叩いて止まり、一周して再び肩を叩かれ歩みだす――。

 

 

 

……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……!

 

 

 

休む様子も、終わる様子も全く無く女たちは動き続ける。それは一緒に同じ事をしている周蔵の目には常軌を逸しているとしか思えなかった。

延々と繰り返される行動。それは果ての無い行き着く先も全く無いとてつもない無限回廊が周蔵の目の前に広がっていた。

それを気づき、理解した時、途端に周蔵の恐怖が頂点(ピーク)に達する。

 

――ひ、ヒィィィ……!?い、嫌だ!こんなのは嫌だッ!!助けてくれ!誰か……!!――。

 

壁伝いに歩きながら、周蔵は泣き喚く。

されどその願いは、周りの四人の女にもそれ以外の者にも誰にも届くことは無かった。

それ所か部屋を歩き回る足取りが回を追う(ごと)に少しずつ早くなって来た。

 

 

……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……タッ……!

 

 

まるでビデオの早送りの様に、女たちの動きが少しずつ速くなっていく。それは周蔵も同じであった。

 

 

……タッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッ……!

 

 

 

――い、嫌だ!もう嫌だ!!止めろ!今すぐ止めろォォォーーー!!!――。

 

 

 

……タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ……!!

 

 

 

漆黒の闇の中、その奥底へと渦を巻いて深く沈み込むように、足音が周る、回る、廻る――。

 

――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!――。

 

無限に繰り返される歩みに周蔵はついに発狂し、声にならない悲鳴を上げながら、白い女たちとそれを囲む漆黒の部屋と共に闇の果てへと消え去って行った――。




最新話投稿です。

すいません。少し遅くなりました。
今回、初めて特殊タグを使ってみました。

今後の予定ですが、この後2話ほどエピローグを挟みましたら次の章へと向かいます。


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其ノ十六

前回のあらすじ。

正体不明の白い女たちは周蔵を『終わりなき四隅の怪』へと誘う――。


「ふぅ……」

 

宵闇が深まった寺子屋の職員室にて、纏っていた頭巾を脱ぎ、今し方()()()()()()()()()()()を薊が用意した桶に張った水で洗い流した()()()()()が、手ぬぐいで顔を拭きながら一息ついた。

その傍には、同じく頭巾を脱いでおしろいを落とした白装束姿の薊と小傘の姿もあった――。

香霖堂から借りてきた()()()()()()()()()()()を外す梳に薊が声をかける。

 

「お疲れ様でした。梳さん」

「おつかれ、薊ちゃん。水桶と手ぬぐいありがとね」

「二人とも、お疲れ様。いや、ホントうまくいってよかったよぉ」

 

二人の会話に笑いながら小傘も混ざって来る、そして続けて口を開いた。

 

「いや~、わちき練習の時は何度も見てたけど、()()()()()()()』、結構迫真に迫ってたよ。初めてだったのにあそこまで師匠の『語り』を表現するなんてすごいよ、うん」

「あはは……、でも私のはやっぱり見た目(ガワ)だけの『語り』ですよ。四ツ谷さんみたいに人の心を掌握できるほどの力はありません。やはり『形』だけじゃあの人には百年かかっても届きそうにないですよ」

 

苦笑交じりに謙遜する梳。やや自虐的にとらえられる発言だが、梳の言い分にはどこか納得できる部分があったため、小傘も薊も何も反論する事はなかった。

事実、梳の『語り』は四ツ谷の『語り』を上手く表現はされてはいたものの、その『語り』には四ツ谷のような他者から恐怖心を引き出させ、操るような力はまるで無かった。よく真似られてはいるが、やはりただそれだけの代物なのである。

 

それ故、今回の『最恐の怪談』の成功は、『語り』の方ではなく『演出』の方が大きく貢献していた――。

 

白装束と頭巾を纏い、おしろいとカラーコンタクトを使ってまるでこの世の者とは思えない死者のいでたちをし、三人の白い女の出現からその後の行動までの『演出』が梳の『語り』の補助を得て周蔵を恐怖に駆り立たせ、追い詰めたといっても言い。

 

そして、その『演出』の方で『語り』の役目を担っていた梳とはまた別の大役を担っていた者がいた――。

 

突然、職員室の戸が開き、そこから四人の白い女の最後の一人が入ってきた。

白装束は着ていたものの、その顔はすでに頭巾とおしろいは取り払われており、ややくせのある茶髪を露にし、眼鏡をかけている。

その女性に小傘が声をかける。

 

「あ、菫子ちゃん。どうだったあの男の様子は?」

「あー、うん、命に別状は無いと思うけど、はっきり言って『気持ち悪い』という一言に尽きたわね。部屋の真ん中で大の字になって、股間を濡らして、白目むいて、打ち上げられた魚みたいにピクピクしてたわ……」

 

げんなりとした雰囲気で肩を落としてそう呟く女性――菫子に対し、「それ、大丈夫って言えるの?」と小傘が小さくつっこむ。

そこへ今度は梳が菫子に声をかける。

 

「あの……、さっきはありがとうございました」

「さっき?……ああ、あの下衆に殴りかかられた時ね」

「はい。……正直あの時は内心肝を冷やしちゃいました」

「確かにアレは予想外だったけど、それを顔に出さなかっただけ上出来よ」

 

うんうんと何度も頷いて笑って答える菫子に、つられて梳も笑みを浮かべた。

怪談を始めて直ぐ、周蔵が梳の胸倉を掴んで拳を振り上げた時、それを止めたのが菫子であった。

菫子は突然のアクシデントにも直ぐに反応し、自身の持つ念動(サイコキネシス)の能力を使って空中に振り上げた右腕を固定したのだ。

ちなみに、その前に起こった戸が突然閉まった現象も、その後に起こった周蔵の全身と口が動かなくなった現象も、全て菫子の念動能力の力であった。

しかし、何も全ての『演出』が菫子の能力で行われたわけではなかった――。

 

「本当ならあの部屋の隅に私たち三人が同時に出現する『演出』……。あれも私の瞬間移動(テレポーテーション)で表現できればよかったんだけどねぇ~」

「仕方ありませんよ。菫子さん自分以外の人間を一緒に移動させた事なんて今までなかったんでしょ?できたとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()も出来なかったみたいですし……」

 

軽く肩を落としてそう呟く菫子に、梳は慰めるようにしてそう答えた。

そう、菫子の超能力は全てにおいて万能というわけではなかった――。

中には四ツ谷との会話に使っていたテレパシー同様、制約のかかっている能力もあったのである。

その一つがテレポーテーションであった。この能力は菫子自身や一対象を別の場所へと移動するにいたっては何も問題なく出来るのだが。複数を同時に別の場所、及びその場所の正確な位置へと移動させる事には問題があった。

複数の対象を同時に移動させようものなら、その対象の数によって使う集中力や体力が大きく消耗してしまうのだ。

その上で、対象をそれぞれ別の場所に正確に移動させようとすると、必ずブレが生じ、思った位置に中々移動させられなかったのである。

そして、そうなってしまう最大の原因が、今まで菫子自身が能力でそういった練習や機会が無く、してこなかった事による経験不足から来るものであったが、菫子自身、まさかこのような一件に立ち会う事になろうなど今まで思ってもいなかったため、そこを彼女に責めるのは野暮と言ってもいいだろう。

もちろん、そういった欠点は特訓などをして克服することも可能だが、生憎と今回はそれを完璧に成し遂げる時間も有余もなかった。

しかし、それを菫子自身から四ツ谷へと伝えられた時、四ツ谷はその『演出』に対して一計を案じた。

 

「……でもまさか、こんな簡単な仕掛けで解決しちゃうだなんてねぇ」

 

そう響く菫子の視線の先には、職員専用の机、その上に()()()()()()()()()と丁寧に折りたたまれた()()()()()があった――。

 

まずラジカセの方だが、これは出現の『演出』にではなくその直前に行われた()()()()()の『演出』に使用された。

そしてその方法は、以前命蓮寺で起こった『踊るしかばね事件』で光の三妖精たちが使ったやり方を模倣している。

足音が録音されたカセットテープを入れたラジカセを菫子、小傘、薊が紐でそれぞれ首から下げ、タイミングを見計らって音が重なり合わないようにずらしてそれを流せばいいだけだった。

それに首に下げられたラジカセは、着物と一緒に纏っている御高祖頭巾の余った長い裾を使えば簡単に覆い隠す事も出来た。

 

次に暗幕の方だが、これは人一人をすっぽりと覆えるサイズの長方形の形をしており、こちらが出現の『演出』に使用された。

順を追って説明すると、まず部屋の三隅に上から見てそれぞれ三角の空間(スペース)ができるように暗幕を縦に垂らす。

暗幕は上の角二ヶ所に軽く糊付けして壁に張った状態で止めておくだけで良い。ちょっと引っ張っただけで簡単に取れるようにしておく。

そうして出来た三角のスペース内に菫子たちがそれぞれ入って隠れれば準備完了である。

弱弱しい蝋燭の明かりだけの部屋の中、その四方の隅までは照らされず薄暗くなっているため、暗幕が張られていても見つけにくくなっていたのだ。

後はタイミングを見て暗幕を軽く引っ張れば、暗幕は簡単に落ちて蝋燭の明かりに彼女たちの姿をさらす事になるという寸法である。

彼女たちが纏う衣服も全身白づくめであったのも、漆黒の闇から突然現れるという『演出』でその姿を際立たせるためのモノであった――。

 

「ま、なんにせよ成功だね。後は今後どう事態が進展するかだけど……」

 

ポンと両手を叩いてそう言う小傘に薊が不安げに呟く。

 

「さすがに以前の人たちみたいに永遠亭送りにはならないかもしれませんね……。館長さんみたいな実力は持ってませんから、直ぐに立ち直っちゃうかもしれません……」

「あー、そうかもね……四人でにじり寄ったらあの男、直ぐに気絶しちゃって()()()()()()……」

 

梳も顔を少し曇らせながらそう答える。

実は梳たち四人で部屋を一周した後、周蔵ににじり寄って皆で周蔵の顔を手で覆った瞬間、まるでネジの切れたゼンマイ人形のように周蔵は白目を向いて気絶してしまったのだ。

菫子の念動で立ったまま固定されていた事もあって気づくのがやや遅れたが、そこは全く問題ではない。

だが、周蔵が気を失ったことでこれ以上の続行は不可能となってしまい、『四隅の怪』はそこで終了となってしまったのである。

これで上手くいったのか?と、内心不安を募らせる面々であったが、一人だけそんな不安をおくびにも出していない者がいた――。

 

(……ま、その点は心配する必要はないけどね。私がちゃーんと追撃を食らわせておいたから♪)

 

そう内心で響きながらほくそ笑むのは菫子であった――。

『四隅の怪』終了後、小傘たち三人を先に職員室へ向かわせた菫子は部屋に残り、念動を解除して床に倒れた周蔵に自身の能力の一つであるテレパシーを発動していたのである。

テレパシーは思念伝達の能力であるが、使い方によっては自身の頭の中に浮かべた想像を相手に送る事も出来る。

菫子はその特性を利用し、自身の頭の中に浮かべた『四隅の怪』の呪い――永遠に終わらない無限回廊を想像(イメージ)してそれを周蔵の脳内に転写させていたのだ。

 

(……今頃あの男はその悪夢にうなされてるはず。……ま、自業自得ね)

 

内心でそんな事を考えている菫子の前で小傘たちの会話は進んでいた。

 

「……でも正直な所、上手く行くどころか『最恐の怪談』ができるのかすら不安でした」

「そうだよね……。職員室であの男に柚葉さんが襲われた時、怪談とかもうかなぐり捨てて助けに行こうとしちゃってたもん」

 

薊と梳の会話を聞いて菫子も内心で頷いていた。

この職員室で周蔵と柚葉がいた時、彼女たちは廊下から中の様子を(うかが)っており、周蔵が柚葉に覆いかぶさって乱暴しようとした時も全員が怪談の事を忘れて助けに向かおうとしていたほどであった。

特に菫子は、周蔵の横暴振りがこの一件の参加のきっかけとなった霊夢の姿と重なり、他の三人よりもダントツで怒りに拍車がかかってしまっていたのだ。

そしてその事が、周蔵を菫子が追撃した主な要因にもなっていた。

だが、菫子たちが踏み込むよりも先に柚葉が自力で周蔵から逃げ出す事となり、それを見た彼女たちは安堵して梳を囮にして周蔵を空き部屋に誘い込み、結果的に多少のトラブルはあったものの彼女たちも『最恐の怪談』をやり遂げる事ができたのだった。

様々な感情を持って物思いにふける少女たち。

しかし、唐突に薊が眠たそうに小さくあくびをしたのを見ると、他の三人は自然と小さく破顔する。

そして先導するかのように菫子が皆に口を開いた。

 

「帰ろっか。もう日をまたいでいる時間帯だと思うし」

「そうですね。あの男はどうしますか?このまま寺子屋に放置ですか?」

「慧音先生に頼んでどっか手ごろな空き家にでも放り込んどいてもらおっか。朝になったら自然と眼を覚ますと思うし」

 

梳の問いに小傘が軽い調子でそう提案すると、他の三人もそれに賛成し、この一件はこれにてあっさり終了と相成ったのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お勤めご苦労様、怪談馬鹿」

「……俺を刑期を終えて出所する囚人みたいに言うな」

 

翌朝、博麗神社の境内に霊夢と四ツ谷の姿があった。

何か大きな風呂敷包みを片手に下げた四ツ谷はしかめっ面で霊夢を睨む。

朝一番にやって来た慧音の一報で人里で起こった『四隅の怪』の一件が解決した事を聞いた霊夢は、早々に四ツ谷を開放したのであった。

 

「……ったく。せめて朝飯を喰ってから開放すりゃいいのに」

「馬鹿言わないで。アンタにタダ飯食わせる義理なんて本来無いんだからね。私の予感が()()()()()()()()()、もうアンタに用は無いわよ。ほら、分かったらもうさっさと帰った帰った!」

 

文句を言う四ツ谷に、眼の下に薄っすらと(くま)を作った霊夢は、それでも弱さの見せないはっきりとした嫌味口調で四ツ谷をシッシと追い払う素振りを見せた。

霊夢のその態度に四ツ谷は口を尖らせるも、直ぐにやれやれと肩を落として、神社の出入り口である石段へと踵を返す。

 

「わかったよ。……世話になったな博麗の素敵な(笑)巫女。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

片手を振り石段を降りながら、最後に背中越しに霊夢に向かってそう吐き捨てた四ツ谷は彼女の視界からゆっくりと石段の向こうへと消えていった――。

 

 

 

 

 

 

そして、石段を降りきった四ツ谷の前に彼を待っていた者たちがいた。

 

「ありゃ、迎えに来てたのか」

 

少し意外そうな顔をする四ツ谷に四ツ谷会館の面々と慧音と妹紅、そして梳と菫子が駆け寄ってきた。

 

「師匠大丈夫でしたか?霊夢さんに酷い目にとか会わされていませんでしたか?」

「だーいじょうぶだよ、三食昼寝付きで結構悠々自適な生活をさせてもらったよ。シッシ♪」

 

そう言って少し心配げな顔をする小傘に、四ツ谷は問題ないと軽く答えた。

事実、()()()()を除けば、霊夢の四ツ谷に対する対応は悪いものではなかった。

まあ、三食を配給に来るだけで後はほとんど放置状態だったのだから、悪くは無いが同時に良いとも言えなかったのだが。

少し忌々しげな表情を一瞬作った四ツ谷は、次に小傘、薊、梳、菫子を順に一瞥すると、口を開いた。

 

「まあ、なんだ。……成功した事は宇佐見のテレパシーで既に知ってはいたが……一応、一応一言だけ、ひ・と・こ・と・だ・け、お前ら全員に言っておこっか……」

『?』

 

首をかしげる四人の少女を前に、四ツ谷はいつもの不気味な、それでいていたずらっ子が浮かべるような笑みを顔に貼り付けると、

 

「おつかれさん♪」

 

そう一言だけ、四ツ谷には珍しい労いの言葉をかけたのだった――。

 

 

 

 

 

 

「所で館長さん。その風呂敷包みは何ですか?」

「……できれば触れてほしくなかった……」

 

薊の問いかけに半ば諦めたような口調で四ツ谷は、これまた半ば自棄になって風呂敷の中身を答えると、それを聞いた全員が四ツ谷から数歩距離を離したのは言うまでもない。まあ、菫子だけは最初から風呂敷の中身に気づいていたので始めから皆よりも四ツ谷から距離を置いてはいたという事実だけはここに付け加えておく。

 

「……ッ!くそっ!さっさと帰って農家のおっさん辺りに肥料として売っぱらってやる!!」

 

そして、全員のその態度を見た四ツ谷は額に青筋をたてて感情のままに最後にそう叫んでいた事も付け加えておく――。

 

 

 

 

 

 

 

――せいぜい良い夢でも見てるこったな――。

「……?」

 

同じ頃、博麗神社の境内に残った霊夢は、去り際に四ツ谷が吐き捨てた最後の言葉に首をかしげていた。

 

(せいぜい良い夢でも……?徹夜した私に対してゆっくり寝て休めっていう労いの言葉かしら……?いや、それにしては……)

 

どうにも釈然としない四ツ谷のその言葉に霊夢は眉間にシワを寄せて首を捻るも、直ぐに諦めたように首を振った。

 

(まあ、もうどうでもいいわ。ようやくこの一件も解決したし細かい事なんて考えるだけ野暮ってモンよ)

 

そう考えた霊夢は踵を返し、今から寝ようと布団を敷いた寝床へと向かう。

そこへ向かう途中、霊夢は硬くなった身体をほぐすかのように大きく背伸びをする。

 

「う~んっ!『最恐の怪談』も防げたし、人里の一件も解決。もう言う事無しね♪」

「……やられたわね」

 

気の抜けた声で独り言を呟く霊夢。それに水を刺すかのように別の声が彼女の直ぐ真横からかかった。

寝不足で反応が一瞬遅れるも、霊夢は直ぐに()()()から距離を置いて声の主を睨む。

 

「……なんだ、紫じゃない。いきなり驚かさないでくれる?」

 

そこにいた自身のスキマの上に座って、何故か呆れた顔で頬杖をつく妖怪賢者に霊夢は警戒を解いてそう文句を垂れる。

その言葉に賢者――紫は何も反応も返さなかったが、それに構わず霊夢は続けて問いかけた。

 

「……いつ冬眠から目覚めたの?」

「つい数日前よ。ホントは直ぐに顔を見せようかなって思ってたけど、どうにも人里で面白い事が起こってるって知って気になって静観してたのよ」

 

幻想郷を覆う博麗大結界の維持には莫大な妖力が必要となる。そしてその妖力を送っているのは主に紫本人なため、彼女は冬に定期的に長期睡眠をとってそれを回復していた。

そして今年、回復を終えて目覚めたばかりの紫の耳に、藍から届けられた第一報が人里の『四隅の怪』の一件だったのである。

 

「あら、そうなの?なら、アンタも手伝ってくれりゃあよかったのに。……ま、全部終わった今となっちゃ、もうどうでもいいんだけどね」

 

頭をガシガシとかきながら眠そうな口調で適当な言葉を投げかける霊夢。

対して紫は眼を細めて静かに声を上げた。

 

「へぇ、そう。……『最恐の怪談』を()()()()()()からふて腐れてるのかしら?」

「そうよ。だからもう眠いからさっさと帰ってく――」

 

欠伸をかみ殺しながらそう紫に返答する霊夢であったが、それが唐突に止まる。

そして、数秒間その場に棒立ちになった後、バッと勢いよく紫に向き直った。

 

「……今、何て言ったの……?」

 

慎重な口調でそう問いかける霊夢に紫はあっけらかんとした口調で答えた。

 

「昨晩、『最恐の怪談』が人里で行われた。って言ってるんだけど?」

「……嘘でしょ?何かの間違いよ。……だって、あいつは……!」

 

驚愕して詰め寄る霊夢に紫は手で制して落ち着いた口調で言う。

 

「ええ、そうね。昨晩貴女はずっと寝ずの番で四ツ谷さんを監視してた。そして、()()()()『最恐の怪談』を行ってはいない……」

「あいつ自身は……?」

「順を追って説明するわね」

 

そうして、昨晩人里で何があったのか、その一部始終を紫は知ってること全部を霊夢に丁寧に語って聞かせた。

話が進むにつれて、霊夢の目が驚きに大きく見開かれていった。

そして、紫から全ての全容を聞かされるとその場に呆然となる。

 

「嘘でしょ……?語ったのはあの梳って外来人?しかも、菫子もあいつとグルだったなんて……」

「四ツ谷さんばかりに目がいって彼の周囲の者たちに目がいかなかったあなたの失敗ね、それは。その上、宇佐見菫子、彼女を敵に回す要因を作ったのも失態の一つね」

 

愕然と顔を変化させる霊夢に、紫は容赦なく指摘してゆく。

しかし、唐突に一息つくと先ほどとは違い、棘のない口調で霊夢に続けて口を開いた。

 

「でも、まあ。それでも四ツ谷さんを拘束した事は評価するわ。そのおかげで彼の能力は発動せず新しい怪異も生まれなかったわけだし」

「ぐっ、くぅぅぅ……!な、なんて事なの!アンタもアンタよ、何でそれを知っていて止めるなり私に伝えるなりしなかったのよ!?」

 

ようやく四ツ谷に言いようにあしらわれ、手玉に取られた事に気づいた霊夢は、顔を赤くして紫にそう詰め寄る。

しかし紫はキョトンとした顔で答えた。

 

「え、なんで?語ったのは四ツ谷さんじゃないから怪異が生まれるわけじゃ無いし、()()()()()()止める必要なんてこれっぽっちも無いんだけど?」

「……っ!!」

 

正論とも言える言い分に霊夢は二の句が告げなくなる。

しかし数秒後、霊夢は怒りを押し殺したかのような声色で独り言のように呟きだした。

 

「……私、昨日あいつに言っちゃったのよ。『『最恐の怪談』が起きなければ私の勝ちだ』って」

「あー、確かにそんな事言っちゃってたみたいねぇ~」

「あいつは確かに今回何も()()()()()()……。でも、『最恐の怪談』は起きてしまった……。これって間接的にあいつが『最恐の怪談』を行ったってわけよねぇ……?」

「まぁ、そうなるわねぇ~」

 

ブルブルと両腕を震わせて俯きながら紫に確認するかのようにそう問いかけ続ける霊夢。

その言葉に肩をすくめて適当に返す紫。

そして最後に霊夢はやや強めの口調で紫に問いかける。

 

「……これって、私の負け……?」

「『最恐の怪談』が起こるか起こらないかで勝負が決まるはずだったのなら…………そういう事になっちゃうのでしょうね。ご愁傷様」

 

そう答えて静かに自分に向けて合掌する紫を目の前にして、霊夢は声を震わせる。

 

「ふ、ふふふ……ふふふふ……今ようやく分かったわ。さっきあいつが言い捨てて行った言葉の意味……」

 

――せいぜい良い夢でも見てるこったな――。

アレは事の真相を知らない自分に向けてのあいつなりの最大限の皮肉だったのだ――。

事実を知るまで道化として踊っていれば良いという――。

 

「ふふ……久しぶり……久しぶりだわここまで私がコケにされたのなんて……!」

 

そこまで呟いた霊夢は一度沈黙すると、直ぐにお腹に力を入れ、今ある怒りの感情全てを言葉に乗せて朝の空に向かって大きく解き放っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あンの、クソ怪談馬鹿ァァァ~~~ッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝の空に響き渡る霊夢の怒声、それは春の風に乗って家路へと向かう四ツ谷たちの耳にも届いていた――。

歩きながらそれを聞いた四ツ谷は満足げな笑みを浮かべる。

ふと横を見ると、同じく耳に届いたのか菫子も溜飲が下がったとでも言いたげな清々しい笑みを浮かべながら歩いていた。

それを見て、この一件全てに決着がついた事を理解した四ツ谷はいつもの不気味な笑みを顔に貼り付け、春の空に向けて締めの口上を唱え、幕を静かに下ろした――。

 

 

 

 

 

「『四隅の怪』……これにて、お(しま)い……」




最新話投稿です。

いやぁ、この章も後一話で完結です。
振り返ってみれば、もう一年以上かかってましたw
いや~、長かったw
後日談を少々書くつもりですが、それが終わり次第、次章へと向かいます。
今気づきましたが、また一万字近くまで書いてましたw

次の投稿も速めに上げられるようがんばります。ではw


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其ノ十七 (終)

前回のあらすじ。

『四隅の怪』が終息し、四ツ谷も霊夢から開放されこの一件は幕を閉じる――。


これは、『四隅の怪』の一件が解決した後の、とある二人の後日談である――。

 

慧音と妹紅に保護された柚葉は、二人に永遠亭へと送られ、そこで家族全員と再会する。

そこで柚葉は自身の身に起こった全ての事実を数年前の出来事を含めて家族全員に打ち明けた。

事実を知った柚葉の家族は、最初こそ周蔵や庄三に激しい憤りを見せたものの、すぐにその事に今まで気付けなかった自分たちの不甲斐なさを悔やみ、涙ながらに柚葉に謝罪をした。

それを見た柚葉も先程の寺子屋前での慧音のとき同様、二度目の号泣をする事となった。

翌日、薬師の手によって健二郎の怪我が完治し、翌日の朝に人里へと帰っていった。

周蔵の話を聞いていた柚葉の家族は、二度と柚葉に近づかないように周蔵の元へと押しかけようと考えていた。

さらには、今まで柚葉に与えた仕打ちの分、一家総出で彼を袋叩きにしてやろうとも――。

 

――しかし、不思議な事にあの晩以降、周蔵の姿が()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

いくら探しても人里の()()()()()何処にもおらず、まるで神隠しにあったかのようにいなくなってしまっていたのである。

柚葉の家族は、何か知っているであろう慧音の所にもやってきたが、慧音本人は「気にしなくて良い」と、首を横に振るばかりであった――。

どこか腑に落ちないながらも、柚葉とその一家はもとの平穏な生活に戻って行く事となった。

やがて数年が立ち、柚葉の心の傷もある程度()えた頃。

彼女が寺子屋に通っていた当時、同級生だったとある男性に交際をもちかけられ、それから長い時間をかける事無くその男性と祝言を挙げ夫婦(めおと)となる。

その男性は柚葉のおぞましいかった過去も全てを受け入れ、彼女を心から大事にして日々を過ごしたと言う――。

柚葉自身も全てを受け入れてくれた男性に心から尽くし、その後子宝にも恵まれる事となり、天寿を全うするその日まで、慎ましいながらも平穏穏やかな生涯を送ったのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、最後に周蔵の事について触れておこうと思う――。

『四隅の怪』の一件後、彼に一体何があったのか……。

菫子たちに頼まれ、寺子屋近くの空き家に慧音の手によって放り込まれた周蔵は朝まで()()にうなされながら夜を過ごした。

そして朝になり、四ツ谷会館の面々と柚葉たち一家が人里へと戻って来る少し前にそれは起こった――。

 

「--------------ッッッ!!!!」

 

見知らぬ空き家の一室にて眼を覚ました周蔵は部屋を見回した途端、まるでこの世のものではない『ナニカ』を見てしまったかのように声にならない絶叫を上げると、転げるようにしてその空き家から飛び出していた。

そして何かから逃げるように大通りに飛び出すと、その中央に立って周囲をキョロキョロと見渡し始めた。

その顔は血の気が失せたように蒼白で、冷や汗をかきながらガタガタと身体を震わせていた。

周囲を往来する人里の住人たちはそんな周蔵に奇妙な者を見る眼を向ける。

まるで何かに怯えるかのように周蔵は周りの人たちを――いや、正確には背後に立ち並ぶ()()()()()に眼を向けて恐怖の色を顔に浮かべていた。

 

「ひぃぃぃ……!!」

 

やがて正気を失ったかのような悲鳴を一つ上げると、周蔵は大通りと走りぬけそのまま人里を飛び出していったと言う――。

その後、何処を探しても見つからなかったため、人里の人間たちは周蔵は何かに気が触れておかしくなり、里を飛び出して妖怪に食われたのではないかという死亡説が一時、(まこと)しやかに囁かれた。

 

――しかし、それは周蔵失踪から僅か数日で霧散する事となる。

 

その日、人里の町を囲むようにして広がる田園地帯。その一角で農業を営んでいる男が、自身の田畑の近くにある小高い小さな丘の斜面で、一心不乱に横穴を掘る一人の男を発見したのだ。

 

――それが、周蔵であった。

 

頬が痩せこけ、全身が土や埃でボロボロになった周蔵は、打ち捨てられていた腕の太さぐらいの木の杭を使って少しずつ斜面を削るようにして穴を掘っていたのである。

何をしているんだ?と、首をひねっていると周蔵がこちらに気づき、歩み寄って来ると、数日の間だけ穴を掘るための農具を貸してくれないだろうかと頼んできたと言う――。

その姿は以前の乱暴な言動が目立っていたのが鳴りを潜め、まるで何かに怯えるかのように大人しかったと、後にその農夫が語っている。

農夫から農具を借りた周蔵は数日かけて一心不乱に斜面に横穴を掘った。

その間は布団も何も無い茂みで野宿をし、食事も近くの川から獲った小魚や雑草を食べて飢えを凌いでいた。

そうして()()()()()()()()()()熊の(ねぐら)くらいの大きさまで穴を掘り、近くに生えていた木を切ってそれを坑木(こうぼく)として穴の補強にすると、知り合いの伝を使って寺子屋の天井裏に置いたままとなっていた自分の生活道具一式をその穴に運び込み、そこを新しい住居としたのである――。

 

所謂(いわゆる)、横穴式住居と呼ぶものであった――。

 

そこで新しい生活を始めた周蔵は、誰かと接する事を極力拒んだ。

住居の傍に小さな畑を作って(たがや)したり、小川に行って魚釣りをするなどが主な一日の暮らしとなったのである。

他者と接するのは時々、農具を周蔵に貸した農夫だけが彼の様子を見に来き、いらなくなった古着や家で作りすぎた料理などをおすそ分けに来たりするだけであった。

その農夫から他の里人たちへと周蔵の生存が伝わるも、彼も半兵衛親子同様、悪評の耐えない人物だったため、誰もこれっぽっちも彼を気にかける事など無かった――。

四ツ谷や慧音たちでさえ、一時期、彼の動向に眼を光らせていたが、人が変わったかのように大人しく、誰にも知られずにひっそりと暮らしているのを知ると、次第に警戒心を解いて最後には気にも止めなくなった――。

 

その後、周蔵は還暦を迎える歳に病気で一人静かに息を引き取るまで、ずっとその住居で暮らし続けたという――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ある日、その住居に農夫がいつもの如く古着をあげに来た時、少しだけ周蔵と会話した一幕がある。

その時、前々から疑問だった事を農夫が彼に投げかけたのだ。

 

――何故、こんなほら穴の中で暮らす事にしたのか?と……。

 

その途端、周蔵の顔から血の気が引き、瞳孔を揺らしながら農夫の顔を見ずに独白するかのように虚空へと語りだした――。

 

――曰く、町にはたくさんの家がある。あんな()()()()()()()()、近づいただけで怖くて頭がおかしくなりそうだ。と――。

 

そして続けて響く――。

 

――何か騒動を起こせば、ふとした拍子にあの町に連れ戻されてしまうのではないか……。そうなってしまうと、もう怖くて怖くてたまらないのだ。と――。

 

農夫はこの時、ここで周蔵に農具を貸してくれと言われた時に、何故力づくで奪いに来なかったのか、その理由が今なんとなく分かった気がした。

あそこで暴力に訴えれば、その後自分の呼んだ里人たちに町へ連れて行かれる。そうなるのが怖かったのだと――。

だが、それでは自分の問いの答えにはなっていないし、何より、『無数の部屋の巣窟』とは一体どう言う意味なのだろうか……?

首をひねる農夫を前に、周蔵は最後にこう締めくくっている――。

 

 

 

 

 

――四角い部屋の中にいると、決まって部屋の隅という隅から……ヒタヒタと……小さな足音が響いてくるのだという――。

 

――そして、その足音を聞いていると――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――どこかこことは違う……別の世界へと、足音がフッと……自分の魂を連れて行ってしまう……。そんな気がしてならないのだと――。




これにて『四隅の怪』終了です。

後日談ですから短めです。

いや~長かった!
この章を書き始めたのが去年の五月頃、そして今は一年後の六月ですw
いやホント長かった!!(大事なことなので二回書きましたw)
でもこれで次の新しい噺を書くことができますw
次も速めに書けるよう頑張りますので、それではw


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第八幕 吸血鬼の花嫁
其ノ一


   ――ひらり


                         ひらり


          はらり



                              ひらり――



美しい銀月の下――。

真っ白に咲き誇る花々に一陣の風が吹き――。

白き花弁が空へと舞い踊る――。

その花々の中で、同じく白く、そして美しい女性が、憂いを帯びた瞳で月を見上げ、静かに佇んでいた――。

望まぬ夫との間に子供を成し、彼女自身の命ももはや風前の灯―。

悲劇にまみれたと白い女の人生。そんな彼女は死に際の間際――残し行く子供たちに――。





――一体、何を想うのでしょうか……?


――レミィ……や……くよ……――。

 

(誰……?)

 

――ふ…………こ、と……………………………ね……?――。

 

(この声……すごく、懐かしい……。でも、聞き取れない……)

 

――だ……て……あ…………は……………ちゃ、ん……もの……。

 

(そうだ……この声は……。待って……!)

 

――ふ……と……り、で………………あって……の、ぶ……で………………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――お母様……!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

天井や壁、果ては家具や装飾品に至るまで全てが紅く彩られた西洋風の大きな部屋、その部屋に置かれたソファーの上で今、小さな少女が跳ね起きた。

背中に大きな蝙蝠のような翼を生やし、青みかかった銀髪に深紅の瞳を持ち、ピンクのナイトキャップとドレスを纏ったこの館――紅魔館(こうまかん)の主であるその幼げな吸血鬼の少女――レミリア・スカーレットは、先程の夢に見た光景で激しくなった動悸と呼吸を沈めるために、右手をそっと胸元へそえる。

それと同時に部屋の出入り口であるドアからノックが鳴り、外から女性の声が響いた。

 

「お嬢様、お入りしてもよろしいでしょうか?」

「……いいわよ、咲夜(さくや)

 

気だるげに前髪をかきあげてそう響いたレミリアの了承の言葉に、咲夜と呼ばれた二十歳(はたち)前後の女性がその部屋へと入室する。

頭の左右に三つ編みを垂らした銀髪のボブカットに青い瞳を持ち、メイド服を纏うその女性――十六夜咲夜(いざよいさくや)は、ドアの前で一礼しレミリアの顔を見るなり途端に顔を曇らせた。

 

「お嬢様、いかがなさいましたか?お顔の色が優れないようですが……それに、そんなに汗も……」

 

主の様子がおかしいことに気づいた咲夜は、ソファーに座るレミリアに歩み寄るとその顔を覗きこんだ。

そんな咲夜にレミリアは片手で制する。

 

「心配ないわよ咲夜、ただちょっと……夢を見てただけだから……」

「何か悪い夢でも?」

「いいえ。むしろ懐かしい人の夢を見たわ……もうはるか昔にこの世を去ったというのに……なんで今頃――」

 

何かを懐かしむように眼を細めて天井を見上げて呟くレミリア。しかし次の瞬間――。

 

「――っ、な、何!?」

「お嬢様!」

 

突然、部屋全体が()れ、その反動で身体が倒れそうになるレミリアを咲夜が慌てて支える。

揺れは収まる所か断続的に部屋全体を揺らし、一向に止む気配が無かった。

 

「この揺れは……地下から?……!まさか、また()()()……!」

「お嬢様……」

「行くわよ、咲夜!」

 

震源が館の地下からだと察したレミリアは直ぐにこの揺れを起こしている者の正体に気づき、咲夜を連れて自室の部屋を飛び出した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅魔館の地下には巨大な図書館が広がっており、そこには古今東西、ありとあらゆる書物が所狭しと本棚に保管されていた――。

咲夜を引き連れそこにやって来たレミリアは、その大図書館を管理している魔女の名を呼んだ。

 

「パチェ!いるんでしょう?何処にいるの?」

「……ここよーレミィー……」

 

やけにくぐもった返事がレミリアの耳に届き、反射的にそちらを振り向くと、乱雑に積まれた書物の山があった。

そして次の瞬間にはその書物の山がもぞもぞとうごめき出し、中から紫の長髪にナイトドレスのような服を纏った少女が、書物をかき分けるようにして這い出してきた。

 

「あらパチェ。いつから本を布団代わりに寝るようになったの?」

「冗談にしては笑えないわよレミィ。()()()はあなたの担当でしょ?早く何とかしてよ」

 

この大図書館の主――パチュリー・ノーレッジは、服についた埃を払うとジトリとレミリアを見る。

ガラガラとした声でそう言われたレミリアはため息を一つこぼした。

 

「……やっぱり、また()()()()()()なのね」

「それしかないでしょうに。おかげで整理して柱状にいくつも積み重ねていた書物たちが一斉に私に襲い掛かってきたのよ?図書館の中で雪崩(なだれ)にあうなんて初めての経験よまったく……」

 

腰に手を当ててそう毒つくパチュリー。すると再び館が揺れる。

すると今度は大図書館の奥から、蝙蝠のような羽を生やした紅い長髪に瞳を持った少女が慌てた様子でやって来た。

 

「パチュリー様ぁぁぁっ!まずいです!もう大図書館の傍まで来ちゃってますよぉぉぉーーー!!」

 

涙声でそう叫ぶパチュリーの使い魔の少女――小悪魔(こあくま)のその声を聞きながら、パチュリーはもう一度レミリアを見た。

 

「私の可愛い本たちを傷物(きずもの)所か灰にまでさせられちゃったらたまらないわ。ここに来る前に何とかして」

「はいはい、分かったわよ。もう……」

 

疲れ切った様な声でレミリアはそう答え、咲夜を連れて大図書館の奥へと向かった――。

 

 

 

 

 

 

 

大図書館から一歩踏み出すと、一気に風景が一変する――。

多くの石が敷き詰められた床や天井は、所々大きくえぐれており、土がむき出しとなっている。

あちこちにそれで出来たであろう石の瓦礫が転がり、薄っすらとだが先ほどから続く揺れで大量の埃も舞っていた。

そんな風景が続く通路をレミリアと咲夜は進む。

やがで大きく開けた空間にレミリアたちが足を踏み込むと、それを待っていたかのように奥の暗闇から無数の赤い光弾が二人の頭上に降り注いだ。

しかし、二人は予想していたかのようにそれらを軽々とかわす。

そしてかわし切ったレミリアは闇の奥にいるであろう、()()()()()に向かって声を上げた。

 

「フラン、もういい加減にしなさい!あなたのせいで皆迷惑してるの!!」

 

その声に反応するかのように、闇の奥からその者が()()()()()歩み出てきた。

 

「アハハハハハハハァッ!!上手くよけたねぇお姉さま!もっと見せてよ!一緒に遊ぼ!!」

 

そう叫んでレミリアよりもさらに背の低い吸血鬼の幼女が、狂気に彩られた笑みを貼り付けて再びレミリアと咲夜に光弾を浴びせた。

 

レミリアの実妹――フランドール・スカーレット。

 

五百年近くもの長い間、紅魔館の地下深くに幽閉されていた幼き吸血鬼。

それ故に精神的に情緒不安定であり、時折発作的に見境無く暴れるがため、紅魔館の住人たちは毎度の如く手を焼いていた。

狂気に駆られ、手当たり次第に弾幕をばら撒き地下を破壊しつくすフランドール。

その弾幕の雨をかいくぐりながらレミリアはフランドールに叫ぶ。

 

「いい加減にしなさいと言うのが分からないの!?地下が崩れちゃったら紅魔館が埋没しちゃうじゃない!そうなったらもうここには住めなくなるのよ!!」

「アハハハハァッ!!いーじゃんいーじゃん!!全部壊して瓦礫(がれき)にしちゃえば、みーんな綺麗さっぱり消えて無くなるじゃん!!更地になって気分爽快、後腐れ無し!!」

「なに分け分かんない事言ってるのよ!?ついに言ってる事すら支離滅裂になってきてるわよ!?」

 

そう叫んだレミリアは一瞬の隙を突いてフランに光弾を放つ、同時に咲夜も能力を使ってフランドールの周りにナイフを展開する。

しかし、無数の光弾とナイフの雨にもまるで慌てず、フランドールは片手を掲げ――。

 

「きゅっ、としてドカーン☆」

 

まるで何かを握りつぶすかのような仕草をした直後、フランドールの周りに無数にあったレミリアの光弾や咲夜のナイフが、一瞬にして消し飛んだ。

 

「「……っ!!」」

 

煙と破壊の余波を浴び、距離をとるレミリアと咲夜。

そうして煙が晴れるとそこには傷一つ無い狂気の笑みを貼り付けたフランドールの姿。

その姿を見てレミリアは顔を歪め、無意識に唇をかんだ。

 

「本当に今すぐ止めなさいフラン!あなたがそんなんじゃお母様も安心して眠れないじゃない!!」

「……!」

 

レミリアから「お母様」と言う言葉を聞いた瞬間、まるで雷に打たれたかのようにフランドールは硬直する。

それに構わずレミリアはフランドールにまくし立てる。

 

「可愛がっていたあなたがそんな醜態をさらして、きっとお母様も草葉の陰でお嘆きなさっているはずよ!!これ以上、あの人を悲しませないで頂戴!!」

 

レミリアのその言葉を聞いてフランドールは俯き、静かに口を開く。

 

「……知らないわよ。私、お母様の顔なんて少しも覚えてないもん……。()()()を見た時だって、お母様だって実感持てなかったのに……」

「フラン……」

 

沈痛な面持ちで俯く妹に同じく沈痛な表情でレミリアは声をかけようとする。

しかし、それよりも先にフランが口を開いた。

怒りがこみ上げてきたかのように両腕をブルブルと震わせて――。

 

「なによ……自分にはお母様の記憶があるからって私を馬鹿にして……!そんなにお母様との思い出あるのが自慢できて嬉しいの!?」

「違うわフラン!そうじゃなくて――」

「うるさいうるさいうるさい!!あー久々にムカついた!!もう滅茶苦茶にしてやる!!お姉様なんて黒焦げになってボロ雑巾みたいに地面に転がってるのがお似合いよぉ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

――そこから先は文字通りの滅茶苦茶であった。

様々な弾幕が爆弾の雨や飛び交う銃弾のように手当たり次第に壁や地面が穿たれ、地下の原型を留めなくなるほどボロボロにしてゆく――。

そうして、ようやくその争いが終結した時、地下は今にも落盤するのではないかと思えるほど凄惨なものへと変わり果てていた。誰が見ても今すぐに崩れてもおかしくは無いと言えるほどに――。

 

 

 

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「……なによ、お姉様なんて……」

 

地下の奥深くにあるフランドールの自室。

廃墟の一室なのではないかと思えるほどにボロボロになったその部屋の天蓋つきのベッドに、ふて腐れて寝転がっているフランドールの姿があった。

レミリアと咲夜と一戦した後、咲夜によって当て身を喰らわされたフランドールは気絶し、そのままこの部屋へと運ばれたのであった。

ふと先の一戦でボロボロになったはずの自分の服や身体が、綺麗になっているのに彼女は気づく。

おそらく咲夜が綺麗にしてくれたのであろう。

ため息を一つこぼし、あちこちが破け、千切れたベッドの上でフランドールは仰向けになる。

そして(うれ)いを秘めた瞳で穴だらけの天蓋を見つめたまま一人呟く。

 

「……何であいつ……今頃お母様の事なんて……」

 

スカーレット姉妹の母親が亡くなったのは、フランドールが生まれてから物心がつくかつかないかの時期であった。

当時、自分は母親によく懐いていたと姉から聞かされてはいたが、もはや彼女自身はそんな事は全く覚えてはいなかった。亡くなってから数百年も経っているのだから当然なのかもしれない。

その上、その当時からこの地下に幽閉されていたため、自分の中で生まれた狂気が、その記憶を消し去ってしまったのかもしれない、とも彼女自身がそう思っていたりもした。

 

「……お母様、か……」

 

フランドールはゆっくりと瞳を閉じ、自分の中にある一番古い記憶を手繰り寄せる――。

 

――一面に咲き誇る白い花畑。その中で佇む女性の後姿が頭の中に浮かんだ――。

 

――ぼんやりとした白いシルエットのその女性は、ゆっくりとフランドールに向かって振り返り――。

 

――そして、何かを口にするもその途端にフランドールの記憶は途絶えた。

 

「……やっぱり、思い出せないや」

 

そう呟いてフランドールは寝返りを打つ。

記憶の中の女性――おそらくはお母様だろうその人が、その時言った言葉をフランドールは非常に気になった――。

何か大事な、とても大切な『何か』を忘れている。そんな気がしてならないのだ。

だけど、それを思い出そうとしても一行に何も思い出せず、それ所か頭が痛くなってきてイライラとしてきていた――。

再び『発作』が起こりそうになるも、そこでフランドールは自力で思考を停止しその感情を抑える。

 

「もういいや。寝よ……」

 

そう呟いたフランドールはゆっくりと、今度は眠るために眼を閉じた。

意識が夢の中へ旅立つ直前、フランドールは記憶の中の女性が言っていた言葉――内容はやはり分からないものの、その言葉がどういったモノなのかを彼女はふと思い出す。

 

(……やく、そく……?)

 

それを理解した瞬間、フランドールの意識はゆっくりと夢の中へと沈んでいった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フランの様子はどう?」

「ついさっき、お眠りになったようです」

 

紅魔館の玉座の間――。

その椅子に座るレミリアと対面して立つ咲夜がいた。

レミリアは先の一戦で服と身体がボロボロになったため、入浴をして今はピンクのガウン姿となっている。

洗髪してしっとりと濡れた髪の上にタオルを被せ、足を組んで頬杖をつき、うんざり顔でレミリアは虚空を見つめた。

対して咲夜もボロボロになったメイド服を着替えて新品の服を纏って彼女の前に直立している。

 

「地下の方は修復できそう?」

「時間はかかりますが……今はパチュリー様の魔法で補強されておりますので、妖精メイドに修復をさせようかと」

「そう……」

 

そうしてしばしの沈黙の後、レミリアが再び口を開いた。

 

「……あの子の発作、日増しに増えて悪化してきてるわね」

「はい……。以前起こした『紅霧異変』の時に霊夢と魔理沙によってある程度は緩和できたみたいですが……やはり、ぶり返して来ているのではないかと……」

 

咲夜のその言葉にレミリアは深くため息をつく。

あの異変の直後は穏やかな時間が流れ、自分も妹も何も悩む事無く暮らしていけると、そう思っていた。

今にして思えばなんて甘い考えだったのだろうとレミリアは頭を抱える。

……何か手を打たなければならない。そうしなければ、このままではあの子の暴走が止めきれない所まで悪化し、最悪の事態になりかねない。

思い悩むレミリアを咲夜は心配そうに見つめる。

やがて、悩むことに疲れたのかレミリアは再びため息をつくと咲夜に声をかける。

 

「今日はもう疲れたわ。日も出てきた時刻だし、寝ることにするわ」

「かしこまりました。就寝前にワインでもお持ちしましょうか?」

「そうね。じゃあいつもの――」

 

そこまで言いかけたレミリアはふと言葉を止め、少しの間考える素振りを見せると咲夜に言う。

 

「咲夜、白ワインってのある?」

「白ワインですか?……あったと思いますが」

「じゃあそれ、お願いね」

 

咲夜にそう伝えるとレミリアは玉座に背中をゆっくりと預けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後、咲夜が持ってきた白ワインをそそいだワイングラスに口をつけるレミリアの姿があった。

ワインを味わう主を見て咲夜が少し不思議そうに口を開く。

 

「……珍しいですね。お嬢様が赤ワイン以外を口にするなんて」

「フフッ……私は確かに『赤』は大好きだけど、別にそれ以外の色が嫌いだなんて事はないのよ?特に『白』は『赤』の次に好きな色――」

 

 

 

 

 

 

「――お母様が、大好きだった色……」

 

 

 

 

 

白ワインをグラスを回して弄びながら、レミリアは眼を細めて小さくそう響く。

どこか哀愁の漂うレミリアのその雰囲気に咲夜は何と声をかけるべきが迷っていると、顔を上げてレミリアが先に声を上げた。

 

「もう寝るわ。就寝の準備をして頂戴」

「かしこまりました」

 

その言葉に咲夜は一瞬遅れて一礼し、同時にレミリアは玉座から腰を浮かそうとし――その動きを途中で止めた。

 

「……?咲夜、それ何?」

 

レミリアの視線の先、咲夜のメイド服のポケットに丸めて差し込まれている紙束があった。

その視線に気づいた咲夜はなんでもないかのようにそれを手にとって口を開く。

 

「ああ、『文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)』ですよ。お嬢様がお風呂に入っている時にやってきまして」

「ふぅん。まーたあの鴉天狗のブン屋、適当な事しか書かない新聞をあちこちにばら撒いてんの?飽きないわねホント――」

 

そこまで言ったレミリアの言葉が唐突に止まる。

咲夜の持つ新聞の一面記事がチラリと眼に留まったのだ。

 

「咲夜、ちょっと見せて」

「え?あ、はい」

 

咲夜から文々。新聞を受け取ったレミリアは、しばしジッと新聞に並ぶ文字に眼を走らせる。

そして、小さく口の端をニヤリと歪めると――。

 

「へぇ……『四隅の怪』、ねぇ……。面白そうな事してるじゃない()()()……。……!そうだわ、こいつを使えばもしかして……」

 

何かを思いついたかのようにブツブツと独り言を呟くと、直ぐにレミリアは新聞に載っている『名前』を指差し、咲夜に()()を下した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――咲夜、()()()こいつを私の前に連れてきて……!!」




新章突入です。

今回の話は紅魔館が主な舞台となります。
紅魔館勢とは違うキャラも約一名、重要な役で出す予定ですので、乞うご期待という事でw


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其ノ二

前回のあらすじ。

フランドールとの一戦を退けたレミリアは『文々。新聞』を読んで一計を案じる。


「――ンぁ?」

 

四ツ谷文太郎は呆けた声をあげた。

今彼がいるのは、何処を見ても赤一色のだだっ広い広間。そんな部屋の中央で彼はあぐらをかいて座り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という状態だった。

傍から見ても奇妙な状況なのだが、こうなってしまったのにはちゃんとした理由がある。

 

それは、ほんの数分前の出来事であった――。

 

 

 

 

 

 

 

「……店を出したい?」

「……はい」

 

そう聞き返した四ツ谷に梳ははっきりとうなずいて見せた。

 

その日の朝、四ツ谷会館ではいつもの如く全員で朝の食卓を囲んでいた――。

仕事で使っている職員室の隣、そこには厨房と食堂があり、四ツ谷会館の面々はその食堂で食事を取るのがいつもの習慣となっていたのである。

ちなみに薊は会館の職員ではあるものの、食事は向かいにある自分の家でとっていた。

そしてこの日も、朝起床して食堂に集まった(薊以外の)面々は、調理担当の金小僧が作った朝食が用意された大きな机を囲んで座る。

そうしていざ食事を取ろうとする直前、会館の居候である梳が四ツ谷に「自分の店を持ちたい」と相談を持ちかけたのであった。

(あご)に手を添えて梳をジッと見つめる四ツ谷。

そんな四ツ谷を梳も強い視線で見つめ返す。

数秒そんな膠着(こうちゃく)が続くものの、唐突に四ツ谷の方から口を開く。

 

「……店っつーとやっぱ床屋か?」

「はい。でも理容店としての面だけでなく、主に女性受けのする美容院としての面も取り込んだ店を出したいのです」

「……その理由は?」

「この幻想郷では髪は主に家族や自分自身で切って整えるという話を聞いたのが主な理由なのですが、この人里……特に女性は美容に対してほとんど無頓着な人が多いと思ったのです。人里の外、人外の女性の方たちはどうなのか分かりませんが……」

 

事実、梳のこの指摘はあながち間違いではない。

人里に住む人間たちは老若男女問わず、生きるために日々働いて稼いで暮らしを立てている。

それ故、人里の女性もその傾向が強く、女として自身を磨く事は二の次状態になっていたのである。

 

「それでお前は自分の理容師としての能力をここで生かそうと思ったわけだな?」

「はい。理容師の卵として、私はそうするべきだと思いました。それに――」

 

そこで言葉を区切った梳は俯いて、やや言いづらそうにその先を口にする。

 

「――いつまでもこの会館でおんぶに抱っこで暮らしていくのは、私自身心苦しいと思っていたのも、事実です……」

「梳ちゃん……」

 

小傘が心配げに梳を見つめるのを尻目に四ツ谷は再び梳に問いかけた。

 

「……お前にはまだ外の世界へ帰るという選択肢も残ってるぞ?そっちはいいのか?」

 

それに梳は静かに首を振った。

 

「私にはもう外へ帰っても迎えてくれる人は誰もいません。頼れる親類もいませんし……。なら、それならいっそ――」

 

 

 

 

 

「――この幻想郷で第二の人生を歩み、自分が本当にするべき事は何か?……それを探し、見つけ出そう。そう思いました……!」

 

 

 

 

 

顔を上げた梳の顔は決心に満ち溢れており、四ツ谷は黙ってそれを見据える。

しばしの沈黙後、四ツ谷は梳から顔を逸らし、眼を()じて静かに鼻を鳴らした。

 

「分かった。お前がそう決めたのなら、俺はもう何も言わん」

「……ありがとうございます……!」

 

その場の空気の緊張が緩み、それと同時に梳は感謝の意を述べた。

そして、続けて言う。

 

「それでは今日はこの後、新しい仕事先を探してきます。そこで働いて店を出す費用を――」

「その必要はねーよ」

「――え?」

 

今後の予定を口にしていたのを途中で遮り、四ツ谷にそう言われた梳は、驚いた顔で四ツ谷を見た。

そんな梳に、四ツ谷はニヤリと笑い、口を開く。

 

「費用は会館(こっち)が出してやる。お前が新しい生き方を見出したその門出……祝い金だと思ってくれ」

「え?え??で、でも居候させていただいた上、そこまでしていただく訳には……!」

「――梳ちゃん」

 

そこへ小傘が梳に声をかける。

顔を向ける梳に小傘は微笑みながら言う。

 

「遠慮しないで受け取ってあげて?何だかんだ言って、師匠も梳ちゃんが自立する決心を固めたのが嬉しいんだと思うから」

「ハッ、言ってろ」

 

そっぽを向いて嫌そうに舌を出す四ツ谷を小傘はくすくすと笑って見つめ、それを見た梳も唖然としていた顔をゆっくりと綻ばせた。

ほがらかとなった食堂の空気。それに便乗して四ツ谷は再び声を上げた。

 

「ま、なんだ。詳しい話は食べてからにするぞ?」

 

四ツ谷の言葉にその場にいる全員が頷き、朝食を前に全員が手を合わせる。

 

『いただきます』

 

そうして四ツ谷が自分の前に盛られた白米の茶碗と箸を持ち、いざ口にしようとした、その瞬間――。

 

 

――唐突に、四ツ谷の頭上に影が落ちた。

 

 

「?」

 

何だ?と思い、四ツ谷が顔を上げると、そこには青と白を基調としたメイド服に身を包んだ銀髪の美しい女性が柔らかい笑みを浮かべて自身を見下ろしている姿があった――。

宴会やこの会館創立の祝いの席で何度か顔を合わせて知ってはいたものの、突然ふって沸いたそのメイドの登場に、四ツ谷は呆気に取られる。

一瞬遅れて四ツ谷の周りにいる者たちもメイドの存在に気づき、呆然となる。

だが、この中で一番彼女を見知っていた小傘だけは直ぐに反応し、声を上げた。

 

「あ、貴女は紅魔館の……!?」

 

その直後、そのメイドはおもむろに右手を上げて指を鳴らし――。

 

 

 

――パチン……!

 

 

 

――そして、次の瞬間には四ツ谷はこの赤い大広間で箸と茶碗を持って呆けて座っているという現在に至ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が起こったのか分からず、呆然となる四ツ谷の目の前――玉座だと思われる椅子にガウン一枚で足を組んで座る羽の生えた幼女が、四ツ谷の様子を見て眉根を寄せて彼の隣に立つメイドに声をかけた。

 

「……あら?咲夜、あなた食事中に連れて来ちゃったの?」

「はい。不躾だとは思いましたが、お嬢様から『今すぐ連れて来る』ように言われましたので、そちらを優先させました」

「それで問答無用で連れて来ちゃった訳?……あなた、もう少し気配りと言うか、融通を利かせるべきだと思うわよ。……命令した私が言うのもなんだけど」

 

四ツ谷を置いてきぼりにして会話をする幼女とメイド。

しかし、その会話である程度の状況を察した四ツ谷はその会話に割ってはいる。

 

「オイ、何だよコレは?こっちが朝飯にありつこうって矢先に無理矢理つれてきやがって!」

「箸の先をこっちに向けながら怒るの止めてくれるかしら?……まぁ、無理矢理連れて来た事は悪かったけどね」

「お嬢様、お嬢様が謝る必要はありませんよ?」

「実行犯が何を言うか」

 

ジト目でそう非難する四ツ谷だったが、当のそのメイド――咲夜はつんと澄まし顔で軽くスルーする。

それを見た四ツ谷はこれ以上は無意味と判断し、一つため息をつくと玉座の幼女――レミリアへと向き直った。

 

「んで?一介の怪異に何の御用ですかレミリアお嬢様?」

 

多分に棘を含んだ言葉を投げかけたつもりであったが、当のレミリアは面白いものを見たと言いたげにフンと鼻を鳴らして笑うと、口を開きかけ――それが途中で止まり、四ツ谷と咲夜の向こう側にある部屋の出入り口の扉を凝視する。

それに気づいた咲夜もハッとなり、自身のスカートの中に手を入れて一本のナイフを取り出すと、それを構えながら同じく扉を見据えた。

今度は何だ?と四ツ谷もつられて扉の方へと視線を運び――。

 

 

 

「師匠ぉおぉぉぉーーーーーッッッ!!!!」

 

 

 

聞きなれた少女の雄叫びと共に、その扉が木っ端微塵に吹き飛んだ――。

 

『!?』

 

四ツ谷、レミリア、咲夜が同時に眼を丸くする中、吹き飛んだ扉の向こうから、ゼエハアゼエハアと肩で息をしながらこちらを睨みつけ仁王立ちになる小傘の姿があった。

一拍遅れて彼女の背後から、金小僧と金小僧が抱える大きな箱から出てきた折り畳み入道が現れる。

その折り畳み入道が出ている『箱』は恐らくこの館の私物だろうなぁ、と四ツ谷が割りとどうでも良い事を考えていると、横から四ツ谷と同じものを見た咲夜が、小傘に叫ぶ。

 

「ちょっと、それはお嬢様のドレスを仕舞っている衣装箱よ!何勝手な事をしているの!?それに許可も無く勝手に館の中へ入って来ないで頂戴!」

「先に会館(こちら)に無断で踏み込んで来た上に、師匠を拉致(らち)して行った人に言われたくありません!!」

 

そうぴしゃりと正論を小傘に吐かれた咲夜は「うっ」と、二の句が告げなくなる。

そんな咲夜を他所にレミリアは突如乱入してきた小傘に臆する事無く、ジッと彼女たちを観察するような視線を向けながら口を開く。

 

「折り畳み入道……。なるほど、そいつの能力を使ってここへ乗り込んできたのね。その箱が置いてあったのは隣の部屋だし。……どおりで来るのが速すぎるわけだわ。館の周りも中も何も騒ぎが無いのもそのせいね。失念してたわ」

 

そうして、レミリアは再び四ツ谷へと視線を戻し、続けて言う。

 

「でも、その怪異たちや多々良小傘の大妖怪化も、元をたどれば全てあなたの怪談が成し得たモノ……。あの賢者や霊夢たちが危惧するのも裏付けるわ」

「……何が言いたいんだ?」

 

四ツ谷のその問いにレミリアは小さくニヤリと笑う。

 

「あなたのその能力を見込んで、仕事を依頼したいのよ」

「依頼だぁ?」

「そう――」

 

 

 

 

 

 

「――創って欲しいのよ。あなたの言う『最恐の怪談』を……。そしてその『聞き手(ターゲット)』を私の実の妹、フランドール・スカーレットでね」

 

 

 

 

 

レミリアのその言葉にその場が沈黙する。

小傘たちは驚きに言葉を無くし、咲夜は眼を閉じ無言を通す。四ツ谷はジッとレミリアを見据えていたが、静かに口を開いた。

 

「本気か?俺の『最恐の怪談』がどんなモンか知ってて言ってんだろうな?」

「ええもちろん。今までの奴らの大半が廃人となって永遠亭のお世話になっている事はね。本当に容赦ないわね。でも、その容赦の無さが今の()()()には必要なのよ」

「……どう言う事だ?」

 

「私たち」という言葉に含みを感じた四ツ谷はレミリアに問いかける。

聴かれたレミリアは眼を細めて四ツ谷に静かに語りだした。

 

「……フランの凶暴性が少し前からまた表に出てきたのよ。しかも、日増しに強くなってもう私や咲夜……いいえ、もう紅魔館の有力者を結集しても手に負えない所まで来ているの。……このままじゃ近いうちに紅魔館が崩壊し、その火の粉が外へと飛び火するのは目に見えてるわ。だから――」

「――そうなる前に俺の『最恐の怪談』を使って黙らせる、と……?」

「分かってるじゃない」

 

正解だと言わんばかりに笑顔でレミリアは四ツ谷を指差す。しかしそれに対して四ツ谷は険しい顔をレミリアに向ける。

 

「……気が乗らねぇな」

「あら、どうして?あなたの大好きな怪談を好きなだけ語らせてあげるって言ってるのよ?」

「怪談を語れるのは嬉しいが、姉であるお前が実の妹をその餌食にさせようってのが気に食わねぇ。お前の身内だろ?何とも思わないのか?」

「……これも紅魔館のため、ひいてはフラン(あの子)のためよ。自力でなんとか出来ないのであれば、もはやこうするしか方法は無いわ。狂気に駆られたあの子がやがて正気を取り戻した時、真っ先に見るのが自分が作り出した更地の世界だったのなら、一番深く傷つくのは他でもない、あの子自身よ。それに――」

 

レミリアはそこまで言うと身も凍るような冷たい視線を四ツ谷に浴びせながら声のトーンを落として再び口を開いた。

 

「――そこまではあなたに関係の無い事よ。あなたはただ黙って()()()()()()()怪談を創ってくれさえすればそれで良いの。余計な事に口を挟まないでくれるかしら?」

「……俺が怪談を創るのを断ったら、どうするんだ?」

「あなたに拒否権は無いわ。これはもう決定事項だもの。何故って?ハッ……それはもちろん、私がそう決めたからよ。……それでもあなたが嫌だって言うのなら、こちらも実力行使をするだけだけどね」

「そっちがその気なら、こっちも……っていうか、後ろの奴らが黙っちゃいないと思うけどな」

 

そう言って四ツ谷は肩越しに自分の背後、部屋の出入り口に立ち既に戦闘体制をとっている小傘たちへと親指をクイクイと指して見せた。

それを見てもレミリアは何とでもないかのように呟く。

 

「まだ今の状況が分かってないの?あなたの殺生与奪は他の誰でもない、この私が握っているのよ」

 

それと同時に四ツ谷の首筋に冷たいモノが触れる。目線だけを動かすと、いつの間にか横に立っていた咲夜がこちらにかがみ込んで、その手に持ったナイフを四ツ谷の首筋に押し当てていたのだ。

「師匠!」と背後で小傘がそう叫ぶ声を聞きながら、四ツ谷はレミリアを睨みつける。

かく言うレミリアは冷笑を顔に貼り付け、愉快そうに四ツ谷を見下ろして響いた。

 

「……で、どうするのかしら?『百奇の語り手』さん?」

「…………」

 

短い沈黙。しかし、やがて四ツ谷はため息と共に言葉をこぼした。

 

「……わかった、引き受けてやるよ。流石に幻想郷(ここ)が更地になっちまってしまったんじゃあ、悲鳴も何もあったモンじゃねぇしな」

「フフッ、分かってくれて嬉しいわ♪」

 

箸と茶碗を持ってホールドアップする四ツ谷を見て、溜飲が下がったのかくすくすと笑いながらそう呟くレミリア。

そして「さてと♪」と呟いた彼女は玉座から立ち上がると、優雅な足取りで四ツ谷の脇を通り過ぎ、小傘たちのいる出入り口へと歩いていく。

その間もレミリアは四ツ谷に声をかける。

 

「期限は今日の夜まで、それまでに『最恐の怪談』を完成させなさい。適当なの創ったら承知しないわよ」

「オイオイ、えらく急だな。ゆっくり創る暇すら無いのかよ」

「さっきフランの様子、言ったでしょ?こちらもそんなに時間はないのよ。速く帰りたければ四の五の言ってないでさっさと創る事ね」

 

そう言ったレミリアは次に咲夜へと視線を向ける。

 

「咲夜。この男の監視、お願いね。彼から何か必要な物があるのであれば、用意してあげるのよ。……私はこれから寝るわ。もうとっくに夜は明けてるし……。着替えも自分でやるからあなたは先の任務に従事して」

「かしこまりました」

 

スカートを摘んで優雅に一礼する咲夜、それを横目に四ツ谷は欠伸(あくび)をかみ殺しながら部屋から出て行こうとするレミリアの背中に、皮肉交じりに声をかける。

 

「話を聞く限りじゃこの館の一大事みたいなのに就寝とは、夜行性であっても少し気が緩んでるんじゃねーか?」

「夜更かし、もとい――()更かしは女の肌の大敵よ。吸血鬼なら特にね。それに、()()()()()()()()もう寝る時間なの」

「チッ……こういう時だけ子供ぶるのかよ」

「『私』だからこその特権よ」

 

忌々しげに舌打ちをする四ツ谷にレミリアは背中越しに小さくウィンクすると、悔しそうに顔を歪める小傘たちの脇を通り過ぎて玉座の部屋を出ると、廊下の奥へと消えていった――。




最新話投稿です。

いやー、速めに投稿できてよかったです。

次も速く投稿できるよう頑張ります。


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其ノ三

前回のあらすじ。

紅魔館に拉致された四ツ谷はレミリアに『最恐の怪談』を創る事を強要される。


「ふぅ……」

 

玉座の間から自分の寝室にやってきたレミリアは、ガウンを脱いでナイトドレスに着替えると、そのままベットにその身を投げ出し、仰向けに寝転がった――。

そうして一息つくと、豪華な装飾の成された天蓋を見上げて、ふと物思いにふける。

思い出すのは先の四ツ谷の言った一言だった――。

 

 

 

――お前の身内だろ?何とも思わないのか?

 

 

 

(……思わないわけ、無いじゃない)

 

寝返りを打ちながら、レミリアは心の中でそう響く――。

今まで散々、顔を合わせる度に罵りあい、いがみ合い、そして度を越してはいたが喧嘩もしあいを何度も何度も繰り返してきた身ではあれど、それでもレミリアにとってフランドールは血を分けた唯一の家族であり、大切な妹である事に変わりはなかった。

されど、そんな大事な妹ではあれど彼女の狂気的な行動が日に日に目に余るものへとなっていったのも、また事実であった――。

何度(しか)り、そして(いさ)めようとしたかも数知れず。

しかし、それでもフランドールは全く気にも留めず、(つい)には実力行使に出なければならないほどの事態にまで発展してしまったのだ。

もはや、姉である自分の手で押さえ込められるのも時間の問題。

そしてその時が来て、自分の手から離れた彼女が外へ飛び出し、そこで思いっきり自身の力を振るってしまったら、幻想郷は地獄絵図に変わることは想像に難くなかった。

そうなってしまったら最後、もはや自分ではどうすることもできない。

幻想郷を危機に(おちい)らせてしまったら、他の有力者――特にあの妖怪の賢者に睨まれてしまったら、もうこの地に住めなくなるどころか、最悪フランを文字通り存在を抹消させられてしまうかもしれない――。

 

(……それだけは、絶対に回避しなくてはいけないわ……!)

 

――髪の毛一本も残さずに最愛の妹を消されるくらいなら……心を鬼にしてでも、あの子の心を壊そう――。

 

ギュッと握りこぶしに力を入れ、その拳を見つめながらレミリアはその瞳に決意を宿らせる。

そして、今一度天蓋を見上げると、今度は愁いを秘めた瞳でとある人物を思う。

 

(お母様、もしあなたが今も生きていてくれれば、私はここまで悩む事は無かったのでしょうね……)

 

しかし、それはもはや考えても詮無い事であった――。

 

それもそのはず、レミリアとフランドールの母親は実は『人間』であり、生きていた時代も五百年も前だったからだ――。

 

人間を辞めなければ叶えられそうにない無茶な要求である。

レミリア自身、それはちゃんと頭の中では理解している事ではあったが、今のこの現状を前にどうしてもそう思わずにはいられなかったのだ。

 

――ゆっくりと瞳を閉じ、レミリアは自身の脳裏に母親との思い出を投影する。

 

フランが言った通り、彼女には数は少ないがそれでも母親との思い出は確かにあった――。

――そう、()()()()()()で幼いフランと三人で()()()()()()()()を楽しんだ事も――。

――そこで母親の作った特性のクッキーをフランと仲良く分け合って食べた事も――。

――そのクッキーの味がとても美味しく、今もその味の記憶がちゃんと残っている事も――。

 

 

 

 

 

――そして……――。

 

 

 

 

 

――彼岸へと旅たつ少し前、病弱な身体を引きずって()()()()()()へと私たちを連れて行った母が、そこで最後に自分に向けて残していった()()()()も……――。

 

「お母様……ごめんなさい……。『約束』……守れそうに、ありません……っ!」

 

母親との思い出を頭の中で思い巡らせながら、レミリアは目尻に一筋の涙を流すとそのまま夢の中へと意識を沈めていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ったく、無理矢理連れて来た上にたった一日で『最恐の怪談』を創れだなんて、あんたん所の主はどんだけ傍若無人なんだよ」

「文句を垂れている暇があるならさっさと怪談を創ってくれるかしら?そうすれば早々に紅魔館(ここ)から開放されるわよ?」

「馬鹿言うな。創れと言われてそうほいほいと出来るほど、俺の『最恐の怪談』は安くはねーんだよ」

 

レミリアが去った玉座の間、箸と茶碗を床に置いて、未だにその場に座って文句を垂れている四ツ谷とナイフの切っ先を四ツ谷に向けて冷ややかな目で見下ろす咲夜が言い争っていた。

そこへ同じくご立腹状態の小傘が口を挟んでくる。

 

「聞く必要無いですよ師匠。こんな横暴な頼み事、承諾する義理はありません。さっさと帰って朝食の続きをしましょう?」

「口を挟まないでくれるかしら器物妖怪の唐傘娘さん。私のナイフの餌食になりたい?」

「おあいにくさま。わちきはもう以前のわちきじゃないんですよ咲夜さん。余裕で返り討ちにしてあげますよ!」

 

番傘とナイフをそれぞれ構えて臨戦態勢をとる小傘と咲夜。

しかしそこへ四ツ谷が待ったをかけた。

 

「まぁ、待て小傘。ここで戦って逃げられたとしてもこのメイド、必ずここに俺を連れ戻すぞ?時間止める能力持ちみたいだしな。さすがのお前もそれやられちゃあお手上げだろ?」

「むー……」

 

事実、四ツ谷の言う事は的を射ていた。

今ここで戦って勝てたとして、紅魔館を出られたとしても、この咲夜は自身の能力を使って再び四ツ谷をこの館に縛り付けてくるだろう。

そして、運良く咲夜を気絶させたとしてもその結果は同じだ。結果が遅いか速いかの違いでしかない。

レミリアからの命令がある以上、彼女に対して忠誠心の深いこのメイドは地の果てまでも四ツ谷たちを追いかけて連れ戻しに来るに決まっている。

こういう咲夜のようなタイプは以前、四ツ谷を監禁した霊夢とは方向性は違えど厄介極まる事には違いは無かった。

ふくれっ面を作る小傘を尻目に、四ツ谷は次に咲夜に眼を向ける。

 

「言っておくが銀髪メイド、俺は別に怪談を創らないとは言ってない。さっきあの吸血鬼にも了承したばっかだしな。……ただ、こんな強引な方法をとらずに普通に呼んでくれれば良かったってだけなんだよ、俺が言いたいのは。……飯もちゃんと食えたはずだしな」

「…………、その点に関しては、悪かったと思ってるわよ」

 

目の前に置いた箸と()()()()()()()茶碗を指差しながらジト目で抗議する四ツ谷に、バツが悪そうに咲夜はそっぽを向く。

そんな彼女を見ながらやれやれと首を振って四ツ谷は立ち上がる。

 

「……そんなに言うなら創ってやるよ、俺の『最恐の怪談』を……!」

 

その言葉を聞いた咲夜は安堵からか構えていたナイフを下ろす。

と同時に小傘の方も、納得いかないまでも渋々と言った(てい)で構えを解いた。

 

「……感謝するわ」

「だがな。勘違いするんじゃねぇぞ銀髪メイド。お前らから受けたこの仕打ちを俺は忘れるつもりは無いし、これから創る『最恐の怪談』も、決してあの吸血鬼の為なんかじゃ()ぇ」

 

どう言う事?と、怪訝な顔を向ける咲夜に、四ツ谷はニヤリと不気味な笑みを浮かべて、決まってるだろ?と、得意げに響いた――。

 

「――俺が『最恐の怪談』を創るのは、今も昔も、()()()()()()なんだよ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それじゃあ、期限までに『最恐の怪談』を創ってさっさと帰るとするかねぇ」

「はい、師匠」

 

玉座の間を出て広い廊下を歩きながらそう言う四ツ谷に、後ろを歩く小傘は強く頷く。

そしてさらに後ろからついてくる金小僧、そして彼に担がれている折り畳み入道も同様に頷いた。

小傘、金小僧、折り畳み入道は全員、先の四ツ谷の拉致からレミリアの要求で『最恐の怪談』を創る事にはあまり納得できてはいなかったものの、四ツ谷が最後に言った「さっさと帰る」という発言には全員同感であった。

 

「……さァて、怪談を創るとしても一体何を創ったモンか……」

「あら?直ぐには思いつけるものでもないの?」

 

そう呟いて考える四ツ谷に、咲夜は小首を傾げてそう問いかけた。

それに四ツ谷は答える。

 

「いや、別にそうと言うわけじゃないが、今回は今日の夜までって言う急な話だろ?そんな短期間で強烈なインパクトを持つ怪談を創るとなると、『聞き手』の心に直接響くようなモンでもないと意味がないんだよ」

「……妹様の心に、直接……」

 

誰に言うでもなく咲夜がそうポツリと呟くと、四ツ谷は立ち止まって咲夜に顔を向ける。

 

「ああ、そうだ。……そもそも俺はお前の言う『妹様』の事なんて何も知らないぞ?会った事はおろか顔だって見た事が無い」

「そう言えばそうだったわね。宴会とかにも連れて行ったことは無かったですし……」

 

四ツ谷にとって、紅魔館組で以前から顔見知りだったのはレミリアと咲夜だけであった。

他の有力者たちは皆それぞれ、体調の具合やフランドールの見張り、そして『睡眠』などで留守番をしていたのである。

 

「今、妹様はお嬢様同様眠ってらっしゃるわ。安眠の妨げになるから会わせるのは無理ね」

「じゃあ写真かなんか無いのか?」

 

その四ツ谷の問いに咲夜は顎に手を当てて思案顔になる。

 

「写真ねぇ……残念だけど無いわね。……思えば妹様と写真を撮った事なんて一度も……いや、待ってそう言えば……」

 

何か心当たりがあるのかブツブツと独り言を呟きはじめた咲夜は、次の瞬間にふと顔を上げると四ツ谷を追い越し――。

 

「一つだけ妹様の姿を写したモノがあるわ。来なさい」

 

――そう、自分に付いて来るように促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ここは、物置か……?」

 

咲夜を先頭に四ツ谷たちがやって来たのは、使わない家具や調度品などが白いシーツに被せられて乱雑に置かれている部屋であった。

その部屋の様子から物置だと推察した四ツ谷は、前を進む咲夜にそう問いかけ、咲夜もそれに背中を向けたまま頷き、答えた。

 

「そうよ。なにせ今から見せるのはモノがモノだけに普通の部屋やエントランスには飾っておけない代物でね、仕方なくここに置かれている物なのよ」

 

そう言いながら咲夜は、部屋の一番奥に置かれている物へと歩み寄っていった。

それもまた周囲のもの同様、白いシーツが被せられているためどんな物なのかは外から見てみても分からなかったが、咲夜がそのシーツの端を掴んでスルリと引き剥がすと、その中身が四ツ谷たちの前にさらされた。

 

「……コイツは」

「……家族の肖像画、ですか……?でも、それにしては……」

 

四ツ谷が最初に呟き、続いて小傘も言葉を発するも、途中からそれが濁したモノへと変わる――。

彼らが見た物、それは小傘の言うとおり、二人の夫婦とその娘らしき二人の少女たちが描かれた家族の肖像画であったが、初めて見る四ツ谷たちでもその肖像画がだいぶ()()()()であるのが直ぐに分かった。

 

その肖像画はレミリアとフランドール、そして()()()()()()()()()が描かれた絵であった――。

 

肖像画の中央に置かれた派手な装飾の成された大きな椅子にはこの紅魔館の先代にしてレミリアとフランドールの()()()()()男が背もたれに上半身を預けて座っている姿があり、向かって男の左側には今よりもさらに幼い姿のレミリアが、そして挟んで男の右側には腰まである長い金髪に白いドレスを纏った女性が、これまた今よりもさらに幼いフランドールを抱っこして立っていたのだ。

言葉にするだけなら何処にでもあるかのような家族の肖像画。しかし、奇妙だったのは中央に座る先代らしき男の頭の部分が、まるで獣の爪に引き裂かれたかのようにズタズタにされており、どのような顔立ちだったのか判別不可能となっていたのである。

それだけではない。男のその傍に立つレミリアたちもまた奇妙であった。

家族を模した肖像がであるにも拘らずレミリアたち三人の顔は、まるで能面でもつけているかのように感情の抜け落ちた真顔だったのである。

傍から見ても一家団欒(いっかだんらん)の幸せそうな雰囲気ではない表情で描かれたレミリアたち。

その違和感のある肖像画を何とも言えない表情で見る四ツ谷たちに咲夜が声をかける。

 

「……これは、この館に存在するお嬢様たちの唯一の家族の肖像画です。この長い金髪の女性――当時の奥方様が抱えてらっしゃるのが妹様……フランドール・スカーレット様です」

「……あの、咲夜さん。この真ん中に描かれている男の方ってレミリアさんたちのお父さんですよね……?どうしてこんな……」

 

恐る恐ると言った調子で小傘が咲夜に問いかける。問われた咲夜も何とも言えない表情を作り、やや顔を俯かせながらもそれに答えた。

 

「……これはお嬢様がやった事のようなの。()()()()()()()()()()()()()()()……」

「レミリアさんが?」

「ええ……。話を聞く限りだけど、お嬢様も妹様も、先代当主様にはあまり良い印象を持っていなかったようなのよ」

「一体、どうして……?」

 

小傘の更なる問いに、咲夜は力無く首を振る。

 

「分からないわ……。お嬢様も妹様も、先代当主様や奥様の事をあまり話したがらなかったから……」

 

咲夜と小傘がそんな会話を続けている中でも、四ツ谷はジッとその肖像画を見つめ続けていた。

それに気づいた金小僧は四ツ谷に声をかける。

 

「父上……、その絵が気になるのですか?」

「ああ……、もしかしたら『最恐の怪談』を創るための糸口になるかもしれん……。特にこの――」

 

そう言って四ツ谷はフランドールを抱えている女性を指差し、続けて口を開く。

 

「――先代奥様。……理由は分からねぇが、なーんか引っかかんだよなぁ……」

「奥様が……?……そう言えば、あなたをここに連れて来る少し前にも妹様が『発作』を起こして暴れたのよ。……その時お嬢様が奥様の事を口にしたら、妹様が激しく動揺して……」

「へぇ……」

 

その時の事を思い出しながらそう呟く咲夜に、四ツ谷は興味深げに相づちを打つ。

そして次の瞬間、咲夜は四ツ谷に向けて顔を上げると、やや真剣な目つきで彼に問いかけた。

 

「……そんなに気になるなら、詳しく知っていそうな方がいるけど、行ってみる?」

「……いいのか?」

 

その意外な提案に四ツ谷はやや眼を丸くして咲夜に聞き返す。

その言葉の『意味』を即座に理解した咲夜は、ほんの少し悩む素振りを見せるも、直ぐに首を振って口を開く。

 

「……本来なら、主の過去を勝手に詮索するのは従者としてあるまじき行動だし、許されない事だけれど……。お嬢様からあなたの怪談完成に協力するように言われている事だし……今回は、『特別措置』と言う事で」

「ハッ……モノは言いようだな」

 

苦笑交じりに皮肉を言う四ツ谷に、咲夜は然とした姿勢で返す。

 

「これもまた、メイド長である私の役目。主の意に反する事であっても主に与えられた任務を全うするためならそれでも貫くべきだと考えているわ」

「主からの命のために主の機嫌を損ねる事をする、ねぇ……矛盾してね?」

「なんとでも。これも全てはお嬢様のため。そのためならお嬢様からの罵りだって甘んじて受け入れる覚悟よ」

 

「それに――」と、咲夜は真剣な目で四ツ谷を真っ直ぐに見据えると続けて口を開いた。

 

「――これは、私にとってもお嬢様たちの事をもっとよく知るいい機会だわ。今までの私はあの方たちの事をよく知りもしないでこれまで従事して来た……。でもそれじゃ駄目、私がこの紅魔館のメイド長であり、お嬢様からの信頼の深い臣下でいるためにも――」

 

 

 

 

「――避けては通れぬ道よ……!」

 

決意に満ちた咲夜のその言葉に、四ツ谷を含む誰もが口を出す事は無かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、ここへやって来たってわけね。咲夜」

「はい。パチュリー様」

 

紅魔館の地下、大図書館にて机に頬杖をつきながらそう言うパチュリーに咲夜は強く頷いた。

肖像画が置かれていた物置から大図書館にやって来た四ツ谷たちは、丁度よく先のフランドールが暴れたために散らかった書物を片付け終えたばかりのパチュリーと小悪魔と会うことが出来たのだった。

咲夜から事の仔細を聞いたパチュリーは、頬杖をついたまま何かを考える素振りを見せると小さくため息をついて、咲夜が思っても見なかった言葉を口にした。

 

「話は分かったけど、咲夜。残念だけれど私もレミィたちの両親の事については何も知らないのよ。恐らくあなたと同じぐらいの事しかね……」

「え、そうなのですか?」

「えぇ……。あの子とは確かに親友の間柄だけど、あの子は自分の過去を私にもなかなか明かそうとはしなかったし、かく言う私もそんなあの子の様子からいろいろと察して深く聞き出そうともしなかったからね……」

 

「それにしても……」と、続けて呟いたパチュリーは顔を上げると、自身の大図書館を物珍しそうにキョロキョロと見渡す四ツ谷たちを見て眼を細めて口を開く。

 

「……まさかレミィがフランの凶行を沈めるためにそんな事を考えるなんてねぇ……。ま、あの子の暴れっぷりが最近日増しにエスカレートしてきてるし、手に負えない所まで来ているのも本当だけど……。実際、あの男の言う『怪談』って本当に使えるの?それでフランを止められる、と?」

「……少なくともお嬢様はそうお考えになられているようですが……」

 

咲夜のその言葉にパチュリーは「ふーん」と興味なさげに相づちを打つ。それから次に四ツ谷から咲夜に視線を戻すと、パチュリーは()()()()()()驚きの言葉を投げかけた――。

 

「……そんなにレミィたちの事が知りたいなら、もっと()()()()がいるじゃない。そっちに聞きに行けば?」

「………………………、はい?」

 

パチュリーが何を言っているのか理解が追いつかず、咲夜は首をかしげて彼女に聞き返す。

 

「えーと、パチュリー様?『最適な奴』とは一体……?」

「え?いやだから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼女に聞けば手っ取り早いじゃない」

「……え?」

「え?」

 

ますますパチュリーの言ってる意味が分からず咲夜は頭に『?』マークを浮かべる、対してパチュリーも話が噛みあっていない事に気づき、小首をかしげた。

数秒間、二人の間に何ともいえない空気が漂うも、直ぐにパチュリーは何かに気づきハッとなる。

そして、確認するかのように咲夜に慎重な口調で問いかけた。

 

「咲夜……。もしかしてあなた……知らなかった?」

「……えーと、何がでしょうか?」

 

咲夜のその返答にパチュリーは「やっぱり」と、頭を抱えて言う。

 

「……その様子じゃ知らなかったみたいね。あの『門番』が()()()()()()()だって事……」

「…………………………、え?」

 

呆然となる咲夜に、パチュリーは呆れた目で彼女を見つめると、衝撃的な真実を咲夜に打ち明けた――。

 

「この館の門番、『紅 美鈴(ほん めいりん)』。彼女はこの紅魔館に仕えている者たちの中で一番の古株なのよ。しかも、()()()()()()()()()()()()()()()()、ね……」

 

 

 

 

 

 

 

「……………………………。

 えええええぇぇぇぇぇーーーーーーーーーッッッ!!!???」

 

あまりにも衝撃的な事実に、完全で瀟洒(しょうしゃ)従者(メイド)の絶叫が大図書館の中に響き渡った――。




最新話投稿です。

咲夜にとって衝撃的な事実が今明かされましたw
『彼女』の存在が、この章の最大のキーパーソンとなります。


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其ノ四

前回のあらすじ。

スカーレット姉妹の過去を知るために、パチュリーのもとを訪れた咲夜と四ツ谷たち。
しかし、そこで意外な者が重要な鍵を握っている事を咲夜は知り、驚愕する。


「……まさか、美鈴がこの紅魔館の古株だったなんて……」

「オイオイ、まだブツブツとそんな事言ってんのかよ」

「だって本当に信じられないんだもの。日がな一日昼寝か太極拳踊ってるかしか見た事の無い私にとっては……」

 

げんなりと俯きながら先頭を歩く咲夜に四ツ谷は呆れながら呟き、それに弱弱しくも咲夜が言い返した。

大図書館でパチュリーに美鈴の衝撃的な事実を突きつけられた咲夜と四ツ谷たち一行は、その足で美鈴のもとへと向かったのだった。

大図書館から地上のエントランスへと出た一行はそこを通り過ぎて、大きな玄関戸から外へと出る。

外へと出た瞬間、四ツ谷たちの目に映ったのは、一面に咲き誇る花々の庭園だった――。

春のポカポカとした朝の日差しの中、色とりどりの花たちが鮮やかな色彩をそれぞれに纏わせて咲き乱れる光景は、とても幻想的で思わず見とれてしまうほどのモノであった――。

蝶や虫たちがその花の蜜に誘われ、舞い踊る脇を四ツ谷たちは正門へと向かって花々の間を縫うように敷かれた石畳の上を歩み続ける。

やがて、大きな赤レンガの塀と漆黒の鉄格子を思わせる大きな正門が四ツ谷たちの目の前に現れた。

咲夜は立ち止まる事無くその正門に歩み寄ると、力を込めてそれを押し開けた――。

ギギィィ~、という金属がこすれる音と共に正門が開かれ、咲夜はそこから顔だけを出して四ツ谷たちから見て左側――赤レンガの壁で死角になっている向こう側にいる者へと眼を向ける――。

 

「…………」

 

と、途端に咲夜の目が絶対零度の如く寒々としたソレへと変わった。

そして、彼女は背後に立つ四ツ谷たちに一度視線を向け――。

 

「少々、お待ちください」

 

そう、まるで感情の篭っていない人形のような声色でそう呟くと、正門を抜けて左側のレンガの壁の向こうへと姿を消した。

彼女の姿が完全に見えなくなった直後、スラリ……と、金属の『何か』が引き抜かれるような小さな音が響き、その瞬間――。

 

――ザグシュッ!「――ギャアッ!?」

 

肉をえぐる様な音と共に若い女性の悲鳴がその場に木霊しする。

 

「……寝てましたね。やっぱり」

 

四ツ谷の後ろに立っていた小傘の呆れた声と共に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ~、ハハハッ!おはようございます咲夜さん。今日も良い天気ですね?いや~清々しい朝です」

「ええ、本当に清々しい朝の空気ね。それにあなたの血の匂いが混ざってなければもっと最高なんだけれど」

 

腰まである長い赤毛に華人服とチャイナドレスを足して二で割ったかのような緑の服を纏い、頭に『龍』の漢字が入った星の飾りをつけたこれまた緑色の帽子を被った美女が誤魔化し笑いを浮かべながら咲夜にそう言い、それに対して咲夜は冷めた目つきでそう嫌味を混ぜた言葉を返した。

咲夜の言葉通り、周りの空気には先程までなかった血の匂いが微かに漂っており、その大元は赤毛の女性――紅 美鈴(ほん めいりん)の額に深々と突き刺さった銀色のナイフの根元から垂れている、彼女自身の血から発せられていた。

 

「……咲夜さん、当事者ですよね?」

「まだ、ナイフが欲しいの?」

 

考え無しとも言える美鈴の発言に、感情の篭っていない声で咲夜は新しいナイフを取り出しながらそう問い返し、それを見た美鈴は顔を引きつらせてブンブンと首を激しく振った。

 

「……頭にナイフ刺さってんのに、よく平然としてられんなこの女」

「師匠、これ紅魔館(ここ)でのいつもの事なんで、いちいち気にしてちゃ身が持ちませんよ?」

 

二人のやり取りを少し離れてみていた四ツ谷と小傘はひそひそとそんな会話を交わす。

そんな四ツ谷たちに気づいた美鈴は咲夜に問いかけた。

 

「咲夜さん、あの方たちは……?」

「お嬢様の提案でここへ連れて来た者たちよ。その過程で美鈴、あなたに聞きたい事があるのよ」

「……?」

 

先程とは打って変わって真剣な顔でそう言う咲夜に美鈴は小首をかしげる。

今からこの紅魔館の、ひいては自分にも深く関わっている古傷を探られる事となるとも知らずに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、言うわけなのよ。だから美鈴、この紅魔館の昔の事を詳しく知るあなたにいろいろと…………美鈴?」

 

一通りの仔細を美鈴に伝えた咲夜であったが、話し終えた後、明らかに様子が変わった美鈴に眉根を寄せる。

美鈴は先ほどまでのほほんとしていた表情が完全に消え失せ、悲しみを帯びた顔でレンガの壁に寄りかかり、(こうべ)を垂れていたのだ。

いつの間にか、額に刺さっていたナイフも抜かれている。

同僚の始めて見せるその顔に咲夜は一瞬、うろたえる。

そんな彼女に美鈴は俯いたまま、感情の篭らない声で静かに問いかけた。

 

「……咲夜さん。お嬢様は、どうして……?」

「……幻想郷のため、ひいては妹様のためよ。このまま妹様の暴走がエスカレートし、紅魔館の外にまで被害が広まってしまったら、他の有力者たちが黙ってはいない。だからこそ、その前に……」

「そう……ですか……」

 

咲夜の返答に、消え入りそうな声で美鈴が呟く。

そして、ゆっくりと顔を上げた美鈴は、今度は四ツ谷たちに向き直り、口を開いた。

 

「……四ツ谷文太郎さん、でしたか。……そして小傘さんたちも、此度(こたび)はお嬢様の我が侭にお付き合いいただき、ありがとうございます」

「美鈴……?」

 

まるで別人ではないかと思える美鈴から発せられる丁寧口調に咲夜はおろか四ツ谷たちも呆気に取られるも、構わず美鈴は頭を下げて言葉を続ける。

 

「ですが……真に勝手な話ではありますが、此度の依頼……()()()()()とし、早々にこの館からのお引取りのほど、お願いいたします」

「なっ!?」

 

美鈴の突然のその言葉に声を漏らした咲夜だけでなく、その場にいた全員が絶句する。

しかし、すぐに咲夜が険しい顔で美鈴にくってかかった。

 

「何言ってるの美鈴!これはお嬢様のご命令よ!何勝手な事言っているの!?」

「……咲夜さん。いくらお嬢様の命令とは言え、今回の件、私は反対です。妹様を止めるためとは言え、そんな方法は私は看過出来ません」

「あなたが納得する、しないの問題ではないの!これはお嬢様の――」

「お嬢様には、私が直接言い聞かせます。必要とあらば、それ相応の罰を受けても構いません。ですから……」

「美鈴……?」

 

今までレミリアや咲夜の指示には一度も逆らわず従っていた美鈴。

どこか頼りなく、一日中怠けている所しか見たことがなかった彼女が、今回に限っては全く従わず、かつ真剣な目つきで自身の主張を押し続ける美鈴に、咲夜は初めて美鈴に圧倒される感覚に陥った。

すると、そこに第三者の声がかかる。

 

「俺も納得できねーな」

 

声のした方へ咲夜と美鈴が首を向けると、そこに仏頂面をした四ツ谷がいた。

四ツ谷が続けて口を開く。

 

「……いきなり連れて来られて、いきなり帰って良いなんざあんまりな話だ。虫が良すぎる。……ここまでさんざん振り回されてんだ。ちゃんとした理由も聞かずに「はい、さよなら」で終われるほど、俺は人間、いや……『怪異』ができてねーんだよ」

 

静かではあったがその言葉の中に少なからずの『怒り』が含まれている事に、四ツ谷の隣に立っていた小傘が気づく。

そして、それは美鈴も気づいたらしく、少し困ったようなそれでいて敵対者を見つけたような険しい顔で四ツ谷に問いかける。

 

「……それでは……どうしても、その『怪談』とやらを創ると……?」

「当然だ。それはもう決定事項なんだ。今更後には引けんね」

 

さも当然とばかりに腕を組んで胸を張る四ツ谷に、美鈴はさらに何か言おうと口を開きかけ、その前に咲夜が横から割って入った。

 

「美鈴……、私だって本当はこんな方法はとるべきではないと思っているわ。でも、ここ最近の妹様の行動が明らかに目に余るものになってきている事ぐらい、あなたも気づいているでしょう?」

「それは……そうですが……」

「もはや事態は私やお嬢様の手に余る所まで来ているの。ここまで来てしまった以上、紅魔館内だけで被害を留めさせるためには『荒療治』を施すより手段は無いわ」

「ですが……それでも私は反対です。……それで妹様が完全に壊れてしまったら――あの世にいる『奥様』に顔向けなんてできません」

 

美鈴がそう言った瞬間、再び四ツ谷が口を挟んできた。

 

「……『奥様』?お前が気にするのはあの二人の母親だけか?……()()()()()?」

「…………」

 

四ツ谷のその疑問に美鈴はピクリと反応するも、それに答えず沈黙する。

だが、四ツ谷は構わず美鈴に問いを重ね続ける。

 

「……あの物置にあった父親の顔が潰れた家族の肖像画に、そこのメイドが言うあの二人の父親に対する反応を見るからに……どうもここの先代とやらはだいぶあの吸血鬼姉妹に嫌われてたらしいな……。もっとも――」

 

 

 

 

 

 

 

「――その様子を見るに、()()()だったみたいだが」

「……!」

 

 

 

 

 

 

四ツ谷のその指摘に、美鈴は再び反応する。

しかし、それでも口は開かずだんまりを決め込む美鈴に、咲夜が一歩歩み寄る。

 

「美鈴、一体どういう事なの?昔、お嬢様たちやあなたに何が……?」

「……それを知ってどうするのです?今となってはもう何百年も過去の事ですよ?もし、それをネタに怪談を創ると言うのであれば、私は――」

「いいえ、美鈴。怪談を創るため以前に、()()()でこの紅魔館の過去が知りたいのよ。……私は今までメイド長でありながら、お嬢様や妹様、そしてあなたの事も何も知らずにいたわ……」

 

そう言って咲夜は静かに眼を瞑り、()()()過去を振り返った――。

 

幼くして自分を大事にしてくれていた両親が相次いで死に、自身が持つ異能の能力のせいで周囲からひどい迫害を受けた咲夜は逃げるように人間社会を彷徨い、いつしか迷い込んだのがこの幻想郷であった――。

そこで運よくレミリアたちと出合った彼女は、メイドとして大事に育てられ、そして今日までここで働いてきたのだ。

自分を拾い、そして育ててくれたレミリアたちには言葉に言い現せられないほど咲夜は深く感謝していた。

そうして一人前のメイドとなった今、その恩を一生かけてでも返して行こうと決意していた――。

だが、咲夜はある時ふと気づく。

 

お嬢様たちには出会った頃に自分の過去を話はしていたが、逆に自分はお嬢様たちの事は何も知らないと言う事に――。

 

ゆっくりと眼を開けた咲夜は、真っ直ぐに美鈴を見ると胸元に手を当てて静かに響く。

 

「……私はメイド長、そしてこの紅魔館の一員としてお嬢様たちに使え、この一生を捧げると誓った。この忠誠は昔も今も……そしてこれからだって変わらない。だからこそちゃんと知りたいの。お嬢様たちやあなたの事……他の誰でもない、()()()()()()()……」

「咲夜さん……」

 

咲夜のその言葉と視線を受けて美鈴は動揺するも、直ぐに俯き、迷うように地面に視線を彷徨わせる。

数秒間、そうやって悩む素振りを見せるも、やがて観念したのか美鈴は小さくため息をついた。

そして、再び咲夜と視線を合わせると、真剣な目つきで問いかける。

 

「……聞いていて決して良い話ではありませんよ?」

「構わないわ。あなたたちも良いわね?」

 

頷いた咲夜は傍にいる四ツ谷たちにも問いかける。

小傘、金小僧、折り畳み入道は同時に頷き、四ツ谷は何を今更とばかりに肩をすくめた――。




最新話投稿です。

今回は次回の過去語りに行くためのつなぎ回となっておりますw


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其ノ五

前回のあらすじ。

紅魔館の過去を知るため、美鈴に話を聞きに行く咲夜と四ツ谷一行。
当初は渋っていた美鈴であったが、咲夜の説得に観念し、館の過去を語り始める――。


「美鈴、一体何処へ行こうというの?」

「もう直ぐ着きますよ咲夜さん……」

 

「一緒に着いて来て欲しい」、そう紅魔館の正門で美鈴からそう言われた咲夜と四ツ谷たちは、美鈴を先頭に再び館の中へと戻った。

だだっ広い真っ赤な廊下を美鈴を前にただひたすらに歩き続ける。

その間、その一行の誰も言葉を発することは無く、ただただ重い空気だけが彼らの周りを支配していた。

と言うのも、先頭を歩く美鈴がその空気を纏っている主な原因で、その空気が四ツ谷たちにも伝染して、結果全員が重く沈黙した状態を続けて歩いているのだった。

いくつかの廊下を通り、階段を登り……やがてたどり着いたのは、三階の西側にある廊下の突き当りの部屋であった。

その部屋が目的の場所だと分かると、咲夜は小首をかしげる。

それもそのはず、その部屋は彼女自身もよく使っている部屋だったからだ。

 

「美鈴、ここが目的の部屋?でもここって……()()()()()()じゃない」

「……はい」

 

咲夜のその指摘に、美鈴は静かに頷くと、そっとその部屋の扉を開けた――。

小さく金属がこすれる音と共に扉が開かれ、その部屋の中が皆の前にさらされる。

赤黒いレンガの壁がむき出しとなった畳三畳分ほどの広さしか無い狭く簡素な部屋であった。

乱雑にモップや箒、バケツに雑巾の類が置かれ、部屋の奥に唯一ある小さな窓には細い網目状の鉄格子がはめられ、その窓から溢れ出る外からの日の光が部屋の中に漂う埃を薄っすらと照らし出していた――。

 

「……?どう言う事、美鈴?ここに一体何が……?」

 

同僚がここに連れて来た意図が分からず、咲夜は美鈴に問いかけながら、ふと彼女を見る。

見ると美鈴は、部屋の出入り口の横の壁に背中を預け、暗い顔で俯いていた。

その彼女の口から、信じ難い事実が語られた――。

 

 

 

 

 

 

 

「――……ここが、かつての……()()()()()()()。咲夜さん……」

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

美鈴が今、何を言ったのか理解できず呆けた声を上げる咲夜。

同時に、咲夜の傍で聞いていた四ツ谷たちも驚きで眼を丸くする。

そして次の瞬間、美鈴以外の全員がもう一度部屋の中を除き見る。

とても、この館のかつての主の妻が使っていたとは思えないほど狭く、飾り気の無い不清潔な空間。ベット一つ入れただけでも大半のスペースが埋まるのではないかとも思える。

まるで独房を思わせるその部屋を見ながら信じられないといった顔で咲夜が美鈴に声をかける。

 

「嘘でしょ?美鈴……ここが先代奥様の……お嬢様たちのお母様が使っていた部屋だなんて……。だってこんな部屋、明らかに主の妻はおろか、普通の使用人たちだって使いはしないわ。……むしろ、虜囚のような――」

「――先代の主……旦那様にとって()()()()の存在だったのですよ。……奥様は」

 

ピシャリとそう言いきった美鈴に咲夜は二の句が告げなくなる。

そんな咲夜の様子など気にする事無く、美鈴は顔を上げて淡々と自分の知るこの紅魔館の歴史、その全てを咲夜と四ツ谷たちに語り始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――今から五百年以上前。

 

当時、大陸(今の中国)の出身であり、己の格闘技術を高めようと武者修行をしながら各地を転々としていた美鈴は、放浪の果てに大陸を飛び出し、ヨーロッパへと渡っていた――。

そして、そこのルーマニア中部を放浪していた彼女は、ある時その近隣では有名な()()()()()()に身を寄せる事となる。

 

――それがかつての紅魔館であり、その貴族と言うのがレミリアとフランドールの実父であった。

 

近隣の村々から『暴君』として恐れられていた実父――先代主は、噂に違わないその傍若無人ぷりと悪逆非道ぶりを初めて訪れた美鈴の前でもためらう事無くその場にさらして見せ、部下や使用人たちから隠しようのない恐怖を皆に植えつけていたのだった。

それを見た美鈴も初対面であるにも拘らず、先代主に少なからずの嫌悪を抱いたのは言うまでもない。

だが元々美鈴は、この館に長居するつもりはさらさら無かった。

ここへやって来た理由は一重に、旅の途中で路銀が不足したためにそれを稼ぐために一時、身を寄せに来ただけであったのだ。

馬車馬のようにこき使われるのは目に見えていたが、人外である自分を受け入れ、かつ短期で稼げそうな所は近場ではここぐらいでしかなく、当時の美鈴も少なからずの苦渋の決断であった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ちなみに、当時の紅魔館は真っ赤ではありませんでしたよ?あれは、ご主人様からお嬢様へと主が代わった後、お嬢様が館をこの色へと変えたのです。……私も当時は小柄で貧相な体型をしてまして、今見たいなばいんばいんでは無く、どちらかと言えば咲夜さん見たいな……って、ヒッ!?す、すみません咲夜さん!何でもありません!!話続けますので、そのナイフを仕舞ってください!?」

 

 

 

 

 

 

――そんな美鈴に先代が部下として与えた役職は、彼のただ一人の妻――後にレミリアとフランドールの母親となる女性の『付き人』であった。

この館の主の妻を守る護衛であり補佐――。表向きだけなら、それだけの役職と思われるが、実はあれには『監視』の役割も入っていたのではないかと後々になって美鈴はそう思ったのだという。

その主の紹介で彼の妻だという女性と初めて対面した時、美鈴は一瞬我が眼を疑った。

なにせこの暴君()にはとてもではないが似合わない、柔らかく、落ち着いた佇まいを見せる『人間』の女性であったからだ。

長い金髪を腰にまで垂らし、白いドレスをその身に着こなし、空色の澄んだ瞳で美鈴を見つめるその女性は、この館の主以上の気品さをその身に帯びていたのだ。

そして、その女性の下腹部――ドレスを押し上げるようにして小さく膨らんでいる部分があった。

 

 

 

 

 

 

「……当時、奥様は既に子供を身篭っていました。言わずもがな、お嬢様――レミリア様です。その頃の私は彼女の警護と手伝いをすれば良いだけなのだと楽観的になっていました。ですが……直ぐに、嫌でも目の当たりにする事になったのです……。奥様と旦那様との間にはとても夫婦の関係では収まらない、想像を絶する実態があったのだと――」

 

 

 

 

 

――その最初に見せられたのが、現在掃除用具いれとなっているこの部屋であった。

当時は部屋に小さく安っぽいベットと、これまた小さく、今にも壊れそうなボロボロの木の机だけしか置かれていなかった奥様の自室。

それを始めて目の当たりにした美鈴は言葉を失ってしまう。

さらに美鈴を動揺させたのは彼女の容姿にもあった。

最初こそこの館の妻らしい気品ある女性だと思っていたが、よくよく見れば不自然な部分がいくつもあったのだ。

まず、純白のドレスは高価なものではなく、明らかに古着の類で生地の厚みが磨り減り、ヨレヨレとなっており、顔も化粧の類は全くしていない素顔な上、栄養がちゃんと取れていないのか少し痩せこけてもいたのだ。

髪も櫛で整えただけらしく、所々いたみ、ボサボサとなっていた――。

明らかに使用人以下の扱いに困惑と共に怒りを覚えたのは言うまでもない。

さらに美鈴を憤らせたのは彼女の私生活にもあった。

彼女の存在は、主だけでなく部下や使用人にいたるまで館の全員がつまはじき者にしていたのだ。

主の妻という立ち位置であるにも関らず、傍を通るだけで煙たがられ、陰口や嫌味を言われるのは日常茶飯事。

おまけに出される食事はとても貴族の妻が食べるような豪華な物ではなく、簡素なスープにパンと水という素っ気の無いものばかりであったのだ。

それは彼女がこの館のただ一人の人間であった事にも理由があったのかもしれない。今となってはもう分からない事ではあったが。

しかし、まがりなりにもこの館の主の妻であるにも関らず、()()()()()()居場所がなく、かつ明らかな奴隷のような冷遇に流石の美鈴も頭に来た。

直ぐに主に直談判しようと動くも、それは当の奥様によって止められる。

 

――あの方の怒りに触れてしまえば、あなたは殺されてしまう……!――。

 

そう、涙ながらに必死に自分を止めて懇願してくる彼女に……なにより、自身の事よりも美鈴の事を案じる彼女に、美鈴はこれ以上何もする事ができなかった。

そして、同時に不思議でならなかった。

 

こんなに優しい女性が、どうしてこんな館に嫁いで来たのかを――。

 

それが分かったのはしばらくして、主の配下の者たち数人がとある一室で密かに酒盛りをしている所へたまたま美鈴が通りかかった時であった。

扉一枚隔てた廊下で美鈴が聞き耳を立てている事など気づかずに、配下の者たちは酒によって軽くなった口をベラベラと動かしながら、主と奥様との()()()()を嘲笑いながら語る。

それを聞いた時、美鈴は雷に打たれたかのようなショックを覚えた――。

 

――それは数年前の事であった。

当時から暴君として周辺の村々に恐れられていた主は、とある近隣の村に村一番の美少女がいる事を聞きつけたのだ。

その村の周りに生息する()()()()の中で生き生きとして駆け回るその少女は、さながら花畑で舞う蝶か、地に舞い降りた天使のようだと人々の間で囁かれていた。

――その噂を聞きつけた主は数名の配下を連れ、その村へとやってくると、その村に住むうら若き少女と出会ったのであった。

その少女を一目見た瞬間、主の心にどす黒い感情が瞬く間に渦巻き始める。

そうして下卑た笑みを浮かべた主はその少女に近づくと、求婚を申し込んだ――わけでなく、配下の者に命じて無理矢理彼女を館へと連れ帰ると――。

 

――暴力を持って、彼女を己が毒牙にかけたのであった。

 

全てが突然な事上、昨日まで異性を知らなかったその身の華を散らされた彼女は、主のベットの上で泣き崩れた。

そんな彼女の心情を知った事かと主は彼女の髪を掴んで頭を無理矢理上げさせると、涙に濡れる彼女の耳元で悪魔の言葉を囁いたのだ。

 

――いいか?今日からお前は私の妻だ。この館の住人だ。逃げようなどと考えるな。さすれば、お前の両親、兄弟、友人に至るまで全て根絶やしにしてやるから覚悟する事だ――。

 

含み笑いを混じらせたその言葉に、彼女が絶望に染まった事は言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その話を聞いた瞬間、視界が真っ赤に染まる感覚に陥りながら、頭に血を上らせて美鈴は主のいる玉座の間へと走ろうとし――直ぐにその脚を止めた。

怒りで沸騰した脳内に、泣きそうになる奥様の顔が浮かび上がったからだ。

それを見た瞬間、美鈴は己が身の内に湧き上がる怒りを必死に押さえ込み、壁に手を当てながら冷静になるように荒くなった呼吸を整えた。

そして、幾分落ち着いた頭で思考する。どうすれば彼女を救えるのか――。

 

――だが、必死の思考の末に出された結論は、美鈴にとっても無慈悲なものであった――。

 

まず、主を殺して彼女を解放するという案を思いついたが、それは不可能であった。

と言うのも、彼の周りにいる配下の者たちもそうだが、主自身が当時の美鈴の実力をはるかに凌駕していたのである。

性格や思考能力は三下のそれと変わらない主であったが、彼には格下の者たちを纏め上げ、統率するカリスマ性と吸血鬼たる事を証明する確固たる力を秘めていたのだ。

『強大な力を持った小物』。それが美鈴の出した主の評価であった。

今、彼のもとへ殴りこんでも、彼に拳を届かせる前に配下の者たちによって返り討ちにあい、殺される事は目に見えていた。

なら、彼女を連れてこの館から逃げるというのは?……これも、無理な話であった。

理由は言わずもがな、彼女は今妊娠している。

そんな身重な状態で彼女を連れて逃避行など出来るはずもなかった。

見事なまでの八方塞(はっぽうふさがり)。館には他に味方はおらず、現状、彼女を救い出す事は美鈴一人ではどうする事もできなかったのだ。

彼女を救い出す力も知恵も無い自分に、美鈴はどうしようもない無力感にさいなまれた。

生まれて初めて味わう無力の痛み。されど、美鈴は一つだけ決意した事があった。

 

――それは、武者修行の旅を止めて、この館に留まり続けようと。自身が彼女の唯一の味方であり続けよう、と。

 

そう決意した美鈴の後の行動は早かった。

正式に彼女の『付き人』となる了承を得に主のもとへ向かう。

了承は思いのほかあっさりと通った。主にとってその程度の事は全く問題とも思っていなかったのだ。

その後、旅道具を全て処分した美鈴は改めて正式な『付き人』となった事を奥様に伝えた。

それを聞いた彼女は喜ぶ反面、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべていた――。

 

――それから数ヵ月後、奥様は一人の女の子を産む……。

 

『レミリア』と名づけられた赤ん坊は、母親である奥様の手で大事に育てられた。

しかしその反面、彼女に対する主とその配下たちの風当りは全く変わる事は無く、主に至っては子育てに協力する事も全く無かった。

それ所か、主は奥様の子育てが一段らくするのを見計うと、再び彼女を無理矢理自身の(ねや)へと引っ張り込み始めたのだ。

行為が終り、美鈴とレミリアのもとに戻って来る奥様は日増しに体のあちこちの痣を作りボロボロとなっていた。

以前よりも弱々しくなった彼女を見て美鈴は何度も主に食って掛かろうとしたが、その度に彼女に止められた。

それが、自身よりも美鈴の身を案じるものだと分かるからこそ。美鈴は何も言えず、ただ悔しさに耐えながら彼女の主に与えられた傷を癒すしかなかった。

 

――そんな日々が数年続き、ついに奥様は第二子をその身に宿し、それから一年もしないうちにその子を産み落とした。

 

『フランドール』と名づけられた女の子も、奥様はレミリアと一緒に心を込めて育て続けた――しかし、それが唐突に終わりを告げる事となる。

館での悪環境や周囲の仕打ち、そして二人の子を産んで育てた疲れが出たのか、彼女はフランドールを生んで数年後に病に倒れたのだ。

医者に診せるよう美鈴が主に訴えるも、主は聞く耳を持たず、薬すらも彼女に与える事は無かった。

あまりの仕打ちについに堪忍袋の緒が切れる美鈴。しかし、やはり予想通りに返り討ちになってしまい、美鈴はボロボロとなって玉座の間から外へと放り出されてしまった。

痛みと悔しさに顔を涙で滲ませながら美鈴は、這うように()()()のもとへと帰る。

体中傷だらけで帰ってきた美鈴を見て、ベットから上半身を起き上がらせた彼女は泣きながら美鈴に謝罪した。

美鈴は、そんな彼女をボロボロになった両腕で包み込むと、ただ黙って彼女の涙を受け止め続けたのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それから、一年もしない内でした。私やお嬢様、妹様の三人に囲まれて奥様がこの世を去られたのは……」




最新話投稿です。

今日一日で2話分投稿とあいなりました。
自分でも驚きのスピード更新です。
そして今回は、美鈴が語る紅魔館の過去、『その1』です。
この後も、彼女の口からもう少し過去を語ってもらう予定です。


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其ノ六

前回のあらすじ。

美鈴によってとある部屋に連れて来られた四ツ谷たちは、そこで紅魔館での壮絶な過去を知る事となる。


「そんな……そんな事って……」

 

想像を絶する紅魔館の過去に、咲夜は信じられないといった表情で口元を片手で覆う。

一緒に聞いていた四ツ谷たちも全員が沈黙しており、小傘に至っては無関係な話ではあれど哀愁さえ漂う顔を浮かべていた。

そんな皆の視線を受けながらも美鈴は俯いた暗い顔のまま話し続ける。

 

「……奥様の死後、私は奥様の墓を作ろうとしたのですが……旦那様は紅魔館の庭園内に墓を作るのを嫌い、許してはくれませんでした。ならば、奥様の身を元の故郷……奥様の生まれ育った村へと返そうとも思ったのですが……」

 

そこで美鈴は言葉を詰まらせる。

しかし、数秒の短い沈黙後に再び口を開いた。

 

「……生前、奥様から村のある場所を聞いていた私は、彼女の身内に奥様を渡すために、単身その村へと向かったのです。ですが……もう、()()()()()()()()()()

「……え?無かった……?どういう、事……?」

 

咲夜のその問いかけに、美鈴は静かに答えた。

 

「……川べりにあるというその村は家々の残骸らしきモノが点在して残っているのみで人がいる形跡が影も形も無かったのです。一体どう言う事なのか、私は少し離れた別の村の住人にこの村の事を聞いてみました。そうしたら――」

 

 

 

 

 

「――その村は数年前に、嵐で川が決壊し、その濁流で押し流されてしまったらしいのです……」

 

 

 

 

 

美鈴から語られたその事実に四ツ谷たちは押し黙ったまま聞き入る。

 

「……数百人いた村人の何人かは遺体で見つかったらしいのですが、今だ大半の者が行方不明なままなのだとも……。生存者の存在はたった数名しかおらず、見つかっていない者たちの中には、()()()()()()()()()()()()()()()()を賢明に探していた夫婦の姿もあったとか……」

「そんな……」

 

やるせないといった顔でそう響く咲夜。

深くため息をついて美鈴はそれでも言葉を続ける。

 

「……奥様の故郷、家族が既にこの世に無い事を知った私は、家族の墓(どころ)か遺骨すら存在しないこの地に奥様を埋葬する事が彼女にとって良い事だとはとても思えませんでした。でも、だからと言って紅魔館に無理矢理作ったらあの旦那様が奥様の墓に何をしでかすか分からない……」

 

そうして一呼吸置いて、美鈴はまた言葉を続けた。

 

「……散々迷った結果、私はあの地方では主だった埋葬である土葬を諦め、奥様を火葬にしてその遺骨を私の手で保管する事を決めたのです。いずれ時が経ち、奥様をちゃんと埋葬できるその日が来るのを信じて……」

 

そうして美鈴は言葉を止める。

周囲の沈黙は重く、空気だけでなくその場にいる者たち全員の全身に圧力をかけているかのようであった。

しかし、そんな空気にも構わず美鈴に質問を飛ばす男がいた。

 

「んで?その奥様の遺骨ってのは、今はどうなってんだ?」

「……今はもうちゃんとこの館の裏庭に埋葬しています。旦那様が亡くなって直ぐに……裏庭の隅の、日の当たる場所に」

 

四ツ谷の問いに美鈴がそう答えると、途端に咲夜がハッとした顔を浮かべる。

 

「裏庭って……あそこは私ですらお嬢様からむやみに立ち入らないように言われている場所よね?……そこに奥様のお墓が?」

「ええ、そうです。……実はそのお墓のお手入れはお嬢様が自らが定期的に行っているんです。()()()()()()()だけは……お嬢様にとって今も昔も、特別な場所でありましたから……」

 

少し苦笑気味に美鈴がそう答えると同時に、今度は今まで黙って聞いていた小傘が、腕を組んで憤慨しながら口を開いた。

 

「それにしても、レミリアさんたちのお父さんって酷過ぎますよ。まがりなりにも自分の奥さんにそんな酷い事をして……レミリアさんたちにも嫌われていたって話ですから、一家の大黒柱としての自覚が薄すぎてたんじゃないんですか?」

 

その言葉を聞いて美鈴は再び暗い顔になって俯きながら響く。

 

「『自覚が薄すぎる』……ですか。それは違いますね小傘さん。実際、旦那様は奥様の夫である所か、お嬢様たち二人の実の父親である自覚が()()()()()()()のです」

「……え?」

 

絶句する小傘を他所に美鈴は続けて言う。

 

「はっきり言ってしまえば……あのお方は奥様を自分の妻だと全く思っていなかった。……そして、お嬢様たちに対しても……。あの方にとって奥様とお嬢様たちは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……一時、家族というモノに座興(ざきょう)を見出すためのただの人形――戯れの相手に過ぎなかったのですよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

美鈴のその言葉に再び全員が言葉を失う。

だが、直ぐに咲夜が憤りながら美鈴に食って掛かった。

 

「な、何言ってるのよ美鈴!奥様の事は……残念ながらそうだったのかもしれないけれど、少なくともお嬢様と妹様はその方の血を引いていたのよ?どんなに最低な存在だったかは分からないけれど、娘だと思わないわけ……」

 

そう言う咲夜を前に、美鈴は泣きそうな顔で力なく首を振った。

 

「いいえ……。いいえ、咲夜さん。本当に残念ですけれど、あのお方にはお嬢様たちに対して父親としての愛情を向ける事は一切無かったのです。それ所か――()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「なっ……!?」

 

咲夜は何度目かは分からない絶句を再び重ねた。

そして、それは四ツ谷たちも同じであった。

 

 

 

 

 

――美鈴が言うには、妹様……フランドールが生まれて三年ぐらいした時の事であった。

当時、まだ生まれてから僅かしか立っていないフランドールは、物事の善悪の区別がつかないでいた。

そんな中生まれ持った強大な能力、『あらゆるものを破壊する程度の能力』を彼女が乱用する事は目に見えた事であった。

まだ物心のつかない彼女は、目に付く物を片っ端から破壊していく。

現在なら狂気を帯びた言動で破壊し歩き回っているが、善悪の理解が無かったこの頃は、ただただ純粋で無邪気なだけであった。

そんなフランドールを周囲の者たちは恐れ彼女から距離を大幅に置く。

赤ん坊が核兵器持って歩いているようなものなのだ。必然的にそうなっても仕方の無い事であった。

しかし、そんな中でも母親である奥様、美鈴、そして姉であるレミリアだけは恐れる所か彼女から全く離れようともせず、フランドールに能力を乱用しないよう優しく言い聞かせながら彼女に接し躾けながら日々を暮らしていったのである。

そのかいあってか、無意識的にではあろうが、フランドールも能力を使いすぎるのはあまりよくないと考えたのか、時が経つに連れてしだいに能力を使う回数が少しずつ減っていったのである。

それを間近で見守っていた三人はフランドールの変化に安堵の笑みを浮かべていた。

だが、それでもまだ安心し切れていない者たちが周囲には多く存在しており、中でもフランドールの実の父である館の主は実の娘である彼女に心底の恐怖を抱いていたのである。

何も触れずに一瞬の内に対象を木っ端微塵に破壊するフランドールの能力は、何と主の吸血鬼としての破壊能力を凌駕していたのだ。

物心のついていないフランドールが、自身にその能力を向ける事を恐れた彼は、恐怖のあまりとんでもない凶行に及ぶ。

母親と美鈴が少しの間眼を放した隙に、彼は寝ているフランドールに近づくと、無垢な顔で寝息を立てる彼女の細い首に、それこそ一切の躊躇(ちゅうちょ)も無く手を掛けようとしたのだ――。

 

 

 

 

「なん、ですって……!?」

「……幸い、奥様と私が直ぐに気づいて止めに入り、事なきを得ましたが……あと少し遅れていれば、妹様の首は旦那様の手によってへし折られていた事でしょう」

 

信じられないといた表情で咲夜は響き、美鈴はそう静かに言葉を零す。

咲夜がそう思うのも無理は無い。脅威の能力を宿しているとは言え、仮にも実の娘を父親が殺そうとしたのだから。

美鈴が一際大きなため息を吐くと天井を仰ぎ見て続きを言う。

 

「……私と奥様の必死の説得で何とかその場から手を引いてくれた旦那様でしたが、その目に映る妹様への恐怖心は少しも拭える様子は無かったようでした。……そして同時に、私は悟りました。旦那様は妻である奥様どころか自分の血を分けたお嬢様や妹様ですら、自身の身内などとこれっぽっちも思っていなかったと言う事に……」

「……ハァ、もうどうしようもなく擁護(ようご)できねーなその男。呆れるまでにつくづくクズ野郎だ。夫所か親ですら失格とは始末に終えん」

 

舌打ちをしてそっぽを向きそう毒つく四ツ谷。無表情ながらもその目には少なからずの侮蔑と怒りが混ざっていた。

それを見た美鈴も頷く。

 

「はい……。その時は手を引いてくれた旦那様でしたが、やはり妹様の能力が怖かったのでしょう。彼女を館の地下深くへと幽閉し、自身から遠ざけようとしました。その時も私と奥様は旦那様を説得して地下から出してもらえるよう懇願しましたが、それは受け入れられる事はありませんでした。……旦那様から許可を得られなかった私たちは、仕方なく妹様と同じ地下に入り、そこで一日を過ごしお嬢様と共に妹様を育てる事を決めたのです。……薄暗く息苦しいほどに圧迫された地下ではありましたが、それでも奥様は笑顔を絶やさず二人を愛情を持って育て、そこで静かに暮らしました」

 

そこで美鈴は言葉を一旦止め、続けて口を開く。

 

「……奥様の死後も旦那様のお嬢様たちへの冷遇は変わる事はありませんでした。私は一人でお二人を守るため地下に篭り続け、お嬢様たちの身の回りのお世話をすると共に、いつか旦那様を倒し、この冷たい地下から二人と共に出るためにそこで修行を始めたのです。……もっとも、その努力は無駄となってしまいましたが……」

「無駄になった?どう言う事……?」

 

咲夜の問いかけに美鈴は苦笑しながらそれに答える。

 

「……私が旦那様に挑むよりも先に、()()()()()()()()()旦那様は殺され、あの世へと葬られたのです。()()()()とは言え、何とも呆気ない最後だったみたいですが……」

「殺された……?先代よりも強い者に殺されたの?」

「ええ。私自身の手でかたをつけられなかったのは残念でしたが……」

 

小傘の問いに美鈴はそう答え、その時の事を詳細に語り始めた――。

 

 

 

 

 

――奥様の死後、数百年。その間も美鈴は地下でレミリアとフランドールと共に先代主の冷遇を受け続けながら暮らしていた。

そんなある日、先代主は風の噂で()()()()()()の事を耳にした。

東の最果て……『日ノ本』と呼ばれる島国に『人と人ならざる者たちが共存する奇妙な里』があるのだと――。

その里の存在を知った先代は腹を抱えて笑う。

 

――共存?人と魔の者が?そんなおめでたい場所を創ったのは一体何処の誰なのだろうか?吹けば簡単に散るような脆い命を持った人間と共に暮らすなど、さぞそこに暮らす人外も創設者も脆く弱い存在に違いない。

 

そう決め付け考えた先代はふとひらめく。

それは、自分がその里の支配者となり、人間は蹂躙し殺し、共存などと愚かな考えを持った人外たちには、『自分たちは人間のはるか高みに立つ存在』だと改めて理解させるために、自身の手を持ってご教授してやろうと――。

名案だとばかりに、自分勝手にそう思いついた先代は、早速部下に命令してその隠れ里の正確な位置を割り出すと、そこに館ごと己が力を持って自分たちをその地へと転移させたのであった。

 

――その隠れ里に、自分の想像を絶する存在が多く住んでいる事も知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと、その『隠れ里』ってまさか……」

 

顔を引きつらせてそう問う咲夜に美鈴はまた苦笑を浮かべると『それ』が正解だとばかりに口を開く。

 

「そのまさかもまさか。()()()()()()()()咲夜さん。そしてその時旦那様が起こした事件も、幻想郷の記録にしっかりと残されています――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『吸血鬼異変(きゅうけつきいへん)』と……」

 

 

 

 

 

 

 

開いた口が塞がらない咲夜たち。そんな彼女たちを前に、美鈴は苦笑しながらゆっくりと先代主の最後を語り始めた――。

――その異変が起こった時も、美鈴はレミリアとフランドールと共に地下にいた。

突然の爆発音が頭上から揺れと共に響いたかと思うと、それらが立て続けに地上の方から轟きだしたのだ。

戦争でも起こったのか!?何が起こっているのか分からず、美鈴はレミリアたちを腕の中に抱えてそのまま嵐が過ぎ去るのを待った。

そして数時間にも及ぶ轟音がようやく止み、静かになった地下で美鈴は様子を見に行こうとゆっくりと立ち上がる。

すると同時に、地下の出入り口の方から、規則正しい足音を鳴らしながら一人の美女が地上から降りてきたのだ。

紫のドレスに足元まで垂れた長い金髪。片手には畳んだ日傘を持ったその美女は、美鈴たちを見つけると薄っすらと微笑みながら近づいて来たのだ。

その美女を見た瞬間、美鈴は直ぐに彼女が人間ではない事を悟り、それと同時に自分一人ではまるで歯が立たない強大な存在である事も本能的に気づいた。

急速に血の気が引き、冷や汗を垂らしながらも、レミリアたちを守るように立つ美鈴。

そんな彼女の数メートル手前で立ち止まった紫色のドレスを纏った女性――八雲紫が柔らかい口調で口を開いた。

 

『……あら、()()()()()()()()()()()……。あなたの後ろにいる可愛らしい吸血鬼ちゃんたちは、この館の主の娘かしら?』

『そう、ですが……。あの、貴女は一体……?地上で一体何が?』

『あら?何も知らないの……?』

 

美鈴のその問いかけに、意外そうな顔を浮かべる紫は先程まで地上で起こっていた事を掻い摘んで話してくれた。

――曰くこの館の当主が突然、自分たちの住むこの地に館と共に現れ、総力を挙げてこの地を攻めて来たとの事。そして自分たちはその火の粉を払う為に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだと言う――。

 

『ぜ、全滅って……。それでは、旦那様は……!』

『ええ、私とこの地を守護する(当時の)博麗の巫女で取り押さえて、ちょっと前に登った朝日にその身をさらさせてやったわ。見事に塵芥(ちりあくた)となって風に乗って散って行ったわよ』

 

なんとも呆気ないこの館の主の最後をあっさりと聞かされ、美鈴は思考が停止し開いた口が塞がらなくなった。

そして、それは彼女の背後で聞いていたレミリアたちも一緒であった。

しかしそれに対して、紫は先程の笑みを消して、一転何とも複雑そうな顔で美鈴たちに向けてその時の詳細を口にする。

 

『……あの男。いきなりここへやって来たかと思うと「この地の支配者になってやる」とか、わけの分からない事をほざきながら攻めて来たのよ。……でもね。確かに強力な力に強い魔物たちを使役していたけれど、戦略とか戦術的戦い方がまるでなっていなかったわ。その()に直ぐに気づいた私たちはそこを突いて攻めてやるとあっさりと形勢逆転。あの男との最後の一対一(サシ)の勝負でも力任せに攻めまくる考え無しの戦い方ばかりで、ちょっとした隙を見つけてそれを突いてやったら呆気なく決着がついちゃったのよ』

 

呆然となる美鈴たちの前で紫の話は続く。

 

『……朝日にさらして消滅させる時も、あの男結構無様に泣き喚いていたわ。――』

 

 

――この私が……こんなにあっさり負けるはずが無い!!そんなはずは無いんだぁ!!

 

――私の持つ軍勢は最強だ!!それを従える私も世界の頂点に至る存在なのだ!!そんな私がこんな弱小な里の民どもに負けるわけが無い!!

 

――夢だ……これは夢だ!!悪い夢なのだぁぁぁっ!!

 

 

『――って、最後まで自分の敗北も死も受け入れる事無く、朝日に炙られながら逝ってしまったわ。こんな大きな館を持つ貴族の者にしては目に余る無様な最後だったわね。……ねぇ、あの男本当にこの館の主だったのよね?影武者とかじゃなく』

 

 

 

 

 

 

「……あまりにも情けない最後だったのでしょう。旦那様に手を下した紫さんでさえ、彼がこの館の本当の主だったのかと最後まで首をかしげていましたから……」

 

美鈴の説明に咲夜も四ツ谷たちも反応も見せなかった。

それに構わず、美鈴はその後に起こった出来事も簡潔に話し始める。

 

「……一通り話をした紫さんはその後、館を去って行きました。もうこの館の生き残りは私とお嬢様と妹様のたった三人のみ。しかもその三人とも幻想郷に対して敵意は無い以上、もはやここにはもう用は無いと、そう言って……。残された私たちは地上に出て半壊した館を目の当たりにしました。あの忌々しく。私やお嬢様たちの憎悪が積もりに積もったその場所が、あまりにもあっさりと瓦解し、瓦礫の山となった状態でそこにあったのです。……その後、お嬢様が必然的にこの館の当主となり、私たちは長い時間をかけて館を修復しました。この幻想郷の妖精たちをメイドとして引き入れたり、館全体をお嬢様の好きな赤色に塗り替えたりして……。今までの過去を文字通り塗り潰して無かった事にするかのように……。そして、館の復興がある程度終り、安定した頃……私はお嬢様から()()を言い渡されました」

「え?お嬢様があなたにお暇を?」

 

驚く咲夜に美鈴は頷く。

 

「はい。以前から私が武者修行の途中でこの館に留まり続けた経緯を知っていたお嬢様は、私をこれ以上この館に縛り続けるのは酷だと思ったのでしょう。私を役職から解放し自由にするつもりだったみたいです。ですが……」

 

美鈴はそこで小さく微笑むと静かに首を振った。

 

「……私はそれを断りました。この数百年、私は奥様とお嬢様たちと共に今日までこの館で生きて来たのです。今更、武者修行の旅の空に戻っても行きたい場所などありませんし、お嬢様と妹様の今後の事が気がかりでしたので」

「それであなたはここに残る事を決めたのね……」

「ええ。それを伝えましたらお嬢様を内心嬉しそうでしたが、やはり私を数百年この館に留めさせ、面倒をかけた負い目もあったのでしょう。私を比較的楽な今の門番の役職につかせたのです」

 

咲夜のその言葉に美鈴はそう答えると、最後に「これが、私が知る紅魔館の五百年間の過去の……大まかな経緯です」と響いて話を()()終わらせた――。




最新話投稿です。

美鈴の過去話『その2』です。
次回は最も重要な話を美鈴の口から最後に語ってもらう予定です。


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其ノ七

前回のあらすじ。

美鈴の口から語る紅魔館の過去(その2)が語られ。
先代当主の結末が四ツ谷たちの知る事となる。


美鈴の過去語りが一旦終り、その場に重苦しい沈黙が流れる。

だが、その空気に流される事なく口を開く男がいた。

腕を組み何かを考える素振りをする四ツ谷は、その疑問を美鈴に吐き出す。

 

「……なぁ、ちょっと妙に思ったんだが。お前らの所の妹様が狂気にかられたのって五百年も地下に幽閉されていたからなんだよなぁ?幻想郷縁起にもそう書いてあったし……。だが、お前の話だとその地下にはお前やあのお嬢様も一緒に過ごしてたんだろ?お前ら二人がついていてもそうなっちまったって言うのか?」

「それは……。情けない事に、そうです。……旦那様は妹様を地下から出すのをかたくなに拒んでおりました。先ほども言ったように、それほどまでに妹様を恐れていたのだと思います。ですがその反面、私やお嬢様へはあまり警戒心を抱いておらず、地下への出入りも自由なものとなっておりました」

 

そう響いた美鈴は、小さくため息を吐くと続きを口にする。

 

「……私やお嬢様が自由に外へと出られる事に、その頃の妹様は幼心に何か思う所があったのかもしれません……。何度か私たちを(うらや)むような……それでいて、嫉妬するような眼を向けられた事がありましたから。それが妹様の心に影を落とす事となり、時が経つにつれ鬱屈したものへと変化していったのかもしれません。ですが、私とお嬢様はそれでも一日の多くを妹様と一緒にいようと努力しました。妹様と一緒に遊び、妹様と一緒に食事をし、妹様と一緒に就寝を共にする……。でも、その甲斐も空しく妹様は段々と私たちに笑顔を見せることが無くなってしまったのです……。見た目相応に無邪気に笑顔を見せていた妹様が、虚ろな目で虚空を見つめブツブツと何かを呟くという変わり果てた姿になってしまって……私もお嬢様もどうすれば良いのか分からず、悩まない日はありませんでした」

 

そう言って美鈴は再びため息をつくと、天井を仰ぎ見ながら呟く。

 

「……思えば、()()()()()妹様のその症状が出始めていたのかもしれません」

「あの時?」

 

咲夜がオウム返しにそう問いかけ、美鈴はそれに答える。

 

「ええ……。実は奥様がご存命の頃、幽閉されたばかりの妹様を何度か外へ連れ出した事があったのです。……その時は決まって旦那様が外出し、館の警備が手薄くなる時でした。遊び癖のあった旦那様は館を留守にする事が多く、それを見た奥様は旦那様が出かけられた時を見計らってお嬢様と共に妹様を地下から連れ出し、毎晩のように()()()()()()の中で一緒に楽しく遊んでおられました……。ですが奥様の死後、旦那様に妹様を連れ出している事がばれてしまい、地下の警備が以前よりも厳重なものに……」

「ご自身の庭園って……。()()()ってもとは奥様がお植えになっていたものなの?」

「え?……ああ、違いますよ咲夜さん。咲夜さんが言っているのって、この館と正門の間にあったあの庭の事を言ってるんですよね?……あれは、旦那様の死後、私がお嬢様の許可を得て作った庭園です。今までの紅魔館の様相を一新させる、その一環として……。私が言っているのは()()()()()()()()()奥様の庭園です」

 

ブンブンと両手を振って咲夜の勘違いを訂正する美鈴。その言葉を聞いた四ツ谷が口を開いた。

 

「裏庭にかつてあった?今はもう無いのか?」

「ああ、はい……。なんでしたら、見に行きますか?今から」

「いいの?美鈴。裏庭ってお嬢様にとって奥様のお墓もあるから特別な場所なんでしょ?」

 

咲夜がそう問いかけ、美鈴は小さく笑いながら頷く。

 

「気づかれなければ大丈夫ですよ咲夜さん。……それに、あそこを見てもらえればもっと奥様の事を知ってもらえると思いますし……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて奥様の自室だった掃除用具入れ前から再びエントランスに戻ってきた四ツ谷たちは、今度は正門玄関とは正反対に位置する扉の前に立っていた。

そこで美鈴を先頭に、一行は裏庭へと足を踏み入れた――。

 

「ここが……裏庭……?」

「そうです。咲夜さんは始めて見るでしょうけれど、正門玄関前の庭とは雲泥の差でしょ?」

 

美鈴の言うとおり、紅魔館前の庭とこの裏庭とではまるで印象が違っていた。

春の日差しを浴びながら、輝くように花々が咲き乱れる館前とは正反対に、裏庭は誰も手入れをしていないのが丸分かりなほどに荒れ果てていた。

見渡す限りに雑草が伸びに伸び、敷き詰められた石畳もその隙間から雑草が生えて押し上げられたのか、かつては綺麗に整えられえていたそれがあちこちに乱れが生じていた。

四ツ谷たちは、美鈴を先頭にしてその荒れた裏庭を奥へと向かって進んでいく。

そして直ぐに、唐突に開けた場所へと出た。

そこは、小さな木が一本だけ生えており、その周辺だけは雑草の類が一本も生えておらず手入れも行き届いているようであった。

その空間の中央付近に墓石(ぼせき)があった――。

十字架を模した形のその墓石は、木の根元付近に作られており、朝の日の光がその木で遮られて作られた木陰の中にその存在を静かに佇ませていたのであった。

 

「……このお墓が?」

「はい……」

 

咲夜の問いに美鈴は短くそう答え、墓石の前に歩み寄ると、その前にしゃがみ込み静かに手を合わせ黙祷した。

四ツ谷たちが見守る中、美鈴は短い黙祷を済ませるとゆっくりと立ち上がる。

そうして墓石に語りかけるように響く。

 

「……奥様、もう少し長居をしたい所ではありますが、今はこれで……。近いうちにまたお参りに来ますので……」

 

そう呟くと美鈴は咲夜たちに向き直る。

 

「……その庭園はもう直ぐそこです。……こちらへ」

 

そう言って再び美鈴は歩き出し、皆も後からそれに続く。

そうして美鈴の言うとおり、その墓石から目と鼻の先の距離に目的の場所があった。

しかし、そこはもう『庭園』と呼ぶには程遠いほどの風景になってはいたが。

 

「ここが……あなたの言う『奥様の庭園』があった場所?」

「はい……もう、見る影もありませんが……」

 

咲夜の言葉に美鈴は俯きながらそう答えた。

その場所は先程裏庭の出入り口付近から見た場所と然程変わりばえの無い、雑草まみれの風景が広がっていた。

とても庭園とは呼べない状態の場所。しかし、その雑草の隙間から薄っすらと石造りの細い溝が見えており、今はもう枯れてはいるものの、かつてはそこに水路があった事がうかがわれた。

 

「……ここが、かつて奥様がお作りになられた庭園であり、()()()()()()()()があった場所です」

 

美鈴のその言葉に咲夜たちは全員彼女に注目する。

小傘が美鈴に問いかける。

 

「第二の、故郷……?」

「はい……。妹様を産んでしばらくしてからの事でした……。奥様は旦那様にたった一度だけ深く願い込んだ事があったのです。……それが、この場所に奥様だけの庭園を作ることでした。最初こそ渋っていた旦那様でしたが、この場所は旦那様にとってあまり意識していない場所であったため、最後には奥様の願いを聞き入れてくれました。……私の手伝いのもと、奥様は一年以上かけてこの場所に水路を引き、土を整えると、そこにとある白い花を植えていったのです。……その花は奥様の故郷の村の周辺に自生する花で、村にいた頃、よくその花の中で遊んでいた事を奥様は私に話してくれたのです」

「……そう言えば、さっきも言ってたなそんな事……。そうか、だから第二の故郷か……」

「ええ……。その花に囲まれて生まれ育った奥様にとって、花の姿は故郷の風景、花の香りは故郷の匂いそのものだったのです。……庭園ができて直ぐ、奥様は毎日のようにここへ足を運ぶようになりました。そうして、庭園の手入れをしながらこの場所を眺める奥様の顔は、それはもう安らぎに満ちたもので、館の中にいる時とはまるで別人のように穏やかな笑顔を零していたのです」

 

四ツ谷の言葉にそう言った美鈴も、その時の事を思い出したのか嬉しそうに顔を緩めた。

 

「……奥様にとってこの場所はもうあの狭く苦しい自室とは違い、かけがえの無い自身の居場所。『ふるさと』以外の何物でもなかったのです……。やがて奥様は、旦那様が外出している間、お嬢様と妹様を連れてこの庭園にやって来ると、手作りの紅茶やお菓子をお嬢様たちと一緒に食べながら、ささやかではあれどかけがえのない時間をお嬢様たちとこの場所で過ごすようになられたのです。……まぁ、かく言う私も一緒になって奥様からお菓子をもらっていた次第ではあるのですがね」

 

そう小さく苦笑する美鈴。そうしてかつて庭園だった場所を遠い目で見つめながら続けて言う。

 

「でも……。あの頃の奥様は本当に幸せそうでした。月下に風に舞う白い花畑の中……お嬢様と妹様と一緒に戯れる奥様はまるで過去の事なんて無かったかのように、無垢な少女のような笑顔を二人に振りまいて一緒に遊んでおられました。そしてそれはお嬢様たちも一緒で……。それを見た時、私は本当に嬉しくて……嬉しくて……っ」

 

言葉の最後が震え、同時に美鈴の眼から雫が流れ落ちた。

咲夜たちが見守る中、美鈴はそれを手の甲で拭い、続けて口を開く。

 

「……でもっ……ですが、やがて奥様が病気で倒れこの世を去られると、旦那様はこの庭園までも配下の者たちに命じて、この庭を取り壊してしまったのです。もう主のいない庭など必要無いと言って……っ!」

「美鈴……」

 

怒りに震わせる美鈴の両肩を咲夜はそっと手を添えた。

しばしの沈黙後、四ツ谷が美鈴に問いかけた。

 

「……その奥様の故郷の花ってのは、もう植えていないのか?」

「はい……。正門の方の庭園にも植えていません。……お嬢様が奥様の事を思い出すからと言ってその花を植える事を拒み続けていましたから……」

 

そう答える美鈴の両肩に手を添えていた咲夜は、かつて庭園だった目の前の荒れ果てた土地をジッと見ながら、ポツリと呟く。

 

「……今日、ちょっと前に妹様の発狂を止める時に、妹様こう言っていたのよ……お母様の顔なんて少しも覚えていないって……あの肖像画を見ても実感を持てなかったって……」

「……無理もありません。あの頃の妹様はまだ物心つくかつかないかの頃……あの後直ぐ奥様は他界し、この庭園も壊されてしまいましたから……。でも、それだと()()()()()()も覚えてらっしゃらないのでしょうね……」

「約束って……?」

 

美鈴のその言葉に、咲夜はオウム返しにそう問いかける。

 

「……実は、奥様が亡くなる少し前。奥様はお嬢様と妹様を最後にもう一度、自身の庭園へ連れ出した事があったのです。病気に蝕まれた身体を引きずりながら、私がお止めするのも聞かずに……」

 

そう言いながら美鈴は眼を閉じて、その時の事を脳裏に蘇らせた――。

 

――日に日に病気に蝕まれ、すっかりとやせ細った奥様は、ある晩何かを思い立ったかのように突然ベットから身を起こすと、レミリアとフランドールと連れて自身の庭園へと向かって行った。

慌てて美鈴が彼女の容態を気にかけ、止めようとするも、彼女はそれをやんわりと断り、フラフラとした足取りながらも、その歩みを止めようとはしなかった。

美しい満月の下。庭園に着いた美鈴は、少し離れた所から彼女たち三人を見守った。

白い庭園……その花畑の中で、奥様はレミリアたちと視線の高さを合わせるようにしゃがみ込むと、レミリアとフランドールにそれぞれ優しく『何か』を語りかけていったのである――。

 

「……残念ながら私の立っていた場所からでは、奥様がお二人に何を語ったのか……その詳細を聞き取る事はできませんでした……。後で奥様に何をお話なされていたのかお聞きしましたら……『二人とちょっとした約束を、ね……』と、そう言うだけで……」

「……その約束の内容が何なのか、聞かなかったの?」

「ええ……。それ以上聞くのは野暮だと思いましたので……。でも、こんな事ならあの時無理にでも聞きだしておけば良かったのかもしれません……」

 

咲夜の問いにそう答えてシュンとまた俯く美鈴を見つめる小傘。

しかしその視線が直ぐに『別のモノ』へと向いていく。

 

「師匠……?」

 

いつの間にか四ツ谷は、美鈴からかつて庭園だった土地へと視線を向けており、ジッとその場所を見据えたまま立ち尽くしていた。

その瞳には、先程まで無かった鋭利の刃を思わせる真剣さを宿して――。

 

「「……?」」

 

咲夜と美鈴も四ツ谷の様子が変わった事に気づき、彼に視線を向ける。

しかしその瞬間、四ツ谷は美鈴へと視線を移し口を開く。

 

「……ここに植えられていた花ってのは、今も覚えているか?」

「へ?え、ええ……。名前はもう忘れちゃいましたが、どんな花だったのかは覚えています。……植物図鑑で調べれば分かると思いますが……」

 

先程までとは打って変わって真剣な口調でそう問われ、一瞬面食らう美鈴であったが、すぐにそう答える。

四ツ谷は「図鑑か……」と、小さく一言そう呟くと、踵を返し紅魔館へと歩みを進み始めた。

突然の四ツ谷のその行動に、周りの者たちは一瞬遅れて彼の後を追う。

 

「し、師匠。一体どうしたんですか?」

「門番は着いて来てるな?今から図鑑を用意するから、そいつにどんな花がそこに咲いていたか調べさせんだよ」

「……へ?そんな事をして一体どうするつもりなんですか?」

 

歩みを止めない四ツ谷のその背中に、小傘はそう問いかけるも、四ツ谷からその返答が返ってくる事は無かった――。




最新話投稿です。

少し遅くなりました。
文章も前回より短めです。


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其ノ八

前回のあらすじ。

美鈴から『奥様の庭園』の事を聞いた四ツ谷は、図鑑を手に入れるため、()()()()()へと向かう――。


「……あら?また来たのあなたたち」

 

紅魔館の地下にある大図書館。

そこで本の整理をしていたパチュリーは、先程出て行った咲夜たちが再びここに舞い戻ってきたのを見て僅かに眼を丸くする。

先頭を歩いていた四ツ谷はパチュリーのそんな様子には全く気にする様子も無く、ズンズンとパチュリーの前へとやって来る。

そして、彼女の手前数メートルの場所で歩みを止めると開口一番に声を上げた。

 

「……オイ、この図書館に植物図鑑はあるか?」

「何よいきなり。ここは世界中のありとあらゆる本が納められている場所よ。あるに決まってるじゃない」

 

両手を腰に当てて、何を当たり前な事を?と言いたげに小首をかしげるパチュリー。

そんな彼女の様子に四ツ谷は背後からやって来ている美鈴に親指を肩越しに指しながら口を開く。

 

「今からコイツの記憶を頼りにその本を使ってとある花の事を調べるんだよ」

「とある花?」

 

ますます持って意味が分からないと言いたげな表情でパチュリーはそう言うも、四ツ谷は毅然とした態度で口を開く。

 

「ああ……。今回の一件、その解決への糸口は、()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……レミィたちの母親の故郷の花?」

「はい。あの男、美鈴から話を聞いた直後いきなりその花を調べるといってここに……一体何を考えてるのか」

 

咲夜から掻い摘んだ説明を受けたパチュリーは机に頬杖を突いて、同じく説明を終えてため息をつく咲夜と共にその大元たる男を同時に視界に映した。

その男――四ツ谷文太郎は少し離れた机にパチュリーが用意した植物図鑑を置き、それを傍にいた美鈴に見せている最中であった。

図鑑を受け取った美鈴は少々戸惑いながらもその本の頁をめくり、そこに書かれている文字に眼を走らせていく。

やがて何頁がめくった後、唐突に美鈴の手が止まった。

 

「……あった。()()()この花だったと思います」

 

そう言って美鈴はその頁を開けたまま図鑑を四ツ谷に渡す。それを受け取った四ツ谷はそこに書かれている花の名を口にした。

 

「……『マーガレット』か」

 

その声と共に、四ツ谷の後ろにいた小傘、金小僧、折り畳み入道も四ツ谷の背中から図鑑を覗き込む。

そこには文字と共に写真に載せられた白い花――マーガレットの姿があった。

それを見た小傘は四ツ谷に声をかける。

 

「師匠、この花を調べて一体何を……?」

「……もう忘れちまったのか小傘?俺がこの館に()()()()()()()()()()ってのを」

「え?いえ、忘れてはいませんが……って、師匠まさか」

 

『何か』に思い当たったのか僅かに眼を見開く小傘を他所に、四ツ谷はパタンと本を閉じると、ゆっくりと小傘たちから離れる。そしてある程度距離が離れた所で、四ツ谷は静かに天井を見上げるとゆっくりと()()()()()――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――むかし、むかしのおはなしです。とある地方の小さな村に一人の少女が住んでしました……。

 

――少女は毎日、野山を駆け回り、無邪気な笑顔を振りまきながら日々を過ごしていました。

 

――しかしある時、近くに住む悪魔に眼をつけられ、少女は悪魔の館に連れ去られてしまったのです……。

 

――館に閉じ込められ、無理矢理結婚をさせられたそれからの少女は、毎日悲しみに泣き暮れていました。

 

――やがて少女は、悪魔との間に二人の子供を生み。そのあと彼女自身は不治の病にかかってしまったのです……。

 

――自分の命が残り少ない事に気づいた少女は、悪魔に頼み込んで館の傍に小さな自分だけの庭を作り、そこを自分の居場所と定めたのでした……。

 

――やがて少女が死んだ後、誰も来る事のなくなったその庭で一人の白い少女が一人静かに佇む姿が見られるようになりました……。

 

 

 

 

    ――はらり。

 

 

 

                                 ――ひらり。

 

 

 

         ――はら、ひらり……。

 

 

 

 

 

 

 

 

――純白のウェディングドレスを思わせる白い服を身に纏い、夜風と共に天空へと舞い上がる白き花弁。

 

――時にその花弁を相手にダンスを刻むかのように、一点の穢れの無い清廉潔白なその少女は、白い花畑の中で、一人静かに舞い踊る――。

 

――悪魔に見初められ悲劇の結末を迎えた少女。……その少女が自身の死後もその庭に留まり続けてまで願い続ける――。

 

 

 

 

 

                  ――その想いとは……?

 

 

 

 

                                           」

 

 

 

 

 

――そこまで語られた四ツ谷の噺は、そこで唐突に終りを向かえる。

まるで童話を思わせるような物語。いきなり語り始めた四ツ谷に周囲の者たちは困惑するも、四ツ谷が語り終えるまで誰も声を上げる者などいなかった。

まるで、自身の意識が現実世界から切り取られ、別世界の物語の中に連れて来られたかのような錯覚。

実際に見えているはずが無いと言うのに、四ツ谷の言葉が耳から脳内に入った瞬間、まるでその物語の光景が実際に目の前で起こっている。そんな気分にその場にいた全員が()()()()()()()

そうして、四ツ谷の語りが終わると同時に、その場にいた全員が現実へと引き戻される。

しばしの沈黙。

しかし、やがてハッとなった小傘は、固唾をのんで四ツ谷におずおずと問いかける。

 

「し、師匠……。まさか今のは……」

「その『まさか』しかねーだろ?」

 

そう言って不気味にニヤリと笑った四ツ谷は、この場にいる全員に宣言するかのように声を上げた。

 

「……今回の怪談の『聞き手』は、この紅魔館に住む()()()()()()

 

……フランドール・スカーレットと()()()()()()()()()()()()()()……!

 

……そして怪談の題目は、この館の先代――その吸血鬼に無理矢理妻にされ、そして死んでいった悲劇の女性の物語――。

 

 

 

 

 

 

 

 

        ――『吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)』だ……!!」

 

 

 

 

 

 

「なっ!?」

「……ッ!?」

 

四ツ谷のその発言に咲夜と美鈴が絶句し、他の者たちもポカンと目と口を開けっ放しで四ツ谷を見つめた。

しかし、今度は直ぐに咲夜と美鈴が怒りを露にし、四ツ谷に噛み付いた。

 

「どう言う事なの!?お嬢様から怪談の『聞き手』は妹様だけと言われたはずよ!何故お嬢様まで……!!」

「……私も聞き捨てなりません!奥様をネタに怪談を創るなど言語道断です!!私はそんな事の為に昔話をしたわけじゃない!!」

「お、落ち着いてください!咲夜さん、美鈴さん!!」

 

怒りに身を任せて四ツ谷に詰め寄ろうとする咲夜と美鈴に、小傘は慌てて四ツ谷を庇うようにして四ツ谷と咲夜、美鈴の間に割り込んでそう叫んだ。

しかし、四ツ谷はそんな二人の怒りにまるで意に介さないとでも言うかのように、静かに口を開く。

 

「今回の怪談……『吸血鬼の花嫁』は、妹の方だけに聞かせたんじゃ意味が無いんだ。姉であるあのお嬢様にも立ち会って聞いてもらう必要がある」

「ふざけないで!お嬢様を廃人にすると分かっていて、おいそれとそれを見過ごすわけが無いでしょう!?」

「ちょっ、失礼な銀髪メイド!俺は怪談に対しては真面目だ!ふざけてやるなど断じて無い!!」

「この……!」

 

小傘を押しのけてさらに詰め寄ろうとする咲夜。しかし、それよりも先に四ツ谷が口を開く。

 

「……それに。怪談を行えなけりゃあ、あの吸血鬼姉妹はこの先も救われる事はねーぞ」

「お二人を廃人にするつもりのくせに救われるも何もないでしょう!?」

「誰が()()()()()()()()()()?」

「……え?」

 

四ツ谷のその言葉に咲夜の動きが止まり、少し遅れて美鈴も動きを止めてぽかんとしたまま四ツ谷を見る。

その視線を受けて四ツ谷は「何言ってんだ?」とばかりに怪訝な顔で続けて言う。

 

「俺は怪談を語るつもりではあるが、あの二人を廃人にするつもりなどこれっぽっちも無い」

「……で、でもあなたの『最恐の怪談』は、『聞き手』を恐怖のそこに突き落とし、廃人にするって聞いたわよ?」

 

動揺しながらの咲夜のその言葉に、四ツ谷は「まさか!」と鼻で笑ってみせる。

 

「俺の『最恐の怪談』が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……あ!」

 

四ツ谷のその言葉に、小傘はハッとする。確かにその稀なる例を以前に一度、見た事があったのだ。

それは去年の秋の初め、『とおりゃんせ』の一件の時に……。

 

「……本当なの?」

 

その時、第三者の声が辺りに響き、その場にいた全員の視線がその声の持ち主へと集中する。

先程まで自身の愛用の椅子に座っていたパチュリーがゆっくりと立ち上がり、ジッと四ツ谷を凝視していた。

何の感情も浮かべてはいない真顔。されどその目は真剣で、四ツ谷を視線で貫かんばかりに見つめていたのだ。

パチュリーはゆっくりと続けて四ツ谷の問う。

 

「……本当にその『最恐の怪談』とやらで、レミィたちの(いさか)いを解決する事ができるの?」

「当然だ。俺に二言は無い。もし失敗しちまったら、煮るなり焼くなり好きにすりゃあ良い」

「ちょっ、師匠!?」

 

さらりととんでもない事を約束する四ツ谷に、小傘は慌てて止めに入ろうとする。

しかし、それよりもパチュリーが「……そう」と小さく呟くと、視線を咲夜と美鈴に移し、口を開く。

 

「……咲夜、美鈴。この件、このまま彼に任せましょう」

「パチュリー様!?」

 

そう叫ぶ咲夜に、パチュリーはピシャリと言ってのける。

 

「もともとこの男を連れて来るように言ったのはレミィなんでしょ?言いだしっぺの彼女が連れて来るだけ言って何もしないというのは理にかなっていないとは思わない?発案者なんだから責任持って立ち会うのが筋と言うものでしょう?」

「で、ですが……」

「パチュリー様、私はまだ何一つ納得していません。奥様を怪談とやらの道具にするなど、私は決して……!」

 

語気が弱まる咲夜とは正反対に、美鈴はまだ全く折れてはいなかった。当然と言えば当然と言える。

彼女は一番間近でレミリアたち親子を見てきたのだ。今は無き心から仕えていた女性を怪談のネタにするなど、そうそう納得できるわけがなかった。

しかし、パチュリーはそんな美鈴に冷徹な質問を浴びせる。

 

「美鈴、一つ聞きたいのだけれど。レミィたちの母親は本当に()()()()()()()()()()()?」

「……え?」

 

いきなりのパチュリーのその言葉に、美鈴のみならずその場にいる全員が呆然となる。

それに構わずパチュリーは続けて口を開く。

 

「だって考えても見なさい。話を聞く限りじゃその奥様とやらはレミィたちの父親に無理矢理ここに連れて来られて手篭めにされた挙句、レミィたちを生んだのでしょう?……好きでもない、ましてや自分から全てを奪った憎しみすら抱いてもおかしくない男との子供に、どうして愛情なんて注げられるの?」

「そ、それは……」

 

美鈴は俯き唸るようにそう呟く。その両腕は僅かに小刻みしながら震えていた。

それに構わずパチュリーはまくし立てるように言葉を続けていく。

 

「一番傍にいたあなたでも、あの二人を育てている間、彼女がレミィたちに憎しみを抱かなかったという証拠がどこにあるというの?帰る故郷を失い、自由を失い、この館の中で下僕や鼻つまみ者同然の扱いで暮らしていた彼女が、あの二人に母親としての眼を向けられるわけ――」

「そんな事はないッ!!!!」

 

大図書館に美鈴の怒りを含んだ叫び声が轟いた。

突然の事にその場にいた全員が言葉を失い立ち尽くす。

シンと静まり返る大図書館。しかし、直ぐに美鈴の静かな声が響き始めた。

 

「……確かに、奥様のお心の内の事は私にも分かりません。ですが私が見る限り、奥様がお二人に憎悪の眼を向ける事は一度もありませんでした……!旦那様の妹様への凶行の時、真っ先に身を挺して庇ったのはあの方です。それだけじゃない。あの庭だって、私やお嬢様、妹様以外の者たちには誰も入れさせようとはしなかったのです。お嬢様たちを嫌悪していたと言うのであれば、あの大切な庭に迎え入れるなんて事すると思いますかパチュリー様?」

「…………」

「……お嬢様たちを育てている時も、あの庭でお二人と子供のように遊んでいる時も、奥様は本当に幸せそうでした。私は……奥様のあの笑顔が嘘偽りのものだったなんてどうしても思えない――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私は……あの笑顔を信じたいのです……!」

 

 

 

 

 

 

自身の服を両手でギュッと握り締め、涙眼で真っ直ぐにパチュリーを見つめる美鈴。

その視線を受け止めながら静かに美鈴を見据えるパチュリーは、やがて小さく息を吐いた。

 

「……悪かったわね美鈴。その奥様に対して暴言が過ぎたわ。ごめんなさい」

「……いえ、私の方こそすみませんでした。いきなり大声出してしまって……」

 

俯きながら小さくそう謝罪する美鈴。しかし、そこでパチュリーは真剣な目つきで美鈴に話しかける。

 

「でも、美鈴。だからこそそこの男の計画に乗ってみるべきだと私は思うのよ。あなたが言うように、本当にレミィたちの母親があの二人を愛していたと言うのなら、今のレミィたちを見てこのままにして置くなんて事はしないでしょう?」

「…………」

「フランを身を挺して庇った精神を持つその彼女なら、例え自身が怪談の中の怪異にされようとも、あの二人を救う道を選ぶんじゃないの?」

「パチュリー様……」

 

小さく笑いながらそう諭すパチュリーを美鈴が見つめる、その目は心なしか視界が開けたかのように澄んだものへと変わっていた。

と、そこへ四ツ谷が声を上げる。

 

「……話し合いは終わったかい?」

「ええ。この私にここまでの事をさせたんだから、ちゃんと成功させなさいよね」

「シッシッシ!もちろんだ。言ったろ?責任はちゃんと持つって」

「その責任、私も片棒を担ぐわ。咲夜と美鈴をたきつけてあなたの怪談に賛同させたんだから当然でしょ?」

 

腰に両手を当ててそう言うパチュリーに「意外と律儀だな……」と四ツ谷が小さくそう響くと、両手をパンと鳴らし、大図書館内の空気を一変させる。

 

「さぁて!そうと決まれば準備開始だ!まずはさっき図鑑に載ってた『マーガレット』の花を集める!」

「『マーガレット』の花を?」

 

小傘にそうオウム返しにそう聞かれ、四ツ谷は強く頷く。

 

「ああ。まずはその花を集めて――」

「――ちょっと待ちなさい、四ツ谷文太郎さん」

 

行動に移そうとしていた矢先、四ツ谷の言葉を遮ってパチュリーが待ったをかけた。

いきなり出鼻をくじかれる形となり、嫌そうな眼をしながら四ツ谷がパチュリーを見る。

 

「……何だよ?」

「その花の事なんだけどね。……ねぇ美鈴、あなたがその庭で見たって言う花は本当にその花なの?」

 

パチュリーは言葉を紡ぎながら、四ツ谷から彼が持っていた植物図鑑をひったくるようにして手にすると、先程開けたマーガレットの頁を見せながら美鈴にそう問いかけた。

その頁の写真を見ながら美鈴はやや困惑しながら口を開く。

 

「へ?え、ええ……。確かにこの花だったと思うのですが……」

「いいえ。たぶん、違うと思うわよ?」

「え……?」

 

困惑が深まる美鈴を尻目に、パチュリーは己が『知識』をひけらかすかのように、その場にいた全員に説明をし始めた。

 

「……マーガレットは、元は大西洋のカナリア諸島という群島が原産地でね。そこからヨーロッパへと渡ったとされているのだけれど、その時期が大体()()()()()()()()()()()()()だと言われているの」

「何……?」

 

その説明を聞いて何かに気づいたらしい四ツ谷がピクリと反応する。

それを見たパチュリーはニヤリと小さく笑った。

 

「気づいたようね……。そう、レミィたちが生まれた五百年前は、まだ『マーガレット』がヨーロッパに渡るか渡らないかの頃、レミィが生まれるよりも前にヨーロッパに生息しているというのは、まず考えられないのよ」

「で、でも、私が見た白い花は確かにこれだったような……?」

 

そう動揺しながら呟く美鈴にパチュリーは静かに首を振る。

 

「たぶん、あなたが見た白い花はマーガレットによく似た別の花よ」

「別の花、ですか……?」

「ええ……。もっとも、その花はマーガレットに似てるが故か、国によってその名で混同されたりとしてたりするんだけどね」

 

そう言いながらパチュリーは植物図鑑の頁をペラペラとめくると、とある頁に手を止める。

 

「……そうなると、あなたの見たというマーガレットに似て、かつ五百年前より以前からヨーロッパに生息していたという白い花は……おそらく、こっちの花じゃないかしら?」

 

静かにそう響いたパチュリーはその頁を美鈴の目の前に掲げて見せた。

 

「これは……!」

 

眼を見開く美鈴の背後から、四ツ谷たちも全員、頁の中身を覗き込む。

そこにはマーガレットによく似た白い花の写真が写っていた。

全員の反応を一瞥したパチュリーは、少し得意気に呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『デイジー』。別名、雛菊(ヒナギク)と呼ばれる多年草の一種よ」




最新話投稿です。

過去話は一旦終りですが、この後四ツ谷たちに最大の難関が待ち受けます。


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其ノ九

前回のあらすじ。

四ツ谷たちは美鈴の記憶から大図書館にて白い花の正体を見つける。


「デイジー。……ええ……ええ、そうです。間違いありません。確かにこの花です私が見たのは……!」

 

植物図鑑。そこに載せられたデイジーの写真を凝視していた美鈴がそう叫んだ。

自分の記憶の中の白い花と写真の中の花の姿が自身の中でカチリと合致したのだろう。

マーガレットの花の写真を見た時よりもより確信を持った口調であった。

それを見たパチュリーがニヤリと笑い、同時に四ツ谷も口角を吊り上げて口を開く。

 

「……どうやら、そっちが本物で間違いない見てーだな?なら『最恐の怪談』創作、その第一段階として、今からそっちの花をたくさんかき集めに行くぞ」

「この花を、ですか?でも師匠、この花を集めて一体何を……?」

「ヒッヒッヒ。決まってんだろ?――」

 

小傘の問いに、不気味に笑いながら四ツ谷が続きを言い放つ。

 

 

 

 

 

 

 

「――蘇らせんだよ。あの庭を……!」

 

 

 

 

 

 

その言葉にその場にいた全員が眼を見開く。

そして、驚いたまま美鈴が四ツ谷に声をかける。

 

「蘇らせるって、まさか奥様のあの庭を……!?」

「ああ。それ以外に何があるってんだよ?」

「いや、ちょっと待ちなさいよ。あの庭の広さから見て結構な量の花が必要よ。そもそも、今のこの時期に咲いているような花なの?」

 

咲夜がそう言って四ツ谷に待ったをかけるも、間髪いれずにパチュリーの方から「問題無いわよ」と声が上がった。

 

「デイジーの開花時期は二月から五月までの間。十分今が開花時期よ」

「で、ですが問題なのは量です。幻想郷を駆けずり回っても、野生で咲いているのなんてほんの一握りのはず……。人里の花屋の花を買い占めたとしても全く足りはしないわよ?」

 

そう指摘する咲夜の言葉に四ツ谷が真剣な声を上げる。

 

「……だが、これから行う俺の『最恐の怪談』を完成させるには、どうしてもあの庭を復活させなけりゃならねぇ。そのためにはあの白い花が大量に必要だ」

「そう言われてもねぇ……」

 

頬に手を当てて悩み顔になって呟く咲夜。それは周りにいる者たちも同じであった。

全員が悩み顔で沈黙し、思考にふける。

しばしの間、大図書館が静寂に包まれるも、やがてパチュリーがため息と共に口を開いた。

 

「ハァ……やっぱり、()()に頼み込むしかないかしら……」

「パチュリー様も、そう思いますか?」

 

咲夜にそう問われ、パチュリーが少し疲れたかのように頷く。

 

「……彼女くらいしかいないでしょ?大量に目的の花を持ってそうな奴って言ったら……」

「……あー、やっぱり、そうするしかないのでしょうか?」

 

二人が言っている『彼女』という人物に、小傘も心当たりがあるらしく不安を混ぜた困り顔でそう呟いた。

そこに四ツ谷が声をかける。

 

「誰か持っている奴がいるのか?」

「ええ、まあ……。ですが、彼女は……」

「色々と厄介ですからねぇ……」

 

小傘が顔をしかめて俯き、美鈴が腕を組んで天を仰ぎ見ながらそうぼやく。

そこまで聞いた四ツ谷も『花』と『彼女』、そして『厄介』というワードでその者の正体に気づきハッとし、同時に顔を少し引きつらせた。

 

「オイ……。まさか、そいつって……」

 

以前、何度か宴会などで顔を合わせており、幻想郷縁起でも『彼女』の事が載ってたが故、四ツ谷もその者のヤバさを間接的にだが知っていた。

四ツ谷のその響きに、小傘は困り顔で頷きながら口を開く――。

 

「はい、師匠の思っている通りの方です――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――四季のフラワーマスター。風見幽香(かざみゆうか)さん……。彼女なら目的の花を持っていると思いますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠~。本当に行くつもりですかぁ~?」

「行く。俺の『最恐の怪談』完成のためだ」

 

不安げに呟く小傘に、四ツ谷は頑なに答える。

春の晴天の空の中、巨大化した番傘につかまって飛ぶ四ツ谷を先頭に小傘と咲夜が後ろから着いて来る形で飛んでいた。

大図書館での一件の後、(モブ、と言うかほとんど背景化していた)金小僧と折り畳み入道を一度、四ツ谷会館へと帰した。

そこで長らく待機していた梳と既に会館に仕事でやって来ているであろう薊に現在の状況を金小僧と折り畳み入道の口から伝えてもらうためであった。

そのついでとして、折り畳み入道に会館においてあった四ツ谷の番傘を取りに行ってもらい、受け取ったその傘で現在、目的の人物――風見幽香のいる『太陽の畑』へと向かっている最中である。

付き添いとして小傘が、そして一応、レミリアから四ツ谷を監視するように言われていた咲夜がこうして同行しているというわけであった。

先頭を飛ぶ四ツ谷に咲夜が呆れた眼を向ける。

 

「よりにもよって、彼女から花をもらいに行こうだなんて底抜けの怖いもの知らずねあなた。尊敬するわ」

「……それ、絶対に馬鹿にしてるだろ銀髪メイド!」

「だってそれ、自ら断頭台に上がろうとしているようなもんなんだもの。はっきり言って愚行よ」

「やかましい。それしか花を手に入れる方法が無いってんなら俺は一人だってやるぞ?」

 

意固地にも飛ぶスピードを緩める様子も無く、そう言い捨てる四ツ谷に咲夜はため息をつく。

 

「ハァ……。わかったわよ。どの道、下手してあなたにミンチになってもらったら私も困るし、いざとなったら能力使って離脱するけど、そのつもりでいて頂戴」

「へいへい。分かったよ」

「師匠。いざという時はわちきも師匠を守りますよ!」

「おーう、マジで頼りにするぞ?」

 

やる気に満ちた小傘の声に、肩越しに手をひらひらと振りながらそう答える四ツ谷。

それと同時に、四ツ谷の視界に目的の場所が見えて来た――。

 

幻想郷の者たちから『太陽の畑』と呼ばれている南向き傾斜のすり鉢状の草原。

そこは夏になると一面見渡す限りの向日葵(ひまわり)で埋め尽くされる場所であり、目的の女妖怪、風見幽香の縄張りとも呼べる地でもあった。

しかし、今は春。それ故現在、太陽の畑には一本も向日葵は生えておらず、代わりに春の花々が色とりどりに咲きほこっていた。

しかもその花々は、一種類ごとに一塊に密集して生えており、一目見て何処にどのような花が生えているのか分かりやすいように生えていたのだった。

太陽の畑を空の上から一望し、眺めていた四ツ谷はそれに気づき小さくにやりと笑う。

 

「へえ~。乱雑に滅茶苦茶に生えていたら厄介だったが、これだったら目的の花を一度に大量に見つけられるな」

「降りるわよ。言っとくけど一本たりとも花は踏まないようにしなさい。一本踏んだら彼女に骨一本折られる覚悟はする事ね」

「怖ッ!?」

 

先陣を切って太陽の畑に向かって降下する咲夜はやや低めの声色で四ツ谷に忠告し、それを聞いた四ツ谷は小さく絶叫した。

そうして、花々の間を縫うようにして伸びる小道の上にゆっくりと三人が降り立つと、唐突に一陣の風がザワリと吹いた――。

途端に、小傘の顔が一瞬にして険しくなる。

 

「……師匠。どうやら()()()()もう気づいているみたいです」

「……こっからが正念場だな」

 

僅かに顔を強張らせて小道の向こうを睨みつける四ツ谷。

 

そうして一分もしないうちに、道の向こうから()()が現れた――。

 

クセのある緑の短い髪に深紅の瞳を持ち、傍目からでも分かるほどの抜群なプロポーションの身体に白のカッターシャツとチェックの赤いベストにロングスカートを纏い、手には白い日傘を刺したその女性は優雅に歩きながら、四ツ谷たちの前で静かに立ち止まった。

 

「……あら?お花ちゃんたちが騒ぎ出したから一体どんな客が来たのかと思ったら……。これはまた、珍しい組み合わせね。あの小娘吸血鬼の所のメイドに、新参者とその下っ端となった唐傘娘なんて……」

 

ややつり目がちなその双眸で四ツ谷たちを値踏みするかのようにその女性――風見幽香がそう呟く。

ただ立っているだけだと言うのに、幽香のその容姿からは計り知れないほどの威圧感が滲み出しており、四ツ谷の後ろにいる咲夜と小傘は自然と固唾を飲んだ。

だが、そんな威圧に四ツ谷は負けじと気力を踏ん張り、幽香と相対する。

そうして毅然とした態度で四ツ谷は幽香に落ち着いた調子で口を開いた。

 

「……久しぶりだな。風見幽香」

「ええ、本当に久しぶりね。確か……四ツ谷文太郎とか言ったかしら?前にあったのはあなたのあの拠点(会館)ができた記念式典での宴会での席だったわよね?」

「ヒッヒ。その節はどうも」

 

四ツ谷はそう言って軽く会釈した。

とりあえずは、前振りであるあいさつから入って行こうという手順なのだろうと、後ろで見ていた咲夜と小傘は四ツ谷を見てそう思った。

 

「それで?今日は一体何の御用かしら?」

 

凛とした態度でそう問いかける幽香に、四ツ谷も胸を張って答える。

 

「お前に頼みたい事があって来た」

「頼みたい事?……へぇー、いい度胸じゃない。この私にそんな言葉を吐くだなんて。……それで?一体何?」

 

眼を細めて少し面白そうに幽香が笑みを作り、四ツ谷にそう聞く。

四ツ谷はおもむろに懐にしまい込んでいた、パチュリーから借りてきた植物図鑑を取り出すと、デイジーの載った頁を開き、それを幽香に見せながら口を開く。

 

太陽の畑(ここ)に今、この花は咲いていないか?白いやつなんだが」

 

問われた幽香は覗き込むようにしてその頁を見つめると、直ぐに姿勢を元に戻し答えた。

 

「ええ、咲いているわよ。このお花ちゃんたちなら……ほら、あそこに」

 

そう言いながら幽香は右手で遠くの方へ指を差す。つられて四ツ谷たちも指の先の方向へと視線を動かした。

そこには、今いる場所から少し遠いながらも太陽の畑の端っこの方に白い花々が密集して咲いているのが見えた。

距離はあれど、四ツ谷たちのいる場所からでもかなりの数が咲いているのが確認でき、十分に必要な量があると認識できた。

それを見た四ツ谷は真剣な表情で幽香へ視線を戻すといよいよ本題へと切り出した。

 

「……頼みたい事と言うのは他でもない、あの花を譲ってほしい。できるだけたくさん」

「あのお花ちゃんたちを?」

 

四ツ谷の言葉に、幽香は今一度花の方へとチラリと眼を向ける。

そして、再び四ツ谷に視線を戻すとその瞳を細めて問いかける。

 

「……一応聞くけど。あのお花ちゃんたちを一体どうするつもり?もし、押し花とかにするつもりなら、あなたの体も押し花みたいにペラッペラにしてあげるから」

 

僅かにだが、幽香の身体から殺意がオーラのように滲み出て来たのを感じ取り、咲夜と小傘が思わず身構える。

しかし、先頭に立つ四ツ谷はあっけらかんとした口調で、右手をパタパタと振りながら答える。

 

「しねーよ、ンな事。……ちょっと訳あってな。紅魔館の裏庭に植えるだけだ」

「……?あの小童(こわっぱ)吸血鬼の館の庭に?……それだけ?」

 

予想外だったのだろうか、幽香の顔が意表を突かれたかのようにポカンとなり、四ツ谷はそんな幽香の問いかけにウンウンと頷いてみせる。

幽香は殺意を消し去ると顎に手を当てて思案顔となり、四ツ谷を見据える。

数秒間、四ツ谷を値踏みするかのように見つめていた幽香であったが、おもむろに口角の端を吊り上げ、口を開く。

 

「……へぇ、何か訳有りみたいじゃない」

「まぁな。しかも期限(タイムリミット)もあんま無くてな。今日の夜までにはあの花を植え終えたいんだよ」

「あらまぁ。それはまた随分と急な話じゃない」

 

四ツ谷のその言葉に、幽香は他人事のように返答する。それを聞いた四ツ谷はため息をつきながら口を開く。

 

「ああ、全く同感だな、その点は。……それで?どうなんだ?」

 

返答を聞く四ツ谷に、幽香の笑みが僅かに深くなったのを四ツ谷の背後に立っていた小傘は見逃さなかった。

嫌な予感がする。そう感じた小傘の不安がすぐに的中する事となる。

幽香はフフッと小さく笑って見せると四ツ谷に自身の答えを聞かせてみせる。

 

「……そういう事なら、あのお花ちゃんたちを譲るのもやぶさかではないわ。何をするつもりなのかは知らないけれど、私としてはあの館に植え替えた後もちゃんと大事に育ててくれさえすれば文句は無いわけだしね。で・も――」

 

そこまで言った幽香はおもむろに四ツ谷の顔を覗きこむようにして顔を近づけた。

突然の事に四ツ谷は僅かに眼を丸くし、反射的に上半身を少し仰け反らせる。

咲夜と小傘が息を呑んで見つめる中、四ツ谷の目の前に来た幽香の整った顔が不気味な笑みに歪む。

 

「――それ以前に、私があなたの頼み事を聞く義理なんて、無いわよね?」

「……!」

 

幽香のその冷ややかな発言に、四ツ谷も眼を見開いて息を呑んだ。

そんな四ツ谷を尻目に姿勢を正した幽香は、クルリと彼らに背を向けて距離をとりながら口を開く。

 

「私が何であなたたちの頼みを聞かなきゃならないわけ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「な、何ですって……!?」

 

幽香のあまりの暴言に今まで黙っていた咲夜が反射的に噛み付く。

しかし、直後肩越しに幽香がギロリと咲夜を睨みつけ、その視線を受けた咲夜はそれ以上何も言わずおずおずと引き下がる。

ここで波風を立たせたら、今以上に面倒この上ない事になるのは眼に見えていたからだ。

少し悔しそうに顔を歪めて下がる咲夜に、溜飲が下ったのか目元をニヤりと歪めた幽香は、再び四ツ谷に口を開いた。

 

「刹那の時を生きるお花ちゃんたちの命はとても尊く、至高とも呼べる価値観をもつ存在なのよ。……それに気づきもしないで、燃やしたり、踏みつけたり、ちぎったり、折ったり、押し花にしたり、あげくゴミにして捨てたり……あなたたちのような植物の偉大さをないがしろにする生物たちの価値なんてあの子たちの足元にも及ばないわ!……そんな底辺価値しか無いあなたたちの頼み事なんて、聞く耳持たないわよ」

 

四ツ谷に背を向けてそう言いきった幽香は、そこで言葉を止める。

そのタイミング見計らってか四ツ谷は静かに幽香の背中に問いかける。

 

「……じゃあ、どうすれば頼みを聞いてくれるんだ?……言っとくが暴力的な事は勘弁してくれよ?こんな非力でヒョロイ男、(なぶ)った所で()さすら晴れんだろうよ」

 

両手をぶらぶらと揺らしながら、少しおどけたようにそう言う四ツ谷。

それを聞いた幽香は再びクルリと身体を四ツ谷たちの方へ向けると、わざとらしく何かを考えるようにして口元に指を添えながらニヤニヤと笑って呟く。

 

「んー……どうしようかしら?それじゃあ……そうねぇ……――」

 

そうして幽香は、咲夜と小傘の眼を大きく見開かせる要求を四ツ谷にぶつけてきた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それじゃあ四ツ谷(あなた)、今この場で私に向けて土下座しなさい♪額を地面にこすり付けて懇願するなら考えてあげても良いわよ?」




最新話投稿です。

次回、幽香との駆け引き決着です。


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其ノ十

前回のあらすじ。

デイジーを大量に手に入れるため、四ツ谷たちは幽香のもとを訪れ、交渉を行う。


突然の幽香のその発言に、その場の空気が一瞬にして凍りつく。

数秒の沈黙後、咲夜が幽香に食って掛かった。

 

「……な、何言ってるの?いくら花を手に入れるためとは言え、この男がそんな事する訳……!」

「フフフッ……。嫌ならいいのよ、別に。私はどっちでも良いしね?」

 

意地悪げな笑みを浮かべ悩ましげにその身をくねらせて挑発してみせる幽香。

しかし、直後に彼女のその笑みが凍りついた。

 

 

 

 

 

「なんだ、そんな事で良いのか?」

 

 

 

 

 

「……え?ちょっ、師匠!?」

 

何とでもないかのようにそう小さくつぶやいた四ツ谷は、小傘が止めるよりも先に地面に土下座をすると地面に額を押し付けて幽香に懇願するように口を開いた。

 

「……お願いします。あの花を俺に譲ってください……。これで良いか?」

 

呆気にとられる小傘と咲夜に気づかずにはっきりとした口調でそう言った四ツ谷は、幽香の様子を見るために顔を上げる。

見ると幽香も小傘たち同様、眼を丸くして四ツ谷を見下ろしていた。

 

「?」

 

まるで自分がついた嘘が本当になったかのような幽香のその顔に、四ツ谷は首をかしげる。

四ツ谷のその様子を見た幽香は直ぐにハッとなり、少し複雑そうな口調で口を開く。

 

「……少し、驚いたわ。しないと思っていたのに……。まさかこんなに易々として見せるなんて……あなた、プライドってものがないの?」

「?……あるぞ?多分、人並みぐらいにはな」

 

そう言った四ツ谷は「だがな……」と、続けてそう呟くとゆっくりと立ち上がり、幽香と同じ高さの視線で真っ直ぐに見据えながら、彼女に静かに問いかけた。

 

「風見幽香。お前はさっき言ったな?『生物の価値は花の足元にも及ばない』と……。つまり、お前にとって植物は生きとし生ける他の生物たちよりも遥かに尊く、極めて崇高な価値を秘めた存在なんだな?」

「……ええ、そうよ。植物たちに比べたらあなたたち生物の命なんて吹けば飛ぶ塵みたいなものと私は思ってるわ。それで?それが一体、何なのかしら?私の言葉が気に触った?」

 

眼を細めて下等生物を見るかのような顔で四ツ谷を見下す幽香。

しかし四ツ谷は、一度静かに眼を閉じると、その顔に不気味な笑みを浮かべて眼を見開いた。

 

 

 

 

()()()()

 

 

 

 

「……!?」

 

短く、あっさりとした四ツ谷のその言葉。されどまるで得体の知れない闇の奥底から響いたかのようなその声色に、幽香は一瞬、背筋をゾクリと震わせていた。

そんな幽香の様子に気付いていないのか、四ツ谷は静かに続きを口にする。

 

「風見幽香。お前が花に他の生物以上の価値観を持っているように、俺も『怪談』に自分の命以上の絶対的な価値観を持っている。『怪談』は俺にとって生きる(かて)であり、何ものにも変え難い、無くてはならない必要不可欠な存在なんだよ」

「……私のお花ちゃんたちへの愛が、あなたのその怪談への情熱と同等だと言いたいの?」

「さァな。だが、少なくとも俺は怪談のためなら自身のちっぽけなプライドなんぞ喜んでそこいらの犬にでも食わせてやるよ。何度でも言うが、『怪談』は俺の生きる意味であり、全てだ。『怪談』の為なら、俺はなんだってやってやるよ」

「それは、自分の命をもかけて良い。って事なのかしら?」

「ああ、もちろんだ♪――」

 

 

 

 

 

 

「――それが、俺が『怪談』へと向ける愛と情熱だからな……!」

 

 

 

 

 

 

 

そう即答して不気味に顔を歪めて笑顔を向けてくる四ツ谷を幽香はジッと見据える。

手刀を軽く振っただけであっさりと首を飛ばせられるほど無防備かつ警戒心の全く無い男……吹けば簡単に命を散らす事のできる目の前の脆弱なその男に幽香は眼を放す事ができなかったのだ。

そして、いつの間にか幽香の胸の内には彼への好奇心が芽生えだし始める。

幽香が花のためなら他の生命を簡単に奪う事にためらいが無いように、この四ツ谷という男もまた、『怪談』のためならどんな事だってする覚悟を持つ異端者。

自分とはまた違った、異質な価値観を持つこの男の生き様に、幽香は興味を持ち始めたのだ。

 

 

――故に、面白い。

 

 

この男がこれから先、この幻想郷でどんな事をしでかすのか、それを想像するだけで幽香の口元が小さく、されど愉快そうに吊り上った。

 

「……ふふっ、ふふふふふっ♪何とも……呆れるほどに変な男ね、あなた」

「シッシッシ……♪」

 

お互いに笑い合う幽香と四ツ谷。しかし、二人の間には得体の知れぬ混沌とした空気が渦巻いているのを、傍から呆然と見守っていた咲夜と小傘が、何となくではあれどそれを感じ取っていた。

 

――だが次の瞬間、その場の空気がケロリとした軽いものへと変化する。

 

幽香は四ツ谷から視線を外すと、持っている白い日傘をクルクルと回しながら四ツ谷たち三人から数歩距離をとると、その視線を背後の咲夜へと移す。

 

「いいわよ。お花ちゃんたちを持っていく事を許可するわ」

 

さっきまでの歪んだ笑みは何処へやら、自然体の柔らかい笑みを小さく浮かべてそう呟く幽香に、咲夜は一瞬面食らうも、直ぐに確認するかのようにおずおずと口を開く。

 

「本当に、いいのね……?」

「ええ、いいわよ。ただし、二つほど条件があるわ。……一つはあのお花ちゃんたちの植え替え時には私を監督として立ち会わせる事。あなたたちに任せたままにして、もしもお花ちゃんたちが傷つく事になったりしたら堪らないから」

「……もう一つは?」

 

咲夜のその問いかけに、幽香は眼を細めて咲夜の隣に立つ小傘へと眼を向ける。

 

「事が終わった後でも良いわ。ちょっとの間だけ、彼女を貸して貰える?」

「……へ?私ですか?」

 

自分を指差して首をかしげる小傘。それをチラリと肩越しに見た四ツ谷は幽香に問いかける。

 

「……何をする気だ?」

「別に獲って喰おうって訳じゃないわ。……ただちょっと()()()()()()()()()って思ったのよ」

 

フフッと小傘を見ながらそう言って笑う幽香。小傘はその笑みに何やら薄ら寒いものをゾゾッと背中に感じるも、直ぐに頭を振って真っ直ぐに幽香を見つめながら力強く口を開く。

 

「わ、分かりました。これも師匠の『最恐の怪談』の為です!私でよければ何だって受けて立ちます!」

「まぁ、ふふふっ♪ちょっと前のあなたじゃ考えられなかった言葉ね、気に入ったわ♪」

 

覚悟の決まった小傘のその真摯な眼に、幽香も満足げに微笑む。

そんな小傘と幽香を傍から見ていた四ツ谷は、「全く、俺の許可も無く勝手に決めていきやがって……」とブツブツ文句呟きながら軽く肩をすくめると、幽香に声をかける。

 

「助手一号がああ言った以上、俺も断る気はねーよ」

「結構。交渉成立ね♪」

「シッシ。感謝するぜ、風見幽香」

「フフッ♪それで、これからどうするの?」

 

いつもの不気味な笑みを浮かべながら、そう感謝を述べる四ツ谷に、幽香はニッコリと微笑みながらそう問いかける。

その問いかけに四ツ谷は答えた。

 

「これから()()()()()()()()を取りに一度戻る。早めに太陽の畑(こっち)に戻って来るつもりだからそんなに時間はかからん」

「あらそう?なら、私も一度家に戻るわ。あなたたちが戻って来るそれまでの間、優雅にティータイムと洒落込もうかしらね」

 

そう呟いて「じゃあね」と軽く片手を振った幽香は四ツ谷たちに背中を向けると、来た時と同様に優雅な足取りで小道の向こうへと去って行くのだった――。

そうして、幽香の姿が四ツ谷たちの視界から完全に消え去ると、咲夜と小傘が大きく息を吐く。

 

「はぁーっ、全く内心冷や冷やしたわよ」

「同じく……。でも良かったですね師匠。交渉が上手くいっ……師匠!?」

 

やれやれと肩を落とす咲夜に同感し、四ツ谷に声をかける小傘の声が、途中で驚愕に変わる。

小傘と咲夜が見ている前で、背中を向ける四ツ谷の身体が大きくバランスを崩し、尻餅をついてその場に座り込んでしまったのだ。

 

「し、師匠!大丈夫ですか!?」

 

慌てて四ツ谷に駆け寄る小傘。四ツ谷は俯きがちにいつもの不気味な笑みを顔に貼り付けてはいたものの、その顔全体に脂汗を噴出しており、呼吸もやや荒くなっていた。

 

「ヒッヒ……。全く、寿命が縮んじまったぜ。向こうは何もしてないってのに、終始喉下に刃を突きつけられているかのような息苦さだったぞ」

 

疲れきったかのような声でそう響く四ツ谷に、咲夜も疲れきった声で口を開く。

 

「それでもあの風見幽香の前で堂々と張り合っていたのには、正直感心したわよ。あの威圧感の中で臆する事無く真正面から彼女と交渉するなんて、大した者じゃない」

「……それ、馬鹿にしてんのか銀髪メイド?」

 

首を背後に向けて捻り、怪訝な顔で自分を見上げる四ツ谷に、咲夜は苦笑を浮かべながらため息混じりに呟いた。

 

「……いいえ。ちょっと悔しいけれど、今のは心からの本音よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は、正午少し前――。

早々に紅魔館に戻ってきた四ツ谷たちは、早速行動を開始する。

まず四ツ谷は、()()()会館に置いてある葛篭と()()()()()()()()()()()()()()()、小傘たちが紅魔館に来るときに使った衣装箱を使い、折り畳み入道を呼び出した。

衣装箱の蓋を三回四ツ谷がノックすると、ゆっくりと蓋が開かれ、中からのっそりと折り畳み入道が顔を出す。

四ツ谷を視界に納めた折り畳み入道は嬉しそうに口を開く。

 

「おぅ、父ちゃん。帰って来たのか?」

「今し方な。さっそくだが折り畳み入道、頼みがある。会館に梳や薊はまだいるな?……できるだけ速く会館にいる従業員全員をここに連れてきて欲しい。これから人手がたくさん要るんだ」

「んー?分かったぁ。会館の方も父ちゃんの指示待ちで待機しているから直ぐに連れて来れると思う」

 

そう言い残すと折り畳み入道は再び衣装箱の中へと戻って行った――。




最新話投稿です。

少し短いですがキリが良いのでここで投稿させていただきます。
お盆休み前であったため仕事が忙しく投稿するのが遅れて申し訳ありませんでした。
次は速めに投稿できるよう努力いたします。

後一つお知らせなのですが、この章の『其の三』の最初に出てくるレミリアの独白にて一部文章を改変させていただきましたのでよければそちらも見ていって下さい。

それではw


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其ノ十一

前回のあらすじ。

風見幽香との交渉、決着。


四ツ谷会館に待機していた面々、金小僧、梳、薊、そして折り畳み入道を呼んだ四ツ谷は、折り畳み入道が入っている衣装箱とは別に、()()()()()()()()を金小僧に持たせて一同、紅魔館の裏庭へとやってきた――。

そこには先に来ていた咲夜、美鈴、小傘の他にも()()()()()()がそこに勢ぞろいをはたしていた――。

 

「こいつはまた……予想以上に多くの人手が揃ったな」

「この紅魔館で働いているホフゴブリンと()()()()()たちよ。これだけの数がいれば、数時間でこの庭園を元に戻すことができると思うわ」

 

四ツ谷の呟きに咲夜が胸を張って答えた。

咲夜の背後、合わせて百人近い人外の者たちがずらりと立っており、その種類は小柄で赤いバンダナと腰巻しか身に纏っていない小鬼(ゴブリン)と、同じく小柄で透明な羽とメイド服を纏った妖精との二種類に分かれていた。

それを見ていた小傘は妖精メイドの方を見ながら不安げに呟く。

 

「でも、大丈夫なんですか?妖精メイドって基本自分たちの食事ぐらいしか用意できない者たちばかりだって聞きましたけど……」

「問題ないわ。ここにいる妖精メイドたちは()()()()()

「特別?」

 

咲夜の言葉に小傘がオウム返しにそう聞き返し、問われた咲夜は力強く頷いた。

そして、一歩前に出ると咲夜は声を張り上げる。

 

「整列!」

 

すると、途端にホフゴブリンの中から妖精メイドたちだけが抜け出し、瞬く間に横一列に整列したのだ。

突然の事に美鈴以外、ポカンとなる四ツ谷たち。

そんな四ツ谷たちの様子も気にせず、咲夜は妖精メイドたちに四ツ谷たちを紹介するべく声を張り上げ続ける。

 

「こちら、今回の計画に共同で行う事となった四ツ谷会館の皆様よ。一同、礼ッ!」

 

そうして、咲夜の号令と共に妖精メイドたちは一斉に、自分たちのスカートを両手で摘むと驚く四ツ谷たちに向けてカーテシーの一礼をして見せたのだ。

それはもう、少しのブレもない完璧に息のあった所作であった。

開いた口が塞がらない四ツ谷たちに咲夜は得意げに言う。

 

「どう?私の育て上げた『妖精メイド精鋭隊』よ」

「よ、妖精メイド精鋭隊???」

 

呆然としたまま再びオウム返しに聞き返す小傘に、咲夜は「そうよ」と強く頷くと、聞いてもいないのにこの妖精メイドたちの事について淡々と語り始めた――。

 

「……まだ、ホフゴブリンがこの館に働きに来ていなかった頃、館には千匹以上の妖精メイドたちがいるけれども、その誰も彼も全て役立たずだったわ。自身の身の回りの事しかできず、実質館の管理、その全てを行っていたのは私一人だけだった。この広大な館の中で私一人だけよ?来る日も来る日も掃除、洗濯、料理にお嬢様の身の回りのお世話……。私の時間停止の能力のおかげでその全てを一日で終わらせる事はできていたけれど、精神と肉体はそうはいかない。時間停止の中で休みながら仕事を行っても、いずれ両方が破綻する事は眼に見えていたわ……」

 

唐突に自身の身の上話を打ち明け始めた咲夜に、四ツ谷たち一同の目が点となり、美鈴は「あはは……」と空笑いを上げる。

そんな彼らの様子に気付いていないのか、咲夜は段々と(こぶし)を固めて力説し始める。

 

「……そんな時、私は一つの計画を立案した!その名も『妖精メイド育成化計画』!!館にいる千匹の妖精メイドに一からメイドとしての教養を叩き込み、(ふる)いにかけながら、生き残っていく妖精たちを一人前のメイドへと育て上げる計画よ!!」

 

自身の拳を天へと突き上げて声に力を入れてそう叫ぶ咲夜。彼女の話はまだ終わらない。

 

「私が企画し、お嬢様の承認ですぐさまこの計画が開始される事となった……。千匹の妖精メイドを私一人の手で一から教えるのは苦難だったけど、それでも私は諦めなかった!物覚えの悪い妖精たちにメイドとしてのマナーや知識、そして主を守る為の護身術等々……数年の時をかけてそれを教え込んだ……。でも、それと同時に私の教習についていけず、脱落する妖精たちが後を絶たなかったわ。気づけば私の指導に着いて来ていた妖精はほんの一握りだけになってしまっていたのよ……」

 

「……でも!」と、両手を広げて一列に並ぶ妖精メイドを見ながら、咲夜は歓喜したかのように叫ぶ。

 

「この総勢()()()()()()()()たちは、私のプロジェクトを見事やり遂げ、完遂した!!私の努力から生まれた原石!血と汗と涙の結晶!この子たちは私の手で一人前のメイドへと生まれ変わった超エリート妖精メイドたちなのよ!!」

 

その時の苦労と成功した喜びを思い出したのか、滂沱の涙を流しながらも歓喜の笑みを浮かべる咲夜。

そんな彼女を四ツ谷たちは冷めた目で見つめていた。

 

「へぇ……あっ、そう……。だが、千匹いたってのに成功したのはたった十匹って――」

「――シッ!それでも咲夜さんの肩の荷を軽くするのに十分な戦力だったのです。水を刺すような事、言っちゃいけません……!」

 

白け顔でそう呟く四ツ谷に横から美鈴が小声でそうたしなめた。

小さくため息をついた四ツ谷は腰に手を当てて周りを見渡しながら続けて言う。

 

「ハァ……。でもこれで、ここにいる奴らの大半がホフゴブリンで妖精メイドが数えるぐらいしかいないのか、よく分かったよ」

 

四ツ谷の言うとおり。自分たちを除いて集められた百人近い紅魔館の下働きの者たちのほとんどがホフゴブリンだったのである。

 

「これも全て私自身の為。ひいては、あの傍若無人なお嬢様の無理難題を完璧に遂行する為。一刻も早い戦力増加が必要だったのよ」

「うん。お前、さり気なく自分の主ディスってんの気づいてる?」

「ちょっ、師匠……!」

 

疲れたようにそう小さく突っ込みを入れる四ツ谷に、小傘が慌てて彼のわき腹を肘で小突く。

その衝撃で軽く咳き込んだ四ツ谷は、今度は大きくゴホンと咳払いを一つする。

 

「……えらく脱線しちまったがそろそろ始めっぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――庭園復活計画。

その最初に行われたのは、太陽の畑から紅魔館へ花を運ぶ運搬からであった。

まず、咲夜および大半の精鋭妖精メイドが、四ツ谷の用意した大きな箱と花の手入れ用具一式を持って太陽の畑へと向かう。

そこで風見幽香監修の下、生息するデイジーを一本一本地面から掘り起こし、それを箱へと入れていくのだ。

箱に入れられたデイジーは折り畳み入道の能力で瞬時に紅魔館の衣装箱へと転移させられ、そこでホフゴブリンや美鈴たちによって裏庭に植え替えられていくという運びとなっている。

ちなみに、四ツ谷たち会館組もそれを手伝う手はずとなっている。

咲夜たちが太陽の畑へと言っている間、四ツ谷を除いて裏庭にいる者たちは、全員でいつでも花を植えられるようにボーボーに生えた雑草を狩り、土を耕して地面を整えた。

一通り下準備が整った時、裏庭に出されていた衣装箱からデイジーの花が太陽の畑から運ばれて来る。

それを箱から取り出し、植え始めた時、太陽の畑の方から咲夜だけが帰還して来た。

帰ってきた咲夜を見つけた四ツ谷は彼女に声をかける。

 

「速い帰りだな。向こうは大丈夫なのか?」

「ええ。風見幽香の指示の元で問題なく作業は進んでるわよ。私が戻ってきたのは、こっちでも問題なく作業が進んでいるのか様子を見るため」

「シッシ!そりゃご苦労さん。……そうだ、帰ってきたついでに銀髪メイド。お前にちょっと頼みたい事がある」

 

そう言って四ツ谷は懐から小さな紙切れを咲夜に渡した。

受け取った咲夜はそこに書かれている文字に眼を走らせて怪訝に眉根を寄せる。

 

「……なに?()()()()()()()()?……確かにもうお昼時だけど、食事ならちゃんとあなたたちの分も用意するからそれまで――」

「――違げーよ。これも『最恐の怪談』に必要な材料の一つだ。あの居眠り門番に聞いて()()()()()()()()()()()()()()を選別したんだよ」

 

手をパタパタと振ってそう言う四ツ谷に、咲夜は僅かに眼を見開く。

 

「何ですって?じゃあ、これは……」

「ああ。できれば()()()()が良いから、作るのは『最恐の怪談』を行う前にしてくれ」

「……分かったわ」

 

真剣な眼でそう言う四ツ谷に咲夜は素直に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食時となり、作業をしていたホフゴブリンたちは入れ替わり立ち代り紅魔館の食堂と裏庭を行き来し始める。

四ツ谷たち会館組も美鈴と一緒に食堂へと向い、そこで昼食をとった。

飾り気を抑えた落ち着いた雰囲気の洋風広間。数十もの大きな木のテーブルが綺麗に並び置かれ、それを囲むようにして複数の木製の椅子が設置されていた。

適当なテーブルの席にそれぞれ座った四ツ谷たちは会話もそこそこに昼食が運ばれてくるのを待つ。

十分近く経過した頃、四ツ谷たちの下にワゴンで料理が運ばれてきた。

同時に、大き目のそのワゴンを一生懸命押しながら、小柄な妖精メイドも一緒にやって来る。

 

その妖精メイドは見た目、十歳前後の可愛らしい少女の姿をしていた。

 

ややクセッ気のある短い黒髪を肩まで垂らし、瞳は燃えるような深紅。幼さが残ってはいるものの整った顔立ちを持っていた。

そして、この紅魔館のメイド服を纏い、背中には半透明の羽を生やしているその少女は自分の身体よりも少し大きめなそのワゴンを、四ツ谷たちの座っているテーブルの横に着けると、今度はワゴンに乗った料理を次々と四ツ谷たちの前にそれぞれ運び始める。

幼い容姿に一生懸命仕事をこなすその姿は、微笑ましくもどこか他者に手伝ってあげたいという気持ちを湧き立たせるのに十分だったため、四ツ谷の隣に座っていた小傘が席から体を浮かせてその妖精メイドに声をかけた。

 

「あの……手伝おっか?」

「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 

小傘の申し出をやんわりと断ったその妖精メイドの少女は、残りの料理をその幼い容姿とは裏腹に、テキパキとした動作で置いていった。

その見た目からは思えないほどのしっかりとした動作に、傍からそれを見ていた四ツ谷が僅かに眼を見張った。

やがて、料理を置き終えたその少女はテーブルの横に立つと優雅に一礼してみせる。

 

「お待ちして申し訳ありませんでした。どうぞ、ごゆるりとご堪能くださいませ」

 

そう響いて厨房に戻っていくその少女の背中を四ツ谷のみならず、そのテーブルの席に座っていた全員がジッと見守っていた

その中で同じテーブルに同席していた美鈴が口を開く。

 

「彼女の名前はイトハ。元は『糸葉百合(イトハユリ)』の花の妖精だったのでそう呼ばれています。……どうもあの子は太陽の畑には行かず、咲夜さんの指示でここで食事の準備をしているみたいですけど」

「……もしかして、あの精鋭隊の?」

 

小傘の問いかけに美鈴は「ええ」と頷いてみせる。

それを聞いた四ツ谷は、そう言えばさっき銀髪メイドに紹介された時にあの中にいたなぁ、と今更ながらに思い出していた。

そんな四ツ谷を他所に、美鈴は言葉を続ける。

 

「あの子、見たとおりの幼い容姿ですけど、精鋭隊の中では一番のしっかり者で物覚えも結構高いんですよ。現に先程咲夜さんが言っていた『妖精メイド育成化計画』でもいの一番に全ての技能習得を終わらせた実力者なんですから」

「ほぇ~……。人は見かけによらないって言うけれど、この場合は妖精ですね」

 

美鈴の説明に小傘は感心したかのようにそう響いた。

その後、四ツ谷たちは配給された紅魔館の昼食を堪能する。

ちなみに今日の献立は和食テイストで、白米に味噌汁、霧の湖で吊り上げた魚を焼いたモノと漬物であった。

人里の日常で見られる様な割と簡素なメニューではあるが、腹が膨れるには十分な量であったため、四ツ谷たちは誰も文句は言わなかった。

そうして食事が終わった後、四ツ谷たちが出されたお茶を飲みながら小休憩をしていると、咲夜がやって来た。

 

「四ツ谷さん。()()()()()()()()()()の下準備はできたわ。裏庭の方も、あと数時間もあれば完成よ」

「……ん?もうそこまできたのか。速いな」

「フフッ、この紅魔館のメイド長である私に抜かりは無いわ」

 

自信満々に笑いながらそう胸を張って答える咲夜。

そしてフゥと、一息つくと咲夜は続けて口を開く。

 

「……これで、全ての準備が整ったわね」

「……あー……まぁ、うん……そうだな……」

「?」

 

何やら歯切れの悪い、予想外な四ツ谷の返答に咲夜はどうしたのかと四ツ谷を見る。

四ツ谷はテーブルに頬杖を着くと何故か喉に骨でも引っかかったかのような複雑な表情で虚空を見つめていた。

それに気づいた小傘が四ツ谷に問いかける。

 

「どうかしたのですか、師匠?」

「あーいや、まぁ、確かに準備も時間の問題で後は『最恐の怪談』を行うだけのはずなんだが……どうにもしっくりとこないんだよなぁ」

 

四ツ谷のその発言にその場にいた全員が眼を見開いて四ツ谷に注目する。

 

「まだ他にも準備しなければならない物があるの?」

「あーいや、今のままでも()()()で成功すると俺も睨んでいる。間違っても失敗する確率は低いだろう……だが――」

 

 

 

 

 

 

 

「――その成功も100%じゃない……。あと一つだけで良い、決め手が欲しい。それも、()()()()()()()()()()()()でな……!」

 

 

 

 

 

 

 

「……奥様関連の代物……ですか……」

 

四ツ谷の言葉に、何か心当たりがあるのか思案顔になって俯く美鈴がそうポツリと呟く。

それを聞いた四ツ谷たちの視線が美鈴へと注がれると、美鈴はふいに顔をあげ四ツ谷に声をかけた。

 

「……私、それに心当たりがあるかもしれません」

「本当か?で、それは一体何だ?」

 

少し急かすかのようにそう問いただしてくる四ツ谷に、美鈴は静かに答えた――。

 

 

 

 

 

 

「――かつて、奥様が生活に使われていた私物……奥様の、『遺品』です……」




最新話投稿です。

昨日に引き続き、速めに完成できたので投稿します。
後、もう一、二話ほど挟んだら、いよいよ『最恐の怪談』へと入っていきます。

では、またw


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其ノ十二

前回のあらすじ。

四ツ谷たちは荒れていた裏庭復活を開始し、その後美鈴から奥様の遺品がある事を聞かされる。


四ツ谷たちは、美鈴を先頭にして現在、一階西側にある彼女の私室を訪れていた――。

大陸で生まれ育った美鈴らしく、その部屋は赤を基調とした中華の様相で彩られており、洋風である紅魔館内でも一際異彩を放っているとも言える部屋であった――。

美鈴は壁際にある引き戸を開けると、中から太い荒縄でがんじがらめにした大人一人がすっぽりと入りそうな大きな木箱を引っ張り出したのだ。

その箱が四ツ谷たちの前に置かれると、四ツ谷はその箱を見つめながら呟く。

 

「これが、か?」

「はい……。奥様の死後、旦那様に処分するように言い渡されたのですが……。私はどうしても捨てる事ができず、長い間ずっと旦那様の眼を欺いて隠し続けていたのです」

「……しかし、未だに信じられんな。何せ五百年以上前の品だぞ?もうとっくに風化して朽ち果てているんじゃないのか?」

 

半信半疑といった表情で四ツ谷は美鈴にそう問いかける。

それに美鈴も頷いてみせる。

 

「はい……。普通ならそうなっていてもおかしくはありません。ですが奥様の思い出の品を失いたくなった私は、色々と工夫を重ねて奥様の遺品の腐敗の進行を極限にまで遅くする事に成功したのです。()()()()()()()()()()()……」

「能力の応用……?ひょっとしなくても、あなたの持つ『気を使う程度の能力』の事?」

 

咲夜のその問いに美鈴は頷く。

 

「はい。私のあの能力は、自身の体内エネルギーやオーラを視認できる形にするだけでなく、そのエネルギーを他者や物体に送り込む事もできるのです。……それにより、そのエネルギーを受けた者は、一時的に身体能力が飛躍的にアップし、物体はその耐久性や精度、元から備わっている能力などをアップ、もしくは保持させる事ができるのです」

「物体の、保持……。!そういう事か……!」

 

何かに気づいたらしい四ツ谷がそう呟き、それが正解だといわんばかりに美鈴が笑みを浮かべる。

 

「そうです。私は自身の気を奥様の遺品に注ぎ込む事でその品の風化、腐敗の進行速度を限界まで遅行化させる事で、奥様の遺品を半永久保存させる事に成功したのです。……まあ、それでも。私の能力は時間と共にその効力が消えて行きますので、定期的に能力の掛け直しをしているのですが……」

 

そう言いながら美鈴は箱を縛っていた荒縄を解き、蓋をあける。

すると中から同じく縄に縛られた一回り小さな木箱が現れ、美鈴はそれを取り出すとそのはこの縄を解き始めた。

 

「……実は、旦那様の死後。私は奥様の遺品を密かに隠している事をお嬢様に打ち明けたのですが……お嬢様も旦那様と同じく、奥様の遺品を処分するようにおっしゃられたのです。……ですがお嬢様の場合、旦那様とは違って奥様の遺品をお傍に置いておくと奥様との思い出が蘇り、より未練が深くなるとお考えになられたからです。でも――」

「――その遺品がここにあるという事は、美鈴……あなた、()()()()()()()()()()()?」

 

咲夜のその言葉に美鈴は一旦縄を解く手を止め、咲夜に眼を向ける、その顔は少し悲しそうな笑みであった。

 

「そうです……。結局の所、奥様への未練が一番深かったのは私なのかもしれません。お嬢様のお気持ちを察してはいたものの、やはり私は納得ができず、こうして密かに奥様の遺品を隠し続けていたのですから……」

 

たった一度だけの自身の主に対しての叛逆(はんぎゃく)。自分の罪を独白するかのようにそう呟く美鈴に、咲夜はフッとため息をつくと小さく笑いながら口を開く。

 

「……別に誰も責めたりしないわよ美鈴。私もね。……ただ、この事はいずれ、あなたの口から直接お嬢様に打ち明けなさい。私もフォローしてあげるから」

「咲夜さん……。はい、わかりました」

 

まるで憑き物が落ちたかのように、陰りの一切無い自然な笑みを浮かべて美鈴は咲夜にそう呟くと、再び手元の縄を解き始めた。

そうして縄を解いて箱の蓋を開けると、再び一回り小さい箱が中から現れた。

美鈴はまたその箱を取り出すと同じく縛っている紐を解いて蓋を開けた。そうしてこれまた中から同じような箱が現れる――。

その光景を見ていた周囲の者たちは怪訝な顔を浮かべるも、四ツ谷はそれを見て納得といった顔で口を開く。

 

「なるほど。それも『遺品』の風化を抑えるための処置か。複数の箱に何重にも収める事で空気による腐敗を防いでるんだな」

「ええ、そうです。これでも無い知恵振り絞って必死に考えたんですよ、私」

 

そう言って笑いながら美鈴は次々と箱を中から出していく――。

そうして最後に残った大人の人間の約半分くらいの大きさはあろう木箱を四ツ谷たちの前において見せた。

その箱は今までの箱とは違い、一際年季の入った古い木箱のようであった。

 

「……この箱の中に奥様の『遺品』……私物の()()が入っております」

「私物の、全て……?」

 

美鈴のその言葉に、咲夜は今一度箱を見つめる。

女性の私物というのは案外多く、人によっては一人では持ち運びができない量だ。

かくいう咲夜も、メイド長という立場ではあれど、私物は意外と多い方である。

そのため、まがりなりにも一館の主の妻の私物を納めておくにしては、その箱はあまりにも小さすぎているように咲夜は思えてならなかったのだ。

だが直ぐに、咲夜はその考えを改める。

考えても見れば先代主は奥方を自分の妻とは思っておらず奴隷同然の冷遇を強いていたという冷血者だと聞く。

そんな先代が妻のために生活用品をそうそう揃える等、ありえる事であっただろうか?

その答えを求めるように咲夜はチラリと美鈴を見る。

彼女は先ほどまでと同様、悲しそうな笑みを咲夜に向けていた。

それを見た咲夜は小さく嘆息する。つまりは――そういう事に他ならないのだろう。

複雑な心境を浮かべている咲夜を尻目に、美鈴はその箱の蓋を開け、中身を取り出し始めた――。

 

――中に入っていたのは古着のドレス三着に下着類三着。冬用の外套一着に一足の女性用靴。裁縫用具、ヘアブラシ、羽ペンにインクビンが一つずつ。そして最後に日除けの白い帽子一つが入っているだけであった。

 

「……奥様の私物が、これで全部?」

「はい……」

 

咲夜の呟きに美鈴が小さく答えた。

分かっていたこととは言え、実際に眼にするとやはりやるせなく感じる。

まあ、それでも。実際、当時の虜囚や奴隷の持ち物からして見ればまだ待遇は良い方なのだろうが……。

重たい空気がその場を支配するも、すぐに美鈴が明るい口調で声を上げる。

 

「で、ですが!奥様はこんな事でめげる人ではありませんでしたよ?むしろ、持ち物が少ない分、身軽になった気分だわ、とも言ってたぐらいですし……それに、ほら!」

「……?」

 

美鈴はおもむろに四ツ谷の前に白い帽子を差し出した。その帽子にはいくつかの布を縫い合わせて作られた、白い花飾りが着けられていた。

 

「すごいでしょう?奥様は裁縫が得意中の得意で、当時のお嬢様たちの洋服もご自分でお作りなさっていたんですよ」

「へぇ……。いらなくなった布切れを使って作ったみたいだな。……良い出来じゃねぇか」

「でしょう?」

 

そう美鈴の言葉に相づちを打ちながら四ツ谷は床に座り込んでその白い帽子を適当にいじり始める。

それを見ていた美鈴は一呼吸置くと四ツ谷に向けてとある事実を口にする。

 

「……実は、その帽子も奥様にとって思い出の深い物なのです」

「ふぅん、どんなだ?」

「……奥様の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

美鈴のその言葉に、四ツ谷はピタリと動きを止めて美鈴を見る。

 

「……って事は、()()()()()()()……?」

「はい……。この帽子を被って遊びに出かけ、そのまま……」

 

眉根を寄せてそう問いかける四ツ谷に美鈴は小さく笑みを作ってそう答える。

その笑みにはどこか憂いを帯びた感情が混ざっていた。

美鈴は続けて言葉を紡ぐ。

 

「……今となっては、奥様の故郷にいた頃の唯一の思い出の品で、それはもう大事にされていました。夜にお嬢様たちと庭園へと遊びに行く時もいつも決まって被って行かれて……」

「……よく見りゃ、破れた時の継ぎ接ぎや布当てで修繕した所もちらほらあるな。……年季もさることながら、よく使い込まれてやがる……よほど大事にされてたと見えるな」

 

白い帽子を観察していた四ツ谷のその言葉に、美鈴は満足そうに頷いてみせる。

 

「……だが、悪いが。どうもこの私物の中には俺の『最恐の怪談』に使えそうな物は何も無い――」

 

そこまで言った瞬間、四ツ谷の帽子をいじっていた手がピタリと止まった。

 

「……?」

 

怪訝な顔を作り、四ツ谷は帽子の一部分を睨みつけながら、そこを丹念に指でなぞり始める。

 

「?……師匠?」

 

四ツ谷の様子が変わった事に小傘が気づきそう声をかけると同時に、周囲の者たちも異変に気づき、四ツ谷を覗き込むように見守る。

だがそんな周りの様子に気にも留めず、四ツ谷が帽子をしばらくいじり続けたかと思うと、次の瞬間にはすっくと立ち上がり、「……これ、ちょっと借りるぞ」と一言、美鈴に向けてそう言葉を投げると、ズンズンと部屋の窓際へと向かって歩き始めた。

何だ何だと、周囲の者たちも慌てて四ツ谷の後を追う。

四ツ谷は窓際に立つと、閉められていたカーテンをジャッと開け放つ。

昼の日の光が部屋の中に注ぎこまれ、四ツ谷はその日に持っていた帽子をかざして見せた。

帽子は日の光で()()()が透かされる。

 

「こいつは……」

『あ……!』

 

四ツ谷の呟きと同時に、彼の背中から除き見ていた周囲の者たちも一斉に声を上げた。

 

日光によって透かされた白い帽子の中に、()()()()()()が浮かび上がったのだ――。

 

すぐさま四ツ谷は、咲夜に声をかける。

 

「オイ、銀髪メイド。この中のモン、取り出す事ってできるか?」

「簡単よ。ちょっと貸して、直ぐに取り出すから。――はい、できたわよ」

「速いな、オイ!?」

 

咲夜に帽子を渡した次の瞬間にはその中の物が取り出されて目の前に差し出さた事に四ツ谷は度肝を抜かれる。

確実に能力を使って時間短縮して作業を終わらせたのだろうが、あまりの速さに心臓が止まるかと思えるほどの衝撃を受けてしまっていた。

だが、直ぐに四ツ谷は冷静になると、咲夜から帽子の中に入っていた物を受け取る。

それは、古い羊皮紙の紙であった。『手紙』であるらしく、紙の上には英語でいくつもの文字が書き綴られていた。

 

「……誰かこの中に英語が読める奴はいるか?」

「あ、それでしたら、私が読めます!」

 

周囲を見渡しながらそう言う四ツ谷に、美鈴はすぐさま手を上げた。

数百年もの間、ヨーロッパで暮らしていたため、英語の方も流暢になっていた美鈴は、反射的に朗読する事を買って出てしまっていたのだ。

四ツ谷から手紙を受け取った美鈴は、深呼吸を一つすると口を開いた。

 

「……それでは、読みますね……?」

 

そうしてゆっくりと、しかしはっきりとした口調で美鈴は周囲に向けて手紙の内容を口にしだす――。

美鈴の部屋の中で持ち主である彼女の声だけがしばらく響き続けた――。

文字の内容が進むにつれ、朗読する美鈴や周囲の者たちの目が、驚きに見開かれてゆく。

そうして美鈴が読み終わったと同時に、小傘が四ツ谷に声を上げる。

 

「師匠、これって……!」

「…………」

 

だが、四ツ谷はそれには答えず、美鈴から手紙をスッと静かに取ると、そのまま部屋の出入り口へと向かう。

その途中、四ツ谷はその場にいる全員に向け、静かに言葉を紡いだ――。

 

「――()()()()()()。行くぞ――」

 

 

 

 

 

 

「――いざ、新たな怪談を創りに……――」




最新話投稿です。

四ツ谷がキメ台詞の一つを発しましたが、残念ながら『最恐の怪談』はもう一話分挟んでから行います。
申し訳ありませんorz


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其ノ十三

前回のあらすじ。

美鈴の部屋を訪れた四ツ谷たちは、そこで奥方の『遺品』を見せてもらうと同時に、思わぬ収穫を得る事となる。


太陽が空の天辺から大きく西へ傾いた時刻――。

 

「ちょっと、そこ。隣のお花ちゃんと接触させすぎよ。もうちょっと等間隔で植えなきゃ。あ!ちょっとあなた。そのままじゃ根っこ傷つけちゃうじゃない。そこのあなたも、肥料はもうちょっと満遍(まんべん)なく敷きつめないと……――」

 

紅魔館の裏庭、皆が今もなおデイジーの植え替えに勤しんでいるその中で、太陽の畑からやって来た風見幽香の姿があった。

太陽の畑からデイジーをあらかた運び終えた彼女は共に作業をしていた妖精メイドたちと一緒に紅魔館へと向かい、今度はそこの監督役としてその場にいる一人一人に指示や注意を促し、作業を進めていた。

 

それを傍から見ながら作業を一旦止め、ホフゴブリンが用意した簡易の小さな椅子に座って小休憩を取っている二人の少女の姿があった。

 

――それは、今回の一件で騒動から置いてきぼりをくらい、四ツ谷からの説明もそこそこにデイジーの植え替えを手伝わされる事となった、梳と薊の二人であった――。

 

二人は会館に戻ってきた金小僧たちに、この紅魔館で『最恐の怪談』をする事になったという事以外、ほとんど何も聞かされてはいない状況であったが、当の二人にとっては一番心配していた四ツ谷の安否が分かった、ただそれだけで十分であったのだ。

それ故、その後に紅魔館に連れて来られた際に四ツ谷と再会した時も、四ツ谷の『最恐の怪談』の協力要請に二つ返事で承諾したのであった。

デイジーの植え替えでかいた汗をホフゴブリンたちから配給された手ぬぐいで拭くと、おもむろに薊が呟く。

 

「……もう直ぐ、完成しそうですね」

「うん、そうだね」

 

梳も裏庭の現状を見ながら、それに頷く。

するとそこへ、二人の横からお盆に乗せられたお茶の入ったグラスが二つ差し出された。

 

「お疲れ様です。どうぞ、粗茶ですが……」

「あれ?あなたは……」

 

その者の顔を見た梳は、無意識にそう響く。

お茶を差し出してきた妖精メイド……その顔には梳も薊も見覚えがあったのだ。

それは、つい数時間前に食堂で自分たち、四ツ谷会館組とここの門番である美鈴に食事を運んできてくれた、イトハと呼ばれたあの妖精メイドであった。

驚き半分に梳と薊は彼女からお茶を受け取る。

梳と薊はゆっくりとお茶に口をつける。

よく冷やされた茶色の液体が、口からのどの奥へと心地よく落ちてゆく――。

――と、そこへイトハが二人へ声をかけた。

 

「あの……お聞きしてもよろしいですか?」

「うん、なに?」

 

そう聞き返した梳に、おずおずとイトハは言葉を続けた。

 

「『最恐の怪談』……だったでしょうか?メイド長からお聞きしたのですが……本当にそれで、お嬢様たちの長年の心の傷を癒す事ができるのでしょうか?」

「……あー、ごめん。実は私も四ツ谷さんが()()『最恐の怪談』を行うの見るの、これが初めてなんだよね」

 

梳が言う事は事実であった。

彼女はほんの数日前に起こった『四隅の怪』の一件で、博麗の巫女に拘束された四ツ谷に成り代わり、『最恐の怪談』の語り手――その代役を担った。

そして、それ以前からも四ツ谷が会館の壇上や、人里の道端にて子供相手に『怪談』を語っていたのは度々見ていたのだが、『最強の怪談』を四ツ谷が直接行うところを見るのはこの一件が初めてだったのである。

それ故、梳はその事に詳しいであろう、自身の隣に座る少女――薊に助けの眼を向ける。

その視線を受けた薊は直ぐにそれの意味に気づき、小さく苦笑しながら梳と入れ替わるようにしてイトハに声をかけた。

 

「大丈夫ですよ、心配入りません。館長さんがそう言ったなら、絶対に上手くいきますから」

 

イトハの不安げな顔に「大丈夫です」と柔らかい笑みを向けてそう呟く薊。

事実、彼女は四ツ谷の『最恐の怪談』がいくつもの一件を解決する所を何度も見てきた。

それ故、今回の一件もきっと四ツ谷と『最恐の怪談』が何とかしてくれるとそう信じ、薊自身も裏庭の復活に全力で協力しているのだった。

そこで薊はふと、思い出したかのようにやや眉間を寄せながら呟く。

 

「……あーでも、この一件が終わったらあの咲夜さんってメイド長さんには一つ約束してもらわなくちゃいけませんね。もう館長さんを拉致して来るのは止めるようにって……」

「……えっ!?メイド長、そんな事しちゃってたんですか!?」

 

初耳だったのかイトハは驚きの声を上げ、薊はそれに頷く。

 

「そうなんです。朝ごはんの時にいきなり現れて館長さんを無理矢理連れて行ったみたいで……」

 

薊が会館に来たのはその直後だったらしく、後で梳や金小僧たちにことの仔細を知らされた時はその横暴っぷりに少し憤りを感じたほどであった。

そう薊がイトハに説明している途中、梳の方も唐突にハッと顔を上げ、口を開く。

 

「朝ごはん……そうだ……この一件が終わったら()()()()()()()の事、考えなくちゃ……」

 

『朝ごはん』というキーワードで自分が出そうと計画している店の事を思い出し、そう呟く梳の言葉を聞き取ったイトハは彼女に尋ねる。

 

「?……お店を出される予定なのですか?」

「……へ?あ、うん、そう……まだ、思いついて間もないんだけれど、理容店を出そうと考えてるの。……でも、店を建てる費用は大丈夫だけど、人員がね……。何せ初めて幻想郷(ここ)にできる店らしいから、募集して来てくれる人がいるか少し不安でね……」

「大丈夫ですよ。きっと来てくれます。……人里の人たちって、結構目新しい物には興味津々なんですよ」

 

そう、苦笑交じりに説明する梳を薊がそう励ましの言葉を投げかけた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方の時刻となり、空が茜色に染まると同時に元々紅かった紅魔館も、変色した景色の赤に溶け込むようにしてさらに紅く染まっていく――。

 

そんな紅魔館の厨房で今、メイド長の十六夜咲夜と門番の紅美鈴が、二人並んで今回の『()()()()()()()()()()()()()を一緒に作っていた。

 

「咲夜さん、()()はこれぐらい混ぜればOKですかね?」

「うん、いいんじゃないかしら?後は形を整えてオーブンに入れれば、()()()()()()()()()()()()()

「よかった。……それにしても、結構大掛かりになってしまいましたね」

「本当よ。ここまでしたんだからあの男の『最恐の怪談』とやらには是が非でも成功してもらわなくちゃ困るわ」

 

そう毒つく咲夜に美鈴は少し苦笑しながら続けて言う。

 

「……それにしても、意外ですよね。私も咲夜さんも、最初は四ツ谷さんの『最恐の怪談』をお嬢様たちに聞かせる事を頑なに拒んでいたのに……。今は二人共、あの方に協力してしまっている……」

「……私の場合、『聞き手』にお嬢様も加えられなければ、大図書館(あそこ)で反対はしなかったでしょうけれどね」

 

大図書館で四ツ谷に美鈴と共に詰め寄ったときの事を思い出し、咲夜はそう呟く。

そして、続けて言葉を紡いだ。

 

「……でも、私の知らなかったこの紅魔館の過去をあなたの口から聞いて……色々と考えが変わったわ。妹様もそうだけど、お嬢様も妹様に対する考えを改めなければならないと思う……。お嬢様にとって妹様は唯一残された家族……例え妹様から嫌われていたとしても、やりようはまだ他にもあったはずだもの……」

 

しんみりとそう呟く咲夜に、美鈴はジッと横目で彼女を見つめた後、()()()()()に視線を戻して静かに口を開いた。

 

「咲夜さん。咲夜さんは、妹様がお嬢様を一方的に嫌っていたように見えていたのかもしれませんが……。実はお嬢様の方も、少なからず、()()()()()()()()()んですよ?」

 

その言葉に、咲夜は作業手のを止め、驚きながら美鈴を見る。

 

「お嬢様が、妹様に嫉妬……?」

「ええ。……例の家族の肖像画。あれを見ていれば分かると思いますが、妹様は母親である奥様に容姿がよく似ておられました」

 

言われて咲夜は、あの肖像画のフランドールと奥様の二人を脳裏に映し出す。

金色の長髪に、顔立ち……確かに、そうであった。

親子であれば父親か母親、あるいは両方に似るのは当たり前である。

フランドールもその常識にもれず、母親の血を色濃く引き継いでいるのだろうと……。

そこまで考えた咲夜は、直ぐにハッとなり、その顔を見た美鈴は苦笑しながら続けて響く。

 

「気づかれたようですね咲夜さん。……妹様は、奥様の容姿に似通っておられました。ですが、お嬢様は……()()()()()()()()

 

咲夜は自身の主の容姿を思い浮かべる。青みかかった銀髪はとても奥様の髪とは似ておらず、加えてあの性格とカリスマ性は、話で聞く奥様には無かったモノである。

ならば、それらは一体誰から遺伝したモノか?……そんな事、子供でも分かる()()()であった――。

 

「……お嬢様は先代主様に似た自分の容姿をとても毛嫌いしておられました。一時期、自分の髪を奥様と同じ色に染めようとするまで……」

「お嬢様は、そこまで……」

「はい……。ですが、先代主様が死に、お嬢様がこの紅魔館の当主になると、お嬢様のその自身のコンプレックスはなりを潜めました」

「……お嬢様が当主となった事で、その仕事に着手するようになり、自身のコンプレックスが瑣末(さまつ)な事と捉えるようになった。とか?」

 

咲夜のその問いかけに、美鈴は頭を振る。

 

「……と言えば聞こえは良かったのでしょうが、お嬢様のあれはむしろ『開き直り』に近かったかと思います。自身の性格や容姿はそう簡単に変えられるものでは無い。ならば、忌み嫌う父親の血を受け入れ、その能力を生かして紅魔館を先の時代以上に繁栄させて見せると、お嬢様はそう意気込んでおられました」

「…………」

「ですがやはり……、自身のそんな苦悩を露とも知らず、奥様の容姿を受け継ぎ、当主の重みも全く知らない妹様に、思う所があったのも事実だったのかと……」

「……メイド長としても、従者としても失格ね私は。妹様だけでなく、一番傍にいたお嬢様のそんな心にも、私は気づく事ができなかった……」

 

ため息混じりにそう響く咲夜に美鈴も「咲夜さん……」と小さく響く。

しかし次の瞬間、美鈴は「でも……」と続けて口を開いた。

 

「……それでも、お嬢様は妹様を心の底では愛しているんだと思います。だからこそ……あの()()()()を起こしたのですから」

「それって……『紅霧異変(こうむいへん)』の事?」

 

咲夜の問いかけに美鈴は顔を上げて咲夜を見ると、今度は強く頷いて見せた。

 

「はい……。咲夜さんは、お嬢様が何故あの異変を起こしになったのか知ってますよね?」

「ええ。あの霧で幻想郷全体を覆えば、日中でも自由に外で動き回る事ができるとお嬢様はお考えになられて……」

「そうです。でも、あれにはもう一つ目的があったのです――」

 

そう言いながら美鈴は手元の作業を再開し、続けて言葉を紡ぐ。

 

「――異変が成功すれば、自分だけでなく妹様も自由に外で遊ぶ事ができる。そうすれば、狂気にとらわれていなかったあの頃の妹様に、また戻る事ができるのではないかと……お嬢様はそう思ったのです」

「!……お嬢様はそこまでお考えになられて……」

「まぁ……結局、あの異変も霊夢さんたちに阻止されちゃいましたけどね。……でも、それがきっかけで妹様の発作も軽減され、何もかも失敗、というわけではなかったのですが……」

 

再び苦笑を浮かべてそう呟く美鈴。

しかししばしの沈黙後、その表情すら消し、再び咲夜に口を開く。

 

「ですが……今になって妹様の発作が悪化してくるだなんて思いもしませんでした……。『紅霧異変』の一件後、パチュリー様がお嬢様たちの為に『日焼け止めクリーム』を開発してくれたおかげで、お二人は日中でも自由に外へ出歩けるようになられた。……これなら妹様も、近いうちにまた容姿相応の何の陰りもない笑顔を見せてくれる。私は、そう思っていました。……そう……思っていたんです……」

 

段々と消え入りそうになっていく美鈴のその声に、咲夜は何と答えて良いのか言葉に詰まった。

二人の間に重い沈黙だけが流れる。

しかし、やがて咲夜が一言だけ、搾り出すように美鈴に声をかけた。

 

「……必ず、成功させるわよ。あの男の『怪談』……」

「はい……」

 

咲夜の言葉に、美鈴は短いながらも、はっきりとした口調でそう返した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――太陽が山の向こうへと隠れ……闇に彩られた空にポツポツと星が浮かび始める――。

その宵闇の中、紅い色に染められた館にて、今……二人の幼い吸血鬼が同時に眼を覚ました――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん。ふわぁぁ~~~っ」

 

薄暗い地下の自室にて、フランドールは上半身を起こすと、背伸びをしながら大きな欠伸を一つする。

そうして寝惚け眼で、壁際にある木製のボロボロのチェストの上に乗った、これまた壊れかけの置時計を見つめた。

時刻はとっくに日の入りを通り越し、夜になっていた。

 

「んぅ~?もう、こんな時間?いつもなら咲夜が起こしに来てくれるはずなのに……」

 

そう言いながらのろのろとベットから這い出ると、寝起きのおぼつかない足取りで部屋を出て、地下の通路を歩いていく。

先の姉妹喧嘩でボロボロになっている地下を通り、フランドールはその時たどり着けなかった大図書館へとあっさりと足を踏み入れていた。

 

「……?……パチュリー?小悪魔?」

 

いつもここにいるはずの魔女と下級悪魔の姿が見えない事に、フランドールは首をかしげた。

シンと静まり返った大図書館には二人は愚か、誰かがいる気配が一切無かったのだ。

 

「二人とも、上にいるの……?」

 

まるで自分だけがこの世界に取り残されたかのような錯覚を覚え、フランドールはやや不安げにそう呟くと、大図書館から地上のエントランスへと続く階段を登り始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん。ふわぁぁ~~~っ」

 

薄暗い自室にて、レミリアは上半身を起こすと、背伸びをしながら大きな欠伸を一つする。

そうして寝惚け眼で、壁にかけられた豪華な装飾の振り子時計を見つめた。

時刻はとっくに日の入りを通り越し、夜になっていた。

 

「……え?ちょっと、もうこんな時間?咲夜ったら何してるのよ?」

 

いつもならもうとっくに起こしに来てくれているはずのメイド長に対し、ブツブツと文句を言いながら、レミリアは机の上に置いておいた呼び鈴を鳴らす。

チリリリリィィン……。と綺麗な鈴の音が部屋に響き渡る。

いつもならこの音で咲夜が部屋にやって来るのだ。

 

「……?」

 

しかし、今回は何故か彼女がやって来る気配はいつまでたっても無く、レミリアはその後も何度か呼び鈴を鳴らした。

だが、それでも咲夜が来る様子は全く無く、レミリアは怪訝に首をかしげた。

 

「咲夜ったら、いないのかしら?……いや、でもあの男を見張っているように言いつけたから紅魔館の中にはいるはず……」

 

とにかく、ここでボーっとしているわけにはいかないと、レミリアはベットから這い出ると、自身の洋服ダンスからいつものドレスを引っ張り出し、それに着替え始める。

服の袖に腕を通し、次に首を出すと、レミリアは服の中に入ったままの髪を外に出そうと両手を首の後ろへと回し――その動きを途中で止めた。

 

「…………」

 

その姿勢のまま、レミリアは自身の視界に垂れる、己が前髪を睨みつける。

レミリアは、自身のこの髪の色をとても嫌っている。正直に言って大嫌いだ。

それだけではない、自分のこの性格も、そして持って生まれたカリスマの素質も、何もかもだ。

それらは全て、あの忌々しい父親から受け継いだものであると、自覚していたからだ。

自分の中にあの男の血が流れていると考えるだけでも虫唾が走ると言うのに、あの男の髪や性格まで似ているとなると、もはや反吐が出るレベルであった。

それこそ自己嫌悪に陥り、自分で髪の色を染め変えようとするほどに。

 

だが、それでも……()()()は、そんな自分を何の躊躇いも無く、愛情をもって接してくれたのだ。

口に出すのもおぞましい、最後まで散々な目に合わされ続けた男に似通ってしまった自分を、だ……。

 

彼女が自分に向けてくる裏表の無い、純粋な笑顔を思い出す度に、レミリアの心は安らぎに満ち、と同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

妹と平等に自分に注いで来る彼女の母親としての愛情を、レミリアは心から感謝していた。だが、どうしても彼女が自分を通してあの男に内心怯えているのでは、と言う一抹の疑心が拭いきれずにいたのだ。

だからこそ、最愛の母親の容姿を受け継いだ、今唯一の家族である実妹に微かな嫉妬心を抱いていたのも事実であった。

 

(どうして、私があんな男の血を受け継いで、あの子が()()()()()()()()()を受け継いじゃってるのよ……)

 

そんな事が頭によぎったレミリアだが、直ぐに強く首を振った。

止めよう。今更そんな事を考えたって仕方の無い事だというのは、自分がよく分かっている。

思考から眼を背けるように、レミリアは着替えを終えると、足早に自室を後にする。

 

そうして彼女も、人気(ひとけ)を探してそのままエントランスへと向かって行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「!?」」

 

全体が赤いエントランスホール。そこに吸血鬼の姉妹が鉢合わせをした――。

自室からやってきた姉は、同じく地下から上がってきた妹とばったりと出くわし、双方共に眼を丸くする。

しかし直ぐに、先程起きて最初に出くわした相手が、よりにもよって今一番会いたくない者だと分かると、双方が共に顔をしかめた。

今、二人の脳内には、就寝する前の先の大喧嘩の記憶が蘇っていたのだ。

シンと静まり返ったエントランスに、幼い吸血鬼二人が相対する。

しばしの沈黙後、姉の方からその静寂が破られた。

 

「おはようフラン……ここで一体何をしているの?」

 

誰でも行う寝起きのあいさつ。されど、その声は幾分か棘が含まれていた。

それを感じ取ったのか、フランドールは顔をさらにしかめると、直ぐにすまし顔に変えてそれに答える。

 

「おはよう、お姉様。……私が何処にいようが私の勝手じゃないの?」

「最近のあなたは傍から見ても眼を放せられないほど危険な状態。そんなあなたを一人にしておけるわけないでしょ?」

「はんッ!何よ今更……『紅霧異変』や他の異変……宴会とかでも私に内緒で自分だけ楽しい事していたクセに!」

 

フランドールがそう叫んでレミリアを睨みつけるも、当のレミリアはため息交じりに反論する。

 

「異変はどんな相手が絡んでるか分からない、先の読めないモノなのよ?そんな危険な事にあなたを巻き込めるわけ無いじゃない。……それに、宴会は言いかえればあれは『お酒の席』よ?あなたお酒飲めないでしょ?」

「……お姉様はいつもそう!危ないから、できないからって私に何もさせようとしてくれないじゃない!」

「……あなたが自身の『発作』を自力で抑えられるようなら、私も無理に強要なんてしなかったわよ。……フラン、あなたも自分の事だから分かってるんでしょ?ここ最近の自分の言動に歯止めが効かなくなってきている事に」

 

鋭いレミリアのその指摘に、フランドールは俯いて唇をかんだ。レミリアの言うとおり、それはフランドールが一番理解していたからだ。

だが、理解はできていても納得出来るかと言えば、それは違った。

フランドールも数百年は生きてはいるものの、その精神は今だ子供のままである。

紅魔館の地下に幽閉されて幾星霜(いくせいそう)。目の前の姉と自分の理不尽な境遇の違いやこの身を縛り付ける不愉快極まる言い付けに、フランドールもいい加減我慢の限界を迎えていたのだ。

 

「どうでもいいじゃない、もうほっといてよッ!別にいいじゃない、気に入らなければ壊せば良いだけなんだし!私の好きなようにやらせてよ!!」

「何言ってるのよフラン!!そんな事、許せると思ってるの!?今、あなたを野放しにすれば、霊夢たちですら見逃せない事態に発展するのは目に見えているわ!!あなたにもしもの事があれば、お母様にも顔向けできな――」

「いい加減にしてッ!!!!」

 

一際、大きなフランドールの怒声がエントランスに響き渡り、その迫力に気圧される形でレミリアは眼を見開いて言葉を詰まらせる。

硬直するレミリアを前に、両腕をブルブルと震わせながら涙眼で彼女を睨みつけるフランドールの姿があった。

 

「お母様、お母様って何よッ!!言ったじゃない、私はお母様の顔も()()覚えてないって……!!」

 

レミリアの「お母様」と言う言葉で怒りが頂点に達してしまったフランドールは呆然となるレミリアを前に、怒りのままに言葉をぶつけ続ける。

 

「私はお姉様と違って、お母様との思い出なんか何一つ思い出せない!!私の中には最初っからお母様の存在なんて有りはしなかったのよッ……!!それなのに、お姉様は何度も、何度もッ……!!もう、いい加減にしてよ……」

「フラン……」

 

小さく声をかけるレミリアに、フランドールは力なくうな垂れながらもそれでも言葉を続ける。

その双眸からポタポタと雫を床に滴らせながら――。

 

「今だってずっと……ずっと、お母様と交わした『約束』を思い出そうとしているのに……頑張って思い出そうとしているのに……これっぽっちも思い出せやしない……。大切な『約束』だったはずなのに……少しも……。今一番腹が立つのもお姉様じゃなくて、その『約束』すらも思い出せない私自身だって言うのに……」

「…………」

 

消え入りそうなフランドールのその独白に、レミリアは今度こそフランドールにかける言葉を失ってしまう。

えぐ、えぐ、とすすり泣くフランドールの泣き声がエントランスに静かに響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そして、幼き吸血鬼姉妹は口論の果て……言葉を交わす力を失い、意気消沈となってしまいました……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「……!?」」

 

唐突にエントランスに第三者の声が木霊し、レミリアとフランドールは同時に顔を上げ、声のした方へと眼を向ける。

 

「……されど、彼女たちの頭から、未だに母親への未練は断ち切れません……」

 

エントランスから伸びる廊下の一つ……その奥の暗闇から、カラコロと下駄を鳴らして現れる長身の男が、歌うように、囁くように、そう言葉を紡ぎながら二人の前に現れる――。

 

「――『記憶』という混迷の闇の中……それでも少女たちは必死に『答え』を探し求める……。だが、その時ふと……一陣の生ぬるい……嫌な風が、少女たちの間を吹き抜けた――」

「お、お前は……!」

「誰……?」

 

飄々と言葉を吐き続けながらいきなり現れたその男を前に、レミリアは唖然とそう呟き、()()()のフランドールは涙眼のまま不思議そうに小首をかしげた。

そんな二人の様子を気にする事無く、その男――四ツ谷文太郎は、いつもの不気味な笑みを顔に貼り付けながら不敵な視線で二人を見下ろすと、悠々とした態度で開幕の言葉を解き放った――。

 

 

 

 

 

 

「――さァ、語ってあげましょう。()()()()の為の怪談を……!」




最新話投稿です。

ちょっと時間がかかり、またもや一万字近くとあいなりましたw
今回は次回の『最恐の怪談』回への繋ぎ回と見てもらえれば分かりやすいかとw


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其ノ十四

前回のあらすじ。

『最恐の怪談』の準備が整い、今宵、赤い館を舞台に四ツ谷文太郎が語り始める――。


「一体どう言うつもりなの、四ツ谷文太郎!」

 

日が沈み、夜となった紅魔館のエントランスにて、館の当主であるレミリア・スカーレットとその妹、フランドールスカーレット。そして、レミリアによってこの館に連れて来られた四ツ谷文太郎の三人が相対していた。

レミリアの非難じみたその叫びにも、四ツ谷は微動だにせず。その不気味な笑みも崩す事無く彼女を見据えた。

 

「どう言うつもりも何も……俺はただ約束を果たしに来たのですが?」

「ふざけないで!私は、『怪談』の『聞き手』はフランだけって言ったはずよ!()()()()()、って一体どう言うことなのかって聞いてるのよ!」

「……???」

 

とぼけた様に呟く四ツ谷に、レミリアはそうすぐさま噛み付く。

それを見ていたフランドールは未だに状況が掴めず困惑していた。

四ツ谷は眼を僅かに細めると笑みをフッと消すと、レミリアにはっきりと、それでいて静かに言葉を放った。

 

「……今回の『最恐の怪談』。それは、フランドール・スカーレットの実の姉であるレミリア・スカーレット……貴女にも立ち会って聞いてもらう必要があったからですよ」

「なっ!?馬鹿言わないで!どうして私が――」

「――あなたがこの場にいなければ、この『怪談』は()()()()()()()()()。貴女たち、()()()()()と同じように……」

「な、何を言って――」

 

四ツ谷のその言葉に、内心動揺しながらも直も食って掛かろうとするレミリア。しかし、四ツ谷はそれよりも早く言葉を重ねた。

 

「……時に。先程、興味深い話をしていましたね?……()()()()()()()()()()()()()……」

 

そう言って四ツ谷の視線がフランドールへと向けられ、その視線を受けてフランドールは一瞬、ピクリと反応するも、直ぐに不機嫌に顔を歪めると四ツ谷を睨みつけた。

 

「何よ……誰だか知らないけどいきなり出てきて……。お姉さまの知り合いみたいだけれど、関係ないでしょアンタには!」

 

怒気を含ませたフランドールの声がエントランスに響き渡る――。

されど四ツ谷は、どこか涼しげな顔でスカーレット姉妹から背中を向けると、顔を上げてまるで歌うように言葉を紡いだ。

 

「――冷酷な吸血鬼の男、その男の毒牙にかかり、悲劇の人生を歩んだ一人の女性……」

「えっ……!?」

「なっ!?あ、アンタどこでそれを……!?」

 

それを聞いたフランドールは絶句し、レミリアは四ツ谷が知らないはずの『その女性』の事を彼が口にした事で動揺し、そう叫ぶ。

されど、四ツ谷はそれに答える事無く、言葉を続ける。

 

「……自身の意思を蔑ろにされ、無理矢理『吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)』として彼の隣にいる事を余儀なくされた彼女は、やがて病魔に蝕まれ、静かにこの世を去ったのです……」

「な、何でそれを知って「――しかし――」……!?」

 

再び問い詰めようと叫ぶレミリア。しかし、それに四ツ谷の言葉が静かに被される。

レミリアの言葉が途中で消え去り、代わりに四ツ谷の『語り』がその場をジワジワと支配していく――。

 

「――彼女は死してもまだ、()()()()()()()()()、やらなければならない事がありました……。それは――」

 

 

 

 

 

「――この世に残していく、二人の愛娘たちに送る……最期の言葉」

 

 

 

 

 

「……ふ、ふざけるなぁっ!!!!」

 

怒りが頂点に達したレミリアの叫びがエントランスに木霊した。

その声は周囲をビリビリと震わせるも、四ツ谷は微動だにせず、未だにレミリアたちから背を向けたままであった。

レミリアはそんな四ツ谷の態度が気に入らず、鬼の形相で四ツ谷を睨みつけながら続けて叫ぶ。

 

「この館に留まり続けてる?……馬鹿を言わないでッ!!お前があの人の何を知っているの言うのよ!?これ以上ふざけた事を言うのなら、八つ裂きにして湖に捨てるわよ!?」

「――いますよ、彼女は。まだ、この紅魔館の中に……」

 

荒く呼吸を繰り返しながら鬼気迫る形相で自身を睨みつけるレミリアに対して、四ツ谷は静かに視線をレミリアたちに戻すと、まるで二人に言い聞かせるかのように、優しくそう響く。

 

「……生前。貴女たちに自身の想いと『約束』を送った彼女でしたが、それでも伝え切れなかった『言葉』がまだあったのです。それを伝えるために、彼女は今も……ここに居続けている……」

 

レミリアを見下ろしながらそう響く四ツ谷に、レミリアは再び怒りに任せて口を開こうとする。

だが、それよりも前に彼女の背後でドゴォッ!!っと何かが破壊される音が響き渡った――。

レミリアと四ツ谷が音のした方へ視線を向けると、そこには両腕を小刻みにブルブルと振るわせて俯くフランドールの姿があった。

そして彼女の足元――右足の下の地面に、できたばかりの小さなクレーターがあり、そこからシュウシュウと小さな煙が上がっていたのだった。

 

「……何かよく分かんないけど……戯言もここまでくれば立派なモノじゃない……。いきなり出てきたかと思えば、知ったような口を利いてペラペラと……!勝手に言いたい放題ばっか言って……!!」

 

そう言って顔を上げたフランドールの双眸には涙がたまっており、その瞳で四ツ谷を睨みつけていた。

 

「約束?最期の言葉?!何よそれ!?何も覚えていない私に対してのあてつけのつもり!?最低よッ!!アンタなんか、八つ裂きにされるまでも無い!今ここで私が粉々に吹っ飛ばしてやるわよッ!!」

 

叫び散らすフランドールは掌を上に向けて片手を四ツ谷の前に突き出す。

その掌をギュッと握るだけで目の前の四ツ谷と呼ばれた男は跡形も無く消え去る。今までもそうだったように。

しかし、目の前にいる四ツ谷はそれでもフランドールに臆する事無く彼女を見据えていた。

その様子が気に入らないのか、フランドールは四ツ谷に声を荒げる。

 

「……何よ!?怖がりなさいよ、泣いて命乞いをしなさいよッ!!この手を握れば、アンタなんか一瞬でこの世から消えちゃうんだからッ!!今までだって、ずっとずっと!ずぅーっと、そうやって色んなモノを壊し続けてきたんだから!!怯えられて、怖がられてきた、()()()()()()()()()で今まで色んなモノ、消し続けてきたんだから!!だから、だから――」

 

 

 

 

 

 

 

「――だから……誰も私の事なんて、愛してくれる訳、ない、じゃない……っ!!」

 

 

 

 

 

 

そう、搾り出すように響かれるフランドールの声と共に、彼女の頭と掲げていた手が力なく垂れた。

痛ましいフランドールのその姿に、レミリアは先ほどまでの怒りが嘘のように消え、胸が締め付けられるような感覚に襲われるも、フランドールにかける言葉が見つからず、沈黙したまま彼女を見つめるしかできなかった。

しかし、その瞬間。カラ……コロ……と、下駄の音を静かに響かせて、四ツ谷はフランドールの前へと歩んできたのだ。

四ツ谷は悲しみに沈むフランドールを見下ろすと、やがてゆっくりと彼女に声をかけた。

 

「『戯言』、『誰も自分を愛していない』……。それは……()()を見てもまだ、同じ事が言えますか?」

 

そう言って四ツ谷は、懐から()()()()を一枚、取り出すと、それをフランドールの前に差し出して見せた。

 

「……?何よ、この紙切れ……。コレが一体何だって――…………?」

 

唐突に差し出された紙に、フランドールはいぶかしみながらも、反射的にその紙を受け取り――そして、その紙に書かれている文字に気づく。

 

「……!!?」

 

その文字に眼を走らせた瞬間――フランドールの眼が驚愕に大きく見開かれ、身体は雷に打たれたかのように硬直した。

 

「……?」

 

ただならない様子で手に持った紙を食い入るように見つめるフランドールに、レミリアも気になり、眉を寄せながらフランドールの横からその紙を覗き込んだ。

 

「……!!」

 

そうして、レミリアもフランドール同様、その紙に書かれた文面を見て、驚きに身体を硬直させたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

――拝啓、レミリアとフランドールへ。

 

 

 二人がこの手紙を見る時、恐らく私は既に、この世にはいないのだと思います。

今私は、小さな自分の部屋でこの手紙を書き、自分の思いを全てここに記す気持ちでペンを走らせています。

不思議なものです。この館に幽閉され、望みもしなかったここでの夫婦生活や子育て。……何度死んで楽になりたいと思っていたのにも拘らず。少し前に病気にかかり、いざ自分の死期を悟ってしまうと、逆に死に切れない気持ちでいっぱいになったのです。

思えば、これと似たような心境になった事が以前にもありました。

それは貴女たちを身篭り、そして出産する時でした。

貴女たちを身篭った当初、私はお腹の中にいる貴女たちに憎しみを抱いていました。好きでもない彼に無理矢理迫られた果てにできた子供です。その様な歪んだ情事でできた子供に、当初の私は愛着など微塵も湧く訳がありませんでした。

 

でも、いざ出産し、この手で貴女たちを抱きかかえた時、私の心境は一変しました。

 

何の穢れも知らない無垢な顔でこの世に生の産声を上げた貴女たち。その声を聞いた時、私は自分の中に鬱屈して溜まっていた憎しみが、霞のように消えていくのを感じたのです。

そして同時に、私の中の考えが変わったのです。

例えどんなに忌み嫌う男との間に生まれた子供であろうとも、その子たちには決して罪などないという事に。

その男との間に生まれた決して人ではない子供でも、私にとってその子たちは自分のお腹を痛めて産み落とした、愛しい我が子である事に変わりはないのだという事に。

それに気づいた時、私の中にあった貴女たちへの憎悪は完全に消え去り、代わりに貴女たちの存在がとても尊いものに感じるようになったのです。

貴女たちを生んで初めて抱き上げた時の事も、未だに昨日の事の様に思い出せます。

私のこの腕の中に、貴女たちの温もりを感じ、私に笑いかけるあの無垢な顔は、私の記憶に残る大切な宝物の一つです。

 

そして……夜に、あの庭園で二人と美鈴と四人で遊んだ日々も……。

 

この手紙を書いている今この瞬間にも、私の中に潜む病魔が少しずつ私を蝕んでいくのが分かります。

いずれ、それは全身へと回り、やがて私は天へと召されるのでしょう。

もっと貴女たちと一緒に居たかったけれど、それももう、できそうにありません。

 

 

 

本当に、ごめんなさい……。

 

 

 

――レミィ。フランの事、お願いね。

貴女に全て押し付けてしまう形になってしまうけれど、フランと美鈴が一緒なら、貴女はどんな事でも切り抜けられると私は信じています。

フランの姉と言う立場から、何かと我慢し、背負い込みがちになりやすい貴女だけれど、本当はまだまだ誰かに寄りかかっていたい子である事は、よく分かっておりました。

今までは私がその拠り所となって貴女を支えていましたが、その私も、もういなくなります。

ですが、私がいなくなっても、貴女は大丈夫です。

貴女は一人じゃない。血の繋がった妹や今では家族同然の美鈴も一緒にいるのですから。

無理に背伸びをする必要はありません。時には我が侭を言って誰かを困らせたり、甘えたりしても良いのです。

貴女は、貴女の望む、思うがままの道を……フランと美鈴と共に、私の分まで生を謳歌し、歩んでください。

 

 

――そして、フラン。お姉さんの事、お願いね。

背伸びしがちで、無理しちゃいやすいお姉さんだけれど、貴女が支えてくれれば、あの子もとても嬉しいから。

例え何もできなくても、ただ傍にいてくれさえすれば、あの子はなんだって頑張れる。

貴女と、美鈴が一緒にいさえしてくれれば、それだけで……。

今の貴女はとても幼い。私はもう直ぐこの世を去るけれど、そうなれば貴女は時と共に私の事を忘れてしまうかもしれませんね。

でも、例え私の事を忘れてしまっても、ただ一つ、この事だけはどうか覚えていてほしい。

 

貴女の持つ能力は、決して誰かを傷つけるためのものなんかじゃない。

 

それは貴女の、誰か大切な者を守るための力。

お姉さんや美鈴、そして今はまだ出会っていない、かけがえのない大切な友達を悪いモノから守ってあげるための力であると私は信じています。

本当は、もっと大きくなるまで一緒にいたかった。ですが、これからはずっと、私は空の上からフランを見守っています。いつまでも、ずっと。

お姉さんとはこれから、時に喧嘩をしたり、いがみ合ったりする事もあるのかもしれません。

でもそれでも、いざ一人ではどうしようもない脅威に出会った時、お互いに協力し合い、助け合って、二人でそれを踏み越えていく事がきっと出来ると、私はそう信じています。

心配は要りません。貴女なら、きっと大丈夫。

お姉さんも、美鈴も、そしてこれから出会うであろうかけがえのない友達。

心から接し、歩み寄れば、貴女の思いにその方たちはきっと答えてくれる。

だから、自分を見失わず、貴女は貴女の思いを胸に、どうかお姉さんたちと末永く幸せに。

 

 

 

 

 

……ああ、駄目ですね。書きたい事、思い残したい事は全て書いたはずなのに……それでも二人に対する思いの言葉が胸の内から後から後から湧いてきてしまっています。

でも、それでも、ここでペンを止めなければ、私は永遠にこの手紙を書き続けてしまいそうです。

ですから……もう、ここで終りにします。

 

この手紙がどういった経緯で貴女たちの元に届くのかは、私にも分かりません。

もしかしたら、誰にも気づかれずに隠した所共々、処分されてしまうのかもしれません。

ですがそれでも、どういった形でもこの手紙を貴女たちに読んでもらえる事を、心から切に願っています。

 

 

 

そして……最後に――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

レミリアとフランドールは手紙の文字に釘付けになったままその場に立ち尽くしていた。

手紙に書き手の名前は書かれていない。

それでもレミリアにはその文面――文字の書き方には、遥か昔にこの世を去った最愛の人の面影を想起させ。

フランドールにはその文章の内容から誰が書いたのか自ずと察しがついたのであった。

しばしの沈黙後、レミリアは動揺を隠し切れない顔を手紙から上げ、視線を四ツ谷へと向けた。

 

「……あ、あなた。コレを一体、どこで……?」

 

震える声でそう問いかけるレミリア、しかし四ツ谷はそれには答えず、ゆっくりと二人に背を向けるとそのまま()()()()()()()()()()へと向かい始める。そして同時に、彼女たち二人に向けて言葉を紡いだ。

 

「……『母親の事を覚えていない』……どうして、そう、言いきれるのですか?――」

 

その言葉と共にフランドールも呆然としながら四ツ谷へと眼を向けた。

カラコロと下駄の音が静かにエントランスに鳴り響く――。

四ツ谷の『語り』は止まらない――。

 

「――さァ……今一度、思い出してみましょう。

 

 

 

                         ……彼女の服装はどんな風でしたか……?

 

 

 

 

        ――声は?

 

 

                                  ――(クセ)は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                ――笑った、顔は?」

 

 

 

やがて、扉の前に立った四ツ谷は、片手をそっと扉に添えると、それをゆっくりと押し開けた――。

 

 

 

 

 

             「さァ……月夜の散歩に出かけましょう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ――ふわり……。

 

 

 

扉が開け放たれると同時に、外の空気がエントランスへと流れ込んでくる。

それと同時に、風に乗って()()()()()()()()()が、レミリアとフランドールの鼻をくすぐった――。

 

「――!……これ……この香りは……!」

「……紅茶……?それに……焼き立てのクッキーに……アップルパイ……?」

 

小さな鼻をヒクヒクと動かし、無意識にそう響いたレミリアとフランドール。そして、そしてそれに続くように、また新たな匂いが彼女たちの元へと届く――。

 

「「……!」」

 

――それは、花の匂い。しかし、いつも見ている花々の匂いなどではなく――それは、二人にとってとても古く、懐かしい……思い出深い花の匂いであった――。

そして、匂いに続くように、四ツ谷によって開けられた扉の向こうに広がる夜の景色から、はらりひらりと、複数の白い花弁が中へと舞い込み、二人の視界に映りこんだ――。

 

 

 

 

――そして……二人は()()を、同時に見つける。

 

 

 

――目の前を白い花弁が舞うその向こう――。

――玄関戸の向こうにある夜の暗闇に、ぼんやりと浮かび上がる、白く儚い人の影を――。

 

「「!?」」

 

それを見た瞬間、知らず知らずの内に二人は外へと駆け出していた――。

翼で飛ぶ事を忘れ、扉の脇にいた四ツ谷も置き去りに、レミリアとフランドールは、ひたすらにその白い人影を追った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――紅魔館から霧の湖を挟んだ対岸。そこに風見幽香の姿があった。

幽香は、愛用の傘を畳んで杖代わりにしながら対岸に在る紅魔館をジッと見つめていた――。

館を見つめながら、幽香は誰にかける訳でもなく、一人そっと呟く。

 

「……全く、とんだ酔狂者ねあの男は。他者の厄介事に首突っ込もうだなんて。……まぁ、それでもあの男は自分の怪談の為だと言い張るのでしょうけどね……」

 

そう言ってクスリと小さく笑う幽香は、紅魔館での花植えの作業中に小耳に挟んだ、紅魔館とあの吸血鬼姉妹の大まかな過去話を思い出し、眼を細めた。

 

(……私たち人間や花たちとは違う悠久の時を生きると言っていい者たちは、数百、数千の年月を過ごして行くのは当たり前の存在。……それ故に、古い記憶は風化していき、遥か遠い過去となるのも当然。でもね――)

 

心の中でそう呟いていた幽香はそこでふと、顔を上げる。紅魔館の方から()()()()が数枚、風に乗って幽香の所にまでやってきたのだ。

こんな遠い所までよく来たものだと、幽香は内心小さく苦笑しながら、頭上から落ちてくる数枚の花弁の内の一枚をそっと掌で受け止めた。

そして、先程の言葉の続きを心の中で響かせる――。

 

(……あの吸血鬼たちは、一つ勘違いをしている。……『覚えていない』、『忘れてしまった』。それは決して()()()()()()()()()()()()。ただ、()()()()()()()()……。自身にとって大切な思い出は特に、ね……。例え時が記憶を風化しても、その記憶に込められた想いは、決して朽ちる事は無いわ)

 

そうして幽香は改めて視線を紅魔館に向けた。今、あの館で何が起こっているかなど幽香は知る由も無い。

しかし、一つだけ幽香には確信めいた事実があった。

 

(レミリア・スカーレット……貴女が連れて来たあの変人が、今からそれを証明するわ……!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はらり。

 

 

                              ひらり。

 

 

 

          はら。

 

 

 

                           ひらり……。

 

 

 

 

月明かりの下――白い影を追って、幼き吸血鬼の姉妹がひた走る。

視界をいくつも舞う白い花弁を振り切るように、少女たちはただただ、その()()()()を追った。

 

 

――やがて……二人は、『思い出の場所』へとたどり着く。

 

 

「「…………」」

 

そして、()()を目にした少女たちは、双方共に言葉を失った――。

 

 

 

 

 

 

――白。

 

 

 

 

――一面を覆い尽くす白一色の世界が、そこに存在していたのだ――。

 

月の光に照らされて、淡く白く輝くそれは、大量の白い花々であった。

少し前まで荒れ果てた庭であったはずのそこは、白く美しい海へと変貌し、風が吹くと共にまるで波紋のように波うち、同時にそこから離れたいくつもの花弁は、さながら波のしぶきのように、白い満月の空へ高く華麗に舞い上がった――。

 

 

 

 

 

 

 

――そして……。

 

 

――そこに……。

 

 

――『彼女』がいた……。

 

 

 

 

 

 

 

月明かりに照らされた、幻想的な白い花畑の中心に――白いドレスと帽子を纏った『彼女』の後ろ姿があったのだ……。

 

「あ……」

 

その姿を見つけたフランドールはそう声を漏らし、隣で呆然と立ち尽くすレミリアより数歩、前に出て、その女性を凝視する。

纏ったドレスと共にその長い金色の髪が風に揺れ、両手を後ろ手に組んだその女性は、空に淡く輝く月を見上げているようであった――。

 

――四ツ谷の言葉が……懐かしい匂いが、光景が……少女たちの記憶のはしっこをつつく……。

 

そうして次の瞬間、フランドールの中で堰き止められていた何かが外れた。

と同時に、かつて忘れていたと思っていた懐かしい記憶が、一気にフランドールの頭の中を駆け巡ったのだ。

 

そして――その中に、彼女がずっと捜し求めていた記憶があった――。

 

 

 

 

 

――それは、彼女にとってとても古く、そしてとても大切な……『約束』の記憶……。

 

今と同じくこの白い花畑の海の中で、自身を恐れる事など無く、大切に育て想ってくれた愛しい母と自分の二人だけの『約束』の記憶――。

 

 

 

――……いいフラン?貴女のその能力は、貴女のお姉さんや美鈴、そして貴女の大切なお友達を守るための力。誰かを傷つけ、恐がらせる為のものじゃない。貴女は、貴女の思うように生きて、その能力でお姉さんたちを助けてあげて……。それが、お母さんがフランに望むたった一つのお願いだから……――。

 

――『約束』、よ……――。

 

 

 

そう言って病で痩せこけた顔で、柔らかく微笑む母の顔と、同じく痩せこけてしまった彼女の小指に、自身の指を絡ませた記憶も、今はっきりと、フランドールは鮮明に思い出すことが出来たのだった。

 

そしてレミリアも、フランドールと同じく『彼女』の姿を見つけると、フランドールと同じくあの夜の『約束』を思い出していた――。

 

 

 

――レミィ、フランの事、お願いね。私はもう直ぐいなくなって、貴女たちを残して行っちゃうけれど、姉である貴女がしっかりとフランを導いてあげるのよ?心配しなくても大丈夫。美鈴もいるし、いざとなればフランも必ず助けてくれる。時には我が侭だって言ったって良いの。気負う必要も何も無い。……貴女は貴女らしいやり方で、姉としてフランを引っ張って行ってね……――。

 

――『約束』、よ……――。

 

 

 

そう言って同じく病で痩せこけた笑みを『彼女』が浮かべていたのを、レミリアはまるで昨日の事のように鮮明に思い出していた。

 

それぞれが『約束』を思い出した二人を前に、今……目の前に立つ白いドレスの女性が、ゆっくりと彼女たちに向かって振り返る――。

月明かりに照らされたその顔は、病で痩せこけた様子の全く無い健全な姿で、柔和な笑みを携えて二人を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

――紛れもない、愛しい母の……笑った顔がそこにあった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                ――レミィ……フラーン……!――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母が……笑っていた。

何十年、何百年立とうと、想い焦がれる日々が無かった愛しい母の、一点の穢れもない柔らかく優しい笑顔が、そこにあった――。

今、目の前で、自分たちに向け、手を振りながら笑いかけている――。

 

自分たちが愛し、そして愛してくれた母の笑った姿が、今ここに――。

 

「……あ、あ゛あぁぁぁあ゛あぁぁぁ……!!」

 

それを認識した途端、レミリアは滂沱の涙を流していた。

胸が張り裂けそうなほどに、感情が彼女の胸の内を渦巻いていた。

それと同時に、この五百年間、自分に絡み続けていた『しがらみ』が一気に解かれ、身体が軽くなったような気分になった。

言い知れぬ感情の渦巻きに打ち震えるレミリア。そんな彼女の前に立つフランドールが、レミリアの方に振り返る事無く、ポツリと響く――。

 

「……お母様の笑った顔も、声も……もう、どんなのだったか忘れたと思ってた……。ううん、違う。私は()()()()()()()()()()()……。今までずっとお母様に恐れられて、嫌われていたんだと思ってた……。でも……違ってたんだね――」

 

フランドールは、そう声を震わせながら――先程読んでいた母の手紙の、その最期の文章を思い返していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして……最後に――

レミィ、フラン……。私の愛しい子供たち――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――生まれてきてくれて、ありがとう――

 

 

 

――一緒に生きてくれて……ありがとう――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランドールはレミリアに顔を向けた――。

涙と鼻水でグシャグシャになり、それでも自分の家族である姉に向けて笑顔を浮かべながら――。

 

「フラン……」

「お、姉さま……わ、わ゛だじッ……も゛う、大丈夫っ……だいじょうぶだと、思う……ッ」

「フラン……っ!」

 

涙で震える声でそう響くフランドールを、レミリアは思わず強く抱きしめた。

フランドルもその小さな両手でレミリアを抱きしめ返す。

 

「ごめ、んなさい……。お姉さま、ごめんなさい……っ!」

「ううん。私の方こそ、ごめんなさいっ……!貴女に酷い事ばかりしてしまった……!私は、貴女のお姉ちゃん、なのにっ……!」

「ううん。いいの……もういいの。私、取り戻せたから……!大事な記憶も『約束』も、取り戻せたから……!だから、もういいのっ……!」

 

お互いが涙で顔を濡らしながらも、それでも互いを抱きしめ続けていた。

もう二度と放さない。そんな決意を表すかのように。

 

そうして一陣の強い風が花畑に吹き込んだ――。

 

花びらが風に乗って天へと舞、逆巻くように月へと登っていく――。

そうして弱まったその風は、今度はその場で抱きしめあう幼き姉妹を優しく包み込んだ――。

 

 

 

 

 

 

 はらり。

 

 

                              ひらり。

 

 

 

          はら。

 

 

 

                           ひらり……。

 

 

 

 

まるで二人を祝福するかのように、周囲に白い花弁を舞い躍らせながら――。




一月ほど遅れましたが、何とか最新話投稿です。

そして今回も、一万字越え投稿と相成りましたw

もう気づいている人もいるかもしれませんが、この話は原作の『花子さん』のちょっとしたオマージュとなっておりますw


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其ノ十五

前回のあらすじ。

四ツ谷はスカーレット姉妹に『吸血鬼の花嫁』の怪談を語る。


「……ねぇ、咲夜。貴女、何か見えた?」

 

月明かりの中、花畑の脇で、互いを抱きしめあうレミリアとフランドールの様子を見守っていたパチュリーが、隣に立つ咲夜にそう問いかけた。

問いかけられた咲夜は首を振って口を開く。

 

「いいえ、何も……。ですがお嬢様と妹様には、あの花畑の中に何か見えていたみたいですね」

「あの、咲夜さん。見えていたのは何もお嬢様たちだけじゃないみたいですよ?」

 

そう呟くのは、パチュリーを挟んで咲夜の反対隣に立つ小悪魔であった。

その小悪魔も、自身を挟んでパチュリーの反対隣に立つ女性に眼を向けていた。

 

「お゛、お゛ぐざま゛あ゛ぁぁ~~~ッ!!」

 

美鈴であった。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした彼女は、両手で自身の服をギュッと握り締め、ヒグヒグと嗚咽に喉を鳴らしながら、白い花畑の中を見つめていた――。

眼から鼻からとめどなく溢れてくる体液にまみれたその顔に、隣に立つ小悪魔はドン引きする。

そこでふと、咲夜はとある事に気づいた――。

 

「あら?……そう言えば、あの男は何処に……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠、帰る準備が出来ました」

「おう」

 

四ツ谷は小傘たちと共に、今日レミリアと咲夜に初めて連れて来られた玉座の間にいた。

その部屋の中央に衣装箱が置かれ、彼らは今まさに、折り畳み入道の能力とその箱を使って人里へと帰ろうとしていたところであった――。

先に薊、梳、金小僧が箱の中に入って会館へと帰り、次に小傘が入ろうとしてその動きを止め、背後にいる四ツ谷に振り返って問いかけた。

 

「師匠……本当に良かったのですか?レミリアさんたちに何も言わずに帰っちゃっても」

 

それに四ツ谷が答えようとした瞬間、唐突に部屋の出入り口から声が上がる。

 

「いたいた、見つけたわ。待ちなさい!」

 

四ツ谷と小傘が声のした方へ眼を向けると、そこには咲夜が立っていた。

咲夜は四ツ谷に向けて声を上げる。

 

「あなた。一体、何処へ行くつもり?」

 

それに四ツ谷は悠然とした態度で咲夜に向き直り、答える。

 

「……これで俺の役目は終わった。だから、もう帰らせてもらう」

「それは、まだ駄目よ。お嬢様の許可無く帰るだなんて――」

「――いいんじゃない?帰しても」

 

咲夜の言葉に重なるようにして、唐突に咲夜の背後から声がかかる。

見ると、咲夜に続くようにしてパチュリーと小悪魔が玉座の間へと入ってくるところであった。

自身を止めたパチュリーに咲夜は声を上げる。

 

「パチュリー様。ですが……」

「咲夜。この一件が解決した以上、もう彼をここに留めておく理由はなにも無いわ。それに、肝心のレミィとフラン……それに美鈴も、しばらくあそこから動きそうに無いしね」

 

パチュリーのその言葉に咲夜は押し黙る。

しかしその次の瞬間、パチュリーは「――ただ、」と、四ツ谷を見据えながら、続けて言葉を紡ぐ。

 

「……四ツ谷さん。最後に一つ、聞いてもいいかしら?」

「?」

 

小さく首をかしげる四ツ谷に、パチュリーは問いを投げかけた。

 

「あなたは確かに言ったわよね?『怪談を創る』と……。でも、あなたが創ったあの『吸血鬼の花嫁』と言う怪談は正直に言って――」

「――怖くなかった?」

 

自分の一番言いたかった言葉を、肩をすくめてあっさりとそう響く四ツ谷に、パチュリーは少し面食らいながらも小さく頷いて見せた。

四ツ谷はゆっくりと天井を仰ぎ見ながらそれに答える。

 

「……俺に言わせりゃあ……ただ『恐怖』をまき散らせるだけが『怪談』の本分じゃねぇんだ……。『怪談』と『ホラー』……この二つは同じなようで、必ずしも(イコール)ってわけじゃない」

「……それが、あなたの考える『怪談』の本質ってわけ?」

 

パチュリーのその言葉に四ツ谷は小さく鼻を鳴らす。

 

「さてね?……ま、俺は怖くて悲鳴の聞ける『怪談』の方が好きなんだけどな♪」

 

視線をパチュリーたちに戻してそうフヒヒッっと笑う四ツ谷。

それを見たパチュリーは小さくため息をつく。

そして、今一度、四ツ谷を見つめると――。

 

「ありがとう」

 

――そう、顔を僅かに綻ばせ、四ツ谷に感謝の言葉を送った。

それを聞いた四ツ谷は、満足そうに再び鼻を鳴らすと、クルリとパチュリーたちに背中を向ける。

そして……一足先に箱に入って帰った小傘を追うようにして、四ツ谷自身も箱の前に立つ。

去り際の一歩を踏み出す瞬間、四ツ谷はパチュリーたちに聞こえるようにして、幕引きの言葉をその場に響かせた――。

 

「……『吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)』。これにて、お(しま)い――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まさか、そう日が経たないうちに、またここに来る事になるとは」

 

――真昼の紅魔館。そこの二階の一角にある広いベランダに、豪華な装飾のテーブルと複数の椅子が置かれており、その椅子の一つに四ツ谷が座って呆れ気味にそう呟いていた――。

『吸血鬼の花嫁』の一件から二日後。いつもの日常を取り戻していた四ツ谷たちの元に、再び咲夜が訪ねてきたのだ。

しかし今回は前回と違い、無理矢理連れて行くことはせず、ちゃんと玄関からやって来た咲夜は、レミリアからお礼も兼ねて紅魔館に改めて四ツ谷を招待したいという旨を伝えてきた。

暇をもてあましていた四ツ谷は、それに二つ返事で了承する。

そして、咲夜の能力で再び紅魔館にやって来た四ツ谷は、レミリアの誘いでベランダでお茶会を満喫する事となったのである。

大きな屋根のあるベランダなため、日中でも平然とした態度でテーブルに置かれたティーカップの紅茶を優雅に飲むレミリア。

そしてその隣では、レミリアと同じく紅茶を飲みながらも、視線は大図書館から持ってきたらしい本の文字に集中しているパチュリーの姿もあった。

その二人を見ながら四ツ谷も用意された茶菓子のケーキと紅茶を堪能する。

そうしてのんびりと時間を費やしていたが、やがてレミリアが四ツ谷に声をかける。

 

「……四ツ谷文太郎。今回の事、本当に世話になったわね。感謝するわ」

「……俺はただ怪談を創っただけだ。そう改めて感謝されるほどの事はしてねーよ」

 

素っ気無くそう返す四ツ谷にレミリアは静かに首を振る。

 

「いいえ。あなたのおかげで私も……そして、フランも変わる事ができたわ。……見て」

 

そう言ってレミリアはベランダから見える正門側の庭園――その一角へと視線を向ける。

つられて四ツ谷もその視線の先を追った。

――そこには、三人の見知った者たちの姿があった。

 

「……美鈴。貴女、少し力入れすぎよ。もう少し緩めないとお花ちゃんたちが可愛そうじゃない。フラン、貴女は筋は良いけれど、おっかなびっくりでやってたら気が持たないわよ?」

「「はーい!」」

 

その内の一人は、今回の一件でデイジーを提供し、大きな貢献を果たした風見幽香であった。

そしてその彼女の前で、おそろいの麦藁帽子とTシャツに軍手と手ぬぐい。そして赤と緑の色違いのオーバーオールを纏ったフランドールと美鈴が、花壇の土いじりに精を出していたのだ。

スコップ片手に汗をかきながら(もちろん、日光を防ぐ日焼け止めクリームも塗って)、一生懸命に花々の世話をこなすフランドールは、以前とはまるで別人のように容姿相応のあどけない顔で作業を行っていた。

 

「あの二人は正式に風見幽香の園芸術の門下生になったの。指導は厳しめだけれど、フランも美鈴も生き生きとした顔でその指導を受けているわ」

「……どうやら、今の所は『発作』の方は起きてねぇみたいだな」

「ええ……。フランのあんな見た目相応の楽しそうな顔を見るのも、何だか久しぶりだわ……」

 

園芸作業に精を出す妹を慈しみの眼で見つめてレミリアはそう言った。

しばしの静寂が辺りを包み込む――。

しかしやがて、レミリアはフゥと息をつくと再び四ツ谷に向き直った。

 

「今回の事……私やフラン、そしてこの紅魔館にとって大きな転換期となったのは間違いないわ。だからこのままあなたに何のお礼も無しに事を終わらせる訳にはいかないのよ」

「……じゃあこの紅茶とケーキが謝礼って事で」

「ふざけてるの?」

 

適当な事を言う四ツ谷に、レミリアはテーブルから身を乗り出すようにしてジト目で彼を睨みつける。

そんなレミリアに、四ツ谷は肩をすくめて言う。

 

「そうは言っても、金にはとくに困ってねぇし……。別段、これと言って欲しい物は特に――」

「――『働き手』……など、如何でしょうか?四ツ谷様」

 

四ツ谷の声に重なるようにして第三者の声がベランダに響き渡った。

その場にいた全員が声のした方へ眼を向けると、そこにはお代わりの紅茶を入れたティーポットをカートに乗せてこちらにやって来る、小柄な妖精メイドの姿があった。

その妖精メイドは四ツ谷も知る者で、思わず口が開く。

 

「お前は確か……イトハっつったか?」

「その節はどうも……四ツ谷様」

「働き手ってどう言う事?」

 

ぺこりと四ツ谷に向けてお辞儀をするイトハに、レミリアがそう問いかける。

顔を上げたイトハは、それに答えた。

 

「はい……実は四ツ谷様の所に居候していらっしゃる梳様が、近々お店を出すとの話を耳にしまして」

「あー……確かにそうだ。なんだ?良い人材の心当たりでもあんのか?」

 

四ツ谷の問いかけに、イトハは柔らかくニッコリと笑うと、右手を自身の胸元に添えて静かに口を開いた。

 

「はい、います。……()()()

 

その発言に、四ツ谷とレミリアは同時に顔を見合わせる。

そして、視線をイトハに戻したレミリアは、確かめるようにして彼女に問いかける。

 

「貴女が、その店の店員になるって言うの?」

「はい。実はもうメイド長から了承の意をもらっていまして、後はお嬢様が許可してもらえれば……」

「私も別に、貴女が良いって言うのならいいのだけれど……。あなたはどうなの?」

 

そう言ってレミリアは次に、四ツ谷に視線を向ける。

四ツ谷もイトハの発言にやや面食らった表情を見せるも直ぐに口を開く。

 

「いや、俺も別に良いが……。本当に良いんだな?何せこの幻想郷で初めて出来る『髪結い処』だ。結構忙しくなると思うぞ?」

「はい、元より覚悟の上です。こう見えても私、物覚えには自信がありますから、梳様の仕事のサポートから身の回りのお世話までそつなくこなして見せしましょう」

 

ニッコリと笑ってそう言うイトハに四ツ谷は興味深げにニヤリと笑った。

 

「ほゥ、言ったな?いい度胸だ、気に入った!良いだろう。今ここでお前を採用してやる!」

「是非、今後ともよろしくお願いいたします♪」

 

ビシッとイトハに指をさして響いた四ツ谷の言葉に、イトハは嬉しそうにカーテシーの動作で深々と頭を下げて見せた――。




最新話投稿です。
次回でこの章は終わりますが、登場するのは紅魔館組のみとなっております。


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其ノ十六 (終)

前回のあらすじ。

一件が解決し、四ツ谷は紅魔館から報酬として『人材』を一名手に入れる。


四ツ谷がイトハを連れて人里へと帰り、幽香も太陽の畑へと帰ったのは、ほんの少し前の事だった――。

太陽が西へと傾き、後もう少しすれば夕暮れとなる時刻。

未だにレミリアとパチュリーは四ツ谷と話したベランダにてゆっくりとくつろいでいた。傍には先程までいなかった咲夜も控えている。

レミリアはテーブルに頬杖を着きながら、庭園にいるフランドールの園芸作業を未だに飽きもせずに見つめていた。

そんな彼女の様子に、読んでいた本から顔を上げたパチュリーが呆れ気味に声を上げる。

 

「……全く、いつまであの子の事眺めているつもり?いくらなんでも長いわよ」

「えー?いいじゃない。減るモンじゃないしぃ」

「……貴女、結構子供っぽい面を表に出すようになったじゃない。……まぁ、今までのお嬢様面だってハリボテ演技だったのだけれど」

「ひどっ!?」

 

ガーン!という擬音が聞こえてくるようなショック顔を浮かべるレミリアにパチュリーはクスリと笑って見せる。

 

「……あの男の『最恐の怪談』の影響で大きく変化したのはフランだけれど、貴女もそれなりに変化はあったようね。……良い傾向だと思うわよ、私は」

「むー、何よそれ」

 

馬鹿にされたのだと思ったレミリアはプクーッと、頬を膨らませる。

それを見たパチュリーは再びクスリと笑って見せた。

レミリアは小さくため息をつくと、人里のある方向へ視線を向け、四ツ谷と共に連れ立っていった()妖精メイドの事を頭に浮かべて口を開く。

 

「……それにしても驚いたわ。あの妖精メイドがあんな事を考えていたなんて……」

「あの一件の最中に、梳……例の外来人の話を耳にしてからそれを考えていたらしいのです」

 

答えたのはパチュリーではなく、傍に立つ咲夜であった。

それを聞いたレミリアは怪訝な顔を咲夜に向ける。

 

「どう言う事?」

「お嬢様……お嬢様と妹様の事を案じていたのは、何も()()()()()()()()()()()()()()……。あの子もまた、そのうちの一人だった」

 

そう響いた咲夜は、その時のイトハとの会話を脳裏に蘇らせる――。

 

 

 

 

 

『……貴女がそう決めたのなら、後はお嬢様の判断次第ってだけで私は何も言うつもりは無いけれど。……けど、本当に良いの?貴女はそれで』

『はい……。私はもう十分、この館の方たちに良くしてもらえましたから……。この幻想郷に始めてやってきた時、右往左往していた私をメイドとして受け入れ、そしてより良く鍛えて強くしてくれたのは、お嬢様やメイド長――貴女たちです。ですから、これくらいの事、私は苦とも思いませんし、今までのご恩を返せられるいい機会だとも思ったのです』

『まるで滅私奉公ね。そんな身売りするような事、お嬢様や私が喜ぶとでも思ってるの?』

『フフッ……貴女がそれを言うのですかメイド長?お嬢様の為なら、自身の心臓すら平気で捧げてしまいそうな、貴女が』

『…………、はぁ……ぐぅの音も出ないわね』

『大丈夫です、心配はいりません。四ツ谷様の性格上、そんな事をするお方とは到底思えませんし、私も新しい職場で平穏無事に元気でやっていきますから♪』

 

 

 

 

 

「……はぁ~っ。今回の事……咲夜やパチュリーたちに迷惑をかけたって気持ちはあったけれど、それだけじゃ治まらなかったみたいね」

「ええ……。恐らく、あの子だけじゃなく、他の精鋭隊のメイドたちや、ホフゴブリンたちも……」

 

咲夜の話を聞いてちょっぴりバツが悪そうに頭を抱えてため息をつくレミリアに、そっと咲夜はそう言葉をかける。

 

「……まぁ、私は別に何とも思ってなかったけれどね」

 

と、パチュリーはそう呟いたものの、顔は明後日の方へと向いており、誤魔化すようにして紅茶をすすっている為、どう見ても見栄を張っているのが目に見えていた。

それを見たレミリアと咲夜は同時に苦笑してみせる。

そして、再び咲夜は口を開く。

 

「……それに、あの子は最後にこう言っていました。――

 

 

 

 

――『恐らく四ツ谷様は、これから先もこういった一件に巻き込まれ、もしくは自ら首を突っ込んでいくはずです。退屈がめっぽう好きではないお嬢様の事、この先も四ツ谷様の動向に眼を見張っていくものと思います。……事が起こるそんな時、紅魔館へその情報を伝える()()()の役目を担った者が彼の傍にいたのなら……何かと便利ではありませんか?』――。

 

 

 

 

――と、無邪気な笑顔を浮かべて……」

「……意外と喰えない性格してたのね、あの子」

 

困ったような笑みを浮かべてそう説明する咲夜に、レミリアは顔を引きつかせながらそう呟いていた。

そんなレミリアに小さく微笑んだ咲夜は、庭で作業を続けるフランドールに眼を向けた。

 

「……でも、本当に良かったです。妹様の、あの様な生き生きとした姿を見ることができて。おっしゃっていましたよ?『これからは、私が紅魔館の全ての庭を手入れするんだ』って。……もちろん、裏庭のあのデイジーの花の手入れも」

「……そう」

 

意外と素っ気無いレミリアのその声に、咲夜は視線をレミリアへと戻した。

レミリアもフランドールの方へを視線を向けてはいたが、その顔はどこか複雑そうであった。

 

「……お嬢様?」

 

怪訝に思い、声をかける咲夜。しかし、そこで本に視線を落としたままパチュリーの声が割り込んできた。

 

「……レミィ、もしかして貴女、()()()()?貴女のお母様が好きだったあの花(デイジー)の事」

 

その言葉に驚いた咲夜は、パチュリーへと眼を向ける。パチュリーは未だに本の文字に眼を落としたままだった。

されど、彼女はレミリアに言葉を投げ続ける。

 

「……私も長い事、この館にいるから分かるのよ。この館に来てから今まで、私は庭に植えられた花をいくつも見て来てはいるけれど、デイジーも、それに似たマーガレットも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………」

「以前、美鈴に一度聞いた事があるの。この紅魔館の庭に植える花の選別、()()()()()()()()()()()()()()()()()。なのに貴女はあの花を一度も植えようとしなかった。思い出深いあの花を選別から外してたのは、やっぱり――」

「――違うわ、パチェ」

 

そこでレミリアがピシャリとパチュリーの言葉を遮った。

数秒の沈黙後、レミリアは静かに口を開く。

 

「……私は、あの花を嫌ってた訳じゃない。あの花はお母様が愛した花なのよ?あの人が好きだったあの花を、私が嫌う訳ないじゃない。ただ――」

 

そこまで言ったレミリアはおもむろに空を見上げた。

夕暮れ前の空は未だに青く澄んでおり、所々に薄く伸びた雲が浮かび、流れていた。

その白い雲を見つめながら、レミリアは言葉を続ける。

 

「――ただ少し、苦手だったってだけ……。あの花を見ていると、お母様の事がどうしても思い出して……そうなってくると、今まで作り上げてきた紅魔館当主、レミリア・スカーレットとしての肖像が、脆く崩れちゃいそうで……それで今まで敬遠していたの」

「ハリボテなのに?」

「うん。喧嘩売ってるのかしらパチェ?」

 

重箱の隅をつつくが如く、シリアスな空気を呆気なく瓦解され、こめかみに血管を浮き立たせて引きつった笑みを貼り付けながらパチュリーに詰め寄るレミリア。

しかし、パチュリーはそんなレミリアの迫力にもものともせず、ため息を一つこぼすと、視線を本からレミリアへと向けて静かに口を開く。

 

「……まぁ、元々デイジー(daisy)って名前は古英語の『days'eye』=『太陽の目』が変化したモノが語源になってるから、そう言った意味でも吸血鬼である貴女からして見れば苦手な花なのかもしれないけどね」

「えっ!?……そう……なの……?」

 

デイジーの語源を聞いて驚くレミリア。同じくパチュリーの方も「知らなかったの?」と、眼を丸くする。

 

「……貴女のお母様の好きな花だから、てっきりそういう事も知ってるものとばかり思ってたわ」

「わ、悪かったわね」

 

頭を抱えるパチュリーに、少し恥ずかしそうにレミリアは彼女から距離を置いて頬を赤らめてそっぽを向く。

しかし、直ぐにその顔に影が差した。レミリアは俯くと悲しそうな笑みを浮かべてポツポツと呟き始める。

 

「……でも……そっか。確かにそれなら、夜の眷属である私が、あの花に苦手意識を持つのも納得ね……」

「お嬢様……」

 

レミリアの様子を心配した咲夜は声をかけるも、それに構わずレミリアは再び空を仰ぎ見ると言葉を紡ぎ続ける。

 

「……帰りたかったのね、きっと、お母様は。この忌まわしい夜の館から日の当たる故郷の地へと……。でも、私たちなんかを愛してしまったが為に、それを断念せざるを得なくなってしまった……。私とフランが、お母様を“夜”に縛り付けてしまったのね……」

 

空を見上げながら憂いを帯びた瞳をギュッと閉じ、沈痛に顔を歪めるレミリア。

しかしその時、それを見ていたパチュリーが一際大きなため息を吐いた。

 

「ハァ……。レミィ、貴女その様子だと、()()()()()()()()も知らないみたいね」

「……え?はな、ことば……?」

 

パチュリーから告げられたその言葉に、レミリアは呆けた顔を浮かべてパチュリーの方へ眼を向ける。

そんなレミリアを真剣な目で見据えながら頷き、パチュリーは静かに()()を口にしだした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……デイジーの花言葉は、『純潔』『美人』『平和』『希望』。そして、白いデイジーの花言葉は――

 

 

 

 

 

                    ――『無邪気』……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、あぁ……!」

 

パチュリーの言葉が、レミリアの心の奥底へとするりと入っていき、それと同時にレミリアの目が大きく見開かれる。

そんな彼女を前に、パチュリーの言葉は紡がれ続ける――。

 

「……()()()()()()()、彼女は。故郷の地に……。あの白いデイジーが咲き乱れる思い焦がれた家族の住む村に」

 

パチュリーの言葉が優しい旋律のように、レミリアの耳へとスルリと入っていく――。

 

「白い花畑……あの中にこそ、彼女の村が――本物の故郷があったのよ。毎日のようにあの花畑にやって来ては、故郷を思い浮かべ、まだ連れ去られる前の……穢れを知らぬ無垢な少女に立ち戻っていた。不安も何も無い、平穏穏(へいおんおだ)やかな心のまま、思うがままに自由に……!」

「あ……あぁぁ……」

 

レミリアの双眸から雫がいくつも零れ落ちる。

パチュリーは一息つくと、呆然となるレミリアに向けて小さく微笑む。

 

「……そして、その故郷に……レミィ、フラン、そして美鈴。貴女たち三人も一緒に来ていた……。貴女たち三人もまた、彼女の故郷で、彼女と共に在った――。一緒に遊んだり、お菓子を食べたりして……――

 

 

 

 

 

 

 

 

           ――貴女たちは、彼女の故郷に……受け入れられていたのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「~~~~~ッ!!」

 

パチュリーの言葉が止まり、辺りには幼き吸血鬼の嗚咽の声だけが小さく響き続ける――。

涙が止まらなかった。溢れ出る涙を両手で必死にごしごしと拭き取り続け、目元を赤く腫らすレミリア。

そんな彼女に咲夜は声をかけようと口を開きかけ――その前に当の彼女が顔を上げていた。

止まらない涙をそのままに、目元を腫らしたまま……彼女は穏やかに笑っていた――。

 

「……あ、あの人の……お母様の(こころ)は……――

 

 

 

 

 

 

 

――……もう、“夜”に囚われる事は無いわ……。暖かな……日が降り注ぐ光の中で……自由に在り続けるべき人なのよ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嗚咽にまみれながらも、穏やかに紡がれるレミリアの言葉――。

それはまるで、この紅魔館に深く染み付いた暗き歴史に、一つの区切がついたかのようであった――。

その言葉を最後に、レミリアはテーブルに泣き崩れる。そして、それを見た咲夜はポケットからハンカチを取り出すと、自身の目元から僅かに溢れ出た雫をそっと拭き取り、パチュリーは瞳を閉じて小さく笑うと手元の本をパタンと静かに閉じたのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妹様ー!そろそろ終りにしましょー!」

「うん!今行くー!」

 

紅魔館の玄関先、そこで手を大きく振りながら自分を呼ぶ美鈴に、フランドールも手を振って答えた。

 

「よいしょっと――っ!」

 

作業道具を一式、籠の中に入れてフランドールがそれを持ち上げた瞬間――ふいに、一陣の風が庭を吹き抜けた。

麦藁帽子が飛ばされぬよう、片手で籠を、もう片方で帽子を抑えて、フランドールは一瞬眼を瞑る。

 

「――……ぁ」

 

そして次に眼を開けた時、彼女は思わず声を漏らす――。

 

 

 

 

 

 

――風と共に巻き上げられた花々の花弁。その花弁の向こうで……白いドレスの女性が、優しく笑っているのが見えたような気がした――。




『吸血鬼の花嫁』終了です。

次章も早めに投稿いたします。
その次章の注意点を一つ、ここでお知らせさせていただきます。

ぶっちゃけさせていただきますと、次章は『最恐の怪談』は()()()()()
ですが、オリジナルの怪異は登場する予定となっております。
それでも良いという方は、また気長にお待ちいただける様、よろしくお願い申し上げます。


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幕外 井戸女
其ノ一


  ザザッ……!


                               ザーザッ……!


               ザザザーッ……! 







――一面を覆いつくす砂嵐の中……その奥に、古びた井戸があります……。

――その井戸の中から……爪を突き立て、這い上がって来るモノがいます……。

――そのモノが井戸の中から現れた時――。




       ――()()()()()()一体、どうするのでしょうか……?――。


――ザーーーーーーーーーーッ…………。

 

 

 

 

 

 

 

細かい雨が勢い良く幻想郷の地を瞬く間に濡らしていく――。

四月も後半にさしかかったある日の事であった。

 

「ったく、いきなり降って来やがって……!」

 

いつものように、散歩がてらに人里の子供たち相手に怪談を語っていた四ツ谷は、その帰り際に雨に降られ、近くの軒先に慌てて駆け込んだのであった。

四ツ谷は、懐から持っていた手ぬぐいを取り出し、外出時には必ず被る中折れ帽を脱ぐと、手ぬぐいで頭全体を拭き始める。

そうしてひとしきり拭き終えた所で、四ツ谷は軒下から空模様の様子をうかがった。

空は分厚い灰色の絨毯(じゅうたん)の様な雲で覆われ、青空所か切れ間すら見当たらない。

 

「こりゃしばらく動けねぇか……?」

 

あーあ、とため息を吐きながら、四ツ谷は手ぬぐいを首にかけ、雨宿りをしている家の壁に背中を預けると、そのままズルズルとしゃがみ込んだ。

ふと、通りを見ると、十歳くらいの子供二人がこんな天気であるにもかかわらず、傘と(みの)を纏って楽しそうに談笑しながら歩いているのが見えた。

 

「『春雨やものがたりゆく蓑と傘』ってか。こんな雨ン中でも元気だねぇ、子供ってのは」

 

去っていく子供二人の後姿を見つめながら、四ツ谷はそうポツリとこぼした。

そして、そこでふと閃く。

 

「……そう言やぁ、後半月たてば五月の節句……『こどもの日』だな。柏餅(かしわもち)を大量に売るつもりだって甘味所のオヤジが言ってたが……だが、柏も捨てがたいが俺はやっぱ団子だな、それも餡子たっぷりに乗せた――」

「――あらそう?私はゴマも最高だと思うのだけれど」

「!?」

 

唐突に四ツ谷の真横から声が上がり、驚いた四ツ谷は首を横に向けた。

 

 

――そこには女がいた。

 

 

それもただの女ではない、眼を見張るほどの美女がそこに佇んでいたのだ。

端正な顔立ちに透き通るような肌、長い髪と瞳は東洋離れした金色で、髪は一つに束ねて背中に流していた。

纏っている着物はどこにでもいる人里の年頃の娘がよく着ているようなありふれた物であったが、その使われているオレンジ色の生地には薄っすらと星座の様な刺繡が無数に散りばめられていた。

眼を見張る四ツ谷を前に、その女性はニッコリと微笑むと口を開いた。

 

「どうも。私もこの雨で動きが取れなくなってしまって。ご一緒させてもらってもよろしいかしら?」

「…………。どうぞ」

 

女性から視線を雨空に移した四ツ谷は、何故か無愛想にそう答えた。

しかし女性は、それを気にする風でもなく、四ツ谷と同様、空模様をうかがいだす。

 

「よく振りますね、この雨。しばらく止みそうにないですし。まったく、梅雨にはまだ速い時期なのに……」

「…………」

 

空を見上げながらも、女性は気安く四ツ谷に声をかけ続けるも、当の四ツ谷は口を開かない。

 

「さっき甘味の事を呟いてましたけれど、私は団子だとゴマだけじゃなく三色も好きですよ。他にも抹茶に黄な粉に――」

「――()()()()()()()()()()()?」

 

ピシャリと、四ツ谷のその言葉が女性の声を遮る。

女性は雨空から四ツ谷へと視線を移し、そこにあった白々しいと言わんばかりの四ツ谷の流し目と合う。

そんな四ツ谷の様子に、女性は小首をかしげる。

 

「あら?どう言う意味ですか?」

「とぼけても駄目だ」

 

民家の壁に背を預けて地面に座り込んだ四ツ谷はそのままあぐらをかくと、その上に頬杖をついて言葉を続ける。

 

「――お前、雨宿りで偶然を装っているが、明らかに()()()()()()()()()?しかもこの里の人間所か、()()()()()()()

「…………」

 

今度は女性が押し黙った。雨音を背景音(BGM)にして、しばし二人の間に沈黙が流れ、視線だけが交差され続ける。

やがて――女性が面白いものを見たかのように眼を細め、ニンマリと微笑を浮かべた。

 

「……どうして、そう思いに?」

「俺の後から雨宿りに来たって言うんなら髪や着物は濡らして来るんだな。()()()()()()()()()()、説得力ゼロだ」

「あらあら」

 

四ツ谷のその指摘に、女性はおどけた調子で自身の()()()()()()()()()髪や着物をいじったり見下ろしたりする。

その様子に構う事無く、四ツ谷は言葉を続ける。

 

「……さらに言うなら、俺はこう見えてもちぃとばかり気配には敏感なモンでな……。さっきお前に声をかけられた時、正直びびったぞ?何せ、何の前触れも無く、いきなり俺の真横から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。そう――」

 

 

 

 

「――まるで、お前が今立っているその空間から、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「…………」

 

女性は沈黙し、四ツ谷も押し黙る。

長いような短いような沈黙の間、四ツ谷と女性はお互いの視線を動かさず、互いをジッと見据えていた。

しかし、やがて女性の方がフッと顔の表情を緩めた。

 

「やれやれ、まさか()()()()()でいきなりバレるとは。語りの方はかなりの腕だと聞くが、観察眼の方もなかなか鋭いじゃないか」

 

先程の口調とは打って変わって、相手を下に見るような尊大で男性的な物言いをする女性。

そんな女性を四ツ谷は眼を細めて見つめる。

 

「……今、初顔合わせって言ったな?じゃあお前とはこれが初対面なんだな?宴会とかでも俺はお前に会った記憶が無いし」

「そのとおりだ。はじめまして、だな。私の名前は……そうだな、()()()()()滝等尾 真奈(たきらお まな)』と名乗っておこう」

 

そう言って軽く会釈する女性に、四ツ谷は見るからに胡散臭そうだと言いたげな顔を浮かべる。

 

「とりあえずって、思いっきし偽名だろーがそれ」

「ふふっ、いいじゃないか。()()()()()()調()()()()()()()()()()、仲良くしようじゃないか。長いつきあいにもなるだろうし、初っ端から回答を出すなどつまらないではないか」

 

フンと鼻を鳴らして両手を腰に当て、不敵に四ツ谷を見下ろすその女性――真奈がそう言った瞬間、四ツ谷の視界がグニャリと大きく歪んだ。

 

「……ッ!?」

「今回はお前との顔合わせだけだ。近いうちにまた会おう。『百奇の語り手』……四ツ谷文太郎よ」

 

自分の体を支えるのも難しいほどに大きく歪む視界の中、真奈と名乗ったその女の声がまるで寄せては返す波のように四ツ谷の耳に遠くなったり近くなったりして流れ込んでくる。

それでも必死に踏ん張って体勢を整えようとしながら、四ツ谷は目の前に立つ真奈を睨み上げて、搾り出すように言葉を吐いた。

 

「お前……一体、何が目的だ?」

「即回答はつまらんと言ったはずだぞ?……んー、でもそうだな。一言だけ言えるとしたら――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――見極めだ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ッ」

 

真奈のその言葉と同時に、大きくバランスを崩した四ツ谷は、地面に片手を付いていた。

頭を垂らして肩を大きく上下させながら呼吸を整える。

そうして再び四ツ谷が顔を上げた時、先程まで目の前にいた女性は影も形も見当たらなくなっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

四ツ谷と謎の女性との接触から数日後、快晴となった人里――その出入り口となる門から、何故か全身をボロボロにし、荒く息を吐きながら愛用の傘を杖代わりに入ってくる小傘の姿があった――。

 

「うぅ……きょ、今日の“特訓”はきつかった……」

 

そう声をもらす小傘のその姿にはちゃんとした理由があった。

それは前回、紅魔館の一件で関わる事となった太陽の畑の主、風見幽香である。

前回の一件で、小傘に眼をつけた幽香は、小傘が大妖怪としての力を()()()()()()()()()事に気づいていたのだ。彼女曰く――。

 

『……一目見て分かったわよ。貴女が自身の力を持て余している事が。手加減とかも上手くできていないんじゃない?力に振り回されている今の貴女じゃ、いずれ周囲の者たちにまで危害が及びかねないわよ。そ・こ・で♪この私、優しくて頼もしい貴女の大先輩である風見幽香が特別に手取り足取り協力してあげるわ♪もちろん、手加減も拒否権も無いから、覚悟してなさいね♪』

 

――と言う事で、紅魔館での一件後、毎日のように小傘は幽香に太陽の畑へと連れて来られては、そこで特訓と称しての『殺し合い』の相手をさせられていたのであった。

 

「うぅぅ~、わちきの為だなんて絶対嘘だぁ。わちきと相対する幽香さんの顔、完全に面白がってたもん。完全に遊びがいのある玩具を見つけた子供のような顔してたもん」

 

今だってはっきりと思い出せる。畳んだ傘を片手に自分に向けて浮かべる幽香の仄暗い歪んだ笑みを。

獲物を見つけた爬虫類のような視線を自分の体に舐めまわすように這わせ、三日月形に歪んだ口からチロリと出した舌で舌なめずりをするあの顔を。

 

(ヒィィィィ……!!)

 

思い出しただけで鳥肌と怖気が走る。無意識に悲鳴まで上げてしまいそうだ。

一体いつまで自分はこんな地獄を味わい続けなければならないのか。

自身の体を抱きしめ、血の気の引いた顔でガタガタと震えながら、小傘は我が家である四ツ谷会館へと足を速めていった。

 

――と、家路へと急ぐ途中、小傘は道端で見知った顔を見つける。

 

「……あれ?魔理沙さん?」

「……ん?おお、小傘か――って何だお前、その格好!?ルナティックレベルの弾幕爆撃にでもあったのか!??」

「当たらずも遠からずです」

 

偶然出会った魔理沙に今現在の自分の現状を問われる小傘であったが、あまりその事には触れてほしくない小傘はその問いに短くそう答えていた。

そして、これ以上深入りされたくない小傘は、無理矢理に話題を変える。

 

「そ、それよりも魔理沙さんも、どうしたんですかこんな所で?」

「お、おお、私か?ちょっと気になる事があってな。……あれだよ」

 

そう言って魔理沙は視線をとある場所へと向ける。それを追って小傘もそこへ眼を向けた。

そこには何も無い、広い空き地があるだけであった。人っ子一人いないその空間に風だけが空しく通り過ぎる。

それを見た小傘は首をかしげた。

 

「……あれ?変ですね。いつもなら、この空き地で人里の子供たちが遊んでいる所をよく見るのに」

「だろ?今日は快晴で寺子屋も終わっている時間帯なのに誰もいやしない」

「どうしたんでしょう?」

「……実はここだけじゃないんだぜ小傘。最近、人里中を歩き回っても、外を出歩いている子供が極端に減ってきてるんだ」

 

魔理沙のその言葉に、小傘は大いに驚く。最近は幽香の相手で手一杯立った為、人里の様子の変化に気づけずにいたのである。

 

「気づきませんでした。一体何があったんでしょう?」

「さぁな。私もそれが気になって――ん?何だ?」

 

唐突にざわざわと人の喧騒が聞こえ出し、魔理沙と小傘は何事かとその騒音の聞こえる方へと眼を向ける。

するとそこには何人もの人里の人間が、血相を変えて通りを横切り、脇にある別の通路の向こうへと消えて行く光景が目に入った。

切羽詰った顔で慌てて駆けて行く人間たちを見て、魔理沙と小傘はお互いに顔見合わせる。

そして、どちらかが何かを言うまでも無く、二人同時に路地の奥へと駆け出していた――。

 

 

 

 

 

 

――路地の奥、その一角にある何処にでもある普通の民家。

その民家の前に、人だかりがごった返していた。

ざわざわと騒ぐ人だかりの最後尾に、魔理沙と小傘が到着する。

魔理沙は人だかりの奥が気になり、その向こうを見ようと背伸びをしたりピョンピョン飛んだりしだす。

それを見た小傘は怪訝な顔で魔理沙に問いかける。

 

「魔理沙さん。何で空を飛んで見に行かないんですか?」

「馬鹿言うな。そんな事したらこっちに注目が集まって、この騒ぎが何なのか分からなくなってうやむやになっちまうかもしれないだろうが。……ああ、もう面倒だな。オイ、おっさん!一体、何の騒ぎだこりゃ!?」

 

痺れを切らした魔理沙は、目の前にいる中年男性の肩を掴んでそう叫ぶ。

掴まれた男は一瞬、驚いた顔で振り返り魔理沙を見るも、直ぐにそれに答えた。

 

「あ、ああ……。何でもこの家でついさっき、刃傷沙汰(にんじょうざた)が起こったらしい。俺も来たばかりで詳しい事は知らないが……」

「刃傷沙汰だぁ?」

 

眉根を寄せてそう呟く魔理沙。その次の瞬間、人だかりの向こうから切羽詰った複数の人間の叫び声が轟きだした。

 

『手足を押さえろ!!ああ、くそっ!暴れんなッ!!』

『気をつけろ!錯乱している!!』

『縄!縄ッ!!誰か早く縄持って来い!!』

『オイ、舌噛み切ろうとしてるぞ!!猿轡(さるぐつわ)も噛ませろ!!速く!!』

『そこの雨戸、一枚外せ!!それを担架(たんか)代わりに永遠亭に運ぶ!!』

 

明らかに異常事態が起きている事を現している叫び声が、人ごみの向こうから次々に飛び出してくる。

常軌を逸したその喧騒に、魔理沙と小傘は軽く呆然となった。

やがて、人だかりの向こうから聞こえたその喧騒は、民家から魔理沙たちがいる路地とは別の路地へと移動をし始めた。

恐らく、そのまま永遠亭へと向かうのだろう。

しかし結局、魔理沙も小傘も、終始人だかりに視界を阻まれて、その騒ぎの原因を見る事は出来なかった――。

 

 

 

 

 

 

そして――魔理沙も小傘も、この時は全く気づく事ができなかった。

自分たちが遭遇したこの一件が、人里はおろか、この幻想郷全体を()()()()()()、その一端の出来事であったという事に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一件があった夜の事である――。

四ツ谷会館にて、四ツ谷とその従業員である小傘たちは、習慣である閉館時の戸締りチェックをしていた。

見回りには、居候である外来人の梳だけでなく、最近、新に加わった元妖精メイドのイトハも参加している。

梳の店が完成するまで、イトハも梳同様、この会館で居候する事になったのだ。

それぞれが会館の戸締りを確認している中、四ツ谷は会館の正面玄関の戸締りをチェックしていた。

確認中、四ツ谷は一人ブツブツと独り言を呟く。

 

「ったく……。この間のあの女、一体なんだったんだ?あれから全然、音沙汰がねぇ。かえって不気味だ。それに……人里のガキ共の事も気がかりだ」

 

四ツ谷も魔理沙同様、ここ最近の子供たちの様子が気になっていた。

彼もまた、日に日に目にする子供たちの数が次第に減少しているのに気づいていたのだ。

寺子屋で授業をする時も、登校して来る子供たちの数が段々と減ってきており、寺子屋側は保護者たちに理由を聞いてまわったが、言葉を濁すばかりで何も分かっていないようであった。

そして、この四ツ谷会館でも、以前は子供たちが十人以上は必ず遊びに来ていたのにも拘らず、今では四ツ谷の怪談の常連である、太一たち仲良し五人組だけが来るだけとなってしまっていた。

四ツ谷は今日の昼間、いつものように怪談を聞き終えて帰ろうとする太一たちを呼び止めると、さりげなく他の子供たちはどうしたのかと問いかけていた。

すると、太一たち五人は全員暗い顔になり、それぞれがポツリポツリと口を開き始めたのだ――。

 

『……わからない。なんか皆、新しい遊び道具を手に入れて、それに夢中になってるみたいなんだけれど……それ家で遊ぶ道具みたいで、皆自分の家に閉じ篭りっきりになってるみたいなんだ』

『私たちも、一緒にやらないかって誘われたんだけれど、私たち皆、四ツ谷先生の怪談を聞いたり、外で遊んだりする方が好きだから、断っちゃったの』

『それに……その遊びを夢中でしている皆の目……なんか怖かったし……。それはもう、何かに取り付かれてるんじゃないかって思うくらいに……』

『そうそうー』

『こわかった……』

 

その時の太一たちの話を頭の中で思い返しながら、四ツ谷は戸締りチェックを続ける。

 

(まったく、幻想郷ってのは退屈だけはしないな。……今度は一体何が起きてるのやら……)

 

呆れ半分に四ツ谷はそう思いながら、正面玄関のチェックを終わらせて、小傘たちが待っているであろう職員室に向けて踵を返した。

――だがその瞬間、四ツ谷の背中側、つまり正面玄関から強めのノック音が唐突に響き渡った。

 

 

 

 

――ドンドンドンドン、ドンドンドンドン……!

 

 

 

 

「……?」

 

この時間帯に閉館する事は、人里の人間なら誰しもが知っているはず。

怪訝な顔をしながらも、四ツ谷は再び、今閉めたばかりの正面玄関の前に立つと、外にいるであろう人物に向けて声を上げる。

 

「どちらさんだ?もう、ここは閉館だから、用があるならまた明日に――」

「――私だ四ツ谷」

「……慧音先生?」

 

聞きなれた女教師の声が玄関戸の向こうから響き、四ツ谷は首をかしげる。

一体全体この教師はこんな夜更けにここに何の用があって来たのだろうか?

疑問に思う四ツ谷の前――玄関戸一枚隔てた向こうにいる慧音は、四ツ谷に声を投げかけ続ける。

その声はどこか余裕が無くやや焦っているかのようにも聞こえた。

 

「四ツ谷、すまない。閉館時に不躾で悪いが、ここを開けてくれ。……今、人里でとんでもない事が起きていて、一刻を争う事態なんだ。どうもお前の協力も必要になってくるみたいだ。頼む……!」

「……?」

 

いまいち要領を得ない慧音の言葉に、四ツ谷はさらに困惑する。

何か起こってるのは気づいてはいたが、それで何故自分の協力が必要になるのか?

頭の中を疑問符でいっぱいにしながらも、四ツ谷はとりあえず慧音を迎え入れるため、鍵をかけたばかりの玄関戸を開けた――。

ガラリと開けた瞬間、そこには見るからに余裕が無いといった感じで、思いつめたような顔を浮かべる慧音の姿があり、そして――。

 

「――!……こりゃまた、()()()()()まぁ……」

 

――彼女の背後に立つ()()()も視界に納め、四ツ谷はまた厄介事に巻き込まれたのだと、そう思わずにはいられなかった――。




最新話投稿です。

ネタバレを防ぐため、この章の題名はあえて伏せておきます。
この章が終わり次第、題名を明かす予定となっております。

注:前回のあとがきで報告しましたとおり、この章では『最恐の怪談』は行いません。
それでも良いという方は、次の投稿もお待ちいただけるよう、なにとぞよろしくお願い申しいたします。


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其ノ二

前回のあらすじ。

四ツ谷は謎の女と接触し、同じく小傘は魔理沙と共に異常な出来事に遭遇する――。
彼らの知らないところで今、幻想郷に危機が迫っていた――。


()()()()が四ツ谷会館を訪れてからほんの数日後、事件は起こった――。

 

「~~♪」

 

その晩、人里の酒屋で一杯引っ掛けて店を出た自称、仙人の茨木華扇は、程よい酔い加減に気分を良くしながら、家路へと向かっていた。

 

「……まだちょっと飲み足りないけれど、明日も速いんだし、この位が丁度良いわね」

 

そんな事を呟きながら、深夜の夜道を歩いていた時であった――。

 

『いやぁぁぁぁあぁぁぁ!!』

「!?」

 

唐突に響き渡る、絹を裂く様な少女の悲鳴。

その悲鳴で一気に酔いが醒めた華扇は、何事かとあたりをキョロキョロと見渡す。

 

『きゃあぁぁぁーーーー!!』

 

すると、またしても同じ少女の悲鳴が響き渡る。

しかし、その悲鳴である程度の場所を把握した華扇は、その方向へ一目散に駆け出していた――。

 

「……なーんか、以前もあったわね。これに似た事……」

 

――以前、知り合いの死神とその義妹が深く関わった事件、その一場面を思い出して華扇はそう呟きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲鳴が上がった方向を頼りに、華扇がそこへ駆けつけてくると、そこには民家があり、今まさにその民家の玄関から一人の少女が転げ出て来るのが目に飛び込んできた。

 

「――!……ちょ、ちょっと貴女、どうしたの!?大丈夫!?」

「……ぁ、あぁ……あぁぁぁ……!」

 

蹲った少女に華扇は駆け寄る。少女は華扇に気づいて何かを伝えようと口をパクパクと開閉するも、よほど怖い目に会ったのか、恐怖で声が出ずにいた。

華扇は少女を落ち着かせるように背中を摩る。

少しして、ようやく少女の顔が落ち着きを取り戻し始めた。その時である。

 

時恵(ときえ)、一体どうした?そんな所で蹲って」

「時恵、……もう、一体何をしているの?」

 

一組の男女の声が聞こえ、華扇が振り返る。

するとそこには、先ほど少女が転げ出てきた民家の玄関に3~40代くらいの男性と女性が寝巻き姿で立っていた。

 

「ぁ……。お父さん、お母さん……」

 

時恵と呼ばれた少女はその男女を見てそう呟く。察するに少女の両親である事が見て取れた。

母親が時恵に歩み寄り優しく抱かかえる。

 

「時恵、こんな所で座り込んでたら風邪を引くわよ。ああ、着物もこんなに汚して……さぁ、家に戻るわよ」

「――っ!い、嫌!だって、家には――」

「――夢よ、時恵」

「……夢?」

 

家に戻る。そう言われて()()()()()()()時恵。しかし、それを母親が優しく宥める。

 

「そう、貴女が見たのはただの悪い夢……。家の中には()()()()なんて何も無いわ。きっと貴女は悪い夢を見て寝惚けて外に飛び出しちゃったの。ただ、それだけよ」

「……ホント?」

「ええ……。だから、もう寝ましょう?お母さんも一緒に寝てあげるから」

「…………ゆめ…………夢……?」

 

母親がそう諭すも、時恵はいま少しまだ信じられないのか、まるで狐に摘まれたような顔で『夢』という単語を繰り返し呟く。

そこへ母親は止めとなる一言を娘に投げかけた。

 

「そうよ時恵。……それとも、まだ起きて()()()続きをする?」

「――ッ!や、やだ!!()()()()()()!!()()()()もう捨てて、お願いッ!!!」

「ええ、分かったわ。明日の朝早く、貴女がまだ寝ている間に捨ててくるから、だからもう安心して寝なさい」

 

そう優しく囁いた母親は時恵を抱かかえて立ち上がると、ゆっくりとした足取りで家の中へと消えていった。

その背中を見つめる華扇は、未だ外に立つ父親に声をかけられる。

 

「何処の方かは存じませんが、お騒がせして申し訳ありません」

「ああ、いえ……。あの、娘さんは本当に悪夢を見ただけなのですか?あの様子から見て、とてもそれだけとは……」

「いいえ、悪い夢ですよ。()()()()()()()()()()()()、これであの子も()()()()()()()()()……」

「……?」

 

父親のその言葉に、違和感を感じる華扇。しかしそれを問いただすよりも先に、父親は踵を返し、先に入った母娘を追ってそそくさと家の中へと消えていった――。

そうして、家の前で一人取り残される華扇。

 

「一体、何だったの……?」

 

そう呟くも答えてくれる者は誰一人としてその場に存在しなかった。

もうここにいても仕方ない。大きくため息をついた今一つ納得できないまま我が家へと歩みだし――。

 

「……!?」

 

――はたと気づく。

そして、周囲をキョロキョロと見渡し、それを確信する。

 

(……おかしい、あの子の悲鳴……結構大きかったのに、周囲の民家から人が飛び出してこない所か、明かり一つつきやしていない……!)

 

あれだけの大きな悲鳴だ。熟睡していたとしても何事かと飛び起きてしまうだろう。

それなのに、周囲の家々は騒ぐどころか、水をうったかのように静まり返ったままだったのだ。

 

まるで、この家で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

言い知れぬ異様な状況と静寂が、辺りに色濃く漂よう。

何か自分の知らない所で、得体の知れない何かが起こっている。華扇にはそれが、とても不気味に思えて仕方なかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ってな事があったのよ」

 

翌日の昼過ぎ、華扇は博麗神社にて昨夜の事のあらましを霊夢に話して聞かせていた。

 

「……ふぅん」

 

気のない返事でちゃぶ台に頬杖をついて華扇の話を聞く霊夢。しかし、その目は真剣みを帯びていた。

霊夢が口を開く。

 

「……確かに妙な話ね。その子の言動と言い、両親の対応と言い……周囲の様子から見てもおかしい所だらけね」

「でしょ?」

「少し前に魔理沙からも、ついこの間、人里でちょっとした騒ぎがあったって聞いたけど……何か関係があるのかしら?」

「……ああ、それは私も聞いたわ。刃傷沙汰が起こったって聞いたけれど……」

 

そこまで会話した二人は、はたと黙り込み、思案顔になる。

 

「「……………」」

 

霊夢と華扇の沈黙が続く。何かが起きている。間違いなく、自分たちの知らない所でまた人里に何かが。

それは異変にも満たないレベルの、人里内部で解決できる問題だったのなら霊夢たちは気にも留めなかっただろう。

しかし、前述の出来事や、人里で見かける子供たちの数が明らかに減ってきている事が、否が応無く霊夢たちを気にならせていたのだ。

 

「あー、もう、一体何なのよ!異変なの?異変じゃないの??どっちなのよこれ!?」

「落ち着きなさい、霊夢」

 

頭をガシガシとかいて唸る霊夢を華扇がそう言って宥める。

霊夢は一度ため息をつくと再び頬杖をついた。

 

「……アンタが見た一件と刃傷沙汰。そして外で見かける子供たちの減少。これらはここ最近突然起こった事だから、間違いなく繋がりがあるはず。……一度調べてみた方が良さそうね」

「うん、私もそれが良いと思うわ。……なんか、人里ではこれらの事が噂としてあんまり広まってすらないから不気味なのよね。それともこれから噂が広まるのかしら?」

 

華扇は何気なくそう呟いただけであったのだが、それを聞いた霊夢がピクリと反応する。

 

「……噂?」

「……え?そうよ。ここに来る前に人里に寄ってみたんだけれど、昨晩の一件がまだ噂にすらなって無くて――」

「そうよ、噂よ!」

 

突然、霊夢がそう叫んでちゃぶ台にバンッと両手を叩きつける。

それにビクリと反応する華扇。

 

「……ど、どうしたのよ霊夢?」

「華扇、ここに来る前に人里に寄ったのよね?だったら、なんかわけの分からない噂とかなかった?……例えば、怪談、とか」

「え?怪談って……。ッ!ちょ、ちょっと待って霊夢、この一件に四ツ谷さんが絡んでるって言いたいの?」

 

驚く華扇に霊夢は強く頷く。

 

「あの怪談馬鹿も人里に住んでいるのよ?なら、この一件の事も間違いなく耳にしているはず。あいつの性格上、こんなわけ分からない一件に興味をもたないはずは無いわ。いいえ、もしかしたらこの一件の中核にあいつもガッつり食い込んでいるのかも……!」

「それはちょっと考えすぎじゃ……」

「で?どうなのよ華扇!」

 

半ば呆れ顔を浮かべる華扇に、霊夢は険しい顔で詰め寄る。

しかし、華扇が答えるよりも先に、第三者の声が霊夢たちのいる部屋に響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

「……いいえ、霊夢。今回、四ツ谷さんたちは全くの無関係よ」

 

 

 

 

 

 

「!」

「この声は……!」

 

霊夢と華扇が同時に反応し、立ち上がる。

それと同時に二人の間――天井付近の空間が大きく裂け、そこから金髪の女性が逆さ吊り状態でぬっと現れた。

 

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン♪」

「呼んでなぁぁぁい!!」

 

逆さまの女性にツッコミを入れながら、霊夢は何処からか取り出したお祓い棒で女性に向けて横一閃する。

しかし、それよりも先に女性は出てきた空間の裂け目にさっと引っ込むと、別の場所に裂け目を作ってそこから何事も無かったかのように出てきた。

 

「ンもぅ、霊夢ったらぁ、ちょっとしたジョークじゃなぁ~い」

「やかましいわ。猫なで声出すな、気持ち悪い」

 

身をくねらせてそう言う女性――八雲紫を見ながら、霊夢は嫌そうな顔を隠そうともせずそう返していた。

先ほどよりも深いため息を吐いた霊夢は、改めて紫に向き直る。

 

「無関係って……本当に何もしてないの?あいつ」

「ええ。彼を監視してるのは私たちなのよ?見逃すわけ無いじゃない。新しい怪談の噂も立っていないはずよ。……そうでしょ?」

 

紫は霊夢の隣に立つ華扇にそう問いかける。問われは華扇はやや動揺しながらも素直に頷いた。

 

「……間違いないわ、霊夢。人里でも私はそんな噂聞かなかったし……」

「…………」

 

華扇にそう言われ、霊夢は思案顔になって押し黙った。

そこへ紫が声をかける。

 

「ね?霊夢も四ツ谷さんの事、気にしすぎよ。何でもかんでも彼が関ってると思わない方が良いわ。人里の事が気になるんだったら、もっと別の所を当たった方が良いんじゃない?」

「………、はぁ、わかったわよ」

 

渋々といった霊夢のその返答に、紫は手のかかる子を見るかのように困ったように笑って見せる。

そこへ華扇が声を上げた。

 

「それで?これからどうするの、霊夢?」

「とりあえず人里に行って聞き込みね。どんなに些細な情報もほしい所だわ」

「大雑把な貴女が妙に細かく調べようとするじゃない。……そんなに深刻に考える事?」

 

紫にそう問われた霊夢は一瞬沈黙するも、やがてポツリと響く――。

 

「……あくまで私の勘なんだけど……。とてつもなく、嫌な予感がするのよ……。それこそ、()()()()()()()()……」

 

それだけ言い残すと、霊夢は足早に神社から出て行く。

一足遅れて華扇も霊夢を追って出て行った。

そうして、一人ポツリと部屋に残された紫は片手を自分の頬に添えて、やれやれと再び困った顔でため息を吐く――。

 

「まったく……ほとほとあの子の勘は厄介極まるものね……」




最新話投稿です。

少々短めですが、きりが良いのであげておきます。


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其ノ三

前回のあらすじ。

霊夢と華扇は人里の様子が気になり、調査を開始する。


「昨日の晩に騒ぎ?……一体何の話だ?」

「確かにうちはあの家の向かいにあるけれど、あそこの子の悲鳴なんて聞かなかったわよ?」

「そこの桃色髪のねーちゃんの勘違いじゃないのか?」

「子供たちが外で見かけなくなってる?気にしすぎじゃない?」

「うちの子はちゃんと寺子屋に行ってるわよ」

「子供の失踪なんて無かったと思うけど?」

「刃傷沙汰だぁ?あったっけそんなの?」

「あそこの家で刃傷沙汰なんて起こってないわよ。騒ぎにもいっさいなっていないわ」

「あら、霊夢さん。稗田の家に何か?…………。昨晩の騒ぎ?刃傷沙汰?……一体何の話ですか?」

「いらっしゃいませ~。鈴奈庵にようこ……って霊夢さん?…………。へ、へぇ~、昨日の夜にそんな事が?それに刃傷沙汰とかも?……す、すみません、私ここ最近、ずっと店に篭りっきりだったもので何も知らないんです」

 

 

 

 

 

 

『……巫女様の思い過ごしだと思いますけど?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どーなってんのよ、コレ?」

「分からないわ……」

 

人里の一角にある甘味所――団子屋に設置された長いすに、力なく座り込む霊夢と頭を抱える華扇の姿があった。

少し前に人里へとやって来た二人は、早速聞き込みを開始したのだが、彼らから聞く答えは、まるで狐につままれたかのような、予想外のモノばかりであったのだ――。

 

「目に付いた人に片っ端から聞き込んでんのに、全員が全員、まるで口裏を合わせたかのように昨晩の騒ぎも、刃傷沙汰も、子供たちの減少も全否定って……一体全体どう言う事よ!?」

 

周囲に人がいるにも省みず、霊夢は空に向かってそう叫んでいた。

些細な情報だろうと得ようと、めずらしく気合を入れてやって来たと言うのに、情報を得る所か、ここ最近の人里で起こった一件が綺麗さっぱり無かった事になっていたのだ。

まるでこの一件が丸ごとごっそり隠蔽(いんぺい)されたかのように――。

 

「まさか……人里中の人間がグルになってもみ消した……?でも、そんなのかえってただ事じゃない……!」

 

ブツブツとそう独り言を呟く華扇。その横で霊夢も思案顔になって考えていた。

 

(華扇の言うとおり、これはただ事じゃないわね……。でも、情報らしい情報もつかめない今、何が起こってるのかすら皆目見当もつかない……!――ったく、もう!どうにもこの一件の裏にあの怪談馬鹿が絡んでいるように思えてならないわ……!)

 

脳裏にシッシッシ!と笑う件の変人の顔を思い浮かべ、霊夢はガシガシと頭をかいた。

と、その時。聞きなれた少女の声が霊夢と華扇の耳に届いた。

 

「おいおい、何言ってんだよオッサン!アンタも見ただろ!?この通路の先にある民家で刃傷沙汰あったの!!って言うかあん時、刃傷沙汰があったのを私に教えたのオッサンじゃないか!!」

「さ、さぁ~どうだったかなぁ?最近、やたらと物忘れが酷くなってきててこの間の事なんて何一つ覚えていないんだよ。……わ、悪いが今急用で急いでるんだ、じゃあな」

「あ!おい、待てって!――くそっ!!」

 

霊夢と華扇は同時に同じ方向へ眼を向ける。

そこにはそそくさと立ち去る中年男性の背中を、肩を怒らせながら鼻息荒く睨みつける魔理沙の姿があった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ったく、何だって言うんだよ。揃いも揃ってとぼけ面しやがって!」

「……ちょっと魔理沙、それ私の頼んだ団子なんだけど」

「刃傷沙汰を一緒に見ていたオッサンだってあの態度だぜ?クソ面白くもねぇ!」

「聞きなさいよ、タダ食い魔理沙」

「いーじゃんかよ、霊夢。おごりって事にしといてくれよ。返済期限は私が死ぬまでにしといてくれ」

「OK。要は早死にしたいってわけね。わかったわ、団子代はあんたの葬式でもらえる香典(こうでん)で返済にしてあげる」

 

数分後、霊夢と華扇が座る団子屋の長いすに魔理沙も加わって座っていた。

魔理沙は、今までの一件が無かったように振舞う人里の人間たちの態度が気に入らないらしく、憤りながら霊夢の注文していたみたらし団子を本人の断り無く取って食べ。

霊夢はそんな魔理沙の態度に、こめかみに血管を浮き立たせて懐からお札を取り出して睨みつけていた。

そんな二人に華扇は声を上げる。

 

「魔理沙、霊夢も落ち着きなさい。特に霊夢、こんな所で殺傷高い弾幕なんて放ったら確実に周りにも被害が出るわよ?」

 

やや疲れたようにそう言う華扇を尻目に、団子を食べて竹串だけを持った手をぶらぶらと揺らしながら魔理沙は呟く。

 

「……この一件、事の発端がガキ共の減少から始まってると私は睨んでる。何せ刃傷沙汰や昨晩の一件よりも前に、初めに起こったのがそれだったからな」

「子供の減少……なら、教師である慧音なら何か知ってるかもしれないわね」

 

霊夢がそう言って次の聞き込み調査対象を捕捉するも、魔理沙は直ぐに頭を振る。

 

「だーめだ、霊夢。私もそう思ってちょっと前に寺子屋に行ったんだが、ここ最近休んでいるらしく連絡すらないんだと。……あいつの家にも行ってみたが、見事にもぬけの殻だった」

「……どういう事?」

「……雲隠れ?」

 

霊夢が首をかしげ、華扇が怪訝な顔でそう呟き、その華扇の言葉に魔理沙は強く頷く。

 

「そう!私もそう思った!……大方、私らが調査に乗り出すのを見越して自ら消息を絶ったんじゃないか?あいつ嘘つけない性格してっから」

「……けど、問題ないわね。隠れてる場所ならおおよそ察しは着くから」

 

頬杖をつき、そう響いた霊夢の脳裏に、慧音の親友である竹林に住まうもんぺ少女の姿が映っていた。

霊夢はすっくと立ち上がると、勘定を長いすに置いて歩き出す。

少し遅れて魔理沙と華扇も立ち上がって霊夢の後を追った。

 

「おいおい、霊夢。まさか今から竹林まで行くつもりか?」

「そうよ。何?まだ日は高いし、あそこは人里のすぐそばにあるからそう時間はかからないでしょ?」

 

魔理沙の言葉に、霊夢は素っ気無くそう答え返す。しかし、魔理沙はいやいやと首を振る。

 

「あそこの竹林は頭に『迷いの』ってつくだろうが。土地勘のあまり無い私らじゃ下手すりゃ迷子だぜ?そんな面倒な所行かんでも、慧音と同じく寺子屋で教師やってるあの怪談馬鹿の方に聞きに行けば手っ取り早くないか?」

 

怪談馬鹿。その言葉が魔理沙の口から出た途端、霊夢は何とも複雑な表情を作ってその場で歩みを止めた。

何事かと魔理沙は霊夢の顔を覗きこむも、霊夢はどこか上の空で虚空を睨みつける。

 

「怪談馬鹿……ねぇ……」

「……?どうしたんだよ霊夢。なんか喉に小骨が刺さったみたいな顔してるぜ?」

「……やっぱり腑に落ちてないみたいね。あのスキマ妖怪の言葉が」

 

明らかに様子のおかしい霊夢に魔理沙は怪訝な顔をしてそう響き、そこへ華扇が割って入って来る。

 

「スキマ妖怪?紫の事か?……おいおい、一体何の話だ???」

 

魔理沙の視線がどう言う事かと霊夢から華扇へと移り、華扇はここに来る前に博麗神社であった事を魔理沙に説明すべく口を開きかける。

が、そこで思案顔になっていた霊夢の表情がキッと豹変する。

そうして唐突にとある方向に向けてズカズカと歩き出した。

 

「「?」」

 

突然の事に魔理沙と華扇は呆気に取られる。

しかし、霊夢はそんな二人の様子に気付く事無く歩き続ける。その先には――。

 

「柏餅はいらんかえ~!甘くて柔らかい柏餅はいらんかえ~!もうすぐ端午の節句(こどもの日)!子供たちに柏餅をお土産にどうですか~?その時はこちらの和菓子屋をどうぞよしなに~!」

 

――和菓子屋の前で、柏餅を売っている売り子の娘がいた。

人里の人間にしてはめずらしい短い赤毛の娘で、同じく赤い着物を纏って売り物の柏餅の入った箱を片手に、道行く人たちにそれを売って回っていた。

しかし、その娘の姿には一つだけ少し妙な所があった。それは春の時期であるこの温かい日和の中で、何故か分厚い首巻を首の部分にがんじがらめにしていたのだ。

 

「「あ」」

 

その娘を見た途端、魔理沙と華扇は同時に眼を丸くし、声を漏らす。

と同時に、前を歩く霊夢はその娘の前に立ち声をかけた。

 

「ちょっと、私にも一箱くれない?」

「あ、はい!まい……ど……」

 

霊夢を視界に納めた途端、営業スマイルを浮かべていたその娘は、その表情のまま凍りついたように固まり、同時に売り物の柏餅の箱をボトリと手から滑り落としていた。

そんな娘を見ながら霊夢はため息と共に口を開く――。

 

「……あんた、こんな所で一体何やってんのよ――赤蛮奇(せきばんき)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何って、見ての通り柏餅の売り子ですよ、霊夢さん」

 

和菓子屋の脇にある小さな路地、人目につきにくい場所にあるその路地で売り子の娘――赤蛮奇は、ボリボリと頭をかきながら面倒くさそうに霊夢にそう返していた。

この赤蛮奇、その正体は飛頭蛮(ひとうばん)と呼ばれるろくろ首の仲間とされる妖怪で、四ツ谷たち会館組や上白沢慧音同様、人里の人間社会に溶け込んで生活をしている少女であった。

 

「人里で生活する以上、そこの規則(ルール)にしたがって生きなきゃいけませんからね。霊夢さんたちだってそうでしょう?金は天下の周りもの、持てばこの世の楽園(パラダイス)ってね」

「……まぁ、その点は確かに同感ね」

 

少し前まで貧乏生活を送っていた霊夢は、赤蛮奇のその言葉には素直に同意を示した。

しかし、幻想郷の調停者である博麗の巫女である手前、人間たちに紛れて暮らす人外には警戒の念を向けなければならなかった。

 

「……あんた、この和菓子屋でいつから働き出したのよ?」

「まだ今月に入ってからですよ。……そんなに警戒しなくても店主さんや他の従業員の人たちに悪さなんかしてませんって」

 

そんなに信用できませんか?と、やや呆れ気味に言う赤蛮奇を霊夢はジーッと見据える。

数秒の沈黙後、霊夢はゆっくりと赤蛮奇への警戒心を解いた。

 

「……どうやら、嘘は言ってないみたいね」

「分かっていただけて私も嬉しいですよ。それじゃあ、もういいですよね?速く仕事に戻らないといけないんで」

 

やれやれと肩を落とした赤蛮奇は、霊夢たちへのあいさつもそこそこに仕事に戻ろうと歩き出す。

しかし、そこで霊夢が待ったをかけた。

 

「待ちなさい。今思ったけれど、この人里に住んでるのならここで飛び交っている噂とかも聞いた事あるの?」

「噂?……ええ、まあ多少は」

 

歩みを止めて当たり障り無くそう答える赤蛮奇。それを聞いて声を上げたのは霊夢ではなく、今まで成り行きを見守っていた魔理沙であった。

 

「じゃあお前、この間とある民家で刃傷沙汰があったの知ってるか?」

「刃傷沙汰?……ああ、ありましたねそんなの。私は人伝に聞いただけなので現場には行かなかったですけれど」

 

魔理沙の問いに赤蛮奇がそう答えると、今度は魔理沙の隣に立つ華扇が問いかける。

 

「それじゃあ、昨晩あった騒ぎって知らない?女の子が悲鳴を上げて家から転がり出てきたって話しなんだけど」

「昨晩……?ああ!確か同じ和菓子屋の同僚の女性がそんな事言ってましたっけ。彼女の家、その騒ぎのあった家の近所だったらしくて、悲鳴が上がった時は心臓が飛び出るほど驚いたって言ってましたよ」

 

赤蛮奇のその答えに華扇は「やっぱり……」と、そう呟く。

そして最後に霊夢が赤蛮奇に詰め寄って聞き出す。

 

「じゃあもちろん。最近、人里の子供たちがそとであまり見かけなくなったのも知ってるわよね?」

「ええ、もちろん。和菓子屋によく来ていた子供たちがいたんですけれど、いきなりぱったり来なくなったんでおかしいなと思ってましたから」

「やっぱり、人里の人間たちは皆して誤魔化していたのね。……じゃあなんで知らないなんて嘘を……?」

 

そう呟きながらむむむっと唸る霊夢に向けて、赤蛮奇は驚きの事実を口にする。

 

「そりゃあ、まぁ……今現在、人里じゅうに『緘口令(かんこうれい)』がしかれていますからね」

「「「緘口令!?」」」

 

驚きで霊夢、魔理沙、華扇の三人の声が重なった――。




最新話投稿です。

今回も短めでどうもすみません。
どうも、最近また筆の進みが遅くなってきています。


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其ノ四

前回のあらすじ。

霊夢と華扇は人里で情報収集するも、何故かここ最近の一件が無かった事とされており、二人は手詰まり状態となる。
偶然、魔理沙と会った直後、霊夢たちは人里に紛れ込むろくろ首と遭遇する。


「緘口令ですって!?何で人里に!?一体誰が!!?」

 

赤蛮奇からの思いがけないその事実に霊夢は半ば慌てて彼女に詰め寄った。

霊夢のその迫力に眼を白黒させながらも、赤蛮奇はそれに答える。

 

「だ、誰って……稗田の当主だって言うあの人間の嬢ちゃんとワーハクタクの先生ですよ」

「阿求と慧音が!?」

 

魔理沙が確認するかのようにそう叫び、赤蛮奇は頷いて見せた。

そして続けて口を開く。

 

「……どうも、()()()()()()()()()()には口外しないように厳重に口止めされているみたいなんですよ。それこそ人間である霊夢さんや魔理沙さんにもね」

「私たちにも?何でよ!?」

「し、知りませんよ!」

 

霊夢がさらに噛み付くも、赤蛮奇は両手で彼女を制しながらそう叫び返した。

そこで今まで思案顔で黙っていた華扇が、赤蛮奇に問いかける。

 

「貴女は、よく知ってるわね。そういう情報」

「え?そりゃあ、基本妖怪と言っても、私はこの人里でそれなりに長く()()()()()をして生活していますからね。顔なじみの人間もそれなりに多くいますから」

「へぇ……」

 

赤蛮奇のその返答に華扇は眼を細める。その口元は僅かにつり上がっていた。

そして次に魔理沙が赤蛮奇に詰め寄る。

 

「オイ、他になんか知らないのか?この人里で起こっている事について何か」

「残念ながら私もこれ以上の事は何も」

 

あっさりとそう首を振ってもう何も無いと答える赤蛮奇。

すると、大通りの方から野太い男の声が聞こえてきた。

 

「お(せき)ちゃーん。何処行ったのぉー?柏餅売れたー?」

「……やっば、和菓子屋のご主人だ。……それじゃあお三方、私への疑いも質問も無くなったみたいなのでこれで失礼させてもらいますね」

 

そう言い残すと踵を返して足早にその場を去り始める赤蛮奇。そしてその背中を見ながら、華扇は霊夢に何事か小さく耳打する。

それを聞いた霊夢は小さくニヤリと笑うと、去っていく赤蛮奇との距離を一瞬で詰めると、その襟首をむんずと捕まえた。

 

「グエッ!?……な、何ですか、まだ何か?」

 

首が無いというのに、霊夢に掴まれたショックで軽く息が詰まった赤蛮奇は、恨めしげな目で霊夢へと振り返る。

するとそこには、何とも不気味な笑みを浮かべる霊夢の顔があった。

 

「…………」

 

それを見た瞬間、嫌な予感を覚えた赤蛮奇は、血の気の引いた顔を引きつらせた。

赤蛮奇の心境を知ってか知らずか、霊夢はその妖しい笑顔を浮かばせながら、赤蛮奇の耳元で囁くように言う。

 

「……アンタ、人里では割と顔が広いのよね?……だったら――」

 

 

 

 

 

 

 

「――今から私の『犬』になりなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その夜、人里のとある民家。

深夜の、シンと静まり返った真っ暗な家の中で、仄かに光が漏れている部屋が一室在った――。

その部屋の中には、十歳前後の丸刈りの少年がおり、虚ろな目で先程から何事かを一人ブツブツと呟いていた。

 

「良し……行け……そこだ……。もうすぐ……もうすぐだ……ここで、とどめだ……」

 

そんな事を一人で呟き続ける少年。すると――。

 

 

 

 

 

――……ザ……ザザッ……!……ザザザザ…………!

 

「……?何だ……?」

 

――ザザザッ……!ザーザッ……!ザザザザザザザ……!

 

「おい、何だよ!今良い所だったのに!」

 

――ザザザザザザザ……ザザザザ……ザザッ……ザーッザザザザザ…………!

 

「ふざけるなよ速く直れよ!壊れたのか!?おい、早くしろよ!!」

 

バンバンと、少年が()()()()()()()()()()が部屋の中に響き渡る――。

 

――ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ……!!

 

「何なんだよこれ!?おい、早く()()()()()()()!!さっさと()()()!!」

 

瞳に狂気を宿した少年は憤怒の形相で怒鳴り散らしながら腕を上げる。その瞬間――。

 

――ザザッ…………ザ………ザ………………。

 

「ようやく直……何だ……これ……?」

 

――ザザ……ザ……。

 

「何で……こんなのが、()()()()()……?」

 

――……ザ……ザザ……。

 

「何なんだよ!俺が見たいのはこんなんじゃ……?…………………、何か……()()()()……?」

 

――ザ……ザザザ……。

 

「……な……何だよ……何なんだよこれ?!」

 

――……ザ…………ザ…………………ザザッ……!

 

「ま……まさか……!……昨日、母さんが言ってた()()()……!――」

 

先ほどまでの憤怒の形相が嘘のように消え去り、代わりに恐怖で顔を真っ青にした少年がそう呟いた……。

 

その、およそ一分後――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「-----------------------ッッッ!!!!」

 

少年の声にならない悲鳴が家の中に大きく響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――翌日の夕方。

 

博麗神社の居間にて、霊夢、魔理沙、華扇の三人が座っており、そして、ちゃぶ台を挟んでその三人の前には、ムスッとした仏頂面の赤蛮奇の姿もあった。

人里で売り子をやっていた時の着物姿ではなく、今は普段着である青いリボンに赤いマントとスカート、黒の洋服を纏っている。

そんな赤蛮奇の態度を気にする事無く、霊夢はのほほんとした顔で彼女に声をかける。

 

「いらっしゃい、赤蛮奇。……それで?頼んでいた情報収集の方は収穫あったのかしら?」

「『頼んでた』?人里では人間だと思われている私に否が応無く『力で脅して』情報収集させたの間違いではないのですか?」

 

ふて腐れたように赤蛮奇は、霊夢にそう言い返した。

先日、霊夢たちと別れる時。赤蛮奇は霊夢に人里での顔の広さに目をつけられ、彼女に代わりに人里での情報収集をやらされていたのだ。

半ば無理矢理使いっぱしりにされたので、赤蛮奇の機嫌はすこぶる悪い。

しかし、そんな赤蛮奇の態度も何処吹く風で、霊夢はジッと赤蛮奇を見つめて口を開く。

 

「屁理屈言っている暇があるんなら、あんたが持ってきた情報をさっさとここにぶちまけなさいよ。そうすれば、アンタは晴れてお役御免で自由になれるんだから」

 

赤蛮奇もジッと霊夢を見据えるも、彼女も確かにここで意固地に口を閉ざすよりも、さっさと話して帰った方がマシだと考えたのか、盛大に大きなため息をつくと霊夢たちに向き直り、真剣な顔で言葉を紡ぎ始める。

 

「……正直、あまり気乗りしなかった役目ですけれど……段々とそうも言ってられなくなりましたよ」

「……どう言う事?」

 

眉根を寄せてそう問いかける霊夢に、赤蛮奇は身を乗り出しながら真顔で霊夢たちに続けて口を開いた。

 

「今回の一件、無関係な私ですら異常としか思えず、見て見ぬふりができなくなってきましたから――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「五件!?昨晩だけで五件、一昨日(おととい)の夜と同じ事が起こったって言うの!?」

 

バンッと、ちゃぶ台を両手で叩きながら、華扇が興奮した面持ちで赤蛮奇にそう叫んでいた。

傍らに座る霊夢と魔理沙も険しい顔つきで赤蛮奇を見つめる。

そんな視線を一身に受けながら、赤蛮奇は頷いた。

 

「……私の知る限りでは、ですがね。ほら、私って妖怪ですから、本来は夜が行動する時間帯なんですよ。……霊夢さんたちと分かれた後、仕事を終わらせて夜の人里で情報収集を行っていたんですがね……そしたら――」

 

そう言って赤蛮奇はその時の事をゆっくりと話し始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

半ば無理矢理とは言え、一応真面目に情報収集を行っていた赤蛮奇は、その足でふらりと民家が密集する区画を訪れていた。

時刻は深夜になっており、周囲の民家は明かり一つ漏れている家は何処にも無かった。

さすがに今の時間帯じゃ無理か、と諦めて繁華街の方へと足を運ぼうとした時――。

 

「-----------------------ッッッ!!!!」

「!?」

 

唐突に近い所から絹を裂くような悲鳴が上がり、赤蛮奇は何事かとその悲鳴のした方へと半ば衝動的に駆け出していた。

件の悲鳴が上がったとおもしき家は直ぐに見つかった。

近くにあった民家を囲む垣根越しに、家の中から泣きじゃくる男の子の声とそれをあやす母親らしき会話が聞こえてきたからだ。

 

「うぅ……ふぇ、ふぇぇん!母さぁん!!」

「あらあら、全くどうしたのこの子ったら」

 

赤蛮奇はすぐさま自らの頭を飛ばし、垣根を飛び越えて家の庭先にふわりと下りた。

そして、庭に生えている木々の隙間から家の様子をうかがう。

すると庭に面した縁側の廊下に、俯いて目元をこする丸刈りの少年と少年の母親らしき女性の姿があった。

少年はむせび泣きながらも、嗚咽にまみれた声で必死で母親に伝えようと口を開く。

 

「……か、母さん……!あの……()()()……()()()……!()()()()……!」

「幽霊?お化け?……そんなの、何処にも見当たらないわよ。……可愛そうに、きっと悪い夢でも見たのよ」

「ひぐっ…………夢……?」

「そう、悪い夢よ……。()()()()()()()()()()()()()、現実と夢との区別がつかなくなっていただけよ」

 

少年の背中を摩りながら、女性は優しくそう諭す。

しばらくそうしていた二人は、やがて女性の寝室らしき部屋へと少年を連れて行った。

どうやら、母親の女性の部屋で一緒に寝る事になったらしい。

親子二人が赤蛮奇の視界から消え、その場には赤蛮奇(首だけ)が残った。

夜の帳と虫の泣く声。それに赤蛮奇は違和感を覚えた。

 

(……妙に静かね)

 

そう思った彼女は頭を身体の方へと戻すと、周囲にある家々に視線を巡らす。

どの家も火が消えたようにシンと静まり返っている。

先程少年があれほど大きな悲鳴を上げたのにも拘らず、騒ぎ所か明かりが着いた家すら見当たらない。

 

(……どうなってるの?まさか全員が全員、熟睡してて気づいていないとか?)

 

首をかしげる赤蛮奇。すると次の瞬間――。

 

「-----------------------ッッッ!!!!」

「……!!」

 

再び別の方向から別の人間の悲鳴が上がる。

距離からしてまた近場だと気づいた赤蛮奇は再び無意識に駆け出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、それを計五回、繰り返したって訳ですよ」

「「「…………」」」

 

一通りの説明を終えた赤蛮奇を前に、霊夢たちは沈黙する。

それに構わず赤蛮奇は、言葉を続けた。

 

「……最初はただの偶然だと思ったんですけど、周りに響くほどの()()()()()が五回もあったのにもかかわらず、そのどれも騒ぎが広がる様子も気にする様子も一切無く、周囲は静寂に眠り続けている……。妖怪の私でもこれは明らかにおかしいって分かりますよ」

「……ちょっと待って。子供の、悲鳴……?悲鳴を上げたのは、()()()()()()()()?」

 

華扇のその問いに、赤蛮奇は素直に頷く。

 

「ええ、そうですよ?私が見た悲鳴を上げた子供たちは、全員十歳前後の子供たちでした。……寺子屋に通っていそうな」

「寺子屋……」

 

そう響く霊夢の脳裏に、寺子屋の女教師、上白沢慧音の顔が浮かんだ。

そして、彼女のその背後に……()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

思案顔になる霊夢であったが、その間も赤蛮奇の話は続いていた。

 

「でも、この話……これで終りじゃないんですよ」

「何?まだ続きがあるのか?」

 

赤蛮奇の言葉に魔理沙がそう反応する。

それを見た赤蛮奇は再び話し始めた。

 

「……その翌日、つまり今日の朝の事なんですけれどね。私が仕事で例の和菓子屋の前で水撒きをしていた時、悲鳴を上げていたその子供たちが、()()()()()()()()()()見かけたんですよ」

「……?それがどうしたって言うんだ?」

 

首をかしげる魔理沙に、赤蛮奇は口を開く。

 

「いや、おかしいですよ。昨晩、怖い目に会ったはずの子たちが、家に篭らず登校しているんですよ?……しかも、その子供たち全員が、寺子屋所か()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

「なんですって!?」

 

眼を見開く霊夢に、華扇は確認するように赤蛮奇に問いかける。

 

「昨晩、悲鳴を上げた子供たちは全員、外で見かけなくなっていた子供たちだったの?」

「そうですよ?ちなみに、貴女が一昨日見たって言う娘さんもそうです。でも、今はちゃんと寺子屋に通っているのを見ましたよ」

「……!」

 

赤蛮奇の言葉に華扇は眼を丸くする。

 

「……どう言う事だ?今の今まで外で姿を見せていなかったガキ共が、その恐怖体験をきっかけにして以前の元の生活に戻ったって言うのか?」

「……それが何なのかが気になる所ね。その子供たちは確実にこの一件で大きな変化があったのは間違いないわ」

 

魔理沙と華扇が続けざまにそう呟き、それを黙って聞いていた霊夢が、確認するように赤蛮奇に声をかける。

 

「……さっきアンタ、こう言ったわよね?『丸刈りの少年が幽霊だかお化けだかを見たのを聞いた』って」

「ええ。母親には夢だって一蹴されちゃってましたけどね」

「……じゃあさ、聞いたことない?ここ最近、新しく生まれた噂。例えば……『怪談』、とか」

 

霊夢のその問いに、横から華扇が割って入る。

 

「ちょっと霊夢。新しい怪談が流れていないのは、先日私が調べているって言ったでしょ?」

 

しかし、この直後、赤蛮奇の言葉がその場を一瞬凍りつかせた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「怪談……?……ああ、ありましたよ。新しい怪談の噂」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「…………。……!?」」」

 

質問した霊夢を含めた三人が赤蛮奇のその返答に固まる。

 

「まぁ、と言ってもその怪談の噂が流れているのは、人里内でも()()()()()()()()()()の間だけなんですけれどね。知らない人も多くいるはずですから無理ないとは思いますけど」

「どう言うこと!?詳しく話しなさい!!」

 

涼しい顔でそう呟く赤蛮奇を前に、ちゃぶ台をバンッと叩いた霊夢がそう叫んでいた――。




最新話投稿です。

数週間も待たせてしまい申し訳ありません。
この話から怒涛のネタバレが始まります。
勘が良い人は、この話だけで一体何が起こっているのか大体察した方がいるかもしれません。


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其ノ五

前回のあらすじ。

赤蛮奇に人里の情報収集を任せた霊夢は、彼女の口から密かに新しい怪談が噂されていたのを知る。


「紫様。あのろくろ首を放置しておいて良かったので?殺さないにしても、口止めさえしておけば……」

「いいえ、藍。遅かれ早かれ霊夢には全てを知られていたと思うわよ。何せあのろくろ首に接触する前から四ツ谷さんの事を疑ってたしね。それに……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……そこで完全に詰みになっているわ――そして、それは今まさに現実になろうとしている……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズルズルズル……ズルズルズル……。

ズッズッ……ズルルルル……。

ズル……ズル……。

 

人里の一角に建つ立ち食い蕎麦屋。

日が完全に落ち、明かりが漏れるその店の中に、霊夢、魔理沙、華扇の三人が仲良く蕎麦をすすっていた。

魔理沙が蕎麦をすすりながら霊夢に問いかける。

 

「……霊夢、赤蛮奇が聞いたって言う『怪談』……。今回の件と関係あんのかな?」

「さぁねぇ、まだ何とも言えないわ」

「でもさぁ、聞いた感じ、『番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)』っぽい怪談だと思ったが、今回の事とあまり関係ないように思えるんだぜ」

「……私は、無関係だとは思わないわ。赤蛮奇がその怪談を聞いた()()からしてみても妙よ」

 

魔理沙の言葉に、それまで黙々と蕎麦をすすっていた華扇も会話に入って来る。

 

「その『怪談』が人里内でも一握り……それも、()()()()()()()()()()()()でしか広まってないってのは、どう考えても変よ」

 

赤蛮奇の話を脳裏で思い出しながら、霊夢は華扇の言葉に静かに耳を傾けていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――元々、赤蛮奇自身も『怪談』の存在を知ったのは全くの偶然であった。

 

今日の昼間、自分が働いている和菓子屋の店に、たまたまその店を贔屓(ひいき)にしている、近くに住む奥様集団がやってきたのだ。

何を選ぼうか、何を頼もうか姦しく騒ぐ奥様連中のそばで、人間を装った赤蛮奇は、耳にタコができる思いを感じながら店内に備え付けられたテーブルの上の商品の補充を行っていた。

 

(速くどれ買うか決めて、さっさと帰ってくんないかな……)

 

赤蛮奇がそんな事を思っていると、奥様連中の一人である女性が、ふと気になる事を喋り始めたのだ――。

 

『……それにしても良かったですわね、山田さん所の息子さん。また、寺子屋に通うようになって』

 

その言葉を皮切りに、他の奥様達も口々に喋りだす。

 

『ホントにねぇ、一時はどうなるかと思いましたけれど、何とか元の日常に戻ってきたので良かったですよ』

『……私の所の娘も、()()()()()()()()()()ですよ……』

『元気出してください、田中さんの奥さん。近いうちにきっと元に戻りますから』

『……それにしても、本当に出たんですかね?……()()

『さぁ……。あの子が悲鳴を上げた時、私も主人も()()を見てはいないので何とも……』

 

(『元に戻る』?『あれ』?『それ』……?一体、何の話をしてるの?)

 

商品を補充しながら会話を盗み聞く赤蛮奇は、人知れず怪訝な顔を浮かべた。

その間も、奥様達の会話が続く。

 

『……でも、実際に出たと言うことは、()()()()()()()()()()が語った()()()()は、本当の事だったって事ですよね?』

『慧音先生から「館長さんの怪談を聞いてくれ」と言われた時は、「()()()()()()何を!」って怒鳴っちゃいそうでしたけれど……』

『今にして思えば……あれも()()()()()()()()()()()()、だったんですかね?』

 

 

 

『……怪談?』

 

 

 

『怪談』という気になる単語が出てきた事で、そばで聞き耳を立てていた赤蛮奇は思わずそうポツリと声を漏らしていた。

そして次の瞬間、赤蛮奇のその声が聞こえていたらしい奥様連中は、一斉に赤蛮奇へと視線を向ける。

それを見た赤蛮奇は、しまったとばかりに口を手で押さえるも、もう遅かった。

驚いた眼を向ける奥様連中の一人が、恐る恐る赤蛮奇へと声をかける。

 

『お赤ちゃん、もしかして今の……聞こえちゃってた……?』

『あ、えっと……、すみません。盗み聞きする気はなかったんですけれど……』

 

真っ赤な嘘である。しかし余計な波風は立てぬよう、体裁だけは整えておかねばならない。

嘘八百を並べて奥様たちに言い訳をする赤蛮奇は、そばに説教癖のあるあの閻魔がいない事に内心つくづくホッとする。

赤蛮奇のその言い訳が事実だと受け取ったのか、奥様たちは苦笑顔でお互いの顔を見合わせた。

それを見た赤蛮奇は、思い切って彼女たちに切り込んでみる。

 

『あの……さっき、言ってた怪談って何の事です?』

 

赤蛮奇のその質問に奥様たちは直ぐにはそれに答えず、お互いで会話を始める。

 

『どうする?』

『別に良いんじゃないかしら?もう聞かれちゃったんだし。それに、お赤ちゃんは人里の人間だから、一人ぐらい教えちゃっても大丈夫でしょう?』

『それもそうね』

 

まさか目の前の少女が、人間ではなくそこに紛れ込んでいる妖怪だとはつゆ知らず、奥様たちは赤蛮奇を心底人里の人間だと信じて疑わず、軽い調子でそんな会話を交わし、それを聞いた赤蛮奇は小さく苦笑を浮かべずにはいられなかった。

やがて奥様たちは、改めて赤蛮奇に向き直り、その内の一人が口に人差し指を当てながら、念を押すかのように赤蛮奇に口を開いた。

 

『それじゃあ、お赤ちゃんには特別に教えちゃうけれど、誰にも言っちゃ駄目よ?もちろん、私たちから聞いたって言うのも駄目だからね?』

『はい!分かりました!』

 

ニッコリと笑いながらそう答える赤蛮奇は、内心でチロリと舌を出していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔理沙に「まだ分からない」と言ったばかりであったが、その時の事を赤蛮奇伝いに聞いた霊夢は、内心、四ツ谷がこの件に何らかの関わりがあると確信していた。

そして、それと同時に四ツ谷会館の者たちだけでなく、()()()()()()()()()()()がいる事も――。

 

(人里の人間たちに、慧音にそして、()()()……結構多く関ってるじゃない。これはますます博麗の巫女として無視できなくなってきたわ)

 

そんな事を考えながら、霊夢は蕎麦屋の亭主に勘定を済ませると、魔理沙と華扇と共に店を後にする。

そうして、店を出て直ぐに、霊夢は懐から折りたたまれた一枚の大きな紙を取り出し、それを広げる。

――それは、人里の地図であった。

どこに、どんな店舗や住居があるのか事細かく書かれたそれを、霊夢を真ん中に挟んで魔理沙と華扇も左右から覗き込む。

まず、華扇が口を開いた。

 

「……次に襲撃がある民家に、何か心当たりでもあるの?霊夢」

「そんなの、あるわけ無いじゃない」

 

華扇の問いかけに、霊夢は間髪いれずにそう答え、そして続けて言う。

 

「前回起こった場所も時間帯もぜーんぶチグハグ。これに何かしらの規則性を探ろうとする事事態、無駄な努力よ。たぶん……いや間違いなく、()()()()ただ単に、適当に次に狙う家を選んでそこに襲撃をかけてるだけね」

「じゃあどうするんだぜ?」

 

魔理沙のその言葉を聞きながら、霊夢は地図に眼を走らせながら、あっさりとした口調で言う。

 

「そりゃあ、もう、『直感』に頼る他無いじゃない」

 

呆気に取られる魔理沙と華扇、そんな二人に構わず、霊夢は地図を見ながら二人に向けて口を開く。

 

「……前回までは西側の地区で襲撃が起こっていたから、今回は恐らく東側の地区を襲って来ると私は睨んでいるわ。……一口に東側と言っても子供のいる家は多くある。でも、私の長年培われてきた『勘』を頼りに言わせてもらえれば……今回、襲われる家はここか、もしくはここね……」

 

そう言って霊夢は地図に記された二ヶ所の民家のマークを指差す。

何の根拠も確証も無いと言うのに、そう自信ありげに響く霊夢に、魔理沙と華扇は開いた口が塞がらず、何とも言えない微妙な表情を浮かばせながら、お互いの顔を見合わせていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぁ、霊夢。本っっっ当に、この家か、向こうの突き当たりの民家に出るんだよな?」

「それ聞くのこれで何度目よ魔理沙。もぅ、いい加減にしてくんない?そんなに私の『勘』が信用ならない?」

「……いや、お前とは長い付き合いだから、お前が適当な事を言っていないのは分かるし、今更お前の常人離れした『勘』を疑う事の方がおかしいのも分かる。分かるんだが……」

「だったら四の五の言ってないで見てなさい。これ以上、何か意義を申し立てするんなら、その減らず口に『夢想封印』よ」

 

いまいち釈然としない魔理沙の言い分に、霊夢は苛立たしげに吠える様に言い返す。

蕎麦屋から移動した霊夢たちは、とある民家の前にいた。

とっくの前に明かりを消したその民家は、()()()()()()()()住人全員が既に眠っているかのようにシンと静まり返っていた。

そんな民家の前でギャーギャーと姦しく騒ぎたてる霊夢と魔理沙。

そんな二人を、見かねた華扇が仲裁に入る。

 

「ちょっと二人とも。もう少し静かに出来ないの?この家の人だけじゃなく、周りの家の人間たちも起きちゃうじゃない」

「うっさいわね、文句があるなら魔理沙に言いなさいよ」

「いや、だって、流石になぁ……」

 

頬を膨らませてプリプリと怒る霊夢とバツが悪そうに人差し指でポリポリと頭をかく魔理沙。

そんな二人を見てやれやれと肩を落とした華扇は何かを言おうと口を開きかける。その次の瞬間――。

 

 

 

 

「-----------------ッッッ!!!!」

 

 

 

 

――絹を裂くような少女の悲鳴が、霊夢たちの目の前に建つ民家から大きく轟いた。

ポカンとなる魔理沙と華扇。そんな二人を前にフンと胸を張って霊夢は声を上げる。

 

「ほぉら見なさい!さっさと突入するわよ!」

 

そう言い残して霊夢はすぐさま民家の玄関戸を蹴破って中へと入って行く。

 

「うっそ……」

「マジか……」

 

未だ状況についていけていない華扇と魔理沙は、家の奥へと押し入っていく霊夢の背中を呆然と突っ立ったまま見つめながら、そう呟いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……あぁぁ……!」

 

――民家の裏手側にある薄暗い部屋の中。その部屋の持ち主である少女は、壁際に自身の体を寄せながら、ブルブルと小動物のように震え、怯えていた。

恐怖に染まる少女の瞳……その視線の先には、ぼんやりと光を放つ()()()()()()()()――。

 

 

 

 

――……ザザッ……ザザッ………………ザザザザッ…………!

 

 

 

 

――()()()()()()()が部屋の中に静かに響き渡る。

そして、どうやらその砂嵐の音は、少女の見つめている箱から発せられていた。

 

と、次の瞬間――その箱の中から細く、青白い腕がニュルリと突き出てきた。

 

「ひっ!?」

 

短い悲鳴を上げる少女。その間に腕は掌を畳にそっと着ける。

 

 

 

    ……ヒタリ……。

 

 

 

                  ……ヒタリ……。

 

 

 

やがて腕だけでなく、肩、そして長く()()()()()()()()()()を垂らした頭が箱からゆっくりと姿を現す。

 

「――ッ!――――ッ!!」

 

少女は何とか声を上げて助けを呼ぼうとするも、恐怖で声が詰まり、助けを呼ぶ事ができなくなっていた。

がくがくと震える少女の両足――その両脚の付け根辺りから、じんわりと少女から出てきた液体が、少女の着物を濡らし、ゆっくりと広がっていく――。

同時に、箱から出てきた()()()胸、腹、腰と、徐々にその全身を現していく――。

少女の着物が吸収し切れなかった液体は、少女の脚の間を伝い、やがて足元の畳へと到着すると、少女を中心に()()()を作り始めた。

自身の足元で徐々に広がりを見せる水溜りに気づいていない少女は、恐怖を顔に貼り付け、その双眸から涙を流し続けながら、箱から出てきた()()()凝視し続ける。

そしてついに……箱から出てきたソレは、完全にその姿を少女の視界にさらけ出す。

 

 

――それは、白い服を纏ったずぶ濡れの女であった。

 

 

頭から足先まで、まるでバケツの水を被ったかのように濡れたその女は、池の水のような生臭い匂いを漂わせながら、一歩一歩、壁際で怯え続ける少女へと歩み寄っていく――。

腰辺りまである、柳のように垂れた黒髪は、女の顔をすっぽりと覆い隠しており、その表情は少女からはうかがい知れる事は出来なかった。

だが、それがかえってその女の不気味さを強調させる要因となり、少女はますます持って恐怖で発狂してしまいそうであった。

 

やがて、女と少女の距離が目と鼻の先まで縮まる。

濡れた女はゆっくりと右手を持ち上げると、恐怖に染まる少女の顔へとその青白い手を伸ばし――。

 

 

 

 

「そこまでよ!!」

 

 

 

突然に部屋の襖がバンッと叩きつけるように開かれ、そこから紅白の特徴的な巫女服を纏った少女が部屋の中に飛び込んできた。

巫女服の少女――霊夢は部屋に立つ少女と濡れた女を視界に納めると、間を置かずして濡れた女に数枚のお札を放った。

放たれたお札は濡れた女へとまるで吸い込まれるように一直線に飛んでいく。

しかし当たる直前、濡れた女はその姿を白黒にまみれた砂嵐のような模様へと変化させ、そしてそのまま身体を人型から(もや)のような形へと変えると、その身を天井付近まで浮上させ、ひらりと霊夢のお札を回避する。

と、そこに来てようやく魔理沙と華扇も現場に駆けつけて来た。

 

「霊夢!どうなっ……って、なんだありゃ!?」

「砂嵐?靄……?あれが襲撃者の正体?」

「いいえ。さっきまで白い服着たずぶ濡れの女だったわ」

 

天井付近に漂う靄を見た魔理沙と華扇がそう呟くも、霊夢は直ぐにそれを訂正する。

しかしその瞬間、砂嵐模様の靄はまるで吸い込まれるようにして元来た箱へと戻って行った。

 

「待ちなさい!」

 

一拍遅れて霊夢は箱へと駆け寄るも、そこからは既に、『人間ならざる気配』は綺麗さっぱりと消えた後であった。

だがそれでも霊夢は、その箱から眼を離さないでいた。

霊夢を追うようにして魔理沙も霊夢の横に立ち、その箱を凝視する。

 

「……これって確か……こーりんの店で見た事あったな。確か『てれびじょん』とか言う外の世界の『かでんせいひん』の一つとかって言う……」

 

魔理沙がそう響き、霊夢が睨みつける箱の正体――それはブラウン管の大型テレビであった。

本来、明治時代あたりで文化がストップしているはずの幻想郷。その人里の民家にさり気なくそれが置かれていたのである。

しかも、そのテレビからは複数のコードが前と後ろの二方向へと延びていた。

テレビの後ろから伸びるコードの先には部屋の隅に置かれたテレビよりも一回り小さい『何か』の機械に。そして前から延びるコードにはそれとはまた別の、さらに小さいごてごてとした機械へと繋がれていた。

それを見て霊夢は魔理沙に問いかける。

 

「魔理沙、これも何か分かる?」

「えーと、テレビの後ろに繋がれてんのは、たぶん『はつでんき』ってヤツだと思う。あれもこーりん所で似たようなモン見た事あるからな。……だが、手前にある機械が何なのかは私も知らないな」

「ふーん、まぁいいわ。おかげでこの一件に絡んでる妖怪が()()()()いる事がはっきりした」

「?」

 

霊夢のその言葉に首をかしげる魔理沙。と、その時、霊夢たちの背後でドサリという音が響く。

二人が振り返ると、そこには自身が作った水溜りの中心でへたり込み、涙を拭きながら嗚咽を漏らすこの部屋の持ち主の少女の姿があった。

その少女を見た霊夢は未だ部屋の出入り口で様子をうかがっている華扇に声を上げる。

 

「華扇。あの子の事、頼むわ。私は()()()()()()()()の所に今から行くから!」

「え?ちょ、ちょっと霊夢!?」

 

華扇が止める間もなく霊夢は部屋から飛び出すと、そのまま風のように民家から外へと飛び出して行った。

 

「あ!ま、待て霊夢!私も行く!」

 

一足遅れて魔理沙も霊夢を追って外へと飛び出して行く。

少女と共に部屋に取り残された華扇であったが、やがてため息と共に先程、霊夢に頼まれた事を行い始める。

 

「お嬢ちゃん、大丈夫?安心して。もう怖いのは何もいないから」

「……う、うわぁぁぁぁん!!」

 

華扇にそう優しく声をかけられた少女は、途端に内心でせき止めていた感情を爆発させ、泣きじゃくりながら華扇の胸へと飛び込んでいった。

 

「よしよし、怖かったわね~(うっ……()()()()()……)」

 

身体を密着させてくる少女の下半身から、体温とはまた別の温かさを感じ取り、華扇は僅かに顔を歪めた。

すると、ギシリと小さな音が背後から響き渡り、華扇は首だけを動かして背後を見る。

そこにはこの民家の住人であり、今、華扇が抱きしめて背中を摩っている少女の両親らしき男女が、部屋の前の廊下に佇みこちらを見つめていた。

二人の視線は華扇の腕の中の、未だ泣きじゃくる少女へと注がれており、その瞳の奥に宿る少女の身を案じる思いと、何故か()()()の感情を華扇は僅かながらに感じ取っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜の寝静まった人里の夜空を紅白の巫女が物凄い速さで翔けて行く――。

そして少し後を箒に乗った白黒の魔女が必死になって追いかけて行く姿があった。

 

「オーイ、霊夢!どう言う事だ!?『首謀者』ってお前、この一件の犯人が分かったのか!?」

 

ようやく霊夢に追いついた魔理沙は、横で並走する霊夢に向かってそう叫ぶ。

それに霊夢もスピードを落とさずに()()()()()()と向かいながら、同じように叫びながら答える。

 

「分からないの魔理沙!私たちがさっき見たあの怪異!()()()()()()()()()()()!?」

「え!?いや……無いな。同じ靄っぽいモノで『煙々羅(えんえんら)』は見た事あるが……」

「私も見た事無いわ、あんな砂嵐状の靄っぽいモノになれるずぶ濡れ女の妖怪なんて!だとしたら()()()()()()()()()()()()としか考えられないじゃない!」

「最近?」

「いるでしょ一人だけ!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!!」

 

そこに来てようやく魔理沙もハッとなって気づく。そしてその顔を段々と怒りに染めていった。

箒を持つ手に力を入れ、そのスピードを徐々に上げながら、魔理沙も霊夢と同じ『目的地』へと向けて全速力でかっ飛ばして行く。

 

「やりやがったな、あの怪談馬鹿ぁ!!!!」

「今度という今度は、もう容赦しないんだからぁ!!!!」

 

人里の夜空に魔理沙と霊夢の怒声が大きく響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに!?バレただぁ!!?」

 

所変わって四ツ谷会館の広間。そこには深夜にも拘らず、四ツ谷会館の住人全員が勢揃いしており、四ツ谷の目の前には、先程、少女を襲っていたずぶ濡れの白い服の女が立っていた――。

さっきまでのおどろおどろしい雰囲気から一転して、濡れた女は傍から見ていてもテンパっているのが丸分かりな程、そわそわとした落ち着きの無い様子を見出していた。

そして、それは女の前に立つ四ツ谷もまた同じであった。

そんな四ツ谷に傍で聞いていた小傘が声をかける。

 

「ど、どうしましょう師匠?」

 

その言葉に頭を抱えていた四ツ谷はバッと顔を上げると、四ツ谷会館従業員一同に指示を飛ばす。

 

「お前ら今すぐ荷物をまとめてここからずらかるぞ!」

「え!?逃げるって一体何処へ!?」

「行くあてならいくつかある!とにかく一刻も早くケツまくってここから逃げねぇと――」

 

小傘の言葉に四ツ谷がそう答えていた、その次の瞬間――。

 

 

 

 

 

――ドカアァァァァン!!!!

 

 

 

 

 

唐突に会館の出入り口の扉が大きく吹っ飛んだ。

吹き飛んだ扉は天井近くまで高く舞い上がり、四ツ谷たちの頭上を飛び越え、そのまま反対側にある舞台の前に大きな音を立てて落下した。

しばしの沈黙後、やがてその場にいた全員がギギギッと錆びた鉄のように吹き飛んだ扉のあった会館の出入り口へゆっくりと首を向ける。

特に四ツ谷にいたっては顔中から滝のような冷や汗をダラダラと流しながら――。

そんな四ツ谷会館の住人達の視線をいっぺんに受け止めながら、乱入者である少女二人は四ツ谷を視界に納めると不気味な笑みを顔に浮かばせた。

 

「……『ケツまくって逃げる』?それよりも先に……ケツに『夢想封印』ブチ込む方が先決じゃない?」

「私のマスパが先なんだぜ、霊夢」

「あらそう?なら、コイツに決めてもらいましょう?」

 

そう言って二人の乱入者――霊夢と魔理沙は冷ややかな瞳を携えて歪んだ笑みを浮かべながら、青ざめて顔を引きつらせる四ツ谷に向けて静かに問いかけた――。

 

 

 

 

 

 

 

「「――どっちを先にブチ込まれたい?」」




最新話投稿です。

すみません。また少し遅くなりました。
次回からこの一件の全容が明るみになっていきます。

誤字脱字があれば気軽にご報告ください。
感想の方も待っていますw


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其ノ六

前回のあらすじ。

とある民家に怪異が出現し、そこに居合わせた霊夢たちによって、怪異の背後に四ツ谷がいる事がバレてしまう。


「ギャアアァァァー!??止めろやめろヤメロォーーッ!?」

「ギャアギャア騒ぐな!狙いが定まんないだろ!」

 

騒ぎ、喚き立てる四ツ谷を魔理沙が()()()()叱責する。

今、四ツ谷は、霊夢と魔理沙の手によって会館の広間の天井にかかる(はり)にかけられた荒縄で宙吊りにされていた。

縄でグルグル巻きにされ、身体を横にされて吊るされる四ツ谷。その四ツ谷の後ろ――つまり、四ツ谷の尻の前に魔理沙が陣取り、ミニ八卦炉を構えて仁王立ちしている構図であった。

そして、他の会館住人たちは、戦々恐々とした面持ちで身を寄せ合い、そんな四ツ谷と魔理沙の現状を遠巻きに見つめていた。

――いや、正確には見ている事しか出来なかった。

何故なら会館住人たちと四ツ谷と魔理沙の間には、霊夢が仁王立ちで会館住人達を睨みつけていたのだ。

 

「良い、アンタたち!少しでも妙な動きをして見なさい!容赦なく弾幕ブッパしてやるんだから!」

「お、落ち着いてください霊夢さん魔理沙さん!これには深い訳が……!」

「訳なら後でゆっくり聞いてやるわ!今はこの怪談馬鹿のお仕置きが先よ!」

 

小傘の言葉にも耳を貸さず、そうバッサリと切り捨てる霊夢。問答無用、聞く耳持たずで睨み付けてくる霊夢を前に、もはや会館住人たちは『蛇に睨まれた蛙』状態で手も足も、口すら出す事が出来なくなっていた。

それでも自身の危機的状況を前に、四ツ谷がジッとしているわけも無く、手足をバタつかせながら騒ぎまくる。

 

「おい、本当に止めろ!マジでそんなモン、俺の尻にブチ込む気なのかよ!?」

「あぁん!?冗談でここまでする訳無いだろ!?私は生まれてこの方嘘なんてついた事がないんだぜ!?」

「それこそ嘘だろ!?いや、この場合嘘の方が良かったッ!!とにかく、訳はちゃんと話すからいったんこの縄解いて下ろしてくれ!!」

「まずは霊夢が言った様に仕置きが先なんだぜ!お前も男なら覚悟決めるんだな!!」

「馬鹿言うな!そんなモンくらったら一瞬であの世行きになるに決まってんだろ!!」

「いいや、案外そうならないかもしれないぜ?尻穴から内臓を通ってどっかの怪獣よろしく口からバァーッ!と出て来るかもしれないじゃないか」

「なるか阿呆ッ!確実に内臓グチャグチャになるわ!それ以前に肉片一つ髪の毛一本すら残らんわッ!!」

 

言葉の応酬を繰り広げる四ツ谷と魔理沙。特に四ツ谷は必死だった。

自分の命が軽いノリ感覚で消されそうになっている、言わば風前の灯状態なのだからたまったものではない。

そこへ、霊夢が吊るされた四ツ谷を見上げながら歩み寄ってくる。

 

「観念なさい。恨むなら、私の眼を盗んで勝手に怪異を創った、ケツの緩いアンタ自身を恨むのね」

「だ、だからその言い分を説明させてくれって!」

「問答無用!魔理沙、やっちゃいなさい!!」

「オラァ!待ちに待った『開通式』を始めるんだぜぇぇぇッ!!」

 

「ア゛ーーーーーーーーーーーーッ!!??」

 

四ツ谷の悲鳴と共に、四ツ谷の尻の中心に向けて構える魔理沙の八卦炉が光を帯び始める。

霊夢が背を向けた瞬間、小傘たちは四ツ谷を助けようと動く構えを見せる。

と、同時にギュッと力強く閉じられる四ツ谷の双眸と肛門括約筋(こうもんかつやくきん)

貞操どころか、命をも消し飛ばされると四ツ谷が覚悟した。その次の瞬間――。

 

――その場に救いの声が囁かれた。

 

「そこまでよ。霊夢、魔理沙」

『!!』

 

声と共にその場にいる全員の動きが一瞬止まり、同時に全員が声のした方へと眼を向けた。

その瞬間、視線の集中したその空間に大きな切れ目が走り、大きな裂け目を作った。

そして、その裂け目の中から一人の女性が姿を現す。

 

「お前は……!!」

「…………」

 

その女性を目にした瞬間、魔理沙は驚きに声を上げる。

しかし、逆に霊夢は「分かっていた」とばかりに何の反応も見せず、ただ黙ってその女性を睨みつけていた。

少しの沈黙後、やがて霊夢は静かにその女性に静かに声をかける。

 

「……やっぱり、アンタも絡んでたのね。……ま、当然よね。考えて見れば、今回の一件で()()()()()()()()()()、アンタだったもんね――」

 

 

 

 

 

「――紫」

 

 

 

 

そう霊夢に声をかけられた女性――八雲紫は困ったように笑って見せる。

 

「やだわぁ霊夢ったら、そんな怖い顔しちゃって、私は霊夢の笑った顔が好きよぉ~?」

「誤魔化す気?いの一番に私に怪談馬鹿(コイツ)が絡んでないって嘘情報教えて来ておいて。まんまと騙される所だったわ」

「そうピリピリしないでよ、ちょっとした冗句(ジョーク)じゃない。少し遅れの四月馬鹿(エイプリルフール)だと思って笑って許してちょーだいよぉ~?」

「黙らっしゃい。私に嘘をついておいて、ただで済むと思ってるの?」

 

わざとらしく身をくねらせて、そうねだる様に響く紫に、霊夢は誤魔化しは通じないと言わんばかりに大きく顔をしかめて冷たく言い放つ。

それを見た紫はやれやれと肩を落とすと、次に瞬間には真剣な顔で霊夢に向き直った。

 

「……霊夢。さすがにこれ以上、四ツ谷さんに危害を加える事は、私も看過できないわ。少なくとも()()()()()()()()()()四ツ谷さんには健在でいてもらわなければ困るのよ。……それに()()にも」

 

そう言ってチラリと紫は視線を逸らし、霊夢も紫の視線を追うように視線を動かす。

そこには先程、民家を襲撃した長い黒髪の白い女が立っていた。

二人の視線を受けて白い女はビクリと肩を震わせる。

それを見た霊夢は紫へと視線を戻す。

 

「……聞けない話ね。私に黙ってあんな怪異を生み出してコケにしておいて、『はい、そうですか』で引き下がる訳ないでしょう?」

「これもまた()()()()()()()()()()、ひいては()()()()()()()()()()()()()()

「……どう言う事?」

「霊夢、よく聞いて――」

 

そう言って紫は一拍間を置くと静かにそれを口にした――。

 

 

 

 

 

 

「――今、幻想郷は未曾有の危機にさらされているの、このままでは幻想郷は確実に滅ぶわ」

 

 

 

 

 

「「!?」」

 

それを聞いた瞬間、霊夢とそばで話を聞いていた魔理沙もピシリと表情を凍りつかせた。

そして、すぐさま霊夢が切羽詰った顔へと変わり紫に詰め寄る。

 

「どう言う事よ!?幻想郷の危機!?だったら直の事、そんな大異変が起こってるなら私の出番じゃないの!!何で隠すようなマネすんのよ!?」

 

声を荒げてそう叫ぶ霊夢。反対に紫は冷静な口調で霊夢に言い聞かせるように静かに口を開いた。

 

「そうね。()()()()()()()()()()()()()、私も黙って見ているだけに留めていたんでしょうけどね」

「だったら何で――」

「――今回の異変は、今までとは()()()()()()()()()

 

さらに問い詰めようとする霊夢の声に重ねるようにして紫がそう言い放つ。

静かだがどこか力の篭った紫のその言葉に、霊夢は毒気を抜かれ、呆気に取られる。

そんな霊夢を前に、紫は言葉を続けた。

 

「……今までの異変なら、異変の首謀者を見つけて弾幕ごっこやら武力行使やらで負かしていれば、それで解決だったのだろうけれど……今回はそう言う訳には行かないのよ」

「……どうしてよ。異変の首謀者ならここにいるんだし、コイツをボコれば済む話なんじゃないの?」

「……ああ、()()()()()()()()()()()()、霊夢」

 

吊るされた四ツ谷を指差してそう言う霊夢に、紫はやれやれと頭を抱えた。

そして顔を上げた紫は、霊夢に真剣な目で口を開く。

 

「誤解してるわ霊夢。今回の異変の犯人は四ツ谷さんじゃない。むしろ今回の彼の立ち位置は()()()()()()()()。言うなれば彼は異変解決のスペシャリストである()()()()()()()なのよ」

「私たちの、代役ですって?」

 

驚く霊夢に、紫はしっかりと頷いてみせる。

 

「そう。だから今ここで四ツ谷さんを失うわけにはいかないのよ。……まぁ、私の個人的な意見を言わせてもらえれば、もう少し四ツ谷さんの『開通式』を見ていたかったのだけれどね?」

「……なっ!?悪い冗談言うな!!お前、俺を見殺しにする気かぁ!?」

 

チラリと四ツ谷を見ながら意地悪げな笑みを浮かべてそう言う紫に、今まで黙って成り行きを見守っていた四ツ谷が血相変えながら叫ぶ。

それを見た紫はにこやかに何でも無い事の様に言う。

 

「あら、別に死なないかもしれないじゃない。もしかしたら魔理沙がさっき言ったみたいに口から怪獣みたいに出てくるかもしれないし」

「ざけんなスキマ賢者!!だいたい、俺に怪異創るよう直接依頼して来たのは()()()()()()()ッ!!」

「なんですって?」

 

四ツ谷が発した新たな事実に、霊夢はすぐさま食いつき、紫を睨みつける。

仮にも四ツ谷の能力を使わせないために監視していた本人が、その監視対象に能力使用の許可を出したのだから怒らない訳が無い。

しかし紫はそんな霊夢の視線を涼しい顔で受け流す。

 

「異変解決に比べて必要な事だと思えばこれくらいの対価、痛くもかゆくも無い事よ。一人二人程度増えた所でパワーバランスが崩れるほど幻想郷は(やわ)じゃないしね」

「アンタねぇ……!」

 

さらに噛み付こうとする霊夢だったが、別の人間によってその言葉が遮られる。

 

「あーもぅ、じれったいなぁ。一体誰なんだ?その異変の犯人って奴は?いい加減教えろよ」

 

事の成り行きを見守っていた魔理沙が痺れを切らし、四ツ谷に向けていた八卦炉の構えを解いて霊夢と紫の会話に混ざってきたのだ。

それを見た紫は小さくため息をつくと、霊夢と魔理沙の視線を一身に受けながら、その犯人の名前を口にした――。

 

「――今回起こっている異変の犯人……それは――」

 

 

 

 

 

 

「――人里に住む、人間の子供たちよ……」

 

 

 

 

 

 

「えっ!?」

「なっ!?」

 

予想とも言える紫のその返答に、霊夢と魔理沙は驚愕をあらわにする。

そんな二人に紫は捕捉とばかりに続けて言葉を紡ぐ。

 

「まぁ、人里の子供たち『全員』がじゃなくて『大半』が、なんだけどね。異変に加担してなかった子もいるし。……それに、子供たちが異変を起こしてしまった主なきっかけを作った()()も別にいるしね……」

 

落ち着いて静かに言ってはいたものの、紫のその言葉の後半部分には明らかな怒気が篭っていたのを霊夢と魔理沙は感じ取っていた。

『きっかけを作った奴ら』。その者たちに対して紫には隠しきれない怒りがあったのだ。

 

「……人里の子供たちって……どう言う事よ?子供たちが幻想郷を滅ぼすほどの事って一体……」

 

もう訳が分からないといった風に霊夢が戸惑いながらそう響き、紫は落ち着いてゆっくりと深呼吸をすると、再び口を開いた。

 

「……そうね。ここまでチグハグな話になっちゃったけど、やっぱり一から順に説明した方が良さそうね。……霊夢、魔理沙。少し長い話になるけれど良いかしら?」

 

紫にそう尋ねられた霊夢と魔理沙は、お互いに顔を見合わせると再度、紫に向き直り、両方同時に頷いて見せた。

そして霊夢が釘を刺すように口を開く。

 

「……いいわ。でも、大した話じゃなかったら、許さないから」

「オーケー、わかったわ。じゃあ早速話そうと思うけれど……その前に()()()()()()()もこの場に召喚する必要があるわね」

「……他の当事者?」

 

紫の言葉に霊夢は首をかしげるも、その間に紫は何も無い空間にスキマを展開する。

そして霊夢と魔理沙に向けて口を開いた。

 

「そうよ。と、言ってもここに呼ぶのは二人だけ。その二人とも貴女たちのよく知っている者たちよ。……そして、その内の一人はこの忌々しい異変のきっかけを作った『大馬鹿者共』の中の一人……」

 

再び怒気を言葉に含ませながらそう言う紫は、スキマから一人目を召喚する。その者は――。

 

「……あれ?ここは……?」

「アンタは……!」

「慧音!?」

 

――寺子屋の女教師、上白沢慧音であった。

突然、何の前触れも無くスキマでこの場に連れて来られたため、何が起こったのか分からず慧音は眼を白黒させながら辺りをキョロキョロと見回す。

そして吊り上げられた四ツ谷と霊夢、魔理沙の姿を見つけると、大よその事情を察したのか頭を抱えて見せた。

そんな慧音を尻目に、紫はスキマから二人目を呼び寄せながら響く――。

 

「……そう、今回の異変の当事者の一人は寺子屋の教師、慧音先生。そして、もう一人はこの異変を引き起こした子供たち……その子供たちに異変を起こすきっかけを与えた()()()()の一人――」

 

そうして、まるで呪詛を吐き出すかのように紫が呟きながらスキマから召喚したのは――。

 

「えっ!?」

「お前が!?」

 

その者を目にした瞬間、霊夢と魔理沙は同時に声を上げた。

紫はそんな二人の声を聞きながら、静かに続けて口を開いた――。

 

「今回の異変の元凶――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――妖怪の山に住む、河童代表……河城(かわしろ)にとりちゃんよ」

「――……ひゅいっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慧音同様、突然スキマによって連れて来られた河童の少女――河城にとりは状況について行けず眼を白黒とさせながら辺りを見回す。

そして、そんなにとりの姿を笑みを浮かべたまま見つめる紫であったが、その双眸には絶対零度の如き冷たい殺意が宿っていた――。




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其ノ七

前回のあらすじ。

霊夢と魔理沙によって拘束される四ツ谷。
と、そこへ駆けつけてきた紫によってスキマから慧音と妖怪の山の河城にとりが召喚される。


時は、()()()()が夜に四ツ谷会館を訪れた日まで遡る――。

 

「――!……こりゃまた、ぞろぞろとまぁ……」

 

半ば呆れ気味にそう呟く四ツ谷の目の前には、慧音を始めとした多くの人里の住人達が立っていたのだ――。

夜分に何十人もの人間たちが一同に押しかけてきたため、四ツ谷は面食らう。

それを申し訳なさそうに見ながら、慧音が四ツ谷に声をかけた。

 

「四ツ谷、すまないな。夜にこれだけたくさん押しかけてくる事になってしまって……」

「……いや、まぁ、ただ事じゃねぇって事が嫌でも分かった。とにかくこれだけの数でここで立ち話もなんだ。茶ぐらいだすぞ?」

 

そう言って四ツ谷は会館に入るようにその場にいる全員に促して見せた。

ゾロゾロと団体で会館に入っていく慧音と人間たち。

広間には既に他の戸締りを終えて集まっていた小傘たち会館住人が集まっており、四ツ谷を先頭に慧音や人間たちが大勢でやって来たのを見るや否や、先程の四ツ谷同様に驚きに眼を丸くしていた。

ふと、四ツ谷は小傘たちの中に金小僧と折り畳み入道の姿がいない事に気づく。

後から知る話だが、どうやらいち早く小傘が多くの人間たちが来たのを察して、異形の姿を持つ彼らを職員室へと引っ込めたようであった。

そうして、あっという間に半分ほどが人里と会館住人で埋め尽くされる広間。

 

「……で?一体全体、何なんだ?こんな大所帯で夜分に押しかけてきて」

 

金小僧と折り畳み入道の事はさて置いて、小傘や薊にお茶を用意するよう指示を出した四ツ谷は、やや迷惑そうな顔で住人達の先頭に立つ慧音にそう問いただした。

しかし、それに慧音はすぐには答えず、何度か口篭る仕草を取る。

普段ハキハキとした口調で答える慧音にしては珍しい。

首をかしげる四ツ谷だったが、次の瞬間、眉間を寄せて顔をしかめる光景を目にする。

 

困り顔で何をどう言おうか迷っているらしい慧音の顔――その少し離れた視界のすみに『何か』がチラリと蠢いたのだ。

 

衝動的に四ツ谷の視線が慧音から外れて()()を追う――。

そして……四ツ谷はそれを――一瞬の内に薄暗い広間の闇に溶けるように消えていく()()()を目にしてしまった。

 

「……!」

 

それを見て、四ツ谷は一瞬眼を大きく見開き、そして直ぐに眼を細めると、未だ困り顔の慧音に提案するように口を開く。

 

「……慧音先生。ここじゃ人が多くて言いたい事も言いにくいかもしれない。一先ず慧音先生だけ職員室に来てくれ。そこで落ち着いて話を聞く」

「あ、ああ……。分かった……」

 

突然の四ツ谷のその提案に、慧音は一瞬戸惑うも、直ぐに了承する。

四ツ谷はその場に残っている梳とイトハに人間たちの相手を任せると、慧音を連れて職員室へと向かった。

職員室に着くと、丁度、小傘と薊が客人たちに出すお茶の用意をしている所であった。

そばに金小僧と折り畳み入道もおり、二人の手伝いをしている。

四ツ谷は休憩スペースに置かれた椅子の一つに慧音を座らせると、薊に出来たばかりのお茶を一つ出させる。

やがて、人間たちに出すお茶の準備が出来た小傘たちは、足早に職員室を出て行き、その場には四ツ谷、慧音、金小僧、折り畳み入道の四人だけとなった。

薊から出されたお茶を一口飲んだ慧音は、フゥと落ち着いた吐息を一つ吐くと、ようやく話すことが頭の中でまとまり、それを言おうと四ツ谷に向けて口を開こうとするも――それよりも先に四ツ谷が()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……オイ、見てんだろ?いい加減出て来い」

 

驚く慧音を他所に、四ツ谷が睨みつける空間に大きな切れ目が走り、その切れ目が大きく広がるとその奥から無数の目玉が四ツ谷たちをギョロギョロと見つめていた。

しかし、初見の時と比べ、今ではそのスキマの事をよく知っている四ツ谷たちはもはや驚きもしなかった。

 

一拍の間の後、そのスキマから()()()()()が姿を現した――。

 

「……すごいですわね四ツ谷さん。()()()()、スキマを出しただけで私が関与していると気づくなんて」

「……ただの物見遊山(ものみゆさん)かとも思ったがな。だが、この様子だとどうやら関係者と見て良さそうだな。しかも、お前自身が動いてるとなると、事態は結構ヤバ目か?」

 

三人の女性の内の一人――八雲紫の言葉に、四ツ谷はそう問いかける。

すると、紫は真剣な顔で頷き返した。

 

「……ええ。事は一刻を争いますわ。それも、今までとは全く毛色の違う異変ですから霊夢にも異変解決を頼めない状況なのですよ」

「……その異変ってのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

そう言う四ツ谷の視線は紫の足元に向く。

そこには、何故かボロボロになって眼を回している河童の少女――河城にとりの姿があったのだ。

 

「きゅ~……」

 

紫に引きずられ、力なくそう声を漏らすにとりを見て、慧音は声を上げる。

 

「紫、やはり()()を子供たちに渡したのは……!」

「ええ、そうです慧音先生。このバカッパたちの仕業でした」

 

普段の飄々とした口調とは打って変わって、吐き捨てるような辛辣な言葉を投げる紫と顔を大きくしかめる慧音。そんな苛立ったような二人に怪訝な顔で四ツ谷が問いかける。

 

「……話が見えねぇな。一体何があったんだ?って言うか、何で会館(ここ)に来た?」

「実は慧音先生に、アナタの所に相談に行くように勧めたのは私ですの」

「……ああ、やっぱりか。薄々そうじゃないかと思ってたんだよ。お前の事と言い、あまりに慧音先生の歯切れが悪かった事と言い……大方、この賢者に言われてここに来た事を言うのをためらってたんだろ慧音先生?俺が嫌な顔をするのが分かっていたから」

 

言葉の後半で四ツ谷が慧音にそう問いかけられ、慧音は図星をつかれておずおずと頷いてみせた。

 

「……なーんか、棘のある言い方ですわね」

「そりゃお前が直接動くような特大の山をこっちに押し付けられそうになってんだ。嫌な顔の一つもすんだろ?」

 

年甲斐も無く子供のように頬を膨らませる紫に、四ツ谷はジト目で睨みながらそう返した。

短い沈黙後、紫は小さくため息をつくと真剣な目で四ツ谷を見つめる。

 

「四ツ谷さん。今回の異変、霊夢に頼る事が出来ない以上、()()()()()()()()()()()()()()

「俺の?」

「ええ……。と言っても分からないでしょうから一から話し始めますね?藍、()()()を用意して」

「かしこまりました」

 

紫に促されて三人の女性の最期の一人だった八雲藍が紫に一礼すると、そそくさと一度、開かれたスキマの中へと引っ込んでいった。

それを確認した紫は今一度、四ツ谷に向き直ると一つの要求を出す。

 

「……それと四ツ谷さん。大変申し訳ないのですが、情報を全員に共有させる事もかねて、広間にいる会館関係者の皆さんも呼んで来てもらえませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然、職員室に来るように言われ、人間たちにお茶を配っていた小傘たちは、困惑しながらも部屋に戻って来る。

それとほぼ同時に、藍も()()()を大きな台車に乗せてスキマから戻って来た。

それを見た四ツ谷と小傘たちと共にやって来たばかりの梳は同時に眼を見開く。

 

「こいつは……!」

「テレビ……?」

 

藍が持って来た物――それは二台の大型ブラウン管テレビであった。

しかもその二台のテレビには、それぞれに二本のコードが伸びており、それらも別の機械へと繋がれていたのだ。

 

「ブラウン管とは……こりゃまた懐かしいモンが出てきたなぁ。しかも一緒になって繋がってるのは、小型の発電機と……オイオイ、こりゃあフ○ミコンじゃねぇか……!」

 

四ツ谷が眼を丸くする視線の先には、『フ○ミリーコンピ○ータ』。通称、『フ○ミコン』と呼ばれるゲームの筐体(きょうたい)が鎮座していた。

それは1980年代にて、ゲーム会社『任○堂』により発売された『えんじ』と『白』を基調の色としたゲーム機であった。

しかし、今、四ツ谷たちが見ているそのゲーム機の筐体には、見知らぬ別の機械の塊が、その筐体を中心にいくつもあちらこちらにくっ付けられていた。

その異様な姿の筐体に四ツ谷は眉根を寄せると、そばに立つ紫に問いかけた。

 

「……どう言う事だ?なんだってこんなモンが幻想郷にあるんだ?」

 

頭に疑問符を浮かべる四ツ谷に紫があっさりと答えた。

 

「それは四ツ谷さんもよく知る『再思の道』にあった物なのです。あそこは結界が綻んでいる為、外の世界の道具が良く流れて来るんですよ。……ゲーム機だけではありません。ブラウン管テレビも発電機も……元は全て『再思の道』に落ちていた物で、それをこの河童たちが拾って独自に『改造』したのです」

「どおりで見たこと無いモンがあちこちにくっ付いてると思ったら……これは河童が作ったモンだったのか」

「へぇ~。実物を見るのは初めてです」

 

と、そこへ梳も会話に入ってきた。

梳は物珍しそうにテレビに接続されたフ○ミコンのゲーム機へと歩み寄り、それを眺め始める。

なにせフ○ミコンは彼女が生まれるよりもだいぶ前に発売されたゲーム機だった為、人伝や雑誌などで見た事はあれど、彼女自身が本物を見たのはこれが初めてだったのである。

そんな梳を横目に見た四ツ谷は、視線を紫へと戻すと再び彼女に問いかけた。

 

「――で?その河童が改造したこれらのモンが一体なんだって言うんだ?」

「……これら一式を、河童たちは無償で人里の子供たちに譲渡したのです」

「……なんだって?」

 

紫のその言葉に四ツ谷は眉根を寄せてゲーム機を、そして今度は眼を回して倒れているにとりを見つめると、再び紫へと視線を戻した。

 

「……別に悪い事じゃ無いんじゃねぇか?ガキ共に新しい遊びが増えたってだけで、大事にする事じゃねぇだろ?」

「……まだ、事の重大さが分かってないみたいですわね」

 

怪訝な顔でそう言う四ツ谷に紫は頭を抱えて深くため息をつくと、続けざまに四ツ谷に『ある事』を勧める。

 

「四ツ谷さん。試しに一度、このゲーム機でゲームをプレイして見てくれませんか?」

「あン?何でだ?」

「そうすれば、私の言っている事の意味が理解できると思いますので。……なんでしたら、同じく元、外界出身者である梳さんもプレイしてもらってもよろしいかしら?」

「え?私も、ですか?」

 

首をかしげながら自分を指差す梳に、紫は頷いてみせる。

 

「ええ。貴女と四ツ谷さん、二人は元は外の世界の住人でしたから、このゲームをプレイすれば、おのずと()()()()()()が理解できると思います」

「……ああ、なるほど。元々、これらを二台用意したのは、始めっから俺と梳にこのゲームをさせるつもりだった訳だな?」

「そのとおりですわ」

 

詫びれも無く涼しい顔でそう言う紫に、四ツ谷は良い様に転がされている様でなんだか釈然としなかったが、どの道ゲームをしなければ話が見えて来ないだろうと思い、それを言葉にせず、グッと喉の奥へと押しやると、ため息を一つついて渋々と言った感じで、二台の内の片方――テレビとゲーム機の前にドカリと座り、筐体から伸びるコントローラーを手に取った。

後に続くように、梳もおずおずともう片方のゲーム機の前へと座り、同じくコントローラーを持つ。

二人がゲーム機の前に座ったのを見計らって、紫はスキマを小さく展開させると、そこからフ○ミコン専用のゲームソフトを二つ取り出して見せた。

 

「……それでは、ゲームをプレイするにあたり、四ツ谷さんにはあの某有名キャラクターのシリーズ作品の一つ、『スーパーマ○オブ○ザーズ』を。梳さんには、そうですわね……堀○ミステリーの第一作、『ポ○トピア連続殺人事件』でも試しにプレイしてもらいましょうか」

 

そう言うやいなや、紫はさっさと二つのゲームソフトをそれぞれのフ○ミコンの筐体にガチャリガチャリと差し込むと、次に二つの筐体の電源を起動させた。

筐体から機動音が聞こえ始め、それと同時に紫はブラウン管テレビの電顕もそれぞれ起動させる。

真っ暗だった二つのテレビに光が灯り、画面が大きく変化した――。その次の瞬間――。

 

 

「「…………は?」」

 

 

四ツ谷と梳は、同時に目が点となり、間の抜けた声を漏らしていた。

今、四ツ谷がプレイしているゲームは、本来ならドット絵のグラフィックで横スクロール型のアクションゲームのはずであった。

しかし、今、四ツ谷が見るテレビ画面には――。

 

 

 

 

 

――果てしなく広がるオープンワールドが映し出されていた。

 

 

 

 

草木はとんでもない高グラフィックで作り出されており、葉の一枚一枚がまるで本物のように風で揺らぐ。

空は果てしなく青く澄み切り、白いいくつもの雲も風で優雅に流れていた。

空中にはいくつものコインやブロックが浮かんでおり、その中には『?』と書かれたブロックも混ざっていた。

そして、そのフィールドの中央を立てに裂くようにして一本の小道が画面奥へとのびており、その小道の上には四ツ谷や梳がよく知っている某有名キャラクターがこちらに背中を向けて佇んでいる姿があったのだった。

 

「…………」

 

口を半開きにしてポカンとそのキャラクターを見つめる四ツ谷。

それもそのはず、後姿を見せるその操作キャラクターはどう見てもフ○ミコンのキャラクターらしいドットの姿を全くしていなかったのだ。

いや、ドットどころかポリゴンみたいなカクカクした姿でもない。もっとその上位。綺麗な丸みを帯びたボディラインに着ている服の生地すら細かい部分が表現されているそれは、さながら近年発売された『ギ○ラクシー』や『オ○ュッセイ』にも引けを取らない完成度だったのである。

操作キャラだけではない。周りでうろついている敵キャラクターもまた叱りであった。

呆然としたまま、四ツ谷は自分の横で同じくゲームをプレイしている梳を見ようと視線を動かす。

しかしその途中、梳がプレイしているゲーム画面が視界に入り、『それ』を見た四ツ谷は反射的に視界を止めて画面を凝視してしまった。

 

「……き、綺麗なヤ○……だと……?」

 

愕然とそう響く四ツ谷が見つめるその画面には、どこぞの乙女ゲーの攻略キャラかと言わんばかりのイケメン刑事がそこに映っていたのである。

ゲーム自体はメッセージウィンドウとテキスト、コマンド選択という基本システムはそのままになっていたが、出て来る立ち絵のキャラクターたちがどこのプロのイラストレーターに頼んだんだと言いたくなるような高グラフィックに置き換わっていたのである。

いや、キャラクターだけではない。後ろに映る背景もまるで写真からそのまま移したかのような美しい風景がそこに広がっていたのだ。

場所は京都らしく、二枚目刑事の肩越しに五重塔と大文字山が見える。

 

「……え?え?え?」

 

梳は自分の見ているモノが信じられないのか、しきりに視線が画面と手元のゲーム機の間を行ったり来たりしていた。

しばしの沈黙後、四ツ谷と梳は同時にそばに立つ紫へと顔を向け、そして同時に口を開いていた――。

 

「何だコリャ?」

「何ですかコレ?」

「……河童の技術ですよ。ゲームソフトに組み込まれたデータを改造された筐体が読み取り、分析し、それを現代の外界でも通じるような高グラフィックやシステムに変換、一新させ、テレビに映し出しているって仕組みです」

 

そううんざりと、そしてどこか疲れたような顔で紫が二人にそう答える。

そして、付け加えるようにして続けて口を開いた。

 

「……もっとも、ソフトは人里の子供たちでも分かりやすそうな時代設定やプレイシステムの物しか渡してなかったみたいですけどね」

「マジでか……。だが、操作面とか子供らに分かるモンなのか?この時代のゲームには操作説明(チュートリアル)システムは無いはずだから――」

「――藍の調べでは、説明書代わりのメモ書きを子供たちに渡していたみたいですわ。それでも理解できていない子には、短時間ではあれど、実際にプレイさせてやり方を教えていったと聞いています。――そうよね、にとりさん?」

 

四ツ谷の質問に、紫はそう答えると最後にギロリと未だ倒れたまま微動だにしないにとりに向けて声をかけた。

その途端、にとりの身体はビクリと反応し、やがておずおずと上半身が起きていったのである。

ゆっくりと上半身を起こしたにとりは気まずそうに紫たちに視線を送ると頭をカシカシとかいて、先程の紫の質問におずおずと答えた。

 

「……そ、そうだよ。子供は飲み込みが早いからね。少し教え込んだら直ぐにのめり込んで行っちゃったよ。たはは……」

「ちょっと前に眼を覚まして狸寝入りを決め込んでただけあって良い度胸ですわね。なんでしたら今度は永眠させて上げましょうか?」

 

冷ややかに見下ろしてくる紫の視線に、にとりは涙眼になりながらブンブンと首を手を激しく振った。

 

「か、勘弁してよ!私たちだってまさかこんな事になるなんて夢にも思わなかったんだよ!!」

「それで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!!」

「……何っ!?」

「えっ!??」

 

反射的に部屋に響き渡る紫の怒声に、四ツ谷と小傘が同時に声を漏らす。

他の未だ事態が飲み込めていない周囲の者たちも一斉に眼を丸くした。

四ツ谷が慌てて紫に問い詰める。

 

「オイオイ、どう言う事だよ?幻想郷崩壊って!?冗談にしてもきついぞ?それ程までにやばい状況なのか!?」

「はぁ……はぁ……。ええ、そうです。せめて子供たちに渡したのが()()()()()()()()()、ドット時代そのままのゲーム機であったのなら、まだ()()()()()()解決できた話だったのでしょうけれど……。全く貴女たちは余計な事を……!」

 

荒げた呼吸を整えるも、また直ぐに怒りがぶり返したのか、ギリリッと歯を鳴らしてにとりを睨みつける紫。

にとりはその視線を一身に受けて頭を抱える。

 

「うぅぅ……。わ、私たちはただ……子供たちに外の世界の遊具の面白さを知ってもらいたかっただけで……。悪意なんかこれっぽっちも無い、良かれと思ってしただけだったんだよぉ……!」

 

 

 

 

「それで渡した子供たち全員を『ゲーム廃人』にしたんじゃ世話無いでしょうにッ!!!!」

 

 

 

「何ィィィッ!??」

「えええッ!??」

 

先ほどよりもさらに大きい、絶叫にも似た紫のその怒声に、四ツ谷はおろか、同じ外の世界出身である梳も飛び上がらんばかりに驚いた。

だが、『ゲーム廃人』という単語に聞き慣れていない四ツ谷と梳以外の幻想郷の者たちは、全員今度は首をかしげていた。

そんな周囲の様子に気付いていないのか、四ツ谷はまたもや慌てて紫に声をかける。

 

「ちょ、ちょっと待て!!全員がゲーム廃人になっただぁ!?え、嘘だろ!??」

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……。いいえ、四ツ谷さん。残念ながら事実ですわ。もう既にこの人里に住んでいる子供たちの大半はこの河童たちの渡したゲーム機によって皆『ゲーム廃人』にされてしまっていますの。……それこそ、この短期間に『好奇心』や『熱中』のレベルをすっ飛ばしてね……!!」

「し、信じられねぇ……!」

 

紫のその言葉に、さすがの四ツ谷も理解が追いつかず、呆然とその場に立ち尽くす。

そんな四ツ谷の前で叫んだ拍子に乱れてしまった髪をかき上げながら、皮肉げな目線を彼に投げかけて紫は響くように口を開く。

 

「……別に不思議な事では無いでしょう?遊具の概念が明治時代で止まっている子供たちにとってゲーム機なんて物は中毒性のある薬物に等しいモノでしょうに……。しかもそれが、現代の最先端を行くレベルの高グラフィックのキャラクターや世界観に置き換えられていたのならなおさら……ね?」

「……好奇心の権化であるガキ共にとっては目に毒レベルの話じゃなかったって訳か?……そもそも何でそんな『改造』を施そうなんて考えたんだ?」

 

そう言って呆れた目で四ツ谷はにとりへと視線を向ける。問われたにとりはビクッとなりながらも両手の人差し指の指先をちょんちょんとつつき合わせながら気まずそうに答える。

 

「え?いや……その……『どっと』っていう画面だと何だか味気ないなぁ~って思って、河童仲間の皆と相談して同じく『再思の道』で手に入れた近年の『げーむ雑誌』に載っている内容や写真を参考にして、画像をもうちょっと進化させようって事になって……。そ、その方が子供たちも喜ぶかなぁ~って……あ、あはは……」

「……うん、ガキ共の為とか言って、実際はいの一番にてめーらの発明我欲丸出しにしてるじゃねぇか。と言うか、もうお前らの言う『ガキ共への慈善活動』が『ガキ共をモルモットにした魔改造ゲーム機のテストプレイ』にしか聞こえねぇ」

「ひゅ~……」

 

呆れと侮蔑と冷ややかさを混ぜた四ツ谷のその言葉ににとりは正座の姿勢をとってしゅんと落ち込んでしまった。

それを見た紫は深いため息混じりに子供たちが廃人化した『その後』をぽつりぽつりと話し始めた。

 

「……私たちが河童たちが広めたゲーム機の存在と危険性に気づいた時には、もう遅かったわ。ゲームの影響を受けた子供たちは瞬く間にそれにのめり込み、部屋からロクに出る事が無くなってしまったの。それこそ食事や厠に行く事以外は全く。睡眠もほとんど取る事がなくなったわ。私たちは慌ててゲーム機を子供たちから回収しようと動き出したのだけれど……それもまた、手遅れだったの……」

「……どう言う事だそりゃ?」

「……回収する前に、それが()()()()()()()()()()()()()が人里で起こってしまったのよ」

 

四ツ谷の問いに紫がそう答え、それに小傘が反応する。

 

「……もしかして、今日私と魔理沙さんが見たあの刃傷沙汰の事を言ってるんですか?」

「刃傷沙汰?そう言やぁ俺も今日そんな事があったって聞いたような……」

 

小傘の言葉に四ツ谷がそうポツリと呟く。

『謎の女』や『子供たちの減少』程ではないにせよ、四ツ谷もその刃傷沙汰の一件は小耳に挟んでいたのだ。

同じく小傘の言葉を聞いた紫は大きく頷いてみせる。

 

「……あれはね。ゲーム機を無理矢理自身の息子から取り上げようとした母親が、それに発狂した息子に台所にあった包丁で追いかけ回されて殺されそうになった事件なのよ」

「えっ!?」

 

驚きを見せる小傘に構わず続けて紫は言葉を紡ぐ。

 

「……幸い、外へ飛び出した所を通行人に発見されて母親は事無きを得たんだけれど、息子の方は発狂したまま拘束されて永遠亭行きに……」

 

それを聞いた四ツ谷たちの間に重たい沈黙が流れる。

そして、自然とその場にいる全員がにとりの方へと眼を向けていた。

その視線を一身に受けたにとりは、ガタガタと震えながらも何とか弁明をし始める。

 

「わ、私たちも、直ぐにやばい状況になってきたのに気づいて子供たちから回収しようとしたんだよ!?で、でも子供たち皆、最初渡した時と違ってまるで別人じゃないかって思えるくらいにガラリと様子が変わって……!まるで親の仇を見るかのような目つきで私たちに襲い掛かってきて、もうどうしようもなくて……!」

「……くだらない言い訳は止めてしばらく黙っていただけませんか?ただでさえ今回の事で貴女たちに殺意が湧いているというのに……!」

 

頭を抱えながらもにとりをギロリと睨みつける紫。その人外の怒りに満ちた視線ににとりは二の句が告げなくなる。

はたから見ていた四ツ谷には、紫が今にもにとりに襲い掛かろうとしているように見え、このままでは話がこじれると思い、話の方向を変えようとそんな紫に声をかける。

 

「……だが、やっぱり分からねぇな。何でガキ共のゲーム廃人化が幻想郷崩壊に繋がるんだ?」

「関係大有りですよ。まだ分かりませんか?このまま子供たちがゲーム廃人のまま部屋に閉じこもりきりだと、不健康な生活が続いて体調を崩し、最悪誰にも気づかれず部屋の中で孤独死してしまうかもしれません。いいえ、例えそうならなかったとしても、子供たちがあのままの状態が続けば、いずれ成長して大人になっても職に就く所か誰かと所帯を持つ事も無くなります。そうなってしまったら人里は少子高齢化に突入し、いずれ人口も減少の一途を辿る事となるでしょう。……そして辿り着く先は、幻想郷からの()()()()()。そうして人間から『畏れ』を貰って生き続けているこの幻想郷の人外たちもまた、人間の消失と共に絶滅の一途を辿る……その先にあるのは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――幻想郷の……破滅です……」

 

 

 

 

 

 

紫のその言葉と共にシンと静まり返る職員室。

だが、そんな紫を前にしても四ツ谷は腕を組み、真剣な顔つきで眉間にシワを寄せ何かを考える。

やがて、四ツ谷は紫に問いかけた。

 

「……体調不良の所は分かるが、その後のくだりがまだ納得できねぇなぁ?……確かにガキ共に限らず人間は好奇心の塊だが、同時に『飽き性』も持つ存在だ。子供(あいつ)らにとってゲームは好奇心をそそる存在だとしてもそれは最初だけだ。グラフィックを改造しようが世界観を改造しようが、()()()()()()()()()()()()()()()()()いずれ飽きが来るもんだろ?……年単位で大人になるまでやり続けるなんざ、到底有り得ねぇと俺は思うがな」

 

四ツ谷のその指摘に、紫は小さくため息をつき、物悲しそうに遠くを見つめる仕草をする。

 

「……そう、ですわね。確かに()()()()()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()()()()……もしかしたら、時間が解決してくれたかもしれませんわね……」

「……オイオイ、まさか河童共、子供一人につき複数のゲームソフトを渡したんじゃないだろうな!?」

 

問い詰めるようにそう言う四ツ谷に、紫は力なく首を振る。

 

「いいえ……。河童たちは子供一人につき一つしかソフトを渡していませんわ……」

「あぁ、なんだ。なら問題ねぇじゃ――」

 

安堵と共にそう言う四ツ谷の言葉を遮るように、紫は今一度首を振ると、ゆっくりと置かれたゲーム機へと視線を落とし四ツ谷に声をかける。

 

「……四ツ谷さん。もう一度、このゲームをプレイしてもらえませんか?今度は()()()()()()()()()()()()()

「何?」

「実は、このフ○ミコンのゲーム機自体に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「!」

 

紫のその言葉に四ツ谷は僅かに眼を見開く。

そしてすぐさま、四ツ谷は今し方まで使っていたゲーム機の電源をオフにすると、刺さっているソフトを引っこ抜くと手早くゲーム機の電源を再起動させた。

すると、直ぐにテレビ画面に変化が現れる――。

 

「……何だコリャ?」

 

そう呟く四ツ谷の視線の先――テレビの画面には、河童のマークがあったのである――。

 

真っ暗な画面の中央に緑色の河童の顔が浮かんでいる。恐らく『何か』のゲームソフトのファイルだろうと四ツ谷はそう考えたが、同時に何故か『嫌な予感』を覚えた。

 

「……師匠?」

「四ツ谷さん……?」

 

背後から小傘と梳が、動きを止めた四ツ谷に不安を覚えて声をかける。

だが、その声が後押しとなったのか、四ツ谷は意を決してコントローラーを操作し、そのゲームソフトファイルを開け放ったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そのゲームの内容を見た瞬間、四ツ谷は眼を大きく見開き、驚愕する。

 

「……?……え、えええええええッ!!??」

 

四ツ谷の背後から覗き込むようにして画面を見ていた梳も、『それ』を見た瞬間、驚きに眼を丸くする。

 

それもそのはず、その画面に表示されたゲームの内容は――。

 

 

 

 

 

「……え、大規模多人数同時参加型オンライン(MMO)RPG、だと……!??」




最新話投稿です。

またもや一万字越えとあいなりましたw
この話で今年の投稿は終了とさせていただきます。
次回は新年を迎えてからということで、この作品をご愛読してもらっている皆々様に感謝を込めて。
体調にもお気をつけて、来年もまた、よろしくお願い申し上げます。

それでは、よいお年を!


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其ノ八

前回のあらすじ。

四ツ谷と梳、紫の勧めでゲームをプレイする事となる。
それを通じて幻想郷の危機を知る。


画面の向こう――。

果てしなく広がる広大なデータの世界――。

されど、()()()()()()()()()()その景色を覆い隠すかのように、一匹の妖精が画面いっぱいに現れ、画面の外にいる者に向けて声をかけてきた――。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

――やっほー!始めましてー♪

 

――この『げーむ』の案内役を勤めさせてもらう、妖精の『ナビ』だよ!よろしくね☆

 

――どう?驚いた?いきなりこんな可愛い子が登場して動揺しちゃった?興奮しちゃった?あははっ☆

 

――じゃあさっそくこの『げーむ』の内容を説明するね!

 

――この『げーむ』の題名(タイトル)は『幻想郷共盟譚(げんそうきょうきょうめいたん)』。そう!君たちが住んでいるこの幻想郷を舞台にした自由度の高い現実的箱庭(リアル・オープンワールド)げーむなんだよ!

 

――滅多に見ることの出来ない人里の外、本物そっくりに作られた幻想郷のありとあらゆる場所を自由に探索、行動する事が出来、遭遇した妖怪などの戦闘(バトル)も楽しむ事が出来るんだ!

 

――この『げーむ』を遊ぶにあたって、君たちにはまず、君たちの分身となる『あばたー』を作成してもらう事になるよ?作られた『あばたー』は、君たちが操作する事で、『げーむ』内の幻想郷を自由に冒険する事が出来るようになるんだ!

 

――性別を始め、顔立ち、髪の色、身長、体型など自由自在に設定することが出来、そうして完成した分身(あばたー)に、職業(ジョブ)をつける事で、その職業に似合った能力を手にする事が出来るんだ!

 

――職業は『剣士』や『退魔師』などの戦闘に特化したものから、『料理人』や『鍛冶師』など生活圏に特化したものまで様々!

 

――しかも『転職』も可能で、『げーむ』内にある『博麗神社』に行けば巫女の力でいつでも変えることができるよ♪

 

――『げーむ』内の『住人(NPC)』から『依頼(クエスト)』を受けて、薬草の採取や妖怪の討伐なども行えるよ!その種類、およそ数百種!

 

――時間が流れる事で、『朝』、『昼』、『夜』と世界の風景が変化し、それと同時にそこで暮らす『住人たち(NPC)』もその時その時の行動が変化してゆく。

 

――敵として戦う事になる妖怪は多種多様。その妖怪達に勝利すれば、経験値を手に入れる事が出来、それを元手に自分たちの『あばたー』の『身体能力(ステータス)』を自由に成長させる事が出来るんだ!

 

――その上、経験値だけじゃなく『道具(アイテム)』や『資材』、『お金』なんかも同様に手に入り、それを使って武器の作成や改造。土地を買ってそこに新たな施設や自分だけの拠点となる『家』を作る事も可能!

 

――料理やお風呂、布団で睡眠など、自分だけの空間を作り、そこで現実と変わらない生活が送る事が出来るんだ!

 

――すごいでしょ?面白そうでしょ?

 

――しかも、この『げーむ』の一番すごい特徴は、『複数プレイヤーの同時共有』。つまり、君とは別の『ぷれいやー』たちと共に一つの世界観を共有し、一緒に遊ぶ事ができるってところなんだ!

 

――今、君が使っているフ〇ミコン。実は君が持ってるのとは別の、人里にある他の子供たちが持っているフ〇ミコンと見えない糸のようなものでつながっているんだ。これを『らいん』って言うんだけどね。まぁ、簡単に言えばその『らいん』のおかげで君たちは一つの世界を一緒に遊ぶ事が出来るんだよ。

 

――今自分が遊んでいる『げーむ』とは他の、別の『ぷれいやー』が一緒の世界で一緒に遊んでいる。想像するだけでワクワクしてこない?

 

――その子たちと一緒に一党(パーティ)を組んで一緒に冒険するも良し、お互いの情報交換や近況報告をして談笑するも良し、自由に好きなように遊んで良いんだ!

 

――さぁ!説明はこれくらいにしてまずは『げーむ』を始めて行こう!

 

――まだ知らない幻想郷の未踏の地を仲間と一緒に冒険し、開拓し、思う存分駆け巡っていこう!!

 

――ようこそ!もう一つの幻想郷へ!!私たちは君たちを心より歓迎し、全てを受け入れます!!

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

――…………。

 

画面越しに、ナビのゲーム紹介がひと段落して、それに影響してか四ツ谷会館の住人の大半が興味の目を向けていた。

人では無い者も多く混ざるものの、そこは初めて見る外の世界の遊具。そして、娯楽の少ない幻想郷であるが故にナビの説明とその時流れたゲームプレイの紹介画像によって、小傘たちの好奇心を否応なく刺激させたのである。

それ程までに先のナビによるゲーム紹介は彼女たちを引き込ませていたのだ。

 

「「…………」」

 

――ただ二人だけ、冷めた目でその紹介を見つめていた者がいた。

元、外の世界の出身者である四ツ谷と、同じく外の人間である梳であった。

二人はそのゲーム紹介を見て、周囲の反応同様に内心多少の興味を示していたのだが、その反面、このゲームが孕む()()()にもいち早く気づいていたのだ。

何せこういったゲームで社会に起こす影響は、未だに外の世界でも大きな問題として取り沙汰されているからだ。

ゲームのやりすぎで依存症となり、引きこもりとなって部屋から出る事はおろか家族との接触もロクにする事がなくなってしまう者たち。それが引き金となり事件へと発展するケースも多々あった。

特にこういったMMOなどのオンラインゲームがプレイヤーを『廃人化』に招く最たる例と言っても過言ではない。

ゲーム廃人化になる危険性。そしてそれらが引き起こす事件の数々を、テレビのニュースや新聞などで天寿を全うした四ツ谷はおろか、まだ十代の梳も見て知ってきたが故、今回の人里で蔓延しているこの異常事態は、到底笑える話ではなかったのである。

冷めた目つきのまま、四ツ谷と梳は居心地悪そうにもじもじとしているにとりへと目を向ける。

 

「……質問していいか?」

「え、えーと……。ど、どうぞ……」

 

珍しく平坦な声で問いかける四ツ谷に、にとりはおずおずと了承する。

了承を受けた四ツ谷はさっそく質問を始める。

 

「……コレ、いつから作り出した?」

「えーと……。こ、今月に入ってから、かな……?先も言った『げーむ雑誌』を読んで再現してみたんだ」

「……ごく最近じゃないですか。ワァー、スゴイデスネー、カッパノギジュツッテ……」

 

にとりの返答に、そばで聞いていた梳は全く感情の篭っていない声を響かせる。

幻想郷では河童は凄腕のエンジニアだと言う事は二人はちゃんと知っていたが、それにしてはいささかオーバーテクノロジーすぎやしないだろうか?としみじみ思う。

やはり、幻想郷であるが故に、ここではこんな型破りでも普通なのだろうか。

頭痛がしてくる頭を押さえて、四ツ谷は何とか顔を上げると何とか前向き思考で口を開いて見せる。

 

「……だ、だが、だがまだ大丈夫だ……。MMOとは言え()()()()()()()()、『ダウンロードコンテンツ』みたいな追加要素が無ければ、たぶん数年もしない内に飽きが来るはず――」

 

そう響く四ツ谷だったが、目の前に立つ紫とにとりの様子を見て、すぐさまそれが無い事を悟ってしまう。

紫は親の仇を見るかのような恨みがましい目でにとりを睨み、対するにとりは自分たちからそっぽを向き、ひゅーひゅーと、下手な口笛を吹いていたのだから。

言い知れぬ悪い予感を抱いた四ツ谷は口の端を引きつらせて、にとりにづかづかと歩み寄るとその両肩をがっしりと掴んで無理矢理自身の方へと目を向けさせた。

 

「ひゅいっ!?」

 

驚くにとりに構わず、四ツ谷は引きつった顔をにとりに近づけて凄みを聞かせた眼光で彼女に問いかける。

 

「……オイ、河童……まさか、だよなぁ……?」

「え、えーと、その……。じ、実は()()()()()()()……。作っちゃってたり、して……あ、あはは……」

「……まさか、『運営』がいるってのか?だが、てめーらも異常に気付いたんならそれも即刻解体してるはずだろう?」

 

四ツ谷がそう言うと、にとりはブンブンと首を振った。

 

「『運営』ってのは、最初から存在しないよ。……た、ただ……あのゲームのシステム内に、『追加こんてんつ』っていうのを()()()()()()()される仕掛けがされてて……」

「ど、どういうこったそりゃ?」

「つ、つまり……あのゲーム機の中に予め『追加こんてんつ』を入れておいて、『たいまー機能』で()()()()()()()、ゲーム内にて自動的に『いべんと』の更新や新しい『ふぃーるど』の追加公開とかが出来るようにしたんだよ」

 

にとりのその告白に四ツ谷は「うっそだろ……」とにとりから手を放してふらふらと後退して見せた。

 

「だ、大丈夫ですか師匠!?」

 

その様子を見た小傘は慌てて四ツ谷を支える。四ツ谷も自分の頭を支えながら前に立つにとりを睨みつけながら再び質問を投げかける。

 

「……今、月一に一つずつって言ったな?月に二つとか三つとか、同時更新される事は無いのか?」

「な、無いよ」

「……最後の質問だ……。一体いくつ『追加コンテンツ』をあのゲーム機内に組み込んだ!?」

「えーーーっとぉ~~……。な、何せ私も河童仲間たちも調子に乗ってそれぞれ別々に色々作っちゃってたからねぇ……たぶん――」

 

 

 

 

 

 

 

「――軽く、『千』近く入ってるかと……」

 

 

 

 

 

 

「せっ……!!??」

「えぇぇぇ~~……」

 

にとりのとんでもない発言に四ツ谷は卒倒しかけ、そばで聞いていた梳も放心状態になってそう絶望的な声を漏らす。

そんな二人を前に、頭を掻きながら空笑いを浮かべるにとり。

 

「あ、あは、あはははは……。いやぁ、私らもさぁ、『げーむ雑誌』で『も〇はん』やら『え〇えふ』なんてモンを見ちゃってから『外の人間たちの技術には負けられない!』っていう闘争心が芽生えちゃってねぇ~。つい、行ける所まで行っちゃえ~ってな感じで――ぐひぇっ!??」

 

「くびり殺してやりましょうか、この駄河童(だがっぱ)ぁぁぁッ!!!!」

 

まるで地獄の奥底から響いて来るような怨嗟の声を上げてにとりの胸ぐらを掴み、吊るし上げる紫。

顔が鬼の形相となり、僅かながら口元から瘴気のようなモノまでにじみ出ていた。

 

「ぐひゅ、ぐぼぼぼぼぼぼぼゴボゴボゴボゴボゴボォ~~~~ッ!!!」

 

かく言うにとりも、紫に吊るし上げられた拍子に気管が締まり、瞬く間に顔面蒼白となる。

双眸は白眼を向き、口からは泡までも吐き出てくる。

 

「お、落ち着いてください紫様!!」

 

あまりの主の剣幕に、そばで成り行きを見守っているだけだった藍も慌てて紫を宥めすかす。

 

「……あー、ダメだわコレ、幻想郷終わったかもしんねぇ……」

「ど、どう言う事ですか師匠?」

 

頭を抱えて天井を仰ぎ見る四ツ谷に、小傘がそう問いかける。

四ツ谷はそれに疲れたように答えた。

 

「……いいか?およそ『千』もある『ダウンロードコンテンツ』を月に一回で一つずつ更新していくとすると、一年は月に直すと12ヵ月――つまりは、1000÷12=83.3333…。およそ、83年以上もの月日をかけなければ、ゲーム内のそれらをすべてやり尽くす事ができないって訳だ」

「は、83年!?子供たちはそれまでずっとこの『げーむ』をやり続けるって言う事なんですか!?……い、いやでも、まさか、そんな……!」

「……そう、普通ならあり得ない。どんなに面白かろうが、ジジババになってまでやり続ける奴なんざいるわけが無い。……だが、幻想郷というこの環境が、()()()()()()()今まさに可能にしようとしちまっている。明治時代辺りで文化がストップし、娯楽の少ないこの世界。同じく娯楽の概念がその時代レベルでストップしちまっているガキ共にとって未知の玩具である『テレビゲーム』はまさに『目の毒』を遥かに超える刺激物だ。……それは今日あったっつー刃傷沙汰が大きく証明しちまっている」

 

四ツ谷のその言葉に、小傘は今日見た民家前での光景が脳内にフラッシュバックする。

直接見たわけでは無い。しかし、その時聞いた周囲の人間たちの切羽詰まった叫び声や怒声が、その場に起こっていた異常性を如実に表していた。

それ程までに、その家の子供の症状が笑い事では済まされないくらいにとんでもない状態だったのだろう。

 

「……そして、その刃傷沙汰を起こしたガキレベルの症状が、同じくゲーム機をもらった人里のガキ共全員に表れている。これの意味する事が何なのか嫌でも分かるよなぁ?」

 

自棄とも投げやりとも言える四ツ谷のその問いかけに、『学』の薄い小傘でもその先の結果が簡単に想像がついてしまい、自身の内から血の気が引く感覚を覚えた。

ようは妖怪などによる『憑き物』と似たようなモノだ。人間に取り付き、内側から心身共に少しずつ蝕んでいき、最後には傀儡(かいらい)の如く意のままに操られてしまう。

それが今回は操る相手が妖怪などではなく、外の世界から流れ込んできた遊具だったという話だ。

子供たちは今まさに、『テレビゲーム』に取り付かれ、意のままに操られている状態だと言えるのだ。

だが妖怪とは違い、ゲームは『ただの物』だ。祈祷をしても払う事ができないし、自我なんてあるはずもないから話し合いで解決なんて出来るわけも無い。

だからって破壊しようものなら今日の刃傷沙汰の二の舞を踏みかねない。

文字通りの八方塞がりである。

そして今、そんな状態の子供たちがこの人里の大半が占めているという。正直、これを聞いただけでも目まいを起こしそうになる話だ。

打つ手がない以上、もはや後手に回るしかない。

子供たちの家族や親族等は、病んだ子供たちの世話をしながら、一刻も早く元の状態に戻ってほしいと祈るばかりである。

何せゲームの呪縛は妖怪などの憑依とは違い、自力で逃れる事が出来る可能性があるという所なのだ。

ただそれも、幻想郷という環境が影響して子供たちの廃人化の悪化の後押しをしているがため、望み薄ではあるのだが。

 

――そして、子供たちが自力でゲームへの依存脱出が出来なかった場合、その最悪のケースの先を小傘は想像する。

 

四季が巡ろうとも、一向に部屋から出てこない子供たち。

やがて幾年月が過ぎ、成人となっても部屋から出てくる者は少なく。何とか脱却できたのもほんの一握り。

しかし、その者たちも長い事部屋から出ていなかったため、肉体面、精神面共に衰退し、就職活動は困難になる可能性が高い。

机仕事(デスクワーク)ならまだ何とかなるかもしれないが、肉体労働となると確実に苦労する事になるだろう。

また、家族ともロクに会話もしなかったため、他者との対話(コミュニケーション)能力も低下し、それが元で対人関係にも支障をきたす事になるかもしれない。

そうなれば、異性との交遊もできなくなり、結婚なんて夢のまた夢となってしまう。

仕事に就くどころか子孫も残す事もできなくなる。そうなってしまえば、先ほど紫が言った幻想郷の未来絵図が笑い話では済まされない事となってきてしまうのだ。

 

「……ただでさえ、外界でも問題視されているほどゲームはインパクトが強烈だってのに、それが外の娯楽を知らない、()()()()()()()()を持った人里のガキ共が知っちまったんだ……どうなってンのか想像するのも怖ぇーよ。もうすでに、ガキ共の精神はゲームによって雁字搦(がんじがら)めに囚われてんだろーぜ。何とか脱却できてもそれは()()()だけ。仕事やら人間関係やらで行き詰まったりしたら、まーたゲームの世界へとんぼ返り、って事もあり得る」

 

頭を抱えながら深くため息をつき四ツ谷がそう呟く。

と、そこへ梳が付け加えるようにして四ツ谷に声をかける。

 

「……それだけじゃないですよ四ツ谷さん。ここ幻想郷はファンタジーの世界です。そして、ゲームの世界もファンタジーなら、架空(あっち)現実(こっち)の区別がつかなくなる子たちが続出してもおかしくありません。……最悪、今日起こった刃傷沙汰と同じような事が立て続けに起こり始めるかもしれませよ?『お兄ちゃんどいて!そいつ殺せない!!』みたいな」

「うん、笑えねぇよソレ……」

 

先ほどよりも深いため息をつく四ツ谷。

すると次の瞬間、紫がにとりからパッと手を放す。

 

「ぐひゅっ!!」

 

床に落とされ、まるで押しつぶされたカエルのような悲鳴を上げるにとりだったが、当の紫は荒い息を整えながら四ツ谷に向き直り、口を開いた。

 

「……そうならないためにも、四ツ谷さん……アナタの力が必要なのですよ」

「……どうやら、ようやく会館(ここ)に来た目的が聞けそうだな?」

 

疲れた雰囲気を一転させ、やや険しい顔つきで四ツ谷は身を乗り出すようにして紫の言葉に耳を傾けた。

それに答えるようにして紫も真剣な表情で口を開く。

 

「四ツ谷さん。今回の異変の対象が人里の子供たちである以上、霊夢に解決を依頼する事ができません。……私は考えた末、一つの方法を見つけたのです――」

 

 

 

 

 

 

 

「――それは、子供たち自らがゲーム機を手放すように()()()()事……」

 

 

 

 

 

 

 

「……手放すように仕向ける?」

 

小首をかしげてオウム返しに聞く四ツ谷に紫は頷いて見せる。

 

「……そう。つまり、ゲーム機対して強い嫌悪感を子供たちに抱かせ、ゲーム機から離れたくなるようにしてしまうのです」

「ちょ、ちょっと待った!」

 

紫のその提案に四ツ谷は慌てて手で制して見せる。そして気を落ち着かせて続けて口を開く。

 

「ガキ共に嫌悪感を抱かせるって……一体どうやってだ?」

「決まってるでしょう。()()()()()()()()()()♪」

 

ニッコリと笑ってそう言う紫に、四ツ谷はようやく彼女たちが会館に来た目的が読めた。

 

「オイオイ、まさかガキ共に『怪談』を語れと?それでガキ共をゲーム機から引き離そうって魂胆なのか?……そりゃあ、できなくもないだろうが、まさか俺に家を一軒一軒回って一人ずつガキ共に『怪談』を聞かせろって言うんじゃないだろうな?人里中の大半のガキ共を一人ずつ……。どんだけ時間がかかると思ってんだ?せめて、ガキ共を一か所に集めてそこで『怪談』を語る方がまだマシ――」

「――いいえ、四ツ谷さん」

 

嫌そうな顔を隠そうともせず、そうまくしたてる四ツ谷の言葉を紫は途中で遮る。

そして、一拍置くと静かに()()を口にした――。

 

 

 

 

「――今回アナタに創って欲しいのは『怪談』ではありません。『怪異』の方です」




新年あけましておめでとうございます。

最新話投稿です。
新しくPCを買い替えたのでそれで執筆しているのですが、まだちょっと不慣れです。
それ故、文章に誤字脱字がある可能性がありますので、見つけましたら気軽に報告をください。

次回で回想編を終わらせ、そのままエピローグにもっていきたいと思っております。


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其ノ九

前回のあらすじ。

人里の子供たちの間でMMOが流行しており、しかも既に廃人化している事実を知り、元外の世界の出身者である四ツ谷と梳は驚愕を露にする。
幻想郷の未来が危うい所に来ている事を話した紫は、四ツ谷にある一計を持ち掛ける。


「……今のは俺の聞き間違いかァ?それってつまり、俺の『最恐の怪談』で『怪異』を創ってくれって言ってるんで良いんだよな?」

「ええ、そのとおりですわ。そして、その怪異を使って人里の子供たちを全員『正気』に戻していくのです」

 

確認するように響く四ツ谷の言葉に、紫は真剣な目でそう答える。

それを聞いたその場にいる全員が目を丸くする。

しかし、それを真正面から聞いた四ツ谷だけが「はぁ……」と深くため息をつくと目をわずかに据わらせた。

その眼には明らかな呆れと侮蔑の色が混じっている。

 

「そいつぁ……少し都合が良すぎる話だな……。てめーらは俺に能力を使わせたくなくて、それを固く禁止させた上、監視までしてんだろうが。それをてめーらの都合だけで勝手に破って俺に能力を使えだと?……ハッ!笑えねぇ冗談だ」

「……ですが、このままでは貴方たちも幻想郷の滅亡に巻き込まれる事になります。全くの他人事でもないのではなくて?」

 

淡々と静かにそう聞く紫に四ツ谷は鼻を鳴らす。

 

「……だから河童共がやらかした不始末の尻ぬぐいを、全部こっちにぶん投げるって言うのか?」

「幻想郷を守るためであれば、使えるモノは何だって使う。どう言われようと、それが私のスタンスですから」

 

目を細めて紫はあっさりとそう言ってのけた。

 

「……妖怪の賢者様はよほど面の皮が厚いみたいだな」

「貴様ッ!!」

 

嫌味たらたらな四ツ谷のその言葉に、そばで聞いていた藍がカッとなって四ツ谷に食って掛かった。

だが、それを紫が手で制する。

 

「お止めなさい、藍」

「ですが、紫様!」

 

声を上げる藍を一瞥すると、紫は真剣な目で四ツ谷を見据える。

 

「……四ツ谷さん。アナタがどう思われようとも、これは()()()()()既に決定事項なのですよ。今ここで手を打たなければ、どの道幻想郷の破滅は必至。……ごちゃごちゃ文句を言い並べている暇があるのなら、さっさと怪談を創ってくださいませんこと?……それとも、幻想郷の破滅に巻き込まれる前に、私がアナタをこの世界から先に消して差し上げましょうか?」

 

紫がそう言った瞬間、四ツ谷は鋭い目で紫を睨みつけ、紫も同じように四ツ谷を睨んだ。

二人の間で見えない火花がバチバチと弾けては散る。

それに触発されてか、二人の背後に控えていた会館住人たちと藍も互いに戦闘態勢をとる。

 

――一触即発。

 

正にそう言える状況の中、唐突に第三者の声がその場に響き渡った。

 

「……ま、待て!待ってくれ!双方とも矛を収めて一先ず落ち着いてくれ!!」

 

今の今まで四ツ谷達の会話を静観していた慧音であった。

慧音は申し訳なさそうな表情で四ツ谷に向き直ると、ゆっくりと頭を下げて口を開いた。

 

「四ツ谷、すまない。私からも、頼む。出来ればお前たちにも協力してほしい」

「…………」

 

頭を下げる慧音をジッと見た四ツ谷は、再び横目で紫へと視線を向けた。

 

「……慧音先生を会館(ここ)へ連れて来たのは、初っ端から俺が依頼を受けないと踏んだお前の差し金だな?俺にこの一件に協力させるための()()()として」

「ええ、その通りですわ。運がいい事に、彼女は今回の一件の解決の相談をするために『保護者会』を開こうとしていた所でしてね。これは丁度いいとばかりに、先生に保護者の大人たちを連れてここに行くように誘ったのですわ。これだけ大勢で押し寄せれば、アナタも無下にはできないと思いましてね」

「こんにゃろう……!」

 

ニッコリと笑いながら、あっさりとそう言ってのける紫に、口の端を引きつらせながら四ツ谷は紫を睨みつけた。

そんな四ツ谷を見てもお構いなしに、紫は淡々と言葉を続ける。

 

「……それに、今回の一件。慧音先生同様、寺子屋で教師をしているアナタにとっては決して他人事ではないでしょう?自身の教え子でもあると同時に、大好きな怪談も語って聞かせていたアナタには、今の子供たちを取り巻いている状況は非常に面白くないのではなくて?」

「……!」

 

紫のその言葉に、黙り込む四ツ谷。事実、それは的を射ていた。

教鞭をとる傍ら、自身の怪談を怖がりながらも楽しげに耳を傾けてくる子供たちとのその一時が、四ツ谷にとってとても充実した時間となっていたのも、また間違いではなかったからである。

 

「…………」

 

短い沈黙後、小さくため息をついた四ツ谷は、今一度、慧音を見据える。

慧音は頭を上げると四ツ谷へと(すが)るような口調で、口を開き始めた。

 

「四ツ谷頼む。この通りだ。子供たちがずっとあのままなんて私には耐えられない……!ついこの間まで元気に楽しそうに外を走り回っていた子供たちが、今じゃ何かにとり憑かれたかのように無表情であの箱にかじりついている……!これから先もあんな状態が続いて、そしてそれを見ている事しかできないなんて……そんなの、あまりにも酷すぎる……!」

 

そう、絞り出すように四ツ谷に訴えかける慧音の顔は、今にも泣きそうなほどに歪み……いや、実際に泣いていた――。

目尻に涙を溜め、嗚咽を押し殺して懇願するように四ツ谷を見つめていた。

今まで何十年もの間、教師として子供たちと接してきた慧音にとって、それ程までに今の状況は残酷極まりないものだったのである。

そして、四ツ谷は慧音のその視線を真摯に受け止めながら口を開く。

 

「……だが、慧音先生?分かっちゃいると思うが、その為にはガキ共(あいつら)には、一度()()()()()()()()()()()()()を味わってもらわなきゃならねぇ……。それでも良いんだな?」

 

真っ直ぐに視線を向けてそう問いかける四ツ谷に、慧音も同じく涙目になりながらも力強く頷いた。

 

「……ああ!それで子供たちの顔に、笑顔が戻るのなら……!」

 

それを見た四ツ谷は、一度俯きながら「はぁ~っ」と一つため息をこぼすと、再び顔を上げて紫へと目を向けた。

 

「……乗ってやるよ、お前の策謀に」

「ありがとうございます」

 

四ツ谷の返答に紫は静かに頭を下げると同時に、四ツ谷に感謝を述べた。

しかし、そんな彼女に四ツ谷は真剣な視線を向けながら続けて口を開く。

 

「だが、勘違いすんな。創るのは幻想郷の為でも、ましてや慧音先生やガキ共の為なんかじゃねぇ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()!それだけは、何一つとして変わりはしねぇよ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて、四ツ谷さん?『怪異』はどういったモノを創るおつもりで?」

 

事が一段落した所で、紫は唐突に四ツ谷にそう尋ねてきた。

内心、紫はこれから四ツ谷がどういった怪異を生み出すのか個人的にも興味を持っていたのである。

そんな紫の問いかけに、四ツ谷は顎に手を当てながら、自分の考えを口にする。

 

「時間をかけてやるのも問題ねぇだろうが、正直それだと面倒くさいし、俺の読書の時間や怪談の語り聞かせ(憩いのひと時)が邪魔されるようで面白くねぇ。だから、今回は早期解決を目標にする」

「……えーと、ツッコミ所がいくつかありますけれど……要するに?」

「さっさと『怪異』創って、それ使ってさっさとガキ共を元に戻す」

 

ジト目で響く紫に、四ツ谷はあっけらかんとした表情でそう返した。

そして続けて口を開く。

 

「んで、肝心の『怪異』の方なんだが……こっちはもうどんなのを創るのか決めてある」

「え?もう決めてるんですか?」

 

小傘がそう尋ね、四ツ谷は頷く。

 

「ああ……。つーか、ぶっちゃけ某ホラー映画の()()()だがな。そこの九尾の式がブラウン管持って来た時にフッと頭をよぎった」

「……え?ホラー映画?」

「ブラウン管?……テレビ……?」

「それって……もしや……?」

 

四ツ谷のその言葉に、元外界住人の梳や、日常的に外界を往復している紫や藍は、それだけで四ツ谷がどんな『怪異』を創ろうとしているのかすぐに気づき、続けざまにそう声を漏らしていた。

それもそのはず、そのホラー映画は超が付くほどに有名であり、少なくとも日本人ならば知らない人は少ないのではないだろうか(まぁ、その反面、外界の事を全く知らない他の者たちは、当然ながら完全に蚊帳の外だったが)。

そんな三人を前に、四ツ谷はそれが正解だと言わんばかりに、ある単語を口にする。

 

「……『呪いのビデオ』」

「マジですか……」

 

不気味な笑みを浮かべる四ツ谷に呆気にとられながら梳がそう響く。

四ツ谷はその表情のまま腰に手を当ててフンと鼻を鳴らした。

 

「……ま。幻想郷(こっち)の奴らでも分かるように色々と設定は変えるがな。『ビデオテープ』やら『一週間』やらの設定はごっそり省き、代わりに『奇妙な箱で夜更かしするまで遊ぶ子の前に現れる』って設定を付け加えようと思う」

「……最後の方、ちょっぴり教育的ですわね……。まぁ、今回はテレビが深く関わってますから、ある意味ぴったりな『怪異』かもしれませんが……。で、()()をお創りになるのは明日から?」

 

四ツ谷のその答えにどこか納得しながらも、紫はさらに問いを投げる。すると四ツ谷はニヤリと笑う――。

 

「いんや、『今』から」

『今ァ!!?』

 

突拍子もない四ツ谷のその発言に、その場にいたほとんどの者の声が重なる。

されど四ツ谷は不気味な笑みを崩さず、その場にいる全員に対して呟く。

 

「言ったろ?さっさと創るって。それに創るための『聞き手』なら、今この会館に腐るほどいんじゃねぇか」

「……!まさか四ツ谷。()()()()()()()()()()()……!?」

 

その言葉の意味にいち早く気づいた慧音がそう声を発し、正解だと言わんばかりに四ツ谷は不気味な笑みのまま片眼を閉じて慧音を軽く指さして見せた。

 

「その通り。広間の住人たちを前に、俺が壇上に上がって『最恐の怪談』を始めんだよ。今回の怪異の怪談……その説明とかも最初のうちにやったりしてな」

 

そして、四ツ谷は今度は紫に視線を向けて軽い口調で口を開く。

 

「そんで、ある程度怪談を語った後の『演出』の方なんだが……それは妖怪賢者。()()()()()()()()

「……はい?」

 

流石の紫も、四ツ谷のこの発言には面食らった。

そんな彼女の驚きにも構わずに四ツ谷は言葉を続ける。

 

「俺が怪談を語っている最中にテレビを用意してもらって、その画面から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()這い出て来るって筋書きだ。()()()()()使()()()テレビ画面から()()()()()()()()()()()()()楽勝でできるだろ?」

 

さも何でもないかのように、そうのたまう四ツ谷に紫は慌てて待ったをかけた。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!つまりこう言う事?私にあの怪異の役をやれと?」

「あン?そう言ってるんだが?」

「なっ!?ふざけるな!何故紫様がそんな事をしなければならない!」

 

当然だと言わんばかりの顔でそう言う四ツ谷に、紫ではなく藍がかみついた。

しかし、そんな藍の怒りも四ツ谷は涼しい顔で受け流す。

 

「他の奴がやろうにも、慧音先生やこの会館の女性陣は人里の奴らに面が割れてるから、その役をやらせたら途中で気づかれる可能性がある。俺もその時壇上で怪談を語ってるから女装してやれって言われても無理だし、金小僧や折り畳み入道は論外だ。だとしたら人里の奴らに顔が知られてなく、かつ女性でその役ができそうで、今この場にいる奴としたら、アンタぐらいしかいないだろ?スキマ賢者」

「えぇ~……」

 

四ツ谷のその説明にも心底嫌そうな顔を浮かべる紫。

だがそんな彼女と四ツ谷の間に藍が割って入り、再び四ツ谷にかみつく。

 

「いや、どうしても必要なら私がやろう!わざわざ紫様がやる事はない!」

「……そのでかい九本の尻尾で、あの狭い画面の大きさに合わせてスキマから這い出るなんて芸当できるのか?」

「舐めるなよ?私は化け狐、耳や尻尾を消すなど朝飯前だ!」

「ほぉ~……」

 

藍の言葉に、四ツ谷は顎に手を当てて目を細めながらそう声を漏らす。

それを見た紫は内心小さくホッとため息をつくと声を上げた。

 

「……納得してくれたみたいだし、それで良いわよね四ツ谷さん?」

「わーったよ」

 

ため息をついて手をぶらぶらと振りながらそう了承する四ツ谷であったが、直後、おもむろに紫と藍に背中を向けると続けざまに言葉を紡いだ。

 

「……ま、誰にだって()()()()()はあるわけだしなぁ」

「……え?」

 

キョトンとそう声を漏らす紫に、四ツ谷は「意外だ」と言わんばかりの表情を顔に張り付けて言う。

 

「え?いや、だってそうだろう?俺は()()()怪異の役をやってくれって言ってんのに、わざわざ自分の式にそれを投げるなんて……こりゃあもう、()()()()()()()()()()()()()って言ってるようなもんじゃん」

 

()()()()()()やれやれと首を振る四ツ谷に紫は叫ぶ。

 

「ちょ!?馬鹿にしないで頂戴!それくらいの演技、私だって練習無しでも一発でできるわよ!!」

「えー?そうかぁ~?『それくらいの演技』って言ってる割にやらないってのは、逆に怪しくなぁ~い?」

「私は賢者よ!この幻想郷の有力者の一人なの!高位の者がわざわざ自分からそんな事やるわけないじゃない!」

 

腰に手を当ててフンと鼻を鳴らす紫を前に、四ツ谷は疑わしそうに目を細めながらさらにぺらぺらとまくし立てる。

 

「お偉い賢者様なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようなもんだと思うがなぁ?……あ、もしかして、若い姿はすれど実は意外と思うように体を動かせないとか?中身はあちこちガタが来てるとか?」

「潰すわよ怪談馬鹿!!」

「おーおー、ムキになる所がますます怪しィ~。こりゃあ噂で聞く中身BBA説もまんざら嘘ではないかも――」

 

「藍ー!選手交代よ!!この腐れニヤけ面男に私のハイスペックさをその目にとくと焼き付けさせてやるぅぅぅッ!!!!」

 

「え、ええぇっ!!?ゆ、紫さ――」

「おお、そうかそうか!やってくれるかぁ!いやぁ、お前ならそう言ってくれると思ってたよ!流石は賢者の肩書を持つ大妖怪様だ!!心から尊敬するぞ、イッヒッヒ!!」

 

顔を真っ赤にして叫ぶ紫に、藍が慌てて声をかけようとした瞬間、満面の笑みで四ツ谷が二人の間に割り込み、上機嫌で紫の両肩をポンポンと軽く叩いた。

そして直ぐに踵を返すと、今まで成り行きを見守っていた会館住人たちに向けて手を叩いてみせる。

 

「さぁて、そうと決まれば早速打合せして直ぐに始めるぞお前ら!」

「……は、はい師匠!」

 

小傘の声と共に、その場にいる全員も同時に頷き、四ツ谷も満足そうに腰に手を当てた。

 

「……最初っから私を怪異の役に仕立て上げる算段だったってわけ?私がアナタを無理矢理この一件に巻き込んだ腹いせに……!」

 

四ツ谷のその様子から、上手い事乗せられたのに気付いた紫は、引きつった笑みを顔に張り付けながら、忌々し気に四ツ谷の背中を睨みつけた。

そんな紫に対して四ツ谷は「ハッ!」と、笑って見せる。

 

「当然だ。こっちに厄介事を丸投げしてお前自身は高みの見物なんて誰がさせてやるかよ。そっちが強引を通して頼んで来たんなら、こっちの頼みも誰かに肩代わりさせずに引き受けるのが筋だろうが」

 

そして四ツ谷は一呼吸置くと、目を細めてニヤリと笑って見せる。

 

「それに……もうこの一件の解決を俺に任すのは()()()()なんだろ?だったら四の五の言ってないできっちり働いてもらわないとなぁ?」

「~~~~~~ッ!」

 

四ツ谷のその言葉に、紫は悔しそうに顔を歪ませ、それを見た四ツ谷は溜飲が下がったのか笑みを深くした。

そんな四ツ谷の背中に梳が声をかける。

 

「四ツ谷さん。怪談をやるにしても一つ問題が……」

「あン?」

 

振り向き視線を向けてくる四ツ谷に、梳はそれを口にする。

 

「テレビはここにあるから良しとして、肝心の怪異役の八雲さんに着せる衣装はどうするんですか?」

「あ」

 

梳のその指摘に、うっかりしてたとばかりに四ツ谷は声を漏らす。

先ほど、四ツ谷の言った白い洋服も、黒い長髪のカツラも、当然ながらこの会館には一つも無かったのである。

それに気づいた四ツ谷は一瞬考えるそぶりを見せると、もう一度、紫の方へと目を向ける。しかし――。

 

「……何ですか?言っときますけど、こっちで用意なんてしませんから」

「まァ、そう言うなって。どの道、怪異が創られないと困るのはそっちも同じだろう。なら、ここで拒むのは得策じゃない、そうだろ?」

 

へそを曲げてプイッとそっぽを向く紫に、四ツ谷はまぁまぁと両手を上下に振りながら宥める様にそう響く。その顔は不気味に笑っていたが。

そして今度は自身の胸の前に両手を合わせて見せると、続けて口を開く。

 

「なぁ、頼むぜ。何だったらさっきの事は謝るし、これで貸し借り無しでもいいから、な?このとぉ~~り!」

 

四ツ谷はそう言って両手を合わせたまま深く頭を下げる。

 

「……なによ、さっきまで偉そうだったのに、途端にへりくだって……」

 

横目で四ツ谷を見ながらぶつぶつと文句を垂れる紫であったが、やがて大きくため息をつくと、横に立つ藍に声をかけた。

 

「藍」

「……よろしいのですか、紫様?」

「仕方ないわ。彼の言う通り、怪異ができないとこっちだって困るのは明白だもの」

「ヒヒッ♪助かる」

 

紫と藍の会話を聞いて頭を下げたままそう響く四ツ谷に、紫はジト目で四ツ谷を見下ろした。

 

「……終始、その()()()()()()()()()()()()()()頭を下げられてもかえって気分が悪いだけですわよ四ツ谷さん。……気づいてないと思いで?」

「ありゃ、バレてたか」

 

そう言って頭を上げた四ツ谷の顔は、頭を下げる前と変わらない不気味な笑みが浮かんでいた。

こちらが断れないことを見越しての確信犯的な四ツ谷のその態度に、紫は一瞬、ムスッとした表情を浮かべるもすぐに再び大きなため息をついて藍に視線を送る。

その視線の意図を察した藍はすぐさま頷くと、懐から一枚のお札を取り出し、それを紫の頭上に向けて軽く投げた。

するとお札は、紫の頭の上で突然ボフン!と音を鳴らし、大量の煙を出して破裂すると、その煙が紫の全身をすっぽりと覆い隠してみせた。

そして数秒の時が立ってゆっくりと煙が晴れると――。

 

「ほぉ……」

「わぁ……」

 

四ツ谷とその隣に立っていた梳は、短く感嘆の声を上げた。

煙が晴れてそこに佇む紫は、先程とはまるで別人の容姿をしていた。

金色だった髪と瞳は黒へと変化しており、髪は腰まであるストレートロングに、洋服もさっきまでの紫のドレスから真っ白な長袖ワンピースへと早変わりしていたのだ。

顔立ちや体形は元のままであったが、それでも、映画で見たことのある『彼女』の容姿に限りなく近くなっていたのは間違いなかった。

 

「……こんな感じでいかがですか?四ツ谷さん」

 

ワンピースの裾をつまんでそう問いかける紫に、四ツ谷は満足そうに頷く。

 

「ヒッヒッヒ!上出来だ!」

「当然だ」

 

四ツ谷の気分よさげなその返答に、紫の横に立つ藍が当たり前だと言わんばかりに短くそう零していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして、時間軸は現在へと戻り、ひとしきり説明を終えた紫は、目の前で黙って聞いていた霊夢と魔理沙に向けて、続けて口を開く。

 

「……と、言うわけで、後は貴女たちでも想像つくでしょ?子供たちの保護者である親たちに『最恐の怪談』を聞いてもらい、それで『彼女』を生み出した私たちは、『彼女』を使って子供たちを片っ端から『更生』させていったってわけ。前もって保護者伝いでさりげなく子供たちに()()()()()()()()()()()()()()()()()を刷り込ませといてね」

「……なるほどねぇ、色々と合点がいったわよ。私たちに異変の事伝えず、むしろ蚊帳の外にしたのも、私たちじゃどうしようもないと踏ん切りをつけたからね?」

「そう言う事。流石の貴女たちでも、年端もいかない子供たちに向けて弾幕をかますって訳にもいかないでしょ?」

「むぅ……」

 

チラリと新たに生まれたずぶ濡れ女の怪異を横目に見ながら、霊夢の問いかけに紫はあっさりとそう答え、その答えが気に入らないのか、魔理沙が低く唸った。

そして短い沈黙の後、霊夢は観念したかのような小さなため息をつくと、両手を腰に当てて紫に声をかけた。

 

「……わかったわよ。確かに、話で聞く限り、今回は私たちの出る幕は無かったっぽいし、このままこの怪談馬鹿に任せてればこの異変も片付くんだったら、私もこれ以上とやかく言うつもりないわよ」

「そう、それはよかったわ♪」

 

ニッコリと満足そうにそう言う紫に、霊夢はわずかに目を細めると、立て続けに言葉を紡いだ。

 

「……ただ、紫。一つだけ言わせてもらってもいいかしら?」

「おう、私からも一言いいか?」

「……?何かしら?」

 

霊夢のそれに便乗するかのように魔理沙も声を上げる。この上何を言いたのかと紫は首をかしげる。

そんな紫の前で、霊夢と魔理沙はお互いの顔を見合わせると、再び紫へと目を向け――。

 

――そして、呆れた顔を浮かばせながら、紫に向けて同時に口を開いた。

 

 

 

 

「「……この怪談馬鹿(コイツ)の口車に乗せられて怪異に仕立て上げられてんじゃないわよ(ねぇよ)、妖怪『賢者』」」

「――――クゥッ!」

 

二人のその指摘に、紫はぐぅの音も出なかった――。




最新話投稿です。

いやぁ、遅れて本当にすみません。
最新話の難産+仕事の多忙+最近買ったばかりの新しいPCが不調を起こして修理に出していたのが重なって、約三ヶ月もの間、投稿が止まっていたのをここにお詫び申し上げます。
ですが、それだけ時間ができたのもあってか、またもや一万字越えとあいなりましたw

それはそうとして、いよいよ次回が今章の最後になります。
次回もまたよろしくお願いいたしますw


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其ノ十 (終)

前回のあらすじ。

霊夢と魔理沙は、紫の口から事の全容を聞く事となり。
一度は四ツ谷に向けていた矛が収められ、四ツ谷は事なきを得る。


四ツ谷会館での霊夢と魔理沙とのいざこざからしばらく経った、五月五日の『こどもの日』。

 

「いらっしゃい、いらっしゃーい!()()()の無農薬野菜だよぉ~!しかも全て無料(タダ)!」

 

人里の大通り――その一角にて、にとりを筆頭に数人の河童たちが露店を開き、人里の人間たち相手に自分たちが作った大量の取り立て新鮮な野菜を売っている光景があった。

今回の異変の元凶として処罰される事となったにとりたち河童は、紫からの処遇で今後数ヶ月間は人里への無料奉仕活動をするように言い渡されたのである。

しかし、奉仕活動をするにとりたちは、今一つやる気が出ている様子ではなかった。

それも当然と言えば当然で、いつも人間たちを盟友と呼んで親しんでいる身ではあるが、無料でできたばかりの新鮮な野菜を大量に提供するほど、河童たちの器はそれほど大きくはなかった。

 

「きゅ~、何で私たちがこんな事を……。これなら家で機械いじりしてた方がまだマシだよ」

「自業自得でしょうに」

「ひゅっ!?」

 

ブツブツと文句を呟いていたにとりの背後から、()()()()()()()()が響き渡り、にとりは飛び上がらんばかりに悲鳴を上げて、慌てて振り返る。

そこには仁王立ちした霊夢が立っており、呆れた視線をにとりに浴びせていた。

そしてその背後には魔理沙と華扇も立っており、二人も霊夢同様、呆れた顔でにとりたちを見ていた。

そんな視線を一身に受け、にとりは動揺しながら問いを投げる。

 

「れ、霊夢!?どうして霊夢たちがここに?」

「か・ん・し」

 

それに霊夢は簡潔にそう答えた。

先の四ツ谷会館での紫の説明と説得で、渋々ながら四ツ谷を解放した霊夢たちではあったが、それで全て納得できるほど彼女たちは大人でもなかった。

異変が特殊とは言え、その解決のプロである自分と魔理沙の二人が、異変解決に一切の手を付けないまま引き上げるというのも、なんだか消化不良気味で味気なく感じていたのである。

それ故、霊夢たちはそれを解消する形で紫に頼んで河童たちの監視役を志願したのであった。

 

「うぅ~、別にこんな時ばっかりやる気を出さなくてもいいのにぃ……」

「何よ、元はと言えばアンタたちが自らまいた種じゃないの。ほら、ぶつくさ言ってる暇があったら奉仕活動に専念しなさい」

「はいはい、同じ妖怪の山に住んでいるよしみで、私も手伝ってあげるから」

 

小声でぼやくにとりに、霊夢はそう言い返し、そばで見ていた華扇がそう響きながら河童たちの露店に混ざっていく。

と、その直後にキャッキャと何とも楽しそうな声が霊夢たちの耳に届き、その場にいた全員がフッとその声のした方へと視線を向けた。

するとそこには、大通りを横切りながら楽しそうに数人の子供たちが元気いっぱいに駆けて行くのが見えた。

どこかの店で買ったのか、その手には紙でできた小さな三匹の鯉のぼりをつけた風車を持って――。

そして、それを合図にしてか、大通りの建物や脇の路地のあちこちから幾人もの子供たちが現れ始めた。

皆、ほんの少し前まで家に閉じこもっていたのが嘘のように、外ではしゃぎ、走り回っている。

その顔は、どれも憑き物が落ちたかのように晴れやかであった。

 

「……どうやら、戻ったようね。()()()()()

「ひゅぅぅ~。一時はどうなるかと思ったよぉ」

「よかったなぁにとり?もし取り返しのつかない事になってたらお前ら全員、紫にぶち殺されてたぜ?」

 

元気に遊びまわる子供たちを見て霊夢が小さくポツリとそう響き、にとりもそれに便乗するかのようにホッと胸をなでおろして見せる。

そして、そんなにとりを魔理沙がカッカと笑いながらそう茶化して見せた。

 

「……それにしても、こどもの日になる前に人里の子供たち全員の『更生』をやってのけるなんて……。狙ってやったのかしら?あいつ……」

 

そう呟く霊夢の脳裏には、不気味な笑みを浮かべる件の男(四ツ谷)の姿があった。

霊夢たちから解放されて直ぐ、紫たちからの依頼である『新生怪異による人里の子供たちの更生』の続きを開始した四ツ谷たちは、霊夢たちという枷が外れたが故か、その後、女の怪異を使っては飛ぶ鳥を落とす勢いで一晩につき十件以上もの子供たちの『更生』を成功させていったのである。

その上、その勢いに乗った彼らは日を追うごとに一晩のうちに狙う子供たちの数を少しずつ増やしていき、ついには五月五日の子供の日の前日には、人里の子供たち全員の『更生』の成功に至ったのであった。

 

「まぁ、もーどうでもいいんじゃねぇか?結果的に幻想郷も子供たちも助かったんだし、この一件で生み出された()()()()もほっといても別に害のある奴じゃないわけだしさ」

 

楽観的にそう言う魔理沙に、霊夢は「まぁね」と短く答えて見せる。

その例の怪異――全身をずぶ濡れにした白い服の女は、即行で生み出されたが為、その潜在能力は極めて低く、幻想郷特有の『程度の能力』に至っては()()()()()()()()使()()()()()()であった。したがって家電製品が全くと言っていいほど少ない幻想郷では、普通に生活していれば危害がない存在として認定し、霊夢たちは彼女をとくに警戒する事は無くなったのである。

まあ、もっともその反面、『他者を驚かす事』に関しては廃人になった子供たちを()()で『正気』に戻せるほどに強力であり、彼女の唯一無二の得意分野ではあったのだが。

そんな会話をする霊夢と魔理沙のそばで、野菜を買いに来る(貰いに来る)人里の奥様たちを相手に商売を行う河童たちに交じり、華扇とにとりもまた会話をしていた。

 

「うぅ~、機械いじりがしたい。きゅうりのみそ漬けが食べたい……」

「そんなの、今日の奉仕作業が終わったら好きなだけすれば良いでしょう?」

「だってつまんないんだもんこんな事、私らには何の利益にもならないし、こんな無償の慈善活動に一日の大半を費やすんだよ?しかも、これから数ヶ月も!」

「それこそ貴女たちの自業自得じゃないの。貴女たちの良かれと思ってした浅はかな考えが結果的に自らの首を絞める羽目になったってだけじゃない」

 

華扇の容赦のない突っ込みに、にとりは涙目に頬を膨らませる。

 

「むぅ~、でもぉ……それでも絶対おかしいよ!だって、これが自業自得だって言うんなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

「……え?」

 

唐突に、にとりの口から聞き捨てのできない言葉が飛び出してきたのを華扇の耳は確かに聞き取った。

驚いてどういう事なのか慌ててにとりに目を向けるも、当のにとり本人も今しがた自分が言った言葉に動揺しているらしく驚いた表情で自身の口元を手で押さえていた。

 

「……え、あれ……『アイツ』って、一体……?……そ、そもそも……私たちが子供たちに『げーむ』を渡したのは、『アイツ』が……え?………い、や……ちがう……やっぱり……私たちだけで思いついて、それで……こんな、事、に……?」

 

俯いて何やらブツブツと小さく呟きだすにとり。その表情はまさしく切羽詰まっており、必死に()()()()()()()()()()()()()()()()()()している様に華扇の目には映った。

そんなにとりに何か声をかけようと華扇が口を開きかけるも――それよりも先に、博麗の巫女の怒声が二人の頭上に降り注いだ。

 

「コラアァァァ!アンタたち!何手ぇ止めてんのよ!前を見なさい!お客さんが長蛇の列をなして待ってるわよ!!」

 

その声に慌てて華扇とにとりが顔を上げると、そこには正しく人里の奥様たちがまだかまだかと列をなしてこっちを見ている光景があった。

ギロリと奥様たちに睨まれ、二人は慌てて作業を再開する。

 

結局、次々とマシンガンの様にどの野菜が欲しいか要求する奥様たちを相手にする内に、華扇もにとりもその忙しさに飲まれてしまい、にとりや()()()()()()に起こっていた異変はお流れとなってしまったのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって妖怪の山では、山から流れ出る川の岸辺にて、にとりとは違うまた別の河童の少女が売りに出す野菜を渋い顔をしながら洗っていた。

 

「……全く、何で私たちがこんな目に……元々()()()()()()()()()()()()()()、こんな事にならなかったのに……!」

 

ブツブツと文句を垂れながら洗ったばかりの野菜を籠に入れて、それを持って立ち上がる河童の少女。

と、そこへその少女の背中へ唐突に声がかかる。

 

「おやおや、それは一体誰の事だい?」

「!?」

 

()()()()()()()()()()に、河童の少女は籠を持ったまま慌てて振り返る。

その視線の先には予想通りの人物が立っており、それを見た河童の少女は声を上げた。

 

「あ、アンタは……!!」

「そういきり立つなよ。せっかくの可愛い顔が台無しだぞ?」

 

河童の少女の、その恨みのこもった目を向けられたのは、つい先日、雨で雨宿りをしている四ツ谷の元に接触してきた謎の女性――。

 

 

 

 

 

――『滝等尾 真奈(たきらお まな)』であった。

 

 

 

 

 

真奈は怒りで顔を歪める河童の少女に、まぁまぁと宥める様に両手を上下に振って見せる。

しかし、河童の少女は怒り心頭に真奈に怒声を浴びせる。

 

「今更のこのこと現れといて何言ってんのよ!!今まで一体どこにいたの!?()()()()()()()()()()()()()のせいでこっちは散々な目にあってんのよ!?どうしてくれんのよ!!」

「はてさて、一体何の話をしてるのか私には分からないねぇ」

 

涼しい顔でやれやれと首を振りながらそう返す真奈に、河童の少女は怒りで顔を真っ赤にする。

 

「はぁ!?この期に及んで何をとぼけて――」

 

そこまで河童の少女が叫んだ直後だった。それなりに離れていたはずの少女と真奈の距離が瞬き一回分の間に縮まってしまっていた。

一瞬のうちに、河童の少女の視界が真奈の顔で覆われる。

 

「――ヒッ!?」

 

あまりにも一瞬の出来事に、河童の少女の口から小さく悲鳴が零れる。

すると、怯える河童の少女の目と鼻の先――そこにある真奈の双眸がカッと見開かれ、その口から静かに言葉が紡がれ始めた。

 

「……何を言っているのか見当もつかないね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?私には関係の無い事だよ」

「なっ……!?ちがっ……!これはアンタが――」

 

反論しようとする河童の少女に、すかさず真奈が言葉を被せる。

 

「……いいや。これは君たち河童が勝手にした事だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして()()()()()()()()……」

「ちが……う……、わた……し……たち……は…………?」

「他の誰も……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、君たち河童以外、()()()()()()()()()()()()……」

「わた、し…………た、ち………が…………?」

 

真奈の言葉――それを聞いていた河童の少女の顔から見る見るうちに怒りの表情が抜け落ち、感情の抜けた真顔へと変わっていく。目からは光が消えていき、虚ろなモノへと変貌していった――。

それを見た真奈は小さく笑みを浮かべると、最後に河童の少女の耳元で囁くように言葉を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

「この一件は――君たち河童が自分たち()()で起こした異変だよ」

 

 

 

 

 

 

 

「私、たち……だけ……で……?」

「そうさ!ようやく分かってもらえたみたいで私も嬉しいよ♪」

 

顔を離し、空虚な目でぼんやりと佇む河童の少女の両肩を、真奈は上機嫌でそう言いながらポンポンと叩いて見せる。

そして最後に、河童の少女の背中を人里の方へ向けてポンと押し出すと、まるで何かに操られているかのようにフラフラとした足取りで人里へと向かう河童の少女に向けて小さく手を振ってみせた。

 

「いってらっしゃ~い!奉仕活動頑張るんだぞ~!」

 

まるで他人事のように、真奈は河童の少女の背中が見えなくなるまでそう言いながら手を振り続ける。

やがて河童の少女の姿が視界から消え失せると、振っていた手を止めて両手を腰に当てるとふぅと一息ついた。

 

「河童全員の()()()()終了……。これで、後始末は完了したな」

 

達成感を含んだ笑みでそう零す真奈。しかし、そううまくは行かなかった。

 

「……そうは問屋が卸しませんわよ?」

「む……」

 

唐突に第三者の声がその場に響き渡り、一瞬にして顔をしかめた真奈は声のした方へと目を向ける。

すると、そこの空間がパックリと大きく裂け、そこから妖怪の賢者――八雲紫が現れた。その背後には、己が式である藍と橙も従えて――。

それを見た真奈は疲れたかのように大きく息を吐いた。

 

「……やれやれ、痕跡を消すのが今一歩遅かったか。それにしても、驚いたぞ。まさかこうも早くバレるとはな」

 

苦笑を浮かべながら対峙するように向き直る真奈に、紫は僅かに目を細める。その瞳の奥には僅かながら真奈に向けての非難の色がにじみ出ていた。

 

「……この幻想郷で私の知らない事などほとんどありませんわよ?とは言え、正直こちらも驚きました。今回の一件、まさか裏で糸を引いていたのが()()()だったとは思いもよりませんでしたから」

「…………」

 

紫のその言葉に真奈は何も答えず、ただ張り付けていた苦笑を深めて見せる。だがそんな真奈に構わず紫は言葉を続ける。

 

「……河童たちを(そそのか)し、外の世界のゲームを人里の子供たちに渡して幻想郷を混乱の渦に落とすなど……一体全体何をお考えで?」

「…………」

「このような行動をとるなど……。貴女様も私同様、この幻想郷を好いているものとばかり思っておりましたが……」

 

沈黙を続ける真奈に紫は目を伏せて残念そうにそう呟いた時、真奈はようやく口を開き、それに待ったをかけた。

 

「待て紫。全てが終わった今となっては、もはやどう言いつくろうたとしても言い訳にしか聞こえぬだろうが、()()()()()()()()()()()、少しは私の弁明を聞き入れてはくれぬだろうか」

「…………。聞くだけでしたら」

 

真奈の言葉に、紫は少しだけ考えるそぶりを見せるとそう呟いた。

それを見た真奈は、小さくホッと息を吐くと真剣な表情となって紫に話し始める。

 

「……先に言っておくが、私は何も幻想郷を破滅させたくて河童たちを動かした訳では無い。お前程では無いにせよ、私もこの幻想郷(世界)を我が子のように愛しておるのだ。そんなこの地に愛着はあれど憎悪など有るわけがなかろう」

「では何故?」

 

紫の問いかけに、真奈は一拍置いて答える。

 

「今言ったように、私も幻想郷を実の子の様に愛している。しかし、だからこそ、()()()()()()()()()()()()に、()()()()()()()()()()()()のは当たり前の事だとは思わんか?」

「我が子の将来……。それは、つまり……」

 

そう呟いた紫に真奈は頷き、言葉を続ける。

 

「この幻想郷は()()()()()誕生した。されどこの世界はいつ崩壊してもおかしくはない、危ういパワーバランスの上で成り立っている。……それでも『博麗の巫女』の存在などによって、およそ百年は存続させることは出来はしたが、これからもそれが続くという保証は何処にも無い」

「確かに……そうですわね……」

 

真奈の発言に、紫は素直に同意を示した。

()()は彼女にとっても現在進行形で身に染みている唾棄すべき重大な事柄であったからだ。

 

「我が子を長く『存命』させる為ならば、私もできうる限りの手は尽くす。しかしそれには障害となる問題が山積みだ。しかし……――」

 

 

 

 

 

 

 

「――最近になって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が現れた」

 

 

 

 

 

 

 

「……!まさか、それは……!」

 

その真奈の言葉に、紫は彼女が誰を指しているのかすぐに察し、ハッとなる。

それを見た真奈はニヤリと笑い、『その者』の名を口にした。

 

 

 

 

 

「そうだ……お前が監視しながらも重要視している存在――『四ツ谷文太郎』だよ」

 

 

 

 

 

「……何故、今更彼を……?」

 

真奈の口から四ツ谷の名が出た途端、紫は首をかしげながらそう問いかけていた。

それもそのはず、彼はもうとっくに幻想郷に大きな貢献を果たしている。

人間たちから『(おそ)れ』を引き出し、それを幻想郷に住まう妖怪たちにばら撒く事で妖怪たちの存命に多大な影響を与えているのだ。

そしてそれは、紫の目の前にいる()()()()()()女性の耳にもとっくの昔に入っているはずであった。

そんな紫の心境を察してか、真奈は静かにそれに答える。

 

「……紫。お前はあの男の能力にばかり目が行っているようだが、私は能力を含めて()()()()()()()()にお前とはまた違った別の見解を示しているんだよ」

「……彼にはまだ他にも利用価値がある、と……?」

 

紫のその問いかけに真奈は大きく頷く。

 

「そうだ。そしてそれが……私が河童どもを唆してこんな異変を引き起こした『目的』だったんだよ。これはその『利用価値』が本当にあの男にあるのかどうか……それを見極めるための『実験』をかねた異変だったのさ」

 

真奈のその回答に、紫の表情は次第に険しいモノへと変わっていった。

 

「四ツ谷さんを試すために……そのために、このような異変を……?四ツ谷さんがお手上げになってしまえば、もうどうしようもなく破滅へと突き進んでいたほどに危険極まりない異変だったと言うのに?……切羽詰まった私が四ツ谷さんに助力を乞いに行くのも計算の内で……!」

 

紫のその言葉には多分に隠し切れない怒りが含まれていた。無理もない、言うなれば彼女は良い様に利用させられたのだ。この真奈と名乗る女性に。

その紫からの怒りの視線を一身に受けた真奈は、自身の頭を掻きながら呟く。

 

「……別に、そう深刻になる事は無かろう?最悪、幻想郷が崩壊してしまっても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「本気で言ってらっしゃいます?私が愛しているのは『今の』幻想郷です。この状況で笑えない冗談はよしていただきたいですわね……」

 

その言葉と同時に、紫の表情がさらに険しくなる。目が見るからに鋭くなり、その瞳の奥には怒りの炎がたぎり始める。

それを見て冗談は通じないと思ったのか、真奈は深くため息を吐きながらやれやれと肩を落とすと、今度は自虐的な笑みを浮かべてきた。

 

「……そうだな。確かにお前をあの男にけしかけさせたのは私の計画の内だ。そこは否定しないよ。だが……言い訳になってしまうが、本来ならこの異変はここまで()()()()()()()()()()()()()のだ」

「……どういう事ですの?」

 

真奈のその言葉に、紫の怒りが一旦は収まった。

それは、自分が利用された事よりも、そっちの方が純粋に気になったからであった。

その問いかけに真奈は素直にしゃべりだす。

 

「……私にとってこの異変で唯一誤算だったのは、河童どもが()()()()()ゲーム機を子供たちに譲渡した事だ。元々私が河童に頼んだのはゲーム機を幻想郷(こちら)でも使えるようにしてもらいたいという要望だけだった。改造など頼んだ覚えは全く無い、子供たちにも軽い閉じこもり程度になってもらいたかっただけだ。だが調子に乗った河童どもは『雑誌』を参考にして勝手に……」

「あくまでも魔改造は河童たちが勝手にやった事だと?」

「……そうだ。私自身、ゲーム機の事は全部任せっきりにしていたから、まさか河童どもがそんな事をやってたとは思いもしなかったからな……。だが、ゲーム機が人里にばら撒かれ、様子見に子供たちの惨状を目の当たりにした時……流石に顔から血の気が引いた」

 

真奈の弁明を聞いた紫は、そこで大きくため息を吐いた。

 

「何とも……無責任が過ぎる話ですわね」

「ああ、私もそこは自覚してるよ。だが、結果的にあの男が事態を収束してくれて本当に助かった。あの男にも、そしてお前たちにも心の底から感謝しているよ」

 

そう言って真奈は紫に向けて頭を下げて見せた。

紫たちが静かにそれを見つめる中、真奈はゆっくりと頭を上げて紫に問いかける。

 

「……それで?私はどんな処罰を受けるんだい?」

「……責任はちゃんと取ると?」

「ああ、そう言っている。なんだ?逃げると思われていたのか?流石に自分がしでかした事だ。全部バレてしまった今、私はもう逃げも隠れもせんよ」

 

そう言う真奈の顔を見ながら、紫は顎に手を添えて思案顔になるもすぐにため息と共に小さく首を振って見せる。

 

「……必要ありませんわ。()()()()この一件はもう、河童たちが元凶という事で処理されていますし、今更貴女様に罰を与えても何の意味もありませんので。……この事は私たちの胸の内に留めておくことにいたしましょう」

「そうかい、それは助かるよ」

 

そう響いて小さくホッとする真奈に、紫はキッと彼女を睨みつけて「ただ――」と言葉を紡ぐ。

 

「――こう言う事はもう二度と起こしてほしくありませんわね。仏の顔も三度……いえ、この場合は『二度』。次また同じような事を起こしましたら……今度は私も容赦しませんから

 

底冷えするような押し殺した紫のその言葉に、真奈は両手を振って見せる。

 

「おお、怖い怖い。心配せずとももうこんな大事は起こしはせんよ。……ただ、四ツ谷文太郎――彼への『実験』だけは継続させてもらおう。……なにそう警戒せずとも良い。もう周囲に迷惑もかけんし、今回の一件より遥かに小規模に活動するだけさ」

「……それでも充分図々しい要望だとは思いますけどね」

「それも重々承知しておるよ」

 

怒りが一回りしたのか一転して疲れたような口調でそう呟く紫に、真奈も苦笑しながらそう返した。

そうして真奈は、紫たちにゆっくりと背中を向けながら、続けて口を開いた。

 

「……さて、それじゃあ私は引き上げさせてもらうとするか。()()()()()()()()()待たせているのでな」

()()()()()()()()()()()ですか?……よろしくお伝えください」

「ああ、分かったよ」

 

紫のその言葉に、後ろ手に手をひらひらと振りながらそう言う真奈の目の前で何もない空間が()()()()()()()()

そして、その中に真奈が足を踏み入れた瞬間、真奈の背後で再び紫の声が響く――。

 

「……しかし、『滝等尾 真奈』とは……。貴女様にしては随分と安直な偽名を名乗りましたわね」

「む。心外だな。結構気に入っておるのだぞ?この仮初の名も姿も。神出鬼没の謎の美女、『滝等尾 真奈』。存外、かっこよくはないか?」

 

振り返って自身の纏う着物の袖を紫に向けてひらひらと揺らし、口を尖らせながらそう言う真奈に、紫は呆れた顔を浮かべた。

 

「かっこいいって……。ただ単に貴女様の本名を並べ替えた(アナグラムにした)だけでしょうに」

 

そう響く紫の前で、真奈を覆い隠すように裂けた空間がゆっくりと閉じられていく。

完全に閉じきる直前、裂けた空間の向こうで『滝等尾 真奈』と名乗る正体不明の女が、紫たちに向けて意味ありげにクスリと小さく笑っていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽が空の真上に来た頃――人里にある和菓子屋の前で今、人間に成りすましている赤蛮奇が、()()()で和菓子屋にやって来たとある女性と共に、柏餅の売り子を行ていた――。

 

「柏餅はいらんかえ~!甘くて柔らかい柏餅はいらんかえ~!……ほら、新人!黙ってないで私にならって接客しなさい!」

「は、はい……!柏餅はいらんかえ~!甘くて柔らかい柏餅はいらんかえ~!」

「まだまだ、ほらもっと腹に力を入れる!」

「は、はいっ!」

 

()()()(かんざし)で結上げ整った顔をさらけ出し、白を基調とした着物をまとったその女性を赤蛮奇が激励し、やってくる客たちの相手をしていた。

そして、その二人を遠巻きに見つめる男女が三人。

()()()()()()()()()()()()、四ツ谷文太郎と小傘、そして梳であった。

 

「結構見違えたな、アイツ……。服と髪型変えただけでこうも印象が変わるとは……女性って皆こうなのか?」

「彼女は()()が良いですから、あの()()()()()()()()()姿()に化粧無しで少し手を加えただけでああなりました。人と対話しても相手に()()()()()()()もありませんし、正直安心しました」

 

四ツ谷の言葉に、隣に立つ梳がホッと胸をなでおろしながらそう答えた。

すると、四ツ谷を挟んで梳の反対側に立つ小傘が、四ツ谷に問いかける。

 

「でもなんで急に柏餅の売り子をさせようって思ったんですか師匠?」

「んなモン、アイツに人間相手の接客を慣れさせるためだよ。アイツはあの通り()()()()()()だから、金小僧や折り畳み入道のような裏方じゃなくて、お前たち同様、表で会館にやって来る客を対応させた方がいいと俺が踏んだまでだ」

「へぇー……。でも、驚きました。あの娘、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

そう言いながら小傘は再び赤蛮奇の隣で仕事をする白い女性に目を向けた。

そう、何を隠そうこの白い女性は、先日、四ツ谷の『最恐の怪談』によって生み出されたばかりの怪異――。

 

 

 

 

 

――霊夢たちの言う、テレビから出てくるずぶ濡れの女本人であった。

 

 

 

 

 

人里の子供たち全員の更生の役目を終えた彼女は、正式に四ツ谷会館の住人として迎え入れられ、会館で働くために接客能力を磨くべく、梳によって容姿を変え、こうして日雇いとして柏餅の売り子として働いているのであった。

 

「元々口下手だったらしいから対話(コミュニケーション)能力向上もかねてあの仕事をさせてんだよ。……ま。結構、呑み込みが早いからこれなら数日で会館の方も任せられそうだけどな」

「へぇ~」

 

四ツ谷の言葉にそう相槌を打つ小傘の視線の先では、怪異の女がやって来た主婦らしき女性の客とつたないながらも会話をしている光景があった。

 

「あら?貴女、ここら辺じゃ見ない顔ね。どこから来たの?」

「え、えっと……。私、ついこの間、この幻想郷に来たばっかりで……」

「あっら!外来人なの貴女?通りで見たこと無い美人さんだと思ったわよ!」

「あ、ありがとうございます……」

「外の世界とじゃあ何かと環境が違うかもしれないけれど、ここも慣れればそうそう悪くない所だと思うから、気に入ってくれれば嬉しいわねぇ~」

「は、はぁ……」

 

怪異の女を外来人だと勘違いした主婦は、一人勝手に姦しくまくし立て、それに怪異の女がおっかなびっくりながら相槌を打っていく。

そうしてひとしきり喋った主婦は最後に怪異の女に問いかけた。

 

「貴女、名前は何て言うのかしら?」

「名前、ですか……?私は――」

 

 

 

 

 

 

「――私は……『伊野尾(いのお)ユキエ』、です」

 

 

 

 

 

「ユキエちゃん、これからもよろしく!……じゃあね!」

 

そう言って主婦は怪異の女――伊野尾ユキエから柏餅の入った箱を受け取ると、手をひらひらと振って元気に去って行った。

それを見た梳は四ツ谷に問いかける。

 

「四ツ谷さん、あれは……?」

「あン?……あれはアイツの『人間名』だよ。人里で暮らすんなら対人は避けて通れねぇからな。そのための名前は必要だろ?」

「……()()()()()じゃないんですね」

「……まぁ、俺も最初はそうしようかと思ったんだが、それだと新鮮味に欠けると思ってあえて変えてみたんだ。……ちなみにあの名前の元は、映画『無印』と『バースデイ』で役を演じた俳優二人の姓と名を拝借して繋げてみた」

「け、結構シンプルですね」

「まぁな」

 

はは……。と空笑いを浮かべる梳に四ツ谷は素っ気なくそう答えて見せる。

すると次の瞬間、梳は今度は小さくハッとなり何かを考える仕草を見せると、やがて再び四ツ谷に目を向けて問いかけていた。

 

「四ツ谷さん……じゃあひょっとして『怪異名』の方が原作の名前になっているのですか?」

「いんや、それも違う。幻想郷(こっち)じゃ『怪異名』にあの原作の名前使っても、あまり不気味さは感じねぇだろ?聞いただけじゃ何処にでもありそうな日本人名だし……。同じ理由で『呪いのビデオテープ』や『リ〇グ』も没にした」

「……じゃあ、『怪異名』は結局何に……?」

 

梳がそう聞いた瞬間、四ツ谷の口元が三日月形に吊り上がり、不気味な面相を浮かべる。

小さく気を飲んだ梳に、四ツ谷がゆっくりと口を開いた――。

 

「ヒヒッ、聞きたいか……?まぁ、もうガキ共に怪談を伝える側だった保護者たちには()()を伝えてはあるんだがな。それはなぁ……――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それは、四ツ谷会館で怪異のずぶ濡れの女が生まれてすぐの頃であった。

 

深夜のとある民家の一室でテレビゲームに励む少年のもとに、母親が怒鳴り込んできた。

 

「ちょっと、(たけし)!いつまでそんなもので遊んでるの!もう日を跨いでいる時間よ!」

「…………」

 

母親がそう叫ぶも、少年は全く耳を貸さず、虚ろな目でテレビゲームに集中する。

その後も再三、母親が少年に声をかけるも全くの無反応であった――。

やがて母親は諦めたらしくハァ、とため息を一つ零すと、今度は真摯な顔を浮かべて少年を見ると、先程とは全く違う言葉を少年にかけ始めていた。

 

「……そんな箱で一晩中遊んでたら、いずれその箱から()()()()()()()()が現れて、アンタを襲いに来るよ」

「……?」

 

唐突に聞かされたその奇妙な話に、少しだけ少年は反応し、無意識なのかコントローラーの手を止めると視線を母親の方へと向けていた。

それを見た母親は内心ニヤリと笑うと、話を続ける。

 

「……真夜中までその箱で遊んでいると、突然箱の中の景色が変わるんだって……。何に変わるのかっていうと、それは古びた『井戸』らしいよ……。砂嵐と共に変化したその景色の井戸の中から、今度は白い洋服を纏った髪の長いずぶ濡れの女が這い上がって現れるんだって……。しかも恐ろしい事に、その女はヒタヒタとこちら側に向かってゆっくりと歩み寄ってくると、やがて箱の中から這い出てきてこっち側に来ちゃうんだってさ……!」

「…………」

 

不気味な口調でそれを説明する母親であったが、その途中で飽きたのか少年は再びテレビ画面へを視線と戻していた。

少年の耳がテレビの音に集中する直前、母親がその怪異の名を口にする――。

 

 

 

 

 

「その女のバケモノの名は――『井戸女』。気を付けなさいよ。いづれ必ず、アンタの元にも現れるから……!」




幕外『井戸女』、これにて完結です。

いやぁ、今回も長くなりましたw
この章で登場した『滝等尾 真奈』は今の所、正体を明かす事はありませんが、東方の原作を知っている方たちなら、文章中にいくつか出てきた『ヒント』で彼女が誰なのか気づく人がいるかもしれません。

あと、この章で伏字になっている所は、この最新話を投稿次第、すぐに修正する予定です。

次回から新章に突入します。
時間軸をぶっちゃけますと、実はこの『こどもの日』の夜から物語が始まります。
それでは、これにてw



追記:紫と真奈の会話を少し修正、追加いたしました。


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第九幕 隠れ鬼
其ノ一


  ……もーいーかーい……?




                    ……もーいーかーい……?




地底の奥深く……()()()()()闇の中で、人のモノとは思えない、不気味な声が響き渡ります……。
されど、答えてはいけません……。声を出してはいけません……。

それは『獲物』を探す“鬼„の声――。

もしも姿を見られたならば――。





            ……みぃーつーけーたぁー……





死に物狂いで逃げなさい――。

捕まれば最後、そこにあるのは――。


五月五日の『こどもの日』――。

昼間の子供たちの活気が嘘のように静まり返った人里の夜。

夕餉を済ませて各々が食事の満腹感の余韻に浸っていた四ツ谷会館の者たちの元に、唐突に二人組の来訪者が現れたのだ――。

 

「すみませーん。夜分に失礼しまーす!」

「あン?この声は……」

 

玄関の方から響いたその声に聞き覚えのあった四ツ谷は、自ら玄関へと向かい、その来客を迎え入れた。

 

「よぅ、久しぶりだな。およそ一ヶ月ぶりか?()()()()

「……久しぶりに会って早々、随分な言い草ですね、四ツ谷さん」

 

ちょっぴり嫌味っぽくへらりと不気味に笑ってそう言う四ツ谷に、その昼寝門番――紅 美鈴(ほん めいりん)は、ジト目になりながらそう返してみせた。

四ツ谷はそんな美鈴の言葉にシッシ!と軽く笑って見せると、改めて彼女に尋ねてみた。

 

「……で、どうした?こんな時間に。何か用があって来たんだろ?」

「あ、いえ……。今回私はただの付き添いなだけでして、用があるのは――」

 

そう言いながら美鈴は首だけを動かして、自身の背後へと視線を移動させる。

 

「……?」

 

それにつられて四ツ谷も美鈴の後ろへと視線を向ける。するとそこには――。

 

「こ……こんばんは。四ツ谷……さん……」

 

――紅魔館当主、レミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレットが美鈴の背後から恐る恐るといった調子で現れ、四ツ谷に向けてそう声をかけてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関で立ち話もなんだと思い、四ツ谷はフランドールと美鈴を『職員室』の休憩所に案内すると、途中で目に付いた小傘にお茶と茶菓子を用意するように頼んだ。

 

「どうぞ、粗茶ですが……。それとこの柏餅は今日、和菓子屋の店主さんからいただいたものです。よければ召し上がってください」

「ありがとうございます。いただきます」

「いただきまぁーす!」

 

お茶と茶菓子を机に置きながらそう言う小傘に、美鈴は軽く頭を下げながら感謝を述べ、フランドールは見た目相応に子供らしく喜ぶと、早速差し出された柏餅に手を伸ばしていた。

四ツ谷は二人が据わる椅子とは机を挟んで反対側にある椅子にドカリと腰を下ろすと、お茶をズズッと飲む美鈴と柏餅を頬張るフランドールに改めて尋ね始めた。

 

「それで、一体何の用なんだ?」

「あ、うーん……。えっとぉ……」

 

四ツ谷のその言葉に、フランドールは柏餅を食べる手を止め、何故か俯きながら悩む仕草をする。

先ほどまでの子供らしい表情は鳴りを潜め、どこか陰りのあるフランドールのその顔を四ツ谷はジッと見つめる。

美鈴もフランドールの様子に気づき、声をかけた。

 

「妹様?」

「あー、うん、ごめん。どこから先に話すべきなのか考えちゃって……」

 

あはは……、と空笑いを浮かべるフランドールに四ツ谷が予期せぬ爆弾を投げ入れた。

 

「……ひょっとして、その話ってのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「!?」

 

なりげない四ツ谷のその一言で、フランドールは驚愕に固まる。

何故?と言いたげに目は大きく見開き、呆然と四ツ谷を見ていた。

 

「……え?えっ?どういう事ですか?」

 

事態が呑み込めていない美鈴はフランドールの突然の変化に戸惑いながら、彼女と四ツ谷の顔を交互に視線を移動させる。

そんな美鈴に気づかず、驚愕の表情でフランドールは絞り出すかのように四ツ谷に問いかける。

 

「どう、して……?」

「先月のあの一件……。俺には一つだけ腑に落ちない事があった」

 

頬杖を突きながら目を細め、体面に座るフランドールを射抜くかのような視線を向けながら、四ツ谷は淡々と語る。

 

「……それは、お前が何で()()()()()()()()狂気を爆発させたのかって事だ。……数年前にお前の姉が起こした『紅霧異変』、あの異変からすぐの頃はお前の狂気が薄まり平穏な日常を送ってたと聞いた。だが、先月の一件の後、お前の姉から最近になってまた狂気が再発し始めたんだと聞かされた時、ちと妙だと思った……」

 

一拍置いての沈黙後、四ツ谷は再び口を開く。

 

空白(ブランク)が空きすぎてる。……『紅霧異変』から最近になるまで、お前は狂気に囚われる事無く普通に生活していた。なのに()()()()()()()()狂気が再発した。……ただ単にそれだけの期間、精神の抑制が持ったと言えばそれまでだが、俺にはこの間に()()()()()あったんじゃないかっていう気がしてならねぇ」

「……すごい」

 

四ツ谷のその推測が的を射ていたらしく、フランドールは目を丸くして素直に感嘆の声を漏らす。

 

「……どういう事ですか、妹様?」

「う、うん……。実はその事で四ツ谷……さんに、相談しに来たの」

 

美鈴にそう尋ねられ、フランドールはそう答えて四ツ谷を真っ直ぐに見つめる。

そんな視線を受けながら四ツ谷は目を細めて小さく笑った。

 

「……、無理すんな。はたから聞いてても『四ツ谷さん』じゃ呼びにくいのが丸わかりだ。……お前の呼びやすいので構わねーよ」

「……うん、ありがと。……じゃあ、四ツ谷おにーちゃん、でいい?」

「おう。……んじゃ、改めて聞かせてもらおうか。そこの門番の様子から見て、まだそいつだけじゃなく()()()()()()まだ話していない事なんだろ?」

 

四ツ谷のその言葉にフランドールは小さく頷くと、視線を美鈴へと向けた。

 

「美鈴……実は美鈴には……ううん、美鈴だけじゃない、お姉様たちにも今まで秘密にしていた事が、あったの……」

「妹様が秘密にしていた事?……それは一体?」

 

フランドールの言葉に美鈴は首をかしげながらも真剣な目でそう問いかける。

それにフランドールはポツリポツリと答え始めた――。

 

「美鈴、実は私ね、あの『紅霧異変』の後――」

 

 

 

 

 

 

「――お友達が、できたの。……私に初めてできた、大切な友達……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――フランドールがその『友達』と初めて出会ったのは、フランドールの自室がある薄暗い地下室であった。

当時、実姉であるレミリア・スカーレットが起こした『紅霧異変』から数ヶ月の時間が立っており、フランドール自身も異変後に霊夢と魔理沙相手に弾幕ごっこで大暴れをしたため、それまで溜まりに溜まっていた鬱憤が解消され、同時に狂気も薄れたためしばらくは平穏な毎日が続いていたのだ。

しかし、それも長くは続きそうになかった。

霊夢たちのおかげでガス抜きが出来たとは言え、フランドールの周囲の環境が劇的に変化したわけではかったのだ。行動範囲が地下から紅魔館内へと広まりはしたが、レミリアはフランドールを館から外に出すのを頑なに拒んだのだ。

それは、フランドールの持つ能力もそうであったが、一番の理由は日光にあった。

今でこそ吸血鬼専用の日焼け止めクリームがパチュリーの手で開発され、スカーレット姉妹はそれを使って自由に外出ができるものの、当時はまだ完成どころか開発すらされていなかったのである。

一応、日傘はあったのだがフランドールの性格上、いつ壊したり紛失したりするか分かったものじゃなかったので、おいそれとそれを渡すこともできなかった。

なら、夜に外出するのはどうかという話にもなったが、これもまた難しかった。

夜は人は寝静まれど妖怪などの異形は活発する時間。

フランドールほどではないにせよ、危険な存在と言えるモノは沢山いる。

ましてや、フランドールは少し前までずっと地下で過ごしていたある意味、『箱入り娘』とも呼べる存在だ。世間知らずな上、幻想郷住人以上に常識なんて皆無と言ってもいいだろう。

そんな奴らとフランドールが接触すればどういう事になるか。……決して良い展開になる事だけはないだろう。

その影響で他の幻想郷の有力者たちに目を付けられるのも、姉のレミリアから見ても絶対に避けるべき案件だった。

結果的に、フランドールがある程度の幻想郷での常識をつけるまでは、彼女を館から出す事を禁じざるを得なくなってしまったのだ。

それに不満を覚えながらも渋々咲夜やパチュリーたちに囲まれて常識を身に着けるための勉強を受ける日々を送るフランドール。

勉強を通して、咲夜やパチュリー、美鈴たちとも会話する量が大幅に多くなり、『紅霧異変』後には大図書館に頻繁に忍び込むようになった魔理沙とも親睦を深めるようにもなったものの、それでもフランドールの中から外に出られないという鬱屈した気持ちが晴れる事はなかった。

やがて勉強にも飽き、それと同時に自身の中にある不満が狂気と共に再度、燃え上がるかと思え始めた丁度その時――。

 

 

 

 

 

――フランドールは地下で一人の少女と出会った。

 

 

 

 

 

その少女は、見た目()()()()()()()()()()()()がよく似ており、ぱっと見、()()()()()()()()だとフランドールにはそう思えた。

また、話してみると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、さらには、そういった過去の影響からか()()()()()()()()()()()()()()()()事など、驚くほどフランドールと共通している部分が多くあり、それ故、フランドールはその少女に強い親近感を覚えるようになった。

 

その少女の出会い以降、フランドールの生活は()()()()()()()()()()――。

 

フランドールは定期的にやって来るその少女と地下で秘かに遊ぶようになったのだ。

たわいもない会話で盛り上がったり、かくれんぼや鬼ごっこなど、それこそ子供らしい遊戯をわんさかと行いながら、フランドールはその少女と時間が立つのも忘れて遊びに明け暮れた。

遊べない日があった時も、紅魔館に新聞を配達に来る鴉天狗を捕まえて、彼女を郵便配達員代わりに手紙のやり取り……つまりは『文通』を交わしたりもしていた。

よく似た境遇が故に二人の距離が次第に縮まり、ついには良い所も悪い所も互いに認め合える唯一無二の親友にまで絆が深まるのにも早々時間はかからなかった。

そしていつしか、フランドールの中でくすぶっていた不満や狂気の炎は鳴りを潜め、外に出たいという欲求もいつの間にか奇麗さっぱり無くなっていたのである。

心から分かり合える存在と出会えた事で、フランドールにとってそれ以外の事はもうどうでもよくなっていたのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちょ、ちょっと待ってください妹様?」

 

そこまでフランドールの話を聞いていた美鈴は慌てて待ったをかけた。

そして眉根を寄せながらフランドールに問いかける。

 

「……『定期的に地下で会ってた』?地下って『紅魔館の地下』って事で良いんですよね?でも私、『紅霧異変』が終わってこのかた、そんな女の子を館内で見かけたことは一度もありませんでしたよ?……それに、わざわざ紅魔館まで一人で来るって事は、『普通の人間の女の子』ってわけじゃないんですよね?」

 

美鈴のその問いかけにフランドールは頷く。

 

「そうだよ、その娘は人間じゃない。妖怪だって言ってた。……でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とも言ってたよ」

 

それを聞いていた四ツ谷は唐突にポンと手を叩いた。

 

「そうか、わかったぞ。お前が地下で会ってた奴はズバリ――」

 

 

 

 

 

 

「――古明地(こめいじ)こいし、だな?」

 

 

 

 

 

 

ニヤリと笑った四ツ谷のその言葉に、美鈴はハッとなり、フランドールは正解だと言わんばかりに強く頷いた。

古明地こいし。その少女の事は四ツ谷も幻想郷縁起を読んで知っていた。

直接会った事は無いが、地底にある『地霊殿(ちれいでん)』という所に住む()さとり妖怪であり、記憶にあった幻想郷縁起に記されたそのこいしのプロフィールと今しがたフランドールが話した少女の特徴が見事に一致したのだ。

 

「……なるほど。確かに彼女の『無意識を操る程度の能力』なら、私に気づかれる事無く地下と外を行き来する事は可能ですね」

「……っつーかお前の場合は日がな一日昼寝ばっかしてたから気づかなかったってのもあるんじゃねーか?」

「うっ……」

 

こいしの持つ『無意識を操る能力』の事は美鈴も知っており、それに気づいた美鈴自身は一人うんうんと納得していたが、四ツ谷の何気ない一言で沈黙してしまった。

そんな美鈴をしり目に、四ツ谷はフランドールに質問を投げかけた。

 

「……で?その古明地こいしとお前が狂気を再発した事と一体何の関係があるんだ?」

 

その言葉にフランドールは黙ったまま、四ツ谷からは顔が見えなくなるほどに静かに深く俯むいた。

 

「……?」

 

怪訝な顔を浮かべる四ツ谷。その四ツ谷の視線の先にはフランドールの口元がわずかに見えており、その唇が微かに震えていたのだ。

四ツ谷だけでなく、フランドールの様子に気づいた美鈴も心配そうな目を彼女に向ける。

やがて、フランドールは絞り出すようにゆっくりと口を開いた。

 

「……その娘が……こいしがね……()()()()()()()()()()()()……」

「来なくなったって……喧嘩(けんか)でもしたのか?」

 

重く、どこか湿()()()()()()()フランドールのその言葉に、四ツ谷は静かにそう問いかける。

それにフランドールはブンブンと首を大きく振って続けて言葉を吐き始めた。

 

「……いつもみたいに次また遊ぶ約束をして別れたんだけれど、約束をした日になってもいつまでたっても来なかったの……。鴉天狗を使って手紙も送ったけれど、全然返事が来なくて……」

 

周囲の空気がどことなく重たくなり、四ツ谷と美鈴は互いに顔を見合わせる。

そして、なんとかこの空気を払拭しようと、美鈴が半ば無理矢理明るい口調でフランドールに声をかける。

 

「だ、大丈夫ですよ妹様。あまり私は面識はありませんが、こいしさんの事ですからそう深刻になる必要はないと思いますよ?……もしかしたら、風邪か何か体調をこじらせて寝込んでいるだけかもしれませんし……」

 

美鈴がそう言った直後、フランドールはいきなり顔を上げた。その双眸には大粒の涙を溜めて――。

 

「「!」」

 

驚いて目を見開く四ツ谷と美鈴を前に、フランドールは訴えるように叫んだ。

 

「ううん、おかしい!絶対におかしいッ!!だって――」

 

 

 

 

「――だって、来なくなってから今日まで、もう()()()()()()()()()!?」

 

 

 

 

 

「「!?」」

 

フランドールのその告発に四ツ谷と美鈴が絶句する中、フランドールは堰を切ったかのように言葉を吐き続けた。

 

「私、待ったんだよ!?ずっとずっと、ずーーーっと!こいしが来るの待ってたの!!待ってるだけじゃなくて手紙だって何枚も何枚も送ったの!!でも……全然来てくれないし、手紙だって一通も返って来なかった……!!信じてたの!こいしなら約束を破らないで必ず私の所に遊びに来てくれるって!!また一緒に笑ってくれるって!!」

 

ぼろぼろとフランドールの目から雫が零れ始める。言葉に嗚咽が混じり始めるも、それでもフランドールは必死に言葉を絞り出していく。

 

「でも……それでも、やっぱりこいしは来てくれなくて……。もしかしたらこいしは私と遊ぶのに飽きて別の新しい友達と仲よく遊んでるんじゃないかって……。私の事なんかもう忘れちゃってるんじゃないかって不安になって……。私の事……もう嫌いになったんだったらどうしよう……」

「妹様……」

「そんな事、無いって……。こいしはそんな事……私の事忘れるわけないって……そんな事しないって、分かってる……。分かってる、はずなのに……ッ!!」

「…………」

 

頬を伝う涙を両手で何度もぬぐうフランドールを美鈴は沈痛な表情で静かに抱き寄せた。

それを沈黙しながら見つめる四ツ谷は、内心で一人納得していた。

 

(なるほどな……。突然いなくなった不安と、そこから来る『自分は捨てられたんじゃないか』っていう被害妄想が、コイツの消えかかっていた狂気を再発させる新たな火種となっちまったわけか……)

 

美鈴の腕の中で泣きじゃくるフランドールを、四ツ谷はただ静かに見守った。

やがて、ようやく落ち着きを見せたフランドールは目をごしごしとこすりながら、美鈴から離れる。

それを見た四ツ谷は静かにフランドールに問いかけた。

 

「……それで?結局お前はどうしたいんだ?」

「こいしに……会いたい……」

「『会う』、だけか?……なら、俺の所に来るのは()()()()()

「「え?」」

 

四ツ谷のその言葉に、フランドールだけでなく美鈴も驚く。そんな二人をよそに四ツ谷は静かに立ち上がると彼女たちに背を向けながらゆっくりと口を開く。

 

「……少女一人を探す()()なら、何も俺じゃなくても適任者は大勢いる。『探す』事に特化した能力を持つ奴に頼めば一発な話だ。だが……お前はその頼みを()()()()()()()()()()()()。……それは一体、どういう理由からだったんだ?」

「それは……。アナタなら……四ツ谷おにーちゃんなら……()()()()()()()()()()()()()……」

「見つける?『何を』……?」

 

フランドールの小さな響きに、四ツ谷は一歩踏み込む。

それに答える様に、フランドールも椅子から立ち上がると背中を向ける四ツ谷に相対し、今度ははっきりと口にする。

 

()()()()()()()()()()()()()……!私とお姉様の仲を元通りにしてくれた……お母様の真実を見つけてくれたあの時のように……!」

 

それを聞いた四ツ谷は天井を仰ぎ見ながら響く。

 

「……俺はただ怪談を創るだけだ。それが()()()()、今まで真実と繋がってきたってだけにすぎんし知った事じゃない。だが――」

 

 

 

 

 

 

「――それでも、お前が俺を頼りたいって言うのなら……()()()()()()()()()()()()。そうすりゃあ、恐怖で引きつった悲鳴と共に、()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 

 

 

 

 

そう、肩越しに不気味な笑みをこちらに向ける四ツ谷に、フランドールは一瞬呆気にとられるも、泣き腫らした目をキッと引き締め、真剣な口調で四ツ谷に()()()お願いする。

 

「お願い、こいしを……私の友達が()()()()()()()()を炙り出して……!!」

 

その魂からの叫びに、四ツ谷はシッシ!と笑って答えて見せた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランドールと美鈴が紅魔館へと帰った後、四ツ谷は小傘と共に今後の相談を練っていた――。

 

「さぁて……、やると決めたはいいが、初っ端から大きな問題が立ちふさがっているんだよなぁ……」

「……?師匠、問題とは……?」

「行方不明になっている古明地こいしの姉の古明地(こめいじ)さとりだよ。手掛かりを探すためには、まず探し人に近い者から当たるのが鉄則だが……ぶっちゃけ俺、アイツ苦手なんだよなぁ……」

 

そう言いながら、四ツ谷は去年の宴会でさとりと初めて会った時の事を思い出した――。

 

 

 

 

 

 

 

『よぅ、初めまして、だな。俺は――』

『四ツ谷文太郎さんですね。……ふむふむ……なるほど。これはまた変わった幻想入りをしたものですね。天寿を全うした魂が怪異の肉体と融合して来たとは……』

『お、おぅ……』

『趣味は昼寝に漫画を含む読書。好きなものは怪談に悲鳴、それと【飲むおしるこ】という飲み物、ですか。おまけにおにぎりの具はたらこが好物、と』

『…………』

『怪談は……おぉぅ、これはまた予想以上に多く創ってらっしゃいますね。……飽きなかったのが不思議なくらいです。霊夢さんたちがアナタを怪談馬鹿と呼ぶのも納得ですね』

『……なァ、俺もちょっとは喋らせてくんね?』

 

 

 

 

 

 

 

 

「……百歩譲って心を読まれて個人情報を読まれるのは許すとしても、これから作り出す予定の『最恐の怪談』の内容まで読まれてネタバレする事になるってのは、流石に面白くない」

「でも、こいしちゃんの事を知るためには、まず、さとりさんに会わないと……」

 

ムムムと頭を抱える四ツ谷に小傘がそう諭すも、四ツ谷は小傘の顔を見て一言。

 

「……お前だけで行ってくんね?」

「えぇっ!?わちきだけでさとりさんに会いに行くんですか!?そりゃあ、折り畳み入道の能力で地底でもすぐに行けますけれど、師匠が自分で引き受けた事でしょう!?」

 

小傘に正論を叫ばれ、四ツ谷は再び頭を抱えた。

 

「ぐぅぅ……せめて、心を読まれないようにはできないモンか……」

「……ん~、妥協案ですけれど、『電話』を使うのはどうですか?離れた所から会話すれば心の声も聞こえないはずですし、電話自体も『再思の道』や『香霖堂』にあるはずですから簡単に手に入ると思いますよ?」

「電話、かぁ……。でも『声』だけ交わせてもなぁ……。欲を言えば顔も見せる事ができる『テレビ通信』機能がありゃあいいんだが――……あ」

「……師匠?」

 

何かを思いついたのか四ツ谷は一瞬ハッとした表情を浮かべるとすぐにニヤリと顔を歪めた――。

 

 

 

 

 

 

 

――翌日。

 

「ひゅぅぅ……。今日も()()総出で人里の奉仕活動かぁ……」

「シッシ!朝っぱらからしけた面してんなぁ、河童」

「ひゅ!?よ、四ツ谷の旦那!?……な、何か御用で?」

「シッシ、いやなに、前回の一件でお前らがやらかした事の尻拭いを俺が引き受けたろ?そのツケを『今』返して欲しくってさ♪」

「……?」




新章開幕です。

今章の舞台は地底世界、および地霊殿となります。今回も一万字越えと長くなりましたw
そして今章のタイトル『隠れ鬼』は、『隠れ鬼ごっこ』を指していますが、同時に某有名フリーホラーゲームも少し絡めてきております。
しかし、念のために申し上げますと、今章は『鬼』は出ますが、ブルーベリー色した()()()は登場しませんので、あしからずw


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其ノ二

前回のあらすじ。

会館にやって来たフランドールと美鈴。
そのフランドールの頼みを聞き、四ツ谷は地霊殿の主、古明地さとりに『会いに行く』事となる――。


幻想郷の地下に広がる世界。その一角に『旧都』と呼ばれる巨大な都市がある――。

別名『旧地獄』とも呼ばれ、かつてはその名の通り、地獄の一部でもあった場所でもあった。

当初そこは地獄の繁華街であったのだが、地獄のスリム化に伴い廃止。切り捨てられたそこを鬼たちが移り住み、忌み嫌われた能力や危惧された能力を持つ妖怪たちを受け入れていくにつれて、拡大化。ついには大都市へと発展するまでに至ったのが『旧都』の始まりであった。

元々、都市発展化に伴い、妖怪の賢者である八雲紫と鬼たちとの間に『地上の妖怪は地底に干渉しない代わりに、地底の方は旧地獄に残された怨霊たちを管理する』という約定が交わされていたが、数年前に間欠泉と共に怨霊が地上に現れた事により、その約定は形骸化(けいがいか)しつつあった。

そんな旧都の一角にある通りの真ん中を今、()()()()()()たちが地霊殿へと向けて足を運んでいた――。

通りの向こうに見える地霊殿を歩きながら見つめて、二人組の片割れの少女――小傘がもう片方へと声をかける。

 

「いやぁ~、わちき初めて地底に来たけれど、真昼間なのに結構にぎわってるんだね、旧都って」

「そうですね。旧都って朝昼晩とこんな調子なのでしょうか?人里の繁華街でも昼間は落ち着いているというのに……」

「そうだねぇ~。でも、本当に良かったの?わちきに付いて来たりして」

「はい♪……会館にいても()()私にやれる事はほとんどありませんし、でしたらこっちに来れば何か役に立つ事があるかもしれないと思い踏み切らせていただきました♪」

 

そう言って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を提げて歩きながら、茜色の着物姿の元妖精メイド――イトハが(ほが)らかに小傘に笑って見せた。

事実、四ツ谷会館でのイトハの扱いは梳同様、居候を住まわせる形であり、会館での仕事の手伝いは最低限の事しかさせなかった。いや、()()()()()()()()()()()()のである。

と言うのも、イトハの持つ『家事スキル』が四ツ谷たちの想像をはるかに上回る『ハイスペック』だったからである。

咲夜が提案した『妖精メイド育成化計画』に首席で合格しただけあって、イトハは四ツ谷会館にやって来た初日に自身の腕を存分に振るい、そして()()()()()()()――。

始め四ツ谷は、会館の特定の場所の掃除をイトハに指示したのだが、イトハはそれを半日もしないうちに終わらせていた。いや、より正確に言うならば、四ツ谷が指示した場所だけでなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

指示された部屋やそれ以外の部屋や浴室などももちろんの事、小傘が副業で作業する鍛冶の工房までもが誇り一つ無く奇麗に掃除されていたのだ。

しかも、部屋の中に置かれていた家具や備品なども一つ一つ丁寧に手入れまでされた状態で。

これには四ツ谷のみならず、四ツ谷会館の住人全員が唖然となり、開いた口が塞がらなかった。

そんな四ツ谷にイトハは『申し訳ありません。指定された場所がすぐに終わってしまったので、誠に勝手でしたが別の場所も掃除をさせていただきました』と謝罪しながら、言ってきた。

なら、ついでに洗濯もしてもらおうと四ツ谷がそう口を開きかけた時、イトハは四ツ谷の予想を上回る言葉を続けざまに言ってきたのだ。

 

『……あ、ついでに洗濯ものも全て洗って干しておきましたので。それと昼食の支度も済ませておりますので後の調理は簡単にできますよ?ちなみに献立は白米にほうれん草のお浸し、たくあんの漬物に豆腐の味噌汁、たけのこと鶏肉の煮物となっております』

 

あのだだっ広い紅魔館を咲夜や他の妖精メイドたちと家事を行っていただけあって、この会館程度の広さの仕事など余裕のよっちゃんだったらしい。一体その幼い体のどこにそんな並々ならない活動力が蓄えられているのか。

イトハのその発言に、四ツ谷は二の句が継げなくなり、イトハを前にしばらく口をパクパクと開閉するだけという珍しい姿をさらしていた。

その後も、イトハは会館にやって来る客の対応や金小僧がやっている事務作業なども少し教わっただけですぐに覚えてやってのけてしまい、結果、会館住人全員がが暇を持て余してしまい、そのあり余った一日の時間をどう使おうかと真剣に考える羽目になってしまったのであった。

それを機に、四ツ谷はイトハにできるだけ仕事を言いつけることは無くなり、イトハも周囲の状況を察してかそれ以後、必要以上に出過ぎた真似をする事は無くなったものの、代わりにイトハが暇を持て余すようになり、一日の大半をぼんやりと過ごす羽目になってしまったのである。

それ故、小傘が地霊殿へ向かう事を聞いた時、いの一番に彼女に同行する事に名乗りを上げたのであった。

四ツ谷が()()()()()以上、地上の妖怪よりも危険な妖怪たちがいる地底で()()()()向かう事ができるのは、会館内では小傘だけであり、かくいう小傘自身も、当初は一人で向かうつもりであった。

その為、イトハが同行すると言った時には正直驚き、同時にイトハが所謂『暇つぶし』の為に地霊殿への同行に参加したのにも気づいて、小傘は内心苦笑を浮かべざるを終えなかった。

通りを歩きながら、段々と大きくなっていく地霊殿の建物を見ながら、小傘は「そう言えば……」と、横で一緒に歩くイトハに質問を投げかけた。

 

「……イトハちゃん。何で折り畳み入道に地霊殿から()()()()()()に繋げてほしいって頼んだの?……そりゃあ、地霊殿にある箱に直接繋げて来ちゃったら、不法侵入でかえってさとりさんたちに警戒心を起こさせちゃうってのは分かるけど、それだったら地霊殿のすぐ近場の箱に繋げて正面玄関から普通に入るって事もできたよね?」

 

小傘のその問いかけにイトハは少し照れ臭そうに呟く。

 

「あはは……。個人的な事情で申し訳ないのですが、実は私、一度旧都がどんな所なのかとても興味があったんです。地底に住む鬼たちが一から発展させた巨大都市。聞くだけでもすごそうじゃないですか。だから、地霊殿に向かうついでにちょっと軽く見回っておこうと思いまして」

「そう言う事……。まぁ、地霊殿からあんまり離れた距離じゃなかったし、それぐらいならわちきも一向に構わないよ」

「ありがとうございます。……もう、地霊殿は目と鼻の先ですね。私のちょっとした我がままにつき合わせてしまってすみません小傘様。……ですが、何も問題が起こらずよかったで――」

 

そう響くイトハの言葉が途中で止まり、そして直後に困ったような顔を彼女は浮かべた。

 

「あぁ……本当に重ね重ね申し訳ありません小傘様。……問題、起きてしまったようです」

「……みたいだね」

 

小傘もうんざりするかのような顔でそう響く視線の先には、どこから現れたのか二人組の男が小傘たちの行く手を遮るように立ちふさがったのだ。

一応この旧都にいるからには妖怪だと思える二人組の男は、どちらも顔を真っ赤にして僅かに身体をふらつかせながら、小傘たちに向けて下卑(げび)た笑みを浮かべてきていた。

その全身から隠しようのない酒の匂いをプンプンと漂わせており、先程まで男たちが浴びるほど飲んでいたのは明白であった。

片割れの男が口を開く。

 

「へっへっへ……。お嬢ちゃん、結構かわいい顔してるね。どれ、おじさんたちと一緒に一杯付き合わない?」

「そこの()()()()()()はもう帰った方がいいぜぇ?()()()()()()()()()()()()()なぁ。何か起こる前に家に帰ってかーちゃんのおっぱいでも吸ってなぁ!」

 

ありきたりな酒の勢いによるナンパな上、明らかに小傘狙いで言い寄ってきているのがまる分かりであり、小傘のみならず『小っせぇガキ』扱いされたイトハも、絶対零度の如き冷たい視線を酔っ払い二人に向ける。

 

「……真昼間から絡み酒とはいい御身分だね、この酔っ払いオヤジ共は……!」

「同感ですね。地底世界の妖怪たちはこんな品の無い者たちばかりなのでしょうか?」

 

小傘とイトハが続けざまにそう言い、それに酔っ払い二人も顔をしかめながら反応した。

 

「あん?ガキが舐めた口たたいてんじゃねーぞ!」

「オイオイ、嬢ちゃんたちぃ?おじさんたちが優しく言っている間に言う通りにしといた方がいいぞぉ?」

 

二人の酔っぱらいの凄みを利かせたその言葉にも、小傘とイトハは全く意に介さない。

 

「オジサンたちこそ、さっさとどっか行ってくれる?わちきらこの先に用があんの。アンタたちみたいな昼間っから酔っぱらってる暇人の相手をしてる時間は無いの」

「着物にアナタたちのお酒臭い体臭が移ってしまいますからそれ以上近づかないでくださいますか?……こちらが()()()()()()()()()に、さっさと帰ってママのおっぱいでもしゃぶっていてください」

 

「「ンだとゴラアァァァァッ!!!!」」

 

典型的な売り言葉に買い言葉。されど酔っ払い二人は赤い顔をさらに真っ赤に染めて、唐突に小傘とイトハにそれぞれ殴りかかってきた。

先に絡んできたのはそっちでしょうにと、ブツブツ毒づく小傘に、片方の男の拳が迫る。

しかし、接触する直前で男の視界から小傘の姿が瞬く間に消え失せた。

 

「なっ!?消え――」

 

先程まで小傘が立っていた場所に男の拳が空を切り、驚愕する男の首筋に小傘の鋭い手刀の衝撃が入る。

 

「がっ――」

 

何が起こったかもわからないまま男は意識を刈り取られた。

大妖怪になった上、定期的に風見幽香の元を訪れては、そこで彼女にしごかれ、それによって力の制御にも日に日に慣れてきている小傘にとって、この程度の妖怪の相手など赤子の手をひねるよりも簡単であった。

一方、イトハの方も、もう片方の男に襲い掛かられるも、彼女も慌てる事無く持っていた風呂敷包みを脇の地面に置くと、一瞬の合間に男の懐に飛び込んでいた。

 

「!?」

 

その動きに驚く男。その間にもイトハは男の胸ぐらをつかみ上げると、自身の体を反転させてそのまま男を一本背負いにて地面にたたきつけていた。

 

「がはぁっ!?」

 

見た目にも幼い少女に背中から地面にたたきつけられた男は、衝撃で肺の中の空気が一気に口から吐き出され、そのまま意識も手放す羽目となった。

その光景を見た小傘はイトハに感嘆の拍手を送る。

 

「おー!イトハちゃんすごいねー!」

「ありがとうございます。あまり見せられたモノではありませんが……」

 

そう言いながら、イトハは一本背負いで少し乱れた着物をいそいそと正すと、地面に置いた風呂敷包みを手に取り、小傘と共に再び歩き出した。

 

「ねぇ、さっきの一本背負い、結構手馴れてたっぽいけど、紅魔館で習ったの?」

「はい。護身術の一環として柔道を……。他にも空手に合気道、それと戸隠流(とがくしりゅう)の技をいくつかと、あと美鈴様から太極拳(たいきょくけん)を少々」

「も、元武闘派メイド……!?」

「あはは……。でもその反面、弾幕ごっこは苦手ですけれどね」

 

意外にもイトハが格闘技に精通していた事に小傘は驚きながら、伸びている二人の男にはもはや目もくれず、会話を楽しみながら小傘とイトハはそのままスタスタと地霊殿へと向かうのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧都の中でひときわ広大で、大きな洋館がそびえ立つ場所、地霊殿。

その真下には旧地獄の中心だった灼熱地獄跡があり、中庭にはそこへと通じる穴もあるという。

そして、その灼熱地獄跡に棲む怨霊たちの管理を一手に任されているのが、これから小傘たちが会う、古明地さとりであった。

地霊殿の正面玄関に到着した小傘とイトハは、まず来客が来た事を知らせるため、扉に備え付けられたドアノックを鳴らす。

ゴンッ、ゴンッと、二、三回軽く叩いただけだったのに、その音は異様に大きく辺りに響き渡った――。

そうして、しばらく待つ事数十秒後――。

 

「はぁーい、どちら様ぁー?悪いんだけどうちは今立て込んでるから、大した話じゃないならお引き取り願いたいんだけど……」

 

そう、ブツブツと呟きながら扉を開けて現れたのは、黒地に緑の刺繍が施されたゴスロリドレスを纏った赤毛の少女であった。

赤毛の髪を二束の三つ編みにしておさげにし、その頭頂部には人ではない事を示すかのように大きな黒い猫耳がピコピコと生えていた。

側頭部にも人の耳が生えているため、実質耳が四つあり、それがますます持って彼女が人ではない事を表すかのようであった。

そんな少女――火車(かしゃ)の妖怪である火焔猫 燐(かえんびょう りん)は、訪れてきた小傘とイトハを視界に収めると、その目を丸くした。

 

「あれぇ?アンタ確か地上の宴会でよく顔を合わせる傘娘じゃん。何でここに?って言うか、そっちの娘も誰?」

 

言葉を選ばない不躾な口調であったが、その気さくで言葉の中に悪意のようなモノが一切感じなかった事から、小傘もイトハも悪い気分にはならなかった。

小傘が口を開く。

 

「お久しぶりです、お燐さん。こっちはわちきたちと今、会館で一緒に暮らしている妖精のイトハちゃんです。今日はさとりさんに用があって来たんですけれど……さとりさん、今いますか?」

「あー……いるっちゃいるんだけどねぇ……。悪いねぇ、遠路はるばる来てもらってこう言っちゃ難だけど、私ら今、来客に対応している余裕がないんだよ。せっかく来てもらって悪いけど用があるならまた今度にしてくれるかい?」

 

申し訳なさそうな顔でそう言う燐を前に、今度はイトハが一歩前に出る。

 

「古明地こいし様の事で用がある、と言ってもですか?」

「……何?」

 

イトハのその言葉に、燐の態度が一変する。

声のトーンが一段と下がり、険しい顔つきで小傘とイトハを睨む。

 

「……アンタたち。こいし様が()()()()()()()知ってるのかい?」

 

凄みを利かせた声でそう問いかける燐にイトハは静かに首を振る。

 

「いいえ、残念ながら私たちも何も知りません。私たちはとある事情でこいし様の所在を掴むべくここを訪れたのです」

「とある事情?」

「はい。その事も含めてさとり様とお話がしたいのですが……。どうかさとり様にお取次ぎをお願いできませんでしょうか?」

 

イトハが真摯な姿勢で燐に対してそう説得するように語り掛け、燐は顎に手を置いて数秒間思案顔になる。

やがて、燐が顎から手を放して口を開く。

 

「……わかった。ちょっと待ってな。直ぐにさとり様を呼んでくるから」

 

そう言って燐は、小傘とイトハを玄関口からエントランスホールへと二人を通すと、そこで二人を待たせて自身はそばの階段から二階へと駆け上がっていった。

そうして数分としないうちに、燐は二階から一人の小柄な少女を連れてエントランスホールへと戻ってくる。

ぱっと見た感じ、十歳かそれより少し上くらいの見た目をしたその幼さの残る少女は、やや癖っけのある短い薄紫の髪に深紅の瞳を持ち、フリルのついた水色の服にピンクのセミロングスカートを身に着けており、その身体のあちこちには複数の細いコードがくっついており、それらが全て胸元に浮かぶ大きな目玉へと繋がれていた。

その少女――地霊殿の主である古明地(こめいじ)さとりは、小傘とイトハを視界に収めるなり開口一番に声を上げた。

 

「……お久しぶりです小傘さん。紅魔館の妹さんからの依頼で遠路はるばるここまでご苦労様です。と、言ってもあの折り畳み入道の能力で来たみたいなので、あまり苦ではなかったようですが。始めましてイトハさん、私が古明地さとりです。あのメイド長さんが一から鍛えただけあってとても優秀みたいですね。あの自分の事しか出来ない妖精メイドをここまで成長させるとは感服しますし、それと同時にメイド長である彼女の苦労が目に浮かぶようです」

「………………あーははっ、お、お久しぶりですさとりさん」

「………………」

 

つらつらぺらぺらと、こちらが地霊殿へ来た目的やその移動方法、さらにはイトハの名前や素性を簡潔に看破されてしまい、相変わらずこっちが話そうとしている事を先盗(さきど)りして全て自己完結で済ませてしまうさとりのその性格に、小傘は微妙な顔で空笑いを浮かべ、イトハは開いた口が塞がらずポカンと立ち尽くしていた。

そんな彼女たちの心境には気づいているはずなのに、さとりはあえてそれをスルーするかのように小傘に尋ねて来る。

 

「……所で今日はこいしの件で訪ねてきたようですが、あの吸血鬼の妹さんから直接依頼されたはずの貴女たちの代表者でもある四ツ谷さん本人がこちらに来ていないというのはどういう事なのですか?」

「……あ、えっと実は……」

 

さとりのその質問に小傘は人差し指で自分の頬をポリポリとかいて口ごもる。

すると、そんな小傘の心を読んだのか、さとりの表情に変化が起こる。

眉根を寄せ、唇を尖らせ、不満でいっぱいですとばかりにムッとした表情を浮かばせたのだ。

 

「……あー……あーあー、そうですか、そう言う事ですか……。なるほど、理解しましたよ全く……」

「ど、どうかしたのですかさとり様?」

 

どこか面白くなさそうにそう呟くさとりに、状況を見守っていた燐が恐る恐る彼女にそう尋ねる。

そんな燐の質問にさとりは投げやりに答える。

 

「……それについては四ツ谷さん本人に()()説明してもらいましょう。……では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……へっ?あ、はい……!そこのテーブルの上に乗せても?」

 

促すようなさとりのその言葉に、イトハようやくハッとなって()()()()()()()()()()()()()をテーブルに乗せていいかを尋ね、さとりは頷いてそれを了承する。

それを見たイトハはおずおずと風呂敷包みをエントランスホールに備え付けられていた木製のテーブルの上に乗せると、その結び目を解いて()()()さとりたちの目の前にさらして見せた。

 

「これは……」

 

はらりと風呂敷の中から現れた物を見て燐はそれを凝視する。

 

 

 

 

――それは一台の、小型のブラウン管テレビであった。

 

 

 

 

両手で抱えられるほどの大きさのそのテレビには、後から付けられたのが分かる用途不明のごてごてした機械部品があちらこちらに取り付けられており、小型テレビを珍妙な姿に変えてテーブルの上に鎮座していた。

イトハは風呂敷を解いたその流れでテレビの電源もオンにする。

ブゥン、という音と共に、テレビの画面に砂嵐が浮かび上がる。しかし、やがてその砂嵐の画面が少しずつ別の画像へと変わっていき、それと同時にテレビに着けられたスピーカーから()()()が響き渡り始めた――。

 

『…………ァ………ァアー…………アー、あー……テステス、マイクテス、マイクテス……只今、マイクのテスト中……ヒヒッ!よぉ、久しぶりだなぁ、古明地さとり。俺の顔が、声が、見えてるか?聞こえているかぁ?』

「……ええ。よぉーく見えてますし、声も聞こえていますよ。()()()()()()()()。随分とまぁ、手の込んだ事をしましたねぇ」

 

腕を組んで呆れと不満が混ざったような表情で、さとりはテレビ画面いっぱいに映る不気味な笑みを浮かべた元人間の怪異に向けて皮肉気な言葉を投げかけていた――。




最新話投稿です。

今回、小傘とイトハが現場で活躍し、四ツ谷は『テレビ通信』で拠点から間接的に関わっていくという手法をとっています。


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其ノ三

前回のあらすじ。

小傘とイトハは地霊殿を訪れ、そこでさとりと四ツ谷を『引き合わせる』。


――地上と地下を繋ぐ、大きな穴。

地下へと降り立ち、旧都へと向かう道中には、地下水が集束して大きな川を形成して居場所があった。

その川には、川に負けないほどの大きな木製のアーチ状の橋が架かっており、その橋のたもとで今、二人の妖怪と一人の守護神が地面に直接座って仲よく酒盛りを楽しんでいた。

守護神もとい『橋姫(はしひめ)』であり、金髪のショートボブに尖った耳が特徴的な少女、水橋(みずはし)パルスィ。

同じく金髪で、その髪を茶色の大きなリボンでポニーテールにしており、4本のベルトを巻き付けた特徴的なこげ茶色のジャンパースカートを纏った、土蜘蛛(つちぐも)の妖怪少女、黒谷(くろだに)ヤマメ。

そして、三人の中で一番小柄で幼い容姿を持ち、緑色の髪をツインテールに纏め上げ、白い着流しを着た上、身体を大きな木製の桶に入れているのが特徴的な、妖怪『釣瓶(つるべ)落とし』の少女こと、キスメ。

三人は仲の良い酒飲み友達で、昔から()()()()()()()()よくこの場所で楽しげに飲み明かしていたのである。

 

「へへへっ……。さ、()()()()一杯……」

 

ほろ酔い気分でヤマメが瓢箪から(さかずき)にそそいだ酒を渡す――。

だが杯を差し出した先には、()()()()()()()

 

「あ……!」

「……ヤマメ。()()()勇儀(ゆうぎ)はいないよ」

 

やってしまった、とばかりにヤマメはハッとなり、それを見たパルスィは呆れた顔をヤマメに向けて呟く。

その光景を見たヤマメも()()()()()目尻を下がってしまった。

さっきまでの酒での上機嫌が一転して重たい空気がその場に立ち込めた。

 

「……はぁ~っ、一体いつまで続くんだろうねぇ、()()()()

「さぁねぇ、少なくとも()()()()()()()()でしょうね。全く妬ましいわ」

 

ため息交じりにそう呟きながら瓢箪と杯を地面に置いくヤマメから、瓢箪だけを貰って自分の杯に酒をそそいでパルスィはそう答える。

それを聞いたヤマメは再びため息をつく。

 

「だろうねぇ……。少なくともそれまでは勇儀も酒を断って()()()()()みたいだしさ」

「無理ないわよ。勇儀の奴、()()()()()()結構可愛がってたからねぇ。……ったく、妬ましいったらありゃしないわ」

 

そう言いながら、パルスィも()()()()()もう一人の酒飲み友達の事を頭に浮かべる。

()()()()()()()()、鬼の四天王と名高い勇儀こと星熊勇儀(ほしぐまゆうぎ)は、自分たちの酒の誘いを断り続け、ただひたすらに()()()()を追っていた。

無理もない話だとこの場にいる全員理解してはいるが、やはり自分たちの中で一番の酒豪が離れたことで酒盛りも一気に火が消えたように寂しくなってはいたのだ。

小さくため息をついたパルスィは目の前に座るヤマメとキスメに向けて真剣な目で言う。

 

「……私らもさぁ、出来ることがあるなら勇儀に全力で協力してやろ?……こんな通夜(つや)みたいな湿った酒盛りが続くなんて真っ平御免だからさ」

「ああ、同感だね。……その間はキスメ、アンタは私たちから片時も離れちゃいけないよ?()()()()()()()()()()()()()』なんだからさ。もちろん今日も私ン()に泊まってきなよ?」

 

ヤマメのその言葉に、キスメは素直に小さく頷いて見せた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く……私に心を読まれたくないがために、わざわざ河童に頼んでこんなモノを作らせるなんて」

『ヒッヒッヒ!【テレビ通信機】だ。結構嬉々として作ってたぜにとりの奴。よっぽど奉仕活動に嫌気がさしてるみてーだな』

「小傘さんたちの心を読んで大体の事情は知ってますが、あえて言わせてもらえれば、彼女たちの自業自得でしょうに」

『だよなぁ』

 

画面の中で不気味に笑う四ツ谷を前に、さとりはうんざり顔で四ツ谷と会話を続けていた。

 

『それで、どうだ?俺の心を盗み見れないご感想は?』

「……(さとり)妖怪としてはこれ以上にない屈辱ですね。と言うか、そんなことを言いたいがためにはるばる小傘さん(彼女)たちをここに寄こした訳じゃないのでしょう?」

『……当然だ』

 

面白くないのでさっさとこの話題を切り上げたいのか、さとりはやや強引に話の筋を変え、ニヤニヤと笑う四ツ谷の方もそれを察して素直にそれに従う。

そして、単刀直入に四ツ谷はさとりへと切り出した。

 

『……んで、どうなんだ?古明地こいしはそっちに帰って来てんのか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後、小傘とテレビ通信機を抱えたイトハは、さとりに案内されるままに応接室らしき部屋に通されていた。

さとりは四ツ谷の質問にはすぐには答えず、小傘たちをその部屋に通すと、自分は一度部屋の外へと出て行ったのだ。

その間、燐は小傘とイトハにお茶や茶菓子を用意しながら、さとりにしか分からなかった来訪理由を改めて二人から聞いていた。

ひとしきりの話が終わった後、さとりが部屋に戻ってきた。その手には紐で一まとめにされた『紙束』らしきモノを持って――。

 

「おまたせしました」

 

そう言ってさとりは小傘とイトハが据わるソファーから机を挟んで対面となる別のソファーへと座った。

そして、持っていた紙束を小傘たちに見せる様に机に置く。

 

「これは……」

 

その紙束を見て、小傘がそう声を漏らした。

 

――それは、何十枚も重ねられた『手紙』の束であった。

 

しかも見た所、手紙には()()()()()()()()()()()、送られてきても手を付ける事無くそのまま束にして保管しているようであった。

小傘がさとりに尋ねる。

 

「この手紙の束ってもしかして……」

「お察しの通り、紅魔館の主の妹――フランさんから送られてきた、妹への手紙です」

『……やっぱ、手紙はちゃんとそっちに届いてたのか』

 

机に置かれたテレビ通信機からも手紙の束が見えたのか、画面内で四ツ谷が目をスッと細める。

 

「ええ……。元々あまり地霊殿にいつかず、ふらふらと出歩いて数日は留守にする事が多い子でしたが……ある日、『友達が出来た』と言ってはしゃいで帰って来た時は正直驚きましたよ。……しかもその相手があの吸血鬼の妹で、ちゃっかり文通まで始めたって言うんですから」

 

その時の事を思い出したのか、さとりはフッと苦笑を浮かべながらそう響く。

しかし次の瞬間、その顔にスッと陰りが帯び、さとりは俯きながら手紙の束を見下ろした。

 

「……ですが、ここにある手紙は、全て、()()()()()()()()()()()()()()()()。……この手紙がこちらに来た時には既に妹は行方不明となっていました」

「……って事はやっぱり、この地霊殿にも帰って来てないと?」

「はい……」

 

イトハの問いかけに、さとりは静かに頷いた。そして、続けて言う。

 

「……そして妹が居なくなったのは、妹がフランさんとの約束を違えたのと()()()()()()()

「……なっ!?って事は、いなくなってからもう半年たつって事!?ちゃんと捜索はしてるの!?」

「してるよっ!!地霊殿の全ペット総出で毎日方々を駆けずり回ってね!!」

 

さとりの言葉に驚いてそう叫ぶ小傘の言葉に少しカチンときたのか、今まで黙っていた燐が小傘に噛みついてきた。

少々失言な言い方だったと、小傘はしゅんと俯いて「……ごめん」と一言呟いていた。

それを見ていたさとりは小さく息を吐いて絞り出すように言葉を吐き出していく。

 

「……しかし全力で探しましても妹は見つからず、しかも妹がいなくなってからフランさんからひっきりなしに手紙が送られてくるようになりました。ですが、妹が行方不明になった事実を話す事もできず……。結果、やむ負えず手紙だけを保管する事に……」

『……?何でだ?本当の事だけでもフランドール(あいつ)に話しとくべきだったんじゃないのか?そうすりゃ、あいつが狂気で暴走する事もなかったかもしれねぇ』

 

四ツ谷のその指摘にさとりは再び頷く。

 

「……確かに、そうだったのかもしれません。……ですが仮に私がそうした場合、そのあと彼女がどういった行動をとるか、想像できませんか?……彼女の性格上、たった一人の大切な友達が突然いなくなったのです。ただ黙って妹が見つかるまで紅魔館でジッと待っているとでも?」

『「「…………」」』

 

さとりのその言葉に、四ツ谷、小傘、イトハは同時に沈黙する。

三人とも、さとりが言いたい事が自ずと察せられたからだ。

フランドールの性格からして、事実を聞いてそのまま黙っているはずがない。最初の内は待っている事に専念していたとしても、直にしびれを切らして実姉(レミリア)が止めるのも聞かず、()()()()()()()単独で突入をかましていたかもしれないのだ。

そして、世間知らずなフランドールの事である、捜索と称して地底世界を暴れまわり、さとりは良いとしてもその他の地底に住む危険な妖怪たちの目に留まってしまえば、最悪地上との関係に大きな波紋を呼ぶ事になるかもしれなかったのだ。

三人がそんなことを考えていると、さとりは片手で頭を抱えて力なく首を振る。

 

「……ですが、こちらが黙っていたとしても、しびれを切らした彼女が地底へとやって来る可能性がありました。そうなった場合、紅魔館側と協力して彼女を全力で止めて帰す事も考えていたのですが……。まさか、狂気が再燃して紅魔館で暴れ始めるなんて……」

『……フランドール(あいつ)、俺に依頼しに来た時、こう言ってたぜ?自分と遊ぶのに飽きられたんじゃないかとか、忘れられてるんじゃないか、嫌いになったんじゃないか、ってな』

「…………」

 

四ツ谷のその言葉に、さとりは何も言わず沈黙する。

 

『……不安だったんだろうよ。不安で怖くて仕方なかったんだ。だからこそ勇気をもってそっちに行って問い詰める事もできなかったんだろう。……んで、周りにも話せず一人悶々(もんもん)と悩みを抱え続けていたがために、積もりに積もったモヤモヤ(狂気)が爆発しちまってあの様だ』

「師匠!」

 

画面の中で頬杖を突き、言葉を選ばずやや乱暴にまくし立てる四ツ谷のその物言いに、小傘がすかさずそうたしなめた。

すると今度はイトハが口を開いた。

 

「……確かにそうだったのかもしれませんが、それだけではないように私には思えます。……恐らく妹様は、こいし様が来なくなった後も、ただひたすらに『遊びに来る』というこいし様との約束を信じ続けて待っていたんだと思います。あの方は世の中の事に疎くはありましたが、誰かとの約束や予定を交わした時は、自分から()()()()()()()()()()()()()()()()()()。妹様はそういった所は素直な方でしたから……」

 

元紅魔館の妖精メイドであり、この中で一番フランドールの事をよく知っていたがためか、イトハはフランドールをかばうようにそう言い、そして次に真っ直ぐにさとりを見据えると力の入った声で続けて口を開いた。

 

「――でも……だからこそ、妹様の為にも一刻も早くこいし様を見つけなければなりません」

「…………」

 

それにはさとりは何も返答はしなかったが、「当たり前だ」とばかりに力強く頷き返していた。

 

『……それで、ぶっちゃけ何かないのか?古明地こいしを探す手がかりみてぇなモノは……?』

 

短い沈黙の後、四ツ谷がそう切り出すと、さとりは少し思案顔になりながらも言葉を吐き始める。

 

「……実は、心当たりが無いわけじゃないんです。……でも、それにこいしが()()()()()()のか確証が持てなくて……」

「どんな事でも良いです。教えてください」

 

前のめりになりながらイトハがそう詰め寄ると、さとりは何故か言いにくそうにしながらも()()()四ツ谷たちに打ち明けた――。

 

「……実は、ここ二、三年の間に、旧都内で幼子(おさなご)の失踪事件が立て続けに起こっているんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小傘たちが地霊殿を訪れた日の夕刻――。

旧都の喧騒が昼間よりもさらに高まり、都市全体が宴会をしているかのような賑わいを見せている中、とある居酒屋に一人の『鬼』が客として訪れていた。

 

「……お!()()()()()、いらっしゃい!……今日も酒――じゃなくてお茶で良いのかい?」

「ああ、悪いね店主……。頼むよ。……料理の方は適当なの何でもいいから見繕っておくれ」

「はいよ」

 

どこか声に覇気が無く、そう店主に注文を頼むのは額に黄色の星印のついた大きな赤い角を持つ、長い金髪の女であり、その女こそ鬼の四天王の一角にして、『力の勇儀』という二つ名で恐れられた怪力乱心の鬼――星熊勇儀であった。

勇儀は店主から、おつまみと共に出された湯呑(ゆのみ)のお茶を少しずつ味わうように飲んでいく。

それを見ていた店主が勇儀に声をかけた。

 

「……まだ見つかんないのかい?子供たちは……」

「ああ……、残念ながらね。ったく、我ながら情けないよ」

 

いつもは竹を割ったように明るく豪快ない性格をした勇儀であったが、数ヶ月前の()()()()()()、すっかり意気消沈となっており、それからというもの毎日一日の時間を子供たちの捜索及び旧都の見回りに費やしていた。

 

「根を詰めすぎないように注意しなよ?()()()()()あった後じゃあアンタが落ち込むのも仕方ねぇこったが……俺たちゃあ、豪快に酒を飲んで笑う、元気なアンタが好きなんだからな?」

「あっははっ、ありがとよ店主。……分かってるって……()()()()()()()()()……」

 

小さく笑いながら自身の持つ湯呑に視線を落とす勇儀。そこへ、また別の声が彼女にかかった――。

 

「……あら、姐さん。お久しゅ♪」

 

勇儀が声のした方に振り向くと、そこには居酒屋の出入り口を背に着物を纏った妙齢の女が立っていた。

その女が()()()()の者だと気づくと、勇儀の方も気軽に女に声をかけた。

 

「……なんだ、お(いと)じゃないか……。今から()()かい?」

「ええ。でも、その前に腹ごしらえをね……。私の仕事は精力が多く必要になるからさ♪」

 

そう言いながらその女――お糸はカウンターに座る勇儀の隣の椅子に陣取ると、店主に熱燗(あつかん)とお刺身を頼んだ。

やがて店主からそれらの品が運ばれてくると、お糸はおいしそうにそれらに口をつけ始めた。

それを見ながら勇儀はお糸に向けて口を開く。

 

「一晩に何人もの男を相手する『遊女』だろ?その程度の料理だけで朝まで持つのか?」

「フフッ……これでも燃費は良い方なので♪良かったら姐さんも気晴らしにどうです?私と一緒に男の相手」

「よせやい。アタシが男に(こび)を売るような(タマ)に見えるのかい?」

「フフッ!まっさかぁ!言ってみただけですよ♪姐さんにはやっぱりお酒が一番お似合いですから♪」

 

そんな会話をしながら、お糸はそそくさと食べ終えると、店主にお勘定を払って店を後にする。

去り際にお糸は、思い出したように勇儀に問いかけてきた。

 

「……そう言えば、例の幼子たちの失踪事件。何か進展はありまして?」

「……いいや。情けない話だが手がかり一つ見からないね」

「そ。無事に子供たちが見つかればいいですわね。私もできうる限り協力はしますから。……それじゃ♪」

 

そう言ってお糸は背中越しに手をヒラヒラと振りながら店を出て行き、勇儀はそんなお糸に()()()()()()小さく「ああ」と呟きながら笑みを零していた。

 

――ピシャリと居酒屋の戸が閉じられ、店内に静寂が降り立つ。

 

カウンターの奥にいる店主は()()()()()()()()()()()()()()()()()俯く勇儀を凝視していた。

その勇儀はと言うと、笑みを浮かべたまま(こうべ)を垂れていたのだが、その目は感情が抜け切ったように()()()()()()()()、ただただその視線は手元の湯呑の中へと向けられていたのだ。

湯呑の中のお茶の水面が、冷たい目で笑みを浮かべる勇儀の顔を薄っすらと映し出す。

 

次の瞬間――勇儀の持つ湯呑の表面にピシリと、小さな亀裂が走った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――某日、某所。

 

薄暗い、長い廊下を今、一人の幼い少女が走っていた――。

 

「ハア!……ハア!……ハアッ!……ハアッ!……」

 

手足が獣の体毛で覆われたその幼い妖怪の少女は、着物がはだけるのも構わず息を切らして全力で、先の見えない暗闇に続く廊下の奥へとただひたすらに走ってゆく――。

と、突然、少女の足がもつれ、少女は盛大に前のめりに倒れこんだ。

 

「あぅ……!」

 

小さくうめき声をあげて倒れる少女、しかし身体に走る痛みに()()()()()()()()()、すぐさま立ち上がろうとする。すると――。

 

 

 

 

 

  ……ミシリ。

 

 

 

 

            ……ミシリ。

 

 

 

 

                          ……ミシリ。

 

 

 

 

 

 

 

「ひっ……!」

 

唐突に、されどゆっくりとした歩調で自分に向かってくる足音を耳にし、少女は小さく悲鳴を上げ、体を硬直させる。

両目に並々と涙を溜め、恐る恐る少女はゆっくりと振り返る。

 

 

 

 

 

――そこには、『鬼』がいた……。

 

 

 

 

闇の中からゆっくりと現れたその『鬼』は恐怖に怯える少女を楽しそうに見下ろす――。

 

「ぁ…………ぃ、や…………や、だぁ…………いゃぁ……………っ!」

 

涙を流しながら、少女は何とか『鬼』から距離を取ろうと手足をばたつかせる。

しかし恐怖に支配された少女の四肢は、彼女の言う事を聞かず、その場でジタバタともがくだけであった。

その上、恐怖が頂点(ピーク)に達したのか、ばたつく少女の足の間から体液が漏れ出し、その場に水たまりを作り始める。

 

それを見た『鬼』は楽しそうに、愉快そうに、面白そうに……笑う、(わら)う、(わら)う。

 

「………ぁ……ぅ、ぁ………」

 

自分を見下ろし、笑う『鬼』を見て、やがて諦めを悟ったのか少女は暴れるのを止め、急速に光を失った目で目の前の『鬼』をぼんやりと見上げる。

 

抵抗を止め、絶望に染まった少女を『鬼』は非常に、冷酷に、そして満足そうに喉を鳴らし、目の前の幼き少女へと手をゆっくりと伸ばしていった――。




最新話投稿です。

ゴールデンウィークに入り、例の伝染病の事もあって時間があり余り、早くに今回の話が完成しました。
次回も早めに投稿できると思います。


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其ノ四

前回のあらすじ。

四ツ谷たちは、さとりから今旧都で起こっている事件の事を聞かされ始める。


「幼子の失踪事件?旧都ではそんな事件が……?それにこいし様も巻き込まれたと?」

 

今、旧都で起こっている事件の事を聞かされたイトハは、驚きながらもさとりにそう続けざまに問いかけていた。

それにさとりは小さく首を振る。

 

「……まだ、こいしがそれに巻き込まれたと決まったわけじゃありません。ですが、そんな事件が起こっているさなかに、こいしがいなくなってしまったのです。何か関係があると思ってしまうのも仕方のない事でしょう?」

 

さとりのその言葉にイトハは押し黙った。

そこへ今度は、四ツ谷が声を上げる。

 

『……数年前からって事は、もうとっくに捜索隊とかは結成して探し回ってんだろ?それでも、足取り一つ見つからないのか?犯人の目星すらも?』

「はい……、旧都の自警団なども日夜血眼に探し回ってますし、さっきも言ったように、私のペット達も探してはいるのですが……その中にいる『嗅覚』に優れた子たちでも、未だその足取りを掴めてはおりません」

 

苦虫を噛み潰したかのような表情でさとりの声が部屋の中に響いた。

そして続けて口を開く。

 

「犯人が狙うのは、いずれも()()()十歳前後の少年少女であり、失踪した子供たちは皆、()()()()()()()()()()()連れ去られているのです」

「……見た目は、って事は実年齢関係なく幼い容姿であれば手当たり次第に狙われてるって事なんだよね?ここは人里と違って妖怪だらけだから見た目に反して結構歳を重ねている子も多そうだし」

 

小傘の意見にさとりは頷いて見せる。

 

「ええ……、ですが見た目相応の子たちだっていないわけじゃないんですよ?現に失踪した子たちのほとんどは、そういった子たちが大半でしたから……」

「……今までどれだけの数の子供たちが失踪しているんですか?」

 

次にイトハがさとりにそう質問を投げかけた。

 

「…………」

 

しかし、先程まですぐに答えていたさとりは、その質問にはなかなか返答せず黙ってしまった。

 

『「「?」」』

 

四ツ谷、小傘、イトハの三人は怪訝な表所を浮かべ、そばで見ていた燐は苦悶に満ちた表情でそっぽを向いてしまった。

やがてゆっくりとだが、さとりは口を開く。

 

「……今まで、()()()()()()()()()()()()()、およそ五十人近くに達しようとしています」

「ごじゅっ……!?」

 

失踪した子供たちの数に小傘は素直に驚いてはいたが、同じくテレビ通信で話を聞いていた四ツ谷は怪訝な表情をますます深くした。

 

『……いやちょっと待て。今何て言った?見つかった子も含めれば?って事は、何人かのガキ共は既に発見されてるって事だよな?何でそいつらに何があったか聞かな――』

 

そこまで言った四ツ谷は途中で顔をハッとさせる。

そして直ぐ『まさか……』と呟く四ツ谷を前に、さとりは重たい口を開いた――。

 

「……実は……失踪した子供たちの内の何人かが、2、3度、旧都内で発見されているんです。……()()()()()()()()()()……」

「そんな!」

 

あまりの事実に、小傘はショックで口を手で塞ぎながら叫び、四ツ谷とイトハも目を見開いて絶句する。

そして次の瞬間、イトハが勢い良く立ち上がっていた。

長年使えていた紅魔館の主の妹、その妹の大切な友人が命の危機に瀕しているかもしれないと知った以上、彼女にとっても他人事ではなかったのだ。

 

「……だったらなおの事、一刻も早く見つけないといけないじゃないですか!万が一、失踪した子供たちの中にこいし様がいるのであれば、いつ犯人に殺されるかもわからない……!」

「分かってます!!」

 

イトハの怒鳴り声にバンッと机に両手をたたきつけ、さとりも叫びながら立ち上がる。

そして厳しい目で自身を見つめて来るイトハを睨みながらさとりは続けて口を開く。

 

「……もし、そうであるなら、私も一刻も早くこいしを助けたい……!でも、本当に分からないんです。犯人が誰なのかも、どこにいるのかも、何故子供たちをさらって殺しているのかも全く!……そうじゃなきゃ、ここでゆっくりと貴女たたちと会話なんてしていませんッ!!」

「あ、あの、二人とも落ち着いて!?」

「…………」

 

机を挟んで顔を近づけ睨みあうイトハとさとり。そばで見ている小傘はあたふたと二人を交互に見やりながら声を上げ、燐は小さく構えながらも、二人の成り行きを見守る。そして、四ツ谷は画面の中で頬杖を突きながらそれを見ていた。

そうして短い間、二人の間で拮抗状態が続くも、唐突にさとりの方がハッとなりイトハから顔を離した。

それを見たイトハはニヤリと小さく笑う。

 

「……今、()()()()()()()()()()()()?……そのとおり。私は()()()()()()()()()()()()()()()

「……!」

 

イトハのその言葉に、さとりはさらに驚き、成り行きを見守っていた小傘と燐は何が起こっているのか分からずポカンと立ち尽くす。

しかし、四ツ谷だけは薄々イトハが()()()()()()()()()を察し、その上でイトハに問いかけた。

 

『……お前、何か企んでやがるな?』

 

四ツ谷のその言葉にイトハは小さく微笑むと、テレビ通信機に映る四ツ谷に身体を向けると()()()()()()()()をつまんでカーテシーを行う仕草をする。

そして優雅な一礼をしながらイトハは四ツ谷に()()()願い出を申し出た――。

 

「四ツ谷様。(まこと)に申し訳ありませんが、少しの間()()に専念いたしたいので、その間休暇をいただけませんでしょうか?」




最新話投稿です。

短いですがキリが良かったので投稿させていただきました。

追筆:()()()()()()()()()や、話的に少し無理がある所もあったので、この投稿話だけ少し修正させていただきました。


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其ノ五

前回のあらすじ。

失踪事件の子供たちの中に殺害されている者もいると知ったイトハは、四ツ谷に休暇を貰い、とある行動に出る。


地霊殿でのさとりとの会談から三日後の昼時――。

 

「はぁーい、お客様三名様ですねー!そこのお席が空いておりますのでお座りください。あ!注文ですか?……かしこまりましたぁ。すみませーん!こちらのお客様に鮎の塩焼き定食を一つー!あと食後の甘味として杏仁豆腐(あんにんどうふ)も追加をー!」

 

旧都のとある一角にあるとある食堂にて、着物の上に割烹着(かっぽうぎ)を身に纏ったイトハが店内を忙しなく動きながら仕事をこなしている光景があった。

注文(オーダー)も給仕も、一切ミスが無かったのはもちろんの事、客受けもよく、どんな客の対応でも難なくこなしていた。掃除も皿洗いも完ぺきで、何十枚と出た食後の汚れた皿も、まるで外の世界の食器洗浄機にかけたかのように短時間で汚れ一つ無く洗い落としてしまっていた。

 

「ひぇ~っ、い、イトハちゃん、一昨日(おとつい)入ったばかりなのに飛ばし過ぎだよぉ!私の仕事がなくなっちゃう!」

「こりゃ近い内に厨房にまで手を出しかねねぇなぁ。俺らもうかうかとしてらんねぇよぉ!」

「ほんとに……あのちっこい体の何処にこんなエネルギーが溜まってんのかねぇ」

 

鬼神のようなイトハのその働きっぷりに他の給仕の女性や厨房の料理人たちが恐れ(おのの)き、お客の方も見た目に反して他の従業員顔負けな動きを見せる彼女に目を見張っていた。

そして、その店内の一角の席で、小傘もイトハのその働きっぷりを注文で出されたお茶とみたらし団子を頬張りながら見つめていた。

 

(……しかも、この店だけじゃなく()()()()()()()()してるんだから、とんでもない子だよねぇ~)

 

客や従業員の声が耳に届いていた小傘は呆れた目でイトハを見つめてそう心の声を漏らす。

そして今度は先程とは一転して()()()()()でイトハを見つめると、小傘は三日前のイトハの宣言を思い返していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おとり捜査だぁ?』

 

応接室にテレビ通信機の中の四ツ谷がそう響き、それにイトハがニッコリと微笑みながら「はい!」と答えていた。

そして自らの胸元にそっと手を置きながら、イトハは続けて口を開いていく。

 

「……私を(おとり)にして犯人をおびき出そうと思っています。自分で言うのもなんですが、私もこの通り幼い容姿ですから犯人の目につきやすいと思うんです」

『……そのために旧都で()()()()()働いてみたい、と?』

「はい!目立った行動をとれば、それだけ私を狙う可能性が高まるでしょう?」

 

四ツ谷の問いかけにイトハは微笑んだまま答え、それを小傘が止めにかかる。

 

「危険だよ!もし、犯人を捕まえるのに失敗してイトハちゃんが連れ去られたりしたらどうするの!?」

「大丈夫ですよ小傘様。もしそうなったとしても、私、これでも()()()()()()()()()。何かあったらすぐに全力で逃げてきますので」

「でも……!」

 

やんわりとそう言うイトハに小傘はなおも止めようと口を開きかけ――、それよりも先にさとりが口を開いていた。

 

「……正直な所、その提案は願ったり(かな)ったりですね」

「さとりさん!?」

「さとり様!?」

 

さとりの衝撃的な発言に小傘と燐は同時に驚き叫ぶ。

そんな二人の視線を無視し、さとりはジッとイトハを見据えながら呟く。

 

「……事実、子供たちの捜索や()()()()()()()()()()()()()()暗礁(あんしょう)に乗り上げていると言っても過言ではありません。ですが既に失踪した子供たち数人の命が失われ、こいしも巻き込まれているかもしれない以上、このまま手をこまねいているわけにもいかない。……ならば、いかなる手段をもってしても一刻も早く犯人を特定しこの一件を解決する必要がある」

 

そこまで言ったさとりはそこでフゥッと、小さくため息を一つ吐いた。

 

「……ですが本来なら、その囮となる役目を地上の住人である貴女に担わせるべきではない。元々は地底の問題なのですから当然です。……本当なら私がその囮役を買いたい所なのですが、私は地底(ここ)では有名人。犯人に顔が割れている可能性が高い。間違いなく直ぐにバレて警戒されてしまうでしょう。けれど貴女は地上の住人でなおかつ地底に来たばかりなためここでの面識は薄い。……なら、結局貴女に頼み込むしかない……!」

 

そうしてさとりはゆっくりとイトハに向けて深々と頭を下げた。

 

「私たちも全力でサポートします。何かあった時、責任も全て私が持ちます。……ですからどうかこいしを……()()、よろしくお願いいたします」

 

静かだが力のこもったさとりのその言葉に、イトハも優雅に一礼して返して見せる。

しかし、まだ納得できない小傘はそんな二人に噛みついてくる。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!二人だけで話を進めないで!わちきはまだ納得してないよ!?」

『落ち着け小傘』

「でも師匠……!」

 

テレビ通信機内の四ツ谷が小傘を止め、小傘は四ツ谷に目を移す。

それを見た四ツ谷はニヤリと笑って見せた。

 

『ヒヒッ!……いいじゃねぇか』

「えっ!?」

『どの道、行き詰まりならそれに賭けてみるのも悪くはねぇ……。それに、あっち(さとり)は一切の責任を請け負うって言ってんだ。……大事なウチの住人を預けるんだ、それだけの事を言ってくれなきゃ困る』

 

『その分、全力で働いてもらわにゃあなぁ』と付け足し、四ツ谷はヒッヒ!と再び笑って見せた。

 

「ありがとう」

「…………」

 

頭を上げたさとりは素直に四ツ谷に感謝を述べる。しかし何故か四ツ谷は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

「うぅ~っ、……あ、危なくなったら絶対助けに行くからね、イトハちゃん!」

「……はい!」

 

断腸の思いでそう絞り出すように響く小傘に、イトハは柔らかく笑って見せた。

と、そこへ四ツ谷が唐突にイトハに声をかけた。

 

『……所でイトハ。囮として活動するんなら、夜じゃなく()()()()()()()()、そんで夕方ぐらいになったら真っ直ぐ地霊殿(こっち)に帰るようにするんだ』

「……?何故にございますか?誘拐を企てるなら『昼間』より『夜』が行動しやすいと思いますが?……まぁ、ここは地底ですので地上と同じような生活基準なのかは分かりかねますが……」

 

小首をかしげながらそう問いかけるイトハに、四ツ谷ではなくさとりが補足するようにそれに答えた。

 

「いいえ、そこは地上と大差ありません。基本、地底にも時計などの現在時刻を知る方法がありますから、それを見ながら地底の者たちは行動しています。ですから、太陽が見れなくても、規則正しい生活が地底でもできているのです。……で、それがどうかしたのですか?」

 

それを聞いた四ツ谷はニヤリと笑みを深めた。

 

『ヒッヒ、それを聞いてなおさら確信が強くなったなぁ。……古明地さとり、さっきお前はこう言ったな?「いなくなったガキ共は皆、一人で出かけてる時にさらわれてる」、「さらわれたガキ共のほとんどが見た目相応の年齢」だってな』

「ええ、それが何か?」

地底(ここ)での生活習慣が地上と大差ないって言う上に、さらわれたガキ共のほとんどが見た目相応の年齢ってんなら……一人で出かけるのは大抵遊びに行く、()()()()()()。夜も行動する大人共の時間帯に子供一人が出歩くなんざ、ほぼあり得ない』

「……!」

 

四ツ谷のその発言に、さとりは目を大きく見開く。そして、そばで待機していた燐にすぐさま声をかけた。

 

「……お燐!私の書斎の机の上に『行方不明者の報告書』が置いてあるわ。それを取ってきて!」

「は、はい!」

 

燐は慌てて応接室を飛び出し、しばらくして分厚い紙束を手に部屋へと戻って来る。

さとりは燐への(ねぎらい)いの言葉もそこそこに、彼女から半ば奪うように分厚い紙束の報告書を手にすると、周りの目を気にする余裕もなく次々と(ページ)をめくってはそこに書かれている文字に目を走らせていく。

すると次第にさとりの目が徐々に見開かれ全ての報告書を読み終えた時には、半ば呆然としたまま口を開いていた。

 

「……確かに……行方不明者の子供たち全員、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

『ヒヒッ、やっぱりな。……お前、報告書持ってたんなら気が付かなかったのか?』

「……悔しい事に、気づきませんでした。何せ消えた場所や友人関係、身内との血縁関係の繋がりまで全てバラバラ……。消えた時間帯も、()()()()()全部バラバラだったので、時間関連も関係ないものだと深く考えてはいなかったのです。……私とした事が、浅はかでした……!」

 

心底悔しそうに、さとりは唇をかみしめてそう(うめ)くように呟いた。

そこへ小傘が不思議そうに首をかしげる。

 

「……でも、どうして昼間だけだったんでしょう?夜なら確実に人目につかない瞬間も多いし、行動しやすかったはずなのに……」

「さぁ?子供たちが夜に外に出歩く事があまり無かったからじゃないの?」

 

燐はあっけらかんとそう言うも、テレビ通信機の中の四ツ谷は真剣な顔つきで口を開く。

 

『……あるいは、()()()()()()()()()()()()、か』

「「……?」」

「夜に……」

 

四ツ谷のその言葉に、小傘と燐が同時に首を傾げ、さとりは何かを考える様に顎に手を当ててそう呟く。

短い沈黙の後、イトハは四ツ谷に向けて声を上げる。

 

「……いずれにせよ。旧都で働いた後、私は日が暮れる前にこの地霊殿に戻ってくればよいのですね?」

『まぁ、そういうこった。後は犯人(むこう)の出方次第だな。……どう出るか分からん以上、ばっちり対策は取らねえとな!』

 

四ツ谷のその言葉には、満場一致だったらしくその場にいる全員が一斉に強く頷いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――回想が終わり、小傘の意識が現実へと引き戻される。

昼のかき入れ時が終息し、客の出入りが落ち着いてきたのを見計らって小傘も静かに席を立ち、店を後にした。

もうすぐイトハはあの店での仕事が終わり、次は反物屋(たんものや)の店員としての仕事が待っている。

反物屋まで客として様子を見に行くわけにもいかず、小傘はひとまず地霊殿へと帰る事にしたのだ。

ちなみに、小傘とイトハはこの三日間、四ツ谷会館には帰らず、ずっと地霊殿に居候(いそうろう)していた。

特にイトハは、旧都で働いた後も続けざまに地霊殿でもその家事能力を存分に振るい、さとりを含めた地霊殿の住人全員の度肝を抜かせていた。

イトハ曰く、情報提供および協力してくれる事へのせめてもの礼なんだとか。

そして小傘も、そんなイトハを置いて一人帰る事が出来ず、そのまま地霊殿でお世話になっているのであった。

そんなこんなで地霊殿へと帰る道すがら、小傘はふとあることを思い出した――。

 

(……そう言えば、今日出かけに師匠が、さとりさんたちと何か話があるからテレビ通信機は置いていけって言ってたけど……何だったんだろ?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――時間は再び少し巻き戻り、小傘がイトハの様子を見に出かけた後の話になる。

小傘が働いているイトハの様子を見に行くと言った時、四ツ谷は何故か彼女にテレビ通信機を置いていくように仕向けたのだ。

訳も分からないまま、言われるがままに小傘は退出し、応接室にはテレビ通信機越しの四ツ谷とさとり、そして燐だけが残されていた。

怪訝な表情で燐は、お互いを見据える四ツ谷とさとりを視界に収める。

すると、さとりが四ツ谷に向けて口を開いた。

 

「……それで?私たちに話とは一体何ですか?」

『……とぼけんなよ?』

 

さとりの問いかけに四ツ谷がすぐさま声を上げた。

静かだか幾分重くトーンの下がったその声に、さとりと燐が同時にピクリと反応する。

そんな二人を前に、テレビ通信機越しの四ツ谷は頬杖を突きながら目を細めてさとりたちを睨み――。

 

『……お前ら、一体何隠してやがる?』

 

――そう、切り出していた。




最新話、投稿です。

昨日も投稿しようと思ったのですが熱中症で体調を崩してしまい、出来ずじまいとなってしまいました。
そして今回も、もう少し長く書こうかとも思っていたのですが、前回同様、キリが良かったので投稿させていただきました。
状況があまり変わらず長々となっていますが、次回あたりから急展開を見せる予定です。


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其ノ六

前回のあらすじ。

イトハが囮を買って出て、それを心配そうに見守る小傘。
そのさなか、四ツ谷はさとりたちがこの一件で何かを隠しているのに感づく。


「……隠している、とは?」

『もう一度言うぞ?とぼけんな』

 

静かに問いかけるさとりに四ツ谷は画面越しにバッサリとそう言い切り捨てた。

そして、続けて口を開く。

 

『……この前、お前らは言ったな?()()()()()()()()()()()()()()()と』

「ええ……、それが嘘だとでも?」

『いんや、事実そうなんだろうよ。そこで嘘をつく理由もないしな。……問題なのはそこじゃねぇ。その後にお前はこうも言ったな?()()()()()()()()()()()()()()ってな』

「……はい」

 

静かに肯定するさとりを前に、画面越しに四ツ谷は一度ゆっくりと目を閉じると再び目を見開き口を開いた。

 

『……()()()()()()()()、そんな事』

「……何故?」

 

真剣な目で自身を睨む四ツ谷にさとりはそう問いかける。

四ツ谷はなおも()()()()()()()()さとりに小さくため息を吐くと、言葉を続けた。

 

『はっきり言わなきゃ分からねぇか?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っつってんだよ』

「…………」

 

沈黙するさとり。しかし四ツ谷はそれに構わず、さらに続けて言葉を重ねる。

 

『……普通なら手がかりの無い()()()()()()なら早々に埋葬なりなんなりされる事になってただろうな。……だが、事この地底、ひいては……()()()なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()はずだ。何故なら――』

 

そう言いながら、四ツ谷は画面越しにゆっくりと()()()()()()()()()()()()()――。

 

古明地さとり(お前)のそばには、火焔猫 燐(死体と会話できる奴)がいつもいるんだからな……』

 

次の瞬間、さとりの背後に立っていた燐は、四ツ谷指摘された途端、身体を硬直させていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……『幻想郷縁起』、ですね?」

 

たっぷり数十秒の沈黙後、さとりはそう確認するように四ツ谷に問いかけ、四ツ谷もそれに頷く。

 

『ご名答。……っつっても、俺にはそれでしか()()()()()()を知る(すべ)はないがな。三日前にお前と話をした後、お前の「物言わぬ、死体となって」っつー言い回しに違和感を覚えてな。……その時はそこな赤毛猫の能力についてもうろ覚えになってたんで、確認がてらに稗田に頼んで今一度幻想郷縁起を見せてもらたっら、案の定だったって訳だ』

「……参りましたね」

 

頭を抱えて疲れたようにそう唸るさとり。そしてさらに数秒間沈黙をすると、意を決したように頭を上げて四ツ谷に視線を向けた。

そして、真剣な口調で四ツ谷に言う。

 

「……四ツ谷さん、ここまでバレてしまった以上、お話しはします。……ですが、今から話す事は他言無用に……そう、できれば、()()()()()()()()()一切口外しないでほしいのです」

「さとり様……よろしいのですか?」

 

燐が不安げにさとりにそう問いかけ、さとりは背中越しに「ええ」と、頷いて見せる。

そんなさとりに四ツ谷は怪訝に目を細める。

 

『……俺らにその情報を伏せてたのは、外部……旧都の連中にそれが漏洩(ろうえい)されるのを防ぐためか?』

 

さとりはそれに頷いて見せる。

 

「……ええ。下手をすれば、この()()()()()()()()()()()()()()()事になる可能性もありましたので」

『……!?』

 

唐突に響かれた物騒なその言葉に、予想外だったのか四ツ谷は一瞬のうちに目を丸くする。

そんな四ツ谷をしり目に、さとりは後ろに立つ燐に声をかけた。

 

「……お燐、貴女の口から直接四ツ谷さんに話してくれる?」

「……分かりました」

 

燐は頷くとさとり前に出て、四ツ谷と対面する。

そしてゆっくりと、()()()話し始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――今でこそ、さとりたちは子供たちの探索に力を入れているものの、事件が起き始めた当初はそれに関わるつもりなど一切なかった。

何故なら、彼女たちの旧地獄での役割は地霊殿の地下深くにある灼熱地獄跡の怨霊の管理であり、旧都の治安維持組織の関係者では決して無かったのである。

 

その為、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ただの偶然であった――。

 

それは四ツ谷が幻想入りする、ほんの一年程前であった。

長年地霊殿に引きこもっていたさとりは、たまたま気晴らしにペットの燐と()()と共に、買い物へと出かけていた。

久方ぶりに感じる外の解放感を味わいながら、ショッピングを楽しむむさとりとペットたち。

 

そうして夕暮れ時となり、いざ帰ろうとした矢先に()()()()を目にしてしまったのである――。

 

それは、たまにはあまり知らない道を通ってみようというちょっとした冒険心からであった。

さとりは燐とお空を連れて自分でもどこに通じているのか知りもしない路地へと帰りがてらに入っていったのである。

例えそこで暴漢の類に遭遇したとしても、自分はここ旧地獄では知らぬ者はいないとされる()()。その上、そばには実力者としてはかなり高いペットの二人もいるため、自分たちに手を出す事は無いだろうと高をくくっていた。

しかし、そのさとりの予想をはるかに上回るモノが目の前に現れる事となった。

入り組んだ人気のない裏路地を地霊殿の方向に向かって適当に歩いていると、ふいに開けた場所に出たのである。

何のオブジェもない閑散とした小さな空き地であったが、その空き地の中央に決して見過ごす事の出来ないモノを目にしてしまい、さとりたちの顔は驚愕に染まった。

 

――それは積み重なるようにして打ち捨てられ、()()()()()()()になった幼い子供たちの死体であった。

 

死後数日は経過しているのか、少し腐敗が進んでいた幼子が五人、まるで自身の体で小山を作るかのように重なり、転がされていたのである。

一瞬、その光景を見てショックで思考を停止していたさとりであったが、すぐに我に返ってそばで同じく呆然としていたお空に、直ぐに自警団を呼んでくるように叫んだのだ。

それを聞いたお空は慌てて空に舞い上がり、自警団の本部がある方向へと飛んで行った。

さとりはそれを見送った後、燐を連れて子供たちの死体に近づいた。

そうして覗き込むように子供たちの顔を確認していき、気づく。

それは少し前から行方不明になっている子供たちであった。いや、正確に言うと行方不明になっているうちの五人だった。

いつだったか地霊殿に自警団の団員と名乗る妖怪が数人訪れて来て、行方不明者の似顔絵写真を置いて帰って行った事があり、その記憶している似顔絵写真の何枚かと今目の前に転がっている子供たちの死体の顔が一致していたのである。

それに気づいたさとりはすぐさま燐に能力を使って、この死体から何か手掛かりを得られないかと指示を出した。

自警団の者ではないにせよ、さとりもこの失踪事件については他人事ではあれど自身の住む旧都内での事もあり気にはなっていたのだ。

それ故、燐の能力を使って会話で引き出した手がかりで自警団に早期事件解決を促そうと考えたのである。

 

 

 

 

 

 

――だが、そうやって燐の能力で得られた情報は、さとりの予想を遥かに超えたモノであった。

 

 

 

 

 

それは、さっきまで情報を自警団に渡そうと考えていた思考が一気に瓦解し、代わりにこの情報はおいそれと(おおやけ)の下には出せないという情報譲渡にストップをかける思考に切り替わるほどであった。

その為、お空が連れてきた自警団員たちにはたまたま死体を発見した事だけを伝え、事情聴取を受けた後自分たちが得た情報を自警団には黙ったまま地霊殿へと帰って行ったのである。

少々後ろめたい思いはありはしたものの、下手にその情報を流せば地下世界全体を揺るがしかねない事態に発展する可能性があった為おいそれとは言えず、結局、さとりたちはその情報を隠したまま静観を決め込む他無かった。

元々、()()()では、自分たちには何の関係もない失踪事件である。その上、その手がかりである情報自体も事件解決の糸口には()()()()()()()()()。むしろ事態を悪化させかねないモノだ。

さとりたちはそう判断し、時間はかかるだろうが事件が解決する()()()()()、その情報の事は外部には伏せておくことを決め、自分たちも大人しくそれまで様子を見ていようと、そう考えていたのである。

 

 

 

 

――四ツ谷会館完成の祝賀会から数日後に、古明地こいし()が行方不明になるまでは。

 

 

 

 

最初にその異変に気付いたのは、妹たちが文通の手紙の配達に使っている鴉天狗(射命丸)が、その日は妹にではなく、さとりの方にやって来てその手紙を渡してきた時だ。

何故妹への手紙を自分に渡すのか怪訝に思い、さとりは天狗の心を読んでそれを知ろうとする。しかし、それよりも先に天狗の方がその理由を投げやりに説明してくれた。

 

――曰く、いつも地霊殿(ここ)に来たら見つかるはずの妹が、一向に見つけられず、この後予定もあった彼女は、仕方なく姉である自分に渡すことを決めたのだと。

フランドールから手紙が来る時は決まって地霊殿にいるはずの妹が、今日に限っていない事にさとりは内心奇妙に思った。

その上、天狗からさらに驚きの事実を聞かされる。

フランドールから手紙を預かった時、聞いてもいないのに彼女は昨日遊ぶ約束をしていたが、いつまでたっても妹が来ることは無く、気になって手紙を出すことにしたという事を簡単にだが説明してくれたと言っていた。

それを聞いた時、さとりは内心で混乱する。

妹は覚妖怪でいる事を拒絶してから無意識に出歩くことが多くなり、あちこちをふらふらとする放浪癖(ほうろうへき)な生活にはなったが、決して他者との交わした約束までないがしろにするような薄情な存在になり下がった訳ではなかった。しかも、その相手が()()()()()()()()()相手ならなおさらだった。

それを知っている上、今現在旧都で起こっている失踪事件の事も重なり、さとりの心の中に暗雲が立ち込め始める。

しかし、それを確認しようにも肝心の妹は何処にいるのか分からず、事件も未だに手掛かりが無い状況なので、さとりはその後、悶々とした日々を送る事になった。

 

――そうして、妹が行方不明になってから一月以上がたち、フランドールからの未開封の手紙も多くなってきた所で、ここでようやくさとりたちは、こいしの身に何か良くない事が起こったのだと気づき、自分たちもまた、捜査に乗り出すことを決めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そこまでの事を燐とさとりの口から聞いた四ツ谷は、目を細めて燐に問いかけた。

 

『……それで、結局何を知ったんだ?お前は』

「……私があの子供たちの死体から聞いたのは……()()()()()()()()()

 

それを聞いた四ツ谷は怪訝に眉間を寄せる。

 

『一言だけ?』

「うん……そこにあった死体全員の()()()()から聞き出せたのはその一言だけなんだ。……そもそも私の能力の一つである死体との対話は、魂が抜け出た後の抜け殻……すなわち死体に残った魂の残留思念に呼び掛けて話を聞くんだ。だから長話もできない上に、話しかけて返ってくる言葉も、多くて二言三言さ」

 

頷きながらそう言葉を続ける燐に、四ツ谷は画面越しに身を乗り出しながら、問いかける。

 

『一体……何だったんだ?その一言は』

「…………」

 

燐は直ぐには答えず数秒沈黙を決めていたが、やがておずおずと、自分が死体となった子供たちから聞きだしたその言葉を、まんま四ツ谷にゆっくりと伝えた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『鬼』が……『鬼』が来る……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何ッ!?』

「い、言っとくけど、そのまんまの意味じゃないかもしれないんだよ!?何かの比喩(ひゆ)かもしれないし……!」

 

驚く四ツ谷に燐は慌てて両手をかざして制して見せる。

そんな燐を見ながら、四ツ谷はここでようやくさとりたちがその情報を秘匿した理由を理解した。

鬼は言わば、この旧地獄つまりは旧都の基盤となり、そこから大都市へと築き上げたこの地底世界の中枢(ちゅうすう)であり、立役者たる存在だ。

そんな奴らの誰かが、幼い子供をさらい、さらには殺しているともなれば、それはもうこの旧都に住んでいる直接事件に関わっていない者たちにとっても他人事では済まされない話であった。

もし、この情報が何らかの形で外部に漏れれば、鬼とそれ他の妖怪たちとの関係に亀裂が生じ、鬼たちは旧都から村八分状態で疎外されてしまうかもしれない。

そうなってしまえば旧都は基盤を失い、崩壊の一途をたどるだろう。

もしくは、それを知った鬼たちが仲間内で腹の探り合いをし、やがて疑心暗鬼となって内紛を呼び起こし、その戦火が旧都全体に飛び火するかもしれない。

 

(参ったなこりゃ……。たかが一言、されどその一言が旧都全体を揺るがしかねないモノへと変貌しちまいやがった)

 

画面の中で四ツ谷は一人、そう小さくごちる。

もちろん燐の言う通り、それは何かしらの比喩表現であることも否めない。

だが、それが分かる者が一体どこにいるというのだろうか。

閻魔である四季映姫なら浄玻璃の鏡で全てを見通してはいるのだろうが、彼女はこの旧地獄では灼熱地獄跡と怨霊の管理以外ではすべて無干渉を貫いているため、自分からこの件に首を突っ込むという事は先ずないだろう。

まあ、流石に最悪の状況におちいってしまったら、重い腰を上げるかもしれないが。

 

(それに、()()()()()()()()()。奴らのうちの誰かが犯人の場合、そいつは周りの目を欺いて嘘をつき続ける必要になって来る。ありえるのか?そんなの……)

 

そんなことを考えながら、四ツ谷はふと別の疑問がわき、それを目の前に立つ燐に問いかけた。

 

『なぁ、お前らはガキ共の死体を発見した後、自警団の事情聴取を受けたんだよな?その時、自警団の奴らに「死体から何か聞かなかったか?」とか聞かれなかったのか?』

「ああ、うん。アイツら、私の能力の事は()()()()()()()()()

『……知らない?』

 

怪訝な顔でそう呟く四ツ谷に燐は即座に頷く。

 

「そうだよ。だって私の能力の事知ってるの、この()()殿()()()()()()()()だからね」

 

そう言う燐に補足を入れるようにさとりが口を開く。

 

「……事、この旧都では自分から持ってる能力の事を他者に教える事は少ないんです。何せこの旧都に住む妖怪たちのほとんどが、危険な能力持ち故にここに追われてきてますから、自然と他者の能力に無関心になっているんですよ。相互で知ってる者たちがいるとすれば、それは私たちのような身内でか、もしくは親しい間柄な者たちぐらいでしょうから……」

『ふぅん、そういうもんか……』

「……まあ、私の場合、地底(ここ)に初めて来た時、うっかり覚妖怪だって事を周囲に自己紹介してしまったので、なし崩し的に自身が持つ能力の事もバレてしまったんです。……今では地底でのある意味一番の危険人物として超有名になっちゃいました」

 

四ツ谷の呟きに、さとりはついでにとばかりに自分が能力と共に有名になった理由も自虐的にぶっちゃけて見せ、それを聞いていた燐は小さく苦笑を浮かべた。

フウと、一息吐いた四ツ谷は、画面の中で頬杖をつくと、さとりと燐を見据えて口を開いた。

 

『……お前らが隠してた事については、分かった。確かにそれだけじゃあ犯人の特定としては判断材料に欠けるし、お前らの言う通り、いらぬ厄介事をも呼びかねん』

「恐れ入ります」

 

さとりは四ツ谷のその言葉に素直に礼を述べた。

すると四ツ谷は一度、さとりたちから視線を外すと、何かを考えるように顔をしかめた。

 

「「?」」

 

どうしたのかと、さとりと燐の二人は同時に首をかしげていると、再び四ツ谷はさとりたちに視線を戻してきた。

 

『……ちょっと気になったんだが、お前ら。さっきガキ共の死体と会話したって言った時、ガキ共の死体の「ほとんどから」って言ったよな?って事は、()()()()()()()()()()()()()()()がいたって事か?』

「ああ……うん。って言ってもその子は何も言わなかった、って言うか()()()()()()()()()()みたいなんだけど……」

『何も分かってなかった?どういう事だ?』

 

燐のその言葉に四ツ谷はさらに問いかけ、燐はそれに答えた。

 

「何せその子……他の子たちとは違って連れ去られてから殺されるまで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『何も……?』

「うん……。聞いた感じ思考がぼんやりとしてて、何が起こってたのか、何をしていたのかまるで分って無かったっぽい」

『…………』

 

燐のその証言に、四ツ谷は黙って思考を巡らす。そして再び燐へと質問を投げかけた。

 

『……そいつは他のガキ共と、何か違う所とかなかったのか?』

「何かって言われても……。違うって言われれば……『年齢』くらいかな?」

『年齢……?って事はソイツ……』

 

四ツ谷のその言葉に燐は頷く。

 

「うん。他の子たちとは違って、()姿()()()()()()()()()()()()だったよ。……ざっくり百年以上は生きてたと思う」

『…………』

 

そう答えた燐をしり目に、四ツ谷は再び思案顔となった。

しばらくその状態で沈黙をしていると、唐突にさとりが四ツ谷へと声をかけた。

 

「……お聞きしたいことは以上ですか?四ツ谷さん」

『……ん?おおぅ』

 

視線を悟りへと移し、半ば意識半分にさとりへと答える四ツ谷。

すると()()()、さとりの視線が一瞬にして鋭くなった。

 

「なら……次は私の質問に答えていただけませんか?……()()()()()()()()()()()()()()

『……!』

「……へ?」

 

突然のさとりのその発言に、四ツ谷は真顔で沈黙し、燐は訳が分からないといった表情で、さとりと四ツ谷を交互に見やった。

さとりはなおも、鋭い口調で画面越しに四ツ谷を問い詰める。

 

「アナタ……、三日前にイトハさんが()()()()()()()()――()()()()()を見て、一体何に気づいたんです?」

『…………』

 

四ツ谷は直ぐには答えなかった。それを見てなおも言葉を重ねようとするさとりだったが、それよりも先に四ツ谷が口を開いた。

 

『……別に隠してたつもりはねぇよ。ただ、まだ確証の無い、推測の域も出ていなかったから口にしなかっただけだ』

 

静かに、そう説明する四ツ谷にさとりはもう一歩踏み込んでくる。

 

「……それは、一体?」

『……今はまだ言えねぇよ。言ったろ?確証も何もないって。そんな状態でおいそれと言えるかよ。……それに――』

 

 

 

 

 

 

 

『――おいそれと口に出すのも……()()()()()推測だしな……』

 

 

 

 

 

 

「「…………」」

 

四ツ谷がそう響いたのを最後に、彼はそっぽを向いてだんまりを決め込んでしまった。

その顔にはありありと「これ以上踏み込んでくれるな」と言いたげな表情が浮かんでおり、それと同時に四ツ谷の双眸にはその『推測』に対する並々ならぬ『嫌悪感』が浮かんできているのにさとりと燐は同時に気づき、沈黙する。

それ以降、誰一人と喋らないまま三人がいる応接室の中に重たい空気が充満し、それは地霊殿に小傘が帰ってくるまで続いた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そしてこの日、イトハが地霊殿に帰ってくる事は……無かった。




最新話投稿です。

いやぁ~長々と説明回が続きましたが、ようやく次の展開にこぎつけそうです。
前回、急展開になる事を書きましたが次回へと持ち越しになってしまいそうです。
誠に申し訳ありません。


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其ノ七

前回のあらすじ。

四ツ谷はさとりたちがひた隠しにしていた失踪事件の秘密を知る事となる。


「師匠、イトハちゃんが帰ってきません!」

 

もう日が落ちている時刻だというのに、一向に地霊殿にイトハが戻ってくる気配が無く、小傘は慌てふためきながらそう叫ぶ。

小傘の声が響く地霊殿の応接室。そこにはテレビ通信機越しの四ツ谷以外にも、さとり、燐の二人もいた。

イトハから今日、どこかへ寄り道をするという話は誰も聞いていない。そして、彼女がこの状況で四ツ谷たちに黙ってどこかへ行くなど考えられない。

ならば、考えられる答えは自ずと一つに絞られた。

 

「直ぐにペットの犬たちを連れて来るね!」

 

そう言って燐は足早に応接室を飛び出していった。

それを見届けた四ツ谷は、小傘に指示を出す。

 

『小傘、【受信機】の電源を入れとけ』

「はい、師匠!」

 

そう言って頷いた小傘は、スカートのポケットから手のひらサイズの黒くごつごつとした『何か』の機器を取り出した。

イトハが囮を引き受けたのにあたって、犯人とイトハが接触した場合に備えて四ツ谷たちは、()()()()()を講じていた。

 

一つは、イトハに少し濃度の濃い『匂い袋』を持たせており、その匂いを頼りに犬を使ってイトハおよび、犯人の居場所を突き止めようというもの。

 

二つ目は、河童のにとりに頼んで作ってもらった発信機(これもテレビ通信機同様、にとりは嬉々として作っていた)。これもイトハに持たせ、同じく小傘の持つ受信機で居場所を探ろうというものであった。

 

手に持った受信機を見下ろしながら、小傘は沈痛な面持ちで呟く。

 

「イトハちゃん……。無事だといいんですけど」

『アイツ曰く、結構強いらしいが……犯人と比べてそれがどんくらい強いのか推し量れねぇしなぁ。にしても――』

 

そこで言葉を切った四ツ谷は、今度は呆れ半分、不安半分といった表情でさとりへと視線を向けた。

 

『――本当に大丈夫か?って言うか必要だったのか?()()()

「……()()()、あの子供たちの死体現場を見てよほどショックだったのか、あれ以来普段とはまるで人が変わったみたいに犯人探しに積極的になってて……。それでイトハさんが囮役を買って出てその対策を取っていると聞いた時も、食いつくように自分もそれに参加させてほしいって言って来たんです」

『やる気がある所悪いんだが……正直、俺には()()()に対して不安しかねーよ』

「奇遇ですね、私もです」

 

そんな会話を交わして、四ツ谷とさとりは同時にため息を吐いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今、反物屋の店主に聞いたら、イトハちゃんはいつも通りここの仕事を終えて帰宅したって……!」

 

夜の大通りに面する反物屋の前。

そこの店主からイトハがとっくに帰った事を聞いた燐は、店の前で待機していたさとり、小傘、そして小傘が抱えるテレビ通信機越しの四ツ谷にそれを伝えた。

そして、それを聞いたさとりは自分が持つ複数のリードを軽く揺らした。

 

「ほら、アナタたちの出番ですよ。前に嗅がせた『匂い袋』の匂いをたどって、イトハさんを見つけてください」

 

そう言ってさとりは、リードの先に繋がれた複数の多種多様な犬たちに指示を投げた。

犬たちはそれに従い、その場の地面に鼻を押し付け、辺りを嗅いでいく。

そうして一分もしないうちに犬たちは地霊殿の方向へとさとりを引っ張るようにして動き出した。

引かれたさとりはもちろんの事、それに続くようにして燐と小傘、四ツ谷も犬たちを追う。

同時に、小傘はテレビ通信機を片方の手で抱えると、もう片方の手で受信機を確認する。

機会につけられたモニターには、地霊殿の方向へ延びる矢印が表示されていた。

今の所、イトハに持たせた発信機は地霊殿の方角にある事が分かる。

犬たちもその方向へと向かいながら匂いをたどっているので間違いないだろう。

そうして、反物屋から地霊殿への道のりの、およそ中間くらいの距離に差し掛かった時だ。

 

突然、犬たちが大通りをさけて、脇にある細い路地へと入って行ったのだ。

 

それを見たさとりたちは顔を険しくさせる。

どうやらイトハはあの路地へと入って行ったらしい。

さとりたちも犬たちに続いて路地へ入ろうとする。しかし次の瞬間、受信機のモニターを見ていた小傘が怪訝な声を漏らした。

 

「……あれ?どういう事?」

『?……どうした?』

 

その声を聴いて四ツ谷は小傘に問いかける。それに小傘がすぐさま答えた。

 

「それが……。この機械のモニターによれば、発信機の場所が()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『何……!?』

 

それに四ツ谷の表情が急激に険しくなる。そして、小傘に問い詰める様にして声を上げた。

 

『……オイ、あの河童の発信機。イトハは何処に持ってた?』

「え?……えーっと、確か結構小さい発信機だったから、無くさないように()()()()()()()()()()()()()()……」

『オイオイオイオイ、まさか……!!』

 

小傘の言葉に瞬く間に青ざめる四ツ谷。その瞬間、路地の奥から先に入って行った犬たちの鳴き声が響き渡った。

 

――バウワウ!!

――ワンワンッ!!

――ヴーーーッ!!

 

それを聞いた四ツ谷たちは一目散に路地の中へと入っていき、先に入っていた犬たちの後方へと追いつく。

そして、犬たちが吠えてた方向へと目を向けた瞬間、その場にいる全員が愕然となった。

 

――犬たちが吠える路地の奥の方、そこ()()()()()()が落ちていたのだ。

 

小傘は慌ててモニターを確認する。するとやはり、発信機も匂い袋がある位置で止まっていた。

間違いなく、四ツ谷たちがイトハに持たせた発信機入りの匂い袋であった。

 

「し、師匠!これは……!」

『古明地さとり!犬どもに匂いの先をたどるように言え!あれだけ濃い匂いのする匂い袋だ。イトハの着物にも多少なりとも匂いはついているはず……!』

 

動揺しながら声をかけて来る小傘に構わず、四ツ谷はさとりにすぐさまそう叫ぶも、それが途中で止まる。

何故ならさとりは、そこに立ち止まったまま、犬たちを見つめて冷や汗を滝のように流しながら青ざめていたからだ。

さとりのその顔を見て、その場にいる全員が最悪の状況を悟る。

それに気づいていないのか、さとりはその場に固まったまま、ただ事実だけを四ツ谷たちに言い聞かせた。

 

「……犬たちに、聞いたら……匂いが()()()()()()()()、って……。これ以上は、分からないって……!」

 

静かだが普段の敬語口調を失うほど、はたから見ていても取り乱しているのが分かるさとりのその言葉を聞いた瞬間、今度こそ四ツ谷たちはその場に呆然と立ち尽くすしかなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は数時間前にさかのぼる――。

 

「お疲れ様でーす!」

 

店主に仕事上がりを告げ、反物屋を後にしたイトハは、いつものように大通りを行き交う者たちの波に飲まれて、真っ直ぐに地霊殿へと帰路についていた。

時刻は夕暮れ時。

大通りには、イトハ同様に家路へと向かう者。夕飯の買い出しに行く者。そして今から夜の仕事に向かう者たちで溢れかえっていた。

その往来の中をイトハも地霊殿へと向かっていく。出来るだけ大通りの端っこを歩きながら。

それは人ごみの密集する大通りの中央付近はその密度の濃さ故か精神的に息苦しく感じてしまい、背が低く幼い容姿のイトハにはちょっとした地獄になっていたからであった。

そのため、人通りの多い場所では出来るだけ人ごみの少ない端っこへと避けるようにになってしまっていた。

 

――それが、()()()()()()に絶好のチャンスを与えているとも知らずに。

 

それは反物屋から出て、地霊殿へは後半分の距離に差し掛かった時であった。

 

「――!?」

 

いきなり脇の路地からにゅっと()()()()()が伸びたかと思うと、その手がイトハの腕をつかみ、一瞬のうちにイトハを路地の中へと引きずり込んだのであった。

あっという間の出来事だったがため、周囲の往来人たちは誰一人として幼い少女が一人大通りから忽然と消えたことに気づく者はいなかった。

何が起こったのか理解するよりも先に、イトハは腕の持ち主によって拘束されていた。

叫ばれないようにイトハの口を片手で塞ぎ、もう片方の手をイトハの腰に回して幼い彼女を抱きかかえる。

ようやく状況が理解したイトハはそこで()()()()()をするも、その者の手によってズンズンと路地の奥へと連れていかれ、そして次の瞬間――。

 

「――ムゥッ!!?」

 

唐突にイトハの首筋に鋭い痛みが走り、塞がれた口からわずかに悲鳴が漏れた。

一体、何をされたのかイトハが考えるよりも先に、さらなる変化が彼女を襲う。

急速にイトハの四肢が激しい(しび)れを帯び始め、感覚が無くなってきたのだ。

さらには呼吸も息苦しくなり、意識も薄れていく。

 

(……い、息、が……。意識も……うす、れ……て……)

 

瞬く間に体の自由が利かなくなり、イトハ為す術も無くやがて意識を手放していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識を失い、力なく自分の両腕にその身を預けて来るイトハに、『その者』は不気味に笑った――。

 

――意外とうまくいった。

――昨日から働いている所を見つけて唾をつけていたが、よく働く子で気もしっかりしてそうだったから少々手間取るかとも思ったがとんだ拍子抜けだ。

――まぁ、妖精なんて所詮こんなものか。()()()()()()()()()()()()()()()

――にしても、初めて見つけた時から可愛らしい顔の妖精だとは思っていたが、近くで見るとまたさらに愛らしい……。

――これは、()()()()()が今から楽しみだ。

 

イトハの背中の着物から出ている妖精の証である透明な羽をおもむろに撫でながら、『その者』は下卑た笑みをその顔に浮かばせた。

そうして一度、イトハを担ぎ直す為に地面にそっと彼女を横たえた時、『その者』は気づく。

 

――ん?この妖精、少し強めの甘い匂いが……香水か?……いや、ちがう。着物の帯締めに引っ掛けたこの『匂い袋』からか。

――可愛い顔してきつめの『(こう)』が好きなのか?これはダメだ。こんなものぶら下げたまま連れて行ったら、()()殿()()()()()()()()()に匂いでたどられる危険性がある。

 

『その者』は以前、地霊殿の覚妖怪が飼っているペットの犬たちを使って子供たちを捜索しているのを見かけていたのである。

それ故、このままイトハを連れていけないと判断した『その者』は、次なる行動に出る。

イトハの帯締めから匂い袋をちぎり取って無造作に地面に放り捨てると、『その者』は身体から()()()()()()()()を放出しだしたのだ。

無数の糸は瞬く間にイトハの全身を覆い、大きな(まゆ)の状態へと変化し、イトハを包み込んだ。

そうして完全にイトハが繭にくるまれると、『その者』は繭と化したイトハを米俵のように肩に担ぎ、上機嫌にその場を後にする。

 

――フフッ……。この『繭』は拘束と目隠しの役割だけでなく、中にいる者の体臭をも一切外に漏らす事が無い。

――これで私の後をつけて来る奴は誰もいはしない。

 

誘拐の痕跡を全て消したと確信した『その者』はしてやったりとにやけ顔でイトハを担いで闇の中へと消えていく――。

しかし、『その者』は最後まで気づくことは無かった。

その一部始終を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に見られていたという事を。

 

「うにゅぅぅ……。怪しぃ奴、みーっけ!」

 

建物の上から全てを見ていたのは、長い黒髪にリボンを結び、白いブラウスとマントに緑のスカートを纏った少女。

地獄鴉事――霊烏路 空(れいうじ うつほ)、通称お(くう)は、獲物を見つけた捕食者の如き瞳で去って行くイトハを担ぐ誘拐犯を睨みつけると、背中から黒い翼を大きく広げて高く舞い上がりて、『その者』の後を追跡し始めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

路地でイトハの匂い袋を発見したさとりたちは、いったん地霊殿に戻ると、肩を落として応接室で途方に暮れていた。

しかし、そんな彼女たちは絶望していたわけではなかった。

むしろ藁にも縋る様な視線で応接室の机の上のとある物体に目を向けていた。

 

そこにあったのは、一個の無線機(トランシーバー)であった――。

 

これもテレビ通信機と発信機同様、河童のにとりに作ってもらっていた四ツ谷たちは、この片割れをお空に持たせていたのだ。

お空はまだ地霊殿には帰って来ていない。と、言う事は、お空はイトハがさらわれる現場を目にし、さとりに言われた通りに犯人を追跡している可能性があった。

お空には、もし犯人の住処を見つけた場合、無線機を使って速やかにここに知らせるようにと、さとりはそう伝えている。

固唾をのんで無線機を見つめ続ける一同。しかし、そこにいる全員、犯人の住処が見つかるかどうか以前に、さらに大きな不安をその胸中に抱えていた。

そして、その不安の原因は何を隠そう、お空本人にあった。

 

『……オイ、本当に大丈夫なのかあの()()。お前からの使命を忘れてどっかで遊び惚けてるんじゃねーだろうな?』

「そんな事は……無い、はず……です。他ならぬ私が直接あの子に言い聞かせたのです。……だから、あの子なら必ずやり遂げてくれるはずです……多分……おそらく……きっと……」

 

疑り増しましな目で見つめて来る四ツ谷に、さとりは尻すぼみになりながらもそう呟く。四ツ谷から視線をそらしながら。

それ程までにお空の記憶能力は鳥頭と呼ばれるぐらいに低レベルなモノであったのだ。

身内であるさとりと燐、地霊殿の事はしっかりと覚えているものの、それ以外となると点でダメで、数分前にやっていた事すら奇麗さっぱり頭から消えてしまうという、若年性アルツハイマーにでもかかってるんじゃないかと思えるぐらいの重症ぶりであった。

そして、そんな彼女に重要な役割を与えてしまったさとりもさとりであった――。

 

「……先の子供たちの死体発見で間欠泉地下センター以外で珍しくやる気を見せていたので大丈夫だと判断したのですが……早計でしたでしょうか?」

 

不安げにそう響くさとりに、四ツ谷は深々とため息をついた。

 

『ハァ……。まぁ、仕方ねぇ。どの道、一と二の対策が徒労に終わった以上、アイツに賭けるより方法はねぇんだ。……だから、信じて待つっきゃねぇ』

「そう、ですよね……」

 

四ツ谷の言葉に、小傘は頷いてそう言った。しかしその直後、四ツ谷は真顔で続けて口を開く。

 

『……まぁ、それで本当にどっかで遊んでいるだけだったなら。問答無用で焼き鳥にするまでだ。マジで』

 

その顔を見て、四ツ谷が本気だと悟った一同は、一斉に顔をひきつらせたのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――一方、その頃のお空は。

 

「へっくしゅっ!!……うにゅ?風邪かな?」

 

くしゃみで出た鼻水をズズッとすすりながら、顔を上げる。

そこには、今まさにイトハを担いだ犯人が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そう、四ツ谷たちの不安とは裏腹に、お空はさとりの言いつけ通りに使命を成功させていたのである。

犯人に気取られず、その住処を特定したお空は、褒めたたえられてもよい成果を上げたと言っても過言ではないだろう。

 

 

 

――()()()()()

 

 

 

「フフン♪さーてと、後はこの……なんだっけ?『とらんしるばー』だっけ???……これを使ってさとり様に連絡すれば良いんだよね?」

 

そう響きながらお空はスカートのポケットから無線機を取り出した。

……そうしてしばし、お空は無言で無線機を見つめる。

 

「…………。

 ……………………。

 ………………………………。

 ……コレどうやって使うんだっけ?」

 

地霊殿を出る前に散々四ツ谷や小傘に使い方をレクチャーされたのにも関わらずこれである。

やはり鳥頭な性格は何処へ行っても変えられなかったようであった。

 

「え~う~~っ……ど、どうしよう……。あ!そうか!!()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()!……うんうん、さすが私!よし、そうと決まったら直ぐにでも地霊殿に帰らないと♪」

 

名案だと一人で勝手に納得し、一人で勝手に自身を持ち上げて、一人キャッキャとはしゃぐお空は、さっそうと元来た道を引き返し始める。

しかし、そこでもそうは問屋が卸さなかった。

 

「……う~~~っ、ここって旧都から()()()()()()()()()だから、灯りがほとんどなくて暗くて怖いなぁ……。あ、あれ?私、こっちから来たんだっけ?それともそっち??あっち???……う~~~~~~っ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

――数分後。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う゛、う゛あ゛ぁぁ~~ん、迷子にな゛っぢゃっだぁぁ~~~ッッッ!!!!」

 

地底のどことも知れぬ夜の闇の中で、泣きべそをかいた地獄鴉の悲鳴がこだました――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん……んぅ…………?」

 

ズキリ、と微かに残る首筋の痛みの起こされ、イトハは重い瞼をゆっくりと開けた。

最初は視界がぼやけ、覚醒もまだ不完全だったため、自分の身に何が起こっているのか分かっていないイトハであったが、やがて思考も視界もはっきりと定まり、現状を把握するに至る。

 

(……白?)

 

イトハの視界一杯に真っ白な世界か広がっていた。

いや、正確には無数の白い糸が幾重にも重なりイトハの目の前を白一色に覆いつくしていたのである。

 

(……体全体に無数の糸が巻き付いている。……まるで繭の中……!)

 

なんとか白い糸の群れから脱出しようと身をよじるイトハ。すると――。

 

……ベリッ!

 

胸元当たりの糸の壁にあっさりと亀裂が入る。

 

(!……思ったよりも(やわ)い。これならもう少し力を入れれば……!)

 

そう思ったイトハは出来たばかりの亀裂に両手の指を差し込み、一気に力を入れて広げた。

ベリベリベリ!と、繭の壁を破ってそこから見えたのは、見覚えのない天井だった。

どうやら自分はどこかの部屋に()()()に寝かされているらしい事が分かったイトハは、そのままどんどん亀裂を広げ、そこからゆっくりと上半身を起こした。

そうして、部屋の様子を見渡したイトハは目を丸くする。

 

――そこは何処とも知れぬ、畳が敷かれた薄暗い大きな和室であった。

 

天井には申し訳程度に小さなランプが一つ吊るされ、辺りを薄っすらと照らしている。

年季の入った部屋はあちこちボロボロになっており、壁や(ふすま)は穴だらけ。敷かれている畳をあちこちささくれ立って痛みが激しいのが丸分かりであった。

そんな薄汚い部屋の隅っこ――部屋の四方にある壁際や角っこ全てに、それぞれ怯えるように十人前後の幼い少年少女たちが縮こまって震えていた。

皆一様に部屋の中央に寝かされ、さっきまで繭にくるまれていたイトハを見つめている。

そして、子供たちのその眼には不安や()()()と言った感情が見え隠れしているのをイトハはすぐに気づいた。

と同時に、別の事にもイトハは気づく。

 

(……この子たち。ひょっとしなくても、今旧都で行方不明になってる子供たち……?)

 

確認しようと、子供たちの内の一人に声をかけようとイトハが口を開きかけた時――。

スッ……!と、部屋の襖の一つが唐突に大きく開かれた。

 

『ひっ!!』

 

同時に部屋にいたイトハ以外の子供たちが一斉に小さな悲鳴を上げる。

何事かとイトハは襖が開かれた音のした方へと目を向け――そのまま、()()を凝視してしまっていた。

 

 

 

 

 

 

――大きく開かれた襖の向こう……。そこに一匹の『鬼』が佇んでいたからだ。




最新話投稿です。

ここからしばらくはイトハパートが続きます。
あと、今更ながらに書きますが、今章は今まで以上に長くなるかもしれません。
それでもお付き合いのほど、よろしくお願いいたしますw


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其ノ八

前回のあらすじ。

何者かによって連れ去られたイトハは、見知らぬ部屋で一匹の『鬼』と対峙する。


広い和室の中、イトハはジッと繭の中から上半身を外に出した状態でその『鬼』から目をそらさず見ていた――。

『鬼』はゆっくりとした足取りで、一歩一歩和室の中へと入ってくる。

そうして天井に吊るされた小さなランプの光に照らされ、『鬼』の姿が鮮明になった。

 

その『鬼』は――正確には()()()()()()()()()()()()()

 

だが、イトハはその者の正体が女であった事にはあまり驚かなかった。

と言うのも、自分を連れ去った犯人が女であったという事実は、路地に引っ張り込んだ時の腕の細さと白さ、そしてその直後に自分を後ろから拘束した時の着物越しに感じた身体の感触で既に気づいていたのだ。

その鬼の面の女は両手に沢山の握り飯を大皿に乗せたお(ぼん)を持ってイトハの方へとやってくる。ふいに女の方から声がかかった。

 

「おやぁ?もう動けるようになったのかい?もしかして、この握り飯の匂いにつられて起きたとか?ハンッ、育ち盛りの子供って食い意地がはって嫌だねぇ」

 

どこか小馬鹿にしながら女はそう声を上げると、手に持った握り飯の山をイトハのそばに置いて、周囲の子供たちに向かって叫ぶ。

 

「さぁ、アンタたち今日の飯だよ。そいつ食って()()()()()()()()に備えな♪」

 

どこかウキウキとした口調で鬼の面の女がそう響くと、部屋の隅にいた子供たちは、まるでアリが群がる様にわらわらと握り飯の山に集まって行き、それを食べ始めた。

それを横目で見ながらイトハは考える。

 

(今はまだどういう状況なのかもわからない。ここはひとまず情報を引き出す事を優先させるべきでしょうか?)

 

するとそんなイトハを『鬼』が見下ろすように前に立つ。

 

「何ぼんやりしてんだい。早く食べないと全部食われちまっても知らないよ!」

 

どこか命令的なその物言いにも意に介さず、イトハは目の前の『鬼』から情報を引き出すべく()()をし始めた。

 

「……お、おねーさん、だれ……?わたし、なんでこんなところにいるの……?それに、この子たちはいったい……?」

 

目尻に涙を溜めてビクビクと怯える()()を見せながらイトハがそう尋ねると、仮面越しでも分かるほどにニヤニヤと下卑た笑いを浮かべた。

 

「へぇ……結構いいじゃないかその怯えた顔。思わず()()()()()()()()()()()♪」

「ひっ……!?」

 

唐突に屈みこんできた女は無遠慮にイトハの顎を持ち上げ、それにイトハは悲鳴を上げる。

ちなみにこの悲鳴も演技ではあるのだが、同時にイトハの背中を抑え切れない寒気が走った。

そんな怯えた顔(演技)をするイトハの顔を覗き込みながら、女は仮面越しに目元を歪める。

 

「ンフフッ……。でもまぁ焦る事は無いね。これからいくらでもたぁーっぷり可愛がってあげられるんだからねぇ♪それに……今の表情も捨てがたいけど、私としてはもっと()()()()()()()()を見てみたいたいしね♪フフッ……()()()の時は思いっきり楽しませておくれよぉ?」

(『お遊戯』……?)

 

女の言う『お遊戯』が何を意味しているのか分からず、イトハは内心困惑する。

それに気づいているのかいないのか、鬼の面の女はイトハから顔を離すと続けて口を開いた。

 

「ハンッ、知りたいんなら他の子らに聞くんだね。私は今クタクタなんだ。一晩中、()()()()()で身が持たないったらありゃしないよ全く。……これから()()()()()()()()、寝床に入ってぐっすりするんだから、それまで大人しくしてるんだよ」

 

その言葉に、イトハは内心驚いた。

 

(!……『正午までの五時間』?……という事は……今は朝の七時。連れ去られたのは夕方ごろですから、私は丸々一晩眠っていたのですか……?)

 

そんなイトハの前で女は気だるげに肩の骨をコキコキと鳴らすと、部屋から出ようとイトハに背を向ける。

その背中を見たイトハは、今度は冷静に思考し始めた。

 

(……彼女は油断している。今なら無防備状態のあの背中を突き倒して、そのまま組み伏せる事が出来る。……でも――)

 

思考しながらイトハはチラリと大皿を囲んで一心不乱に握り飯を食べる子供たちを見やる。

 

(――あの女性に仲間がいないとも限らない。もしそうなら、私一人ではこの子たち全員を守り切れる保証はない。ここは後追いもせず、見逃すのが『吉』。それに――)

 

イトハはそっと自分の首筋を指でなぞる。

そこには()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、わずかに指先を通じて感じ取れた。

 

(……連れ去ら得る時に受けた首筋の衝撃……。もう傷は塞がっていますが、あの時一体何をされたのか気になりますね……。それに、さっき彼女が言っていた『遊戯』についても……)

 

黙考しながらジッと女の背中を睨むイトハ。そんなイトハの視線にも気づかず、女は背伸びをしながら部屋を出ると、そのままイトハの視界から消えていった――。

 

 

 

 

 

 

「……ね、ねえ」

「……はい?」

 

鬼の面の女が部屋から退出して直ぐ、先程まで大皿を囲んでいた子供たちの内の一人がイトハに恐る恐る声をかけてきた。

獣のような茶色い耳と尻尾を持ち、花柄の着物を着たその幼い少女は、小さな両手に握り飯を一つ抱えてイトハの元へやって来ると、しゃがんでその握り飯をイトハへと差し出した。

少女が口を開く。

 

「……これ」

「くれるのですか?」

 

イトハの問いかけに少女はコクンと頷いて見せた。

しかし、イトハは少女に微笑みかけるとそれをやんわりと断った。

 

「いいえ。私は今、お腹は減っていませんから大丈夫ですよ。お気持ちだけ、有難くいただかせてもらいますね。……それは貴女が食べてください。()()()()()()()()()()()、貴女もだいぶ、()()()()()()()()()()……」

 

そう言って、イトハはチラリと周りにいる子供たちを見まわした。

初めて見た時から気づいていたが、少女を含めて全員がろくな食事にありつけていないのか、頬はやせこけ、着物から除く体は骨が薄っすらと浮き出るほど見事にやつれ果てていたのだ。

イトハは次に先程まで握り飯の乗っていた大皿を見ながら少女に問いかけた。

 

「……あの、貴女たちはいつもあれを食べているのですか?」

「うん……。朝と夕方前の、二回だけ……」

 

少女のその返答に、イトハは内心、目を見開いて驚いた。

ざっと先程大皿に乗っていた握り飯の数を数えてみても、およそ十数個はあったように思える。

しかし、この部屋にいる子供たちの数はおよそ十人。

大体一人当たり、一個。そして何人かは二個、手元に入る計算だ。

それが朝と夕方に二回のみ。

育ち盛りの幼い子供たちに与える食事にしては、とても満足に足りているとは思えない量であった。

彼女たちがやせ衰えるのも当然の結果である。

 

(……しかし、それだけでしょうか?この子たちを見るに、()()()()()()()()()()()()も見られます。栄養失調だけじゃない、それ以外にもこの子たちを衰弱させる何かがあったとしか……)

 

そうイトハが考え込んでいると、再び先程の少女が声をかけてきた。

 

「ねぇ……このおにぎり、くれるなら()()()()()()()がいるんだけど、いい?」

「……え?えぇ、いいですよ。それは貴女のものですから。……でも誰にあげるんですか?」

 

イトハのその問いに少女は直ぐには答えずスッと立ち上がると、部屋の端へとトテトテと歩き出した。

 

「?」

 

首をかしげてイトハも繭から出て少女の後を追う。

少女の向かう先――そこには押し入れらしき襖の戸があり、少女はその襖の取っ手口に手をかけると、建付けの悪いその襖を力いっぱい開け始めた。

ガタガタと襖は大きく震えながらゆっくりと開けられていく。

そうして限界まで開けられ中の様子が見えるようになった瞬間――。

 

「――――ッ!?」

 

イトハは今度こそ言葉を失うほどに驚いた。

 

 

 

 

そこには少女がいた――。

 

 

 

 

押し入れの奥の壁に力なく背中を預け、四肢を投げ出して座る少女がいたのだ。

()()()()()()()()()()から除く体は、他の子供たち同様に痩せこけ、まるでミイラのような姿をイトハの前にさらしていた。

長い事手入れがされていないのか、()()()()()()()()()()()はボサボサに長く伸びきっており、まるで柳の枝の様に少女の顔を覆いつくして腰辺りにまで髪の先が届いていたのだ。

そしてその髪の間から除くようにして光を失った虚ろな()()()は、イトハや握り飯を持つ少女を映す事無くただぼんやりと虚空を見つめるのみであった。

まるで人形のように少女はピクリとも動きはしないものの、カサカサに乾いたその小さな唇は、()()()()()()()()呼吸をするのがわずかに動いて見て取れた。

だが、イトハが驚いたのはそれだけではなかった。

イトハが釘付けとなった視線の先、その少女の胸元には――。

 

 

 

 

――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が浮いていたのだ。

 

 

 

 

「まさか……この方は……!」

 

そう驚きながら響いたイトハは、脳内でこの地底世界に来る前に幻想郷縁起で見せてもらった()()()の写真の顔と、今目の前にいる押し入れの中の少女の顔とを慌てて照らし合わせてみた。

髪は伸びきり、全身はやせ衰えてはいたものの、それ以外の特徴は完全に合致しており、イトハは押し入れの中の少女がはるばる自分がこの地底世界にやって来る事となった目的の少女なのだと確信する。

そう、押し入れの中の少女は、間違いなく――。

 

 

 

 

 

――古明地さとりの妹、古明地こいしの変わり果てた姿であった。

 

 

 

 

 

呆然と立ち尽くすイトハの前で、握り飯を持った少女はこいしの前に座り込むと、握り飯を少しちぎってそれをこいしの口元へと運んだ。

少女の手によっていくつかのご飯粒がこいしの口の中に入れられ、それと同時にこいしの口元がモグモグと小さく動いた。

死人のような虚ろな目で意識すらはっきりとしているのか怪しい状態ではあるものの、それでもこいしの口は無意識に握り飯を求めて動き、噛み潰したそれを喉の奥へとゆっくりと流していく。

それは一種の生存本能――食欲から来る反応だった。

 

「……私がこの子をここに隠したの……。()()()()()()()()()()()()なんてこと、できないし……。ほっとくなんてことも、できなかったから……」

「……?」

 

ぽつりと響いた少女のその言葉に、イトハはどういう意味なのかと疑問に思いもしたが、当の少女はこいしに握り飯を食べさせるのに集中しだしたので、結局この時は聞けずじまいに終わった。それにイトハには、それ以上に気になる事もあった――。

 

「……すいません、少し代わってもらってもよろしいですか?」

「え?うん……」

 

少女がこいしに握り飯を食べさせ終えるのを見計らい、イトハは一言断りを入れて少女と立ち位置を変えてもらってこいしの前に座り込む。

そして、こいしのやせこけた頬に手を添えると、彼女の体調を確認するために慎重に触診をし始めた。

 

(……目の焦点が定まっていない。私の手の感触に僅かに反応はするものの後は微動だにしない。重度の意識障害が出ていますね。ほとんど廃人状態です。一体何故こんな事に……?)

 

ふと、イトハはこいしの手を見て違和感を覚える。

 

(……!手の指先……薄っすらとですが()()()()()()()()()()……!)

 

こいしの手の指先が奇妙なほどに変色している事に気づいたイトハはハッとなり、今度はこいしの口元へと視線を向ける。すると、よく見れば口元も指先同様に変色しているのが確認できた。

 

(これは『チアノーゼ』……!血中に酸素が行き渡っていない、つまりは呼吸がしっかりできていない証拠……!)

 

それに気づいたイトハは、今度はこいしの胸元と手首にそれぞれ自身の耳と指を押し付ける。

 

(……脈拍、心臓の動機、共に正常。しかし、伝わってくる僅かな痙攣(けいれん)は全身に麻痺が起こっている事を如実に表している。加えて呼吸の不安定もとなると――)

 

ふいに、イトハの首筋がずきりと痛む。と、同時に連れ去られる時の光景が唐突に脳内にフラッシュバックした。

首筋に受けた衝撃と共に襲ってきた強い四肢の痺れと呼吸困難。

 

(――まさか)

 

自分の頭の中に飛来した答えを確かめるべく、イトハはこいしの首筋を見るために長くなった髪をかき分けて、()()を覗き見た。

 

(――!)

 

イトハが絶句する視線の先、こいしの首筋にはイトハが受けた刺し傷と同じような(あと)が十ヶ所近くもついていたのだ。

それを見たイトハは確信する。

 

(――『神経毒(しんけいどく)』!しかも、こいし様の場合、私よりも大量にそれを撃ち込まれている……!)

 

本来、人間でこれほどの症状がでたのなら、命の危険に大きく関わるものであった。

しかし、こいしは妖怪。同じ症状は出ても、人間よりも強い抵抗力を持っているがため、今もなお彼女は自分の命を繋ぎとめていたのだ。

だが、それでもその影響は確実に表れていた。

症状もそうだが、首筋の複数の刺し傷もそうだ。もう肉眼でも見えにくくなるほどに完治しかけのモノがほとんどではあったが、それでも治り切れていないモノもいくつかあった。

普通、妖怪ならこの程度の刺し傷は一時間もしないうちにほとんど奇麗に治る。

しかし、この刺し傷の多さからして、こいしは()()()()()()()()()()()()()()()()のが容易に想像がついた。それも恐らくはあの鬼の面の女に。

 

(それで今の治りの状況がこれなら……。危険ですね。こいし様の回復能力が格段に落ちてきている……!)

 

このままではあと数日もしない内に毒か栄養失調で命尽きるのが目に見えていた。

その時、ふとイトハの視界がこいしの胸元――()()()()の中をチラリと捉えた。

 

「……!?」

 

()()を見たイトハは一瞬息をのみ、すぐさまこいしの服をつかみ、まくって中を確認する。

 

「こ、れは……!!」

 

そこにあった光景を目の当たりにし呆然と目を見開いていた。

それと同時に再び脳内でフラッシュバックする過去の一場面――。

 

――それは地霊殿に初めて来た日。さとりとの会談が一段落した後の話であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『……古明地さとり。ちょいとその報告書、俺にも見せてくれねぇか?』

「ええ、いいですけれど」

 

唐突にテレビ通信機の中の四ツ谷が、燐が持って来た報告書を見せてほしいと言い、それをさとりは了承したのだ。

そうして小傘の手を借りて画面越しに報告書の中身を読み漁る四ツ谷。

ぺらりぺらりと、小傘が報告書のページをめくり続け、四ツ谷はやがてすべて読み終えると眉根を寄せてさとりに声をかけていた。

 

『……この報告書によると、ガキ共全員の死因は【衰弱死(すいじゃくし)】って事になっているが、本当なのか?』

「はい、そうです。……私たちが見つけた子供たちの死体も、ほとんど骨と皮だけしかないやせ衰えた状態でした」

 

さとりの話を聞きながらも、四ツ谷はジッと報告書を睨みつけ、そしてさらに続けてさとりに問いかけた。

 

『……この報告書によれば遺体は全て()()()()()()()で、着ている衣類もボロボロになるほど()()()()()()()()と書いてあるが……。お前たちが見たのもそうだったのか?』

「そうですよ。……担当している自警団の方が言うには、恐らく死体を遺棄した現場まで引きずったりなどしてかなり粗末に運んだ事が原因なんじゃないかと言ってました」

『……こう言うのは気が引けるが、遺体を解剖したりとかしなかったのか?』

 

四ツ谷がそう問いかけた瞬間、さとりは心苦しそうに俯く。

 

「……遺体の解剖は……自警団の方たちも考えたみたいですが。……遺族の方たちに即反対されたみたいです。あんな変わり果てた姿で棄てられてた上に解剖なんて、家族側から見れば溜まったもんじゃないですから……」

『……まぁ、身内からすれば、そうだろうなぁ』

 

絞り出すようにそう答えるさとりに、四ツ谷もバツが悪そうに頬をポリポリとかきながらそっぽを向く。

だが数秒の沈黙の後、四ツ谷は再びさとりへと視線を戻した。

 

『……しかし、解剖できなかったのによく死因が衰弱って分かったな?』

「解剖は出来なかったみたいですが、ある程度検証はされたみたいです。子供たちについた傷は無数にありましたが、どの傷も致命傷と言えるほど深くは無いモノばかりだったらしく、その為外傷が直接の死因では無い事が結論付けられたみたいです。……一応子供たちから血も採種されたみたいですが、血中からは()()()()()()()()()()()()()()らしく、結果やせ衰えたその見た目から飢餓による衰弱死という答えになったそうです」

『ふぅん……』

 

さとりからの説明を聞いた四ツ谷は曖昧な相づちを打つとさとりから視線を外し、顔を険しくさせながら何かを考えながらぽつりと響く。

 

『……だが、そうなると……。ガキ共につけられた傷の内、()()()()()()()()()()()()()()()()()()モノなのか判別する事もできなくなったってわけか……』

「……どういう意味です?」

 

四ツ谷の言葉から聞き捨てならないモノが飛び出し、それを耳にしたさとりは怪訝な顔で四ツ谷に問いかけた。

しかし四ツ谷はチラリとさとりの方を見やると、首を軽く振った。

 

『……いんや、忘れてくれ。俺の中でもまだ仮説の域を出てないハナシだからな。深読みする必要なんてねーよ』

 

そう四ツ谷が言ったのを最後に、この話は半ば無理矢理に終わらせられたのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……あの時、四ツ谷様は仮説ではあれど薄々この事実に気づかれておられたのですね……)

 

小さくわなわなと、たくし上げたこいしの服を持つ手を震わせたイトハは、やがてゆっくりとその手を下げてこいしの服を元の状態へと戻した。

そうしてゆっくりとこいしから離れたイトハは、今度はそばで様子を見ていた、こいしに握り飯を食べさせた少女へと視線を向ける。

 

「……?どうしたの?」

「……ちょっと、申し訳ありません」

 

不安げに首をかしげる少女にイトハは一言、そう断りと入れるや否や、いきなり少女の手をつかむと少女の着物の袖を肩口辺りまで勢いよくまくり上げた。

 

「キャッ!!」

「……ッ!やはり……()()()()()()()()()()……!」

 

少女の小さな悲鳴と共にイトハの顔が大きく歪んだ。

そこには、こいしの服の下に隠された惨状と同じ光景が広がっていた――。

 

手首から肩口まで、それこそ治りかけから真新しいモノまでびっしりと刻まれた傷の数々――。

切り傷、刺し傷はもちろんの事、何かで強く叩かれた事による蚯蚓腫(みみずば)れや打ち身に(あざ)。果ては火傷の痕まで所狭しと付けれられていたのだ――。

 

「……ゃ…………いやぁっ………!」

 

腕の傷跡を見られた少女は恐怖に怯え、イトハの手を振りほどく。

すると、強くつかんでいたわけでは無かったイトハの手はあっさりと少女の手を離れた。

振りほどいた少女はそのままよろよろと畳へとへたり込むと、小さく嗚咽を漏らしながらその場に(うずくま)ってしまった。

 

「……や……いやぁ…………やめて……酷い事、しないで……痛いのはもう嫌なのっ……ひぐっ、うぅぅ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

何かに怯えるかのように、少女は小さく蹲ったままブルブルと震え、誰に対してかの謝罪を繰り返し、繰り返し、響き続けた――。

身体的にも精神的にもボロボロにされた少女を見下ろすイトハは、自身の喉の奥からグツグツと熱いモノが込み上げてくるのを感じた。

そうしてチラリと周囲にいる子供たちにも目を向ける。

子供たちは何が起こったのかすらも分からず、ただ戦々恐々とした面持ちでイトハと蹲る少女を遠巻きに見ていた。

その子供たちの着物からのぞく肌にも、こいしや少女と同じような傷が無数についている事を遠目から確認したイトハは、さらに強い激情にかられる。

 

これは――ここにいる子供たちは全員……何かしらの『体罰の類』をその身に刻み続けられていたのだ。

 

そして恐らくは、先の会話からしてそれを行ったのも間違いなくあの鬼の面の女なのであろう。

言い表せない怒りがイトハの全身を駆け巡り、それに耐えるかのようにイトハは自身の両手をギュッと握りしめた――。




最新話投稿です。

次回以降もシリアスな展開はもう少し続きそうです。


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其ノ九

前回のあらすじ。

イトハは連れて来られた部屋で、同じく連れ去られてきた子供たちがどのような境遇にあっているのかを知り、怒りに身を震わせる。


「……大丈夫ですか?申し訳ありません。怖がらせてしまって……。もう、何もしませんのでご安心ください」

 

時間を経て震えが収まってきた少女に、怒りを収めたイトハは静かに謝りながら声をかけた。

蹲っていた少女はおずおずと顔を上げ、涙を溜めた瞳でイトハを見つめると、恐る恐る口を開いた。

 

「……ホント?痛いこと、しない……?」

「ええ。これ以上、貴女に嫌な思いはさせません。誓って」

 

自身の胸元にそっと手を置いて柔らかくイトハは微笑む。

イトハのその顔を見つめていた少女は、やがておずおずと小さく頷いていた。

それを見たイトハはフッと笑みを深めると少女と同じ高さに目線を合わせるため、少女の前にそっとしゃがみ込んでゆっくりと声をかけた。

 

「……教えてもらえませんか?先程、あの鬼のお面をかぶった女性が言っていた『お遊戯』について」

 

こいしを発見することができ、他の子供たちも見つかり、そして彼女たちの身に起こっている事も大体理解できた。

しかし、イトハにはまだ分からない事がいくつかあった。

その一つが先程、鬼の面の女が言っていた『お遊戯』であった。

言葉通りであれば、彼女は子供たちと共に何かの遊びをしている事になるのだが。

この現状を見るにロクな遊びでは無い事だけは確かであった。

イトハの質問に少女は俯きがちにぽつりと答える。

 

「……鬼ごっこ」

「鬼ごっこ?」

 

オウム返しにそう聞き返すイトハに少女はコクリと頷き、続けて口を開く。

 

「……お昼になったら、いつもやるの。『鬼』であるアイツから逃げてる間に、()()()()()()()を見つければ、見つけた子は家に帰してくれるって言ってた……」

「!……それを、あの鬼の面の女性が?」

 

イトハの問いかけに少女は再びコクリと頷いた――。

少女曰く、あの鬼の面の女は毎回お昼になると直ぐ、子供たちを『鬼ごっこ』と称して屋敷中を追い掛け回すらしく、自分につかまらず屋敷の出口を探し出せば、見つけた子は解放してくれるという。

 

「……でも、出口が見つからずに『鬼』に捕まっちゃったら、捕まった子たちは酷いこと、されちゃうの……。わ、私も、何回か捕まって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……そこで着物を脱がされて……そ、それから――」

「――もういいです。そこから先は話さなくても……」

 

言葉を吐くにしたがって少女の身体がカタカタと震え、それが次第に大きくなっていくのを見て、イトハはそっと少女の両肩に手を添えてやんわりと言葉を止めさせた。

少女の顔に浮かぶ恐怖の色と怯え、そして先ほど見た彼女たちの体に刻み込まれた傷で、その先に何があったのか容易に察する事が出来たからだ。

 

(……通りでこいし様を始め、この場にいる子供たち全員の着物が不自然なほどに着崩れしているわけです)

 

始めて見た当初から少女たちの着物が少々不格好になっている理由に気づき、(はらわた)が煮えくり返る思いを何とか抑えながら、イトハは落ち着いてきた少女に再び質問を投げかける。

 

「彼女には他に仲間のような方はいらっしゃいませんでしたか?もしくは、彼女に仲間がいるような様子は?」

 

その問いに少女は首を振った。

 

「……見たこと、ない。ここに来てからずっと、アイツしか見てない……」

(……と、言う事はこの一連の事件は高い確率で彼女の単独犯という事になりますね……)

 

少女の言葉にイトハは思案顔になりながら心の中でそう響く。

だが、それだとさらなる疑問が生じる。

イトハは軽く部屋の中を見渡した。――どこも異常の無い、ただボロボロに朽ちているだけの()()()()だ。

座敷牢のように、部屋を格子に囲まれているわけでもないし、妖術などの結界で閉じ込められているわけでもない。

 

「……あの。貴女たちはこの部屋を自由に出入りできる。つまりは、その『お遊戯』が終わって()()()()()()()()()()()()も、貴女たちは()()()()()()()()()()()()()()()はずですよね?」

「……うん」

 

イトハのその質問に少女は少し悲しそうに顔を伏せながらも素直に頷いた。

それを見たイトハは怪訝に眉根を寄せる。

 

(……おかしい。それでもこの子たちは()()()()()()()()()()()()というのですか?例えこの屋敷の中が広大だったとしても、それこそ『遊戯』以外でも時間はたっぷりとあったはず。……ここに連れて来られた以上、どこかに外へと行ける場所が必ずあるはずなのに……)

 

ここにいるのは十歳前後の幼い少年少女がほとんどではあるが、彼らが一致団結して手分けして出口を探すことだってできたはずなのだ。話を聞く限り、それを探す時間だって十分すぎるほどにあった。

それでも子供たちがここにいるという事は、その出口を探し出せなかったという事になる。

 

「……私は繭状態でこの部屋に連れて来られました。私が……もしくは他の子たちがここに連れて来られた時、どこから連れて来られているのか見た子はいないのですか?」

「……いないと、思う。あなたが入っていた、あの繭を最初に見つけたのは私なの……。()()()()()()()()()()、あの繭はここに置かれてて、他の子たちは()()()()()()()()()、どこから連れて来られたのか見てないと思う……。他の子たちの時もそうだったし……」

 

そう、イトハが先程まで入っていた繭を見つめながら少女はそう響く。

それを聞いたイトハはさらに踏み込んで問いかけた。

 

「『起きた時には』……?もしかしていつも、この部屋で()()寝ているのですか?」

「うん……。アイツ、()()()()()()()()()()()()()()()()から……」

「…………」

 

少女からそこまでの話を聞いたイトハは一人、考えを巡らすために黙り込む。

するとその直後、静かにイトハと少女の成り行きを見守っていた子供たちの何人かがゆっくりと動きを見せ始めた。

二、三人ほどの少年少女がのろのろと立ち上がると、フラフラとした足取りで部屋を出て行ったのだ。

そして、それにつられるように、他の子供たちもぞろぞろと部屋を出てあちこちバラバラな方向へと向かって歩き出す。

それを見ていたイトハに少女が声をかけた。

 

「……みんな、出口を探しに行ったの。……全然見つからないけど、ここでジッとしてるよりはマシだから……」

「……確かに、それには同意ですね」

 

イトハもそれに納得し、「よしっ!」と、掛け声を一つ上げると、気合を入れて立ち上がった。

そして少女に視線を戻して口を開く。

 

「……私も今から屋敷内を散策します。どこに何があるのか、案内してもらってもよろしいですか?」

「う、うん……」

 

明るめにそう響くイトハの言葉に影響されてか、少女の先程までの暗い表情が幾分か晴れ、返事にも力が入っているように見えたイトハは、微笑みを浮かべながらゆったりとした動きで少女に手を差し伸べる。

 

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はイトハと申します。貴女は?」

「……『尾花(おばな)』。……ねぇ、案内するのは良いけど、押し入れにいるあの子、どうしよう?」

 

そう言って少女――尾花は、こいしのいる押し入れへと視線を向けた。

 

「……少し心苦しいですが、あのままにしておきましょう。あの状態のこいし様を連れまわす訳にはいきませんし、あの鬼の面の女性が『鬼ごっこ』を始めるのはお昼からなら、今はあのままにしておいても大丈夫でしょう」

 

イトハはそう言いながら尾花の手を引っ張って立ち上がらせる。

そしてそのまま尾花と手をつないだままその部屋を後にした。

 

(……もうしばしの辛抱です、こいし様。必ずここから連れ出してみせますから)

 

部屋から去る間際、イトハはチラリと押し入れの中にいるこいしに、そう思いを込めた視線を投げかけた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――地底世界でも、何故か冬には雪は降る。

それは地上と地下を通じる縦穴から、空から降ってきた雪が吹き込んできているのが一説ではあるが、事実がどうなっているのか知っているのは、ほんの一握りの存在だけだろう。

その雪が旧都を一面の銀世界に変えたその日――。

 

――とある『鬼』の日常も変わってしまった。

 

雪が深々(しんしん)と降り積もる、とある寂しげな場所で、厚手の布団のように真っ白な雪を全身に覆い積もらせた、()()()()()()()を目にした瞬間から――。

 

 

 

 

「…………ッ!」

 

掛け布団を引っぺがして跳ね起き、全身から噴き出る嫌な汗を感じながら、その鬼――星熊勇儀は呼吸を整えた。

やがて一息つくと、顔にかかる髪を鬱陶しそうに跳ねのけながら独り言ちる。

 

「……参ったね、相当自分を追い詰めてるのかねぇ、私」

 

そうして壁にかけられた古びた振り子時計を見て、時間を確認する。

 

「ありゃ、もうこんな時間かい……。ちょっと仮眠を取るつもりだったのが、思いっきり寝ちまってたか。……鬼のくせに(ざま)ぁ無いったらありゃしないよ。こんな所、もし萃香にでも見られたら即笑い者にされちまうよ、くっそ……」

 

そうブツブツと呟きながら身支度を整えると、起き抜けの布団をそのままに遊戯は自宅を出る。

そして旧都へと足を向けながら誰に聞かせるでもなく真剣な目つきでポツリと響いた――。

 

「さぁて……今度こそ尻尾をつかんでやるからな。……クソッタレ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……最後、ここが台所だよ」

「ふむ……。恐らく朝、持って来たあのおにぎりの山はここで作ったのでしょうが、それにしては随分と調理器具の類が見当たりませんね」

「うん……」

 

イトハの言葉に、尾花も同感だと素直に頷く。

尾花に屋敷の中を案内される事、一時間ほど。

イトハは最後に台所へと案内されていた。五人くらいなら余裕で作業が出来るほどの広さを持った場所であったが、目に見えて随分と生活感が無かった。

と言うのも、大きな作業机に(かま)や食器棚、その中にある数枚の皿はあれど、それ以外の包丁やまな板などといった調理器具が一切見当たらなかったのである。

 

(……まぁ、これも当然と言えば当然でしょう。例え幼子とは言え、包丁とかを武器に一斉に反撃とかをされたら溜まったもんじゃないでしょうし……)

 

そこまで考えたイトハは次に眉根を寄せて険しい顔を作ると続けて思考にふける。

 

(……それにしても、尾花様に案内されて分かりましたが、この屋敷も()()()()()()()になっていますね。造りは日本家屋。ざっと数えても部屋数は大小合わせて百前後。……しかも予想以上に広い。恐らく土地の広さは紅魔館本館の半分ほど。かつてはとても高貴な武家の屋敷だったと思われます。しかし――()()()()()()()()()()()()()()

 

イトハがそう思うのも無理も無い事であった。

屋敷の外周――それこそ普通、外へと通じる場所には当然、正面玄関や庭に出るための縁側があり、この屋敷も例にもれずそれらが普通にあった。だが――。

 

(初めて見た時は驚きましたね。何せ玄関戸を開けたり、縁側に出たらすぐ、目と鼻の先に()()()()()が視界を覆うほどにそびえ立っていたのですから……)

 

そう――。この屋敷全体が一面の断崖絶壁で()()()()()()()()――。

まるで出口の無い、四方八方が自然が作り出した岩の密室の中に屋敷だけがすっぽりと入る形で建つ状態。

それを初めて目の当たりにしたイトハは、あまりに予想外な屋敷の立地に開いた口が塞がらなかった。

縁側から上の方へと目を向けても、視界を岩壁とせり出した屋根が邪魔して屋敷の上部の風景がどうなっているのかすら見当がつかない。これでは子供たちが屋敷から出る事が出来ないのにも納得できた。

 

(……一体誰なのでしょう、こんな所にこんな形で屋敷を建てた珍妙な方は。と言うかどうやって建てたのでしょう?……いや、それ以前にそんな屋敷に私や子供たちをどうやって連れて来たのでしょうか、あの仮面の女性は……)

 

謎が謎を呼ぶこの屋敷の現状にイトハはムムムと一人唸る。

すると唐突にイトハの着物をクイクイと引っ張る者が。

 

「?」

 

顔を上げるとそこには不安げに上目遣いに見つめて来る尾花の姿が。

 

「どうしたの……?急に俯いて何も喋らなくなったけど……」

「ああ、すみません。不安がらせてしまいましたか?」

 

どうやらイトハが思案顔になって急に黙り込むものだから不安になってしまったらしい。

何でもないと、やんわりとそう言い聞かせるイトハであったが、それでも尾花の顔から不安の表情が消えず、それどころか今度はキョロキョロと辺りを忙しなく見まわし始めた。

 

「……?どうかなされました?」

「今……何時かな……?」

 

イトハの問いかけに尾花はそう聞き返す。

今が何時(なんどき)なのか気になっている様子であった。

 

「さぁ……()()()()()()時計はありませんが、こいし様のいるあの部屋を出てからまだ一時間くらいしか立っていないと思いますよ?」

 

イトハのその返答に、尾花はホッと胸をなでおろした。

それを見てイトハが口を開く。

 

「……やはり、怖いのですね。『遊戯』が始まる事が」

 

それに尾花が素直に頷く。

 

「うん……。まだそれまで時間はあるけれど、それでも今もすごく怖い。捕まるのも、追い掛け回されるのも……。だから皆、『遊戯』の始まる時間になったら、あまり逃げ回らないでそれぞれ()()()()()()()()()()()アイツをやり過ごそうとするの……。押し入れとか、葛篭の中とかに入ったりして……」

「へぇ……(でもそれだと『鬼ごっこ』ではなくて、正確には『隠れ鬼ごっこ』ですね)」

 

相づちを打ちながらイトハがそう思った瞬間、()()()()()()()()ハッとなる。

そして、それを確認するためにイトハは尾花に尋ねる。

 

「……尾花様。もしや『遊戯』の時間帯もちゃんと決まっているのですか?」

「うん……いつも、お昼の十二時ちょうどに始まって、そこから三時まで屋敷中を歩いて皆を捕まえていくの。……だから皆、捕まるのが怖いから『遊戯』が始まる()()()()あちこちに隠れちゃうんだけど……」

「……それは、『遊戯』が()()()()()になっても……?」

「うん。……アイツの姿を見るのも、怖いから……多分、他の皆もそう……」

 

尾花のその言葉にイトハは「やはり」と一人納得する。

この台所には無いが、屋敷のあちらこちらにそれぞれデザインの違う『壁掛け時計』が複数飾られていた。

時計は全て振り子式であり、一時間ごとに時計が鳴る仕組みとなっている。

そしてそれは、()()()子供たちに時刻を知らせている事にも容易に気づくことが出来た。

 

(子供たちの自身に対する『恐怖心』と『時計』を使って()()()()『遊戯』前に子供たちを屋敷のどこかに隠れさせ、その(すき)()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()のだとしたら……)

 

イトハがそう考えていた時、台所の近くに掛けられた時計が唐突にボーーーン……と鳴った。

 

「ひっ!?」

 

こんな環境故に時計の音に敏感になっているのか、それを聞いた尾花は小さく悲鳴を上げると思わずそばにいたイトハにしがみ付いた。

カタカタと怯えてしがみ付いてくる尾花の背中をイトハは落ち着かせるように優しくなでる。

着物越しでもはっきりと分かるほど、尾花の背骨が浮き出ているのが理解できた。

 

(……典型的な栄養不足に、『遊戯』と称して子供たちを追い掛け回し、挙句の果てにはそれで捕まえた子供を悪辣(あくらつ)拷問(ごうもん)にかける……。いくら妖怪とは言え、こんな事を続けていれば【衰弱死】するのも当たり前です……!)

 

震える尾花を抱きしめながら、イトハは怒りに顔を歪めギリッと歯を小さく鳴らした。

そうしてしばらく尾花を抱きしめたまま彼女が落ち着くのを待つと、イトハはそっと尾花の両肩に手を添えて彼女との距離をわずかに離した。

そして、未だ涙目の尾花にイトハは決意新たに真剣な顔で語りかける――。

 

「……尾花様。今から屋敷中にいる子供たちを先程おにぎりを食べていた部屋に集めてもらえませんか?」

 

 

 

 

 

――一刻も早く終わらせよう。こんなくだらない『遊び』は。




最新話投稿です。

次回、イトハVS鬼の面の女。


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其ノ十

前回のあらすじ。

謎の屋敷で尾花という少女と出会ったイトハは、そこで行われる『遊戯』について知る事となる。


ボーーーン……

 

 

 

         ボーーーン……

 

 

 

                    ボーーーン……

 

 

 

 

 

 

何処とも知れぬ屋敷の中。

そこに飾られた壁掛け時計が鳴り始める。()()()()()()、鐘の音だ。

それと同時に屋敷の一角――薄暗い廊下の奥から、まるで闇の中から浮き出るかのように一つの影が姿を現した。

戯れのつもりか頭部に鬼の面をかぶり、紺の着物を纏った謎の女は、まるで獲物を探す獣のように仮面の下で小さく舌なめずりをする。

 

「さぁて……今日も楽しい楽しい、『お遊戯』の時間だよぉ」

 

ウキウキと胸を弾ませながら、鬼の面の女はそう響き屋敷の中を徘徊し始める。

すると、数分としないうちに廊下の奥の方からトタタタタ……と、誰かが駆けて行く音が微かに聞こえた。

鬼の面の女ははたと考える。自分に見つかっていないうちから走り回る子供はほとんどいない。長い事ここに閉じ込められている子供は、いつもこの時間帯には必ずどこかへ隠れて自分をやり過ごそうとするのがほとんどだ。

だからこうも自分の居場所を教えるように走り回ったりなんかしない。そんな子供がいるとすれば――。

 

――それはここに来てまだ日が浅い子供ぐらいだ。

 

そう考えた鬼の面の女の脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。

つい昨日、捕まえたばかりの活きのいい新しい獲物。

仮面の下で女の口元が卑しくニィっと吊り上がる。

そうして駆けていく足音を頼りに女は別のルートからその足音の主を捕まえるべく、音もなく足早に駆け抜け、回り込む。

やがて足音が向かう先の廊下の角に到着すると、鬼の面の女はそこで待ち構え、やって来た足音の主の前にその姿をヌッと現した。

 

「ひっ……!」

 

突然廊下の角から現れた鬼の面の女に足音の主は小さく悲鳴を上げる。

その正体は女の予想通り、昨日捕まえたばかりの妖精の少女であった。

少し癖のある短い黒髪に深紅の瞳。そしてその幼い身体に纏う茜色の着物がとても愛らしい。

ビクビクと怯える姿を見せるその少女に鬼の面の女は楽しそうに口を開く。

 

「駄目じゃないかあんなに派手に足音を立てちゃ。居場所が丸分かりだよぉ?」

 

そう言いながら仮面の女は少女にゆっくりと歩み寄っていく。

恐怖で足が動かないのか少女はその場に立ち尽くしたまま一歩も動かない。

そうしてある程度距離が縮まったところで唐突に少女の方から声が上がった。

 

「……ど、どうして?……どうしてこんなことするの?……聞いたよ?他の子たちから、ここで何をしているのか」

「!」

 

少女――イトハのその言葉に仮面の女はふと足を止める。そして、面白いものを見たかのように仮面の下でほくそ笑むと、クックと喉を鳴らしながら余裕を持ってそれに答えて見せた。

 

「どうしてか、だって?……そりゃあもう、()()()()()()()()()()()()()?」

「……たの、しい?」

「そうさ!知ってるかい?ガキ共が追い詰められた時に見せる表情!泣きながら『やめて』『たすけて』、なんて言いながらワンワンと叫んで抵抗するんだ。だが、どうにもならないと最後に悟った時、あいつらどんな顔を浮かべると思う?」

「……………」

「文字通り、瞳から光が失って茫然自失(ぼうぜんじしつ)になるのさ!言うなれば、絶望に落ちた顔ってやつだよ!私はあの顔を見るのが大好きでねぇ!見ていると満足感と一緒にゾクゾクと背筋を這い上がって来る興奮でたまらなくなるんだよ!」

 

過去のその光景を思い出したのか、仮面の女は両手で自身を抱きしめると脇だった興奮に身をくねらす。

対してイトハは怯えたその姿勢そのままであったが、女を見るその瞳は完全に冷え切ったモノへと変わっていた。

それに気づいていないのか鬼の面の女はまるで武勇伝の様に興奮冷めやらぬままにまくし立てる。

 

「……そうなりゃもう、後はされるがままの人形さ!私が何をどうこうするのも好き放題!もう最高だねホント!」

 

相手はどう見ても非力で幼い妖精の少女。反撃どころか逃げる気力すら出せないと踏んだ仮面の女は余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な姿勢で言葉を吐き続ける。

 

――着物をはぎ取り、全裸で拘束具で縛ってつるし上げた時、子供たちはどんな顔をするのか。

 

――鎖で四肢や首を引っ張ると、どんな苦悶の表情を浮かべるのか。

 

――鞭や刃物を使うと、どんな顔でどんな声を上げるのか。

 

――火のついた蝋燭を押し付けた時、どんな絶叫を上げるのか。

 

聞いてもいないのにそんな事をベラベラと楽し気に喋りまくる鬼の面の女を前に、イトハの目も段々と据わっていく――。

だが、イトハの様子を一切見向きもしない鬼の面の女の言葉は未だ止まらない。

 

「……最後には捕まった時と同じく絶望に飲まれた目でされるがまま!まさに私が遊ぶためだけの玩具(がんぐ)になり果てちまうのさ!この征服感!痛快だよホントに!」

 

そう言って高々に笑い声をあげる仮面の女。しかしそれを前にイトハはもう微動だにせずただ不気味なほど一点を見つめたまま沈黙していた。

そうしてひとしきり笑った仮面の女は満足したのかイトハに視線を戻し、次の行動に出る。

 

……ボコッ

 

唐突に仮面の女の背中――肩甲骨の辺りの着物が()()()()()()()

 

「……!」

 

それまで微動だにしなかったイトハは、その光景を見て目を大きく見開く。

直後、膨らんだ女の着物を突き破って、背中に()()()()()()()が姿を現した――。

まるで昆虫を思わせるグロテスクな四本の脚がミシミシと(しな)りを帯びて女の背後で不気味に(うごめ)く。

それを見たイトハは表情を硬くすると、女の人型の手足とその異形の四本の脚を交互に見やる。

そして直後にイトハは、鬼の面の女の正体にすぐさま気づく事となった。

 

「……蜘蛛(クモ)?」

「フフッ!そうさ!随分と察しがいいねぇ!」

 

ハッと驚くイトハに鬼の面の女は楽しげに笑う。

 

「……そうだねぇ、この際だ。アンタとはこれから『遊び相手』として長く付き合うわけだし、ついでに自己紹介とさせてもらおうかね」

 

そう言って鬼の面の女は自らが被る仮面に手をかけ、あっさりとその顔をイトハの前にさらして見せた。

女が被っていた仮面の下――そこには長い黒髪に色白の肌を持った()()()()の顔があった――。

目を見開くイトハを前に、女は薄っすらと笑みを浮かべながら淡々と名乗って見せた。

 

「私の名は『八重山 赤糸(やえやま あかし)』――」

 

 

 

 

「――親しい者からは『()()』って呼ばれてる毒蜘蛛(アカボシゴケグモ)の妖怪さ。よ・ろ・し・く・ね♪」

 

 

 

 

少々おどけながらそう自己紹介をする鬼の面の女――赤糸を前にイトハはただ沈黙を貫く。

 

(……私と同じく名前に『(イト)』を持つ方ですか……。気に入りませんね)

 

俯きがちに赤糸という名に嫌悪感を抱くイトハに、彼女の心境に全く気付かない赤糸は愉快そうに言葉を続ける。

 

「ああ、言っとくけどアンタは名乗らなくてもいいよ。興味ないから。……ん~、しかしさっきから反応薄いね、恐怖で声も出ないのかい?……それとも、こうもあっさりと正体を明かしたのが意外だったのかね?だとしたら別にいいんだよ――」

 

 

 

 

「――どうせここに来た以上、誰も生きて帰れやしないんだから♪」

 

 

 

 

そう言ってケラケラと笑う赤糸を前に、イトハは黙考を続ける。

 

(……落ち着くんです、私。ここで怒りに任せて動くわけにはいきません。美鈴様も言ってたでしょう?感情が荒れれば冷静に状況を見極める事も困難になると……!)

 

散々今まで目の前にいるこの毒蜘蛛女の所業を見聞きする事となり、いい加減イトハも頭に血が上りかけていた。

いっそ、赤糸が油断しきっている今、先手を取って意識を刈り取り、制圧してしまおうかとも考えた。

しかし、イトハは直ぐにそれを思い留める。

何故か分からない。ただ、憤りを感じている反面、それを引き留める警鐘が自分の中で鳴り響いているのも確かに感じ取れたからだ。

それは、かつての上司であるメイド長や門番から鍛えられ、それによって培われた第六感とも言うべき『予感』。

そしてそれは直ぐに現実となってイトハの目の前に現れた――。

 

「さぁて、無駄話はここまで。たぁっぷりと可愛がってあげるわよぉ♡」

 

そう言って赤糸は、背中から生えた四本の蜘蛛の脚の一本――その足先をズィッとイトハの目の前に持って来た。

 

「……!?」

 

イトハの目の前に差し出された蜘蛛の脚――まるで針の様に細く、鋭く(とが)った足先が()()()()()()()()のをイトハの目が捉えた。

蜘蛛の脚の第一関節辺りからつま先まで、何かの液体でてらてらと濡れて光っており、それが雫となってつま先から床へポタポタと滴り落ちていたのだ。

それを見たイトハは()()()()()()()()小さく響くように口を開く――。

 

「それは――」

「フフッ……ど・く♡」

 

イトハが言う前に、赤糸自らが答えを口にした。

それと同時にイトハの脳裏で襲われた時に受けた首筋の衝撃と体調の異変、そして変わり果てたこいしの状態が断片的にフラッシュバックする。

自分やこいし……いや、この屋敷に囚われている子供たち全員を苦しめた『神経毒』が今、目の前にさらされたのだ――。

 

「ここに来たばかりの子供は、捕まえても暴れるのを止めない往生際の悪いのが多いからねぇ。だから最初はこいつを打ち込んで大人しくさせて()()()()へと連れて行くのさ!……さぁ――」

 

 

 

 

 

「――お薬の時間だよぉっ!!!」

 

 

 

 

イトハをどのように(なぶ)ろうか妄想していたのか。興奮で上気し、赤くなった顔で下卑(げび)た笑みを浮かべてそう叫んだ赤糸は、毒に彩られた蜘蛛の脚を上から大きく振りかぶる。

そして同時に、正確にイトハの首筋に毒を打ち込むため両手で彼女の体を拘束しようと突き出す。

今までいつも、このやり方で赤糸は子供たちの動きを封じてきた。

そして今回もそうなると、赤糸の中では当然の結果として既に脳内処理がされていた。

今、赤糸の頭の中には、イトハをどうやって鳴かせてやろうかという事しかなかったのだ。

纏っている茜色の着物をはぎ取り、その中に隠れているであろう瑞々しい肢体に、深く決して消える事の無い傷を何度も刻みつけてやろう。

そうやって弄び滅茶苦茶にしてやったらこの子は一体どんな顔でどんな声で泣き叫んでくれるのか。

想像するだけで待ちきれないほど楽しみだ。だからとっとと毒を注入して大人しくさせよう。

そんなことを思い浮かべ、想像していた赤糸であったが――。

 

 

 

――次の瞬間、そのおぞましい未来計画が一気に瓦解する事となる。

 

 

 

イトハを捕まえようとしていた両手が共に空を切ったのだ。

 

(……?)

 

見ると空を切って交差状態となった赤糸の両手の向こうで、イトハが上半身をのけ反らせていた。

赤糸の両手に捕まる直前、イトハはそれをのけ反って回避していたのだ。

 

(……?身の危険を感じて反射的にかわされた?ったく無駄なあがきだね。さっさと毒を刺しとこ)

 

世話を焼かせるなと言わんばかりに赤糸は顔をしかめ、早々に仕留めるべく、毒に濡れた蜘蛛の脚をイトハへと左斜め下へと振り下ろした。

蜘蛛の足先がイトハの首筋へ吸い込まれるようにして向かう。

しかし、これも赤糸の予想を大きく凌駕した。

イトハは毒の足先を僅かに身をかがめる事で回避したのだ。

 

「なっ……!?」

 

もはや二度も回避が続けば偶然ではない。驚き思わず声を上げた赤糸にイトハの反撃が襲う。

毒の足先を回避した直後、イトハは赤糸の脚膝(あしひざ)――その左外側部分と同じく左わき腹に連続で()りを叩きこんだ。

 

「ぐはぁっ!?」

 

素早く放たれた予想外の攻撃に赤糸は声を漏らす。

勢いの無い、無拍子からの蹴りだったため、威力は低く痛みもそんなになかったが、それでも身体のバランスを崩すには十分だったため、衝撃で赤糸の身体が傾く。

 

「……っ!」

 

だが、バランスが大きく崩れるよりも先に赤糸は倒れまいとなんとか足をついて踏みとどまり、それを止める。

そして直ぐに赤糸が顔を上げた瞬間――その隙を逃さないとイトハは軽く跳躍し体を大きくひねると、上げたばかりの赤糸の顔に向けて強烈な空中回し蹴りを撃ち込んだ。

 

「ぶほぁぁぁっ!!?」

 

(あご)にイトハの蹴りがクリーンヒットし、赤糸は(きり)もみしながら後方へと吹っ飛ぶ。

背中から床に倒れた赤糸は、顎の痛みに唸りながらもそこを手で押さえる。

 

(なん、だ……?何が起きた?何なんだこれは……!?)

 

激しい混乱の中、赤糸はすぐさま頭だけを上げると視線をイトハの方へと急ぎ向け――そしてさらに驚愕する。

イトハは先の動きで着物が乱れ、瑞々しい純白の両脚は太ももまで露になっていたものの、それを直すそぶりを見せず、それどころか何かの武術の構えを取って倒れた状態の赤糸を睨みつけていたのだ――。

先程までか弱い無垢な子羊の如く自分に対してビクビクと怯えていた幼い妖精の娘が、一転してどこぞの武闘家かくやと言わんばかりの洗練された構えを取って、芯が通った鋭い眼光でこちらを見据えているのだから驚かないわけがない。

 

「な……なぁ……っ!??」

 

あまりにもイトハの変貌――そのギャップの違いに、赤糸は唖然となる。文字通りの開いた口が塞がらない状態だ。

そんな赤糸を前に、イトハはさらに赤糸に向けて追い打ちをする――様子も無く。そのまま赤糸に身体を向けながら数歩後ずさると、直後にクルリと180度方向転換すると廊下の奥へと駆け出して行った。その姿も子供のかけっこなどとは程遠い、無駄のない熟練者の持つそれであった。

 

「ま、待てぇっ!!」

 

それを見た赤糸も慌てて立ち上がり、イトハの後を追う。

走り始めると先程までの混乱が一転して怒りの感情へと変化していくのを赤糸は感じ取っていた。

顎の痛みに歯を食いしばりながら、赤糸は小さくなったイトハの背中を貫くような眼光で睨みつける。

 

(何だ……何だ何だ何なんだよあのクソガキッ!?あの動き、私の知っている妖精の動きじゃない!!)

 

赤糸は今しがた起こった事がにわかに信じられなかった。

彼女にとって妖精とは心身ともに幼く、攻撃と言えば僅かばかりの弾幕をまき散らすだけの悪戯好きな性格が多い種族だ。

その弾幕も、自分にとっては容易く対処できる程度のモノばかりだった故に、赤糸は妖精に対して今まで一度も警戒心を持ったことは無かったのだ。

だが今回、初めて目の前にいる妖精に今まで無警戒で挑んでいた余裕の心はすっかりと消え失せ、代わりに警戒心がMAXレベルにまで一気に跳ね上がった。

もはやイトハに対して『玩具』にして楽しもうという気持ちは木っ端みじんに吹き飛び、今現在、赤糸の胸中を渦巻いているのはただ一つの意志だけだった――。

 

(あのガキ……危険だ!野放しにしておけない……!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……毒の攻撃を受け、不利になる可能性を恐れてあの場での追い打ちは止めましたが、さて……)

 

そう思考しながら入り組んだ廊下を右へ左へと曲がりながら疾走し、とある廊下の角を曲がった直後にイトハはその場で止まってしゃがみ込む。

そして、一度息を整えると耳を澄ませた。

すると、そう遠くない所から「どこだー!どこ行ったぁぁぁっ!?」と叫ぶ赤糸の声が聞こえる。

それを確認するとイトハは小さくホッとする。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、まだ油断は許されない状況ですね……。いや、むしろここからが()()……)

 

険しい顔つきでイトハは着物の帯締めに手をそっと触れる。

そこには連れ去られる直前まで、四ツ谷たちに持たされていた発信機入りの匂い袋があった。しかし、今はそこには何も無い。

最初に目覚めた部屋で尾花の袖をまくって怖がらせてしまった時に初めて匂い袋が無くなっている事にイトハは気づいた。

そして慌てて自身が入っていた繭の中や部屋の畳の上を確認してみるも、それらしき物が落ちている様子は微塵も無かった。

 

(……匂い袋をこの屋敷で落としたのではないとすると、落としたのは連れ去られた時。何かの拍子で匂い袋を吊るしていた紐が切れたのか、あるいはあの()()()が私から取って捨てたのか……。いずれにせよ、半日以上たっているにもかかわらず、四ツ谷様たちが何のアクションも起こしてくる様子が無いという事は、この場所を突き止めるためのあの『三つの対策』は全て失敗したとみる他無いようですね……)

 

そう結論付けたイトハは残念そうに小さくため息をついた。

さり気なく赤糸に対する二人称を『蜘蛛女』という軽蔑視を含んだ呼称に変えながら――。

だが、次の瞬間には鋭い眼光で虚空を睨むイトハの姿があった。

 

(四ツ谷様たちがこの屋敷を嗅ぎつけてやってくる様子が無い以上……私が孤軍奮闘(こぐんふんとう)するしかないようです……!)

 

覚悟を決めたイトハは、次の行動に出る。

何のためらいも無く自身の着物の帯の結び目を解く。シュルリと帯が床に落ち、同時に着物の前部分が大きく開かれ、イトハの隠れていた凹凸(おうとつ)の目立たないその体が外気にさらされる。

着物の下には下着代わりに胸を隠す『サラシ』と、下にはショートパンツ型の白の『半股引(はんだこ)』が身につけられていた。

その姿のままイトハは一度着物を脱ぐとまたすぐに()()()()

 

(……この狭く入り組んだ廊下や部屋の中で羽を使って飛ぶのは悪手。羽は外に出しておくと邪魔になるので着物の中にしまっときましょう)

 

普段、羽はその身に見合うほどの大きさをしているが、その気になれば()()()()()()()()()

瞬く間にシュルシュルとイトハの透明な羽が小さくなり、背中の半分ほどの大きさになる。

それを確認したイトハは、素早く着物を元の状態へと着なおし、帯も締めなおす。

そして着物を元に戻したイトハは、今度は袖から白く長い布の帯を取り出すと、その端を口にくわえ、素早く両袖を巻き込んで『たすき掛け』にする。

最後に着物の裾をたくし上げると、その部分を帯の後ろ部分に挟んで『尻端折り(しりっぱしょり)』にした。

その為に下に纏っていた半股引が露になるも、イトハは気にせずそのまま立ち上がり、動きやすいか確認するためにその場でぴょんぴょんと飛んだり体をひねったりの軽い準備体操を行う。

そして問題が無い事を確認すると、イトハは一度目を閉じ、これから自分がやらねばならない事を落ち着いて頭の中で振り返る。

 

(……今、私がやるべきことは二つ。一つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。一つ、この屋敷の出口を探す事。……つまり私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……相手が神経毒を持っている事も踏まえて難易度高いですが、やるしかありません)

 

準備を整え終えたイトハは再び耳を澄まし、赤糸のいる場所を探る。

先程と変わらず、赤糸は必死になってイトハを探しているようであった――。

 

(それでは……行きます……!)

 

一つ息を吸い、決意を固めたイトハは赤糸のいる場所へと()()()()()()()()()()疾風(はやて)の如く駆けだしていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそ!どこ行ったあのクソガキッ!!」

 

イトハを見失ってしまい、怒り心頭のままに赤糸は彼女を探し回っていた。

近場の和室に飛び込んではそこにある壺などの置物をひっくり返したり、押し入れの中を漁ったりを繰り返し続け、血眼になってイトハを探す赤糸。

やがて息が切れてしまい、八つ当たりするようにとある和室に置いてあった火のついていないボロボロの行燈を感情の高ぶるがままに蹴り飛ばした。

古くなっていた行灯は蹴られた衝撃とその後に壁に当たったことにより、もはや使い物にならないほどに原形を留めずぐしゃぐしゃとなり、無残な姿で畳の上に転がる。

そんな事に見向きもせず、赤糸はいったん落ち着くため呼吸を整える。

一分もしないうちに呼吸が正常となり、血が上っていた赤糸の頭も同時に冷めていく。

 

「……?」

 

すると、頭が冷えた事で赤糸は今まで気づかなかった違和感に気づく事となる。

 

(……どういう事だ?さっきから()()()()()()姿()()()()()()()()……)

 

いつもならこれだけいくつもの部屋をひっくり返して探せば、簡単に一人か二人くらいは見つかるはずであった。

それなのに今日はイトハ以外の子供たちの姿は影も形も見当たらない。

不審(ふしん)に思い首をかしげ考える赤糸。

 

(……ここは確か屋敷の()()……。という事は、他のガキ共は西側に集中して隠れてるのか……?にしては何か妙だねぇ……)

 

ただの偶然。それで片付けるには赤糸にはいささか納得がいかなかった。

()()()()今日、子供たちは屋敷の西側に集中して身を潜め、それを知らなかった自分は()()()()人気のない東側にやって来ている。

そういう事も無い事も無いのだろうが、赤糸にはこの状況がどこか()()()()()()のように思えてならなかったのだ。

 

(……!まさか……!)

 

次の瞬間、赤糸の脳裏に今し方まで血眼に探し回っていた少女の姿が浮かび上がる。

――もし、あの妖精の娘が()()()()囮となって、自分を子供たちのいる西側から引き離し、誰もいないこの東側へと()()()()()()()()()()()()()……。

 

(……()()()()()()ってのかい!この私が!?)

 

チィッ!と大きな舌打ちを一つすると赤糸は踵を返して屋敷の西側へ向かおうと今いる和室を飛び出そうとし――。

 

「――行かせると思いますか?」

「――あ?……ぐぶっ!??」

 

廊下に出た直後、()()()()()()()()()()と共に不意打ちで足を引っかけられ、赤糸は派手に廊下に転がされる。

前倒しで埃まみれの廊下の床にキスする形となり、おまけに鼻までも床にぶつけ痛める結果となった赤糸は、鼻を抑えながら忌々し気にたった今、自分を転ばせた者へと敵視の視線を向ける。

そこには足を引っかけた姿勢のまま赤糸を睨み下ろすイトハの姿があった。

着物の裾を脚が露になるまでたくし上げ、たすき掛けをして袖をまとめたその姿に赤糸は目を見張る。

そんな赤糸にイトハは感情の籠っていない声で淡々と彼女に声をかけた。

 

「……反対側にいる子供たちを人質に使って私を捕まえようって算段なら、止めた方がいいです。()()()()()()()()()()()()()()()

「あ……アンタぁ……!」

 

鼻血を滴らせ、鬼のような形相で自身を睨み上げる赤糸に、イトハは冷ややかな目で続けて言葉を紡ぐ。

 

「それに……貴女、()()()()()()()()()()?いいですよ、相手になってさしあげます。……さぁ、始めましょうよ。貴女と私だけの、『二人だけの鬼ごっこ』を……!」

「……ッ!舐めんじゃないよぉクソガキがぁっ!!何なんだよお前は!?ホントに何なんだよォ!??」

 

再び頭に血が登った赤糸は、鼻血を乱暴に袖で拭い、立ち上がりながら怒りのままにイトハに怒声をぶつける。

それを受けたイトハは一瞬キョトンとするも、すぐに「ああ」と小さく笑い、スカートをつまむようにカーテシーの仕草でお辞儀をすると優雅な口調でそれに答えた。

 

「名乗るほどの者ではございません。……ただのしがない、元妖精メイドでございます」

 

「――ざっけんなぁぁぁぁッッッ!!!!」

 

イトハにとっては悪意も無く素直に答えただけの話であったが、頭に血が登っている赤糸からして見ればおどけて自分を馬鹿にしてる行為にしか取れず、逆に火に油であった。

憤怒のままに毒を纏った四本の蜘蛛の脚を大きく広げ、覆いかぶさるように捕まえようとする赤糸をイトハはひょいっとかわして見せる。

忌々し気に睨みつけて来る赤糸に、イトハは今度こそ挑発するように、両手を叩き、声を弾ませた。

 

「さぁさぁ、こっちですよー!鬼さんこちら手の鳴る方へー!」

「~~~~~~~ッッッ!!!」

 

怒りで言葉にならない声を上げて赤糸が突撃してくるのを見たイトハも踵を返し、廊下の奥へと走り始める。

 

(……どうやら完全に意識が子供たちから私へと切り替わったみたいですね。これは僥倖(ぎょうこう)です)

 

鬼の形相で追ってくる赤糸を見て、イトハは内心ほくそ笑む。

 

 

 

――『元妖精メイド』と『偽りの鬼女』の長いおいかけっこ(戦い)が今、始まった。




最新話、投稿です。

ここから少しの間、イトハと赤糸の攻防戦が続きます。
何気に本格的な戦闘描写をこの作品で書くのは今回が初めてかもしれません。


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其ノ十一

前回のあらすじ。

鬼の面の女の正体が明かされ、イトハはたった一人でその女との戦いに挑む。


昼を過ぎたばかりの地霊殿。

そこの応接室にはテレビ通信機越しの四ツ谷、小傘、さとり、燐の四人が集まり、皆落ち着きのない面持ちで沈黙していた。

小傘が四ツ谷へと声をかける。

 

「……師匠、やっぱり今すぐにでも探しに行った方が……」

『手がかりが無ぇ状況で闇雲に探すつもりか?……待つっきゃねぇだろ』

「う~っ、でもぉ……」

 

四ツ谷にそう指摘され、小傘も頭の中では理解してはいたものの、やはりジッとしていろと言われても出来るわけがないのが現状だった。

ごねりながら今にも応接室を飛び出しそうな小傘を四ツ谷が制する傍ら、さとりは応接の窓から心配そうな視線で旧都の街並みを眺め一人呟く。

 

「お空も……あれから一向に音沙汰がない。……一体、どこに行ったの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埃の積もる薄暗い廊下――。

その中を、風のように走り抜ける一人の幼い少女がいた。

茜色の着物の裾と袖をたくし上げたその少女――イトハは今、一陣の疾風の如く屋敷の中を移動していた。

やがて前方に廊下が左右に分かれたT字路が現れ、イトハはその突き当りの壁に背中を預けて、今度は()()()で廊下の左側へと足を向ける。

連なる襖と土壁に背中を預け、壁伝いに廊下を横歩きに移動するイトハ。

すると、何かに気づいたイトハは瞬時に自身の頭部を後方へそらす。

 

「馬鹿が、言っただろ!走り回ってたらどこにいるか丸分かりだって!!」

 

そう声が響いた次の瞬間、今し方までイトハの頭部があった所に、巨大な蜘蛛の脚が生えていた――。

その声にこたえるようにイトハは言い返す。

 

「馬鹿はそちらでしょう?()()()()()()()()()のが分かりませんか?」

「戯言を!!」

 

襖の向こうからそう声が上がった瞬間、イトハが背にしていた襖から突き破るようにして出てきたその脚が、今度は右斜め下へとスライドするように勢いよく移動した。

ビリビリビリと、襖が斜め下に大きく裂ける。

しかし、蜘蛛の脚がスライドするよりも先に、イトハが転がるように移動し、その襖から距離を置いていたことでその脚に触れる事も無く難を逃れていた。

それに気づいた蜘蛛の脚の持ち主は「チィッ!」と襖の奥で大きく舌打ちすると、その襖を突き破ってイトハへと突撃してくる。

蜘蛛の脚を持ったその女の妖怪――赤糸は、イトハを視界に収めると連続で蜘蛛の脚による突きを繰り出す。

その足先には当然のように神経毒が滴っており、一撃でも受けてしまえばどうなるのか日の目を見るよりも明らかであった――。

だがイトハは、その突きの連撃の軌道を読んでひょいひょいとかわして見せる。

そして、ちょっとした隙を突いてイトハは赤糸の懐に潜り込むと怒りで歪む赤糸の眼前に『猫だまし』を食らわせた。

 

「のぁっ!?」

 

パァン!という大きな柏手の音と共に赤糸の顔が一瞬のけ反る。

その隙にイトハは、今度は赤糸の胸ぐらをつかみ上げると、自身の体重を使って『(ともえ)投げ』を行い、赤糸を投げ飛ばした。

 

「あ゛あ゛ぁぁぁぁっ!!?」

 

悲鳴を上げながら投げ飛ばされた赤糸は、そこにあった襖を突き破って複数ある和室の一つ、その中央に転がっていた。

 

「クフゥ……クフゥ……ちく、しょう……!!」

「もう降参ですか?」

 

腹ばいのまま身体を起し、息を整えつつ恨みがましい声を上げる赤糸に、和室に入ってきたイトハは冷ややかにそう声をかける。

それが気に入らなかったのか赤糸はイトハに吠える。

 

「冗談じゃないよっ!!!アンタみたいなチビジャリに舐められたままでいられるわけないだろうがッ!!!『玩具』風情がふざけた口きいてるんじゃないよッ!!!」

「『ふざけた』?……ふざけてるのはどっちですか。何の罪もない子供たちをかどわかした挙句、こんなボロ屋敷の中でくだらない遊びを強要し、果ては捕まれば拷問にかけるという下衆(げす)な真似をしているのは……!!」

「うるさい黙れッ!私がここに連れて来たガキ共は全て私の『玩具』だッ!!お前たち『玩具』は人形のように大人しく私の遊び相手になってればそれでいいんだッ!!」

「なっ……!?」

 

あまりにも横暴な赤糸のその発言に流石のイトハも絶句する。

そんな彼女の目の前で赤糸がゆっくりと立ち上がると続けて叫び始める。

 

「大体、生意気なんだよ!こっちは毎晩毎晩、『遊女』仕事で男相手に文字通り体張って穢れながらも苦労して金稼いでんのにさぁ!!あのガキ共はそんな世の苦労なんて少しも知らぬ存ぜぬで奇麗な身の上で毎日毎日遊び惚けやがってッ!!あいつら見てると薄汚れた私との落差見せつけられたみたいで胸糞悪いんだよッ!!!」

「…………。だから、子供たちをあんな目に合わせたと?」

 

怒りを押し殺したかのようなイトハの問いかけに赤糸はあっさりと肯定する。

 

「ああそうさッ!!世間知らずなクソガキ共に、世の厳しさってのを骨の髄まで教え込んでやったんだ!!社会を生きる苦しみがどんなものか分からす為にアイツらの新品同様な玉肌をボロクズ同然に切り刻んでやってね!!お前らが私以下の底辺な存在なんだって事をアイツら自身にそう分からせてやったんだよぉ!!」

 

あまりにも自分勝手なその理由にイトハは怒りで顔が歪みそうになるも、それよりも()()()()()()()()()()()()()()()()()、グッと怒りを抑え、赤糸に問いただす。

 

「……貴女が連れ去った子供たちの中には、見た目に反して百歳以上生きている方たちも何人かいたと聞きました。その子たちも同じ理由だとでも?」

「ハッ!もちろんそうさ!!いい歳こいて未だにガキの気分で遊びまわりやがって!!ある意味、年相応なガキ共よりもよっぽどタチが悪いよ!!……今もこの屋敷のどこかでしぶとく生きている()()()()()がいい例さ!!」

「……!」

 

赤糸からこいしの名が唐突に出され、イトハに内心動揺が走る。

しかし、それをごまかすように険しい顔を作り赤糸を睨みつけながら彼女の言葉の続きに耳を傾けた。

赤糸はこいしの名前を出した瞬間、彼女を拉致した時のことを思い出したのか、聞いてもいないのに自分からその時のことを苛立たしげにベラベラと喋りだした。

 

「……古明地の妹を見つけたのは本当に偶然でね!仕事帰りで家に向かう途中、道端でうたた寝しているのをたまたま見つけたのさ!」

 

恐らく放浪中に休憩がてらに道端で眠りこけてしまったのだろう。その時にいつも発動している無意識の能力もうっかり切ってしまい、そこを赤糸に見つかってしまったのだ。

そう、この毒蜘蛛女の目に留まるという最悪のタイミングで。

 

「こっちは仕事終わりで疲れてるってのに呑気に私の目の前で気持ちよさそうに寝こけやがって!聞けばあの妹は日がな一日、気ままに幻想郷じゅうを歩きまわってるそうじゃないか!!こっちは稼ぐために毎日毎日あくせく男共の相手をしてるってのに……!!」

「…………」

「……だがら!あのガキにも毒を撃ち込んで今もその地獄の苦しみを味わい続けてもらってんのさ!!致死量ぎりっぎりを注入して生かさず殺さずの生殺し状態になってもらってね!!……そうすりゃあ()()()()()()、毒の影響で意識も朦朧となって()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

(!……やはり、そういう事だったのですか……!)

 

赤糸の言葉を聞いてイトハは内心納得する。

前に燐が子供たち死体を調べた時、見た目に反して年を取った子供たちだけが終始、意識がはっきりしていない状態だったと聞いた。

それは、赤糸に大量に毒を注入されたことで今のこいしのように意識が混濁状態になっていたのだ。

――基本、年相応に幼い妖怪の子供たちは、まだ自身の能力に()()()()()()()者のがほとんどなのだ。

子供たちが自分たちの能力に目覚めるのは、ほとんどの場合、第二次成長期が始まってしばらくしてからの事なのである。

したがって、年相応の幼い子供は、能力を覚醒させていないため同い年の人間の幼子とそう大差は無い。

だが、見た目に反した子供は違う。とっくに能力を覚醒させているのはもちろんの事、精神的にも成長しているため知恵もつく。能力を使って反撃をされるリスクも高くなるのだ。

だからこそ赤糸は先手を打って大量に毒を注入し、意識を混濁させ思考を封じると共に、能力の使用をもまた封じたのだ。

 

「毒の大量注入で思考も鈍って本物の人形同然になっちまうが、『玩具』に手をかまれる事だけは避けたいからねぇ。背に腹は代えられないよ全く……!まぁ、その分、年相応のガキを相手に楽しむだけなんだけどねぇ!」

「…………たった……たったそれだけの理由で、あの子たちにあんな事をしたんですか!?……拷問の果てに殺した子たちも何人も出しておいて……!貴女のせいで家族のもとに帰る事もできず死んでいった子たちがどんなに無念だったか……!」

 

憎悪を含んだイトハのその言葉にも、赤糸は「ハッ!」とせせら笑う。

 

「知ったこっちゃないねそんなの!言っただろう?この屋敷に来たガキ共は全部私の『玩具』だって!それに――」

 

 

 

 

 

「――壊れて遊べなくなった『玩具』は捨てるのが当然だろう?」

 

 

 

 

 

「――――――」

 

それを聞いた瞬間、イトハは胸の内が一気に冷たくなるのを感じた。

言い換えれば、怒りが振り切って一回りし、逆に冷静になったと言ってもいい。

そして一瞬イトハは、自分の目の前にいる赤糸が妖怪や人間などよりももっと下の、それこそ虫けらと同族の存在なのではないかとそう錯覚する。

これ程までに気分が悪くなったのは、美鈴から聞かされた先代主の話以来である。

――今までの考え方を改めなければならない。

最初こそ鬼の面をかぶって現れたたため、悪ふざけが好きな酔狂者だと思っていたが今は違う。

 

目の前にいるこの女は毒蜘蛛の妖怪であるが、間違いなく――『鬼』だ。

 

自分の享楽(きょうらく)の為なら幼子を嬲り殺しにするのも平然と行う反吐の出る『鬼』畜外道。それが目の前に立つこの女だ。

ついこの前、今の主である四ツ谷が『井戸女』を使って人里の子供たちを襲わせた一件があったが、彼が子供たちにやった事と今この女が子供たちにやっている事はその本質がまるで違う。

いや、そもそもそれ以前に比較するのもおこがましいだろう。

それ程までに私利私欲にまみれ、傲慢かつ身勝手なこの目の前の女に、イトハは激しい嫌悪感を抱いた。

 

(この『鬼』をこのまま野放しにはしておけませんね……。しかし――)

 

顔をしかめながらイトハは赤糸の後ろの方へと視線を向ける。

そこには赤糸の背中から生えた四本の蜘蛛の脚が毒液を纏いながらうねうねと蠢いていた。

 

(一番厄介なのはやはりあの神経毒……。連れ去られる時、毒を打たれて直ぐに意識を失った事から即効性であるのは間違いない。ならば(かす)って極微量、体内に入っただけでも即アウト……。その毒を纏った蜘蛛の脚が四本もありますから迂闊に懐に飛び込めない。……まぁ、先程みたいに少しの隙を突いて『猫だまし』で怯ませれば行けるでしょうが、そう何度も通用する相手とも思えません……)

 

イトハがそう思考するのを裏付けるように、目の前の赤糸もより一層険しい顔つきでイトハに警戒心を深めている様子であった。

さっきの動きを見るに赤糸は戦闘に関してはイトハほど慣れている感じではない、むしろ素人に近い。

しかし、赤糸から生える四本の蜘蛛の脚と神経毒がイトハとの戦力を埋める(カバーする)主な要因となっていた。

加えてイトハは様々な戦闘スキルを会得しているとはいえ、その容姿は幼くそこから出る身体能力も限られてきていた。

対して赤糸はその容姿は大人の女性と何ら変わらず身体能力もそれ相応にあった。

成長した大人の身体が持つ丈夫さ。それが(きた)えているとはいえ身体的に幼いがために攻撃力の低いイトハの打撃や投げ技を赤糸が耐え抜いてきた主な理由であった。

体格差と身体的能力。それもイトハが赤糸を倒す決定打が打てない一つの要因となっていたのである。

言うなれば、イトハは紅魔館で磨き上げた戦闘の技術が、赤糸は元から持っていた毒蜘蛛としての能力と大人の身体の持つ頑丈さにそれぞれ利があったのだ。

 

「さっさと毒食らいやがれクソガキッ!!シャァァッ!!!」

 

そう叫んだ赤糸は再びイトハに襲い掛かった。

背中に生えた四本の蜘蛛の脚が不規則な動きでイトハを刺し貫こうと迫る。

対するイトハも冷静に蜘蛛の脚の軌道をそれぞれ読み、回避や受け流しなどでそれに対処する。

 

(相手の攻撃手段(蜘蛛の脚の数)が多い以上、『拘束技』で組み敷くことは不可能。一本一本順番に脚を潰すのもリスクが高い。体術による打撃技一本でいくとしても、やはり蜘蛛の脚と毒が邪魔して倒しきれる可能性が低い。……となるとやはり、倒すよりも長期戦に持ち込んで()()()()()()()逃げながら出口を探し出す方が最善手かもしれません)

 

毒を纏った蜘蛛の脚をかわしながらイトハはそこまで思案すると、赤糸が二本の蜘蛛の脚を同時に突き出してきたのを見るや否や()()()()()()()()()()

場所は和室。それ故に畳がまんべんなく敷かれているため、イトハの震脚で足元の畳が一部床からはがれ、宙に僅かに浮く。

イトハは素早く屈んでその畳と床板の間に自分の指を滑り込ませると、勢いよく()()()()()()()

立てられた畳に迫っていた赤糸の二本の蜘蛛の脚が貫通し、その動きを止めさせた。所謂、『畳返し』である。

 

「なっ!?チィッ!!」

 

それを見た赤糸は悪態をつくと、畳を貫いた二本の脚を勢いよく左右へ振り、ボロボロになっていた畳をまるで紙切れのように真っ二つに引き裂く。

その流れで赤糸は続けざまに畳の影にいたイトハに向けて蜘蛛の脚を上段から振り下ろすようにお見舞いする。

だがイトハも難なくその攻撃をバク転で回避すると、その勢いに乗って先程はがした畳の隣に敷かれていた別の畳に手をかけ、それを持ちあげて再び畳返しを行う。

 

「同じ事を何度も!!」

 

苛立たし気に赤糸がそう叫び、今度は畳を払いのけようと蜘蛛の脚を横に大きく振るう。

しかし蜘蛛の脚が畳に当たる直前、イトハは立てられた畳の上部の(ふち)に両手をかけると、まるで棒高跳びの選手のように体を大きくしならせて赤糸の頭上を優雅に飛び越えて見せたのだ。

まるで飛び魚のように奇麗な()を描いて赤糸を飛び越えたイトハは、着地すると同時に身体を反転させて赤糸に接近する。

赤糸がイトハが背後に移動したのに気づいたのは、立てられた畳を払いのけた直後であった。

 

「!?」

 

慌てて振り返ろうとする赤糸の背後に接近したイトハは素早く彼女に足払いを食らわせた。

 

「がはぁっ!?」

 

足を払われた赤糸は畳の床に強かに背中を打ち付ける。

 

「があぁぁぁぁっ!!!」

 

それでも追撃はさせるものかと毒のついた蜘蛛の脚や四肢を激しくばたつかせ、振り回す。

それを見たイトハの方も、追撃は不可能と判断し、またもや体を反転するとそのまま和室を飛び出した。

 

「ま、待てぇっ!!」

 

逃げていくイトハを見た赤糸も慌てて立ち上がると彼女を必死に追いかける。

 

(逃がしゃしないよ!!()()()()()私が諦めると思ったら大間違いだッ!!)

 

遠くなったイトハの小さな背中を憎々し気に睨みながら、赤糸は心の中でそう叫んでいた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イトハと赤糸が戦っていた丁度その頃――。

屋敷の西側にある一室でイトハ以外の子供たち全員が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それは万が一、子供たちが赤糸に発見される確率を低くするために、一か所に集めて待機させ安全面をできるだけ強くするというイトハの考えから来るものであった。

互いの体を寄せ合って部屋の外の様子をうかがう子供たち。

その部屋は最初にイトハが目覚め、子供たちが食事をした部屋であった。

そのため、その部屋の押し入れには今もこいしがぐったりと体を壁に預けており、そんな彼女を尾花は隣で心配そうに見つめていた。

やせこけ、虚ろに沈んだ双眸で弱々しく呼吸をするこいし。

尾花はそんなこいしの見てどうしていいか分からず、彼女の枯れ枝のように細くなった手をそっと取って心苦しく見守る事しか出来なかった。

そうしてこいしを見つめながらも、尾花の脳裏には彼女とはまた別の少女の姿が浮かび上がる――。

 

(イトハちゃん……)

 

すがるような面持ちで尾花は生きてこの屋敷から出るという一縷(いちる)の望みと共にイトハの身を案じずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤糸の気配を察知しながらイトハは入り組んだ廊下を走り続ける――。

朝の時間のうちに尾花に屋敷の中を案内してもらったおかげで、広大ながらもどこに何がありどんな部屋などがあるかなどその間取りを完璧に頭に叩き込んでいたイトハには、もはや屋敷の何処に今自分たちがいるのか手に取るように理解できていたのである。

 

(……東側だけでこの広さ。おかげで逃げる事に関して不便が無いのがいいですね)

 

背後から赤糸が追ってきている事に気配で確認しながらイトハはそう思った。

結構入り組んだ箇所が多いものの、それを利用して逃げ隠れ出来るのがこの屋敷の利点ともいえた。

 

(……しかし、本当にどういう事なのでしょうか。こんな大きな屋敷がこんな周りに壁面しかない大きな穴の底に建っているなんて)

 

イトハは未だにこの場所にこんな屋敷が建っている事に疑問を隠せずにいた。

最初は追ってきているあの女(赤糸)が建てたのかともイトハは思ったが、遊女仕事をしているらしいあの蜘蛛女にこんな大きな屋敷が建てられる資金があるとは到底思えない。

しかもこの屋敷全体がかなり痛んでいてボロボロだ。建ててから相当な年月が経っている事は明らかであった。

そして、何よりも奇妙だったのは――。

 

(……こんな場所に建っているにもかかわらず()()()()()()()()()()()という事……。何か意味があるのでしょうか?)

 

走りながらイトハはチラリと真横へと視線を向ける。

そこには丁度、別の方向へと延びる廊下があり、その廊下の奥にはうっすらとこの屋敷の玄関が小さく見えた。

その玄関が視界から消えるとイトハは再び視線を前に戻す。

 

(……本当に妙ですね。まるでこの屋敷自体を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。移築(いちく)?)

 

『移築』という単語が頭の中に浮かんだ次の瞬間、イトハの目がハッと見開かれる。

と同時にイトハの中にあったこの屋敷に対する謎があっさりと解き明かされた。

 

(……なるほど、そういう事でしたか)

 

なんてことは無い。蓋を開けてみればそう深く考える事も無い真実だったのだ。

半ば確信を持ってイトハは心の中で響く――。

 

 

 

 

 

(……この屋敷は――外界から『幻想入り』してこの場所に流れてきたのですね)

 

 

 

 

 

幻想郷に幻想入りしてくるモノは、何も妖怪や神と言った存在だけではない。『場所』だってそうだ――。

外界の人間たちに知られていない未踏(みとう)の地。秘境。そして廃棄され、長い年月を経て()()()()()()()()()()()()()()()

それらもまた、外界の地から消え去り、ここ幻想郷の地へと流れて来るのだ。

だがそれらの『場所』もまた、『忘れ去られた者たち』同様に幻想郷の何処に現れるのかは完全にランダムであるのだ。

 

(……そして、この屋敷の場合もそうであり、着いた場所が地底世界のこんな大きな穴の底だったというわけですか……。なんとも、これは……)

 

ただの大きな屋敷とは言え、人々から忘れ去られて幻想入りして来た上、流れ着いた場所が地底世界のこんな大きな穴の奥底であり、これからずっとここで朽ち果てるまで存在し続けなければならない事にイトハは屋敷に対して同情を禁じ得られなかった。

 

(……おそらくあの蜘蛛女は幻想入りして来たこの屋敷を偶然見つけて、誰もいない事を理由に勝手にここを自分の住処にしている、といった所でしょうか)

 

イトハがそこまで思考した瞬間だった。

 

(――!?)

 

唐突にイトハの顔に驚愕が浮かび、走っていた足を止めてすぐさま背後へと振り返る。

そこには()()()()()、シンと静まり返った薄暗い廊下が広がっていた――。

その廊下を凝視しながら、イトハは険しい顔つきでポツリと小さく響く――。

 

 

 

 

 

「あの蜘蛛女の気配が――()()()……!?」




最新話、投稿です。

もうしばらく、戦闘シーンが続きます。


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其ノ十二

前回のあらすじ。

イトハと赤糸が戦いを繰り広げる中、尾花や四ツ谷たちは皆一様にイトハの身を案じ続ける。


赤糸の気配が忽然と消え、それを感じ取ったイトハはすぐさま踵を返し、赤糸の気配が消えた地点へと向かう。

 

(……まさか、私を追うのを止めて人質に使うために子供たちの方へ……?しかしあの蜘蛛女の足の速さなら、問題なく子供たちの元にたどり着く前に追いつくことが出来る。……いや、もしかすると……?)

 

そこでイトハはふと、それとは別の推測が閃き、走りながら思案顔になる。

 

(……念には念を。……保険はかけておくべきですね)

 

そう判断するとイトハはすぐ近場の和室へと飛び込み、そこにあった()()()に手をかけた――。

 

 

 

 

()()()()()()()()和室を飛び出したイトハは、その足で再び赤糸の気配が消えた場所へと向かう。

()()()()()()()()()、薄暗い廊下を風のように駆ける――。

そうして、赤糸の気配が消えた辺りまで来ると走る速度を落とし、慎重に廊下の奥へと進み始めた。

一歩一歩、()()()()()()()()()イトハはゆっくりと暗がりの廊下を突き進む――。

赤糸が奇襲を仕掛けて来ても、いつでも迎撃できるように神経を研ぎ澄ませながら。

――しかし、イトハはその時、気づいていなかった。

 

 

 

赤糸が既に……()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

「――!!」

 

ヒュン!という風を切る音がイトハの耳に届き、それと同時にイトハは反射的に身体を大きく左横に傾けていた。

すると、先程までイトハの頭部があった所を見覚えのある毒々しい色をしたグロテスクな脚が通過する。

避けきれなかったイトハの髪が一部その足と接触し、数本の髪の毛が宙を舞った――。

「なっ!?」と、明らかに動揺した声が天井の方から響くと同時に、イトハはバックステップを踏んで天井へと視線を向ける。

すると、そこには赤糸がいた。

彼女はなんと、天井に逆さまの状態で張り付き、そこでイトハを待ち伏せていたのだ。

まるで(てのひら)や足に吸盤が付いているかのように天井の板にピタリと四肢を張り付かせ、背中からうねうねと蜘蛛の脚を蠢かせながら自分を見るイトハを怒りと混乱が混ざったような目で睨みつける。

 

「何でわかったんだい!?私がここにいる事が……!!」

「殺気で丸分かりなんですよ」

 

狼狽える赤糸にイトハは呆れた目を向けてそう響いた。

実際、確かに赤糸がイトハに攻撃を仕掛ける直前まで、イトハは赤糸が真上にいた事に気づく事は無かった。

蜘蛛の妖怪である赤糸にとって無音で移動する事や待ち伏せなどを行うために、気配や音を殺して行動することなど造作も無い事であった。

しかし、そんな彼女でも攻撃する際に生まれる『殺気』だけはかき消す事が出来なかったらしく、それをイトハに感知されあっさりと回避されてしまったのである。

 

(――とは言え、それまで天井に彼女がいた事に私が気づかなかったことは事実。彼女の殺気に気づいてなかったら今ので私がやられていました……)

 

内心、肝を冷やしながらもイトハは未だ天井に張り付く赤糸を睨みつける。

 

(……この蜘蛛女は、()()()、気配や音を消す事に長けている見たいですね。……それも()()()()()()()()ではなく、先天的に……。しかも何の道具も無しに天井に張り付くことも容易くできる……。流石は蜘蛛の妖怪と言った所でしょうか……)

 

イトハがそんなことを考えている間に、赤糸の方は悔しそうに歯ぎしりをしながら次の行動へと移った。

 

「逃がさないよクソガキ!今度は確実に仕留めてやるよッ!!ハァァッ!!」

 

そう叫んだと同時に赤糸は天井から離れ、覆いかぶさるようにイトハの方へと落ちて来る。

それを見たイトハは後転してそれを回避する。

そして着地したばかりの赤糸は、イトハに反撃の隙を与えまいと毒を纏った蜘蛛の脚で突きの連撃を放つ。

しかし不規則に繰り出されるその攻撃をイトハは瞬時に見切り、一瞬の隙を見つけて赤糸の懐に飛び込んでいった。

 

「……ッ!!」

 

それを見た赤糸も直ぐに全力で後方へと飛ぶ。

直後、先程まで赤糸の胴体部分があった場所にイトハの回し蹴りが通過した。

それを見た赤糸は大きく顔を歪めると蜘蛛の特性を生かしてそのまま天井、右壁、左壁、そして廊下の床と順に飛んで張り付きながらイトハから大きく距離を取る。

 

(距離が空きましたね。なら、また逃げの一手といきましょうか)

 

赤糸が距離を取ったのを確認したイトハは再び彼女から逃げようと踵を返そうとし――。

 

「――!?」

 

――その視界の端で赤糸がニヤリと不気味な笑みを浮かべたのを目にする。

ゾクリ……!と、嫌な予感が一瞬にして背筋を駆け上がり、同時にイトハはすぐさま赤糸へと体を戻す。

その瞬間、イトハの左腕にべちゃり!と生暖かい『何か』が付着する。

何事かと視線を腕に向けると、そこには白い粘液のような物体が鳥もちのようにべったりとイトハの左腕に張り付いていたのだ。

 

「……っ!!」

 

驚き目を見開くイトハ。見るとその粘液は太い『糸』となって赤糸の方へと延びており、糸の先は赤糸の着物の袖口から中へと繋がっていた。

それを見て、すぐさまイトハはこの粘液が赤糸の袖口から糸状に伸びて発射され、イトハの腕に付着したのであると容易に理解できた。

そして、この粘液の正体が何であるのかも。

 

(……蜘蛛の糸!)

 

イトハが内心、そう確信したと同時に赤糸の笑みが一段と深みを増した。

そして、次の瞬間には赤糸は糸が伸びた方の右腕を大きく引っ張ったのだ。

と同時にそれに繋がっていたイトハもそれに引っ張られ、バランスを崩して前の目に倒れる。

 

「ぐっ!!」

 

突然の事ではあったが何とか受け身を取ったイトハであったが、それで終わりでは無かった。

赤糸が再び右腕を突き出すと、その袖口から伸びた糸がまるでコンベックス(巻尺)の巻き取りのように勢いよく袖の中へと吸い込まれ始めたのだ。

 

「あっ……!!」

 

それに連動して自身も倒れた状態のまま廊下を滑り、赤糸の元へと引き寄せられていくイトハ。

そんなイトハをまるで獲物を待ち構える獣のように赤糸は四本の蜘蛛の脚を大きく広げ、下卑た笑みを浮かべて待ち構える。

 

「終わりだよクソガキ!」

「いえ、まだです!」

 

勝利を確信して毒に濡れた蜘蛛の脚を振り下ろそうとする赤糸。しかしイトハはそれをすぐさま否定すると、引きずられる勢いのまま体勢を立て直して立ち上がると、そのまま引っ張られる速度よりも早く赤糸の元へと走りこんでいったのだ。

 

「!?」

 

突然の事に驚く赤糸。しかし、すぐさま毒を注入しようと目の前に来たイトハに蜘蛛の脚を振り下ろす。

だがイトハの方も勢いよく赤糸の目の前まで走りこんできた次の瞬間、身体を後ろに倒して足先から赤糸の少し大きく開かれていた足の間へと滑り込み(スライディング)を行う。

 

「なぁっ!!?」

 

驚く赤糸。同時にイトハに向けて降ろされた四本の蜘蛛の脚は全て外れ、イトハが赤糸の脚の間をくぐった直後に廊下の床に突き刺さった。

幼く小柄な身体だったが故、赤糸の『股くぐり』を難なく成功させたイトハはすぐさま立ち上がって赤糸と相対する。

 

「クソッ!往生際の悪い……!!」

 

悪態をつきながら赤糸もすぐさまイトハへと向き直る。

その両者の間には未だに蜘蛛の糸が繋がれていた。

今一度引っ張ってイトハを引き寄せようとする赤糸であったが、それよりも先にイトハが動く。

素早い動きで赤糸へと向かって突撃するイトハ。それを見た赤糸は今度こそ毒を撃ち込もうと蜘蛛の脚を振り下ろすも、イトハはやはりそれを回避し、()()()()()()()()()風のように赤糸の脇を駆け抜けた。

 

「なっ!?」

 

驚き、『壁走り』を行うイトハを見て目を丸くする赤糸。

そんな赤糸をしり目にイトハは壁から大きく跳躍すると赤糸の後方へと飛びながら蜘蛛の糸が張り付いた左腕を大きく『円』を描くように動かした。

左腕の動きによって糸の方にも『円』が出来、それがまるで輪投げの輪のように赤糸の頭から首へとすっぽりとはまると、それを見たイトハが着地と同時に勢いよく糸のついた左腕を引っ張った。

 

「ぐえぇぇっ!!?」

 

それによって糸に出来た『円』が急速にしぼまれ、中にあった赤糸の首が強く絞まる形となったのである。

突然息が出来なくなり、目を大きく見開いて身悶える赤糸。

しかし、それを気にする様子も無くイトハはそのままギリギリと糸を引っ張って赤糸の首を絞めあげていく。

 

「ぐっ……うぅぅ……がぁっ!」

 

息苦しさで悶えていた赤糸であったが、すぐに袖口に繋がれていた糸を外す。

糸の片方が外れた事により、赤糸の首を絞めていた部分が緩み、するりと糸が首から解かれ引っ張られていたもう一方であるイトハの元へと持っていかれる。

引っ張る力が急に失われ数歩後ろへとたたらを踏むイトハであったが、足に力を入れバランスを保つと、左腕に付いている糸を全て巻き取ると、踵を返して廊下の奥へと駆け出す。

 

「ゲホッ!ガハッ!……ま、待てぇっ!!クソガキがぁぁぁッ!!!!」

 

大きくむせながらも何とか息を整えた赤糸は、憎悪を込めた叫び声をイトハの背中に浴びせながら無我夢中に彼女を追いかけ始める。

そして、もう一度彼女を捕えようと、両腕の袖口から連続で蜘蛛の糸を何本も放った。

しかし最初の不意打ちのように上手くはいかず、走りながら肩越しに赤糸を見ていたイトハに素早く回避されてしまう。

それを見て悔しそうに赤糸は顔を歪めるも、それでも蜘蛛の糸を放つことを止めず続ける。

一方、イトハの方も背後から放たれる蜘蛛の糸を走りながらかわしながらも、()()()に四苦八苦していた。

 

(蜘蛛の糸が……取れない!)

 

まるで強力な接着剤でくっついたかのようにイトハの左腕に付着した蜘蛛の糸は、何度引っ張っても彼女の腕から取れる様子が無かったのである。

 

(くっ!……ただの糸じゃないという事ですか……!)

 

内心悪態をついたイトハは、廊下の先にあった曲がり角に走ると素早くその角を曲がり赤糸の視界から消える。

赤糸もイトハを追いかけて続けて廊下の角を曲がった。しかし――。

 

「なっ……、いない!?」

 

角を曲がった先にはイトハの姿が影も形も無かったのである。

 

「クソッ、どこ行ったクソガキッ!?」

 

悪態をついて赤糸は直ぐにイトハを探してその近辺を動き回り始める。

そして肝心のイトハはというと、赤糸がいる場所からすぐ近くの和室へと飛び込み、息をひそめていた。

薄暗い和室の中を一本だけ立てられた燭台の蝋燭が、申し訳程度のほのかに部屋の中を明るく照らし、その炎をゆらゆらと揺らめかせる。

その明かりを頼りに、イトハは左腕の蜘蛛の糸を何とかはがそうとするも、糸は鳥もちのように一向にイトハの腕から離れない。

引っ張っても爪を立てても、伸びはするものの千切れる様子が全くないのだ。

――誰もが知っている事ではあるが、蜘蛛の糸というのはこと蜘蛛と同じ虫たちには脅威な代物であるが人やその他の動物たちにとっては大したものではない。

赤子の手をひねるよりも簡単んに手で払うだけであっさりと千切れてしまう。

 

――だが実は蜘蛛の糸には鋼鉄以上の強度とナイロンのような伸縮する性質が秘められている。

 

その強度は鋼鉄の約五倍。計算上、直径1センチ程度の太さの糸で蜘蛛の巣を作れば、飛んでくる飛行機ですら受け止められると言われているのだ。

したがって、いくらイトハが糸を引きちぎって取ろうとしてもまるでビクともしないのも無理は無い事だったのである。

だが、そんな知識を知らなかったイトハは、蜘蛛の糸との悪戦苦闘をいったん止めると、部屋の中から外の様子をうかがう。

 

(……!またあの蜘蛛女の気配が……!)

 

先程と同じように赤糸の気配が消えている事にイトハは小さく顔を歪めた。

この部屋に飛び込む直前までイトハを追ってきたのは確かなため、まだすぐ近くにいる事は間違いないのだが、赤糸が気配を消したことで今どこにいるのか正確な位置を特定することが出来なくなっていた。

 

(気配をさらしながら闇雲に探し回ると思っていましたが、相手も存外やりますね……。これでは下手に動けない)

 

気配は全く感じない。しかし、確実にすぐそばにいる。それはイトハが紅魔館時代に培った直感がそれを告げていた。

 

(気配を殺しての待ち伏せに蜘蛛の糸による攻撃……。敵も考えて来てますね、当初の頭に血が登って闇雲に追いかけて来ていたのが嘘のようです)

 

そこまで考えたイトハは小さくため息をついた。

 

(これは……()()()()()()でしょうか?『逃げ』に徹していたのが災いして彼女に冷静な判断力を取り戻させてきているのかもしれません)

 

事実、それは的を射ていた。この大きな密室空間(屋敷)の中において、赤糸は未だに追う側の立場であった――。

そして、出口が見つからず屋敷の中を逃げ回るだけのイトハは追われる側の立場である事には変わらず、このまま消耗戦が続けば先に音を上げて追い詰められるのは確実にイトハの方であった。時間と共に心身ともに消耗したところをあの毒の脚で刺されれば敗北は必至。それで反撃に出ようにもやはり毒が障害となり、迂闊に直接攻撃が出来ない。

それ故、一定の距離を保ちながら出口を見つけるという逃げの一手をイトハは行っていたのだが、それが逆に赤糸の逆鱗を鎮める時間稼ぎとなってしまい、同時に自分とイトハの状況を正確に考え直し、自身が未だに有利な立場にいる事を改めて再確認させる余裕を生み出してしまっていたのである。

その為、今の赤糸は激昂しながらも反面、冷静となった一部の思考回路でイトハをどう追い詰めていこうか模索していた。

慌てる必要はない。出口が見つからず、猛毒も所持し、隙あらば他のガキ共の所へ向かって人質にもできる自分の方が未だに優位な立ち位置なのだと――。

そしてそれは、イトハの方もよく理解していた。

 

(戦況は極めて不利。……となるとやはり、一刻も早く出口を見つけるのが最善手かもしれません。私が出口を見つけて逃げられれば、あの蜘蛛女も自分の立場が危うくなるのも理解できるはず。そうなれば今以上に執拗に私を捕えようと追いかけ、他の子たちの事を気にする余裕がなくなるかもしれません。望みは薄いですが……。それでも何とか少しでも私が外とコンタクトを取って、四ツ谷様たちがここに気づいてくれるきっかけが作れればまだ勝機はあります……!)

 

イトハは背後の襖を少し開けて、今し方まで走っていた廊下の様子を覗き見る。

薄暗い廊下の壁に申し訳程度に蝋燭が点々と灯され、廊下の様子をぼんやりと照らし出していた。

イトハはそんな廊下の様子を目だけを上下左右に動かして安全を確認する。

どうやら目に見える範囲には赤糸はいないようで、それを確認したイトハはゆっくりと襖をあけて廊下に出た。

そして再び思考を巡らし始める。

 

(……この『鬼ごっこ』が始まる時……あの蜘蛛女は言ってましたね。……『毒で捕まえた子供たちは【拷問部屋】へと連れて行く』と……。ですが午前中、この屋敷を見まわった時、それらしき部屋は()()()()()()()()()()()()()。となると、その部屋はこの屋敷の外――おそらくあの蜘蛛女がこの屋敷に出入りしている近くにある可能性が高い。そして、そこを見つけさえすれば……自ずと屋敷の出口も見つかる……!)

 

そう結論付けたイトハはそろりそろりと廊下を慎重に歩いていく。廊下の角の影や近くの部屋の中から不意打ちで赤糸が襲ってくるのを考え、注意深く一歩一歩、危機感を持ってゆっくりと――。

 

 

プツッ……。

 

 

「?」

 

不意に足元に(わず)かな違和感を感じ、イトハは足元へと視線を向ける。

そこには仄かな蝋燭の光に当てられて光りながら、ゆっくりと床に落ちる()()()()――。

 

「糸……?」

 

肉眼でも見つけるのが難しそうなほどに極細なその糸を見てイトハは怪訝な顔を浮かべ、すぐさまハッとなる。

何せ見た目はまるで違えど、イトハの腕にも同じく『糸』が付着し絡まっているため、その細い方の糸の正体も自ずと察しがついたのだ。

 

「まさか、この糸――」

「――見つけたよぉ!!!!」

 

イトハの呟き声を覆うようにして、別の女性の怒号が廊下に響き渡った。

慌ててイトハが視線を動かすと、いつの間にか少し先の廊下の奥に赤糸が立ちふさがっており、()()()()()()()()()()イトハの方へと向けていた。

 

「……っ!!」

 

それを見たイトハは反射的に横に飛ぶ。すると赤糸の右腕の袖から太い蜘蛛糸が放たれ、今までイトハがいた場所を通過する。

それをしり目にイトハは赤糸を睨みつけるも、その瞬間、赤糸は今度は左腕を持ち上げて再び糸を放ってきた。

 

「くっ!!」

 

イトハは瞬時にそばの襖を開け放ち、その和室の中に転がり込んでその糸も回避する。

そして部屋の奥まで逃げるとイトハは直ぐに身体を反転させ、今し方この部屋に入ってきた入り口を睨む。

するとそこから下卑た笑みを浮かべながら、赤糸も続いて入って来た。

そして和室に入った途端、赤糸は後ろ手に先程入って来た入り口を襖で閉める。

密閉された和室の中で対峙し、睨みあう二人。

数秒の一触即発後、先に動いたのは赤糸であった。

赤糸は素早く腕を上げるとその袖から糸を放つ。

しかし、狙った先はイトハではなかった。

 

「!?」

 

目を見開くイトハの前で()()()()()()()()()()()()()()に蜘蛛の糸がくっつき、それが赤糸によって引き倒される。

倒された燭台から落ちた蝋燭は畳の上を跳ね、その衝撃からか途端に火が消える。

辺りが真っ暗になる直前、赤糸が素早く()()()()()()()()()のがイトハには見えた。

蝋燭の火が消え、和室の中は一寸先すら見えない暗闇と化す。

 

(あの蜘蛛女は、一体何を……?)

 

暗闇の中、先程行った赤糸の行動の意図が分からず内心混乱するイトハ。

だが、とりあえず移動しようとイトハが体を僅かに傾けた、その次の瞬間であった。

 

プツッ……。

 

イトハの露出した肌に()()()()()当たり、それがあっさりと切れるような感触――。

それは先程、廊下でイトハが足に引っ掛けて千切ってしまった()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――ッ!!」

 

その瞬間、イトハをめがけて風切り音と殺気が同時に放たれ、それに気づいたイトハは畳の上を転がるように本能的にそれを回避する。

ブォン!という音と共に毒蜘蛛の脚が空を切った。

安堵するイトハ。だが未だに危機は脱していなかった。

転がった先にも糸らしきモノが複数張り巡らされており、それがイトハの身体に絡まって一斉に引きちぎれたのだ。

 

「くぅッ!!?」

 

それを合図にしてか、暗闇の中で再び蜘蛛の脚がイトハを正確に狙い打ち、襲う。

だがそれよりも前に殺気で気づいていたイトハは紙一重で再びそれを回避しきる。

そして、同時にイトハは瞬時に気づいた。

 

(まさか……!この部屋中に無数の極細の糸を張り巡らせて、それを感知器(センサー)代わりに……!?)

 

蝋燭を倒して部屋を暗くした瞬間、赤糸は部屋中にちょっと触れただけでも脆く千切れやすい細糸を無数に張り巡らせ、その糸にかかる振動や千切れた瞬間を感知し、イトハの居場所を瞬時に突き止め襲っていたのだ。

こういった方法で獲物を捕らえる蜘蛛は確かに存在する。

赤糸もまた暗闇でイトハの視界を封じ、糸を使ってイトハの居場所を割り出し、不意打ちで仕留めようとしていた。

部屋の中は墨を垂らしたかのような漆黒の世界。その中で赤糸がどこにいるのかもわからず、しかも部屋中に彼女のセンサーとなる蜘蛛の糸が無数に張り巡らされているという非常に不利なその状況に、イトハの顔に初めて焦りの色が浮かんだ。もっとも、暗闇の中故、赤糸からはその表情は見える事は無かったが。

プツッ、プツッ、とまたもやイトハの身体に蜘蛛の糸が接触し、それが千切れると同時に暗闇の中から毒に濡れた蜘蛛の脚が彼女へと振り下ろされる。

だが今回は完全に回避することが出来ず、蜘蛛の脚がイトハの肩口を僅かに切り裂いた。

 

「――ッ!!」

 

肩に接触する蜘蛛の脚の感触にイトハの顔から一瞬にして血の気が引き、同時に息が止まる。

しかし、幸いな事に赤糸の蜘蛛の脚はイトハの着物の布地を小さく引き裂いただけに留まり、その下の肌に届くことは無かった。

――危機一髪。しかし未だ状況は変わらずこのままでは毒の餌食になるのも時間の問題であることは目に見えていた。

しかし、一刻も早くこの部屋を出ようにも、部屋中に蜘蛛の糸が張られているため動けば途端に糸が切れ、先に赤糸に居場所を特定されてしまう。

 

(……一か八か!)

 

暗い部屋の中でしゃがみ込み、冷や汗を流しながら決意を込めた目でイトハはある事を決断し、()()()()()()()()()()手を突っ込んだ――。

 

 

 

イトハに対して赤糸の方は暗闇の中でも余裕な表情で構えていた。

部屋の明かりを落としたと同時に蜘蛛の糸を部屋中に張り巡らせた赤糸は、暗闇の中でも楽勝と言わんばかりにイトハのいる場所を見つけてはそこに蜘蛛の脚による攻撃を繰り返していた。

暗闇の中故、反撃もできず蹲りながら逃げ惑うイトハに赤糸は溜飲が下がる思いと同時にニヤニヤとした笑みが顔に浮かぶ。

 

(よぉーやく、狩られる獲物らしくなってきたじゃないか!)

 

迂闊に部屋から逃げ出せないこの状況。もはや自分の勝利は確かだと言わんばかりの表情で、この娘をどう料理してやろうかと赤糸は妄想を巡らせていた。

するとその時、再び暗闇の向こうでプツッ、と糸が切れる感触が赤糸へと届く。

 

(馬鹿め、無駄なあがきを……!)

 

下卑た笑みを浮かべながら、音も気配も立てず素早く糸が切れた地点へと赤糸は急速に接近する。

そして、到着すると同時に毒に濡れたその蜘蛛の脚を目の前の暗闇へと思いっきり振り下ろそうとした。――次の瞬間。

 

ヒュンッ……!!

 

暗闇の向こうから空気を切り裂く音と共に『何か』が一直線に勢いよく赤糸の方へと向かって来たかと思うと、それが赤糸の右頬をかすめて後方へと飛んで行った。

 

「……ッ!!?」

 

数秒遅れて赤糸もそれに気が付き、振り下ろそうとした蜘蛛の脚を途中で止めて数歩、後方へとよろける。

何が起こったのかすら分からず、赤糸は半ば無意識に『何か』がかすめていった自分の右頬へと手をやった。

すると、手の指先にべっとりと液体のようなモノが付着する感触がある。

それが、自分の頬から切れて流れ出す、()()()()である事に気づくのに早々時間はかからなった――。

 

「なっ!?」

 

絶句する赤糸。だがそんな彼女に向かってまたもや風切り音と共に正体不明の『何か』が飛来する。

今度は赤糸の左側数センチ離れた所を通過していき、それに切られてか赤糸の髪の毛が数本、宙を舞った。

 

「ヒッ!!?」

 

それが続けざまに二、三度。暗闇の向こうから放たれ、それら全ては赤糸に直撃こそしなかったものの、得体の知れないモノがそばを通過していく怖さとその勢いに押され、赤糸自身が無意識に後退していた。

やがて赤糸の背中が部屋の隅――そこにあった襖に当たり、脆くなっていた襖は赤糸の身体を支えきれずそのまま赤糸もろとも隣の部屋へと倒れこんでいた。

 

「がはっ!!」

 

背中を襲う衝撃で声と共に息を吐き出す赤糸。

だがすぐさま赤糸は混乱しながらもその上半身を起こし、今し方まで自分がいた暗い部屋の奥を凝視する。

赤糸が倒れこんだ隣の部屋にも蝋燭が設置されており、それがその部屋全体を照らし出していた。

その明かりが赤糸と共に倒れた襖の空いた空間から暗闇と化した部屋に一筋の光を伸ばす。

 

その光の先に――イトハがいた。

 

イトハはしゃがんだまま部屋の奥で倒れこんだ姿のまま固まっている赤糸を睨みつけていた。

そのイトハの右手が胸元で構えられており、その手の人差し指と中指の間に小さい『何か』が挟まっているのを赤糸の目がとらえた。

それをよく見ようと赤糸の目が無意識に細められる。

やがてそれが何なのか分かった瞬間、赤糸が驚きに目を丸くした。

 

()()()……()()!?)

 

なんとイトハは、帯の中に隠し持っていた陶器の破片を()()()()()()()()()()赤糸に向かって勢いよく投擲(とうてき)していたのだ。

その破片はイトハが最初に赤糸の気配を失った時に、飛び込んだ和室の(とこ)の間に飾ってあった陶器の壺を割って作った簡易の投擲武器であった。

鋭利(えいり)に尖った破片だけをすぐさま選別し、それを帯の中に忍ばせていたのである。

それを先程暗闇の中で、蜘蛛の脚を振り下ろそうとしたその瞬間に生まれた赤糸の殺気ですぐさま彼女のいる位置を特定し、赤糸が仕掛けるよりも早くその方向に向けてイトハは帯の中の破片を勢いよく放ったのであった。

唖然とする赤糸。しかしすぐさま反撃に出ようと立ち上がろうとし――それよりも先にイトハが持っていた()()()破片が赤糸に向かって放たれた。

 

「ヒッ!」

 

反射的に赤糸は両腕で自分の顔をかばう。

しかしそれは陽動(ようどう)で、放たれた破片は赤糸に当たることなく明後日の方向へと飛んでいき、そこにあった壁に当たり砕け落ちた。

その間にイトハは、赤糸がいる部屋とは反対側の襖を開けてその部屋に転がり込む。

それを両腕を下ろして見た赤糸は慌てて立ち上がると、必死な形相でイトハに向けて距離を縮める。

対してイトハは、そのまま転がりながらその部屋の奥にあった床の間の土器の壺のそばまでやって来ると、自分に向かって突進してくる赤糸を睨みつけながら、裏拳で土器の壺をたたき割った。

ガシャァン!!という音と共に土器の破片が宙を舞う。イトハはすぐさま空中を舞う破片の一つを素早くつかみ取ると、そのままその破片を赤糸に向けて投擲した。

 

「ヒィッ!?」

 

破片が赤糸の頭上をかすめて飛んでいき、それに赤糸が小さく悲鳴を上げたと同時に無理矢理動きを止めてしまい、その拍子にバランスを崩し尻もちをついた。

それを見たイトハは土器の他の破片をいくつか回収すると、それを再び帯の中に忍ばせて立ち上がり、廊下に続く襖を開け放つとそこから廊下へと飛び出していった。

 

「ま、待てぇっ!!」

 

それに気づいた赤糸も慌てて彼女の後を追い始める。

 

――以前、イトハが小傘に話した自身の持つ武術、その一つである『戸隠流』はそれ自体は正確には格闘技ではなく『()()()()()』であり、これは実際、外界でも護身術の一つとして使われている。

とは言え、その流派のほとんどの技術を会得したイトハは疑似的にも『忍者』としての才能も開花させていたのである。

それ故、気配や音を殺して移動する事も、物の投擲なども朝飯前であった。

 

その技術を持ってして今もなおイトハは、赤糸に追われながらも風のように薄暗い廊下を駆け抜けていく――。

 

 

 

 

 

そして、イトハと赤糸の『鬼ごっこ』はいよいよ後半戦へとなだれ込もうとしていた――。




最新話投稿です。

一応、ここまでがイトハと赤糸の『鬼ごっこ』、その前半戦と区切らせていただきます。
さてここから後半戦、どう料理したものか……orz

未だに細かい所がちゃんと出来ていませんので、またしばらく次の投稿は遅れるかもしれません。


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其ノ十三

前回のあらすじ。

イトハ、赤糸からの反撃を受け始める。


「フランの様子はどう?」

「部屋でお休みになられております。少し前まで落ち着きがありませんでしたが」

 

紅魔館のベランダ。そこで午後のお茶を堪能しているレミリアが、やってきた咲夜にそう声をかけ、咲夜はそれに答えていた。

テーブルをはさんでレミリアの向かい側にはパチュリーもおり、彼女も本を片手に紅茶を味わっている。

そして、そのそばには美鈴も佇んでおり、やや落ち着きのない顔でレミリアたちを見ていた。

咲夜の返答を聞いたレミリアは紅茶を一口飲むとフゥと息を吐く。

 

「……にしても、フランの『発作』にそんな裏があったなんて気づきもしなかったわ。友達が居た事も『寝耳に水』よ」

「はい……。私も四ツ谷さんの所へ行って妹様の口から直接聞くまで全く知りませんでしたから」

 

レミリアのその言葉に美鈴も少々小声になりながらそう答える。

四ツ谷会館での会談から帰ってきたその日。美鈴はフランを自室に連れて行ったあと、その足でレミリアたちの元に赴き、その仔細を彼女たちに話していたのだ。

 

「……まぁ、私もフランが最近になって『再発』したことに少し妙だとは思ってたけど……。でもまさか、そんな経緯(いきさつ)があったなんてね……」

 

本のページをめくりながらパチュリーもその会話に参加する。

その言葉を聞きながらレミリアは美鈴に問いかける。

 

「で、どうなの?その友達とやらは見つかりそうなの?」

「……今現在、四ツ谷さんたちが調べている最中ですのでまだ何とも……」

「そう……。でも、場所が地底世界なんでしょ?大丈夫なのかしら?」

「すみません。それも、何とも……」

 

レミリアの問いに美鈴は申し訳ないとばかりに小さく首を振る事しか出来なかった。

そんな美鈴を見ながら咲夜はふと、ある者の姿が脳裏に浮かぶ。

 

(……そう言えば、今頃あの娘(イトハ)は何をしているのかしら?)

 

四ツ谷会館へと行かせた幼い妖精メイドの事を咲夜は思い浮かべる。

その当の本人が今現在、今回の一件の黒幕との激闘に身を投じているとも知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ヒュン!

 

 

             ヒュンッ!!

 

 

                          ヒュンッ!!!

 

 

 

――グロテスクな蜘蛛の脚と土器の破片が空を切り、音を鳴らす。

 

今、暗い廊下の中を自分たちの立ち位置を入れ代わり立ち代わり変化させながら、二つの影が激闘を繰り広げていた。

赤糸の毒に濡れた蜘蛛の脚の連撃を踊るようにイトハはかわし、カウンターと言わんばかりに帯から土器の欠片を一つ、赤糸に向けて投擲する。

それを見た赤糸も、素早く糸を出してその先を廊下の壁に貼り付け、引っ張る力を利用して身体を壁側へ引き寄せ回避する。土器の破片は明後日の方向へ飛んで行った。

先の投擲が回避されるのを見たイトハも、続けて二撃目を赤糸へ投擲する。

しかしそれを見た赤糸も、自身の身体が壁際に引き寄せられたと同時に素早くその壁を蹴り跳躍する。

イトハの二撃目をそのまま回避した赤糸は空中で身体をひねって天井に一時張り付くと、続けてイトハから距離を取りながら廊下の床へと着地した。

 

「チックショウ!クソガキが!!いい加減毒を食らえってんだよ!!」

 

イトハに向けて四本の蜘蛛の脚を背中から大きく広げるように構えて威嚇する赤糸は、大きな声でそう怒鳴る。

しかし、それに対してイトハは涼しい顔で受け流す。

 

「食らえと言われて受ける方などいるわけがないでしょう」

「クッ、クソッ!!これだけの技量……さっきからそうじゃないかとは思ってたがやっぱりお前、私がかどわかす時、わざと毒を撃ち込まれたね!?」

「……今更ですか?気づくの遅すぎでしょ」

 

今になってイトハが自分にわざと捕まっていた事に気づく赤糸に、イトハは呆れた顔を浮かべる。

それを見た赤糸は悔しそうに顔を歪めた。

 

「グッ……チィッ!どこだ?どこの回し者なんだい!?自警団か?それとも地霊殿の連中か!?」

「そんな事、言うわけないでしょう?……なんにせよ、私をここに連れて来たのが貴女の運の尽きです。潔く降参されては?」

「ぐっ……!まだだ……まだだよ!!()()()()()()、闇に葬っちまえば誰もこの屋敷には辿り着けやしない!!それに――」

 

忌々し気に顔を歪めていた赤糸は、次の瞬間そこで不気味に笑うと続けて言葉を紡ぐ。

 

「――お前をここに連れて来て時間がもうだいぶ立つって言うのに、未だ誰も外から乗り込んでくる様子も無い。……まだ分かってないんだろう!?この屋敷の場所が!!なら今のお前は実質孤立状態なわけだよなァ!?」

「……っ」

 

図星を突かれ、イトハの顔がピクリと小さく動く。

それを目ざとく視界にとらえた赤糸は更に笑みを深くした。

 

「なら他の連中がこの場所を嗅ぎつけてくる前にお前を消しゃあ、私の首も繋がって万々歳ってなわけだ!!キシャアァァァッ!!!」

 

そう叫んだ赤糸は覆いかぶさるようにしてイトハに襲い掛かる。

イトハはそれをヒラリとかわすも、反撃の隙を与えまいと赤糸の追撃がイトハを追う。

ヒュン、ヒュンッ!と、毒濡れの蜘蛛の脚を見切ってかわしながら、イトハは後方へと後ずさっていく。

すると、ふいにイトハの背中全体に固い『何か』がトンと当たった。

 

「!」

 

イトハはチラリと視線を後ろへと移す。そこには土の壁が大きくそびえ立っていた。

なんとそこは廊下の曲がり角。この屋敷の一角に当たる部分で、廊下が左奥へと直角に伸びている場所であった。

いつの間にかイトハは、その突き当りとなる土壁の所にまで追い込まれていたのである。

 

(獲った!)

 

イトハの視線が背後に向いたのを見た赤糸は、勝利を確信し赤糸に向けて蜘蛛の脚を振り下ろす。

しかし、蜘蛛の脚がイトハへと届くよりも先に、素早く視線を赤糸へと戻したイトハは、()()()()()()()()()()()

一瞬にして赤糸の頭の高さよりも上に跳んだイトハは、赤糸の蜘蛛の脚をかわす。

 

「なっ!?チィッ!!」

 

しかしそれを見た赤糸も、追いかけるようにして真上の空中に跳んだイトハに向けて別の蜘蛛の脚を突貫させる。

するとそれを見たイトハは、背後の壁を蹴って自身の身体を横へとずらす。

直後に先程までイトハの胴体があった場所に赤糸の蜘蛛の脚が通過。と、同時にイトハはそのまま三角跳びの要領で身体をずらした先にあった直角に立つもう一枚の土壁に向けて片足で蹴りを入れると、その反動を利用して体を大きくひねり、驚く赤糸の横っ面に向けて回し蹴りを炸裂させたのであった。

 

「ぐぼあぁぁっ!!?」

 

この追いかけっこが始まった時同様、イトハの回し蹴りの直撃を食らった赤糸は、またしても錐もみしながら廊下の上にぶっ倒れる。

その間に着地したイトハはそのまま廊下の奥へと駆けて行った。

 

「ぐっ、ふぅぅっ!……待てクソガキャアァァッ!!!」

 

それを視界にとらえた赤糸も怒りに任せて叫びながら立ち上がり、イトハの後を追っていく。

 

(……容姿的に私が小柄故、蹴りが軽いのもあるでしょうが……存外タフですね彼女も)

 

蹴り倒されたのにもかかわらず、あまり間を持たずに立ち上がって追いかけて来る赤糸のその復活の速さに、廊下を走りながら肩越しにそれを見たイトハは驚きと呆れを入り混じらせた目を赤糸に向けていた。

数秒、イトハは赤糸の方へ眼を向けていたが、そこでスッと目を細めると前へと向き直り、眉根を寄せながら思考し始めた。

 

(それにしても……()()()()()()()()()()()()。……どういう事なのでしょうか?)

 

さっきわめくように叫んでいた赤糸ははっきりとこう言っていたのだ――。

 

 

『――()()()()()()、闇に葬っちまえば――』

 

 

――と。

 

(つまりあの蜘蛛女には、()()()()()()()()()()()()()()、という事なのでしょうか……?)

 

そう思いながらイトハは段々と顔を険しくさせ始める。

幻想郷に住んでいる者であるのならほとんどの者が知っている事なのだが――。

 

――基本、妖精は不死身なのだ。

 

自然界の化身とも呼べる妖精という種族には元々、『死』という概念が無きに等しい。

体を怪我をしようが部位欠損しようが……それこそ即死レベルの傷害をその身に刻み付けられ生命停止させられようが、『一回休み(一時の消滅)』の後にまるで何事もなかったかのように復活する性質を秘めているのだ。

それこそ……それぞれの妖精の化身元と呼べる自然が消滅でもしない限りは。

そしてそれは、イトハも例に漏れずであった。

彼女の誕生元――『糸葉百合』がこの世から失われない限り、彼女はいつまでも存在し続けていられるし、例え彼女が赤糸に捕まって、それこそ八つ裂きにされたとしても、時間がたてば彼女は復活する事が出来るのである。

 

(……ですが、さとり様から見せていただいた報告書には、子供たちの他にも今までに()()()()()()()()()()()()のが記述されていました。そして、その子たちも未だ発見されていない……)

 

と、言う事は、その四匹の妖精たちも未だこの屋敷に囚われている可能性があるということになる。しかし――。

 

(……ここで目覚めた時、部屋にいた子供たちをざっと見回してみましたが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

チラリと再び肩越しに憤怒の形相で迫る赤糸を走り見ながら、イトハはそう心の中で響く。

イトハがこの屋敷に拉致されて最初にいた部屋には、間違いなく()()()()()()拉致され生存している子供たち全員がそこにいた。

報告書にあった未だ死体として発見されていない行方不明の子供たちから、その四匹の妖精を差し引いた数と、あの時部屋にいた子供たちの数が()()()()()()、その上、先程の赤糸の言葉や妖精である自分自身を連れ去ったことを踏まえても、その四匹の妖精は何かしらの別の事件に巻き込まれたわけではなく、他の子たち同様に赤糸によってこの屋敷に連れ去られてきたことは間違いなかったのである。

そしてイトハは目を前方に戻して思考を続ける。

 

(……だとしても、仮に彼女に妖精を殺す(すべ)があったとして、()()()()()()()()()()()()()()()()()……?旧都で遺体が発見されていない以上、それは確実にこの屋敷にまだ隠されているはず……)

 

この屋敷でその妖精たちを見ていない以上、彼女たちは既に()()()となって処理された可能性が高い。

しかし、遺体が発見されていない所を見るに彼女たちのが未だにこの屋敷のどこかにいる可能性があるのも、また高かったのだ。

 

(さて……このままだらだらと彼女とじゃれあっていても埒が明きません。どうするべきか……)

 

そう思いながらイトハはチラリと走りながら()()()()()を見下ろした。

そこには先程、赤糸につけられた蜘蛛糸の粘液が手首から肘にかけて全体的にべっとりと付着しており、そこから伸びるように糸状になっていた部分も床に引きずらないようにか、イトハによって腕にぐるぐると巻き付けられていた。

 

(まぁ、まずは未だにくっついているこの糸をなんとかしたいですね……。腕に重りが付いているみたいで何かと邪魔になりますし)

 

内心でイトハがそう毒ついている一方で、赤糸の方もイトハの背中を追いかけながら怒りの混じった思考を巡らせていた。

 

(クソッ!クソッ!忌々しいッ!!あのクソガキ捕まえたら八つ裂きにしてやるッ!!ほんの少し、ほんのちょっとでもアイツの体に毒が入ればアイツの動きを()()()()()封じれるのにッ……!!)

 

鬼の形相でイトハを睨みながら走る赤糸は、先程から一かすりすらイトハに自分の毒が届かない事にいら立ちを隠せずにいた。

 

そもそも、赤糸の本来持つ毒は()()()()()()()()()

 

種類にもよるが、毒蜘蛛の毒というのは刺されて体内に取り込まれるとまず『痛み』が刺された個所からじわじわと広がり、やがてそこから他の症状が身体に出始め、直に重いモノへと発展していくのだ。

そしてその間、約数時間はかかるため決して刺された瞬間に立っていられなくなるほどの重篤(じゅうとく)な症状が出る事は無いのである。

それはかつて妖怪になる前の、()()()()()()だった八重山赤糸もそうであった。

されど、その毒の特性も赤糸が妖怪化した時に大きな変化が起こる。

 

――妖怪へと変化したその瞬間、赤糸は自身の持つ毒の特性を多少なりとも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

自身の毒を即効性や遅効性に変化させることはもちろんの事、摂取した者から尿や血中などから毒が検出されないように、()()()()()()()()()()()()()()()毒の特性を変える事もできるようになったのである。

神経毒だけでなく、妖怪化によるその毒の特性を操作できる能力。それこそが今の赤糸の最大の強みであった。

それがあったからこそ今まで幼子を余裕で拉致し、身体の自由を奪って己の快楽のために彼らを苦しめ、果ては幼子の遺体が発見されても毒を使う事の出来る自分が容疑者としてマークされないために、毒が体内分解できるように特性を変化させてその痕跡を消すという行為を繰り返し続けていたのだ。

だが、そんな流れ作業のように日常的に問題なく行われてきた彼女の悪行も、イトハを連れ去ったことで瓦解する事となる。

今まで簡単に毒を打ち込む事が出来たというのに、事イトハ相手ではそれがなかなかできない。

それが赤糸には非常に歯がゆく、同時に苛立ちを募らせる要因の一つとなっていた。

 

(兎も角、何としてでもあの小娘を捕まえなければ!)

 

ギリリッと歯ぎしりをしながら赤糸は再び前を走るイトハの背中を睨みつけた。その次の瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

ボーーーーーーーーン……

 

 

 

 

 

 

「……?……――ッッッ!!!?」

 

唐突に今二人が走っている廊下のすぐ近くにあった壁掛け時計から時刻を知らせる音が鳴ったのだ。

それと同時に屋敷中に置かれた多くの時計からも音が鳴り響きだす――。

そして、それを耳にした途端、急に赤糸は立ち止まり顔面蒼白となって固まったのだ。

 

「?」

 

赤糸の異変に気付いたイトハも、ほぼ同時に足を止めて赤糸の方へ視線を向ける。

イトハの見ている中、赤糸は慌てて懐から何かを取り出し始めた。

 

それは、懐中時計であった――。

 

赤糸はそれを見て今現在の時刻を確認する。

そして、時刻を見た瞬間、赤糸の顔から更に血の気が引いたのがイトハの目に見て取れた。

まるで時間が止まったかのようにピクリとも動かない二人。

その二人を背景に時計の音だけが静かに鳴り響いていた――。

 

そうして、時計の音が屋敷から止むか止まずかという時になって――。

 

「――――ッ!!!」

 

突然、何の前触れもなく赤糸が動き出した。

すぐさま懐中時計を懐に戻すと、スタートダッシュの如き速さでイトハへと迫ったのだ。

 

それも、先程よりも更に焦りを帯びた表情を浮かべながら。

 

「――!!」

 

それを見たイトハもすぐさま逃走を再開する。

 

「待てぇッ!!待てぇぇぇッ!!!クソガキがあぁぁぁーーーーーッ!!!!」

 

再びイトハの背中を追う赤糸は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。何かから急き立てられるように、死に物狂いでイトハを追いかけ始めたのだ。

そんな赤糸を見て、イトハは眉を顰める。

 

(……どういう事でしょう?時間を確認した瞬間、明らかに様子が変化しています)

 

そこまで考えたイトハはハッとなる。

 

(……彼女はこの『遊戯』に時間制限(タイムリミット)を付けていました……。もしやそれをオーバーすると()()()()()()()()()()()()()()()のでは……?)

 

イトハは当初から赤糸がこの『遊戯』に時間制限をかけている事が不思議に思えていた。

それがこの『遊戯』を考えた時に自身にかけた『ルール』のつもりなのかは分からない。だが――。

 

――自身が心底楽しんでいる『遊戯』に一日三時間という制限をかけるという事は、そこに、それなりの理由が彼女にはある、という事だ。

 

それが先程、赤糸が時間を確認した時にイトハの中で確信に変わった。

ふと、廊下の先に一つ壁掛け時計がかかっているのがイトハの目がとらえた。

その時計を横切る瞬間、イトハはチラリと時刻を確認する。

 

――今現在の時刻は、午後四時を回っていた。

 

(……今まで三時までに時間を限定していたのは、その後の自分の予定(スケジュール)に余裕を持って行動できるようにしていたから。という事は、その『次の予定』にまで()()()()()()()

 

イトハが走りながらそう思考していた。次の瞬間だった――。

 

 

 

 

――バタン! ガタンッ!!

 

 

 

 

突然、イトハの後方――それも()()()()()()けたたましい音が鳴り響く。

 

「!?」

 

反射的にイトハが振り向くと、さっきまで後ろを走っていた赤糸の姿がまたもや消えていた。

その間にも騒々しいその音は止まず、やがて()()()()()()()()()()()()廊下の先にある()()()()()()()()()止まった――。

その直後にイトハがその曲がり角に近づいた瞬間――。

 

 

 

 

 

――突然その曲がり角から……毒に濡れた大きな蜘蛛の足の先が、イトハの顔面目掛けて迫って来たのだ。

 

 

 

 

 

――そして、それを視界にとらえた瞬間、イトハは()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

――この屋敷の出口が、何処にあるのかを……!!




お久しぶりです。大変お待たせして申し訳ありません。

およそ半年ぶりに投稿する事が出来ました。
まさか自分でもここまで時間がかかるとは思いもしませんでした。すみません。

久しぶりの最新話ではありますが、今日で今年は終わりですので、申し訳ありませんがこの話で今年は投稿収めとさせていただきます。

それでは読者の皆々様、良いお年を!


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其ノ十四

前回のあらすじ。

イトハと赤糸の戦い、後半戦。
赤糸からの逃走中、突如イトハの行く先――その目の前に赤糸が現れ、イトハに向けて狂気の一閃を繰り出す。


唐突に曲がり角から現れた大きな蜘蛛の脚――その営利に尖った先がイトハの眼前に迫り、イトハは大きく体を捻ってそれを避ける。

紙一重で顔からそれを避けきったモノの、狙いを外れた蜘蛛の脚は運悪くイトハの左二の腕を()()()()行ったのだ。

 

「――ッ!!」

 

袖をたすき掛けで肩口まで上げていたため、露出していた二の腕に一目見てもはっきりと分かる数センチほどの朱線が走った。

イトハはとっさに傷口を抑えると後方へと飛びのく、すると()()()()()()()()()()赤糸がこれは好機とばかりに蜘蛛の脚を振り上げて追いすがって来る。

 

「ハァッ!!」

 

イトハの腕についた朱い線を見て、赤糸は自然と笑みを深める。

ようやく。ようやくついに、この忌々しい小娘に一太刀浴びせることが出来たのだと思うと歓喜せずにはいられなかった。

だが、イトハはすばしっこくいくつかの部屋と廊下を横切ると途端に赤糸の視界から姿を消してしまった。

 

「チッ!何処行った小娘!!」

 

僅かながらも傷を負わせた途端にこれだ。喜びから一転して苛立ちがぶり返した赤糸は悪態をつき、その場で地団駄も踏んだ。

一方イトハは、現在赤糸がいる和室の二つ隣の部屋にいた。

その隅にある蝋燭のついた燭台のそばで身を潜め、息を殺している。

だが、そんなイトハの視界と意識は今、さざ波のように少しずつゆらゆらと揺らめき始めていた。

先程の赤糸から受けた微量の毒がイトハの体の中を回り、彼女を蝕もうとしていたのだ。

 

「ハア……ハア……ハア……!」

 

声を殺しながら落ち着いて小さく呼吸を繰り返す。

直後にイトハは素早くたすき掛けにしていた帯を解くと、左袖をつかんで勢いよくビリリと破り取っていた。

袖は左肩口から大きく裂けて取れ、その下からイトハの左腕が露になる。

そこには先程、赤糸に付けられた朱線が走っており毒が回っているのを示すかのように周囲が薄っすらと青色に染まっていた。

それを一目見たイトハは、左腕の肩口に先程たすき掛けに浸かっていた帯を巻き、帯の両端を肉が深く食い込むほどに右手と自身の歯できつく縛り上げた。

帯を止血帯とし、左腕の感覚が麻痺してきたのを感じるとイトハは手早く傷口から赤糸の毒を吸い出しにかかった。

口で傷口から毒を吸い出しては足元の畳の上に吐き捨て、そしてまた吸っては吐き捨て、それを数度繰り返す。

毒を打たれてから止血して吸い出すのに少し時間がかかった為、やはり体内にいくらか毒が回ってしまっていたが、それでもイトハは何とか意識を繋ぎ続け、自力で立つことが出来ていた。

顔じゅうに脂汗をかきながら毒を吸い出し続けるイトハ。不幸中の幸いか、多少毒は回ったもののそれ以上の悪化を防ぐことが出来そうであった。

イトハは毒の吸い出しを繰り返しながら、赤糸が今何処にいるのか神経を研ぎ澄ませる。

怒りと焦燥。そしてイトハに一太刀浴びせたこの機に乗じて一気に畳みかけようという腹積もりなのか、赤糸はその殺気を消してはいないようであった。

 

(彼女は……まだ、近くにいますね。しかし、あまりここでジッとしていると離れて行ってしまいかねない。……いえ、直ぐに方針を変えて尾花さんたちの方へ向かおうと考えるかもしれませんね)

 

ここで足踏みしている暇は無い。一刻も早く動かなくては。

焦る気持ちを必死に抑えながら、イトハは毒の吸い出しを急ぐ。

本当なら、未だに左腕に絡まったままでいる赤糸から受けた蜘蛛糸の粘液も何とかしたかったが、一分一秒も時間が惜しい今の状況では後回しにする他ない。

幸いな事に蜘蛛の粘液は左腕に巻き付いて重りになっていると言うだけで、()()()()普通に動くのだから。

そうしてある程度毒を吸い出し終えると、イトハは先程破り捨てた着物の左袖を引き裂くと、それを包帯代わりに左腕の傷口に巻いていった。

キュッと傷口に巻いた布を口と右手でしっかりと結び終えると、イトハは最後に()()()()()()使()()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チィッ!あのクソガキ一体どこに隠れた!?」

 

赤糸はそう声を荒げながら今いる和室に設置してあった明かりのついた行燈(あんどん)を蹴り飛ばす。

古くなっていたその行燈は赤糸のその一蹴だけで原形を留めずに破壊され、その中から火のついた蝋燭が畳の上に転がり出て来る。

火が畳を焼き焦がすよりも先に、その蝋燭は怒り心頭の赤糸が八つ当たりとばかりにグシャリと踏みつぶされ、同時にその火も消えた。

赤糸が蝋燭を踏み潰した音が響いた直後、室内には赤糸の荒くなった呼吸音のみがその場に残る。

イトハを見失った事に苛立ちを覚えずにはいられなかった赤糸だったが、荒れた呼吸が安定し幾分か冷静さを取り戻してくると直ぐに次の手が脳裏をよぎる。

 

(……そうだ。今なら反対側にいるガキ共を人質にとれるはず……!)

 

あの時確かにイトハに毒を打ち込んだ手ごたえを覚えていた赤糸は、今ならイトハは思うように動けまいと踏んですぐさま和室を飛び出して尾花たちのいる部屋へ向かおうと廊下を駆け出そうとする――。

 

――しかしその判断は今一歩遅かった。

 

 

「……何処へ行こうとしているのですか?獲物を前に背中を向けるなんて感心しませんね」

「……あぁん?」

 

背後で自分に向けて挑発するようにそう響かれた声に瞬時に足を止めた赤糸は、顔をしかめながら振り返る。

そこには予想通りと言うべきか、イトハが不敵な笑みを浮かべて赤糸を見据えて立っていた。

ようやく出て来たか、と言わんばかりに忌々し気に「フンッ!」と鼻を鳴らした赤糸は、身体をイトハの方へ向けて対峙する。

そして、イトハの様子を一瞥した赤糸は勝ち誇ったかのように小さく笑みを浮かべた。

イトハは不敵に笑みを浮かべてはいたものの、その顔にはかなりの脂汗が浮き出ており、体の方も僅かにだが手足が小刻みに震えている。

そして最後に自身が先程切りつけたイトハの左腕に着物の袖の布が巻かれているのを見て、毒がちゃんとイトハの身体に打ち込まれていた事を赤糸は確信する。

しかし、結構な濃度の毒を注入したはずなのだがそれでもなお、震えながらもしっかりと立っている所を見るに、どうやら見失っていたあの短期間の間にある程度の毒抜きが済んでいるとみて間違いないようであった。

 

(随分と手際が良い……と言うより、あの短時間でどうやって毒抜きして回復で来たんだか)

 

目を細めてイトハを睨みながらそう思考する赤糸。

だが、完全に毒抜きできなかった以上、相手はもはや全力で動く事は出来ない。

今のイトハは赤糸にとってもう脅威には値しなかった。

死に体の獲物。まな板の上の鯉も同然であったのだ。

 

「ハッ!……そんなフラフラな体で、まだ私とやり合おうってのかい?」

「ええ……あなたとの勝負はまだ着いてはいませんからね」

 

心底小馬鹿にしたような赤糸のその言葉に、イトハはそう返す。

はたから見ていても立っているだけで辛いはずだというのが丸分かりだと言うのに、気丈にも立ち向かう姿勢を崩さないイトハに、赤糸は面白くないと言わんばかりに顔を歪める。

 

「そんな体じゃあもうろくに動く事も出来ないだろうに。私に八つ裂きにされる覚悟でも決まったのかい?さっきまで逃げ隠れしてた臆病者のくせに」

「ちょっと隙を見せると、直ぐに毒やら人質やらを使おうとする卑怯者のあなたにだけは言われたくありませんね」

「フン!……その減らず口を今すぐ私の毒で呂律(ろれつ)が回らなくしてやるよ!」

 

そう吐き捨てると赤糸はすぐさまイトハに向けて構えを取る。

そして、そんな赤糸をイトハは静かに見据えながら両手をギュッと力強く握った。

 

(……チャンスは一度……!もう後は無い……。()()()()()()()()()()()()()……!)

 

内心でそう決意を新たにしてイトハはカッと双眸を見開く。

それを合図にしてか両者が同時に動き出した。

ダッ!と廊下の床を蹴って走り出したイトハと赤糸の距離が瞬時に縮まる。

最初に仕掛けたのはやはり赤糸だった。

背中から生えた四本の猛毒にまみれた蜘蛛の脚が唸りを上げて突進するイトハへと振り下ろされる。

だが足の先端がイトハに触れるよりも先に、イトハは足に力を込める鵜と大きく跳躍した。

そして素早く赤糸の頭を両手でつかむと、まるで跳び箱を飛び越えるように赤糸の頭上を通過し、越えきる直前に両足で赤糸の後頭部を思いっきり蹴った。

 

「ガァッ!?」

 

赤糸はイトハが跳躍した直後から何が起こったのか分からず、後頭部に受けた衝撃で大きくよろけてしまい、倒れそうになる身体をたたらを踏みながらも何とか持ち直す。

だがその間にもイトハは、赤糸の頭を踏み台にして二段ジャンプを行った事で跳躍の勢いと高度がさらに高まることとなり、イトハの眼前には天井の板張りが視界一杯に迫った。

そしてぶつかる直前、イトハは両腕を交差させその衝撃に備え――。

 

 

 

 

 

――バキィッ!!!!

 

 

 

 

――次の瞬間、イトハの小さな体は天井の板張りを突き破って屋根裏の闇の中へと消えた。

 

「……へ?」

 

振り返った瞬間にその光景を目の当たりにした赤糸は、後頭部を足蹴りにされたことで湧き出た怒りが瞬時に消え失せ、代わりに()()()()()()()()()()()()()()衝撃を受けて目を見開いて呆然となる。

そして次の瞬間――。

 

「……あ、あぁあああぁぁぁぁぁああああぁぁぁーーーーッッッ!!!!」

 

何故か顔面蒼白となった赤糸はとち狂ったかのような叫び声を上げながら、なりふり構わず必死な形相を浮かべながらイトハの後を追って慌てて屋根裏の向こうへと飛び込んでいった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――イトハが紅魔館から四ツ谷会館にやって来てまだ間もない頃、仕事の合間に小傘からよく四ツ谷の今まで遭遇してきた事件や創ってきた怪談などの話を聞いていた。

特に怪談については、『最恐の怪談』だけでなく何気なしに人里の住人に語り聞かせるだけの『ただの普通の怪談』だけで今までに優に百は越えているらしく、四ツ谷の怪談に対するその知識量の異常性をイトハは伺い知れた。

 

そして小傘が話してくれたその怪談――正確には『最恐の怪談』の中に、『四隅の怪』というものがあった。

 

それはイトハが四ツ谷会館に来るきっかけとなった『吸血鬼の花嫁』の一つ前に四ツ谷によって創られた怪談であり、人里のとある女性に寄生していた下卑た男の二人が中心となった事件でもあった。

 

赤糸をジャンプ台替わりにして天井の板張りを突き破った瞬間、イトハはその『四隅の怪』の一件の中で男が寺子屋の天井裏に住み着いていたという話を思い出していた。

住む場所を失った男が昔泣かせた女を利用して寺子屋の天井裏に住処を作り、生活費の全てを女に貢がせていたという。

その話が、あの時イトハの左腕に赤糸が毒の蜘蛛の脚で切りつけた瞬間にイトハの脳内に飛来したのだ。

直前まで背後にいたはずの赤糸の姿が消え、天井から大きな音がイトハを追い越した直後にイトハの前方に赤糸が現れ回り込んでいた。

それはつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事。

朝の内に屋敷の中をくまなく捜索したが、石壁に囲まれた周囲から出口らしきものが見つかる事は全くなかった。

 

という事は、出口がある可能性が残っているのは『床下』か『天井』という事になる。

 

そして先程、赤糸が天井を伝って回り込んだ事や、その赤糸がイトハが天井裏に消えた瞬間に絶叫を上げたのを見るに、『床下』か『天井』かの二択の内どちらに出口があるのかはもはやほぼ確定的であった。

 

天井裏に着地した瞬間、イトハは直ぐにぐるりと首を回して周囲に目を向ける。

すると直ぐに、少し離れた暗闇の向こうに小さな光が漏れている事に気づき、瞬時にイトハはそこへと向かって駆けだした。

 

「待てぇぇぇぇーーーーーッ!!!!」

 

駆け出して数秒もしない内に背後からそう叫びながら必死に追ってくる赤糸の気配をイトハは感じ取った。

だが、イトハはそれを振り切るようにして全力で走り続ける。

左腕に絡まる蜘蛛の粘液が重り代わりとなってイトハの足を引っ張る(かせ)となり、彼女の体力の消耗や疲労を無駄に高める事になってはいたが、それでもイトハは足が動き続ける限り走るのを止めない。

やがて闇の中に浮かぶ光の正体がイトハの視界の中で明確になる。それは木でできた、簡素な扉だった。

その扉の中から微かに光が漏れ、扉の輪郭を作り出している。

古いのか簡単な作業で作られたためなのかは分からないが、その扉は見るからに衝撃に脆そうで、()()()()()()()()()()()簡単に壊せそうであった。

それを一瞬のうちに観察してそう判断したイトハは、一か八かとばかりに迷う事無く扉に向けて足を強く踏み込んで飛ぶ。

そして、空中で体を丸めると背中から扉へとブチ当たった――。

 

 

 

 

――バキィィィッ!!!!

 

 

 

イトハの予想した通り、その扉の板は薄く、彼女の身体を受け止めきる事が出来ず貫かれて扉の向こうへの侵入を許してしまった。

 

「あ゛あ゛あ゛ぁあぁぁああああぁぁーーーーーッ!!!」

 

扉を壊して床を転がった瞬間、イトハの耳に赤糸の絶叫が届く。

しかし、それを気にする事なくイトハは急ぎ体を起こして周囲に目を走らせると――絶句した。

 

そこは二十畳一間分くらいはありそうな薄暗く簡素な造りの部屋であった。

まるで山小屋を思わせるような壁、天井、床、そのどれもが薄い木の板を釘で打ち付けただけの内部、その奥の壁には先程、イトハが破った木製の戸に対峙するかのようにもう一枚別の戸が取り付けられていた。

そして部屋には両手足を拘束するための鋼鉄の拘束具のついた、人一人を寝かせることが出来る木製の大きな台が四つ、部屋の四隅に置かれており、その台と台の合間を挟むようにして大きめの桶もいくか置かれ、中には見るからに拷問で使われるような鉄製の様々な器具が入れられていたのだ。

また、天井の梁にも鎖や太めの荒縄が何本も垂れ下がり、壁にも桶に入った器具と似たような道具が、まるで絵画でも飾るかのように壁の金具にいくつもかけられているのが目に入った。

 

異様な雰囲気を漂わせる部屋の中。そんな部屋全体をさらに異様に()()()()()()()()()が否応なくイトハの眼に止めさせていた――。

 

 

 

――それは、部屋全体にまるで赤いペンキでもぶちまけたかの様に染め上げる、()()()()

 

 

 

台や桶、器具、荒縄や鎖だけでなく、床や壁、天井のその全てがおびただしい大量の血液で部屋全体を(まだら)模様に染め上げていたのである。

 

そんな異様な部屋の光景を目の当たりにしたイトハは息を呑み、同時に理解する。

――ここが蜘蛛女が言っていた、例の【拷問部屋】なのだという事を。

 

それを察した瞬間、背後から追ってくるその蜘蛛女の殺気が大きく膨れ上がったのをイトハは感じ取った。

 

「――ッ!!」

 

振り返ろうとするよりも先に、体が勝手に床を蹴って前へとその身を転がせる。

ドスッ!!っという鈍い音が部屋の中に響き渡り、イトハは体を起こしながら背後へと振り返った。

すると先程までイトハが立っていた場所――その床に蜘蛛の脚が深々と突き刺さっている光景が目に入る。

そして、その蜘蛛の脚の向こうで鬼の形相で目を血走らせた赤糸の顔がそこにあった。

 

「クソガキィ……この場所を知られたからには、絶ッ対にここから生きて帰さないよォォォ……!!」

「元から生きて帰す気などないくせに、何を言っているのですか?」

 

まるで地獄の底から怨嗟の声を上げるかのように呻く赤糸のその言葉に、イトハは冷ややかな目を赤糸に向けながら冷静な口調でそう返すと同時に、ゆっくりとした動きで後退して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――!」

 

それを見た赤糸は、イトハの次の行動に気づき慌てて床を蹴ってイトハとの距離を詰めようとする。

しかしそれよりも先に、イトハが後ろ手で戸の取っ手口を掴むと、体を反転させると同時にその戸を大きく開けさせ、全速力でその向こうへと駆け出していた。

見た感じその戸はただの引き戸であり、南京錠などが取り付けられている様子も無く、イトハの思った通りにあっさりと開けられることが出来たのだ。

拷問部屋の隣には同じような木製の部屋が広がっていたが、この部屋は先程とは違い生活感があった。

畳の敷かれたその部屋にはふかふかの布団が隅にたたんで置かれており、他にも着物など衣服を収納するための和箪笥や小物入れ用の茶箪笥。部屋の中央には小さなちゃぶ台に湯呑と急須。そして、鉄瓶(てつびん)の乗った火鉢がそこに置かれていた。

それを見たイトハは直ぐにこの部屋がいつも赤糸が私室として使っている場所だと直感する。

すると視界の端に先程とはまた別の戸がある事に気づき、今度はその戸を開けて進もうと身体を戸のある方へと向きを変えた。次の瞬間――。

 

「ガァァァキィィィィーーーーーッッッ!!!!」

「――ッ!!」

 

背後からの恐ろしいほどに怨嗟の籠った叫び声と殺気に気づき、イトハはとっさに横に飛ぶ。

その瞬間、イトハのいた場所に赤糸の蜘蛛の脚が横一閃に空を切る。

すると赤糸は休む間もなく憤怒の形相のままイトハに向けて追撃を続けた。もはや体裁を整える余裕も無いのか乱れた髪を振り乱しながら飢えた獣のようにイトハを追い続ける。

対するイトハの方も、それを必死にかわし続けた。

赤糸の蜘蛛の脚がイトハに当たらずに空振りする度に、その流れ弾が箪笥や木の壁に深い爪痕を刻み、布団を裂いて羽毛が飛び散り、火鉢と鉄瓶をひっくり返す。

 

こんな狭い部屋――ましてや自分は左腕が封じられ、赤糸(あの女)の毒で本調子ではない状態。

 

このままでは直ぐにやられる。と判断したイトハは、中央に置かれていたちゃぶ台を思いっきり赤糸の方へと蹴り上げた。

ちゃぶ台がひっくり返ると同時に、そこに置かれていた湯呑と急須も宙を舞う。

すると急須の中に残っていた冷めきったお茶が外へと零れ、赤糸の顔にかかる。

 

「うわぷっ!?」

 

突然の事に思わず赤糸が反射的に目をつむった瞬間、今度は湯飲みが赤糸の額にヒットした。

 

「ッ!!~~~~~~~ッ!!!!」

 

余程痛かったのか、赤糸は湯飲みの当たった箇所を手で押さえてその動きをいったん止める。

すると数秒後には肩をワナワナと震わせて、手で顔をさえたままギロリと血走った目でイトハを睨みつけていた。

 

「クソガキィィ……も゛う許ざんんッッ!!!!」

 

今までのイトハにやられた分も含め、頭がずぶ濡れになった上に湯呑で小さなこぶまで作る羽目になった赤糸の理性は、瞬間的に完全に消し飛んでいた。

怒りに任せて声を上げながらイトハに突進し掴みかかる赤糸。

そんな赤糸に、イトハは毒の影響で脂汗を浮かべる顔に小さく笑みを浮かべると赤糸の手が自身に触れそうになるタイミングを見計らってヒョイッと横へとかわしていた。

 

「!?」

 

イトハが横に飛んで赤糸の視界から消え失せると、そこには先程イトハが開けようとしていた戸が赤糸の視界一杯に広がっていた。

怒りに任せて突撃していたその勢いは目標(イトハ)を見失っても直ぐに止めることが出来ず、赤糸の身体はそのまま戸にぶち当たった。

 

「があぁっ!??」

 

当たった衝撃で苦悶の声を上げる赤糸、それと同時に戸が破れ、赤糸の身体は壊れた戸と一緒に部屋の向こう側へと消えて行った。

 

「ハア……ハア……」

 

それを見たイトハは荒くなった呼吸を整えながら、赤糸の後を追って部屋を出て外へと飛び出した――。

 

「ぁ……」

 

その瞬間、()()()()()自身の体を包み込み、イトハは思わず声を漏らす――。

 

 

 

 

 

――そこには屋敷の()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

円筒状に屋敷を囲む岩壁がイトハの頭上を高く高くそびえ、その先が闇に覆われて全く見えない。

しかし屋敷の外の空気は本物で、イトハは思わずブルリとその身を振るわせる。

 

今、イトハが立っているのは屋敷の屋根の上だった。

屋根の一部が改築され、まるで玄関の出入り口のようなモノが作られており、イトハは今そこに佇んでいる。

そのイトハが立つ足場には太い荒縄と木の板で作られたつり橋がかけられており、その橋の向こう側は岩壁に大きくくり抜かれた横穴へと延びていた。

そして、その横穴の奥からわずかに光が漏れているのが肉眼でも視認でき、イトハから見てもどうやらそこが出口であることは間違いなさそうであった。

ふとイトハは横穴に向けていた視線をわずかに下げる。

つり橋の手前の方にうつ伏せに倒れた赤糸の姿があった。

その赤糸が倒れている周囲――つり橋の渡し板や荒縄にはいくつもの木の破片が落ちたり引っかかったりして散乱している。

先程、戸口に体当たりした赤糸が勢い余って壊れた戸の破片と一緒にそこへ倒れ込んでいたのだ。

 

「っく……うぅ……く、そぉ……!!」

 

全身の痛み耐えながらイトハの目の前で赤糸は起き上がろうとする。

しかし、それよりも先にイトハが動いた。

すぐさま全速力で駆け出すと赤糸の手前で跳躍すると、赤糸の後頭部を軽く蹴ってそのまま彼女を飛び越え、つり橋から横穴へと駆けこんで行った。

 

「グブゥッ!!??」

 

突然、後頭部に衝撃を受け、赤糸は木の渡し板に強烈な口づけをしてしまう羽目となり、悶絶する。

そんな赤糸の様子に気づく事なく横穴へと駆けこんだイトハは、息を荒げながらも必死に出口へと向かって駆ける。

しかし、度重なる戦闘での疲労、左腕に鉛のように巻き付いた蜘蛛の粘液、そしてごく微量とは言え神経毒を受けてしまった事で、イトハの身体はもう限界に近くなっていた。

 

「ハア……ハア……ハア……ハア……!!」

 

徐々に走るスピードも遅くなり、息の荒さも目立つようになる。

視界も少しずつぼやけ、体が自身の意志に反してフラフラと揺れ始める。

そうして出口付近に近づく頃には、もはや足取りもおぼつかず、歩いているのと大差ない速さにまで減退してしまっていた。

しかし、イトハはそれでも全身に滝のような汗を流しながら、力を振り絞って前へ前へと必死に足を動かす。

 

そうしてようやく、横穴の出口――その縁を手を掴んで顔を上げると広大な地底世界の景色が広がっていた。

旧都の中から見た事のあるその地底世界の景色に、イトハはようやく脱出できたのだと確信する。

ホッと安堵の息を漏らしたい気分になったイトハだったが、それを直前でグッとこらえる。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()、まだ油断するわけにはいかなかったからだ。

イトハが周囲を見渡してみると、どうやらここは切り立った断崖、その崖の上に面しているようだった。

今、イトハがいる横穴の足場から崖を添うようにして一本の道が何処かへ向かうように続いている。

残念ながらその道がどこに繋がっているのかは肉眼では分からなかった。

おまけにどれだけ遠くに目を凝らして周りを見ても、地霊殿のある旧都の建物どころかその灯りすら何処にも見えない。

 

(まさか……結構遠くまで連れ去られて来たのでしょうか……)

 

そんな一抹の不安を心に宿しながらも、イトハはとりあえず移動しようと歩き始める。

 

 

 

 

しかし、その直後――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ゾクリ……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ッ!???」

 

突如、背後から背筋を震わすほどの殺気が膨れ上がり、イトハは反射的に振り返る。その瞬間――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ドスッ……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――目を大きく見開いて固まるイトハの右二の腕に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




えっと……お久しぶりです。

前回の投稿からだいぶ経ってしまいましたが、最新話をここに投稿させていただきます。


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其ノ十五

前回のあらすじ。

ようやく屋敷の出口を見つけたイトハだったが、直後に赤糸の毒脚によって腕を深く貫かれてしまう――。


「…………あは。アハハハハハハハハハハハッ!!アーッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァッ!!!!」

 

 

 

 

――イトハの腕が猛毒の脚に貫かれるのと同時に、彼女は膝から崩れ落ち、血に倒れ伏した。

その頭上で、毒とイトハの血にまみれた足を掲げて、狂ったように赤糸が笑う、嗤う、(わら)う――。

 

「――アハハハハハハッ!!……やった!やっとヤッてやったァ!!!このクソ生意気なガキを……!!やっとォ……!!」

「クッ……うぅ……!」

 

苦しそうに呻きながら地面に蹲るイトハを、赤糸はしてやったりと下卑た笑みを浮かべながら見下ろす。しかしその目は今まで獲物であるはずのイトハに振り回され、してやられてばかりだったために憎悪と憤怒に煮えたぎっていた。

 

「おやおや、どうしたんだい?こんな所でみっともなく蹲って……さっきまでの威勢の良さは何処行ったの、さぁっ!!

「がはっ!!」

 

怨嗟を入り交えた言葉と同時に、赤糸はイトハの腹部に思いっきり蹴りを入れた。

その衝撃と共にイトハの口から息が強制的に吐き出され、体は『く』の字に曲がる。

そして、そのまま間髪入れづに赤糸はイトハの腹部に何度も蹴りを入れ続けた。

 

「クソガキが!!クソガキが、クソガキがぁッ!!!良くも今まで私をコケにしてくれたねぇ!!?」

「がっ!……はぁっ!……ぐぅっ!」

 

赤糸の蹴りが入るたびに、イトハの口から苦悶の声が漏れる。

それを見た赤糸は愉悦にまみれた高笑いを上げた。

 

「アッハハハハハハハハハ!!良いザマだ!!ようやく狩られる獲物らしく無様な醜態を見せてくれたじゃないか!!……だが、まだ終わんないよ!!」

 

そう叫んだ赤糸はイトハの髪を乱暴に鷲掴みにすると強引に頭を持ち上げる。

「ぐぅ!」とイトハが呻くのも構わず、赤糸は彼女の耳元で言葉を続けた。

 

「……さっきまで散々やらかしてくれたんだ。この借りはたぁ~っぷりと利子付けて返させてもらわないとねぇ~!……爪を剥いで、髪をむしり、四肢を千切って、その可愛いらしい顔を醜女(しこめ)同然にボコボコにしてやるよぉ!!――そうして、思う存分嬲り倒した後は……!!」

 

そこまで言った赤糸はそのままイトハの髪を掴んだまま彼女を崖の淵へと乱暴に引きずり始めた。

 

「っぐ……あぅ……!」

 

プチプチと何本か毛髪が抜けてしまうほど力任せに髪を引っ張られ、されど毒で思うように体が動かないイトハは小さく呻きながらズルズルと赤糸にされるがままに引きずられていくしかなかった。

そうして崖っぷちへと連れて来られたイトハは、赤糸によって強引に崖下の方へと目を向けされられる。

崖の遥か真下は薄暗くもされどぼんやりと底が見えた。

その仄暗い崖の下には細い糸のような川が流れており、耳を澄ませてみると僅かに川の流れる音が届いて来ていた。

 

「見えるだろう?崖下にあるあの川が。……あの川底にはねぇ、今まで私が捕まえた()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!」

「……!!」

 

赤糸のその言葉にイトハは僅かに目を見開く。

連れ去られた子供の中には妖精たちも何匹かおり、彼女たちの行方だけが今まで掴めずじまいであったが、まさかここで彼女たちの居場所を知る事になるとは思いもしなかった。

そんなイトハの様子には気づいていないのか、赤糸はイトハの頭上でケラケラと笑う。

 

「あの妖精共もザマぁないよ!!自分たちは不滅だからって私から逃げ切れると思ってたのかねぇ?……だけど残念!!あいつらの特性を私が視野に入れてないわけないじゃないか!!……あいつらが死んでも復活できるって言うんなら、()()()()()()()()()()()()()にすりゃあ良いだけの話!あいつらの体に重しを括り付けて川底に沈めてやれば、復活して意識を取り戻してもすぐにまた溺れ死ぬ!……その繰り返しで永遠に復活が出来ず川底で身動きも取る事が出来なくなるって言う無限ループの完成ってわけだぁ!!」

「――ッ!!」

 

赤糸のその言葉を聞いたイトハは腸が煮えくり返る思いが沸き上がり、無意識に自身の唇をかんでいた。

今の赤糸の言った事が本当なら、連れ去られた妖精たちは、今もあの冷たい川の底で生き地獄を味わい続けているという事になる。

 

「下衆が……!」

 

屋敷での『隠れ鬼ごっこ』に【拷問部屋】での子供たちへの所業。果ては妖精たちに対しても信じられないほどの非道を平然とやってのけた赤糸に、イトハは思わずそう零していた。

それを耳ざとく聞きつけた赤糸は、地面にイトハの顔面を叩きつける。

 

「ぐ、ふぅ……!」

「口には気を付けなガキがッ!!あんたも最後はあの川の底に沈めてやるよ。あそこにいる妖精共もお友達が増えてさぞかし嬉しがるだろうしなぁ……!!」

 

頬に当たる衝撃と痛みで苦悶の声を力なく漏らすイトハの頭上で、こめかみに血管を浮き立たせながら狂気の笑みを浮かべる赤糸がそう怒鳴り散らす。

そして、そこである程度満足したのか赤糸はイトハの髪を掴んだまま引きずり、来た道を戻り始める。

 

「私の体をこんだけボロボロにしてくれたんだ。その分はきっちりと楽しませてもらうよぉ~?」

「…………」

 

嘲笑しながらそう言う赤糸に、イトハは沈黙したままされるがままに赤糸に引きずられ続ける。

横穴を通り、つり橋を渡り、やがて屋敷に戻って来た二人は、赤糸の私室へと入って行く、そうしてそこを通って目的地の【拷問部屋】へと鼻歌を歌いながら赤糸が体を向けた――その時だった。

 

「……ッ!?」

 

私室を通り過ぎようとした赤糸の視界に『ある物』が映り込み、それを見た赤糸の動きが強制的に止まる。

そして突然、目をカッと大きく見開きその場で固まってしまった。

 

「……?」

 

ふいに動きが止まった赤糸に、イトハは何事かと眼だけを動かして証を見上げる。

そして、赤糸が見る視線の先を辿ると、そこには壁に掛けられた大きめの振り子時計があった。

先のこの部屋の戦闘で運よくその被害を受けずに済んだその時計は、いつも通りの変わらぬ動きでカッチカッチと時を刻んでいる。

そして、その針が指している今現在の時刻は――。

 

 

――午後五時前。

 

 

「……あ、あぁあぁぁ!?」

 

イトハが時計を目にした直後に頭上から驚愕を露にしたかのような声が響き、それとほぼ同時にイトハの髪の毛を掴んでいた赤糸の手がフッと離れる。

 

「うっ」

 

畳の上にイトハの頭が落ち、その衝撃で彼女の口から苦悶の声が小さく漏れた。

痛みに耐えながらイトハが再度、赤糸を見上げると、赤糸は必死の形相で自身の懐から懐中時計を引っ張り出している所だった。

そうして今一度、懐中時計で現在の時刻を確認した赤糸は再び愕然とした表情を顔に浮かべる。

 

「う、うそ!?うそうそうそうそうそォ!?嘘でしょう!?もうこんな時間!?何で!?さっき見た時はまだ四時だったはずなのにッ!!!」

 

懐中時計の時刻も五時をさしている事を確認した赤糸は激しく動揺しながらそうわめき散らす。

イトハとの戦闘、そして散々その彼女に煽られ、挑発されて頭に血が登っていた赤糸は、平常心を保つことも出来なかっただけでなく、時間の感覚すらも希薄になっていたのだ。

それ故、廊下の壁掛け時計で時間を確認してから今まで、赤糸の感覚では数分と経っていないと思われていたのが、実際は時計の長針が一周近く廻るほどの時間を費やしていたのである。

 

「ど、どうしよう!?どうするどうするどうする!??()()()()()()()!!で、でも、このクソガキの始末だけは着けたい!でもそんな余裕なんて……!あ、ああぁぁああぁぁッッ!!!!」

 

一人ブツブツと呟きながら頭を抱えて悩む赤糸。その顔はひどく追い詰められた様相だった。

 

「ヂィッ!!!!」

 

次の瞬間、大きく舌打ちをした赤糸は、イトハの髪の毛を再び掴むと隣の拷問部屋へとイトハを文字通り放り込んだ。

 

「うッ!!」

 

身体を強か打ち付け、部屋の真ん中に転がされるイトハの上から赤糸の怒声が飛ぶ。

 

「私が帰って来るまでここに居な!!帰ったらすぐに八つ裂きにしてやる!!」

 

そう捨て台詞を残して、赤糸は拷問部屋の戸を乱暴に閉めると、直ぐに()()()()()()()()()()

 

(……大丈夫だ!あのガキにはさっき毒を大量に打ち込んでる。逃げようにももう立つことも出来ないはずだ!……せいぜい部屋の真ん中で芋虫みたいに無様にのたうち回って私が帰って来るその時まで無駄な足搔きをしてればいいさ……!)

 

そう……まるで()()()()()()()()()()()()()()()()考える赤糸は、準備をし終えるとすぐさま屋敷を飛び出して旧都へと向かった。

屋敷の場所を知る者は外部におらず、唯一にして最大の問題だったイトハも封じることが出来た。

もはや、自身を脅かす者は何も無い。赤糸はそう確信し、一人安堵の息を漏らす――。

 

 

 

 

 

――だが、だからこそ赤糸は気づく事が無かった。

 

本来なら赤糸の猛毒は、多量に含ませれば対象を短時間で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それはイトハを旧都から連れ去る時も、その効果は実際に発揮されている。

しかし、先程洞窟の出入り口でイトハに毒を打ち込んだ時。そこから拷問部屋に放り込まれるまで、彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

その違和感の正体に慌てて旧都に向かった赤糸は最後まで気がつかなかった。

 

――そしてもう一つ。赤糸は()()()()()()()()()()()()()

イトハに注視するあまり、周囲に気を配ることが出来ず、散漫になっていた。

そのため、毒を打ち込んでイトハを屋敷に引っ張り戻す姿を()()()()()()()()()()()()気づかなかったのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

「ヒュー……ヒュー……」

 

拷問部屋の真ん中で、体を丸めながらイトハはか細い呼吸を繰り返す。

次いでゴロンと仰向けに寝転がると先程赤糸から受けた毒脚の傷の状態を確かめべく、震える手で何とか右腕の袖を肩口まで大きくまくってみた。

 

「うわぁ……」

 

それを見てイトハは嫌そうに顔をしかめながらも何処か他人事のように声を漏らす。

袖の下にある右二の腕部分には、赤糸の毒脚によってピンポン玉サイズの穴が穿たれており、そこを中心に毒が回っているのを示すかのように、白かった肌が濃い紫色へと変色していたのである。

既に変色は右手手首近くまで浸食しており、今なお毒が体全体へと広まろうとしている様子であった。

 

「やれやれ……最初に左腕に毒を受けた時点で再び毒を受けるのを考慮して()()()()()()()()()()()()、結果がこれじゃあ功を奏したのかどうか……」

 

そう呟きながらイトハは今度は自身の左腕肩口の方へと視線を送る。

するとそこには左腕の応急処置の際、止血帯として使われ、戦闘時にはたすき掛けに使われた帯が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()視界に入った。

 

――毒の脚が左腕をかすめた際、イトハはこのままでは赤糸から逃げ切る事は不可能だと本能的にそう直感していた。

応急処置を施しても毒が抜け切れていない今の体では、例え出口を見つけてそこから脱出し、助けを呼ぼうにもそれだけの体力や気力が残っている自信がイトハには無かった。それに、脱出したら赤糸の方も死に物狂いで自身を追ってくるのは確実。もはや手段など選びはしないだろう。

 

――だからこそ、イトハは()()()()()()()()()()()()()()()()

もし、赤糸に追いつかれ、その毒脚で貫かれることになったその時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

そうすれば、毒の影響を直接受けるのは右腕だけで済むと、そう踏んで。

 

(……まあそれでも、少しなりとも全身に毒がイッてしまったようですがね)

 

脂汗をかきながらイトハは一人自虐的に笑う。

 

洞窟の出入り口で赤糸に背後を取られた際、イトハの方が赤糸よりも一瞬早く先に反応していた。

毒の脚が振り下ろされる直前、イトハは振り向きざまに体を横に傾け、毒の脚が振りぬかれる軌道上に右腕が重なるように仕組んだのだ。

もう赤糸から逃げ切る事は出来ない。そう踏ん切りをつけた上で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ちょっと前から赤糸は時間を気にして焦っているのが見て取れていた。明らかに『時間が無い』そう言いたげな顔をして。

それ故、たとえ屋敷に連れ戻されたとしても、自分に手を下す余裕はないと、そう予想していたのだが……その予想は見事に的中していた。

時間が五時になるのを知った時の赤糸は、イトハでも呆気にとられるほどに見事に取り乱し、すぐさま自身を拷問部屋に押し込むとさっさと何処かへと出かけて行ったのだから。

 

(私を放置してまで出かけるとは……それ程の理由が何かあるようではありますが、結果的にそれで時間を稼ぐことが出来ました……)

 

次に赤糸が帰って来るとすれば、恐らくは次の日の明朝。十二時間ほど時間に余裕が出来た事になる。

ホッと安堵の息を吐くも、すぐさまイトハは「これからどうしようか」と思案顔になる。

 

(正直な所……もう立って歩く事は出来そうにありません。このままの状態で助けを呼びに屋敷の外に出るのはまず不可能。……ならば、下にいる尾花さんたちに私の代わりに助けを呼んでもらうよう頼むしかありませんね……。でも、尾花さんたちがいる部屋はここからだと遠そうですが……。まぁ、仕方ありません。時間はかかりますが這ってでも行くしかあしませんよね……)

 

そこまで考えたイトハは早速行動に移ろうとし――その直前に()()()()()()()()()()()()で動きを止める。

 

(――!まさか!戻って来た……!?)

 

隣の部屋に()()()()()()()()音が耳に入り、イトハに緊張が走る。

部屋に入ってきたその人物は、やがて足音を響かせて()()()()()()の方へとやって来る。

そうして、和室(そちら)拷問部屋(こちら)を隔てる戸の前で足音が止まると、その場が一瞬静まり返った。

ゴクリと唾を飲み込みながら、倒れた状態で戸を凝視するイトハ。

 

すると、イトハの目の前でその戸がゆっくりと開かれ、彼女の視界にその人物が姿を現した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うにゅ?何この部屋、血まみれで気持ち悪い……って、うにゃあッ!?女の子が倒れてるぅ!?ねぇねぇどうしたの!!こんなにボロボロになって……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拷問部屋の惨状と部屋の真ん中で倒れているイトハを見て、その人物はその場であたふたとしだす。

それを見つめるイトハは疲れたような声でその人物に声をかけていた――。

 

「……落ち着いてください。と言うか、昨日会ったばかりなのに、もう私の事忘れたのですか?――」

 

 

 

 

「――(うつほ)さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――時間はほんの少し前に(さかのぼ)る。

 

イトハを連れ去る赤糸が屋敷に通じる洞窟へと入って行くのを確認し――その後、無線機の使い方や地霊殿への帰る方向すらも忘れたお空は、丸一日近くも迷子のまま、地底をさ迷い続けていた。

 

「うぐっ……えぐぅっ……ここどこぉ?お家に帰りたいよぉ。さとり様ぁ……お燐~……」

 

目元を腫らしてなおも泣きじゃくりながら、行く当てもなくフラフラと地底を飛び続ける。

涙にぬれる眼をごしごしと擦りながら、お空は正面を向く。するとそこには大きな断崖絶壁がそびえ、その壁にくり抜かれるようにして出来た洞窟から誰かが出て来るのが見えたのだ。

 

「――!誰かいる。やったぁ!帰り道教えてもらお!」

 

喜び勇んでその人物へと道を尋ねようと近づくお空。まだゴマ粒ほどに見える距離であったが、お空の飛行速度は速く、瞬く間にその人物との距離が縮まって行く。

しかし、その人物の輪郭がはっきりとし始めてきた距離まで近づいた時、思わぬ事態が起こる。

 

「うにゅ!?」

 

突然、洞窟の中からもう一人――誰かが飛び出し、先に洞窟の外に立っていた人物に一瞬重なったかと思うと、次の瞬間には片方がその場に倒れたのだ。

 

「え?え?……何?何???」

 

事態が呑み込めず、思わず物陰に隠れて様子をうかがうお空。

倒れている方とは違うもう一歩の人物が、倒れている人物に向けて何やらわめいたり、何かをしている様子であったが、お空がいる場所からではその者が何を言って何をしているのか聞き取る事も見る事も出来なかった。

――やがて倒れている人物をもう片方が引きずって洞窟の中へと戻って行くのを見届けると、お空は恐る恐る洞窟の入り口へと降り立つ。

 

「うぅ……何だろうこの洞窟。……なんか前にどこかで見たことあるような……」

 

自身が一日前にイトハが赤糸によって連れ込まれるのを確認したのと()()()()()()だという事に全然気付く様子も無く、お空はそう呟きながらそろりそろりと洞窟の奥へと入って行く。

 

やがて洞窟が開け、目の前に大きな屋敷が現れるとお空は「はえ~」と呟きながら呆然とその屋敷を見上げた。

すると直後に、目の前にあるつり橋の向こう――屋敷の出入り口だと思われる穴の仲から奇声が響き渡った。

 

「!?」

 

突然の事にびくりと身を震わせたお空は空を飛んで屋敷の裏の方に回り込むとそこから出入り口の方へと顔を覗かせる。

するとしばらくして、そこから()()()()()()()()()()()()()が飛び出して来て、お空に気づく事なくつり橋の上を駆けて瞬く間に洞窟の中へと姿を消す。

 

それを見届けたお空は思い切って屋敷の中へと突入し――そして『彼女(イトハ)』との再会を果たしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぇ?……えーっと、えーっとぉ………………あ、あああぁっ!?」

 

イトハの顔を見た事とその彼女に「もう忘れたのか?」と問われたことで、ここに来てようやくお空は自分が一日前に何をやっていたのか思い出すことが出来た。

 

「そうだ。……そうだそうだそうだったぁ!!知らせなくちゃ、早く伝えなくちゃ!さとり様に!お燐に!!『イツキ』が連れてかれた場所のこと!!『ハイヨー、シルバー』で!!」

「ですから落ち着てください空さん。後、私の名前は『イツキ』じゃなくて『イトハ』。『ハイヨー、シルバー』じゃなく『無線機(トランシーバー)』ですから……」

 

自分が今死に(てい)の状態だというのに、慌てふためきながら叫ぶお空の言葉を、半ば呆れながらイトハは訂正する。

イトハのその言葉を聞きながら、お空は自身の体をあちこちまさぐりながら、ポケットに入ったままになっていた無線機をようやく見つけ引っ張り出す。

しかし、いざ使おうとした矢先、またもやお空が慌てふためき始めた。

 

「あ~う~~っ、そうだった!使いかた忘れちゃってたんだ!どうしよう、どうしよう~~~っ!!」

「全く貴女は……。はぁーっ……貸してください。私が使いますから……」

「うぇっ……?使い方、知ってるの?」

 

驚きながらそう尋ねるお空に、イトハは呆れた目を向けながら口を開いた。

 

「……私のそばで何度も何度もさとりさんが使い方を繰り返し貴女に教えていたのを聞いてたんですよ?……嫌でも覚えちゃいましたよ」

 

と言うか、教えられている本人ではなく傍で半ば無意識に聞いているだけの者の方が詳しくなるってどうなのだろうか?と、毒で半ばぼんやりとする頭でそう思いながら、イトハはお空から無線機を受け取った。

そうして受け取った無線機を見つめながらイトハは力なく口の端を小さく吊り上げる。

 

(……やはり、河童の技術は凄いですね。例え居場所が分かったとしても()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()もちゃんと用意してくれていたんですから……)

 

――そう、実はこの無線機にもにとりの手によって一つ仕掛けが施されていた。

匂い袋に入れていた発信機――それと同じ物がこの無線機にも仕込まれていたのだ。

お空が順調にイトハの連れ込まれた場所を特定たとしても、その場所が地底のどこにあるのか分からなければ意味がない。

そのためにとりは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()作っていたのだ。

 

……最も、手渡されたお空本人は無線機の電源の入れ方すら奇麗さっぱり忘れてしまっていたのだが。

 

(……空さん(彼女)のおかげで余計な時間を食ってひどい目に合っちゃいましたが……まぁ、何とか死人は出ませんでしたし、最終的にこの場所を見つけてくれたので良しと言う事にいたしましょうか……)

 

そんな事を思いながらイトハは無線機の電源を振るえる指でゆっくりと入れた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そこから先の展開は速かった。

 

無線機の電源が入った事で、地霊殿に待機していた小傘たちの所に繋がり、屋敷の場所がすぐさま特定される。

そうして赤糸の屋敷に小傘たち全員が駆けつけると、拷問部屋にいたイトハとお空を発見。

絶望の淵で戦っていたイトハはようやく救助されたのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧都から駆けつけてきた自警団の団員たちによって、ボロボロになったイトハは担架に乗せられ、旧都へと運ばれて行く――。

それより少し前に、小傘と小傘に抱えられたテレビ通信機越しに映る四ツ谷に、この屋敷で起こったことを全て話し終えたイトハは、その途端糸が切れた人形のようにフッと意識を手放していた。

担架で運ばれて行くイトハを見据えながら、四ツ谷は意を決した目で小さく呟く――。

 

『……よくやった。十分すぎるほどの収穫だ。後は何も気にせず安心してゆっくり休んでいるが良い。……まかせろ。こっから先は――』

 

 

 

 

 

 

 

『――俺らの出番だ……!!』




最新話投稿です。

長く時間がかかりましたが、ようやくイトハVS赤糸の死闘、決着です!
そしてここから先はいよいよ四ツ谷のターンになります。

ですが次回は確実に来年となりますのでこの作品はこの話で投稿納めとさせていただきます。

それでは皆さん、良いお年を!


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其ノ十六

前回のあらすじ。

イトハと赤糸の隠れ鬼ごっこ。終幕。


――夜の旧都。

 

その一角にある繁華街では今も昔も変わらぬ豪華絢爛な賑わいを見せていた。

そこにいる者たちはほぼ全員が人外の者なれど、酒や女を相手に飲めや騒げではしゃぐ姿はただの人間とそう変わりが無かった。

 

そして、その繁華街には佇むひときわ目立つ建物がある。

 

ここ旧都の中でもそれなりの権力を持つ者だけが通えることのできる一見さんお断りの超高級店。

普通なら手に入ることの難しい銘酒や選りすぐりの美女たちを取り揃えた地底でも名の知れた遊女屋であった。

 

その遊女屋のとある一室でその店に努めている遊女が今、来たばかりの客である妖怪の男の相手をしていた。

 

「……さぁさぁ、旦那さん。一献どうぞ♪」

「…………」

 

わざとらしく身に纏う着物をはだけさせ、艶めいた声でそう言った遊女は、男の持つお猪口へと日本酒を注いでみる。

しかし、酒を注がれた男は沈黙を保ったまま微動だにしない。

 

「……?旦那さん、どうかなさりました?」

 

首をかしげて遊女が再度声をかけると、ようやく男が口を開いた。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()?」

 

男の指摘に遊女――お糸こと赤糸が、ピクッと体を反応させて思わず自身の腕を抑える。

店に来て早々、赤糸は顔と手足にいつものように白粉(おしろい)を塗り、先程まで戦闘を繰り広げていたイトハから受けた傷や(あざ)を隠していたのだが、客である男相手にサービスとばかりに着物をはだけたたために、白粉を塗っていない所まで露となってしまい、そこにつけられた痣を見られてしまったのだ。

 

「……白粉でうまく隠しているようだが、よく見れば顔や体の表面のあちこちが腫れたようにデコボコしているように見える」

「……そ、そう見えますか?」

 

男の指摘に赤糸はとぼけながらそう答え返すも、直ぐに男は赤糸に詰め寄るようにして顔を覗き込んで来た。その顔は険しく、何処か焦りを帯びているようにも見える。

 

「お前……まさか()()()()()()()から返り討ちにあったのか?逃げられたりはしていなんだろうな!?」

 

そう切羽詰まった声でそう問い詰めて来る男に、赤糸は()()()()落ち着いた面持ちでやんわりと答える。

 

「……だ、大丈夫ですよ。少々トラブルは起きましたが問題は何もありしません。誰一人として屋敷から逃してはおりませんので安心してください」

 

そう言い訳をすると、それを鵜呑みにしたのか男はあからさまにホッと胸をなでおろす。

しかし直ぐに、キッと眼を鋭くさせると赤糸に向けて硬い口調で口を開いた。

 

「そうか。……だが、ゆめゆめ忘れるんじゃないぞ?()()()()()()()がお前に目をかけているからこそ、お前がこの店の人気の高い遊女に成り上がれたって事を!私たちのおかげでお前は毎日を何不自由ない有意義な生活を送れている事を!そして――」

 

 

 

 

 

「――私たちの持つ権力のおかげでお前が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、お前は悠々自適に()()()()()()()()を楽しめている事を……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ええ、ええ。重々承知しておりますよぉ。旦那様たちが私に目をかけてくださったおかげで、今の私があるんですから♪……ホント、感謝してもしきれません♪」

 

猫なで声でそう答えながら、赤糸は男にしなだれかかる。

自身の女体を着物越しにわざとらしく男の胸板に押し付け、甘い吐息をフッと男の首筋に小さく吹き付ける。

不意打ちともいえる赤糸のその()()()()に男は思わず息を呑み身震いを起こす。

そんな男の胸に顔をうずめた赤糸は上目遣いに男の顔を見上げると、女の色香を匂わせた艶めく微笑を浮かべて男に問いかける。

 

「そ・れ・と・も♪……旦那さんたちにこれ程尽くしているお糸()の言葉がそんなに信じられませんか?」

「……ふ、フン、ならいい。……だが、分かっているとは思うがもし事が(おおやけ)になったその時には、私たちは直ぐにお前とは縁を切るからな。いいな?」

「……わ、分かっていますとも。……もう、旦那さんは本当に心配性なんですからぁ♪」

 

男の脅迫とも呼べるその言葉に、赤糸はやや慌てて声を震わせながらもそう答えると、男の首にゆっくりと両腕を回し、そのまま男を押し倒していた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――八重山 赤糸。

 

毒蜘蛛の妖怪にして旧都のとある女郎屋にて得意客相手に多額の利益を店にもたらす稼ぎ頭の一人であり、同時に地底では名の馳せた鬼の四天王の一角である星熊勇儀とは地底に住み着く前からの旧知の仲という異例の肩書を持つ女であった。

口八丁手八丁で異性を垂らし込む(すべ)に長けており、その特技と『女』という武器を生かしてたぶらかした男は数知れず。

それ故に彼女にとって男性相手に大金を稼ぐことが出来る遊女と言う職業は天職と言っても過言では無かった。

遊女の身なれど大金を稼ぐことが出来、店に来る客との関係も上々、その上星熊勇儀と懇意にしているとなれば、()()()()()()周りの者たちから見た彼女はとても裕福な生活を送っていると思えるだろう。

 

――その裏で彼女が頻繁に旧都の幼子たちをかどわかし、毎日のようにその子たちを相手に『隠れ鬼ごっこ』を行い、捕まえた子を凄惨な拷問にかけて楽しんでいるなど(つゆ)とも知らずに。

 

旧都の住人たちや地霊殿の者たち、果ては知人である星熊勇儀の目をも欺いてでもその狂った『遊戯』を楽しむために、赤糸は頻繁に店に通ってくる常連の得意客の何人かを()()()()()()()

鬼や地霊殿の覚り妖怪ほどではないにせよ、彼女の抱き込んだ男たちは皆、地底ではそれなりの地位に立つ者たちばかりであり、赤糸は彼らのその地位を使って自身の幼児誘拐事件の関係性をもみ消していたのである。

そのため、自警団などの事件を捜査していた側の者たちは赤糸が事件を起こしていた犯人だと疑うことが出来ず、結果数年にも渡って彼女の悪行を野放しにする事となったのである。

 

また、赤糸(彼女)の住む屋敷の維持や、その私生活を担っていたのも彼らであった。

 

赤糸の手練手管で籠絡された彼らは、夜の情事で楽しませてもらう代わりに彼女に何不自由のない生活をさせるために出費していたのである。

ただ一人の蜘蛛妖怪の遊女のために、犯罪の片棒を担ぐという異常な選択。下手をすれば自分たちにも火の粉がかかり火傷では済まされないレベルになるだろう。

それでもなお、赤糸の悪行に加担したのは、彼女の魅惑に負けたというのもあるのだろうが、彼女が店の女将に口利きして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を優先してこちらに回してきてくれているのも大きな理由だろう。

 

それに、万が一事が明るみになって赤糸が捕まるような事になったとしてもすぐさま彼女を切り捨て、自分たちは何も知らなかったと、赤糸一人を悪者に仕立て上げ知らぬ存ぜぬを決めればそれでいいと高をくくっていたのだ。

 

そして、男たちのその思惑は赤糸本人もまた、とうの昔に気づいていた。

いくらたっぷりと優遇したと言っても、犯人であることがバレて捕まった後も自身を手厚く擁護してくれると思えるほど、彼女も馬鹿ではない。

事が明るみになった途端、あっさりと見捨てられるだろう事くらいは気づいていた。

 

――赤糸は、それを非常に恐れた。

 

それ故、彼らに見捨てられぬために、そして今の『楽しい遊戯を行える生活』を続けるために、赤糸は今日も()()()()()()、尽力を尽くしていく。

 

自身を養ってくれている、根源である彼らの機嫌を損なわないように……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はもう帰る」

「……あら、もう帰りますの?今日はえらく速いですね」

「フン、そんなボコボコの顔では興が削がれるのも当たり前だろうが。……次来るまでにさっさと傷を治しておけ」

「わ、分かってますよぉ」

 

布団から出て、いそいそと着物を着なおしながら赤糸と男はそんな会話を交わしていく。

そうして男は身支度を整えると赤糸へのあいさつもそこそこに店を後にして行った。

 

「またいらして下さいね~♪」

 

業務上の作り笑いを浮かべてそう言いながら男を見送った赤糸は、さっきまで男と一緒に使っていた部屋に戻り、使った布団を片付けて掃除を適当に済ませる。

そして、あらかた部屋の片づけを終えた瞬間――。

 

「はぁぁぁぁ~~~~~ッ」

 

――大きなため息と共に赤糸は部屋の中央で四肢を投げ出して座り込んだ。

 

「ったく、疲れたったらありゃしないよ……。クソッ、あの男……客だからって調子こきやがって……!」

 

天井をぼんやりと仰ぎ見ながら覇気の無い声で赤糸が小さく悪態をつく。

いくら養ってもらっている身だとは言え、赤糸は以前から男の態度が鼻持ちならなかった。

加えて情事の際は何か注文も多くつけてくるため、いい加減にしてくれと内心うんざりしていた。

しかしそれでも男を()()()、好意的に接しているのはひとえに、今の生活を手放したくないがため。

そのため貴重な金づるであり協力者の一人でもある男を手放す気など彼女にはさらさら無かった。

 

――結局のところ、赤糸は男や他の協力者たちの事をその程度の価値観でしか見ていなかったのだ。

 

「――ッ!」

 

不意に顔の傷がズキリと痛み、赤糸は反射的に顔を抑える。

そしてそれと同時に、さっきまで自身の住処である屋敷で繰り広げていた激しい応酬とその相手である妖精の少女の顔が脳内にフラッシュバックする。

 

「ヅッ!!」

 

少女の顔を思い出した途端、再び赤糸は激しい憤怒の感情に襲われた。

腹の奥がマグマのようにグツグツと煮えたぎり、顔も劇場が増幅するとともに真っ赤に染まり、阿修羅のような表情へと歪む。

 

「畜生……!許さない。許さないよあのクソガキッ!帰ったら目にもの見せてやるッ……!!」

 

イトハへの復讐を改めて誓い、赤糸はギュッと(こぶし)を握り込んだ。

爪が深く肉に食い込むのも構わず、赤糸は力を込め続ける。

その拳を少女(イトハ)の顔面へと深くめり込ませる妄想を抱きながら――。

 

 

 

――そんな機会が来ることなど、永遠に無いとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

――キュルルル……。

 

「ん?」

 

不意に赤糸のお腹が空腹を訴えるようにして鳴る。

 

(……そう言えばここに来て直ぐにあの男の相手をしてたからまだ晩飯がまだだったねぇ。……その上、あの忌々しい妖精の相手もしてたからいつも以上に疲労の方もたまってるだろうし)

 

そう思いながらチッ!と不快気に舌打ちを一つすると、赤糸は気だるげな体をのろのろと立ち上がらせ、何か食べようと部屋を出て行った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――旧都・自警団本拠地。

 

旧都の治安を守る自警団の本部。その一室にて今、一人の男が窮地に陥っていた。

 

(馬鹿、なッ……!かどわかされたガキ共が見つかっただと!?……()()()()()()()()()()()()()!!?)

 

自警団内でもそれなりの地位にいるその男は、ついさっき部下から伝えられた、連れ去られた子供たちの発見と保護。そして、犯人の正体が判明したというその()()に、部下を下がらせた直後に思わず自身の仕事用の机にバンッ!!と、両掌(りょうてのひら)を叩きつける。

お糸こと赤糸と男女の関係でもあり、同時に()()()()()()()()()()()()()()()でもあった男にとって、この知らせは自身を破滅に導く死刑宣告とまるで変わらなかった。

 

(クソッ!!……お糸め、店で優遇してくれる代わりにガキ共のかどわかしに目をつぶり、情報操作して嫌疑がかかるのを未然に避けれるように取り計らってやったと言うのに!……それを全て台無しにしおって……ッ!!)

 

ワナワナと両拳(りょうこぶし)を震わせ、叫びたい憤りを必死に抑えながら、男は何とか状況を打開しようと思考を巡らせる。

 

(……落ち着け。とにかく一刻も早くこの知らせをお糸と他の同胞に伝えなくては……!)

 

そう考えた男はすぐさま行動に出た。部屋の扉を少し開けて廊下を覗き見る。そこに人気が無い事を確認すると、男は(はや)る気持ちを抑えながら静かに、そして出来るだけ早い足取りで廊下を駆け抜けた。

誰かと接触しないよう、神経を研ぎ澄ませて周囲の気配を敏感に感じ取り、上手く立ち回りながら男は廊下を進む。

 

やがて、本部の裏口の扉が視界に入ると男はホッと胸をなでおろした。

その扉の周辺を警備している者はいない。ここを抜ければすぐに旧都の街へ出る事が出来た。

 

(……こうなってしまった以上、お糸はもう用済みだな。奴に見切りを付けたらすぐに他の者たちと連携して身の潔白を証明しなければ……!こんなつまらない細事で、今の地位を脅かされてはかなわん。ありったけの大金を積んででも今の椅子を守らねば……!)

 

そう今後の事を考えながら、男は裏口の扉の取っ手に手をかけて外へと出て行く。

そして旧都の街並みが視界に入った、次の瞬間だった――。

 

――バッ!!

「――がぁっ!!?」

 

突如、頭上から何かが降って来たと思ったら男はそのまま前方へと倒れ込み、まるで地面に全身が縫い付けられたかのように動かなくなってしまったのだ。

 

「な、何だぁ!!??」

 

突然の事に男は慌てふためくも、直ぐに首から上はまだ動く事に気づき、何が起こったのかと周囲へと視線を向ける。

そして、自身の体に起こっている事態が視界に入るや否や目を大きく見開いた。

 

「――なっ!?」

 

――そこには男の体を覆うようにして大量の白い粘液が男と地面にへばりついていた。

まるでハエ取り紙のように男の体にまとわりつくそれは、男が何度身体を動かそうとも一向に剥がれる気配がない。

 

「……や~っぱり、思った通りだったか」

「!?」

 

すると今度は頭上からポツリと女の声が響くのが聞こえ、驚いた男は視線を粘液が落ちてきた方へと目を向ける。

 

――本部の壁、男が出てきた裏口の上の方に()()()()()()()()()

 

見た目十代の少女の姿をしたその女は()()()()()()()()()()()を揺らしながら口を三日月形に歪め、獲物を定めた眼光で男を見下ろす。

壁に蜘蛛のように張り付くその姿に、男は一瞬お糸こと赤糸の姿と重ねたが、その容姿が彼女と似ても似つかないことにすぐに気づくとすぐさまそれを内心で否定していた。

 

そんな男の心情など毛ほども気づく事なく、その女――黒谷ヤマメは蜘蛛糸を使ってスルスルとその身を地上へと下ろして行くと不気味な笑みを浮かべたまま静かに男の目の前へと降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――時間は一時間近く前へと遡る。

 

「はぁ~っ、やっぱり勇儀の姐さんがいないと、楽しくもなんともないねぇ」

「そうねぇ……。じゃあ勇儀が帰って来るまでしばらくこのメンツで酒盛りするのは止めましょうか?」

 

ヤマメのぼやきにパルスィがそう提案するとヤマメは「うぅむ……」と深く唸って考えすそぶりを見せる。

その日も橋のたもとで酒盛りを開いていたヤマメ、キスメ、そしてパルスィの三人は、一向に盛り上がらない酒盛りに早々に嫌気をさしてきていた。

以前なら、大の酒豪である勇儀が先導して酒盛りの場を大いに盛り上げていたのだが、肝心のその彼女が居なくなった現在は、今一つ盛り上がりに欠ける状態となっていたのである。

 

「でも今日は集まってまだ間もないよ?……なんなら旧都の繁華街の方へ行って飲み直すってのはどう?」

「ん~……それが良いかもしれないわね。あそこは賑やかだからまだ楽しく飲めそうだし。キスメもそれでいい?」

「……(コクッ)」

 

ヤマメからのその提案にパルスィが少し考えた後了承し、キスメも小さく頷いて賛同するとすぐに三人は旧都へと向けてその場を移動し始めた。

移動中、たわいの無い雑談を交わしながら旧都へと歩みを進めるキスメ達。

そうしてもうすぐ旧都へと入ろうとしていた矢先、先頭に立っていたヤマメが視界に『あるモノ』を捉え、その歩みを止めていた。

 

「……ありゃ?何だいあれ?」

「え?」

「……?」

 

思わず漏れ出たヤマメのその声に、パルスィとキスメは怪訝な顔を浮かべながらヤマメの視線の先を追った。

するとそこには、()()()()()を先頭に十数人の男たちが旧都を出てから何処かへと向かう様子が見えたのだ。

しかもその誰もが、切羽詰まった焦り顔で駆け足で走り去って行く。

その後姿をジッと見つめながらおもむろにパルスィが口を開いた。

 

「……ありゃあ確か……自警団に所属している男衆じゃないか。どうしたんだろうねあんなに慌てて」

「さぁ?……しかも男共を先導してたのって、あれ()()殿()()()()()だよねぇ?」

 

ヤマメのその言葉にパルスィとキスメが同時に頷いた。

見間違うわけもない。たった今、自警団を引き連れて去って行ったのは、日常的にも年に何度か行われる地上の宴会の席でもよく顔を合わせる、地霊殿の火焔猫燐に間違いなかった。

しかもその彼女も男衆同様、血相変えた様子だったのが遠目からでも見て取ることが出来た。

 

「…………。なぁ~んか、きな臭い感じがしない?」

「……まぁ、確かにね」

「……(コクッ)」

 

そう呟くヤマメにパルスィが同意し、ヤマメが再び頷いて見せる。

『虫の知らせ』と呼ぶものなのだろうか。燐を筆頭に男衆が駆けて行く様子を見送った時、三人の胸中に飛来したのは猛烈に嫌な胸騒ぎであった。

生まれも育ちも違う三人なれどその見た目とは裏腹に長い年月を生きている身である。

一目見ただけでただ事では無い事が起きたと三人の中の第六感がそれを知らせていた。

 

 

――そして、それ故に。

誰からともなく「行ってみよう」と呟き、燐と男衆たちの後を追いかけて行こうと行動するのに、早々時間はかからなかった。




最新話投稿です。

リアルの仕事や家庭の事情やらで遅くなりました。
申し訳ありません。

中途半端な所で終える形となってしまいましたが、このままでは一万字を越えて長々と書いてしまいそうだったので無理矢理ながらもここで一区切りとさせていただきました。

この続きは出来るだけ早く投稿できるよう頑張ってみます。それでは。


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其ノ十七

前回のあらすじ。

ヤマメ、パルスィ、キスメの三人は、旧都へ向かう途中に自警団を引き連れてどこかへ向かう燐を見つける。


「な、何だいこりゃ!?」

 

()()()()を前に、半ば呆然としながらヤマメがそう声を漏らす。

自警団を引き連れた燐の後を追ってヤマメたちが辿り着いたのは、切り立った断崖に穿たれた洞窟だった。

その洞窟から崖にそって一本の道がのびており、ヤマメたちは今、その道の上に立ち洞窟を見上げている。

そしてその洞窟の中を先程から自警団の者たちが何人もヤマメたちの脇を通って出入りしており、皆あわただしく動き回りながら何かしらの作業を行っていた。

 

「……ちょっとヤマメ、あれ見なよ」

「?」

 

すると、ヤマメ同様にポカンとその光景を見ながら立ちすくんでいたパルスィが何かに気づいたらしくそうヤマメに声をかけていた。

声をかけたヤマメはそれに反応してパルスィの方へと顔を向け、そして続けざまにパルスィが今見ている視線の先を追った。

見ると崖の淵にも数人の自警団が立っており、皆一様に崖の下へと視線を向けてしきりに何か叫んでいる。

少し気になったヤマメたちもその自警団たち同様に崖の下へと顔を覗き込ませた。

見ると崖下には糸状に伸びる川が流れており、更に目を凝らして見るとその川には何隻かの小舟が浮かんでいるようであった。

そして、その小舟の方から小さいながらも自警団たちの叫び声に反応して声が返って来る。

 

――どうも話の内容から小舟に乗っている者たちも自警団員たちのようで、彼らはしきりに川の底をさらって()()()()()()()()()()()()()()

 

しかし、何を探しているのかその会話からいまいち理解できなかったヤマメたちは、いったん彼らの事は置いておいて視線を再び洞窟の方へと向けた。

川底で何を漁っているのか気にはなったが、それ以上に洞窟の奥で自警団たちが何をやっているのかも彼女たちは気になっていたのだ。

自警団が往来する洞窟の中を覗き込みながら、パルスィが横に立つヤマメに向けて声をかける。

 

「……こいつら一体何やってんだろ?」

「わかんないけど……いっちょ入ってみる?気になるし」

「……てか、勝手に入っていいんかね?」

「さぁ?でも、自警団の奴ら忙しくって私らの事も気づいてないっぽいし、入ってもバレないんじゃない?」

 

二人がそんなやり取りをしていると、唐突に洞窟の奥から見知った顔がやって来る。

 

「あれ?アンタら何でここに居るんだい?」

 

洞窟の奥から現れた燐がヤマメたちの姿を見つけそう声を上げた。

それに反応したヤマメたちは突然の事にどう説明したらいいのか分からずしどろもどろとなる。

 

「あ、え、え~と――」

「――まあいいや。アンタらもちょっと手伝ってくんない?今は人手がほしいんだよ!」

 

ヤマメが何か言おうとする前に、燐がそれを遮ってヤマメたちに洞窟の奥に来るように促す。

その言葉にヤマメたちは一瞬ポカンとし、こぞって顔を見合わせると燐に促されるままに彼女について洞窟の奥へと歩き始めた――。

 

 

 

 

 

 

「な、何でこんな所にこんなでっかい屋敷が……!?」

 

洞窟を抜け、開けた所にそびえ立つ大きな屋敷を目にしたヤマメが反射的にそう声を上げる。

隣に立つパルスィとキスメも同じ心境のようでまたもやポカンとしたまま屋敷を見上げていた。

すると、目の前にある洞窟と屋敷の出入り口らしき穴を繋ぐつり橋の向こうから、あわただしく数人の自警団員たちがやって来るのが見えた。

その者たちは担架のようなものを担いでおり、その上には()()()()()が横たわっていた。

 

「!……皆、邪魔にならないように左右に分かれて!」

 

それを見た燐は道を開けるようにヤマメたちにそう言う。

慌てヤマメたちが左右に分かれると、その間を担架を担いだ団員たちが風のように通り過ぎで行った。

通り過ぎる直前、ヤマメとパルスィは担架に乗せられた人物を視界に収める。

 

――そこには()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がぐったりと横たわっている姿があった。

 

少女の顔色はすこぶる悪く、しかも一瞬の事だったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な、何だ一体……!?」

 

目を丸くしながらそう呟くヤマメやパルスィ、キスメに構う事なくその少女を担いだ団員たちは洞窟の外へと去って行く。

突然の事に呆然と立ち尽くす一同。

するとつり橋の方が再び騒がしくなり、反射的に彼女たちは屋敷の方へと振り向く。そこにはまたもや同じように担架を抱えた団員たちがつり橋を渡ってヤマメたちの方へとやって来るのが見えた。

――しかも今度は、その担架に縋りいて並走する()()()()()()()()姿()もそこにあった。

 

「――こいし!しっかりしてこいしッ……!!」

 

今にも泣き出しそうなほどに顔を歪めて必死に担架に乗っている者へと呼びかけるその少女――古明地さとりのその言葉を耳にしたヤマメたちは、驚いてすぐさま担架へと目を凝らして見る。

そこに横たわるは、ボサボサの長髪にもはやミイラと呼んでも過言ではないほどにやせ細った少女の姿があったのだ。

 

「嘘……だろ……?あれがこいしだって言うのか!?」

 

目の前まで運ばれてくるその少女(こいし)と記憶の中にある少女(こいし)を照らし合わせ、そのあまりの変貌ぶりにヤマメは信じられないといった風にそう呟く。

同じように変わり果てたこいしを見て、パルスィとキスメも言葉を失う。

 

「さとり様!」

 

さとりと団員たちがヤマメたちの脇を通り過ぎる直前、燐はさとりへと呼びかける。

それに反応してさとりが顔を上げて視界に燐を捉えると、すぐさまさとりは燐へと指示を飛ばした。

 

「燐!こいしの事は私に任せて、貴女は()()()()()を……!」

「わ、分かりました!」

 

燐が頷き、さとりはこいしを担いだ団員たちと洞窟の外へと消える。

それを見送った燐はすぐさま屋敷へと駆け出そうとし――それよりも早くヤマメが燐の肩をガッシ!と掴んでいた。

 

「オイ、いい加減説明しろ!!一体どういう事なんだこれは!?」

 

苛立ちを含んだヤマメの声がその場に大きく響き渡った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――赤糸の屋敷。

イトハが最初に連れて来られた広い和室で、尾花をはじめとした被害者の子供たちは自警団からの救援を受けていた。

 

自警団は本部から持っていた毛布を一枚一枚子供たちに貸し与え、同じく本部から持って来た食料を調理して子供たちに食べさせるための食事を作る。

本当なら直ぐにでも子供たちをこの屋敷から連れ出して別の場所へと移したい所であったが、この屋敷で長らく傷つけられ、食事もろくにとらせてもらっていた子供たちはひどく弱っており、その状態で動かすのは困難だと自警団の現場責任者は考えたのだ。

また、幸いにもここに閉じ込められていたイトハからの情報で、この屋敷の主である赤糸がここに帰宅するのにはまだ時間に余裕がある事が分かり、先に子供たちに傷の手当と十分な食事を与える事が優先されたのである。

しかし、異常なまでにやせ細って変わり果てたこいしや大量の毒を受けたイトハは見るからに重篤な状態だったため、その二人だけは緊急を要すると判断され担架に乗せて一足先にこの屋敷から連れ出されたという訳であった。

 

「……そう言う事だったわけね」

 

自警団から支給された食事を涙をこぼしながら食べる子供たちを見つめながら、事の一部始終を燐から聞いたパルスィは、ここに居ない事件の元凶に対して怒りを募らせながらぽつりと呟く。

その隣ではキスメも同じように怒りで顔を歪ませている。

しかし一人だけ――ヤマメだけは何か思う所があったようで考えるように俯いていた。

 

「……?どうしたんだいヤマメ?」

 

それに気づいた燐がヤマメに声をかける。

するとヤマメは顔をハッと上げると、パルスィとキスメに向けて口を開いた。

 

「……悪い、二人とも。()()()()()()()()()()()()()。直ぐに向かわなきゃあ間に合わないかもしれないからここの事、任すね!」

「へ?あ、ちょっとヤマメ!?」

 

そうしてヤマメはパルスィが止める間もなく踵を返すと、元来た道を逆戻りし疾風のように屋敷を後にして行ったのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして現在。ヤマメは裏口からコソコソと出て来た自警団の男を蜘蛛の粘液で捕らえると、その男の前に立ち不気味な笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「……前にさぁ、勇儀の姐さんから聞いたことがあるんだよ。お糸がアンタと懇意(こんい)にしてて、アンタが頻繁にアイツの店に通ってたって事をさぁ。……まぁ?それだけだったら大して気にも留めなかっただろうけど、お糸(アイツ)が子供らをさらった犯人だと知った時、ふと思ったんだよ。……思えば多くの子供らの失踪が相次いだのに、自警団の捜査が妙に芳しくなかったなぁって……」

 

そう言いながらヤマメはゆっくりと倒れ伏す男の前にしゃがみ込み、言葉を続ける。

 

「……正直ほとんど当てずっぽうだったけど、なかなかどうして私の勘も意外と冴えてるみたいじゃないのさ」

「な、何だお前は!?何を言って……!!」

「とぼけなくていいよ?子供たちが見つかった途端、人目を避けて裏口から出て来る時点で十分怪しいからね。例え、お糸と直接関係なかったとしても何かしら知ってることがあるんだろ?」

「…………」

 

ヤマメのその言葉に男は思わず言葉を詰まらせる。その反応がとんでもない失敗だったと直後に男は思い知らされる事となる。

男の反応に目を鋭く細めたヤマメは、人差し指を男に向けながら言葉を紡ぐ――。

 

「おや、だんまりかい?別にいいけど、私は喋った方が得策だと思うけどねぇ……()()()()()()()()()()()

「――ッ!!が、はぁっ!?がああぁぁッ!??」

 

直後、男の体の中を無数の激しい『苦』が襲った――。

気だるさ。息切れ。体温上昇。感覚の麻痺。嘔吐感。寒気。などなど――ありとあらゆる()()がまるで猛牛のように男の体の中で一斉に激しく暴れ始めたのだ。

その苦しみにもがく男を前に、ヤマメは静かに口を開く。

 

「私の能力はあらゆる病気を操れる……。だからアンタをこのまま永遠に苦しめることだって出来るし、()()()だってしてやれる事が出来る。……ねぇ――」

 

 

 

 

 

「――アンタは私に、どうしてほしい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……ふぅん、あの吸血鬼の妹に頼まれてこいしを探しに遠路はるばるこの地底までやって来たって訳か」

『そういうこった』

「妬ましいわねぇ。自分はほとんど無関係なのに、危険を承知で地底のゴタゴタに自ら首を突っ込んで巻き込まれるそのお人好しさが妬ましい」

『フットワークが軽いと言ってくれ。まぁ、今回の俺は会館に待機中で、実際に動いてくれてんのは小傘とイトハの二人だがな。……それに俺はフランドール(あいつ)の話の中に新しい怪談創作のネタを嗅ぎつけたんでなぁ。興味が出たからその依頼に乗っただけだ♪』

「ハイハイ、ツンデレ(おつ)。ホント妬ましいわぁ」

『ツンデレじゃねぇし!あとお前、何に対しても妬むのな!』

 

赤糸の屋敷の広間にて、子供たちが受けた傷の手当てをしながらパルスィと畳に置かれたテレビ通信機越しに四ツ谷がそんな会話をしていた。

少し離れた所でも小傘とキスメ、お燐も自警団の団員たちに混じってパルスィと同様に子供たちの手当てを行っている。

唐突にヤマメが屋敷を出て言った直後、パルスィとヤマメはどうすればいいか分からずに途方に暮れて立ちすくんでいた。

しかし直ぐに、お燐や自警団の団員たちから手伝ってくれないかとお呼びがかかり、流されるままに子供たちの世話に参加したのである。

そしてその時パルスィは、団員たちに混じって宴会でよく顔を合わせる地上の妖怪(多々良小傘)を発見し不思議に思って声をかけた所、小傘と小傘の持つテレビ通信機越しの四ツ谷から、今回の一件のあらましを聞かされたという訳であった。

 

「お糸の奴……勇儀の目を盗んで陰でこんな事してたなんて……。いけ好かない奴だったけど、勇儀の古い知己(ちき)だったから私たちもそれなりに交流があったんだけど……残念だわ」

『…………』

「勇儀に対しても()()()()()()()()()()()()()()()()()()、断罪は免れないわね……」

 

顔を哀愁に染めて、独り言のようにポツリポツリとそう呟くパルスィのその言葉に、四ツ谷は黙って耳を傾けていた。

そうして、一通りの子供の手当てを済ませるとパルスィは四ツ谷へと向き直る。

 

「……アンタたちにも、地底の騒動に巻き込んだ事……そしてそれをやらかしたのが私たちの知り合いだったことも含めて、ここは代表して私が謝罪するわ」

『…………』

 

そう言って静かに頭を下げるパルスィ。四ツ谷は沈黙したまま画面越しにそれを見つめ続ける。

やがて頭を上げたパルスィは真剣な顔つきになると続けて言葉を吐き出した。

 

「……後は私たちに任せて、アナタたちはあのイトハって()と一緒に地上に帰りなさい。心配しなくてもお糸――赤糸のケジメはちゃんとつける。あの吸血鬼の妹にも、こいしが無事だって事を伝えてほし――」

『――待てよ。何勝手に話進めてんだ』

 

唐突に今まで黙っていた四ツ谷がパルスィの言葉を遮る。

四ツ谷は目をジトリとさせながら言葉を続けた。

 

『首謀者が分かったしもう俺たちに出来ることは無いからこれ以上深入りせず黙って身を引けってぇのか?……ハッ!冗談じゃねぇ。ここまできてすごすごと引き下がれるわけねぇだろうが』

「引き下がるも何も……後はもう赤糸を捕えるだけで終わりじゃない。他に何があるって言うのよ?」

 

怪訝な顔でそう聞くパルスィに向けて、四ツ谷はニタリとおなじみの不気味な笑みを浮かべた。

 

『ヒヒッ!決まってんだろ?――』

 

 

 

 

 

『――怪談を、始めンだよ……!』

 

 

 

 

 

「……………はぁ?」

 

パルスィは四ツ谷の言った言葉がいまいち理解できず困惑する。

そんな彼女を前に四ツ谷は画面の向こうで腕を組みながら口を開いた。

 

『……さっきも言ったはずだぜ?俺は【怪談創作のネタを嗅ぎつけてここに来たんだ】ってな。今回の一件でデカいネタを仕入れることが出来た。……もう俺の中で、その怪談の構想もまとまりつつある。()()()であるその毒蜘蛛女には是非とも俺の怪談を聞いてほしいんだよ♪』

「は、はぁ???アンタ一体何言って――」

『――それにだ』

「……!」

 

訳の分からない理屈を並べたてる四ツ谷に反論しようとしたパルスィに向けて、四ツ谷は再びそれを遮って言葉を重ねる。

しかし今度はその声のトーンは数段下がっており、重みが感じられた。

明らかに先程とは違う感覚にパルスィは反射的に押し黙る。

彼女を前に、画面に映る四ツ谷はさっきまでの不気味な笑みが跡形もなく抜け落ち、感情が一切籠っていない真顔の顔つきになっていた。

しかし、その双眸はカッと大きく見開いており、爛々と光っている。

 

『色々……本ッ当に色々あったが……その毒蜘蛛女はウチの大事な住人をあっこまでボロボロにしてくれたんだ――』

 

 

 

 

 

『――このまま何もしないで終われるわけねぇだろ……?』

 

 

 

 

「――ッ!」

 

静かに、されど明らかに憤怒の籠った四ツ谷のその声色に、パルスィは思わず息を呑む。

元々、イトハが赤糸に捕まる要因となった囮作戦は、イトハ自身が提案した事だ。それ故、彼女自身がこうなる結果になってしまう事は四ツ谷自身もある程度予想はしていたし覚悟もしていた。

しかし、だからと言ってこのままむざむざと引き下がるほど、四ツ谷は聞き訳の良い性格はしていなかった。

小傘たちと一緒に一つ屋根の下で一緒に生活をし始めてまだ日が浅いとは言え、すでにイトハは立派な四ツ谷会館の一員である。

メイドとして優秀であったが故に、生活内での他者の仕事をうっかり奪ってしまう事は多々あれど、それでも四ツ谷を始め会館住人全員が共に生活をする『仲間』であるととうに認めていたのだ。

そんな彼女をあそこまでボロボロにし、重傷を負わせた赤糸に対して何も思わないほど四ツ谷は冷酷では無かった。

引くにしてもせめて一矢報いなければ気が済まない。

 

顔には出さないまでも腹の底深くでグツグツと怒りを煮えたぎらせる四ツ谷。そんな彼に意外な所から声がかかった――。

 

「……怪談って……一体、何をするの?」

 

四ツ谷とパルスィは同時に声のした方へと振り向く。

そこには今し方までパルスィから怪我の手当てを受けていた少女の姿があった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()その幼い少女は、続けざまに四ツ谷へと問いかける。

 

「何の怪談かは分からないけど……それをすればあの蜘蛛の女をやっつける事が出来るの?」

『……やっつけられるのかどうかは分からねぇが、少なくとも一泡吹かす事が出来ると、俺はそう思っている』

 

四ツ谷のその返答に、少女は静かに「そう……」と呟くと続けざまに『ある提案』を口にしていた。

 

「……じゃあ、私も手伝わせて?」

「えっ!?」

『…………』

 

少女のその言葉に、パルスィは素直に驚きの声を漏らし、四ツ谷は黙ったままジッと少女を見据えた。

そんな二人を前に少女の言葉がさらに続く。

 

「……悔しいの。悔しくてしょうがないの。……私たち、何もしてないのに。何も悪いことしてないのに……!いきなりこんな所に連れて来られて、追い掛け回されて、痛い事……されて……!痛くて怖くて泣いて『許して』ってお願いしても……アイツ、私たちを馬鹿にして笑ってるだけだった……」

「…………」

『…………』

「今ここに居る子たちの他にも、ここに連れて来られた子たちが何人もいた。でも、その子たちは何度かアイツに捕まって連れて行かれてからここに戻って来なくなった……!……たぶん、もう……!」

「…………」

『…………』

 

自身の着物をギュッと両手で握り、唇をかみしめ、悔しそうに言葉を絞り出す少女。いつの間にかその双眸からポタポタと涙を溢れさせていた。

その少女の涙と、言葉を、四ツ谷とパルスィは黙って見つめ続ける。

 

「何もしてないのにこんな目にあわされて、なのにこのまま終わるなんてヤダ。絶対にヤダ!……だからお願い。何でもするから……手伝わせて……!!」

 

幼い少女が発したとは思えないほどの魂の慟哭(どうこく)。それを聞いて黙って静かに聞いていた四ツ谷はゆっくりと口を開く。

 

『……お前、名前は?』

「……()()

『尾花……いいのか?俺に協力するってことは、お前はお前たちに怖い思いをさせたあの女とまた対峙することになる。あの女を前に、お前は平静を保ってられんかもしれん。それでもか?』

 

真剣な目でそう尋ねる四ツ谷に、少女――尾花は力強く頷く。

その双眸は涙にぬれているものの、瞳に一切の揺るぎは無く強い覚悟で固められていた。

 

――そしてそれを合図にしてか、今まで小傘たちや自警団の者たちの手当てを受けながら、四ツ谷たちの会話を何気なしに聞いていた他の子供たちからも口々に声が上がる。

 

「オレにも手伝わせて!」

「僕も!」

「私も!」

「あたしもやる!」

「ボクもボクも!」

「このまま終わるなんてヤダ!」

「あのクモのおばさん許せない!」

「悔しい!」

「このままじゃヤダ!」

「お願い!何でもやるから手伝わせて!」

 

「あ、アンタたち……」

 

子供たちのその叫びに、パルスィは呆気にとられる。

それは自警団の者たちや小傘、お燐、キスメも一緒だった。

そんな子供たちを見渡しながら、四ツ谷は『ヒヒッ!』と不気味な笑みで声を漏らす。

 

『全く、地底のガキ共ってぇのは意外と反骨心が()ぇえのなぁ……!痛めつけ、苦しめられようとも、それでも泣き寝入りしようと考えねぇ奴ばっかだ……!嫌いじゃねぇぜ、そう言うの……!』

 

声を弾ませながら四ツ谷はそう言い、同時に顔に張り付けられた笑みは深みを増して行く――。

 

『――いいだろう。なら、もう止はしねぇ!一緒に創ろうか、あの女のための怪談を……!!――』

 

 

 

 

 

 

 

『――お前らを相手に楽しんでた【隠れ鬼】。……そいつを【怪談】という形で、今一度あの女に味わってもらおうじゃねぇか……!!』

 

狂気に彩られた目を爛々と輝かせ、三日月形に口角を吊り上げた四ツ谷は、その場にいる全員に向けて高らかにそう宣言していた――。




何とか最新話が書けました。

リアルで色々とあって書く余裕がなかなか無く、またもや前回投稿した時から大分時間が空いてしまいました。
しばらくは時間が出来た時に要所要所で少しずつ書き溜めて行く事になりそうです。
また次回の投稿まで長くかかるかとは思いますが、何卒ご容赦のほどよろしくお願いします。


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其ノ十八

前回のあらすじ。

ヤマメが赤糸の協力者の一人を捕らえ、四ツ谷は囚われていた子供たちと共に赤糸への反撃を開始する。


「――はい、これで処置は完了。安心しなさい、二人とももう大丈夫よ。古明地さとりさん」

「ありがとうございます。永琳先生」

 

地霊殿の一室――恐らくは客室と思われる部屋で、()()()()()()()()()()の永遠亭の薬師、八意永琳を前にして地霊殿の主である古明地さとりは安堵と共に深々と頭を下げていた。

そのすぐそばには、永琳の助手をしている鈴仙も一緒におり二人のやり取りを見つめている。

 

そんな彼女たちの(かたわ)らには二つのベッドが置かれており、その上にはこいしとイトハがそれぞれ寝息を立てながら静かに寝かされていた。

 

にとり製作のトランシーバーによってイトハたちからの救援要請が四ツ谷たちの元に届いた直後、四ツ谷はすぐさま折り畳み入道に永琳を地霊殿に連れて来るように早急に命じていた。

そして、その一報を受け取った永琳は、鈴仙を連れて折り畳み入道の能力を借りてすぐに地霊殿へとやって来たのである。

また、赤糸の屋敷からイトハとこいしを運び出したさとりの方も、二人を運んでいる自警団の者たちに、自分の屋敷(地霊殿)に運び込むように指示を出していた。

 

――()()()()()()()()()()()()()()()()と、念を押して。

 

今、旧都にはこの一件の首謀者である赤糸がいる。

彼女が働いている店を避けて運ぶようにしても、旧都にはたくさんの住人がおり、もし誰かが地霊殿に運び込まれるこいしとイトハを目撃して、それがもしふとしたきっかけで赤糸の耳にでも入ったりでもしたら、どんなことになるのか分かったモノではないからだ。

最悪、自棄(ヤケ)になって無関係な者たちにまで巻き込んだ、更に厄介な大事になりかねなかった。

 

また、二人を旧都の診療施設にではなく、わざわざ地霊殿に運んだのにもそれなりの理由があった。

そもそもロクに掃除がされておらず、埃まみれで衛生面的に悪環境だった赤糸の屋敷で重傷だったイトハとこいしの二人をそのままそこで治療するわけにもいかなかったため、衛生面が良好でちゃんと治療できる場所へと二人を運ぼうという流れになったのだが……いかんせん、赤糸の屋敷から旧都の病院まではそれなり離れており、そのまま運ぼうとすれば旧都の住人の多くにそれが見られる確率が高く、目立ってしまうため、赤糸に(さと)られないために出来るだけ人目を避けたかったさとりたちは、一計を案じて距離的にも病院より比較的に近く、住み慣れた場所でもある地霊殿へと二人を運ぶ方針を取ったのである。

 

前述のとおり、赤糸の屋敷から地霊殿までの距離は旧都の診療施設と比べると短く、その分人目を抑えることが出来、尚且つ地霊殿の主であるさとりは、地底に住む危険度の高い妖怪たちからもその性格や能力故か旧都の住人達との親交も低く、自らの意思で地霊殿に近づこうとする者もほとんどおらず、その周囲は閑散としている事が多かった。

近場で人目を気にせず、かつ二人を安全安静に匿える場所としては、まさに最適と言えた。

 

そうして、さとりたちの手によって人目を出来うる限り避けながら地霊殿に運び込まれたイトハとこいしは、地霊殿でようやく永琳と出会う事となる。

 

自警団たちの手によってベッドに寝かされたイトハとこいしを一目見た永琳は一瞬息を呑んでいた。

イトハは片腕に大穴を空けられた上、そこを中心に猛毒が身体を蝕んでおり、全身から脂汗を噴出させていたのだ。その顔は紙のように真っ白に血の気が引いており、蚊のように細い呼吸はいつ止まってもおかしくはなかった。

そしてこいしの方もまた酷く、ミイラのようにやせ細った全身に無数の傷が刻まれ、思わず目を背けてしまいそうになるほど見ていて痛ましいものであった。

 

しかし、そこは元『月の賢者』であり現『永遠亭のプロの薬師』である。

そんな動揺など一瞬のうちに理性でねじ伏せると、すぐさま永琳は『自身の仕事』に取り掛かり、見事一時間もしない内にイトハとこいしの二人を死の淵から救い出したのであった。

 

「二人ともしばらくは絶対安静。でも、数日もすれば歩けるようにはなるはずだからそれまで栄養豊富な食事をとらせて行く事。分かった?」

「はい、分かりました。……何から何までありがとうございます」

 

一通りの治療を済ませ、鈴仙と帰り支度をしながらそう言う永琳に、さとりは再び深く頭を下げてそう答えた。

そうして準備を終えて帰ろうとする前に、永琳は先程まで治療していたイトハとこいしの二人をチラリと見やる。

 

治療前にさとりから赤糸がアカボシゴケグモの妖怪だと聞かされていた永琳は、即行で解毒薬を調合し、毒が回ったイトハの体にそれを注入。同時進行で腕の穴やその他の傷も処置することで、イトハの顔色は治療前とは打って変わって血色が良くなっていた。

まあ、彼女の場合。種族が妖精であるため、何もせずに放置していたとしても最終的には自己回復して復活していただろうが、薬師であり医師でもある永琳とって、ボロボロで今にも事切れてしまいそうだったイトハをあのままにしてほっとくというのは、その肩書故なためか出来なかった。

そしてこいしの方もまた、永琳は全力で治療を行っていた。

全身の傷を一つ残らず治療し、体内に残った毒も完全除去。イトハ同様、顔色が格段に良くなり、今は栄養剤の入った点滴を数本打たれながらベットの中で安らかな顔を浮かべている。

 

身体のあちこちに包帯やガーゼ、絆創膏、点滴を付けられた痛々しい姿ながらも安らかな眠りにつくイトハとこいしを見つめながら、永琳はさとりに向けてポツリと問いかける。

 

「……今回の一件、四ツ谷さんも絡んでいるのなら……彼の事だからまた『例の怪談』をやるのかしら?」

「ええ、たぶん……そうだと思います」

 

そう答えるさとりに永琳は「そう」と呟くと、更に口を開いた。

 

「ならいつにも増して容赦しないでしょうね彼は。自身の受け持つ会館の住人を傷つけられてるわけだし。……まあ、その赤糸って毒蜘蛛妖怪が今までやって来た所業からしてみれば同情なんて欠片も出来ないけど」

「……当たり前です。こいしをこんな目に合わせて……許せない」

 

永琳の言葉にさとりはギュッと握り(こぶし)を作り、怒りの籠った声でそう呟く。

実の妹に非道を行ったのだからさとりのその憤りは当然と言えば当然であった。

だがそんなさとりを永琳は横目でジッと見つめると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……いい機会だから、この際この子と面と向かって話し合ってはどう?……貴女もいい加減、いつ帰って来るか分からないこの子を待ち続けるのも嫌でしょうに)

「…………」

(……私は覚り妖怪じゃないから、貴女たち姉妹の気持ちなんて分かりはしないわ……だけど、だからこそこの子の気持ちを一番よく理解出来るのは、他ならない貴女自身。この子の心の一番の拠り所になれるのは、貴女しかいないのよ?)

「…………」

 

永琳の『心の声』がさとりに向けてかけられる。

しかし、さとりは俯いたまま沈黙し続けていた。

それを見た永琳は小さく肩をすくめ、

 

「――まぁ、私が口出しできる立場でもないけどね。……それじゃ、失礼するわ」

 

そう言い残して早々に鈴仙と共に部屋を後にして行った――。

部屋に残されたさとりはしばらくそのまま何かを考えるように俯きながらただ立ち尽くす。

しかし、やがてこいしの眠るベッドの横に歩み寄りそこにしゃがむと、静かに眠るこいしの手をそっと手に取った。

 

「こいし……」

 

憂いを帯びた表情で最愛の家族()の名を俯きながら小さく呼ぶさとり。

名前を呼びかけられた主は、それに答えることは無く、声は虚空へと静かに消えて行く――。

 

――かに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――怪談って……何……?」

 

 

 

 

 

 

 

「……!!」

 

小さく、弱々しいながらも、()()()()()()が確かに自身の鼓膜を打ったことで、さとりは驚き反射的に顔を上げた。

さとりが顔を上げた先――そこにはさっきまで眠っていたはずの『妹』の目がはっきりと見開かれており、不思議そうな顔を浮かべながらさとりを見つめていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それからしばらく後……夜が更け、日付が変わり、やがて夜が明ける数時間前となった頃……事態は終息へと向かい始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤糸は店の仕事が終わる時を今か今かとソワソワとしながらも、表面上は落ち着いて役目をこなしていた。

その理由は他でもない、屋敷に置いて来たイトハだった。

あの忌々しい小娘妖精を仕事に行く前にちゃんととどめを刺しておけば良かったと赤糸は今になって後悔し始めていたのだ。だが、そんな心境になった所で今となってはもう後の祭りである。

 

(ええい、クソッ!やけに落ち着かないねぇ……!仕方ない、女将さんに頼んで早上がりさせてもらおうかねぇ……)

 

新たな客の相手を終えた赤糸は、身なりの整えと部屋の後片付けを行いながらそう思案する。

少し前にやって来た『お得意様』からの忠告もあり、弱腰な方向に意識が傾いていた赤糸は、不安要素(イトハの存在)をすぐにでも取り除くために遊女屋の女将に仕事の早上がりを願いに部屋を出た。

ギシギシと木製の廊下を鳴らしながら、赤糸は女将がいるであろう部屋へと向かう。

そうしてもうすぐ、女将の部屋に辿り着こうかという矢先、赤糸はおもむろに足を止めていた。

廊下の先……そこに自分と同じ遊女の同僚が二人立って会話をしており、その会話内容が耳に入って来たことで反射的に歩みを止めてしまっていたのだ――。

 

「……ねぇ、聞いた?さっき、女将さんから聞いたばかりの噂なんだけど、何でも人気のない何も無い場所で何処からともなく()()()()()()()()()()()()()()()()

「私も休憩がてらに店を出ていた時に聞いたわ。……なんか()()()()()()?をしている感じの声が何処からともなく聞こえるんだけど、周りには人っ子一人いやしなかったから不気味だったって、その声がした場所に偶然通りかかったっていう人が教えてくれたのよぉ~」

「いやねぇ、怨霊の仕業かしら?……それとも最近、子供が変死する事件が続いてるじゃない?その子たちの霊が今もさ迷っているのかも……」

 

そんな会話を繰り広げていた遊女二人からしてみれば、自分たちにとっては無関係な話故、そう重くとらえる必要のない、ただの井戸端会議並みの気軽さの談笑だったのだが――。

 

「…………」

 

――それを盗み聞いてしまった赤糸にとっては、心臓を冷たい手で撫でられたかのような衝撃的な内容だった。

いつもなら、「くだらない」とさっさと切り捨てて通り過ぎるだけでよかった事も、会話の内容の中に『子供』や『隠れ鬼ごっこ』といった身に覚えのありすぎる単語がポンポンと飛び出して来れば、その心境も大きく一変してしまう。

瞬く間に血の気が引き、顔面蒼白になる赤糸。

気がつけば赤糸の意思とは無関係に、彼女は会話と続ける遊女二人の元へヅカヅカと歩み寄っていた。

 

「……あれ?赤糸(ねえ)さ……ヒィッ!?」

「……ッ!?」

 

二人のうち片方の遊女が赤糸の存在に気づいて声を上げるも、それが途中で短い悲鳴へと変貌する。

一足遅れてもう片方の遊女も、赤糸の顔を見た途端言葉を失っていた――。

二人の遊女の視線の先……そこにある赤糸の顔に浮かぶ表情は尋常では無かった。

何せ感情の一切が抜け落ちたような無表情。血の気が引いて紙のように白くなった表皮。それでいて二つの双眸はこれでもかと言うほどカッと大きく見開かれており、素人目から見てしてもその様子がとても異常である事を如実に表していたのだから。

 

「ね、姐さん……?一体どうしたんで――」

「――今の話は何だ?」

「へ?」

 

二人の遊女の内の片割れが赤糸に口を開きかけるもそれに重ねるようにして赤糸がそう問うて来たので、問われた遊女は呆けた声を漏らす。

そんな遊女の様子に苛立ったのか、赤糸は更にその遊女に詰め寄ると胸ぐらをつかみ上げた。

 

「ヒッ!?」

「誰にその話を聞いたのかと聞いた!?早く言え!!」

 

今にも殺されるのではないかという錯覚に陥るほどの迫力で赤糸にそう問い詰められ、掴まれた遊女は戦々恐々としながらも震える声で必死に言葉を絞り出す。

 

「……さ、さささささ、さっき、女将さんから、教えてもらったんです!!女将さんはひいきにしてもらっているお客さんから聞いたって言ってました……!!」

「お前は?」

 

赤糸はそう言って今度はもう一人の遊女にそう問いかける。

問われた遊女は一瞬ビクッとすると赤糸の異常な迫力に怯えながらも、言葉を絞り出す。

 

「わわ、私はたまたま店の外に出た時に知り合いの()()()()()()()に会ってそこで……!」

「ガキの声がするって言ってたな!?何処でするとか聞いていないのか!?」

 

更に赤糸が二人に問い詰めると、二人の遊女は互いに顔を見合わせ口を開いた――。

 

「え、えぇっと確か――」

「場所は、確か――」

 

 

 

 

 

「「――旧都の外れにある断崖絶壁の渓谷の方から聞こえたって言ってました……!!」」

 

 

 

 

 

そこまで聞いた瞬間、赤糸は掴み上げていた遊女を突き飛ばすように放すと、一目散に踵を返して走り出し、店を飛び出していた。

背後で赤糸から解放された瞬間に、バランスを崩して床に強か尻を打った遊女が「きゃんっ!」と悲鳴を上げる声が赤糸の耳に届く。

しかし、その時には既に()()()()()()()といった心境だった赤糸は、その悲鳴に反応することなく半ばパニックになりながらがむしゃらに夜の旧都を駆け抜けていく。

 

行先は、先程遊女たちが言っていた子供の声が聞こえたという渓谷――。

 

 

――そこはイトハや他の子供たちを監禁している、赤糸の屋敷がある場所であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暴風のようにその場から去って行った赤糸をポカンとした表情で見送る遊女二人。

そしてその二人を、少し離れた部屋の中で襖の隙間から眺める者がいた。

 

この店の女将を任されているその女は、赤糸が去るまでの一部始終を眺め終えると、小さくため息をついて背後へと振り返る。

 

「……これで良かったのかい?」

「上出来♪」

 

女将の言葉に、部屋の奥に立つ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、上機嫌にそう答えながら笑みを浮かべていた――。




え~っと、お久しぶりです。
申し訳ありません。またもや前回の投稿からほぼ一年、間が開いてしまいました。
その上、今回の話はやや短めで話の展開もあまり進んでおりません。
次もいつになるかは分かりませんが、読者の皆々様には長い目で見守ってもらえると幸いです。

それでは、色々とグダグダになってしまいましたが、今年はこれで投稿収めとさせていただきます。
来年もまた、よろしくお願いいたします。


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