君のためなら俺は (アナイアレイター)
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1話

 とある幼稚園。子供達が賑わう校庭で、まだ五年程度しか人生を謳歌していない幼い子供が一人、既に腐っていた。

 

 彼の名前は白井悠斗。この物語の主人公である。

 

「はぁーあ……どうせ、俺なんか……」

「っ!!?」

 

 溜め息と共に彼の体から流れ出るどんよりとした暗黒オーラにたまたま近くを通りがかった園児が驚く。とても五歳児が出していいものではなかったからだ。最早貫禄さえあると言ってもいい。

 

 こうなる切っ掛けはつい先程の事。

 悠斗はこの幼稚園以前からの、ほぼ生まれた時からの付き合いである、とある男子とかけっこをしたのだ。

 

「かけっこだ! 一夏、今日こそは負けないからな!」

「おう! よーし、行くぞー!」

 

 ただの遊びだと思っているであろう男子、織斑一夏は笑顔で受け入れ、悠斗は真剣な表情でゴールを見つめる。

 今日の日のために鍛えに鍛えた足腰を披露する絶好の機会。そして今日こそ己の歴史に新たにして、初めての勝利の一ページを記す時。

 

 ……のはずだった。

 

「俺の勝ちー!」

「何でだ……!」

 

 終わってみれば勝ったのは悠斗ではなく、一夏だった。しかもこれまでよりも差をつけられて。

 

 納得いかない悠斗だが、この結果は当然と言えよう。何故なら鍛えに鍛えたと言ったが、実際はただ走り回って遊ぶのを優先してやっていただけ。そして、その横にはこの一夏の姿もあったのだ。

 

 つまり、悠斗と一夏はずっと同じ特訓をしていたのだから差は縮まるはずもない。

 更に言うならば、一夏には才能があった。勉強も、運動も、一夏は悠斗よりも優れている。同じ内容の特訓をすれば、才能がある一夏が有利になり、差が開くのは当たり前だった。

 

「悠斗、今度は何する!?」

「いや、俺はもういいや……」

「そっかぁ……じゃあまた後でな!」

 

 それまで元気だったのが、少し寂しげな表情を見せて一夏は他の皆と遊びに行った。それを黙って見送ると悠斗は一人、隅っこでいじけていた。

 

「いいよなぁ……あいつは……」

 

 まるで何処かの地獄を見た兄弟のように悠斗は校庭で遊ぶ一夏を見て一人ごちる。他の園児達に混ざってサッカーをしているのだが、そこでも彼は一際輝く活躍を見せている。

 凡才である悠斗にとって、非凡である一夏は眩しく、羨ましい存在だった。

 

「はぁー……」

 

 何度目か分からない溜め息を吐くと悠斗は空を見上げた。彼にとって一夏はどれだけ手を伸ばそうとも届かない、正しく雲の上の存在。

 だというのに一夏はいつも悠斗の側にいる。むしろ居ない事の方が珍しいくらいだった。

 遠くて近い。その距離が、悠斗が一夏を越えようと諦め切れずにいられた。いっそ突き放してくれればどれだけ楽だろうと思った事もある。だが一夏はそんな事などせずに落ち込む悠斗の側にいて励ましてくれた。

 

「いや、お前のせいだよ……」

 

 一夏が励ましてくれる度にそう思っていた。だが面と向かって言う事も出来ない。

 何故なら一夏には悪意などこれっぽっちもないのだから。純粋な善意でやっているため、それを踏みにじるなんて非道な行為をする気にもならなかった。当然憎むつもりもない。そんなのはお門違いであるし、すればきっと惨めになると彼は分かっていた。

 

 だからせめて一夏の前で落ち込むのはやめて、こうやって人目につかない所でこそこそいじけるようにしているのだが――――。

 

「お、悠斗じゃん」

「んあ?」

 

 それでも誰かには見つかるもので。俯いていた悠斗が間抜けな声と共に顔を上げるとそこにはそれなりに見知った顔ぶれがいた。ニヤニヤと厭らしい笑みを顔に張り付けて。

 

「ここにいるって事は今日も負けたみたいだな」

「知ってるぜ! こういう奴の事、負け犬って言うんだ!」

「「「まっけいぬ! まっけいぬ!」」」

「はぁ……またか……」

 

 そう、見知ったというのは良い意味ではない。こうして一夏と勝負して負けると何処からともなくやってきては悠斗に罵倒を浴びせてくる三人。

 悠斗が一夏に挑むのは昨日今日に始めた事ではないので正確には覚えていないが、それでも彼らと長い付き合いである事には変わりない。

 

「お前らも一夏に勝った事ないじゃん」

「「「まっけいぬ! まっけいぬ!」」」

「面倒くさいなぁ……」

 

 勘違いしないで欲しいのは悠斗は決して落ちこぼれではない。だが優等生でもない。あくまで悠斗は普通なだけで、一夏が優れているだけなのだ。

 そして目の前で馬鹿にしている三人こそ、実は普通より下の所に位置しているのだが、そこは子供。自分の事は棚に上げて、落ち込んでいる所へ一方的な数の暴力で自分達の意見は正しいと捲し立てる。

 

 相変わらず人の話を聞かない連中に辟易していると三人の内、一人の肩が叩かれた。

 

「おい」

「まっけ、あ゛」

「「げっ!?」」

 

 その声に、振り向いたその姿に三人は戦慄した。そこには一夏が憤怒の表情で立っていたからだ。

 

「また、か。何悠斗を苛めてるんだよ……!」

「あ、う……」

 

 言葉を荒げないものの、語気に含まれた明確な怒りに肩を掴まれた一人が何も言えなくなる程怯えきっていた。一度、こっぴどくやられてから完全に一夏に苦手意識を持っているのだ。

 

「一夏、もういいって。で、どうしたんだ?」

「ん? ああ、やっぱ悠斗も一緒に遊ぼうぜ!」

「あー……分かったよ、ほら行くぞ」

 

 正直な所、悠斗としては一人でいたかったのだが一夏が誘ってくるので諦める事に。こうなるとこちらが了承するまで延々と誘ってくるのは長い付き合いで分かっていたからだ。

 それにこれ以上はこの三人が可哀想になってくる。一刻も早く離れてあげる必要があった。

 

 悠斗が話し掛けただけでそれまで憤怒の表情だった一夏が人懐っこい笑みをするようになる。

 

 悠斗が一夏を憎めない理由はここにもあった。彼は自身を無二の親友として接してくる。かげがえのない、大切な友人として。

 そんな二人でも喧嘩する事はあるが、それでも少し経てばその日の内には仲直りしていた。

 

「よーし、悠斗パス!」

「ほらよ!」

「ナイス!」

 

 一夏は悠斗から受け取ったパスで華麗にゴールを決めるとあっという間に点差を広げていく。

 何だかんだで二人はすこぶる仲が良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても今回の悠斗の精神的ダメージは大きかった。家に帰るとソファーでだらしなく横になっているのだから余程である。帰ったら忘れ去っていたいじけゲージが再び急上昇してしまったのだ。

 

「なぁ悠斗ー、一緒にこれやろうぜー」

「えぇ……やだよ……」

「何で?」

「だって負けるもん……」

「はぁ?」

 

 訳の分からない言い分に一夏は首を傾げていた。今一緒にやろうと言ったのは二人で共闘するゲームだっただけに余計だった。

 一夏とは家が隣近所というのと一夏の両親は共働きで帰るのが遅いため、一夏の姉である千冬が来るまで悠斗の家で預かっている。

 

「ゆーくん、一夏くんと遊んであげなさい」

「えぇ……だってさぁ……」

「だってじゃないでしょー? 一夏くんが居るんだから遊んであげなさい」

「はーい……」

 

 のんびりと間延びした女性の声が悠斗を優しく叱る。悠斗の母である深雪だ。

 とても一児の母とは思えない程に若々しく、美しい。ウェーブの掛かった髪のようにふわふわと穏やかな雰囲気を持っていて、近所でも評判の女性である。

 

「叔母さん、ありがとう!」

「ちゃんとお礼が言えるなんて一夏くんは偉いわねー。一夏くんの分のハンバーグは奮発しちゃう」

「やった!」

「お、俺のは!?」

「はいはい、ちゃんとゆーくんの分もあるわよー」

「ありがとう、母さん!」

 

 夕食が豪勢になると聞いてどんよりとした悠斗の雰囲気が晴れやかなものに。子供故に非常に単純だった。

 まだ多少のダメージは残っていたが、一夏と遊ぶ分には差し支えない程に回復。

 

「ただいまー」

「お邪魔します」

「千冬姉だ!」

「え、ちょ、ゲーム途中なのに……」

 

 そうして夕食まで二人で遊んでいると玄関の方から扉が開く音に次いで聞こえてくる明るい男性の声と女性の声。

 一夏が自身の姉が来たと迎えに走る。この時から既にシスコンの気配が見え隠れしていた。

 

「千冬姉、お疲れ! 叔父さんもお帰りなさい!」

「ああ、ちゃんと良い子にしてたか?」

「勿論っ」

「父さん、千冬さんもお帰り」

「ただいま悠斗、一夏くん」

「ただいま悠斗」

 

 悠斗の父、快斗は迎えてくれた幼い子供二人の頭を撫でる。子供が好きな彼にとってこの出迎えは喜ばしい事この上ない。

 千冬ももう一人の弟と言ってもいい悠斗と一夏の出迎えにいつもの仏頂面が破顔していた。

 そこにコンロの火を消した深雪も遅れてやってきた。

 

「お帰りなさい、あなた。千冬ちゃんもお疲れ様。一夏くんは良い子にしてたわよー」

「いつもお世話になってすみません……」

「気にしなくていいんだよ、千冬ちゃん。子供が困っていたら助けるのが大人なんだから」

「……私はもう子供じゃありません」

「僕からしてみれば充分子供さ」

 

 そういう所もね。そう付け加えて快斗はゆったり微笑む。子供扱いされて少し不機嫌になる千冬だが相変わらず快斗には口で勝てそうになかった。

 何せ、千冬がもっと小さい頃からご近所として仲良くしていたのだ。どれだけ大人ぶろうと快斗からしてみれば背伸びしている子供と変わらない。

 

「さ、ちょうどご飯も出来た事だし、上がって上がって」

「待ってました!」

「千冬姉、今日はハンバーグなんだって!」

「こ、こら! そこまでお世話になるわけには……」

 

 夕食の支度が出来た事に悠斗だけじゃなく一夏までもが喜ぶと、さっきまでの不機嫌な様子が鳴りを潜めて、慌てて千冬が叱りつける。さすがにそこまでお世話になるのは気が引けてしまうのだ。

 

「いいの、いいの。むしろ二人が食べてくれないと作り過ぎちゃったから困っちゃうのよー」

「そうだよ、千冬ちゃん。それに今から帰ってご飯作ってたら一夏くんが待ちくたびれちゃうよ」

 

 付け加えるなら快斗と深雪の二人は千冬が家事が出来ないのを知っていた。以前、物は試しにと包丁を握らせてみたら、えらく危なっかしい手付きでキャベツを切ろうとしていたので二人して大声を上げて止めたのは記憶に新しい。

 

「でも、っ」

 

 それでもまだと引き下がろうとしない千冬から大きな腹の虫が鳴った。彼女も剣道部という運動系の部活帰りでお腹が空いてないはずがない訳で。

 恥ずかしさで顔を真っ赤にしている彼女に快斗が優しく肩を叩く。

 

「決まりだね」

「はーい、じゃあ直ぐに用意しますからねー」

「お、お邪魔します……」

 

 こうして白井家で食事を済ませてから家に帰るのが一夏と千冬の生活習慣となりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休日、悠斗は快斗に連れてかれて外を歩いていた。目的地は快斗自身もどうやら初めて行く所らしく、しきりに携帯の地図を確認しながら目的地へと。悠斗は何故そこに向かうのかも聞かされていないので余計に分からない。

 家から十五分も歩けばそこに辿り着いた。

 

「……神社?」

「うん。千冬ちゃんが言ってたのはここだね」

 

 快斗は辺りを見渡すと千冬から聞いていた通りの目印が幾つもあった。間違いないと力強く頷くと漸く悠斗に何故ここに来たのかを話す事に。

 

「悠斗はちょっと精神的に弱いみたいだから何か精神的にも強くなれるのない? って千冬ちゃんに聞いたらここを紹介されたんだ」

「それが神社なの?」

「正確にはここで剣道をやってるらしいんだ。ちょうど悠斗と同い年の子供もいるみたいだしね」

「へー」

「(これはまずいね)」

 

 悠斗の気の抜けた返事に快斗は危機感を覚えた。本来なら弱いと言われたら怒る所なのだろうが、悠斗は既に一つの答えに辿り着いてしまっていた。

 上には上がいて、どう頑張ってもしょうがない。それを本能的に理解していた。だから自分が弱いと言われても何とも思わない。今更ながらここまで放置していた事に快斗は後悔していた。

 

 兎に角、悠斗の手を引き、道場まで歩くと開けられていた扉から中の様子が窺える。

 そこで悠斗は目にした。

 

「はっ、はっ、はっ」

「――――」

「む?」

 

 一生懸命に竹刀を振り下ろす少女の姿を。忘れかけていたひたむきにやる事の美しさ。曇りのない、強い意志が込められた眼差しに悠斗は引き込まれていた。

 言葉を忘れ、ただただ見惚れていて。瞬きをする時間すら惜しく感じ、もっと目に焼き付けていたい。竹刀を振るのをやめても悠斗は少女を見続けていた。

 

「すみません、柳韻さんいらっしゃいますか?」

「私がそうですが……ああ、千冬くんが言っていた新しい門下生の話ですかな?」

「はい。この子を……悠斗?」

「……え、あ、う、あの……よろしくお願いしますっ」

 

 そう思い始めた所で自分の父親に現実に戻された。二人の会話を何も聞いていなかった悠斗は勢い良く頭を下げる。

 何故か少女に見惚れていた悠斗は今更になってその事に恥ずかしくなり、首筋まで赤く染め上げた。何故見ていたのか、それは今の悠斗には到底分からない。

 だが本人にも分からない事情を察した大人二人は目配せ。

 

「箒、私はこの人と話してくるから素振りを続けていなさい。それが終わったら休んでていい」

「はいっ」

「悠斗もここにいて見学しててね。どんな事をやるのか見た方が早いだろうし」

「う、うん」

 

 大人二人が道場から出ると箒と呼ばれた少女はまた素振りを再開。それをまた眺める悠斗。何度見ても彼が最初に感じた想いは変わらなかった。

 暫くすると素振りを終えたのか、箒は悠斗の元へやってきた。

 

「ここに入門するのか?」

「た、多分」

「そうかっ。門下生は私と千冬さんしかいなかったから嬉しいっ」

「――――」

 

 目の前の少女が微笑むだけで悠斗の心臓はこれでもかと動き出す。突然の事態に何が起きたのか分からず、それを誤魔化すようにして悠斗は必死に口を動かした。

 

「あの、その、き、君は何で剣道をやってるの?」

「む? うむ、よくぞ聞いてくれた」

 

 悠斗の問いに箒は力強く頷くと持っていた竹刀を掲げて宣言した。

 

「私は日本一の剣士になるのだ!」

「無理だよ……。君より強い人はいっぱいいる」

 

 真っ直ぐな瞳で竹刀を見つめる箒。本当に日本一になれると信じているのだろう。

 だがそれを悠斗の本能の部分が否定する。そんなのは無理だと。なれるはずがない。思うだけなら良かったがつい口にしてしまった。後悔してももう遅い。

 

 怒らせてしまっただろうか。

 恐る恐る悠斗が見上げると、彼女は彼の心配をよそに笑っていた。

 

「怒って、ないの……?」

「その通り、今の私より強い人はいっぱいいるだろうからな。怒るのもおかしいだろう」

「じゃあ何で笑ってるんだ?」

「お前はこの言葉を知らないからそんな事が言えるんだと思ってな」

「この言葉?」

 

 首を傾げている悠斗に箒は目を逸らす事なく、言った。それは彼が心の何処かで望んでいた言葉だったのかもしれない。

 

「諦めなければ夢は必ず叶うのだ」

「…………それ、何処で覚えたんだ?」

「うむ、テレビで言っていた」

 

 どこぞの勇気を愛する魔王のような発言にがっくりと項垂れる。

 しかし、悠斗は思う。自分も諦めなければ、頑張れば、いつか一夏に勝てるのだろうか。分からない。でもこの少女の言葉をこれ以上否定したくなかった。

 

「そういえば名前を言ってなかったな。私は篠ノ之箒だ」

「俺は白井悠斗だ。よろしく篠ノ之」

「こちらこそよろしく頼むぞ、白井」

 

 こうして少年、白井悠斗は自分の運命を変えてくれる少女、篠ノ之箒と出会った。



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2話

「行ってきます!」

「はーい、車に気を付けてねー」

「分かってるー!」

 

 家に帰るなり事前に用意してあったリュックを背負い、悠斗は再び出掛けた。深雪の声を背中越しに聞いて、その身を懸命に動かす。いつもの篠ノ之道場へ。

 

 悠斗が箒と出会ってからはや二ヶ月が経とうとしていた。

 あれから毎日のように篠ノ之道場に通うようになった悠斗。少し飽きっぽい性格だった彼が、ここまで長続き出来ているのは奇跡的とも言えた。

 事実、快斗も深雪もまさかこんなにも熱心にやるとは思わなかったのだ。たとえそれが箒への恋心から来るものだと分かっていても。

 未だに当の本人は自身が抱える箒への想いには気付いていない。ただ彼女の側にいるだけで嬉しくなり、彼女の笑顔を見るだけでどうしようもなく浮かれてしまう。それだけで悠斗は幸せを感じていたのだった。

 

 そんな小さな心の持ち主は今日も走る。彼女の側にいるために、彼女の笑顔を見るために。

 

「こんにちは!」

「はい、こんにちは。箒ならもう道場にいるわよ」

「はいっ!」

「ふふっ、相変わらず元気ね……」

 

 神社の前で掃き掃除をしている女性と挨拶を交わし、箒が道場に居る事を知るや否や走る速度を更に上げた。それを見た女性、箒の母親である篠ノ之雫は彼の隠そうともしない純情な想いに微笑んだ。

 あれだけ一途に思ってくれるあの子ならきっと箒を幸せにしてくれる。将来、自分の息子になるかもしれない男の子に早すぎる期待をしつつ、雫は掃き掃除に戻る。いつか必ず叶えてくれると信じて。

 

 悠斗は初日に教えられた更衣室に行くとリュックから道着を取り出して、慣れた手付きで着替える。初めて一週間くらいは一人で満足に着替える事も出来なかった悠斗だが、今ではちゃんと一人で出来るようになっていた。

 

「よし! ……ぬぐっ」

 

 着替え終わった悠斗が再び駆け出そうとしたがすんでの所で立ち止まった。あまりにも慌ただしく道場に入ったら礼儀がなっていないと怒られたのを思い出したのだ。序でに箒に笑われたのも苦い思い出である。自覚はしていないが、好きな子の前で格好付けたい、情けない姿を見せたくないという欲求には逆らえそうにもない。

 逸る気持ちをどうにか抑えて悠斗は道場に向かうと。

 

「はっ! はっ!」

「――――」

 

 そこにはやはりというべきか、既にうっすらと汗をかいた箒が真面目に素振りをしている姿が。何度も何度も見ているはずなのに、毎回悠斗はその姿に言葉を無くして呆然としてしまう。懸命に、ただ直向きに日本一の剣士になるという夢に向かって頑張る箒の姿が大好きだった。

 

「ふぅ……あっ、悠斗!」

「あ、う」

 

 ふと一段落着いた箒と目が合うと、悠斗ははっとし、目に見えて狼狽え出す。何故かは分からないが恥ずかしいのだ。同い年の門下生が来た事に喜んで駆け寄ってくる箒に、彼はいつも通り顔を真っ赤にして押し黙ってしまう。

 

「むぅ、またいつものか。全く、どうしたと言うのだ」

「な、何でもないって! 失礼します!」

 

 不思議そうに首を傾げる箒を尻目に一礼してから道場に入った。既にここに来るまでに走ってきたので充分暖まっているが、きちんと準備体操から行う事に。これにはすっかり激しくなった動悸を落ち着かせるためという目的もあった。

 

「(ここまで走ってきたけど、さっきまでこんなにドキドキしてなかったのに……)」

 

 ゆっくりと体を動かしながら悠斗は自分の異変について考える。これもまたいつもの事だが、てんで分からない。もしかしたら何かの病気かもしれないと思うと背筋がぞくりとするが、即座にそんな事はないと頭を振って否定する。だが不安はそう簡単には拭えそうになかった。

 

「ほら、もう準備体操はいいだろう? 一緒に素振りしよう!」

 

 それでも箒が目の前で楽しそうに微笑んでくれるだけで、悠斗の不安はそれだけであっさり消えてしまった。

 

「ああ、そうだな」

「うむ! その意気だ!」

 

 箒が差し伸ばしてくれた手を取ると悠斗は竹刀を受け取り、二人並んで竹刀を振る。道場内に二人の竹刀を振る数を数える声が木霊する中、悠斗は先程の事を考えていた。

 

「(不思議な女の子だなぁ)」

 

 こんな事は悠斗の人生において今まで一度もなかった。幼稚園でも女の子と話したり、遊んだりする機会はあるものの、こうまで不安を消してくれたり、楽しいと思わせてくれる子は中々いない。

 悠斗にとってずっと共に過ごしてきた一夏と同じくらい大切な、若しくはそれ以上に大切な友人、という認識だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「ありがとうございました」」」

「はい、今日もお疲れ様。悠斗くんも千冬くんも、気を付けて帰りなさい」

「「はい」」

 

 もう外が暗くなってきた頃、部活を終えて途中から参加した千冬と一緒に師範である柳韻に一礼して今日の稽古の終わりを告げた。

 最初の頃は終わる時には話す事も儘ならない程に力尽きていた悠斗だったが、毎日の鍛練に加えてここまで走ってきたおかげか、体力が大幅に伸びていた。というよりも力尽きていた原因は箒と同じメニューをやりたくて挑戦して敢えなく撃沈していただけなのだが。

 それでも諦めずに何度もやった結果、技術は到底追い付かないが、体力だけは箒と並ぶ程となった。人の執念とは凄まじいものだ。

 

 着替えて外で一人、千冬を待っていると悠斗の元へ駆け寄ってくる足音。振り返ると私服に着替えた箒がいた。

 

「悠斗! その、また明日も来てくれるか……?」

 

 何処か不安げに訊ねてくる箒。いつからか、悠斗が帰る時になると毎度のようにこのやり取りを始めるようになっていた。

 彼女が通っている幼稚園ではその話し方やら独特の雰囲気からか、彼女に親しい友人はいない。悠斗のように話してみれば分かるのだが、近寄り難いのだ。友人と呼べるとしたら唯一ここで出会う悠斗だけ。

 そんな事は露知らず、悠斗は右手の親指を立てた所謂サムズアップのポーズを取ると屈託のない笑顔で応えた。

 

「おう! 早く箒に追い付かないとな!」

「っ、ああ! 待ってるからな!」

「あ、う……」

「む?」

 

 いつもの答えに箒は嬉しそうに笑う。まるで華が咲いたような笑みに悠斗の顔は熱を持ち、熱暴走により思考も停止。ただ心臓の鼓動音のみが悠斗の聴覚を支配していた。

 

「あー、ごほんごほん。待たせたな、悠斗。さ、帰るぞ」

「……あ、うん!」

 

 そこへ態とらしく咳をしながら二人の様子を見ていた千冬が現れた。ここで出るタイミングを逃してしまったら非常にまずいと思ったからである。

 ふと千冬と手を繋いだ状態で悠斗を見やれば、箒に精一杯手を振っていて。単純ながらも微笑ましいと千冬は思った。

 

「悠斗、剣道は好きか?」

「剣道っていうか……その、箒と一緒に何かやるのが好きだよ」

「そうか」

 

 帰り道。千冬は少し遠回しに箒が好きなのかと悠斗に訊ねると返ってきたのは大当たりと言っていい内容の答え。その答えに満足そうに千冬は笑う。

 だがそれに反して悠斗の顔は少し沈んだものになっていた。どうしたのかと訊いてみる事に。

 

「どうしたんだ? 何処か具合でも悪いのか?」

「今は悪くないんだけど……」

「今は?」

「うん。箒といると心臓が急にドキドキしたりするんだ……これって病気なのかな?」

「(そうきたか……)」

 

 千冬からして見ればただの惚気話なのだが、当の本人としては至ってまじめなので冗談も言うに言えない。彼女に自分の弟の友達の不安を煽り立てる事など出来ないのだ。

 何故中学生の自分が幼稚園児の恋の悩みを聞かなければならないのか、と頭を抱えそうになるがぐっと堪える。

 

「大丈夫だ。それは病気じゃないから安心しろ」

「そうなの?」

「ああ、誰でもそうなるんだ。まぁ相手は箒とは限らないんだがな」

「そうなの? じゃあ千冬さんもこうなるの?」

「うぐっ……!」

「千冬さん?」

 

 悠斗からの予期せぬ反撃に思わずよろめく。思い返せばこれまで恋などする事もなかった千冬が恋してる幼稚園児に偉そうに恋を語るというのは中々辛いものがあった。恐らくは千冬の親友が聞けば今頃大笑いしている事だろう。その瞬間、間違いなく殴り抜いているが。

 

「あ、ああ……ある、ぞ」

「そうなんだ。じゃあ大丈夫だね!」

「ああ……(すまない、恋をした事がなくて本当にすまない……)」

 

 心の中でとある英雄のように全力で謝罪する千冬。心に決して小さくない傷を負ったが、それでもう一人の弟とも言える悠斗の不安が取り除けるのなら安いものだと考えた。せめてそう思わなければ割りに合わない。

 

「ただいまー!」

「お邪魔します」

「悠斗も千冬姉もお帰り!」

「はーい、ゆーくんも千冬ちゃんもお帰りー」

 

 悠斗が千冬と家に帰ると案の定、一夏がお出迎え。そしてなし崩しでいつも通り、一夏と千冬も白井家の食卓にお邪魔する事となった。

 

「悪いね、千冬ちゃん」

「いえ、ご馳走になってますからこれくらいは」

 

 快斗が持つグラスにとくとくとビールが注がれていく。世話になっているせめてものお礼として千冬が快斗のお酌をするのが恒例だった。

 

「うー、悠斗がいないからすげー暇なんだよー」

「しょうがないだろ。今は少しでも早く箒に追い付かないといけないんだから」

「またそいつかよ……」

 

 一度も会った事はないが、箒の事を何度も何度も聞かされている一夏は自分が蔑ろにされている気がして面白くないのだ。悠斗はもっと自分と遊ぶべきなんだと。

 

「あらあら、小母さんが相手じゃ嫌なのかしら?」

「そんな事ないです! でも……」

「じゃあ一夏くんは良い子だからゆーくんを待てるわよね?」

「はーい……」

 

 深雪に宥められて一度は引き下がるものの、やはり諦めきれないのか、今度は先程とは変わったアプローチを仕掛ける事にした。

 

「千冬姉、俺にも剣道やらせてくれよ」

「え!?」

 

 それを聞いて黙ってられないのが悠斗である。一夏が才能の塊である事を誰よりも理解している彼としてはたった二ヶ月のアドバンテージ等、無いに等しい。下手をすれば同じくらいの練習量で現在の目標である箒にも届くかもしれないのだ。

 そうなると格好付かない悠斗は焦らずにはいられない。

 

「私としてはいいのだが……」

 

 そう答えて千冬はちらりと悠斗を見る。彼女としてもいつかは弟の一夏にも剣道を習わせたいと思っていた。だが今となっては少し迷う所もある。悠斗と箒を応援している身としてはどうするべきなのかを。

 

「まぁどちらにせよ、私だけじゃ決められない。あの二人に聞かないとな」

「えー、いつ帰って来てるか分かんないのに?」

 

 千冬が言ったあの二人とは千冬と一夏の両親の事である。二人とは擦れ違いのような生活をしていて、ここ最近は顔を見る事もなかった。だが教育費等は出しているので無下にも出来ない。しかし、一夏もそうだが、千冬の言い方からも分かるように二人は両親に対して良い感情を抱いていない。

 そんな二人に聞いてみないとと言った所で一夏は不貞腐れて机に突っ伏した。要するに諦めろと言われたも同然なのだから無理もないだろう。

 

「一夏くん。まだ食べてる途中なんだからちゃんと起きなさい」

「はーい……」

 

 快斗に言われて起き上がると一夏は少し寂しそうに箸を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は過ぎて十二月。悠斗が篠ノ之道場に通うようになって半年が経過した頃。今日も今日とて箒は竹刀を振っていた。目指す頂きは遥か遠くにあるのだから少しでも前に進むためにも日々の稽古は欠かせない。

 ちらりと時計を見ると自然と笑みが溢れた。

 

「ふふっ、そろそろ来る頃か……」

 

 だが彼女が思い浮かべていたのは日本一の剣士になる事ではなく、同い年の門下生の事だった。

 白井悠斗。箒にとって初めての友達であり、共に父から剣を学ぶ仲間。彼がここに来るようになってから箒の生活は少しずつだが確かに変わっていった。幼稚園にいても帰って来てからも一人で過ごす事が多かった彼女の一日は彼と共に過ごす事が多くなる。

 

 彼はいつも楽しい話をしてくれた。主に親友の一夏という男との話だったが、親しい友人がいない箒にとっては新鮮で羨ましいものだった。

 しかもただ共に過ごすだけじゃなく、互いが互いを意識して高め合うというライバルとしての関係もあったのだ。まだまだ荒削りだが、毎日欠かさず真面目に頑張るその姿は負けるものかと箒の気を引き締めてくれる。

 

「いかんいかん、あいつを見習ってまじめにやらなければ」

 

 そう、今もこうして箒を剣に集中させてくれた。それでも悠斗が来る楽しみの方が勝ってしまうのは仕方ない。

 竹刀を振りながらも時計を見る事が増えていく中で、漸く異変に気付き出した。

 

「今日は遅いな……」

 

 いつもの時間になってもやって来ない事に少し不安を持ち始めていた。そんな事はない。これまで欠かさず来ていた悠斗が来なくなるなんて。

 しかし幾ら待っても悠斗が来る事はなく、最初は何とか剣を振っていた箒も、いつしか素振りをやめて道場内を行ったり来たりするように。

 

「ゆ、悠斗はどうしたんだ……。いつもならもう来ているのに……」

 

 答えが分からないまま、時間だけが過ぎていき、父である柳韻がやって来て答えが分かったのだった。

 

「インフルエンザ?」

「ああ、だから悠斗くんは暫く……そうだな、最低でも一週間は来れないだろう」

「そ、そうだったんですか……」

 

 てっきり剣道に飽きたのかと思っていた箒は僅かに安堵した。思えば昨日別れた時は何処か上の空だったのを思い出した。あの時から体調が良くなかったかもしれない。

 

「よし、では今日の稽古を始める!」

「はいっ!」

 

 久々にたった一人で受ける稽古は何処か寂しく感じた。

 それは日増しに強くなっていき、二人でいる時には全く思わなかった道場の広さや寒さに凍えそうになる。千冬や柳韻が来ても寒いままで。幼稚園に一人でいる時は寂しいなんて思わなかったのに、今では寂しくて仕方がない。

 

「その、ゆ、悠斗はどうなんですか?」

「このままなら直ぐに元気になる。もう少しだけ待ってろ」

「は、はい……」

 

 こうして毎日千冬から悠斗の容態を聞くのが箒が唯一安らぐ瞬間だった。

 そんな孤独な時間が過ぎていき、遂に一週間後。今日は来るのかと朝からずっとそわそわしていると。

 

「悠斗!」

「お、箒だ。久し振り!」

 

 一週間振りに会った悠斗に駆け寄る。片手を上げてにこやかに微笑むいつもの彼の姿に何故か嬉しくなり、心が弾む。

 

「今日はどんな話をしてくれるんだっ?」

「そうだな。じゃあ今日は――――」

 

 たった一人、悠斗が増えただけでこの道場が暖かくなった気がした。



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3話

 白井家と織斑家の付き合いは五年前、快斗と深雪が二六歳の時からだった。高給取りだった快斗は早々にローンを組んで夢のマイホームを購入。引っ越し前日に近所を挨拶回りで回っていた所、二人を笑顔で迎え入れてくれたのが織斑家だった。

 

 家が隣という事もあり、二つの家族が打ち解けるのに然程時間は掛からなかった。快斗と深雪が慣れない初めての子育てに四苦八苦していたのも関係していたかもしれない。また、織斑家の第二子と白井家の第一子が同い年というのもあったのだろう。既に小学生だった千冬を育てていた先輩夫婦である織斑家に何かと相談していた。

 気付けばたまの休みの日には家族でどちらかの家にお邪魔し、酒を飲み交わし、互いの妻の手料理を楽しむ。そんな家族間の交流をしていたある日、突如として織斑家の夫婦は滅多に姿を見せなくなった。

 

「織斑さん達、どうしたのかしら……」

「千冬ちゃんも分からないみたいだし……何かあったのかな……?」

 

 まだ小学六年生の千冬と三歳になったばかりの一夏がいるというのにも関わらず、子供の世話を子供に任せて不規則な生活を送っているらしく、家族の千冬ですら満足に会うことも叶わない。

 

 勿論、千冬も近くにいる親戚には連絡をしたらしいが、誰も面倒事は嫌だと聞かない振りをした。直ぐに元に戻るよとありもしない根拠を押し付けて。

 その時の千冬は子供だというのに渇いた笑みを顔に張り付けて快斗と深雪に説明していた。抱き抱えている弟が不安を感じないよう、決して泣かないように。それが快斗には凄く嫌だった。まだ中学生にもなっていない子供がそんな何処かの大人のようにしなくちゃいけない現実が。

 だから快斗は最早自身の中で決定事項になっている件を妻に相談した。さすがにいきなり実行に移すのは気が引けたのだ。

 

「深雪、子供が二人増えるけどいいかな?」

「あらあら。私、子育てって大変だとは思うけど、とても遣り甲斐のある事だと思ってるのよ? 喜んで頑張るわ」

「……やっぱり僕の奥さんは君しかいないな」

 

 子供が増えたこれからの事を想像したのか、本当に嬉しそうに話す深雪を見て快斗は心の底から安堵した。

 その日から千冬と一夏を白井家で面倒を見るようになったのは言うまでもない。一応、その事は織斑家の夫婦にはメールやら書き置きやらで伝えておいた。

 返事は直ぐには来なかったが、暫くして短く、よろしくお願いしますとだけ来た。その日を境に決して少なくない金額が白井家に振り込まれるようになる。元々裕福だった白井家にとって金銭は問題ではなかった。こんな事よりも子供の傍にいてあげるべきだと声を荒げそうになったのは秘密である。

 

 そうして二年の月日が経ち、千冬が中学二年生の終わり、悠斗と一夏が幼稚園を卒園する年。事態は動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行ってきます!」

「行ってらっしゃーい、車に気を付けてねー」

「行ってらっしゃい、柳韻さんによろしくね」

「はーいって、あれ?」

 

 年が明けて暫くして、今日も今日とて悠斗が道場へ向かおうと家を出ようとした時だった。何故か家の前に一夏が立っていて、しかもいつもからは想像出来ない程にやたらとおどおどしている。こうして悠斗が目の前にいるのに気付けない程には様子がおかしい。

 

「一夏? どうしたんだ?」

「っ! ゆ、悠斗!」

「お、おう?」

「あの……えっと……!」

 

 声を掛けると漸く悠斗に気付いた一夏が彼に掴み掛かるようにしてその腕を取る。突然の事態に訳も分からず困惑するが、これまで見た事もない一夏の必死の表情にただ事ではないのを感じ取った悠斗は思わず声を荒げて問い質した。

 

「どうした!? 何があったんだ!?」

「ち、千冬姉、千冬姉が……!」

「千冬さん? 千冬さんに何かあったのか!?」

「ゆーくん、どうしたのー?」

「悠斗? そんな大声出してどうしたんだい?」

 

 自分達の子供の声に驚き、奥から快斗と深雪がやって来た。二人を見掛けると同時、一夏かその二人に駆け寄る。何事かと目をパチクリする二人に対して、一夏は涙を流して訴えた。

 

「千冬姉を助けて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分達の両親が蒸発した。これまでも姿を見る事はほぼなかったものの、仕事には出ていた二人が忽然と姿を消してしまった。

 それが発覚したのが今週の頭で、会社に顔を見せないと電話が来たのが切っ掛けで判明。学校に行っていた千冬には会社からの連絡に出れず、近くの親戚にまで連絡が行った事で休日の今日に親戚達がこぞってやって来たのだった。やって来た目的は残された財産をどうするかについてだけ。千冬や一夏の事など、二の次どころか厄介者としか見ていないのが現実だった。

 

「二人はそちらにやった方がいいのでは? 子供だって姉弟が欲しいでしょう?」

「いりませんよ、二人もなんて。お金や土地でしたら喜んで貰いますよ」

「……っ」

 

 見た事がなければ、会った事もない親戚達に囲まれ、千冬は疲弊していた。目の前で見せられる大人達の醜い腹の探り合い。何が面白いのか全く分からない話に、自分と一夏を物のように扱う親戚達。

 

「こんなの施設に預ければいいじゃない」

「これだけ親戚がいて、誰も預からないのはまずいだろう」

 

 結局この大人達は自分達の事しか考えていない。隠すつもりもない姿勢に最早怒りを通り越して呆れていた。それでも我慢してここにいるしかないのは千冬も分かっている。自分達は子供で、どれだけ強がろうとも大人に頼るしか生きてはいけない。何で自分は大人じゃないのかと千冬は思っていた。それなら目の前の奴等を無視して一夏と二人で生きていけるのに。離ればなれにならなくて済むのに。

 

「(快斗さんと深雪さんがこの場にいてくれたならどうしていただろう……)」

 

 自分と一夏を育ててくれた恩人の二人。実の親よりも親らしくいてくれた二人に思いを馳せる。もし、この場にいたのなら助けてくれる。そんなのは疑うまでもない事で。

 

「(甘えるな。これ以上二人に迷惑を掛けるなんて……)」

 

 だからこそ千冬は二人には何も相談しなかった。今まで散々迷惑を掛けてきたのだからと。一夏にもこの事は決して言うなと何度も伝えて。

 それでも気持ちとは裏腹に千冬は助けを求めていた。震える身体を抑え込み、弱さを見せぬように懸命に耐えているが、限界を迎えつつあった。視界がじわりと滲んできた時。

 

「失礼します」

「な、何だ、君は!?」

「快斗、さん……?」

「うん」

 

 勢い良くリビングの扉が開かれると、快斗がいつもの和やかな雰囲気ではなく、何処か怒気を孕ませて立っていた。

 千冬が震える声で名前を呼ぶといつもの雰囲気に戻り、彼女を安心させるように笑顔になる。

 

「初めまして、私は隣に住む白井快斗と申します。ああ、覚えて貰わなくて結構です。私も皆さんの事は直ぐに忘れるようにしますので」

 

 千冬の隣に座った快斗は彼にしては珍しく敵意のある言葉でその口火を切った。その態度に当然、親戚一同は険しい表情を浮かべ、鋭い視線を向ける。余所者がなんだと。関係ないのだから黙っていろと。

 

「で、その隣に住む無関係の白井さんは何だと言うんだ?」

「この醜くて不毛な会話を終わらせに来ました」

「何ですって!?」

「静かにしてください」

 

 快斗の言い分に親戚達は何とか抑えていた怒りを噴出させようと騒ぎ立て始めるが、彼が燃え上がるような怒りと共に放たれた言葉にまるで波紋一つない水面のように静かに黙り込む。まだ三十代前半の彼に皆呑み込まれていた。

 

「子供二人は私が引き取ります。良いよね、千冬ちゃん?」

「えっ……? は、はい」

「決まりだね。じゃ、行こうか」

 

 突然話を振られた千冬は困惑しながらも何とか返事をする。その答えに満足そうに微笑み立ち上がるも、親戚達は黙っていられない。

 

「ふ、ふざけるな! ではこの家と金はお前が持っていくのか!?」

「そんな事、許されるはずがないだろう!」

 

 確かに何の関係もない快斗にそんな権利はない。失踪した二人からの指定があったならともかく、ない現状においては土台無理な話だ。

 欲に目が眩んだ情けない親戚達に本当に鬱陶しそうに溜め息を吐くと快斗は振り向いた。

 

「……話をちゃんと聞きましたか? 子供二人は、と私は言いました。この家とお金に関してはそちらで決めてください」

「おお……!」

「詳しい話は後で弁護士が来ますのでそちらと。ではこれで」

 

 それだけ告げると今度こそ快斗と千冬はリビングから出た。最後の財産はいらないと話した時の安堵した表情が気に食わない。が、ここで怒っても仕方ないので快斗はまた一つ溜め息を吐く。行き場のない怒りを乗せて。

 雇った弁護士は快斗の昔からの知り合いで、口が上手い。損な役割を押し付けたかなと、その分報酬は弾むつもりだった。

 リビングを出ると千冬と一夏の私物を纏めていた深雪とばったり出くわす。その後ろには深雪の手伝いをしていた悠斗と一夏もいた。不安そうに一夏が訊ねる。

 

「……どうなったんですか?」

「ふっふっふっ、喜んでくれ! 今日から千冬ちゃんと一夏くんはうちの子だ!」

「本当に!?」

「おー!」

「あらあら! じゃあ今日はうんとお祝いしなきゃ!」

 

 家族が増える事に大喜びの四人を尻目に千冬だけはまだ沈んだ表情を浮かべていた。

 これで良かったのか。また迷惑を掛けてるじゃないか。でも助けて欲しかった。

 ぐちゃぐちゃと肯定と否定の意見が頭の中を駆け巡り、どうしていいか分からないまま立ち尽くす。

 

「千冬ちゃん」

「っ、はい」

 

 ふと暖かな手のひらが千冬の頭に置かれた。それで漸く意識を外に向けた彼女に親代わりから本当の親となった快斗は微笑んだ。

 柔らかくて暖かい笑み。自分には出来ないものだと考えて。

 

「頑張ったね。お疲れ様」

「あ、――――」

 

 その一言で余計な事は全て吹き飛んだ。助けて貰った。助けてくれた。一夏と離ればなれにならなくて済む。今までギリギリの所で耐えてきたのが遂に決壊した。

 

「うぅああああ……!」

「はいはい……もう大丈夫だよ」

 

 すがるように泣く千冬を落ち着かせるようにして快斗が慰める。本当の親子の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、予てよりの希望で一夏も篠ノ之道場に来ていた。勿論、悠斗も千冬も一緒である。

 

「織斑一夏です! よろしくお願いします!」

「はい、よろしく。こっちが私の娘の箒、君や悠斗くんと同じくここの門下生だ。仲良くしてやってほしい」

「はい!」

「では私は少し用があるから席を外す。千冬くん、後は頼む」

「はい」

 

 師範である柳韻に元気良く挨拶すると一夏はたった今紹介された箒と向き合った。

 

「篠ノ之箒だ。お前が一夏か、悠斗から話は聞いてる」

「俺は織斑一夏。俺も悠斗から箒の話は聞かされてる。これからよろしくな!」

「うむ。こちらこそよろしく頼む」

 

 初対面ながらも共通の友人である悠斗から話を聞かされていた事もあって、お互いの人となりが分かっていたのか、二人はあっさりと友達となった。交わされる握手。

 

「うー……」

 

 それを見て何故か分からないが面白くないのが悠斗である。本来なら二人が仲良くしているのは悠斗としても喜ぶべき所なのだが、これまでにない苛つきを感じていた。

 別に箒と千冬が仲良くしているのは何とも思わないのに、一夏と箒が仲良くしているのは我慢ならない。

 

「ふんっ!」

「いてっ!? 何すんだよ、悠斗!」

「悠斗?」

「ほ、ほら、稽古するぞ箒」

「う、うむ???」

「な、何だ、あいつ?」

「くっ、くくく……!」

 

 いつまでも箒と握手している一夏の腕にチョップして無理矢理離すと箒の手を取り、一夏から離れた。

 チョップされた一夏も、手を取られた箒も、それらを実行した当の本人でさえも何故そうしたのか分からない。

 そんな状況でただ一人、千冬だけが全てを分かっていて笑いを堪えるのに必死だった。

 

 一日の稽古が終わり、悠斗の箒のいつものやり取りも終えると悠斗と一夏は千冬と帰ろうとした時だった。

 

「やぁやぁ! ちーちゃん、今日もお疲れ!」

「束か。何の用だ?」

「つれないなぁ。折角ちーちゃんが話してたいっくんを見に来たのに」

『いっくん?』

 

 聞き慣れない呼び名に悠斗と一夏は声を揃えて首を傾げる。そうすると束は一夏の方へ顔を向け、笑い掛けた。まるで宝物を見つけた子供のように。

 

「一夏だからいっくんだよ! よろしくね、いっくん!」

「は、はぁ……?」

「一夏、あまり考えるな。こいつはこういう奴なんだ」

「酷いよ、ちーちゃん!」

 

 呆れたように言う千冬に束が文句を言う。置いてきぼりを食らっている悠斗と一夏だったが、次の瞬間に悠斗を見た時、一切の表情がなくなった。

 

「……君は誰?」

「し、白井悠斗です」

「ふーん。君が、ねぇ……」

 

 じっくりと観察するように色んな方向から悠斗を品定めする束。それも直ぐに終わり、興味なさげにぼやいた。

 

「うーん……箒ちゃんの事は何でも分かってた気でいたんだけどなぁ。こんな凡人の何処がいいんだろ?」

「っ!」

 

 凡人、才能がない。悠斗自身分かりきっていた事だが、改めて他人から言われて平然とはしていられなかった。悔しさに俯き、唇を噛んでいると抱き寄せられて。

 

「束、それ以上悠斗に何か言うのならお前を許すつもりはない」

「千冬さん……」

 

 見上げると千冬が怒りを露にして束を睨んでいた。たとえ親友であろうと、もう一人の弟を馬鹿にされて大人しくしていられないのは当たり前で。

 

「はーい、分かってまーす」

「ふん。それとな、人を幸せにするのに特別な才能なんていらない。誰にだって幸せに出来る」

 

 箒を幸せにするという点ではこいつは誰よりも優れている。そう言外に込めて。

 千冬が言ったからだろうか、束は本来なら聞き流す所を真面目に聞いている。言外に込められた意味もちゃんと理解していた。その上で悠斗を再度観察し出した。こんな男が出来るのか、と。

 

「そうかなー……?」

「いつか分かるさ」

「ふーん……ま、いいか。じゃあね、ちーちゃん、いっくん! えっと、そこの男の子!」

 

 嵐のように現れた束は嵐のように去っていった。悠斗と一夏は呆然とし、千冬は最後の悠斗への言葉に明日説教してやろうと固く誓う。遅れて一夏もふつふつと怒りが沸いてきた。

 

「千冬姉、あの人何? 凄い失礼だったな」

「ん? ああ、あいつは篠ノ之束。箒の姉だ」

「箒のお姉ちゃんなの!?」

 

 まさかの事実。先程まで一緒にいた箒とは似ても似つかぬ姉に驚かざるを得ない。

 束に言われたのを未だ引き摺っていた悠斗の頭を千冬が少し乱暴に撫で回した。

 

「悠斗。前途多難だが、頑張れよ」

「う、うん? 何を?」

「ふっ、何をだろうな」

「???」

 

 何を頑張ればいいのか。それについては何も教えてはくれなかった。何も分からず、ただただ首を傾げるのみ。

 いきなり答えを教えても面白くないとした千冬は、悩みに悩むもう一人の弟の姿を見て破顔した。



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4話

「それで、悠斗が――――」

 

 篠ノ之家の食卓にて幼い子供が一生懸命に今日起きた話をしていた。初めての友達との話に夕食を食べるのも忘れて。

 柳韻と雫がそれを笑顔で聞き、二人とは対照的に姉の束がつまらなそうに聞いていた。束にとっては幾ら自分が大好きな箒が話しているとは言え、お気に入りでも何でもない悠斗の話など欠片も興味ない。

 

「箒ちゃん、箒ちゃん」

「何だ姉さん。これからが面白い所なのに」

 

 邪魔をされて少しだけムッとする箒も可愛いと思うも束は本題に入る事にした。

 

「だって箒ちゃんってば、ずっとそいつの話してるんだもん」

「えっ? そ、そうだったのか?」

 

 ふと両親の方を見やるとやはり笑顔で頷いた。そんなつもりはなかったのに、と箒は顔を赤くする。

 

「ふふっ、気付いてなかったの? ここ最近はずっと悠斗くんの話をしてたのよ?」

「はっはっはっ。話すのに夢中で気付いてなかったのか」

「む、ぐ……じゃ、じゃあ一夏の話を」

 

 しかしそれすらも結局は悠斗に関連するもので、遂には二人から笑われてしまい、どうにも恥ずかしくなった箒は誤魔化すように味噌汁を啜った。それでも次の日になればまた悠斗との話をしてしまう。それが最近の箒の日常だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 篠ノ之箒にとって白井悠斗とは初めての友達であり、家の道場で共に剣の腕を磨き、競い合うライバルのはずだった。

 そう、だったのだ。いつからかそれが過去形に変わっていたのに箒は気付いていない。

 実際はインフルエンザで悠斗が休んだ後からだろうか、箒の中で小さな変化が起き初め、段々と変化は如実になっていく。

 

「――――でさぁ」

「あー、あったな……って、箒?」

「…………」

「おーい、どうしたんだ?」

「っ!? な、何だ!?」

 

 休憩時間、一夏が話している最中だというのにこちらを凝視している箒に違和感を感じた悠斗。一夏もそれに気付いたようで話を中断した。いや、凝視というより呆けているのに近いのかもしれない。最近になって最初の頃よりは呆ける事がなくなった悠斗に変わり、今度は箒が呆けるようになってしまった。

 試しに体を少し揺さぶってみると、やたらと驚いた様子で悠斗の方を見る箒。その顔は少しだけ赤くなっていた。こういうのも似ている。もしかしたら移したのかもしれない。

 

「……大丈夫か? もしかして体調悪いのか?」

「だったら休んでた方がいいぜ。悠斗みたいにインフルエンザだったら大変だぞ」

「だ、大丈夫だ!」

「うーん、そうか……?」

「大丈夫ったら大丈夫なんだ!」

「……ならいいけど」

「無理はすんなよー」

 

 悠斗が顔を近付けて訊ねると即座に距離を取って、明らかに大丈夫じゃなさそうな返事をする。

 箒の様子がおかしいのは誰の目から見ても明らかだが、あまり問い詰めるのも悪いと思い、悠斗は引き下がった。ただ、本当に大丈夫じゃなかった時の事を考えて、心配はしておく事に。

 

「(へ、変に思われただろうか……)」

 

 そんな心配も余所に箒は自分がしでかした失態について考える。何故悠斗を見て呆けていたのか、それは箒にも分からない。

 分かったのは揺さぶられて気が付いた時には悠斗の顔が目の前にあり、心臓が五月蝿く喚いた事だけ。今も治まる事なく、鼓動を続けている心臓を不思議に思う。だがそれは決して不快なものではなく、何処か心地好く感じさせるものだった。

 

「お、休憩も終わりだ。悠斗、また一緒にやろうぜ!」

「またか……まぁいいけど」

 

 休憩も終わり、立ち上がると一夏が悠斗を誘う。誘われた悠斗も満更ではない様子で立ち上がる。

 昔からの馴染みで仲が良く、同じ男というのもあって一夏は悠斗に教えてもらっていた。教えるのも一つの稽古だと柳韻から任命されたのだ。

 悠斗がここに通うようになって半年以上もの間一緒に遊べなかったという反動もあるのだろう。その時間を埋めるべく、二人は共にいた。

 

「むむむ……!」

 

 それを面白く思わないのが箒である。ここ最近、一夏が来るようになってからはずっと悠斗は一夏に付きっきりでいるため、休憩時間くらいでしか悠斗と一緒にいる機会がない。これまではずっと一緒にいたのにだ。それが一ヶ月、最早我慢の限界だった。

 

「ゆ、悠斗! 私と地稽古やるぞ!」

「えっ。いや、俺は一夏と打ち込みやるんだけど……」

 

 遅れて立ち上がった箒も悠斗を地稽古という格闘技でいうスパーリングに誘う。やはりどうにも様子がおかしい箒に悠斗は首を傾げた。

 

「そうだぞ。地稽古? だったか? 千冬姉が相手してくれるって言ってたんだから千冬姉とやればいいだろ」

「ち、千冬さんとでは体格差がありすぎて出来ない! 一夏はまだ始めて間もないからダメだし、そうなると悠斗しかいなくなるだろう!? だから仕方なく……そう、これは仕方なく悠斗とやるのだ!」

 

 一夏の言い分を子供なりの知恵を絞って自分の言い分が如何に正当であるかを述べる。やや早口で捲し立てるように話すのは興奮しているからからか、それとも何かを誤魔化しているからなのか。

 そこに物陰で見物していた千冬が漸く動き出した。決して見るに見かねて出てきた訳ではない。

 

「箒の言い分も確かにある。どれ、一夏は私が教えてやろう。悠斗は箒の相手をしてやれ」

「千冬姉が教えてくれるのか!? やったぁ!」

 

 今まで稽古している姿を見ているしかなかった姉と稽古が出来ると知るや否や嬉しさのあまり飛び跳ねる一夏。シスコンへの道は順調だった。恐ろしい程に。

 

「くくく、まぁ、なんだ。頑張れよ」

「はいっ」

 

 通りすがりに箒に耳打ちして行く千冬は実に楽しそうな顔をしていた。最近は良く笑うようになった千冬を見て頷く。言葉の真意を理解していない箒は単純に悠斗との地稽古を頑張れと受け取ったのだった。

 

「じゃあやろうか、お手柔らかに頼むよ箒」

「う、うむ! 任せておけ!」

「(大丈夫かなぁ?)」

 

 お互い防具を着けて一礼し、竹刀を構えて相対すると短く言葉を交わした。久しぶりに一緒に稽古するとあって妙に緊張している箒に一抹の不安を抱く悠斗、そしてその不安は見事的中する。

 

 元々才能があり、それに驕る事なく鍛練を続けてきた箒に対して、悠斗は目の前の彼女に追い付くべく必死に稽古を続けてきたものの、才能はない。先に始めていたのもあり、腕前は未だ箒の方が上であった。そこに久しぶりに悠斗と稽古が出来ると舞い上がっている彼女。この二つが合わさるとどうなるか。

 

「小手、っめぇーん!」

「おふっ!?」

 

 加減なんて一切ない、箒の一方的な蹂躙が始まる事を意味していた。開始早々、悠斗に小手から面を打ち込んで一本取ると足早に開始線に戻っていく。防具を付けているとはいえ、衝撃で痛む頭を抱える悠斗を無視して。

 

「どうした悠斗っ! もう一本行くぞっ!」

「お、おう……」

 

 叱りつける声も何処か嬉々としており、ここ最近の箒からでは想像もつかない程、楽しそうにしていた。それに気付けたのは普段箒の相手をしていた千冬くらいのもの。

 

「確かに頑張れとは言ったが……やりすぎだな……むっ?」

「どうしたんだ、千冬姉?」

「いや、何でもない。ほら、背筋が曲がっているぞ」

「はーい」

「くくく……」

 

 熱心に素振りをする一夏に指導する傍ら、浮かれすぎて空回る箒にどうしたものかと考え、少し悪巧みを思い付く千冬。浮かべる笑みは何とも意地の悪いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悠斗もまだまだだな」

「ぐぬぬぬ……! その内に追い付いて……いや、追い抜いてやるからな!」

「ああ、楽しみにしてるぞ」

 

 本日の稽古も終えて更衣室に行く途中、地稽古での話に一花咲かせる二人。結局悠斗は一度も箒から一本も取る事はなかった。

 

 地稽古とは本来勝敗を重視するのではなく、欠点を克服したり、新しい戦法の習得などが目的の稽古である。だがそこは悠斗も男であるためか、負けっぱなしというのは気に入らない。結局、今日の稽古が終わるまで続け、今に至る。

 

「ふふっ、しかし悠斗も強くなったな……」

 

 着替えながら今日の事を思い返す。入門してきたばかりの時からでは想像もつかない程に成長している。箒も成長しているが、半年と少しの間で二人の差は確実に縮まりつつあった。

 今回も最初は為す術もなくただやられてばかりだったが、次第に一本取るまでの時間が長くなり、最後の方にもなると立派に打ち合えるまで。久しぶりに一緒にやれたというのも嬉しいが、それ以上に悠斗が強くなっている事に喜びを感じていた。まるで自分の事のように。

 

「箒、もう着替えたのか」

「あ、千冬さん」

 

 箒が着替え終わったタイミングで千冬も更衣室に入ってきた。千冬が着替え終わるという事は悠斗達が帰る事を意味する。

 

「(少しゆっくりし過ぎたか)」

「ああ、箒」

「っ、はい?」

 

 いつものやり取りをすべく更衣室を出ようとする箒に着替え途中の千冬が呼び止める。こうして出ていこうとする時に呼び止められるのは初めてだったので、疑問符を浮かべて首を傾げた。

 

「今日の稽古だが……あまり褒められたものではないな」

「うっ……」

 

 言わんとしている事は分かっていた。実力差は小さくなっているがあくまで箒の方が上であるため、一方的に叩きのめすのではなく、上位に立つ者として悠斗を指導しなくてはならない。

 分かってはいたものの、嬉しさのあまりについつい厳しくしてしまったのだ。幼い箒にそれを強いるのも酷な話だが、今後の事を考えると言わざるを得ない。

 しょんぼりと目に見えて落ち込む箒に千冬はある種のとどめとなる言葉を言い放った。

 

「あまりやり過ぎると悠斗が剣道を嫌いになってしまうぞ?」

「っ!!?」

 

 初めての友達である悠斗が剣道を嫌いになるという事はここに来なくなるという事で、つまりは悠斗と会えなくなる事だ。

 その言葉に一気に箒の顔が青ざめる。次の瞬間には脱兎のごとく、駆け出していた。勿論、向かう先は悠斗の元へ。

 

「箒! ふむ、少し脅かし過ぎたか……だが面白いものが見れそうだな」

 

 千冬はやり過ぎたと少しだけ後悔するも即座に頭を切り替え、面白いものを見るべく着替える速度を早め、箒を追い掛ける。

 

 涙でぼやける視界を頼りに必死に悠斗の元へと走る箒は外で千冬を待つ悠斗と一夏を見つけた。何故か分からないが思わず隠れてしまう。

 

「何か今日の箒おかしかったな」

「そうなのか?」

「うん、あんな箒初めて見た。何処か調子悪かったのかな?」

 

 今日の事を思い返し、不思議そうにしている悠斗もまさか近くに本人がいるとは露知らず、話を続ける。

 

「にしても防具の上からでも赤くなってるじゃん。こわっ」

「ん? ああ、これか。確かに」

「(あ、あれは……)」

 

 袖を捲れば打ち込まれた悠斗の左腕が赤くなっていた。地稽古の際に行った、箒の最も得意とする小手を始点とした連続技によるものだろう。少し遠くから見ても分かる程だ。今更になって優しくすれば良かったと後悔するももう遅い。

 

「痛いからとか辛いからってやめないでくれよ?」

「そうだなー」

「っ!!」

 

 何気なく言った悠斗の言葉が引き金となった。一夏が笑いながら言った言葉に悠斗が答えた瞬間、箒が物陰から飛び出す。

 

「お、箒だ」

「ん、箒どうし――――うおおお!?」

 

 一切減速などせずにそのまま悠斗にぶつかるように抱き着いてきた箒に一体何事かと慌てる悠斗。女性に抱き着かれるなんて母親くらいしかなかった上にいきなりの事で動転してしまうのも無理もない。しかもそれだけではなかった。

 

「ご、ごめ……ごめん、なさい……! ごめんなさい……!」

「え、えぇぇぇ!?」

 

 箒が突然泣きながら謝ってくるのだから動揺は拍車が掛かる。押し付けていた顔を上げてみれば、そのくりくりとした大きな瞳からポロポロと涙が溢れてきており、悠斗のテンパり具合は倍率ドン、更に倍である。

 

「悠斗……女の子を泣かせるのは最低だって義父さん言ってたぞ?」

「俺だって知ってるよ! ど、どうしたんだ?」

 

 やたら冷めた目で見てくる一夏に怒鳴り付ける。未だ自身に抱き着いて泣き続ける箒にわたわたしながら何とか話をこぎ着ける。

 

「酷い事して、ごめんなさい……! もう、しないから……! だからやめないで……!」

「ひ、酷い事って何の話だ? やめないでって何を?」

「腕、怪我させて……ごめんなさい……。剣道、やめないで……!」

「ああ、そういう……」

 

 しゃくりあげながらたどたどしく話す事で漸く箒が泣いている原因が判明する。悠斗は自分が両親にしてもらったように安心させるように箒の頭を撫でた。初めて触る女の子の髪に少しドキドキしたのは秘密だ。

 

「ひゅーひモガッ」

「茶化すな。こっちに来い」

「んー! んー!」

 

 茶化そうとする一夏に遅れてやって来た千冬がその口を塞いで、その場から少し離れる。声もバッチリ聞こえてかつ、二人の邪魔にならない場所へ移動した千冬は騒ごうとする一夏と共に静観した。

 

「その、大丈夫。怪我も気にしてないし、剣道だってやめるつもりもないから」

「ほ、本当……?」

 

 悠斗の言葉に少しだけ離れた箒はじっと目を見つめる。真っ黒な瞳の中には今にもまた泣きそうな自分が映っていた。何故かそれが凄く嬉しい。

 

「ああ、だから泣かないでくれ。箒が泣いてるのは……その、何か、嫌だ」

「悠斗……うんっ」

 

 自分の気持ちを上手く言葉に出来ない悠斗は、困り果てたように頬を掻きながら言う。その姿は何処か照れてるようにも見えた。

 嘘偽りのない言葉にどうにか泣き止んだ箒は目の前にいる悠斗に感じる想いに内心首を傾げていた。悠斗も同様で、その内容とは。

 

「(悠斗が側にいてくれるのが嬉しい?)」

「(箒と一緒にいるのが嬉しい?)」

「「(何でだろう?)」」

 

 奇しくも相手が側にいる事への幸福感だった。お互い特定の誰かが近くにいるのがこんなにも嬉しい事だなんて経験した事もないので困惑してしまう。

 その答えはお互いそう遠くない内に分かる事になる。変化はその速度を上げていた。



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5話

 悠斗と一夏、そして箒が晴れて小学校に上がった。それまで二人とは別の幼稚園で離れ離れだったが、同じ小学校になれた事に箒は内心喜びを隠せない。今度からは学校でも一緒になれるのだから。

 

「俺と悠斗は同じクラスだったな」

「箒だけ別のクラスかー……」

「む、むぅ……!」

 

 しかし、現実は非情だった。箒はウキウキ気分でクラス分けの内容を確認すれば悠斗や一夏の言う通り、自分だけが別のクラスという現実を突き付けられる。何故かは分からないが、楽しげに悠斗と一緒のクラスになった事を話す一夏を恨めしく思ったのは口が裂けても言えない。

 

「さぁて、また一番で上がらせてもらうぜぇ……」

「やってみろ。今度はお前にババ引かせてやる」

「悠斗、今度こそ阻止するんだ!」

 

 小学校から帰って来た三人は道場でババ抜きをやっていた。所詮は稽古の時間までの暇潰しだが、意外と白熱しているのは否めない。

 順番は大体が一夏が一位で、二位と三位を悠斗と箒が争っていた。しかし、これにも法則があり、悠斗からじゃなく、箒からカードを引くとなると一夏は途端にその順位を落としている。

 

「これがババなのか?」

「おう、そうそう、それだよ。それ引いてくれよ」

「ふーん……」

「(…………む?)」

 

 一夏が指し示したカードに悠斗は不敵な笑みを浮かべて応える。箒もそれまで楽しんでいて気付かなかったが、一夏がカードではなく、じっくりと悠斗の顔を見ているのに漸く気付いた。それに違和感を感じるものの、そのまま続ける。すると――――

 

「……じゃあこっち」

「ぬぐっ!?」

「いぇーい! また俺がいっちばーん!」

 

 引いたカードは一夏が待ち望んでいたものだったらしく、持っていた唯一の自分の手札と合わせて棄てて、今日何度目になるか分からない一位を宣言。

 

「ぐぅ……! また一夏か……!」

「むぅ、ならば二位は譲らんぞ悠斗!」

「よっしゃ、来い!」

「二人とも頑張れよー」

 

 そうしてこれまた今日何度目になるか分からない悠斗と箒の一対一が始まった。お互い向き合い、真剣に残り少ないカードを見つめる。

 と、ふと悠斗からカードを引こうとしていた箒が顔を逸らした。恥ずかしそうにその顔を赤くして。

 

「ゆ、悠斗……その、あまり顔を見るな……」

「……うぇ!? わ、悪い、そんなつもりは……!」

「う、うむ……」

 

 何も考えずぼーっと箒を眺めていた悠斗は当の本人から指摘され、はっとしてその顔を赤く染める。そのまま二人とも俯いてしまい、何とも言えない空気が流れていた。この展開も先程からずっとである。箒がずっと眺めていたりする事もあるが、結果は同じになるのだ。

 

「あ、あー、俺ちょっとトイレ行ってくる」

「お、おう。ってまたか? 今日何度目だよ?」

「大丈夫なのか?」

「お、お腹の調子がな……じゃ!」

「何だ、あいつ……?」

「ふむ……?」

 

 千冬の教育の賜物か、一夏は空気を読んでそそくさと出ていってしまった。こうなると終わる頃まで戻って来ないのを知っていた二人は待っていても仕方ないのでババ抜きを再開。

 

「これならどうだ!」

「わははっ、それはババだ!」

「むぅ……ならお前にババを引かせてやる。来い悠斗!」

 

 ババを引いてしまった事で現在箒は手札二枚に対して悠斗が一枚となっている。今度は悠斗がシャッフルされた箒の手札を真剣に見つめる。二人の戦いは白熱していくばかり。

 

「箒」

「な、何だ!?」

「その、そんなに顔を見ないでくれ。何か照れる」

「そ、それはすまなかった……」

「(早く終わらないかな……)」

 

 ……白熱していくばかり、のはず。二人が織り成す空間を物陰から見つめながら一夏は自分が入っていくタイミングを見計らっていた。早期決着をただひたすらに願って。

 

「……これだ!」

「そ、それは!」

 

 遂にどれを引くか決めた悠斗は勢い良く引き抜き、カードを見て小さく笑った。

 

「残った札はいらないぜ。俺自身が、ジョーカーだからな……上がりぃ!」

「く、くぅ……! 私の負けか……」

「お、悠斗の勝ちか」

 

 得意気にそう言い放つとカードを棄てて勝ちを宣言する悠斗。がっくりと項垂れる箒を余所に漸く自分が戻っても良さそうな空気になった事に一夏は喜びつつ戻る。

 

「おうよ。箒がビリだからシャッフルする番だぞ」

「分かってるっ。それにしても勝つ度にあの台詞を言っているが何なのだ?」

「ああ、あれは悠斗が良く見てる番組で言ってたんだよ。まぁ俺も好きなんだけど」

「ふむふむ」

 

 シャッフルしながら先程から思っていた疑問をぶつけると代わりに一夏が答えた。元々好きなものが似通っていた二人は同じ家で暮らすようになってから更に似るようになっている。

 

「う……今度は俺がトイレ行ってくるわ」

「あいよー」

「早く戻って来るんだぞ。次こそは勝つのだからな」

「へっ、やってみろ」

 

 悠斗がトイレに立ち、残された箒は待っている間にカードを配り終えてしまい、先程感じた違和感を一夏本人に訊ねてみる事に。

 

「先程悠斗からカードを引く時、熱心に顔を見ていたが何かあるのか?」

「……ああ、バレてたか。まぁ箒だからいっかな」

 

 あいつには秘密な。そう小さな声で言うと一夏はその秘密をこっそり教えた。

 

「悠斗はな、嘘を吐く時に絶対やる癖があるんだよ。それを見てたんだ」

「だから質問してたのか。そんなの卑怯ではないかっ!」

「そうでもしないと悠斗に勝てないからな。まぁ使う使わないは箒次第だ」

 

 一夏も普段は飄々としているが、悠斗との勝負に関してだけは真面目に勝ちを狙いに行く男だった。今もこうしてそれまで浮かべていた人懐っこい笑みを消して真剣な表情で箒と話している。

 実は悠斗だけがライバル視している訳ではなく、一夏も悠斗の事を昔からライバルとして見ていた。お互いがお互い負けたくない相手。それが二人の共通認識だった。

 

「……い、一度だけ使う。こ、これはあくまで確認のためだからな! 一夏はもう使っちゃダメだぞ!」

「分かったよ。箒も一度だけだぞ?」

「うむ、分かっている」

「あのな――――」

 

 嘘を吐く時の癖を教えて貰った箒は今か今かと悠斗の到着を待ち望んでいた。最早勝負よりもその癖を確認したくてしょうがないのは気のせいではないだろう。

 そして一夏に教えて貰った悠斗の癖は本当だった。最後の一枚になった時に一夏と同じように質問しながらやってみれば本当にその反応をし、箒はあっさりと一位を取ってしまった。

 これが三人が過ごす稽古前の楽しい一時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学校に上がっても箒の周りの人間は幼稚園の時とあまり変わらない。それはつまり学校での箒の孤独を意味していた。それで終われば良かったのだが、子供の意地悪は拍車が掛かり苛めに発展していく。

 

「やーい、男女ー」

「喋り方も変だもんな、こいつ」

「時代劇の見すぎなんじゃねぇの?」

「…………はぁ」

 

 入学してから二ヶ月も経った頃、相も変わらずに自分にそう言ってくる男達を見て箒は溜め息を吐いた。はっきり言ってしまえば疲れるのだ。こういうのは無視するのに限るが、無視し続けるのにも限度はある。

 

「(早く悠斗に会いたい)」

 

 自然とそう思った。そうすればこんな雑音なんて聞かなくて済むのに。何故悠斗なのかとは考えもしない事に箒は何も疑問を抱かない。

 

「おーい、箒帰ろう――――っ!!」

「ゆう――――」

「無視してんじゃ……ねぇよ!」

「っ!!」

 

 早く道場へ行こうと箒がランドセルを背負った時だった。苛めていた一人が掃除道具でもって殴り掛かろうとしたのは。珍しく悠斗が迎えに来てた事で完全に油断していた箒に木の柄が襲い掛かる。

 これから来る痛みに固く目を閉じるも一向にやって来ない。何かを叩くような鈍い音はしたものの、痛くも痒くもなかった。その事を不思議に思い、ゆっくりと目を開けると左腕を犠牲にして自分の前に立つ人がいた。心から会いたかったその人。

 

「な、何だこいつ?」

「ゆ、悠斗……?」

「おう」

「お、お前、うぎゃ!」

 

 呟くように言った言葉に短く返事すると箒の方を見る事もなく、襲い掛かってきた男子の襟元を掴み上げ、その顔面を殴り抜いた。

 

「お前ら……何してたんだよ?」

「ひっ……!」

「何してたのかって聞いてんだよ!!」

 

 初めて見る悠斗の怒りにいじめていた男子達だけでなく、箒自身も驚いてしまう。

 相手は四人もいるというのに数の差に決して臆せず立ち向かって行く様は箒の目には格好良く見えた。

 

「(こんなにも怒っているのは何でだろう?)」

 

 悠斗は幼稚園の頃から一夏に負けてめげる事はあっても、それで馬鹿にされて怒る事は決してなかったのだ。それから考えると箒とは言え、他人の事でこんなに怒るのは悠斗本人としても不思議でしょうがなかった。目の前の相手がどうしようもなく許せない。そんな初めての黒い感情が渦巻いていた。

 

「(悠斗が来てくれた……!)」

 

 一方、箒はこの場に悠斗が来てくれた事をこれ以上ない程嬉しく感じていた。迷惑を掛けたくなくて誰にも言っていなかったのに、実際こうして助けてくれた事が申し訳ない以上に嬉しい。自分を庇って腕を怪我したかもしれないのに、だ。

 

「「(この気持ちは何だろう?)」」

 

 二人が抱いた感情は違えど、その根源は同じもの。されど二人にはその感情が理解出来ない。それを二人に理解させてくれたのは箒を苛めていた四人だった。

 

「何だよお前、この男女の味方するのか?」

「こいつ、この男女が好きなんじゃねぇの?」

「好……き……?」

「あ……!」

 

 何とはなしに一人の男子が言った好きという単語にまるで雷にでも打たれたかのような衝撃が二人に走る。

 同時に今までずっとお互いに感じていた憑き物がすとん、と落ちた。そこから熱が広がり、暖めていく。ああ、そうだったのかと理解した。

 

「(俺は箒の事が――――)」

「(私は悠斗の事が――――)」

「「(好きなんだ)」」

 

 一度理解してしまえばなんて事はない。不思議だ、不思議だと思っていた疑問も全て解決した悠斗は少しだけ笑って答えた。

 

「――――ああ、そうだよ。俺は箒が好きだ。それが何か悪いのか?」

「ゆ、悠斗!?」

「は、はははっ! 何だ、お前ら夫婦なのか!」

「やーい、夫婦、夫婦!」

 

 まさかの肯定に真っ赤にして驚く箒。苛めていた四人もあまりにあっさり認めた事に少しだけ狼狽えるも、直ぐに持ち直しからかう。だがそれも続く悠斗の言葉に押し黙ってしまる事になる。

 

「で、その箒を苛めてたんだから俺はお前らを殴ってもいいんだよな?」

「ぐっ……」

「はっ、四対一で勝てるわけないだろ!」

「悠斗、私も……」

「箒は後ろにいろ」

 

 先程殴られた痛みを思い出し、一人が僅かに退いたが他の三人が鼻で笑い、悠斗を睨み付ける。それぞれが掃除道具を武器代わりに武装して。

 それでも左手で制して前に行こうとした箒を背中で守るようにしたその時、悠斗と箒には聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「――――いいや、四対二だ」

「は? あぐっ!?」

 

 影から飛び出してきた声の主は通りすがりに四人の内の一人に飛び蹴りすると、悠斗に並ぶように立つ。悠斗も突然の乱入者に別段驚きもせずに正面にいる四人を見据えたまま、話し掛けた。

 

「これだと一人で二人相手にする計算だな。行けるか、一夏」

「まぁ俺達なら行けるだろ」

「だな。じゃあ、行くぞ!」

 

 その後、大暴れした二人は見事苛めていた四人に勝利したとだけ記しておく。しかも圧勝で。

 

「――――」

 

 自分のために戦ってくれている悠斗の背中を箒は見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、一夏くん」

「何だい、悠斗くん」

「相手は武器を持ってた上に四人いましたよね?」

「いましたねぇ」

「それに対して僕達は二人で、素手でしたよね?」

「そうでしたねぇ」

「何で僕達怒られたんですかね?」

「やっぱり泣かせたのは不味かったんじゃないですかね?」

 

 帰り道、勝利の余韻に浸りながら堂々と凱旋とはいかなかった。最終的に出てきた先生によって怒られた二人は不服そうにしている。やり過ぎだと叱られた二人の後ろを申し訳なさそうに箒が付いてきていた。

 

「すまない、私のために……」

「箒は悪くないだろ。悪いのは箒を苛めてたあいつらだ」

 

 確かにそうかもしれない。だがそうは言うものの、喧嘩した二人が少しだけボロボロになった姿を見ると箒はどうしようもなく胸を締め付けられた。

 

「ああ、箒ってあいつらに苛められてたのか。それで悠斗があんだけ怒ってたのか、納得した」

「「えぇ……」」

 

 一夏の今更すぎる理解に二人は思わず声を揃えてしまう。さすがにこれは突っ込まざるを得ない。

 

「お前、何であんな事になってたのか知らないで喧嘩したのか?」

「おう。今知った」

「分からないなら喧嘩するなよ……」

 

 自信満々に答える親友の姿にがっくり肩を落とす悠斗はその次の言葉に耳を傾ける。

 

「友達がっていうか、悠斗があんな状況で喧嘩する雰囲気になってて見過ごす訳にはいかないだろ。一対一ならともかくな」

「いや、俺が悪かったかもしれないだろ」

「それはねぇよ。お前に限ってそんな事はない。仮にそうだったとしても俺はお前の味方に付く。んで、その後で正せばいいんだ」

 

 簡単だろ? と屈託のない笑みを向けてくる一夏に呆れつつも、悠斗は内心嬉しく思っていた。やっぱり一夏は良い奴だ。自分もこの男に応えられる男になろうと。

 

「その、悠斗……先程の事なんだが……」

「どうした?」

「わ、私が好きだという事だ」

「ほ、ほあ!? あ、あれは……その!」

「お、俺先に行ってるわ!」

 

 先程の好きだと言われた事を思い出して顔を真っ赤にする箒と、まさかそれについて言及されるとは思ってもいなかったため、変な声を出した挙げ句、同じく真っ赤になる悠斗。

 お互い立ち止まって向き合う姿を見て一夏は一目散に逃げ出した。空気を良く読む小学生である。

 

「ど、どうなんだ……?」

「あ、あれはその場の勢いで言っただけで……!」

「じゃあ嫌いなのか……?」

「き、嫌いじゃない!」

「では好きなのか……?」

「うっ……」

 

 ついさっき自覚したばかりの心を問い詰められる悠斗は狼狽えまくっていた。正直に言ってしまえばどれだけ楽なのだろうか。でも何故かさっきはあっさりと言えた好きだという言葉が出ない。それどころか、子供特有の見栄っ張りがその真逆を口にしていた。

 

「す、好き……でもない」

「(あっ……)」

 

 しかし、まじまじと悠斗の顔を見ていた箒は視線が右の方へ行くのを見逃さなかった。一夏に教えて貰った、悠斗が嘘を吐く際のサイン。つまり、今言ったのは嘘で本当は――――。

 

「ふふっ、そうかっ」

「な、何で笑ってるんだ?」

「さて、何でだろうな」

 

 急に上機嫌になった箒に首を傾げる悠斗には分からない。実は両思いだと分かっているのは箒だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みに入った頃、遂に悠斗が恐れていた事が起きた。剣道で一夏が悠斗を越えたのだ。いつかは来るだろうと予測していたが、まさかたった半年で抜かれるとは思ってもいなかった悠斗は道場の隅でいじけている。やはり悠斗にとって、一夏は空に浮かぶ雲のような存在なのだ。そんな悠斗を慰めるべく、その側には箒が寄り添っていた。

 

「悠斗は何故そんなに落ち込んでいるのだ?」

「ああ……俺、一夏に勝った事なくってさ……剣道ならと思ってたんだけど……」

「何言ってんだ。喧嘩なら俺は悠斗に勝った事ないだろ、うおっ」

「? 喧嘩なんかで勝ったって誇れないだろ……俺は才能がないんだな……」

 

 後ろで聞いていた一夏が即座に突っ込みを入れるが、千冬に二人の邪魔をするなと鋭い眼光で睨まれてしまい黙り混む。

 また溜め息を吐いて項垂れる想い人を見て、箒はどうするか考え、日頃から感じていた思いを口にした。

 

「確かに悠斗は才能がないかもしれない」

「うぐっ!?」

「そして一夏には才能があるんだろう」

 

 自覚はしているが、好きな人から才能がないと言われるのは一層ショックが強い。しかし、それも次の言葉でどうでも良くなってしまった。

 

「でも私はそんな悠斗の剣が好きだ」

「えっ?」

「宝石のように綺麗な一夏の剣よりも、泥だらけでも真面目で、直向きな悠斗の剣が……好きだ」

 

 あくまで剣が好きだと言ってくれているのに悠斗は自身の事を好きだと言われてる気がして、胸の高鳴りを抑えられない。

 箒も狙ってやったのもあって心臓が五月蝿く騒いでいた。少し前に好きだと言ってくれた悠斗に、自分も好きだと言いたかったのだ。勿論、悠斗の剣が好きというのは嘘ではない。

 

 穏やかで暖かい日常。いつまでもこうしていたいという二人の願いは無惨にも引き裂かれる事になる。

 世界が変わろうとしていた。



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6話

 自他共に天才と呼ばれる少女には夢があった。それはいつか宇宙というフロンティアへ行く事。

 彼女が眺める夜空には無数の星々があり、キラキラと輝いている。どれだけ手を伸ばして掴もうとしても自分の小さな両手には収まりきらない。それどころか、この視界目一杯にある星達でさえも宇宙からしてみればほんの極一部だ。

 

「あはっ」

 

 自然と笑みが溢れた。天才の自分でさえ想像しきれない圧倒的なスケールの大きさ、それが宇宙。

 ああでもない、こうでもないと少女が頭を捻って考えるも、きっと想像もつかない事が起きているんだろう。そう思うだけでわくわくする。この目で見てみたいと思う。

 

 しかし、同時に少女は宇宙がどれだけ危険なのかも分かっていた。その最たるが船外活動である。

 現行の宇宙服では小さな破片に当たっただけで破損してしまい、容易く命を奪ってしまう。もしそれが自分の親友だったらと思うとぞっとするどころではない。

 

「よぉし! この束さんが一肌脱ぎますかぁ!」

 

 例え何があっても装着者の命を守る宇宙服を作る事。篠ノ之束の夢はそこから始まった。それが世界を変えるとも知らずに。

 

 束が船外活動マルチフォームスーツを正式に開発するようになって幾つかの問題とぶつかった。

 まず一つは単純に言えば資金難である。何をするにしても結局は莫大な金額が必要だった。これに関して言えば正直なところ、株の操作やら有名どころの口座からちょろまかしたりで解決する。

 もう一つはマルチフォームスーツに使う素材。多種多様な素材が必要となるのだが、束は妥協を知らない。どうせ作るのなら良い物の精神であるため、素材も良い物を望むのは当然だった。これも束の手に掛かれば直ぐに手に入る。非合法な手で。

 

「うーん、でもそうするとちーちゃんが怒るからなぁ……」

 

 非合法な手は束の唯一の親友である千冬が許すはずがない。真っ当に評価されたいのであれば、正しく、真っ当な手段で行うべきだというのは彼女の持論である。

 周りがなんと言おうが、このマルチフォームスーツが完成すれば世間の目がどうなるかなんていうのはこの天才は見抜いていた。結局は結果なのだ。

 

 しかし、だ。非合法な手段を用いれば、現在自分の夢の唯一の理解者にして、協力者の千冬を失う事になるだろう。そんなのは火を見るよりも明らかだった。

 つまり束は真っ当な手段でこれらの問題を解決する必要があった。千冬以外の理解者が必要になったのだ。出来ればそれが莫大な資金を持つスポンサーである事が望ましい。

 

「とりあえずは動画にして宣伝でもしてみるかなー。あー、やだやだ、この束さんが頭を下げなくちゃいけないなんて」

 

 そんな淡い期待を持って現段階での成果を見せつつ、動画投稿サイトなどにて投資を求める事にした。

 海外に向けて日本語以外の言語を口にするのも、見知らぬ誰かに向けて頭を下げるのも耐え難い屈辱ではあるが、仕方ないと割り切った。全ては自分達の夢のため。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たった二六文字から織り成される言語で会話するなんていうのは束にとっては朝飯前だった。千冬との特訓で動画でも他人に向ける無愛想な表情ではなく、束のお気に入りに向けるような笑顔でいられるようにもした。束にしてはよく頑張った方だと言えよう。

 

 しかし、寄せられるのはこの動画は合成だのCGだのといった非難ばかり。何せそれを着用しただけで空も飛べるようになるのだから無理もなかった。

 後は欠点の方だろう。開発したマルチフォームスーツは何故か女性にしか扱えない。原因は開発者である束にも不明だ。

 そこを無理矢理にでも直そうとするとほぼ全ての機能が停止するのだから放置していたが、それが良くなかったらしい。

 投資される金額も全部合わせても日本円にして一万円に届くかどうか。はっきり言ってしまえば何の足しにもならない程度だ。

 

「やっぱり凡人に天才の考えを理解しろってのが無理な話だよねー……これは束さんの失敗だなぁって、ぅん?」

 

 全ては無駄だったかと諦めかけたその時、束は気になるメールを見つけた。内容には貴方の考えに賛同する。とだけ書かれており、特に投資する金額もなにもない。その代わりに何処かのサイトへのアドレスだけが載っていた。

 

「変わったアプローチの仕方だなぁ。まぁ、面白そうだし見てみるかな」

 

 そのサイトにアクセスした瞬間、画面が開かれる。そして――――

 

「ん? へぇ、もうあのメールを見たんだね。いやいや、予定よりも早くて嬉しいよ」

 

 画面に映る男がとても嬉しそうに束に話し掛ける。まるで久々に出会った友人のように。

 その馴れ馴れしさに不快さを隠そうともせずに、顔をしかめて束は問い掛けた。

 

「……何だよ、お前は?」

「これは失礼、自己紹介がまだだった。初めまして、篠ノ之束。僕の名前はそうだな……アイザックとでも呼んでくれればいいよ」

「アイザック……!?」

 

 誰もが苛立つであろう、この対応でさえも笑顔で受ける男の名前に束の表情が驚愕に染まった。知る人ぞ知ると言うべきか、彼の名前は知らなくても、《財団》と言えば子供でも知っている程だ。

 本来、財団とは固有の名詞ではない。それらに更に名詞がプラスされて初めて固有名詞となる。だがアイザックが所有するのはあまりにも規模が他のとかけ離れ過ぎていて、いつしか別格という意味も込めて《財団》と呼ばれるようになっていた。

 

「あの《財団》が私に協力してくれるのかな?」

「ご名答。僕達が節操なしなのは知っているだろう?」

「ふんっ」

 

 肩を竦めておどけた様子で話すアイザック。その姿に束は何故か苛立ち、不快感と不信感を強めていく。

 

 彼の言う通り、《財団》は特定の分野だけに留まらず、あらゆるジャンルにその手を伸ばし、自分達の範囲をどんどんと拡大させている。それが今度は宇宙開発事業にまでその手が伸びただけなんだろう。

 だがしかし、幾ら画期的とはいえ宇宙へ行くための要であるロケットすら無視して宇宙服に着眼するのはどうなのだろうか?

 

「まぁ信じられないのも無理もないね。でもね、僕はいつだって真剣さ。君の発明は間違いなく、この世界を変える。歴史に名を残す。そのためなら協力は惜しまない。その証として口座を見てみてくれ」

「ふんっ……な、こ、これ……!?」

「もし足りないのなら言ってくれれば幾らでも用意する。それと他に要望があるならそれも聞こう……どうかな?」

 

 言われて束も半信半疑になりつつも、今回のために作った口座を確認するとそこには十億円もの金額が振り込まれていた。信用を得るためにとは言え、高過ぎる買い物だ。

 更にそれだけ高額であるにも関わらず、足りないのならとあっけらかんと言う辺り、さすが《財団》の会長というべきか。

 

「分かった。よろしくお願いするよ」

「こちらこそ、君の発明を楽しみにしているよ」

「(……まぁいいや。利用するだけ利用させて貰うから)」

 

 モニター越しにではあるが、協力関係が成立した。この時、この場に千冬がいたら未来に起こり得た最悪の展開を回避出来たかもしれない。人との関わりを極端に持たず、他人を見下す束だからこそ気付かなかった。

 モニターに映る男が邪悪な笑みを浮かべている事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 束と千冬の二人に《財団》というスポンサーが付いて暫くの時間が経過した。それからはトントン拍子に事が進んでいった。

 やれ、資金が足りないと言えばどれだけ法外な金額でもアイザックは二つ返事で振り込んだ。

 やれ、コアと呼ばれる根幹の部分の作成にあるレアメタルが必要だと言えば次の日には市場を独占し、束達に無償で提供する。

 

 無論、束達に何も要求がなかった訳じゃない。アイザックも自分が持つ宇宙開発事業団体でテストをしたいからとコアを五個ほど寄越せと言ってきた。つまりは成果を見せてくれと言ってきたのだ。

 

 束はそこで良い機会だと、望み通り五個提供した。コアは独自のネットワークを持ち、離れていてもオンラインならば情報のやり取りが可能だ。勿論、開発者の束ならばそのやり取りを覗く事だって出来る。宇宙開発以外の事をやっていれば契約違反だと、コアを取り返し縁を切ればいい。オフラインにしていた場合も同様だ。

 するとどうだろうか。コア達から上げられる情報は宇宙開発事業に関わるものばかり。アイザックは本当に宇宙への進出を考えていたのだ。

 

「へぇ……まぁ、やるじゃん」

 

 自分ならもっと効率のいい方法があるけどねと、せっかく千冬以外に見つけた同士への照れ隠しにそう付け加えて。

 

 それからは少しずつアイザックへの態度を軟化させていく束だったが、やはりコアの開発方法だけは何があっても教えなかった。

 無二の親友である千冬には教えたが、何故かアイザックにはどうしても教える気にはならない。

 

「うーん……」

「束、どうかしたのか?」

「あ、ちーちゃん」

 

 頭を悩ます束の元に、空からマルチフォームスーツを纏った千冬が降りてきた。純白の騎士のような姿、漸く完成したマルチフォームスーツ《インフィニット・ストラトス》――――通称IS――――の第一号、白騎士だ。

 名前を付けたのも、その姿を考えたのも束である。搭乗者の千冬の生きざまが騎士のそれに近いと思えた束がデザインしたのだ。

 

「ねぇねぇ、ちーちゃん。《財団》の事、どう思う? なーんかやってる事は本当に宇宙開発の事なんだけど、どうにも信じられなくて……」

「そもそも私はあまり大人を信用していないからな。例外はお前の両親と義父さんと義母さんだけだ」

「むむむ……そうでした……」

 

 自分が感じていたモヤモヤとした部分を聞いてみるも、千冬は以前あった家のトラブル以降、大人に対してあまり良くは思わなくなっている。目の前で醜いのを見せつけられたのだから無理もない。

 

「ただ、そうだな……あの男からは何処か親戚だった連中と同じ感じがする」

「信用するなって事?」

「あくまで私の意見だがな」

「うーん、ちーちゃんがそう言うなら……」

 

 モニター越しに会った時に感じた嫌悪感。あれは前に見た千冬の親戚達と同じだったと言う。

 親友の千冬が言うのならそうなのだろうと、束は安直に考えていた。まぁそれだけではなく、自身もぼんやりとではあるが、そう思っていたのもあるからだ。

 ならばもう少し距離を置いておこうと決めたのはいいが、やはり問題がある。

 

「でもそうすると新しいスポンサー見つけなきゃだね……」

「そうだな……」

 

 断るのは決めたとして、問題はその先である。怪しいとは言え、《財団》以上のバックアップはこの世界には存在しない。それはこれまでの実績が表している。

 それ以上に漸く完成したISを学会で発表したものの、食い付きは悪いままだった。とてもじゃないが、スポンサーなんて得られそうにもない。

 どうしたものかと頭を悩ませる二人の元に無機質な音が鳴り響いた。

 

「……噂をすればなんとやらって奴かな? ちょっと行ってくるね」

「分かった。私は少しだけ休憩させてもらうさ」

「はーい」

 

 無機質な音の正体はアイザックからの通信。束は相手によって着信の際に流れる音楽を律儀に一人一人変えている。と言ってもお気に入りの人間に対してのみだが。アイザックも多少はその線に入りつつあったが、それも今日まで。またその他大勢と同じに戻るだろう。

 

「やぁ、篠ノ之束。調子はどうかな?」

「まぁまぁだよ」

「そう、それは良かった」

 

 自分で聞いておきながら返ってきた内容にどうでも良さげに言うアイザックへ不信感を募らせる束はどういうつもりで連絡して来たのかと思考する。

 学会での結果は残念だったね、と慰めるつもりなのだろうか。

 

「この前の学会は残念だったね」

「へぇ……まさかそう言ってくれるなんて思ってもなかったよ」

 

 どうやらそのまさかだったらしい。束が思わず口にした言葉にも上機嫌そうに笑う。

 

「はははっ、喜んでくれたかい?」

「多少はね。それで何の用?」

「一つは今言った学会の事。もう一つはプレゼントを用意したんだ。こっちでも喜んでくれるといいんだけど」

「プレゼント?」

 

 アイザックからそんな事をしてくるなんていうのは初めての事で思わず鸚鵡返しのように繰り返す。

 

「――――これから一時間後、君がいる関東にミサイルで攻撃を仕掛ける。その数、三四七発。《財団》が集められた全てさ。さぁどうなるだろうね?」

「っ!?」

 

 思わず息を呑んだ。小さな島国の小さな土地へのミサイルによる爆撃。たった一発でも当たれば大惨事になる事は間違いない。それが三四七発も。

 だがここで焦りを見せてはいけない。見せれば向こうの思う壺だ。目的が分からない以上、下手な事は言えなかった。束は冷静を装い、話を続ける。

 

「……狙いは私? だとしたら私がここから逃げればいいだけだね。無駄な労力ご苦労様」

「それはない。君にとって大切な人もそこにいるんだろう? 君がその人達を見捨てて逃げる訳がない。違うかな?」

「その人達と一緒に逃げればいい。それで解決だ」

「でもその人達が大切にしている人達までは逃がせない。無論、今からミサイルが来ると訴えかけても遅いよね」

「なら――――」

「ああ、ハッキングで止めようとしても無駄だよ。当然、そんなの対策してあるに決まってる」

 

 図星だった。束としては自分のお気に入りが無事ならばそれで良いのだが、お気に入りがそうはいかない。普通に友達や家族との関わりを大切にしているからだ。そして束得意のハッキングも対策してあると言っている。《財団》が対策したのだから余程のものだろう。

 つまり逃げる訳にはいかず、ハッキングで防ぐのもダメ。ミサイルを迎撃するしか方法はない。だが、既存の技術ではミサイルを迎撃する方法は不可能に近いだろう。

 そこまで考えて、束の脳裏にたった一つだけの正解が過った。この場に残された唯一の正解を。

 

「っ!! お前、お前ェ!!」

「あはははっ!! 漸く気付いたんだね!? そうだよ、それしかないよねぇ!?」

 

 アイザックの意図する事が見えた束は冷静を装うのも忘れて声を荒げ、それに応じるようにアイザックは楽しげに笑う。悪戯がバレた子供のように。

 

 対策はよく考えなくても一つしかなかった。自分達が開発したマルチフォームスーツによる迎撃。これしか方法はない。これなら確かに難なく迎撃出来るだろう。しかし、それは同時に一つの未来を示している。

 

 ISの軍事利用。学会で否定された事の一つとしてこれまでの技術を遥か過去に置き去りにする新技術があった。

 人よりも大きい程度の高いステルス性。戦闘機よりも高い機動力と運動性。そして戦艦よりも高い火力。どれを見ても凄まじい。

 そしてこの状況はそれらを示す絶好のシチュエーションと言ったところだろう。

 

「言ったはずだよ? 君の発明は世界を変えるって! そう、世界は漸く僕の望んだ世界になるんだ……君のおかげで!」

「お前……宇宙開発は何だったんだ!? 自分の施設でコアにやらせてたのは!」

「ああ、やっぱり見てたんだね。疑り深い君の事だからきっとそうだと思ってたよ」

 

 コアを通じて束がこちらの様子を見ている事を予測していたアイザックは、手に入れたコアの軍事利用を我慢して嘘を吐く事に専念していた。いつか会心の笑みを浮かべるため。

 

「じゃあね、篠ノ之束。また会えたら会おう。新世界で。あはははっ!!」

「くっ……!」

 

 一方的に通信を切られた束は一瞬で幾つもの打開策を考案するも、どう考えても時間がない。やはりどう考えても、ISを使うしか方法はなかった。

 

「束、どうした? あんなに声を荒げて何があった?」

「ち、ちーちゃん……」

 

 正直に全てを打ち明けた。アイザックがISを軍事利用する目的だった事、一時間後に関東にミサイルが攻めてくる事、もう迎撃するしか方法はなく、ISでやるしかない事も。

 全てを聞いた千冬は黙って頷いた。覚悟を決めた目が束を見据える。

 

「やるしかないだろう。今それを出来るのが私達だけなのだから」

「でも、ミサイルが近くで爆発すればちーちゃんだって!」

「お前の夢が私を守ってくれるさ。だから私は、私の大切な人がいるここを守る」

 

 束の制止を振り切って、白騎士を展開した千冬は音速を優に越える速度で太平洋へと向かう。束が趣味で用意した剣を携えて。

 

 結果は白騎士が全てのミサイルを海上で迎撃し、世界にISの力を知らしめた。犠牲者無しというニュースよりも、この驚異的な力を世界は大々的に取り上げる事になる。

 女性にしか扱えないという欠点は女性達の権力の根幹となり、ISは象徴となった。新たな世界が幕を開ける。女尊男卑の始まりだ。

 そして篠ノ之束は開発者として厳重に保護される事になり、それは家族にまで及ぶ事になる。それは悠斗と箒が別れる事を意味していた。



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7話

 自分の部屋にあるベッドの上で体育座りをして悠斗は踞っていた。明かりも付けず、真っ暗闇の中でじっと部屋の隅を見つめる。

 いや、その目は何も映していなかった。たまたま視線の先が部屋の隅だっただけで。視線に映るものなど何でも良かったのだ。

 

「……箒、っ」

 

 ぽつりと呟いた言葉は道路から聞こえてくる騒音にかき消された。それすら聞こえず、抱えていた腕を強く握り締める。

 俯き、思い出されるのは昼間に交わした箒との会話だった。

 

「えっ……? 今、何て……?」

 

 小学四年生も終わる頃、日本を襲ったミサイルによるテロ。それを束が開発したISで退けたのを切っ掛けに箒とは会えなかった悠斗は、久しぶりに会える今日という日を楽しみにしていた。

 

 ほぼ毎日欠かさずに会っていた人との再会に喜ぶ一方で、箒が浮かべる表情はこれでもかというくらい沈んでいて。どうしたのかと訊ねてみれば、突き付けられたのは残酷なものだった。

 

「もう……悠斗とは会えないんだ……」

「な、んで……何でだよ!?」

「姉さんの開発したものが凄いものだから……それを狙って、姉さんや私の家族も悪者に狙われる可能性がある……」

「何なんだよ、何でそうなるんだよ!?」

 

 震える声で必死に説明する箒に対して、悠斗はただ自分が感じる怒りのまま口にしていた。

 どうしようもない事は分かっている。自分が怒鳴り付けている箒が悪い訳でもない。それでも怒鳴らずにはいられなかった。

 

「保護プログラム、というらしい……両親とも、姉さんとも離ればなれになるそうだ……」

「ど、何処に行くんだ!? 夏休みとかなら俺も一夏も会いに――――」

「無理だ」

「えっ?」

 

 それでもと、連休なら会いに行けると言うつもりの悠斗へ無情にも否定の言葉が告げられる。

 

「家族の私でさえ、父さん達の居場所を教えてくれないんだ……悠斗に分かるはずがない」

「……そ、それでもいつかは必ず会える!」

「何処にいるのかも分からない、ここよりずっと遠いところにいるかもしれないのに、どうやって会うんだ……」

「そんな……だって、いつまでそんなのやるんだよ……」

「ずっと、だ……」

 

 声も出なかった。これから先ずっと、箒は家族と会う事もなく、各地を転々としなければならない。親しい友人を作る事も出来ず、特定の誰かと付き合う事もない人生。ただ生きているだけの人生。

 あまりにも残酷な運命に悠斗は掛ける言葉も失い、ただ呆然と立ち尽くす。何とか絞り出した言葉はいなくなるまでの期限だった。

 

「何時いなくなるんだ……?」

「三日後の昼にはここを出るらしい……」

「じゃあ、それまで一緒に――――」

「やめて、くれ……」

 

 与えられたたった三日を共に過ごそうと提案するも箒は力なく首を振り、それを拒んだ。

 何故かと悠斗が問い掛ける前に箒の口が開いた。その目からポロポロと大粒の涙を流しながら。

 

「これ以上悠斗といたら、離れるのが辛くなる……! 離れたくなくなる……!」

「箒……」

「もう今でさえ辛いんだ……! これ以上辛くさせないでくれ……!」

 

 目の前で大切な人が泣いている現実に悠斗は何も出来ないでいる。いや、何もしてはいけないのだ。何かすれば、それは却って箒が傷付く事になってしまう。自分が箒を傷付けている事実に歯噛みするしかない。

 

「だから……すまない悠斗。もう私とは会わないでくれ……三日後も来ないで欲しい」

 

 それを最後に箒は悠斗の前からいなくなってしまった。好きな人からそんな事を言われて無事でいられるはずもなく、暫くして悠斗は何とかふらつきながら家に帰ると、食事も取らずに今の状況へ。

 

「どうすれば良かったんだ……俺は……」

 

 頭を抱えるも答えは出ない。涙を流す箒に何もしないというのはあの場におけるベストだった。それは悠斗自身も理解している。

 しかし、理解はしていても納得は出来ないでいた。

 

 五年前、彼女と出会ったあの日から好きだったのに突然別れを告げられ、あまつさえ自分のせいで泣いている。だというのに慰める事さえ許されない。側にいる事さえ。

 

「悠斗、入るよ?」

「父さん……うん」

 

 どうすればいいのか、分からないでいる悠斗のところへ快斗がやって来た。様子がおかしい自分の子供と話に来たのだ。

 了承の返事を聞くと部屋に入った快斗は真っ暗な部屋に別段驚きもしない。昔から悠斗はとてつもないショックを受けると、こうして何も言わずに部屋に籠り、部屋の明かりを落としていた。

 

「明かり点けてもいい?」

「うん……」

 

 短く返事をすると照明が真っ暗だった部屋を眩しく照らした。その光に思わず顔をしかめる悠斗だったが、少しするとそれも慣れる。顔を上げれば、いつものように微笑む快斗の顔があった。

 

「どうしたんだい?」

「……箒が――――」

 

 ゆっくりと一通り今日あった事を話していく。箒と漸く会えて嬉しかった事、もう会えないと言われて怒った事、目の前で箒が泣いているのに何も出来なかった事。

 話していく内にショックのあまり凍っていた心が解けていき、涙が頬を伝う。一度流れてしまえば止めるのは難しい。手で必死に拭うも次々に溢れてくる。

 

「好き、だったんだ……!」

「うん」

「初めて恋をしたんだ……!」

「……うん」

「何で箒なんだ……! 他にも人はいっぱいいるのに、どうして……!?」

「悠斗……」

「うぅ、うぅあああ!!」

 

 快斗は自分にすがるようにして号泣する息子に対し、ただ話を聞く事しか出来ない。この小さな体を抱き締めてやる事しか出来ない。これ程自分が無力に感じる事はなかった。

 千冬や一夏の時と違い、相手は親戚などではなく政府であり、もっと言うと世界そのもの。たった一個人が歯向かえる相手ではない。

 

「すー……すー……」

「ん、寝ちゃったか……」

 

 どうしたものかと考えていると、いつの間にか悠斗は泣き疲れて寝ていたらしい。泣きはらした顔を優しく撫でると明かりを消して静かに部屋を出た。

 

「その、悠斗はどうだった?」

 

 部屋から出た快斗をまず初めに迎えたのは一夏だった。帰って来た悠斗の様子がおかしい事に一番最初に気付いた彼は快斗に様子を見てくれと頼んだのだ。これまで共にいた親友を心配するなというのが無理な話。

 

「……まだダメだね。もう少し時間をあげなきゃ」

「やっぱり箒ちゃんの事だったの?」

「うん、会わないでくれって言われたみたい」

 

 深雪が何故箒絡みの事だと分かったのかと言うと、悠斗が帰った後に一夏が千冬と共に箒の元へ向かったからだ。そこで泣いてる箒を見て何があったのか聞き、理解したのだった。

 

「悠斗のやつ、まさか本当に会わない気なんじゃ……」

「今のままだとそうかもしれないね……。そして一生後悔する」

 

 確かに箒は会う事を拒否した。それを悠斗は納得していないものの、受け入れている。だがそれは決して正しい事ではない。

 もしこのまま会わなければ、お互い今日の事を引き摺り、後悔し続けるだろう。

 

 そうならないためにも。快斗は自分の部屋のパソコンで調べるべく、その場を後にする。

 

「私の、せいだ……」

「千冬姉!」

 

 その言葉と共に力なく、千冬が崩れ落ちる。側にいた一夏と深雪が支えると、小さく震えているのが分かった。

 

 千冬は白騎士が自分である事を家族に明かしていた。恩人の快斗と深雪に隠し事はしたくなかったんだろう。

 でも本当はそれで結果的に自分の手で世界を変えてしまった事を許して欲しかったのかもしれない。

 

「千冬ちゃんのせいじゃないわ。あなたはやれる事をやった、そうでしょう?」

「……それでも私がこの状況を作ってしまったんです。大切な人を守ると言っておきながら、たった二人の義弟と妹分を助けてやれない……!」

 

 だが現実は非情で、二人の恋を応援しておきながら、その仲を引き裂いたのは自分自身という事実に千冬の視界が滲む。

 

「千冬姉……っ、悠斗……」

 

 一夏が拳をこれでもかと握り締めて見つめるのは、親友が寝ている部屋の扉。

 このままでは悠斗や箒は勿論、千冬までもがダメになる事を直感で分かっていた。

 この状況を打破するための鍵になるのは白井悠斗、本人しかいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷い事を、言ってしまった……」

 

 自室で箒は一人ベッドにくるまって横になっていた。思い返すのは昼間に悠斗へ言った言葉の数々。

 きっと彼は傷付いているだろう。もしかしたら泣いているのかもしれない。他の誰でもない、箒自らの手によって。

 

「嫌われただろうな……っ」

 

 そう思うと胸が苦しくなり、抱えていた枕をより強く抱き締めた。少しどころではない。深く悠斗と関わり過ぎてしまった。そのせいで箒の胸が痛みで悲鳴を上げる。涙が枯れ果てる事なく流れ落ちる。

 少し前までただ彼を思うだけで暖かくなったその胸は、今やもう彼を思うだけで苦しくて、辛くて仕方ない。それでも彼の名前を口にしてしまうのは未だ諦めきれていない証だった。

 

 側にいたい。好きな人と同じ時間を過ごしたい。しかし、世界はそんな少女の細やかな願いさえ聞き入れてくれなかった。

 

「悠斗、悠斗……!」

「っ……」

 

 その時、箒の部屋にゆっくりと誰かが入ってきた。気付かれないように中に入ると、辛そうにしている箒を見て開きかけた口が一度閉じる。しかし、何とか口を開いて――――

 

「箒ちゃん……」

「姉さん……?」

「箒ちゃん、ごめんね? 私のせいで……」

 

 束が言い終える前に箒が抱えていた枕を投げ付ける。柔らかい枕を幾ら投げ付けられても痛くもないはずなのに、心が痛んだ。

 

「姉さんのせいだ……!」

「ごめんなさい……」

「私はただ普通に暮らしたかっただけなのに! 皆と、悠斗と普通に暮らしたかっただけなのに!」

「ごめん、なさい……!」

 

 涙を流しながら箒がぶつけてくる言葉の暴力を束はただひたすら謝って聞き入れた。

 自分が叶えようとした夢のせいで、大好きな妹が苦しんでいる。束にとって、それは非常に耐え難いものだ。しかし、自分ではどうする事も出来ない。両親は勿論、束が認める千冬や一夏でさえも箒の涙を止める事は出来なかった。

 

「悠斗と一緒にいたい……! 離れたくない……!」

 

 自分と自分の夢を利用したアイザックと《財団》には必ず報復するとして。問題は報復するまでと報復した後だ。

 ISという兵器に対して一度魅せられておきながら、もう兵器として興味を持つなという方が難しいだろう。

 つまり束の重要人物という認識は変わらず、箒も変わらずこのままになるという事だ。

 きっとこれからも泣き続けるのだろう。誰も妹を慰めてくれないのだから。側に誰もいてやれないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悠斗が箒と最後に会ってから三日が経とうとしていた。つまり今日、箒は何処か遠くへ行ってしまう。見知らぬ土地に、たった一人で。

 

「箒……」

 

 だというのに悠斗は未だにベッドの上で踞るのみ。その目元には濃い隈が出来ていた。頬も少しこけている。誰が見ても不健康としか言いようがなかった。

 

 この三日間、食事は殆ど喉を通らなくなり、せめて少しでもと深雪がお粥を作るも二、三口も食べれば充分だと感じていた。

 目元の隈は眠らなければ明日が来ないんじゃないか、そうすれば箒はいなくならなくて済むんじゃないかというせめてもの抵抗だった。しかし、明日は必ずやってくるもので、それも無駄に終わってしまった。

 

「十時、か……」

 

 時計が示す時刻を見て、悠斗は一人ぼやく。泣き疲れて寝てしまった次の日に一夏が十一時には箒達がいなくなると教えてくれたのを思い出した。

 後一時間もすれば箒とは二度と会えなくなる。別れの挨拶も告げず、秘めた想いを打ち明ける事もなく。そんな事、あってはならない。

 

 しかし、そこで思い出されるのは箒が言った、辛くなるからもう会わないでくれと拒絶された事。それが悠斗の足を自室に張り付けていた。

 

「どうすれば……」

 

 箒の元へ行きたい。しかし、行ってどうなるんだ。また泣かせてしまうのか。だがそれでも。

 

 ぐるぐると思考は廻る。三日間掛けても延々と答えは出ないままだった。悠斗だけでは答えを出すのに時間は幾らあっても足りない。だが、期限は残り一時間を切っていた。

 もう会うのは諦めようか。悠斗の心が折れかけたその時、悠斗の部屋の扉が無作法に開かれた。そのままずんずんと悠斗の元へ歩み寄ると胸ぐらを掴み上げる。そこで漸く悠斗は誰が部屋に入ってきたのかを知った。

 

「一夏……?」

「おい、何諦めてんだよ」

 

 目付きを鋭くさせて真っ直ぐ目を見てくる一夏に対して、悠斗は死んだ目で一度だけ一夏を見ると直ぐに目を逸らした。一夏が眩しくて仕方がない。

 

「諦めた訳じゃない……ただ会わないって決めただけだ……」

「それを諦めたって言うんだろっ!? 箒の事、好きじゃなかったのか!?」

「今でも好きだよ。だから会わないんだ……それが箒のためだから……」

「……本当にそう思ってんのかよ?」

「えっ?」

 

 それまで怒鳴るように話していた一夏の口調が急に静かになる。その変わりように悠斗も思わず逸らしていた目を一夏に向けてしまった。

 

「あいつ、悠斗と会いたいって泣いてたんだぞ。苛められてても平然と振る舞って、涙一つ見せなかった箒がだぞ!?」

「っ……」

「何が箒のために会わないだ! そんなの誰のためにもならねぇよ!」

 

 箒が泣いていると聞いて悠斗の胸がズキリと痛んだ。三日前に泣いていた時の事を思い出してどうしようもなくなる。

 圧倒的に悠斗が不利だった。悠斗自身も一夏が正しい事を言っているのは分かっているからだ。でも、だからこそ。

 

「じゃあ、俺はどうすればいいんだ!? 側にいてやれない俺が何をしてあげられるんだ!?」

「お前がやりたい事をやれ! 本当にやりたい事をだ!」

「俺、は……」

 

 悠斗が本当にやりたい事。一夏に指摘され、ぐちゃぐちゃになっていた頭の中が徐々に整理されていき、一つの場面が浮かび上がる。

 それは自身の名前を呼び、笑顔を向けてくれる愛しい人の姿だった。

 

「俺はただ……箒に側で笑っていて欲しかっただけなんだ……泣いているところなんて見たくなかったんだ……」

 

 何時だってそうだった。悠斗の行動原理は何時だってそんなシンプルなものだった。好きな人の笑顔を側で見ていたい、ただそれだけ。

 ありのままの自分の気持ちを吐露すると、胸ぐらを掴んでいた一夏の手が離れた。

 

「じゃあ側にいてやればいいだろ」

「簡単に言うなよ……」

「確かに簡単じゃないけど、不可能でもないよ」

 

 そう言って快斗が見せてきたのはパソコンで印刷してきたものだった。快斗の調べものとはこれの事だったのだ。

 ゆっくりと目を通していくと、段々悠斗の目に活力が宿っていく。死んでいた目が生き返る。

 

「決まり、だな」

「ああ、俺はもう迷わない。ありがとう一夏。父さんも、ありがとう」

「別にいいって」

「そうそう。それよりも深雪と千冬ちゃんは先に行ってるんだから僕達も急がないと」

「ほら、早く行こうぜ。やる事は決まってんだろ?」

「ああ、ただその前に――――」

「ん?」

「ぅん?」

 

 手を差し伸べて急ごうと言う親友に対し、悠斗はある事を決意した。

 自分が箒の側にいてもいいのか、自分が本当にそれに値する存在なのかを知るために。

 

「俺と勝負してくれ、一夏」

 

 もう一度、(一夏)へと手を伸ばす事にした。




うーん、もう少し掘り下げた方が良かった感じが……いや、でも本編早く行きたいしなぁ。
今のところIS要素ほぼゼロだし。


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8話

感想で褒められたので調子に乗って書いちゃいました。おかげで日曜日の更新は無理だと思います。


 悠斗と一夏の戦いの場はいつもの篠ノ之道場となった。勝負は勿論、剣道で。

 これには箒達が行くまでの期限が残り少ないというのもそうだが、快斗だけじゃなく、他の人にも証人になって欲しかったからというのもある。どちらが勝ったのかの証人を。

 

「悠斗……言っておくが手は抜かないぞ」

「当たり前だ。全力で来いよ。そうじゃなきゃ意味がない」

「はっ、それで負けても文句言うなよ?」

「言わせてみろ」

 

 お互い対面した状態で防具を着けながら軽口を叩き合う。何て事はない、いつもの光景。

 それも今日で終わってしまう。それがどうにも寂しいと二人に思わせた。

 この場に箒がいれば五年間を共に過ごしたこの場所で、三人で思い出話にでも華を咲かせるのだろう。

 

 しかし、それも今はお互い頭の片隅に追いやる。そう、そんなのは必要じゃない。そんなのは後で幾らでも話し合う事が出来る。

 それよりも今はただ、目の前の相手にどうやって勝つかに集中するのみ。如何にして自らが持つこの竹刀を叩き込むか。その一撃をどうして防ぐか。

 そう、ただ――――

 

『(あいつよりも早く斬り込む!)』

 

 これ程悠斗が燃え上がる事は初めてだった。いつしか負け癖が身に付いていたのかもしれない。一夏には負けて当然だと思っていたのかもしれない。だが今は違う。それを克服し、箒のために戦う悠斗に負けという考えは一切なかった。

 

 対する一夏も同様だった。悠斗との勝負にはただひたすらに勝ちを狙う男が一夏だ。一番の親友であるが故、幼馴染であるが故に悠斗には負けたくない。

 だがそれも悠斗の負け癖のようなもののせいで張り合いがなかった。相手が最初から負けると思っていれば負ける。何の不思議もなかった。

 しかし、今はどうだ。その親友がこれまで感じた事のない程の気迫で自分に挑もうとしているのだ。燃え上がらない訳がなかった。

 

「んー……」

「どうした、束?」

 

 悠斗と一夏の二人が睨み合う中、見学者の一人である束が分からなそうに首を傾げる。それを隣に立っていた千冬が訊ねた。

 

「いや、どう考えてもこれいっくんが勝つでしょ? 何だってこんな無意味な事をやるのかなって」

 

 実際問題、束の言う通りだった。密かに稽古風景を覗いた時、彼女は悠斗が一夏に負けているところしか見た事がないのだ。そう思っても無理もない。

 更に言うなら、ここ最近の一夏の戦績は悠斗だけでなく、箒に対しても負ける事はなかったのだ。箒にも勝てない悠斗が一夏に勝てるはずがない。これまでの戦績がそう物語っている。

 

「さて、それはどうだろうな……?」

「まさかちーちゃんはあっちの子が勝つって思ってるの? ないよ、ないない。あんな凡人にいっくんが負ける訳ないよ」

 

 才能主義の束は一夏が勝つと信じて疑わない。自身のこれまでがそうだったし、千冬もそうだった。凡人が天才に勝てるはずがない。

 それに対して千冬は何処か含みのある言い方で二人を見た。立ち上がり、向き合って、竹刀を構える。

 

「試合時間は三分間、一本先取だ。いいね?」

『はい!』

「では……始め!」

 

 審判役を請け負った柳韻が今回の試合に併せた特別なルールを二人へ簡単に説明する。

 通常、剣道の試合は五分間、三本勝負で二本先取した方を勝者とする。だが今回は時間がないため、短縮されたルールとなったのだ。

 二人の重なった返事を聞いた柳韻は手を上げて漸く出したのだ。二人の戦いの開始の合図を。

 

「おおおおッ!!」

「ずあああッ!!」

 

 お互いが雄叫びと共に繰り出した渾身の一撃が結び、鍔迫り合いの形に持ち込む。奇しくも最初の一撃は全く同じ面だった。

 

「(負けられない!)」

「(負けたくない!)」

 

 竹刀を通じて負けられない、負けたくないという意地を押し合う二人。柳韻が通常の試合通りに分かれと言う前だった。

 

「ぐっ!?」

「っ、めぇぇん!!」

「ちぃっ!!」

 

 押し切られた悠斗が後ろに倒れ込んだ。そこに空かさず一夏の一撃が見舞われる。しかし、何とか防ぐと柳韻から待てが掛かる。

 それを見て束が再度首を傾げた。

 

「何で今いっくんは倒れた相手に打ち込んだの? 反則じゃないの?」

「倒れた直後で、一度だけなら反則じゃない」

「ふぅん……そんな卑怯な事しなくても、いっくんなら勝てるのにね」

「卑怯ではない。それにそれだけあいつも本気だという事だ。しかし……」

 

 束の疑問に千冬が説明する。確かに束のように何も知らない人間からすれば一夏の取った行動は卑怯なものかもしれない。

 しかし、剣道を知っているものからすれば、せっかくのチャンスを無駄にする事は相手に失礼だ。

 もしもこれで悠斗が勝っても、手を抜かれた相手に勝利したという事実は何の意味もない。だからこそ、全力で勝ちに行く。

 

「しかし?」

「悠斗の様子がおかしい。今まで一夏に押し切られる事なんてなかったんだが……」

 

 体格も力もほぼ同じ二人のはずなのに、始めたばかりだというのに悠斗は押し切られた。

 それもそのはず、悠斗はこの三日間まともに食事もしてなければ、睡眠もろくに取っていない。おまけにここまで走ってきたのだ。既に体力はほぼないに等しい。

 単純な実力だけじゃなく、体力まで大きな差を付けられていた。

 

「う、ぐぅ……!」

「はぁぁぁ!!」

 

 また鍔迫り合いに持ち込まれ、押し切られた。何とか倒れ際の一撃を凌ぐも、平然を装っていた悠斗のメッキは徐々に剥がれつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、何も知らない箒は自室で着替えを済ませていた。期限までもう十五分もない。

 この部屋での着替えもこれで最後かと思い、少しの寂しさを胸に部屋を後にした。

 

「父さん……? 母さん……? 姉さん……?」

 

 家に誰もいない事にそこで気付いたが、時間が時間なので外で待っているのだろうと考えた箒は洗面所へ。

 

 この三日間、ずっと泣いてばかりだった箒は洗面所に向かい、鏡に映る自分を眺める。両頬には涙の流れた後が残っており、目は泣きすぎたのだろう、少し腫れていた。

 

「酷い、顔だ……」

 

 力なく呟くと冷たい水で顔を洗った。何度か洗うと多少はましに思える程度には回復したらしい。

 ポタポタと水が滴る中、ふと悠斗の事を思い出した。もうすぐ、彼と二度と会えなくなる。顔を見合わせぬまま、この地を去る。

 そう思うとまた視界がじわりと滲み出した。慌てて水で顔を洗って誤魔化した。

 

「ここにもいないのか? じゃあ、何処に……?」

 

 外に出ても出迎えるはずの政府のボディーガードはおろか、家族さえもいない。規則正しい生活を心掛けたおかげか、時間まであと十分はある。

 

「ん? 道場か?」

 

 そこで道場の方から竹刀を打ち込む音が聞こえてきたのに気付いた。まさか今日という日に稽古でもしているのだろうか。

 歩み寄りながら、道場にいるのは誰かと箒は考える。恐らく一夏か、千冬か……それとも。

 

「いや、それはないな」

 

 一瞬、箒にとって愛しい彼の姿を思い浮かべるが、頭を振って否定した。

 そうだ、来るはずがない。他の誰でもない自分が来るなと拒絶したのだから。三日前の事を思い出して、途端に箒の前に進む足が重くなる。

 

 それでも何とか前に進み、靴を脱いで道場に足を踏み入れようとした時だった。

 

「あっ……!」

 

 箒と同じくらいの背格好の子供二人が試合をしている。それを見た瞬間、箒の口から思わず声が漏れ出ていた。勿論、嬉しくて。

 

 もう会えないと思っていた人が目の前にいる。例え防具で顔が分からなくても、好きな人の剣を箒が見間違えるはずがない。という事は、相手はきっと一夏なんだろう。

 

「ぜらあああっ!!」

「ぐっ、う、ぅ……!」

 

 一夏が裂帛の気合いでもって悠斗に斬りかかる。悠斗はそれを防ぐも耐えきれず、押し切られて後ろに倒れた。すかさず倒れた相手に斬りかかるも寸でのところで防がれる。

 

「やめ」

「ふぅ……ふぅ……」

「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」

 

 箒の父の柳韻が止めて、開始線まで二人が戻る。先程優勢だった一夏は軽く呼吸を整えているのに対し、劣勢だった悠斗は満身創痍なのか、肩で息をしていた。呼吸も離れた場所の箒がいる、ここまで聞こえてくる程荒い。足元も覚束ないのか、ふらふらしている。

 

「(何で、どうして悠斗がここに? いや、それよりも何故二人は試合を?)」

 

 来るなと拒絶した悠斗がここにいる嬉しさよりも、何故試合をしているのかと疑問の方が強くなる。何のためにか、それは途中から来た箒には分からない。

 それでもあれだけ必死に戦う悠斗は初めて見る。余程の事だとは容易に想像出来た。だから――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やめ」

 

 再び柳韻の声が掛かる。また悠斗が倒れたのだ。開始線に戻っていく一夏を見て、悠斗は内心悪態を吐く。

 

「(あの野郎……浮かれてやがる……)」

 

 悠斗の視線の先には小手を付けているものの、左手を閉じたり開いたりを繰り返す一夏の姿があった。浮かれた時にやる、一夏の癖。今にも死にそうな相手に浮かれるなという方が難しい話である。

 上手くそこを突けば勝てるかもしれない。脳裏に漸く僅かに現れた勝利の目に喜ぶも、体が限界を迎えようとしていた。

 

「ぐっ、く……!」

 

 遂に体力が底を着いたのだ。立ち上がろうにも思うように動いてくれない。自分の体だというのに。

 

「まだ、まだだ……!」

 

 震える体に鞭を入れ、竹刀を杖代わりに立ち上がろうとしてもダメだった。これが白井悠斗の限界だと、暗に告げられている気がした。

 

「(やっぱり俺には無理なのか……?)」

 

 幼稚園の頃から抱いていた一夏に勝つという夢。それすら叶えられないようでは箒の側にはいられない。そう思って挑んだこの戦いは時間稼ぎをしている悠斗の反則負けと、思わぬ形で幕を引く事になりそうだった。しかし――――

 

「悠斗っ!!」

「えっ……あ、ほ、箒……?」

「箒……?」

「箒ちゃん?」

 

 声がした方、道場の入り口を見ればここにはいないはずの箒が立っていた。この勝負が終わってから部屋にいる箒を迎えに行く予定だった悠斗は呆気に取られてしまう。それはこの場にいる全員が例外なくだった。

 急に声を掛けてきてどうしたのかと思うが、それも続く箒の言葉にどうでも良くなってしまった。

 

「負けるなっ!!!」

「――――うぅおおお!!」

 

 負けるな。箒から贈られた短いその言葉に不思議と悠斗の体に力が入った。あれだけ動かなかった体はすんなりと立ち上がり、開始線に戻ると竹刀を構える。既に戻っていた一夏と短く言葉を交わした。

 

「箒も来たし、これで最後にしようぜ」

「……賛成だ」

 

 一夏からの提案に息も絶え絶えな悠斗は短く返事した。

 

「――――俺の、勝ちだ」

「――――お前の、負けだ」

「始め!」

 

 開始の合図と共に一夏が踏み込んだ。振りかぶって相手の頭上に振り下ろす面。

 対して悠斗は最早体力がない。一夏に倒れ込むようにして前に出て、繰り出したのは胴。

 

「めぇぇん!!」

「どおぉぉぉ!!」

 

 竹刀は交差する事なく、互いの防具に吸い込まれていき、そして。

 

「……胴あり、一本!」

「……ありがとう、ござい、ました」

「ありがとうございました」

 

 軍配が上がったのは悠斗だった。拍手が巻き起こる中、二人は防具を外していく。

 その結果にあり得ないものでも見たかのように目を見開き、束がぼそりと漏らした。

 

「いっくんが、負けた……?」

「最後、あいつは浮かれていた。そのせいで僅かに大振りになったんだ。その逆に悠斗は極度の疲労から必要最小限の動きをした。となればどちらの剣が早く届くか、分かるだろう?」

「それでもいっくんが負けるはず……わ、態と負けたの?」

「……あれを見てもそう言えるのか?」

 

 千冬が顎で示した先には防具を外し終えた一夏が俯き、立っている姿だった。いや、ただ立っているだけじゃない。

 手は固く握り締められ、力が入りすぎて皮膚が白くなっている。唇を噛み締めて必死に何かに耐えていた。

 

「悠斗は全力でやった。勿論、一夏もだ。だからあれだけ悔しがれるんだ」

「いっくん……」

「まぁ、悠斗だけじゃ勝てなかったろうがな」

 

 今度は千冬が示したのは二人が話している間に悠斗がぼろぼろの体を引き摺り、箒の元へ歩んでいる姿だった。

 やがて箒の前に辿り着くと悠斗は荒い呼吸のまま、箒に話し出した。

 

「初めて、一夏に勝った……」

「……ああ、おめでとう」

「ありがとう。箒の言う通りだった……」

「私の?」

 

 首を傾げる箒に悠斗は呼吸を整えながらその疑問に答える。

 

「諦めなければ、夢は必ず叶う……だろ?」

「あっ……」

 

 それは二人が初めて出会った日に箒が自身の夢と共に教えた言葉だった。諦めなかったから一夏に勝つという夢を叶えられたのだと。

 箒も五年前の事を覚えてくれていたと嬉しくなる。大切な人との、大切な思い出。

 

「ところで箒は最近、一夏に勝ったか?」

「い、いや……随分前から勝てなくなった」

「じゃあ、俺は箒より強いんだな?」

「む、そんなのはやってみなければ――――」

「強いんだよな?」

 

 自分よりも強いと、勝負してもないのに言われて少しムッとするが、確認するように訊ねてくる悠斗に負けて首を縦に振った。

 

「そうだな。悠斗は私よりも強くなった」

「そうか……なぁ、俺の新しい夢を聞いてくれるか?」

「何だ?」

 

 何度か深呼吸を繰り返すと悠斗は漸く切り出した。先程、ここに来る前に出来たばかりの、新しい夢を。

 

「俺、ボディーガードになるよ。それで箒の側にいれるよう頑張る」

「っ!!」

「守りたいんだ、箒を」

 

 保護プログラムの対象者には必ずボディーガードが付く。快斗の調べていたのはその募集要項だった。

 簡単な話だった。狙われる危険があるのだから保護プログラムが存在する。だがそれで安全が確保出来た訳じゃない。その側にはボディーガードが付いているはずなのだ。

 

「どんな危険な相手か分からないんだぞ……?」

「勿論、そいつらからも守る。でも俺が本当に守りたいのはそういうのじゃない」

「えっ……?」

「箒が泣かなくて済むように、寂しい思いをしなくて済むようにしたいんだ」

「あっ、あっ……!!」

 

 ただ命を守るだけなら誰でも出来るだろう。でもそういう精神的な部分までは守れない。だから自分が側にいると、悠斗は言ったのだ。

 嬉しさのあまり箒の頬に涙が伝う。この三日間で流れた涙とは違う種類だ。しかし、そんな気持ちとは裏腹の言葉を口にする。

 

「ど、何処にいるのか分からないんだぞ?」

「見つけ出す!」

「何処か遠いところにいるのかもしれない」

「駆け付ける!」

 

 一瞬の間も、一切の迷いすらも感じさせない悠斗の返事にまたぽろぽろと涙が溢れる。

 

「悠斗と離れたくない……!」

「っ、ごめん……今は出来ない……! でも!」

 

 分かっている。箒もこれが意地悪だとは分かっている。でもそれでも言わずにはいられなかった。

 そんな箒の願いに申し訳なさそうにして謝る悠斗。本当は自分だって離れたくない。でも今はそれがどうやっても出来ないのだ。

 

「でも、必ず、必ず迎えに行く! だから……待っててくれないか?」

「……はいっ!!」

 

 悠斗がくれた返事に華が咲いたような笑顔で箒は応えた。

 

「あっ……」

 

 その会話している様子を見て、束が声を出してしまった。

 この三日間、自分がどれだけ頑張っても、千冬や一夏が頑張っても出来なかった、箒を笑顔にさせる事。それが何の才能もない、凡人が容易く成し遂げてしまった。

 

「……あはっ」

 

 何時だったか、千冬が言った人を幸せにするのに特別な才能はいらない。という言葉を思い出した。

 

「あは、あはははっ!!!」

「束?」

 

 完全に想定していなかった存在に束は歓喜の笑い声を上げる。こんなに良い意味で裏切られたのは初めてだったのだ。

 アイザックに騙されて以来、妹を苦しめた罪もあって、ずっと良い気持ちじゃなかった束の心は初めて喜びを思い出した。

 そうなると話は早い。束はるんるん気分で二人の元に近寄るとこれまでにない最上級の笑みで質問した。

 

「ねぇねぇ、君の名前はなんていうの!?」

「えっ、し、白井悠斗ですけど……」

「ね、姉さん?」

 

 以前にも名乗った事がある悠斗は再度名前を聞かれた事に困惑し、箒も束がお気に入り以外にこんな態度をするという初めての事態に困惑する。

 

「うんうん、じゃあゆーくんだね!」

「は、はぁ……」

 

 前に話した時との態度の違いにますます困惑する悠斗。だがそんな悠斗を差し置いて、束は話を進める。

 

「箒ちゃんを笑顔にさせてくれてありがとう、ゆーくん!」

「ど、どうも」

「このお礼は必ずするから! 楽しみにしててね!」

「は、はぁ」

 

 生返事しか出来ない悠斗を尻目に束はまたるんるん気分で去っていく。事情がさっぱり分からない悠斗はこう思った。嵐のような人だと。

 

「悠斗、将来の事を言うのはいいんだけど、ちゃんと今の気持ちも伝えなきゃダメだよ」

「え、えぇぇぇ!?」

「当たり前でしょー?」

 

 快斗が言った今の気持ちとは箒に対する好意の事だろう。ぶっちゃけてしまえば箒は随分前から知っているが、悠斗は箒がどう思っているか知らない。

 周りにはバレバレだったが、ともかくそれをこの場で口にしろと言っているのだ。

 

「娘の事を何とも思ってない男を側に置くわけにはいかんな」

「あなた……」

「ぐっ、おお……!?」

「ほら、言えよ悠斗」

「い、一夏まで……」

 

 退路は塞がれた。まさかの柳韻まで乗り気になったのだから観念するしかない。ちらりと見ると千冬と束はにやにやと眺めているのみ。言うしかなかった。

 

「ほ、箒!」

「は、はい!」

「えっと、その……す、すすす……」

 

 返事は分かっていても箒もどうしても緊張していた。分かっている箒で緊張しているのだから悠斗の方は計り知れない。

 しかし、遂に五年間の想いを口にした。

 

「ふきれふ!!」

『(噛んじゃった)』

「……私も、好きだ!」

 

 悠斗は本番に弱かった。盛大に噛んでしまい、悠斗と箒以外の面々から噛んだと突っ込まれるも、本人達はとても幸せそうに抱き合っているから良しとした。

 

 その後、本当に最後だと二人で写真を撮るとお互い写真データを保存。

 移動中、箒は悠斗と二人で並んでいる写真を見て顔を綻ばせた。

 

「悠斗……ふふっ」

 

 距離は離れていても心は近くにある。それが箒は嬉しかった。




くぅー!疲れました!
まじで疲れました。


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9話

 箒と離ればなれになって一ヶ月が経とうとしていた。悠斗は小学五年生になり、クラスメイトも変わったが、それでも変わらないものがあった。

 それは最早日課となりつつある、剣道の稽古。箒達は居なくなったが、新しい地主の人に頼み込んで、かつての篠ノ之道場を使わせて貰っているのだ。

 

 他にも道場なんてあるだろうに、何故ここなのだと思われるかもしれない。

 それは悠斗が箒との思い出を大切にしているのと、あの時誓った箒の側にいるという事を忘れないため。忘れないというよりは正確には薄くならないようにするためだった。

 どんなにインパクトのある思い出も時間が経てば薄まっていく。悠斗はそれを嫌い、毎日学校から帰ると篠ノ之道場へ行くのだ。

 

 たった一人であの広い道場を使うのは最初の頃は気が引けたが、慣れればなんて事はない。自分の世界に没頭出来るのだからこれ程適した環境はなかった。

 強いて言うなら、一人のため没頭し過ぎる事か。気付けば十九時を回っていて、心配になって千冬が迎えに来てたりというのもあった。

 

 そんな一ヶ月経ったある日、悠斗がいつものように道場へ行った時だった。

 柳韻から散々教えられた道場に入る前の一礼をしてから気付いた。いつもと違うことに。

 

「ん……?」

「やっほー」

「ど、どうも?」

 

 道場には悠斗よりも早く、セミロングの水色の髪を外側に跳ねさせた少女が立っていた。にこやかに悠斗へ手を振っているが、全く見た事もない少女の登場に悠斗は困惑する。どうやら向こうはこちらを知っているらしい。

 思わず気の抜けた返事をしてしまう悠斗にトコトコと少女が近寄ってきた。

 

「やっぱり今日も来たんだね。偉い、偉い」

「何でここに来る事を知ってるんだ? それに君は?」

 

 当然の質問だった。ここに来ているのを知っているのは家族のみで、少なくとも学校の友人にはバレていない自信もあったのだ。そもそも彼女とはこれが初対面なのは間違いない。

 

「んふふー。そんなにおねーさんの事知りたいの?」

「いや、そうじゃなくて……」

 

 にやにやと笑みを浮かべている少女は何ともやり辛い。からかっているのか、単に答える気がないのか、自分が意図した質問とは全く別の解答をしようとしてくる少女に悠斗は頭を抱えたくなった。

 困ってる悠斗の姿を見て少女はより一層笑みを深める。きっとからかいたくてしょうがないのだろう。

 

「ほらほら、私の事よりも早く稽古した方がいいんじゃない? 時間は有限よ」

「むぅ……」

 

 釈然としないが少女の言う通りだ。時は金なり。特に悠斗の場合は箒を出来るだけ早く迎えに行きたいがためにより顕著だ。

 少女が離れる。稽古をしろという事なんだろう。少女について何一つ分からないが、言われた通りに竹刀を構えようとした、その時。

 

「……み、見ていくのか?」

「ぅん? ああ、私の事は気にしないで続けててよ。邪魔する気はないから」

「そ、そうか」

 

 離れていった少女は道場の隅でじっと悠斗を見つめる。やはりその顔には笑みを浮かべていた。作り物らしい笑みを。

 やり辛いが仕方ない。いつも通り、準備体操から今日の稽古は始まった。

 

「ふっ……ふっ……ふっ……!」

 

 悠斗も最初は少女が気になって仕方がなかったが、一度集中してしまえば訳はない。悠斗の周りから一切の雑音は消え、ただただ剣を振る事のみに没頭する。

 

「ふぅー……」

「はい、これタオル」

「ああ、ありがとう……うおっ!?」

 

 素振りを終えて、何度目かの休憩しようとした時だった。横からタオルを渡されて何とはなしに受け取ったのだが、渡してきたのはいつの間にか近付いて来ていた少女だったのだ。

 集中を切らした瞬間と合わさって驚きを隠せない悠斗。それに態とらしく頬を膨らませて少女は咎めるように言った。

 

「むぅ、幾らなんでも驚き過ぎじゃない?」

「いや、いきなり近くにいれば誰だって……」

「そういう風に驚かれるとさすがのおねーさんだって傷付いちゃうわ……ぐすん」

「えぇぇぇ!?」

 

 よよよ、と袖で口元を隠しつつ、さめざめと泣くかのようにしている少女に悠斗は完全に振り回されていた。

 父親の快斗から女の子を泣かせるのは最低だと教えられているため、これは非常にまずい。体を動かして流れる汗とは別に、だらだらと嫌な汗が流れる。

 

「ご、ごめん。そんな、傷付けるつもりは……」

「……ぷっ、あっはっはっ! 今のは嘘よ、嘘嘘!」

「えぇ……」

 

 悠斗が唖然とするのも無理もない。目の前の少女の変わりようには目を見張るものがあった。自分と同じくらいの歳でこれだけ演技出来るのだから将来はきっと名女優にでもなれるだろう。

 

「そんなんじゃ、将来悪い女の人に騙されちゃうわよ?」

 

 目尻に涙を浮かべて笑う少女に少しムッとした悠斗はせめてもの反撃として言い返す。

 

「そうだな。たった今、君に騙されたからな」

「あら、今のはカウントされないわ」

「何で?」

「だって、私悪い女じゃないもの。むしろ良い女よ?」

「あっそう……」

 

 今度は冗談じゃなく、本気で言っているのだと悠斗は思った。さすがに嘘を吐きながら、ここまで自信ありげには言えないだろう。

 休憩のつもりが休まるどころか、逆に疲れた悠斗は竹刀を手に再び稽古を再開。

 

「……ねぇ、何でそんなに頑張るの?」

 

 先程から少女の様子がおかしい。これまで休憩してても話し掛けて来なかった少女は、稽古中にまでも話し掛けるようになった。ふざけている様子はない。

 それでも悠斗は剣を振る。少しだけ答えるか考えて、振りながら質問に答えた。

 

「強くならなくちゃいけないからだ」

「なりたいじゃなくて、ならなくちゃいけない?」

 

 ならなくちゃいけない。何故そんな使命感を持ってやっているのか。不思議に思ったのか、少女が聞き返す。

 

「別に強くならなくていいのなら、俺は強くなりたくなかった。人間、やっぱり平和が一番だよ」

 

 笑いながら悠斗は答えた。結局、人間望むのは平凡な人生なのだ。でもと悠斗は続ける。

 

「でもそういう訳にもいかなくなった。世界の誰かから狙われてるか知らないけど、大切な人が狙われてるんだ」

「その人のために強くなるの?」

「そうだな。それに約束したしな、ボディーガードになって必ず迎えに行くって」

 

 あの時、それまでずっと箒が泣いていたと聞いていた悠斗は自身のその言葉で笑ってくれた事に確かな誇りを持っていた。

 だからこそ、一人になっても頑張れる。一人、遠く離れている箒の事を思えば辛いなんて口が裂けても言えるはずがない。

 

「……そっか」

 

 少女はこれまでのようないやらしい薄笑いではない、本当の笑みを浮かべて短く呟いた。

 

「もういいか? じゃあ――――」

「焦りすぎ、もう少し落ち着きを持ちなさい」

「え?」

「動きがぎこちない、五年も剣道やっててそれは何? それと――――」

「す、すいません……」

 

 突然、少女から次々とダメ出しを受けた悠斗は敬語で謝っていた。それもそのはず、今言われたのは千冬からも言われていた事だからだ。

 どうやらこの少女、ただの素人ではない。少なくとも何かしらの武道をやっているのは間違いない。

 

「それと報告の通り、オーバーワークみたいだから最低でも二日は休みなさい」

「報告? いや、でも時間は有限って……」

「何かしら?」

「な、何でもないです……」

 

 少女の空気ががらりと変わった事に驚くと同時に、何故か逆らえない事に疑問を持つ。もし二日間休まなかったらどうなるか、考えただけで恐ろしい。

 そこまで言うと少女は悠斗から離れて、そのまま道場の出口へと。

 

「じゃ、時間も時間だから帰るけど、あなたも帰りなさい。白井悠斗くん」

「……君は一体?」

 

 ここに毎日来てる事を知っているのもそうだったが、名乗った覚えもないのに名前まで知っている。

 その事に悠斗は最初の時のように質問する。少女は振り返り、眩しい笑顔でこう言った。

 

「私の名前は更識刀奈。あなたは私が守るわ」

 

 今度は冗談はなかった。これが悠斗と更識刀奈、後に楯無を襲名する事になる少女との出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更識刀奈が自身の父、更識楯無から与えられた初めての役割は世紀の発明であるISの開発者、篠ノ之束と懇意だった者の護衛。護衛対象は妹の篠ノ之箒、親友の織斑千冬、その弟の織斑一夏、そして白井悠斗の計四人。

 と言っても、本当に重要注意人物である篠ノ之箒には政府から選ばれた選りすぐりのエリート達が付いているため、あまり危険性のないそれ以外の三人が刀奈の指示の元、護衛される事となった。

 

 これには近い将来、刀奈が更識家当主である楯無の名前を襲名するための試験も兼ねてであり、人を動かす事の訓練でもある。

 篠ノ之束が懇意の人物のためにしか動かない事は既に政府から聞かされていた。同時にもしもその人達に何かしらあったのなら大変な事になる事も。訓練とはいえ、責任は重大だ。

 

「虚ちゃん、紅茶淹れてー……」

「はい、そろそろかと思って既に用意してありますよ」

「うぅ、ありがとう……」

 

 幼馴染であり、従者の布仏虚が淹れてくれた紅茶を一口含むとまた上げられてきた報告書に目を通す。

 

「織斑千冬の半径百メートル以内には近付けない。近付くと途端に尾行がバレてしまい、見失う、か」

「凄いですね……さすが国家代表」

「いや、その中でも桁違いだと思うんだけど……」

 

 国家代表とは各国が選抜した、その国を代表するISの操縦者の事である。候補者でも軒並み高い実力を持つのだが、中でも千冬は他の候補者すらも圧倒し、国家代表となっていた。それも全て、近い内に行われる世界大会のため。

 

 束は国力に応じてISの根幹となるコアを世界中に分け与えた。革命的な兵器はその数の少なさから、簡単には戦場に出す事も出来なかったのだ。もし他国に攻めてる間に他国からの侵攻があったら堪ったものではない。

 ISに対抗出来るのはISしかない。それが良くも悪くも、自然と抑止力となったのだ。何故束が分け与えたのかは知る由もない。

 

 しかし、ISを通じて自国の力を示したい某国がISの世界大会を開催する事に決めたのだ。ISを作ったのは日本人だが、それを上手く扱えるのは我々だと。それがモンド・グロッソの始まりである。

 

「まぁ、そっちはある程度放っておいても大丈夫でしょう。残り二人が無事なら」

 

 残り二人の対象、一夏と悠斗を守り切ればいい。一夏の報告書に目を通すと交友関係が広いのか、複数の友達と遊んでいるようだ。最近は中国からの転校生とが多いようだが。

 色んな行動パターンがあると護衛としてはやり辛い。何処にどんな危険があるのか、分からないからだ。そういう意味では一夏は手強かった。

 

「こっちはいつも通り、ねぇ……」

 

 次に刀奈が目を通したのは悠斗の報告書。こちらは見なくても分かっている。

 

 学校から帰宅後、かつての篠ノ之道場に向かい、一人で稽古。その後、大体十九時くらいに帰宅。最近はオーバーワークの兆候が見られる。

 

 まるで遊び盛りの子供らしくない行動だ。友達と遊ぶ事さえなく、ただひたすら稽古に没頭している。もう二週間も同じだ。護衛しているのも報告する事がなくて、暇なのか、遂には体調まで管理するようになっていた。

 護衛する側としてはこれ以上ないくらい楽だが、気に掛かる。何故、そうするのか。どうしてそこまでするのか。

 

 刀奈のその引っ掛かりは徐々に強くなり、遂には自分で見に行くようにもなり、そして悠斗と正面から堂々と会話するようになる。

 

「大切な人のために、か……」

 

 ぽつりと呟く刀奈。すっかり暗くなった空を見上げながら先程交わした悠斗との会話を思い出していた。

 

 きっと大切な人とは、事前調査の資料にあったもう一人の護衛対象にして、現在保護プログラムの監視下に置かれている篠ノ之箒の事だろう。二人は幼馴染だと聞いている。

 シンプルで分かりやすい理由だった。だからこそ、共感も出来る。刀奈も大切な妹のために頑張っているのだから。今ではすっかり不仲になってしまったが、大切だという思いは今も変わらない。

 

「さぁて、帰ったら頑張るぞー!」

 

 あなたは私が守るわ。だから存分に頑張りなさい。大切な人のために。

 

 刀奈は誓いを新たに帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、悠斗くんはどうしてそんな風になっちゃうの?」

「す、すいません……」

 

 悠斗と刀奈が初めて会話してから一週間が経つ。今日も今日とて篠ノ之道場で悠斗が稽古していて、それを見るだけだったのだが、堪らず刀奈が口出ししてしまった。

 

「いや、怒ってはないんだけどね? むしろどうしてそうなるのか、興味が出てきたわ」

 

 刀奈が言っているのは悠斗の動きのぎこちなさについて。武道に関してたった一年先輩の刀奈が思わず口にしてしまう程、悠斗の動きは違和感を感じるものだった。

 一つの不具合を直そうとすれば、また新しい不具合が生まれる。それも直そうとすれば、また……と無限ループに陥ってしまう。

 これに関しては実は柳韻も千冬も頭を悩ませていたのだが、刀奈は知りもしない。だが相当苦労していたのだと容易に予想は出来た。

 

 その後も悠斗は剣を振るが、やはり刀奈から見てもおかしいところは多々あった。

 

「うーん、確かに初心者と比べると良いんだけど、五年やってるって事を考えると……うーん」

「む、ぐ……」

「もしかして悠斗くんって才能ない?」

「ぐはっ!!」

 

 刀奈なりに慎重に言葉を選んでいたのだが、途中で考えるのが面倒くさくなり、結局ストレートに言ってしまった。

 ややオーバーリアクション気味に胸を押さえて倒れる悠斗。自覚はしているが、やはり面と向かって言われると正直来るものがあるのだ。

 

「い、いいんだよ。だから俺は人一倍頑張らなきゃいけないんだから」

「うんうん、そうだ、そうだ。頑張れ、男の子っ」

「茶化すな!」

 

 立ち上がり稽古を再開する悠斗に、語尾にハートマークでも付きそうな声色で刀奈が応援する。

 刀奈が持つフレンドリーさのおかげで、二人はとても出会って一週間とは思えない程の仲になっていた。

 

「ふっ……ふっ……!」

「……頑張れ、男の子」

 

 直ぐに集中した状態に入った悠斗を見て、今度はからかうようなのではなく、集中を乱さないように小さく応援した。



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10話

 悠斗が刀奈と出会い、早一年。小学六年生になった悠斗は学校帰りにいつも通り道場に行くと、そこにはやはりいつも通り刀奈が立っていた。いつもとは若干の違いを伴って。

 

「……制服?」

 

 視線の先、刀奈は私服ではなく、何処かの制服を着ていた。それが有名私立女子校の聖マリアンヌ女学院の制服だとは今の悠斗に知る由もなかった。

 

「あら、言ってなかったかしら? 私ってば悠斗くんより一つ年上なのよ?」

「つまり中学生になったのか?」

「めでたく今年の四月を持ちまして」

 

 そう言うと制服を見せびらかすように、くるりと一回転。ふわりと舞う丈の短いスカート。ストッキングに包まれた程よい肉付きの綺麗な足。そして僅かに覗く形の良いヒップ。

 思わずそちらに目が行くも、これまで悠斗が培った剣道で鍛えられた精神力全てを持って自制する。

 自制するが、やはりどうしても目が行ってしまった。更に言うなら刀奈は美少女と言っても過言ではない整った容姿の持ち主だ。とてもじゃないが、男の悲しい性質には逆らえそうにもない。

 

「ね、どうかな?」

「い、いいんじゃないかな?」

 

 初お披露目の制服に対しての感想を聞かれるも、先程見えた下着を思い出してしまい、まともな感想なんて言えなかった。

 必死に顔を逸らしながら言った悠斗に、刀奈はにんまりと楽しいものを見つけたと言わんばかりの笑みを浮かべる。

 

「……悠斗くん、今スカートの中見てたでしょ?」

「そ、そんな事はないぞ、うん」

「ふーん……」

 

 辿々しい返事を聞いて、ますますその笑みを深める刀奈。最早見たと分かりきっているが、どうにかしてこのバレバレな嘘を明かしたい。ぐぅの音も、言い訳も出来ないレベルで。

 

「……そうなんだ。せっかく今日は気合い入れて大人っぽい黒いのにしたんだけどなぁ」

「えっ、白だったじゃん」

「あはっ、やっぱり見てたんだ」

「…………おおう」

 

 思わず頭を抱えた。刀奈が吐いた古典的な嘘に何の疑問もなく、自分が見た真実を告げる。彼女が楽しそうに笑うのを見て、少し間を置いてから思いっきり引っ掛かったのだと気付いたのだった。

 

「その、今のは……」

「悠斗くんのえっちぃ」

「はい、その通りです。僕はえっちです」

 

 弁明する余地すらなかった。最早悠斗が残されていたのは素直に認める事だけ。

 刀奈としてはただ少しからかいたかっただけなのだが、馬鹿正直に土下座する悠斗はそれはそれは楽しいオモチャだった。

 

「ほらほら、今日も稽古するんでしょ?」

「お、おう。いや、はい」

「えっ、何それ?」

 

 敬語で返事する悠斗に信じられないものでも見たかのように驚く刀奈。これまでにも度々敬語になる時はあったが、それは刀奈が指導している時だけであり、普段は敬語なんてなかったのだ。

 対して、悠斗はそこまで驚く刀奈に目を白黒させて当然のように言った。

 

「だって、刀奈……さんの方が年上なんだ……でしょ? だったら敬語は普通じゃ」

「慣れてない感じが見え見えだからやめなさい。あと、気持ち悪い」

 

 目上に対する姿勢として当然の事を言ったのにも関わらず、悠斗の意見はばっさりと切り捨てられた。気持ち悪いというある種の最高級の罵倒もおまけに付けて。

 

「えぇ……。ちょっと酷すぎじゃ……」

「一年も同い年感覚でやって来たのに今更

 そんな事やられても困るだけよ」

「分かったよ、いつも通りやる。これでいいんだろ?」

「上出来っ」

 

 嬉しそうに笑う刀奈を見て、今日の稽古を始めようとした時だった。入り口の方がドタバタと騒がしくなり始める。何事かと二人して手を止めて入り口の方を見ると――――

 

「お、いたいた。悠斗ー!」

「遊びに来たわよー!」

「一夏と鈴?」

「お客さんなんて珍しいわね」

 

 まず最初に入ってきたのは一夏と鈴だった。鈴とは去年に日本に来日した中国人で、日本語が変だと苛められているところを一夏と悠斗が助けて以来、一生懸命日本語を教えたりしている内にすっかり仲良くなっていたのだ。

 

 悠斗の主観では確実に鈴は一夏に恋しているのだが、一夏が誰に似たのかとてつもない鈍感のため、鈴の明け透けな好意にも気付かない。

 

「う、うおおお……!? あれって聖マリアンヌ女学院の制服じゃね!?」

「お、お嬢様ぁぁぁ……!」

「……そんなに制服って珍しいのかしら?」

「俺が知る訳ない」

 

 更に後続に去年同じクラスになって意気投合した弾と数馬が。二人は刀奈の制服姿に何とも言えないテンションの上がり方を見せていた。思わず悠斗に訊ねる刀奈だったが、二人の気持ちなんて分かるはずもない。

 だが仮に制服を着ているのが箒だったら、悠斗はそれはもう大変な事になってたのは言うまでもないだろう。

 

「んで、いつものメンバー揃ってどうしたんだ?」

「い、いや、それよりその人誰なんだ? 是非とも紹介して欲しいんだが……」

「お願いします悠斗さん! お願いします!」

「お前ら……」

 

 弾と数馬の必死ぶりに友達の事ながらドン引きしてしまう。数馬に至っては土下座までしてくる始末。

 

「俺も知らないから紹介してくれよ」

「へっ? 一夏も知らない人なの?」

「おう、今日初めて会う」

 

 一夏と悠斗の二人の間に隠し事なんてないと思っていた鈴を含む三人は驚きを隠せない。学校でもこの二人のコンビは有名なのだ。二人が揃うと色んな意味で手が付けられないとかで。

 

「ああ、でも名前だけは言ってたぞ? この人が更識かた――――んぶっ!?」

「更識楯無よっ。よろしくね」

『はぁ』

 

 高速で口を塞がれた悠斗は刀奈の名前を口にする直前に止められてしまう。刀奈がにこやかに浮かべている笑顔とは裏腹に、目の前で起きている事態に聞いていた四人が気の抜けた返事をしてしまうのもしょうがなかった。

 

「あれ? でも俺が聞いたのは更識刀奈だって……」

「それは楯無って名前を形無しって呼んで悠斗くんが苛めてくるのよ。それがいつしか刀奈になったのね。おねーさん泣いちゃいそう、ぐすん」

「お前、女の子苛めるとか最低だぞ!」

「あんた、人の名前で弄るのはやめなさいよ!」

「見損なったわぁ……」

「悠斗くんのファンやめます」

「んー!? んー!?」

 

 友人達からの謂われのない罵倒に口を塞がれたままの悠斗が目でやってないと抗議するが、刀奈の演技力の前に霞んでしまう。

 特に鈴なんかは過去に自分の名前がパンダみたいだと馬鹿にされたこともあって、その怒りも一入だ。

 

「で、悠斗くんに何の用だったの?」

「え、ああ、たまには悠斗も一緒に遊ぼうぜって」

「……ごめん」

「……そっか」

 

 一夏からの誘いに何とか解放された悠斗は申し訳なさそうに目を伏せて、首を横に振って断る。一夏も初めから答えが分かっていたかのように笑って受け入れた。

 

「まぁ気が向いたら声掛けろよな。いつでも待ってるからさ」

「……ああ」

「じゃあ、俺んち行こうぜー」

 

 そう言って皆を引き連れていく一夏の背中は何処か寂しげに見えた。これまでいつも一緒だった悠斗と一緒にいられない寂しさというのは、他の誰もが埋められないもの。

 たまには一夏と遊ぶのも悪くないかと思ったところで、悠斗は一夏にどうしても伝えなければならない事が出来た。

 

「一夏」

「んお? もう気が変わったのか?」

「いや、そうじゃなくて……」

「何だよ?」

「お前は何処に行こうとしてるんだ。家はこっちだ。そっちはまるで反対方向だぞ」

『えっ』

 

 ピタリと足が止まった一夏に、まさか自分の家の方角が分からないとは思わなくて何も言えなくなる二人を除いた全員。刀奈までもが驚いていた。以前通っていた場所から家の方向すら分からないとは余程の方向音痴としか言いようがない。

 暫く静止したかと思ったら一夏は振り向き、真面目な顔でこう言った。

 

「だろ? 知ってた」

「嘘つけお前、めちゃめちゃ自信満々だったじゃねぇか!」

「そういや、ここに来るまでも迷ってたよな!? 鈴が知ってたから良かったけど!」

「何で自分の家くらい分かんないのよ……」

「あー、ほらこっちだぞー」

『だからそっちも違うよ!』

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぎながら四人は今度こそ家の方角に向かった。きっとその先でも迷う事になるだろうが。

 

「一夏くんって方向音痴なの?」

「極度のな。正直、あいつ一人だと地図あっても学校から家に帰れないと思う」

「大問題じゃないの……」

 

 悠斗も最近になって知った事実だった。確かに何処かに行く時はいつも一緒で、ひたすら自分に付いてきていた気がする。一夏は地図を渡されても自分が向いてる方向を探そうと、ぐるぐる回して結局分からなくなる典型的な方向音痴の鑑だった。

 

「ていうか楯無ってなんだよ。俺初めて聞いたぞ」

「言うのすっかり忘れてたわ。私今日から刀奈じゃなくて楯無になったのよ。襲名ってやつね。だから今後は楯無で呼んで」

 

 彼女は未だ自分がどういう存在なのかを悠斗に明かしていない。この放課後に会える気軽な先輩という立場を気に入っていたのだ。

 

「……襲名ってお前の家、実は凄かったのか」

「……まぁ、ね」

 

 楯無は今日襲名した時の事を思い出して苦笑いする。久しぶりに妹の顔を見れたが、一言も会話する事なく、その場が終わったからだ。大切な人のために頑張っているのに報われない悲しさが楯無の胸を包んだ。

 

「……はぁ、かた……楯無。この一年、ずっと感じてたお前の嫌なところを言ってやる」

「えっ?」

「そうやって直ぐに作り笑いするところだ。俺はそれが大嫌いだ」

「っ……」

 

 今でこそ多少はましになったが、最初の頃は酷いものだった。本当に心から笑う事なんて数える程度しかない。

 指摘された楯無は何も言い返せず、ただ俯いた。そんな楯無を見て、がしがしと頭を掻くと悠斗は座り込んだ。

 

「何があったのかくらいは聞いてやる。ほら言えよ」

「うん……」

 

 話の内容を簡単に纏めると、妹との仲がよろしくない。会ってもたまに会釈する程度で、本当はもっと話したいのに。普通の姉妹のようにしたいだけなんだと。でも話そうとすればますます嫌われるんじゃないか。そう思うと行動に移せなかったのだ。

 

「どうすればいいのよ……」

「俺もどうすればいいのか、分からない時があった。でもそういうのって意外と簡単なんだよ」

「その時はどうしたの? 私はどうすればいいの?」

 

 問い掛ける楯無に悠斗は笑って答えた。

 

「お前がやりたい事をやれ。本当にやりたい事をだ」

「何よ、それ……。私が本当にやりたい事?」

「ごちゃごちゃ考えずにどうしたいかだけ考えてみろよ」

 

 言われた通り、楯無は何をやりたいのかを考えて、ふとまだ不仲になる前の妹と自分の二人だった。本当の笑顔で談笑する二人。

 

「……簪ちゃんと話したい」

「それが答えだ。じゃあ行くぞ、お前んちに」

「付いてきてくれるの?」

「聞いたから無関係じゃないしな。それにお前一人だと失敗しそうだ」

「ありがとう……」

 

 立ち上がり、悠斗が手を差し伸べると楯無はそれを手に取り立ち上がる。ふと、気になった楯無は疑問をぶつけてみた。

 

「そういえばさっきの言葉って誰かの受け売り?」

「ああ――――」

 

 その時、悠斗は今まで見た事もない程の笑顔で語った。

 

「俺の最高の親友からだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楯無の妹である更識簪は自室で自分の好きなヒーローアニメを見て塞ぎ混んでいた。テレビの中のヒロインは素敵なヒーローに助けられている。

 

「いいなぁ……」

 

 不意に溢れた言葉は誰にも聞かれる事なく、部屋に溶けて消えた。別に悪の組織に捕らわれてる訳じゃないが、助けて欲しかったのだ。この孤独から。姉の影に埋もれないように。

 

「あなたは無能でいなさいな」

「っ、いや……!」

 

 かつて姉に言われた事がまた聞こえてきた気がして、思わず耳を塞いだ。それでも聞こえてくる声に簪は泣きそうになる。

 そんな時だった。この日常を壊してくれる人が現れたのは。

 

「かんちゃーん、お客さんだよー」

 

 従者だというのに主人の返事も聞かずに入ってきたのは布仏本音、楯無に仕えている布仏虚の妹だった。

 本音の対応には慣れたものだが、簪にとって聞き慣れない単語が聞こえてきた。

 

「お客さん……?」

「うん、えっとねー……いいや。入っちゃってー」

「え、ちょ……」

「私、お茶用意してくるねー」

 

 紹介するのが面倒になったのだろう、本音は特に何も言わずにお客さんを部屋に招き入れ、お茶を入れてくると去ってしまった。

 部屋はわりと汚い上に、今テレビでは簪が録り貯めしていたアニメを絶賛放映中だ。痛々しい事この上ない。

 

「Oh! ジャマ! ジャマー!」

 

 だがそれも一人の男子の挨拶で遥か彼方へ消え去ってしまった。恐らく本音が言ったお客さんなのだろうが、その痛々しさと言えば今やってるアニメなんか目じゃない程。

 場の空気が凍り付いた事に気付いたのか、男子は首を傾げながら呟いた。

 

「……あれ? 駄目だったか。掴みはいいと思ったんだけどな」

 

 どうやら目の前の彼にとって今の挨拶はそれなりに期待出来る挨拶だったらしい。

 呆気に取られた簪も徐々にいつも通りの状態に戻り、そして――――

 

「それで掴みがいいのロストグラウンドの市街だけだと思う……」

「……おお。お前、イケる口か。仲良くなれそうだ」

 

 とりあえず分かる人にしか分からない突っ込みを入れると、男子は笑って簪に手を差し出した。簪もおずおずとその手を掴む。簪も仲良くなれると思ったからだ。数少ない友達になれると。

 

「俺の名前は白井悠斗。楯無の友達になるのかな? まぁよろしくな」

「お姉ちゃんの……!?」

「おう? ほら、入ってこいよ」

「や、やっほー、簪ちゃん」

「お姉ちゃん……!」

 

 たったその一言と姉の登場で簪の顔が険しくなる。せっかく掴んだ手も離して、悠斗と名乗った男子と自身の姉を見る。

 笑っていないはずなのに、何故か笑っているように見えた。自分を嘲笑するかのように。

 

「出てって!」

「あだっ!?」

「出てってよ!」

「あだだだっ!?」

 

 目の前の恐怖から逃げるように手当たり次第に近くのものを投げ付ける。アニメのDVD、漫画、枕、ティッシュの箱。投げられたのは本当に様々なものだった。

 

「ご、ごめんね簪ちゃん! 直ぐに出ていくから!」

「逃げるな!」

「で、でも……」

「そうやって逃げてきたからこうなったんだろ!?」

 

 怒っている簪を見て逃げるように退出しようとする楯無の手を掴む悠斗。決して逃がさないように、確りと。

 

 しかし、幸か不幸か、簪のそれも長くは続かない。簪の周りから投げられるものがなくなったのだ。散々な目にあっても、それでも動こうとしない悠斗に涙ながらに簪は呟いた。

 

「お願いだから出てってよ……!」

「……簪、だっけ? ヒーローアニメとかヒーローもの好きなのか?」

「えっ……? う、うん」

「俺もこのアニメ好きだぞ。良い趣味してるな」

「あ、ありがとう……」

 

 簪が投げ付けたものをまじまじと見ながら訊ねてくる。気付けば悠斗は簪と目線を合わせるためにしゃがみこんでじっと目を見てきた。思わず答える簪に悠斗が続ける。

 

「なぁ、簪が好きなヒーローは相手の事を知ろうとも、話もしないで一方的に悪だと決め付けて戦ったりするのか?」

 

 どうなんだと聞いてくる悠斗の言葉に簪は衝撃を受けた。それではまるでヒーローじゃなく、悪役のようだからだ。

 

「そんな事、ない……」

「だろ? じゃあさ、その好きなヒーロー達を見習ってこいつと話してくれないか?」

「え、あ、う……」

 

 突然振られた楯無はいつも悠斗と話している時のような、人を食ったような雰囲気ではなく、まるで借りてきた猫のように大人しい。

 いつもと違う楯無の背中を押してあげると、漸く話し出した。

 

「わ、私ね、簪ちゃんには普通の生活をして欲しかったの。普通に学校に行って、友達を作って、誰かを好きになって欲しかった。うちの家業を継いだらそんな事出来ないだろうから」

「……そのために無能でいなさいって言ったの?」

「えっ!?」

「お前……」

「そ、そんな事言ってない! ほ、本当に言ってない!」

 

 そりゃ嫌われて当然だと呆れがちに楯無を見るも、一年の付き合いで初めてみる、本気で焦っている楯無の反応に首を傾げる。どうやら嘘ではないらしい。

 簪も初めてみる姉の動揺にどういう事かと首を傾げた。

 

「じゃあ何て言ったんだよ?」

「た、たしか……何もしなくていいって……」

「……もしかしてそれだけか?」

「う、うん」

 

 頭を抱えた。こいつは馬鹿なのかと。何の説明もせずに、ただそれだけ言われたら塞ぎ込むのも無理もない。

 話していて悠斗は何となく簪が楯無に劣等感を抱いているのが分かっていた。恐らくそれが関係している事も。悠斗も一夏に劣等感を抱いていたからだろう。

 

「簪は楯無が何でも出来ると勘違いしてないか?」

「えっ? だって本当に何でも出来るから……」

 

 確かに何でも出来るように見える楯無は凄いのかもしれない。だがそれは簪が見ようとしていないだけ。

 

「こいつだって苦手なものくらいある。現に今がそうだ」

「……何よ」

 

 じと目で睨んでくる楯無に怯む事なく、悠斗は話した。

 

「大切だって言ってる妹とのコミュニケーションが死ぬほど苦手だ」

「ぐっ……!」

「ぷっ……」

 

 本当にぐぅの音も出ない。簪もそんな楯無を見て噴き出してしまった。姉が口で負けてるところなんて初めて見たから。

 

「たった一年の付き合いの俺でも見つけられたんだ。一緒にいる簪ならもっと見つけられるさ」

「そう、かな……?」

「ちゃんとこいつと話して、見てやればな」

 

 そのためにも。そう目で訴えられた簪は先程悠斗がやったように、ゆっくりと手を差し伸べた。楯無に向かって。

 

「お、お姉ちゃん……」

「は、はいっ」

「くすっ」

 

 ただ呼んだだけでぎくしゃくする楯無を見て、また小さく笑った。緊張しているのが馬鹿らしく思えてきたのだ。

 

「さっきは酷い事してごめんなさい」

「こ、こっちこそ。何の説明もしないであんな事言ってごめんね?」

「……うん、じゃあ仲直り、しよ?」

「う、うんっ」

 

 二人の手が漸く繋がれた。当主とかの立場もない、ただの姉妹の久しぶりの握手だった。




これ年内に本編行けるんすかねぇ……?


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11話

「千冬さん? 入るよ?」

「……悠斗か。ああ、入れ」

 

 ある夜、悠斗は千冬に呼び出された。

 千冬がISの世界大会、《モンド・グロッソ》の格闘部門と総合部門において優勝してから少し経った夜の事。話したい事があると千冬の部屋に呼ばれたのだ。

 

 部屋に入ると女性の部屋というにはあまりに物が少なく、あるとしても剣道の竹刀という殺風景な光景。

 そんな部屋を見て相変わらず趣味というものがないんだな、と悠斗は思う。楽しみすらも捨てて、代表としての練習を重ねる千冬の姿は鬼気迫るものがあった。夜中に何度も快斗と深雪が千冬を説得していたを思い出す。

 

「で、どうしたの?」

「本題の前に《モンド・グロッソ》の総合部門で優勝した者はどうなるか、知っているか?」

「ランク一と《ブリュンヒルデ》っていう称号を貰えるんでしょ?」

 

 それぞれの部門で優勝した者は《ヴァルキリー》と呼ばれ、総合部門では《ブリュンヒルデ》と呼ばれる。その肩書きは世界最強という証でもあるのだ。千冬はメディアでは世界最強というよりも《ブリュンヒルデ》という称号で紹介される事の方が多い。

 

 そして総合部門での順位に応じて、各国代表のランキングが作られたのだ。これは各国が自分の力を明確にするために作られたもので、ランク一~四はそれぞれ優勝者、準優勝者、三位、四位と決められ、それ以下は総合部門での成績だけでなく、他の部門での成績も考慮されてランク付けされる。

 

「そうだな、その通りだ。だがそれだけではない」

「というと?」

 

 話が読めない悠斗が質問を重ねると千冬は少しだけ目を伏せて続けた。

 

「ランク一、《ブリュンヒルデ》には政府に対してある程度の権利と権限が与えられるんだ。つまり、そんな大層な事でなければ大体の要望は叶うという事だ」

「そうなんだ。凄いじゃん!」

「ああ、そうなんだ……そのはず、だったんだ……」

「えっ?」

 

 浮かれる悠斗を尻目に千冬は手を握り締めて何かに耐えるようにして話す。まるで懺悔のようだった。

 

「私はそれで箒をここに呼ぼうとした。世界最強の側にいれば大丈夫だろうと言ったんだ。その案が通るとも思っていた。だが、却下されてしまったんだ」

「……何で?」

「私は国家代表で、代表としての練習や立場があるから、ずっと側にいる事は出来ないからだと言われたよ……」

 

 確かに千冬の言う通り、世界最強の人物が護衛に付けられるのならこれ程心強いのはないだろう。

 しかし、千冬を縛るのはあまりに多い。この世界の女尊男卑の象徴としてメディアに出る事も多くなり、代表としての練習もある。とてもじゃないが護衛なんてしてられる余裕なんてなかった。

 

「すまなかった……!」

 

 そこまで言うと千冬は悠斗に向かって、頭を下げる。絞り出すようにして発せられた言葉は心からの謝罪。

 

「何で千冬さんが謝るのさ」

「私は! 私はお前達が引き離される切っ掛けを作ったんだ! だからせめてもの償いとしてここで保護しようと頑張ってきたんだ! なのに……!」

 

 悠斗と箒が別れたあの日、自分のやった責任で押し潰されそうだった千冬の唯一の救いが二人が結ばれた事だった。五年も見てきた二人が漸く結ばれたのには純粋に嬉しかったのだ。

 だからこそ箒をここに呼ぶべく努力して。でも叶えてあげられなくて。

 

「千冬さん」

「何だ……?」

「俺、箒にこう言ったんだ。必ず迎えに行くって」

「そうだな……」

 

 無論、千冬とて覚えている。忘れられるはずがない。救われたあの日の事を。

 

「だから千冬さんが呼んじゃうと俺が迎えに行けなくなる。何かそれって、カッコ悪いじゃん?」

 

 笑いながら言う悠斗の姿に嘘はないのだろう。だが本当は側にいたいという思いも見てとれた。こんな少年に我慢させている。

 

「それに千冬さんにはたまの休みに剣道教えて貰ってるしね。これ以上は贅沢言えないよ」

「たまにだがな……」

「忙しいんだからしょうがないって」

 

 千冬には柳韻から教えてもらえなかった篠ノ之流剣術を教えてもらっている。悠斗としてはそもそも千冬が悪いとも思ってない。だというのに国家代表という立場で忙しいにも関わらず、休みの日に教えてくれる千冬に非常に感謝していた。

 

「話は終わり?」

「あ、ああ」

「じゃあ、また今度剣道教えてね。お休み」

 

 話も終わったと悠斗は退出していく。その背を千冬は見続けていた。扉が閉まり、もう姿は見えないのにそれでも見続ける。

 

「それでも私は……」

 

 これ以上贅沢言えないと悠斗は言っていたが、千冬にとっては剣道を教えるなんて何の罪滅ぼしにもならない。むしろ日に日に罪悪感は増していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 季節も変わり、冬。深々と雪が降り行く中、今日も悠斗は剣を振る。

 あと少しもすれば悠斗も遂に中学生となる。中学校では剣道部に入ると決めていた悠斗にとって、そこから勝負が始まるのだ。

 

 箒程の重要人物ともなればボディーガードとして付くには、過去の経歴に箔が付いてなければならない。そうでもなければ箒の元へ行くのにはかなりの時間が必要となるだろう。

 

「目指すは……優勝……!」

 

 口にはしたが、大会での優勝は通過点に過ぎない。悠斗が本当に目指すのは箒の側に行く事なのだから。それも一刻も早くだ。負けられない戦いが始まろうとしている。

 この寒い中だと言うのにいつも通り懸命に剣を振る悠斗を、楯無がこれまたいつも通り見ている。呆れがちに楯無が溜め息を吐くと白い息となって宙に溶けた。

 

「よくもまぁこんな寒い中頑張るわねー」

「そう思うなら、ヒーター独占するな!」

「嫌よ、寒いもの」

「こいつ……!」

 

 コートとマフラーに加えて、道場唯一の暖房器具であるヒーターも独占し、防寒対策はバッチリな楯無。それに対して悠斗は道着のみ。差は歴然だった。

 あまりの態度に思わず竹刀を投げ付けそうになるが、ぐっとこらえてまた悠斗は剣を振る。動かないと寒さでやってられそうにない。

 

「悠斗もさー、今日くらいは普通の格好して遊ぼうぜー」

「誘うのはいいが、そこ開けたままはやめろ。さみーんだよ、虫投げ付けんぞ」

「まじでやめてください」

「一夏くんって本当に虫が嫌いなのねぇ……」

 

 悠斗の一言にそれまで陽気な雰囲気だった一夏の様子ががらりと変わる。途端に真顔になって直ぐ様扉を閉めた。

 方向音痴に続く一夏の弱点。虫という虫が大嫌いだった。一度幼稚園の頃に悠斗が冗談でダンゴムシを触らせようとしたら、一夏が本気で怒って喧嘩になったのだ。悠斗曰く

 

「何回か喧嘩したが、あの時の一夏が一番強かった。勝ったけど」

 

 との事。本気で怒らせるような事をしておいて、問答無用で喧嘩に勝つ辺り、結構外道だった。

 

 さて、一夏に続いて鈴、弾、数馬も悠斗を誘うべく道場に入ってくる。再び開けられる扉に一夏の顔が青ざめていく。

 

「たまには相手になりなさいよ!」

「せっかくの雪だぜ、悠斗!」

「雪合戦しても一夏が強くて勝負にならないから悠斗も来い!」

「お前ら! そこ開けっ放しにすんな! さっさと閉めろ!」

『何で一夏が言うんだ……?』

 

 三人は扉一つで後の一夏の運命が決まるとは露知らず、だがその鬼気迫る様子からただ事ではないと素直に従う事に。

 

「で、私達と遊びなさいよ」

「だから、来年から俺はもっと忙しくなるの! 悪いけど、遊んでる暇はないんだって!」

「あー、箒とかいう女の子と会うためだっけ? 悪いけど爆発してくんね?」

「この歳で彼女いるとかどういう事なの? 爆発してくれない?」

「えっ、なんなのお前ら。そこは応援するところじゃないの?」

 

 親友達の熱い激励に悠斗は動揺を隠せない。

 しかし、幾らなんでも張り切り過ぎである。大会までは後半年はあるというのに今から頑張っていてはいずれ息切れしてしまう。

 と、そこで一つ悪巧みを考えた楯無がにやりと笑みを浮かべ、悠斗にこう言った。

 

「悠斗くん、息抜きしたら?」

「だーかーらー……」

「息抜きしたらおっぱい触らせてあげるっ」

『マジっすか!!?』

「…………一夏?」

「は、はい(り、鈴はなんで俺を見てくるんだ……?)」

 

 息抜きしろと言われた悠斗は何度目になるか分からない説明をしようとした瞬間、楯無の魔の言葉に一夏を除く男三人ががっぷり食い付いた。というよりは一夏も食い付きたかったのだが、鈴からの視線を感じ身動き一つ取れないでいたのが正しい。

 男にとって、おっぱいにはそれだけの魔力が備わっているのだ。しかも中学生の時点で既に将来抜群のスタイルを持つであろう楯無が言うのだからその破壊力足るや計り知れない。

 

「あ、ご、ごめんね。今の嘘で」

 

 言い出した楯無も、まさかここまで効果があるとは思ってもいなかった。男子陣の反応にドン引きしてしまう。直ぐに撤回するのも無理もなかった。

 

「くっそ! 分かってたけどね! くっそ!」

「あぶねぇ……友達が一人減るところだったわ……」

「今日の夜は気を付けろよって言うところだった……」

 

 分かっていたと悠斗は言うが、その割りには竹刀を振る速度がいつもより速い。まるで悔しさをバネにしているかのようだ。

 

「だ、だけどさ悠斗。真面目な話、会うためだけを頑張っても仕方ないと思うぞ?」

「どういう事だ?」

 

 瞳のハイライトを消した鈴からの圧力に耐えて一夏が発言した。なけなしの勇気を振り絞っての発言は場の流れを変えるには充分だったようだ。

 

「だってさ、普通に考えてもみろよ。このままだとたとえ会えたとしても、お前遊び方一つ分かんないだろ?」

「まぁ遊んでないしな」

「そうするとさ、箒とデートする時とかどうするんだ? ちゃんと楽しませてあげられるのか?」

「む、う……」

「下手するとつまんないって愛想尽かされるぞ」

「――――」

 

 地の底から響くような声が白目を剥いた悠斗の口から発せられた。確かに一夏の言うのも一理ある。会うためだけの努力をしても、そこから先は何も考えていなかったのだ。

 ただ側にいればいいと思っていた悠斗にとって、これ以上ない致命的な一撃が与えられる。親友の手によって。

 

「ど、どどどどうしよう……!?」

 

 先程まで寒いと言っていたはずの悠斗の顔が汗だくになる。ただこれは冷や汗で、悠斗の体温は今もなお急降下していた。

 目に見えて狼狽え出した悠斗に楯無がまた閃いたとばかりに笑みを浮かべ――――

 

「悠斗くん、私とデートしましょ」

『何ィィィ!?』

「えっ、た、楯無と? なんで?」

 

 爆弾が落とされた。弾と数馬の悲鳴が木霊する中、テンパりながら悠斗が返事をする。フリーズしている二人なんて放置して。

 

「そもそもね、ボディーガードになりたいのならただ強いだけじゃダメなのよ? 周囲に気を配ったりとか、怪しい人物を見極める力とか、他にも色んな技術が必要なのよ」

「そ、そうなのか……」

「まぁ、確かに身体も大事だけどね」

 

 簪との一件から更識家がどういう家なのか知った悠斗にとって、楯無の意見は非常にありがたいもの。だがそれとデートがどう繋がるのかは狼狽えている悠斗にはさっぱり分からない。

 

「だからデートで女の子を楽しませるやり方と護衛に必須なスキルを教えてあげるっ。悠斗くんの息抜きも出来て、一石二鳥どころか一石三鳥!」

「おお、さすが楯無さん」

 

 腰に手を当て、天高く三本の指を立てる楯無に拍手を送る一夏。周りが盛り上がっていくにも関わらず、悠斗はまだ青い顔で問い掛けた。

 

「い、いや、しかし、それは浮気になるのでは……?」

「あんた変に細かいわね……」

 

 呆れがちに鈴が呟くが、悠斗にとっては死活問題なのだ。箒一筋なのだから浮気なんてあってはならない。そう考えているのだ。

 

「これは練習なのよ? 浮気になる訳ないじゃない」

「そ、そうなのか……? いや、でもなぁ……」

「箒に見捨てられてもいいのか?」

「よし、やろう」

『(チョロい)』

 

 鉄よりも硬い決意も、一夏のたった一言で崩れ去ってしまう。完全に扱い方を悟られてしまった悠斗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、悠斗くん行きましょっ」

「お、おう」

 

 手を引かれながら街中を進んでいく悠斗。その先にはいつもより少しだけ楽しそうにしている楯無の姿があった。作り笑いなどではなく、本当の笑顔を浮かべて。

 これはデートの練習も兼ねた護衛の訓練であり、悠斗の息抜きであると理解していても、どうにも楯無の浮かれ気分は収まりそうにない。

 

「ねっ、ねっ。どうかな?」

 

 途中入店した店内で、上目遣いで問い掛けてくる楯無には普段はしていない眼鏡が掛けられていた。何かを期待するかのように訊ねてくる楯無に悠斗はしどろもどろになりながら、答えようとする。

 

「うぇ? あ、あー……」

「……もうっ。悠斗くん、こういう時はちゃんと感想を言ってあげないと」

「ご、ごめん……」

「まぁいいわ。少しずつ慣れていきましょ」

 

 望んでいた解答を得られなかった楯無は少しだけ不貞腐れるも直ぐに笑って移動する。眼鏡を元の位置に戻して次の場所へ。

 生まれて初めてのデートに加えて、よくよく考えれば一人で女の子と話すのなんて箒以来の悠斗に緊張するなという方が難しかった。

 

「じゃあ、次はあそこ行きましょ!」

「おい、ちょっとは落ち着けって。振り回されるこっちの身にもなれ」

 

 次のターゲットを定めたのか、ぐいぐい手を引っ張って先へ行こうとする楯無に苦言を呈するが、一向に改善される事はない。

 

「あら、知らないの? 女の子はパワフルなの。こんな程度で音をあげてたらやってられないわよ?」

「まじでか……」

 

 若干うんざりした表情を浮かべる悠斗。こんな程度と言うからにはまだまだ余力を残しているのだろう。実際、楯無からは溢れんばかりの元気を感じる。体力に自信があったのは気のせいだったらしい。

 

「うお、この子めちゃ可愛いじゃん! ねぇ、そんな奴と遊ぶより俺と一緒に遊ばない?」

「お前ロリコンかよ……」

「いや、でも確かに将来性抜群だわ」

「はぁ……」

 

 突然話し掛けてきた三人の男達に嫌な顔を隠しもせずに楯無が溜め息を漏らす。相手は高校生くらいだろうか。別に初めての経験ではないし、あしらい方も知っているが、めんどくさいものはめんどくさい。

 いつものように適当に追い払おうとした時だった。楯無の前に見慣れた背中が現れたのは。

 

「すんませんね、それはまたの機会にって事で。ほら行くぞ」

「え、う、うん」

「はいはい、ストップ」

 

 先へ行こうとする悠斗に付いて行こうとするが、そうはさせないとまた前方に三人が現れる。

 

「ガキはお家に帰ってな。俺達はこっちの子に用事があるんだから」

「そうそう。幾らいいところ見せたいからって無理しちゃダメだよ?」

「別に無理もしてないんですけどね。見て分かりません?」

 

 しつこく食い下がる三人に対して悠斗もめんどくさそうに、適当に付き合い始めた。

 小学校低学年の頃から上級生に生意気だと絡まれ続けた悠斗にとっては慣れっこだったのだ。

 

「弱い犬ほどよく吠えるって知ってるか? 弱いワンちゃんはあっち行ってな」

「わんわん! わおーん!」

「……てめぇ、おちょくってんのか?」

「ははっ、さすがに分かる?」

 

 犬の鳴き真似をしてやると、三人の怒りのメーターが一気に上昇するのを感じた楯無はさすがにまずいと思い始めたのか、小声で悠斗に話し掛けた。楯無一人ならまだやれるが、悠斗を守りながらでは難しいと判断したのだ。

 

「ゆ、悠斗くん!」

「大丈夫、秘策がある」

「秘策?」

「まぁ見てろよ」

 

 こんな状況を打破出来る作戦とは何か。楯無が気になり、いよいよその秘策を見せるのかというその時。

 

「あっ、お巡りさんこっち!」

『げっ!?』

 

 悠斗が男達越しに呼び掛けたのは国家権力だった。この女尊男卑の世の中では、下手すればナンパしただけで捕まる事だってあり得る。

 三人の男達はやばいと慌てて後ろを振り返るが――――

 

「ぁん? いねぇじゃん」

「このガキ! よくも騙し――――ってあれ?」

「あいつらもいねぇぞ!?」

 

 気付いた時にはもう遅い。慌てて振り返った瞬間、悠斗は楯無の手を取り、人混みの中を走り去っていった。小学生という小柄な体を利用して人混みを掻い潜っていく。

 

「ちょ、ちょっと悠斗くん!?」

「急げ急げ! と、あった!」

「きゃっ!?」

 

 男達が追い掛けるのをやり過ごすべく、路地裏に隠れようと悠斗は楯無を抱き寄せた。頭もがっちり悠斗の胸元に押し付けられるようにされている。

 

「(ちょ、ちょ、えぇ!!?)」

 

 急に抱き寄せられた楯無は珍しく困惑していた。驚きのあまり声も出せないほどに。抱き寄せられているのもそうだが、自身がこんなに振り回されるのも初めてだったのだ。

 

「あー、早く行かねぇかなー……」

「(うぅ……な、なんでこんなに普通にしてられるのよ……)」

 

 悠斗の腕の中で楯無は何故悠斗は自分を抱き締めているのに、平常心でいられるのかと不公平さを感じていた。

 小学生ながら鍛え上げられた胸板に、いつの間にか越されていた身長。普段は特に感じなかった男らしさに楯無の胸が高鳴る。

 

 と、それも終わりを迎えた。どうやら男達は明後日の方に進んだようだ。どうにかやり過ごせたと安堵した悠斗は抱き締めていた腕の力を解くも、一向に離れる様子がない。

 

「おい、楯無。終わったぞ。楯無?」

「――――はっ!」

「大丈夫か?」

「は、あ、う……」

「ぅん?」

 

 声を掛けて何かに気付いたかのように楯無が漸く離れた。顔を真っ赤にして何か言葉を発しようとしているが、上手く発せない楯無に首を傾げる。

 

「も、もうっ! 秘策があるって言うから何かと思えばただ逃げるだけじゃない!」

「昔から言うだろ? 逃げるが勝ちってな」

「あのねぇ……」

 

 呆れてものも言えないとはこういう事か。抱き寄せられた仕返しに小言の一つでも言おうかと思ったが、次の瞬間にはその事すら消え失せた。

 

「それにしても見たか? お巡りさんって言った時のあいつらの顔! 傑作だったな!」

「――――」

 

 本当に子供のように笑う悠斗を見て、不意にまた楯無の胸が高鳴った。何故かは分からない。

 だが同時にこう思った。この男はずるい。自分にばかりドキドキさせている。なら今度はこちらの番だろう。

 

「次、次行くわよ!」

「はいはいっ、とちょっと待て」

「何って、わっ」

 

 今度は自分がドキドキさせてやると先を急ぐ楯無の頭に悠斗が被っていたニット帽が被せられる。

 

「お前の髪色は目立つからこれで隠せ」

「う、ぐ、ぅ……」

「どうした?」

「何でもないっ!」

「何だ……?」

 

 ずんずんと先を行く楯無に首を傾げながらも付いていく悠斗。二人の手は未だ繋がれたままだ。

 

 結局、その後も楯無が一方的にドキドキさせられ、来週も行くと約束を取り付けられる悠斗だった。それは楯無の中で何かが変わり始めた冬の事。




次の次で漸く本編行けそうです。やったね。


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12話

 日々の鍛練に加えて、楯無とのデート練習兼護衛訓練を重ねながら時は過ぎていき、中学生となった悠斗は勿論剣道部に入部。

 普通なら他の一年生と一緒に夏までの剣道経験が一年未満のみ出場出来る一年個人戦に出て、デビューするはずなのだ。だが剣道の経験が一年どころか、八年近くもやっている悠斗は普通の個人戦に出る事となった。

 

 勿論、これは悠斗としては望むところ。一年個人戦ではたとえ優勝したとしても、県大会に出る事は出来ない。目指すのは箒の側にいる事と大きな目標を掲げている悠斗にとっては全国で優勝するのは最低条件で、全国の優勝でさえただの通過点に過ぎないのだ。

 

「だから来週からのデート練習はなしだ」

「えぇー」

 

 街を歩きながら楯無へ言うと、やたら不満そうに形の良い眉を曲げて抗議の声を上げる。それまで楽しそうにしていたのがまるで嘘のように。

 

「……毎回思うが、何でお前が不満そうにするんだ。練習したい俺が言うのならまだ分かるが」

「べっつにー? 不満とかそんな事ありませんよーだ」

 

 絶対にそんな事あるような顔で言っても説得力なんてなかった。楯無とのデート練習は以前にも何度か悠斗の都合でキャンセルする事があったのだが、その度にこうして不服そうにするのだ。

 悠斗としては自分の都合に無理矢理付き合わせてるだけなので、こうして不貞腐れる楯無の気持ちなんて分かるはずがない。楯無がこのデート練習を楽しみにしていたなんて。

 

「仕方ないだろ。三週間後には大会あるんだから。負けられないんだよ」

「……箒ちゃんのため?」

「そうだけど、何か問題あるのか?」

「……別にっ」

「はぁ……」

 

 ぷいっとそっぽを向いてしまう楯無に溜め息を漏らす。楯無はこのところはずっとこの調子だった。何度かやって悠斗も気付いたが、どうやら箒の話題を出すというのが気に入らないらしい。

 目の前の女性ではなく、別の何処かにいる女性の話をしているからだろうが、今のは楯無から振ってきたのだから俺は悪くないだろうと悠斗は考える。

 

「(まただ……どうしても悠斗くんから箒ちゃんの話題が出てくると……)」

 

 だが楯無自身も困惑していた。何度か悠斗とデートを重ねる内に感じ始めた想いに気付かず、箒の話題になるとどうしようもなく苛立っていた。

 楯無自身、自分が悪いのは分かっている。このデート自体も箒のためというのも分かっている。だがこの苛立ちはどうしようもない。

 

『(困ったなぁ……)』

 

 こうなると楯無は手強い。楯無も素直になれないでいた。どうしたものかと考える二人に、楯無が聞こえるかどうかというくらい小さくぽそりと呟いた。

 

「……クレープ食べたい」

「はいはい、喜んで奢らせてもらいますよっと」

「ん。よろしい」

 

 偶然通り掛かったクレープ屋で、それぞれクレープを買うと適当なベンチに座る事に。

 

「んー! おいしー!」

「おお、確かに美味いな」

「でしょ? ふっふっふっ、私の見る目は確かなのよ!」

「わー、楯無さんはすげぇやー」

「何よそれ。もうっ」

 

 腰に手を当てて自信満々に言う楯無を見て、悠斗は棒読みなのを隠しもしない。対する楯無も口では怒っているものの、表情は先程とは比較にならない程の笑顔を浮かべている。

 

「――――国は対抗するべく戦線にISを投入する判断を下したようです。対する――――国もこれまでISを使っていなかったとしていましたが、相手に対抗するためとこちらも投入する旨を明らかにしました」

「戦争、か……」

「終わらないわね、これも……」

 

 街頭で流れるニュースは最近激化している国家間での戦争ばかり。戦争の代わりに国力を見せるはずのモンド・グロッソの意味がなかったのだ。

 

「それにしてもこの二つの国とも先に相手がISを使ったって言ってるのよねー」

「どっちが嘘吐いてんのかなんて分かんないけどな」

「……どうやらどっちも嘘じゃないらしいわよ?」

「はぁっ? どういう事だ?」

 

 小声で言う楯無に首を傾げる。クレープで口元を隠しながら楯無は続けた。

 

「どうにもこうにも、お互い襲撃してきたISの姿を押さえているらしいのよ。ただ、どっちもそんなISは知らないの一点張り」

「ならやっぱりどっちかが嘘吐いてるんじゃないのか?」

「国家代表が乗ってるIS見ると開発系統がお互い全く違うの。その国が威信を掛けて作ってるのと全く違うってのもおかしな話じゃない?」

「確かに……」

 

 国家代表が乗るISとは、その国を代表する機体だ。後に開発されるのだって、どうしても似たような機体が出来てしまう。まるっきり違うものなんて作れない。それこそ、何から何まで全て変えない限りは無理だろう。

 

「それにね、そのIS……実は至るところで目撃されてるのよ。あのニュースもそうなんじゃないかって言われてるわ」

 

 顎で示した先にはニュースで女尊男卑に異を唱えていた男性がホテルのガス爆発事故で死んだという事件が報じられていた。

 

「事故じゃないのか……?」

「極僅かだけど目撃されてる。それで女尊男卑に異を唱える人ばかりが被害に遭うのが事故って言うならそうなんでしょうけど」

 

 言われて悠斗もハッとした。そういえば少し前にテレビで見たコメンテーターも女尊男卑に異を唱えていたが、最近ではめっきり見なくなった。

 ただ出なくなっただけかと思っていたが楯無の話ではどうやらそういう訳でもないらしい。

 

「何で……?」

「さぁ……? ただ紛争地域に出ては両軍に攻撃したり、事故に見せ掛けたりっていうのを複数でやってるみたいで付いた通り名が――――《死神部隊》」

「《死神部隊》、ねぇ……」

「知る人ぞ知る、ってやつだけどね」

「あーあ、怖いねぇ。怖い、怖い……」

 

 縁のない話だと悠斗は思う。自分はただ箒の側にいたいがために頑張っているだけなのだから。

 だが気になるのも事実だった。誰が何の目的で戦争や人殺しなんてやっているんだと。どうせろくでもない事を考えているんだろうと決め付けた悠斗は立ち上がる。

 

「怖いから行くぞー」

「あ、ちょっと待ってよ」

 

 遅れて楯無も立ち上がると上機嫌そうに悠斗の腕に抱き付く。いつからか分からないが、自然とこうするのが当然のようになっていた。むしろこうしないと楯無が不機嫌になるというのもあるのだが。

 

 さて、話はまた剣道に戻る。しかし、先程とは違って楯無に怒っている様子は見られない。女心は難しいと悠斗は思った。

 

「来週は道場で稽古するの? それとも学校で?」

「道場だ。学校は誰かさんが来たおかげで大騒ぎだったからな」

「あ、あはははー……」

 

 思わず渇いた笑いが楯無の口から出た。

 一度、楯無が部活中にやって来た時があったのだが、悠斗の学校を見渡しても敵うものがいないほどの美少女の登場に剣道部だけでなく、学校全体が大騒ぎに。

 勿論、楯無と知り合いの悠斗は見知らぬ同級生や先輩から紹介しろとしつこく言い寄られたのだ。一応、楯無には紹介したが、全て突っぱねられた事は悠斗は知らない。

 

「じゃ、じゃあ道場ね。絶対行くから」

「あー……前から思ってたんだが、別に無理して付き合う必要ないぞ?」

 

 いつもただ悠斗の稽古を見てるだけで、たまにアドバイスしてくれる楯無をありがたいとは思っているが、同時に申し訳ないとも思っていた。

 それに当主という立場上、色んな事があるはずなのだからそちらを優先すべきだろう。無理して付き合う必要なんてない。

 

「絶対行くから」

「いや、だから……」

「ぜっっったい、行くから」

「お、おう」

 

 やたら絶対を強調して言う楯無に若干困惑してしまう。何が楯無をそこまで動かしているのかが、当の本人でさえ分からない。ただ悠斗の側にはいつも楯無の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣道の地区大会、結果を言うと悠斗は三回戦で敗退した。今大会における最高に白熱した試合だったという評判は悠斗にとっては何の慰めにもならない。

 たとえ相手が去年の全国ベスト四で、後に今年の夏の全国優勝者になる相手だったとしても、悠斗は勝たなければいけなかった。箒と再会するためにも。

 

「悠斗……その、ドンマイ……」

「相手が悪かったっていうか、その……」

「すげぇ強かったもんな……俺、剣道分かんないけど、それは分かった。悠斗ぐらいだったよ、あいつと良い勝負出来たの……」

「つ、次、次があるわよ」

「そう、次がある……だから……」

「…………」

 

 応援に来てくれた一夏達に加えて簪の慰めをベンチで項垂れながら聞く悠斗は何も返事をしなかった。

 いつもはふざけた様子で話す一夏達も、悠斗がどれだけの思いでこの大会に挑んでいたか知っていただけに、慰めるしか出来ないでいた。

 

「悠斗くん……」

 

 この場で誰よりも悠斗が頑張っている姿を見てきた楯無は言葉が見つからない。

 負けられない戦いだったのだ。二年も前からこの時のために頑張って、そして負けた。悔しいどころではないのは想像に難くない。

 だが――――

 

「……ははっ」

『えっ?』

「ははは…………はははっ!!」

 

 突然顔を上げて笑い出した悠斗に何事かと視線を向ける。漸く見えたその目は何かを決意した目だった。唖然とする皆を差し置いてぽつりと呟く。

 

「俺が間違っていた……」

「な、何をだ?」

 

 いち早く復帰した一夏が辛うじて問い掛ける。

 

「会ってからの事を頑張っても、会えなければ意味がなかったんだ。そんな事に時間を割くぐらいなら、会うための努力をすべきだったんだ……!」

「何言ってんだよ、お前!?」

「そんな事は……!」

 

 自分には才能がないのだから、胡座をかく時間なんてない。そう判断した悠斗に弾と数馬が否定する。そんな事はないと。しかし、それさえも悠斗は否定した。

 

「なら何故俺は負けた……!? 俺に才能が、力がなかったからだ! 違うか!?」

「それ、は……」

「そんな事にかまけるぐらいならもっと稽古するべきだったんだ!」

 

 怒鳴る悠斗の言葉に誰も言い返せなかった。力がなかったのは分かっている。だがそれ以上に相手が強すぎたのだ。それを悠斗は分かっていない。

 

「足りないな……ああ、足りない……!」

 

 険しい表情で呟きながら悠斗はその場を後にした。するべき事なんて分かりきっている。強くなるための稽古しかないのだ。これまでの練習量で足りなければ、もっと。

 

「俺が足りない……!!」

「悠斗くん、待って!」

 

 ずんずんと進むその背中を見た楯無は必死に追い掛ける。悠斗が浮かべる険しい表情が、何故か泣いているように見えたからだ。夢のために頑張っているはずの姿が、夢のために傷付くように見えたからだ。

 傷は少しずつ、だが確実に、悠斗に罅を入れていく。誰も止める事など、出来はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから悠斗の稽古はこれまで以上に激しさを増していった。一夏達の誘いにすら耳を貸さなくなり、ほぼ一週間に一度行っていたデートの練習すらやめて。

 唯一の息抜きさえもやめた悠斗はより稽古に没頭する。当然、楯無と会う前のようにオーバーワークにもなろうとしていた。

 

「無茶しすぎよ」

「…………ごめん」

「ぅんしょ、謝るくらいならやめて欲しいわね」

「…………それもごめん」

「別にいいわよ。言ったでしょ? あなたは私が守るって」

 

 だからそれを少しでも和らげるべく、楯無は休憩時間にマッサージをしていた。元々要領の良い彼女は直ぐにマッサージを覚えて、休憩時間に、帰る直前に実践した。全ては悠斗を守るために。

 悠斗も楯無の言葉にだけは素直に反応を示した。道場においては誰にも反応しない男が、唯一の反応を示す女性。それが楯無だった。

 

「ん……はい、これで楽になったでしょ?」

「ああ、ありがとう」

「今日はもう終わり?」

「ああ」

 

 しかし、悠斗はあの夏の大会以来めっきり口数が少なくなった。常に何かを思い詰めるような表情でいるようになり、それは決して晴れる事はない。むしろ日に日に増していくのを楯無だけが感じていた。

 

「悠斗くん……」

 

 着替えるために道場から立ち去る姿を見て、楯無の胸が苦しくなる。以前ならば、休めと言えば楯無の言う通り休んでいたが、最早それも聞いてはくれない。聞いてくれるのはたまに行うアドバイスとマッサージ中のほんの少しの会話だけ。少しずつ、少しずつ罅が大きくなっていった。

 

 時は過ぎ、中学二年の秋。幾ら楯無が献身的に支えていると言っても限界はある。結局オーバーワークになり、それでも稽古をする悠斗に大会で良い結果なんて残せるはずがなかった。

 更に稽古に没頭するようになり、疲れが溜まる。そして試合では結果が出せない。悪循環が出来上がっていた。そんなある日。

 

「一夏くん?」

「…………」

 

 二人が視線を向けると道着姿の一夏が立っていた。悠斗も数年振りに見る姿だ。だというのに一目見ただけでまた稽古に戻ってしまった。

 

「俺も……一緒にいいか?」

「……急にどうしたの?」

 

 問い掛けるのも無理もない。箒と別れて以来、剣を取らなかった男が突如として再び剣を取ろうとしているのだから。

 

「強く、なりたいんです……」

「でもね、一夏くん……」

「……そうか、別に構わない」

 

 そこで漸く悠斗の口が開かれる。二人の目が少しだけ驚きに見開くが、直ぐに元に戻った。

 

「ありがとう、悠斗……」

「悠斗くん、いいの?」

「二人だとやれる事も出来るからな」

 

 第二回モンド・グロッソでドイツから昨日帰国したばかりで疲れているだろうが、今まで黙っていた悠斗はそれを受け入れた。疲労しているのは自分も一緒だと。

 

 楯無は一夏が強くなろうとしている理由を恐らくだが、知っていた。

 モンド・グロッソにおいて誘拐された一夏は千冬の二連覇と引き替えに、千冬の手によって助けられた。同時に国家代表の引退を告げた千冬は一夏救出に助力してくれたドイツに報いるべく、ドイツ軍への教導のため出向。ランキングも千冬が引退した事により、空白となったランク一の座を埋めるべく他の国家代表が繰り上げる形で収まった。

 

 責任を感じていたのだ。自分の弱さを思い知らされた一夏はならばと剣を取る事に。

 単純だと誰かは笑うかもしれない。それでも一夏にとってはこのまま何もしないでいるよりは遥かにましだったのだ。

 

「俺は俺のペースでやる。お前は好きにしろ」

「俺も悠斗に合わせるよ。それぐらいしないと追い付かないからな」

「……やってみろ」

 

 普通に考えれば、これまで鍛えてきた悠斗でも音を上げる膨大な練習量に、何年振りかに稽古を行う一夏が付いて来られるはずがない。だがそれだけ一夏の決意が固いという事なのだろう。

 久し振りに一夏と並んでやる素振りに少しの懐かしさを感じ、そこにもう一人、大切な人がいた事を思い出した。

 

「箒……、っ!」

 

 今の自分には昔の思い出に懐かしむ余裕なんてないと頭を振り、剣に集中する。自分が側に行くのだと、迎えに行くのだと、ただその一心で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……悠斗?」

 

 ふと呼ばれた気がして箒は振り返る。が、勿論自分を呼んだであろう大切な人などいるはずがない。しかし、箒が大切な人の声を忘れるはずもなかった。たとえ、何年も会ってなかったとしても。

 

「ふふっ、変な事もあるものだな」

 

 可笑しな事もあるものだと箒は少しだけ微笑む。悠斗と別れてはや四年近く、こんな事は初めてだったのだ。

 別に悠斗と会う事を諦めた訳ではない。むしろその逆で、必ず悠斗が迎えに来てくれると信じているからこそ。あの日、悠斗が迎えに行くと言ってくれなければ、度重なる転校などできっと箒の心は荒んでいた事だろう。

 

「そうだ。この事も日記に書いておこう」

 

 鞄から手帳を取り出すとさらさらと綺麗な字で今起きた不思議な事を記していく。箒は別れてから、新たに日記を書く習慣が身に付いていた。

 日記を書く理由なんて単純なもので、箒が一人で体験した事をいつか会う悠斗と共有したかったのだ。日記を見ながらこの時はああだった、こうだったと話すのが今から楽しみで仕方ない。

 

「悠斗は元気だろうか……」

 

 手帳に挟んでおいた写真を眺めて箒は呟いた。そこには別れの日に漸く心が繋がった二人が曇りなき笑顔で写っていた。

 

「悠斗……」

 

 瞼を閉じて手帳を抱き締めれば、あの暖かくて優しい日々が思い浮かぶ。箒にとってこの上ない大切な思い出達。それをくれたのは今しがた呟いた名前の大切な人。

 きっとこれから共に過ごすであろう、大切な人との生活に思いを馳せて箒は歩き出した。

 

 

 




次で本編行くって言いましたが……あれは嘘だ。
すいません、次の次で今度こそ本編行きます。
ちなみに次回もこんな感じの話になります。許してください、何でも(ry

それと今回は直ぐに投稿せず、決まった曜日の決まった時間に投稿しました。出来たら直ぐに投稿して、という方は活動報告の『聞きたい事』にコメントしてください。


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13話

 悠斗達が中学三年にもなると一つ学年が上の楯無は一足先に高校生となり、名門であるIS学園に通うようになる。これまでと同様に悠斗の側にいるという事が難しくなった。

 IS学園は貴重なIS操縦者を保護するという名目もあるため、全寮制だからだ。外出するのにも申請書を書かなければならない。

 更に楯無は更識家が持つ自由国籍権によりロシアの国籍を得て、高い実力を持っていた彼女は一気にロシアの代表候補生となったのだ。更識家当主としての仕事もこなしつつ、代表候補生としての練習もしなければならないと、これまでとは忙しさのランクが二つほど跳ね上がっていた。

 

「さぁ、今日もきりきり頑張りましょうか!」

「お嬢様、あまり無理はされないようお願いしますよ?」

 

 しかし、伊達に中学生の時点で楯無の名を引き継いだ訳ではない。当主としての仕事、代表候補生としての仕事、どちらも十全にこなしていく。幼馴染兼従者の虚の協力があったのも大きいかもしれない。

 今もこれからISでの練習をするべく、意気込む楯無に虚が釘を刺す。楯無も心配性な従者に苦笑いしつつ、返事した。

 

「分かってるわよ、虚ちゃん。あ、今何時かしら?」

「十六時を回ったところです。いつものですか?」

 

 ISスーツで時計も何も持たない楯無は虚に時間を訊ねるも、質問の答えに付け加えられた『いつもの』という言葉に顔が急速に熱を持ち始める。

 

「そ、そうだけど、いつものって……」

「ええ、毎日してますから。それはいつものと言いたくもなります」

「そ、そんな事、ない、わよ……?」

「疑問系じゃないですか」

「うぅぅぅ……虚ちゃんのいじわる……」

 

 何とか口答えするも、少なくとも今の虚に口では勝てそうにもない。現にただ時間を尋ねただけなのに、虚は制服のポケットからあるものを取り出していた。

 掌に置き、ニコニコと笑顔を浮かべている虚はまるでどうぞお取りくださいと言わんばかり。それを勢い良く手に取ると赤い顔のまま、楯無は言う。

 

「ちょ、ちょっとだけだからねっ。本当にちょっとだけなんだからっ」

「はいはい、簡単にですがISを見ておきますからゆっくりでいいですよ」

「ぐ、うぅ……!」

 

 言い訳がましく言う楯無に虚はどうでも良さげに返した。まるで話にならない。完全にからかわれてる事に楯無は不満ながらも、アリーナを後に。

 

「虚ちゃんに彼氏が出来たら絶対にからかってやるんだから……!」

 

 小さな仕返しを胸に、控え室で先程渡された携帯電話を操作する。ここ最近、虚の言う通り何度も繰り返し操作した電話画面までの移行は、気付けば楯無の中でタイムアタックを行うまでになっていた。

 

「よしっ、自己ベスト更新!」

 

 どうやら今日は調子が良いようで、一週間前に樹立した記録を塗り替える事が出来たらしい。後はゆっくりと携帯電話を耳に押し当てて、ただ待つだけ。

 

「(悠斗くん……)」

 

 コール音が鳴る中で楯無は電話相手の事を思う。この待ち時間が最初は胸が苦しくて切なかった。前までなら面と向かって話す事が出来たのに、今は声しか聞けない上に待たなければならない。

 それが今では待ち時間も一つの楽しみになっていた。壁に寄りかかり、電話に出るまで相手の事を思うだけで胸が高鳴る。それまで感じていた苦しさとは違ったもの。

 

「悠斗くん……」

「何だ?」

「ひゅいぃぃぃ!!?」

「……ひゅいぃぃぃ?」

 

 悠斗が電話に出たのは神がかったタイミングだった。まさか呟いた名前の人に聞かれるとは思いもせず、意表を突かれた楯無は変な声を上げてしまう。携帯電話を投げ出さなかったのは奇跡としか言いようがない。

 

「な、何でもない! ど、どうして今日はこんなに出るの早いの!?」

「毎日同じ時間に電話されれば嫌でも分かる

 」

「そ、そんな事――――」

「それに今日はいつもより遅かったから少し心配していた。大丈夫なのか?」

「え、あ、ぅ……」

「どうした?」

 

 そんな事はない、と楯無は否定したかったが続く言葉に完全に停止させられる。さっきよりも顔が熱くなるのを楯無は自覚した。

 単純に心配してくれていた事が嬉しかったのだ。言い方はあの中学一年生の時以来、ぶっきらぼうになっている。だがそのおかげで時折こうして見せてくる優しさが楯無の心を撃ち抜いていく。相変わらず悠斗という男はずるい。

 

「だ、大丈夫、大丈夫だから」

「そうか、無理はするなよ」

「え、えへへへ~。はーいっ」

「……やけに上機嫌だな。何かあったのか?」

「何でもないのっ」

 

 嬉しさのあまりにやける顔を抑えようとするが、いつもの引き締まった顔に戻すのは時間が掛かる事になるだろう。どうやらそれが声にまで出ていたみたいで、悠斗が不思議そうにしていた。

 元々側にいられなくなった楯無が悠斗を心配し、今日の報告という形で電話するのが切っ掛けだ。本来なら楯無の部下が監視しているのでこんな電話など必要ないのだが、そこは得意の口先でごり押した。直接声が聞きたかったなんて言えるはずがない。

 

 最早虚に言っていた、ちょっとだけなどすっかり忘れていた楯無だった。本人は自覚していないが、今の嬉しそうに笑う彼女を見れば一目で分かるだろう。

 

 ――――恋をしていると。

 

「明日からの土日はそっち行くからね」

「毎回言うが、無理して来なくていいんだぞ。お前だって忙しいだろ」

「いいの、たまには息抜きだって必要なのよ」

「……分かった。好きにしろ」

 

 土日になると毎回楯無は外泊の申請書を書き、悠斗の元へ行く。忙しいとかを言い訳にはせず、体調不良じゃない限り必ず来ていた。何を言っても楯無は来ると分かっている悠斗はそれ以上言わない。

 

「……じゃあね、また今度電話するから」

 

 やがて楽しい時間も終わりを告げる。それまで楽しげな表情だった楯無もこの時ばかりはどうしても暗くなる。長かった電話も終わろうと別れの文句を言う楯無に――――

 

「ん。楯無」

「何?」

「その、いつも心配してくれてありがとう」

「えっ……?」

 

 感謝という名の爆弾が落とされた。

 

「じゃあな」

「う、うん……」

 

 何かを言う暇もなく、悠斗は電話を切る。唖然としながら楯無は携帯電話の画面を見て、力強く頷いた。

 

「うんっ」

 

 土日は悠斗と会うために練習は出来ない。だからこそ、会えない平日に濃い練習をこなす。

 他の国家代表を目指す者が聞いたら卒倒しそうな理由だが、楯無は至って真面目だ。真面目に国家代表を目指している。

 

「あ、お嬢様。漸くお戻りになりましたか。やはりちょっとだけというのは嘘だったみたいで――――」

「頑張るわよー!!」

「えぇ……?」

 

 それはからかおうとした矢先の事。アリーナに戻った楯無が開口一番の叫びに、従者として、幼馴染としても長年付き合ってきた虚でさえ困惑してしまう。

 その日、更識楯無はいつもより三割増しで元気だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迎えた中学生生活最後の大会。やはりというべきか、悠斗はまたもや優勝を逃してしまう。三度目の正直と挑んだこの大会でも駄目だったのだ。

 しかし、無茶を繰り返し、限界を迎えていた彼に結果を出せと言うのが酷な話。

 

「悠斗くん……」

「…………ああ」

 

 隣で心配する楯無に力ない返事をする悠斗の視線の先には表彰台に立つ一夏の姿があった。優勝したのは一夏だった。

 僅か一年足らず期間で何年ものブランクを取り戻し、恐ろしいほどの速度で力を付けたのだ。才能溢れる一夏だからこそ出来たのだと理解するのは難くない。

 

「…………ああ」

 

 悠斗は思った。羨ましいと。それと同時に一夏はやっぱり凄いんだなと考えた。きっと一夏なら全国にも行けるのだろうと。いや、そのまま優勝するかもしれない。

 それに比べて――――

 

「悠斗くん、その……」

 

 羨望の眼差しで一夏を見る悠斗を必死に慰めようとする楯無だったが、言葉が見つからなかった。何を言っても、今の悠斗を慰める事は出来ない。ただ眺める事しか出来なかった。

 

 一足先に帰る事にした悠斗は帰りの電車の中でも一言も話さなかった。ずっと俯いているせいか、楯無よりも大きいはずの身長が今日は小さく見える。

 何故か不安だった楯無は悠斗を家まで一緒に付き添う事にした。幸か不幸か、家には悠斗の家族は誰もいない。変に今日の結果を聞かれる事もないと一安心した。

 

「今日はゆっくり休んで、ね?」

「…………ああ」

「明日どうするか、決めたら連絡ちょうだい」

「…………ああ」

 

 上の空で決まった返事しかしない悠斗にどんどん不安が大きくなる楯無だが、今は一人にした方がいいだろうと悠斗の家を後にした。

 

「悠斗くん……」

 

 夜、未だに悠斗からの連絡が来ない事に更に不安が大きくなる。あのまま悠斗の側にいた方が良かったんじゃないのかと楯無は思う。だが楯無もあれ以上悠斗を見ているのが辛かったのだ。

 

「はぁ……お風呂にでも入って来ようかな……ぅん?」

 

 その時、楯無の携帯電話が鳴る。漸く悠斗から連絡が来たのかと思ったら、部下からの連絡だった。

 それに酷く落胆するも、これも仕方ないと気持ちを切り替えて電話に出る。

 

「もしもし? どうしたの?」

「楯無様、白井悠斗が――――」

「えっ……!!」

 

 話を聞くと同時に楯無は走り出す。電話の内容はこうだ。悠斗を護衛、監視していたチームが楯無と別れた後、直ぐに道場へ向かい、夜の十時を過ぎた今もまだ稽古をしていると。少なくとも五時間は休憩もなしに行っている。

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

 焦りのあまり車を呼び出す事さえ忘れて楯無は走る。悠斗の元へ。最早理知的に動く事なんて頭になかった。ただあの人の元へと行くという想いが楯無を動かしていた。

 漸く辿り着いた道場の扉を開くとそこには剣を振る悠斗の背中が。近付こうとした瞬間、ふらつき、その場に倒れた。

 

「悠斗くん!!」

 

 一気に血の気が引くも、楯無は倒れた悠斗の元へ走り寄る。上半身を抱き起こすと分厚いはずの道着は汗で濡れており、どれだけの間稽古してたかを物語っていた。脱水症状の可能性が高い。

 

「悠斗くん、しっかりして!!」

「……ん。ああ、楯無か……」

「大丈夫!? 大丈夫なのね!?」

「少し目眩がしただけだ……」

 

 目眩がしたという事は良くとも中程度の脱水症状だ。しかし、明らかに意識を失っていたので重度の可能性もある。となれば楯無の判断は早かった。

 

「早くスポーツドリンク持ってきて! それと救急車!」

「スポーツドリンクはこちらに。救急車はただいま手配します」

 

 物陰から現れた楯無の部下からスポーツドリンクを渡されると直ぐに封を開け、悠斗の半開きの口へゆっくり運ぶ。飲みやすいように少しだけ角度が付くように悠斗の頭を自身の膝の上に乗せて。

 

「大丈夫? 飲める?」

「んぐ……んぐ……。ぷはっ、だから言ってるだろ……目眩がしただけだって……」

「良かった……!」

 

 どうやら本当に目眩がしただけらしい。救急車の手配は取り止めて、更識家が雇っている医者を呼ぶ事にした。そちらの方が早いし、信用も出来る。楯無も冷静ではなかったようだ。

 

「どうしてこんなになるまで……」

 

 悠斗を膝の上に乗せながら楯無が問い掛けた。負ける度に無茶を繰り返していたが、今回は度が過ぎている。質問するのは当然だった。

 

「……俺、さ」

「うん」

「頑張れば、頑張った分だけ夢に近付けるって思ってたんだ」

「うん」

 

 気付けば悠斗の口調が昔の、険しい表情をする前のものに戻っている。だが楯無はそれを指摘せずに黙って話を聞く事にした。

 

「それがたとえ一歩ずつでも、確実に夢に向かって行ってるって思ってた。箒に会えるんだって。一歩でも近付ける明日が待ち遠しかった」

「……うん」

 

 真っ直ぐ天井へとゆっくり手を伸ばし、悠斗は虚空にある何かを掴もうとする。きっとその先には箒との暖かい未来があるのは容易に想像出来た。容易に想像出来ただけに楯無の胸が苦しく、痛みを上げる。

 だが悠斗の腕も途中で止まってしまった。

 

「でも中学一年生の時に、あの大会で負けた時に、それは間違いだって思い知らされたんだ」

「えっ……?」

 

 伸ばされていた右腕は横にパタリと倒れ、代わりに左腕が悠斗の目を覆った。何かを隠すように。しかし、隠しきれずに涙が頬を伝う。

 

「夢が遠ざかっていくんだ……! あの日から、何をしても夢から遠ざかっていくんだよ……!!」

「悠斗くん……」

「嫌だ……! 嫌だ……!! 明日になればまた遠ざかっていく……! 明日が怖い……!」

 

 五年間、悠斗と一緒にいるようになってそれだけの月日が経つ楯無も初めて聞く悠斗の弱音。涙声混じりの叫びはまるで悠斗を幼い子供のように見せた。

 

「大丈夫よ、悠斗くんならいつかきっと……」

「いつかって何時なんだ!? 俺は何時まで箒を待たせればいいんだ!?」

「それでも、あなたならきっと……!」

「やめろ! 気休めで言うな! 俺はそんなに強くない!」

 

 諦められるものなら当の昔に諦めているだろう。それでも悠斗がこれまでやってこれたのは箒との約束があったからこそ。それだけを頼りに今日まで頑張って来たのだ。

 しかし、それも限界を迎えようとしている。他ならぬ箒との約束が悠斗を苦しめていた。

 

「ごめん……箒……ごめん……」

 

 元々疲労していたのもあってか、一頻り泣き叫ぶと悠斗は眠りに付いた。譫言のように箒への謝罪を繰り返しながら。

 

 それを見た楯無が投げ出されていた悠斗の右手を取り、握り締める。左手は優しく悠斗の頬を撫でた。目の前で苦しんでいるこの人が安らげるように。

 

「大丈夫……あなたは私が守るから」

 

 漸く楯無は自身の気持ちに気付いたのだ。以前から悠斗に抱いていた想いをゆっくりと紡いでいく。

 目の前にいるこの人が苦しまなくて済むように、悲しまなくて済むように。

 

「ううん。お願い、私に守らせて」

 

 出会った日に言ったこの言葉はあの時とは明確な違いを持っていた。あの時は多少の情が湧いたとは言え、あくまで仕事の上で言っていたのだ。

 

 だが今は違う。もう仕事なんて関係ない。楯無は私情で以て、この男を支えると誓ったのだ。篠ノ之箒なんて関係ない。自分が側で悠斗を支えるのだと。たとえ悠斗がその瞳に箒しか映さずとも――――

 

「私はあなたを愛しています」

 

 楯無の誓いは誰にも聞かれずに道場に流れた風に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年は明けて、二月の中旬。悠斗は日本で有数のIS企業、倉持技研所有の研究所にいた。その横には当然のように楯無もいる。

 二人の手は固く繋がれていた。いや、楯無の方から一方的に強く握られているのが正しい。あの日、初めて弱さを見せた時から悠斗の存在が希薄になっていた。こうでもしないと何処かに消えてしまうのではないかと、楯無は不安になっていたのだ。

 

 さて、何故悠斗がIS企業の研究所にいるかと言うと、遂に世界初の男性IS操縦者が現れたからだ。その名も織斑一夏。

 家族から世界で唯一の男性IS操縦者が現れた事で、悠斗も保護プログラムに入る事になった。そして、その間に世界中で男性IS操縦者の検査が行われ、悠斗が残った最後の一人となったのだ。

 

「悠斗くん、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ」

「……うん、じゃあさっさと終わらせましょう?」

「そうだな」

「……っ」

 

 微笑む悠斗に楯無は眉をひそめる。あれ以来、悠斗は以前のように笑うようになった。だがそれは楯無や悠斗をよく知る人物からすれば、悠斗が浮かべているのは作り笑いでしかない。

 楯無に作り笑いが嫌だと言った悠斗が作り笑いをしているこの状況を打破すべく、楯無は一人手を尽くしていたが、全ては無駄に終わった。楯無ではどうにも出来ない。

 

「さ、これに触れてみて。もし適性があるのなら反応があるはずだから」

「はい」

 

 言われた通り、悠斗は手を伸ばす。その先にはこの世界の象徴たるISが鎮座していた。

 箒との別れの原因であり、家族が離ればなれになった原因に今、悠斗が触れる。

 

「っ!!」

「な!?」

 

 その瞬間、悠斗に膨大な情報が流れ、光に包まれる。何度も見た光景に楯無は驚愕した。

 まさか、そんな。そうして光が収まればそこには日本の代表的なIS、《打鉄》を纏った悠斗の姿が。

 

「は、はは……」

 

 乾いた笑いが悠斗の口から溢れた。クリアーになった思考が、悠斗が生きてきて得られたピースを一つずつ嵌め込んでいき、そして――――

 

「はははっ!! やった! これなら俺は!!」

 

 一つの絵が完成した。箒のために出来上がった絵に歓喜の声を上げる。本当の笑みを浮かべて。ここに、二人目の男性IS操縦者が誕生した。

 

 その後、隔離されていたホテルに戻ると悠斗は抑えきれない歓喜の気持ちを出しながら廊下を歩いていた。先程完成した計画を思い浮かべながら。

 

「(やれる。そうだ、俺はやれるんだ!)」

 

 意気揚々と与えられた部屋の扉を開けた先、悠斗しかいないはずの部屋にその人はいた。

 

「やっほー、ゆーくん!」

「束さん……?」

 

 忘れもしない、箒の姉にして、ISの開発者、そして現在指名手配中の束が何故か部屋の中にいた。

 

「どうしてここに……?」

「ゆーくんにした、お礼の感想を聞きたくて」

「お礼?」

 

 嫌な予感が悠斗を包み込んだ。聞きたくないが、聞かざるを得ない。そうして少しずつ開けてはいけないパンドラの箱が開かれる。

 

「いやー、動かせるのは知ってたけど、まさか最初にいっくんが動かしちゃうなんてね。いっくんの方向音痴には束さんもビックリだよ!」

「ああ、やっぱり……」

 

 一夏が動かしたのはたまたま受験する藍越学園とIS学園の試験会場が同じで、そこに一夏の極度の方向音痴が重なった結果だった。言ってしまえば本当に偶然だったのだ。

 

「でね、ゆーくんは私がそういう風にISに指令を出したの。ゆーくんを操作出来るようにって。そうすればIS学園に行く箒ちゃんとも会えるから」

「えっ……? 一夏みたいに俺にも動かせたんじゃ……?」

「……あまりゆーくんにこんな事言いたくないんだけど」

 

 それまでおちゃらけていた束が顔に影を落とす。束の口振りに当然の疑問を抱く悠斗に告げられたのは――――

 

「ゆーくんには才能がない」

 

 幾千幾万のどんな嘘よりも酷い、たった一つの真実だった。

 

「普通の人ならISは乗れば乗るほど適性が上がっていく。でもゆーくんは無理矢理動かしているのに近いから適性が上がる事なんてない。最低のままだよ」

「どうにも、出来ないんですか……?」

「ドイツが適性上げるナノマシン作ってたけど、ないやつに打ち込んだら不適合で死んじゃったみたいだからね。どうにも出来ないよ」

 

 適性はISの動かしやすさや武器を量子変換する際に関係してくる。動かしやすさは訓練次第でどうとでもなるが、量子変換はどうにもならない。悠斗はそれが最低のランクのそれまた最低だ。

 

「分かって、いました……」

 

 悠斗は膝から崩れ落ちた。自分が誰よりも才能がないなんて事は悠斗は知っている。だが、それでもやらなければならないのだ。悠斗はそのまま頭を床にまで下げて、土下座して懇願した。

 

「お願いします。俺に力をください」

「……何で? ゆーくんは箒ちゃんのボディーガードになるんじゃないの?」

「実は――――」

 

 自身が思い付いた計画を話していく悠斗。その話を聞いていく内に束も真剣にその話と向き合う。

 

「確かにそれなら箒ちゃんの側にいられる。私の目的とも合致するし、メリットはあるね」

「束さんの目的?」

「ああ、気にしないで」

 

 束の目的に悠斗は首を傾げるが、どうやら教えてくれそうにないらしい。

 そんな悠斗へ束が続ける。

 

「でもねゆーくん、ゆーくんがやろうとしている事はこの世界に大きな影響を与えるんだよ?」

「分かっています」

「ゆーくんは色んな奴等に目を付けられる」

「覚悟の上です」

 

 どれだけ言っても悠斗は微塵の迷いもなく答えていく。やがて観念したかのように束は溜め息を吐くと手を差し伸べた。

 

「あ、ありがとうございま――――」

「待って、ゆーくん」

「えっ?」

 

 差し伸べた手を悠斗が掴もうとした瞬間、その差出人である束が待ったを掛けた。

 

「ゆーくんに差し伸べたこの手は神様の手でも、天使の手でもない。これは悪魔の手なんだよ」

「悪魔の、手……?」

 

 そう、と頷いた束は更に続ける。

 

「悪魔は力を与える代わりに代償を求める。それはゆーくんの命かもしれない。それでも――――」

 

 束が言い終える前に悠斗はその手を掴んだ。代償を求め、それは悠斗の命かもしれないと言ったにも関わらず、迷わず悠斗は力を求める。自身にはない力を。

 

「それで箒の側にいられるなら」

「契約成立、だね」

 

 ここに契約は成立した。この計画が世界を揺るがすほどになる事を他の人が知るのはまだ少し先。

 

 




次回から漸く原作?本編?に入ります。


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14話

今回楯無パイセンお休みです。


「いや、それにしてもまさか俺達がこうなるとはなぁ」

「何か不思議そうに言ってるけど、切っ掛けはお前だぞ。この方向音痴が」

「……いや、違うんだって。ここだろうって思ってた部屋が全部ハズレでな? 次の部屋入ってハズレだったら、そこにいる人に聞こうとしたらISが――――」

「単なる迷子じゃねぇか、方向音痴」

「だから違うんだって。いいか、あれは建物が悪い」

 

 久しぶりに会った悠斗と一夏は並んでIS学園の廊下を歩いていた。必死に言い訳をする一夏に溜め息を吐く。一夏は相変わらず自分が方向音痴だと認めようとしない。頑なに違うと否定する。

 

 教室に近付くにつれ、人混みも多くなる。一年生だけでこんなにもいるのかと思えるほどいるが、ネクタイの色が違うのもいた。

 IS学園ではネクタイの色によって、同学年かそうでないかを一目で分かるようにしている。

 つまり、ここいるのは一年生だけではない。皆見に来ているのだ。世界でたった二人の男性IS操縦者を。

 

「はぁーあ、俺達は動物園のパンダかよ」

 

 こそこそと一夏が周りには聞こえないように話す。それすらも聞こうと周りの女子は聞き耳を立てるのだから油断出来ない。

 

「まぁ今はそんなところだろうな。その内、普通になるだろ」

「そうかぁ……?」

「きっとな。それにしてもやっぱ女子校ってのは華やかでいいねぇ」

 

 うんざりした様子の一夏に対して悠斗は何処かこの状況を楽しんでいた。にこやかに廊下を歩いている悠斗を見て、一夏はぼそりと呟く。

 

「……お前、箒と楯無さんにチクるぞ。浮気してたって」

「おい、馬鹿やめろ。浮気じゃねぇから。セーフだから」

「いや、アウトだろ」

「分かった。百歩譲ってセウトにしよう」

「それ語感的に限りなくアウトだぞ」

 

 そんな他愛ない話を二人でしていると、不意に一夏が微笑んだ。突然笑みを浮かべた一夏に悠斗が不信感を抱くのも無理もない。

 

「……何だよ」

「いや、悠斗が元気になったみたいで良かったなって」

 

 ジト目で睨む悠斗に嬉しそうに一夏は言う。

 一夏もここ数年、ずっと悠斗が思い詰めていたのは知っていた。それを少しでも和らげるべく、楯無が側にいた事も。

 無論、一夏だって弾や数馬と共に何とかしようとしたが、どうにもならなかったのだ。悠斗が作り笑いをする度に一夏も辛い思いをしていた。そんな悠斗と再びこんな会話が出来ると一夏は心から喜んでいたのだ。

 

 それを聞いて悠斗の表情が一瞬強張る。そして表情を見られないように少し顔を背けると返事した。まるで何かを悟られないように。

 

「そう、か……」

「ああ、皆心配してたんだ。後で弾と数馬にも連絡しろよ?」

「分かってる、分かってるよ」

「……ん?」

 

 この時、一夏は一切目を合わせないどころか、顔すらこちらに向けようとしない悠斗に違和感を感じていた。少しだけ前の、作り笑いをしていた頃の悠斗が頭を過る。

 

「……なぁ――――」

 

 何かあったのかと訊ねようとする一夏だったが――――

 

「ところで何で浮気云々の話に楯無が出てきたんだ? 箒は分かるが、楯無は関係ないだろ?」

「…………は?」

 

 遮るようにして放たれた悠斗の言葉に彼方へと吹き飛ばされてしまった。ついつい足を止めてしまう。見ると悠斗は本当に分からないといった表情をしている。一夏にしてみれば目の前の男が何を言っているのか分からない。

 

「ゆ、悠斗さん? あの、前から聞こうと思ってたんですけど……いいですか?」

「いいけど、何で敬語なんだ?」

「楯無さんの事、どう思ってるんですか?」

「んん?」

 

 分からないが故に、遂に一夏はある種、触れてはならない事にふれてしまった。我慢出来なかったのだ。

 それに対して悠斗は質問の意図が分かりかねないのか、一層難しそうな顔をして少し悩む。たっぷり十数秒ほど考えてから口が開かれた。

 

「やたら面倒見のいい年上の友達、かなぁ」

「…………うわぁ」

「えっ、何その『うわぁ』って」

 

 ある程度予想通りの答えが返ってきた事に一夏の顔が引き攣る。別の意味で百点満点の解答だ。

 箒の事しか頭にない悠斗は他の女性から好意を寄せられているという事実に気付かない。 というよりは気付けない。一夏は思った。一途というのも考えものだと。

 

「楯無さんも可哀想になぁ……」

「何で楯無が可哀想なんだ? ちょっと一夏くんの話がワープし過ぎてよく分からないんですけど」

「(な、殴りたい……!)」

 

 最早呆れるをあっさり通り越して殺意が湧いてくるレベルだが、一夏はぐっと堪える。入学初日でいきなり評判を悪くするのは大変宜しくない。

 

「おお、ここだ」

「そ、それより凄い付いてきてるんだけど……」

「……気にするな。俺は気にしない」

「さすがレイ・ザ・バレルの台詞、汎用性高い。ってそうじゃなくて、早く入ろうぜ」

 

 漸く教室に着いたところで、二人が振り返れば自分達が歩いてきた後を女子が学年を問わず、付いてきていた。宛らモンゴルの民族大移動のようである。

  廊下を埋め尽くさんばかりの人数に二人とも震え上がりそうになったため、急いで教室に避難しようとして――――

 

「――――」

「おふっ!? な、何で立ち止まるんだよ? ぅん?」

 

 先頭を切っていた悠斗の足が止まった。背中にぶつかった一夏の声すら今の悠斗には届いていない。

 扉を開ければ当然のように女子だけがいて、ほぼ全てが一様にたった二人の男子を見ている中でただ一人、窓際に立ってずっと外を見ている少女がいた。悠斗の視線はその少女に釘付けにされている。一夏も漸くそれに気付いた。

 

「…………っ!」

「な、なんだぁ?」

 

 扉の前で止まったかと思えば、突然その少女に向かって真っ直ぐ歩き出した悠斗を一夏だけじゃなく、女子全員が不思議そうに見ていた。

 

 黒くて長い髪はポニーテールにしても優に腰まで届いている。真っ直ぐな背筋は何か武道でもやっていたのかと思えるほど綺麗で。

 

「何を……しているんですか?」

 

 気付けば悠斗はその少女に話し掛けていた。震えそうになる声を必死に押し殺して、何とか平静を保った声で。

 少女は振り向かず、悠斗の問いに背中を向けたまま答えた。

 

「人を待っています」

「人、ですか?」

「はい、とても大切な人なんです」

 

 二人の会話が静まった教室によく響いた。教室どころか廊下にまで溢れんばかりに人がいるのに、ここには悠斗と少女しかいないんじゃないかと錯覚させるほど静かだった。

 

「大切な人……」

「子供の頃に必ず迎えに行くと約束してくれたんです。本当は私の方から行きたいんですが、きっとその人が嫌がると思うので」

「何故嫌がるんですか?」

「私から行くと、迎えに行くと約束したのが守れなかったとしてカッコ悪いから……ですかね?」

「……その人の事、よく知ってるんですね」

「ええ、とても」

 

 何処か嬉しそうに話す少女。本当にその大切な人を想っているのが、事情を全く知らない周りの女子からも見てとれた。

 それを聞いて、一夏も漸く確信に変わる。そういう事かと、悠斗が突然立ち止まった理由も把握したのだ。

 

「あなたは?」

「俺は、何処か遠くに行った大切な人を迎えに行く途中で」

「……何処か遠く、ですか。場所も分からないその人を諦めようとは思わなかったんですか?」

「……っ」

 

 少女からの問い掛けに悠斗は息を呑む。本当によく知っている。

 

「……正直、何度も諦めようかと迷いました。でもその度にその人の笑顔を思い出して……諦めないでここまで来れました」

「そう、ですか。苦労……されたんですね」

「それなりには。それに……」

「それに?」

「今は何処にいるか、分かってますから」

 

 少女の体がぴくりと反応した。元々お腹の辺りで組まれていた少女の手が歓喜で震える。溢れる感情のまま、体が動きそうになるが何とか抑えて話を続けた。

 

「その人は何処に……?」

「……今は、俺の目の前に」

「っ、悠斗!!」

「箒……!!」

 

 もう我慢出来なかった。少女、篠ノ之箒は悠斗との間にあった最後の一歩を自分で埋めて、抱き締めに行った。愛しい大切な人の腕の中へと。

 

「すまない……ちゃんと待ってるつもりだったんだが……」

「いいよ、これくらい。誤差みたいなもんだ」

「そうか……。それにしても少し痛いぞ」

「ごめん、ちょっと上手く加減出来そうにない」

「そうか、ふふっ」

 

 久しぶりに出会えた事に悠斗は上手く抱き締める力を加減出来ないでいた。五年振りに再会出来たのだから無理もない。

 それに痛いと言っている箒自身、嫌そうにしているどころか嬉しそうに悠斗の首筋に顔を埋めている。

 

「一瞬しか見れなかったけど、箒は美人になったな」

「良かった……。これでも悠斗と会う日に向けて女らしさを磨くべく修行していたんだ」

「ぷっ、修行って言葉は女らしいのか?」

「ふふ、実は私も疑問に思ってた」

 

 お互い笑い合うと今度は悠斗の話となった。

 

「じゃあ、俺はどうだった?」

「その、正直言うとまだ悠斗の顔は見てないんだ……早くこうしたかったから……」

「お、おう……」

 

 そう言うと箒は悠斗に更に強く抱き着いてくる。こうしたかったと言葉でなく、行動で示してくる辺り、かなり揺らいだ悠斗だったが、何とか堪えた。

 

「な、なら今見てくれよ」

「う、うむ」

 

 悠斗に言われて離れようとするが、直ぐにまた抱き着いてきてしまい、一向に離れる様子がない。

 

「どうしたんだ?」

「だ、ダメだ……今はまだ悠斗から離れたくない……ぅん? 悠斗、どうしたのだ?」

 

 少し落ち込んだように言う箒に遂に悠斗の我慢が限界に達したのか、顔を見るべく緩めていた腕にまた力が入る。

 

「やばい。俺の彼女が超可愛い」

「えぇ!?」

『(何なんだろう、これ……)』

 

 二人のフィクション作品で見るような展開にほぼ今日出会ったばかりの女子全員の心が重なった。よく分からないが、とりあえず二人は中々大変だったという事は分かった。

 しかし、ここにいるのは一人身が多い上に、一人身じゃないとしても恋人とは簡単に会えない場所にいる。女子校という場所では女同士に目覚めない限り、この二人は毒みたいなものだ。

 

「うぅ……皆さーん、席に、というか自分のクラスに戻ってくださーい! 予鈴は鳴りましたよー!」

 

 悠斗達のクラスの副担任である山田が自分のクラスにいる生徒達へ、というよりやたら群がっている生徒達に言うがあまり効果はない。

 どうにも自分のクラスに原因があると分かった山田は人垣をかき分けて、何とか自分のクラス前まで辿り着く。

 

「はぁ、漸く、ってあれ? 織斑くん?」

「はい?」

 

 一息つこうとしたのも束の間、山田がこの騒動の原因だと思っていた一夏に出くわした。呼ばれて山田の方へ向いた一夏だったが、どうも一夏自身も何かを見て呆けていたらしい。原因ではなかったという事だ。

 

 では何が原因かと一夏や生徒達の向いてる方向へ見てみれば――――

 

「箒……」

「悠斗……」

「んなっ!?」

 

 堂々と教室で抱き合ってるバカップルみたいなのがいた。すっかり自分達の空間に入り込んでいるのか、山田の驚愕に満ちた声すら聞こえていないらしい。

 

「ん……まだ予鈴は鳴っていないよな?」

「だなぁ」

「ならまだこのままでいれるんだなっ」

「(とっくに鳴ってますよ!)」

 

 山田が心の中で突っ込みを入れるも当然届かない。五年間という空白の時間は二人には大きすぎたのだ。鳴り響いていた予鈴すら聞こえなかったらしい。

 

 と、そこへこの状況を打破出来る存在がやってきた。

 

「ん? 誰――――むぐっ?」

 

 不意に悠斗の肩が叩かれ、振り向こうとすると頬をむにっと指で突かれる。

 

「ははっ、漸く気付いたか。この色男が」

 

 古典的な悪戯が成功した事に千冬は笑みを浮かべて二人を見ていた。それまで抱き合っていた悠斗と箒は知り合いの登場に勢い良く離れる。

 

「ち、千冬さん?」

「お、お久しぶりです、千冬さん」

「ああ、久しぶりだな。だが公私の区別は付けろ。ここでは織斑先生だ、白井、篠ノ之」

『はい』

 

 家族だから、知り合いだからと言って特別扱いは出来ない。根が真面目な千冬らしい忠告だった。だが――――

 

「それと幾ら久しぶりだからといって公共の場でイチャつくのはやめろ。目に毒だからな」

『…………』

 

 続く言葉は何とも意地の悪い笑みを浮かべており、とても公私を区別している人間とは思えなかった二人だった。しかし、反論しようとも恐らくはもっと意地の悪い事を言われて敗北するだろう。

 それに遅れて漸く自分達が皆の前で抱き合っていた事に気付き、真っ赤になって俯く二人。この後の自己紹介で質問攻めに遭うのは目に見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、そうだ。授業の前にクラス代表を決めておこう」

 

 四時限目、授業開始前に千冬がそう言った。

 クラス代表とは文字通りそのクラスの代表となって様々な学校行事に出る役目がある。まず最初の仕事として、再来週に行われるクラス代表戦というのに出場しなければならない。これは入学時点での実力を計るためのもので、優勝すると食堂でのデザート一年間フリーパスを貰える。それを知った時に女子の目の色が変わった。

 

「さぁ、自薦他薦どれでも構わないぞ」

「はいっ! 織斑くんがいいと思います!」

「私も織斑くんを!」

「私も!」

「まずは織斑か……」

 

 次々にクラスの女子達が一夏を指名していく。それも自己紹介の時に《ブリュンヒルデ》千冬の弟だと知られたからだろう。世界最強の弟という肩書きにより、まず一夏が。

 対する悠斗には誰も推薦しなかった。物珍しいだけでフリーパスを獲得出来はしない。ただの男に興味なんてなかったのだ。

 

「では、イギリス代表候補生のこのわたくしも立候補しますわ」

「僕も頑張らないとね」

「セシリア・オルコットさんとシャルロット・デュノアさんですねー……他にはいますかー?」

 

 次に手が上げられたのはイギリス代表候補生のセシリア・オルコットとフランス代表候補生のシャルロット・デュノア。

 どちらも代表候補生の中でも高い実力と国から大きな期待を受けており、絶対数が少ないISを専用機で持っている。それで二人がどれだけ期待されているか分かるだろう。国家代表になる事を期待されている二人には今の内から試合の経験を積んでおいて損はない。

 

「えっ!? お、俺!? む、無理です! 降ろさせてください!」

「ダメだ。何のための推薦だ」

 

 かなり遅れて一夏が立ち上がり、推薦された事へ抗議するもあっさり却下された。がっくりと項垂れる一夏へ千冬の追撃が迫る。

 

「それよりも何故今更抗議した? 織斑が推薦されたのは随分前だったが……まさか聞いてなかったのか?」

「クラス代表、精一杯やります!」

「露骨に話を逸らすな。全く、他にはいるか?」

 

 千冬が教室を見渡した時、一人手が上げられている事に気が付いた。それはたった二人の片割れで、千冬にとってもう一人の弟。

 

「白井か。誰を推薦するんだ?」

「俺を、俺を立候補させてください」

「何……?」

「えっ、悠斗もか?」

「悠斗……?」

 

 悠斗の発言に悠斗を知る千冬、一夏、箒が違和感を感じる。三人が知る悠斗という男は穏やかな生活を望む男だった。断じて、自らが望んでこういった目立つ場所に行く男ではない。だからこそ箒も推薦しなかったのだ。少し、箒の胸がざわついた。

 

「ダメですか?」

「あ、いや、大丈夫だ。山田先生、白井を追加で」

「はーい、白井悠斗くんっと。他にいますかー?」

 

 どうやら悠斗が最後だったようだ。そして候補者が四人もいる事から、四人の候補者がISを使ってのバトルロワイアル形式で決める事に。

 

「箒、ほら行くぞ」

「あ、ああ……」

「おーい、俺も忘れんなって」

 

 その授業後、昼食となった悠斗達は三人で食堂へ。久しぶりに幼馴染三人での行動となった。

 

「悠斗、その、どうしたんだ?」

「ん? 何が?」

「クラス代表の事だ。何で立候補なんてしたんだ? 以前ならしなかっただろう」

「ああ、それ俺も不思議に思ってたんだ」

 

 道中、箒が先程のクラス代表に立候補した事で話し掛けた。一夏も不思議に思うという事はどうやら会わなかった期間が悠斗を変えた訳じゃないらしい。

 その問い掛けに悠斗は真っ直ぐ箒へと向いて答えた。

 

「――――やりたい事が出来たんだ」

「やりたい、事……?」

「それのまぁ、練習みたいなもんでクラス代表にならなくちゃいけなくってな。やりたい事はまだ秘密だ」

「何だよそれ、教えろよ!」

「教えねーよ!」

 

 歩きながら騒ぐ悠斗と一夏を見て、箒は胸のざわつきがより大きくなるのを感じていた。

 

「(何だろう……?)」

 

 先程見た悠斗の黒い瞳に何か良からぬものを感じ取った箒は思わず立ち止まる。

 あの日から何か変わってしまったのだろうか。箒の嫌な予感が強くなっていく。

 

「どうしたんだ箒? ほら、行こうぜ」

「あ、う、うむ(気のせい、か……?)」

 

 しかし、それもすっかり消えてしまった。差し出してくれた手の向こうにいる悠斗の笑顔が眩しくて。

 悠斗の手を取ると箒は自分の心が満たされていくのを感じた。隣に大切な人がいる。それだけで箒は満足していた。今度はこの繋がれた手が離れない事を願いつつ、箒は悠斗と共に歩いていく。

 

 



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15話

楯無パイセン可哀想ボタンを作りました。
押すと自動的に「楯無パイセン可哀想……」って言ってくれる凄いやつです。


 食堂に着くとやはりというべきか、どうしても三人に注目が集まる。

 この学園でたった二人の男子学生とその恋人にしてIS開発者の妹ともなれば注目するのは当然だった。

 

「悠斗はどれにするんだ?」

 

 券売機に並びながら箒が問い掛けた。未だに手は指が絡み合うようにしている恋人繋ぎのまま離れようとしない。まるでそれが当たり前であるかのように。

 悠斗も空いた手で食堂のメニューを一つずつなぞるように見ていき、悩みながら答える。

 

「んー……日替わりの和食かな」

「あっ……!」

「ん? どうした?」

 

 どのぐらいの食堂なのかを推し量るべく、とりあえず日替わりメニューを選ぶ悠斗に思わずといった感じで声を漏らした箒。何事かと悠斗が首を傾げてみると箒は喜色を顔に浮かべている。

 

「私もそれにしようと思ってたんだっ」

「……えっ、もしかして頼もうとしてたのが俺と同じで嬉しいのか?」

「うっ……だ、ダメか?」

 

 図星だったようで箒が少し気まずそうにしょんぼりする。しかし、箒としてはそんな些細な事でも幸せを感じてしまえるのだからしょうがない。五年も離ればなれだったのだから。

 

「ダメじゃない。でもそういうのはちょっと控えて欲しい」

「な、何でだ?」

「……そういう事言われると俺も嬉しくなって抱き締めたくなる。我慢するのも大変なんだぞ」

「悠斗……!」

 

 その言葉に落ち込んでいた箒の顔が急速に明るくなっていく。つぼみから華が咲いたように綺麗だった。

 

「そ、そうだな。二人きりの時にしよう!」

「あっ、こら」

「ふふ……」

「はぁ、全くしょうがないな……」

 

 そう言いながらも、感極まって繋いでいた腕を絡め取ってぴったりと寄り添う箒。咎めようとする悠斗も口ではそう言いつつも、何だかんだ嬉しそうに受け入れた。再会したばかりの二人に我慢なんて出来るはずがなかったのだ。

 

『(何これぇ……)』

 

 目の前で行われている、バカップルがやるであろう光景を後ろに並んでいた女子達が死んだ魚のような目で見ていた。というか目の前にいるのは間違えようなく、バカップルだ。

 しかし、一番の被害者は別にいる。

 

「(あっ、これミスったわ。一緒に来るべきじゃなかったわ)」

 

 そう、一番の被害者は二人と一緒に来た一夏しかいない。死んだ魚の目で隣のバカップルが織り成すイチャつきを至近距離で見ている彼は、心の中で吐血しながら一緒に来た事を激しく後悔していた。

 

「おーい、一夏。こっち空いてるぞー」

「一緒に食べるんだろう?」

「あ、ああ(やっぱ俺も行くんだ)」

 

 後悔しているといつの間にか和食の日替わり定食を手に空いているテーブルを確保しているバカップル。唐揚げ定食を手に死地へ向かう一夏を周りは勇者として崇められているのを本人は知らない。

 

 そんなバカップルの真向かいの座席に座る一夏はまだお昼頃だというのに既にげんなりしていた。幾ら勇者と言えど相手が強大であればやられる時はやられるのだ。

 二人はやはりというべきか隣に座り、肩がくっ付くぐらい近い。そして食事中。となればやる事はもう見えている。バカップルの伝統芸能である『あーん』だろう。いつ来るのかと一夏は不安になりながら待ち構える。何処から来ても大丈夫なように。

 

「美味いなこれ」

「ふむ……悠斗はこれくらいの塩加減が好きなのか?」

「そうだな、これくらいがベストかな」

「なるほど、なるほど……」

「あ、あれ?」

 

 しかし、一夏の予想とは裏腹に普通に食事を始める二人。端から見ていてもそこまでおかしくもなく、ただ仲睦まじいだけ。

 

「ん? どうしたんだ一夏」

「確かにどうしたのだ? 先程から箸が進んでいないぞ?」

「あ、いや……ほら、二人が恋人らしい事すんのかなーって思っててさ」

 

 一夏に言われて悠斗と箒は目をパチクリさせながらお互い顔を合わせる。こんなところでも息がピッタリだと一夏は思った。

 

「いやいや、俺達ちゃんと場所とか弁えてるから。な?」

「うむ。私達をそんなところ構わずにするような連中と一緒にされては困る」

「えぇ……?」

 

 間抜けな返事をしてしまったのは無理もない。どうやらこの二人にとっては先程の券売機前での出来事も公共の場だと弁えての行動だったようだ。

 

「ま、まぁいいか。お、確かに美味い」

「へぇ、唐揚げも美味いのか。今度、俺も頼んでみようかな」

「試しに食ってみるか? 結構オススメ出来るぞ。まぁちょっと物足りないけどな」

「お、悪いな。じゃあ遠慮なく」

 

 何をどう弁えたのか分からなくなってきたが、とにかくこの場は大丈夫らしい。

 拍子抜けした一夏は助かったと一安心し、唐揚げを口にする。義母である深雪の作ったものには遠く及ばないが確かに美味い、というのが一夏の感想だ。

 

「んー、美味いけど確かに何か物足りないなぁ」

「だよなー。まぁ充分美味いんだけど」

 

 すっかり舌が肥えていた悠斗と一夏は何が不満なのか考えつつ箸を進めていく。

 

「一夏、私も一ついいだろうか?」

「いいぞー」

「すまない……あむっ。……ふむ」

 

 目を閉じてゆっくり味わうように唐揚げを咀嚼していく箒を見て、二人とも何をそんなに真剣にしているのか首を傾げつつ眺める。するとニヤリと何処か勝ち誇るように笑みを深めた。

 

「……ふふふ、これなら私の唐揚げの方が美味いな」

「へぇ、箒は料理作れるようになったのか」

「言っただろう? 悠斗と会う日に向けて女を磨いていたと。料理だけじゃなく、家事も万全だ」

 

 ふんす、と得意気に胸を張る箒。それを聞いて一夏が納得した。なるほど、それで先程から悠斗の好みを探っていたのかと。

 一方は大切な人と会うために今日まで努力を重ね、もう一方は大切な人と過ごす日々のために努力を重ねていたのだ。これだけお互いを想い合っていて、結ばれないという方がおかしい。

 

「……二人とも良かったな」

「何が良かったんだ?」

「さぁ、何だろうな」

『?』

 

 自然と溢れた一夏の呟きは二人に聞かれてしまうも、誤魔化すように唐揚げを一つ口に運んだ。やはり少し物足りない。

 

「ね、ねぇ君達」

 

 声の先、何故か少し顔を引き攣りながら話し掛けてくる名も知らぬ少女がいた。ネクタイの色が悠斗達と違う事から上級生なのだろう。それがどうしてという思いが強く、一夏と箒が首を傾げる。悠斗はと言うと黙って味噌汁を口にしていた。

 

「君達、代表候補生と勝負するって聞いたけど、本当なの?」

「ええ、まぁそうですけど……?」

「稼働時間はどれくらいなの?」

「俺は二十分くらいで……悠斗も同じくらいか?」

「まぁな」

「それじゃあ勝てないわよ。ISって稼働時間がものを言うの。代表候補生なら少なくとも三百時間は乗ってるんじゃないかしら?」

『へぇー……』

「(なるほどな……)」

 

 単純な練習時間の他にもISのコアには意思があり、稼働時間に合わせて搭乗者を理解していき、性能が上がっていく。ましてや専用機持ちならば、元から機体が搭乗者に合うよう調整されているのだからより顕著に出るだろう。

 

 感心する一夏と箒を尻目に、この上級生の狙いが読めた悠斗は少しだけ警戒心を強くしていた。

 簡単に言うと一夏か箒か、どちらかとコネを作っておきたいのだ。どちらも姉は世界的な有名人、ここで恩を売っておけば役に立つと判断したらしい。

 そういう意味では悠斗も対象になるのだが、名字が違うし、そもそも悠斗が一夏、千冬と同居してたなんて報道してなかったからこの上級生が知る訳もなかった。

 

「だから、私が教えてあげよっか?」

「んー……ならお願いしても――――」

「結構です。私の方が上手く教えられるでしょうし」

 

 さて、どうしたものかと悩む悠斗を放置して上級生の提案を受け入れようとした一夏。それを遮るようにして上級生の背後から声が掛かった。

 

「……知らないようだけど私三年生なのよ? 私の方が、って!?」

 

 上級生が後ろを振り向くと、話し掛けてきた少女の姿を見て驚いた。後からやってきた少女は勢い良く扇子を拡げる。そこには『颯爽登場』と書かれていた。

 

「あら。ご存知ないかもしれませんけど、私国家代表なんですよ? まぁ、先輩が私よりも上手く教えられるって言うのなら話は別ですけど?」

「さ、更識生徒会長……!」

 

 学園で唯一の国家代表にして、生徒達の長であり、学園最強の名を意味する生徒会長の肩書きを持つ楯無の登場に三年生の顔が青くなる。ただの一般生徒がどう足掻いても国家代表に勝てる訳ないのだ。

 

 それを分かっていて楯無は意地の悪い笑みをして追い詰めていく。どう考えても楯無の勝ちしかあり得ない勝負で。

 

「んふふふー。どうしますー?」

「し、失礼しましたー!」

 

 催促すると三年生はすたこらさっさと去っていった。

 

「あらら。私ってば悪い事しちゃったかしら?」

「……あんまり意地悪な事すんなよ。後で面倒な事になるぞ」

「はーい、以後気を付けまーす」

「はぁ……」

 

 悠斗が幾ら口で注意しても全く悪気のない様子でいる楯無に呆れてしまう。再び拡げた扇子には『いじめ発見?』と書かれていた。反省の色はなさそうである。

 

 しかし、悠斗としてはあの三年生に悪意があったかどうかというのは分からなかった。単純にお節介だった可能性も否定出来ないが、箒に害を及ぼす可能性も否定出来ない。

 

「ま、おかげで助かったけど。ありがとうな」

「っ!! え、えへへ……! んん! と、当然よ。生徒が困っていたら助けるのが生徒会長なんだからっ」

「お、おう、そうか……?」

 

 だから悠斗は素直に感謝の意を示したのだが、楯無はふにゃりと顔を緩ませたり、体裁を繕ったかと思えばやっぱりにやけたり。

 七変化とまではいかないが、その変わりように驚いてしまう悠斗だった。

 

「ぐ、ぐおぉぉぉ……!」

「どうしたのだ一夏? 具合悪いのか? その前にこの人は誰なんだ?」

 

 いつかは来ると分かっていたこの対面がまさかこんなに早く来るとは思ってなかった一夏は唸り声を上げて俯いた。

 色々言いたい事があるが、一夏の本音としてはただ一つ、俺を巻き込まないでくれである。

 

「ああ、こいつは更識楯無って言って箒が引っ越ししてから出会ったんだ。楯無にも言っとくわ。篠ノ之箒、前言ってたと思うけど俺の大切な人で、彼女だ」

「(馬鹿ぁぁぁ! 全力馬鹿ぁぁぁ!)」

 

 第三者の一夏の心の悲鳴が木霊した。気まずいなんてものじゃない。胃がキリキリと痛んできた一夏は今更ながら唐揚げ定食というパンチの効いたメニューにしたのを後悔していた。

 

「初めまして、篠ノ之箒です。悠斗がお世話になったそうで」

「篠ノ之箒。そう、あなたが……」

「ん?」

「楯無?」

「は、はぶぶぶ……」

 

 握手するべく手を差し出す箒に対して、楯無はそれまで浮かべていた笑みを消し、目を細めて箒を見る。

 何かがおかしい事に漸く悠斗が気付く中、一夏はお腹を抑えて苦しんでいた。

 

「初めまして、更識楯無よ。よろしくね、箒ちゃん」

「はいっ。よろしくお願いします」

 

 それも直ぐに握手に応じる事で解消された。笑顔で応じるその姿は何も知らない者からすればとても仲良く見えるだろう。

 

「仲が良いのはよろしい事で」

「何でやねん……」

 

 訂正、知っていても仲良く見える馬鹿がいた。それに思わず関西弁で突っ込んでしまう一夏。彼にとっての地獄はここからだった。

 

「さっ、それはそれとして、早くご飯食べましょ。悠斗くん、隣いい?」

「こっちより一夏の方が空いてるぞ? そっちの方がいいんじゃないか?」

「えっ……」

 

 何も分かっていない悠斗の冷たさ抜群の発言に楯無は愕然とし、くしゃりと今にも泣きそうな悲しい表情をする。

 

「あぁっと! 箒、そっちもう少し詰められるよな!?」

「う、うむ。そうだな」

「じゃあ楯無さんも座れますね! いいよな、悠斗!?」

「えっ? いや、でも――――」

「いいよな!?」

「お、おう」

「じゃ、じゃあ失礼するわね!」

 

 何やら凄まじい威勢の一夏にたじたじになってしまう悠斗は首を傾げつつも横にずれた。ちょうど人一人分くらいは座れそうなスペースが出来ると直ぐ様楯無が悠斗に寄り添うようにして座る。その顔に嬉しさを滲ませながら。

 

「ゆ、悠斗くん。私、お弁当作ってきたの」

「そういえば楯無も料理出来るんだったな」

「うわ、美味そう!」

「これは確かに……むぅ」

「ふっふっふっ、そうでしょう、そうでしょう」

 

 そう言って楯無が持っていた弁当を拡げると色鮮やかなおかず。綺麗に彩られ、見た目からして食欲をそそる内容の弁当だ。

 女子が食べるという割りには男が好きそうなおかずで構成されてある辺り、楯無の胃袋から掴もうという狙いも明け透けだった。

 

「ほら、この唐揚げとか自信作なのよ? 食べる?」

「あ、ごめん。俺さっき一夏から唐揚げ貰ったばっかりだから遠慮しとく」

「えっ……」

 

 しかし、それだけ明け透けにも関わらず我が道を行くのが悠斗で、その返事に再び楯無の顔が曇る。微かにだが、じわりと目が潤んだ。

 

「あぁっと! 俺の唐揚げじゃなくて竜田揚げだったわ! 食べたの唐揚げじゃないから楯無さんの唐揚げ食べても大丈夫だな!」

「いや、唐揚げも竜田揚げもそんなに変わんないだろ」

「大丈夫だな!?」

「お、おう。じゃあ食べてもいいか?」

「う、うん!」

 

 すかさず入る一夏のフォロー。これにより悠斗も勢いに押されて漸く食べる事に。

 

「……ふむ」

 

 そんな悠斗と楯無を見て箒は一人静かに頷いた。何かを納得したかのように。

 その後も一夏のフォローにより、彼の心の平穏と引き換えに何とか無事に昼食を終えたのだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 放課後、疲れきっている一夏を連れて悠斗は楯無にISについて教えてもらおうと第八アリーナに来ていた。

 箒はと言うと観客席から悠斗を見ている。たまに悠斗が箒を見ると即座に手を振って答える姿を見ると本当によく見ているのが分かった。

 

「ところで何でそんなに疲れてるんだ?」

「お前のせいだよ……」

「何で? 何かしたっけ?」

 

 目の前で繰り広げられるバカップルのイチャつきと楯無不憫をどうにかすべく、頑張っていた一夏の疲労は相当なものだ。授業が終わって女子達からの好奇の視線に晒されなくなったのも大きいかもしれない。

 しかし、一日目が終わったからといって今後は大丈夫という訳もなく。これからの事を考えると今日は帰ったら早めに風呂に入って、早く寝ようと密かに誓った一夏だった。

 

「悠斗くん、一夏くん、こっちこっち!」

「はーい」

「あいよー」

 

 アリーナの隅っこに置かれている打鉄が二機。その横で楯無が元気よく二人に向かって手を振っていた。

 

「おお、こいつか。検査の時以来だな」

「俺もたまたま触ったのってこいつだったなぁ」

 

 近付いてきた悠斗と一夏が用意されていた打鉄を見上げると感慨深そうに呟いた。

 男性初の起動から二ヶ月しか経っていないが、その内容の濃さと言ったら誰にも負けていないと二人は思っている。

 

「自動防御機能とかもあるし、初心者の二人にはこっちの方がいいかなって思ったの。一週間はこの打鉄だから安心していいわよ」

 

 こんな事もあろうかと楯無は悠斗がISを動かせると分かった翌日に訓練機の貸し出し申請をしていたのである。悠斗の事だからきっとISで訓練したいと言うだろうと。その読みはズバリだった。伊達に悠斗と五年も一緒にいた訳ではない。

 

「安心ってどういう事ですか?」

「訓練機ってもう一種類ラファール・リヴァイヴっていうのがあるんだけど、特性が打鉄と真逆なのよ。ただでさえISに慣れてないのに、そんなのと毎日取っ替え引っ替えしてたら乗れるものも乗れなくなるでしょ?」

「ああ、なるほど」

 

 言われて一夏も納得する。要するに格闘ゲームと一緒なのだ。普段使い慣れてるキャラと特性が全く違うキャラを使っていつものようにやってみろと言われてもどだい無理な話。

 しかも二人は初心者で、一週間後には国に認められている者と戦おうとしている。それなら変に色んなのに触るより、固定で練習した方がいいだろう。

 

「さぁさぁ、乗って乗って。時間はないわよー」

「だな。ところで聞きたいんだがいいか?」

「なぁに?」

「何で楯無もISスーツ着てるんだ?」

「だって支えたりするのに私もIS使うし当然じゃない」

 

 乗り込もうとする悠斗が楯無の格好について突っ込みを入れた。

 

 ISに乗る際は基本ISスーツと呼ばれる専用の衣服が求められる。普通の服でも動かせない事はないのだが、筋肉を動かした時の電気信号を増幅したり、搭乗者に異常がないか確認するバイタルデータを検出するセンサーやそれを発信する端末などがあるのだ。

 当然悠斗と一夏も現在着用しており、一夏は臍上までの半袖インナーシャツとスパッツ、悠斗は素肌が露出しているのが顔だけという全身スーツ。

 では楯無はと言うと――――

 

「あはっ。もしかしておねーさんの魅力にくらくらなのかなー? そんなにいい?」

「(白井悠斗さんがいいねと言っています)」

「(織斑一夏さんがいいねと言っています)」

 

 標準的に女性が着用するスーツ、分かりやすく言うとスクール水着にニーソックスというマニアックな格好をしていた。

 全く知らなかった訳じゃないが、まさか目の前でそんな格好の美少女を拝めるとは思っておらず、悠斗と一夏は心の中で楯無に全力でいいねをした。

 

 そんな男の性質を読んで楯無がにやにやと意地悪な笑みで悠斗に問い掛ける。グラビアアイドルがやるようなポージングも付けて。

 

「ねぇねぇ、どうかな?」

「いや、控え目に言って最高だろ」

「はぇっ!?」

「…………おおう」

 

 しつこく食い下がる楯無に思わず口を滑らせてしまう。欲望駄々漏れの内容に遅れて悠斗は頭を抱えた。これではただの変態である。

 楯無もからかうつもりだったのが手痛い反撃をもらい、顔が一気に赤くなった。

 

「さ、さぁて、さっさと乗るぞー」

「そ、そうだな」

「う、うん……」

 

 何とか一夏の発言で本来やるべき事をやるという流れになったが、完全に切り替えたとはいかない。

 悠斗は馬鹿をしたという事で落ち込んでいるし、楯無は好きな男から最高だと言われて端から見ていても舞い上がっている。

 

「…………ふむふむ」

 

 それを見てもやはり箒は僅かに頷くだけだった。

 

「う、ぐ……!?」

「ん? どうした?」

「い、いや、何でもない……」

 

 ISに乗り込むと強い不快感が悠斗を襲った。初めて起動させた時には浮かれていて気付かなかった弊害に顔をしかめるが、直ぐに持ち直す。

 

「(俺だけ、か……)」

 

 声を掛けられて一夏を見るも、何でもないようにしている。どうやら今の不快感は自分だけのようだと悠斗は悟った。

 紛い物故の弊害。だが、そんなものあろうが関係ない。やるべき事をやるだけ。こんな事で諦める訳にはいかない。

 

「うわっ!? む、難しいな、これ!?」

「当たり前よ。急に手足が伸びたんだから。最初は歩くのも大変なのよ?」

 

 悠斗が横を見れば一夏が一歩踏み出すのにも苦労していた。その側で専用機であるミステリアス・レイディを纏った楯無が支えている事からどれだけ困難な事かも分かるだろう。

 ISに乗れば手足に装着される装甲によって身長が二メートルを優に越えるので歩く際のバランスを取るのも一苦労だ。

 そのため、ISそのものに慣れる意味合いでも最初は歩行訓練から始まる。正直な話、IS装着直後に歩こうとして転ぶのは誰もが一度は通る道なのだ。

 

「ほ、ほら悠斗くんも歩いてみなさい!」

「いいけど、何でにやけてるんだ?」

「にやけてないわよ!」

「悠斗、マジで辛いぞこれ……!」

 

 先程から手足を軽く動かしていただけの悠斗に楯無が両手を広げてバッチこいと構える。楯無は悠斗がバランスを崩した際に支えるという建前を使って、堂々と抱き付くのを考えていたのだ。

 ところが事態は一夏と楯無の心配を他所に思わぬ方向へと進む事に。

 

「あ、あれ?」

「えっ、何で……?」

 

 難なく普通に歩くのと同じ様に悠斗は歩いている。特に気を付けているようでもなく、本当にただ散歩でもしているかのように。

 そのまま楯無のところまで歩くと退屈そうに悠斗は言った。

 

「はい、ゴール」

「え、ええ……」

「簡単じゃね? もう少し難しい事やろうぜ」

「う、嘘だろ……? 俺なんかまだまともに歩けないのに……」

「ははっ。一夏にも苦手な事あったんだな」

「くっそ、ちょっと待ってろよ。直ぐに俺も歩けるようになってやるからな!」

 

 大抵の事は人並み以上にこなしてきた一夏が苦戦し、いつも一夏に遅れを取っていた悠斗が一夏以上に出来ている。その事実がどうにも可笑しく、思わず笑ってしまう悠斗だった。

 

「(いや、倒れないのを見ると一夏くんはむしろ上手くやってる。苦手なんじゃなくて、悠斗くんが上手すぎる)」

 

 現在はロシアの国家代表である楯無でさえ、最初はまともに歩けないでいたというのに。悠斗は適性がCと、最低ランクであるにも関わらず難なく動かせている。こんなのはありえない。

 ましてや悠斗は紛い物であるが故に最低の中でも更に最低。楯無や一夏には知る由もない事だが、大きなハンデを悠斗は背負っている。

 

 

「ゆ、悠斗くん? たしかCランクだったはずよね? 動かし辛いとかないの?」

「ぅん? まぁ確かに動かし辛いけど、慣れれば平気かな」

「慣れればって……今日乗ったばかりで!?」

「お、おう」

 

 何かおかしい事を言ったのかと首を傾げながら答える悠斗に楯無は口をあんぐりと開いていた。しきりに手足を動かしていたのはそれに慣れるためだったらしい。そんな事があってたまるかと楯無は頭を抱える。

 

 結局この日は楯無の言葉に従い、歩行訓練だけに留める事に。しかし、悠斗は非常に不満そうだった。

 

 

 




はははっ!!今計算してみたが、悠斗の目的が明らかになるクラス代表決定戦はどう考えても年内には投稿出来ん!貴様ら(仕事)の頑張りすぎだ!!


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16話

今年最後の投稿です。
何か長くなってしまいました。


 

「あっ、虚さんだ」

「白井くん、お久し振りです。さて……会長?」

「ひぃっ!?」

 

 ISの歩行訓練が終わった後、廊下を四人で歩いていると立ち塞がるようにして仁王立ちしている虚が現れた。顔はニッコリしているのに目が笑っていない。そしてそれにやたら怖がっている楯無が印象的だった。

 虚がこうなったのにも原因はある。なんでも、楯無は生徒会の仕事を放って悠斗の元へ来たらしい。おかげで生徒会長の机の上には承認待ちの書類で埋まっているとの事。

 今日中に片付けなければならないのもあるため、急いで戻ろうと虚が提案するが――――

 

「いや! 悠斗くんにもっといいとこ見せるの!」

「お嬢様……はぁ、分かりました」

 

 楯無はまるで駄々っ子のような事を言って帰ろうとしない。虚も楯無が恋してる相手が悠斗と知っている手前、こんな情けないところを見せないようひそひそと小声で話している。だが虚一人の力では楯無は梃子でも動きそうになかった。

 仕方ないので虚は楯無に言うのを諦める事に。

 

「白井くん、仕事出来る年上の女性と仕事しようとしない年上の女性はどちらがタイプですか?」

「っ!?」

「(虚さん、上手いな……)」

 

 そう、楯無に言うのは諦めて搦め手で悠斗を利用する事にした。まさかの質問に楯無も虚と悠斗の顔を交互に見てしまう。

 誰が見ても完全に慌てふためいている楯無を見て、一夏は扱い方が分かっていると称賛していた。話は分からないが、どうやら楯無に仕事をさせたいらしい。

 

「その質問に何の意味があるんですか?」

「いえいえ、他意はありませんよ。ただ直感で答えてください」

「まぁ普通に考えたら仕事出来る年上の女性ですよね」

「何してるの虚ちゃん! 早く残ってる仕事片付けるわよ!」

『えぇ……』

「はぁ……」

 

 悠斗が答えた瞬間、恐るべき早さで態度を一変させて楯無が生徒会室へ。その姿を見て、一夏と箒の何とも言えない声が重なり、虚が溜め息を吐く。結果は分かっていたがここまで予定通りだと最早溜め息しか出ない。

 状況が分からず、首を傾げる悠斗に楯無が振り返った。

 

「悠斗くん、ごめんね? 仕事の出来るおねーさんは少しだけやり残してた仕事を片付けないといけないの」

「全然少しじゃないですし、そもそもやってなかったんですけどね」

「しー! しー!!」

 

 然も自分が仕事の出来る女性であると露骨にアピールしてくる楯無も、虚の言葉に慌てた様子で話すなとジェスチャーしてくる。どうしても悠斗にだけは知られたくないようだ。

 

「じゃあ楯無とはここでお別れか。じゃあまた明日な」

「楯無さんまた明日」

 

 IS学園は寮制であるが、悠斗と一夏は一週間はホテルから通うように言われている。それまで女子しかいない寮に男子を入れると言うのだから仕方ないのかもしれない。

 

「ええ、また後でね」

 

 だがそんな事情など知らないのか、楯無は少し何かを企んでいるような笑みを浮かべて去っていった。

 

「また後でってもう俺達帰るんだけど知らないのかな?」

「後で連絡しとく。それより箒とまた離れるのが辛い……」

「私もだ……。ただでさえ寂しい部屋だと言うのに……」

「うわ、二人とも暗いぞ」

 

 それまで明るかったのがまるで嘘のようにバカップル二人が落ち込む。突如発生した暗黒オーラに驚いてしまう。

 もしかして寮制のIS学園じゃなかったら、この後もずっと一緒にいたんじゃないかと一夏の脳裏を過った。だが直ぐにそんな事はないかと思い直し、話題を変える事に。

 

「それより寂しい部屋ってどういう事だ?」

「寮の部屋は基本二人で一つの部屋を利用するのだが、私だけ一人なんだ。更に言うなら何故か防音で、窓やドアを開けなければ周りの生活音すら聞こえない」

「な、なんだそりゃ」

 

 最初は箒も他の部屋もこうなんだろうと思い込んでいたが、周りから箒の部屋からは全く物音がしないと言われてその異様さに漸く気付いたのだ。

 聞いていた一夏も思わず引いてしまった。そんな部屋でたった一人暮らすなんて監禁に近い。保護プログラムの対象者だからと言って幾ら何でもやりすぎだろう。

 

「……っ」

「ゆ、悠斗?」

 

 それを聞いて悠斗が辛そうな表情を浮かべると箒を自分の胸元へ抱き寄せた。自分の事ではないが、それでも悠斗にとって大切な人である箒がそんな目に遭っているという事実がどうしようもなく辛い。

 そのままゆっくりと箒の頭を撫でながら優しく問い掛ける。

 

「その部屋って携帯は繋がるのか?」

「う、うん? ちゃんと繋がるぞ?」

「そっか、じゃあ夜中だろうが何だろうが関係ない。好きな時に電話してこい」

「でもそれは……」

 

 迷惑になるのでは。そう言おうとした箒だったが言葉の続きが言えない。いや、正確には悠斗がまた強く抱き締めて言わせなかった。

 

「言っただろ? 寂しい思いをさせないって。だから遠慮するな」

「悠斗……!」

「まだ側にはいられないけど……それも直ぐにどうにかするから」

 

 二人が別れる時の約束を口にして悠斗は微笑む。箒も少しだけ目に涙を浮かべて頬が緩んだ。最後に申し訳なさそうに言うも、それで充分だった。

 

「(悠斗は本当にあの時の約束を守ろうとしてくれてるっ)」

 

 別に箒も疑っていた訳ではない。だとしても目の前で昔の約束を言われればこう思いたくもなるだろう。

 

「箒……」

「悠斗……」

 

 自分だけじゃなく、悠斗も想ってくれているという事実がはっきりと伝わり、それがどうにも箒を嬉しくさせた。気付けば箒も腕を悠斗の背に回してきつく抱き締め合う。溢れる愛しい気持ちを込めて。

 

「(あ、また始まるんすね。俺一人で帰る訳にはいかないし、待つしかないっすね)」

「あんな近くで見ているなんて……さすが勇者」

「あれが勇者……私達には出来ないわね……」

 

 雰囲気が暗くなったから話題を変えようとしたらこれだよ。まさかの自爆に声も出ない。というより昔からの癖で邪魔してはいけないと、勝手に傍観者モードに切り替わる一夏。

 それを見ていた女子達にまた一夏の勇者としての名が広まった。

 

「あ、あわわわ……!」

「全く、イチャつくなと言っただろうが」

 

 そこに千冬と山田の二人がやってきた。山田は耐性がないせいか、顔を赤くして抱き合っている悠斗と箒を見ているのに対し、千冬はやれやれと呆れていた。

 

「千冬さん、どうしたんですか?」

「堂々と抱き合ったまま話そうとするな。とりあえず離れろ」

『はーい……』

 

 言われて二人は名残惜しそうに離れるも、箒はしっかり悠斗の服の裾を掴んだまま離そうとしない。

 またやれやれと呆れがちに溜め息を吐く千冬だったが、何処か嬉しそうに微笑む。だがそれも一瞬で、直ぐにいつもの仏頂面に顔を引き締めて用件を話す。

 

「さて、白井に織斑、お前達は今日からここの寮で生活してもらう」

『えぇ!?』

 

 思わず三人の声が重なった。三人の驚きを無視して千冬は話を続ける。

 

「山田先生、説明を……山田先生?」

「あ、あうぅぅぅ……」

「はぁ、仕方ない……」

 

 どうやら悠斗と箒のやり取りは耐性のない山田にはきつかったようで、未だに赤い顔を手で覆っていた。

 復帰しそうにない山田の代わりに千冬が何故そうなったかと説明を始める。簡単に言えばボディーガードがいるホテルよりもISという唯一無二の力があるIS学園の方が安全だという話だ。そのために無理矢理部屋割りも変更したとの事。

 

「まぁ、本当はそれだけではないのだがな」

「どういう事だ、千冬姉?」

「織斑先生だ。それとまぁそっちは気にするな。全く、あの兎め……面白い事をしてくれる」

 

 千冬が小さく漏らした言葉は誰にも聞かれないで済んだ。

 

「そういう事だ。荷物はホテルにあったのをまとめて持ってきた。足りなければ今度の休みに家に戻って取ってこい」

 

 悠斗と一夏の前にそれぞれの荷物が置かれる。元々ホテルにあったのも急遽用意された物だからスポーツバッグ一つで事足りる程度しかない。

 

「山田先生、二人に鍵を渡してください」

「は、はいっ。こっちが白井くんで、こっちが織斑くんですね」

「あれ? 俺と一夏って違う部屋でいいんですか?」

「本当だ」

 

 何とか立ち直った山田から渡されたカードキーの部屋番号を見てみると、たった二人の男子は別部屋である事が分かった。ちゃんとメモを見て渡していたから間違いでもないようだ。

 

「それ……私と同じ部屋だ」

「えっ、箒と?」

「ふむ、分かりやすく説明してやる。白井と篠ノ之は相部屋、織斑は一人部屋だ」

『えぇぇ!?』

 

 今度は悠斗と箒の声が重なった。

 

「まぁそういう事だ。二人きりだからってあんまり悪さはするなよ?」

 

 唖然とする三人を尻目に簡単に寮の説明をして去っていく千冬と山田。と、何故か千冬だけ戻ってきた。

 

「餞別だ。貰っておけ」

 

 そう言って千冬に渡されたのは避妊具。あまりにも直球過ぎる内容に、一気に悠斗と箒の顔が赤くなる。敢えて想像しないようにしていたのを突き付けられたのだから仕方ない。

 

「つ、使いませんよっ!」

「それは困る。私だってさすがにこの歳で叔母さんなんて呼ばれたくない」

「俺も叔父さんって呼ばれるのは嫌だなぁ」

「そうじゃないですよ!!」

 

 微妙に食い違っている話に悠斗が吠えた。悪乗りしてきた一夏と千冬が一頻り笑うと話を戻した。

 

「はっはっはっ、冗談だ。まぁ持っておいて損はないだろう。ではな」

 

 そう言うと今度こそ千冬は去っていった。最後の最後でどっと疲れた体を動かして教えられた部屋へ。

 

「一〇一〇室は……向こうか」

「私達はこっちだから一旦お別れだな」

「おう、また飯の時にな」

「あいよー」

 

 寮の階段を登った先、悠斗達と一夏はそれぞれの部屋に行くために左右に別れた。

 

「ここがその、私達の部屋だ」

「これがなぁ……うお、すげぇ」

 

 私達のの辺りで箒が恥ずかしそうにしていたが、無視して悠斗はドアを開ける。するとビジネスホテルなどでは到底お目にかかれない光景が広がっていた。

 

「あっ、待ってくれ」

「ん? どうした?」

 

 早速入ろうとする悠斗を止めて、箒が先に部屋に入る。何だろうと疑問に思いながらも待っていると、振り返った箒が飛びっきりの笑顔と共にこう言った。

 

「――――おかえり、悠斗」

「――――ああ。ただいま、箒」

 

 部屋に入って今日何度目になるか分からない抱擁をするべく、近付いたところで急にテレビの電源が入った。

 

「やぁやぁやぁ! 箒ちゃんにゆーくん! 束さんだよ!」

『っ!?』

「これは箒ちゃんとゆーくんの二人が揃ってこの部屋に来たら初めて流れるようになってるんだよ!」

 

 テレビに映っていたのは箒の姉である束の姿だった。どうやらこの映像は録画している物らしい。

 

「いやぁ、二人が一緒になれるように政府にお願いしたりするのは疲れたぜ!」

「た、束さんの仕業だったのか……」

「らしいと言えばらしいが……」

 

 極度の人見知りである束が二人のためにとは言え、ここまでするとは誰も予想しなかっただろう。

 

「ちなみにその部屋を防音にしたのも束さんの要求でした!」

「何でだ……」

「はいっ! そこのゆーくんのために答えてあげましょう!」

「ん、んん? これ本当に録画なんだよな?」

「姉さんなら気に入っている人の思考パターンなんて余裕で分かる。それよりも理由が分かるぞ」

「そこ流していいのか……?」

 

 さらっととんでもない特技が披露された気がするが、そんなのは小さい頃から散々見せられてきた箒には当たり前の事らしい。

 

「この部屋なら箒ちゃんがどんな大声出しても大丈夫だよ! そういう訳だから箒ちゃんとの生活楽しんでね!」

 

 ぐっと握り拳を作って言ったかと思えば、良く見ると人差し指と中指の間に親指が挟まっていた。しかもここでメッセージは終わっている。本当にそれだけのようだ。

 

「何なんだ!? 俺の周りの大人はどんだけ推してくるんだ!?」

 

 ただそのために部屋を改装したのかと思うと頭が痛くなる悠斗だった。しかも相手が世界最高の天才と元世界最強の名を持つのだから余計にたちが悪い。

 悠斗が横を見ればやはりというべきか、顔を赤くして俯いている箒がいた。

 

「ほ、箒? その、気にするなよ?」

「だ、大丈夫だ。私は大丈夫……」

 

 そう言いながら箒は悠斗から少し離れて床に正座すると――――

 

「ふ、不束者ですが、末永くよろしくお願い致します」

 

 手を付いて綺麗なお辞儀と共に全然大丈夫じゃない返事がやってきたのだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 夕食後、食堂の一画を借りて細やかなパーティーをする事になった。主役は悠斗と箒の二人だ。そこに一夏、楯無、簪、虚、本音がそれぞれグラス片手に今か今かと待ち構える。

 

「そんじゃ、俺達二人の再会を祝して乾杯!」

『かんぱーい!』

 

 悠斗の音頭で持っていたグラスに入っていたジュースを口に含む。良く見れば本音だけイッキ飲みしていた。

 

「白井くん、篠ノ之さんと仲良くね」

「ありがとうございます、虚さん」

「悠斗……その、良かったね……」

「ありがとうな、簪」

「良かったねー、ゆーちん」

「おう、サンキューな本音。でもゆーちんはやめろ」

「えー」

「悠斗がお世話になったみたいで……」

 

 用意したお菓子をつまみながらそれぞれが悠斗と箒を祝福してくれた。お礼の言葉を返す悠斗と一人一人にまるで自分が世話になったかのように頭を下げる箒。

 そんな祝福ムードの中、一人隅っこでむくれている楯無はちびちびとジュースを飲んでいた。見かねた虚がひそひそと悠斗に聞こえないよう囁く。

 

「お嬢様、気持ちは分からないでもないですが……」

「うぅー……分かってるわよ……」

 

 そうだ、分かっている。悠斗がどれだけこの日を待ち望んでいたかなんて、箒がいなくなってからの五年間ずっと側で見てきた楯無が分からないはずがない。

 しかし、何が悲しくて好きな人のカップル成立を喜ばなくてはいけないのか。今も寄り添うようにしている二人を見て、楯無の胸が悲鳴をあげる。

 

「はぁ……でも悠斗くんのためにも言わなくちゃね」

 

 そう言うと楯無は気持ちを切り替えて二人の元へ。せっかく呼ばれたのだからお祝いの一言でも言わなければ失礼だろうと近付く。ちゃんと笑顔を浮かべて。

 

「あ、楯無さん」

「やっほー、箒ちゃん、悠斗くん」

「おお、楯な…………んん?」

「な、何?」

 

 声に振り返った悠斗が楯無の顔を見た瞬間、少し難しそうな顔をしてじっと見つめる。

 

「大丈夫か? また何か無理してるだろ」

「えっ……!?」

 

 言われて楯無の心臓が跳ね上がった。確かに言う通り無理はしている。だが楯無の事情を知らないはずの悠斗がそんな事分かる訳がない。当てずっぽうにしては正確過ぎた。

 

「な、何でそう思ったの?」

「お前は昔から作り笑いが下手くそだったからな。顔見れば直ぐ分かる」

 

 簡単に言っているが、簪の事を相談した時とは違って、楯無は交渉術を学ぶ際に相手に本心を悟られないように訓練していた。そしてそれに長けた人達から認められているのだ。決して素人が見破れるはずがない。

 

「(本当に……良く見てるんだから……)」

 

 それでも素人の悠斗が見破れたのは彼も五年間、楯無を見てきたからだろう。勿論、それだけじゃない。きちんと楯無の人となりを理解しようとした結果が今の悠斗なのだ。謂わば、楯無に関してのみ長けていると言っていいだろう。

 

「悠斗くんっ!」

「うお!? 右手はジュース持ってんだからいきなり抱き付くな!」

「はーい、ごめんなさーい」

「全然反省してないだろ……」

「あはっ。バレてた?」

 

 好きな人がちゃんと見てくれている。その事実に嬉しさが込み上げてきて、我慢出来ずに楯無は悠斗に抱き付いた。

 あまりに突然の事で怒られたが、楯無は全然堪えない。そんな事では今の気持ちは止められそうになかった。

 

「むぅ……」

「いててて……ど、どうしたんだ、箒?」

「別に。何でもない」

「にへへー……」

「???」

 

 悠斗は自身の左側にいる箒から脇腹をつねられた。軽く痛みが走る程度なのでそこまで痛くはないが、つい口にしてしまう。見れば箒が若干不機嫌そうにしているが、悠斗には分からない。それに対して楯無は上機嫌なのだから余計に訳が分からなかった。

 

「あれ、やだ……お腹痛い……ぽんぽん苦しい……」

「こんな事もあろうかと胃薬を持ってきました。是非使ってください」

「あ、ありがとうございます、虚さん……」

 

 襲い掛かる痛みに一夏が苦しんでいると虚が胃薬を手渡した。出来る付き人だという認識は以前からあった一夏だったが、より一層その認識が強まる。

 

「悠斗くん、またマッサージしてあげよっか?」

 

 パーティーも終わりを迎えようとしていた頃、楯無がそんな提案をしてきた。昔からの練習後の恒例行事みたいなものだったから習慣になっているのだろう。

 

「ああ、いいのか? こっちは助かるが」

「いいの、いいのっ。部屋は一夏くんと一緒なのよね?」

「う、うぐぐぐ……!」

 

 にこやかに話す楯無と悠斗だが、この後の展開を予想して一夏の胃に多大なストレスが。胃薬を飲んだにも関わらず、そんなのは無駄だと痛みが襲い掛かる。

 

「ん? 違うぞ。俺は箒と一緒の部屋なんだ。な?」

「えっ、あ、ああ……」

「…………なぁんですってぇぇぇ!!?」

 

 わいわい騒いでいたのとは別の騒がしさが食堂を包んだ。というよりは楯無一人の心からの叫びが木霊した。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

「楽しかったなー」

「あ、ああ、最後はあれだったが……」

「確かに。最後の最後で一夏のやつ急に腹いてぇ言い出したからな」

「いや、それもそうなのだが……まぁいい」

 

 腹痛の一夏を部屋に送り届けた後、二人は自室へと向かっていた。今日だけで色んな事があったと歩きながら話していく。とてもじゃないが、同じ寮の部屋から部屋という短い道のりでは話は尽きそうにない。

 

『ただいま』

「おかえりー。遅かったわね」

「おっ?」

「この声……」

 

 二人してただいまと言うと、部屋の中から返事が。部屋に入って確かめてみると――――

 

「さっきぶりっ」

「楯無さん!?」

「何でここにいるんだ? それにその荷物は?」

 

 楯無が扇子を拡げて立っていた。足元に幾つかの荷物を置いてある。どういう事なのか問い質してみると、楯無は二人に指差して声高らかに宣言。

 

「二人が不純異性交遊しないよう監視するために私もここに住む事にしました! 無論、先生の許可は貰っているわ!」

「何でそうなるんだよ……」

「むむむ……そう来ましたか……」

 

 どうにも周りの年上からの信用がない事に頭を抱える悠斗、楯無の真意を読み取って唸る箒。楯無も箒が読み取るのは想定済みだったのだろう。

 

「改めてよろしくね、箒ちゃんっ」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 だから敢えて楯無は箒にのみ、そう言った。お互い自然と伸びた手ががっちり握手を交わす。事実上のライバル宣言はこうして一夏の胃を痛める事なく済んだのだった。

 

「お、おお? 何かよく分かんないけど、ベッド二つしかないんだが寝る時はどうするんだ?」

 

 二人の間で散っている火花が分からない悠斗は正直どうでもいい質問を投げ掛ける。二人部屋のところに三人いるのだからある種当然の疑問ではあるが空気が読めていなかった。ぎろりと二人は一斉に悠斗を睨み付ける。

 

「悠斗くんの馬鹿」

「悠斗の唐変木」

「悠斗くんのえっち」

「悠斗のすけべ」

『悠斗(くん)の女誑し』

「すんません、何かすんません……その上にクズを付けてもいいです……」

 

 本人にとって言われる覚えのない言葉だったが、そこは数の暴力とコンビネーション。今日出会ったばかりのはずなのにやたら息が合う二人だった。

 

「勿論、悠斗くんは床よ」

「くそぉ……そうだよなぁ……」

 

 改めて寝場所について悠斗が問い掛けると予想通りの答えが返ってきた。ここには女二と男一人、そしてベッドは二つだけ、となれば誰がベッド以外で寝るかなんて明白。

 

「そ、その……」

「どうした?」

「ええい、悠斗!」

「お、おう」

 

 項垂れる悠斗を尻目に箒がそわそわしているのに気付いたので声を掛けてみると、意を決したように声を張り――――

 

「わ、私と一緒のベッドで寝ればいいだろう!?」

 

 爆弾が落とされた。

 

「……うえぇぇぇ!? 何だそれは!?」

「ちょっと! 不純異性交遊はダメよ!」

「ただ一緒に寝るだけなので不純ではありません!」

 

 もうすぐ就寝時間だというのに大声で騒ぎ出す三人。この部屋が防音で助かった事を周りは知らない。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 結局箒と一緒に寝る事になった悠斗は就寝時間を過ぎても寝れなかった。

 隣に愛しい人がいるからというのもあるが、それ以上に思い悩む事がある。

 

「(言ったな。遂に言った)」

 

 クラス代表戦への参加。それは悠斗が達成する目的の練習であり、第一歩でもある。しかし、同時に決して後には引き下がれない困難な道の始まり。

 

「(怖いな……)」

 

 そうしてしまえば、もうただ一度の失敗も許されない。失敗してしまえば、全てが終わってしまう。二度と箒とは会えなくなる。

 ISが操縦出来ると分かった時に良くたった一人でこれをやる決意が出来たものだと笑ってしまう。束が与えてくれるはずの力がなければ練習で終わっているかもしれない。

 想像しただけで悠斗の体は震えた。怖くて怖くて仕方がない。漸く手にした幸せが悠斗の決断を鈍らせた。

 

「悠斗、起きているか……?」

「箒……?」

 

 そんな時だった。悠斗の隣から小声で箒が話し掛けて来たのは。横を見れば、寝間着浴衣にいつものポニーテールを下ろした愛しい人がいた。

 

「どうしたんだ? もう明日になるぞ」

「そう言う悠斗だって起きてるだろう」

「……それもそうだな」

「ふふっ」

「ははっ」

 

 体を向き合って話せば悠斗が抱いていた不安が薄れていく。お互いの額をくっ付けて笑い合えばどんな事だって乗り越えられるとさえ思えた。

 

「楯無さんは……寝てる、か……?」

「すー……すー……」

「寝てるみたいだが、どうした?」

 

 箒が自分の背にいる楯無に意識を向ければ、聞こえてくるのは規則正しい穏やかな寝息。

 楯無が二人に背を向けて寝ているのを確認してどうしたのかと悠斗が問い掛ければ、この暗がりでも箒の顔が赤くなっているのが分かる。

 

「あの、その……」

 

 口を必死に動かして何かを言おうとしているが緊張しているのか、上手く言えないらしい。しかし、それも直ぐに解決した。覚悟を決めたようだ。そうして口にしたのは――――

 

「私と……キス、してくれないか……?」

 

 何とも可愛らしいお願い。一瞬、呆気に取られた悠斗も返事する前に直ぐに行動で示した。

 

「ん……」

 

 五年越しに漸く重なった唇。短く、くぐもった吐息はどちらのものか。そんなのはどうでも良くて、悠斗はただ溢れるこの幸せを箒に伝えようと唇を重ねた。

 

「はぁ……悠斗……」

「箒……」

 

 そして抱き合う二人。この上ない笑顔で箒は抱き締め、抱き締められる。

 

「箒は俺が守るから」

「ああ、悠斗が私を守ってくれる……」

 

 抱き合う直前に見た箒の笑顔に悠斗の決意が固まった。

 

「(そうだ……約束したんだ。側にいるって、守るって約束したんだ)」

 

 迷う事なんてなかったのだ。いつだって悠斗は箒の笑顔のために動いて、そのためだけに今日まで頑張ってきたのだから。

 

「(たとえ俺の体を犠牲にしてでも――――)」

 

 それが間違った答えだとしても悠斗は進む。その先に何があるかなんて今の彼には分かりはしない。箒にも。そしていつの間にか頭まで布団を被っていた楯無さえも分からなかった。

 




次回、クラス代表決定戦……の触りまでです。
アーマードコア要素(薄味)も出ますよ!……めっちゃ怒られそう……。

では皆様良いお年を!


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17話

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


 翌日、悠斗はいつもの習慣で早朝に目を覚ませばそこには何処か幸せそうに眠る箒がいた。きっと幸せそうに見えるのは気のせいではないだろう。悠斗も箒の寝顔を見て幸せを感じているのだから。

 名残惜しくもベッドから出ようと悠斗が動いた瞬間、箒の形の良い眉が動いた。閉じられていた目蓋がゆっくり開いていく。

 

「ん……ゆう、と……?」

「あ……悪い、起こしちゃったか」

「どう、したんだ……?」

 

 いつものハキハキした話し方とは違う、辿々しい口調。昨日寝るのが遅かったからか、元々朝が弱いのか分からない。だがそれでも悠斗と離れたくないのか、手はしっかりと裾を掴んでいる。

 

「ちょっと朝のランニングに行ってくるよ」

「らんにんぐ……?」

「ああ、だから箒はまだ寝てていいぞ」

「んっ……」

 

 言葉と共に悠斗は綺麗な黒髪を撫でていく。長い髪だが、手櫛を通しても引っ掛かる事なく毛先まですんなり通せた。寝る前にも丹念に手入れしていたからだろう。

 箒も嬉しそうに目を細めて受け入れる。好きな人のために伸ばした髪を好きな人が慈しんでくれるのが嬉しくないはすがない。

 

「ゆうと、キス……」

「あいよ……ん」

「ん……ちゅ」

 

 彼女の求めに応えるべく、身を寄せてやれば直ぐに重なる唇。ただ押し当てるだけのキスは二人の心を幸せで満たしてくれた。離れると直ぐに一瞬触れるだけのキスをして箒が微笑む。今ので目を覚ましたようだ。

 

「おはよう悠斗」

「おはよう。もう起きるのか?」

「悠斗は起きて、私だけもう一度寝る訳にもいくまい。ほら、着替えだ」

「お、ありがとう」

 

 起き上がった箒はそう言いながらトレーニング用のジャージを取り出して悠斗に手渡した。昨日の内に整理していたから二人の衣服に関しては誰より箒が把握している。

 

「じゃあ行ってくるよ」

「ああ、いってらっしゃい。気を付けてな」

『ん……』

 

 着替えて見送りに来てくれたかと思えば、どちからともなく行われた本日三度目のキス。一度してしまえば歯止めなんて効きそうになかった。

 

「……よしっ」

 

 悠斗が出ていったのを確認すると箒は自分のするべき事をすべく、自身も着替える事に。

 

「おっす、おはようさん」

「おはようっす」

 

 グラウンドに出てみれば、同じくジャージ姿で準備体操をしている一夏とばったり出会った。一夏が強くなりたいと言ったあの日からずっと一緒にランニングしてたのだからここで会うのも当然だと言える。

 

「腹はもう大丈夫なのか?」

「あー……まぁとりあえずはな」

 

 準備体操も終えて、二人は並んで走りながら昨日の事を話してみる。今日は朝から薬を飲んでいるのもあって現在は良好の一夏。そう、あくまで現在は、であるが。

 

「まぁ無理すんなよ。ストレス溜めるなんてらしくないぞ」

「…………ふんっ!」

「うおおお!? 何しやがる!?」

「お前の……お前のせいでぇ!」

「……えっ。また俺なんかしたのか?」

 

 突如飛んできた一夏の裏拳を悠斗は屈んで避ける。バランスを崩さないで咄嗟に避けられたのは日頃の鍛練の成果だろう。悪態の一つも吐きたくなるが、一夏の妙な迫力に負けてそんな言葉も飲み込んでしまった。

 

「はぁ、もういいよ。で、それより――――」

「それより?」

 

 未だに分からない悠斗に呆れて一夏の怒りも収まると、今度はにやりと笑みを浮かべる。悠斗はそれを見て、千冬がからかってくる時の顔を思い出した。姉弟だからか、非常に良く似ている。

 

「箒とはもうヤったのか?」

「ヤってねぇよ、馬鹿!」

「危ないよ!?」

 

 今度は悠斗が右ストレートを顔面目掛けて繰り出す。割りと本気の一撃を何とか回避すると懲りずにからかう。

 

「何だ、お前意外と奥手なのか? このヘタレ」

「ちげぇよ! そういうのはもっと大切にしたいし、楯無もいるから出来ないんだよ!」

「えっ……」

 

 その言葉にピタリと一夏の動きが止まった。

 

「た、楯無さんも一緒なのか……?」

「ああ、パーティーの後に引っ越してきたんだ。俺と箒が不純異性交遊しないようにとか何とか言ってな」

「あ、ああー……なるほどー……」

 

 それだけで楯無の真意を読み取る一夏。少しだけ胃がキリキリしてきたのは気のせいではないだろう。

 

 その後も二人で話をしながらノルマまで走り続けて、朝のランニングを終える。一ヶ月以上ホテルに軟禁されてたせいか、前までならそこまできつくなかった距離も今は少しきつい。二人とも体力の低下が感じられた。

 

「じゃあ、また後でな」

「おーう」

 

 寮で一夏と別れると悠斗は自分の部屋へと向かう。近付くにつれて、食欲をそそる匂いがしてきたのはきっと気のせいではない。

 

「ただいま……!?」

「おかえり、もう少しで朝御飯出来るぞ」

 

 扉を開けてみれば、そこには制服にエプロンと男のロマンが詰まったような格好の箒が台所に立っていた。言葉や格好から朝食を作っているらしい。

 

「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」

「う、む? 何故拝むのだ?」

 

 好きな人が制服にエプロンというかなり分かっている姿に悠斗は両手を合わせて感謝の言葉を述べた。しかも箒の反応からこれは天然でやっている事が分かる。箒は悠斗の心を刺激する才能に溢れていた。

 

「むぅ、良く分からないが、とりあえず汗を流してこい。朝食はそれからだ。はい」

「おお、また悪いな」

 

 少し台所から離れるとベッドの上に既に用意していた制服を手渡す。

 

「気にするな。悠斗には昔から助けられてるからな。せめてこれくらいはしたいんだ」

「何時だって助けるさ。必ず」

 

 何を今更と、悠斗は背を向けて浴室へ。

 箒が思い出すのはいじめられていた小学生の頃、相手は四人もいたのに恐れず一人で立ち向かおうとした悠斗の姿。その後直ぐに一夏が助けに来たが、そんなの計算してるはずもなく。

 

「……そうだろうな。悠斗ならそうしてくれるんだろう」

 

 何時だって、相手が誰だろうと箒の味方でいてくれるのが悠斗だった。これまでも、そしてこれからも。

 

「ふぃー……さっぱりしたぁ」

「そろそろご飯も炊けるから楯無さんを起こしてくれ」

「まだ寝てんのか……」

 

 浴室から出た悠斗は箒に言われるまま、寝ている楯無の元へ。頭まで布団を被っている楯無を見て呆れながら起こす事に。

 

「こんな格好で寝苦しくないのか……まぁいいや、起きろ楯無」

「んんぅ……?」

「おはようさん。朝飯出来、て……」

「っ!? ゆ、悠斗くん!?」

 

 もぞもぞと動いて楯無は顔を布団から出すと寝惚け眼で最初に見たのは悠斗の姿だった。一気に覚醒し、勢い良く起き上がる楯無を見て漸く気付いたのだ。

 

「楯無……泣いてたのか……?」

「っ……な、何でだろ? だ、大丈夫だから」

「――――」

 

 目元には涙の跡がくっきり残っており、言われて楯無が乱暴に寝間着の袖で擦る。それを見て箒が何かに気付いたのか、申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「顔、洗ってくるね……」

「あ、ああ」

 

 慌てて洗面所に行く楯無に戸惑いつつも、悠斗は何故か胸が締め付けられるのを感じた。

 

「(何、だ……これ……?)」

 

 それは昔、箒が泣いていたのを見た時と同じもの。その時の感覚に酷似していた。それでも今の悠斗にはその正体は分からない。

 

 顔を洗い、着替えて戻ってきた楯無の顔は幾分か晴れて笑顔を浮かべていた。偽りの笑顔を。

 

「お待たせ、二人とも」

「いえ……」

「その、大丈夫か……楯無?」

「なぁに、心配してくれてるの? 私は大丈夫よ!」

「(嘘、吐くなよ……)」

 

 本人は上手く誤魔化しているつもりなのだろうが、二人にはバレバレだった。特に悠斗は無理をしている楯無を見る度に胸の苦しみが増していき、気が気でない。

 

「さ、食べましょ」

「そう、ですね……」

「ああ」

『いただきます』

 

 両手を合わせて、声も揃えて言えば気まずい中、食事が始まる。

 

「う……美味しい……」

「ん、確かに美味い」

「出汁もちゃんと取ってますし、愛情も込めてますから。夜も楽しみにしててくれ」

 

 豆腐と油揚げの味噌汁を口にしてみれば昨日食堂で食べた味噌汁よりも美味い。何処か無理に話をしている箒が誇らしげに胸を張る。

 悠斗もそうだが、楯無も箒の手料理は初めて食べる。ライバルの思わぬ実力に楯無の眉が八の字に曲がった。ただでさえ遅れを取っているのだからここでアピールしなくてはいけない。

 

「むむむ……! よ、夜は私も作るから! ね、いいよね、悠斗くん!?」

「……その、私からもお願いします。一人より二人の方が楽なので……」

「箒ちゃん……」

 

 まさかの箒からの賛同に楯無は驚きを隠せない。そんな二人を見て悠斗はふっと笑って答えた。

 

「ああ。楯無の料理、楽しみにしてるよ」

「えっ……。う、うん! 任せておいて!!」

 

 その答えが意外だったのか、少しだけ呆けるも直ぐに楯無は嬉しそうに頬を緩めて頷く。気付けば悠斗の胸の苦しみは嘘のように消えていた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 一週間後、クラス代表決定戦当日。

 第三アリーナの観客席には大勢の人で賑わっていた。世界でたった二人の男性がどんなものかを見に来たのだろう。

 また女性にしか扱えないISのせいで広がった女尊男卑の風潮から二人が一方的にやられる展開を望んでいる者もいた。

 たかが男ごときが生意気な。そう考えているのも少なからずいるのだ。

 

「あらら、たくさんいるわねー」

「……何人の人間がこの試合をまともに見ようとしているんでしょうか」

「それはまぁ、少数でしょ。確実に」

 

 それを察して箒と楯無が忌々しそうに観客席を映しているモニターを見る。何処の世界に好きな男が痛め付けられて面白く思う女がいるのか。

 

「まじでか……俺らこれからあんなところでやるのかよ……」

「俺としてはそっちの方がいいんだけどな」

「お前、逞しいな……」

「そんな事はないさ」

 

 あまりの人の多さに頭を抱えて狼狽える一夏と昂る心を落ち着かせるように目を瞑る悠斗。お互いこれからの試合のためにISスーツを着用している。

 

 この日のために訓練は積んできた。最初はぎこちなかった動きも今では二人ともスムーズに出来るようになっている。問題はないだろう。ただ一つ、悠斗の新たな弊害を除いて。

 

「ふぅ……にしても遅いな」

「結局一週間以内に来なかったもんな。俺達の専用機」

「関係ないな。やるからには勝つ……だろ?」

「それもそうだ」

 

 世界でたった二人の男性に何もしないはすがない。何が動かせる要因となっているのか調べるべく、データ取りも兼ねての専用機が与えられる事になっていた。

 

 専用機がどのようなスペックを持っているのかさえ分からないまま、今日にまで至る。このままだとアリーナの使用時間の関係上、訓練機で挑まなければならない。だがそんなのは二人には関係なかった。やるからには勝つ。ただそれだけ。

 

「惚れてる女の子が見てる前で悪いけど、勝たせてもらうぜ?」

「やってみろ」

 

 お互い拳を軽くぶつけると、漸くその時が来た。

 

「来ました! 来ましたよ、二人の専用機!」

「行くか」

「おう」

 

 バタバタと大声をあげて走ってきた山田の言葉に従い、二人は腰を上げて格納庫へと向かう。その後ろを箒と楯無が付いて来ていた。

 

「やっほー! 束さんだよ!」

『なっ!?』

「ね、姉さん!? 何でここに!?」

 

 格納庫の搬入口から二つのコンテナが運ばれていく前方、そこに箒の姉である束の姿があった。

 指名手配されている人物がここにいるという驚きで全員が上手く話せない。そんな中で代表して箒が問い掛ける。すると束は自信満々に腰に手を当てて説明してくれる事に。

 

「それはね、いっくんとゆーくんの専用機は少なからず私の手が加えられているからだよ! ていうかゆーくんのに関しては完全に束さんオリジナルだよ!」

 

 篠ノ之束はお気に入りには甘い。その最たる例を楯無は見せ付けられている。ISの生みの親が作るのが、生半可な性能のISな訳がない。そして、楯無の予感は的中した。

 

「さぁさぁ、時間もあんまりないようだし、ちゃちゃっと行っちゃおう!」

 

 取り出した人参型のボタンを押すと二つのコンテナはゆっくり開かれていき、その全容が明らかになった。

 

 一つは純白。何にも汚される事のない、白。非固定浮遊部位と呼ばれる機体と接続しないで随伴するように機体背部に浮くウィングスラスターを装備したIS。

 

 もう一つは漆黒。全てを焼き付くしたかのような黒。他のISと比べて遥かに小型のそれには非固定浮遊部位というのは存在せず、かといって機体に直接接続されているスラスターもない。あるのは左右の腰に差してある二振りの片刃の剣だけ。

 

「説明しよう! こっちの白いのが白式、いっくんの専用機! いっくんにとって嬉しいサプライズがあるよ! そしてこっちの黒いのが黒曜、ゆーくんの専用機だよ! どっちも凄いんだけど、特にゆーくんの黒曜は世界で最強のISなのさ! 性能は実際乗ってみてのお楽しみってやつで!」

「この馬鹿が、やり過ぎるなと言っただろう……」

 

 そんな千冬と束のやり取りを無視して、一夏が白式に誘われるようにその元へ向かう。

 

「白式、俺の専用機……。よろしくな」

 

 装甲に触れて白式に語りかけるようにする一夏に対して悠斗は未だ遠目で自分の専用機を見ていた。漸く出会えた力に歓喜するかのように。

 

「これが究極のIS……」

「違うよ。黒曜は究極じゃない、ただ最強なだけ」

「充分過ぎます……! これで俺は……!」

「悠斗……?」

「悠斗くん……?」

 

 返ってきた束からの答えにニヤリと嗤う。今まで見た事もない悠斗の獰猛な笑みに箒と楯無に嫌な予感が走った。

 そんな不安も他所に、悠斗は黒曜に触れると初めてISを起動させた時のように情報が流れ込む。情報は黒曜についてだった。

 

「ああ、これならいける……!」

 

 この機体の事が分かった瞬間、悠斗は確信した。束は約束を守ってくれたのだと。ならば後は悠斗自身が応えるだけ。

 

「ぁ、っ……!」

 

 早速黒曜に乗り込んだ悠斗をいつもの不快感が襲う。それも時間が経てば少しずつ治まっていく。深呼吸を繰り返している悠斗を見て二人の不安は更に強まった。

 

「織斑は初期化と最適化が済むまでここで待機。束の話だと白井は何時でも行けるそうだがどうだ?」

「初期化も最適化も終わってるからゆーくんは何時でも行けるよ!」

「向こうは待ちくたびれているようだ。出迎えてやれ」

「了解!」

 

 先ほどから黒曜に搭載されたハイパーセンサーが三機のISに反応している。一つは一夏の白式、残りは対戦相手のセシリアとシャルロットのものだ。

 千冬の言葉に従い、ハッチへ歩んでいく。ISを纏う前とそんなに身長も変わらないためか、初めてだというのにすんなり歩けていた。

 

「悠斗くん、武装は?」

「量子格納領域には……蜃気楼って名前のライフルが二つだけみたいだな」

「という事は基本は固定武装で戦うみたいね。良かった……」

 

 新たな悠斗の弊害とは量子格納領域からの武装展開だった。通常、ISは格納領域から武器を取り出すのだが、これにはイメージが必要不可欠だ。悠斗はこれが極端に下手くそだった。

 大体個人差はあれど、余程苦手でもなければ十秒もあれば武器を呼び出せる。だが、悠斗は最も得意なはずの刀剣でさえ十数秒掛かる。銃器になれば三十秒はざらだったのだ。

 

「大丈夫。俺は、もう負けない……!!」

「悠斗くん……?」

 

 だがそんな事を吹き飛ばすかのようないつになく強気の発言に楯無が戸惑う。やはり何処かおかしい。いつもの悠斗じゃない。箒もそれを感じ取ったのか、駆け寄ってくる。ハイパーセンサーで得られた全方位の視界で察した悠斗は箒の方に振り向いた。

 

「じゃあ、勝ってくるよ箒」

「ゆう、と……」

 

 勝ち負けよりも別の不安を残して悠斗はハッチに辿り着いた。足を大きく開いて前傾姿勢を取り、右手を地面に付けてバランスを取る。足裏からローラーが競り上がり、ゆっくりと回転を始めた。

 

「ハッチ開きます!」

「いい、ゆーくん。それに触れたなら分かってると思うけど……」

 

 目の前に開かれた通信ウィンドウに山田と束の顔が映る。珍しく真面目な表情の束。誰にも聞かれないようプライベートチャンネルを使っていた。

 

「二十分。それが限界だからね」

「……分かってますよ」

「ハッチ開きました! 出撃、どうぞ!」

 

 開かれたハッチから僅かに外の様子が見える。忠告を受けた悠斗はローラーの回転速度を上げた。背部に仕舞われていた翼の骨組みのようなものを展開し、そこから翡翠色の翼を広げ――――

 

「黒曜……発進!!」

 

 爆発的な加速を得たローラーで一気に飛び出した。翡翠色の翼を羽ばたかせ、青い空へと。

 

「ん、来ましたわね。あら、織斑さんは?」

「あれ、来ないね?」

「一夏ならまだお留守番だ。俺達だけで始めろってさ」

 

 アリーナの空で待ち受けていたのはイギリスの試作型第三世代IS、ブルーティアーズとフランスの第二世代IS、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ。黒曜と比べて大型の二機と悠斗は相対する。

 

「分かりました。ところで白井さん、一つだけ聞いても?」

「何だ?」

「どうしてこの戦いに参加したのですか? 織斑さんとは違って、貴方は自薦でここにいます。これは避けられた戦いですわ」

「そうだね、それ僕も気になってたんだ。良かったら教えてくれないかな?」

 

 セシリアの質問にシャルロットも同意した。二人にはどうしても分からなかったのだ。どうして悠斗がこの戦いに参加したのか。

 ISを通してアリーナ中の観客席に聞こえるこの願ってもない問い掛けに口角を上げると悠斗は答えた。

 

「……いいぜ。まぁ目的はお前らと変わんないさ」

「国家代表になる事ですか? それは……」

「……白井くん、言いにくいけど男の君や織斑くんじゃ国家代表にはなれないよ」

 

 この世は女尊男卑の世界。幾らISを扱えるたった二人の男性とは言え、例外にはならない。強さなど関係なく、世界が、周りがそうなるのを許さないのだ。

 

「何だ、()()()()()()()()()

『えっ?』

 

 だがそれを悠斗は一笑に付した。その言葉に二人が驚くも、悠斗は無視して話を続ける。

 

「まぁいい。ところで、良くスポーツとかで『あいつは誰々と戦わなかったからここまでいけた』とか『こいつはあいつと相性が悪かったから負けた』とかあるだろ? 二人はそれについてどう思う?」

「どう……って、そう言われるのは仕方ないんじゃ……」

「勝負は時の運とも言いますし……」

 

 トーナメント形式の大会では良くある話だ。千冬だってその例外ではなかった。世界最強と崇められる裏で、そう言われたりもしていたのだ。それも二回目の世界大会で完全に沈黙したが。

 

「運、か……そうなんだろうな。でもだから俺は思うんだ。運なんか関係ない、もっと分かりやすい方法でなら誰もが納得せざるを得ないんじゃないかって」

「まさか……!」

「や、やめなよ……!」

 

 悠斗の言わんとしている事が分かったのか、二人は青い顔をして必死に止めようとするも止める気なんて悠斗にはない。

 腰に差していた剣を手に取るとすらりと片刃の剣から新たに日本刀が現れる。

 

「俺の目的は! 全ての国家代表と勝負し、屈服させ! その事実を以て――――」

 

 右手に持った刀を左から右へゆっくり振り払うようにし、

 

「俺が世界最強になる!!」

 

 天へその切っ先を向けて吼えた。誰もが分かる方法でもってこの世界の頂点に立つと宣言したのだ。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「これ、って……!」

「……事実上の世界への宣戦布告でしょう」

 

 管制室でその宣言を聞いた面々は皆、青い顔をしてモニターに映る悠斗を見ていた。それぞれの国が誇る最強を下し、女尊男卑の世界の象徴である世界最強になると男が言ったのだ。この世界そのものを否定しているのと相違ない。

 

「ち、千冬姉! 悠斗のやつ……!」

「分かっている……悠斗め、何のつもりで」

 

 先ほどの格納庫から慌てた様子で一夏が通信ウィンドウを開く。つい慌てて一夏が千冬の事をいつもの呼び方をするも、千冬も動揺しているのか別段気にする事もなかった。それどころか、公私の区別をしている千冬が家族としての呼び方をするほどだ。

 

「何のつもり? そんなの決まってるじゃん、箒ちゃんのためだよ」

「私の、ため……?」

「……お前、知っていたのか?」

「もっちろん! ぶいっ!」

 

 睨み付けるように問い掛けた千冬の圧力にも束は笑って答えた。おまけにピースまで付けて。

 そのふざけた態度に千冬が苛立つ。家族の一大事なのだ。怒らない方がおかしい。

 

「あれがどういう事態を招くのか分かってて……!」

「勿論、私も忠告したよ。でもね、ゆーくんは止まらなかった。それを考慮しても箒ちゃんの側にいる事を選んだんだよ」

 

 二人目の男性IS操縦者が誕生したあの日から始まったこの計画。考え直す時間なんて幾らでもあった。それでも悠斗は止まらなかったのだ。箒の側に行くために。

 そこまで言われて千冬も漸く理解した。悠斗の目的を。

 

「ランク一、世界最強の特権か!」

「それを使って篠ノ之さんの側に行くと? でもそれは……」

「そうだね。普通ならたったそれだけのために世界に戦いなんて挑まない。どう考えてもハイリスク、ローリターンだから」

 

 通常なら当初の予定通りボディーガードとして行くのが自然なんだろう。しかし、それでは時間が掛かりすぎる。ただでさえ挫折を知ってきた悠斗にそこまで我慢出来るはずがない。

 

「で、でもこれで本当に国家代表が戦うはず……」

「違う。戦わなければならなくなったんだ」

 

 一夏の呟きに千冬が答えた。まだ間に合うと思っていた一夏はあっさりと否定され、感情が剥き出しになる。

 

「な、何で……!? 国家代表の全てが女尊男卑主義者なはずないだろ!?」

「いっくん。これはね、国家代表が女尊男卑主義者であるかどうかじゃなくて、女尊男卑主義者が存在するという事が問題なんだよ」

「つまり、国家代表が女尊男卑主義者ならあんな事を言った悠斗くんを痛め付けるために戦うわ。そして、国家代表が女尊男卑主義者じゃなくても周りが悠斗くんを許さない。押し上げられて結局は戦わなきゃいけなくなる」

 

 仮に戦わなければ、自国の代表は何故戦わないのかと、男に怯えているのかと周りの主義者は言い始め、怒りの矛先が悠斗から国家代表に変わってしまう。そうならないためにも国家代表は悠斗と戦わなければいけない。宣言した時点で悠斗の戦う運命は決まっていたのだ。

 

「どちらにせよ、あいつはもう二度と負ける事は出来なくなった。勝つしかない……!」

「悠斗……!」

「悠斗くん……!」

 

 千冬の言葉に箒と楯無はただ願う。勝利ではなく、ただ無事にあの人が帰って来る事を。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 堂々と宣言した悠斗は刀を剣状の鞘に納めると改めて対戦相手の二人を見た。この二人が悠斗にとっての最初の第一歩。倒すべき敵。

 

「あ、あなたは、あなたはご自分が何を言ったのか、分かっているのですか!?」

「ああ、分かっている」

「分かってないよ……! 君が戦おうとしてる相手は世界なんだよ!?」

「だからなんだ」

『っ!?』

 

 観客席からのブーイングの嵐にも負けず、二人が言う。クラスメイトのよしみだろう、必死に説得しようとするセシリアとシャルロットに対して冷たい態度で応えた。

 

「俺はな、相手を見てから戦いを挑むかどうか決めるような、情けない男になりたくないだけだ」

 

 それは小さな意地。好きな女の側にいるのが情けない男でいいはずがない。何時だって箒の側にいるのは格好良い自分でありたかったのだ。

 

「だからって……!」

「馬鹿ですわ……あなたは大馬鹿者ですわ!」

「――――その馬鹿を極める!」

 

 呆れて罵倒する二人に悠斗は応えると、左右の耳を覆っていた装甲から黒いバイザーが現れる。

 顔の半分を隠した悠斗が見たのはバイザーに映し出されたメッセージ。

 

 ――――《NBSシステム》起動――――

 ――――修正プログラム……良好――――

 ――――システム……オールグリーン――――

 ――――戦闘モード……起動――――

 

 二人から大きく距離を取って、悠斗が構えるとそれが戦闘開始の合図となった。セシリアとシャルロットも量子格納領域から武器を取り出す。

 

「今ならきっと間に合う……だから!」

「クラスメイトとして、あなたを止めます!」

 

 知り合いが恐ろしい目に遭う。ただそれだけの理由で二人は悠斗と戦う事を決めた。出会ってからたった一週間、特に何をした訳でもないのに悠斗を助けようとする二人は間違いなくお人好しだった。

 

「ターゲット確認。排除開始」

 

 そんなお人好し二人に対して悠斗は極めて抑揚のない、機械のような音声で意志を示す。戦いの幕は上げられた。

 

 




次回戦闘シーンです。
難しそう……。


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18話

 試合開始から十分と少しが経過していた頃、第三アリーナを包んでいたブーイングの嵐はすっかり静まっていた。観客席にいる全員が、管制室にいる千冬達でさえも唖然として戦いを見ている。

 

「何、これ……?」

 

 観客席にいた誰かの呟き。それはこの試合を見ている全ての者が抱いていた気持ちの代弁だった。

 試合はシールドエネルギーと呼ばれるエネルギーがゼロになった方が負けとされている。これは被弾する事で減っていき、装甲もない生身の部分に当たると搭乗者を保護する《絶対防御》というのが発動し、大きくエネルギーを減らす。

 だが未だに三人ともノーダメージ。一発たりとも被弾はしていないのだ。三人の実力が拮抗しているのならあり得るのかもしれない。

 

「こんな……!」

「何時まで続けるおつもりですの!?」

「…………」

 

 だが、悠斗の対戦相手であるセシリアとシャルロットはこの上なく苛立ち、焦っていた。それらをぶつけるように四機の自律誘導兵器《ブルーティアーズ》を使って四方からセシリアのレーザーが、シャルロットからアサルトカノン《ガルム》のフルオート射撃による雨のような実弾が放たれるも、悠斗は全てを避けていく。

 国から期待されている二人の代表候補生からの攻撃を難なく避けていく姿はたった一週間の訓練でどうにか出来るレベルではない。悠斗の稼働時間は一週間毎日やっていたとしても、二十四時間を越えるかどうか。それに対してセシリアとシャルロットは三百を優に越えているのだ。

 

「っ、弾切れ……!」

「こちらもエネルギー切れですわ……!」

 

 激しい攻撃もいつかは鳴りを潜める。瞬時にシャルロットは量子格納領域から予備のマガジンに取り換える。セシリアは《ブルーティアーズ》を呼び戻し、手持ちのレーザーライフル《スターライトmkⅢ》を構えた。

 しかし、幾ら早く整えたとは言え、戦闘中にこの隙はあまりにも大きい。

 

「また、ですの……!?」

「やる気あるのかな……!?」

「…………」

「何も言わないんだね……それなら!」

 

 だがこの決定的な隙を悠斗は一切攻撃をしなかった。二人が体勢を整えている間、ただ空中に立ち尽くすのみ。手には試合開始から何も持っておらず、戦う意志があるのかすら怪しい。

 そう、悠斗がノーダメージなのは二人の攻撃を全て避けているのに対して、二人がノーダメージなのは悠斗が一切の攻撃をしていなかったからなのだ。

 どういうつもりなのかと訊いてみても、口は固く閉ざされ開く事はない。しかし、戦う二人を侮辱したその態度は直接口で話すよりも物語っていた。こんなものなのかと。

 

「それならそれで、やらせて貰いますわ!」

 

 言葉と共にチャージが完了した《ブルーティアーズ》が本体から切り離され、再び宙を舞う。

 

「遠慮はしないよ。言い訳も聞かない!」

 

 両手に持ったアサルトカノン《ガルム》のマガジンを取り換えたシャルロットが叫ぶ。

 二人の燃えるような意志に反応するかのように黒曜の翡翠色の翼がはためいた。

 

『っ!?』

 

 それは試合開始から十五分が過ぎようとした時だった。それまである程度の距離を取って回避に徹していた悠斗が二人の弾幕を掻い潜り、一気にセシリアへと接近。

 

「は、速い……!」

「セシリア!!」

 

 世界で最速の黒曜が四機の《ブルーティアーズ》によるレーザーの雨を怯むことなく、隙間を縫うように接近する。その驚異的な速度を一切緩めないで。

 シャルロットもセシリアを援護するべく、行く手を阻むように射撃をするも気に止める様子もなく、悠斗は突き進む。

 ある程度近付いた瞬間、爆発的な加速力を生み出す《瞬時加速(イグニッションブースト)》を使い、セシリアのブルーティアーズへ一気に距離を詰めた。黒曜の翼を畳むとぐるりと一回転して勢いを付けた回し蹴りが放たれる。

 

「きゃっ!?」

 

 突然の加速にセシリアも戸惑うも、咄嗟に右腕でガード。しかし、地上に向けて放たれた蹴りの勢いを完全には止められずに地面スレスレまで高度を下げてしまう。

 

「くっ、レディを足蹴にするなんて……!」

「セシリア、正面!」

「っ!?」

 

 悪態を吐こうとしていたセシリアが見たのは、翼を広げて目前まで迫っていた悠斗の姿だった。再び蹴りを放とうとしているのか、左足の装甲が変形しており、翼と同色のエネルギーで覆われている。

 だがそれも未遂に終わった。セシリアの目の前からいなくなると、僅かに遅れて弾丸が横切る。それは地面に着地した悠斗へ無数に襲い掛かっていくがやはりというべきか、当たらない。

 

「シャルロットさん、ありがとうございます!」

「お礼は後でいいから!」

「はい!」

 

 シャルロットの必死さに今は何をすべきか悟るセシリア。お互い向ける視線の先には翼を畳み、脚部のローラーだけでアリーナのグラウンドを滑る悠斗の姿があった。

 

「何で……?」

 

 動揺を隠しきれず、焦るシャルロット。それもそのはず、先ほどまで空中にいたのとは違い、悠斗はただ地面をアイススケートのように滑っているだけ。時折ジャンプしたりもするが、所詮は平面を移動する二次元機動でしかない。

 対して二人は悠斗の頭上を取っているため、数的にも、位置的にも圧倒的有利を取っている。簡単に言ってしまえば遥かに当てやすいはずなのだ。

 

「何で、何で、何で……!?」

 

 だがそれでも当たらない。緩急を付けて、後退しながら不規則に左右に動く悠斗を捉える事が出来ない。

 アサルトカノン《ガルム》はフルオートで撃っているとある程度弾がバラけるのに、まぐれで当たる事さえ起きなかった。

 シャルロットの混乱を他所に後退しながら悠斗は一回転し、水面蹴りの要領で自分の周囲に土煙を巻き上げる。

 

「っ、そこっ!」

 

 目眩ましとして巻き上げられた土煙。ハイパーセンサーが即座に熱探知式に切り替えた瞬間、右側から何かが土煙から飛び出すと二人が一斉に射撃。そして小さな爆発が起こった。

 

「あれは……ライフル!?」

 

 残骸から飛び出してきたのは二連装のライフルで、ISではない。センサーがライフルの熱源に反応してしまったようだ。再び土煙の方へシャルロットが意識を移そうとした時。

 

「シャルロットさん!」

「っ!」

 

 翡翠の翼を広げた漆黒のISがその手に刀を持ってシャルロットの眼前にまで迫っていた。

 

「(間に合わない……!)」

 

 これだけの速度が乗った一撃をまともに受けてしまえば耐えられない。瞬時に悟ったシャルロットは固定武装の盾を構える事も諦めて、やがて来るであろう衝撃に備えた。

 

「きゃあ!! ……えっ?」

 

 来た衝撃に悲鳴を上げるもそれだけ。シールドエネルギーが大きく減ったものの、自分がエネルギーが尽きて失格になったというアナウンスは流れない。

 それもそのはず、刀が当たったのは構えてもいない盾の上なのだから。

 偶然ではない。この僅かな時間で嫌というほど思い知らされた、悠斗の実力。それを考えればこんな些細なミスなんて、するはずがなかった。

 

「ふざけてるの……!?」

「…………」

 

 怒りを燃やすシャルロットの考えに至るのも当然と言えよう。目の前の男にとってこの戦いは戦いではなく、遊びの延長線上でしかない。これまでの戦いを考えれば行き着く答えに二人は怒った。

 

「シャルロットさん、力を合わせれば何とか……!」

「そうだね。一人では無理でも、二人なら……!」

 

 認めざるを得ない。目の前の男には一人では勝てない事を。だが二人ならまだ届きうる可能性がある。

 

「――――不可能だ」

『えっ?』

 

 そんな二人の小さな希望すら嘲り笑うように悠斗は真っ向から否定した。試合が始まってから初めての発言はやはり機械のように抑揚がない声で。セシリアとシャルロットの間に立つ悠斗は左右にいる二人など一切見る事もなくその続きを口にした。

 

「誰であろうと、私を越える事など不可能だ」

 

 はっきりと宣言した。誰もが自分には勝てないのだと。

 

「そんなのやってみなきゃ分からないよ!」

「勝ってみせますわ! あなたのためにも、わたくし達のためにも!」

 

 だとしても引く訳にはいかない。二人は銃口を悠斗に向けると、負けられないという意志を込めた眼差しで悠斗を睨み付ける。

 本当の戦いはまだ始まったばかり。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 管制室のモニターに映し出されるのは二人からの猛攻も口元を歪める事なく、涼しい顔で避けきる悠斗の姿。しかも最初の頃とは違い、きっちり反撃もしている。

 

「す、すげぇ……」

「これが白井くんの実力ですか……?」

 

 格納庫で見ていた一夏の言葉に続くように山田が呟く。たった一週間でこれだけ動けるようになるなんて才能があるなんて話じゃない。

 山田も攻撃する前から察していた。ISの動きを見れば尋常じゃない事なんて。代表候補生のレベルを大きく越えている。さすが世界に戦いを挑むだけはあると言ったところだろうか。

 

「悠斗、何があった? 本当に国家代表レベル……いや、これは」

「お、織斑先生? どうされたんですか?」

「……いえ、何でもありません」

 

 千冬は途中で口を閉ざして頭を降った。それどころじゃない。かつて千冬が国家代表として戦っていた誰よりも強い。その時から実力が変わっていないとは思えないが、それでもまともに戦えるのなんて数人しかいないだろう。

 

「《黒い鳥》……」

「《黒い鳥》? 何ですか、それ?」

「えっ、あ、ああ……お伽噺みたいなものよ。実話らしいんだけどね」

「お伽噺、ですか」

 

 そんな戦いぶりを見て、楯無があるものを思い出して口にした。聞いた事もない言葉に一夏が訊ねる。

 

「私の家に代々伝わる話でね。何時の話か、お祖父ちゃんか、お祖母ちゃんか分かんないけど実際に見たらしいのよ」

「どんな話なんですか?」

「……神様の作る秩序を壊す、反逆者の話」

「っ」

 

 思わず息を呑んだ。実際はどうであれ、悠斗がやろうとしているのはこの世界に作られた女尊男卑という秩序を壊そうとしているのと同意なのだから。あまりにも話が合いすぎている。

 

「ああ、聞いた事があるな。ドイツへ行った時にそんな話をしていた。たしか……《ラーズグリーズの悪魔》、だったか」

 

 それを聞いて千冬が思い出したかのように声を漏らした。どうやら世界中に名前が違うだけの似たような話があるらしい。そのどれもが世界を変えるという共通点があった。

 二対一という状況でも一方的に戦う悠斗の姿はまさにお伽噺に出てくる英雄だろう。だが圧倒的有利にも関わらず、束は焦るようにプライベートチャンネルで悠斗に呼び掛けていた。

 

「ゆーくん! もう十五分過ぎてる! 早く終わらせて!」

 

 操縦者と開発者の二人しか知らない制限時間は刻一刻と迫っていた。しかし、悠斗からの返事は来ない。試合と同じく、こちらでも無口だった。

 

「っ……」

 

 何が起こるかなんて知らない。それどころか制限時間の事なんて知らないはずの箒が両手を合わせて祈るようにしていた。

 

「(お願いします。多くは望みません。悠斗が無事でいてくれればそれで……)」

 

 固く目を閉ざして祈る姿は何処か悲痛さを感じさせた。時折聞こえてくる声に不安になりながらも箒は祈り続ける。悠斗が無事に帰ってくる事を。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 試合は佳境を迎えていた。未だノーダメージの悠斗に対して、セシリアとシャルロットのシールドエネルギーはあと一撃でも攻撃されればエネルギーが尽きて終わってしまうだろう。

 だがそんな状況でさえ微塵足りとも二人の闘志は衰えない。そして僅かに呼吸が合うようになってきていた。

 

「弾頭型の《ブルーティアーズ》でなら!」

 

 シャルロットが追い詰めた先、待ち構えていたセシリアからミサイルが放たれるとそれは意志を持つかのように悠斗を追い掛ける。

 

「セシリア、さっきの作戦で行くよ!」

「分かってますわ! シャルロットさんもきっちりお願いします!」

「任せて!」

 

 逃げ道を狭めながらプライベートチャンネルを使って作戦を決行すべく、シャルロットが動く。

 やがて逃げるのを諦めたのか、悠斗はミサイルの方へと向かっていく。正確にはその先にいるセシリアなのだろう。

 その視線も表情もバイザーで顔の大部分を覆われているため、分からないが間違いない。確実にセシリアは狙われている。

 

「この《ブルーティアーズ》をどう防ぎますか!?」

 

 だがその前にセシリアの言う通り、ミサイルをどうにかしなければならない。これまでの戦いで悠斗がノーダメージで勝とうとしているのは分かった。そして射撃武器を持たないため、誘爆を恐れてミサイルを迎撃出来ないという事も。

 ノーダメージで勝とうとしているのはあっている。悠斗はこの戦いで口だけではないと証明するためにも圧勝する必要があった。だが射撃武器は量子格納領域にもあるし、固定武装にも射撃武器はある。

 ならば何故使わないのか?

 

「なっ!?」

 

 答えは単純、使う必要がないからである。

 速度はそのままに、ミサイルに肉薄すると持っていた刀を振るった。ただそれだけでミサイルは爆発する事なく、ターゲットだった悠斗の後ろを力なく飛んでいき、やがて地面に激突した。

 

「《ブルーティアーズ》の制御部分と信管だけを斬った……!?」

 

 ミサイル型の《ブルーティアーズ》は先端部分に思考で制御する装置と起爆させるための信管という部品を積んでいる。それを切り離してしまえばミサイルは爆発出来ない。

 確かにISで解析させれば分かる事だが、それを実行しようとする者はいないだろう。一歩間違えれば目の前で爆発して大惨事になるのだから。

 

「ですが、正面とは……嘗められたものですわね!!」

 

 構わず突き進んでくる悠斗にライフルを構えて発射。放たれたレーザーは真っ直ぐ悠斗へと向かい――――

 

「えっ?」

 

 鞘に収まっていたもう一本の刀で弾かれた。一気に攻めに転じられるから合理的かもしれないが、あまりにも非常識な防ぎ方だ。

 驚くのも束の間、セシリアが持っていたライフルを二本の刀を使って三枚に卸されると次はお前だと睨み付けられる。

 射撃型のブルーティアーズで、接近されるというのは最早負けに等しい。近接武装も申し訳程度のナイフしかない事から分かるだろう。

 

「ふふっ」

 

 しかし、追い込まれたセシリアが浮かべるのは笑みだった。

 全ては予定通りに事が進んでいる。刀でレーザーを弾いたのは予想外だったが、何らかの方法で乗り越えて来るとは予想していたのだ。

 

「今ですわ、シャルロットさん!!」

「うん!!」

 

 自信満々の顔でシャルロットを呼ぶとセシリアの背後から返事と共に飛び出した。

 そう、これは二対一の戦い。セシリア一人なら負けているが近接戦闘も出来るシャルロットもいるとなれば話は別である。

 二人が考えたのは一人を犠牲にして、返す一撃で沈めるというものだった。単純だが、それ故に嵌まった時の効果は大きい。

 

「この距離でなら……!」

 

 その言葉と共にシャルロットの固定武装であるシールドの外装が弾け飛んだ。そうして現れたのは誰もが扱える武器の中で最高の威力を持つパイルバンカー。それの杭が悠斗の生身の部分である腹部に押し付けられた。当たれば必ず《絶対防御》が発動し、大幅にエネルギーを減らすだろう。しかも連撃が効くから一気に勝てる見込みも充分ある。

 

「(当てられる……!)いっけぇぇぇ!!」

 

 何千、何万と撃ち込んできたシャルロットは確信を持って叫んだ。二撃は確実に入れられる、そう信じて。

 けたたましい音がアリーナに響くと同時、シャルロットの表情が絶望に歪んだ。その光景を見ていたセシリアも同様に絶望に歪む。

 

「う、ぁ、ぁ……!?」

「そんな……!」

 

 それもそのはず、目の前にいる男は未だノーダメージなのだから。あまりの絶望にもう一撃撃ち込むのも忘れて呆然としていた。

 モニターに映し出されていたエネルギーの残量が一切減っていない事に観客席が騒ぎ始める。

 

「当たったのに減ってないなんてインチキよ!!」

「卑怯者ー!!」

 

 ハイパーセンサーを使っていた二人には見えていた。インチキじゃなく、悠斗はただ避けたのだ。

 ではどうやって避けたのか。これも至極簡単なものだった。ある種の理想的な避け方なのかもしれない。

 

「…………」

 

 撃ち込まれて飛び出た杭の分、後ろに下がった。ただそれだけ。

 今も黙して語らない男は至極簡単で、それ故に最も難しい事をやってのけたのだ。

 

「勝て、ませんわ……」

「こんなの……違いすぎるよ……!」

 

 遂には二人の闘志も折れてしまった。分かってしまったのだ。自分達との決定的な差を。二人が嵌まれば必中だと思っていた作戦はなんて事はない、目の前の男からすれば児戯でしかなかったのだ。その証拠に冷や汗はおろか、口元を歪める事さえ出来ない。

 

『きゃあああ!!』

「セシリア・オルコット、シャルロット・デュノア、シールドエネルギーゼロ。勝者、白井悠斗」

 

 諦めて動きが止まった二人を二本の刀が襲う。甲高い悲鳴と共に二人が地上へと落とされ、勝者が決まった。

 試合時間、二一分四三秒。それが三人のゴールだった。



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19話

 代表候補生二人を相手にノーダメージで勝つという偉業を成し遂げた悠斗は静かに自分が出撃してきたピットへ戻っていく。

 自らが地上に叩き落としたセシリアとシャルロットなど最早興味はない。そう言っているかのように。残るは一夏との戦いだ。

 

「……っ」

「……箒ちゃん、何処に行くの?」

 

 管制室を後にしようとした箒に束が待ったを掛ける。その声からはいつもの陽気さはすっかり消えていた。

 

「悠斗のところに。何か、嫌な予感がして……」

 

 振り返る箒の顔は戦いに無事に勝利したというのに未だ不安そうにしていた。箒の嫌な予感は止まる事なく、それどころか段々と強くなっていく。

 本当なら今すぐこの場を後にして悠斗の元へ行きたい。こうして話しているこの僅かな時間でさえ今は惜しく感じていた。

 

「ダメだよ。絶対に行っちゃダメ」

「な、何でですか?」

「……その、箒ちゃん行ったら集中切れちゃうかもしれない。ゆーくんも今だけは箒ちゃんと会いたくないと思ってるはずだから」

「姉さん?」

「束……?」

 

 必死に箒を止めようとする束の態度に違和感を覚える箒と千冬。二人の仲を応援している束なら自分から率先して迎えに行かせようとするはずなのに、何故か頑なに行かせようとしない。

 

「黒耀の調子確認ついでに束さんが見てくるから、ね? お願い」

「……分かり、ました」

 

 本当に仕方なくといった風に箒は断念した。束がお願いと言ってくる事なんて初めての事だったのだ。嫌な予感がより強くなるが、引き下がるしかない。

 

「束、私は行くぞ。悠斗には色々言いたい事も、聞きたい事もあるからな」

「……うん、分かった」

「篠ノ之博士、私もいいでしょうか?」

「ああ、そっか。君も……。まぁ、君ならいいよ」

「ありがとうございます」

「……っ」

 

 千冬と楯無が行くのには渋々了承した辺り、出来れば本当に一人で行きたかったようだ。

 箒も何故その二人は良くて、自分はダメなのかと言いたくもなるが、それでも束は行かせてはくれないだろう。

 

「楯無、さん……」

「なぁに?」

「……悠斗をお願いします」

 

 頭を下げて楯無に頼み込む箒の手は握り締める力が強く、皮膚が白くなっていた。自分が行けない代わりに見てきて欲しいという思うがありありと見てとれる。自分と同じ男を好きになった人だからこそ出来るお願いだった。

 

「うん、任せて」

 

 それに報いるべく、楯無も快く返事した。素よりお願いされるまでもない、楯無自身もそのつもりで悠斗の元へ行くのだ。

 以前までなら苦しむ悠斗を見てきたのもあって、少なからず箒の事を良く思ってなかった。だが一週間、一緒に暮らしてきたのもあって多少改善されている。どういうつもりか分からないが箒が楯無を気にして、色々悠斗に言っているからだろう。楯無も悠斗が箒を好きになった理由が分かったのかもしれない。

 

「(まぁ気になる事もあるしね)」

 

 不安に思っていたのは箒だけではない。楯無も悠斗の戦いを見て違和感を感じていた。一週間指導していた身としては喜ぶべき戦果なのだろうが、それにしてもおかしい。出来すぎている。

 確かに悠斗は訓練機を動かしていた時、国家代表の楯無が驚く程の早さで操縦を覚えていったが、瞬時加速(イグニッションブースト)なんて技術は教えていない。独学でやったのかもしれないが、ぶっつけ本番にしては上手くいきすぎていた。それだけではない、聞きたい事は山程ある。

 

「……先に言っておくね」

「何をですか?」

 

 ピットへ歩いている途中、束がその歩みを止めて二人に切り出した。その声はここに来たばかりの明るいのと比べればやはり暗い。

 

「何があってもゆーくんの意志を尊重してあげて」

「何があっても? どういう事だ」

「悠斗くんに何かあったんですか?」

「……もう少し行けば分かるよ。だからお願い」

 

 詳しくは言わないが、それでも念入りに言ってくる姿にいよいよきな臭くなってくる。

 二人は確信した。悠斗の身に何かが起きているのだと。

 

「……状況次第だ」

「うん……」

 

 短く答えた千冬の返事に止めていた歩を進める。そうしてもう少しでピットに辿り着くというところで異変は起き始めた。

 

「何か、聞こえませんか?」

「私の気のせいではなかったらしいな」

「……急ごう」

 

 最初は気のせいだと思っていたが、徐々にはっきりと聞こえてくる何かの声。何とも言い難いその声はまるで獣の雄叫びのようにも聞こえる。

 何も言わなかったが、反応を見る限り束にも聞こえていたようだ。何かに急かされるように歩く速度を上げた。

 途切れ途切れだが、目的のピットへ向かうにつれて大きくなっていく。やがて少し歩いたところで、その正体が分かった。分かってしまった。

 

「ぎああああああっ!!!」

 

 獣の雄叫びの正体は誰でもない、これから会いに行くはずの悠斗の悲鳴だったのだ。

 

「っ、悠斗くん!!」

「悠斗!」

 

 尋常ではない叫びに先頭を歩く束を追い抜いて二人がピットへと走る。束は悲鳴を聞いてぽつりと呟いた。

 

「やっぱり、だね」

 

 そんな束の呟きなど今の二人に聞こえるはずもなく、漸く辿り着いたピットの自動ドアが開くとそこには頭を抱えて床に這いつくばる悠斗の姿があった。

 

「これ、は……!」

「悠斗くん!」

「あああ、あああっ!!」

 

 周りには吐瀉物で溢れかえっており、その上を転がっていた。気にする余裕なんてないのだろう。実際、二人が来たというのに悠斗は目もくれずただひたすら痛みに耐える事しかしていない。

 

「ゆう、痛っ……!!」

「うぎぃぃぃ、あああっ!!!」

「大丈夫、大丈夫だから……!」

 

 吐瀉物にまみれた悠斗を気にせず、楯無が抱え上げると万力のような力で細腕を握られた。加減なんて一切ない、楯無の腕を潰そうと激しい痛みが襲う。

 それでも絶えずやってくる痛みを少しでも誤魔化そうと暴れる悠斗を抑えるべく、楯無は優しく語りかけながら頭を胸元に抱き寄せる。それで痛みが和らぐかなんて分からないが、そうするしか知らなかった。

 

「あーあ。辛そうだね、ゆーくん」

「うぅ、うぅぅぅ!!」

「束さんの忠告を無視するからそうなるんだよ? 自業自得ってやつかな」

「束、貴様ぁ……!!」

 

 遅れてやってきた束は悠斗を認める前のような冷たい声色で語り掛ける。

 言い方から束がこの事態の根源であると見抜いた千冬は激情に任せて、束の胸ぐらを掴むと壁に叩き付けた。睨み付けるその瞳に激しい怒りの炎を宿らせて。

 

「言えっ! 悠斗に何をした!? お前が原因なんだろう!?」

「何をしたか、だって? 何もかもだよ」

「何だとっ!?」

 

 胸ぐらを掴まれたまま、不敵な笑みを浮かべて束は話を続ける。

 

「世界で見つかった一人目の男性IS操縦者。そしてその後、直ぐに見つかった二人目の男性操縦者は『たまたま』一人目と同い年で、『偶然』にも同じ日本人で、『奇跡的』な確率でその二人は私と知り合いだった……おかしいと思わない?」

「…………」

「分かってたんでしょ? ゆーくんは私が作り上げた紛い物だよ。ISを動かす才能なんてなかったのさ」

 

 淡々と話していく束に何も言えないでいた。千冬にも、楯無もおかしいなんて事は分かっていたのだ。束が気に入った人物が、世界でたった二人の男性操縦者なんて話が出来すぎている。どちらか、あるいは両方が偽物だと分かっていた。

 

「ゆーくんはね、最低中の最低。辛うじて動かせる程度しか適性を持ってない。それも一切成長しない、ね」

「何っ……」

「そん、な……」

「驚いてるようだけど、君は見てきたから知ってるはずだよ。ゆーくんの才能のなさを」

 

 残酷な真実を告げる束の口は止まらない。二人が唖然とするのも放置して話を続ける。

 

「量子変換が苦手って話じゃなかったでしょ? それはそうだよ。Cランクって言ってるけど、枠組みがそれまでしかないからそこに収まってるだけで、もっと下があるのなら下にいるんだから」

 

 確かに悠斗は量子格納領域から武器を取り出すなんて誰よりも出来ないだろう。どれだけ訓練しても十数秒は掛かるのだから。

 

「君がどうやってゆーくんを飛べるようにしたのか知らないけど、普通のISじゃこの一週間まともに歩く事さえ出来なかったはずだよ」

「え……?」

「黒耀を小型にしたのは他でもない、ゆーくんでもまともに動かせるようにするためなんだから」

 

 しかし、ここで話が食い違う。まともに歩けないなんてとんでもない、悠斗は一夏やかつての楯無と比べて誰よりも上手く動かせていた。

 だがこの中でそれを知っているのは楯無だけで二人は知らない。悠斗は痛みで話をまともに聞けやしないのだ。

 

「じゃあ、何故悠斗はあれだけ動かせた? 明らかに国家代表レベルだった。いや、もしかしたらそれ以上――――」

 

 あれだけの戦いを見て当然の疑問が沸き上がる。どうしたって束の話通りとは思えない。

 

「NBSシステム」

 

 千冬の言葉を遮るようにして束が聞いた事もないある単語を口にした。楯無は勿論、千冬さえも分からないといった風にしている。

 

「NBSシステム……? 何だ、それは?」

「正式名称、NoBorderSeraph。国境なき熾天使は全ての国家代表の動きを再現出来る。更にはそれぞれの動きの良いところだけを集めて独自の動きを作り出して搭乗者に実行させるんだよ」

「ヴァルキリートレースシステムじゃないですか! 何でそんな危険なものを!?」

 

 説明を聞いた楯無が真っ先に思い浮かべたのは、過去IS世界大会において各部門で優勝した者達の戦闘方法を再現する違法のシステムだった。

 再現するためには乗り手に能力以上のスペックを要求する、謂わば動きを再現するためには搭乗者の負担を一切考慮しない恐ろしいものだったのだ。下手をすれば命すら危うい。

 

「たしかに危険だね。でもNBSシステムはそれだけじゃない」

「何があるんだ」

「搭乗者の適性を一時的に最高ランクのSにまで上げられる。たとえ誰であろうと」

 

 ランキング上位しか持たないとされるSランク。それがどんなに適性が低かろうとそこまで到達出来るのだから、悠斗からすれば喉から手が出るほどだろう。

 

「だから悠斗くんは試合中あんな簡単に量子変換出来てたんだ……」

 

 また一つ謎が解けた。試合中に悠斗はライフルを囮にしていたが、その変換がスムーズだったのに違和感を感じていたのだ。適性がSランクだったのなら話は別である。

 

「で、システムの代償がこの状況か……!」

「あぁぁぁ……!!」

 

 それで話が終わりとは到底思えない。千冬が向けた視線の先には幾分か落ち着いたとは言え、未だ楯無の腕の中で呻く悠斗の姿。メリットだけなんて、そんな甘い話あるはずがなかった。

 

「半分正解。半分外れ」

「勿体振らずに言え」

「分かってるよ。怖いなぁ、ちーちゃんは」

 

 言葉とは裏腹に束の態度は決して変わらない。千冬の殺気に正面から耐えられる数少ない人物だ。

 

「確かにNBSシステムはリスクはある。でも制限時間内ならそこまでじゃないんだよ。せいぜい筋肉痛ぐらいかな? まぁかなり辛いだろうけどね」

「制限時間を越えたのか」

「その通り。適性を上げるために少し頭の中を弄くったりしてるからね。時間内なら大丈夫だけど、時間外になると途端に危険は加速度的に増していく」

「……制限時間は?」

「二十分だよ」

 

 たった二十分だけ。時間限定の強さは圧倒的であり、最強と言っても誰も反論しないだろう。その身の危険と引き換えに。

 

「何故止めなかった!」

「勿論止めたよ。でもゆーくんは止まらなかった。あんな二人くらい直ぐに倒せたのに」

 

 制限時間を越えてまで悠斗が戦っていた理由は力を示すため。開始して直ぐに倒してしまえば、まぐれや偶然で片付けられてしまう可能性がある。どちらが強いか分かりやすく、誰もが納得出来る方法で勝つ必要があったのだ。

 

「もういい、試合は中止だ。こんな状態で戦える訳が――――」

「たたかえ、ます……」

 

 残る一夏との試合を中止すべく、千冬がこの場を後にしようとした時だった。今も尚死に体の悠斗から掠れているが声が聞こえてきたのは。

 

「悠斗くん、無理よ……」

「更識の言う通りだ。出来ると思っているのはお前だけだ」

「たた、かえます……!」

 

 地面に這いつくばり、立ち上がる事すら出来ず、見るからに満身創痍。だがその目に映る闘志はまだ衰えたりしていなかった。僅かに語気を強くし、千冬を見つめる。

 

「分かった。だが今日はもう無理だ。後日アリーナでやろう」

「い、やだ……!」

「っ、いい加減しろ! もうやらない訳じゃない、別日で決めようと言っているんだぞ!? 万全の体勢で挑めるのに、何処に不満がある!?」

 

 本音を言うのならもう戦わせたくなかった。家族がこれ以上苦しむ姿なんて見たくない。

 もし、このまま戦わせれば悠斗はシステムを使うだろう。これだけ痛い目にあっても必ず。

 だから千冬は分からなかった。何故悠斗がまだ戦おうとするのかを。

 

「あい、つが、箒が、心配する、から……」

 

 ここで千冬の言う通りにすれば楽なのだろう。まともに立ち上がれないのだから引き下がるのが賢い選択なのだろう。

 でもそれは悠斗の一時の休息と引き換えに、かけがえのない人に不安を押し付ける事になる。断じて、やって良い事ではない。

 

「それ、だけか……? たったそれだけの理由で戦うつもりか!?」

「は、い」

「っ……!」

「馬鹿だな……馬鹿だ、馬鹿だと思ってはいたが、ここまで馬鹿だったとはな……!」

 

 少し考えてみれば分かる事だった。悠斗が戦う理由なんて、箒のためなのだから。さっきまで今にも噴火しそうだった怒りを通り越して呆れが生まれる。

 苦い顔をする楯無も分かっていた。悠斗がこれまで何のために頑張っていたのかを見てきたし、散々聞かされていたからだ。

 

「(こんなの、呪いと変わらないじゃない……!)」

 

 こうして悠斗が世界を敵にして戦いをするのも、苦しむのも、それでも戦おうとするのも全ては箒のため。

 昔交わした約束かもしれないが、楯無からしてみれば悠斗を縛り付ける呪いとなんら変わらないものだった。

 

「ちーちゃん」

「分かってる! 一時間だ。休憩として一時間くれてやる。後は勝手にしろ!」

 

 下したのはアリーナの限界使用時間まで休憩という目一杯の譲歩。少しでも休ませてやるのが今の千冬に出来るせめてもの行いだった。

 

「あり、がとう……ござ、いま、す……」

「落ち着いたのならシャワーでも浴びてこい。多少は楽になるだろう。更識、お前も汚れただろう、一緒に流してこい」

「はい」

「……悠斗を頼んだ」

「……はい」

 

 肩を借りてどうにか立てる悠斗を楯無が連れていく。ふらつく足で何とか出口へ向かうと途中で止まった。

 

「た、ばね……さ、ん……」

「何かな? 私は謝らないよ?」

「束……!」

 

 話し掛けてきた悠斗に束は依然変わらぬ態度を取り続ける。自分は悪くないのだと。言葉だけじゃなく、態度でもそう語っていた。それに対して何かしらの罵倒でも飛んで来るのだろうと身構える束。

 

「あり、がとう、ござい、ます……」

「――――」

「おか、げで、戦え、ます……」

 

 だが悠斗から送られたのは心からの感謝の言葉だった。自分の強さに自信が持てない悠斗にとって、束がした事に感謝こそすれど罵倒する事はない。

 それだけ言うと悠斗は楯無と共にピットを出ていってしまった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 備え付けのシャワーをスーツを着用したまま浴びる。傍らにはやはり同じく制服を着たままシャワーを浴びる楯無の姿があった。お互いシャワーで衣服に付着した吐瀉物を流していく。

 

「はい、綺麗になったわよ」

「ありが、と、う……」

「っ……」

 

 途切れ途切れだが話す悠斗。叫ぶだけだった先程と比べれば喋られるだけましなのだろう。だがまたこれから傷付くと分かっていると楯無の胸は締め付けられていく。

 

「ねぇ、もうやめましょう? 今からでもまだ間に合うから、ね?」

「いや、だ……」

 

 楯無が何を言おうと悠斗の考えは決して覆らない。四肢のどれかが失おうとも戦いをやめる事はないのだろう。箒のためなら。箒のせいで。その答えに遂に楯無の不満が爆発した。

 

「……いい加減にしてよ」

「……た、て、なし?」

「いつも、いつも、いつも! 心配ばかり掛けて! 箒ちゃんにだけ心配させなければいいの!? 他の人はどうだっていいの!?」

 

 シャワー室に楯無の怒声が響く。俯いて表情が分からないまま、抑えきれない感情が溢れてくるかのように悠斗に叩き付けていった。

 

「心配してるのは箒ちゃんだけじゃない! 織斑先生だって、一夏くんだって……私だって心配してるんだから!」

 

 漸く顔を上げたかと思えば鋭い目付きで悠斗を睨み付けてくる楯無。だがそれも直ぐに今にも泣きそうな表情に変わる。

 

「苦しいの……。また悠斗くんが無茶するのかって考えるだけで胸がどうしようもなく苦しいの……!」

「たて、な、し」

「もう、やめてよ……。心配させないでよ……!」

 

 いや、泣いているのかもしれない。降り注ぐシャワーによって、涙は誤魔化されているが目は充血していた。それを悟られないように悠斗の胸に頭を押し付けて隠す。泣いているのだけじゃなく、自分の中にある恋心を悟られないように。

 

「(最低、だな……)」

 

 目の前で楯無が泣いているのはどう見ても自分のせいである。散々父親の快斗から女性を泣かせるのは最低だと教えられてきたのに。

 思えば楯無には心配ばかり掛けてきたと悠斗は考える。いつも側にいたからそれが当たり前のように感じていたが、楯無にとってはそうではないのだ。傷付いて、傷付いて――――

 

「……ごめん」

「っ!!」

 

 そしてこれからも悠斗は傷付ける。側にいるからこそ。

 分かりきっていた答えに楯無は悠斗の背に腕を回して抱き付き、静かにやめてくれと伝える。胸から聞こえてくる悠斗の鼓動がまた楯無の胸を締め付けた。

 返事として悠斗もただ黙って楯無の頭を撫でた。内容は変わらず謝るだけ。二人の意見は交わる事はなかった。

 

「……じゃあ頑張ってね」

「ああ……」

 

 どれだけシャワー室で抱き合っていたか分からないが、気付けば試合開始までもう間もなくとまでなっている。悠斗とピットで別れると楯無は一人、重い足取りで管制室へ。

 

「あ、楯無さん……ってびしょ濡れじゃないですか!? どうしたんですか」

 

 管制室に戻ると千冬と束はまだ戻ってきてないようで、悠斗とは反対側のピットから通信越しに一夏が出迎えてくれた。

 

「あ、うん……水も滴る良い女でしょ? ふっふっふっ、どうかしら?」

「いや、どうって言われても……」

 

 服を乾かす暇も着替える暇もなかったため、濡れたままで来てしまった。端から見れば明らかにおかしいのだが、楯無の持ち前の明るさで誤魔化す。 作り笑いは未だ悠斗にしかバレた事がないのだ。

 

「た、楯無さん。その、悠斗はどうでしたか……?」

「っ」

 

 不安そうに訊ねてきた箒に一瞬だけ作り笑いが凍り付いた。忌々しく箒を睨み付ける。

 

「(あなたのせいで悠斗くんは……!!)」

 

 この一週間で同じ男を好きになった同士、仲良くなれそうだった二人の間に決定的な亀裂が入ってしまった。

 渦巻く感情をそのままに言えたらどれだけ良いのだろう。でもそれは出来ない。箒が心配するからと今も戦う悠斗の努力を無駄にしてしまう。

 

「……慣れない試合もあって少し疲れてたみたいだけど、大丈夫よ」

「そうですか……。良かった……」

 

 箒も楯無の言葉を鵜呑みにした。他の誰でも信じられた訳じゃない。自分と同じく悠斗を思う楯無だからこそ信じられたのだ。たとえそれが嘘だったとしても。

 

「良く、ないわよ……!」

 

 怒りを抑えられずに呟いた楯無の言葉は誰にも聞かれずにすんだ。



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20話

今後の投稿予定についてお話したい事があります。
詳しくは活動報告をご覧ください。


 アリーナの上空で待ち構える一夏の元へ悠斗が駆け付ける。

 

「お、来たか。遅いぞ」

「悪い、待たせたな」

 

 そう言うや否や一夏は慣れた手付きで右手に白式の唯一の武装である雪片弐型を呼び出した。あっさり具現化出来たのは千冬が使っていた刀というのもあるのだろう。

 悠斗もそれに対抗するべく、左の腰から刀を抜く。ISにある搭乗者保護機能のおかげで悠斗もある程度ちゃんと振る舞えるようになっていた。

 

「……なぁ、調子悪いのか?」

「……何でそう思ったんだ?」

「いや、何となく顔色悪そうだなって思ってさ」

 

 それでも見る人が見れば分かるらしい。一夏が不安そうに覗き込んで来るのを見て、悠斗は顔をバイザーで覆った。これ以上見られていたら自分の不調がバレそうだったからだ。

 

「大丈夫だよ。さっさとやろうぜ」

 

 距離を取って両手で刀を構える悠斗。搭乗者保護機能で収まっているはずの頭痛が悠斗を襲う。長い時間の戦闘は勿論、この後箒と会う事を考えるとシステムを使っての戦闘も出来れば避けたいところ。

 

「(まぁそう甘くはないよな……)」

 

 目の前にいる男は一度は勝った事があるとは言え、今も昔も悠斗の目標だ。実際、悠斗の悲願であった剣道大会での優勝もいとも簡単に成し遂げた男である。

 対して悠斗はISの挙動においては一夏の先に行っていたが、その他では劣っている。勝つためには一つ、二つの作戦でも考えなければならない。

 

「悠斗、お前がいる状況がどういう状態かは分かってる。でも手は抜かない!」

「ああ、それでいい!」

「試合開始」

 

 全力でなければ意味がない。二人の勝負はいつだってそうだった。一夏が構えると同時、ブザーと共にアリーナのスピーカーから音声が響く。

 

「ぜらあああ!!」

「おおお!!」

 

 開始と共にまるでロケットのようにお互い目掛けて飛び込んでいく二人。挨拶代わりに振りかぶった一撃で切り裂こうとする一夏の斬撃を寸前で体を捻って左へ避ける悠斗。

 

「なっ!?」

「遅い!」

「ぅぐっ!?」

 

 ハイパーセンサーで三六〇度の視界を得ているにも関わらず、目で追い掛けてしまう一夏。たった一週間でISに完全に慣れろというのが無理な話だ。

 驚くのも束の間、悠斗から左のハイキックが襲い掛かる。回避は勿論、防御も間に合わない。

 しかし、セシリアの時と違ってエネルギーを纏っていない。言ってしまえばただの蹴りだ。一夏のシールドエネルギーの減少も僅かで収まる。

 

「そこだぁ!!」

「っ!」

 

 だが体勢を崩すのは充分。続けて左下からやって来たのは刀。一夏を斜めに切り裂くべく迫り来る。これもまた防ぐも、避けるも間に合わない。

 迫り来るのはそれだけではない。久し振りに向けられた明確な敵意もだ。鋭い目付きで一夏を睨み付けているのが、バイザー越しでも伝わる。

 

「はっ……」

 

 《絶対防御》だって本当に安全という訳でもない。命は守るが、命に別状はないレベルの怪我は守らないのだ。簡単に言ってしまえば、手足の一本くらい無くなっても問題はないだろうという事である。

 

「はははっ!!」

 

 もしかしたら一大事になり得るかもしれないというのに一夏は笑った。嬉しくて。

 いつ以来だろうか、目の前の友人と喧嘩をするのは。中学一年の夏に剣道大会で負けてから一切本気で向き合う事はなかった。こっちが向いていても、向こうが本気で向き合ってなかったのだ。

 だが今は違う。勝つために本気で悠斗は一夏と向き合っている。それがどうにも嬉しくて笑う。しかし、いつまでも笑ってはいられない。目の前まで来ている斬撃をどうにかしなくてはならないのだ。

 

「オラァ!!」

「がっ……!?」

 

 防御も回避も間に合わないのなら、と一夏が選択したのは踏み込んでからの攻撃。しかも持っていた雪片弐型でも、殴る訳でもなく、頭突きというこの場において最速の攻撃で。

 予期せぬ一撃に攻撃を中断して、後方へ退く悠斗へ今度は一夏が攻め立てる。脇腹に僅かに刀が当たったが、この絶好の機会に痛みなんて気にしてはいられない。

 

「シッ!!」

 

 踏み込んで繰り出したのは最短距離を行く突き。本来なら避けやすいものだが、後ろに仰け反っている今なら容易に当てられるだろう。

 

「っ、この野郎!!」

「嘘だろ!?」

 

 対して悠斗が繰り出したのも突き。突きと突きがぶつかり合い、金属音がアリーナに響き渡る。

 最小面積の突きに突きを合わせて防ぐなんて時点で驚きだったが、それだけでは終わらなかった。

 

「は――――?」

 

 一夏自身も間抜けだと思えるような声が自分の耳に入る。聞こえてから気付いた辺り、本当に思わずなのだろう。

 二人の刀が接触した瞬間、悠斗は腕を曲げて一夏の突きを後方へ受け流す。そのまま更に踏み込んで肘打ちの要領で胸を強打した。

 

「ぐぅぅぅ!!?」

 

 ISを使った普通の人体ならあり得ない速度でのカウンターを貰った一夏はその勢いを利用して後ろに飛ぶ。体勢を整えたかったのだ。

 

「あー、くっそ……久し振りに鼻やられたな……」

 

 追撃しない悠斗も体勢を整えたかった。バイザーを開き、頭突きで鼻を打たれて潤んだ目を軽く擦る。

 

「いってぇ……! 何だよ、今の……初めて見たぞ」

「いやー、やってみるもんだな。えぇ? おい」

「思い付きかよ。お前は相変わらず喧嘩だとデタラメだな……」

 

 問い掛けにニヤリと笑みを浮かべる悠斗。得意気にどうだと言わんばかりの態度を見て、何処か安心した一夏は戦闘を一時中断して話し掛ける。

 

「それにしてもこっちの方がお前らしいな。さっきまでの小綺麗な戦い方よりもさ」

「っ……」

 

 何気なく言った言葉が悠斗の胸に突き刺さる。まるで本当は何もかも知っているかのような言い方に目を伏せた。また隠すためにバイザーを展開する。

 

「……さぁ、続けようぜ。時間掛けたくないんだよ。愛しの彼女が待ってるんでな」

「ぅん? まぁいいぜ、こっちも痛みが引いてきたところだし……それに――――」

 

 今度は一夏がニヤリと笑みを浮かべた。自信満々なのか、左手が閉じたり開いたりを繰り返している。一夏の昔からの癖だ。

 

「今のやつの破り方、分かったしな」

「へぇ……だったら――――」

 

 言葉と共に悠斗は右半身を引き、構えた刀の上に左手を置いた。見るからに突きの体勢だ。対する一夏も鏡写しのように同じ構え。

 

「――――試してみるか!!」

「やってやるよ!!」

 

 お互い突きの構えを取ると、合図した訳でもないのに同時に飛び出した。二人が激突するのに時間は掛からない。

 

「へっ!」

「っ!?」

 

 二つの刀が再びぶつかる瞬間、一夏が笑った。と、同時に展開していた雪片弐型を量子化させて右手で悠斗が持っていた刀を払い除ける。

 そのまま速度を緩めずに刀の代わりに振りかぶった右拳を悠斗へ叩き付けた。

 

「甘いぜ……!」

 

 だが咄嗟に悠斗も顔の前に叩き付けられる寸前で受け止める。今のに反応出来たのは素直に称賛せざるを得ない。

 せっかく思い付いた破り方もあっさり防がれて悔しがるかと思えばまだ一夏は笑みを浮かべている。

 

「甘いのはどっちだ!」

「何!?」

「推せよ、白式ィ!!」

「ぐ、おおお!!?」

 

 叫びに応えるかのように白式のウィングスラスターに灯る火が強くなった。

 一夏が乗る白式は近接特化で、ISの中でもトップクラスの機動力を持つ部類だ。推進力も当然高い。

 言ってしまえば、一夏が最後に選択したのはゴリ押しだった。単純ながらここまで来るとその強さは際立つもの。

 

「おおお、らぁっ!!」

 

 手で防いでようが関係ない、その手ごと顔面を殴り、押し勝った一夏は地面へと振り抜いた。まるで野球の投球後のような体勢のまま、吹き飛んだ悠斗を見つめる。

 吹き飛ばされた悠斗はくるんと後方へ宙返りをすると地面に着地した。殺しきれなかった勢いを地面に残して。

 

「くっそ、最後ゴリ押しじゃねぇか!」

「それでも一発は一発だ。まぁすっきりしない一発だったけど」

 

 不満はお互い様のようだ。一夏はその手に再び雪片弐型を呼び出すと切っ先を悠斗に向けて宣言した。

 

「次はすっきりするのぶちかます……!!」

「はっ、やって――――っ!」

 

 それに応えようとした時だった。悠斗の頭にやって来た激しい痛み。思わず頭を抱えると何か水音がするのに気付いた。

 

「(色々と限界が来てるっぽいな……)」

 

 ボタボタと地面に流れるのは血で、鼻からだった。強引に拭うも、代わりに頭痛が段々と強くなっていく。

 

「悠斗?」

「(辛いし、痛いし、怖くて仕方ない……)」

 

 このまま戦うとどうなるのか、考えたくもない。更には目の前にいる白い騎士に勝つには恐らく、いや確実にシステムの助けが必要だ。

 制限時間なんてとっくに越えている状態で使えばどうなるのか。もう開発者の束でさえ分からないだろう。

 

「でもまだやれる!!」

 

 地面を蹴り、空中へと飛び出すと悠斗は上段に刀を構えた。振り上げられた刀は中心からやや左寄りに振り下ろされる。これを避けるなんて造作もない。

 

「隙だらけ……っ!」

 

 悠斗の左側に避けるとお返しに刀を構えたところで気付いた。正確には思い出したのだ。

 そう、これは敢えて避けやすい一撃を繰り出す事で回避方向を限定し、避けた先に刀を振り上げてカウンターで相手を切り裂く。避けられるのを最初から織り込み済みの二連撃。篠ノ之流剣術――――

 

「影の太刀、か。そんな技使ってくるとかあっぶねぇな……!」

「くそっ!」

 

 振り上げられた刀は咄嗟に滑り込ませるようにして間に入った雪片弐型によって防がれる。

 同じ剣術を習っていたのだから防ぎ方だって分かって当然だ。長年一緒にいたのもあって、お互い手の内は知り尽くしている。

 この状況を直ぐ打破するためには二人以外の何かしか出来ない。何もかもを台無しにする、ご都合主義でもなければ。

 

「(悪い、楯無、箒……!)」

「いっただきぃ!! うおらぁ!!」

 

 棒立ちのところへ一夏が切り込む。何故突然棒立ちになったのかと考えもするが、戦いの最中に呆ける方が悪いと戦いに集中した。

 

「あぐっ!?」

 

 刀が当たる寸前、何かが一夏の顔を打ち抜き攻撃を中断。何事かと相手を見れば、左腕を胸の高さでボクサーのように畳んでいた。

 見えなかったがジャブだったと遅れて理解した一夏の目の前には――――

 

「ターゲット確認。排除開始」

 

 再臨した熾天使の姿があった。

 

「な、何だ?」

 

 自分がよく知る人物から違う何かへと変わった事を感じ取った一夏は訝しげに見る。右手の刀を鞘に納める姿は別段変わったところはないが、やはり何かが違う。

 

「うお!? っんのぉ!!」

「…………」

「なっ!?」

 

 しかし、今それを考えるべきではなかった。そんな隙を熾天使が見逃すはずがない。驚くべき速度で目の前に来た相手に拳を繰り出すも、そっと手を添えられ、軌道を僅かに逸らされるだけであっさりかわされる。

 

「うおおお!?」

 

 そのまま左腕を掴まれて急降下。地表ギリギリまで降りたところで、背負い投げの要領で思いっきり地面に投げ付けられる。

 

「かはっ……!」

 

 地面に激突した衝撃で肺から空気が押し出されてしまう。更にバウンドしたところへ回し蹴りで彼方へ飛ばされてしまった。地面を転がる一夏を見て、悠斗もゆっくり地上へと降りる。

 

「げほっげほっ! こいつ……!」

 

 地面に伏して咳き込む一夏を無視して構えた。刀を鞘から抜かずにいるその姿は抜刀術のそれだろう。

 しかも近付かずにいるところを見ると一夏が立ち上がるのを待っているようだ。黙して語らないが、正面から決着を望んでいるらしい。

 

「いいぜ……お前が何か分からないけど、勝ってみせる!」

 

 そう言って構えると雪片弐型の刀身が展開され、光の刃が現れた。

 零落白夜。世界大会を制した時に使っていた千冬のみの《単一仕様能力(ワンオフアビリティー)》。自身のシールドエネルギーを犠牲にして攻撃力に変換する最強の刃。

 

「…………」

 

 当たれば逆転も充分あり得る切り札の登場にも動じず、悠斗は構えたまま待ち続ける。

 

「うおおお!!」

「…………」

 

 掛け声と共に一夏が飛び出す。白く輝く刃を手に目の前にいる友人の姿をした何かに向かって。対象的に何も喋らず、悠斗も遅れて飛び出した。

 さて、NBSシステムはその場における最適な動きを再現する。真っ直ぐ行って切り裂くという行為においてシステムが選んだ人物以上に最適なのはいなかった。

 

「っ、この、剣は……!」

 

 脳裏に過るのは一夏が今も憧れる姉の姿。それが今の悠斗と被る。勘違いでも見間違いでもない。ずっと憧れて見てきた姉の剣を間違えるはずがなかった。

 動揺し、動きが鈍る。そこへ振り上げられた状態でがら空きの胸部に、鞘から抜き放たれた刀が見舞われた。

 

「ぐぅっ!」

「織斑一夏、シールドエネルギーゼロ。勝者、白井悠斗」

 

 交差し、すれ違う二人に決着を知らせるアナウンスが流れる。だがそれよりも気に掛かる事が出来てしまった。一朝一夕で出来るような動きではない。

 

「……悠斗、今のはって、おい!?」

 

 一夏が振り返り、問い掛ける間もなく悠斗は膝から崩れ落ちた。

 戦いで高揚していたのが一気に青ざめてしまう。理解していたのだ。あれはまずい倒れ方だと。

 

「千冬姉! 担架を!」

「もう手配している!」

 

 通信越しに怒号が響く中、クラス代表決定戦は幕を閉じた。勝者が担架に乗せられるという異常事態で。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 夕暮れ時の保健室。ベッドで死んでいるように眠る悠斗を見て、箒が目に涙を浮かべてぽつりと呟いた。

 

「何で……どうしてこんな事に……」

 

 聞いた話では少し疲れていただけで何も問題はないはずだった。だが実際は試合が終わると同時に悠斗は倒れていて、いつ目が覚めるかも分からない状況だ。

 本当はもう目が覚めないんじゃないか。そう思うだけで震えが止まらない。怖くて仕方がなかった。

 

「何で、どうして、ですって……?」

「楯無さん?」

「更識、落ち着け」

 

 そんな箒に苛立ち、遂に楯無の我慢が限界を越えた。ありったけの怒りを込めて睨み付ける。落ち着いてなんていられるはずがない。

 

「あなたのせいよ……あなたのせいで悠斗くんはこうなってるのよ!」

「私の、せい……?」

 

 それを皮切りに楯無は箒に全てを話した。

 本当は悠斗に適性なんてない事。代表候補生二人を相手に圧勝出来たのはシステムのおかげである事。そのシステムの制限時間を越えて使った反動で今こうして倒れている事。

 

「悠斗くんは言ってた……本当は強くなりたくなんかなかったって。平和が一番だって」

 

 出会った日に言っていた悠斗の言葉。穏やかな日々を願っていたが、それは脆くも崩れ去る事になる。箒のために。箒のせいで。

 

「あなたがいなければ、あなたと出会わなければ悠斗くんは平和に暮らせたのに!」

「楯無、さん……」

「何であなたなの……!? 私だってずっと悠斗くんを側で見てきたのに何で……!?」

 

 気付けば楯無はその瞳から大粒の涙を流していた。悔しかったのだ。悠斗を好きだという気持ちなら目の前の少女にだって負けていない。だが好きなのに、愛しているのに自分ではどうする事も出来ない。

 戦うなと言っても戦うし、心配させるなと言っても心配させる。無事を願った結果もこの状況だ。

 

「わ、たしは……」

 

 初めて聞いた楯無の本心に、事実に箒は何も言えなかった。辛い目に遭わせて来たのは想像に難くない。でも、辛い目に遭うのはこれまでだけじゃなく、これからもだったのだ。それを分かってしまった。

 

「う……」

「悠斗くん!」

「ゆう、と……」

 

 その時だった。微かな呻き声を出して悠斗が目を覚ましたのは。上半身だけ起き上がると辛そうに頭を抱えて踞る。まだ痛みが残っているのだろう。直ぐに側に楯無が近寄るも、箒は近寄らない。いや、近寄れなかった。

 

「お、おおー……箒、どうした? お通夜みたいな顔して」

 

 心配させまいと無理矢理笑顔を浮かべて悠斗が訊ねる。いつもは見る度に嬉しくなるのに、今に限っては見たくなかった。

 

「……私のせい、なんだろう……?」

「何がだ?」

「悠斗がこうして倒れているのは私のせいなんだろう……?」

「さっきから何を言って――――」

 

 俯いたまま確信に迫る箒に本当に分からないと首を傾げる悠斗。次の言葉で浮かべていた笑顔が凍り付いた。

 

「NBSシステム」

「っ!!」

「……本当、なんだな」

 

 嘘だと思いたかった。倒れたのは試合中に負った怪我か何かのせいなのだと。だが悠斗の反応が確信へと至らせた。

 

「私のせい、だ……私のせいで悠斗が……」

「ち、違う! 俺は箒のために頑張ってきた! でも箒のせいにするつもりは――――」

「私のせいなんだ!!」

「ほ、箒ちゃん……?」

 

 大声をあげて遮った箒は肩を震わせながら話し出す。

 

「私の、私のせいで幾つも無茶をしたんだろう? 今回だって限界を越えて使ったから……」

「だ、大丈夫だ。今回だけだから」

「……本当に今回だけだと約束出来るのか?」

 

 漸く顔を上げて悠斗の顔を見る。信じたかった。目の前にいる愛しい人が傷付く事なく、過ごせる日々が来ることを。

 

「――――ああ、約束する」

「っ!」

 

 だが箒の願いは無惨にも打ち砕かれた。悠斗の目が右へと泳いだのだ。昔からの嘘を吐くときの癖。

 

「次はもっと上手くやる。だから、俺と一緒に……!」

「っ……」

 

 そう言って手を差し出してくる。何と甘くて魅力的な誘いなのだろうか。正直に言えば乗ってしまいたい。昔なら、何も知らなければ箒はあっさりと乗っていただろう。

 ついつい伸びてしまった右手を左手で必死に抑え込むとはっきりと言った。

 

「い、嫌だ」

「えっ……?」

 

 だが今は違う。知ってしまった。大切な人が自分のせいで苦しんでいる事を。

 

「ここで手を取れば、悠斗はまた無茶をする。また苦しんでしまう……!」

「ほ、箒?」

「知らなかったんだ……守ってもらうってどういう事なのか、守られるってどういう事なのか!」

 

 後退りながら絞り出すように叫ぶ。箒は分かってしまったのだ。守られるという事は代わりに誰かが傷付くという事で、それがよりにもよって愛しい人だという事を。目の前で、自分のために。

 

「私のせいで悠斗が傷付くなら、私は一緒にいたくない……!」

「あっ……!!」

 

 一緒にいたくない。そう決めた箒の決断以上に悠斗に衝撃を与えたのは零れ落ちる涙だった。

 泣いているのを見たくないからと、泣かなくて済むようにすると誓ったのに、箒を泣かせたのは他でもない悠斗自身だったのだ。

 

「すまない……!」

 

 それだけ言うと箒は退室した。目元の涙を拭く事もなく、流れるままに。

 

「ご、ごめんなさい! わ、私が余計な事を言ったから!」

「俺が……箒を泣かせた……? 俺が……」

 

 慌てて楯無が謝罪する。誰もこんな風になるなんて予想していなかったのだからしょうがないだろう。

 それでも悠斗の耳には届かない。目を見開いてぶつぶつと呟く。襲っていた頭痛すら忘れて。それどころではなかったのだ。

 クラス代表にはなれたが、代わりに大切なものを失ってしまった。



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21話

 廊下に保健室の文字が見えた時、一夏はほっと胸を撫で下ろした。漸く目的地に着いたからだ。

 

「おお、着いた着いた。ここまで案内してくれてありがとうな」

「いえいえ、お気になさらず」

「もう迷子にならないよね?」

 

 セシリアとシャルロットがアリーナへの道を歩いている途中だった。今日の反省を踏まえての練習をしようとしていたところ、外で一人きょろきょろしている一夏を見つけたのだ。

 訊いてみれば保健室に行きたいらしい。だが二人が幾ら教えても要領を得ない顔をしているので、仕方なくここまで一緒に来たのだ。

 

「大丈夫だ。元々俺は迷子じゃなかったからな」

『えぇ……?』

 

 どう見ても迷子だったのにその自信は何処からやってくるのか。任せとけと言わんばかりの笑顔は二人を唖然とさせるのに充分過ぎた。

 と、その時。保健室の扉が勢い良く開かれて一人飛び出してきた。一夏の幼馴染の一人で、もう一人の幼馴染の恋人である箒だ。

 

「おっ、ほう――――」

「っ……!」

 

 だが箒は無視して目の前を走り去る。セシリアやシャルロットはおろか、呼び掛けた一夏さえも。

 

「篠ノ之さんはどうされたんでしょうか?」

「何か……様子おかしかったね」

 

 お世辞にも社交的とは言えないが、それでもされた挨拶等は必ず返すのが箒だ。ましてや見知った仲に対して返事をしないなんてあり得ない。そして見てしまった。

 

「あいつ……泣いてた」

「織斑さん?」

 

 そう、確かに一夏は見たのだ。俯いて走り去る頬に流れる一筋の涙を。この一週間、そんな素振りすら見せなかったのに。

 当然だ、箒が泣かなくて済むように悠斗が側にいたのだから。だというのに泣いていたのはどうにも気に掛かる。

 

「悪い! 俺ちょっと行ってくる!」

 

 走り去った幼馴染を追うべく、一夏は二人に別れを告げた。

 

「お、織斑くん!? 保健室はいいの!?」

「後で行く! 今はこっちが優先だ!」

 

 呼び止める声もそこそこに一夏は駆ける。

 何故追い掛けようかと思ったかなんて、理由なんてない。ただそうしなくちゃいけないと思ったからだ。

 

「箒!」

「い、一夏」

「漸く気付いたか……はぁ、疲れた」

 

 気付けば人気のない外まで走っていた。何度呼び掛けても聞こえていなかったようで、こうして一夏が腕を掴んで初めて気付いたらしい。

 箒が振り向くとやはりというべきか、その瞳から大粒の涙が流れていた。こんな姿を見るのは別れる前を含めても一回しかない。

 

「泣いたりしてどうしたんだ? 悠斗は?」

「悠斗は……私のせいで……!」

「……どういう事だ? 何かあったのか!?」

 

 問い掛ける声はいつになく真面目なもの。自分のせいだと、まるで悪い事があったかのように言うのだから当然だろう。

 しかし、よくよく考えればそうだった。前に泣いていたのも悠斗が関係していたのだ。

 しゃくり上げながらゆっくりと何があったのかを話していく箒。全てを聞いた時、一夏の表情が憤怒に染まった。

 

「あの馬鹿……!!」

 

 思わず口にした言葉が全てを物語っていた。

 悠斗は目的を間違えてしまっているのだ。きっと、中学一年のあの時からずっと。ここ一週間の様子からもう吹っ切れたのだと思っていたが、そうではなかったらしい。

 苛立ちが募る。箒との約束を破った悠斗に。そして何より、ずっと一緒にいたのにそれを見抜けなかった一夏自身に。

 

「ちょっと俺、悠斗のところに行ってくるから。箒は部屋で待っててくれ」

「い、一夏……」

「大丈夫。昔あいつに言った事をやるだけだから」

 

 それだけ言うと一夏は箒を置いて来た道を戻っていく。もう迷ってる時間もない。

 

「……悠斗」

 

 再び一人になった箒は先程の事を思い出し、そっと名前を呟いた。胸が苦しくなるが、これは悠斗のためなのだ。もう辛い目に遭わせないためにも。

 ぼやける視界でふらふらしながらも、何とか部屋に辿り着くとベッドに倒れ込んだ。誰もいない、孤独な部屋。

 

「ふ、ぅ……」

 

 防音の部屋は最初に来た時と何ら変わりないのに、来たばかりの時よりも寂しく思わせる。暖かさを知ったからだろう。

 隣に愛しい人がいて、寂しくなると言わなくてもそっと抱き締めてくれる。同じ男を好きになった人がいて、好きな男の事で愚痴を溢したりもして。三人での生活は楽しかったと心から言える。

 

「う、ぅぅぅ……!」

 

 しかし、それももう叶わない。知ってしまったのだ。自分は悠斗の傍にいてはいけないのだと。

 他の誰でもない、箒が悠斗を傷付ける。とても耐えられる話ではない。

 

「あぁぁぁ……!!」

 

 この部屋が防音で良かったと初めて箒は心から思った。周りを気にする事なく泣けるから。

 たとえ、世界の全てが箒の敵になったとしても悠斗だけは味方でいてくれる。そう信じているし、今までそうだった。

 でも箒は戦って傷付いた後に得られる安全よりも、二人で怯えながら逃げたかったのだ。傷付く事なく、二人で今日も無事にいられたと笑い合う。それで良かった。

 だが悠斗はその道を選ばない。自分がどれだけ傷付いても箒の安全を確保しようとする。

 

「……やっほー」

「たて、なしさん」

「うん……」

 

 暫く泣いていると、鍵を掛けたはずのドアが開いて声が掛かる。目を向けるとこの部屋の住人である楯無が立っていた。

 先程の一件から申し訳なさそうにしている彼女を無視して再び枕に顔を押し付けようとした時。

 

「ごめんなさい!」

「えっ……?」

 

 部屋に響き渡る楯無の謝罪の言葉。見ると箒に向かって頭を下げたままでいた。

 

「私、どうかしてた……。箒ちゃんがいなければいいなんて言っちゃうなんて……箒ちゃんがいなければ私は悠斗くんと会う事もなかったのに」

「いえ……本当の事ですから……それに」

「それに?」

「楯無さんが本当に悠斗の事を想っていると分かりますから。おかげで悠斗を任せられます」

 

 起き上がるとそう返す。乾いた笑みを浮かべて。それを見た楯無は更に罪悪感を増していく。

 

「……ねぇ、本当に悠斗くんと別れるの?」

「……私がいたら悠斗が傷付きますから」

 

 隣に座った楯無の言葉に箒は枕を抱き締めて、絞り出すように話す。別れたくはない。でも別れなければならないのだ。

 

「ああ……やっぱり」

「何がですか?」

「箒ちゃんは本当に悠斗くんが大切なんだなって思って」

 

 優しげな瞳で見てくる楯無に少し唖然としてしまう。そっくりそのまま返された。今さっき自分が言った事を。

 

「……何でそうなるんですか?」

「私だったら箒ちゃんと同じ事言える自信ないもの」

 

 せっかく出会えたのだ。五年も会えなかったのに、自分から会わないようにするなんて楯無には出来そうにない。

 

「私ね、箒ちゃんが悠斗くんとどれだけ会いたかったかは想像は出来るけど、はっきりとは分からない」

「……はい」

「でもね、悠斗くんがどれだけ箒ちゃんと会いたかったかは分かってるわ」

「悠斗が、ですか?」

「五年も一緒にいて、ずっと見てきたのよ? 当たり前じゃない」

 

 箒がいなくなってからの五年間、それは悠斗にどれだけ訊いてみても教えてくれなかった空白の期間だった。なんでも恥ずかしいから、らしい。

 

「悠斗くんね、あなたに会うのが遅くなるからって泣いた事もあるのよ?」

「えっ? 悠斗が泣いたんですか?」

「んふふー。知らないでしょ?」

 

 得意気に楯無が微笑む。俄には信じがたい話だった。あの悠斗がたったそれだけの理由で泣くなんて箒には想像も出来ない。

 好きな女の子の前ではいつだって格好付けていたいのだ。情けない姿なんてとてもじゃないが見せられない。そういう考えの男だった。

 

「あとね、箒ちゃんと会った時の事を考えてデートの練習したりとかもしてたのよ」

「私のために……」

「そう、箒ちゃんのためにね」

 

 それまでの箒のためという言葉とはまるで違う。凍えるような冷たさではなく、陽だまりにいるような暖かさを感じる。素直に嬉しかった。

 

「……箒ちゃんと別れてからの五年間を教えてあげる。悠斗くんが何をして、どれだけ箒ちゃんと会いたがっていたかも」

「楯無さん……」

「それを聞いてから本当に別れるかどうか決めて。お願い」

「……分かりました」

 

 笑顔から一転、真剣な表情で懇願してくる楯無に箒も頷いた。知らなくてはならない。少なくとも箒にはその権利と義務がある。

 五年間にも渡る悠斗の物語は気付けば朝方まで掛かっていた。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 絶対安静だと言われて保健室で一夜を過ごし、次の日の授業にも出ずにいた悠斗は丸一日経った夕方に漸く解放され、その身で廊下を歩く。

 宛もなく足をただひたすら前へと動かしていた。歩くのも覚束ないその姿はまるでゾンビや幽霊のようで。

 

「俺は……間違えてたのか……? でも何を間違えて……」

 

 ふらふらと左右の壁にぶつかりながら呟く。考える時間は幾らあっても足りなかった。間違えていたのは分かるが、何を間違えていたのかは悠斗には分からない。

 

「おい」

「…………?」

 

 その時、俯いていたところに声が掛けられる。どうやら目の前に誰かが立っているらしい。声を掛けられるまで気付かない辺り、本当に参っているようだ。

 

「一夏……?」

「ちょっと、こっち来いよ……!」

 

 悠斗が顔を上げるとそこにはいつになく怒っている親友の姿。胸ぐらを掴まれるとそのまま屋上まで連れていかれる。逆らう気も、力もなかった。

 されるがまま、人気のない屋上に着くとゴミ袋を捨てるように悠斗は投げ捨てられた。

 

「うぐっ……!」

「何やってんだよ、お前……!!」

 

 沸き上がる怒りを必死に抑え付けているかのように、一夏は声を押し殺して睨み付ける。

 

「昨日、保健室に行く途中で箒に会ったぞ」

「…………」

「あいつが泣いてたから何でかって聞いてみれば、お前の事でじゃねぇか……!」

 

 ついには一夏も怒りを抑えきれず、叫ぶようにして言い放った。

 

「箒を泣かせないようにするんじゃなかったのかよ!? 寂しくしないようにするんじゃなかったのか!?」

「っ……!!」

 

 何も言い返せない。一夏の言葉は悠斗が感じた思いそのものだったからだ。相変わらず一夏は正しい事を言っている。

 

「何のために今まで頑張ってきたんだ!?」

「……るさい」

「箒と会って、ずっと一緒にいるためなんだろ!?」

「五月蝿い!」

 

 本当の事を言われているからだろう。分かっている事を言われているからだろう。悠斗の苛立ちが募っていく。それが声として現れていた。

 誰も好きで泣かせた訳じゃない。悠斗なりの泣かせないように、泣かなくて済むように考えての行動だった。

 

「五年前の約束はなんだったんだ!? お前が泣かせてどうするんだよ!!」

「黙れぇ!!」

「ぐっ!!?」

「お前に……お前に何が分かる!?」

 

 拳が一夏の頬に当たり、後ろに退かせる。振り抜いた拳から体全体に凄まじい不快感が襲った。正しい事を力で捩じ伏せようとしているのだから当然だろう。

 自分のやった事に吐き気すら覚えつつ、悠斗はもう一度右腕を引き絞る。

 

「側に行くのに最短でも十年は掛かる予定だった!」

「がっ!?」

「十年だ、十年もだぞ!? 俺は十年もあいつの側にいてやれなかったんだ!」

 

 その十年というのも何もかもが上手く行って初めて生まれる細い道筋だった。少しでも脇道に逸れたら終わるような、そもそも生まれるかどうかすらも分からない、蜘蛛の糸を掴むような話だったのだ。

 だが、それでも僅かな可能性に賭けて悠斗は頑張ってきた。しかし努力は結ばれない。だから力を求めた。自分にはない力を。

 

「それが半分の五年で済むかもしれないんだ! やるしかないだろ!? どんな犠牲を払ってでも!」

「だからって……無茶してたらお前が……!!」

「俺なんかどうでもいい! あいつの側に行く事の方が重要だ!」

「っ!!」

 

 本気だった。悠斗は本気で自分の事をどうでもいいと考えている。それが間違いだとも知らずに。

 その一言にただ殴られるばかりだった一夏が動き出した。間違えてたら正してやる。昔に言った事を守るため。

 

「この……馬鹿野郎がっ!!」

「ぐ、がぁぁぁ!!?」

 

 屋上に悠斗の悲鳴が上がった。一夏がやったのは殴ってきた腕を肘と膝で挟んだのだ。

 痛みに耐えるように左手で抑えると、それまでのお返しとばかりに殴られる。

 

「犠牲とか簡単に言いやがって……! それが間違いだってんだよ!」

「な、に……ぐっ!?」

 

 もう一度殴って、一夏が続ける。悠斗が抱える間違いを正すために。

 

「お前、いつから側に行くのが目的になってんだよ!?」

「そんなの最初からに決まって……」

「違う! お前の目的は側に行く事じゃなくて、側に行って一緒にいる事だったろ!! 側に行って、それで終わりにしてんじゃねぇよ!」

「っ!!」

 

 ただ側に行くのとその後も一緒にいるとでは決定的に違う。ここに来るまでの挫折と焦りから悠斗は目的を過程とすり替えてしまっていた。

 

「どうせ、また戦う必要があれば、限界越えてでもシステム使う気だったんだろ!」

「ぬぐっ……!」

「毎回あんなボロボロになるまで戦って! それで側に行けたとしても、その未来でお前は本当に箒と一緒にいるのか!?」

「――――」

 

 考えてもなかった。側に行けばそれでいいと思っていた悠斗にとってその後の事なんて。

 限界を越えてシステムを使っていたらいずれやってくるだろう体の限界など、所詮はそこまでだったのだと諦める事しか考えていなかった。

 

「でも俺はあの力に頼るしかないんだ! もう後には退けない! たとえ嘘だとしても!」

 

 しかし気付いてももう遅い。取り返しつかないところまで進んでしまったのだ。今更システムを使わないで初心者の悠斗が国家代表達に勝てというのも無理な話。

 

「別に使うななんて言ってねぇよ! 無茶するなって言ってるんだ! それに嘘だったとしても後で本当にしちまえばいいだろ!」

「本当に、する……?」

「偽物じゃなくて、本物の世界最強になればいい! それだけだ!」

 

 なんて単純な答えなのだろうか。一夏が示した答えはあまりにも単純なもので、強くなればいいというものだった。単純過ぎるが故に見逃していた答え。

 振りかぶっていた腕も止めて問い掛ける。聞かずにはいられなかった。

 

「……なれるのか? 俺が?」

「お前ならなれるさ」

「そう、か」

 

 最後にそう聞くと観念したかのように座り込んだ。それに応じるかのように一夏も座り込む。

 

「……俺も協力するからさ。もう勝手に一人で無茶するなよ」

「……ああ」

 

 何でもかんでも一人でやろうとしていた自分が恥ずかしい。どれだけ周りが見えていなかったのか。頼れる人間はたくさんいるのにも関わらず、見ようとしなかった。

 

「……俺って馬鹿だな」

「そうだな、お前はどうしようもない馬鹿だ」

「言ってくれるな、この野郎」

「事実だろ?」

「まぁな」

 

 言って一夏が今日初めて笑う。つられて悠斗も笑った。何年振りかの心からの笑顔は雲一つない青空のように清んでいる。

 

「さてと、んじゃあ行ってくるわ」

「箒のところにか?」

「当たり前だろ。色々間違えたりしたけどやっぱり俺がいるのはあいつの隣だ」

 

 少しふらつくがこの程度どうという事はない。立ち上がり、出口へ向かって歩き出そうとした時だった。

 

「箒……?」

「悠斗……」

 

 これから会いに行く予定だった愛しい人が目の前にいた。



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22話

遅れちゃいました☆


「箒……」

「悠斗……」

 

 夕暮れが射す屋上で二人は再会した。丸一日、たった一日の時間だったが、お互いとても長い時間を過ごしていた気がする。

 

「あー……お邪魔虫は退散するからちょっと待っててくれ」

「一夏」

「……もう間違えんなよ」

「……ああ」

 

 最後にそれだけ言うと屋上という舞台から姿を消した。残るのは悠斗と箒の二人のみ。

 二人の間に静けさだけが残る。この一週間でまず見なかった光景だろう。少しだけ二人の距離が離れてしまった証拠なのかもしれない。

 

「治ったばかりなのに、またボロボロになったな……」

「うっ……」

 

 歩み寄って来たのは箒からだった。一夏に殴られて少し腫れている頬を優しく撫でる。

 別に咎めるように言われている訳ではないのに気まずそうに顔を歪めた。あれだけ心配させた矢先の出来事だ。また泣かせてしまうんじゃないかと思うのも無理もない。

 

「あの、その、ご、ごめん……」

 

 咄嗟に出た言葉も酷く簡単なものだった。それしか思い付かなかったのだ。だがこの短い言葉に込められた思いは計り知れないものがある。

 それを感じ取ったのか、箒は柔らかく微笑むと意地悪く問い掛けた。

 

「本当にそう思っているのか?」

「お、思ってる! ごめんなさい! すいませんでした! 俺が悪かったです! 許してください!」

「ふふっ、そんなに謝らなくてもいい」

 

 必死になってぺこぺこと何度も頭を下げる姿に箒は昔の、離ればなれになる前の頃を思い出した。日溜まりの中にいたように暖かったあの頃を。

 と、謝るのもそこそこに悠斗が真面目な顔で切り出した。

 

「箒。俺、さ……馬鹿だった」

「……それは知ってるが、今度はなんだ?」

「自分から約束した事を間違えてたんだ。好きな子とした約束を」

 

 先程一夏に言われて漸く気付いた間違い。それを懺悔するかのように話し出した。

 

「正直、箒の側に行くためだったら俺なんかどうなったって良いって思ってた」

「ああ」

「毎回死にかけてぶっ倒れても、しょうがない事だって思ってたんだ」

「……ああ」

 

 悠斗の瞳は真っ直ぐ箒を見つめている。悲しい事に本当の事らしい。事実、昨日の段階ではこれからも無茶をする気でいたからそうなのだろう。箒の胸が苦しくなる。

 

「でも、違ったんだ」

「何が、だ?」

「大事なのは……約束したのは側に行く事じゃなくて、その後の一緒にいる事だったんだ。そのためには箒は勿論、俺も大事にしなくちゃいけないってさっき気付かされたよ」

「悠斗……!」

「俺も、お前と一緒の未来に生きていたい」

 

 苦しくなっていた胸が少しだけ軽くなる。嘘は吐いていない。本気でそう思ってくれているのだ。

 この先も一緒にいるために、側にいるために箒だけじゃなく、自分も大切にすると言っている。そんな当たり前の事が嬉しかった。

 

「もう、無茶はしないのか……?」

「お前を泣かせるような事は二度としない」

 

 未だ不安そうにしている箒に優しく語りかける悠斗。二度目の誓いは決して間違えたりはしない。先程から一切外したりしない視線がそう告げていた。

 その目を見据えて、今度は箒が口を開く。

 

「……悠斗」

「何だ?」

「私はお前のために何をしてあげられる?」

 

 楯無から聞いた五年間。どれだけの苦労があったかは、聞いただけでは全てを把握はしきれない。ただ、それでもどれだけ自分を想ってくれていたかは伝わった。

 思えば箒は助けてもらってばかりだったのだ。愛情を与えられてばかりだったのだ。だから今度は自分からも与えられるようになりたい。

 

「何って……」

「悠斗の事だ、共に戦うのは許さないだろう?」

「当たり前だ」

 

 はっきりと言い切る。守ると誓ったのだから、守る対象と共に戦うなんて悠斗が許さない。他は知らないが、悠斗にとってはそれが当たり前なのだ。そこは譲れない。

 

「でも何かしてあげたいんだ。悠斗のために私も」

「何かって、なぁ……」

 

 そう言う箒の決意も固い。困った事にこの二人はお互い頑固だった。このままでは平行線、二人の話は交わらないのではないかと思っていたその時。ふと、悠斗の言葉を思い出したのだ。

 

「悠斗、決めたぞ」

「何だ?」

「私も守るんだ。お前のために」

「ぅん? 何を守るんだ?」

 

 首を傾げたままの悠斗が問い掛ける。待っていたとばかりに浮かべる笑みは思わず見惚れる程綺麗なものだった。

 

「悠斗が帰ってくる場所を、だ」

「帰ってくる場所?」

「そうだ。私のために頑張って、戦って、そうして疲れてる悠斗が休む場所を私が守る」

 

 守る、というよりは作るというのが正しいのかもしれない。一緒に戦えない代わりにせめて安らげる場所を。他の誰でもない、悠斗のために。

 

「……ああ、それはきっと箒にしか出来ない事だから頼むよ」

「うむ、任せておけ」

 

 お互い微笑む。そのまま終わればいいが、二人とも言わなければならない事がある。

 

「……悠斗の気持ちも知らず、一緒にいたくないと言ってしまった」

「……俺は箒との約束を間違えていた」

「拒絶してしまった」

「泣かせた」

 

 お互い苦い顔をした。過程はどうであれ、結果として相手を傷付けたのだ。

 

『でも』

「それでもやっぱり悠斗の側にいたい」

「俺もだ。箒の側にいたい。これからも、この先もずっと」

 

 揃ったのは声だけではなかった。二人が示した答えも。自然と笑みが溢れて、どちらからともなく顔が近付き、唇が触れる。一日振りのキスだった。

 

「……血の味がする」

「口ん中切れてるの忘れてた……」

「全く……」

 

 何とも締まらない。でもそれで良いのかもしれないと箒は思った。格好良いのもいいが、抜けているのもまた愛しく思える。これが、自分が愛した男なのだと。

 久しぶりの悠斗の腕の中はやはり心地良い。感じていた寂しさなんてあっさり消えていく。こうなったのも――――

 

「……悠斗、頼みがあるんだ」

「おお? 何だ?」

「その、――――」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

「……良かったわね」

 

 夕暮れの屋上で仲直りの証として、二人が口付けを交わすのを影から見ていた楯無。その心は複雑なものだった。発した言葉のように素直に喜べないでいる。

 

「最初から勝ち目なんてなかったもの……」

 

 誰に言う訳でもなく、一人ぽつりと呟く。

 自分が好きになった悠斗という男はひたすらに箒にしか目が行ってなく、他人からの好意なんて気付かない。一途と言ってもいいだろう。楯無の好意になんて見向きもしない。

 

「はぁ、せめて同じくらいの時期に会ってたらなぁ」

 

 出会った日が、スタート位置が同じだったのなら。そう思わなかった日なんてなかった。そうしたら悠斗はどちらを好きになっていただろうか。箒か、それとも楯無か。

 

「無理、なのよね……」

 

 だが楯無は気付いてしまった。矛盾とも言えるこの想いに。そう、勝ち目なんて最初からなかったのだ、と。

 

「潮時ね……」

 

 もう二人は大丈夫だろう。二度と進む道を間違えたりしないし、拒絶する事もない。手を取り合って二人でこれからの困難を越えていくのだろう。とすれば、先程一夏が言ったようにお邪魔虫は退散するのみ。

 

「さ、帰って支度しなくちゃ」

 

 明るい声とは裏腹に重い足取りで前へと進み、階段を下りていく。これ以上あそこにいるのも辛かったのだ。好きな人が自分ではない女性を抱き締めて、キスを見るのなんて辛くないはずがなかった。

 

「あ、会長。お疲れ様ですー」

「えっ。あ、うん。お疲れ様」

 

 道中、出会った楯無を慕う生徒に声を掛けられると平静を装って言葉を交わす。誰にも気付かれないでいれたのはさすがだと言えよう。

 部屋に戻った楯無はこの一週間過ごした部屋を去るべく、持ってきた荷物を片付けていく。もうここにいても意味がない。自分の初恋は儚くも終わったのだ。

 

「うっ……あっ、うぅ……!」

 

 早く片付けなければならないのに楯無の手が思うように動かなかった。次々と溢れる涙を拭いながら必死に手を動かす。いつあの二人が戻って来るかも分からないのだ。平然と振る舞わなければならない。笑顔で別れるためにも。

 

「ただい……楯無?」

「楯無さん……」

「お、お帰り……っ」

 

 一通り楯無の荷物が片付け終わった頃、この部屋の本来の主である二人が帰ってきた。その手は仲睦まじく繋がれている。羨ましかった。でもそう思うのも終わらせなければならない。

 

「ん……?」

 

 部屋の様子が変わった事に気付いたのか、しきりに辺りを見渡す悠斗。対象的に箒は少しだけ表情を暗くさせて楯無を見ていた。

 

「どうしたんだ? 荷物なんかまとめて」

「お試し期間は終わりって事」

「お試し期間……?」

「そっ。まぁ、私が元の自分の部屋に戻るだけなんだけどね」

「は……?」

 

 顔を隠すように拡げられた扇子には『お別れ』と何処か寂しく書かれていた。

 理解しきれていないのか、悠斗は間抜けな声を出すと未だ顔を隠したままの楯無に向かって呆けたように話しかける。

 

「何で、だよ……?」

「元々私が無理言って住んでたのよ? 本来二人部屋だしね。私がいなくなるからってハメ外し過ぎちゃダメよ?」

「だからってこんな急に……!」

 

 確かに二人部屋に三人で住むというのも、突然楯無がやって来たのも無理矢理だったのかもしれない。

 だがそうだとしてもこれまで一緒に暮らしてきたのだ。ましてや箒と仲直りする切っ掛けとなった楯無を追い出すような真似なんてしたくなかった。

 

「いいじゃない、これで思う存分箒ちゃんとイチャイチャ出来るのよ? 喜びなさいな」

「……お前、何隠してるんだ?」

 

 隠してるとは扇子の先にある顔の事ではない。悠斗が指したのは心の事だ。その事が分かり、楯無の心臓が跳ね上がるも直ぐにいつもの状態へ。

 

「何の事かしら? 私は何も隠してなんか――――」

「だったら!」

「あっ……!」

「やっぱりだ。お前、何でそんな無理してんだよ」

「っ」

 

 ずんずんと近付いてきた悠斗に手を取られると楯無の隠されていた顔が露になる。

 予想通りというべきか、普段と変わらないはずなのに目の前の男はどれだけ微細な変化であろうと見抜いてしまう。きっと知られたくなかったこの想いさえも。

 

「私は無理なんかしてないわ。何を勘違いしてるの?」

「……楯無、前にも言ったけど俺はお前のその作り笑いが大嫌いだ」

「作ってなんか……」

「箒の言ってたお願いが何となく分かってきた。何を隠してるのか、ちゃんと言え」

 

 言われて静かにしている箒へと視線を向けた。ただ真っ直ぐ楯無を見ている瞳には何が描かれているのか。秘めていた恋心を暴いてまで。

 

「わ、私は――――」

「楯無さん」

 

 それまで黙っていた箒が口を開いた。ひたすらに誤魔化そうとする楯無を鋭い目付きで睨み付ける。

 

「あなたの想いはその程度だったんですか?」

「その程度って……!」

「お?」

 

 無茶を言わないで欲しい。もう諦めるしかないのに何をどうしろと言うのか。

 箒の言葉は何とも理不尽なものだった。最初から勝っていた者に楯無の気持ちなんて分かるはずがない。沸々と怒りが込み上げてくる。

 睨み返す楯無の視線にも負けず、箒は続けた。空気が変わった二人を交互に見る悠斗を置いてきぼりにして。

 

「何も伝えないままでいいんですか?」

「――――い……」

「う、ぅん?」

「本当の気持ちを誤魔化したままでいいんですか?」

「――――ない……!」

「ただ眺めているだけでいいんですか!?」

「良い訳ないじゃない!!」

「うおっ」

 

 畳み掛けるように言ってくる箒に遂に我慢の限界が来た。悠斗に腕を掴まれたまま吠える楯無。諦めたい訳ではない。だが諦めなくてはならないのだ。そんな事も分からないのに好き放題言われて我慢出来るはずがなかった。

 

「悠斗くんは無茶するなって言ってるのに無茶するし!」

「えっ、俺?」

「悠斗は黙っていてくれ」

「あ、はい」

 

 まさか矛先が自分だとは思いもよらず、悠斗が場にそぐわない声を出す。そんな声さえ無視しても楯無の怒りは収まらない。

 

「心配させるなって言ってるのに心配させるし!」

「う、ぐ……」

「箒ちゃんの事しか考えてないから他の人なんてどうでもよく思ってるところもあるし!」

「い、いや、そんな事は……」

「ちょっとえっちで、おっぱい大好きだけど!!」

「ちょ、おま」

 

 何故か恋人の前で性癖まで暴露される始末。だが、それも次の楯無の言葉に霞んでしまった。

 

「でも、私は箒ちゃんのために一生懸命頑張る悠斗くんが大好きなのよ!!」

 

 秘めて終わらせるはずだった想いを遂に告げた。楯無の矛盾はこれだったのだ。

 箒のために頑張る悠斗が好き。つまり箒ありきの好意だったのだ。否定した矢先に気付いた事だった。

 

「……何ぃぃぃ!!?」

 

 そして悠斗が何故か知っているはずなのに声を上げて驚いている。まるで初めて知るかのようなリアクションだ。嫌な汗が楯無の頬を伝った。

 

「ほ、箒ちゃんから聞いてたんじゃなかったの!?」

「お、俺が言われたのは楯無の話を聞いて、受け入れてやってくれって事だけだ!」

「受け入れてって……!?」

 

 どういう事なのかと二人とも箒を見ると腕を組んで得意気な顔でしきりに頷いていた。

 

「これだけ悠斗を想っている楯無さんなら私は良いと思っている」

「そ、それって……」

「悠斗、私と楯無さんと三人で恋人になってくれないか?」

「え、えぇぇぇ!?」

 

 彼女からの堂々たる公認二股宣言は更なる動揺を悠斗に与えた。

 というか、よくよく考えてみればあれだけ献身的に支えていてくれていたのだ、何の見返りもないのに。普通に楯無は明け透けな好意を悠斗に向けていたのだ。話の流れから察するに気付かなかったのは悠斗だけなのだろう。

 

「悠斗くん……」

「わ、分かったから泣くな!」

 

 泣きそうな目で悠斗を見つめる。震える声は不安をこれでもかと教えてくるようで。

 慌てたように返事をするのはいつものフェミニスト的なものから来るかと思いきや。

 

「その、散々泣かせておいてなんだけど……」

「うん……」

「俺は楯無にも泣いて欲しくないんだ……だから泣かないでくれ」

「~~~っ!!」

 

 困ったように頬を掻く。好きかどうかは分からない。でも悠斗にとっては箒と同様、泣いて欲しくない人だった。たった二人の特別。

 その事を知っていた楯無は喜びに打ち震えた。好きな人の特別になれていたのだから嬉しくないはずがない。

 

「ほ、箒ちゃん! き、キス、キスしてもいい!?」

「ええ、勿論ですよ」

「悠斗くん、キスしましょ! 熱烈なやつ!」

「あ、ああ……」

 

 確認するや否や興奮を抑えきれないかのように鼻息を荒くして求める。正直、若干引いてしまっていた。

 箒とは何度もキスしていたとは言え、当たり前だが楯無とはこれが初めて。悠斗も緊張しないはずがなかった。

 

「じゃ、じゃあするぞ」

「うん、来て」

 

 正面から抱き合ったまま、悠斗から顔を近付けていく。何故彼女の目の前でやらなくてはならないのかと一瞬考えるが、今ではどちらも彼女だったと深く考えない事にした。

 

『ん……』

 

 目を閉じたままでいる楯無の唇に悠斗の唇がそっと押し当てられると声が漏れた。そこまでして、漸く目の前にいる彼女への愛しさを悠斗は実感したのだ。箒に勝るとも劣らない愛情を。

 片や楯無は愛しい人からされるキスの心地好さ、愛されている事の実感、そして叶うはずがなかった自らの恋の成就にほろりと涙を流す。勿論、悲しくてではない。その真逆である嬉しさで。

 

「楯無……うお!?」

「ゆ、悠斗!?」

 

 唇を離した瞬間、悠斗はベッドに押し倒されていた。その上に倒した張本人である楯無が覆い被さる。まさかの自体にけしかけた箒も声を上げて驚いた。

 

「楯無、んぐぅ!?」

「ぷはっ、悠斗くん、悠斗くん……!」

 

 呼び掛ける声さえ無視して楯無は悠斗の口を自らの口で塞ぐ。一度してしまえば歯止めなんて効くはずがなかった。今まで散々見せつけられて来たのだからその反動は計り知れない。

 

 キスをしながら寝ている悠斗の体にぐいぐいと体を押し付けていく楯無。自慢の大きな胸はその柔らかさを視覚で教えるように潰れ、足も絡ませているが、それでもまだ足りない。ならば――――

 

「た、楯無さん! 抜け駆けはずるいですよ!!」

 

 良からぬ気配を感じ取った箒も参戦。さすがに悠斗の初めては自分でありたいという思いは譲れなかったようだ。

 

 翌日、辛そうに腰を抑えている悠斗と内股になってぎこちなく歩いている箒と楯無の姿があった。バカップルが増えたと噂になるが間違いではない。



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23話

 某所、IS委員会の招集で薄暗がりの中に千冬はいた。その表情は彼女を知らない人だとしても、一目で分かるほど険しい。

 彼女の目の前にある空間ディスプレイには先日行われたクラス代表決定戦の様子が流されていた。

 その向こう、新しく空間ディスプレイが開かれるとより一層千冬の表情が険しくなる。

 

「《ブリュンヒルデ》、気分はどうかな?」

「貴様のおかげで最悪だ」

「それは残念」

 

 軽い口調の男の声。それに対して敵意を一切隠さずにいる。それどころか惜しみ無く敵意を向けていた。

 それもそのはず、千冬の視線の先には世界がこうなった原因が、《財団》の、IS委員会の会長であるアイザックがいるのだから。

 幾ら直接ではないとは言え、元世界最強の千冬の殺気を受けても平然としていられるのはさすがと言うべきか。肩を竦めて適当に受け流す。

 

「で、この試合を見せて何を聞きたい? こんなところ、一刻も早く立ち去りたいんだがな」

「あはっ、嫌われてるねぇ。まぁいいや、単刀直入に聞くよ……彼は何者だい?」

 

 聞いてきた彼とはディスプレイに映る、代表候補生二人を圧倒している悠斗の事だろう。

 この瞬間、アイザックの表情から笑みが消えた。

 

「……どういう意味だ?」

「そのまんまさ。僕が調べていた限りでは白井悠斗は落ちこぼれだったはずだよ。それがたった一週間でこんなに強くなるはずがない。まるで別人のようだ」

 

 そう思うのも無理もない。言ってしまえばあれはまさに別人なのだから。だがシステムの事を言えば、アイザックは嬉々としてその事を公表するだろう。世界の男性の希望を打ち砕くため。

 

「そして、これも気になる」

 

 言葉と共に変えられた画面には悠斗と一夏の戦いも映し出されていた。システムを使わない、ありのままの悠斗の姿が。

 

「不思議だよねぇ。あれだけ強かったのに、今度は同じ素人である君の弟と互角なんだから」

「っ」

 

 確かに不自然だと誰もが思うだろう。何故今度は圧倒出来ないのか、と。

 別に一夏が特別強い訳ではない。素人にしては良くやっているが、それだけだ。

 手加減している訳でもない。無傷で勝ったのに、やられる時はやられている。

 

「君の後任であるアリーシャに見せたらこう言ってたよ。『最弱と最強が同居している』って」

「私も同意見だ」

 

 強くて弱い。相反する二つが同時に存在している。正しい評価だ。事情を知らない者からしたらそう思ってしまってもしょうがないだろう。

 かつて世界大会で千冬と優勝を争ったアリーシャ・ジョゼスターフ。近接戦闘において千冬と互角に渡り合えた唯一の存在。現在の世界ランク一が言うのだから説得力がある。

 

「もう一つ、彼女に聞いた事があるんだ」

「……何だ?」

 

 問われてアイザックがニヤリと笑みを浮かべた。相変わらずこの男の笑みほど薄気味悪いものはない。

 

「君ならその最強に勝てるのかって」

「っ!!」

 

 浮かべる笑みに相応しい、嫌らしい質問だった。

 

「……で、アリーシャは何て答えたんだ?」

「勝てるってさ。だけど今の彼には興味がない。国家代表の一人でも倒したら考えるらしいよ」

 

 恐れていた答えだった。考える、とは戦うに値するという事だろう。きっとそう遠くない内に、アリーシャは悠斗を倒すべくやって来る。そうしたら、今のままでは確実に負けてしまう。

 

「アリーシャが勝てるって事は《ブリュンヒルデ》も勝てるんだよね?」

「……それはどうだろうな」

 

 ここで勝てると言えば間違いなく千冬を当てようとするだろう。それだけは避けねばならない。せっかく結ばれたのだから、これ以上邪魔するのは。

 

「あはっ、あははははっ!!」

 

 それを聞いてアイザックは笑う。無邪気な子供のように。そして残酷に告げた。

 

「嘘はいけないなぁ!」

「ふん、何がだ?」

「君とアリーシャが! 世界でたった二人の《ドミナント》が、負けるはずがないだろう!?」

「っ……」

 

 《ドミナント》とは何らかの先天的因子により、常人よりも遥かに高い戦闘能力を持つとされる仮説である。現在、これに当たるのが世界最強と評される千冬とアリーシャの二人のみ。

 同じ国家代表という枠にいながらもこの二人だけは特別だった。言ってしまえば委員会の切り札に近い。

 

「ははは、でもまぁそういう事にしておくよ。今日はこれまでだ。また、頼むよ」

 

 その言葉を最後に通信が切れた。アイザックの笑い声が室内に響いて不愉快にさせる。いつか、またこの時が来るのかと思うだけで頭を抱えさせた。

 

「また、私が障害になるのか……」

 

 昔も今も、悠斗にとっての最大の障害足り得るのは他の誰でもない千冬自身だった。

 先程までの険しい顔付きは何処へ行ったのか、今にも泣いてしまいそうな表情で千冬は俯く。

 幕はもう開けられたのだ。この劇が終わるまでもう降りる事など出来ない。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 ある朝、悠斗は唇に柔らかい感触があるのに気付いて目が覚めた。

 

「ん、ちゅ……」

「ちゅ、んん……ちゅ……」

 

 正確には唇だけではない。目蓋や頬、額といった顔のありとあらゆる場所でそれを感じる。ゆっくりと重い目蓋を開くと――――

 

「おはよう、悠斗」

「ああ。おはよう、箒」

 

 何よりも大切な人が見惚れるような笑みで目の前にいる。右手で箒の髪を撫でるとくすぐったそうな声を出した。

 さらさらと流れる髪は箒の自慢だ。寝る前にも手入れは丹念にしている。それを愛しい人が愛でてくれるのだからこれ程嬉しい事はない。この気持ちを悠斗に伝えたくて自然と顔が近付いていく。

 

『ん……』

「はぁ……悠斗、ん、ちゅ、ちゅっ」

 

 一度だけのキスでは伝えきれなかった。寝ている時と同じように悠斗の目蓋や頬へとキスの雨を降らせていく。

 

「むー。ねぇ、私には何もないの?」

 

 すると今度は悠斗から見て左側から寂しがっているような、怒っているような、そんな声がしてきた。

 声がする方へ向けば、そこには先程まで箒と一緒にキスの雨を降らせていた、頬を膨らませて不満そうにしている二人目の大切な人。

 

「悪いな。おはよう、刀奈」

「おはよ、悠斗くんっ」

 

 そう呼んでキスをすれば楯無は微笑んで悠斗の首元に顔を埋めた。足を悠斗の両足に挟み込んで融け合うように抱き付く。

 刀奈という本当の名前を好きな人が言ってくれる幸福。そして何よりも何年にも渡って想ってきた相手を思う存分愛せるのだ。楯無の幸せは衰える事のない絶頂期にある。

 

「あの、時間だから起こしてくれたんじゃないのか?」

 

 右から箒、左から楯無に愛されているにも関わらず、この男は他を気にする余裕があった。というよりは気にしなければ学校があるというのに朝から何かが始まってしまいそうだから気にしなければならないというのが正しい。

 

「大丈夫だ。いつも起きてる時間よりも十分は早いからな」

「そっ。だから後十分、まったりこうしてましょっ」

「果たして本当にまったりなんですかねぇ……?」

 

 一つのベッドに三人と本来手狭のはずだが、ぴったりとくっついていれば悠斗が劣情を催す以外は何も問題はなかった。

 このまま三人で幸せを噛み締めながらゴロゴロとしていたいが、そういう訳にもいかない。悠斗は強くならなくてはならないのだ。

 

「じゃあ行ってくるよ」

 

 甘い誘惑に打ち勝ち、朝のランニングに行くべく悠斗が振り返って二人に言うと両頬に柔らかい感触が。見れば二人の顔がこれでもかと言うくらい近い。

 

『いってらっしゃいっ』

「……おう、行ってきます!」

 

 愛する二人の応援を受けて悠斗は部屋を出た。朝からやる気全開だ。

 

「よしっ、じゃあこっちも頑張りましょうか」

「はい!」

 

 見送った箒と楯無も準備を始める。手早く制服に着替えると、エプロンを着用して台所に立った。二人の戦いは朝食から始まる。

 

「ひぃ……ひぃ……!」

「お前、くっそ情けない声出してどうしたんだよ」

 

 一方その頃、グラウンドで一夏と走っていた悠斗は地獄を見ていた。

 端から見ていると走っているフォームも滅茶苦茶で、何かを庇っているようだ。

 

「……もしかして腰悪いのか?」

「や、やんごとなき事情がありまして……」

「ふーん(爆発しねぇかなぁ……)」

 

 やんごとなき事情と誤魔化しているのと、腰が痛いという点で何があったのか察した一夏。ひぃひぃ言って走ってる悠斗に願いつつ、ふざける事に。

 

「――――顔は良いのに?」

「いや、そうなんだよ。顔は良いんだよ! でも腰が悪くてな! 顔は良いんだけどね!」

「えっ? 何だって?」

「ちょっと、何でそこで難聴になったの? 今まで聞こえてたよね?」

 

 そんなやり取りをしながら何とかノルマを達成した悠斗は痛む腰を押さえながら部屋に戻る。

 

「ただい――――おわっ」

「お帰り、悠斗くんっ!」

「お帰り、もう直ぐ朝御飯出来るぞ」

「おお、サンキュー」

 

 扉を開ければエプロン姿の恋人二人が待ち構えていた。楯無は悠斗の姿が見えるや否や勢い良く抱き付いて出迎える。箒はその後ろでやんわりと微笑んで。対照的だと悠斗は思った。

 

「えっと、その……」

「うー。愛しの彼女達が出迎えてくれたんだから何かあるんじゃないのー?」

 

 それぞれ対応は違うが、そわそわしているのは一緒だ。楯無みたいに素直に言ってくれればいいが、箒は少し奥手らしい。だがやって欲しい事は分かった。

 

「はいはい。ただいま、と」

「ちゅ。えへへ、お帰り!」

「箒も。ただいま」

「ぅん……お帰り、悠斗」

 

 今日だけで既に二桁は越えているキスをすると朝食を取る。料理上手の二人が作り上げた朝食を味わう、何度口にしても絶品だった。

 料理は愛情というし、二人分の愛情を悠斗は一身に受けているのだから、美味しいのは当たり前なのかもしれない。

 

「さて、教室に行きますか」

「うむ」

「そうねぇ」

 

 制服に着替えた悠斗の言葉に従い、二人とも鞄を持つ。寮の廊下に出ると箒が代表として部屋の鍵を閉めた。

 

『戸締まり確認!』

 

 三人で一斉に指を刺して声を揃えて言う。たったそれだけの事が楽しくて仕方がない。

 

「さ、行きましょ」

「そうですね」

「あいあい、と」

 

 左腕を楯無に、右腕を箒に取られると抱き付かれて教室へ向かう。あまり横に幅を取らないようという建前上、ぴったりと密着しているのもあって歩きにくい事この上ない。

 

「ふふっ」

「にへへー」

 

 しかし、左右にいる二人のにやけた顔を見るとこれもいいかと思ってしまう悠斗だった。

 

「今日もお弁当あるから、教室で待っててね」

「あいよ。天気良いし今日も屋上だな」

「うむ、あそこは人もいないしな」

 

 屋上は今や悠斗達の絶好の昼食スポットとなりつつあった。理由として利用する人が少ないのではなく、全くいないからだ。バカップルの空気に当てられたのだとは三人は全く知らない。

 箒の言葉に楯無がにやにやしながら見ていた。からかう気満々である。

 

「んふふー。箒ちゃんは人がいないと何をするのかなー?」

「えっ!? いや、そ、それは……」

 

 楯無の指摘に顔を真っ赤にさせて口ごもってしまう。公の場では言えない、その反応こそが答え。何とも弄りがいのある反応だった。

 

「箒ちゃん、やっらすぃー」

「た、楯無さん!」

「箒、やっらすぃー」

「悠斗まで! むむむ……!」

 

 悠斗まで加わってからかい始める。二対一では圧倒的に不利だ。元々箒は口喧嘩は苦手であるため、事態により拍車を掛けている。

 からかいは楯無と別れるまで続き、その後箒の機嫌取りに悠斗が苦労したのは言うまでもない。

 

「あなた方は本当に目の毒ですわね……」

「ずっと一緒にいるもんね……」

『?』

 

 休み時間、セシリアとシャルロットがげんなりした表情で悠斗と箒に話し掛けてきた。

 これはクラスメイトの声でもある。本人達にその気はないが、教室内でもくっついているため目の毒でしかない。今も窓際に寄り掛かって悠斗が後ろから箒を抱き締めている。独り身の者達全員に甚大な被害を出していた。

 

「良く分からないが、ずっと一緒にいるのはこれまでの反動かな」

「そうだな。五年は長かった……」

「漸く会えたんだ。もう二度と離さないさ」

「悠斗……」

「箒……」

「はいはい。ご馳走さま」

「熱々ですのね」

 

 見つめ合う二人に呆れがちに言い出すセシリアとシャルロット。

 悠斗と箒の過去なんて全く知らない二人だが、漸く会えたと言った時の嬉しそうな顔でどれだけ相手を想っているかが伝わってきた。バカップルもバカップルたる所以があるのだ。

 その時、勢い良く扉が開かれた。もう一人の恋人の登場だ。

 

「悠斗くん! 箒ちゃん! お昼行きましょ!」

「今行きます」

「あいよー」

 

 箒も弁当を取り出し、朝のように悠斗の左から楯無、右から箒が抱き付く。 それが当然のように振る舞う悠斗。

 

「えっ、二股ですか……?」

「うわぁ……」

 

 一年一組のクラス代表の他に悠斗がクズの称号を得た瞬間だった。

 

「さぁビシバシ行くわよ! 来なさい!」

「シッ!」

 

 水を纏った槍、蒼流旋を構える楯無。彼女の専用機ミステリアス・レイディの主武装だ。

 剣道三倍段なんてなんその。更に言うなら相手の方が格上だが、悠斗は手に刀一つで立ち向かう。

 今だけは恋人ではなく、師弟関係の二人は幾度となく激突。

 

「ほらほら、その翼は飾りじゃないんでしょ!? もっと有効に使いなさい!」

「ぐぅ!? こんの……!」

 

 言われて黒曜の翡翠色の翼から同色の羽が無数に放たれる。しかし、楯無は隙間を縫うようにしてあっさり回避すると左手に呼び出した蛇腹剣、ラスティーネイルで切りつけた。

 

「がふっ!」

「狙いが甘過ぎ。弾幕でダメージを与えるのにその隙間を縫われるってどういう事? 撃てば良いってもんじゃないのよ?」

「ぐぬぬ……」

 

 これまで射撃なんてした事のない悠斗にしてみれば、国家代表に当てろという方が無理難題だ。まだ悠斗は訓練するようになって二週間も経っていないのだから。

 

「あと、黒曜の持ち味を生かしなさい。それは現存するどのISよりも機動力があるんだから速さで撹乱しなさい」

「……ちなみに刀奈から見てどれくらい使いこなせてる?」

「三割くらい?」

「全然ダメじゃん……」

 

 恋人からの容赦ない言葉に項垂れる。せっかくの最強のISも担い手がこれでは宝の持ち腐れでしかない。

 

「でもやるしかないんだ」

 

 しかし、泣き言は言えない。こうして愚痴を溢さず付き合ってくれているのだから。目指すところは遥か先にある。その先にも道はあるのだから。

 

「こんなところで行く道引いてられるかよ」

「そうよ。私と箒ちゃんのためにも頑張れ男の子!」

「分かってるよ! 一々茶化すな!」

 

 怒鳴り付けるように言うが、楯無と箒のためというのには否定しない辺り、愚直さが垣間見える。

 

「さて、じゃあまた使ってみましょうか」

「おう。また回避に専念してればいいんだな?」

「まずは無事に生きて帰れるようにしないとね」

「愛されてるねぇ、悠斗くんは」

「勿論、これ以上ないくらいに愛してるわよ」

 

 からかうつもりで言ったのに恥ずかしがるどころか、何処か誇らしげに言う姿に悠斗は赤面した。素晴らしいカウンターがクリーンヒット。顔を隠すようにバイザーを展開させた。

 

「あ、照れてるんだ。かわいー!」

「…………」

「ちょっと、何でそこで使うのよ!」

 

 システムを起動させると纏う空気が変わる。あれだけ恥ずかしそうに赤面していた顔も普段通りに。

 現在システムは束が言っていた使用限界の二十分。そこに安全装置を付けて、最大十五分までしか使えない。更にそれから悠斗が一日十分までと決めているため、時間を無駄には出来ないのだ。

 

「むぅ、あとでいっぱい言ってやるんだからっ!」

 

 言い終えると同時に蒼流旋で突き。放たれた突きを刀の柄尻で受け止めると、その勢いを利用してぐるりと回転する。本来ならここから回転を利用した斬撃が放たれるが、今は回避と防御に専念。

 楯無もシステムが相手だからと悠斗には出さなかった本気を出す。凄まじい勢いで繰り出される攻撃を全て避けて、防いでいく。

 

「(なるほど、ここはこうやって避けるのか)」

 

 その様子を悠斗は第三者のように見ていた。システムを使っても意識がなくなる訳じゃなく、体にも感覚はある。操り人形をイメージして貰えればいいだろうか。だからシステムが今何をしているのか頭でも体でも分かるのだ。

 つまり悠斗は世界最高の技術をその身でもって体験している。しかも受ける側でもあり、する側でもある立場で。

 

「じゃあ今度は悠斗くんよ」

「おう」

「まず、ここはね――――」

 

 二分後、システムを解除した悠斗は今度は自身で楯無に立ち向かう。今の動きを忘れない内に解説してもらいながら。

 システムを使った学習にも弱点はある。何故そうしたのかが分からないのだ。致命的な問題である。どれだけ凄い技術を学んでも使いどころが分からなければ意味がない。

 そのため、攻防の後に誰かに解説してもらう必要があった。それが楯無なのだ。国家代表である彼女はどうしてそうしたのかは見れば分かる。更にシステムの相手としても最適であるため、至れり尽くせりなのだ。

 

「はぁー……疲れた……」

「今日もお疲れ様っ」

「おおー……身体中いてぇ……」

 

 訓練も終えて引き摺るようにして部屋に戻る。システムの副作用だった。使用限界を超えた時を知っているからまだましかもしれない。

 痛くても楯無に掴まったりはしないのは悠斗の意地だ。楯無も察してか、普段通りに左腕に抱き付いて倒れないように支える。どうにかして部屋の前まで行くと――――

 

「お帰り、悠斗、楯無さん。ちょうど晩御飯出来たから先に食べよう」

 

 扉を開ければ暖かい空間があった。箒が作ってくれた悠斗が休める場所。いや、三人で過ごす場所だ。自然と笑みが溢れる。

 

「ああ、ただいま」

 

 その後、食事を取った悠斗にタイトルマッチが待ち構えているとは思いもよらなかった。




何やこれ


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24話

お久し振りです。
お待たせしました。


 アリーナにて黒と白のISが激突する。互いの意地を賭けて。

 黒いISは悠斗が駆る黒曜。白いISは一夏が駆る白式。クラス代表決定戦から実に二週間振りの事だった。

 

「おぉぉぉらぁっ!」

「でやぁっ!」

 

 掛け声と共に二つの刀が切り結ぶ。同時に二人の負けたくないという意地もぶつかる。

 前回と違い、観客なんて誰もいないが二人は何処までも盛り上がっていた。

 

 戦いの切っ掛けなんて些細なもの。お互いにこの前の戦いの決着に納得出来なかったのだ。一夏との戦いにも、最初からシステムを使っていればここまで心残りになる事もなかっただろう。

 

「おおおっ!!」

 

 しかし、最初に使わなかったせいで見えてしまった。ずっと身近にいて、届かない存在だったはずの勝利への道筋。

 それが決してあり得ないものではないと知り、悠斗はその手にある刀を振るう。

 

「らぁっ!」

 

 それに応えるように一夏も刀を振るう。

 あの時、久し振りの親友との真剣勝負に心を踊らせていた。今度こそ勝つのだと、自分に言い聞かせて。

 だが、それも悠斗が勝利への渇望に、システムという甘い果実に負けてしまったせいで台無しとなった。

 

「やっぱ、そうじゃなくちゃなぁ……!」

「いきなり何の話してんだ、よっ!」

「うおっ!?」

 

 鍔迫り合いとなった時に笑みを浮かべてそう呟く一夏。訳の分からない言葉に悠斗は言葉と共に上段蹴りを繰り出す。足癖の悪い、彼らしい攻撃だった。

 

「へ、へへ……!」

 

 寸前で何とか避けて、一歩だけ間合いを広げると更に笑みを深める。

 一夏の目の前にいる男は黒いバイザーを付けているが、間違いなくシステムに頼っていない。ありのままの悠斗がそこにいた。

 

「攻撃されて笑ってんじゃねぇよ! ドMか、お前は!?」

「ちげぇよ! そうじゃねぇよ!」

 

 気味悪く思った悠斗が口汚く言い放つ。そんなやり取りでさえ、一夏には嬉しいのだ。

 しかし、そんな嬉しくて楽しい時間にも終わりがやってくる。

 

「次食らったら終わりだな……」

「俺もだ」

 

 SEはお互い残り僅か。後一撃でも貰えばそれで終わり。勝者と敗者が決定する。

 そんな緊迫する状況で、二人は相手を見据えて刀を握り直し――――

 

「またやろうぜ」

「おう、次も勝つけどな」

 

 示し合わせたかのように笑った。まるで幼い子供が明日も遊ぼうと約束しているような、そんな日常を錯覚させる光景。

 それも直ぐに戦いの空気へと変わる。

 

「はっ、もう勝った気かよ!」

「最初からそのつもりだ!」

 

 言い終えると共に悠斗が飛び出す。両手で保持した刀を上段に構えた。相手に向けて真っ直ぐに振り下ろすために。

 対する一夏は腰に構えた刀を自分の背で隠すようにした。鋭く振り抜き、刀を弾こうという算段らしい。

 

「せやぁっ!!」

「だぁっ!!」

 

 悠斗の振り下ろしと、一夏の一撃が交差する。甲高い音が鳴り響くと同時、悠斗の刀が宙を舞った。

 

「(勝った……っ!?)」

 

 後はがら空きのところへ上段に構えて振り下ろすだけ。勝ちを確信した一夏の表情が強張る。横に振り払った先、彼の視界に映ってしまったのだ。

 

「(両手で持ってない!?)」

 

 悠斗が右手でしか刀を持っていない姿を。振り下ろす直前は確かに両手だったのに。

 ならば左手はというと、右の腰に差している未だ鞘に収まったままのもう一振りへと。

 

「う、おおお!?」

「でぃぃぃやぁぁぁ!!」

 

 気付いた時にはもう遅い。気合いと共に鞘から刀が抜き放たれ、一夏のがら空きの脇腹へと。

 

「くぅっ……!」

「ふぅー……」

 

 痛む脇腹を抑えて苦悶の表情を浮かべる一夏に、悠斗は宙に舞った刀を掴み、鞘に納めてから深い息を吐いた。

 本当ならせっかくの勝利、もっと体で喜びを表現したいところ。だが、そこは剣道を習っていたのもあってこの場では絶対にしない。相手に失礼だからだ。

 

「最後の……また思い付きか?」

「おう。いや、我ながら上手くいったな」

「(まじかよ……)」

 

 相手にあからさまな上段に意識を向けさせ、本命はもう一本の刀からの一撃。最初のは捨ての一撃と侮っていると、そのまま両手でバッサリと斬られてしまう。咄嗟にしては出来すぎていた。

 

「くっそぉ……これで二一戦二一敗かよ……」

「何だ、その戦績?」

「悠斗との喧嘩の戦績だ」

「えっ。そんなん数えてたのかよ、怖っ」

「う、うるせぇ! 悔しいんだよ!」

 

 戦績の通り、今まで一夏は喧嘩で悠斗に勝った事がない。どれだけ強くなろうとも最後にはさっきのような思い付きで負けていたのだ。

 悠斗も喧嘩ではずっと勝ってたなくらいにしか思っておらず、戦績までは覚えていなかった。試合ならいざ知らず、喧嘩で勝っても誇れないと思っている悠斗にとってはどうでも良いものだった。

 

「そもそもISの試合は喧嘩にカウントしていいのか?」

「ISって喧嘩と同じで何でもありだからいいんじゃね?」

「何だそれ……」

 

 加えて一夏にとっての喧嘩の定義が少し曖昧なのもあるのかもしれない。

 呆れがちに悠斗は続ける。

 

「ていうか、少なくともこの前の屋上のは俺の負けだろ」

「いや、勝ってもないけど負けてもないじゃんか」

「――――負けでいいんだよ」

 

 一夏の言い分に笑ってんじゃ悠斗は答えた。自分が間違っていたのだから、勝ってはいけない。そしてその間違いを正してくれた一夏こそ、勝利すべきなのだと。

 

「……ノーカンにしとく。それにしても、今日こそ勝利の女神が微笑んでくれたと思ったのになぁ……」

「悪いな、俺は勝利の女神と恋人なんだ。しかも二人とな」

「最後にノロケですか、そうですか」

 

 確かに勝利の女神二人と恋人なら微笑んでくれたくらいでは一夏は勝てそうにはない。せめてもの仕返しと茶化すが、箒や楯無のおかげで耐性が出来ている今の悠斗には通用しない。

 

「へっへー、いいだろ。お前もさっさと彼女作れよ」

「いや、俺なんかに作れる訳ないだろ」

「おまっ、えぇ……?」

 

 悠斗も笑って茶化してやると、冷静に真顔で言われてしまい、笑みが消える。

 他人の色恋沙汰には鋭いが、自分の事にはとことん疎い一夏だった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「ただいま」

「お帰りなさい、悠斗くんっ!」

「はいよっと」

 

 一夏との勝負を終えた悠斗が部屋に着くと、いつも通りまずは楯無が胸に飛び込んで出迎えてくれた。最早慣れたもので、抱き止めるのもぐらつく事はない。

 恋人関係になってからかれこれ二週間は経つが、楯無は未だに大人しくしていられなかった。愛する人を出迎えるため、常に全力なのだ。

 

「お帰り、悠斗」

「ああ、ただいま」

 

 遅れて箒も悠斗の元へ駆け寄ってくる。夕食を作っていたのだろう、制服にエプロン姿のままだ。

 ゆったりと微笑む彼女につられて、悠斗も笑顔になる。楯無のように露骨に愛情表現する事はなく、静かに愛を伝えてくれる姿は対称的だ。

 

「で、一夏くんには勝ったの?」

「おう、これも師匠のおかげかな」

「そうかっ。良かったなっ」

「ああ、ありがとうな」

「よしよし、ご褒美におねーさんが頭を撫でてあげましょう! ほら、屈んで屈んで!」

 

 勝利報告するや否や、頭を撫でるために屈めと言う楯無。こうなると彼女は何が何でも撫でようとしてくるため、素直に従う事に。

 

「はいはい、ってむぐ!?」

「良い子、良い子っ」

「んー! んー!」

 

 屈んだ瞬間、悠斗の頭を自身の胸元に抱き寄せてから頭を撫で始めた。まさかこうしてくるとは思いもよらず、精一杯の抗議をする。

 

「悠斗くん……えへへ」

「あの、楯無さん……? そろそろ離さないと悠斗が……」

 

 箒の心配する声も何のその。自身の豊満な胸に埋もれて呼吸が出来ない悠斗の事なんて考えられない。それ以上に弟子の成長と愛する人の勝利に本人以上に喜び、浮かれている楯無だった。

 

「し、死ぬかと思った……」

「もう大丈夫か?」

「ああ、大丈夫」

「ご、ごめんなさい……」

 

 流石にそれまで抗議していた腕がだらりと下がったのを見て、まずいと感じた箒の必死の救助活動により何とか命は無事に済んだ。

 浮かれすぎていた楯無のテンションも今ではどん底にまで。しょんぼりと俯いているせいか、二人にはいつもより彼女が小さく見えていた。

 

「気にすんなよ、喜んでくれただけなんだろ?」

「う、うん。でも、んぅ」

「はい、そこまで」

 

 何かを言おうとする楯無の口を人差し指で塞ぐ。どうせ出てくるのなんて謝罪の類いだと高を括ったのだ。

 

「気にすんなって言っただろ。だからこの話はそれまでだ」

「うん……」

「それにやっぱ刀奈には笑ってる方が似合ってるよ。はっきり言って落ち込んでるのなんて似合わないぞ」

「ぷっ、確かに。楯無さんがしおらしいのは似合わないな」

「だろ? はははっ」

「な、何よもう!」

 

 二人に笑われて恥ずかしくなった楯無は立ち上がると悠斗へ詰め寄り、その左頬に口付けをした。

 

「もう、馬鹿。ありがとっ」

「お、おう……」

 

 それだけ告げると楯無は着替えを用意して部屋にある浴室へと。入る直前で立ち止まり、振り返ると。

 

「悠斗くんっ」

「何だ?」

「覗いちゃダメよ?」

 

 意味ありげな台詞と共にウィンク一つし、楯無は浴室へと消えた。その胸に淡い期待を持って。

 その意味を正しく理解した悠斗は顔を赤くし少し俯くも、隣でくすくす笑っている箒のせいで直ぐに顔を上げる事に。

 

「……何だよ」

「ふふっ、行かないのか?」

「い、行かねぇよ。それに箒は俺が行ってもいいのかよ?」

「ふむ……そうだな」

 

 行けばどうなるかなんてこの二週間で嫌というほど分かっているはずだ。長風呂になるのは間違いない。だがそれでも箒の楽しげに浮かべている笑みは崩れなかった。

 

「悠斗が行きたいなら行けばいいさ」

「そ、そうか……はぁ」

 

 少し考える素振りを見せて出した答えは何処か冷たさを感じさせるものだった。

 しかし、その答えに悠斗は肩を落としてしまう。止めて欲しかった。行くなと言って欲しかったのに。

 

「むぐっ?」

「全く、話は最後まで聞け」

 

 その時、落ち込んでいる悠斗を箒が抱き寄せた。今度は箒の胸に埋もれるが、前のように息苦しさはない。何とか顔を上げると、そこにはやはり笑顔の箒の姿。

 

「いいか、私から楯無さんも愛してくれと頼んだんだ。楯無さんとの何をしたかで、一々目くじら立てる方がおかしいだろう」

 

 確かにその通りだ。自分から頼んだのだから結果がどうであれ、それで悠斗を怒るのはおかしい。

 

「でも……」

「それにお前は楯無さんを愛したなら、ちゃんと私も愛してくれるからな。不安に感じた事はない」

「――――」

 

 違うか? と首を傾げて問い掛ける箒は幸せそうだ。さっきの言葉も何も根拠がない訳じゃなく、結局は自分も愛してくれると信頼しているから。ただ先か後かの違いだけで。

 

「期待しているぞ」

「ま、任せておけ」

 

 正直な話、二人相手はきついのが心情だが目の前で笑ってくれる彼女を見ると、悠斗も弱音なんて言っていられない。

 解放された悠斗は触れるだけのキスをして離れると、箒が自身の太腿を優しく叩いているのに気付いた。

 

「もう耳垢も溜まっているだろう。掃除するから来い」

「あれ? 箒の番だっけ?」

「そうだぞ。ほら」

 

 悠斗の耳掃除は何故か交代制で行われていた。カレンダーを見れば水色のマーカーでデフォルメの楯無の顔と、赤のマーカーで同じくデフォルメの箒の顔が交互に描かれている。これはどちらがその日に耳掃除したのかというマークだ。

 描かれているマークが楯無の顔を最後に何もない。つまり次は箒の番となる。

 

「じゃあお邪魔します」

「はい、どうぞ」

 

 謎の制度に疑問を持ちつつ、箒の太腿に頭を預ける。女性特有の柔らかさと良い匂いに悠斗の心臓が高鳴るが、何とか平静を装って耳掃除へと。

 

「む、大物がいるな……動くなよ」

「お、おう」

「……よし、取れた」

 

 耳掻きを巧みに扱って大きな獲物を取り上げた箒は、獲物を用意していたティッシュへ。その表情は大変満足そうに見える。

 相変わらず膝枕に慣れない悠斗はどぎまぎしながらも、この謎の制度について質問する事にした。

 

「そ、そういや何でこれ交代制なんだ? どっちかで良くないか?」

「そういえば言ってなかったな。これは将来のためだ」

「将来のため?」

 

 耳掃除が将来何の役に立つのか。皆目検討がつかない悠斗はオウム返し。

 

「耳垢というのは遺伝するんだ。聞いた事があるだろう?」

「あー、そういえば……」

「だから楯無さんと今から覚えておこうと思ってな。いつか確認するために」

「……えっ。な、何をだ?」

 

 問い掛けたが、既に悠斗は正解を知っている。でも、それでも確かめたくて問い掛けて。

 

「生まれてくる子供の耳垢が父親似かどうかをな。私としては、父親似の方がいいんだが」

 

 結果、盛大に爆発するはめとなった。

 

「ちょ、えっ、えっ?」

「こら、危ないだろう。耳掃除の途中なんだから動くな」

「は、はい」

 

 動揺のあまり起き上がりそうになるが、箒に手で制される。元々、胸の動悸をどうにかするべく話し出した話題だったが、結果的に落ち着かせるどころかより悪化させるだけ。

 

「あの、流石に子供は気が早いんじゃ……?」

「だからあくまで将来のためだと言っただろう? お前にはやるべき事なんていっぱいあるしな」

 

 世界最強になって箒の側にいる。そのために強くならなければならない。問題は他にもある。悠斗にはやらなくてはいけない事が山ほどあった。

 

「だが一応言っておくが、私も楯無さんも相手はお前じゃなければ嫌だぞ」

「う、ぐぅ……わ、分かってるよ」

「分かっているならいい」

 

 遂にはストレートな告白も飛び出し、たじたじで耳まで真っ赤にさせている悠斗へ止めが入る。そっと耳まで顔を寄せて、囁くように言った。

 

「そっちも期待しているぞ、あ、な、た」

「――――うがぁぁぁ!!」

「きゃ!?」

 

 我慢の限界を越えた一匹の獣が爆誕。

 元からもう色々と溜め込んでいた悠斗は箒を押し倒した。そしてそこへもう一人やってくる。

 

「ちょっと、何で本当に覗いて来ないのよ!? お風呂出ちゃったじゃない!」

「ふー、ふー……!」

「えっ、どういう事?」

「楯無さん、舞台はこっちです」

「あ、うん」

 

 襲われているはずなのに冷静な箒に困惑するも楯無もそこへ参戦。今日も今日とて、長い夜が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 翌日、教室では朝からある話題で持ちきりとなっていた。

 

「まだ四月なのに転校生ってどうなってんだ?」

「なんでも中国の代表候補生らしいよ」

「へー」

 

 一夏がクラスの面々と転校生について話している間、悠斗は自分の席でうつ伏せになっていた。その側には当然のように箒が。

 何故うつ伏せになっているかというと。

 

「だ、大丈夫か?」

「今回は結構きつい……」

 

 また腰を痛めてしまったのだ。何をしたのかは言わないでおく。

 周りも悠斗が腰を痛めているのはいつもの事なので気にしていない。下手に気にするとバカップルの餌食となるからだ。

 

「それにしても中国か……」

「気になるのか?」

「まぁ、な」

 

 ただの転校生ならいざ知らず、相手は代表候補生。セシリアやシャルロットと同等と見て間違いないだろう。

 そして、気になるのはそれだけではない。中国には悠斗と一夏の共通の友人がいるのもあるのだ。中学の途中で別れてしまって以来、連絡を取っていないため余計に気になってしまう。

 

「専用機持ってるのうちのクラスだけらしいから余裕だよ!」

「――――その情報、古いよ」

 

 クラスの誰かが言った言葉に反応した女子は教室の入り口で両手を組んで不敵な笑みを浮かべていた。

 その姿に見覚えのある悠斗と一夏は同時にその女子の名を呟いた。

 

『り、鈴……』

 

 波乱のクラス対抗戦まで後少し。

 



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