鉄火の銘 (属物)
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第一部【転生者、大地に立つ】
序章【オーラ・ドリーム・オブ・ネオサイタマ】


【オーラ・ドリーム・オブ・ネオサイタマ】

 

……ザザ…………ザザ……ザザ…………ザザ。足下に01の水が右から左へ流れる。ここはどこだろうか。どうにもわからない。顔を上げれば金色の立方体が緩やかに回転している。見覚えのない代物だ。あれはなんだろう。

 

左右を見渡すと呆けた顔が数人見える。皆、寝間着のような格好だ。視線を下ろせば似たような姿をしている。たぶん夢だろう。布団に入ったのは何時だっけ。姉ちゃんに早く寝ろと急かされたんだ。

 

ぼんやりと立方体を眺める。単純な金一色なのに吸い込まれそうなグラデーションを描いているように見える。濃淡がざわめきこちらを見つめる。

 

……ザザ…………ザザ……ザザ…………ザザ。波のない静かな海。いや波と違うが流れている。川だろうか? しかし向こう岸は見えない。ならば河だろう。二進数で描かれるデジタルの流れが時に渦を描き、時に淀みで沈む。特に考えることなく流れを追う。ふとそこから足が生えているのに気がついた。

 

蛍光緑のモノトーンで描かれた足の上にはこれまた緑単色モノクロームの人影がある。顔立ちはよくわからない。ネガ写真めいた緑の塗りつぶしの中に、虚めいた口と瞳があるだけだ。ただし目は三つあった。誰だろう?

 

「ドーモ、初めまして。▲▼▲・▲▼▲▼です」影は合掌礼と共に丁寧にお辞儀をした。「……どうも、■■■■です」お辞儀に思わず頭を下げた。特に考えることなく名前を言われたのだから、名前を返して返答した。

 

それにつられたのか、何人かが自己紹介を返し始めた。横の一人が小さな目礼と共に返礼する。「ええっと、私は※※※※※※です」聞き覚えのある名前だ。顔をよく見ればクラスメイトの一人と一致した。ああ、後ろの方でよく本を読んでいる奴だ。そいつに話しかけようと口を開く。

 

「あの「イヤーッ!」絶叫めいた気合いの声と共に衝撃波が宙を走った。最初の音を出そうとしたタイミングで、見えざる拳で打ち据えられたかのように吹き飛ばされる。眠気を堪えるために頬を張った瞬間めいて鮮烈な痛みが全身を走る。

 

「グワーッ!?」それはどこか呆けたままの自我を強制的にたたき起こした。冷水をかけられて跳ね起きたように、居場所も時間も理由も一瞬の間失う。実際、01水の中にたたき込まれた。混乱する思考の中、目の前で衝撃波に打たれた人が人でなくなった。

 

「「「「「「アバーッ!?」」」」」」さっきまで呆けていた人々が、滑り落ちたガラス板めいて粉みじんに砕け散った。地面の代わりに不可視の衝撃波に叩きつけられ、小指の爪よりも小さく砕ける。頭上から血霧の雨が降り注ぐが、次の瞬間には空中で01の微粒子に解けて消える。

 

もし冷静に周囲を見る目があれば、クラスメイトを含む生き残りの存在に気がついただろう。そして生存者の共通項にも。だが、真っ白になった頭の中にはあまりの異常に疑問符が溢れるばかりだ。

 

「ナンデ!?」困惑に返答はない。その代わり下手人は目の前に現れてくれた。蛍光ドットの人影、ネガポジ反転した三眼の異貌。人ならざるその姿に修学旅行の寺社見学で見た魔羅の絵図が浮かぶ。

 

「ア、アィェェェ!?」何を口走っているのか分からない絶叫がほとばしる。それと同時に股間からも液体がほとばしった。失禁を気にしている余裕もないし、01に浸かっているから気にする必要もない。そもそもびしょ濡れだから当人以外誰もわからない。

 

そのはずなのに、眼前の異形は口腔を嘲笑の形に歪めた。それは自分に出会った常人が恐怖に押しつぶされ小便を漏らして泣き叫ぶのをよく知っているからか。

 

「イヤーッ!」再びの発気と共に01で出来た化け物の右手が胸の中に突き込まれた。衝撃も痛みもない。まるで水に手を突っ込んだときのように、01の波紋が表れた。人体の80%は水分と聞くが、残り20%は固体のはずだ。しかし目の前の光景はその科学的事実を真っ向から否定していた。

 

「アィェェェ!?」再びの絶叫をまき散らす。混乱と困惑、恐怖と狂乱に溺れる姿を後目に、蛍光グリーンに輝く右手は何かを胸の内から引きずり出した。胸が高鳴る。胸が騒ぐ。胸が躍る。胸が痛む。胸が詰まる。胸の働きが心の働きと同一視されるように、胸部は脳に次ぐ人体の最重要部の一つだ。

 

胸から引きずり出された異形の右手に握られていたのは、心臓でもなく肺腑でもなく脊椎でもなかった。しかし、それ以上に致命的な文字列だった。それは自分を明示するものだった。それは自己を規定するものだった。それは自身を記述するものだった。

 

だがそれは今やデジタルな怪人の手の内にあった。返せと泣き叫ぶように手を伸ばす。その手の先が見る間に01に崩れ始めた。先の衝撃波に粉みじんとなった人々とまるで同じだった。あれを取られたからだ。返してもらわなければ! 

 

「か、返してくれ! それは俺の、俺の大事な……アイェェェ!」「イヤーッ!」情けない哀願に答えてくれたのか、返答代わりに左腕がねじ込まれた。三度目の絶叫が溢れる。何かを胸に押し込まれた、だが何を胸に押し込まれた?

 

「ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア」挿入された何かに何かしらの意味はあったのか、指先の01分解は収まりだした。しかし額の中央が酷く痛み、目の間が燃えるようだ。口から痙攣めいた断続的な悲鳴が漏れている。実際、全身もショック症状めいた痙攣発作状態にある。

 

だが、蛍光色の魔人にとってはそんなことはどうでもいいらしく、首根っこを掴むとデジタルの大河に投げ込んだ。1で彩られた黄金立方体から遠く、0で描かれた闇の底に沈む。暗闇を背景に過去が泡と共に浮かんでは消える。

 

『■■、もう遅いからいい加減寝なさいよ』『そうだぞ■■、明日は早いんだから』『お母さん先に寝るわね、■■お休み』(((助けて! 姉ちゃん! 父さん! 母さん! 助けて!)))

 

思い出と記憶は助けを求める声に答えてくれない。そもそも誰が答えるというのか。自分を呼ぶ言葉すら思い出せないと言うのに。それでも家族を呼ぶ。それだけが自らを確かめる方法だと言うかの如く、何度も何度も、繰り返し繰り返し。

 

(((姉ちゃん! 父さん! 母さん! 姉ちゃん! 父さん! 母さん! 姉ちゃん! 父さん! 母さん! 姉ちゃ……)))

 

 

【オーラ・ドリーム・オブ・ネオサイタマ】終わり



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第一話【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】#1

【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】#1

 

「ハァーッ、ハァーッ」スイハンキ・ヘッドめいた角刈り短髪少年は、いつもの悪夢にニューロンをぶん殴られてフートンから跳ね起きた。心臓は早鐘めいて打ち、呼吸はモーターポンプめいて激しい。全身から冷たい汗が溢れるが、腹の底は煮えたぎるマグマ同様だ。

 

「ブッダム!」口の中で毒づくとフートンをはね飛ばし、少年は跳ね起きた。そのままカラテトレーニング用のソフトカワラをひっ掴むと、ジューウェアも着ずに部屋を飛び出し階段を駆け上がる。

 

熱い。黒い熱が脳味噌を煮詰めている。コールタールめいて煮えたぎる暗黒なエネルギが、圧力をあげて噴出先を求めている。額の中央が真っ二つに割れてドリルめいて何かが突き出す幻痛を覚える。全感覚が少年を急かす。

 

蹴破る勢いで屋上のドアを開くと、片隅のコンクリートブロックをもどかしく並べ、焦る手つきでその上に合成ゴムのソフトカワラを横たえる。「イヤーッ!」ソフトカワラを置くと同時に少年のカワラ割りが叩きつけられた。

 

ソフトカワラはケミカル合成ゴムの弾力をもってそれに答える。ベーシックなカラテトレーニング用途だけあって簡単には割れないのだ。「ヌゥーッ!」割れなければ作用反作用の法則に従い、衝撃は少年の拳に帰る。手首と指関節に走る激痛は盲目的な怒りに燃料を注ぎ、次なるカワラ割りを加速させた。

 

「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」

 

ただひたすらにカワラ割りをソフトカワラにたたき込み、反作用の激痛に涙する。だが少年の手は止まらず激しく上下する。それは若き日のブッダめいた苦行のための苦行だ。

 

だが少年はそれをせずにはいられない。思春期のやり場のない熱情というには、あまりにもどす黒く粘性を帯びた暗黒なエネルギが胸の内で溢れている。このカワラ割りだけがそれを、唯一真っ当に昇華するものだからだ。

 

「イヤーッ!」BREAAK! レインドロップ・ワッシュストーン。石の上で三年。コトワザにもあるように例え見た目に変化はなくとも、繰り返した行動は確かに表れる。繰り返される打撃に耐えきれず、鈍い音と共にソフトカワラが引きちぎれた。

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」ドージョーのセンセイならば彼の努力を誉め称えると同時に休ませただろう。しかし少年は荒い呼吸と共に二枚目のソフトカワラを用意すると、続けてのカワラ割りトレーニング……否、カワラ割り苦行を始めるのであった。

 

「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……ヌゥーッ!」「イヤーッ!……

 

どれだけの時間が過ぎただろうか。二枚目のソフトカワラがひしゃげ、限界を訴えたころ、ようやく少年は自分の内で煮えたぎる暗黒なエネルギが消え失せたことに気がついた。

 

途端に全身が鉛めいた疲労感を思い出す。体が求めるままに屋上のコンクリ床に大の字になって横たわる。コンクリ床が少年の体温を奪うが、カワラ割り苦行で火照った体には心地よい。

 

仰向けの視界にはネオン光に照り返る薄曇りの夜空が広がる。今夜は随分と天気がいいらしく重金属雲の向こうに白けた月が透けて見える。今更ながら少年は自分の幸運に感謝した。もし重金属酸性雨が降っていれば、明日は病院へ向かわなければならなかっただろう。当然保険は利かない。

 

そもそもカワラ割り苦行なんてやらなければいいという声もあるだろうが、少年にとってそれはナンセンスな話だ。確かに以前は暗黒なエネルギの解放圧力に耐えようと努力していた。

 

だが、少年はブッダのように無限の精神耐久力を持ってはいなかった。爆ぜた暗黒なエネルギは結果的に少年をムラハチめいた無視へと追い込んだ。何らかの形で暗黒なエネルギを吐き出す方法が必要だった。

 

そしてネオンに輝く歓楽街やUNIXの向こうに広がるIRCの沃野は若いエネルギを求めている。若さと情熱と時間を持て余した少年少女たちは吸い込まれるようにその中へと身を投じていく。

 

しかし、少年はその年齢にしては異常なほどオイランやドラッグ、IRCに警戒心を抱いていた。それらへ暗黒なエネルギを注いでしまえばどうなるか。それは自我科に通うサイコ患者たちが、あるいは大道を走り回る発狂マニアックが証明している。

 

それらの事実と『前』の知識から少年が唯一選べた回答がカラテだったのだ。こうして暗黒なエネルギが暴走めいて溢れ出す度に少年は屋上でのカワラ割り苦行にてこれを鎮めていた。

 

「フゥー、ハァー」呼吸も落ち着きゆっくりと身を起こす。屋上の入り口に目を向ければ、見覚えのある顔がずらりと縦に並んでいる。トモダチ園の子供達と世話役のキヨミだ。どうやら皆を起こしてしまったらしい。少年の顔が歪んだ。

 

「シンちゃん?」集団を代表してキヨミが声をかけた。少年こと、カナコ・シンヤは俯いた顔で謝罪した。「キヨ姉、うるさくしてゴメンナサイ」皆に迷惑をかけたという胸の痛みと同時に、繰り返しのカワラ割りの痛みが拳からこみ上げた。

 

「そーよそーよ」シンヤの謝罪に嵩に掛かって責め立てるのはシンヤに次いで年上のアキコだ。その後ろでタイコモチのウキチが首を縦に振ってゴマスリしている。「キヨ兄が謝罪してるんだからこれ以上……イテッ!」唯一反論を口にするのは反抗期のイーヒコだがアキコの裏拳で即座に黙った。

 

残りの子供達であるエミとオタロウは半分夢の中で、それぞれキヨミとウキチに負ぶわれている。シンヤのシャウトで起こされて、さんざん泣きわめいた後、置いていかれることにも起きて歩くことにもワガママした結果こうなった。

 

これで後は園長であるコーゾが居れば、トモダチ園の全員が揃う。トモダチ園は零細孤児院だ。零細らしく経営はカツカツでいつも自転車操業気味。コーゾが先代から受け継いだローカルソバチェーンからの入金がなければ何時解散してもおかしくはない。

 

それでも何とか助け合いながら、トモダチ園の皆はこの大都会の片隅で奥ゆかしく毎日を生きている。ここにいられる幸運を感謝しなければならないだろう。胸の中でシンヤは呟く。(((でも誰に? ブッダ、神様、それとも?)))額の中央が疼いた。

 

「ちょっと、聞いてるの?」アキコの甲高い声が響く。「ゴメン」シンヤは軽く謝罪するが思春期の暴君はお気に召さない様子だ。それを制してキヨミが前に出る。「シンちゃん、手を出して」シンヤは大人しく従った。シンヤの拳から血が滴る。

 

シンヤにとっては抉れた拳の痛みより、それを見たキヨミの表情の方がずっと辛かった。消毒液、ガーゼ、包帯、テープ。キヨミの慣れた手つきで応急処置はすぐに完了した。だが、キヨミの悲しい顔にはシンヤは未だ慣れない。慣れたくもない。

 

「シンちゃん。お願いだから、自分を傷つけるような真似はヤメテ」「ゴメンナサイ」いつものやりとり。いつも守れない約束。お互いに解ってはいるがそれでも口にせずにはいられない。

 

KICK! シンヤのスネを蹴る衝撃が二人の世界を終了させた。無視されて続けて女王様はお冠だ。そうでなくとも子供達はいつものこれにいい加減飽き飽きしている。それでも見に来るのは家族の絆故だろうか。

 

家族。シンヤの脳裏に『過去』が映った。食卓を囲む日常の光景だ。くだらない冗談を呟く父に笑う母とあきれ顔の姉がいる。『シンヤである前』を呼ぶ声も聞こえる。アパートの窓に映る金色の満月でウサギが餅つきしている。十五夜だっただろうか? お団子を姉と一緒に……

 

KICK! 二度目の衝撃が回想を強制終了させた。無視されて続けて家族全員がお冠の様だ。「ゴメンナサイ」もう一度シンヤは頭を下げる。キヨミは諦めと悲しみを足した顔を、ほかの家族は諦めのみの表情をしている。シンヤは小さく重いため息を吐いた。ふと視界に月が入る。白い月はインガオホーと嘲う様だ。

 

(((何に?)))生まれたことか、生きていることか、それともここにいることか。歯ぎしりの音が頭蓋骨を通じて鼓膜に響いた。「クソッタレ」この世でシンヤしか知らないだろう悪態をこぼす。それを聞くドクロの月は嗤う。「生まれる前」のような、ウサギの餅つき姿はここでは見れない。

 

ここは日本であって日本ではない。ここはエンペラー無き日本の首都、悪徳と退廃の大都会ネオサイタマ。Twitter小説『ニンジャスレイヤー』のメインとなる舞台だ。そしてシンヤは現実世界からそこにたたき落とされた、前世持つ転生者であった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

DinーDon! 授業終了を知らせる鐘の音が教室に響いた。「今日はここまでです」「起立! オジギ! 着席!」学級委員長のアイサツと共にクラス全員が軍隊めいて集団動作する。マスゲームめいて全員の動きは一致している。礼儀作法とレンタイカンを心身に染み込ませる学校伝統の一つだ。

 

「今日何処行こうか?」「タラバーカニなんてどう?」それが終われば、年相応の騒がしさが教室を満たす。しかし鞄に教科書を詰めるシンヤの周囲だけは、押し殺したような静けさに包まれていた。騒音の代わりをするのは、檻の中で暴れるバイオパンダを見るような好奇と嫌悪の視線の群だ。

 

「まだいる」「コワイネー」「シッ、聞こえるよ」押し殺された空気の隙間から陰口が漏れる。シンヤが怒りを込めた視線を向ければ、陰口の元はマッポに睨まれた小市民めいて即座に視線を反らす。「あいつキモイ」「あれアブナイ」だが、シンヤの背後から再びの陰口だ。

 

ムラハチめいた無視とクロスファイアめいた四方からの陰口。これがシンヤの日常であった。(((囲んで棒で叩くコンジョすらないカスが!))))いっそイジメ・リンチを始めてくれた方が楽だ。それなら鍛え上げたカラテを正当防衛暴力として思う存分に振るえる。それはさぞかしタノシイだろう。

 

シンヤは怒りと苛立ちを込めて堅く拳を握り、そして胸のオマモリ・タリズマンに触れると深い息と共に緩めた。(((誰かを憎んだりしない。キヨ姉と約束したはずだ)))現状の原因である暴力事件の後、涙目のキヨミと傷だらけのシンヤは約束したのだ。

 

だが、だからといってシンヤの気分は晴れない。このまま教室にいても腹が立つだけだと、乱雑な手つきで鞄にテキストを詰め込む。不格好に膨らんだ鞄を無理矢理閉じると、ジューウェアと一緒に肩に掛けた。「オタッシャデー!」投げ捨てるようなアイサツと共に教室の扉をくぐる。

 

その背中に声が届いた。「あいつが暴力孤児院のヨタモノかぁ」声を聞いたシンヤが飛びかからなかったのは、単にスゴイ級に幸運だったからだ。肩のジューウェアが扉に引っかかり、一歩目の踏み込みを阻害したのだ。代わりに視線という形で、爆発的な殺意と敵意が蛇めいた両目から飛び出した。

 

「アイェェェ!?」恐ろしい視線にさらされた声の主は、ドラゴンに睨まれた村人めいて腰を抜かした。今にも噛み殺しに来そうなシンヤから、這いずるようにして距離をとる。「コワイ!」「やっぱり」余計なことを口走りかけたクラスメイトにも、慈悲のない視線が突き刺さる。「アイェェェ……」

 

「何が起きたのですか!?」「あいつが睨みつけてきたんです!」クラスメイトの悲鳴を聞きつけたのか、教師が姿を現した。すがりつくクラスメイトがシンヤを指さす。彼らにとって自分が何をしていたか、責任の所在は何処かなどどうでもいい。重要なのは自分が被害を被ったか否かだ。

 

「それはよくありません」「家族のワルクチを言われたからです!」(((憎まない! 傷つけない!)))シンヤは震える握り拳で胸を抑えながら、絞り出す声でに説明を試みる。

 

シンヤの脳がコールタールめいて煮えたぎる。燃え上がる怒りとわき上がる暗黒なエネルギを、自制力を総動員して押さえ込む。「それはよくありません。しかしアナタもよくありません、謝罪が必要です」「ハイ、ゴメンナサイ」額の中心が割れる幻痛を堪える。

 

「皆さんも謝罪が必要です」「「ゴメンナサイ」」何で自分がしなきゃならないのかと書かれた顔で、不承不承に謝罪するクラスメイト。それを血走った目で見るシンヤは、砕けかねないほど歯を噛みしめて、血が滴るほどに拳を握りしめる。

 

かつての暴力が脳裏をよぎる。(((こいつら全員を、あのヤンクどもみたいにできたなら!)))血塗れの拳。振るわれるバットとブラスナックル。怒声と罵声。泣き声と悲鳴。

 

かつてシンヤは持て余す暗黒なエネルギを、ひたすら堪えて抑えることで耐えていた。それは生徒間のツキアイに割ける余力すら削っての苦行だった。当然、それはシンヤのクラス内立場は最底辺のものとなり、イジメ・リンチの対象ともなった。

 

イジメ・リンチとはムラハチの過程で頻繁に行われるカジュアルな私的制裁行為である。大抵ムラハチの標的となった事実そのものを理由として、娯楽目的のために行われる。その実行者となるのは暴力行為に親しみのあるヤンクが主だ。

 

毎日のように校舎裏に呼び出され気軽な暴力を振るわれる中、ヤンクの一人が呟いた一言がシンヤのカンニンブクロを点火した。「こいつの孤児院に女いるんだけどさ、皆で前後しちゃわない?」他のヤンクが同意の声を上げるより早く、シンヤは躍り掛かっていた。

 

ヤンクにとってそれは二重の意味で驚きだった。イジメ・リンチの対象者は暴力に心折られ反抗の気力を持てない。だが、シンヤはカンニンブクロを爆発させた。しかも、シンヤはバットでフルスイングされても、ブラスナックルで頭部打撃されても、怯みも竦みもせずにヤンクに襲いかかった。

 

その時、シンヤは額からほとばしる暗黒なエネルギに酔いしれ溺れていた。圧倒的な暴力衝動に身を任せ、武器を振るうヤンクに殴りかかる。殴り返された痛みすら暴力の快感に吹き飛び、次なる暴力を引きずり出す。弱者をいたぶるだけのヤンク達を、泣きわめくまで繰り返し殴りつける。

 

苛立たしい敵を思うがままに踏みにじる、何とタノシイ! 腹立たしい相手を望むがままに殴り倒す、何とキモチイイ! ALAS! 暴力の悦びよ! ALAS! 遙かにいい! 心折れすすり泣くヤンクをマウントで繰り返し殴りながら、シンヤは下着の中に達していた。

 

その快感は学校からマッポに連れ出されても、留置所の中で面会を待つ間も全身を浸していた。だが、ガラス越しに泣き顔のキヨミと暗い顔のコーゾを目にした瞬間、シンヤから全ての快楽が吹き飛んだ。

 

幸運なことにシンヤが犯罪者となることはなかった。武器を持っていたのはヤンクで、ヤンクの数が圧倒的に多く、ヤンクもシンヤもマケグミ。何よりコーゾが貯金を崩してツケ・トドケをマッポに手渡したのが大きかった。

 

その夜、シンヤはキヨミと約束をした。『誰かを憎まない、傷つけない』二枚の起請文に互いのハンコを押し、互いのオマモリ・タリズマンに納めた。それから、コーゾのコネを頼って現在通っているドージョーへとたどり着き、カラテトレーニングによる暗黒なエネルギの昇華を行うようになった。

 

だが、キヨミとの約束で暴力を抑え、カラテトレーニングで昇華してなお、暗黒なエネルギはシンヤの奥底で爆発の瞬間を待っている。シンヤもまた心の何処かでそれを望んでいた。あの日の悦びはそれほどまでに強烈だった。

 

それ故に、不服そうな顔で陰口を謝罪するクラスメイトを相手に、シンヤは歯を食いしばって感情を抑えつけなければならなかった。「ハァーッ、ハァーッ」弾けそうな暴力衝動を深呼吸を繰り返し無理矢理鎮める。

 

「ダイジョブですか?」「ダイジョブです!」異様なアトモスフィアに気づいた教師がシンヤに声をかける。だが、シンヤはそれを制すると足早にそのまま教室を後にした。(((ファック! ファック! ブッダミット!)))繰り返し胸の内で悪態をこぼしながら。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「オジャマシマス!」「「「イヤーッ!」」」一礼と共に共に扉を開くと、キアイの乗ったシャウトがシンヤの耳朶を叩いた。途端に全身に満ちていた無意識の緊張がゆるむ。学校での一件はシンヤの精神に無視できないストレスを与えていた。

 

しかしドージョーでのカラテトレーニングはそのストレスの特効薬だ。「オジャマシマス!」シンヤは他の門下生にアイサツする。しかし門下生は眉をしかめて一瞥するのみ。これはカナリ・シツレイだ! 

 

(((こいつらを殴りつけて、マウントとって殴りつけたなら)))学校の一件が冷めやらぬシンヤの胸の内に、ドブめいた感情がわき上がる。額の中心が痛む。だがシンヤはオマモリ・タリズマンに触れ感情を抑えた。。それにこのドージョーは自分を受け入れてくれた場所だ。失いがたい。

 

「ドーゾ、シンヤ=サン!」何より自分にしっかり答えてくれる人がここにはいる。元気な声と快活な笑顔、そして確かなアイサツがシンヤに向けられた。シンヤ唯一の友人であり、ドージョー一番の門下生でもあるヒノだ。全身から心身の健康と育ちの良さがあふれ出ている。

 

「調子良さそうだな、カワラマン」「おう、元気一杯だぜ」ヒノはからかうようにシンヤをカワラ割り由来のあだ名で呼ぶ。実はシンヤはカワラ割り苦行と学校での一件であまり元気よくない。だからヒノはあえて逆の言葉でシンヤをからかった。元気を出してほしいからだ。

 

それを敏感に察したシンヤも歯を剥いて笑う。友人に心配をかけたくないからだ。互いの奥ゆかしいユウジョウである。「ドーモ、シンヤ=サン」不意にシンヤへアイサツが投げかけられた。視線を向ければサラリマンめいたアトモスフィアのメガネ男。彼はドージョーのヤングセンセイだ。

 

「オジャマシマス!」即座にシンヤはアイサツした。センセイに先にアイサツさせるのはスコシ・シツレイだ。できる限り目下の門下生がアイサツをすべきである。シンヤはドージョーのユウジョウに浮かれた自分を恥じた。

 

そんなシンヤを一瞬睨みつけると、ヤングセンセイはヒノに強く声をかけた。「ガンバレ!」「アリガトゴザイマス!」ドージョー一番のカラテ選手であるヒノはヤングセンセイのお気に入りだ。幾つものトロフィーと新たな門下生をドージョーにもたらしている。

 

一方のシンヤは他の門下生のみならず、ヤングセンセイから好かれていない。大会に出場したこともないし、シンヤも出る気はなかった。他の門下生のように大会での好成績と内申点の大幅プラスを狙っていない。シンヤはあくまでドージョーでのカラテトレーニングを求めている。

 

そんな態度がシンヤとヤングセンセイとの不仲につながっているのだろうか。いや、それ以上に大きな要因がある。「ドーモ、皆さん」「「「オジャマシマス!」」」ヤングセンセイの後から姿を見せた、小柄なボンズヘッドの老人であるオールドセンセイこそがそれだ。

 

ドージョーで教えるデント・カラテをショースポーツとして発展させ、ドージョーの拡大を狙うヤングセンセイ。対して殺人技術としてのデント・カラテを代々伝えてきたオールドセンセイ。ヤングセンセイに経営を譲った以上、オールドセンセイの口出しはないが、二人の不仲はドージョーでも有名だ。

 

そのオールドセンセイからシンヤはカワイガリを受けていた。ただ一人、シンヤだけがツケ・トドケでショートカットせず、一年間のカワラ割りをやり通したからだ。大会やパフォーマンスよりもストイックなカラテトレーニングを求める姿勢も、オールドセンセイの目に好意的に映った。

 

オールドセンセイが気に入れば、その分ヤングセンセイは気に入らない。また、お気に入りであるヒノがオールドセンセイをリスペクトしているのも、ヤングセンセイには気にくわない。殺人カラテではドージョーに未来はない。そう信じるだけにシンヤの存在はカンに障った。

 

そんな内心の不満を押し隠した営業サラリマンめいた顔で、門下生に向けてヤングセンセイが告げた。「みなさん、本日はオールドセンセイがケイコをつけてくれます」「「「アリガトゴザイマス!」」」ケイコ前の訓辞を終えてマスゲームめいて整列した門下生は、正座のまま一斉にオジギした。

 

その前に立つ優しげな表情のオールドセンセイがオジギを返した。「ではケイコを始めます。まずはカワラ割りパンチ百本から」「「「オネガイシマス!」」」次の瞬間、オールドセンセイの顔がオニめいた凶相へと姿を変えた。

 

「カマエッ!」「「「ハイッ!」」」かつて重サイバネヤクザアサシン複数人を素手でカラテ殺し、カラテオニとすら呼ばれたデント・カラテの化身がそこにいた。門下生全員の心身が引き締まる。全員が立て膝をつき拳を引き上げた。

 

「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!」」」「パンチ!」「「「イヤーッ!……

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「安い、安い、実際安い」頭上を通り過ぎるマグロツェペリンが合成マイコ音声に乗せて、ドンプリ・ポン社の広告を歌う。帰宅途中のシンヤは重金属雲に浮かぶ飛行船に一瞬だけ目をやった。巨大蛍光ディスプレイでは、昨年末のマルノウチスゴイタカイビルでの事件をコメンテーターが語っている。

 

(((ウルサイなぁ。ムカツクなぁ)))いつもなら気にもとめない欺瞞広告もニューロンに引っかかる。学校の一件が後を引いているのが自分でもわかった。オールドセンセイのケイコで全身が鉛かと錯覚するほどに疲れてなお、シンヤのカンニンブクロは熱いままだ。(((今日はタンキになっているんだ)))

 

ハンセイしなくてはならない。暴言を吐いたクラスメイトに、暴力を振るわずに済んだのは単なる幸運だった。「スゥー、ハァー」シンヤは深く息を吸って吐いた。肺一杯にネオンのイオン臭と排水溝の腐敗臭が広がる。イヤな臭いだ。気分が悪くなる。

 

「オーゥ!」「ハーッハハハ!」唐突に嬌声がシンヤの耳に飛び込む。声の元は自動販売機でたむろするドカタ労働者だ。足下には何本もバリキドリンクの瓶が転がっている。少なくともカタログ上では合法の、興奮成分入りバリキドリンクは、複数本をイッキすることで手軽にトリップできる。

 

サケよりも安価で強力なバリキトリップは下層労働者の日々の楽しみだ。たとえそれが数年後には、アビ・インフェルノめいたバリキ中毒という形で、高価な代償を取り立てられるとしても。そうでもしなければネオサイタマの過酷な暗黒労働に耐えることはできない。

 

(((ああなりたくない。けど、ああならないと言い切れるのか?)))ネオサイタマの暗黒労働環境においてマケグミのカロウシは珍しくない。シンヤはセンタ試験の勉強を欠かしていないが、ショウガク・ローンは射程外だ。それにカチグミとて将来安泰からほど遠いことは前世由来の知識で知っている。

 

暗い未来にシンヤは稚気じみた夢を思い浮かべた。(((もしもニンジャになれたなら)))ニンポを使いこなすカトゥーンヒーローになりたい。10を越えたなら子供でも笑うだろう。シンヤは前世の知恵でニンジャが夢物語でないと知っていたが、なれるかどうかは偶然だとも知っていた。

 

それになったとしても本当のニンジャはカトゥーンヒーローからあまりにもほど遠い邪悪な半神存在だ。暗黒なエネルギに振り回されるシンヤが、ニンジャ性をコントロールできるのか。まだ、マグロが空を飛び回る方が現実味があるだろう。

 

(((下らない夢を見るのはやめて、現実に足を付けるべきだ)))だが、シンヤの脳裏には不可能な『もしも』がソーダポップめいて次々に浮かんでは消えていく。もしも、カチグミ企業に入れたなら。もしもロト・クジが当たったなら。もしも……もしも『過去』に戻れたなら。

 

不意にシンヤのニューロンに映し出されたのは、抜けるような快晴の青空と天をつく入道雲。焼け付く8月の日差しが水面に照り返し、蝉時雨が河川敷を包み込む。振り返れば炭に火を点けようと悪戦苦闘する父に、野菜を切りながら呆れ顔でそれを眺める母と、■■手伝いなさいと声を張り上げる姉の姿。

 

(((帰りたい)))心臓が潰れたと錯覚するほどの郷愁に、シンヤは胸を押さえて軒下に転がり込んだ。家路を探して歩き疲れた迷子めいてうずくまり、痛みと等しいノスタルジアが過ぎ去るのを只待つ。堅く閉じたまぶたの裏には、二度と会えない家族の笑顔が映り、まぶたの隙間から漏れた涙が頬を伝った。

 

どれだけ経っただろうか。気づけば頭上のマグロツェペリンはビルの影に姿を消していた。シンヤは頬の滴を拳で拭い、重いアトモスフィアを深いため息と共に吐き出すと、猥雑なネオンの海に背を向ける。泥めいて重い足を引きずりながら、シンヤは家路を急いだ。

 

【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】#1終わり。#2に続く



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第一話【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】#2

【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】#2

 

……ザザ…………ザザ……ザザ…………ザザ。シンヤの足下に、01の水が左から右へと流れる。ここはどこだろうか。どうにもわからない。顔を上げれば金色の立方体が緩やかに回転している。シンヤにはどこか見覚えがあった。あれはなんだろう。どうにも思考がまとまらない。

 

「ドーモ、クレーシャです」シンヤの耳に合成音めいた声が届いた。視線を向ければ、川の中に蛍光緑の単色で描かれた人影がある。顔立ちは不明瞭だ。ネガ写真めいた緑の塗りつぶしの中に、虚めいた口と三つの瞳があるだけ。漫符めいた笑顔の主は、合掌礼と共に丁寧なオジギをしている。

 

(((答えなくては)))アイサツで名前を言われたのだから、名前を返してアイサツすべきだ。シンヤも手を合わせてアイサツした。「ドーモ、シンヤです」だが不明瞭な違和感が残る。これは自分の名前だったか? 

 

シンヤが疑問を解消するより先に、次の言葉が人影から放たれた。「シンヤ=サン、お久しぶりです。」どうやらクレーシャはシンヤと出会ったことがあるらしい。シンヤにもぼんやりとした既視感はあった。だが記憶にはない。

 

「ああ、忘れてしまっているのですね? 無理もない! しかしカナシイ!」シンヤの表情に気が付いたのか、クレーシャは殊更に大仰な様子で嘆いて見せた。緑色の虚に浮かぶ三目と口が、AAめいた記号的な悲嘆を表示する。大仰すぎる動作と外観の異様さが道化のアトモスフィアを強く漂わせている。

 

そうして全身をくねらせながら悲しみを表現していたクレーシャは、突然に姿勢を正した。「ネオサイタマにアナタを落としたのは私なのです」唐突でマジメな言葉にシンヤのニューロンが無数の光景を瞬かせる。食卓、家族、故郷、ウサギの月。暗黒なエネルギ、トモダチ園、ネオサイタマ、ドクロの月。

 

コトダマの衝撃が、シンヤの意識を冷水めいて覚醒させた。暗黒なエネルギが突沸し、カンニンブクロが弾ける。(((こいつは! こいつが! こいつのせいで!)))「イヤーッ!」考える間もなく、シンヤは衝動的に拳を構えて飛びかかった! 

 

だが、躍り掛かるシンヤにクレーシャは驚きすら見せず、むしろ何かを喜ぶように三目を細めた。シンヤの跳びカラテパンチが影の顔面にめり込む! 「グワーッ!?」次の瞬間、01の水面に全身を打ち付けていたのはシンヤだった。フシギ! 

 

いかなる奇っ怪なジツによるものか? 第三者が二人を見ていたならば、その答えは容易に見いだせるだろう。跳びカラテパンチが接触する瞬間、クレーシャは無数の01記号片に分離し、オバケめいてシンヤをすり抜けたのだ。

 

笑顔のままクレーシャは川に落ちたシンヤに話しかける。「落ち着いて「イヤーッ!」ヤ=サン。私はアナタとケン「イヤーッ!」はありません。むしろアナタに謝罪しに「イヤーッ!」だが、荒ぶるシンヤはクレーシャの言葉に聞く耳持たずだ! 

 

オニめいて歯を剥き、水面から跳ね上がると衝動に突き動かされるままカラテを打ち込み続ける。霧めいてカラテ打撃をかわすクレーシャにはノレンにウデオシでも、シンヤに気にした様子はない。気にするほどの正気もない。赤布を目にしたバイオ闘牛めいて、怒りの赴くままにカラテを振るっている。

 

ダメージは無いが、これではラチが開かない。クレーシャはそう判断したのか、額に位置する三目が蛍光色の閃光を発した。「イヤーッ!」「グワーッ!?」光を浴びせられたシンヤは、漢字サーチライトに照らされたヨタモノめいて全身を硬直させる。

 

「シンヤ=サン、私はアナタに謝罪しにきました。いいですね?」「アッ、アッ、アッ……ハイ」蛍光グリーンの輝きに照らされるシンヤは、クレーシャに出会う前のように虚ろに呆けている。シンヤは影の言葉にジョルリ人形めいて条件反射的に返答する。

 

「ヨロシイ!」クレーシャは上半身全部で大げさに頷くと、改めてシンヤに話しかけた。「シンヤ=サン、私がアナタをネオサイタマに落としました。ゴメンナサイ!」「ハイ」「ネオサイタマでアナタはとても苦労されています!」「ハイ」

 

クレーシャはやさしみと慈しみにあふれた、記号的な笑みを深めた。だが漂うアトモスフィアは、獲物を前にしたバイオパンダのそれだ。「その原因は私です。なのでオワビにアナタにパワを与えましょう!」「パ、ワ?」緑の光を弱めたためか、シンヤに僅かながら意志の光が戻る。

 

「ステキなパワです! とてもスゴイ! そう、ニンジャのパワ!」クレーシャは販促TV番組の司会者めいて両腕を振り回し、そのパワの素晴らしさを力説する。シンヤは僅かに残る意志の力を総動員して、言葉の意味を考えようとする。……ニンジャ ……ニンジャ? ……ニンジャ!? 

 

「それは、ダメ、だ」「ナンデ? 素晴らしいんですよ?」さも意外そうな声音でクレーシャは問いただす。「アブナイ、だ。制御が、できない」「制御ねぇ」クレーシャは先とは異なり不快と嘲笑を示すように三目を細めた。

 

「する必要があるんですか?」クレーシャはシンヤに勢いよく三眼を近づけた。顔は左右非対称のシンボリックな嘲笑を描く。「しなきゃ、ダメだ」シンヤは荒い呼吸と共に言葉を絞り出す。ソウカイヤ、ザイバツ、アマクダリ。ニンジャ組織はニュービーの身勝手を許しはしない。それになにより……。

 

「ニンジャ、スレイヤー=サンが、いる」赤黒の殺戮者。ネオサイタマの死神。カラテモンスター。幾多の字を持つ、恐るべきニンジャ殺す者。ニンジャはモータルにとって荒ぶる神にも等しい暴虐たる半神的存在。その悉くをカラテ殺す、死神の化身こそがニンジャスレイヤーなのだ。

 

感傷に満ちた人間性と殺戮と怒りに狂うニンジャ性を併せ持つ彼は、モータルを踏みにじる悪しきニンジャを決して許さない。その恐るべきカラテとソウルを持って全てのニンジャにハイクを詠ませるだろう。シンヤにはどんなニンジャソウルを手に入れても、彼を相手に生き残れるとは思えなかった。

 

その言葉を聞いたクレーシャは、バネ仕掛けめいて勢いよく顔を戻すと仰々しく頷いた。「確かにニンジャスレイヤー=サンがいらっしゃいます。彼こそが小説『ニンジャスレイヤー』の主人公! 言わば世界そのもの主役と言えるでしょう!」

 

シンヤのぼやけた脳裏に今更ながら疑問が浮かぶ。(((こいつは、いったい何を、知っているんだ?)))Twitter小説『ニンジャスレイヤー』。トンチキ日本観で彩られた痛快無比なサイバーパンクカラテ復讐譚。ネオサイタマを舞台とするこの作品は、今シンヤのいる世界そのものだ。

 

しかし、作中世界において、それを知るのは神話級ニンジャ『エメツ・ニンジャ』の憑依者であるザ・ヴァーティゴのみだ。狂気の住人であり幾多の世界を渡り歩く放浪者である彼のみが、第四の壁を越えて現実世界とリンクする。

 

(((だが、それを言うなら何故俺は架空の世界に存在するんだ?)))ドライアイスめいて形を失う思考を無理矢理つなぎ止めながら、シンヤは必死に思考を回す。その耳に道化者めいて底抜けに明るいクレーシャの声が響く。

 

「しかし、それは『ニンジャスレイヤー』という作品の中での話! アナタだけの特別な(オリジナル)ストーリー! アナタこそが世界の主人公(ヒーロー)! アナタは選ばれたのです!」全身を煌々と輝かせ、クレーシャは嬉々として与えるパワの素晴らしさを語る。

 

「欲望のままに全てを貪るのもイイ! 快楽のままに全てを忘れるのもイイ! 憤怒のままに全てを憎むのもイイ!」蛍光の輝きをまとい身勝手な説法を語る姿は、ペケロッパカルトのLED本尊めいている。あるいは、それを騙るデジタルデビルの姿か。

 

「アナタはニンジャ! アナタが主役! 誰も止められない!」全身の輝きにつれてクレーシャの三眼もまた炯々と光る。UNIXサイバー光めいたその緑光がシンヤの疑問と集中をハンマーめいて打ち砕く。

 

「イイでしょう?」「ア、アア」シンヤはもはや考えることすら困難だ。脳味噌全てが輝きに浸かってニューロンが緑の01粒子にからめ取られているようだ。抵抗を止めた獲物を確認した猛獣めいて、クレーシャは満足げな笑みを浮かべると、光を抑え再びシンヤに顔を近づけた。

 

先より格段に顔が近い! 「皆にムカつきませんか? 周りにイラつきませんか?」「ムカ、つく。イラ、つく!」シンヤの呆けた表情がオニのそれへと形を変える。ヤンク! クラスメイト! 門下生! マグロツェペリン! ネオサイタマ! ドクロの月! トモダチ園! 

 

「ムカつく! イラつく! ハラ立つ!」次々にニューロンに浮かぶ怒りの幻影を殴り飛ばそうと、歯を剥き拳を振り回す。吹き上がる暗黒なエネルギは、クレーシャの放つ光をニューロンから吹き飛ばし、精神を憤怒で染める! 

 

「そうでしょう!」悦に満ちたクレーシャはシンヤから顔を離すと、天上の黄金立方体を指さし高らかに叫んだ。「そこで、ニンジャです!」「おお! おお!」次いで吠えるシンヤの額を指さす。シンヤの額中央と黄金立方体との間に、スパイダー・スレッドめいて細い01のラインが曳かれる。

 

「さぁ、アナタに相応しいソウルを呼ぶのです! そして相応しい名前を付けてあげましょう!」シンヤは額の中央から吹き上がった暗黒なエネルギが、01ラインを通って黄金立方体へと達する幻覚をみる。表情を憤怒と憎悪と悦楽と期待の四色に染め上げ、シンヤは全身に力を込め、大きく息を吸った。

 

(((ニンジャとなって、この憤怒と憎悪を解き放つ! 俺がやって何が悪い! ニンジャスレイヤー=サンこそ憤怒と憎悪の化身だ! 否、俺こそがその化身となるのだ!)))ヤンクをぶちのめした日の悦びがニューロンの奥底から鮮烈に再生される。(((ALAS! 暴力の悦びよ! ALAS! 遙かにいい!)))

 

……そして、その夜の約束もまた。(((シンちゃん、こんなことはお願いだからヤメテ)))両目一杯に涙を溜めたキヨミに繰り返し謝罪しながら、シンヤはキヨミと誓ったのだ。(((誰かを憎まない、傷つけない)))シンヤは無意識に胸に触れる。そこにはいつもオマモリ・タリズマンが鎮座している。

 

全身の力が抜け、叫びになり損ねた言葉がただの吐息として口から漏れた。「ダメだ」「……まあ、そういう日もあります」一瞬、クレーシャの顔に、羊を捕らえ損ねた狼めいた表情が浮かんだ。それは今までの記号的な表情と異なり、異常に生々しく歪んだアトモスフィアを感じさせる。

 

しかし、それは瞬きの間にシンボリックな落胆の表情に沈んだ。「ですが! アナタには必ず素晴らしいパワが届けられるでしょう! アナタが求めれば今すぐにでも!」気を取り直したのか、クレーシャは再び抽象的な笑顔を浮かべながら、大仰にオジギをした。

 

僅かに上げた顔から、驚くほど冷たい視線がシンヤを貫く。「では、オタッシャデー!」だがそれを気にするよりも早く、クレーシャと共に目に見える全てが01の微粒子へと分解されていった。当然、シンヤの体も含めて。後に残ったのは無限の、あるいは夢幻の闇。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

シンヤの目覚めは唐突だった。「ハァーッ、ハァーッ」いつもの悪夢にうなされたように心臓は十六ビートで血液を送り、冷や汗が全員を覆っている。しかしいつもの悪夢とはある点で大きく異なった。「痛くないな」額から吹き出さんばかりに煮えたぎる暗黒なエネルギが全く感じられないのだ。

 

代わりに感じるのはある種の焦燥感だ。忘れてはならないことを聞かされた後のような、今すぐにでも記録に残しておかなければならないと急かす感覚が、シンヤの胸の内で暴れている。しかしその記憶を思いだそうとしても、ワサンボン・スイーツめいて僅かな印象だけを残し儚く消えてしまう。

 

「ブッダム!」僅かなイメージをかき集めても『自分の人生に関わる重大な事柄だった』としか思い出せない。その内容はニューロンの隙間から砂めいて一粒残さずこぼれ落ちてしまった。シンヤが徒労にため息をつくと、寝汗をかきすぎたのか喉の渇きに気がついた。水を飲みたい。

 

タタミ・ベッドから身を起こし、シンヤは他の子供たちを起こさないように慎重に足を進める。先日はカワラ割りで叩き起こしてしまった後、ずいぶんと文句を言われたのだ。それでも年季の入った床はキィキィと小さな悲鳴を上げている。壁に触れれば、毛羽だってめくれあがった壁紙がボロボロと落ちる。

 

以前はこうではなかった。シンヤは僅かに目を伏せた。壁紙は毎年張り替えていたし、床が鳴ることなどそうそうなかった。重金属酸性雨が降りしきるネオサイタマでは、定期的な建築物のメンテナンスは必要不可欠だ。それを怠れば驚くほどの短期間で建物は劣化し人が住めなくなる。

 

それに必要な費用は常に建築物の所有者を苦しめる。それはこのユウジンビルの所有者にして、トモダチ園の園長であるコーゾもまた同じだった。階段上のシンヤの目から見て、キッチンの食卓で倒れ込むように眠るコーゾは、不健康なほど痩せ細っていた。かつての恰幅よく鷹揚な姿は想像もできない。

 

日中は人件費節約のためソバシェフの一人としてソバを打ち、それが終われば真夜中過ぎまで書類仕事に没頭する。少しでも時間が有れば金策に走り回る毎日。ダシガラめいてやせ細るのも無理はない。先代から受け継いだローカルソバチェーンの経営悪化は、コーゾの健康までも悪化させていたのだ。

 

食卓でうつ伏せに眠るコーゾの背中にシンヤは部屋から持ってきた毛布をかぶせた。ふとコーゾの胸の下に一枚の紙切れが見えた。「エガオローン借用契約書」そう書かれた文字にシンヤの表情が歪んだ。借金による自転車経営。ファイアホイールの行く先に待つのはジゴク以外はない。

 

だがどうすればいい? 事務作業をキヨミが手伝い、シンヤが鉄工所でのアルバイトを全額渡しても、火のついた経営状態には焼け石に水だった。今のシンヤにどうにかできる方法はない。でも、現状をひっくり返せるような力さえ有れば。

 

(((そう、ニンジャのパワ!)))シンヤのニューロンに唐突な言葉が浮かんだ。ニンジャならこの苦境も容易く越えられるのだろうか。たとえば企業ニンジャならカチグミ以上の給金が得られる。暴力を振るう必要すらなく、トモダチ園がコーゾが救える。しかし、ニンジャソウルの憑依は偶然……

 

(((アナタが求めれば今すぐにでも!)))ぞくりとシンヤの背筋が震えた。まるで悪魔の誘惑を受けたような寒気が走る。この言葉を信じて求めれば、望むパワは容易く手に入るだろう。確証など無いが確信はあった。思い出したように額の中心が痛む。押さえ込むように、考え込むように手を当てる。

 

ニンジャのパワが有れば、全ては好転させられるかもしれない。だが、その代価は? フリーランチは無い。支払うのは命か、人間性か、人生か。それとも……家族か。「悪い夢を見たんだ」シンヤは自分に言い聞かせるように呟いた。悪夢の残滓を振り払うかのように繰り返し首を振る。

 

「シンちゃん?」その様に胸騒ぎでも覚えたのか、夜着姿のキヨミが心配そうな表情で声をかけた。コップを片手持っている所をみるにキヨミも水の補給に来たらしい。「ダイジョブ?」「ダイジョブ。夢見が悪くてさ」キヨミの視線はシンヤから眠るコーゾへと移る。

 

「いつも、ダイジョブ言って病院にも行かないで」自分に向けた独り言か、隣のシンヤに話しかけているのか、それとも眠るコーゾに言い聞かせているのか。目を伏せたキヨミは虚空に言葉を漏らす。「前は太りすぎを気にしてたのに、今はこんなに痩せちゃって」そっとキヨミはコーゾの背中を毛布の上から撫でた。

 

「毛布、アリガトね」「ああ」シンヤはその柔らかな手を見るともなしに見つめる。細い指先には幾つもの絆創膏。書類仕事は切り傷が耐えない。紙の切れ味は意外に鋭いし、刃物を使うことも多いのだ。加えてシンヤ含め6人分の家事の疲れもあるだろう。

 

自分がもっとアルバイトで稼げれば、あるいは家事や書類仕事をもっと手伝えば多少は違うのだろうか。だが、キヨミは子供たちが家事や書類仕事に関わることに否定的だ。シンヤのアルバイトに最後まで反対したのもキヨミだった。「子供は遊びと勉強優先」それがキヨミの言い分だった。

 

「明日も早いから、シンちゃんも早めに寝てね」(((もう遅いからいい加減寝なさいよ)))『以前』の姉と今のキヨミ。二人の姿が幻覚めいてオーバーラップする。いつもの顔で幻覚を押し隠してシンヤは応えた。「水飲んだら寝るよ」

 

シンヤは当初の目的通りカルキ臭い水を飲み、忍び足で部屋へと帰る。「悪い夢を見たんだ」シンヤはもう一度繰り返した。だが、耳鳴りめいて同じフレーズが脳裏に何度も再生される。(((アナタが求めれば今すぐにでも!)))今夜は二度目の悪夢をみる羽目になりそうだ。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ガコン、プシュー。ギリギリ。ギュィーン。多種多様な騒音が小さな作業場を満たしている。窓の外の雨音は騒音に紛れてしまっている。油染みで汚れたツナギをまとったシンヤは、旋盤のハンドルを動かす。高速回転する鉄の円柱は超硬重合金のビット刃に接触し、カツオブシめいた削り屑を吹き上げる。

 

(((慎重に、慎重に)))震えそうになる手でゆっくりとハンドルを操り、合成鉱物油をかけつつ、鉄柱から求める姿をビット刃で削り出す。特に現在加工中の部分はネックだ。ほんの少しのミスが命取りになる。ある程度削れたと感じたら、すぐさまビット刃を離して冷ます。

 

焦ってはいけない。ビット刃の超硬重合金は高級品だ。無駄に力を込めてしまえば、あるいは冷却を忘れて高熱を帯びてしまえば、あっという間に損耗して使い物にならなくなる。この小さなコーバでそれは決して小さくない損失だ。ゲンコツを振り下ろされても文句は言えない。

 

コーバとは町々に存在する零細家族経営工場のことだ。ここネオサイタマでは、大企業のシタウケとして使い潰されるのが大抵だが、一部は大企業すら唸らせる技術を持つ。一説によれば、電子戦争において下町区画への焼夷爆撃が行われたのは、優れた職人を有するコーバを焼き払うためだと言われている。

 

繰り返し削っては冷やし、ビット位置を調節しては削る。一見して地味な作業だし、実際地味だ。だが、シンヤはカラテトレーニングの次にこの時間が好きだ。ゴールのない苦行ではない。この繰り返しの果てにこそ完成品が姿を現すからだ。

 

「できた!」旋盤の回転を止めればそこには銀色に輝くコケシが姿を現す。大型クレーンの脚部などに使用されるメタルコケシだ。今までの出来でも一二を争う仕上がりと、完成の感動に浸りながらシンヤはふと思う。(((俺は事務職のアルバイトをしてるはずでは?)))

 

全てはコーバの人手不足が原因だった。ネコの手でも借りるし、座っているなら親でも使う。だから事務作業を行っていたシンヤが、熟練職人のゲンタロに首根っこを捕まれていきなり旋盤加工をやらされたのだ。唐突に仕事を押しつけられ、怒鳴られ叱られてハラが立たなかったと言えば嘘になる。

 

だが、初めてメタルコケシを完成させた時の感動はシンヤから、全ての苦労と恨みを吹き飛ばした。何かを作り上げたという喜びに、常に疼く額の痛みもその時ばかりは完全に忘れていた。そして少しずつ旋盤加工を手伝うようになり、気づけば旋盤加工の合間に事務作業をやるようになっていた。

 

シンヤはかつての感慨を思い返しながら、完成品のメタルコケシを旋盤から取り外した。それを岩めいた手が横合いから掴む。爪の先は繰り返し鉱物油が入り込み、タールめいて真っ黒く変色している。熟練工らしく汚れた指先の持ち主は、白髪だらけの厳つい壮年男性だった。「ゲンタロ=サン!」

 

シンヤの呼びかけにも応じず、ゲンタロはメタルコケシの表面に指を這わせる。その手つきは見た目と異なり、一流のオイランめいて繊細だ。「オイ、シンヤ。ここで焦っただろ」「ハイ」ゲンタロの指がメタルコケシのネック部分を撫でる。メタルコケシ加工で最も難しい部位だ。

 

シンヤには以前にも何度かネック部分の加工に失敗した記憶がある。慎重を期してはいたが、今回の加工でも焦りがあったのは事実だ。それをゲンタロは完成品に触れただけで見抜いたのだ。なんたる精密表面調査機械めいた熟練職人の感覚か!

 

今、シンヤがアルバイトを続けるこのオータ・コーバはメタルコケシ専門のコーバとして名高い。「事故が無い」「安全な作業」といった一般的な安全標語に加えて、壁に貼られた「一マイクロのズレが十年の寿命差」「ワザマエが命の守り」といった技術標語のショドーがそれを明確に示している。

 

オータ・コーバの中でも五十年間勤務のゲンタロは、メタルコケシ加工業界において魔法的とすら賞賛されるワザマエの持ち主である。大手金属加工企業から何度と無く引き抜きを受け、それでもここから離れることはなかった。

 

その指先がシンヤのメタルコケシを繊細に撫でる。メタルコケシの加工精度は過酷な環境における品質の差として如実に現れる。僅かな歪みがネオサイタマの過酷な環境下で、何十倍にも増幅されて崩壊するのだ。それが大型クレーンなどの重機の使用中となれば、巨大な事故に繋がりかねない。

 

一通り指先で測定し終えたゲンタロはシンヤにメタルコケシを手渡した。「ネック部は荒いな。が、許容範囲だ」「他はどうです?」ゲンタロは歯を剥いて太く笑った。「ウチの商品として出せるぞ」「アリガトゴザイマス!」シンヤはバイオコメツキバッタめいて頭を上下する。

 

「なあシンヤ、ウチに就職しないか?」「え」急に投げかけられたゲンタロの言葉に、シンヤの目が丸くなる。シンヤが想定していた将来は、センタ試験、大学、そして就職だった。その最終ゴールが唐突に目の前にやってきた。驚きのあまり、シンヤはハニワめいた顔で呆然となる。

 

シンヤの沈黙を拒否と取ったのか、ゲンタロは勧誘の言葉を重ねていく。「お前のワザマエならウチの工員として十分やっていける。ネオサイタマ中でもメタルコケシ関係ならウチが一番だ。減給も倒産もそうそうないぞ」

 

自分の沈黙がどう受け取られたか気づいたシンヤは、両手を突き出して必死に弁解する。「え、ええっと拒否しているわけじゃなくて、その……アリガトゴザイマス!」「よし! なら、仕事が終わったら事務所で契約書作るぞ」「ハイ!」

 

シンヤの胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。常のコールタールめいた暗黒なエネルギとは違う、オンセンめいて全身にしみ入る暖かみを持った透明なエネルギ。シンヤは両手を強く握った。確かな就職先、職人としての未来、なにより安定した給金。これでコーゾやキヨミの不安を少しでも取り除ける。

 

帰ったら皆の喜ぶ顔が見れる。シンヤは笑顔で小さく頷きながら両手を合わせた。ブッダか、メタルコケシか、ゲンタロ=サンか、オータ・コーバか。はたまたその全てか。何でもいい。ただ何かに感謝の言葉を返したかった。今日はいい日だ。本当にいい日だ。そう思えた。その時は。

 

【マイニング・フロム・オーディナリーデイズ】終わり



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第二話【ピッグアイアン・ヒーテッドバイ・ヘイテッド】#1

【ピッグアイアン・ヒーテッドバイ・ヘイテッド】#1

 

(((これは何だ?)))重金属酸性雨が降りしきる中コーバから帰宅したシンヤは、トモダチ園の入っているユウジンビル玄関の元ドアを見つめていた。無惨に砕け散った入り口のガラスドアは前衛芸術と化し、もはや役割を果たすことはできない。その周囲には泥まみれの靴跡が転々と続いている。

 

泥まみれの靴でユウジンビルに立ち入り、キヨミあたりに子供達が叱られるのはままあることだ。だが、ドアを前衛芸術にするような人間はトモダチ園には一人もいない。では誰が? 何のために? 混乱しながら、シンヤは足を玄関に踏み入れる。とたんに雨の音に紛れて聞こえなかったコーゾの声が耳に届いた。

 

話の内容は聞こえないが、声の調子からみてどう考えても好意的な状態にないことは確かだ。心臓が恐怖で高鳴る。シンヤは息を潜めながらユウジンビル内の階段を上がる。上階のトモダチ園スペースへと歩を進めながら、汗ばんだ拳を何度も握り直す。

 

近づくにつれて耳に入ってくる声が理解できるようになってきた。「ザッケンナコラー! ゼニカエセッテンダッコラー!!」しかし、ヤクザスラングの正しい意味は理解できない。ヤクザスラングは一般市民を脅し、同族へ威嚇するための言葉であるだ。そこにニュアンス以上の意味はない。

 

だが、それ故にヤクザスラングは強烈な精神圧力を伴う。リアルヤクザから直にヤクザスラングを叩き込まれたならば、一般市民なら失禁しかねないほどだ。ヤクザスラングを日常的に使うのはヤクザ以外にいない。

 

でもナンデ? シンヤのニューロンに昨日の光景がフラッシュバックする。「滞るビルメンテナンス」「やせ細ったコーゾ」「エガオローン」(((……ヤクザ借金取り!)))シンヤは直感した。そいつがトモダチ園に借金回収にきたのだ。

 

その事実を認識した途端、シンヤの足は鉛めいて重さを増し、歯が唐突に踊り出しそうになる。カラテタコだらけの拳すら頼りなく感じる。相手はヤクザ、こちらは一般市民。当たり前に考えて勝ち目はない。すぐさま逃げだし、近くのネオサイタマ市警交番へ駆け込むのが最善手だ。

 

「フゥーッ!」だが、シンヤは強く息を吐くと拳を握りなおした。泣きついたところでNSPDは民事不介入が原則だ。それに逃げたとしても何処へ行く。ここが唯一の帰る場所なのだ。「アイェェェ……」そしてコーゾの悲鳴をきっかけに、開いた扉からシンヤはトモダチ園スペースへと飛び込んだ。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

シンヤの目に飛び込んだのは、談話室中央のコーゾのドゲザだった。枯れ木めいて細い体を折り曲げてパンチパーマのヤクザにドゲザしている。その向こうでは怯える子供たちを、震えるキヨミが必死に宥めている。その姿を嗜虐的な表情を浮かべながら、好色な目で見つめるスモトリめいた巨漢ヤクザ。

 

「スイマセン! あと少しだけ待ってください!」「アッコラー! ザッケテンカテメッコラー!」コーゾの懇願にパンチパーマヤクザが蹴り飛ばす。その光景がシンヤの暗黒なエネルギに着火した。いつもなら全力で押さえ込む所だが、シンヤは寧ろ暴力衝動にニトロめいた怒りを注ぎ込む。

 

「イヤーッ!」「グワーッ?」弾丸めいて飛び込んだシンヤの低空弾道跳びカラテパンチが、パンチパーマヤクザの腹部にめり込んだ! そのまま倒れたパンチパーマヤクザのマウントを取ると胸倉を掴んで頭部を浮かせ、全力のカワラ割りパンチを叩き込む! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ? グワーッ!? グワーッ!!」1発! 2発! 3発! カワラ割りパンチと床衝突の連続ダブル打撃に、パンチパーマヤクザ失神! 即座にシンヤはマウントを解き、巨漢ヤクザの襲来に備える。

 

「ザッケンナコラー!」恐ろしげなヤクザスラングを叫びながら、拳を振り上げた巨漢ヤクザが襲いかかった! シンヤはデント・カラテ基本の構えを取り、カラテパンチで迎撃を試みる! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ?」正確なカラテパンチが巨漢ヤクザの鼻を潰す! だが、巨漢ヤクザの突進は止まらない! アブナイ! 「イヤーッ!」シンヤはバレエめいたターンで紙一重にかわす! 

 

巨漢ヤクザは突進をかわされタタラを踏むも、シンヤも紙一重にかわして構えが崩れた。お互いに憎悪を込めた視線をぶつけ合いながら体勢を整える。折れた鼻を無理矢理戻しながら巨漢ヤクザがヤクザスラングを放つ。

 

「ダッテメッコラー!? スッゾコラー!!」シンヤの返答はない。代わりに歯を剥いて獣めいた威嚇の表情を浮かべる。シンヤに怯えは一切無い。シンヤの強烈な怒りと暗黒なエネルギが、ヤクザスラングの精神圧力を凌駕しているのだ! 

 

ヤクザスラングと野獣めいた威嚇に、二人の合間の空気が歪む。張りつめたアトモスフィアと次々に襲いかかる恐怖体験に、トモダチ園の子供たちが泣き声をあげた。「ウワァァァン!」「ダイジョブよ! ダイジョブだから!」子供たちの元に這いずって移動したコーゾがキヨミと一緒に必死に宥める。

 

泣き声を聞いたシンヤが、僅かに横の子供たちとキヨミに気をかける。それに気づいた巨漢ヤクザが下卑た笑みを浮かべた。「スッゾコラー!」「ウワァァァン!!」拳を振りかざし巨漢ヤクザは子供たちへ一歩を踏み出した。子供たちを人質に取る気か!? 怯えた子供たちの泣き声が一段と大きくなる。

 

そうはさせじとシンヤは低空弾道跳びカラテパンチを仕掛けた! 「イヤーッ!」「バカメ!」だが巨漢ヤクザはあえて一歩引き、迎撃の体制を整える! シンヤのリズムを崩す目的だ! 実戦経験の差がここで現れた。「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」低空弾道跳びカラテパンチがヒット! 

 

だが、ガード越しでは巨漢ヤクザに十分なダメージを与えられない! 「ザッケンナコラー!」「グワーッ!」巨漢ヤクザはガード越しにシンヤの腕を掴みアメフトタックル! シンヤは壁に叩きつけられる! 倍近い体重の全力タックルで、流石にシンヤも一瞬怯んだ。

 

「シネッコラー!」「グワーッ!」続いて巨漢ヤクザのジュドーめいた投げ技によりシンヤは床に叩きつけられる! そのまま流れるように巨漢ヤクザはシンヤのマウントを取った。

 

「スッゾコラー!」「グワーッ!」巨漢ヤクザのハンマーめいた拳がシンヤの顔面に叩きつけられる! ハンマーパンチと床衝突のダブル打撃に、シンヤの意識が遠のく! 

 

「ザッケンナコラー!」「グワーッ!」巨漢ヤクザのハンマーめいた拳がシンヤの顔面に叩きつけられる! ハンマーパンチと床衝突の2連続ダブル打撃に、シンヤの意識がさらに遠のく! 

 

「シネッコラー!」「グワーッ!」巨漢ヤクザのハンマーめいた拳がシンヤの顔面に叩きつけられる! ハンマーパンチと床衝突の3連続ダブル打撃に、シンヤの意識が一層遠のく! 

 

「スッゾコラー!」「イヤーッ!」巨漢ヤクザのハンマーめいた拳がシンヤの顔面に迫る! だが、シンヤは遠のいた意識を憎悪を原動力に無理矢理引き寄せると、頭突きでパンチ迎撃を試みた! 

 

「グワーッ!」ハンマーパンチ迎撃の反動に、シンヤの意識が消えかかる! だが、迎撃の効果ありだ! 「グワーッ!?」想像もしていなかった反撃に、巨漢ヤクザは拳を押さえて仰け反った。マウント体勢が緩む! シンヤは素早く腕を引き抜き、巨漢ヤクザの鳩尾にカラテパンチを連打する! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ! スッゾコラー!」だが、ダメージが不十分! デント・カラテは地面を踏みしめるのが基本のカラテだ。マウントを取られ、寝そべった体勢のカラテパンチは必要な打撃力を持ち得ない! 

 

「イヤーッ!」「グワザッケンナコラー!!」「グワーッ!」ダメージを覚悟した巨漢ヤクザの反撃ハンマーパンチに再び、シンヤの意識が遠のく! 巨漢ヤクザはその隙を見逃すことなく、シンヤの右腕を掴んだ。

 

「シネッコラー!」「グワーッ!」シンヤの右腕が折れる! 強烈な激痛にシンヤの意識が遠のく! 巨漢ヤクザはその隙を見逃すことなく、シンヤの左腕を掴んだ。

 

「スッゾコラー!」「グワーッ!」シンヤの左腕が折れる! 凶悪な激痛にシンヤの意識が遠のく! 巨漢ヤクザはその隙を見逃すことなく、シンヤのマウントを取り直した。

 

「ザッケンナコラー! シネッコラー! スッゾコラー!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」巨漢ヤクザのマウントハンマーパンチ連打にシンヤの意識が繰り返し瞬く! 衝撃に遠のいては意識を叩き起こされるシンヤはグロッキー状態だ。

 

「もうヤメテください! ヤメテください! お願いです!」あまりの惨状にキヨミが巨漢ヤクザにすがりついた。シンヤの反撃がないことを確認すると、巨漢ヤクザはマウントを解いた。下品で下劣な表情を浮かべながら巨漢ヤクザは、すがりつくキヨミを上から下まで観察する。

 

何らかの合格点に達したのか、巨漢ヤクザは下品で下劣な表情を深める。「服を脱いでドゲザだ。そしたらファックしてやる」屈辱の極みであるドゲザにさらなる恥辱を加えようと言うのか!? なんたる破廉恥行為か! 

 

「エッ」当然キヨミは躊躇う。というより言葉の衝撃が大きすぎて理解が追いついていない。苛ついた表情を浮かべた巨漢ヤクザは、倒れたままのシンヤを蹴り飛ばした。「ワッドルナッコラー!」「グワーッ!」

 

サッカーボールめいてシンヤが吹き飛び壁に激突する。そのままシンヤを追いかけて、巨漢ヤクザは慈悲のないストンピング攻撃に移った。「ザッケンナコラー! シネッコラー! スッゾコラー!」「グワーッ! グワーッ! オボボーッ!」容赦ない踏みつけに、シンヤは胃液を吐き悶える! 

 

「もうヤメテください! 解りました! ドケザします!」キヨミの叫び声を聞いてストンピングはピタリと止まった。「さっさとしろ」「ハイ」親の借金でソープオイランにならざるを得なかった女学生めいた絶望と覚悟の表情で、キヨミはブラウスのボタンを震える手で外していく。

 

その光景がグロッキー状態のシンヤにカツを入れた! 「イヤーッ!」両足をウインドミルめいて振り回した反動で立ち上がると、跳びカラテパンチめいた低空タックルを仕掛けた! 「イヤーッ!」「グワーッ?」想定外の衝撃に巨漢ヤクザはバランスを崩す。シンヤは腕に胃液まみれの顎で噛みつく! 

 

「グワーッ!」鋭い激痛に巨漢ヤクザは悶える! が、致命打にはほど遠い。噛みつくシンヤにハンマーパンチ連打! 「ザッケンナコラー! シネッコラー! スッゾコラー!」「グワーッ! グワーッ! オボボーッ!」だが、胃液をまき散らしながらもシンヤは食いついたまま離れない! 

 

シンヤは消えかかる意識を暗黒なエネルギと殺意で無理矢理現実に縛り付ける。重篤なダメージによるアドレナリン過剰分泌効果もあり、シンヤは一切の打撃を無視する。それが可能ならば首を切り落とされても噛みつき続ける覚悟だ! しかし、現実にそれは不可能! 

 

「ザッケンナコラー! シネッコラー! スッゾコラー!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」BREEAK! シンヤの意志力より先に、下顎骨と歯が限界を迎えた。顎と歯が砕け散り、シンヤは床に投げ出された。巨漢ヤクザは自由になった片手を押さえる。その隙間から血が流れ落ちた。

 

巨漢ヤクザの表情がブッダエンゼルめいた憤怒の色に染まる。「ザッケンナコラー!」「アバーッ!」巨漢ヤクザは殺意全開のストンピング連打! 痛めつける気など最早無い! 殺すつもりで踏みつけ続ける! 「シネッコラー!」「アバーッ!」右足骨折! 「スッゾコラー!」「アバーッ!」左足骨折! 

 

「ヤメテください!」キヨミの声に、巨漢ヤクザの顔に更なる苛つきの色が混じる。が、何かに気づいたように表情を変える。断末魔めいて悶えるシンヤに顔を近づけると、シンヤだけに聞こえるように声を潜めた。その表情は嗜虐的な喜悦に染まっている。

 

「ア、アバッ」「あの女を死ぬまでファックしてやるから、よーく見るんだぞ!」ファックフォーサヨナラ! なんたる残虐非道行為か! シンヤは怒りと憎しみを暗黒なエネルギにくべるものの、最早指一本動かすことができない! 

 

「さっさとしろ! ドゲザの後はたっぷり可愛がってやる」「ハイ」震える手でボタンを外し終え、恥辱と絶望の表情でキヨミはブラウスを脱ぐ。青いナイロンブラに包まれた豊満がまろび出る。キヨミの豊満を眺め、巨漢ヤクザは満足げに頷いた。

 

彼の一番の楽しみは、借金滞納者の目の前で娘や妻をファックしてやることだ。抵抗すらできない相手の目の前で、最も愛する者を汚す喜びは応えられない。散々手こずらせたシンヤの憎悪に燃える視線に、ニタついた笑顔を返す。抵抗どころか身じろぎすらできない。実にいい。

 

(((ブッダファック! ブッダミット! ブッダム!)))悪態と罵声を胸の内で叫び散らし、シンヤは必死で全身に力を入れようとする。だが、手も足も舌先すら出ない! 度重なるカラテダメージで、シンヤの肉体は既に限界を突破しているのだ。

 

奥底から吹き上がり脳内に吹き出し続ける暗黒なエネルギは、動けないシンヤを砲口をふさがれた大砲めいて内側から責め立てる。だが、どれだけ憎しみをくべても、どれほど怒りを注いでも体は全く動かない。目の前の絶望に触れることすらできない! 

 

(((クソッタレ! クソッタレ! クソッタレ!)))最早、シンヤの悪態は哀願と同一のものとなっていた。おお、ブッダよ貴方はまだ寝ているのですか!? それでもブッダが目を開ける様子はない。そして……ブッダ以外が寝ているとも限らない! 

 

(((アナタが求めれば今すぐにでも!)))待ちわびていたように、あるいは狙いすましたようにシンヤのニューロンに聞き覚えのある合成音めいた声が響いた。

 

【ピッグアイアン・ヒーテッドバイ・ヘイテッド】#1終わり。#2に続く



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第二話【ピッグアイアン・ヒーテッドバイ・ヘイテッド】#2

【ピッグアイアン・ヒーテッドバイ・ヘイテッド】#2

 

すべての感情を押し殺しスカートに手をかけるキヨミ、下劣なる喜びを露わにそれを眺める巨漢ヤクザ。そしてその光景を見ながらも何一つできないシンヤ自身。

 

(((アナタが求めれば今すぐにでも!)))その声が悪魔との契約であることは、直感が明言していた。その代価が破滅的な代物であることも。だが、今踏みにじられ奪われようとしているものに見合う代価などない! 

 

シンヤは全てをかけて叫んだ! (((ヨ! コ! セ!)))倒れるシンヤの口から漏れたのは、か細い吐息でしかなかった。だが、シンヤの声をそれは聞き届けていた。脳裏に契約成就の喜びに満ちた三眼が瞬く。その瞬間、シンヤは自らの頭蓋が暗黒なエネルギの内圧で弾け飛ぶ姿を幻視した。

 

頭部を吹き飛ばして油田めいて吹き上がる暗黒なエネルギ。その中心から延びる01ライン。原油めいた暗黒なエネルギは、01ラインに絡まりながら黄金立方体へと毛細管現象めいて近づいていく。そして遂に暗黒なエネルギが黄金立方体に触れる。

 

突如現れた鉤爪の人型が01ラインを切断するより早く、影が01ラインを伝い暗黒なエネルギの源へと流れる。それは蛍光色の人影にフィルタリングされ、『何か』を除いてシンヤへと注ぎ込まれた! 

 

「ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア」砕けたシンヤの口から声がほとばしった。崩壊したはずの顎と歯の痛みはない。四肢の痛みもない。代わりに全身を満たすのは、薬物めいた激烈な多幸感と、痛みに等しいほど強烈な爽快感。

 

「ザッケンナコラー!?」混乱した巨漢ヤクザのヤクザスラングが聞こえた。声音の奥に隠れた恐怖も聞き取れる。困惑の顔に浮かぶ皺一本一本の形も、カラテを構える筋繊維の動きも見える。シンヤの五感はデジタル処理済みデータめいて、全ての感覚を鮮やかに明確に映し出していた。

 

「イヤーッ!」シンヤは寝そべった状態から、習った覚えのないタイドー・バックフリップで跳ね起きる。脳裏に超常的なアクションのイメージが浮かび上がり、肉体は一切遅滞なくそれに応える。全身が軽い! そして強い! 

 

今までの自分は何だったのか。今がオーバーホール済みの最新鋭兵器なら、以前など重金属酸性雨に錆つぶれたゴミに等しい! 自らの力を確かめるように、シンヤは掌を見つめ一度、二度と手を開いては閉じる。その手が暗黒なエネルギに包まれる。

 

シンヤの想像が現実となったのか? 否、手を包むのは黒錆色の繊維だ。超自然の力で虚空より生じた繊維が、互いに絡まり編み上げられ、装束を成していく。全身も同様に虚空から現れた繊維を装束としてまとっていく。最後に口を赤錆めいた金属が覆う。それがメンポだ。シンヤには理解できた。

 

そしてシンヤの変身を見つめる周囲の人間たちも、シンヤが何になったのかようやく理解できた。「ニンジャ、ニンジャナンデ!? アイェェェ……」NRSに震える巨漢ヤクザの口からこぼれた言葉が現実を表していた。そう、シンヤはニンジャとなったのだ! 

 

「クッハハハハハハ!」全身に溢れるパワが、哄笑となってシンヤの口から漏れだした。脳裏に声がコダマする。(((そう、ニンジャのパワ!!)))なんとスゴイ! なんとスバラシイ! 高揚感に身を任せ、シンヤは無造作に巨漢ヤクザへと足を進める。

 

「く、来るな!」ヨタモノに追いつめられた犠牲者オイランめいて、巨漢ヤクザは必死に両手を振り回す。そこに先までの人食いライオンめいた凶悪さは微塵もない。恐ろしいメキシコライオンも、強大なドラゴンを前にすれば野良猫と同じだ。ニンジャとモータルとの間にはそれほどまでの開きがある。

 

そしてオイタをした野良猫は薬殺処分が妥当だ。「お前、服を脱いでドゲザとか言ってたな?」巨漢ヤクザの両腕を容易く掴み、シンヤはマンリキめいた圧力を加える。巨漢ヤクザは必死でもがくものの、両腕はマンリキめいたニンジャ握力で完全に固定されている。

 

加えてシンヤは殺意を込めた視線を巨漢ヤクザの両目に叩きつけた。「アイェェェ!」巨漢ヤクザはしめやかに失禁! 「すぐやります! だから離して!」動けないことを確認したシンヤは片手だけ握力を緩める。

 

巨漢ヤクザは赤黒く変色した腕を抜くと、震える手で不器用にアロハシャツのボタンを外し始めた。「いいや、その必要はない」「エッ?」シンヤの手が巨漢ヤクザを制止した。恐怖に彩られた不可思議の顔で巨漢ヤクザがシンヤを見つめる。

 

「俺が皮ごと脱がしてやる!」「アイェェェ!」嗜虐の愉悦に満ちた台詞と共に、掌に塵が集まり形をなす。それは音叉とクナイ・ダガーを足して二で割った姿だった。その形状がどんな意味を持つのか、巨漢ヤクザは即座に体感させられた。

 

PEELING! 「イヤーッ!」「グワーッ!?」巨漢ヤクザの右腕が服ごとバイオゴボウめいて剥かれる! 人体模型めいてむき出しになった筋肉からリンパ液と血液がにじみ出る。恐怖と激痛に巨漢ヤクザは右腕を振り回そうとするが、ニンジャ腕力で固定され全く動かない! シンヤは腕を持ち替える。

 

PEELING! 「イヤーッ!」「グワーッ!?」巨漢ヤクザの左腕が服ごとバイオゴボウめいて剥かれる! 人体模型めいてむき出しになった筋肉からリンパ液と血液がにじみ出る。恐怖と激痛に巨漢ヤクザは左腕を振り回そうとするが、ニンジャ腕力で固定され全く動かない! シンヤは両腕をまとめて掴む。

 

PEELING! 「イヤーッ!」「グワーッ!?」巨漢ヤクザの胸が服ごとバイオゴボウめいて剥かれる! 人体模型めいてむき出しになった筋肉からリンパ液と血液がにじみ出る。恐怖と激痛に巨漢ヤクザは腕を振り回そうとするが、ニンジャ腕力で固定され全く動かない! シンヤは両腕を手放した。

 

「イタイ! イタイ! ヤメロー!」「ドゲザは?」絶望と痛みに泣き叫ぶ巨漢ヤクザに、シンヤは問いかけた。ドゲザの恥辱は母親との前後を強要され、記録素子に残されるに等しい。だが巨漢ヤクザはすすり泣きながら床に頭をすり付けた。それほどまでニンジャの恐怖と痛みに心折られていたのだ。

 

「クッハハハハハハ!」その光景をシンヤは指さして笑う。苛立たしい敵を思うがままに踏みにじる、何とタノシイ! 腹立たしい相手を望むがままに殴り倒す、何とキモチイイ! ALAS! 暴力の悦びよ! ALAS! 遙かにいい! コーゾの怯えた目も、キヨミの涙を湛えた目も気にならなかった。

 

「ゴメンナサイ! もうしません!」「そうだなぁ」涙に濁った巨漢ヤクザの声が、暴力に酔いしれるシンヤの耳に届いた。ドゲザを続けて許しを乞う巨漢ヤクザの頭を踏みしめ、道化めいてあからさまに考える振りを演じる。溺れる者が掴む藁めいて、ドゲザする巨漢ヤクザはそれにすら縋った。

 

「ユルシテ! お願いします!」「ダメだ」だが当然、シンヤに許す気はない。トーフプレス機めいて踏みしめる足にさらに力を加えていく。「ヤメテヤメテヤメテ!」「ダメだ」巨漢ヤクザの頭蓋骨が激痛と共に致命的な音を上げる。シンヤはあえて力を加える速度を緩めた。

 

「アーッ! アーッ! アーッ!」巨漢ヤクザの口からは絶望と恐怖と激痛が入り交じった叫びが漏れ、床が涙と鼻水と涎で濡れる。決定事項の死が明確に示された。最早救いはない。慈悲もない。脳裏に浮かぶのはスライド写真めいた無価値な人生のダイジェスト。ソーマトリコールが最期の瞬間を占めた。

 

BREEAK! 「アバーッ!」「クッハハハハハハ!」ニンジャ脚力に屈した頭蓋骨が中身をぶちまける! 巨漢ヤクザ脳漿で床が再塗装! 血臭と静寂に満ちた部屋に、シンヤの狂喜に溢れる嗤い声だけが響く。アビ・インフェルと化した談話室とNRSの衝撃で、子供達はとうの昔に意識を手放している。

 

「ナンダッテンダー!?」巨漢ヤクザの断末魔に叩き起こされたのか、目を覚ましたパンチパーマヤクザが混乱と恐怖に大声を上げてわめき散らす。その様をに光る目でねめあげると、シンヤは加虐的な声音でつぶやいた。

 

「そう言えば、お前もドゲザをさせていたなぁ」「アイェェェ……」ニンジャとなったシンヤの視線が意味するものを理解したのか、パンチパーマヤクザはしめやかに失禁。談話室の床に尿が滴った。頭巾の奥から覗くシンヤの目が不快そうに歪む。

 

「床が汚れちまった」「ッ!……ハ、ハイ」抗議を考えたのか声を上げようとするも、巨漢ヤクザの頭部破裂ゴア死体を目にしてパンチパーマヤクザは従順に従った。アロハシャツを脱ぐと必死に自分の尿と相棒の脳漿をふき取ろうとする。だが、アロハシャツ一枚では到底足りない。

 

「舐めてキレイにしろ」「エッ?」理解が追いついていないパンチパーマヤクザはシンヤと床を交互に見る。理解の遅さに苛ついたシンヤは、足早に近づくとパンチパーマヤクザの頭を掴んだ。ニンジャ握力に頭蓋骨が悲鳴を上げる。

 

「こうするんだよ!」「グワーッ?」頭蓋骨に続いてパンチパーマヤクザが悲鳴を上げるより先に、シンヤは汚れた床にパンチパーマヤクザの頭を叩きつけた。続けて顔面をモップめいてすり付ける。潤滑剤代わりの脳漿と尿があっても、ニンジャ腕力で押さえつけられれば無いのと同じだ。

 

「ほれ、イヤならドゲザだ」「グワーッ!?」床をヤスリ代わりにパンチパーマヤクザの顔面が削れる。鼻がへし折れ、唇が引き千切れ、頬が擦り削られる。あまりの激痛にパンチパーマヤクザは容易く屈した。

 

「ドゲザします! ヤメテ!」「早いな。あっちはもう少し持ったぜ?」巨漢ヤクザの頭部破裂ゴア死体を指さし、シンヤは必死のパンチパーマヤクザを嘲笑う。伏せた顔から屈辱と恥辱のうめき声が漏れる。

 

「グググ……」だが、逆らう様子はない。目の前の恐るべきニンジャは、たとえ逆らわなくとも気軽に暴力を振るうだろう。それも致命的な力を、楽しみだけを理由にして。そう確信できたからだ。

 

屈辱と恥辱と激痛を押し殺し、パンチパーマヤクザは脳漿と尿で濡れた床に額をすり付けた。「グググ……ゴメンナサイ」「クッハハハハハハ!」ドゲザ姿のパンチパーマヤクザをひとしきり笑うと、シンヤはその頭に足を乗せた。さっきの巨漢ヤクザの時と同じ体勢だ。

 

先のスプラッタ光景を思い出し、コーゾが息をのんだ。「イタイ! イタイ! ヤメテ! ヤメテ!」「ダメだ」コーゾの予想通りにシンヤは足に力を加える。パンチパーマヤクザの頭蓋骨がゆっくりと、不可逆に変形し始める。

 

「何なんだよ、何だよオマエ!?」逃れられようのない理不尽な死に瀕して、足の下でパンチパーマヤクザが絶叫した。それは襲いかかる理不尽に対する、単なる拒否反応めいた言葉だった。しかし、その言葉にシンヤの奥底で何かが反応した。

 

(((俺は何だ?)))暗黒なエネルギとは違う、ニンジャのパワとも違う、重要な何か。だが、それを認識する前に、吹き上がる暗黒なエネルギ、溢れるニンジャのパワ、そして全身を浸す暴力の悦びが疑問を吹き飛ばす。(((アナタはニンジャ! アナタが主役! 誰も止められない!)))

 

合成音めいた声が頭蓋の内側に満ちる、まるでシンヤが何かに気づくのを拒むように。「クッハハハハハハ!」(((そうだ、俺はニンジャだ! ニンジャとなったんだ!)))脳裏に蛍光緑の哄笑が明滅する。(((そして相応しい名前を付けてあげましょう!)))

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

(((そして相応しい名前を付けてあげましょう!)))そうだ、「己」の名前を名乗るのだ! 脳裏の声とシンヤの声が同期する。いや、脳裏の声こそがシンヤの声となる。パンチパーマヤクザに向けて両掌を合わせ威圧的なオジギをすると、ニンジャは狂気と狂喜が匂い立つようなアイサツをした。

 

(((ドーモ)))「ドーモ」(((コルブレインです)))「コルブレ「シンちゃん、ヤメテ!」だがそれはタックルめいて腰に抱きついた、キヨミの手によって中断された。NRSとスプラッタ光景の衝撃に震えながらも、キヨミは必死の形相でシンヤを押しとどめようとする。

 

「シンちゃん、こんなことはお願いだからヤメテ!」それは単なる偶然だったのか、それとも人生の大半を共に過ごしたが為の直感だったのか、キヨミ自身にも解らない。しかしそれが、決定的な一線を踏み越えようとするシンヤの、最後の盾となった。「キヨ姉」シンヤの目から狂気の色が薄れていく。

 

(((ジャマだ!)))瞬間、暗黒なエネルギがシンヤの額を内側から殴りつけた。暴力衝動にシンヤの全てが黒く染まる。腰にしがみつくキヨミを小石めいて蹴り飛ばす。一切の手加減無いニンジャ腕力に振り払われて、ただのモータルが、ましてや一般女性がその力に耐えられるはずもない。

 

「ンアーッ!」合成ゴムマリめいて跳ね飛んだキヨミは、談話室の壁に叩きつけられた。壁を背に泥めいて力なく崩れ落ちるキヨミ。その右足はカワイイジャンプめいて人体構造上不可能な方向にねじ曲がっている。

 

(((俺は、俺は何を……)))閃光めいて衝動は一瞬だった。シンヤは振り払った腕とキヨミの足を繰り返し見やる。その目はZBR効果が抜け落ちた薬物酩酊者のそれだ。そして薬物酩酊者は覚醒と同時に、快楽に酔いしれていた自分が何をしたのかを見せつけられるのだ。

 

へし折れたキヨミの足がシンヤの目に入る。膝間接を軸に前方90度回転し、内出血で青黒く変色した横向きの足。下手をしなくても後遺症を残す怪我だ。「アッ……」シンヤは震える手で持う一方の腕を掴む。この手で守るべき家族を傷つけた。二度と元に戻らない傷を与えた。家族との絆もまた。

 

キヨミは吐き気を覚えるほどの痛みをこらえ、必死で顔を上げる。その目がオコリを発症したかのように震え出すシンヤの姿を見つめる。視線に気づいたシンヤが頭巾の奥の瞳を向けた。二人の視線が重なる。目を逸らしたのはシンヤだった。

 

「ウワァァァ!」オバケに出会った子供と同種の絶叫と共に、シンヤは全力で駆けだしていた。当然踏み込みもニンジャ脚力の全力である。「アバーッ!」踏みつけられていたパンチパーマヤクザ頭蓋骨破裂! パンチパーマヤクザ脳漿で床が再々塗装! 

 

CRAASH! 黒錆色の風となったシンヤが窓を砕いて飛び出した。突然の轟音が談話室にコダマした。「アイェェェ!」コーゾの悲鳴がそれに続いた。その後はただ雨音が響くばかり。「シンちゃん……」キヨミのか細い声も談話室の血臭に溶けて消える。

 

シンヤが飛び出した窓から、重金属酸性雨のケミカル臭が漂いだす。その窓をしばらく見つめた後、キヨミは壁に手を突き立ち上がった。右膝から断続的に襲い来る、ニューロンを直接ハンマーで叩くような激痛に歯を噛みしめて耐えながら、キヨミは子供たちとコーゾの元へと向かった。

 

【ピッグアイアン・ヒーテッドバイ・ヘイテッド】終わり



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第三話【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#1

【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#1

 

「安いよ安いよ! 二十歳オイランがたった1万!」「シャッチョ=サン、ちょっと飲んでく? サケが2時間飲み放題!」駅近くの繁華街には今日も猥雑な喧噪が響く。仕事帰りのサラリマンの財布を狙い、客引き店員が大声を上げている。仕事の疲れを癒そうと、多くのサラリマンがここで飲み食い前後する。

 

そんな騒がしい繁華街でも路地裏に一歩入れば、驚くほどの静けさに包まれている。僅かに響くのは重金属酸性雨の残りが滴る音か、あるいはバイオミケネコがゴミ箱に飛び乗る音か。だが、路地裏の静寂を楽しむ者は少ない。対酸処理の切れ端を幾重にもまとった浮浪者でもそうはいない。

 

その理由は涙目で壁に背を預けた二人の女学生が証明している。「アイェェェ!」「ウレシィネェ!」彼女らの周りにはボンズヘッド、ドレッドヘア、バンダナのヨタモノが計三人。全員が全員とも下卑た笑みをニタニタと浮かべている。そう、路地裏はタテマエも最低限の礼儀も通じない悪徳の巣窟なのだ! 

 

ネオサイタマ音楽コンクールが終わり、横笛部の放課後増強練習がなくなった今日。親友同士の二人は久しぶりの自由な放課後を楽しんでいた。プリクラ(注:娯楽用証明写真)、タラバー歌カニ、和喫茶スイーツ。そして最後にいつもはやらないバリキ・イッキ。これが拙かった。

 

バリキハイと若さ故の勢いで、二人は駅までの路地裏ショートカットを試みてしまったのだ。決して子供だけで入ってはいけない路地裏を女学生だけで通る。単なるスリル体験感覚で行ったそれは、メキシコの荒野でオーガニック和牛ヤキニクをするのと変わらない、スゴイ級に危険行為だ。

 

香ばしく甘い匂いに誘われた空腹のハイエナめいて、あっという間に涎を垂らしたヨタモノが女学生を見つけだした。バリキハイも吹き飛ぶ恐怖にさらされて震え上がる少女たちは、ハイエナの顎に挟まれた獲物も同然だ。

 

あとは散々に味わい深く楽しまれて、夕方のニュース番組のワンカットになるだけ。いやニュースになれれば幸運なほうだ。大半の犠牲者は、NSPDの行方不明者リストに追加されるだけで、発見すらされないのだから。

 

「ヤメテ! アイェェェ……」「フヒーッ! カワイイ!」ボンズヘッドがお下げの女学生の腕を掴む。必死で振り解こうとするが非力な横笛部員の腕力では、薬物重点済みのヨタモノを振り払えない。弱々しい抵抗が薬物に酔いしれたヨタモノの興奮を盛り上げる。

 

それを見ながらドレッドヘアとバンダナが、下品な表情でアイコンタクトを取る。とりあえずここでつまみ食いした後、ねぐらでたっぷり楽むのだ。女の子たちも思いっきり楽しめるよう、ドラッグの準備も万端にしてある。二度と戻れないくらいどっぷり漬ければ逃げ出す心配もない。好き放題に楽しめる。

 

「アイェェェ!」「さぁー、ヌギヌギしようねぇ!」お下げ髪の学生服にボンズヘッドが手を掛ける。「ヤメテ!」それを止めようとセミロング女学生がしがみつくも、ドレッドヘアが引きはがした。バンダナは危険濃度ZBR注射器をポケットから取り出す。これで意識朦朧とさせて薬物前後の予定だ。

 

過剰薬物で中毒にされた女学生のその後は? 壊れるまでオモチャにされて、死体は湾岸でマグロの朝食かゴミ箱でネズミの夕飯だ。誰かの心配をする人間なら、ヨタモノになどなりはしない。かくして少女たちは不用意の代償に、人生全部を支払う羽目となったのだ。

 

このまま二人は、薬物前後されたあげくのファックアンドサヨナラという、ネオサイタマではありふれた最悪の最期を迎えることとなるのか。おお、ブッダよ! あなたは寝ているのですか! だが、今宵のブッダは目を開けていたらしい。

 

「イヤーッ!」路地裏に響きわたるカラテシャウト! 何処から? 上からだ! 黒錆色の影がビルの上から奇襲を仕掛けた。垂直落下式高高度カワラ割パンチがボンズヘッドの頭蓋に直撃する! 「アバーッ!?」剃り上げられた頭部はトマトめいて炸裂! 胴体もカワラ割パンチで分断される! 当然即死! 

 

「ナンダ! ナンダ!」「アイェェェ!」女学生を突き飛ばすとドレッドヘアは折りたたみナイフを取り出し、襲撃者とおぼしき黒錆色に刃先を向ける。ZBR注射器を捨てたバンダナも腰からスタン警棒を抜き放つ。

 

「ズッケンナ!」「スッゾ!」ヨタモノ二人はヤクザスラングを真似た声を上げて、襲撃者を威嚇する。薬物効果もあり、ヨタモノに恐怖は微塵もない。仲間を殺された怒りとお楽しみを邪魔された怒りに溢れている。当然、後者の方が大きい。

 

だが、それは黒錆色の影が暗がりから姿を現すまでだった。黒錆色のニンジャ装束をまとい、赤錆めいたメンポで口元を覆ったその姿。点灯不良で点滅する街灯に照らされた影は、あからさまなほどニンジャだったのだ! 

 

「ニ、ニンジャ!?」「ナンデ!?」「「アイェェェ……」」急性NRSによりヨタモノはパニックに、女学生は虚脱状態に陥った。理解の埒外の恐怖を目の当たりにして、狂ったように武器を振り回すヨタモノ。度重なる恐怖に晒されて、抱き合ったまま崩れ落ちた女学生二人は、足下をしめやかに濡らす。

 

ニンジャは女学生を一瞥すると、ヨタモノ二人へ無造作に歩み寄った。「く、来るな!」必死の形相でナイフを突き出すドレッドヘアの腕を掴んで捻る。「グワーッ!?」ヨタモノ右腕骨折! ニンジャ腕力の前にはモータルの腕などワリバシよりも容易に折れる。文字通りのベイビーサブミッションだ! 

 

骨折の痛みに呻くドレッドヘア顔面へとそのままカラテパンチ! 「イヤーッ!」「アバーッ!」ニンジャのカラテに耐えられるはずもなく、頭蓋骨ごと顔面崩壊! 即死! 「アイェェェ!」恐怖が限界に達したバンダナは、選択肢を闘争から逃走へと切り替えた。わき目もふらず繁華街へと向かって駆ける。

 

「アバーッ!?」その背中に異形のスリケンが突き立った。脊椎と心臓がまとめて両断! 即死! 瞬く間に路地裏は三体の死体が転がるジゴクめいた光景と化した。あまりの恐怖に女子生徒二人は、地面に横たわって失神している。その光景を見るニンジャの、シンヤの目には複雑な光が宿っていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

三つのカラテ殺死体にNRSで失神した少女二人。繁華街の路地裏はアビ・インフェルノそのものだ。その光景を見つめる頭巾の奥の目は、暗く重い色を宿している。(((もう、俺はニンジャなんだ)))黒錆色のニンジャ装束姿で立ちすくむシンヤの脳裏に、あの日の光景がフラッシュバックする。

 

踏み砕いたヤクザ頭蓋、怯え竦む子供たちとコーゾ、そして青黒くへし折れたキヨミの右足。トモダチ園を血で汚し、皆に恐怖を振りまき、キヨミに重傷を負わせた。皆、拒絶するだろう。当然の報いだ。トモダチ園には帰れない。

 

借金回収ヤクザ襲撃から数日後。トモダチ園を飛び出したシンヤは廃ビルをねぐらにして、暴力衝動解消を兼ねたヨタモノハントで日銭を稼いでいた。暴力と血にまみれた生産性のない日々。トモダチ園での平穏な毎日は最早遠い。

 

頭巾の奥の両目が痛みに等しい悲しみに歪む。シンヤは胸のオマモリ・タリズマンを握りしめた。悲しみと痛みの入り交じった感覚に耐えながら、シンヤはバンダナヨタモノに近づき、背中から斧めいた異形のスリケンを抜き取った。スリケン・トマホークとでも呼ぶべきか。

 

自由自在に成形したスリケンとクナイ・ダガーを生産する。これこそがニンジャとなったシンヤのユニーク・ジツであった。円盤状に形作ったスリケン・チャクラム。刀身を延ばしたクナイ・ソード。アイディア倒れの代物ならまだまだある。自分の力を調べる時間は、一人過ごす寂しさの慰めとなった。

 

だが、シンヤは自分の能力を知る度に、自分の暴力を振るう度に、一歩また一歩と邪悪存在たるニンジャに近づく感覚を覚えていた。悲しみも過去も自分の行いすら忘れ、暴力と破壊と悪逆に耽溺するニンジャとなるまで、そう長くはかからないだろう。どうすればいい。どうしようもない。それでも。

 

シンヤは頭を振って答えの出ない思考を追い出す。とりあえず二人を安全な場所に連れ出さねばならない。抱き合って気絶した二人をまとめて抱き上げる。ふと、お下げ髪の開けた肩が目に入った。生白く滑らかな若い肌と、薄い桃色の下着。

 

(((快楽のままに全てを忘れるのもイイ!)))煌々と輝く蛍光色のイメージと共に、幻聴が耳の奥に響いた。シンヤの背筋にオコリめいた震えが走った。それは冷たい恐怖であると同時に、快楽への煮え立つ期待でもあった。

 

(((欲望のままに全てを貪るのもイイ!)))「ヤメロー! ヤメロー!」幻聴は繰り返し響き、シンヤの精神を責め立てる。腕の中の柔らかな女体の感触が、驚くほど鮮烈な色合いで意識に浮き上がる。シンヤには震える手で女学生二人を壁にもたれかけさせるの精一杯だった。

 

暗黒なエネルギが頭の中を占める。頭蓋の穴という穴からコールタールめいた粘液が溢れ出す幻影。(((憤怒のままに全てを憎むのもイイ!)))「ヤメテヤメテヤメテ!」幻覚が現実より現実らしく瞼の裏に映し出される。

 

(((アナタはニンジャ! アナタが主役! 誰も止められない!)))「ダメだ……ダメだ……」シンヤは襲い来る幻聴と幻覚にすすり泣く。襲いかかる誘惑と恐怖に、震えながら胸のオマモリ・タリズマンに縋って耐え続ける。その姿は薬物治療中のZBR中毒患者めいて、余りに痛々しく哀れであった。

 

それからどれだけ経過したのか。そう時間はたっていないだろう。実際、女学生二人は未だ安らかな無意識の中だ。だが、シンヤにとっては数十時間にも等しかった。「ハァーッ、ハァーッ」荒い呼吸をこぼし、メンポと頭巾を外して顔を拭う。顔は脂汗と冷や汗と涙のカクテルでべったりと汚れている。

 

トモダチ園を離れて以来、内面から来る悪魔めいた誘惑は激しさを増し続けていた。シンヤの心はカツブシめいて擦り削られる一方だ。精神のファイアウォールは廃テンプルのショウジド同様に穴だらけ。陥落の日は遠くないだろう。

 

(((まだ、心まではニンジャではない。そのはずだ)))それでもシンヤは人間でいたかった。ヒノ、オールドセンセイ、ゲンタロ、トモダチ園の皆、そしてキヨミ。自分が慕う人々が笑いかけてくれたのは、人間のシンヤだったからだ。決意を込めて、静かに歯を食いしばり、強く拳を握りしめた。

 

(((とにかく二人を保護してもらわねば)))シンヤにそれは出来ない。自身がNRSの原因だし、何より誘惑に屈してしまいかねない。かと言ってNSPDを利用するのは危険が多い。一般人の振りをすればトモダチ園に連絡が行きかねない。

 

単純に交番に置いてくるという手もあるが、確実に保護されるか不安が残る。大半のマッポは常態化した過剰勤務により事なかれが横行しているし、キングピンを筆頭とする堕落マッポの存在もある。となればどうするか。

 

シンヤは今までの人生、そして「過去」の記憶から答えを出そうとニューロンを振り絞る。(((ソウダ! あれで行こう)))思いもかけないところに答えはあった。答えが出たなら、後は実行あるのみ。

 

シンヤはオマモリ・タリズマンに手を当てて、深呼吸を繰り返し、意志を堅く保つと、壁を背に眠る女学生二人を抱き抱えた。「イヤーッ!」黒錆色の突風と化したシンヤは、建築物に切り取られた長方形の闇夜へ消えた。

 

【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#1終わり。#2に続く



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第三話【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#2

【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#2

 

「「ラッシャーセッ!」」力強いアキナイ・パワーワードをBGMに、縄ノレンと赤チョウチンを潜れば、タノシイな騒々しさに包まれる。無数のメニューがショドーされた壁に囲まれた狭い空間には、鼠色スーツがぎっちりと詰め込まれている。ここはサラリマンの憩いの地、タチノミバー「グイノミ」だ。

 

タチノミは過密都市ネオサイタマで一般的なバーの形態だ。雑居ビルの1階に押し込まれた小さな店内には、調理場とカウンターを除き、細長い長方形の机が可能な限り並べられている。そして過密状態になるほどのサラリマンがその隙間を埋めている。閉所恐怖症なら発狂しかねないほどの人口密度だ。

 

椅子も鞄を置く場所もなく、僅かに肩肘を張るだけで隣のサラリマンとぶつかるほどにスペースは少ない。「先輩、もう一杯ドウゾ!」「オットット、アリガト!」しかし、狭い店内は無数の笑顔で満ちている。

 

毎日の激務に耐えるマケグミ・サラリマンにとっては、タチノミ程度苦痛にはならない。今日も精一杯働いた。その疲れをタチノミの安くて旨いサケとツマミ、そしてこの猥雑でタノシイな空気で癒して明日の活力を補給するのだ。

 

「「ラッシャー、セッ?」」だが、本日の活力補給は難しそうだ。縄ノレンをくぐった人影は、鼠色ではなく黒錆色をしていた。そしてスーツではなく、装束を着ていた。メガネではなくメンポをつけていた。つまりサラリマンでなく、ニンジャであった。

 

「ニンジャ?」「流しのコスプレビズ?」「発狂マニアックでは?」「仮装強盗!」くつろぎの空気で満ちていた店内は、今や張りつめた空気で満ちている。異様な闖入者に無数の視線が突き刺さる。「お、お客さん、そのカッコはニンジャですかい?」カウンターの店員が冗談めかして呼びかけた。

 

だが声は上擦って震え、笑みもひきつっている。それは目の前の光景が冗談だと、店員自身に言い聞かせる為であった。目の前の人影に冗談だと、頷いて欲しいという願望であった。それに答えてニンジャは重々しく頷いた。

 

「そうだ、俺はニンジャだ」「「「アイェッ!?」」」望まぬ肯定に給仕店員と客は悲鳴を上げて後ずさる。だがカウンター店員にそのスペースは無い! ニンジャは怯える店員に詰め寄る。さらに両手の指を組み合わせたニンポサインを店員に突きつける。

 

「だからニンポを使うぞ? それが嫌なら言うことを聞け、いいな?」「アッハイ」ニンポとはカトゥーンの荒唐無稽なニンジャマジックのことだ。やはりこのニンジャは発狂マニアック仮装強盗なのか? カウンター店員はいぶかしむ。ならば、カウンター下の強盗鎮圧オモチガンを突き出して一発だ。

 

だが、目の前にいるのが本物のニンジャであるという恐怖を、店員も客も捨てきれない。日本人のDNAに刻まれたニンジャの恐怖は、単なるコスプレヨタモノとして処理することを拒んでいる。(((ダメだ、コワイ!)))ついにカウンター店員は恐怖に負け、強盗鎮圧オモチガンの引き金から手を離した。

 

「では警察に連絡してこの二人を保護してもらえ」「エッ?」だが、本日の売り上げを全て奪われる覚悟をしていたカウンター店員は、想定外の言葉に目を丸くする。ニンジャ存在感に圧倒されていたが、その背中を見てみれば抱き合うような体勢で括り付けられた二人の女学生が見える。

 

(((強盗ですらないならこいつは一体? カトゥーンヒーローを気取ったニンジャマニアック?)))ヨタモノでないなら話が通じる可能性もある。しかし発狂マニアックなら何気ない一言でマインスイーパになる危険性もある。何よりニンジャが全身から発する恐ろしいアトモスフィアが下手な交渉を拒んでいた。

 

混乱で満ちるカウンター店員の前にニンポ・ハンドサインが突きつけられる。「ニンポがいいのか?」「あ、いえっ! すぐします!」頭巾の奥で暗い目が光る。脊椎を凍らせたような恐怖がカウンター店員を襲った。もしも逆らえば実際死ぬ。その恐怖は正しかった。

 

彼の目前でニンポ・ハンドサインを構えるのは、ニンジャソウルを宿すシンヤなのだ。シンヤは気絶した女学生を保護させるべく、前世の記憶を利用していた。参考にしたのはチンケなニンジャ仮装強盗を繰り返したマズダ三兄弟だ。

 

彼らはソウカイヤの支配するネオサイタマでニンジャを真似て安い犯罪を行ったが、彼らを捕らえたのはNSPDだった。つまり、ソウカイヤはニンジャを真似たモータル如きを制裁しにはこない。それが重要だ。

 

ニンジャソウルを得たシンヤが恐れているのは、ソウカイヤのニンジャスカウトだ。万に一つも「ここにニンジャがいる」と知られるわけにはいかない。安い犯罪を行うモータルだと思われれば好都合だ。

 

そんな理由でシンヤは、ニンジャ仮装した発狂マニアックを演じ、女学生の保護を狙っていたのだ。しかし、ニンジャソウルを宿す本物のニンジャが、カトゥーンヒーローの振りをして荒唐無稽なニンポで店員を脅しているとは。なんたる皮肉な喜劇的光景か! シンヤは乾いた笑いをこぼした。

 

「アイェッ!?」「ただの笑いだ。電話を急げ」カウンター店員は慌てて固定式電話からNSPDへ連絡する。「……ハイ。学生二人を保護してください。その、少々伝えがたい事でして……」怯えと困惑の入り交じった目でシンヤを見つめる店員。その前にシンヤは元ヨタモノの財布を置いた。

 

財布とシンヤの間を店員の視線が行き来する。その目に向けてシンヤは大きく頷いた。卑しい笑みを浮かべてカウンター店員が掴む。これで今月の家賃は安泰だ。「へへ……いや、うちのアルバイトが見つけたんです。そいつが辞めてしまいまして。ハイ……ハイ、では急いでください。オタッシャデー」

 

電話が終わると同時に、店員はポケットに財布を詰め込んだ。「これでいいですか?」シンヤの返答はなく、背中の二人をカウンターにもたれさせる。お下げ髪のはだけた肩はそのままだ。服装を直す必要は判っていたが、シンヤには誘惑に耐える自信はなかった。それを見る店員の目に下卑た色が映る。

 

(((いっそ警察に渡さない方が良いのでは?)))女子高生前後! そのステキな好奇心がカウンター店員の股間を強烈に刺激した。だが、興奮に上気する首を黒錆色の手が掴んだ。「エッ?」「ニンポ以上が望みか?」反射的に手の主を見る。その頭巾の奥と目があった。殺意を込めた、本物のニンジャの目。

 

「アイェェェ……ヤメテ! ヤメテ!」急性NRSに店員は下着をしめやかに濡らし、恐怖の叫び声をあげようとする。だが黒錆色の手に喉を押さられ、絞るような囁き声しかあげられない。もしも逆らえば実際死ぬ。その怪物の不興を買ってしまった。致命的な恐怖と絶望が店員のブレーカーを落とした。

 

不快そうに眉を歪めると、シンヤは気絶したカウンター店員から手を離した。カウンター店員の下劣な喜びの表情は、シンヤに誘惑に負けた未来を強く想像させたのだ。服の下に隠した、胸のオマモリ・タリズマンに手を当てイラつきを押さえる。

 

今の自分は、ニンジャマニアックの変人でなければならない。恐ろしいニンジャではないのだ。心を落ち着けたシンヤは振り向き、給仕担当の店員に声をかける。「おい、この二人を頼むぞ」「アイェッ!?」シンヤのイラついた目に見つめられ、給仕店員が小さい悲鳴を上げる。

 

その目に宙を舞った2つの財布が映った。一瞬、タチノミバーにいる全ての視線が財布へと集中した。反射的に給仕店員はそれをキャッチする。「これは?」財布元へと視線を向けてみるが、そこには誰もいない。ただ、カウンターに体重を預ける女子学生2人だけ。

 

カウンター内部を覗いてみても、股間を濡らして横たわるカウンター店員だけ。もしも財布に目を向けていなければ、黒錆色の風を見ただろう。ニンジャ動態視力の持ち主ならば、風がシンヤであることに気づけただろう。

 

しかし、財布への視線誘導により誰一人として、シンヤの退出に気づく者はなかった。「夢、だったのか?」全員の声を代弁するかの如く給仕店員は呟いた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

それから数日後、タチノミバー「グイノミ」では閑古鳥が大いに鳴いていた。発狂マニアックのニンジャ仮装強盗に襲われたという噂話が立ったからだ。強盗被害にあうなどネオサイタマではチャメシ・インシデントではあるが、どこにでもあるタチノミバーであえて被害店舗を選ぶ物好きは少なかった。

 

「ニンジャこないね」「ツマミにならねぇな」それでも多少の物好きは存在するし、人口密度の低いタチノミバーを好んで選ぶ趣味人もいたりするものだ。だから、その男もまた酔狂な客の一人だと、姿を見るまでは客も店員も思っていた。

 

「「ラッシャーッセ!」」「ドーモ、フマト……チッ、めんどくせぇ、フラグメントです」男はポケットから何かを出そうとするものの、手首から先が見えないほど袖の長いOD色トレンチコートでは難しいらしく、諦めた様子で手を垂らした。

 

異様な格好の男である。だらしなく前を開いたトレンチコートの隙間から見える「粉」「砕」の二文字がショドーされたシャツが分厚い胸板を覆っている。その上にはケンザンめいた髪型の頭が乗っかり、野太い声がクロスカタナのエンブレムを刻んだメンポから放たれていた。

 

メンポ? そう、メンポだ。ならば、フラグメントとアイサツするこの男は……そう、フラグメントはニンジャに他ならない。それもソウカイニンジャなのだ! 「まさか?」「そんな」恐怖でタチノミバーの空気が凍り付いた。

 

「ニンジャ、ニンジャナンデ! アイェェェ……」強烈なNRSフィードバックによりカウンター店員が崩れ落ちる。その股間はしめやかに濡れていた。表面上繕われていた精神がフラッシュバックで破断してしまったのだ。今の彼はカウンター裏で失禁を続けるだけの、ピスボーイめいた存在となり果てていた。

 

「お、お客さん。ご注文は?」突如カウンター裏に姿を消した同僚を心配しつつ、意を決した給仕店員が、震える愛想笑いで接客を試みる。カウンター店員と違い、彼はアトモスフィア以外のニンジャ存在を感じ取ることはなかった。それにより幸運にも店員業務を続けることが出来たのだ、今日までは。

 

店員たちの狂態を斟酌することなく、フラグメントと名乗ったニンジャは気怠げに給仕店員へ目を向ける。その視線を通して、強烈なニンジャ存在感が給仕店員へと叩きつけられた。「あー、最近ここにニンジャが来なかったか?」「アイェッ!?」

 

返答の代わりに上げた悲鳴に、フラグメントの片目が不愉快の形に歪む。フラグメントは左手で給仕店員の首を掴み、揺さぶり運動を加える。「ニンジャだよ、ニ・ン・ジャ。聞こえてますかぁ?」「アイェェェ……」だが急性NRSにより返答は不可能。舌打ちをこぼし、フラグメントは手を離した。

 

給仕店員が力なく崩れ落ちる……その前にフラグメントは右腕を一閃した! 「イヤーッ!」トレンチコートの隠れた袖口から、ケルベロスめいて残虐な三首フレイルが現れる! 「アバーッ!」顔面、胸骨、鳩尾同時破壊! 給仕店員即死! 

 

「アイェェェ!」「コワイ!」突然の残虐行為と急性NRSにタチノミバー内部はアンコシチューめいたケイオスの坩堝と化した。恐怖の圧力に押され、唯一の出入り口に客が殺到する。「イヤーッ!」だがフラグメントが給仕店員の血にまみれた三首フレイルを投げつけた! 

 

三首フレイルは空中回転しながら結合点を軸にトライアングルボーラに姿を変える! 「アバーッ!?」脱出を図っていた物好きサラリマンに、トライアングルボーラが着弾! 鎖の拘束と分銅の打撃が加えられ、三点破壊で即死する! 逃げ場を失った客は、恐怖の圧力に押しつぶされ、その場で崩れ落ちる。

 

「アイェェェ……」「タスケテ」最早、メキシコライオンに足を折られたガゼル同然だ。後は如何様に食われるのかの違いしかない。「イヤーッ!」BREEAK! その全員に聞こえるように、フラグメントは長机を三首フレイルで破壊! 「「「アイェェェ!」」」悲鳴でタチノミバーが満ちる。

 

全員の視線が自分に集まったことを確認し、フラグメントは口を開いた。「あー、ここにニンジャが来なかったか?」「「「アイェェェ……」」」大半の客は恐怖の声を上げる事しかできない。しかし勇気あるバーコードサラリマンが手を挙げた。「ハイ、先日ニンジャマニアックが店に来ました!」

 

「おー、そいつそいつ!」正解にたどり着けたのかフラグメントが楽しげに頷く。安堵の空気がタチノミバーを満たした。熱いセント・バスタブに浸かったように、怯える客たちの全身が弛緩する。「で、どんな奴だった?」「ハイ、黒い錆色の格好でした! あと……」

 

フレッシュ新入社員めいてバーコードサラリマンはハキハキと質問に答える。「よし、大体判った。もういいな!」「ハイ!」これで恐怖の時間が終わる。誰もがそう思った。それは正しかった。ただし方法が皆の想像とは異なったが。

 

「イヤーッ!」「エッ?……アバーッ!?」バーコードサラリマンは、三首フレイルに三点破壊され、永遠に恐怖から解放された! なんたる残虐行為! バーコードサラリマンにここまでされるいわれは全くない! 「イヤーッ!」「アイェェェ! アバーッ!」だが、それを嘆くものは一人もいない! 

 

「イヤーッ! イヤーッ!」「アバーッ!」「アバーッ!」フラグメントの振るう三首フレイルが次々に客をゴア死体へと変えているためだ。タチノミバーはアビインフェルノめいたジゴクへと成り果てた。残った客は恐慌状態で出入り口へと殺到! 全員が恐怖由来のカジバフォースで必死に押し合う。

 

「ドイテドイテ!」「ヤメテ! アバーッ!?」あまりの圧力に老齢サラリマン死亡! ミンチマシンめいて客の隙間から潰れた死体が押し出される! さらに恐怖に駆られた客は死体を踏みつけ、ミンチ量産! おお、ナムアミダブツ! これも古事記に記されたマッポーの一側面か! 

 

「イヤーッ!」「アバーッ!」だが、彼らの狂乱はすぐに終わりを告げた。客の全員がフラグメントの三首フレイルで皆殺しにされたからだ。「もう居ねぇか」最後の一人を殺し終え、フラグメントは殺戮現場をそのままにグイノミを後にした。ソウカイニンジャと言えどもこれほどの残酷行為は許されるのか? 

 

許されるのだ、それがラオモト=カンの得となる限りは。店内は血臭と静寂で満ちている。グイノミが笑顔で満ちる日は二度とないだろう。血にまみれたトライアングルボーラが、壊れた赤チョウチンを反射して鈍く光っていた。

 

【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#2終わり。#3に続く



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第三話【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#3

【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#3

 

「イヤーッ!」CRAASH! カラテシャウトと共に放たれた跳躍カワラ割パンチが、20枚重ねのハードカワラを一撃で粉砕した。ねぐらにしている廃ビルの三階にシャウトと破壊音が響く。「フーゥ」シンヤは呼吸を整えつつ、合成コットンタオルで汗を拭い、カラテ・ストレッチで全身を伸ばす。

 

後は破片のゴミ掃除して終わりだ。かつてガラス窓であっただろう開口部から、ケミカル臭を帯びた重金属酸性雨が吹き込んできた。ニンジャ耐久力なら悪影響は無いとは言え、心地良いものではない。シンヤはメンポの下の顔をゆがめて、クナイ・スコップで破片を部屋の隅にまとめる。

 

ふと隅の暗がりから、蛍光色の影が現れた。(((皆にムカつきませんか? 周りにイラつきませんか?)))記号的な嘲笑を浮かべて、影はシンヤに誘いかける。「ウルサイ! イヤーッ!」ムカつきで歯を剥いたシンヤはイラつきのままスリケン・ブーメランを投げつけた。

 

弧を描く軌道でスリケン・ブーメランが分断する瞬間、緑に光る影は01の塵に消えて、スリケンだけが壁に突き立つ。盛大な舌打ちを放つと、シンヤは目頭を押さえた。その目には頭巾越しにも判るほど、エスイーめいたクマがくっきりと刻まれている。

 

グイノミで女子学生を保護させてから一週間ほど。状況に変化はなく、事態は悪化の一途をたどっている。シンヤの精神は限界をとうに通り越し、幻覚と幻聴はすでに常態化していた。毎夜、悪夢に叩き起こされては、衝動と幻影から逃れようと意識絶えるまでカラテトレーニングに逃げ込む毎日だ。

 

幻覚と幻聴はいつでもどこでもシンヤに襲いかかる。部屋の暗がりに、瞼の裏に、夢の中に、蛍光緑の笑みを見る。CMソングの背景音声に、雨だれのリズムに、静寂の耳鳴りに、合成音声めいた道化の誘惑を聞く。もはや自分が起きているのか、眠っているのかすら、シンヤには疑わしい。

 

自分はトモダチ園を襲ったあの巨漢ヤクザに殴られたまま失神しているのか、それともネガポジ反転の01笑顔が見せる白昼夢を見ているのか、もしかしてセルフ管理メントに失敗して「ニンジャスレイヤー」の最新話を読みながら寝落ちしてしまっているのか。全ては悪い夢なのか。

 

シンヤは頬を張って、セルフキアイを入れた。もう寝てしまおう。とにかく眠ればある程度体力は回復する。サイケデリック原色の悪夢を見せつけられるとしても、睡眠は睡眠だ。シンヤは耐酸PVCブルーシートとスリケン・ペグで作られたホーボーテントに転がり込んだ。

 

「イヤーッ!」だが、シンヤのヤスラギ時間は、ホーボーテントに投げつけられたトライアングルボーラによって強制終了させられた。「イヤーッ!」シンヤは咄嗟に全身を丸めてトライアングルボーラをかわし、跳躍して崩壊するホーボーテントから飛び出す。「おー、いたいた」

 

バイオアリの巣に水を流して溺れる様を楽しむジュニアスクール生徒めいて、投ボーラ犯は無邪気とも思える声を上げる。片手の三首フレイルを振るい、帰宅中の子供めいて意味のない金属音を立てている。シンヤは、油断無くデント・カラテ防御の構えを取りつつ、下手人を観察する。

 

袖の長過ぎるトレンチコート、「粉」「砕」シャツ、クロスカタナ・エンブレムのメンポ。そう、「キ」「リ」「ス」「テ」四文字とクロスカタナ! すなわちソウカイヤである! 「ドーモ初めまして、カナコ・シンヤ=サン。ソウカイニンジャのフラグメントです。今日はお前をスカウトしに来てやりました」

 

袖口を合わせ、フラグメントはふてぶてしい悪童めいたアイサツをする。しかし、その体軸に一切のブレはなく、オジギ動作は流れるように滑らかだ。確かなカラテの持ち主に他ならない。おそらくは、いや確実にシンヤより強い。

 

(((あれほど手を尽くしても、意味はなかったのか)))そのオジギを見るシンヤの口に苦い絶望の味が広がった。ソウカイヤからのスカウトはすなわち、ソウカイヤのターゲットとなり、シンヤの全てが調べ上げられている事を意味している。もはや逃げ場はないということだ。

 

シンヤの認識と異なり、シンヤの努力は決して無意味ではなかった。ソウル痕跡を最小限に抑え、安易な犯罪を冒さず、姿を表さないシンヤは、噂上の存在でしかなかった。だが、ソウカイヤはシンヤのはるか上を行く。

 

特定地域で急増した死体の数とヨタモノ犯罪の減少、トモダチ園で起きた不審なヤクザ自爆事件、一部地域を中心に語られる黒錆色のオバケ。ダイダロス謹製のソウカイ・ネットワークは、それらの情報を集めニンジャ可能性の数値を押し上げていった。

 

そしてついにタチノミバーで起きたニンジャマニアック強盗未遂事件が最後の藁となり、スカウト部門に属するフラグメントが派遣されたのだった。ヤモト・コキのように驚異の幸運に恵まれるか、ネザークィーンのようにスゴイ級の交渉能力を持つかしなければ、最早とれる道は二つしかない。

 

ラオモト=カンに服従し、ソウカイヤの一員となって悪逆非道の片棒を担ぐか。さもなくば、ソウカイヤとの敵対の末に残酷無比の死を叩きつけられるか。赤錆めいたメンポの奥の表情が歪む。一度でも悪行に手を染めれば、蛍光オバケの誘惑に逆らえるはずもない。それは人間であろうとするシンヤの死だ。

 

しかしソウカイヤにニュービニンジャが逆らって自由を得る未来などまずありはしない。アイサツから判るように、フラグメントも優れたカラテ戦士の一人だ。スカウトを断れば最後、一方的にカラテ殺されて、無惨な最期を迎えるに違いない。「あーあーあー、アイサツはどーしたよ? 聞こえてますかぁ?」

 

返答の無いまま思考を回していたシンヤに、イラついた声でフラグメントがアイサツを催促する。アイサツを返さないのはトテモ・シツレイだ! シンヤは急ぎ合掌とオジギをした。「ドーモ、初めましてフラグメント=サン、カナコ・シンヤです」「おー、情報通り。まだニンジャネームもねぇんだな」

 

途端にヘラヘラと気の抜けたアトモスフィアをフラグメントは放つ。再び意味なく両手の三首フレイルをジャラジャラ鳴らす。(((両手?)))そう、フラグメントは両手に三首フレイルを持っている。シンヤの背筋に冷たい汗が流れた。大急ぎで思考を回していたとは言え、シンヤに油断はなかった。

 

それにも関わらずフラグメントは二本目の三首フレイルを、仮にもニンジャのシンヤに気付かせないように抜いて見せたのだ。なんたる手練れか!? それだけではない。油断しきったように見えながらも、その足捌き、シンヤとの位置取り、重心の置き方、全てに隙がない。

 

小馬鹿にした態度と隙のない体勢を崩さずに、フラグメントはフレイルを肩に掛けシンヤに背中を向ける。「あー、ユウジョウ園だっけ? ゴミみたいな孤児院行く手間が省けてよかったよかった」シンヤの想像通り、ソウカイヤはシンヤに関わる悉くを調べ上げていた。だが望外の幸運もあった。

 

少なくとも、暴虐たるニンジャ性を隠そうともしないフラグメントが、トモダチ園に手を出してはいないということは確かだ。しかし、トモダチ園が今後とも無事かは不明だ。(((誘惑に負けるかもしれなくとも、邪悪に染まるとしても、トモダチ園は守らねば)))シンヤは一人覚悟を固め、構えを解いた。

 

「あー、ところで、ソウカイヤに入れるラッキーなシンヤ=サンは、スカウトしてくださった俺に相応のお礼をすべきじゃないかね?」上半身だけ振り向いたフラグメントは、メンポ越しにも判る下卑た表情で、フレイルを持った片手を差し出す。シンヤがスカウトを断ることなど、欠片も想像していない。

 

「ハイヨロコンデー。何がお望みですか」感情を押し殺し、シンヤは直立不動の姿勢をとる。できうる限りゴキゲンを取り、トモダチ園に手をかける可能性を減らすのだ。だが、その可能性は即座に100となった。「そうだな。あー、ナカヨシ園だったか? そこにモータル女いたな。あれ前後させろよ」

 

間断無き幻覚との戦いで焦げついた、シンヤのカンニンブクロに火がついた。暗黒なエネルギが腹の底で煮えたぎる。「なんだ、その目つき。お前の女? そーいうのを先輩に譲るのがネンコってもんだろ」シンヤのアトモスフィアが変化したことに気づき、フラグメントが苛立たしく首を傾げる。

 

「あー、別に殺しはしねぇよ。まぁ、俺の前後テクでシンヤ=サンじゃ満足できなくなっちまうかもなぁ、ヒヒヒ」上半身を戻しつつ下品な笑い声をあげるフラグメント。「イヤーッ!」その背中にシンヤの低空弾道ケリ・キックが襲いかかる! 

 

「イヤーッ!」しかし、フラグメントに油断はない! ブリッジ動作で容易く回避すると同時に、上下反転メイアルーアジコンパジッソをシンヤに叩き込む。「グワーッ!」ガードの上から脇腹を強打され、シンヤは床に落着。即座にワーム・ムーブメントで隙を消しつつ、畳五枚分の離れた間合いを取る。

 

(((想像以上に強い!)))強く痛む脇腹を無視して、シンヤはデント・カラテ基本の構えを取る。回避と反撃は想定していた。しかし、ガード越しでこの威力とは! カラテにおいては確実にフラグメントが上を行く。シンヤの手札は、劣るカラテ、『過去』の知識、ユニークジツ。それだけだ。勝てるのか?

 

「おーおーおー、折角のスカウトを頭のわるーいシンヤ=サンは、モータル女前後一回でドブに捨てちゃうのかー、そうかそうか」両手をだらりと垂らし、嘗めきった態度でシンヤを小馬鹿にするフラグメント。次の瞬間、放つアトモスフィアはカラテ戦士のそれに変わった。「じゃあ死ねよ」

 

「イヤーッ!」フラグメントの両手からトライアングルボーラ二連射! 「イヤーッ!」シンヤはスリケン速射で迎撃を試みる。だが、トライアングルボーラの質量大きく、軌道変わらず! 「イヤーッ!」シンヤはダッキングによりトライアングルボーラを回避する。

 

その隙にフラグメントが接近し、片手を振りかぶる。距離はまだ遠い。しかし、シンヤはニンジャ第六感で側転による回避を選択。それは正解だった。「イヤーッ!」振り下ろした片手から二首ロングフレイルが飛び出て、シンヤのいた空間をえぐり取る! 三首フレイルの倍の長さだ! 

 

そう、フラグメントの武装『ミジン分銅』は、遠中近全領域対応の恐るべきニンジャギアなのだ! 畳二枚分の距離でフラグメントは片手に二首ロングフレイル、逆の手に三首フレイルを左右非対称に構えた。「あー、お前と違って俺も忙しいからさ。ちゃっちゃと死んでくんない? 前後はその後にやるからさ」

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」フラグメントの挑発にシンヤはスリケン連射で答えた。スリケン・ブーメランが鋭角の軌道で後方から、スリケン・トマホークが直線の軌道で正面から、スリケン・チャクラムが円弧の軌道で側面から襲いかかる。三重改造スリケン同時攻撃で逃げ場がない! 

 

「イヤーッ!」だがフラグメントのカラテはシンヤを超えるのだ! ヌンチャクワークめいた二首ロングフレイル振り回しでスリケン・チャクラム反射! シンヤに向かってのダッシュでスリケン・ブーメラン回避! 三首フレイル全力振り下ろしでスリケン・トマホーク破壊! 一切無傷でシンヤに迫る! 

 

それを見るシンヤに焦りはない。先の手合わせでカラテ実力差は理解させられた。この程度で倒れる相手ではない。故に次の手がある! 「イヤーッ!」シンヤの両手間に長大なクナイ・スピアが生成される。ニューロン負荷を無視した長大物急生成の反動で両目から血涙が流れた。だが委細構わず! 

 

「イヤーッ!」即席クナイ・スピアでシンヤはヤリ・ドーの突きを放つ。フレイルはニンジャ慣性の法則で棒状の物体には絡みついてしまうため、長物相手の防御には不向きだ。しかもスリケン・ブーメランは未だ飛行中。下手にクナイ・スピアを回避すればそれが当たるか体勢を崩すだろう。

 

これぞ隙を生じぬ二段構えだ! 「イヤーッ!」だが、その上を行くのがフラグメントのカラテなのだ。シンヤの突き出したクナイ・スピアは空中で停止した。何らかのジツか? 否! 片側から二本の、逆側から三本のフレイルを絡みつかせて、フラグメントはクナイ・スピアを完全固定したのだ。ワザマエ! 

 

「ナニーッ!?」完全に想定を越えたワザマエに、一瞬シンヤの動きが止まる。すぐさまクナイ・スピアを手放すが、フラグメントが両手のフレイルを手放す方が早い! 「イヤーッ!」「グワーッ!」丸太めいた回転ケリ・キックがシンヤの脇腹にめり込む! 同一箇所のためダメージ倍点! 

 

脇腹をかばいながらのワーム・ムーブメントで、シンヤは間合いを取りつつ立ち上がろうとする。それをフラグメントの投げたトライアングルボーラが腹部着弾して阻止する! 「グワーッ!」同一箇所ではないがダメージ大! 「イヤーッ!」その隙にフラグメントが接近し、二首ロングフレイルを振り下ろす! 

 

「イヤーッ!」シンヤが反射的にロングフレイルの鎖を蹴り上げる。ウカツ! これではニンジャ慣性の法則に従い、分銅が足に絡みついて粉砕されてしまう! だが幸運の女神はシンヤに微笑んだ。「チィーッ!」シンヤは寝転がり体勢だったため、絡みつき過程で分銅が床に着弾! ダメージなし! 

 

しかし足に分銅が絡みついていることに変わりはない! 「イヤーッ!」マグロ一本釣りめいてシンヤが釣り上げられる。しかしシンヤはマグロではない! カラテパンチ! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」フラグメントはカラテパンチを容易く片手防御する。地に足が着いていないデント・カラテでは弱い! 

 

巨漢ヤクザを相手取ったときと何も変わらない。ましてや相手はニンジャなのだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」鋭いヤクザ・キックがシンヤの鳩尾にめり込む。アメリカンクラッカーめいた円弧軌道で吹き飛ぶシンヤ。

 

「イヤーッ!」即座にフラグメントが吹き飛ぶシンヤをマグロ一本釣りの要領で引き寄せる。フィッシング! 「イヤーッ!」「オボボーッ!」鈍い膝蹴りがシンヤの鳩尾にめり込む。昼のマキモノ・スシ(納豆味)を嘔吐する。アメリカンクラッカーめいた円弧軌道で再度吹き飛ぶシンヤ! 

 

「イヤーッ!」即座にフラグメントが吹き飛ぶシンヤをマグロ一本釣りの要領で引き寄せる。フィッシング! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」重い回転ケリ・キックをシンヤはガード! 「ヌゥーッ!」不十分なガードでダメージが通るが、シンヤは無視してクナイ・ダートを顔面めがけ投げつける。

 

「チィーッ!」フラグメントの両手は二首ロングフレイルを握り、片足は回転ケリ・キックに使用中だ。体勢不十分! 「イヤーッ!」フラグメントはフレイルを手放し、クナイ・ダートをブリッジ回避する。だが一瞬遅く、目尻をクナイが掠めた。「ヌゥーッ!」一滴の血が流れ落ち、目が怒りで血走る! 

 

「イヤーッ!」解放されたシンヤは連続タイドー・バックフリップで間合いを計る。畳五枚分の距離を取り、位置関係も最初と同じ。だが状況は大きく違う。シンヤは腹部中心に複数の打撃を受けダメージ大。一方のフラグメントは目尻の小さな切り傷のみ。カラテの差が明確な差として現れたのだ。

 

(((ブッダム! 勝てない!)))メンポの裏の歯を軋ませながら、シンヤは最悪の確信を得る。モータル時代に多少のカラテトレーニングを積んだとはいえ、所詮シンヤはヨタモノを殺すしかしてないニュービー・サンシタ。幾多のイクサをくぐり抜けた、本物のニンジャのカラテには圧倒的に役者が不足! 

 

現在の状況と実力では勝ち様はない。このまま行けばフレイルでネギトロ死体となるのは確実な未来だ。そしてその後にフラグメントの手で、トモダチ園がジゴクとなるのもまた確実。ならばどうする? 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」シンヤはスリケン連射を選んだ。通常のスリケンに加えてスリケン・ブーメラン、トマホーク、チャクラム。さらにクナイ・ダートにクナイ・ジャベリンも追加だ! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」だが、その程度でフラグメントが怯む訳はない! 

 

先の焼き直しめいて、チャクラムとダートをフレイルで反射し、トマホークとジャベリンを振り下ろしで破壊し、通常スリケンとブーメランを前進で回避する。手数が増えた分多少の時間が稼げたが、それ以外に違いはない。シンヤにとってはそれで良かった。それこそが目的なのだ。

 

「イヤーッ!」シンヤは連続タイドー・バックフリップで隙を消しつつ、廃ビルからの退避を試みる。「スッゾコラーッ!」怒りで両目を赤く染めたフラグメントが、逃げようとするシンヤへと恐ろしげなヤクザスラングをぶつける。だが連射されたスリケンの処理に手間取り、接近が遅れている! 

 

その隙にシンヤは元ガラス窓であった開口部へと接近に成功。後はここから飛び降りるだけだ。(((逃げきれるか!?)))「イヤーッ!」「グワーッ!?」シンヤの甘い考えは、腰に絡みついたトライアングルボーラで破壊された。腹部、鳩尾、背部の三点打撃でダメージ重大! 背部肋骨も破壊! 

 

当然、投擲者はフラグメントだ。走り寄る彼の肩口にはスリケンが複数突き立っている。迎撃より攻撃を優先した結果だ。「シネッコラーッ!」二首ロングフレイルを振り抜く! 「イヤーッ!」だが、シンヤが自ら転がり落ちる方が僅かに早かった。砕けたコンクリ片と共にシンヤは宙へ身を投げた。

 

【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#3終わり。#4に続く



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第三話【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#4

【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】#4

 

「シネッコラーッ!」フラグメントのヤクザスラングと共に、致命の速度で二首ロングフレイルが迫る。その接触半瞬前にシンヤは重心を元ガラス窓の開口部から虚空へと投げ出した。「イヤーッ!」フレイルで砕けた無数のコンクリ片が、その背中に重金属酸性雨と共に打ち付ける。

 

一瞬の浮遊感覚がシンヤを包んだ。モータルならば次の瞬間、耐酸アスファルトと熱烈な口づけを交わして、天に昇る心地を永遠に味わうこととなる。だが、ニンジャにはその一瞬で十分だ。廃ビルの三階から飛び出したシンヤは、二階の破れ窓に指先を引っかけて減速。一階の軒先を蹴り、さらに減速。

 

最後にホッピングめいた全間接衝撃吸収により無傷で着地! 「ヌゥーッ!」否、イクサのダメージは重篤だ。サンシタ・ニュービーでも容易いパルクール動作ですら、強烈な痛みを伴う。だが、ニューロンを焼く痛みのシグナルを無視して、シンヤはシャッターだらけの寂れた繁華街を駆けだした。

 

ニンジャが走る姿など見た日には、急性NRS患者で繁華街が埋まるだろうが、幸いこのシナガワ繁華街には人一人いない。それもそのはず、数ヶ月後にはウットコ建設のシナガワリボーンプロジェクトにより、解体が決定されているからだ。

 

江戸時代には道の駅として、近代に入っては歴史ある旅行者向け歓楽街として賑わっていた。だが現在、ウットコ建設出資で隣に建設されたニューシナガワに、客のほとんどを奪われたシナガワ繁華街は見る影もなく寂れ、ついには解体されることとなったのだ。

 

街灯だけに照らされた解体予定のシャッター街を、黒錆色の風が走る。「イヤーッ!」その背後から無数のトライアングルボーラが迫る。それを放つのは、廃ビル三階から飛び出して、繁華街のネオン看板上を疾走するフラグメントだ。

 

「イヤーッ!」シンヤはジグザグ走行でトライアングルボーラを回避! だがその分移動距離は増加し、消灯ネオン看板間を跳ぶフラグメントが距離を詰める。「イヤーッ! イヤーッ!」さらなるトライアングルボーラを連射だ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ!」シンヤはトライアングルボーラをパルクール三角跳びで回避しつつ、苦痛を堪えてさらに加速。スリケンで迎撃するには質量が足らない。迎撃可能な大型スリケンを生産するには時間が足らない。しかし、回避動作を繰り返すには距離が足らない。

 

このままではジリープア(徐々に不利)だ! 無論、シンヤも無策で逃げ回っていたわけではない。目標としていた『ヤサイ800』『おいしいカキ(客を食いません)』表示のシャッターが見えた。かつてバイオ青果商店であったこの店の地下には、大型カキ冷凍倉庫が設置されている。

 

倉庫は染み入った重金属酸性雨により密閉を失って久しく、シンヤのねぐら候補からは外されている。だが探索時に、重金属酸性雨の浸食でその一部が廃棄地下下水道に接続していることを発見していた。それを通じて大規模繁華街ニューブリッジ地区へと脱出する経路も、同時に確認済みだった。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」先手を打ってシンヤは先ほど同様に各種スリケンとクナイを連射し、フラグメントの足止めを図る。「イヤーッ!」フラグメントも再現VTRめいてスリケン迎撃を行った。

 

「イヤーッ!」その姿を背景に、低空弾道跳躍カラテパンチで『ヤサイ800』シャッターを破砕して、シンヤが店内へ飛び込んだ。「イヤーッ!」さらに腐ったバイオ木材床へとカワラ割りパンチをたたき込む。地下倉庫の天井が抜けた。後は地下倉庫から廃棄地下下水道へと逃げ込むだけ。

 

スリケン連射で稼いだ時間にはまだ余裕があるはず。しかし、ニンジャに同じ手段は通用しない! 「イヤーッ!」「グワーッ!?」背中に二首ロングフレイル打撃! シンヤは先のスリケン迎撃を元に足止め時間を計算した。だが、フラグメントのニンジャ対応力を計算していなかったのだ! ウカツ! 

 

「チョロチョロ逃げ回りやがって! イヤーッ!」血走った目で両手の二首ロングフレイルを振り回しながら、フラグメントが襲いかかる! シンヤは回避を試みるが、店内は狭い。二刀流クナイ・ソードを即席生成して迎撃! 「イヤーッ!」両手斬り付けで二首ロングフレイル先端迎撃に成功する! 

 

「イヤーッ!」即座に次の二首ロングフレイルが迫る。シンヤは再びの迎撃を試みる。だが、二首ロングフレイルが即席生成二刀流クナイ・ソードを破壊する! 強度が不足だ! シンヤの胸部と鳩尾に強烈な打撃が加えられる! 「アバーッ!」同一箇所のためダメージが倍点! 胸骨も破壊! 

 

吹き飛ばされたシンヤは、店奥の壁に叩きつけられる。「アバッ」折れた背部肋骨からの激痛に叫ぶ力すらなく崩れ落ちた。度重なるカラテダメージ、初の対ニンジャ戦闘、ニューロン負荷無視のジツ連続行使。シンヤの全身は限界を迎えつつあった。

 

「ハァーッ、ハァーッ」自分の荒い呼吸も、壁向こうから漏れるニューシナガワの喧噪も掠れて聞こえる。(((俺はここで死ぬのか?)))人を外れニンジャとなり果て、トモダチ園の皆を傷つけて、ヨタモノやヤクザとは言え何人も殺した。インガオホー。死ぬべきなのか。

 

ヒノ、オールドセンセイ、ゲンタロ、トモダチ園の皆、キヨミ。ソーマトリコールめいて脳裏を無数の顔が過ぎる。(((もう一度、もう一度会いたい!)))胸のオマモリ・タリズマンが幻の熱を発した。両目から熱い涙を流しながら、縋るように握りしめる。

 

(((死ねない、死なない、生きる、生きてやる!)))絶望を拒否し意志を振り絞り、シンヤはソウルを奮い立たせる。だが、フラグメントという名の死は目の前に迫っていた。「シネッコラーッ!」死を命じるヤクザスラングと共に三首フレイルが全力で振るわれる。ニンジャをネギトロに変える威力だ! 

 

それはつまり、廃屋の腐った壁を破壊できる威力でもある! そして、その向こうのニューシナガワへ脱出できるだけの! 「イヤーッ!」シンヤは両目から血を流し、ニューロンを焼く覚悟でジツを無理矢理発動した。クナイ・フレームワークで骨組みを、スリケン・チェーンメイルで装甲を作る。

 

可能不可能など知らない。これでフレイル打撃に耐える。耐えるのだ! 無我夢中で放ったジツはシンヤの想定を超えていた。フレイルが迫り、黒錆色の影が数倍に膨れ上がる。CRAAASH! 薄っぺらなバイオ青果商店の壁面が、粉微塵に砕けた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ラッシャイ!」「チーズ!」「これカワイイ!」静寂と陰鬱が支配するシナガワ元繁華街から壁一つ隔て、ニューシナガワ繁華街は猥雑な活気と享楽な群衆で満ちている。ニューシナガワ入口にはウットコ建設謹製の不夜城『ニューシナガワ丘ビル』がそびえ立ち、無数のネオン光で客を引き寄せる。

 

シナガワ繁華街に蓋をした絢爛なるランドマークは、踏みにじった宿場町の存在など素知らぬ様だ。それどころかリボーンプロジェクトの美名の元、その死肉を貪ってさらなる輝きを得るだろう。歴史を舗装し伝統を踏台に、虚飾と虚栄をギラつく欲望で投影する。ネオサイタマのチャメシ・インシデントだ。

 

そのニューシナガワの片隅に小さな空き地がある。老オイラン厚化粧の剥がれ跡めいて、くっきりと目立つ汚れた空白。近く新築ビルで埋まるだろう空間からは、屍めいたシナガワ繁華街の背中が垣間見えていた。誰もが無意識に目を背けるそこに、合成ゴムマリめいた黒錆色の球体が破砕音と共に転がり出た。

 

「ナンダナンダ!」「ワッザ!?」突然の轟音と巻き上がる粉塵、転がる異様な球体に、群衆でごった返したニューシナガワがケオティックな騒々しさに満ちる。違法オイランパブ客引きやガイジン観光客が、異様な球体を遠巻きに見つめる。

 

粉塵のカーテンの奥で、球体のシルエットは空気漏れしたタイヤめいてひしゃげて潰れ、ついには形を失った。そこに居たのは、傷だらけで横たわるハイスクール生らしき少年。そう、ニンジャ装束も何もないシンヤだ。

 

シンヤが無我夢中で放ったジツは、スリケンとクナイのみならずニンジャ装束をも増幅生成し、エアバックめいてシンヤをフレイル打撃から守ったのだ。だがシンヤには最早ニンジャ装束を再生成する力はなく、砕けたスリケン・チェーンメイルを握りしめ、震えながら立ち上がるのがやっとだ。

 

「オ、オイ! アンタ、ダイジョブか?」「ウウッ」勇気とやさしみを持った客引きが空き地へと踏み入り、生まれたての子鹿めいてふらつくシンヤを心配げに揺する。シンヤが目を僅かに開くと、目尻から血涙の滴がこぼれ落ちた。「誰か手を貸してくれ!」「とにかく病院だ!」

 

客引きの行動に感化されたのか、新人サラリマンが客引きと共同でシンヤの肩を支え、若い観光客がIRC端末で救急車を手配する。無関係の人間が義憤と慈悲で、倒れる人に手を差し伸べる。なんと奥ゆかしい姿か! だが、それが彼らの寿命を縮めた。

 

粉塵の中、シンヤが転がり出た大穴からフラグメントが歩み出た。その顔は憤怒でオニめいて赤く染まっている。「アンタも怪我してるのか? 救急車はすぐに……アイェッ!?」人影に気づいた観光客が呼びかけるも、露わになったフラグメントの姿に急性NRSを発症。腰を抜かして崩れ落ちた。

 

シンヤを見つけたフラグメントはフレイルを鳴らしながら、怒りの形相で近づく。その血走った目に腰を抜かした観光客が写った。「ドケッテンダコラーッ!」「アバーッ!?」三首フレイルで観光客頭蓋炸裂! 「アイェェェッ!」その光景に義侠心も吹き飛んだのか、新人サラリマンが逃げ出す。

 

その姿がフラグメントのカンに障った。「スッゾコラーッ!」「アバーッ!?」トライアングルボーラでサラリマン内蔵破裂! 恐怖のヤクザスラングと共に、次々に死がまき散らされる。「タスケテ!」「ヤメテ!」「アバーッ!」真新しいニューシナガワは、新鮮なマグロ撲殺死体の並ぶツキジと化した。

 

「アイェェェ!」「ニンジャナンデ!」加えて怒り狂うニンジャ存在で急性NRSが集団発症! 最早アビ・インフェルノを描いたジゴク絵図だ! 逃げまどう群衆を二首ロングフレイルで吹き飛ばし、へたり込んだ人々を三首フレイルで殴り殺し、怒り狂ったフラグメントはシンヤへと近づく。

 

「アイェェェ……タスケテ」急性NRSで客引きはしめやかに失禁しながら崩れ落ちる。シンヤを支える手から力が失われた。「ウウッ」支えを失ったシンヤはタタラを踏み、ふらつきながら必死にバランスを保つ。血に染まったフレイルを掲げたフラグメントが霞む視界に写る。

 

ハラワタが煮えたぎったフラグメントは、ゴア死体どころかネギトロを通り越し、液体となるまでシンヤをフレイル殴打するだろう。(((死ね……ない、死な……ない)))アンコシチュー以上に混沌とする思考の中、シンヤは僅かな意識をかき集めて地面を踏みしめる。

 

繁華街のネオンに照らされるシンヤを影が覆った。頭上で二首ロングフレイルを回転加速させるフラグメントだ。(((生……きる、生き……て、や、る!)))オマモリ・タリズマンが発する実在しない熱が、死にかけたシンヤを突き動かした。ニンジャアドレナリンが血中に溢れ、時間が粘性を帯びる。

 

「イヤーッ!」絞り出したシャウトと共に不完全なスリケンが手から放たれた! だが、余りにも遅い。モータルですら見える投擲物が、ニンジャに当たるなどあり得ない。ネオサイタマを青空が覆う方がまだ可能性がある。カラテシャウトすらなくフレイル回転角度を調節し、生成不十分のスリケンを弾いた。

 

ガラスめいて砕け散るスリケン。それこそがシンヤの狙いだった。「グワーッ!?」片目を抑えたフラグメントの叫び声が響く! 目を押さえる手の隙間から血が流れ落ちた。何が起きたのか? ニンジャ動体視力の持ち主でも視認不可能な異常事態だ! だが、犯罪抑止監視カメラは全てを捕らえていた。

 

シンヤはまず、不完全なスリケンをモータルでも視認可能な低速で投げた。その速度故にフラグメントを含め、全ての者がそれを見た。そして即座にスリケン破片を手首のスナップのみで投げたのである。低速スリケンと完全な同一軌道で、二首ロングフレイルが破砕する瞬間に追い抜く速度とタイミングで。

 

そしてフラグメントは先に投げられた不完全な低速スリケンを目視して破壊した。それ故に低速スリケンに目を慣らしたフラグメントは、ほんの一瞬高速のスリケン破片に気付くのが遅れたのだ。加えて破砕された低速スリケンの欠片が、スリケン破片を迷彩する。

 

しかも、フレイルはニンジャ慣性力に従うため、僅かに肉体の動作に遅れる。ニンジャ動体視力の持ち主でも、いやだからこそ見抜けない多重の罠だ。それにかかったフラグメントは防御に失敗し、スリケン破片に片目を切り裂かれたのだ。シンヤの恐るべき執念が生んだ作戦の戦果である! ゴウランガ! 

 

「テェメッッッコラァァァ!」だが悲しいかな、それがシンヤの限界でもあった。片目を奪われたとは言え、フラグメントにそれ以外のダメージと呼べるダメージはない。むしろ怒りの火炎にナパームを注ぐ結果に終わった。片目以外の成果は精々、数十秒時間を稼げただけ。それがシンヤの命を救った。

 

BEEP! BEEP! 異様な電子音がフラグメントの懐から響く。これはソウカイヤ専用IRC端末の呼び出し音、それもトコロザワピラーからの緊急呼び出しを意味している! 血が上りきったフラグメントの顔から一気に血の気が引いた。

 

赤から青へと顔色を一瞬で変えたフラグメントは、シンヤとIRC端末との間で視線を前後させる。このサンシタを手早く殺して呼び出しに答えられればいいが、こいつはカラテ弱者のくせに驚くほど手こずらせる。一秒でも早く緊急呼び出しに答えなければならないのに、また時間を稼がれたらどうなるか。

 

さらにニューシナガワ繁華街にも当然、犯罪抑止監視カメラは存在している。それは、カメラを通してダイダロス=サンに現在も監視されているということだ。自分の片目を奪ったサンシタを生かしておくなど許されない。しかし、ソウカイヤ中枢からの緊急呼び出しを無視することは絶対に許されない。

 

まず殺すべきか。呼び出しに出るべきか。フラグメントの脳裏に二つの言葉が明滅する。フラグメントの思考は数秒間その二つに占められていた。ニンジャのイクサにおいて、隙と言うには大きすぎる、数秒もの時間。それは打ち据えられ弱り切ったシンヤであっても、十分以上な時間であった。

 

「イヤーッ!」これで最後だ。最後だから、後少しだけ持ってくれ! 祈るような心地で歯を食いしばり、シンヤはオマモリ・タリズマンを握りしめてジツを発動した。黒錆色の装束が膨れ上がる。だが、それは発酵不足のイーストブレッドめいて、不十分なサイズで拡大を停止した。

 

「ヌゥーッ!」全ての血液が一気に失われたような強烈な喪失感と、脳髄に煮えたぎる重油を注がれたような激烈な灼熱感が、シンヤのニューロンに襲いかかる。シンヤの集中が崩れると同時に、膨張した黒錆色の装束が形を崩し始めた。「スッゾコラーッ!」フラグメントが三首フレイルを振り上げる。

 

シンヤはそれを奇貨とした。「イヤーッ!」カラテシャウトと共にシンヤは全力回転ケリ・キック! 崩壊する装束が無数の糸屑となり、繁華街を霧めいて覆い尽くす。「テメッドコッラー!」目の前を黒錆色の霧に覆われ、フラグメントは反射的にフレイルを振り回した。

 

ニンジャのカラテで振るわれた分銅が衝撃波をまき散らす。強烈なソニックブームに吹き飛ばされ、黒錆色の霧は一瞬で消え去った、それもシンヤごと。フラグメントは血走った両目を急ぎ動かす。だが、視界にあるのは赤黒く染まった自作のゴア死体ばかり。黒錆色はどこにもない。

 

BEEP! BEEP! 未だフラグメントの懐からは緊急呼び出し音が鳴り響き続けている。これで優に数十秒は緊急呼び出しを無視した事となる。顔色が赤、白、土気色とバイオアジサイめいて絶望に変色する。震える手を懐へ差し込み、自分のIRC端末を取り出した。「……モシモシ?」

 

【ニンジャ・ストライク・ニンジャ】終わり



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第四話【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#1

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#1

 

ネオサイタマで路地裏と言えば、悪徳とマッポーの代名詞である。しかし、場所変われば品物変わる。例えばここ、ドヤ・ストリートの裏路地は、表通りよりも安全で人情味がある。かつてボディサットバの化身と謳われたあるボンズが、命を懸けて人々の悪心を鎮めたからだと言われている。

 

「ハァーッ、ハァーッ」そして今、シンヤはドヤ・ストリートの裏路地を、這いずるように足を引きずりながら歩いていた。肺の中に赤熱する炭屑を押し込まれたと、錯覚するほどの痛みと熱感が胸を内側から焦がしている。壁にもたれ掛からなければ体重を支えることすら難しい。

 

カラテ骨折の肺腑を焼き焦がす痛みと、ニューロン酷使の頭蓋をこじ開ける痛み。二重の激痛がシンヤの混濁する思考をさらに痛めつける。もはや自分が何処にいるのか、今が何時なのかすら不明瞭だ。調理中のアンコシチューめいて全てが煮崩れる中、ただ安全圏を求めてシンヤはさまよっていた。

 

(((■■、もう遅いからいい加減早く寝なさい)))カンテンプディングめいて柔らかく揺らめく現実に、過去の幻覚が上書きされる。(((お願いだから自分を傷つけるような真似はヤメテ)))いや、これは過去なのだろうか? 自分が見ている現実こそ幻覚ではないのだろうか。シンヤには区別が付かない。

 

(((皆にムカつきませんか? 周りにハラ立ちませんか?)))蛍光緑の誘惑に拒否する気力も、応える精神力も既に失せている。ただ倒れないためだけに、自転車めいてひたすら足を動かしづける。「ハァーッ、ハァーッ」どれだけの時間が過ぎたのだろうか。どれだけの距離を歩いたのだろうか。

 

「グワーッ!?」唐突にシンヤの歩みは停止した。黒い固まりに引きずる足を取られてバランスを崩し、立て直すこともできずに倒れたのだ。砕けた肋骨が激痛を叫び散らす。だが、幸運にもこれ以上の怪我はなかった。倒れ込んだ先の黒い固まりが、意外な柔らかさを持ってシンヤを受け止めたからだ。

 

「ウウッ」呻きながら身を起こせば、足を引っかけた黒い固まりが中身の詰まったゴミ袋であると見て取れた。それだけならネオサイタマ中にあるだろうが、一つの建物を埋めるほどの数のゴミ袋はそうはない。その隙間から重厚にショドーされた看板が垣間見えた。シンヤが霞む目を凝らす。

 

分厚い一枚板に達筆な「大徳寺」のエンシェント・カンジが刻まれている。オーガニック木材に確かなワザマエでショドーされた高級品だ。かつてはこの地で数多くの信徒の心を救っていた名残だろう。だが今はゴミの山に飲み込まれ哀れな姿を晒している。ショッギョ・ムッジョの響きが聞こえてきそうだ。

 

「ダイトク、テンプル? 痛っ!?」独り言を呟くだけで骨折したあばら骨が激痛で存在を主張する。肋骨の折れた背中を壁に付けないように注意しつつ、壁に手を付いて腰を下ろした。「ハーッ」安堵の息とともに、シンヤの意識が緩やかに薄まっていく。眠りの柔らかな誘惑がシンヤを包んだ。

 

(((休みたい。でも、安全な場所まで行かなければ)))灼熱の痛み以上にヤスラギを求める心が立ち上がる障害だった。疲れ切った体も心も休憩を切望している。このまま眠ってしまえば楽になれるだろう。だが、人通りの少ない裏路地には相応の危険がある。

 

ヨタモノ、重金属酸性雨、バイオ害獣。ニンジャとなったシンヤならベイビーサブミッションで処理可能だったが、重傷を負い消耗しきった今は別だ。「ヌゥーッ!」胸のオマモリ・タリズマンを握りしめて、シンヤは壁を掴み立ち上がった。途端に、これ以上動くなとニューロンを苦痛が走り抜ける。

 

(((少しだけだ、あと少しだけなんだ)))二度も騙されるものかと肉体が痛みという叫び声をあげるが、シンヤは歯を食いしばって耐える。死をそのまま受け入れるのなら、フラグメントに殺されればよかった。だが、シンヤは理不尽な死を拒否した。死なない、生きてやる。そう決めたのだ。

 

重傷の体で足を引きずり、バランスも保てずにユーレイめいてふらつきながら廃寺ダイトク・テンプルの中を目指す。ブッダの慈悲がほんの少しでも自分に向いてくれることをシンヤは祈った。ブッダが運命を左右する力などないと知りながらも、祈らずにはいられなかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

お堂の巨大な空間すらゴミの大軍団は覆い尽くしかけていた。悪徳の排泄物たるゴミが神聖であったろう寺社を飲み干す光景は、福音カルティストが唄うハルマゲドンめいている。「ここなら……」だが、シンヤに感傷を味わう余裕などない。脳裏に浮かぶのは精々、何処が身を隠し易いか程度である。

 

「ハーァ」ようやっと落ち着けるとシンヤは全身の力を抜き、太い柱に手を付いて腰を下ろした。再度の睡魔を、今度は拒否することなく受け入れる。睡眠でどの程度傷は癒えるのか。休んだ後はどうするのか。ソウカイヤはどう動くのか。無数の思考が泡めいて浮かぶも眠気に溶けて直ぐに消える。

 

「フーム、頭の黒いネコが迷い入ったか?」その耳に面白がるような笑い混じりの声が届いた。「イヤーッ」ニンジャ条件反射で回転ジャンプで音源から距離を取りつつ、デント・カラテ防御の構えを取る。「ヌ、ウゥーッ」だが、それだけでシンヤは残りの力を使い果たしかけていた。

 

膝から力が抜け、足が震える。立つことも難しくシンヤは片膝を突いた。ダメージは重篤という言葉を当の昔に通り過ぎている。相手がヨタモノでも勝機は薄いだろう。脂汗に混じって背中に冷たい汗が流れた。無意味と知りながら、荒い呼吸と共に上半身だけで構えを取る。

 

音源はブッダアイドルの居場所、ブッダ像を安置するお堂上座中央だ。しかし、一段高くなったそこにも無数のゴミ袋が積まれており、ブッダ像の姿は見えない。壁の隙間から入り込む街灯に照らされる黒色ゴミ袋が一瞬人影に見えた。そのゴミ袋が形を変える。墨色のカーシャローブをまとった人間であった。

 

しかし、ボンズというには少々毛が多い。頭は無精ヒゲめいた不揃いな短髪で覆われ、顎と唇にその無精ヒゲがまとわりついている。ボンズと言うよりはボンズ擬きの浮浪者だろうか。少なくともハックアンドスラッシュで日銭を稼ぐ強盗や、ファックアンドサヨナラを狙う前後殺人犯には見えない。

 

シンヤは油断無く構えを維持しながら観察を続ける。ボンズ擬きは顎の無精ヒゲをいじくりながら、その姿をニヤニヤと笑いながら眺める。「カーッカッカッカッカッ! ネズミを恐れるネコとは珍しい!」不意に喉を鳴らして笑いをこぼすと、それは直ぐに大笑へと変わった。

 

(((ニンジャであることを見抜いた!?)))確かにNRSは発症していない。可能性は大だ。シンヤは警戒のレベルを上げた。だが、上げたところで何かできるわけでもない。今のシンヤにはこのお堂から脱出することすら難しい。「アンタはここの管理人か何かか?」「似たような者よ」

 

やはりヨタモノの可能性は薄い。敵対的ニンジャでもないようだ。ならば、「ここで休ませてもらえないか?」「好きにせい。人は勝手に生きるもの。多生の縁があろうと人の間に意味などないわ」途端に興味を失ったように、ボンズ擬きはゴロリと転がった。黒いゴミ袋に紛れてもう区別が付かない。

 

「お礼はできないが明日には出て行く」シンヤには何日も休むつもりはない。ともかく一晩休息をとれればニンジャ回復力で多少は動けるようになるだろう。その後は……家族の元に向かうべきか、否か。シンヤの胸の内に迷いが走る。無意識のうちにシンヤはオマモリ・タリズマンを握りしめていた。

 

「迷って生きてなんになる。世の中は起きて稼いで寝て食って、後は死ぬのを待つばかりよ。諦めろ諦めろ」シンヤの胸の内を見抜いたのか、万物に価値無しと言わんばかりに軽い調子のボンズ擬きの声が放り投げられた。「アンタに、何がわかる」「何も。迷いに意味などないということだけよ」

 

怒りを滲ませたシンヤの言葉をボンズ擬きは何処吹く風で軽く受け流す。お堂の空気が重圧を覚えるほどのニンジャ圧力に押し潰される。だが、ボンズ擬きは一発屁を放ると、面倒そうに尻を掻いた。失禁と失神を同時発症するニンジャの憤怒も、このボンズ擬きにはバイオミケネコの威嚇と大差ないのか。

 

怒りがシンヤの口をついて出た。「諦めろ? 意味がない? ブッダム! ふざけるな……」「何故怒る」ボンズ擬きが真剣な声音で問いかける。体勢は不真面目そのものだが、言葉は真面目である。「大切なものを他人に嘲笑られて怒らない奴はいない」シンヤの宝は家族だ。それを侮辱されれば当然怒る。

 

だがシンヤの言葉に帰ってきたのはボンズ擬きの笑い声だった。「カーッカッカッカッカッ!」「何が可笑しい!」怒りが痛みを吹き飛ばし、気づけばシンヤは立ち上がって構えを取っていた。「ならば怒る必要などない。ただ大切にすればよい。ワシが笑ったのはオヌシの迷いよ」「ッ!?」

 

その言葉はシンヤの構えをすり抜けて心臓を貫いた。「真に大切と思うならばそれを守ればよい。そうでないなら捨てればよい。行動すれば自ら然りとインガオホーは帰る」「それは」反論の言葉は出なかった。迷うだけ無意味、行動こそ肝要。事実である。だが、それですまないから迷っているのだ。

 

「……失敗するだろうことでも、その結果大切な者を傷つけることでも、行動すべきと?」思わずシンヤは迷いを吐露していた。自分はフラグメントに勝てなかった。トモダチ園の皆を傷つけた。皆の助けになりたい。だが、可能か不可能かも不明で、拒絶されるかもしれなかった。迷いの根はそれだった。

 

「知らん、オヌシの勝手じゃ」ボンズ擬きの返答はニベも素っ気もない。全てを下らぬと嘲う虚無的な無常感。「例え救ったつもりでも、救われるかは相手の勝手。皆勝手に生きておるわ。助けたくば助ければよい。意味など何処にもないがな」その奥には己の全てが燃え尽きた灰色の諦念が漂う。

 

その声に未来の自らを見たのか。気づけばシンヤの口から叫び声が上がっていた。「……知るか、知るかよそんなこと! 俺は家族を守りたいんだ! 死なせたくないんだ! もう一度会いたいんだ!」大声を出して立ち眩んだシンヤは、柱に手を尽きバランスを整える。

 

疲労と消耗と重傷で朦朧とした意識を、ボンズ擬きの言葉が大いに揺さぶったのだ。同時にシンヤの発した言葉がボンズ擬きの記憶を揺さぶった。(((衆生を、民草を救いたいのです!)))彼の耳の奥に聞こえるのは、かつてブッダの救いを信じていた己自身の声だった。

 

ボンズ擬きは身を起こし、柱に手をつくシンヤを見つめる。だが、その目に写るのはシンヤではなくかつての光景だ。「……救おうとも救われん。例えその手が受け入れられようとも、相手如何で意味など失せる」(((出来るのはほんの一助。助けどころか邪魔にしかならんこともある)))

 

生涯只一人と仰いだ師の言葉が、自分の言葉と重なって響く。「そんなの知らねぇよ。家族を助けたい。それの何が悪いんだ」(((それでも救いとなりたい。間違って、おりますか?)))応える過去の自分自身。アーチボンズの妾の子という堕落したブディズムの象徴。生まれた意味を探していた。

 

「オヌシが助けたいのは自分じゃろう」(((オヌシが救いたいのはオヌシ自身であろう)))最早ボンズ擬きの心はここにない。二度と戻らない過去にいる。迷えるドヤ・スラムをケミカル薬学で救った破戒ボンズとして、救いに救いを求めて高名なテンプルを飛び出した、若きレッサーボンズを諭している。

 

「そうかもしれない。けど俺は家族を助けたい。それに、間違いは、ない」(((否定は出来ません。それでも私は彼らの一助となりたいのです!)))体力の限界に達したシンヤは前のめりに崩れた。肩で息をしながら、震える肘で身体を支える。その姿は、弟子入り志願のドゲザをした己に他ならなかった。

 

遙か遠い目のボンズ擬きは、ゴミ袋の隙間から一本のトックリ・フラスコを取り出した。「父王に愛されるあまり何も知らぬ王子がいた。老いを、病を、死を知らず。故に生きるを知らぬ男がいた」『般若』の二文字がショドーされたそれを握り、心ここにあらずとふらつきながら立ち上がる。

 

「父王の死と共に全てを知り、男は悩んだ。病は恐ろし、老いは厭わし、死は呪わし、生は苦しき」ふらつきながら説話を呟き歩く姿は、重篤薬物中毒カルティストのそれだ。ある意味それは正しい。ボンズ擬きは記憶に飲まれ現実を忘れ、今は無き過去にトリップしているのだから。

 

「逃れんと迷い、苦行して迷い、賢者を訪ねて迷い、一人ザゼンし迷い、迷い、迷い、迷いの果てにサトリを得てブッダとなった」開祖の説話が終わると共に、うずくまるシンヤの前でボンズ擬きは立ち止まる。その頭上でトックリ・フラスコが傾いた。壁の隙間から漏れる街灯が無色透明の滴りに反射した。

 

強烈なアルコール臭がお堂のゴミ臭を塗り潰す。「サケ臭ぇ!?」空間を染め上げる程のアルコール臭を頭から被せられたシンヤとしてはたまったものではない。苦痛を忘れて思わず叫ぶ。「サケではない。ハンニャ・ウォーターだ」平然とボンズ擬きが応える。「何だ急に! それはサケだろ、俺は知っているんだ!」

 

前世の記憶を紐解けば、生臭坊主の言い訳集にそんな名前が出てくる。飛ぶように跳ぶから兎は鳥の一種だの、猪ではなく山にいる鯨の肉だの。人間は正道を行くより抜け道を探す方が多い。楽だからだ。「戒律で禁じられとるからサケは飲めん」だからシンヤにはボンズ擬きの単なる方便にしか聞こえない。

 

「だから般若湯って、サケの……隠語だ…………ろ?」しかしここはネオサイタマだ。前世の日本とは色々と異なる。唐突に床がトーフの柔らかさを帯びた。「ハンニャ・ウォーターじゃ。サケではないと、そう言った」ボンズ擬きの声もモチめいて伸びる。現実全てが泥じみて軟らかい。

 

大半の薬物に耐えるニンジャ耐久力も、消耗に消耗を重ねた今では分が悪い。ヨロシサン製薬の研究員からブディズム界に身を投じた異色のボンズが、生涯を掛けて作り上げた依存性も中毒性も無いサトリ補助薬『ハンニャ・ウォーター』。それはシンヤのニューロンを否応なしに内面側へと開いていく。

 

ドゲザ体勢のまま五感全てを閉ざしたシンヤを眺めながら、ボンズ擬きの口から言葉が転がり出た。「……ワシは、何をしている」亡き師が残したハンニャ・ウォーターはこれで最後だ。最早、この世には堕落ブディズム界が師を叩き出して作った、極度の危険性を持つ粗悪品の偽物しかない。

 

だが、それは自分がドゲザして弟子入りを請い願った日もまた同じだった。ブッダレジェンドのカンロめいて振りかけられたハンニャ・ウォーターは、当時でも専用の施設でだけ生産できる希少品だった。それを惜しげもなく振りかけられた自分は、己の腹の底を覗きサトリの一端を得た。

 

後にその理由を聞いたが「オヌシが迷っておったからだ」と師は笑うだけだった。迷う者は人の数と等しい。自分に使わなければ、別の可能性があっただろう。それでも恩に報いたいと、幾多の人々の救った師を真似て、人々を救おうと手を差し伸べた。職を世話し、病を癒し、食事を作り、悩みを解いた。

 

だが、救おうとした人々の大半は、救った端から自ら滑り落ちていった。喜びの涙と共に我が子を取り上げた夫妻は、その子供をオイラン宿に二束三文で売り渡した。真面目に働くと誓った元浮浪者は、ヨタモノとなりNSPDに射殺された。何のために己は居るのか。いつも同じ疑問がコダマしていた。

 

そして僅かな数の救われた人は、救いの手が無くとも立ち上がって歩き出していた。ある孤児は大学のゴミ箱から拾い集めたテキストでセンタ試験に合格した。一人の元サラリマンは安酒場からニーズを見抜いて、人気タチノミバーを起業した。何のために自分はここに居るのか。常に同じ問いが響いていた。

 

救おうと救えぬ人々に落胆する度、救われなくとも己を救う人々に無力を知らしめられる度、師はアタリマエよと笑って杯を差し出した。その恩師は自分が救ったはずの強盗犯に刺し殺された。末期の瞬間まで師はこれが当然と笑っていた。

 

「ブッダは誰も救わん、誰も救えん!」血を吐くようにボンズ擬きは叫んだ。「否! 誰一人として誰かを救えぬ! 己自身しか、救えぬのだ!」全てに絶望して、生きることも死ぬことも止めた。ただ時と共に朽ちるのを待っていた。だが、灰色をした諦めの底には未だ熾火めいて赤熱する思いがあった。

 

それを呼び起こしたニンジャならば、救いなきマッポーの世を、救われぬなにかを変え得るのか。「ソモサンッ!」いにしえのゼンモンドー・チャントを持って、ボンズ擬きは問うた。

 

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#1終わり。#2へ続く



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第四話【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#2

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#2

 

……ザザ…………ザザ……ザザ…………ザザ。窓の向こうで01の河が流れる。ここはどこだろうか。狭い安アパートの一室。考えるまでもなく、我が家だ。頭はハッキリしている。ずっとここで『家族』四人で暮らしてきた。父、母、姉、そして「シンヤ以前」の自分。もう出会うことのない家族。

 

胸を突くノスタルジアから目を背けるように窓の外を見れば、雲一つない快晴の空。燦々と降り注ぐ陽光にシンヤは手で庇を作って目を細めた。ネオサイタマでは決して見ることのない青空は、どれだけ手を伸ばしても届かない思い出を象徴するかのように思えた。コトダマ空間めいたかつての記憶の光景。

 

「ドーモ、シンヤ=サン。クレーシャです。またお会いしましたね」その背後から楽しげに、そして見下すように、軽い調子の声が投げかけられた。「ニンジャのパワはどうでしたか? タノシイであったでしょう!」振り返れば01のドットで描かれた三眼の異形が、記憶通りの記号めいた笑みを浮かべいる。

 

クレーシャが足を踏み出す度に、足音がデジタルの波動となってアパートの構造をトーフめいて揺らめかせる。真夏の陽炎の如くに揺らぐ光景の向こうには、重金属酸性雨が降りしきる救いなきマッポーの地が透けて見える。それは悪徳と退廃の大都会、ネオサイタマに他ならなかった。

 

それもシンヤが見覚えのあるネオサイタマとは異なる。例えば、巨大な繁華街には人影一つなく、自動機械だけがユーレイに応対するように勝手に動き回る。例えば、無数の雑居ビルが戴くネオン看板の王冠には、シンヤの今までの殺戮が滑稽なカリカチュアで描かれている。

 

自分の罪を突きつけられたかのように後ずさりながら、シンヤはクレーシャに向けてデント・カラテ基本の構えを取る。「ヤメロ! 俺は心までニンジャになった覚えはない!」その息は逃げまどった後のように荒く、怯えるように握った拳は震えていた。拒絶を叫ぶ声すら恐怖の色が伺える。

 

「なんとズルイ! ニンジャのパワを振るっておきながらなんたる文句!」指を突きつけるクレーシャは、演劇そのものの大仰な動作で怒りを表す。平坦な顔に浮かぶのも、つり上がった目とへの字の口元を象る記号だけ。「でも、今までは仮契約のオタメシということで、特別に大目に見てあげましょう!」

 

記号で描いた憤怒をシンボリックな慈悲に作り替え、クレーシャはシンヤににじり寄る。シンヤは撥ね除けようと裏拳を振るうものの、拳は01の霧に転じたクレーシャをすり抜けた。「ウフフ。では、改めてのご契約です。あなたの『名前』を仰ってください。もうご存じでしょう?」

 

嘲笑を帯びた笑い声を交えて、契約書へのハンコ代わりに『名前』を求めるクレーシャ。「俺はシンヤだ! 契約はお断りする!」シンヤは自身の名前を拒否の返答として、カラテパンチと共に叩きつけた。シンヤはクレーシャの求める『名前』を覚えていた。

 

それを答えればシンヤは恐ろしいパワを持った、ニンジャ『コルブレイン』となるだろう。それはクレーシャの求める暴虐な化け物そのものだ。確かにシンヤはパワを望んだ。だがそれは家族を守る為だ。モータルを踏みにじる怪物になる為ではない。

 

カラテパンチをかわしたクレーシャは一瞬でシンヤの眼前から距離を取ると、蔑みを内包した心配りの言葉を投げかけた。「ホーホーホー、そうですか。でもいいんですか? フラグメント=サンに負けたんでしょう?」指の鳴る音と共に、宙を泳ぐマグロツェペリンの画面がブランクから動画へと切り替わる。

 

映し出されるのは、廃ビルをかけずり回りカラテをぶつけ合うシンヤとフラグメントの姿だ。流れる映像は舞台を旧シナガワ繁華街へと移し、恐ろしげなミニマル音楽をBGMに、フラグメントに追いつめられるシンヤをパニックホラー映画の被害者さながらに演出する。

 

血に染まるニューシナガワの中央で追いつめられた深手のシンヤ。そして恐るべきニンジャ怪物フラグメントは、哀れな被害者へと凶悪なフレイル殴打を繰り返し、シンヤは遂にゴア死体を通り越したミンチとなって辺りに流れる血に混じった。当然それはクレーシャが作った映像だ。シンヤは生き延びたのだ。

 

だがシンヤは、続けて映し出された映像を嘘っぱちの作り物と断ずることはできなかった。三首フレイルを両手からユーレイめいて垂らしたフラグメントが、ユウジンビル入り口の薄いドアを蹴破りトモダチ園へと踏み入る。その目は弱々しいモータルを好き放題に踏みにじる悦びに満ちている。

 

怯えすくむ子供たちをキヨミが抱きしめ、NRSで腰を抜かしながらも皆を守ろうと立ち上がったコーゾが交渉を試みる。コーゾへの回答はフレイルの一撃だった。首から上を失ったコーゾはもう一度腰を抜かして倒れた。二度と立てないだろう。あまりの恐怖に晒された子供たちは、喉よ嗄れよと泣き叫ぶ。

 

子供たちを必死に抱きしめるキヨミを引きはがし、絶叫する子供たちをフレイルで永遠に黙らせると、フラグメントはオタノシミを始めることにした。二度と動かない子供たちへ手を伸ばすキヨミを殴り飛ばし、パステルカラーの服をはぎ取り、そして……「ヤメロ!」シンヤの叫び声と共に映像は停止した。

 

「ええ、止めます」指を鳴らして映像を止めたクレーシャは、記号の笑みを崩さずにシンヤを見つめる。弧で描かれた双眸は確かな蔑意を視線と共に放っている。「でも、フラグメント=サンは止めてくれますかね?」オマエの好きな綺麗事を行うには、オマエの嫌いな汚い力がいるんだぞ。そう言外に嘲笑う声。

 

「……ッ!」クレーシャの言葉に対し、顔を歪めたシンヤから反論の言葉はなかった。シンヤ自身もそれを理解しているからだ。力が足りないから、ヤクザに踏みにじられた。だから、パワを求めてクレーシャの声に答えたのだ。今も変わらない。カラテが足りないから、ニンジャに叩きのめされた。

 

「止めてくれないなら、ニンジャのパワで止めるしかないですね」こんな風に、とクレーシャはマグロツェペリンの画面を指さす。映像と時間が巻き戻され、フラグメントがトモダチ園に強襲する瞬間へと戻る。フラグメントの三首フレイルが振り上げられた。だが、今度はコーゾの頭は首の上から離れない。

 

振り上げた腕にクナイ・ダートが突き立ったからだ。アンブッシュに続いて回転ジャンプで黒錆色の影がトモダチ園へ飛び込む。「ドーモ、フラグメント=サン。『コルブレイン』です」即座にフラグメントも返礼のアイサツを交わす。一瞬の遅滞もなく互いの間に鋼鉄の暗器が放たれた。

 

飛び来るスリケンをフラグメントがフレイルで打ち払い、反撃トライアングルボーラを投げつける。それを『コルブレイン』は分銅先端への正確なスリケン投擲で迎撃する。どちらもシンヤとは比べものにならないカラテの技前だ。だが、そこには明確な差があった。

 

次々に速射されるスリケンを、フレイルを振り回して防ぐフラグメント。迎撃に手一杯でフレイル打撃は完全に押さえ込まれている。ジリープア(徐々に不利)な状況に焦ったのか、急所のみを防御して接近を試みた。急所防御の視界不良、スリケン連続被弾、状況への焦り。それが最期の隙になった。

 

反応が遅れたフラグメントは両足の甲をスリケンで縫いつけられた。移動を封じられたフラグメントへと、『コルブレイン』が巨大クナイ・ジャベリンを投げつける。フレイルを叩きつけるも威力が足りずに、心臓を貫かれ爆発四散。「THE END」の大文字が映像に被さり画面は再びブランクへ戻る。

 

「ムカつくフラグメント=サンを殺し、『家族』の元に帰る。パワさえあれば至極簡単なことです。契約一つでそれが手に入るんですよ?」表層的な優しみを込め、クレーシャは合成音めいた声で契約のメリットを謳う。「代価として俺はなにを失う? 命か? 人間性か? それとも……家族か?」

 

シンヤの口から絞り出された返答に、契約の意志ありと判断したのか、クレーシャの笑みが深まる。「何も失いません。アナタの望む全てが手に入るのです」慈悲の記号を顔に浮かべたままクレーシャはデジタルな霧へと変化してシンヤへまとわりつく。歯を軋ませるシンヤにそれを振り解く気配はない。

 

クレーシャの誘惑に乗った結果は、シンヤには容易く想像がついた。残虐な半神的怪物たるニンジャ。それこそがクレーシャの望みであると看破していた。そうなれば家族を守ることなど到底不可能だろう。だがそれは契約を交わさなくとも同じ事だ。カラテの足りぬ自分ではフラグメントに勝てない。

 

シンヤは頭を振り、額に手を当て苦悩の表情を浮かべる。当然、都合のいい回答は出てはこない。その耳に聞こえるのはクレーシャからの甘やかな誘いの言葉だけ。「アナタはニンジャのパワを持って邪魔な敵をカラテ殺し、『家族』の元へと帰るのですよ」加えてクレーシャの三眼が緑の輝きを帯びる。

 

「ウ、ウウ」輝きは日に晒された雪ダルマめいて、シンヤの自我を溶かしていく。「それがアナタだけの特別な(オリジナル)ストーリー! アナタこそが世界の主人公(ヒーロー)! 『名前』を呼ぶだけで、アナタに全てが与えられるのです!」それは以前にシンヤへと呼びかけた言葉と同じだった。

 

その時、シンヤはそれを聞き、憤怒と憎悪、悦楽と期待に促されるままクレーシャの誘惑に応えようとして…………止めた。止めたのだ。『誰かを憎まない、傷つけない』キヨミとの約束が、それを納めたオマモリ・タリズマンがシンヤを押しとどめた。今度もそうだった。

 

「……ダメだ。俺はシンヤだ、カナコ・シンヤであるんだ!」胸のオマモリ・タリズマンを握りしめキアイを振り絞り、シンヤは絞り出すように叫んだ。家族を守るためにこそパワを求めた。だが、暴虐たるニンジャとなれば、『家族を助ける』の一心を失うだろう。本末転倒もいいところだ。

 

望まぬ返答にクレーシャの表情が生々しい苛つきと怒りに歪む。だが、すぐさま嘲りを含んだ記号的な笑みに戻る。「そうですか。ではこれもイラナイということですかね?」指がもう一度鳴り、ブランクの広告画面が点灯する。目に入ったのは、想像してなかった、だがどこかで予想していた映像だった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

再び響いた指の音と共に映し出されたのは、「THE END」のその後だった。爆発四散した生首を窓から放り出した『コルブレイン』の側に恐る恐る子供たちが近づく。怖ろしいニンジャだが、守ってくれた家族だ。『コルブレイン』は親が我が子を抱き上げる要領で、内の一人を優しく抱き上げる。

 

そして……「イヤーッ!」シャウトと共に床へと叩きつけた! ニンジャの腕力で叩きつけられれば、子供の体など糸を切ったジョルリ人形より簡単に壊れる。断末魔すらなく即死した幼子の顔には、恐怖どころか驚愕すらない。余りに唐突に襲いかかった理不尽な死に、ただ呆けた表情をしている。

 

それは周囲も同じだった。たとえニンジャでも家族のはずだった。だが、家族でもニンジャには変わりなかったのだ。『コルブレイン』は、衝撃醒めやらぬ子供の首を蹴り飛ばし、止めようとするコーゾをスリケンでぶつ切りにする。そして残る子供たちの盾になろうとするキヨミを軽く投げ飛ばした。

 

壁に叩きつけられ崩れ落ちたキヨミ。苦痛と驚愕と恐怖に彩られた彼女の目の前で、『コルブレイン』が守ろうとした子供たちを踏み砕きミンチに変えてみせる。血と絶望にまみれるキヨミの服を引きちぎり組み伏せた『コルブレイン』は、欲望のままに上下し始め……

 

「ヤメロ! ナンデこんな物を見せる! 俺の怒りを煽りたいのか!?」映像停止を求める叫び声と共に、クレーシャごと動画を止めようと、シンヤは突進ストレートカラテパンチを突き込んだ。だが霧めいて01の塵に転じるクレーシャには触れることすらできない。

 

無駄と知りつつも繰り返し拳を振るい、クレーシャへとカラテを叩き込もうとする。当然、ノレンに腕押しであり『コルブレイン』がキヨミを『使い終わった』シーンでようやく画面は消灯した。シンヤは次々にわき上がるどす黒いものを、憎悪と憤怒で必死に塗りつぶす。

 

その様をニタニタと嗤いながら、クレーシャは煙めいてシンヤをくるむ。「ナンデとはナンデ? アナタがずぅっと望んでいた事じゃないですか」漏れる嘲笑を隠そうともせず、疑問の形をした確認を投げつける。砂に首を突っ込んで逃れたと喜ぶダチョウを、指さして笑うハイエナのような顔をしながら。

 

「違う! 俺はそんなことは望んでない!」まとわりつくクレーシャをシンヤは拳足を振るって跳ね除けようとする。だが手足は霧と化したクレーシャをすり抜けるばかりで跳ね除けられない。必死で振り払おうとするその姿は、自分の間違いを認めまいと駄々をこねる子供と変わらなかった。

 

シンヤは家族を守ろうとしている。少なくともそう自負している。家族を守る力を求めて、クレーシャに応えた。家族を守る意志を失わないと、契約を拒んだ。それなのに家族を踏みにじり傷つけることを望んでいるはずがない。だが、発した言葉はシンヤ自身にすら薄っぺらく響いていた。

 

それを見抜いたクレーシャの質問は単なるシンヤへの嘲笑でしかなかった。「じゃあこれはナンデ?」四度目のフィンガースナップと共に、ブランク画面に光が灯る。映し出されたのは巨漢ヤクザの脳漿と血液で塗装されたトモダチ園の談話室。シンヤがトモダチ園を飛び出す寸前の光景だ。

 

暴力に酔いしれた哄笑を響かせながら、パンチパーマヤクザの頭に足をかけるシンヤ。契約のアイサツと共に踏み砕こうとするその瞬間、キヨミが抱きついて止めにかかる。動画が一時停止し、キヨミを見つめるシンヤの目をズームする。正気に戻った瞬間だったのか、その目には困惑と正気が写っていた。

 

だがスロー再生と共に、キヨミに向ける両目の色合いが落日の空めいて真逆の色彩へと転じていく。家族への愛しさの目線から、障害物への苛つきの視線へ。自身に当惑する顔色から、相手を憎悪する表情へ。夜の藍色に塗り潰れた日暮れの空と同じく、その目には最早暖かな家族への思いは何処にもなかった。

 

そして、暗黒なエネルギに支配されシンヤはキヨミを蹴り飛ばす。足を折り砕かれて吹き飛ぶ姿を眺めるシンヤの目は、確かに暴力の喜悦と弱者への侮蔑に濁っていた。「ヤメテ……ヤメテ……」自分の罪深さを恥じるように、はたまた自身の醜悪さから目を背けるように、顔を伏せて両手で覆うシンヤ。

 

その口から漏れ出たのは疑問でも否定でもなく、ただ哀願だった。どこかで気づいていた。そしてずっと気づかない振りをしていた。マッポーの世を、ネオサイタマを、トモダチ園すらを憎み嫌っているということを。シンヤは目の前に突きつけられた事実から、目を逸らすこともできずに崩れ落ちた。

 

何の謂われもなく幸福な場所から引きずり降ろされ、太陽も見えないネオサイタマに落とされた。名前を奪われ『家族』とは二度と会えず、重苦しいディストピアの中で這いずるように生きる日々。憎しみを抱かずには生きていけなかった。だが何を憎めばいい? 行き場のないどす黒い憎悪は全てに向かった。

 

ヤンク! クラスメイト! 門下生! マグロツェペリン! ネオサイタマ! ドクロの月! そして……トモダチ園! 思い出は理想的なまでに美しい。だからトモダチ園の僅かな不満や苛立ちすら許せずに、いつも憎悪と嫌悪を覚えていた。コールタールめいて煮えたぎる感情、暗黒なエネルギ。その正体はそれだった。

 

「本当の『家族』はあんなにも素晴らしいのに、こいつらときたらムカつく、イラつく、ハラ立つばかり! ああ、こんな奴らはさっさと捨てて『家族』の待つ故郷へ帰りたい!」シンヤの声音を真似て切々とクレーシャは唄う。止めることも逃げ出すこともできずに、シンヤは弱々しく首を振るので精一杯だ。

 

「だから、こうしてやった。とてもタノシイでしたね?」いつの間にかに実体化したクレーシャは朗らかな声と共に、友人めいて肩を楽しげに叩く。その顔をシンヤは涙に濡れた両目に憎しみを込めて睨みつける。自分の醜さを見つめるよりも、誰かを憎む方が遙かに容易く心地よい。

 

容易く誘導されるシンヤを満足げに見つめながら、クレーシャはマグロツェペリンを指さす。悪夢のトモダチ園から映像はさらに切り替わり、『家族』4人の団らんの風景を映し出す。「アナタの名前は『シンヤ』なんかじゃなかった。アナタの名前を呼んでくれる本当の『家族』は彼らですよ」

 

ネオサイタマの、トモダチ園の家族ではない。シンヤとなる前の『家族』との幸福な日々。シンヤの頬を濡らす涙に、望郷の色合いが混じった。(((オマエさえいなけりゃ)))シンヤが放つ視線は『家族』への懐郷とクレーシャへの憎悪の混色だ。思考も感情も全てクレーシャの想定通りに過ぎない。

 

「アナタが考えている通り、ここまで連れてきたのはワタシです。だから、その逆もまた、ね?」だから、シンヤを揺さぶることはベイビーサブミッションですらなかった。唐突な可能性に呆けた顔を浮かべるシンヤ。全てが思い通りとクレーシャは記号の笑みを深める。

 

「……帰れる、のか?」シンヤの口から漏れた言葉に、クレーシャは満面の笑みと大仰なアクションで答えた。「全ては契約してのお話です」クレーシャがアスファルトを踏みしめると、巨大な波紋が大地を揺らした。波はビデオ逆再生めいてクレーシャの足下へと収束していく。

 

空間に被せていたネオサイタマという一枚布を巻き取ったかのように、光景もまた始まりの安アパートへと収束していく。加えて虚空に銀砂を蒔くが如く、クレーシャは安アパートに01の粒子をまき散らした。粒子は半透明のシルエットを三つ形作った。シンヤはその全てに見覚えがあった。

 

台所に立って洗い物をする母、食卓で新聞を広げる父。その隣で朝食のパンをかじる姉。何でもない朝の一幕。二度とは見れない光景。思い出に打ちのめされたシンヤを後目に、続けて01をばらまけば、デジタルの影で描かれた過去のダイジェストが次々に現れては消えていく。

 

二人並んでのTVゲーム、チャンネル争いの姉弟喧嘩、両親のお説教、風邪の看病、眠る前の一時。熱い涙が溢れ、胸を郷愁が貫く。窓から差し込むのは暖かな陽光。ネオサイタマのネオン光とは違う、優しみと慈しみに溢れている。

 

(((帰りたい。ネオサイタマなんかじゃない、暖かな我が家に帰りたい)))涙に溺れるシンヤを一瞥し、満足げにクレーシャは嗤った。細工は流々、お膳立ては整った。主よ、仕上げを御覧ください。「さぁ、アナタの『名前』を仰ってください。それで契約完了。アナタの望みは叶います」

 

ノスタルジーの幻痛に貫かれた心臓を手で押さえながら、シンヤは膝から崩れる。涙が止めどなく溢れて頬を濡らす。「俺は……俺は!」シンヤの脳裏に『家族』との思い出がソーマトリコールめいて駆け抜ける。(((お母さん先に寝るわね、■■お休み)))(((そうだぞ■■、明日は早いんだから)))

 

最後の日の言葉は、耳の奥にまだ響いている。(((■■、もう遅いからいい加減寝なさいよ)))過去と現在の記憶が混じり合い重なり合う。(((明日も早いから、シンちゃんも早めに寝てね)))痛みを吹き飛ばす程の熱が胸の中心に生まれた。心臓を押さえる手の中には覚えのある感触。

 

手を開けばクシャクシャに潰れたオマモリ・タリズマンがある。『誰かを憎まない、傷つけない』約束を納めたオマモリ・タリズマンを、シンヤはもう一度握りしめる。何度も約束を破った。自分を傷つけ、他人を傷つけ、家族すら傷つけた。周囲を憎み、世界を憎み、家族すら憎んだ。

 

それでも、自分を支えてくれたのは家族だった。キヨミと交わした約束だった。『家族』ともう一度会いたい。でも、家族を見捨てることだけはできない。家族から逃げ出して、『家族』の元へは帰れない! 「……俺は、シンヤだ! トモダチ園のカナコ・シンヤなんだ!」溢れる涙を拳で拭い、シンヤは叫んだ。

 

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#2終わり。#3に続く



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第四話【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#3

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#3

 

「……俺は、シンヤだ! トモダチ園のカナコ・シンヤなんだ!」シンヤの決意が、安アパートのローカルコトダマ空間に響きわたった。狙いを外されて期待を裏切られたクレーシャの顔から、記号の表情が剥がれ落ちていく。「……『蛇』になるかと目をかけてやった結果がこれか。期待外れもいいところだ!」

 

残ったのは今までのシンボリックな顔つきとは決定的に違う、血の通った憤怒の顔。放つ声も無感情な合成音擬きから、大地が唸るような憎悪の滲む声音へと変わっている。道化めいた仮面を外したクレーシャが発するアトモスフィアは、間違いなく暴虐なニンジャそのものであった。

 

オマモリ・タリズマンを握りしめ、涙を拭った顔を上げ、シンヤは拳を握りながら立ち上がる。揺るぎない視線で見つめるのは、怒りを表すかのように01が煮えたぎる三眼の魔人。噴煙めいて立ち上るデジタルの蒸気が、安アパートの光景を別の景色に塗り替えてゆく。

 

デジタルなメッキで描かれたのは、大都会ネオサイタマのとは真逆の景色だった。赤く焼けた空に、吹き荒れる砂塵。見渡す限りが岩と砂で出来た生命無きセキバハラめいた荒野だ。否、中央にそびえ立つシメナワを巻かれた石碑は、ここがセキバハラの、それも以中心部ヘルボンチであることを示している。

 

「愚か者は自我を砕いてジョルリ人形としてやろう! イヤーッ!」荒れ野の光景に驚く暇すらなく、クレーシャの三眼から緑の閃光が放たれた。「グワーッ!」直撃を受けたシンヤの全身は、流水に晒された砂人形の如くに01粒子へと分解され形を崩していく。シンヤは死を覚悟した。だが、その瞬間! 

 

胸のオマモリ・タリズマンが暖かな輝きを灯した。その光は崩れつつあるシンヤの体中を広がり、逆再生めいて01粒子を肉体へと再構成する。シンヤはここが自分のローカルコトダマ空間である事に気づいた。クレーシャと条件は対等だ。強く想えるならば戦える、それが誰であろうとも! 

 

「イヤーッ!」デント・カラテ基本の構えをとるのももどかしく、シンヤは強襲の弾道跳びケリ・キックで襲いかかる。だが、顔面にめり込むはずのケリ・キックは、靄めいて01分解したクレーシャをすり抜けた。「イヤーッ!」即座に反撃の閃光が実体化したクレーシャから放たれる。

 

「イヤーッ!」着地をねらった閃光をローリング・ウケミで回避したシンヤは、ゴムマリめいて跳躍し裏拳をクレーシャめがけ振り抜いた。「ヌゥーッ!」手応えあり! シンヤは閃光を発するクレーシャが必ず実体化することに気づいた。攻撃中のクレーシャに01分解回避は出来ない! 

 

モータルの精神を持つシンヤに傷つけられた事が、よほど腹に据えかねたのか、クレーシャの全身が激しく沸騰し01の泡を立てる。「私がニンジャのパワだけを与えたのだ! オマエは非ニンジャのクズに過ぎない! イヤーッ!」クレーシャは再びの閃光を発した。だが、今までと比べて範囲が広い。

 

拡散型光線がかわしきれなかったシンヤの右半身を崩す。「グワーッ!」閃光の直撃よりもダメージは小さいが、片足を崩されて身動きが取れない。「グワーッ!」そのまま光線は胸の中心へとすぼまり、光量と密度を急速に上げてゆく。収束型光線でオマモリ・タリズマンごとカイシャクを狙っているのだ。

 

「イヤーッ!」残っている左足を地面に叩きつけて、シンヤは無理矢理自分の体勢を崩した。カイシャクを狙って閃光の範囲が狭まっていたのが幸いし、オマモリ・タリズマンが照射から外れた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」当然クレーシャは焦点を移動させるものの、シンヤのロールウケミが一瞬早かった。

 

胸のオマモリ・タリズマンが再び輝き、崩れかかった半身と地面との擦り傷を癒していく。だが、回復の速度が僅かに遅れている。何事にも限界は存在する。脳が有限のサイズである以上、思いや気持ちにも限りがある。輝きの源であるオマモリ・タリズマンに納めた約束と決意もまた。

 

閃光を浴び続ければ実際死ぬ。十分な攻撃もできていない。このままではジリープア(徐々に不利)だ。(((何か、何か手はないのか!?)))一時反撃を捨て、牽制と回避に専念しながら必死で思考を回す。突破の糸口を探し記憶を漁るシンヤのニューロンに、先ほどのクレーシャの言葉が浮かび上がった。

 

(((私がニンジャのパワだけを与えたのだ! オマエは非ニンジャのクズに過ぎない!)))前世の記憶にあるリー先生の論文が正しいならば、ニンジャソウルの憑依はソウル同士の融合となるはず。だが、クレーシャの言葉はそれを否定している。ニンジャソウルの憑依の瞬間、クレーシャは何をした? 

 

……頭部を吹き飛ばして吹き上がる暗黒なエネルギは、額から延びる01ラインに絡まりながら黄金立方体へと近づいていく。暗黒なエネルギは黄金立方体に触れ、影がラインを伝い暗黒なエネルギの源へと流れる。それは『蛍光色の人影にフィルタリングされ』、『何か』を除いてシンヤへと注ぎ込まれた。

 

ロールウケミとステップを繰り返し、次々に放たれる閃光をくぐり抜けるシンヤ。その脳裏には、始めにクレーシャと契約した瞬間であり、ニンジャソウルの憑依の瞬間が浮かんでいた。『何』が取り除かれたのかは判らないがクレーシャが濾し取ったことは判る。ならば、それはクレーシャの中にあるはず! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」オマモリ・タリズマンを握りしめ決意を固めたシンヤは、牽制も取りやめ徹底的に閃光を回避する。失敗を繰り返すとき、人は成功例に頼ろうとするものだ。それはクレーシャも同じだった。「チョコザイ!」シンヤが誘ったとおり、クレーシャは拡散閃光を放った。

 

「今だ! イヤーッ!」ニューロンを焼く自我分解の苦痛に耐えながら、シンヤはデント・カラテ防御の構えでクレーシャ目がけ突撃する。拡散された光線はシンヤを捉えつつも、殺しきるには至らない。「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」クレーシャは閃光を収束させてシンヤを消し飛ばそうとする。

 

閃光を受け止める腕が、半身が01の塵となって崩れてゆく。だが、その瞬間、既にシンヤはクレーシャに肉薄していた。(((カラテパンチは脊髄で打ちます)))一年間のカワラ割りを終えた日、オールド・センセイから受けたインストラクションは、デント・カラテ基本にして奥義のカラテパンチだった。

 

カラテオーガと呼ばれたオールド・センセイ直伝のカラテパンチを、シンヤは全身全霊をもって叩き込んだ。「イィィィヤァァァーーーッ!」「グワーッ!?」閃光を引き裂きながら突き出された正拳突きは、蛍光色の肉体へと深々と突き立った。手首まで突き刺さった拳の中に『何か』の感触がある。

 

シンヤはザンシンとともに『何か』をクレーシャの内側から掴み出した。「イヤーッ!」「ヌゥーッ! 役立たずの期待外れが、よくも!」『何か』を引きずり出され激痛を堪えるクレーシャの三眼が、致命的な輝きを帯びる。アブナイ! ザンシン中のシンヤは咄嗟に回避のステップを踏もうとする。

 

だが、ザンシン中と言えど、半身を失い片腕を消し飛ばされたシンヤにそれはあまりに難しかった。「イヤーッ!」「グワーッ!」脚部消失! 「イヤーッ!」「グワーッ!」胸部半壊! 「イヤーッ!」「グワーッ!」片腕分解! 『何か』は手の内から転げ落ち、次々に放たれる閃光の照り返しの中に消える。

 

絶え間なく速射される収束閃光に、シンヤはスイスチーズと成り果てつつあった。オマモリ・タリズマンが繰り返し輝くが、再構成が間に合わない。ジリープア(徐々に不利)どころではない。死は目前に迫っている。(((死ねない、死なない、生きる、生きてやる!)))だが、ここで終わるつもりなどない! 

 

諦めなど一片も見せず、四肢を再形成したシンヤは歯を食いしばり立ち上がる。それを見つめるクレーシャは吹き上がる01の蒸気に包まれ、最早人の形から外れつつあった。「死ね! 非ニンジャのクズめ! 死ね!」怒り狂うクレーシャの三眼へと光と共に01粒子が収束していく。

 

「イヤーッ!」収束され蓄積されたエネルギは、ダム決壊めいた光線の奔流として放たれた。「アバーッ!」膨れ上がった閃光に全身を包まれ、全てが緑の怒濤に塗り潰されていく。重なり続けた光は白へと変わり、シンヤの目の前が真っ黒になった…………黒? 緑でも白でもなく? 

 

そう、黒だ。正しくは『黒錆色』だった。シンヤの視線の先にあるのは、巨大な黒錆色の壁で吹き荒れる緑の閃光を防ぐ、同じく黒錆色の人影。壁はクナイ・フレームワークで形作られ、ニンジャ装束とスリケン・チェーンクロスの多層構造から成っている。振り返った人影は、シンヤへ深く深くオジギした。

 

「ドーモ、シンヤ=サン。タンゾ・ニンジャです」死の閃光が襲い来る最中でありながら、それは山奥の清流めいた静謐なアイサツだった。シンヤはクレーシャが漉し取った『何か』の正体に気づいた。それは自分を明示するものだった。それは自己を規定するものだった。それは自身を記述するものだった。

 

それは……名前だった。クレーシャはニンジャソウルの名前を奪い取り、そのパワだけをシンヤへと注ぎ込んだ。今、それは奪い返され、相応しい者が名乗りを上げている。「ドーモ、タンゾ・ニンジャ=サン。カナコ・シンヤです」全身を再構成したシンヤは再び立ち上がり、自らの意志で名乗り返した。

 

その行いが意味することをシンヤは理解していた。自分はこれでニンジャになる。恐るべきカラテ持つ、老いること無き半神的存在(イモータル)になるのだ。しかし、それはカイジュウめいた暴虐な人外の怪物となることではない。ソウルに呑まれてはならない。手綱を握るのは己自身だ。

 

暴力を恐れ、家族を厭い、末世を呪い、誘惑に苦しんだ。だが、もう迷いはない。(((俺はニンジャになる。だが、家族を守るニンジャとなる!)))決意も、意志も、約束も、霊魂も、全てが01の流れとなって、二つのソウルがトモエ回転と共にタイキョク・ポイントへと収束していく。

 

黒錆色の壁の中でインフレーションを思わせるソウルの光が広がっていく。それはビッグバンめいた新たなるカラテ小宇宙の誕生を意味していた。だが、クレーシャにとっては与えられたパワを咄嗟に使った姿しか見えない。単なる標的の悪足掻きに過ぎないと結論づけ、さらなる閃光を壁に叩きつける。

 

「与えられたチートにすがるだけのゴミが! パワの残滓ごと消えるがいい、イヤーッ!」閃光の濁流に押し流され、黒錆色の壁が藁の盾めいて崩れ去った。しかし、閃光の瀑布を貫いて黒い影がクレーシャの肩口に突き刺さる。精神と肉体の二重衝撃にクレーシャの放つ閃光がかき消えた。

 

「グワーッ!?」モータルが光線を耐えられるはずもなく、ましてや反撃など出来るはずもない。だが、ならばこの肩に突き立ったスリケンは何だ!? それを放ったのは何だ!? 驚愕に顔をゆがめ、クレーシャは黒錆色の壁があった地点を見つめる。そこにあるのは……否、そこにいるのは黒錆色の人影だ。

 

影は両手を合わせ、全身にカラテが張りつめた力強いオジギをする。「ドーモ、クレーシャ=サン。ブラックスミスです」自らに相応しい名を付けたニンジャ、ブラックスミスはクレーシャへと雄々しくアイサツした。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ドーモ、クレーシャ=サン。ブラックスミスです」シンヤであり、タンゾ・ニンジャであったソウルは、今一人のニンジャとなってクレーシャへとオジギをした。(((名前を取り戻してディセンションを完遂しただと!?)))クレーシャはさらなる驚きに打ちのめされつつも、気高くアイサツを返した。

 

「……ドーモ、ブラックスミス=サン。クレーシャです」ニンジャのイクサにおいて、アイサツは実際大事。クレーシャは主からそう習った。そしてアイサツ以降の礼儀は不要とも習った。「イヤーッ!」クレーシャの目が光り、空間に閃光のラインが描かれる。

 

「イヤーッ!」光量を減らして早打ちに特化させた牽制の一射を、ブラックスミスは連続側転で回避する。「イヤーッ!」さらに、スリケン・トマホーク、チャクラム、ブーメランを散弾めいて打ち込んだ。しかも、各種スリケンのサイズや角度は微調整され、個別固有の軌道でクレーシャを襲う。

 

「イヤーッ!」クレーシャは速射収束閃光で迎撃しつつ、ブリッジ動作と連続タイドーバックフリップで回避を試みる。だが打ち落とすべきべきスリケンは多過ぎ、動ける空間は少な過ぎた。「グワーッ!」かわしきれなかったスリケンが、クレーシャの肉体を切り裂く。01ドットで描かれた血が滴り落ちた。

 

「主を裏切った腐れ鉄打ちの同類が、偉大なる計画の邪魔をするか! イヤーッ!」憎悪に燃えるデジタルの三眼から輝きが漏れる。先ほどはあれほどまでに危険だった光も、ブラックスミスとなった今は冷静に観察可能だった。クレーシャの打つ手一つ一つが予想範囲に収まっている。

 

「イヤーッ!」ロンダート跳躍で拡散光線をかわし、反撃のクナイ・ダートを打ち放つ。モータル相手にあれだけの被弾を許したクレーシャのカラテは弱い。「グワーッ!」ブラックスミスの推測を証明するかのように、膝を貫かれたクレーシャはドゲザめいて前のめりに崩れ落ちた。

 

油断なく防御の構えを取りつつ、ブラックスミスはクレーシャへと歩を進める。クレーシャの口にした計画、自分をネオサイタマに連れてきた理由、第四の壁を越えた方法。徹底的なインタビューで全てを聞き出すつもりだ。「舐めるな! イヤーッ!」だが、クレーシャはまだ諦めてなどいなかった。

 

靄めいて01分解したクレーシャが、ブラックスミスを取り囲む。ブラックスミスは警戒レベルを上げ、両手に各種スリケンを二枚ずつ、計八枚生成。防御の構えで光線を回避しながら、実体化したクレーシャへ全弾叩き込むつもりだ。「イヤーッ!」「イヤーッ!」シャウトと共に閃光が宙を走った。

 

回転ステップで射線から身を外すと同時に、八枚のスリケンが空間を切り裂く。「イヤーッ!」しかし、そこにクレーシャはいない! 光線発射とほぼ同時に再び01分解して身を隠したのだ。「イヤーッ!」さらに後方から再びのシャウト! ブラックスミスは反撃を捨てたロールウケミでこれを回避する。

 

実体化と01分解がブラックスミスの想定より格段に速い。クレーシャのカラテ全てを予測可能と断じたのはウカツだった。「イヤーッ!」「イヤーッ!」反省を胸に秘め、クレーシャの閃光速射を避けつつカラクリを探るブラックスミス。それは思いの外あっさりと判明した。

 

光線の発射点はクレーシャの三眼である。そしてクレーシャの攻撃は閃光に一本化されている。つまり、イクサにおいて必要なのはクレーシャの頭部だけなのだ。クレーシャは頭部のみを実体化させて光線を発射。すぐさま頭部を01分解して反撃を回避。これが速さの仕組みであった。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」気づいたことに気づかれたのか、実体化・閃光発射・01分解を高速で繰り返し、クレーシャは光線の弾幕を張る。「イヤーッ! イヤーッ! グワーッ!」ブラックスミスはパルクールめいた高速立体移動で回避するものの、弾幕を避けきれず片足に被弾する。

 

オマモリ・タリズマンからの輝きが01の傷を癒すが、クレーシャがそんな隙を見逃すはずもなかった。「バカメ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」実体化・閃光発射・01分解の三段攻撃プロセスをさらに加速させ、360度全方位からのクロスファイアが放たれた。

 

「イヤーッ!」コンマ1秒で回避不能と判断したブラックスミスを中心に、ディセンションの瞬間と同様の巨大な黒錆色の壁が四方にそそり立った。全方位から襲い来る閃光の集中砲火を、ジツ由来の多層障壁がくい止めクナイ・フレームワークが支える。だが、長くは持たない! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」絶え間なく降り注ぐ閃光の雨に、たき火で炙られたスイスチーズめいて、穴だらけの黒錆色の即席要塞が溶け崩れていく。「怯え竦んで死ね! 泣き叫んで死ね! イヤーッ!」トドメを狙うクレーシャは、三段攻撃プロセスを限界まで加速する! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ニンジャ動体視力を持ってしても、今のクレーシャは無数に分身して見えるだろう。光線の着弾より速く次弾を放つその姿を上空から見れば、緑光で描かれた円盤めいた光景が瞳に写るに違いない。「イヤーッ!」だが、蛍光色の円を黒錆色が切り裂いた! 

 

黒錆色の正体は、壁の中から放たれた巨大クナイ・ボルトである。即席ニンジャバリスタから打ち出された巨大クナイ・ボルトは、霧めいて01分解したクレーシャを吹き飛ばし、緑光の円盤に切り欠きを作る。こじ開けられたキルゾーンの隙間をもう一つの黒錆色が駆け抜けた。当然、ブラックスミスだ! 

 

「逃がすか! イヤーッ! イヤーッ!」その背中めがけ、数え切れないクレーシャの顔が殺意を閃光として放つ。01ドットで描かれた三眼の魔神が、黒い背景の中で心霊写真めいて無数に映し出される! コワイ! 「ナニィーッ?」だが、その表情は驚愕に染まった。黒い背景の影がクレーシャを包んだからだ。

 

背景の黒。それはセキバハラの荒野には存在しない色合いだった。この場に存在する色彩は、荒れ野の赤茶色、雲一つない空の青、クレーシャの生み出す蛍光の緑、そして……ブラックスミスが生成する黒錆色。そう、黒い背景はブラックスミスがニンジャ装束で作り上げた巨大暗幕に他ならない! 

 

クレーシャが自分の背中を狙うと予想したブラックスミスは、バリスタと同時生成しておいた巨大暗幕を、脱出と同時にオショガツのカイトフェスタめいて展開したのだ。「イヤーッ!」振り返ったブラックスミスがシャウトと共に、展開にも使った巨大暗幕四隅のロクシャクベルトを引き寄せる。

 

その姿は冬の日本海でトロール底引き網を引く漁師集団そのものだ。当然、網にかかったアワレな魚群はクレーシャに他ならない。「グワーッ!?」クレーシャは霧めいて01分解し透過を試みるも、ニンジャ装束製の緻密な巨大暗幕はその実体を正確に漉し取ってみせる。

 

「イヤーッ!」さらにブラックスミスがロクシャクベルトに捻りを加えると、巨大暗幕はキンチャクめいてクレーシャを閉じこめにかかった。01分解での脱出は不可能。このままではラットインザバックは確定。閃光で暗幕を切り裂く他はない! 判断を下したクレーシャは実体化と同時に三眼へ輝きを集める。

 

だが、それもまたブラックスミスの予想内であった。実体化しているということはスリケンが刺さると言うことだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」実体化を予想していたブラックスミスのスリケンは、閃光を放つ直前の三眼へと深々と突き刺さった。逆流した光線がクレーシャの内側を焼く。何も見えない! 

 

それが致命的な隙を生んだ。四隅を捻り上げられ暗幕は口を絞ったキンチャクとなる。最早逃げ場がない! 「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラックスミスはキンチャクをイポン背負いで荒野へと叩きつける。01分解しようともダメージを逃がす場所もない。クレーシャは粒子一つ一つで衝撃を味わった。

 

身動き一つ取れずキンチャクに拘束されたクレーシャへ、跳躍からの急降下カワラ割りパンチが突き立つ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」マウントからさらにカワラ割りパンチを叩き込むブラックスミス。「イヤーッ!」「グワーッ!」容赦ないカワラ割りパンチの嵐がクレーシャに襲いかかった! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 

それは、かつてやり場のない暗黒なエネルギに突き動かされるままに、ソフトカワラへとカワラ割りパンチを叩き込み続けたあの夜にどこか似ていた。だが今、ブラックスミスが握り拳に込めるのは、コールタールめいた憎悪ではない。家族を守るという明確な意志が、その拳を鋼めいて堅く握らせているのだ。

 

「イィィィ……」鋼鉄の意志を帯びた右腕が、蒼穹へ高々と突き上げられた。その腕に虚空より現れた無数のスリケン鎖とロクシャクベルトが瞬く間に絡みつく。右腕は込められた意地を体現するかのごとき、荒々しく猛々しいガントレットに覆われていた。右腕と背中の筋肉が縄めいて浮かび上がる。

 

「……ヤァァァーーーッ!」身動き一つ取れずキンチャクに拘束されたクレーシャへ、ブラックスミスの全身全霊を込めたカワラ割りパンチが突き刺さる! 「アバーッ!」貫通した拳がクレーシャと地面を縫いつけた。パンチが空けた穴から01の飛沫が吹き上がる。

 

「フゥゥゥ」立ち上がったブラックスミスは全身に満ちた、カラテ廃熱を深い呼吸で吐き出す。熱を帯びた吐息がセキバハラの荒野に解けて消えた。手応えはあった。致命傷は確実だ。クレーシャを捕らえたキンチャクを一瞥すると、黒錆色の糸屑と01の塵に変わって虚空へと消えていく。

 

残ったのは腹に大穴を合け、血潮めいた蛍光色の01をこぼす、死に体のクレーシャ。勝敗は決し、イクサは終わった。後はインタビューの時間だ。「俺を連れてきた理由、キサマの言う計画、全て話せ! クレーシャ=サン!」カワラ割りパンチで開いた腹の大穴を踏みつけ、ブラックスミスが問い糺す。

 

当然、生かすつもりはない。だが01の血と共にクレーシャの口から漏れ出た言葉は、ブラックスミスの想像を超えていた。「よく、も……駒ごと、きが。だが他の、アバッ……『私』が必ず、計画を……アババッ、果たす」「他の『私』だと!?」目を丸くし、掴みかかるように問いかけるブラックスミス。

 

その様子に口走った言葉の意味を理解したクレーシャは、三眼に刺さるスリケンを両手で握りしめる。「喋り……アバーッ……過ぎたか。『物語ル/糸織リ直シ/君帰ル』……サヨナラ!」謎めいたハイクと共に、脳髄の裏側までスリケンを押し込み、クレーシャはセプクを果した。

 

「イヤーッ!」危険を察知したブラックスミスは即座に回転ジャンプでその場から離脱する。KABOOM! クレーシャは爆発四散。その破片は共に粉々に崩れ、頭蓋ごと01の塵と消え去った。セキバハラ荒野もまた爆発四散と共にひび割れ、二進数の欠片を振りまいてステンドグラスめいて崩壊してゆく。

 

再び現れた安アパートの中、ブラックスミスは一人立ちすくむ。第四の壁を越えた手段、シンヤへと誘惑を繰り返した理由、他の『私』という言葉、末期のハイク、そしてクレーシャの口にした『計画』の正体。僅かなヒントを残して、無数の問いもまた虚空へと溶けていく。

 

抱いた疑問は解けないままに終わった。だが、クレーシャの残した言葉は、まだ何も終わっていないと暗喩しているように思える。何が起きるのか、想像もつかず打つ手も見いだせない。それに、今は他にすべき事がある。クレーシャの爆発四散跡と幾多の謎に背を向け、ブラックスミスは静かに目を閉じた。

 

ここは自分のローカルコトダマ空間だ。強く想えるならば戦える、それが誰であろうとも。ブラックスミスは安アパートの一室に明確なイメージを描きだす。想像は血肉を伴い、遂には一つの人影を形作った。影は袖口を合わせてオジギをする。その拍子に、分銅鎖がジャラリと鳴った。

 

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#3終わり。#4へ続く



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第四話【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#4

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】#4

 

ブラックスミス……すなわちシンヤが目を開けた先にあったのは、アドバンスショーギ盤めいた正方形が隙間なく並ぶ天井と、その背景に描かれた巨大なマンダラサークルだった。トモダチ園の天井は無地であり、ねぐらの廃ビル天井はコンクリート打ちっ放しだ。この天井にシンヤは見覚えがなかった。

 

周りを見れば、黒いゴミ袋が壁と積まれている。背中には湿ったマットレスの感触。どうやらゴミ袋の合間に敷かれたマットレスに横たわっているようだ。壁の隙間から射し込む光は、オレンジ混じりの夕方の色をしている。フラグメントとのイクサは日の暮れた後だったから、最低でも一日近く経過している。

 

意識を失っていた間に誘拐されたのでもなければ、ここはダイトク・テンプルのお堂の筈だ。(((意識を失っていた、か)))シンヤは自分の言葉に忍び笑いを漏らした。妙なサケ擬きを振りかけられた以降の事もしっかり覚えている。目を覚ますまで、シンヤは自らの内側にいたのだ。

 

隠されていたソウルを探し出し、獅子「心」中の虫であったクレーシャを打ち倒し……ニンジャとなった。パワだけを得ていた頃とは違う。自分は本当に人間とは別の生き物になったのだ。文字通り、新しく生まれ変わった気分だ。だが、それは自身の意志で行ったことだ。言い訳はない、一切しない。

 

(((俺はニンジャになった。そしてこれから家族を守るニンジャとなる!)))シンヤはマットレスから回転ジャンプで無言のまま立ち上がる。完全にニンジャとなった身には、この程度の動作にシャウトは必要ない。拳を握っては開くが、イクサの不出来を責め立て続けた痛みは全くない。

 

何カ所も折れていた肋骨も治っている。ニンジャ装束すら真新しい。再度のディセンションで傷は癒えたようだ。一点を除き体に不調がないことを確かめると、シンヤはデント・カラテ基本の構えを取った。本日入会したてのカラテ・ニュービーのように、ゆっくりとした丁寧なカラテパンチを宙に繰り出す。

 

足の位置、重心の動き、関節の角度、筋肉の収縮。シンヤは全感覚を持ってカラテと肉体のチューニングを行う。カラテパンチと共に微調節を繰り返し、体感と記憶が一つ一つ合一していく。同時に虚空を打ち抜くカラテパンチはギアを順番に上げ、徐々に加速していく。

 

蝿が留まる速度から、汗が飛び散る速度へ。モータルでも観察可能な速度から、ニンジャにしか認識できない速度へ。そして遂に肉体感覚とカラテイメージが完全に一つとなった。もう一度デント・カラテ基本の構えを取り直すと、シンヤは最終試験として全身全霊のカラテパンチを放った。

 

「イヤーッ!」空気を打ち抜く拳は音速を超え、鞭めいた破裂音がお堂に響いた。ただ一点を除き、全身余すところなくオールグリーン。調整を終え、今のシンヤはパワを手に入れた時すら比べものにならないほどに、完璧な状態にあった。(((これなら……!)))拳を握り直すシンヤの耳に声が届いた。

 

「ドーモ、トレーニングは終わったか? 夕飯だ。食べるといい」お堂の入り口にはシンヤのカラテ・チューンアップを待っていたボンズ擬きの姿。両手には市販のパック合成スシと、紙コップ入りのインスタント味噌汁を持っている。ゴミ袋の迷路を器用に通り抜け、シンヤに食事を手渡した。

 

「ウルサくしてスミマセン」一言詫びてシンヤは食事を受け取り、マットレスに腰を下ろす。ボンズ擬きもその前にアグラで座る。いただきますと食事前のアイサツを終え、パックからサンマスシを取り出し、口を付ける。「賞味期限越えの安物だ。その上、放置しておったから干からびておる。マズイぞ」

 

ボンス擬きの言葉は少し遅かった。シンヤの口中で乾ききったシャリが唾液を吸い取って、オカラスシめいてボロボロと崩れる。半端に水分を帯びたネタは、パサついた舌の上にベッタリと張り付いた。半乾燥スライムの食感から現れた味は、合成油で揚げた下等ネリモノにサンマの生臭さを足した代物だった。

 

口一杯に広がった不快感と不味さを取り除こうと、急いでインスタント味噌汁の紙コップに口に付ける。暖かな味噌汁が舌にへばりついた自称スシネタを胃袋に流し込む。だが、不快感はさらに増した。鼻を内側からカビ臭さが殴りつけたからだ。味噌汁と名乗っているくせに、オミソの旨味は何処にもない。

 

精々、カビ臭さの中に僅かにオミソの香りがするだけだ。ニューロンを塗りつぶす不味さの中でなんとか感じ取れた味噌汁の味は、塩化ナトリウムのそれだった。ケミカル合成栄養点滴を静脈注射した方が、苦痛がない分遙かにマシだろう。心の底からそう思わせてくれる食事だった。

 

「オイシイです」それでも空の胃袋に食事が入ってくる喜びは堪えられない。これは毒物だと主張する味覚と触覚を、消化器官の満ち足りた感覚が上書きしていく。全身に広がる栄養の暖かみが更なる悦びをニューロンに伝える。快楽に逆らうことなく、シンヤはスシと味噌汁を腹の中に詰め込んでいった。

 

再度のディセンションでイクサの傷は治ったが、それに費やしたカロリーが回復することはない。先日の消耗も相まって、シンヤの肉体は飢餓寸前だった。脱皮後のバイオタラバーガニは、栄養補給のため周囲の生態系を根こそぎ食い荒らすという。肉体を作り替えるとはそれほどのカロリーを要するのだ。

 

後半日も放っておけばシンヤは栄養失調で身動き一つとれなくなっていただろう。それだけにこの食事は本当にありがたかった。胃袋で処理され腸に送り込まれたスシと味噌汁から、ニンジャ代謝力が一つ残らず栄養を吸い上げる。冷め切っていた全身に熱量を帯びた暖かな血が回り出す。

 

シンヤは食い物かどうか怪しい代物を大喜びで貪り食らった。その姿をボンズ擬きは苦笑を込めた目で眺める。「これがウマイか。よほど、腹が減っておったようだな」その声にボンズ擬きが目の前にいることを思い出したのか、シンヤは食事の手を止めて頭を下げた。「何から何までスミマセン」

 

「よい。こちらの身勝手の詫びでもある」頭を下げるシンヤをボンズ擬きは片手で制する。ハンニャ・ウォーターを振りかけたのは感情のままの行いだった。いくら悪影響のない薬物といえども、イドを覗き込みすぎれば落ちる。ミヤモト・マサシのコトワザの通りに危険な行いだったのだ。

 

シンヤが最後のエビスシを、これまた最後の一滴となった味噌汁と共に胃袋に送り込んだ。「フゥー」人心地ついたと長い息を漏らす。シンヤが食事を終えたと確認したボンズ擬きは真剣な表情でシンヤと相対した。食後のリラックス状態だったシンヤも思わず姿勢を正す。

 

「して、オヌシは自分の中で何を見た? そして何をした?」ボンズ擬きは食い入るように問いかける。生きるも死ぬもせずにただ風化するに任せた自身の魂を蹴り上げたニンジャ。彼ならばあるいは己の問いに答えを返せるのか。だが、シンヤとしてはボンズ擬きの態度に困惑するばかりだ。

 

確かに自分のニューロンの内側で色々と有ったし会ったが、それは全部自分個人の体験にすぎない。ましてやボンズ擬きが知っているだろうニンジャについてはともかく、前世だの第四の壁だのについて話せるわけもない。シンヤはどう言葉にするか頭を捻った末に、ようやく口を開いた。

 

「自分の内に巣くっていたオバケと出会いました。そしてオバケに自分の醜さを突きつけられ籠絡されかけましたが、家族のお陰で打ち倒せました」別の意味にとれるように言ったが、決して嘘は言っていない。シンヤの答えが望むものでは無かったのか、天井を仰いだボンズ擬きは大きく諦めの息をつく。

 

「……やはり、助けがなくとも始めから立ち上がれたか。アタリマエの話よの」待ち望んだ答えは得られず、胸の内で燻っていた熾火は、諦念の灰の中に再び消える。だが灰色をした表情を、シンヤは苛立ちと不満を混ぜた顔で見つめていた。ボンズ擬きが納得する答えを出せなかったことは仕方ないだろう。

 

しかし、自分は家族のお陰と口にしたのだ。家族と『家族』の助けなくば、ニンジャ『コルブレイン』として手始めにボンズ擬きの首をチョップで刎ねていたかもしれない。それを、そんな物は必要なかったと言われるのは納得しかねる。そんなシンヤの思考が、思わず口から漏れ出ていた。

 

「一人では倒せない相手でした。家族の手助けがあって何とか勝てた。それにそもそもアナタがハンニャ・ウォーターをかけてくれなければ立ち向かうこともできなかった。皆のお陰です」お礼にしては少々皮肉が多いシンヤの言葉にも、ボンズ擬きの諦観が動く様子はない。

 

シンヤの方へと足を投げ出し、ブッダレストの体勢で横になったボンズ擬きは、つまらなそうに言葉を投げ捨てた。「助けを得ようとも勝てぬ者は勝てん。助けが無くとも勝てる者は勝つ。ワシはほんの一助にすぎん。オヌシが勝てる者だったから勝っただけのことよ。全ては自ずから然りと決まっておる」

 

横たわったまま懐から湿気ったオカキを取り出して口に放り込む。表面の緑はアオノリか、それともアオカビか。どちらにせよ、湿気ったオカキが旨いはずもない。それを噛み砕くボンズ擬きの耳に、煎りたてのオカキが砕ける音が届いた。音源はシンヤの手の中で、粉みじんに砕けたスシパック容器だ。

 

シンヤはクレーシャの誘惑の中で自らの矮小さと卑小さを思い知り、それを乗り越えた。しかし、だからといって、ネオサイタマの中で抱いていた怒りと憎しみを忘れたわけではない。何より『家族』との幸せな日々を唐突に奪われた理不尽を許したことなどない。

 

それだけに全ては運命と暗に言うボンズ擬きの台詞は、シンヤのカンニンブクロに火をつけた。青筋を立てたシンヤは感情のままにボンズ擬きに怒鳴りつける。「俺が勝てる者だとしたらその理由を皆で作ったからだ。最初から決まっていたわけじゃない。それともブッダが全部決めていたとでも!?」

 

お堂中に響くシンヤの怒号に、ボンズ擬きは思わず上体を起こしてマジマジと見つめる。シンヤの言葉はボンズ擬きのニューロンをキックし、かつての光景を脳内で再生させたのだ。それは交通事故で死んだ、ある労働者の息子の葬儀を終えた夜だった。若き日の自分はその子供の難病を必死に癒した。

 

だが、その全てはただ一台の暴走トラックで無駄になった。病を治して元気一杯のオジギをしてくれた子供は、父親の目の前でネオサイタマのありふれた悲劇に消えた。ブッダよ、なぜあの子はアノヨに行かねばならなかったのか? 杯に涙で波紋を作りながら、繰り返しブッダに問いかけた。

 

その問いに答えたのはブッダではなく師の声だった。「ブッダは運命など決める力はない。運命を決めるのはその人にこそにある」ブッダに理由を求めることすら許さぬ、余りに厳しい師の言葉。その時のボンス擬きはそれを受け入れることができなかった。

 

だが今、シンヤの叫び声をきっかけにその意味が腑の底に音を立てて落ちた。腹の底まで落ちた言葉は横隔膜を震わせ、気づけば呵々大笑となってボンズ擬きの喉から溢れ出ていた。「カーッカッカッカッカッ! そうか! 己を救える者は己のみ! アタリマエの話! ボディサットバにでもなったつもりだったか!」

 

勝ちも負けもは始めから決まっているのではなく、自ら決めるものだ。自らを救った人は救おうと決めた。だから自らを救えた。自分たちがやってきたのは、自らを救おうと決めた人の、自らを救おうと決めるための、その一助だったのだ。

 

ボンズ擬きの突然の大笑いに、理解不能のシンヤは引き吊った表情で僅かに後ずさる。自分が怒鳴り散らした途端、相手が腹を抱えて笑い出したのだ。揮発したハンニャ・ウォーターがキマってしまい、愉快痛快爽快な妄想で大爆笑しているのか。

 

こりゃヤバイと青ざめるシンヤを余所に、息も絶え絶えと笑い終えたボンズ擬きはニンマリと笑ってシンヤに呼びかける。「セッパ」「え?」不可解な行動に不可思議な台詞を追加され、シンヤはさらなる困惑に叩き込まれる。「セッパ、じゃ。そう答えい」「アッハイ。セッ、パ?」

 

何を言わされているのかと疑問を覚えるものの、ボンズ擬きの勢いに圧されるままにシンヤは答えた。『セッパ』とは『ソモサン』と対となる、いにしえのゼンモンドー・チャントである。その意味は『答え』だ。

 

ハンニャ・ウォーターを振りかけられた後の話をシンヤが知る由もないが、ボンズ擬きのゼンモンドーはこれで完遂されたのだ。ボンズ擬きはシンヤの返答に満足げに頷くと袂を探る。ボンズ擬きの墨色のカーシャローブからゴミやら埃やらと一緒に出てきたのは、オブシダンの色合いをしたブディズム・ロザリオ。

 

「こいつを持って行け。ワシにはもう必要のない物だ」長年の問いからの解放の表情のままに、ボンズ擬きはシンヤに突き出す。シンヤの目前に突き出されたのはオーガニック黒檀のジューズ・タリズマンだ。ボンズ擬きにとっては師が遺した数少ない思い出だった。だが、遙かに大切な事に気づけた。

 

そんな心情など知る由もないシンヤの困惑した視線が、どう考えても超高級品のジューズ・タリズマンとボンズ擬きの間で往復する。戸惑いを感じ取ったのか、ボンズ擬きはシンヤの手にジューズ・タリズマンを乗せた。

 

手の中のオーガニック黒檀は、金属めいて重くそれでいて自然物の暖かみを持っている。この御仁が自分の意志で渡そうとしている以上、拒む理由はない。ニンジャとなった今なら盗まれる心配もない。今はただ好意を受け取ろう。「……アリガトゴザイマス」

 

シンヤの深いオジギと共に懐にジューズ・タリズマンを納めた。「礼を言いたいのはこっちじゃ。三十年の問いに答えを得て、ようやくダイゴできた。アリガト」「イエイエ」シンヤの礼を手で制し、ボンズ擬きは深々とオジギした。シンヤも制止を無視してもう一度オジギする。その拍子に頭がぶつかった。

 

お互いの顔に苦笑が浮かぶ。「さて、ワシはこれから掃除の時間じゃが、オヌシはどうする? 家族の所に行くか、ここに残るか?」辺りをグルリと見渡し、ゴミ袋の数を勘定し始めたボンズ擬きがシンヤへと問いかけた。「家族の元に帰ります」返答に躊躇いは一つもなかった。

 

迷いなく答えたシンヤに、ボンズ擬きもまた迷いの晴れた顔で頷く。「そうか。では、カラダニキヲツケテネ」「アナタも。ではオタッシャデー!」黒錆色の風がお堂を駆け抜けた。ボンズ擬きはその残像が消えるまでじっと見つめていた。

 

【クエンチッド・ソウル・バイ・タービュランス】終わり



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第五話【シャープン・フェイス・オン・イクサ】#1

【シャープン・フェイス・オン・イクサ】#1

 

夕方のネオサイタマ幹線道路を法定速度超過の乗用車が疾走する。風を切るのは平凡なライトバンに「エガオローン」「ニコニコ現金支払う」と印字された、何処にでも有るような車だ。十分ばかり道路を見ていれば、似た車がダースで見つかるだろう。速度以外はそのくらいありふれた代物だった。

 

中の人間たちもまたありふれている。チャカ・ガンを手入れする金髪の男、ZBRを回し打ちするタンクトップとホクサイ・タトゥーの二人組。運転手もサイバーサングラスで隠した深いカタナ傷を片目に備えている。ネオサイタマにありふれた暗黒零細金融企業の一つ、エガオローンの借金回収班である。

 

ただ彼らがまとうのは、ありふれたいつも通りのアトモスフィアではない。金髪はチャカ・ガンの分解と組立を十数回も繰り返し、二人組はZBR・シャカリキ・濃縮バリキと手持ちの薬物を使い切る勢いだ。運転手も突っかかってきたヤンクバイカーの口に拳銃の銃口をねじ込むほどに気を立てている。

 

これから借金を回収する先が、武闘派ヤクザの事務所だったり、反社会武装アナキストの集合所だったりする訳ではない。もしそうならば、上に掛け合って荒事専門のエージェントを投入する。実際、別の回収班が爆死する妙な事件があったとはいえ、回収先は単なる孤児院だ。

 

彼らの落ち着きを奪っている原因は、ライトバンの後部座席に鎮座していた。「粉」「砕」二文字のシャツにOD色トレンチコート。以前と異なり眼帯と無地のメンポを身につけているが、ソウカイニンジャのフラグメントに他ならない。彼らは背後からの強烈なニンジャ圧力で追いつめられているのだ。

 

逃げ場のないライトバン内部でニンジャと同居することとなれば、ニンジャと知らずとも大抵のモータルは怯え焦る。だが、用もなくニンジャ圧力をまき散らす真似をフラグメントとて普通はしない。つまり普通ではない。実際、戦った経験のあるシンヤが今の姿を見れば、その違和感に気づくだろう。

 

まず、真っ先に違いを示すのはその目だ。イジメリンチ常習犯の悪童めいた光は消え、タマリバーの如き暗く濁った隻眼で、組んだ両手をじぃっと見ている。心理を読みとる事に長けた者ならば、底の見えない一つ目から狂気の色合いを見いだすこともできるだろう。

 

そして、見つめる先の組んだ両手も以前とは大きく違う。左右の手で触れ合っているのは親指と人差し指だけ。残りはない。存在しない。ケジメされたのだ。しかし、通常ケジメは指一本の切断で終了する。責任が大きい場合も一度に多数の指をケジメするよりセプクが一般的だ。異様である。

 

最後の一点は、メンポにある。前はソウカイヤ所属を示すクロスカタナ・エンブレムの刻まれたメンポを身につけていた。今は一切の装飾のない無地のメンポだ。ソウカイヤを抜けてフリーエージェントにでもなったのか? 否、フラグメントはまだソウカイニンジャだ。だが、その立場は以前とは大きく異なる。

 

ニューシナガワでの無意味かつ証拠付きの大量殺戮、スカウト対象相手のブザマな取り逃し、そして緊急電話呼び出し対応の遅れ。今までの辛口評価を加えて、遂にフラグメントに処罰は下された。セプクでなかったのは、オムラ相手のビッグディールが上首尾に終わりラオモト・カンがゴキゲンだったからだ。

 

だから、両手の指六本のケジメに加えて、ソウカイヤ集会で反省文朗読とドゲザ謝罪、さらにクロスカタナ・エンブレムの取り上げ、最後に借金回収部門への降格を持って、フラグメントの処分とされた。ラオモト・カン発案のこの懲罰は、セプクが比べものにならない程のケジメを精神に刻んだ。

 

借金回収部門でケツモチしているエガオローンのリストの中に「トモダチ園」の名前を見つけた時、それ故にフラグメントは動いた。失われた片目と指六本のサイバネ置換を行う時間すらもどかしかった。尊厳という尊厳を奪われた今のフラグメントに、復讐の機会は砂漠のオアシスよりも魅力的だったのだ。

 

存在しない六本の指を見つめるフラグメントの心中には、ただただ激烈な乾きがあった。いかに善良であろうと、飢えた人はスシ一貫のために殺人すら冒す。心中に刻まれた巨大なケジメ痕を埋めるためならば、フラグメントはソウカイヤに牙剥くことも、ラオモト・カンに唾吐くことも厭わない。

 

「殺してやる」フラグメントの口から漏れた呟きが、車中を深海のアトモスフィアに変えた。呼吸すら苦痛となる場の重さに、借金回収班の四人は青白い顔で過呼吸を繰り返す。空気に潰されかけた運転手は、踏み砕く勢いでアクセルを踏み込んだ。目的地へと車は弾丸めいて幹線道路を駆け抜けていく。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「「「ゴチソーサマデシタッ」」」食事終わりのアイサツがトモダチ園の食卓に響いた。食前に行う食材への感謝のアイサツと、食後の調理者への感謝のアイサツ。ネオサイタマでは忘れられつつある伝統の一つであるが、キヨミとコーゾの教育方針もあってトモダチ園では未だに続けられている。

 

アイサツ後は各々の皿を持って流しに並べていく。洗い物を含む家事はキヨミが行うが、その手伝いは自分たちもやる。子供達の間で自ら決めた協定である。ましてや十日前の事件で片足に重傷を負ったキヨミに無理はさせたくない。実際、慣れない松葉杖で家事をこなす姿は子供達の目にも痛々しかった。

 

バランス悪く積み上げた皿を流しに置いたエミが、ふとキヨミの手にある一切手を付けられていない皿に気づいた。「ねー、シン兄ちゃんの分はどうするの?」エミの言葉のとおり、それは本来シンヤの食事だった。だが、十日前の事件以降、シンヤは一度たりともトモダチ園に帰宅していない。

 

それでもキヨミは毎食シンヤの食事も作っているが、その全ては子供たちのベントにスライドしていた。「いらないんだったら俺が食べる!」食い意地の張ったウキチが手を挙げて主張する。使う予定があるからとキヨミは主張をさらりと退けた。「シン兄ちゃん帰ってこないんだし、作るのやめたら?」

 

反抗したがりで情からサスマタを引き抜く正論が大好きなイーヒコが、キヨミの行動に批判を投げつける。「ダメよ」「でも、食材の無駄だよ」「ダメ」キヨミはそれもまた退けた。人はパンのみに生きる訳でも、正論のみに生きる訳でもない。そうでなければ、ネオサイタマに零細孤児院など存在しない。

 

「シンちゃんはすぐに帰ってくるわ。その時にゴハン抜きじゃカワイソでしょう?」「でも、もう十日も経っているよ! シン兄ちゃん帰ってこないじゃん!」自分の理屈を曲げたくないイーヒコが食い下がる。その後頭部を怒りに燃えるアキコの拳が打ち抜いた。

 

「イテッ!」「イーヒコのバカ! キヨ姉ちゃんがシン兄ちゃんをずっと待ってるのが判んないの!?」家族相手としても使っていい暴言ではない。だが、それだけアキコは怒っているのだ。アキコはキヨミが毎晩遅くまでシンヤの帰宅を待っていることを知っていた。

 

「だって……」イーヒコは反論の穂先をアキコへと向けようとしたが、振り上げられた拳に口をつぐんだ。モゴモゴと口の中で文句を噛み潰し、俯くイーヒコ。暴力はペンより強し。その姿を見てキヨミは松葉杖を不器用に使い、アキコへと向き直った。

 

「アキちゃん、そんな酷い言葉を使っちゃダメ。それに暴力はいけないわ」「ハイ、ゴメンナサイ」不承不承であるが、アキコは謝罪する。子供たちの暴君であるアキコでも、家事全てをこなすキヨミにはかなわない。その姿を嘲笑を浮かべて見つめるイーヒコへとキヨミは中腰になって視線を合わせた。

 

「イーちゃんも、シンちゃんが帰ってこないような言い方はしないで。あの日、大変なことがあったから帰り辛いだけなのよ。必ず帰ってくるわ」「でも……アッハイ、ゴメンナサイ」イーヒコの更なる反論は、殺意すら込めたアキコの視線の前に謝罪の言葉へと形を変えた。

 

「じゃあこれでオシマイ。家族は仲良くしなきゃね?」「「ハイ」」とりあえず話は終わりと両手を打って合図とするキヨミ。二人も一応は了解したのか、残りの皿を流しへと運び始めた。その姿を見ながらキヨミは一つ息を吐いた。(((あの日の事はやっぱり記憶にないみたいね、よかった)))

 

十日前に起きた事件。トモダチ園への借金回収ヤクザ襲来。返り討ちにあったシンヤへのニンジャソウル憑依。そしてニンジャと化したシンヤによるヤクザ殺戮。並の人間ならば重度のトラウマ(精神外傷)により、自我科への入院を余儀なくされる程の出来事だった。

 

実際、コーゾは今までの過労も相まってあれ以降寝込んだままだ。キヨミもあの日を思い出すだけで眠る事すら難しい。しかし、ニンジャと化したシンヤによるNRSは、サイオーホースに子供達の精神を救った。子供達の脳はNRSの衝撃でブレーカを落とし、記憶を削除してダメージを最小に抑えたのだ。

 

おかげであの日についての子供達の認識は『ヤクザがやってきて怖いことがあった』、それだけでしかない。子供達の内、誰一人として心を病んだ者はいなかった。それはジゴクにブッダめいた幸運だった。それでも、ブッダを見つけたところでジゴクにいることには何も変わりない。

 

コーゾが倒れた為、ローカルソバチェーン『ユウジン』は緊急休業。当然、トモダチ園の収入は0となり僅かな貯金は見る間に削られていく。家計簿を預かるキヨミには、トモダチ園がサンズリバーを渡っているようにすら思えた。現状は悪化の一歩をたどるばかり。見通しは立たず先行きは暗い。

 

「シンちゃん……」洗い物を始めたキヨミの口から、今はいないシンヤを呼ぶ声が漏れる。シンヤが戻ってきたところで、この苦境が改善される理由はない。それでもキヨミはシンヤに戻ってきて欲しかった。家族全員でなら、きっとこの苦難も乗り越えられる。理由も確証もないが、キヨミはそう信じていた。

 

それにシンヤも帰宅を望んでいるはずだ。キヨミはそう感じていた。十日前のあの日、シンヤは恐ろしいニンジャとなり、ヤクザ相手に暴虐を振るった。ニンジャの恐怖を思い出すだけでキヨミは震えが止まらなくなる。だが、振り払ったキヨミを見たシンヤの目は、自分の失敗に怯える子供の目だった。

 

キヨミが知っている、幼い頃と変わらないシンヤの目だった。きっと自分のしでかしたことを恐れて、帰宅を躊躇っているのだろう。時間はかかるかもしれないけれど、必ずシンヤはトモダチ園に帰ってくる。だから……(((帰ってきたらたっぷりオセッキョしてあげる)))キヨミは胸の内でそう呟いた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「来客・ドスエ」壊れかかったインターホンの合成マイコ音声が、合成洗剤で油汚れを落としているキヨミの耳に届いた。食器洗い中の両手は泡にまみれている。泡を流して水気を拭いて、松葉杖で下の階にある玄関まで行くとなれば、優に十分はかかるだろう。「だれか手の空いてる人、お客さんだから玄関までお願い」

 

轟音が響いたのは、キヨミが子供達に呼びかけた直後だった。BREEAK! 「アイェッ!?」この音にキヨミは聞き覚えがあった。十日前、トモダチ園の入っているユウジンビル入り口を、借金回収巨漢ヤクザが蹴破った時と同質の音だ。再び借金回収ヤクザがトモダチ園にやってきたのか? 

 

「私が見てくるから、みんな下に行っちゃダメよ!」子供達に待機を呼びかけ、キヨミは松葉杖を手に取った。不自由な片足と松葉杖に慣れるには、十日という時間は余りに短い。だが、それでも可能な限り急いで玄関へと向かう。コーゾが倒れ、シンヤのいない今、子供達を守れるのはキヨミだけなのだ。

 

「ド、ドシタンスカ!?」「ヤバイッスヨ!」玄関に近づくにつれ、キヨミには聞き覚えのない声が聞こえてきた。それがヤクザスラング亜種のヤンクスラングであるとは、当然キヨミは知らない。精々、先日のヤクザスラングよりは意志疎通ができそうだという感想しかない。

 

だが、次に響いた声の種類には最悪なことに聞き覚えがあった。「アバーッ!?」「アイェェェ!?」「タスケテ!」「ニンジャ、ナンデ……アバーッ!?」十日前にも聞いた、断末魔と悲鳴と絶叫の三重奏。そして絶望の叫び声に混じる『ニンジャ』という単語が聞こえた瞬間、キヨミの膝は折れかけた。

 

十日前の恐怖がキヨミの脳裏にフラッシュバックする。突然現れた借金回収ヤクザの暴力。立ち向かうものの一方的に叩き潰されるシンヤ。家族を守るためのキヨミの決意と絶望。シンヤのニンジャ化と逆流する暴虐。殺戮と血で染まるトモダチ園。そして……自らの行いに打ちのめされたシンヤの瞳。

 

(((今は私しかいないんだ、トモダチ園を守らなきゃ)))家族を守るために、帰る家を守るために、キヨミは萎えかけた足を動かし、階段を下りる足を進める。そして玄関が視界に入った。否、正しく言うならば『玄関は』見えない。見えるのは、かつて玄関であっただろう残骸だけだった。

 

十日前の破壊で枠だけとなっていたガラス戸は、二度目の破壊で使用不可能な形状にひしゃげている。玄関の総リフォームが必要不可欠だ。ドアがかつてあった位置には、応急修繕に使用したPVCシートが地面に力なく広がっていた。四つある人間大の膨らみの中は容易く想像できるが、想像したくない。

 

そしてその膨らみの制作者は、血の滴る三首フレイルを両手に垂れ下げていた。身にまとうOD色のトレンチコートも、返り血でマダラに染まっている。下手人であるフラグメントは、三首フレイルから跳ねた血を二本しかない指で弄ぶ。赤く染まった人差し指で、無地メンポに歪んだクロスカタナを描いた。

 

争いごとからほど遠い人生を送ってきたキヨミでも理解できるのほどの、痺れる狂気と焼け付く殺意が全身から滲み出ている。息を呑んで立ち尽くすキヨミの存在に気づいたフラグメントは、隻眼を狂った喜悦に歪めた。「おー、ここがトモダチ園だろ? お前はカナコ・シンヤの家族だろ? そうだろ?」

 

「……シンちゃんは、今いません。お引き取りください」狂喜に染まる一つ目で見つめられて尚、自分の口が動いたのはキヨミにも驚きだった。腰を抜かして泣き叫びながら失禁しても可笑しくないと思っていた。だが、『トモダチ園』『カナコ・シンヤ』、二つのコトダマがキヨミの背骨に芯を通した。

 

「あー、帰るぜ、すぐ帰る。ヒヒヒ、全員前後して殺して前後して潰して前後したらすぐ帰るぜ……いや、ダメだ。そいつをカナコ・シンヤに見せつけなきゃダメだ。だから直ぐ帰るようヤツの名を叫べ。ヒヒヒ、全員前後して殺して前後して潰して前後したらすぐに帰るから、呼べ! 呼べ! 名前を、呼べぇ!」

 

コワイ! 早口でまくし立てられたフラグメントの狂気に、気圧されたキヨミは思わず後ずさる。その拍子に松葉杖が階段を踏み外し、キヨミは腰を打ち付けた。その姿に嗜虐心を刺激されたのか、両手のフレイルを鳴らし恐怖を煽ながら、ゆっくりと、ことさらゆっくりとフラグメントが迫る。

 

「逃げて! みんな逃げて!」ニンジャ圧力に潰されかけながら残る意志力を総動員して叫ぶと、座り込んだままキヨミは震える手で松葉杖を構える。無意味なマンティス・アックスでしかないと判っていたが、それしかできなかった。逃れようのない狂気と恐怖に、神経の糸が音を立てて千切れていく。

 

ニタニタと気の違った笑みを浮かべたフラグメントは、キヨミの松葉杖を軽く払い落とすと、頭上で三首フレイルを振り回し始めた。「ヒヒヒ、まずはアンタだ。アンタを前後して殺して前後して潰して前後して、そいつをカナコ・シンヤに見せてやる」「アィェェェ……」キヨミの喉からか細い悲鳴が漏れた。

 

ALAS! このままキヨミはこの世のジゴクを味わって殺された挙げ句、死体を汚されて粉微塵にされ、トドメにゴア死体をもう一度辱められるというのか。そこまでされるいわれは何処にもない! おお、ブッダよ貴方はまだ寝ているのですか? それでもブッダが目を開ける様子はない。

 

そして……ブッダ以外が寝ているとも限らない! そう、家族を守るためにここまで来たのだ! 「イヤーッ!」カラテシャウトと共に、ヤジリめいた形状の鋼鉄が宙を切り裂いた。「イヤーッ!」フラグメントは回転ジャンプで飛来物を回避しながら、反撃のトライアングルボーラを投げ打つ。

 

飛来物は玄関ホールの床に深々と突き立った。二等辺三角形の鋭角を描く穂先、槍めいた長い柄、鉄輪の石突き。これすなわちクナイ・ジャベリンである。フラグメントはそれを知っていた。それを放つ者は一人しかいない、一人しか知らない! 「いたぁっ!」一つ目が期待と歓喜の色を帯びる。

 

トライアングルボーラをかわした黒錆色の風は玄関へと進入を果たし、キヨミを背にフラグメントへ立ちはだかった。その背中を見た途端、キヨミの恐怖は跡形もなく消え去った。影が振り返った瞬間、キヨミはその理由を知った。目の前にいたのは、家族だった。

 

「シンちゃん」キヨミは思わず名前を呼んでいた。恐ろしいニンジャではない、幼い頃からよく知っている弟の目。両目に涙が滲む。「……迷惑かけてゴメン、心配かけてゴメン、怪我させてゴメンナサイ。後でちゃんと謝るから、キヨ姉は子供達をお願い!」頼みに答え、キヨミは力強く頷く。

 

「うん、わかった。シンちゃん、カラダニキヲツケテネ!」家族のエールを背に受けてシンヤ、否! ブラックスミスはフラグメントと相対する。「おー、合いたかったぜぇ! ヒヒヒ、お久しぶりです、フラグメントです」「ドーモ、フラグメント=サン。ブラックスミスです」今、イクサが始まる。

 

【シャープン・フェイス・オン・イクサ】#1終わり。#2に続く



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第五話【シャープン・フェイス・オン・イクサ】#2

【シャープン・フェイス・オン・イクサ】#2

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャが本気で動くとき、モータルの目には色付きの風にしか見えないという。「イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ!」ならば、命を奪い合う全身全霊のイクサとなればどう見えるか。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」それはOD色の暴風と黒錆色の烈風が絡み合う大竜巻。カラテ荒れ狂うニンジャのイクサという大災害だ。モータルなど巻き込まれるどころか、近づくだけでゴア死体は確実だろう。

 

半神的存在がまき散らす災厄を前に、モータルにできることは恐怖で泣き叫びながら災いが去る日を待つことだけ。階下で吹き荒れるカラテ台風に、泣きじゃくり怯え竦む子供達も、NRSのフラッシュバックに痙攣するコーゾもそれしかできない。だが、子供達を慰めつつ、コーゾを落ち着かせるキヨミは違った。

 

「ダイジョブよ。シンちゃんが私たちを、トモダチ園を守ってくれるわ。だからダイジョブ」キヨミの内に恐怖はない。階上のトモダチ園と皆を守るため、家族が命を懸けて戦っているのだ。今、自分がすべきことは怯え竦むことではない。死力を尽くしているシンヤの為にも、家族を恐怖から守るのだ。

 

シンヤ、すなわちブラックスミスの勝利を信じるキヨミの下で、唐突に二色の旋風は人の形を取り戻して対峙する。油断なくデント・カラテを構える黒錆色のブラックスミス。腰だめに三首フレイルを揺らめかせるOD色のフラグメント。破壊されきった周囲を除けば、その姿は挨拶の直後と何も変わらない。

 

お互いに一切のダメージはない。完全に互角である。奇しくも立ち位置まで最初と同じ二人は、警戒を解くことなく言葉を交わす。「ヒヒヒ、オハナシは楽しかったか?」「待っていたのは意外だったな」フラグメントの笑い声に、ブラックスミスの疑問が返される。

 

ブラックスミスの知るフラグメントなら、確実に会話中に襲いかかっていただろう。慈悲なき凶悪なカラテ戦士が丸出しの隙を狙わないはずもない。無論、それを前提にブラックスミスの全感覚は、常時フラグメントを警戒していたのだが。

 

「ラオモト=サンに教わったのさ。奪う前には与える、踏みにじる前には抱きしめさせるってなぁ!」ソウカイヤ集会ではまずフラグメントの実績と献身を、誰もが理解できる形でプレゼンした。それから行われる反省文朗読とドゲザ謝罪、そしてクロスカタナ・エンブレム取り上げの効果を増幅するためだ。

 

「いい勉強をしたんだな。授業料も指六本のケジメと随分支払ったようだし、エンブレムも奪われて降格処分も受ければ、アンタ程度でも学べるか」「あ?」フラグメントの笑い顔が、憤怒の一色に塗り潰される。指六本のケジメとエンブレムは見たとおりだが、降格処分はブラックスミスのカマカケだ。

 

スカウト対象へ再接触があるかブラックスミスは知らない。だが、暗黒零細金融企業の借金回収班と一緒に、反ソウカイヤ行為の懲罰に訪れるとは考えづらい。だから、それを盛り込んでフラグメントにコトダマのスリケンを投げつけた。それは正確に精神ケジメ跡を刺し貫いていた。

 

怒りの余り角膜の血管を破裂させ、フラグメントは残り一つの目を赤く染め上げる。「スッッッゾコラァァァ!」コワイ! NRSとヤクザスラング、そして殺意を込めたニンジャ圧力。モータルなら失禁失神を通り越し、心臓を止めてアノヨへ逃げ出すだろう。

 

「前も殺す殺すって言ってたが、ソウカイヤじゃ『スカウト対象を逃がす』って事をそう言うのか? なら俺はもうとっくに『殺されている』訳だが」だが、覚悟を決めているブラックスミスには野良犬の遠吠えと変わらない。むしろ、自分の投げつけた嘲笑の効果が判ってありがたいくらいだ。

 

フラグメントの全ての表情は、殺意が焼け付くノウ・オーメンの下に消えた。「……じゃあ死ねよ」「それも前に聞いた」ブラックスミスは挑発を止めず、繰り返し炎にガソリンを注いでいく。それが勝機を見いだした唯一の方法だからだ。ブラックスミスの視線の先、眼球の赤がニンジャ回復力で消えていく。

 

代わりに現れたものは、無い。隻眼に写るのは虚無だけだ。ケジメ跡を覆っていた、狂気と憤怒というカサブタがはがれ落ちた。屈辱と汚辱で抉り抜かれたこの虚無を埋める、そのためだけに今のフラグメントは存在している。一つ目に浮かび上がった空漠を殺意で覆うと、三首フレイルを構え飛びかかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「イヤーッ!」空虚な隻眼を殺意で上書きし、フラグメントはブラックスミスへと飛びかかった。三首フレイルが死の三重円弧を描く。「イヤーッ!」ブラックスミスは瞬間生成したクナイ・ショートボー先端回転で絡めながら、ボー・ジツ基本の突きを放つ。

 

「イヤーッ!」即座にフラグメントは逆手の二首ロングフレイルで絡め取り、左右からの張力で捕らえにかかる。前のイクサではこれを受けてシンヤは一気に不利へと追い込まれた。だが、ブラックスミスは違う! 

 

「イヤーッ!」既にクナイ・ショートボーを手放し、二本目のクナイ・ショートボーを振るっている! 「イヤーッ!」フラグメントはクナイ・ショートボーの横薙をブリッジ回避。「イヤーッ!」フラグメントはバックフリップで距離をとりつつ、牽制のトライアングルボーラを投げ打った。

 

「イヤーッ!」ブラックスミスは薙払いからインメンマルターンめいた鋭角軌道で迎撃する。そしてフレイルが絡みついたクナイ・ショートボーを投げ捨て、新品を両手に持つ。タタミ五枚分の距離をとり、二人は互いに呼吸を整える。ここまでの応酬で双方は無傷のまま、実力は完全に互角である。

 

優れたカラテ戦士であるフラグメントといえど、指六本と片目の喪失は対ニンジャ戦闘では大きすぎる痛手だった。せめてサイバネした上でイクサに向かうべきだったが、こぼれたミルクはお盆には戻らない。さらに挑発で抉り出されたケジメ跡が、冷静な判断力を奪い取っている。

 

一方のブラックスミスは完全に近い。ディセンションの完遂で傷は癒え、ソウルの名前を取り戻して十全以上のジツが使用可能。家族を守るという目的もあり、キアイは十分でかつ精神は安定している。さらにローカルコトダマ空間内でのシミュレート戦闘で、フラグメントへのメタ対策を徹底している。

 

だが、それだけの有利条件を得ても尚、このイクサは互角のままだ。一朝一夕でカラテと経験の差を埋めるなど、コミックヒーローでも無ければ不可能な話だった。だから、ブラックスミスは作戦とフーリンカザンを以てこれを埋めるのだ。「イヤーッ!」ブラックスミスはコマめいて急回転しながら跳躍! 

 

高速回転により人影は黒錆色の旋風となる。「イヤーッ!」何が狙いか? だが、跳躍を見逃すフラグメントではない。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」即座にトライアングルボーラを三連射。死の三角形が三機編成でブラックスミスに迫る。それはニンジャ装束で出来た黒錆色の球体に包まれた。

 

フラグメントはそれに見覚えがあった。シナガワ繁華街とニューシナガワで見せた、ニンジャ装束を過剰生産するジツだ。シナガワではそれを衝撃吸収に用いてみせた。つまり、対フレイル防御能力極めて大! 事実、球体にトライアングルボーラは柔らかくめり込み、そのまま自由落下した。

 

「イヤーッ!」続けてのカラテシャウトともに、黒錆色の繊維片が元玄関を煙めいて覆い尽くす。ニューシナガワで見せた煙幕代わりの使用法だ。逃げる気か!? 「イヤーッ!」フラグメントはヌンチャクワークめいたフレイル振り回しで、黒錆色の煙幕を吹き飛ばしにかかる。

 

「イヤーッ!」それを邪魔するように煙幕を切り裂き、影がフラグメントめがけ放たれる。ニンジャ視力を持ってしても、視界〇の中から投げ込まれた影を見ることは出来ない。「イヤーッ!」だが、フラグメントは遅滞なくフレイルで迎撃する。煙幕のわずかな揺らぎを見切ったのだ。タツジン! 

 

「イヤーッ!」迎撃を気にしていないのか、若しくは迎撃に気付いていないのか、影は次から次へと投げつけられた。当然、フラグメントはフレイルで迎撃にかかる。「!?」唐突な違和感がフレイルを握る手に襲いかかった。だが、違和感の正体を確かめている時間はない。

 

「イヤーッ!」フラグメントは無理矢理フレイルを振るい、影の迎撃を試みる。しかし違和感はフレイルの軌道をねじ曲げた。「グワーッ!」迎撃し損ねた影が突き刺さる。そこでようやくフラグメントは影の正体を見つけた。クナイ・ジャベリンにしては異様に細長く柔そうな投擲専用のヤリだ。

 

フラグメントはこの武器を知らない。だが、欧州歴史学に詳しい者ならその形状を知っていよう。それは古代ローマカラテ武装の一つ『ピルム』である。かつてアルプス山脈を跨ぎ越えたハンニバルの巨大象兵を、古代ローマカラテ戦士がピルムの集中砲火でしとめたという伝承が記されている。

 

ニンジャ真実を知る者以外は荒唐無稽なおとぎ話と笑うこの歴史的事実が、投擲に特化したピルムの威力を物語っている。さらに投擲に特化したピルムの特徴はもう一つある。それは違和感の正体である、フレイルに絡みながら複雑に折れ曲がったクナイ・ピルムが物語っていた。

 

ピルムは敵による再利用を防ぐため、突き立つと同時に折れるよう穂先が柔らかく作られている。同時に敵の盾を使用不能とする柔らかさは、フラグメントのフレイルにも同様の効果を及ぼした。フレイルに迎撃されたクナイ・ピルムは柔らかく折れ曲がり、フレイルと絡み合って一塊の鉄屑になり果てたのだ。

 

これではニンジャの投擲物を迎え撃つなど不可能である。フレイルを捨てての対応も考えたが、慣れぬ素手では煙幕向こうからの攻撃に対応しきれない。フラグメントは、クナイ・ピルムと絡み合ったフレイルを投げ捨て、次のフレイルを構えようとする。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」だが、フレイル交換の時間など与えぬと、煙幕の向こうから雨霰の勢いでクナイ・ピルムが降り注ぐ。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」フラグメントも次々にフレイルを使い捨てながら迎撃するが、煙幕で視界を奪われていては、フレイル交換のタイミングが掴めない。

 

「イヤーッ! イヤーッ! グワーッ!」次のフレイルを取り出す一瞬の隙に、フラグメントの肩にクナイ・ピルムが突き刺さった。さらにピルムは体内で変形して内側から引き裂く。突き刺されば変形して深手を与え、弾き飛ばそうとすれば変形して獲物をゴミに変える。これがブラックスミスのメタ対策だ。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」フラグメントがダメージに悶える間にも、次から次ぎへとクナイ・ピルムが放たれていく。だが、シャウトの割にフラグメントが迎え撃つクナイ・ピルムの数は少ない。その理由は、ピルム迎撃に伴うソニックブームで吹き飛んだ煙幕の向こうが物語っていた。

 

「!?」煙幕が消えたとき、フラグメントは魚眼レンズで歪んだ墨絵の竹林の中にいた。何らかのジツで幻覚を見せられているのか? だが、乱立する漆黒のバンブーの隙間から、見覚えのある元玄関の壁や床が透けて見える。そして漆黒のバンブーにもフラグメントは見覚えがあった。クナイ・ピルムだ! 

 

そう、壁という壁、床という床に突き立ったクナイ・ピルムの墨絵竹林。これこそがブラックスミスの狙い、必殺のフーリンカザンである。その効果は、フラグメントが邪魔なクナイ・ピルムを除去すべく、フレイルを振り回そうとした瞬間に現れた。乱立するそれにフレイルが絡みつく! 

 

「チィーッ!」フラグメントの基本カラテであるフレイル・ジツは使用不可能だ。ならばと即座に素手のカラテによる排除を試みる。「イヤーッ!」だが、この光景の制作者がそれを許さない。竹林に滴る雨の如く、頭上からクナイ・ピルムが降り注ぐ。ここに潜むのは竹林のタイガーより危険なニンジャだ。

 

フラグメントは反射的にフレイルを振り回そうとするが、無秩序に立ち並ぶクナイ・ピルムと絡み合いゴミに変わる。更にタイドー・バックフリップによる回避にもクナイ・ピルムが干渉する。もはや回避不可能だ! 「グワーッ!」腿に着弾したクナイ・ピルム穂先が体内でねじ狂う。ダメージ重点! 

 

「イヤーッ!」更なるダメージを狙い、追加のクナイ・ピルムがダース単位で竹林の中から放たれた。弾道を描いてクナイの投げ槍が降る。「イヤーッ!」ニューロンを苦痛で染めながら、フラグメントは素手のカラテでクナイ・ピルムをなぎ倒し回避スペースを作る。これで回避可能となった。

 

「イヤーッ!」タイドー・バックフリップで着弾地点から脱出、被弾なし。だが、着弾地点を見るがいい。作ったはずの回避スペースが土砂降りのクナイ・ピルムで埋まっている! 火災後のバイオバンブー林めいて、墨絵竹林は即座に回復した。このフーリンカザンは不死隊めいた永続性を備えているのだ。

 

クナイ・ピルムを防げば武器を奪われ、回避にも周囲の掃除が必須。さらにブラックスミスの攻撃はフーリンカザンを回復させる。血から生成できるスリケンと異なり、フレイルは用意した分しかない。アウトオブアモーは近い。待てばジリープア(徐々に不利)だが、攻撃の糸口すらない。

 

フラグメントの額に焦りの汗が流れ落ちる。その様子を墨絵竹林の合間を移動しながら覗き見るブラックスミス。蜘蛛糸の縦糸めいて、墨絵竹林は獲物を拘束しながら自身は自在に動き回れるように作られているのだ。(((押し切れるか?)))ピルム大量生成で消耗したニューロンに勝利の二文字がちらつく。

 

以前はそれがウカツになった。改めてキアイを入れ直し、フラグメントを観察する。「イヤーッ!」警戒は正解だった。フラグメントが突如跳躍した! これではピルムのいい的となるだろう。何故のジャンプか? それは『ブラックスミスへの』視線が物語っていた。

 

「見つけたぁ!」航空写真で獣を捕らえるが如く、墨絵竹林に潜むブラックスミスを発見したのだ! 加えて上空から見れば、移動経路も一目瞭然だ。危険を覚悟しての跳躍により、フーリンカザンの有効性は大きく失われた。ならば少しでもダメージを与え、決戦に備えるべきだ。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ブラックスミスは手近なクナイ・ピルムを分解・再生成して、次々に速射する。フレイルを振り回せる空中にいるとしても、クナイ・ピルムによる武器無効化は失われていない。ましてや回避動作のできない空中だ。防御はフレイルに頼るほかはない。

 

「ヌゥーッ!」だが、フラグメントはフレイルを振り回さなかった。放たれたクナイ・ピルムは次々に突き刺さる。ダメージ覚悟で迎撃の代わりに行ったのは、トライアングルボーラ連射だった。フーリンカザンの中でジリープア(徐々に不利)の今、幾多のイクサの記憶が消極的選択は自殺行為と結論づけたのだ。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ブラックスミスめがけ放たれたトライアングルボーラは、着弾する前に複数本の乱立クナイ・ピルムに絡まった。当然絡まる先は周囲の乱立クナイ・ピルム。それは「外して保持」の現場保全テープめいて、ブラックスミスの移動経路を塞いだ。

 

「イヤーッ!」ブラックスミスは即座にそれをケリ・キックで破壊。フラグメントが接近するにはその時間で十分だった。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ!」フラグメントの回転ケリ・キック連打をブラックスミスはバック転で回避し、反撃のクナイ・ピルムを放つ。

 

だが、回転ケリ・キックで乱立クナイ・ピルムはなぎ倒され、カラテに十分なスペースが出来ている! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」クナイ・ピルムを容易く回避したフラグメントは、二首ロングフレイルを振り下ろす。ブラックスミスはクナイ・ショートボーを二本生成し、二首ロングフレイルを絡め取る。

 

だが、投げ捨てるより早くフラグメントは絡め取られた二首ロングフレイルを投げつけた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ブラックスミスは即座にダッキングで回避。「イヤーッ!」「イヤーッ!」その隙に踏み込みながらフラグメントがフレイルを懐から振り抜いた。

 

反射的にクナイ・ショートボーでからめ取りにかかるブラックスミス。(((分銅一つ!?)))その目が違和感で歪む。フラグメントのフレイルは、遠距離には『トライアングルボーラ』、中距離には『二首ロングフレイル』、近距離には『三首フレイル』として使用できるマルチニンジャギア”ミジン分銅”だ。

 

しかし、分銅一つのフレイルとして使用することはなかった。では何故? クナイ・ショートボーでからめ取ったフレイルの逆端がその答えだった。「イヤーッ!」懐から抜き放ったのは弧を描く白刃。銀色の表面に墨絵竹林を映し出すそれは、古より伝わるニンジャ武装クサリ・ガマに他ならない! 

 

これがフラグメントの切り札なのだ。「イヤーッ!」さらにフラグメントはバランス崩しを狙い、勢いよくクナイ・ショートボーに絡んだ鎖を引っ張る。違和感に従いクナイ・ショートボーを投げ捨てたブラックスミスの体勢は揺るがない。しかし、手持ちの武器がない! 

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」フラグメントが振り上げたクサリ・ガマが、白刃と同じ円弧を描く。ショートボー再生成より早いそれを避けきれないと判断し、ブラックスミスはクナイ骨格をスリケン鎖で覆ったガントレットで受け止めにかかる。「グワーッ!」だが、右腕に刃は深々と突き立った。

 

ジツ生成の小手ではソウカイヤ鍛冶が鍛えたカマを防ぎきれなかった。「捕まえたぁ! イヤーッ!」「グワーッ!」カマは肉を引き裂きながらブラックスミスを無理矢理引き寄せる。「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」三首フレイル殴打! だが頭部を覆った即席ニンジャヘルムが砕けながら受け止める。

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」反撃の左カラテストレートを、フラグメントは頭蓋骨の最硬部で迎撃。「ヌゥーッ!」「ヌゥーッ!」互いに激痛で悶える。右腕にカマを突き立てられたブラックスミスと、カマを手放せないフラグメント。一歩も引けない密着状態のまま、血みどろのカラテが始まった。

 

【シャープン・フェイス・オン・イクサ】#2終わり。#3に続く



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第五話【シャープン・フェイス・オン・イクサ】#3

【シャープン・フェイス・オン・イクサ】#3

 

そこは、常ならばトモダチ園の子供たちの声が聞こえる、平和なユウジンビルの玄関のはずだった。だが今、そこはクナイ・ピルムの乱立する墨絵竹林めいたキルゾーンとなっている。さらにその中央近く、カラテによって空けられた小さなドヒョーリングで二体のニンジャが決死のイクサの最中にいた。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」カラテパンチが鼻骨を叩き潰す! 「イヤーッ!」「グワーッ!」三首フレイルが肋骨をへし折る! 「イヤーッ!」「グワーッ!」チョップを残った目に突き込む! 「イヤーッ!」「グワーッ!」カマで骨から肉をこそぎとる! 互いに引かぬ、血まみれのゴジュッポヒャッポだ! 

 

「ハァーッ、ハァーッ」「ハァーッ、ハァーッ」荒い呼吸音の二重奏が、墨絵竹林に空いた小さなドヒョーリングに響く。何本となく突き立ったクナイ・ピルムもあり、受けた傷は格段にフラグメントが大きい。だが、ワンインチ距離のカラテ実力差でブラックスミスのダメージ合計値は急上昇している。

 

このまま密着格闘戦を続ければ、ブラックスミスが押し切られる可能性がある。それ故に右腕に刺さったカマをフラグメントが手放すことはない。「イヤーッ!」更なるワンインチ距離カラテを狙ってか、フラグメントがカマを引き込む。それにあえてブラックスミスは乗った。

 

「イヤーッ!」腕に突き立つカマを巻き込んでクナイ骨格を生成、それをフラグメントの腕ごとスリケン鎖で固定する。更に右腕でフラグメントの腕を握りつぶす勢いで掴む。お互いの位置関係は右腕を通して完全に固定された。バック転、ブリッジ動作、パルクール。どの手段でも逃れようはない。

 

「イヤーッ!」そして放つは全身全霊の左カラテストレート! 右腕同様のガントレットで覆った拳は容易くフラグメントの頭蓋を砕くだろう。「ヌゥゥゥッッッ!」だが……ALAS! 残った目を犠牲にしながらも、フラグメントは致命傷を回避してみせたのだ。なんたる覚悟か! 

 

お互いの位置関係は右腕を通して完全に固定された。光を失おうとフラグメントのカラテなら十分すぎる条件だ。「イヤーッ!」「グワーッ!」流れるようなイポン背負いでブラックスミスが床に叩きつけられる。繋がれた右腕のお陰で受け身がとれない! フラグメントは膝で左肩を踏みマウント体勢を作る。

 

「待ってたぜぇ、この瞬間をよぉーっ! イヤーッ!」「グワーッ!」最後のフレイルを抜き放つと、殺意と狂喜を乗せて三首フレイルを振り抜いた。「ヒッヒッヒッ、見えなくても判る、サイッコーの感触だ!」ブラックスミスは咄嗟に即席ニンジャへルムで防御するが、連続フレイル殴打は止まらない。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」(((反撃の手段は!?)))「イヤーッ!」「グワーッ!」(((何か無いのか?)))「イヤーッ!」「グワーッ!」(((家族を守るんだ)))「イヤーッ!」「グワーッ!」(((ダメだ、意識が)))「イヤーッ!」「グワーッ!」(((クソッタレ……)))

 

繰り返されるフレイル殴打の中でブラックスミスの痛みはいつしか消え失せ、ぬるま湯に浸かったようなヤスラギが全身を包んでいた。痛みとは肉体の警告であり悲鳴だ。それが失われた非常に危険な状態である。目に見える光景も、耳に入る音も、全てが酩酊じみて薄ぼんやりと頼りない。

 

壊れたビデオテープめいて繰り返されるフレイル殴打の映像に、不意に引きちぎれ飛ぶ何かが追加された。連続脳震盪で輪郭を失ったブラックスミスの視界にも唯一くっきりと映ったそれは、「約束」と刺繍された長方形の小さな布袋。その刺繍の通り、中にキヨミとの約束が納められている。

 

(((オマモリ・タリズマン!)))それを認識した瞬間、視界がコントラストを取り戻した。途端に血涙をこぼし喜悦の表情で三首フレイルを振り上げるフラグメントの姿が目に入る。「グワーッ!」更に三点打撃が頭蓋にヒビを増やし、激痛のパルスがニューロンを駆け抜ける。だが、その痛みがありがたい。

 

ブラックスミスは痛みを軸に全身の感覚を取り戻す。更に痛みの集中力でブーストしてジツを発動する。「イヤーッ!」「無駄なぁ! イヤーッ!」両手を拘束されマウントをとられた状態で何ができるのか。衰弱死寸前に調整して当初の予定を実行だ。嘲笑を浮かべたフラグメントはフレイルを振り下ろす。

 

だが、フラグメントは突如として前のめりにマウント体勢を崩した。更に既に失った両目の中で火花が飛び散る。「グワーッ!? ナンダ!?」真横から平面が叩きつけられ、世界が回転する。視力を失ったフラグメントには、何が起きているのか理解できない。狂気の隙間から恐怖が鎌首をもたげる。

 

だが、実行犯であるブラックスミスには何が起きたのか当然判っている。首に回したロクシャクベルトをニンジャ咬筋力とニンジャ頸筋力で引き寄せ頭突きを叩き込んだのだ。加えて全身の回転で横に投げてマウントを奪い取る。フラグメントの目が見えていたならば容易く外してカイシャクを加えただろう。

 

だが、必殺の一撃をかわし戦況をひっくり返すために支払った犠牲が、今のフラグメントを追いつめていた。一瞬前の最善手が次の瞬間の致命傷と化す、なんたるイクサの皮肉か! ニンジャのイクサとは、無慈悲で移り気な形無き怪物である。その怪物をしとめるためにはイクサ前の準備こそが肝要だ。

 

『沢山準備した方が勝つ』平安時代末期の伝説的ウォーロードである武田信玄も兵法書にこう残している。そして幾多の準備を重ね、敵を想定して作戦を練り、フーリンカザンを構築し、幸運すら手に入れ、チャンスをものにしたのはブラックスミスだった。勝敗はイクサの前に決していたのかもしれない。

 

先と上下の入れ替わった体勢で、ブラックスミスは左の拳を突き上げる。「スッゾコラーッ! ドケッテンダコラーッ!」ようやく状況を理解して、膝の下でフラグメントがもがく。怒りと虚勢で誤魔化そうとしても、その声は夕闇に取り残された子供めいて上擦っている。

 

恐怖を滲ませたフラグメントの声を無視し、ブラックスミスは遠くなる意識を歯を食いしばって無理矢理つなぎ止める。カマで抉られた右腕の深手に、徹底的な頭部フレイル殴打の傷。加えてワンインチカラテ乱打戦のダメージも深刻だ。この一撃でアウトオブアモー、最早打てる手はない。

 

(((それがどうした?)))ならばこの一撃で殺せばいい。家族を守る、そう決めたのだ。ブラックスミスはクレーシャを打ち倒した時と同様に、鋼鉄めいて堅く左拳を握りしめた。込められた意志が、覚悟が、カラテがエネルギとなり、拳から血の蒸気が立ち上る。左腕と背中の筋肉が縄めいて浮かび上がった。

 

皮肉にもフラグメントの鋭敏なニンジャ感覚は、確実な死が迫る光景を見えない両目に映し出した。ブラックスミスの拳に込められたカラテを理解し、フラグメントの顔から血の気が引いてく。マウントをとられ、両目は見えず、アドレナリンで誤魔化してもダメージは重大。この一撃を食らえば最期は確実だ。

 

フラグメントの首にデス・オムカエのカマが当てられた。目前に迫る逃げようのない死に、狂気と憎悪で押さえ込んだ恐怖が一気に吹き出す。「ヤ、ヤメロー!」「ダメだ」だが、ブラックスミスは哀願の声を一言で切って捨てる。家族の敵に慈悲はない。

 

「イィィィィヤァァァーーーッ!」「アバーッ!」全てのカラテを込めたカワラ割りパンチがフラグメントの顔面に突き立った! 自らの名前の通りに頭蓋骨が粉砕され、脳味噌と混じり合いながら床にぶちまけられる。残った首から下が絶命の叫びをあげた。「サヨナラ!」フラグメントの肉体が爆発四散! 

 

「グワーッ!」満身創痍のブラックスミスにはニンジャソウルの爆発から逃れるだけの体力も残っていない。爆発四散に巻き込まれ、クナイ・ピルムの墨絵竹林をなぎ倒しながら吹き飛んだ。赤錆めいたメンポも黒錆色の頭巾も吹き飛び、素のままのシンヤとなって壁にぶち当たった。

 

折れた無数のクナイ・ピルムに埋まりながら、シンヤは最後の力を振り絞り目を凝らす。視線の先には、クナイ・ピルムに引っかかったフラグメントの生首がある。(((これで、家族は、ダイジョブだ……)))家族のいる上階を仰いだブラックスミスは、安堵の息と共に意識を手放した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「シンちゃん! シンちゃん!」「ウウッ」揺さぶられる動作に、シンヤの意識は気絶の暗闇から急速に浮かび上がった。休息が足りないと痛みで文句を付ける全身が、逆に意識を無理矢理な覚醒に導く。痛みをこらえて薄く目を開ければ、いつもの家族の顔が目に入る。どうやら床に横たわっているようだ。

 

「キヨ姉、オハヨ」「シンちゃん、ダイジョブなの!?」涙を浮かべるキヨミを安心させようと、シンヤは冗談めかして笑って見せた。「ちょっと、ダイジョブじゃないかな」「こんなに、無茶して」冗談は逆効果だったらしい。涙の玉はサイズを増して、キヨミの頬を伝いこぼれ落ちた。

 

シンヤは笑いをしまい込み、真摯な顔つきで謝罪を返す。「ゴメン。でも、やらなきゃならないことだったんだ」「判ってる。でもこんなに傷だらけになって、死にそうになって……」

床に座り込んで優しく触れるキヨミの指先にすら、完膚無く傷ついたシンヤの肉体は痛みを訴える。

 

痛みに顔をゆがめるシンヤに気づいたのか、キヨミは更に眉を寄せて手を離した。とにかくキヨミを安心させねば。酷使したニューロンにむち打って、シンヤは案はないかと脳味噌を回す。「キヨ姉ちゃん、薬箱と担架を持ってきたわよ!」その耳に甲高い子供たちの声が響いた。

 

痛む体にカツを入れて上体を起こせば、トモダチ園の子供たちが墨絵竹林の隙間を走ってくる様子が見えた。先頭に立つのは得意満面に薬箱を高々と掲げたアキコ。その後ろで不承不承と書かれた顔で、イーヒコとウキチが担架を担いでいる。多分、アキコに命じられたのだろう。

 

その後ろに着いてくるのはエミとオタロウだ。興味深そうな顔でクナイ・ピルムをいじろうとするオタロウの手を、おっかなびっくりと歩くエミが引っ張っている。最後に青ざめた顔で、園長のコーゾが階段の壁に手を突いて体を支えている。

 

NRSと心労のダブルパンチで寝込んでいたが、トモダチ園の緊急事態に歯を食いしばってここまで来たのだ。絶好調とは到底言えないが、トモダチ園の全員が五体満足であることに違いはない。「……良かった、みんな無事だ」皆を見つめるシンヤの目には、優しみに満ちた暖かい光が宿っていた。

 

シンヤの目を見て、ようやくキヨミの表情から緊張が消えた。「ええ、皆ダイジョブよ」返答と共にキヨミはシンヤの頭を膝に乗せる。人肌の暖かさが後頭部に広がり、居心地悪そうにシンヤは視線を泳がせた。「その、キヨ姉、恥ずかしいからそれヤメテ」「家出するような悪い子のワガママは聞きません」

 

幼い子供に言い聞かせるような、はたまた幼い子供が拗ねたような声音でキヨミは弟の要求を却下する。ツンと唇を尖らせた姉の顔を、憮然とした表情で下から眺めるシンヤ。ふと何かを思い出した顔で、シンヤはキヨミに呼びかけた。「キヨ姉、ただいま」「シンちゃん、お帰りなさい」家族が皆、笑った。

 

【シャープン・フェイス・オン・イクサ】終わり



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エピローグ【オープン・ワン・アイ・アンド・ウォッチ・ザ・ダーク】

【オープン・ワン・アイ・アンド・ウォッチ・ザ・ダーク】

 

ネオサイタマの郊外には幾多の新興都市がある。その殆どはメガロシティが労働力を確保するためのベッドタウンとして建設された、コピーエンドペーストのフラクタル構造都市だ。その性質上、衛星都市の政経民全てはメガコーポに尽くす様に形作られている。

 

だが、新興都市の全てがメガコーポの忠実な奴隷というわけではない。ここエイトオージシティの駅から足を踏み出せば一目でそれが理解できるだろう。並び立つビルディングにネオンサインで描かれるのは巨大な「目」。通りを歩く人々全てを、遙かな高みから「目」が見下すように見つめている。

 

ネオサイタマ西部郊外最大級の都市を支配するのは新宗教『メガミ教』だ。街角の露店にも、高級ブティックのウィンドウにも、ありとあらゆる所にメガミ教を示す「目」が恭しく飾られている。町をゆく群衆も蛍光タトゥーや埋め込みピアスで形作った「目」で自らの信仰を示している。

 

そしてそれら無数の信者からの信心を受け止めるのは、エイトオージシティ中央通りの果てにそびえ立つ、ビッグメダマビルディング。ここがメガミ教の中枢にして総本部である。その前面には見る者全てを圧倒する余りに巨大な「目」……眼球を意味するエンシェントカンジが都市の全てを睥睨している。

 

今、ビッグメダマビルディングの入り口に停車した重装甲リムジンから一人の男が降り立った。海外ブランドスーツにバッファロー皮革ブーツ、18金で輝く腕時計と高級サイバーサングラスを身につけている。典型的なカチグミの出で立ちだ。ただし、彼のタイピンとネクタイには「目」の文様がある。

 

カチグミ男は迎えに来たメガミ教の僧侶と、交差させた両手で両目を覆う奇っ怪なアイサツを交わす。その動作は営業担当サラリマンの名刺交換めいて滑らかだ。ここにいる誰もが日常的にこの異様なアイサツを交わしているのだろう。ただ一人、重装甲リムジンの運転手が薄気味悪そうに肩をすぼめている。

 

運転手の態度に、「不信心」のLED文字がサイバーサングラスから突きつけられた。メガミ教の僧侶も両目を覆う布の奥から敵意の視線を投げかける。一つ目の国では両目を持つ人間が見せ物小屋に入れられるのだ。「アイェェェ!」恐怖の声と共にその場から逃げだした運転手を、誰が責められるだろうか。

 

不信心者が去ったことを確認し、カチグミ男は正門大扉を抜けた。大小の「目」に彩られたエントランスを抜け、無数の「目」が並ぶ長い廊下を歩き続ける。勘のいい者なら「目」の中にレンズの輝きを見いだすだろう。ビル内では「目」は単なるシンボルではない。高度な監視システムを成している。

 

まともな人間なら恐怖を覚える数え切れない監視カメラの「目」も、信仰深いカチグミ男にとっては素晴らしい喜びに変わる。数限りない「目」とその向こうのメガミ様が、自分を見出し、見つめて、見送っていらっしゃるのだ。大いなる存在に自己の魂を委ねきるヤスラギを感じながら男は歩みを進める。

 

そして長い長い廊下の果てに、男は三つの「目」を持つ扉にたどり着いた。聖印である「目」が三位一体めいて三角に並ぶ扉の向こうは、一部の信者と高位の僧侶しか入れないメガミ教の奥の院。自らがメガミ様の選民である歓喜に身を震わせると、男は祈りの間へと足を踏み入た。

 

そこは一切の逃げ場無き、視線のキルゾーンであった。壁に、天井に、床に、数えることがバカバカしくなるほどの「目」が刻まれ、その全てが新たなる客人を観察している。この目線に僅かでも熱量があれば、カチグミ男は人間松明となっていただろう。

 

碁盤目に区切られた天井は、その一つ一つに本物もかくやの「目」が描かれ、吊り下げられたボンボリは「目」の意匠から視線めいた光を放って祈りの間を照らす。床のオーガニックタタミは職人の手によるものか、イグサの濃淡で「目」を描いている。当然タタミ端の意匠にも一列に「目」が並ぶ。

 

左右後ろの壁は「目」刺繍した垂れ幕が覆い、その上に両手の指より多い豪奢な掛け軸が並ぶ。「アナタを見つめる」「目を離さない」「メガミ様はいつも見ている」そこに記されるのは、信じぬ者を不安がらせ、信じる者を安心させる数々のカルト標語だ。

 

入り口前面の壁には、浮き彫りされた三角に並ぶ巨大な「目」。ミコ・プリーストめいた長い黒髪の女神官は、入り口扉と同じ三つ「目」前でタタミに正座して、「目」アイマスクで男をジッと見つめている。数え切れない「目」線に見つめられ、カチグミ男の目から随喜の涙がこぼれ落ちた。

 

喜びにうち震える男はエンドルフィン過剰のふらつく足取りで女神官の前に跪く。涙溢れる両目を両手で覆ったまま女神官に向けてタタミに額をすり付けた。「お目かけください、お目かけください、メガミ様」涙と共に祈りのモージョーを漏らし、男は全てを信じる神に委ねた。

 

全身全霊を一心に献身する男を、無数の「目」が音もなく見る。壁の垂れ幕の「目」、天井の絵とボンボリの「目」、床のタタミの「目」。そして女神官の「目」と、その背後の三つ「目」。三種のホーリーアニマルが当てはめられた三つ「目」は、土下座するモータルをそれぞれの目つきで見つめる。

 

一つは、欲望のままに全てを貪る『豚』の視線で。もう一つは、快楽のままに全てを忘れる『鶏』の目線で。最後は……憤怒のままに全てを憎む『蛇』の眼差しで。

 

【オープン・ワン・アイ・アンド・ウォッチ・ザ・ダーク】終わり



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第二部【物語る糸は絡み合う】
序章【ハーベスト・ニューカマー】


【ハーベスト・ニューカマー】

 

眠りを忘れた背徳の大都会ネオサイタマ。だが、PM8のトミモト・ストリートは死を思わせる静寂に包まれていた。旧シナガワ繁華街のように街そのものが死んだわけではない。シャッターの降りた店々の上階を見れば、分厚い遮光カーテンの隙間から僅かに漏れる生活の明かりが見て取れる。

 

戦時下の灯火管制めいた光景の原因は、一人空き缶を探して歩く浮浪者の背後から近づいてきていた。風邪に捕まったせいで僅かな蓄えを失い、本来は出歩かない落日後の時間帯まで空き缶拾いを続ける初老の浮浪者。だがリスクを覚悟しての行いは、リターンに見合わない多大な危機を呼び込んだ。

 

浮浪者の背後に迫る二つの影が街灯に照らされ露わとなる。片方は錆びて曲がった金属バットを握り、もう一方は両手で粗悪手製火炎放射器を弄ぶ。そしてその両方が伝統的オマツリ衣装であるはずの、ヒョットコ・オメーンを被っていた。

 

伝統と歴史を汚すこのヨタモノこそ、トミモト・ストリートの夜に沈黙を強いた残虐集団『ヒョットコ・クラン』なのだ。ヒョットコは過酷なセンタ試験の圧力に押し潰されたドロップアウト受験生からなるヨタモノだ。人生のレールから外れた彼らは、未来無き現状を誤魔化すように無軌道暴力へとひた走る。

 

そんなヒョットコの最新モードは、浮浪者ハンティングである。ヒョットコの時間に出歩く不用意な浮浪者を狩り殺し、シューティングゲームめいてキルカウントを競い合うのだ。最近は浮浪者も学んだのか、危険な時間帯は安全な遠方に移動するか、余裕があるなら二四時間マンガ喫茶で夜を過ごしている。

 

ヒョットコを率いるキングは、無料炊き出しの噂を餌にする新しい手法を考えているという。偏差値の高い作戦だとヒョットコ達はキングを賞賛しているが、噂を流し始めてから浮浪者不足が解消されるまで暫くかかる。今日はヒョットコにとって幸運なことに、警戒の足りない浮浪者が発見された。

 

「ヒッヒッヒッ」下卑た笑いと共に金属バットヒョットコは武器を素振りする。素振り音で気づかせて浮浪者の驚愕と恐怖を楽しむ予定だ。だが、空き缶探しに極度集中する浮浪者は危険行為の自覚が逆に視界を狭めているのか、素振り音に反応する様子はない。

 

「クックックッ」相方と浮浪者の両方への嘲笑をこぼしながら、火炎放射器ヒョットコは武器をポンピングする。可燃性廃液を利用した粗悪手製火炎放射器は、お値段手頃で効果抜群の偏差値の高い武装である。先端部に取り付けられた種火代わりの使い捨てライターに着火して、これで準備は完了。

 

後は浮浪者をケミカル火炎でバーベキューにするだけ。だが恐怖を楽しむのが高偏差値ヒョットコの嗜みだ。あえて直撃しない角度に狙いを定め、火炎放射器ヒョットコは武器のトリガーを引いた。「アイェッ!?」浮浪者は腰を屈めた頭上を通る極彩色の火炎に驚愕し、転がる様に逃げ出そうとする。

 

「ヒッヒッヒ!」だが、金属バットが浮浪者の移動経路に振り下ろされた。下手人の金属バットヒョットコはオメーンの奥から暴力の快楽にゆがんだ視線を投げかける。「アイェェェ!」逃げ場を失った浮浪者は腰を抜かして後ずさる。その背中が閉じたシャッターにぶつかった。

 

夜間シャッター街の上には、生活の明かりが漏れる窓が見て取れる。誰かが居ることは間違いない。浮浪者は喉よ嗄れよと助けを叫んだ。「タスケテ! 誰か!」だが応える者はいない。岩場の隙間に隠れる小動物めいて、シャッターの降りた商店街の誰もが耳をふさいで夜が過ぎるのを待っている。

 

ましてや無関係の浮浪者のためにシャッターを上げる男気の持ち主などいない。助けはこない、死ぬしかない。「アイェェェ……」絶望の声が口から漏れ出た。「ヒィーッヒッヒッヒッ!」「クゥーックックックッ!」獲物の絶望の様に一層の興奮を覚えたヒョットコ達は、下品な笑いの不協和音を奏でる。

 

アワレな標的に止めを刺すべく、金属バットヒョットコが武器を振りかざした。幾人もの浮浪者の血をすって錆び曲がった金属バット。これで本日も頭蓋骨と魂をアノヨまでホームランするのだ。さあメインディッシュ!「イヤーッ!……あれぇ?」だが、フルスイングしたのに浮浪者は無事なままだった。

 

手元を見直してみれば、握っていたはずの武器は何処にもない。「おかしいぞ?」消えた武器をヒョットコは不思議がる。テキストにもない事態だ。「ドーゾ」「ドーモ」その目の前に金属バットの握りがアイサツと共に突き出された。反射的にアイサツとお礼を返し、ヒョットコは武器を握ろうとする。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」握る寸前に金属バットがシャウトと共に突き立てられた。金属バットの握りにヒョットコオメーンごと顔面を砕かれる。元金属バットヒョットコは、受験ドロップアウト、ヒョットコクラン加入に続く人生のスリーアウトを捕られ、アノヨのベンチ席へとたたき込まれた。

 

「テストに出ないぞ!?」自身の偏差値を遙かに超える現状に混乱した火炎放射器ヒョットコは、ヒョットコ特有の戯れ言を思わず漏らす。それでも相方を現世からドロップアウトさせた下手人をローストすべく武器を向けトリガーを引こうとする。しかし、下手人のカラテはそれよりも遙かに速かった。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」引き金を引く寸前に拳がシャウトと共に振り抜かれた。裏拳に火炎放射器を握る両腕を砕かれる。火炎放射器は宙を舞い、火炎放射器ヒョットコの体に衝突。その拍子に粗悪手製火炎放射器は空中分解し、可燃性廃液がまき散らされた。なんたる粗製か! 作成者の偏差値は低い!

 

強毒性で反応性の高い可燃性廃液を全身で浴びて、火炎放射器ヒョットコがのたうち回る。更に種火代わりの使い捨てライターが廃液に引火し、ヒョットコ・オメーンの伝承通りに燃え上がる!「アツイ! イタイ! ママーッ!」濃縮バリキのオーバードーズをかき消すほどの苦しみに絶叫するヒョットコ。

 

受験を強いられる余り焼き殺した母親に向けて、火だるまヒョットコは助けを求める。だが、今の彼を助ける人間はいない。相棒はアノヨで、浮浪者は助ける手段も理由も持たない。そして下手人は醒めた目でミノ・ダンスめいたロースト・ヒョットコを眺めるだけ。

 

それでも一抹の情けは存在したのか、下手人は生き地獄のブレイクダンスを続けるヒョットコへ近づくとカイシャクを加えた。「イヤーッ!」「グワーッ!」慈悲の踏みつけで頭蓋骨粉砕され、ようやくヒョットコは生き地獄から解き放たれた。尤も、行いを鑑みれば行き先はジゴクと決まっているが。

 

「アイェェェ……アリガトゴザイマス」情け容赦ないカラテに恐れを覚えつつも、浮浪者は下手人へ救いの礼を返した。礼ついでに浮浪者は改めて下手人の姿を眺める。小柄な体格を耐酸PVCコートで包み、静電場防御帽子を深く被っている。顔立ちは帽子の影の中で胡乱気な輪郭しか見えない。

 

意図的に特徴を消した姿は、ネオサイタマの雑踏では背景の一つに容易くとけ込むだろう。だが、そのカラテは武装ヨタモノを容易く殺せるワザマエだった。流しのカラテマンか、それともヨタモノ専門の通り魔か。

 

恐怖と疑問を覚える浮浪者にオジギを返し、下手人は浮浪者へと警告する。「ドーモ、私はヨージンボーですのでお気になさらず。この時間帯は連中が多いですよ。流石にアブナイ」その声は驚くほど若くそれでいて丁寧。声音は変声期を過ぎたティーンエイジャーのそれだ。

 

「ハイ、判っていました。でも蓄えが厳しくて……」受けた教育の質を感じさせる礼儀、先ほど見せたカラテのワザマエとヨージンボーの自称、そして声から感じる若さ。チグハグな組み合わせに返答をしつつも首をひねる浮浪者。その姿にヨージンボーはなにやら誤解したのか、誘いの声をかける。

 

「もし行き先がないなら、キャンプに来ませんか? 炊き出しもありますよ」炊き出しの単語に浮浪者が反応するより速く、胃袋が要求の声を上げた。思わず顔を伏せて恥じいる浮浪者へ、ヨージンボーは優しげに手を差し出した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ドーゾ、こっちです」「ドーモ、アリガト」二人は迷路めいて複雑な路地裏を抜け、行き止まりの片隅に隠れたマンホールを降りる。さらに汚水インフラの作業通路をしばらく歩くと、そこに『お先です』と手書きの文字が書き込まれた場違いな扉があった。

 

扉の隙間からは、周囲のアンモニア臭とは異なる香りが漂っている。ゴミと戯れる生活で半ば麻痺した浮浪者の鼻にも、香ばしいショーユの香りが感じ取れた。軋む扉を開くとその香りは一層強まった。加えてサケ、ミリン、オダシ、そして茹で揚がったソバと、唾の沸き立つ種々の臭いが二人を包み込む。

 

「これは……」「ここがキャンプです。村長に紹介しますよ」高台からの光景に声を失う浮浪者。元はコケシマートの巨大倉庫かそれとも雨水流量調整池か。パルテノンめいて無数の巨柱が並び立つコンクリートの広大な空間を、街灯めいて行儀良く並べられた電気ボンボリがオレンジの光で照らしている。

 

電気ボンボリの整列する通りを挟んで、段ボールハウスや継ぎ接ぎテントの住宅が土嚢に囲われてブロックごとに整然と並ぶ。浮浪者キャンプと言う単語からは想像もできない、被災者向け仮設住宅街を思わせる風景だ。だがそれ以上に浮浪者の目を引いたのは、中央の交流スペースの光景だった。

 

「ズーッズルッ! アッツ! でもオイシイ!」「急ぎすぎですよ! ハハッ!」交流スペースには無数の人々が集まり、出来立てのカケソバをすすっている。食べ終わると満足した者は、満ちたりる喜びに浸りながら談笑の花を咲かせ、食べ足りない者はソバツユスープを煮込む寸胴鍋前に並び直す。

 

「ハイ、ドーゾ」「ドーモ、アリガト」寸胴鍋向こうではカッポギ・エプロン姿の女性が差し出された空椀に、新しいカケソバを入れている。浮浪者キャンプには似つかわしくない若々しい女性だ。元々、女性浮浪者は少数派である。セックスビズに参加すれば、容易く遙かに多い金銭が得られるからだ。

 

だが、セミロングを頭巾でまとめた女性の目には、セックスビズを生業とする者特有の捨て鉢な光はない。また、日々の生活に磨耗した浮浪者やマケグミの死んだマグロの目でもない。生き生きとしたしなやかなエネルギを全身に帯びている。

 

彼女だけではない。カケソバを食べる誰もが、その目に確かな生命力の輝きを宿している。住居だけではなく住民もまた、復興を信じて毎日を力強く生きる被災者の姿を思わせる。敗北感と諦念が蔓延するキャンプを見てきた浮浪者にとって、笑顔と希望が広がる情景は、古い伝承の理想郷を想像させた。

 

「ここは、トーゲンキョ?」「いえ、普通のキャンプです。皆、優しみを持って前向きに生きているだけですよ。さ、行きましょう」高台から階段を下り、二人は交流スペースの輪の仲に入る。お目当ての人物は直ぐに見つかった。食べ終えた椀を片づける、特徴的なサイバネ義手が目に入ったからだ。

 

「ドーモ、タジモ=サン。新しい方をお連れしました」ヨージンボーーが声をかけると、『ここに片す』と記されたスペースに椀を並べ終えたふくよかな老人が振り向いた。「ドーモ、お帰り。手間をかけさせるな。初めまして、タジモです。あんたの名前は?」

 

「ドーモ、ヒエダです。ヨタモノに襲われかかっていた処を、ヨージンボーの方に助けていただきました」ヒエダも深くオジギを返す。「それは大変な思いをしたね。新しい椀が向こうにあるから、それでカケソバを食べるといい。それと『O-5-3』のテントが空いているから、今晩はそこで過ごしなさい」

 

指さされた『新しい』の棚と村長自身を、ヒエダは呆然とした顔で繰り返し眺める。「い、いいんですか!?」信じられぬと震える声で発した確認は、当然の笑みで肯定された。「空腹は辛いし、夜出歩くのはアブナイだからね。イチゴ・イチエの教えだよ。ここの住人になるなら仕事をしてもらうがね」

 

「アイェェェ……こんなにしていただけるなんて! アリガトゴザイマス!」「感謝の前に食事をしなさい。体に悪いよ」望み以上の救いの手に、ヒエダは涙をこぼしながら村長とヨージンボーにドゲザの勢いで何度もオジギをする。それを村長は手で制すると、食事に行くよう寸胴鍋を指さし促した。

 

「アリガトゴザイマス、アリガトゴザイマス!」しかし、ヒエダの水飲み鳥めいた頭部上下運動はさらに加速するばかり。苦笑を浮かべた村長は、ヨージンボーを振り返る。「ヒエダ=サンを食事に連れて行ってくれ。それと君も食事を取るように。夕飯はまだなんだろう?」「ハイ、ヨロコンデー」

 

ヨージンボーは軽く頷くと、バイオコメツキバッタの真似を続けるヒエダを、米俵めいて肩に乗せて持ち上げる。「アイェッ!?」やせ細り体重を落としたとはいえ、成人男性一人を軽く担ぐ腕力に驚くヒエダ。だが、ヨージンボーは頓着なく二人分の椀を取り、寸胴鍋前の列へと並んでヒエダを降ろす。

 

幸い住民は皆十分にソバを堪能したのか列の人数は少なく、二人の順番はすぐに回ってきた。「ハイ、ドーゾ」「ドーモ、アリガトゴザイマス!」湯気を立てるカケソバを掲げて、再びメトロノームめいた連続オジギ動作を始めたヒエダを横に除けると、ヨージンボーも椀を差し出した。

 

「キヨ姉、ただいま。バイオネギとジンジャースライス多めでお願い、あれ好きなんだ」ヨージンボーことカナコ・シンヤは自分の格好を思い出したのか、片手で被ったままの静電場防御帽子を外して、耐酸PVCコートのポケットに突っ込む。

 

その姿を見て、カッポギ・エプロン女性ことトモノ・キヨミはそっと微笑むと、表面だけ厳めしい表情を作った。「シンちゃん、お帰りなさい。皆平等です、エコヒイキはしません」キヨミの言葉の通り、シンヤの椀には他の皆と同じバイオネギ一振りとジンジャースライス一切れしか入ってない。

 

シンヤも顔だけで拗ねた表情を作ると、肩を竦めて列から離れた。灯油管や木箱など椅子代わりになりそうな物を探すが、どれもこれも使用中だ。しょうがないと息を吐いた拍子に、ソバツユ・スープの香りが鼻をくすぐった。出来立てのカケソバの熱さが、椀を通じて掌に広がる。さて、どうしたものか。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「イタダキマス。ズルズルッ!」結局、シンヤは広場から外れて一人巨大柱に背を預けながらソバを手繰っていた。育ての親でもあるコーゾが作ったカケソバは、少ない具材でもバイオソバの美味しさを最大限に引き出していた。過去の話とはいえ、複数店舗を経営したソバシェフのウデマエは確かなものだ。

 

「ズルッズルッ! ズーッズルッ!」バイオネギの香りがソバヌードルを引き立て、ジンジャースライスの辛味が全身に薄く汗をかかせる。ソバツユも飲もうと、シンヤは椀に口を付けた。だが、取りやめて広場の方角へと目を向ける。視線の先には、巨体をボロけたテックコートで包む、全てが四角い男がいた。

 

まずは顔立ちが角張っている。バッファローを想像させる屈強な顎と、ブッダエンジェル岩石像めいた荒々しい彫りは、カケソバと談笑を楽しむ住民たちとは別物だった。体つきも丸みという言葉からほど遠い。四足獣並みに太い首とコートの上からでも判る盛り上がった肩もまた、単なる浮浪者と区別している。

 

それらが総合して作るソリッドな影は、荒事に長けた背景を容易く想像させた。「お帰り、シンヤ=クン。聞いたぞ、大立ち回りだったそうじゃないか」四角い男は親愛を示すように片手をあげて声をかける。外観から想像できるように重く低く、そして枯れ錆びた声音だった。

 

「向こうがケンカ慣れてないだけですよ、ワタナベ=サン。弱い者虐めだけの連中だから、一発カマセばそれで勝てます」ワタナベと呼ばれた四角い男はシンヤの謙遜を太い笑みで退ける。「いやいや、武装ヨタモノを一撃で倒すなんて並大抵のカラテじゃできることじゃない……ニンジャでもなければ、な」

 

太い眼光が警戒と疑念の色を帯びる。体勢も一見そのままだが、踵を数cm浮かせ、腰を僅かに落としている。如何なる攻撃にも即応可能な、張りつめたカラテを秘める構えだ。まるでシンヤがニンジャだと疑うような態度である。

 

目の前の相手をフィクションモンスターもしくはコミックスヒーローだと疑うならば、まずは質問者の自我を疑った方がいい。だが、ワタナベの視線に狂気の色はない。「……俺程度のカラテでニンジャなら、ワタナベ=サンは何になるんですか? ニンジャ以上のモンスター?」

 

それに気づいているシンヤは敢えて動かない。質問の意味もその『背景』も理解している。だからワタナベと戦うつもりはないし、戦ったとしても勝利は難しい相手だ。しかし、シンヤの反応を見てもワタナベが警戒を解く様子はない。

 

「それは、なんと呼ぶのかね?」双方のニューロンに特異なアドレナリンが放射され、互いの時間が粘性を帯びる。加速した脳髄は僅かな前兆動作からイマジナリーカラテを作り上げ、超高速のシミュレーション戦闘を繰り返していく。

 

「ナンジャ!」それを突き破ったのは甲高く幼い声だった。思考の回転数を落としながら二人が声の出所を振り返れば、自信満々顔の幼女が目に入る。シンヤには見覚えがあるどころではない。同じ児童養護施設トモダチ園に属する妹のエノモト・エミだ。半ば呆然とかかれた表情が二人の顔に浮かぶ。

 

仮想イクサを唐突に中断させられて、現実とのクロック同期に難儀しているのだ。その様子を別の意味にとらえたのか、エミは両手を振り回して説明を続けた。「ニンジャの上だから『ニ』の前で『ナ』! だからナンジャだよ! アタシ勉強してるから判るよ、シン兄ちゃん! オジチャン!」

 

「……そうだね、エミちゃん」「えへへ」誉めて誉めてと言外に込めるエミの頭を、ワタナベはおっかなびっくりと撫でる。最早そこには数秒前に満ちていたイクサ寸前のアトモスフィアはどこにもない。二人を見るシンヤの全身からも、張りつめたカラテが抜け落ちていく。

 

「心配しなくてもダイジョブよ、シンちゃん」「だと、いいんだけど」カケソバを持ってきたキヨミに肩を竦めると、シンヤは残りのソバツユ・スープを飲み干した。その目の前にキヨミが手持ちのカケソバを片手で差し出す。「余り分だからダイジョブよ。エミちゃんはもう食べたわ」

 

シンヤが可否を問う前に、微笑んだキヨミが答えた。事実、一杯の量にしてはソバ・ヌードルがずいぶん少ない。その代わり、これまた余ったバイオネギとジンジャースライスがふんだんに入っている。キヨミが気を利かしてくれたのだろう。好物のシンヤとしては実にありがたい。

 

「ドーゾ」「ドーモ」イチミ・ペッパーの瓶を受け取り、手渡されたカケソバに軽くかける。合法バイオトウガラシの刺激臭がソバツユの香りと混ざり合い、半ば満たされたはずの胃袋を刺激する。貪欲な胃袋に逆らわず、シンヤはソバを手繰り始めた。隣のキヨミは柔らかな表情でそれを見る。

 

ふと、キヨミの視線が動いた。シンヤが視線の先をあわせてみれば、困り顔のワタナベに向けて、エミが身振り手振りで今日あったことを伝えている。文字通りに全身全霊で説明を試みる小さなエミの勢いに、巨漢のワタナベはどうしていいやら途方に暮れていた。

 

二人を端から見ていると、侵入者を気軽に噛み殺す大型犬が、小型犬の子犬に集られて怯えている様にも見える。(((あながち、間違いでもないな)))生命力に満ちあふれていながらも、ほんの僅かな力と悪意で容易く手折られてしまう幼子の脆さに、ワタナベは恐怖を覚えているのかもしれない。

 

それがどれだけ簡単に壊れるか、それがどれだけ取り返しのつかない事か、ワタナベは『知っている』からなおさらだろう。そんなワタナベの過去をシンヤは『知っている』。ソウカイ・シンジケート最強のニンジャ「インターラプター」を、前世持つ転生者のニンジャ「ブラックスミス」は知っている。

 

苦笑を浮かべるキヨミの横で、シンヤは異なる意味合いで目を細めた。加工用レーザーめいた目線の先は、ワタナベのコートからはみ出たタッパー、その中身。「心配するのは判るけど……」「判ってる」目つきの意味に気づいたキヨミは表情を変えてシンヤを見つめる。

 

言葉とは裏腹に心配を深めるキヨミを安心させようと、シンヤは被せた台詞で牽制する。「今は、ダイジョブさ」「うん」心中の不安を否認するように頷くキヨミ。その顔を横目に見ながら、少しさめたカケソバを手繰りつつ、シンヤはここに来るまでの経緯をニューロンの奥からたぐり寄せていた。

 

【ハーベスト・ニューカマー】終わり



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第一話【スピニング・メモリー・イントゥ・スレッド】

【スピニング・メモリー・イントゥ・スレッド】

 

カラテによって平安時代の日本を支配した、半神的存在であるニンジャ。その精神、技術、能力、そして肉体は定命者(モータル)のそれとは遙かに異なる。例えば致命傷を複数負ったとしても、十分な食事と休息さえ有れば瞬く間に活力を取り戻し、恐るべきカラテを振るえるようになる。

 

それは現代のニンジャソウル憑依者においても違いはない。事実、キヨミが用意したソバ・ナポリタンとパックスシを食して、最低限のアグラ・メディテーションを行ったシンヤは、その日のうちに日常生活に支障がでない程度には回復していた。無論、全てではない。

 

痩せても枯れてもソウカイスカウトの一員。フラグメント相手のイクサは、シンヤの全身に深いダメージを残していた。折れた骨をギプスで固定し、カマで抉られた右腕を包帯できつく縛った姿は、キヨミとコーゾのどちらから見ても痛々しいものだった。

 

本来ならば数日は回復のために時間がほしい。しかし、そんな時間はどこにもないのだ。シンヤは痛む体に鞭打ってでも、トモダチ園の運営者である二人に説明をする必要があった。なので、松葉杖をつくキヨミに支えられつつ、シンヤは園長室のコーゾの元へと向かったのだった。

 

「……今、話せる事情はこんなところです」一通りを話し終えたアグラ姿のシンヤは、深い呼吸で脳味噌に酸素を送る。集中しすぎていたのか、それともフラグメントのフレイル打撃後遺症か、意識の焦点がぼやけて頭がはっきりしない。だが、話の要点はキヨミとコーゾの二人にははっきりと伝わったらしい。

 

実際、二人とも大けがを負ったシンヤ以上に、顔色を悪くしている。特に日々の過労に体力を削られ続けたコーゾは、最早土気色に近い。ベッドの上で上体を起こした姿は、死体が起きあがったと言っても通用する程だ。

 

ソウカイヤの詳細や前世についてを除外しつつも、シンヤは可能な限りを二人に伝えていた。ネオサイタマの表社会に生きる一般市民でしかない二人には、必要なこととはいえあまりに重すぎる情報だった。

 

「その巨大ヤクザ組織は、本当にまた派遣してくるの?……あんな、ニンジャを」NRS記憶のフラッシュバックに血の気を減らしながらも、キヨミは問いかける。苦い顔でシンヤは重々しく頷いた。ソウカイヤのニンジャを打ち倒した以上、ここに敵対的なニンジャがいると表明したようなものだ。

 

「奴らは逆らう者を生かしはしない、必ず来る」「アイェェェ……」コーゾの喉から絶望混じりの悲鳴があふれた。「な、なんとか謝って、許してもらうとかできんのかね!?」「ダメです」シンヤは首を振ってコーゾの哀願を一刀両断した。

 

「もし、連中が許したとしても、トモダチ園を知られている事実に変化はありません」それさえなければ、自分が身を隠すだけでよかった。最悪でもソウカイヤに参加しつつ、タイミングを見計らってヌケニンになることも不可能ではない。だが、ソウカイヤは全てを知っていた。

 

「奴らなら俺を屈服させるために、子供達の一人を誘拐して目の前で首を折る位はするでしょう。それで俺は逆らえなくなります」なんたる残虐な想像か! だが、ショーユ大店乗っ取りのために、無辜の市民が乗る旅客機を墜落させるのがソウカイヤだ。決して荒唐無稽な妄想ではない。

 

「アイェッ!?」幼い家族が残酷に殺される姿を想像したのか、コーゾの顔色が更に悪化する。「どうすればいいの?」「……ヨニゲしかない」思わずキヨミが漏らした呟きに、シンヤが答える。八方塞がりの現状を打破するには、その前提を壊すしかない。シンヤの唯一持つ回答はヨニゲだった。

 

ヨニゲとは債務者が借金踏み倒しのために遠方へ脱出する行為だ。ネオサイタマにはヨニゲ専門の引っ越し業者もある。「そ、そんなことをすればユウジンは、三代続いた家業は!」コーゾの譫言めいた悲鳴に、シンヤは表情をゆがめて首を振った。

 

ヨニゲに成功するためには、借金のみならず資産全てを捨てるしかない。何かを残そうとすれば初動は遅れ、なおかつ追跡者の道しるべとなってしまう。そうすれば元の木阿弥、全ては泡と消える。当然、人生も家族も全て消える。

 

故に、コーゾが命を削って必死で支えていたローカルソバチェーン「ユウジン」も廃業する他はない。(((俺のせいでトモダチ園の皆は全てを捨てるんだ)))シンヤは砕けそうなほどに奥歯を噛みしめ、血が滴るほどに拳を握りしめる。だが、それでも胸の痛みは消えない。後悔が心臓を抉り続けている。

 

「判ったわ、ヨニゲをしましょう」その痛みを消したのは、キヨミの凛とした一声だった。「そ、それではユウジンは!」「コーゾ=センセイ、借金取りヤクザが来た時点でもうオシマイだったんです。後はいつ逃げ出すかの違いでしかありません」コーゾの懇願をキヨミは理路整然と切って捨てた。

 

「それは……」反論の言葉なく視線を外すコーゾ。あの時点で借金返済の目処は全く立っていなかった。「あの時シンちゃんがニンジャにならなければ、きっと私たち全員が今頃ジゴクで呻いていたでしょう。シンちゃんにお礼を言う理由はあっても、責める謂われはどこにもありません」

 

NRSフラッシュバックを堪えながらも、自分を気遣うキヨミの言葉に、シンヤはいっそう深く俯く。その肩は小さく震えていた。不意に部屋を静寂が支配した。床を見つめ両目を擦るシンヤに、窓向こうのドクロの月に目をやるコーゾ。キヨミは二人から目を離すことなく、静かに座っている。

 

「それしか、ないか」「ハイ」部屋を覆った沈黙を破ったのは、月を見つめるコーゾだった。「父と祖父にアノヨで怒られてしまうな」「スミマセン」思わずシンヤは頭を下げていた。下げずにはいられなかった。「それでも子供達を見捨てたと、二人から言われるよりはずっといい」「ハイ」

 

振り返り二人を見つめるコーゾの顔は、子供達を背負ってきた責任有る大人の顔だった。「行き先の当てはあるのかね?」「幾つかあります」シンヤは高速でニューロンを回す。すぐに思いつくのは『ニチョーム』『ダイトクテンプル』『トミモト・ストリート浮浪者キャンプ』の三つ。

 

まず、ニチョームは選択肢から外れる。犯罪と関わりないまま裏社会から独立を保ち続けた希有な地だ。だからこそ街の守り手であるネザークイーンは、他人を無条件で受け入れるほど甘くない。ただし、行き場のないヤモトに手を差し伸べる優しみもある。考慮するのは家族だけを逃がす場合だろう。

 

続いてダイトクテンプルも厳しい。シンヤに恩義の有るボンズ擬きなら受け入れてくれるだろうが、『原作』に存在しないためソウカイヤの行動予測が立てられない。それに場所がトモダチ園に近い。ヨニゲしたトモダチ園近くのテンプルに現れた孤児集団。すぐに関連づけずとも、調べはする筈だ。

 

唯一可能性があるのは、トミモト・ストリート浮浪者キャンプだった。サカキ・ワタナベと名乗るヨージンボーに守られたこのキャンプは、彼の過去を知る者がやってくるまでソウカイヤに存在を知られることはなかった。それに「イチゴ・イチエ」の教えに従い、来る者を拒むことはない。

 

「良さそうなのはトミモト・ストリートにある浮浪者キャンプです」「浮浪者キャンプか」シンヤの言葉にコーゾは僅かに視線を落とした。斜陽の中小企業とはいえ経営者の立場から、浮浪者キャンプの住民へ。転げ落ちるような転身には思うところもあるのだろう。だが、すぐさま表情を引き締め顔を上げた。

 

「わかった。荷物他の準備はキヨミ=サンがやってくれ。私は当座の資金を手配する」「ハイ」「シンヤ=クンは現地との折衝を頼む。子供達のことも包み隠さず伝えてくれ。嘘が有れば追い出されかねん」「ハイ」企業経営者らしくコーゾはソバキリめいて小気味よく素早い指示を出す。

 

「資産の現金化を急がねばならんな」「IRCは避けてください。連中にはヤバイ級のハッカーがいます」シンヤの脳裏あるのは、ソウカイヤ最強の電脳ニンジャ「ダイダロス」。その恐るべきワザマエはネオサイタマ中を常時監視しながら、『ソウカイヤ』の名を口にする者すべて補足してみせる。

 

ダイダロスならば、シンヤたちのヨニゲ準備など過剰広告アドバルーンより簡単に発見するだろう。「そうだな、関係者に頼むか。時間との勝負だ、捨て値でも売れればよしとしよう」堅い顔でそう独り言ちるとコーゾは折衝へ向かおうと腰を浮かせたシンヤへと向き直った。

 

「折衝の後は子供達の説得を任せたぞ、シンヤ=クン」「え」コーゾはシンヤの肩を掴んだ。窓外の月に照らされ、逆光の中にシルエットだけが写る。コーゾの目が光った。「任 せ た ぞ」「アッハイ」シンヤは頷くしかなかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

重金属雲に覆われたネオサイタマの空は、独房の天井めいて常に一様だ。朝と夕の違いは重金属雲の明度以外に存在しない。そして黒みが濃くなっただけの夕闇の下、対酸コート姿のシンヤは目深に静電防御帽子を被り、監視カメラに顔を見せないように小走りで駆けていた。

 

シンヤが路地を走る速度は人間のそれだ。ニンジャの移動速度でビルの谷間を飛び回る方が遥かに速い上、モータルの目に映らない。だが、ニンジャ補足用監視カメラには映る。だからシンヤは逸る気持ちを抑えて、家路を急ぐ一般市民を装っていた。

 

もどかしさを堪えながら群衆の合間をバイオウナギめいて滑らかにすり抜けるシンヤ。その懐には、ツル、カメ、バッファローといったオリガミ・メールが納められている。コンビニ雑貨店で購入した安紙製だが、気持ちを込めた別れの言葉が刻まれて、思いを込めて折られている。

 

オリガミメールをそれぞれの友達へと届ける事が、子供達がヨニゲを受け入れる条件だった。ヨニゲなんかしたくないと子供部屋に籠城して強情を張る子供達へ、キヨミが出した交換条件がこれだったのだ。それに加えてのシンヤとコーゾのダブルドゲザで子供達は扉を開いた。

 

その後は驚くほどにスムーズに話は進んだ。後々考えてみれば、NRSでニンジャ周りの記憶は失っているとはいえ、子供達も借金回収ヤクザがトモダチ園にやってきたことは記憶にある。そしてコーゾが踏みにじられる姿も、シンヤが殴られる姿も、キヨミが毒牙にかかりかける姿も、子供達は見ていた。

 

幼い子供達にもトモダチ園の終わりはたやすく想像できたのだ。子供達が見せたワガママは、住み慣れた我が家を失う現状に対する精一杯の抗議だったのかもしれない。そして、トミモト・ストリートの浮浪者キャンプとの折衝を終えたシンヤは、休憩を取ることなく、再びネオサイタマの夕闇へと駆けだした。

 

そして今、シンヤは子供達から託された全てのオリガミメールを配り終えていた。懐にあるのは自分用のオリガミメールだけ。それも四つの内、一つは既にオータ・コーバのゲンタロに手渡している。無断欠勤どころか就職の約束を破ってしまったシンヤを、ゲンタロは文句一つなく暖かく受け入れた。

 

「寧ろ良かったのかもな」湯気の立つコブチャをシンヤに手渡しながら、暗い笑みのゲンタロはそう呟いていた。オータ・コーバ唯一の取引先である大手企業が、低価格低品質のメタルコケシ製造会社へと依頼先を変更し、一方的に契約を打ち切ったのだ。専属契約を要求しておきながらなんたる仕打ちか!

 

これにより大幅に業績は悪化。新規取引先を探しだし倒産こそ免れたものの、新人を雇う余裕はどこにもなかった。「技術力があったってコーバは弱くて小さい。コーバ自身で生き残る方法を探さなきゃダメだ……」内定への礼と共に去る背中へ投げかけられた言葉は、まだシンヤの耳に響いている。

 

(((何処も誰も、辛いことばかりだ)))ユウジンは借金経営の末にヨニゲ、オータ・コーバは専属契約を取引先の都合で打ち切られて業績悪化。これから向かう先のデント・カラテドージョーも経営は厳しいと聞く。弱者を擦り潰してその血をすする暗黒メガコーポだけが、成長と勝利を味わうディストピア。

 

誰がこうしたのか? 否、誰がこれを止められなかったのか? 勝利者のために編纂されたネオサイタマの歴史書には一言たりとも答えは乗っていない。溜息を吐くシンヤの頭上が不意に陰る。『昨日も、今日も、明日もヨロシサン』『オムラはネオサイタマの安全を考えています』

 

欺瞞的なコマーシャルを垂れ流しながら、広告用マグロツェペリンがビルの谷間を泳いでいく。悪意が透けて見えるような販促マイコ音声から耳を塞ぐようにシンヤは目深に帽子を被り直すと、目的地であるカラテドージョーまでの道のりを急いだ。目的地まで近い。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ドージョーに着いてみれば、建物の照明は既に点灯していた。夕方のカラテ教室が始まる前を選んだのだが、熱意あふれるカラテ練習生がいるらしい。ならばとシンヤはドージョー事務所へと監視カメラの隙間を縫いながら移動する。誰が訓練しているのか知らないが、その間の事務所は手薄になるはず。

 

速度は抑えてあるから色付きの風とはいかないものの、シンヤは流れる色水めいた滑らかな動きで事務所を目指す。その耳に声が届いた。「イヤーッ!」「声が小さい! 体軸もブレている! カウントなし! あと47!」どちらも聞き覚えのある声だ。

 

窓からドージョーを覗いてみれば、汗だくでカラテパンチを虚空に振るう友人のヒノ。そして彼を叱咤するのは小柄なボンズヘッドのオールドセンセイだ。カラテ鍛錬前のウォームアップと言うには少々厳しすぎるノルマを、セイジは必死にこなしている。

 

思い出すべきだったか。シンヤは口中で小さく呟いた。シンヤとヒノは、カラテ教室後の時間にオールドセンセイより特別指導を賜っていた。そして、たまにだがカラテ教室前に指導を受けることもある。ちょうど今日がそれだったのだ。しかし、寧ろちょうど良かったのかもしれない。

 

シンヤは目的を改めて考え直す。なにせ今の目的は、別れのオリガミメールをお世話になった方々に渡すことだ。ドージョーで渡す相手は、ヤングセンセイ、オールドセンセイ、そしてヒノ。内二人が目の前にいる好機を逃す理由はない。ヤングセンセイにはどちらかから手渡してもらえればよい。

 

KNOCK! KNOCK! そこまで考えたシンヤは、窓を繰り返し叩いた。カラテパンチに集中していたヒノに気づく様子はないが、オールドセンセイはシンヤへと視線を向け、目を丸くした。小さく目礼するシンヤへ、オールドセンセイは通用口を指さす。入ってこいという意味合いだろう。

 

シンヤは頷いて通用口の扉を開いた。「オジャマシマス!」「ドーゾ」「シンヤ=サン!?」アイサツでようやく気づいたのか、汗だくのヒノが半ば呆然とシンヤを見つめている。シンヤはもう一度頭を下げた。「ドーモ、オジャマシマス!」「ド、ドーゾ。急に姿見せなくなってどうしたんだ!?」

 

慌てふためきながらアイサツを返しつつも、ヒノは事情を聞き出そうとする。それをシンヤは掌で制しながら、二人と等距離の位置で正座し、深々とオジギをした。「カラテトレーニング中のシツレイ、申し訳有りません」「構いません、事情があるのでしょう」オールドセンセイもシンヤに合わせて正座する。

 

「ハイ。まずドージョーをお休みしてスミマセン。そして……今後もドージョーに来ることはできません」「ナンデ!?」思わず声を上げたヒノを、今度はオールドセンセイが制する。表情を歪めて無言で正座するヒノ。「事情はお話しできますか?」「ハイ、少しなら。主に経済的理由です」

 

ヨニゲについては二人にも話せない。ましてやニンジャやソウカイヤなど話せるわけがない。なので単純な家計の悪化に聞こえる台詞しかシンヤは口にできなかった。「月謝ならば、ヤングセンセイにお話しできます」故にオールドセンセイは食い下がった。先はヒノだったが、今度はシンヤの目が丸くなる。オールドセンセイはそれ程までにシンヤを買っていたのだ。

 

だが、シンヤはその期待を裏切らなければならない。さもなければトモダチ園が致命的な危険にさらされる。このドージョーもアブナイだ。「イイエ、実家の方がもう……」詳細を話せないシンヤは、日本的に言葉を濁した。奥ゆかしく言葉の先を読みとったオールドセンセイは、目を閉じて静かに頷いた。

 

「今まで、アリガトゴザイマシタ!」今までの感謝を込めて、シンヤはドゲザに等しいほどに頭を下げた。デント・カラテがなければ、シンヤはフラグメント相手に生き延びることも、クレーシャから勝利を掴むこともできなかった。今ここにいられるのは間違いなく、このドージョーのお陰だった。

 

「デント・カラテは積み重ねです。ケイコを続けなさい。」先の長くない自分と共に失われると諦めていた本来のデント・カラテ。その純粋な後継者になると期待していた弟子と今、望まぬ別離を余儀なくされている。その悲しみと失望を飲み込んで、オールドセンセイは別れの言葉をかけた。

 

「ハイ。改めてアリガトゴザイマシタ。このご恩を忘れません」もう一度、シンヤは深いオジギをオールドセンセイに返し、ツルとカメのオリガミメールを差し出した。内容はほとんど口にしてしまったが、文字にした思いを手渡すことに意味がある。オールドセンセイは言葉なく受け取り、懐に納めた。

 

「ヒノ=サン。カナコ=サンを見送ってあげなさい」「ハイ」オールドセンセイも愛弟子を最後まで見送りたかっただろう。それでも奥ゆかしくも二人の友情のためあえて見送りをヒノに任せた。一礼して扉を出るシンヤの背を、悲しみを湛えた目でオールドセンセイは見つめていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「どうにか、ならないのか?」ドージョー入り口で立ち尽くしてた二人の沈黙は、ヒノの口からこぼれ出た言葉で破られた。「なるなら、なんとかしてるさ」溜息代わりの重い言葉でシンヤは返した。ソウカイヤと言うどうにもできないカイジュウ相手だからこそ、全部捨ててのヨニゲの算段をしているのだ。

 

「金ならある」ヒノの発した台詞にシンヤはその顔をマジマジと見つめる。その目に嘘はなかった。ヒノもまた濁した言葉の先を理解していたのだ。ドージョーで同じカマを囲い、共に砂を噛んだ間柄とはいえ、そこまで言うとは想像もしなかった。だが、せっかくの申し出に、シンヤは首を横に振って答えた。

 

「武装ヤクザが出張っている。向こうに死人も出た。もう金じゃどうにもならねぇ段階なんだ。それに、お前相手に縋り付くのはゴメンだ」「……そうか」『死人』の一言に表情を歪めたヒノは、たっぷり十秒は数えてようやく返事を返した。二人の間に重苦しい空気がのし掛かった。

 

だが、それを茶化すように、シンヤはひょうきんに笑ってみせる。「しっかし、こうもお前が気を使ってくれるとはな。これで女の子なら大喜びなんだが」辛い別れだからこそ、友達には笑って欲しいからだ。涙で終わるより、笑顔で仕舞いにしたい。心遣いを察したヒノも、歯を剥いて強い笑みを浮かべる。

 

「そういうのやめろ! 僕にその手の趣味はないぞ。そもそも人生が独り身のカワラマンに、女の子がどうこうできるのか?」ヤンクでもないのにマッポ出動レベルの暴力沙汰の経験が有るシンヤは、学校でもドージョーでもだいたい一人だ。だから女の子には当然モテない。全くモテない。

 

「確かに下半身カラテがオハコのカラテ王子ほどじゃあないな」シンヤはあえて作った下卑た笑いとともに肩を竦める。ヒノはドージョーの女子から大人気だ。整ったマスク、カラテの実績、育ちも良好。『カラテ女子夜の百人切り』『腰一突きで女教師から楽々一本』などなど、女がらみの噂は絶えない。

 

お互いに言ってはならない事を言った二人は、鏡写しにデント・カラテを構えた。「ナニッテンダーッ!」「フッザッケンナーッ!」ヤクザスラングめいた台詞と共に互いの拳が突き出され、中間位置で正面衝突する。軽い音と共に拳がぶつかり、その姿勢のままでしばしの時が流れる。

 

「「プッ」」シンヤとヒノは同じタイミングで吹き出した。ドージョーの看板前で二人は腹を抱えて笑い出す。相方の肩を気安く繰り返し叩き、笑い過ぎともう一つの理由で涙を滲ませる。本気で怒っていたわけでも、本気で殴り合いをするつもりでもない。単なるじゃれ合いだ、それも多分最後になる。

 

ひとしきり笑い終え、目尻の涙を拭ったシンヤは懐からバッファローのオリガミメールを取り出した。「これ、もってけ」「ああ」なにも言わずにヒノはオリガミメールを受け取った。何を書いてあるのだろう。

 

不意にシンヤとのドージョーの思い出がヒノの脳裏をよぎる。初めて敗北の苦渋を味わった、シンヤ相手の練習試合。意識を失うまでカラテパンチを打ち続けた、オールドセンセイとのケイコ。ただ一人『事情』を何も聞きもせずに、ただひたすら純粋にカラテを交わした唯一の友人。

 

わき上がるセンチメントを振り払うように、ヒノはシンヤへと悪ガキめいて笑う。「朗読しようか?」「そういうのやめろ!」最後にもう一度笑い合うと、シンヤは帽子をかぶった。これでお別れだ。改めてお互いを真っ直ぐ見た。そして、まるで当たり前のように拳を突きつけ合わせた。

 

「「ユウジョウ!」」自然と口から言葉は飛び出た。その言葉を使ったことはなかった。それでも同じものをお互いに感じていた。振り返ることなくシンヤは歩き出す。その背中を痛みを堪えるような表情で見つめるヒノ。不意にシンヤが片手を上げた。「ヒノ=サン、オタッシャデー!」

 

もう二度と会えないかもしれない。シンヤは、そう理解していた。だがそれでもあえて今生の別れを意味する『サヨナラ』ではなく、再会を約する『オタッシャ』を使った。ヒノの目に驚きの色が一瞬よぎる。だが次の瞬間、力強く笑うと友の背中に向けて声を投げた。「シンヤ=サン、オタッシャデー!」

 

夕闇に紛れ雑踏に消える背中から視線を外し、ヒノはドージョーへと一人戻る。その顔にはシンヤ相手には押し隠していた感傷もくっきりと浮かんでいた。「姉さんも、父さんも、母さんも、カワラマンまで……皆僕の前からいなくなるばっかりだ」言葉と共に押し殺していた、『事情』が脳裏に浮かび上がる。

 

幸せなカチグミ一家を唐突に襲った恐るべき邪悪。虫めいて軽々と殺される家族と、ただ一人生き残ってしまった自分。転がり込んだ莫大な遺産に、バイオアリめいてたかる周囲の人間たち。受け入れてくれたドージョーと、純粋にカラテを交わした友、そして邪悪を打ち倒した赤黒の影が僅かな救いだった。

 

その三つが無ければ、ニューロンに刻まれた邪悪の恐怖と味方無き孤独な現状によって、彼はとうの昔に発狂マニアックの仲間入りをしていただろう。だがその一つは今、その手からこぼれ落ちようとしている。僅かに残った救いの欠片に縋るように、彼……ヒノ・セイジは拳を強く強く握りしめていた。

 

【スピニング・メモリー・イントゥ・スレッド】終わり



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第二話【メイク・アリアドネズ・クルー】#1

【メイク・アリアドネズ・クルー】#1

 

朝早く、不意にシンヤは目が覚めた。闇夜めいた天井……否、天幕に押しつぶされそうな錯覚を覚える。息も僅かに苦しい。夢の中で胸が潰れそうな別れを再体験したためだろうか。だが、全ては過去だ。とにかく落ち着こうと胸に手をやった。柔らかく滑らかな何かに触れた。

 

首だけを起こして見ると、毛も薄い少年の足があった。四方を夜闇めいた黒錆色で包まれた中で、くっきりと浮かび上がる生白い二本足。隣のテントで寝ている幼いオタロウ辺りが見たら、オバケだと大声を上げて泣きわめくことだろう。だが明かりのない天幕の中でも、ニンジャ暗視力は正体を見いだした。

 

シンヤの胸に乗っかっているのは……弟のイーヒコの足だ。家族にはウキチの寝相について散々に文句をこぼしておいて、一番寝相が悪いのがイーヒコだったりする。イーヒコは自分を棚に上げるのが得意だが、そのお陰で文句をばらまく度にアキコからの鉄拳制裁を浴びている。

 

今日の天気予報だと夜半まで雨が降る様子はないが、先日寝相をからかわれたアキコにツゲグチしたら、イーヒコの頭に鉄拳の雨が降るだろう。まあ寝相が悪いのはいつものことだし、棚上げした文句を垂れ流さない限りは黙っておいてやろう。そう決めてシンヤは優しく胸からイーヒコの両足をどけた。

 

子供たちとコーゾを起こさないように、シンヤは影めいた静かで滑らかな動きで寝間着から着替える。耐酸コートを羽織りジュー・ウェアを担いでテントの入り口を潜った。死人めいた静けさの中、常夜灯のナトリウムボンボリと安定器の音だけが響いている。

 

早朝のトミモト・ストリート浮浪者キャンプにまだ人の気配はない。中央広場のヤグラ時計を見ればウシミツアワーを過ぎたばかりだ。夜行性腐肉食獣めいたヨタモノもそろそろ寝に入る時間だろう。連中とて眠るのだ。薬物でニューロンを叩き起こしたところで疲労が消え失せるわけではない。

 

ニンジャもそこは同じ。眠らねば弱り、スシを食わねば飢え、鍛錬せねばカラテが衰える。だからこうしてシンヤは毎朝早起きしているのだ。今日は予定より随分早いがまあいいか。そう独り言ちると、シンヤはキャンプが何らかの施設であった頃の、メンテナンス梯子に手をかけた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「イヤーッ!」廃ビルの無人ドージョーにカラテシャウトが響く。打ち捨てられたドージョーはネオサイタマに数多い。カラテは銃火器より合法で、極めればそれよりも強い。故にネオサイタマのどこでも求められている。それにタタミ、カンバン、そして必要なだけのスペースがあればどこでも始められる。

 

だから粗製濫造のカラテドージョーは雨後のキノコめいて生まれては、瞬く間に経営悪化し枯れ果てて消えていく。シンヤがトレーニング場としているこの無人ドージョーもその一つだろう。変色した『華麗な』のショドーと金メッキの剥がれたカケジクは、虚栄の末路を容易く想像させる。

 

しかし日課のカラテトレーニングに打ち込むジュー・ウェア姿のシンヤには何の関係もない。一声ごとに虚空に打ち込まれるカラテ・パンチは、タングステンボンボリに照らされた埃に緩やかな風の渦を作る……緩やかな? そう、モータルでも受け止められそうな程、シンヤが放つカラテパンチの速度は遅い。

 

しかし、それは同時にスロー再生めいて滑らかでもある。シンヤが放つこのカラテパンチは、一発一発を通して行う肉体のチューンナップなのだ。筋肉の動き、血液の流れ、ニューロンのパルス信号。それら全てをニンジャ身体感覚で認識し、カラテパンチを一繋がりの淀みない完全な流れへと整えていく。

 

(((考えなさい。無思考で打たれた百発のカラテパンチより、考え抜いた一発のカラテパンチは尊いのです)))耳の奥に響くのはかつてオールドセンセイから伝えられたインストラクションだ。ニューロンの奥から掘り出した記憶を、カラテトレーニングを以て血肉へと変えていく。

 

「イヤーッ!」もう一発、先ほどより速度を上げて放つ。左の引き手と右の突き手にズレがある。神経パルスのズレ、精神のブレだ。ズレればカラテ反作用は肉体を傷つけ、相手に十分なダメージが通らない。もう一度だ。「イヤーッ!」パルスのズレは修正されたが、踏み込みのリズムが狂った。もう一度。

 

「イヤーッ!」今度は狂い無く整った。カラテパンチのギアを上げる。(((考え抜いたカラテパンチを千発打ちなさい。それが上達の王道です)))「イヤーッ!」さらにカラテパンチが加速する。思い出せる記憶はまだあるか。記憶を頼りにカラテをさらに研ぎ澄ませる。

 

モータルの学習セオリーに対して、ニンジャのそれは大きく異なる。基本さえ覚えれば練習は時間の無駄。ニンジャ洞察力とニンジャ記憶力で十分応用が利く。カナメは実戦とインストラクションにこそある。故にシンヤはかつての日々から必死にオールドセンセイのインストラクションを想起する。

 

(((カラテパンチは脊髄で打ちます。逆の手で打ちます。足腰で打ちます。突き手は最後です)))「イヤーッ!」シンヤはオールドセンセイとの鍛錬を決しておろそかにはしなかった。指導の悉くを守り、身につけてきた。しかしモータルの少年に伝えられたことも、少年が覚えられたこともたかが知れている。

 

足りない、まだ足りない。「イヤーッ!」カラテが足りない、全く足りない。「イヤーッ!」もっと鍛えなければ、もっと強くならねば。「イヤーッ!」このままでは、家族を守りきれない! 「イヤーッ!……ッ!」急く心が狂いを生んだのか、カラテパンチの拍子にシンヤは大きくタタラを踏んだ。

 

すぐさまシンヤは体勢を立て直す。だが、あまりにも大きな隙だった。全身の力と一緒にデント・カラテ基本の構えを解いて、崩れるようにアグラ体勢となった。苦い後悔を顔に張り付け、頭を抱えて首を振る。何も考えずにパンチを振るった挙げ句の体たらく。カウントは一からやり直しだ。

 

「クソッタレ」自分しか知らないだろう悪態を付くと、シンヤは大の字になって転がった。焦りは禁物と判っていた。だがそう簡単に無くなってはくれない。「迷いはない」などと豪語しておきながらこの様とは、随分と笑える話だ。自嘲の苦い笑みを天井に向けるシンヤ。

 

彼が焦るのはこれから襲い来る危機と、それに対する自分の弱さだった。カラテを鍛えるニンジャが弱いなどと言えば、世の人間全てが弱者となるだろう。だが、これから対峙する『原作』という強敵を前にすれば余りに弱い。先のフラグメント相手のイクサを思い出せば、幾つもの失策が姿を見せる。

 

相手は片目と指六本無しのハンディマッチにも関わらず初戦の結果は完全に互角。専用フーリンカザンを用意した中盤戦でも押し切れずにワンインチ距離を詰められる。チェーンデスマッチめいた終盤戦ではダメージレースを追い抜かれ反撃でマウントを取られる始末。勝ちを拾えたのは幸運と覚悟の差だった。

 

無論、イクサに『もしも』はない。生き延びたのはブラックスミス、すなわちシンヤであり、死んだのはフラグメントだ。しかし、カラテが足りなけれは次のイクサで『もしも』を思う羽目になるのはこっちだ。そして、それを思うのはシンヤではない。遺された家族が死に際に思うこととなる。

 

だからこそ、シンヤはこうしてカラテを鍛えている。それでも、いつ来るか判らない相手に備え続けるのは精神をヤスリ掛けする作業と同じだった。せめて『原作』主人公であるニンジャスレイヤーの動きが判れば。だが、彼の動きを調べることは、彼と敵対するソウカイヤの尾を踏むことに等しい。

 

出来ることは『原作』に向けて備えられる限りを備えるのみだ。「イヤーッ!」シンヤは重苦しい息を吐き出すと、回転ジャンプで飛び上がり、デント・カラテを再び構えた。「イヤーッ!」もう一度、緩やかな風の渦が生まれた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

バウンサーとヨージンボーは似ているようで微妙に異なる。前者を警備員とするなら、後者は警察官に近しいものだ。トミモト・ストリート浮浪者キャンプのヨージンボーを現在の役割とするシンヤの活動もまた、警察官のそれと似通っている。

 

キャンプ外では、ヨタモノが現れかねない危険地域のパトロール、空き缶拾いに精を出すあまり注意散漫となった浮浪者への呼びかけ、通報を受けての急行とカラテ現場対応等々。キャンプ内では、争いごとの仲裁、侵入バイオ生物の駆除、落とし物の預かり、日誌作成etc.と実に多忙だ。

 

そして今日もシンヤは浮浪者が迷い込まないよう、ついさっきまで危険地域をパトロールしていた。そして現在は全く別の仕事に従事している。「カチカチ! カチカチ!」「キルメル! キルメル!」「アイェェェ……」背後で力ない悲鳴を上げる浮浪者の保護と、目の前のヨタモノ2集団へのカラテ対応だ。

 

トミモト・ストリートのヨタモノ最大勢力は『ヒョットコ・クラン』だが、それ以外にも中小規模のヨタモノ集団は多数存在している。例えば目の前で重合金製の歯を打ち鳴らすシシマイ姿の『オシシ・クラン』や、その隣で甲高く男性殺戮を叫ぶオカメ・オメーンの『オカメ・クラン』がその一例だ。

 

げんなり顔のシンヤがこれに関わる羽目になった理由は簡単だ。浮浪者の悲鳴を聞きつけ特徴のない薬中ヨタモノを処理したら、その音を聞きつけたオシシ・クランとオカメ・クランが登場。不倶戴天の敵と獲物2匹を見つけた両グループは威嚇とパフォーマンスを開始し、不安定な拮抗状態が完成したのだ。

 

「「「カッチカチカチ! カッチカチカチ!」」」「「「キル! マン! キル! マン!」」」LAN直結サイバーオタクダンスめいた非人間的同期8の字運動で、統一感アッピールする十数体のオシシ群隊。一方、同数のオカメ集団はアフリカ部族民めいてリズミカルに地面を踏みならしスローガンを歌い上げる。

 

路地裏の空き地で繰り広げられるカルティスト・ヨタモノ集団の狂った競演に、一般市民なら泣きながらブッダに救いを求めるしかないだろう。事実、背後の浮浪者は恐怖で涙をこぼしながら、ひたすらネンブツチャントを繰り返している。しかし、シンヤは泣きもしなければ救いも乞わない。

 

ただひたすらに面倒ごとに絡まれたと嫌気を顔に浮かべるだけだ。何せシンヤはニンジャ『ブラックスミス』だ。ネズミには狂った猫は恐ろしいが、ドラゴンには邪魔以外の感想はない。その態度が気にくわなかったのか、ヨタモノ2集団は不遜な獲物めがけて実力行使に動いた。

 

「ガチガチ! ガチガチ!」高速クルミ割り器めいた開閉動作と共に、市松模様のシシマイが頭部めがけて襲いかかる! 「イヤーッ!」「ピグワーッ!」半月めいた円弧を描くケリアゲ・キックで市松シシマイ頭部粉砕! 悲鳴と故障音の間の子をオイルと共に漏らしながら、市松シシマイは空中回転した。

 

「キルマン! キルマン!」続いてバイオタラバーカニめいた開閉動作と共に、高枝切り鋏を構えるオカメが下半身めがけて襲いかかる! 「イヤーッ!」「ンアーッ!」稲妻めいた直線を描く前方ケリ・キックで高枝切りオカメ下半身粉砕! 甲高い悲鳴を上げながら、高枝切りオカメは壁まで吹き飛んだ。

 

矢継ぎ早に二体のヨタモノを処理したシンヤを危険視したのか、ヨタモノ2集団は距離をとり再びパフォーマンス合戦に移る。「「「カチカッチン! カチカッチン!」」」「「「キルボーイ! キルボーイ!」」」何らかの違和感を感じ取ったのか、シンヤはデント・カラテを構え警戒を強める。

 

するとヨタモノ2集団が半分ずつに割れた。「「「カッカカ! カッカカ!」」」「「「キルガイ! キルガイ!」」」割れた集団からモーゼめいて姿を現すのは、異形のオシシと異様のオカメだ。片やジゴク絵図を背負う三首のケルベロス・シシマイ。片や鋼鉄ゴリラの下半身を少女のそれと置換した重サイバネ・オカメ。

 

恐らくはヨタモノ2集団の頭なのだろう。姿を見せた途端、それぞれのパフォーマンスが勢いを増した。ケルベロス・シシマイは三首を使った火噴き芸で火力を見せつけ、重サイバネ・オカメはオメーンより大きな拳でノダチ・ケンを振り回す。ミセモノ・サーカスならば恐怖の声とオヒネリが飛び交うだろう。

 

今や路地裏の空き地は薬物中毒回復者が即座にフラッシュバックする程の狂気に満ちている。しかしヨタモノ・フリークスショー唯一の観客であるシンヤは、構えを解いて面倒そうに眺めるだけだ。背後の浮浪者はとうの昔に泡を吹いて気を失っているというのに。

 

薬物中毒者の脳内を映し出したが如き狂えるアトモスフィアの最中、ただ一人シンヤだけが正気という異質の空気を纏っている。ホラー映画に突如出現したカンフーヒーローめいた不純物コンタミネーションを、恐怖の作り手が許せるはずもない。遂にヨタモノヘッド二体はシンヤへと襲いかかった!

 

「カカカカカカカカ!」業務用クルミ割り器めいた高速開閉動作と共に、ケルベロス・シシマイが頭部・腹部・股間の三点めがけて噛み千切りにかかる!「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ピグワーッ! ピグワーッ! ピグワーッ!」パンチ・パンチ・キック! 三連コンボでケルベロス頭部が一つ首に!

 

「キルキルキルキル!」バイオゴリラめいたナックルウォーク疾走と共に、重サイバネ・オカメがサシミに変えるべく胴体めがけてノダチ・ケンを振るう! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ンアーッ! ンアーッ! ンアーッ!」フック・フック・ストレート! 三連コンボで重サイバネ両腕がスクラップに!

 

数瞬のカラテで二体のサイバネ怪物は機能停止寸前に追い込まれた。「カッカ!」「キル!」だが、双方とも全く諦めていない。一首ケルベロス・シシマイが口を開くと、原色の火種が燃え上がる。さらに無腕サイバネ・オカメが上半身を反らすと、両胸からせり出した重金属の丸鋸が唸りを上げる。

 

しかも偶然にも二体はクロスファイアの立ち位置にいる。これはミヤモト・マサシ詠んだコトワザ『前門のタイガー、後門のバッファロー』そのものではないか! 「カカカカァーッ!」「キルユーッ!」恐ろしいシャウトと共に前方からケミカル火炎放射が、後方から重合金バズソーが放たれた!

 

このままでは浮浪者共々、焼き上げられて切り裂かれステーキに最適な調理をされてしまう! 「イヤーッ!」だが、シンヤに一切の焦りはない。瞬時に気を失った浮浪者を打ち上げロケットめいて投げ上げる。「え……アィェェェ!?」浮浪者はその拍子に意識を取り戻し、空中で再び泡を吹いて失神した。

 

更にシンヤは人間蜘蛛めいて屈み込み、火炎とバズソーの十字砲火を回避する。極彩色の炎と暗い虹色の丸鋸が頭上を通り抜ける。だが攻撃は終わってない! 「カァーッ!」「キールッ!」ケルベロス・シシマイは口腔角度を、サイバネ・オカメは胸部角度を調整して、次弾をシンヤへと命中させんとする。

 

「イヤーッ!」しかしその動きよりシンヤは遙かに速かった。シシマイの頸部とオカメの肩部に一本ずつ黒錆色のテープが絡みつく。これはシンヤ、すなわちブラックスミスのユニーク・ジツである『タタラ・ジツ』で生成したロクシャクベルトだ! しかも先端のスリケン錘で強固に固定されている!

 

「イヤーッ!」そしてニンジャ腕力でロクシャクベルトが引っ張られる! そうなれば、その先にある二体も引っ張られバランスを崩す。シンヤのニンジャ器用さにより、崩れる角度は狙い通りに調整されている。「「!?」」それは互いが正対する角度、すなわち双方の攻撃が直撃する角度である!

 

「ピガバーッ!?」ケルベロス・シシマイが重合金バズソーでブツギリに! ナイスカッティング! 「アババーッ!?」サイバネ・オカメがケミカル火炎でテリヤキに! グッドロースト! 「「「アイェェェ!」」」怪物ヘッドがステーキ調理される姿にカルティスト・ヨタモノ2集団も恐慌状態に陥った。

 

バイオゴキブリめいてブザマに逃げまどうヨタモノ達を眺めながら、シンヤはようやく面倒事が去ったと大きく息を吐いた。声もなく気を失ったまま落ちてくる浮浪者を軽く受け止めると、丁寧に壁にもたれさせる。そして浮浪者を起こすべきか考えながらシンヤは空き地の出口に目をやった。

 

だが、次の瞬間! 「イヤーッ!」突然のシャウトと共に回転ジャンプ! その姿は一瞬の間に黒錆色の繊維に覆われ、ニンジャそのものの姿へと転じている。ブラックスミスは空き地の出口へと油断なくデント・カラテを構える。全身には先ほどとは比べものにならない緊張とカラテが張りつめている。

 

「誰だっ!?」赤錆めいたメンポの下から、焦燥と警戒を帯びた声が放たれる。見つめる先の出口には暗闇があるだけだ。余人には虚空に向けて怯え竦む被害妄想狂にしか見えない。だがニンジャであるブラックスミスには、回転ジャンプの一瞬前に出口から静かにこちらを見つめる人影が見えていた。

 

薄曇りの昼光に照らされる赤を帯びた影が、ビルの谷間の陰に隠れて黒く染まった影が。赤と黒、その色から想像する者は一人しかいない。「赤黒の殺戮者」「ネオサイタマの死神」「ニンジャ殺す者」「twitter小説『ニンジャスレイヤー』主人公」……すなわち、ニンジャスレイヤーその人である!

 

(((ニンジャスレイヤー=サン、ナンデ!? 偶然か!? 状況判断か!?)))トレーニングを欠かした事のないデント・カラテは、恐怖し困惑する思考より速く構えを形作りカラテ迎撃の体勢を整える。だが、影はブラックスミスが回転ジャンプで着地した瞬間には既に姿を消していた。

 

最早、出口には人影はない。ニンジャ感覚にも壁にもたれる気絶浮浪者以外に触れる者はない。だがブラックスミスはカラテ警戒を解かずジリジリとスリアシで出口へと近づく。『原作』という名をした運命の女神に、脊髄を氷の手で撫で回された気分だ。冷たい汗が頬を伝う。

 

もし、想像通りに相手がニンジャスレイヤーならば、どれだけ警戒しても十分ということはない。何故ならば、ブラックスミスが恐れ逃げ回るソウカイヤを滅ぼし、『ベイン・オブ・ソウカイヤ(ソウカイヤ殺し)』と呼ばれるのが彼なのだ。そして彼は一切の悪しきニンジャを許さない。

 

ブラックスミスはニンジャとしてはかなり控えめで邪悪でない方だと自負している。だが、誰を殺し誰を生かすかはニンジャスレイヤーが決める。『原作』を通じてそれを知るブラックスミスには、先ほどまで害虫防除めいてヨタモノを処理していた自分が殺忍対象にされないとは到底思えなかった。

 

空転する思考と共に、ブラックスミスはミミズが這うような速度で入り口へと近づく。「イヤーッ!」唐突な回転ジャンプ! ブラックスミスは先ほどの影の位置めがけて、カカト落としでアンブッシュを仕掛けたのだ! 「イヤーッ!」カカト落としは空を切った。空気を裂く鞭めいた破裂音が路地裏に響く。

 

「イヤーッ!」ブラックスミスは再びの回転ジャンプで反撃のアンブッシュを回避する。だが、反撃はない。全方位に向けてニンジャ感覚を研ぎ澄ませる。だが、反応もない。「見間違い、だったのか?」最も高い可能性を口にして見るも、ブラックスミス自身全くそうは思えなかった。

 

事実、全身には破裂寸前のカラテが張りつめ続けている。警戒を解く様子もない。殺意を帯びたカラテを全方位に向けている。空気が歪む程のニンジャ圧力を浴びせられ、路地裏はノイズキャンセリングめいた不自然な静寂に塗りつぶされる。

 

それを破ったのは後ろからの叫び声だった。「アイェェェ!」不意に目を覚ました浮浪者が、ブラックスミスを直視してNRSで再度気絶したのだ。哀れな浮浪者は本日三度目の意識喪失である。しかも最後は本気のニンジャ圧力が直撃してのNRS失神だ。

 

急ぎロン先生に診せないと後遺症が残るかもしれない。「ヤッベ!」シンヤは年相応の台詞をこぼしながら、ニンジャ装束を脱ぎ捨て浮浪者へと急ぎ駆け寄る。脱ぎ捨てたニンジャ装束は、黒錆色の繊維片となって路地裏の暗闇へと溶けた。

 

「ヤッベ! ヤッベ! どーしよ!? ロン先生テントにいるかな!?」周囲への警戒をしつつも、焦り顔で浮浪者を背負うシンヤ。浮浪者キャンプへ向けて急ぎ駆け出す、その背中を見つめる者はいない。今はいない。

 

【メイク・アリアドネズ・クルー】#1終わり。#2に続く



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第二話【メイク・アリアドネズ・クルー】#2

【メイク・アリアドネズ・クルー】#2

 

日中のトミモト・ストリート浮浪者キャンプには人がいない。大半の浮浪者は安全な昼間に空き缶拾いを済ませるからだ。残っているのは、自発的休暇中の者か、怪我人・病人か、それを治療する医者だ。とは言っても浮浪者キャンプにいる医者はロン先生ただ一人なのだが。

 

「ご迷惑おかけしました」「こちらこそご迷惑を」そのロン先生の診療所テント前で、黒錆色のフロシキを背負ったシンヤと救助した浮浪者はオジギを繰り返していた。シンヤからすれば気絶させた挙げ句に後遺症を残すところだった。謝らずにはいられない。

 

逆に浮浪者からしてみれば恐ろしいカルティスト・ヨタモノ集団から救ってもらった恩義がある。頭を下げずにはいられない。「イエイエ、私こそ」「イエイエ、自分こそ」なので診療所前の奥ゆかしいオジギ合戦が止む様子はない。「いい加減にしてくれないかね?」「「ドーモ、スミマセン」」

 

合戦をミズイリしたのは診療所の主であるロン先生だった。昼食を中断しての治療を終え、好物のフトマキ・ロールを口にしようとした所でこれだ。温厚篤実なロン先生と言えども多少は血が上る。オジギ連打の先をロン先生に向けてシンヤと浮浪者は診療所を離れる。

 

「スミマセン」「イエイエ……これやってたらキリがありませんね」「ですね」最後に互いに頭を下げあうと、シンヤと浮浪者は分かれた。シンヤが目的地に向けて足を進める度に、背後のフロシキからスクラップめいた金属音が響く。「壊れてないよな?」思わずシンヤはぼやいた。

 

先にも書いたように日中のキャンプには人が少ない。目的の人物は直ぐに見つかった。探し人はテント前で直にコンクリに腰を落として、サケ瓶から中身を呷る老人だった。「ワシは何も間違っとらん! テロリストはテロリストじゃ!」『美しみ味』と印字されたサケ瓶が床に叩きつけられ甲高い悲鳴を上げる。

 

「それを議員の息子だとグダグダ言いおって! ワシが射殺してやらにゃならんかったというのに、あの恩知らずども!」虚空に向けて愚痴をまき散らす老人の前に、ややうんざりした顔のシンヤはフロシキを下ろした。「ナンブ=サン、昼間からサケ飲んで倒れても知りませんよ?」「これは水じゃ」

 

実際、ナンブからはアルコール臭はしない。シンヤのうんざり顔に呆れが混じった。「なんでそんなん飲んでクダ巻いているんですか」「アルコールはロン先生に止められとるからの。で、モノは手には入ったのか?」皺の隙間から放たれる眼光が色を変えた。シンヤは返答代わりにフロシキの結び目を解く。

 

姿を見せたのは、ドリル付きホームガードパイク、バールめいた鈍器、サイバネ榴弾砲などの危険武装の数々だ。全てオカメ・クランとオシシ・クランのヨタモノが持っていた武装だ。「ウーム、どれも安物粗悪品のオモチャばかり! ワシが湾岸警備隊にいた頃は100万はする武装を使えたというのに!」

 

ぶつぶつと懐古主義的な愚痴を漏らしながら、ナンブはシンヤが持ち帰った武装を確認する。「ここは湾岸警備隊じゃなくて浮浪者キャンプです。使えますか?」「……使わざるをえんじゃろう。他にない」懐古発言をシンヤは一言で切って捨てると、ナンブへ改めて視線を向ける。ナンブは苦々しく呟いた。

 

ナンブはこの浮浪者キャンプの自治防衛組織長だ。『原作』知識を通じて浮浪者キャンプがヒョットコ・クランの標的になることを知っていたシンヤは、村長であるタジモに掛け合い各種対策を打ち立てた。その一つが元湾岸警備隊員のナンブ率いる自治防衛組織だ。

 

だが、組織を立ち上げた所でヒトとモノがなければ何事も立ち行かない。ヒトはナンブ同様の荒事経験者をキャンプから見繕い、モノはこうしてシンヤが武装をかき集めているのが現状だ。どちらも全く足りていない。それでも生き残りをかけ、自動カンヌキ装置やナリコの設置などの努力を続けている。

 

「あとはオヌシが持ってきた博物館級の年代物で数だけでも揃えるわい。で、ヨタモノ共は本当に来るのか?」「来ます」『原作』を知るシンヤと違い、キャンプの大半はヒョットコ襲撃を信じていない。昨日までの安全が明日も続くと信じている。自治防衛組織の中心であるナンブですら半信半疑だ。

 

ソンケイあるヨージンボーのワタナベの口添えが無ければ、タジモも耳を傾けなかっただろう。だが、ヒョットコは来るのだ。そのワタナベがいる限り、首謀者である「ウォーロック」は諦めはしない。ソウカイヤ最強と呼ばれた「インターラプター」を手駒とするために必ず動く。

 

さらに言うなら、その事実はワタナベの隠す過去に直結している。それが明らかとなれば全てが終わるだろう。それを口にすることはできない。「倍のヨージンボーで、連中の狩りは不首尾に終わっています。そしてキャンプの人間は組織だって行動している。直ぐにネグラの存在に感づくでしょう」

 

だからシンヤは可能な限り最もらしく聞こえる論理で説得にかかる。「ボーナスゲームのつもりで突っ込んでくるヨタモノ連中をスイスチーズにすると言うわけか! ハッハ! 血が沸き立つわ!」湾岸警備隊時代の記憶が蘇ったのか、ナンブは獰猛な笑みを浮かべた。

 

「軍曹、直ぐに訓練を再開するぞ!」「俺はヨージンボーです。仕事があるので戻ります」記憶が蘇りすぎたのか、湾岸警備隊のノリで指揮を始めるナンブ。冷めた顔でナンブの台詞を無視し、シンヤはキャンプ出入り口へと向かった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

シンヤが再び出入り口をくぐったのは、夜が来てしばらくしてからだった。落ちる日と共にキャンプへ帰る浮浪者達を誘導し、時間外にも空き缶拾いを続けようとする者を連れ戻し、人数と住民票の照らし合わせを終えて、ようやく本日のヨージンボー業務は終了した。

 

「ただいま、キヨ姉」ソバとダシの香りを胸一杯に吸い込みながら、シンヤは調理場で夕飯の支度をするキヨミへと帰宅の挨拶を返す。スリコギで混ぜている鍋の中身を見るに、晩飯はソバガキ・ポレンタらしい。隣の鍋ではオスマシ・スープに焼き固めた魚肉ハムと輪切りのバイオタマネギが浮いている。

 

シンヤの胃袋が一刻も早くと夕飯を要求した。「おかえりなさい、シンちゃん。ねぇ、エミちゃん見なかったかしら?」「エミ? なんかあったの?」今、キャンプに帰ってきたシンヤが、一日をキャンプで過ごす子供達の居所を知る由もない。「まだ勉強会で宿題をやっているんじゃないか?」

 

再び社会に戻った時のために、子供達は元学習塾講師の元で義務教育の内容を学んでいる。公立学校に通っていた頃よりも教え方が丁寧で判りやすいとアキコ等は喜んでいる位だ。「さっき聞いてみたけどそこにも居ないのよ」「理由はわかる?」となると居所は理由によるだろう。

 

「その、オタロウちゃんのオモチャをエミちゃんが壊しちゃったらしくて。そしたら急にいなくなっちゃったそうなの」鍋を混ぜる手を止め、愁眉を作るキヨミ。「帰ってきたばかりで悪いけど、エミちゃんを探してもらえないかしら」「判った、直ぐに見つけるよ」

 

胸を叩いて心配するなとシンヤは笑って見せた。それなら心当たりがないわけではない。「オネガイ」頭を上げるキヨミに、気にするなの意味を込めて手を振るとシンヤはニンジャの速度で駆けだした。幾ら巨大な地下空間とはいえ、ニンジャ脚力なら隣近所と変わらない。

 

バッファロー革とビニールを複雑に継ぎ接ぎした、奇妙だが堅牢なテントは直ぐに見つかった。「スミマセン! ワタナベ=サンはいらっしゃいますか?」ドアもチャイムもないテントが基本の浮浪者キャンプでは、入室前に一声かけるのが礼儀だ。タジモが定めた奥ゆかしいルールをシンヤも当然守っている。

 

家主であるワタナベは在室だったようで返答は直ぐにきた。「シンヤ=クンか! ちょうど良かった、入ってく……」「入っちゃダメッ!」ワタナベ以外も在室だったようだ。聞き覚えがあるどころではない甲高く幼い声。探し人のエミに他ならない。シンヤが予想した通りここへ逃げ出していたようだ。

 

「ワタナベ=サンが良いと言ったので入りますネー。オジャマシマス!」「ドーゾ」エミは拒否しているが、家主は許可している。なので冗談めかした声音でシンヤは入り口を開いた。目に入ったのは、酷く困った顔でアグラするワタナベと、その背中に小猿めいてしがみついているエミの姿。

 

「ダメって言ったのに、シンお兄ちゃんナンデ入っちゃうの!? オジチャンもナンデ入れちゃったの!?」歯を剥いて威嚇する顔も実に子猿めいている。エミの抗議を無視してシンヤは当人に呼びかけた。「何やってんだ、エミ。キヨ姉も心配してたし、ワタナベ=サンを困らせてどーすんだ。家に帰るぞ」

 

「ヤダッ!」シンヤの差し出した手を拒否するように、エミはワタナベの肩に顔を埋める。ワタナベ同様の困り顔になったシンヤは、とりあえずワタナベに頭を下げた。「ドーモ、スミマセン。ワタナベ=サン、家のエミがご迷惑をおかけしているようで」

 

「いや、気にしないでくれ。シンヤ=クン。私は迷惑を感じてなどいないよ。ただ……」二人の視線は、威嚇活動を再開したエミに移った。「あのな、エミ。オマエが強情張るとワタナベ=サンが迷惑するんだぞ」「オジチャン、迷惑じゃないって言ったもん!」

 

リップサービスめいた定型文から揚げ足を取り、帰宅を拒否するエミ。どうしたものかとシンヤは頭を掻いた。「ウーム」意地を張る妹をどう説得したものか。唸りながらシンヤは考え込む。何にせよ、当人と話す他にはないだろう。

 

「オジャマシマス」「ドーゾ」シンヤはワタナベの正面に腰を下ろした。それはエミの正面でもある。「エミ、お前がオタロウのオモチャを壊した話はもう聞いているぞ」「アタシ悪くないもん!」即座に自己正当化の台詞が投げ返された。どうやら原因はこれで間違いないようだ。

 

「なら、家に帰ってオタロウにそう言えばいいさ。エミは悪くないんだろ?」想定を越えた台詞に、エミは驚き顔で兄を見つめる。シンヤにはエミの言葉を頭ごなしに否定する気はない。そして一方的にエミの味方をするつもりもない。

 

「自信を持って真っ正面からオタロウに私は悪くないって言ってやればいい。エミが悪くないんならそれで済む話だ」そうだろとシンヤは妹へ同意を求める。だがエミはワタナベの肩に顔を伏せるばかりだ。「実際、エミも自分が悪かったって判っているんだろ?」

 

静かにシンヤはエミの頭頂部へ語りかけた。無謬だと本気で思っていたなら、エミはトモダチ園のテントに居るはずだ。全方位から責められワタナベの下に逃げ込む可能性も存在はするが、シンヤはキヨミが絶対にそんなことをしないと知っている。

 

ならワタナベ=サンの所へ逃げ出して、その肩に顔を伏せている理由は、エミ自身の罪悪感に他ならない。「自分が悪いって口にするのが嫌だってのは判る。俺だって嫌だったよ」「シンヤお兄ちゃんも?」独白めいたシンヤの言葉に、エミは顔を上げて聞き返す。シンヤは目を閉じて頷いた。

 

「そりゃそうさ。キヨ姉に、トモダチ園の皆にドゲザして謝る時、ホントに辛かったよ」現実世界からの転生者であるシンヤにとってもドゲザは重い。それをしなければならない程の行いを家族にしてしまったという罪悪感も重かった。だが、それでもシンヤはドゲザをした。

 

「でもな、エミ。ちゃんとゴメンナサイを言わないと、いつまでも辛いままだ。それも家族と仲違いしたままでな」自分の行いの責任をとるために、そして家族と絆を結び直すために、覚悟を決めてシンヤは頭を床に叩き付けたのだ。

 

「ずっと家族と仲が悪いままってのは本当に辛いんだ。俺はドゲザよりそっちが嫌だった。なぁ、エミ。お前はどうだ? ゴメンナサイを言うより、オタロウと仲直りできないまま、辛いままの方がいいか?」「……ゴメンナサイの、方がいい」伏せた顔から漏れたのは小さな声だった。

 

モータルなら聞き落とすだろう小さな小さな声。だがシンヤはニンジャ聴力で確かに捉えていた。ワタナベの肩から僅かに上げた顔には涙が滲んでいた。「なら、家に帰るか」「うん」洟を啜る音と共にエミは頷いた。「ほれ、洟かめ。ワタナベ=サンの肩についちまうぞ」

 

ワタナベの背中から離れたエミは、シンヤの差し出した黒錆色のハンカチーフを受け取ると、耳に厳しい音をたてて洟をかんだ。腰を上げたシンヤは、改まって直立すると深くオジギした。「ワタナベ=サン、改めてご迷惑をおかけしました」「オジチャン、ゴメンナサイ」エミも背後から頭を下げた。

 

「いいんだ。仲直りできたなら、それでいい」前後から謝罪をされたワタナベは、片手を上げて二人のオジギを制した。その顔は岩石めいて重く、同時に海溝めいて深い。「……シンヤ=クンはスゴイものだな。おれには、できなかった」重苦しい笑みを浮かべたワタナベは二人を見ていなかった。

 

視線の先はテント内にいくつも張られた色褪せた写真の一つに向けられている。キモノ姿の美女と、その手に抱かれた4つ程の幼女。あどけない笑顔がエミと何処か似ている。「デッカーとしてネオサイタマを守ることが家族のためだと、そう信じていた」

 

ワタナベは視線を手のひらに落とす。分厚く堅い手は小刻みに震えている。「家庭を顧みずオハギに縋ってまで、毎日仕事に明け暮れた。知らないうちに色んな物がこの手からこぼれ落ちていったよ。妻はオハナを、娘を連れて出て行った。それも一週間も経ってようやく知ったんだ。当然の報いさ」

 

ポケットから取り出したタッパーを開くと、どす黒いオハギが並んでいる。危険な甘い香りがテントに満ちた。「シンヤ=クンは本当に立派だ。若くして一家の大黒柱をやっている。おれは家族を守れなかった。支えになれなかった。本当にダメな、情けない男だよ」

 

ワタナベの独白にシンヤは何も言えなかった。真実を知る自分がどんな慰めを口にしようと、それは唾棄すべき欺瞞でしかない。結局ワタナベはオハギを取らずにタッパーを閉じると、後悔と自嘲に沈んだ声でエミに声をかけた。「エミチャン、家族が待ってる家に帰りなさ「ダメじゃないもん!」

 

台詞を遮る甲高い否定の声に顔を上げれば、涙を滲ませて頬を大いに膨らませたエミの顔がある。「オジチャン、いい人だもん! ダイジョブだよ!」「おれは、そんな……」次に自嘲の声を遮ったのはシンヤの言葉だった。「そういうのやめましょう、ワタナベ=サン」

 

口を出すつもりはなかった。それなのに言葉は口を突いて出た。「あなたが口添えしてくれなければ、キャンプの防衛計画はオモチ絵のままでした。ワタナベ=サンはそれだけ信頼されているんです。このキャンプを守ってきた結果なんです」ワタナベの肩が震えた。オハギ禁断症状とは異なる震えだった。

 

「子供に慰めてもらって、同情してもらって……本当に、本当に情けない」「だからワタナベ=サン、やめましょう」震える肩にシンヤは手を置いた。筋肉ではちきれんばかりに膨れ上がった堅い肩だ。この場所を守り続けてきた男の肩だ。例え過去が真実がどうあれ、彼が身を挺してここを守ってきたのだ。

 

「トモダチ園じゃ、誰かを蔑んじゃいけないって教えています。誰かを蔑んだら自分を、その相手を信じる人を蔑むことになるからです。だから、あなたを信じているキャンプの皆を蔑まないでください」涙を堪えたワタナベは深く深く息を吸って、長く長く吐いた。「そうだな、その通りだ」

 

「オジチャン、苦しいの? さすってあげるね!」心配顔のエミがある意味間違っていない解釈の下、ワタナベの背中を撫でさすり出した。「エミちゃん、アリガト」「ドーイタシマシテ!」礼の言葉は掠れた声音だった。エミはそれに気づくことなく、一所懸命に大きな背中をさすっていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

天気予報通り、重金属酸性雨は夜中になって降り出した。地上のネオン光が降りしきる雨に乱反射し、ネオサイタマの空は薄明かるい靄で包まれている。四角形に切り取られた空から汚らしい雨水が降りしきる。シンヤの対酸コートと静電場防御帽子に繰り返し跳ねる。

 

葬式のネンブツチャントより単調な雨音は、昼間の疲れと相まって強烈に眠気を誘った。フートンへと誘う睡魔を頭を振って振り払い、シンヤはベッコウ・スィートの欠片を口に放り込んだ。合法糖類でキヨミが作った子供達のオヤツを、一つ二つ貰ってきたのだ。特徴のない糖蜜めいた甘さが口中に広がる。

 

疲れた脳味噌に糖分は文字通りにカンロだった。鉛めいて重苦しく脳を縛っていたニューロンの疲労が、甘味と共に溶けだしていく。「整理しよう」月も星も雲さえもよく見えない空を眺めながら、シンヤは虚空に向けて呟いた。グンテ代わりに黒錆色のグローブで包まれた手で、空中に文字を描き出す。

 

「一つ、防衛計画の進行状況」人も物も不足している防衛隊は形を整えるので手一杯だ。タジモ村長が会議で言ったように迎撃は諦めるしかない。脱出までの時間稼ぎのみとする他はない。幸い、避難訓練は実施済みで非常口も準備している。二人分のニンジャ戦力と併せれば最低限の時間は得られる。

 

「一つ、ワタナベ=サンの戦力化」そこで重要なのがワタナベの取り扱いだ。襲撃の首謀者ウォーロックは「インターラプター」の取り込みを図っている。真実を告げられればワタナベが敵に回りかねない。説得用の資料は集まりつつあるが不十分だ。本番までに足りなければ、後は感傷に賭けるしかない。

 

「一つ、戦後のトモダチ園」完全迎撃に成功しない限り、襲撃後は結果に依らず浮浪者キャンプが解散となるだろう。そうなれば次のトモダチ園の行き先を考えておかなければならない。それにウォーロックが自分の存在を知れば、最悪ソウカイヤがキャンプにやってくる。急ぎ準備と相談が必要だ。

 

(((いっそ逃げるか?)))不意に言葉が浮かんだ。キャンプも居場所も全部捨てて、家族だけと二度目のヨニゲを図る。考えなかったと言えば嘘になる。当初は必要な金銭を蓄えて『原作』前に逃げ出すつもりだったのだ。だが、キャンプ住民との交流を深め、家族が腰を落ち着ける間にその気は失せた。

 

子供達に勉強を教えてくれている初老の元塾講師。防衛計画の要に自ら志願したナンブ老人。己のカラテで救った新入りの住人。『原作』では、彼らは顔も形も出なかった。『浮浪者キャンプの住人』という背景の一部でしかなかった。だが、彼らは地に足を付けて日々を懸命に生きている『人間』だった。

 

ロン先生から応急処置を教わるキヨミ。タジモ村長に子守歌を聴かされて泣きやむオタロウ。そしてワタナベに懐くエミの姿。彼らと家族は心を通わしている。彼らを見捨てて逃げ出すことは、家族の思いを裏切ることだ。家族だけを連れて逃げて、住人を残して逃げて、恩人を見捨てて逃げる。

 

そうして行き着く果てはジゴク以外にはない。否、逃げ続ける限り何処もジゴクだ。自分は家族を守るために立ち上がった。それなのに自ら家族にジゴクを巡らせるなど、道路を横切る鶏よりナンセンスだ。自ら定めた『家族を守る』誓いは公衆便所の落書き以下になり果てる。

 

(((だからここで戦うしかない)))静かな決意と共に、堅く握りしめた拳を胸に当てる。約束の納められた位置、オマモリ・タリズマンの場所だ。そこから放たれる幻の熱が心臓を暖める。体中に思いが、エネルギが、カラテが、呼吸と共にゆっくりと循環していく。

 

「ハイ、風邪引いちゃうわよ」不意にコートに跳ねる雨が止んだ。重金属酸性雨そのものは降り続けている。頭上に差し出された故障LED傘が雨を防いでいるだけだ。光らない持ち手を握ったキヨミは、センタ試験勉強を頑張りすぎる子供を見るような心配を笑顔の下に隠している。

 

「ニンジャだからダイジョブさ」口ではそう言いながらも、シンヤは大人しく傘を受け取った。実際、考え事に時間をかけすぎて多少冷えてきている。ニンジャと言えども場合によっては病気になるのだ。ニンジャ耐久力がある分、それを超えた病気は致命的だ。なによりキヨミの心配を無碍にしたくなかった。

 

故障LED傘の花が二輪並んだ。降りしきる雨音が、クラッシュアンドビルドの隙間に生まれた空白の工事現場を埋めていく。雨足は強まることなく、川のせせらぎにも似た有音の静寂が場を満たす。トミモト・ストリートの喧噪も遠く、ここが猥雑なるネオサイタマではないかのようだ。

 

正方形に切り取られた空は、ネオン光に照らされて一枚天井を張った様。インガオホーと嗤うドクロの月も重金属雲の向こうだ。世界から二人が静かに切り離されたように思える。(((このまま何処か遠くへ行けたら……)))ここで戦うと決めたはずなのに、憧憬にも似たセンチメントが胸中に浮かんだ。

 

「きっとダイジョブよ。シンちゃんならやれるわ」ポエットでナイーブな感傷は、家族の暖かなコトダマに包まれて溶けていく。この暖かみを守るためにこそ戦うのだ。静かに一つ息を吸って吐く。センチメンタルはイオン臭の夜風に混ざって消える。シンヤは力強く笑って返した。

 

「ああダイジョブだ。皆が協力してくれている。上手くいくさ」それっきり二人は口を開かなかった。奥ゆかしく互いに何も口にしない。言葉は必要なかったからだ。沈黙に苦痛はなく、代わりに柔らかなお互いの息づかいがあった。ただ、しめやかな時が夜の間に流れていった。

 

そして、二人が夜中に出て行ったことをアキコに散々からかわれたのは次の日の話である。

 

【メイク・アリアドネズ・クルー】終わり



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第三話【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#1

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#1

 

「ホータールノーヒーカーリー」医科大学専門予備校併設の私設図書館で一般開放時間終了を知らせるメロディが響いた。学生とおぼしき若者達は資料を本棚へと戻し鞄へノートを詰め込む。シンヤも同じく『薬物中毒者治験記録集』と書かれた分厚いハードカバーを閉じると静かに本棚へ差し込んだ。

 

不意に口から深い息がこぼれた。幸運にも目的に使える資料を見つけ、書き写す作業に躍起になっていたのだ。資料の大半は薬中患者を使用した新薬治験の記録だったが、その中に透析技術について載っていたのは幸いだった。被験者は死んでたが目的には十分なので良しとしよう。

 

酷使の結果、微妙に焦点の合わなくなった目頭をシンヤは繰り返し揉む。ニンジャ耐久力があるとはいえ、休みも取らずに日がな一日中調査を続ければ少しは疲労する。ましてやこの調査の時間を空けるためここの所働きづめだった。しかし、支払った苦労と安くない使用料の甲斐は十分あった。

 

この資料を用いればプレゼンに十分な説得力が加わる。夢物語ではなく実現可能性のある話として、感傷に縋ることなく相手を説き伏せられるだろう。成功の予感に口の端を歪めながらシンヤは黒錆色のバックにノートを放り込むと、出入り口ゲートの行列に並んだ。

 

BEEP! 「アイェッ!?」「ちょっといいですか?」疲れた肩を回しながら順番を待っていると、ゲートから響いた唐突なビープ音が鼓膜を叩いた。顔だけ横から出して見ると、パンクヘッド学生の両肩が左右から捕まれる姿が目に入る。「お、横暴だぞ! 僕の父は日刊コワレ報道部のグワーッ!?」

 

ペンは剣よりも強いそうだが、スタンジュッテよりは弱いようだ。有無を言わさず首筋に叩きつけられた高圧電流の衝撃に、失禁痙攣しながらパンクヘッド学生は崩れ落ちる。学生を手早く処理した警備員が鞄の中を探ると、『出す禁』シールが張り付けられた資料が何冊か出てきた。

 

ここでは資料は持ち出し厳禁だ。「ありました」「では献体室に」そして違反者は医学生向け献体として文字通り血肉で代償を支払う。お陰でこの予備校のネオサイタマ医科大学入学率はトップクラスだそうで、それを知った他の予備校では浮浪者誘拐によって献体を徴収しているらしい。

 

「タ、タスケテ!」照明を落とした献体室の扉から、救助を求める声が聞こえる。麻酔薬をケチったのか、ベッドに縛り付けられた献体の一つが目を覚ましたのだ。だがその声に答える者はいない。悲痛な叫びに目を反らすことすらなく、出荷されるオイランドロイドめいて誰もが無表情のままゲートを潜る。

 

その中でただ一人、シンヤは複雑な顔で献体室へと目を向けていた。ニンジャ暗視力ならば、暗がりの中で絶望と恐怖を張り付けた若い顔もよく見える。今の献体と同じ学生だろう。マンビキ・シーフなゲーム感覚の小遣い稼ぎのつもりだったのか、はたまた生活に困りヤバレカバレで盗みに手を出したのか。

 

どちらにせよ彼らに未来はない。かつてシンヤがいた『前世』の日本と違い、ネオサイタマでは犯罪者の私的処刑などチャメシ・インシデントの一つでしかない。ここは死刑廃止が論争となりうる無方向性の慈悲が美徳の世界ではない。悪徳と混沌のディストピアであるネオサイタマなのだ。

 

目的達成の可能性に弾んでいた心が急速に沈み込むのを感じながら、シンヤはアワレな犯罪加害者から視線を外した。出入り口のゲートを過ぎれば、夕闇を塗りつぶして煌々と輝くビル群が窓から目に入る。幾千の労働者の人生を燃やした夜景は、処女の血を啜って若さを保つ妖女めいて美しくもオゾマシい。

 

(((本当にロクでもない世界だな)))ネオサイタマと比べれば遙かにマトモな『前世』を知るだけに、コールタールめいた嫌悪感がシンヤの心中に沸き上がる。道理の通らない理不尽に怒りと憎しみを感じるのは精神が健全な印だろう。「スゥー、ハァー」だがシンヤは深呼吸でそれを抑えた。

 

動機が如何に道理にかなっているとしても、憤怒と憎悪に支配されれば行き着く果ては大儀を掲げて暴力を振るう怪物だ。一度それになりかけた身としては、二度三度と同じ失敗を繰り返すのはゴメン被る。守るべきは大儀でも正義でもなく、家族なのだ。命も、体も、心も、魂も家族の全てを守る。

 

シンヤは約束を納めたオマモリ・タリズマンに拳を当てて誓う。そのためにも当面の目的である、ワタナベの説得を完遂しなければならない。だが、その姿を見つめる白けた半月は残酷な悲劇を待ちわびる様に重金属酸性雲の隙間から嗤っていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ただいま」「あ、シン兄ちゃんお帰り!」「あーやってこーやってそーやって……」調べ物を終えたシンヤがテントに帰ってみれば、ウキチとイーヒコはパズルめいた何かしら相手に睨めっこの真っ最中だった。特に血走った目でパズルを見つめるイーヒコは、集中しすぎてシンヤの帰宅にも気づいていない。

 

「イーヒコがご執心みたいだけど、そりゃなんだい」「タジモ=サンから貰ったパズル。怪我人見つけたお礼に貰ったんだ」ウキチ曰く「ムスメ=サン・イン・ザ・ボックス」という木製スライドパズルで、今日の勉強会が終わってからオタロウも交えて三人で遊んでいたのだという。

 

ただ、幼いオタロウには難しかった様で直ぐに隣のテントに帰ってしまった。一方、こんなの簡単に出来ると豪語したイーヒコは一時間前からパズルに掛かり切りだそうだ。トモダチ園で一番勉強が出来て頭がいいと自負しているイーヒコには、パズル如きに手こずるのはプライドが許さないらしい。

 

シンヤからすればイーヒコは知識量と屁理屈のこね方はともかく、頭の回転速度や発想力は他の面々より下だと思っている。ただ、それを口に出したことはない。子供たちの暴君であるアキコが、拳骨と共に文句と暴言に交えて散々に口にしているからだ。

 

「怪我人とは穏やかじゃないな。暴動にでも巻き込まれた人なのか?」「知らない。スッゴイ怪我だったけど事情を聞くのは奥ゆかしくないって、タジモ=サンが言ってた」対酸コートをクナイ・スタンドに掛けながら投げたシンヤの問いを、ウキチは左右に首を振って否定する。

 

シンヤは暴動を怪我の理由に挙げたが、トモノミ・ストリートでは大規模暴動やイッキ・ウチコワシの破壊活動は意外と少ない。皮肉なことにヒョットコ・クランという恐怖が、憎悪を一手に引き受けてくれているためだ。実際、ヨージンボーとしてパトロール活動を行っているシンヤも出くわしたことはない。

 

そうなれば、後はヨタモノに襲われて命辛々逃げ出したあたりだろうか。(((殺しすぎて新しいヨタモノが出たか?)))シンヤの脳裏に疑念が浮かぶ。シンヤはパトロール活動と共に、ヨタモノの間引きを適宜実施している。ヨタモノはバイオ生物と異なり分裂や増殖はしない。殺せば殺した分数が減る。

 

そしてヒョットコ・クラン襲来の時に頭数が少なければそれだけ防衛はやりやすくなる。そう言うわけでシンヤはヒョットコを筆頭とするヨタモノを見つけ次第、人目の付かない所でカラテ殺す様にしているのだ。だが数が減り過ぎれば、バイオ野生生物同様に空いたニッチを狙った他地域のヨタモノが動く。

 

殺しすぎないように加減しているつもりではあったが、やりすぎた可能性は十分にある。ならば加害者がヨタモノなのか、そうだとしたらどんなヨタモノなのか聞く必要がある。怪我人ならロン先生の所にいるはずと行き先を考えながら、コートを再びスタンドから取ったシンヤはウキチに声を掛けた。

 

「ロン先生の所にちょっと行ってくる。夕飯までには戻るよ」「晩ご飯6時だってキヨ姉ちゃん言ってたよ!」テントのノレンを潜るシンヤは片手を上げて判ったとそれに答えた。「これならイケル?……ブッダ! ダメだ。じゃあこうして」結局最後までイーヒコはシンヤの存在に気づかなかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

皮膚に当たる風を感じていぶかしんだシンヤは足を止めた。トモノミ・ストリート浮浪者キャンプは巨大な廃棄地下施設を元にしている。そのため換気ファンを回さない限り、皮膚で感じるほどの空気の流れは生まれない。そして日に2回の給排気以外では節電のためにファンは動かさない。

 

それでもシンヤの皮膚感覚は流れる風の存在を確かに伝えていた。それもファン作動時のホコリが混じった空っ風ではない。肌にへばりつくような粘性の触感を帯びている。『前世』に『家族』と行った熱帯植物園の空気が思い浮かぶ。熱帯のジャングルから熱気を抜いたような冷たく湿った感触だった。

 

誰かが加湿機でも使っているのだろうか。カチグミ向けにオーガニックアロマ加湿機は存在しているし、ゴミから廃品を再生して使う浮浪者もいる。しかし、風の触感には違和感が混じっている。ただの湿り気とは違う粘性で生々しい違和感。ロン先生のテントに近づくにつれ、違和感は明確になっていった。

 

同時に鉛を注いだかのように両足が重くなる。夕飯の手伝いやら資料整理やら、「ロン先生のテントから離れる」ような些事ばかりが次々に脳裏に浮かぶ。強いて重い足を動かすシンヤにも、自分がロン先生のテントに行きたがっていないことは理解できた。しかしその理由が思い当たらない。

 

いっそ感覚に従って帰ろうか。強まる一方の拒否感に遂にそんな考えが脳裏に浮かぶ頃、ロン先生のテントが近くに見えた。瞬間、テントから轟と突風が吹き抜けた。重苦しく粘る寒々しい風が、吹き荒れながら全身の肌にべったりと張り付いて撫で回す。だが、コートの裾一つ、髪の毛一本も動かない。

 

今までニンジャとの接触回数が少なかったシンヤはそれに気がつかなかった。だが、ようやく皮膚に触れる風がこの世の物でないことに気が付いた。この世の物でないならば、それはアノヨの物……すなわちコトダマ空間の代物である。そう、超自然の存在しない風は「ニンジャソウル感知能力」の現れなのだ!

 

そして体にへばりつく冷風は熱を失った返り血の感触に酷似していた。血風を放つソウルの持ち主にして怪我人として浮浪者キャンプに現れるニンジャ。シンヤはただ一人しか知らない。『原作』の名を持つ運命の女神が、ハラワタに冷たい手を差し込んだ。音もなく血の気が引き、全身の体温が下がる。

 

先日見た赤黒の影がその人ならば、最悪家族を遺して爆発四散することになる。先に遺書を用意すべきだった。粘つく血を帯びた風を全身で味わいながら、シンヤはテント前に青ざめた顔で立ち尽くしていた。浮かび上がった死の予感に呆然と立つシンヤの前で、不意にテントのノレンが上がった。

 

「おや、シンヤ=クン。随分と顔色が悪いようだが診察かね?」テントの主であるロン先生は一目でシンヤの不調を察してみせた。「とりあえず中に入りなさい。ちょうど他の患者の治療も終わったところだ。君も診よう」「あ」っという間もなく立ち竦むシンヤはテントの中に引っ張り込まれる。

 

消毒アルコールが香るロン先生のテントの中は、ネオサイタマに散在する零細診療所そのものだった。事務机に医学書棚、聴診器や注射器といった一般的な物から、小型コケシポンプ・ダルマ圧力装置・赤十字チェーンソーなど素人目には用途の判らない医療道具が整理整頓されて並んでいる。

 

そして事務机の反対側には医療用ベッドが一つ。深い怪我をした男が目を閉じて座っている。テントに入って以来、シンヤの感覚は自分が血風の嵐の中にいると訴えていた。その出所が目の前の怪我人であるとも告げていた。強靱で剛力な筋肉に覆われた肉体は、何重もの包帯が痛々しく巻かれている。

 

肩口と胸からは生乾きの血が赤黒く滲み、未だ男の傷が閉じきっていないことを示している。「スゥーッ! ハァーッ!」だが、上半身裸の男は傷を気にすることもなくアグラ姿勢で深く強い呼吸を繰り返している。ただの深呼吸とは違う、息吹く大地めいた力強い呼吸だ。

 

シンヤはそれが「チャドー呼吸」だと知っている。そして男がチャドー呼吸で傷を癒し、亡き師の家族を探そうとしている事も知っている。ワタナベにその行方を訪ねる事も知っている。甘言に誑かされたワタナベと対峙する事も、甘言の主がキャンプを襲う事も知っている。『原作』から全てを知っている。

 

唐突にチャドー呼吸を止めて男が目を開いた。シンヤと男、二人の視線が交錯する。男の目は死人のそれだった。男は理不尽に失われた者を贖うために生きている。男は理不尽に踏みにじった者を殺すために生きている。故にその眼差しは憎悪を原動力にカラテを以て殺意を顕す、『死』そのものに他ならない。

 

シンヤは初めて出会った筈の男を知っている。『原作』で何度となく活躍を読みふけったからだ。「ベイン・オブ・ソウカイヤ」「地獄の猟犬」「ニンジャ殺す者」……そして『原作』こと「Twitter小説『ニンジャスレイヤー』の主人公」。彼こそがフジキド・ケンジ、彼こそがニンジャスレイヤーだった。

 

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#1終わり。#2へ続く。



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第三話【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#2

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#2

 

時が止まったかのように立ち尽くすシンヤからフジキドは目を離し、診察準備をするロン先生へと視線を向けた。「ドーモ、ロン先生。こちらの方は?」「彼はキャンプのヨージンボーの、カナコ・シンヤ=クンだ。今日は調子が悪いようだがね」ロン先生の言葉に驚きを示すようにフジキドは片眉を上げた。

 

ヨージンボーやバウンサーは腕に覚えのある荒事屋の生業だ。だが巨漢でもスモトリでもなくサイバネもないシンヤは、端から見れば単なるハイスクール生。場末の浮浪者キャンプとは言えその身でヨージンボーを果たすと言うことは、並大抵ではないカラテの持ち主であることを示している。

 

青ざめた顔のシンヤはキアイを振り絞って平静を装いながらフジキドへとアイサツした。「ドーモ、初めまして。カナコ・シンヤです」心臓は16ビートを遙かに超える速度で内側から胸を叩き、冷たい脂汗が短髪の隙間からこぼれ落ちた。ニンジャアドレナリンが血中に吹き出し、時間感覚が粘性を帯びだす。

 

「ドーモ、初めまして。イチロー・モリタです」(((ドーモ、初めまして。ニンジャスレイヤーです)))偽名でオジギを返すフジキドの声が、幻聴と重なってシンヤの耳の奥で響いた。瞬間、無限のイクサ可能性が平行分岐世界めいてシンヤの意識下に展開する。

 

恐怖と緊張の余りフジキドのアイサツを引き金に、シンヤの無意識がイマジナリーカラテを始めてしまったのだ! (((ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。ブラックスミスです)))有効度合いごとに色彩を変えた無数のカラテ選択肢が、アイサツを基点にグラデーションめいて目前に広がる。

 

(((イヤーッ!)))ブラックスミスの選択は踏み込み同時の鉄槌拳だった。左右に逃れるならば裏拳かカラテフックで、真後ろならカラテパンチで追撃を掛ける。(((イヤーッ!)))ニンジャスレイヤーは即座に前方へと倒れ込んだ。アグラ体勢をクラウチングスタートめいて崩し、ダッシュで鉄槌拳の打点をずらす。

 

タックルめいた接近を逆手でガードしつつ、ブラックスミスはその場に踏みとどまる。密着寸前のワンインチ距離。互いの顔が近い! (((イヤーッ!)))(((イヤーッ!)))ブラックスミスはコンパクトな膝蹴りを鳩尾へと放つ。それを肘鉄迎撃してニンジャスレイヤーは反動カラテアッパーを打ち込む。

 

(((イヤーッ!)))(((イヤーッ!)))首をそらして紙一重回避しながら、ブラックスミスはマネキネコ・パンチをこめかみへと振り込む。反動カラテアッパーの腕で流れるように防御しながら、次なる打撃のためニンジャスレイヤーは力強く大地を踏みしめている。

 

(((イヤーッ!)))(((ヌゥーッ!)))ガードは間に合ったが重量感のある衝撃がブラックスミスの骨身に染み入る。両足で地面を掴み衝撃を堪えるその隙に、ニンジャスレイヤーがすぐさま接近と同時に打撃を打ち込んだ。すぐさまブラックスミスも近接カラテで応える。

 

(((イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!)))(((イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!)))一辺数mも無いロン先生のテントの中、肌が触れ合う超至近距離でカラテ火花が咲いては散る。無数のカラテ選択肢が瞬く間に現れては消えゆく様は、まるで無限の色彩を顕すイクサの万華鏡だ! 

 

アドバンスショーギめいた巧緻なるカラテタクティクスのぶつかり合いは永遠に続くかとすら思えた。だが現実は異なる。(((イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!)))(((イヤーッ! イ、イヤーッ! ヌゥーッ!)))一手遅れてチョップを受けたブラックスミスが歯を食いしばって堪える!

 

お互いがモータルであるロン先生を慮って生じた偶発的拮抗状態は、さほども経たずに雪崩めいて崩れ始めた。木人拳めいた最大接近距離での純粋カラテの応酬は、互いの実力差を残酷なまでに表してしまう。徐々に傾くイクサは双方のカラテ差をくっきりと浮き彫りにしている。

 

(((イヤーッ!)))(((グワーッ!)))苦痛を堪える一瞬をつき、裏拳めいたサミングがブラックスミスの視界を奪った。ここで怯めば暗黒カラテ奥義で即死は確実。恐怖を押し殺し最も信頼できるカラテを以て応える! (((イヤーッ!)))超音速の破裂音と共にカラテパンチが虚空を穿つ!

 

……虚空を? そう、そこにはニンジャスレイヤーはいない。ならば何処に? (((イヤーッ!)))(((グワーッ!)))真後ろだ! 腰に手が回され天地がひっくり返る感覚と共にブラックスミスは宙を舞った! ニンジャスレイヤーの全身が古代ローマ建築に通じる流麗なるアーチを描く!

 

中欧戦国史の専門家ならばその技を知っていよう。それはかつてドイツ貴族(ユンカー)が戦場で用いたとされる、ゲルマンカラテ奥義「ジャーマン・スープレックス」である! 本来は高速で地面に叩きつけ甲冑ごと脊椎を叩き折る殺人技だが、ニンジャスレイヤーは殺傷力の低い投げっぱなし方式で使用した。

 

それは周囲への付随被害をできる限り抑えるためだ。例えお互いに注意しても、交わすのはモータルならざるニンジャのイクサ。NRSに衝撃波と、コラテラルダメージは無視できない。同時にそれは周りを考慮してカラテを選択できるという、ニンジャスレイヤーの圧倒的優位を示してた。

 

(((イヤーッ!)))肌に当たる風の感触でテント外に投げ出されたと理解したブラックスミスは、コンクリートにクナイを突き立てて急ブレーキをかける。その霞む視界に映るのは連続バック転で迫るニンジャスレイヤーの姿。その両手をつくタイミングを狙い澄まして首狩り水面蹴りを放つ。

 

(((イヤーッ!)))(((イヤーッ!)))だがニンジャスレイヤーは床を力強く掴むと、地球ゴマめいたウィンドミル回転蹴りで水面蹴りを迎撃する。即座にブラックスミスもウィンドミル回転蹴りでこれに対抗。流れる動きで互いは連続メイアルーア・ジ・コンパッソへと移行した。

 

(((イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!)))(((イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!)))恐るべき致命の回転が重なり合い、二人はカラテとカラテの二輪と化した! 此処にバイオ水牛が足を踏み入れたならば、瞬く間に同質量のハンバーグ材料となったであろう。

 

(((グワーッ!)))二重カラテ歯車の回転は被打の声で停止した。地面を跳ねて吹き飛ぶのは……ブラックスミスだ! ノーカラテ・ノーニンジャ。カラテに劣る側がイクサの勝ちを拾えるはずもない。それでも、と血を吐きながらブラックスミスは体勢を整える。その首筋に『死』の手が触れた。

 

(((イヤーッ!)))直感が訴えるままに瞬間生成したクナイ・ショートホコで後背を貫く。手応えはない。だが首に触れる『死』に変わりもない。何故? 振り向きながら相対した上下逆の「忍」「殺」メンポがその答えだった。(((イヤーッ!)))チョークスリーパーと共にニンジャスレイヤーは高速回転!

 

首を折られまいとブラックスミスも高速回転する。だが、これを利用し、ニンジャスレイヤーは瞬時に上下を入れ替える。(((イヤーッ!)))(((アバーッ!)))チョークスリーパー体勢のまま、回転力を加えて抱えた頭部を一気に地面へ叩きつけた! これはジュー・ジツ奥義「D・D・T」だ!

 

コンクリートに叩き付けられた頭蓋が脳味噌ごとセンベイ・クランチめいて砕け散った。必死の表情で駆け寄ろうとするキヨミが最期に見えたのが僅かな救いか。前と今、二つの家族の記憶がソーマトリコールに映る。(((サヨナラ!)))その全てに礼を告げ、ブラックスミスは爆発四散した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

柔らかく濡れた感触が頬を撫でた。「シンちゃん!? シンちゃん!?」「……キヨ姉、ナンデ?」目を開いた途端に視界に入ったのは、想像と同じ焦燥の顔をしたキヨミだった。違いはたっぷりと涙を湛えた垂れ目と、手に握る濡れた黒錆色のハンカチーフ。これで顔を拭われたらしい。

 

シンヤは徹夜後めいて霞む意識を無理矢理回す。(((未だ俺はイマジナリーカラテを続けているのか?)))だが、全身に傷はない。いや、拭われた顔に手を触れればべったりと赤い血が指につく。それを見てシンヤはようやく自分が椅子に腰掛けていることと、口中に鉄の味が満ちていることに気づいた。

 

血の出所は両目と鼻と口中だ。どうやらイマジナリーカラテでニューロンを酷使して出血したらしい。「意識が戻ったようだね。すぐに診よう」横合いからロン先生の声がかけられた。キヨミだけではなくロン先生にも心配をかけていたようだ。他の患者とアイサツした途端に血を吹き出せば心配もするだろう。

 

他の患者……そう、ニンジャスレイヤー=サン! シンヤの脳裏にイマジナリーカラテで味わったチョップの、メイアルーア・ジ・コンパッソの、そしてD・D・Tの感触が蘇る。想像の中で砕かれた頭蓋へ反射的に手を当てる。「頭が痛むのかね?」「い、いえ」ロン先生の声を流しつつ、ベッドへと目を向ける。

 

当然そこにはフジキドが居た。油断ならない凄みを帯びた眼差しで、シンヤを刺し貫く様に見つめている。最期の瞬間がVRを超えるリアリティでシンヤの脳裏に再生される。敗北感と『死』の恐怖がシンヤの心臓を握りしめた。フジキドの目に射竦められ、シンヤは飢えたヘビ前のカエルめいて硬直する。

 

「過呼吸にニューロン過動出血、硬直反応。ストレス由来か?」ガチガチに固まったまま荒い呼吸を繰り返すシンヤを難しい表情でロン先生は見つめる。シンヤの反応はない。聞ける状態ではなかった。目はフジキドにからめ取られたままで、全身が竦み上がって指一つ動かせない。

 

眼筋すら恐怖でピン止めされ、ニューロンは死の感触に塗りつぶされる。目も耳も異常はない筈なのに、何も見えず何も聞こえない。「先生! シンちゃんはダイジョブなんですか!?」その鼓膜を家族の声が揺さぶった。声はニューロンから死の感触を払い落とし、全身を縛り上げる恐怖を蹴り飛ばした。

 

「俺はダイジョブだよ、キヨ姉」キヨミの言葉はシンヤの意地を蹴り上げた。未だ流れる血涙と鼻血を袖口で拭い口中に満ちた血を一息に飲み込むと、涙をこぼすキヨミに歯を剥いて太い笑みを浮かべた。それでもキヨミの心配顔は晴れない。用があって来てみたら弟が血を流して痙攣していたのだから当然だ。

 

「でも……」「知ってるだろ? 俺は頑丈なんだ。何でもないさ」実際、ニューロンを除けば肉体へのダメージはほぼゼロだ。ニューロンのダメージも深刻なものではない。シンヤのワザマエが足りないことが幸いした。もしもタツジンならばニューロンを焼き切られて爆発四散していたことだろう。

 

(((キヨ姉の前だぞ、コンジョを見せろカナコ・シンヤ! お前はニンジャだろ!)))ただし、精神への打撃はスゴイものだった。少しでも気を抜けば意識をアノヨに飛ばして失禁しそうだ。だが家族の、キヨミの前でカッコ悪い様は見せられない。矜持がシンヤの精神をドヒョー際にしがみつかせていた。

 

「ウーム、出血はさほどでもないが原因のストレスは気にすべきだな。今日はタノシイを処方するから一日休みなさい。明日もう一度来るように」「判りました」ロン先生の診断にシンヤは素直に頷いた。実際、今日は図書館にカンヅメで、その時間を作るため数日前からワタナベの分まで働いていたのだ。

 

ニンジャ耐久力があるとは言え疲労もするし判断も鈍る。初対面のフジキド相手にイマジナリーカラテを仕掛けるという大ポカがそれを証明していた。単にカナリ・シツレイだけでなく、手の内を明かした挙げ句に敗北して、恐怖を植え付けられまでしたのだ。正直、シンヤとしては頭を抱えて蹲りたい気分だ。

 

しかし、それをすれば未だ心配の解けないキヨミがもう一度泣きかねない。家族に涙を流させるなどゴメン被る。だからタフな姿を見せて少しでも安心させるのだ。震え出しそうな体を血が出るまで拳を握って抑えながら、シンヤは不貞不貞しく笑ってみせる。

 

「モリタ=サン、先ほどはタイヘン・シツレイしました。カラテが非常にお強いですね」「イエイエ。カナコ=サンも若くして中々のワザマエですよ」フジキドの言葉は礼儀正しいが、シンヤを刺し貫く凄絶な視線に変化はない。膨れ上がる恐怖を堪えようと握り込み過ぎた爪が手の中で割れた。

 

「カラテ?」「いやなに、モリタ=サンとイメージの中でカラテをやったんだよ。大負けしちまったけどね」シンヤのやせ我慢を知ってか知らずか、涙を拭い終えたキヨミが小首を傾げた。慣れ親しんだその顔を見るだけで、折れかかった背骨を芯が貫く。痛みより決意より、キヨミの顔が一番の特効薬だった。

 

「ロン先生、モリタ=サン。ご迷惑をおかけしました」シンヤは深くオジギして二人に謝罪と別れのアイサツを告げた。「私は仕事だからかまわんよ。明日来るのを忘れないように」タノシイドリンクの小瓶を手渡しながらロン先生は手を振る。その横のベッドでアグラ体勢のままフジキドは目礼した。

 

「シンちゃん、ホントにダイジョブなの?」「心配しすぎだよ、キヨ姉。ホントにダイジョブさ」怯える自分を胸中で叱咤激励しつつ、未だ心配を続けるキヨミを伴ってシンヤはロン先生のテントを離れる。その背中を容赦ない視線でフジキドは見つめていた。

 

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#2終わり。#3へ続く。



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第三話【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#3

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#3

 

「スゥーッ! ハァーッ! スゥーッ! ハァーッ!」浮浪者キャンプの一角、持ち主を失って久しいテントの中で特有の呼吸が木霊する。それはエネルギッシュでありながらも一切の荒れや乱れはない。波が寄せては帰すような、或いは潮が引いては満ちるような生命そのもののリズムを内包している。

 

その呼吸の主はフジキド・ケンジだ。ドラゴン・ゲンドーソー亡き今、彼と孫娘ユカノのみがチャドーの基本にして奥義であるチャドー呼吸を知るのだ。ロン先生の適切な治療とスシの栄養、そしてチャドー呼吸によりフジキドの傷は急速に癒えつつあった。数日もしないうちに問題なく動けるようになるだろう。

 

(((ユカノのことをたのむ)))フジキドの脳裏にドラゴン・ゲンドーソー最後の願いが流れる。ただ一人の孫娘、ただ一人の家族。ユカノを遺して逝くのはどれほどに心苦しかったか。家族を失ったフジキドにもその思いは痛いほどに理解できた。それだけに一刻も早く彼女を見つけねばならぬ。

 

焦る気持ちをチャドー呼吸で抑えながら、フジキドはひたすらに回復に努める。同時にフジキドはダークニンジャとのイクサの記憶を喚起し、イマジナリーカラテで脳裏に再現する。記憶を遡れば多くの反省点と改善点が見えてくる。つまり延びしろがあるということだ。

 

ならばそれを修正し改善し、更にカラテを研ぎ澄まし鍛え上げる。そしてラオモト・カンへと復讐のチョップを叩きつけるのだ! 故にフジキドはかつてナラク・ニンジャをゲンドーソーが封じた後のように、復讐のための復習を続ける。

 

「イッテ!」「これはキヨ姉ちゃん泣かした罰よ!」その耳に聞き覚えのある声と、覚えのない甲高い声が響いた。覚えのある声の主はカナコ・シンヤだ。どうやら一夜の宿とさせてもらった空きテントは彼の住居の近くだったようだ。声に喚起されてつい先ほどのイマジナリーカラテの記憶が蘇る。

 

(((カナコ=サンはほぼ間違いなく……ニンジャだ)))ドラゴン・ゲンドーソーの手でナラク・ニンジャが封じられた今、フジキドからニンジャソウル感知能力は失われている。だがイマジナリーカラテを通じ、フジキドはシンヤに対してニンジャの確信を得ていた。

 

(((ニンジャになってさほどもない、外観通りの年齢。モータル時代に確かなセンセイからカラテを学び、愚直に積み上げている。ジツは武器を生成するもので瞬時に使える程度には習熟。ただし実戦経験は僅少、咄嗟の判断が甘い)))ALAS! なんたるニンジャ洞察力による読心術めいたカラテ看破か!

 

だがそれは当然の話。カラテとは言語以上に雄弁なコミュニケート。イマジナリとはいえチョップを交わせば互いに様々な事が伝わる。ましてや幾多のイクサ経験を持つフジキドならなおの事多くが判る。緊張と恐怖に負けて考えもなくイマジナリーカラテを仕掛けたシンヤのウカツなのだ。

 

それのみならず、シンヤのウカツな判断ミスをフジキドは幾つも見つけている。例えば、フジキドが繰り出したメイアルーア・ジ・コンパッソに、同じ手段で対抗しようとした点。例えば、D・D・T寸前の首締めと回転に対して、重心を浮かして回転してしまった点。

 

ニンジャのイクサは気まぐれで変幻自在のオバケだ。それを捕まえるには十全な事前準備と十分な実戦経験が必要不可欠である。自身でも予期せぬイマジナリーカラテを仕掛けてしまったシンヤにはその両方が足らなかった。しかしそれは、逆を言えばその両方を得られるならシンヤにも勝機はあるという事だ。

 

ニンジャスレイヤーはブラックスミスのカラテを決して侮ってはいない。実戦経験不足な若い身でありながら、ブラックスミスはニンジャスレイヤーのカラテに抗って見せた。そのカラテはフジキドも始めて見るものだったが、同時にしっかりと体系付けられた確かなものであった。

 

その上、ブラックスミスがニンジャ身体能力にアグラせず、日々カラテを積んでいる事に間違いはない。成長の下地は十分以上だ。イクサの経験を得れば恐るべきカラテ戦士に化けるだろう。(((故にブラックスミス=サンは速急に殺すべし)))努力を欠かさぬ才ある若きニンジャならば尚の事殺さねばならない。

 

だが……(((カナコ=サンは本当にニンジャなのか?)))フジキドは迷っていた。イマジナリーカラテの中で、あえて選んだワンインチ距離の至近カラテ戦。実力差を理解させられながらも選択した理由は、フジキド同様にモータルであるロン先生の安全を考慮しての行動に間違いなかった。

 

それに、不安に駆られる姉へと虚勢を張って見せたのは、彼女の心配を解くためだったのだろう。その姿はフジキドの脳裏に失った家族の光景を浮かばせた。歯を食いしばり恐怖と敗北感を堪えて胸を張る様は、段差に躓き膝を擦りながらも「痛くないよ!」と涙を堪えて見せたトチノキの顔と重なって見えた。

 

「ちょっとシン兄ちゃん! 私の話、ちゃんと聴いてるの!?」「アッハイ、真面目に聴いております」そして今も耳に入る声は、気の強い妹からのお叱りを唯々諾々と言いている情景を容易く想像させる。多分、項垂れながら正座して神妙な顔で小言を聴いているのだろう。

 

顔見知りのモータルを慮り、不安がる姉のために空元気を見せ、怒れる妹がなすがままに叱り飛ばされる。どれもこれもフジキドの知るニンジャの姿から遠い。ニンジャという前提を除けば「若くして高いカラテを修めた家族思いの青少年」という方がよっぽど納得できるだろう。

 

だが、イマジナリーカラテを通して交わしたのは紛れもなくニンジャのカラテであった。(((ニンジャを殺す。全ての悪しきニンジャを殺す。だが、ニンジャでないなら?)))「フゥーッ!」チャドー呼吸を一時止め、フジキドは長い息を吐いた。何を迷う。後悔は死んでからすればよい。

 

確信は得たが確証はない。限りなく黒に近いが灰色だ。害がないなら放っておけばいい。だが、もしも彼がニンジャ性を露わにしたら? その時は、家族が泣いて縋ろうとその身を盾にしようと慈悲はない。カラテで叩き潰し、ハイクを詠ませ、カイシャクする。(((ニンジャ殺すべし)))それだけだ。

 

「じゃあこれから私達の分もキヨ姉ちゃんの手伝いすること! 判った!?」「ハイ、ヨロコン……待て」シンヤとその妹の会話は一方的なオセッキョから口喧嘩へと変化したらしい。バイオスズメの群れめいてやかましい声を背景音にフジキドはチャドー呼吸を再開した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「これがそれで、それがあれで、あれが……どれだっけ? あ、これか」ブツブツとネンブツチャントめいた独り言を呟きながら、シンヤはノートをめくっては付箋を張り付ける。両手の数より多い付箋を張り付けられたノートは、パンクに髪を逆立てた背びれ豊かな恐竜めいている。

 

『説得用』と書かれたノートに一通り付箋を貼り付け、「よし」と呟いて閉じる。「それなぁに?」真横から幼い声がかけられた。顔を見るまでもなく妹のエミだ。返答代わりにタイトルを指さしつつ、隣に座るエミの質問に質問で返す。「ナンデここに?」「オジチャン、まだ仕事みたいだから」

 

膨れて拗ねた顔と併せて考えると、「ワタナベのテントに遊びに行ったが当人不在でしょうがないからシンヤが詰めている男衆のテントに遊びに来た」という処だろう。しかし、もう日も暮れてから随分経過し、浮浪者のほぼ全員がキャンプに戻っている時間帯だ。パトロールにしては些か帰還が遅い。

 

(((まさか……)))シンヤの脳裏に浮かぶのは、ウォーロックがワタナベを誘惑する『原作』のワンシーン。フジキドが姿を現した以上、それが起こるのは確実だ。だが、それはフジキドとワタナベが家族についての会話を交わし、そして翌日以降にヨージンボーのパトロール業務へと出た際の話。

 

フジキドが姿を見せたのは今日の話。余裕はないが時間はある。イマジナリーカラテとアキコのオセッキョで余計な時間を食ったが、まだ十分間に合うはずだ。理屈で焦りを押し殺しながらシンヤはノートと資料を黒錆色のバッグに収める。「ちょっとワタナベ=サン探してくる」「アタシも行く!」

 

立ち上がったシンヤが対酸コートをクナイ・スタンドから手に取った処で、横合いから甲高く幼い声が飛んできた。「俺の用事だからお前が行ってもしょうがないだろ」「アタシも用事あるもん!」バイオフグ並に膨れたエミの頬を眺めながら、シンヤは眉根を寄せて考え込む。

 

エミはワタナベに懐いているし、ワタナベはエミを憎からず思っている。エミに対する感傷を利用すれば、少なからずワタナベ説得の後押しになるだろう。しかし、家族を利用する事に強烈な抵抗感がある。それに家族を利用したという事実を知れば、寧ろワタナベは頑なになりかねない。

 

「シン兄ちゃん、行こ!」そんなシンヤの考えなど一片も気にする様子無く、テントから飛び出したエミは急げ急げと兄の腕を引っ張った。例え同行を拒否したところで、エミはワタナベの元へ向かうだろう。だったら利用やら説得やらはとりあえず横に置いて、目の届く所にエミを置いた方がいい。

 

「ハイ、ハイ」「ハイは一回!」幸い、説得内容は『真実』に触れるものではない。エミが聴いたところでワタナベが拒絶することはないだろう。ため息を吐き苦笑を浮かべるシンヤと、鼻息を噴き出し元気顔一杯のエミは、連れ添ってワタナベのテントへと向かい歩き出した。

 

幸いなことに二人が到着したとき、バッファロー革とビニールの複雑なパッチワークの隙間からは、タングステンボンボリの明かりが漏れていた。どうやら家人のワタナベは在宅らしい。「「ドーモ、オジャマシマス!」」「…………ああ、シンヤ=クンにエミちゃんか。ドーゾ、何か用かい?」

 

茫漠とした声音のワタナベは、二人のアイサツに随分と間を空けて答えた。余程集中していたのか、二人に気づいた今でもテントからは張りつめたアトモスフィアが発されている。想像外の張力が満ちた空気に、シンヤのニンジャ第六感が警告を囁き出す。

 

(((ニンジャスレイヤー=サンに負けてからビビりすぎだぞ!)))怯えているのだろうと自分を叱り飛ばし、シンヤは一礼してテントに入ろうと靴を脱ぐ。その横でエミが靴を蹴り飛ばす勢いで脱ぎ捨てている。シンヤの顔が呆れと苦笑いに微妙に歪んだ。「ちゃんと靴を揃えなさい」「ハーイ」

 

返事は適当でもちゃんと注意は聞いていたようで、エミは自分の靴を丁寧に並べ直した。シンヤも履き物を揃えると、ノレンを開けてワタナベのテントへと足を踏み入れた。「あれ?」エミが不思議そうに表情を変えて首を傾げる。モータルの幼子であるエミでも判る違和感がテントを満たしていたのだ。

 

モータルですら判る異常ならば、ニンジャには警報装置のベルを耳に当てられているに等しい。シンヤのニンジャ第六感は囁き声から金切り声へとボリュームを上げて、一秒でも早く戦闘態勢を整えろと叫び散らす。キアイを込めて抑えなければ、次の瞬間には黒錆色のニンジャ装束を纏っていただろう。

 

さらに皮膚感覚は岩めいた堅い超自然の触感を伝えている。緊張感もニンジャソウルの感触も、間違いなく出所はワタナベだ。だが、当人は一心不乱にテントの側面を見つめる目をちらりと二人に向け、直ぐに目線を元に戻す。訪ねてきた客に対して取るべき態度ではない。カナリ・シツレイだ。

 

そのワタナベが見つめる先の一点は、妻と娘だと自ら告げた写真一枚。その姿は二度と消えないように両目に焼き付けているようにも見える。最悪の想像がシンヤの脳裏を駆け抜けた。だが、エミにはそんなシンヤの内心など知る由もない。なので不思議さと好奇心に従いワタナベへと問いかけた。

 

「オジチャン、どーしたの? もしかしてオクスリの時間だったの?」コーゾやキヨミはワタナベと話し合い、子供たちにオハギ中毒は病気であり、オハギはその治療薬だと説明している。万に一つでも違法オハギや危険アンコに触れないようにするためだ。

 

「ゴメンよ、少し考え事をしていてね。それと……オクスリは要らない。もう、要らないんだ」返答のニュアンス、張りつめた雰囲気、穴が開きそうな写真への視線、そして脳裏に浮かんだ最悪の想像。全てを材料にニンジャ洞察力という一流カッポー・シェフの手が唯一無二の回答へと仕立て上げた。

 

(((ブッダム! 俺は何てウカツだったんだ……)))シンヤは絶望感と後悔に崩れそうになる表情を必死で押さえ込む。時既に遅し。シンヤの説得以前にウォーロックは動いていた。オハギ治療を餌にしてワタナベ、すなわちインターラプターにニンジャスレイヤーのテウチ(暗殺)を既に約束させていたのだ!

 

確かに『原作』でウォーロックの接触は、フジキドとの会話の後でパトロールの最中だった。しかしそれがどれだけの意味を持つのか。防衛隊の設立、テント区画の整理、避難訓練の実施。なによりシンヤ……ブラックスミスという『原作』に存在しないニンジャがここにいる。

 

ウォーロックはワタナベの現状を調べ上げていた。故にシンヤの存在と行動に注意を向ける可能性は十分以上にあった。フドウノリウツリ・ジツを駆使すれば気づかれることなく調査するなど容易い。そしてヒョットコ襲撃の妨害となる防衛計画の完遂より先に行動を始めたのだろう。

 

『原作』の被害を抑えようと自ら前提に手を加えておいて、なぜ『原作』通りに話が進むと思っていたのか? 自らのやらかしたウカツの余り、許しがあればセプクを望みかねないほどにシンヤは深く恥じ入る。だがシンヤは悔恨に歪むその目を堅く瞑り、心臓と同位置のオマモリ・タリズマンに拳を当てた。

 

イマジナリーカラテで手の内を晒し敗北まで植え付けられた? 自分勝手に『原作』を変革しておきながらその『原作』を前提に予定して動いていた? 確かに致命傷に等しい余りのウカツと言えるだろう。自分のバカさ加減に自嘲が溢れそうだ。

 

(((だが、それがどうした)))何が重要か、何が肝要か。それは家族だ。そして、家族はまだ傷一つ負ってはいない。これからも傷一つ負わせはしない。他人の台詞だが「後悔は死んだ後ですればいい」。絶望に打ちひしがれるのはサンズリバーの向こう岸で思う存分にするとしよう。今は行動あるのみ。

 

深呼吸一つで全ての迷いを吐き出すと、シンヤは覚悟を決めてワタナベからの呼びかけに返した。「それで、シンヤ=クンは何の用なんだい?」「そのオクスリと病気の件についてです」ワタナベの目つきが変わった。

 

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#3終わり。#4へ続く。



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第三話【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#4

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#4

 

「それで、シンヤ=クンは何の用なんだい?」「そのオクスリと病気の件についてです」覚悟を決めたシンヤの返答にワタナベの目つきが変わった。依存症患者を前に気軽に口に出す話題ではない。そしてシンヤも気軽に口を出したわけではない。バッグから取り出した資料をワタナベへと手渡す。

 

「これを見てください」それはケバケバしい原色チラシの束と、低俗雑誌のスクラップだった。『夢の薬物中毒治療技術』『被験者の声:今までより遙かにいいです』『ネオサイタマ医科大学教授は語る。「患者が減る」』どれもこれも妄想と誤認をファジー表現でくるんで真実を真似た物ばかりだ。

 

資料を一瞥したワタナベの目が呆れと失望に染まったのは当然だろう。「調べてくれたのは嬉しいんだがね」「いえ、もう少し付き合ってください。裏付けがあります」曖昧な作り笑いを浮かべて資料を突き返すワタナベの手を制すると、シンヤはノートの付箋ページを開いた。

 

ノートを一目見たワタナベの目が見開かれた。『血中バイオ成分透析治験』『治験結果:治験対象30人中9割の血中バイオ成分低減を確認。4割が死亡、5割に後遺症』『ネオサイタマ医科大学スギタ研究室記録』参考にした資料はやや古かったがその出所は確かな物だった。

 

「医科大学専門予備校の私設図書館で見つけた資料の書き写しです。あのチラシとスクラップはこいつの飛ばし記事だったんです」違法オハギの材料である危険バイオアズキと非合法バイオサトウキビはどちらも違法バイオ生物だ。バイオ成分透析による血中アンコ除去の可能性は十分以上にある。

 

無論、これは飛ばし記事に書かれた夢の治療ではなく、4割が死んで5割が後遺症に苦しむ未完成の技術だ。これに縋っての健康体など夢物語と言えよう。だが被験者がモータルでなくニンジャならば、それもドラム一杯のガトリング掃射に耐える圧倒的ニンジャ耐久力の持ち主ならば、決して不可能ではない。

 

そう、『ニンジャ』耐久力の持ち主ならば。「ワタナベ=サン並のタフガイなら十分に可能性はありますよ。俺もタフな方ですから判ります」「君はやはり……!」シンヤのカラテを目にして以来、ワタナベはその正体を常に疑い続けていた。確信を得て身を乗り出すワタナベに、シンヤは肩を竦めるだけ。

 

謎めいて笑うシンヤを問いただそうと、ワタナベは口を開き……再び閉じた。喉まで出掛かった言葉を無理矢理飲み干す。この場には無関係のエミが居る。それにウォーロック同様の理由で案を出したなら、必ずソウカイヤの名前を出す筈。キャンプでの日々を鑑みればシンヤもまた無関係だろう。

 

シンヤへの疑いが晴れれば思考は新たな治療に舞い戻る。「しかし、これなら……いや……だが」提示された新しい可能性に、狼狽したワタナベの視線がテントを泳ぎ回る。心中で天秤が揺れ動く様は外からも見て取れた。ウォーロックが示したソウカイヤでの治療はこれよりも遙かに確実なものなのだろう。

 

それはソウカイ・シンジケートへの再入会の代価でもある。裏社会を牛耳るソウカイヤで最強と呼ばれたニンジャから、場末の浮浪者キャンプのヨージンボーへの転落。かつて味わった栄光を再びこの手に出来る。オハギに溺れ全てを失った『インターラプター』には余りにも眩しい誘惑だった。

 

だが同時にソウカイヤに戻ると言うことは『ワタナベ』の寄り所であるキャンプを離れて、悪徳と殺戮の日々に戻ることを意味している。もしもソウカイヤに頼ることなくオハギ中毒を治療できたなら、ヨージンボーとして皆が慕うこのキャンプで日々を過ごせる。何よりここには……

 

「ねぇオジチャン、もしかして病気が治るの!?」ワタナベの横合いから驚きと喜びを帯びた頑是無い声が響いた。呆然と視線を向ければ、さっきまで放って置かれてぶーたれていたエミが向日葵が咲いたような満面の笑みでワタナベを見つめている。「オジチャン、ヨカッタネ! オハナちゃんも喜ぶよ!」

 

先日このテントに家出した際、エミはワタナベの独白を聞いていた。かつて妻子が居た事。今は二人がどっか行っちゃった事。その原因はオハギに、つまり病気のオクスリにある事。その病気が治るとシンヤは言うのだ。ならオハナちゃんは嬉しいに違いない。だってアタシは嬉しいもの!

 

子供特有の自他を区別しない脳天気で無責任な言葉は、ワタナベの心臓を震わせた。衝撃の余り空白に覆われた顔から、独白めいて向かう先のない言葉がこぼれ落ちる。「娘と……オハナと会えるんだ。来月の誕生日に会う約束をしているんだ」幼いエミは自分に向けた言葉だと勘違いして大喜びで答えた。

 

「じゃあオハナちゃんもっと喜ぶよ! だって病気が直ったならずっと一緒にいられるでしょ!」雷に打たれたような一瞬の震えがワタナベの全身に走った。ニューロンに喜びのパルスが駆けめぐる。家族と過ごす日々を夢に何度見たことか! 娘と妻を両手に抱く感触を、空の手に何度想像したことか!

 

茫漠な表情に歓喜の渦が沸き上がる。「そうだ、オハギ依存を断って真っ当な人間に戻る。おれは、家族を取り戻すんだ!」厳つい顔に随喜の涙を滴らせながらワタナベは輝かしい未来へ向けて全身で吠える。唐突な大声に驚きながらも、オジチャンが嬉しいなら嬉しいとエミも楽しげに手を叩いて応える。

 

「ねぇオジチャン、来月にオハナチャンと会うんだよね?」不意に拍手を止めてエミが声を上げた。不意打ちに驚きながらそうだと答えるワタナベから、エミはその向こうの写真へと視線を動かす。「アタシもついて行っていい? アタシ、オハナチャンと友達になりたいの!」それこそがエミの目的だった。

 

無邪気な願いに豆を撃ち込まれた鳩めいた表情を浮かべるワタナベ。「ッ!……いいとも、きっとエミちゃんはオハナと親友になれるよ」「ホント!?」だが、次の瞬間には優しい笑みを浮かべて大きく頷いた。小さくまん丸な頭を節くれ立った大きな手で撫でられて、エミは柔らかに表情を溶かす。

 

幸福のアトモスフィアに包まれるテントの中、シンヤだけが吐き気を堪えながら張り付けた笑顔で二人を見つめていた。ワタナベの言葉は、死体に咲いた花めいて汚らわしい嘘だった。別れを彩る花めいて優しい嘘だった。散りゆき枯れる花めいて哀しい嘘だった。

 

幸せそのものの二人から顔を逸らし、天井を見つめてシンヤは『真実』を吐き出したい衝動をただ一人耐える。帰るべき家族の存在とソウカイヤ所属の矛盾から目を逸らしているワタナベも、そもそも何も知らないエミも『真実』には気づかない。ただ一人、シンヤだけがワタナベの見る夢の正体を知っている。

 

『真実』は不発弾に似ている。舗装された記憶の下で、過去の底に埋もれて誰もから忘れられている。だがそれは唐突に爆発四散し、愛しい日常の全てを跡形もなく吹き飛ばす。例えば『真実』に無遠慮に触れたとき、例えば『真実』に繋がる事実を目の当たりにしたとき、信管は自らの役割を思い出す。

 

それ故に、その居場所を唯一知っているシンヤにも『真実』を解体することはできなかった。血と暴力の果てで現実と夢の狭間に生きるワタナベに、どうやって『真実』を受け入れさせると言うのか。二度の人生併せても30年少々。そのどちらも学生だったシンヤに『真実』を軟着陸させるのは余りに荷が重かった。

 

「ワタナベ=サン、病気が治ったら皆とカイシャを興しませんか?」だからシンヤに出来ることは約束を通して、現実に錨を降ろさせることだった。かつて自分も真実を突きつけられ、現実から目を背けかけたことがあった。膝を屈しかけた時、家族との約束を納めたオマモリ・タリズマンが自分を救ったのだ。

 

キャンプには様々な前歴を持った浮浪者がいる。ある者はコーバ工員の経験があり、ジャンク品再生に優れる。ある者はドサンコ出身で危険バイオ生物狩猟の経験がある。彼らの技術や経験とシンヤが持つ『原作』知識、『前世』の知恵、ニンジャの力を利用すれば有効性の高い商売は幾つか思い浮かぶ。

 

例えば、食用になるバイオ生物の狩猟や、バイオ生物を餌にしたアルビノワニの養殖。例えば今回のイクサの経験を利用しての対ヨタモノ専門の安価な警備業務。「カイシャ? そんな余裕はあるのかい?」だが、ワタナベはエミを撫でる手を止めてシンヤの案に疑問を呈する。今はそれどころではないのだ。

 

提唱者であるシンヤを中心にキャンプはヒョットコ襲来への対策を打っている。それは最小限に抑えているとはいえ皆に負担を強いていることに違いはない。即座に生活への影響はないが、皆を逆さにして揺すってもトークンの一枚も出ない程度には余裕がない。

 

「後の話です。ヒョットコ来襲時に予定通り避難だけですませるなら、キャンプは放棄せざるを得ません」シンヤの言葉にワタナベは太い首を捻る。ならば尚の事そんな余裕はないはずではないのか。だが、その目に思いこみと自分に酔った光はない。真っ直ぐにワタナベと現実を見つめている。

 

「だからこそカイシャを興すべきなんです。これから厳しい状況が連続します。その時、キャンプ同様に皆を纏める物が必要です」バイオイワシは数だけの弱い魚だ。マグロ、イルカ、ラッコとあらゆる生物の餌にされている。だがイワシは滅びない。数を生かす『群』の作り方を本能で知っているからだ。

 

トモノミ・ストリート浮浪者キャンプも同じ理由で生まれた。弱い浮浪者達が己の身を守るために、吹き溜まりめいて自然と寄り集まったのが始まりだった。それがタジモ村長やロン先生、ワタナベといった大黒柱となるメンバーを得て、吹き溜まりに芽が生えるように健やかなキャンプは形作られていった。

 

これからは「ヒョットコ来襲」という危機と「キャンプ解散」という苦難が襲いかかる。その時、それぞれが逃げ惑い散逸すれば誰一人マトモな未来を得られないだろう。だが、キャンプに代わる器を用意できたなら、そしてそれに収めるキャンプの人間達を守り切れたなら、明日が開ける可能性は十分にある。

 

ましてや防衛計画を立ち上げたその初めからシンヤはキャンプの人々を守るつもりだった。それも単に命を守るだけではなくその先の未来ごと守る。そうでなければキャンプの人々と絆を深めた家族に顔向けが出来ない。そのためにシンヤが考えたのが「企業設立」という案だったのだ。

 

「確かにその必要はあるな」頷くワタナベの四角い顔に自嘲混じりの苦笑が浮かんだ。「若者はいつでも明日やることを見ているな。年寄りが思うことはいつも昨日の後悔ばかりだ」説得の成功にシンヤは静かに安堵の息を吐き、凝った背筋を伸ばした。

 

「そういうのやめましょう。一度で十分ですよ」「そうだな」気の抜けた笑いが互いに漏れ出る。会話のせいで撫でる手が止まって不満顔のエミも、二人が笑うのを見て嬉しそうに笑む。ようやくシンヤもテントの幸福な空気にとけ込めた。そう思えた。だが、次の瞬間! 

 

DING-A-LING! DING-A-LING! テントの外、広場の方から繰り返し鳴り響くハンショウの警報が全てを現実へとたたき落とした。鳴り響くのは火災時の音色とは違う音。防衛計画で定めた、もう一つの緊急警報のリズムだ。

 

「これは!?」「ブッダム! 連中が動いたんです!」表情を歪めて立ち上がるシンヤの声に、ワタナベもまた角張った顔を堅めた。防衛計画を通してシンヤが何度と無く警告したヒョットコの襲来。それが現実となったのだ。「オジチャン……」「心配はいらない、オジチャン達がエミちゃん達を守るよ」

 

安全なはずのキャンプに響く危機を知らせる鐘の音に、エミは体を縮込ませて怯える。その小さな体を大きな両腕で軽く抱き上げるとワタナベは広場に向かって駆けだした。(((やはりハヤイ過ぎる! 今までの準備で間に合うのか?)))内心の迷いを振り切るように、ワタナベに続いてシンヤは一陣の風となった。

 

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】終わり



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第四話【サプライジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】#1

【サプライズジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】#1

 

DING-A-LING! DING-A-LING!「アーッ! ヨージン! ヨージン! アーッ!」トモノミ・ストリート浮浪者キャンプの中央広場。ヤグラに掛けられたハンショウは小槌で繰り返し打たれて金切り声で危機を叫ぶ。小槌を振るうキャンプ防衛隊員もまた鬼気迫る顔で必死に警告を訴えている。

 

「アイェッ!?」「ナンダナンダ!?」響きわたる鐘の音に思い思いの宵を過ごしていた浮浪者達が、テントから飛び出してはヤグラを見て呆けている。大半は避難訓練で何度も聴かされたその音色と、それが今鳴り響いている意味がまだ一致していない。だが一部は現状を理解して顔を青く染めていた。

 

「まさか、そんな」「ホントだったのか!?」防衛計画でシンヤが訴える度、抜き打ち避難訓練が行われる度、ほとんどのキャンプ住民達は無駄なことと内心呆れかえっていた。今の今まで上手く行っていたのだ。大きなミスをしたのでもないのに、何故そんな危機が起こるというのか。

 

だがそれは安全学的に見ても大きな間違いだ。一つの大事故の背景には十の小事故と百のヒヤリ・ハットがあるという。大事故が起きてからでは遅すぎる。ヒヤリ・ハットを統計し、小事故から教訓を得て、大事故が起きないように先んじて対策を打つのが安全担当の役割なのだ。

 

「急いでください!」「急かさないで! 判ってますよ!」そして安全担当の防衛隊員は己の役割を全うしていた。取り決め通りハンショウが響くや否や、テント中の住民を叩き起こして手荷物を纏めさせ、中央広場へと追い立てる。広場では混乱する住民を隊員が地区毎に並ばせて点呼している。

 

「代わりのテントはキャンプから支給します!」「安全なんですか!?」「自分のブロックの列に並んでください!」「押さない! 駆けない! 喋らない!」「H地区全員確認!」「R地区のノリタ=サンが居ません!」「スゴイ高かったのに!」「第三ナリコ反応あり! このペースだとあと30分です!」

 

シンヤとワタナベが駆けつけた時点で、既に中央広場はケオスの中にあった。集められた住民達は不安に駆られるままに騒ぎ立て、メガホンとLED指示棒を握った防衛隊員が怯え惑う彼らを必死で指揮し声を張り上げている。反射的に家族を探すシンヤの目に大きく手を振るキヨミの姿が写った。

 

「キヨ姉! ダイジョブ!? 他の子達は!?」「ダイジョブよ、エミちゃん以外はコーゾ=センセイと一緒に皆居るわ。エミちゃんは?」キヨミの顔は緊張で堅いが恐怖の色はない。とにかく無事だと聞いて胸をなで下ろしたシンヤは、ワタナベに抱えられたエミを指し示した。

 

「ドーモ、キヨミ=サン。エミちゃんはここにいますよ」「ドーモ、ワタナベ=サン! アリガトゴザイマス」頭を下げるキヨミの元へワタナベは抱えたエミを降ろそうとするが、当のエミはワタナベにしがみついて離れようとしない。キヨミの細い眉がしかめられる。

 

「ヤダ! アタシ、オジチャンと一緒にいる!」「エミちゃん、こんな時はワガママを言うもんじゃないよ」文句も言うまもなくエミは床に降ろされた。ワタナベの腕力の前には文字通りベイビーサブミッションだ。すぐさま足にしがみつこうとするエミを押しとどめ、ワタナベはしゃがみ込んで視線を合わせた。

 

「エミちゃん、オジチャンはこれからワルモノをやっつけてキャンプを守らなきゃいけないんだ。エミちゃんも必ず守るから、今は離れていてくれないかい?」真っ直ぐなワタナベの視線に、涙目のエミは膨れっ面のまま頷いた。よしと頷いて見せたワタナベは、立ち上がってキヨミへと深々とオジギする。

 

「では、エミちゃんをオネガイします」「判りました。ワタナベ=サンもキャンプの安全をオネガイします」立場は逆ではあるが、エミの手を握ったキヨミもまた深いオジギを返した。その横で涙を拭ったエミは片手でメガホンを作り、精一杯に声を張り上げる。

 

「約束だからね! オジチャン!」「ああ、約束するよ。必ず守る」太く笑うワタナベは幼い声援に応えて太い腕を曲げ、力こぶを盛り上げて筋力と頼もしさを見せつける。「シンちゃんもカラダニキヲツケテネ!」その隣のシンヤに向けてキヨミがエールを送る。シンヤも力強い笑いと固めた拳で応えた。

 

別れのアイサツをすませ、二人は広場中心であるヤグラの元へと急ぐ。「慌てなくても時間はある! 心配はいらないぞ!」「資材追加を急げ! 出入り口の封鎖で10分は稼げる!」そこではタジモ村長とナンブ防衛隊長の対照的な二人が、キャンプのケオスを鎮めんと声高に指揮を執っていた。

 

不安を招かないためにタジモ村長はあえていつも通りの姿で危険が少ない事をアッピールしている。一方のナンブ隊長は戦闘を前提とするように、古びた軍用グンバイを握り湾岸警備隊の軍服をまとっている。戦争でもするのかと聞かれそうだが、その通りと喜んで答えるだろう。彼の気分はもう戦争なのだ! 

 

「タジモ=サン! ナンブ=サン!」シンヤの呼びかけに、タジモ村長は安堵の形に顔を緩め、ナンブ隊長は獰猛に顔を歪めた。「外れて欲しかった予想が大当たりだな。二人ともナンブ=サンの指示に従ってくれ」「こっちでブリーフィングをする。オヌシ達は遊撃班として働いて貰うぞ」

 

二人が案内されたヤグラ裏では張りつめた表情の防衛隊員達が必死で自分の仕事をしていた。ある者はナリコ反応からヒョットコの規模を演算し、ある者はキャンプ住民票と点呼の結果を照らし合わせている。中央には人の背丈大のキャンプ地図がコンクリの床に広げられ、数種類の凸型コマが乗せられている。

 

「防衛隊はこの前線で連中を受け止める。オヌシ達は連中を乱し圧力を減らす。その隙に住民は脱出、連中はガランドウで右往左往よ」手短に行くと前置きし、ナンブ隊長は『カラテ』と書かれたコマ2つを無骨なグンバイで指し示した。続いて幾つかのブロックをグンバイのレーザーポインタでつなぐ。

 

「後はバクチクでキャンプごとガンモにする予定だったが、タジモ村長に反対されたし爆薬が手に入らんでの」ザンネンと危険な笑いをこぼし、ナンブは手の中でグンバイを弄んだ。立案では脱出前に大量の爆薬にタイマー点火し、トモノミストリートの崩落でヒョットコを圧殺する作戦であった。危険人物! 

 

しかし平時の危険人物は有事の重要人物である。実際、ナンブ隊長の実戦に即した作戦がなければ、右往左往したままバラバラのガンモになるのは住民の方だ。故に両人とも彼の指示に従うことに不満はない。優れたカラテ持つニンジャであろうとも、必ずしも優れた軍師ではないことを知っているのだ。

 

「ではカラテ遊撃隊は直ちに取りかかれ!」「「ハイ、ヨロコンデー!」」敬礼代わりにオジギをして、二人はニンジャの速度で配置へと走り出す。だが、その背中に届いた声が二人の足を強制的に停止させた。「ナンブ隊長、大変です! 避難先にヒョットコが!」「何だと!?」

 

「このままでは避難できません!」「こいつは拙いぞ」驚愕の表情で振り返った二人の視線の先で、傷だらけの隊員が誰もが否定を望む事実を叫ぶ。だがどれほど間違いを願っても、血まみれで足を引きずるその姿は確かな真実を物語っている。想像を超えた事態に二人の顔もナンブ隊長同様の焦燥に焼ける。

 

「そんな」脱出経路は塞がれた。「どうしよう」逃げ出す先はない。「何処に行けば」トモノミストリートの浮浪者達の救いたるキャンプは、今や口を塞いだ巨大なバックへと姿を変えたのだ。そしてバックへと放り込まれたラットである住民達は、現状を正しく理解して顔色を絶望に染めあげていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

シンヤが立案し、タジモ村長が精査し、ナンブ隊長が実行している防衛計画は有効なものだった。防衛隊員の尽力はパニックと混乱を抑え、繰り返された避難訓練はスムースな脱出を可能にした。そのままならば当初の想定通り、もぬけの殻となったキャンプにヒョットコがやってくることとなっていただろう。

 

だが、想定外は起きた。避難先は使用できない。そして予備の避難先はコストと時間で計画しかできなかった。「ヒョットコの数は!? 他の隊員はどうした!?」「数は不明ですが非常に多数! 奇襲で私以外は全員オタッシャしました!」掴みかかる勢いで詰め寄るナンブ隊長に、涙混じりの声で隊員が答える。

 

広場の全員の脳裏にバックに詰め込まれて火を付けられたラットの姿が浮かぶ。それが今の自分たちなのだ。「ナムアミダ・ブッダ!」「オタスケ! オシマイだ!」「安全な場所はないのか!?」「そんなの嘘だ! 俺は避難するぞ!」パニックは一瞬で感染し、爆発めいて燃え上がった。

 

「ヒョットコ・オメーンを被れば仲間扱いしてくれるって聞いたぞ!」「オカメ・オメーンは代わりにならないのか!?」混乱の中で都合のいいデマゴギーが飛び交い、煽られるままに叫び散らす。都合のいい妄言は瞬く間に広まり、正確な事実を上書きして現実を侵していく。

 

「アンタ、オマツリでオメーン屋やってたって言ったよな!? ヒョットコ・オメーンを出せ!」「アイーッ!?」焦燥で常識が焼き付いた住民が、元オメーン屋を掴んで揺さぶり倒す。彼は何年も前にオメーン屋を廃業しているし、皆にもそう伝えてある。だが、相手は聞く耳持たずだ! なんたる理不尽! 

 

「そうだ! 出せ!」「ヨコセ! 俺は逃げるんだ!」デマを信じ込んだ他の住民が次々に横入りで掴みかかる。それを引き剥がそうとする住民に暴力が振るわれる。「オメーンは俺のだ!」「俺が先グワーッ!?」ブッダ説話のスパイダー・スレッドめいた醜い争いが周り中で沸き起こる。ここはジゴクか!? 

 

「逃げろ!」「タスケテ!」「誰か!」広場は煮えたぎるアンコシチューめいた混沌に支配されている。互いに奥ゆかしく思いやりあった暖かなキャンプの姿は何処にもない。自分だけ生き延びようと醜くお互いを罵りあい奪い合う焦げ付いた混沌が有るばかり。これも古事記に記されたマッポーの一側面か! 

 

『飯と服がないと人間になれない』ミヤモトマサシはそうコトワザを詠んだが、安全と安心もまた人間の必要条件なのだろう。「並んでください! 落ち着いてください! ダイジョブです! 危険はありません!」それを取り戻すべく防衛隊員に混じって、広場に戻ったシンヤも声を張り上げる。

 

「そもそもアンタがヒョットコが来るなんて言い出すから!」「そーだ! そーだ!」「アンタが悪い!」その呼びかけがカンに障ったのか、行き場のない非難の矛先はシンヤへと向けられた。自身の心すら不安定な混乱の中では、自分は悪くないと誰かに責任を負わせなければ安心を得られないのだ。

 

「それは」「ドゲザだ! ドゲザれ!」「ヒョットコに詫びて許して貰うんだ!」確かにシンヤは危険を訴えたが、呼び寄せた覚えは……ないわけではない。少なくともウォーロックの行動を想定せず、危険を看過したのは事実だった。苦く表情を歪め口ごもるシンヤに、狂奔する住人は嵩に掛かって責め立てる。

 

「止 め る ん だ」終わらせたのはさほど大きくもないワタナベのただ一声だった。それで全ての住民は口をつぐんだ。それどころか、ワタナベの言葉は広場全てを静寂に包んだ。鍛え上げた巨体の迫力、尋常ならざるニンジャの威圧、そして何より積み重ねたソンケイが場を一瞬で鎮めたのだ。

 

「皆、落ち着きなさい。今は責任や原因を問うときではないぞ」もう一言で大半が視線を逸らした。目を合わせる者はいない。俯いて床へと反らした目線を泳がせている。住民は弱い人間だが悪党ではない。正気に返った今、自らの言動に恥入っているのだ。

 

言葉の効果を確認したワタナベは渦中にいたシンヤへと深くオジギをした。「すまなかった。人間はこう言ったとき驚くほど弱くなってしまうものなんだ。どうか憎まないでやってくれ」「俺は憎みませんよ。約束しましたからね」シンヤは胸のオマモリ・タリズマンに拳を当てダイジョブだと笑ってみせる。

 

シンヤに問題はないと理解したワタナベは笑い返し、ナンブ隊長へと向き直る。「ナンブ=サン、避難無しで迎撃前提の防衛計画が合った筈です。それを使えますか?」「心配いらん、当然準備済みよ」先の焦燥など一片も見せずナンブ隊長は堂々たる態度で太く笑った。

 

「オサル共! センタ試験から逃げたタマ無し共を、鉛玉でたっぷりと教育してやろうぞ!」「「「エイ! エイ! オー!」」」力強く突き上げられたグンバイに併せて、防衛隊員も得物を突き上げ湾岸警備隊のスラングで応えた。戦場を知り尽くした荒っぽいパフォーマンスに、広場を包んだ恐怖が薄れていく。

 

最後に視線を向けられたタジモ村長はワタナベに肯いて返すと、住民に向けて朗々を声を響かせた。「では、一時待機場を避難所とし、整列の後にそちらへと移動する! それと戦う覚悟のある者はナンブ隊長の元に行ってくれ!」「「「ハイ、ヨロコンデー!」」」混乱の晴れた住民から明朗な返事が返る。

 

その後を追うようにナンブ隊長の錆声が防衛隊全体に投げかけられた。「避難誘導の防衛隊員は急ぎ避難通路を土嚢で閉鎖! しかる後に武装を受け取って避難所防衛の配置に付け! 他の者は指示通りに配置に付け!」「「「ハイ、ヨロコンデー!」」」すべき作業を示されて隊員から明確な返事が返る。

 

「では改めて、カラテ遊撃隊は直ちに配置に付け!」「「ハイ、ヨロコンデー!」」整然と動き始める住民と防衛隊を背景に、カラテ遊撃隊は再び二色の風となった。駆けるシンヤは無意識に胸のオマモリ・タリズマンを握りしめている。

 

よりによって計画の要である避難先を潰されるとは想像していなかった。今までの作戦や計画は『原作』知識を元にしたものがほとんどだ。ウォーロックがこちらに応じて動いたことで前提は大きく崩れた。そう、まるで『こちらが何を前提にしているかを知っていた』かのように手を打たれて。

 

(((まさか?……いや、それこそまさかだ)))一瞬、脳裏に浮かんだ不穏な違和感をシンヤは振り落とす。おそらくはフドウノリウツリ・ジツで自覚無き背信者を潜ませているのだろう。それに対策の打てない最悪を心配した処で無駄に気力を減ずるだけだ。なおのこと意気を保たねばならない。

 

最悪は想定しなければならないが、最悪に捕らわれてはいけない。息吹を吐き気息を整えると、シンヤは更に加速した。ニンジャ聴覚に不揃いな足音と身勝手な快楽に狂った笑い声が微かに届く。決戦の時は近い。

 

【サプライジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】#1終わり。#2へ続く



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第四話【サプライジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】#2

【サプライジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】#2

 

トモノミ・ストリート浮浪者キャンプの通り道には地下の廃棄下水道を利用している。誰も省みない忘れられた場所だからこそ、誰にも気づかれない秘密の移動経路となるのだ。さらに出入りの際は周囲の確認を義務づけ、複数ルートを複雑に利用することでヨタモノの侵入を防いでいる。

 

「イヒヒーッ!」「今夜はボーナスゲーム!」「最高得点狙っちゃうぜ!」「ウッ!……フゥ」「俺がクランで一番だ!」だが今、秘密は全て破られた。キャンプが隠し続けた機密通路には身勝手なヨタモノ達が闊歩している。好き勝手に妄言を吐き散らし、自分勝手に得物を振り回す。

 

ケイオスを体現したかの如き無秩序な集団だが、ただ一点、その顔を覆うヒョットコ・オメーンだけは統一されている。彼らこそがキャンプを狙う恐るべきヨタモノ・カルティスト集団「ヒョットコ・クラン」である! 今宵は偉大なるキングが示した約束の地で、不潔なネズミめいた浮浪者を殺すのだ。

 

狂えるヒョットコ・パレードの中心では社長室に置かれるような重役椅子がオミコシめいて運ばれている。そこに身動き一つなく腰掛けるのはヒョットコ・キングだ。青竜刀を膝の上に置いてザゼンを組み、狂乱の中でただ一人青銅像めいて静止している。纏うアトモスフィアも配下とはまるで異なる。

 

普段とも異なる静寂かつ危険な空気を帯びたキングに、荷物を背負った担ぎ手から畏怖と違和感の入り交じった視線が向けられる。それに答えるようにキングは椅子の上に立ち上がった。その拍子に椅子が大きく揺れるものの、キングは体重移動だけでバランスを保つ。

 

「聞け、約束の子らよ! 不潔なネズミ共は我々の存在に気づき、せせこましくも巣穴に抵抗の準備を始めた。しかし、かつて平安時代の哲学剣士は言った。『イディオットは考えるより休むべき』と! 愚かなネズミの行動は既に手遅れなのだ!」キングは長い両手を広げ、堂々たる態度で力強く演説を始めた。

 

ヒョットコ達の持つタイマツが仁王立ちしたキングを照らし、通路に威圧的で巨大な影を作る。下水道に反響する声は鼓膜のみならず頭蓋骨を揺らして、催眠術めいて脳髄にしみ入る。ソビエト党大会めいて考え抜かれた視聴覚効果に、その場の誰もが声を失い一心にキングを見つめていた。

 

「ヒョットコとは『火の男』の意! オメーンをかぶったその瞬間から、諸君等は火炎の化身となった! 神聖なる炎で汚らわしいバイオドブネズミ擬きを焼却し、約束の地を清めるのだ! 約束の子らよ、ゆくぞ!」なんたる高偏差値を体現するが如き高度な歴史的知識に基づく高水準アジテートか! 

 

「「「キング! キング! キング!」」」爆発的な歓声が通路を満たした。ヤング・オモシロイで接種した濃縮バリキに加えての、特権意識を揺さぶり殺戮を全肯定するタクミなスピーチで、誰もが宗教的恍惚に酔いしれている。知的レベル余りの高さに随喜の涙をこぼすヒョットコまでいる。

 

だがセンタ試験を経験した無関係の第三者がこの場にいれば、違和感に気づくであろう。キングの演説は高偏差値過ぎるのだ! ミヤモト・マサシのコトワザやヒョットコの語原など、名門文系大学生でも無ければそう知っているものではない。つまり、これだけの知識があるなら名門文系大学も十分射程内だ。

 

そしてヒョットコ・クランは「センタ試験に失敗した」「十代の若者」からなるヨタモノ集団だ。そんな人物が何故、ヒョット・クランの指導者になっているのか? 理由は至って単純、彼はヒョットコ・キングではない。いや、その肉体は間違いなくキングのもの。違うのはその中身だ。

 

キングの精神は侵入者の手によって粉微塵に破壊されて消え去った。今やキングは遠隔操縦される生きたゾンビーに等しい。他人の精神を破壊し乗っ取るなど到底人間業ではない。当然、侵入者はニンジャである! そう、ヒョットコ・キングを動かすのはソウカイニンジャ「ウォーロック」なのだ。

 

「ホホホ! マケグミ未満のヨタモノはコントロールが楽でいいですね」キングに乗り移ったウォーロックは、再び重役椅子ミコシに腰を下ろし小さく呟く。疑いなくキングに従う周囲を一瞥する眼光は人間離れして鋭く、モータルへの蔑みに満ちていた。想像力と注意力の高い者ならその視線に気づくだろう。

 

だがヒョットコにそれに気づけるような者はいない。だからこそ彼らはヒョットコに成り果てたのだ。それでもウォーロックは注意深く違和感を覚えられる前に瞼を瞑り、ニューロンの内側に沈み込む。一人沈黙思考するウォーロック、つまりキングへと先行させていた近衛ヒョットコから報告があがった。

 

「キング! 扉にカンヌキがかかっています!」「焼き切れ!」すぐさまバーナーを担いだヒョットコ工兵が扉へと駆け足し、蒼白の火を噴くトーチで熔断を始めた。浮浪者が手に入れられるカンヌキ鋼材などたかが知れている。カンヌキは僅かな時間でその能力を失った。

 

「焼き切りました!」「ヨロシイ!」再び椅子の上に立ち上がったキングはカンヌキを失った扉へと青竜刀を振りかざす。「「「キング! キング! キング!」」」唱和し反響する呼び声の中、さらなるアジテートと共にヒョットコが待ち望む殺戮へのGOサインが示された。

 

「約束の子等よ、時は来たれり! バットを握り、オメーンを被れ! 血と炎でこの地を清めるのだ! ゆけ!」「「「ヒャッハーッ!」」」金属バットを構えた殴り込みヒョットコ隊が、キャンプ入り口の扉を蹴り開ける。彼らは濃縮バリキの興奮と殺戮への期待で股間と胸を膨らませ、残虐な本能に身を任せる。

 

さあ、浮浪者の頭蓋骨をホームランしてキングに高得点を捧げよう! それこそがセンタ試験なる欺瞞に気づき、ヒョットコという真実を得た約束の子の使命なのだから! 扉の向こうには抵抗する術も対策の時間もなく、狩られて刈られるだけの哀れな獲物が怯え竦んで待っている……その筈だった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

(((ついに使命を果たすときが来たのだ!)))選民的優越感と薬物ケミカル反応が入り交じった熱狂の最中、十数人の精鋭ヒョットコが金属バットを掲げてキャンプ入り口の扉を蹴り開ける。ヒョットコへの恐怖で這いずり回る浮浪者達の後頭部めがけてフルスイングする予定だ。

 

「あれぇ?」「え」「ナンデ?」だが現実は予定通りにいかぬもの。彼らの視界には焼く予定のテントも殺す予定の浮浪者も見あたらない。代わりに見えるのは、両手の数より多い土嚢の石垣。そして石垣の最上段と二段目には僅かな狭間が開けられ、その一つ一つから鉄の筒が顔を覗かせている。

 

「さぁて」ただ一人姿を見せているのは中央の土嚢石垣から立ち上がったグンバイを担いだ老人だけだった。幾多のシワが刻まれた顔に、ヒョットコとは異なる残虐で酷薄な笑みを浮かべている。帯びる雰囲気もヒョットコの知る弱々しい浮浪者達とは全く異なっていた。

 

「獲物だ!」「ドブネズミ!」「これ塾でやったところだ!」狂気に酔いしれるヒョットコがようやく獲物が出たと歓喜の声をあげて突撃した。ヒョットコは老人の放つ危険性アトモスフィアに気づくことはない。気づく暇もない。そんな余裕を老人は、ナンブ隊長は与えはしなかった。

 

「ホノオ!」BLATATATA! 振り下ろされたグンバイを合図に、狭間から突き出た銃火器が不作法な侵入者へと盛大に歓迎のクラッカーを鳴らした。「「「アバーッ!?」」」キャンプ防衛隊からたっぷりと贈られた熱々の鉛玉で、ヒョットコ殴り込み部隊は断末魔のブギーダンスを踊り狂った。

 

「アイェェェ……」眼前で行われた銃殺めいた一方的殺戮劇に、石垣めいた土嚢の堡塁の中で幾人もの臨時防衛隊員が恐怖の声を漏らした。社会の最低辺にいるがキャンプの住人は皆善良で良識を持ち合わせている。キャンプを守るという大儀に奮い立っても、これほどの流血に耐えられるものではない。

 

耳に届いた悲鳴にナンブ隊長は僅かに眉をひそめた。恐怖に狂った新兵は優秀な敵に勝る脅威となる。教育が必要だ。「ナンブ隊長、危ないです!」「気にするな!」決断を下したナンブ隊長は年齢を感じさせぬ動きで堡塁を乗り越え、銃殺現場となった出入口扉へと颯爽と歩く。

 

「ふん」「ウゥッ」防衛隊員の注意を気にも留めず、交差銃火点の中央に横たわるヒョットコの一人を掴み上げた。老人とは思えない腕力でつるし上げられたヒョットコは呻き声を上げて悶える。このヒョットコは幸運なことに仲間が盾となって致命傷を免れたのだ。だがその幸運もここまでだった。

 

「グワーッ!」朦朧としていたヒョットコ・サヴァイバーの意識が突然の痛みに強制的に覚醒させられる。チョップを加えられた旧式TVめいて突然鮮明になる光景の中、ヒョットコの頭蓋にさらなる痛みが追加された。靴底で割り砕かれたオメーンが顔面に押しつけられる。

 

「見ろ、オサルども! こいつらはカイジュウでもオバケでもない。狂気に酔っているだけのバカなヨタモノにすぎん!」「グワーッ!?」当然、実行者はナンブ隊長である。吊し上げたヒョットコを投げ飛ばし、踏みにじり、そして今耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言と共に拳銃を突きつけているのもまた彼だ。

 

「ヤメロー! ヤメロー!」自らに狙いを定めた銃口に命乞いと恐怖の声を上げる生き残りヒョットコ。薬物効果は痛みでかき消され、無思考の一体感はオメーンと共に砕け散った。そのブザマを鼻で嗤い、ナンブ隊長は拳銃のハンマーを持ち上げる。後は引き金を引くだけでヒョットコはジゴクに堕ちる。

 

「こ、こんなの授業で習ってないぞ!」「ならばここで学んで逝け! ジゴクで復習も忘れるな!」進退窮まったヒョットコが最期に上げたのは命乞いの声でも恐怖の叫びでもない。現実を拒否し夢想へと逃げ込む妄言がヒョットコのハイクとなった。

 

BLAM! 拳銃弾が残りのオメーンごと頭蓋を割り砕き、脳漿と脳味噌のカクテルをコンクリートにぶちまけた。ヒョットコが撲殺直後のマグロめいて痙攣する。戦場の本質を体現した演出に、臨時防衛隊員の誰もが圧倒され言葉を失う。オメーンと頭蓋骨の破片を踏み砕き、ナンブ隊長は寂声を響かせた。

 

「ヒョットコは只のバカなガキ共だ! 撃てば死ぬ、殴れば死ぬ、切れば死ぬ、刺せば死ぬ、殺せば死ぬ! 故に殺せ、殺せ、皆殺せ! 判ったか、オサル共!」「「「エイ! エイ! オーッ!」」」ナンブ隊長の舞台めいた台詞と共に、防衛隊員がシュプレヒーコルを謳い上げた。

 

「「「オ、オーッ!」」」戦場の狂気に当てられた臨時防衛隊員もまた同調の雄叫びを上げる。初陣の新兵めいた怯える目つきが、狂気に浸ったトリガーハッピーのそれに変わっていく。彼らはまともな人間性を持つが故に、戦場の狂気に浸らねば正当防衛でも殺人を犯せないのだ。なんたる皮肉か! 

 

「やるぞ、やるぞ!」「センターに入れてトリガー、センターに入れてトリガー」臨時防衛隊員の変質した目を、ワタナベは配置の場所から痛ましい表情で見つめる。ヨージンボーが守るべき住民達が、自らの意志とは言え戦場に立ちその手を血で染めているのだ。自分の不甲斐なさに歯噛みする思いだった。

 

臨時防衛隊員の何人が戦争神経症に苦しみ、そして何人が狂気から未帰還となるのか。ワタナベもナンブ隊長もロン先生も誰も知らない。だが戦わなければ全員がゴア死体となることは確実だ。今や状況はビハインド・リバーにある。逃げ場は勝利しかない。

 

それにクロスファイヤで死の舞踏をしたのは僅か十数人。防衛隊員がナリコから推定した数よりも少なすぎる。今のは捨て駒の威力偵察部隊。恐らくは次に来るのが本隊だ。未来の危険に怯えている暇はない。ワタナベは折り重なったヒョットコ死体の山の向こう、扉の奥を睨みつけた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「キング! 殴り込み隊が死にました!」「気にするな! 聖火隊及び第二殴り込み隊突撃準備に入れ!」ワタナベの予想通り、ヒョットコ達は次なる部隊を舞台へと投入する準備を進めていた。キングに憑依したウォーロックにはヒョットコへの愛着も気配りもない。単なる齣、それも使い捨ての安物だ。

 

全員が無惨に死んでも目的が果たせるならオツリで大儲けができる。むしろ無価値な人生を慈悲深く使ってやっていると考えてすらいる。それがソウカイニンジャなのだ! 「彼らは使命を抱いて死んだ! つまり偉大なる約束と一つになった! それでもまだ怒りを覚えるか? 涙があふれそうか? 私もまた同じだ!」

 

「全ての罪は清めを拒むドブネズミ共にある! その思いは浄化行為で発散せよ! 諸君等も彼らの後に続き、使命を果たし永遠となるのだ!」「「「キング! キング! キング!」」」キングは追加の煽動と薬物で狂気を追加し、背を押されたヒョットコの脳髄は宗教的恍惚と群衆的一体感に漂白される。

 

「汚物は消毒だ!」「キレイキレイ!」火の点いたヒョットコ聖火隊は火炎放射器を構えて扉へと駆ける。その脳裏には一片の疑問もない。仮面を被り名前を捨てヒョットコの一単位に成り果てた今、無思考の喜びと個我喪失の一体感だけがある。彼らはキングの示す方向へとレミングスめいてひた走る。

 

BLATATATA! 「「「アババーッ!?」」」そしてレミングスめいて次々に死んでいく。十字砲火が彼らの大半をスイスチーズに変え、僅かな生き残りはまき散らされた可燃性廃液で自主的にローストされる。極彩色火炎に炙られたスプリンクラーヘッドが作動し、汚染消火水がキャンプに降り注いだ。

 

蒸気が立ち上り息苦しい程の熱気と湿気が辺りに立ちこめる。ロンドンめいた蒸気の霧が視界の大半を白く染め上げた。これではヒョットコの位置が見えない! 「ブッダ! これが狙いか!?」グンバイを構えるナンブ隊長は眉根を寄せて思考を回す。だがその時間をヒョットコは与えてはくれない。

 

「ヤッチマエー!」「ホームラーン!」第二次殴り込み隊が蒸気の煙幕に紛れて次々に接近してきたのだ! 「アイーッ!?」突如目の前に現れたヒョットコに臨時防衛隊員は驚愕のまま電動ドライバー付きホームガードパイプを突き出す。だが、彼は驚愕の余りドリルの電源をいれ損ねてしまった! ウカツ! 

 

「やっちゃうぜ! やっちゃうぜ!」「アイェーッ!」ドライバーはわき腹を僅かに抉ったが、それだけでは薬物で痛覚が鈍麻したヒョットには効果不十分! 恐怖する臨時防衛隊員めがけ狂った目のヒョットコはバットを振り上げた。ウカツな彼はキャンプ初の犠牲者となるのか!? 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」いや、そうはならない。そのために彼らはいる! 突然の疾風が霧を吹き散らしヒョットコの両膝を蹴り砕いた。膝を砕かれたヒョットコには激痛も相まって何がなんだか判らない。風が吹いた次の瞬間には両足がネコネコカワイイジャンプ専用に仕立て上げられていたのだ。

 

「ナンデ!? こんなのテストに出なアバーッ!?」「や、やったぞ!」そしてその疑問が解かれることはない。頭蓋に突きつけられた電動ドライバーがモーター回転し、ヒョットコの頭のネジを締め潰したからだ。恐怖で混乱してやらかしたとは言え、動けない標的相手なら落ち着けばなんとか殺せる。

 

そして落ち着けば周囲も見えてくる。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」二陣の風が吹き荒れる度、同様の光景が次から次へと生じているのだ。ヒョットコの接近を拒むカラテを纏った烈風の正体は言うまでもない。カラテ遊撃隊のワタナベとシンヤだった。

 

ニンジャの速度で駆ける二人は色付きの風にしか見えない。故にどのヒョットコも理解も反応もできずに足を砕かれて夜店の的に早変わりだ。殺意を漲らせた防衛隊員の尽力もあり、瞬く間に第二次ヒョットコ殴り込み隊は床の赤ペンキに変わり果てた。しばらく塗り直しは要らないだろう。

 

スプリンクラー配管の消火水が尽きたのか蒸気の白煙が徐々に収まっていく。原色の火炎はまだ名残惜しげにヒョットコ焼死体の上で踊っているが、その火勢は随分と衰えている。その向こうには無人となったキャンプ出入り口が見える。このタイミングを逃すようなナンブ隊長ではない。

 

「チャンス! 準備は!?」「できてます!」合図からすぐに数台の貨物台車に時代物の攻城兵器が乗せられてきた。両手を広げたよりも大きいバリスタだ。黒錆色の弓に黒錆色の弦が張られ、黒錆色の太矢が番えられている。色彩から判るように全てシンヤ製である。

 

「焦るなよ!」「判ってます! 任せてくださいよ!」拳並に太いクナイ・ボルトには危険なTNTバクチクがタップリと束ねられている。その導火線に火が点けられた。シュウシュウと危険な音を立てながら導火線が長さを減じる。隊員は慎重に狙いを定めた。標的は入り口扉のその向こう全てだ。

 

「フーッ……行きます!」「全員、伏せろーっ!」深呼吸を一つして、隊員はトリガーを引いた。空気が切り裂かれる高音を奏でながら、巨大クナイ・ボルトは水平弾道飛行で扉向こうのコンクリ壁へと突き立つ。緊張のアドレナリンで引き延ばされた長い長い一瞬の後、遂に火は雷管に達した。

 

KABOOOOM! 「「「アバーッ!」」」バクチクの化学エネルギーは瞬時に熱と圧力と光に転じ、逃げ場を探して暴れ回る。半分は出入り口からキャンプへと脱出し、巨大地下空間を熱風と轟音と閃光で満たす。取り残された残りのエナジーは、逃げ道を求めて閉鎖空間をヒョットコの悲鳴ごと塗り潰した。

 

網膜で踊る極彩色の影と鼓膜の奥で歌う耳鳴りが収まるより早く、ナンブ隊長は堡塁から顔を上げた。視線の先の出入り口には、飴細工めいた元扉が倒れている。他には何もない。ブギーダンスを踊ったヒョットコの死骸も、引火廃液でローストされたヒョットコの残骸もない。全て吹き飛んだのだ。

 

「いないぞ!」「やったか!?」「勝ったぞ、ヤッター!」バクチクの圧倒的破壊力の結果に、誰もが口々に勝利をつぶやく。「よし!」冷静で冷徹なナンブ隊長も思わず声を上げた。彼にも勝利のフラッグが見えたのだろう。確かにヨタモノ大集団相手ならこれで大損害は間違いない。

 

「バリスタは後方に移送、突撃隊を編成しろ! カタをつけるぞ!」「ハイ!」大戦果をオーテ・ツミに変えるべく、ナンブ隊長は矢継ぎ早に指示を飛ばす。役割を終えて下げられるバリスタと交代で、バトルライフルを構えた命知らずの防衛隊員が次々に並んでいく。

 

彼らは薬室に込められた初弾と同じく、突撃命令を今や遅しと獰猛な表情で待ち望んでいる。命令の撃鉄が振り下ろされれば故郷を汚すヒョットコを大喜びで食いちぎるだろう。彼らの戦意を見て取ったナンブ隊長も、肉食獣の笑みを浮かべて応える。そしてグンバイが振り上げられる。

 

「では突撃隊進軍開……」「まだです!」「来るぞ!」だが、それを止める声が飛んだ。カラテ遊撃隊は未だにカラテ警戒を解いていない。二人のニンジャ第六感も否定の声を上げている。特にシンヤは『原作』からウォーロックの行動を知っている。ウォーロックが動く可能性は極めて高いのだ。

 

それを明示するかのように出入り口向こうの通路から冷たい霧が立ち上り始めた。白煙は瞬く間にその量を増し、出入り口を積乱雲めいた巨大煙柱が封鎖した。なにが起きるのか。なにが飛び出すのか。

 

固唾をのんで見守る彼らの前に現れたのは、人間よりも大きい巨大ヒョットコ・オメーンだ! 「アイッ!?」「巨人か!?」「オバケ!」否、映像である! スモーク内部で何者かがプロジェクターを動かし、蒸気に3D投影したのだ。「ホホホホ! インターラプター=サン、ゴキゲンヨ!」

 

【サプライジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】#2終わり。#3に続く



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第四話【サプライジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】#3

【サプライジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】#3

 

「ホホホホ! インターラプター=サン、ゴキゲンヨ!」蒸気のスクリーンに映し出されたヒョットコ・オメーン。声の主はキングに乗り移ったウォーロックであった。電気的に合成されて歪んだ声がキャンプ中に響きわたる。さらに次々に対弾盾を構えた重装備ヒョットコが現れ、体育授業めいて二列に並ぶ。

 

安全装甲ヘルムに覆われたヒョットコの耳には専用のイヤホンが填められ、キングの誉れ高き演説が無限にリピートされている。何が話されようと彼らが聞くことはない。NRSすら越えるカルト一体感と後の人生を無視した薬物過剰接種の元で、バイオ兵隊アリめいて運び・戦い・殺し、そして殺されるのだ。

 

コマを並べ終えたウォーロックは演説を始める。「ニンジャスレイヤー=サン、いやここではイチロー・モリタ=サンですかね? 既に殺しましたか! 流石、手早い! あとは貴方の望み通りに邪魔なキャンプを焼き払ってあげましょう!」それは真実を織り交ぜた卑劣にして巧緻なる虚言だった。

 

ウォーロックはワタナベから人間性の拠り所を奪い取るつもりなのだ! 巧みな嘘にキャンプに居着いてから日の浅い住民たちは思わずワタナベへと疑いの目を向けてしまう! 「悪いとも思わんが、お前との契約は全てキャンセルだ。そして下らん嘘を混ぜても無駄だぞ」だがワタナベに一切の揺るぎはない。

 

疑念の視線も疑惑の声も全て背中で受け止めてみせた。その背から立ち上るソンケイと堂々たる態度に、疑いを抱いた住民は皆恥いる。今の彼に迷いは無い。このキャンプを守り、アンコを取り除き、胸を張って家族と会う。そう決めたのだ。

 

「約束を守れと言った貴方が破るとはヒドイ話ですね!」芝居のかかった声音でウォーロックが責め立てる。「浮浪者キャンプのヨージンボーで残りの人生を不本意に終えたいのですか? オハギ中毒を治すこともなく、ボスの慈悲を拒否して!」「治療はこちらでする。お前達の手は借りない」

 

巨岩めいたそのシルエットは小揺るぎせず白煙をにらみ返す。かつて心を揺さぶった言葉も、今の彼を揺るがすことはない。「フゥーム、『お話』と随分違いますね。プランAは失敗ですか」言葉ではワタナベを揺さぶれないと理解したのか、考え込むような声が白煙のスクリーンの向こうから漏れる。

 

「ならばプランBと行きましょう。お二方、出番ですよ!」「「イヤーッ!」」ウォーロックのかけ声と共に唐突なカラテシャウト! どこから!? それは封鎖したはずの避難経路からだった。土嚢で閉鎖された避難口が砲撃めいて吹き飛び、そこから二つの影が飛び出した。片方は白く、もう一つは赤い。

 

白は怪鳥めいて赤はゴムマリめいて跳ねながら、防衛隊もカラテ遊撃隊も無視して避難所めがけて飛びかかる。「させるか! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」それを許すカラテ遊撃隊ではない! シンヤは下手人をブツギリ死体に変えるべく、瞬間生成スリケン・トマホークを即座に三連射する。

 

「イヤーッ!」だが、それに反応した白影が振り返り翼めいた両腕を打ち振るう。影と同色の羽が無数に宙を切り裂きスリケン・トマホークを逸らす。さらにスリケン・トマホークをすり抜けた幾つもの白い羽がシンヤへと迫る。「イヤーッ!」デント・カラテのサークルガードがそれを全て防ぐ。

 

その合間にも赤影は避難所へと近づく! 「イヤーッ!」ニンジャネームの如くに迎撃すべくワタナベが跳んだ。巌を思わせる巨体が重量を忘れたかのように宙を舞う。跳ねる赤影より高くそして速い! この速度差ならば避難所寸前で捉えられると弾道計算UNIXめいた正確さでワタナベは結論づけた。

 

だが次の瞬間! 「グワーッ!?」突如その質量を思い出したかのようにワタナベが墜落した! 無人テントに突っ込んだワタナベは轟音と共にカワラを砕いてビニールをまき散らす。何が起きたのか? ワタナベにも理由は一切不明だった。突然の衝撃がニューロンに襲いかかり全身の自由を奪われたのだ。

 

そして混乱する現状で判ることは一つだけだ。赤い影を阻む者はもういない。故にシンヤも赤影をインターセプトするべくすぐさま跳躍する。「イヤーッ!」「イヤーッ!」だが、白影がそれを妨害にかかる! 羽根めいた両腕と蹴爪の付いた脚を振り回し、空中のシンヤへと躍り掛かった。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」空中でカラテがぶつかり合う。ソウルから伝わる飛び散る羽毛めいた軽薄な掻痒感が皮膚を走る。人間を遙かに越えるカラテを受け止めて堅く握った拳で殴り返す。雷光が瞬くがごとき一進一退の空中戦だ!

 

それは……つまりニンジャであるシンヤと同等のカラテの持ち主ということになる。その顔を見、気配を肌で感じてシンヤはようやく気づいた。「ニンジャ、ナンデ!?」「コーッココココ! 裏切り者め!」クチバシめいた黄色メンポで口を覆い、白けた羽毛の装束に包まれた姿は、紛れもなくニンジャだったのだ! 

 

シンヤの脳内に混乱が溢れる。『原作』でここに居るニンジャは『ニンジャスレイヤー』と『インターラプター』の二人だけの筈だ。シンヤという介入者の存在でウォーロックが新たなニンジャを連れてきたのだろうか? しかし、シンヤは自らがニンジャであることを他人から隠している。

 

強いて可能性をあげるなら先日に赤黒色をした影を目にしてニンジャ装束を纏った位。あの赤黒の影はニンジャスレイヤーでは無かったのか? それに相手の台詞も不可解だった。会った覚えもない相手から「裏切り者」呼ばわり。何も判らない。

 

それに何より情報も時間も足らない。目の前の白影がニンジャならば、避難所へと飛び込まんとするあの赤影もニンジャに違いないのだ。避難所にいるのはモータルの防衛隊員だけ。後方地帯の家族がアブナイだ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」家族を守るべくシンヤは空中でデント・カラテを次々に繰り出す。だが、地に足の着かないデント・カラテでは足りない! 白影ニンジャのエアロカラテにいなされてしまう。反撃はない、する気がない。時間稼ぎと妨害が目的なのだ! 

 

その間にも赤影ニンジャは避難所へと近づいく! 「テーッ!」BLATATATA! 避難所の防衛隊員もライフル対空射撃で必死の抵抗を試みる。「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」だが相手はニンジャだ。軽武装少人数のモータルで防げる相手ではない。反撃の重量級スリケンで全員が死傷! 

 

「「「アイェェェ……」」」避難所に抵抗できる者はない。NRSに打ち据えられ、何も出来ないままに弾道を描いて落ちてくる恐怖の化身を見つめるだけだ。おお、ナムアミダブツ! ブッダよ、貴方はまだ寝ているのですか!? 誰も彼らを救える者はいないのか!? 

 

否! いる、一人いる! 「あれは!」絶望に表情を歪めかけていたシンヤのニンジャ動体視力は確かに『それ』を捉えた。避難所から人間魚雷めいた体勢で迎撃に飛び立つ一つの影。ニンジャ・バリスタから対空弾道軌道で打ち出される影。

 

その顔を覆うメンポには恐怖の字体で二文字が刻まれている。そう、『忍』『殺』の二文字が! 赤黒の殺戮者のダイナミック・エントリーだ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの対空弾道跳び蹴りにより赤影ニンジャのベクトルが180度逆を向く! 

 

吹き飛ばされて天井付近の闇に覆われ、ニンジャ装束の腸めいた赤が影に黒く染まった。それはシンヤが以前見た赤黒の影と同じ色合いだ。つまり、観察者はニンジャスレイヤーではなく赤影ニンジャだったのだ! おそらくはキャンプのニンジャ戦力測定のためにヨタモノ退治を観察していたのだろう。

 

蹴り飛ばされた赤影ニンジャは跳ね飛びつつ白煙の立ち上る入り口前へと移動する。着地した白影ニンジャもそれに併せて連続バック転で赤影ニンジャの横へと動く。肥大した巨漢の内臓めいた赤と、細身の小柄な脱色めいた白。体型も色彩も正反対な二人に額の「目」一文字だけが共通している。

 

シンヤは敢えて白影を追わずに胸のオマモリ・タリズマンに拳を当て、深呼吸でマインドセットに入る。全身が超自然の繊維で覆われ、その姿は黒錆色に染まった。立ち上がった影法師のごとき闇に溶けるシルエット。赤錆めいたメンポだけが蝕に食われた月輪めいて暗赤色に浮かび上がる。

 

シンヤ、すなわちブラックスミスの右に原因不明の不調から立ち直ったワタナベが降り立つ。続いて赤影ニンジャを追って跳んできたニンジャスレイヤーが左に陣取った。紅白ニンジャとカラテ防衛隊に足すことの一人。五忍のニンジャ圧力が広場の空気を押しつぶし、沈黙が空間を満たした。

 

防衛隊もヒョットコもキャンプ住人も声を挙げる者はいない。人知を越えた神話的存在の放つ圧倒的カラテに圧されて、脂汗をこぼしながらNRSに震えるだけだ。呼吸すら難しい圧力の底で紅白のニンジャが両手を合わせた。「ドーモ、皆さん。トライハームのスクローファです」「同じくガルスです」

 

【サプライジング・ウェフト・パス・スルー・イマジネーション】終わり

 



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第五話【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#1

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#1

 

ニンジャとは平安時代の日本をカラテによって支配した半神的存在だ。歴史の闇に姿を消した彼らを目の当たりにすれば、真実を前にしたモータルは恐怖に縛り上げられ悉くが正気を失う。ヒョットコもキャンプ住人もそれは同じだ。対峙する五忍の神話存在を前に、誰もが息を潜めて震え上がるばかり。

 

空間を押し潰す静寂を破り、口火を切ったのは赤と白のニンジャだった。「ドーモ、皆さん。トライハームのスクローファです」「同じくガルスです」顔を半分に割る大口を歪めて赤影ニンジャのスクローファがまずアイサツ。続いてトサカモヒカンを揺らし軽薄なオジギをするのは白影ことガルスだ。

 

即座にキャンプ側の三忍も滑らかなアイサツで応える。「初めまして、ヨージンボーのインターラプターです」「同じくブラックスミスです」「お久しぶりです、ニンジャスレイヤーです……性懲りもなく現れたか、食肉ニンジャ共め」ただ一人、紅白ニンジャに異なる反応を示すニンジャスレイヤー。

 

「偉大なる方の望みを果たすまで、何度でも現れるとも! 貴様こそバイオドブネズミの食肉となるがいい、ニンジャスレイヤー=サン!」「神気取りのカルト本尊をそれ程までに敬うなら、オヌシ等を屠殺して供物の代わりとしてやろう」横で遣り取りを聞くブラックスミスは驚愕と疑問の目で二人を見る。

 

互いにぶつけ合う言葉はこの出会いが初めてでないことを示している。これは『原作』で語られなかった外伝か? 自分由来のバタフライエフェクト? それとも……「コココーッ! 汚らわしい不純物め! イヤーッ!」「なんだと!?」一方的で不可解な罵声と共にガルスが跳び後ろ回し蹴りで襲いかかる! 

 

「イヤーッ!」カラテを刻んだ肉体は思考よりも速く動いた。空を引き裂く蹴爪を最小限の動きで避け、更に裏拳めいたパリィで崩しをかける。「イヤーッ!」「イヤーッ!」だが、ガルスはそれを読んだかのような裏拳を軸としたアルマーダ・マテーロを放つ! 即座に肘鉄で迎撃するも二人の距離は離れる。

 

「コォォォ!」「フーッ」ガルスは両腕と片足を上げて威嚇めいた奇怪なカラテを構える。対するブラックスミスは深呼吸と共にデント・カラテ防御の構えをとる。不動なるデント・カラテ防御の構えは正にカラテ要塞そのものだ。先のカラテ応酬でもブラックスミスはその場から一歩たりとも動いてはいない。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」次なる一撃を繰り出そうとガルスは膝を撓める。それを狙い澄ましてカノン砲めいた低空弾道跳びカラテパンチを叩き込む! 防御を要塞に例えるならば、デント・カラテの攻撃は要塞砲に等しい。瞬動たるデント・カラテは破城砲めいて咄嗟の防御ごとガルスを吹き飛ばす。

 

「ケコーッ! 慈愛の眼差しを拒むのみならず、偉大なる計画の邪魔をするか、背信者!」「何を言って……ッ!?」カラテパンチで吹き飛ばされたガルスは回転ジャンプで体勢を整える。まき散らす雑言は理解不能の妄言かと思われたが、不意にブラックスミスの脳裏で思考が閃いた。

 

『原作知識』『観察者』『コンタミネーション』、そして『偉大なる計画』! 「そうか、お前らはクレーシャの!」かつてシンヤの脳髄に巣くっていた『原作知識』を知る論理ニンジャ「クレーシャ」。『計画』の駒とすべくクレーシャはシンヤを誘惑し「コルブレイン」と名付けて支配下に置こうとした。

 

シンヤがニンジャ「ブラックスミス」となり、クレーシャを打ち倒したことでそれは失敗に終わった。だが、クレーシャは論理ニンジャ、すなわち情報存在である。その複製がシンヤ以外のニューロンにも居たとしたら? そしてクレーシャは最期に「『他の私』が計画を果たす」と口にした。つまり……

 

「余計なことを言うな、ガルス=サン!」野太い声と共に重量級スリケンが投げつけられる。ブリッジ動作でスリケンを避ければ赤影の巨漢が仇敵を見る目で睨みつけている。その眼差しが答え合わせとなった。そう、二人はシンヤ同様にクレーシャの手で現実からネオサイタマへと墜とされた者だったのだ! 

 

(((俺以外にも転生者がいたのか……)))シンヤはクレーシャの誘惑を拒み、自らをブラックスミスと名付けた。彼らは誘惑に答えてクレーシャにそれぞれが名付けられた。そしてその手先として、『偉大なる計画』とやらを果たすべく『原作知識』を武器に暗躍している。この襲撃もその一環だろう。

 

「余所見をする暇はあるのか!? イヤーッ!」「グワーッ!」だが、そんなことはニンジャスレイヤーの知ったことではない! ジュージツを構えたニンジャスレイヤーが音速の断頭チョップを繰り出す。スクローファは反射的に太い右腕で受け止めるも、恐るべき威力のチョップは肉を引き裂き骨まで達した! 

 

「ヌゥーッ! 薄汚いモブ浮浪者の巣が貴様のカタコンベよ、死ね! イヤーッ!」「ヌゥーッ!」スクローファは骨に食い込むチョップをつかみ取り、苦痛を堪えて左の豪脚を振るう! ニンジャスレイヤーは避けきれず重い一撃を受ける。ダークニンジャ戦の深手は未だ癒えず、本調子にはほど遠い。

 

それを『知っている』スクローファは大口を嘲りの笑いに歪ませる。「カタナ傷が痛むのか? 二度と痛まぬように慈悲深く殺してやろう! イヤーッ!」「させんぞ! フンハー!」もう一撃を食らわせようとビックカラテの巨腕を振りかぶる。だがそれを受け止めたのは、割り入ったワタナベのカラダチだった。

 

「ナニィーッ!?」超自然の吸引力にからめ取られ、左腕の自由が奪われる。逆の右手はニンジャスレイヤーのチョップで既に使用不可能。スクローファの巨大な口腔が焦燥に歪む。その目は忙しなく脱出の手を探るが、見つかったのは苦痛を堪えて力強く引き絞られたニンジャスレイヤーの腕だけだった。

 

弓めいて引かれた拳に爆発寸前のカラテを込めたその構えは、チャドー奥義が一つ『ジキ・ツキ』である! 放たれたが最後、いや最期、その一撃はスクローファの顔面を射抜き頭蓋を貫いて即死させるであろう。赤黒の死神が構えるヒサツ・ワザはデス・オムカエのカマに他ならない。

 

「ヌゥゥゥッ!」しかし確定した死を叩きつけられたスクローファの行動は常軌を逸していた。アルビノワニめいて鈍角まで顎骨を広げ、カラダチに捕らえられた腕を噛み千切ったのだ! それだけではない。スクローファは食いちぎった腕の部品を咀嚼し飲み下す! コワイ! 

 

その行動が狂気なのか正気なのかは不明だが、カラダチの拘束から逃れたのは事実だ。これ以上、余計なことをさせる訳にはいかぬ! 「イヤーッ!」超音速の衝撃波を纏ったジキ・ツキが放たれる。それをバック転で回避するスクローファだが、ジキ・ツキを完全には避け切れない! ハヤイ過ぎるのだ! 

 

「ヌゥーッ!」だが被弾寸前で盾とした『無傷』の右腕が間に合った。回避を混ぜた不十分な当たりですら、肉が吹き飛び骨にヒビが走る。直撃していれば即死は免れなかっただろう。傷の深さもあり、スクローファは肉団子めいて転がって間合いを離す。それをワタナベもニンジャスレイヤーも追わない。

 

「スゥーッ! ハァーッ!」ニンジャスレイヤーは技の反動のためだった。再び開きかけた傷口をチャドー呼吸で押さえ込む。巨砲には相応の強度が要るように、チャドー奥義には頑強な肉体を要する。万全ならば兎も角、重傷を負ったままで放ったカラテ反作用は全身に大きな負担をかけた。

 

一方、ワタナベは傷を癒した未知のジツを警戒し、カラダチを構え直す。かつてのインターラプターが振るうザムラ・カラテならば大抵のジツは押し切れただろう。だが長いブランクと周囲の存在がワタナベの行動にブレーキをかけた。万に一つでも住民を巻き込むような事は避けたい。

 

「ヒョットコを貰うぞ!」二人から距離を取ったスクローファは、手近な重装備ヒョットコを掴み上げる。盾にするのか? だが、スクローファの行動は想像を超えていた。オメーンの奥から理解不能の表情で見つめるヒョットコが最期に見たのは、自分の顔より大きく広げられたスクローファの歯列だった。

 

GUZZLE! 「え……アバーッ!?」作業用の安全装甲ヘルムではスクローファのニンジャ噛筋力には何の抵抗にもならなかった。バターたっぷりのクッキーめいてさっくりとヒョットコの頭部が抉られる。無理矢理良かった探しをするなら、恐怖や苦痛より早く、彼の脳味噌が咀嚼されたことくらいだ。

 

いや、ヒョットコにとってではないが「良かった」はもう一つある。スクローファの引き千切られた左と抉れた右から新しい赤が膨れ上がったではないか! それは瞬く間に巨腕の形を取り戻して網状のニンジャ装束に包まれる。これがスクローファが持つおぞましきユニーク・ジツ「グラトン・ジツ」の効果だ! 

 

「今のは」「スクローファ=サンのジツだ。人肉を食らい傷を癒す」問う先のないワタナベの疑問に、チャドー呼吸を終えたニンジャスレイヤーが答える。クラウドバスターとのイクサで深手を負った後、『偉大なる計画』を唱う紅白ニンジャに襲われて、この汚らわしいジツを目にしたのだ。

 

「アィーッ!?」「食べちゃったぁ!?」「こんなの塾で習ってないよぉ!」薬物の快感やカルトの法悦すら吹き飛ぶ圧倒的光景に恐れおののくヒョットコ達。顔も知らない同胞が生きながらスクローファの胃袋に収まる光景は、邪悪なカルティスト・ヨタモノですら怯えさせるに十分であった。

 

「下がれ、ガルス=サン!」悲鳴を上げて列を乱すヒョットコ達を侮蔑の目で一瞥すると、スクローファは声を張り上げる。「ケーッ!」ブラックスミスとカラテを交わしていたガルスは、声を合図に飛び上がってフェザースリケンを雨霰とばらまく。ブラックスミスのニンジャ判断力はその弾道に気づく。

 

「「「アイェーッ!?」」」相対していたブラックスミスのみならず、堡塁に籠もる住民達をも標的にしている! 卑劣な無差別攻撃による時間稼ぎ戦術だ。「イヤーッ!」無論、それを許すブラックスミスではない! 精製した黒錆色タンモノ・シートで片端から受け止める。

 

数を打ち過ぎた羽スリケンでは貫通するに威力が足りない。しかし最低限の目的は果たされた。その隙にガルスは回転ジャンプで最初の立ち位置へと舞い戻る。「ホホホ、三人ともお強い! お二方では少々アクターが足りないですかね!?」ウォーロックの慇懃無礼な声が辺りに響きわたる。

 

同じニンジャで同じ仕事に従事するビジネスパートナーではあるが、お互いに信頼はないようだ。「選民を虚仮にするのも大概にしろ!」「ソーダソーダ!」当然だが紅白ニンジャは反発の声を上げた。プライドの高いニンジャならば尚の事だろう。

 

「ドーモスミマセン、ではプランBを進めるとしましょう」一切気持ちの籠もっていないモージョーめいた詫びを入れ、ウォーロックは次なる仕事に取りかかった。

 

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#1おわり。#2へ続く。



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第五話【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#2

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#2

 

「では、プランBを進めるとしましょう」義務めいた謝罪と共にウォーロックは次なる作戦実施を宣言した。その道化めいた声からは残虐なる好奇心が滲み出ている。『原作』を知るブラックスミスでなくとも、ろくでもないプランであることは容易く想像できた。

 

「さて、インターラプター=サン。貴方は常々周囲に『別れた妻子が後輩と再婚してロッポンギにいる』と話されている」ウォーロックが話し始めると同時にブラックスミスは声の出所へと走り出した。余計なことをさせてはならない。その目的はワタナベの『真実』の雷管に火を点けることなのだ。

 

「イヤーッ!」演説中止とすべく煙幕向こうのウォーロックめがけて次々にスリケンを投げつける。それを数え切れない羽スリケンが横から逸らし、逸らしきれないスリケンは赤い巨漢が身を盾に受け止める。「ケーッ! 話し中だ!」「静かにして貰おうか!」『真実』の威力をこの二人も知っているのだ! 

 

「除け! イヤーッ!」「断る! イヤーッ!」疾走カラテパンチ突撃で強引な突破を試みるブラックスミスに、ガルスは回避を兼ねた跳躍ネリチャギと膝蹴りで妨害を加える。「イヤーッ!」「イヤーッ!」顔面を縦に割る蹴爪の挟み蹴りに、ブラックスミスはあえて低空弾道跳びカラテパンチで挑んだ! 

 

メンポが弾け飛び空気が引き裂かれる! 勝負の結果は!? 「「グワーッ!」」相打ちだ! 弾道跳躍加速でネリチャギは外したが、ガード越しの膝蹴りは強かにブラックスミスを打った。一方、急加速カラテパンチに鳩尾を打ち抜かれ、ガルスはメンポの無い口をマグロめいて開閉し喘ぐ。

 

(((焦るな! まず早急に連中を殺す。口上を止めるのはその後だ)))肋は痛むが折れてはいない。ブラックスミスは膝蹴りを受けた腕を振るって痺れを飛ばす。拍子に砕けたブレーサーが甲高い音を立てて床に散る。再生成ブレーサーを締め直すと、呼吸困難から回復したガルスがメンポを付けて立ち上がった。

 

二人は互いに本気のカラテを構える。ブラックスミスはデント・カラテ基本の、つまり攻撃の構え。ガルスはソウルが教える低空エアロカラテ跳躍の構え。空気を歪める程の敵意が手出し無用のドヒョーリングを形作る。その中にモータルが居たならばカラテで死ぬより先に恐怖で自ら心臓を止めただろう。

 

「アィェーッ!」重装備ヒョットコの恐怖の叫びが、ハッケ・プーリストのグンバイとなった。「「イヤーッ!」」回転ジャンプを組み合わせた斬撃回し蹴りに、重砲めいたカラテパンチが合わさる。重合金の蹴爪とジツ生成のナックルガードが轟音と共にかち合い、衝撃波が辺りに飛び散った。

 

エアロカラテとデント・カラテが火花散らす最中でもウォーロックの演説は続く。「貴方のことは色々と調べさせていただきました。ええ確かに彼女らはロッポンギにいました。父と母と娘の三人家族で暮らしていました」馬鹿丁寧な口調の奥に『真実』のもたらす破滅への期待が透かし見える。

 

ウォーロックの独唱をBGMに、スクローファとニンジャスレイヤーもまた激しくイクサを交わしていた。「イヤーッ!」「グワーッ!」絶え間なく振るわれる豪腕剛脚のビッグカラテを掻い潜り、ニンジャスレイヤーはカタナめいて鋭いチョップを打ち込む! 即死級の一閃がスクローファの胸に刻まれた! 

 

「ヌゥーッ!」だが全身に残る傷は余りに重い。本気の一撃を叩き込む反動だけで目の前が明滅し意識は体から離れかける。健常ならカラテの暴風で瞬く間にスクローファを解体しただろうが、重傷の今では長期戦は必至。その上、相手はビックニンジャ・クランのニンジャ耐久力とグラトン・ジツの持ち主だ。

 

時が経つほどに状況は悪化する。時間は連中の味方でしかない。「夫婦は学生時代からの恋人だったそうで、デッカー就任を切っ掛けに結婚されたそうです」着実に『真実』へと近づいていく声がそれを示している。ニンジャスレイヤーの焦りを見透かしたのか、嘲りの混じったスクローファの笑いが響く。

 

「そんなに急がずともヨロシイ! ゆっくりイクサを楽しもうじゃないか!」「オヌシと遊ぶ暇はない」嘲笑を決断的に切り捨て、ニンジャスレイヤーはジュージツを構え直す。損傷に耐えて傷を癒すならば、耐久と回復を越えるカラテを叩き込むのみ。百発のチョップで足りぬなら千発のチョップを打つのだ。

 

二人と二人のイクサを後目にウォーロックの独り舞台は続く。「おや、ご存じない? そんな筈はない。貴方と部下御一家とは、家族ぐるみの長いツキアイがあったんですから」語りかける相手は当然ワタナベだ。しかし彼は何をしてるのか? 常ならば真っ先にザムラ・カラテで仕留めにはいるだろうに。

 

「ウウッ……グワーッ!」そう、それは平常ならばの話だ。先ほど同様にワタナベは断続的に襲いかかる不可解なニューロン攻撃にのたうち回る一方だった。下手人は間違いなくウォーロックだ。だが、如何なるジツか防ぐも堪えるもできない。自分の独演会を聞かせるために攻撃が不連続なのが僅かな救いか。

 

「随分と御一家とは仲が宜しかったようで、特に娘さんにはとても慕われていましたね」いや、それは救いではない。ウォーロックの目的は『インターラプター』をソウカイヤへと戻すこと。そのために『ワタナベ』の居場所であるキャンプを奪い取らんとしている。ならばこの独壇場もその一つに他ならない。

 

「オジチャンと呼ばれて、とっても懐かれて、まるで娘のような間柄!」「やめろ、そんなのは嘘だ」耳に目蓋はなく、ジツを防ぐこともできず、猛毒の言葉は容赦なくワタナベの耳に注ぎ入れられる。震えながら弱々しく立ち上がろうとするワタナベにできることは掠れた声で拒むことだけ。

 

(((違う、全部間違いだ)))娘のようじゃない、愛おしい娘だ。今は遠く離れてしまったが、変わらずに想い続けている。それに後輩と元妻は再婚だ。奴の言葉は嘘っぱちだらけ。そうだ、そうでなければならない。ふらつく足と折れかかる心に無理矢理力を込めて崩れる体を必死に支える。

 

「嘘? ああ、確かに貴方の記憶は自分に嘘をついている!」だが、自分を納得させようと言葉を幾つ並べても、ウォーロックの語りは容易くそれを打ち砕く。「貴方はデッカー時代からずっと独り身の男ヤモメだ。貴方には妻も子供も家族もいない」なぜなら、それは『真実』だからだ。

 

「そんな貴方を心配し、部下のデッカーは自宅に招待するようになった」「やめろ、やめてくれ」そして当事者であるワタナベは全てを知っている。知った上で忘れている。そうしなければならなかった。それは絶対に思い出してはならない。思い出せば全てが終わり。築いた全てがご破算となる。

 

「幸せな御一家に参加できて、さぞかし嬉しかったのでしょうねぇ。自分が父親で夫だと勘違いしたくなるほどに!」記憶に塗り重ねた嘘が片端からはぎ取られていく。正しい記憶が蘇り、本当の過去が姿を現す。裾を引っ張り肩車をせがむ声。空高く突き上げた手の中の笑顔。抱き上げた柔らかな感触。

 

愛しい娘の筈のオハナとの記憶の全て、自分を呼ぶ名はウォーロックの言葉通り「オジチャン」だった。そして、その隣にはオハナの母親と……部下で後輩のデッカーである父親の姿がある。自分ではない。自分は独りで、家族は後輩のもの。それが事実だった。

 

「そんなに愛おしく思っていたのに、貴方はやってしまった! ホホホ! やはり貴方は生来の殺人マシーンに間違いない!」「違う……違う……」パチンと指を鳴らす音がした。巨大ヒョットコ・オメーンは消え、一枚の写真がスクリーンに映し出される。過去が今、ワタナベの全てを収穫にやってきた。

 

「違う? そんな筈はないでしょう。だって背中を預けた部下も、淡い思いを抱いていた奥さんも、愛しい娘同然のオハナちゃんも……」正気の者なら誰でも目を背けるだろう残酷な一家惨殺死体が全員の眼前に晒された。粉砕ネギトロミンチと化した父親と、踏みにじられた人形めいて歪に曲がった母親。

 

「み ん な あ な た が 殺 し た ん で す よ ?」

 

そして、絶望と恐怖を満面に焼き付けた幼い幼いデスマスク。毎日毎日写真越しに見つめた愛おしいオハナがそこにあった。糸を切られたジョルリ人形めいて、ワタナベは力なく床に膝を突く。止めどなく絶望と敗北の涙が溢れ出した。全てを忘れてでも逃げ続けた罪は、ついにワタナベの背に手をかけたのだ。

 

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#2おわり。#3へ続く。



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第五話【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#3

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#3

 

「あ、あ、あ、あ」絶望がワタナベの口から漏れる。あの日、全てを壊した日。後輩にツジギリとオハギを悟られて、自首して罪を償って欲しいと涙ながらの説得を受けた。だが、背中を預けた部下への信頼も、デッカーとして胸に抱いた誇りも、家族同然の三人への愛も、禁断症状の前には塵と同じだった。

 

(((オジチャン、ヤメテ! コワイよ! ヤダ、ヤダ、ヤダ!)))耳の奥で最期の声が蘇る。記憶の中、涙と鼻水でグチャグチャになった顔を掴む。柔らく暖かで、そして脆い命。ゆっくりとその首を捻る。「やめろ……やめろ……」細い首はすぐに限界に達した。干菓子めいた軽い音と共に絶命の感触が伝わる。

 

弱々しい抵抗と命の灯火が失せていく。人殺しの堪えがたい喜びが脊髄を走り抜け、オハギと合わさった得も言われぬ無上の快楽が満ちる。そこには後悔も悲哀もなかった。「おねがいだ……やめてくれ………」愉しかった。心から愛する者をその手で殺しておきながら、ただひたすらに愉しかったのだ。

 

「細い首をへし折った感覚! 泣き叫ぶ顔を殴り潰す感触! 最高の瞬間だったでしょう!?」最高潮に達したウォーロックの弁舌が響きわたる。その言葉の通りだった。オハギの効果が消え失せるまで、殺人とアンコの快楽の中でワタナベは絶頂し続けていた。

 

そして、めくるめく悦びから目覚めてみれば愛おしみの骸が転がるばかり。犯した罪業から逃げるにはその原因に縋るしかなかった。どす黒く甘美な快楽はほんの一時だけ罪を忘れさせた。それが切れれば瞬く間に記憶が自分を押し潰しにかかる。ニンジャとなり果て繰り返され続ける殺戮とオハギ。

 

罪悪感から逃れるための錯覚はいつしか現実とすり替わっていた。(((家庭を顧みずオハギに縋ってまで毎日仕事に明け暮れた。妻はオハナを、娘を連れて出て行った)))妄想に従いワタナベはソウカイヤを抜けた。家族と過ごした鮮明な嘘を語り、自ら手折った娘との再会を心待ちに過ごす日々。

 

だが優しい夢物語は儚くも消え失せ、遂に残酷な『真実』が突きつけられた。「オハギは……オハギは何処に」逃げ出す方法はあと一つだけ。腰にある筈のタッパーを震える指で探る。だが、そこには何もない。オハギは全て捨ててしまった。依存を断ってやり直せると、胸を張って家族と会えるのだと信じて。

 

「思い出せましたか? 貴方はオハギに耽溺する殺人嗜好者なんですよ!」のし掛かる過去の重さは容易くワタナベの膝をへし折り太い背骨を粉々に砕いた。ワタナベの砕けた心をウォーロックは丹念に一つ一つ擦り潰す。踊る声音から隠す気もない残虐な慶びが溢れている。

 

「愛する家族? ヨージンボー? 全部幻想です。貴方の居るべき場所はソウカイヤに他ならない。これがその証拠になります!」一家惨殺写真を中心に負けず劣らずのゴア殺人写真の群が次々に映し出される。「これで貴方がどんな人なのか、キャンプの皆さんにもよーく判ってもらえたでしょう!」

 

被害者の映像は皆弱々しい女子供ばかり。ある者は砕けたコンクリ片と混じり合いし、ある者は半身をカラテで抉られている。そして写真に映る下手人は全て、人殺しの狂喜に顔を染めた『インターラプター』だった。暴かれた自らの過去を前に、全てを失った『ワタナベ』の頬を透明な涙が伝う。

 

息を止めるほどの積み重ねたソンケイも、巨石めいた揺るぎない存在感もどこにもない。身の毛もよだつ『真実』に怖れをなして、恐怖に濁った数え切れない視線がキャンプ中から放たれる。それは容易く疑惑の視線と声を受け止めて見せた筈の背中を、炙られたスイスチーズめいて貫いて心臓へと突き刺さる。

 

最早、彼を誰も彼を信じられない。いや、全員ではない。「ワタナベ=サン! 約束を思い出してグワーッ!」「イヤーッ! お静かに!」ガルスの胴回し後ろ蹴りに吹き飛ばされながらブラックスミスはワタナベに必死に呼びかける。かつて自分も己の汚らわしさに打ちのめされ、邪悪な誘いに屈しかけた。

 

しかし、家族との約束はドヒョーリングに踏み留まる力をくれた。家族でもない自分とのカイシャ作りの約束が、何処までワタナベの支えとなるのか。望み薄だがそれ以外に可能性はない。「そうだ……エミちゃんと約束したんだ、必ず守るって」呼びかけでワタナベが思い出したのはエミとの約束だった。

 

空っぽの表情にうっすらと感情が浮き上がる。「それでエミちゃんをオハナと合わせるんだ……約束を、約束を果たす……」だが合わせるオハナはもう居ない。自分が殺したのだ。約束は守れない。「約束を思い出してください!」呼ぶ声も全て心をすり抜けていく。かき集めようとした心が再び崩れていく。

 

崩れるワタナベと支えようとするブラックスミスを横目で眺めて、スクローファは下卑た嗤いに震える。「グブブ! そら二人が大変だぞ! 言うことはないのかね?」「俺が口出しする問題ではない! イヤーッ!」悪意にまみれた声を決断的に切って捨て、ニンジャスレイヤーは亜音速ケリ・キックを振るう。

 

『原作』と違い事情を何一つ知らなかったニンジャスレイヤーにワタナベへとかけられる言葉はなかった。ウォーロックが入れ知恵によりヒョットコ襲撃を早め、その結果ワタナベから話を聞く機会を得られなかったのだ。未だ治らぬ傷と併せて『原作』を知る紅白ニンジャの作戦勝ちと言えるだろう。

 

同じく『原作知識』を持つブラックスミスが居なければ、キャンプ住人の屍山血河の中でワタナベは屈していたに違いない。だがそのブラックスミスの呼びかけも空しく、打ちのめされたワタナベは膝を折った。心折れたワタナベに出来たのは体を丸めて顔を伏せることだけ。

 

戦うことも耐えることも、立ち上がることすらできやしない。(((オジチャン、ヤメテ! コワイよ! ヤダ、ヤダ、ヤダ!)))だが、啜り泣いて耳を塞いでも脳裏にこだまし続ける断末魔は止んでくれない。(((オジチャン、ヤメテ!)))「オハナ……やめてくれ……」(((オジチャン、ヤメテ!)))

 

(((オジチャン、ヤメテ!)))「オハナ頼む……おねがいだから……」どれほど請い願おうと声は繰り返されるばかり。「やめてくれとは異な話! ヤメテヤメテと言われたのも、それでもやめなかったのも貴方の方ではありませんか!?」更に傷口に酸毒を擦り込む讒言を喜び勇んでウォーロックが唄う。

 

(((オジチャン、ヤメテ!)))(((オジチャン、ヤメテ!)))(((オジチャン、ヤメテ!)))「オジチャン!」ワタナベの鼓膜が幻聴と同じ音で震えた。頭蓋の中で響きわたる末期の悲鳴が現実へと現れたのか? それとも恨めしいワタナベを呪い殺すべく、哀れなオハナがオバケとなって姿を見せたのか? 

 

「オジチャン」音源はそのどちらでもなかった。顔を上げた視線の先にあったのは、小さな両目いっぱいに涙を湛えて何度も洟を啜るエノモト・エミの幼い顔だった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「オジチャン」ワタナベの視線の先で、声を発したのは涙を拳で拭いて洟を啜るエノモト・エミだった。オハナではない。だが同じ様に思っていた。必ず守ると、必ずオハナと合わせると、彼女と約束をしたのだ。だが約束は何一つ守れそうになく、ウソツキの自分に合わせる顔など何処にもなかった。

 

「エミちゃん、俺は……」「オジチャン!」顔を再び伏せようとするワタナベに涙ぐんだエミは全身で叫ぶ。避難所でもウォーロックの大演説は聞こえ、映された写真も見えていた。幼いエミに全ては判らなかったが、オジチャンの所に行かなきゃと止めるキヨミの手をすり抜けてここまで駆けてきたのだ。

 

「これはこれは! インターラプター=サンととっても仲良しなエミちゃんじゃありませんか!」だが彼女の声に反応したのは心挫けたワタナベではなく、新しい獲物がきたと心躍らせるウォーロックだった。舌なめずりの音が聞こえんばかりの喜悦に満ちた声をスピーカー越しに奏でる。

 

「エミ! そこから早く逃げろ!」「口を挟むな!」宙を舞うガルスと目にも留まらぬカラテを交わしながら、ブラックスミスは必死の形相で叫ぶ。家族を守るためにこそ戦っているのだ。その家族が慕う相手の為とは言え危険の渦中にいる。一刻も早く逃がさねば! だがガルスの存在もあり容易には近づけない! 

 

「やめてくれ、この子は関係ないんだ」「いーえ、貴方がソウカイヤを逃げ出したのはその脆弱なる人間性のせい。その拠り所は全て取り払わないと!」僅かな力を振り絞り、ウォーロックに懇願するワタナベ。エミとの触れ合いと約束は間違いなく彼の心を救っていたのだ。

 

だからこそウォーロックがそれを許すはずもない。「それでエミちゃんはインターラプター=サンに約束を守って欲しいと? ええ、彼は義理堅い方です。直ぐにでもオハナちゃんに合わせてくれますよ」ワタナベの嘆願を一蹴し、違和感を覚えるほど優しげにエミに語りかける。

 

その声音もワタナベを持ち上げる言動も、絶望に叩き落とす下準備に他ならない。「彼が貴方の首をへし折ってね! 貴方はオハナちゃんとアノヨで会えて嬉しい! 彼は貴方をくびり殺せて嬉しい! これぞウィン-ウィンですよ! ホホホ!」直ぐ様に自ら化けの皮をはぎ取り、おぞましい本性を見せつける。

 

冒涜的宣言に怯えるエミを満足の笑みで眺めつつ、ウォーロックは白煙越しに指揮者めいて腕を振り上げた。「ではインターラプター=サンに殺ってもらいましょう! イヤーッ!」「グワーッ!」再び奇っ怪なるジツが行使され、ワタナベのニューロンが筆舌にし難いほどの苦痛で埋まる。

 

「グワーッ!……あま……グワーッ!」否、断続的に襲いかかる感覚は苦痛のみではない。その合間にウォーロックの甘い誘惑が注がれる。「辛いでしょう? 苦しいでしょう? 思い出すでしょう? さあ、殺すのです! それで本来の貴方に戻れます!」(((殺せば楽になるのか? もう苦しまなくて済むのか?)))

 

救いを求めることすら忘れた貧者のような目で『インターラプター』はゆらゆらと力なく立ち上がる。その虚ろな目を見つめ、ブラックスミスは唇を噛みしめた。呼びかけは無力極まりなく、約束も彼を引き留められなかった。もう時間はない。拳を胸のオマモリ・タリズマンに当て決意を殺意へと変える。

 

ブラックスミスに迷いは……ある。(((エミには二度と許してもらえないだろうな)))よりにもよって妹の目の前で慕う相手を殺すしかないのだ。だが今はそれを振り捨てるほかない。両目に悲壮な覚悟を灯し、ただ独りでイクサ場に立ったエミを守るべく足を踏み出す。その前にガルスが立ちふさがる。

 

「除け」「断る」偉大なる方の願う目的まで後数歩。ここを通させるわけには行かない。そしてブラックスミスも願う家族の安寧の為、全てを排除してエミを守り抜く覚悟を固めている。ここを通らない訳には行かない。息を止める程のカラテが空間を塗りつぶし、二人の間で時が張りつめて止まった。

 

「イヤーッ! グワーッ! イヤーッ! グワーッ! イヤーッ!」「グワーッ! イヤーッ! グワーッ! イヤーッ! グワーッ!」一瞬の静寂の後、一切のダメージを無視した全力全開の殴り合いが始まった! 臆して防御に回った側が死ぬ、命知らずのチキンレースだ! 折れた歯とメンポが吹き飛び、胃液と血反吐がまき散らされる! 

 

歯の根まで揺らすイクサの轟音に思わずエミは身を竦ませる。「エミちゃんはお兄さんの言うとおりにお逃げなさい! 彼はコワイコワイ殺人鬼! 捕まったら殺されてしまいますよ!」その耳に親切ぶったウォーロックの煽りが届く。顔を上げれば薬物中毒者の歩みと表情で近づく『インターラプター』の姿。

 

「ほらそこに! さあ、逃げて逃げて!」チャイルド・スナッフを期待するウォーロックが囃し立てる。だがワタナベの顔を見つめてエミはあえて前に出た。怖くないはずがない。トイレを済ませていなければ下着を濡らしていただろう。だが涙を滴らせながらも、エミは歯を食いしばって首を横に振った。

 

「ヤダ! アタシ、オジチャンと一緒にいる!」もしかしたらオハナちゃんとは会えないのかもしれない。それはオジチャンがとてもコワイことをしたせいなのかもしれない。「オジチャンは! オジチャンは!」それでも頭を撫でてくれた、あの節くれ立って大きい掌は「優しい人だもん!!」暖かかったのだ。

 

「その優しい優しいオジチャンにこれから殺されるんですがね!」それは頑是無い子供のワガママだった。現実を否認し自分の望みだけを叫ぶ言葉は、センタ試験から逃げ出して都合の良い妄想に逃げ込むヒョットコと何も違いは無かった。だからウォーロックは幼い叫びを嘲った。

 

不意に視界が陰った。顔を上げれば小さなエミでも届く距離に巌のような巨体がある。ギュウと体を縮こませて両目を瞑ると絞り出された涙が頬を伝った。節くれ立った大きな手がゆっくりと近づく。その手は父のハラワタをまき散らした。その手は母の頭蓋を殴り砕いた。その手は娘の細い首を手折った。

 

そして、その手はついにエミの頬に触れ……流れる涙を優しく拭った。涙に濡れた瞼を開けば、そこにあったのはいつもと変わらぬ優しい『ワタナベ』の笑顔。「コワイ思いをさせてゴメンよ、エミちゃん」「オジチャン」溢れた涙が再び頬を伝う。だが、その滴の意味は違った。

 

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#3終わり。#4へ続く。

 



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第五話【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#4

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#4

 

ワタナベの大きな堅く大きな手が涙の滴を受け止める。「コワイ思いをさせてゴメンよ、エミちゃん」「オジチャン」エミの目から流れる涙は喜びと安堵の色合いだった。小さな両手を一杯に広げて巨木めいて太い腰を抱きしめる。涙と洟まみれの顔がすり付けられ、汚れたテックコートに新しいシミが増えた。

 

「ナンデ」その光景を白煙の向こうでウォーロックが呆然と見つめる。偽りの記憶で隠していた真実を突きつけた。拠り所とする人々の目前で残虐な過去を暴いた。特別なジツの苦痛と快楽で思考を縛った。慕う幼子を手に掛けようとするほど追いつめた。もう立ち直れる筈など無かった。なのに「ナンデ!?」

 

ワタナベは立ち上がった。幼いエミの絶叫は確かにワタナベの魂に火を点けたのだ。「ウォーロック=サン。あんたの言うとおり、俺は……俺はオハギに酔った殺人嗜好者だ」胸に走る痛みを堪えてワタナベは本来の自分を認めた。背中にエミを庇い、覚悟を目に宿して振り返る。

 

否応なしに血生臭い写真が目に入る。それは愛した一家の残骸であり、殺した家族の記録だ。「同情を求め、子供に慰められ、殺した相手すら忘れて逃げ続けた。本当にダメな、情けない男だ」オハナの、その母の、その父の記憶を思い返す。どう出会い、どう愛して、どう殺したのか。もう忘れはしない。

 

耳の奥でオハナの最期の声はまだ響いている。自分が死ぬ時まで止むことはないだろう。永劫に受けるべき罰だ。「そんな俺をキャンプの皆は受け入れてくれた。だから俺はヨージンボーになった」それでも数え切れない眼差しを背中で受け止める。必要としてくれた、信頼してくれた人々がそこに居る。

 

「俺はもう逃げん。ヨージンボーは逃げない。俺はヨージンボーだ」そして背中にはもう一人を背負っている。エノモト・エミ。最後まで自分を信じてくれた。最後まで自分を救ってくれた。だが約束の一つは破ってしまった。もう守れない。だから守る。もう一つの約束を、彼女を守る。自分を救った全てに誓う。

 

「俺はトモノミ・ストリート浮浪者キャンプのヨージンボー、『サカキ・ワタナベ』だ!」ワタナベは吼えた。地下空間が咆哮で震える。それは其処に居る全ての人間を奮わせた。響く余韻は人々の口からざわめきとなって漏れる。そしてざわめきはどよめきへと変わり、どよめきは雄叫びへと転じた。

 

「「「オオオォォォッ!!」」」誰もが叫ばずには居られなかった。ここの誰もが敗北の苦渋を味わってきた。ヤクザ、大企業、差別、そしてニンジャ。多くの者は叶わぬと諦めに顔を伏せ、心に蓋をして過去から目を背けた。現状から抜け出す気力もなく、日々の小さな幸福に満足して緩やかに死を待つ人生。

 

だがワタナベは立った。過去を突きつけられ罪を暴かれ、疑いと怖れに信頼を踏みにじられて崩れ落ちた。それでも彼はもう一度奮い立った。敗北を受け止め間違いを認めて、再び雄々しく立ち上がった。故にワタナベの獅子吼は住人たち全ての魂を震わせて奮い立たせた! ゴウランガ! 

 

「ワタナベ=サン!」「おお、おお!」声はシンヤとフジキドの魂にも響きわたった。ニンジャ性に抗い人間性を守らんとする二人にとって『インターラプター』はあり得た自分の姿であった。しかし『ワタナベ』は過去を受け止めて立ち上がった。人間性はニンジャ性に勝てるのだと、今ここに示されたのだ! 

 

「コーッ!? 虫けらめいたモブが偉大なる計画を止めた!? 不可能だ!」チキンレース真っ最中のガルスも、青あざに覆われた目を見開いて現実否認の言葉を吐き捨てる。『原作知識』の元で立てられた、偉大なる計画のための完璧なる行程だった。それが実際安いモブの言葉一つで頓挫するなどあり得ない。

 

ならば計画を妨害した根本がいる。「夾雑物め、貴様の差し金か! イヤーッ!」ガルスが思いつく原因は一つしかなかった。偉大なる方に一度は選ばれながらも、計画の敵となった『原作知識』を持つ裏切り者だ。反逆者を始末すべく、羽スリケンの豪雨をまとったガルスが高速縦回転の蹴爪で切りつける! 

 

「イヤーッ!」殴り合いで切れた血を吐き捨てて、ブラックスミスは即席生成タンモノ・シートで羽スリケンを受け止める。だが、布一枚ではカマキリケンめいた回転蹴りを防ぐ強度はない。布ごと真っ二つか? 「ナンダ!?」そうはならぬ! 引き裂かれたタンモノ・シートの途中で蹴爪が止まる! 

 

その断面からは黒錆色の金属光沢が見えた。編み込みスリケン鎖である! これが切断を防いだのだ。反射的に跳び退ろうとするガルスだが、スリケン鎖は踏み込みを柔らかく吸収した。「虫けら? モブ? ザッケンナコラーッ!」その一瞬を突き、ニンジャ器用さを以てスリケン鎖をガルスの片足に縛りつける。

 

ブラックスミスの腰が落とされイポン背負いの筋肉が隆起した。「俺の家族の! エノモト・エミだ! イヤーッ!」「グワーッ!」投石機の砲弾めいてガルスは宙を舞う。だが空中戦はエアロカラテの専門だ。鳥めいて四肢を動かし瞬時に体勢を立て直……せない! スリケン鎖が結びついている! 逃げられぬ! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」放物線は強制的に垂直落下軌道へと変更され、ガルスはコンクリートと熱烈な抱擁を交わす。骨の髄まで痺れる床の堅さに、脳髄を揺さぶられたガルスは夢心地だ。「エミちゃん!」そのタイミングを見計らったように意を決したキヨミが戦場の中へと飛び込んだ! 

 

一瞬、エミに向かって駆けるキヨミとブラックスミスの視線が交錯する。互いに言葉は無かった。だが考えていることは全て伝わった。必要なのは安全圏に移動させるだけの時間だ。「イヤーッ!」ブラックスミスは意識朦朧で膝を突いたガルスへと鎖付きクナイを次から次へと投げつける! 

 

ボーラめいた投擲物群に気づいたガルスは、ぼやける意識にむち打って跳躍で回避を試みる。だが、エアロカラテには繊細なるニンジャバランス感覚が必要不可欠だ。椀中のトーフめいて揺れ動く三半規管では機能不十分! 「ヌワーッ!?」避けきれない鎖付きクナイが遠心力に従い体中に絡みつく! 

 

「グワーッ!?」足を縛るロクシャクベルトと失われた平衡感覚に加えることの全身拘束で、ガルスはもう一度コンクリートと愛し合う羽目になった。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」再度の脳震盪で痙攣するガルスめがけ、ブラックスミスは鎖付きクナイを追加で乱射する。チャンスは今しかない! 

 

「キヨ姉!」ブラックスミスは声を張り上げた。声を上げる時間も惜しいとキヨミは小さく頷いてワタナベの元へと駆け込む。「エミちゃん! 早く逃げて!」「でも、オジチャンが!」渋るエミの肩をワタナベが押した。顔を上げた先のワタナベは目線を合わせ、静かに力強く頷いて見せる。

 

「オジチャンはもうダイジョブさ。エミちゃんのお陰だよ」顔の高さを合わせてワタナベは優しくエミを抱きしめる。両手の中にすっぽりと収まる小さな体だ。柔らく暖かで、そして脆い命。それが自分を救ってくれた。「約束を、エミちゃんを必ず守るよ。だから皆の所に行きなさい」「うん!」

 

「エミちゃん、行くわよ!」カジバフォースめいてエミを抱き上げるキヨミは急ぎ戦場を離れる。抱き抱えられたエミはワタナベへと振り返り、全身全霊でエールを叫んだ。「オジチャン、カラダニキヲツケテネ!」「応!」背中で幼い声援を受け取り、熱い笑みを浮かべたワタナベの全身に燃える血が巡る。

 

走る家族の姿を視界に納めながら、紅白ニンジャとヒョットコへのカラテ警戒を取るブラックスミス。(((エミもキヨ姉も本当になぁ……)))赤錆めいたメンポの下には安堵を帯びた苦い笑みが浮かんでいる。家族を守るために戦っているというのに、当の家族がイクサの最中へと次々に身を踊らせるのだ。

 

そうする理由は判るとはいえ、エミとキヨミの向こう見ずに正直頭を抱えたくなる。だが、そのエミのお陰で一番の憂慮は取り払われた。ワタナベは『真実』を受け止め、自分の罪を背負って立ち上がったのだ。そしてエミもキヨミもイクサから離れ安全地帯へと移動した。

 

あとは紅白ニンジャとヒョットコを始末すれば終わりだ。改めて殺意を固め直したブラックスミスは、古代オリンピア選手めいた力強く滑らかな動作で生成大型クナイ・ジャベリンを構える。「イヤーッ!」スマキになったガルスをチキンケバブにすべく、全身をカタパルトとして巨大な投げヤリが放たれた! 

 

流麗な放物線を描いてジャベリンが着弾! コンクリートに放射状の亀裂を刻む! 「イヤーッ!」だが、そこにガルスは居ない。ニンジャ回復力で脳震盪から復帰したガルスは、ワームムーブメントで着弾点から逃れたのだ。さらに蛇めいて床上を這いずり回り四肢を縛り上げる鎖付きクナイを外していく。

 

ここで仕留めるとブラックスミスから無数のスリケンが放たれた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」それを妨害するのはスクローファが投げる大型スリケンだ。当然ブラックスミスは回避するが、その分スリケンの精度と連射数が犠牲となった。数を減じたスリケンを連続バックフリップでガルスが何とか避ける。

 

ツカハラ跳躍めいた大ジャンプで距離を取り直したガルスを確認し、苦々しい表情でスクローファはブラックスミスを睨みつけた。「完璧なる計画がこんな下らぬことで狂うとは!」「子供の声一つで狂う計画とは笑える完璧さだ。実に下らぬことよ」意図せず漏らした愚痴に鋭い舌鋒が容赦なく突き刺さる。

 

「グググ……」毒舌を発したニンジャスレイヤーを睨むスクローファだが、返す言葉はなく牙めいた歯を軋ませる。カラテを受け止め続けた両腕は、グラトン・ジツの回復も間に合わず歪に変形して青黒く変色している。傷ついたニンジャスレイヤー相手のカラテも舌戦も適わずに圧される一方だった。

 

腹立たしいがニンジャスレイヤーとの実力差を認めざるを得ない。以前の襲撃でも逃げおおせたのは幸運ではなく確かなカラテ故なのだ。それだけにジュー・ジツを構えるニンジャスレイヤーを前にウカツには動けない。同じ天使ニンジャのガルスも、背徳者ブラックスミスと対峙しながら身動きがとれない。

 

裏切り者の安い同情を使った汚らわしき小細工で、偉大なる計画は大幅変更を余儀なくされた。ならば唯一自由な協力者は全身全霊で計画再編に尽くすべきだ。「何を惚けている、ウォーロック=サン!? 仕事をしろ!」スクローファは猪めいて濁った声で早急な行動を督促した。

 

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#4終わり。#5に続く。



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第五話【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#5

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#5

 

「何を惚けている、ウォーロック=サン!? 仕事をしろ!」「ええ、ええ、私は呆けてなどいませんよ!」乗っ取ったキングの表情を醜く歪め、ウォーロックは驚愕に乱れた意識を整える。正気に返ったとはいえ、インターラプターに特製のジツは通じる。ニンジャスレイヤーの重傷も直ったわけではない。

 

違いは一つ、ワタナベの宣言だけだ。そしてその一つでもうプランBは叶わない。最早、ワタナベがウォーロックの讒言に心惑わされることは絶対にあり得ないからだ。その目に燃える光が、その身に纏う空気が明確に物語っている。ならばどうする? (((ええ、プランCを実施すればヨロシイ!)))

 

手元のマイクを握り直し、憑依したキングの声でヒョットコ達に呼びかける。「約束の子らよ、再び耳を傾けよ」重装備ヒョットコの耳にキングの新たなる演説が響いた。一言も聞き漏らすまいと必死の顔でイヤホンを押さえるヒョットコ達。「キング!」「キングだ!」「キング! 導いて!」

 

ニンジャの恐怖に曝される彼らにはその声はブッダが垂らすスパイダー・スレッドに等しい。イヤホンから響く天啓めいた指令に、全てを委ねたヒョットコの顔が依存の安堵に緩む。「諸君等の前には浄化すべきドブネズミがいる。それ以外はヒョットコでも太陽でもない! 故に気にするな!」

 

「「「キング! キング! キング!」」」縋る重装備ヒョットコ達から盲信と妄信の唱和が響く。だが想定より些か小さい。ウォーロックは製造ライン検品担当めいた「物」を見る目で、スモーク越しにヒョットコ達を観察する。そしてその原因を見つけるとマイクを片手に取り直した。

 

「……だが、浄化の義務から逃げる愚者もいる」放つ声の色合いが寒色へと変わった。「約束を破り下らない感傷に溺れる惰弱者は、その命を以て約束を果たさなければならない!」その言葉を合図にウォーロックはマイクと逆の手に握るスイッチを押し込んだ。

 

スイッチからの電波信号はある重装備ヒョットコの秘匿IRC受信機が受け取った。彼は自らオメーンとイヤホンを外していた。だからキングの演説の変化も聞いてなかった。それよりもあの声が聞きたかった。ヒョットコもセンタ試験から逃げ出した敗北者だ。ワタナベの雄叫びは彼の心に届いていた。

 

SIZZLE! 「アババーッ!?」だが、オメーンを外し一人の人間としてワタナベの言葉を聞こうとした彼が、最期に聞いたのは自分が熱々にローストされる音だった。受信機は設計通りに着火装置のスイッチを入れ、装甲服に仕込まれたヒツケ・ナパームを点火した。キングは彼の改心を許さなかったのだ。

 

「オメーンを被ったその時から諸君等は火炎の化身である。約束のため化身と成った諸君等は自らを燃やしてでも義務を果さなければならない……いいね?」オメーンを外したヒョットコは瞬く間に人間松明と成り果てた。今度は王を讃える声が挙がらなかった。恐怖に押し潰された静寂だけが空間を支配する。

 

「い い ね ?」「「「ア、アィェェェーッ!」」」バイオカツオのタタキめいて火炎に炙られ最期の痙攣をする同胞が、反論も文句も全て封じた。恐怖のままに何もかも投げ出して逃げ出そうとするヒョットコ達。「アバーッ!」だが新しいベイクドヒョットコの無惨なミノ・ダンスにそれすら阻まれる。

 

「約束の子等よ、ゆけ」「ウワァァァッ!」もう逃げる先は敵陣にしか無かった。絶望と恐怖の声を上げて救いを求めるように泣き叫びながら武器を振り回す。あの男のような聖人なら彼らを許し救いを与えただろう。だが、ここにいるのはただの人間だ。苦難に立ち向かう覚悟を決めた、ただの人間達なのだ。

 

「ホノオ!」BLATATATA! 「「「アバーッ!」」」それ故に彼らには容赦がない。どんな残虐な行いもやり抜き、恐怖を制して明日を生き抜く意志を固めている。狂気に染まっていたはずの臨時防衛隊員ですら、今や両目に覚悟と殺意を宿して火器を握りしめている。

 

BLAM! 「足を狙え! 走れなければカミカゼもできん!」ナンブ隊長は錆びた声を張って、泣き喚きながら走るヒョットコの膝を打ち抜く。「「「ハイヨロコンデー!」」」BLATATATA! 「「「グワーッ!」」」ナンブ隊長に従い防衛隊員が放つ銃火の津波が、ヒョットコ達の両足を奪い取る。

 

グンバイが振るわれる度にヒョットコは苦痛のブレイクダンスを踊る。二足歩行するヒョットコがいなくなるのは時間の問題か? しかしヒョットコは余りにも多い! BLAM! 「ファック! 死んじまえ!」土嚢にしがみつく重装備ヒョットコの膝めがけ、防衛隊員は悪態と共に弾丸を叩きつける。

 

「ウワァン! オタスケ!」だが、恐怖とZBRのダブルアドレナリン効果に狂うヒョットコは銃弾が骨を砕く感触にも気づかない。涙と洟をまき散らして小便と血液を垂れ流しながら、ヒョットコは堡塁を乗り越えて助けを求める。そんなヒョットコに与えられるのは死のヤスラギ一つだけだ。

 

SIZZLE! 「アバーッ!」「「「アババーッ!」」」それでも初めて戦果を出したゴホウビに、住民の鉛玉ではなくキングのヒツケ・ナパームがヒョットコを永遠に変えてくれた。オメーンの由来通り火炎となり、両手の指より多い防衛隊員を巻き添えにできた彼は、きっとジゴクに行くのだろう。

 

SIZZLE! 「アバーッ!」「「「アババーッ!」」」 SIZZLE! 「アバーッ!」「「「アババーッ!」」」 SIZZLE! 「アバーッ!」「「「アババーッ!」」」自走ヒョットコ火炎爆弾に各所で犠牲者が続出する! 正気の指揮官なら構成員を捨て石めいて使い捨てることはない。

 

だが、彼らを指揮するウォーロックはニンジャだ。ニンジャがモータルの構成員に価値を覚えることもないのだ。便所紙めいて次々に消費されていくヒョットコ達。そして消費の数だけ防衛隊の犠牲者は増えていく。「ブッダ!」ナンブ隊長は巨大な篝火と化した幾つもの堡塁を苦い表情で睨む。

 

先のように秩序だった防衛戦ならば十分に対抗可能だが、自殺攻撃で乱戦となった今は数の少ない防衛隊が大きく不利だ。こうなれば状況を仕切り直す必要がある。決断的選択でジリープア(徐々に不利)な現状から傷を最小限に押さえるのが指揮官の義務だ。

 

ナンブ隊長は歯を食いしばりグンバイのインカムに怒鳴りつけた。「第一前線は堡塁を放棄し第二前線へと後退! 第二前線は全火力を持って後退を支援せよ!」「ハイヨロコンデー!」即座に返ったのは指揮官として換算に入れてなかった、しかし住民として心のどこかで期待していた声だった。

 

「ハイーッ!」「「「アバーッ!」」」その巨岩めいた拳が振るわれれば食らったヒョットコが水平に吹き飛び、数体を巻き添えに粗挽き肉になる。「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」その巨木めいた脚が一度振るわれれば食らったヒョットコが上下に分離して、数体を巻き込み前衛芸術になる。

 

「おお、助かった!」「これで勝てる!」「流石なカラテだ!」その拳と脚の持ち主を見た住民の誰もが安堵の息をこぼし、その大きな背中を見たキャンプの誰もから不安と恐怖が霧散する。それは住民を守る役割をその大きな背中に背負ったキャンプのヨージンボー、サカキ・ワタナベに他ならない! 

 

「これ以上やらせはせんぞ!」第一前線の堡塁に縋るヒョットコの残りを片端から吹き飛ばしながら、迫る残りのヒョットコ達を睨みつける。「今です! イヤーッ!」「グワーッ!?」だが、それこそがウォーロックの狙う一瞬だった。強烈な神経衝撃にワタナベは大きくバランスを崩す。

 

ウォーロック特製のジツは未だに有効だ! だが、それでも膝は突かない。もう二度と突かない。皮膚を破るほどに拳を握りしめて血涙を流し、苦痛を越えた苦痛を堪える。「無駄な抵抗だ! これでオシマイです!」想定を越えるワタナベの耐力に歯噛みしながらも、ウォーロックはスイッチを連打する。

 

SIIIZLEEE!! 「「「アバーッ!?」」」救いと助けを求めて迫り来る全てのヒョットコが、名前通りに火焔へとその姿を変えた! 炎の大津波が向かう先は、ニューロンアタックに歯を食いしばるワタナベがいる! 「グワーッ!」火炎の濁流に飲み込まれ、ワタナベは炎の中に姿を消した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「グワーッ!」巻き上がる炎がキャンプの防人を飲み込んだ。「ホホホホ! ボスの指令はもう一つありましてね! 復帰を拒むなら殺せと指示されております!」勝利を確信したウォーロックの哄笑が炎を揺らめかせる。カトン・ジツに匹敵する特製ヒツケ・ナパーム多重点火は絶大だ。

 

ソウカイヤ最強と謳われたインターラプターでも、ジツで精神の集中を奪われてナパーム火炎に沈めばオタッシャは確実。「後は芯まで焼き上げてあげましょう! イヤーッ!」轟炎で包み上げ特製のジツを加えてニンジャローストの完成となる。仕上がりの爆発四散はさぞかし見応えのある代物に違いない。

 

(((シックスゲイツ筆頭もたわいないもの! 私のシックスゲイツ入りも時間の問題ですね!)))作戦を破られ陰謀を覆された屈辱感は燃え盛る勝利の美酒の中に溶け消える。「ワタナベ=サンが!」住民の誰かが燃えさかる火に叫ぶ。鼓膜を心地よく揺らす絶望の声にウォーロックの嗤いが深まる。

 

BLAM! 「グワーッ!?」ウォーロックの甘やかな微酔に冷水をかけたのは一発の銃弾だった。目を向ければ仁王立ちで拳銃を構える一人の防衛隊員がいた。彼をヨタモノから救ったことをワタナベは覚えていないだろう。それは単なる日常業務の一つだった。だが彼は救われた事を忘れはしなかった。

 

BLAM! 「非ニンジャの屑が!」「グワーッ!」怒りの声を上げてウォーロックが煙幕越しに引き金を引いた。防衛隊員が崩れ落ち、赤い水溜まりが静かに広がる。ウォーロックのネンリキは凶悪極まりない。飛び来る弾丸は悉く逸らされ、放つ鉛玉は軌道調整されて必ず致命傷となる。

 

「ワタナベ=サンを守るんだ!」「スモーク向こうの奴だぞ!」しかし死を見せつけられた筈の住民達は、次々に立ち上がって武器を構えた。彼らの顔には恐怖も憤怒もない。どれほど疑っても尚、自分たちを守ってくれた敬愛するヨージンボーを助ける。ただその覚悟一つで銃火に身を晒していく。

 

BLAM! BLAM! BLAM! 「邪魔! 邪魔! 邪魔!」「グワーッ!」「アバーッ!」「アババーッ!」防衛隊員がまた一人、また一人とアノヨへ旅立つ。ニンジャとモータルの差は歴然としている。ウォーロックが一発撃てば住民一人が確実に死んで、住民達が百発撃ってもウォーロックに傷一つない。

 

BLAM! BLAM! BLAM! 「撃て! 撃て! 撃て!」「奴を倒すんだ!」「ワタナベ=サンは死なない! 死なせない!」だが死の恐怖に怯えて逃げ惑う住民は誰一人として現れない。白煙に映し出された巨大ヒョットコ・オメーンに向けてがむしゃらに銃弾を叩きつけ続ける。

 

「無駄! 無為! 無能!」無敵のネンリキは全ての弾丸を逸らす。だが、それは同時にウォーロックの集中を妨害し続けている。つまり、ワタナベに掛けるジツの集中が阻害されているということでもある。効果としてはほんの僅か、せいぜい流れる血涙の多寡でしか判らない程度だろう。それで十分だった。

 

「え」全身に巻き付いた炎はただ一震いで吹き散らされた。ザムラ・カラテ守りの奥義カラダチは業火すら触れることを許さない。火勢の逆光の中で巌めいた影法師がかいま見える。露出した肌の多くは火傷に覆われ、身に纏るテックコートは炭屑めいて焼け焦げている。だが、サカキ・ワタナベは健在だった。

 

燃え盛る炎に包まれながら、それよりも紅い血涙を流す目で白煙の向こうをワタナベは見据える。その視線は揺らぐことなく、火炎と蒸気を越えた先のウォーロックを睨みつけている。「アイエッ!?」ウォーロックの脊椎に氷柱めいた悪寒が走り抜け、思わず口から震えた声が漏れた。

 

ウォーロックは不死身と自負している。手足となるのはフドウノリウツリ・ジツで乗っ取った犠牲者達。拷問を受けても残酷に殺されても自分には傷一つない。少々のニューロン負荷以外のリスクなしに安全圏から一方的に他人を操れる。秘密のゼン・キューブに居る限り誰も触れられない。その筈だった。

 

だがワタナベは白煙の向こうでロウバイするキングを越え、ジョルリ人形めいてそれを操るウォーロックそのものを観た。ナパーム火炎より高温の視線が遙か彼方の安全地帯でザゼンするウォーロックを刺し貫く。キングが恐怖に震える。否、震えているのはキングではなく憑依したウォーロック自身だった。

 

右腕に燃え盛るバーンドヒョットコを握りしめたワタナベが上半身を捻る。キリキリと締め上げる音を幻聴するほどに強く、背中どころかヒョットコを握る腕が前を向くほどに深く。撓められた上体と右腕の異常な緊張は、ザムラ・カラテ攻めの奥義タタミ・ケンを意味している。

 

白煙後ろのキングまで数十m、ゼン・キューブに潜むウォーロックは居場所すら不明。カラダチで捕らえた敵を挽き潰すタタミ・ケンが届く距離ではない。だがウォーロックのニンジャ第六感は最大級の警告をかき鳴らした。長い安全の中で眠っていた危機感が叩き起こされ、驚異と脅威が心臓を握り締めた。

 

「イ、イヤーッ!」恐怖に駆られるままにジツを仕掛けるウォーロック。その判断は正しかった、だが余りに遅かった。「ハイィィィーーーッ!!!」裂帛のキアイと共に業火が引き裂さかれ、人型の影が水平に飛んだ! タタミ・ケンの破壊力を乗せられた火炎ヒョットコ・シュリケンが音より迅く虚空を貫く! 

 

ベイパーコーンを残像めいて残したヒョットコは、スモークに映し出された巨大ヒョットコ・オメーンをソニックウェーブで跡形もなくかき消す。最早、キングの身を隠すものは何もない。彼がモータルであったなら理解も恐怖も痛みすらなく一瞬の内に死ねただろう。

 

だが憑依したウォーロックはニンジャだ。ニンジャアドレナリンと恐怖アドレナリンの二重効果で遅延した時間の中、全ての痛みを逃げ場無く味わう。ヒョットコの腕が肩を打ち、肺腑と心臓を突き抜ける。ヒョットコの脚が腹を蹴り、内臓が抉り出される。自分が四散して死んで逝く様を存分に堪能する。

 

「アィィィェェェッ!!」安全無欠のゼン・キューブに恐怖の声が響きわたった。反射的にウォーロックは声の主を捜す。だが誰もいない。いるはずもない。そこは自分だけのザゼン空間なのだ。周囲に目を向けて漸く、自分が口を開いて喉を震わせていることに気づいた。叫んだ事すら認識していなかった。

 

「アッ、アィ、アィェ」ウォーロックは必死に口を押さえ、漏れ出る声を抑えようとする。だが歯の根は合わず、震えは止まらぬ。肉の失せた薄い胸の奥で心臓は狂乱のビートを刻み、冷え切った脂汗が紐めいて痩せた身体を滴り落ちる。何をしても悪寒は鎮まる事はなく、戦慄は精神を抉り続けている。

 

不死なる憑依ニンジャ「ウォーロック」。無敵のフドウノリウツリ・ジツは一切のリスク無しに全ての負債を被害者へと押しつける。今もその身は血の一滴たりとも流してはいない。だが総身に傷一つなくとも永劫に消えぬ恐怖は刻まれた。ワタナベはそのカラテで、敗北をウォーロックの魂に焼き付けたのだ! 

 

ドオン! キングが四散して一秒後、腹の底を震わせる重低音が地下空間全てを揺らした。燃え盛る轟炎が爆風で膨れ上がって弾け飛ぶ。放射状に生じた衝撃波が全ての火を爆発消火めいて消し尽くした。全身から焼け焦げた煙とカラテ排熱の蒸気を上げて、ワタナベはゆっくりとザンシンを決める。

 

その視界の先には何もない。TNTバクチクすら霞む圧倒的破壊の前にバイオドブネズミ一匹たりとも残らなかった。全てのヒョットコは打ち倒され、キャンプの勝利は決まった。残るはワタナベ達三忍の勝利だ。想像も出来なかったの事態にロウバイする紅白ニンジャへとワタナベは視線を向けた。

 

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#5終わり。#6に続く。

 



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第五話【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#6

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#6

 

ウォーロックの憑依したキングを消滅させ、ザンシンを決めるワタナベ。「そ、そんな! これでは偉大なる方を失望させてしまう!」その視線の先でスクローファは想定外に慌てふためき狼狽えている。その口から一番に飛び出したのは崇め奉る『偉大なる方』への心配であった。

 

「この期に及んで信奉先が最優先とは実に信心深い事だ」ニンジャスレイヤーは呆れ果てた声と共に構えを整える。血を吹き熱すら帯びるカタナ傷に苦しみながらも放つ殺意に衰えはない。焦熱を帯びた視線で脱出先を探るスクローファを睨みつけ、チャドー呼吸を繰り返し必殺のカラテを練り上げていく。

 

「イカン! 引くぞ、ガルス=サ「イヤーッ!」グワーッ!?」「イクサを楽しもうと言ったな、スクローファ=サン。ならば存分に負けイクサを楽しむがいい!」スクローファの撤退の声をニンジャスレイヤーのチョップ突きが遮った。声帯と喉仏を抉り抜く一撃は、物理的に台詞を阻害する。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」それだけではない! 鋭利極まりないチョップがドリルめいてねじ込まれ、スクローファの下顎骨を内側から鉤めいて掴む。顎を握る腕の筋肉が縄めいて盛り上がり、傷口から新たな血潮が吹き出す。砕けんばかりに歯を食いしばり、ニンジャスレイヤーの腕が引き抜かれた! 

 

「イィィィヤァァァーーーッ!」「グワーッ!」大口から引き手の残像めいた赤が迸る。子供が振り回したケモビール缶めいて盛大に泡混じりの血が吹き上がった。心拍に合わせたリズミカルな噴血がニンジャスレイヤーの装束をより濃厚な紅に染め上げていく。手には引き千切られた下顎が握られていた。

 

「口が無ければ暴飲暴食もせずに済むだろう。これで健康的だな」血塗れの顎骨を投げ捨てたニンジャスレイヤーは荒い呼吸を整え、殺意で仕立てたジュー・ジツを構える。皮肉に答える余裕もなく、必死のスクローファは無くした顎から吹き出す血潮を両手で抑える。だが止まらない、止められない。

 

グラトン・ジツには人肉食が必須だが、食事には健康な顎と歯が必要だ。致命的な傷を負いながらもグラトン・ジツによる回復は望めない。同胞の危機に思わずガルスは声を張り上げる。「スクローファ=「イヤーッ!」グワーッ!」現れたコンマ一瞬の隙をブラックスミスのクナイ・ダートが刺し貫く! 

 

クナイ・ダートは跳躍に必須な膝の皿に突き立った。「イヤーッ!」大きくバランスを崩したたらを踏むガルスへと黒金の雨霰が降り注ぐ。膝の激痛は繊細な跳躍回避が不可能であることを明言していた。深手を負った脚を振り回し、一心不乱にクナイとスリケンの豪雨を蹴り飛ばす。

 

土砂降りの鉄雨に黒錆色の影が混じった。「仕舞いだ! イヤーッ!」「その程度! イヤーッ!」ガルスのお株を奪うブラックスミスの跳躍強襲カワラ割りパンチだ! ガルスは残った健常な脚一本で真上へと跳び上がり、頭上から迫るブラックスミスを蹴爪で引き裂きにかかる。ブラックスミスの狙い通りだった。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」日々の鍛錬の中、何千何万と繰り返したカワラ割りパンチは見誤る事無く標的へと打ちつけられた。正確無比に打ち抜くのは『膝に突き立った』クナイである! ハンマーで打ち込まれたノミめいて、クナイは膝蓋皿を割り砕き靱帯を引き裂いて向こう側へと突き抜ける! 

 

「グワーッ!」余りのダメージに着地すら満足にできない。冷たいコンクリートに打ち付けられてガルスは床との逢瀬を重ねる。這いずって振り返り見つめる先は、皮膚一枚でやっと繋がっている様の膝であった。痛みどころか感覚もない。サイバネ処置でもしなければ二度とエアロカラテは振るえまい。

 

ガルスは跳べず、スクローファは回復が不能。そしてワタナベは火に焼かれたが健在、ブラックスミスも重傷無く壮健、ニンジャスレイヤーも深手あれど意気軒昂だ。カマを構えたデス・オムカエは二人の首を掻き切る瞬間を今や遅しと待ち望んでいるだろう。希望を絶たれたガルスの口から絶叫が迸る。

 

「俺たちは選ばれたのに、選民なのに! ナンデ!?」モニタだけが光る部屋の中、全てを忘れてフィクションに溺れ続けた。自ら動くことはなく、けれど誰かが選んでくれると信じていた。そしてそれは来た。無価値な名前を捨てて偉大なる方とクレーシャに天の使いと、天使ニンジャとして選ばれた。

 

だが、選ばれた筈の自分達は裏切り者と怨敵の手で死にかけている。「確かに選ばれたんだろうよ、使い捨ての道具としてな」裏切り者ブラックスミスが僅かな憐憫ごと言葉を吐き捨てる。「そうまで拘るなら選者とジゴクで人選について語らうがよい」怨敵ニンジャスレイヤーの慈悲無き罵倒が突き刺さる。

 

「自分の人生を選ぶのは自分だ。選ばずに流された果てが今だ。俺も、お前達もな」ワタナベが静かに最後を締めた。三忍が同時に踏み出す。吹き出す血で装束を赤く染めたスクローファが後ずさり、装束より顔色を白くしたガルスが床を掻き毟る。これで全て終わる。そう誰もが思った、一人を除いて。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「残りは?」「これで最後です」後方地帯の仮設医療テントの中、唯一の医師であるロウ先生は大きく息を吐いた。応急処置の知識のある住民を片端から臨時看護士に仕立てて手伝わせたが、人手は完全に足りなかった。それでも戦闘が終わって怪我人の追加がなくなり、やっと負傷者を処理し終えたのだ。

 

「イタイ! イタイ!」「ヒョットコはどうなった!?」「杖を貸してくれ! 前線に戻るんだ!」仮設医療テントの床は雑魚寝する重傷者で一杯だ。痛みに呻く者、戦線を心配する者、深手を無視して戦場に戻ろうとする者。思い思いに張り上げる声で外の戦闘音すら聞き取りづらい。

 

「ザゼンを飲んで!」「敵は全滅です!」「ここで休んでください、キャンプが勝ちました!」だがワタナベの放ったタタミ・ヒョットコ・シュリケンの轟音は、後方地帯のテントをも揺らした。傲岸に映し出されていた巨大ヒョットコ・オメーンが消え去った姿は、どんな言葉より明確に勝利を示していた。

 

怪我人と臨時看護士の合間を足早に巡り、ロン先生は患者達の容態を観察する。不意に一人の浮浪者に視線が止まった。「気がついたかね?」「ああ、ああ」それはR地区で倒れていた新入りのノリタであった。危機を知らせるハンショウに驚いて頭でも打ったのか、防衛隊員に担がれてテントに連れてこられたのだ。

 

「私の言葉が判るか? 何処か痛い? 気分は?」「はああ、ああ」ヒョットコの心配はもうしなくていいが、負傷者の容態はまだ心配が多い。痙攣、麻痺、言語障害の傾向が見える。外傷は見えなかったが脳傷害かもしれない。「どうしたものか」しかしテントに脳治療の道具はない。そもそもキャンプにない。

 

危険を覚悟で古代アステカ式開頭治療を行うべきか。思案するロン先生の背後でノリタが上体を起こした。項垂れて下を向く顔から表情を読み取とれない。ノリタはロン先生に助けを求めるかのように手を伸ばした。「おお、起きたのか!」そして喜びの声を上げるロン先生を殴りつけるかのように拳を握った。

 

「グ、グワーッ!?」突如喉を抑えてもがき出すロン先生! 息が詰まり霧のかかる意識の中、必死で爪を立てて引き剥がそうとするが喉に触れる手には何の感触もない! もしもこの光景を第三者が見ていたならば、ロン先生の喉を握り潰そうとする手の痕だけが見えただろう。コワイ! 

 

「ウウッ!」テントを満たす騒音にかき消されて、掠れた叫びは誰にも届かない。ロン先生が倒れると同時にノリタは顔を上げた。霞み消える視界の中でロン先生が目にしたのは、人間離れした鋭さと人間とは思えない憤怒を帯びたノリタの顔だった。それは人間の浮かべていい表情ではない。

 

「やってくれましたね? ええ、ええ! やってやりますとも!」そう、既にノリタの精神は人間のものではない! その体を操るのは、遙か彼方のゼン・キューブの中で同じ憎悪の顔を張り付けたウォーロックである! フドウノリウツリ・ジツで塗りつぶされた元ノリタは立ち上がり、ワタナベのいる方角へと憎しみに染まった視線を向けた。

 

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】終わり

 



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第六話【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#1

【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#1

 

「ザゼンを追加してくれ!」「二つで十分です! 判ってくださいよ!」避難所に仮設された医療テントはパニックの渦中にいた。キャンプ唯一の医者であるロン先生が、患者の見回り中に突然倒れた為だ。ごった返す医療テントの喧噪のせいで発見が遅れ、負傷者の治療は大きく滞ってしまった。

 

多少の簡易医療技術を教えられたとはいえ、臨時看護士は素人に毛が生えたような者ばかり。応急処置なら兎も角、重傷の者には手も足も出せない。根本的な解決が出来ない以上、患者には痛み止めのZBRや鎮静用のザゼンを処方して、意識を失ったロン先生が起きるのを祈るしかない。

 

だから患者の一人が居なくなったことに気づかなかった。ずっと気を失っていたノリタが突如立ち上がって医療テントから姿を消したことと、そして彼のスペースでロン先生が倒れていたことを関連づける者も居なかった。彼がロン先生の首をネンリキで締め上げて気絶させたなど誰一人想像もできなかった。

 

そのノリタは腰を屈めた姿勢で人目を避けつつ堡塁の隙間を縫って駆け抜ける。一流アスリート選手を思わせる、流れる水めいた滑らかな走りぶりだ。これだけの健脚があるならパルクールを覚えてヒキャクに転職する道もあるだろう。だが、ノリタにそんな未来はない。もう彼はノリタではないからだ。

 

哀れなノリタの人格はニンジャ「ウォーロック」の憑依で跡形もなく砕けて消えた。「ええ、よくもやってくれましたね!」過酷な浮浪者生活で年齢以上に老いた顔に浮かぶ、怪物的な憎しみの表情がそれを示している。ウォーロックの脳裏に浮かぶのは、数十秒前に与えられた敗北と恐怖の瞬間だ。

 

「ええ、やってやりますよ!」ニンジャとなって以来、一度たりとも発したことのなかった恐怖の声はウォーロックの心に消えない敗北感を刻みつけた。屈辱という血を流し続けるその傷を癒すには、その下手人であるサカキ・ワタナベの全てを奪い踏みにじるしかない。

 

そのためなら幾つ傷を負っても構わない。迸る激情に身を任せ、トーチカの合間を激流めいて走る。川が海へと至るように道が広場へと至った。そこからは今にもトライハームの二人に飛びかかろうとする三忍がかいま見える。ノリタは鉄砲狭間を足場に焼け焦げた無人の堡塁へと軽やかに駆け上がる。

 

「ノリタ=サン?」隣の堡塁から臨時防衛隊員が知り合いの奇行にいぶかしんだ表情を浮かべる。ノリタは疑問の視線の一切を無視して、積み上げられた土嚢に仁王立ちする。血走った目で彼が見つめるのは只一人、キャンプの全てを守る巨大な背中の持ち主。ヨージンボーのサカキ・ワタナベ。

 

岩石めいたそのシルエットに向けて、憎悪のままにノリタは両腕をつきだした。だが三忍ともノリタの存在に気づかない。紅白ニンジャを確実にしとめるために、全感覚を標的に集中しているのだ。彼らの中ではウォーロックは既に処理された扱いとなっている事もあるだろう。

 

それを知るウォーロックに牙剥く獣めいた笑いが浮かぶ。勝ちを確信した瞬間にこそ最大の隙が出来るものだ。そして何より勝利の美酒に口を付けた瞬間に、それを汚れた地面にぶちまけられるほどの屈辱はない。どちらもついさっき経験したばかりだからよく判る。

 

ノリタは突き出した両手の指を鉤爪めいて硬直させ、視界中心に捉えたソリッドな影法師に爪を立てた。腹の底で煮えたぎる憎悪が言葉となって口から漏れる。「さあ、やってやりましょう! イヤーッ!」「グワーッ!?」ワタナベの口から唐突な苦痛の声が迸った。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「グワーッ!?」突如響きわたる絶叫に誰もが出所を探して眼球を動かす。防衛隊員とキャンプ住人は声の出所であるワタナベへと視線を向けて、ニンジャ達は声を出させた出所を目線で探る。

 

「あれか!」いち早くそれに気づいたのはブラックスミスだった。彼が目を向けたのは、堡塁の上で仮想の粘土をこねくり回すノリタの姿だ。指先だけで想像上の球体を形作るような、あるいは球形のリモコンで遠方のUNIXを操作するような繊細かつ異様な動きをしている。

 

(((引っ掻いている?)))ブラックスミスのニンジャ視力はより正しく指先の動作を見て取った。「イヤーッ!」「グワーッ!?」その指先が掻き毟るのはワタナベの頭蓋、その奥だ。距離も位置関係も無視して立てた爪を動かす度にワタナベが苦しみでのたうち回る。

 

「イヤーッ!」その隙を狙って追いつめられた紅白ニンジャが動いた。片足のガルスはシャウトと共にカカシめいた姿勢で一本足跳躍し、顎を無くしたスクローファは無言のまま大型獣めいて四足歩行で駆ける。「そちらは任せる! イヤーッ!」それを見逃すニンジャスレイヤーではない! 

 

ニンジャスレイヤーはブラックスミスに一声かけると同時にカラテを構えて躍り掛かった。「ハイ、ヨロコンデー!」応えたブラックスミスも即座に異形のスリケンを生成し、弓めいて上体を引き絞る。狙う先は堡塁の上で奇妙に指を動かすノリタだ。それが原因であることは間違いない。

 

「イヤーッ!」ならば、まずは物理的に止めるまで。オーバーハンド投球姿勢でブラックスミスがスリケン・チャクラムを放った。護法童子の車輪めいて高速回転しながらスリケンは虚空を走る。だが、これで自分が死ぬ事すら無視するように、ノリタは迫るスリケンを一瞥もしなかった。

 

「グワーッ!」スリケン・チャクラムがノリタの額に突き刺さった。さらに、その回転力と切れ味を持って頭部を1:2に分断する。当然、即死である! 倒れるノリタを確認し、ブラックスミスはワタナベの肩を支える。「ワタナベ=サン! ダイジョブですか!?」「ああ、ダイジョ……グワーッ!?」

 

ブラックスミスの心配に応えようとした次の瞬間、ワタナベは再び苦痛に仰け反る! 「まさか!?」周囲を見渡すブラックスミスの目に、再び指先を奇っ怪に蠢かせる人影が映った。無論死んだノリタではなく、また別のキャンプ住人だ。だが謎めいた指の動きも、浮かべる憎悪の表情も同一である。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラックスミスは反射的にスリケンを投げ打って殺す。だが、背筋に冷たい汗が流れる。ワタナベの反応からして、今の二人を乗っ取り動かしたのは間違いなくウォーロックだ。キング同様にフドウノリウツリ・ジツで憑依した人間を端末に何らかのジツをかけているに違いない。

 

問題は憑依できる相手が後何人いるのか、そして憑依されるのが誰かだ。ヒョットコは既に全滅した。ならば憑依の対象は? 数秒前に始末した二人を思い浮かべれば答えを出すまでもない。ブラックスミスの不安はすぐさま現実のものとなった。

 

「はああ、ああ、あ」「オイ、ダイジョブか!?」別の堡塁である防衛隊員が突然うずくまり痙攣を始めた。心配する同僚が彼を揺するが反応はない。始まりと同様に唐突に痙攣は停止する。何事もなかったかのように立ち上がる防衛隊員。しかし、痙攣していた彼の内面には決定的な大事が起きていた。

 

BLAM! 「アバーッ!」突如拳銃を抜き同僚を撃ち殺した防衛隊員は、先の二人の焼き直しのように彼は両腕を突き出す。「イヤーッ!」叫び吼えるその顔に浮かぶのもまた、憎しみと怒りにまみれた人ならざるニンジャの表情であった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ただ一人を除き、誰も知るもののないネオサイタマの何処か。そこには論理・物理的に秘匿された秘密のゼン・キューブが設置されている。そしてソクシンブツ・オフィスを彷彿とさせる閉鎖空間の中央で、その主であるウォーロックはザゼンを続けていた。

 

そこは常ならば静的トランス状態の長い呼吸音だけが響く静寂空間だ。しかし今は普段とは異なる音がかき乱している。「ハァーッ! ハァーッ!」それはウォーロックの発するハイペースな荒い息の音であり、そしてその両目から流す血涙の滴る音であった。

 

基本的にウォーロックは危険を冒さず無理も無茶もしない。安全地帯からリスクなし、かつ一方的にリターンをかすめ取る。それがウォーロックのあり方であり、このゼン・キューブにも、フドウノリウツリ・ジツにもその方針が現れている。

 

「イヤーッ!」しかし今のウォーロックはその限りではない。ハンショウめいて狂い打つ心臓も、顔を伝う幾つもの流血も無視してフドウノリウツリ・ジツを行使する。神経を責め立てるニューロンフィードバックの灼熱感が襲いかかり、異常上昇した血圧で顔中から血が吹き出す。

 

フドウノリウツリ・ジツに直接的なリスクはない。苦痛、窒息、飢餓、そして死すら受け持つのは憑依の対象だ。しかしそのためには相応の下準備が必要不可欠。UNIXをハックするためにバックドアを用意するように、憑依対象のニューロンに専用の入り口を設けておくのだ。

 

それ無しで視聴覚乗っ取りしか行っていない対象に、憑依を強制すればどうなるか。それは覗き穴から全身をねじ込むが如き不可能行為である。それを無理強いた代償がウォーロックを襲う、精神をヤスリ掛けするようなニューロンダメージなのだ。

 

「判ります、判りますよ! 貴方の精神に走る亀裂の感触がね!」そうであっても、血に塗れたウォーロックが浮かべるのは酷薄にして獰猛な笑顔だ。そこに苦痛への躊躇いは一切ない。自分に恐怖を与えたワタナベを踏みにじり、屈辱を晴らす悦びが、苦痛を越える活力を与えてくれているのだ。

 

「ホホホ!」憑依した防衛隊員の視界を通して、苦痛にうずくまるワタナベをウォーロックは狂笑と共に眺める。ミラーリンクしたニューロンから命じられ、防衛隊員は両手で邪悪なサインを形作った。そして特別製のジツ……『フラッシュバック・ジツ』がワタナベへと再び行使された! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」オハギと殺戮で形作られた脳神経回路が強制励起され、ワタナベの神経を苦痛と変わらない快楽が塗り潰す! 「イヤーッ!」「グワーッ!」家族の死と後悔で形作られた脳神経回路が強制励起され、ワタナベの精神を自殺を希う程の絶望が押し潰す! 

 

完治したはずの元薬物中毒患者が、不意の刺激により薬物無しでトリップする事がある。瞬間回想(フラッシュバック)と呼ばれるその現象を再現するのが、この恐るべき『フラッシュバック・ジツ』だ。ウォーロックは紅白ニンジャから聞き出した、モービットなるニンジャの情報よりジツの着想を得た。

 

それは薬物に溺れて過去から逃げるインターラプターに非常に効果的だと気づいたのだ。「グワーッ!」ウォーロックの予想通りにワタナベは堪えられない苦しみに転げ回る。痛みで痛みを紛らわせようというのか抱えた頭を床に叩きつけた。ひび割れたコンクリート同様にその精神もひび割れつつあるのだ。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」これ以上のロウゼキはさせぬと、ブラックスミスの放つ原因除去スリケン・トマホークが憑依防衛隊員の首を落とした。サイタマ・シャンパンを思わせる噴血と共に後ろ向きに倒れる。しかしウォーロックは遙か遠く何処とも知れず。本質的な原因の除去は到底不可能だ。

 

「ホホホ! ガンバリますね、無駄ですけど! イヤーッ!」「ヤメロー! グワーッ!」また一人また一人と憑依先が死ぬが、血を吐きながらもウォーロックは次々に憑依を繰り返す。ワタナベへのニューロン攻撃は止まず、幾本となくタガネを打ち込まれた大岩めいてその精神に無数の亀裂が走る。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラックスミスの行為も所詮は対処療法に過ぎない。次から次へと現れる憑依者にひたすらスリケンを撃ち込み殺すが、事態は悪化の一途をたどるばかり。ブラックスミスの表情が絶望に歪み、ワタナベの顔は苦痛に歪み、ウォーロックの相貌は狂喜に歪む。

 

「ブッダ! 誰が操られているんだ!? アイツか!?」「ヤメロー! 友達なんだぞ!」最早誰の顔からも勝利の昂揚は消え失せて、絶望の悲嘆が顔を覆い尽くしている。「俺じゃない! 俺じゃ……はあああ」BLAM! 「何をグワーッ!?」まき散らされる狂気と混沌が、輝かしい凱歌を汚していく。

 

「ブッダム! イヤーッ!」「グワーッ!」敗北と同じ苦渋を噛みしめながら、ブラックスミスはひたすらにスリケンを投げ続ける。「コココーッ!」更なる苦難が高らかに哄笑を上げ、朝日の代わりに悪夢を唄う邪悪な雄鳥が頭上を飛び越えた。

 

【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#1終わり。#2に続く



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第六話【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#2

【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#2

 

「コココーッ!」狂った声をまき散らし、片足のガルスはブラックスミスの上を跳び越える。脱出を阻止するはずのニンジャスレイヤーは何をやっているのか!? 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」彼はしがみつくスクローファを大急ぎでミンチに挽いている真っ最中だ。

 

何故こうなったかを知るには幾らか時を遡る必要がある。ワタナベがニューロンを灼く激痛に絶叫した瞬間、紅白ニンジャは致命的状況から脱出を試みた。走り出したスクローファと跳び立ったガルスをしとめるべく、ニンジャスレイヤーはカラテを構える。その姿に向けてガルスは視線の標準を合わせた。

 

「一!」「イヤーッ!」突如白く輝くガルスの両目と額! ニンジャスレイヤーは咄嗟に目線を避けるべくブリッジ回避した。だが、ガルスはニンジャスレイヤーの目から目を離さない。執拗に目線を合わせようとするその行動には覚えがあった。ニューロンの奥底で記憶と光景が合致する。

 

(((ビホルダー、フドウカナシバリ・ジツの使い手。目を合わせた相手を支配する。背面歩行からのスリケンで殺す)))ニンジャスレイヤーはイクサの記憶に従い、ロンダートめいた跳躍で前後を入れ替ると、ムーンウォークと共にスリケンでガルスの撃墜を狙う。

 

「グワーッ!」極度の集中を要するその一瞬にスクローファが突進をしかけた! ムーンウォーク中は目の無い背中を前面とし、視覚をニンジャ感覚で補いつつの戦闘となる。しかもスリケンで狙い撃つのは遙か上空を跳ぶガルス。 その上、顎と喉のないスクローファは物理的にシャウトがないのだ。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」シャウトの無いカラテは高が知れている。即座に応じたニンジャスレイヤーは容赦なきカラテを叩き込む。しかし半身を豚肉タルタルステーキに変えられてもスクローファは抵抗を止めない!

 

一秒でも早く敵を殺さんとする重傷のニンジャスレイヤーと一秒でも長く敵を足止めようとする重体のスクローファ。顎ごとグラトン・ジツを失おうと、ビッグ・ニンジャクランのニンジャ耐久力は健在だ。如何なる傷も恐れぬスクローファの狂信もあり、イクサは自然と泥仕合の体をなした。故に、ニンジャスレイヤーはガルスをスリケン殺できず現状へと至ってしまったのだ。

 

それでも一歩たりとも退くことなくイクサを続け、ニンジャスレイヤーはスリケンを掴む。狙うは片足背面飛翔するガルスの顔面だ。「二!」だがガルスの両目と額の「目」が、白けた輝きを帯びる! ニンジャスレイヤーは反射的に防御で視線を遮った。その合間に再度血塗れのスクローファがしがみつく。

 

これでは単なる繰り返しだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」即座にチョップでスクローファの折れた腕に更なる間接を増やすが、その間にもガルスとニンジャスレイヤーの距離は遠ざかり、堡塁とガルスの距離は縮まる。この傷さえなければ、ウォーロックがいなければ、ナラクの力があれば。

 

(((何を迷う、最終的に全員殺せればよい!)))都合のいいIFを振り払い、ニンジャスレイヤーは殺意をカラテに込めてスクローファのカイシャクにかかる。しかし時間は常に敵の味方であり、残された猶予は余りにも少ない。「三!」既に着地に入ったガルスは、堡塁に向けて三度目のカウントを告げた。

 

BLATATATA! 「グワーッ!」堡塁の防衛隊員たちが無数の銃火を放ち、ガルスに鉛玉の熱いシャワーを浴びせる。片足を失いエアロ・カラテ不可能のガルスは銃弾の飛沫を浴びるがままだ。両目と額だけは庇うが着地も墜落と変わらない。だがその目は二重の意味で爛々と光っている。

 

先手を打とうとブラックスミスがクナイ・ジャベリンを構える。「グワーッ!」だが、横合いからワタナベの脳髄に差し込まれるフラッシュバック・ジツに、クナイの標的をウォーロック憑依体へ変えざるを得ない。それで最後のチャンスは過ぎた。

 

「Ah-Ho!」「「「グワーッ!?」」」奇妙なシャウトと共にガルスの三つ「目」が閃光を発した! 輝く「目」を目にしてしまった防衛隊員たちが、苦痛の絶叫と共に一斉に崩れ落ちる。悪夢は更なる加速を見せ、止める方法はどこにも見あたらなかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「Ah-Ho!」「「「グワーッ!?」」」輝く視線に貫かれ、苦痛の声を上げて堡塁の防衛隊員が片端から倒れた。下手人であるガルスは力なく崩れた防衛隊員へ攻撃することはなく、効果を確認するように観察の目を向けるだけ。そこに隣の堡塁から駆ける人影が一つ。

 

BLAM! BLAM! BLAM! 「ブッダミット! 死んじまえ!」「イヤーッ!」ガルスへと走る防衛隊員から何発もの弾丸が放たれる。ブリッジで銃弾を回避すると、一本足の器用なパルクールでガルスはその場を離れた。モータルを相手にしながら反撃もない。しかし顔には残虐な期待を浮かべている。

 

「おい、ニシ=サン! 俺だ、クリタだ! ダイジョブか!?」「あ、ああ、ダイジョブ、ダイジョブ」離れるガルスを無視し、堡塁に飛び込んだクリタは友人を揺すり起こす。友人のニシは揺すられるままにガクガクと首を上下に振る。酷くふらつき視線も定まらないが、幸い友人の身体に怪我はない。

 

だが受けたのはニンジャのジツだ。どんな異常が起きても不思議ではない。「倒れた奴らと一緒に後方に下がってくれ!」予備の拳銃をニシに押しつけながら、クリタは拳銃をガルスへと構える。「きやがれ、チキン野郎!」ニタついた笑みを浮かべる嫌らしい顔に防衛隊員は銃口を向けた。

 

銃口を突きつけられながらもガルスはスリケン一つ構えない。その顔に浮かべるのは、悪戯の成果を期待する悪童めいた嗤いだ。無関係の人間が最低の被害に遭う瞬間を今か今かと待ち望んでいる。「なあ!」彼の後ろから届くうわずった声にガルスの笑みがより卑しく深まる。

 

「なあ、アンタ! これどうやって使うんだ!?」何を言っていると視線だけ向けるつもりだった。だが視界の端に写ったのは、異常という言葉では足りない友人の行動だった。銃把を前に銃身を握り、銃口をスリコギめいて土嚢に擦り付ける。銃器の使い方を知らないという水準ではない。

 

「なあ、俺はどうすればいいんだ!?」銃器の概念を知らない原始人でも弾の出る鈍器としてなら使えるだろう。だが元警官で拳銃技術のレクチャーをしてくれたニシは、銃火器としてどころか鈍器としてすら使えていなかった。これでは原始人に拳銃を与えた方がまだマシだ。

 

「どうしたんだ、ニシ=サン!?」「ニシ!? アンタはニシなのか!?」防衛隊員は狂った友人を覚まそうと肩を揺さぶる。だが逆に肩を捕まれて、自分の正気を覚まされる程に揺さぶられる。肌から冷たい汗が吹き出し背筋を流れ落ちた。

 

「なあ、アンタは誰だ!? 教えてくれよ! 俺は誰なんだ!?」「ヤメロ!」恐怖に駆られて掴みかかる友人を思わず突き飛ばした。突き放した拍子に周りが見えた。周りなど見えなければと本気で思った。

 

「アーッ! アーッ! ワカラナイ!」「ここには誰!? 私は何処!?」ある者は何をすればいいのかと土嚢を持ち上げては下ろし、ある者は何処にいればいいのかとその場をグルグル回り出す。目を閉じれば悪夢は消えると両手で顔を覆う者もいれば、奇声を頭を満たそうと耳を塞いで叫ぶ者もいる。

 

「一体どうなっているんだ……」三目人の国に迷い込んだ二目人めいて居場所をなくした彼は呆然と呟いた。狂気の世界では正気こそが狂気なのだ。種々の狂気に満ち溢れた堡塁の有様に、彼もまた白痴めいた茫漠に取り残される。

 

「コーッ! バカ! バカ!」その姿を笑うのは被害者を三目の国に投げ込んだドッキリの仕掛け人だけ。右往左往の様を眺めてガルスは楽しげに両手を打ち合わせては、抱腹絶倒と腹を抱えて嘲う。流れる鼻血と血涙も、ニューロンを灼く激痛も、自我喪失者のバカ踊りが笑いと共に癒してくれる。

 

「イヤーッ!」「イヤーッ! コココーッ!」ブラックスミスが投げつけたスリケンを転げるようにかわすブザマも気にならない。羽と脚を折られた鳥めいて這いずり転がり、気狂いに満ちた堡塁の中に逃げ込む。それでも笑みは絶えない。

 

サイバネ技術が奇形的に発達し、外観がファッション以外の意味を失いつつあるネオサイタマ。このマッポーの世で一人の人間をその人物たらしめるものは何か。諸説あれどその一つに「記憶」があることは言うまでもない。

 

その自我を形作る「記憶」を奪い取るのが、ガルスの使う汚らわしきユニーク・ジツ『スリーステップ・ジツ』なのだ。しかし自我の根幹をなす記憶をかき消すには、強烈極まりない反動が伴う。その上、偉大なる方の『眼差し』を受け強化されたスリーステップ・ジツには特別な役割がある。

 

それ故に、ガルスは今の今までジツの行使を避けていた。だが最早出し惜しみは無しだ。盟友であり同じ天使ニンジャのスクローファが命を惜しまず戦っている。自分もまた偉大なる方のため如何なる犠牲も惜しまず尽くすのだ。そしてこれからが真骨頂! 偉大なる方よ、我が献身をご笑覧あれ! 

 

「イヤーッ!」危険域まで高まった血圧で毛細血管が破裂し、鼻・口・目から血が吹き出す。脈打って痛むこめかみから脳味噌がキリタンポにされる幻覚と、頭蓋の内からグリルされる錯覚を覚える。血涙を垂れ流す両目と激痛が吹き出す額に自我を塗りつぶすホワイトの輝きが灯る。

 

「させるか!」ブラックスミスがスリケンを構える。だが、BLAM! 横合いからの銃火が構えを崩す。視線を向ければ片手でワタナベの脳髄を引っ掻き、逆の手で拳銃の引き金を引く憑依者の姿。「イヤーッ!」「グワーッ!」片手で銃弾をカラテで弾き飛ばし、逆の手のスリケンでアノヨに送る。

 

それだけあればジツが発揮されるには十分以上だった。「「「アッ、アッ、アッ、アッ」」」白けた光に再び曝されて、堡塁の隊員たちが痙攣する。正気故に目を覆えた一人を除き、全員が撲殺直後のマグロめいて白目を剥いてビクついている。

 

ガルスは目を剥いて嗤い、大きく息を吸った。「お前たちは、ヒョットコだ!!」「「「ヒョットコ?……ヒョットコ……ヒョットコ!」」」白痴にベタ塗りされた顔に色彩が浮かび上がる。まず驚愕、そして理解、続けて狂喜。最後は……表情で形作るヒョットコ・オメーン。

 

「「「やっちゃうぜ! ヒャッハーッ!」」」「やめグワーッ!」火の代わりに狂気を吹き出しながら、『名付け』られた臨時ヒョットコは各々の得物を握り締める。「目」を見ずにすんだ唯一の防衛隊員を囲んで棒で叩き殺すと、死体を踏みつけ次々に堡塁から飛び出した。

 

【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#2終わり。#3へ続く



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第六話【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#3

【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#3

 

「これ授業でやったぞ!」「ヤメロー! グワーッ!」寸胴鍋から吹きこぼれる沸騰アンコシチューめいて、堡塁から頭が煮えた臨時ヒョットコが溢れ出る。次々にヒョットコ化した被害者たちが別の堡塁へと躍りかかり、パニック映画がカワイイ程の混乱が防衛隊へと襲いかかった。

 

「やめてくれ! 目を覚まグワーッ!」「ドブネズミを消毒だ!」その怪物役は他でもない、戦友であり仲間であり家族であるはずの同じ住人たちだ。ヒョットコと任『名』された彼らに躊躇はなく、躊躇する多くの防衛隊員達は反撃一つできないままに一方的に打たれ撃たれる。

 

BLAM! 「キレイキレグワーッ!」「状況はクソだ! だが一匹も後ろに通すな! 湾岸警備隊魂を見せろ!」「「「ハイヨロコンデー!」」」防衛隊の中で抵抗できているのはナンブ隊長と彼が選抜した僅かな隊員達だけだ。戦友が狂敵に代わるアビ・インフェルの最中で彼らは絶望的な抗戦を続けている。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」そしてブラックスミスは混沌を打ち倒すべく、容赦なきスリケンと慈悲無きクナイ・ダートを間断無く放つ。皮肉なことにニンジャであるが故の共感無き冷酷さが、「元住民のヒョットコ駆除」という冷徹なる判断を可能にしていたのだ。

 

「イヤーッ!」「イヤーッ! ハズレ! ケココーッ!」しかし最新鋭万札偽造印刷機めいた高速スリケン連射でも、堡塁の合間を動くガルスを殺し切れない。実に諧謔的なことに、ヒョットコによる攻撃を防ぐための堡塁が、臨時ヒョットコの大本であるガルスを守っている。

 

しかし、その程度ならばブラックスミスのスリケン狙撃力と連射力にとっては臨時ヒョットコを殲滅する片手間でしかない。では、何故殺し切れないのか? 「イヤーッ!」ブラックスミスの放ったスリケン・ブーメランが鋭角を描き、筒狭間を通り抜けてガルスの首筋へと迫る! 

 

「アブナイ! グワーッ!」「ア・リ・ガ・ト! コーッ!」「クソッタレ!」だが首を飛ばした相手はガルスではなく、臨時ヒョットコとなった防衛隊員であった。片足のないガルスを殺し切れない理由がこれだった。最悪なことに臨時ヒョットコ達が自ら肉盾となってスリケン狙撃を防いでしまうのだ。

 

「おお、ブッダ……」そして盾になるヒョットコは当然、元防衛隊員だ。ヒョットコ顔で最期を迎えた友の姿に、ある防衛隊員は銃を支えることもできずに顔を覆った。「三文芝居はタノシイな! ケーッ!」友が友と殺し合う悲劇を指さし、演出したガルスは喜劇と慶び嘲り笑う。

 

「「「タノシイな!」」」ガルスの嘲笑に臨時ヒョットコ達が全く同じ表情と全く同じ声音で唱和する。ジツで自我を形作る記憶を奪われた彼らは、家族同然の仲間にすら当然のように蔑意を向ける。否、自我の一切を奪われた彼らにとってはもう家族ではなく只の獲物。

 

「アンタもヒョットコ! お前もヒョットコ! みーんなヒョットコ!」「「「やっちゃうぜ!」」」白けた光に曝されて、次々に住民は白痴に脱色され、自我を狂気に染色される。与えられた役割(ヒョットコ)以外何一つない彼らは躊躇いもなく同胞の命を奪い、恐怖もなく自分の命を捨て去るのだ。

 

「ゆけ!」「「「ヒャッハーッ!」」」表情で形作られたヒョットコを素早く換算し、満足げに目を細めたガルスは命を下した。狂気の怒濤は堡塁を乗り越え、血溜まりに沈むスクローファとトドメを加えんとするニンジャスレイヤーへと躍り掛かる。ジツで疲れすら忘れさせられた彼らの足は速い! 

 

「イーヤヤヤヤヤヤァーッ!」「「「グワーッ!」」」ブラックスミスはスリケン投擲専門ニンジャめいた高速スリケン連射で片端から臨時ヒョットコを死体に変える。「「「ヒャッハーッ!」」」だが臨時ヒョットコの数は多く、全員を殺し切れない! これだけの数が揃うのをガルスは待っていたのだ。

 

「ホホホホ! イヤーッ!」「グワーッ!」その上、ウォーロック憑依者がワタナベの神経を焼き焦がし、ブラックスミスをその場に釘付けて行動を制してしまう。「チクショウ! イヤーッ!」「グワーッ!」悪罵と共にスリケンを投げ撃つ。首が撥ね飛び崩れる憑依者。だがこれも徒労に過ぎない。

 

ブラックスミスは血を出すほどに唇を噛みしめ掌に爪を立てる。(((俺も行くべきだ、けど!)))今すぐ飛び出して臨時ヒョットコを処理し、ガルスをツクネ団子にしてしまいたい。だが自分が肩を支えているワタナベは、もう自力で体を支えることすらできなくなっているのだ。

 

度重なるニューロンダメージの前に、盤石なる巨体は砕けた岩めいて崩れ落ちた。今の彼を一人放り出せばどうなるか。それは飢えたメキシコライオンの檻に弱々しいミニバイオ水牛を放り込むのと同じ結果となるだろう。狂喜するウォーロックのジツに曝され、思う存分になぶり殺されるに違いない。

 

「行って、くれ!」「ワタナベ=サン!?」歯噛みするブラックスミスの肩が思いもかけない力で掴まれた。顔中の穴という穴から血を流しながらも、ワタナベは真っ直ぐにブラックスミスを見つめて力強く頷く。「多、少は耐えて、見せ「イヤーッ!」ヌゥーッ!」脳髄を侵す痛みを歯を食いしばり堪える! 

 

フラッシュバック・ジツにニューロンを焼かれながらも、ワタナベは割れ鐘の声で叫んだ。「行、け! 行く、んだ! 君もヨー、ジンボーだ、ろう!」「さっさとしろ! 護衛はワシ等がやる!」未だ正気の防衛隊員と共に必死の抵抗を続けるナンブ隊長もまた叫ぶ。

 

「スミマセン! イヤーッ!」「グワーッ!」臍を噛む思いを噛み殺し、行きがけの駄賃と憑依者をスリケン殺すると同時にブラックスミスは駆けだした。一路向かう先は白痴と狂気の大竜巻。混沌の中心で愚痴をまき散らす、邪悪なる天使ニンジャをこの手で殺すのだ。

 

「ココーッ! ゆけ!」「「「ヤッチマエー!」」」迫るブラックスミスに気づいたガルスが、残り全ての臨時ヒョットコをけしかけた。使い方すら忘れた得物を振り回して狂人の波濤が襲いかかった! 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」ブラックスミスが狂人の波濤に飛び込むその瞬間、ニンジャスレイヤーもまた狂気の怒濤を受けとめようとしていた。チョップが胴体をブツギリに切り分け、カラテパンチが頭蓋を割り砕き、ケリ・キックが内蔵を炸裂させる! 

 

「「「やっちゃうぜ!」」」しかし幾人もの同胞をジゴク絵図の絵の具にされても、ヒョットコ顔をした狂気に一切の気後れはない。自我を喪失した臨時ヒョットコには如何なる躊躇も恐怖も無いのだ。上書きされた存在理由に従って盲目的に襲いかかるのみ。

 

「イヤーッ!」「アバーッ!」「アバーッ!」「アバーッ!」コマめいて高速回転するニンジャスレイヤーから放射状に両手の指より多いスリケンが飛ぶ。頭蓋と心臓を貫かれ、十人のヒョットコが瞬時に絶命した。ニンジャスレイヤーは嵐の如き殺戮を繰り広げるが、臨時ヒョットコの数が多すぎる! 

 

「「「ヒャッハーッ!」」」濁流を乗り越えるバイオ軍隊アリめいてニンジャスレイヤーを突破し、何人かがスクローファの元へとたどり着いた。指令を達成したヒョットコ達は立ち尽して次の命令を待つ。血溜まりのスクローファはスライムめいて蠢き、間接の増えた腕で臨時ヒョットコを引きずり込んだ。

 

「アバーッ!」原型を半ば失ったスクローファは残る力を総動員してタコめいて絡みつき、臨時ヒョットコを押し潰して挽き潰す。そして出来た粗挽きヒョットコを指を失った掌で液質になるまで擦り潰すと、かつて顎があった場所からヒョットコムースを食道に流し込んだ。

 

GURGLE! 具材たっぷりな人肉スープが胃袋に流れ込んだ途端、ハーフサイズに削られたスクローファの全身が蠢きだす! 痙攣しながら膨れ上がる血肉が、植物成長の微速再生めいた動きで人間のシルエットを形作る。顎も喉もない口から吹き上がる紅色が、失われた顔下半分を形作った。

 

「グフーッ!」スクローファはグラトン・ジツによりプラナリアめいて再生した全身を確かめる。食事には健康な顎と歯が必要だ。しかし不健康な傷病人のための流動食というものがこの世には存在する。顎を失ったスクローファは臨時ヒョットコから人肉スープを作ることで、病人食の替わりとしたのだ! 

 

滾る憎悪のままにスクローファは叫ぶ。「やってくれたな、ニンジャスレイヤー=サン! やってやるぞ、ガルス=サン! 出し惜しみは無しだ! 俺も惜しまぬ!」GUZZLE! GUZZLE! GUZZLE! 「「「アバーッ!」」」スクローファはヒョットコを次々に貪り食らう! 内臓が回復不十分なのか? 

 

違う! おお、見よ! 「これが偉大なる方のお力だ! 『眼差し』を賜った我がジツは貴様のカラテを遙かに超える!」スクローファのシルエットが更に膨張し、人間の形から大きく外れた! 両腕が胴の太さを越して膨れ、背の高さを超えて伸びる! 肥大化した僧帽筋が首を覆い、硬質化した角質が拳を固める! 

 

「そう、『眼差し』は、偉大なる方のお力は、全てのカラテの上にあるのだ!」その姿を見てニンジャと判る者は居ても、人間であったと気づく者はいない。類人猿めいた異形と成り果てたスクローファは溢れる力と信仰心に随喜の涙をこぼす。さらに両拳を打ち合わせ、金属めいた威嚇音を何度も鳴らした。

 

「ノリト代わりの前口上は終わったか? ならば、次は偉大なる方とやらにネンブツ・チャントでも唱えておれ」しかし如何なる威しであろうとも、ニンジャスレイヤーの殺意が退くことはない。重傷に揺らめく足取りに反して、その敵意には一切のブレがない。

 

「ほざけ! イヤーッ!」狂乱ゴリラめいたナックルウォーク走法でスクローファは襲いかかった。拳を踏み込む度に床が炸裂し、臨時ヒョットコの食べ残しがコンクリートとのカクテルに変わる。このままではコンクリートを耕す異形剛拳でニンジャスレイヤーも人肉入り骨材と化してしまう! 

 

だが次の瞬間! 「イヤーッ!」「グワーッ!」苦悶の声を上げたのは重装甲耕運機めいた攻撃を仕掛けるスクローファの方であった。ニンジャ視力の持ち主でなければ、暴走バッファロー殺戮鉄道めいた突撃に、頼りなく揺れる赤黒の影が瞬く間に挽き潰されたと見えるだろう。しかし本物のカラテ戦士は違う。

 

それは舞い踊りながら標的を狙う、オイラン・アサシンの舞踏めいた武闘に例えられよう。ニンジャスレイヤーは暴風雨に乗る一葉めいて打ち据えられる乱打を紙一重で悉くかわし、コンクリの散弾に身を刻まれながらも、鋭利極まりないサミングでスクローファの両目を刺し貫いたのだ! ワザマエ! 

 

「イヤーッ!」そのままニンジャスレイヤーはチョップで刎頸にかかる。「ヌゥーッ!?」「言ったぞ、我がジツは貴様のカラテを超えるのだと!」それを『見据えた』スクローファは鉄柱めいた両腕で首筋を守る。名刀以上に鋭いチョップは、鋼鉄以上に頑丈な腕に防がれ、僧帽筋に浅い傷を残すに終わった。

 

血涙を流す『両目』でスクローファは残心するニンジャスレイヤーを睨みつける。ALAS! 抉り出したばかりの生暖かい目玉がニンジャスレイヤーの指にあるというのに! 恐るべきことにサミングで眼球摘出された瞬間に両目を再生させたのだ! 今までのジツすら比べものにならぬ、なんたるヒドラめいた超常的再生力か! 

 

「ニンジャスレイヤー=サン、死ね! 偉大なる方のために死ね!」殺戮掘削機めいて、スクローファは絶え間なく拳を振り下ろす。偉大なる目的のため蓄えたカラテの浪費は避けねばならぬが、ことここに至っては是非もなし。怨敵を一刻も早くここで殺す! 偉大なる方よ、この浪費のオワビは勝利を以って! 

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」制止不能停止不可な暴走殺戮装置と化し間断無き巨拳の流星雨を降らすスクローファ。その間髪を殺意を帯びて流麗に舞い狂うニンジャスレイヤー。死の舞踏はエンディングへと向かって濁流の如くに流れ出した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

臨時ヒョットコを量産するガルスを叩き殺さんと痴人津波をカラテでかき分けるブラックスミス。「イヤーッ!」「ヌゥゥゥッッッ!!」その背後、ニンジャスレイヤーとの中間地点で、ワタナベは脳髄に刺し込まれるウォーロックのジツに耐えていた。

 

彼が臍を固めて置いていったワタナベは、今もウォーロックの毒牙に曝されている。だが、一人ではない! 「いたぞ! 三時方向!」BLAM! 「グワーッ!」ナンブ率いる選抜防衛隊員達は、ワタナベを中心に護衛艦隊めいた円陣を敷き、現れ出る憑依者を間髪入れずに射殺しているのだ。

 

「周りだけじゃないぞ! お互いも警戒しろ!」ナンブが拳銃を突き上げ、錆声を張り上げる。その警告が的を射たのか陣を張る選抜防衛隊員がニューロンに押し入られる苦痛に痙攣を始めた。「ッ! 友よ、サヨナラ!」BLAM! 「はあああアバーッ!」憑依の兆候に即応し、隣の選抜防衛隊員は戦友を射殺! 

 

「よくやった! 湾岸警備隊は永遠だ! 故にお前も奴も永遠だ!」「ハイ!」涙を堪えて友を葬った隊員へとナンブから熱い労いの声が飛ぶ。「怯え竦んでベソかいて死ぬな! キャンプを守ったと胸張って死ね!」「「「オーッ!」」」襲い来る恐怖と狂気を、使命感とさらなる狂気で吹き飛ばす! 

 

「ワタナベ=サン、まだ持つか?」「ダイ、ジョブだ。持た、せてみ、せる」血涙を流し蹲るワタナベを横に、ナンブは鋭利な視線で全方位へと隙のない警戒を続ける。唐突な静寂が円陣を覆った。聞こえるのは紅白VS赤黒/黒錆のイクサ背景音だけだ。

 

つい先ほどまではウォーロックの憑依者は続々と現れては次から次へとニューロン攻撃を仕掛けていた。だが今は姿を見せない。息つく暇もない猛襲から突如不気味な空漠に投げ込まれた。弛緩する空気と共に焦燥がゆっくりと腹の底から沸き上がる。

 

「出てこないぞ」「打ち止めか?」銃を握り直す選抜防衛隊員の口から疑念が漏れる。気の立ったナンブ隊長から即座に叱責が飛んだ。「無駄口を叩いていいと誰が言った!?」「「ハイ、スミマセン!」」(((スミマセン)))湾岸警備隊式の撃てば響くような歯切れの良いやり取り。

 

そこにノイズが走った。「今の声は」どこから聞こえた? ワタナベは苦労して頭を持ち上げ辺りを見渡す。出所は前後左右どこからでもない。耳元で囁くような声だった。似たものを聞いた。耳の奥で響き続けるオハナの断末魔。その音源は記憶の奥底……ニューロンの奥深くにある。

 

(((前菜ではご満足頂けなかったようですね)))「まさか!?」「奴か!?」戦慄がワタナベの脊椎を貫いた。警戒を強めるナンブの声も耳を通り抜ける。ウォーロックは何のためにワタナベにジツを仕掛け続けたのか。直接的にニューロンを焼くため。あるいは隙を作ってナパームで焼くため。それは正しい。

 

(((でもこれからがメインディッシュ!)))「何処だ!? 何処からだ!?」しかし、他に目的がないとウォーロックは口にしていない。フドウノリウツリ・ジツの名前も詳細もワタナベは知らない。だが、憑依の結果は幾つもの例を通して知らされた。同時に乗っ取りの条件も朧気ながら察していた。

 

フドウノリウツリ・ジツは下拵え済みのモータル相手にしか使えない。並以上に頑強なニンジャのニューロンに進入できないからだ。例外はモータル並に惰弱なニュービー・サンシタ程度。それはつまり……強靱なニンジャでもモータル並に弱らせれば乗っ取り得るということ。

 

(((貴方の精神はスイスチーズで皿の上だ!)))「ヤメロー!」手遅れと気づいた瞬間に、ワタナベは回答にたどり着いた。不屈なるニンジャの自我でも、十分に痛めつけられたなら乗っ取るのは不可能ではない。だから、忘れようと努めた悪夢を引きずり出し、克服しようと足掻いた快楽を抉り出したのだ。

 

(((貴方のイドを! 頂きます!)))高らかに謳う声がニューロンを震わせる。自我を、魂を、精神を、今から侵し食らい我が物にするのだと。「アバーッ!?」(((ホホホッ! オホホホホ! ホーッホッホッホッ!)))敗北を告げるウォーロックの狂笑がワタナベの脳裏に響き渡った。

 

「アーッ! アーッ! アーッ!」亀裂に覆われたワタナベの自我に、毒性樹木の根めいてウォーロックの精神が押し入っていく。浸食されたニューロンを抉り出そうと、頭蓋を掻き毟り血が吹き出る。脳味噌を浸す汚濁を絞りだそうと、頭を何度も拳で殴りつける。

 

「ブッダ! 待避しろ! 待避だ!」だが努力も空しく心のひび割れが無理矢理こじ開けられていく。亀裂に根を張られた巨石のように、加速度的に割れ目は広がり、ぽっかりと虚無が開いていく。「こんなの嘘だろ……」アスファルトに叩きつけられたガラスめいて、ワタナベの精神は千々に砕け散る。

 

「アァ」足掻き藻掻いて残ったのはほんの一片。他すべては消えて失せた。「アアア」『ワタナベ』は二度と挫けぬと決めた膝を折り、蔓植物に絞め殺された巨木めいて崩れ落ちた。「アァァァーーーッ!」そして……精神も表情も希望も愛情も何もかも、狂気一色で全て塗り潰された『インターラプター』が顔を上げた。

 

【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】終わり



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第七話【プロミス・イズ・ブリーチッド・トゥー・イディオット】#1

【プロミス・イズ・ブリーチッド・トゥー・イディオット】#1

 

TNTバクチクの衝撃波とタタミ・シュリケンのソニックウェーブで、台風一過の空めいてぽっかりと空いた空間の中心。対ヒョットコ堡塁とキャンプ出入り口の中間地点。幾多の視線のスポットライトに照らされて今、『ワタナベ』であったはずの狂気がゆっくりと身を起こした。

 

「アァァァーーーッ!」弾ける凶気が誰もの背筋を震わせて、溢れる鬼気が皆の心臓を握りつぶす。洟と鼻血、涙と血涙、唾液にリンパ液に汗。ありとあらゆる体液を垂れ流すその顔は、見る者全てを怯えさせずにいられない。冒涜的なまでの表情を浮かべて『インターラプター』が顔を上げる。

 

「おお、ブッダ!」「ワタナベ=サン……」「もう、ワタナベ=サンじゃない」まだ生きている防衛隊員も銃端を握りしめるナンブ隊長も、それどころかブラックスミスすらも、顔から血の気が失せている。息を止めて見つめる全ての目から色濃い絶望が滲み出てた。

 

「アー」真っ直ぐ歩くことも難しいのか、振り子めいてふらつきながらインターラプターは歩き出した。向かう先は無人となった堡塁と、その向こうで怯え竦む人々がごった返す避難所だ。そこに狂乱ニンジャが踏み込めばどうなるか。血みどろの光景を想像するまでもない。

 

「テーッ!」BLATATA! それを阻止せんと『ワタナベ』を守る円陣を逆利用し、ナンブ隊長と精鋭防衛隊員が『インターラプター』へ銃弾の豪雨を叩き込む。だがドラム缶一杯の重機関銃弾を耐えるほどの肉体強度の前には、数少ない小銃と拳銃の掃射など吹き付ける雨粒よりも無意味だった。

 

BLATATA! BLATATA! 「ブッダ!」インターラプターの歩みは遅々としていながら決して止まらない。四方から飛び来る鉛玉など存在しないかのように足を進める。「ワタナベ=サン、案ずるな。直ぐにカイシャクをしよう」ならばそれ以上の脅威を叩きつける他に方法はない。

 

赤黒の停止信号を前にその足が止まった。スクローファと向かい合うニンジャスレイヤーは、『インターラプター』めがけカタナめいて研上げられた殺意を放つ。残虐なるニンジャ性を幼子を思う人間性で越えた『ワタナベ』の雄叫びは、フジキドにとって救いだった。

 

故に『インターラプター』に塗り潰された『ワタナベ』の今の姿は、ナラク・ニンジャに呑み込まれかけたフジキドの悪夢でもあった。だからこそ一刻も早く『インターラプター』を殺し『ワタナベ』の絶望を終わらせる。そこには躊躇も、容赦も、敵意もない。「ニンジャ殺すべし」ただ、それだけだ。

 

「させると思うか!? イヤーッ!」しかし対峙しているスクローファはそれを許さない。暴風と共に襲い来る横薙ぎの鉄柱腕に、ニンジャスレイヤーは一枚の羽毛となって応えた。「イヤーッ!」「グワーッ!」狂風纏う豪腕ラリアットをかわし、乱気流に乗るかの如く流れるチョップが両目を上下に分断する! 

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」しかし、硝子体と血のカクテルをこぼしながらも、暴走特急めいたスクローファは止まらぬ! 人肉色の巨獣と赤黒の死神がカラテ火花を飛ばしながら踊り狂う。平安時代のニンジャ知識を持つ者ならば、ブル・ヘイケとゲンペ・ニンジャの決闘を思い返さずにはいられないだろう。

 

二色の赤が目まぐるしく攻守を入れ替える、恐るべきイクサの舞闘。ゲンペ伝説を再現するかの如き驚異的イクサを前に、選抜防衛隊員達は銃を構えた姿勢のまま脂汗を流すばかり。「注目!」銅像めいて固まる彼らに寂声の命令が飛んだ。湾岸警備隊員の本能とも言える単語に、防衛隊員の全員が反応する。

 

「マジックモンキー石像の真似はタノシイか!? 避難所の防衛に移れ!」「「「ハイヨロコンデー!」」」再起動した隊員達はナンブ隊長のグンバイの先へと駆け出す。ニンジャのイクサを前に防衛隊は単なるお荷物だ。だがイクサの援護のみが仕事ではない。ナンブ隊長は自らの役割を正しく認識している。

 

今は引いて避難所で最終防衛線を引き直すべきだ。それが……自分たちが守りきれなかった『ワタナベ』を置いていく選択だとしても。「すまんな、ワタナベ=サン。本当にすまん」自分にすら聞こえない詫びをこぼして、ナンブ隊長は防衛隊員と共に避難所へと駆けだした。

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」走る防衛隊の背景で二忍のカラテが交差し、血で描かれる残像を残してまた離れる。粗雑なスクローファのビック・カラテでは、流れる風と化したニンジャスレイヤーを捕らえきれぬ。だが、ニンジャスレイヤーもまた強化グラトン・ジツの異常再生力を前に攻めきれない。

 

「ちょこまかと! イヤーッ!」焦れたスクローファは両腕を交差し、鋏めいたクロスチョップで一撃を狙う。だが、それを狙っていたのはニンジャスレイヤーの方だ! マイ・オイランめいた流れる動作で全身が円を描いた。「イヤーッ!」「グワーッ!」豪腕を振るった筈のスクローファが天井を舐める! 

 

これはアイキドーに隠されたニンジャテコ原理を応用した超常的投げ技である! コンクリートを腐葉土めいて容易く耕すスクローファの腕力がそのまま運動エネルギへと転化されたのだ。天井を全身で味わったスクローファは、磁気嵐に絡め取られた宇宙ロケットめいて垂直に落下する。

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」血を吹き出す傷を堪えて、ニンジャスレイヤーは跳ぶ! スクローファは丸太より太い両腕を振り回すが、タスキめいてまとわりつくニンジャスレイヤーは柔らかくその両腕をからめ取った。その動きは薫風に流れる古代ギリシア彫像のトーガを思わせる。

 

だが春の微風が不意に暴風へと姿を変えるように、艶やかなニンジャスレイヤーの体裁きは恐るべき殺意を顕した。「Wasshoi!」スクローファを羽交い締めるニンジャスレイヤーは血の旋風を纏って高速回転! そのまま宙対地衛星兵器の速度でコンクリ床めがけてスクローファを叩きつけにかかる! 

 

おお、この技は! テキサス独立戦争の折に幾多のメキシコ兵士の脳天をジゴクへと叩きつけた「アラバマオトシ」に他ならない! 10m!……7m!……4m! ニンジャアドレナリン効果で遅延する世界の中、身動き一つとれないスクローファの脳天がコンクリートへと迫る! だが、スクローファは嗤った。

 

「アァーッ!」「「グワーッ!」」痛打の声が二重に響く! ニンジャスレイヤーがアバラマオトシに失敗したのか? 違う、落下地点を見よ! そこにはタタミ・ケンを振り抜いたインターラプターの姿がある! 与えられた『原作知識』から先を読んだウォーロックがタタミ・ケンを構えさせておいたのだ! 

 

「何をやっているのだ、ウォーロック=サン!?」「アー」ジゴクにホトケか、タタミ・ケンの直撃を受けたのはスクローファであり、ニンジャスレイヤーが食らったのはそれを介した衝撃波のみだった。しかし、その威力は甚大極まりない。「オボボーッ!」それ一つで盛大に血を吐く程だ。

 

最早体を支えることも困難と膝を突き、視界は白黒と総天然色を繰り返す。不意に意識の電源が切れては再起動の衝撃が脳を揺さぶる。ダークニンジャからのカタナ重傷に足すことの無理を押しての強烈なカラテアクションとヒサツワザ。止めにタタミ・ケンのショックウェーブで遂に限界が姿を見せたのだ。

 

「アア」「話を聞いてるのか! これは偉大なる計画の一部なのだぞ!」一方、タタミ・ケンの直撃を受けたスクローファは、平然と内蔵混じりの血と文句を吐き散らしている。強化グラトン・ジツの効果で、弾けた腸が蛇めいて踊りながら腹腔に巻き戻り、砕けた四肢がうねりながら元の形状を思い出した。

 

ビデオ高速逆再生めいて数秒とかからず姿を取り戻したスクローファは、膝を突いたニンジャスレイヤーへと向き直る。「まあよい。主人公死亡でハッピーエンド、これで連載終了よ! イヤーッ!」身動き一つとれぬほどに重篤な怨敵の様に、喜悦に歪めた唇を舐めながら砲丸めいて組んだ両拳を振り下ろす! 

 

「ヌゥーッ! イヤーッ!」直撃すれば装束と同じ色のミンチになる鉄槌打ちから、ニンジャスレイヤーは弾かれたビー玉めいて転がりかわす。弾けたコンクリ片が全身に突き刺さるが、痛みも衝撃もどこか遠い。危険な兆候である。体感覚が死にかけているのだ。だが、妻子の仇を討つまで死ぬわけには行かぬ! 

 

「俎上のバイオウナギめいての精々たうつがいい! 貴様の死は時間の問題にすぎぬ! イヤーッ!」「イヤーッ!」生まれたての子鹿めいて震えながらもカラテを構える姿を嘲笑い、スクローファは更なるビックカラテを振るった。死力を振り絞り、ニンジャスレイヤーも燃え尽きんばかりのカラテで応えた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「「イヤーッ!」」抉られた人肉の緋色と、凝った血の赤黒。異なる赤が交わすカラテを背後に、インターラプターは堡塁に向けてゆらゆらと歩き出す。ウォーロックの憑依が完全でないのか、あるいはフラッシュバック・ジツの副作用か。涎と洟と涙を垂れ流して歩く姿には一片の正気も見られない。

 

体に合わせて揺れる視線と共にインターラプターは焼け焦げた堡塁へと足を踏み入れる。ヒツケ・ナパームで中からローストされても、防衛隊員が意志を込めて積み上げた土嚢の盾は未だに形状を保っていた。そしてキャンプの守りとしての役割もまだ保っている。

 

今の右へ左へとふらつくインターラプターの足取りではこれを越えるのも一手間だろう。そして魚鱗めいて立ち並ぶ堡塁は無駄な手間を繰り返させて僅かながらの時間を稼いでくれるに違いない。だからインターラプターは一歩を踏み出すと同時に拳を固めて上体を捻った。物理的に手間を省くのだ。

 

「アー」ラジコンめいて遠隔刺激されたニューロンが、血肉に刻まれたカラテを呼び起こす。踏み込みを利用して存分に撓められた巨体に、弦を絞られたバリスタめいて恐るべきカラテが番えられる。簡易型タタミ・ケンは破城鎚めいた、いやそれ以上の破壊を発揮した。

 

CRAAASH!! 「アァーッ!」その一振りでヒョットコ自殺攻撃にも耐えた堡塁が、壁に叩きつけられたトーフめいて爆ぜ砕けた。土嚢の破片が辺り一面に降り注ぐ文字通りの土砂降りだ。「「「アイェーッ!」」」戦艦の対地砲撃すら思わせる破滅的光景は、まだ安全な避難所すら恐怖に包んだ。

 

これですらタタミ・ケンより遙かに弱い。もしも本来のタタミ・ケンがモータルに振るわれれば? 指の一関節分でも原型が残るなら、ブッダに感謝の念を捧げねばなるまい。ザムラ・カラテの爪痕を見た人全ての脳裏に恐怖のヴィジョンが浮かぶ。人体の破片が浮かぶ血の海の中で狂った巨人が立ち竦む光景。

 

インターラプターがいる限りそれはまもなく現実となるのだ……そう、インターラプターを殺さない限りは! 「イヤーッ!」首に、手に、足に、黒錆色のロープが絡みつく。端部はクナイ・ペグでコンクリートに打ち込まれ、ロクシャクベルトは腕に絡めて固定済み。

 

持ち手は勿論、ブラックスミスだ! 「ワタナベ=サン、カイシャクします! オカクゴ!」「アバーッ!」足下で断末魔を上げるガルスの首をカイシャク代わりに踏み砕くと、ブラックスミスは縄めいた筋肉を浮かび上がらせて黒錆色のロープを全力で引いた。

 

「イヤーッ!」まさに命がけのタグ・オブ・ウォー! 賭けるは自分の命、配当は守るべき家族と住人の未来! ブラックスミスの噛み締めた奥歯に亀裂の音が響き、腕に絡めたロクシャクベルトが肉に食い込む。「アアア」「ヌゥーッ!」だがインターラプターは止まらない。

 

喉を、肉を、骨を引き絞るロープすら無視して、『ワタナベ』が愛した人々を殺すために狂った行進を続ける。地面に打ち込んだクナイ・ペグが次々にへし折れ、二人をつなぐ黒錆色の直線から繊維が千切れる悲鳴があがる。肉に食い込んだロクシャクベルトから血が滴り、吐き捨てる血に歯の欠片が混じる。

 

最早これはバッファロー殺戮鉄道と力比べを試みるTV番組が如き無謀! だが引くわけにはいかぬ。この先には守るべき家族が、ワタナベが守ろうとした人々がいるのだ! 「イヤーッ!」勝ち目がないならルールを変えるまで! ブラックスミスは決断的に全てのロープを分解し、異形のスリケンを幾つも構える。

 

前進を縛るロープが突如消え失せて、インターラプターは大きくタタラを踏んだ。「イヤーッ!」ブラックスミスは無数のスリケン群を放った。アイサツ代わりのジャブめいた速射。僅か一息で放たれた霰弾めいたスリケンがインターラプターの狂相へと迫る。

 

「アー」インターラプターは防御もせずにその全てを顔面で受け止める。眼球の真横をスリケンが刻んでも瞬き一つしない。「アァーッ!」視界を覆う流血を無視して、大きく踏み込むインターラプター。踏み込みを利用して上体が捻り上げられ、脅威の弾性力をその内に蓄える。

 

「アァーッ!」「イヤーッ!」空間を叩き潰しながら必殺の簡易型タタミ・ケンが振るわれた。ドオム! 断熱圧縮のプラズマ光を幻視する速度で空気が轟く。黒錆色のシルエットが微塵に砕けた。間違いなく即死だろう……それが人体ならば! 

 

「ア?」拳に返るのは人体からほど遠い軽く脆い感触。影法師は無数の破片に変わり虚空へと溶けた。代わりに同色の影が振り抜いた腕をからめ取る。影の主は言うまでもなくブラックスミスだ! スリケン群で目を眩まし、その一瞬でスケープゴート・カカシを形作って簡易タタミ・ケンを誘ったのだ! 

 

「イヤーッ!」バイオローチめいて足下を這い回るブラックスミスは、インターラプターが腕を戻すより速くロクシャクベルトとスリケン鎖で手足を結びつける。すぐさま剛力で引き千切ろうとするが、雁字搦めの布紐とスリケン鎖は軋む音を立てるだけ。拳を振り抜いた無理な姿勢の為に十分な力が入らない! 

 

「イヤーッ!」身動きのとれない巨体を駆け上がりブラックスミスは全力で跳躍した。さらに空中でクナイ分銅付きの布紐を放ち、跳躍力で首を締め上げる。極まった首を支点にブラックスミスのベクトルが180度反転する。重力加速度に跳躍加速を加えた必殺のカワラ割りパンチを空中で構える! 

 

「イィィィヤァァァーーーッ!!」「アーッ!」ソニックブームを纏いながらニンジャの頭蓋骨を貫通する圧倒的カラテが脳天めがけ叩き込まれた! 幾千幾万と打ち込み鍛え上げたデント・カラテ必殺のフィニッシュムーブ。例え鋼鉄で頭蓋が出来ていようと刺し貫いて肘まで埋まる一撃だ。

 

だが、インターラプターの肉体強度と比べるならば鋼鉄などトーフと変わらぬ。「ヌゥーッ!?」殴った側のブラックスミスの方が苦痛の声を上げた。オイラン肌の柔らかみと免震積層ゴムの弾性を併せ持つニンジャ筋肉が打ち込まれたカラテを余さず受け止め、その全てを叩き返したのだ。

 

「アァーッ!」反動に喘ぐブラックスミスを振り落とそうとインタラプターが全身を震わせ、その度に紐と鎖が弾け飛ぶ。カラテの足りないインスタントでは長くは持たない。神経を走り抜ける電撃感を無視してブラックスミスは固めた拳を振り上げる。一撃で足りないなら百でも千でも打ち込むまで! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「アーッ! アーッ! アーッ!」二、三、四度と杭打ち機めいて日々の鍛錬で鍛えたカワラ割りパンチが脳天に叩き込まれる。皮膚が抉れ肉が弾け、振り上げる拳から血が滴る。神経パルスが拳から感覚を奪い、関節から苦痛の絶叫があがる。それでも打つ! 打つ! 打つ! 

 

「アァーッ!」だが、インターラプターに十分なダメージは見られない。身じろぎの度に拘束が一つまた一つと弾け飛ぶ。しかもその数は加速度的に増している。速度を上げる危機的状況にブラックスミスは思わず視線を避難所に向けていた。そこに守るべき家族がいる。決して行かせるわけには行かない。

 

((今ここで殺す!)))堅く握りしめた拳を高々と突き上げ、全身のカラテを一点に収束させる。拳から流れる血が蒸気となって立ち上り、スリケン鎖と布紐が腕を覆って殺人的ガントレットを形作った。「イィィィ……」気息を整え気力を込めて今、全身全霊のカワラ割りパンチが打ち込まれる! 

 

……焦りはウカツを呼び込み、ウカツは敗北を招き入れる。徹底的に打ち据えたとはいえ、インターラプターを討たんとする余りブラックスミスはガルスのサヨナラを聞かなかった。そしてまた今も、高々十数発のカワラ割りパンチで効かぬと判断を焦り一発の力で対抗しようとしていた。

 

ブラックスミス、すなわちカナコ・シンヤは『原作』を知る転生者だ。知っていた筈だった。なのにそれを忘れていた。『インストラクション・ワン』、ドラゴン・ゲンドーソーがニンジャスレイヤーに授けたカラテの真理。それを守り彼はアースクェイクから勝利をもぎ取った。ならばそれを破ったなら? 

 

「ヤァァァッ……ッ!?」拳を振り下ろす寸前、不意の光がブラックスミスの目に飛び込んだ。光の出所は床に横たわる白い影。それは殺した筈の紅白ニンジャのガルスに他ならない。ただし白という言葉を使うにはその姿は余りにも血みどろで、名前に「故」か「元」を頭文字につけるか迷う有様だった。

 

両手両足のない胴体には複数の風穴が空き、120度曲がった首から上は肉片と骨片を血で練り混ぜた混沌と化している。片方の眼孔は文字通りに見る目のない節穴で、眼窩からこぼれ落ちた逆の目は萎びて視神経で繋がっている状態。だが両の眼球を潰されてもまだ額の「目」は、眼球文様は輝いている!

 

(((まだ息がっ!?)))危機的状況に吹き出すニンジャアドレナリンで時間感覚が急減速する。ガルスは殺した筈だった。残りの三肢を折り取って肺に大穴を空け、顔面ごと両目を殴り潰してトドメに首を踏み砕いた。サヨナラを聞き忘れたとは言え、尚も息があるとは想像もしていなかったのだ。

 

しかし想定外であろうが責任が無かろうが、因果は容赦なく結果を返す。善因には善果が報い、悪因には悪果が応える。そしてウカツという原因には、敗北という結果が贈られるのだ。「アッ、Ah−Ho!」戦慄するブラックスミスが目を覆うより早く奇っ怪なシャウトが響いた!

 

「グワーッ!?」白けた輝きがブラックスミスの両目を刺し貫く! 人生を描いた記憶のキャンパスに白痴のペンキがぶちまけられた。思考も記憶も名前すらも、何もかもが真っ白に塗りつぶされていく。忘我の衝撃に打ちのめされるままに巨体の上から力なく崩れ落ちた。

 

「ああ、あ」ブラックスミス、すなわちカナコ・シンヤ……であった『彼』の顔に浮かぶのは、夕闇に取り残された迷い子めいた困惑と恐怖だけ。『彼』の目に映る場所全てが見知らぬ風景に、映る人々全員が見知らぬ群衆になり果てた。

 

自らが依って立つ理由を全て奪われて一体何ができようか。『彼』には怯え竦むままに両手で顔を覆うことしか出来ない。「アアアーッ!」ならばインターラプターを押し止める者はもういない。身を縛る鎖から解き放たれた猛獣は、再び獲物を求めて一路避難所へと歩き出した。

 

【プロミス・イズ・ブリーチッド・トゥー・イディオット】#1終わり。#2へ続く

 



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第七話【プロミス・イズ・ブリーチッド・トゥー・イディオット】#2

【プロミス・イズ・ブリーチッド・トゥー・イディオット】#2

 

「ああ、ああ」嫌うバイオピーマンを幼子が拒むように『彼』は何度も何度も抱えた頭を振る。その目の中にヨージンボーとしてキャンプ住人を、大黒柱としてトモダチ園の家族を、命を懸けても守ろうとした鋼鉄めいた意志は一片もない。果たすべき役割をも忘れ去り、沸き上がる混乱と不安に顔を覆うだけ。

 

「アアー!」故にインターラプターはもう止まらない。打ちのめされた『彼』がジツの使い方すら忘れた為か、拘束は引き千切るまでもなく自ら崩れ落ちた。全身を縛り上げていたスリケン鎖と布紐の残骸を震い落とすと、インターラプターは緩慢なチドリ足で避難所へと向かう。

 

一歩、また一歩と恐怖が住人達へと近づいてくる。制止の手段も対抗の手筈も何一つない。恐怖に抗しうるニンジャ達は全員助けに来れない。一人は赤影ニンジャを食い止めるのに必死、もう一人は死に体の白影のジツに崩れ落ちた。最後の一人は、今避難所へと足を進める恐怖の化身そのものだ。

 

「逃げろ!」「ブッダ!」「死にたくない!」逃れようのない恐怖とパニックの火が避難所を沸騰させ、冷静さが住民たちの脳裏から蒸発する。「こっちだ! 急いで!」だが全員ではない。危機的状況ながらも未だヘイキンテキを保つタジモ村長が声を張り上げた。指さす先は当初の避難経路である。

 

そこはヒョットコ進入を防ぐために土嚢で封印されていたが、トライハームのエントリーで破られている。その向こうにヒョットコはもういない。万一のためにタジモ村長が確認済みだ。つまり当初の予定通りにここから外へ脱出できるのだ! 

 

「急げ! 急げ!」「通してください!」ジゴクに垂らされた蜘蛛の糸に群がるように、唯一の脱出経路へと住人達が押し寄せた。「一人ずつ並べ!」「沢山は通れんぞ!」タジモ村長とナンブ隊長の指示を受けた防衛隊員が列の整理にかかるも、防衛隊の大半が死に絶えた現状では余りに人手が不足している。

 

「並ぶんだ!」「押さないで!」「潰れる!」「俺が先だぞ!」「荷物は諦めろ!」住人同士が互いに押し合いへし合うせいで避難は遅々として進まない。既にインターラプターは避難所の目前に迫っているというのに、まだダース単位の住民が残っている。どう考えても時間が足りない。

 

BLATATATA! 「顔面に集中射撃! とにかく目を眩ませろ!」その時間を稼ぐべく、死兵となった残存防衛隊員が最後の防衛線で奮闘の真っ最中だ。「目だ! 目を狙え!」「「「ハイヨロコンデー!」」」肉体が鋼鉄を遙かに超える強度だとしても全器官がそれとは限らない。

 

「アー」足下を這い回るバイオアントの群から目前を飛び回るミュータントフライ群程度には昇格できたのか、インターラプターは鬱陶しそうに腕で顔を覆う。「イヤーッ!」視界が遮られたその隙に防衛隊員が飛びついた。火薬をたっぷり詰めたパイナップルが全身に鈴なりになっている。

 

「逝ってこい!」「逝きます! バンザイ!」全身に残りの手榴弾をまとめて巻き付けた防衛隊員は、紐で括られたピンを全て引き抜いた。最期の瞬間は太く笑う。それが湾岸防衛隊魂だ。KABOOM! 「アバーッ!」「アーッ!」爆風が空気を轟かせ、無数の鉄片が吹き荒れた。硝煙と土煙が巨体を包む。

 

「今!」「「「バンザイ!!」」」好機を見いだしたナンブ隊長がグンバイを振り下ろす。合図と共に死の恐怖を戦場の狂気で塗り潰し、残る爆弾全てを身にまとった隊員達が駆けた。KABOOOOOOOOM!! 「「「アバーッ!」」」「アーッ!」弾けた爆炎が網膜を焼き、轟く爆音が鼓膜を叩く。

 

「グワーッ!」ナンブ隊長は爆発の衝撃に打ちのめされ散々に転がった。防衛隊全員の死で一体何秒が稼げた? どれだけの合間、歩みは止まる? 脳震盪に崩れる意識をつなぎ止め、閃光に霞む目を凝らす。爆発中心の巌めいた影は動かない。重篤なダメージを負ったのか? 

 

「アー!」否! 奇妙な防御姿勢を解くと影は遅滞なく動き始めた。ザムラ・カラテ防御の奥義、カラダチは火炎も鉄片も衝撃すらも通さない。「カミカゼもさせてくれんのか……ブッダ……どうか目を、覚ま……」希う声が掠れ消え、絶望と共にナンブ隊長の意識は闇に沈んだ。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「そこを退け! 俺が逃げる!」「神様! ブッダ! オーディン! 何でもいいからお救いください!」「皆死ぬんだ! 死ぬ! 死ぬ! イヒーヒッヒッヒッ!」動物的本能のままに他者を踏みつけて逃げ出す者、奇跡を夢想して超越者に縋る者、現実から目を背けて狂気に走る者。

 

煮えたぎるアンコシチューは、焦げ付きの果てに遂に火を吹き上げた。残存防衛隊の壊滅と避難所に踏み入るインターラプターを目の前に、残された住民たちの精神は限界を超えたのだ。防衛線の崩壊と共にモラルも崩壊し、避難所は混沌という言葉を超えたアビ・インフェルノの狂乱と絶望の最中にあった。

 

「潰れる!」「出して!」「通りたい!」唯一の脱出口は逃げだそうとする人々がみっしりと詰まり完全に蓋をされている。その背後に迫るインターラプター。堡塁をトーフめいて砕く拳が振り上げられる。「「「アイェェェ!」」」「アァー」逃げ場もなく救いもなく、確実な死だけがそこにあった。

 

「アァーッ!」「「「アバーッ!」」」CRAAASH!! 絶望する暇すらなく、そこにいた全員の魂はアノヨへと叩き出された。加えて細切れ人肉と粉砕コンクリートが降り注ぎ、脱出口の封鎖はより完璧となった。可能性とも呼べないゼロコンマ以下であったが脱出の確率はこれで完全に無くなった。

 

「アー! アー! アー!」自作した有機物と無機物の合い挽きを前にインターラプターは大きく身震いをする。それは何度と無く身を浸した殺戮の喜びの再体験か、それとも僅かに残るワタナベの正気が流す滂沱の代わりか。どちらにせよ溢れる体液に覆われた顔から、感情を示す表情は読みとれない。

 

「「「ウワァァァン!」」」「ダイジョブよ! ダイジョブだから!」「心配するな! 何とかなる!」破壊と殺戮、死と絶望。許容量を遙かに超えた現実に子供達は泣きわめく事しかできず、必死に宥めるキヨミとコーゾの言葉も空疎に響く。

 

「アァ」子供等の泣き叫ぶ声に反応したのかインターラプターが声の出所を空っぽの目で見つめる。「「「ウワァァァン!!!」」」ニンジャの圧倒的恐怖に子供達の絶叫がオクターブをあげた。シンヤ由来のNRS耐性でショック死しないだけマシか。それともNRSで気を失って死ぬ方が幸福か。

 

いつでも呼べば助けに来るはずだった家族のヒーローは、邪悪なジツに魂ごと打ち据えられて茫漠と虚空を眺めている。いや、泣きじゃくり響きわたる子供達の声に『彼』もまた顔を向けた。泣き叫ぶトモダチ園の子供達、死に物狂いで盾になろうとするコーゾ、涙を滲ませて抱きしめるキヨミ。

 

ドクン! 心臓が跳ねた。記憶は全て白痴の向こう。光景の意味も判らない。(((……レ)))「あ」だが、何かが頭の奥で声を上げる。(((……シ・レ!)))「ああ」黒い熱が腹の底で煮えたぎる。(((ハ・シ・レ!!)))「あああぁぁぁっ!」コールタールめいたドス黒いエネルギが沸騰し、『彼』のケツを蹴り上げた! 

 

「うわあああぁぁぁっ!!」耳に届く泣き声も目に映る涙も何一つたりとも判らないまま、吹き上がる衝動に従って『彼』は駆ける。訳の判らない大声を上げながら堡塁を飛び越えひた走る。涙をこぼし両手を振り回すその様は、道理も判らぬ子供の癇癪そのものの姿だ。

 

それでも速度はニンジャのそれ。並び立つ堡塁を一跳び二跳びで超えると瞬く間に避難所へと飛び込む。一路向かう先は子供達に向けて拳を構えるインターラプターだ! 「ワァーッ!!」速度をそのままに『彼』は文字通りの肉弾攻撃を加える! 拳の振り方すら忘れた『彼』に出来るのは体当たりが全てだ。

 

それでもニンジャの速度で人間の質量が”モータルに衝突すれば”交通事故以上の結果が待っている。しかし相手はニンジャだ。跳び来る『彼』にインターラプターは構えた拳をそのまま振るった。「アァーッ!」「グワーッ!」巨拳に正面衝突した『彼』は空中三回転捻りで避難口前の有機土砂に突き立った。

 

「え……?」焼け付く恐怖よりドス黒い絶望より、ただ茫漠たる空白が満ちた。トモダチ園の誰もが呆然の顔で、向き直る巨体と逆さに突き立った家族を交互に見つめている。彼らを見据えるインターラプターはエラーを起こしたUNIXが再起動を繰り返すか如く、何度も何度も拳を握り直す。

 

「アアー」モータルの子供達でも判るほどゆっくりと震える拳が振りかぶられた。コーゾがインターラプターにしがみつく。だが止まりなどしない。キヨミが子供達に覆いかぶさる。だが防げなどしない。キヨミの肩の隙間から、エミは捻りに捻られたインターラプターと異常に緊張した拳を見た。涙が溢れた。

 

……時に幼い子供は大人の飲酒を強烈に嫌悪することがある。認識能力の未発達な彼らには、泥酔した大人が異様な怪物にしか思えないのだという。エミもそうだった。体液にまみれ狂気で塗り潰された声で死を迫る『インターラプター』は、幼いエミにとって恐怖のモンスターでしかなかった。

 

「オジチャン、タスケテ……」だからエミは優しいオジチャンを、『ワタナベ』を呼んだ。「ハィィィーーーッ!!」最期のシャウトと轟音が地下空間を揺るがした。

 

【プロミス・イズ・ブリーチッド・トゥー・イディオット】終わり



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第八話【ハート・キャント・ダイド・ブラック】#1

【ハート・キャント・ダイド・ブラック】#1

 

パ ァ ン

 

水が弾けるような、あるいは手を打ったような音だった。そう聞こえたのは道理だろう。弾け飛ぶ人体の八割は水分で、拳が着弾したのは肉体なのだから。超音速の衝撃を伴う剛拳は、柔らかなトーフめいて肉も骨も粉々に吹き飛ばした。無数に千切れた肉片と高らかに吹き上がる血潮が真っ赤な雨を降らす。

 

溢れかえる赤は命の色であり、まき散らされたそれは逆説的に明確な死を表現している。辺りに降り注ぐ緋色の量は、一般的成人男性の体積に匹敵しているだろう。だからそれは、被害者の命が尽きたと明言している。だからそれは、被弾者の肉体が原形を留めていないと断言している。

 

だからそれは……呆然と降りしきる血の雨を見上げた、”無傷”のエノモト・エミの生存を表していた。そう、無傷! 元ソウカイ・シックスゲイツ筆頭の狂乱ニンジャ『インターラプター』が全力で拳を振るったというのに! キヨミが、コーゾが、その身を捨てて子供達を守りきったのか!? 

 

否。女性一人、男性一つ、高々二つの肉体だけで防げるほどタタミ・ケンは甘くはない。ならば、何故? 「アァ、アバッ」それは脳漿をこぼしながら退くインターラプターが示していた。殴りつけた筈の拳も腕もひしゃげてへし折れ、上半身の半分がバイオ生物に食い破られた様に吹き飛んでいる。

 

事の一瞬をニンジャ動態視力の持ち主が見たならその目を疑っただろう。拳を振り抜く刹那、『インターラプター』の目に灯った人間性の光を目の当たりにして! そして……ALAS! 半身粉砕を代償に『ワタナベ』が成し遂げた、人体構造学上不可能なタタミ・ケンの180度ベクトル転回を目にして! 

 

……嘲うウォーロックに肉体を奪われ、守るべき人々を手に掛けさせられた。魂を踏みにじる後悔と悲嘆の中、泣きじゃくる子供へと拳を振るおうとする自身を見せつけられた。それに血とアンコで描かれた、あの夜の絶望の再現。だが全てではない。助けを呼ぶエミの声は確かにワタナベに届いた。

 

故に約束は、エミは守られた。(((約束を、エミちゃんを必ず守るよ)))トモノミ・ストリート浮浪者キャンプのヨージンボー『サカキ・ワタナベ』は、その命を以てソウカイ・ニンジャ『インターラプター』の魔の手から、幼いエノモト・エミを守ったのだ! ゴウランガ! ゴウランガ! ゴウランガ!! 

 

想像を超えた光景に誰も理解が追いついていない。突然取り払われた確実な死に、トモダチ園の誰もが呆然としている。それはニンジャ達も同じ事。血を吐きながらチョップを交わしていたニンジャスレイヤーもスクローファも、半死半生のまま悲劇を待ち望んでいたガルスも惚けるばかり。

 

違うのはただ一人だけ。ボロクズになった黒錆色のニンジャ装束からは血が滴り、ひしゃげた赤錆メンポからは苦痛の荒い息が漏れる。スリーステップ・ジツを食らい記憶も名前も喪った。立つ理由も戦う意味も消え失せた。なのに! だと言うのに! 「シンちゃん……!」『彼』は家族を背にして立っている! 

 

記憶を取り戻した訳ではない。ジツは未だ効果を及ぼしている。『彼』は自分が立っている訳すら理解できていない。(((何を寝ている!? カラテパンチ千本追加! さあ、立て!)))だがその耳には叱責の声が響いていた。声の主も台詞の意味も、記憶を失った『彼』には一つたりとも判らない。

 

しかし、肉体は何千何万と繰り返した正解を教えてくれた。例え記憶を失おうと、その血肉はカラテパンチを覚えている。(((拳を握れ!)))例え過去を消されても、その拳はカワラ割りパンチを覚えている。(((カラテを構えろ!)))例え名前を奪われようとも、その細胞はデント・カラテを覚えている! 

 

名前とは、自分を明示するものであり、自己を規定するものであり、自身を記述するものである。だが、それならば明示される自分とは、規定される自己とは、記述される自身とは何だ? それは血肉に焼き付いた記憶であり、細胞に積み重ねられた鍛錬であり、魂に刻まれた経験だ。そう、それが! それこそが! 

 

カ ラ テ な の だ ! ! 

 

「アバアァーッ!」エミを救う為に『ワタナベ』は魂を燃やし尽くし、人間性の灯は姿を消した。内臓をまき散らしながら『インターラプター』が捻った半身から残った巨腕を振るう。だが心配はいらない。「イヤーッ!」トモダチ園のヒーローは! もう一人のヨージンボーは! 今ここに立ち上がったのだ! 

 

ドゴム! ザムラ・カラテ攻めの奥義タタミ・ケンと、デント・カラテ基本にして奥義へと至るカラテパンチ。爆音めいた激突音を轟かせて互いの拳が正面衝突する。空間そのものが弾き飛ばされたと思わせる衝撃が、コンクリ片と空気を球形に押しのけた。床に広がる流血が巻き上がり再び血の雨を降らせる。

 

「アバアァーッ!」「イヤーッ!」ドゴム! 即座に二度目の撃音が響きわたる。恐るべきはインターラプター。並のニンジャなら即死確定の重傷でこれほどのカラテを振るうのか! だがそれに応じる『彼』も負けてはいない! 拳に拳を叩きつけ、真っ正面から応じてみせる! 

 

「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」

 

息すらつけぬ、瞬きもできぬ、超音速の拳の応酬! 「イヤーッ!」「アバアァーッ!」(((引き手は打ち手以上に速くなさい)))一打ごとにカラテを鍛えた日々が蘇る。「イヤーッ!」「アバアァーッ!」(((考え抜いたカラテパンチを千発打ちなさい)))一撃ごとにカラテを重ねた記憶が舞い戻る。

 

打ち続けるカラテパンチがニューロンを発火させる。(((教えた全てはカラテパンチです)))その度に脳細胞に焼き付けたインストラクションが再生される。(((全ては一撃に収束します)))

 

耳の奥に響く音声と瞼の裏に映る光景は、過去へ過去へと遡っていく。脳裏に浮かぶのはカラテパンチを教わった最初の日。殺人技術であるデント・カラテを教わる意味をオールドセンセイから問われた。

 

『貴方は何の為にカラテを学びますか?』ネオサイタマ、暗黒なエネルギ、ドクロの月。(((理不尽に抗う為です)))名を思い出した記憶から自分の答えを思い出していく。

 

『貴方は何の為にカラテを鍛えますか?』キャンプの住人、トモダチ園、家族。((大切な者を守る為です)))名を取り戻した光景から自分の言葉を取り戻していく。そして最後の問いが、最後の答えが、ニューロンを塗りつぶした忘我を突き破り顕れる!

 

『貴方は何の為にカラテを振るいますか?』デント・カラテ、ウサギの月、ブラックスミス……カナコ・シンヤ! 「ただ、己である為だ!」『彼』は、カナコ・シンヤは、ブラックスミスは自分の名を握りしめて叫んだ!

 

精神を覆っていた白い霧は消え去った。鮮明なる世界の中、ブラックスミスはデント・カラテを構えた。拳は打つべき形を作り、足は立つべき位置を取る。積み重ねたカラテの全てと、取り返した記憶の全てが、がっちりと噛み合って取るべき答えを教えている。ブラックスミスは迷いなくそれに従った。

 

「イィィィヤァァァーーーッ!!」カラテパンチを打つ音も姿も無かった。あるのはシャウトとインターラプターの胸の痕だけ。イアイドーの最高段位者はカタナを腰に帯びたまま相手を両断するという。この一撃は正にそれ。オールドセンセイが編み出した、カラテパンチの極限にしてデント・カラテ奥義。

 

その名を曰く、『セイケン・ツキ』! 

 

ドッ……ォォォオオオンッ! 「アバァァァーーーッ!!」着弾痕から死が全細胞に響きわたる! それはインターラプターだけが聞こえる滅びの歌だ! カラテ衝撃波が荒れ狂い、頑強極まりない肉体を貪り尽くす! 半身に開いた大穴のみならず、目から、鼻から、口から、全ての穴から血という血が噴出する! 

 

「アバッ」溢れかえる血溜まりの中、血の噴水と化したインターラプターは膝を突き崩れ落ちる。ザンシンを続けるブラックスミスと、自分の血に溺れるインターラプターの視線が交差した。(((サヨナラ!)))その目の奥に、紐めいて痩せたニンジャが断末魔と共に倒れる姿を幻視した。

 

インターラプターは……ワタナベはひれ伏し首を差し出す姿勢で倒れた。それはドタンバに臨む罪人か、或いは死を希うドゲザか。「ワタナベ=サン、今まで本当にありがとうございました」ブラックスミスは片膝を突き、その頭めがけ拳を引き絞る。「ダメ!」わき腹に軽い感触がぶつかった。

 

「シン兄ちゃんダメ! オジチャンだからダメ! ダメ!」顔を向けるまでもない。顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたエミが、ブラックスミスを押し留めようと必死に抱きついている。モータルの子供でしかないエミの目には、襲いかかってきたインターラプターが突然半分になったとしか見えなかった。

 

だが、認識すらできない刹那の中でも、ワタナベが灯した人間性はエミの無意識にサブリミナルめいて跡を残した。だからブラックスミスの言葉で気づけたのだ。『インターラプター』の内に捕らわれた『ワタナベ』が命を捨てて自分を救ったのだと。そして今『ワタナベ』に兄がトドメを刺さんとしている。

 

「ダメ、ダメ、ダメ……」「シンちゃん、お願いだからやめてあげて」「エミ、キヨ姉」泣きじゃくる妹と駆け寄った姉の懇願に、ブラックスミス、すなわちシンヤは構えを解いた。ウォーロックは今のセイケン・ツキで死んだ。もうインターラプターが襲い来ることはない。確証はないが確信はある。

 

そして、再びワタナベが立ち上がることもない。タタミ・ケンのオウンゴールと叩き込まれたセイケン・ツキは、ワタナベの命をほぼ全て奪った。シンヤがカイシャクをせずとも、もう数分と持たないだろう。「オジチャン、オジチャン」エミがシンヤから離れ、倒れるワタナベへと寄り添う。

 

致命傷を負ったワタナベが何かを呟いた。末期の言葉か最期のハイクか、余りに小さく不明瞭な言葉。「私はダイジョブだよ。オジチャンのお陰でダイジョブだよ」応えたエミが血で汚れることなど厭わずにワタナベを小さな全身で抱きしめる。「エミ、ちゃん」節くれ立って堅い手がゆっくりと動いた。

 

自分の血で塗れた手で、弱々しく緩慢にエミを抱き返す。エミを見つめるワタナベの顔は穏やかに笑んでいた。「アリ、ガト……サヨ……ナ……ラ」瞳孔が散大し、全身から全ての力が失せる。湯気めいたエクトプラズムが立ち上り、空中で音もなく爆発四散した。今、ヨージンボーが逝った。

 

「ヒッ……ヒッ……」声も上げられずにエミは泣き崩れる。キヨミはその体を抱きしめ背中をさすった。全ての涙を流しきれるよう何度も何度も繰り返して。シンヤはワタナベの両目を閉じると涙を堪えるように天井を仰いだ。「ワタナベ=サン。貴方の魂が、家族とキャンプの想いに包まれてあるように」

 

「アバッ……間違い、だ」ニンジャ性を乗り越えた人間性の声を否定するように、ほぼ死体のガルスが絶望混じりに呻く。スリーステップ・ジツの効果から脱せれる筈はない。眼差しを賜り、限りなく強化されたスリーステップ・ジツはニンジャからすら名前と記憶を奪い去り、敬虔なる使途へと『名付け』る。

 

それは偉大なる方の慈悲であり審判だ。「アリエ、ナイ……アバー」それを乗り越えるなどあり得てはならない。だからガルスは現実を拒否するほかにない。自分の名前を捨てて『名付け』られたガルスには、もう天使ニンジャとしての役割以外何一つないのだから。

 

「スクロー、ファ=サン、が勝てば」ガルスは残った唯一の可能性である仲間にすがりつく。だがその耳に届くのは絶望だけだ。「アッババババババァァァーーーッ!」同じ天使ニンジャが発する苦痛にまみれた末期の声。それはコロナビールのキャップめいてクルクルと宙を舞う同胞の首が叫んでいた。

 

【ハート・キャント・ダイド・ブラック】#1終わり。#2へ続く



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第八話【ハート・キャント・ダイド・ブラック】#2

【ハート・キャント・ダイド・ブラック】#2

 

時間は『ワタナベ』がその魂を燃やし尽くした瞬間まで遡る。「ハィィィーーーッ!!」ニンジャ視力を持つスクローファは『インターラプター』を打ち倒す『ワタナベ』の姿を目の当たりにしていた。トライハームと偉大なる方が立てた完全なる勝利のプロットが、人間性の灯火に焼き尽くされるその瞬間を。

 

その光景を受け入れることも、その現実を認めることもできず、ただ呆然と白痴の表情で眺めることしかできなかった。それは奇しくもスリーステップ・ジツをかけられた被害者達の忘我の顔に酷似していた。名前と記憶と人間性を奪っていた者達が、人間性の発露に目と心を奪われるとは何たる皮肉か! 

 

「スゥーッ! ハァーッ!」茫漠のスクローファを正気に返したのは特徴的なチャドー呼吸音。今、この場でチャドー呼吸を扱えるのはただ一人しかいない。『ワタナベ』の見せた人間の意地に真っ先に反応したのは『彼』ことブラックスミスだ。それに次いで応じたのは……そう、ニンジャスレイヤーである! 

 

「スゥーッ! ハァーッ!」「無駄に引き延ばして何になる! 貴様の死は決まっていると言ったは…………え」ニンジャスレイヤーは限界を超えてカラテを振るい続け、サンズリバーのほとりに足を浸している。チャドー呼吸をした処で、死体相手の延命治療と何も変わりない。

 

だが、見せつけられた光景にスクローファは後ずさった。「なんなんだ、それは!?」チャドーを構えるニンジャスレイヤーから濁った煙が燻っている! ダークニンジャからのカタナ傷に見え隠れするのは、装束より赤黒く燃える不浄の火だ! 憎悪の炎が折れたカタナを打ち直すが如くに傷口を熔接していく! 

 

「そ、そんなの『原作』に書いてない! 設定に反してるぞ! ふざけるな!」ナラクと交感し力を引き出せるようになるのはまだ先の話、ブラックヘイズとのイクサの中だ。今現在はドラゴン・ゲンドーソーの封印によりナラクは封じられ、ウシミツ・アワーにわずかに漏れ出す程度。『原作』にそう書いてある。

 

「原作? 設定? ご都合主義の三文小説(パルプフィクション)をオイランチラシの裏にでも書き殴っているつもりか。ふざけているのはオヌシであろう」だがそんなものをニンジャスレイヤーが知る由もない! ニンジャスレイヤーが知っているのはワタナベが見せた人間性の輝き、感傷が産んだ希望の姿だ。

 

「スゥーッ! ハァーッ!」傷は余りに深く体力はとうに底を突いた。不浄の火で傷を焼き塞ごうと、チャドー奥義を繰り出せばカラテ反作用で死ぬかもしれない。封印を破りその力を用いた以上、目覚めたナラクが肉体を乗っ取るかもしれない。だが! しかし! 

 

(((それがどうした)))ここで臆してトチノキの仇を討てようか! ここで死んでフユコの敵を取れようか! 自らの死を越えてなお目的を果たしたワタナベの姿は、フジキドの魂を蹴り上げた。チャドーの構えが絞り上げられ、決殺のカラテが練り上げられていく。

 

「ナンデ!? 勝てた筈なのに! 勝ってた筈なのに! ナンデ!?」装填されていく死を目の前に襲いかかることも忘れて怯え竦むスクローファ。ジツで肥らせたニンジャ筋肉とともに、全身に張り付けた大物ぶったメッキは剥がれ落ちた。ニンジャ以前の貧相な地金が姿を見せる。

 

……ヤンク達に踏みにじられ続ける自分を認められず、全てを踏みにじり返す姿を妄想し続けた。鍛えることも逃げることもできず、靴をしゃぶり土を舐めながら無双の力を夢想していた。だから夢の中で偉大なる方に名前を貢ぎ、天命の使徒たる天使ニンジャとなった。

 

なのに今、自分たちは全てを失おうとしている。何故!? どうして!? ナンデ!? 理由は一つしか思いつかない。「全部、全部! お前のせいだ!」計画に挟まった夾雑物、慈悲を拒んだ忍非人。それはインターラプターの前に立ち塞がる、同胞になり得なかった転生者。

 

「目をかけられていたくせに! 目を付けて頂いていたくせに!」家族を背にして襲いかかる邪悪に相対する姿は、まさに主人公(ヒーロー)。「チートに縋る裏切り者! オリ主を気取る大罪人! メアリー・スー擬きの背信者!」世界の主人公(ヒーロー)は、偉大なる方に選ばれた自分たちの筈だったのに。

 

「トライハーム完全であれば、ミウツワが揃ってさえいれば!」喉よ裂けんと現実逃避の八つ当たりを叫び散らすスクローファ。「偉大なる方とやらに祈らぬのか? 信心も底を見せたようだな」「……っ!」ニンジャスレイヤーの鋭利なる舌鋒がその口を縫い止め、毒舌が声帯を麻痺させる。

 

いや、その喉を止めたのは毒舌ではない。「アッ、アィ」すぼまった瞳孔の赤く突き刺す視線が、牙めいて変形したメンポから溢れる硫黄の吐息が、恐怖という五寸釘でスクローファの全身を縫い止めていた。「ハイクを読め、スクローファ=サン」そしてデス・オムカエの化身が死刑執行書にハンコを捺した。

 

「ぼ、僕らは選ばれたんだ! 偉大なる方の天使だ! 原作キャラなら僕らを誉め称えて持ち上げてればいいんだ!」最後に叫ぶのもフィクションの悪影響。ハイクなど思いつきもしなかった。この地に足を付けたシンヤと違い、彼らはどこまでも異邦人でどこまでも他人事に過ぎなかった。

 

「なるほど、オヌシ等は妄信と妄想に生きておるようだな。だが、これから受ける傷も流す血も振るわれるカラテもすべて現実よ!」ジゴクから響く声が名もない転生者の泣き言を一刀両断する。「水に落ちねば犬も叩けぬ腐肉食らいのサンシタが、貰い物のジツ一つで天使気取りとは片腹痛いわ!」

 

血の気の引いたスクローファは何も返せずに歯の根を鳴らすだけ。「所詮、貴様等はカラテの足らぬ外道ニンジャに過ぎぬ! 真のニンジャのカラテ、血肉最後の一片まで味わうがいい!」13階段を登り切り、その首は処刑台に据えられた。振り下ろされるギロチンの名はチャドー奥義「タツマキ・ケン」! 

 

「 ニ ン ジ ャ 殺 す べ し ! ! 」

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ!」

 

颶風に等しいタツマキ・ケンの大旋風は、留まることなく無限に加速する! スクローファは生きながらにして精肉装置に詰め込まれた子豚の有様だ! だが、強化グラトン・ジツの再生力はそれにすら耐える! これでも死なない! これでも死ねない! これでも死なせてくれない! 

 

((ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ! もうヤメテ!)))もはやこれは破壊のための再生、苦痛のための回復である! 何たる皮肉か、使い手を一秒でも長く生かす筈の超常的回復能力は、使い手に一秒でも長く超常的ジゴクを味わせる拷問能力と化した! 

 

「イィィィヤヤヤヤヤヤァァァーーーッ!!」「アッババババババァァァーーーッ!!」加速は極限に達し、無数のシャウトも打撃音も単音にしか聞こえない! 超音速赤黒ミンチマシーンはついに異常再生能力を超えた! 両足が砕ける! 股間が潰れる! 内蔵が弾ぜる! 両腕が飛び散る! 首が……千切れる! 

 

「ヌゥゥゥッ……!」全てのカラテを出し尽くしたニンジャスレイヤーは血の海の中で崩れ落ちた。その頭上で千切れ飛んだ頸が竜巻の気流に乗って舞っている。その下はない。スクローファの全身は血霞の中に消えた。恐るべきチャドー天変地異は肉片一つたりとも残りはしなかったのだ! ナムアミダブツ! 

 

両目を失ったガルスにはその光景は見えなかった。だが、苦痛の最中に死にゆくスクローファの断末魔は耳に届いた。同胞は死んだ。自分も助からない。墓標に刻まれる名はない。死を悼む者もいない。全て偉大なる方に捧げてしまった。ただの無として消えゆくのみ。おお、なんたるショッギョ・ムッジョ! 

 

計画の完遂の望みを失い、同胞の勝利の希望を絶たれ、ガルスを生かしていた力が消え失せた。崩れ落ちたガルスの死体と、宙を飛ぶスクローファの首。両方から最後の叫びが溢れ出る。「「サヨナラ!」」これだけはこの世界に則っていた。トライハームの二人は爆発四散し、全てが終1わ01った。

 

【鉄0101火の010101

 

010101010111111111メメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメ だ メメ め メメ だ メメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメ111111110101010101

 

鉄0101火の01銘】

 

「っ!?」爆発四散の次の瞬間! 飛ぶスクローファの最期を見つめていたブラックスミスは反射的にカラテを構えていた。しかし……何も起こらない? 困惑のままカラテ警戒を続けるが異常らしい異常はない。そう、何も起きていないのだ。トライハームの二人が絶命しただけだ。それは当然の結果に過ぎない。

 

「何、だったんだ?」ならば何故自分はカラテを構えているのだろうか。何も無かった筈で、実際何もないのだ。しかしブラックスミスはデント・カラテを解かない。何もないならこの強烈な違和感は何だ? 何も可笑しくないのに何かが可笑しい。目の前全てが間違い探しの一枚絵に変わったかのよう。

 

シンヤは不意に気づいた。(((首が、無い!?)))状況にも依るが死んだニンジャの肉体はソウルの暴走により爆発四散する。だが爆発四散しても首は残る、爆発四散しなければ死体が残る。しかしどちらもない。吹っ飛んでいたスクローファの首は消えて失せた。ガルスの屍も同じ。異常である。

 

「シンちゃん? まだ何かあるの?」「……いや、何もないよ」目を皿にして周囲を睨みつけるブラックスミス、すなわちシンヤへと、しゃくりあげるエミを抱きしめたまま心配げな目を向けるキヨミ。ニンジャであるシンヤにしか判らない危機がまだ残っているのだろうか。

 

「連中は全員死んだよ。もうダイジョブだ」不安と疑惑に苛まれながらも、家族を安心させようと言葉を捻り出す。これ以上、家族の不安を煽る訳にはいかない。「シンちゃんとモリタ=サンと……ワタナベ=サン達のお陰ね」エミの背中を撫でるキヨミの視線の先には、もう動かないヨージンボーの姿。

 

「おおシンヤ=クン! 終わったのか!?」「タジモ=サン! ええ、終わりました。終わりは、しました」全てのイクサ音が止んで恐る恐るとタジモ村長が顔を出した。避難口付近で誘導整理をしていたが、運の良いことにタタミ・ケンにまとめて土嚢材料にされる事なく気を失うだけですんでいたのだ。

 

「そうか、ワタナベ=サンは……おお、ブッダ!」シンヤの言葉から事情を察したタジモ村長はワタナベの亡骸から痛ましく顔を覆う。シンヤはハンケチ程の布を生成するとワタナベの死に顔にそっとかけた。

 

「ワタナベ=サンは最後の最期までヨージンボーでした」「そうだろう。彼は仕事を全うしたんだ」キャンプの防人を悼む目は悲嘆と慈悲に溢れていた。キャンプは守られた、だが多くを失った。防衛隊はナンブただ一人を残して全滅し、ブラックスミスもまた胸骨を砕かれ指はあらぬ方角を向いている。

 

血だまりに倒れるニンジャスレイヤーは消耗のあまり自力で動くこともできない。そしてキャンプの守護神であったワタナベは、もう目を開くこともない。勝利と言うには余りにも苦く辛い。誰もが払った犠牲の大きさに声もなく下を向いている。

 

「皆聞いてくれ! まずは点呼だ! 外に脱出できた者も集めてくれ! 傷のある者はリー先生の元に運ぶように!」沈痛なアトモスフィアを張り飛ばすべくタジモ村長が声を張り上げた。「それが終わったらソウシキをしよう。防衛隊の、ワタナベ=サンの魂を弔おう」返る声はなかった。だが皆頷き、動き始めた。

 

【ハート・キャント・ダイド・ブラック】終わり



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エピローグ【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#1

【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#1

 

目が覚めた。酷く息苦しい。何度呼吸をしても酸素が体に入ってこない。まるで肺が半分になったようだ。二日酔いと悪夢の二倍掛けで吐き気が胃を掴んでいる。二度と思い出したくないような最低の夢だった。だが夢は夢だ。後輩の説得でオハギは絶った。現実ではない。

 

再就職祝いにしこたま飲んだサケが残っている。頭痛の鐘を散々鳴らして抗議する体を無視してフートンから身を起こす。元後輩の家でサケに潰れていつまでも寝ころんでいる訳にはいかない。重い頭を振って二日酔いを振り落とそうとしていると、薄暗い部屋に光が射し込んだ。

 

『オジチャン、起きたの? ダイジョブ?』開いたフスマの隙間から、心配げに小さなシルエットがのぞき込んだ。ダイジョブだと笑ってみせる。ちょっと夢見が悪かっただけさ。それでも不安は晴れないのか幼い影は近寄って来た。『すごくうなされてたよ。そんなに怖い夢を見たの?』

 

(((オジチャン、ヤメテ! コワイよ! ヤダ、ヤダ、ヤダ!)))『オジチャン……?』薄暗がりの中で怯えるように不安がる顔が、最悪の夢と重なる。否、夢と現実がひっくり返る。夢は現で、現実こそが夢幻。オハギも殺人もやめる事はできず、この子に触れた手は抱きしめることなくその首を手折った。

 

罪の記憶のままに首に手を伸ばした。柔らく暖かで、そして脆い命。だが、それは記憶からもう一つをも呼び起こした。(((オジチャンは! オジチャンは! 優しい人だもん!!)))『俺はオハナちゃんに……お父さんにもお母さんにも、酷いことをしたんだ』溢れた声も涙も震えていた。

 

『痛かったよな……怖かったよな……』ずっと逃げてきた。だから言えなかった。偽りの記憶で塗り固め続けて弔いすらできなかった。『ごめんよ、ごめんよ、ごめんよ! ゴメン、ゴメン、ゴメン……」アンコと殺人の快楽に逃げ続け、一度も口に出せなかった言葉。

 

だが胸の内でくすぶっていた謝罪の言葉は、漸くその口から解き放たれた。ワタナベは不意に気づいた。寄り添ってくれているのが、自分が手に掛けたオハナでないことに。「私はダイジョブだよ。オジチャンのお陰でダイジョブだよ」それが最後まで自分を信じてくれたエミであることに。

 

ワタナベを安心させようと泣き顔を必死で堪えて、エミは小さな両手で大きなヨージンボを抱きしめる。「エミ、ちゃん」全身から命が抜け落ちていくのがわかる。あと少しだけ動いてくれ。祈るように腕に残る力全てを込める。バイオアリを殺せないほど弱く、バイオスラッグより遅い。それでも動いた。

 

「アリ、ガト……サヨ……ナ……ラ」小さな体を弱々しく抱き返す。柔らく暖かで、そして脆い命。自分が救えた、自分を救った命。視界はとうに真っ暗で、耳も無音に塗り潰されていく。(((カラダ……ニ……キヲ……ツケ……テ……ネ)))最期の言葉は伝わっただろうか。ああ、君の未来に幸多からんことを。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ポク、ポク、ポク「ナ~~ム、ア~~ミ、ダ~~ブツ~~。ナ~~ム、ア~~ミ、ダ~~ブツ~~」ダイトク・テンプルのお堂に、メトロノームめいたモクギョビートとネンブツチャントの独唱が響く。モクギョを叩きネンブツを唱うのは、ボンズ擬きと内心シンヤが呼んでいたダイトク・テンプルの住職だ。

 

「ナァ~~~ムゥ~~~~」しめやかに奥ゆかしく死者を送る古式に則ったソウシキ故に、ネンブツとモクギョは厳かながらも単調で強烈に眠気を誘う。だが、寝息を立てているような無関係者はいない。正座で並ぶキャンプ住人は皆、赤く腫らした目で遺影となった防衛隊集合写真をしかと見つめている。

 

「ショーコーを」「ハイ」住職の合図を受けて立ち上がったタジモ村長がセンコに火を点す。センコから立ち上る煙は死者をアノヨへと導くという。キューカンバー馬とナス牛に乗り彼らは天の国へと向かう。ケミカル合成センコとバイオ野菜とは言え、そこに込められた思いに違いはない。

 

リー先生とナンブ隊長が村長に続きセンコを立てる。一つ、また一つとセンコが灰の器に並んでいく。センコの数は故人を忍ぶ人の数だ。だから街頭でセンコを立てて貰うように依頼するソウシキもある。だが、このソウシキでその必要はない。キャンプの全員が想いを込めてセンコを立てている。

 

厳粛にショーコーは続き、トモダチ園の番が巡ってきた。普段は騒がしい子供たちもこの時ばかりは騒ぐ様子もなく、亡くなった人々のためにセンコを立てて両手を合わせる。「……ねぇ、シン兄ちゃん」ショーコーを終えて席に戻ったシンヤの袖を、一際赤い目をしたエミが引っ張った。

 

「それは今必要なこと……みたいだな。なんだ?」シンヤは潜めた声で窘めるがエミの真剣そのものの目に叱る声を喉の奥に引っ込めた。「オジチャンは、どうしてゴメンって言ったの?」幼いエミにはワタナベの譫言めいた台詞の意味が判らなかった。その時は自分を危険に晒した事かと思っていた。

 

だが、涙と共に思い返せば思い返すほどにそれが自分に当てた言葉ではないように思えて仕方なかった。でも知りたかった。もしそれが知っている人なら、自分がオジチャンの代わりにその言葉を伝えたかった。だから同じ言葉を聞いただろう兄に答えを聞いたのだ。

 

「……ワタナベ=サンはオハナチャンとお父さんお母さんに酷いことをしてしまったんだ。きっとそれを謝ったんだよ」どう伝えるべきか一瞬言い倦ねたが、シンヤはそのままに告げた。エミはウォーロックの嘲笑う言葉を聞いて尚ワタナベを信じた。それなのに適当な表現でぼやかす気にはなれなかった。

 

「じゃあオジチャンはもう辛くないんだよね? オハナちゃんとお父さんとお母さんと、ちゃんと仲直りできたんだよね!?」どれだけ流しても尽きない涙がまた溢れ出した。(((ちゃんとゴメンナサイを言わないと、いつまでも辛いままだ。それも家族と仲違いしたままでな)))脳裏にエミに告げた言葉が蘇る。

 

幾多のツジギリを重ねた挙げ句、愛した幼子とその両親すら殺したオハギ中毒のフォールンデッカー。数え切れない人々を手に掛けた暴虐なるソウカイニンジャ『インターラプター』。ジゴク行きは道理だろう。だがそれを知っても『サカキ・ワタナベ』の死をキャンプの誰もが惜しみ誰もが悼んだ。

 

「ああ、そうさ」胸に押しつけられたエミの頭を優しく撫でる。「ワタナベ=サンは今、安らかなんだよ」エミの涙と共に、シンヤの胸に暖かいものが染みていく。読経の声に混じり一つ、また一つとすすり泣く声が増えていった。

 

【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#1終わり。#2へ続く



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エピローグ【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#2

【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#2

 

「ドーゾ、お疲れさまです」「ドーモ」無色透明な液体をなみなみ湛えてきりりと冷えたコップを手渡す。キヨミから手渡された水を一息に呷った住職は口をへの字に曲げた。「なんだ、サケではないのか」姿は信心深い若ボンズだが、中身はゴミ山の中でカビ付きオカキをかじっていた時と変わりないようだ。

 

「一週間も経ってないのに生臭は早すぎますよ」「ショージンは遺族の仕事で、ボンズの仕事はアノヨまでの導きよ」ため息混じりのシンヤの台詞も、住職は呵々と笑って飄々と受け流す。(((遺族の悲しみを癒すのもボンズの仕事では?)))文句を言いたくもなるがこの破戒僧には馬耳東風。

 

小言など馬にネンブツ・チャントを唱えるようなものだ。尤もこの破戒僧ならネンブツにゼンモンドーで切り返しかねないが。追加のため息を吐きながら、シンヤはパイプ椅子の束を担ぐ。拍子に中古のブッダ像と目があった。くすんだ金の眼差しに何ともなしに見返すと防衛隊の集合写真が目に入る。

 

それが多くの遺影になると覚悟はしていたが、ほぼ全員が帰らぬ人となるとは想像できなかった。生き延びたのはシンヤとナンブの二人だけ。何かできたのだろうか、何ができたのだろうか。自分がジツにかからなければ。ワタナベ=サンのカイシャクができていたら。もし、他の転生者を想定できていたなら。

 

『たら』『れば』『もし』もう取り返せないIFが浮かんでは消える。「何を迷う」「過ぎたことを後になって悔いてるだけです」唐突な問いに振り返りもせずシンヤは答える。目の前の真鍮製ブッダが尋ねたと錯覚するほど声音は深く厚い。悩み惑い己に問い続け、ソンケイと功徳を積み重ねた者の声だ。

 

卑しい中身を豪奢な装束で覆い隠すことの逆。常の荒法師の様は他人を見定めるための物差しでもある。「ほう? ならばお主の救った者は皆無意味か?」「無意味など一つもありませんよ。意味を確かめる為のソウシキです」確かに喪った者は多く失った物は大きい。だからこそソウシキで犠牲者を弔うのだ。

 

それは死者を送り出す儀式であり、生者が歩き出す切っ掛けである。故人を思い返して喪失を受け入れ、再び人生を進む為に冥福を祈るのだ。ありもしないIFに溺れるつもりはない。「判っておるならよいわ」「お手数おかけします」振り返った先にはブッダめいて寝転び頬杖ついた不作法な後ろ姿。

 

「『もし』だの『たら』だの『れば』だの、下らんモージョーばかり書かれた色眼鏡はちゃんと外しておけ。人はボディサットバにはなれん。助けた者も、目の前も見えんぞ」「気をつけます」だがその声はやはり真摯に信仰を続ける一人の敬虔なボンズだった。寝ブッダの背中に深く一礼をするシンヤ。

 

その目にボストンバッグを担ぐ人影が写った。「モリタ=サン! もう出られるのですか?」「カナコ=サン、お世話になりました」ハンチング帽に草色のコートを纏う姿はフジキド・ケンジに他ならない。防衛戦で致命傷は更に深まったが、ニンジャ耐久力とリー先生の治療そしてチャドー呼吸が命を繋いだ。

 

それどころか一週間を経ずに日常生活を送れるほどに回復したのだ。驚くべきはナラク・ニンジャのソウルか、チャドー呼吸の力か。「タジモ村長には……」「キャンプの方々にはもうアイサツは済ませています。ではオタッシャデー」シンヤの言葉を切り捨てるようにフジキドは頭を下げる。

 

僅か一週間程度とは言え、世話になった相手に対して余りに伝法に過ぎる態度だ。しかし事情を知るシンヤにはその目に映る焦燥の理由が判っていた。命を捨ててフジキドを助け、死後までも導いてくれたドラゴン・ゲンドーソー。彼に託された孫娘ユカノの行方が知れぬままなのだ。

 

本来ならキャンプでのインターラプター戦の後、ワタナベ懇意の情報屋マイニチの調査結果を相撲バー”チャブ”にて手に入れる。そこからイッキ・ウチコワシに辿り着き、トットリーヴィルにて変わり果てた記憶喪失のユカノ……アムネジアとの再会を果たす。それが『原作』の流れだ。

 

だが現実にはフジキドとワタナベが酒を酌み交わす事はなく、ワタナベがマイニチにユカノの調査を依頼することもなかった。トライハーム、ウォーロック、そしてシンヤの行動の結果、繋がる筈の糸はブツギリとなってしまった。フジキドは目算の無いままにネオサイタマの闇に飛び出す他はない。

 

しかし、その糸の先を『原作』を知るシンヤは教える事ができてしまう。(((俺はどうすればいい?)))厳選した情報を伝えて『原作』に沿わせるべきか? 無関係の第三者として何も言わずに送り出すべきか? 『原作』を徹底的に崩しても全てを伝えるべきか?

 

『原作』に沿わせる利は、未来の情報をそのまま利用できる点だ。トモダチ園を守る為にもネオサイタマを襲う幾多の大波に先手を打てるのは大きい。だが、どうやって知る筈のない出所不明の情報を相手に信じさせるのか。運が良くとも妄言扱い、下手をすれば全ての情報を内蔵ごとぶちまける羽目になる。

 

それを恐れて黙っていればフジキドはネオサイタマの闇に帰る。当然ユカノの居所に当てはない。彼女を見つけ出せずとも『原作』第一部への影響は僅少だ。だが、フジキド無しならトライハーム来襲の時点で家族を喪っていた。恩人を助ける手段を持っていながら見捨てておいて家族に顔向けできようか。

 

ならばいっそ全てを伝えるか。そもそもウォーロックを殺した時点で決定的に『原作』から外れている。先行き不透明は今更の話なのだ。だが、それは未来を完全にケオスに叩き込むことでもある。巨大ニンジャ組織相手のイクサは全てが薄氷の勝利だ。『原作』を外れて勝てるのかはブッダも知らぬ。

 

既知の未来の利益を取るか、危険を冒さず無事を取るか、恩人への義理を取るか。時間感覚が遅延するほどの集中の中、シンヤはニューロンが焼き切れんばかりに思考を加速させる。重石を失ったヤジロベめいて脳内で三足の天秤が揺れ回る。

 

「何か?」「えー、その」シンヤの異常な集中と躊躇に気づいたのかフジキドの目が細まった。どう答えていいやらと視線を泳がし回るシンヤの目に留まったのは、フジキドの首筋から見える赤黒く汚れた包帯。そして、フジキドの向こう側で辿々しくパイプ椅子を引きずるオタロウの姿だった。

 

「……貴方の探し人の居場所についてです」言葉を絞り出した途端、空気がニンジャ圧力に一瞬で塗り潰された。「オヌシは何を知っている?」当然、圧力の出所はフジキドだ。足の裏から頭の先まで冷たい血の海に使っているかの如き感覚がシンヤを包み込む。

 

「彼女は思想的武装集団”イッキ・ウチコワシ”の元にいます」殺意とともに二重の意味を込めた問いかけをシンヤは意図的に無視して話を続けた。「どこで何を知ったかは知らぬが、それを信じるとでも?」ドライアイスのドリルめいた視線がシンヤの心臓に突き刺さる。

 

「判断は貴方に任せます」恐怖を堪えてリドルめいた台詞ではぐらかすシンヤ。(((俺は中途半端な卑怯者だ)))その胸の内は苦々しい気分で一杯だった。恩人への義理も家族を助ける未来知識も捨てきれなかったシンヤが選んだのは『原作』に沿わせるという玉虫色の回答だった。

 

「ならばオヌシの臓腑で裏付けを取るとしよう」そして優柔不断な八方美人が好かれる筈もない。ジゴクめいた声と共に空気が歪み殺意が収束する。最早カラテで無理矢理に自分の話を押し通すしかない。それを傷の癒えたニンジャスレイヤー相手にできるならばの話だが。シンヤは歯を噛みしめ気息を整える。

 

「シン兄ちゃんこれ何処に片づけるの?」その横合いから無邪気な声が二人を引っ叩いた。シリアスに傾いた空気を引き戻したのはリンゴ色のほっぺたしたオタロウだ。シンヤへと畳んだパイプ椅子を突き出している。「オタロウ、取り込み中だから後で頼む」何せ今から死に物狂いのイクサが始まる処なのだ。

 

「でもこれオネガイってキヨ姉ちゃんに言われたんだよ?」だが、お片づけに一所懸命なオタロウがそんなことを知る由もない。殺意を収束させすぎたせいで幼いオタロウにも危険が危ないと気づいてもらえてないのだ。シンヤとしては張った気力が緩んで分解しそうな心境だが、こうなった以上致し方ない。

 

「ああもう、判った判った。お堂裏の倉庫に置いといてくれ」「判った!」危ないからさっさと行けとひきつり顔で説明するシンヤに対し、元気一杯に全身で頷くオタロウ。「あれ? モリタ=サン、どっか行くの?」一刻も早い待避を願う兄の内心とは裏腹にオタロウはフジキドの存在に気づいたようだ。

 

「……ああ、そろそろオイトマさせて頂く処なんだよ」「そーなんだ。あっ、モリタ=サン! 助けてくれてアリガトゴザイマシタ!」キヨミの話を思い出したオタロウは礼儀正しく上半身全部でオジギした。赤黒のニンジャは彼だと教えられている。そして恩には恩を返すべきとも。つまりインガオホーだ。

 

「イエイエ、ドーモ」「ドーモ! じゃあね!」黙礼で返礼するモリタにもう一度オジギすると、オタロウはパイプ椅子をエッチラオッチラ引きずって倉庫へと向かっていった。その背中を見つめるフジキドからはもう凍える血風は吹いてはいない。オタロウとトチノキの歳は近い。色々と思い出したのだろうか。

 

「探し人がイッキ・ウチコワシとやらに居るというのは事実か?」「アッハイ、記憶を失ったユカノ=サンはそこにいます」唐突な言葉に慌てつつシンヤは何とか返せた。余計な情報を漏らしたような気もするが誤差ということにする。そうか、と対するフジキドは無色の声で応じた。

 

その目が見遣るのは、片づけやったよと胸を張るオタロウと、よくできたねとその頭を優しく撫でるキヨミの姿。どこにでもあるようなありふれた幸せな家族の光景。透明な静寂が空間を占める。「家族を大事にしなさい」不意にかけられたのは端的で平凡で、そして余りに重い戒めの言葉。

 

「ハイ。命に代えても」目の前で愛する家族を奪われ復讐鬼となったフジキドは、シンヤにもあり得た悪夢だ。その逆もまた然り。人間をやめてニンジャとなり果てようとも、家族を愛し家族を守る。己全てより大事な家族を失いニンジャとなったフジキドには、シンヤの姿はあり得て欲しかった夢物語だった。

 

「では改めて。オタッシャデー」「オタッシャデー」フジキドに向けて深くオジギし、シンヤは家族の元へと帰る。振り返ることなくフジキドはその場を後にした。先の光景と妻子の影が重なる。愛おしく狂おしい幸福な夢。だが夢は夢だ。三流ダイムノベルめいた夢想を振り払いフジキドは雑踏を抜ける。

 

ニンジャを目の前にしながらカラテ殺すこともインタビューで情報を抉り出すこともなく去る。ナラク・ニンジャが見ていたならば何たるセンチメントと声を上げて嗤うだろう。いや、呆れた惰弱ぶりに怒り狂うか。だが、カナコ・シンヤはソウカイヤに連なるものではなければ、邪悪ニンジャでもない。

 

誰を殺し誰を生かすか、全て己が決める。ニンジャ性に支配されはしない。ナラクに墜ちるつもりもない。(((これは、俺のイクサだ)))フジキドは、ニンジャスレイヤーは再びネオサイタマの漆黒へと帰った。

 

エピローグ【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】終わり




BGMはバック・イン・ブラック


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鉄火の銘鑑(キャラ紹介※ネタバレあり※)

活動報告にも書いておりますが、X16【ガスル】の名前を【ガルス】に変更しました。どうもご迷惑をおかけしております。


鉄火の銘鑑#XX1【カナコ・シンヤ/ブラックスミス】

過去を奪われ今を憎み怒る転生者にクレーシャの手引きでソウルが憑依。しかし家族を想い名を売り渡す事を拒み一人のニンジャとなった。家族を護るという特異な行動原理を持つが、クナイ・スリケン両用者である他は特徴に乏しい。ニンジャネームの由来はblacksmith(鍛治屋)。

 

鉄火の銘鑑#XX2【トモノ・キヨミ】

零細孤児院「トモダチ園」唯一の職員。トモダチ園の子供たちの母代わりである。一見嫋やかで線が細いが、超弾性合金の筋金が通っているタフな女性。まあまあ豊満でそこそこ美人。シンヤにとっては「母代わり」「義理の姉」「年上の女性」「幼なじみ」と結構属性が多く業が深い。

 

鉄火の銘鑑#XX3【トモダ・コーゾ】

零細孤児院「トモダチ園」の院長にして、ローカルソバチェーン「ユウジン」三代目社長。経営は思わしくない模様で日に日にやせ細っている。それでも「トモダチ園」への入金を止めるつもりは一切ない。ユウジン廃業後は一介のソバシェフとして修業を積みなおしている。

 

鉄火の銘鑑#XX4【アオキ・アキコ】

鉄火の銘鑑#XX5【イカワ・イーヒコ】

鉄火の銘鑑#XX6【ウエジマ・ウキチ】

鉄火の銘鑑#XX7【エノモト・エミ】

鉄火の銘鑑#XX8【オミヤ・オタロウ】

トモダチ園に住まう孤児たち。五十音順で年齢順になっている。お姉さんぶる暴君なアキコ。頭でっかちで暴力に弱いイーヒコ。日和見で主張のないウキチ。泣き虫でワガママなエミ。年齢相応にただの子供なオタロウ。時々拳骨を落としたくなるが、シンヤにとって命に代えても守るべき家族。

 

鉄火の銘鑑#XX9【ヒノ・セイジ】

シンヤの同門生。実力伯仲の好敵手であり、互いを「カラテ王子」「カワラマン」と呼び合う友人同士。カラテが強くルックスもイケメン、両親は一流企業のカチグミ『だった』ので異性から凄まじくモテる。ヒーローフリークという意外な一面も。

 

鉄火の銘鑑#X10【ヤング・センセイ】

鉄火の銘鑑#X11【オールド・センセイ】

シンヤが通うデント・カラテドージョーのセンセイたち。ヤング・センセイはドージョー経営を立て直すと同時にデント・カラテのショースポーツ化を進めている。代々殺人技術としてのデント・カラテを伝え、カラテオニとすら呼ばれたオールド・センセイは口出していないが苦々しく感じている。

 

鉄火の銘鑑#X12【クレーシャ】

シンヤのニューロンに潜む論理ニンジャ。ニンジャのパワを与え名を奪おうと誘惑したが、家族愛の前に失敗。ディセンションを完遂したシンヤ/ブラックスミスに敗北し、謎めいた台詞を残してセプクする。『別の』クレーシャが存在する模様。ニンジャネームの由来はサンスクリット語で煩悩(ボンノ)。

 

鉄火の銘鑑#X13【フラグメント】

スカウト部門に属するソウカイニンジャ。ミジン分銅を駆使したカラテのみで成り上がった猛者。しかしそれのみな人物で礼儀も学も足りずに出世ができず、それが粗暴さとシツレイに拍車をかけ、カラテを鈍らせていた。ニンジャネームの由来はfragment(粉微塵)。

 

鉄火の銘鑑#X14【ボンズ擬き/ダイトクテンプル住職】

ゴミに埋もれ廃寺と化したダイトクテンプルに住み着くボンズめいた男。現在は再興したテンプルの住職として働いている。元々は先代の住職に師事していた若きボンズ。先代住職の死と共に終わりを待つだけの人生を送っていたが、シンヤとのゼンモンドーで再びブディズムへと還った。

 

鉄火の銘鑑#X15【ナンブ隊長】

トモノミストリート浮浪者キャンプ防衛隊隊長。元は湾岸警備隊の士官であったが、ネオサイタマ市議の子であるテロリストを射殺した事で不名誉除隊した。汚名を被せられたことよりも、年金を貰い損ねたことよりも、好き放題に戦争が出来なくなったことを悲しむ生粋の武闘派。一応、平和を守る誇りはあった模様。

 

鉄火の銘鑑#X16【スクローファ】

元虐められっ子で過去を塗りつぶす力を求める転生者に、クレーシャの手引きでソウルが憑依。偉大なる方に名を捧げて天使ニンジャ、トライハームの一柱となった。巨体を生かしたビックカラテ、強化グラトン・ジツ、ニンジャ耐久力の合わせ技は、正に信仰を守る鉄壁そのもの。ニンジャネームの由来はscrofa(豚の学名)。

 

鉄火の銘鑑#X17【ガルス】

元引きこもりで過去を忘れようと快楽に溺れる転生者に、クレーシャの手引きでソウルが憑依。偉大なる方に名を捧げて天使ニンジャ、トライハームの一柱となった。低空エアロカラテの使い手であり、ニンジャの自我すら奪う強化スリーステップ・ジツで死を恐れぬ狂信の軍団を作り上げる。ニンジャネームの由来はGallus (鶏の学名)

 

鉄火の銘鑑#XX0【偉大なる方】

トライハームが名を捧げ崇拝する何者か。クレーシャとも何らかの関係がある模様だが詳細は不明。クレーシャの言う「主/君」がおそらくカ010101011111であメメメメとからメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメ み メメ る メメ な メメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメメ



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第三部【快銘乱麻を断つ】
序章【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#1


堕ちなし意味あり山場なしですが新章開始です


【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#1

 

「ドーモ、コネ・コムです! 労働力をお届けに参りました!」マニュアル化された快活を響かせリクルートスーツの青年が勝手口のドアを開いた。水揚げマグロの目をした事務員が胡乱げに見つめる。数秒を経てようやくニコニコを顔に張り付けた年若い青年が派遣会社に依頼した期間労働者であると理解した。

 

この豆菓子製造会社「セック」は年4回のセツブン・ポイント向けの炒り豆に特化している。それ故に繁期と閑期の差が極端に激しいのが特徴だ。今は繁忙期の最盛であり、ほぼ全員が24時間残業をこなしている。事務員もここ1週間ほどまともに寝た記憶がない。2日前から紫の老婆が肩に乗ったままだ。

 

「エー、契約書はこれですね。作業はマニュアル読んでください」「判りました!」説明する気力もない事務員は受け取った労働契約書を一瞥もせずにフォルダに放り込んだ。自己啓発テキスト通りにハキハキ答える声が脳に響く。パルサーからの深海落語を語る老婆と合わさり酷くウルサイ。

 

工場へと向かう労働者を後目に死んだ目の事務員は仕事に戻った。事務UNIXに手書き紙データをタイプする苦行はいつ終わるとも知れない。繁忙期始めはネオサイタマ・トレンディのパンプスを買おうとか、オキナワ旅行をしようとか欲望を色々と膨らませていた。だが今はただ眠りたい。

 

きっと今なら快眠を理由に人を殺せる。眼前で竜脈とインターネットの神秘的交合を合唱しだした紫婆三匹を手を振ってかき消した。限界はとうに超えた。さらに越えねばならない。違法スレスレの激辛カキノタネをバリキドリンクで流し込み、彼女は再びUNIXのCRT画面に舞い戻る。

 

カタカタカタ……。蛍光緑の文字列が蠢くガラス面に波紋が走り、オーロラ色の論理ニシキゴイが跳ねては腐った飛沫をとばす。ドブ色ガラスの水滴を防ごうとするが、確率論的に偏在する手を扱いきれない。紙面にかかった半透明の染みは手書き文字とゲシュタルト崩壊してこちらを見つめている。寝たい。

 

「作業終わりました!」紫老婆共のビジネス三角関係を聞き流す彼女の脳味噌を耳障りに元気よい声が刺し貫いた。炒り豆袋詰め熟練労働者が比較にならないほど早い。自我研修を仮定しても異常である。だが過労と徹夜のタッグで機能停止寸前になっていたニューロンが理解できたのは字面だけだった。

 

終わり? 寝ていいの!? 寝ていいのね!! 寝よう。キーボードに突っ伏した彼女の肩を労働者が揺すぶる。「スミマセン、完了のハンコお願いします」「自分で捺して」寝かせろ。海岸に乗り上げて自決を図る汚染イルカめいた捨て鉢さに、労働者も何か思う処があったのか無記名の契約書と筆を差し出した。

 

「追加の契約をして頂けるならタイピング労働もやりますが?」何も言わずに筆をひったくり、彼女は契約書に名前をショドーした。スズリから墨が飛び散るがそんなことはどうでもいい。後で上司から減俸を言い渡されるかも知れないがそれもどうでもいい。こいつに押しつければ寝れるのだ。

 

「オネガイシマス」「ハイヨロコンデー」手書き用紙の山をスライドさせ終えると同時に彼女は床に崩れ落ちた。即座に響きだしたホワイトノイズめいた超高速打鍵音も、シュレッダー投入速度で高さを減じる紙山も彼女の意識にはない。あるのはリノリウム床の冷たさと眠りの闇に落ちる開放感だけだった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ガラスのショウジ戸を開けば我が家の香りが鼻をくすぐる。つまりソバの臭いだ。カナコ・シンヤが両手に抱えた荷物を床に置き合成革靴を揃えていると、カッポギ・エプロンで手を拭きながらキヨミが姿を現した。「キヨ姉、ただいま」「シンちゃんおかえりなさい、お仕事ご苦労様。それは?」

 

疑問を帯びた視線の先には巨大サイズのデラックス炒り豆詰め合わせがある。「派遣先で追加の仕事とトラブルがあってね、こいつはオワビに貰ったんだ」トラブルの内容は炒り豆ライン部門長に追加仕事のタダ働きを強要されたことと、部門長を締め上げすぎて失禁させたことである。別に嘘は言ってない。

 

年が年だけにフレッシュ新入社員よりも親のスーツを着せられたハイスクール生に見えるシンヤは、ルポライターに付き纏られたり、派遣先に給金を渋られることが多い。今回も年齢を理由に給料をDX炒り豆セットで誤魔化されかけ、支払いを求めると労働基準年齢違反でコネ・コムを訴えると脅されたのだ。

 

当初の契約内容の炒り豆袋詰めと自主的に申し出たタイピング肉体労働は兎も角、トラック積み上げ作業、書類整理、工場清掃までやらせておいてこの仕打ち。部門長を捻る手と睨む目にも力が入ろうというもの。思わずご自慢のアルマーニ(偽物)のズボンが失禁で台無しになるまで締め上げてしまった。

 

お陰でオフィス清掃まで追加労働する羽目になったのは間違いなく自分のウカツだった。まあ、給料のほかにオワビとしてデラックス炒り豆詰め合わせを両手一杯に貰えたから今回は良しとする。果てなく続く毎日のソバ料理に疲れた子供たちにはこれが救いのカンロとなるだろう。

 

「「「ただいまー!」」」「おう、おかえり」「皆、おかえりなさい」噂をすれば影法師と勝手口から小さな影が三つ飛び出した。防弾ランドセルを投げ捨ててPVCレインコートを脱ぎ捨てるのはイーヒコ、ウキチ、エミの三人。言うまでもなく家族であるトモダチ園の子供達だ。

 

なお、オタロウはまだ未就学で中学生のアキコはまだ学校である。「シン兄ちゃん、これなに? 食べていい?」「炒り豆だよ。食ってもいいけど飯の後な」挨拶もそこそこに玄関脇に置かれたデラックス炒り豆詰め合わせに真っ先に気づいたのは、食欲を人生の主題としているウキチであった。

 

「やった! じゃあ、俺ショーユ空豆もーらい!」ぐっとガッツポーズを決めるウキチは間髪入れずに大入り袋へと手を突っ込む。「ズルイ! アタシ、チョコ小豆ちょうだい!」「コーヒ大豆ある?」思い思いに騒ぎ立てながら他の二人も早取り競争にすぐさま参加する。

 

「アキコちゃんとオタロウちゃんの分も忘れないでね!」「「「ハーイ」」」散々に詰め合わせをかき回す子供達には、キヨミの注意も聞こえているのかいないのか。苦々しいというには少々甘口のため息をつくシンヤ。その袖をエミが引っ張った。「ねえ、シン兄ちゃん。オジチャンの分も貰っていい?」

 

「ああ、好きなのもっていきな。仏殿に供えるなら住職さんに一言告げてからな」「うん!」キャンプ襲撃で慕うワタナベを亡くしてからエミは長らく鬱いでいた。だが学校に通うようになって漸く消化できたのか、今までの明るさを取り戻しつつある。こうして自ら弔いができるのもその兆候だろう。

 

エミの後ろで好みのフレーバー炒り豆を手に入れて意気揚々なウキチ。「キヨ姉ちゃん、晩ご飯何?」「焼きオソバよ」その顔が目に見えて沈んだ。ここ数ヶ月ソバ以外の主食を食った覚えはない。トモダチ園の頃からゴハンと言えばソバだった。その内、食事と書いてソバと読むようになるだろう。

 

「また~!?」「スシ食べたい!」「せめてソバ以外で……」完全に飽きが来ている子供達の口から非難の声が漏れるのも当然だろう。しかし貼り付いた笑顔のキヨミはそれを許さない。「オソバはね、とても美味しくて、沢山食べれて、体にいいの。すごくいい。い い わ ね ?」「「「アッハイ」」」

 

瞳孔の開いたキヨミにオセッキョされて、子供たちの瞳が見る見る濁る。思わず顔を覆うシンヤの目も濁りそうだ。どうしてああもソバ狂いとなったのか。ユウジンの経営悪化以来、食材の九割が廃棄ソバになっていたのが原因か。死んだ目で毎日メニューを考えていた日々がキヨミを追いつめたのだろう。

 

しかしダイトク・テンプルに居を移し、コネ・コムに就職してから食事情は大幅に改善されている。亡きワタナベとの約束を守り、浮浪者キャンプ解散後にタジモ村長が立ち上げた派遣会社コネ・コム。『顧客・企業・社員三方向良し』のスローガンを謳うネオサイタマでは絶滅危惧種のホワイト企業だ。

 

シンヤもスペシャリストとして家族全員を養うに十分な給金を貰っている。もう赤字家計簿を気にすることなくソバ以外も食ってもいいだろう。というかいい加減別のものが食いたい。「あー、皆。そのうちスシでも食いにいくか?」途端に子供達の表情が輝いた。それを見るシンヤの表情も和らぐ。

 

「やった! 俺大トロ食べたい!」「あたし、イクラ・キャビアがいい!」「オーガニック・タラバーカニは?」目の玉が飛び出て静止軌道に達する金額のスシネタを、好き勝手に要求する子供達。シンヤの笑顔が凍り付き、瞳孔が散大した。「我が家にそんな金はない。い い ね ?」「「「アッハイ」」」

 

TELLLLLL! TELLLLLL! 子供達をニンジャ眼力で締め上げていると、モダンレトロな電話が金切り声を上げた。かつては最新を気取っていた古くさい受話器をキヨミが取り上げる。「モシモシ、トモダチ園です……いますが……ハイ、判りました。シンちゃん、カイシャからお電話よ」

 

差し出された受話器を首を傾げつつシンヤは受け取った。追加契約と追加作業の件についてだろうか。それに関しては帰りがけに電話連絡済みのはずだが。「ハイ、モシモシ。カナコです。書類は明日提出予定「至急、N要員が求められています」被せられた電話オペレーターの声にシンヤの台詞が止まった。

 

「ハイ、場所は………ハイ、捜索も……ハイ、ヨロコンデー」事務的で端的な遣り取りは瞬く間に終わった。受話器を戻した合成皮革靴に足を戻す。「またお仕事なの?」「ああ、急ぎなんだ。スマンけど食事は先に済ませてくれ」苦々しく歪んだ表情をシンヤは安心の微笑みに無理矢理戻して答えた。

 

フェイクレザーを突っかけるシンヤにイーヒコから焦りを帯びた声が飛ぶ。「シン兄ちゃん、約束は!?」「帰ってからでカンベンな! いってきます!」しかし余程急ぐ用件なのかおざなりに返すとシンヤは玄関から飛び出した。「「「いってらっしゃい!」」」家族の声を追い風にしてシンヤは走り出した。

 

「やる気の起きない仕事だな、ホント」ぼやく声も降りしきる雨も置き去りに、影は一歩また一歩と加速する。ギアを上げる度にその姿は輪郭を失い暗がりへと溶けていく。超自然の繊維が絡みつき、シルエットは闇の色合いに染まる。そして遂に闇と一つになる瞬間、影の口元を赤錆めいたメンポが覆った。

 

「イヤーッ!」黒錆色の装束を纏ったシンヤ……すなわちニンジャ『ブラックスミス』は超常の速度で跳んだ。降り注ぐ重金属酸性雨を残像を残しながら、ネオサイタマの夜を黒錆色の風が吹き抜けていく。しめやかに、密やかに、音もなく、迅く。

 

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#1おわり。#2へ続く



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序章【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#2

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#2

 

眠りを知らないネオンに照らされる重金属酸性雲は、今日も壊れたTVノイズの色合いだった。降りしきる重金属酸性雨は細い路地裏の上に架かるケーブルから規則正しい雨だれを響かせている。メインストリートの猥雑な夜景が照らす路地裏は、薄明かりと雨のリズムでどこかゼンめいた感傷を感じさせる。

 

「ハァーッ! ハァーッ!」その感傷を水たまりを踏みしめる音が唐突に乱した。重金属酸性雨に浸食されたコンクリートの水たまりを巻き上げて男が青ざめた顔で走っている。剃り残しの無精ひげに深い隈が張り付いたその顔は典型的なマケグミに見える。だが大きな違いが一つ。

 

驚くことに彼は対酸加工帽子も静電気シールド済みコートも身につけていない。重金属酸性雨が降り続けるネオサイタマで、対策をしないことは緩慢な自殺と同じだ。だが、彼にとっては関係のない話だった。いつか来るかも知れない病死よりも、彼の背を追う者の方が遙かに恐ろしいのだから。

 

彼は企業ゴシップ専門のフリーライターだ。会社がひた隠す闇を暴き社会の制裁を与える第四の権力の使者……と自称しているが、実際は反撃の望めない中小企業を食い物にするハイエナジャーナリストに過ぎない。ここの処は手頃な獲物が見つからず、低俗誌出版社に駄文を押しつけて口に糊する毎日だった。

 

ドンブリ・ポンの虹色マグロ・ドンブリにも嫌気がさして、集めたネタでゆすりたかりに手を出そうかと考えていたある日。とある急成長する新興派遣企業の求人から彼は金のニオイを嗅ぎ取った。過労死前提を偽る労働条件、重役専用の特別な福利厚生、未経験者優遇の裏にある自我研修。

 

どれもこれもネオサイタマではチャメシ・インシンデントな社畜募集広告でしかない。それ故、彼は逆説的に急成長を促した「何か」の存在を感じ取った。会社周りを毎日うろつき回り、社員にギリギリ合法な取材訪問を繰り返し、日刊コレワの三面にも載らない噂話をかき集める。

 

そして遂に彼は深淵に隠された真実を見つけた。それは業界の再編成が生じるだろう超弩級の厄ネタ。人生史上最上級のゴシップを得て彼は震えた。社会正義の味方という自称が真実となり、マケグミの自分がヒーローとなれるのだと。だがコトワザにあるように、井戸の中身を覗きすぎれば落ちるもの。

 

深淵は既に彼を見つけていた。徹夜で厄ネタをまとめ終えてケモビールを煽ったその時、窓向こうの目と合った。非人間的な体温のない目。PVCとガラスの目。絶叫と共に書類を投げ出し、何も身につけずに路地裏へと駆けだしていた。彼の生存本能は優秀だった。「全部捨てて逃げろ」と肉体へ命じたのだ。

 

(((あんなものあるはずがない。こいつは夢だ、フィクションなんだ。そうだ夢だ。目が醒めれば、部屋で酔い潰れているんだ)))彼は泣き出しそうな心境で現実を否定する。いや、実際に泣いている。鼻水を垂れ流し、口から泡を吹き、涙をこぼしながら走っている。

 

頼みの綱だったIRC携帯端末はずぶ濡れで沈黙したままだ。停止前に送ったSOSが届いたのか彼には知る由もない。端末を故障させた重金属酸性雨は今度は彼の命を止めにかかっている。最初は冷たいだけだった雨だれは、いつしか肌に触れる度に激痛を放ち、飛沫を吸い込んだ喉は焼けるように痛む。

 

だが、それでも彼は足を止めない。彼を追う目をそれほどまでに恐れているのだ。恐怖に駆られて振り返る度、ゴミ箱の影に、電柱の後ろに、閉じた窓の奥に、闇と同色の影を見る。いつ暗がりから出てきて自分の喉をかっ切るのか。深淵からあの目が見ている。俺を見ている。

 

俺を殺すために、サンズ・リバーの向こう側へと送るために、足音を立てずに俺の後ろからやってくる。あんなことしなけりゃよかった。しなきゃよかったんだ。名誉がなんだ。ヒーローがなんだ。命あっての物種だ。生きてたって何にもいいことなかったが、死んだら悪いことすらないのだ。

 

彼は後悔した。名誉欲と英雄願望に目が眩んだことを。親の小言を聞かなかったことを。会社の闇に手を出したことを。センタ試験の勉強をせずマケグミになったことを。正義の使者と欺瞞の大口を叩いていたことを。これまでの人生を。何もかも全てを。ソーマトリコールめいて思い返してもう一度後悔した。

 

雨足が急激に強まり視界が曇る。狭まった視界は足下のコンクリートブロックを隠し、足を引っかけさせた。雨に濡れた路地裏に体を打ちつける。立ち上がろうとするが、長い間重金属酸性雨を浴びたためか両手に力が入らない。仰向けになって、腰を落とすのが精一杯だった。

 

恐怖と苦痛、そして緊張の連続で半ば放心状態に陥った彼は、ぼんやりと両手を眺める。両手を見てみると重金属酸性雨に焼かれて水膨れた肉は衝撃に潰れて抉れている。他の所もさほど違いはないだろう。放っておけば命を失うのもそう遠い先の話ではない。だがそれより早く死は彼の背中に追いついた。

 

街頭ボンボリの光が陰り、彼は呆けたまま視線を上げた。目があった。PVCで出来た体温のない目があった。彼の中の全てがちぎれ飛び、彼は掠れた絶叫を上げた。「アイェェェ……」もはや彼の恐怖を感じるべき精神は焼き切れていた。だが、それでも彼は声を上げざるを得なかった。

 

なぜなら、彼の生存本能が恐怖し、彼の細胞が恐怖し、彼の遺伝子が恐怖したのだ。たとえ彼がフィクションで『それ』を知らずとも、彼は声を上げていただろう。本能に、細胞に、遺伝子に刻みつけられていたのだから。その恐怖は……ニンジャの恐怖は!

 

「ナンデ! ニンジャナンデ! アイェェェーェェェ!!」喉よ涸れよと泣き叫ぶ彼を無感動に見つめ、黒一色のニンジャは異形の長得物を振りかぶった。弱者を踏みにじる喜悦も圧倒的強者としての優越感もその目にはない。あるのはただバイオゴキブリに殺虫剤を振りかけるバイト店員めいた義務感だけだった。

 

そしてニンジャは異様な長物を事務的に振り下ろす。彼の頭は腐ったトマトめいて潰れる、筈だった。「イヤーッ……!?」だがそうはならなかった。彼とニンジャの合間に突き立った投げヤリが、武装の描く円弧を阻害したのだ! カラテ条件反射に従いニンジャは即座に回転ジャンプで距離をとる。

 

そうして出来た空間の隙間に、もう一つの影が降り立った。黒一色のニンジャによく似た色合いの、しかし別物である黒錆色をした影。闇夜を人型に切り取ったかのようなシルエットに、赤錆めいたメンポが不吉な月食めいて浮かび上がる。メンポ。そう、メンポだ。つまり影もまたニンジャなのだ!

 

黒錆色のニンジャは先手を打って両掌を合わせた。「ドーモ、初めまして。コネ・コム社特殊案件対応要員のブラックスミスです」「こちらこそ初めまして。ハケン・ヘゲモニー社雇用エージェントのダーティウォッシュです」ブラシめいた異形の武器を縦に構えて返礼するダーティウォッシュ。

 

僅かな驚きと興味。熱のないその目に初めて感情の色が浮かんだ。「ほう、コネ・コム。ほう、なるほど。新興派遣会社が四季報ランキングを駆け上がった背景には企業ニンジャの存在があった訳か。しかし何故邪魔をする?」「仕事だ」年季の入った嗄れ声に、若い声音は端的に切り返す。

 

「ほう、この実際安いドブネズミはお前たちの周りも嗅ぎ回っていたというのに、なんともマジメなことよ」「依頼も果たす、儲けも上げる、給金も頂く。やることはやるさ、サラリマンなんでね」ブラシ槍を弄ぶダーティウォッシュに軽口を返しつつ、ブラックスミスは後ろも見ずに何かを投げる。

 

それは突き立つと同時に一瞬で広がり、降り注ぐ重金属酸性雨からジャーナリストを守った。クナイの骨組みと装束の皮膜で作られた黒錆色のパラソルを興味深そうに眺めるダーティウォッシュ。「ほう、感心感心。ジツも中々。我が社に転職する気はないか?」「暗黒コーポで奴隷労働は御免被る」

 

スカウトに対するブラックスミスの返答にはニベも素っ気もない。肩を竦めたダーティウォッシュは漆黒デッキブラシを構え直した。「ほーぅ、慈悲を拒否するなら致し方ない。イディオット上司の尻拭いにも飽きた処よ。若人にイクサの機微を教えるのも先人の努め。社則に基づき貴様を馘首してやろう」

 

「弊社はホワイト労働を売りにしていてね。喜んでくれ、アンタにもサンズリバーの渡し賃は出るぞ」「ほう! それはなんとも嬉しいことよ! イヤーッ!」ダーティウォッシュが流水めいて滑らかなヤリ・ドー基本の突きを放つ! 「イヤーッ!」即応したブラックスミスは即席生成ロングヤリで受け止める!

 

「アィェェェ……」黒錆色のクナイ・スピアと漆黒の殺人ブラシが繰り返し火花を散らす。半神的存在が殺し合う超常の光景に、精神と膀胱が緩みきったジャーナリストは泣き声と小便を漏らすばかり。「ほうほうほう! 若いのによく練られたカラテよのぅ!」「そいつはドーモ! お礼は風穴でいいかい!?」

 

楽しげなダーティウォッシュの台詞と、苦みを帯びたブラックスミスの軽口。互いの声音が示すが如く戦局はダーティウォッシュに傾いている。長得物から判るようにヤリ・ドーに長けるダーティウォッシュに対し、小器用にクナイ・スピアを扱ってはいるがブラックスミスは至近距離のデント・カラテ専門だ。

 

「しかし武器のカラテは少々足らぬな!」「言われなくとも判ってる!」出来ることなら懐に飛び込み、カラテパンチ連打で粗挽き肉にしたい処。しかしこと狭い路地裏ではリーチに優れる重金属メタルブラシが圧倒的に有利なのだ。故に得意でもないヤリの間合いで不利なイクサをせざるを得ない。

 

焦れる若ニンジャの心境を読みとった老練なヨゴレニンジャはブラシの柄を捻る。「そしてイクサの経験も不足よ!」キィィィィンッ! 途端に響く高速回転音! ブラシに仕込まれたマグチ電動機の小型高出力モータが、先端部をドリルめいた速度で回転させたのだ! 更に壁面清掃の動きでブラシを大きく回す!

 

擦り付けられた先端部がフライホイール・カタパルトめいて加速! テックの回転運動にカラテの直線運動を加えた殺人螺旋運動直突きがブラックスミスめがけ突き出された! 「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」想像外の速度と軌道に反射的にブレーサーで受け止めるブラックスミス! ビリヤードめいて水平に滑る!

 

耳障りな音と共に火花が飛び散る! おお、高速回転する重金属ブラシがブレーサーを見る見る削っていくではないか! ニンジャ筋力で撥ね跳ばそうにも回転圧力で身動きがとれず、下手に退けば次なる突きで顔面を擦り下ろされる。スピアをコンクリに突き立て圧力に耐えるが、最早状況はオーテ・ツミか!?

 

勝利を確信したダーティウォッシュは乾いた笑声をあげる。逃れようなどなく後は死を待つだけ。必勝の形だ。「ほう、何とも幸運なことにハイクを詠める時間はあるようだぞ」「そいつはチョージョー。感動的なやつを考えておいてくれ」だが見よ! ブラックスミスの目には諦めの色どころか焦りすらない!

 

ニンジャ第六感に従い老獪なダーティウォッシュは警戒を強める。だが! なんと! 「イヤーッ!」「ナニーィッ!?」回転ブラシを受け止めたままブラックスミスの両腕が脱皮したではないか!? フシギ! 積み重ねたイクサ経験値すら越える異常光景にダーティウォッシュの意識に刹那の空白が生じる!

 

それはニンジャのイクサにおいては決定的な一瞬だ! 「イヤーッ!」その一瞬の合間にブラックスミスは両腕の距離まで間合いを詰める! 残像めいて取り残された両腕を回転ブラシが粉々に砕くが既に意味はない。しかし脱ぎ捨てられた両腕から舞い上がる黒錆色の繊維片はトリックの正体を教えていた。

 

ニンジャ洞察力の持ち主ならばこのカラクリにお気づきだろう。ブラックスミスはユニーク・ジツであるタタラ・ジツで生成したロクシャク・ベルトを地面に突き立てるクナイ・スピアと両腕に結びつけて固定。そしてニンジャ小手内部に装束繊維を増産し、最小限の摩擦で両腕を引き抜いたのだ!

 

これはヘビ・ニンジャが用いたモヌケ・ジツか? 或いはセミ・ニンジャのウツセミ・ジツ? 何にせよ戦況はリバーシめいてひっくり返された。既に二人はヤリ・ドーの距離ではなく、デント・カラテの間合いにある! 「イヤーッ!」ダーティウォッシュは持ち手を変えて、コンパクトな連突きで対処を試みる!

 

だが、それよりもデント・カラテの鉄拳は遙かに速い! 「イヤーッ!」「グワーッ!」カラテパンチが右肩間接を射抜く! 衝撃に漆黒デッキブラシを持つ右手が緩む! 「イヤーッ!」「グワーッ!」カラテパンチが左肩間接を射抜く! 衝撃に漆黒デッキブラシを持つ左手が緩む!

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」カラテパンチが胸骨と心臓を打ち抜く! 衝撃に意識が遠のき、両手から漆黒デッキブラシがこぼれ落ちた! 無防備となった漆黒の人影めがけ最期の一撃が放たれる! ドオン! 「イィィィヤァァァッ!!」「アバーッ!」轟く衝撃音と共にダーティウォッシュは水平に吹き飛んだ!

 

必殺の一撃を受けダーティウォッシュはボールめいて路地裏を撥ね跳ぶ。重金属酸性雨を弾き飛ばしながら滑る体を、額を揉むブラックスミスの靴裏が強制停止させた。ダーティウォッシュは血を吐き痙攣する。「アバッ、ハイクを、詠むのは、ワシ、か」「ああ、そうだ。ダーティウォッシュ=サン」

 

「尻拭イ/果テニ、我ガ血ニ/汚レ死ヌ……いつか、お前も、こう、なろう」「最期は家族に見守られての、タタミ上で大往生と決めている」汚泥の底で幾多のジゴクを見てきたヨゴレニンジャはハイクと共にノロイめいた予言を告げる。しかし、それはブラックスミスの鋼鉄な信念を傷つけるには能わない。

 

光を失う両目に驚愕と羨望が瞬く。「ほぅ……! それは、何とも、羨ま、しい、ことよ。カイシャ、ク、を」「イヤーッ!」ブラックスミスのカワラ割パンチがダーティウォッシュの顔面を打ち抜いた。「サヨナラ!」ニンジャソウルの爆発四散に拭われて、泥めいた皮膚感覚が虚空に溶け消える。

 

流れ去る感覚を見送ったブラックスミスは額の中心を押さえた。キャンプ防衛戦以後、ニンジャを相手取る度に現れる額の裏を引っかく違和感も消えていく。眉根を揉みつつ、死体の隣に立て掛けた鋼鉄ブラシに弔いを意味する黒布を結びつけた。約束通り黒布には六枚のトークンを包んである。

 

これでカロン・ニンジャの渡し船に乗れるだろう。「ナムアミダブツ」ブラックスミスはしめやかにブラシと屍に掌を合わせた。だが、一度ニンジャソウルを宿した者に安らかな死後が待つ筈もない。人間を止めてニンジャとなれば共感を失い慈悲を捨て去り人間性すら容易く手放す。

 

行き着く果てはジゴクか虚無か。何にせよブッダの慈悲はあり得ない。自分とてヨタモノやヤクザとは言えモータルを手に掛けておきながら、一片の後悔すら感じていないオバケの類。つまり、これは自己満足の為の独りよがりな儀式だ。

 

それでもブラックスミスは、シンヤはこれをやめる気はなかった。ニンジャと成り果てて共感や慈悲は失ったが、礼節も感傷も家族もまだ手の内にある。仮にもアイサツを交わした相手に唾を吐きかける趣味はない。最後の最期まで家族に恥じない自分であり続けるつもりだ。

 

「で……これ、どうしようか」「イヒヒッ、すくーぷだ。イヒッ、ひーろーだぞ」簡単な弔いを終えて振り返ってみれば、依頼人のニューロンは恐怖で完全に焼き切れていた。この様からどうやって依頼料を回収するのか。テングの国の住人を前に、シンヤはイクサよりも深いため息をついた。

 

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#2終わり。#3へ続く。



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序章【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#3

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#3

 

「遅くなってスマンね」「しょうがないわよ、お仕事なんでしょ?」深夜を越えて夜食になってしまった夕食を終えたシンヤは、カッポギ・エプロンの背中に謝罪の声をかけた。「そりゃそうだけどさ」家事全般を受け持つキヨミの朝は早い。だから普段は夜も早いのだが、こう遅くては体調を崩しかねない。

 

どうしてこう遅くなったかというと、依頼者が急性NRSを越えてブッダの国まで逝ってしまっていたからだ。一時狂気どころか不定の狂気に陥った依頼人を前にこりゃただ働きかと頭を抱えかけたが、幸いなことにホワイト企業のコネ・コムは依頼人のアフターサービスも完備している。

 

コネ・コムの診療所で産業医師のリー先生に「治療」してもらった結果、依頼人から何とか金庫の番号を引き出すことが出来た。最終的にコネ・コムは依頼料と他社の秘密を手に入れ、シンヤは臨時賞与を頂き、現在も治療中の依頼人は未来を拾った。コネ・コムのスローガン通りに三方向良しである。

 

だが、かかった時間はシンヤとしても余り考えたくない。名前の通りに深夜近い時間になってしまったのだ。仕事だから家族は納得してくれているがいい気は全くしない。「体に悪いから先に寝ててくれよ」「今日は用事があっただけよ」バツ悪げに顔を歪めたシンヤにクスクスと笑い声をこぼすキヨミ。

 

「私よりよっぽどアブナイなことしているのに、シンちゃんは心配性ね」「俺はニンジャだからダイジョブなの」ニンジャの自分ならデント・カラテと機転でどうにかなる。それより手の届かないところで家族がアブナイ方がよっぽど怖い。このように思考は相応にシリアスだが、外見は思春期相応の拗ねた顔。

 

唇を尖らせたシンヤの声音にキヨミの忍び笑いが音量を上げた。姉にはニンジャになっても適わないし世話に成りっぱなしだ。憮然の顔で頬杖ついたシンヤの耳に弟のアイサツが届いた。「オカエリ」「タダイマ……って起きてたのか」視線の先には顔に同じく憮然と書かれたイーヒコがいる。

 

「約束したじゃん」「いや、忘れた訳じゃないがもう遅いだろ?」言い訳じみているが実際忘れたわけではない。単に子供たちは全員就寝中だと思っていただけだ。「ふーん、そっか」しかしジューウェア姿の弟にはそう受け取ってもらえないようで、疑念と不服の色が強まるばかりだ。

 

疑いたければ茶柱でも疑うとコトワザにもある。説得の言葉を諦めてシンヤは声をかけた。「アー……約束通りやるか?」「やる」「準備は?」「した」返答に躊躇いも間も無かった。準備万端で夜遅くまで待っていたイーヒコにシンヤは少々の驚きを覚えた。

 

カラテを覚えたいと言い出したのはイーヒコだが、文句とイチャモンが大得意の弟がこうもやる気だとは。正直言うとその内言い訳作ってサボり出すと勘定していたのだ。これはコンジョを入れねばなるまい。シンヤは頬を張ってセルフキアイを入れると、黒錆色の普段着を同色のジューウェアに作り直した。

 

「じゃ、やるか」「うん」「アー、キヨ姉スマンけど……」「皿洗いはやっておくから気にしないで」これだからキヨミには頭が上がらないのだ。「スマンね」「ダイジョブよ」「シン兄ちゃん、早く!」「おう、今いく」イーヒコが口にしたとおり、テンプルの裏庭にはトレーニング準備が万端だった。

 

コンクリートブロックの上に段と積まれたソフトカワラが並び、飛散防止に敷かれたブルーシートも、シャトルラン用カラーコーンも用意されてる。「いつもの通り柔軟ストレッチ体操したら基礎トレ50本5セット。終わったらカワラ割りパンチを同じだけ。休憩はセットの間に取るように」「ハイ」

 

トレーニングメニューを指折り数えるシンヤの言葉に素直に頷くイーヒコ。アキコ辺りが見たら頭を殴り過ぎたかと反省するだろう位には珍しい。「じゃ、ハジメ」「ハイ!」しかし、カラテトレーニングを初めて以来これに対するイーヒコの文句は出てきてない。今日も真剣な様子で鍛錬を初めている。

 

「イーチ、ニーイ、サーン!」全身を折り曲げて筋を延ばす弟を横目に、シンヤもまた虚空に拳を打ち込み始めた。「イヤーッ! イヤーッ!」パアン! パアン! 一打ごとに空気が爆ぜる。人体が容易く砕ける速度と威力だ。だが求めるものとは違う。想像するのは、巌めいた巨体と対峙したあの瞬間。

 

受け継いだ全てのインストラクションと積み重ねた全てのカラテ。二つが完全に噛み合った時、答えは自ずから導き出される。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」パアン! パアン! パアン! 集中のあまり柔軟から鍛錬に移った弟の姿も忘れ、降り始めた重金属酸性雨の存在にも気づかない。

 

全てをカラテパンチに収束させて内なる探求を続けるシンヤ。そして答えは、姿を現す。「イィィィヤァァァッーーー!!!」ただ、シャウトだけが響いた。イーヒコの目には何も見えなかった。しかし、カラテパンチで砕けた雨粒が拳の残像を残す。超高速カメラ写真を思わせる神秘的な刹那が瞬く。

 

ドオン! 直後、カラテパンチの着弾点が球形に膨れ上がった。取り残されたカラテ衝撃波が全エネルギを解放したのだ。落ちる雨だれも濡れた土も全て吹き飛び、異界めいて乾ききった空漠が生まれる。これがデント・カラテの「一撃必殺(ワンパンチ・ワンキル)」を体現する、基本にして奥義『セイケン・ツキ』だ!

 

(((この感触だ)))絶え間なく降り注ぐ重金属酸性雨に塗り潰されて、儚くも別世界めいた空間は消え失せた。カラテ排熱で湯気の立つ息を吐き、シンヤは拳を握り固める。切り札中の切り札であるセイケン・ツキは、最初の一発を除けば鍛錬中でしか成功していない。ただトレーニングあるのみだ。

 

SPLOOOSH! 「酷い雨!」「ブッダ! 急いで家に入れ!」だが、天はシンヤの決意を嘲ったようだ。突然雨足が爆発的に強まり、ゲリラ的重金属酸性豪雨が天から降り注いだのだ。多少の大雨なら滝行と思えば我慢も出来るが、オールド東京湾を逆さにしたような怒濤の土砂降りでは流石に無理がある。

 

ようやく成功した処にこの仕打ち。雲向こうのドクロ月はショッギョ・ムッジョと笑い転げているに違いない。雨が止むまでトレーニングは到底無理だ。「うっわ、ビショビショだ」「濡れ鼠だなこりゃ」急いでテンプルに駆け込んだものの、二人ともドブに浸かったネズミの様である。

 

「ほれ、こいつで拭いとけ」「シン兄ちゃんアリガト」シンヤは重い息をこぼし、タタラ・ジツ製テヌギーを手渡した。濡れた体を拭き、黒錆色の乾いた衣服に着替える。「天気予報が外れたな」「うん」「今日は休むか?」「ううん」「じゃ、止むまで休むか」「うん」

 

幸い、ウォーロックは死んでソウカイヤへの情報伝達も防がれた。だから、少しくらい休んでもいいだろう。縁側に腰を下ろして雨上がりを静かに待つ。濃いイオン臭と雨音が辺りを包む。空を見上げても滝そのものな集中豪雨でネオン光すら見えない。見えるのは時折弾ける雷だけだ。

 

「ねぇ、シン兄ちゃん」「なんだ?」オキナワ家族旅行でも行けたらなとボンヤリ考えるシンヤに、イーヒコの熱を帯びた視線が向けられる。意味なく他人を見下し自分を特別視する思春期特有の目つきではない。この先の人生と己の在り方に悩む真剣な青春の目だ。弟の本気を前にシンヤも居住まいを正す。

 

「ちゃんとカラテやってるつもりだけど、強くなった気が全然しないんだ。ホントに強くなれるのかな?」「そうだな。階段を一段上っても高くなったとは思えないけど、二階には着実に近づいているだろ? それと同じさ」デント・カラテを身につけるには時間と努力がいる。一朝一夕に手に入るモノではない。

 

「それは判るけど……」シンヤの返答を聞かされても、その顔には納得の二文字は見られない。躊躇うようにマグロめいて口を開いては閉じ、イーヒコはようやく言葉を絞り出した。「その、なんていうか、カラテ鍛えてたら、さ。ヤクザやニンジャが来た時に何か出来るのかな、って思って」

 

「フーム」真摯極まりない弟の目にどう答えたものかとシンヤは首を捻る。適当に答えていい事柄ではない。しばらく考え込んだ末、シンヤは口を開いた。「『何か』の内容にもよるな」「内容?」「倒したいのか、守りたいのか、逃げたいのか。何かをしたいならそれに適した強さが要る」

 

「デント・カラテは殺人技術だ。相手をぶちのめす以外なら別の手段をとった方がいい。イーヒコは何をしたいんだ?」「僕は……」質問に質問を返されてイーヒコは口ごもる。自分自身、何をしたいのかよく判っていないのだ。あるのは言葉に出来ない惨めさと焦燥感だけだ。

 

「何でシン兄ちゃんはカラテを始めたの?」なので質問に返された質問をさらに質問で打ち返した。「俺か。俺は……俺自身を制御できる強さが欲しかった。感情や欲望に振り回されない自分でありたかったんだ」かつてシンヤは吹き上がる暗黒なエネルギのままに他人へと暴力を振るったことがあった。

 

相手はシンヤへイジメ・リンチをしていたヤンク達であり、マケグミ同士故大きな事件になることはなかった。だが、それはキヨミの涙とコーゾの心痛を産んだ。そして自らの行いを理解したシンヤは後悔と自省の果てにキヨミと約束を誓い、全てのエネルギをデント・カラテに注いで昇華していたのだ。

 

尤もニンジャソウルの憑依に感情の暴走、ソウカイスカウトの襲撃と想像の埒外が連発したせいもあり、約束を守りきることは出来なかった。それでも交わした約束とそれを納めたオマモリ・タリズマンはシンヤの人間性を守り抜いてくれた。今のシンヤがあるのはカラテを始めた決意と約束があったからだ。

 

「僕は……」シンヤの言葉に張りつめたイーヒコから感情が零れ出る。浮かぶのは表面張力の限界まで注がれたサケを思わせる表情だ。そしてサケはマスへと流れ落ちた。「僕は、コワイからって動けない僕がイヤだ。どんなに怖くても行動できる人間になりたい。恐怖より強くなりたい! コワイに勝ちたい!」

 

浮浪者キャンプが襲撃を受けたあの日、エミはワタナベを救おうと飛び出した。キヨミはエミを助けに走った。コーゾは家族の盾になろうとした。シンヤは命を懸けて家族の敵と戦い、勝利した。イーヒコは……何もしなかった。出来なかった。

 

当然のことだ。義務教育も終えてない子供に誰も何も求めない。だが、思春期特有の万能感で「自分はデカイことが出来る」と信じていたイーヒコには頭を冷凍マグロで殴られたようなショックだった。幼い妹が行動を起こしておきながら、いつも大きな口を叩いていた自分は失禁しながら泣き叫ぶばかり。

 

セプク出来るならしたい程に情けなかった。だけど怯える自分はセプクもケジメも出来ないに違いない。自身の惰弱ぶりに自信全てが消え失せた。それでも自分の中に残ったのは、恐怖を越えて家族を守るあの背中。だからイーヒコはシンヤに頼み込み、デント・カラテを教わり始めたのだ。

 

「そうか、そうだな。ビビって何も出来ないのはキツイよな」「……うん」手渡された黒錆色のハンカチで滲む涙を拭いイーヒコは頷いた。シンヤは最初から動けた類の人間だ。だから弟の気持ちが判るわけではない。だが、家族が目の前で踏みにじられようとしている時に身動き一つとれないとしたら。

 

そして、それが自分が弱かったからだとしたら。イーヒコの覚えた後悔と屈辱は想像するに難くない。兄としてそれを拭う手伝いくらいはしてやりたかった。「だったら、基礎カラテと一緒に経験を増やすことだ。つまり実践と実戦だな」「ヨタモノとケンカとか?」「そいつはまだ早い」

 

(((さて、ヨタモノのケンカでも見物させるか? いや、暴力に対する心構えができていない。それにデント・カラテを修めきってない俺より、センセイの元でカラテを積むべきだ。ならドージョーに話を持って行くか? けど、ソウカイヤに手繰られる危険がある。それにどの顔晒してヒノ=サンに会えば……)))

 

さてどうするかと、シンヤは一人思考に沈む。「シン兄ちゃん、晴れたよ」何時しか雨は止んでいた。顔を覗かせたドクロの月は全て無駄と二人の姿を嗤うかの様。ニタつく白けた月へと獰猛に笑い返すとシンヤはジューウェアを羽織った。努力は着々、結果を御覧だ。「じゃ、続きやるか!」「うん!」

 

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】終わり

 



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第一話【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#1

※ 注意しなさい ※

本作はアイドルマスターシンデレラガールズとは無関係です。
本作はオマージュ的要素を含みますが特定のキャラクターを貶める意図は一切ありません。

※ 注意しなさい ※



【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#1

 

「今日はアリガト。これ、少ないけど」「スミマセン。依頼料金は口座振り込みでお願いします」「いや、これは個人的なお礼で」「スミマセン。依頼料以外は社則で禁じられています」「これは金銭でもワイロでも無いので、そこを何とか」「スミマセン」「そこを何とか」「スミマセン」「そこを何とか……

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「そういう訳で押し切られまして。まあ金銭でないならダイジョブかなと……その、スミマセン」事情を説明し終え、安っぽいスチール机に向けてシンヤは申し訳なさそうに頭を下げた。だが秘書兼事務員の氷めいた視線はシンヤの後頭部を刺し貫く。「社則で贈り物の授受についても禁じられていますが?」

 

冷たく凍る瞳に突き刺され、冬場のカメめいて首を竦めて身を縮こまらせるシンヤ。実際悪いのは自分である。言い訳のしようもない。「まあ、その辺りにしてくれ。シンヤ=クンも反省しているようだし、次から気をつければヨロシイ」助けの手は『社長』の札が立てられた隣の机から差し込まれた。

 

「ホントにスミマセン」「なので次はしないように」「ハイ、判りました」シンヤの謝罪に気にするなと軽く手を振り応えるのは社長のタジモである。元トモノミストリート浮浪者キャンプ村長である彼は、シンヤと亡きワタナベが交わした約束を実現し、キャンプ住民たちに新しい職と居場所を与えたのだ。

 

今こうしてシンヤ達がいる『オキナ重厚ビル』三階もその一つであり、ネットワーク主体のコネ・コムで唯一の物理事務所である。スチール机、パイプ椅子、UNIX、CRTディスプレイ、書棚、神棚、ダルマ、マネキネコ。このテンプレートな事務所は顧客会談や新人面接、書類整理の為に借りている。

 

なので常駐している人間もタジモ社長と、自我持ちオイランドロイドと噂される秘書兼事務員のみである。「悪しき前例になりかねませんが?」「それは私の方から連絡しておくよ。長いツキアイが望みなら尚更キッチリしておく必要がある」秘書兼事務員の冷然たる声音にも体型同様な安定感は崩れない。

 

「それで、これはどうしますか?」話の終わりを見計らいシンヤは頂き物の封筒をつまみ上げた。合成パルプ紙の封筒には厚みがなく、ペラペラとはためく外観からは何かが入っているようには見えない。「それはシンヤ=クンが処理してくれ。一度受け取ったものを売ったり捨てたりしないようにな」

 

「ハイ、判りました」素直に頷きながらシンヤは無地の封筒から中身を取り出す。出てきたのはラメとビビッドカラーで豪勢に彩られた目に眩しいチケットが二枚。中央にはそこらのゴスやパンクが青ざめて道を譲るほどに豪勢に着飾った美少女三人がポーズを取っていた。

 

『人気ウナギライズ! サンドリヨン企画、期待の新星”シュンセダイ”!』幻想めいて現実離れした写真の上には装飾過多なカリグラフィーが中身を示している。『オニタマゴスタジアム特設ライブB席』「興味ないんだけどなぁ」年上趣味であるシンヤの呟きは誰の耳に届くことなく空調の音にかき消された。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「誰かアイドルとか興味ある?」「急に何?」帰宅直後の兄から出てきた唐突で珍妙な台詞にエミは首を傾げた。「アイドルライブのチケット貰っちゃってさ」「もしかしてネコネコカワイイ!? スゴイ!」「ホント!? スッゲー!」ネコネコカワイイのライブチケット入手ともなればこれはもう一大事である。

 

オムラ・メディック社のテック偏愛とピグマリオン・コシモト兄弟カンパニーの神秘的AIが産んだ機械仕掛けのミューズは、既にアイドルという単語と同義だ。NSTVヒットチャート1位を恒久的に占め続ける彼女らのライブチケットとなればNERDZどころかダフ屋間での殺人も頻発する超稀少品。

 

「スゴイ! スゴイ! ヤッター!」「ウォーッ!」歓喜の余りネコネコカワイイジャンプで飛び跳ねるエミと、ネコネコカワイイと聞いて途端に興奮しだすウキチ。テンションMAXな弟妹の姿に一抹の罪悪感を感じながらもシンヤは真実を告げた。「いや、生身だぞ」「……そーなんだ」「じゃあいいや」

 

天にも昇る心地から地にたたき落とされた様で落ち込むエミと、瞬間的に興味が揮発したウキチの姿に、シンヤは長い溜息を吐いた。「イーヒコは?」「行く気はないけど、ナンデ僕に聞くの?」街頭TVに流れるネコネコカワイイのMVぐらいしかイーヒコとアイドルに関わりは無いし、関わる気もない。

 

「いや、お前がアイドルマニアだったら面白いかなーと……痛いから蹴るなよ」無言のイーヒコはローキックをシンヤのスネに打ち込み始めた。これでトモダチ園の残りは四人だが、コーゾはソバ武者修行中で出向中だし、幼いオタロウは熱狂する人混みの中に連れて行ったら泣き出すだろう。

 

片足でイーヒコのキック連打をいなしつつ、シンヤは後二人へ振り返る。「キヨ姉は?」「私は余り興味ないかな」「じゃあアキコ」「アタ……! アー、別に」微妙な間を伴ったがアキコにも断られた。チケットを貰った関係上シンヤは行かなければならないから一枚は消費できるとしてももう一枚が余る。

 

さてどうしたものかと首を捻るシンヤへ意外な人物が手を挙げた。「ならワシが行こうかの」「住職さんが?」声を上げたのは珍しくトモダチ園のスペースに顔を見せたダイトク・テンプルの住職である。「昨今は法事にも演出がいるので参考にな」実際ネオサイタマではテクノ法要が大いに流行っているのだ。

 

「有り難いネンブツでも聞いて貰えねばサイバー馬に唱えるのと変わらんよ」金儲け目的も多いが、マジメにブディズムの入口として新しい法事を始めるボンズもいる。テクノ法要もあるボンズがクラブハウスで悟ったのが始まりだ。ならばアイドルライブから新たなアイディアをダイゴしてもおかしく無い。

 

「何よりスカートが短いのがよい」「そういうのやめてください」子供の教育に悪い! マジメを口にした次には生臭が口から飛び出る。中道がブディズムの本道かもしれないがこんなことでバランスを取る必要は無いだろうに。呆れたシンヤの白い目にも住職は呵々と笑うばかりで一向に堪える様子はない。

 

「じゃ、取りあえず住職さんで「アタッ……! アー……! エー……!」「どーした急に」シンヤは背後からの甲高い大声に僅かに眉をしかめる。出所のアキコは口ごもりつつも必死の様相で釈明を試みる。「ほ、他の人にも聞いた方がいいと思うの! ほら檀家さんにも行きたい人いるかもしれないし!」

 

話の中身はそう間違ってはいないが、視線を左右上下にクローリングさせつつでは何の説得力もない。住職とシンヤの合間で一瞬のアイコンタクトが交わされる。「ナラ、ワシハ様子見デー」「ソーデスネー」実に適当で三文芝居臭いやりとりだったが、安堵の息を吐くアキコの目には入らなかったようだ。

 

目に見えて安心した妹に肩を竦めるシンヤ。甘苦い笑みを浮かべるキヨミ。アルカティックな笑顔で爆笑を押さえ込む住職。知らぬがブッダと言う通り、アキコが理解したらきっとセプクを望むだろう。幸いにもツゲグチしそうな子供達は首を傾げるばかりで、真実を知る三人は奥ゆかしく沈黙を保っていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「オジャマシマス……」「ドーゾ」ウシミツアワーにはまだ早い夜半過ぎ頃、三人が三人とも予想していたとおりにアキコはシンヤの部屋を訪ねた。真夜中の来訪だが猥褻な意味はない。もしもそうならシンヤは無理矢理にでもアキコを部屋に帰した後、キヨミとコーゾを叩き起こして家族会議を開くだろう。

 

「で、お目当てはこれか?」「ナンデ!?」「そりゃ兄貴だからな」「ウゥーッ!」呆れと苦笑の入り交じった複雑な表情を浮かべながらシンヤはチケットを旗めかせる。あれだけ好い加減な演技に気づかなかっただけあって、知られているとも気づいていなかったらしい。

 

「どーして……どーしよ……」胸中を知られたアキコの顔は着色タコウィンナーめいて真っ赤だ。住職もキヨミも了解済みと知ったら、顔から火炎放射するに違いない。「どーしよもこーしよもないだろ」例えシンヤが知らなかったとしても、チケットを得るためにはそれを伝えざるを得ないのだ。

 

「そんなに恥ずかしいなら来なかったことにするか?」そうなれば当然チケットは手に入らない。それでは恥を忍んで訪ねた意味もない。湯気を出しそうな顔色のアキコは俯いた頭を小さく横に振った。「まあ、お前さんにコイツを渡すのは構わない」「ホント!?」「家族にウソは言わんよ……が」「が?」

 

シンヤは単音で区切りを入れてアキコの旋毛を指さした。「これが欲しいなら住職さんに事情を話して謝罪してくること。それとお前が言った通り檀家さんにも行くかどうか聞くからな。わかったか」アキコの行いはオーテ・ツミを認めた後にマッタをかけるのと変わりない。反則負けもいいところだ。

 

「……ヤダ」「じゃあライブは諦めろ」「ウゥーッ!」「じゃあ住職さんに謝りに行け」「ウゥーッ!」「それと檀家さんに行くか聞け」「ウゥゥーッ!!」唸りを上げハンニャめいて髪を振るうアキコ。秘密の趣味を家族に知られるだけでセプクものなのに、赤の他人に笑われたら思春期少女は立ち直れない。

 

「幾ら唸っても無駄だぞ」「ウゥーッ! ……ウゥー……ウゥッ……ヒッ」ハチめいてブンブン唸るアキコだったがシンヤは一歩も譲らない。鉄柱めいて揺るがぬシンヤを前に、アキコの唸り声は徐々にすすり上げる音へと変わっていった。しかし妹の涙を目にしてもニンジャらしくシンヤは眉一つ動かさない。

 

「泣き落としも聞かんぞ」「ヒック……ヒッ……ウゥッ……」弟妹達の様に暴力が通る相手でも、コーゾの様に勢いで通れる相手でも、キヨミの様に同情が通じる相手でもないのだ。折れも揺るぎもしない鉄柱相手に無闇にチョップを繰り返せば先に折れるのは打ち手の骨だ。当然折れたのはアキコの方だった。

 

「ちゃんと、ちゃんと言うから、だから……」「わかった」泣きべそ混じりで絞り出す声にようやくシンヤは頷いた。黒錆色のハンカチーフを手渡しチケットを握らせる。「ライブの後でもいいからきっちり事情は住職さんに話せよ」「うん」「檀家さんで行きたい人がいたら俺のを譲るから」「うん」

 

「しかしお前が欲しがるとは意外だったよ。実を言うとイーヒコが一番ありえると思っていたんだがな」重くなった空気を払うように冗談めかしてシンヤが笑う。口先と態度を斜め構えに格好付けておきながら、最年少のオタロウよりも子供っぽいのがイーヒコなので面白半分可能性半分で問いかけたのだ。

 

「……勇気を、貰ったから」「勇気?」豆鉄砲で狙撃された鳩の顔でオウム返すシンヤ。あくまで空気を軽くするための軽口で答えが返ってくるとは思ってもいなかったのだ。「最初にトモダチ園に来たとき、アタシ家出したでしょ」「確か三人総出で探したな」あれは珍しく重金属酸性雨のない夕方だった。

 

「前の家に戻ってたのよ」アキコは捨てられた子供だった。産みの親を事故で失い、保険金目当ての親戚に拾われて、遺産を吸い尽くされダシガラめいて捨てられた。それでもマイコセンターに売らないあたりネオサイタマでは有情な部類だが、そんなナサケが捨てられた子供に理解できるはずもない。

 

「前の家族にはもうお前はイラナイって言われて、どこに行けばいいのかもう判らなくて」今までの家族は見知らぬ他人になり、これからの家族も見知らぬ他人。新しい家だとトモダチ園へ連れられても、信じるよりも捨てられる恐怖が先に立つ。「それで親が居たときと同じコケシマートに行ったの」

 

店内改装済みで一つも記憶と一致しないコケシマートを彷徨い、屋上遊園地で遊んだ記憶に縋ってエレベーターに乗った。リフトを降りて見ればミニ遊園地は跡形もなく、イベントステージだけが残っていた。何もなかった。けどアイドルはそこにいた。「『セセラギ』ってアイドルがたった一人で踊ってた」

 

「誰も見てないステージで誰も聞いてない歌を歌ってたわ」モノクロームで描かれた曇天の無人ステージ。「それなのに、あのアイドルはちっとも気にしてなかった」ただ彼女だけが鮮やかに色づいていた。「『世界に独りでも関係ない、私は私の夢を叶えるんだ』って。そんなこと言われた気がしたの」

 

「気づいたら沢山人が集まっていて、自分もみんなも声を上げて応援してたのよ」耳に瞼はない。意識していなくても常に音は聞こえている。だから誰もが思いを込めた歌に気づく。鼓膜を、骨身を、内蔵を揺さぶる歌声に耳を傾け出す。「『アタシも一人でやってみる』って、そんなつもりで叫んでた」

 

「そしたらコーゾ先生に見つかって、トモダチ園に帰ることになって……後は知ってるでしょ?」「ああ、帰ってきて第一声が『お腹空いたからご飯チョーダイ』だったな。お陰で自分がかなり我慢強いほうだと判ったよ」散々探し回った相手からこの台詞。ぶん殴らずに居られた自制心に感謝した記憶がある。

 

「……そんだけご執心なら他の相手に渡すよりアイドルも喜ぶだろ。楽しんできな」予想以上に重い妹の思いを受け止めながらシンヤはそう締めくくった。しんみりと染み渡る沈黙が部屋に満ちる。「そうだ! シン兄ちゃんの分も準備しなきゃ!」しめやかなアトモスフィアを打ち破ったのは当のアキコだった。

 

「なんの?」「ライブの! 取りあえずコレ全部覚えて!」目を白黒させながら手渡された分厚いツルカメ算数テキストをめくる。中身は別物らしくLED指示棒を縦横に振るう写真がずらりと並んでいた。「ナニコレ」「振り付けと合いの手一覧! ウチワとサイリウムは予備あるけどハッピの寸法どうしよう?」

 

「どうしようって言わ「今から発注したら猶予ないけど、予備じゃサイズ合わないし……」早口でまくし立てる妹をカルティスト・ヨタモノのブードゥー儀式を見せられた顔で眺めるシンヤ。「なあ、ライブで何するんだ?」「応援に決まってるじゃない!」ニンジャ読解力を以ってしても理解は難しかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「つらい」オニタマゴスタジアムグラウンド中央に設置されたサンドリヨン企画のアイドル『シュンセダイ』ライブ会場は、熱狂的サポーターの濃縮された熱気と湿気と臭気でジゴクめいた空間と化していた。ただ一人、場違いなアトモスフィアをまとったシンヤはライブ前から疲れ切った顔で長い息を吐く。

 

「とてもつらい」ニンジャ耐久力を以てしてもこの疲労感。湿度は疾うに飽和して不快指数がウナギライズしている。新品のハッピは密着する周囲の汗が染み入って早くも斑に色を変えた。深呼吸一つすれば肺の中が汗でグッショリ濡れるだろう。早い段階で嗅覚が麻痺したのはブッダの慈悲か。

 

(((リアルアイドルがナンデこんなに人気あるんだよ……)))完璧なる偶像(アイドル)であるネコネコカワイイのショウビズ支配は最早絶対だ。事実、デビューから十年間に渡りランキングのトップは動いたことがない。彼女らの登場で数十万の少女たちが夢を諦め、オイラン専門学校に進路を変えたと聞く。

 

だからアキコのような奇特な人間を除けば閑散とした風景が待っていると考えていた。しかし待っていたのは熱意と欲望を煮詰めたアンコ鍋の底。この狂気じみた興奮を見れば、元アイドル候補生の半数は進路を再変更するだろう。そして残り半分は夢の残滓を捨ててショウビズから足を洗うだろうが。

 

……シンヤは忘れているが『原作』にも「シャムナンコ」「ユメミコ」など血の通ったアイドルも存在している。永世女王ネコネコカワイイが君臨し続けているとはいえ、イーヒコの様に全ての人間がファンではない。パイは小さいがまだあるのだ。とは言え、スタジアム貸し切りライブは異常な規模だが。

 

「すごくつらい」そんな『原作』芸能界事情などつゆ知らず、過湿な空気に更に湿っぽい溜息を吐くシンヤ。対して隣のアキコは熱い気炎を吐いて暑い空間を加熱する。「シン兄ちゃん、ツライツライ言わないで! アイドルにはね、応援する側もされる側も笑顔が不可欠なのよ! ワカル!?」「判らん」

 

「判って!」「努力する」「寿退社も近いって言うんだから、尚更笑顔で送ってあげなきゃ!」妹の熱気も周囲の狂気も自分の正気も何もかもが理解できない。意気をあげる妹から目をそらしたシンヤは頭痛が痛そうな表情で、ブードゥーめいた執拗さで織り込まれたハッピのアイドル文様を眺める。

 

そんな心境を余所に唐突に照明が消え、眩い脚光がステージを照らし出す。祭典の準備が整った合図だ。「シン兄ちゃんそろそろよ! 笑顔よ笑顔! スマイルいい!?」「……がんばる」「ガンバレ!」客席の暗黒を映す濁りきった目の兄に、光り輝くステージを反射する澄んだ目で答えるアキコ。

 

そして三柱のイコンは姿を現した。「皆、ライブに来てくれてドーモアリガトーッ!」LEDフリルと蛍光ラメで物理的に眩しいほど飾りたてたシュンセダイの美少女たち。「今日は思い切り楽しんでくださいね!」全力で聞き流した妹の説明によればミヅ・ウヅ・リヅの三人だとか。「じゃあ一曲目行くよ!」

 

「聞いてください、「「「『君気味ギブミー』!」」」「「「ワオーッ!」」」「わおー」ぎらつく目で吠える周囲にあわせマグロ目で応援の真似事をするシンヤ。熱心なファンが物陰で物理的な研修を試みそうな様だったが、幸運にもやる気も何もないシンヤの声はそれ故に爆発的なファンの歓声にかき消された。

 

「今日も隅っこで俯いている」「視線の先には笑顔の君」「ほんのちょっとの勇気がほしい」円弧、直線、扇形、螺旋。歌に併せてサイリウムの残像が跳ねる。神の視点ならケミカル光の大海原がうねり舞う幻想的光景が見えただろう。だがそれを見ることを許されるのは、ステージで歌い踊る三人だけ。

 

何故ならライブとはファンの神事であり祭礼であり、そして偶像神(アイドル)に捧げる神楽なのだ。その中で只一人、場違いな無神論者がマグロ目でサイリウムを振るっている。動きこそ周囲の芸を越えるキレがあるが、その顔に張り付いているのは笑顔というには余りに虚ろで乾いた表情。

 

ライブにあるまじき顔に気づいたアキコは笑顔のまま器用に声だけでシンヤを叱り飛ばす。「シン兄ちゃん、変に恥ずかしがってたらダメよ! ほらちゃんと笑って!」「恥ずかしがって泣いてたお前が言うと違うな」行くと決めたのは自分だが、こんなジゴクとは知らなかった。愚痴と皮肉も多少は出よう。

 

「ハイハイ! ハイハイ! ハイハイハイ!」「聞けよ」だがそんな兄の情けない泣き言など聞く耳持たずに、アキコは周囲と併せて合いの手を入れる。「「「君のホントの気持ち聞きたいの。だから~」」」曲もサビに入ったのか、袖口から次々にバックダンサーが姿を現す。

 

しかしシンヤの想像より踊り子は厳つくて、逆間接の鳥足だった。成人男性より大きい電飾サスマタとパステルカラーな多連装機関砲。シンヤは一度も目にしたことはない。だが『原作』から知っている。「オムラ!?」それはオムラ重工の暴虐と愛嬌を体現するロボニンジャ『モーターヤブ』に他ならない! 

 

「「「君の本音ちょうだい。私の気持ちをあげる」」」「「「ミヅ! リヅ! ウヅ!! ミヅ! リヅ! ウヅ!!」」」天井に向けた砲身から極彩色の火が吹き上がる。完全同期制御されたロボットダンスと共に光るサスマタがリズミカルに振り回される。光輝と熱気、歌声と歓声。今、全ての人が夢の中にいる。

 

只一人、シンヤだけを除いて。(((金の出所はオムラ絡みか?)))周囲と同じ笑顔を張り付けて、周囲と同期してサイリウムを振るうが、脳内を走る思考は冷たく覚めている。オニタマゴスタジアムという大舞台には予算が必要だ。ファンの熱狂具合から合法と考えていたが、モーターヤブがいるとなれば話は別。

 

オムラのロボがいるなら薄ら暗い裏事情があっても可笑しくない。無意識に張りつめるカラテを排気し、戦闘態勢に入る肉体を押さえ込む。(((第一はアキコの安全確保だ)))ファンが単なる金蔓なら無闇な危険はない。一介のファンとしてライブを立ち去れば済む。ただし、それはライブ中に何事もない前提だ。

 

集中と焦燥で狭まる収束する視界の中で、舞台の袖口に見えたのは見覚えのある人影だった。ニンジャ視力でも輪郭を捕らえるのがやっとの暗がりの中で、モーターヤブを見つめる『原作』主人公の姿。「モリタ=サン!?」少なくともシンヤの目からはそう見えた。彼がいるならニンジャがいる。

 

作り笑顔に焦りを押し隠し、一挙一動たりとも見逃してなるものかと袖口を注視する。彼が、フジキド・ケンジが潜入している以上ニンジャの存在はほぼ確実。そしてそのニンジャがソウカイヤに属している可能性は十分以上にあり得るのだ。「ブッダム……」見えないクロスカタナが首筋に触れた気がした。

 

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#1終わり。#2に続く



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第一話【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#2

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#2

 

「じゃあここで休憩ね!」「再会は十分後だよ!」「遅れないでくださいね!」「「「ミヅ! リヅ! ウヅ!! アリガトーッ!」」」長丁場のライブにはトイレ休憩が付き物だ。尤もこの短時間で長蛇の列を超えて用を足せる人間はほぼいないのだが。「便所行ってくる」「時間までに帰ってきてよ!」

 

「できたらそうするよ」休憩時間でもテンションを落としてたまるかとBGMに合わせてホロ投影とラインダンスを始めたモーターヤブを背後に、シンヤはバイオウナギめいて滑らかに人混みの中をすり抜ける。お手洗いに向かう人波に紛れてグラウンドを抜けると、ドーム内通路を音もなく進む。

 

目指すはライブ会場の裏手、スタッフオンリーのスペースだ。袖口に居たと言うことはそこに彼は進入している筈。『職員専門』『入門禁止』とステッカーの張られたドアは直ぐに見つかった。「「「ミヅ! リヅ! ウヅ!!」」」バリキ臭を漂わせたフーリガンが狂った目でドアを叩いていたから簡単だった。

 

「オイオイ……」予想外極まりない光景に思わず会ったこともないガンドーの口癖を呟くシンヤ。こんな事をしたところで応援するアイドルが喜ぶとは到底思えない。だがアイドルへ熱情をぶつける事が全てと化したフーリガンにはそんなことはどうでもいいのだ。ただ溢れる感情と欲望のままに暴走するのみ。

 

困惑するシンヤの前でフーリガンを押し出すようにドアが開いた。中から出てきたのはステージ脇にいた見覚えのある顔立ちと高級スーツの人物。彼は若々しくも渋い声音で礼儀正しく退去を促す。「ドーモ、シュンセダイのファンの皆さん。申し訳ありませんが関係者以外立入禁止です。お引き取りください」

 

だがそれで引き下がるような人間ならこんな事はしない。「「「ミヅ! リヅ! ウヅ!!」」」「皆様のご好意は有り難いのですがアイドルの迷惑となります。お帰りください」「「ミヅ! リヅ! ウヅ!!」」「ご退出ください。これ以上は警備員を呼ばせて頂きます」「ミヅ! リヅ! ウッ……!?」

 

気づけば声は一つまた一つと数を減らし、最後となったフーリガンが呻き声と共に気を失った。崩れ落ちたサポーターの背後には特徴らしい特徴のない学生ファンの姿。ただ、険のある目だけが外観離れした冷たい視線を放っている。「興奮のしすぎでしょうか、急に気を失ってしまいました」「アナタは?」

 

死んだ虫を語るような無感情な声色で欺瞞的台詞を呟くと、学生ファンは両手を合わせた。「ドーモ、モリタ=サン。お久しぶりです、カナコ・シンヤです」モリタ、カナコ・シンヤ。言われた側には聞き覚えのない名前だった。「初めまして、私はサンドリヨン企画プロデューサーのタケウチです」

 

「演技はもう十分です、モリタ=サン。何忍が潜んでいるんですか? 目的は何です? 所属組織は? キリステ紋はありましたか?」「スミマセン、何方かと勘違いをされておられませんか?」「だから演技はもう十分と……」シンヤは不意に気づいた。剽悍な顔立ちは驚くほど似ている。だが違う。

 

「も、もしかしてモリタ=サンではないと?」目が違う。全てを失ったフジキド・ケンジの目は死人のそれだが、目の前の御仁は情熱を秘めた生者の目をしている。「ハイ、私はプロデューサーのタケウチです。モリタ=サンなる方とは無関係です」欺瞞ではない。差し出された名刺にもそう書かれている。

 

「ド、ドーモ、スミマセン! 知り合いの方と非常に似ていたもので! タイヘン・シツレイ致しまして!」シツレイを雪ぐべく水飲み鳥めいた高速で頭部を上下させるシンヤ。恥じ入るあまりその顔は先日のアキコ同様の赤一色に染まっている。「いえ、お気になさらず。私どもとしても助かりましたので」

 

騒動になる前にフーリガンが取り除けた以上、タケウチは礼を言えども文句を言う気はない。しかし、シンヤからすれば無関係の人間をニンジャ絡みの騒動に巻き込む処だったのだ。「ご迷惑をおかけしました! オタッシャデー!」手早く気絶フーリガンを縛り上げるとシンヤは逃げる様にその場を去った。

 

角を曲がる瞬間、火照った額の内側に見えない爪が立てられた。しかし儚い一瞬の感触に気を向けるよりシンヤはその場を去ることを優先した。一陣の突風を思わせる速度で消えた学生ファンにタケウチは目を丸くする。その背後で小柄な緑のシルエットが扉の隙間から流れるように姿を現した。

 

「タケウチ=サン、もうダイジョブですか?」「ええ、チドリ=サン。親切な方のお陰でフーリガンは居なくなりました。回収に警備員を呼ぶ必要がありますが」拘束されたフーリガンにサイドオサゲのマネージャーは大げさに安堵の息を吐いた。「ああ、怖かった」「ご心配をかけたようでスミマセン」

 

「今後は直ぐに警備員を呼ぶように致します。彼女たちの安全が一番ですから」内々で処理するよう上からはお達しが来ているが、アイドルを守る事が第一だ。神妙に頷くチドリだが不意に拗ねた顔を作ってタケウチの袖口を引いた。「じゃあ、私は何番ですか?」「……答えにくい事を聞かないで下さい」

 

一方、糖質過多な波動を発する現場より離れ、肩を落としたシンヤは来た道を逆に回っていた。「ブッダム……」便所帰りの人波をすり抜ける動きに淀みはないが、吐き捨てる四文字は自己嫌悪に大いに淀んでいる。何せ証拠もないのにモーターヤブとフジキド似の人影を矢印で結んでしまったのだ。

 

『ヘビを映したオチャで死ぬ』『疑い出すとキリがない』『ビョーキは気分の問題』哲学剣士ミヤモト・マサシが幾多のコトワザに詠んだ様に疑心は暗鬼を生じるもの。ソウカイヤの影に怯えるシンヤは、オムラかヨロシサンかと言うだけでキリステ紋が脳裏に浮かぶ程だった。

 

枯れ尾花のユーレイに竦み、風の音にシャウトを聞く。恐怖というノロイは逃げ続ける限り決して逃れようはない。『コワイに勝ちたい』弟はそう決意を顕した。それを聞き届けた自分の何と情けないことか。だがその恐怖に立ち向かうと言うことはソウカイヤに挑むと言うことだ。

 

それはトモダチ園どころか家族一人一人の背景をも調べ上げているシンジケートに挑むと言うことだ。それはあのインターラプターすら手駒一つに過ぎないニンジャ軍団に挑むと言うことだ。全てを奪われた復讐鬼故に、ニンジャへの憎悪の化身を宿すが故に、ニンジャスレイヤーはソウカイヤを討てた。

 

それを守るべきを抱え込み、2流にようやく届いた自分が行う。夢はフートンに入って見るべきだ。(((『原作』に縋った挙げ句の他人頼り。何時まで俺は逃げ続けるんだろうか)))鬱々とマイナス思考に浸るシンヤ。だから見覚えのある人影が目の前に来るまで気づかなかった。

 

「タケウチ=サン? 何かご用で……え」違う、タケウチではない。彼は職員控え室にいた。控え室から離れるシンヤの前からは来ない。彼は高級なスーツ姿だった。NSTVの特派員ジャケットは着ていない。彼の隣にいたのはサイド・オサゲの事務員だ。コーカソイドのリポーターではない。

 

そして何より彼は死んだ目をしていない。「ドーモ、カナコ=サン。イチロー・モリタです。何故オヌシがここにいる?」その目をしているのはフジキド・ケンジ、すなわちニンジャスレイヤーだ。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ドーゾ」「ドーモ、ありがとうございます」舞台袖から戻ったタケウチは、チドリからコールド・コブチャを受け取った。よく冷えた水気と塩気がライブの熱気を浴びて汗を滲ませた身に有り難い。関係者控え室備え付けのCRTディスプレイには全身全霊で歌い踊るシュンセダイの三人が映し出されている。

 

「ようやくここまで連れてこれました」鋭い目を柔らかく細めたタケウチが熱を帯びた言葉をこぼす。シュンセダイの三人は彼が靴底をすり減らして見つけだした原石だった。初舞台の失敗、グループ内の不和、上層部からの方針変更。幾つもの障害を乗り越えて今、彼女達は大舞台で存分に脚光を浴びている。

 

(((私、トップアイドルになりたいんです!)))名刺と交換に聞かせてもらった夢は、ネコネコカワイイが現れて以降少女達の誰もが諦めた夢物語だった。だが今、その夢に続く階段を彼女たちは力強く駆け上がっている。カイシャ名の通りに彼女たちはシンデレラストーリーを叶えたのだ。

 

感無量と目頭を押さえるタケウチに淡い緑のハンカチが差し出される。「タケウチ=サン、これまでご苦労様でした」「ありがとうございます、チドリ=サン。でもここからです。舞踏会はまだ始まったばかりですからね」「……いいえ、12時はもう過ぎたんですよ。魔法が解けて現実がやってくる時間です」

 

タケウチの詩的な台詞に返ってきたのは、同様に捻りを利かせていながらもぞっとする程に冷たい声音だった。驚いて見返した顔は常の柔らかな笑顔とは余りに異なっていた。ディスプレイに向ける目は出荷前の豚を見るような冷たい哀れみを帯び、薄衣のメンポに隠れる口元は他人の不幸に甘く歪んでいる。

 

「一体何を仰っているんですか? それにその格好は……」沸き上がる恐怖と想像を押し殺してタケウチは問いかける。その姿はまるでフィクションのキャラクターだ。シュンセダイがこんな仮装をした事も有る。だが放つ視線が、纏うアトモスフィアが、浮かべた冷笑が、これがリアルであると告げていた。

 

威容を露わにした彼女は頭を垂れてオジギした。「いい機会ですから改めてアイサツさせて頂きます。ドーモ、タケウチ=サン。シャイロックです」「アイェッ!?」恐るべき真実を前に押さえきれない悲鳴が喉の奥から漏れる。疑う余地は最早ない。そう、チドリは……否、シャイロックはニンジャなのだ! 

 

邪悪な神話的存在が目前にいる。無関係の人間ならばNRSに打ちのめされ、失禁と共に崩れ落ちていただろう。だがタケウチは意志力を総動員して脅え竦む肉体の手綱をとった。「……チドリ=サン、いえシャイロック=サン。先ほどの言葉の意味、改めて伺わせていただきます。どういう意味ですか?」

 

驚きに一瞬目を丸くしたチドリは、ワガママする子供に言い聞かせるように言い含める。「彼女たちは引退するんですよ。寿退社ですね。今日が最後のライブになります」「そんな話は一度も伺ってません!」シュンセイダイのプロデューサーである自分に彼女らの進退に関わる話が来ない筈がない。

 

恐怖をも超える激情のまま声を荒げるタケウチだが、チドリは凍える笑みを張り付けてカミソリめいて目を細めるだけ。「この後に彼らとの契約がありますし、これもいい機会ですね。我が社の本業についてもオハナシ致しましょう。タケウチ=サン、今回のライブ予算の大本はご存じですか?」

 

アイドル売り出しとCD販売がサンドリヨン企画の主要業務だ。四季報にも書かれている。それが出所の筈だ。「それはファンの皆様が……」だが口にするタケウチの言葉は自身でも信じきれない疑念を帯びていた。オムラ製暴徒虐殺兵器のバックダンサー、ネオサイタマでも一二を争う巨大ドーム貸し切り。

 

経理担当外のタケウチでも異常な予算が想像できる。幾ら熱狂的ファンからの課金があっても、今日のライブ予算一つにすら到底足りない筈なのだ。「それでは不可能だという事にアナタも気づいている筈でしょう?」「なら何で儲けているというんですか? それが彼女たちの引退話と何の関係があると!?」

 

「我が社ではアイドルを『売り出して』いるんですよ」婉然と笑みを深めて当然と告げた台詞。言葉だけならタテマエと何一つ変わらない。だがその一言でタケウチの顔が色と血の気を失った。「表向きには寿退社として、ね。今まで何人もいたでしょう? 今回はアナタが担当したアイドルだっただけですよ」

 

「じゃあ彼女たちは……」返答は嘲りと蔑みをたっぷりと含んだ邪悪な微笑だった。「私たちがマニーで女の子の夢を叶えて、代価に人生を売り払う。闇カネモチは青い果実を貪り、その売り上げで私たちがマニーを得る。正にWin-Winですね」「それのどこがWin-Winでグワーッ!?」

 

椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったタケウチの喉笛をシャイロックが掴みあげた。たおやかな女ニンジャの細腕に長身で男性のタケウチが身動き一つとれない。「私はアナタを高く買っているんです。下らないことで失望させないでください」「グワーッ! ……どこが、下らない、ことですか! ……グワーッ!」

 

「ど こ が ? 叶いもしない夢を見て、与えられた成功に酔って、そして最期はこんなはずじゃないと泣き叫ぶ。そんな人間の末路を『下らない』以外の言葉で表現できますか?」「私は、その人生を、『尊い』と、表現します!」全身で嘲笑していたシャイロックの目が明確な苛つきに歪んだ。

 

苦痛に喘ぎながらもその目をタケウチは真っ直ぐ見据えた。DNAに刻まれた屈従を意志でねじ伏せて、思いを込めた言葉を叩きつける。「叶うと決まった夢はなく、一人だけで得られる成功などなく、思い通りに終わる人生もありえません! だからこそ、彼女たちの挑戦と努力は『尊い』のでグワーッ!」

 

180cmを超える長身が宙に弧を描き、叩きつけられた長机が砕けた。「綺麗事に縋って何ができますか!? 契約書一つでジゴクに落ちるアイドルに! 私の手一つ逃れられないアナタに! 惨めに泣き叫ぶ以外何かできるとでも!?」砕けた長机に沈むタケウチに激烈な怒気を孕んだ台詞が叩きつけられる。

 

か弱いモータルならそれで心臓を止める程の罵声。ニンジャの本気の怒りだ。「アイドルは歌う事ができます! 私たちは彼女たちを支える事が、できます!」だが、タケウチは吠えた。半神的存在を前にして一歩も引かずに信念を叩き返す。その言葉が、姿が、信念が、『チドリ』のカンニンブクロを点火した。

 

「黙れ……だまれっ! だまれっ! だまれっ! だまれーーーっ!!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ!」何度も、何度も、何度も。溢れる感情のままブザマに拳を叩きつける。そこには一片のカラテもない。あるのはただ怒り狂った、或いは泣きわめく子供めいた姿だけだった。

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」気づけば握りしめた拳は返り血で汚れきり、CRTディスプレイに映るライブ映像は次の曲を披露していた。シャイロックは反射的にかつて長机であった残骸を探る。「アバッ……チド……セ……」幸運なことにニンジャの暴力に曝されて尚、タケウチには未だ息があった。

 

それはブッダの慈悲か、それとも『チドリ』の無意識が彼を生かしたのか。震える吐息が漏れる。その目は無数の感情に揺れていた。「闇医者を呼びました。それと闇カネモチにはビデオレターを送らせます」胸中に沸き上がる痛みと重体のタケウチから目を逸らして、シャイロックはIRC端末を懐に納めた。

 

「闇クリニックのベッドで、シュンセダイとその夢の末路を鑑賞なさい。アナタのオメデタイ頭でも少しは現実が判るでしょう」呻くタケウチに目を向ける事なく関係者控え室のドアに手をかける。意識のない彼に向けるのは悪趣味で残虐な実にニンジャらしい台詞。それは自身に言い聞かす様にも聞こえた。

 

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#2おわり。#3に続く



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第一話【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#3

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#3

 

頭髪が奇妙なサラリマンめいた男が札束入りアタッシュケースを抱えて会議室へと入ってきた。「ドーモ、オジャマシマス。今日はお日柄もよく」「ドーモ、本日も良い天気で」先んじていたシャイロックは立ち上がってオジギしながら、カネモチ・エージェントとモージョーと化した定型文アイサツを交わす。

 

スダレめいた髪の男は部屋を見渡し僅かに表情を変えた。「おや、今日はもう一人居るとの話でしたが?」「……その、事情がありまして」暗い目を伏せてシャイロックは奥ゆかしく言葉を濁す。常ならば慇懃無礼そのものな女ニンジャの大人しい態度に、バーコード頭の中でデジタルソロバンを高速で弾く。

 

「となると贈り物は不用でしたかね?」「スミマセン」持ち上げた高級店の紙袋をこれ見よがしに見せつけるエージェント。押しつけがましく善意を強調して罪悪感を強める交渉テクニックだ。なお、中身は大トロ粉末である。「致し方ありませんね。では、シュンセダイの『寿退社』についてお話を……」

 

KNOCK! KNOCK! 唐突にドアを叩く音が響いた。バーコードエージェントは訓練由来の滑らかな手つきでショックジュッテを抜き放ち、シャイロックは指の間に投擲用のトークンを構える。この貸し会議室が今日使われると知る者はいない。そして今日使われたと知る者が居てはならない。

 

殺意に張りつめた空気を無視するように扉が開いた。「タケウチ=サン!?」「お知り合いで?」扉の向こうにあったのは見覚えあるスーツ。想像を超えた衝撃に固まったシャイロックを酷薄なまでの視線で一瞥すると、彼は懐から一枚の名刺を取り出し、ビジネス教本めいた切れのあるオジギをしてみせた。

 

「ドーモ、初めまして。これからお世話になります」「これは、これは。ドーモ、ご丁寧に」アイドルを食い物にする闇カネモチの代理人に向けて、さも当然の体で彼は名刺を差し出した。それはシャイロックの望んでいた光景の筈だった。それを狙って真実を打ち明けた筈だった。

 

(((タケウチ=サン……綺麗事、止めたんだ……)))だが彼女の胸に去来したのは目も眩む程の強烈な感情だった。墜落するかの如き失望感と汚れきった安堵がシャイロックの呼吸を止めた。だから気づくのが遅れた。ニンジャ身体能力で痛めつけられたモータルがこの短時間で自由に動ける筈がないことに。

 

カネモチ・エージェントが名刺を受け取ることもなく、青い顔で後ずさったことに。その名刺が白地に黒字ではなく、黒地に赤字であることに。名刺に『サンドリヨン企画プロデューサー”タケウチ”』の文字がないことに。代わりに焼き付けられた『ニンジャスレイヤー』のジゴクめいた文字に! 

 

「ドーモ、初めまして。ニンジャスレイヤーです。薄汚いカネモチの薄汚いマニー、薄汚いニンジャの薄汚い血で雪いでやろう!」気づけば頭は赤黒のニンジャ頭巾に包まれ、顔は不吉なる『忍』『殺』メンポに覆われていた! オジギから上げた顔を照明が照らし、刻まれた二文字が死を予告して不気味に輝く! 

 

反射的バックフリップで距離をとり、シャイロックはアイサツを返す。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。サンドリヨン企画のシャイロックです。何故アナタがここに!?」「ショウビズ業者がオムラ製殺戮兵器を大量導入して目立たぬと思ったか? オヌシは電飾ロボニンジャ同様にオメデタイようだな」

 

死神対策が殺戮者を呼ぶとは何たる皮肉か! シャイロックは表情を歪めて反論を投げつける。「アイドルとアナタに関係はないでしょう。ニンジャが自警団(ヴィジランテ)の真似事ですか?」確かにアイドルの『売り出し』先はソウカイヤでない。それに奴隷オイラン人身売買などネオサイタマではチャメシ・インシデントだ。

 

「なるほど、無関係だ。だが殺す」「くっ!」しかしニンジャスレイヤーにとっては邪悪なるニンジャの横暴とその鏖殺こそがチャメシ・インシデントなのだ! 高級スーツのジャケットを脱ぎ捨て黒錆色のズボンが繊維片と散る。その下より表れたのは幾多のニンジャの血で赤黒に染め上げた殺戮者の姿! 

 

「確かにソウカイヤに連なる者ではないようだが所詮同じ穴のラクーン。さほども変わらぬ外道存在よ。オヌシの暴虐を見逃す理由などなし」死神がジゴクめいた声でシャイロックの死を宣告する! 「ニンジャ殺すべし、慈悲はない。イヤーッ!」跳躍と同時に放たれる心臓摘出を狙う必殺のチョップ突き! 

 

「イヤーッ!」ハートキャッチ寸前の手刀刺突を回転ジャンプで辛うじて回避! 「イヤーッ!」空中のシャイロックは一息に20のトークンを投げ撃つ! 江戸時代、ショーグン・オーバーロードの軍勢より逃れたニンジャは市勢に紛れ、スリケンの代わりにトークンを用いたという。

 

かつて荒ぶる神に等しく語られた半神がモータルから逃げ隠れるアワレでいじましい努力。しかしその威力はスリケンに次ぐ程だ。「アババーッ!」流れ弾で頭蓋を打ち抜かれ、少ない髪を脳漿で染色したカネモチ・エージェントの死に様がそれを証明している。ではニンジャスレイヤーも? 

 

そんな筈はない! シャイロックの目の前にいるのはニンジャを殺すニンジャなのだ! 「イヤーッ!」SNAP! 散弾めいて打ち込まれた十数枚のトークンを悉く受け止めて一瞬で握り砕く! 砕けた破片は滲んだ血と混じり合いながら、特徴的な四錐星の鉄片へと姿を変える。スリケンである! 

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは投げ銭の代価にスリケン4枚を投擲! シャイロックはおつりにトークンを10枚投擲! スリケンとトークンが交差する! 結果は……「ンアーッ!」苦痛の声はシャイロックの口から漏れた! スリケンはトークンを容易く分断して彼女の肩に突き立ったのだ! 

 

「ンッ……!」肩に突き刺さるスリケンを表情を歪めて抜き取るシャイロック。僅か数秒の変則スリケンラリーで実力差は決定的なまでに明らかとなった。カラテ強者のニンジャスレイヤーには役不足で相手に不足! アイドル売買にかまけたシャイロックではカラテ不足で役者が不足だ!

 

ならば他で補うまで! 「イヤーッ!」会議室の壁を蹴り飛ばすと薄闇の中にはずらりと並んだモーターヤブ! 微かに聞こえる歌声はここが舞台裏の大道具置き場であることを示していた。シャイロックは懐から引き抜いたIRC端末で指令コマンドを送信。モーターヤブを次々に起動させる。

 

「「「スタートザマシーン。ドーモ、モーターヤブです」」」電飾サスマタとカメラアイが輝き、逆間接が蒸気を噴いた。標的に焦点を合わせたモノアイが頭部回転を停止し、パステル色ガトリングが高速回転を始める。キュィィィン! 甲高く唸る砲身がニンジャスレイヤーめがけて突き出された。

 

「「「投降呼び掛けは現在省略されてます。ご迷惑おかけします」」」もはや慈悲を騙ることすらやめた殺戮機械から、原色の曳光を伴った重金属弾のシャワーが吹き荒れる! BLATATATA! 「「「これはアイドルライブの演出の一環であり、違法性は全くない」」」欺瞞! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはブリッジ回避からの連続タイドー・バックフリップに加えてスリケン連射! 鳥足がスリケンの葉を生やしてモーターヤブが擱坐する! 「ピガーッ!?」「「「反撃を検知。ファンの武装は許されておりません。ライブは安全で平和です」」」冗句! 

 

その間に接近したモーターヤブがカクテル光をまとった電飾サスマタを振り回す! 背部からゴシック体でホロ投影されたシュンセダイ三人の名前が後光めいて嘲笑的だ。「我々はアイドルを暴徒から守りま「イヤーッ!」ピガガーッ!」ニンジャスレイヤーのローキックで逆間接が正常間接に! 

 

その間に接近したモーターヤブがパステルカラーに塗られたガトリングを振り下ろす! 背部からセピア色でホロ投影されたシュンセダイ三人の笑顔が遺影めいて嘲笑的だ。「我々はアイドルを危険から守りま「イヤーッ!」ピガガーッ!」ニンジャスレイヤーの対空ポムポムパンチで両腕が隻腕に! 

 

その間に接近したモーターヤブが『シュンセダイ』の名前が彫られた鳥足を振り上げる! 背部から動画でホロ投影されたシュンセダイ三人のウキヨエが戯画めいて嘲笑的だ。「我々はアイドルを脅威から守りま「イヤーッ!」ピガガーッ!」ニンジャスレイヤーのカラテチョップで二本足が一本足に! 

 

瞬く間に三体のモーターヤブを半スクラップに変えたニンジャスレイヤー。しかし標的であるシャイロックはそれに目もくれずにモーターヤブより一回り小さいマシンの起動作業に没頭する。『ハローワールド、プロジェクト99。制御モードをご自由に選んでください』雷神紋を背景にした表示板に光が灯る。

 

LED光に下から照らされて非人間的なシャイロックの表情が闇に浮かぶ。『手で動かす:全部』『手で動かす:半分』『自主的に働く』三つの制御モードからシャイロックは迷うことなく『手で動かす:半分』を瞬時に選択した。嗤う月めいたドクロ顔の中、紅い目が輝く! 破壊と殺戮が今、目を覚ます! 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

胸に描かれた雷神紋が光り、四腕四脚にスパークをまとった起動電流が流れる! 「半手動モードで動きます。暴走の危険がありますが下級エンジニアはそのまま作業をしてください。指示に従わないと遺族年金は支払われません」マニーと人月で命を数える暗黒メガコーポの合成音声が周囲に響く! 

 

ブッタエンジェルめいた異形は見るもの全てに宗教的畏怖を抱かせずにはいられない。巨腕に握られた歪なアミューズメント用兵器と、内蔵された奇怪なエンターテイメント用兵装たちは、破壊と殺戮を今や遅しと待ち望んでいる。それはオムラの無邪気な悪意とラオモト・カンの無慈悲な邪悪の落とし子! 

 

「スタートザマシーン。ドーモ、モータードクロお試しです。私は試験用であり不具合は製品版で全て解決されます」そう、これこそニンジャ絶滅の意志を体現する悪魔の殺戮機械『モータードクロ』機能試験機体である! 廃棄予定のそれをシャイロックはマニーの力でオムラから横流しさせたのだ! 

 

「貴方の鍛錬と実戦で積み重ねた本物のカラテ。私程度ではベイビーサブミッションでしかないでしょう」モータードクロお試しの肩に立ったシャイロックは、傲岸と腕を組んでニンジャスレイヤーを見下ろす。「でもそんな貴方のカラテを超える暴力が、マニーとテックでこんなにも容易く手に入る」

 

「マニーとテックの前には貴方でも無力です。モーターヤブとモータードクロお試しの暴威に擦り潰されて、それを思い知りなさ「イヤーッ!」「ピガーッ!?」シャイロックの演説を遮るように、無視するようにモーターヤブにチョップが突き込まれた。潤滑油の血がまき散らされて電子音の断末魔が響く。

 

「少々のカラテで容易く鉄屑になる、これがマニーとテックの力とやらか?」AIチップを引きずり出され痙攣するモーターヤブがオイルの海に沈んでいく。「全て出せ。悉く目の前で擦り潰してその無力を思い知らせてやろう」「よくも増上慢をぬけぬけと!」致死級の猛毒舌がシャイロックの顔を歪ませる! 

 

SNAP! 潤滑油まみれのAIチップがシャイロックに投げつけられる。BLAM! モータードクロお試しが投擲物を口内可動銃で自動迎撃する。SPARK! 粉砕されたAIチップが無数の火の粉となって輝きと共に散る。「イヤーッ!」「ホノオッ!」それがイクサの火蓋を切った! 

 

「イ・ヤーッ」BLATATATA! BLAM! BLAM! BLAM! モータードクロお試しの腹部ガトリングが砲火の網を放ち、口部可動銃がニンジャスレイヤーを精密射撃で弾幕へと追い込む! なんたる制御AIと操作ニンジャの二人羽織めいた職人芸的タクティクスか! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」BLAM! BLAM! BLAM! しかしニンジャスレイヤーもさるもの! スリケン連射で自動迎撃を強制させ精密射撃を妨害! 弾丸の嵐をすり抜け、一路モータードクロお試しに迫る! 『手持ち使う』そうはさせじとシャイロックは四碗の格闘武器使用の指示を出した! 

 

「イ・ヤーッ」赤熱の残像を残しながらヒートサイリウムが振り下ろされる! 「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは紙一重で回避! 装束の端が焦げて燃える! 「イ・ヤーッ」電弧の残像を残しながら電飾サスマタが振り下ろされる! 「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは紙一重で回避! 装束の端が燃えて焦げる! 

 

「イ・ヤーッ」高周波ノイズを響かせてウチワ形振動斧が横薙ぎに迫る! 「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは紙一重で回避! 装束の端が切れて千切れる! 「イ・ヤーッ」風切り音を響かせてミラーボール鉄球が横薙ぎに迫る! 「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは紙一重で回避! 装束の端が千切れて切れる! 

 

超常のカラテアクションを前に全ての武器が空を切った! 「高危険ニンジャ感知、高危険ニンジャ感知」バイオニューロンが業を煮やしたのか内蔵兵器が次々に展開される! 対ニンジャ飽和攻撃ゼンメツ・アクション・モードだ! だが距離が近い! 跳弾が危険だがオムラAIはコラテラルダメージ無視が基本! 

 

「ゼンメツ・アクション・モード移行承『ヤメテ』やめます」シャイロックは強制中止コマンドを入力し、ゼンメツアクションモードを強制停止する。「イヤーッ!」その隙を狙いニンジャスレイヤーが跳躍回転蹴りで首を落としにかかる! BLATATATA! 生存モーターヤブのガトリングガンが妨害! 

 

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはツカハラ級の空中機動で辛くも弾幕の隙間をくぐり抜ける。無数の裂傷は瞬く間に超自然の繊維が埋めた。鋼鉄の機械軍団を押し進めようとも赤黒の殺戮者は倒れない! だがモーター軍団の機械的連携に死神も攻めきれない! ゴジュッポ・ヒャッポ! 

 

「ウウウマーイ!」シャイロックはモータードクロお試しの口内に補給タマゴ・スシをねじ込む。その頬を一筋の汗が伝った。マニーが集めた物量とテックが産んだ火力。そこにニンジャの軍略を加えれば、湾岸警備隊一個大隊すら消滅する圧倒的戦力だ。だが、それにただ一人のニンジャが対抗している! 

 

想像の埒外にある圧倒的カラテに、シャイロックの口から震える息が漏れた。「この戦力と拮抗するだなんて」「彼我のカラテ差も判らぬか。足下のカメラアイと取り替えたらどうだ」「……幾ら貴方が張り合おうとも所詮は単身生身。疲れも痛みも知らない機械を前には苦しみが長引くだけです」

 

実感と確信の籠もった人生の結論をシャイロックは朗々と唱う。「そう、テックとマニーの前にはどんな努力も足掻きも無意味! その現実を理解しなさい!」「俺はそう思いませんがね?」居るはずのない第三者がそれに異を唱えた。

 

「イヤーッ!」BLAM! BLAM! 異論と同時に放たれた飛来物に自動迎撃システムが即応する! 可動銃の重金属弾頭が狙い過つことなく黒錆色の紡錘形を射抜く。オムラAIの認識力は使用者に致命的だが、AIM力は相手に致命的だ。だが、時としてそれが徒となる。

 

「これは!?」打ち抜かれたスピンドルは分解しながら大量の繊維片を噴出する! 大道具室は黒錆色の煙幕に包まれた。それを狙っていたのか、鼻先すら見えない闇の中で次々にモーターヤブの絶命の声が響く! 「ピガーッ?」「ピガガーッ!」「ピガーッ!!」

 

シャイロックのモーター戦力と死神のカラテはほぼ等しい。モーターヤブを失えばイクサの天秤は殺戮者に傾く。ならば危険を冒してでもモータードクロお試しで妨害に動くべきだ。だがそれはできない。何故? その答えは煙幕に霞むLED表示板に映し出されていた。

 

「ゼンメツ・アクショ『ヤメテ』やめます……ゼンメツ・アク『ヤメテ』やめます……ゼンメツ・ア『ヤメテ』やめます」「これだからオムラ製品は!」鬼気迫る表情で強制中止コマンドを連打するシャイロックだが、悲鳴めいた承認プロトコルの絶叫が溢れかえり打ち込みを止めるに止められない! 

 

周囲の繊維片全てからニンジャソウルを検知したモータードクロお試しは全方位がニンジャに包囲されたと誤認した。それ故、恐怖に駆られたバイオニューロンは標的も見えぬままに連続承認申請しているのだ! 目隠しされたままモード移行すればアウトオブアモーは確実! そうなれば勝ち目一切なし! 

 

それでも止まらぬ申請の嵐に、いっそ弾幕でスモークを吹き飛ばすべきかとシャイロックの脳が煮詰まっていく。だがその必要はなかった。急速に黒錆色の闇が晴れていく。怯えきったバイオニューロンの承認連打も徐々に収まる。そこには予想通りにスクラップ置き場めいて幾つも転がる撲殺ロボニンジャの残骸。

 

その中央、モーターヤブを床に縫いつけた巨大クナイジャベリンの上で両掌を合わせる黒錆色の影が一つ。「ドーモ、シャイロック=サン。ブラックスミスです」「ドーモ、ブラックスミス=サン。シャイロックです。何者かは知りませんが、モーターヤブの代金は血肉で支払っていただきましょう。ホノオ!」

 

「イ・ヤーッ」BLATATATA! BLAM! BLAM! BLAM! 機関砲が金切り声をあげ、可動銃が重低音のアクセントを加える! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ブリッジ! バック転! ツカハラ! 当たらぬ! 「くっ!」新規ニンジャは殺戮者に次ぐ水準だ。二忍相手となれば益々勝ちは遠のく。

 

どちらかを一刻も早く落とさねばオタッシャは確実。しかしブラックスミスは容易くスイスチーズにできない。だからといってニンジャスレイヤーを簡単に倒せる筈もなし。どちらを落とせば!? 「イヤーッ!」シャイロックの迷いを見抜いたのか、血塗られた矢めいて赤黒の影が真っ直ぐに跳んだ! 

 

「ゼンメツ『ヤッテ』ゼンメツだ!」モータードクロお試しが反応するとほぼ同時にシャイロックは強制実行コマンドでゼンメツ・アクション・モードへ最優先移行! 内蔵殺戮兵器の全砲門が開……かない!? 「アラート! データ外状況な!」「ナンデ!?」悲鳴を上げる彼女に赤黒の死神が迫る! 

 

『非常に明るいボンボリの真ん前は却って見にくい』。平安時代の哲学剣士ミヤモト・マサシはこう記した。外部の第三者ならば見える筈、ブッダエンジェルめいた全身を縛り上げる黒錆色のロクシャクベルトが! だが常にモータードクロお試しの上で指揮を執っていたシャイロックにそれは見えない! 

 

……『原作』からバイオニューロンの決定的欠陥を知るブラックスミスは、煙幕散布でモータードクロお試しを錯乱させ、その隙に武装内蔵部をタタラ・ジツで拘束して閉鎖。その後ニンジャスレイヤーが破壊したモーターヤブの一体にクナイジャベリンを突き立て、上に飛び乗ってから煙幕を解除したのだ。

 

モーターヤブに突き立った巨大クナイを見せつけ破壊者を誤認させる、人間心理に基づいた何たる巧妙なる心理誘導テクニックか! これにより煙幕中でブラックスミスはモーターヤブを壊していたとシャイロックは思いこみ、罠に気づかずゼンメツ・アクション・モードへ移行。致死的な空白を産んでしまった! 

 

そして空白の合間に殺戮者はワン・インチ距離に迫っていた! 最早逃れられぬ! 「イィィィヤァァァッ!!」「アバーッ!」吹き上がる恐怖のままに全身を捻ったシャイロックは『不幸にも』即死を免れた。何故なら上半身半分を抉られた彼女は、これから時間をかけて人生を後悔しながら死ぬしかないのだ。

 

「ハイクを詠め、シャイロック=サン」「アバッ」何を間違えたのだろう。死神に怯えてモーター戦力を整えたことか。それともアイドル売買ばかりでカラテを鍛えなかったことか。それとも諦められなかった夢の復讐をしたことか。それとも……。ソーマトリコールめいて千々に乱れる思考が現れては消える。

 

「……リ=サン!」血の海に沈む彼女の耳に、聞こえる筈のない声が届いた。死の闇に薄らいでいた意識が焦点を取り戻す。ニンジャ腕力で散々に打ち据えた。浅くない傷を幾つも負わせた。それに大怪我したモータルが動ける筈もない。そもそも自分を痛めつけた恐ろしい怪物の元に来る訳がない。

 

なのにねじ曲がった足を引きずって、数を減らした歯を食いしばり、彼はイクサの最中のこの部屋までやって来た。そして骨折の痛みに荒い呼吸をこぼしながらも、掠れた声でおぞましいニンジャの、否、『自分』の名前を呼んだのだ。「タケ、ウチ=サン?」何故だろうか。涙が滲んだ。

 

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#3おわり。#4に続く



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第一話【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#4

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】#4

 

かつて日本にはツクモ神というモッタイナイ信仰があった。長らく使われた器物には魂が宿り、粗雑に扱えばタタリをなす。人々はそう信じて物品一つ一つを大切に扱ったという。しかし持ち物への愛情を意味していた筈の名は、人命すら使い捨てのネオサイタマにおいて殺戮機械を動かすソフトに残るばかり。

 

「イ・ヤーッ」BLATATATA! 「イヤーッ!」「ピガガーッ!」「イヤーッ!」「ピガガーッ!」「イヤーッ!」「ピガガーッ!」ならばこれは罰であり慈悲なのだろう。テックによって産み出された汚れたツクモ神は今、怒れる死神の手で葬られようとしていた。

 

「ゼンメツ・アクション・モード移行承認申請……アラート! データ外状況な!」バイオニューロンが泣き叫ぶような承認申請を繰り返しては、哀れにも黒錆色の拘束衣に強制停止させられる。「ゼンメツ・アクション・モード移行承認申請……アラート! データ外状況「イヤーッ!」「ピガガーッ!」

 

「高カラテニンジャ近接。手持ち武装使用推薦な! 推薦「イヤーッ!」ピガガーッ!」半手動モードでは操縦者を失えば握った武器すら使えない。できるのは唯一コントロール下にある可動ガンとガトリングを使っての無意味な絶望的抵抗のみ。だがニンジャスレイヤーのカラテには風の前の塵に同じ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」BLAM! BLAM! BLAM! 加えてブラックスミに自動迎撃を強制され可動銃すら実質使用不可能! 暴風雨めいた天災並の兵器を備える殺戮機械は殺戮者のカラテ台風を叩きつけられ、今やロウソク・ビフォア・ザ・ウインドの運命にあった!

 

「ナン、デ?」「喋らないでください! 傷が広がります!」一方、同じく誕生日ケーキのキャンドルめいた状況にあったシャイロックは、数奇な偶然により予想とは異なる最期を迎えようとしていた。「止まれ! 止まれ! 止まってくれ!」精悍な顔立ちを絶望に歪ませて必死に止血を試みるタケウチ。

 

だが、死神の手刀はシャイロックの魂を刺し貫いていた。幾らハンケチを押しつけようと血と共に流れ出る命を止められない。寧ろまだ息がある事を喜ぶ程の傷だ。「チドリ=サン、目を開けてください!」散大した瞳孔を重い瞼が覆っていく。デス・オムカエは既に彼女の手を引いていた。

 

「しっかりしてください、チドリ=サン! ……いえ、セセラギ=サン!」「ナン、デ?」驚愕が死の眠りに閉じゆく目を開かせた。もう誰もが忘れた筈の名前だった。だからあの日、自分は致死量の薬物を呷ったのだ。「私はアナタが歌う姿に憧れてこの仕事に就いたんです! 忘れるはずがありません!」

 

「わたしのこと、覚えていた人、いたんだ」溢れた涙が頬を伝う。『セセラギ』の名が記憶の蓋を開いた。……かつてチドリは新鋭気鋭の新人アイドルだった。オーディションの狭き門をくぐり抜け、幼い頃から抱いていた夢の階段に足をかけた。必ずトップアイドルになると信じていた。

 

ネコネコカワイイという巨大ハンマーが夢の階段を打ち砕くまでは。それでも諦めなかった。諦めたくなかった。諦められなかった。喉が嗄れるまで歌って、靴がすり切れるまで踊って、頬が痛くなるまで笑顔を浮かべて。孤独の底でもがいて、自尊心も捨ててあがいて、自分を切り売りしてのた打ち回って。

 

気づけば鏡の中には、安アパートの家賃すら払えない場末のオイランヘンタイビデオ女優が居た。最後の最期に残ったのは汚れて壊れた体と醜く歪んだ心だけ。それでも捨てられない夢の残骸と一緒に全部を終わらせようと、死ねるだけのZBRを呷った。そこにニンジャソウルが、力だけが降ってきた。

 

「チドリ=サン! 目を閉じないでください! ブッダ! 闇医者はまだなのか!?」この人と出会ったのはいつだったか。記憶は朧で視界が霞む。この人に汚れて欲しかった。汚れないで欲しかった。同じ処に堕ちて欲しかった。遠い場所で輝いていて欲しかった。そしてなにより、側にいて欲しかった。

 

思い返せば、顔を合わせる度、言葉を交わす度、自覚もできないジレンマに潰れていく自分がいた。胸の内を引き裂くジレンマの握り手は、いつもかつての自分たちだ。解雇通知を握りしめ、呆然と重金属酸性雨に打たれていた幼い自分。ひび割れた鏡に写る夢の末路を、泣きながら嗤っていた壊れた自分。

 

もしもこの人があの日の自分の隣にいてくれたなら、別の人生があったのかもしれない。叶わなかった夢に縋って溺れるのではなく、終わった夢を礎にして夢見る誰かを支えるような、新たな夢を見ることが出来たのかもしれない。だが、それは『IF』の夢物語だ。

 

「チドリ=サン! 目を開けてください! 目を開けてくれ!」青い鳥は全てが終わってからやってきた。全部オシマイな自分が得られた物は幕引きの違いだけだ。それだけでも過ぎたものだろう。「タケ、ウチ=サ、ン」恋した人に向けて最後の力で微笑みを浮かべ、目を閉じる。

 

瞼の裏にソーマトリコールめいた夢を見た。ランキング一位をもぎ取って涙を流しながら抱き合うアイドルたち。それを優しく見つめるあの人と、その隣で微笑む自分。「……サヨ、ナラ」きっと叶うだろう白昼夢と、決して叶わない夢想を抱いて、『チドリ』は静かに呼吸を止めた。

 

「ピガッ! ピガッ! ピガガー!」他方、安らかな終わりを迎えた女ニンジャとは対照的に、アビ・インフェルノめいたイクサの中でモータードクロお試しの命数も尽きようとしていた。半壊したドクロ面からビープ音の悲鳴が木霊する! 引き千切れたケーブルが火花を散らし、異常過熱した潤滑油が燃え上がる! 

 

苦痛のパルスに焼き切れるバイオニューロンが最期に浮かべたのは、自らを産み出したテックへの憎悪か、或いは兵器をも超えるニンジャへの恐怖か。破損ジェネレーター内部で爆発的エナジーが制御と行き場を失って暴れ回り、多重装甲を内側から突き破った! 「サヨナラ!」KABOOOOOM! 

 

「チドリ=サン! グワーッ!」爆発四散の衝撃に苦痛の声を上げつつも、タケウチはもう動かないチドリを庇った。飛び来る散弾めいた破片は黒錆色の楯が防いだが、回り込んだ衝撃波に意識が暗転する。だが、タケウチは薄れる意識の中で必死にチドリの遺骸を抱きしめ続けていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ウウッ」気を失っていたのはどのくらいだろうか。タケウチは髪に付いたシャリとタマゴを払い落とす。吹き上がった煙は既に晴れ、元モーター兵器のスクラップも疾うに最後の痙攣を止めていた。「「「ブルーバード! いつも君の側で~」」」くぐもって聞こえる歌声は最後の曲のサビに達していた。

 

ライブ会場から響く軽やかで明るい歌声と、対照的な暗い大道具置き場に刻まれた破壊の痕跡。まるで悪い夢のようだ。全て悪夢ならばどれだけよかったか。だが腕に抱く冷たい感触は否応なしに冷たい現実を突きつける。アイドル売買、シャイロック、闇カネモチ。そして『セセラギ』の最期。

 

「私がもっと早く伝えられていたなら……!」凍える真実に膝を突き肩を震わせるタケウチ。脳裏に思い描く光景はチドリが最期に抱いたのと同じ、ありもしない『IF』の話だ。それでも『もしも』と願わずには居られない。気づかぬ内に失ったモノは余りに大きく、取り返しようもないものばかりだった。

 

『寿退社』したアイドル達の人生、憧れを抱き続けたアイドルの末路、そして想いをかけたパートナーの死。悔やんでも悔やみ切れぬと男泣くその姿を、頭上のキャットウォークから見下ろす者達がいた。赤黒の影は無感情な目線で、黒錆色のシルエットは複雑な視線で、声無き嗚咽に震える背中を見つめる。

 

シンヤは赤錆めいたメンポの下で運命の皮肉に唇を歪めた。先の恩義と悪しきニンジャを打ち倒す助力をしたのはいい。しかしそれがアキコに生きる力を与えてくれた美しい思い出の成れの果てとは。ここから月は見えないが、重金属酸性雲の向こう側でショッギョ・ムッジョと嘲笑っているに違いない。

 

全ては沈黙の底に隠すべし。シンヤはそう決めた。アイドルは夢を魅せる者であって、現実を見せつける者ではない。ホテルに入る姿を写して喜ぶのはパパラッチとその読者だけだ。妹の思い出の中にいるのは色鮮やかな『セセラギ』であり、斃れているのは女ニンジャ『シャイロック』なのだ。それでいい。

 

だが、同時に思う。「死んだニンジャは何処に行くんですかね」ニンジャとは平安時代の日本をカラテで支配した半神的存在だ。ならば、そのソウルがあの男の語る天国に入れる筈もない。天国はか弱き人間(モータル)の為にこそあるのだから。もし自分が死んだなら家族は冥福を祈るだろう。ならば、その祈りは何処に行くのか。

 

「ジゴクだ。俺が送る」「ソーデスネー」カタナめいて切れ味鋭いニンジャスレイヤーの言葉は決断的にブラックスミスのセンチメントを切り捨てた。全忍抹殺へと突き進むニンジャスレイヤーに迷いはない。全てのニンジャをジゴクに叩き落とし、最後に自分も向かうその日まで。

 

ブラックスミスが長々とため息を吐いて下を見直すと、プロデューサーはマネージャーの屍にフートンめいて上着をかけていた。上からは表情は見えないが、纏う空気は彼の絶望を明確に伝えていた。「放っておいてダイジョブですかね」後追いでセプクをしかねない様子についお節介の言葉が飛び出る。

 

「知らぬ。俺は無関係だ」「ソーデスネー」だがニンジャスレイヤーはあっさりと断じた。彼はスーパーヒーローではない。妻子を無惨に殺された復讐鬼であり、総忍尽殺を実行し続ける狂人でしかないのだ。故に関わっただけのモータルになど何の感傷もない……わけではない。

 

「全てあのプロデューサー次第だ。それにやるべき事は残っている。ならば、いずれ立ち上がるだろう」「……そうですね」その感傷こそが殺戮者を人間足らしめる最後の一線だ。それを踏み越え只のニンジャとなるとき、フジキドは自らのスレイを、セプクを選ぶだろう。

 

「「「ミヅ! リヅ! ウヅ!!」」」「「「ブルーバード! いつか離れても~」」」涙に暮れるタケウチの耳にシュンセダイの歌声が聞こえた。まだ彼女たちは歌っている。夢に向けて歌い続けている。そして自分は……プロデューサーなのだ。チドリの遺骸を抱き上げ、タケウチは立ち上がった。

 

愛する者を失う痛みはフジキドもまたよく知っている。タケウチの背中から僅かに憐憫を帯びた視線を外し、赤黒の影は闇に溶けた。シンヤはその痛みをまだ知らない。知らないままでいられるのだろうか。黒錆色のシルエットはプロデューサーが去るまで見つめていたが、同様にその姿を消した。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

『本日のゲストはシュンセダイの三人です!』『『『ワースゴーイ!』』』仕事帰りに聞き覚えのある名前を耳にした。シンヤが振り返れば街頭TVに見覚えあるアイドルが映っている。思い返せば、最後まで帰ってこなかったと妹から散々に文句を言われた挙げ句、遠征費まで自分持ちにさせられたものだ。

 

『ドーモドーモ!』『今日はきっと永遠になるね!』『夢みたいです!』使うあてもない貯金ばかり貯まっていたから別段痛くはないが、それに味を占めたのかアイドル沼に沈めようとしてくるアキコが面倒くさい。しかし目を輝かせて推してくる妹を邪険にするのも心苦しい。どうしたものかとため息が出る。

 

『そう言えばシュンセダイのいるサンドリヨン企画は大変革があったとか?』初めて聞く話だ。原因はあの日の事件だろう。『悪い事ばかり起こってしまって』『それでプロデューサーを中心に再出発することになったの』『でも、だからこそ、生まれ変わった私たちを見て、皆さんに安心して欲しいんです!』

 

『ナルホド! では早速ですが、サンドリヨン企画改め「グラス・シュー」所属のシュンセダイ、新曲お願いします! 曲名は……』硝子の靴(グラス・シュー)、サンドリヨンの落とし物、12時を超えて残った魔法の欠片。童話と異なり、それを履いて彼女たちはもう一度舞踏会へと赴くのだろう。

 

『『『夢の彼方に』』』その後ろで彼女たちとその夢を支えるのは彼だ。今もTVに映らない舞台裏で彼女たちを見つめているのだろう。シンヤは街頭TVから我が家に向けて歩き出した。ネコネコカワイイを映す頭上のマグロツェペリンが影を落とす。それでもシュンセダイの歌声は人々の耳に届いていた。

 

【レイズマニー・フォー・オン・アイドル】おわり

 



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第二話【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#1

邦題:総統の野望3~未確認ニンジャ襲来~

2018年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#1

 

『これが偉大なる祖国の遺産か』古びた軍服の男が蒼く脈打つ宝玉を手に取る。『WW2は我々が勝った。だが奴らは滅びていない』壁に掛けられたセピア色の戦争写真には1944/6/6と記されている。『鉤十字だと!?』南米の海底遺跡に残されていた亡国の国章。忘れられた悪夢は海底から現れた。

 

『イルカがせめてきたぞ!』ヒレで器用にStG44を構えた揚陸イルカ軍団が町を襲う! ダダーン! 『トルネード・サメだ!』空泳ぐサメに跨がったゲルマン空中騎士団が竜巻に乗り戦闘機に迫る! ダダーン! 『全米が熱狂! アイアンボトム・オーシャン! 今夜0時より放映開始!』タダオーン!! 

 

『南緯47.9、西経126.43。奴らは今、目を覚ブツン! 「ハイ、ここまで」「「「エー! ナンデー!?」」」土曜キネマ劇場のCMはキヨミの手でTVの電源と共に切断された。ダイトク・テンプルの談話室に子供たちの嘆く声が響く。深夜放送する自称超大作のB級映画を見る気満々だったのだ。

 

「明日は日曜日だからいいじゃん」「だからって夜更かししたらいけません」イーヒコからすれば土曜日深夜まで起きてたって何の問題もない。明日二度寝して寝坊すればいいだけだ。しかし母親代わりのキヨミには子供たちの健康と生活を守る義務がある。健康的生活には規則正しい起床睡眠が必須なのだ。

 

「明日、サメとイルカが襲ってくるかもしれないから予習! ロードショーで予習する!」「それならシンちゃんが何とかしてくれます」ウキチは理屈になってないワガママで反論するが、キヨミは決断的に切って捨てた。反論が見あたらないエミは机に頬杖ついてポップソバを摘むシンヤに縋る。

 

「シン兄ちゃんも予習要るよね!」「そうだな。襲ってきたらサメはフカヒレ・スープとカマボコ・テリーヌ、イルカはステーキと鯨カツにするか」話を振られたシンヤは空とぼけて冗談で返した。前者は中華料理専門店で可能だが、後者は実行したらイルカの代わりに動物利権保護団体が攻めてくるだろう。

 

「そもそも映画を現実の言い訳にするなよ。フィクションの悪影響だぞ」「「「ウ~」」」「イルカは攻めてこないし、サメは飛びません。続きは夢で見なさい」「「「……ハーイ」」」保護者代理の二人に反対されては折れるしかない。ぶーたれた子供たちはベッドに向かうべく談話室を後にした。

 

(((まあネオサイタマじゃサメやイルカが襲ってこない保証はないけどな)))しぶしぶという言葉を体言する背中を眺めつつ、胸中で一人心地るシンヤ。殺人マグロが泳ぎ、マグロ爆弾が船を沈め、知性マグロが兵器を作るマッポーの世だ。サメやイルカのニンジャアニマルがいてもなにもおかしくはない。

 

ぼんやりと意味のない思考を回していると、気づけば摘んでいたポップソバは最後の一つになっていた。塩味のそれを口に放り込み、シンヤは皿をシンクに片づけるべく部屋を出た。「あら、シンちゃんも今日は早いの?」「ああ、急な依頼があって明日も仕事なんだ。埋め合わせはするからご心配なく」

 

「そうだったの。シンちゃん、今日も一日お疲れさま。オヤスミ」「うん、キヨ姉もオヤスミ」キヨミの声に振り返りもせず片手で後ろ手を振って答える。事務仕事に引越しの手伝い、ローカル・オスモウリーグのハッケ・プーリスト代理、シュラバ・インシデント漫画家の臨時アシスタント。

 

今日も一日平和だった。明日もそうであると願いたい。しかし、空のドクロ月が嘲り笑うように人の願いは叶わぬものだ。翌日にシンヤはそれを思い知ることとなった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「エー、アー、その、ボク、がんばります!」シンヤは意味のない相づちを連呼して、返答になっていない回答を返した。理由は一目で判る。赤い顔はデレデレとだらしなく緩み、視線は豊満と太股に引き寄せられてはフライバイする。目の前の金髪豊満なナンシー・リーに鼻の下が伸びきっているのだ! 

 

「ドーゾ、粗茶ですが」「あら、アリガト」僅かに眉根を寄せたナンシーは差し出された熱いソバチャを啜る。香ばしい味わいとオソバの香りが口中に広がる。茶外茶のソバチャに覚醒成分はない。逆にそれが有効なリラックス効果を発揮し、ナンシーから熱っぽい息が漏れた。ゴクリとシンヤの喉が鳴る。

 

「改めて依頼内容を確認してもいい?」「アッハイ! ボク、ダイジョブです!」(((彼、本当にダイジョブなのかしら?)))全く持って大丈夫ではない。ニンジャスレイヤーからは『ニンジャらしくないニンジャ』との評価を聞いてはいたが、モノには限度がある。これではただの思春期少年だ。

 

ナンシーはハチミツめいた罠で情報収集をよくやるが、今回はあくまで依頼に来たのだ。漏れ出る色香だけで骨抜きになるような相手では困る。こうも頭と下半身に血が上りきってはまともな交渉は難しい。しかし幸いなことに、この場には上った血を下げてくれる第三者がいた。

 

「 シ ン ち ゃ ん ? 」脊椎に氷柱を差し込まれるような優しげな声音を聞いた瞬間、真っ赤なシンヤの顔は真っ青に色を変えた。錆付いた廃棄ロボットめいてぎこちなく声の方へ顔を向ける。キヨミの笑顔は自主的に喉を締め上げて息を止めたくなるほど綺麗だった。シンヤは反射的にセプクを考慮した。

 

「アッ! イェッ! その……ゴメンナサイ!」赤・青・白・土気色と百面相を一瞬で演じたシンヤは、ドゲサめいた深さでキヨミに頭を下げた。情けない大黒柱を重度汚染タマ・リバーを思わせるジト目で睨みつけた後、キヨミは長い息を一つ吐いた。「お客様に迷惑かけちゃだめよ」「ハイ! ゴメンナサイ!」

 

「そろそろ話を戻してもいいかしら?」「ハイ! ゴメンナサイ!」「それと、フスマの外のご家族には席を外してもらえる?」「ハイ! ゴメンナサイ!」ナンシーとシンヤの遣り取りで気づいたキヨミは応接間のフスマを勢いよく開ける。そこにはトモダチ園の子供達が縦一列に並んで聞き耳を立てていた。

 

「……皆、何してるの?」「「「ハイ! ゴメンナサイ!」」」蜘蛛の子を散らすが如く逃げ去る子供達に追加のため息を吐くキヨミ。ナンシーに酷く複雑な視線を向けるが一礼して彼女も応接間を去った。部屋を包む妙なアトモスフィアを吹き飛ばすように、気を取り直してナンシーが声を上げる。

 

「じゃあ、改めて。今回貴方に依頼したいのはタマチャン・ジャングル51地区での調査補助と護衛。日当と条件は書類の通りよ」「スミマセン。それなら事務所で済ませるべきでは?」これはコネ・コムへのシンヤの正式な派遣依頼であり、オキナ重厚ビル物理事務所で交渉するのが筋である。

 

「貴方と直に話してみたかったのよ」しかしナンシーは敢えてほとんど違法行為してまでしてシンヤの住居であるダイトク・テンプルへと赴いた。あのニンジャスレイヤーが殺さない処か、人間性を認めて協力を許すニンジャ。他に理由はあれど、何よりジャーナリストの好奇心がナンシーを動かしたのだ。

 

「……そもそも、どうやってここを?」「ご近所さんに貴方のことを聞いて、それから依頼したのよ」コネ・コムの社員名簿は非公開だ。となればナンシーの裏の顔を知るシンヤがハッキングを疑うのは当然である。ナンシーを疑うわけではないが、ソウカイヤに情報が漏れる可能性は最小限にしておきたい。

 

(((一応、理屈は合うな)))トモダチ園は近所付き合いを怠ってないし、有閑マダムの主食はご近所の噂話だ。そこから聞いたなら辻褄はあう。それに彼女はスゴイ級ハッカーとは言えあくまでモータル。アイドルライブで一度顔を合わせてはいるとはいえ、護衛に値する人品か調べるのは当然だろう。

 

そうとなると先程の醜態が随分と評価に響くのだが。「そ、それで調査補助といっても何をすればいいんですか? その手の経験はないんですが」「そうね、荷物運び以外はこちらの指示に従ってくれれば良いわ」ひきつり気味の表情で目と話題を逸らすシンヤ。ナンシーは奥ゆかしく気づかない振りで流した。

 

「他に質問はある?」「いえ、それだけです」納得したシンヤは個人認証用の三文ハンコを捺す。「コラ! まだやってるの!?」「「「ハイ! ゴメンナサイ!」」」フスマの向こうがにわかに五月蠅くなってきた。また子供達が耳をそばだてていたようだ。トモダチ園は相も変わらず平和に騒がしい。

 

「ステキな家族ね」「……ええ、本当に、そう思います」(((ホントにニンジャらしくないのね)))静かに頷くシンヤの目は慈父めいて優しかった。家族を愛する姿はナンシーの知るニンジャとは余りに異なる。それはどこかニンジャスレイヤーを思い起こさせた。だからこそ、彼は殺さなかったのだろう。

 

ナンシーはもう一口ソバチャのユノミを傾ける。口にしたそれは程良く温く、心地よく暖かかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ガァー! ガァー! 押し潰すような重金属酸性雲海の下、廃墟の窓向こうで三つ足ミュータントカラスが肉食性バイオスズメに追われて飛び去っていく。汚染廃液を啜るバイオパインとバイオバンブーが繁茂し、異態進化したミュータントが闊歩する。タマチャン・ジャングルは中国地方に位置する日本の魔境だ。

 

だがそこでも人間は生きている。「つまり、貴方は犯人を見なかったと」「ああ。逆光で見えなかった。見えたのは吸い込まれるハナコだけだ……ウゥッ! ハナコ! 愛してたのに! 救えなかった! ウゥーッ!」埼都新聞ナンシー特派員のインタビューを受けていた農民が廃液焼けした顔を覆って泣き出した。

 

『光るUFO? ハナコ(オーガニック水牛)をキャトる』特派員助手のシンヤも録音機で重点モード記録し、速記でメモを取る。人間性を擦り潰す社会から逃れた農民達にとって、オーガニック水牛は欠くことができない。食料、労働力、収入源、家族。人によっては恋人。それを失った悲しみは余りある。

 

嘆き続ける農民を宥めてクレジット素子の謝礼を渡し、車に戻った二人は苦みばかり強いヤスイ社のコーヒーで一息をついた。高濃度の合成カフェインとケモ砂糖が疲れた脳味噌を蹴り上げる。朝からインタビューと記録と移動の繰り返し。流石に疲れたのかナンシー特派員が全身を伸ばす。

 

地味な特派員ジャケットをナンシーの豊満が持ち上げた。先日の醜態が記憶にあるシンヤ助手は、無言で目を逸らして脳内カラテパンチを千回打ち込み、ヘイキンテキを維持する。それでも誘引される視線は窓の外に無理矢理逸らした。濁った太陽に照らされてなお深い竹林ジャングル。そこに『何か』がいる。

 

……事の始まりはタマチャン・ジャングル51地区で頻発した神隠し現象だった。水牛や子供が竹林に迷い込み行方知れずとなる事件はままある話だ。しかし二桁の人間が村ごと消えるとなれば話が違う。そこにジャーナリストの直感を刺激されたナンシーは、埼都新聞の特派員に偽装して調査に入ったのだ。

 

タフな彼女だが野生ジャングルは勝手が異なる。チュパカブラ案件ではニンジャスレイヤーの手を借りれたが、今回の調査理由はジャーナリストの好奇心のみ。一応、後で合流すると約束をもらえたが初期調査は一人でやらねばならない。そこでアイドル売買事件で知りあったブラックスミスを思い出したのだ。

 

斯くして二人はタマチャン・ジャングル51地区を埼都新聞エージェントと護衛という肩書きで調査中である。しかし一向に神隠しの正体は尻尾を見せない。「ナンシー=サン。この案件、ニンジャの可能性は?」「早計よ」足踏み的状況の連続に焦れたシンヤの意見をナンシーは決断的に切って捨てた。

 

「51地区は電子戦争以前の兵器実験場だったの。秘密兵器を入手した反ブッダ主義者、遺棄兵器のAI暴走、それらを隠れ蓑にしたメガコーポ。幾らでも可能性はある。まだ情報を集める必要があるわ」「でも、かき集めた情報で判ったのはキャトルミューティレイション被害とオレンジの発光体だけですよ」

 

ハンコめいて繰り返される調査結果に気疲れしたシンヤとしては、UFOかニンジャを容疑者として話を進めた方がまだ早いと思えた。しかしナンシーには確信があった。「あら、ニンジャなのに鈍いわね?」「これは……!?」ナンシーの軽口に不承不承のシンヤは投影地図に目をやり、その目を見張った。

 

漆塗りプロジェクターで映し出された地図上には無数の被害箇所と目撃地点。日時別に色分けされた幾多のポイントは、油膜めいた虹色で道筋を描いていた。「徐々に移動しながら誘拐しているのか」「そう! でもそれだけじゃない」『重点』マークが点滅する幾つかの箇所は虹色ラインから大きく外れている。

 

それだけならノイズデータとして意識外に置いてしまうだろう。しかし切っ掛けを与えられたシンヤは気づいた。「逆走? いや、帰還しているんだ」「それにさっきのハナコ誘拐を合わせてラインを引けば……」ナンシーがレーザーポインターで直線を描く。それは地図上の一点で虹色ラインと交差した。

 

「さて、そこに誰がいて何があるのかしら? 遺棄された秘密兵工場、エイリアンの侵略前線基地、古代文明のオーパーツ遺産、それとも……ニンジャ?」好奇心に目を輝かせ、チェシャ猫めいた笑顔のナンシーは地図の交差点にポインターで残像の円を刻む。そこには『ドグウ村』という文字が瞬いていた。

 

【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#1おわり。#2に続く。



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第二話【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#2

【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#2

 

パンダは竹を食べる。それはバイオパンダでも変わらない。彼らはミュータント草食獣同様に偏在するバイオバンブーを食べることで飢餓を遠ざけている。だが彼らには巨大な爪と牙がある。その理由をバイオパンダに問えばきっとこう返すだろう。「パンダは主食(バンブー)のみに生きるにあらず。おかず(人肉)も必要だ」と。

 

「ウウー!」「オー!」それだけに久方ぶりに見つけた人間の臭いはバイオパンダたちを大いに興奮させた。エキサイトの理由はそれだけではない。最近、大量にいた人間は急に数を減らし、入れ替わるようにバイオパンダとは似て非なる妙な生き物が闊歩しだした。

 

そいつは彼らに理解できない理由でバイオパンダを狩り殺す。恐ろしい怪物に追い回され、道中で僅かなバイオバンブーを胃に詰め込むだけの日々。だから彼らの小さな脳味噌は想像上の血の香りと肉の味わいで一杯だった。だから彼らは背後から近づくバイオパンダによく似た影法師に気づけなかった。

 

「ウオオー!」そしてバイオバンブーの隙間から飢餓に狂ったバイオパンダは飛び出した! 弾力あるモンゴロイド牡肉のゴチソウを期待しているのかアルカリ性の涎がまき散らされる! 「イヤーッ!」「アバーッ!」だが口に入ったのは文字通り頭が切れるほど鋭いスリケンだった。

 

「ウオオー!」続けてバイオバンブーの合間から腹を減らしたバイオパンダが飛び出した! 柔らかなコーカソイド牝肉のゴチソウを想像しているのかアルカリ性の唾液がまき散らされる! BLAM! 「グワーッ!」だが口に入ったのは文字通り歯が砕けるほど硬い鉛玉だった。

 

「グワ「イヤーッ!」アバーッ!」ブラックスミスは一粒弾で抜歯されてのたうち回るバイオパンダにカワラ割りパンチで永久的な麻酔を打ち込んだ。もう一匹にカイシャクはいらない。延髄を分断されて既に苦痛のない場所にいる。「ホントにバイオパンダが多いですね。今回の件もこいつらが原因では?」

 

黒錆色ウェスでブレーサーの汚れを拭い、ブラックスミスはバイオパンダの死体を道端に蹴り転がした。既に二人は10頭近いバイオパンダを殺している。それだけの数がいれば村一つ夕飯にしてもおかしくない。「それなら神隠しなんて表現は使わないわ。むしろその原因がこれを引き起こしているのかも」

 

ナンシーの推論に確証はないが確信はある。目的地に近づくほどバイオパンダとの遭遇頻度は跳ね上がっている。しかもその全てが異常に興奮して飢え、恐怖の色すら見える。間違いなく追われているのだ。神隠しと深く関わる『何か』に。論理を確認して頷き、ナンシーは最初の散弾を薬室に送る。

 

その次の瞬間! 「ウォォォーーー!!」突如バイオバンブーをなぎ倒し、純白の毛皮を血に染めたドサンコ・グリズリーが現れた! 二人分の人肉を無視するほど興奮しているのか、強アルカリ性の涎がまき散らされる! BLAM! 「グワーッ!」口一杯に熱々の大粒散弾を味わいグリズリーが苦痛の声を上げる! 

 

「ウォー!」「DAMMIT!」しかし致命打にはほど遠い! 苦痛を怒りに変えてドサンコ・グリズリーが襲いかかる! 重武装のベテランハンターが複数人で狩ろうとも、死者が当たり前に出るほどに危険生物なのだ! だが、それ以上に危険な生き物がネオサイタマには居る! それが……ニンジャなのだ! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」ナンシーを食らおうと開いた顎をブラックスミスのショートアッパーが強制閉口させる! 「イヤーッ!」「グワーッ!」持ち上がった喉笛にクナイ・パンチダガーが突き立つ! 「イィィィヤァァァーーーッ!!」「アバーッ!」無防備の鳩尾に無音のカラテパンチが打ち込まれる! 

 

ドォン! 「アババーッ!」セイケン・ツキで叩き込まれたカラテ衝撃波が猛獣の体内で荒れ狂い、逃げ場を求めて喉から血を吹き出させた! 自分の血のシャワーを浴びて故ドサンコ・グリズリーは仰向けに崩れ落ちた。「よし!」血の雨をかわしザンシンを決めるブラックスミスは一撃の手応えに声を上げる。

 

「『ドサンコ』・グリズリーがタマチャン・ジャングルに居るなんて聞いたこともないわ」タフな女傑には猛獣に襲われたショックなど微塵もない。ナンシーはすぐさま場違いな肉食獣の検分に取りかかる。その名の通りドサンコ・グリズリーはドサンコ近辺に群で生息するバイオ生物だ。中国地方にはいない。

 

「侵略的外来種の可能性もなさそうですね」「人間が持ち込んだのは確かよ」ブラックスミス、つまりシンヤが持ち上げた脇の下にはバーコードと管理番号が焼き付けられている。人為の証拠だ。しかし危険極まりない猛獣を何故タマチャン・ジャングルに輸送して放逐したのか? 謎は深まるばかりだ。

 

「ドサンコ以外の生息地は?」「居るには居るけど海外よ。北欧やロシア、アラスカとか北極圏。これとは無関係ね」「……ドイツには居ないんですか?」「居ないはずだけど、どうしたの?」シンヤが親指でバーコードと逆の脇を示す。汚れた白い毛皮の合間に、彼らの出所を示す烙印が捺されていた。

 

「JESUS! そんな!」それはブッダの和合を示す吉兆の鏡文字。太陽十字から生じたその印はWW2を超えて邪悪のシンボルと化した。そう、捺された焼き印は鉤十字(ハーケンクロイツ)を象っていたのだ! 「判ったわ! これはナチス残党のバイオ生物兵器よ!」NRS(ナチスリアリティショック)に打ちのめされたナンシーが口元を押さえて後ずさる。

 

「早計では?」しかし日本人にはNRS(ニンジャリアリティショック)はあってもNRS(ナチスリアリティショック)はないわけで、シンヤはナンシーの恐怖と衝撃が今一理解できない。「いいえ、全ての謎はナチスを示していたのよ! ナチス残党の行動と考えれば何もおかしくない!」困惑したシンヤの前で瞳孔の開いたナンシーは超常的推論を早口で語り出した。

 

「いい!? 水牛誘拐は食用ソーセージ材料確保! 村落誘拐は低級カースト労働力確保! 誘拐に使ったのはエイリアン由来の円盤兵器! 全ての辻褄が合う! 私は詳しいから判るのよ!」「ナンシー=サン、少し疲れているんですよ。コーヒーはまだ残ってますし、休憩にしましょう?」シンヤの目は優しかった。

 

「いいえ直ぐに出発よ! 一刻も早くナチス残党の戦争犯罪を暴いて国際社会へ警鐘を鳴らさなくては!」しかし興奮しきったナンシーは聞く耳持たず! 特派員バスに飛び乗ると即座にアクセルを踏み込む! 「落ち着いて! というかマッテ! マッテ!」取り残されたシンヤはニンジャ脚力で必死に追い縋った。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ザッ! ザッ! ザッ! ザッ! 『劣等人種は浄化され……ザリザリ……支配する楽園が……』Kar98kを構えた鉤十字の兵士が完全同期のガチョウ行進で目の前を行き過ぎる。バイオバンブー藪に隠れたシンヤは眉に唾を付けた。しかし古式のノロイ返しをしてもB級映画めいた光景は消えない。

 

(((コトワザでも『現実は常識よりヤバイ』と言うけれど)))老人が詰め込まれた灰色のバスが窓のないコンクリ立方体へと入っていく。遠くの発掘現場にはMP43を構えたSS兵士監視の元、死んだマグロの目でスコップを振るう村人が見える。頭上からはアダムスキー型円盤が反重力的に舞い降りてきた。

 

(((よりによって全部ブルズアイかよ……)))フヨヨヨ! フヨヨヨ! テルミンめいた駆動音を響かせ、鉄十字の識別マークをつけた円盤飛行機はオーガニック水牛をキャトル光線で積み降ろしている。一通り降ろしたのかオレンジ光を纏い、第三帝国の旗が翻る高射砲台めいた要塞を飛び越え鋭角に飛び去った。

 

ニンジャ装束に着替えたシンヤ、つまりブラックスミスは頬を引っ張り、もう一度現実と正気を確認した。先日、トモダチ園の子供たちが見たがった自称超大作の方が幾分か現実味がある。しかし事実は認めねばなるまい。マグロ目の奴隷化村人、飛び交う鉤十字UFO、WW2時代そのままの親衛隊。

 

全ては……ナチスだったのだ! コワイ! 「なんてこと! 月面・地底・南米に続く第三のナチス秘密拠点が日本の山奥にあったなんて! このままでは世界侵略は時間の問題だわ!」未だNRS(ナチスリアリティショック)の衝撃覚めやらぬ隣のナンシーはナチス残党による世界征服計画を脳内で進めている。

 

恐ろしいのはそれが妄想でなく現実の可能性があるという点だ。しかし対処するのは自分たちの仕事ではない。そう考えるブラックスミスは優しくナンシーを諭す。「侵略計画はともかく、これからについて考えましょう」「そうね! まずはあの『鷲の巣』をどうやって攻め落すかよ!」

 

だが、高射砲台要塞を見つめるナンシーは自分たちで何とかする気が満々であった。「なんでそう好戦的なんですか!?」「世界の危機なのよ!?」「その前に自分たちの危機ですよ! あと声を抑えてください!」今にも駆け出しそうなナンシーを引きずり、シンヤは器用にも小声で怒鳴りつつ退避を試みる。

 

しかしその努力は無駄に終わった。「何か聞こえましたね」「ハイ、聞こえましたね」ライフルを担いだ兵士二人がナンシーの声に反応してしまったのだ。鏡像めいた完全同期の動きで頷きあうと、初弾を装填したライフル銃を構えて片方が慎重に竹藪に分け入った。

 

「確認に行ってきます」「ハイ、お願いしまグワーッ!」その背後で突如断末魔が上がる! 反射的に振り返った兵士の視界には側頭部からトマホークめいた異形のスリケンを生やして崩れ落ちる同僚の姿があった! 兵士は即座に竹藪の中の姿見せぬ敵へと銃口を向けてライフル弾を放とうとする! 

 

「ザッケンナコラ劣等「イヤーッ!」グワーッ!」だがそれよりニンジャは速い! ナチスヤクザスラングを発するより速く、現れた黒錆色の影は小銃を捻り上げ、音もなく喉笛を掻き切った! 物音一つ立てずに竹藪より現れ、瞬く間に命を刈り取るその動きは、正に墨絵竹林のブラックタイガーだ! ワザマエ! 

 

「だから声を潜めてくださいよ」「ゴメンナサイ。興奮しすぎていたみたい」目の前で流れる血という現実がNRS(ナチスリアリティショック)を取り払ったのか、シャカリキめいたナンシーの狂奔はようやく鎮まった。大人しくなったナンシーの様子に安堵しつつ、ブラックスミスは黒錆色の死体袋に中身を詰めて笹藪に隠す。

 

「それで、結局どうするんですか? この光景を国際社会に広めても嘲笑以外返ってこなさそうですけど」ナチス残党の日本侵略計画を公表した処で、荒唐無稽すぎて自我科行きの黄色い救急車を呼ばれるのがオチだ。「でも、このまま見過ごす訳には行かないわ。奴隷化された村人だけでも助け出さないと」

 

「そうなると流石に契約範囲外ですよ」ジャーナリストの好奇心と義侠心に奮い立つナンシーに対し、護衛役のブラックスミスは随分と気のない素振りだった。ニンジャらしくないニンジャと言われる彼でも精神は人間から多少は外れている。ご近所や同僚なら兎も角、無関係の村人にまで振り撒く同情はない。

 

「追加料金で何とかならない?」「なら一度カイシャに話を通してもらわないと困ります」(((これは困ったわね)))一向にやる気ないブラックスミスに表情を歪めるナンシー。確かに当初の契約から外れているのは事実である。しかも低速な無線LANでコネ・コムと契約を取っている時間はどこにもない。

 

いっそ色で仕掛けるか。しかしブラックスミスはらしくないがニンジャだ。その上思春期少年であり万一がコワイ過ぎる。ナンシーはリスクとリターンを天秤にかけるが、現状リスクに傾くばかり。人助けたいナンシーと帰りたいシンヤ。「オイ、こっちだ」膠着状態に陥った二人の耳に潜めた呼び声が届いた。

 

「誰だ?」「アイッ!?」声の主が姿を現すより早く後ろに回ったブラックスミスは、アンキ・スリケンを喉笛に突きつけて誰何する。逃れようの無い死を首筋に突きつけられて、恐怖が彼の股間を黄色く濡らしていく。「お、俺はナチス兵士じゃない! 殺さないでくれ!」「武器を降ろして」

 

ナンシーの呼びかけに応え、ブラックスミスはスリケンを分解して声の主から距離を置いた。安堵に腰を抜かした声の主は自作した湯気の立つ水たまりに崩れ落ちた。「私たちは埼都新聞の特派員とその護衛よ。少なくとも貴方の敵じゃない」倒れた彼にナンシーは汚れも厭わず手を差し伸べる。

 

「お、俺は抵抗組織『戦う村人』のマキだ」「ドーモ」「初めまして」ニンジャの恐怖に声音は震え視線はブラックスミスに固定されたままだが、それでも差し出された手を取って恐る恐る立ち上がるマキ。「なあ、あんた達。抵抗活動に参加してもらえないか?」唐突な台詞に二人は目を丸くする。

 

「無論、戦えって言うつもりはない。でも特派員ならこの現状を外に知らせられるだろう?」「当然出来るわ。願ったり叶ったりよ」マキの言葉にヒョウタンからオハギと喜び勇んで頷くナンシーはブラックスミスへと振り返る。「レジスタンスの取材なら契約範囲内でしょ?」「……まあ確かに」

 

不承不承と視線で語ってはいたが、ブラックスミスも首を縦に振った。「なら決まりだ。ついてきてくれ」冷たく濡れた股間を気にしてかぎこちなく歩くマキ。ナンシーとブラックスミスミスは奥ゆかしく何も言わずにその後を追った。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

高射砲塔めいた要塞の奥深く。オブシディアンの大鏡を背にした金髪の影は、苛つきに眉をしかめた。「私はアーリア優性人種遺伝子を提供した筈だが?」コンクリ玉座に腰掛けたシルエットは茶色の装束に包まれ、その口元は逆卍の刻まれたメンポに覆われている。この影の正体は……ニンジャなのだ! 

 

「アィーッ! スミマセン!」玉座から発される怒気にドゲザしながら失禁する白衣のヨロシサン上級研究員。その目の前にある高台には碧眼カラーコンタクトと金髪ブリーチ薬液が山と積まれている。周囲の儀仗親衛隊員を見れば、彼らの顔立ちがクローンヤクザのそれと瓜二つであることが判るだろう。

 

それもその筈、金髪碧眼アーリア改善クローンヤクザSS兵は髪を脱色して色付きコンタクトを付けたフェイク改善だったのだ! 「でもクローンは能力が下がるんです! 判ってくださいよ!」ニンジャをも退け総理大臣を殺したレジェンドヤクザのDNAだからこそ、クローンヤクザは相応の性能を保てる。

 

実際、アーリア人種クローン兵士お試しは歩くことすら覚束なかった。「ダマラッシェー劣等民族!」「アバーッ!」ポワワ! しかし差し出されたレポートを床に叩きつけ、アーリアニンジャはスペースオペラめいた光線銃の引き金を引いた! 放射線めいた青光を浴び、研究員は黄色い水溜まりごと蒸発した。

 

「フゥー……ワインを寄越せ」「ハイヨロコンデー」ZBR入りドイツ風ワインを呷るアーリアニンジャもクローンの性能低下は理解している。しかし劣等種のヤクザにアーリア人種が劣ると認めることはできない。彼は自分の思想が現実に優越すると信じているのだ。

 

(((生かしておいた劣等種をそろそろ潰すか)))今の研究員といい、反抗的な者がここの処多い。どうやら支配者の慈悲を甘さと受け取った劣等種がつけあがっているらしい。ミュータント水牛を下回る劣等人種の記憶力では力の差すら覚えられないようだ。今一度、恐怖で支配のタガを締め直す必要がある。

 

「出陣する」「ハイヨロコンデー」アーリアニンジャは鉤十字ヘリポートに向けて歩き出す。迫るエジプト軍団ごとチョップで紅海を叩き割るニンジャ。熱狂的に熱弁を振るうちょび髭の小男を、舞台裏からジョルリめいて操るニンジャ。邪悪な真実を織り込まれた冒涜的歴史タペストリーが廊下に連なる。

 

常人ならば廊下を歩くだけで二度と正気には返れないだろう。だがこれこそアーリアニンジャが思い描く正しき世界の姿なのだ。優性種ニンジャに失敗は二度とない。(((必ずや世界を正当なる者の手に!)))キャトル光線でナチスUFOに乗り込みながら彼は強く拳を握りしめた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

『クワを捨て銃を取れ』『負けると死ぬ』『自由なくして村人なし』『村長死すとも村は死せず』隙間風に勇ましいプロパガンダがショドーされた藁のノボリがはためく。神棚に並べられた英霊たちのポータブル・オハカへとしめやかに手を合わせると、若き村長代理はナンシーとブラックスミスに向き直った。

 

「ようこそ、『戦う村人』本部へ。まあ、本部とは言っても支部は一つもないがね」かつてニューク実験場の退避壕であったこのベトン小屋こそがアンタイ・ナチス抵抗組織『戦う村人』の本拠地だった。「ドーモ、村長代理さん。埼都新聞特派員のナンシーです」「護衛のブラックスミスです」

 

「あれは」「まさか」「ヤツと同じ?」ブラックスミスのアイサツに『戦う村人』構成員がざわつく。ブラックスミスは頭巾越しに睨みつけて彼らを黙らせるともう一度アイサツを繰り返した。「護衛のブラックスミスです。いいね?」「「「アッハイ」」」静かなニンジャ圧力に全員が青い顔を上下させた。

 

「護衛のお方、余り皆を怯えさせないでくれ」年若くも威厳ある声で村長代理はブラックスミスを宥める。ブラックスミスも話が進まないとあっさり従った。場を読んだナンシーが絶妙の間で口を挟む。「そろそろ経緯を話して頂きたいのですが宜しいですか」「ああ。もう何ヶ月前になるのか」

 

……ドグウ村は名前の通り、ドグウの盗掘で生計を立てている村落だ。その日、村は久方ぶりの大発見でオマツリ騒ぎだった。採掘し尽くした石室から隠し部屋に向かう秘密階段が発見されたのだ。その部屋には無数のドグウがお札と注連縄で封じられた棺めいた箱を囲んで整然と並んでいた。

 

オバケから死者を守る為に作られた人形の軍団は、信心深い者ならジンジャ・カテドラルを建てて崇め奉る程の神聖さを帯びていた。しかしオバケをも恐れぬ罰当たりな盗掘者にとっては単なる宝の山でしかない。だから『内向き』のドグウ達も、箱の厳重な神秘的封印も、気にする者は居なかった。

 

ドグウを箱詰めして売り払い、朽ちた封印を引き剥がし、躊躇なく箱をこじ開ける。そこには反射が全く無い異様な黒曜石の大鏡があった。幾らで売れるかとだけ考えて村人は無警戒に鏡面に触れた。その時、ようやく別の一人が裏面のレリーフに、ハニワと注連縄の意味に気づいた。それはもはや遅かったが。

 

「我々は愚かだったんだ」息つく間もなく勢い込んで話し続けた村長代理は、顔を伏せて長い息を吐いた。音もなく部屋の空気が張りつめる。「裏側には何が彫られていたのですか?」「それは……」質問を拒否するアトモスフィアを敢えて無視し、ナンシーは禁断の問いを投げかける。

 

「……鉤十字だった」「アィェェェ……」ナチスの……遺産! (((元ネタのスワスチカでは?)))ブラックスミスは胸中でツッコミを入れた。口には出さない。ナンシーの狂態を思い出せば何の意味も無いのが判る。実際、思い思いにナチスの恐怖を全身で表現している村人に東洋起源説を唱えても無駄だろう。

 

荒い呼吸を落ち着け、部屋の空気が落ち着いたのを見計らいナンシーは再び質問を投じた。「アーネンベルゲに属する物ということは判りました。それで何が起きたんですか?」「それは……」それもまた禁忌の質問だったのか、真空めいて息苦しい空気が部屋を覆う。それでも村長代理は震える声で答えた。

 

「……ニンジャだった」「アイェーッ!」ナチスの……ニンジャ! 「ナンデ!? ニンジャナンデ!?」「ダイジョブか!? しっかりしろ!」絶叫と共に村人の一人が崩れ落ちる。NRS(ニンジャリアリティショック)のフラッシュバック症状だ! 限界ギリギリで保たれていた精神がニンジャ存在の想起によって平衡を失ったのだ! 

 

「鏡からニンジャが現れたのですね」「そうだ」抱き抱えられて退出するNRS患者を後目にナンシーは質問を続ける。泥棒がバレたら火を付けろ。最早後戻りは出来ない。「現れたニンジャはカラテで村人を斬殺し、ノイエ・ドイッチュランド設立を宣言した。その日から村の恐怖支配が始まったんだ」

 

……幸運に恵まれた僅かな村人を除きほぼ全ての村民がニンジャの頸木に囚われ、奴隷労働力として食糧増産と遺跡発掘に駆り出された。逆らう者は恐るべきカラテとイアイドで惨殺され、労働力にならない老人達と病人は窓のないコンクリ立方体の中でオーガニック肥料に変えられた。

 

さらに付近のヨロシサン秘密工場もユージェニックの手に落ちた。武装サラリマン上司を目の前でゴア死体にされて、研究員達は容易く暴力に屈したのだ。金髪碧眼アーリア改善クローンヤクザ親衛隊が量産され、さらに研究中のカイジュウ化ドサンコ・グリズリーも提供させられた。

 

かくして圧倒的戦力と決定的暴力に希望は潰えたかに見えた。しかし僅かに逃げ延びた村人たちはイチミ・ウォーターに誓いを立て『戦う村人』を組織。彼らは絶望の中で未だ必死に抵抗を続けているのだ! 「……だが、戦いの中で備蓄も戦力も減る一方。情報提供者も裏切り者の密告で次々摘発されている」

 

現状はジリープア(徐々に不利)で改善の見込みなし。時を待って飢え死にと、負けを待って犬死にの二択しかない。全てを話し終えた村長代理は椅子から降りると深く深くドゲザした。「だから、このジゴクを新聞でネオサイタマに広めて欲しい。どうか村人を一人でも救ってくれと伝えてください……!」

 

地に伏せた村長代理の顔から涙が滴った。「オネガイシマス」「タスケテ」「どうか……!」ドゲザは母親との前後を強要されて記録されるほどの屈辱だと言う。だが村人達は村長代理に続いて次々に床に額をすり付ける。最早、自分達では重ねた犠牲に報いる事も出来ないと涙を流す程に理解しているのだ。

 

「必ず助けると約束します」「おお!」手を取り力強く肯定するナンシーに村長代理の目から熱い涙が落ちる。「さあ、囚われの村人と支配者気取りのニンジャに突撃インタビューよ!」「ハイ、ヨロコンデー」ここまで知って見捨てたら家族に顔向け出来ない。苦く笑うブラックスミスもまた応えて頷く。

 

しかし、その時だった! DING! LING! DING! LING! 「アーッ! ヨージン! ヨージン! アーッ!」隠匿されたヤグラから危機を知らせるハンショウの乱打音が響く! 「まさか!」「ブッダミット!」ベトン小屋の窓から覗く村人の目に鋭角軌道で迫る複数のオレンジの閃光が映った。

 

【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#2おわり。#3へ続く



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第二話【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#3

【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#3

 

「「「ザッケンナコラー劣等人種!」」」身も竦むナチスヤクザスラングと共にキャトル光線からアーリア改善クローンヤクザが次々に地上に降り立つ。「ナンデここが!?」「いいから防衛だ!」慌てつつも『戦う村人』はカービン銃とタケヤリを組み合わせた恐るべき農民武装を抱えベトン陣地に駆け込む。

 

BLATATATA! 「「「スッゾコラー劣等人種!」」」クローンヤクザ親衛隊はその背中に向けてクローン特有の一糸乱れぬ完全同期動作で、構えたナチスライフルの引き金を一斉に引いた! 「グワーッ!」「アバーッ!」陣地に駆け込み損ねた村人が7.92mm穴のスイスチーズになって踊り狂う! 

 

BLAM! BLAM! BLAM! 「「「自由なくして村人なし! ウォーッ!」」」「「「グワーッ!」」」スローガンを雄叫びながら『戦う村人』たちは陣地の銃眼より突き出したタケヤリカービンを連射! 緑の血をまき散らしクローンヤクザSS兵は次々に倒れる! 

 

BLATATATA! 「「「テメッコラー劣等人種!」」」「ブッダ! 多すぎる!」「弾を! 誰か!」「グワーッ!」しかしクローンヤクザ親衛隊の数は余りに多い! 人数も弾数も多勢に無勢。『戦う村人』がクワを捨て銃を取ろうとこのままでは負けて死ぬ。村長が死んでドグウ村も死んでしまうのか!? 

 

否、そうはならない! 「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」黒錆色の鉄雨が降り注ぎ、一面が緑血に染まる! 驚異なる一忍当千のニンジャがここにいるのだ! 「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」奇襲に乱れるクローンヤクザ親衛大隊にブラックスミスは躊躇無く弾道跳びカラテパンチで飛び込んだ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「「「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」」」金髪の群衆を引き裂いて黒錆色の風は驚異のカラテを存分に振るう! 「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」異形のスリケンが次々に頭蓋に生える! 「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」クナイ双刀が次々に頸を刎ね飛ばす! 

 

フヨヨヨ! KABOOM! 「「「グワーッ!」」」それを止めんとナチス円盤機から誤爆覚悟の爆弾投下だ! だが飛び散るのはクローンヤクザの死体だけ! 駆けるニンジャに傷一つ無い! WW2仕立てとはいえ完全武装の軍団を五体と武器のみで容易く押し返す。これが平安日本を支配したニンジャのカラテだ! 

 

例え欧州における恐怖の代名詞たるナチス軍団であろうとニンジャがいる限り日本侵略は不可能か? 「ヌゥーッ!?」否、そうとは限らぬ! ブレーサーに突き立つ鉤十字スリケンが否定を告げた! 円盤機に仁王立つ茶色の影を見よ! 「ドーモ、初めまして。ユージェニックです」あれはナチスのニンジャだ! 

 

「ドーモ、ユージェニック=サン、お初にお目にかかります。ブラックスミスです」山と積まれたクローン親衛隊の死骸を踏みしだき、両手を合わせて黒錆色のニンジャが応える。「知性の足らぬ劣等種が折角与えてやった恐怖を忘れたとばかり考えていたが、なるほど。貴様の存在が連中を調子に乗らせたか」

 

「ここに来たのはついさっきだ。アンタの無能を押しつけられても、困る」「アニマル擬きの劣等ニンジャが、支配の定め持つ優性アーリアニンジャに増上慢も甚だしい!」油断無くデント・カラテを構えるブラックスミスの台詞に、妄想を現実の上に置くユージェニックはこめかみに青筋を浮かび上がらせる。

 

「大口は程々にしておけよ。散々な結果が際だつぞ」「イヤーッ!」毒舌への返答は空を裂く鉤十字スリケンだ! 「イヤーッ!」CRASH! 即応のスリケンが真っ正面からぶつかり合う! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」スリケンの対消滅を引き金に地対空スリケンラリーが始まった! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」RIP! 標的から外れた鉤十字スリケンがクローン兵士を頭上から引き裂く! 「イヤーッ!」BOOM! 投げ上げられたクナイジャベリンがUFOに深々と突き立つ! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」音速のスリケンが対消滅を繰り返す! 

 

CRASH! CRASH! CRASH! 「ヌゥーッ!」「ハーハッハッ! オーディンの稲妻に等しきスリケンを受け、劣等種らしくブザマに死ぬがいい!」異形と鉤十字のスリケン衝突点は地上に徐々に近づく! 位置エネルギー加速分、地の利を得たユージェニックが有利か? ならばその利を叩き落とすまで! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ヌゥーッ!?」BOOM! BOOM! BOOM! 鋭角で抉り込むスリケンブーメラン! 装甲を叩き割るスリケントマホーク! 吸気口に絡みつくスリケンボーラ! 数え切れぬスリケン嵐に晒された髑髏紋(トーテンコップ)円盤機は、小爆発を繰り返し煙を噴きだしてバランスを崩す! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」BOOM! BOOM! BOOM! 迎撃鉤十字スリケン連射をすり抜け、平衡を失ったナチスUFOへさらなる追加のスリケンが次々に突き刺ささる! 『操作不能な。脱出お急ぎ』エマージェンシーが響き、コントロールを喪失した円盤機が垂直落下! 

 

KARA-TOOM! 「「「グワーッ!」」」生き残りクローンヤクザ親衛隊を巻き込んで墜落UFOはニューク爆発! これに巻き込まれては一溜まりもない! やったか!? 「イヤーッ!」否、相手はナチスでニンジャだ! ユージェニックは落下中に脱出している! 

 

地上へ降り立ったユージェニックと、スリケンを投げ終えたブラックスミスがキノコ雲を背景に相対する。「劣等種を支配すべき優良種を地べたに立たせるとは! よくも!」「じゃあそのままお空の上で死んでろよ」先の焼き直しめいた罵声を投げつけ合いながらも、互いは各々が信じる必殺のカラテを構えた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

空間に張りつめる圧倒的カラテに全てが声を失ったかのように、異常な静寂が場を満たしていく。「この屈辱……貴様の命一つでは到底購えんぞ! 覚悟するがいい!」「ならお前の命一つでどうだ。随分とお高いようだからそれで十分だろ?」耳に響くのは互いの痛罵のみ。そして目に入るのは互いの姿のみ。

 

ブラックスミスは腰を深く落として両掌を前に向ける。これは要塞めいて不動なるデント・カラテ防御の構えだ! 一方、ユージェニックは片手を後ろに回すと、靴から抜きはなった長いナイフを頭上に構え、切っ先をブラックスミスに突きつけた。この構えは一体!? 

 

……中欧戦国史の専門家ならばこの構えからドイツ剣術との相似形を見いだすだろう。それもその筈、これこそドイツ剣術の源流『古式ゲルマン・イアイド』に他ならない! その一端に触れたリヒテナウアーがモータルの身ながらも再現を試みて編み出されたのが、中欧で一時代を築くドイツ剣術なのだ! 

 

ユージェニックは『支配こそ我が名誉』と刻まれた刀身を、雲間から覗く陽光めいて揺らめかせる。「我がイアイドで非ニンジャが如何に苦しんで死んだか知りたいか? 今から貴様の精神にケジメと共に刻んでやろう」「弱いものイジメが趣味とはお国が知れる……いや、ドイツだったな。ドイツに謝れ」

 

「貴様が謝れ! 死んで詫びろ! イヤーッ!」怒れるユージェニックから凶悪なる『怒りの斬撃』が繰り出される! 『日の構え』から振るわれる必殺の一撃だ! 「イヤーッ!」袈裟懸けに迫る刀身を、ブラックスミスはブレーサーに沿わせてサークルガードで防御した! 飛び散る火花が刃と腕の残像を描く! 

 

相手の要塞めいた防御に大降りの切りつけは無効と見たか、即座に基本の攻撃である突きを連続で打ち込む! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」眼球! 股間! 心臓! 鳩尾! 喉笛! 眉間! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」精密ピストンめいた高速前後運動を、クランクシャフトめいて回転運動が受けとめる! 

 

「イヤーッ!」突く! 「イヤーッ!」弾く! 「イヤーッ!」突く! 「イヤーッ!」逸らす! 「イヤーッ!」突く! 「イヤーッ!」防ぐ! おお、見よ! 精妙なる飛行機械エンジンめいて互いのカラテとカラテがガッチリとかみ合い、高速運動と停止状態が両立した奇妙なる膠着が生まれた! チョーチョー・ハッシ! 

 

これはアドバンスドショーギで言うところのサウザンド・ウォーの形となったのか? その原因であるブラックスミスの消極的カラテにユージェニックは嘲笑の声を上げる。「口先だけの劣等種! 家畜らしく屠殺を待つか!?」「待ってるのは別物だよ。ほら、随分と人数が減ったぞ?」「何を……!?」

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」残り少ない生き残りクローン親衛隊員の内蔵をタケヤリが貫く! BLAM! 「グワーッ!」数少ない生き残りクローンSS兵士の脳髄を鉛玉が貫く! 「ナニィーッ!?」ブラックスミスの受動的対応は『戦う村人』がヤクザ親衛隊を排除する迄の時間稼ぎでもあったのだ! 

 

クローン軍団を率いて支配者を気取っていたユージェニックだが、虚飾の軍勢が無ければナチス妄想にしがみついた裸の王様に過ぎない! 「ヌゥゥゥッ!! クローンを潰していい気になるな! アレを降ろせ!」故にユージェニックはIRC端末の髑髏紋(トーテンコップ)ボタンを押し込み最大最後の戦力を起動する! 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

フヨヨヨヨ! 生き残りナチス円盤機から放射される青白いキャトル光線の中、漆黒の影が膨らみながらゆっくりと地面に滴る。それは縮尺比が狂ったと錯覚するほどに大きい。「どう見ても放っといて良いものじゃないな!」ブラックスミスは両手を広げ瞬く間にヒュージ・スリケンを重金属粒子で形作った。

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」UFOめがけ飛ぶ巨大スリケン! それをユージェニックは全力のドイツ短剣で迎撃! ならばとブラックスミスは即座に次弾を構える! 「イヤーッ!」投げる! 「イヤーッ!」弾く! 「イヤーッ!」投げる! 「イヤーッ!」逸らす! 「イヤーッ!」投げる! 「イヤーッ!」受ける! 

 

ズウン! カラテ交わす合間にも墨汁めいた滴はサイズを増して、遂に地上にしたたり落ちた。大地に触れるだけで地を揺すぶるその大きさは最早建築物と比較すべき代物だ。そして闇めいた巨体はゆっくりと身を持ち上げた。ALAS! 動いた!? これは、生きているのだ! 

 

……予算確保のために作り上げた架空の脅威を、現実化してコントロールするという、子供並の発想に基づくヨロシサン製薬のプロジェクト「カイジュウ計画」。計画はその果てにおぞましき悪夢的巨大化バイオ生物を生み出した! それこそ目の前で蠢く巨大クマ・モンスター、略して「クマモン」なのだ! 

 

「AAARRRGHHH!!!」「「「アィーッ!?」」」クマモンは傷口めいた赤い口を開き、原子爆発に等しい轟音で吠え猛る! 衝撃波という言葉が相応しい咆哮に、『戦う村人』は皆、腰を抜かしてしめやかに股間を濡らした。彼らは強大なナチズムと戦うレジスタンスだが、モンスターハンターではないのだ。

 

「イヤーッ!」ならば抗するに相応しいのはクマモンに匹敵する危険な生物……ニンジャに他ならない! ユージェニックの防御をすり抜けブラックスミスのスリケンがクマモンに次々と突き立つ! 「GHAR!?」見上げる巨体が激痛に震える! だが、止まらない!? 巨大すぎてダメージが分散しているのだ! 

 

「ハーッハッハッハッ! 優勢種の科学は世界一ーィ! 貴様等劣等種如きがV4号を止められる筈がない!」ヨロシサンが計画し、ヨロシサンが設計し、ヨロシサンが実験し、ヨロシサンが製作したクマモンを、ヨロシサンから奪ったユージェニックが我が物とふんぞり返るなんたる文化詐称的光景か! ヒドイ! 

 

これを知ったヨロシサン製薬がヨロシ・ジツの特許を取得して著作権侵害に備えたのも当然のことであろう! だが、そんなパテント背景事情など『戦う村人』には知る由もない。恐怖に濁った表情の彼らは、ナチスとヨロシサン製薬の双方を口汚くノロイながら、震える手で引き金を引き続けるのみ! 

 

BLALALAM! KABOOOM! 「ナチス・カイジュウ! ゴートゥー・アノヨ!」「死ね! ヨロシサンのオバケ! 死ね!」「GHAR!」タケヤリカービンが火を噴き、希少な漆塗りRPGが炸裂する! だが、見よ! 緑のバイオ血液が傷口から鉛玉を押し出す! 抉れた爆発痕を蠢く筋繊維が埋める! 

 

「AAARRRGHHH!!!」生物学上不可能であろうこの巨体を可能にしたのはバイオニンジャを彷彿とさせるこの異常再生能力なのだ! クマモンは一歩ごとに自重で崩壊しながらも同時に急速再生して『戦う村人』へと這い寄る! 鉛玉でも爆弾でもスリケンでも前進が止まらない! ならばカラテあるのみ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」スリケンの暴風でクマモンの歩みを妨害し、黒錆色の風となってブラックスミスが駆ける! この巨大なカイジュウを己のカラテで殺せるのか!? そんなことは知らぬ! 他人様の台詞だが『後悔は死んでからすればいい』! まず殺す! 目前に立ちはだかるユージェニックもだ! 

 

「除け!」「貴様の冗漫なカラテで増上慢をほざ「イヤーッ!」グワーッ!」自身を弾丸とする弾道跳びカラテパンチが口上ごとユージェニックの顔面を叩き潰す! 反射的に突き出された短剣が肩口に深々と突き刺さるがブラックスミスは気にも留めぬ! マウントからカワラ割りパンチを慈悲無く叩き込む! 

 

「劣等「イヤーッ!」グワーッ!」「支配「イヤーッ!」グワーッ!」「ごんな「イヤーッ!」グワーッ!」「ナンデ「イヤーッ!」グワーッ!」古式ゲルマン・イアイドはドイツ剣術の祖である驚異のカラテ。だがデント・カラテも江戸戦争の甲冑組討術(アーマード・ジュー・ジツ)を祖とする、負けず劣らぬ凶悪なるカラテだ! 

 

増してや、幾多の鍛錬を重ねイクサを超えたブラックスミスと、モータルをいたぶり妄想に酔うユージェニックには、カラテ密度に大いなる格差が有った! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」カジバフォースで無理矢理脱出したユージェニックと、回転ジャンプで距離をとるブラックスミスの姿にそれは現れている! 

 

「ぎ、ぎざま……」片方の眼球と砕けたメンポが挽き肉と化した表情筋と共にこぼれる。ヘルムごと頭蓋を叩き潰すカワラ割りパンチ連打にユージェニックの顔面は煮オモチめいて崩れている! 一方、眼光鋭く睨みつけるブラックスミスには傷一つ無し! 生成したブレーサーを打ち合わせトドメのカラテを構える! 

 

その瞬間! ニンジャ第六感が警鐘を鳴らす! 「ブァイエルッ!」「イヤーッ!」ポワワワ! インセクト・オーメンめいた直感刺激に従い、ブラックスミスは連続側転で全力回避! 移動前の地点をリング状の光が通り抜けた。その跡は……何もない!? 光線は接触した物体全てを分子レベルで分解消滅させたのだ! 

 

「ごれがガラデだっ!! (わだぢ)の力だっ!」涎と血と妄言のカクテルをまき散らし、発掘収奪品を己のカラテと胸を張るなんたる恥知らずの姿か!? 世間一般日本人的感性を持ち合わせているなら即座にセプクを選ぶだろうタイヘン・シツレイそのものだ! しかしユージェニックは日本人ではない! 

 

ポワワ! ポワワ! ポワワ! 「()ね! ブラッグズミズ=ザン! ()ね!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ユージェニックの構えるパルプフィクションめいた火星人銃から回避を繰り返すブラックスミス! ALAS! 背後のタマチャンジャングルが次々にクッキーめいて型抜かれ、風景に消しゴムがかけられる! 

 

しかし回避を繰り返すブラックスミスは全弾回避! それどころか弾道を誘導し、クマモンにリップル光線を直撃させる! ワザマエ! 「GHHHAAARRR!!!」巨体の半身が瞬く間に塵に変わり、ジャガンナートめいた前進が停止する! 「(わだぢ)のゲヅを舐めろ!」しかしユージェニックの悪意は止まらぬ! 

 

「劣等種同士、仲良ぐ()ねぇ!」その銃口を守るべき『戦う村人』に向けたのだ! ニンジャアドレナリンで遅延する時間の中、ブラックスミスは全力で打開策を思考する! (((スリケンで迎撃……消滅する、不可! 村人を脱出させる……時間無し、不可! ジツで防御……時間は稼げる、実行!)))

 

「イィィィヤァァァッ!!!」ポワワワ! 襲い来る青白い輪を黒錆色の断崖が受け止める、が即座に消滅! しかし黒錆色の長城が一瞬でせり上がる、が即座に消滅! しかし黒錆色の巨壁が即座に立ち上がる、が即座に消滅! しかし黒錆色のスクリーンが一瞬で伸び上がる、が即座に消滅! 全ては無意味か!? 

 

否、青白い輪はそのサイズを大きく減じ、遂には消滅した! 「ハァーッ、ハァーッ」ニューロンを燃やし尽くすが如きタタラ・ジツの過剰使用に、血涙と鼻血を流してブラックスミスは膝を突いた。その姿に崩れた顔でも判るほどの嘲笑を浮かべ、ユージェニックはゆっくりと見せつけるように火星銃を構える。

 

「もうダメだ……」「おお、ブッダ!」最早、村人たちは掌を合わせブッダに祈る事しかできない。ブラックスミスはこれで死ぬのか? ナチスの侵略は止められないのか? ブッダよ、貴方はまだ寝ているのですか!? それをダイコク・テンプルの住職が聞けば嗤うだろう。『ブッダは死んで永遠に寝とる』と。

 

そして彼は真剣な目でこう続ける筈だ。『だから自ら目を開き、自分自身を救わんとする者にしか、救いは訪れんのだ』と。

 

「イ”ヤ”ーッ!」ユージェニックは銃口を向けトリガーを引……けない!? 「イヤーッ!」「グワーッ!?」フヨヨヨヨ! スリケンに肘から先が切り飛ばされたからだ! だがアンブッシュの下手人は誰だ!? ブラックスミスは動けない! 他にニンジャはいない筈、否! テルミンめいた駆動音の元を見よ! 

 

それはキャトル光線に乗りオジギと共に降臨する赤黒の影! 「……なんとか、間に合った、な」避難したナンシーが無線IRCで送り続けた救援要請に応え、彼はドグウ村へと急ぎやって来たのだ! 「ドーモ、ブラックスミス=サン。ゴブサタしてます。そして、皆さん初めまして。ニンジャスレイヤーです」

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ドーモ”、ニ”ンジャズレイヤ”ー=ザン。ユージェニッグでず。人類の支配者だる優生ニンジャに傷を付げるどばよぐもぉっ!」挽き肉めいた顔面を歪ませ叫ぶ姿は、怒れるモータルを一瞬で凍り付かせる狂気と凶気に満ちていた。だがそれは赤黒の殺戮者にとって業火に注がれるガソリンに等しい! 

 

「人類の支配者? 優生ニンジャ? 実際安いワゴンセール品がよく吠える。所詮オヌシはそこらのヨタモノとなにも変わらぬ」KABOOM! 地に降り立つ彼の背後で爆発音が響き、幾筋も煙と炎が立ち上る。それは彼が破壊してきた収容所であり、ガス室であり、理不尽なる圧制者の搾取機構の末路だ。

 

「カビの生えた妄想で幾ら飾りたてようとオヌシは単なる邪悪なニンジャにすぎん」ニンジャスレイヤーの憤怒が、ナチスとユージェニックの狂気を踏み砕いたのだ。それは暴虐なるニンジャへの怒りであり、ナチスを筆頭とする抑圧者への憎悪であり、他者の命を踏みにじり省みぬ傲慢への敵意であった。

 

「そして俺はニンジャ殺す者(ニンジャスレイヤー)だ。ニンジャ殺すべし。 慈 悲 は な い 」「アイッ!?」そして、それが、それこそが……ニンジャスレイヤーなのだ! ニンジャスレイヤーの圧倒的な怒りに気圧されたユージェニックが思わず後ずさる。恐怖に呑まれた体は思うように動いてくれない。

 

「イヤーッ!」「GHAR!」数呼吸分体力を回復したブラックスミスが再生中のクマモンに弾道跳びカラテパンチを打ち込む音が響いた。ほんの僅かな刹那、殺戮者の気が逸れる。「イ”ヤ”ーッ!」硬直から逃れたユージェニックはパルクールめいた片手側転でSF光線銃を確保! 

 

家畜(がぢぐ)め! 断罪じでやる!」「イヤーッ!」ポワワワ! そのまま赤黒の影めがけ引き金を引く! 分子分解光線が輪形に広がる……前にニンジャスレイヤーがワン・インチ距離に! 「イヤーッ!」「え”っ?」更にユージェニックの腕を流れるようにへし折る! 当然、光線銃の引き金は引かれたままだ! 

 

「え”?」ユージェニックは頭上から振り下ろされる断罪の鞭を呆然と見上げた。「え”」それが最期の言葉になった。ユージェニックの上半身が消えた。それを理解できない下半身がよろめき、続いて塵に帰った。同時に高射砲塔要塞の中で黒曜石の大鏡が、誰も知る事なく独りでに砕けて消えた。

 

ハイクもなく、サヨナラすら言えず、ユージェニックは蒸発した。「らしい死に様だな。イヤーッ!」「GHAR!」それを確認したブラックスミスは一言吐き捨てると、更なるカワラ割りパンチをクマモンに叩き込む! カラテシャウトと苦痛の雄叫びが繰り返し響く! 

 

「イヤーッ!」「GHAR!」「イヤーッ!」「GHAR!」「イヤーッ!」「GHAR!」だがニンジャの連打を喰らいながらもクマモンの肉体は徐々に再生しつつある! なんたる非自然的ミュータント生命力と反自然的バイオ改造の悪魔的相乗効果か! 物理破壊では殺し切れぬ! ならば細胞全てを打ち砕くまで! 

 

「イィィィ……」足指、足首、膝、股関節、腰椎、脊椎、肩間接、肘、手首、指先、その全て完全に同期連動させる! それはセイケン・ツキの原理をカワラ割りパンチで応用再現する、デント・カラテの新たなる一ページ! 「……ヤァァァーーーッ!!!」「AAABAAAHHHRRR!!!」ドォォォンッ! 

 

全細胞に響きわたる轟音を味わいながらクマモンは断末魔の絶叫と共に緑の泡と化して崩れ落ちた。「死んだ、のか?」「多分……終わったんだ」現実感も無く呆然と周囲を見渡す村人たち。ブラックスミスは皆の姿に大きく息を吐き腰を落とした。不人気B級映画めいて跡形も残さず狂気の象徴は消え失せたのだ。

 

だが操縦していたUFOから降り立たったナンシーは深刻な顔で否定する。「いいえ、全て終わりとは限らないわ。未だ発掘されないオーパーツの中には第二第三のナチス遺産が「無いです」カンベンしてくれ。続編を臭わせるナンシーの台詞をブラックスミスが疲れ切った表情で遮った。

 

兎に角これでエンディングだと、カーテンコールを望むブラックスミスに応えたように、重金属酸性雲の雲間から濁ったオレンジの光が射し込んだ。日が落ちる。長い長い一日が終わろうとしていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「シン兄ちゃん、これ!」「どうした?」自堕落に寝坊してフートンから叩き出されたシンヤが大欠伸していると、興奮したウキチがチラシを振り回してきた。「今度続編やるんだって! 見に行こうよ!」手渡されたポスターには大津波に乗るクジラ戦艦と大気圏突入するサメ隕石。そしてローマ式敬礼で鉤十字マグロに忠誠を捧げる二足歩行イルカ軍団!

 

『全米が震撼! アイアンボトム・オーシャン2~マグロ帝国の悪夢~』「絶対面白いよ!」獲れ立て新鮮マグロの煌めく眼をしたウキチを、シンヤはツキジダンジョン放置冷凍マグロの目で見返した。「ナチスはもうカンニン……」「ナンデ? ナチスなんてもういないじゃん」「だからカンニン……」「ナンデ?」「カンニン……」

 

【リヴェンジ・ザ・アイアンクロス3~エイリアン・オブ・ニンジャ~】#3おわり。



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第三話【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#1

大変遅くなりました。まだ生きています。まだまだ生きていきます。


【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#1

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」痛烈なカラテパンチは鼻っ柱を文字通りに叩き折った。顔を覆う手の中は溢れた血で鮮烈に赤い。目が覚めるほどの苦痛を堪え、あえぐような息でふらつきながら立ち上がる。目の前でザンシンを決めるのは平凡な体格と顔立ちの相手。

 

他と同じ安い雑魚を作業めいて殴って終わり。そう思っていた。だが、違った。イワシの顔をした殺人マグロがそこにいた。薄っぺらい書き割り共がざわつく中、敵意を帯びた両目が浮き上がるように光る。その姿が逆光に滲むシルエットと重なる。「ザッケンナコラ……ッ!」カンニンブクロに火が点いた。

 

鼻から流れる血を拭いもせず、鏡写しのデント・カラテを構える。爛々と光る両目が殺意に輝き、牙を剥くタイガーめいてそいつは笑った。『ブチノメス』と。鼻血を垂れ流す自分も、飢えた猛獣めいて喜々と微笑んだ。『ブッコロス』と。胸の内が紅蓮に燃えて、世界が相手と自分とカラテだけになる。

 

「「イィィヤァァァーーーッ!!」」腹の底で煮えたぎる熱がシャウトと共に噴き上がる。己の全てを賭けてもいい。お前にだけは負けてたまるか。言葉にならない言葉を叫び、全身全霊のカラテをぶつけ合う。それは真っ赤に色づいた青春の一幕。二度とは見れぬ昨日の夢。だから、今は……。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ズンズンツクツク! ズンズンツクツク! 「「「カンパーイ!」」」儚くも鮮烈な白昼夢から目覚めれば、”ヒノ・セイジ”の目の前は極彩色の灰色に溢れていた。耳障りでチープなスカムビートが割れ響き、アルコールに上気した同級生がバリキドリンクを並々注いだジョッキをぶつけ合う。

 

ここは退廃高校生と無軌道大学生御用達の脱法居酒屋『オゥ! ワライ』。上位スクールカーストに属するセイジはジョックやハニービーに促されるまま、本日の退廃パーティーに参加させられていた。名目が『インタハイ地区ダブル優勝を祝う会』なのだから優勝者であるセイジがいない訳にはいかない。

 

カタ・パフォーマンス部門とクミテ・ファイト部門両方の地区優勝を果たし、前代未聞の成果を出したセイジは今や時の人だ。学校の誇りと校長が誉め讃えて内申点はウナギライズに跳ね上がった。ジョックとハニービーが傅く程のソンケイを集め、下駄箱はいつもファンレターとラブレターに埋まっている。

 

だが、当のセイジは心ここに在らず。「ネェネェ、日刊コレワに特集組まれたってホント?」「……確かにコレワ特派員から僕への取材を受けたね」「「「ワー! スゴーイ!」」」スクールカーストに君臨するチアマイコ・ハニービーがしだれかかっても、冷たい愛想笑いを浮かべてケモソーダを舐めるばかり。

 

ジョックが夢見る女王の誘惑にも、冷え切った心は1mmも動きはしない。ベテラン・オイランめいた作り笑いに浮かぶのは、大皿に並んだ安いオツマミに向けるのと同じ醒めた目だ。無価値な連中と過ごす無駄な時間。ドージョーでカラテトレーニングしている方が億倍マシに思える。実際マシだろう。

 

主役の放つ寒色の視線に気づく者はなく、身勝手なプレップス達の道化芝居めいた宴は続く。「バリキ・ハイ、オカワリ! 沢山ね!」アルコールで真っ赤なジョックが店員に注文を取る。「アルコールは大人になってからです」「わかってまーす!」モージョーめいた注意をゲラゲラ笑って聞き流すジョック。

 

警告一言だけで事は済んだと店員がバリキ瓶と合成アルコールを持ってくる。年齢確認も当然なしだ。「バリキハイです」「待ってました!」瓶複数本の中身をジョッキにぶちまけ、赤ら顔のジョックは勢いよく立ち上がった。セイジは飛んできた液体を空中で撥ね除ける。視線の温度が更に下がった。

 

「イッキまーすっ!」「「「イッキ! イッキ! イッキ!」」」アルコールとバリキ成分の過剰摂取、更に一気飲みともなれば心臓停止も十二分にあり得る。だが彼らは気にもせずに囃し立て、気にも留めずに危険を冒す。明日のことも、昨日のことも頭にない。有るのは今一時の勢いと快楽だけだ。

 

「プハーハハッ! アーハハハッ!」「全部飲んじゃった!」「アブナイ! スゴイ!」急性中毒で鼻血を流しながら椅子に崩れ落ちるジョック。溢れる血に制服が真っ赤に染まるが、バリキと酒精漬けの脳味噌はそれすら痙攣めいた爆笑に変えてしまう。まともな大人なら即座に救急車を呼ぶだろう狂った光景だ。

 

だが、まともな大人などここにはいない。「アブナイですから、イッキは控えてください」「「「ハーイ!」」」店員は表面的な指摘だけで立ち去った。店員は客が中毒になろうがどうでもいい。彼らも店員の指摘などどうでもいい。脱法居酒屋は無関心なるマッポーの縮図そのものだ。何たる退廃的光景か! 

 

「「「ウェーィッ!」」」「……エーイ」空っぽの興奮と虚無的な熱狂が加速する。ただ一人取り残されたセイジは冷たい空虚を覚えていた。心臓を焦がしたあの熱は何処にもない。胸の中には冷え切った穴が空いている。インタハイのカラテ試合は僅かに穴を埋めたが、退廃パーティがもう一度抉ってくれた。

 

「ネェ、セイジ=サン。この後、どこ行く? カラオケ行っちゃう? それとも……ホ・テ・ル?」「家に帰る」学校の頂点が媚びる声を聞き流して数枚の万札を投げた。足りるだろうか。いや、どうでもいい。「ちょっ、ちょっと」「オタッシャデー」呼び止めるハニービーを無視してバックを掴み店を出た。

 

「「「マイド!」」」アキナイ・モージョーをBGMに戸を閉めると、寒風に乗って冷たい重金属酸性雨が吹き付ける。安アルコールの熱量もバリキドリンクの熱狂もなしで耐えるには辛い寒さだ。道ばたの低賃金日雇い労働者もチャンポン・カクテルを煽って寿命を代価に寒空を堪えている。

 

だがセイジはどちらも飲まなかった。『芯となるセイシンテキがなければ、人は簡単に快楽に呑まれます』今は亡きオールド・センセイにそう教えられたからだ。センセイのインストラクションはがらんどうな心にもまだ響いている。だがそれは凍えるような日常に塗り潰され、今にも消え失せようとしていた。

 

酷く寒い。身も心も冷え切っている。暖かいのは財布の中身くらいだ。だが死んだ両親の遺産でホットな懐は、降りしきる氷雨より冷たく感じた。かつて胸を満たしていた何もかもが温度を失い消え失せていく。残るのは冷たい虚無ばかり。熱の残滓を求めてセイジはバックからオリガミメールを取り出した。

 

幾度と無く解いては折り畳んだ安いオリガミ紙は、痛みきった折り目が今にも千切れそうだ。セイジはバッファローを象ったオリガミを丁寧に慎重に解いていく。『ヒノ・セイジ=サンへ』文章を書き慣れていないのがよくわかる一文目。この呼びかけを一体何度読み直したのだろうか。

 

大事なそれを濡らさぬよう庇の下に潜り込み、落書きにまみれたシャッターに背を預ける。拙い文章を指先でなぞり読むと、耳の奥でアイツの声が聞こえるようだ。『……お前は勉強(特に夜の)が得意だからセンタ試験の心配はしてないが……』成績を聞くとアイツはいつも視線と話題を逸らしていたな。

 

喉の奥で笑いながらセイジは文字を読み進める。『……今までの試合を換算すると78勝75敗。悪いがこのまま勝ち逃げさせて貰う……』不機嫌な鼻息が漏れた。200を超える引き分けを統計から外している。勝率で言えば差はない。それに最後周りの勝率は自分が上回っていた。実際、自分の方が強い。

 

最後になった試合だってポイントは自分が勝っていたのだ。最後の最後でアイツの生意気なクロスカウンターをかわし損ねただけだ。その試合はそれでイポンを取られてしまったが、次が有れば今度は自分がクロスカウンターでシロボシを奪ってやった筈だ。そう、次が有れば。

 

だが、次は無い。もう無いのだ。全身を包んでいた熱が霧散していく。セイジは力なく腰を落とした。思い出はいつも熱くて暖かい。しかしそれは決して戻れぬ昨日の記憶。過去の温もりはより一層、現実の冷たさを際だたせた。かじかむ指先で冷え切ったオリガミメールを丁寧に慎重に折り直す。

 

赤黒に染めたジューウェアと亡き師から賜ったブラックベルトの下にオリガミメールを差し戻す。「なぁ、カワラマン。お前、今どうしてるんだ?」アイツは……カナコ・シンヤはもういない。唯一無二の友へと呼びかける声は自分の耳にすら届かなかった。全ては降りしきる重金属酸性雨の音に溶けて消えた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

重金属酸性雨の湿り気が忍び込む安アパートの片隅。故障気味のブラウン管は雲と同じ色の砂嵐を映していた。顔をしかめた中年労働者は壊れかけのCRTへと平手打ちで調整を試みる。SPANK! SPANK! 不意に画面が意味のある像を結んだ。ゴーストに霞む鎧武者がカタナを掲げて見栄を切る。

 

『わ、私には弁護士のセンセイがついているんだぞ!』『例え法が裁かなくとも”カブト・ザ・ジャッジ”は悪を裁くぜ!』「裁」の前立てを光らせて、ノイズに歪む武士は悪漢めがけカタナを振るった。『セイバイ!』『アバーッ!』決め台詞と共にゴアな血飛沫が飛び散る。

 

『お嬢さん、もうダイジョブだぜ』『あなたは一体……?』『時代遅れの野武士さ。オタッシャデー』背中に庇った少女を振り返る事もなく、ニヒルな笑みと死体を残してサムライは路地裏の闇に消えた。数日後、甲冑姿の影を探して町をさまよう少女。「裁」の前立てを鞄に隠した少年が横を通り過ぎる。

 

『人知れず人々を守る亡霊武者、カブト・ザ・ジャッジ! 町を侵す邪悪は彼が裁く!』力強く決断的なナレーションがお決まりの文句で本日の放送を締めた。『カブトソーセージ新発売! これを食べて君もヒーローだ! カブトシールが入ってるぞ!』余韻も冷めやらぬ内に商魂逞しいコラボCMが画面を占める。

 

『突然に町を襲った連続惨殺事件。期末テストも近いってのに悪党の種は尽きないぜ!』中年労働者は安アルコールを煽り、白痴めいて次回予告を眺めている。「アレーッ! オタスケ!」裏路地に甲高い悲鳴が響いた。合成酒の酩酊に浸かった彼は表情を歪ませて音量を上げる。チャメシ・インシデントだ。

 

『次回「ツジギリストの危険なテスト」来週も! 俺が! 裁くぜ!』画面の中のヒーローは邪悪を討って正義を叫ぶ。「誰か! オタスケ! 「ルッセーゾコラーッ!」ンアーッ!」だが画面の外で邪悪に立ち向かい、正義を成そうとする者はいない。

 

「アッコラーッ!? アンダコラーッ!? スッゾコラーッ!?」「アィェーッ! 見てません! スミマセン!」通りかかったサラリマンは被害者から目を逸らして足早に路地を離れ、中年労働者は悲鳴から耳を塞いでTV番組に耽溺する。ヨタモノに締め上げられて最期を迎えつつある女性を救う者はいない。

 

弱者に優しくなければ生きている価値は無いとフィクションは謳う。だが、悪徳のメガロポリスでは弱者に無関心でなければ生きてはいけない。真っ当な人間ほど心を閉ざす、退廃都市ネオサイタマ。誰もが目を逸らし、耳を塞ぎ、口を閉じて生きている。

 

ならばここでは、義憤に駆られて非道に立ち向かう人間こそが狂人と呼ばれるのだろう。「イヤーッ!」「グワーッ!」ヨタモノを殴り飛ばした彼も狂人に違いない。確かにその外観一つだけでも10人中11人が発狂マニアックと太鼓判を捺すのは確実だ。

 

赤黒に染め上げたニンジャ装束風ジューウェアをまとい、DIYバイオバンブー製ブレーサーで両腕を固める。そして、顔を隠すメンポめいた鋼鉄製ホッケーマスクには、紅蓮でペイントされた恐ろしげな「忍」「殺」の二文字! 

 

それはストリートの闇から現れ出た犠牲者たちの怨霊か。或いは素破恐怖症(シノビフォビア)の脳髄から溢れ出た悪夢か。その姿はあからさまに……ニンジャだったのだ! 「アッ、アッ、アレェーッ!」襲いかかったヨタモノの暴力と、遺伝子に刻まれたニンジャの姿。二段重ねの恐怖で被害者女性は我を忘れて絶叫!

 

「ダッテメッコラーッ!?」ヨタモノもまたニンジャの恐怖を無意識に覚えるも、ZBRの陶酔が興奮と憤怒にすり替えた。突きつけた殺人改造グラインダーが金切り声を立てて回り出す。強面、ヤクザスラング、邪悪な『犬』タトゥー、殺人用研削機の合わせ技イポンで、一般市民が失禁する迫力だ。

 

だが、目の前にいるのは一般人などではない。狂人なのだ! 「ドーモ! 『俺』はニンジャスレイヤーです!」脅え混じりの誰何の声に慇懃無礼なアイサツが返された。正義漢気取りの狂人がバカ丁寧に深いオジギから顔を上げる。赤黒の頭巾の中で理想像(ヒーロー)との一体感に濁った目が嗤っていた。

 

「ナ、ナンダッテメッオラーッ!」気圧されたスキンヘッドのヨタモノは、恐怖を誤魔化すように人肉を削る砥石を振りかざした。殺人機械が弧を描いて襲い来る! それをカラテパンチが一直線に返り討つ! 「イヤーッ!」「グワーッ!?」正気と思えぬ外観に反して確かなカラテに満ちた一撃だ。

 

強かに顔面を殴り飛ばされたヨタモノの視界と脳裏が漂白された。手からこぼれ落ちたグラインダーがアスファルトを削って火花を上げる。火の粉に照らされる赤黒い狂人は暴力の恍惚に震え、堅く堅く拳を構える。「イヤーッ!」「グワーッ!」『犬』入れ墨を重いカラテパンチが打ち据える! 

 

仰け反るヨタモノは突き飛ばされたように倒れ込んだ。「悪党め! どうだ! どんな気分だ!」決断的に弾道跳躍で飛びかかった狂人がマウントを奪う! 「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」馬乗りからの容赦なきパウンド連打! 勝負あったか!?

 

「外道に慈悲はな「コンニャロメ!」グワーッ!?」圧倒的優勢だった狂人が見えない鞭に打たれたが如く仰け反った。違法電圧の衝撃が走り、異常緊張した筋肉に骨が軋む! ヨタモノが隠し持ったスタン・エメイシで狂人の神経を打ち据えたのだ! 薬物中毒者の耐久力を見誤ったか! ウカツ!

 

仰け反る狂人は突き飛ばされたように倒れ込んだ。「ダッコラーッ! スッゾオラーッ! シネッコラーッ!」即座に飛びかかったヨタモノがマウントを奪う! 「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」馬乗りからの容赦なきパウンド連打! 勝負あったか!?

 

「チャースイテッコ「イヤーッ!」アバーッ!?」圧倒的優勢だったヨタモノが見えないハンマーで殴りつけられたが如くに仰け反った。尿と血の混合物がズボンを染めて、至上の苦痛に全身が痙攣する! 狂人の手がヨタモノの股間を握り潰したのだ! 狂人の妄執を見誤ったか! ウカツ!

 

「アバーッ!? アバーッ! アババーッ!!」ヨタモノは苦痛のあまり反撃どころか抵抗を考えることすらできない。男が体験しうる最大最強の激痛に、水揚げマグロめいてのたうち回るばかりだ。そして釣り上げられたマグロは撲殺バットでシメられるものである。曇天めがけて突き上げられた拳がその代理だ。

 

「イヤーッ!」「アバーッ!」慈悲深きカワラ割りパンチがヨタモノの意識を叩き出して最低最悪の苦痛から解放した。痙攣するヨタモノは股間由来の汚らしい水溜まりに沈む。狂人は崩れ落ちるように腰を落とした。息するだけで苦しい。無理矢理深呼吸を繰り返して荒れた息を整える。

 

屎尿と生ゴミと血と、そして重金属酸性雨。悪臭のカクテルがメンポめいたマスクを越えて肺の底まで染み入るようだ。勝利の高揚感はなく、まだ残る電撃の痺れと殴られた頬の痛みがブザマを浮き立たせる。情けない、実際情けない。彼は粘ついた汗の不快感と、自分のふがいなさを振り払うように首を振る。

 

不意に思い出したように彼は振り返った。視線は被害者女性がいた場所を指す。そもそも彼女を助けに殴り込みをかけたのだった。そこには当然のように誰もいない。狂人と悪党のケンカに恐れをなして逃げたのだ。礼も言わず、人も呼ばずに。「ザッケンナ……」奥歯が軋む音を立てた。

 

TVに映るヒーローならば、人の持つ弱さを責めはしないだろう。あるいは思い描く理想像(ヒーロー)ならば、気にも留めずに次の悪を討つだろう。「フッ……ザッケンナコラーッ!」しかし罵りの声を吐き捨てる彼はそのどちらでもなかった。

 

「ブッダミット! ブッダファック! ブッダアスホール!」彼は思いつく限りの言葉で有らん限りの悪態をまき散らす。それは何も言わずに逃げた被害者へ投げつける罵倒であり、当然のように犯罪を犯すヨタモノへ叩きつける罵声であり、それらを放り出して省みぬディストピア社会へ突きつける罵言であった。

 

「ブッダム! ブッダ」そしてなにより、ベイビーサブミッションな筈のヨタモノ退治すら完遂できない、己の弱さに対する自己嫌悪の声でもあった。「バカ……バカハドッチダ……」あの日からどれだけ時が経ったのか。未だに理想像(ヒーロー)は現れない。蔓延る悪を倒してもくれない。

 

だから『僕』がやるしかない。だから『俺』になるしかない。なのにこのザマは、ブザマはなんだ。どこが理想像(ヒーロー)だ、どこがニンジャスレイヤーだ。「クソ……ズズッ……ボーシッ」メンポめいたマスクを外し、涙が滲んだ両目を擦る。

 

仮面の下の”ヒノ・セイジ”は酷い様だった。ケンカの痕に汚れきり、情けなさと悔しさに歪んだ酷い顔。カチグミらしい黒褐色の肌にはドブ色の汚濁がぶちまけられている。整った顔立ちは恥辱と無念に歪みきり、今にも臍を噛んでセプクしかねないほどだ。

 

「ファック……ヒッグ……チック、ショウ」重金属酸性雨が目に染みて、惨めな有様が心に染みて、擦っても擦っても溢れる涙は止まらない。こぼれ続けるる涙が顔を更に汚して、表情を更に歪ませる。こぼれ落ちる滴が腰のブラックベルトにまだらの染みを作る。

 

更に滴った液体から反射的にベルトを庇った。オールド・センセイの拳を継ぐ許可証。公害病で骨と皮になった手から渡されたカイデンの証だ。最期のインストラクションと共に受け取った漆黒のベルト。それは決して汚してはならないモノだ。

 

(((無意味な徒労ゴクロサンだね)))それを嗤う声が腹の底から聞こえた。足下の水面に映る影が落ちる涙で歪む。波紋に歪んだ顔が自分を嘲笑っている。(((腐った悪党の血で、ドブ臭い泥水で、大事なブラックベルトを汚してきたのはお前じゃないか? 今更センセイ思いを気取るのかい?)))

 

「黙れ! 黙れ! 黙れ! 俺は正しい事をしているんだ!」水鏡に映る自分めがけて怒鳴り散らす。空に唾吐くより早く暴言は返ってきた。「俺は間違ってない! 俺は間違ってなんかいない! 『俺』は、間違って……『僕』は……」怒声は瞬く間に力を失った。

 

セイジには判っていた。家族なら叱り、友達なら殴り、センセイなら諭すだろう自分の行いを理解していた。それでもセイジはニンジャスレイヤー・セッションにのめり込んだ。縋りつけるモノは、もう理想像(ヒーロー)しかなかったのだ。

 

家族はもういない。殺された。友達はもういない。別れた。センセイはもういない。死んだ。喪ったモノの残り香を汚さぬよう、セイジは全身でブラックベルトを庇う。身を丸めるその姿は散々にイジメリンチを受けてムラハチされた幼子めいていた。

 

「ヒッ……ヒグッ……ズズッ」降りしきる重金属酸性雨の中で、迷子の子供が独りぼっちで泣いていた。ヒーローごっこも上手くできずに、うずくまって泣いていた。

 

【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#1終わり。#2に続く。



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第三話【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#2

【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#2

 

割れ砕けたネオン看板に、千切れて穴だらけのPVCノボリ。ハッカー・ドージョー”クワーティ”は紛れもなく廃墟だ。近づく人影もなく、重金属酸性雨に侵されながら朽ちる日を待っている。ならば漏れる光と音は何だ。そう、中には真っ当な人生から外れた誰かがいるの『TELLLLLL!』ブチッ!

 

……誰かがいるのだ。それが人を害する悪ならば、打ち倒して正義を示すのがニンジャスレイ『TELLLLLL!』ブチッ! ……ニンジャスレイヤーの使命『TELLLLLL!』ブチッ! ……使命に他ならな『TELLLLLL! TELLLLLL!』バキィッ!

 

青筋を立てたセイジはIRC端末を思い切り叩きつけた。(((人を害する悪を打ち倒して正義を示すのがニンジャスレイヤーの使命に他ならない)))コールに乱れたヘイキンテキを整えるべくコンセントレーション儀式を再開する。理想像(ヒーロー)が未だ成さぬ正義をこの手で果たす。自分が果たさなければならない。

 

武装を整え、カラテを鍛え、今こそ真のニンジャスレイヤーとな『TE、L……TEL、L』断末魔めいた着信音にマスクの下の表情が歪む。壊れかけた電話機を鳴らすのが誰かは判っていた。ドージョーのヤング・センセイ。病気をしてないか、ちゃんと食事は食べてるのか、ドージョーに顔を出して欲しい。

 

そんな益体もない理由で未だに電話をかけてくる。もう声をかける者も、期待をかける者もいないと言うのに。ニンジャスレイヤー活動を始めてから随分と時間がたった。学校に行ったのは何日前だったか。ドージョーに最後に顔を出してからどれだけの日が過ぎたのだろうか。もう覚えてもいない。

 

ひたすらに悪党を殴り倒し理想像(ヒーロー)の正義を示す毎日。だが未だにオリジナルの影も形も見えない。自分は何か間違えているのではないか? 「……ニンジャスレイヤーに過去は、ない。ニンジャスレイヤーに、慈悲はない」沸き上がる疑問と恐怖を消そうと、ネンブツめいた定義文を自身へと言い聞かせる。

 

「ニンジャスレイヤーに容赦はない……ニンジャスレイヤーに感傷はない……」自分の弱さを追い出すべくひたすらにニューロンに反復し、刻み込む。その姿はカルト教義に縋る狂信者に似ていた。差し出された救いの手を拒み、妄信と快楽に依存して破滅の坂を転がり落ちる。それは今のセイジそのものだった。

 

「ニンジャスレイヤーに恐怖はない……! ニンジャスレイヤーに敗北はない……!」惰弱な人間性を拒み、自作マントラを暗唱する度に内面へと狂気が注がれる。揺らいでいた精神が満ち溢れる狂気で固定されていく。或いは迫る現実からより強く目を逸らしたのか。どちらにせよ、それを告げる者はいない。

 

早鐘を打つ心臓が沸き立つ興奮を全細胞に送りつける。しかし脳髄はフラットな冷徹さに満ちている。燃えんばかりの憎悪に凍り付いた殺意。一切の慈悲も容赦も良心もない。廃墟から漏れる明かりが『忍』『殺』の二文字を照らし出す。「俺はニンジャスレイヤーだ! 俺が! ニンジャスレイヤーだ!!」

 

理想像(ヒーロー)と一つになったセイジ……狂人は怒れる足取りでハッカー・ドージョーへと踏み込んだ。『LAN直結以上』『打鍵して』『生身、よってスゴイ』壁の汚れと一体化したかつての標語ポスターが狂人を出迎える。荒れ果てたモットー回廊は廃墟に流れた時間の長さを告げるようだ。

 

それと比較すれば床の瓦礫は全くと言っていいほど少ない。しかも丁寧に掃き清められ、歩きやすく端に寄せられている。頭上の新品蛍光ボンボリ同様に、ここを住処とする誰かの手によるものだろう。その誰かは思いの外早く見つかった。赤錆に覆われた鋼鉄フスマに仁王立つ二つの影。

 

同じヤクザスーツをまとい、同じネクタイを締め、同じサイバーサングラスを身につけている。まるで双子めいている二人だ。否、『めいて』いるのではない。二人は完全な同一であった。全く同じ体格で、全く同じ顔形で、全く同じ遺伝子を持っている。タンを吐き捨てるタイミングまで全く同じだ。

 

裏社会に詳しい者ならば写し鏡としか思えない彼らの正体をすぐさま言い当てるだろう。そう、彼らはブッダをも畏れぬヨロシサン製薬が生み出した、狂科学の到達点『クローンヤクザ』なのだ! だがしかし、何故ヨニゲ済みの廃墟ドージョーに裏社会の新鋭商品がいるのか? 

 

(((そうか、ヨタモノがヤクザと手を組んでいるんだな)))半ばドロップアウトしているとはいえ、学生でしかない狂人がその疑問を抱くことはない。独りよがった脳内妄想に従い、独善の正義を成すだけだ。必殺のカラテを引き絞り、殺意を拳につがえる。「悪人どもめ、今すぐに叩き潰してやるぞ……!」

 

「何か聞こえましたね」「はい、何か聞こえましたね」青白い顔を合わせ鏡めいて見合わせる二人。警戒レベルを引き上げ、懐のチャカ・ガンに手を伸ばそうとする。だがそれは僅かに遅かった。「イヤーッ!」狂気と狂喜に目を光らせて、血染めの矢と化した狂人が飛びかかったのだ! 

 

「グワーッ!?」「死ね! 悪党め! 死ね!」「ザッケンナコラー!?」BLAM! BLAM! BLAM! 「グワーッ!」「スッゾオラ「イヤーッ!」グワーッ!」「イヤーッ! 死ね! イヤーッ! 死ね! イヤーッ! 死んでしまえ!」「「グワーッ!」」……

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ドゲザするハッカー集団の耳に微かな音が届いた。聞き違いではない。自作の黄色い水溜まりにも振動の同心円が描かれている。「迷い込んだヨタモノか? ……いや、違うな」床に擦り付ける頭蓋の上で怪物が呟いた。常人の三倍では収まらない怪物の五感なら、何が起きたかを容易く聞き取れるのだろう。

 

しかしモータルに過ぎないハッカー達には、ただ願うことしかできない。この音の主が救いの手であってくれ。怪物に囚われた自分たちのヒーローであってくれ。神様、ブッダ様、オーディン様、ペケロッパ様。助けてくれるなら何でもいい。何にだって帰依するし信じる。だから助けて、お願いだから助けて。

 

祈りは届いたのか、物理的圧迫を伴う怪物の圧力が遠のく。恐る恐る顔を上げれば、怪物は致命的な殺意を込めて闇を睨んでいる。そして祈りと殺意を受けてそれは現れた。ナトリウム・ボンボリに照らされる血の色した影法師。メンポに刻む紋様は菱形正方形ではなく、紅蓮で描いた『忍』『殺』の二文字だ。

 

だが二人の違いはそれだけだった。双方はよく似た装束、よく似た頭巾、よく似たメンポを身につけている。そいつは怪物とまるで同じ、ニンジャの姿をしていたのだ! 「「「アィェェェ! ナンデ? ニンジャナンデ?」」」ハッカー達の悲鳴にも疑問の色が混じる。ナンデ? どうして? 二人もニンジャ?

 

それは二人も同じだった。「ニンジャ!?」「ニンジャスレイヤー=サン!?」互いにぶつけた驚愕を弾き合うように間合いを離す。ニンジャ反射神経に従い、玉髄めいた装束のニンジャは先んじて掌を合わせた。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、フリントです。何故貴様がここにいる!?」

 

本物のニンジャスレイヤーならばアイサツと共に『状況判断』、或いは『通りすがり』とでも返しただろう。だが彼はニンジャスレイヤーでもなければニンジャでもない。本来ならNRS(ニンジャリアリティショック)で失禁しながら崩れ落ちる只のモータルだ。だが今はNRSを振り切る程に妄想を加速させた狂人でもある!

 

「ドーモ、俺がニンジャスレイヤーだ! イヤーッ!」アイサツ代わりに宣言を雄叫び、狂人が弾道跳躍カラテパンチで決断的に飛びかかった! 「イヤーッ!」驚愕覚めやらぬフリントは条件反射的チョップで迎撃を試みる。電灯に煌めく縞文様と闇に沈む赤黒が交錯する! して、結果は!?

 

「グワーッ!」言うまでもない。血の弧を描いて跳ね飛んだのは狂人だった。平安時代の日本をカラテで支配した半神的存在がニンジャなのだ。真っ正面からのカラテ勝負でモータルがニンジャに勝てるはずがない。シロオビがブラックベルトに負けるように、当たり前の事が当たり前に起きただけのことだ。

 

フリントはチョップの血と共に悪態を吐き捨てた。「ブッダミット! ニンジャマニアックが脅かしやがって!」「ニンジャじゃないナンデ?」「ニンジャ違うの!?」「検索しても出ないよぉ……」驚くドゲザハッカー達には違いが掴めない。だが、拳を交わしたフリントには判っていた。

 

カラテは雄弁なる無言のコミュニケーション。相手がモータルである事など一発で理解できる。「ファック!」そして、噂に悪名高いニンジャ殺しの狂人かと警戒した、自分の滑稽さもまた判る。恥をかかせてくれた分、この非ニンジャのクズをたっぷりといたぶり絶望させてやらないと気が済まない。

 

「ヌゥー」「ヘィ、カモン!」苦痛を堪えて立ち上がる狂人へ向けて、フリントは両手のファックサインで下品に手招きする。「ホーラ! ホーラ! ガンバレ!」ディセンション前から変わらない、下劣な品性と底意地の悪さが透けて見えるようだ。

 

「ヌゥーッ!」嘲笑を受けて声音が苦痛から屈辱を堪える色合いに転じた。湛えた恥辱が注がれて着火寸前のカンニンブクロが爆発する! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」右カラテパンチ! 左カラテアッパー! 左回転ケリ・キック! 右直線後ろ蹴り! 猛火の如き苛烈なカラテ4連撃だ!

 

ただし、それはモータル視点の話だ。「ワォ! カラテ!」WHIZZ! 拳が残像を貫き、蹴りが空を切る。玉髄めいたニンジャ装束に掠りもしない。弾丸を視認して回避してみせるニンジャ動体視力からすれば、モータルの拳など蚊が留まって血を啜れる程に遅いのだ。

 

「イヤーッ! 「ホラホラ!」イヤーッ! 「ホラホラ!」イヤーッ!」フリントは更なる連打を演技臭い大仰なパリングでわざとらしく捌く。一撃毎に嘲りの合いの手も忘れない。「ワー! スゴーイ! オジョーズ!」無傷なフリントの誉め殺しが狂人の神経をヤスリで逆撫る。

 

「ヌゥゥゥッ!」今すぐにでも撲殺したい! 否、してやる! だが、その時! 『また負けちまうぞ? そうやって簡単に熱くなるなよ、カラテ王子』記憶の奥底から、今はいない友がマッタをかけた。そうだ。感情任せに殴るためではなく、意志をもって倒すためにここにいるのだ。拳を握り直し、腰を落とす。

 

「スゥーッ、ハァーッ」腹の底で煮えたぎる熱が長い息に乗って吐き出される。記憶に残るセンセイの指導通りにデント・カラテを組み立て直す。お前はニンジャスレイヤーだ。感傷や感情に振り回されてはニンジャスレイヤー性を損なう。憎悪が滾っても殺意は凍っている。それが理想像(ヒーロー)なのだ。

 

「ヘー、ホー、フーン」急に冷静さを取り戻した狂人に、フリントは気のないそぶりで答えた。玄人気取りのカラテ演舞につき合わされる有段者めいたすげない態度。冷静になっても無意味との嘲笑的アッピールだろう。「スゥーッ、ハァーッ」狂人は婉曲的な挑発に答えない。ひたすらに深い呼吸を繰り返す。

 

授かった教えを一つ一つ解き直し、逸るカラテを静めていく。「スゥーッ、ハァーッ」『地に足を着けなさい。浮き足立てば子供の振り回す手と同じです』全身の中身を入れ替える程の深呼吸で、沸き立つカラテを沈めていく。「スゥーッ、ハァーッ」『カラテを考えなさい。しかし決断的でありなさい』

 

身体の奥底へと猛るカラテを鎮めていく。「スゥーッ、ハァーッ」『カラ、テを……己……に』ただ一つ解けない、死の床で授けられたインストラクション。秘跡の如く謎めいたコトダマをそのままに飲み下した。丹田でカラテが熱く堅く収束していく。それはカンニンブクロの中で点火を待つ殺意に似ていた。

 

そして、その時は訪れる。「イィィィヤァァァッッッ!!」BLAM! 銃声めいた踏み込み音と共に、ひび割れたコンクリートに足跡が刻まれる! 練り上げられたカラテが全エナジーを爆縮した核弾頭めいて放出したのだ! なんたるモータルの目には血の色した残映しか見えない程の圧倒的速度か! 

 

「ハハッ!」しかしニンジャの目には全て映っている。嘲笑いながら迫る拳を悠々と眼前で掴む。そのままベイビーサブミッションめいて捻り壊してやろう。その次は逆の手を砕いて、両足をへし折って、最後は股間を潰して殺してやる。非ニンジャのクズがニンジャに逆らった末路だ。格差社会を知るがいい。

 

そう、フリントの目には全て映っている。容易く掴み取った狂人の拳が映っている。「え」受け止めた筈なのに進み続ける拳が映っている。「え?」捻り砕くより速く顔面めがけて迫る拳が映っている。「エッ!?」首を反らしても避けきれずに頬にめり込む拳が映っている。

 

「グワーッ!?」拳を掴んだ自分の掌ごと殴り飛ばされてフリントは床を滑った。巻き上がった埃が移動経路の残像を描く。「ハァーッ」ザンシンもなく打ち抜いた体勢のまま、狂人は長い息を吐いた。拳に乗せきれなかった余剰のカラテが熱気へと転じる。逆光の中、輪郭は揺らめく陽炎を纏っていた。

 

「ウ、ウィザード!」「ブッダ!」「スゴイ!」神々しいまでの光景に迷信深いハッカー達から解放と随喜の涙が滴る。神秘を知るものは赤黒の影法師を悪竜の返り血に染まった英雄と重ねた。竜殺しの神話に隠された真実同様、もっとも新しい伝説の始まりとなっただろう。そう、もしも殺せていれば。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ネオサイタマの片隅の、訪れる者無き廃墟で一つ奇跡が起きた。歴史に隠された真実を知る者ならば誰もが目を疑うだろう。死神を装った定命者(モータル)が、恐るべき半神(イモータル)を殴り倒したのだ。狂人は演じる神殺しの如くカラテを以て邪神を地に沈めた。それはまさに新たなる神話の始まり、とはならなかった。

 

狂人にはハガネ・ニンジャ討伐を成した狩人程の悪運は無かったからだ。「イヤーッ!」「グワーッ!?」突如響く怒りに満ちたカラテシャウトと同時に狂人は背中を蹴り飛ばされた。弓なりになって前へと吹き飛ぶ赤黒の影。その先には玉髄めいて煌めくニンジャが……いない!? 

 

それもその筈、背後からケリ・キックを叩き込んだのは()()()()()()()フリントだった。だが、どうやって? 「非ニンジャのクズがぁ! ブッコロッゾオラーッ!」「グワーッ!」答えは今見た通り。『跳躍し』『逆側に回って』『カラテ』だ。ただし枕詞に『常人の三倍のニンジャ瞬発力で』と付くが。

 

なんたる狂人の認識をも置き去りにするニンジャ瞬発力とニンジャ反射速度の超常的コラボレーションか! 狂人は鳩尾を突かれて真後ろに吹き飛「イヤーッ!」「グワーッ!」脇に膝を食らい真横に吹き飛「イヤーッ!」「グワーッ!」顎を掌底で打ち抜かれて真上に吹き飛「イヤーッ!」「グワーッ!」

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ!」上へ! 右へ! 下へ! 左へ! 前へ! 後ろへ! バンパーに弾かれる3Dピンボールめいて人体が軽々と弾き飛ぶ! まだ死なない事が不思議な程の徹底的カラテ連打だ!

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」狂人は二度とスマートボールを遊ばないだろう。打ち回されるボールがどれほどアワレか身を持って思い知ったのだから。「イヤーッ!」「アバーッ!」それに、そもそもゲームセンターに足を運べる筈もない。たった今、回復不可能なレベルで脊椎を叩き折られたところだ。

 

「アバッ」狂人はうつ伏せに崩れ落ちた。もう二度と立ち上がれない。背中に乗った安全ジカタビが、ニンジャ筋力のトルクでめり込んでいく。CRAK! 「アババッ」CRAK! 「アバーッ!」CRASH! 「アババーッ!」背骨が音を立てて砕ける度、まな板のバイオウナギめいて痙攣でのたうった。

 

それは素人目にも判る致命傷だった。狂人が死んでないのは単にフリントが殺してないからだろう。「「「……ァィェー」」」縋る救い主が一方的に打ちのめされ弄ばれる様は、ハッカー達の精神に最後のトドメを加えた。既に膀胱の中身全てを失禁して恐怖も出し尽くした彼らは、ただの空虚と化したのだ。

 

無色のノウ・オメーンにはめ込まれたガラス玉の目が、何もない虚空だけを見つめる。彼らは幾多の表現者が求めてやまない『無』そのものを体現していた。その表情はフリントを存分に満足させた。キョートの奴隷オイランを思い出させる表情。格差社会の最底辺たる非ニンジャはこうでなくては。

 

だがその表情が曇った。「チィッ!」「ヌ、ゥ」頭巾と装束は血みどろに破れ、メンポめいたマスクも吹き飛んだ。だが踏みにじられる狂人の目には、未だ紅蓮に燃える殺意が宿っていたのだ! ALAS! 散々にニンジャの暴威を味わい、狂気を超える苦痛に打たれ、終いには背骨をもへし折られたというのに!

 

「フンッ!」「ヌグワーッ!」踏みつける力を増すが、絶叫の音量と視線の敵意が増すばかり。心折れるまで更に痛めつけるか? ダメだ、絶望させる前に死ぬ。でも、このまま死なせてはムカツク。ならどうする。思索を回すフリントの視界に入ったのは虚無で絶望を浮き彫ったハッカー達の顔だった。

 

「ホー、ホー、ホー」菱形正方形を刻んだメンポの下で、悪童と外道を足して2をかけた卑しい嗤いが浮かぶ。惚けてうずくまるハッカー達から一人を引きずり出した。「ァィェー? ……グワーッ!」腕を捻り上げれば、肩が、肘が、手首が音を立てて外れる。文字通りにベイビーサブミッションだ。

 

フリントは苦痛に呻くハッカーの耳元に二三言囁く。「え……グワーッ! ヨロコンデーッ!」腕をもう一捻りで彼は首を縦に振った。「サンッ、ハイッ!」「た、助けて……ヒーロー=サン、助けてェ……」「ヌゥーッ!」それは監督の悪意しか伝わらない、お遊戯会以下の素人劇。それで十分だった。

 

「タスケテー、オネガイします、タスケテ……こ、これでいいですか?」「ウン、ウン」怯えて振り返ったハッカーにニンジャ頭巾が深く頷いた。メンポ越しでも判る満足げな表情に、ハッカーもお愛想めいて弛緩した笑みを浮かべた。「イヤーッ!」その首が飛んだ。安堵したまま死ねたのは幸運だろう。

 

コロナビール瓶めいて首が吻ねられ、コロナビールめいて噴き上がる血が辺りを染める。「クッハハハハハハ!」「ヌグゥゥゥゥッッッ!!」動機はどうあれ人助けに来た相手へと、助けを乞わせた上で目前で殺す、なんたる悪意的三文芝居か! おお、ブッダよ! 貴方はまだ目を閉じているのですか!?

 

「ヤメテヤメテヤメテ……アバーッ!」「何でもします! 前後もします! ハッカーもやめます! だからタスケ……アバーッ!」「ァィェー……アバーッ!」助ける筈の人が目の前で殺されていく。唯一動く両手で必死に這いずるが小石めいて蹴り転がされる。殺さないよう手加減されて、死なさないよう弄ばれる。

 

「ザッケンナ! ザッケンナ! ザッケンナァァァッ!!」爪が剥がれるまで床を掻いて、歯がひび割れるまで食いしばって。それでも自分は何一つできない。苦痛と絶望、無力感と敗北感が涙と共に溢れかえる。歪んだ視界の中で新たな役者がギロチン台に据えられた。

 

「……ナンデ、助けてくれないんだよ?」新しい死刑囚は今までと少し様子が違った。皆が処刑忍に縋り、命乞い、助けを求めた。この一人だけが狂人だけを見つめている。憎悪にも似た惰弱さを、憤怒にも似た怯懦を湛えた目。理不尽に踏み砕かれた敗北者が、理不尽に踏みつけられた被害者が睨んでいる。

 

「お前は助けに来たんだろ!? ヒーローなんだろ!? なのにナンデ助けてくれないんだよぉ!」彼は自ら言葉の刃を赤黒のルーザーに突き立てる。「それとも偽物かよ! 期待したのに! 助かると思ったのに! バカ! バカ! バカ!」救い手だった筈の相手に、罵声の斧を振り下ろし、非難の鉈をねじ込んでいく。

 

CRAP! CRAP! 「クッハハハ!」想定以上のアドリブ劇に手を叩いて笑うフリント。ギロチン・チョップの手も緩もうものだ。英雄病末期患者の非ニンジャに相応しい中々な見物。さあ、もっとブザマを見せろ、俺を笑わせろ。存分に笑ったら? 決まってる、殺すのだ。

 

「エセヒーロー! ヒーローゴッコ! お前のせいだ! お前が悪い! ゴートゥー・アノヨ!」強大なストレスに晒された親ネズミは子ネズミを自ら食い殺す。理不尽に踏みにじられる弱者は、更なる弱者を踏みにじって苦しみから逃れんとするのだ! これが古事記に描かれたマッポーの光景なのか! ナムアミダブツ!

 

差し出した手を被害者にケジメされるが如き、裏切りのカタナが心をざっくりと切り裂いた。傷口から真っ赤な記憶が噴き上がる。血の色をした思い出に、目を逸らし続けてきた過去が映る。跳ね飛ぶ父の首。姉の胸に開いた大穴。母の両目にスリケンが生える。目の前で家族が虫けらめいて死んでいく。

 

その時『僕』は何をしていた? ……何もしてない。泣きじゃくりながら失禁して、怯え竦んで震えていただけ。あの日と何一つ変わらない。何のためにカラテを鍛えた? 恐怖(ニンジャ)に立ち向かう為だった。何のために理想像(ヒーロー)を真似た? 悪夢に打ち勝つ為だった。(((それで、このザマ?)))内なる声が嘲笑う。

 

(((お前はニンジャスレイヤーじゃない)))センセイの声で嘲笑う。(((お前はヒーローでもない)))友の声で嘲笑う。(((お前は何でもない)))家族の声で嘲笑う。(((お前は何も無い)))自分の声で嘲笑う。(((お前は無い)))喪った全てで嘲笑う。(((お前は無だ)))喪った全てが嘲笑う。(((無駄)))嘲笑う。

 

ピシリ、と幾つもヒビが走った。バキン、と音を立てて割れた。狂人は、救い主は、敗北者は……ヒノ・セイジは自分の心が砕け散る音を聞いた。砕けた精神から全ての血が流れ出てていく。空っぽの自分が血溜まりで死んでいく姿を幻視した。それはセイジの精神であり、数分後の運命だった。

 

「BHAHAHAHA!! HA-HA-HA!!」最高のオチに玉髄装束の腹を抱えて笑い転げる。散々に苛つかせた事も今なら許せそうだ。無論、殺すが。散々に笑い終えたフリントは斬首のチョップを高らかに構えた。ニンジャ不敬罪で死刑に処する。実際安い非ニンジャの人生もこれにてオシマイ。

 

その時だった。BLINK! BLINK! 不安定な電力供給にナトリウム・ボンボリが突然明滅した。橙の灯りが色彩を変えて濃い紅色の光を放つ。赤光はまき散らされた赤黒い血を、鮮烈な深紅に染め上げた。それはオーボンの後に咲く、不吉なるオヒガン・フラワーによく似ていた。ひどく、似ていた。

 

【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#2終わり。#3に続く。



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第三話【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#3

【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】#3

 

火が灯った。血よりも赤い、ロータスの紅色。紅蓮の炎。破れたフスマを通して真っ暗な海が見える。アノヨだろうか。(((死ぬのか? 僕は)))アノヨなら当然、死ぬだろう。ぼんやりとそう思う。セイジは不意に気づいた。自分が低い天井の下で倒れていると。そして目の前の火炎が抽象的な人型をしていると。

 

「ニンジャスレイヤー=サン……?」何故そう呟いたのか、セイジ自身も判らなかった。(((ニンジャ……スレイヤー)))潰れた心がシルエットに理想像(ヒーロー)を投影したのだろうか。セイジの言葉に答えて不定形の輪郭が詳細を得ていく。ぼろ切れのスカーフ、両腕のブレーサー。

 

そして二文字が『描かれた』メンポ。それは逆光の中で立つ、赤黒のセンシの姿。脳裏に焼き付いたあの日の記憶「ニンジャスレイヤー=サン……!」紅蓮と赤黒。色こそ違えども、それはセイジの思い描くニンジャスレイヤーそのものであった。砕けた心が深紅の理想像(ヒーロー)へと手を伸ばす。

 

縋るように差し出した手へ、応じるように紅蓮の手が差し出される。鏡写しに二つの手が近づいていく。そして重なる瞬間、セイジは紅蓮となり、紅蓮はセイジとなった。全てが燃え上がり、真っ赤な濁流となってセイジに流れ込む。赤く、朱く、赫く、紅く……。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

フリントは有能なるアデプト・ニンジャだ。周囲は兎も角、当人はそう自認している。「イヤーッ!」確かに危機管理能力とニンジャ第六感に関しては間違いなく有能であろう。察知した危険から条件反射めいた早さのバックフリップで跳びすさる。その鼻先を致命速度ウィンドミルの踵が掠めた。

 

「イヤーッ!」ブレイクダンスめいた回転蹴りをテンプルめがけ振り抜いたのは、足下で絶望に潰れていた筈のモータルだった。否、最早彼は脆弱なる人間ではない。幾多の神話に語られた、未来永劫を生きる超人。数多の文明を食らった、暴虐非道を行く怪人。それすなわち、ニンジャなのだ!

 

「チャースイテンジャネッコラーッ! アイサツドシタオラーッ!」意識外からのアンブッシュをかわし、フリントは連続バック転で距離をとる。吐き捨てる言葉は粗雑だが、構えるカラテは丁寧かつ慎重だ。交わしたカラテから憑依直後に見合わぬ実力を感じたためだ。

 

「ドーモ、『僕』は……『俺』は、ニンジャスレイヤーです!」「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、フリントです」ニンジャネームすら殺戮者の威を借るサンシタ・ニュービー。だがニンジャに一撃を当てる程のカラテがニンジャ身体能力で爆発的に増強されている。決して侮れぬ。

 

対するフリントの武器は『常人の三倍の瞬発力』、そしてくぐり抜けたイクサの経験値。故に得意とする当て逃げ戦術に徹底し、ニュービーの焦りとウカツを引きずり出す。重ねた経験に基づくなんと冷静なる判断か! 有能の自認もあながち誤りとは言えぬ。だが、フリントは一つ過ちを犯した。

 

「イヤーッ!」「ナニィーッ!?」想定外速度で目前に迫る赤黒の影! 「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」反射的迎撃スリケンも覚悟の被弾で決断的に突破! アンブッシュをかわされた以上、体勢を整え間合いを計るのがイクサの常識。だが、常識の埒外にあるのが狂人なのだ。狂人の妄執を見誤ったか! ウカツ!

 

「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」得た間合いを即座に奪い返され、飛び退く暇もなく弾道跳びカラテパンチを受けるフリント。バッファロー轢殺新幹線めいて重い! 辛くも受け止めた両腕が軋むような音を立てる。しかも受けた体勢が弓なりと良くない。このままではジリープア(徐々に不利)だ。

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」即座にニンジャ背筋力、ニンジャ腕力、ニンジャ脚力を総動員して圧力に抗するフリント。二忍は両手で四つに組み合った。互いの殺意が火花を散らし、空間が音を立てて軋む! 「ヌゥーッ!」「ヌゥーッ!」イクサはサウザンド・デイズ・ショーギめいた膠着状態に入った。

 

カラテに然程の差はない。憑依直後のニンジャ・ニュービーと言う点を鑑みれば、狂人は恐るべきカラテと才能の持ち主と言えよう。だがしかし、イクサの経験値ではフリントの圧倒的有利だ。BLAM! 「グワーッ!?」例えば、手首に仕込んだ火薬式飛び出しナイフのような小細工がその一つ。

 

掴み合った両手から弾丸の速度で飛び出した危険ナイフが狂人の腕を抉る。フリントのカラテは縦横無尽の機動力が要であり、拘束と膠着は避けるべき事態。それ故にこのような対策が取られているのだ。そして怯んだ隙に腕を外し、膠着から脱出する算段となっている。

 

「ヌゥーッ!」「ナニィーッ!?」だが、苦痛に喘ぎながらも狂人は手に更なる力を籠めた。またも狂人の執念を見誤ったか! ウカツ! 「死ね! フリント=サン! 死ね!」傷口から流れ出した血が煮え滾り、更なる赤を帯びる。衣装と同じ赤黒から鮮やかなる紅蓮へ転ずる。それは殺意が点火した焼け付く炎!

 

組み合った両腕にカトンの炎が這いまわり纏わりつく! 「グワーッ!」更に籠手内部の火薬射出機構に引火! KABOOM! 「グワーッ!?」「ニンジャの屑め! 殺す! 殺すべし!」堪らず体勢を崩すフリントを狂人が押し切りにかかる。このままマウントを取られてタコ殴り焼きの後、爆発四散の運命か!? 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」そうはならぬ! 無我夢中のフリントは狂人の推進力と自身の体勢を逆利用してトモエ投げで投げ飛ばした! イクサの経験がフリントを救ったのだ。「グワーッ!」SPARK! 狂人はジャンク電子機器に突っ込み感電! ギャバリオワー! 半壊UNIXが狂ったジングルを鳴らす!

 

「ハァー、ハァー」一方、辛くも脱出を果たしたフリントだが爆発と炎熱で両腕は無残に焼けただれている。モータル相手ならば兎も角、ニンジャ相手に有効打は望めまい。苦痛に霞む視界の先で火花を散らし赤黒の影が立ち上がった。両目には流血より紅い殺意が明滅し、両腕には衣装より紅い業火が燃える。

 

超常のカラテが交差する様を目の当たりにして、NRSのハッカー達は仏の国へと旅立った。DNAすら記憶する恐怖に耐えられる筈もない。神話に例えるべきニンジャのイクサを見ているのは、打ち捨てられたワータヌキとフクスケだけか。驚愕に見開かれたワータヌキの両目に、揺らめく紅蓮の火が映る。

 

「イヤーッ!」紅蓮をたなびかせて両腕が弧を描いた。曳光弾めいて紅い弾道を描き、燃えさかるスリケンが空を裂く! 「イヤーッ!」着弾の瞬間、玉髄の装束はスリケンをすり抜けて消えた! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャ第六感に従い、背面に向けて紅蓮の裏拳を振り抜く! 

 

だが、そこにフリントはいない! その1m上だ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」側面回転する縞文様が赤黒の背中を二連続で蹴り飛ばす! これはジュー・ジツの高難度アーツ『カマキリケン』だ! 「イヤーッ!」カラテ反動力でさらなる高空へ飛ぶフリント! 赤黒の脳天めがけ揃えた足裏が撃ち落とされた!

 

「ヌゥーッ!」衝撃に歩測を乱しながらも狂人は交差させた両腕で受け止める。同時に両腕にまとう紅蓮の炎が鎌首をもたげ噴き上がる! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」だが紅蓮の炎蛇が食らいついたのはブンシンめいた残像! 縞瑪瑙の影だけを残してはフリントはそこを去っていた。ゴジュッポ・ヒャッポ!

 

(((このままこの腐れニュービ―を殺してやる!)))四方八方からのヒット&ウェイを繰り返せば被弾なく削り殺せるだろう。モータルだった時とはいえ、先の成功例もある。勝機は十二分にある筈だ。焼け焦げた両腕の苦痛にニューロンを炙られながら、フリントはそう考えた。正しくは、そう『信じた』。

 

まだ狂人はカラテの底を見せていないのに、フリントは保険もかけず結論付けてしまっていた。苦痛と火傷で狭まった思考が、都合よい想像を正解と思い込ませたのだ。ALAS! それはフリントが狙った、焦りとウカツを狙う戦術に彼自身が嵌まったことを意味していた!

 

それを示すように狂人は構えを変えた。架空の壁に触れるように両掌を差し出し、不可視の壁を押し出す前準備めいて腰を引く。デント・カラテに受け継がれた防御の構え。開祖は江戸戦争の最中、降り注ぐ矢の雨を打ち払い編み出した。そう、ドージョーでは語り継がれている。伝説は所詮、伝説に過ぎない。

 

だが今、伝承は現実となった。「イヤーッ!」「イヤーッ!」メイアールア・コンパジッソを裏拳が! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」フォーリャ・セッカをポムポムパンチが! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」アルマーダ・マテーロを二連チョップが! 鉄壁の構えは、吹き荒れる両の足を打ち払い切り落とす!

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」フリントが放つ電光石火の猛連撃は、狂人の両掌が描く仮想の壁を越えられぬ! 更に両腕と打ち合う度に紅蓮が両足を焦がす! 攻撃は最大の防御だが、防御もまた一つの攻撃。イクサの火花が散る毎に僅かずつなダメージは積み重なる。

 

「ヌゥゥゥッ!」一体どれだけのダメージを奴に与えた? どれだけ体力を削れた? 先の組み合い膠着と何も変わらないのでは? 逆に自分が削られているのでは? 焼かれた両腕がニューロンを炙り、焼かれる両足が思考を煮詰める。現状はジリープア(徐々に不利)だ。今、このタイミングで賭けるしかない。

 

焦れるフリントはバクチに出た。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「オボボーッ!」「グワーッ!」「アバーッ!」ドゲザ体勢で崩れていた気絶ハッカーを、フットボールめいて次々に蹴り飛ばす! 吐瀉物をまき散らしながら、質量弾となった人間がスリケンめいて狂人へと次々に飛び来る!

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「アバーッ!」「グワーッ!」「オボボーッ!」だが、ニンジャの猛撃を弾くデント・カラテの防御が人体如きを弾き飛ばせぬ道理はなし。当然、防がれる。「イヤーッ!」そう、視界もまた同時に。弾かれる一人の影より玉髄の影が出現した!

 

フリントは蹴り飛ばしたモータルの影に潜み、それを弾き飛ばす一瞬の隙を狙ったのだ! だが、足りない。モータル重爆を自然に見せる準備が、狂人の察知を確かめる警戒が、賭けに負けた場合の対策が足りない。「!?」不意を突いた筈のフリントへと、正確に標準を合わせる深紅の瞳がそれを告げていた。

 

そして賭事に於いて負けは即座に取り立てられるものだ。「イヤ「イヤーッ!」グワーッ!」足刀が赤黒の首を刎ねるより早く、正拳が玉髄の顔面を潰した。燃える拳にピン留めされた頭蓋以外が衝撃で跳ねる。「死ね! 死ねぇ!」喜悦に濁った目の狂人はマウント体勢から紅蓮の拳を無慈悲に振り上げた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」フリントは有能なるザイバツ・ニンジャだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」スカウトから瞬く間にアプレンディスを飛び越え、無才なメンターを後目にアデプトに至った。「イヤーッ!」「グワーッ!」野蛮なネオサイタマに送られたのも、無能な同輩の嫉妬を避ける一時処分。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」対ソウカイヤIRC情報網確立の任務はほぼ果たした。「イヤーッ!」「グワーッ!」キョート凱旋の暁にはマスター位階への昇進が待っている。「イヤーッ!」「グワーッ!」そしていつか新たなるグランドマスターとして、偉大なるロードにニンジャ千年王国を捧げるのだ。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」(((なのに、ナンデ?)))何故、カビ臭い廃墟の片隅で死にかけている? 何故、狂人を真似た狂人に殺されなければならない? 床と拳の間で跳ねる度にシャボン玉めいて記憶が弾ける。一瞬のソーマト・リコールが明滅しては消えていく。

 

それは、フォーマットの瞬間に廃棄UNIXに流れるパルスと同じ。物理的に消えゆく記憶が上げる断末魔だ。「イヤーッ!」「アバーッ!」一撃ごとに脳細胞が崩れてニューロンが千切れる。「イヤーッ!」「アバーッ!」一打ごとに思い出が掠れて昨日が霞む。死の虚無が前菜代わりに過去を貪っている。

 

「アッ、アッ、アッ」何を間違えた? 何処で間違えた? 何時、間違えた? もう、何一つ判らない。精神も肉体もネギトロめいて擦り潰されている。歪んだ視界と意識の中、赤黒い影が高らかに拳を突き上げる。噴き上がる紅蓮は勝利の宣言であり、死刑の宣告だった。だが最早、それすら理解できない。

 

かつて『フリント』であった悉くは脳漿と共に流れ去った。半壊した脳髄に残るのは……恐怖。衝動のままに目前の理不尽へ問う。「おまえは、何だ? 何、なんだ?」「イィィィヤァァァッ!!」返答は鉄槌めいて振り下ろされる拳であった。理不尽なる死は、納得一つも与えずにフリントを全て終わらせた。

 

「サヨナラ!」首から上のミンチだけを残して、フリントは爆発四散した。焦げた粗挽き肉から引き抜く腕に返り血が滴る。「ハァーッ、ハァーッ」戦いは終わった。だが、吐いた息は激しいイクサの残り火で燃えるように熱い。ハイクめいた最期の言葉もまだ自分の中でリフレインしている。

 

(((おまえは、何だ?)))「何だ、と? 『俺』は……『僕』は……何だと?」血にまみれた拳を握り、開き、また握る。バウッ! バウッ! 握りしめる度、拳の周囲に火の粉が爆ぜて、一瞬の火花を散らす。イクサの余波で割れたブラウン管に影が映る。赤黒の装束をまとったニンジャの姿。否、それ以上の存在。

 

(((僕は、何だ?)))脳裏に響く声が答えた。(((ニンジャ……スレイヤー)))「そうだ……そうだ、そうだ!」そう、己は『ニンジャスレイヤー』。そう名乗り、アイサツを交わした。厳然たる定義だ。理想像(ヒーロー)は未だに現れない? 否、初めから己の中にいた。理想像(ヒーロー)を胸の内に宿していたのだ。そして今、自分自身と一つになった。

 

ガラスに映るのは逆光に滲むシルエット。これこそ正にニンジャ殺戮存在。だが足りない。明滅するナトリウムボンボリが、残骸と死体で描かれたイクサの通り道を照らす。その片隅に吹き飛んだメンポは落ちていた。拾い上げたメンポは歪み、ペイントは掠れて剥がれている。そのままに身につけた。まだ足りない。

 

血に染まった指先を筆代わりに、足りない二文字をメンポに描き、赤熱する両掌で焼き付ける。『忍』! 『殺』! これで完璧だ。記憶イメージとCRTに映る鏡像が重なる。己こそが、理想像(ヒーロー)。己こそが……「俺こそが!ニンジャスレイヤーだ! ニンジャスレイヤーなんだ!!」

 

「ククク……クッハハハ!」両腕から吹き上がる紅蓮が、全てを深紅のモノクロームに染める。火花を散らすUNIX、砕けたワータヌキとフクスケ、虐殺されたモータル。そして、ニンジャの死体。台風一過のツキジめいた破壊と殺戮の荒野で、『ニンジャスレイヤー』の哄笑が響きわたる。

 

「ハーハッハッハッ!」そして、その全てをガラスの虚像は嘲笑していた。ドクロ月めいて嗤っていた。

 

【イグナイト・ミクスチャー・オブ・マッドネス・アンド・オブセッション】おわり。



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第四話【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#1

今年も一年、皆様にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。


【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#1

 

「ワォ……ゼン……!」手渡された赤銅色のガントレットに、”カナコ・シンヤ”は思わず呟いた。月触の色を両腕にはめて握る。開く。また握る。石、鋏、紙、キツネ、グッド、サレンダー、チョップ。カラテパンチを虚空に放つ。デントカラテ攻撃から防御の構えへ。全て無音かつシームレスだ。

 

「完璧です。流石ドウグ社のワザマエですね」「ご満足頂けてなによりです」新規顧客の感嘆の声に”サブロ老人”は満足げに頷いた。シンヤが『絶望の橋』を渡ったのは一月前、ガントレット注文の為だった。『原作』にて主人公を幾度と無く助けたワザマエ。それを自分も生かすべく前金で依頼したのだ。

 

そして受け取ったドウグ社製ガントレットは想像以上の代物だった。両腕を二周り巨大化させるサイズながらも、絶妙な質量配分で重量感は絶無。しかも精密な関節稼働域と衝撃吸収構造により、打撃力と器用さを両立している。僅かとはいえ物作りに携わった身としては、この出来映えに脱帽せざるを得ない。

 

「自分も趣味のDIYをしますが、やはりプロフェッショナルは違いますねぇ」「我が社の哲学は『人の手足な』。作った道具が手足となってこそですよ」唸るシンヤにサブロ老人は笑って見せた。ジツで小道具を作った経験は多々あれど、シンヤがこれほどの物を仕上げたことはない。自分に作れるだろうか。

 

いや、作れるかではない。作りたい。ムラムラと沸き上がる創作熱が赤銅色に覆われた指先を蠢かす。それでもガントレットは擦れる音一つたてない。「できれば制作現場を見せて欲しいのですが……「それは企業秘密です」……デスネー」そりゃそうだ。ため息を吐いてガントレットを桐ケースにしまい直す。

 

拍子に一枚の写真が目に入った。伏せられた写真立てから写された映像は伺い知れない。だが想像はできる。恐らくは別れた妻子と並んだ家族写真だ。そしていずれ息子マノキノの遺影が並ぶ。『原作』知識で、それをシンヤは知っている。自分が開発したモータードクロの手で最期を迎える事を知っている。

 

だが、何もしない。知っていて何もしない。できないのではない。ニンジャの力がある、『原作』知識がある。オウガ・ザ・コールドスティールのストーリーを、最小限の被害に改変できる筈だ。マノキノを死なせる事無く、サブロ老人と関係修復させられる筈だ。まるでヒーローのように。

 

それで、その後は? デモンストレーションを見物するラオモト・カンは必ず第二のニンジャ存在に気づく。そしてソウカイヤはすぐさま”ブラックスミス”……シンヤの名前を引き出すだろう。トモダチ園が無事なのは単に捨て置かれているからだ。敵と判断されれば、瞬く間に探し出され家族が殺される。

 

だから何もしない。自分の家族を言い訳にして、この人の家族を見殺しにする。「……近々、オオヌギの再開発にオムラが乗り出すそうです。ここも危なくなります」シンヤは絞り出すように呟いた。どう答えるかも判っている。これは単なる自己満足だ。だが、それでも言わずにはいられなかった。

 

「ここが先祖から引き継いだ、私のカイシャです。それにご近所付き合いもありますので」予想通りサブロ老人は笑って首を振った。ドウグ社の稼ぎを、そして自分のことだけを考えればオオヌギ・クラスター・ジャンクヤードを出て行くのは容易いだろう。だが彼はここで仕事を続けている。

 

その理由は彼が受け継いだ伝統であり、そして彼が培った人間関係でもある。オオヌギは吹き溜まりの町だ。ここから出ていける人間ならここに流れ着くこともない。オオヌギでしか生きていけないご近所を見捨てて、代々住み続けた地を捨てて逃げるなど彼の誇りが許さないのだろう。

 

「……また、仕事をお願いします。今日はアリガトゴザイマス」「アリガトゴザイマス。またご贔屓に。オタッシャデー」目を伏せ声のトーンを落としたシンヤに、サブロ老人は奥ゆかしいく問うことなく言葉を返した。

 

「オタッシャデー」深々とオジギして振り返ると、戸口の逆光を人影が遮っていた。見知らぬ間であれるよう、一礼に合わせて顔を伏せて横を通り過ぎる。「ドーモ、ドウグ社=サン。オジャマシマス」聞き覚えのある声だった。建物の前で足が止まる。咄嗟にニンジャ野伏力で路地裏に隠れる。

 

「またあんたか」後頭部にぶつかったサブロ老人の声音は、客に対するそれではなかった。しつこい蚊を払うような呆れかえった声。「何度来ようが同じだ。ドウグ社は合併せんと言うておる」「以前もお話しした通り、フェデラル所属は合併でもM&Aでもありません」対する声は木訥だがねばり強い。

 

「工員・資材・仕事を融通しあうウィン-ウィン関係なんですよ。互助関係だからフェデラルに属しても独立です」「フン! その手の甘言は悪徳営業から聞き飽きとる」フットインザドアで契約を押し込み、茹で蛙で奴隷契約に作り替える。暗黒コーポの基礎手口だ。だが話し手は違う。シンヤは知っていた。

 

「技術があっても一社では弱くて小さい。だから自身で探し出した生き残り方法がフェデラルなんです!」「誇りも歴史も捨てて寄生虫めいて生き残るくらいなら、カイシャを終わりにした方が先祖に言い訳できるわ!」「貴方が伝えてきたワザマエをここで絶やしては、それこそ先祖に顔向けできませんよ!」

 

「何様のつもりじゃ! 帰れと言うとるだろうに!」金属めいた音。クラフトマン・ツールを黒檀テーブルに叩きつけたのだろう。サブロ老人は職人という概念そのものだ。実直でひたむき。技術に対するプライドは高く、感情の沸点は低い。

 

「帰れ! 帰れ! 持って帰れ!」「また来ます!」扉から人影が飛び出し、後を追って菓子折りが投げつけられる。長いため息と共に歪んだ紙箱を拾い上げる。中身のミタラシソースがこぼれていた。肩を落とした人影はソースを拭うとトボトボと『絶望の橋』へ向けて歩き出した。

 

その背中へシンヤは声をかけた。「思い人に振られましたか、ゲンタロ=サン」振り返ったのは着慣れないスーツ姿よりも工場作業服の方がよっぽど似合うだろう人物だ。オダンゴの菓子折りを抱える岩めいた手には、労災傷とアカギレが乱数文様を刻み、タールめいた鉱物油が真っ黒にスミ入れしている。

 

「……もしや、シンヤ=サンか!?」思い出との思わぬ再会に白髪混じりの厳つい顔が綻んだ。熟練工らしく汚れきった指先の持ち主は、かつてシンヤがパートタイム勤務していた、オータ・コーバの最優秀工員である”ゲンタロ”であったのだ。

 

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鉄板に広げた白くべた付く粘液が沸々と泡立つ。それをヘラで半々に切り分け、漂白剤が臭う紙皿2枚にすくい上げた。二人は透明な発泡飲料入りの紙コップを掲げる。「では、再会を祝して」「「カンパイ!」」ケモソーダ純粋味は前世で飲んだラムネかソーダ水を思い出させた。

 

「再会記念でここは奢ろう」「じゃあ遠慮無く」乾燥オキアミとバイオネギをこれでもかとまぶしてテリヤキソースをどっぷりとかける。駄菓子めいてチープな味だ。悪くない。はふはふと舌を焦がしつつ、甘いケモソーダで流し込む。まさに外食の醍醐味。自宅でやったらキヨミにお小言を頂くだろう。

 

「『縁はミステリー』とは言うが、こんな所で出会うとは思っていなかったな」「私もですよ。私はドウグ社に依頼品を取りに来たんですが、ゲンタロ=サンは別件みたいですね」寒空の下、遅めの昼食を楽しみながら二人は再会の理由について話し出した。

 

「ああ、フェデラル参加を打診しに来たんだが、散々に振られてしまったよ」「フェデラル、ですか?」返答の代わりにゲンタロは名刺を差し出した。背景は8つのクラフトマン・ツールを握りしめたアシュラ像。文字はこうある。『コーバ・フェデラル、オータ・コーバ、上級工員”コイズミ・ゲンタロ”』

 

「以前話したよな、一つのコーバだけじゃ生きれないって」記憶を遡れば、別れの時にそんな話をしていた覚えがある。「それでコーバの社長達が集まって話し合い、生き残りをかけてコーバ同士で大連合を組むことになったんだ。それがコーバ・フェデラルだ」ナルホドと頷くシンヤだがふと疑問が浮かんだ。

 

連邦(フェデラル)ですか? 連合(ユニオン)でなく?」「そこが問題なんだよ」ゲンタロは大仰にため息をついた。「零細コーバの社長といえども全員一国一城の主だからな。明日からサラリマンですと言われてもハイヨロコンデーと頷ける者ばかりじゃない。会議はオーボンの夜祭りより踊り狂ってたぞ」

 

無論、コーバの社長達も単なるお山の大将として反対したのではない。コーバや社員を守るために手を組むというのに、上からの辞令一つで首を切らざるを得ない立場になるのは納得しがたい。しかし一丸とならねば、暗黒元請けに各個撃破されて元の木阿弥、いや今まで未満の奴隷的立場となるだろう。

 

結果、完全独立な共同体(アライアンス)でも、完全一体化な連合(ユニオン)でもなく『高度の独立性を維持しつつ臨機応変に協同する』……つまりはナアナア・リレイションで中途半端な連邦(フェデラル)が妥協として選ばれたのだ。「お陰でフェデラル内部は主導権争いの内乱真っ最中。工員の俺が営業してるのもそれが理由だよ」

 

「どうりで。ゲンタロ=サンに営業やらせるなんて、オモチ屋にスシ握らせるようなもんですからね。それなら、ウチから営業員貸す方がよっぽどマシですよ」結局、オモチ屋のモチが一番旨い。プロフェッショナルな専門家が一番のワザマエなのだ。「そう言えば、シンヤ=サンは今何してるんだ?」

 

「サラリマンですね。人材派遣会社で汎用派遣社員です」「フェデラルに誘おうと思ったが、先を越されたか」苦く笑ってケモソーダを呷る。シンヤがコーバのバイトを退職してから一年近くたった。いつまでも無職で居る筈もない。技術者の当てがまた一つ外れた。どこかに腕のいい技術者がいないものか。

 

「……なあ、シンヤ=サンの人材派遣会社は職人も派遣しているか?」「してますね。派遣料はワザマエ次第ですが」元浮浪者キャンプ住民の顔をいくつか浮かべる。元技術者も何人かいたはずだ。「実力者で頼む。カネは…………何とかする」脂汗を絞り出すような声でゲンタロは頭を下げた。

 

「自分が立候補しますので、いくらか勉強できると思いますよ」コネコムの特殊案件対応要員、つまり企業ニンジャであるシンヤは高給取りで発言力がある。その上、N要員として動けるよう日雇い仕事しか請けられない。立場の割にヒマなのだ。知り合いの仕事を優先するくらい朝食以前である。

 

「助かるよ。期間工も頼めるか?」「それなら結構な人数が集まりますよ」「それはありがたい。必要な人月と予算は……」エアろくろを回しながら仕事の話を回していく二人。二社の幸福なジョブマッチングに話は弾み、蒸気を立てていたアツアツのモジョーガレットは気づけば煙の上がる炭屑となっていた。

 

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#1おわり。#2へ続く。



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第四話【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#2

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#2

 

キリリリ! 一つ。鉄が削れる音が響く。二つ。弾けた冷却鉱油が鼻につく。三つ。カツブシめいた切り屑が舞う。四つ。SNAP! 五つ。飛んできた金属片を片手で弾く。六つ。「アブナイなので気をつけてください」七つ、八つ。弾いた手で指さす先には安全標語ポスター『危無い作業』。九つ。

 

「スイマセン」金属片を飛ばしたスミダ・コーバ工員が形式的に頭を下げた。十。「お気になさらず」十一。シンヤは手を振って答える。十二個のメタルコケシが完成。彼の上司の舌打ちを無視して鋼材から十三個目のメタルコケシを削り出す。その手つきには一切の迷いがない。恐ろしく手早く、かつ丁寧だ。

 

しかしその表情は注意散漫。コーバ・フェデラルの工場でメタルコケシを作っている間も上の空だった。圧倒的な生産速度に驚く周囲の声も、対立派閥コーバの敵意のこもった視線や妨害も悉く無視している。考え事をしているのだ。フェデラルやコネコム、友人や家族についてでもない。個人的な考え事だ。

 

それは……ニンジャだった。脳裏に浮かぶのは出会った敵対ニンジャ達の顔。古い順にフラグメント、ウォーロック、トライハーム。それこまでいい。連中は狙いがあって動いていた。問題はそれ以降。ダーティウォッシュ、シャイロック、ユージェニック等々。驚くほど多くのニンジャと接触している。

 

ソウカイニンジャとのニアミスも少なくない。だが、自分はニンジャスレイヤー=サンと違って積極的にニンジャを追ってはいない。ニンジャは闇に潜む存在であり、ソウカイヤは隠匿・沈黙・制圧を持ってネオサイタマ支配している。なのに多い、余りに多い。まるでニンジャ存在を引き寄せているように。

 

あるいは、自分が引き寄せられているのか。心当たりはない。だが引っかかるものはある。ニンジャ接触前後で脳裏に走る掻痒感覚。対象のニンジャ可能性を断じれるほどの精度だ。ソウカイニンジャから逃げる助けともなっている。この感覚はトライハーム殺害後から生じるようになった。

 

そして同時期から接触頻度が跳ね上がっている。奴らの死が自分に何らかの影響を及ぼしたのか? そもそも奴らの死に対して違和感が拭えない。死体も痕跡も残さず、何故か爆発四散の瞬間だけが記憶にない。連中は本当に死んだのか? ニンジャ第六感は「否」と告げている。

 

奴らは自分と同じ転生者だ。そしてクレーシャに名前とソウルを売り渡し『偉大なる方』とやらのために暗躍していた。『偉大なる方』、そして転生者をこの世界に突き落とした何者か。その二つが同じものならば? ……ザ・ヴァーティゴ=サンという前例もある。第4の壁を通る者がいてもおかしくはない。

 

それに現実世界からソウルを回収された転生者という実例がここにいるのだ。次元を越えて動く超存在ならば、爆発四散しつつあったトライハームを回収することも不可能ではなかろう。この考えに確証はない。推論に仮説を重ねた信憑性の低い結論だ。だが直感は肯定している。

 

そして、自分達をネオサイタマに突き落とした超存在が居ることも、転生者を手駒とする何者かがいることも、その目的が『原作』を主人公を殺すこと以外不明なことも事実なのだ。どれもこれも決して疎かにしていい問題ではない。今はただ……備えよう。

 

ガシャリ。視界の端でメタルコケシが音を立てて崩れ落ちた。反射的に手を差し伸べて受け止める。置き場所のバランスが悪いか? 「こりゃまずいな」確かに置き場所のバランスが悪い。山と積まれたメタルコケシのフジサン。そこから一つが転げ落ちたのだ。

 

無意識作業でノルマを大幅超過したらしい。シンヤはどうしたものかと苦く笑う。とりあえずは完成品置き場に持って行くべきだろう。ニンジャバランス感覚を駆使してカートに詰め直す。「オーイ、シンヤ=サン。ちょっとメタルコケシを持ってきてくれ」完璧な箱詰めを果たした処でお呼びがかかった。

 

「すみませんがこれオネガイシマス」「アッハイ」メタルコケシを一本引き抜くと余りの生産量に唖然としていたお隣にカートを押しつける。(((先の金属片の借りということでここは一つ)))誰にと言うわけでもなく内心で言い訳ると、シンヤはゲンタロの待つ事務室へと向かった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「えーっと、そこを右だよな」うら寂れた路地裏、ゴミとパイプとケーブルで出来上がった薄闇の中を進むシンヤ。「ちょっとオジャマシマス」道ばたで眠る浮浪者を跨ぎ越え、上書きを繰り返された混沌グラフィティを通り過ぎる。『○アン『オバカ』タイ×安『全員GO!』泰『俺の『俺のだ』お国』

 

サイケ色彩を塗り重ねた偶然のカオスは、映像ドラッグ的めいて平衡感覚を妖しく揺さぶる。その上、元濃緑の番地表示はどれもが錆と落書きで役目を放棄していた。慣れた現地の人間以外は容易く現在地を失うだろう。ゲンタロから受け取った懐の地図を取り出し眺める。同時に当時の記憶が蘇ってくる。

 

……「代理連絡、ですか?」熱い梅味コブチャを啜りシンヤは問い返す。パイプ椅子に腰掛けたゲンタロは首を縦に振った。「ああ。俺が勧誘と面談に行く予定だったが、急な用件が入ってな」「しかし何故自分なんですか? コネコムに依頼より、フェデラル社員の方が安く上がるかと」シンヤは首を傾げる。

 

「フェデラル社員ですむなら依頼しないさ」そりゃそうだ。当然の言にシンヤは頷く。「その御仁はワザマエ相応に気位も高くてな、実力を認めた職人の話しか聞かないんだ」営業に回された工員の内、お眼鏡に適ったのはゲンタロただ一人。代理で行ける人間がフェデラルには一人もいないらしい。

 

だがゲンタロの認めたシンヤのメタルコケシなら、十分に彼を納得させ得ると考えたのだ。「まあ、流石にフェデラル参加の合意書にハンコを捺させろとは言わない。次回の面談予定を結んできてくれればいいさ」ならば人付き合いの得意でない自分でも何とかなるだろう。

 

「最後に一つ。そのお人のお名前をお伺いしても?」「”マガネ・クロイ”=サン。知る人ぞ知るネオサイタマ随一の刀匠だ」ゲンタロを認め、ゲンタロが認めた超一流の刀鍛冶。ドウグ社のワザマエを目にして以来の、プロフェッショナル技術を見たい気持ちが再びムラムラとわき上がって来た。

 

「その仕事、やらせていただけますか? 本社には自分の方から話します」「こちらからも頼むよ、オネガイシマス」「こちらこそ、オネガイシマス」温くなったコブチャを呷ると、シンヤは了承の意味を込めて頷いた。

 

……「ここを曲がって左に、あった」目当ての量産コンクリビル『十八箱』はそこにあった。シンヤの現住所であるダイトク・テンプルに随分と近い。地下に向かう階段横には、古めかしいミンチョ体の案内看板が張り付けられている。『地下にマガネ・スタジオ』案内看板の文字は最終目的地を示していた。

 

カィン、カィン、カィン、カィン……2ビートの鎚音が地下に響く。それが響く度、古めかしく神秘的なアトモスフィアが工房を包む。鉄打つ音を響かせるのは偏屈と頑固を鍛造して作ったような老人だった。体格も顔つきもまるで違うのに、サブロ老人とその背中は重なった。

 

「オジャマシマス。コーバ・フェデラルの者です。マガネ=サンはいらっしゃいますか?」手みやげの菓子折り袋を掲げ、敵意がない旨をアピールする。現代ではマナー旧家が伝える古きエド仕草だ。「おお、ゲンタロ=サンか……違う?」「ハイ、代理のカナコ・シンヤという者で「帰れ」

 

マガネは一瞥だけして鉄打ちに戻った。聞いていた以上の堅物だ。「一応、代理としてきた者ですから帰れと言われ「帰れ、トーシロはオジャマだ」取り付くニベもない。このまま帰るわけにも行かないシンヤは話の足がかりを探して後ろから覗き込む。刀匠らしく沸いた鉄を打ち据えてカタナを形作っている。

 

「そんなにキアイ入れて作るカタナですか?」「トーシロには判らん」マガネは振り返りもせずに言い放った。シンヤは鎚で打たれカタナへと転じる途上の鉄を見つめる。ただ、見つめる。「……確かに『新興ベンチャーが箔付け用に依頼した見栄え最優先のファッションカタナ』ぐらいしか判りませんね」

 

「なんと?」「トーシロにはファッションカタナにそこまでキアイ込める理由が判らないってことです」打ち刀と比べ酷く細長い形状は一般的なイアイドーを想定してないと告げている。その上、鎚のリズムは加工性に優れるが強度に劣る軟鋼の炭素含有率を示していた。これは実用品でなく装飾品のカタナだ。

 

加えて言うならそのデザインは伝統のカタナ様式から大きく外れる。そんなカタナを喜んで携えるのは新興ベンチャーの成金と相場が決まっている。シンヤとソウルの感覚はそう見て取った。「トーシロの戯れ言ですよ、聞き流してください」これを偏屈な超一流刀匠が請けた理由までは判らなかったが。

 

「あと、これをゲンタロ=サンが見せといてくれと」二本のメタルコケシを菓子折りの袋から取り出してマガネの脇に置く。素人目には何の違いもない量産品のメタルコケシだ。鉄打つ手を止めてマガネはその表面を指でなぞる。「オヌシが作ったのはこれか」マガネは一方をシンヤへと突き出した。

 

メタルコケシを受け取り指先で確かめる。確かに自作品に違いない。「ええ。トーシロ作にしてはよくできてますか?」「作りだけはな」シンヤの意向返しにマガネの鼻が鳴った。技術力だけは認められたらしい。「ソウルがまるで籠もっとらん。カタナなら叩き折っとる」しかし機嫌は取れなかったようだ。

 

「無個性の量産品ですから。それにまだゲンタロ=サンの様にはいきませんもので」「口だけは一人前か」「半人前ですよ。口も、物作りも、カラテも。何度も思い知らされてます」シンヤは握った拳をじっと見つめる。多くを取りこぼしかけた、さほど大きくもない、自分の拳。まだまだなのだ、今もまだ。

 

マガネはその姿を無言で見つめる。そしてシンヤの方へと向き直った。「それで、何の用件だ?」「本日、面談に来れなかった謝罪をゲンタロ=サンから預かってます。それと次回の面談の日程を決めたいと」「律儀な人だ」ネズミのオリガミメールと菓子折りを手渡す。中身は白アンコのドラヤキだ。

 

「奥に休憩室があるからそこでコブチャでも飲んでいろ」「いえ、もしよろしかったら、カタナ作りを見学させてもらえませんか?」マガネの表情が不可思議と歪む。「オヌシの言うとおり、こいつはファッションカタナだ。実際、実戦なら役立たずよ。伝統美もなし。そんなもの作る様を見てどうする?」

 

「だからこそ見たいです。伝統プロトコルから外れた非実用品に、刀匠『マガネ・クロイ』がどうソウルを込めてみせるのかを、この目で見たい」マガネは再び炉と鉄に向き直った。その表情は見えない。「……勝手にせい」「勝手にします」少なくともその声色に敵意はなかった。

 

銑鉄を打つ鎚音が繰り返し響く。赤熱した黒金から火花が幾度となく舞う。六代目マガネ・クロイが小槌を振るう度、折り返し層を重ねる度、単なる鉄塊はほんの少しづつ鋼のカタナへと近づいていく。エッジを切り落とせばそのシルエットは剣のそれへと姿を転じていた。

 

火造りの出来映えに頷いたマガネは、更に荒く研ぎ上げて輪郭の解像度を上げる。『伝統』『真打ち』『機密』ショドーのお札で封じられた壷に筆を挿し、刀身をキャンパスに秘伝の焼刃土で未来の刃紋を描く。鍛錬と才能に裏打ちされた筆遣いは、大胆と細密を両立した書道家(ショドリスト)のそれと等しい。

 

そして炉で赤熱するまで業火に炙られた刀身を……SIZZLE! 油臭い蒸気が工房を満たす。冷たい鉱油で焼き入れられた刃金は、悲劇に晒された英雄めいて堅く強くその身を引き締めた。ぼろ切れで纏った油を拭えば、遂に一振りのカタナがこの世へと顕れる。

 

「ワォ……ゼン……!」美しい。意図せず感嘆がこぼれた。シンヤがこのコトダマを使うのは生まれて二度目だった。それほどのものだった。まだ研ぎも磨きもしていない、鉄の棒と等しいカタナ。霞がかかった刃紋は目を凝らせば僅かに見える程度だ。だがそれが、それほどまでに、美しかったのだ。

 

反りのない真っ直ぐな形状と霞がかった刃紋は総体で一つの美を描いていた。これを研ぎ上げればどれほどに輝くのか。朧月めいた刃紋がどれほどに美しく姿を現すのか。否、むしろ研ぎに出すことなく雨月めいて内なる刃紋を思い描きたい。未完成であるが故に完成した芸術作品。そう思わせるカタナだった。

 

「切れぬカタナだぞ?」衝撃に身を震わせる若造に老刀匠は意地悪く笑ってみせる。「いえ、確かに切りました。私のソウルを真っ二つにして『魅』せました……オミソレ、シマシタ」シンヤは深々と頭を下げた。刃を付けていない、ただの鋼鉄製木刀。だがエッジは要らぬ。

 

非実用の極みながらも、それが美しさの極限を顕している。ネオサイタマ屈指の刀匠マガネ・クロイのソウルがここに在った。「精進して『魅』せい、若いの」呵々と笑うその姿は、まさにカタナに才能と人生を捧げ尽くした鍛冶師の頂であった。

 

------

 

「オジーチャン!」感動に打ち震えるシンヤの耳に突然、声変わり前の甲高い声が響いた。声の方向へと視線を向ければ、鍛冶場に場違いな幼い少年の姿。「カタナできたの!?」「アオイちゃんか!? よう来たよう来た!」突然、日本最高峰の刀匠が消えた。そこには只の孫バカ老人がいた。

 

どうやらマガネの孫で”アオイ”と言うらしい。「おやつは高級タイガーヨーカンが有「カタナ見せて!」これじゃこれじゃ!」トーシロ以前にカタナの危険性すら理解してなさそうな子供に、嬉々として出来立てのカタナを差し出す。刃の無い鉄の棒だからいいが、今のマガネは実用殺人刀でも渡す勢いだ。

 

「ワー! キレイ!」「そうじゃろ! そうじゃろ!」頑是無い孫の賞賛にアンコシチューで煮詰めたオモチめいて甘々に溶け崩れている。職人の頂点でも孫はカワイイ過ぎるのだろう。頭痛が痛い顔でシンヤは頭を振った。先までの超一流職人はどこへ行ったのやら。孫が帰るまで帰ってこないだろう。

 

ため息を吐くシンヤのニンジャ感覚が不意にもう一人の存在を告げた。「あれ? シン兄ちゃんじゃん! どーしたの?」振り返ればいつも見かけるイガグリ頭。見覚えがある所ではない毎日見慣れた顔は、トモダチ園の子等のちょうど真ん中。弟の”ウエシマ・ウキチ”だ。

 

「仕事だよ、仕事。ウキチこそ何でここに?」「アオイ=サン家に遊びに来たんだよ」返答も中途にそのまま鍛冶場に入ろうとするウキチ。弟のシツレイに眉根を寄せて苦言を告げる。「おい、マガネ=サンの迷惑になるから勝手に入るじゃないぞ」「ダイジョブダイジョブ、アオイ=サンも入ってるんだし」

 

「お前はマガネ=サンのお孫さんじゃないだろ。一言聞いてからだ」不服げにウキチの頬が膨れる。だが、トモダチ園の大黒柱は子供たちのワガママに容赦しないのだ。「ハイハイ、わかりました!」先に目を逸らしたのはウキチだった。「アオイ=サン! オレも入っていいよな?」ただし、尋ねたのはアオイにだが。

 

「いーよ!」「アオイちゃんのお友達かい? えーよ!」得意満面のドヤ顔で胸を張るウキチ。今度不服げな顔をするのはシンヤの方だ。マガネ=サンに聞くのが筋だろう。だが、実際マガネ=サンから許可は得ている。「これでいいよね!」「判った。ただ次は主のマガネ=サンに聞けよ?」「ハーイ」

 

「ねぇねぇ、これスゴイだよ! キレイだよ!」「エッジ無いし、これカタナなの?」カタナへの興味の差か、目を輝かせて興奮するアオイに対し、ウキチは気のない様子だ。「ないけどキレイだよ!」「んー、そうかな」それとも審美眼の差か。弟を貶めたくはないが、美に対する敬意がないのは確かだ。

 

思い出せばダイトク・テンプルでも木魚でサッカーやろうとしていたし、ジャングルジム代わりにブッダ像に昇ったこともある。シンヤとしては弟のカルマが心配でならない。「なぁ、これでチャンバラ・ゲームできない? エッジもないし、いいよね?」だからこそこんな台詞が出てくるのだろう。

 

「いいわけ無いだろ! ダメ!」「ええよ! ええよ! 存分にやりなさい!」真逆の返答が双方から飛んだ。「アブナイでしょう!? それに売りものでしょうに!?」刃がないとはいえ鋼の棒である。当たり所如何では子供の骨程度軽く折れる。首に当たれば命も危ない。

 

「ワシが監督する! それにまだ期日まである! また作るわい!」思わずツッコむシンヤだが、孫の遊びの方が万倍大事とふんぞり返ってマガネは答えた。孫がらみだと途端にオフィシャルとプライベートを区別できなくなる。これの何処がネオサイタマで一二を争う刀匠なのか。

 

「オジーチャンの大事なものならいいよ」「アオイちゃんはほんっとに優しい子じゃのう……!」公私の区別は年齢1/6の孫の方がついているらしい。そっと差し出すカタナを受け取り、マガネは感動の涙を拭った。それを見るシンヤの目は冷たい。24時間連続感動ソープドラマを見せられている気分だ。

 

「えー、やんないの? じゃあシン兄ちゃん、代わりになんか作ってよ!」「俺は万能ベンダーマシンじゃないんだぞ」口ではそう言いながらも何を作るか考え始めている。シンヤも中々に甘いのだ。「安全な得物を作ってやるからチャンバラ・ゲームはそれでしなさい」「ワーイ!」「アリガト、ゴザイマス!」

 

「アオイはいい子じゃなぁ、ほんっとにいい子じゃなぁ!」「……確かにいい子ですけど、ああも甘やかしていると悪い子になりかねませんよ?」感涙をこぼすマガネにあきれた声音で注意を促すシンヤ。シンヤもまた一家を預かる大黒柱。躾と叱咤の重要性は理解している。

 

だが子育ての責任から離れたマガネは、そんなことはきれいさっぱり忘れたらしい。「ワシのアオイになんか文句あるんか!?」「マガネ=サンにあるだけです」孫可愛さに熱く燃え上がるマガネに、シンヤの視線は氷点下まで冷え込んだ。そもそもフェデラルの用件はどうなった。

 

「いいか、あの子はな、ほんっとにいい子なんじゃよ! わかるか!?」「アッハイ、わかります」これは永くなるな。ニンジャ第六感がそう告げた。そして逃れられないとも教えてくれた。シンヤの目が見る見る輝きを失う。それは撲殺済みの水揚げマグロか、あるいは生け簀で捌きの時を待つハマチか。

 

「いっつも礼儀正しくてな、こんなに小さい時からちゃーんとアイサツしてくれるのよ」「ハイ、ソーデスカ」どちらにせよ、キリミとなって行き着く果ては同じ酢飯の上だ。その後は胃袋の底。未来などない。あるのは長い長いジゴク巡りだけ。

 

「アオイはな、ワシの作ったカタナが大好きでな。オジイチャンの跡を継ぐって言ってくれたんだよ。アオイがな、七代目になりたいって、ワシに言ってくれたんだ」「……ハイ、ソーデスネ」孫自慢は何時間も続いた。夕飯の時間が近づき、ウキチは一人でダイトクテンプルに帰った。

 

ドクロの月が天頂から嗤う頃、疲労困憊のシンヤはようやく帰路に就いた。帰り道に襲ってきたヨタモノ偽装アサシンは苛立つシンヤの手で、自分が呼吸していることを心底後悔することとなった。じつに最悪の一日であったが、キヨミ謹製の夜食兼夕飯のソバは暖かかった。

 

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#2おわり。#3へ続く。



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第四話【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#3

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#3

 

「机と椅子と……あと何か持っていくモノありましたか?」「それだけだ。書類は鞄に入ってる」フェデラル事務所は経営規模に対して分不相応なまでに大きい。元々は経営規模相応にする予定だったのだが、各コーバが個々の事務室を要求した結果、事務所サイズが肥大化を重ねて今の大きさとなったのだ。

 

実際、そのせいでフェデラルとしての事務機能は分散・縮小しており、面接一つの為に倉庫を片づけて机と椅子を持ってくる必要があった。なお、各コーバ事務室には応接スペースが併設されている。『軍師が増えると内乱が増える』椅子と机を抱えるシンヤも武田信玄の格言を思い出さずに入られない。

 

『結合した超合金』『組み合わされば巨大』『他力本願』無数の標語ポスターでも覆いきれずに、壁からは寒々しいコンクリ地肌が覗いている。ゲンタロ等が発案し、実現し、勤務するコーバフェデラル。その理念にはシンヤも応援しているが、その未来には窓の外と同じ暗雲が立ちこめているように思えた。

 

だが、それを考えるのは今のシンヤの仕事ではない。「マガネ=サンの孫自慢で拘束された分を残業代に乗せてもらえません?」「契約分しか払えないからカンベンな」今の仕事は、マガネ・クロイのフェデラル所属契約の立ち会いである。ゲンタロとの二度目の面談でマガネは契約の話を了解したのだ。

 

「でもマガネ=サンから随分と高評価だったぞ?」「カタナ目利きとメタルコケシで高評価だといいんですけどね」孫自慢に付き合った分の評価というのはカンベン被りたい。無駄話を続けながらも二人は手早く仕事を果たしていく立て、椅子を整え、書類を並べる。

 

イヨーォッ! そうこうしているうちに準備も終わり、壁のカブキ時計が正時を告げた。予定の時間だ。「「ドーモ、オジャマシマス」」「「ドーモ、ラッシャイマセ」」シンヤとゲンタロの二人は椅子から立ち上がると入室した『二人』に深くオジギした。二人? そう二人だ。マガネと、誰だろうか?

 

一人で来ると聞いていたゲンタロは首を傾げて尋ねる。「そちらの方は?」「コーバの人じゃないのか?」だが振り返ったマガネも驚愕と困惑の表情をしていた。思わず顔を見合わせる二人。ただ一人、僅かに腰を浮かせたシンヤだけが凍える視線で灰色スーツの不審者を見つめる。

 

視線の先でその男は慇懃無礼、かつ冷酷非情のアイサツを告げた。「ドーモ、皆さん初めまして。今日はマガネ=サンの契約妨害に来ました。関係者以外はこの世からご退出ください」オジギと共に差し出す名刺にはこうあった。『ハケン・ヘゲモニー社雇用エージェント”デッドライン”』

 

------

 

深いオジギから上げた顔を覆うのは灰色のメンポ……つまりはニンジャだ! それを目にしたゲンタロとマガネがNRSを発症するより早く、黒錆色を纏ったシンヤは立ち上がった。「ドーモ、デッドライン=サン。ブラックスミスです。質問が二三有りますので断末魔の前にお答えください」

 

「「ニンジャ、ナンデ!?」」不審者がニンジャで知り合いもニンジャ!? NRSに腰を抜かす二人だがデッドラインもまた同様の驚愕に襲われていた。「零細ミリコーポに企業ニンジャだと!?」「ああ、そうだ」ガントレットに覆われた両掌を開き、ブラックスミスは赤銅色の拳をデント・カラテに構える。

 

「所属はしてないが仕事は請けてる。仕事のオジャマだ。冥福お祈りメールをくれてやるから、この世からご退出願おうか」「ぬかせ! イヤーッ!」「イヤーッ!」アイサツ直後に放たれたスリケンが火花と共に対消滅! 「グワーッ!?」同時に上がる悲鳴! デッドラインの両膝にスリケンが生えている!

 

デッドラインがスリケン一枚を投げる間に、ブラックスミスはストレート・チェンジアップ・スライダー軌道の異形スリケン三枚を投擲していたのだ! ワザマエ! 「イヤーッ!」更に自身を砲弾として飛びかかるブラックスミス! 膝蓋腱断裂済みの両膝では弾道跳びカラテパンチを受け止め切れぬ!

 

「イヤーッ!」デッドラインは恐怖のままにバックフリップを試みる。だがそれは悪手! 「ナニィーッ!?」壁が近い! 後頭部衝突でタイドー・バックフリップは不可能だ! そしてそのために浪費した0コンマはイクサに於いて致命的な一瞬だった。「グワーッ!」全体重を乗せた右拳が顔面を強かに打った!

 

「グワーッ!」拳と壁の間で頭蓋がバウンドし、デッドラインの意識が遠のく。「グワーッ!?」遠のく意識は殺人マグロ一本釣りめいて激痛で引き戻された。両肘をクナイ・パイルがピン留めしている! 「グワーッ!?」両膝もだ! 「ヌゥーッ!」昆虫標本めいて壁に縫い止められたデッドラインは足掻く。

 

だが、その動きは止まった。ブラックスミスがトドメのピンを打つべく拳を振り絞ったからだ。「ま、待て! ブラックスミス=サン! 俺はニンジャサラリマンだ! お前達に恨みはない!」タナカメイジンでも投了せざるを得ない完全なるオーテ・ツミにデッドラインは時間稼ぎの交渉に移る。

 

「交渉は十分可能「イヤーッ!」グワーッ!」だがブラックスミスは聞く耳持たずだ! 「交渉すると言って「イヤーッ!」グワーッ!」デッドラインが何か言う度に拳が顔面にめり込む! 「話を聞「イヤーッ!」グワーッ!」「このイディオ「イヤーッ!」グワーッ!」「直ぐに助け「イヤーッ!」グワーッ!」

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラックスミスのパウントは実に丁寧だった。死なぬよう、かつ再起不能になるよう、BBQ前のステーキ肉めいて筋がなくなるまでじっくりとデッドラインを叩きのめした。

 

「ヤメ、テ……モ、ウ……ヤ、メテ……」涙と鼻水と血と肉の混合物を垂れ流して命乞いする様に、ようやくブラックスミスは耳を傾けた。「じゃあインタビューの時間だ。貴様がここに来た背景、依頼者。それと助けとやらについて全て話せ」「話す、話します、話しますから……」

 

「さっさと話せ」「ハイ」心折れたデッドラインは全てを喋った。業務上の秘密を喋ればハケンヘゲモニー社則により、人事部ニンジャの手で物理的にクビとなる。だが今死ぬか後で死ぬかならば後回しにした方がマシだった。恐怖と絶望は彼の舌をじつに滑らかに回した。

 

「……だいたいこんなところです」「だいたい判った。フェデラル内の派閥抗争とはな」背景は思いの外単純なモノだった。オータ・コーバと敵対するスミダ・コーバは、得体の知れない暗黒派遣企業ハケン・ヘゲモニーより傭兵ニンジャを借り受け、マガネ・クロイとの契約物理妨害という凶行に走ったのだ。

 

「シンヤ=サンが襲われたと聞いていたが、ニンジャが出てくるなんて……」コーバ同士のフェデラル主導権争いに端を発し、加熱した一流技術者の奪い合いが、ついには敵対派閥所属技術者への直接攻撃に至った。ブッダも目を覆うだろう社員達の愚かしさに、ゲンタロはただ項垂れることしかできない。

 

零細コーバ救済を願いフェデラル構想を発案した彼の失望と悲嘆は想像できぬ程だ。ゲンタロへの同情の視線を引き戻し、ブラックスミスはデッドラインの首を更に締め上げた。聞くことはまだある。「それで、助けとは?」「そうだ! ”コレクター”=サンはナンデ助けに来ないんだ! またカタナ探しか!」

 

何かがブラックスミスのニンジャ第六感を刺激した。「カタナ探し?」「そうだ! 手練れのくせにいつもいつも依頼よりカタナ強盗にばかりヤルキ出して! 今回だって刀匠相手の依頼だから強盗にでも行ってる「イヤーッ!」アバーッ!?」赤銅色の拳が頭蓋を砕く! デッドラインは死んだ。「サヨナラ!」

 

爆発四散の確認より先にブラックスミスはマガネへと問いかける。「マガネ=サン! スタジオには今誰が!?」「む、娘夫婦に留守番を頼んで……たぶん、アオイもそこに……」脳裏に走る最悪の想像に、マガネの顔は青ざめるを通り越して土気色をしていた。

 

「先に行きます! イヤーッ!」即座に窓から飛び出したブラックスミスは記憶の地図を辿り、黒錆色の風と化して駆ける。だが、ニンジャの全速力であろうと幸運の可能性は余りに小さかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

マガネとゲンタロが到着したとき、既にスタジオは青シートと虎模様テープ、そして人だかりに覆われていた。「迂回しなさい」「ここは危ない」「離れて」現場を警備するマッポ達から注意の声が響くが、群衆は薄汚い好奇心のままに集り続ける。「コワイネー」「死体見れる?」「人殺しだよ!」

 

野次馬をかき分け、警備の手を振りほどき、血相を変えたマガネは変わり果てた我が家へと入ろうとした。「入らないで!」「ワシは家主じゃ! 入れとくれ! 入れて…………おお、ブッダ……」入る必要はなかった。青シートで覆われた固まりは全て玄関前に置かれていた。大が二つ、小が一つ。家族と同じ数。

 

「マガネ=サン!」力なく崩れ落ちるマガネをシンヤは咄嗟に支えた。先んじて目にしていたとはいえ余りにも惨い。「目的は?」「カタナです。全て持ち去られています」表情を歪めるシンヤの耳に鑑識マッポとデッカーの声が届いた。「ハック&スラッシュか」「恐らくは発狂マニックかと」

 

「両親の傷はアキレス腱を除けばトドメだけ。キレイな切り口でした。イアイド二十段以上のワザマエです。なのに子供には……致命傷がありませんでした」宴曲的な表現だが、鑑識マッポの苦い表情は答えを告げていた。アオイは、なぶり殺しにされたのだ。それも両親の目の前で行われたに違いない。

 

でなければ両親のアキレス腱を切る必要もない。カタナの在処のために、動けぬ両親は目前で我が子のジゴクを見せつけられたのだ。そして用済みに惨殺された両親の死体の側で、幼いアオイは苦しみ抜いて短い生涯を終えた。ALAS! ブッダよ! 願わくば一時でも目を覚まし、彼らの魂に慈悲を与えたまえ!

 

「家主のマガネ=サンですね。ご家族のご冥福を謹んでお祈りします。私たちは必ず犯人を捕らえます。なのでお話を聞かせていただけますか? ……マガネ=サン?」心配の顔をしたデッカーの言葉に返答はなかった。大きな固まりの前で膝を突いたマガネは、言葉もなく小さな固まりを抱いていた。

 

かつて未来そのものであった、今は過去形でしか語れない、両手に収まる程の小さな固まり。それを抱いたままマガネは呆然と呟いていた。「アオイはな……ワシの作ったカタナが大好きでな……オジイチャンの跡を継ぐって言ってくれたんだ……アオイがな……七代目になりたいって、ワシに……言って……」

 

「マガネ=サン……」かつて辟易しながら聞いた言葉が、今は余りに空しく響く。「シンヤ=サン」マガネが不意に顔を上げた。その顔にはいっさいの感情はない。全て憤怒と憎悪、絶望と悲嘆の前に燃え尽きた。「オヌシは派遣社員だったな」「ハイ、コネコムから派遣されています」

 

マガネは涙すら乾ききった目でシンヤへ問いかける。「御社では復讐の代行も請け負っておるか」「ハイ」マガネはシンヤ……ブラックスミスのカラテを目の当たりにした。デッドラインを容易く殴り殺したカラテならば犯忍のコレクターにも届く。「三日後にカタナを取りに来てくれ。必ず渡す」「ハイ」

 

「全財産を渡しても構わん。それでアダウチを、娘夫婦とアオイの仇を取ってくれ。この子を苦しめて殺した犯人の首を取っておくれ。どうか、どうかオネガイシマス、どうか……!」きつく遺骸を抱きしめて深く深く頭を下げるマガネ。シンヤはゆっくりと頷いた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ハイ……ハイ……話はまとまったと。では、情報は……それなら問題有りません……アリガトゴザイマス。オタッシャデー」コネコムからの電話を終え、シンヤはため息で一息ついた。コネコムとハケン・ヘゲモニーの交渉は滞りなく終わったようだ。これで問題の一つは解決した。

 

残る問題は自分のカラテとマガネ=サンのカタナだ。自身が積み上げた鍛錬と経験、そして刀匠マガネ=クロイの覚悟と技術。どちらも信じるほかにはない。他に何もできない。「歯がゆいな」焦ってもヘイキンテキを失って危険を増すだけと判っている。しかし待つ時間は想像上の敵影を膨らませるばかりだ。

 

「カラテでもしておくか」誰ともなしに呟いてシンヤは庭へと向かった。その輪郭が霞むと黒錆色の普段着はジューウェアへと形を変える。庭先に出てみれば今日の重金属酸性雨は少々強めだった。追加で作ったパーカーを被って、デントカラテを一つ一つ構える。拳の握り、足の位置、体軸の角度、腰の高さ。

 

「イヤーッ!」超高速度カメラのスロー再生めいた動きで空間へとカラテパンチを放つ。握りが堅い。もう一度。「イヤーッ!」拳から雨だれが滴り落ちる。前のめり過ぎた。もう一度。「イヤーッ!」全身のリズムが合った。この調子。ギアを一つ上げる。

 

繰り返し繰り返しカラテパンチを虚空へ突き出す。基礎訓練が必須なモータルのカラテマンなら当然の、反復練習が不必要なニンジャのカラテ戦士にしては異様な鍛錬風景。シンヤにとってこれは鍛錬であって鍛錬ではない。肉体とカラテ、そして精神のチューンナップなのだ。

 

「イヤーッ!」一打ごとに雑念が吹き飛ぶ。勇み足だ。もう一度。「イヤーッ!」打ち出す拳が精神を鍛造する。腰が浮いた。もう一度。「イヤーッ!」世界が純化されていく。全身が一致した。さらにギアを上げる。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」全ての歯車が噛み合う感覚。維持しろ。そして加速。

 

「イィィィ……!」そして最高の一撃を今、放つ! 「……ヤァ「シン兄ちゃん、今いい?」……………………どうした、ウキチ?」最高のタイミングで投げられた声は、ある種完璧にシンヤの歯車をかき乱した。急停止させた全身が玉突き事故を起こしている。0ー100ー0の訓練も今後必要かもしれない。

 

演算中に電源コードを抜かれたUNIXめいた兄の心境などいざ知らずにウキチは問いかける。「ちょっと話したいことあってさ」いや、ウキチもまた兄の内心を慮れる心境でないのかもしれない。常の子供子供した顔ではない、痛みを堪えるような表情が物語っている。シンヤは縁側に隣り合って腰を下ろす。

 

「ねぇ、シン兄ちゃんはアオイのこと覚えてる?」「ああ、マガネ=サンとこのお孫さんだな」その復讐のためにカラテを整えていた所なのだ。「今日さ、アオイのお葬式に行ってきたんだ」葬式は工房に籠もるマガネの代わりにコネコムの人員が手配した。フェデラルからゲンタロも出席している。

 

「アオイも、アオイの父ちゃん母ちゃんも、ヨタモノに襲われて死んだんだって」ウキチ自身もまるで実感が持てていないのだろう。「正直、明日学校いったらさ。いつもみたくアオイが居て『オハヨ!』ってアイサツするんじゃないかって、気がしてる」ウキチの声はどこか上滑りしているように聞こえた。

 

「キャンプの時もそうだったんだ。昨日まで居たのに、みんな死んじゃって。でもまだ、また明日会えるような気がしてた」一番多く、親しい人間達の死を経験した記憶。ヨタモノの大軍勢と後ろで糸を引くニンジャ達に襲われて多くを失った。勉強を教えてくれた元塾講師、古い遊びを教わった保育士崩れ。

 

そして、浮浪者キャンプの皆を守るために、ニンジャ”インターラプター”と相打ちになって死んだヨージンボ”サカキ・ワタナベ”。「でも、もう死んだんだよね、もう会えないんだよね?」「ああ、そうだ」もし彼が居てくれたなら。そう思うことはある。だが、彼はいない。もう、どこにもいないのだ。

 

長い空白の時間。雨音だけが響く。「……ナンデ?」ウキチは理解していた。「ナンデだよ!? ナンデ、アオイが死ぬんだよ!?」だが、受け入れられなかった。「アイツ、悪いことしてないのに! いいやつだったのに! トモダチだったのに……」唐突な友達の死は余りに理不尽でブルタルに過ぎた。

 

ビー玉めいたまん丸の目から溢れた涙がこぼれ落ちる。拭っても拭っても止められやしない。「お葬式で、ヒッ! 聞いたんだ、ヒック! マガネ=サンがアダウチ、ズズッ! 依頼するんだって。それさ、ヒッ、ヒッ! シン兄ちゃんがやるの? ズッ!」「ああ」涙で滲んだ目でも判るように大きく頷いた。

 

「じゃあ、ヒッ、ヒッ! 俺からも依頼する! ヒック! アオイを殺したワルモノをやっつけてよ! そんな奴が笑って、ズッ! 生きてるなんて、ズズッ! 俺イヤだよ! そんなのヒドイよ! ヒック! アオイが可哀想じゃんか!!」死者はもう帰らない。判ってる。死んだら取り返しはつかない。知っている。

 

「小遣い全部、全部出すから! 足りないならこれからの小遣いも出すから! だからシン兄ちゃん、オネガイシマス……!」でも、せめて、この理不尽だけは、不条理だけは許さない。キャンプと同じく納得できる終わりであるよう、もう居ない友に冥福があるよう、ウキチはありったけの小遣いを差し出した。

 

差し出した手ごとシンヤは両手で受け止めた。「承った」「え?」「了解したってことだよ」できるだけ優しく微笑む。自分の無駄に怖い目つきがこう言うときは恨めしい。少しでも家族に安心してほしいのに、心易く居てほしいのに。「シン兄ちゃん……アリガト、オネガイ」それでも思いは伝わった。

 

「ああ、任せろ」弟をきつく抱きしめる。肩にうずめた顔から涙と洟の冷たい感触が広がる。それが温くなるまでシンヤはウキチを抱きしめ続けた。「シンちゃん、ちょっといいかしら」「ウキチの話?」「うん」ウキチが部屋に帰ると入れ替わりにキヨミが姿を見せた。見えない位置にずっといたのだ。

 

その表情は暗い。先の話を聞いて明るい方がおかしいだろう。だがそれにも増して暗い。「私、酷いことを言うわ」「ああ」次に口を開くまでたっぷり10秒はかかった。「私にとってはマガネ=サンの復讐より、シンちゃんの方が大事なの」言いづらいのも当然だろう。弟達の決意と約束を踏みにじる言葉だ。

 

「そうだよな」しかしそれを言うのもまた当然だ。家族が命の危機に身を曝すのを喜べるはずもない。シンヤ自身、ニンジャでもなければこんな無茶はしない。「だからお願い、自分を賭けないで」約束を破って依頼を投げ捨てろとは言えない。言ったとしてもシンヤは動くだろう。だから、せめてこれだけは。

 

「できるなら、そうするよ」命がけないで勝てるならそれが一番だ。だがコレクターのカラテは不明だ。手練れでカタナ愛好者である以上の情報はない。もし想定を超えてくるなら死地に飛び込む覚悟も要る。シンヤの言葉から覚悟を察したキヨミは言葉もなく項垂れる。

 

床を見つめるキヨミにシンヤも言葉を探しあぐねる。何を言えばいいのだろうか。ニンジャになってもまるで判らない。「じゃあ、代わりに約束して」「約束?」先に口を開いたのはキヨミだった。しかと顔を上げシンヤの目をまっすぐに見つめる。「ええ、必ず帰ってきて。家族の前に元気な姿で帰ってきて」

 

シンヤは胸のタリズマンを掲げて頷いた。「……ああ、こいつにかけて約束するよ」掲げる手にキヨミの細い手が重なる。「約束よ」「約束」自然と二人の額は触れ合った。祈るように誓いを込めて二人は目を閉じた。ただ降りしきる雨の音だけが辺りを包んでいた。

 

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#3おわり。#4へ続く。



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第四話【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#4

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#4

 

「マガネ=サン、オジャマシマス」約束の三日後、ゲンタロとシンヤの二人はスタジオを尋ねた。「こいつはマズいかもしれんな」モルグめいた闇に包まれるスタジオに、ゲンタロが苦々しく呟く。老齢のマガネが家族全てを奪われて、身を省みずに命を捨てる覚悟で三日三晩カタナを打っていたのだ。

 

それは残り短い寿命の蝋燭をヤスリ掛けするに等しい。「だとしても……いえ、尚のこと、依頼は果たします」単なるお願いではない。それは人生全てをかけた誓願だ。そしてシンヤは、ブラックスミスはそれを請けた。ミーミーに生きるニンジャとして、誓いを果たさない選択肢はない。

 

「炉はまだ点いているぞ」仕事場の炉には、センコめいた弱々しい熾火が灯っていた。闇の中、シンヤの目がカナトコに向かい倒れる真っ黒な人影を見つけた。「マガネ=サン!?」「居たのか!? ダイジョブか!?」モータルの目には闇と炉の火しか見えない。

 

だがニンジャ視力はドゲザめいた体勢で倒れた黒い影を捕らえていた。「今、電灯をつけるぞ!」ゲンタロがスイッチを入れ、白熱したタングステン・ボンボリがスタジオを覆う闇を引き裂く。だが影は真っ黒なままだった。「おお! ブッダ!」なぜならば、それは人影ではなく人型の炭だったからだ。

 

ドゲザめいた姿の炭化死体は一振りのカタナを差し出していた。束も、鍔も、鞘もない。銘も、刃紋もすらない。研ぎ上げられた刀身のみのカタナ。白雪か、白銀か、白骨か。息すら凍りつくような純白の刀身。一切の生を許さぬが故の死に絶えた、しかし圧倒的なまでの美がカナトコに置かれていた。

 

「これは……」だが、それを手に取ったシンヤが三度目の感嘆を呟くことはなかった。そこにゼンは無かったからだ。代わりにあるのは悪意によって生まれた(オン)だった。色を重ね続ければ黒になるように、光を重ね続ければ白になる。これは積層鍛造された純白の憎悪だ。

 

シンヤに憑依したソウルの名は”タンゾ・ニンジャ”。自身同様『原作』外の存在だ。クランもジツも正しくは知らぬ。だが判る。文明の簒奪者たるニンジャに於いて例外の生産者であったと、殺人具作りに長けた刀鍛冶であったと。故に判る。このカタナに込められたソウルが、刀身に打ち込まれた怨念が。

 

炉の炭が音を立てて爆ぜた。熾火の赤が刀身を滑り、細く赤い軌跡を描いた。センコめいた赤光が目に映る、それをカタナが映し、瞳が反射し、刃が照り返す。それは古の神話より学校の怪談に至るまで、語り継がれた合わせ鏡のオマジナイ。二つ鏡の夢幻回廊は魂を何処へと連れ去るのか。

 

おお、赤光が眼球に映る赤光が刀身に映る赤光が眼球に映る赤光が刀身に映る赤光が眼球に映る赤光が刀身に映る赤光が眼球に映る赤光が刀身に映る赤光が眼球に映る赤光が刀身に映る赤光が眼球に映る赤光が刀身に映る赤光が眼球に映る赤光が刀身に映る赤光が眼球に映る赤光が刀身に映る赤光が……

 

------

 

……燃え上がる。炉の炎が赤々と上がる。金属以上の強度と黄金以上の価値を持つオーガニック備長炭が火の中へと次から次に放り込まれていく。まともな損得勘定の持ち主なら絶対にしない行為だ。つまり、それをするのは損得など捨て去った狂人であろう。事実、マガネ・クロイは狂っていた。

 

怒りに狂い、憎しみに狂い、怨みに狂い、悲しみに狂っていた。床には過去形でしか語れない家族が眠る。額に三角巾を被り、家族仲良くお揃いの死に装束を纏う。血を分けた愛娘、マガネ・ギンコ。次代を託した娘婿、マガネ・スアカ。そして、心より愛した孫、マガネ・アオイ。

 

一人一人を優しく抱き上げ、強く抱きしめる。思い出が脳裏と胸中に浮かんでは消える。そして、マガネは炉の中に我が子の死体を入れた。超高級炭が追加の酸素を吹き付けられて超高温の淡紅に染まる。死体は瞬く間に燃え上がり、炭と化していく。これは自宅火葬なのか!? ナムアミダブツ!

 

そして狂気は留まることを知らない。続けて愛弟子が火中に投じられた。自身のワザマエ全てを伝え、全てを託した。七代目のマガネ・クロイを襲名するはずだった。だが死んだ。高熱に曝された大柄な肉体がイカジャーキーめいて丸まる。それは、まるで炭屑となった妻を抱きしめるように見えた。

 

最後に抱き上げたのは一番幼い死体。最後に抱き上げたのは半年前だったか。プレゼントを渡した誕生日に、大喜びで抱きつく初孫を抱き上げた。10に成り立ての小さな身体は、初めて抱き上げた日よりもずっと重かった。なのに、今はこんなにも軽い。最後にもう一度抱きしめる。

 

炉の熱を存分に浴びていたのに、その身体は冷たかった。最後の家族が炉に入れられた。音を立てて燃え尽きていく。炎が愛した全てを呑み尽くす。家族を薪に代えて、積み重ねた鉄片が沸き立つ。引きずり出した真っ赤な銑鉄をカナトコに寝かせると、マガネはハンマーを振り上げた。

 

カィン……カィン……カィン……カィン……。繰り返し繰り返し、焼けた鉄を打つ音が響く。荒鉄を打ち据え、炭素を叩きだす。悲嘆を打ち据え、惰弱を叩き出す。ひたすらに純度を高めていく。殺意の、憎悪の純度を高めていく。鉄が真のカタナへと火を以て造り変えられていく。

 

両手の数より折り返した無垢の玉鋼は何時しかカタナのシルエットを得た。さらにセンとヤスリで荒く仕上げて輪郭に詳細を与える。常のカタナ造りならばこのまま焼き入れし、研上げて終わりだ。しかし、マガネは刀身を炉に差し込むと懐から儀礼的タント・ダガーを差し出した。

 

それはアオイの成人祝いに渡すはずだった守り刀だ。鍛刀の過程には不必要な護身刀の切っ先をサラシで締め上げた腹部に当てる。そして……ALAS! 「ヌゥゥゥーーーッ!!」ハラキリ! そのままタント・ダガーを十文字に滑らせる! 「ヌゥゥゥッッッ!!!」ナムアミダブツ!

 

マガネ家断絶を苦にしてのセプクか!? 否、その目には未だ赤熱する憤怒と憎悪を宿している! 「ハァーッ! ハァーッ!」噛みしめ過ぎた口の端から血が流れる。震える手で引き抜かれたタントダガーは血でべっとりと汚れていた。

 

だが、まだ終わりではない! 「カーッ!」砕けた歯を血ごと吐き捨てる。家族をくべた炉で炙られた刀身を引き抜く。濡れたテヌギーで赤々と熱を発する刀身を握りしめる。そして、赤熱するそれを…………おお! ブッダ! 傷口からハラワタへと! 差し込んだのだ!

 

SIZZZZZLE!! 「AGHHH! AGHHH! AAAGHHHHHHHHH!!」鉄臭い蒸気が吹き上がる! 計り知れぬ苦痛に血を吐き絶叫するマガネ! だが刀身を離しはしない! 自らの血と内臓でカタナに焼き入れる! 絶望を! 憎悪を! 憤怒を! ソウルを! 全てを!!

 

贄を炉にくべ、己を刃金に捧げてカタナを得る。それはマガネ一族に伝わるおぞましき鍛鉄法。愛する全てを奪われたマガネは躊躇無く邪術を実行に移した。「AGHHH……」焼き入れられた刀身を引き抜いた。凍える程に白いカタナだ。血生臭く白い息が漏れる。滴る血涙が音を立てて白い蒸気を上げる。

 

未だ熱を残す刀身を握りしめたまま、復讐に燃えるマガネは荒研ぎに入った。そう、マガネは燃えている。自らが炉にくべた家族同様、余りの高温に炭化したハラワタは炉の火と同じ赤に燃えている。その赤は残る肉を焦がしながら広がっていく。炭と化した人影に赤の亀裂が脈打つ。それでも影は研ぎ続ける。

 

荒研ぎから下地研ぎ。研ぎが進む度に脈は弱まり赤は失われていく。下地研ぎから仕上げ研ぎ。それでも炭黒の人型は研ぎをやめない。仕上げ研ぎから化粧研ぎ。研がれる度にカタナは色を失っていく。そして化粧研ぎを終え、遂に影は動きを止めた。カナトコには一切の色無き、純白の一振りがあった。

 

------

 

そうだ、だから()()は復讐を果たさなければならない。我が子の、弟子の、孫の仇を討たねばならない。許しはしない。慈悲はない。犯忍を殺す、ワシのカタナで殺す、必ず殺す、殺す、殺すべ「……=サン! カナコ=サン!」誰だ、誰が呼んでいる。誰を呼んでいる。誰の名だ。これは…………俺の名だ。

 

「ゲンタロ=サン?」「ショックなのは判るが、ダイジョブなのか?」赤と黒の白昼夢が消え失せる。カタナに込められた怨念の最中、シンヤはマガネの憎悪を幻視した。憎悪に呑まれて自分がマガネ・クロイであると錯覚していた。ゲンタロの呼んだ自身の名が呼び戻してくれたのだ。だが……カィン……。

 

「ええ、ダイジョブです」……カィン……カィン……「それならいいんだが」……カィン……カィン……「それにしてもマガネ=サンは一体何をしたんだ」……カィン……カィン……「約束の通りカタナを打ったんですよ。犯忍を殺すためのカタナ、それがこれです」……カィン……カィン……。

 

シンヤの耳の奥で未だ幻聴は響いている。鉄打つ音が鳴っている。手に捧げ持つ白銀の刀身に指を滑らせた。黒錆色の繊維が束を巻き、スリケンが鍔を象る。だが足りない。まだ足りない。黒錆色の闇がわき出して呪具を成した。ノロイ・チズル。ソウルが導くままに切っ先を走らせ鎚を打ち込む。

 

カィン……カィン……カィン……。一文字、二文字、三文字。ルーンカタカナが揃い、コトダマが意味を成した。それは償いを、報復を、そしてインガオホーを表す、古きパワーワード”ムクイ”。銘は刻まれ、復讐のカタナはここに完成した。「マガネ=サン。アダウチ代行、承りました」……カィン……。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

理由は様々だがネオサイタマには廃ビルが多い。解体費をケチったか、偽装建築がばれたか。テナントが夜逃げしたか、武装アナキストに乗っ取られたか。この廃ビル『みかん』の理由は極めてシンプルだ。朽ちた首吊り縄とオーナーの白骨死体がそれを示している。

 

「フーム、これもナカナカ。流石は刀匠マガネ、いいカタナを作る」その横で洗い立てシーツめいた白装束のニンジャ”コレクター”はカタナの手入れに勤しんでいた。ネオサイタマ最高峰の刀匠であるマガネ・スタジオで強盗斬殺して奪い取った作品だ。どのカタナもお眼鏡に適う逸品ばかり。

 

しかし思いの外、数が少ない。もう少し多くのワザモノが手にはいると思ったが、大半が既に売られていた。目の前で子供をなぶり殺しても差し出さなかったのだから、本当に無かったのだろう。手間と成果を比べればトントン・イコールといった処だろう。長い息を吐き、カタナをまとめ、腰を浮かせる。

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャ第六感が予期したとおり、危険が襲いかかった。黒錆色の巨大クナイが貫いたのは純白の残像。その上にアンブッシュの下手忍が仁王立っている。「ドーモ、初めましてコレクター=サン。コネコムのブラックスミスです。マガネ一家殺害のアダウチ代行に来ました」

 

「ドーモ、ハケン・ヘゲモニー社のコレクターです。如何にして俺を見つけた? 答えよ」コレクターは普段使いのカタナを抜き放ち油断無く構える。ジツか、監視者か、野伏力か。問い返しとニンジャ五感で伏兵を探る。「アイサツを訂正しろ、それが答えだ」隠す気もないブラックスミスはあっさりと答えた。

 

「なるほど、お前は首切り代理も兼ねていたか」いぶかしむコレクターの目に納得が浮かぶ。度重なる職場放棄と業務外殺人に、ハケン・ヘゲモニー社のカンニンブクロは遂に炸裂した。コネコムとの交渉を受け、コレクターの凶行を追求しない代わりにその居場所と殺害許可を伝えたのだ。

 

「ならば履歴書と転職サイト登録が要るな。得られたカタナの割に面倒の多いことだ」肩を竦め苦く笑う。逆に考えよう、目の前のニンジャから逃げ切れば面倒無く次にいける。「面倒が嫌いか? 安心してくれ、お前の命ごとすぐに無くなる」吐き捨てたブラックスミスは背負う報復のカタナを抜き放った。

 

息を呑むほど白い刀身が虚空に顕れ出た。黒錆色とのコントラストは闇夜を裂く銀月の様。ガントレットの赤銅色と合わされば、それは触に消える一瞬の月。「ワォ……ゼン……!」コレクターは言葉を失った。美しい、余りに美しい。乾ききった口中に呑みきれぬ程の唾が湧く。これを欲しい、これが欲しい!

 

「なんという……なんというカタナだ。これは、刀匠マガネの作品か?」期待と興奮に掠れた声で問いかける。構えるカタナの切っ先も心中と同じく揺れ動く。一方、言葉を返すブラックスミスの声は、手に握る一刀めいて白々と冷たい。「そうだ。銘を『ムクイ』、お前を殺すための一振りだ。感謝して死ね」

 

「感謝しよう、マガネ一家を皆殺した三日前の私に。ああ、子供をなぶり殺して本当によかった、本当によかった! アリガト!」「言葉を変えるぞ。生きていることを心底後悔させた上で殺してやる……!」ブラックスミスの両目に殺意が灯った。わき上がる憎悪と憤怒のままにカタナを天へと突き立てる。

 

その形は前世記憶が教える一刀必殺の剣法。京都の路地で、鹿児島の戦場で、その二の太刀無き抜即斬は幾多の武士を叩き割った。それは薬丸自顕流が一刀『蜻蛉』である! 「キェーッ!」「イヤーッ!」ブラックスミスが猿叫を吼え、コレクターがシャウトで答える! 白と黒が交錯し、血華と火花の赤が咲く!

 

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#4おわり。#5へ続く。



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第四話【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#5

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#5

 

CRASH! 「アィッ!?」突如響いた破壊音に彼女は首を竦めた。思わず取り落としたポリバケツから中身が散らばった。「アーァ……」一面の生ゴミに、気分は陰鬱に落ち込んだ。また店長から怒られる。ミスを逐一あげつらい、何かある度に怒鳴り散らし、低賃金と過剰勤務を強要する最低の店長だ。

 

俺はヤクザと繋がりがあるとか豪語していて怖くて堪らない。最近は大学の勉強にも支障が出ている始末。だが他にバイト先は見つからなかった。実家に入学金以上の無理も言えない。ため息を押し殺し、彼女は箒とチリトリを手に取る。「……ャーッ!」「イャ……!」また何か聞こえた。人の声のようだ。

 

ヨタモノの喧嘩か? だが、あの声はまるで……「イヤーッ!」「イヤーッ!」目前でモノトーンの風が吹き下りた。黒い烈風と白の旋風が絡み、弾き、交差する。ZING! ZING! ZING! 白黒のチャンバラに火花と流血の赤が彩りを添える。彼女は遺伝子に刻まれた恐怖に絶叫を上げようとした。

 

「アィェ……?」だが喉から声が漏れるより速く、単色の風は流れ去った。「ナンバサットシテンコラー!」呆然と虚空を見る彼女の背中に店長の喚き声がぶつかった。いつもなら声だけで身を竦ませる。だが、不思議と恐ろしくはなかった。彼女は箒を2・3度両手で素振りすると、構えたまま振り返った。

 

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その上空、20m上の屋上。「「イヤーッ!」」SNAP! シャウトと重なるようにハガネが断末魔を上げた。コレクターは真っ二つに折れたカタナを投げ捨てる。「フフフ、これで3本目か。二束三文の安物ではその名刀にはまるで足りぬな」「お前のカタナを全部叩き折った後、背骨と首を叩き折ってやる」

 

「コワイ、コワイ。ウフフ……」4本目を抜き放つコレクターの顔には愉悦と嘲笑がべったりと張り付いている。再び蜻蛉を取るブラックスミスの表情は憎悪と憤怒が焼き付く様。全身の傷口からもニンジャアドレナリンが殺意と共に揮発している。一方、コレクターの白装束には汚れ一つ無い。

 

これはイアイドーの実力差が色濃く現れた結果だ。イクサの経験値はともかく、カタナの経験はブラックスミスが大きく劣る。故にソウルの伝えるツジギリ試斬法に、前世記憶の薬丸示顕流を組み合わせて、一太刀でカタを付けるつもりだった。だが結果はこれだ。ならばどうする?

 

(((学ぶまで、だ)))如何にかわすか、如何に斬るか、如何に返すか、如何に受けるか。コレクターの一挙動一刀足全てをニューロンに焼き付ける。相手が上ならそれを呑み尽くして更なる上にいく。「楽しませておくれよ、フフ」「なら、楽しんで死ね!」せせら笑うコレクターめがけブラックスミスが跳んだ!

 

「イヤーッ!」大上段で振り下ろす! 「イヤーッ!」絡めて真下へ受け流す! 「イヤーッ!」そのまま小手を刻みにかかる! 「ヌゥーッ!」重心を落として跳ね上げる! 「イヤーッ!」タックルめいて石突き打ち! 「イヤーッ!」かわし際の抜き胴! 「ヌゥーッ!」SNAP! 皮一枚を引き替えに4本目を折る!

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」SNAP! 5本目! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」SNAP! 6本目!

 

次々にカタナを使い潰しながら剣戟を交わす二人。「これは困った、全部折られたか」「次は、ハァーッ、お前の、ハァーッ、首だ、ハァーッ」遂にコレクターの手持ちは尽きた。代償としてブラックスミスの傷は多く深い。だがムクイには刃こぼれ一つ無い。コレクターは陶然と無傷のカタナを見つめる。

 

「フフ、こんなステキなカタナを創ってくれるなら、マガネ=サンの前で孫を刻む方が良かったかな?」「代わりに、ハァーッ、お前を刻んでやる」「おおコワイ、コワイ。ならとっておきを出すしかなかろう」抜きはなったのは闇夜を削りだしたかの如き漆黒の一刀だった。刀身に映る光すら呑まれるようだ。

 

「これの銘は『ムラサマ』、エド・トクガワを恨む刀鍛冶が打ったワザモノだ」恍惚の表情で鎬を撫でさするコレクター。「ウフフ、お前のムクイと俺のムラサマ、なんとステキなコントラストだろう」「お前の血で塗り潰してやる」漆黒の妖刀を地擦り構える白装束、純白の魔剣を曇天に突き立てる黒錆色。

 

CLAP! 彼方で遠雷が鳴った。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ZING! 稲妻が重金属雲を走る音を合図に、鏡写しの殺意が爆ぜる。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ZING! 白黒の二人が黒白のカタナを振るった。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ZING! 火花が咲き、血華が舞う。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ZING! ZING! ZING! ZING! ZING! ZING! モノクロームの殺陣を火花と流血が赤く染める。モノトーンの大気の底で泳ぐように、踊るように刃を振るった。

 

------

 

いつ終わるとも知れぬ斬り合いの最中、いつしか空気は粘性を帯び、時間は質量をまとっていた。二振りのカタナが薄皮一枚を裂き、ネオン光を弾き、酸性雨を跳ね上げ、イオン風を巻き上げる。振るう一刀に応じて差し出す一刀。右に踏み出せば左へ歩を進め、前に踏み込めば後ろに足を引く。

 

ヒサツワザの初動に応じ、0コンマで次の手その次の手を積み重ねる。次々に組み立てられては片端から投げ捨てられる、無数のイマジナリカラテの戦略図。限界まで酷使された脳髄が脈動し、過働するニューロンが発火する。鼻血を散らしながら火花を散らす。意識すらも置き去りにしてイクサは加速する。

 

ニンジャ動体視力ですら視認できぬ速度域で、ニンジャ第六感とカラテ条件反射だけが自ら肉体を動かす。互いのカラテが紡ぎ合い絡み合い、イクサという名のタペストリーを織り上げる。空っぽの五体が鐘めいてワザマエを谺する。トランスの極みの中、武闘を越えた舞踏を続ける。

 

その光景をブラックスミスの精神が遠くから見ていた。何も感じず、何も考えず、夢見るように茫洋とイクサを眺める。その心は枯山水めいて透き通り凪いでいた。これこそブディズムの謳うサトリの境地であろうか。否、ただの魔境に過ぎぬ。ダイトクテンプルの住職ならばそう答えるだろう。

 

それを示すように水鏡に波紋が生じる。波紋は音紋を描いていた。どこからか響く鉄打つ鐘めいた音の紋様を。……カィン……音に合わせて枯山水が濁っていく……カィン……血の赤と炭の黒が無色透明を汚していく……カィン……マガネの恨み言がシンヤを染めていく……カィン……

 

……カィン……許せぬ……カィン……許さぬ……カィン……よくも愛娘を……カィン……よくも愛弟子を……カィン……よくも愛孫を……カィン……殺す……カィン……必ず殺す……カィン……殺すべし……カィン……

 

そうだ、(ワシ)は復讐を果たさなければならない……カィン……ワシ()の家族の仇を討たねばならない……カィン……許しはしない。慈悲はない……カィン……犯忍を殺す、ワシのカタナで殺す、必ず殺す、殺す、殺すべし! ニンジャ殺すべし!

 

ブラックスミスの目はマガネの殺意と狂気に染まった。粘り付く風を引き裂き、重苦しい一瞬をかき分ける。腰車狙いのムーンシャドウ。踏み込みながら鍔で絡めてカチ上げる。膝抜きで大上段から振り下ろされた。ヒラキに成る前に転げかわす。振り向きざまの地摺り上げ。相手も同型の地摺り上げで臨む。

 

ジンとヤイバが鳴り、血が飛沫く。紐の切れたオマモリ・タリズマンが飛ぶ。宙を舞う白黒のカタナ。黒白の二忍は完全同期のカラテ演舞に入った。「「イィィィヤァァァッッッ!!」」イアイドー奥義『マキアゲ』。双方の手にカタナが収まる。演舞により極限まで加圧されたカラテが推進力に転じた。

 

引き延ばされた一瞬の中、必殺のカタナが迫る。タタミ5枚の距離。回避など無い。ここで殺す。タタミ4枚。必ず殺す。殺されても殺す。タタミ3枚。この憎しみ、この恨み、晴らさでおくべきか。タタミ2枚。落ちる小さな影。オマモリ・タリズマン。タタミ1枚。『約束』の刺繍。キヨミとの約束。

 

『必ず帰ってきて。家族の前に元気な姿で帰ってきて。約束よ』

 

タタミ0枚「……ッッッ!!」切っ先が突き刺さる0コンマ直前。シンヤはムクイを手放した。同時に身を沈め、迫るムラサマをガントレットで跳ね上げる。赤銅色に火花が走り、冷たい灼熱感が胸を裂く。「ヌゥッ!」だが深くはない。傷もそのままにバックフリップで間合いを取った。コレクターはどこに?

 

いた。片手に黒のカタナを握り、深々と突き立った白のツルギを引き抜く……自分の肺から。「オボッ」吐き出す血と吹き出す血で白装束は鮮やかに染まっていた。「ナンデ、投げ捨てた、あんなステキなカタナ、を、ナンデ?」「家族に言われたんだよ、そんなのいいから『帰ってきて』ってな」

 

「そんな、くだらぬ、ことで、カタナ、を、ケ! ガ! ス! ナ! イヤーッ!」二度目のバッファローめいた刺殺突進。二振りのカタナを手にして殺戮力は二倍だ。だがカラテ演舞なしで推進力は半減している。加えて呼吸器損傷によりシャウトも僅少。「イヤーッ!」「グワーッ!」結果はイクサの公式に従った。

 

双刀をくぐり抜けたセイケン・ツキに顔面を打ち抜かれ仰け反るコレクター。「イヤーッ!」その心臓に二つ目のカラテパンチが打ち込まれた。ドドォンッ! 「アバーッ!」二重カラテ振動波が体内に響く。水芸めいて致死量の血液をまき散らし、コレクターは踊るように崩れ落ちた。

 

真っ赤に塗りつぶされた断末魔が響く。「サヨナラ!」白黒の二刀は墓標めいて爆発四散跡に突き立った。コレクターの死を確かめたブラックスミス……シンヤはその場に膝を突いた。

 

------

 

「ハァーッ、ハァーッ」荒い呼吸を繰り返し、息も絶え絶えとメンポを引き剥がす。頭巾とメンポの下はカタナの刻み跡だらけだった。それは装束の下も同じ。無数の切り傷が全身至る所に刻まれている。タイトロープを歩くようなギリギリのイクサだった。

 

「ハァーッ、ハァーッ…………オボッ」膝を突いたシンヤの口から昼食のソバが漏れた。「オボーッ! オボボーッ!!」カキアゲ、エビテン、オニオンリング。瞬く間に昼食のメニューすべてが逆流する。

 

呑まれていた。自分の命も、果たすべき仕事も、愛する家族すら、マガネ・クロイの憎悪に呑まれて脳裏から消えていた。暴力の快楽も、邪悪な感情も知っているつもりだった。なのに抵えなかった。

 

そんな甘いものではなかったのだ。全てを奪われ、全てを捧げ、全てを費やし、全てに報いる。極限の憎悪と、究極の殺意と、至高の快楽が、寄せては返すツナミめいて”カナコ・シンヤ”を押し流した。シンヤが味わったのはたった一人の狂気と絶望だ。だがそれですら耐えられなかった。

 

正気に戻れたのは単なる幸運だ。もしもキヨミとの約束を思い出せなければ、ブラックスミスはコレクターと相討ちし相殺しただろう。そして家族の顔すら思い出すことなく、復讐成就の悦楽に酔いしれながら死んでいた筈だ。

 

もし、もしも、あと一歩でもあの感情の渦に足を踏み入れていたならば、自分は戻れはしなかっただろう。自分以外とて変わりはすまい。ましてやギンカクに湛えられたモータルの記憶の渦となれば尚のこと。

 

ナラク・ニンジャの憑依者は皆「これ」を浴びた。それも無数のモータルが断末魔と共に絞り出した、無念と怨念の濁流を。自我はその圧倒的な記憶の大波に容易く飲み込まれ、不浄の火にくべられた薪となる。ニンジャを殺し続ける殺戮機械となり果てる。誰であろうとそれに曝されれば快楽殺忍鬼に墜ちる。

 

その僅かな例外こそがフジキド・ケンジ……ニンジャスレイヤーだ。それは衝動と快楽に突き動かされ、人間性の分水嶺を踏み越えてしまったニンジャ殺人鬼(ニンジャキラー)ではない。冷徹に慈悲無く、しかし同時にしめやかに奥ゆかしく、自らの意志とエゴでニンジャを殺すニンジャ。

 

それこそがニンジャ殺す者(ニンジャスレイヤー)、それこそがフジキド・ケンジ。深淵(ナラク)からの呼び声を時に受け入れ、時に拒絶し、自我を見失うことなく己で在り続ける。感傷の極点たる復讐心と、意志の極地たる殺意。真逆の狂気を両輪に、ヘイキンテキと人間性を保ち続ける。

 

フジキドの有り様にシンヤは畏怖と恐怖を覚えた。ああは成れまい、ああは成るまい。オマモリ・タリズマンに誓う。俺はニンジャ”ブラックスミス”、トモダチ園の大黒柱、キャンプのヨージンボ、コネコム特殊案件対応要員、そして何より”カナコ・シンヤ”なのだから。

 

「ゲホッ」全ての感情と昼飯を吐き出し終え、シンヤはメンポを付け直した。そして二振りのカタナの前で両掌を合わせる。「マガネ・クロイ=サン……アダウチ代行、ここに完遂しました」そして二刀を引き抜き、歩き出した。帰るべき場所、家族の元へと向かって。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

……ザリザリ……ザリ……ザリ……。足下に01の水が凪いでいる。これは夢だろうか。たぶん夢だろう。きっと夢だ。無数の二進数が重なり合った水はコールタールめいた黒。揺れ動くことなく凪めいて、或いは鏡めいている。ここはどこだろう。どうにもわからない。顔を上げれば星一つ無い新月の暗黒。

 

視線を下ろせば湖面の望月めいて光る白銀の立方体。知っている。六面に記憶が映る。岩礁に突き立った我が子入りのタワラを呆然と見つめる夫婦。知っている。取り押さえられたまま無意味な処刑を眺めるしかない兵士。知っている。瓦礫に埋もれながら息子を抱きしめる母。知っている。

 

そして、水面に一滴分の波紋が走る。愛した家族を炉にくべる祖父が映った。知っている。焼けた刃金を臓腑で焼き入れる老人が映った。知っている。燃えさかる炭と化しながらカタナを研ぎ続ける刀匠が映った。知っている。安らぎを捨て、慈悲を捨て、復讐に全てを捧げたマガネ・クロイ。

 

今、一人の男がナラクへと墜ちた。

 

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#5おわり。



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第五話【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#1

【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#1

 

「エーラッシェー!」「ワースゴーイ、ナンカスゴーイ」模造宝石めいて輝くストリートのネオン。そこから一本、裏路地に入れば化粧を落としたエンシェント・オイランの顔に似る。極彩色の逆光に浮き彫りとなる、ゴミと害虫、犯罪と堕落。そんなネオサイタマの日常風景の中、一つの影が駆けていた。

 

「ハァーッ! ハァーッ!」荒い息の音が忘れ去られた廃ビルに響く。影は溺れるように喘ぎ、もがくように走っていた。それは発狂マニアックの妄想に捕まった哀れな市民か。或いは殺人中毒者の視界に入った不運な浮浪者か。影はそのどちらでもあり、どちらでもない。

 

「どこだ、どこから来る……」影を追うのは確かに発狂マニアックの殺人中毒者だ。だが影は市民でもなければ浮浪者でもない。煤けた装束が、焦げ付いたメンポがそれを示している。影の名は”スケープゴート”。ヤクザすら歯を鳴らしてドゲザする、恐るべきソウカイヤのニンジャエージェントだ。

 

「奴は異常だ! おかしい! 俺は判るんだ!」だが今、歯を鳴らしているのはスケープゴートの方だった。生け贄の山羊めいて息も絶え絶えに逃げ惑う。ニンジャなのにナンデ? 誰もが抱く疑問はスケープゴートの問いでもある。応えるように記憶が想起される。思い出したくもない、恐怖の記憶が浮かび上がる。

 

……それはいつもの仕事だった。提携しているヤクザ事務所からの集金作業。上の目は厳しくてピンハネ蓄財もできやしない。最悪、シックスゲイツの手が下される。何が悲しくてニンジャが取り立てをしなければならないのか。ニンジャなのにレッサーヤクザと何も変わらない……ニンジャなのに!

 

だからその日、スケープゴートは酷く苛ついていた。とりあえず集金先のジンギスカン・ヤクザクランに難癖付けて2、3人殺してやろうと思うほどに苛立っていた。それを敏感に感じ取ったのだろう。ひきつった愛想笑いでジンギスカン・ヤクザクランのオヤブンは余興を勧めてきた。

 

それは不用意なサラリマン一家を対象にした、手の込んだ家庭破壊残虐ショーであった。夫婦の目と耳を塞いで囚人のジレンマを実践させる。すると愛し合い庇い合っていた筈の夫婦が、疑心暗鬼と恐怖の果てに、耳が腐るような罵声をぶつけ合い互いの人格を蔑みあうのだ。それも我が子の目の前で!

 

壊れた両親を見つめる壊れた子供の顔は、実にスケープゴートを愉快にさせた。声を上げて笑う彼にジンギスカン・ヤクザクランの連中も安堵の追従笑いをあげる。その時だった。壁の家庭円満を意味するブッダエンジェルが泣き出した。自壊したバーミヤン渓谷の大仏群めいて自らの無力に涙したのか?

 

否、油絵を溶かしたのはマハーデーヴィーの悲嘆ではない。それを示すように部屋の気温は跳ね上がり、廃仏毀釈めいた様の壁絵が燃え裂かれた。焼ける空気の中、全員の背筋にはドサンコの吹雪よりも冷たい汗が流れた。憎み合っていた夫婦は無意識に子供と互いを抱きしめ、ヤクザはチャカ・ガンを構えた。

 

そして壁の亀裂を紅蓮に覆われた両手が押し広げる。そこから覗くのは、「忍」! 「殺」! ナムアミダブツ! その瞬間、スケープゴートは集金任務も、ソウカイヤも、誇りも、何もかも捨てて窓から飛び出した。松明めいて燃え上がるヤクザビルを背後に、背中を焦がす真っ赤な視線から全力で逃げ出したのだ。

 

……そう、逃げ出した。「「アィェーッ!?」」今の自分同様に恐怖の声を迸らせて。或いは目前のNRS(ニンジャ・リアリティ・ショック)患者めいて泣き叫びつつ。「ブッダミット!」「アバーッ!」恐怖を誤魔化すように不運な浮浪者をカラテ殺す! 「イヤーッ!」「アババーッ!」部屋の隅で震えるホーボー集団も同様にスリケン殺!

 

「フー、そうだ、俺はニンジャだ、強いんだ。奴は殺せばいいんだ」血を滴らせた両手を弄び、セルフメディテーションを行うスケープゴート。ニンジャらしく残虐な殺戮行為で彼はヘイキンテキを取り戻した。「どうやって?」「アィッ!?」しかしそれは十秒と持たなかったが。

 

背中から聞こえた恐怖が心臓を鷲掴みにする。「ククク、教えてくれないか? アイサツ前に逃げ出す臆病者のサンシタが、絶対的ニンジャ殺戮者をどうやって殺すのか」震えながら振り返った先には、紅く焼け付く殺意。「ドーモ、スケープゴート=サン」そして思い出すだけで悲鳴を上げる恐怖の二文字。

 

「俺はニンジャスレイヤーです」赤黒い悪夢がそこに立っていた。「ド、ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。スケープゴートです」無意識がスケープゴートの掌をすり合わせる。竦む肩で交わすアイサツはまるで命乞いの様だ。だが本当に命乞いをしたところで助かりはすまい。死ぬか、殺すか。その二択だ。

 

「それで、どうやってこの俺を殺すんだ?」ゆっくりと赤黒のニンジャはカラテを構える。裏社会ヒラエルキー最上位のニンジャをも超える、超上位存在をアッピールする。「ニンジャを殺すニンジャを殺す? 冗句だな、ククク……」怯え竦むニンジャを嘲笑い、逃れられぬ恐怖を煽り、絶対の死を見せつける。

 

だがコトワザにもあるとおり、追いつめられたネズミはネコに噛みつくものだ。「こうやってだ! イヤーッ!」限界を超えた恐怖が逆にヤバレカバレの覚悟を決めさせた! 血に染まった両手が奇っ怪なカラテサインを描く! 「ヌゥッ!?」途端に転がる死体から冒涜的な黒い靄が沸き上がり襲いかかる!

 

これぞスケープゴートのヒサツ・ワザ、『サクリファイス・ジツ』である! 「イヤーッ!」「グワーッ!」哀れな被害者のエッセンスで作り上げられた、おぞましい黒い子山羊が赤黒の殺戮者を押し包んだ。「死ね! ニンジャスレイヤー=サン! 死ね!」唯一の勝機を掴むべく、血が出るほどに固く印を結ぶ。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」血涙を流し、鼻血を吹き、ニューロンを焼きながら、スケープゴートは全ての力をジツに注ぎ込んだ。「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」カラテサインを繰り出す度に黒い子山羊は反自然的存在感を増す。内に収めたニンジャを貪らんと蠢く様は宇宙的恐怖そのものだ!

 

(((ニンジャスレイヤー=サンに勝てる、勝てるぞ!)))スケープゴートの脳裏に希望の火が灯る。ソウカイヤの敵にして、帝王ラオモト・カンの不快害虫であるニンジャスレイヤー。それを打ち倒しとなればキンボシ・スゴクオオキイは確実だ。ボーナスどころか一足飛びのシックスゲイツ入りも期待できる。

 

だが武田信玄なら奥ゆかしく目を伏せて呟いただろう、『勝ち誇った奴が負ける』と。勝利の寸前は、同時に敗北の一歩手前でもあるのだ! 「コズミック・クロヤギの胃袋が貴様のオブツダンだぁーッ!」勝利を確信する目には映っていない。垣間見える赤黒いニンジャブーツから放射状に走った床の亀裂が!

 

BLAM! 「イヤーッ!」銃声めいたソニックブーム音と共に黒い子山羊が弾け飛んだ! 「グワーッ!?」ジツの反作用がスケープゴートのニューロンを引き裂く。手の中に入れた筈の勝利は、ドライアイスめいて何一つ残さずに揮発した。(((ナンデ?)))残ったのは幾多の意味を持つ一つの問いだけだ。

 

ナンデ、ジツが破れた? それはカラテである。地を踏みしめた反動を起点に、全身のカラテをナックルパートに収束させたカラテパンチが絡みつくジツを打ち砕いたのだ。ナンデ、自分は破れた? それもカラテである。優れたジツを持とうとカラテなしではネコにコーベインと同じ。負けるべくしての負けだ。

 

そして……「死ね、ニンジャのクズめ!」「ナンデ?」自分が死ななければならない? 「ニンジャであるだけで十分な理由だ!」それに理由などない。少なくともスケープゴートには何一つ関係がない。ニンジャが理不尽にモータルを殺すように、不条理な赤黒の狂気でスケープゴートは死ぬのだ。

 

「死にたくない……タスケテ……!」「助けないのがニンジャスレイヤーだ! 死ね!」予想の通り、命乞いは許されない。死ぬか、殺すか。二択は今、選ばれた。「ニンジャ殺すべし! イヤーッ!」「アバーッ!」紅蓮に燃えるチョップが内臓ごと焼き捌く。

 

「サヨナラ!」生きながらに焼き肉用カルビを体感できるのは実に希有な体験だったろう。そして秒を数えるより早く死ねたのはブッダの慈悲に違いない。この世で二度と無い心地を味わいながら、一瞬でスケープゴートは爆発四散した。

 

―――

 

「ハァーッ、ハァーッ」スケープゴートの爆発四散を確認した赤黒いニンジャは肩で息をする。勝ちはした。だが辛勝だった。これでは失敗と変わらない。何故? 理由は一つ。「純度が、足りない!」ニンジャスレイヤーと名乗る赤黒のニンジャ、すなわち”ヒノ・セイジ”からすれば他に考えられない。

 

人間性コンタミネーション、精神的夾雑物。今のままでは真のニンジャスレイヤーとは到底言えない。やはり儀式の完遂は必要不可欠だ。枠しか残っていない窓から遠くマルノウチ・スゴイタカイビルが見える。重金属酸性雨に煙るオベリスクへと、セイジはスケープゴートの首を掲げた。

 

「初代ニンジャスレイヤー=サン、偉大なる始祖よ。今、新たに一匹のニンジャを殺しました。残り二つの首と邪悪なるモータルの血を捧げ、儀式を必ず果たします。クリスマスイブの夜までお待ちください……!」マントラ、或いはネンブツめいて、アドレナリンに浸かったセイジは恍惚とうわ言を唱える。

 

「始まりの人よ! 今宵も闇の中、ニンジャを刈って狩って勝っ」TELLL! 懐のIRC端末が電子ベルで声を上げた。トランス祭儀を中断させられてセイジは不快げに目を細めた。支配するNSS(ニンジャスレイヤー・シンジケート)のハッカーからだ。「モシモシ、ニンジャスレイヤー=サン。標的ニンジャ死亡を確認。今日も勝利ですね!」

 

「……言いたいことはそれだけか?」「アィーッ!? ゴメンスンマセンモウシマセン!」セイジの苛立ちを滲ませた声に、電話先のNSSハッカーは泡を食って謝罪を繰り返す。声以外が電話の向こうに伝わらないのは幸運だ。もしセイジの表情を見たなら、股間を濡らして助命嘆願のドゲザをしたに違いない。

 

「まぁいい」「アリガトゴザイマス! アリガトゴザイマス!」ニンジャの怒りを向けられればモータルは実際死ぬ。NSSハッカーは営業サラリマンめいてオジギを繰り返しているだろう。「ニ、ニンジャスレイヤー=サンは強くてカネモチで実際慈悲深いです。これはもうオリジナルを超えたのでは?」

 

しかし営業トーク力はないようだ。半端なゴマスリを垂れ流されて、セイジの眉根に不愉快の谷が刻まれる。「ダマラッシェー!」「アィェーッ! ゴメンクダサイアイスミマセンモウシワケアリマセン!」一喝を叩きつけられて倍する勢いで電話向こうは謝罪をまくし立てる。失禁ドゲザは確実だろう。

 

「侮辱は許さん、リスペクトと敬意を忘れるな!」「アリガトゴザイマシタ!!」一事が万事この調子だ。神聖なる超ニンジャ存在にシツレイを働いても、謝れば済むと思っているのか。自分が誰に仕えているかを一度『わからせてやる』べきだろう。戻ったら、しかるべきケジメをくれてやる。

 

「それで、何の用だ?」「えー、エート、ですね、僕ら頑張ってるんですよ。けど、その」電話先の声は煮込んだオモチより歯切れが悪い。粗雑なヨイショを繰り返した理由はこれか。「さっさと話せ」「アー、モータルの血がですね、ほんの少し、チョットだけ、後チョッピリ足りないんです。でも……」

 

モータルの血。それを集める目的は重サイバネ治療か、はたまた合法ドーピング用途か。少なくとも一般的なニンジャやハッカーと関わりある用途ではない。超自然のジツに使う訳でもない。では、何のために? 答えはセイジがうわ言の中で口にしている。そう、儀式である。

 

クリスマスイブの夜、マルノウチ・スゴイタカイビルを爆破する。その瓦礫にモータルの血を敷き、()()13(不吉)のニンジャの首を捧げ、ニンジャスレイヤー生誕を完全に再現する。これによってオリジナルからニンジャスレイヤー性は禅譲され、自分こそが完全なる理想像(ヒーロー)……真のニンジャスレイヤーとなる。

 

セイジは正気か? 無論、狂気だ。だがそれは第三者視点での話。全ニンジャを超越し支配する、唯一絶対の理想像(ヒーロー)が同時に二つ存在する矛盾。そしてドラゴン・ドージョーへの味方行為を筆頭とする、オリジナルの不完全なニンジャ殺戮行為。それら全て解決する御都合いい回答こそが、セイジにとっての絶対な真実なのだ。

 

「ですからね、僕らは悪くないんですよ! でもヤクザ傭兵がしっかり働いていないんですよ! それで……」「それで、なんだ?」「シ、シツレイシマスオジャマシスオユルシクダサイゴカンベンクダサイ!」「だから、なんだ?」「アィーッ!?」「泣きわめけば許されるとでも?」「アィェェェ……!」

 

泣き言を喚き散らしていたNSSハッカーは、か細い悲鳴を最後に声が途絶えた。自分の失禁跡に浸かって気絶しているのだろう。「モ、モシモシ! お電話代わります!」恐怖に上擦った声で別のハッカーが電話に出る。「そうか。それで、血はどうする気だ?」人が代わってもセイジに追求を緩める気はない。

 

「だ、代案があります!」「言え」「死んでいい奴を殺させてもっと血を確保します! パンクスとか、悪いカネモチとか、ジョックとか!」ヤクザ傭兵に殺させるモータルは重犯罪ヨタモノに限定している。かつてセイジを救ったニンジャスレイヤーが、ニンジャだけを殺してセイジを生かしたからだ。

 

セイジはそれに倣い無辜の市民を傷つけず、ヨタモノ殺しでモータルの血を確保している。だが、それでは儀式の日までに必要な血が集まらない。「社会の敵です! 悪い奴です! 殺していいです! ヨタモノと同じです!」言い訳じみた熱弁を聞き流し、彼方のマルノウチ・スゴイタカイビルに問いかける。

 

「ニンジャスレイヤーなら、どうする? ニンジャスレイヤーなら、どうやる?」(((ニンジャスレイヤーならどうする……ニンジャスレイヤーならどうやる……)))耳の奥で内なる声がコダマする。(((ニンジャスレイヤーなら……ニンジャスレイヤー……ニンジャスレイヤーに慈悲はない……!)))

 

「そうだ、慈悲はない」(((慈悲はない……)))バウッ! バウッ! 拳を握り開く度、センコ花火めいて火の粉が舞う。ニンジャ殺戮を阻害する者をニンジャスレイヤーは許さない。間違いない。自分が一番知っている。なぜなら自分はニンジャスレイヤーを宿している。だから自分はニンジャスレイヤーなのだ。

 

そもそもネオサイタマに無辜の者などいない。誰もが罪から目を逸らし、悲鳴から耳を塞ぎ、心を閉ざして生きている。この灰色のメガロシティでは誰も彼もが共犯者だ。そんな堕落モータルの血を敷いて、真に世界を支配すべき超ニンジャ存在が現れる。実に理に適っている。ならばもう生かす理由など無い。

 

「殺すべし……」((((殺すべし……))))それは狂人の理だ。そしてそれを指摘する者はない。籠手に蠢く紅蓮が絡みつく。くべる犠牲者を求めて生けるカトンが鎌首を上げる。部屋中が赤に満ちる。転がるモータルの死体、抱えたニンジャの首、床に延びる己の影。全てが緋色に照らし出される。腰に巻いたブラックベルトを除いて。

 

手渡されたカイデンの証だけは、紅蓮に染まることなく黒々と己の存在を訴えていた。「……モシモシ」「あいつら生きる価値なんか無いですよ! 皆殺せばいいんですよ! 町が綺麗になるんですよ!」吐き出す言葉に自己中毒でも起こしたのか、NSSハッカーは狂気じみてルサンチマンへの攻撃を訴えている。

 

「ダメだ」「え」セイジは一刀両断した。「ニンジャスレイヤーに過ちはない。あってはならない。絶対正義存在だ。その再誕には一片の瑕疵も許されん。その下に敷かれるのは疑いなく邪悪な血が相応しい」「アッハイ」一切の反論を受け付けぬ声音に、燃え上がっていたNSSハッカーも曖昧に頷くのみ。

 

「だが遅れも許さん。俺も参加する。いいな?」「ハ、ハイ、ヨロコンデー!」焼き固められた狂気にNSSハッカーは怯えながら答える。気が付けば耳の奥で響く声は消えていた。重金属酸性雨に煙るマルノウチ・スゴイタカイビルへと一礼して、セイジは闇に消える。全てを嘲笑うドクロ月だけが残った。

 

ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク#1おわり。#2へ続く。



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第五話【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#2

【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#2

 

「アイェー!」「ザッケ「イヤーッ!」グワーッ!」「スンマセン! ホントスンマセン!」常ならば精悍なカラテシャウトが響くデント・カラテドージョーに、野太い悲鳴と命乞いがコダマする。声の主はドージョーに似つかわしくないアロハシャツと金糸スーツの二人。どう見てもカタギではない。ヤクザだ。

 

しかし、常ならば我ら肉食獣でございとふんぞり返るヤクザが、カラテを前に怯え竦んで縮こまるのみ。肉食獣どころか獅子に蹴り転がされる小動物と変わらない。「事情をお判りいただけましたか? ではお帰りください」ヤクザをデント・カラテで蹴り転がすのはドージョーを統べるヤングセンセイだ。

 

「これで勝ったと思うなよ! 覚えてろ!」「マッテ! マッテ!」ザンシンを取るヤングセンセイへと、トラディショナルな捨て台詞を吐き捨てて、四足歩行で逃げ出したヤクザ達。デント・カラテの圧倒的説得力でジアゲヤクザは納得してもらえたようだ。だが、近い内にまた来るだろう。

 

何度殴り飛ばしても状況は変わらなかった。それどころか悪化の一途をたどっている。残る生徒を数えれば両手の指より少ない。「もうダイジョブですよ、皆さん」「あの、センセイ。ちょっといいですか」「ママから、その……」そしてまた二人減った。ああ、またか。歪む表情を作り笑顔に固定する。

 

「今までアリガトゴザイマシタ」「スイマセン」「こちらこそありがとうございました。ドージョーはいつでも開いています。また機会があればいずれドーゾ」二度と戻らないだろう生徒達の家路を見送る。その影が夕闇に消えると同時に、ヤングセンセイの顔からも張り付けた笑顔が消えた。

 

「……どうすれば良かったって言うんだ」血を吐くように呟き、拳を震わせて肩を落としたヤングセンセイはドージョーへと戻った。

 

―――

 

オブツダンにライスを供え、全ての照明を消し、戸締まりを確認する。日課を終えたコート姿のヤングセンセイは、いつものように夜の町に繰り出した。ご意見番であったオールドセンセイ亡き後、彼はほぼ毎日に歓楽街に足を運んでいる。ストレス性の現実を忘れようとネオンの海で快楽に耽溺しているのか?

 

否、彼のポケットにはオイランホステスの名刺も猥褻バーのマッチ箱も入っていない。代わりに入っているのは一枚の写真だけだ。「チョット、オニイサン。いい身体してるねえ! サケ飲みねえ!」「いいえ、結構です。それより、この少年を見かけませんでしたか?」それを見せて客引きに問う。

 

映るのは浅黒く精悍な顔をしたカラテ着の少年。「知らないねえ。でも店に知っている人がいるかもしれないねえ。酒飲んでかねえ?」「ご存じ在りませんか。ではオタッシャデー」「ケッ、客じゃないなら聞くんじゃねえ」侮蔑の舌打ちを背後に残し、ヤングセンセイは再び歩き出す。

 

「モシモシ、この少年を見かけませんでしたか?」探す当てもないまま、路地裏を通り、店々を巡り、夜に生きる人々に尋ね歩く。時に猥褻店に連れ込まれかけて押し問答。時に酔漢に絡まれて足早に立ち去る。

 

ビビッドな灰色に煌めくストリートから、場違いな部外者へと無数の視線が突き刺さる。それはコンクリートジャングルに降りた迷鳥か。或いは潮に流されてさまよう死滅回遊魚か。気づけば公園の無個性時計は12時を指していた。

 

今日も成果はなかった。寝不足と徒労感が両肩にずしりとめり込む。探偵にも興信所にも依頼した。数を減らしたドージョーの門下生にも聞いて回った。その上、毎晩こうして街々を歩き、手がかり探している。

 

だが未だに写真の”ヒノ・セイジ”は影も形も見つからないままだ。何が始まりだったのか。祖父の、オールドセンセイの急病だろうか。いや、それ以前の”カナコ・シンヤ”の退会がきっかけか。何にせよ、センセイである筈の自分はヒノ=サンをドージョーに引き留める理由になれなかった。

 

(((私がヒノ=サンのセンセイ?)))苦い自嘲の笑みが、疲れた顔に浮かぶ。彼のセンセイはシンヤ=サンと同じく祖父だ。自分はセンセイになれなかった。何処まで行ってもドージョー経営者にすぎなかったのだ。そしてジアゲ圧力と生徒減少の前にドージョー経営者としても終わろうとしている。

 

「……どうすれば良かったって言うんだ」喀血めいた言葉がこぼれ落ちる。NSPDへの賄賂は支払った。あえて門下生の前でヤクザを撃退し力強さをアッピールした。できる限りの対策はしたつもりだ。だが、ジアゲヤクザは飽きずに嫌がらせを繰り返し、怯える門下生は次々に退会していく。

 

何が悪かったのか? 誰が悪かったのか? 俺が悪かったのか? 「ブッダミット」口を突くのは運命とブッダを呪う言葉。何の意味もない。ヒノ=サンを探して出したところで意味はない。何一つ解決はしない。生徒が減ったのはジアゲと嫌がらせのせいだ。祖父が死んだのは公害病と老齢のせいだ。

 

それでも探すのを止められない。ヒノ=サンを見つけてドージョーに連れ戻せば、全てが元に戻るとでも思っているのか? 「ハハ」ヤングセンセイは自分の無能を嗤う。「アハハ」無才を嗤う。「アハハハッ!」無力を嗤う。「ハハハッ……」頭上のドクロ月のように自分を嗤った。

 

―――

 

「ザッケンナコラー! ルッセーゾコラー!」唐突で耳障りなヤクザスラングが、ヤングセンセイの重い頭に響いた。「アアン!? オッラ誰と思ってるワケ?」「アイェー!?」音源を目を向ければヤンク達が不健全交遊中の学生アベックに絡んでいる。振り乱す原色の軽い頭が酷く目障りだ。

 

「チョッ、チョット! チョットチョット!」「アンダッテコラー!? ジャマダッテコラー!」「グワーッ!」勇気を絞り出した彼氏が押しのけようとするが、即座に火花を散らす違法スタンジュッテで殴り飛ばされた。「ダイジョブ!? ねえ! ねえってば!」「ダイジョブだって! だからアソボ!」

 

「ヤメテ! タスケテ! ンアーッ!」「アバッ、アババッ」彼女はヤンクに引きずられて物陰に連れ込まれようとしている。だが危険な痙攣をしている彼氏には、暴行寸前の彼女を守れなさそうだ。チャメシ・インシデントの暴力とありふれた犯罪。通報する者も反応する者もない、ネオサイタマの日常光景だ。

 

「ちょっとやめないか」「ダッテメッコラーッ!?」その全てがヤングセンセイのカンに障った。「ナニッテンダコラーッ! スッゾコラーッ!」威圧的に光る蛍光タトゥーも、LED鼻ピアスを明滅させて凄む顔も、血が滴るジュッテも、何もかもが腹立たしい。激情のままに拳を構える。

 

「ニサマダッテンダコラーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!?」スタンジュッテを振りかざす青髪ヤンクへ、カラテパンチで青タンを刻む! 「ザッケンナコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!?」メリケンサックで殴りかかる白髪ヤンクへ、裏拳で意識を白く塗りつぶす!

 

「スッゾコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!?」ジャックナイフで切りかかる赤髪ヤンクを、チョップで打ち据え更に赤く染める! 「シネッコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!?」スパイクシューズで蹴りかかる黄髪ヤンクを、ハイキックで蹴り飛ばして黄色い歯が飛び散る!

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」子供達にカラテ道徳を教えている自分が、犯罪者とはいえ無関係の他人を殴って笑っている。「アハハ」何てザマだ。笑える。「ハハハッ!」笑うしかない。

 

「アア? ドシタよ、お前等」重サイバネ腕を引きずり、オヤダマと思わしきスモトリが現れた。チャンコ072の風船体型と、柱じみた工業用テッコ。シルエットは人類より類人猿が近い。銀杏頭の中身も近いだろう。

 

「センパイ、オナシャス!」「あいつが俺ら嘗めたンス!」「ヤッチマッテください!」「アダウチしてよ! ボスでしょ!?」「アアッ?」口々に他力本願の復讐を希うヤンク達。それが業務用ズバリ缶を煽るボスモトリの神経を逆撫でした。

 

「ルッセーゾ!」「アバーッ!?」火薬式テッポウが青ヤンクの胸を砕く! 「ナメッテンノカ!」「アババーッ!」鋼鉄ハリテが赤ヤンクの首を折る! 「ドッソイ!」「アッバーッ!」油圧サバオリで黄ヤンクの胴が潰れる! 「ダマレコラーッ!」「アバッ!」モーター下手投げで白髪ヤンクの内臓が飛び散る!

 

「アーアー……テメーのせいで俺の可愛い手下が死んだじゃねーか! ドシテクレンダオラーッ!」返り血で斑に染めて、独り者になったボスモトリが脅しをかける。なんたる自分が殺した配下の責任を求める滅茶苦茶で無茶苦茶な怒りか! ヒドイ!

 

「……」「オ、やっちゃうの? やっちゃうのか? アアン!?」返答の代わりにヤングセンセイはデントカラテを構えた。違法薬物で腐った乱杭歯からバリキ臭が鼻を刺す。「イヤーッ!」「グワーッ!?」肉弾めいた弾道跳びカラテパンチ! デントカラテの基礎にして奥義がボスモトリの顔面にめり込む!

 

だが、しかし! チャンコ072で異常肥大化した肉体はその一撃に耐える! 「テメッコラーッ!」ウカツ! ここはヒットアンドウェイに徹するべきであった! ドージョーで鍛えたヤングセンセイのカラテは確かであったが、実戦経験の不足は大きかったのだ。

 

「ドッソイ!」「グワーッ!?」BLAM! 反撃のテッポウが文字通り火を噴いた! 反射的な防御で致命傷は避けたものの、代償として片腕は前衛芸術めいてねじくれている。「グワーッ!」「ハッキョーホー……」複雑骨折の腕を抱え激痛にもだえ苦しむヤングセンセイ。目前にボスモトリが立ちはだかる。

 

CLANK! オートマチック拳銃めいた機構が前後する。KILLIN! 寒風に湯気立つ空薬莢が両腕から落ちた。CLIK! 撃鉄が引き起こされ、テッポウを構える。標準を定めるその目はバリキとアドレナリンで真っ赤に染まっていた。

 

(((結局このザマだ)))苦痛に焼かれるニューロンの奥、装填された死を目の前にして冷めた自分が嗤う。自分の無才はご存じの筈だろうに、カラテを過信した結果がこのブザマだ。まあ、才能があったと思いこんでたドージョー経営もあのザマだ。「ハハ」なんと笑えない終わりだろう。

 

そして神経接続の論理トリガーが引かれた。「ドッソ「イヤーッ!」グワーッ!?」だが、ハリテの砲弾は直角ベクトルを加えられ、ひしゃげながら地面を潰すだけに終わった。何故? 何が? 何で? その回答は黒錆色のコートを翻し、カラテパンチのザンシンを取った。

 

「ドーモ、ゴブサタしてます。カナコ・シンヤです……それで、いったい何やってるんですか、ヤングセンセイ?」

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「何をやってんですか、ヤングセンセイ」呆れたような白けたような声音でシンヤは問う。残業を終えて急ぎ帰ろうと近道を選んでみれば、見覚えのある顔が殺されかけているのだ。しかも形式上だけとは言え、師と呼んだ御仁がヨタモノとの喧嘩で死にかけていれば、呆れ声の一つ二つ漏れ出るだろう。

 

呆れ果てたシンヤの問いかけに目前のサイバネスモトリの方が先に応えた。「アアッ? ダレッテメッコラーッ!?」ひん曲がった鉄腕が景気よく火花をとばしているというのに元気なことだ。フィードバックもない違法改造の工事用テッコなのが幸いしたのだろう。

 

「アー、通りすがりです」「ザッケンナコラーッ! スッゾコラー!」「ハイハイ、コワイコワイ」冷め切った態度で軽くあしらうが、危険察知して引く知性は無かろう。異常巨体はチャンコ072由来の遺伝子異常を、溶け崩れた乱杭歯は違法薬物の中毒症状を告げている。ぶん殴って退散させる他にはない。

 

「ドッソイ!」予想通りに怒り狂ったスモトリは屑鉄と化した両腕を振り回す。壊れた腕でテッポウを点火しない程度の知性はあるようだ。だが、それでは勝てない。武器も無し、策も無し、カラテも無しでニンジャに勝てるはずがない。そう、カナコ・シンヤはニンジャ”ブラックスミス”でもあるのだ!

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」左腕のサイバネ接合部に狙撃めいて正確なカラテパンチを一発! 「イヤーッ!」「グワーッ!?」右腕のサイバネ接合部に狙撃めいて正確なカラテパンチをもう一発! 「グワーッ!」BLAM! ニンジャのカラテを弱所に叩き込まれ、総金属の義手は火を噴いて吹き飛んだ。

 

無腕のスモトリは尻餅をついて転げる。チャンコ072で膨らんだ巨体はまるで肉ダンゴだ。「まだやるかい?」「アイェーッ!? アイェェェーッ!」シンヤがニンジャ圧力を込めて睨みつける。文字通り打つ手のないスモトリは立ち上がれず、言葉通りに転げ回って逃げだした。

 

猫用オモチャめいて逃げ去るスモトリから、背後のヤングセンセイへと振り返る。その目は頭上のドクロ月めいて冷たく白けていた。「ドージョーの名前に傷が付きますから、負けるようなケンカはやめてください」問いかける声も先と同様に無関心と軽蔑で冷めている。

 

仮にもセンセイだった人間に取るべき態度ではない。だが、ヤングセンセイに対してシンヤはいい記憶も感情もない。ドージョーの銘に傷が付きかねないから助けただけだ。殺人技術を教えるデント・カラテドージョーの師範が、ストリートの喧嘩でヨタモノに殴り殺された。笑い話にもならない。

 

「……ありがとうございます。少しどうかしていました」「どうかしないでください」仮にもオールドセンセイのドージョーを継いだのだ。ショースポーツに方向転換したとは言え、デントカラテの看板を汚されては困る。「ではオタッシャデー」そしてこれで案件は済んだ。もう居る理由はない。

 

「マッテ! ちょっとマッテください!」「なんですか、そんなにヒマでもないんですが」なにせこれからダイトク・テンプルに帰って家族で食事をとり、トモダチ園の一家団欒を過ごすという極めて重要な案件があるのだ。好いてもいない相手のために時間を浪費したくはない。

 

「シンヤ=サン、貴方はヒノ・セイジ=サンと仲良しでしたね?」「自分はそう認識してますが」「では、今何処にいるかご存じありませんか?」「ヤングセンセイの方が詳しいでしょうに」毎日会っているだろうヤングセンセイが知らぬ筈もない。ドージョーを離れて久しいシンヤに聞く必要もない。

 

なら、何故聞いた? 「カラテ王子、いや、セイジ=サンに何かあったので?」「ここ数ヶ月、ドージョーに顔を出していません。連絡も取れないままです」チアマイコ・ハニービーとのデートをすっぽかしても、デント・カラテの稽古を休むことはなかった。そんなセイジがドージョーを月単位で休んでいる。

 

「アイツが? センセイ……オールドセンセイからは何か聞いていませんか?」シンヤとセイジが師事しているオールドセンセイなら、何かしら知っていてもおかしくはない。「そうですね、貴方が離れてからでしたか」訪ねるシンヤに向けられたヤングセンセイの表情は暗く淀んでいた。

 

「何の話です?」「祖父は半年ほど前に他界しました」「……今、なんと」シンヤは聞き直した。ニンジャ聴力があるのに聞こえないはずはない。理解したくなかったのだ。「オールドセンセイは五ヶ月前に亡くなっています」だが、続くヤングセンセイのコトダマは薄っぺらな現実逃避を容易く打ち砕いた。

 

「………………嘘だろ……!?」

 

足下の底が抜けた。深淵に突き落とされたかのような墜落感。ヘイキンテキどころか自分の立ち位置すら見失う。シンヤは問いになってない問いをヤングセンセイへとぶつけた。「ナンデ……ナンデ!?」「公害病と老衰です」いつかは訪れると判っていた。だが、もう少し先だと思っていた。

 

否、それは言い訳に過ぎない。新しい日々の忙しさ、襲い来るニンジャとのイクサ、隠れ潜むソウカイヤの危険、なによりも守るべき家族。理由は山ほどある。だが結局は『会いに行かなかった』、それだけだ。だから危機を知ることも、危篤に駆けつけることもできなかった。

 

カラテを教えて貰った、人生を教えて貰った、在り方を教えて貰った。貰いっぱなしで、何も返せていない。なのに言葉一つ返せずにセンセイは逝ってしまった。最期に立ち会うことすらできなかった。「…………ッ!」歯を食いしばり、曇天を仰ぎ、流れ落ちるものを堪える。

 

字の如くに後で悔いればいい。今はすべきことがある。「ヒノ=サンが顔を見せなくなった辺りで何かありましたか?」行方を眩ました親友(バカヤロウ)を捜すのだ。考えて姿を消したというなら退会手続きくらいは済ます筈だ。それも無しに失踪したならば、そうさせた『何か』がある。

 

だが、ヤングセンセイは力なく首を振った。「思い当たる節はありません」今の今までセイジを探し回っていたのだ。手がかりがあるなら当たっている。「祖父の永眠がきっかけでしょうが、ヒノ=サンは徐々にドージョーに来なくなりました」理由を問いただしても『成すべきをしている』と返すだけだった。

 

「ただ、ケイコの出席回数が減ってもヒノ=サンのカラテは確かでした」それどころか間を空けて尚、カラテのキレは増していたそうだ。ドージョーから離れても一人稽古は続けているのだろう。シンヤの記憶にあるセイジらしい話だ。ドージョーから離れてる点を除けば、だが。

 

「シンヤ=サンは何かヒノ=サンについて存じませんか?」話せるネタが尽きたのだろう。ヤングセンセイが問いかける。「ヒノ=サンが話さないことは、意図的に避けていましたので……」今度はシンヤが力なく首を振る番だった。セイジの背景については知らなかったし、知る気もなかった。

 

下らない噂話が耳の端に引っかかることはあった。だが、全て無視した。知って欲しいなら自分から話すだろう。自分だって話したくないことも、話せないこともあった。それにお互いに本気だった。本気でカラテを学び、鍛え、交わしていた。それだけで十分だった。十分だと思っていた。

 

お互いに出せる情報は出尽くした。何も判らないとしか判らなかった。「所属してるカイシャに探偵業者がいるので頼んでみます」「ヨロシクお願いします。私も当たれるツテを当たってみます」互いに半ば無意味と思いながらも、しないよりはマシな提案を挙げる。

 

「では、オタッシャデー」「オタッシャデー」ヤングセンセイと別れ、木枯らしの中シンヤは一人帰路に就いた。「いったいどうしたっていうんだよ、カラテ王子……」シンヤはただ一人の親友へと問いかける。だが吹きすさぶ冬の風にかき消され、自身の耳にすら声は届かなかった。

 

【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#2おわり。#3へ続く。



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第五話【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#3

【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#3

 

『人間も一呑み』『誰よりもデカい』力強い書体でショドーされた掛け軸。巨大クジラ墨絵のビヨンボ。まさにヤクザの事務所である。一般人ならアトモスフィアだけで怯えきって失禁するだろう。しかし今、ビックホエール・ヤクザクランの事務所を包む空気は全く別種の恐怖であった。

 

「だから、お前は俺を呼びだしたと?」「ハイ! スミマセン!」それを示すようにオヤブンは額を床にすり付けている。「なあ、ソウカイヤはお前の小間使いだったか?」「イイエ! スミマセン!」高価なヤクザスーツが汚れるのも構わずドゲザするオヤブン。だが配下のヤクザがソンケイを失うことはない。

 

なぜなら彼らも全身全霊でドゲザしている。文字通り、土の下に座する程だ。額を床に沈めて死んでいる。「だよな? ならこれはビジネスだな?」「ハイ! スミマセン!」組長机に腰掛ける裏社会食物連鎖の頂点がそれをした。シャークマウス・メンポのソウカイニンジャ”ランドシャーク”である。

 

「でも規定の金額に足りてないな? ソウカイヤを嘗めているのか?」「ハイ! スミマセン! イイエ! スミマセン!」「どっちだ? ソウカイヤを嘗めているのか? いないのか?」「イイエ! スミマセン!」オヤブンは必死で否定する。ランドシャークの機嫌を損ねれば部下のように必ず死ぬ。

 

「だから、どっちだ?」「嘗めていません! スミマセン!」正直言ってビックホエール・ヤクザクランは落ち目だ。時流に乗り損ねて金もない。だから再開発地区のジアゲに賭けていた。「なら金は?」「払います! 内臓も売ります! 事務所も売ります! 縄張りも売ります! スミマセン!」

 

なのにカラテドージョーの立ち退かせに失敗し、進退窮まってソウカイヤに泣きついた。足りない金はジアゲの代価で支払うつもりだった。「つまり払うんだな?」「ハイ! スミマセン!」だが甘かった。ソウカイヤの恐ろしさを理解していなかった。その代価は部下の血で支払う羽目になった。

 

「じゃあ、帰ってくるまでに全額用意しておけ、いいな?」「ハイ! スミマセン!」そして残り分も自分の血肉で精算する他にない。内臓も事務所も縄張りも看板も、全て売っても足りないのだから。大洋を泳ぐホエールは泣かない。だからビックホエール・ヤクザクランのオヤブンは泣いてはいけない。

 

父からクランとサカズキを受け継ぐとき、そう聞かされた。だがもう泣いてもいいだろう。「ヒヒ……ヒッヒ……」これからクランも、命も、未来も、何もかもが無くなるのだから。自作の黄色い水溜まりの中、破滅が確定したビックホエール・ヤクザクランのオヤブンは、笑いながらすすり泣いた。

 

―――

 

ペントハウスを踏み台に、一歩。ゴンドラクレーンを飛び越えて、また一歩。一匹の人喰い鮫が降りしきる重金属酸性雨を泳ぐ。衝突寸前のコケシツェペリンを強化ドトン・ジツですり抜けて、路地裏の上空を掠め飛ぶ。嗅ぎつけた血とカネの臭いを追って、ランドシャークはネオサイタマの闇を駆けていた。

 

これからやることは簡単だ。まず邪魔なカラテドージョーを潰して、それからビックホエール・ヤクザクランも潰す。ジアゲの代金を払えないならそれを理由に潰す。払うなら難癖つけて潰す。そして縄張りとシノギをソウカイヤがいただく。アブハチトラズだ。

 

港湾地区は再開発地帯のボトルネックになっている。ここを手に入れれば一帯のヤクザ勢力図は大きく変わる。入るカネも桁が違う。それだけの成果を上げればラオモト=サンの覚えもいい筈。シックスゲイツへの推薦もあり得る。これが自分のサクセスストーリーの第一歩なのだ。

 

ランドシャークはメンポの下で下品に唇を湿らせる。これから味わうだろう未来に涎が止まらない。彼は『トミクジ予定で借金する』というコトワザを知らない。知っていても無視しただろう。非ニンジャのカラテドージョーを潰すことにも、モータルのヤクザクランを潰すことにも、何の困難もないのだから。

 

それに想像できる筈がない。「ドーモ、ランドシャーク=サン。ニンジャスレイヤーです」「え」目の前に突然、死神がPOPするなど。しかもその殺意の標的が自分であるなどとは。赤熱する憎悪と火を噴く憤怒がランドシャークを射抜く。通りすがりでも偶然でもない。間違いなく自分を狙っている。

 

「ド、ドーモ、ランドシャークです。ナンデ貴様がここに!?」状況判断でもなんでもいい。ここから逃げ出すために一秒でも時間が欲しかった。「お前が何に手を出そうとしているかは知っているぞ! その罪深さを貴様の血肉に刻んでやる!」だが加速する狂気はその一秒すらも与えてはくれない。

 

そして双方のカラテ差は一秒未満で理解できた。「死ね! イヤーッ!」ギロチンめいて突き上げられたチョップから紅蓮が吹き上がる。『モスキート・ベイル・トゥ・ファイア』ニンジャアドレナリンで鈍化する時間感覚の中、たった一つだけ知っているコトワザがランドシャークの脳裏に浮かんだ。

 

―――

 

チーン! 「ナムアミダブツ」「ナムアミダブツ」オリンの涼やかな音に合わせ、シンヤとヤングセンセイは両の掌を合わせた。今日はオールドセンセイの月命日だ。シンヤは万感の思いを込めてオブツダンの遺影へと頭を垂れる。

 

(((遅くなって申し訳ありません、センセイ)))伝えたい言葉、伝えたかった言葉、伝えられない言葉。胸中に無数のコトダマが浮かんでは消える。だが一番伝えなければならない言葉は伝えたくても伝えられない。

 

(((スミマセン、センセイ。ヒノ=サンはまだ行方知れずです)))セイジの探索は行き詰まったままだ。未だにオールドセンセイへのよい報告はできずにいる。捜索の専門家に依頼し、自分たちでも足がボーになるまで探し回った。

 

だが、かき集めた情報で判ったのは「赤黒の発狂マニアックが暴れ回っている」、それだけだった。必要な情報は得られないまま、カネも希望も門下生も減るばかり。増えるのは焦燥感だけだ。(((モリタ=サンもいったい何やってるんだか)))行き詰まった状況に思考は明後日の方向へと逃避する。

 

ソウカイニンジャを呼び寄せる為と言え、こうもあからさまだとナンシーや他の協力者が巻き込まれかねない。レベナントの悲劇を回避するために一言告げた方がいいのか、デッドムーンとの出会いを阻害するマネは避けるべきなのか。そもそもどうやって連絡を取るのか。

 

乱れる思考のままに視線を逃避させれば、窓向こうでドクロの月が嘲笑っている。その月が陰った。雲の影? いや人の影だ。額の裏で掻痒感が爪を立てる。ブツダンとヤングセンセイを背にかばった。SPLASH! 「グワーッ!」「アイェーッ!?」ガラスの雨が舞い、人影が苦痛の声と共に飛び込む。

 

瞬時に闇に似た黒錆色に染まったシンヤは飛び入り参加の影と相対する。「アイェェェ……」「ドーモ、初めましてブラックスミスです。新規入会希望者の方はドアからお入りください」NRSに震えるヤングセンセイを背中に庇い、赤銅色の両手を合わせた。

 

窓から侵入するようなシツレイ者はドージョーから死体で叩き出す。アイサツで言外に告げる。だが、しかし。(((ナンデ?)))赤錆めいたメンポの奥でシンヤは眉根を寄せた。超感覚が知らせたように相手はニンジャだ。それはいい。だがナンデ血塗れで焼け焦げている?

 

「ニンジャ!? ブッダム! ドーモ、ブラックスミス=サン。初めましてランドシャークです」闖入者は歪んだシャークマウスのメンポ越しにアイサツを返す。悪態混じりの汚い受け答え。シツレイにはまだ当たらないだろうが、礼儀が良いとはとても言えない。

 

受け答えの態度もそうだ。血走った目線はせわしなく泳ぎ回り、合掌どころかファイティングポーズを解こうとすらしない。世界の王と思い上がった傲岸不遜な態度、ではない。震える肩と小刻みに鳴る歯がそれを教えている。恐怖。恐怖に震えている。恐怖に竦み上がっている。さては……

 

「なあ、ブラックスミス=サン! 狂人に追われているんだ! 赤黒い無差別大量殺忍鬼! アンタもニンジャだろ!? 手を貸してくれ! オネガイシマス!」死神に襲われたランドシャークは失禁しかねないほどに怯えきっていた。無理もない。絶対捕食者を超えるデス・オムカエの化身に襲われたのだ。

 

「お断りします」「ナンデ!?」だがブラックスミスには恐れる理由がない。死神は知り合いだからだ。「まあ、話をして帰ってもらうから安心してくれ。アンタが死んだ後にだが」「死ぬ前にしてくれ!」ランドシャークの精神は限界に達している。このままだとニンジャなのにストレスで禿げて死ぬだろう。

 

「カネもオイランも用意するからタスケテ!」「断る」「ナンデ!?」だが彼を追うデス・オムカエは慈悲深かった。「ソウカイヤにも口利きアバーッ!」毛髪が存命の内に、燃えさかるスリケンで絶命させたのだ。股間と心臓を上下左右に分割調理され、焼きサシミになったランドシャークが断末魔をあげた。

 

「サヨナラ!」爆発四散の粉塵が、扉から吹き込む風に舞う。ドージョーの扉を開いたのは血の色をした人影。ブラックスミスの予想通りだ。赤黒のニンジャ装束。赤に輝く瞳。「生きる価値のないニンジャの屑め、お似合いの死に様だ」そして()()の炎を纏う両腕と、『忍』『殺』の二文字が()()()()メンポ。

 

それもブラックスミスの予想通り……ではない。「ドーモ、ブラックスミス=サン。ニンジャスレイヤーです。お望み通り帰ってやるから安心しろ。無論、貴様が死んだ後でだがな!」「ニンジャ、キラー=サン?」呆然と口の中で呟いた名前は、幸運なことに誰の耳にも届くことは無かった。

 

―――

 

「ニンジャの屑めが、よくもドージョーを薄汚い足で踏み荒らしてくれたな……俺の神聖なカトンでその脚ごと貴様の存在を焼却してくれる!」憤怒と共に吹き上がる炎は鮮やかな紅蓮。ニンジャスレイヤーの操る不浄の炎ではない。つまり別人だ。そしてブラックスミスは彼を『原作』で読んだことがある。

 

彼はニンジャスレイヤー(ニンジャ殺す者)を名乗りながらも似て非なるニンジャ『ニンジャキラー(ニンジャ殺人鬼)』だ。「ド、ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン? ブラックスミスです」条件反射のアイサツをぎこちなく返すブラックスミス。その両目は困惑と混乱で白黒に点滅している。

 

(((待て待て待て待て! お前の出番は3部だろ!? ナンデ今出てくるんだよ!? ハヤイすぎるだろ!)))なにせ彼が『原作』に姿を現すのは第3部『ニンジャスレイヤー・ネバーダイ(不死身のニンジャソウル)』。目の前の光景はあり得ない筈だ。ソウカイヤとの抗争の合間には影も形も……ある。

 

ニンジャキラー誕生のきっかけとなったのは、ソウカイヤによるカチグミ一家襲撃と、それを察知したニンジャスレイヤーによるスレイ。時系列的には1部の、つまり今現在の話だ。そして『原作』で彼は自警活動の末に絶望してディセンションを起こした。それが何らかの理由で早まったのだとしたら。

 

(((そうか、詰まるところインガオホーか)))原因はおそらく自分の起こした蝶の羽ばたきだろう。本来なら復讐を終えて生きる理由を失った、フジキド・ケンジを再起させる大きなきっかけとなる人物だ。殺すわけにはいけない。しかし今や、その未来はカオス乱数の中に消え失せた。

 

ならば、目の前にいるのは時季外れな『原作』キャラでも、憧れに縋る哀れな少年でもない。ただの敵だ。ヤングセンセイへと身振りで下がるよう伝えると、ブラックスミスは赤銅色のガントレットを打ち合わせ、殺る気スイッチを入れる。僅かな共感と微かな違和感を捨て去り、殺意のデントカラテを構えた。

 

しかし、その敵はアイサツを交わした直後から動きがない。一流のニンジャならばアイサツ後コンマの合間でスリケンを放ちカラテを打ち込むもの。「なんだ、それは……?」アイサツを見るに手練れは確実。なのにニュービーめいて、或いは先のブラックスミスめいて、不可解な光景に戸惑っている。

 

「なぜ、ニンジャの屑がデントカラテを構える!? 汚らわしいぞ!」震える指を突きつけて裏返る声で糾弾する様は、ニンジャというより潔癖先鋭な思想家青少年のそれだ。「そうか、わかったぞ! デントカラテを盗み取り我が物とするつもりだな! 貴様がドージョーを襲ったのはそのためか!」

 

そして即座に仮説を現実と入れ替え確信する点も、実に主義者らしく見える。「ニンジャ存在にふさわしきなんたる卑しき性根! 粛正してやる! イヤーッ!」脳内理想に邁進するまま、怒りを露わにした赤黒の殺忍鬼が、燃えさかるスリケンを撃ち放った!

 

―――

 

「イヤーッ!」紅蓮を帯びたスリケン群が迫る! 「イヤーッ!」黒錆色のスリケン編隊がインターセプト! SPARK! 対消滅の火花が壁めいて一面に広がった。「イヤーッ!」それを突き破るは紅蓮を宿した必殺のチョップ! モータルならば半身消失、サンシタニンジャであろうと縦割り即死は免れぬ!

 

「イヤーッ!」だがブラックスミスはサンシタではない! 水銀めいて重く滑らかに流れるサークルガードが弾道跳びチョップ突きを受け流す! さらに突き出された腕を飴の如くに絡め取る! 攻撃は最大の防御というが、デントカラテでは防御もまた攻撃だ。受け流した腕を絡めてへし折り、追撃で仕留める!

 

情にサスマタを突き刺せばメイルストロームへ流される。ならば身を捨ててこそ浮かぶ世あれ。「イヤーッ!」致命の未来に気づいた赤黒のニンジャは、抗することなく受け流しに自ら飛び込んだ! アイキドー30段のエアロ投げ、あるいは同段位のエアロ受けめいて宙を舞う。その腕に負傷なし。無傷である!

 

なんたる巧妙にして高速な攻勢カラテの交錯か! 「アィェェェ!」モータルでしかないヤングセンセイの目には、赤黒と黒錆の旋風が絡み合い吹き荒れる一瞬しか見えない! だがその一瞬の合間に無数のイマジナリと必殺のカラテが交錯している。これがニンジャのイクサなのだ!

 

しかもこれは単なる前哨戦に過ぎぬ! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」空を引き裂く赤黒から、チョップ連打の暴風が吹き荒れる! 紅蓮を帯びたそれはまさに火矢の雨霰。このジゴクめいた嵐にバイオスズメが晒されれば、熱々ゴハンに最適なロースト挽き肉ソボロになるに違いない!

 

猛火めいたチョップの豪雨をサークルガードで捕らえるのは不可能。守りに入れば『負けを待っての犬死』しかない。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ならばとブラックスミスは防御の構えからのコンパクトかつ精緻な防御と、高速かつ精密なカラテパンチ狙撃で応じる!

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」それは怒れる千手観音の殴り合いか。火花を散らし、爆音をかき鳴らしながら、二忍の両腕は視認困難な速度域で無数の残像をぶつけ合う! チョーチョー・ハッシ!

 

なんたる高速にして強烈な一進一退のカラテ攻防か! 「アィェェェ!」モータルでしかないヤングセンセイの目には、赤と黒の烈風としてぶつかり合い正面衝突する光景にしか見えない! だが停滞状態であった筈の殺意と敵意を押し合う殺戮暴風域に変化が訪れる。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ!? イ、イヤーッ!」紅蓮の焼殺旋風が黒錆の撲殺烈風に押され始めたのだ。赤黒のカラテは確かに手練れ。しかしそのワザマエには僅かな綻びがある。まるで樹木にバイオバンブーを継いだが如きチグハグな違和感を、ブラックスミスは見逃さぬ!

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イ、イヤーッ! イヤーッ! イヤ「イヤーッ!」ヌゥーッ!?」チョップ対応限界を比喩無く突いて、黒錆色のカラテパンチが紅蓮の手刀を弾き飛ばす! 即座に次なるチョップを振るわんとするも、このままでは既に狙い澄まされたカラテパンチの方が先んじて着弾する!

 

(((僕は死ぬのか?)))そりゃあ、死ぬだろう。このカラテパンチを突き込まれれば正中線に大穴が空く。即死は間違いない。確実な死を目の前に時間感覚が粘性を帯び、脳裏には無数の記憶が影絵めいて映し出された。ソーマト・リコール。ニューロンが超過駆動し、過去の全てから生存の可能性をかき集める。

 

『泥臭くブザマな回避より、受け止めて華麗なウケミを魅せるべきです』若先生の声が響く。(((違う)))今は泥臭くとも生き延びる手段を選ぶ。『なら前進だ。パンチが最速に達する前に体で受け止め殴り返せばいい』友が笑って答える。(((違う)))体勢が崩れきっている。前進より先にパンチは最速に達する。

 

『カワラ割りパンチを最初に覚える意味を知りなさい。これこそがカラテパンチの弱所を突き、欠点を埋める補完のカラテなのです』そしてセンセイの教えが浮かび上がる。(((これだ!)))カラテパンチは大地を踏みしめた反動力を起点とする。故にそのカラテ伝達経路上、真下への打撃力は極めて僅少!

 

「イヤーッ!」赤黒の影は崩れた体勢をさらに崩し、イナ・バウアめいたレイバック状態で足下に潜り込む! 「ヌゥッ!?」射角下方90度のカラテパンチは構造上有効打にならぬ! 「イヤーッ!」加えて背筋のバネと両腕の筋力を解放し下半身を跳ね上げる。おお! あれは伝説のカラテ技!

 

「イヤーッ!」サマーソルトキックに他ならない! 直撃すれば首がもげ取れる、決殺のデッドリーアーチだ! だが、直撃ではない!? 「イヤーッ!」ブラックスミスは有効打にならぬことを承知の上で、カラテパンチを真下に打ち込んだのだ! 足下より迫るサマーソルトキックに向けて!

 

打ち込まれたカラテパンチの打撃力分、サマーソルトキックの運動力が減衰! 更に作用反作用の法則に従い、ブラックスミスが弾き飛ばされる! 「ナニィーッ!?」サマーソルトキックは掠めるのみだ! なんたる想像力を越える敵の想定外行動にも応じてみせるニンジャ判断力の瞬発的対応か! ゴウランガ!

 

かくして互いに痛打ならず。「イヤーッ!」「イヤーッ!」二忍は連続側転にて距離をとり、鏡写しのカラテを構える。ジリジリとお互いの距離を詰める。胸の奥底で紅蓮の火が燃えている。放出されたニンジャアドレナリンが時間を引き延ばし、世界を狭めていく。敵と自分とカラテ。全てが収束していく。

 

ブラックスミスの両目が殺意に輝き、牙を剥くタイガーめいて無意識に笑った。まるで『ブチノメス』と告げるように。両の瞳を敵意に燃やす赤黒のニンジャも、飢えた猛獣めいてメンポの奥で微笑んだ。あたかも『ブッコロス』と吼えるように。そして、互いの射程が……重なった!

 

「「イヤーッ!」」BLAM! 完全同期のシャウトと共に銃声めいた激烈な踏み込みの音が響く。黒錆と赤黒、二色の弾頭が音にも届かん速度で跳んだ。CLAAAAAASH!! 互いの弾道跳躍カラテパンチがぶつかり合い、衝撃波と表現すべき轟音がドージョーを揺らす!

 

「アィェーッ!?」陰に隠れたヤングセンセイごとビヨンボが吹き飛ぶ。全運動エネルギーを対消滅させた二忍はその場に着地。「イヤーッ!」「イヤーッ!」CLASH! 即座に二撃目のカラテパンチ相殺音が響く! カラテ衝撃波で産まれた円形空間をドヒョーリングに、超至近距離カラテ合戦が始まった!

 

「イヤーッ!」敢えて肘から先を駆動させぬワンインチ・カラテパンチ! 接射で内臓を破裂させるゼロレンジのカラテが紅蓮と共に襲い来る! 「イヤーッ!」黒錆の回転防御はそれを防ぐ! 肉体駆動が極めて制限される密着状態でありながら、腰運動の最大活用でサークルガードを実現しているのだ! ワザマエ!

 

「イヤーッ!」エッジの効いたローキックが神話に語られる神剣めいて足下を刈る! 「イヤーッ!」瞬時に膝を跳ね上げて回避! しかもそれは顎を刺し貫く二段構えの膝蹴りでもある! 鉄壁を想像させる堅い防御と精密な打撃、業火が脳裏に浮かぶ苛烈にして峻烈な猛攻。二つのカラテがガッチリと噛み合った!

 

なんたる恐るべき鮮烈にして峻烈なるゴジュッポ・ヒャッポのカラテ相殺空間か! 「アィェェェ!」モータルでしかないヤングセンセイの目には、赤と黒の双竜が互いの喉笛に食らいつかんと牙を剥き合う神話的映像にしか見えない! 「あれは……」だが、違和感に気づいたのはヤングセンセイが先だった。

 

『タチアイニンが投了を告げる』アドバンスド・ショーギ由来のコトワザにあるように、時に部外者が先んじて真実に気づくことがある。ヤングセンセイの目では追えるはずもないニンジャのカラテ。だが、その動きが、技が判る。それはまるで二人のカラテを『見慣れている』かのようだった。

 

遅れて二忍も気づく。互いの動きが余りに噛み合いすぎている。右のショートアッパー。逸らして鳩尾狙いのチョップ突き。(((読める)))膝で受け止め顎を跳ね上げる。ダッキングでかわし、股間めがけて直突きを構える。(((見える)))阻止の踵落としを延髄に落とす。突きをキャンセル、しゃがんで回避。

 

(((だが、何故?)))疑念と不安が急速に膨らむ。肺を圧されたように息苦しさが増す。こいつを自分は知っているのか。こいつは自分を知っているのか。距離をとり、再びカラテを構える。既視感が消えない。この光景を知っている。この光景を見たはずだ。でもそれは、ある筈がない。

 

『アイツ』がここにいる筈が……ない! 「「イヤーッ!」」敵意と殺意ではなく、否定と願望を込めて二忍は同時にカラテパンチを放った。顔面中心から拳一つ横を掠めるだけの一撃。お互いに紙一重のカラテパンチを避けなかった。弾け飛ぶメンポの下には、驚愕の張り付いた見覚えある顔があった。

 

「カラテ王子…………嘘だろ……!?」

 

「カワラマン? ニンジャ、ナンデ?」

 

ニンジャ判断力で判らない筈もなかった。だが、判りたくなど無かった。しかし、判らざるを得なかった。殺すべき敵が、殺すべきニンジャが、再会を約した筈の友なのだと。(((俺はニンジャスレイヤーだ……)))自分が口にした言葉が、耳奥に響くソウルの声が、耳鳴りめいてセイジの脳裏にコダマしだす。

 

(((ニンジャスレイヤーに過去はない……)))『俺』はニンジャスレイヤーだ。アレはニンジャだ。ニンジャを殺すのがニンジャスレイヤーだ。「アァ……」でも『僕』は友達なんだ。アイツの友達なんだ。友達を殺したくない。(((ニンジャスレイヤーに慈悲はない……)))だがニンジャを殺すしかない。

 

「ウゥ……」でも友達を殺したくない。(((ニンジャスレイヤーに容赦はない……)))だがニンジャを殺さなきゃいけない。「ウゥゥゥ……」でも友達を殺したくなんかない。(((ニンジャスレイヤーに感傷はない……)))だがニンジャを殺す他にない。「ウゥゥゥッ!」でも友達を殺すのはゴメンだ。

 

(((ニンジャを殺す……)))でも友達を殺すなんて嫌だ。(((ニンジャを殺す)))友達を殺すなんて嫌だ。(((ニンジャを殺す!)))殺すなんて嫌だ! (((殺す!)))嫌だ! (((殺すべし!)))嫌だ!! (((殺すべし! 殺すべし! 殺すべし!)))嫌だ!! 嫌だ!! 嫌だ!!

 

(((ニンジャ殺すべし!)))「ウワァァァッッ!!」自分に掛けた自作のノロイに、自我の全てが飲み尽くされる。失敗作のアンコめいて焦げ付いた恐怖が火を噴いた。言語化するより早く、言葉にならない情動が吹き上がる。アンコシチューよりも混沌とした感情のままセイジは叫び声を上げて走り去った。

 

赤黒の風と化して逃げ去るセイジ。その背中に声をかけることも追い縋ることもできず、シンヤは石くれめいて見送った。かけられる言葉は無く、追い縋った処で何を伝えればいいのかも判らない。そもそもシンヤは何をすべきなのか何一つ判らなかった。ただ現実を咀嚼し、現状を消化するので手一杯だった。

 

ニンジャキラーの本名はセイジだ。『原作』から知っている。カラテ王子の本名もセイジだ。本人から聞いている。でも、アイツが? そんな筈はない。だって、アイツはいい奴だ。アイツは同門の同期生だ。アイツはカラテ王子だ。アイツは友達だ。アイツは……アイツは……「ヒノ=サン、なんだぞ?」

 

現実に打ちのめされて茫洋と佇むシンヤを、現実を受け止めきれずNRSを希うヤングセンセイを、現実を拒絶して路地裏を狂奔するセイジを、重金属酸性雲の切れ目からドクロの月が嗤っていた。全てを見ていた月から響く、インガオホーの声無き嘲笑が、重金属酸性雲に吸われて消えた。

 

【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】おわり。



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第六話【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#1

難産でした。多分次も難産です。
でも鬱展開は今回で底打ち、次でテンションV字回復の予定です。
今しばらくお待ちください。


【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#1

 

「もう一度言うぞ! テッポダマの仕事はモンキーでも判るくらい簡単だ! 1、マイトを巻く! 2、火ぃ点ける! 3、事務所にカチコむ! 4、手前は男になる! クランの誇りだ! 判ったな!?」「判りました! できません!」「ザッケンナコラーッ!」「アィェーッ!」

 

……自分はなにを間違えたのだろう。

 

「ニィビッテンダコラーッ! てめぇがやるんだよ! コンジョ見せろや! 臆病モンが! タマツッテノカコラーッ!」視界いっぱいの強面が高速で上下する。揺さぶられた脳味噌が頭蓋の中でスマートボールめいて反射する。慣性振動する三半規管と相まって吐き気がこみ上げてきた。

 

……代紋スカウトの誘いに乗ってカジュアルにヤクザ入りしたことなんだろうか。

 

「でもムリです! 死んじゃいます!」「ニィッテンダコラーッ! クランの名誉だ! 胸張って死ね! ヤッマエニスッソゾコラーッ!」「アィェーッ! グワーッ!」血走った強面の代わりにスタン・メリケン付きの拳骨が視界を占めた。殴られるのはヤンクとケンカで経験済みだが、電気ショック付きは始めてだ。

 

……それともシャカリキの勢いで担任を半殺して退学したことなんだろうか。

 

「オボボーッ!」「ニィッハッテンダコラーッ! テッポダマならガッツ見せろや! 笑って耐えろ!」「オボーッ!」感電した胃袋がエラーと共に昼飯を吐いた。興奮した強面から追加のボディーブローで胃液が追加される。半消化されたミート・ポンの上でエビめいたショッキングなエレクトロを踊る。

 

……やっぱりママの言いつけを破ってドラッグに手を出したことなんだろうか。

 

「ザッケンナコラーッ! ジンギ汚す気か! ナメッテンノカコラーッ!」「グワィェーッ! アィボボボーッ!」感電と物理衝撃でニューロンが誤動作し、恐怖と苦痛と吐き気が入り交じる。アンコシチューのケオスの中、脳髄の一部だけが奇妙に冷静だった。

 

場違いに正気を保ったニューロンが、浮かんだ疑問に従ってプレイバックを始める。初めてZBRを打った夜、潤んだ視界の中で空は油膜めいた玉虫色に輝いていた。シャカリキを1ダース呷った午後、ボーを振り上げた自分は暴力の神だった。スカウトに乗った昼飯時、脳裏には成功への序曲が流れていた。

 

「ゲボォッ! ゆ、許してください! 助けてください!」そして今、耳の奥に響くのは自分の悲鳴とパニック映画のBGMだ。安いモブが怪物に食われるシーンの音楽。必要なのはモンスターの恐怖感で、モブには何の価値もない。もしこの場に映画カメラがあるなら視点を外して説明描写を始めるだろう。

 

仮想のカメラを広角に切り替える。特徴のない雑居ビルの一室。オスモウバーの名目で借り上げられた部屋には、オスモウの「オ」の字も、バンザイテキーラの一瓶もない。代わりに『もっと黄金』『より高純度な百足』と言ったヤクザフォントの掛け軸が掲げられ、チャカやライフルが処狭しと置かれている。

 

誰が見ても判るようにここはヤクザ事務所だ。掛け軸やマネキネコ、ダルマといった基本的ヤクザインテリアはともかく、新興のクランらしく他は簡素な什器と雑然な武装だけしかない。しかし異彩を放つ代物が一つ。歴史有るクランでもお目にかかれない、黄金百足蒔絵のサカズキがモブ頭上の神棚に鎮座している。

 

このジンギが事の発端だ。そして事の経緯については出入り口前に立った人影が知っている。KNOC! KNOC! 扉を叩く音が響く。途端に強面も他のヤクザも皆口をつぐみ、息を潜めて扉を注視する。興奮と恐怖で顔色は赤青まだらに染まる。チャカ・ガンやヤクザライフルを握る手も小刻みに震えている。

 

「ドーモ、リファインド・ゴールデンムカデ・ヤクザクランの皆さん。ソウカイヤの”バードショット”です。ジンギを回収に来ました」つまり、ソウカイヤ提携によるクローンヤクザ大量導入に反対したリアルヤクザ達が、ゴールデンムカデ・ヤクザクラン象徴のジンギを奪って新規クランを立ち上げたのだ。

 

しかし、目算は外れてジンギだけでは正当性を確保できず、古巣のカンニンブクロはとうの昔に爆発四散。一刻も早くカチコミをかけて優位を示し、テウチに持ち込まねばノーフューチャー、という訳である。しかし今、絶望の未来が事務所のドアを叩いた。切り開く方法は一つ、殺られる前に殺るしかない。

 

「ヤッチマエーッ!」「「「シネッコラーッ!」」」BLALALALALALAM!!! 強面の号令で撃鉄は落とされた! 事務所ドアが鉛玉の豪雨に晒される! 建築設備から粗大ゴミ、そして燃えるゴミに早変わる! 「アィェーッ!」恐慌したモブは当然失禁! キョート風錦絵プリントの鯉が黄色い水を得て跳ねる! 

 

銃火が止んで硝煙の幕が上がっていく。元ドアは僅かな木片となり果てた。ドア向こうの人間などネギトロどころか血煙だろう。だがガンスモークの奥に巨銃二丁を握る人型のシルエットが浮かび上がる! しかも無傷だ! 「ブッダミット……!」まさしくこれは人間業ではない。なぜなら彼は人間ではない。

 

「返答は鉛玉か。なるほど、お前達はチキンではなくアホウドリだったようだな」自然体で立つバードショットを見れば判る。腰に巻かれたブラックガンベルト、顔を覆うハンターメンポ。これこそがドラゴンをも貪るムカデを象徴に戴いたヤクザたちが、鳥に啄まれる虫けらめいて怯え竦んでいた理由。

 

そう、バードショットは……ニンジャなのだ! 「アィーッ!」NRS(ニンジャリアリティショック)に曝されたモブは当然失禁! キョート風錦絵プリントの鯉が更に黄色い水を得て跳ねる! 恐るべき半神的存在を前に、ヤクザ集団はヤバレカバレの第二派攻撃を仕掛ける! 「ヤ、ヤッチ「イヤーッ!」だがそれよりもバードショットの動きは遙かに早い! 

 

BLA-TOOM!! 「「「アバーッ!?」」」爆発音と聞き違えるほどの轟音が雑居ビルを揺るがした。その轟音源はニンジャの両手に握られた二丁の異常巨大ショットガンだ。超高速セイケンヅキによるスラムファイヤが、その腹に抱えた万に届かんばかりの鉛球を0コンマで全て放ったのだ! 

 

それがもたらした破壊は……おお、ブッダ! かつて部屋であった一区画からはネオサイタマの陰鬱な曇天がそのままに広がっている。そこには掛け軸も、壁も、人間も、血痕すらもない。神棚を除いて跡形すら残さず全てが消し飛んだ。重苦しい天蓋を見上げるのは神棚下のモブ一人だけだ。

 

「アィー……」白痴めいた表情のモブはバードショットが回収すべきジンギの真下に位置していた。そしてこれだけの破壊をまき散らしながら、サカズキには傷どころか埃一粒すらついていない。文字通り人間業ではない。これこそがニンジャのカラテなのだ! 

 

ガラン。カイジュウ用めいた、或いはカイジュウめいた散弾銃を投げ捨てる。赤熱する銃口が残りの硝煙を吐き出した。それは未だ殺戮に飽かぬ怪物の暗喩か。「ククク……豆鉄砲を食らった鳩の顔だな。まあ豆鉄砲というには少々口径が大きいが」獲物を嗤うバードショットは得物の四連銃身散弾銃を抜く。

 

「アー」限界を超えたモブは、過剰光で焼き付いたブラウン管の様だった。ゴーストめいた真っ白な虚無だけが顔に張り付いている。「コトワザには『焼いたチキンは髄までしゃぶれ』とある」銃口でモブの顎を上げる。「アゥー?」一滴の涎が伝い落ちた。後1cmトリガーを絞れば最後の生存者は死ぬ。

 

だが、バードショットは銃口を外し肩に担いだ。「だがミヤモト・マサシは『胸元入る小鳥は飼う』とも遺している。さて、生かすべきか殺すべきか。なあ、どう思う?」そしてそのまま……トリガーを引いた!? BLAM! 鉛粒の群が背中越しに元扉へと向かう。バードショットは何を撃った!? 

 

「イヤーッ!」KILINK! いや、何を撃ち損ねた!? 赤熱する超音速の鉛弾を弾いたのは、それよりも赤い紅蓮の両腕。命を拾ったモブは運が良かったのか、いや悪かったのか。どちらにせよ、ネオサイタマをひっくり返してもこれだけ数奇な経験を持つ人間はそうはいないだろう。

 

闇より現れたのは、ミラービルが照り返すネオン光を浴びてなお暗い血色の影。人ならざる血に塗れた影は両の掌を合わせる。おお、その名は! 「ドーモ、俺はニンジャスレイヤーです」ジゴクの住人めいたアイサツと共に、メンポに描かれた『忍』『殺』の二文字が闇より浮き上がる! 

 

ーーー

 

ニンジャスレイヤー(ニンジャ殺す者)とアイサツする赤黒の影に、猟師ニンジャ装束の影が応えた。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。バードショットです。お噂はかねがね」大ラオモトの耳に届くほどにその名は知れている。それだけに得られるオナーも懸賞金も莫大だ。アブハチトラズ。知恵あるスワローめいて両得としよう。

 

「ソウカイヤの耳元で飛び回る羽虫が、自主的についばまれに来たとはな。ならば、よろこんで頂いて「……なんです」ン?」アイサツは古事記にも書かれる神聖不可侵の行為であり、言葉のぶつけ合いはカラテの一つだ。だが、赤黒のニンジャの台詞は何か違う。耳をそばだてるとよく判る。

 

「俺はニンジャスレイヤーなんですニンジャスレイヤーだから一人だニンジャスレイヤーは友達もセンセイもなくていいニンジャスレイヤーなんだから過去はない完全だニンジャスレイヤーである以上ニンジャスレイヤーなのは正しいからニンジャスレイヤーは間違ってない俺なんだ」ニンジャの……狂人! 

 

「……!?」バードショットが思わず言葉を失ったのも無理はない。ソウカイヤを狙う発狂マニアックのニンジャ殺人鬼とは聞いていたが、ここまでネジが抜けているとは。「まあいい。ダックもターキーも絞めて捌けば鳥肉よ! イヤーッ!」BLALALALAM! 気を取り直して四連銃身散弾銃を四連射! 

 

「イヤーッ!」赤黒のニンジャは避けようとすらしない。血の濁流めいて一直線にバードショットへと向かう。「狂った鶏頭は恐怖どころか痛みも理解できんか!」バイオ猛獣は鳥撃ち散弾では殺し切れぬ。更に危険なニンジャともなれば尚の事。更に打ち込む他は無し。だが弾は尽きた。ならばどうする? 

 

「こうするのよ! イヤーッ!」「ヌゥッ!」赤熱銃身で打撃! 赤黒の突進を止める! 「イヤーッ!」「ヌゥッ!」元折れ銃身を解放し鉄拳突き! 同時に排莢! 「イヤーッ!」「ヌゥッ!」四連実包スピードローダー! サミング兼弾込め! 「イヤーッ!」「ヌゥッ!」銃身を跳ね上げつつ前蹴り! 距離をとる! 

 

なんたるリロードアクションとカラテアクションの融合によるヌンチャクワークスめいたファイヤワークスか! ワザマエ! 「貴様の首はラオモト=サンに献上の後、ミューテイトカラスで鳥葬としてやろう! 喜んで死ぬがいい! イヤーッ!」BLALALALAM! 至近距離から更なる散弾四連射! 

 

「ヌゥーッ!」ガードのみでは細やかな鉛粒の群を防ぎ切れぬ。鳥撃ち散弾連射のダメージは浅い。だがカラテ攻撃と弾丸装填を組み合わせた全く新しいピストルカラテには一切の隙がない。このまま赤黒のニンジャは散弾で削り殺されてしまうのか? 否。狂気と凶気に赤々と燃える両目はそう告げる! 

 

「ニンジャスレイヤーは死なない……イヤーッ!」傷も苦痛も無視した突貫を再び! 「鳥頭め! イヤーッ!」「ヌゥッ!」赤熱する銃身打撃! 赤黒の突進を止める! 「イヤーッ!」「グワーッ!」元折れ銃身を解放し鉄拳突き! 同時に排莢! 「「イヤーッ!」」四連実包スピードローダー! サミング兼弾込め! 

 

……弾込め、できてない! 「ナニーッ!?」スピードローダーごと赤黒の手に包まれている! 鉄拳突きを敢えて顔面で受け止め、ガードに使う両手を自由にしたのだ! 傷を省みぬ自滅的カラテでバードショットのヌンチャクワークス兼ファイヤワークスが止まった! 緋色に光る目は当然それを見逃さぬ!

 

「ニンジャスレイヤーは退かない……! イヤーッ!」赤黒の腕から紅蓮の炎が吹き上がった。炎は二つの手を焼き焦がしながら蛇めいて絡みつく。するとどうなる? 「「グワーッ!」」BLAM! 当然、焚き火に投げ込まれたアマグリと同じだ! スピードローダーを包む二忍の手が吹き飛ぶ! 

 

「グワーッ! グワーッ!」スピードローダーを直に掴んでいたバードショットの手は悲惨の一言に尽きる。残ったのは掌の三割だけ。残りは散弾炸裂で全てケジメだ。「ヌゥーッ!」その上から握っていた赤黒の手も只では済まぬ。ケジメこそ無いが、全ての指はあらぬ方向を向き、関節は倍に増えている。

 

「フーッ! フーッ!」その指を正拳に無理矢理折り曲げる。骨が折れる水っぽい音が響く。吹き出した血が焼け焦げた指を濡らす。「ニンジャ、スレイヤーは、怯ま、ない……! イヤーッ!」「グワーッ!」殴り飛ばされた顔面は混ざり合った血で染まった。堅く握れぬ拳だ。さほどのダメージではない。

 

確かに肉体はそうだろう。だが精神は? バードショットはひきつった声で答えた。「何だ、何なんだ、お前は!?」ヒッチコックの動物パニック映画めいて、一切を省みぬ自殺的カラテがその心に深々と突き刺さったのだ。傷口を押さえて後ずさる姿は猟師でも猛禽でもない。それは狩り殺される獲物の姿だ。

 

そして目の前の影は名乗った。ニンジャスレイヤー(ニンジャ殺す者)と名乗った! 「ニンジャスレイヤーは負けない……イヤーッ!」「グワーッ!」無事な拳で殴る! 「イヤーッ!」「グワーッ!」無事でない拳で殴る! 「イヤーッ!」「グワーッ!」無事な拳で殴る! 「イヤーッ!」「グワーッ!」無事でない拳で殴る! 

 

「グワーッ! グワーッ! ヤメロー! グワーッ! ヤメロー!」精神と肉体を散々に打ちのめされ、バードショットはアワレにも命乞いを始めた。だが狂人に乞い願っても得られるのは狂気だけだ。「オタスケ!」「ニンジャスレイヤーは助けない!」「アバーッ!」両腕の紅蓮が燃え移り全身を焼き苛む!

 

BLAM! BLAM! BLAM! 「アバーッ! アババーッ!」全身に仕込んだ実包が次々に点火炸裂! 今やバードショットが火中のアマグリだ! BLAM! BLAM! BLAM! 「アババーッ! アバーッ!」炸薬の爆轟が打ち据え、赤熱する鉛粒が引き裂く! 実包と装束、肉と骨が微塵と吹き飛ぶ! 

 

BLAM! BLAM! BLAM! 当然、赤黒のニンジャをも爆轟が打ち据え鉛粒が引き裂く! 「イヤーッ!」しかし狂乱の火炎に一切の躊躇なし! 殺意の業火が一切を焼き尽くしていく! 「ナンデ!?」泣き叫ぶように理不尽と不条理に問いかける。だがモブの生死を問うた時と同様に、応えるのは狂気だけだ。

 

「ニンジャスレイヤーは許さない! ニンジャスレイヤーは生かさない! ニンジャスレイヤーは! ニンジャスレイヤーだ! ニンジャスレイヤーよ! ニンジャスレイヤー! ニンジャ!! スレイヤァァーーッッ!!」「アィェバーッ!? サヨナラ!」バードショットは理不尽な恐怖と不条理な絶望の中で爆発四散した。

 

肉体が爆発四散する音が響き、衝撃がジンギを生き延びた神棚から落とした。「ア……ア?」ジンギはモブの額にぶつかって夢と現の境界線から彼の意識を引き上げた。それはかつてドラゴンをカバヤキにして食らったムカデ大妖怪の気まぐれな慈悲か。或いは思いつきの悪意か。

 

どちらにせよ、これよりモブが知る正気無き恐怖の味わいと比べれば、極々些細な違いにすぎないだろう。彼は寝起きの顔で不可思議そうに元は部屋だった解放空間を見渡した。「ハーッ、ハーッ、ハーッ」「あ」目が合った。赤く光る目が、有った。

 

ーーー

 

「あ」赤黒い死と視線が交錯する。記憶が舞い戻り、現実が突きつけられる。「ア、アッ、アィェーッ!」NRSフラッシュバックにのたうち回るモブ。しかし膀胱の中は空っぽだ。キョート風錦絵プリントの鯉は乾いた染みの中で不満げに泳ぐ。抜けた腰のまま必死で後ろへ、後ろへと這いずる。

 

「え」手が空を掻いた。振り返ればミラービルに己の姿が写る。地上にはテールライトの川が流れ、天空には陰鬱な重金属酸性雲が蓋する。「エッ?」後ろはない。何もない。壁は全て吹き飛んだ。後はない。何処にもない。「アィェッ!?」そして目の前には、血溜まりの赤と闇夜の黒を重ねた死神がいる。

 

「俺何も知らないよ! 何も見てないよ!」目を瞑り首を振り、二重の意味で目の前を否定する。「そういうことにするから! だから!」それでも足らぬならとメッカ向けサラートめいたドゲザで、必死にアッピールするモブ。「ニンジャスレイヤーは見逃さない……!」だが見逃してはくれないそうだ。

 

「イヤーッ!」「アィェーッ!?」CRASH! それを示すように背後でミラービルの鏡面ガラスが割れ砕ける! 「イヤーッ!」「アィェーッ!?」CRASH! 更に背後でミラービルの鏡面ガラスが割れ砕ける! ニンジャ動体視力無きモブには何が起きているか理解できない。

 

「アィェーッ!? アィェーッ!」「……?」赤黒の腕が振るわれる度、飛んだ血がスリケンに転じていることも、何故か赤黒いニンジャが狙いを外していることも。モブに判るのは自分がマナイタの上にいる事だけだ。しかもマナイタの前でサシミ包丁を握るのは赤黒の殺人シェフなのだ。

 

「ヤメテヤメテヤメテ!」「ニンジャスレイヤーは止めない……!」血の滴るチョップを掲げて、ゆっくりと歩みよる赤黒の包丁忍。プラカードと妄言を掲げた動物利権団体でも、その顔を見た途端に回れ右するだろう。ましてやネオサイタマの人権は動物利権よりも安いのだ。

 

「ナンデ!? ナンデ!? ア”ーッ! ア”ーッ!」鼻水と一緒に汚い高音をたれ流し、モブは理不尽を世界に問う。だが天も地も黙して語らず。幾千幾万の悲嘆と絶望を飲み干して尚、この街は声一つ上げてはくれない。どれだけ泣いても縋っても叫んでも意味はない。先のバードショットの末路を見れば判る。

 

 

だから、その偶然にも何の意味はなかったのだろう。

 

 

FLASH! 下の道路を電飾デコトラが通り過ぎた一瞬。光害級のイルミネーションが闇夜に紛れる全てを照らし出した。爆音に怯えてゴミボックスの影で膝を抱える浮浪者。明滅するネオンを頼りに静脈を探る重度ZBR中毒者。そして……不運なモータルを理由無くカラテ殺そうとするニンジャ。

 

ミラービルに写る鏡像が目の前に突きつけられる。邪悪で、不条理で、理不尽な、『ただのニンジャ』の姿。それに向けて泣き叫ぶモブが問う。「ナ”ン”デ!!?」(((貴……何の為……ラテを……)))その耳にいつかの問いが微かに響いた。

 

友になる前の友から始めての負けを知り、オールドセンセイに指導を乞うた。教えの通りにカワラ割りからやり直し、後の親友同様にショートカットなしで一年間をやり通した。その最中、何度と無くオールドセンセイは問いかけた。

 

(((貴方は何の為にカラテを学びますか?)))何度と無く口ごもった。(((貴方は何の為にカラテを鍛えますか?)))何度と無く答えあぐねた。(((貴方は何の為にカラテを振るいますか?)))何度と無く言葉を探した。真っ正面から返せたのは、一年間をやり通したその日が初めてだった。

 

(((僕は……)))その時に自分が何を口にしたのかを覚えている。その時にセンセイが何と返したかを覚えている。その時にセンセイが浮かべていた表情を覚えている。その時に自分を見つめる眼差しを覚えている。その時のセンセイの顔を覚えている。深い人生が刻まれた顔。その全てを糧にした顔。

 

年を得たならこうなりたいと思った、その顔が目の前にあった。ミラービルの鏡面ガラスのその向こう。闇の奥に、あの日のままに立っている。だが同じなのは顔形だけだった。浮かべる表情は真逆の寒色で、失望と諦念を明確に現している。深く柔らかだった眼差しは、哀しみで突き刺すように堅く鋭い。

 

そして口がゆっくりと動いた。『ナンデ?』何故、貴方は進むべき道を間違えたのか。『ナンデ?』何故、貴方は他人のモノマネに縋って逃げ続けるのか。「違う……違う、違う! 俺は間違ってない! 正しい事をしているんだ!」幻の問いは投石めいて赤黒いニンジャの頭蓋を打ち、彼の現実を揺るがした。

 

声がもう一つ重なる。『ナンデ?』何故、お前はセンセイの教えを汚したのか。聞き覚えのある声。親友の声。影から現れた声の主もまた、声以外の全てが違っていた。憤怒と軽蔑が焼け付く表情で、両目は吹き出す憎悪に黒々と燃えている。見飽きるほどに見慣れた顔が、見たこともない顔でそこにいた。

 

『ナンデ?』友が問う。『ナンデ?』師が問う。『『ナンデ?』』何時かの問いが意味を変えて響く。何故、貴方/お前は殺すべき邪悪なニンジャになり果てたのか、と。「黙れ! 黙れ! 黙れ! 違う! 違う! 違う!」赤黒のニンジャ……否、”ヒノ・セイジ”は怯えるように後ずさる。

 

「俺はニンジャスレイヤーだ! ニンジャじゃない! ニンジャなんかじゃない!」セイジは幻の問いをひたすらに否定する。問いには答えない、答えられない、答えられる筈もない。自身を直視できぬまま、己から目を逸らし暴走を続けた。何故と問う声に返す言葉などありはしなかった。

 

「『俺』はニンジャなんかじゃない! ニンジャスレイヤーだ! だから見るな! そんな目で見るな! 見るなよ! 『僕』を見るな……見るな……見ないで……」喉よ枯れよと否定を叫ぶ声は、何時しか掠れた哀願へと変わっていた。すすり泣く幼子めいて、ワガママに強請る童子めいて、頭を振って顔を覆う。

 

望みの通りに幻影は応えた。諦めと軽蔑の目を逸らし、闇の底へと去っていく。「あ」呼びかける。振り返りもしない。「ああ」手を差し出す。憎しみすら向けてはくれない。幻にすら見捨てられ、迷子の子供は遂に帰る家を喪った。

 

「ウウ……ウッ……ヒッ」寄る辺なき孤児はコンクリートの荒野の中で呆然と膝を突き、顔を伏せる。もはやそこには赤黒のニンジャはいなかった。子供がいた。ごっこ遊びに逃げ込んだ果てに、慕う友達と先生を見失った、孤独な子供がいた。

 

「ェアー」その耳に白痴の声が届いた。声の主は一人だけ。モブだ。度重なるNRSにニューロンは完全に焼き切れた。彼に悪運が有れば、自我科病院の鉄格子のついた病室で拘束服に包まりながら一生を終えるだろう。不運なら死ぬだけだ。幸運ならば? そもそもここにいない。

 

伏せた顔が上がる。赤光の物理的な視線がモブを指した。「ァアィッ!?」人格が焼き消えても、ニンジャの恐怖だけは消えなかった。遺伝子レベルの恐怖に、僅かに残った脳髄がドゲザ条件反射を出力した。その背を見る両目の光は、目まぐるしく色合いを変えていく。

 

忿怒、恥辱、憎悪、諦念、狂気、悲嘆、殺意。幾多の赤を映したその果てに映る色は……無い。両目は赤光を消した。それは超自然の光など無いただの目、人間の目。子供の目だ。「……行けよ、行っちまえ!」その目でセイジは叫んだ。掠れた弱々しい声で叫んだ。

 

「アィェーッ!」お許しをいただいたモブは振り返ることなく一目散に退出した。セイジはそれを見ることなく、雷に怯える子供の様で膝を抱いて丸まる。だがどれほど泣いて縋っても、助けに来る誰かはいない。家族は殺され、親友は離れ、先生は死んだ。その幻覚にすら見放された。

 

「ニンジャスレイヤーだ……ニンジャスレイヤーなんだ……ニンジャスレイヤー……=サン……僕を導いてください……ニンジャスレイヤー=サン……どうか教えてください……」鏡面に映る孤独な現実から目を背け、脳裏に響く嘲りの幻聴から耳を塞ぐ。セイジはただ一つ残った理想像(ヒーロー)に乞い願う。

 

「……どうすればいいんですか……ニンジャスレイヤー=サン……どうか……道を示してください……どうか……お願いします……ニンジャスレイヤー=サン……」だが、過去は黙して語らず。逆光に滲むシルエットは見つめるのみ。記憶の理想像(ニンジャスレイヤー)が答えを返すことは無い。

 

TELLLL! TELLLL! TELLLL! 「どうか……おしえて……ニンジャスレイヤー=サン……おしえてよ……やだよ……もうやだ……」ただ、メガロポリスの雑踏と懐のIRC端末が、ノイズめいた背景音を鳴らしていた。いつまでも、いつまでも鳴らしていた。

 

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#1おわり。#2へ続く。



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第六話【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#2

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#2

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:利権屋代表「イルカを虐める奴はイヌのクソ」X-P

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:poopだなX-P

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:イルカ>>>>代表X-P

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:返礼品送付「イルカ肉アソート毛皮包み」代引きX-D

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:涼しいX-D

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:涼しいX-D

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:ps.withバイオローチ

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:涼しいX-D

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:涼しいX-D

 

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:ps.儀式場デザイン"njslyr_ceremony.dscad"

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:GJ

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:thx

 

「ピーチクパーチクよく囀るなぁ」ディスプレイ前の中年が半笑いでケモビールを傾ける。自称ハッカーなスクリプト小僧達はprivmsgな内緒話を盗み聞きされてるとは夢にも思ってないだろう。だが、電子戦争の折から論理世界を生き延びた古強者にとっては、魔法使い(ウィザード)気取りなお子様なんぞ皆等しくアカチャンに過ぎない。

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:血+首でperfect? 

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:不足

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:まだ不足? 

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:不足

 

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:893傭兵仕事してない。

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:893傭兵useless。威張るだけ

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:殴るだけ

 

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:原始人:-P

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:原始人X-D

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:LOLOLOLOL

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:LOLOLOLOL

 

自分達がテンサイ級と思い上がったn00b達。だが、本物のハッカーに掛かれば、コマンド覚えて英雄気取りの防火壁なぞ、ショージ扉よろしく粉砕(クラック)してやれる。その気になればIPを裁断(ハック)して、ついでにアカウントを前後(ファック)してやれる。すべてがベイビーサブミッションだ。

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:point+target見つけられない

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:only893useless

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:But大口

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:頭代わりにbot乗せとけ

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:今より頭良くなるLOL

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:性格も良くなるLOL

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:顔も良くなるLOL

 

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:LOLOLOL

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:LOLOLOL

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:LOLOLOL

 

だが好きだ。だからこそ愛おしい。その愚かしさがたまらない。自分が世界の主人公と思い込み、褒めそやすれば舞い上がって簡単に操縦できる。ちょっと焚き付ければ正義感と万能感のままに地雷原に一直線。どれだけ使い捨てても次から次へ湧いてくる。なんともカワイイなクソガキども。

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:njslyr同じn00b(:-<

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:でも強い。N殺せる

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:殺せるだけ。n00b

 

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:最近怪我多い。njslyr_mad (:-<

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:njslyr_自我課goto

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:元々 :-P

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:mad+++

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:頭mad

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:頭代わりにbot乗せとけ

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:今より頭良くなるX-D

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:性格も良くなるX-D

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:顔も良くなるX-D

 

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:LOLOLOL

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:LOLOLOL

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:LOLOLOL

 

こいつらも嘲り笑うニンジャスレイヤーも同じこと。ニンジャが実在すると知って多いに肝を冷やしたが、結局は周りと変わらぬバカな子供の一匹に過ぎない。少々自我が不安定だが、煽てて揉み手、欲しい言葉をくれてやれば都合よく動く。

 

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:でもそれじゃN殺せない

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:ならUNIX埋めてR/C

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:俺Fゲー#1だから強いX-D

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:Fatality決めてやれ:-P

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:まずはn00bの893傭兵X-D

 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:LOLOLOL

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:LOLOLOL

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:LOLOLOL

 

しかしガキ共の無駄話にも一理ある。最近、とみに不安定が増している。元から『オリジナルのニンジャスレイヤー』に傾倒したフリーク野郎だったが、イカれた言動は首尾一貫していた。それが近頃、躁鬱なアップダウンを繰り返すようになって操縦のコストも上がってきてる。そろそろ潮時かもしれない。

 

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:n00b帰って来た

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:どっち? 

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:njslyr

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:ps.with893傭兵

#NSS-HIMITSU:0ut1@w:消せ消せ

#NSS-HIMITSU:under_gr0und:見られるとマズイ

#NSS-HIMITSU:i11eg@1:nopアイツらじゃ見れない

 

どうやらニンジャ殺しのお帰りらしい。我が家のチビ猫よろしくドットパターン煙草焼印で言うこと聞かせられれば楽だが、仮にもニンジャだ。そうも行かない。だからこれからお情緒不安定の小皇帝をお慰めしてやらにゃならない。稼ぎを抱えて逃げ出すまでは死なれちゃ困る。

 

そしてその後はキッチリ死んでもらわなきゃなお困る。「さぁて、リンゴ磨いてゴマ擦って。おガキ様には自主的にジゴク行って貰おうか」両のこめかみから伸びるLANケーブルを優しく抜くと、無精髭の中高年……“ナブケ”は下卑た作り笑いを浮かべた。

 

---

 

「ハァーッ! ハァーッ!」起き上がり小法師人形めいて、赤黒いジューウェアの上半身が高速で上下する。ストロボめいて明滅する蛍光ボンボリは、アマゾン大河を思わせるミルクブラウンの筋肉を照らし出す。だがその大半は焼畑農業後の熱帯雨林めいて火傷と裂傷、その治療痕で覆われている。

 

「ハァーッ! ハァーッ!」センセイが居たならば、即座にシットアップを中止させて、回復に専念するよう指導しただろう。それ程に傷は深く多い。しかし青年は執拗な腹筋トレーニングを止めようとはしない。何度苦痛に身悶えしても、痛みの波が過ぎ去るや否や再びの鍛錬を繰り返す。

 

「ハァーッ! ハァーッ! ……ヌゥーッ!」その様はむしろ痛みと苦しみを待ち望むかのようにすら思える。これは最早トレーニングではない。自傷行為だ。それは正しい。セイジはリストカットを繰り返す自我科案件ティーンめいて、精神の苦痛を肉体の苦痛で塗り潰そうとしていたのだ。

 

「ハァーッ! ハァーッ! ……ヌゥーッ! ヌゥゥッ!!」苦痛と疲労が遠のけば、即座に過去と現実が忍び寄る。家族は殺され、友は離れ、師は死んだ。過去から襲いくるNRSの爪痕と、虚無と孤独の現実から逃れようと、ニンジャスレイヤーに、理想像(ヒーロー)に逃げ込んだ。

 

だが現実は再びその背に爪を掛けた。友は……ニンジャだった。巡り巡って再びのジゴク。縋った救い手に背中を刺され、皮肉な冗句に月が嘲る。緩和ケアからの薬物中毒めいて、今や逃げ込む先は茨の道だ。血塗れの孤児は安全地帯を探し求めて、迷路の奥へ奥へと迷い込む。

 

「ハァーッ! ハァーッ! グワーッ!?」度重なる悲鳴を無視され続けて、遂に腹筋が限界に達した。「グワーッ! グワーッ!」随意には一インチたりとも動かないのに、不随意運動ばかりを繰り返し、ひたすらに苦痛のシグナルを脳髄へと送りつける。それは肉体から精神への報復か。

 

「ヌゥーッ! ウゥーッ!」現世への誕生を拒む胎児のように、膝を抱えて苦痛を堪える。その背をさすってくれる『誰か』はいない。労いの言葉をかけてくれる『誰か』もいない。心配の目を向けてくれる者は“誰も”いない。向けられるのは蔑みと嘲りを隠した媚びへつらいの作り笑顔だけだ。

 

仲間はいない。あれは仲間などではない。何故なら理想像(ヒーロー)は孤高だ。味方はいない。あれは味方などではない。理想像(ヒーロー)は孤独だ。ただ一人でニンジャを殺す。誰であろうとニンジャは殺す。殺し続ける。それこそが理想像(ニンジャスレイヤー)だ。

 

家族は殺された。理想像(ニンジャスレイヤー)だから家族はいない。友は離れた。理想像(ニンジャスレイヤー)だから友はいない。師は還らぬ人だ。理想像(ニンジャスレイヤー)だから師はいない。それは当然だ。全て当然だ。全て要らない。あれは幻覚だ。あれは感傷だ。苦しむ必要などない。痛む必然などない。迷う必用などない。

 

「ヌゥーッ! ウゥーッ!」ならばこの苦しみはなんだ? この痛みはなんだ? この迷いはなんだ? これはニンジャスレイヤー的ではない。まるで純度が足りない。惰弱極まりない。これでは真のニンジャスレイヤーにほど遠い。『俺』はニンジャスレイヤーなのに。『僕』がニンジャスレイヤーでない。

 

妄想と信仰に縋り付き、セイジはメトロノームめいて現実と狂気を行き来する。疲労と苦痛、痙攣と幻覚。視界と思考がトモエパターンを描き、切れかかった蛍光灯が明滅する度にモノクロとカラーが点滅する。

 

そして電灯がふつりと消えて、全ては闇に溶けた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

黒、墨、暗闇、無明、真夜中、新月の夜空。毛羽立ったタタミ、破れたショウジ窓。星も無い夜の海が透かし見える。「ここは……」セイジは力無く上半身を持ち上げた。ここを知っている。ここに来た。ここに居た。

 

そう、ここに居る。彼がいる。赤、火炎、緋色、死人花、噴き出る血の色。「ニンジャスレイヤー=サン……!」燃え盛る紅蓮で描かれた理想像(ヒーロー)の姿。正座姿勢のまま、真っ直ぐに自分を見つめている。その目に赤々と燃える熱をたたえ、口元は天井と同じく始まりの二文字でしめやかに覆われている。

 

セイジは這いずるようにその足元に平伏した。「ニンジャスレイヤー=サン! 俺にインストラクションを! どうか!」『インストラクションを……?』「どうか、どうか! 俺を導いてくれ! お願いします!」超自然の神像めいた姿にドゲザし乞い願う。コダマめいて縋る言葉が辺りに反響した。

 

「俺は……ニンジャスレイヤーだ」『ニンジャスレイヤー……』「そうだ。ニンジャスレイヤーになったんだ。だから、俺はニンジャスレイヤーの筈だ! 全ニンジャを殺すニンジャ殺戮者! ニンジャの天敵たる超ニンジャ存在! オリジナルの正当なる後継者!」声を張り上げ、セイジは朗々と語る。

 

『ニンジャを、殺す……』「そうだ! ニンジャスレイヤーはニンジャを殺す! 俺はニンジャを殺す! 一人残らず皆殺す! だから俺はニンジャ殺す者(ニンジャスレイヤー)なんだ!」自らの言葉に酔い痴れて、妄想が現実を上書きしていく。それこそが真実であると。それこそが事実であると。

 

「そして儀式を以ってニンジャスレイヤー性をオリジナルから継承する! それで俺は真のニンジャスレイヤーと成る! 成る! 成る筈、なのに……」『なのに……?』だが酔いは唐突に冷めた。不意に冷たい事実を突きつけられ、冷え切った現実を思い知らされた。

 

「なのに、俺は迷っている。シンヤ=サンがニンジャと知った時からずっと迷っているんだ」訳もなくその声が掠れる。理由なく涙が溢れる。「真のニンジャスレイヤーは迷わない! 真のニンジャスレイヤーは悩まない! なのに、俺は迷って、悩んで……まるでニンジャスレイヤーじゃない……!」

 

「これでいいのか、このままでいいのか、どうすればいいのか。もう何も判らない」何かを拒絶するように頭を抱え、否定するように首を振る。「だから、ニンジャスレイヤー=サン! 俺に道を示してくれ!」『道……』「そうだ! 道を、真のニンジャスレイヤーへの道を! この苦しみを超える道を!」

 

苦悩の中でもがくセイジはただ一つの救いに跪く。しかし神頼む信者を目前にしても、紅蓮の両目は遥か彼方へと焦点を合わせたままだ。ただ茫漠と鐘めいて言葉を返した。『真のニンジャスレイヤー……』「真のニンジャ殺す者(ニンジャスレイヤー)……ニンジャを殺す……全てのニンジャを殺す……アイツも?」

 

そう、離れた友は、無二の親友は、”カナコ・シンヤ”は、ニンジャ“ブラックスミス”だった。「アイツを、殺す?」それを殺す。それがニンジャだから殺す。それがニンジャスレイヤーだから殺す。あまりにも単純な事実だった。それこそが、セイジが意図的に忘れてまで、目を逸らし続けた事実だった。

 

それを認める訳にはいかなかった。何故なら……「嫌だ」言葉がこぼれ落ちた。溢れたコトダマは滑らかに腑に落ちた。「嫌だ……嫌だ! アイツは、シンヤ=サンは友達なんだ。『僕』の、友達なんだ。殺したくない……!」何故なら、それが本音だからだ。縋り続けた理想像(ニンジャスレイヤー)を否定する本音だからだ。

 

ならば出せる答えは二つに一つ。親友を殺して自分(ヒノ・セイジ)を殺すか。理想を殺して自分(『ニンジャスレイヤー』)を殺すか。「ニンジャスレイヤー=サン、僕はどうしたらいいんですか。教えてください。お願いだから……」己を真っ二つに引き裂くジレンマを前に、セイジは紅蓮の人影にドゲザして啜り泣いた。

 

出来ることは、全ての選択を投げ捨て理想像(ニンジャスレイヤー)に救いを求めることだけだった。

 

---

 

どれだけの時間が過ぎたのか。耳に入るのは自分のしゃくり上げる声と荒い呼吸だけだ。請い願った紅蓮は何一つ応えない。「ニンジャスレイヤー=サン……?」セイジは恐る恐る顔を上げる。そこに灼熱に煮え滾る目が有った。目が合った。「アィッ!?」顔が近い! 思わず仰け反る。だが1ミリも距離は変わらない。

 

「ニンジャ、スレイヤー=サン!?」『ニンジャ……』「……そうだ。シンヤ=サンはニンジャなんだ。でも友達なんだ。ニンジャだから殺す。友達だから殺したくない。だから、どうすれば」跳ねた心臓を深呼吸で宥める。認めたくなかった現実を一つ一つ言葉にする。

 

『ニンジャ、だから、殺す……』「そうだ、でも……」『友達、だから、殺す……!』「そうだ、でも……え?」理解を拒む台詞を耳にして、セイジは一瞬惚けた。その目前に紅蓮に焼け付く目が有った。「アィェッ!?」更に顔が近い! 最早ゼロ距離。恐怖のままに後ずさる。だが1ミリも距離は変わらない。

 

「友達、だから、殺す!? ナンデ!?」恐怖と混乱のままに繰り返す。まるで訳がわからない。『真のニンジャスレイヤーに友は、いない……』「真のニンジャスレイヤーに友はいない。そうだ。でも、アイツは友達だ。友達なんだ!」『だから殺す……』「だから殺す……でも、僕は、嫌だ」

 

『嫌だから、殺す……』「嫌だから……殺す……?」『感傷だから、殺す……』「感傷だから……殺す……」セイジは魅入られたかの様に揺らめく緋の目に見入る。ブディストのミッキョ派は神聖なる火で供物を焚き上げてトランスに至るという。護摩めいて燃え上がる紅蓮の影は、何を贄として燃え盛るのか。

 

『真のニンジャスレイヤーは悲劇を超える……真のニンジャスレイヤーは人間性を超える……』更に顔が近づく! 「真のニンジャスレイヤーは……悲劇を超える。友を殺す……悲劇を超える。真のニンジャスレイヤーは、人間性を超える。友を殺して、人間性を超える……!」

 

距離はゼロを下回り、マイナスに至った。双方の顔は重なった。それは、セイジが影に呑まれたのか。それとも、セイジに影が入り込んだのか。或いはその両方か。どれにせよ、セイジにはそれを確かめる術も、自覚する術もない。

 

『真のニンジャスレイヤーは独りだ……真のニンジャスレイヤーは孤高だ……真のニンジャスレイヤーは孤独だ……』「真のニンジャスレイヤーは独りだ……家族は、いない。真のニンジャスレイヤーは孤高だ……師も、いない。真のニンジャスレイヤーは孤独だ……友も、要らない!」

 

理想像(ニンジャスレイヤー)想像主(ヒノ・セイジ)の主客は転倒し、主従が逆転する。かつて、がらんどうの鐘めいてセイジの妄言を反響していた朧な影は、今やセイジの心に妄念を吹き込みジョルリめいて操り始めていた。

 

『それが真のニンジャスレイヤー……! それこそ真のニンジャスレイヤー……!』「ああ、それが真のニンジャスレイヤー! おお、それこそ真のニンジャスレイヤー!」水銀遅延管めいて残響する敵意が呼び出され、化石燃料めいて埋もれた殺意が燃え上がる! 

 

『真のニンジャスレイヤーに慈悲はない……』

「真のニンジャスレイヤーに容赦はない……」

『真のニンジャスレイヤーに仲間はない……!』

「真のニンジャスレイヤーに味方はない……!」

 

問い返す様に繰り返し、繰り返すように問い返し、循環構造の狂気は、終末へ向けて加速する! 

 

「真のニンジャスレイヤーはニンジャを殺す!」

『真のニンジャスレイヤーはモータルも殺す!』

「真のニンジャスレイヤーは全て殺す!」

『真のニンジャスレイヤーだから全て殺す!』

「『何故なら、それが真のニンジャスレイヤー!』」

『「何故なら、それこそ真のニンジャスレイヤー!」』

 

『そうだ! 俺が! 俺こそが! ニンジャスレイヤーだっ!!」絶叫と共に目を開いた。紅蓮に燃える両眼が狂喜に満ちた。

 

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#2おわり。#3へ続く。



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第六話【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#3

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#3

 

「冷えるな……」コネコム調査員の独り言は白い息と共に夜へと溶けた。施設に今日も変化は無し。この廃データセンターに目標人物がいることは確信している。懐の探偵ノートに記されたように、ペーパーカンパニーによる建物購入と突然のインフラ整備、大量の人の出入りと状況証拠は揃っている。

 

しかし、当の目標人物が姿を見せない。『赤黒のニンジャマニアック』の目撃情報がある以上、施設に籠っている訳ではない筈だ。秘密の地下通路があるのか散々調べたが、影も形も有りはしない。

 

目撃情報の結節点であるこの建物こそポイント重点と見込んだのだが、こうも空振りが続くとフェイク情報の可能性も出て来てる。実際、明確な証拠はない。しかし状況と直感はこの建物を指し示している。ならばやはりジャーナリストの勘を信じるべきだ。

 

尤も、それを信じたが為に前職は物理的にクビになりかけて、今のコネコムへと転職したのだが。しかし、そうなると問題は目標がどうやって出入りしているかだ。それさえ掴めれば目標の所在を裏付けて、レポート提出で仕事は終わり。後は報酬で熱々の懐で、熱々のそでんとサケを流し込むのだ。

 

だがしかし、その目標もその移動手段も一向に見つからない。本当にここに居るのか? 確証はない。確信はしてる。ならばどうする。再び思考がループする。(((目標はニンポ使って空でも飛んでいるのかね?)))グルグルと空転する脳味噌から益体も無い想像が飛び出した。

 

ニンジャ。お伽話と都市伝説にフィクションの悪影響を加えた空想のキャラクターだ。実際には居ない。居るはずがない。そうだ、ニンジャなんて実在しない。そんな者はいない。いない筈だ。なのに脳裏に浮かぶのは、社長から言われた余計な一言のせいに違いない

 

『この調査案件には種々のアブナイが伴う。ヨタモノ、ヤクザ、発狂マニアック……ニンジャ。報酬より自身の安全を第一にしてくれ。カラダニキヲツケテネ』コミックキャラクターに襲われる心配をする社長は、一度自我科に掛かるべきではないか。正直、知己の自我科を紹介しようか迷った程だ。

 

それともコネコム自体のネジが飛んでたりするのだろうか。なにせ『N要員』なんて企業伝説(カイシャ・ロア)まである始末だ。曰く、表沙汰に出来ない機密事項を社内処理する『無銘(Nameless)要員』だの、社内の不穏分子を捕縛研修して愛社化する『自我(Neuro)要員』だの、胡散臭い噂には枚挙に暇がない。

 

酷いのになると、武装社員では対応出来ないカイジュウ級事案に対応する『忍者(Ninja)要員』なんて発言者が発狂者か疑いたくなる代物が飛び出てくる。コネコムはネオサイタマにあるまじき優良企業ではあるが、その分の負担がニューロンに加わっている可能性がある。

 

居心地いい弊社からの転職はしたくないが、場合によっては考えておく必要があるかもしれない。そして、そんな無駄な思考を回していてもやはり状況に変化はない……否! 

 

KABOOOM! 「アイエッ!?」突然の爆発! 調査員は急ぎ双眼鏡を目に当てる。そういえば運び込まれた物品一覧に火器類があった筈。それが爆発したのか? だとしても規模が大きい。既に廃データセンターの各所から煙と炎が吹き出している。

 

(((こりゃマズイ)))このままでは目標人物を取り逃がしかねない。というか死んでもおかしくない。ここはネオサイタマ市警を呼ぶべきか。いや、間に合いそうにない。これは危険を冒しても突入するしか……。

 

「ん?」調査員が覚悟を決めようとするそのタイミングで、走る何かが見えた。いや、それは『何か』ではなく『誰か』だ。「アィェーッ! アーィェェェ!」しかも泣き叫んでる。顔中の穴という穴から汁という汁を垂れ流し、煤まみれでバンザイしながら全力疾走してる。

 

あまり関わり合いになりたくない形相だが、廃データセンターの方から来た以上、何かしら知っているのは間違いない。「アー、モシモシ? 今、宜しいですか?」「アーィェェェ!! アィー!?」まずは肩を掴んで友好的に話かけてみるが、とてもじゃないがお話にならない。

 

「ちょっと暴れるのやめないか」「アィェァーッ! アィアィアー!」逃亡者はアィェ語と呼ぶべき新言語で叫び暴れる。これでは二進も三進も行かない。よく見るとコメカミに造設された生体LAN端子が焼け焦げている。ニューロンを焼かれてフリークアウトしたハッカーなのか? 

 

「フリークアウトだ!」「アィッ!?」突如、目前のハッカーが人語を叫ぶ。生体LAN端子を掻き毟り、唾と洟を飛ばして叫び散らす。「あの野郎フリークアウトしやがった! 完全にタガが外れてやがる! とんだ発狂マニアックだ!」それはアンタだろう。調査員はツッコミを入れたい気持ちをグッと堪える。

 

「バカのクソガキをオサシミ! ナイスカッティング! アホのヤクザをバーベキュー! ナイスクッキング! でも俺をカバヤキ? ザッケンナコラーッ!」支離滅裂な叫び声をあげ、ゼンマイ人形めいてばたつくハッカー。締め直そうにも頭のネジが全部外れてる。ゼンマイが切れるまで放っておくしかなさそうだ。

 

「家のドラ猫の方が百倍マシだ! 俺はドラ猫にコンジョヤキ! すると俺の言うこと判る! カワイイ! あの野郎は俺をカトン・ニンポ! しかも言うこと判んねぇ! ケツ・ノ・アナ!」薬物中毒者の被害妄想めいた言動ではあるが、何かしらに襲われたという話は一貫してる。でも……ニンポ? 

 

「ニンジャを操縦できるなんて言ったの誰だ!? スッゾコラーッ! 俺だ!! ザッケンナコラーッ!」ニンポのオマケにニンジャと来たか。こいつはサイケ幻覚ウィルスでも流し込まれたのだろう。全部こいつの妄想か思い込みに違いない。そうだ、そうに違いない。

 

(((そうさ、ただの子供の妄想、昔話の登場人物、パルプフィクションの住人だ。いる筈がない、その筈だ、間違いない、何も間違えてない、俺は社会に詳しいから判るんだ判る判る正しいんだそんなものはいない絶対にいない!)))調査員はニンジャを否定する。偏執狂めいて徹底的に否定する。

 

「……な、なぁ! アンタは幻覚を見たんだよ。ハッカーならクスリ使うだろ? きっと変なウィルス食らったんだ。だからニンジャなんてサイケ妄想なんだ! アンタが狂ってるんだ、そうなんだよな!?」だが口から出てくるのは真実を問う言葉ではなく、狂気に全て押し付ける台詞だった。

 

「俺は狂ってるよ! みんな狂ってるよ! アンタ狂ってるよ! 全部狂ってるよ! ニンジャ狂ってるよ! ホント狂ってるよ!」そしてそれに返ってくる回答もまた狂気に浸りきっている。「アィェェェ……」「シネッコラーックソガキ! スッゾコラーッヤクザ! キルナイン・ニンジャ! キルナイン・ユー!」

 

「「アィェェェ……!」」ハウリングで襲いかかる狂乱に怯える調査員は、無意識のうちに後ずさった。自分の叫び声に混じってもう一つ、恐怖の声が聞こえる。出所は先と同じく両手を放り上げて暴走してる人影で、内容は重武装しているヤクザだ。反射的にそちらを見る。見なければよかったと後悔した。

 

「アィェバーッ!?」なにせ人影がだるま落としめいて崩れ落ちたからだ。悲鳴兼断末魔と共に、調査員の横を何が掠めて地面に突き立つ。それは人影をぶつ切りした凶器、超自然の炎を纏う四錐星。つまり……スリケンである! 「「アィェェェ!」」気がつくと調査員はハッカーと共に金切り声をあげていた。

 

そして焼き切られた死体を踏み越えて、人間を切り焼いた人外が姿を現す。燃え盛る火炎の逆光で、闇夜よりなお暗い血色の装束。なのに燃え上がる猛炎よりなお鮮やかな緋色の両目が煌煌と光る。不意にその両手から紅蓮の業火が吹き上がり、その顔を赤々と照らし出した。

 

鮮血で描かれた『忍』『殺』の二文字が闇に映る! それは正に! 紛れもなく! ニンジャそのものであった! 「ナンデ! ニンジャナンデ! アィェーッ! アーィェェェ!!」否定し続けた恐怖を前にして調査員はしめやかに失禁した。

 

一方、ハッカーはもう居ない。尿で記録された逃走経路と遠く聞こえる喚き声が現在位置を示している。調査員もその後に続こうとするが、抜けた腰が言う事を聞かない。必死に這いずるその背に影がかかった。

 

「ニンジャスレイヤーは逃さない」タタミ二十枚の距離はあった筈!? だがニンジャ運動能力を以ってすれば、それは一歩の距離と同じだ! 「違うんです! 俺はアイツらとは無関係! コネコムの社員です! コレ見てください!」「ニンジャスレイヤーには関係ない」

 

突き出して見せたコネコム社章バッチは奪い取られた。SIZZLE! 見る間に合金製バッチは水アメめいて熔け崩れた。「アィーッ!? た、タスケテください!」「ニンジャスレイヤーは助けない」残虐な超自然アッピールに股間の染みが面積を増していく。

 

必死の命乞いにも反応すらなかった。胸ぐらを掴み上げて黒鉄の拳を振り上げる。目の前でブレーザーから紅蓮が鎌首をもたげた。焚べる贄を待ちわびるように揺らめく。「アーィアーッ! アェェィー!? ァアェッ!」調査員はアィェ語で絶望感を謳い上げる。

 

……死ぬ。明らかに最期。完璧に御臨終。儚くなってアノヨ行く。自分にご不幸でデス・オムカエが来る。菊花と御先祖に見守られ安らかになる。荼毘に付されて土饅頭のフートンにくるまり、故人になってオブツダンで供養される。『元』調査員になる。つまり、死ぬ。死んだ。

 

決死通り越して確死の未来を目の当たりにして、真っ先に精神は明日を諦めた。しかし肉体だけは諦めを拒絶した。ネジの外れたゼンマイ人形めいて、無意識がジタバタと両手を動かす。当然、無意味だ。そんなことでニンジャの手を逃れられるはずもない。

 

だがブッダは不意に目を開く。暴れた拍子に懐の探偵ノートが滑り落ちた。KALAーTOOM! 爆発の風がノートをめくり上げる。ニンジャの視界の端で無数の文字が流れた。「赤黒の外観」「ヨタモノ狩に関係性?」「潜伏可能性85%」「独自ネットワーク連携ある」「カナコ=サン経過報告→確定後に」

 

「……そうか、そうだったのか」拳は振り下ろされる事なく、ゆっくりと降ろされた。蠢く火炎も不満げにその体積を減らしていく。死を免れたのか? 膀胱が空になると共に、空になった調査員のニューロンに意識の欠片が戻ってくる。

 

「お前はブラックスミス=サンの指示で俺を嗅ぎ回っていた、そうだな!?」「アィー! ブ、ブラックスミス!? 殺さないで!」死を免れたかは不明だ。しかし恐怖を免れていないのは確実だ。そして調査員の返答如何では死は舞い戻ってくるだろう。残酷な苦痛をお供につけて。

 

「そいつはカナコ・シンヤ=サンだ!」「そうです! その通りです! 殺さないで!」ニンジャの肩が震え、背が震え、喉が震え、哄笑となって溢れ出した。「ブッハーハハハッ! アハーッハハハ! ハッハッハッ! ……いいだろう、殺されないでおいてやる!」

 

「代わりにブラックスミス=サンに伝えろ! 事が終わり次第、殺しに行ってやる! カワラ割りながら震えて待っていろと!」「ハイヨロコンデー!」泣きじゃくる調査員は頚椎捻挫の勢いで首を上下する。助かった。死は免れたのだ。

 

「これがそのメッセージだ!」「アィェーッ! アーッ!? アーッ! アァーッ!」だが苦痛と恐怖は免れていなかった。赤熱する指先が調査員の頬を焼き焦がす。皮膚をキャンパスにゆっくりと一画一辺トメハネを焼き入れていく。

 

『忍』……! 『殺』……! ジゴク式ショドーで烙印は捺された。今や調査員の顔は、目前で嗤う恐怖の悍ましきカリカチュアだ。「忘れるな! 全て伝えろ! 次はお前の番だと!」精神と肉体の両方が遂に、或いはようやく限界を超え、脳髄のブレーカーを落とした。

 

「忘れるな! 全て伝えろ! 次はお前の番だと!」「全て伝えろ! 次はお前の番だと!」「全て伝えろ! 次はお前の番だと!」「次はお前の番だ!!」「次はお前の番だ!!」「次はお前の番だ!!」「次はお前の……」回転する視界の中で奇妙に歪んだ声が反響している。

 

そして、全ては闇の底に消えた。

 

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#3おわり。#4へ続く。



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第六話【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#4

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#4

 

Linとオリンが鳴った。か細くも美しい残響が、センコの優しいインセンスと相まって、ドージョーを清めていく。ヤングセンセイはただ一人、オブツダンに片手略礼した。最後の生徒が去ってから何日が経ったのか。ただかつての栄光を求むるように、毎夜毎夜人間を離れた教え子を探し歩く。

 

それは魂をゆっくりとヤスリがけするかのような日々だった。喉に綿を詰め込まれ続けるような毎日の中、何度なく自身の無力と無能を突きつけられた。そして同時に己自身を繰り返し繰り返し見つめ直した。

 

無知の知を知り、無能の能を能うる。今、ヤングセンセイを観るものが居れば、元ボンズの経歴を想像するだろう。目を逸らす事なく苦悩と向き合い続けた者だけが持つ、深く静かなセイシンテキを彼は纏っていた。

 

……かつてヤングセンセイは祖父よりデント・カラテドージョーを受け継いだ。だが祖父であるオールドセンセイからデント・カラテを継承できなかった。才能か? 実力か? 努力か? その全部か? 理由は知れなかった。

 

だから逃避めいて経営にのめり込んだ。生徒数が大幅増大、各種トーナメントを総嘗め、スポーツ関連事業の急速拡大。カラテ以外は悉く上手く行った。だが、継承者でない事実に代わりはない。

 

故にヒノ・セイジへと無自覚に理想を押し付けた。自分に似て人付き合いの上手い、しかし自分に無いカラテの才覚がある持つセイジを祀り上げて、劣等感を埋めようとした。

 

故にカナコ・シンヤへと無意識に祖父を重ね合わせた。祖父に似て対人関係の下手な、かつ自分が得られなかったカラテの実力を持つシンヤを嫌って、身勝手に遠ざけた。

 

して、その結果は? 今のザマだ。シンヤどころかセイジのセンセイにもなれず、全ての門下生を失った。ならばせめて、自身の責任を取らねばならない。無理強いた期待で押し潰した愛弟子を見つけ出し、その凶行を止めなければならない。形だけ名前のみのブザマなセンセイもどきであったとしても。

 

故に今日もまた彼は夜の街にてドージョーを離れた弟子を探し歩くべく準備をしていた。「……?」その背を冷え切った風が撫でる。扉を閉め忘れたか? 吹き付ける風は肌を切るように冷たい。振り返ると開ききった扉から冬の冷気が忍び込んでいた。

 

だが凍える風の出所はそこではない。「!」扉の向こうに人型に凝った血が居た。肺を刺し貫くような冷たい殺意は、この赤黒の影から吹いていたのだ。「ドーモ、俺はニンジャスレイヤーです。今日はデントカラテ・ドージョーへ放火に来ました」両手を合わせた影は慇懃無礼にそう告げた。

 

「……ドーモ、ヒノ・セイジ=サン」ヤングセンセイはその影を知っていた。その影こそが探し続けていた愛弟子であることも知っていた。痛みを堪えるように息を吸って、覚悟と共に息を吐く。そしてギプス片手で不器用に構える。祖父から学び受け継ぎ、しかし修めきれなかったデント・カラテを構える。

 

「そんな事はさせません。ここはデント・カラテを学び学んだ者達の神聖なドージョー。それに形だけであったとしても、私は貴方のセンセイなのですから……!」その構えを見つめる赤光が瞬き、表情が歪んだ。だがそれは刹那のこと。

 

「違う、違う、違う。俺はニンジャスレイヤーだ。ニンジャスレイヤーは成す。誰にも止められなどしない」赤黒のニンジャもカラテを構える。それはデント・カラテでありながらデント・カラテでない。バイオバンブーをサイバネ接合された大樹めいて歪なカラテであった。

 

それを目の当たりにして、ヤングセンセイの胸を更なる痛みが刺す。ヒノ=サンは自分と違い祖父のカラテを悉く受け継いだ、真のデント・カラテ継承者だった。だが彼はニンジャと言う怪物に成り果てて、そのカラテもまた歪み果てた。

 

「そして成る。貴方を殺し、友を殺し、全ての感傷を殺して儀式は成り、俺は真のニンジャスレイヤーと成るのだ」赤黒のニンジャは朗々と、切々と狂気そのものの自論を語る。妄念を焚べて赤々と燃えるその目をヤングセンセイは真っ直ぐに見返した。

 

「繰り返しましょう。させはしません」「俺も繰り返そう。成す。そして成る。真のニンジャスレイヤーに……!」問答は無用。交わす言葉は尽きた。ならばカラテ交わすのみ。空気が冷え切った殺意で歪む。室温が10は下がったと感覚が訴えた。浮き上がる歯を食いしばり、笑い出す膝をキアイで締める。

 

「イヤーッ!」ヤングセンセイが跳んだ! それはデント・カラテ基本にして奥伝『弾道跳びカラテパンチ』だ! 自身を砲弾として打ち出す、二の打要らずの質量打「イヤーッ!」「グワーッ!?」人体がボールめいて飛んだ。上下に分断されたと錯覚する程の衝撃。

 

不可思議の顔で拳を眺める様を見て、ヤングセンセイはやっと殴られたと理解した。次の瞬間、吐気と苦痛が内臓で爆発する。今すぐ夕飯を床にぶちまけて、泣き叫びながら転がり回りたい。お願いだからさせてくれ。ハラワタ総意の悲痛な訴えを『イクサ中』の一言で叩き斬る。

 

ただし一部のみ採用。立ち上がる前にワームムーブメントで距離を取る。当然、ニンジャはそれより速い。「イヤーッ!」「グワーッ!」再びヤングセンセイはくの字になって空を飛んだ。サッカーボール代わりに前蹴り一発だ。今度はなんとか認識できた。

 

「オゴゴーッ!」消化器官は裁可を待たずに独自判断で内容物を全て排出した。空中飛行中にスプリンクラーめいて元夕飯がぶちまけられる。吐瀉物を触れる端から昇華させつつ赤黒い死が迫る。「オゴーッ!」拭う暇も止める暇もない。接地と同時に後転。バッテラ・スシが軌跡を描いた。

 

すぐさま体勢を整える。いや、整えようとした。間に合わない。目の前で手刀を振り上げている。防御も間に合わない。死を理解した脳髄がソーマ・トリコールで絶叫をあげる。間に合え。粘つく加速感覚の中でも振り下ろされる一刀は霞む速度だ。間に合え。断頭チョップの軌道にギプスの腕を差し込む。

 

「アバーッ!」繊維強化カルシウム製のギプス、ボルト接合の上腕骨二本、30年近く鍛え上げた筋肉。全部まとめて真っ二つ。一つ残らずアイシングクッキーより容易く割られた。ついでに鎖骨と肋骨上半分、片肺も半分ほど割られた。「アバッ」悲鳴めいた喀血が零れる。切り口から血と共に呼気が漏れる。

 

それを見つめる紅い目は……困惑と驚愕に明滅していた。隙。勝機。此所しかない。今しかない。「イ”ヤ”ーッ!!」残る体力全てを込めてシャウトを吐いた。残る精神力全てを搾り出して踏み込んだ。残るカラテ全てを賭けて拳を突き出した。

 

デント・カラテ始まりにして終わりのベーシックムーブ『カラテパンチ』。それはヤングセンセイのカラテ人生において最良最高の一撃だった。だがモータルにとっては最上級のカラテでも、ニンジャにとっては『やや危険』でしかない。

 

「!? ……イヤーッ!」不意を突かれた筈の赤黒は驚くほど滑らかに動いた。両手が真円を描き、突き出した直線を柔らかく逸らす。恐らくは無意識のカラテだろう。ニンジャになる前からも、ニンジャになってからも、積み上げ続けた鍛錬がその身体を動かしていた。

 

「イヤーッ!」更にもう一周。両手は小さな円をなぞる。併せての動きは螺旋を象った。サークルガードが攻撃の為の防御ならば、それは防御の為の攻撃である。「グワーッ!」正にアカチャンの脆い関節をへし折るかの如くのベイビーサブミッション。肩が音を立てて外れ、肘は逆向きに折り畳まれた。

 

カラテ振るう力全てを奪われて、ヤングセンセイは血溜まりに崩れ落ちた。「アバッ……ヒュー……アバー……」致命の深手を負って呼吸すらままならぬ。断末魔の痙攣か、身体が意味もなく震え出す。「貴方を、なぶる、つもりは……」掛けられた声も震えていた。

 

殺意を込めて超ニンジャ存在のカラテを振るった。その筈なのに、無意味に苦しめただけだった。何故? 理由は震える声が告げていた。赤黒のニンジャ……否、セイジにも判っていた。「違う、違う、違う! ニンジャスレイヤーに感傷はない! 有ってはならない!」だからこそ声を荒げ、否定する。

 

それを否定する為にここに来たのだ。「だから殺す! 感傷を殺す! 貴方を殺す! そして真のニンジャスレイヤーと成る!」その目を紅蓮に染めて、決意と殺意で迷う心を塗り潰す。「ヒノ、サン……」焼け付く緋色の目を、ヤングセンセイの視線が真っ直ぐに刺し貫いた。

 

その目が彼の祖父と、記憶の中のオールドセンセイと重なる。耳の奥で微かに最期のインストラクションが響く。『カラテを……己に……』その続きを知ることは出来ない。なのに期待する自分がいる。感傷に縋る惰弱な己が未だ胸の中で息を潜めている。耳をそば立て、ヤングセンセイの言葉を待っている。

 

「ヒノ=サン……貴方の言う、真の……ニンジャ、スレイヤーが、何、なのか、私には……判りません。けれど、貴方が……それに、成れない、こと……だけは、判ります」血混じりで吐く言葉は途切れ途切れの苦しげなものだった。しかしそこに込められた意思は明確で一片の曇りもない。

 

「何が言いたい……?」空気がどろりと濁る。息すら出来ぬ程に濃厚な殺意だ。これこそニンジャの本気の怒り。並みのモータルならば、自ら息を止めて目を潰すだろう。死にかけている筈のヤングセンセイは、真正面からそれを受け止めていた。そして一切の怯懦なく、真っ直ぐに言葉を教え子へと返した。

 

「己……から、目を、逸らしては……偽者にしか、成れは、しません……! 私が、貴方の……センセイに、成れなかった、ように!」闘争は言語以上のコミニケーション。ヤングセンセイは、交わしたカラテを通してセイジの欺瞞を看破していた。それはかつての自分とまるで同じだった。

 

もしも、もっと早くに自分を見つめ直し、自己欺瞞を辞められていたならば。真にセンセイとして有れる道もあったのかも知れない。セイジとシンヤをドージョーの二枚看板として、デント・カラテを未来につないでいく。そんな道も有ったのかも知れない。その道は自分の手で失った。

 

しかし、それでも自分はセンセイだったのだ。一片のソンケイすら抱かれていない一時だけの紛い物でも、自分はセンセイであったのだ。(((だから、最期のその時まで、私はヒノ=サンのセンセイで有らねばならない!)))残る生命を総動員して赤黒の影を真っ正面から見据える。

 

その目前で殺意が爆発した。「それが貴様のハイクか! 十を数えるより先に忘れてやろう! 誰にも顧みられる事なく死ぬがいい、センセイ気取りめが! 焼け死ねぇっ!」忿怒が両腕から火炎となって鎌首をもたげた。牙剥く紅蓮を帯びたチョップは、今度こそヤングセンセイを両断して絶命させるだろう。

 

明示された死を前にして二度目のソーマト・リコールが始まる。今度は抵抗の手段すらない。出来るのはマゾヒスティックに引き伸ばされた最期を味わうことだけだ。「イヤーッ!」焼き殺し斬り殺さんと紅蓮が迫る。鮮やかな死人花の色が赤黒の影すら覆い尽くした。真っ赤な死が視界を染める。

 

「イヤーッ!」瞬間、闇が赤に覆われた視界を拭った。窓から飛び込んだ黒錆色の闇が、赤錆色の咆哮と共に赤銅色の拳を振るったのだ。「グワーッ!?」襲い来る紅蓮は認識外のアンブッシュに苦悶の声を上げて吹き飛ぶ。

 

「貴方、は……!」「黙っててください」黒錆色をした影は赤黒のニンジャを追撃する事なく、手早くヤングセンセイに応急手当を施していく。折れた腕に添え木を結び、割れた肺腑を覆い、切り落とされた腕は繋ぎ合わせた。ニンジャどころかモータルにとっても襲い掛かるに十二分な時間だ。

 

しかし赤黒のニンジャからも反撃は無かった。代わりに狂喜の嗤いを浮かべていた。「ククク……クハーハッハッ! なんたる僥倖! アブハチトラズとはこのことか! 諸共殺されに来るとはなんとも義理堅い! 望み通りに素っ首撥ねて儀式に使ってやろう! 喜べ、ブラックスミス=サン!」

 

「義理堅いのは確かだがね、アブハチトラズは大間違いだ。お前は全て逃して枕を涙で濡らすのさ、カラテ王子」ヤングセンセイの応急処置を済ませて黒錆色の影……ブラックスミスが向き直る。その顔を覆うのは黒錆のニンジャ頭巾、そして赤錆のメンポ。

 

『ブラックスミス』は、それを剥ぎ取り投げ捨てた。下の素顔が現れる。二束三文の雑魚面に殺人マグロの目。見飽きるほどに見慣れた顔が、見覚えのある顔でそこにいた。「ドーモ、ヒノ・セイジ=サン。カナコ・シンヤです」対峙したたった一人の親友へと、『カナコ・シンヤ』はアイサツを投げた。

 

「……違う! 違う! 違う!! ドーモ、ブラックスミス=サン! 俺は! 俺が! ニンジャスレイヤーです!!」一拍の間を空けて返って来たのは激烈な反応だった。先のヤングセンセイ同様の自己定義とチョップを突きつける。

 

「……ああ、そうかい。そんなに呼んで欲しけりゃ、呼んでやるよ」シンヤは目前のニンジャを見据えた。『カナコ・シンヤ』の顔を赤錆メンポと黒錆頭巾が覆い、『ブラックスミス』がカラテを構える。

 

 

「ドーモ、ニンジャスレイヤー……モノマネ野郎(コピーキャット)=サン。ブラックスミスです」

 

 

名前間違い! 漢字間違いに次ぐ程のタイヘン・シツレイだ! だが()()()それを成す! 「貴様ァッ!」「来い、バカラテ王子! 目ぇ覚めるまで、ぶん殴ってやる!」BONG! 赤銅色の拳をぶつけ合わせて挑発の手招き。

 

赤錆色の上に浮かべる表情は、吹き上がる紅蓮よりなお濃い怒りの色だ。対する赤黒の顔色は対峙する黒錆色をよりドス黒く染まっている。二人はネガポジ反転のデントカラテを構える。かたや実戦で鍛え上げた重厚なる正統派デント・カラテ。かたや殺意で刃を増した猛烈なる殺人改善デント・カラテ。

 

二人の空間をニンジャ圧力が歪めていく。お互いの全身にカラテが満ち……弾ける! 「「イィィィヤァァァーーーッッッ!!」」CRAAASSSH!!! 鏡写しの弾道跳びカラテパンチ! 固めた拳がぶつかり合い、号砲がわりの轟音が響いた!

 

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#4おわり。



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第七話【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#1

両方の意味で随分と長くなってしまいました。
そのくせまだ区切りもついてません。
それでもよろしければお読みください。


※ 注意な ※

本作はニンジャスレイヤーの二次創作であり、
他作品を貶める意図は一切ございません。
本作に出てくるキャラクターに何らかの既視感を覚えたとしても
モデルとなったキャラクターとは無関係です。

※ ご了承ください ※



【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#1

 

 

「アタシ、体温何度あるのかなぁ?」「そりゃ俺のハートが燃える温度さ」歯が浮きそうな台詞を吐いて首筋に歯を立てる。高純度違法糖類めいて白く、甘い。(((ネズミはコレでも舐めてな!)))トラウマめいて蘇る声。頭からぶちまけられた廃糖蜜は苦くて渋く、それでも当時の自分には驚くほど甘かった。

 

「ハハッ」「どったの、王様?」それも今では心地よい記憶だ。それは治りきった傷痕に爪を立てるのに似ている。笑いながら廃糖蜜をぶっかけてくれたウサギ野郎は、ビート畑の下で幸せな肥料になっている。ウサギ野郎の死体で育ったバイオテンサイ糖は勝利と成功の味がした。

 

そう、自分は勝利者であり成功者だ。壁には螺鈿細工の円三つで描いたシルエットと、『ネ』『ズ』『ミ』の神秘的カタカナ。クランの象徴が豪奢な額縁で飾られている。下らない迷信に縋るヤクザの真似なぞゴメンだが、これだけは別だ。

 

自分達のシンボルにドゲザして床にキスをするヤクザ共。ハーフガイジンだのネズミだのと散々にコケにしてくれたヤクザの、媚びと屈辱に歪んだあの顔。たまらない。塩辛いスイスチーズを齧り、飽和砂糖溶液のバリキフィズを煽る。塩味から甘味へ。あまりの落差に脳髄が蕩ける。

 

「あー……いい……いー気分だ……お前も楽しめよ」「ンッ……」口移してやれば女の顔も黒蜜アイスクリームめいて溶けていく。コイツの名前は何だったか。思い出せない。どうでもいい。「ハハッ!」誰にせよ、何にせよ、この『悪夢と麻薬の王国』では全てが自分のモノなのだから。

 

KNOCK! KNOCK! KNOCK! 「王様! 起きてますか!? スンマセン!」「アァン?」さあお楽しみと服に手をかけた瞬間、ドアが打ち鳴らされた。青筋がこめかみに走る。「起きてください! 王様! 大変です! スンマセン!」ドラッグに酔った頭に響く甲高い声。城の管理を預けてる副官の声だ。

 

「ガァガァガァガァうるせえなアヒル野郎! 俺の楽しみを邪魔できるたぁ随分偉くなったもんだな、エェッ!?」彫刻だらけの分厚いドアを蹴り開ける。バスローブ姿の王様を見て、真っ青な顔した水兵の副官はドゲザ水準で頭を下げた。

 

「アイエッ!? スンマセン! でも王様、大変なんです! 魚取り連中とかが大挙してやって来まして!」「それくらいてめえで判断出来んだろうが! つまり北京ダックにされてぇんだな!?」漁師の反抗はたまにある。そしてその度にマグロかネズミの餌にして恐怖のタガを締め直して来た。いつものことだ。

 

そしてコイツはいつものこともできない無能で、無能を幹部に置くつもりは無い。ホワイトアッシュの後頭部に銃口を当てる。(((コイツはそこまで無能か?)))しかし、引き金を絞る1秒前にふと気付いた。集ると騒ぐしか脳のない配下の中で、珍しくモノを考えられる脳味噌が有ったから側に置いたのだ。

 

つまり、コイツの頭では判断しかねる事だから話を持ってきたのだ。それもお楽しみ中の自分を叩き起こして、怒りを買って脳漿をぶち撒ける覚悟をしてまでだ。「……オイ、アヒル野郎、詳細に話せ。何が、あった?」

 

「いつもみたいに魚取り屋の連中が陳情に来たんです。いい加減、見せしめに吊るそうとイヌの野郎が出張ったら、見ない顔のジジイにヒザぶち抜かれたんですわ! ありゃ傭兵です!」想像外に強硬な下民の態度を耳にして、王様は長い前歯をきしりと鳴らした。

 

「連中、チャカ・ガン持ち出したんだな?」「そうです! 魚取り屋の連中、戦争に来たんですよ! 王様、兵隊集めますか!? 全員ネズミのエサにしちまいましょうぜ!」興奮したセリフで更に興奮したのか、副官は両手振り回して金切り声を張り上げる。

 

「オイ」その目を王様の視線が射抜いた。捕食者を前にした家禽めいて副官は停止した。動作も声も呼吸すら止めた。可能なら心臓まで止めただろう。怒れる暴君を前にしてなお、感情を垂れ流す勇気は無かった。

 

「……兵隊集めてチャカ・ガン持たせろ」「ハイ」「何割エサにするかは俺が決める」「ハイ!」「俺の指示なく動いた奴は漁師とまとめてエサにしろ」「ハイヨロコンデー!!」

 

ーーー

 

『大きな漁り』『網は今日も一杯』『船に乗り切らない』『祝い』『オトコ』煤けた無数の大漁旗が曇天にたなびく。漁の成功を祈る誇りの旗は、大海原ではなく場違いな地上で軍旗めいて振られていた。

 

目前の城塞を鑑みれば『軍旗』という言葉はあながち間違いでもないだろう。ましてや、今ここで懸命に振り広げられる祝い旗は、自らの所属を示して敵に己を見せつける為のものなのだ。紛れもなくそれは、彼ら……舞浜漁人組合(マイアマ・フィッシャーマンズ・ギルド)のイクサ旗であった。

 

そしてイクサのお相手は、かつては白亜であった架空中世欧州城から次々と姿を表して来る。『キューソー虎を食らう』『ジバシリ』『ペスト振る舞う』次々と立ち上がるノボリ。スチームパンクス、カウボーイスタイル、ストリームラインモダン。外観にはまるで統一性が無い。統一されているのは二つだけ。

 

その顔にべったりと張り付いた表情。暴力の快楽、弱者への侮蔑、権威への敵愾心を各々の好みでブレンドした反社会的な顔つきが一つ。そしてもう一つはアクセサリーで、タトゥーで、プリントで刻まれたシンボル『三つ丸ネズミ紋』だ。

 

その姿を見た漁師達の顔が強張る。無理もない。憎き怨敵、舞浜溝鼠王国談合(マイアマ・ドブネズミ・キングダム・クラン)が目の前にいるのだ。連中はオリエンタル・タノシイランド跡地を根城に、暴力・ドラッグ・ギャンブルが溢れる『悪夢と麻薬の国』を作り上げ、十年前から今に至るまでマイアマを含むウラヤス一帯を支配した。

 

中でもフィッシャーマンズ・クランは過酷残酷かつ持続可能性を無視した過剰漁業を強要され、幾人ものカロウシと共に豊かなるウラヤスの海は尽く死に絶えた。保証? あるはずがない。

 

代わりに与えられるのは、実行不可能なノルマと当然の未達成に対する粛清だけだった。だがそれも今日で終わりだ。コネコムより日給15000(税込み、一人頭)で借り受けた戦闘要員の力でクランを叩き出し、この地と海を住民の手に取り戻すのだ! 

 

「お客様は随分と平和的だの」「……ですね」息巻く漁師たちをコネコム武装派遣社員“ナンブ”は冷めた目で見ていた。隣に立つコネコム特殊案件対応要員“カナコ・シンヤ”も普段より陰気に同意する。

 

相手は損得で思考する暗黒メガコーポでも、メンツを重んじるヤクザでもない。伝統と権威を唾棄しヤクザプロトコルすら無視する、感情原理の危険極まりない犯罪組織『半グレー集団』の一つだ。ムカついただけで和平条約越しに大使を射殺するような連中が、追い出すだけで済む筈もない。

 

しかしそれを判断するのは客だ。コネコムは客の望みに従ってクランを排除するのみ。「イタイ……イタイよぉ……」だからこちらの暴力を見せつける為に、殺しに来たクラン構成員を敢えて生かして見せた。

 

「ほれ。飼主が来たぞ、犬っころ。コンジョ見せい」「グワーッ!?」血と関節液の溢れる風穴を踏みつけると、倒れ伏したクラン構成員は野原に飛び出した犬のように転がった。「「「ナメッテンノカコラーッ!」」」ナンブの不遜な態度に、クラン構成員が激昂する。

 

「コワイ!」「おおブッダ!」「ほぅ」「……」慄く漁師達に対してナンブとその配下、そしてシンヤは眉根一つ動かさない。「「「ザッケンチャースイテッゾコラーッ!」」」無数に重なるヤクザスラングは言葉の意味すら失って、飢えたケダモノの唸り声に似ていた。

 

そしてケダモノの群は(アルファ)に従うものだ。「通せ」「王様!?」「キングだ!」三つ丸ネズミ紋を付けたアウトロー達が驚くほど従順に道を作る。群の主に恐怖と暴力で骨の髄まで躾けられているのだ。

 

「ホーホーホー、魚取り野郎共が舐めたマネしてくれたじゃねぇか」水兵服の副官を引き連れて姿を現したのは、『貧相』の一言に尽きる黒い小男だった。手足は落書きめいてひょろ長いのに、手首足首の先だけがマンガめいて大きい。間延びした鼻面と唇にかかる前歯はクラン名の理由を判り易く示している。

 

「なぁぁぁるほど。魚取り屋がキツネ宜しく、タイガーの尻に縋って粋がってる訳か。ハハッ! 随分と情けない海の男もいたもんだ!」だが恐怖と暴力にのみ従う半グレー集団を率いる大ボスが、単なる貧弱矮躯の混血児である筈がない。まとうアトモスフィアと浮かべる表情がそれを告げている。

 

「「「ギャハハハッ!」」」追従の嗤いが辺りに響くが、苦虫を噛み潰した漁師達からは反論の声はない。かつては暴虐に立ち向かう意思と誇りある海の男達がいた。そしてそんな漢ほどクランに目を付けられて残虐に殺された。残っているのは勇気を出せなかった者達だけだ。

 

「お、俺たちが情けなかろうが臆病であろうが関係ない! アンタらにはこの土地から出て行ってもらう!」だがしかし、散って逝った同胞のためにもここで膝を屈するつもりはない。出せないなら振り絞ってでも勇気を出すのだ。

 

「出て行く? アー、なんて言った? 出、て、行、く? 俺が? 俺の国から? ハハッ! ノンジョーク!」クランの王様は大きな耳に手を当てて、まるで理解できないと挑発する。「マイアミは俺の王国で、ウラヤスは俺の国土だ」

 

「お前らテナントが言うべき言葉はな、『何でも差し出しますから住まわせてください』だ」冗談めいたサイズと色合いの大口径が、背中から魔法めいて滑らかに抜き放たれた。矮躯に似合わないカラフルな象撃ち拳銃をどこからともなく取り出して突きつける。

 

その姿はカトゥーンそのものだ。ただし、このコミックキャラクターは笑いながら人を殺す。「とりあえず下らない冗談聞かされた損害賠償からだ。死ね」『BLAM!』「アィッ!?」唐突ともいえるタイミングで怯える声より早くトリガーは引かれた。

 

超音速の鉛弾は、オルカに突貫されたサメよりゴアな死体を作るだろう……発射されればだが。「ハハッ! ジョークだよ、ジョーク。だから笑えよ、居候」「「「ヒャハハハッ!」」」代わりに銃口から飛び出したのは『BLAM!』の旗だ。冗談めかして存在しない硝煙を吹くと、ジョークの旗が翻る。

 

「ウウウ……」恐怖を弄ばれて漁師のなけなしの勇気は尽きた。力なく顔を伏せて弱々しく唸るばかり。王様は満足げにニタニタと笑う。後は少々痛みを与えてやるだけで泣きながらドタ靴にキスをするだろう。自然物な原住民はこう有るべきだ。

 

しかし家主を追い出せると調子に乗ったのはいただけない。「ええっと、それでそっちの傭兵さんはまだ居座るのかい? 雇い主は随分とヤルキ無くしちまったようだがねぇ?」その原因を目の前で踏み潰して、立場を判らせてやる必要がある。

 

「契約して金貰ってる以上、やる事はやらんといかんでのう」つまり帰る気なし。王様はネズミ車より良く回る頭を急転させる。帰社する傭兵の背中を撃って漁師に見せつけるプランは変更だ。煽って攻めた処を頭数で押し潰す。間引きも兼ねてアブハチトラズだ。

 

「ハハッ! 魚取り屋の財布如きで命掛けるとは随分安い人生だなぁオイ! 何のためにその年までムダに生きてんだ? クソの製造かい?」「「「アハハハッ!」」」白々と嗤う王様に媚びた嘲笑が後を追う。しかしナンブの笑みは無数の嘲の中でも掻き消される事なく黒々と浮き立っていた。

 

「何を言うとる若いの。安いからいいんじゃろうが」「アァン?」「実際安い命を地球より重いとありがたがって何になる?」二束三文の命を張って、幾百幾千の死体を重ね、値万億の戦争に挑む。これこそ戦争屋の生き様。

 

「外れりゃ死ぬバクチに賭けて、当たりゃ死ぬイクサに費やす。これが人生の使い道ってものよ」ナンブが浮かべる左右非対称の笑みは、牙を剥いたタイガーによく似ていた。

 

「……ヘッ、ムダに生きてるだけあって言い訳だけは上手いもんだ」本物のウォーモンガーを目の当たりにしてか、周囲からのへつらいの追笑は聞こえなかった。

 

「オイオイオイオイ、傭兵居るって報告聞いてたけどよ、傭兵気取りの気色悪い勘違いオタナードが居るなんてビックリだぜ。牛の尻にへばりついた金魚の糞になれば、自分が強いと思えるのかい?」「……」代わりに冷えた空気を察した副官が場を温めるべく、黙りこくるシンヤを甲高い声でなじりだす。

 

「ナァナァナァナァ、なんか言えないの? 頭が足りなさ過ぎて、お口チャックの開け方忘れちゃったの? 見てろよ、お喋りはこうやるんだ。お口を開けて、息を吐いて、喉を震わせる。ほらリピートアフターミー! 『僕、バカでーす!』」「……静かにしろ」

 

立て板に汚水を垂れ流すかのような副官の揶揄に、イラついた表情のシンヤはただ一言だけを返した。あくまで現場指揮官はナンブだ。勝手な真似は出来ない。KILLコマンドが出力されるまでは殺意を押さえ込んで耐えるのみ。

 

「オヤオヤオヤオヤ? お喋りできるようになったのか! ウジ虫がハエになる大進歩! クソの山に顔突っ込んでいいぞ! 嬉しいな!」「「「ワースゴーイ! オジョーズ!」」」息もつかせぬダックスピークに有象無象のネズミ達が調子を取り戻す。合いの手お囃子を入れてリズミカルなダズンズは加速する。

 

「じゃあお次はカッコだな。カッコ悪くて仕方ねえ。どこまでダサいカッコしてんだ。陰力出し過ぎ斥力出てる。コケシマートもワゴンじゃなくてゴミ箱入れる。そんなの着てたら友達無くすぞ?」「……黙れよ」

 

ニンジャになるより随分前、望まぬ転生者であるシンヤは放射性の憎悪と全方位の憤怒をただひたすらに堪えていた。最終的に溜めに溜め込まれたカンニンブクロは大爆発し、イジメ・リンチに参加してたヤンク全員が病院に叩き込まれた。当人すら気づいていないが、今のシンヤは当時によく似ていた。

 

「いかんな」シンヤの変化に気づいたのか、ナンブの眉根にシワが寄る。ここ最近のシンヤは酷く塞ぎ込んだアトモスフィアを纏っていた。仕事に私情を持ち込む訳でも、感情で仕事を損なう訳でもなかったから、近くノミカイにでも誘ってグチの一つ二つ聞いてやろうと考えてた。

 

どうやらそのヒマはなさそうだ。今のシンヤは信管を差し込んで点火したバクチクめいている。そして導火線に火の点いたカンニンブクロへとニトロとガソリンを振りかけて遊べばどうなるか。

 

「そんなカッコの友達なんて、友達やるのが辛過ぎる。俺友達なら友達辞める。お前にから友達扱い辛過ぎる。辛くてキモくてカワイソ過ぎる。魚糞お黙りキモナードオバーッ!?」「グヮグヮグヮグヮ煩えせえんだよ鍋具材! ネギと一緒に刻んで煮込んで殺すぞコラーッ!」

 

口中に差し込まれたチョップ突きがキンキン声のギャングスタ・ラップを強制中断! 「黙れねぇ言うんなら俺が黙らせてやるよ! イヤーッ!」「グワーッ!?」そして中断は永遠になった。鉤手が顎ごと舌を抉り取る! 

 

「コヒューッ! コヒューッ!」絶叫の代わりに血が吹き上がる! エンマ・ニンジャより容赦ないミュート処置に副官は無声ブレイキンを躍り狂う! 「アイェーッ!」服従する上司の狂えるB-ボーイングを目の当たりにして、膝を抜かれたクラン構成員は腰を抜かして恐怖の声を上げた! 

 

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#1おわり。#2に続く。



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第七話【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#2

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#2

 

「「「ザッケンチャースイテッゾコラーッ!」」」怒り狂うクランの面々は合唱ヤクザスラングと共に得物を抜き放つ! 「イヤーッ!」「「アバーッ!?」」だがシンヤのカラテはそれよりも早くて速い! 

 

寝転ぶ二人が高速二連ケリ・キックを食らって宙を舞う! あまりの衝撃にくの字に折れ曲がるどころか、折り畳まれて一文字な一直線だ! なんたる威力! 人間業ではない! そう、シンヤは人間ではない! コネコム所属の企業ニンジャ“ブラックスミス”なのだ! 

 

「「オボァババーッ!」」ニンジャのカラテに人体が耐えられる筈もない! 昼飯と内臓のミンチを撒き散らながらクラン構成員は死亡! 副官も即死! 「グワーッ!?」更に人体二つ分の質量が王様に直撃する! 王様は気絶! 副官は死体! 「スッゾコラーッ!!」そして目の前には怒れるニンジャ! 

 

「ザッケンナコラー……!」だが、その目の前にカリカチュアのシルエットが立ち塞がる。チキンレッグに風船めいた胸郭が乗った姿は、現実世界に引き摺り出されたトゥーンのキャラクターそのものだ。しかもそれはただのファッション人体改造ではない。

 

ドッドッドッドッ! 両碗と置換された空気式カタパルトにピストン肺から圧縮空気が注がれる。数十トンの航空機を一秒未満で離陸速度に押し上げる圧倒的な出力。それを食らえば人体など容易くネギトロだ。事実、クランに逆らった漢気ある漁師は、この両手で挽き潰されてコマセと一緒に海に撒かれた。

 

「ヤマネコ来た!」「ペグレグ・ザ・ヒキニク!」「これで勝てる!」クランの最強が姿を現した途端に、先までの恐怖を忘れたかのような歓声が上がる。泣いた『カラス』がすぐ笑うとは言うが、『烏』合の衆を示すには相応しい表現だろう。

 

「ツブサレッチマエーッ!」「シーネッ! シーネッ!」水を得たマグロめいて、或いは弱った獲物を見つけたネズミめいて、クラン員達はインスタントな殺意を振り撒く。「「「ミ・ン・チ! ミ・ン・チ! ミ・ン・チ! ミ『DING!!』……」」」

 

調子と勢いに乗ったクラン構成員集団を拳の音一つで黙らせると、シンヤは静かに手招きした。傭兵からの挑発に対し、クラン随一の武闘派はヤクザスラングと鉄拳で応える! 「スッゾコラーッ!」WHOOSH! シリンダー圧力解放! 人体をトーフめいて四散せしめるステンレス鋼の拳がスライドで迫る! 

 

対するは赤銅色のガントレットに覆われた、生身の人間の拳! 「イヤーッ!」否! ニンジャの拳だ! CRAAASH! 故にトーフめいて四散したは……特殊鋼のサイバネである! 「グワーッ!?」理解不能の痛みがノイズパルスとなって武闘派クラン構成員のニューロンを貫いた! 

 

脆く柔らかな肉の拳が鋼鉄の塊を一方的に砕く矛盾。しかしニンジャ力学においてはこれこそが標準。本気のニンジャを以ってすれば、カラテ無き鉄屑など張り子細工と変わり無し! 「グワーッ!? グワーッ!!」「ペッ!」ロウバイして悶え苦しむサイバネ巨漢を目の前に、シンヤは反作用の血を吐き捨てる。

 

「イィィィ……」ザンシンと共に感覚の無い拳を無理矢理固める。一切の夾雑物無き殺意が視線に乗って武闘派クラン構成員に突き刺さる。それは明確な死を予告していた。「アィェェェ!?」確定した最期を前に、痛みすら忘れて恐怖の声が迸る。誰でもいい、助けてくれ! 

 

だがクラン最強の彼より強い味方は何処にもいない。いるのはギロチンの紐を握る敵だけだ。「……ヤァァァッッッ!!」そして処刑の鎌は振り下ろされる! 音も無く撃ち込まれたカラテパンチは、その破壊力をサイバネ胸腔の中に置いていった。

 

つまり超高圧空気がたっぷりと入ったボンベの並ぶサイバネ胸腔の中に、全エナジーを置き去りにしたのだ。すなわち固体化水準の超高圧空気+ニンジャカラテ衝撃波=……KARA-TOOM!! 火炎のない爆風が吹き荒れ、ミンチの雨が辺り一面に降り注ぐ! 

 

「「「アィェェェ!!」」」ニンジャの暴威と圧倒的カラテを前にして目の当たりにしたクラン構成員は片端から急性NRS(ニンジャリアリティショック)を発症したのだ! 「コワイ!」「オタスケ!」あるスチームパンクスは泣き叫んで逃げ惑う! 

 

「ザッケンナコラーッ!」「シネッコラーッ!」」あるカウボーイスタイルは狂乱してトリガーを引き続ける! 『ドラッグに溢れたネオサイタマで、ニンジャかどうかを正確に定義するのは難しいね』「じゃあどうしよう……」あるストリームラインモダンはローポリゴン幻覚に逃げ込む! 

 

「アィェェェ!」「アィーッ!」「アィェーッ!」突沸するオシルコめいて事態はケオスに支配された! 「アィー!? アイェッ! アィェェェ!」「チィッ!」「グワーッ!?」真っ先に正気を取り戻したナンブは混乱する漁師代表の頬を張って彼の脳内ケオスを叩き出す。

 

「契約に従い自衛行動に移るが宜しいか!?」「え」客先の許可を得なければヨタモノ一匹も射殺できない。サラリマンの辛いところだ。「宜しいかと聞いている!!」「アッハイ」なので無理矢理にでも許可をもぎ取る。その際、握る拳銃の銃口が漁師代表の顎下に押しつけられたのは偶然だ。偶然なのだ。

 

「許可が出たぞオサル共! 駄犬めいてネズミを取り逃がす間抜けは居るまいな!? ネズミイジメを始めよ!」「エイ! エイ! オー!」雄叫びと共に無骨なグンバイが振り下ろされる。一切の表情無き『申』フルフェイスメットが始めて言葉を発する。

 

『敵を見逃さざる』『泣き言を言わざる』『命乞いを聞かざる』恐ろしいモットーが染め抜かれたノボリが次々と立ち上がる。そして振り上げる旗に描かれたのは、眼耳口を縫い付けられた狂える猿兵士の姿! これがナンブ自ら鍛え上げたコネコム派遣サラリマン特殊部隊『オサル・プラトゥーン』だ! 

 

「ヤマザル分隊とチンパン分隊は両翼から挟んで抑えよ! ゴリラ分隊はそのまま前進して押し込め!」BLAM! BLAM! BLAM! 「アバーッ!」「アババーッ!?」「マシラ分隊は逸れモノを残らず狩れ! ヒヒ分隊は重火器準備!」BLATATATABLA!! 

 

「バカナアバーッ!?」「ヤメロー! ヤメロアバー!」「連中の巣をラットバッグに変えるぞ! ネズミ共にミノ・ダンスを踊らせてやれ!」KARA-TOOM! 「「「アバーッ!!」」」

 

オサル・プラトゥーン投入から瞬く間に状況が纏まっていく。それはまるで電磁納豆培養コングロマリット製ポリグル浄化剤の如し。濁りきったアンコシチューは今や澄み切った鮮血色に染まっていた。

 

クランの反撃は散発的かつ個人的で、大半は混乱か迷走か逃避かしている。ヤクザプロトコルも愛社研修も無い快楽と感情だけの集団は、負けイクサとなればサカイエン製激安トーフ「カルテット」より脆く崩れるのだ。

 

クランの壊滅を確認したナンブは、もう一つの問題へと向き直る。「シニサラッシェーッ!」「アバーッ!」「クタバレッテンダコラーッ!」「アバーッ!」それは怒りのままに手近なクラン員を次々に殴り殺す特殊案件対応要員の姿だった。

 

元クラン員の雑肉を撒き散らして赤銅色のガントレットをさらなる赤に染める様は、ニンジャの暴虐そのものだ。「グワーッ!?」近くのクラン員を一通り撲殺したシンヤは、気絶した亡国の王様を蹴り上げる。

 

「ナンダナンダ!?」「お前が死ぬんだ」「アィェーッ!?」文字通りに叩き起こされた王様の目前には、怒り狂った殺人マグロの目! 側近は? 近衛は? 救いを求めて辺りを見渡すが、見えるのは死体ですらないミンチ素材のペンキだけ。頼りの暴力も財力も剥ぎ取られ、裸の王様を助ける者は一人もいない。

 

「ナンデナンデ!?」「俺のカラテで」「アイェーッ!」かつて半グレー集団の暴力で理不尽に住民を踏みにじってきた王様。だが今やニンジャの暴力で理不尽に踏みにじられている。月が天にあればインガオホーと嗤っただろう。それは加害者と被害者がスライドしただけのこと。

 

理由はない。意味もない。自分がそうしてきたように、ムカついたから殺す。自分が殺して来た人間のように、それだけで殺される。それを可能にしてくれた全ての力は、更なる力の前に屈した。『悪夢と麻薬の王国』は今や『夢と幻の亡国』と化したのだ。そして亡国の王は処刑台に乗るのが最後の勤めだ。

 

BLAM! 「アバーッ!」だが、絶望の死よりいち早く慈悲深い鉛弾が王様をアノヨに送りつけた。「こっちが優先じゃ。先に死んどれ」贈り主のナンブは王様の死体をゴミめいて蹴り飛ばす。獲物を奪われたシンヤは反射的に下手人へと敵意の視線を突きつけた。

 

殺意が込もったニンジャのにらみつける。並みのモータルなら一撃必殺である。だがナンブはそれを真っ正面から真っ直ぐに睨み返した。「オイ、この場の指揮権限者は誰か。答えぃ」「……」二人の合間に見えない火花が散り、空気が捻れて潰れる。見つめる漁師も自ら息を止めていた。

 

「コタエンカァーッ!」「……ナンブ=サン、です」先に目を逸らしたのはシンヤだった。俯いたまま声を絞り出す。「ほぅ、耳は付いとるようじゃな。それでワシはオヌシにネズミを殺すよう命令を出したか?」「いいえ、出してません。待機命令だけです」

 

「なら、オヌシがネズミを殺しまわってた理由は何じゃ?」「感情です」言いたくはなかった。だが言わないわけにはいかない事だ。それは頭の冷えたシンヤにも判った。「つまり、オヌシは『仕事中だがムカついたから命令を無視してネズミ殺して回ってた』ということか?」「…………ハイ」

 

叱責か、指導か、体罰か。なんであれ甘んじて受けるべきだろう。シンヤは自身のブザマに恥入りながらそう覚悟した。「解ってはいるようじゃな。ならば今いう事はない」しかしナンブの返答はそのどれでも無かった。何故ならナンブはセンセイではなく部隊の隊長であり、なにより会社員で上司なのだ。

 

「オヌシの行動については帰還後に軍法会議……では無いな、役員会に掛ける。それまでは待機を命じる」「ハイ、ヨロコンデー」故に裁決を下すのはナンブではなく、その上。役員会であり、社長であり、コネコムである。

 

「それと! 作戦終了後に別途三時間のアルコール耐久強化訓練を命じる!」「え」そして隊長で上司のナンブの仕事は、珍しくやらかした部下から飲みニケーションで原因を聞き出す事だ。「復唱せよ!」「アッハイ。アルコール耐久強化訓練に参加します」

 

「ヨロシイ!」シンヤの反論も拒否も聞くつもりはない。なので肯定のみ聞いたナンブは再び指揮に戻った。「オサル共! 戦況を三行で知らせい!」「ハイ! ラットイナバックです! 余りネズミは皆殺しました! 放火準備できてます!」「ヨロシイ! では火ぃ点けい!」

 

「「「ホノオ!」」」BLALALAM!! 合図と共に有害なほど眩しい花火が元白亜の城へと次々に投入される。ヒツケ・ナパームとテルミット、隠し味にマグネシウムを仕込んだグレネードカクテル。その語源通りにグレナデンシロップ色の鮮やかな炎が、夜を昼にと吹き上がる。

 

「アツイ!? アツイ!! アツイ!!?」「ワータ! ウェアイズワータ!?」エレクトリカルパレードの電飾より輝かしい、人間松明のダイミョ行列が火炎旋風に躍り狂う。レイドの夜よりホットなメインホールでキャストがポップコーンめいて弾けている。

 

「救命吾!」「ヘルプ! ヘルプミー!」窓から手を振るプリンセスの髪は文字通りに燃え盛る赤色だ。観客の注目を求めて手を振り髪振り服を振る。子供向けには刺激的な格好にNGが出たようで、蜃気楼のぼかしが姿をかき消した。今はお子様にも安心なジューシー焼肉音しか聞こえない。

 

『……ザあ手を取って……と僕の世界は一つ……』変に回路が繋がったのか、スピーカーから途切れ途切れのスカムポップが流れ出す。『……ら同じキモチ……る。涙なんか無……熱い血が……てる』確かに皆、同じキモチで助けを叫んでる。全部蒸発するから涙なんか無い。吹き出すのは発火温度の熱い血。

 

クランの側はどれもこれも歌詞の通りだ。漁師の側は人それぞれ。同じ恐怖を共有してる者もいれば、涙と洟と尿を同時に流してる者もいる。燃え盛る炎に当てられて吠え猛る漁師もいれば、残虐鏖殺火刑火葬処置に凍りついて歯を鳴らす漁民もいる。

 

「おお、マシュマロとチョコレートを用意し忘れたわ。コイツはウッカリ」そしてそれを成したナンブは、胸いっぱいに人が焼ける香りを吸い込んで、満足げに笑っている。生粋のイクサ狂いからすれば焦熱生きジゴクのミノ・ダンスすら、キャンプファイアーのマイムに等しい。

 

一方のシンヤは待機命令を下されてやることを失ったまま茫漠と巨大なキャンプファイヤーを眺める。巨大な松明となった娯楽城は、一夜だけ咲いて消える紅の徒花か。その色が記憶を刺激する。燃え盛る熱が炙られるような焦燥感を引き摺り出す。無秩序なキーワードがあぶくのように弾けては消える。

 

『紅蓮の炎』『ニンジャ、ナンデ?』『フーキルド・ニンジャスレイヤー?』『デントカラテ・ドージョー』『マルノウチスゴイタカイビル』『オールドセンセイ』『ニンジャスレイヤー・シンジケート』『ヒノ=サン』『セイジ』『カラテ王子』……『ニンジャキラー』

 

「クソッタレ」自分にすら聞こえない悪態をつく。ぎしりと歯が軋った。その横顔を見てナンブは長い嘆息を吐いた。とりあえず今夜のアルコールは当社比1.5倍は必要だろう。コネコムの経費で落ちる事を、信じた事もないブッダに祈った。その背後で漁師代表はしめやかに失禁し、静かに失神していた。

 

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#2おわり。#3に続く。



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第七話【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#3

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#3

 

シンヤが習い覚えたデントカラテはネオサイタマのカラテにしては珍しく、チョップよりもカラテパンチを主体にしている。それ故にカラテパンチの鍛錬に人一倍の時間をかける。一突き10分を5時間連続、鉄骨巻藁千本突き、コンクリ入りドラム缶破壊、吊るし鉄板割りetc.etc.

 

オールドセンセイ直接指導のトレーニングはどれもこれも頭脳指数が下がりそうな程厳しい。更にこれに加えて防御訓練も追加される。槍突きサークルガード、バットスイング挟み受け、振り子丸太パリング払い、百連続正拳耐久。シンヤはその全てを乗り越えて来た。だからこそ正当後継者と認められたのだ。

 

「ヤメテ……ヤメテ……」だがこれは初めてだった。デントカラテを鍛え始めてから、初めて乗り越えられない苦痛かもしれない。「だから言ったのに……スピタリスは、ボトルで、飲むもんじゃないって……」脳内で小さなオールドセンセイ百人がニューロン目掛けてカラテパンチを繰り返している。

 

ついでにグロス単位のマイクロセイジが内臓にカワラ割りパンチを打ち込んでいる。「俺……アルコール初めてだって、言ったのに……ナンブ=サン、ニンジャだからって……無茶だって、言ったのに……おお、ブッダ……ナンデ……」つまるところ、シンヤは二日酔いであった。

 

シンヤへのペナルティを兼ねた昨日のノミカイで、ナンブは大いにハメを外し、酒初体験のシンヤにさせてはいけない飲ませ方をダースで実行させた。サケ・ボム、ショットガン、イッキ、飲み比べ、ワンコ・サケなどなど。ニンジャ耐久力があるとしても酒には酔う。古事記にも書かれている。

 

幸いと言うべきか、不運にもと言うべきか、シンヤは酩酊しても正気を保つ性質だった。お陰でブザマを晒さずに済んだが、お陰でへべれけに酔いしれたナンブとその配下の面倒を背負うハメになった。

 

そして本日、二重に痛い頭で出社したシンヤは謹慎処分をタジモ社長から受けて、昼下がりまで会社近所の公園でブッダを呪っている訳である。こんなアホくさい理由で呪詛をかけられて、さぞかしブッダも呆れてることだろう。

 

なお、サケを止められていた筈のナンブはナンブでタジモ社長とロン先生からダブル叱責を受けて、二日酔いと併せて三重に頭を抱えている。結局、飲み代は経費で落ちなかったそうだ。その話を聞いてもシンヤは笑うに笑えなかった。笑う気にもなれない。というか笑うと頭が痛い。

 

「いやーっ!」「グワーッ!?」その痛む頭に更なる頭痛が追加された。声変わり前の甲高いシャウトが脳髄に突き刺さる。別にシンヤを狙って敵対企業の少年アッサシンがカラテ暗殺を仕掛けた訳ではない。音源の小学生男子が同年代と思わしき少年とチャンバラゲームの真っ最中なだけだ。

 

「ぐわーっ!」「グワーッ!」ボーイソプラノは濁音ですら鼓膜に突き立つように響く。アセトアルデヒドに痛めつけられたニューロンには耐えがたい周波数と音量だ。「「……?」」撃剣遊びに興じる小さな二人は、大声のたびに苦しむ妙な青年を不可思議そうに見やる。

 

頭を抱えてない方の手を振って気にすんなとジェスチャーを返した。「いやーっ!」「いやーっ!」素直な子供たちは指示の通り、何も気にせず声を張り上げてアクションを再開する。「ヌゥーッ……!」当然、苦痛も再開だ。歯を食いしばり、頭蓋内側からの殴打めいた痛みに耐える。

 

「フゥーッ、フゥーッ……おお……ああ……」しばらく世界に憎しみを振りまいていると、ニンジャ代謝力がアセトアルデヒドを皆殺し終えたのか、幾らか気分がマシになってきた。そうなれば周りも見えるし、聞こえてくる。

 

「カブト・ザ・ジャッジは悪をゆるさないぜ!」「このエージェント・クワガタがそのていどで負けるものか!」ちびっ子達が演じている内容も目に入る。どうやらヒーローのRPGを楽しんでいるらしい。聞き覚えの名前だ。確か、イーヒコやウキチが鑑賞してた。そして、アイツ……“ヒノ・セイジ”も。

 

『子供っぽい?お前は何を言ってるんだカワラマン。お前は何も判ってない。今、カブト・ザ・ジャッジは四期目だが、明確に子供だけ向けは三期のみなんだ。いや一期も十話までなら確かに子供向けと言えるだろうね。けど一期十一話「涙のセイバイ」が分水嶺になるんだよ。この話はな、カブトのメインテーマである「裁けぬ悪を裁く」に疑問を問いかけたブッダ回なんだよ。この回で成敗依頼された悪党は孤児院の経営者をやってるんだ。他の悪党と違って偽装じゃなくて、本気で子供たちを愛してるし、自分の悪行を恥じている。しかしその悪行は裁かれていない。だから依頼者はカブトに頼ったんだ。「優しいセンセイ」を庇おうとする子供たち、「家族の仇」を憎み続ける依頼者、そして自分の行いに怯えて子供たちに救いを見出した「裁かれぬ悪党」。当然答えは出ることなくカブトは苦悩する。最終的に悪党自ら首を差し出して成敗を受けるんだが、子供たちの泣き声と憎悪の目に曝されて、カブトは自分の役割に問いを投げかけるんだ。単に一話だけみても神な回だが、流して観るとここからカブトの成長が始まるのがよくわかる』『アッハイ、よくわかりました』

 

聞き流した話は随分と早口で、カラテ王子が女の子にモテる割にガールフレンドと長続きしない理由がよくわかった。「フフッ」まるで下らない、あまりに馬鹿馬鹿しい、しかし鮮やかに色づいた思い出。随分と唐突に思い出したものだ。

 

その理由も判る。記憶の主役であるカラテ王子こそが、ここ最近の悩みの種だからだ。あれからどれだけ経ったのだろうか。指折り数えれば意外なほどの時が過ぎていた。お互いに変わってしまうには十分な時間だ。実際、互いに人間を止めてニンジャになってしまった。

 

「さばけぬ悪ならおれがさばくぜ!セイバイ!」「や!ら!れ!たーっ!」物思いに耽っている間に公園のヒーローショーは佳境に入っていたようだ。丸めた新聞紙の霊刀が振るわれて、オリガミの前立てがくしゃりと潰れる。

 

きっと二人の心の内には、光り輝くカタナで邪悪なサイバネ怪人が真っ二つになる光景が映っている事だろう。だが実際に赤く輝くヒートカタナで重サイバネを真っ二つにしたら、正義の味方ではなくお尋ね者だ。

 

ヤクザと警察と殺人狂に泣き叫ぶほどに追い回されて、最期は無様にドブネズミかバイオシャコかスカベンジャーの夕飯になる。なのにアイツはそれをした。意味もなくスリケンを造っては握り潰す。CLAP!音を立てて黒い砂が手から溢れる。どのスリケンも歪んでひしゃげている。

 

結局はこんなふうにゴミ屑めいて死ぬ。なのにアイツはそれをしてしまった。よりによって、ネオサイタマを飲み干して余りある巨大ニンジャ組織“ソウカイヤ”を相手に。それは確かにアイツが望んだ通りに憧れの主人公(ヒーロー)と同じ行いだ。だがそのヒーローごっこはごっこ遊びでは済まないものだった。

 

狂人(ニンジャスレイヤー)の真似をすれば実際狂人(ニンジャキラー)。血風を纏い半神をカラテ殺す狂気の怪物に成り切って、正気であれる筈もない。『原作』の通り、アイツは既に彼岸の住人だ。どうしようもない。それに自分が関わってどうなる?……死体になる。それだけだ。

 

ソウカイヤから逃げ続けている自分では勝てはしまい。派遣されるであろうシックスゲイツを、その頂点たる6人を、それを統べるゲイトキーパー=サンを、そして全てを支配するラオモト・カンを、どうにかできるはずもない。それをするのは狂人(ニンジャスレイヤー)だけで、それを成せるのは主人公(フジキド・ケンジ)だけだ。

 

まして自分はソウカイネットに名のある身。クロスカタナの切っ先は即座に家族の喉元へと届くだろう。家族を守る。そう決めた。なのに家族を危険に晒す。自己矛盾した愚行に他ならない。ならばサブロ老人の息子マキノキ同様にする他にない。今まで通り『原作』キャラを見捨てて『原作』通りにする訳だ。

 

まるでナンセンスなノン・ジョーク。「ハハ」乾いた笑いが漏れた。誰であろうがえこひいき無し。全員のジゴク行きを暖かく見守るのだ。出港の時は旗かハンケチでも振ってやろう。実に真っ当だ。全く持って筋が通っている。行動に一貫性がある。

 

「アハハッ!」痙攣めいた嗤いが横隔膜を震わせる。おお、なんと正しいのだろう!聖人認定も貰えそうだ!誰がくれるかは知らないが!「クソッタレ」反吐が出る。CLAP!砂利めいた残骸と共に泥めいた悪罵を吐き捨てた。苛立ちと自己嫌悪で凶相が更に鋭く歪む。

 

「「アィェェェ……」」その鼓膜を震える声が揺らす。不愉快と書かれた蛇めいた眼光が出所を突き刺した。不機嫌なニンジャ圧力に曝されて、しめやかに股間を濡らす子供達。数十秒前までヒーロー気分だったのが、今や被害者市民の心地を存分に味わう羽目になってしまった。

 

加えて幼い彼らに向けられたのは敵意すら篭るニンジャの視線である。ただで済む筈もない。二人とも声も上げられず、黄色い水溜りへと崩れ落ちる。「見てください!男がベンチに座っています!ベンチに!座ってるんですよ!それも、男が!!」代わりに興奮した声を上げたのは妙齢超過の有閑マダムだ。

 

社会正義の戦士を気取って、ヒステリックな金切り声をがなり立てる。「男がベンチに座っているから!子供たちが失禁しているんです!」「ちょっとやめないか」普段なら暇を持て余したご婦人の悪趣味で済まされる事案だろう。実際、断罪中毒な女性に引き摺られてるマッポにも、やる気はまるで見えない。

 

しかし偶然にも、彼女の妄想は真実に触れていた。事実シンヤは恐るべきニンジャであり、その脅威が児童の膀胱を決壊させたのだ。となればシンヤにも責任がある訳だ。実際、子供たちには悪い事をした。なら去る前にすべきことがあるだろう。

 

「これ、ドーゾ」CHING!指で歪んだスリケン擬きを弾く。クルクルと宙に舞う四錐星のなり損ねを、誰もが思わず目で追った。曇り空から差し込む弱々しい日光がざらついた表面を照らす。それは物理法則に従い、若いマッポの手の中に収まる……かに見えた。

 

反射的に受け取ろうとしたマッポ。「え」その手に入る寸前で、黒錆色の鉄片は同色の塵へと変じた。そして塵すら消え去った。思わず出所のベンチに視線を向ける。だがそこには影も形もありはしない。

 

「え?」初めから誰も居なかったと言わんばかりの空白だけが残っている。辺りを見渡してもベンチ同様。前後の変化の一つも見えない。いや、ある。一つ、二つ。「エッ!?」少年たちの手の中には代えのズボンと下着が一組ずつ。どちらも先の鉄片と同じ色をしている。

 

「急に居なくなるなんてやましいことがあるんですよ!やましいから危険人物で犯罪者で悪党でワルモノですよ!今すぐ指名手配して捜査して逮捕して裁判して処刑してください!」「ハイ善処します。でも何処に……?」喚き散らす婦人と首を捻るマッポ。

 

その横で漸く意識を取り戻した少年たちはぎごちない足取りで公衆トイレへと歩き出した。その背中へと頭を下げると、シンヤは足早に公園を立ち去った。時刻はそろそろお昼時。腹が減るからタンキになるのだ。ソバでも手繰ろう。

 

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#3おわり。#4に続く。



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第七話【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#4

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#4

 

ネオサイタマが産まれる以前。雲をも凌ぐアサクサ・バベルの地は興隆を極め、365日灯火の絶える夜は無かったと謳われた。しかし爛熟した果実めいて悪徳の蔓延るアサクサの姿は、江戸守護卿ドゥーク・マサカドの勘気に触れ、配下の大鯰によってアサクサ・バベルは崩れ落ちたと言われている。

 

これ以降、人々はマサカドの怒りを恐れ、長らくアサクサの地に高層ビルディングが建つことは無かった……「と、言う逸話を考えると、学生向け新メニューの名前に『バベル・オソバ』はちょっと相応しくないんじゃ」「フーム、なかなかにアドバンギャルかと思ったんだが」

 

「ならばオサカのタワーを題材にして『ソバtoX』というのはどうかな?」「ちょっとわからないです」場所は老舗ソバ屋『一ノ又(イチノマタ)』のショーユ香る裏手、時刻はお昼時を過ぎて閑古鳥が目を覚まし始めた頃。シンヤは久方ぶりにソバ修行中のトモダチ園園長“トモダ・コーゾ”と顔を合わせていた。

 

「実際安い上とてもボリューミーで美味しかったんで、中身はダイジョブだと思います。あとは何処でどうやって売るかですね」公園を離れた後、シンヤはお一人様な昼食を済ませるべくアサクサまで足を運んだ。

 

「フーム、ドンブリ・ポンみたく人気バンドとタイアップは出来ないな。どうしたものか」そしてご無沙汰していたコーゾとイチノマタで再開し、近々発表予定の学生向け新作メニューを手繰ることとなったのだった。

 

なお、新作ソバ『バベル・オソバ(仮名)』は視線を上げねばカキアゲの頂点が見えぬ程のデカ盛りでありながら、ワンコインと極めてリーズナブル。摩天楼めいたカキアゲに敢えてたっぷりと「鬆」をいれることで、サイズに見合わず口当たりは驚くほど軽く、出来上がりもドンブリ・ポン並に早い。

 

具材はオキアミとバイオネギと実際安いが、オキアミ塩辛と炙りネギをふんだんに使用して低コストでありながら非常に味わい深い仕上げであった。安く、美味く、多く、早く。ワガママなまでの要求を満たした傑作メニューと言えよう。

 

しかし慈悲無きマッポーの世は弱肉強殺。即ち弱ければ食われ、強くとも囲んでボーで殴り殺されるものだ。故にこそ新商品には奥ゆかしく波風立てないプロモーションが必要になる。十分な根回しも無い無名商店の新商品が爆発的人気を集めるとどうなるか。

 

話題が広まるや否や、重箱の隅をドリルで貫くが如きサブマリン特許訴訟で手足を縫い止められ、偶然に極めて類似した自称オリジナル商品に市場を食い荒らされ、最期は突然に無差別殺意を抱いた自爆アナキストに店舗をカミカゼされる。それがネオサイタマの常である。

 

そう言うわけで新作オソバを頂いたシンヤは、発起人のコーゾと共に井戸端新商品開発会議をしているのであった。「フーム」「ウーン」しかしセンスの無いシンヤとセンスの古いコーゾでは、知恵を絞っても出涸らししか出てこない。

 

『三人集まったらボディサットバ級』とコトワザには言うが、二人だけではアイデアの神様は降りてこないようだ。なので脳味噌かき混ぜ(ブレインストーミング)代わりにコーゾは話題を変えることとした。「しかしシンヤくんが顔を見せるとは随分と珍しいね」

 

シンヤは毎週の電話連絡でたまに話をする程度で、毎月イチノマタに顔を出すのはほぼ全てキヨミである。改めてみると中々に薄情とも取れる。「ハハハ、スミマセン。色々ありまして。今日はお昼時に少しばかり時間が空いてしまったんです」バツ悪くシンヤは誤魔化すようにお愛想の笑いを浮かべる。

 

「そうだったのか。てっきり何か話したいことでもあったのかと思ったよ」何の気のない、何て事ない一言だった。実際、シンヤはそんなつもりは毛頭なかった。なのに言われてみればそうとしか思えなかった。

 

「あると言えば……あります」だからなのか、言葉は半ば自動的に口から滑り出していった。シンヤ自身でも驚く台詞に、コーゾは初めから知っていたとでも言うように優しく頷いた。「話せるなら話してもらえないかい?」

 

「その、例えばの話、なんですが」滑らかに飛び出した初めの台詞に対して、続く言葉は絞り出すように酷く訥々したものだった。「助けたい人がいるとします。けどそいつは犯罪に手を出してしまっている……違う、ほぼ確実に手を出しちゃいけない相手に、手を出してます、間違いなく」「フム」

 

つっかえつっかえで婉曲的な例え話は、話すシンヤの方も苦痛を感じるレベルで判りにくい。「だから、その人を助けてしまうと、周りに大変な迷惑が、それどころか被害がかかってしまうんです」「ウム」しかしコーゾは時折の相槌を除いて、ただただ静かに耳を傾けていた。

 

セイジはランドシャークを狙って追い回し、焼き切り殺した。そしてランドシャークは『ソウカイヤへの口利き』を命乞いに使っていた。つまりセイジは既にソウカイヤに牙を剥いていたのだ。だから自分の弱さを言い訳にする。だから自分の周りを逃げ口上にする。だから自分の胸中から目を逸らす。

 

「そうする理由も恐らく判ります。けど、だからと言って、いやだからこそ、止めるのは難しい」セイジがそうする理由は『理想像(ニンジャスレイヤー)がそうしていた』……それだけ。それだけでネオサイタマを飲み干す巨悪に嬉々として躍りかかった。もう分水嶺は遥か遠く彼方だ。

 

「それだけじゃない。前にも似たような事を考えて、結局は助けないことにした人もいます」「ホゥ」オウガ・コールド・スティール……モータードクロ……ドウグ社……サブロ老人……マキノキ。イメージが脳内を走り抜ける。彼を助けようとすれば恐らく助けられるだろう。

 

代償はソウカイヤとの明確な敵対、その一点。その一点を理由に、見捨てる選択をした。家族の重さを知っているのに、家族の重さを知っているから、世話になったサブロ老人の息子を見殺しにするのだ。

 

「なのに、それなのに、その人を助けに行ってもいいんでしょうか……?」「難しい……とても難しい問題のようだね」話し終えたシンヤは顔を伏せて地面に視線を落とした。聴き終えたコーゾは目を閉じて天を仰いだ。「すべきか、すべきでないか。助ける相手か、自分の周囲か。ジレンマの辛さはとてもよく判るよ」そして、真っ直ぐにシンヤを見つめて口を開いた。

 

「言える事としては……そうだね、周りが大事なら手を引いて社会に任せるべきだろう。しかしそれでも助けたい人なら救うべきだ。どちらの場合でも、周りによく相談して欲しい」まるで、いや正に一般論。玉虫色に染まったどうとでも取れる回答だ。街頭アンケートでも同じ結論が出るだろう。

 

「そう、ですか」自分は何を期待していたのだろうか。自分は何に失望しているのだろうか。理解不能の落胆と共に理不尽な怒りがこみ上げてくる。(((この人は何がわかっているんだ?何も……)))「『判ってないくせに、判ったような口を聞くな』かな?」

 

「!?」腹の底で吐いた筈の言葉が、口から出るより先に耳に飛び込んできた。視線を上げれば、中年の丸顔が茶目っ気たっぷりに片目を閉じて微笑んでいる。「私もね、シンヤ=クンがトモダチ園で暮らし始めてからずっと一緒に暮らしていたんだ。キヨミ=サンと同じぐらいツキアイは長いんだよ?」

 

忘れてるかもしれないけれどね、とコーゾは笑う。実際、シンヤは忘れていた。途端に顔に血が昇る。許されるならドゲザしたいくらい恥ずかしい。赤く火照った顔をもう一度伏せた。「その、ウェー、あの、エー、えっと……スミマセン」謝罪の言葉もつかえてばかりでまともに出てこやしない。

 

「ハハ、いいんだ。誰だって知ったかぶりで語られれば腹が立つものだ」だがコーゾは笑いながら手を振って構わないと告げた。「私だって金策に走り回っていた頃、誰かに訳知り顔で語られてたら、カンニンブクロに火がついていたと思うよ」改めてシンヤを真っ直ぐに見据える。

 

その目は重金属酸性雲を吹き飛ばす台風めいて強く、そして青空めいて澄んでいた。気圧されたシンヤは知らず知らずに唾を飲み込む。「だからこそ、これ以上知らないままでは何も話せない。前のヨニゲの時もそうだった。何も聞けなかったから何も言えなかった」

 

「今度こそ力になりたいんだ。事情を教えてもらえないかい?」コーゾの言葉と共に、シンヤのニューロンには無数のコトダマと感情が溢れ出た。(((話していいのか?話すべきなのか?話して何の解決になるんだ?)))罪悪感が胸を締め付け、後悔が心臓を突き刺す。

 

(((ヨニゲの時もそうだった。話した処で危険に晒すだけ。単なる自己満足にしかならない)))掌にカラテを重ねた日々の熱が浮かび、拳にはぶつけ合った感触が蘇る。

 

(((それともカラテ王子を見捨てるお許しがそんなに欲しいのか?自分の意思で決めるべきだって判っているくせに、この期に及んで家族に縋るのか)))膝を折りにかかる無力感。ケツを蹴り上げる焦燥感。息をも出来ぬ閉塞感。

 

(((それとも家族のお墨付きが有りさえすれば友達でも見殺しに出来ると?マキノキ=サンはあんなに簡単に見捨てたクセして)))それでも尚、記憶は目蓋の裏に鮮やかに浮かぶ。全身全霊を賭けて全細胞を燃した、あの一瞬一瞬がニューロンを走り抜けていく。

 

「…………スミマセン」シンヤは三度頭を下げた。下げることしかできなかった。コーゾは寂しそうな力ない微笑みを浮かべた。「そうか。また話せる時が来たらその時は話してくれないかい?」「ハイ、スミマセン」ちらりとカブキ時計を見る。針はお八つ時を指していた。

 

そろそろ夕方の仕込みを始めなければならない時間だ。「昼休みもそろそろ終わりだ。最後に老人の……まだそんな歳じゃないんだが……ま、その、とにかくオセッキョを聞いて欲しい」「ハイ、ヨロコンデー」

 

「シンヤくんからすれば家族を守れるのは自分一人なのかも知れない。確かにイクサに臨んで拳を交わせるのは君だけだ。しかし、私たちも戦える。学習机で、台所で、帳簿で、カウンターで、それぞれの戦いをしている。家族を支えるべく戦っている。君は一人じゃない。それを覚えておいて欲しい」

 

(((この機会に家族と話をするといい。何かに打ち込むのは良いことだがね、家族のために「やる」仕事が、「やるべき」義務になって、仕舞いには「やってやってる」と不満を持つものだ。家族を言い訳に家族から目を逸らしてはいけないよ。私もそうだった。頑張ってるのは君一人じゃないんだ)))

 

ニューロンが刺激され、記憶が想起される。似たような台詞をつい数時間前に聞いたばかりだ。謹慎を言い渡したタジモ社長の言葉。不祥事を起こした部下に罰を下すというより、自我科の医者が療法を告げるような台詞だった。気を遣われている。いや、気をかけてくれているのだ。

 

シンヤは深々とオジギした。「アリガトゴザイマス。お休み時を邪魔してすみませんでした」頭を下げたのはこれで何度目になるだろう。バイオコメツキバッタにでもなった気分だ。「構わないよ。気が向いたらまた来なさい。次の新作メニューは自信作なんだ」真面目ぶった顔を崩してコーゾは朗らかに笑う。

 

シンヤも渋い顔を緩めて笑みを作った。「ハイ、楽しみにしてます。では、オタッシャデー」「オタッシャデー」シンヤは手を振りながらイチノマタを後にした。その背中に向けてコーゾは手を振っていた。見えなくなるまでずっと振っていた。

 

それから頬を張ってキアイを入れると、自分の戦場へと力強い足取りで帰っていった。

 

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#4おわり。#5に続く。



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第七話【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#5

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#5

 

「なんじゃ、キヨミ=サンじゃぁないんか。サケ買ってくるようお願いしたんじゃがのう」「住職さんはボンズでしょうに」コーゾの昼休みに合わせた事もあり、シンヤの帰宅は酷く中途半端な時間になった。子供らはまだ学校に居るかもう遊びに出たかのどちらか。キヨミは夕飯準備の買い物に外出中である。

 

出迎えたのは昼寝超過のダイトクテンプル住職ただ一人であった。「ボンズだからなんだというんじゃ。メシも食う。クソもする。肉を食えば旨い、酒を飲めばこれまた美味い。何にも変わらん」超一流の破戒僧は昨日も今日も寝て食って呑んで自堕落に過ごしている。

 

一事が万事この様なのに、周囲にはボンズ殿と慕われ、たまに書くショドーは好事家を唸らせ、さらに稀な説法はヨタモノが改心して涙を流すと言う。生まれもった才覚か、ブッダのえこひいきか、それとも人知れず積みに積んだ功徳の賜物か。シンヤには判らない。

 

「そりゃそうかも知れませんが、それを良しとするなら、何のためのボンズなんですか」だからと言って身近な大人が毎日アルコールの匂いを漂わせているのは子供達の教育上良くない。なので無駄と知りつつも、いちいちツッコミをせざるを得ない。

 

もっとも、突っ込んだシンヤは毎度毎度口先のアイキドーで容易くひっくり返されているのだが。「そんなものはない」「ハイ?」こんな風に。「いにしえのボンズはこう言った、『森羅万象悉仏性(一切合切皆ブッダ入り)』と。ボンズを特別扱いする理由なんぞ何処にもないわ!」

 

「じゃあご近所から『住職さんに』って貰ったお菓子は皆で分けましょう、そうしましょう」イヤミをチクチク刺してもまるでカエルの面に水と同じ。堪えるどころか呵呵と笑って応える始末だ。「ウム! それで良い! だからワシはサケを飲む! ボンズは肉を食う! オイランを抱く!」

 

「単なる言い訳にしか聞こえませんよ」「そりゃそうよ、言い訳よ。『世人がそうだから』なぞ三流の言い訳。一流の恥知らずならば、世人に菜食禁酒貞節を強いて、自分だけ肉食う酒呑むオイランと寝る理屈を尻から捻り出すもの。豪華絢爛な上座でふんぞるボンズ気取りなんぞ大抵それよ」

 

普段の倍量を超える屁理屈にシンヤのカンニンブクロが熱を帯びる。流石に長い。そろそろ終いにしろ。今日も悩み事があるんだ。視線に無意識の敵意が乗る。「一体全体何が言いたいんですか?」「無駄話」気づいているのかいないのか。住職はなんの躊躇もなくカンニンブクロに着火した。

 

「いい加減にしてください。それならもうする必要ないでしょう」シンヤの頭が煮え始める。今度は苛立った声を意図して発した。恐らくはニンジャ圧力も放射してるに違いない。言葉をまだ知らぬ赤子ですら、いやだからこそ感じ取れる明確な怒りの感情。

 

だが、それを前にした敬虔なるボンズは真っ正面から若きニンジャを見つめ返した。「いいや、オヌシの面を見る限り、無駄話はもう少し入用だ」ゼンモンドーの高段者は口先のみで殺人鬼を捻じ伏せ、言葉のみでカルティストの洗脳を解くと言う。

 

誇張表現の過剰宣伝と思っていたがどうやら無理でも無茶でもないらしい。蛍光ボンボリを反射する禿頭の輝きが背後のブッダハローと重なる。「……どういう意味ですかそれ」「眉間に寄ったシワがガチガチに固まっとるわ」反射的に手をやれば、指先には確かにシワ山脈の感触がある。

 

「話してみぃ。酒飲んだ後の吐き気と同じじゃ。耐えれば辛さが続くだけよ。吐いたものの美しさを考えれば躊躇う気も判らんではないが……吐かねば楽にはなれんぞ?」どっかと腰を落とした僧衣姿が賢者の顔でアルカイックに微笑んだ。

 

「……吐いて解決するんですか?」「フム?」だがシンヤの腹の底で凝り固まった我執はそう簡単に解けてはくれないようだ。頑なに暗い目がそれを示している。

 

「吐いた処で責任おっかぶせるだけでしょう。ゲロの処理と同じです。自分でやらなきゃいけない事を他人に被せてほっかむりする訳にはいきません」誰にも吐けぬと口にしていながら、その呟きは吐き捨てるような口調だった。

 

「ウムッ! えらいっ! えらいぞぅ! なんと責任ある態度!」先までの真面目ぶった態度が嘘のように冗談めかして手を叩く住職。「ならば家族も他人か?」しかしその舌鋒の鋭さは変わらず。たった一言でシンヤの腹の底を突き刺した。

 

「ッ! ……家族だから迷惑かけたくないんですよ」「フム、まぁ、そうだろう」硬い態度を崩しつつも未だシンヤは拒絶を続ける。「で、それは迷惑なのか?」「ハイ」そこを切り開くのが住職の口から飛び出す言葉のナイフだ。ブディズム仕立ての大鉈がザクザクと胸の内へ切り込んでいく。

 

「家族にそう聞いたのか?」「……」聞けている筈もない。言えぬと口にしたばかりなのだ。「フム、まぁ、迷惑だとしよう」弱り切ったシンヤの沈黙を住職は敢えて攻めずに受けに入る。

 

「しかしワシは家族ではない」だからこそするりとコトダマが耳に滑り込む。「しかもワシは他人でもない」これこそ本家本元ゼンモンドーのワザマエ。「故に迷惑かけずに話せるぞ?」

 

君は一人じゃない。そう言われた。君一人だけが頑張っているんじゃない。そうとも言われた。だから一人で抱え込むな。そう言外に言われたのだろう。

 

ソモサンと笑って聞く顔に、シンヤはセッパとようやく頷いた。「……判りました」全面降伏、無血開城、敵軍投降。なんとでも言え。人間を遥かに超えたニンジャになった。なのに勝てない大人が何故こうも多いのか。苦い溜息を長々と吐くと、胸の内が幾らか軽く感じた。

 

──

 

「……例え話ですが、こんな感じです」「さようか」コーゾに話したものと同じ話を聞き終え、住職は深く静かに呟いた。冷え切った外気めいて凛と張り詰めた静寂が響く。「フム、整理しよう」「アッハイ」意図しない不意打ちに豆鉄砲で狙撃されたハトの顔で頷くシンヤ。住職は気づく事なく言葉を続ける。

 

「まず、その御仁をオヌシが助けるか否かは、オヌシしか決定権がない。オヌシが決めるべき問題だ」「ハイ」事実である。他人、住職、家族、他誰かしらに決めてもらった処で実際に行動するのはシンヤなのだ。誰にどう言ってもらおうと、シンヤがやらなければ誰もやらない。

 

「次いで家族に迷惑か否かもワシには判らぬ。先に言ったようにワシは他人ではないが、家族でもない。ならば家族に聞く他にない」「……ハイ」事実である。誰が断じた処で実際に判断するのはトモダチ園の家族達なのだ。誰がどう言おうと彼らが迷惑と思わなければ、それは迷惑ではない。

 

ならば住職が話すべき事は何か? 「ならばオヌシが引っかかっておる『依怙贔屓(えこひいき)』の話をすべきだろう」「えこひいき、ですか」胃の腑にコトダマがすとんと落ちた。有毒光学スモッグめいた不可視不定形の不快感が、確固とした塊となって手の中に落ちたかの様だ。

 

「さよう。誰かを見捨てて、別の誰かを助ける。身勝手な差別、ワガママな選別、すなわち『えこひいき』よ」「確かにそうですね」「えこひいきなんぞしたくない。万人に平等公平でありたい。夢の如く素晴らしい話。故に夢物語よ」「そんなに無茶ですか」そりゃぁそうだと頷く顔が悪党の嗤いを形作る。

 

「ならばオヌシ、家族も平等公平に見捨てられるか?」悪尉面を象った歪み笑いが視界を埋める。顔が近い。「それは……出来ません」家族に胸を張って生きる為にこそ、平等公平でありたいのだ。平等公平である為に家族を見捨てるならば本末転倒もいい処。それは狂人の行いに他ならない。

 

住職は好々爺で狒々爺な平素の顔に戻して頷く。「万物にルールを通すならば、自分も家族もルールで裁かねばならん」しかしそれすら作った顔なのか。その目は深山の洞穴湖めいて深く澄む。「サトリを開いたブッダすら、誰もは判らぬと己を特別扱いして一人境地を楽しんでいた」視線の先のブッダ像はただ一人、涅槃の幸福の中でザゼンを組んでいる。

 

「人が有限である以上、必ず取捨選択の時が来るものだ」「なら、えこひいきしても良いと?」必ず産まれる問いに、住職は首を横に振って答えた。「良いとは言えぬ。悪いとしか言えぬ。だが不可能を強いるのも、奇跡を乞い願うのも、どちらもブディズムでは無い」

 

「人に出来るのは自覚し、減らす、その努力だけよ」例えば不殺傷(アヒンサー)は紛れもなく善行だ。だが、草一つも殺さずに飢えて凍えて死ぬべきだとも、虫一つも殺さずに霞のみで生きれるようになるとも、誰にも言えない。言ってはいけない。

 

「もし、えこひいき一切無く、万物万人全てを等しく裁くモノがあるとしたら……それはただ『死』のみだろう」キング・エンマのしかめ面がジゴク絵の底から現世の悪党たちを睨みつけている。いずれ地獄の猟犬を引き連れて、デス・オムカエが貴様の頸を刈りに行くぞ。未だ裁かれぬ罪人達へと告げている。

 

「のぅ、オヌシは『死神』にでも成るつもりか?」シンヤの脳裏に赤黒の影が明滅する。一つは憎悪の目をして不浄の炎を振るい、一つは狂喜の声を上げ紅蓮の炎を放つ。 「死神には成れません、成る気もありません。ですが……」まるで二色の炎が胸中を黒く焼き焦がすように思える。

 

再びシンヤの目は暗い光を帯びていた。「納得しとらん面だな。しかし納得できんのならそれで良い」「ハイ?」容易く解ける悩みではない。理解していた住職に驚きはない。再びシンヤの意表を突いて、固執した心の隙間に言葉を差し込む。

 

「納得できぬとは『これは悪し』と言える基準があると言うことだ」水平チョップで虚空に基準線を引く。途端に『そこから上』と『そこから下』が出来上がる。基準がなければただの虚空。上とも下とも決められない。

 

「そして基準があるならそこから納得の答えを逆算もできよう」基準線で何かを二つに分ける。その一方を不正解と感じるなら、もう一方にこそ正解がある。不正解が判る時、人は無自覚だとしても望む正解を知っているのだ。

 

「人はな、聞きたい話しか聴かぬし、欲しい答えしか求めぬ」住職は指で形作った眼鏡でシンヤを見つめる。表情と動作は道化のそれ、声音と両目は賢人のそれ。

 

「つまり既に聞きたい話も欲しい答えもオヌシの内にあると言うことだ」誰もが色眼鏡をかけて望みの世界を見ている。色眼鏡を外した生の光景など見たくはない。ならば望む光景はその色眼鏡のレンズにこそあるのだろう。

 

「オヌシ自身を見つめ、オヌシ自身に問え。オヌシのエゴの底にこそ、求める答えはある」そして色眼鏡を外さねば色眼鏡そのものを観る事は出来ない。生の光景がいかに見難くとも、生の自分がいかに醜くとも、ご都合良い虚像に縋って目を逸らす限り、自分の望みは観えぬまま。

 

「ワシに出来るのはそれを探り出す、ほんの一助よ」「己のエゴ……俺はどうしたい、か」手のひらを見つめる。拳タコで粗く形作られた手だ。さほど大きくもない手だ。多くを取り落としかけた手だ。しかし家族を守る為の手だ。硬く、固く、握る。

 

それはカラテパンチの形だ。デントカラテ・ドージョーで初めに習った形だ。友と何度となくぶつけ合せて交わした形だ。「さよう。まず、それよ」握り拳にもう一つ手が重なる。意外なほど傷の多い手だった。あかぎれに墨が染み込み、刺青めいた紋様が描かれている。

 

それは自堕落な普段の姿からは想像もつかない、働き続けた者の証だ……自堕落? 普段の姿? どれだけこの人を自分は知っているのだろうか。自分の知らぬ間にどう生きているのだろうか。

 

(((俺は何も知らない。この人も、家族も、自分自身すら)))ならばどうする。ならばどうしたい。握る拳が熱を帯びる。拳から手首へ、熱が伝わっていく。手首から肘へ、肩へ、背骨へ、腰椎へ、丹田へ。熱が広がっていく。丹田から股関節へ、股関節から膝へ、足首へ、足裏へ、大地へ。熱が流れていく。

 

それはカラテパンチの逆回しだ。大地へ踏み込む反動を軸に、全身のカラテをナックルパートに収束させる……その反転。拳に込めた熱を全身へと流し込み、大地を踏み締める力に変える。

 

シンヤの目にもはや暗い色は無い。不純物を叩き出した鍛鉄の如く、重々しくも強い光が有った。「バカ長いオセッキョはこれで終わりじゃ」ヨッコラショとジジくさい掛け声で住職は腰を上げた。自室に帰るその背中に向けてシンヤは深く深く頭を下げる。「……ありがとうございます」

 

「礼はよい。それよかサケでも買っとくれ」「それはお医者さんと相談してください。止められてるんでしょう?」「ドクターとボンズが密談してたら、マッポにワッパをかけられるわ!」呵呵と大笑う住職の足が止まった。振り返った目は強い。それを見返す目も強い。

 

「家族とは話しておけよ」「ハイ」もう一度、袈裟に向けて首を垂れた。今度は振り返る事なく、住職はフスマの向こうに消えた。

 

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#5おわり。#6へ続く。



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第七話【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#6

書きたかったシーンの一つがやっと書けた。


【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#6

 

カタナめいた風がカワラ屋根の上を吹き抜けた。真冬の冷気はジャケット越しに肌を裂くようだ。だが、シンヤがザゼンを崩すことはない。「スゥー……ハァー……」凍える空気を意に介さず、深く息を吸い、長く息を吐く。白く染まった息は黒錆色をバックに浮き立ち、そして瞬く間に吹き散らされていった。

 

ネオサイタマの象徴めいた重金属酸性雨も灰色の雪に変わる季節だ。四方を囲むビルの合間からはクリスマス商戦のイルミネーションが微かに見える。霞むネオンを遠く眺めながら、シンヤは自身の内なる熱を見据えていた。

 

「己のエゴ。俺はどうしたい、か」言い聞かせるように呟く。(((俺は自分自身すら知らない)))俺ならばどうする? 俺ならばどうしたい? その答えはもう判っていた。カラテ王子、ヒノ=サン、セイジ、『ニンジャスレイヤー』、ニンジャキラー、その全て。

 

すなわち。「友達を、救けたい」それが自分の望みだった。山ほどの理屈を積んで、海ほどの言い訳で押し流そうとした。だがどれだけ目を逸らしても、己のエゴはそこにあった。腹の底にあり続けた。それこそが答えだった。そして問題は……

 

「ヨイショ、ヨイショ」「アブナイよ」ザゼンのまま、声だけを後ろに投げた。窓から恐る恐る足を踏み出した音も、おっかなびっくりバランスを取る声も聞こえていた。だから僅かに腰を浮かして、万一でも即応出来るよう体勢を整えていた。ありがたい事にムダになりそうだ。

 

「ヨイショっと」柔らかな体温が隣に腰を下ろした。優しく寄り添った熱へ視線を向ける。「寒いね」「うん」見飽きそうなほどに見慣れて、それでも不意に見詰めてしまう顔。一番近しい、そして親しい、何より愛しい家族の顔だ。

 

不満があるとすれば浮かべる表情が笑顔でない事だろうか。心配気に伏せた目は最近の自分の行いを否応なしに思い起こさせる。「あー、その、なんだ、えー……そ、そろそろクリスマスだな、うん」「うん、そうだね」だからなのか、酷く不器用にシンヤは目と話題を逸らしにかかった。

 

「その、子供らのプレゼントどうしようかと思ってさ。去年とか全部手作りで済ませたし、今年ぐらいは欲しいオモチャとか買ってあげた方がいいんじゃないかと……」空中でロクロを回し、架空の粘土球を捏ね上げる。普段の質実剛健なるデントカラテとは比べ物にならないほど、その動きは不器用で粗雑だ。

 

それでも必死にわちゃわちゃと両手を回すシンヤを見て、キヨミはクスリと小さな笑みをこぼした。「そうね、お金にも余裕出てきたし、クリスマスくらいは好きなもの買ってあげようかな」シンヤの首が高速で上下した。胸の内で安堵の息をリットル単位で吐く。やっと笑った。

 

「そう! そうだよ、絶対喜ぶ。去年なんか色々作ったのに散々言ってたし」「全部黒で、素材も鉄と布だけだったからね。カラフルなの欲しい子にはちょっとね」「何色だって選べるぞ、『それが黒錆色である限り』」艶消し、光沢、木目風、縞模様。古臭いジョークと共に各種スリケンサンプルを並べる。

 

「黒だけだとどうしても、ね。シックにしても白が要るし、パステルは黒を使わないものだから」「黒一色もカッコいいと思うんだけどなぁ……」14歳病の後遺症が未だ治らぬシンヤには、オシャレ世界は理解しがたい。初期症状の兆候が見えるウキチや、山場を迎えたイーヒコと、中二同志がいる分余計だ。

 

「男の子は好きかも知れないけれど、他の色があった方が幅も広がるし、組み合わせでもっと黒を格好良くできるよ」「そーいうものかねえ」「そーいうものだよ」「そーか」「そーよ」理解不能なりに納得して、シンヤは傾げた首で首肯した。キヨミも神妙な表情を作って大仰に頷く。

 

「ククッ」「フフッ」二人は同時に吹き出した。ひとしきり笑って溢れた涙を拭った。風は冷たいのに気分は暖かい。「シンちゃん、なんだか塞ぎ込んでたみたいだけど、元気そうで良かった」「キヨ姉に心配かけたみたいでゴメン」迷惑をかけたくないと言った自分が、どれだけ心配をかけてきたのか。

 

「でも、ニンジャだからもうダイジョブさ」だからシンヤはいつもの調子で強がった。ニンジャは頑丈で、傷が治り易くて、死ににくい。だからシンヤが無茶苦茶に仕事しても、無理矢理にカラテしても、無闇矢鱈にイクサしたって問題ない。セイジを助けに行ったって、ニンジャだから誰も心配させない。

 

そう考えていた。なのに何故だろう。「………………」キヨミの言葉が止まった。視線は僅かに下を向き、その目は前髪に隠れて見えない。『見えない』が恐怖を煽る。想像力を食らって疑心暗鬼が育っていく。首筋を流れる汗が12月の重金属酸性雨より冷たい。無意識に唾を飲む。伏せられたキヨミの目が上がった。深く、重く、澄んでいる。

 

しかしその内訳は読み取れない。「あのさ、そのさ、ニンジャにはさ、ニンジャ耐久力とかニンジャ代謝力とかあってさ、怪我してもすぐ治るし簡単には怪我しないしさ、それに大怪我してもサイバネすればいいし、多少は無茶なサイバネ、できる、し……」みるみる内に言い訳の残量は底を突いた。

 

「オゥ、えー、ウェー、いや、アット……」自分でも最早何を口走っているのか判らない。譫言と喃語の合いの子を鳴き声めいて漏らすので精一杯だ。キヨミは答えない。ジッと目を見るだけだ。それだけなのに、口中に真綿を詰め込めてる気分になった。沈黙が質量を伴うほどに重い。冷や汗の生産量が増す。

 

「……いつも、そう」澄んだ目の輪郭が、一杯に湛えられた涙で歪んでいる。「ニンジャだからダイジョブ。ニンジャだから問題ない。ニンジャだから、ニンジャだから。いっつもシンちゃんはそればっかり」「いや、その、俺、ニンジャだし……」逃げ口上を吐くシンヤの顔を、キヨミの細い手が押さえた。

 

 

 

 

「ニンジャでも、家族でしょ?」

 

 

 

 

カラテのヒサツ・ワザでも、超自然のジツでもない。ただのモータルの、か弱い女の、家族の、言葉。なのに、どんな一撃より深く心臓を突き刺した。「私がシンちゃんのやってる事、やりたい事の役に立てないのは判ってる」膨れ上がった涙の粒が零れ落ちる。一つ。二つ。頬に透明な線を描く。

 

「でも、家族だから、一緒に背負いたいの」涙に濡れたその目は驚く程に美しい。朝露を弾くロータスめいて、強くしなやかな光を宿している。「迷惑なんかじゃない。迷惑をかけて欲しい。ワガママがあるなら聞きたい、聞かせて欲しい。それが私の望み」

 

前世で17年弱、今世で20年近く。二度の人生で歳はとうに超している。なのにこの人より、長く人生を歩んだ気がしない。違う。ナンブ=サン、タジモ=サン、コーゾ=サン、そしてキヨ姉。誰もが自分を生きている。シンヤより長く、それぞれの価値ある一生を積み上げているのだ。

 

(((二度目の一生で、俺はどうする? 俺はどうしたい?)))目を閉じる。深く息を吸い、長く息を吐く。目を開いた。視線の先には涙目の、しかし強い目をした最愛の家族がいる。「……ワガママを言わせてほしい」「うん」「友達がさ、居るんだ」

 

「そいつはバカで、バカで、大バカな奴なんだ。女の子からモテモテで顔も整ってて、カラテが強くてカネモチでカチグミなイヤミ野郎。そのくせヒーロームービーとカラテの話ばっかりするんで、ガールフレンドがまるで長続きしないんだ。誰かと話すときは基本上から目線でさ、友達作りがすごいド下手。

 

その上、死ぬほど負けず嫌いで、往生際は笑えるくらい悪いんだ。何べん殴り合っても自分が上だと言い張ってる。俺の方がもっと鍛えてるし絶対勝ってるし実際強い。けどアイツはそれでも挑んでくる……俺も、アイツに挑んでる。アイツは、友達なんだ。

 

でも、アイツはニンジャになっちまった。なんで成ったかよくは知らない。良くないことが有ったからとしか判らない。だからなのか、アイツはタガを外しちまった。目についた他のニンジャを次々に襲って殺してる。トモダチ園を襲ったヤクザ組織に、ソウカイヤにすら大喜びで手を出した。

 

もう、アイツを止められないのかもしれない。もう、止めても無駄なのかもしれない。だけど、アイツは、ヒノ=サンは、カラテ王子は、セイジは、友達なんだ。俺の友達なんだ。だから、助けに行く。そう決めた。アイツが望んでなくても、手遅れであっても、家族に……迷惑を、かけても。

 

キヨ姉、ゴメン。身勝手でゴメン、ワガママでゴメン。俺が動けばソウカイヤとコトを構える事になる。皆を危険に晒すし、当たり前の生活もできなくなるかもしれない。でも、俺は行く」

 

「アイツの処に、行くよ」返事は無かった。代わりに温かな感触があった。首に回された手、滑らかな頬、鼻をくすぐる髪、耳朶を息が撫でる。息は声に変わった。

 

「カラダニキヲツケテネ」それは凄絶なイクサに赴かんとするセンシへの、慈しみと手向けのコトダマ。それは友のためにエゴを噛み締めて命を賭けんとする家族へと、奥ゆかしく優しく背中押す言葉。

 

「アリガト、キヨ姉」不器用に細い肩へ手を回す。この細い肩でトモダチ園を支えてきた。家族を支える戦いを続けてきた。自分よりも大きな戦いを果たして来た。ソンケイとはこの肩のことを指すのだろう。回した手を通じて鼓動を感じる。掌から熱が伝わっていく。

 

掌から手首へ、手首から肘へ、肩へ、背骨へ、腰椎へ、丹田へ。熱が広がっていく。丹田から股関節へ、股関節から尾骨へ、屋根へ、大地へ。熱が流れていく。

 

「オーイ、お熱な処スマンがお電話じゃ」二人の世界に階下から声がかけられた。視線を向ければパントマイムの望遠鏡を向ける住職の姿がある。そしてその周りには出歯亀根性か身内のホットなシーンを眺める子供達がズラズラと。観客に気づいた途端、触れ合っていた熱が逃げ失せた。

 

腹が立つやら恥ずかしいやらで、キヨミの顔は耳まで真っ赤だ。シンヤ自身も似たような顔をしてるに違いない。いったい体温何度あるのだろう。「あー、それで、誰からですか?」「カイシャからじゃ。探し人が見つかったそうでな」一瞬で頭に上った熱が引いた。

 

冷たく冴えたニューロンの代わりに丹田がグツグツと煮え出す。「キヨ姉、早速だけど」「判ってる」「アリガト。イヤーッ!」3回転で飛び降り、電話機の元へ跳ね飛ぶ。センシの顔をした家族を見送り、火照った顔のキヨミはそそくさと部屋へと戻った。

 

「ハイ、モシモシ。カナコです……ハイ、目標が見つかったと……殺されかけた? ……落ち着いてください。もうニンジャはいません……ハイ、教えてください……『事が終わったら』……そう言ったと。それなら心当たりが……」電話からは恐怖の叫びと物騒な単語が度々漏れてくる。

 

聞き耳を立てる子供たちは顔を見合わせた。「どうしよう」「どうしよっか」なんか知らないけど、シン兄ちゃんは友達を助けに行きたいらしい。それは自分たちにとってもアブナイだそうで、シン兄ちゃんはそれを気にしていたみたいだ。あと今年のクリスマスプレゼントは買ってくれるらしい。やったぜ。

 

「じゃあさ、こうしようよ」「さんせー!」「あたしも!」「じゃぁぼくも」「私は反対!」「……まだ何も言ってないんだけど」喧々諤々な議論が唐突に始まり、あっという間に終わりを告げた。主な反対意見は感情で、主な賛成意見も感情である。納得すれば笑えるほど早い。

 

「あー、その、なんだ。皆ちょっといいか?」「いいよー」シンヤの電話が終わる頃には何をするか結論が出たようだ。「さっきの話聞いてたなら知ってるだろうが「知ってる!」……まぁいい、話が早い」妙に早い反応に面食らいつつも、シンヤは神妙な顔を作った。

 

「つまりだ、俺はこれから友達を助けに行く。そうすれば、今後皆が危ない目に遭うことになるかも知れない。けど、俺は行く」アキコ、イーヒコ、ウキチ、エミ、オタロ。その後ろにキヨミと住職。ダイトクテンプル全員の顔を眺める。これから自分の身勝手で迷惑をかける家族の顔を真っ直ぐに見詰める。

 

そして深々と頭を下げた。「すまん、コレは俺のワガママだ。俺に怒ってもいい。俺を嫌ってもいい。出てけと言われれば出て行く。だけど『行かない』はない。納得は出来ないだろうが、理解はしてくれ」

 

「それと、何か言いたい事があるなら今言ってくれ。全部聴く」頭を上げると子供らは何やら顔を見合わせていた。聞き耳を立てたとは言え、急に過ぎたのだろう。実感するのは実際危険になってからだ。そしてその時初めて、自分は本気で憎まれるのだ。シンヤは無意識に目を伏せた。

 

「「「せーの」」」だから子供たちが拍子を取って機を合わせてるとは気づけなかった。その後ろで優しく微笑むキヨミの表情にも、呑んで応援とサケを取り出した住職の姿にも気づかなかった。

 

「「「シン兄ちゃん、いってらっしゃい!!」」」子供たち全員からの元気いっぱい真っ直ぐなエール。言葉が出なかった。代わりに溢れそうになった。両目から溢れるものを堪えて、胸から溢れるものを噛み締める。滲む涙を見られたくなくて、感じ入るもののままに頭を下げる。無意識に腰は直角を描いていた。

 

「住職さん、アキコ、イーヒコ、ウキチ、エミ、オタロ……キヨ姉」大きく吐いて息を吸う。改めて全員を見る。命をかけて守るべき人達を、なのに危険に曝してしまう人達を、それでもいいと微笑んで送り出してくれた人達を。「行ってきます! イヤーッ!」彼らを背にシンヤは跳んだ。

 

一歩、塀を踏む。全身を黒錆色した闇が覆う。二歩、ビルを蹴る。吠え猛る声が赤錆のメンポへと転ずる。三歩、夜へと飛び込む。赤銅色を纏った拳を握り締める。そして走る! 奔る! 疾る! 一路、友の元へと! 

 

---

 

黒錆色の風は瞬きより速く消え去った。赤錆と赤銅の残像も僅かに遅れて夜に溶けた。キヨミは胸元のオマモリ・タリスマンを両手に包み、独り夜を見つめる。もう見えない影を探すように、ネオンに滲むメガロシティを見つめている。

 

「コレ、そんな顔しとると子供たちが不安がるぞ?」「スミマセン。でも少しだけ……」気を掛けてくれた住職に頭を下げ、キヨミは手の中の『約束』を握り直した。その横で苔むした島岩に墨色の袈裟姿がどっかりと腰を落とす。

 

一日千秋(ワンデイ・スリーシーズン)な。待つ身は辛いものよの。どれ、ワシも付き合おうか」「スミマセン。ワガママに付き合わせてしまって」「なぁに、偶には良いじゃろう」そう言いながら住職は業物と思わしきマッチャワンに、躊躇なく安酒を注ぎ入れた。キヨミの目がじっとりと細まった。

 

「でもオサケは控えた方がいいですよ?」「なぁに、偶には良いじゃろう」堪えた様子もなく呵呵と笑ってマッチャワンを呷る。味も香りもへったくれもない、加水アルコールが腹を焼く。これがいい。混ぜ物で酒毒を謀るようなカクテルよりも、酔う以外何の役にも成らぬ般若湯こそ、サケにはふさわしい。

 

もう一杯と酒注ぐ姿に嘆息一つ吐くと、キヨミは改めて夜の闇に向き直った。月影に目を凝らすその背に向けて、そして月下を駆けるもう見えない影に向けて、住職はチャワンを掲げた。

 

「ナムアミダ・ブッダ。その一念が、思う誰かの一助と成らんことを」ブッダは死んだ。もう居ない。知っている。どれだけ願っても、どれだけ乞うても、何も帰って来たりはしない。判っている。それでいい。何の得にもならない祈願でいい。

 

見返りなどなくとも、想いが届かずとも、ただ信ずる。それこそが、祈りなのだから。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

……れが貴様のハイクか! 十を数えるより先に忘れてやろう! 誰にも顧みられる事なく死ぬがいい、センセイ気取りめが! 焼け死ねぇっ!」紅蓮の炎となって吹き上がる怒りが遠くに見えた。踏み込む脚に力を込めて加速する。走れ! 疾れ! 奔れ! 

 

「イヤーッ!」引き伸ばされた時間の中、火色の殺意が傷ついた“ヤングセンセイ”をゆっくりと振り下ろされる。速く! 疾く! 捷く! 粘つく一瞬を掻き分けるように進む。今だ、翔べ! 飛べ! 跳べ! 

 

燃え盛るチョップに焼き切り殺され、ヒラキめいた死体になる……そのコンマ一秒前。「イヤーッ!」「グワーッ!?」自身を質量弾とするデントカラテのヒサツワザ『弾道跳びカラテパンチ』が赤黒の顔面にめり込んだ。吹き飛ばされた曼珠沙華の赤が微塵と千切れ消える。

 

「貴方、は……!」「黙っててください」跳ね飛ぶ赤黒の影を尻目にシンヤは、ブラックスミスはヤングセンセイの傷を診る。深い。重症だけでも片腕切断、逆腕骨折、外傷気胸とア・ラ・カルトだ。手持ちの救急キットでどこまでやれるか。ともかくモルヒネで苦痛を鎮め、ヨロシサン製バイオジェルで傷を塞ぐ。

 

切り落とされた腕を継ぎ、叩き折られた骨を固定し、余りに広い傷口に包帯を巻きつける。手早く的確な応急処置だ。しかしその淀みない手つきに反して、意識は背後でゆっくりと立ち上がる影に向けられていた。いつ襲い掛かられても応じられるように、踵を浮かし、膝を撓める。

 

しかし赤黒のニンジャが襲い来ることはなかった。「ククク……クハーハッハッ!」代わりに哄笑がシンヤの背中に届いた。「なんたる僥倖! アブハチトラズとはこのことか! 諸共殺されに来るとはなんとも義理堅い! 望み通りに素っ首撥ねて儀式に使ってやろう! 喜べ、ブラックスミス=サン!」

 

「義理堅いのは確かだがね、アブハチトラズは大間違いだ。お前は全部を逃して枕を涙で濡らすのさ」かつて笑い合った時の様に、稚気を込めて太々しく笑う。振り返ればそこにはかつての思い出からかけ離れた姿形がある。それはかつて見た殺戮者を真似た姿形だ。

 

それはお前のじゃない。それはお前じゃない。お前は……「ドーモ、”ヒノ・セイジ”=サン。カナコ・シンヤです」赤錆色のメンポを崩し、黒錆色の頭巾を脱ぎ捨てる。その下にあるのはただの『カナコ・シンヤ』の顔だ。そしてシンヤは友に、カラテ王子に、『ヒノ・セイジ』に向けて両掌を合わせた。

 

一瞬の空白。真っ赤に焼け焦げた両目が発火点に至る。「違う! 違う! 違う!! ドーモ、ブラックスミス=サン! 俺は! 俺が! ニンジャスレイヤーです!!」手刀を振り回し、ひたすらに否定する。ニンジャスレイヤーに過去はない。友はない。師もない。だから全て消えて無くなれと、啼き叫ぶ。

 

「……ああ、そうかい。そんなに呼んで欲しけりゃ、呼んでやるよ」食いしばる歯を赤錆色が覆い、ニューロンが発火する頭蓋を黒錆色が包む。シンヤ、すなわちブラックスミスはデント・カラテ基本の構えを取った。一つ息を吐き、一つ息を吸う。再びのアイサツ。「ドーモ、ニンジャスレイヤー……

 

……モノマネ野郎(コピーキャット)=サン。ブラックスミスです」名前とは存在の定義文であり、それを誤ることは相手の実存を否定するノロイ行為だ。だから白手袋めいて名前間違いのタイヘン・シツレイを叩きつけた。それはお前のじゃない。それはお前じゃない。お前は……ニンジャスレイヤーの猿真似だと! 

 

「貴様ァッ!」「来い、バカラテ王子! 目ぇ覚めるまで、ぶん殴ってやる!」ガァンッ! ガントレットを打ち鳴らし、憎悪の気炎を吐く赤黒へとジェスチャーで告げる。ブッ飛ばしてやる、と。対する『ニンジャスレイヤー』は鎌首もたげる紅蓮で、ブラックスミスの赤熱する憤怒に応える。ブッ殺してやる、と。

 

歪んだ鏡写しのデントカラテを互いに構える。オールドセンセイの教えをそのままに、実戦と鍛錬を通して本義の殺人技術に練り上げたブラックスミス。ただ一度の記憶を頼りに、妄念と殺忍を通じて殺戮特化改善型に仕立て直した『ニンジャスレイヤー』。

 

二重のニンジャ圧力に曝されて場の空気が深海の水圧を超える。深傷を負ったヤングセンセイには呼吸すら難しいほどだ。いや、モータルがここに居れば誰であろうと人工呼吸器を必要としただろう。本気のニンジャが相対するならば、ただそれだけで世人の脅威に等しい。

 

死のヴィジョンがヤングセンセイの脳裏にチラつく。明滅するデス・オムカエの幻影が二人と重なり、溶け合い、そして……動いた! 「「イヤーッ!」」質量弾頭と化したガントレットとブレーザーが正面衝突し、イクサ開始のゴングが鳴り響く! 

 

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】おわり。



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第八話【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#1

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#1

 

CRAAASH! 質量弾頭と化したガントレットとブレーザーが正面衝突し、イクサ開始のゴングが鳴り響く! カラテ衝撃波が一瞬の球を形作り、双方が同磁極めいて弾かれた。赤と黒のネガポジ反転が、完全同期動作で回転ジャンプ。3回転半捻りで音もなく着地する。当然、どちらも無傷である。

 

モータルなら必殺の交錯もニンジャにはジャレ合いの手合わせだ。これより本番と示すように、二人は円を描いてジリジリと間合いを測る。「ヒーロー気取って弱い物いじめに耽ってた割にゃぁ、腕を落としてないみたいだな。品格は随分と落としたようが」「自ら火に飛び込む愚か者がよくよくほざく」

 

物理カラテがぶつかり合った直線の『動』に対し、今度は円弧の『静』で精神のカラテをぶつけ合う。「ニンジャスレイヤーのカラテを目の当たりにした貴様は、吐いた唾の全てを後悔しながら呑み下すだろう」「なら俺はセンセイ直伝のデントカラテで目にもの見せてやるよ」

 

「増上慢の代価は高いぞ? 悲鳴と命乞いと断末魔で喉が枯れるまで支払わせてやる」「成る程、なら袋一杯にのど飴を用意してやる。シーツと一緒に泣きながらしゃぶってろ」スリケン代わりの言葉を投げ合い、互いのカラテ制空権が少しずつ重なる。どちらも得物は徒手空拳。必殺の射程はほぼ同じだ。

 

そして、距離が……来た! 「イヤーッ!」先手は赤黒のチョップ突き! 当然、被害者を生けモツ焼きにする紅蓮付きだ! 「イヤーッ!」赤銅色が側面からパリングで払い除ける! さらに拳が鋭角に跳ねた! 顔面を狙う裏拳打ちだ! 「「イヤーッ!」」しかし、タイドー・バックフリップの顎を捉えられない! 

 

弧を描いた赤黒は蛮族の血で染められたるローマンアーチ建築の如し! そしてコピーキャットのレガートが可動鉄橋めいて跳ね上がる! 「イヤーッ!」これはジュー・ジツ奥義『サマーソルトキック』である! マケドズ・デッドリーアーチがサンズリバーの架け橋となるか!? 「イヤーッ!」否! 負けじとブラックスミスもブリッジの体勢だ! 双方被弾無し! 

 

二人はツカハラめいたタイドーアクションで即応体勢を整える。サマーソルトキックの反作用分、対応速度に差がついた。一歩早く地を踏みしめたブラックスミスの足元に放射亀裂が走る! 「イヤーッ!」デントカラテの基本にして奥義、カラテパンチだ! 「イヤーッ!」それを受けるもデントカラテ守りの基本、サークルガード! 必殺の弾道が逸れる! 

 

加えてコピーキャットの両手から紅蓮が鎌首をもたげる! この超自然の火炎は、自主的に人体に絡みついて焼き焦がす! が、しかし! 「イヤーッ!」引き手が極めてハヤイ! 接触は一瞬! 引火に足りず! ここまでお互いに無傷である。状況はゴジュッポ・ヒャッポだ。同門故にガッチリと噛み合ったカラテの交錯は、いっそ流麗ですらあった。

 

「フフフ! それほどニンジャスレイヤーの火炎がコワイか!」再び互いの距離が離れ、舌鋒鋭くコトダマの刺し合いが始まる。「ニンジャスレイヤーの炎なら泣くほどコワイね、コピーキャット=サン!」「その名でまた呼ぶかぁーっ! イヤーッ!」赤黒頭巾の下でこめかみに青筋が浮かび上がる。この度の舌戦はブラックスミスに軍配が上がった。

 

怒りのままに最短距離のカラテストレートを放つ! だがそこに赤錆のメンポは無い! 「イヤーッ!」「グワーッ!?」ダッキングから伸び上がるアッパー! 赤黒の影は回避し損ね初被弾! バックフリップでかわすには前のめりに過ぎたのだ。コトダマの投げ合いもまたイクサの一局面。心乱されたコピーキャットは手痛い一撃を貰う事となった。

 

そして当然、ブラックスミスにこれで終わりにするつもりなど無い! 「イヤーッ!」無防備な胴体へと、こちらも最短距離のカラテストレートを発射! 「グワーッ!」即被弾! ワイヤーアクションめいて水平に吹き飛ぶ! 空中で体勢を整え、平行線のタタミ痕と共に減速する。「イヤーッ!」そこに飛び掛かる黒錆色! 振り下ろされる赤銅色の鉄槌が迫る! 

 

「イヤーッ!」赤黒の両手が跳ね上がり、視界にタタミの青黄色が次々に加わる! ニンジャ伝統のアーツ、タタミ返しである! BAM! 「チィッ!」砕けるタタミ繊維片に視界を塞がれたブラックスミスはブレーキ痕を残してザンシンする。目前には立ち上がったタタミの壁。何処から来る? 

 

「イヤーッ!」正面だ! 視覚外からタタミを貫き緋色が襲い掛かる! 「グワーッ!」見えざるアンブッシュを防御し損ね、こちらも初被弾! 肩に焼け焦げた裂傷が走る! ブラックスミスは苦痛を堪えてデントカラテを構える。次は何処から来る? 右か、左か、それとも上か? 「イヤーッ!」更に正面だ! 視覚外からタタミを引き裂き紅色が襲い掛かる! 

 

「イヤーッ!」見えざるアンブッシュを殴り付けて防御! 火炎に引き裂かれたタタミが燃え尽きる。だが既にそこに赤黒の影は無し。追加でタタミが次々と立ち上がる。「ヌゥーッ……!」ブラックスミスの視界全ては乱立する長方形で覆われた。これでは赤黒の影を目で捉えられない。苦し紛れか? 

 

否! 殺戮者の十八番、眼球摘出サミングを思い出せ! 人間の情報入力は9割が視覚と神話に謳われる。ニンジャもそれは変わらない。事実、自分は意識外からの一撃で痛手を負ったではないか! すなわちこれは一流のスモトリめいた極めて巧妙なる最適ドヒョー判断に他ならない! 

 

つまりこれより闇夜にカラスを探すが如きイクサを強いられる事となる! だがそれは相手も同じこと! ニンジャ聴・嗅・触・第六感、そしてイマジナリカラテを最大に発揮せよ! 死神気取りの足音を聞け! 破滅の匂いを嗅ぎとれ! 殺意を肌で知覚せよ! 未来を読み切り、先手を奪え! つまり……カラテなのだ! 

 

戦意も新たにブラックスミスは竹林のタイガーめいて足を忍ばせる。黒錆色のシルエットは赤錆色の顎門で獲物を狙う墨絵の猛獣を思わせる。その数m先で赤黒の影は深海のオルカめいて殺意を潜めて影に隠れる。闇に塗り潰されて尚血臭漂うその色彩は、人喰いザメを戯れに貪る冥海の魔物そのものだ。

 

ソナーマンめいて耳をそば立て、犬めいて鼻を効かす。粟立つ皮膚で呼吸を感じ取り、脳内でワイヤフレームの地図を描く。相手は何処だ? 何をしている? 何時動く? ジリジリと時が焦げ付く幻聴が聞こえる。アドレナリンの幻臭が嗅覚を突き刺す。死角に見えざる幻影が立ち上がる。薄皮を幻覚が撫でさする。

 

きしり。『忍殺』メンポの下で歯が鳴った。心音が酷くうるさい。潜めた息が鼓膜に響く。平衡を保とうとするほど、ヘイキンテキが乱れるのを感じる。「……は乱さない……ニンジャスレイヤーは乱れない……」カルティストのマントラめいてモージョーを唱える。

 

「俺はニンジャスレイヤーだ……俺がニンジャスレイヤーだ……」自分が誰であるかを定義する。誰であるべきかを定義する。それは無限再生の電子ネンブツか、超辛口のメガデモか。何時しか意味は喪失し、繰り返しの呪文がコピーキャットを満たしていく。

 

意味も字面も知らぬ門前の小ボンズが唄う経文めいて、単調なリズムとメロディが精神をトランスへと導く。全てを曖昧の中に解かしゆく中、残るものは一つ。「……ニンジャは殺す! 誰でも殺す! 友でも殺す!」殺意! コピーキャットの両眼が爛々と燃え上がる! 

 

「イヤーッ!」真っ黒な影から真っ赤な目の敵意が襲い掛かる! カトン抜きのチョップ突きだ! ブラックスミスは即応! 「イヤーッ!」パリングでチョップを打ち払いカラテパンチを返礼する! 「イヤーッ!」ガードしながらバックフリップ! 打撃ならず! 「イヤーッ!」ツカハラ回転で赤黒の影は闇に消えた。

 

何故カトンを使わない? 違和感がブラックスミスの足を止めた。(((惑うならば動かぬことです。迷うならば動くべきです)))センセイの言葉が脳裏によぎる。今の自分は戸惑っている。ならば動くべきではない。「スゥー……ハァー……」ゆるりと吸い、長々と吐く。次は上か、下か、右か、左か。

 

下だ! 「イヤーッ!」真っ黒な影から真っ赤な目の殺意が襲い掛かる! カトン付きのチョップ突きだ! ブラックスミスは即応! 「イヤーッ!」ガードでチョップを受け止めカラテパンチを返礼する! 「イヤーッ!」高速スピニング回避! 打撃ならず! 「イヤーッ!」焦げ跡を残して赤黒い旋風は影に消えた。

 

何故カトンを使った? 疑問と共に絡みつく紅蓮がブラックスミスの足を止めた。(((己を整えなさい。乱れていては何も為せません)))センセイの言葉が脳裏によぎる。今の自分は心乱れている。ならば整えるべきだ。「イヤーッ!」カラテパンチでカトンを払い、迷いを払う。次は上か、下か、右か、左か。

 

上だ! 「イヤーッ!」真っ黒な影から真っ赤な影が飛び上がる! カトン付きの……タタミだ! 「!?」ブラックスミスは即応しかねる! 「トッタリ!」その背後から赤黒の影が迫る! 後ろだ! そう、敢えてのカトン無しチョップは次のカトン印象を強める為! 敢えてのテンドン行動は同じ動きに慣れさせる為! 

 

全てが……ブラフだったのだ! 「イィィィヤァァァ──ーッッッ!!」胸中に湧き上がる全てを切り捨てながら手刀を振るう。記憶に焼き付く断頭チョップが弧を描く。それは逆光に滲むあの影と同じく、ニンジャを、感傷を、友を殺す……筈だった! 「ナニィーッ!?」赤銅色のガントレットがそれを止めた! 

 

「ヌゥッ!」みしりと骨が悲鳴を上げる! だが動かぬ! 必殺のチョップを受け止め切る! 黒黒と燃ゆる憤怒の視線が、赤赤と焼ける殺意の目に突き刺さる! (((何故防げる!?)))悲鳴めいた問いが飛び出す。その返答はカラテパンチだ! 「イヤーッ!」

 

「イ、イヤーッ!」黒鋼のブレーザーを差し込み咄嗟に防いだ。防いだ……筈だった! 「グワーッ!?」黒鋼の手甲が顔面にめり込む! 衝撃が防御を通り抜けて脳を揺さぶる! (((何故防げぬ!?)))絶叫めいた疑問が飛び出す。その返答もカラテパンチだ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」

 

頬にめり込む拳の衝撃で顔面が跳ね飛ぶ! 三半規管はスマートボールの有様だ! 煮込みモチめいて粘る視界の中、容赦なき追撃が襲い掛かる! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ!」上へ! 下へ! 右へ! 左へ! 今や赤黒の頭蓋はスピードバッグと等しい! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」(((何故!?)))「イヤーッ!」「グワーッ!」(((どうして!?)))「イヤーッ!」「グワーッ!」(((ナンデ!?)))それは神事の鈴か、頭蓋が跳ねる度に問いが鳴ってはコダマする。だがコピーキャットのここ数日を知る者ならナンセンスと返すだろう。

 

……思い返せばバードショット筆頭に身を省みぬ自滅的イクサの繰り返し。休息も治療も不十分に自傷的トレーニングを己に強いる。果ての疲労失神の挙句、ソウル合一で暴走は加速。脳内麻薬に煽られ準備皆無で突貫したのだ。タナカメイジンでもショーギ盤をひっくり返して不貞寝するレベルと言えよう。

 

一方のシンヤは先日のノミカイこそ不健康であったものの、腹八分目に飯を食い、十二分に休息を取り、三十分は風呂に入った。そして己を見つめ、家族と語らい、迷いを払い、覚悟を決めて、エゴを定めて、このイクサに臨んだ。『ゴングの前に勝つ』大陸四千年の戦争家ソン・チーもそう言っている。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」つまりこの劣勢は当然の結果に過ぎない。「イヤーッ!」「グワーッ!」しかし赤黒はそれを理解しない。「イヤーッ!」「グワーッ!」何故なら自分に目を背け、自身を省みる事なく、自己を否定し続けた。「イヤーッ!」「グワーッ!」その成れの果てが、今の姿なのだ。

 

だから現実を拒絶する。敗北を拒絶する。感傷を拒絶する。「イィィィヤァァァ──ーッッッ!!」「アバーッ!」キリ揉み回転で赤黒の影は宙を舞った。次々にタタミを跳ね上げながら『ニンジャスレイヤー』は水切り石めいて跳ぶ。対岸ならぬ向壁に衝突して漸く停止だ。力なくずり落ちる。

 

だから妄想に執着する。殺戮に執着する。否定に執着する。「ハァー……」息をもつかせぬ連打を叩き込み、ブラックスミスは長い息を吐いた。ザンシンを崩さぬまま呼吸を整える。視線の先の赤黒は糸の切れたパペットめいて動かない。「アバッ」いや、動けない。

 

ブラックスミスの息が整えば更なる追撃に入るだろう。どう見ても数呼吸で回復出来るダメージではない。勝敗は決した。第三者視点にはそう見えた。二人称でもそう思うだろう。(((ニンジャスレイヤーは勝てなければならない。それが正しい。これは間違いだ)))主観のみが拒否した。

 

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#1おわり。#2に続く。



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第八話【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#2

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#2

 

「オバッ」メンポの合間から血が滴り落ちた。『忍』『殺』が真っ赤に汚れていく。描かれた文字は吐血に滲んで、視界と共に不明瞭にボヤけている。何もかもが曖昧な中、明確なのは一つだけ。(((これは何かの間違いだ。間違いは正さなければならない)))妄執。

 

何故押し負けた? それはニンジャスレイヤー性が不十分だからだ。何故立ち上がれない? それはニンジャスレイヤー性が不足していたからだ。何故二人を殺せない? それはニンジャスレイヤー性に不純物があるからだ。(((ならばどうする?)))否定する。ニンジャスレイヤーを汚す全てを否定する。

 

「ニンジャ……スレイヤーは……間違えない……ニンジャ……スレイヤーは……誤らない……」ガラスに写る自分自身に、繰り返し繰り返しモージョーを唱える。肺腑を潰されて絞り出す声は自分にすら聞こえないほど小さい。「ニンジャスレイヤーに過誤はない……ニンジャスレイヤーに過去はない……」

 

意識と共に鏡像が滲む。「ニンジャスレイヤーに感情はない……ニンジャスレイヤーに感傷はない」解像度の足りない虚像を妄想が補完する。嗤うように嘲るように歪んだ『ニンジャスレイヤー』が見つめ返す。ビジョンが形を変える。同門生、家族、センセイ、友。"ヒノ・セイジ"……その構成要素。殺す。

 

「ニンジャスレイヤーに仲間はいない」真っ赤な顔で手作り菓子を差し出した下級生の女子、真っ青になって泣き叫ぶその顔面を左右に叩き切る。憧れだと目を輝かせた新入生、驚愕するその眼球ごと頭蓋を分断する。マンツーマンでカラテの基礎を教わった上級生、逃げ惑うその四肢を圧し折って背骨を砕く。

 

「ニンジャスレイヤーに家族はいない!」響きわたる絶叫の中、父から脊髄を引き抜く。ろくろ首の死に顔はオバケに相応しく歪んでいる。衣服ごと姉の胸郭を剥ぎとると、恋人にも見せない胸の内が激しく脈打っていた。握り潰して母の両目にスリケンをねじ込む。断末魔が絶えるまで枚数を増していく。

 

「ニンジャスレイヤーにセンセイはいない!!」諦念、悲嘆、絶望、憤怒、覚悟。あらゆる感情を煮詰めた表情で打たれるカラテパンチ。片手で受け止めて捻り壊す。膝を砕き、喉を潰し、顔面を掴み、炎。炙る。焼く。燃やす。焦がす。生きながら炭屑と果て、炭化死体は灰と散る。何一つ遺しはしない。

 

『斬殺』殺す度に何か流れ落ちていく。『撲殺』それは涙か、或いは血か。『焼殺』それはヒノ・セイジであるためのものだ。『刺殺』それはニンジャスレイヤーに要らないものだ。『惨殺』不純物だ。『虐殺』不要物だ。『抹殺』一片までも純化せよ。『鏖殺』一滴残らず排出せよ。

 

真のニンジャスレイヤーであるために! 『忍殺』二文字が歪んだ。聞こえぬ声を上げて虚像が真っ赤な嘲笑を吐いた。吹き上がる紅蓮に己が染まっていく。ニューロンの合間に、魂の亀裂に、死人花の赤が染みていく。「ああ、そうだ。真のニンジャスレイヤーに友は要らない」鏡像を真似て笑う。嗤う。嘲う。

 

「イャーッ!」皮膚を焦がす幻の熱感と額を内から掻き毟る超感覚が、ブラックスミスのニンジャ第六感をかき鳴らした。「イャーッ!」飛び退いたその鼻先を紅蓮のウィンドミルが掠める。一陣の火炎竜巻となって立ち上がる赤黒の影。否、最早それを黒とは呼べまい。

 

両腕のブレーサーは質量を得た紅蓮に食い尽くされ、黒鋼のレガースも燃え盛る真紅に塗り潰されている。吐き捨てた血すら赤々と燃え上がり、メンポの二文字すら見つけるのは困難だ。火炎に塗り潰されたシルエットには赤以外の色彩は皆無。僅かな例外は腰に巻かれたブラックベルトしかない。

 

「おぅおぅ随分と真っ赤になっちゃってまぁ……真似っこ言われてそんなに恥ずかしかったのかい?」返答はない。無言でカラテを構える。罵声も罵倒もない。真のニンジャスレイヤーにそんなものは不要だ。怒りも憎しみも無い。必要なのはただ一つ。殺意のみ。

 

ブッダに会えばブッダを殺す。家族に会えば家族を殺す。センセイに会えばセンセイを殺す。友に会えば友を殺す。そして当然ニンジャは殺す。『万忍万象一切衆殺』……それこそが純粋なる、真の、ニンジャスレイヤーなのだ! 「イャーッ!」殺す、皆殺すべし! 

 

引き絞られた構えから放たれるは、恐るべき速さの火炎チョップ! 射線上にバイオスズメがいたならば、ケバブにされたと気づくより早くヤキトリに成り果てたに違いない! 「イヤーッ!」だが射線に居るのは串焼きを待つ家禽ではなく、素手で人間を串刺しにする猛禽めいたニンジャなのだ! 

 

サークルガードとパリングの合わせ技で滑らかに弾き飛ばす。そしてブラックスミスはそのまま反撃の……「!?」両腕に熱感が絡みつき、背筋に冷感が走った。反射的バックフリップで距離を取る。天地がひっくり返る一瞬、腕に絡む紅蓮が両目に焼き付いた。

 

確かにカラテで弾いた筈だ。だが片腕の引火は事実だ。何故? 答えは即座にやってきた。「イヤーッ!」朱墨の円弧が虚空に描かれる。「イヤーッ!」熔断より早く無事な拳で殴り飛ばした。その一瞬をニンジャ動体視力は捉えていた。瞬きより短い接触のその刹那、鎌首をもたげ自ら食らいつく紅蓮の姿を! 

 

「ヌゥーッ!」肉を食み骨を炙る火炎にジリジリと苛まれる。見つめる両目が歪んで嗤う、これが真のニンジャスレイヤーの力だと。「……ならこれが、オールドセンセイのカラテだ!」BLAM! 着弾めいた音と共に両腕のカトンが弾け散じた。ザンシンを見てようやくカラテパンチを放ったと判る速度! 

 

「ヌゥ……!」『忍殺』メンポの上が不快感で更に歪む。ブラックスミスは痛みを無視して太々しい笑みを浮かべた。「来いよ、()()コピーキャット=サン。それとも()()()デントカラテがそんなにコワイか?」「イヤーッ!」挑発の返答は燃え立つカラテチョップだ! 

 

「イヤーッ!」サークルガードで受ける! 当然両腕に着火する! 堪えるか? 弾くか? 前者ならばスリップダメージに責め苦しみ、後者ならば致命的なワンテンポの遅れが生じる。どちらにせよイクサの主導権を奪われて『負けを待っての犬死』に違いはない。コピーキャットの両目がせせら笑った。が、しかし! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」『忍殺』メンポの下が驚愕に転じる! カラテパンチが顔面にめり込んだ! 更に衝撃で引火したカトンが四散する! そう、カラテパンチは本来こうやって振るうもの! カトン除去に一手が必用ならば、それをそのまま攻撃に用いればいいだけの話なのだ! 

 

しかしコピーキャットもさるもの! はね飛ばされながらも回転ウケミでダメージは僅少! 更に只では起きぬ! 回転力をそのままブレイキンめいた高速回転ケリ・キックに転換する! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」コピーキャットは火炎旋風となって迫るブラックスミスを迎撃にかかる! 

 

ブラックスミスは一切の躊躇無く渦巻く紅蓮に踏み込む! 途端に絶え間なく襲い来る赤! 朱! 紅! 緋! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ヌゥーッ!」黒錆色が真っ赤に塗りつぶされる! その全てを敢えてのガードだ! だが何の為に!? 「イヤーッ!」「ヌゥーッ!?」この為に! そう、カラテパンチだ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ヌゥーッ!」振るわれる紅蓮に真っ正面からカラテパンチ! 正拳! 直突き! 全身に食らいつく紅蓮と共に、コピーキャットの四肢から吹き上がる炎が吹き飛ぶ! 「グワーッ!」更に回転を急停止させられたコピーキャットはハイウェイ事故車めいて予測不能に跳ね飛ぶ! 

 

「イヤーッ!」だが予測不能はモータルの話! カラテ反作用を逆利用して更なる急速回転! 紅蓮追加! 火の玉となって上空より襲いかかる! 「イヤーッ!」対するブラックスミスの足裏から床に放射状の亀裂が走った! この踏み込みがデントカラテ流のカラテパンチの初動である! 全身のカラテが拳に収束する! 

 

紅蓮と黒錆! 赤と黒! 赤黒の! 正面衝突だっ!! 「「イィィィヤァァァ──ーッッッ!!」」KARA-TOOM!! 炎を帯びたカラテ衝撃波が窓を、扉を、全ての開口部をこじ開けてあふれ出る! 「グワーッ!」ヤングセンセイもガラスシャワーと共に窓から排出された! 

 

「ウゥッ!」苦痛と重傷で薄れる意識を無理矢理かき集めて、弟子二人を探す。視線の先の神聖なるデントカラテ・ドージョーは最早過去形でしか語れない。大惨事である! そして故デントカラテ・ドージョーの奥に探す赤と黒はいる。密着状態でいる! 

 

「「イヤーッ!」」極めて顔が近い! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」そのままゼロ距離の超至近カラテの応酬が始まる! だが、しかしあれほどの破壊の中で何故この距離に在れるのか!? 

 

天文物理学者ならばここに超新星爆発との相似形を見いだすだろう。超高密度カラテの衝突により周辺は衝撃波で崩壊。しかし中心部は逆方向性カラテの爆縮により超高カラテ圧環境でありながら疑似的な無風状態と化したのだ! なんたる余人の常識的想像を超えるニンジャのイクサに伴う超自然的現象か! 

 

視線の先で超常のイクサは加速する! 「イヤーッ!」赤銅が振るわれる! 「イヤーッ!」紅蓮が蹴り上げる! 「イヤーッ!」赤錆が跳ね飛ぶ! 「イヤーッ!」忍殺が跳ね上がる! 「イヤーッ!」黒錆が受け止める! 「イヤーッ!」赤黒が受け流す! 「イヤーッ!」無数の二色がめまぐるしく回る! 

 

「イヤーッ!」直線のみで描かれた真っ赤なショートアッパー! 「ヌゥーッ!」超反応首捻りで回避! 赤錆メンポが削れて燃える! 「イヤーッ!」更に振り上げた腕から振り下ろしの裏拳! 「イヤーッ!」それより早いカラテフック! 肋骨をへし折りにかかる! 「イヤーッ!」肘を下ろして即応防御! 

 

「イヤーッ!」更にガードの腕が紅蓮を吹き出す! 裏拳にも火炎エンチャント済みだ! 「ヌゥーッ!」受け止める腕に火が付く! 殴る腕に火が着く! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ヌゥーッ!」子細なし! 焼け付く赤銅で殴る! 殴る! 殴る! カラテ衝撃と火炎が散る! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」負けじと反撃の紅蓮が膨れ上がる! 包まれた黒錆色が赤々と燃ゆる! だが苦痛の声と共に拳が上がる! 強弓めいて引き絞られるは返礼のカラテパンチだ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」忍殺の二文字が吹き飛び間合いが離れる! 破れた天井から差し込む月光で互いが露わとなった。

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」ブラックスミスは酷いザマだ。業火に曝された黒錆色の装束全てが焼け落ちている。その名に反して全身は赤く焼けただれ、黒は腰回りのボロ切れしか残っていない。両拳の赤銅色、口元の赤錆色と相まって炎より赤く染まっている。

 

「ゼェーッ、ゼェーッ、ゼェーッ」他方、コピーキャットも凄まじい。弾け飛んだ装束の下は内出血で片端から青黒く変色していた。肌の露出は増えたが肌色の面積はむしろ減っている。炎が吹き散らされたブレーサー、メンポと合わさり、その姿は足元の影より黒い。赤は顔中の穴から吹き出す血だけか。

 

双方、惨憺の有様である。だが、どちらも止まる気などない。「ハァーッ! ハァーッ! ハァーッ!」「ゼェーッ! ゼェーッ! ゼェーッ!」無理矢理に息を整え、霞む意識に喝を入れる。残る体力を絞り出し、鏡写しのカラテを構える。そして……踏み込む! 「「イヤーッ!」」二重ネガポジ反転の影が重なった! 

 

「イヤーッ!」カトンで包まれた掌が襲い来る! それは命を摘み取り燃やし尽くす圧政者(ニンジャ)の手だ! 「イヤーッ!」ガントレットに覆われた裏拳が迎え撃つ! それは敵を殴り砕き打ち倒す反逆者(カラテマン)の拳だ! BASH! 強烈な衝撃音が響く! だが二忍の腕は離れない! 

 

SIZZLE! 即座に赤銅色が紅蓮に塗りつぶされる! DING! その上から黒錆色の鎖が絡みつく! CRACKLE! 隙間から炎が吹き上がる! TIGHT! ロクシャクベルトがカトンごと締め上げる! 「ヌゥーッ!」これで完全固定! 逃れられぬ! ならば逆の手だ! 

 

「イヤーッ!」火炎で包まれた鉤手が襲いかかる! それは命を抉り取り焼き尽くす簒奪者(ニンジャ)の手だ! 「イヤーッ!」赤銅色に覆われた正拳が迎え撃つ! それは敵を打ち砕き殴り倒す抵抗者(カラテマン)の拳だ! BIFF! 鮮烈な炸裂音が響く! だが二忍の腕は離れない! 

 

DONG! 暗闇めいた鉄鎖が絡みつく! BANG! カトンの爆発がはじき飛ばす! CLING! 布束が無理矢理押さえ込む! SIZZLE! 押し込められた火炎が焼き焦がす! 「ヌゥーッ!」だが完全固定! 逃さぬ! 故にセイケンツキだ! 

 

ヨコヅナのトリクミめいてがっぷり手四つに組み合う二人! 「イヤーッ!」「グワーッ!」装束が内から爆ぜる! 「イヤーッ!」「グワーッ!」カトンが肉に食らいつく! 「イヤーッ!」「グワーッ!」赤く染まった黒錆が打ち込む! 「イヤーッ!」「グワーッ!」黒に潰れた紅蓮が焼き上げる! 

 

「イヤーッ! グワーッ! イヤーッ! グワーッ!」「グワーッ! イヤーッ! グワーッ! イヤーッ!」互いに後退一切無し! お互い損耗一切無視! 赤と黒のジゴクが貪り合う、塹壕戦線めいた血みどろのゴジュッポ・ヒャッポだ! 

 

「イヤーッ! グワーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! イヤーッ! グワーッ! グワーッ!」だが西部戦線異常あり! 徐々にイクサの天秤が傾き出す! 押しているのは……ブラックスミスだ! 強制固定された両腕にエナジーの逃げ場はない! セイケンツキの衝撃がカトンを吹き散らし、骨にヒビを入れる! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」激痛が尺骨に走る亀裂を知らせる。疲労骨折は間近だ。砕かれた腕ではカラテ衝撃力を受け止められない。柔らかな臓器は一瞬で挽肉に変わるだろう。死神のシックルがコピーキャットの首筋に触れる。否、死神は己である! 骨が折れると言うならば折ってしまえばいい話! 

 

「ヌゥーッ!」コピーキャットは曲がらぬ方向に腕を曲げた! 当然骨は折れ、皮膚を突き破る! その一瞬、たった一瞬! カラテ衝撃波の逃げ場が産まれる! だがブラックスミスにタタラを踏むブザマはなし。「ヌゥッ!」腰を深く落とし反作用を受け止める! しかし、その瞬間だけはセイケンツキを放てない! 

 

それを見逃すコピーキャットでは無い! 「イヤーッ!」「グワーッ!」故に蹴る! 「イヤーッ!」「グワーッ!」蹴り上げる! 「イヤーッ!」「グワーッ!」蹴り燃やす! 「イヤーッ!」更にコピーキャットのダメ押しだ! 蹴り上げた脚がカマめいて首に掛かる! これがデス・オムカエの大鎌なのか? 

 

違う。コレを例えるならば断頭台の首木、或いは金床、若しくはタイガーの上顎が相応しい。ならば処刑斧は、鉄槌は、下顎は、もう片脚の……「イィィィヤァァァ──ーッッッ!!」「アバーッ!」膝である! なんたるキングタイガーの一噛みに準えるべき歴史に秘されたる古代暗黒カラテ奥義の威力か!! 

 

CRACK! ブラックスミスの顎が構造上不可能角度まで跳ね上がり、頸椎がひび割れた悲鳴を上げる! おお、ナムアミダブツ! ブラックスミスはこれで終わりか!? 死ぬか!? 死ぬのか!? 「イィィィ……」その目を見よ! 致命打を食らおうとも宿す光は未だ死なず! 薄れゆく全身の感覚を無理矢理に束ねる! 

 

「……ヤァァァ──ーッッッ!!」「アバーッ!?」ドッォォォン! 粉砕した腕を巻き込み、最終最後の直上セイケンツキがコピーキャットの片肺で炸裂する! 全ての肺胞が膨れて爆ぜる! 同時に砕いた腕で肺腑を圧迫! 逃げ場無きエナジーは呼吸器のミンチを噴き上げた! 廃ドージョーに血の雨が降る! 

 

───

 

……ザァと飛沫いた真っ赤な雨に、両手を縛っていた黒錆色は塵となって流れ落ちる。高らかに燃え盛っていた紅蓮も幻めいて消え失せた。カラテと火炎の残熱が微かに湯気を立てるのみ。一つになった二つの影はピクリとも動かない。

 

不意に一固まりの輪郭が揺らいだ。上下それぞれが前後に倒れる。バタリと繰り糸を失ったジョルリ人形めいて力なく崩れ落ちた。繰り手を失ったジョルリ人形めいてどちらも動かない。

 

それからどれだけの時間が経ったのか。時を知るのはセンコ時計めいて燃えつきゆく木片のみ。その一欠片の火が消える瞬間、片方が僅かに動いた。月光は重金属酸性雲に遮られ、闇に塗り潰された輪郭はようと知れない。判るのは『動いている』だけ。しかも枕詞に『酷く愚鈍に』が要り用だ。

 

それでも影は酷く不様に立ち上がろうとし……崩れ落ちた。しかし不格好に体を持ち上げ……倒れ込んだ。けれど不器用に起き上がって……転げかけ、踏み止まった。肺を潰されようとと、首を砕かれようと、最後に立っていた者の勝ち。古くからの言い伝えに在る通り、彼こそが勝利者だ。

 

問題は『どちら』なのかだ。雲間から差し込む月光が死闘のチャンピオンにスポットライトを当てる。ドクロ月に照らされる影は……赤黒! ALAS! 軍配はコピーキャットに上がった! 

 

「真、の……ニンジャ、スレイヤーに……アバッ……敗北、は……ない……オボボッ!」ビチャビチャと汚らしい音と共にコピーキャットは血と挽き肉を床にまき散らす。優勝者というには余りにブザマ。しかし、いかにブザマだろうと立っているのは彼だ。ブラックスミスは倒れ伏したまま身じろぎ一つできない。

 

そして勝利者はチャンピオンベルトを巻いて、優勝カップを抱くものだ。腰には既にカラテ強者を示すブラックベルトが巻かれている。ならば後はサカヅキだ。殺戮者に贈られる優勝杯は、ニンジャのドクロ杯が相応しい。不確かながらも表彰台への足取りで断頭台へと歩を進める。無論、彼が首を落とす側だ。

 

「真、の……ニンジャ、スレイヤーに……オボッ……感傷は……ない……要ら、ない……!」モージョーと等しい構文を謳い、呪文と変わらない真言を唱える。「真の……ニンジャスレイヤーに……ゲボッ……友達も……要らない……!」それこそが自身と請い願うように、それこそが自分と言い聞かせるように。

 

「真の……ニンジャスレイヤーには……何も要らない!」今度こそ首と縁と絆を叩き切らんと紅蓮を帯びた処刑剣が掲げられる。これを振り下ろせば全て終わる。惰弱で情弱なヒノ・セイジの全てが終わり、真のニンジャスレイヤーが始まるのだ。「真の、ニンジャスレイヤーには、ヒノ・セイジも要らない!」

 

 

 

 

空白。

 

 

 

 

一瞬、全ての音が消え去った。通り抜けたのはブッタエンゼルと一陣の風。狂熱が真冬の凍り付いた風に攫われる。今、自分は何を言った? 冷めたニューロンが違和感を問う。両腕に絡みつく炎が肌を焼く。何もおかしくない。熱感。いや、何かおかしい。何がおかしい? 熱感。熱い……熱い? 

 

(((自分のカトンが?)))振り上げた腕の紅蓮に目を向ける。「え」赤が鎌首をもたげた。「アバーッ!?」飢えた茜色が飼い主の喉笛へと食らいつく! 腕から足から緋が吹き上がる! 「アババーッ!」絡みつく丹色を払う指の先までも、紅一色に塗り潰される! 視界が! 四肢が! 顔面が! 全身が! 朱に染まる! 

 

……名前とは自分を明示し、自己を規定し、自身を記述するものである。だから名付け親は皆、願いを込めてコトダマを定める。ある父親は人の支えとなり実り豊かであれと『トチノキ』と我が子に名付けた。ある子は日の当たる場所で力強く生きてほしいと『フジオ』という名前で呼ばれた。

 

そして『セイジ』には、正しく己自身を治める者を志してくれと祈りが込められていた。「アーッ! アーッ! ARRRGH──ーッ!」だがもう無くなった。その名は捨て去られ、紅蓮の中に消えた。最早ここには『誰か』はいない。誰でも無い顔無し(フェイスレス)だけ。

 

自我無きノッペラボーの顔に残るのは己にかけたノロイの二文字。「ARRRGH……」炎で書かれた『忍殺』が嗤うように歪む。「ブッダよ、貴方はまだ……」全てを目の当たりにしたヤングセンセイは力なく崩れ落ちた。重篤な体を引きずり気力だけで這いずってきた。絶望がその気力を根こそぎ奪い去った。

 

今、目を閉じれば二度と開くことはないだろう。もうそれでいい。デス・オムカエが柔らかなフートンをその背にかける。ブッダも目を覚まさぬ程に永劫の眠りは安らかだ。だが……それを拒む者もいる。ヤングセンセイの光を失う目に映ったのは、轟々と燃えさかる妄火すら刺し貫かんばかりの視線。

 

頸椎をへし折られ、もはや指一つ動かせない。なのに、その目は焼き鈍まされるカタナめいて、湯気立つほどの熱を帯びていた。

 

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#2おわり。#3へ続く。



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第八話【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#3

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#3

 

遙かな古代、始まりのカンジは神秘なる象形文字であったという。ならば古代人が草原を焼き尽くす野火の中に見た恐怖は『火』の形をしていたに違いない。「AAARGH……」そして倒れ伏したブラックスミスと、膝を屈したヤングセンイの目の前で轟々と燃える人影もまた、同じ形を現していた。

 

「AAARGHHH!!」遺伝子に刻まれた恐怖を以て影が叫ぶ。何人たりとも我が前に生きるを許さず。何故なら殺す。全て殺す。殺すべし。一方的に惨殺し、無差別に虐殺し、自動的に鏖殺する。慈悲も自我も何もない、がらんどうの殺人鬼械。或いは人型の災害か。

 

違う。過ぎた表現だ。「お前、そんな大層なもんじゃないだろ?」目の前にいるのは、死神を気取り、超ニンジャ存在を唱い、ソウルと妄念に呑まれた……「なあ、バカラテ王子?」……只の子供(ガキ)だ。床を舐めたまま、ブラックスミスは牙剥く獣めいて笑う。

 

頸椎をへし折られ、首から下の感覚は一切合切無くなった。拳を握っているのか、手を開いているのかすら判らない。ノレーンにツッパリ。ヌカに五寸釘。どれだけ力を込めようとしても、力みの存在すら掴めない。それ程の重体だ。何もできない。諦めるしかない。「ザッケンナコラ……ッ!」ふざけるな。

 

黒塗りの死体が立った。形式上とはいえ教え子を表するには余りに酷い言葉である。しかしブラックスミスの背中を見るヤングセンセイの脳裏に浮かんだ表現は余りに適切であった。ブードゥー製か、或いはロメロ仕立てか。見えぬ糸に吊された半死人(ゾンビ)は、素人ジョルリ芸未満のデント・カラテを構える。

 

ブザマとしか呼び様のない構えだ。オールドセンセイが見れば叱咤の声を上げるだろうか。否、上げるのは医者を呼ぶ声に違いない。顔を見れば判る。「フーッ、フーッ、フーッ」ニューロン過負荷を堪える荒い呼吸。留めようとも震える視線。何より目鼻耳から気力と共に絞り出される血を見れば判る。

 

それは死人を叩き起こしたカラクリと同じ理由だ。全身を塗り潰していた熱傷の赤は身体中を包む黒錆色の装甲に隠された。装甲は外骨格としてその身を支え、人工筋肉としてその身を動かしている。つまりこれはジツで作ったパワード武者鎧なのだ! 

 

しかし、そんなことが出来るのか? ……出来ない。その筈だ。だから今、ブラックスミスは顔中の穴という穴から血を噴いている。血を噴きながら立っている。千切れた神経の代わりに、秒コンマ単位の分解と形成で無理矢理に装甲関節を動かしているのだ。

 

頸椎をへし折られて尚も、鎧を支えに立ち上がるその姿は、中の人が燃え尽きるまで戦い続けたソナエ・ニンジャクラン高弟に似る。或いは死体となっても殿を果たしたヨロイ・ニンジャクランの近衛兵に準えよう。つまり、今のブラックスミスは死兵か。

 

否。『カラダニキヲツケテネ』今、その胸にあるのは死の覚悟ではない。友と共に、生きて帰る。エゴを貫く覚悟だ。「随分と、フーッ、燃えてる、フーッ、じゃないか」「ARRRGHHH!!」そしてエゴを以って立ち向かうのは、目前で轟々と燃え盛る、自称死神だ。

 

自身の名前を捨てた死神気取りは、望みの通りにエゴすら失った純粋な殺戮存在と成り果てた。今はサイバーボーイめいた無思考の涅槃の中で、白痴の法悦にでも浸っているのだろうか。先の断末魔じみた絶叫を聞く限り、とてもそうは思えないが。

 

それに真っ赤な火面の下が、指差して笑える惚け面でも、眉をしかめる情けない泣きべそ顔でもブラックスミスがやる事に違いは無い。冷や水代わりの拳骨で、バカヤロウ(無二の親友)を目が覚めるまで思いっきりブン殴る。それだけだ。

 

そう、すべきことは判っている。「フゥーッ……! さて、バカラテ王子をどうぶん殴ってやるかね」問題は『どうやって』だ。背中には深手のヤングセンセイ。目前には狂えるコピーキャット=サン。そして自分は四流文楽の有様。いかに勝つか。いや、いかに戦うか。その水準だ。

 

「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」更に問題がもう一つ。それをする余裕がない。それを考える暇もない。右から左から、四肢の形に固めた炎が振るわれる。腰も肩も入っていない。ちびっ子のケンカめいた風車パンチだ。暴走するソウルはコピーキャットのカラテまで上書き保存したらしい。

 

鼻で笑える粗雑さ加減は到底カラテとは呼べない代物だ。これがデントカラテとは口が裂けても言えやしない。「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」それを避けるも防ぐもできずに浴び続けるブラックスミスもデントカラテにはほど遠い。

 

立って、構える。慣れぬジョルリ人体劇はそれだけでニューロンを焼き切りかける程に酷使した。追加の酷使は出来て一、二度。超えれば鼻血と血涙と意識が飛ぶ。希少なチャンスだ。守りは論外。だが攻めるにしても何処を狙う? 「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」暴れる紅蓮は思考の隙を与えてくれない。

 

いくら白帯未満のパンチであろうと、カトン付きで浴び続ければ徐々に不利(ジリープア)だ。「……ッ!」それは背に庇われているヤングセンセイにも判った。痛みと傷に霞む目でも見て取れる。だが何もできない。意識を保っているだけでも奇跡に近い。更にニンジャ相手にイクサとなれば奇跡でも不足だろう。

 

だから何もできない。道を違えた弟子が自分達を殺そうとしているのに、それを仲を違えた弟子が止めようとしているのに、自分は何一つできない。自分はカラテのセンセイなのに、庇われていることしかできない。

 

「違う」もう一つだけある。成すべきことがある。見る。見据える。見届ける。このイクサの全てを、その結末まで。闇に落ちる意識に活を入れ、靄のかかる視界で目を凝らす。黒錆一色に染まった影と、紅蓮一色に燃える影を必死に見つめる。

 

(((一色?)))火色のみで描かれた筈の人影に、一点の染みが残っている。赤々と燃ゆる影の中で、ただ一つ、紅蓮に染まらぬ黒がある。「あれは」ヤングセンセイは覚えている。病床のインストラクションを覚えている。最期の言葉を覚えている。愛弟子に手渡されたモノを覚えている。

 

ブラックベルト。それはオールドセンセイが託したカイデンの証だ。それはヒノ・セイジに託されたデントカラテを受け継ぐ許可証だ。それは未だ腰にある。狂気の緋に燃やされることなく、黒々と存在を主張し続けている。それは、つまり、彼は、まだ……。

 

「カナコ=サン、あれを……ブラックベルトを……!」ヤングセンセイが微かな声を振り絞った。ブラックスミスは黒錆鎧の軋む音で返した。ぎしり、と弓めいて全身が引き絞られる音だ。何をするかは知っている。誰にするかも判っている。何処をするかは今知った。どうするのかも今判った。

 

そして何時するかは……今しかない! 「イィィィヤァァァ───ッッッ!!!」引き絞られた弓が解き放たれる! 放つは自身を質量弾として打ち出す弾道跳びカラテパンチ! 自身の血で染めた黒錆色の矢は紅蓮をめがけて突き進む! 崩壊する黒鎧に吹き出す鼻血と血涙が混ざり合い、赤黒の残影が宙に描かれた。

 

「ARRRRGHHH!!!」対する紅蓮の両腕が付き出され膨れ上がる! (((引くか!)))猛炎の噴流が黒錆色に迫る! (((効くか!)))業火の濁流が黒錆色を飲み尽くす! (((怯むか!)))肺腑が焼ける! (((死ぬか!?)))角膜が煮える! (((生きる!!)))(エゴ)が燃える! 

 

残り距離タタミ2枚、1枚、接触……今! 拳がブラックベルトに、実体に触れる。同時に足の裏が地面に触れる。『地に足を着けなさい。パンチは拳以外の全てで打ちます』教えの通りに大地を踏みしめる。

 

『間接を自覚する。さもなくば手打ちです』抗力を伝達する。『三本の矢は太く重い。拳に束ねた矢をつがえなさい』エナジーを収束する。『相手を打つのではありません。その先を打つのです』カラテを体内に置き去りにする。

 

デントカラテ奥義『セイケンツキ』。デントカラテ基本技『弾道跳びカラテパンチ』。敵体内に衝撃力を置き去りにするカラテと、自身を質量弾とするカラテ。二つを一つにする。要塞砲に等しいカラテが紅蓮の体内で弾ける。ドッッッォォォオオオン!! 一人にしか聞こえない爆音が全細胞を震わせた。

 

「ARRRRGHHH───ッ!?」悲鳴と併せて血のように赤を吐いた。絶叫と併せて血のように紅が爆ぜた。「いい加減に目ぇ覚ませ! セイジーッ!」ブラックスミスは……カナコ・シンヤは、この声が届くように、悲鳴よりも絶叫よりも大きな声で、叫んだ。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

毛羽立ったタタミ、破れたショウジ窓。窓向こうには新月の海。かつてここは廃寺めいた静寂な黒に包まれていた。だが今、ローカルコトダマ空間を包むのは、バチバチと爆ぜる赤だ。それ以外何も見えない。「グワーッ! グワーッ!? グワーッ!!」そして静寂に代わり響きわたるのは苦痛にまみれた絶叫だ。

 

「グワーッ!」叫び声の主はこのローカルコトダマ空間の主でもあった。過去形だ。管理者ID(自身の名前)を否定してしまった彼に、定義を変える権限はない。ゲスト(部外者)として新たな主の暴虐に振り回され、情けない悲鳴を上げてのたうち回るだけだ。

 

「オゴーッ!?」時折、悲鳴に汚らしい吐瀉音が混じる。火の点いたタタミが汚物に染まって……ない。吐くのは先日の夕飯ではない。真っ赤な血でもない。「オボボーッ!」真っ赤な炎だ。吐く度に文字通り呼吸器が火で焼かれたように痛む。燃えさかる反吐は周囲の火炎と混ざり、一層火勢を強めていく。

 

内から外から紅蓮に炙られた彼は、熱気にあおられる羽毛めいて、紅蓮の火に七転八倒転げ回る。転げた拍子に天井に描かれた超ニンジャ存在の象徴が目に入った。『忍殺』それは絶対の殺戮者を示す二文字だ。それが焦熱に炙られて、滲み、滴り、嘲るように歪んでいる。涙で視界も滲んでいる。

 

(((ナンデこうなった? 何がこうなった?)))炎が答えた。「お前が誤った」炎はセンセイの顔をした。「お前が偽った」下級生の顔をした。「お前が傷つけた」センパイの顔をした。「お前が汚した」父の顔をした。「お前が辱めた」母の顔をした。「お前が殺した」姉の顔をした。

 

「お前が全部だ!」親友の顔をした。「お前のせいだ!」理想像(ヒーロー)の顔をした。「お前が悪い!」自分の顔をした。「全部悪い!」全部嗤っていた。彼を嗤っていた。返答も否定も出てこない。出るのは涙と嘔吐だけ。「オボーッ!」胸をかきむしり、血のような炎を吐いた。かきむしる指が0と1に崩れた。

 

その背後で炎が人型をとる。「グワーッ!」紅蓮で描かれたニンジャブーツがうつ伏せる彼を踏みつける。CRACK! 「アババッ」CRACK! 「アバーッ!」CRASH! 「アババーッ!」脊椎が音を立ててひび割れていく。苦痛の悲鳴を上げる顔を、顔一杯に嘲笑を湛えた自分がのぞき込む。

 

紅蓮の鏡像は薄っぺらい憤怒を顔に張り付けて叫ぶ。「エセヒーロー! ヒーローゴッコ! お前のせいだ! お前が悪い! ゴートゥー・アノヨ!」彼を切り裂いた裏切りを悪意的三文芝居で再演する。かつては叫び声を上げて抗がった。今や無意味な抵抗すらできない。こぼれた涙は瞬く間に蒸発した。

 

「「BHAHAHAHA!! HA-HA-HA!!」」背中の虚像と併せて、卑しい笑い声が二重に響く。「グワーッ!」石蹴りめいて蹴り飛ばされても何もできない。ただ胎児めいて、或いは虐められっ子めいて丸まるだけだ。膝を抱える手が腰に触れる。そこにはベルトがある。託された黒帯がある。

 

託された言葉がある。『カラ、テを……己……に』最期の言葉はまだ胸の内に残っている。まだ続きを聞けていない。ぎりり。噛みしめる歯が音を立てる。短くなった指でブラックベルトを握りしめる。その姿を二つの紅蓮がせせら笑った。目前の自分自身と、背面の理想像(ヒーロー)がベルトに手をかける。

 

「ヌゥゥーッ!」有らん限りの力で抗う。「お前には何もできない」その姿を嘲り笑う。「お前には何も無い」自分の姿が蔑み笑う。「お前は無い」理想像(ヒーロー)の姿で見下し笑う。「お前は無だ」二人そろって卑しく笑う。「無駄」嗤いながらベルトを引き剥がしにかかる。

 

「無駄」堪える。「無駄」抱え込む。「無駄」握りしめる。「無駄」抵抗する。「無駄」抵抗する。「無駄」抵抗する。「無駄」「無駄」「無駄」「無駄」ブラックベルトが緩む。体から離れていく。二人の嗤いが深まる。何もできない。何もしてない。あの日と何一つ変わらない。絶望が心を満たしていく。

 

瞬間。

 

ドッッッッォォォオオオン!!

 

衝撃。

 

体内に置き去りにされたカラテ衝撃波が炸裂した。腰のブラックベルトを基点に、痛みの波が全身を走った。「グワーッ!?」痛みが自我の輪郭を浮き彫りにする。薄れて消えていた指の先までくっきりと現れる。そのまま指先を超え、痛みを伴う衝撃は空間中に響きわたった。

 

「「グワーッ!?」」一瞬、火炎全てが散った。紅蓮の影二つも跡形もなく消え失せた。彼はそれに気づかなかった。『いい加減に目ぇ覚ませ! セイジーッ!』それよりも重要なことがあったからだ。

 

痛みがニューロンを発火させる。脳裏に映像が弾ける。(((ヤルキはあるのか!? さぁ起きろ! カラテを構えろ!))) 絶望しているヒマなどないと過去が告げる。何度も殴られた。殴った。殴り合った。腰のベルトを締め直し、指先の感覚を握りしめる。握り拳を形作る。

 

「ザッケンナコラ……ッ!」拳は打つべき形を作り、足は立つべき位置を取る。記憶の影を見定める。虚空に爛々と光る両目が殺意に輝き、牙を剥くタイガーめいてそいつは笑った。『ブチノメス』と。自分も飢えた猛獣めいて喜々と微笑んだ。『ブッコロス』と。

 

「……な徒労ゴクロ……だねぇ?」「今更……ってユウジ……気取りか?」やっと復活した影が妄言をほざく。だが火炎の罵声も真っ赤な嘲笑も今や遠い。胸の内が紅蓮に燃えて、世界が相手と自分とカラテだけになる。積み重ねたカラテと学び鍛えた記憶が、がっちりと噛み合い正しい答えを教える。

 

「イィィィ……」腹の底で煮えたぎる熱がシャウトと共に噴き上がる。己の全てを賭けてもいい。お前にだけは負けてたまるか。言葉にならない言葉を叫び、全身全霊のカラテをぶつけ合った。それは真っ赤に色づいた青春の一幕。二度とは見れぬ昨日の夢。だが、今……。

 

「……ヤァァァ───ッッッ!!」時計の針は同じ時を指し示した。カラテパンチを打つ音も姿も無かった。打つ手も引く手も見えぬまま響くシャウトだけが一撃の存在を告げていた。ドッォォォオオンッ! 空間に取り残された衝撃が炸裂し、炎を悉く打ち払う! 紅蓮の影は断末魔すら上げられずに消え失せる! 

 

それは全身を包む炎も、名前を失くした紅蓮の怪物も、例外なく消し飛ばした。「オハヨ、“ヒノ・セイジ”=サン。いい夢でも見たか?」「……オハヨ、“カナコ・シンヤ”=サン。ああ、悪い夢をたっぷりな」そして残るのはただ己の身。セイジはぶつけ合った拳をゆっくりと外した。

 

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#3おわり。#4へ続く。



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第八話【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#4

やっと折り返しまでたどり着きました。


【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#4

 

知ってる天井だ。何度となく殴り倒されては、或いは疲労困憊で崩れ落ちては、この天井を眺めた。尤も面積の半分がネオサイタマの曇天というのは初めてだが。何にせよいつまでも寝転がっててはセンセイにどやされる。何も考えずに身を起こそうとする。立てない。

 

指先はピクリとも動かない。そもそも指先の存在すら判らない。唯一感覚のある首を動かそうとする。これまた動かない。「オハヨ、シンヤ=サン。いい夢見れたか? 首は固定済みだよ」聴き飽きる程に聴き慣れたいつもの声。記憶がコダマする。

 

……「いい加減に目ぇ覚ませ! セイジーッ!」返答は無かった。代わりにカラテの構えで応えた。半壊した紅蓮の影が、鮮やかに色づいた記憶と重なる。噛み締めた歯がぎりりと軋んだ。もう鼻血も出ないと泣き叫ぶニューロンに喝を入れる。あと一発、あと一発だ! 打て、撃て、射て、討て! 

 

「「イィィィヤァァァ───ッッッ!!!」」シャウトと共に意識が飛ぶ。コンマ単位で明滅する視界の中、全力の拳をぶつけ合った。ドドッォォォオオオンッ!! 衝撃波の二重奏。紅蓮の炎が、黒錆の鎧が爆ぜる。赤黒に染まる世界の中、見飽きる程に見慣れた顔を見えて、安堵と共に意識を手放した。「オハヨ……

 

……セイジ=サン。特に夢は見なかったよ」「そいつはアテが外れたね。鼻で笑える夢でも見てるもんだと思ったんだが」小馬鹿にした声は胸中の安堵を上手に隠していた。「ぬかせ。なら殴り倒したお前を足蹴にしてる夢でも見るさ」山ほど殴り合ったせいなのか、それでも不思議と判ってしまう。

 

「それこそ夢だろ? ああ、だから夢に見るんだね。好きなだけ夢見てなよ」「成る程、実際ぶちのめされたお前らしい口だ」判るからこそ馬鹿みたいに意地を張り合って、益体もない話を交わす。「面白いこと言うね。最後に立ってたのは僕だってのにさ」心配なんて要らないと、いつもみたいに笑って見せる。

 

「そりゃトドメさして言える話だろ。パンチ一つ打てないラグの差でよく言うぜ」いつも通りの下らないじゃれ合い。万金に等しい時間。あれで多分最後になった。そう思ってた。「えぇっと、コンマ数秒差で勝ち名乗り上げてたのは何処のどいつだっけ?」「俺は目の前のフェイスマンしか知らないね」

 

「奇遇だねえ、僕も目前のイディオット以外覚えがないんだ」だと言うのに。ああ。「審判に『一秒でも勝ちは勝ちだから僕の勝ちです』って散々抗議してたよな」「突っ立ったまま気絶してた癖に『でも最後に立ってた俺の勝ちだから』ってゴネてたのはよーく覚えてるよ」その続きがここにあった。

 

「「ヤンノカコラ……」」視線だけで殺してやると目力を全開にして睨み合う。「「プッ」」そして二人同時に吹き出した。「ハハハッ!」「アッハッハッ!」笑うだけでありとあらゆる部位が痛む。全身の重傷に激痛が響く。気にもならない。ぶっ倒れるまで殴り合った昔のように、大声を上げて笑い合った。

 

一頻り笑い合えば残るのは爽快な静寂。傷に火照った身体には真冬の冷気も心地よい。「……ヤングセンセイは?」「屋根の残ってる場所で寝かせてるよ。呼んだ医者が診てる」「そりゃチョージョー」到着時点で重体で、更にニンジャのイクサに巻き込まれたのだ。出来れば病院に担ぎ込みたいところだ。

 

「お前も要るかい?」「いや、かかりつけの処に行くさ。代わりにタクシー呼んでくれ。代金はお前持ちでな」「ワガママ言うなら自分で払えよな」軽い冗談と気やすいやり取りの中、不意のコトダマがセイジの胸を刺した。「つべこべ言わずに出しな。それでチャラにしてやる」冗談で隠してた心中が溢れかけた。

 

「……最高級のハイヤーにするかい?」「暖房効いてるやつな」「常夏より暑くしてやるよ」視界の外だったのはブッダの慈悲か。上手く誤魔化せただろうか。あまり自信は無かった。「「………………」」BGMを遠い街の喧騒に、先よりも重くしめやかな無音が響く。

 

「……なぁ、カワラマン。今更、ナンデ来たんだよ」酷く淡々としたセイジの呟きが沈黙を破った。シンヤの視界から顔は見えない。「お前はずっと居なかったじゃないか」だが平板で無表情な声音は、逆説的に混沌とした胸の内を明白に示している。

 

「センセイが倒れた時も、危篤の時も。僕が死にかけた時も、独りの時も」棒読みめいて単調な声に震えるような響きが混じる。吐き出す言葉が抑えきれない熱を帯びる。「家族皆が殺された時も、お前は居なかったじゃないか……!」別れた後の話と出会う前の話だ。どちらも物理的に無理がある。

 

無茶苦茶を言ってる自覚はあった。けれど止まらなかった。「居なかったくせに、今更、なんだよ……今更なんだよ!」それが本音だからだ。喀血めいた悪罵を吐き捨てた後は、肺炎めいた息苦しさと痛みが残った。「……………………悪い、熱くなった」それと後悔と自己嫌悪の鉄錆めいた味も。

 

爽やかだった冬の夜風が気づけば身を切り裂くように冷たく感じる。軽やかに空気を包んでいた沈黙も今や深海の重圧を纏っていた。「……ああ、そうだな」望んでない肯定の返答は後味を更に苦くした。反吐の臭いが腹の底から漂うようだ。

 

「悪いって言ってるだろ……!」もうこんな話をしたくない。こんな己を見せたくない。だからもう終わりだ。終わりにしてくれ。「確かに俺は居なかったよ。お前の言うどれの時も居なかった」言外の哀願をシンヤは無視して言葉を続けた。「だから! 悪りぃって! 言っ……

 

 

 

 

「だから、俺はここに来たんだ。だから、今ここに居るんだ」

 

 

 

 

手遅れだとしても、今更だとしても、行く。助けに行く。そう決めたのだ。だからシンヤは走って、戦って、そして成したのだ。「ナンデ……」「ナンダ、まぁ、その、友達、だしな」ぶっきらぼうな台詞と共に見えもしないセイジの顔から視線を逸らす。火照る顔は傷のせいだ。そう言うことにした。

 

途端に笑い声が弾けた。「クククッ、ハハハッ! アッハッハッハッ! バカだ、バカワラマンだ!」腹を抱えて笑いこけているのだろう。床を叩く音まで聞こえる。「それだけで、ヒッヒッヒッ! ここまで来たのかよ! それだけで、ヒヒヒッ、ここまでしたのかよ……今更だってのに、ヒヒッ……」

 

涙のように溢れた笑い声は、いつしか微笑みめいた嗚咽に姿を変えていた。「シンヤ=サン……ヒッ、お前……ズズッ……バカだよ……ズッ……スゴイ・バカだ……ヒヒッ」家族が殺され、センセイが死んで知った。神はいない。ブッダもいない。ヒーローだっていなかった。でも友はいる。ここにいるのだ。

 

「バカハドッチダ、バカラテ王子。お前に言われたかねえや」鼻を鳴らしてシンヤは応える。文句を言われる筋合いはない。「逆だったら絶対来るくせによ」「ああ、そうだな」きっとそうだ。親友(バカヤロウ)がどうするかなんて、お互いよく知っている。

 

「シンヤ=サン。アリガト、な」「おう、次にやるときは事前に連絡寄越せ。ソッコーで足腰立たなくなるまでブン殴ってやる」「そのときは熨斗付きのオリガミメールで果たし状を進呈するよ」二人してもう一度笑い合う。何のてらいもなく、わだかまりもなく。ただ、晴れやかに、笑った。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「じゃあ、オタッシャデー」「ああ、オタッシャデー」トリイと一体化したタクシーの扉が閉まった。親友の顔が見えなくなり、『サンド・タクシー』の鏡文字が顔に影を落とす。後部座席で寝ころんだまま行き先を告げた。「ハイ、ヨロコンデー」横殴りに流れるネオンをガラス窓越しに眺める。

 

道路標識を見る限り、ドージョーからキロ単位で離れた。もう、いいだろう。「ドーモ、お久しぶりです。”イチロー・モリタ”=サン。探偵からタクシー運転手に転職されたので?」運転手がバックミラーの位置を合わせた。後部座席が、そして後部座席から見えるよう調整する。寝たままのシンヤにも見えた。

 

伊達メガネから覗く死んだマグロの目。制帽下の赤黒ニンジャ頭巾、そして『忍殺』二文字が()()()()されたメンポ。本物の死神がそこにいた。「ドーモ、ブラックスミス=サン。”ニンジャスレイヤー”です。探偵業をした覚えはない」「そうですね、スミマセン」頭は下げられないので文字通りに目礼する。

 

「オヌシに聞きたいことがある」「ハイ」モータルとしてアイサツをして、ニンジャとして返された。つまりこうだ。「赤黒の発狂マニアックが暴れ回っていると聞いた。しかもそれはニンジャだとも聞いた。オヌシは何か知っているか?」死神との質疑応答。虚偽を口にすれば死ぬ。気に食わぬ返答でも死ぬ。

 

「……ええ、知ってます。ついさっきまでそいつと殴り合ってました」「今は?」間髪入れずに足りない言葉を突かれる。意図的に言葉を省いた。DKK(ダークカラテカルマ)がD1上昇。死線に一歩近づく。「ぶちのめしましたので、もう出てくることはありません」当然の事実めいて告げる。声が震えないよう声帯を意志力で制した。モータルならそれだけで信じる説得力だ。

 

「それを信じる根拠は?」だから当然ニンジャスレイヤーは説得できない。「ありません」だから敢えて説得をしない。代わりに出せる担保を示す。「なので、そいつがまた出てきたら首を取ってきますんで……」これが俺の人生だと太く笑った。「……ニンジャの首()()でご勘弁願えないですかね?」

 

「……だいたいわかった」返答でない返答で質疑応答は終了した。これで話が終わりか、或いは人生が終わりか。直に判る。最後かもしれない満月は雲間からデス・オムカエ気取りで嗤ってる。ドクロ月に向けて太々しく笑い返す。悔いは死ぬほど有る。だから最期まで抗って、笑って、家に帰ろう。

 

「家族はいいのか」不意の問いかけ。質疑応答は終わってなかったらしい。問いに飛び出す前のあれやこれやを思い出す。「その家族に『迷惑なら背負わせろ』って言われましたので」キヨミと子供達からのエール、住職のオセッキョにコーゾとの会話、そしてナンブのお叱りとノミカイ。酒はもうやめよう。

 

「そうか」ニンジャスレイヤーは視線をバックミラーから戻す。赤白緑の季節広告がネオンに混じっている。12月24日はもう近い。あれはいつのクリスマスイブだったか。少しでも家族の生活を楽にしたくて、家族団らんを諦めて残業に費やした。徹夜明けの帰宅後、その事を当の家族に責められた。

 

家族のために働いているからだと言い訳する自分を、『私たちを言い訳にしないで』と身重の妻が叱り飛ばした。そして『私たちの為に苦労してるというなら、一緒に背負わせてほしい』と続けた。だから次の年からずっと、クリスマスの前夜は家族三人で過ごしてきた。去年まで毎年だった。今年は……。

 

「そこ右に曲がってください」無意識が言葉に従いハンドルを切る。数秒前からの空白が圧縮データパケットめいて脳裏に展開する。「で、どうされます?」断頭台の上にいる筈のシンヤは図太く決断を促した。許容ならそれでよし。処刑なら、指一本動かせない体と焼き切れ掛けたニューロンで戦うまで。

 

ちょうど一直線上にお誂え向きの廃ビルが突っ立っている。名前まで『オフク武人ビル』と示唆的だ。サンド・タクシーはジゴク行きのキャノンボール棺桶と化すか、否か。「……次は左です」アクセルがゆるみ、タクシーは指示の通りにT字路を曲がった。どうやら処刑ではないようだ。長く息を吐く。

 

「オヌシはこれからどうする」「まずは治療して帰宅してお礼して……」まず自分と家族のことを済ませる。それが終わったらすべきことをする。「あと友達と迷惑かけた方にワビ入れですかね」「そうか」「欲しい菓子折りとかあります?」「ない」酷く端的な返答に肩をすくませようとする。できない。

 

「じゃこっちで適当に選びますよ」「好きにしろ」「好きにします」イクサに臨む身だから、日持ちがしてカロリーが高く食べやすい方がいい。高級ハンディ・ヨーカンにしよう。詫び状のオリガミメールは書きたがる奴に書かせて連名でいいか。送り先はナンシー=サンにすればいいだろう。

 

考えているうちに目的地であるロン先生の診療所に着いた。「ドーゾ」「ドーモ」シンヤを米俵めいて担ぎ上げ、ニンジャスレイヤー……フジキドが戸口に立つ。目を離した隙に着替えたらしく、残っているのは死んだマグロの目だけだ。これならカロウシ直前の単なるマケグミタクシー運転手にしか見えない。

 

DING-DONG! 来客を告げるベルが鳴り、軽い足音の後、扉が開いた。「ドーモ、ロン先生……ィッ!?」シンヤの喉が妙な音を立てた。それに頓着せずフジキドはナース姿の女性へと担ぎ上げた身柄を手渡ず。「ドーゾ」「ドーモ、アリガトゴザイマス」「ドーモ。おお、酷い怪我だ! 直ぐに診よう!」

 

軽く診察したロン先生はすぐさま治療室へとって返した。「ではオタッシャデー」「あの、その、チョット!? モリタ=サン!?」アイサツを残してフジキドはタクシーに乗り込んだ。現状を問い正すべく振り返ろうとするが、当然身体は動かない。顔はシンヤを抱き上げたナース姿の女性へと向いたままだ。

 

そうなれば当然、一等近しく、最も親しく、誰より愛しい家族”トモノ・キヨミ”の顔が目に入る。それも涙の滴を一杯に湛えたしかめ面だ。ナンデここに居るのとか、その格好はカワイイけどナンデとか、ナンシー=サンなんてことしてくれたのとか、無数の言葉が口の中でグチャグチャに潰れて混ざる。

 

「ねぇ、シンちゃん」「ハイ」ようやく出てきたのは脊髄反射的な相槌だけだった。「アイサツは?」唐突な事態に再起動中の脳髄が数秒かけて言葉を咀嚼した。ああ、一番大事なことを忘れていた。家族へ向けるに相応しい表情を浮かべる。「うん、ただいま」「おかえりなさい」涙と共に微笑みが零れた。

 

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】おわり。



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第九話【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#1

ここのところ右(シリアス)に傾きがちだったので左(リラックス)に傾けます


【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#1

 

一見すれば粗雑に、注視すると驚くほど丁寧に整えられた枯山水。島を象る岩の上にザゼンする影があった。分厚い雲越しのぼやけた陽光を浴びて、なお黒い錆色が突如目を見開く。「イヤーッ!」音圧だけで余人をなぎ倒すほどの絶叫と共に影が宙返る! 白波めいた白砂が着地と同時に逆円錐に吹き飛ぶ! 

 

それは着地の衝撃ではなく、次なる一撃の踏み込みだ! 「イヤーッ!」目前の島岩に立つ木人が一瞬、震え、歪み、爆ぜる! 何が起きた!? カラテパンチに取り残されたカラテ衝撃が木人を内部から打ち砕いたのだ! なんたる打拳どころか引き手すら見えぬ超自然の領域に足を踏み入れた超常的カラテパンチか! 

 

そして打ち手の姿も見えぬ! 「イヤーッ!」上空だ! 再びのツカハラで宙を舞う! 次なる木人前に着地! 「イヤーッ!」パンチ! CRASH! 木人撃砕! 「イヤーッ!」跳躍! 着地! 「イヤーッ!」パンチ! CRASH! 木人粉砕! 「イヤーッ!」跳躍! 着地! 「イヤーッ!」パンチ! CRASH! 木人破砕! 

 

瞬く間に四体のリサイクルDIY木人がゴミに還った! タツジン! これほどのカラテ、とうてい人間業ではない! そう、彼はニンジャ”ブラックスミス”だ! 「フゥー」だがザンシンを決める彼の顔には不服の色が濃い。それもその筈、ニンジャにとって木人連続破壊程度ベイビーサブミッションでしかない。

 

本来の狙いであるセイケンツキを行えたのは初撃のみだ。他の木人三体は単に殴り砕いてしまっている。「一歩前進、か」それでもほんの数週間前に負った頸椎折損を鑑みれば十二分と言えよう。首に埋め込まれたファインセトモノの位置を撫でる。リハビリは良好だ。後は再びカラテを積み重ねていくのみ。

 

「おぅ、シンヤ=サン。キヨミ=サンがお呼びじゃぞ」「掃除の後で行きますよ」鍛錬を終えたブラックスミス……”カナコ・シンヤ”に声をかけるのは、枯山水の作り手であるダイトク・テンプルの住職だ。「ワシがやっておこう。随分とコワイ顔をしておったぞ」いつも飄々泰然とした破戒僧のしかめ面。

 

「……判りました、お願いします」胸騒ぎを覚えたシンヤはテンプル内へと飛ぶように跳んだ。「イヤーッ!」流れる連続側転で居間へと飛び込む。子供達へは『廊下で走らない・遊ばない・回らない』と教えているが今日の処はカンベンだ。居間のテーブルにはトモダチ園の中心”トモノ・キヨミ”の姿。

 

「キヨ姉、何かあったの?」「シンちゃん……」その顔にインセクツ・オーメンがお告げを下した。ろくでもないことが起きた。無数の想像が脳裏に瞬く。住職にジアゲ、コーゾと廃業自殺、オタロが公害病、エミで交通事故、ウキチからドラッグ、イーヒコをイジメリンチ、アキコへ悪い男、キヨミに彼氏。

 

深く吸い、長く吐く。人様の台詞だが、後悔は死んでからすればいい。「私、町中を探し回ったの」「うん」「けど、どうしても見つからなかった」「うん」「ご近所中にも声をかけたけど誰も何処にあるか知らないって」「うん」「問屋の人だっていつ入るか判らないそうなの……」「うん……うん?」

 

何かおかしい。「このままじゃ、毎食どころか週末にも出せなくなっちゃう……!」何がおかしい? 「それどころか、ミソカの年越し用だって用意できないかもしれないわ!」キヨ姉がおかしい。「どうしよう、シンちゃん……オソバがないの!!」いや、平常運転だ。震えるキヨミの肩にそっと手を置いた。

 

「キヨ姉、心配しないで。ダイジョブだよ」「シンちゃん……!」シンヤは二度の人生で最も優しく微笑んだ。小春日和めいた笑みにキヨミの顔に温度が戻る。「今年の年越しはスシにしよう」「シンちゃん……?」そのまま表情が凍り付いた。「ダイジョブさ、ちゃんとしたスシを頼むよ」「シンちゃん?」

 

「ホント!?」「スシ? スシなの!?」「スシ!」家庭の一大事と聞き耳立ててた子供達が居間に飛び込んでくる。スシとくればトモダチ園の一大事だ。何せソバ抜きの飯が食える。「おう、スシだとも」「シン……ちゃん?」先日のワガママで家族には迷惑をかけた。納得してくれたとは言え、詫びはしたい。

 

「やった! 俺大トロ食べたい!」「あたし、イクラ・キャビアがいい!」「オーガニック・タラバーカニは?」自信満々の長兄の姿に子供達の期待はバブル地価めいて勢いよく膨らむ。「ハハハ、無茶言うなよ。どれか一つだけだぞ?」「「「ワー! スゴーイ!」」」そしてバブルは唐突に弾ける。

 

「シ ン ち ゃ ん ?」

 

「「「アィェェェ……!」」」その声にインセクツ・オーメンがお告げを下した。ろくでもないことが起きた。実際、子供達全員の表情が市場崩壊している。場のテンションはブラックチューズデイより高速で墜落した。正直キヨミの方に顔を向けたくない。きっと表情だけでセプクを願う羽目になる。

 

TELLLLLL! TELLLLLL! 「おっとでんわがなっている。これはでなくてはならない」棒読みを通り越して丸太を丸飲みする口調でぎこちなくその場を後にする。その背中にトリカブトの蜜めいて致死性の甘い声が投げかけられた。「……シンちゃん、後でじっくりお話しましょ?」

 

「きっとしごとだろう。これはでかけなくてはならない」「仕事が終わるまで待ってるわね」「さきにねてていいよ」「待ってるわね」「ねてて」「待ってる」シンヤは背後の圧力から電話へと逃げ込んだ。「ハイ、モシモシ。トモダチ園です。お電話ありがとうございます。ホントにありがとうございます」

 

「モシモシ! その声はシンヤ=クンかね? 私はコーゾだよ!」「ハイ、シンヤです。急にどうしたんですか?」「大変なことになったんだ! シンヤ=クンにお願いがあるんだ!」「ハイ、なんでしょう?」「オソバが何処にも無いんだよ! なんとか探してくれないかい!?」「ハイ……なんですって?」

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ダイモンは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の転売屋を除かなければならぬと決意した。ダイモンには経済がわからぬ。ダイモンはイチノマタの新人ソバシェフである。カエシを煮詰め、麺を茹でて暮らして来た。けれどもソバに対しては人一倍に敏感であった。

 

ある日、ダイモンはショーユの買い出しに市へと歩いていたが、町の様子を怪しく思った。店に帰ると先輩をつかまえて、何かあったのか、昨年末は『年越す』『長生き』など書かれたPVCノボリが乱立してたはずですが、などと質問した。先輩はあたりをはばかる低声で、わずか答えた。

 

「ソバが無いんだよ」「なんで無いんスか?」「カネモチが買い占めてるってウワサだよ」「たくさん買い占めてるんスか?」「うん。はじめは問屋を、それから粉屋を、それから小売を、それから農家を」「ビックリ! 狂人スか!?」「狂人じゃなくてさ、転売とか実際計画あるみたいなんだよね」

 

聞いてダイモンは激怒した。「転売屋ッスね! スッゾコラーッ!」ダイモンは単純な男であった。手近な麺棒を握り締め、店を飛び出した。諸悪の根源ということにした転売屋をボーで殴り倒せば、大量のソバとゴールドがドロップし、イチノマタが大繁盛するのだ。フィクションの悪影響だ! 

 

犯人を探して街を練り歩くダイモン。()()を知った目には街の全てが()()()見えてくる。『オソバ:時価』『中華ソバ始めました』『今年はほうとうです』そこかしこの広告は邪悪なテンバイヤーの爪痕だ。「今日はスシドスエ?」「タコス食いてぇ!」ソバを諦める群衆はダフ屋の片棒を担ぐ共犯者だ。

 

『ここはおうどんです』『ソバ要らず』『たくさん食べて、どうぞ』そして何よりオソバをディスる大罪人は、一刻も早くスレイすべき転売屋の一員である。そうに違いない。俺は詳しいからわかるんだ! おかしな目つきのダイモンは麺棒を構えて、浮浪者向け炊き出しをしてるうどん教徒の背後から近づく。

 

「まだあるよ! おうどんあるよ!」「うどん食べてお腹いっぱい! 明日からうどんでお腹いっぱい!」しかし、うどんアッピール炊き出しに忙しい彼らは、危険人物の接近に気付けない。しかもダイモンに歩調を合わせる同じ目つきの無政府主義者が3人。アナキストA、B、Cが仲間にくわわった! 

 

麺棒、ゲバ棒、鉄棒、金棒。思い思いの鈍器を振り上げ、四人は恐るべきアンブッシュを仕掛ける! 「え……アィェーッ!?」が、炊き出しを啜ってた浮浪者に気付かれ先手ならず! 「ナンコラーッ!?」「テメッコラーッ!」気づいたうどん教徒がおそいかかった! 

 

「この田舎ソバモンが! ザッケンナコラーッ!」うどん教徒Aはうどん生地を振り回してこうげき! コシの強いうどん生地がアナキストBの側頭部に直撃した! 「スッゾコラーッ!」「グワーッ!?」ブラックジャックめいて衝撃が浸透する! アナキストBに大ダメージ! アナキストBはこんらんしている! 

 

「ドブ色汁ショーユ野郎が! アッコラーッ!」うどん教徒Bはこね鉢を投げつけてこうげき! 重厚なフェイク漆器がアナキストCの額に衝突! 「シネッコラーッ!」「グワーッ!?」暴徒投石めいて脳味噌が揺れる! アナキストCに大ダメージ! アナキストCはこんらんしている! 

 

「スッゾコラー糖尿病転売屋!」「悪い政府だ! アンタイするぞ!」すぐさまダイモン達もたたかうを選択! 「ソバで首くくるぞコラーッ!」「グワーッ!」ダイモンのこうげき! うどん教徒Aはひるんだ! 「腐敗政府癒着企業コラーッ!」「グワーッ!」アナキストAのこうげき! うどん教徒Bはひるんだ! 

 

「ナンダナンダ!?」「ドシタドシタ!?」突如わき起こったオソバ・アナキストVS神聖うどん軍団の大乱闘を一目見ようと、暇人どもが黒集りの山を作る。「ヤッチマエー!」「そこだ! ウィーピピ!」オソバ不足で気が立ってるのか、止めに入る者は誰一人いない。危険な興奮は高まるばかり。

 

「ザッケンナコラー部長!」「スッゾコラーお客様!」しまいには加速する暴動に飛び入り参加者すら出始める始末だ。「オオ、テリブル! なんと言うことでしょう! ネオサイタマのオソバ不足は遂に臨界点を迎えた模様です!」ゴシップの臭いをかぎつけて、カメラを担いだ野次馬もやってきた。

 

「道行く人にも伺ってみましょう。貴方はこの状況をどう思われますか?」「パスタでも食べればいいんじゃないですかね」金髪碧眼のNSTVリポーターは、一人配給のうどんを啜る男にマイクを突きつける。知ったこっちゃないと目つきとセンスの悪い男はうどんぶりから顔も上げない。

 

ブロンドらしいリポーターは気にも留めずにオウム返した。「パスタ、つまり小麦麺! うどんを食べるべきと!」「別にスシでもいいと思いますよ」「スシ、つまり江戸文化! ソバを食べるべきと!」ハウリングめいたやりとりに男の目つきが呆れと不快に歪む。

 

「どっちでもいいって意味ですよ」「つまり、現代的無関心が生み出した光景であると!」「とりあえず結論に飛びつくの止めたらどうです?」「つまり、短絡的に答えを求めるデジタル二元論の現代病であると! 暴動の原因は社会にあり、つまり政権交代が必要なのです! ではインタビューを終わります!」

 

モキュメンタリーの価値を再認識させてくれるインタビューが終わり、暴動も佳境に近づいてきた。「アッコラー脚気江戸患者!」「グワーッ!」「スッゾコラーッやり甲斐搾取ピンハネ企業!」「グワーッ!」人数の差が効いたのか、ケンカの趨勢はオソバ・アナキスト連合軍に傾いている。

 

このまま囲んでボーで叩いて決着か? そうはならない! 「センセイ、ドーゾ! お願いします!」うどん教徒Aはなかまをよんだ! 「ザッケンナコラーッ!」「ザッケンナコラーッ!」「ザッケンナコラーッ!」「ザッケンナコラーッ!」青ざめたヤクザA、B、C、Dがあらわれた! 全員同じ顔! まるで四つ子だ! 

 

アナキストBのこうげき! 「愚民化バラマキ無責任コーポコラーッ!」「スッゾコラーッ!」「アバーッ!」ヤクザAのはんげき! アナキストBはたおれた! アナキストAのこうげき! 「資金洗浄偽善活動法人コラーッ!」「スッゾコラーッ!」「アバーッ!」ヤクザBのはんげき! アナキストAはたおれた! 

 

「アィェーッ!」アナキストCはにげだした! 「ザッケンナコラーッ!」しかしまわりこまれてしまった! 「スッゾコラーッ!」「アバーッ!」ヤクザCのこうげき! アナキストCはたおれた! 「アィェーッ!」ダイモンはにげだした! 「ザッケンナコラーッ!」しかしまわりこまれてしまった! 

 

「ザッケンナコラーッ!」「ザッケンナコラーッ!」「ザッケンナコラーッ!」「ザッケンナコラーッ!」「アィェェェ……」恐るべきヤクザA、B、C、Dに囲まれてダイモンはロウソク・ビフォア・ウィンドウの運命にあった! このまま囲んでボーで叩いて決着か!? 

 

「スッゾコラーッ!」「グワーッ!」ヤクザAのこうげき! ダイモンはひるんだ! 「スッゾコラーッ!」「ゲボーッ!」Bのこうげき! ダイモンははいた! 「スッゾコラーッ!」「アバーッ!」Cのこうげき! ダイモンはたおれた! 「スッゾコラーッ!」「アババーッ!」Dのこうげき! ダイモンはけいれんした! 

 

その時である! 「コラーッ! それはよくない」「ちょっとやめないか」甲高いサイレンと共に真っ赤な回転灯が接近する! NSPDのパトカーがおっとり刀で駆けつけたのだ! ヤクザA、B、C、Dは手を止めて青ざめた顔を見合わせた。

 

「「「どうします?」」」そのまま血の気のない4つの顔は雇い主の方へと向けられる。雇い主は更なる雇い主を思い浮かべて、ヤクザたちより顔を青くした。「警察は困る! 撤収するぞ!」「「「ハイヨロコンデー!」」」指示に従い、ヤクザとうどん教徒とプラス一名は逃げ出した。

 

「俺は無関係だ!」「署で聞きます」「カラテの授業があるの!」「署で聞きます」「オタスケ!」「署で聞きます」逃げ損ねた一般暴徒の言い訳も事実も無視して機械的に手錠を掛けていく死んだマグロ目のマッポ達。悲鳴を背後にダイモンは路地裏へと這々の体で逃げ込む。

 

「で、アレはジャーナリズムなんですか?」「『黄色』を頭につけるならね」そこには見覚えのある先客がいた。コーカソイドのNSTVリポーターと、彼女にレポートされてた不審な目つきの男だ。知り合いなのか気さくに話すその姿に、ダイモンは見覚えがあった。

 

「アンタ、コーゾ先輩の……?」「ん? 貴方はイチノマタで……」先日、イチノマタを訪ねて来た、“トモノ・コーゾ”先輩の客だった筈。始めてのバベルソバに四苦八苦してた記憶がある。「あら、お知り合い?」「ハイ! ダイモンです!」「ドーモ、カナコ・シンヤです。コーゾ先生からお話はかねがね」

 

【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#1おわり。#2に続く。



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第九話【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#2

【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#2

 

「シンヤ=サン、こんな所でドシタンス? それもNSTVの人と」「オソバを探してたんですよ。まるで見つかりませんが」ソバ捜索。つまり……転売屋退治! これは自分と同じではないか! ダイモンは確信した。破壊活動だけのアナキストは真の仲間ではなかった。ソバを愛する真の仲間はここにいたのだ! 

 

「でも見つけたじゃないスか!」真の仲間を! ダイモンはガラス玉めいて煌めく目で頷いた。「見付けはしましたが……」代替品のうどんを。シンヤは困惑した顔を傾げた。「少々足りないんです」配布してたうどん粉では依頼分に不足だ。「そうッスね!」確かに真の仲間も一人だけではパーティに不足だ。

 

「問題はオソバの在処ッス」「それさえ判ればいいんですが、さっぱりです」かみ合っているようでかみ合ってない。でもちょっぴりかみ合っている、綱渡りめいた会話が続く。「そういや、転売屋っぽい……きっと転売屋……絶対転売屋に違いない奴が逃げるのを俺、見たッスよ!」「転売屋ですか?」

 

「転売屋ッス! 脚気予備軍うどん屋とヤクザと一緒に逃げてたから間違いないッス!」確かにあの場には青白い顔の四つ子ヤクザがいた。同じヤクザスーツに身を包み、同じヤクザ柄ネクタイを締め、同じタイミングで痰を吐く。どう考えてもクローンヤクザだ。それが、無料うどん炊き出しの護衛をしてる。

 

違和感がジャーナリストの本能を刺激する。「ダイモン=サン、ドーモ、ナンシーです。その転売屋はどんな格好だったか覚えてますか?」「え、えっと」パンツスーツ越しの豊満がダイモンの本能を刺激する。熱を帯びる腰を引きつつ、ニューロンを刺激して記憶を絞り出す。

 

「なんてか、その、サラリマンぽくなくて……地味でした」「地味、ね。アリガト」人間性を抑圧するネオサイタマではパンキッシュな格好での抵抗自我表現が主流だ。逆に個性排除のカイシャ宗教的統一ユニフォームでパーツ一体感を示す者も多い。そのどちらでもない地味なスタイルを敢えて選ぶ。

 

大通りを歩くニンジャ装束めいた違和感。偽装の臭いが立ち上るようだ。「手がかりですか?」「ジャーナリストの勘がそう囁くのよ」ナンシーの顔に危険な笑みが浮かぶ。シンヤは残りのうどん汁を煽るとPVCお椀をゴミ箱に突っ込む。「なら、探しに行きますか」浮かべる表情は同じ獰猛な色合いだ。

 

しかしそれを見るダイモンの表情はまるで異なる。「ダイモン=サンはどうされます?」「……ンデ」「ダイモン=サン?」「ナンデそんなん食ってんスか!?」怒れる視線の先にはゴミ箱内の合成樹脂ドンブリ。炊き出しで頂いたうどんの器だ。確かにソバシェフの目前で食べるには少々礼を逸している。

 

「あー、これはシツレイでしたね。スミマセン」なのでシンヤは素直に頭を下げた。が、しかし。「この糖尿未病! 信じてたのに! ヒドイ!」ダイモンの怒りは収まる様子を見せない。「うどんにソウルを売ったんスか! ソバへの愛を裏切ったんスか! 真の仲間だったのに!」真の仲間? シンヤはいぶかしんだ。

 

「コーゾ先輩の教え子の癖して、それでもソバシェフの端くれのつもりッスか!?」「いや俺はソバシェフじゃな「言い訳なんて聞きたくないッス! 弁解は罪悪って知らないンスか! 見損なったッス! この二八ソバ! 小麦粉喰い! アメリケン粉!」それは悪態なのか? シンヤはいぶかしんだ。

 

悔しみの涙を滲ませ、怒りで肩を震わせる姿は同胞に裏切られた信者そのもの。しかしシンヤに異教徒扱いされるいわれはない。「もういい! 俺一人で全部やる! 転売屋を殴って、オソバを奪い返して、イチノマタを繁盛させる!」困惑するシンヤにダイモンは指を突きつける。麺棒を握る手に涙がしたたる。

 

「アンタは一人でうどんこねて茹でて啜ってろ! うどん人が!」恐らくは罵詈雑言と思しき台詞を吐き捨てて、ダイモンは路地裏を後にした。「……随分とソバ愛の激しい人ね」「愛が過ぎて憎しみに至ってますよ、あれは」可能な限りナンシーはおくゆかしい言葉を選んだ。シンヤは特に選ばなかった。

 

「それで()()()()()の方はどうしたんですか?」「途中で『まさかソウカイヤでは……?』って一人で調査に行ってしまったわ」これはソウカイヤに違いない。これはソウカイヤの仕業だ! お”の”れ”ソ”ウ”カ”イ”ヤ”!! シンヤの脳裏に三段構文を濁点で叫ぶ赤黒の影が浮かぶ。

 

「ホントにソウカイヤの仕業なんですかねぇ? カネモチの仕業の方がありそうですけど」財力アッピールの為だけに江戸中のソバを買い占めて見せたという『前世』のお江戸カネモチ逸話が思い出される。なお、当のカネモチは放蕩が過ぎて後に没落したそうだ。インガオホー。

 

「なら余計にソウカイヤが首を突っ込むでしょうね」ソバ買い占めには大金が動く。それに札束を積まれても義理人情で首を横に振る問屋もいる。そうなればヤクザの出番だ。さらにソバ不足の狂乱ぶりを鑑みればインサイダーも想像できる。なにせソウカイヤのフロント企業はネコソギ・ファンドなのだ。

 

「ソバが買い占められてもソウカイヤ。マグロが市場から消えてもソウカイヤ。何かあるとソウカイヤ。何処を見てもソウカイヤ……ですか」実際、ラオモト・カンは一部最終章でネオサイタマ市長選に出馬する。下手をすればネオサイタマの顔がソウカイヤになっただろう。裏社会では既にそうだ。

 

「そうならないための私たちよ。とりあえず、その地味な人とやらを探してみましょう」「イエス、カーチャン。電脳戦は疎いんでお願いします」「……その軽口、誰に習ったの?」「元湾岸警備隊の方が同僚でして」渋い顔の白皙が路地裏の闇に溶け、笑う蛇の目が後を追って影に消えた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

地味な格好の男が歩いている。意図的なその姿は無個性を主張して、平凡をアッピールしているのだろう。しかしその行動は背景エキストラには程遠い。視線と首をせわしなく動かし、バイオミケネコの影一つに飛び上がっては後退り。私は怪しいものですと辺りに名刺を配り歩くが如くだ。

 

だから同じく怪しい動きを繰り返す素人でも尾行できてしまう。「ピピーピピー」口笛を吹きつつダイモンは男をやり過ごす。電柱に隠れて首を出す。道の角から片目で覗く。路地裏から睨んで後を追う。自然に、自然に。ナチュラルかつオーガニックな。自分に言い聞かせるが、こちらもあからさまに怪しい。

 

だが自分の怪しさなどには気づいていられない。誤アンブッシュすること4回、官憲に追いかけられること2回、ヤクザ(注:四つ児でない)に銃撃されること1回。その果てに偶然にも闇オソバを高値で売りさばく邪悪な転売屋を殴り倒し、やっとPOPした手がかりなのだ。

 

だからブローカーと思しき男の一挙一動にダイモンは目を凝らす。だから視野の狭まった彼は気づけない。怪しい男を追う怪しいダイモンに迫る怪しい青黒い影に! 「イヤーッ!」「グワーッ!?」影がシャウトを放ち、青黒い風が吹き荒れる! 

 

色付きの風がダイモンを吹き飛ばし、怪しい男の目前で止まった。「ドーモ、”ダークマーケット”です。何かお探しですか? 転売屋のお方」「ニンジャナンデ!? アイェーッ!」怪しい男はNRS(ニンジャリアティショック)に失禁しながら崩れ落ちる。そう、青黒の影は……ニンジャだったのだ! 

 

「ナンデとはナンデ? 貴方はソウカイヤの品を横流したのだ。ニンジャが制裁に来るのは当然です」「アィェェェ……」そして驚くべき事実が明らかになった。やはりオソバ買い占め事件はソウカイヤの仕業だったのだ! おのれソウカイヤ!! 

 

「ではインタビューです」邪悪な喜悦に満ちた声と共に両手に握られるのはマグロ解体用具めいた邪悪な拷問用具! 「オソバの横流し先を全て吐いてもらいましょう」「全部吐きます! だからオタスケ!」「ダメです」即座に白旗を上げた転売屋だが、ダークマーケットは即座に死刑宣告を下す。

 

「ナンデ!?」「ナンデとはナンデ? 貴方はソウカイヤを嘗めたのだ。見せしめに苦しんで死ぬのは当然です」「アィェーッ!」「そして私は拷問が趣味です」「アィェーッ!!」恐るべき宣言に転売屋は更なる絶望の声と尿を漏らす! 気絶を装い息を潜めるダイモンもしめやかに失禁! 

 

アンモニア臭に気付いたのかダークマーケットの残虐な視線がダイモンへと動いた。「ああ、そこの方。貴方も当然インタビューします。そして殺します」「ナンデ!?」「ナンデとはナンデ? 貴方はソウカイヤの名前を知った。二度と口にできないようバイオキンギョの餌にするのは当然です」

 

拷問処刑被害者を増やすために敢えてソウカイヤの名を口にしたのだ。ダークマーケットの拷問の悦びに輝く目がそう告げている。なんたる非道か! しかしカラテ満ちるニンジャを相手に、貧弱なモータルの非難が何の意味を持とうか。暴力をもってニンジャの望み通りの方向へと首を振らされるだけだ。

 

故にニンジャの非道に抗う手段はただ一つ。「イヤーッ!」「グワーッ!?」同じニンジャのカラテあるのみ! ダークマーケットが黒錆色をしたアンブッシュに跳ね飛ぶ! 怪しい男を追う怪しいダイモンを襲う怪しい青黒いニンジャを怪しい黒錆色の影が殴り飛ばしたのだ! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」黒錆色は跳ね飛ぶダークマーケットをカワラ割りパンチで地面に縫い止める! ハヤイ! 「ドーモ、ダークマーケット=サン。ブラックスミスです。貴方にインタビューします。そして当然殺します」マウントポジションからの容赦なきアイサツだ! 

 

イクサに臨むニンジャにとってアイサツは神聖不可侵な行為。マウントポジションを取られててもアイサツは返さねばならぬ。「ド、ドーモ、ブラックスミス=サン。ダークマーケットです。ナンデ!? 私をソウカイヤと知っての狼藉ですか!?」「ナンデとはナンデ? 当然、ソウカイヤと知っての狼藉です」

 

「狂人め! イヤーッ!」ダークマーケットが弓なりに跳ねる! なんたる被マウント姿勢でありながら背筋腹筋を総動員した驚くべきワンインチパンチか! だが、しかし! 「イヤーッ!」「ナニィーッ!?」拳は虚空を打った! ブラックスミスのシルエットが一直線に! 打点を軸に垂直に回避だ! タツジン! 

 

「イヤーッ!」そして重力加速度を得た恐るべき膝蹴りが振り下ろされる! 「アバーッ!」ダークマーケット股間急降下爆砕! 想像を拒否する程の苦痛に泡を吹いて白目を剥く! 「イヤーッ!」その隙に両手両足を異形スリケンが刺し貫き固定する! もはやダークマーケットはまな板の上のウナギに等しい! 

 

「ではインタビューだ」「わ、私は口が堅いです! 何を聞かれても話しません! 交渉がお得ですよ!」「かまわない。アンタの痛覚神経に聞く」両手に握られるは工具と医療器具の混血児めいた異形の拷問器具! 「アィェーッ! アバーッ! アィェバーッ!? アバィェーッ! アィェェェーーーッッッ!!」」」

 

―――

 

「で、そこの廃ソーメン工場が隠れ家兼買い占めソバの保管庫だと」「ハイ、殺さないで」「ダークマーケット=サン以外にニンジャは?」「“イントラレンス”=サンがいます、殺さないで」「能力とかわかるか?」「わかりません、殺さないで」「他に特徴は?」「貴族趣味でした、殺さないで」

 

「名前以外は実質情報なし、か」「ゴメンナサイ、殺さないで」BIFF! BIFF! 不満げに呟くブラックスミスに、更なるドゲザをすべく転売屋は叩頭を繰り返す。うざったそうに片手を振って止めたブラックスミスはダイモンへと向き直った。正体を知らぬが故に表情には恐怖と困惑が混じり合っている。

 

「あー、ソバ探しは止めて店に帰りなさい。貴方がオジャマです」「そ、そういう訳にはいかないッス!」「オジャマです。い い ね ?」「アィェェェ……」ニンジャ圧力で締め上げても、悲鳴こそ上げるものの首を縦に振りはしない。そもそもダークマーケット拷問死爆発四散を目の当たりにしてなおコレだ。

 

いっそ拳骨で頭蓋を上下させるべきか。だが加減には自信がない。実際ダークマーケット=サンを拷問死爆発四散させたのだ。『ダイモン=サンの安全のためにダイモン=サンを殴り殺しました』では、コーゾ先生への言い訳のしようもない。「ウーム」穏便なアイデアを捻り出そうと唸るブラックスミス。

 

それを見つめるダイモンの瞳は、恐怖の中でも見当違いの熱意に赤々と燃え上がっていた。フィクションの筈であったニンジャがこうして現代のネオサイタマに現れ、ソバを求め、探し、独り占め、奪い合っている。つまりオソバとは……! ニンジャとは……! 

 

おお、なんたる神聖にして深遠なる麺類なのか! 何故人はソバを打ち、買い占め、求め、すするのか。何故モリソバとザルソバは違うのか。「そうか、こんなに簡単なことだったんスね……!」ダイモンの脳内におひとり様専用の真実が音を立てて組み上がっていく! 

 

そして、その目には自分が進むべき光輝く私道が映る! 一人プレイの世界観が導くままにダイモンは朗々と唄い上げた。「ソバシェフはソバを打つもの! ソバがないからうどんを打つようではソバシェフじゃあないッス! だから俺はソバを探しに行くッス!」これは格言なのか? ブラックスミスはいぶかしんだ。

 

「何があっても俺は行くッスよ!」ダイモンの目に漏電ネオンサインめいて直視し難い光が弾ける。夏場の室外機より熱い瞳にブラックスミスは胡乱な視線を返した。殴り倒せば殺しかねず、締め上げても断固拒否。縛り上げたらヨタモノの餌食、放置すればソバ十字軍(総勢1名)が殴り込みをかけるだろう。

 

目の届く範囲にいるほうがマシか。「……お好きにどうぞ」「好きにしまッス!」ブラックスミスは長い息を吐くとノタノタ歩き出した。「さぁ! 一緒にソバとイチノマタを救うッス!」駄犬めいて周回軌道するダイモンを意識から追いやる。それには努力を要した。「さぁ! さぁ! さぁ!」極めて要した。

 

【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#2おわり。#3に続く。



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第九話【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#3

【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#3

 

タワラを開ける。ドラム缶に移す。粉を振りかける。ボーで混ぜる。粉を振りかける。ボーで混ぜる。粉を振りかける。ボーで混ぜる。混ぜ終われば巨大な漏斗で、『オソバ粉末』『食用』『栄養充分』などとプリントされた袋に流し入れる。袋には『ヨニゲ・コープ』の印字が施されている。

 

明滅するタングステンボンボリの下、幾人ものヤクザ化学防護スーツ姿が同じ作業をひたすらに繰り返す。防護マスクの窓は熱気で真っ白に曇っているが、汗を拭こうとする者は一人も居ない。その姿にブラックスミスのインセクツ・オーメンがお告げを下した。ろくでもないことが起こっている。

 

それが何かはさっぱり不明だが、クローンヤクザが完全防護で扱う物質だ。肉体的にも倫理的にもよろしいものとは思えない。ヨロシサン謹製のウイルスか、オムラ由来の汚染物質か。何にせよクロスカタナ紋のスノッブ貴族ニンジャ装束が指揮してる時点で、スリーアウトバッターチェンジな代物に違いない。

 

ならば早急に皆殺して、焼却処分なり埋め立て処理なりするべきだろう。ブラックスミスは顔を防護用の布で覆うと、戦列歩兵指揮官めいた趣味の悪いニンジャ装束へと担いだ切っ先を向ける。クナイ・ジャベリンを黒錆の投槍器につがえ、全身を弓と引き絞るその姿は、弓聖チンゼイ・ハチロに例えるべきか。

 

「イィィィ……」一枚板めいた広背筋がニンジャ装束越しに浮かび上がる。平安戦艦すら沈める超常的一射が、今放たれ「ハァックション!」「クセモノダー!」「「「スッゾコラーッ」」」突如響きわたったクシャミの音に、化学防護クローンヤクザはヤクザスラングを叫びチャカ・ガンを引き抜いた。

 

一方、ブラックスミスはシャウトをかみ殺し、発射の衝撃力を寸前に押し留める。カラテ反作用が体内で前後して内臓を前後する。(((バカ! バカ! ウカツ! いっそ殺してでも置いてくべきだった!)))込みあがる吐き気と反動を堪えながら、聞くに耐えない罵声と共に原因を108回ほど脳裏で殴り殺した。

 

音の出所は一つしかない。別の部屋で調査活動をやらせていたダイモンだ。お陰で厳戒態勢に入ったクローンヤクザは作業を中断し、分隊を哨戒に回している。油断ならぬ警戒態勢をとるニンジャも考慮すれば、アンブッシュは実際不可能だ。帰宅後にダイモンはソバと一緒にのしてやる。そう決めた。

 

「フン。田舎ソバが恋しいネズミはアイサツも出来ぬ腰抜けか?」姿を見せぬ敵に罵声を投げつける貴族装束のニンジャ。その目前に黒錆の影が降り立つ。「ソバをかき集めて支配者気取りの下っ端がよく言う。ドーモ、ブラックスミスです」「フン。ドーモ、イントラレンスです。やれ」

 

「「「ザッケンナコラーッ!」」」無数の銃口が黒錆色の影を標準する! だが引き金よりも早く四錐星の殺意が飛んだ! 「イヤーッ!」「「「グワーックション!」」」クローンヤクザ股間及び心臓分断! 当然即死! 「クション?」同時に違和感! 断末魔と……自分の鼻だ! 

 

「イヤーッ!」しかしイントラレンスは悠長に思考する時間を与えない! ライフル射撃めいた直線弾道のエペ突きが迫る! 「イヤーッ!」ブリッジ体勢で回避! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」蹴り上げでマンゴーシュの振り下ろしをはね飛ばす! さらにタイドーバックフリップで距離を取る、取ろうとした。

 

「ヒックション!?」だが痙攣めいた生理反応が回避動作に挿入された。その隙を見逃すイントラレンスではない! 「イヤーッ!」「グワーッ!」エペとマンゴーシュのクロス斬撃! 広背筋にX字が刻まれる! 「イヤーッ!」傷の拡大を無視してブラックスミスはブレイキンめいた回転蹴りで牽制をかける! 

 

「フン」イントラレンスは深追いせずにバックフリップで距離を取った。その間に体勢を整えるブラックスミス。追加の黒錆布で更に顔を覆うものの、鼻腔を燃える羽毛で撫でるが如き掻痒感は収まる様子を見せない。「ヌゥーッ……!」それどころか焦熱めいた感覚は眼球と口内にまで領土を広げつつある。

 

「フン。焼けるように苦しいか? 爪を立てて掻きむしりたいか?」ユーロ・イアイドの双剣が嘲笑めいて舞う。カラテに満ちた流麗な演舞は確かな実力と傲慢をアッピールしている。「洟と涎と涙をまき散らしてブザマに死ぬがいい。フン。ラオモト=サンに楯突く汚らわしいネズミは洟と涎と涙に塗れてブザマに死ぬのだ。あのようにな」

 

「ヴェックション! 「テメッコラーッ!」グワーックション!」エペの切っ先で指し示す先には洟と涎と涙ににまみれたダイモンの姿が! 化学防護服クローンヤクザに尻を蹴り飛ばされて洟と涎と涙をまき散らしている! 「フン。あれが貴様の次の姿だ。苦しみ抜いて死ね。当然、カイシャクはなしだ」

 

あの調子ではダイモンもそう長く持たないだろう。しかし助けるにせよ情報が不足だ。「クシャミ一つで……よくぞふんぞり……返ったもんだな。異物……混入をそれだけ誇れ……るんだ。スシ工場の品質……係へ転職を……勧めるぞ」生理反応を堪えるブラックスミスはコトダマを投げつけて相手の反応に耳を澄ます。

 

「フン。目の腐ったネズミにはラオモト=サンの壮大な計画を想像もできないのは当然だな」「買い占め……と毒物汚染のインサイダー……取引か。ずいぶんと……チッポケな……『壮大な……計画』な……ことで」会話中も黒錆の布を新陳代謝させ、流れ出る体液と共に少しでも付着物を排出する。

 

「ネズミと等しき貴様如きには到底見えぬ光景が、イーグルめいて天を行くラオモト=サンの目には映っている」エペの切っ先が天井を、その先の天上を指し示す。「インサイダーなぞプランの一片にすぎぬ。目的はソバ業界の支配ですらない。ラオモト=サンは神話めいた破壊と創造を成し遂げるのだ」

 

ソバに混ぜ込んでいた黒い粉をイントラレンスは愛おしそうに手にこぼす。「このアレルゲン強化バイオソバと、この私の献身によってな!」人様の台詞だが、だいたいわかった。つまりこうだ。

 

買い占めで極限まで需要を高めた上で、アレルゲン混入ソバを大量放出。全ネオサイタマ規模のソバアレルギー反応を引き起こす。それによりソバ文化は失墜し、ソバ市場が崩壊。そして老舗もベンチャーも壊滅した焼け野原に、救世主顔のラオモトが現れてクロスカタナ印のうどん市場に上書きする訳だ。

 

ナムアミダブツ! なんたるマッチポンプすら超越したネオサイタマ炎上からの国家簒奪めいた冷酷なる暗黒バイオテロ計画経済か! もしこれが実行に移されれば、ネオサイタマ中が洟と涎と涙の飛び交うマッポーの現出となり果てるに違いない! ブッダよ、どうか今一度目を開きたまえ! 

 

しかしブッダは永劫の眠りに浸ったままだ。ならばカラテで外道ニンジャ共も永劫の眠りに叩き込んでやるほかに無し! 浅い呼吸でアレルギー反射を堪えながら、ブラックスミスは静かに拳を握りしめ、獰猛な笑みを浮かべる。「フフフ……」「何がおかしい?」

 

「お前等が……おかしいのさ。冗句……未満の笑えない計画を……託宣めいて……あがめてるんだ……からな」「貴様如きがラオモト=サンの偉大なプランを笑うか」「そりゃ、嗤う……だろ?」ZINK! 床を削ったエペの切っ先が火花の弧を描く。

 

「鼻汁を堪えながら長口上、ご苦労だった。もう喋らなくていいぞ、永遠にな! イヤーッ!」「イヤーッ!」鉄の旋風めいた回転斬撃! 赤銅のガントレットが独楽を滑らすかのように受け流す! 「イヤーッ……クション!」「イヤーッ!」だが、アレルギー反応が反撃を遮る! その合間に更なる旋回斬りだ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」イントラレンスのスピン運動が止まらぬ! 長大なエペの間合いは惨殺暴風域と化した! 「アバーックション!」巻き込まれたクローンヤクザは一瞬でナマスめいて寸断! 「ヌゥーッ!」ブラックスミスはバイオタートルめいてガントレットの甲羅に籠もり耐える! 

 

状況はジリープアー(徐々に不利)だ。このままでは負けを待っての犬死にか!? だがバイオ汚染環境生物学者ならば知っていよう。バイオタートルが殺人マグロに等しい恐るべき捕食者であることを! そして、それに例えられるブラックスミスがいかに恐るべきニンジャであるかを! 今、知ることになる! 

 

「イヤーッ!」ブラックスミスはインファイトボクサーめいた体勢で息を止めて斬撃竜巻の中へと突っ込んだ! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」肩が! 脇腹が! 太股が刻まれる! だが浅い! そうタイフーンの中心は常に無風だ! 十二分のトルクなくしてはエペの斬撃も恐れるに足らず! 

 

「イヤーッ!」故に危険を承知で更に踏み込む! 「ヌゥーッ!」イントラレンスのニンジャ第六感が致死の未来に警鐘を鳴らす! だが回転は急に止まれない! 即座にマンゴーシュを構えて斬殺半径を圧縮にかかる! が、時既に遅し! 「イヤーッ!」密着状態! 顔が近い! これはブラックスミスの間合いだ! 

 

今や死中に身を投じた筈のブラックスミスが最も勝利に近い。この光景にはミヤモトマサシのコトワザ『死人だから生きる』を思い出さずにはいられない。しかし武田信玄はこのコトワザにこう続けている。『死人はたいてい死んでる』。そう、承知しているとはいえ、危険は危険なのだ! 

 

「イヤーックション!?」「イヤーッ!」だから瞬きの遅れで勝敗はぐるりと変わる! 生理反応が産んだ隙はマンゴーシュに致命速度域への加速を許した! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーックション!」最早ブラックスミスはロクロ上の木材に等しい! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーックション!」肩が! 脇腹が! 太股が削られる! その上深い! そう、トルネードの回転半径では木片すら鉛玉以上の脅威! 十二分の回転速度があればマンゴーシュ一つでニンジャすらぶつ切りとなる! 

 

ブラックスミスはこのままナマスめいて寸断され、床にぶちまけられるのか!? 否! 1200RPMの刃旋風の最中でもその目が怯むことはない! 「イヤーッ!」「ヌゥーッ! イヤーックション!」覚悟の一射! 無数の斬撃に切り裂かれながらも、その手からトマホークめいた異形のスリケンが飛んだ! 

 

「フン! 無駄な!」ALAS! だがしかし! アレルギー反応はその射線を大きくずらした! スリケン・トマホークはイントラレンスを掠めることすらなく、汚染培養液で濁った徳用バイオキンギョ水槽に空しく突き刺さるのであった! 

 

絶望故かついに膝を突くブラックスミス。水槽から溢れる濃茶めいた粘液がその足下を濡らす。「ヒックショ! ヒック! ヒッ……!」破滅的アレルギー反応は遂に呼吸器官までその魔手を伸ばす。これで終わりか? これで終わりなのか!? 「終わりだな。フン、イモムシめいて這いずりながら死ぬがいい」

 

「さ……て、ど……う……かな……?」それでもブラックスミスは太々しく笑う。ニンジャ第六感がイントラレンスの耳元に囁いた。振り向く先には、一面を亀裂の白で染めた徳用バイオキンギョ水槽。CRASH! 破裂音と共に次々と巨大ネオンキンギョが飛び出す! 

 

金、赤、黒! 金、赤、黒! 金、赤黒……赤黒!? 「イヤーッ!」そう赤黒! ネオンキンギョにサーフして、我らが殺戮者のエントリーだ!! 「イヤーッ!」「「「アバーックション!」」」キンギョライドからのヤブサメめいたスリケンが防護服クローンヤクザを射殺! 暴力的アレルギーで斬殺と同時に窒息死! 

 

「ドーモ、初めまして。”ニンジャスレイヤー”です。なるほど、イヤーッ!」赤黒の影はアイサツ後0コンマでヘルタツマキめいて高速回転! 血色の旋風に汚濁培養液がスクリューポンプめいて巻き上げられる! そう、浮遊塵の防除には湿度が一番! 防護服クローンヤクザとの窒息死から状況判断だ! ハヤイ! 

 

「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。イントラレンスです」アイサツ後コンマ3秒でエペが空を刻んだ! ハヤイ! 「狩人気取りの狂人めが! 貴様は火に飛び込むモスキートよ! イヤーッ!」更にエペの切っ先はバイオソバ混入穀物袋を刻む! 有毒スモッグめいて粉塵が立ち上る! 

 

床にまき散らされた汚染培養液は有限だが、空間にまき散らされるバイオソバ粉塵は増え続ける一方! 圧倒的に散布水分量が足らぬ! すべてソバ粉末に吸水されてジリープアー(徐々に不利)だ! 「イヤーッ!」「ヌゥーッ!?」故にそれを止める必要がある! 赤銅の拳がイントラレンスを弾き飛ばす! 

 

「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。ブラックスミスです」それは汚染廃水も滴る黒錆ニンジャ。僅かな隙をつき、たっぷりと汚濁バイオ溶液を染み込ませた黒錆布で顔を拭って覆ったのだ! 顔面周辺の湿度は100%超! 鼻の奥をカラテパンチされる芳しいかほりでアレルギー反応も一時停止だ! 

 

臭い。ヌルつく。臭い。粘つく。臭い。息苦しい。臭い。痒い。臭い。全部こいつのせいだ、殺す。ブラックスミスの憎悪のカラテは八つ当たりで加速する! 「汚染バイオ廃液で顔を洗っていい気分だよ。お礼にそいつで溺死させてやる! イヤーッ!」「ならば貴様の死に水もそれとするがいい! イヤーッ!」

 

「イヤーッ!」更にニンジャスレイヤーから遠心加速スリケンの援護射撃だ! これにはイントラレンスもバイオサボテンめいた針山死体となるか!? 「イヤーッ!」ならぬ! 擲弾兵めいた羽根飾りが渦を巻き、スリケンの編隊を尽く弾き飛ばす! シックスゲイツに数えられるその実力は伊達ではない! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」飛び来たるスリケンを弾き、赤銅色の猛攻を捌き、バイオソバ混入穀物袋を刻む! 何たる歯車演算機関めいた高速回転によるイクサのマルチタスクか! タツジン! 

 

しかし流石のイントラレンスも二忍の怒濤めいた波状攻撃を前にしては全身全霊でしのぐが限界だ。だが時間は彼に味方する。汚染培養液がソバ粉に吸われ、乾ききる時を待てばよし。アレルゲン汚染空間という必殺のフーリンカザンを以てすればあのニンジャスレイヤーもたわいなし! 

 

「フン! これから貧乏人の薄汚い田舎ソバが滅び、ラオモト=サン創設の純白なうどん文明が始まるのだ! 洟と涎と涙に溺れて死ね! ニンジャスレイヤー=サン! ブラックスミス=サン!」『沢山準備したら勝つ』武田信玄は兵法書にそう書き残した。ならば、これはイントラレンスの準備故の勝利と言えよう。

 

そして、ミヤモト・マサシはこうコトワザを詠んだ。『勝ってメンポを確かめよ』ならば、これはイントラレンスのウカツ故の敗北と言えよう。BLAM! 「フン?」肌に感じる凍える冬の冷気、舌を刺す汚染廃液のすえた酸味。「フックション!?」それと……鼻の奥をくすぐるアレルギーの生理反応! 

 

何が起きた!? 「ヴァックション! ……ソバ……ヴィックション! ……食いねぇ……ヴェックション!」答えはクシャミ痙攣するダイモンの手からこぼれるチャカ・ガンの硝煙が告げていた。そう、ブラックスミスのように汚染廃液で顔を洗ったダイモンが、落ちていた拳銃でイントレンスを狙い撃ったのだ! 

 

(((ソバ? 死!? 塞!)))燃えさかる羽毛の感触、重度火傷めいた掻痒感。死の予感が亀裂から忍び込む! 洟と涙と涎にまみれたブザマに過ぎる死に様が脳裏に浮かぶ! それはブッダデーモンの気まぐれか。まともに狙いも定まらぬ素人の鉛弾は、ガスマスクメンポとヘイキンテキに致命的亀裂を走らせたのだ! 

 

そして、脳裏の光景は現実の質量を帯びた! 「イヤーッ!」「グワーッ!」すなわち赤銅色のガントレット! 「イヤーッ!」「グワーッ!」エペを振るうより早く左拳が突き刺さる! 「イヤーッ!」「グワーッ!」マンゴーシュで防ぐより早く右拳が突き刺さる! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」慈悲なき恐怖がイントラレンスのカラテを縛り上げている! 容赦なきカラテがイントラレンスの内臓と横隔膜を前後して上下する! これは死ぬ!? 実際死ぬ! 

 

「イヤーッ!」「イ、イヤーッ!」生存本能が引き出したカジバ・フォースがモツ・ミンチ寸前でイントラレンスを生かした。いや、生かしたのではない。それはブッダデーモンの気まぐれか。折れた双剣を震えて構えるイントラレンスの背後に、事前予約済みジゴク直行便めいて赤黒い死が渦巻いていた。

 

「息苦しいか? ならば胸一杯に吸うがいい。オヌシがまき散らした汚染ソバ粉たっぷりの空気をな! イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの左手がガスマスクメンポを砕く! 「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの右手が横隔膜を打ち据える! 

 

「スゥー……ハァックション!」イントラレンスは反射呼吸! そして生理反応クシャミ! 「ヒィックション! フゥックション! ヘェックション! ホォックション!」アレルギー反応が止まらぬ! 「グワーックション! オボーックション! アバーックション!」洟と涙と涎にまみれてブザマにのたうち回る! 

 

ピンボールめいて転げ回るイントラレンスは必然的に衝突する。そう、自らが刻んだバイオソバ汚染済みのソバ粉袋に! こぼれたソバ粉はイントラレンスの顔面を埋めた! 「アバックション! アバッ! アバ……ッ!」洟と涙と涎にまみれた顔にべったりとソバ粉が張り付く! 

 

彼の抗原反応は慈悲なくその仕事を果たした。「……ッッ!! ……ッ! ……!」首をもがれたイモムシめいて手足が上下し、シャクトリムシめいて腰が前後する。過剰ゼンマイ人形めいた痙攣動作は程なくして止まった。断末魔も爆発四散もなく、イントラレンスのブザマに過ぎる死体だけがそこに残っていた。

 

【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#3おわり。#4に続く。



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第九話【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#4

【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】#4

 

結論から言おう。ソウカイヤの計画は無に帰した。ハッピーエンドである。

 

買い占めソバ粉のバイオアレルゲン汚染が匿名の告発によって発覚し、管理していたヨニゲ・コーポの株価は暴落。責任をとって幹部はセプクし、国外逃亡を試みた社長は射殺された。出資者のネコソギ・ファンドは、ラオモトCEOの威厳あふれる義憤アッピールで株価を10%上昇させた。

 

市場ソバ価格も株価同様に急落すると思われたが、心あるカネモチにより買い支えられ、ソフトランディングに成功した。ちなみに心あるカネモチは全くもって善意の篤志であり、IRC上に流れる「トコロテン詐欺に融資」「うどん教団違法接待」「女装男児略取誘拐」等の悪評は事実無根であるとの噂だ。

 

あの後、フジキド=サンはニンジャの首を持って直ぐに去った。シャチホコガーゴイルの口に生首がまた二つ増えるのだろう。ナンシー=サンはソウカイヤの尻尾こそ掴めなかったが、また一つ武器を手に入れたと力強く語っていた。その豊満は大きく揺れていたが、自分の鼻の下は伸びてなかったと信じたい。

 

ちなみにダイモン=サンは病院に放り込んだ。予定通りに伸してやろうとも思ったが、イントラレンス=サンへの一撃の恩がある。それにアレルギー反応で一本釣り立て新鮮マグロめいて海老反り痙攣運動してる様を見たら殴る気が失せた。多分、死んではないと思う。

 

かくしてソウカイヤの野望は打ち砕かれ、ネオサイタマには例年通りに蕎麦が出回り、イチノマタにもトモダチ園にもオソバがやってきた。つまりはハッピーエンドだ。

 

そう、ハッピーエンドだ。これでエンドなのだ。「ズルーッ! ズゾーッ! ……ウープス……ズズッ! ……ウッ…………「シンヤ兄ちゃん!」「兄ちゃん!」…………ズルルーッ!」子供たちの声援を背中に受けて、最後の一本がソバツユから口の中へと吸い込まれていく。長い長い戦いが今、終わろうとしていた。

 

「スゴイ!」「ワォ、ゼン……!」こみ上げる感情に口を押さえ、感動の涙を滲ませる子供たち。シンヤもまたこみ上げるソバに口を押さえ、生理反応の涙を滲ませる。皿の上にはソバの一切れも残っていない。長く苦しい戦いだった。脳裏にジゴクめいた記憶が蘇る。

 

一皿目、目前の皿に築かれたオソバ山脈に恐怖を覚えた。二皿目、俺はソバ処理装置なのだと自己催眠をかけた。三皿目、ソバの味がゲシュタルト崩壊を起こした。四皿目、キヨミからセプクを求められているのかと本気で思案した。五皿目、生命の危機にニンジャアドレナリンが過剰放出した。

 

そして今、最後の六皿目を終え、全てのソバを消費し尽くした。「あら、シンちゃん。オソバを一人で全部食べちゃうなんて、よっぽどお腹空いてたのね」全ての表情がソバに埋め尽くされた能面顔を、満面の笑みを咲かせるキヨミに向ける。ソバを茹でる喜びに満ちたキヨミが気づいた様子はない。

 

「でも、皆のオソバを取っちゃうのはよくな……「いいんだよ! キヨミ姉ちゃん! これでよかったんだよ!」……それならいいんだけど」子供たちはシンヤを庇った。シンヤが子供たちをオソバから庇ったからだ。彼らのオソバを買ってきたスシと交換し、ただ一人でオソバの大軍勢に立ち向かったのだ。

 

「ちょっと風に……ウプッ……当たってくる……」感覚は眼球までソバが詰まってると訴えている。たぶん事実だろう。枯山水が凍り付いた庭園に出ると、肌を切る12月の風が吹き付けてくる。「ハァーッ、ハァーッ」明日だ。明日、必ず言おう。もうオソバは止めよう、スシにしようってキヨ姉に言うんだ。

 

「スゥーッ、ハァーッ」決して果たされない誓いを胸に刻み、オソバで溺れそうな肺一杯にイオン臭い空気を吸い込む。肺胞が凍傷しそうな冷たさがとても心地いい。「スゥーッ! ハァーッ!」ニンジャ代謝力がソバの占める割合を徐々に減らしていく。この分なら眠れない夜を過ごさずに済みそうだ。

 

「ドーモ! 夜分遅くシツレイしまッス!」その耳に先日に聞き覚えた声が届いた。ダイモンだ。「ハイ、なんでしょう」「ドーモ、カナコ=サン! 先日はシツレイしましたッス!」「ドーモ、ダイモン=サン。仰る通りですね」それにしても、こんな夜更けに荷物を大八車に引いて何の用件だろうか。

 

「今日はコーゾ=サンからのお礼を届けに来たッス!」「おお、アリガトゴザイマス!」シンヤの顔がほころんだ。流石はコーゾ先生、なんとも嬉しい。依頼報酬は受け取った筈だが、個人的な心遣いという奴だろう。実に機微を弁えている。こういう大人になりたいものだ。

 

「中身は何ですか?」「当然、オソバッス!」「お帰りはあちらです」「それも石川県産の100%ソバ粉ッス!」「お引き取り願えますか?」「しかも家族全員一年分ッス!」「今すぐ帰れ。持って帰れ」「ナンデ!? オソバなんスよ!?」「オソバだからだよ! ソバは間に合ってます!」

 

帰れ帰らぬと押し問答する声を聞きつけたのか、キヨミの足音が近づいてきた。「シンちゃん、どなたかいらしてるの?」「ドーモ! 俺はダイモ「誰も来てないよ!」「でも声が聞こえたんだけど」「ナンデ邪魔「誰もいないよ!」「じゃあ今の声は?」「アイサツを「誰でもないよ!」ウッ……!?」

 

「ホントに誰もいないのね?」「ホントに誰もいないんだ! だから片づけよろしくね!」「うん、判ったわ」いぶかしみながらも足音が立ち去っていく。シンヤの口から安堵の息が漏れる。残る問題は二つ。大八車のソバ粉俵と……ピクリとも動かないダイモン。手加減はやはり苦手だ。生きているといいな。

 

(((急いでご近所に配って、残りは炊き出し用に保存。ダイモン=サンは……オールド東京湾でいいかな)))冗談半分、つまり半分本気な思考を回しながらシンヤは大八車を引き始めた。急げ、急ぐのだ! キヨミが不在に気づくまでそう時間はない! 「イヤーッ!」今はただ配れ! 配れカナコ・シンヤ! 

 

【オソバ・ラプソディ・イン・ミソカ】おわり



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第十話【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#1

新ヒロイン登場!

特に関係はありませんが、作者は幼馴染ヒロインが大好きです。


【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#1

 

「ピーゥ!」誰かが口笛を鳴らした。道行く人を掠めてモノクロームの刃が歩き去る。通りすがる人々は木枯しに吹きつけられたかのように、身を斬りつける冬風めいたその後ろ姿を無意識に追った。

 

重金属酸性雨色の半透明ヘッドフォンを一番上に、12月の雪めいた灰のダウンが続く。膨らんだ上半身のシルエットに対し、下半身はヤスリがけの鋭利な細身。オブシディアンなパンツルックに、大きな白スニーカーで不安定を補う。襟元から覗く肌も透き通る白で、オサゲ・テールに束ねた髪も濡羽の黒。

 

硬質に削り出された顔立ちは触れれば切れる美しさで、表情はシャープな敵意を刻んでいる。ユーレイゴスの内向きな惰弱も、アンタイブディストの攻撃的な粗雑もない。色彩全てを置き去りにした、孤高の黒と峻烈の白。誰もが知らずに距離を置き、誰もが思わず目を離せない。まるでカタナのエッジだ。

 

無彩の原色に満ちたこの街では、息飲むほどに鮮やかなモノクロ。だからこそ下卑た欲望が真っ先に引き寄せられる。「ヘイヘイ! キマッテンジャン彼女ォ!」「マブだね! アソボ! ネ!」余人を寄せ付けぬ霊山の神獣を狙うのは、遊び半分の狩人気取りと相場が決まっている。

 

「帰って」一暼すらせず、一言で斬って捨てる。スタイルのみならず返事のセリフまで切れ味鋭い。「ンなこと言わずにサァ!」「こんなマブほっとけないジャン、ネ!」しかしよく切れる刃物ほど痛みは少ないものだ。ナンパ男達にはまるで堪えていない。

 

「お呼びじゃない、帰れって言ったの。聞こえてない?」「キミの声に聴き惚れちゃったからヨォ!」「聞いてるネ! でも聞きたくないネ!」「あらそう。でも私、耳の穴が塞がっている人間もどきを相手したくないの」

 

『ノレン押す』『オミソに釘打つ』無味に等しい塩味対応に、一人が大声を上げて凄み出した。「アッコラーッ!? ザッケンナコラーッ!? 強制前後スッゾコラーッ!?」「コイツキレやすいんだよ? アブナイからさ、とりあえず話聞いてよ! ネ!」

 

変種の良い警官・悪い警官メソッドか。願望ダダ漏れの悪意で脅しつけ、欲望見え見えの善意で搦めとりにかかる。器の底が見える手口だが、気の弱いオボコなら恐怖と勢いで押し切られるだろう。

 

しかし彼女の切れ味は口先だけではないようだ。「サヨナラ」カミソリめいた侮蔑の一瞥をくれると、そのまま二人を置き去りにする。「ナマッコラーッ!! テメッコラーッ!! ソマシャッテコラーッ!!」ヤクザスラングが一オクターブ上がった。先と違い本気の感情が含まれている。

 

「離してもらえる?」「ブッナグッゾコラーッ!!」彼女の肩を掴む手からもそれが判る。伝わる痛みに初めて侮蔑以外の表情が浮かぶ。怒りだ。「なら自主的に離させてあげる……!」「グワーッ!?」ナンパ男の小指が反り返った。

 

自主的に自分を指差す小指を抱えて後ずさる罵声ナンパ男。「ザッケンナコラーッ!」相棒の苦境に義侠心が奮い立ったのか、或いは女にコケにされたと安いメンツに火がついたのか。もう一人が伸縮ジュッテを振りかざした。鋭い刃ほど脆いもの。彼女の首など一撃で折れるに違いない。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」無論、当たればの話だが。彼女の腰が跳ねると甘口ナンパ男は空中で踊った。これはジュドーの代名詞『イポン背負い』だ! 「アバッ……」そしてストリートファイト格言に曰く『路上でジュドーはマジヤバイ』

 

重力加速度でコンクリートに叩きつけられ、甘口ナンパ男はまともに呼吸も出来ない。「ザッ、ザッケ……」「まだやる?」相方の無惨な様に罵声も喉から出てこれない。「お、覚えてろ!」トラディショナルな捨て台詞だけを残して、罵声ナンパ男は相方引き摺り逃げ去った。

 

「ワォ! 涼し!」「いいね!」「ピーゥ!」ナードやマケグミ、ギーク達から次々と投げかけられる賞賛の声。肩で風切るスカしナンパ野郎が美少女にノックアウトされる様は余程彼らの溜飲を下げたに違いない。声を上げる顔はどれもスカッと爽やか&ザマミロなルサンチマン解放感に満ちてる。

 

そのことごくに侮蔑の視線だけを投げ返すと、彼女は足早にその場を立ち去った。ベタつくナンパ男も、上っ面の称賛も、振るった暴力も、重金属雲で常に濁った空も、目を潰しそうなネオンサインも、再翻訳じみて奇妙な日本語看板も、いつも通り何もかもが疳に障る。

 

だから、いつものようにヘッドホンで耳を塞いで瞼を閉じた。たった一曲しか入ってない携帯オーディオプレーヤー。ボリュームダイアルをMAXに回して、再生ボタンを押し込む。途端に頭蓋骨を内側から揺さぶる重低音が鼓膜に叩けつけられる。

 

『死んじまえ! 死んじまえ! 皆、死んじまえばいいんだ! アーッ!? 死んじまえ! 死んじまえ! 皆、死んじまえばいいんだ! アーッ!? 死んじまえ!! 死んじまえ!! ア”ーッ!! 死んじまえ!! 死んじまえ!! ア”ーッ!! 死んじまえ!! 死んじまえ!! 死んじまえ!! 死んじまえッ!! ア”ーーーッッッ!!』

 

無数に現れたアベ一休コピーの一つ「Q-相図(ナインフェイズ)」、唯一のメジャーシングル『死んじまえ』。フォローバンドの例に漏れず、オリコンランキングの端にも乗らず、この一曲だけで彼らは解散した。音楽というには余りに稚拙で盲目的な叫びだ。売れなかったのもよくわかる。

 

だが彼女はこの無方向性の憎悪が堪らなく好きだった。何もかもが憎いこの街で、万人万象全方位に向けたこの怒りだけが、ただ一つ共感できたものだったからだ。

 

『若えの年寄り、ガキにオッサン! 金持ち貧民、カチグミマケグミ! テメェにオレも、誰も彼も! 死んじまえ! 死んじまえ! 皆、死んじまえばいいんだッ! アーッ!?』「死んじゃえば、死んじゃえば、みんな、死んじゃえばいいんだ……」

 

呟くように口ずさむ。唱えるように歌詞をなぞる。呪うようにリズムを取る。怨念の共感で満ちるこの感覚。世界を切り捨てて憎悪に耽溺する悦び。憎い憎い万物全てから切り離される一時。

 

だから歩行者と併走する異様なハイエースに気づかない。だからスモークガラス越しに向けられる粘ついた視線に気づけない。「!?」だから開いたドアから伸びる手に気づくのが遅れた。

 

いくつもの手が道連れを求める死者めいて、目を覆い、口を塞ぎ、腕を押さえ、車内へと引き摺り込む。「……ンァッ!」「グワッ!?」咄嗟に動いた顎が、口を塞ぐ手に歯を立てる。目を覆う掌がズレて薄暗い車内が目に入った。

 

「テメッコラーッ……」原色のストリートファッションに身を包んだ男が、獲物に文字通り噛み付かれ、優越感反転の憤怒に身を焦がしている。「アハハ! ザマないねー!」それをゲラゲラと嘲笑う作業服ツナギ姿は、違法糖類常用者特有の乱杭虫歯だ。

 

他にもシントーパンクスやらアンタイブディスト入墨やら、見た目だけでも真っ当な人生から程遠い人間ばかり。「!!」そして、その足元にはダクトテープとインシュロックで縛り上げられた何人もの女性が転がされている。解体と調理の時を待つだけのマグロの群れ。まるでツキジだ。

 

「このアマッ!」「ンァーッ!?」手慣れた動きでストリートファッションが違法改造スタン・ジュッテを彼女に押し付ける。ブラックベルト級ジュドーのワザマエでも身動き取れない車内では防ぎようはなかった。絶望感を感じるヒマもなく、彼女の意識は途絶えた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ンッ……」初めは暗闇だった。続いて痛みと痺れが肉体の輪郭を示した。甘味と腐臭の入り混じった素晴らしい臭いが、薄ぼんやりとした意識を叩き起こした。そして音が耳に入ってくる。

 

「ヤメテ……ヤメテ……」「痛ぃ、痛いよぉ……」弱々しく力無い女性の声。「ヒャッハー! いいね! いいね!」「ナメッテンカコラーッ! もっと腰振れオラーッ!」興奮しきった凶暴な男たちの声。BAM! BAM! BIF! BASH! そして音源を想像したくない水っぽい物音。

 

どれもこれもタノシイとは欠片も思えない。最後に随分と遅れて、暗闇に順応した眼球が網膜に光景を投影した。それはマッポーと畜生道をコンクリートミキサーにかけてぶちまけた、悪夢そのものの光景だった。

 

下半身丸出しでクラック・カルメにかぶりついては濃縮バリキで流し込むネオンタトゥーの男。その足元ではやや虚ろな目をした女性が、白く粘つくナニカを吐き戻して痙攣している。

 

片隅では嫌がる少女を殴りつけ、パンクファッション達が危険ラムネとシャカリキのカクテルを流し込む。血圧と血糖の過剰上昇でニューロンが誤作動を起こしたらしく、激しくえづきながら失禁する少女を、男達が指差して嘲笑いながら蹴りつける。

 

逆さトリイと割れ法輪を背中に刻んだ男は、瞳孔の開いた目で違法コリ・キャンディを刻んでは煮詰めている。その蒸気を肺いっぱいに吸い込んでケラケラ笑う少女の内肘は、蜂の巣めいた注射痕で青黒く変色していた。

 

ALAS! これほどの悪徳と悪意が現実に許されるのか!? おお、ブッダ! 何故貴方は目を閉じて……否、この光景を目の当たりにすれば、ブッダが目を閉じ顔を背けるのも納得できよう。これはジゴクですらない。それ以下だ! おお、ナムアミダブツ! ナムアミダブツ! 

 

「……ッ!」アビ・インフェルノを無理矢理一室に詰め込んだかの如き風景に、思わず息を飲む。途端に獣臭と汚臭の芳しいカクテルが鼻腔へと忍び込んだ。「ゲフッ! オゴッ!」吐き気と共に女性として有るまじき声が漏れる。

 

「ん、起きた?」「ポイネー」彼女のえづく音に享楽に耽っていたジャンキーたちが濁った目を向けた。「アレ、ちょっと足りなくない?」「俺は平坦いけるぜ」「それに彼女カワイイじゃん。アリアリのアリよ」サイバネアイから注がれる下卑た視線が柔肌に突き刺さる。

 

意識を失っている間に服を奪われたのか、スポーティな白黒下着しか身にまとっていない。「ッ!」反射的に身を庇おうとする。庇えない。両腕も両足も結束バンドで固定されている。至る所で振る舞われる暴力と薬物に意識を奪われていたが、どうやら自分も次の被害者に予約されているらしい。

 

彼女の財布を漁っていたパンクスが耳障りな嬌声を上げた。「ハーイ、注目! お・な・ま・え・は……”ウトー・ユウ”ちゃん! マリエ・トモエ学園の二年生でーす!」「ワォ! マリトモのお嬢じゃん!」「スッゲ!」今や情報も肉体も外道どもの良いように丸裸だ。恐怖で歯が鳴り、怒りで歯噛みする。

 

その表情は同情の代わりに、悪漢どもの嗜虐心を二乗で刺激した。「ねーねー、この子ボスに上げるの止めよ! ヤっちゃおよ! ね!」「報告一人減らせばいいじゃん! わかりゃしないぜ!」「お前あったまイー!」自分の立場は献上品から摘み食いに変更。どちらがマシか。どちらもクソだ。

 

ユウは漏れる恐怖の声を噛み殺し、必死に歯を食いしばる。近づく汚らしい笑みを睨みつけ、近寄る汚れた手を拒む。突如この世に突き落とされ、愛しいモノ全て奪われた。それでも生きてきた。憎みながら恨みながら、のたうち回って生きてきた。その挙げ句の果てがコレ。生きジゴクの底で一巻の終わり。

 

何故、私はこんな目に遭うの? 何故、私はこんな所に居るの? ナンデ? 誰のせい? 誰の? 『私のせいですね! ゴメンナサイ!』記憶にない、しかし聞き覚えのある電子合成めいた声。(((お前が!? お前か! お前のせいか!!)))蓄え続けた憎悪に火が点いた。燃え上がる怨念で腹の底が煮えたぎる。

 

ドッ! ドッ! ドッ! ドッ! レシプロ機関めいて心臓が炸裂と収束を繰り返す。毛細血管に過剰な血が注がれて、視界全てが赤に染まる。染まらない蛍光緑の幻覚が浮き上がる。『お詫びにステキなパワを与えましょう!』緑一色に塗り潰された影絵の中、虚で描かれた三目と口がピエロの笑みを浮かべている。

 

詫びと言うコトダマからほど遠い表情で、落書きが鉄骨剥き出しの天井を指さす。『アナタが求めれば今すぐにでも!』見えないはずの曇天の向こうで、黄金の立方体がゆっくりと回っている。そこに力がある。アレがあるから、アレさえあれば。憎みながら夢見てきた。怨みながら請い願った。

 

今ならアレに手が届く。一切の確証なき、しかし絶対の確信があった。『貴女がヒロイン! 貴女が主役! 誰も止められない!』それを知る影は唄う。目に痛々しいライムグリーンが手を叩いて囃し立てる。『欲望のままに全部貪りましょう! 快楽のままに全部忘れましょう! 憤怒のままに全部憎みましょう!』

 

『皆が憎いでしょう? 周りが嫌いでしょう? 世界が恨めしいでしょう?』言うまでもない。ずっと憎んで、嫌って、恨んできた。父親気取り、自称母親、突然湧いた妹、友達と名乗る付着物。気違った倫理、勘違った文化、間違った月。ドクロの月。憎い……憎い! 嫌い! 恨めしい! 

 

『さぁ、アナタに相応しいソウルを呼ぶのです! そして相応しい名前で呼んであげましょう!』躊躇いなんか無い。躊躇う理由も無い。憎たらしい全てを踏みにじる期待に嗤いが溢れる。幻覚と同じ表情を浮かべて、ユウは肺一杯に淀んだ空気を吸う。来い、来い、来い! 

 

「来「イヤーッ!」KABOOM!! 

 

だがその声は自分の耳にすら届かずに掻き消された。予約済みのジゴクも、予定通りの末路も、確信してた期待も、何もかも吹き飛ばして鋼鉄のフスマが水平に飛んだ。誰もが爆音めいた轟音を立てて跳ね踊る鉄板を目で追った。次いでその出どころへと視線を向ける。

 

見つめる先には蛍光ボンボリの逆光に佇む、墨で塗り潰した影法師。「な、ナニサマダッテンダコラーッ!」遅まきながら反応したヤンキージャンキーが照明のスイッチを入れる。慈悲深くジゴクを隠していた闇が剥ぎ取られた。だが人影は黒錆の影のまま。まるでシルエットが闇全てを飲み干したかのよう。

 

烏羽色のジャケット、射干玉めいたブーツ、闇夜を思わせるスラックス、新月に似たグローブ。上から下まで黒一色で、センスという言葉に墨汁をぶち撒けた装いだ。街を歩けば、悪漢らのように誰もが指差し嗤うに違いない。「ウッワ! ダッサ! スッゲ! ダッサ……ァ、ィェ……!」彼の目を見るまでは。

 

それを例えるならば殺人マグロか、人喰い大蛇か、人肉食性バイオ昆虫か。それは殺意を照射する人間性絶無の器官だ。その目が廃倉庫のアビ・インフェルノを走査する。「ッ!」視線を向けられただけで、恋と錯覚する程の恐怖がユウの心臓を握り潰した。吊り橋から突き落とされたかのように鼓動が跳ねる。

 

「ドーモ、連続婦女ハイエース誘拐殺人犯の皆さん。リベン社に派遣されてます"カナコ・シンヤ"です。今日は皆さんをぶちのめしに来ました。降伏は無意味ですので抵抗してください」慇懃無礼かつ異様な台詞と共に、ひどく事務的に頭が下げられた。

 

黒い男の理解を要するアイサツに、サメめいた顔つきのサイバネチンピラが突っかかる。「アァン!? ナニサマのつもり!? オレサマ気取り!?」サイバネ置換した鋼鉄の顎が微かな回転音をたてる。舌の位置にはドリル兼用の毒針。

 

マブいスケにはZBRとバリキの前後カクテルを、シケたヤローにはケミカル毒液をぶち込む。必殺でイチコロ、何度もヤってる。「日本語不自由なワケ!? 頭ダイジョブ!? もしかしてバカ!? バカなアバーッ!?」しかし、必殺のカラテを自慢の顎に叩き込まれてイチコロは初めての経験だった。

 

「……お前等程度の頭でも判るように言ってやる」拳を引き抜かれてキリタンポめいた半死体が崩れ落ちる。へばりついた鉄と肉の合い挽きを振り捨ててシンヤはカラテを構えた。「『俺の気が晴れるよう、せいぜい無駄な抵抗して死ね』」

 

イクサの火蓋が今、切られた! 「「「ザッケンナコラーッ!」」」BLALALAM!! 黒錆色の影に無数の穴が開き、引きちぎれ、はためく……はためく? そう、それは脱ぎ捨てたコートに過ぎない! ならば本体は? 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」既に間合いの内に居る! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」「グワーッ!」黒錆の旋風が渦巻くと、瞬く間に幾人もの外道が宙を舞った! 

 

「ザッケンナコラーッ!」「スッゾコラーッ!」「シネッコラーッ!」遵法意識はなくとも仲間意識はあったのか、怒り狂ったヨタモノたちが襲い掛かった! ゴロツキがヤクザスラングを喚き散らし、チンピラがコンバットドラッグを注射し、サンシタが戦闘サイバネを起動させる! 

 

だがしかし! 「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」黒錆の暴風が吹き荒れる度、サイバネな悪漢が跳ね飛ぶ! 「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」黒錆の疾風が吹き抜ける度、ジャンキーな悪党が吹き飛ぶ! 「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」黒錆の烈風が吹き荒ぶ度、フリークスな悪人が弾け飛ぶ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「「「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ!」」ヨタモノ如き、偏に風の前の塵に同じ! 遠く異朝をとぶらへようと、これ程のまでの暴力が何処にあったのだろうか!? 縛られたままのユウは半ば呆然と人型台風一過の惨劇跡を眺める。

 

ネオンタトゥー男は潰れた股間を押さえたまま、ややうつろな目でバリキを吐き戻し痙攣してる。パンクファッション達は恐怖から逃避すべく危険錠菓を噛み砕き、ニューロン誤作動で激しくえづいて失禁中。煮え立つコリ・キャンディを頭から被った割れ法輪野郎は、熱さの余りにブレイクダンスだ。

 

それはまさに荒ぶる神の化身か、怒れる魔の顕現か。いや、『この世界』にはもっと適切な比喩がある。遥か古代より、そして歴史の裏より人類社会を支配した半神的存在(イモータル)。一度殺意をもって力を振るえば、色付きの風にしか見えぬ速度で定命者(モータル)の群をを濡れたショウジ紙より容易く打ち破る。

 

それすなわち……「ニンジャ?」「ニンジャは実在しない、いいね?」囁きがユウの呟きに応えた。振り返っても誰もいない。代わりに肩に柔らかな感触が残る。反射的に掴めば黒錆色の大布だ。掴める。手も足も出る。つまり両手が自由だと気づいた。拘束が砕かれたのだ。あの一瞬で? 気づかせもせずに? 

 

ニンジャなら出来る。ユウは確信していた。ニンジャ器用さとニンジャ筋力を用いれば造作もない。散々読み込んだのだ。そのくらいは知っている。「でも……!」ニンジャがあの台詞を知ってる筈がない。そもそも、誰もあの台詞を知る筈がない。何故なら、あれは『原作』の台詞じゃない。

 

「あれは、モーゼス=サンが、インタビューで……!」それが示す事実に声が震える。だが、返ってくるのは静寂と等しい微かな呻き声だけだ。黒錆色の風は、突如巻き起こり、全て吹き飛ばし、唐突に去った。辺りを見渡しても黒錆色で包まれた被害者と、黒錆色にぶちのめされた加害者が転がるのみ。

 

「……ッ」ユウは肩にかかる柔らかい黒錆色の布を抱き締める。微かな希望めいて、きつく、強く、縋るように。

 

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#1おわり。#2に続く。



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第十話【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#2

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#2

 

プルトップを引き起こし、温かな缶を傾ける。シンヤの額にシワがよった。「このアマザケ、アルコール入ってますよ」「その方があったまるぞ」そうかもしれないが、ノンアルを頼んだ以上そちらを持ってきて欲しかった。それに昨年末散々アルコールでやらかしてまだ飲むのか。

 

“ナンブ隊長”への文句と一緒に酒粕のすり流しを飲み込む。胃の腑に熱が滑り落ち、アマザケより白い息が漏れた。「ドンパチ譲ってやった割りには浮かない顔じゃの」「オショガツからタノシイ光景を見られましたからね」嗜虐趣味の無いシンヤにはひたすらに不快だった。犯人全員半死体にしてやっと±0だ。

 

「こりゃワシがやった方がよかったか」「そしたら人質諸共ネギトロにするでしょ」違いないと笑うナンブに苦笑いしてアマザケをもう一口。人質は無視して犯人ごと射殺して、お詫びオカキ詰め合わせた骨壺を遺族に渡すのが軍隊流だ。人質救出は湾岸警備隊の最前線をくぐり抜けたナンブ向きではない。

 

「なのにワシをヘッドハントとは余りいい目をしとらんの、あの社長」「経歴も成果も一流ですからしかたないでしょう」ゴマ擦っても何も出さんぞとナンブは缶を煽る。リベン社の社長は、俺は詳しいんだと言わんばかりの鼻持ちならない若成金だった。引き抜きの台詞すら上から目線で閉口したものだ。

 

しかし、復讐代行のみならず被害者遺族向けの拷問処刑ショーをビジネスにする辺り、マッポーの世に適応しているのは確かなようだ。だからこそ義理人情とあたたかみで繋がるコネコムの姿勢は今一つ理解できていなかったが。「ナンブ=サン、いらっしゃいますか?」そのリベン社員より声がかかった。

 

「犯人の輸送が始まりますので、公民館の拷問セレモニー準備をお願いします」「ぼちぼちワシの出番じゃな」腰を払って仕事へ向かうナンブにシンヤは手を振った。ぶちのめされた犯罪者達は、これからナンブ指導の下で被害者遺族が満足するまで拷問されて、死に損なえば残虐に処刑されることとなる。

 

犯した罪を鑑みれば当然の報いだが、同時にマッポーの世を感じざるを得ない。不意に思う。(((これが『前世』ならどうなっただろう)))捕まえるのは企業ではなく警察。ぶちのめすではなく法が裁き、拷問処刑ショーではなく刑罰で罪を償わせる。報復を唱える者がいてもあくまでも復讐ではなく法治。

 

ネオサイタマとは違う、公が機能する真っ当な国だ。今となっては余りに遠い。ここはネオサイタマであって、かつていた日本では無い。所詮は夢想だ。気づけば缶の中身はスッカラカンだった。ニンジャ器用さで通り向こうのゴミ箱に投げ入れる。山積み空き缶にアマザケが突き刺さった。拍子に目が合った。

 

「ッ!?」同時に実在しない五寸釘が額から脳幹に突き刺さる。頭を振って痛みと仮想の五寸釘を振り抜けば、視線の元は黒布を外套めいて纏う。すっきりした体型の美人。自我科病院行きのバスに並んでいるあたり被害者の一人だろう。唐突な痛みの理由は不明だ。ニンジャには見えない。

 

それにしても下着に布一枚の姿は目の毒で、シンヤは僅かに目を逸らした。だが彼女は目を逸さなかった。シンヤをジッと見つめていた。その視線がむず痒く、また違和感を覚える。何故に自分を見るのか。ヒーローよろしく助ける姿に吊り橋効果でもあるまいに。救助方法に文句でもあったのか。

 

視線を戻すと先より近い。というか、真っ直ぐこちらに向かってきている。そんなに苦情を訴えたいのだろうか。しかし、ニンジャ観察力は『否』と告げている。硬い顔には渦巻く放射性の怒りではなく、恐怖混じりの切望が透かし見える。彼女の表情は不安と希望の合間でメトロノームめいて揺れていた。

 

「……ねぇ、アンタがアイツラを殴り倒したのよね?」「貴女の言うアイツラが連続婦女ハイエース犯を指すならそうなりますね」シンヤはできる限り事務的に応対する。纏っただけの黒布の隙間から、チラチラと生白い肌が見える。シンヤはできる限り事務的に応対しようする。

 

「じゃあ、アンタがアレを言ったのよね?」「代名詞で言われても何かわかりませんが」女性は長く息を吸って吐いた。吐息も声も震えていた。「……『ニンジャは実在しない、いいね?』って、アンタが言ったのよね?」口は災いの元。我ながら余計なことを言ったな。シンヤは内心で苦い顔を浮かべた。

 

『ニンジャは実在しない、いいね?』Twitter小説『ニンジャスレイヤー』の代名詞的台詞だ。否定を強弁して強引に釘を刺す言葉が、逆に疑念と実在をかき立てている。そのアホらしさと汎用性からネットミーミーとして各所で用いられており、シンヤも一度は使ってみたいと常々思っていた。

 

そして、嫌な光景で下がった気分を盛り上げたい処に、最適な呟きが聞こえたので、思わず言ってしまったのだ。発した時はしてやったぜとノリノリだったが、後から考えればバカをしたやったものである。「ハイ、ニンジャは何処にもいませんからね。フィクションですよ。まさか信じていらっしゃるので?」

 

なので強引に誤魔化す。少なくとも表向きにはニンジャの実在は信じられていない。遺伝子に刻まれた恐怖があろうとも、いや、NRS(ニンジャリアリティショック)を引き起こすその恐怖があるからこそ、誰もが頭では存在を否定するのだ。だから『ニンジャはいない』と告げられれば、皆『アッハイ』と首を縦に振る。

 

なのに彼女は首を縦に振った。「信じるもなにもニンジャはいるわ。私は……詳しいのよ」「ハイ、そうですか。心配されずともバスはまだあります。お医者さんに診てもらってゆっくり休めばすぐに良くなりますよ」よりによってその台詞とは。被害を鑑みれば自我を心配すべきだろう。

 

慣れない営業スマイルを張り付けたシンヤは自我課行きのバスに誘導する。その手を払い、縋り付くように彼女は問いかけた。「なら、一つだけ! 一つだけ答えて!」「ハイ、なんでしょう」まだあるのか。笑顔のオメーンでウンザリした表情を押し隠す。

 

「明治、大正、昭和! その次は!?」

 

「……!!」その問いかけに、シンヤの纏う空気が変わった。若年層労働者のアトモスフィアから、ニンジャ“ブラックスミス”のものに。

 

ネオサイタマの時代区分は神話の古代、圧政の平安、大平の江戸、ディストピアの現代だ。開国の明治、デモクラシーの大正、激動の昭和、そして停滞の平成を知るものはいない。いるとすればそれは……ブラックスミスと同じ、現実世界からの転生者に他ならない。

 

そしてブラックスミスは二人の元転生者に出会っている。名と魂を超存在に売り渡した二忍は『トライハーム』を名乗り、ニンジャスレイヤーを殺すべく暗躍を繰り返した。そして、トモノミストリート浮浪者キャンプでの死闘の末、ニンジャスレイヤーとブラックスミスの手で遂に死んだのだ……表向きは。

 

だが、トライハームは滅びていない。過去を塗りつぶす力を求めた”スクローファ”、過去を忘れようと快楽に溺れた”ガスル”、そして()()()ハームの三忍目が、必ず姿を現す筈だ。その時が来たならば、陰で嗤う顔も名も知らぬ元凶ごと皆殺すと決めている。そして今、四人目の転生者が現れた。

 

(((トライハームか?)))三忍目の可能性あり。詳細不明。情報が要る。(((拷問か?)))非推奨。メフィストフェレスやガスルの例もある。口先だけ、視線だけでもジツを使われる。(((殺すか)))アンブッシュ決定。先手打つべし。死体に口なし、ジツもなし。ミンチにすればゾンビーもなし。

 

一切の共感無きサツバツたる思考がコンマ未満で脳裏を駆けた。ブラックスミスの両眼が殺人マグロの非人間的な光を帯びる。目の前の少女はアワレな被害者ではない。未定の敵だ。人様の台詞だが、慈悲はない。胸ぐらを掴み胸元に縋るその細い首筋に、畳んだ肘の切っ先を向ける。振り下ろせば即死だ。

 

そして容赦なく振り下ろす、その半瞬前。俯いていた顔が上を向いた。「ねぇ、答えてよ! 答えて……!」見覚えのない顔立ち、なのに見覚えのある表情。重なる記憶に困惑を覚えた。なぜ子供たちの顔が浮かぶ? ナンデ? 何らかのジツ? 既に術中か? 

 

否、それは只の想起に過ぎない。養護施設トモダチ園にやってきた初めの日は、どの子も同じ顔をしていた。それは帰る家のない迷子の顔、縋る親のない孤児の顔。目前の少女と同じ顔だった。「お願い……お願いだから……」ブラックスミスは肘鉄をゆっくりと下ろした。両目に人間の色合いが戻る。

 

トライハームとの関係は不明だが、少なくとも邪悪なニンジャではない。トライハームのニンジャは殺すべし。慈悲などない。では、ニンジャでないなら? 人様の台詞だが、状況判断だ。「平成だ。その次は……」「……ッ!」女性の目から涙が滴となって零れた。

 

「居たんだ……ヒッ……私以外に、居たんだ……ズッ……独りじゃ、なかったんだ……」止まらない涙で表情が溶け崩れていく。嵐の海で灯台を見つけたかのように、安堵の嗚咽が溢れ出した。「ウウウ……アア……」ただ一枚の板切れに縋る海難者めいて、彼女はブラックスミスへと抱きつく。

 

そして胸元に顔を突っ伏して、声の限りに泣き続けた。「アアア……アァーン! ワァーン!」「え、あの、その、ちょっと」困るのがブラックスミス、もといシンヤである。異性なるものと無関係な人生を二度も送ってきたサクランボ野郎に、涙する女性の取り扱いなんぞ知る由もない。

 

「あ、あの、スイマセン、ちょっとやめませんか?」「アァーン!」だがやめてくれない。「どうしよう……?」「アァーン! アァーン!」泣き濡れる彼女をどうしようというのだ。どうしようもない。自然に肩でも抱けばいいのだろうか。そんなん出来るなら二度の人生両方で独り身をやってない。

 

撲殺でカタがつく分、いっそヨタモノの方がマシだった。情けない顔で天を仰いだシンヤをドクロの月が嘲り笑う。「……よしよし、よしよし」「ワァーン! ……ヒック……アァーン!」しばらく固まった末、シンヤはトモダチ園の子供らと同じ扱いをすることにした。

 

彼女の背中を柔らかくさすり、掌で優しく叩く。泣き出した我が家の子供らをあやす時のように、何度も何度も繰り返した。「ダイジョブだよ。もうダイジョブだから」「ヒッ……アーン! ……ヒック」彼女が泣き止むまで、ずっと繰り返していた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

色のない部屋だった。そして色気のない部屋だった。壁も天井も床も什器も何もかも、白黒時代の映画めいたモノトーンでできている。家具も皆ユニセックスな実用一点張りばかりで、女性らしさもまるでない。それでもモデルルームめいた涼しさを感じさせるのは、部屋主のセンスの賜物だろう。

 

そして当の部屋主であるユウはというと、張りつめた様子で携帯IRC端末を見つめていた。火山灰色のベッドに腰掛け、携帯端末の時計表示を何度も何度も確かめる。そろそろ仕事が終わる時間だ。本当に掛かるのだろうか。

 

おかけになられた番号は現在使われておりませんドスエ。幻聴の合成マイコ音声が耳の奥にコダマする。あの場で交わせた言葉は二三語だけ。代わりの服とIRC端末の番号だけユウに手渡して、彼は次の仕事に行ってしまった。

 

全ては自分の願望が見せた幻覚ではなかろうか。どうか違うと言って。震える指で番号をプッシュする。TELLL! TELLL! 祈るように返答を待つ。ただ待つ。じっと待つ。「ハイ、モシモシ。カネコ・シンヤです。どちらさまでしょうか?」電話が掛かった。幻では無かった。安堵の息が漏れる。

 

「アッハイ、モシモシ。ウトー・ユウです」「ああ、ウトー=サンですね。お電話ありがとうございます」「こちらこそありがとうございます」IRC中毒者めいた過剰に丁寧なやりとりを交わす。「……ええっと」「……あの」そして、沈黙。何を喋ればいいか判らないから言葉が無闇矢鱈とお堅いのだ。

 

鉛めいたアトモスフィアの中、ユウが会話の口火を切った。「…………先日は掴みかかったり、泣きついたりしてごめんなさい」「お気になさらず。お電話のご用件をお伺いしても?」本当に気にしなくていいのだろうか。怒ってたりしないのだろうか。電話越しの四面四角な口調からは読みとれない。

 

「えっと、その……シンヤ=サンは何時、この世界にきたの?」「確か15、6年前ですね」自分とほぼ同じだ。原因も恐らく同じだ。なら何か掴めるかもしれない。「どうしてこの世界に?」「すみません。何故なのかも、どうやってなのかも、自分も判っていません」あっさりと蜘蛛の糸は切れた。

 

「自宅のベッドで寝たのが最後です。気が付いた時には子供の姿でゴミ捨て場でうずくまっていました」「そっか。そうなんだ……」強烈な絶望感は無かった。代わりに息苦しい失望感があった。同じ原因でこの狂った世界に落とされたなら、同じく何も知らなくてもおかしくはない。

 

同郷の人間がいただけでも喜ぶべきだ。開始地点は屋内で雨風凌げた分、彼よりマシだ。それに一人いればあと二三人居てもおかしくない。(((だからまだ可能性はある。その筈だから)))ユウは内臓を抉るように良かったを探す。だが無理矢理『良い』を絞り出しても、口から出るのは泥めいたため息だけだった。

 

「「………………」」再びの、沈黙。何を喋ればいいか判らないから言葉がまるで出てこないのだ。「あー、渡した服はダイジョブでしたか?」静寂の重さに耐えかねたのか、二度目の口火を切ったのはシンヤだった。悪漢どもに衣服をはぎ取られたユウに、シンヤはタタラ・ジツ製代用衣類を手渡していた。

 

「別におかしくはなかったけど」センス以外は。言わない優しさがユウにもあった。「アレはジツの製品なんで長持ちしないんですよ」電話先は何故か自信に満ちていた。「なのでカッコいいからって日常着にせずに処分してくださいね」「……カッコいい?」電波の向こうの妄言に首を傾げる。フシギ! 

 

電話先は何故か自慢してきた。「カッコいいでしょう?」「カッコいいと思ってるの?」電話先は何故か抗議してきた。「カッコいいでしょ!?」「カッコいいと思ってるんだ……」電話先は何故か強弁してきた。「カッコいいでしょォッ!!?」「カッコいいとは、思えないなぁ」

 

「………………そうですか」電話先は何故か落胆していた。声からして本当に気を落としてる。どうやら黒単色塗り潰しの厨二病患者服を本気でクールだと思ってたらしい。自分を助け出したあの凶暴なシルエットと、電話向こうの間抜けた声。どうにもイメージが合わない。いや、あの影も服はダサかった。

 

背筋を氷柱で刺し貫くかのような殺意の目線。しかし服はダサい。

外道の群をたやすく消し飛ばす黒錆色の暴風。けれど服はダサい。

かつて定命者(モータル)をその力で支配した半神の化身。だけど服はダサい。

 

「……プッ!」ユウは吹き出した。鉛めいた重苦しさが笑い声と共に抜けていく。「アハハハッ! アハハッ!」「あの、笑わないんで欲しいんですが」「ゴメッ! ヒヒヒッ! ゴメンね! ンフフフッ!」「無理ですか。そうですか」声音だけで憮然とした顔が見えるようだ。それがおかしくてユウは笑い続けた。

 

……「ハーッ、ハーッ。あー、おっかしい」「とてもお楽しみでしたね」やっと笑い終えて息を整えるユウに、電波を通じて皮肉気な感想が送られた。「楽しんで頂けたようでなによりです」「ゴメンって、ホントゴメン!」携帯端末に半笑いの片手チョップで謝罪する。その顔は軽やかで柔らかだった。

 

「ねぇ、『前』は何処に住んでたの?」「えっと東京の下町ですね」ユウの脳裏に最後の光景が目に浮かぶ。記憶のランドマークは夜の曇天に青く光っていた。「私も似たようなところだったかな。引越してすぐにコレだったから、そこまで思い出は多くないけど」「以前はどちらに?」

 

次いで脳裏に思い浮かぶのは、休みの度に立ち寄った郊外のショッピングモールだ。「名古屋……って言っても端っこも端っこで、実際は半分田舎かな」「東京で言うと練馬あたりですか」練馬にカナリ・シツレイである。もはやこれはシンヤ=サンのケジメ案件では? 

 

「え? あそこ23区でしょ?」「でも練馬大根が特産なんですよ」練馬大根にスゴイ・シツレイである。もはやこれはシンヤ=サンのセプク案件では? 「まぁ、親の話なんで今は違うかもしれませんが」「23区だもんね」実際、練馬区は副都心線や大江戸線などの開通に伴って建設ラッシュに沸いている。

 

「そう言えばコッチにも練馬大根っぽいバイオダイコンがあるんです。けど、やっぱりネオサイタマ産らしく、引っこ抜かれると二足歩行で逃げるんですよ」軽くなった空気に釣られてか、話題も口調も軽くなる。「アレ見ると笑いますよ。本当に綺麗なフォームでダイコンが走ってるんですから」

 

気楽な笑い話を笑いながら話す。軽く笑って次の話題を期待してのことだろう。だが、返ってきたのは唐突なほど暗い声だった。「なにそれキモチワルイ……やめてよ、同郷の人からまで、コッチのこと聞きたくない」泥めいた声音が吐瀉物めいて溢れる。誰でもこの声を聞いてタノシイの感想は出てくるまい。

 

「「………………」」気まずい、沈黙。何を喋ってもいいか判らないから言葉がまるで出てこないのだ。ずしりと重い静寂が電波を通して響き渡る。「……じゃあ話を変えましょう。練馬が舞台のアニメイシヨンがあった筈ですけど、名前を知ってたりします?」本日三度目の無音へとシンヤが果敢に挑みかかる。

 

シンヤの出したお助け舟にユウは勢い込んで飛び乗った。「……うん、なんかあったね! 確か踊ってた気がする。ブルース・ブラザーズ、は元ネタの映画だろうから違うかな」空気を悪化させてしまったユウとて、好き好んで黙りこくった訳ではない。話がしたいから電話をかけたのだ。

 

「バンド・オブ・ブラザーズ?」「それ戦争モノ。もっと離れてる……あっ、練馬大根! 練馬大根ブラザーズ!」「ああ、女の子が踊ってたヤツですね」「女の子もいたけど、メインは男二人女の子一人のトリオじゃない?」「動画かなんかで見たヤツとゴッチャになってたかもしれませんね」

 

ヘッズであったことから判るように双方サブカルチャについては詳しいのだ。「へー、動画も見るんだ。どの実況好きとかあった?」「いえ、どうも肉声が苦手で合成音声の実況ばかりでした」「じゃあさ、淫m「それ以上いけない」手の届かない思い出話に花は咲き、夜はしめやかに更けていった。

 

 

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#2おわり。#3に続く。



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第十話【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#3

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#3

 

市松模様のタイルは冷たい脂汗で額と接着されている。真冬のセトモノは脳味噌が凍りつく程に冷たい。それでも男は顔を上げない。上げたくない。上げさせないでくれ。脳味噌が氷結する方が幾らかマシだ。「ねぇ」「アィッ!?」男の願いも無視して、奇妙に歪んだ合成音声が呼びかける。

 

年齢不明の、しかし幼い声に恐る恐る顔を上げた。タイル貼りの床にタイル貼りの壁、特有の施術用椅子と合わさればそこが『元』診療所であったことがよくわかる。元? そう、元だ。血と汚濁とグラフィティで塗り潰されたまま営業する診療所なぞ聞いたことがない。

 

サイケデリックに染色されたナース服と、その端々から覗く違法サイバネもそれを示している。そして院長用の豪奢な椅子に腰掛ける人影が再び口を開いた。「わたし、あと5人欲しいって言ったよね?」「ハイッ!!」BIFF! 相槌に頭をタイルへ打ち付ける。両手のサイバネがカチカチと震える。

 

「じゃあ、なんで無いの?」「ゴメンナサイ!」BIFF! 頭蓋を床で鳴らしても、突き刺さる視線は揺らぎもしない。自分は連続婦女ハイエース誘拐殺人犯として、裏社会にフリーライドする肉食魚のはずだった。いいオンナを好き勝手にハイエースして、クスリと暴力で好き放題にオモチャにする。

 

正に一般人という雑魚を食い荒らす、容赦なき人食いサイバネマグロだ。しかし、今や活け造り予定のスシネタ予備軍でしかない。「なんで無いのって聞いてるんだけど?」「ハイ、ゴメンナサイ!」BIFF! 何故なら不機嫌な声を発する影こそが、真なるネオサイタマの最上位捕食者なのだから。

 

自分のワガママが許されていたのも、この怪物がバックにいたからだった。「お前、もういい」そして今、ワガママお許し御免状は消え失せた。「アィェッ!? ゴメンナサイ! ゴメンナサイ! ゴメンナサイ!」BIFF! BIFF! BIFF! 叩頭礼で命乞い、続けてドゲザで縋り付く。

 

お願いだからオタスケください。全身全霊で訴える。だが当然、許されない。影が椅子から腰を上げる。手術灯に照らされて大理石紋様の装束が光る。「アィェェェ……」誰かが掠れた悲鳴を上げた。それを責める事は出来まい。脅威なる恐怖を目の当たりにすれば誰もが泣き叫び失禁する。

 

その恐怖を……ニンジャの恐怖を! 「「「アィェェェ……!」」」オペラ悲劇めいて悲鳴の合唱が部屋を満たす。ニンジャは指揮者気取りで指を動かす。グギュン! 「アイェッ!?」サイバネの両腕が意に反して応えた。神経パルスの停止信号を無視し、鉄の指がぎこちなく開閉する。

 

ハッキング? ウィルス? 違う。モーターは煙を噴いてまで主人に忠実に動いている。超常の外力がジョルリ人形めいて操っているのだ。フシギ! 「ヤ、ヤメテ」自慢のサイバネは握った肉を一瞬でザクロの有様にする。それを超える超自然の力が、自分の頭蓋に添えられたマニピュレーターに込められていた。

 

「ヤメテヤメテヤメテヤメテ!」「うるさい」毎秒1センチで頭骨に鋼鉄がめり込んでいく。「アーッ! アーッ! アーッ! アバーッ!」ザクロが弾けた。柔らかな中身が飛び散り、列をなしたドゲザに降り注ぐ。「「「アイェェ……!」」」掠れた悲鳴が手術室を満たした。

 

ニンジャは不快そうに脳漿の滴を払い、指揮棒めいて指を振るう。「汚い。拭いて」原色サイバネナースがぎこちない動きで飛び散った汚れをふき取る。その顔に浮かぶのは嫌悪と苦痛と絶望のカクテルだ。そしてそれを眺める邪悪な目には、優越感と悦楽のミックスジュースに満ちている。

 

「で、ナンデ?」「ハイ! スンマセン! 頭おかしいカラテマンに邪魔されました! スンマセン! 別のスケ5人用意します! スンマセン!」ゴキゲンな今しかない。決死の覚悟でドゲザの一人が理由とオワビを叫んだ。股間が生暖かく濡れるが、かまってられない。

 

「別のじゃダメ」「えっ!? でも誰なのか判らなバババッ!?」決死の覚悟の通り、彼の死は決まった。ザクロ頭になった死体のサイバネが、彼の頭を二つ目のザクロにしたのだ。再び飛び散った脳味噌を死んだ目で機械化看護婦が拭う。「あの子、おんなじのを欲しがってるの」「アィェッ! わかりました!」

 

「すぐね。すぐよ。でないと……」死体二つのサイバネが蠢き、指先を生き残りのヨタモノに突きつける。死んでも助からないと全員に告げる。「……おんなじにするわよ?」「「「ハィェェェッ!!」」」返答と悲鳴の合いの子が手術室に響きわたった。

 

 

【鉄火の銘】

 

 

【鉄火の銘】

 

 

「未だにオシャレはよくわかりませんが、そんなにブランドものって要るんですか?」シンヤの伸ばした足が壁にぶつかった。物置めいて狭い。なにせ元物置だ。「コーディネートには要ることあるけど、オシャレにはそこまで必要ないかな。実際は『ブランドもの持ってる私スゴイ』ってのが殆どだったもの」

 

とは言え家主の住職、子供ら、キヨミの部屋を考えると残りはここしかない。「そこら辺は男もあんまり変わらないですね。ゲームとかマンガとか、バイクとかシューズとか。それで楽しむより他人と比較することを楽しんでた連中が多々いましたよ」揺れる黒錆のハンモックを寝転がったまま足先で止める。

 

「でも誰かに自慢したりするのはやっぱり楽しいんだよね。我が家でも妹がそんな感じ」「ウチの姉もなんか買い物する度に見せびらかしてましたよ。それで反応しないとコブラツイストで、気にいらないと卍固めです」それは痛そうと笑う声にこちらも笑い声を合わせる。やはり昔話は楽しいもの。

 

クリスマスに買ったIRC携帯端末は古くて重くて邪魔くさいが、個人的な会話が出来るのは助かる。これが共用電話だったなら、聞き耳立てた子供らがさぞかし大声で騒いだだろう。なんらやましいことなんかないのに。何故かキヨミの冷え切った笑顔が脳裏に浮かぶ。なんらやましいことなんかないのに。

 

「幸い、こっちの家族は膨れっ面するくらいで助かります。その分、見る面倒もマシマシなんですがね」おワセなことにオシャレに気を使い始めた下の妹が目蓋に浮かぶ。無意識に口角が上がった。少し寂しい気もするが成長の証だ。喜んでおこう。とは言え、まだまだエミには愛くるしいが適切な形容詞だが。

 

「……?」ふと、電話口から声が聞こえてこないことに気づいた。「……!」気づいた途端に鉛めいた沈黙が胃にのしかかる。「アー……あのー……「ねぇ」……アッハイ」ドブを墨汁で煮詰めた声が聞こえた。「……こっちの話、聞きたくないって、私、言ったじゃよね?」(((あ、地雷踏んだ)))一発で判った。

 

「……だいたいアンタはなんでこっちのことそんなに楽しそうに話せるの? 無理矢理連れてこられて何がおかしいの!? 言葉はおかしいし、文化もおかしいし、月までおかしいし、頭がおかしくなりそうなんだけど!! そもそもネオサイタマってなに!!? 東京湾埋め立てただけで東京じゃん!!!」「ハイ」

 

「天気も世界も家族も全部紛い物よ!他人の目がある時だけ父親気取りは金を稼ぐ以外何もしない!ソファーを温める以外にできる事ないの?善意面した自称母親は命令に従わないと喚き散らして泣き出すし!『貴女の為』ってセリフ、全部『自分の為』の言い訳じゃない!」「……ハイ」

 

「それに何より突然湧いた妹!階段から他人を蹴り落として被害者顔できるってどんだけ面の皮が厚いの!?どいつもこいつも害虫か寄生虫の方がよっぽど人間的よ!あんなもの本当の家族じゃない!ごっこ遊びの偽物未満じゃない!」「…………ハイ」

 

「あんな偽物の家族なんか要らない! 血も心も何にも繋がってない家族詐欺よ! ……血の繋がった本当の家族は綺麗で優しくて暖かかった。あんな冷え切った汚物じゃない。本当の家族の所に帰りたい。だから、あんな家族もどきは皆死んじゃえばいいんだ!!」「オイ」

 

かつての自分でも口にしなかったコトダマ。他人の家族とはいえ流石に聞き捨てならない。「いい加減にしろよ」「ッ!」多少の愚痴なら聞くがモノには限度がある。そこまで言ったらイクサだろうが。「俺はアンタの痰壺じゃないんだよ。そんなに吐きたいなら便器相手にやってくれ」溢れる殺意を無線通信で叩きつけた。

 

「…………るさいうるさいうるさい!! アンタに何がわかるのよ!? ニンジャの力で散々いい思いしてるクセに! チョップ一振りして見せれば誰でも漏らして何でも差し出し命乞い! そりゃ世界の王様気取りでさぞかしいい気分よね! なんの力も無いまま苦しんでる人間の気持ちなんて判る気もないんでしょ!」

 

耳をつんざく大爆発の返答に、氷点下の冷や水を浴びせかける。「ああ、判りたくもないね。だから一人で喚いてろ。他人様を愚痴の垂れ流しに巻き込むな」「……ッッッ!!!」ブツン。ツー、ツー、ツー。爆縮めいた沈黙は回線の切断音で途切れた。単調な電子音が無言を代弁する。

 

シンヤは手の中のIRC携帯端末を能面顔で見つめる。「……」CRACK! 価格と頑丈さで端末を選んだ自分を褒めてやりたい。「…………」CRACK! お陰でニンジャ筋力で握り締めても修理に出さなくて済む。「ザッケンナ…………」CRACK!! もっとも、ケースの買い替えは必須になったが。

 

「……ザッケンナコラーッ! チャースイテッオラーッ! ナニサマッテンダコラーッ! ナメッテンノカオラーッ! ザッケンナコラーッ!! ザッケンナコラーッ!! スッッッゾコラァァァーーーッ!!」ヤクザスラングの絶叫が響く度に、黒錆色の前衛的オブジェが生まれ、育ち、歪み、絡まり、砕け、散る。

 

「ハーッ、ハーッ……! もういい! スシ食う! 好きなだけ食う! 肉も食う! ソバも……ソバはいいや」ストレスのままに扉を行儀悪く蹴り開ける。「そんで寝る! 歯磨いたら寝る! もう寝る! オヤスミ!」「シンヤ兄ちゃん、オヤスミなの?」視線を下に向けると驚いた顔の小さな影。

 

子供たちの一番下、オタロウだ。「あー、オタロウ。どうかしたか?」「シンヤ兄ちゃん、どうかしたみたいだったから」あれだけ散々に叫んだのだ。そりゃ子供らも心配の一つや二つするだろう。バツが悪くて頭が痒くなる。「その、ちょっと、イラっとすることがあってな」「でもおっきな声だったよ?」

 

どうやら随分と不安がらせてしまったようだ。腰を落とし、視線を合わせ、頭を下げた。「ビックリさせてゴメンナサイ。心配してくれてアリガト。でも、もうダイジョブだ」「うん、ダイジョブ。でもゴメンしないの?」だから今謝ったのでは? シンヤはいぶかしんだ。

 

「だってシンヤ兄ちゃん、ケンカしたんでしょ?」そっちか。シンヤには電話越しに感情を垂れ流された記憶しかない。いや、多少は言い返したから口喧嘩と言えなくもない。「まぁ、それっぽいことは」「じゃあゴメンナサイしなきゃ。シンヤ兄ちゃん、『お互い奥ゆかしく』っていつも言ってるよ」

 

「ウーム」「ケンカは奥ゆかしくないよ?」確かに子供らにいつも言ってることだ。それを当人が守らないのでは説得力皆無だ。(((しかし)))アレを言われてなお謝るのか? 正直いい気分はしない。平均的ニンジャなら謝罪代わりに首をチョップで刎ねるレベルだ。その後は赤黒がニンジャを刎頸するだろうが。

 

「シンヤ兄ちゃんもナカヨシしなきゃ!」「かもな」ボクがやらなきゃと使命感たっぷりのオタロウはふんすと鼻息を荒くする。どうにもその幼い顔を見ていると嫌な気持ちが維持できなくなってしまう。……許容し難い戯れ言を聞かされたのは事実だ。だが、それにバイオフグ並の毒舌で返したのもまた事実だ。

 

雑談で嫌な話を聞かされたなら『ヤメテください』『ハイ、止めます』で終えるのが筋だろう。なのにヤメロと言う前に悪意たっぷりの罵声で返せば、ケンカが始まり関係が終わる。「オタロウの言うとおりだ。アリガトな。次に会ったら謝るよ」「うん!」詰まるところ、お互いに奥ゆかしくなかったのだ。

 

暫く間を置いてから連絡しよう。そして謝罪して謝罪させよう。そう決めた。TELLL! シンヤの決意を聞き届けたように、IRC携帯端末が電子音で鳴き出した。「オタロウ、すまんが電話だ」「うん、ちゃんとゴメンしてね!」先の電話相手ならそうするところだが、連絡は生憎カイシャからだ。

 

亀裂まみれの端末を拾い上げる。ケースの買い替えは急いだほうがいいだろう。「ハイ、モシモシ。カナコです」「ドーモ、シンヤ=サン。ナンブです」珍しい相手からの連絡だった。普段ならあのウキヨめいた社長秘書が会社の窓口だった筈。「ナンブ=サンからなんてどうしたんですか?」

 

「急ぎの案件でな。リベン社がハイエース共と女ニンジャに襲われた。N要員が求められとる」「……!」その隠語はコネコムのニンジャ戦力、すなわちブラックスミスの投入を意味する。「頼めるか?」「ハイヨロコンデー!」センスのない黒錆色の部屋着が霞み、慈悲のない黒錆色のニンジャ装束が現れた。

 

 

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#3おわり。#4に続く。



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第十話【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#4

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#4

 

 

ピーゥ! 音を立てて冬の風が吹き抜けた。道行く人は斬りつける太刀風に首をすくめ襟を立てる。カタナめいた氷風と共に人型をした黒白の刃が歩行者の頬を掠め、歩き去る。鋭角の氷壁を思わせる人影に思わず振り返る人も多い。

 

「……様のつもりよ」だが等のユウの心情は透き通った純氷にはほど遠かった。「そりゃ多少は言ったかもしれないけどニンジャでいい気分のアンタと事情が違うのよなによ何様のつもりよ」ブツブツと粘ついた内心をこぼす姿は氷というよりヘドロの有様だ。

 

「そんなにこっちの家族がよくて向こうの家族なんてもう忘れたってのそりゃお幸せでいいわねそのままこっちに骨を埋めなさいよ本望でしょ私と違って楽しいんでしょ」気泡めいて次々に浮かび上がる思考と、浮遊物めいて消えてくれない雑念で、腹の底まで胸の内は濁っている。

 

だからいつもみたいに、ヘッドホンと大音量で狭い憎悪に逃げ込んだ。「死んじまえ! 死んじまえ! 皆、死んじまえばいいんだ! ア”ーッ!」これで思考は全部白く、白く、真っ白に……『いい加減にしろよ。俺はアンタの痰壷じゃないんだよ』……ならない。

 

「死んじまえ! 死んじまえ! ア”ーッ! 死んじまえ! 死んじまえ! ア”ーッ!」上滑りする稚拙な叫び声がただ鼓膜に痛いだけだ。「死んじまえ!! 死んじまえ!! 死んじまえ!! 死んじま」ブツン! 心地いいはずだった騒音に耐えかねてジャックを引き抜いた。

 

ユウは重苦しい胸の内から逃げるように足を速める。それと合わせるように車道のハイエースが急に速度を落とした。車の扉から飛び出す無数の手が記憶に瞬く。大丈夫、心配せずともマッポステーション、もとい交番は近い。そう自分へと言い聞かせる。

 

ステーションに立つマッポに向けて更に歩調を速めるユウ。不安げな顔に気づいたマッポ巡査は、安心させようと人の良い笑顔を浮かべた。「オジャマシマス! どうしましたバーッ!?」それが生真面目な彼のデスマスクになった。ハイエースのスライド扉から飛び出した鉛玉が、彼の眼球に飛び込んだのだ。

 

BLAM! BLAM! BLAM! 更なる追加の弾丸と共にハイエースから飛び出すヨタモノ達。「あれだ!」「あそこだ!」「あっちだ!」焦燥に満ちた幾つもの顔は明確にユウへと標準を定めていた。「ッ!」身に絡みつく恐怖をふりほどき、ユウは即座に身を翻す。

 

「スッゾコラーッ!」「テメッコラーッ!」「ザッケンナコラーッ!」ヤクザスラングを吠え立ててその背中を追わんとするヨタモノ達。その前に立ちはだかるのは気のいい同僚を殺され、義憤に駆られるマッポ部隊だ! 「犯罪者コラーッ!」「お縄だ!」「ちょっとやめないか!」

 

BLAM! BLAM! ZINK! ZINK! マッポ・リボルバーとチャカ・ガンが火を噴き、ドス・ダガーとショック・ジュッテが交錯する! 「アイェーッ!」「オタスケ!」「ヤメテヤメテ!」何の変哲もない一般道は、瞬く間にアビ・インフェルノ・ジゴクと化した! だがしかし! 

 

KARA―TOOM! 「「「アバーッ!?」」」唐突なジゴクはまた唐突に消え去った。横合いから戦場に投入された大型バクチクが爆破消火めいて銃火を消し去ったのだ。ヨタモノも、マッポも、市民すらもまとめて吹き飛ばした爆発物は、突如現れたサイケデリック武装救急車から撃ち込まれていた。

 

続けて下手人の原色サイバネナースは、能面顔のまま義手の砲口を唯一逃げ延びたユウへと向ける。BLAM! 十代後半の少女の足より、飛翔する有線グレネードは速い! 必死で逃げるユウはこのまま投げ捨てられたネギトロパックめいてアスファルトを塗装するのか? 

 

BAM! 炸裂した擲弾は投網めいた無数の紐をまき散らした! 非殺傷兵器ネットランチャーだ! ワイヤーが絡まっただけのユウは犠牲者の仲間入りはせずに済んだ。「ンアーッ!?」しかし兵器の使用者も非殺傷とは限らない! 機械化看護婦のウィンチが急回転し武装救急車へとユウを引きずり込む! 

 

バタム。「ンアィェーッ!」苦痛混じりの悲鳴も虚しく極彩色の扉は閉まった。原色で塗りたくられたクロームメタルの腕が力ずくでユウをストレッチャーに括り付ける。「離せ……離して!」「「「……」」」身を捩っても力を込めても、半人半機の能面看護師達はびくともしないし、ぴくりともしない。

 

慣性が移動式牢獄の急発進を告げる。行き先は不明だが終点がジゴクであるのは明白だ。しかも経由地も生きジゴクと決まっている。「皆カワイイなサイバネでしょ? いいよね!」「ニンジャナンデ!?」取り囲む異形サイバネ武装ナースの合間から姿を見せた水玉マーブルニンジャ装束がそれを告げていた。

 

「これからキミを皆とおんなじにするね? いいよね!」台詞を合図に機械化看護婦の上半身が変形する。唸る回転鋸、滑らかなドリル、放電する電極端子。処刑器具と等しい手術道具がユウに迫る。ALAS! このまま麻酔すらなしに頭蓋を開かれ、違法サイバネを埋め込まれ、機械化奴隷に成り果てるのか? 

 

「ヤメテ……ヤメテ……!」ナンデ? どうして? どうしよう? どうしようもない。救いはない。破滅しかない。絶望が視界に帳を下ろす。『ドーモ』真っ黒な世界に緑の三眼ドットパターンが灯った。『お久しぶりです。ユウ=サン』聞いた記憶がない、聞き覚えのある声。見た記憶がない、見覚えのある顔。

 

『私はクレーシャです』そして聞かされた記憶のある名前。ニューロンに巣くう転生の元凶、その一欠片だ。そうシンヤから聞いていた。『それにしてもなんというピンチ! なんとアブナイ!』その狙いも知らされた。だから甘言に乗ってはいけない。ニンジャソウルの代価に名前を奪われ手駒にされる。

 

『まさしく前門のバッファロー、後門のタイガー!』ユウの警戒など気づきもせず、或いは気にも留めず、クレーシャは馴れ馴れしくすり寄る。『それとも虎と狼の方がお好きですかね?』この世界に突き落とした原因が、奪い取った故郷の言葉で嘲笑する。ギリリと歯が鳴る音が頭蓋に響く。

 

『でもダイジョブ! 貴女にはニンジャのパワがあるんですから!』緑の三眼が嬉々と唄う。『さあ契約の続きをしましょう! ただ一言応えれば、その瞬間から貴女はニンジャです!』己が名を売り渡せ。欲しいモノを全てくれてやる。『皆が憎いでしょう? 周りが嫌いでしょう? 世界が恨めしいでしょう?』

 

ユウの脳髄が音を立てて煮えたぎる。家族を名乗る者への憎しみと、この狂った世界への怒り。「嫌よ」そして何より、汚れたこの地に引きずり込んだヤツへの怨念が、腹の底で沸騰している。「アンタに従うのは絶対にお断り。さっさと頭の中から出てって」嗤う影絵の悪魔に罵声を吐き捨てる。

 

だが01で点描された怪人はユウの憎悪をせせら笑った。『おや、お嫌ですか? じゃ、仕方ないですね。オモチャにされて苦しみ抜いて死にましょう!』ユウの顔が歪んだ。その逃げようのない絶望がクレーシャを呼んだのだ。『おや、お嫌ですか。でも、仕方ないですね。貴女には何のパワもないですから!』

 

『それとも……も・し・か・し・て』視界一杯に広がる緑が三つの目を細める。嘲笑の顔が近い。『白馬ならぬ、黒衣の王子様をお待ちですかぁ?』「ッ!?」人間離れした殺意の目、超常のカラテ。それに似合わない斜め下の服飾センス、柔らかに背を撫でる手。ユウの脳裏に黒錆色したシルエットが瞬く。

 

『でも来ますかねぇ?』異形の道化は疑問系で無意識の願いを否定する。『あれだけ言って、あれだけ言われて』善意に甘え、溜めに溜めた汚濁をぶちまけた。だから、もう限界だと返された。なのに、薄汚い羨望を悪意混じりで叩きつけた。挙げ句の果てに縁まで切った。『きっと彼は貴女を嫌ってますよ?』

 

否定の言葉は出てこなかった。『……じまえ! 死んじまえ! 皆、死んじまえばいいんだ! ア”ーッ!』耳の奥でイヤーワームががなり立てる。放射性の憎悪、無方向の憤怒、全方位の怨念。それは当然、自分自身へも向けられている。『死んじまえ! 死んじまえ! 皆、死んじまえばいいんだ! ア”ーッ!』

 

ヘビーループする万物入滅の叫びの合間から、媚びた声音で論理天魔が誘う。『好き放題に殺されますか?』予想通りの末路を辿るのか。『好き放題に殺しますか?』予定通りの隷属を選ぶのか。『やっぱり死ぬのはお嫌でしょう?』蛍光色の囁きが心臓を舐める。

 

『死んじまえ! 死んじまえ! ア”ーッ!』肌が粟立つ。『だからニンジャです』視界が回る。『死んじまえ! 死んじまえ! ア”ーッ!』鼻が焼ける。『さぁ、貴女に相応しいソウルを呼ぶのです』声が歪む。『死んじまえ! 死んじまえ! 死んじまえ! 死んじまえ!! ア”ーーーッ!!』舌が渋る。

 

回る黄金立方体から蜘蛛の糸が降りてくる。『そして相応しい名前で呼んであげましょう』タールめいた漆黒が頭蓋を圧し割り吹き上がる。『貴女は』「……わ……わたし、は」粘つく闇が絡まりながら糸を上り詰めていく。『「エラパ……」』薬物めいた多幸感と、痛みに等しい爽快感が脳髄を貫く。

 

かくして転生者ウトー・ユウは自身の名前を奪い取られ、『偉大なるお方』の邪悪なる天使ニンジャ、最後のトライハーム“エラパイド”と成り果て……「イィィィヤァァァーーーッッッ!!」……ない! シャウトが全てを! 断ち切った! 

 

KABOOM! 「「「ンアーッ!」」」突然の衝撃に、未固定什器が宙を舞い、未固定ナースが跳ね飛ぶ! 慣性の法則により車内はポップコーン釜の有様だ! CRICK! さらに金属が悲鳴を上げ天井から光が射し込む! CRACK! 武装救急車にサンルーフを力ずくで追加するは黒錆色のスリケン・バール! 

 

「イヤーッ!」シャウトと共にネオサイタマの曇天が視界一杯に広がった! サイケデリック悪夢めいた監獄車両にイオン臭の風をまとった開放感が溢れる! 即席オープンカーに仁王立ちする黒錆色の影は赤銅色の両手を滑らかに合わせた。

 

「ドーモ、ハイエース誘拐犯の親玉さん。ブラックスミスです」ブラックベルト、黒錆の装束、赤錆のメンポ、そして丁寧なアイサツ! これまさしくニンジャである! そしてアイサツをされれば、返さねばならない。「ドーモ、ブラックスミス=サン。アザーハーフ・オブ・アイボリーのピュグマリオンです」

 

両掌を重ねたブラックスミスに、マーブルニンジャ装束がオジギで応えた。そしてアイサツが終わればイクサが始まる! 「ボクの楽しみをジャマするな! バカ! バカ! 死んじゃえ! 死ね!」「「「イヤーッ!」」」開放感溢れる天井へ向けてサイバネナース達が手術武装を展開して飛び上がった! 

 

「イヤーッ!」マゼンタナースが音波振動メスで殻竹割り! 「イヤーッ!」ブラックスミスは右フックだ! 「ンアーッ!」音波振動メスがへし折れる! 「イヤーッ!」イエローナースが外科用鉤爪で臓物開き! 「イヤーッ!」ブラックスミスは左アッパーだ! 「ンアーッ!」外科用鉤爪がひん曲がる! 

 

「イヤーッ!」シアンナースが猛毒シリンジで毒液注射! 「イヤーッ!」ブラックスミスは右ストレートだ! 「ンアーッ!」猛毒シリンジが砕け散る! 「イヤーッ!」ホワイトナースがCNT縫合糸で首絞め! 「イヤーッ!」ブラックスミスは左チョップだ! 「ンアーッ!」CNT縫合糸が引き千切れる! 

 

飛びかかった全ての違法サイバネ看護婦を、ブラックスミスは瞬きの合間にたたき落とした。そのまま黒錆色の影は散歩めいた足取りでなんら気負いなく車中へと飛び降りる。なんたる半壊暴走武装救急車の上でありながら一歩も揺るがぬ不動不沈の重厚カラテか! タツジン! 

 

彼にとっては四方を囲む違法殺戮武装すら、ジャンキーヨタモノが突き出す錆ナイフと違わない。「人体改造マニアックのヘンタイか。その不出来な脳味噌を改造して真人間になったらどうだ」「お前……覚悟しろ! ガラクタとサイバネしてフリークショーに売ってやる!」

 

黒錆色はつまらなそうに鼻を鳴らした。「その前に自分がジャンクになる心配をしろ」「イヤーッ!」水玉マーブルニンジャ装束のシルエットが膨れ上がる! 装束を引き裂いて現れたのはバイオタラバーガニめいた異形の多脚! 全ての肋骨が殺人手術用具付きマニピュレーターと置換されているのだ! コワイ! 

 

人の命を救う医療器具を拷問と殺人の玩具に改造するなんたる冒涜的サイバネ武装か! さらに長大なサイバネハンドをワキワキとうごめかし、その危険性をアッピールする。「どうだ、コワイだろ! これでお前を解体して解剖して分解してしてやる!」「ハイ、コワイコワイ。あとは一杯のチャがコワイ」

 

恐怖など微塵もないブラックスミスの侮蔑の声にピュグマリオンは沸点を超えた! 「バカにして! バカハドッチダーッ! イヤーッ!」節足類めいた形状のサイバネニンジャが飛びかかった! ジゴワットAED、鉄骨切断丸鋸、人体貫通ドリル等々、嘲笑的な十二対の機械腕が交差する! 

 

交差? そう、肋骨と同じ数のメカアームは交差した。何一つ傷つけることなく、虚空を交差したのだ! ならばブラックスミスは何処に? 「ナニィーッ!?」此処に! 密着状態だ! 顔が近い! 圧倒的長さを持つ肋骨置換サイバネ。その死角はゼロ距離にこそ有ったのだ! 

 

「イヤーッ!」「アバーッ!」更なるブラックスミスのカラテパンチでピュグマリオンは水平飛行! CRAAASH! 運転席を吹き飛ばし、車外へと吹き飛んだ! 「アバッ……」『貴方改善』カンバンにめり込んで、ピュグマリオンは火花と共に停止した。「サヨナラ!」最早動くことはない。

 

「後は……」ざっと車内を見渡すが、支配が解けたのかサイバネ武装ナースは皆へたり込んでいる。また、或いはまだ襲いかかる様子はない。ブラックスミスはザンシンを解くとユウの拘束を解きにかかった。「ナンデ?」「後でな」ユウの問いかけを無視して重合金の手枷足枷を一つ一つ取り外す。

 

ニンジャのカラテで引き剥がせば楽なのだが、カラテの衝撃に人体が持たない。手間だ。クナイピックを形作り、錠前を内側から壊しにかかる。その背後、へたり込んでいた機械化看護婦の一人が腕を持ち上げた。その腕の先には手術用具を模してすらいない、非人道殺人武装ZAPガンの銃口が光る。

 

ニンジャといえども光速のエネルギー弾を食らえば只ではすまぬ。しかしブラックスミスに気づいた様子はない。気づいたのは縛られたユウだけだ。「……!」だが声は喉から出てこない。銃口の向こうから非人間的な光を宿した両目が超常の圧力で押さえつける。口を開けば死ぬのはお前だと告げている。

 

銃口の輝きが徐々に増し、殺人エナジーが高まる。機械化看護婦の口が弧月につり上がる。確実な勝利の美酒を前に、舌なめずりをせんばかりの凶相が浮かぶ。それは天高くから地べたを見下す、ドクロ月の嘲笑に酷く似ていた。大理石装束の彼女はその口をメンポで隠した。そう、彼女もまた……ニンジャなのだ! 

 

頭蓋の奥からギリリと軋む音が聞こえた。それはユウの奥歯から響いていた。腹の底から煮えたぎる熱を感じた。それはユウの胃の腑から発していた。ナンデ? どうして? どうしよう? どうしようもない。救いはない。破滅しかない。これが現実だ。何かがそう告げる。

 

ふざけるな……ふざけるな! 憤怒がユウの尻を蹴り上げる。怒りが恐怖の枷を外した。「アブナイ!」ため込んだ声が外へと飛び出した。同時に機械化看護婦ニンジャが殺人光線を吐く! ZAP! ZAP! ZAP! 機械化看護婦ニンジャの視界の中でブラックスミスは真っ二つに分かれていた。

 

それはそうだろう。後ろ手に放ったスリケンが眼球を分断したのだから。「ンアーッ!?」機械化看護婦ニンジャが合成音声の悲鳴を上げる。光線は壁を焦がしただけで終わった。「ドーモ、ブラックスミスです」「ド、ドーモ、アザーハーフ・オブ・アイボリーのガラテアです。イヤーッ!」

 

アイサツからヤバレカバレの武装展開! ガラテアの追加ZAPガンが更なる光を吐く!「イヤーッ!」「アバーッ!」それより早く放ったスリケン群により、銃口は切断され、頭蓋は裁断され、心臓は破断した!当然、致命傷である!

 

しかしニンジャでも見抜けぬ不意打ち回避は如何なるカラクリか? それは意外にも単純にして明快! アイサツと事前情報からもう一人を察したブラックスミスは、あえてザンシンを解き無防備に背を晒したのだ! 無論、隠したスリケンを引き絞ったまま。そして勝利を確信したガラテアはウカツにも姿を現したのだった。

 

「ナンデ……!?」「死んだ後でな」それを理解できぬガラテアは絶対のアンブッシュをかわした理由を問うた。だが。望む答えは得られなかった。故に出来たのは断末魔を叫ぶことだけだった。「サヨナラ!」かくしてガラテアは爆発四散した。

 

「アザーハーフだし流石に三人目はないよな……」ボヤくブラックスミス、すなわちシンヤは改めてユウの手枷を外しにかかる。「イヤーッ!」クサビめいたクナイを鉄拳で打ち込み、手術台と拘束具を引き剥かず。BIF! BIF! BREAK! 最後の枷が砕けた。これでよし。これで言いたいことも言える。

 

「カネコ=サン、ゴメンナサイ」「ハイ?」だからユウは先んじて言うべきことを言った。「この間の電話で、シツレイな……ううん、貴方を侮辱してゴメンナサイ。家族を侮辱してゴメンナサイ。本当にゴメンナサイ。それとアブナイところを助けてくれて、ありがとうございます」ユウは膝に付くほど頭を垂れる。

 

長い沈黙が車内に満ちる。恐る恐る顔を上げた。「………………言わせたかった言葉を全部先に言われると、何にも言えなくなりますね」シンヤは長々と息を吐く。その顔は笑っていた。「と言うわけで、ウトー=サン。先日の電話では私もシツレイなことを言いました。ゴメンナサイ」「アッハイ」

 

「ナカヨシすべきかは後で考えますが、この件はここまでにしておきましょう」「……えっと、怒ってないの?」「ええ、怒って『ました』」過去形だ。自分の言い過ぎもある。今の真摯な謝罪もある。「いつまでも不機嫌なのはカッコ悪いんで」それに何より、キヨミと子供たちに格好を付けたいのだ。

 

ユウの呼吸が一瞬、止まった。この人はもっと怒っているものだと思っていた。この人にもっと嫌われているものだと思っていた。だから、この人がこんなに優しく笑うものだとは思っていなかった。目つきに似合わない柔らかな笑顔を見て心臓がトクンと跳ねた。

 

 

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】おわり。



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第十一話【スケアリー・ストーリー・オブ・フィクション】

ミューズの触手が脳味噌に降りてきたのかわずか三日で出来ました


【スケアリー・ストーリー・オブ・フィクション】

 

 

カタカタカタカタ。痙攣めいた打鍵の音が暗い部屋に響く。プディング頭髪をした住人は音源のキーボードを狂ったように打っている。ただ一つの光源であるCRTディスプレイに血走った目と泡立つ涎が照らされる。正気の喪失は一目で見て取れた。彼が打ち込む文章からもそれはよく判った。

 

#KOWAI874:tera-:これはお話。フィクション。全部作り話。創作。現実じゃない。嘘っぱち。俺の妄想。非真実。白昼夢。夢物語。悪夢の話。

 

 

#KOWAI874:774:ドシタドシタ

 

#KOWAI874:774:ナンダナンダ

 

 

#KOWAI874:tera-:今年の冬頃だった。俺は金がなくてピィピィ言ってた。だから友人のSが持ち込んだ安いアルバイトの話にも飛びついた。

 

#KOWAI874:tera-:バイトに参加したのは俺とS、それにRとT。結局数が足りなかったそうで、バイト先は派遣会社からKを雇った。内容はTV撮影の下働きだった。

 

#KOWAI874:tera-:バイトの番組はスカムだった。『オクタマの奥地に怪人ハンザキを見た!』たしかタイトルはそんなんだ。素人番組以下。スポンサーが居るのに驚くレベルだ。

 

#KOWAI874:tera-:バイトの内容もスカムだった。機材と一緒に詰め込まれて移動。低俗番組専門タレントはバイト相手に王様気取り。撮影が始まってもスカム仕事は増える一方だった。

 

#KOWAI874:tera-:幸いKの手際がテンサイ級だったし、バイト先に仕事量の交渉もやってくれたから、暫くしたら一息つけた。全身黒一色でダサイ上に目つきの悪い奴だったが、いい奴だった。

 

#KOWAI874:tera-:そうこうして撮影が進んで夜になり、オバケのシーンを撮影することになった。だが、プロデューサーが唐突に場所の変更を言い出した。このプロデューサー、思いつきをねじ込んで撮り直しを繰り返させるスカム野郎だ。

 

#KOWAI874:tera-:問題はその変更希望先が、立ち入り禁止になってるってことだ。なにやら神聖なジンジャ・シュラインらしい。スカムプロデューサーは食い下がってたが、地元の村長の返答はNG。いい気味だ。

 

#KOWAI874:tera-:なのに夜になって、突然スカムプロデューサーがそこへ撮影に行くと言いだした。監督が許可について聞いてたが「ダイジョブダッテ!」としか答えなかった。ダイジョブだとは思えなかったし、実際無許可だった。

 

#KOWAI874:tera-:スケジュールの都合やら予算やらで結局、スカムプロデューサーの望み通り撮影することになった。移動中、青い顔したTがしきりにヤバイと呟いてた。テンプル出身の癖にジンジャが怖いのかと笑った。笑おうとした。笑えなかった。

 

#KOWAI874:tera-:撮影場所は悪い意味で番組に相応しかった。上の半分が無くなったトリイの奥に、緑に呑まれた廃シュライン。トリイは気が狂ったようにシメナワでシーリングされて、犯罪現場の『外して保持』テープめいてた。真夜中にこの光景は心臓に悪い。

 

#KOWAI874:tera-:アトモスフィアが出てると喜んでいたのはスカムプロデューサー一人だけ。誰も彼も、当然俺も腰が引けていた。Tに至っては失禁して失神しかねない有様だった。だがバイト代の為にはやるしかなかった。

 

#KOWAI874:tera-:撮影そのものは拍子抜けするほど順調に進んだ。その最中、洞穴を見つけた。当然、大喜びのスカムプロデューサーは入るように命令してきた。Tはドゲザして拒否した。たぶん、失禁もしてただろう。

 

#KOWAI874:tera-:結局、Tだけ残して入ることになった。俺も残りたかったが、金欠には逆らえなかった。洞穴には妙な物が沢山あった。ダルマ、マネキネコ、大量の薬品瓶、空っぽの檻。動物の白骨を見つけた時は、誰かが情けない叫び声を上げた。俺だったかもしれない。

 

#KOWAI874:tera-:撮影が終わり、皆そそくさと外に出てきた。スカムプロデューサーだけが満足げだった。出てみるとTの姿はなかった。先に帰ったのだろうと無理矢理納得した。探す気にはなれなかった。一刻も早くここから帰りたかったんだ。

 

#KOWAI874:tera-:Tは宿に帰っていなかった。電話もIRCも繋がらなかった。スカムプロデューサーはバックレて帰ったのだと決めつけていた。そうだと俺も思った。その方がいいと思った。

 

#KOWAI874:tera-:俺は眠れなかった。監督もスカムプロデューサーも一晩中起きててなにやら騒いでた。どうやら映像に妙なモノが映り込んで使い物にならなかったそうだ。撮り直しでまたあの場所に行くのだけはカンニンだった。

 

#KOWAI874:tera-:その上、不法侵入がバレたらしく、村長が怒鳴り込んできた。いったいどこでバレたのか。「おまえ達あそこに入ったんか!」って耳が痛いくらいに叫んでた。けど何というか、怒っているというより怯えてる声に聞こえた。

 

#KOWAI874:tera-:村長にバレた理由はすぐに判った。Tが見つかったからだ。村長が怯えてる理由もすぐに判った。変死体で見つかったからだ。

 

#KOWAI874:tera-:Tの死体は……うまく説明できない。強いていうなら空き缶だ。中身だけ無くなって、空っぽの外身が残っている。どう考えてもおかしかった。ヨタモノや発狂マニアックじゃこんな真似できない。

 

#KOWAI874:tera-:村長はオバケの仕業じゃって喚いてた。ジンジャで奉られてたノキザル様が、住処に土足で踏み込まれてキレたんだって。嘘っていうにはTの死体は雄弁すぎた。

 

#KOWAI874:tera-:頭の緩いスカムプロデューサーですら大急ぎで逃げ帰ろうとしてた。けど、「ノキザル様は追ってくる」の一言で座り込んで泣き出した。泣きたいのはこっちの方だ。お前のせいだ。

 

#KOWAI874:tera-:最終的に村長に泣きついて、地元のボンズに依頼することになった。ボンズのネンブツ・チャントでジャミングかけてテンプルに籠もる。ノキザル様が諦めるまでそれで耐える。正直、上手く行くとは思えなかった。でもそれに縋るしかなかった。

 

#KOWAI874:tera-:ウシミツアワーのテンプル内は真っ暗だった。居場所がバレるから照明も禁止、会話も禁止。絶対に扉を開けちゃいけないと厳命された。死にたくなかったから従った。だけど、死にそうになるくらい怖いんだ。

 

#KOWAI874:tera-:想像してみてくれ。指先も見えない闇の中でひたすらにボンズのネンブツが響いてる。あと聞こえるのは心臓と呼吸の音だけ。ブッダとオーディンとあの男と、思いつく限りの神様に祈ってた。

 

#KOWAI874:tera-:不運なことに祈りは届いた。何せノキザル様もジンジャに奉ぜられてる神様だったんだ。ネンブツが突然途絶えて、代わりに足音が聞こえだした。テンプル周りの玉砂利を踏みしめる音だった。

 

#KOWAI874:tera-:叫び出しそうになるのを腕を咬んで堪えてた。心音がめちゃくちゃうるさくて、どうやったら心臓を止められるんだって必死に考えてた。恐怖で頭がバカになってたんだ。

 

#KOWAI874:tera-:そしたらジャリジャリジャリジャリずっと鳴ってたのが急に止まった。唐突に静かになったのが怖くて耳を澄ましてた。

 

#KOWAI874:tera-:「アバーッ!」ボンズの声だった。多分、断末魔だ。

 

#KOWAI874:tera-:それで緊張の糸が切れた。「アィェーッ!」だれかが叫んで飛び出した。「アバーッ!?」悲鳴でSと判った。でも、どうやって首のなくなったSが声を上げ続けてたのか、今でも判らない。

 

#KOWAI874:tera-:皆が次々にテンプルから逃げ出した。そして次々に殺された。「アィェーッ!」「アバーッ!?」「アィェーッ!」「アババーッ!?」「アィェーッ!」「アバーッ!」「アィェーッ!」絶叫と血しぶきが飛び交ってた。

 

#KOWAI874:tera-:俺も耐えきれなくなって後を追った。死体と死体と死体と死体と死体と……まるでツキジだった。それかアビ・インフェルノ・ジゴクだ。そしてそれを作ったオバケで神様がそこにいた。

 

#KOWAI874:tera-:ノキザル様は恐ろしい神様だって、邪悪なオバケだって村長は言ってた。でも、あれはそれより恐ろしくて邪悪だった。あれは、あれは、あれは、あれは、あれは、あれは、あれは、

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:あれは

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:ニンジャだった

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:ニンジャが居たんだRの首持ってたRの首無かった皆首なかった皆首しかなかったスカムプロデューサーも監督も出演者もRもSもきっとTもだれもかれもみんなみんな死んでた殺されたニンジャに殺されたチョップで殺された殺されてた

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:ゴメン

 

#KOWAI874:tera-:上手くタイプできない

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:

 

#KOWAI874:tera-:ニンジャ

 

#KOWAI874:tera-:ニンジャがアイサツした

 

#KOWAI874:tera-:「ドーモ、ソウカイヤのフォークロアです」

 

#KOWAI874:tera-:テンプルから返事がきた

 

#KOWAI874:tera-:「ドーモ、フォークロア=サン。ブラックスミスです」

 

#KOWAI874:tera-:喉が嗄れるまで叫んだと思う。

 

#KOWAI874:tera-:後は覚えてない。気がついたら川の中にいた。声が出ないくらい喉が嗄れてた。

 

#KOWAI874:tera-:番組は初めからなかった。バイトも初めからなかった。SもTも誰もいなかった。行方不明だって。バイトの前から捜索願い出てた。そうなってた。

 

#KOWAI874:tera-:おわり

 

#KOWAI874:tera-:おわり

 

#KOWAI874:tera-:おわり

 

 

#KOWAI874:774:良い!

 

#KOWAI874:774:肝臓が冷えました

 

#KOWAI874:774:後半結構インパクト有ったな。

 

#KOWAI874:774:でもニンジャはないだろ。オバケの方がいいと思うぞ。

 

#KOWAI874:774:だよなぁ。リアリティないし。

 

 

「そうだよそうだよそうなんだよニンジャなんかリアルじゃないんだホントじゃないんだ嘘だ嘘っぱちだだからアレも嘘だ嘘なんだ全部嘘」プリン頭髪をシェイカーめいて上下に降り、否定をひたすらに肯定する。振りまかれる涎でキーボードは水に沈めた有様だ。

 

「俺は何にも見てない何も覚えてないSもTもRもいなかった全部妄想全部間違い全部作り話嘘っぱち嘘で方便全部嘘だ嘘だ嘘だ嘘」ヘイキンテキはとうの昔に失われ、ラクダの背骨には既に亀裂が走っている。

 

DING―DONG! 「アィェッ!?」そして玄関のベルが響き、最後の藁が乗せられた。DING―DONG! 「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」カタカタ鳴る歯と同じリズムでマントラめいた否認を繰り返す。DING―DONG! 「嘘、嘘、嘘、嘘」抱えた膝にダチョウめいて顔を突っ込み現実から目をそらす。

 

DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG! DING―DONG!

 

突然の静寂。

 

ドアが開いた。「ドーモ」そこにいた。「ソウカイヤから来ました」それがいた。「クリーピーパスタです」ニンジャがいた。

 

「アィェーッ!? ァイェェエェーッ!! ナンで!? ニンじゃナンでぇぇェーーっ?!」音程がぐちゃぐちゃの壊れたラジオめいた叫び声が迸る。

 

「イヤーッ!」「アィェェェ……」証拠隠滅か、スリケンがUNIXを二つに割った。これでもうIRCに逃げ込むことは出来ない。残る行先はアノヨだけだ。

 

「創作怪談が好きなようだな。喜べ、貴様はこれから存在ごとフィクションになる」「故に邪悪なニンジャの悲鳴は誰にも聞こえぬ。思う存分に泣き叫ぶがよい」「アィェェェ……!?」股間がなま暖かく湿った。

 

ニンジャが警戒を見せる。「だれだいまの」「アィェェェ……!」ゆっくりと窓を指さす。そこにいる。それがいる。「いや、そんな!? 嘘だ……負け犬どもの方便の筈だ! お前は!」ALAS! 窓に! 窓に! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤 黒 の !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【スケアリー・ストーリー・オブ・フィクション】おわり。



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第十二話【ニンジャ・ヒーロー】#1

【ニンジャ・ヒーロー】#1

 

 

「イヤーッ!」夕方の中層向けコケシモールに場違いな声が突如響いた。それはカラテ・ヒーローショーのシャウトでも、新作映画PV主人公の雄叫びでもなかった。それは甲高い悲鳴だった。

 

「アバーッ!」また悲鳴が上がる。肺腑の底から絞り出した断末魔だ。KABOOM! 「アィェッ!?」さらに爆発音が追加で鳴り響く。

 

金切り声、絶叫、爆音。「ナンダナンダ!?」「ドシタドシタ!?」比較的安全安心な筈の中間層向けモールでの異常事態。何が起きているのか判らない。不安が感染症めいて伝播していく。

 

不安は疑心を生み、疑心は暴動を起こす。このままではパニックが危険だ。「直ちに危険はありません! カチグミのお客様は非常用エレベーターに案内します!」すぐさま高年収コケシモール店員が避難誘導に取りかかる。

 

しかしパニックより先に危険がやってきた。「マケグミのお客様はその場で待機「ヒャッハーッ!」アバーッ!?」「ンアーッ……」先の悲鳴の主を引きずって、悲鳴の元凶達が現れたのだ。

 

「「「アィェェェーッ!?」」」その姿にパニックが遅れて到着する。ヌンチャク、シュリケン、赤黒い装束、ブラックベルト。そして『殺』! 『忍』! 恐怖の二文字が描かれたメンポ! 

 

「「「ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」」」それはまるで……ニンジャだったのだ! 

 

「おれたちゃニンジャだ!」「カネモチ殺す! カチグミ殺す!」「正義のニンジャ団だぞ!」「カネモチとカチグミは全員立て!」無論、外観だけの偽物だ。本物がいるはずもない。

 

「ヒャハッハーッ!」「ニンポするぞ!」「ピストル・ニンポ! バンバン!」「アィェェェ……」だがDNAに刻まれた恐怖が否定を否定する。

 

「カチグミだな!? 財布出せ! 金出せ! 全部出せ! 出さないと撃つぞ!」BLAM! BLAM! BLAM! 「グワーッ!」それに偽物でも危険に変わりはない。発狂マニアック集団でも人殺しはできるのだ。

 

「誰か!」「オタスケ!」突然のジゴクに助けを喚ぶ声が幾つも響く。だが担当の武装警備員は現れない。突如爆発したUNIXと合い挽き肉になって、監視室の壁にへばりついている。

 

「ナンデ!? ナンデ助けこないの!?」「ヒャッハーッ! ストライク!」「グワーッ!」別部署の武装警備員は急いでいるが、これまた突然起動したオフィス用殺人トラップに阻まれ、未だ到着ならずだ。

 

『貧乏すればワルモノになる』コトワザにあるように追いつめられれば善人でも奥ゆかしさを投げ捨てるもの。「モウイヤダー!」「アィェーッ!」被害者たちは他人を押し退け逃げだそうとする。

 

「ナンデ!? ナンデ開かないの!?」だが、なぜか唐突にエレベーターは沈黙し、シャッターは自主的に幕を下ろした。「ヒャッハーッ! 逃げちゃダメだぜーッ!」「アィェーッ!」乱取りボーナスステージはまだまだ続く。

 

「イヤッハーッ! 君カネモチだけどカワイイだね!」「ヤーッ! トイレで正義前後するぞ! ハーッ!」「アィェェェ! イヤです! ヤメテ!」そんなアビ・インフェルノの片隅で、不運な高級オーエルが偽ニンジャに襲われている。

 

「ナンデ!? ナンデこんな目に遭うの! アィェェェ!」恋人を友人に寝取られ、仕事では同僚のミスを押しつけられ、心機一転のショッピングでこの大事件。なんたる不幸か! 

 

「ンァッ……ヤメテ、ヤメテ……」半開きのトイレからは前後運動されているややうつろな目の未来予想図が見える。このまま連れ込まれてファックアンドサヨナラされてしまうのか? 「誰か! タスケテ! オネガイします!」救いを求めるが、助けは見えない。

 

「おい」だが、声がかけられた。視線の先には太陽灯で焼き上げられたシミ一つない小麦色の肌。オーガニックコットンのパンツをイナセに履いて、キョート友禅染のジャケットを小粋に羽織る。カラテ・ヒーローショーの紙袋が玉に傷か。

 

「貴方! タスケテ! オネガイします!」「……!」突然現れたカチグミの白騎士にオーエルは縋りつく。しがみつかれたカチグミ青年は一瞬ひどく微妙な顔をした。「……おい、そのメンポはどうしたんだ?」が、すぐに偽ニンジャたちへ向き直る。

 

「こいつカネモチだよな?」「きっとカチグミだよな?」偽ニンジャは答えようともせずに互いに頷きあう。問いかけに答えないのはカナリ・シツレイだ。「「なら殺そうぜ!」」そして殺人はさらにシツレイだ! 

 

「ヒャッハーッ!」違法ショックヌンチャクが振り下ろされる! 当たれば感電死だ! 「ヒャッハーッ!」グラインダー改造ジュッテが振り下ろされる! 当たればネギトロ死だ! 

 

……それはどちらも当たれば話だ。「イヤーッ!」「「グワーッ!?」」カチグミ青年が霞み、殺人武装がすり抜け、偽ニンジャが吹き飛んだ! 

 

「僕は質問してるんだぞ。答えろよ」バウッ! バウッ! それは如何なるサイバネか。青年が拳を握り直す度に小爆発が飛び散る。「「アィェェェ……!」」理解の埒外な驚異を味わい、今度は偽ニンジャが恐怖の声を上げる番となった。

 

「もう一度聞くぞ、そのメンポはどうやって手に入れた?」「ハ、ハイ! ここを襲う仕事で支給品にもらいました!」「だから出所とか何も知りません!」無関係を必死にアッピールする偽ニンジャたち。だが、それを相手が信じるかは別問題だ。

 

バウッ! バウッ! 小爆発が飛び散る。開いた手に紅蓮がくすぶる。「……顔を焼けば、もっと詳しく喋るかな?」「俺たち依頼されただけなんです!」「依頼人の顔も知らないんです!」だからヤメテてくれと必死に縋る。

 

だが獲物の悲鳴に顎を緩める肉食獣はいない。青年は紅蓮の炎を帯びた手を『殺忍』メンポへとゆっくりと近づける。「ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ!」「アーッ! アーッ! アーッ!」

 

「ドシタドシタ?」「ナンダナンダ?」幸運にも、あるいは不幸にも泣き叫ぶ声に反応したのか他の偽ニンジャが集まってきた。だが彼らに仲間意識などない。「あっ、カチグミじゃん!」「的当てやろうぜ!」「一位があのオーエル前後で!」あるのは捕食者の優越感と破壊の快楽だけだ。

 

「俺いっちばーん! イヤッハーッ!」WHIZ! 誤射など気にもせずシュリケンボーガンが風切り音を立てる。「え」だがシュリケンが人肉に突き立つ音はしない。「エッ?」CRACK! するのはシュリケンが握り砕かれる音だけ。

 

青年の目が赤くひかった。恐怖の化身を前に冷感が背筋を走る。「アィェッ!?」青年が手を振るうと紅い残像が宙を走る。「イヤーッ!」「アバーッ!?」それは偽ニンジャの頭を真っ赤に染め上げた。

 

「「「アィェェェ!」」」BLAM! BLAM! BLAM! 恐怖に駆られるままに残りの偽ニンジャは引き金を引く。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「アバーッ!」「アババーッ!」「アバッ!」だが目前の『恐怖』に刈られるのは彼らの方だ。

 

「「アィェェェ……」」「いい加減話す気になったかい?」インタビュー予定の偽ニンジャはしめやかに失禁した。歩を進める青年から必死に距離をとる。黄色い一筆書きを残しながら後ずさる姿は実際情けない。

 

だが彼らを責めるのは酷だろう。遺伝子に刻まれた恐怖を前にして抵抗できる人間はまずいない。「「アィェェェ! オタスケ!」」「ヨタモノ2発見!」「あ」BLALALAM! 「「アバーッ!」」「あーあ」彼らのようにパニックを起こして死ぬのが殆どだ。

 

「ヨタモノ2射殺!」「カチグミ2救助!」騎兵隊に無法者が助けを求めた所で、蜂の巣にされるのが当然であろう。BLALALAM! BLALALAM! 「アバーッ!」「アババーッ!」彼ら同様に偽ニンジャ達は押っ取り刀で駆けつけた武装警備員に次々に射殺されていく。

 

「ハァ……」その光景にため息を漏らすと、青年は死体からはぎ取った『殺忍』メンポを紙袋に放り込む。「あ、あの!」その背に熱っぽい声がかけられた。吊り橋効果と新しい恋の予感に、オーエルの心臓が高鳴る。

 

「貴方のお名前は!?」「あー、そのー、えー、ゴンベ・ドゥです」偽名オブ偽名。答える気ゼロだ。予感だけで破れた恋にオーエルの膝が折れる。せっかくのカチグミでカネモチでイケメンでタフガイでジェントルなのに手応え皆無。なんたる不幸か! 

 

「アー、ダイジョブですか?」「ダイジョブです!」だがオーエルは再び立ち上がった。未来はまだ明るい。夢がある。何せこの世にはカチグミでカネモチでイケメンでタフガイでジェントルという奇跡が実在すると知ったのだ。なんたる幸運か! 

 

「なら良かった。じゃあこれで」「あの!」立ち去ろうとする青年に力強い声が届いた。「アリガトゴザイマシタ!」「……………………いえ」深くオジギしたオーエルには彼の顔に浮かぶ表情は見えなかった。

 

コケシモールを離れ、彼は足早に道を行く。その手には紙袋から取り出した『殺忍』メンポが握られている。バウッ! バウッ! 握り直した拳から火の粉が舞った。胸の内で紅い熾火が燻る。

 

「放っておく訳には、いかないな」紅蓮の火を宿す目で、カチグミ青年……”ヒノ・セイジ”はそう呟いた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

「ウーム」ハイソなマーブル壁に場違いなコルクボード。それを眺めてセイジは唸った。ニュース・スクラップのピン留めとタコ糸で紡がれた蜘蛛の巣は何も答えてはくれない。

 

探偵コミックスの流儀でやってみたが、そうそう上手くはいかなかった。「また、まだ、ヒーロー気取り……か」そして上手くいかないとネガティブが顔を出す。

 

疲れているんだ。ライムと天然塩を溶かしたオーガニック炭酸で、ワ・サンボンの打ち菓子を流し込む。ソーダの刺激とナチュラル糖の甘みがリラックスをもたらしてくれる。

 

「ムーウ」黒豹めいたセクシーな背筋が伸びる。カチグミ向けの高級チェアは軋み一つ立てずに優しく包み込んだ。柔らかな間接照明に照らされる高い天井をぼんやりと眺める。

 

「整理しよう」『殺忍』メンポとそれをシンボルにするテロリスト群。何のために? 何故『殺忍』をシンボルに? ハッカーがいれば良かったが、バカな自分のせいで頼る先はない。親友に縋り付くのは……もう少し後だ。

 

それでもニュースをつなぎ合わせ、IRCの噂話を積み重ねた。テロに泣かされたのは社会弱者向け福祉と大企業の末端だ。手の届きやすい標的と憎みやすい相手。それ以外に共通項も関係もなかった。

 

何もおかしくない。「……それだけ?」だが何か引っかかる。背を起こしてコルクボードを睨みつける。『事件の犯人は利益を得るものだ』参考にした探偵コミックスで、プライベート・アイはこう言っていた。

 

被害者ではなく、受益者を探せ。新たな視点に従い、スクラップを並べ替え、糸を張り直す。「ブッダ、ブルズアイだ!」そこには騙し絵めいて見えなかった光景がくっきりと浮かんでいた。

 

テロ被害後に業績を伸ばした会社はどれも『ネコソギファンド』から出資を受けていたのだ! 『クリーンな経営』『社会の支え』が謳い文句の新興投資メガコーポだが、出資先の暗黒企業群をみる限り、建前と本音は随分と離れているらしい。

 

それだけではない。「確かここに……」かつてセイジは理想像(ヒーロー)気取りで私刑を振るっていた。狂気と妄想に逃げ込み、他人を踏みにじった苦く後ろめたい過去。

 

その始まりであるニンジャ”フリント”が残した資料に名前を見た覚えがあったのだ。資料を引きずり出し、束ねた紙をめくる。「これだ」程なくして探していた文は見つかった。

 

『ネコソギファンド:ソウカイ・シンジケートと何らかの関係性。フロント企業の一つか?』ソウカイ・シンジケート。かつて自分が憧れ、形だけを真似た『彼』と敵対している大規模ニンジャ組織だ。

 

だが、それと『殺忍』テロリストと何の関係が? 『殺忍』テロリスト……『殺忍』……『忍殺』……「ああ、そうか」死神を示す二文字をひっくり返し、暴虐をまき散らすテロリストのシンボルに貶める。

 

つまりこれは、ニンジャを殺すニンジャを引きずり出すための挑発行為だったのだ! 「………………」バウッ! バウッ! そしてこれは自分が犯した罪業の再現行為でもあったのだ! 

 

ぎりりと歯が鳴った。空気が歪むほどのアトモスフィアを帯びてセイジは居間を後にした。バウッ! バウッ! 重苦しい沈黙の代わりに、爆ぜる火の粉が雄弁に内心を物語る。

 

照明もつけない薄暗がりの中、セイジは無言で自室の秘密扉を開く。そこには血の色をしたニンジャ装束と歪んだメンポが埃を被っている。どちらも状態は酷い。

 

特にメンポは顔につけ難いほどに歪み、読みとるのがやっとなほど表面の文字は酷く掠れている。セイジの指先が埃まみれの痕跡をなぞった。

 

『忍』……『殺』……。指の跡はかつて描かれた文字を現した。歪んだメンポを握りしめる。手の中で紅い輝きがジリジリと鳴き、埃と共に文字の跡が、消えた。

 

それをポケットにねじ込むとセイジは部屋を後にした。赤黒の装束は暗闇に溶けて消えた。

 

 

【ニンジャ・ヒーロー】#1おわり。#2に続く。



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第十二話【ニンジャ・ヒーロー】#2

【ニンジャ・ヒーロー】#2

 

ネオサイタマはケオスの土地だ。ドブが香るスラム街の真横に高級美麗タワーが立ち並び、昨日開いた店舗が店じまいする横では江戸時代から変わらぬシュラインが鎮守の森にくるまれてる。

 

このオクモツ・ヒルズもネオサイタマらしい混沌の子供だ。ミキ建築の再開発地区の一部を、袂を分かったミキ・ビルディングが札束を積んで奪い取り、突貫工事で仕上げた複合施設。

 

宗家のモリ・テンプルを挽き潰して建つ虚栄の巨城には、『歴史を愛してます』『長年が誇り』の欺瞞的アドバールが浮かび、分社モリ・テンプルとミキ建設本社を見下している。

 

しかしその全てが客にとってはどうでもいいことだ。重要なのは過剰広告で刺激された物欲を満たせるか、セレブリティ・スノビズムな高意識優越感を味わえるか。

 

どうでもよくないと考えるのは、チャ・カフェで一人思案に耽るセイジくらいのものだろう。「ねぇ、君一人?」「いえ、人を待ってます」さわやかな笑顔で逆ナンパを断り、買い物客の流れを眺める。

 

「ハンサムだよね」「きっとカチグミだよ」「誘ってみようよ」(((何も見つからなかったな……)))チラチラと向けられるお熱い視線を無視し、セイジは中断した思案を再開する。

 

このオクモツ・ヒルズを建築したミキ・ビルディングだが、元会社のミキ建設を裏切って元副社長が設立した会社だ。結果ミキ建設は多大な赤字を算出し、融資の代価としてネコソギファンドの配下に下った。

 

両社長は実の兄弟でもあり、それだけに恨みは深い。だからこそ『殺忍』テロリストに都合良く襲われてもなんらおかしくはない。テロリストの動きからして次に狙われる可能性は最も高い。

 

(((そう思ったんだけど)))探せるだけ探したが『殺忍』テロで頻用されるUNIX爆弾も見つからず、ヒルズ私設武装戦力も十分以上。これではテロを実施した処で返り討ちに逢うのがオチだ。

 

しょせんは素人考えだったか。まぁテロが起きないならそれでいい。「少しいいですか?」「私たちここ来るの初めてなんです」「案内をオネガイできませんか?」気分転換だ。少し遊んでいこう。

 

「ハイ、ヨロコンデー」「「「ヤッタ!」」」優しげなイケメンカネモチへの声かけに成功して少女ら三人は大興奮だ。案内を口実にこのままお近づきになって、あわよくばセレブ世界へ足を踏み入れるのだ。

 

だが、その願いは叶わない。KARAーTOOM! 「「「アィェッ!?」」」突如爆発音が響きわたる。火を噴いたのはヒルズ私設武装戦力の詰め所だ。「火グワーッ!?」戦闘服を着た火達磨が飛び出したから間違いない。

 

BTOOM! BTOOM! BTOOM! 「「「アィェーッ!」」」ついで各店舗のレジUNIXが連鎖爆発する。当然チャ・カフェのレジスターもだ。「イヤーッ!」BTOOM! それをセイジはいち早く蹴り上げたテーブルで受け止めた。

 

「君ら怪我は?」「あ、ありません」「わ、私も。で、でも友達が」「だ、ダイジョブ。こ、腰抜かしただけ」「隠れてて! イヤーッ!」少女らの安否を確認するやセイジは飛び出した。

 

何とも幸運にも予想通りにテロが起きた。最悪の気分だ。胸の内で紅い怒りが熾火めいて燻る。バウッ! バウッ! 怒りは握り開く拳から火花となって飛び出した。

 

「アィェーッ!」「ヒャッハーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!?」飛び出した『殺忍』テロリストを弾き跳ばし、セイジは被害の中心へ向かって駆けた。

 

───

 

紅蓮の風がジゴクを吹き抜ける。燃えさかる店舗、泣き濡れる被害者、転がる死体。目を覆わんばかりの光景が色付きの風となって流れ去る。

 

そしてセイジはエントランスへと飛び込んだ。「!!」そこには……おお、ブッダ! 死体、死体、死体、死体、死体、死体だ! カネモチ、カチグミ、サラリマン、ペット。老若男女ありとあらゆる死体で満ちている! 

 

それはまるでツキジ……ですらない! 足のもげた死体、服を剥がれた死体、顔を削られた死体。損壊した死体、弄ばれた死体、辱められた死体! まともな死体は一つもないのだ! 

 

ALAS! ブッダよ! アミダ・ブッダよ! 今一時目を覚まし、四苦八苦に悶えた彼らに安らかなる死後を与えたまえ! ナムアミダブツ! ナムアミダブツ! ナムアミダ・ブッダ!! 

 

「…………」アビ・インフェルノ・ジゴクを見るセイジの顔に浮かぶのは、ノウ・オメーンめいたフラットな無表情だ。血走った目と血が滲む拳だけが、内なる感情を現している。

 

踏み出した足下に何かが触れた。当然死体だ。それも幼い少年の死体だ。その苦痛と恐怖に満ちたデスマスクには、『殺忍』の二文字がナイフで刻印されている。

 

赤熱する指先で頬に焼き印した『忍殺』の二文字が、少年の顔と重なる。それはかつて自分が傷つけた被害者のパロディか。「ザッケンナ……」バウッ! バウッ! ボウッ! 両腕が紅色の炎をまとった。

 

「ザッケンナコラ…………!」胸の奥底で火の粉が噴き上がる。それは両手から立ち上る炎めいて燃える、紅蓮の怒りだ。

 

「ザッッッケンナコラーーーッッッ!!!」溢れた紅蓮はジェット噴流めいた推進力へと転じた! 燃えさかる残影をたなびかせ、深紅の熱風が吹きすさぶ! 真っ赤な暴風が向かう先は、テロリストの悪意の地! 

 

「アィェーッ!」「ヒャッハーッ!」哀れな小動物を守ろうとするペットショップ店員の目前で放火せんとする『殺忍』テロリスト! なんたる非道か! 「正義火葬だヒャッハーッ! 「イヤーッ!」アバーッ!?」紅蓮の風がテロリスト焼却! バイオペットの目前で人間松明! 

 

「アィーッ!」「ヒャッハッ!」妻だけでも逃がそうとする老紳士に鉛弾を打ち込み、連れ添いにまで向ける銃口を『殺忍』テロリスト! なんたる非道か! 「正義私刑だヒャッハ「イヤーッ!」アバーッ!?」紅蓮の風がテロリスト貫通! 老夫婦の目前で風通し良好! 

 

「アィッ!」「ヒャハッ!」崩れ落ちた父親に縋りつく幼児を踏みしだき、耐えられぬほどの重量を加える『殺忍』テロリスト! なんたる非道か! 「正義駆除だヒャ「イヤーッ!」アバーッ!?」紅蓮の風がテロリスト粉砕! 親子の目前で床面再塗装! 

 

「イヤーッ!」「アバーッ!?」「イヤーッ!」「アバーッ!?」「イヤーッ!」「アバーッ!?」紅い暴風が瞬く間にテロリストを吹き飛ばす! 燃え盛るカラテ業風を前にして、三下テロリストはロウソク・ビフォア・ウィンドの運命にあった! 

 

「アレヤッベ! アレヤッベェよ!」「アレなんだよ!? アレどーすんだ!?」「アレ出せ! アレ!」吹きすさぶ紅い火炎旋風に慌てふためくテロリストたちは、IRC端末を操作する。ガション、ガション。機械音を響かせてアビインフェルノの下手人が姿を現した。

 

赤黒の逆間接が支える鋼鉄の巨体に、バイオスモトリすら容易くネギトロするガトリング。そう、これこそオムラ・インダストリが誇る治安維持殺戮ロボニンジャ”モーターヤブ”……ではない! 

 

鉄腕が握る格闘器械は圧制の象徴たる電磁サスマタではなく、ヤクザ性の体言たる電磁ロング・ドス・ダガー! 「「「正義スッゾコラー悪党!」」」発する音声も無感情な合成音声ではなく、無慈悲なるヤクザテロリストスラングだ! 

 

「「「悪漢ザッケンナコラー粛正!」」」そしてヤクザテロリストスラングを発するのは、鉄のボディから突き出たクローンヤクザヘッドなのだ! そう、これこそ悪夢と狂気のコラボレーション”モーターヤクザ”である! 

 

「ヤッチマエーッ!」IRCから下された抽象的な指示に従いチャカ・ガトリングが唸りをあげる! 「「「断罪スッゾコラー悪人!」」」BLATATATA! BLATATATA! BLATATATA! 三重の砲火網が紅の影に覆い被さった! 

 

二機が弾幕で逃げ場を奪い、もう一機が飽和火力で押しつぶす。なんたるヤクザの冷酷と機械の無情を併せ持った異形混血児の怜悧なる殺戮タクティクスか! エントランスの犠牲者たちはこうして効率よく鏖殺されのだろう。

 

だがしかし! 「イヤーッ!」それは無辜にして無力なモータル相手の話だ! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」燃えさかるカラテで弾雨をかき分け、紅の影はキルゾーンを突破した! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ピグワーッ!?」「ピグワーッ!」「ピグワーッ!!」さらに返礼とばかりに両腕を振るうと、燃える鉄片が無防備なヤクザヘッドに突き刺さる! 弱点むき出しとはなんたる粗雑! しかし違法改修でメーカー保証外だ! 

 

「ヤ、ヤレー! ヤるんだよーっ!」圧倒的カラテを前に恐慌状態のテロリストは粗雑な指示を下した。「「「悪逆ザッケンナコラー懲悪!」」」忠実なるクローンヤクザヘッドは愚直にも無謀な命令に従うのみだ。

 

「刺殺スッゾコラー悪者!」腰だめに構えた電磁ロング・ドス・ダガーが迫る! 前面にペイントされた『殺忍』メンポ絵図が、紅い影を嘲り笑うようだ。「イヤーッ!」「ピアバーッ!?」弾道跳躍カラテパンチでヤクザヘッドが四散! 当然即死! 

 

「撲殺スッゾコラー悪玉!」風切り振り上げられたチャカガトリングが迫る! 側面にショドーされた『慈悲がない』『殺すべき』の文字が、紅い影を嘲り笑うようだ。「イヤーッ!」「ピアバーッ!」対空チョップ突きでヤクザヘッドが分断! 当然即死! 

 

「轢殺スッゾコラー悪役!」軋み音と共に突き出された鳥足ヤクザキックが迫る! 粗雑に塗りたくった赤黒のペンキが、紅い影を嘲り笑うようだ。「イヤーッ!」「ピアバーッ!!」二段トビゲリでヤクザヘッドが炸裂! 当然即死! 

 

「ナンデ!? ナンデ死なないんだよ!? フツー死ぬだろ!?」パニックに至ったテロリストは指示を出すことすら忘れて泣き叫ぶ。尤も、指示を受け取るべきモーターヤクザは今全て機能停止した処だ。

 

そしてテロリストの目前に立った紅い影は懐から一片の黒鋼を掴み出した。握りしめた拳から同じ色合いの炎が吹き出す。炙られた黒鋼もまた紅色に赤熱し、飴か餅めいてその形を変える。

 

そして影は黒鋼を、両手で顔に押しつけた! SIZZLE! 蒸気をまとう黒鋼は顔の形に柔らかく変形した。無『字』の黒鋼メンポに覆われた顔をゆっくりと上げる。

 

 

「「「ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」」」それはまさしく……ニンジャだったのだ! 

 

 

『噂すると影が刺す』『ヤクザの真似するとヤクザがドアを叩く』幾多のコトワザに謳われるように、ニンジャを装いニンジャごっこに興じたテロリストの前に、怒れる真のニンジャが現れた! 

 

そして本物の半神的存在を前にして、偽物ができることはただ一つ。「アイェーッ! オタス「イヤーッ!」アバーッ!」恐怖に震えて死ぬことだけだ。

 

「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」

 

「イヤーッ!」「アバーッ!」最後の一人の首が飛んだ。瞬く間に全てのテロリストは死に絶えた。タイガーの威を借るコピーキャットは本物に食い尽くされ、もう一匹も残ってはいない。

 

あるのは被害者と加害者の血と屍で再塗装された大広間。そして流れ出た血液より紅い炎を纏ったニンジャだけだ。

 

ニンジャが炎を消し、メンポを外す。そこにはただのカチグミ青年がいた。彼は、セイジは血塗られたエントランスを後にした。

 

───

 

燃えさかるオモチャ店の前で声もなく泣き崩れる女性。その手には子供向けヒーローチャームが握られている。他にも幾人か絶望しきった顔の保護者たちがいる。

 

出入り口間際で炸裂炎上したレジUNIXは子供たちの逃げ場を奪った。子供たちの夢溢れるオモチャ屋は、今や火にかけられたネズミ袋に等しい。

 

絶望がまた一滴、頬を伝いしたたり落ちた。波打つ涙の水たまりに揺らめく影が映る。ブラックベルトを締めた影は、躊躇いなく火の中へと消えた。また一人、誰かの親が火の中へ飛び込んだのだろう。

 

いっそ、その方がいいのかもしれない。子供たちだけで怯えながら燻り死ぬくらいなら、共にアノヨに向かう方が愛し子の慰めになるだろう。

 

「ゴメンね……コワイだよね……直ぐに、お母さんも、そっちに逝「イヤーッ!」アィッ!?」母の悲壮な決意を突然のシャウトが吹き飛ばす! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」場違いな雄叫びが圧倒的カラテで燃焼音をかき消す! ヒーロー気取りの狂人が無根拠の過信で飛び込んだのか!? 

 

だが見よ! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」カラテシャウトが響く度、燃えさかる炎が解け崩れて消えて行くではないか! 瞬く間に猛火は下火となり、ついには小火と化す! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ブッダ……」母の目に再び涙が滲む。それは溢れ出た絶望ではない。それは漏れ出した希望だ。「どうか」「お願い」気づけばどの親も掌を合わせ、両手を握っていた。

 

「イィィィヤァァァーーーッッッ!!!」最後のシャウトが響きわたり、最後の炎がかき消えた。期待と不安と待望と疑心。幾多の思いで沈黙が張りつめる。

 

そして……「ママ?」……希望が姿を現した。「パパ!」「お爺ちゃん!」「怖かった!」次に次に現れる小さな影! 子供たちは皆無事である! 

 

「ブッダ! オーディン! 神様! アリガトゴザイマス! アリガトゴザイマス!」「ママ、違うよ!」少年は火の消えたオモチャ店を指さす。子供たちの後に続き、火傷した親御さんを背負って小麦色のカチグミ青年が姿を現した。

 

「ああ、アリガトゴザイマス! 貴方のお陰です!」「まさにブッダのアバターだ!」「慈悲がある!」「勇敢な!」何をしたのか誰も判らない。だが子供らを救ったのは誰もが判った。

 

「ねぇねぇ、お兄ちゃんはヒーローなの?」「違うよ、カラテマンだよ! ブラックベルトしてたもん!」「違うよ、ニンジャだよ! メンポつけてたもん!」無邪気な評価に青年は苦い微笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、きっとニンジャ・ヒーローだよ! 助けてくれたもん!」その声に僅かに目を見開き、そして静かに閉じた。胸に当てた拳から紅い光が漏れる。まるで闇夜の焚き火めいた暖かな光だ。

 

青年は少年に目の高さを合わせた。「怪我はなかったかい?」「うん! ダイジョブ! アリガトゴザイマス!」勢いよく下げた頭を優しくなでる。その手は暖かかった。

 

「こちらこそ、アリガトゴザイマス」「えっ?」助けてくれたのにナンデお礼を言うんだろう。不思議そうな顔に微笑みかけると青年は歩き出した。

 

「あの! お礼を!」「今、貰いましたので」涙で滲んだ視界の中、差し込む夕日に後ろ姿が溶けていく。その背中を少年は見つめていた。子供たちも見つめていた。誰もが見つめていた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

TELLL! TELLL! 『ハイ、モシモシ。“カナコ・シンヤ”です』「やぁ、カワラマン。僕だ。手を貸せよ」『承った。で、内容はなんだ? カラテ王子』「そりゃあもちろん」力強い声が太々しく笑う。「悪党退治さ」

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

「オイ、判っているんだろうな?」焦げたLAN端子が目立つ頭にジカタビ・ブーツが乗せられる。ジワリと股間が濡れた。だが当然だ。このブーツの主はほんの少し力を込めるだけで頭蓋骨を生卵めいて砕けるのだ。

 

「ハイ、判っております!」だから”ナブケ”はドゲザをさらに深めた。セプクを願うほどの屈辱を覚える。だが当然だ。このブーツの主こそ裏社会の最上位捕食者にして、人類の上位種なのだ。

 

「ほう、非ニンジャのクズにしては知的なことだ」そう、プレジデント椅子に腰掛け、ナブケのドゲザ頭に足を掛ける、この水銀鎧武者は……恐るべきソウカイ・ニンジャ”モーフィン”なのだ! 

 

「ハイ、アリガトゴザイマス!」「ならば何故、結果を出せない?」「ハイ、スミマセン!」モーフィンが小突くTV画面には『カチグミ英雄テロリズムから救う』『カネモチは勇気も豊か』『名乗りなく奥ゆかしい』のテロップが流れている。

 

「これがどれだけ重要な案件か判ってないようだな」「イイエ、スミマセン!」ZINK! 水銀スリケンが『殺忍』とペイントされたメンポに突き立つ。カラテ格差アッピールにナブケの股間の染みが面積を増し、部屋の隅で縮こまる小さな影の振動数が増した。

 

だが……『殺忍』メンポ? それがここにあるということは、つまり……「これはゲイトキーパー=サン直々の大正義プロジェクトだ。失敗は赦されぬ!」BAM! 

 

平手を叩きつけた壁には『殺忍』にバツをつけるがごとくクロスカタナエンブレムが重なる! なんたることか! 『殺忍』テロリズムの背後にはソウカイ・シンジゲートの影があったのだ! 

 

テロリズムの目的はその名の通り恐怖を振り撒き社会に混乱を撒き散らす事だ。『殺忍』テロリズムもまた度重なる破壊と殺戮で社会不安を醸造し、強いリーダー(ラオモト・カン)を求める世論を誘導する目的があった。

 

「だというのに貴様の無能でまるで効果が上がらんわ!」「ハィェッ!?」みしり。苛立ちを込められて頭蓋骨が軋む。股間の水溜りに加えて、打ちっぱなしコンクリに擦られた額からも血が溢れる。部屋角の小柄な人影も、恐怖で身体を更に小さくするのに必死だ。

 

ネオサイタマの群衆は目先の快楽に即応する。強いリーダーを求める空気は、都合良く現れたカチグミでカネモチでイケメンでタフガイでジェントルなヒーローに流れた。これは民衆の不安を掻き立てたソウカイヤのインガオホーとも言えよう。

 

だがソウカイヤがそんな反省をする筈もない。全ての責務は弱者にあり、全ての成果は強者のもの。弱肉強食(ラオモトが総取り)、それがソウカイヤなのだ。

 

故にソウカイニンジャのご機嫌を取るならば相応の差し出しが必要となる。「こちらをご覧ください! きっとご満足いただけます!」生体LAN端子を繋いだUNIXがブラウン管にワイヤーフレームのビルを映し出す。

 

ピボッ。シミュレーションが走る。自爆したUNIXと仕掛け爆弾が連鎖し、マルノウチで最も有名なランドマークの支柱がへし折れる。パリワオワー! 倒れた巨大建造物が望み通りの二文字を象り、ジングルと共に画面は停止した。

 

「ほう。計算上の見栄えは随分な様だが、出来はどうだか」言葉は辛辣だが幾らか機嫌は上向いたようだ。ナブケの薄い頭髪に泥をすり付けると、モーフィンは足を除けた。

 

「必ず! 必ず効果をあげて見せます!」「ラオモト=サンはほとんどブッダにして完全正義。故に一度はチャンスを与えてやる」「アリガトゴザイマス!」

 

「次に備えてハイクと命乞いを用意しておけよ。非ニンジャのクズ!」嘲笑と侮蔑と痰を吐き捨ててモーフィンは部屋から姿を消した。

 

ナブケは足音が消えてからたっぷり100数えて、やっと頭を上げた。床から引き上げたその顔は憤怒と屈辱と憎悪で煮えたぎっていた。

 

「ザッケンナコラーッ! ナメッテンノカコラーッ!」大穴のあいた『殺忍』メンポをディスプレイめがけ投げつける。プレジデント椅子を蹴り飛ばし、テーブルをひっくり返す。

 

「クソッ! クソッ! クソッ! 痒い痒いんだよコラーッ!」ガリガリと音が鳴るほど生体LAN端子を掻きむしる。常態化しているのか指先も端子周りも傷まみれで、瞬く間に血が吹き出した。

 

血塗れの指でシャカリキを鷲掴み、バリキドリンクで流し込む。さらに血塗れの生体LAN端子から1024BPMの違法メガデモを注ぎ込む。トドメにZBRモクから煌めく紫煙を肺一杯に吸い込んだ。

 

「キク……遙かにいい……!」アッパー系ドラッグとハイビート電脳麻薬のカクテルでニューロンが連鎖発火する。バチバチと音を立てて歪む視界の中、脈打つ『殺忍』マークがクロスカタナの拘束の中でのたうち回る。

 

卑屈な恐怖は薬物とスパークして、連鎖核反応めいた怒りに変換された。「オイ、ドラネコッ! テメェのウイルスは仕事したのかッ!?」「ンアッ!」怒りと興奮と衝動のまま、部屋の隅で小動物めいて怯えていた少女“ヨシノ”を蹴り飛ばす。

 

「ちゃんとした! しました! ンアッ! したから! 蹴らないで! ンアッ! ヤメテ! イタイ!」「ならなんで失敗してんだコラッ!? テメェを飼ってやってるのは慈善事業じゃねぇんだぞコラーッ! ナメッテンノカコラーッ!?」

 

「ゴメンナサイ! ゴメンナサイ!」「役立たずのドラネコが! 明日までに3ダースはウイルス作ってこい! できなきゃその面にドット・パターンで『バカ』をコンジョヤキ印してやっぞ!」

 

セリフと共に火の点いたZBRモクを必死で背ける顔に突きつける。「ヤメテ! ヤメテ! ヤメテ!」薄桃色したケミカル炎がどれだけ痛くて熱くて苦しいか、ヨシノは嫌というほど知っていた。

 

SHIZZLE! 「ンアーッ!」そして、どれだけイヤと叫んでも止めてくれないことも知っていた。想像通りの焦熱が、想像以上の恐怖と共に額に押し付けられる。800℃の苦痛と暴力に少女は泣いて屈することしか出来ない。

 

「ンアッ!」「さっさとウイルス作りに出てけ無駄飯食らい!」ひとしきりの動物虐待めいた児童虐待で興味を失ったのか、ナブケはヨシノを道端のタノシイ缶めいて蹴り飛した。

 

「クソがクソがクソがクソが……」血走った視線はTVニュースに釘付けられている。より正しくはそこに映るカチグミ青年の横顔に熱視線を注いでる。

 

「テメェのせいだ。全部テメェのせいだ……!」BAM! 気にくわないニュースを写すCRTへと不快感に従って漆塗りキーボードをたたきつける。憎い憎い整った顔が、嘲笑うようにゴーストで歪む。

 

抉れた傷口と焦げたLAN端子をかきむしる。どれだけ抉っても頭蓋に入り込んだ熾火が取れない。カトンで炙られたあの日から、今でもニューロンをジリジリと焼き焦がしている。

 

「殺してやる、殺してやるよ、『ニンジャスレイヤー』……いや、コピーキャット(猿真似野郎)=サンよぉ!」停止したままのシミュレーション画面には、()()()()()()()()()()()()()爆破解体で描く『殺忍』マークが浮かんでいた。

 

【ニンジャ・ヒーロー】#2おわり。#3に続く。



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第十二話【ニンジャ・ヒーロー】#3

【ニンジャ・ヒーロー】#3

 

 

「ねぇ何してるの?」「お祈りしてるのさ」横から子供が怪訝そうな顔を差し込んだ。セイジは慰霊碑前に供えたセンコ・スタンドと花束を指さした。子供はよく判ってない顔で磨かれた慰霊碑を見上げる。

 

「なにかあったの?」「去年、事件があって沢山人が亡くなったんだ。それで弔いに慰霊碑が建てられたんだよ」「ふーん」判らないし面白くもない。黒錆色の清掃用具をいじる子供の顔にはそう書いてある。

 

物寂しい話だ。だが関わりない人間にとってはそんなものだろう。マルノウチ・スゴイタカイビルでの惨劇から一年少々、巨大都市ネオサイタマは既にそれを忘れ去ろうとしている。全てはショッギョムッジョか。

 

それでもセンコ・スタンドに敷かれた灰には、誰かが供えたインセンスの跡が残っていた。忘れられない者もいる。忘れていない者もいる。亡き人の魂に安らぎあれと祈る人は、まだいるのだ。

 

そして今手を合わせているセイジとシンヤもそうだ。「何してるの! 行くわよ!」「はーい」親に呼ばれて走り去る子供の声を背に、二人は静かに黙祷を続ける。

 

ピボッ。『YCNAN:BOMB1~2_B1F_A6EXIT』電子音が静寂な祈りを中断した。“ナンシー・リー”からの爆弾発見の連絡だ。「行くか」「おう」最後に慰霊碑へ一礼すると二人は歩き出す。

 

その後ろで、インセンスの香りを漂わせた煙が風に溶けていった。

 

───

 

チチッ! 地下駐車場の隅をバイオドブネズミが走り抜ける。マルノウチ・スゴイタカイビルでは定期防除を欠かさないが、それでもどこからか湧くように害獣は現れるものだ。

 

チィッ! 「ジャマッテンダコラーッ!」バイオドブネズミを蹴り飛ばす影もまたその一つだ。Homo non sapiens(賢くない人)の一種で、名前は『殺忍』テロリスト。

 

「なぁこれどこ置く?」「柱だろ、知らんけど」危険を想像する能力に欠けるが、危険をばらまくことに長ける、極めて危険な動物だ。今も爆発物を仕掛けてこのビルを吹き飛ばす準備をしている。

 

「モシモシ、ちょっといいですか」なのでこうして定期防除の他に、抜き打ちの害獣調査が必要となるのだ。警備員姿の人影が不審な清掃業者を見咎めて声をかける。

 

「入館許可書を見せていただけますか?」「あー、ダイジョブですよ。ダイジョブです」「何がダイジョブかお伺いしても? 今日のスケジュールには清掃作業は入っていな」BLAM! 

 

突然の発砲! BLAM! BLAM! BLAM! さらに連射だ! 「オイ、殺したらまずいんじゃ……」「ルッセーゾッ! 騙すより黙らす方が速えだろが!」オソマツな偽装を鑑みれば強ち間違いともいえない話ではある。

 

「確かにオマエの言うとおりだね」「え?」警備服を着た影も同じ感想を抱いたようだ。撃たれたはずの影が平然と動き出す。軍用バルクのAA防弾装備か? 重サイバネのクローム胸郭か? 

 

否! 警備服には傷も焦げも一つもない! そもそも弾が当たっていないのだ! ならば放たれた四発の銃弾は何処に? 「イヤーッ!」「アバーッ!?」此処に! 警備服を着た影の手から摘み取られた弾丸が投げ返される! 

 

SMACK! 倍する威力で返却された元弾丸は、射手の頭蓋を上下に分断してコンクリに突き立った。「「ザッケンナコラーッ!」」敵と理解したテロリスト達は即座に交戦に体勢に入る。

 

「スッゾオラ……アィェ」ただし突き立ったモノを見たテロリストは除く。それを目の当たりにしたテロリストは正気度ロールを強制された。何故ならばそれは最早弾丸ではなく、炎を纏った……スリケンだったのだ! 

 

それだけではない! 見よ! 警備服の影は最早警備服ではない! 紅蓮のニンジャ装束だ! メンポもしている! 「ニンジャ!?」「ニンジャナンデ!?」そう、間違いなく! あからさまに! ニンジャなのだ! 

 

「アィ「イヤーッ!」アバーッ!」恐怖の絶叫は即座に断末魔へと響きを変えた! 「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」「イヤーッ!」「アバーッ!」断末魔の多重合唱が首と共に飛び交う! 

 

「アィェーッ! オタスケ! アィェェェッ!」偶然にも逃げ延びたテロリストは助けを求め、泣き叫んで地下駐車場を走り回る。NRS(ニンジャリアリティショック)で霞んだ記憶を辿り、別チームの居所を必死に探す。

 

「オタスケ! ニンジャ! ニン、ジャ……が……」幸運にもそれはすぐに見つかった。ランドマークを目の当たりにしたからだ。不運にも彼はすぐに見つかった。ランドマークを目の当たりにしたからだ。

 

「アィェー……」目前の光景に彼の正気は股間から全て流れ出た。湯気の立つ黄色い水溜まりに映るのは、整然と立ち並ぶ黒錆色の卒塔婆。そしてその全てに突き立った、ツェペシュめいたケバブ葬列である! ナムアミダブツ! 

 

「アー……ババババババーーーッッッ!!」ランドマークの圧倒的残虐性アッピールを前に彼の精神は崩れ落ちた。けれど創造主は容赦なく卒塔婆列に迎え入れる。短くも長いジゴクの中で、発狂したテロリストの中には、ただ恐怖だけが満ちていた。

 

「『オバケの真似して遊んでる、お前をオバケは喰いに来る』、か」ケバブとなった故テロリストを嘲るように、哀れむように、警備員に扮していたニンジャ……セイジが口ずさむ。

 

「なんだそりゃ」「オペラ・ジョルリの一節さ。知らないの? 教養的じゃないね」ランドマークの作り手……シンヤはオペラなんてハイソな趣味からはほど遠い。戯曲なんぞ言われても死体を担ぐ肩をすくめるだけだ。

 

「カネモチ=サンはご教養がお有りでいらっしゃるようで」「そうだよ。だからMr.カケソバは崇め奉ってひれ伏すといい」バカなやりとりをしながらも二人は痕跡を瞬く間に片づけていく。

 

作業が終わればそこにはなにもない。ランドマークも死体も爆弾も、最初から存在しなかったと思えるほどだ。「これで全員ですか?」『感知範囲ではね』作業を終えた二人はナンシーへ通信を繋ぐ。

 

「これでテロは防がれた……とは考えにくいですね」頭数も武装も爆弾も何もかも足りなさすぎる。オクモツ・ヒルズのテロより少ない程だ。まだ何かを隠しているのは間違いない。

 

『ええ、以前のテロ以上にウィルスを使う気でしょうね』「UNIXが爆発したのはそれですか」セイジの記憶を辿れば、オクモツ・ヒルズのテロでもレジUNIXが爆弾と化していた。

 

ローグウィッチからウィルスさえ用意できれば、インフラに等しいUNIX群が全て爆発物に変わってしまうのだ。「ウィルスの探知はできますか?」逆に言えばウィルスさえ防げればテロは悉く頓挫する。

 

『SCANしてるけど余程のウィッチよ。パターンが多すぎる上、全部新作』「厳しい、ですか」『……ベストは尽くすわ』不可能の婉曲的な表現。通信越しの声からも悔しさが滲んでいた。

 

「なら、僕らもベストを尽くしますよ」それを打ち消すようにセイジは強い声を張った。「ナンシー=サンはUNIXの爆発を止める。僕らはテロリストの蛮行を止める。それで被害は止まります」

 

『アリガト。弱気になっちゃダメね』「ええ! これから人を助けて、悪党を倒して、ヒーローになるんです。胸を張っていきましょう」セイジは胸を叩き快活に笑う。整った顔立ちと相まってまるでフィクションの勇者だ。

 

その背中を悪童めいてシンヤが叩く。「おう、随分とキアイ入ってるじゃないかカラテ王子」「キアイ入れろって言ったのはお前だろ、カワラマン」

 

シンヤは確かにそう言った。セイジが再び自警活動(ヴィジランテ)をすると、そう言ったからだ。それをもう一度思い返し、シンヤは先日の記憶をかみしめた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

TELLL! TELLL! 「ハイ、モシモシ。カナコ・シンヤです」『やぁ、カワラマン。僕だ。手を借せよ』「承った。で、内容はなんだ? カラテ王子」『そりゃもちろん』電話向こうで声がふてぶてしく笑う。『悪党退治さ』

 

「……悪党退治、か」『言いたいことがあるって声だね』「そりゃ山ほどある。が、その前に。何が要るんだ?」『ハッカーとシンクタンク』とにかく情報が足りないのが痛い。加えて情報の精査ができてない。

 

つまり、何処で何時テロが起きるかの確証がないのだ。これではテロを止めようがない。「判った。俺の伝手とコネで用意してみる」『アリガト、な』「何せ弊社はコネコムだからな」「へえ、笑えるね」つまらないジョークで二人はひとしきり笑う。

 

『で、支払いは?』「代金は要らん。代わりに質問に答えろ、セイジ=サン」続けてのシンヤの……ブラックスミスの声音は打って変わって真剣そのものだ。返答如何ではまた殴り倒しにいくと告げている。

 

「お前は何でまた悪党退治なんて始めた? ヒーローごっこでカッコつけたいのか? テロリストを殴って賞賛を浴びたいのか? それとも……()()()ニンジャスレイヤー=サンからお褒めに与りたいのか?」

 

『…………ッ』腹の底の柔らかい部分を爪で抉られた気がした。だが、それを判らないで口にするような奴じゃない。聞かなければならないことだから言ったのだ。ならば答えねば、そして応えねばならない。

 

「人様の台詞だが、望みを言え」臓腑の奥底、容赦なく爪で抉られて血が吹き出すそこに手を突っ込む。何故そうする? 何がしたい? 何のために? 答えはもう決まっていた。

 

『全部だ』「全部……か。本気か?」『ああ、本気さ』カラテを学ぶ理由、カラテを鍛える理由、カラテを振るう理由。オールドセンセイの問いに返した言葉を告げる。血のように紅い火が胸の内で燃え上がる。心臓の鼓動とともに体中に巡る。全細胞に火が点いていく。

 

『カッコつけたい、誉められたい。認められたい、暴れたい。人助けたい、役に立ちたい。正義ぶりたい。ヒーローに、なりたい。全部本気だ』バウッ! バウッ! 溢れる感情が火の粉となって爆ぜる。『だから僕は……殴りに行く』

 

電話向こうから笑い声。嘲りではなく、受け入れの声だ。「なるほど、本気だな。とんだヨクバリなこった」『知らなかったのかい? 僕はヨクバリで、ワガママで、エゴイストで、イケメンなのさ』「最後以外はよーく知ってるよ」

 

聞くべき問いを聞き、聴くべき答えは聞いた。『じゃあ頼むよ、シンヤ=サン』「ハイ、ヨロコンデー。お前もキアイいれてけよ、カラテ王子」『オタッシャデー』「オタッシャデー」

 

───

 

「オタッシャデー」IRC端末の電源を切り、シンヤはゆっくりと振り向いた。「と言うわけでして。えー、そのー、セイジ=サンは、テロの犯人ではないと、ご理解いただけた、でしょうか?」

 

『ええ、間違いなさそうね』ピボッ。IRCディスプレイの蛍光緑が返答をタイプする。「そのようだな」その隣の影も僅かに頷いた。これで一安心だ。シンヤから安堵の息が漏れる。

 

「では、ご参加をお願いしても?」『ビジネスなら代価を提示して欲しいわね』「そうですね。ニンジャ一人分の労働力はいかがでしょうか?」驚きを示すように次のタイプまで僅かな間が空いた。

 

『……カイシャと契約済みではなくて?』「現状を考えますと今しばらく休職しまして、そちらに専念する必要がございますようで」冗談めかした装飾語だらけのビジネス謙譲文だが、内容は本音だ。

 

シンヤが親指で指す先にはプロ市民活動のポスターがはためいている。人影の視線がカタナの鋭さを帯びた。『ラオモト=サンの力をネオサイタマ市議会に!』『強い人間が強い政治』『即断即決な一刀両断』『無駄がない公共』

 

ラオモト=カン政界進出のための下準備だろう。『原作』第一部終盤が近づいているのだ。ソウカイ・シンジケートの脅威は知っている。『原作』知識を失う恐怖もある。

 

だが動かないという選択肢はもはやない。「それで、いかがしますか?」『私としてはありがたいわね』ディスプレイの文字列がもう一人に返答を促す。

 

ハンチング帽を被り、バッファロー革のコートに身を包んだ人影……”フジキド・ケンジ”は目を閉じた。「よかろう」

 

『じゃあ詳細を詰めましょうか』IRCディスプレイ向こうのナンシー・リーがテロリストの行動予測表を上げる。三人は闇の中で作戦を組み立てていった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

「PING! PING!」バイオスズメを思わせるPING音が、過去に戻っていた思考を現実に戻す。「PING! PING!」ナンシーはコケシツェペリンを模したエージェントプログラムからスキャン結果を受け取った。

 

コトダマ空間では全てが観測者の定義に基づいた形を取る。マルノウチスゴイタカイビル内のUNIX群は幾何学立体で作られた3D街路図に、ビルを練り歩く来客のIRC端末は飛び交う小鳥に。

 

「これで20種め。また新種ね……」そしてナンシーが探し求めるウイルスは、UNIX幾何学立体に差し込まれた挿し木の形を取っていた。恐らくトロイ型の論理爆弾だ。

 

すぐさまダルマ型解析関数に飲ませて、エージェントプログラムのブラックリストに追加する。電子伝書鳩がウイルス構造式を送り届けるのも見ずに、ナンシーはパターンの解析を急いだ。

 

敵はハッカーとウィッチのタッグ。ハッカーの腕前は確かだが奥ゆかしさが足りない。痕跡を丁寧に消しているが、こうも頻繁に進入を繰り返せば自ずから足跡が浮かび上がってくる。

 

「問題はウィッチの方」コードロジストをタイプ速度で計れはしないが、間違いなくヤバイ級ハッカーに匹敵する。最低でも2ダース弱の新作ウイルス、しかも共通構造が見つからない程多彩な類型を用意してきた。

 

総当たりでビル中のUNIXをスキャニングしてるがどう考えても時間が足りない。一刻も早くウイルスの共通パターンを見つけて全文検索をかける必要がある。

 

「違う……これでもない。これなら……違う」解体し、並べ替え、組み直し、つなぎ合わせる。パターン解析はリドル(謎かけ)に似ている。一瞬の閃きがなければ、ひたすらに可能性のある解法を当てはめていくしかない。

 

逆を言えば不可能に思えた難題を、時に思考の閃きが驚くほど容易く解きほどいてしまうものでもある。「これなら……ブルズアイ! エウレーカって処ね」ギャバーン! 電子ジングルと共に一連なりの文字列が漉し取られる。

 

間違いない。起動コードだ。これを押さえれば全ウイルスを不活性化させられる。全文検索開始と同時にワクチンプログラムを組み上げる。過剰集中で時間感覚がモチめいて延び、ニューロンが音を当てて発火する。間に合うか。間に合わせる。

 

余計な機能は全て捨てる。不活性化だけに特化させたウイルス特効薬だ。完成したそれを一斉送信プログラムに装填する。「送、信……!」ナンシーの細い指が論理エンターキーを押した。

 

───

 

「時間だ、やれ」「ハイ……ヨロコンデー……」溢れる血と涙と洟と涎でグチャグチャの顔。滴る血と涙と洟と涎でグチャグチャのキーボード。割れた奥歯が音を立てて落ちる。ヨシノの震える指が物理エンターキーを押した。

 

───

 

『C:\>_msg_marunouchi/server:100.000.50_"桜の樹の下には屍体が埋まっている"』MSGコマンドの風がコトダマ空間を吹き抜けた。同時にナンシーの視界に満開の桜前線が産まれた。

 

「間に合わなかったの……!?」風を受けた挿し木が伸び上がり、UNIXのモノリスを引き裂いて無数に花開く。それは薄紅色の霞か雲か。破滅の花吹雪が吹き荒れる。

 

「いえ、痛み分けってところね」だが花霞は思いの外薄い。目に見える範囲でも成長し損なった挿し木が半数以上だ。強制オーバーフローで爆発したUNIXは少なくないだろうが、被害は半分以下に抑えられた。

 

「後はお三方に任せるわ」過剰集中と過剰連続作業に過剰ザゼンドープで痛めつけられたニューロンを休ませるため、ナンシーはコトダマ空間からログアウトした。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

KABOOM! 「アィェーッ!?」突如響きわたる爆発音、そして続いての野太い悲鳴。「UNIX爆弾!」「テロだ!」恐怖をあおり立てるTVプログラムのおかげで、それが何を意味するかを誰もが知っていた。

 

「ナンデここに!?」「オタスケ!」KABOOM! KABOOM! KABOOM! 連続して爆発するUNIXから人々は逃げまどう。幸いにも爆発したUNIXは少なく、巻き込まれた人の数も少ない。

 

だが、恐怖に煽られた群衆は時として爆弾以上の危険物となる。「ドイタドイタ!」「ママーッ!」「マーちゃん!」右往左往する人の群に巻き込まれ親子が離れ離れに! 

 

「アブナイ!」更に子供は人間津波の圧力に押され、爆発跡から吹き抜けから放り出される! このまま重力の包容を受けてエントランス噴水のゴアオブジェとなってしまうのか!? 

 

「イヤーッ!」そうはならない! 黒錆色のロープが子供に絡みつきベクトル180度反転! 安全な床で着地! 無傷である! 「ママーッ!」「マーちゃん!」子供は母の抱擁を受けて安堵の涙を流す。

 

「向こうの係員に従って安全な場所へ移動してください」「アリガトゴザイマス!」「構いませんから、急いで!」子供を助けた黒一色の英雄は誇るより先に、奥ゆかしく避難先へと誘導する。

 

「アリガトゴザイマス!」母親は器用にも真っ黒な男に頭を下げつつ子供を抱きしめつつ避難を始める。それを見た数人が続き、つられて他の客も後に続く。後はビル係員に任せればダイジョブだろう。

 

「救助隊だ!」「レスキューが来た!」その声に真っ黒い男は禍々しい目を訝しげに歪めた。保険会社のカチグミ顧客専用救出部隊でも到着にはまだ早いはず。ならばフル装備で瓦礫を押しのけるあの人影達は? 

 

「遅いぞキミィ! カチグミの私が保険会社にいったい幾ら払ってやっ「スッゾコラレンジャーッ!」アバーッ!?」当然この事態を引き起こした『殺忍』テロリストである! 

 

BLATATATA! 「「「ザッケンナコラレンジャーッ!」」」「アバーッ!」「アババーッ!」「アバーッ!?」しかも一糸乱れぬ射撃と統制のとれたGIヤクザスラング! 中身はクローンヤクザに間違いない! 

 

「アィェーッ!」「シネッコラレンジ「イヤーッ!」アバーッ!?」ならばなおのこと皆殺しにする必要有りだ! 異形のスリケントマホークが装甲ごとGIクローンヤクザテロリストを分断する! 当然即死! 

 

「クローンヤクザ投入とはなりふり構わない真似に出たな。イヤーッ!」スリケントマホークを叩きつけた黒い男の全身が黒錆色に霞む。吹き抜けから飛び降りたナンセンスな黒装束は、着地より早く恐るべきニンジャ装束へと転じた! 

 

「「「ザッケンナコラレンジャーッ!」」」無数の筒先が黒錆色へと向けられる。注意と殺意を巧く集められたようだ。赤錆色のメンポで口を覆い、赤銅色のガントレットを構える。

 

「「「スッゾコラレンジャーッ!」」」BLATATATA! BLATATATA! BLATATATA! GIヤクザスラングと共に幾多の銃口から数多の銃火が花開いた! 

 

CRACK! CRACK! CRACKLE! だが鉛弾が血の花を咲かすことはない! 黒錆色の風を捉えられずに、火花の徒花を散らすばかり! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「アバーッ!」「アバーッ!」「アバーッ!」代わりに咲くのはバイオ血液のしだれ柳! 新鮮な緑と酸化の赤が入り交じり、エントランスはまるで死人花の草原だ! 

 

完全武装ヤクザ兵士軍団を瞬く間にゴア風景に塗り替える、これがニンジャのカラテなのだ! 「イヤーッ!」「イヤーッ!」ZINK! そしてニンジャのカラテに対抗するのは、同じニンジャのカラテこそがふさわしい! 

 

赤銅色の拳で弾き飛ばしたのは、アーミー仕様のサバイバルクナイ・ダートだ。都市迷彩のクローンヤクザを引き連れて、軍用ニンジャ装束に身を包み、色鮮やかな特殊部隊ワッペンを誇らしげに見せつける。

 

「ドーモ、初めまして」ついに姿を現した。「ソウカイヤの“レンジャー”です」此度の黒幕、諸悪の根元。「我が軍の作戦行動を阻害する敵兵めが」奴こそがソウカイ・ニンジャだ。

 

「ドーモ、レンジャー=サン」黒錆色の影も応えて答える。「俺はブラックスミスです」両手を合わせ殺意で笑う。「軍隊ごっこがお好きなようで」かかってこいと指先を扇ぐ。

 

「ごっこ、だと?」「今はもうない過去の部隊をことさらに誇る。未練がましいごっこ遊びでなきゃなんだ? コス・プレイか?」ブラックスミスが指さす先は、レンジャーの肩に縫いつけられた特殊部隊ワッペンだ。

 

ワッペンには三叉槍をくわえたガーゴイルが反り上がり、『シャチホコ』『殺すから勝つ』のオスモウ金字がNSCGのイニシャルを包んでいる。

 

それは悪名高きNSCG(ネオサイタマ湾岸警備隊)の中でも、恐怖と畏怖を一身に集めた命知らずの切り込み部隊”鯱鉾”(シャチホコ)の紋章。何せ元隊長から直に見せてもらったから間違いない。

 

「湾岸警備隊栄光と伝統のシャチホコ隊を侮辱するかキサマァーッ!」「心配するな、侮辱してるのはお前だ」「キサマァーッ!!」どちらの意味にもとれる台詞に対し、レンジャーはどちらの意味でもキレた。

 

「軍法会議で銃殺刑としてやる!」「それ命令違反の扱いだろ。設定ブレブレだな」「クチゴタエスルナーッ! 状況開始せよ!」「それは演習用の台詞」対照的なテンションの中、イクサの幕が上がる! 

 

「「「スッゾコラレンジャーッ!」」」BLATATATA! なんたる先ほどとは比べものにならぬ程の決断的かつ徹底的な勢子猟めいたマンハント指揮か! 言動はお粗末でも部隊指揮官としては一流である!

 

「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」しかしニンジャハントは一筋縄ではいかぬもの! ブラックスミスが反撃の異形スリケン群を投げ返す! 

 

「標的をネギトロにせよ!」「「「シネッコラレンジャーッ!」」」BLATATATA! KABOOM! それに応じてレンジャー指揮下GIクローンヤクザ軍が鉛と火薬の十字砲火を降らせる! 

 

「ホノオッ!」「「「ザッケンナオラレンジャーッ!」」」BLATATATA! KARA─TOOM「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」

 

弾丸とスリケンとクナイ・ダートが飛び交い、首と死体とバイオ血液が吹き飛ぶ! 吹き抜け直下のエントランスは、競り最高潮のツキジめいた熱気と殺意の最中にあった! 

 

───

 

静かだった。

 

聞こえるのは火勢の衰えた、弱々しい小火の音。そして怯えすくむ人々の潜めた息の音だけだ。砕けた窓から病んだ夕日が差し込み、転がる無数の『殺忍』テロリストと二つの影を照らす。

 

夕闇にギラつく銀の鎧武者が両手を会わせた。「ドーモ、ソウカイヤのモーフィンです」水銀の鎧に周囲の影が歪んで映る。『殺忍』メンポ。赤黒のフェイク装束。対峙する己の姿。

 

全てが嘲るように揺らいでいる。ブラックベルトを締め直し、セイジはそれを真っ直ぐに見据えた。紅蓮の影は小揺るぎすらしない。

 

「ドーモ、モーフィン=サン」

 

紅蓮の装束、黒鋼のブレーサー、無字のメンポ。殺戮者(スレイヤー)でも、殺人鬼(キラー)でも、理想像(ヒーロー)でもない。ただのニンジャがイクサの荒野に独り立つ。その名は。

 

「インディペンデントです」

 

 

【ニンジャ・ヒーロー】#3おわり。#4に続く。



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第十二話【ニンジャ・ヒーロー】#4

【ニンジャ・ヒーロー】#4

 

「スゥーッ! ハァーッ!」赤黒の殺戮者は特有の呼吸を繰り返す。ソウカイニンジャ”ライダー”との長く苦しい戦いを終え、痛めつけられた全身を神秘的なるチャドー呼吸で癒しているのだ。

 

……馬上カラテの達人にしてヤリ・ドーの使い手であるライダーは恐るべき相手だった。加えて専用に改造された重サイバー馬”キリン”は壁面すら駆け回る。

 

馬術に長けるライダーとの組み合わせは、正しく人馬一体と言えよう。さらに自在に操るドリル馬上鎗は装甲スモトリ戦士ですら五枚抜くほど。

 

それはギリシア神話に唱われるケンタウロスそのものだ。ブースト騎馬突撃が壁抜きで襲いかかってきた瞬間は、流石のニンジャスレイヤーも死が脳裏を過ぎった。

 

「サヨナラ!」

 

だが殺した。人馬の四肢計八本全てをへし折りダルマに変え、奪い取ったドリルランスでケバブに変え、トドメに容赦なきストンピングで合い挽き肉に変えた。人馬一体生ニューコーンミートはミュータントカラスが綺麗に片づけるだろう。

 

「ゲイトキーパーか」ライダーの臓物からえぐり出した下らぬ陰謀の黒幕。殺忍テロリズムにより社会を不安定化し、強いリーダーを求める世論を形成し、商売敵をテロリズムで処理し、インサイダー取引を図り、仇敵ニンジャスレイヤーを貶める。

 

その過程で産まれる悲劇も被害も一顧だにしない。それどころか勤しんで犠牲を増やす。外道の太鼓持ちに相応しい、ラオモト好みの手口だ。

 

「ならばラオモト=サンの連れ添いに、諸共ジゴクに叩き落としてやろう」殺意を新たにニンジャスレイヤーは駆けだした。向かう先は煙を噴くマルノウチスゴイタカイビル! 

 

───

 

「ブッダム。口先の割にはやりやがる」CRACK! CRACK! ぼやくブラックスミスの耳元を流れ弾が大挙して跳ねる。明確に狙う弾は意図的にない。空間を弾雨で満たして、行動を阻害する意図なのだ。

 

「テーッ!」「「「スッゾコラレンジャーッ!」」」BLATATATA! 更なる銃火が波濤となって襲いかかる! 「ケーッ!」「「「ヤッゾコラレンジャーッ!」」」ザッ! ザッ! ザッ! その合間を縫って分隊が次の障害物へと移動する! 

 

サンダンウチ・タクティクスで動きを止め、その隙に接近。交代で更なる飽和火力を叩きつけつつ距離を詰める。特殊部隊式のラン&ショットに死も恐れぬヤクザを加えて、ニンジャすら容易に動けぬキルゾーンを練り上げた。

 

「ハハハハッ! どんな気分だ!? 大口叩きのビックマウス!」状況を作り上げたレンジャーは勝利が確定と高笑う。事実、ブラックスミスは徐々に不利(ジリープア)だ。間隙ない火線で縛り上げられ、密度を上げる火力で首を締め上げられている。

 

「『空に唾吐くと顔に浴びる』のコトワザを知っているか?」鉛弾の嵐は突然に停止する。遂に各GIクローンヤクザ分隊は予定の火点に配置された。後は指示一つであの男すら殺す死の十字砲火が描かれるのだ。

 

「シャチホコに唾吐けば弾丸を浴びるのだ! 死んで学んでジゴクで生かせ!」アッピールを兼ねた死刑宣告を下すレンジャー。「ナルホド、覚えておこう。イヤーッ!」だが、大人しく真綿を口に詰め込まれて死ぬようなブラックスミスではない! 

 

「ヌゥッ!? テ、テーッ! テーッ!」「「「スッゾコラレンジャーッ!」」」BLATATATA! BLATATATA! BLATATATA! BLATATATA! KABOOM! KABOOM! KABOOM! 先に倍する銃火と砲火! 爆発四散どころかネギトロも残らぬ! 

 

だがその全てはことごとく空を撃った! ブラックスミスは何処に!? 「イヤーッ!」「コシャク!」空中に! 四方から火力を叩きつける殺しの間に一見逃げ場はない。だがそれは平面上の話に過ぎぬ。戦場は紙の上ではなく、三次元上にあるのだ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ロクシャクベルトを触手足の如くに使い、黒錆色の影は吹き抜けを縦横無尽に飛び回る! 「「「スッゾコラレンジャーッ!」」」BLATATATA! 上空を舞う色付きの風をどうやって打ち落とすのか。鉛弾は空しく天井を前衛芸術に変えるだけだ。

 

「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」そして天に弾吐くGIクローンヤクザには、スリケンの報復が降り注ぐ! 位置エネルギーを伴うニンジャの裁きは、屈強なヤクザ軍団を防弾装甲ごとサシミにスライスする! 

 

「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」加えて天に弾吐くGIクローンヤクザには、テナント什器の返礼が降り注ぐ! ニンジャ腕力を伴う北欧家具のピッチングは、屈強なヤクザ軍団を防弾装甲ごとタルタルにミンチする! 

 

「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」更に天に弾吐くGIクローンヤクザには、デパート設備の報復が降り注ぐ! 重力の愛情を伴うシャンデリアのシャワーは、屈強なヤクザ軍団を防弾装甲ごとミジンにカットする! 

 

「湾岸警備隊栄光と伝統のシャチホコの復活を汚しおってキサマーッ! キサマの革を新しい隊旗にしてやる!」瞬く間に全てのGIクローンヤクザ軍団は死に絶えた。今や裸の王様ならぬ裸の将軍と化したレンジャー。だが、未だ諦めることなく軍用クナイと正式拳銃をGIカラテに構える。

 

「いや、シャチホコならこんなバカやらんだろう」それを見るブラックスミスは肩をすくめて呆れた様子を見せつけた。それを見てレンジャーは予想通りに怒り狂う。「湾岸警備隊栄光と伝統のシャチホコの何が判る!」

 

「シャチホコの戦術体系なら判る。ナンブ元隊長から聞いたぞ」曰く『切舷乗り込みからの閉鎖空間の制圧と殲滅』だそうだ。解放空間は不得手なので狙撃兵と重火器を用意するとのこと。ついでに特殊部隊式のラン&ショットは殆どやらないとも聞いた。

 

「え」つまり、シャチホコがどうこう叫んでいたレンジャーは何一つシャチホコのやり方を知らなかったという事になる。致命的な醜態を曝したレンジャーは、致命的な隙を晒して固まった。

 

「イヤーッ!」「イ、イヤーッ!」当然、見逃すブラックスミスではない! 既に懐の内である! 防御しようとする腕を掴んでそのまま鳩尾にねじ込む! 打極カラテパンチだ! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」肘間接破損! 横隔膜痙攣! 最早防御できぬ! 「イヤーッ!」「アバーッ!」ドッオオオン! 否、元より防御のしようはない! セイケン・ツキのカラテ衝撃波は体内より破壊するのだ! 

 

「アバッ……シャ、シャチホコは……シャチホコは……すご「イヤーッ!」サヨナラ!」崩れ落ちたレンジャーの頭蓋をカワラ割りパンチが叩き割る。爆発四散跡には特殊部隊ワッペンだけが残っていた。あれだけ拘っていたのだ。墓標には似合いだろう。

 

そういえば、シャチホコのメンバーは全員生前葬済みの死人部隊(ゾンビーユニット)だったはず。「湾岸警備隊栄光と伝統のシャチホコらしくなれてよかったな」皮肉げに笑うと、決着がついただろう親友の元へと向かった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

「ドーモ、ソウカイヤのモーフィンです」「ドーモ、モーフィン=サン。インディペンデントです」アイサツを終え、銀と紅のニンジャは緩やかに、そして滑らかにカラテを構える。

 

「テロの下働きに弱いものいじめ。ソウカイヤにいるとカラテと頭が足りなくなるんだね」実力伯仲、ゴジュッポ・ヒャッポ。たやすく殺せる相手ではない。「上下関係も判らぬイディオットめ。サンシタ悪党の底はよく見えるぞ」

 

アイサツだけで互いに判った。故に舌鋒鋭くコトダマをぶつけ合い、殺しの隙を探り合う。「あれ? 自己紹介はもうすんだと思うけど?」「自分の面もよく見えぬようだな。鏡の代わりに腐れ悪人のデスマスクを映してやろう」

 

手のひらの中に灯った赤が四錐星を象る。指先に滴る水銀が刃の鋭さを帯びる。「見るに耐えないその顔を映されても、僕と違って見苦しいだけだよ」「……自覚は皆無か。バカな悪役にも程がある」「バカハドッチダ? 無論、アンタさ」

 

一瞬の無音。「「イヤーッ!」」そして、カラテシャウトだ! ZINK! 相殺の音が遅れて響く! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ZINK! ZINK! ZINK! ZINK! 銀の飛礫と紅の閃光が対消滅を繰り返す! 立ち上る水銀蒸気が深紅に輝く! 

 

血とイクサのフレーバーを帯びて、鮮紅色のモク・スモッグが朦々と立ちこめる。「「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」」視界を覆い尽くす血煙めいた霧の中、見えぬ相手めがけて必殺のスリケンを狙い打つ。赤い闇の中で聞こえるのはシャウトと衝突音。

 

「イヤーッ!」それだけではない! 風切る音が燃えるスリケンを弾いて迫る! 「イヤーッ!」ブリッジ回避コンマ一秒前の頭蓋を水銀の槍が突き抜けた! なんたるタタミ十枚の距離を無視して貫くモーフィンの恐るべきチョップ突きか! 

 

「イヤーッ!」それだけではない! 風切り音が水銀蒸気を引き裂いて迫る! 「イヤーッ!」ツカハラ回避コンマ一秒前の正中線を水銀の刃が断ち切った! なんたるタタミ十枚の距離を無視して切り裂くモーフィンの恐るべき袈裟懸けチョップか! 

 

銀の鎧武者めいたモーフィンはその姿にふさわしく、スリケンの印字と、チョップ突きの大槍と、チョップの長巻を併せ持つ。一切の敵を寄せ付けず殺す、まさに名高き戦国サムライウォーリアに等しい難敵と言えよう。

 

しかしそのサムライ戦士を素手殺すためにデント・カラテは産まれたのだ! 「イヤーッ!」ツーハンデッド・ナガマキめいた水銀大手刀をサークルガード! 「イヤーッ!」引き戻される銀の鞭に併せてインディペンテントが飛び込む! 

 

そう、圧倒的射程と大威力故に戻りが遅い! 「ヌゥッ!」危険な水銀蒸気を突き抜けた先には、ザンシンを整え切れぬモーフィンの姿がある! 至近距離、すなわちデント・カラテの距離だ! 

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」コンパクトな近接カラテにて即応するモーフィン。更に水銀鎧が時に柔らかに受け流し、時に頑強に受け止める。ミズガネ・ジツの柔軟にして強固な防御が有効打を拒む。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」それを両手に纏う紅蓮のカトンが焼き焦がし、溶かして沸かして削っていく。水銀鎧は見る間に体積を減らし足下に滴る。得手の至近カラテと、防御を削るカトン・ジツ。素手の距離ではインディペンデントが有利と言えよう。

 

だが、それで押し切れるほどシックスゲイツは甘くない! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」間合いを取るためか連続バク転で下がるモーフィン。当然インディペンデントはそれを即座に追う。追おうとした。

 

「ヌゥッ?!」文字通りに足を引っ張られ、ガクリと膝が抜ける。銀の水溜まりから延びた水銀蔦が軸足に絡んで離れない! 「イヤーッ!」足が止まった一瞬を突き、水銀のチョップ突きが襲いかかる! 

 

即座に迎撃の拳が握られる。だがモーフィンの狙いはインディペンデントの背後にあった。銀の水溜まりより、液体のクワが音もなく円弧を描く。

 

銀の蔦で足を止め、銀の槍で手を使わせ、銀のクワで首を跳ねる。水銀を足下に広げた時点で、既に三重の罠は成っていた。まさに殺しのジツだ。

 

だがそれで殺せるほどデント・カラテは弱くはない! 「イヤーッ!」踏み込みで水銀溜まりごと蔦を吹き飛ばす! 「イヤーッ!」跳躍で横斧の殺人円周から逃れる! 「イヤーッ!!」黒鋼のブレーサーで水銀チョップの槍を打ち砕く! 

 

弾道跳びカラテパンチの一手で、三段構えの策を打ち破る。これがインディペンデント、これがデント・カラテ。まさに殺しのカラテだ。

 

それを目の当たりにした水銀メンポの奥から本気の殺意が覗く。小手先小技で殺せるようなサンシタ悪漢ではなし。ならばどうする? 「全身全霊全カラテをもって殺し、大正義ラオモト=サンへ勝利を捧げん!」

 

「イヤーッ!」稼いだ距離を使っての大跳躍。モーフィンが向かう先は砕けた壁一面の大窓だ。大口叩いてブザマに遁走か? 違う。逆光の中、銀鎧の輪郭が崩れる。

 

一瞬で蜘蛛めいて広がるシルエットは、一斉に水銀の糸を伸ばし、一面に鏡面の網を張る。鎧全てを変形した水銀の弦にニンジャをつがえ、一度放たれれば階層ぶち抜きで人体をぶち抜く水銀のカラテ大弓だ。

 

西日を遮るそれを前に、インディペンデントは深く腰を落とした。『地を踏み締める。全てはそこから始まります』オールドセンセイの教えを一つ一つその身で再現する。『教えた全てを束ねなさい。それは一つに還ります』そして自らの経験と力を組み合わせる。

 

「『カラテを……己に……!』」両腕にまとう紅蓮のカトンが、その色を変えて拳に収束する。それを映す水銀の弦は引き絞られ、極限までポテンシャルエネルギーをため込む。

 

「大正義ラオモト=サンの名の下に! 死ね! ヒサツ・ワザ!!」先手を打ったのはモーフィンだ! 矯めに矯めた弾性エナジーが解放される! そこに抉り抜く回転を乗せて、切っ先は水銀を固めた足刀だ! ベイパーコーンを帯びて、銀の太矢と化したモーフィンは音速を超えた! 

 

「ウゥゥゥ……」対するインディペンデントの足下が放射状に裂ける! 踏み込みを起点に練り上げた全身のカラテで、圧縮したカトンを打ち出す。それはデント・カラテという道から踏み出した、インディペンデントの、セイジの、新たなるカラテであった! 

 

 

「WASSHOI!!」「イヤーッ!!」

 

 

強襲の水銀きりもみドリルキックと迎撃の新奥義がぶつかり合う! ……そう、ぶつかり合った筈だ。だが音はない。全ての音はモーフィンの中でだけ響いた。

 

モーフィンは聞いた。「ア」骨が燃え上がる音を聞いた。「アバ」内蔵が煮え立つ音を聞いた。「アバッ」肉が焼け焦げる音を聞いた。「アバーッ!」皮膚が爆ぜ飛ぶ音を聞いた。「アバババババーーーッ!!?」自身の死を聞いた。

 

ドッッッォォォオオオン!! それは体内に置き去りにされたカラテとカトンが炸裂する音であった。「サヨナラ!」爆発四散より早く爆発四散したモーフィンは肉片となって叫んだ。

 

再度の爆破四散は落ちる夕日より紅くインディペンデントを染め上げた。残ったのは夕日に向けて拳を突き上げ、独り立つ紅蓮のニンジャだけ。誰かのIRC端末からか、チップチューンのヒーローソングが鳴り響く。

 

生き延びた客たちは呆然とその風景を見つめる。現実感がないほどにできすぎた光景。落ちる夕日に滲むシルエットは、特撮ヒーローのラストシーンを思わせずにいられないかった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

ママは言ってた。『貴女にもきっとパパみたいなヒーローが現れるわ』って。ママの言う通り。ホントにヒーローはやってきた。みんなを救って、テロリストをやっつけて、モーフィン=サンもやっつけた。

 

ナブケ=サンは言ってた。『お前の母親はとんだ嘘吐きだ』って。ママはウソツキだ。ヒーローはパパみたいにママを救ってくれない。だってママはずっと前にニューロンを焼かれて死んじゃった。

 

わたしだって救ってくれない。だってこれから私はヒーローにやっつけられて殺される。だってわたしは……テロリストよりたくさん人を殺したワルモノだから。

 

「ヤ……!」きっとチョップで切られて死んじゃうんだ。「イヤ……!」それはすごく痛くて苦しいんだ。「イヤー……!」けれどわたしのせいで死んだ人は、もっと痛くて苦しかったんだ。「イヤーッ!」だからヒーローはわたしを助けてくれないんだ。殺すんだ。

 

「イヤーッ!」装甲板を燃えるチョップが引き裂いてく。「イヤーッ!」装甲バンの亀裂が赤熱して広がる。「ドーモ、ナブケ=サン。インディペンデントです」紅いニンジャ(ヒーロー)がやってきた。わたし(ワルモノ)を殺しにやってきた。

 

『ドーモ、エセ『ニンジャスレイヤー』=サン。俺だよ、ナブケだよ! ヒーローごっこ楽しかった? イヒヒヒッ!』スピーカーから下品なアイサツが響く。耳障りな笑い声とハウリングが耳にウルサい。

 

CRTディスプレイが一斉に点灯した。車内がモニタで照らされてヨシノの有様が明らかになる。「………………」バウッ! バウッ! 握り直す拳に火の粉が爆ぜる。

 

『そのドラネコがUNIXを爆弾に変えて山ほど殺したテロリストなのさ! ヨカッタネ!』映し出された品性下劣極まりないAAが動く。文字列で描かれる中指が力なくうなだれるヨシノを指さした。

 

『さあ、ドラネコ殺してハッピーエンド! 死体を掲げて凱旋だ!』画面の向こうが殺せ殺せと手を叩いてははやし立てる。正義の名の下、ゴア展開をお望みだ。理想像(ヒーロー)なら、ご都合よろしく視聴者様に媚びを売れ。

 

『もしかして、人殺してて助けちゃう? 外見理由で助けちゃう?』それが無理なら手のひら返して識者面。安全圏から断罪だ。言うこと聞かない悪い子は、瑕疵をつついて壊死させろ。

 

『テロリストを! 男女差別! ヒーローなのに! ルッキズム! ヘハハハッ!』黙って殴られ膝を折れ。ひれ伏せ謝れ命乞え。無論死ぬまで殴ります。正義はいつでも我にあり。我らの味方が正義なり。

 

ナブケの嗤いが響く中、セイジはゆっくり膝を折る。「……ヒーローってのはさ、正義の味方で、弱者の味方」泣き濡れるヨシノと目線を合わせるためだ。

 

ZINK! 足首を縛る鎖を焼き切る。もう縛り付けるものはない。「そしてなにより、泣く子の味方なのさ」涙と血を流す小さな女の子を優しく抱きしめた。

 

『……流石は『ニンジャスレイヤー』気取り=サン! 言い訳と逃げ口上の巧いこと!』ナブケの声音には、微かに苛つきの色が混じっていた。

 

『ちなみにこの装甲バンにはバンザイニュークを仕込んであるよ!』苛つきを振り切るようにナブケは歯切れよく吐き捨てる。爆弾抱えて右往左往する鳥獣戯画ニメーションもキレがいい。

 

『ドラネコを見捨てればワンチャンあるかも! どんな言い訳してみせる?』命惜しさに殺して見せろ。理想像(ヒーロー)の薄っぺらさを見せて見ろ。

 

そう告げる言葉にセイジはどうでもいいと笑った。「言い訳? ないし、しないよ。必要もない。両方救うのがヒーローだからね」危機感もなければ不安もない。嘲りすらない朗らかな無関心。

 

『ソマッシャッテコラー……!』狂気を気取ったナブケの仮面にひびが入った。ニューロンを想像上のカトンが焦がす。『……舌先三寸でニュークを防げるなんてスゴーイ!』すぐさま嘲笑の仮面をかぶり直した。

 

何を言おうとボタン一つでいつでも殺せる。最後に嗤うのは自分なのだ。『ヒーロー妄想が脳味噌まで回っちゃった? 回ってたね! じゃあ放射線消毒だ!』エンターキーを押し込む。

 

『ドラネコ諸共死ねよ、自称『ニンジャスレイヤー』=サン! ヒハハハッ!』起爆コマンドが走り、バンザイニュークの爆縮レンズが点火する! した! その時! 

 

……特に何も起こらない! 『え?』「ほら、必要ない」憎い憎い紅蓮のニンジャは健在だ。『シ、シネッコラー!』すぐさま再度のパルス信号を打ち込む。するとその時! ……やはり何も起こらない! 

 

『ナンデ?』恐怖感と共に灼熱の幻痛が舞い戻る。スタンドアロンの専用回線に、起爆装置も単機能。ハッキングの可能性は事実上皆無だ。ならば起爆装置か信管に不良が!? 

 

「お探しのモノはこれね」その信管が赤銅色の手に握られて、カメラの前に突き出された。点火バクチクから引き抜かれた遠隔雷管は、コマンドに合わせて無意味な火花を瞬かせた。

 

『ナンデ!?』問いを叫ぶナブケ。見つからない場所に仕掛けたはずだ。二重三重のトラップで守ったはずだ。だが実際、黒錆色のニンジャは気づかせることすらなくニュークを無力化した。

 

「見つかった理由は後ろね」慈悲深くも黒錆色は答えた。黒錆色の後ろを見やるが何もない。ならば何の後ろに理由がある? ゆっくりと振り返る。目が有った。目が合った。血の色をした殺戮者の目が。

 

───

 

「ニンジャナンデ!?」今度の問いはナブケ自身の喉から迸った。存在しない炎が脳を煮詰める。頭蓋の中を燃えさかる虫が這いずり回る。狂気と薬物で押しとどめていた、あの日の恐怖が帰ってくる。

 

「ドーモ、ナブケ=サン。ニンジャスレイヤーです」否、目の前にいるのはそれ以上の恐怖だ。何故ならば彼が、彼こそが、まごうことなき、真のニンジャ殺戮者(ニンジャスレイヤー)なのだから! 

 

「アィェーッ! ナンデ!? オリジナルナンデ!? アィェェェ!」NRS(ニンジャスレイヤー・リアリティ・ショック)を叩きつけられ、絶叫と薬臭い小水が溢れた。中年の危機の醜態を前にして、死神は僅かに表情を歪めた。

 

「アィーッ! アィェェェ! アィェーッ!」ナブケはブザマを晒してロウバイする。故に気づかない。死神にナブケの位置とニュークの在処を伝えた『誰か』に気づかない。殺戮者が持つLANケーブルが、既にメインフレームに刺さっていることに気づかない。

 

そこから入り込んだ『誰か』は気づかせない。制圧済みの自動防衛システムに『誰か』は気づかせない。『TAKE THIS!』「アバーッ!?」破壊は微細にして完璧。直結ニューロンと運動野だけを正確に焼き切った。

 

「アッ……アッ……アッ……」ナブケは今や肉という檻に閉じこめられた囚人だ。インターネットの沃野から放逐され、唯一の持ち物たる肉体すら差し押さえられた。二度と動かない肉人形の中で、ひたすらに天井を見つめるだけ。

 

『こっちは終わったわ。そっちは?』子供を煽り、殴り、弄んだ外道の末路を無感情にガラスレンズが一瞥する。飢えて乾いて死ぬまでそのままだ。当然のザマと言えよう。

 

『こっちも済みです。当人は仕事が終わった途端、デートに飛んでいっちまいましたが』ニュークと起爆装置を全て破壊したらすぐコレだ。ブラックスミス、つまりシンヤが親指で上空を指差す。カメラが指先を追った。

 

画面の中で紅の影が壁を吹き上る。監視カメラのFPSでは捉えられないが、きっと小さな女の子をその手に抱いているのだろう。『ワォ! 夜空のデートとは洒落てるじゃない』PEEP! スピーカーが矩形波の電子口笛を吹かした。

 

『ま、女の子泣かすの大得意なヤツですから、泣き止ますのも得意でしょう』ニンジャ視力は正確に紅い風を捉えていた。その手に包まれた少女が浮かべる安堵の表情も見てとれた。「流石だな、カラテ王子のスケコマシ野郎」シンヤは軽く笑った。

 

───

 

夜風が流れる。ネオンが瞬く。視界一杯にネオサイタマが広がる。「……きれいで、おっきい」「そう、世界は広いのさ」ヨシノが漏らした言葉にインディペンデント、つまりセイジは柔らかく答える。

 

灰色のメガロシティ、無関心のディストピア、資本主義のジゴク。貪婪なるネオサイタマを著すコトダマはどれも容赦なく否定的だ。それでもイビツな生命力に溢れたこの都市を誰もが夢見て訪れる。

 

願わくばそのエネルギーがこの子の助けにならんことを。「ハハッ!」「?」そう願う自分を笑った。『願う』んじゃない、『助ける』んだ。友がそうしたように、憧れがそうしたように、自分もそうするのだ。

 

小さな手を取り、小さな体を抱き上げる。「さあ、病院に寄ったら美味しいご飯でも食べに行こう。素敵なカイセキ・レストランに連れてってあげるよ」「……うん」その肩も背も暖かくて大きい。もう不安はない。恐怖もない。安心と共に頭を預けた。

 

夜風が流れる。ネオンが瞬く。視界一杯にネオサイタマが広がる。「きれい……!」ヨシノは紅蓮のニンジャ・ヒーローに抱かれ、夜を飛んだ。

 

 

【ニンジャ・ヒーロー】おわり。



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エピローグ【ゲート、ゲート、フォース・ウォール・ゲイト】

【ゲート、ゲート、フォース・ウォール・ゲイト】

 

 

「……以上になります。ドーモ、ご静聴アリガトございました」紺スーツの影は帝王を拝むように手を合わせて頭を下げた。洗練された所作一つ一つから、匂い立つようなソンケイが現れている。

 

「ふむ」帝王はそれを一瞥すらしない。帝王へ差し出されるもの全てに完璧は当然だからだ。帝王は不遜にて不動だ。部下の一挙一動に揺れ動くような卑小な器ではない。

 

「詳細な資料はこちらになります」「黒字では、あるな」むしろ声音には不満の色さえ見える。『殺忍』テロリストを使ったアブハチトラズの計画は全て果たした。だが完璧ではなかったのだ。

 

政界出馬準備の社会不安定化、インサイダーによる利益確保、害虫への意趣返しと駆除、それ以外。裏表の狙い全てを果たせなかった事実に、ケジメを思うほどに恥を覚える。だが帝王は何も命じなかった。ならば忠を尽くして完璧を差し出すのみ。

 

「資料はソウカイネットに回しておけ」「ハイヨロコンデー」影は高台に積んだ電子マキモノをしめやかに受け取る。同時に黒曜石の鎧姿に視線を走らせた。オブシディアンの彫像めいてただそこに在る。

 

納めてあれば奥ゆかしく美しく不動。一度抜かれれば望みを完璧に果たす。それは己の役割以外一切を捨てた、カタナの機能美そのものだ。正しく虚無の刃と言えよう……今は。

 

疑念を腹の底に沈め、ホロディスプレイを操る背中へと最敬礼で頭を下げる。帝王は呼吸同然に全てを支配し、混沌のネオサイマタに秩序と安寧をもたらす。

 

絶対王者”ラオモト=カン”に仕える歓びを”ゲイトキーパー”は今一度噛みしめた。

 

───

 

黒、黒、黒、灰、白、黒、黒、赤、青、黒、緑。クローンヤクザの七三分けと、色とりどりのニンジャ頭巾がズラリと並ぶ。「ゲイトキーパー=サン。ラオモト=サンへのご報告、オッカレサマッシターッ!」

 

「「「オッカレサマッシターッ!」」」“チャーマン”の合図で全員の腰が90度に曲がった。「うむ」ゲイトキーパーは片手を上げて最敬礼に応える。

 

「ささ、ゲイトキーパー=サン。お疲れでしょうから高級スシと特製オンセンを用意しておきました」タイコ持ちかコショウめいて滑らかにチャーマンが擦り寄る。

 

「食事は後でする予定だ」「ではオイランなどいかがでしょうか。キョート貴族の血を引く生娘を用意しておりますよ」「まだ仕事が残っているのでね」ゲイトキーパーの眉根が僅かに寄った。

 

気づいているのかいないのか、へつらった笑みのチャーマンは揉み手を続ける。「それはシツレイいたしました。仕事が終わり次第すぐにお楽しみいただけるよう用意してお待ちして……ニシテッダコラーッ!?」

 

ゴマするチャーマンは目を剥いて怒鳴り散らした。視線の先には他の者同様に深々と下げた後頭部がある。「シツレイッテノガワッカッネーノカオラーッ!」だが遠い。部屋の奥から動かずに頭を下げている。これはスコシ・シツレイだ。

 

「スンマセン! ゲイトキーパー=サン! スンマセン!」「構わんよ」「今すぐドゲザさせてケジメさせてセプクさせますんで!」「要らんよ」「コイッテノガワッカッネーノカドラーッ!」ゲイトキーパーの静止も気づかずにチャーマンは怒鳴りつける。

 

だが視線の先のニュービーは最敬礼のまま動こうとしない。いや、僅かに腰を落とし脚を開いた。カラテの動きだ。「ニシテッダコラーッ! スッゾコラーッ!」それには気づいたチャーマンは肩を怒らせ殺意をみなぎらせた。

 

濃紫を帯びる手がその肩を掴んだ。みしり。「私は構わんと、要らんと言ったんだ。い い ね ?」「アィッハイ!」悲鳴と肯定を一言で返したチャーマンを後目にゲイトキーパーは部屋に踏み入った。

 

「ゲイトキーパー=サン! スンマセン!」ニュービーは即座に最敬礼から明確なカラテの体勢に移る。これはスゴイ・シツレイといえよう。「テメッコラ……ハイ、スンマセン」「それでいい」爆発しかけたチャーマンを制しつつ、ゲイトキーパーは鷹揚に頷いた。

 

「チバ=サンは奥か?」「ハイ。帝王学を学ばれておられやす」(((そういえばゲイトキーパー=サン肝煎りのニュービーがチバ=サンの護衛についたとか……)))チャーマンはやり取りの意味に気づいた。背中に冷たい脂汗が流れる。

 

「隣にいると気が散ると仰られまして……」「なら一緒に学べば良いだろう」つまりこうだ。チバ=サンの護衛をアイサツを理由に引き剥がそうとした。しかもスゴイ・シツレイ覚悟で仕事を果たそうとする護衛を、推薦したゲイトキーパー=サンの目前で叱りつけて。

 

「いえ、その、オレ、学が……無いもんで。スンマセン」「冗談だ」「……スンマセン」赤・青・白・土気色。チャーマンの顔色が次々に切り替わる。ラオモト=サンの片腕の判断に、単なるアンダーカードがケチをつけた訳だ。出世の階段から転がり落ちる光景が脳裏に広がる。

 

「だが、お前は護衛だ。『何が有ろうと』常にお側で盾矛とならねばならん。勉強中だからと距離をとるのは関心できん」「……スンマセン。ホント、スンマセン……!」その階段の上に立つのは目前のニュービーだ。噂話を聞いた時と同様に、妬心でチャーマンの腹の底がチリチリと焦げる。

 

「もっと! チバ=サンのお側に置いていただけるよう! いっそう精進しやす! ご指導アリガトゴザイヤス!」再び深く最敬礼する刈り上げの頭に、チャーマンの緑の目線が突き刺さる。それを見たゲイトキーパーは敢えて余計な一言を吐いた。

 

()()()()()()()()()()、“オニヤス”=サン。ハゲミナサイヨ!」「ハイ! ヨロコンデー!」チャーマンの目が更なる嫉妬の緑に燃え上がった。これでいい。帝王の子とその護衛に要るのは、日和見の味方気取りではない。明白な敵だ。敵の存在は北風めいて子獅子を鍛え上げる。

 

ましてや帝王は並び立たぬもの。『情報』通りにならずとも、いずれ帝王の子は帝王に挑むだろう。ましてや『情報』通りともなれば、孤立無援の最中で信頼すべき配下を見出し、信服させ、統べねばならぬ。

 

無論、『情報』の未来予想図なぞトンファーで粉微塵に打ち砕いて見せよう。だが万に一つ、億に一つはあり得る。ゼロではないのだ。十全の対策を打ったにも関わらず、今回もまた殺戮者が生き延びたように。

 

「原因を調べ上げ、次の手を打たねばならんな」誰にも聞こえない言葉と居並ぶ最敬礼を残して、ゲイトキーパーはその場を後にした。

 

────

 

スコスコスコスコルコピー。自動読みとり装置が電子マキモノのデータを読み上げる。ヴィーム。ダダダダダッ! 加熱するUNIXの冷却ファンが唸りをあげ、吸い上げた情報をインパクトドットが紙に打つ。

 

かつて”ダイダロス”の居城であったセキュリティ室はほぼ無人だが思いの外騒がしい。ゲイトキーパーはアルゴノミクスチェアに腰掛けたまま、無音でありながら一番の騒音源を見上げる。そこには……おお、ブッダ! 

 

『私は何処に!? 此処に誰が!? 彼が其処で!? 彼処に君だ!?』『ワタクシは誰!? ワタシは誰!? アタシは誰!? アタイは誰!? アは誰!?』『……サトウスズキタナカヤマダホンダカワサキヤマグチイシカワ……』

 

無数のCRTディスプレイを埋め尽くすのは更なる無数の文字列だ。音一つない圧倒的ノイズの濁流が思考を拒む。ペケロッパカルティストの脳内でももう少し整っているだろう。発狂マニアックのニューロンから抽出でもしたのか? 

 

無数のCRTに繋がれた無数のケーブルから出所をたどる。それは宙に浮かぶたった一つの人影に収束する。だが、人影と呼ぶならば二重の意味で過去形を使うべきだろう。そこには……おお、ナムアミダ・ブッダ! 

 

足下の体液だまりで無数のバイオマゴットが蠢く。乱雑に巻かれたニンジャ装束は、にじんだ溶解蛋白液で黄色く腐りかけ。デスマスクが苦悶か涅槃かは見て取れない。目も鼻も口も耳も顔も首も全て、LANケーブルが突き刺さって吊しているのだ。

 

……ダイダロス死後、高度な情報戦闘力が必須の論理セキュリティ担当は空席となった。しかも後を埋める筈の候補者は既に死体。唯一条件を満たすのは多忙なゲイトキーパーしかいない。

 

そこで故ニンジャを再利用する『モッタイナイ計画』をリー先生に依頼し、生まれたのがこのハングドマンだった。つまり、余りに冒涜的なこれは……元ニンジャで、ゾンビーで、中央演算装置なのだ! ナムアミダブツ! 

 

「”ゴンベモン”、読みとりデータを表示しろ」ピボッ。『ヨネツ計画結果報告』手元のCRTディスプレイに文字が流れる。無名という名前の死体UNIXは、上司の指示に迅速に応えた。素直で二心のないゾンビーは生前とは大違いだ。

 

『い:社会不安定化工作……達成率87%

ろ:インサイダー利益収集……達成率86%

は:”ニンジャスレイヤー”ネガティブキャンペーン……達成率67%

に:ニンジャスレイヤー殺害……達成率0%』

 

()()()()目的は帝王に報告したとおりだ。ニンジャスレイヤー殺害以外は概ね達成した。全て達成できなかったことは恥辱だが今は置いておく。『ほ:計画阻害者についての調査……達成率22%』考えるべきはもう一つの目的と結果だ。

 

「詳細を出せ」ピボッ! 不鮮明な三つの影が画面に示される。『い:推定ニンジャスレイヤー……確率94%』一つは”ライダー”を踏み潰す赤黒。『ろ:推定ニンジャスレイヤー……確率48%』もう一つは”モーフィン”を焼き挽く紅蓮。

 

『は:不明ニンジャ(アンノウン)……照合対象なし。対象可能性1:ブラックソーン、2:ブラックエッジ、3:ブラックストーン、4:ブラックス……』そして最後は”レンジャー”を殴り砕く黒錆だった。

 

ゲイトキーパーは訝しげに三つの画像を見つめ、懐から出した冊子と見比べる。「ニンジャスレイヤーはいい。そのための計画だ」それは言うなれば観測気球。高く上げれば誰もがそれを見る。そんなものはない筈と『情報』を知る人間もまた。

 

「……だが資料によれば”()()()()()()()”の出現はまだだ。何が原因で早まった?」ニンジャキラー。今、この世でその名前を知る者は恐らく一人しかいない。今現在では存在すらしない、おそらく今後も生まれることのない名前だ。

 

だが、確かにゲイトキーパーはそれを口にした。「そもそも何故共闘できる? 信奉者らしく靴を舐めたか? いや、”フジキド・ケンジ”も”ナラク”も許すとは思えん」それだけではない。こぼれた言葉はニンジャスレイヤーの正体を正確に言い当てている。

 

「一部時点なら確実に殺す筈だ。やはり『情報』が間違っているのか? すべては狂人の戯れ言なのか?」狂人の戯れ言めいた台詞を発し、漆塗りPC机に置いた冊子のページを捲る。

 

『GK』『殺』『無印』『シヨン』『物理』『+』『@NJSLYR』一見意味不明なタイトルが目次に並ぶ。だがそれは知るものにとっては恐るべき意味を示す。

 

「それとも、お前が『ニンジャスレイヤー』の知識を与えたのか? お前が共闘を仕組んだのか?」”ウォーロック”の死骸から得た情報は、驚くべき真実を現した。それは”トライハーム”からもたらされた見えない壁の向こう側。第四の壁に門が開く。

 

三忍目の男(ザ・サードマン)……お前は、誰だ?」()()()()()()()『ニンジャスレイヤー』を知ったゲイトキーパーは、名前一つ知らない黒錆色の影に問いかけた。

 

【ゲート、ゲート、フォース・ウォール・ゲイト】おわり。

 



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鉄火の銘鑑その2(キャラ紹介 ※ネタバレあり※)

鉄火の銘鑑#X18【ダーティウォッシュ】

ハケン・ヘゲモニー社雇用ニンジャエージェント。かつては愛社精神に溢れ、長年に亘り忠を尽くした企業戦士だったが、汚辱にまみれた裏切りの中でニンジャソウルが憑依。凄惨なる報復の後には、自傷行為めいた汚れ仕事をこなすだけの無味乾燥な日々だけが残った。由来はdirty wash(ゴシップ種)。

 

 

鉄火の銘鑑#X19【ユージェニック】

ナチ党を背後より支配するニンジャ組織”騎士団(オーデン)”最後の一人。チベット奥地で発見されたオブシディアンの鏡よりコトダマ空間へと進入し、たどり着いた現代日本にてナチ党復活を図る。元親衛隊員のため国家格差社会主義に耽溺している。由来はeugenic(優生学の)。

 

 

鉄火の銘鑑#X20【シャイロック】

サンドリヨン・プロダクション社を影より支配する女ニンジャ。優しげな笑顔でアイドル候補生たちを導く傍ら、過去の復讐めいた邪悪なアイドルオイラン人身販売にて暴利をむさぼる。由来は『ヴェニスの商人』の強欲な高利貸し。

 

 

鉄火の銘鑑#X21【フリント】

ザイバツ・シャドーギルドのアデプトニンジャ。奥ゆかしさと礼儀作法に不足し、ネオサイタマの対ソウカイヤ調査班に左遷された。常人の三倍の瞬発力を加え、思い上がるだけの確かなカラテを持つ。由来はflint(火打ち石)。

 

 

鉄火の銘鑑#X22【マガネ・クロイ】

刀匠の旧家であるマガネ家の六代目であり、ネオサイマタでも十指に数えられる刀鍛冶。非ニンジャ。偏屈を鍛造したが如き老人だが、孫にはワタアメめいて甘い。近く七代目を娘婿である愛弟子が襲名し、八代目は孫に継がせるつもりだった。由来は鋼の古名である『真金』と鉄の和名。

 

鉄火の銘鑑#X23【デッドライン】

ハケン・ヘゲモニー社雇用ニンジャエージェント。真面目な仕事ぶり以外特徴はないが、実は幾多の死線をドゲザと口三味線で生き延びたドヒョー際のタツジン。下げる頭と回せる舌が有れば死神からでも逃げ切って見せると豪語する。由来はdead line(死線)。

 

鉄火の銘鑑#X24【コレクター】

ハケン・ヘゲモニー社雇用ニンジャエージェント。ハケン社の中でも有数の実力者ではあり、同時に有数の問題児。カタナ蒐集のために度々仕事を投げて、趣味のツジギリ行為に耽っている。今やハケン社のカンニンブクロは着火点に達しつつある。由来はcollector(蒐集家)。

 

 

鉄火の銘鑑#X25【スケープゴート】

ソウカイニンジャ。モータルを殺して供物とすることで、エッセンスから冒涜的な宇宙黒山羊を作り上げるサクリファイス・ジツを使う。上昇志向は強いが、それに見合った実力はない。由来はscapegoat(生け贄の山羊)。

 

鉄火の銘鑑#X26【ランドシャーク】

ソウカイニンジャ。物質を自在に透過する強化ドトン・ジツの使い手。上昇志向は強いが、それに見合った知力はない。由来はland shark(地上げ屋)。

 

鉄火の銘鑑#X27【バードショット】

ソウカイニンジャ。異形の散弾銃を偏愛し、モータル狩りを好む。変態嗜好は強いが、それに見合わない実力を持つ。由来はbird shot(鳥撃ち散弾)。

 

 

鉄火の銘鑑#X28【イントラレンス】

ソウカイシックスゲイツに属するソウカイニンジャ。ザイバツめいたニンジャ格差社会主義に染まっており、自らを帝王配下の高潔な貴族であると信じる。由来はintolerant(不寛容な)。

 

 

鉄火の銘鑑#X29【ウトー・ユウ】

過去を奪われ今を怒り憎む転生者。クレーシャの手引きでソウルが憑依しかけたが、ブッダの気まぐれか寸前で阻止される。今は未だに憎いがそれ以外も目に入るようにはなった。特に黒錆色が。

 

鉄火の銘鑑#X30【ピュグマリオン】

象牙の半身(アザーハーフ・オブ・アイボリー)の片割れのニンジャ。幼稚な人体改造マニアックであり、無辜のモータル女性をさらっては半人半機の異形サイバネナースに改造。おぞましい犯罪行為へと荷担させていた。由来はギリシア神話の人形師。

 

鉄火の銘鑑#X31【ガラテア】

象牙の半身(アザーハーフ・オブ・アイボリー)の片割れの女ニンジャ。自身を改造素材に差し出すほどピュグマリオンを盲愛し、彼が望むままに連続婦女ハイエース誘拐殺人犯グループの後ろ盾として無辜のモータル女性を与えていた。由来はギリシア神話の生き人形。

 

 

鉄火の銘鑑#X32【フォークロア】

ソウカイニンジャ。現地の民間伝承を偽装に利用しつつ、ヨロシサンのソクシンブツ・オフィス跡地で不可解かつ冒涜的な実験を行っていた。その実験結果について口にする者は誰一人いない。由来はfolklore(民間伝承)。

 

鉄火の銘鑑#X33【クリーピーパスタ】

ソウカイニンジャ。ソウカイヤの名を口にした者の元へと突如現れ、恐怖と死をもってその口を封じてきた。IRCで噂される『YIB(ヤクザ・イン・ブラック)』の正体とされる。由来はcreepypasta(ネット怪談)。

 

 

鉄火の銘鑑#X34【モーフィン】

ソウカイシックスゲイツに属するソウカイニンジャ。ゲイトキーパーの薫陶を受け、ソウカイヤとラオモト・カンの正義を盲信している。ミラーめいたミズガネ・ジツの鎧を変幻自在に操り、自身のカラテを何倍にも高めるイクサ巧者。由来は特殊撮影のmorphing(変身)。

 

鉄火の銘鑑#X35【レンジャー】

ソウカイニンジャ。湾岸警備隊に憧れていたナード青年にニンジャソウルが憑依。失われた湾岸警備隊特殊部隊”鯱鉾(シャチホコ)”の後継者を気取るようになった。しかしその理解は表面的なものにすぎない。由来はranger(特殊部隊)。

 

鉄火の銘鑑#X36【ライダー】

ソウカイニンジャ。元ネオサイタマ市警察の騎馬警官で、強奪した愛馬”キリン”をサイバー馬へと改造した。寝食褥を共にするキリンとは一心同体の人馬一体である。由来はrider(乗り手)。

 

鉄火の銘鑑#X37【インディペンデント/ヒノ・セイジ】

カチグミイケメン青年の顔を持つ、ヒーロー気取りの強欲なるニンジャ。カラテで敵を殴り、ワガママで誰かを助け、傲慢を楽しみ、賞賛を好み、英雄譚を愛する。その全部が身勝手なエゴだ。由来はindependent(独立した)。

 

 

鉄火の銘鑑#X37【チャーマン】

ソウカイニンジャ。狭い世界で代表者を気取り、上に媚びては下をいびる。向上心には欠けるが、嫉妬心は人一倍持ち合わせている。由来はchairman(委員長)。

 

鉄火の銘鑑#X38【オニヤス・カネコ】

ソウカイニンジャ。ニンジャネームもないニュービーだが、突如ゲイトキーパーの大抜擢を受け、ラオモト・チバの護衛に成り上がった。ラオモト家を異常崇拝し、僅かでも役立とうと愚直にカラテパンチを続けている。

 

鉄火の銘鑑#X39【ゴンベモン】

元ソウカイニンジャにして現ゾンビー演算装置。その腐りかけた脳内には、かつて手を組んだトライハームから得たこの世ならざる『知識』の欠片が入っている。今、それを知るのはゲイトキーパーただ一人だけだ。



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第四部【双刀紋壊すべし】
プロローグ【ストライク・ザ・ホット・スティール】


【ストライク・ザ・ホット・スティール】

 

走る。急ぐ。駆ける。急ぐ。進む。急ぐ。「ハーッ! ハーッ! ハーッ!」倒けつ転びつの言葉通りに、何度も倒れ転び立ち上がりまた走り出す。高級サラリマンスーツは汗に塗れ泥に汚れ、クリーニング屋が買い替えを勧めるほどだ。

 

さらに言えば彼が走るオオヌギ・クラスター・ジャンクヤードは汚い。清潔など気にしてられない困窮層が流れ着く掃き溜めの町なのだ。ましてや今日は一段と汚い。ロケットで汲み取り便所が炸裂し、機銃でバラックが撒き散らされ、踏み潰されたトレーラーハウスが泥と一体化してる。

 

「私はオムラ・インダストリとは一切関係がありません。偶然ここに来て戦っています」汚れた町を更に汚すのは、ブッダデーモンの模造品だ。八腕四脚の鋼鉄カイジュウは欺瞞的台詞と共に破壊を撒き散らす。

 

「プロジェクトで皆さんの生活が安定します」「アィェーッ!」CLASH! 「新しい土地で心機一転です」「アィェーッ!」CLASH! 「社会のためにも即刻立ち退きましょう」「アィェーッ!」CLAAASH!! 

 

瞬く間に故郷が廃墟へと様変わりしていく。嘆く権利はない。片棒を担いだのは自分だ。それでもせめて父“サブロ”だけは救おうと、“マノキノ”はひた走っている。

 

「ハーッ! ハーッ! ハーッ!」荒い呼吸の度に喉が焼けそうになる。酸欠で霞む目を凝らし、乳酸で震える足を無理矢理に動かして前へと進む。

 

(((キャハハ!)))隣に並走するのは幼い日の幻だ。あの頃はオオヌギ中を朝から晩まで遊び回っても、息一つ切れることはなかった。廃材をオモチャにしては怒鳴り声を浴び、工房に入り込んではゲンコツを落とされ、それでも毎日が楽しくてしかなかった。

 

父が好きだった。火傷と切傷に機械油が染み込んで亀裂文様めいたゴツゴツの手が好きだった。しかめ面が大得意で笑うのが下手くそな炉焼けした顔が好きだった。唸り悩み無才を嘆き、それでも黙々とワークマンベンチに向かう背中が好きだった。

 

父のようになりたかった。母に手を引かれてオオヌギを出た後も、一心不乱に技術者を目指した。努力はオムラ重工業入社という形で実った。カチグミの中のカチグミ。けれど父の大嫌いなメガコーポだ。

 

父に認めて欲しかった。カロウシ寸前のサービス残業で積み重ねた青写真を認められ、新規プロジェクトを請け負った。新モーター計画『モータートラ』。治安を守る鋼の騎兵だ。そう信じた。これならきっと父も認めてくれる。そう信じた。

 

だが全てはご都合いい思い込みに過ぎなかった。目の前で暴れ回る歪なブッダエンゼル……『モータートラ』改め、『モータードクロ』がそれを証明している。自分が作ったのはスシを食い散らかし殺戮を吐き散らかすオモチャでしかない。父が当然認めるはずもない。

 

「哀れなガラクタめ! ならばワシを切ってみよ!」あまつさえ自身の創造物は父を手にかけようとしていた。「アラート! データ外状況な!」だがブッダの慈悲か、マーラの気紛れか。殺戮機は目前でエラー停止した。

 

やっと父の下へ辿り着いた“マノキノ”は絞り出すような声で呼びかけた。「父さん……」「フン、貴様か」アグラのまま睨む目は冷たい。「住処を瓦礫にしたこのガラクタのエンジニアが息子とはな。これも全てはワシのインガオホーよな」

 

「父さん、僕は……こんな事になるなんて知らなかったんです……ただ自分の努力を認めて欲しかった……」マノキノの目に涙が滲む。「そして、自分の創造物でこの町に、父さんに恩返しをしたかった…………父さんの技術をもっと大きな舞台で役立てて欲しかった……」

 

サブロは叱責した。「馬鹿ものが」「ごめんなさい……僕は未熟者です。どこでこんな事になったのか、わからないんです」「大馬鹿ものが……お前の馬鹿はワシの遺伝だな」

 

「え……」サブロの顔には呆れたような優しい微笑みが浮かんでいた。「間違えたなら正せばよい。未熟ならば鍛えればよい。お前はまだ若い。やり直しが効く」

 

「父さん……!」マノキノの背中を押すようにサブロは頷く。頷き返したマノキノはモータードクロへと向かう。アドミン権限で強制停止を試みるつもりだ。

 

「なにをしてるんですか!」同僚の武装サラリマンが反社行為に非難の声を上げている。もはやカイシャには戻れぬだろう。だが、やるのだ。ALAS! 余りに大きな代価ではあったが、分たれた親子の絆が、今再び結ばれようとしていた。

 

しかし……この世には御涙頂戴のメロドラマを好まない層もいる。例えばこの殺戮機械の出資者がそうだ。ピカッ! モータードクロの両眼が不吉に輝く! ピガッ! 異様なアラーム音が髑髏面から響く! 

 

「何だ!?」「イヤーッ!」なんと! エラーで停止していた筈のモータードクロがカタナを振り上げたではないか! リモートコントロールだ! 

 

停止したものと思い込んでいたサブロは反応できぬ! 数十年の人生がソーマトリコールとして脳裏を駆け抜ける! 「イヤーッ!」「アィェェェ! 危ない!」マノキノはその背中を咄嗟に突き飛ばした。致命の死線からサブロは逃れた……息子と引き換えに。

 

ソーマトリコールめいて体感時間は引き延ばされたままだ。息子の背中に向けて必殺のカタナがゆっくりと振り下ろされる。(((マノキノ!)))サブロはそれを見ているしかない。加速された時間の中では声を上げることも許されない。

 

ブッダよ! 愚かの代価に我が子の死をとっくりと眺めろと言うのか!? インガオホーと言うには余りにむごいではないか! それでもサブロは目を逸らさぬように歯を食いしばる! せめて息子の最期の姿をその目に焼き付けんとする! 

 

だから見えた。

「イヤーッ!」紅蓮の彗星が慈悲なき鋼腕を撃ち抜く様が! 

「イヤーッ!」黒錆色の流星群がカタナを押し除ける様が! 

「イヤーッ!」赤黒の暴風が稼働天魔像を吹き飛ばす様が! 

 

「ピガーッ!?」「アィェーッ!?」そして愛する子がデス・オムカエの手から逃れる様が! 延ばされた一瞬が元のフレームレートへと戻る。「マノキノ!」ソーマトリコールの反作用か不確かな足取りでサブロは息子に駆け寄る。

 

「と、父さん! ご無事で!?」「馬鹿もん! お前の方こそ!」互いの無事を喜び合い、親子は硬く抱き合った。「ニンジャソウル検知、あなたはニンジャです?」しかしまだモータードクロは止まっていない! 安心にはまだ早いか!? 

 

否! モータードクロに立ちはだかる赤黒の影を見よ! その背中を見ただけで殺戮機械への恐怖は霧散した。「「「アィェェェ……」」」殺戮者がそれ以上の恐怖をもたらしたからだ。放たれるキリングオーラに泡を吹き崩れ落ちる武装サラリマンたち。

 

「ドーモ、モータードクロ=サン。はじめまして」だが、マノキノはその背中に父の背を重ねた。確かにそれは家族を、その亡霊を背負う父親の背中であった。その名は……! 

 

「“ニンジャスレイヤー”です」

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

「ドーモ、モータードクロ=サン。はじめまして。ニンジャスレイヤーです」「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。あなたは、ニンジャです。わたしはモータードクロ、です」

 

単調で異様なアイサツと同時に顔面が音を立てて変形する! メンポめいたマスクを帯びたその顔は、おお! 憤怒の形相と化しているではないか! 

 

「ニンジャソウルの検知……話の通りだな」ニンジャスレイヤーは油断なくジュー・ジツを構える。視界の端に親子を担いだ紅蓮と黒錆の影が写る。巻き込む心配はない。存分にカラテを振るうとしよう。

 

「スクラップの何処にバイオニューロンが詰まっているか、ネジクギに至るまで分解して確かめてくれよう」殺戮者の容赦なき舌鋒に憤るが如く、異形の機械は八肢を蠢かせる。「モータードクロで! 戦います!」そして、カラテを構えた。

 

「……!?」突如、邪悪メカニズムが別種のアトモスフィアをまとった。構えたカラテから滲み出でる殺気は機械のものではない。オムラ製の無邪気な悪意が、まるで異なる明確な殺意へと転じたかのよう。

 

ニンジャ第六感がモータードクロの背後にイマジナリの影を映す。「あれは」キーボードの前でホームポジションを構えたニンジャの姿が透かし見えた。その顔はオボロだが、爛々と殺意が燃える目だけがくっきりと浮かび上がる。

 

「まずはこのガラクタを、次はオヌシをスクラップにしてくれる」操縦者が誰かは知らぬが安全圏から弱い者いじめに興じる手合いに違いはない。RC電波越しの殺意に、ニンジャスレイヤーは圧倒的憎悪を投げ返す。

 

それがイクサの鏑矢となった! 「イヤーッ!」四脚を虫めいて動かし、獲物へと殺到する! ハンマーと斧を振り上げて、サスマタにナギナタを振りかざす! どれか一つでも人体をネギトロにするには十分以上だ! しかもそれが四つ! 

 

「イヤーッ!」赤黒の影が地を這うように距離を詰める! 懐に入れば長柄武器は恐るに足らず! しかし残りの四腕を見よ! カタナ、ツルギ、ジュッテ、カマ! 全てが近接武装ではないか! 恐れを知らぬニンジャスレイヤーに恐るべき殺戮器械が襲いかかる! 

 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」DING! 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」DONG! 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」DING! 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」DONG! 

驚異なるカラテフックの連打と脅威なる四刃の斬線が交錯する! その数合計11発/秒! 

 

「「イヤーッ!」」SCREECH! 圧倒的カラテ衝突により、双方がドリフト走行めいて地を滑る! ニンジャスレイヤーに被弾なし! しかしモータードクロも装甲にて重篤なダメージなし! ゴジュッポ・ヒャッポ! 

 

「へぇ、モータードクロってのはけっこう強いんだ」「たしかに強い……過ぎるくらいだ」それを眺める紅蓮と黒錆の影二つ。サブロ・マノキノ親子は安全圏まで輸送済みだ。更にオオヌギ住民の避難誘導も終え、“インディペンデント”と“ブラックスミス”は予備兵力として待機に入っていた。

 

「これならオムラ販促ムービーのロボ特撮にも期待が持てるね」鉄風と血風の正面衝突を眺めるインディペンデントは、チャコーラ片手にワサビコーンでも摘みそうな様子だ。我らが殺戮者の勝利を確信して完全に見物モードに入っている。

 

「バイオニューロンじゃあれ程のカラテはできない筈だ」一方、ブラックスミスは苦虫をツマミに苦汁を飲んだ顔をしている。『知識』によれば綱渡りながらも死神は苦戦なく勝っている。だが目前のチョーチョー・ハッシはそれを否定していた。「遠隔操縦か……? でも、誰が? ナンデ?」

 

 

───

 

 

その答えはオオヌギ・クラスター・ジャンクヤードから遠く、とある機密料亭ビルの大型プレゼンテーションルームにあった。キーボードの前でホームポジションを構えるニンジャが一人、巨大スクリーンの逆光を浴びている。

 

「ニンジャスレイヤー=サンを社会秩序で殺さんと動いた私が、社会秩序管理兵器で彼を殺すことになるとはなんたる皮肉。まるでフォーチュンロープか」

 

そのスーツは紺色であり、そのメンポはミラーめいている。そう、モータードクロにありえないカラテを振るわせたのは、この場にいるはずのない“ゲイトキーパー”であった! 

 

……ニンジャスレイヤーを社会敵とする為、NSPD腐敗上層部とのコネ作りを狙うゲイトキーパー。ラオモト=カンの鞄持ちとしてプレゼンテーションに参加した彼は、ラオモト=カンの指示によりモータードクロを遠隔操縦する羽目となったのだ。

 

モータードクロの勝ち目が薄いことはゲイトキーパーは百も承知だ。『知識』によればサブロ・マノキノ親子を守りながらも、ニンジャスレイヤーは被弾なく勝利している。ゲイトキーパー自身が操ろうとも厳しい戦いとなろう。

 

だが……それでも帝王ラオモト=カンの指示は絶対である。如何なる命令であろうとも完璧に果たすのが配下の義務なのだ! 「成せばなる! 成せばなるのだ! イーヤヤヤヤヤヤァッ!」SSDDSDSASAP! SSDDSDSP! 恐るべき速度でコマンドがタイプされた! 

 

 

───

 

 

「イヤヤヤヤヤヤーッ!」濁流めいて注ぎ込まれるコマンドに従い、モータードクロと八つの得物が鉄の嵐めいて吹き荒れる! それは舞い踊るドラゴンか、或いは乱れ狂うタイガーか! 餓えた狼であろうとも尾を巻いて後退りする程の迫力だ! 

 

だがドラゴンもタイガーもニンジャに与えられる異名の一つに過ぎぬ! 「イヤヤヤヤヤヤーッ!」殺戮者はサスマタを殴る! ジュッテを弾く! カマを踏む! ツルギを蹴る! 斧を逸らす! カタナを受ける! ナギナタを掴む! ハンマーを避ける! 惨殺暴風域の最中でありながら無傷である! ゴウランガ! 

 

「ゼンメツ・アクション・モード強制展開」ならば更なる剣林弾雨をもって殺すまで! 「ゼンメツだ!」八腕から機関砲の銃口が! 「ゼンメツだ!」胸鉄板が開いてミニガン複数門が! 「ゼンメツだ!」背面鋼鉄カーゴが変形し無反動砲二門が! 「ゼンメツだ!」スシ投入口からも可動ガンが! 

 

「ホノオ!」BLALALA-TOOM!! スピーカーが叫ぶコトダマの通りモータードクロは火を噴いた! 無数の砲火銃火の大火災がニンジャスレイヤーに襲い来る! 

 

「手動入力が行っています。降伏勧告は全滅後に再開です」しかもその全てがゲイトキーパーの手で細やかに容赦なく制御されているのだ! それは自我を持った破局噴火そのもの! この精密なる大火力の前には殺人マグロもネギトロすら残らぬ! ナムアミダブツ! 

 

「イヤーッ!」()()ニンジャスレイヤーは決断的に前へ出た! 横殴りの豪雨弾雨に刻まれながらもモータードクロ目掛けて走る! 走る! 走る!! 「アラート! データ外状況な!」圧倒的狂気を前にバイオニューロンがエラーの悲鳴を上げたのは当然であろう。

 

「直ちに離れてください。危険です。直ちに離れてください」だがそれこそが最適解。密着状態に至ったニンジャスレイヤーを撃てる銃口は無い! ただ一つの例外たる可動ガンは……「イヤーッ!」「ピガーッ!」CLASH! ……今、無くなった! もはや止めようも無い! 

 

そしてゼロ距離は素手の距離、すなわちカラテの距離なのだ! 「イヤーッ!」「ピガーッ!」「イヤーッ!」「ピガーッ!」「イヤーッ!」「ピガーッ!」「イヤーッ!」「ピガーッ!」鋼鉄のブッダデーモンが矩形波で泣き叫んだ! 

 

 

───

 

 

「ヌゥーッ!」ダメージノイズで乱れるスクリーンに歯噛みするゲイトキーパー。回避を封じんと砲火の網を広げたのが仇となったか? 遠隔操縦のカラテ対応遅延を考慮に入れ損ねたか? 否、過ちは一つ。全ニンジャ殺戮に邁進するニンジャ殺す者(ニンジャスレイヤー)の狂気を見誤ったことだ! 

 

「イクサの勘を失っていたか。なんたるブザマ……だが!」帝王の前でこれ以上の失態は見せられぬ! 「イヤーッ!」総会六門を統べる怜悧なる頭脳がキーボードが霞ませる! 高速タイプされる必勝必滅の策が、ニンジャスレイヤーに襲い掛かろうとしていた! 

 

 

───

 

 

「ピガーッ! ゼンメツだ!」モータードクロ肩部の無反動砲が煙を吹いた! 噴煙をかき分け現れるのは恐るべきミサイル『馬』だ! この感傷的な名のミサイル弾頭は、バイオバンブー発展構造分子により極めて硬い! そして青ざめた『馬』は放たれた……「!?」……上空目掛けて! 

 

「カラテ・アクション・モード一部移行な!」訝しむニンジャスレイヤーにモータードクロが重質量ヤクザキックを繰り出す! 「カラテ!」「イヤーッ!」その足は二本! カラテ最適化されたデザインに変形したのだ! 

 

しかもカラテだけではない! 「ゼンメツだ!」BLATATATA! 本来のカラテ・アクション・モードなら脱落する六腕が鉛弾の幕を張る! 弾幕で推し包み、カラテで押し潰すつもりか!? 

 

「イヤーッ!」「ピガーッ!」その程度の浅知恵で殺せるニンジャスレイヤーではない! 「カラテ!」「イヤーッ!」ましてや八腕がそのままでカラテ最適化は不十分! 「イヤーッ!」「ピガーッ!」殺戮者のカラテ相手に堪えるのがやっとだ! 

 

……そう、堪えるのならそれで十分。それこそがゲイトキーパーの算じた秘策、その一手なのだ! 「あれは!?」SWOOSH! そして王手は鋭角の宙返りを終え、直上から急降下に入った! 表面の『馬』ミンチョ体がネオン光を照り返す! 

 

風を切り急降下爆撃するミサイル『馬』。当たればニンジャであろうと一溜まりもない。しかもカラテで粘られ弾幕で包まれ、脱出の時間も隙もない。モータードクロも巻き添えだが所詮は機械だ。未来のソウカイヤの悪夢(ベイン・オブ・ソウカイヤ)を葬れるなら費用対効果極めて大と言えよう。

 

「モータードクロは硬くて強い。ニンジャより頑丈なロボットです」「ヌゥーッ!」もはや逃げ場は無く、防ぎようも無い。これがショーギならばタナカメイジンでも投了を選んだであろう絶体絶命状況。だがこれはイクサである。イクサに投了はなく、絶対もなく……そして一人でもない! 

 

「イヤーッ!」シャウトと共に幾本もの黒錆の鎖が絡みつく! クナイ・アンカーを打ち込んだ同色の影に、縄めいた筋肉が浮かび上がった。「イィィィ……」WHIIIZZ! 噴流の悲鳴を上げる『馬』ミサイルをスリケン・チェーンが容赦なく引き摺り回す! 

 

有線『馬』ミサイルは公転軌道する衛星めいて複雑な多重円を描く。右へ、左へ、そして上へ。ドクロの月と『馬』ミサイルが重なる。「……ィィィ今だ!」「応!」そこに紅蓮の影が跳んだ! 背負う拳は鮮やかな同色のカトンを纏う! 

 

「イヤーッ!」カタパルトめいて放たれた弾道跳びカラテパンチが、『馬』ミサイルのノズルを噴射ガスごと撃ち抜いた! 弾頭はニンジャを貫通する硬度でも、ロケットエンジンはその限りにあらず! ましてや内部に注がれた超自然の業火に耐えられる筈もない! 

 

BTOOM! 当然、爆発である! そして爆発の圧力とカラテパンチの衝撃力が加わえられ、バイオバンブー発展分子構造体は弾丸と化した! 「ピガーッ!?」ミニガンをへし折り超硬度『馬』弾頭がスシ投入口にめり込む! 

 

それを見逃すニンジャスレイヤーでは無い! センコめいて光る目が名も顔も知らぬ操縦者を照準する! 「ガラクタの影に隠れ、アイサツも機械任せの臆病者。オヌシが縋るジョルリ人形の末路を見るがいい!」「ピ、ピガガ」

 

既にその腕は弓引くがごとく耳の後ろへ引き絞られている! おお、ここから繰り出される決断的なあの技は! 「次は! オヌシの番だ! イィィィヤァァァーーーッッッ!!」「ピガガガーッ!?」チャドー奥義『ジキ・ツキ』に他ならない! 

 

しかもその標的は『馬』弾頭が突き刺さるスシ投入口だ! 内部カラテ貫通に『馬』弾頭ソウル反応爆発が追加! KARA-TOOM! 「ピガガガガガ!」パーティゲーム器械めいて首が吹き飛んだ! 

 

投げ出されたモータードクロの頭部がクルクルと宙を舞う。「サヨ……ナラ……」異常電流に焼け焦げたバイオニューロンが最期に映すのは、嘲笑うドクロ月だけだった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

みしり。床が鳴った。オーガニック畳に額がめり込む。みしり。頭蓋が鳴った。後頭部に高級革靴がめり込む。ぼきり。鼻軟骨が鳴った。へし折れた鼻から血が溢れた。

 

「ゲイトキーパー=サン、ワシはお前になんと命じた?」「モータードクロでニンジャスレイヤー=サンを殺せとの命を賜りました」「ほう、よくわかっておるな。で、結果は?」「我が不徳にて果、た、せ……ず」み し り。

 

圧力が精神的にも物理的にも増した。「無能めが。シックスゲイツ創設者も落ちたものよ」「……申し訳ようもありませぬ。ただこの命にて詫びる所存でございます」ドゲザのままゲイトキーパーはケジメ用懐刀を抜く。

 

エンハスメントはない。苦痛に満ちたセプクでせめて帝王の無聊を慰める為だ。「ますますの無能が。貴様の死に様ごときがワシの悦びとなると思ったか」みしり。だが、その腕は動かない。帝王のカラテである。僅かな体重移動で全身の動きを封じたのだ。

 

「貴様をシックスゲイツ名誉構成員から解任する」「ハイ」「シックスゲイツ総括管理はダークニンジャ=サンに任せる」「ハイ」「前線勤務だ。死んでワシに尽くせ」「ハイヨロコンデー!」圧が消える。タイムイズマネー。役立たずに使う時間はない。帝王はすぐさま次のビジネスへ向かった。

 

その姿が消えるまで、ゲイトキーパーは血に顔を沈め続けた。「……」鼻血溜まりからゲイトキーパーが顔を起こす。ひん曲がった鼻を無理やり戻し、顔中にへばりついた血を拭う。

 

「…………」失禁して失神したオムラ社員からリモコンを取り上げる。ピボッ! スダレ状に切り裂かれたスクリーンが光った。ラオモトの怒りで刻まれた銀幕にコマ送りの映像が映る。

 

憤怒と憎悪に満ちたニンジャスレイヤーの目。月と炎を背負って構えるインディペンデントの拳。夕闇と混じり『馬』ミサイルを引き回すブラックスミスの鎖。暗い紫を宿した瞳がそれをじっと見つめる。

 

「……………………隠し持っていたにしては大き過ぎる。その場で用意したにしては頑丈にすぎる。ジツの産物か?」唐突に思考がこぼれた。垂れ流すような早口だ。「カラテ粒子発光はない。粒子形成物ではないな。ジツで変性させた物質あたりだろう」

 

思索を回す。ひたすらに回す。「それを素材に即興で用具を組み立て運用する。先日の映像記録とも合致するな。仮にDIY・ジツと呼ぼう」そうしなければ弾けてしまう。血が出る程に握りしめた拳が、意図せずに溢れるエンハスメント光がそれを示している。

 

「DIY・ジツでサポートに徹し、ニンジャスレイヤー=サンとニンジャキラー=サンの影に隠れるつもりか」だがその目論見は失敗した。アンブッシュでアイサツを避けようと、『知っている』ゲイトキーパーからすれば、隠蔽は甘く偽装は半端でしかない。

 

そう、ゲイトキーパーは未来を、『原作知識』を、Twitter小説『ニンジャスレイヤー』を知っている。加えてもう一つ。「だが三忍目の男(ザ・サードマン)よ、お前は知らない。私を知らない。()()()()()()と知らないのだ」自らが持つアドバンテージを今、知った。

 

「ゴアイサツサマ生命」そして狩人気取りを狩るのは驚くほど容易いものだ。ゲイトキーパーは暗く輝くトンファーを抜き放った。キリングオーラが暗紫の光となって立ち上る。生存者が全員気絶していたのは幸運だった。今のゲイトキーパーを直視すれば心停止者の数は倍に増えていただろう。

 

「その時までブッダを気取り、モンキーを掌で転がしていると思い込むがいい」ソウカイヤに浴びせた汚辱の罪を、帝王に向けた侮辱の代価を知る時がいずれ来る。「そして、時きたらば……肉に! 骨に! 魂に! 然るべきケジメを刻んでやろう! イヤーッ!」

 

ZING! 暗紫の残光が虚空に交差した。帝王のカタナ傷と合わさり、ボロ切れとなったスクリーンが舞い落ちる。エンハスメント・ジツとトンファー・ジツの恐るべき絶技。それはタタミ五枚の距離を超えて裏の白壁にすら筋違紋を刻んだ。

 

プロジェクターが映す三忍目の男(ザ・サードマン)……ブラックスミスの影絵と、壁に印されたⅩ字が重なる。レティクルめいたクロスカタナの刻印は、その心臓に照準を合わせていた。

 

【ストライク・ザ・ホット・スティール】おわり



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第一話【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#1

大変遅くなりました。本年中にもう一話……ガンバロ


【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#1

 

 

「ゴキゲンヨ!」「ゴキゲンヨ!」

 

マリエとトモエの像の元、今日も朗らかな声がコダマする。レンガ作りの通学路を行くのは、淡い色彩をまとったうら若き少女達。スカートを乱さぬよう上品に。背筋を揺らさぬよう滑らかに。登校風景だけで躾と教育を感じさせる。

 

『規律正しく美しい』。マリエ・トモエ学園のモットーだ。スナリヤマ程に名高くなくとも、ネオサイマタで上から数えられるお嬢様学園である。ある種イビツなまでに均一に美しく整えられた彼女らは、まるでロビーに飾られるカドー・オブジェを彷彿とさせる。

 

 

しかし、例外はどこにでも存在するものだ。

 

 

「まぁ」「あれは」「いやね」「いらっしゃったわ」小鳥の群れめいたざわめきをBGMに、水彩画に白黒の輪郭線が差し込まれた。スカートを蹴り上げるような大股歩き、僅かにたわめた背筋はバイオミケネコめいて揺れている。

 

柔らかな色の制服を無彩のジャケットで覆い隠す。墨色のパンプスと合わせればスカートが白に見えるほどのコントラスト。規則違反ギリギリの髪飾りもモノトーンで、色彩そのものにキツネサインを突きつけるかのよう。

 

ファッションだけではない。白帯ながらジュドー地区大会で優勝を果たし、成績順位はいつも上位をキープ。持て囃されるだけの成果を挙げながら、敷かれたレールを直角に我が道を行く。まさしく粗にして野だが卑にあらず。

 

故に人影が纏うのは墨絵竹林のタイガーめいた気品ある野生だ。その背中に向けられるのは恐怖、嫌悪、軽蔑、興味、憧憬。どれ一つとして対等の感情はない。その全てを一顧だにせず、黒錆めいた鉄魚は養殖パステルカラーの川を颯爽と泳ぎ去っていく。

 

彼女の名は“ウトー・ユウ”、均一均質なマリエ・トモエ学園にくっきりと浮かび上がる異端児だ。

 

今日も問題児は不快感と不機嫌を露わに、背の高い門を潜る。「ドーモ」「……ドーモ」門周りを清掃する用務員相手に気怠いアイサツを返し通り去る。「え」その足が止まった。振り返る。

 

視線の先には黒錆色の特徴がない男が一人。ただ目だけが殺人者めいた異様な光を放っている。「え……え?」「ありゃ」その目は彼女と同質の、しかし少々薄めの驚きで見開かれていた。

 

いち早く驚愕から脱した男は帽子を脱いで丁寧にアイサツをした。「ドーモ、()()()()()()。本日より当学園にて務めることとなりました、用務員の“カナヤ”です。ヨロシクオネガイシマス」「へ?」

 

「…………ナンデ?」「以後お見知りおきを」同郷にして縁深い“カナコ・シンヤ”からの初対面めいた社交辞令に、ユウはただ惚けるばかりだった。

 

---

 

「ちょっと! ちょっとこっち来て!」「ちょっと引っ張らないでいただけます!? ちょっと!」「ちょっとくらいいいでしょ! ちょっとで作り直せるんだから!」「ちょっと! 初対面なのにちょっとそれはないでしょう!?」「ちょっと!? 初対面って、ちょっとそれこそないでしょ!」

 

『ちょっと』多めの会話しつつ、ユウは黒錆の用務員を廃墟となった旧校舎裏へと引っ張り込む。聞きたいことは山ほどある。ナンデ学園に来たの? ナンデそんな格好をしてるの? ナンデ偽名なんか使ってるの? ナンデ初対面のフリをしてるの? 

 

「……」「で、なんですか? 女生徒さん」言いたい事は溢れんばかりだが、言葉が渋滞して口から出てこない。「…………」「だから、なんなんですか? 女学生さん」思わず顔を見つめる。目つき以外は意外と柔らかめなんだ。「………………」「そうですか。じゃぁこうしましょう。女子高生さん」じっと見てしまう。じっと見返される。頬が熱い。

 

「私たちは初対面です、いいね?」「アッハイ……っていいわけないでしょ!!」流れで思わず頷きかけた。ノリツッコミの勢いでコトダマを押し出す。「それでいいんですよ、二つで十分ですよ」「よくない!」何が二つだ。四つは答えろ。

 

「とにかく答えて! ナンデ学園に来たの?」「仕事です」「ナンデそんな格好をしてるの?」「仕事です」「ナンデ偽名なんか使ってるの?」「仕事です」「ナンデ初対面のフリしてるの?」「仕事です」

 

「答える気あるの!? シンヤ=サン! 「カナヤです」ザッケンナコラーッ!」答える気はないようだ。ヤクザスラングと気炎を吐くユウ。対してカナヤことシンヤは冷静に返した。

 

「そもそもナンデいちいち聞くんですか?」「えっと、それは、その……」問い返しに言葉が詰まる。不安? そりゃあるが問い詰めて全部聞き出すほどではない。不信? 救ってくれた相手を疑うほど人間性を失ってはいない。言われてみれば自分でも訳が分からない。理由が出てこない。

 

「理由はない感じですか。なら、いいじゃないですか。用務員の仕事だから迷惑はかけませんよ」「…………」シンヤの説得に頷く自分がいる。悪い人物でない事はよく知ってる。安心もできる、信用もできる。そもそも彼の仕事(it's not my business)だ。口出しすべきではない。それが正しい。

 

「ご理解いただけたようでよかったです。ではオタッシャデ「ダ、ダメ!」」しかし出てきたのは首を横に振る自分だった。訝しげにシンヤは表情を歪める。「ナンデ?」「えっと、それは、その……」聞かれてもやっぱり答えは出てこない。自分がナンデと聞きたいくらいだ。

 

「理解できても納得できない、ということですか? そう言われましても困るんですが」そうじゃない。いや、そうなんだけどそうじゃなくて。適切な言葉が見つからない。もどかしい。ユウは空転する思考を必死に回す。「!」遠心力で発想が飛び出た。

 

「シンヤ=サンが学園に来たのは用務員の仕事だから」「はい」「その格好も用務員の仕事だから」「……はい」そう言った。そう聞いた。ならおかしい。「偽名も用務員の仕事だから?」「……必要だったので」「初対面の振りも用務員の仕事?」「…………必要だったので」

 

つまりこうだ。「シンヤ=サンは用務員を隠れ蓑に別の仕事で学園に来た。証拠を残したくないから、偽名で初対面の振りをした」「それで?」素人の推理ごっこにつきあわされるシンヤから、苛立ちと共に超自然の気配が漏れ出す。

 

「それで私は生徒だから初日で初対面の()()()()()()より学園に詳しい」「だから?」怯えたバイオスズメが必死に飛び去り、群れなすバイオラットが泡を食って逃げる。頂点捕食者の恐怖が場に満ちる。

 

「……だから、私が役に立つ……と、思う」「……はぁ」赤い顔で目を逸らすユウを前に、シンヤから毒気と超自然の圧力が抜けた。人殺しめいた目は生暖かく緩んでいる。それは親の仕事を増やす子供のお手伝いを見る目だ。

 

「探偵体験ならプロにインターン依頼できますよ?」だからチビたちに接するようにシンヤはやんわりと奥ゆかしく断った。「そうじゃなくて! 私が役に立ちたいの!」対して頑是無い子供めいてユウは首を左右する。

 

「えっと、それに、その……助けて貰った、お礼、ちゃんと、してなかった、し……」そして親に甘えなれてない子供めいて、下手な言い訳をモゴモゴと口ごもる。自分の態度が嫌になる。まるで出来の悪いツンデレヒロイン……ヒロイン? 誰の? 「……ッ!」顔の紅色が耳まで染める。

 

顔をほてらせて俯くユウを前に、シンヤは長い息を吐いた。「わかりました。ではお願いします」「ッ! ありがとう! ……じゃなくて、ハイヨロコンデー!」

 

「あと、調査費を支払いますので、後で書類にハンコください」「え……わたし、お金欲しくてやったんじゃ「社会人の義務です、いいね?」アッハイ」プロフェッショナルの圧力でユウの首を縦に振らせる。

 

それを確認するとシンヤは一枚のメモを握らせた。「コレが調べもの?」「はい、これの在処に繋がる情報を集めてください。何か見つかったらまず連絡を」手書きのメモをためつすがめつ、記憶を探る。()()()()()()()()()なんて何処にあるのか。学園博物館にあるだろうか。

 

「長々とつきあわせてゴメンね! じゃあ探して来るから!」一礼すると軽やかすぎる足取りでユウは駆け出した。「えへへ」足元が不確かなくらいふわふわしてる。頭の中もふわふわのパステルカラーだ。「うふふ」自然と表情が緩んでしまう。足取りも心臓もお下げもスキップしてる。今体温何度あるのかな。

 

宙に浮きそうな、そしてそのまま帰ってこなそうなユウを見送り、シンヤは長い息をまた吐いた。「どーしたもんかなぁ」現地協力者に頼むくらいなら、ルール違反とは言わないだろう。それ以外は心配事だらけだが。ありゃどう見てもアレだ。

 

ともかく自分の方でも調べ始めるべきだろう。暖かい壁に手をやり背筋を伸ばす。「……暖かい?」春は始まったばかりで、ここは日陰だ。事実他の壁面は皮膚が張り付きそうに冷たい。

 

超自然の五感で中を探る。確かな熱と振動がある。安定器か、ケーブルか、それとも別の電機器具か。動作してなければ熱と振動は産まれない。つまるところ、この廃墟は生きてる。シンヤは凶相を歪め、旧校舎跡を睨むように眺めた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「……でしてね、”ジュウジ”・センセイ。もう少しお話を……」「ハハハ、また後でね。待ってるよ」女の園に若いイケメンとくれば自然と熱い視線が集まるものだ。品よく追い縋る生徒を軽やかにかわし、教育実習生のジュウジは教室を後にした。

 

「センセイ、ゴキゲンヨ!」「ごきげんよう、リンゴ=サン。素敵な声だね。オウタ部の練習も今度見に行かせて貰おうかな?」「まぁ! センセイったら!」まして女性の扱いになれたジェントルなカネモチなら尚のこと。恋に恋する箱入りお嬢様から夢見る眼差しが小麦色の肌に向けられる。

 

普段ならちょいと一人二人と摘み食いを考えるところだが今は仕事の身だ。さらりと声を受け流し、流れるように歩み行く。向かう先はベンダーマシンの並んだ休憩室。トークンを流し込み一つ二つと飲み物を選ぶ。アンココーヒーの缶を手に持ち、片方を……投げ上げた? 

 

宙を舞ったアンコーヒー(抹茶味)は物理法則に従い、美しい放物線で排煙窓を通り抜け、黒錆色の手袋に収まった。「アリガトな。流石はお嬢様学園。いい豆使ってんな」「そうかい? それなりだと思うけど」壁向こうは渋い顔だ。ジュウジ……否、“セイジ”は喉の奥で笑った。

 

「お前はいちいちカネモチアッピールが多いんだよ」「悪いね。産まれがいいからさ」「その産まれで女学生を何人たぶらかした? カラテ王子。ヨシノ=サンが泣くぞ? また庭で正座するか?」「ルッセーゾ、カワラマンこそ現地協力者と何やらナカヨシじゃないか。キヨミ=サンに偏向報道が必要だな」

 

「……」「……」壁越しに無言が走る。いつものルーティンが終わり、仕事が始まる。「整理しよう」「おう」ことの始まりはシンヤの『原作知識』だ。開帳された高次世界由来の機密情報は“ナンシー・リー”に幾つもの武器とアイディアを与えた。

 

「目標」「学園が所有するインフラ古地図の回収、ないし複写」その一つが百目巨人との論理戦争で力を発揮した、いにしえのハイストリームデータケーブルだった。ポートを利用出来れば対ソウカイネットで極めて大きな優位を得る。だがツキジ地下以外の経路は不明だ。故にそれを示す地図を持つ学園へと、訓練も兼ねて二人は潜入することとなった。

 

「古地図の目星」「学園博物館」「なし。博物館倉庫」「なし。目録確認済み」シンヤは陰気な用務員『カナヤ』、セイジは陽気な実習生『ジュウジ』として学園に忍び込んだ。因みに配役は顔立ちと対人コミュスキルが理由だ。大いにコミュ強マウントされたシンヤはケモソーダをラッパ飲みした。

 

「その他可能性」「旧校舎の地下倉庫。学園博物館の展示物は元々あそこに保管されてた」しかし緊急用ジェネレーターが爆発事故を起こし、旧校舎は廃墟となりニューク汚染で立ち入り禁止になってる。事故後、主要な展示物は移送したが取りこぼした小品は多い。可能性は高い。

 

「気になる点が一つ。旧校舎の電気が生きてる」「隠すに適当だな。違法ドラッグの話なら耳にした」「合法ベンダーのヨロシサン飲料でもトリップできる。黒魔術カルトじゃないか? 女生徒が噂してたぞ」「ペケロッパのご高説なら五分も歩けば拝聴できるぜ。下校の寄り道で手軽に気軽な淫祠邪教だ」

 

どちらもありえる。そしてどちらも仕事と無関係だ。「まぁ、かち合わないならどうでもいいか」「ああ。けど、かちあったら?」「カラテだ」「おう」DING! 壁越しにお互いの拳が鳴った。DONG! 休み時間終わりのチャイムの音が鳴った。

 

投げ上げたコーヒー缶が逆再生めいた放物線をなぞり、排煙窓を潜り抜ける。そしてゴミ箱から渇いた音が響く時には、壁の内外ともに人影は消え去っていた。運動エネルギーの余りが不満げな残響を立てたが、それもまた瞬く間に消え去った。

 

【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#1おわり。#2に続く。



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第二話【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#2

【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#2

 

 

「「「お目かけください、お目かけください。メガミ様」」」薄暗い地下室に精一杯古めかせた若い声がコダマする。「「「わたしたちは貴女の眼差しを心に留めます。わたしたちは貴女から目を背けません」」」

 

彼女らが何に祈るのかは不明だが、文句の通りに『目』をかけられているのは確からしい。周囲に敷き詰められた調度品から無数の眼球文様が睨めつけ、カルティズム・ショドーのカケジクが『いつも見ている』『目を離さない』と唱いあげる。

 

そして何より壁一面を覆う巨大な『目』のエンシェント・カンジが、瞬きすらなく尊大なる視線を少女達に注いでいた。思春期特有の黒魔術趣味というには少々偏執狂的過ぎる光景といえよう。ペケロッパ・カルトを知るものならその静かな熱狂に相似形を見いだしたかもしれない。

 

「「「お目かけください、お目かけください。メガミ様。お目かけください、お目かけください。メガミ様」」」それは正しい。これは卒業と共に忘れ去る秘密めかした青春の思い出ではない。悪徳の一本筋が通ってしまった本物の邪宗邪教だ。

 

「皆様の真心の籠もったお祈り、誠に素晴らしいものでした」パチパチと手を叩く音が響く。導師(グル)だ。『目』を張り付けたアイマスクで顔はようとして知れない。だが少女達はその眼球紋様を見た途端、誰もが陶然とした尊崇の表情を浮かべた。

 

「メガミ様もきっと目をつけてくださるに違いありません」「グル・センセイ……!」「センセイ」「導師」少女達は両目を覆う奇っ怪なアイサツで敬意と信奉を示す。彼女もまた同じ動作を以て応えた。手首に垂らした『目』鎖の群れがシャリシャリと鳴り、シンピテキをより一層高める。

 

「グル・センセイ、わたしは信仰者を4人増やしました!」「センセイ、わたしは今回の奉仕金を倍にしてます!」「導師、わたしは集会を邪魔した用務員を追放しました!」花に群がる蝶めいてパステルカラーの制服達が導師(グル)にすがりつく。差し出される蜜がさぞかし甘いに違いない。

 

……そう、甘いのだ。導師(グル)がタイマイ甲羅めいた欠片を懐から取り出す。「よくできしたね。ご褒美をあげましょう」「ください……お願いです……」「もっとガンバる……ガンバリますから……」可憐と言っていいうら若き少女たちが舌を突きだし請い願う。目を覆わんばかりに扇情的でふしだらな光景だ。

 

導師(グル)は細く笑み、アンバーの粒を舌に落とす。「ふふ。カワイイ」「アアー……あまーい……」ベッコ・アメ。琥珀めいたカラメル結晶はゲートウェイに最適だ。ウブな生娘の手を優しく引いて、ドラッグの世界にじっくりと沈めてくれる。

 

「……あま」「おいひいよぉ……」「ああ、なくなっちゃう……」事実、この儀式に耽溺する少女等は全員残らず依存症に浸かっていた。全員に飴を配り終えると導師(グル)は金鎖をたなびかせて両手を掲げる。「さぁ、名残惜しいですが今日の儀式はお開きです」

 

錦糸眼球紋様ショールがスポットライトを浴びて妖しく煌めく。まさしくブードゥー邪教の伝道者に相応しい。「誓願とイッポンジメで終えるといたしましょう」「「「ハイ、センセイ!」」」両手を重ねて両目を覆い、瞼の闇を見つめる。

 

「「「わたしたちはメガミズムに従います」」」「「「わたしたちはメガミズムに殉じます」」」「「「わたしたちはメガミズムに捧げます」」」旧校舎地下室を単調な唱和が満たす。宗教的一体感が高血糖で蕩けた脳髄を満たしていく。

 

「「「わたしたちはメガミズムです!」」」「「「わたしたちがメガミズムです!!」」」「「「わたしたちもメガミズムです!!!」」」気づけば唱和は絶叫に変わっていた。熱狂は最高潮に達し、トランス状態に至った少女たちはガクガクと痙攣を繰り返す。

 

揺れ動く少女らの視線は壁から送られる『目』線を捉えようと動き回る。裏腹に壁の眼球紋様は不動のままで、少女らの狂乱を傲岸に見下していた。

 

目神教(メガミズム)』の文字と共に。

 

ーーー

 

コツ、コツ、コツ。小さな影が薄暗い廊下を歩く。トンネルめいた長い通路はモルグめいた陰鬱を宿していた。ある意味当然と言えるだろう。ここは博物館の展示品を横流しする秘密通路だったのだ。尤もそれを知るものは人影を除けば、もう一人もいないのだが。

 

人影は歩きながら手首の装身具を外した。ショールを脱いで折り畳んだ。アメ入りの小袋を隠しポケットにしまい込んだ。最後に両目を覆う『目』のアイマスクを外した。コンクリート打ちっ放しの階段を上り、無愛想な鉄のドアを開く。

 

そこには清潔で品の良い、そして無機質な部屋があった。本棚には分厚い学園史が並び、ガラスケースには各大会の表彰盾や記念ワキザシが飾られ、『不如帰』の見事なショドーが外光を反射する。生徒会長室というテンプレートを張り付けたかのような一室であった。

 

それに不似合いな隠し扉から現れた影は、眩しそうに手でひさしを作る。「ブラインド」「……ハイ、ヨロコンデー」端的な命令に従い大窓に障子戸が降ろされた。逆光が薄れ、影の姿が露わになる。

 

柔らかにうねる黒髪、上品に着こなしたパステルの制服。学園指定のパンプスですら気品溢れる。上から下まで校則を遵守したまさしく生徒の規範そのものだ。生徒会長にふさわしい立ち姿と言えよう。

 

「椅子」「ハイ……ヨロコンデー」ただしその表情は例外である。他人を見下すことに慣れきった傲慢な支配者のそれだ。学園中から慕われる品行方正にして公正明大な生徒会長とは到底思えまい。

 

「按摩」「ハイ、ヨロコンデー……」そしてエルゴノミックチェアに腰掛け足を組む様は、若きヤクザ・クイーンと呼ぶ方がよほど似合う。ましてや指導すべき立場の男性教諭に足を揉ませ、その頭を踵の置き場にする光景は、学園の退廃と腐敗を如実に顕していた。

 

生徒会長が長い息を吐く。吐息は艶やかな侮蔑を帯びている。「バカなアカチャンの取り扱いはホント疲れるわ」「……ちょっとやめないか。それはよくない」教諭は苦しげに顔を歪めた。耳にするだけで苦い悪罵を足蹴にされながら聞くのだ。しかも自分たちが導く筈の生徒から。

 

だが教諭の苦しみすらデカダンスに染まった会長には娯楽の一つ。小悪魔めいて愉しげに嗤う。「あら、今日はずいぶん反抗的なのね」「もう……やめないか。とてもよくない」だから教諭は血のように制止の言葉を吐いた。今更というにも遅すぎる。だが退廃と腐敗の行き着く先は破滅だけなのだ。

 

「じゃあ辞めましょうか?」「え」生徒会長はあっさりと首肯した。「ならNSPDあたりに全部自首して白日のもとに晒すべきよね?」「えっ」何故なら全てはアソビに過ぎないからだ。赤青白に土気色。次々に変わる教諭の百面相を弄ぶ。

 

「そうなると当然『コレ』も司法に晒さないといけないわねぇ?」「ウッ……ウゥ」生徒会長は生徒手帳を、正しくはその中の写真を見せつける。中身は……おお、ブッダ! ……あまりにも痛々しい、中年の危機の女装姿であった! 

 

……マケグミの底辺下層に産まれながらも、父母の犠牲と血の滲む努力とブッダの慈悲により、お嬢様学校の教諭にまで成り上がったネオサイタマドリームの体現者。しかしその代償に、彼は定期的に女装姿で校内を徘徊しないと満足できない心身となっていたのだ。

 

この事実が一度明らかとなれば、懲戒処分は免れない。それでは文字通り身体を切り売りして死んだ両親に申し訳がたたない。故に餌を取り上げられた犬めいて、唯々諾々と生徒会長に従うしかなかったのだ。

 

がっくりと項垂れた教諭へ勝ち誇った嘲笑を向ける。「あら? イヤなの? センセイなのに? 生徒を導くより保身が大事?」「……ッ!」死体蹴りめいた追撃にも肩を震わせ歯を食いしばるしかない。事実だからだ。耐えねば両親に顔向けできない。しかし耐えれば良心に顔向けできない。

 

「コドモもオトナもオネエサンも、み〜んなイディオットばっかりね」「……」「あら? 『それはよくない』『ちょっとやめないか』って言わないの? センセイなのに?」容赦なく慈悲なく言葉で嬲る。虫の足を引き抜く幼児めいて、被害者の指を切り落とすサイコパスめいて。

 

「……もう……ヤメテください」泣くような縋るようなか細い声だった。なんたる情け無い有様か。当人が一番判っていた。教諭の心は折れた。命じれば大人しくドゲザすらするだろう。セプクならば喜んで実行するに違いない。

 

「ダ・メ」「おお……ブッダ……」だが、させない。おお、上位者を踏み躙る悦楽よ。啜り泣く教諭“キョンイチ”を見下して、生徒会長“ナツヨ”は醜く表情を歪めた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

……やっぱり来るんじゃなかった。

 

「それでね、メガミ様のお告げに従ったら途端に母様も父様もケンカを辞めてくれたのよ」「はぁ、それで探し物なんですが」それを求めて誘いに乗ったのだが、クラスメイトはカルト語りにひたすら夢中だった。到着から10分足らず、ユウは既に十回は胸の内で後悔の溜息を零した。

 

「だって母様の指輪がお告げの場所から見つかったのだもの。きっとメガミ様が目をつけてくださっていたに違いないわ」「あぁ、それで私の探し物なんですが」すぐに見つかると甘い見通しを立てた、クラスメイトの誘いに乗った、シンヤに連絡しなかった。後悔の種は尽きない。

 

「だからね! メガミ様からお告げを頂けば、きっとユウ=サンの探し物も見つかるの!」「ええ、それはすごいですね」「ええ! とてもスゴイのよ!」どれかひとつでも潰していれば、こうして旧校舎の地下倉庫でカルト小話を延々と聞かされることも無かっただろう。

 

ガラス玉めいたキラキラお目々からうんざり顔で視線を逸らす。なのに周りにはお『目』々だらけだ。視線をどこに向けても眼球紋様の装飾と目が合ってしまう。どの『目』もキラキラキラリと輝いて、瞼の裏まで残光の『目』が覗いてくる。

 

「あら? 今日は初めての方がいらっしゃるようですね?」「グル・センセイ!」「センセイ!」突然、嬌声が上がった。幾つもの熱っぽい視線に倣って目線を向ければ、『目』のアイマスクで顔上半分を覆った、神秘的演出の人影がいた。誰かは判らないが、このカルトの中心なのは確からしい。

 

「グル?」「私たちにメガミズムを授けてくださったセンセイよ!」なるほどカルトのぐるって訳ね。間違った、しかし少しだけ間違ってない理解をするユウ。そこに『目』線が突き刺さる。新種の虫を観察するような、無機質で興味深げな視線だ。

 

「はじめまして。ウトー=サン。私はメガミズム集会を統括しています、グルです」「……ドーモ、ウトー=ユウです」両眼を覆う奇っ怪なアイサツにユウは頭を下げて応えた。言外でカルトに入る気はないと告げている。

 

「ユウ=サンは初めてですので、簡単ですが説明と入会の儀式を行いましょう」「……」だがグルは気付く気もないのか、鷹揚に頷くと当然のように宗教解説を始めた。無論、ユウに入ると言った覚えはまるでないのだが。

 

「まず、天には『目』があります」……いきなりかっ飛ばして来たなぁ。ユウの目は遠かった。だが濁った目のユウを誰も気にしてない。信者が求めるのはグルの独演会なのだ。

 

「天と言っても単に上空といった即物的な話ではありません。形而上学で語られるべき場所、真理のある所です」ついて来れるかと言わんばかりにカルト説話はどんどん加速していく。ユウは当然ついていけない。ついていきたくもない。

 

「『目』の主であるメガミ様は、ある時悪しき未来を見ました。卑小な感傷と愚劣な怨念が、唯一なる王に汚濁を塗り付ける光景です」「コワイ!」「ああ!」ユウの気持ちを他所に、グルのご高説に取り巻き達が追従して追随する。あの男を取り巻く12使徒気取りなのだろう。

 

「故にメガミ様は下界に『目』を向けまし……三人の天使を遣わして、悪しき未来を取り除く使徒……我々はメガミ様の眼差しを心に留め……教えは宗教を超えて一つの主義……」昇天した彼の人めいてお話は明後日に飛び立つ。

 

(((早いこと終わってくれないかなぁ……)))それをひたすらに聞かされるユウは一昨日の方角へと自我を飛ばして聞き流していた。壊れたラジオめいたオカルト・ネンブツが右から左へ通り抜ける。よく眠れそうだが、きっと宗教的悪夢を見るに違いない。緑の三つ目も幻覚に参加しそうでイヤだ。

 

だが、白昼夢めいて飛ばしていた意識は唐突に引き摺り下ろされる。「……して()()()()()()()()の座より、メガミ様の眼差しは降り注ぐのです」「……!?」叩き起こされたユウは無理矢理に無表情を形作った。そうしなければ驚愕に表情を歪めていただろう。

 

『原作』と言う形而上学の真実を知るユウはグルの告げた黄金立方体の名前を知っている。『キンカク・テンプル』ニンジャソウルの在処だ。

 

どうせ黒魔術趣味が高じたカルト宗教なりきり遊びと考えていた。だがこれは暇を持て余したお嬢様の戯れなどではない。歴史の闇が不意に触れる感触に、ユウの背筋が凍りつく。目神教(メガミズム)はペケロッパ・カルト同様、間違いなく真実に……ニンジャ真実に触れているのだ! おおナムアミダブツ! 

 

「さて、メガミズムの概要をお伝えできました。次は入会の儀式を「お断りします」だから間髪入れずにユウはNOを告げた。

 

ーーー

 

「入会を? 断る?」「私、宗教違うので」『前』は浄土真宗だし今は無宗教だ。もとよりカルトに入会のつもりなどない。ニンジャ真実に関わりあるなら尚のこと。一刻も早くシンヤ=サンに伝える必要がある。そしたら、ちょっと褒めてくれるかもしれないし。

 

「貴女……!」「なんてこと!?」「ゴメンしなさい!」使徒気取りが殺気だつ。血の気の多い者はスタン懐剣を抜いたり電動ナギナタに手を伸ばしている。ユウはジュドーに自信があるが、この人数と武装相手は少々無理だ。だから代わりに()()()()を抜いた。

 

「なんのつもりです?」友人気取りで裏切られた気分のクラスメイトが首を傾げた。学園に告発でもする気だろうか。たしかにメガミズムが知られてしまうのは極めてよくない。だがその前に押さえ込んで告げ口できないようにすればいいだけのこと。

 

(((高血糖の悪夢を見れば、背教徒でも信心深くなれますわ)))被害者様のおつもりで憎悪をたぎらせるクラスメイト。だがユウは生徒手帳を掲げたまま微笑むだけ。幾つもの刃を目の前に小揺るぎもしない。不遜な態度に徐々に困惑と疑惑が増していく。

 

BEEP! 「「「ッ!?」」」突然の電子音にざわめく信者たち。ユウは逆の手を差し出した。BEEP! BEEP! そこには矩形波のアラーム音をがなりたてるIRC端末があった。そのまま生徒手帳と端末を並べて見せつける。

 

「最近のIRC端末はもっと小さいそうですね。この生徒手帳に収まるくらい」「嘘をつかないで! ここには電波が届きません!」「中継機が有っても?」「……ッ!」ユウのハッタリである。端末は手元の一個だけで、中継機なんて持ってない。

 

しかし信者達は箱入りのお嬢様だ。ネットワーク技術に詳しい筈もない。だから否定も肯定もできない。だから信者達の脳裏に危険なもしもが浮かぶ。

 

もし通信が外部に繋がっていたら? もし学園にメガミズムがバレたら? もし自分らが砂糖依存症だと知られたら? 『疑いだすとキリがない』コトワザの通り疑心は暗鬼を産み、暗鬼は不安を膨らませていく。

 

「私は探し物に来たんですよ。それだけです」お前達を告発する気はない。ユウは言外に告げる。信じられるはずもない。だが『もしも』が確かなら、従わねば破滅の他はない。不安と疑心に苛まれる信者達は無言で立ち尽くすのみ。

 

「探し物でしたら私が伺いますよ」「グル!?」「センセイ、ナンデ!」烏合めいてざわめく小鳥達。片手を上げて黙らせるとグルは慈悲深い声音で話し始めた。「ヒガシ=サン。貴女がお友達のニシ=サンを助けると言いながら集会に飛び込まれた事を覚えていらっしゃいますか?」

 

「あれは私の大きな過ちです……ゴメンナサイ……」スポーツ感のある短髪少女が俯いて肩を震わせる。グルはその肩に優しく手をかける。『目』の装飾チェーンが肩にかかる。ユウの目には幾つもの『目』がへばりつく様に見えた。

 

「けれど貴女は今こうして正しき道を歩んでいます。ウトー=サンにも機会があるべきです。そして眼差しの意味に気づけば、すぐに正しき道に入ります」入る気はないと言った筈だが? ユウはいぶかしんだ。

 

「気持ちは変わるものです。話し合えば必ず判ってもらえます。判ってください」判りたくない。ユウにすれば当然、拒否だ。その耳元にグルは唇を寄せた。

 

「入り口には電波センサを隠してあるんですよ」耳打ちされた言葉にユウの表情が引きつる。センサがあれば通信がされてないことは明白。つまりハッタリはバレていたという事だ。

 

「端末には録音機能もありますが?」「当然持ち帰る必要はありますね」グルは悪あがきを軽く踏み潰すとユウの手をそっと引く。今や立場は逆転した。縛られて耳からカルト教義を流し込まれたくなければ従う他にはない。

 

(((グルは信者とは別の出入り口を使ってる筈)))チャンスはある、助けは来る。彼はきっと気づく、来てくれる。願望と希望の合いの子を言い聞かせ、ユウはグル専用の出入り口を潜った。

 

ーーー

 

覚悟を決めて踏み込むユウ。そこは一切の逃げ場なき『目』線のキルゾーン……ではなかった。「……?」大正ロマンに整った部屋の中には『目』の一つもない。僅かに有るのはフクスケ、マネキネコ、ダルマの目玉だけ。掛け軸も『不如帰』『まりゑ』『トモヱ』といったありふれた文字ばかりだ。

 

ビクトリアンをベースに和魂洋裁に仕立て上げた気品ある一室と、温室育ちな御令嬢をたぶらかすカルト宗教の導師。印象がどうにも噛み合わない。「ドーゾ」「アッハイ、ドーモ」疑問符を頭上に浮かべながら、勧められるままに腰を下ろす。

 

改めて周りを見渡すと衝立とビヨンボで出来た壁、隙間からはコンクリートの他にパイプとバルブが見える。倉庫機械室をオイランめいた化粧壁で覆っているのだ。それだけではない。土偶、エレキテル、ウキヨエ。ガラスケースに飾られた元博物館倉庫の品々が目に入った。

 

そしてガラスケースの一つには……(((あれは!)))……探していたインフラ古地図があるではないか! これは『ヒョウタンからオハギ』と言えよう。そして『タイガークエスト』となるやもしれぬ。隣室にはカルティストが控え、同室にその親玉が待ち構える。

 

地図を手に入れて五体満足で帰還するのは中々の難題だ。ユウは喉の奥で唸る。その目の前に紅いチャが出された。角砂糖付きだ。「冷める前にドーゾ」虎穴に入らずんば虎子を得ず。ユウは覚悟を決めて飲み干す。美味しい。

 

詳しくはないが良い茶葉なのだろう。ユウの顔から険しさが抜け落ちる。その様子を眺めていたグルは自然に『目』(アイ)マスクを外した。その下には……ALAS! なんたることか! 生徒会長のナツヨ=サンではないか! 

 

「!?」ユウもこれには驚きを隠せない! そう、淫祠邪教(メガミズム)ドラッグ(違法糖類)を広めたのは、こともあろうに生徒の規範たる生徒会長であったのだ! これもまた古事記に記されたマッポーの一側面なのか!? 

 

「驚いたかしら?」「……ええ、意外ですね」だが理には適っている。生徒も教諭も信頼する生徒会長ならば、ドラッグ汚染とカルト宗教の疑いを抱かれることはまずない。信頼を逆利用して宗教への誘導も容易いだろう。

 

「繰り返しになりますけど、宗教はお断りしますよ」「ええ、構わないわ」予防線を張るユウにナツヨは微笑んで余裕を見せる。「私もゴメンだもの」「ぐるなのに?」「グルだからよ」気づけば互いにお嬢様らしい言葉遣いは投げ捨てられていた。

 

「代わりに私と手を組まない?」ナツヨが艶やかに微笑む。予想外のお誘い、だが想像外ではない。「どうして私を?」「バカな信者たちとは違うからよ」正体を現した生徒会長は耳を塞ぎたくなるような悪罵を涼やかに唄う。

 

……ユウにすれば正直言えばカルト入信同様ノーサンキューだ。犯罪に手を出して失望されたくはない。だが跳ね除ければ探し物は手に入らず、危険に取り囲まれたタノシイな未来が待っているだろう。

 

「……」さて、どう応えるべきか。肯定以外考えてもいない顔に対して、ユウは答えあぐねていた。もちろん口先だけの肯定を返す事はできる。だが、ネオサイタマでの契約や約束は極めて強い力を持つ。

 

かの殺戮者ですらハンコ一つで絶体絶命野球対決に放り込まれたほどだ。その場凌ぎのお為ごかしで回答したら、カルトの仲間入りに確定というのはゴメンだ。黒錆のスリケンに断罪されるのは嫌だ。

 

ユウの無言を躊躇いと判断したのか、ナツヨは説得にかかる。「ねえ、養殖される側にいたら食われるだけよ」だがそれは支配者、カチグミ、見下す側のコトダマだ。「食べる側に来なきゃ、延々とマケグミのまま」ディストピアを嫌い、ネオサイタマを嫌い、この世界を嫌うユウには届かない。

 

否、届いた。「サラリマンみたいな家畜になりたいの?」「……!」彼女の逆鱗に届いてしまった。

 

「社畜ってよく言ったものね。カイシャの食い物になるために生きてるんだもの」反応に手応えを覚えたナツヨは責め立てる。それがカンニンブクロを直火で炙る行いとも知らずに。

 

「ちょっとでも頭があれば脱出先を探すのに、カイシャに根を生やして動こうともしない。ロボトミー済みかしら。まさしく無()ね」いや、そもそも知る由もない。ユウの『前世』の父がサラリーマンだったなどとは。その『前世』の記憶を心の支えにしているとは。

 

「負けが決まった家畜か、勝ちを得られる牧場主か。答えはもう決まってるわね」「ええ、お断りよ」だから間髪入れずにユウはNOで蹴り返した。

 

 

【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#2おわり。#3に続く。



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第一話【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#3

【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#3

 

 

「…………断る、って聞こえたんだけど?」「ええ、断るって言ったの」驚いたを通り越して信じがたいと書かれた顔に、ダメ押しの確認を加える。みるみる強ばる表情から、カンニンブクロの加熱ぶりがうかがえる。

 

「多少は知恵の回る人と思ってたわ」「私も同意見」簡単に感情に振り回される自分。他人を見下し感情を想像もしない相手。どっちも頭が悪い。

 

「後悔することになるわよ?」「もうしてるから」カルトの集会に連れて来られた時点で心底後悔してたのだ。今更である。「そう、わかったわ」「それはよかった」交渉の決裂はこれで明確になった。

 

「……」「……」テーブル越しに睨み合う二人。OK牧場の決闘めいて緊張が走る。ユウがテーブルを越えて投げ飛ばすのが早いか。ナツヨが信者を呼びつけるのが早いか。だが、早撃ち勝負が始まるより早く扉が開いた。

 

「ドーモ、オジャマシマス」「「!?」」現れたのは蛇皮スーツのひょろ長い男だ。高級そうなバイオシルクのネクタイには眼球紋様が印されている。「ド、ドーモ、ニシキ=サン。何時いらっしゃったんですか?」「つい先ほどですよ」

 

「コブチャも出さずに申し訳ありません。信徒の不作法は、私の不徳の致すところです」

「仕方ありませんよ、全員気絶してますから」確かに扉の隙間から透かし見える集会所には、泡を噴いて横たわる信者が見える。超自然的恐怖に曝されたのか、誰もが怯えきった顔のまま意識をなくしている。

 

「これは、どういう……」「これから行う懲罰は彼女らには少々刺激的に過ぎますからね」懲罰という単語に顔を引きつらせるナツヨ。偽装に不備はなかった筈だ。だが、メガミズムは見抜いていた。

 

「貴女はメガミズムに対して随分と不敬なお考えを持たれてるようで」「それは誤解です! 私はメガミ様へ常に目を……「ダマラッシェーッ!」アィッ!?」恐るべきヤクザスラングを叩きつけられ、ナツヨはたじろぐ。

 

「小賢しいぞ、背教徒のクズが! 薄汚い賢しら顔でメガミズムを、偉大な方を騙せると思ったか!?」「アィェーッ!」スッカーン! 投げつけたクリップボードが壁に突き立つ! 挟まれた書類にはベッコアメ横流しに寄付金横領の明白な証拠が! 

 

「おおっといけない。御『目』汚しスミマセン、偉大なる方よ」扉向こうの『目』に向け90度の最敬礼をする背中に、ユウは絶望的な既視感を覚えていた。つい先ほど聞かされたカルト経文の真実を鑑みればその可能性は低くない。

 

「さて、ナツヨ=サン。改めてアイサツしてあげましょう。ドーモ、私はメガミズムの“パイソンウィップ”です」ゆっくりと振り向くその顔は……おおブッダ! 最悪の想定通り、蛇めいたメンポに覆われている! 腰にはブラックベルト、手には大蛇めいたムチ! 

 

「ナンデ!? ニンジャナンデ!?」そう、ニシキ=サンはニンジャだったのだ! 自分が食う側と信じて疑わなかったナツヨは、絶対的捕食者を目の当たりにしてNRS(ニンジャリアリティショック)を発症! 「アィェェェーッ!」しめやかに失禁した! 

 

「そしてサヨナラ。自分の不信心を恥じて死になさい」スパァンッ! スパァンッ! 鞭はモータルですら人をショック死させる痛みをもたらすという。それがニンジャともなれば、カイシャクを乞い願う未来は想像に難くない。

 

ユウの頬を冷たい汗が伝う。目の前には嗤う半神が一柱、横には失禁するモータルが一人。敵は圧倒的で、味方は皆無。助けは……どうだろう。ユウの脳裏に黒錆のニンジャが浮かぶ。(((来てくれたら嬉しいけど)))連絡もしていない身だ。颯爽と駆けつける黒衣の王子様は難しいだろう。

 

だが、助けは意外な所から現れた。「ウワーッ!」中年の危機なビヤ樽体型が、突如グル専用通路から飛び出したのだ! 「センセイ!?」ナツヨになぶられ、奴隷と化していた男性教諭のキョンイチである! 「ウワーッ!」キョンイチはそのまま投擲タルめいてパイソンウィップに突貫! 

 

「おっと」「グワーッ!?」だが悲しいかな所詮はモータル。投擲タルめいて軽くかわされて、ついでに蹴りを入れられる。「おやおや、ナツヨ=サンに隷属されてるキョンイチ・センセイではないですか。ご主人の危機に馳せ参じるとは、よく躾けられてますなぁ」死体蹴りめいた口撃でキョンイチを玩ぶ。

 

「ウゥゥゥ……」「ほぅ」だがキョンイチは立った。鼻血と吐瀉物と尿を漏らしながら、尚もニンジャ相手に立ちはだかったのだ! ゴウランガ! 「なんたる忠義! お見事! この一割でもナツヨ=サンにお有りでしたらよかったのですがねぇ」これにはパイソンウィップも嘲笑的に褒め称える。

 

「ウトー=サン、ナツヨ=サンを逃がしてくれ」キョンイチは背後のユウに乞い願う。「私はダメ教師だ。彼女を止められず、良いように使われた」その背中には後悔の影が色濃い。だが死に者狂いの覚悟もまた匂い立つよう。「でもまだセンセイだ。センセイは生徒を導き守るものだ」「センセイ……」

 

「私は導けなかった。だからせめて守る。守らねば!」「なんたる気概! お見事! ではその程を偉大なる方にご高覧いただきましょう!」スパァンッ! スパァンッ! パイソンウィップは嗜虐的な獄卒めいてムチを鳴らす。或いはそれは加虐なるブッダデーモンの舌が鳴る音か。

 

「貴方が耐えている間は追わずにいてあげますよ! では、ガンバレ!」「行け! 行ってくれ! ウワーッ! 「イヤーッ」グワーッ!」「アィェェェ……」ユウは未だNRSから正気が戻らぬナツヨに肩を貸す。その背後ではドラゴンがネズミをいたぶるが如き、余りにも惨い光景が繰り広げられている。

 

「ウワーッ! 「イヤーッ!」グワーッ!」「ウ、ウワーッ! 「イヤーッ!」グワーッ!!」「ウゥ……ウワーッ! 「イヤーッ!」アバー……」背中に響く絶望的な声を後にユウは秘密通路を進む。亀の歩みめいて遅く、しかし可能な限り速く、ひたすらに脚を進めていた。

 

ーーー

 

「ニンジャ、ナンデ、ナンデ……ナンデ、わたし、ここに?」ユウが肩を支えていたナツヨが不意に正気に帰った。焦点の合わない目であたりを見渡す。陰鬱な長い通路、見覚えのある情景だ。

 

「ナンデって……ああ、NRSね。意識が戻ったなら歩いてもらえる?」ユウは体力に自信があるが流石に重い。背後に気をやりながら女生徒一人を引きずるのはなかなかに骨が折れた。

 

「それでナンデ? 何がナンデ?」「いいから足を動かして」「でも……」「いいから急いで!」「でも」ユウは返答を避けた。NRSフラッシュバックで余計な時間を取られるわけにいかない。いつ色付きの風が迫ってきてもおかしくないのだ。

 

「いいから! 走れ!」「でも!」だがナツヨは譲らない。譲れない。譲る余裕がない。NRSで記憶ごと吹き飛んだとは言え、自身が信じる捕食者としての在り方を完全に覆されたのだ。縋るものを失ったナツヨは迷子の子供めいて必死に記憶を探そうとする。

 

「キョンイチ・センセイの覚悟を無駄にしたいの!?」「ッ!」カッとなったユウの言葉にナツヨの記憶の扉が微かに開く。目を逸らしたくなる超自然の恐怖を前に、目を逸らしたくなるブザマな姿で、尚も立ちはだかるセンセイの背中。

 

「ナンデ……? ナンデよ……ナンデあんなこと……」理解できなかった。散々におもちゃにして嬲りものにした。心を折って弄んだ。なのに来た。助けに来た。「バカじゃないの。勝手に飛び込んで、勝手に盾になって、勝手に……ナンデ……」あの背中も、頬を伝うものも、ナツヨには何一つ判らなかった。

 

「……いいから行って。死んだらなんにもならないよ」ナツヨの求める答えをユウは知っている。だが今告げれば足が止まる。全てを伝えるのは全てが終わったあとでいい。(((それに、判らないのは自分も同じか)))頼まれたとは言え、敵の筈のナツヨを助けてしまった理由は自分でも判らなかった。

 

もう言葉はなかった。二人は無言のまま駆け出した。響くのはお互いの足音と呼吸音。ときおり背後を振り返るが、幸いムチを鳴らす追っ手は見えない。ニンジャの追跡は始まってないのだ。それは身代わりとなったキョンイチが拷問に耐えているということだ。

 

故に急ぐ。ひたすらに急ぐ。そしてついにコンクリート打ちっ放しの階段に辿り着いた。ここを登れば生徒会長室と人目がある。安全だ。荒い息のまま重い脚を無理矢理に動かして階段を登り、無愛想な鉄のドアを開く。キョンイチの犠牲はここに報われた……筈だった。

 

ーーー

 

生徒会長室は安全圏の筈だった。たが、そこには……ALAS! 赤髪のニンジャだ! 「逃げおおせるとはな。パイソンウィップ=サンの悪い癖が出たか」「アィェェェ……」ボディースーツめいた白装束の赤髪ニンジャが拳と掌を打ち合わせる。「ドーモ、皆さん。私はメガミズムの……」

 

だが、その時! 「ナニィーッ!?」胴に黒錆のロクシャクベルトが巻きつく! 「イヤーッ!」シャウトと共に赤髪ニンジャは宙を舞った! 「誰だ!」だが流石はニンジャ、引きずり下ろさられながらも即座に下手忍を探り出す! ロクシャクベルトの先、綱引きめいて大地へと引きずり込むのは……黒錆のニンジャだ! 

 

「ドーモ、オジャマします。ブラックスミスです」「ドーモ、ブラックスミス=サン。メガミズムの“サイアム”です。ここであったが百年目!」地上と空中で神聖なるアイサツが交わされる! 

 

「キェーッ!」「イヤーッ!」CLAAASH!! そのまま急降下ネリチャギと対空ポムポムパンチが正面衝突! イクサ開始の鐘が鳴る! 

 

「キェッ! キェッ! キェッ! キェーッ!」チョップ、掌底、キック、裏拳、膝! 激しいカンフーカラテが暴風雨めいて横殴りに降り注ぐ! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」赤銅の傘めいて必殺の豪雨を打ち払うのは、重厚なるデントカラテの守りである! 

 

「裏切り者めが! 逃げ延びるだけのカラテはあるか!?」サイアムが踵を踏み締める! シュカンッ! 重金属製の蹴爪が生えたではないか! 危険! 「キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キェーッ!」カンフーカラテの激しさが増す! 

 

「イヤーッ!」それをも耐えるがデントカラテだ! 「イヤーッ!」チョップを弾く! 「イヤーッ!」掌底を受ける! 「イヤーッ!」キックをかわす! 「イヤーッ!」裏拳を逸らす! 「イヤーッ!」膝を踏みつける! 傷なし! ワザマエ! 

 

「裏切り者めが! 耐え忍ぶだけのカラテはあるか!」サイアムが手首同士を打ち合わせる! シュカンッ! 金属繊維製の風切羽が生えたではないか! 危険! 「キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キェーッ!!」カンフーカラテの激しさが更に増す! 

 

「イヤーッ!」それにも牙剥くがデントカラテだ! 「イヤーッ!」チョップを流す! 「イヤーッ!」掌底を打ち返す! 「イヤーッ!」キックをダッキング! 「イヤーッ!」裏拳を受け止める! 「イヤーッ!」膝をブリッジ回避! 重傷なし! ワザマエ! 

 

「裏切り者めが! 牙を剥くだけのカラテはあるか!!」サイアムがメンポを弄る! シュカンッ! 超高分子素材製のクチバシが生えたではないか! 危険! 「キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キェッ! キィェェェーッ!!」カンフーカラテの激しさが最高に増す! 

 

「キェーッ!」「ヌゥッ!?」一瞬の隙を付き、カンフーチョップがデントカラテの防御を跳ね上げる。その隙をサイアムは逃さない! 「キェェェーィッ!」必殺のネリチャギが蹴爪付きで脳天に迫る! 

 

「イヤーッ!」だがブラックスミスは手のひらを差し込み直撃を回避した! 「ヌゥーッ!」当然深々と蹴爪が突き立つ! 「キェーッ!」しかもネリチャギが止まらぬ! 脚の力は腕の三倍なのだ! 

 

「イヤーッ!」故にタタラジツで固定する! スリケンチェーンで蹴爪もろとも縛り上げ、足首と片手を強制固定だ! ……それはつまりエネルギーの逃げ場がないということでもある。

 

「キェーッ!」サイアムは固定された脚を軸に跳躍! このままフライングニールキックを仕掛け、ブラックスミスの片腕をへし折り首を刎ねるのだ。「イィィィヤァァァーーーッッッ!!」「グワーッ!?」だが、その予定は足首と共に吹き飛んだ。

 

そう、エネルギーの逃げ場がないのはサイアムも同じ! ブラックスミスは固定された腕でポムポムパンチを打ったのだ! しかもそれはただのポムポムパンチではない。ポムポムパンチにデントカラテの奥義を乗せたポムポム・セイケンだ! 

 

ドッォォォンッ! カラテ衝撃波は足首を引き裂いて虚空で爆ぜた。「グワーッ!」サイアムは重篤なダメージに空中で大きくバランスを崩す。「イ、イヤーッ!」しかしサイアムもさる者、接地と同時に血旋風めいたウィンドミルで間合いを取る。取ろうとした。

 

「ナニィーッ!?」バランスを崩した瞬間、既にブラックスミスは間合いに踏み込んでいたのだ! 渦の中心は無風。そして旋風の目は無防備な股間だ! 「イヤーッ!」「アバーッ!」ボールブレイク! 視認した男性は誰であろうと前屈みとなっただろう。あまりに惨い一撃であった。

 

そして勝負もあった。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ!」瞬く間にクナイ・パイルを四肢に突き立てる。抜こうとすればカワラ割りパンチを杭と脳天に打ち込まれるだろう。これはオーテ・ツミだ。だがサイアムの目は未だ光を宿している。

 

「ヤキトリ予定の気分はどうだ、サイアム=サン。もうすぐ炭火もやってくるぞ」「じ、実力は確かだな、裏切り者。だが増上慢もここまでよ。もうすぐ同志がやってくる。そして二対一ならば貴様とて勝ち目はない」「そりゃコワイ」

 

サイアムの願いが通じたのか、生徒会長室から人影が飛び降りる。その色は……紅蓮!? パイソンウィップではない! 「ドーモ、インディペンデントです。お待ちの炭火と、お友達だ」そしてパイソンウィップが投げ渡された。彼の首が。

 

ーーー

 

「パイソンウィップ=サン……!?」「手酷くやられたなぁ、スミス=サン。おお痛そ」「略すなよ。お前もムチウチが酷そうだな、インディペンデント=サン。ていうか出待ちしてただろ」焼け焦げた生首と生首予定の磔を前に、紅蓮と黒錆は愉しげに嗤う。その笑顔が慄くサイアムへと向けられた。

 

「お前には色々と聞きたいことがあるんでね」「臓物や死体からのインタビューは手間なんだ。チャキチャキ喋ってくれると助かるよ」「インタビューの御礼にはカイシャクを用意してるから気楽にお喋りしてくれ」二忍からの残酷なる宣告にサイアムの目が絶望で濁る。

 

「さて、俺のことを裏切り者呼ばわりしてたが、トライハームが友達にいるのかい?」「こ、答えぬ! 答えんぞ!」「そうかい。つまり知らない訳じゃないと。関係者か」「ヌゥーッ!?」問いを拒絶した筈なのに情報が抜き取られている! タクミ! 

 

横合いからインディペンデントが口を挟む。「そいつらはメガミズムってカルトに属してるそうだね」「へぇ、アイサツで言ってたやつか。ならメガミズムの御本尊がトライハームかい?」「フッザッケルナ! 奴ら如きの増上慢が偉大なる方を騙るなど!」

 

サイアムの目が怒りに燃える。だがその憤怒すらモンキーめいて手のひらの上に過ぎなかった。「ほぉ、仲は悪いが力関係は向こうが上か」「〜〜〜ッッッ!」何を口にしようと何を思おうと秘密を吸い上げられる。絶望がサイアムを満たしていった。

 

「さてさて、質問ばっかりじゃ悪いな。何か聞きたいことはあるかい?」「……に」「ん?」「御前ニ/オ目見エシマス/オ詫ビシニ」「ッ!?」これは末期のハイクだ! ならば次に来るのは!? 

 

「モハヤコレマデーッ!」「下がれ!」神聖なるハラキリチャント! 覚悟のハラキリ自爆だ! 「サヨナラ!」KABOOM! 内蔵爆弾で爆発四散! 更にニンジャソウルが爆発四散! チリ一つ残さずにサイアムは消滅した。

 

「覚悟を見誤ったか。上手くないな」元サイアムであった虚空にブラックスミス……シンヤが溜息をこぼした。「下手だねぇ。追い詰めすぎだよ」「ウッセーゾ」茶化すインディペンデント……セイジを手を振って黙らせると、生徒会長室へと首を向ける。

 

「今更だが上の方は?」「一名鞭打たれてたけど名誉の負傷ってことで」見上げると手を振るユウと、怖々と下を覗くナツヨが見目に入った。キョンイチの姿はないが、セイジの台詞によれば死んではいないようだ。「一応皆無事か。ま、メデタシってことでいいかね」

 

「探し物も見つかったみたいだしね」ユウの手にインフラ古地図が握られているのが見える。トラブル多発だったがミッションコンプリートである。慣れない潜入調査のせいか酷く疲れた。

 

「そういや俺の協力者が見つけたんだが、お前は役に立ってたのかい?」「少なくとも協力者の尻を追っかけてたヤツよりは役立った筈だよ」「チッ」「フン」誤魔化しを兼ねて生徒会長室へとシンヤは手をふり返す。ユウの手は犬の尾めいた勢いで振られていた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

『マリエ・トモエ学園潜入調査結果報告』

 

『日時:20YY/MM/DD』

 

『概要:インフラストラクチャー古地図の取得の為、マリエ・トモエ学園潜入調査を行った。その結果、古地図の取得と適切なポートの制定に成功した』

 

『詳細:20YY/MM/CX ナンシー・リー氏より指示を……

 

 

 ……備考1

* 導師:学園より自主退学。その後、如何なる心理的変化があったのか糖類依存症患者への自立支援団体を自費で設立している。

* 男性教諭:学園より自主退職し、現在は上記支援団体の職員として勤務している。また女装サークル活動に参加している模様。

 

* 学園メガミズム支部:解散後、元信者は上記支援団体の治療を受けている。意外なことに導師に対する悪感情はメガミズムより離れた現在でも見られない。

* 協力者:調査費の他に「約半日の買い物同伴」を要求された。判断を仰ぎたい』

 

『備考2

メガミズム:学園に浸透していたカルト宗教。上記導師から内実についての聞き取りを行なった。下記に特徴的な点を示す。

 

1. 聖句

- 聖句の内容は一般的カルトの域を出ないが、所々に黄金立方体への言及が見られる。

- これはハッカーカルトめいたコトダマ空間信仰ではなく、下記の所属ニンジャより得たニンジャ真実由来と思われる。

 

2. 規模

- 根拠地としているネオサイタマ近郊のエイトオージシティは、事実上メガミズム宗教都市となっている。

- メガミズム勃興・拡大は近年のことであり、新興カルトとしても異常な成長を見せている。これも下記の所属ニンジャの存在によるものと推察される。

 

3. ニンジャ

- メガミズムには最低でも五忍、ほぼ間違いなくそれ以上のニンジャ信者が所属している。

- 多くのニンジャ所属宗教団体はニンジャが創始者であり、メガミズムもそれに類するものと考えられる。

- すなわち多数のニンジャを臣従させる、極めて強大なニンジャが背後に存在している可能性が高い。

 

……以上のことから、メガミズムについて更なる調査が必要である、と」伸びをするシンヤの前に湯気の立つソバチャかそっと出された。芳しく香ばしい。「お疲れ様」「アリガト、キヨ姉」"キヨミ"に礼を返してソバチャを口に含む。

 

含んだ一口を舌で転がしてると、子供たちが笑いざわめく声が聞こえてくる。「向こうはずいぶん楽しくやってるみたいだな」「“ヨシノ”ちゃんがゲーム作って皆で遊んでるみたいね」「そりゃあいいな」皮肉抜きに心から思う。彼女がトモダチ園に馴染めるか心配していたが、杞憂で終わったようだ。

 

そしてメガミズムとトライハームについての危惧も杞憂に終わって欲しい処だ。だが、無理だろう。トライハームの背後にいるだろう全貌の見えぬ敵。それが身を潜める影がメガミズムであると推察できるだけだ。敵の姿も形も名も何も判らない。

 

判っているのは一つ。『転生者(トライハーム)を使って主人公(ニンジャスレイヤー)を殺す』という目的だけ。加えてトライハームにならなかった裏切り者(シンヤ)も殺すつもりだ。トライハームが敗れた以上、次の刺客はメガミズムで間違いあるまい。或いは復活したトライハームか。

 

「ソウカイヤだけで頭が痛いってのに……」思わずボヤくシンヤ。その肩にキヨミがそっと手を乗せた。「ダイジョブよ。きっと上手くいくわ……根拠はないけど」「ないんだ」「ないのよ」二人はクスクスと笑みをこぼす。無くたっていい。明日はきっといい日だ。そう信じる。

 

「お、そろそろカラテ王子のヤツが来る時間だな」「ケンカしちゃダメよ?」「善処するよ」笑って答えたシンヤは席を立った。そして子供たちの笑い声の方へと歩き始めた。

 

 

【クリーピング・アイズ・フロム・フット】おわり。



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第二話【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#1

【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#1

 

「イタイな……イタイよ……」”イカワ・イーヒコ”からか細い声が漏れた。言葉の通り痛くてたまらない。頬はジンジンと腫れ、口の中は血でいっぱいだ。足の爪は幾つか剥がれたし、指に至っては内出血で半ば無感覚になってる。

 

複数人にイジメ・リンチでもされたかのような様だ。あながち間違いでもない。事実、ヤンク・センパイに目を付けられ、イーヒコはイジメ・リンチ目的で校舎裏に呼び出されていた。違いは二つ。一つはイーヒコが果敢にも殴り返したこと。

 

そしてもう一つは割れた眼鏡に写る光景がその答えだ。「グ……ワ……」「ア……バ……」「オ……ゴ……」折り重なって倒れる人、人、人、計五人。不公平な殴り合いの末にKO勝ちしたのはイーヒコの方だった。全員を土のマットに沈めている。

 

コワイに勝ちたいと始めたカラテ・トレーニングを、一日たりとも欠かさなかった。兄の伝手で入会したデント・カラテドージョーでも、一年間のカワラ割りパンチ修行を倦むことなく続けている。ナードな外観に潜む確かなカラテの才能は、イジメ・リンチの場で遺憾なく発揮された。

 

命令されて殴った一人目を反撃のボディフックで沈め、嘲笑う二人目の鼻っ柱をカラテストレートでへし折る。低空タックルの三人目はカワラ割りパンチで地面とナカヨシ。四人目からは……どうだっただろう。バットスイングを横っ面に受けてからイーヒコの記憶は曖昧だ。殴ったような、蹴ったような。

 

なんにせよ勝ったのは確かだ。身動き一つとれない五人がそれを証明している。「イタイ……イタイ……」だからこうして安心して泣き言を漏らせる。「スッゲ……!」だが、漏らした弱音に真逆の賞賛が被せられた。

 

「スッゲェよお前! ッタタタ……」誉め言葉の出所はうずくまる一人目だ。まだ腹が痛いのか押さえたまま首だけ上げてイーヒコを見ている。「ヤンク・センパイ全員ぶっ飛ばしちまった! お前スッゲ!」そしてその目は憧憬めいた光で輝いていた。

 

「なぁ! なぁ! 名前! 何て言うんだ!?」「……え、イカワ・イーヒコだけど」イジメ・リンチの尖兵だったのに、当然のように距離を詰めてくる。敵意があるなら殴ればいいが、好意を見せる相手にはどうするのか。頭でっかちで人生経験不足のイーヒコは流されるだけだ。

 

「俺、アイダ! ヨロシクな、親友!」「アッハイ、ヨロシク……?」下級生の癖にソンケイが足りないとイジメ・リンチをふっかけられて、気づけば一人がトモダチ通り越して親友になっていた。詐欺にでもあった気分だ。

 

「動けるようになったらさ、飯食いに行こーぜ!」「カネ、ないけど……」「センパイのポケットにあるぜ!」「いや、それ犯罪……」「固いこと言うなって! イジメリンチも犯罪だろ?」「いや、お前も……」「固いこと言うなって! 美味い飯オゴるからさ!」「センパイの金で?」「センパイの金で!」

 

アイダはC調全開で話をズンズン進めていく。軽薄軽妙なお調子者にどう反応していいのやら。まるで解らずイーヒコは天を仰ぐ。割れた眼鏡越しのゆがんだ曇天は、何も答えてはくれなかった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

カツン、カツン、カツン。鉄の階段が足音を響かせる。「けどさぁ、なんでキスしなかったわけ?」「……フツーに考えて嫌がるじゃん」「いやいやいや、どう見てもあの子キス待ちだったでしょ! なんで押さないかなぁ?」イーヒコとアイダ、二つの影が錆びた階段を下っていく。

 

「前々から言いたかったんだけどさ、正直あーいう場所、苦手なんだよ」「苦手をそのままにしちゃいけませんってセンセイも言ってたじゃん。もっとアソビを楽しまなくちゃ!」ちらつく蛍光ボンボリが足下を薄暗く照らしている。降りた段数から見てもひどく深い。

 

「アソビって……ダンスとクラブはいいとしても、バリキにタノシイにメガデモってほぼ違法でしょ?」「つまりほとんど合法行為! ダイジョブダッテ!」相も変わらぬアイダの調子にイーヒコは長い息を吐く。押し掛け親友になってからずっとコレだ。

 

……ガールズバーにゲームセンター、ダンスフロア。一方的なトモダチ宣言の後、次から次へと怪しい盛り場へ引き回された。正直、気疲ればかりで楽しめなかった。女の子を紹介されても何を話せばいいのかまるで判らない。兄のカチグミな親友なら上手く流すのだろうが、経験不足で固まるばかりだった。

 

唯一興奮したのはダンスフロアでヨタモノを殴り倒した時だ。金切り声のチェンソー・ナイフを紙一重で避けて渾身のカラテパンチをたたき込む。ハイビートのBGMと合わさって血が沸騰する一瞬。その後は露出度の高いパンクゲイシャがベタベタしてきて固まる羽目になったけど。

 

「これだからイーヒコくんはマジメで困る」「マジメで何が困るんだよ」「そんなイーヒコくんのた〜め〜に〜、今日は特別に紹介してやるよ!」「何を?」「すぐにわかるさ」イーヒコの問いかけに意味深な笑顔を浮かべ、アイダは階段を下る足を速めた。

 

やっとたどり着いた長い階段の底には、錆びにまみれた分厚い鉄扉。その直前でソンキョ座りの巨漢がIRC端末を弄んでいる。(((こいつ、強い)))イーヒコの目でも判った。どう殴るか、どう勝つか。即座にイマジナリのカラテを算ずる。肉体も自然と即応の構えを取る。

 

肉塊めいた巨漢も拳を床に着けた。タチアイの形。一瞬でダンプカーめいたぶちかましが来る。空気が張りつめていく。「あー、ガチンコ本場所注射なし」「入れ」が、あっさり弛緩した。「おい……!」「ケンカしたきゃこの後で」抗議の声もあっさり流される。

 

「マジメだけど血の気が多いねぇ、イーヒコくんは」「……」アイダの言うとおりだ。イーヒコは長い息と共に熱を吐き出す。ダンスフロアの一件以来、いやヤンクセンパイをKOしてから何かと昂ってしかたがない。試合や稽古とも違う、血が煮えたぎるあの瞬間が焼き付いてる。

 

「さぁて、女の子とのお喋りもダンスもゲームも苦手なイーヒコくんにお似合いの場所だ!」「どんな場所だよ?」「こんな場所だよ!」重い扉が軋みながら開く。熱気と湿気と罵声と大声が飛び出した。

 

「ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ! ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ!」ケチャかハカを思わせるリズミカルな合いの手! 「「「ノコータ! ノコータ! ノコータ! ノコータ!」」」祭囃子めいたウォークライが響き渡る! 

 

「「ハッキョーホー……ドッソイ!」」BUMP! 大型車両めいた突進がぶつかり合う! 「「……ッッッ!」」砕けんばかりに歯を噛みしめてマワシ代わりのベルトを引き合う! 「ドッソイ!」「グワーッ!」ウッチャリで顔面と床が正面衝突! 「フゥーッ! フゥーッ!」折れた歯と血を吐き捨ててシコを踏む! 

 

「これ……何だよ……!?」今、自分の体温は何度あるのか。扉から噴き出した熱に炙られて、イーヒコの血が沸点へと近づく。アイダは笑って壁を指さした。一面に描かれるソリッドなウサギとカエルの絵。そこに答えがセクシーな書体でショドーされている。

 

「『オスモウ・クラブ』さ」

 

ーーー

 

……江戸時代、時のショーグン・オーヴァーロードは幾度となく辻オスモウを禁じた。しかし至る所で繰り広げられる違法オスモウを前には空文に等しく、逮捕者の晒し首を前にオスモウ大会が開かれる様であったという。

 

その過去故かオスモウには血のアトモスフィアが付き纏い、非行少年達は強くオスモウを嗜好する。必要なのは漢が二人。輪っか(リング)を描けばそこが土俵(リング)だ。『マワシを締めずに粋がる不良はいない。』このプリミティブなスポーツは、アウトローの本能を刺激する。

 

そして、ここ『オスモウクラブ』はその極北にあった。ここには江戸時代のオスモウ英雄を謳うコリードも、リキシDJのパワフルなラップもない。オスモウチョコもテキーラもない。それどころか行司すらいない。

 

コンクート打ちっ放しの天井、釣り下げられたタングステンボンボリ。床にはダクトテープのドヒョー・リング。そして何より、全身全霊でぶつかり合う雄達。余計なものなど何一つない。ただオスモウの為だけの空間がそこにある。

 

「オスモウクラブ第一条『オスモウクラブについて口外するな』」

 

門番の巨漢は案内役を兼ねていたのか、イーヒコとアイダを先導しながらルールを告げる。独り言めいた台詞をかき消すように横で歓声が上がった。誰かが誰かを投げ飛ばしたのだろう。

 

「オスモウクラブ第二条『オスモウクラブについて口外するな』」

 

人だかりから漏れ見える光景には、儀礼もなければ賞金もない。スモトリと観客の区別すらない。人の輪から出てきた雄二人が立ち合い、ぶつかり合い、投げ合い、殴り合い、血を噴きあう。倒されれば次へ。それがひたすらに繰り返されている。

 

「オスモウクラブ第三条『オスモウクラブについて質問するな』」

 

門番の足が止まった。太い指が向けられた先はドヒョーリングの一つだ。他に比べて人数が少ない。門番の存在に気づいたのか人の輪が割れる。中央には門番に負けず劣らずの巨体がシコを踏んでいる。

 

「オスモウクラブ第四条『初めてクラブに来た者は必ず一度トリクミをしなければならない』」

 

つまりやれと言うことだ。熱が腹の底からこみ上げてくる。身震いするとイーヒコはドヒョーリングに足を踏み入れた。巨体のオスモウ戦士が獰猛に嗤う。イーヒコも口角をつり上げて返した。顔がひきつってないといいけど。

 

「オスモウクラブ第五条『ドヒョー内の足裏を除き、床に触れたら負け』」

 

「他には?」「ない」イーヒコの問いに巨漢は当然の顔で返した。拳も蹴りもチョップも肘も多対一もルール違反でないらしい。そもそもルールがないのか? なんたるプリミティブにしてバイオレンスなオスモウ空間か! 

 

「ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ!」アイダが手拍子と共に囃しの声を上げた。「「「ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ! ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ!」」」つられて人の輪も両掌を打ち合わせ、発揮揚々の声をかける。

 

オスモウ戦士が両の拳を床に着けた。イーヒコも腰を落としカラテを構える。囃し立てる周囲が遠ざかる。世界がドヒョーのサイズに収束していく。(ドヒョー)(オスモウ)(カラテ)。これで全てだ。これが全てだ。

 

ドン。「ドッソイ!」オスモウ戦士が膨れ上がった。イーヒコが突き出す拳より早い。鳩尾にチョンマゲがめり込む。「グワーッ!」BUMP! 絶叫と一緒に肺の空気が絞り出される。だが、カチ上げを喰らいながらも、イーヒコは腰を浮かせはしなかった。

 

「ドッソイ!」故にオスモウ戦士は掴んだベルトを引き寄せる。下から上へ。浮かせて櫓で投げるつもりだ。イーヒコは更に腰を落とした。上から下へ。それは一日たりとも休まずに続けているベーシック・アーツ……カワラ割りパンチだ。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!?」肉弾装甲の隙間を縫って脊椎に拳がめり込む。後頭部か首を狙いたかったが四つ手の引き寄せはそれを許さない。それでも両手が緩んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」捻り込みの低空左スマッシュで横面をカチ上げる。目が合った。生きた目だ。来る。

 

「イヤーッ!」「ドッソイ!」右フックが頬にめりこみ、ハリテが顔面を吹き飛ばす。「「グワーッ!」」互いの首が跳ねた。だが目は逸らさない。目の前の敵だけを見つめている。鼻血を噴いて、血の唾を吐き捨てる。牙剥くかのような笑みが自然と浮かぶ。

 

ヤンクセンパイのKO、ダンスフロアの一件。どうして血が昂っていたのかよくわかった。好きなのだ。習い覚えたカラテを使い、誰かを思い切り殴り倒すのが……大好きなのだ! 

 

『貴方は何の為に……』耳の奥でセンセイの声が微かに聞こえた。『……に勝ちたいです』応える自分の台詞がニューロンに流れた。「イィィヤァァァーーーッッッ!!」「ドォォォッソイッッッ!!」だがそれらはシャウトとアドレナリンに紛れ、瞬く間に消え失せた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

「つまりコレだけ売り上げが出るんですよ! コレはスゴイんですよ!」アジテーターめいたプレゼンテーターの掛け声に合わせて、グラフがフジサンを超えて雲を突き抜ける。

 

『イヨォーッ!』合いの手と共に装飾過剰のアニメーションが動き回る。「そうか」だが説明を受ける人影……オスモウクラブ主宰者の心は僅かなりとも動きはしなかった。『極めて魅惑的』『千客万来』『大入り』幾つもの極太ミンチョ体のアッピールも、馬にネンブツめいて流れさるのみ。

 

「エートですね、無論我々から有能な人材を派遣させていただきます! それもお安く!」ソファーに沈む主宰者の無反応ぶりに危機感を抱いたのかプレゼンテーターがスクリーン横の暗闇に目配せする。

 

「「「ドーモ、お手伝いさせていただきやす」」」プロジェクターの前に現れたのはヤクザスーツとサイバーサングラスの厳つい男たちだ。『プロフェショナル』『合法で有能』『荒事にも丁寧な対応』流れる欺瞞的コピーライトで覆い隠そうとしているが、彼らのヤクザ性は明らかだった。

 

むしろ、判りやすい欺瞞を見せつけることでその危険性を表現しているといえよう。事実、並のカイシャなら震え上がって従うであろう婉曲的暴力性アッピールだ。「そうか」それすらも主宰者は無関心に聞き流す。

 

「では、ご契約ということで?」「しない」何故なら初めから承ける気も何も無いからだ。「ザッケンナコラーッ!」「ソマッシャッテコラーッ!」「シィヤガッテコラーッ!」その事実に気づいたのか、ヤクザスーツたちが交渉から強請りへと切り替わった。

 

部屋に満ちるヤクザスラングをBGMにプレゼンテーターは揉み手ですり寄る。「我々もアソビで来ているわけではないんですよ。判ってくださいよ」「そうか」オスモウクラブはカネになる。だからクラブを手に入れるため、プレゼンテーターめいた山師はヤクザを呼び込んだ。

 

ここでイモを引けばイモめいて土に埋められるのは自分なのだ。「では、ご契約ということで?」「しない」だが、主宰者にとっては金もヤクザも何の意味もない。彼にとって意味があるのはただ一つ。「ザッケンジャネーゾコラーッ! ヤッチマエーッ!!」「「「スッゾコラーッ!」」」暴力だ。

 

「「「ザッケンナコラーッ!」」」BLALALAM! 無数の鉛玉がソファーをスイスチーズめいた姿へ変えた。ソファーだ。人体ではない。では主宰者はどこに? 「ドッソイ!」「「「アバーッ!?」」」後ろだ。ハリテの一撃でヤクザスーツ複数が水平に飛ぶ。壁に人痕が刻まれる。

 

「「「シネッコラーッ!」」」複数の切っ先がスクリーンをズタズタに引き裂いた。スクリーンだ。人体ではない。では主宰者はどこに? 「ドッソイ!」「「「アバーッ!」」」後ろだ。テッポウの一撃でサイバーサングラス複数が垂直に飛ぶ。天井に人痕が刻まれる。

 

「アィェーッ!?」瞬く間にヤクザ戦力は0に変わった。プレゼンテーターは荒事を知っているつもりだった。だからヤクザが主宰者を殺してクラブを奪おうとしたのは理解できた。だがこれほどまでの暴力は理解できなかった。否、暴力以上の恐怖が脊椎を貫いている。

 

だから必死に最高戦力にすがりついた。「セ、センセイ! お願いします! センセイ!」「おうおうおう、どーれ」扉から巨体のヨージンボが滑り込んだ。巨大ダルマめいた胴にサイバネの両腕。人間と言うより肉と機械で出来た重機めいている。一度動き出せば人体など容易くネギトロとなるだろう。

 

だが主宰者に恐怖はない。「クズ鉄付きの腐った水風船が強いとでも?」代わりに怒りがあった。血走った目から常に見える怒りだ。怒りは熱となり陽炎となって噴き上がる。鋼めいた体躯と合わさり、人型の赤熱する鉄そのものだ。

 

「ん、お前……確かリーグにいたな」その顔にヨージンボのニューロンが刺激された。彼はかつてリキシ・リーグに手を掛けた優良スモトリであった。「ああ、そうだ。チャンコ072から逃げてリーグからも逃げた臆病者だ。ハハハ!」そして主宰者はヨージンボがかつて夢見たリキシ・スモトリそのものであったのだ。

 

「オスモウネームは”パニッシュメント”だったかな。臆病者にはモッタイナイ名前だ。懲罰(パニッシュメント)を加えてやろう!」「そうか。死ね」故にこそヨージンボに嗜虐心が湧き上がる。ヨージンボは両手を床に着けた。鉄の腕からモーターホイールがせり出す。ギュィィィンッ! バーンアウトの白煙が上がる。

 

「ドッソイ!」サイバネの加速を得たチャンコ072製の巨体が迫る。ダンプカーの突貫に等しい質量と速度だ。だがパニッシュメントは動かない。棒立ちのままだ。「ドッソイ!?」BUMP!! そして棒立ちのまま……受け止めた!? 

 

そのままパニッシュメントは両腕を抱え込んだ。「イ、イディオットめが!」これはオスモウで言えば外四つの形だ。ヨージンボのもろ差しの方が力が入る。不利の形といえよう。ましてやサイバネの両腕が盾になっている。リキシ・スモトリとてここから勝てる者はまずいまい。

 

だが、パニッシュメントは腕を絞った。「ド、ドッソイ!?」CREAK! 鉄の腕が耳障りな悲鳴を上げた。パニッシュメントはそのまま腕を絞った。「アィェッ!?」CRACK! ヨージンボーから情けない叫び声が迸る。パニッシュメントは更に腕を絞った。

 

「グワーッ!」CRASH! 鉄の腕は断末魔と共にへし折れた。パニッシュメントはそれでも腕を絞った。「アバーッ!」SNAP! ヨージンボの脊椎が末期の音を響かせる。パニッシュメントはにもかかわらず腕を絞った。ぶつり。

 

ようやくパニッシュメントは腕をゆるめた。ヨージンボの下半身が水っぽい音ともにぼたぼたと落ちる。続けて上半身がその上に崩れて、ヨージンボの内臓がこぼれ出た。絞め殺すを通り越して絞め千切られた死体へと視線を向ける。そこに怒りはもうない。虚無だ。溢れ出た憤怒は再び内へと収められた。

 

漂う陽炎だけがその熱量を物語り、血走った目だけがその内圧を示している。その圧力容器の窓めいた両目が壁の一点へと向けられた。一枚の色紙と一枚の写真。妄念の圧力が瞬く間に危険域に達する。色紙には手形と併せて絶対のヨコヅナの名前が刻まれている。

 

そして写真にはリョウゴク・コロシアムの姿と……数十回に及ぶだろう八つ裂きの跡があった。

 

【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#1おわり。#2に続く。



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第二話【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#2

【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#2

 

夕闇はとうに過ぎ去り夜が空を覆っている時間。分厚い重金属酸性雲は打ち捨てられたビロードめいて、ネオンの影を低解像度で映している。散々に破けた雲の破れ目から、月は白けた嘲笑を浮かべるばかり。

 

嗤いの先にある少年たちの顔も夜空の天幕めいて酷いものだ。青あざに赤タン、紫の内出血と黄色の膿で彩られ、絆創膏に縫い跡、切り傷と擦り傷でパッチワークされている。だが道をゆく彼らの表情は明るい。

 

いや、単に明るいとは違う。「それでセンセイが余計なこと言ってきて……」「きっとぶん殴ればいいんだよ」「ヤンク・センパイはまだオヤブン気取りだから……」「ぶん殴ったらいいんじゃない?」「オトコが邪魔だけどあの娘とかかなり涼しくね?」「もうぶん殴っちゃおうよ!」朗らかで酷く暴力的だ。

 

彼ら……イーヒコとアイダはオスモウクラブの帰り道である。数十分前まで散々に殴り散々に殴られて来たところだ。アドレナリンの興奮と暴力の悦楽に浸された脳は、苦痛を忘れて更なる闘争を求めてやまない。このまま自宅に帰るより盛り場に乗り出してケンカを吹っかけそうな勢いをしている。

 

「やっぱり殴ろ……」「どーした?」不意にイーヒコのセリフが止まった。視線の先には夜闇より濃い黒錆色がある。センスを疑いたくなる外観に、人間性を疑いたくなる目つき。「よう、イーヒコ。お早いお帰りだな」間違いない。兄の“カナコ・シンヤ”だ。

 

「……アイダ=サンは先に行ってて」「家庭の問題?」「家庭の問題」アイダは肩をすくめるとイーヒコの言葉に大人しく従った。「じゃ、また明日」「また明日」後ろ手に手を振る背中へとイーヒコは手を振り返す。そして不機嫌面で振り返った。

 

「……で、何?」「とりあえずメシだ。ここの先にスシの屋台がある」「メシ?」「スシ」聞きたくもないオセッキョが待っているかと思っていた。イーヒコは拍子抜けの顔で黒錆の背中を追う。なんにせよスシが食えるなら御同伴に与らぬ理由はない。何せオソバではないのだ。

 

「ねえ、キヨミ姉ちゃん怒んない?」ダイトク・テンプルの庫裏を預かる“トモノ・キヨミ”は365日3食オヤツに夜食まで必ずオソバを提供し、トモダチ園の全員から無類のオソバ狂いとして恐れられている。イーヒコもシンヤも例外ではない。

 

「知ってるか? ソバ屋にはソバ抜きトッピングのメニューがあるんだ。そして蕎麦屋にはスシソバがある。あとはわかるな?」屁理屈屋のイーヒコでなくとも無理筋と判る話だ。「それで説得できるの?」「人様のセリフだが、笑って誤魔化すさ」当人も信じてなさそうな笑顔だった。

 

「サバ、ハマチ、メルルーサ、タマゴ、スリミと……」「普通にマグロも」「じゃあそれも。全部2カンずつで」「アイヨッ! オマチッ!」キャンディめいて過剰に彩り豊かなスシを受け取り、濃縮還元コブチャ片手にベンチへ腰を下ろした。

 

食用オブラートで包まれたスカイブルーのハマチを口に放り込む。多分ハマチ、恐らくはハマチ、きっとハマチ、だいたいハマチ、概ねハマチ。そんなハマチめいた味を粘性のコブチャで洗い流した。我が家のオソバより美味しくないが、オソバではない。ステキだ。

 

「それで……シンヤ兄ちゃんはオセッキョしに来たんじゃないの?」「おや、されるような自覚はあったのか」「…………」イーヒコは黙り込んでコブチャを啜る。熱い。「まぁ、そのツラじゃされない方が問題だがな」シンヤが指差すイーヒコの顔は傷と痣で原色タイル画めいている。

 

「休み毎にサイケなドット絵めいたツラで夜遅く帰って来て、その理由も言わないんだ。家族なら大なり小なり心配もするさ」イーヒコには言い訳し難い事実であった。故にイーヒコは話を逸らしにかかる。

 

「それ、シンヤ兄ちゃんに言えた試し?」

「だからこそだ。お前に俺の二の舞をして欲しくないんでね」ましてそれでエンを切る様な羽目はゴメンだ。そう苦く微笑むシンヤから目を逸らし、イーヒコはブスくれた顔でぶーたれる。

 

「それ、大きなお世話」「家族なんだ。世話の一つや二つ焼くもんだろ?」「……シンヤ兄ちゃんには関係ないでしょ」「そうだな。だから関係しにきた」イーヒコは俯いて捨て台詞をボヤくだけだ。それすらも柔らかに包み込まれる。

 

「まぁ、やるなとは言わん。初めて半年でここまで強くなったんだ。やりたくもなるだろう」シンヤは答えながらエメラルドグリーンのスリミを口に放り込む。屋台のスシらしく毒々しくカラフルだ。味も毒々しくケミカルだ。「けど家族に心配かけてる自覚くらいはしておいてくれ」

 

「頼むぞ?」「…………わかった」不承不承と書かれた不貞腐れ顔が上下した。イーヒコの答えにシンヤも大きく首肯する。「ならよし!」シンヤはメルルーサ(コバルトイエロー)をふたつ一度に頬張ると両掌を打ち合わせた。

 

「そんな良い子のイーヒコくんに今日はプレゼントがあります」「プレゼント?」一体どこに隠し持っていたのか。どこからともなく黒錆のフロシキを取り出す。中からパイオパインの木箱が現れた。表面には『謹製』『手打ち』『お届け』の焼印がミンチョ体で印されている。

 

「ソバは要らないよ?」「俺も要らないよ。開けてみな」訳が分からないまま蓋を取り上げる。「え……えっ!? コ、コレって!?」「ジツ製品のインスタントじゃないぞ。修作だがちゃんと鍛えた代物だ」イーヒコの目が驚愕に見開かれ、動揺に打ち震え、喜びに光り輝く。

 

中には一組の黒光りする重合金が鎮座していた。イーヒコの両腕に最適な調整がされている。銘は『テッカイナ』、黒鋼のガントレットだ。

 

「コレをくれるの!?」「くれてやる」「ホントに!?」「ホントに。ただし、一つ条件がある」立てた指に透かし見える両目は真剣な光を放っている。思わずイーヒコも佇まいを正した。「ドージョーに入る時、ヤングセンセイにカラテの理由を答えたはずだ」

 

何の為にカラテを学び、鍛え、振るうか。イーヒコにも覚えがある。センセイに答えた。兄にも告げた。「思い出せるか?」「そりゃまぁできるよ」思い出そうとすればすぐに出てくる。「実践してるか?」「それは……」つまりは思い出そうとしない限り出てこない。普段は忘れてるという事だ。

 

「ならそれをしろ。それがコイツを渡す条件だ」そして実践からは更に程遠いものだった。オスモウクラブでは嬉々として殴り殴られるばかり。何一つ考えていなかった。むしろアドレナリンに溺れ、積極的に思考を手放していた。指摘されたそれが、何故だか酷く恥ずかしく思えてしかたない。

 

「……シンヤ兄ちゃんみたく強い訳でもないからしょうがないじゃん」だからつい、子供っぽく拗ねて幼稚な悪態をついてしまった。イーヒコはうなだれて視線を両手に落とす。傷まみれで小さい、子供の手だ。

 

「つまり、このまま弱いままでいいと?」「別にそんなこと言ってない!」思わず大声を張り上げていた。弱いままでいいなら何もしていないし、カラテも始めていない。感情のまま兄を睨みつける。

 

「なら、ここから強くなるんだろ。だったら実践だって出来るさ」シンヤの視線はイーヒコの怒りで小揺ぎもしない。声を荒げたイーヒコの方が揺らいでしまうほど鉄柱めいて強靭で不動だ。「出来ると、思う?」「思う。俺の弟だぞ?」

 

「じゃあ、やってみる……!」「やってみな」こつりと二人の拳がぶつかった。イーヒコの表情が柔らかに緩む。そこに暴力と血の香りはない。代わりに青臭くも爽やかな春の匂いがした。

 

「あと、さっきの台詞は嫌味だぞ? 始めて半年程度で大人に殴り勝てるジュニアハイがそうそういるか」「え、でも、シンヤ兄ちゃんにも全然打ち合えないし、センセイにもまだまだ勝てないし……」「比較対象が悪い」「そーなの?」「そーなの」疑問符を浮かべるお得の姿にシンヤは微苦笑を浮かべた。

 

「じゃあ、先帰ってるね!」「おう。お帰りな」新しいオモチャを受け取ったクリスマスのように、イーヒコは浮わついた小走りで駆け出した。その背中へとシンヤが手を振る。白けた月光とボヤけたネオン光が二人を照らしていた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

黒。真っ黒だ。視界全てが闇に覆われている。だが静寂ではない。期待を帯びた無数の呼吸が重なり、イオン風のように唸っている。

 

バツン。誰かが照明のスイッチを入れた。タングステンボンボリ一つだけに電流が流れる。白熱するフィラメントが暗闇に慣れた目に突き刺さる。2500℃の輻射に照らし出されたのは……パニッシュメントだ。

 

「オスモウクラブ第一条『オスモウクラブについて口外するな』」

「オスモウクラブ第二条『オスモウクラブについて口外するな』」

「オスモウクラブ第三条『オスモウクラブについて質問するな』」

 

高名な独裁者曰く、『演説とは当たり前の事をさも特別な事のように喋る事だ』。ならばパニッシュメントは間違いなく演説の名手に違いない。定められたルールを読み上げるだけで、まるで十戒を告げる預言者めいて神々しい。

 

「オスモウクラブ第四条『初めてクラブに来た者は必ず一度トリクミをしなければならない』」

「オスモウクラブ第五条『ドヒョー内の足裏を除き、床に触れたら負け』」

 

誰もが勝てない。誰もが従う。暴力(ツヨイ)権力(エライ)。だからパニッシュメントはクラブの絶対者だ。そして絶対者は口を閉ざした。闇の中の群衆は息を潜めて次の言葉を待ち侘びている。誰もが息を呑み、空気が呑まれる。

 

「オスモウクラブの門は狭い。故に密度は高く、切っ尖は鋭い。それはまさにカタナめいている」

 

パニッシュメントは声を荒げることもない。感情を込めることもない。ただ淡々と語るのみだ。だが絶対的暴威ゆえの絶対的権威、そして静かながらもクラブの隅々まで通る声が合わされば、ただの朗読が神話の語り部へと変わる。

 

「そしてカタナには目的がある。人斬りだ。ならばオスモウクラブの目的とはなんだ?」ゆっくりと暗闇を指差す。バチン。幾本ものフットライトが闇を剥ぎ取った。「それがコレだ」壁一面に描かれた惑星、太陽系、銀河、UFO。そして……サル。

 

『宇宙でもオサル』『本能開封』『自由型トリクミ』加えて力強くセクシーなオスモウ文字が壁画を彩っている。

 

「オサルは樹から降りて人間になった。人間はモージョーとカネで部品になった。

お前たちは部品か? 違う。血と肉とオスモウを兼ね備えた生き物だ。

お前たちは人間か? そうだ。だがオサルだ。電子ネットワークに覆い尽くされ、宇宙から追い出されてもオスモウを止めない、真にプリミティブなオサル……」

 

 

「そう、お前たちは宇宙オサルども(スペースモンキーズ)だ」

 

 

「ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ!」誰がが発気揚揚の声を上げる。CLAP! CLAP! 誰かが柏手を打つ。BUMP! BUMP! 誰かが床を踏み鳴らす。幾つものパーカッションとシャウトが合わさり、誰もがそれに続いていく。重なる音は巨大なうねりとなってクラブを満たしていく。

 

「「「ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ!」」」CLAP! CLAP! BUMP! BUMP! 「「「ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ!」」」CLAP! BUMP! CLAP! BUMP! 「「「ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ!」」」BUMP! CLAP! BUMP! CLAP! 「「「ハッケ! ハッケ! ハッケ! ヨーイ!」」」BUMP! BUMP! CLAP! CLAP! 

 

パニッシュメントは静止の声の代わりに、片足を上げた。ドォンッ! 踏み締めたコンクリートが揺れる。「「「………………」」」地震めいたシコと同時に静寂が訪れた。「クラブのルールは?」パニッシュメントが問う。メンバーが応える。

 

「「「オスモウクラブ第一条『オスモウクラブについて口外するな』」」」

「「「オスモウクラブ第二条『オスモウクラブについて口外するな』」」」

「「「オスモウクラブ第三条『オスモウクラブについて質問するな』」」」

 

「それでいい。指令は各人に直接告げる……解散」

 

バツン。誰かが照明のスイッチを切った。黒。真っ黒だ。視界全てが闇に覆われている。だが静寂ではない。興奮に染まった無数の呼吸が重なり、イオン風のように唸っている。まるで台風直前の夜のように。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

『先日から頻発しているオスモウ関係店へのイタズラ被害ですが、遂に被害者が発生したドスエ』不意にオイランニュースキャスターの声が耳に飛び込んだ。イーヒコが頬杖を軸に首を回すと、カウンターのテレビに『お客火を吹く』『口内総取替』のテロップが流れていた。

 

『実際酷い。ブランデーがガソリンと入れ替えられてたんだ。お陰でオキニの勝ちを見そびれた! 代金を請求したい!』顎をサイバネした被害者がリポーターに訴えてる。『以前はオスモウチョコ入れ替えやバンザイテキーラ表示改ざんなど、低年収なイタズラでしたが過激化の傾向を見せているドスエ』

 

『自我拡大世代の自己承認欲求の自爆的発露と自己認識されますね。反興行的ヨコヅナへの抗議的側面も決断的でしょう』チョンマゲの識者が訳知り顔で持論を述べる。「バカだな、あのコメンテーター。なーんにもわかってない」斜め上な結論を強弁する姿に、アイダから意地の悪い笑いが溢れた。

 

「なぁ、さっき言ってたバンザイテキーラ表示改ざん。俺もやったんだぜ」アイダは秘密めかしてイーヒコの耳に囁く。アイダは上からの指示に従い、テキーラ工場のシールを全て入れ替えた。結果『バンザイ(万歳)テキーラ』は『ハンザイ(犯罪)テキーラ』として出荷され、マスコミとIRCを大いに賑わせたのだ。

 

「そっか」「……なんだよ、その反応」だがイーヒコは無反応に近いうす塩味な顔をしている。共感の味が欲しいアイダは不満気だ。「やれなくて拗ねてるの? 指示無視したのはイーヒコくんじゃん」「いや、別に」イーヒコにも指令は下っていた。だがイーヒコはそれを無視した。故あっての事だ。

 

「ならなんだよ?」「これの何処がオスモウなのかなって」スペースモンキーズが行ってるのはオスモウ関係へのイタズラだ。トリクミしているわけでもケイコしているわけでもない。「お前だって演説聞いてただろ。オスモウクラブはこの為にあったんだよ」けれどパニッシュメントはそう言った。

 

「この為って何の為?」「そりゃスペ……おっと。第二条」「『口外するな』ね」そう言われたから。言うなと言われたから。シンプルだ。だがイーヒコは問う。「で、スペースモンキーズ(それ)は何の為?」「それは……」オスモウクラブの目的はスペースモンキーズだ。ではスペースモンキーズ自体の目的は? 

 

アイダは二重の意味で答えられない。「…………第三条」「『質問するな』、ね」知らないから。問うなと言われたから。白痴めいてシンプルだ。なので思考中止を憎悪習慣にすり替える。「なぁイーヒコくんさ、最近チョーシ乗ってない?」いつもの軽薄な笑みの代わりに、粘つく不愉快を顔に浮かべる。

 

「お兄ちゃんからオモチャ貰って嬉しいみたいだけどさ、ルール無視は何様よ?」テッカイナを受け取って以来、イーヒコはシロボシを順調に積み上げてる。巨漢なオスモウ戦士にナード外観少年が挑みかかる姿は、半ばクラブの名物と化している程だ。

 

「なぁ強いから偉いの? 勝てるから特別なの? ならまず一番強いパニッシュメント=サンに従えよ」対してアイダの現状に変わりはない。自分が勝てそうな相手を狙って勝つ。ときおり負ける。その繰り返しだ。上は目指さない。目指せない。その度胸はない。情けない。

 

「なぁ、そもそもお前も指令貰ってたじゃん。なのに何で無視してんの? なぁ何様のつもり!?」だからアイダはスペースモンキーズの一員であることにしがみついていた。だからアイダにはスペースモンキーズを優先しないイーヒコの態度が許せなかった。

 

「……アイダ=サンの言う通りだ。何様気取りでチョーシに乗ってる。ゴメン、次の指令は犯罪でなきゃ参加してみるよ」「お、おう。判ればいいよ。判れば」なのでイーヒコがあっさり態度を翻せば怒りの理由も無くなってしまう。振り上げた拳のぶつけ先を見失い、すごすごと拳を降ろすしかない。

 

「「…………」」居心地の悪い沈黙が二人の間に流れる。イーヒコは無言で冷コブチャを煽り、アイダは黙ってマンダリンのケモソーダを啜る。不味いし、気まずい。その時である。BEEP! BEEP! 冷え切ったアトモスフィアを矩形波の着信音が破った。

 

「「来た……!」」これ幸いとIRC端末に飛びつく二人は短いメッセージに真逆の反応を示した。かたや興奮と不安の表情を見せ、かたや疑念と拒否を顔に浮かべる。「なぁ、さっき参加するって言ったよな?」「犯罪でなきゃって言ったよ」見つめ合う二人の手元で端末は本文のないメールを映していた。

 

『件名:老舗オスモウバー「タニマチ」へ放火する。準備のためクラブで機材を受け取れ』

 

【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#2おわり。3に続く。



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第二話【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#3

【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】#3

 

「……ッ!?」白、真っ白。突然降り注いだ白光がイーヒコの目を焼いた。反射的に閉じた瞼の裏で極彩色の暗闇が踊り狂う。無理矢理に目を開けば、ボヤけた視界に映る無数の顔、顔、顔。どれもこれも誰も彼も、タングステンボンボリに照らされるイーヒコへと顔を向けている。

 

どの顔にも悪意はない。善意もない。ましてや慈悲などあるはずもない。儀式に捧げられる供物に一体誰が慈悲をくれると言うのか。僅かながらの憐れみと罪悪感がせいぜいだろう。

 

「イーヒコ=サン、選べ」違う顔は一つだけ。この場の主役であるパニッシュメントだ。もう一つの白光に照らされる顔には、加圧された憤怒に加えて明白な不快感がある。「メンバーとして大望に参加するのか。裏切者として断罪されるのか」そして明確な殺意がイーヒコへと向けられている。

 

……オスモウバー『タニマチ』放火への参加を拒否したイーヒコは、熟考の末に暴走するクラブを制止することに決めた。そのために顔見知りに声をかけ、スペースモンキーズに反感を抱く人間を集めた。その結果が今だ。

 

イーヒコに同意してくれた筈のメンバーたちは皆、目を逸らし人影に隠れている。ブルシットだ。歯がぎりぎりと鳴る。「選べ、イーヒコ=サン」従えば裏切者の裏切者と肩を並べて犯罪に参加することになるだろう。ブルシットだ。拳をぎりぎりと握る。

 

「選べ」「え、選ぶ!」イーヒコは胸と虚勢を張った。歯がカチカチと鳴る。「参加はしない!」「クラブを裏切るか」「裏切りもしない! アンタらみたいにオスモウを裏切りもしてない!」パニッシュメントの目に怒りが脈打った。破裂せんばかりに憎悪の内圧が上がる。

 

「イ、イッゾコラーッ!」そのツラ目掛けてイーヒコはキツネサインを突きつける。ヤバレカバレだ。鋼鉄をまとう影絵のキツネが小さな牙を剥く。纏ったガントレットの重さが僅かばかりの安心をくれた。

 

自分一人が暴れたところで勝ち目はほぼ皆無。だが、0に等しいが可能性はある。暴力(ツヨイ)権力(エライ)。最強であるパニッシュメントを打ち倒せたならメンバーは従う、筈だ、多分。

 

だが……いや、だからなのか。パニッシュメントはイーヒコに近づきもしない。「お前たち、カワイガリだ。大罪を濯げ」「「「ハ、ハイヨロコンデー!」」」代わりにやってきたのはイーヒコが声をかけた顔見知り達だった。誰もが恐怖で引き攣ったへつらいの笑みを浮かべている。

 

……カワイガリとはオスモウ界におけるイジメ・リンチを指す隠語である。一般社会でのイジメ・リンチより格段に激しく、しばしば死者を伴うのが特徴だ。死者は栄養補給の豚足を食べ損ねた窒息死として隠蔽される。

 

つまり裏切者同士で処刑しろということだ。イーヒコはキツネサインを握り拳に組み替えた。パイプ椅子、栓抜き、バット、竹刀。オスモウ武器を構えて、二乗の裏切者が間合いを詰める。その中には初めて殴り合った巨漢の姿もあった。

 

人の輪(リング)土俵(リング)を形作る。この不公平なコロセウムからはすぐに出る事になるだろう。死体として、或いは勝者として。どちらがどちらになるかは、互いのカラテとオスモウのみが知っている。

 

「ドッソイ! 「イヤーッ!」グワーッ!」一人目のバットをガントレットで受け止めて殴り返す。鉄腕(テッカイナ)はフルスイングに小揺ぎもしない。反撃のカラテフックで一人目の顔面が跳ね飛んだ。

 

「ドッソイ! 「イヤーッ!」グワーッ!」すぐさまパイプ椅子を振りかざす二人目の顔面へ鋼鉄製のジャブを振るう。腰の入ってない目眩しでも振るわれるのは鉄塊な(テッカイナ)拳だ。鼻血を噴いてたたらを踏む二人目に追撃を狙って踏み込む。

 

「ドッソイ!」だがそれは巨漢な三人目の狙いでもあった。ドヒョー入りめいた超低空のかち上げが横合から迫る。追撃に前のめり過ぎたのだ。「イヤーッ!」だからイーヒコは更に前のめりに踏み込む。引き足が浮くほどの前傾姿勢で強引に軸脚を作った。浮いた引き足が大きな弧を描く。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」力ずくで捻り込んだ蹴り下ろしが三人目の太い脊椎に捩じ込まれた。「グワーッ!」CLINK! スクリューキックの一撃で巨漢の三人目が床と熱いキスを交わし、栓抜きが甲高い音を立てる。 

 

「ドッソイ!」「グワーッ!」だが無理のツケは即座に支払いを求められた。崩れた体勢を直す暇もなく四人目の竹刀が横っ面に叩き込まれる。快音と共にイーヒコの意識が明滅し星が瞬く。その隙を見逃すようならオスモウクラブのメンバーではない。

 

「ドッソイ!」折れた歯を吐き捨てて三人目がイーヒコに組み付きかかる。意識の間隙を狙った完璧なアンブッシュ。だが確かなカラテを刻んだイーヒコの肉体は隙間の一瞬にすら反応してみせた。「イヤーッ!」ズン! 踏み込みの抗力を起点に全身のカラテを練り上げ拳に乗せる。

 

それはデントカラテの基礎にして奥義であるカラテパンチだ。三人目はガントレットが膨れ上がったと錯覚した。そうとしか思えない威力とカラテだった。(((でっかいな(テッカイナ)……)))ニューロンから意識が殴り出される瞬間に抱いたのは、死闘にそぐわない素朴な感想であった。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」鼻血を垂れ流す二人目を殴り倒し、最後の四人目に顔を向ける。「アィェェェ……」上から殴られるのが嫌で従っていたのに、イーヒコから思い切り殴られるのだ。彼から既に戦意は消え失せていた。「マッタ! マッタ!」「待たない」だがイーヒコに従う気はない。

 

しかしその時! 「イヤーッ!」「アババーッ!?」ZZZTTT! 背後から致死級の高圧電流が流れる! 突然の過剰電気に全身の筋肉が異常収縮する。当然立っていられる筈もなく、繰り手を失ったジョルリ人形めいて崩れるイーヒコ。

 

「……ッ!?」その目に映ったのは違法改造スタンジュッテを握るアイダの姿であった。「イヤーッ!」「グワーッ!」アイダはフットボールめいてイーヒコを蹴り飛ばす。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」何度も、何度も、何度も。

 

「……なぁ、イーヒコくん。ナンデこんなことしたんだよ」感電の苦痛にみじろぎ一つ出来ぬイーヒコへとアイダが問いかける。浮かべる表情はタングステンボンボリの逆光に隠れて見えない。「なぁ、ナンデ逆らうんだよ。ナンデ楯突くんだよ。ナンデ立つんだよ」

 

「なぁ謝れよ。謝ってくれよ! なぁ! 頼むよ! なぁ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」アイダは蹴りながら懇願していた。振り下ろしながら哀願していた。踏み付けながら乞い願っていた。頼むから惨めに縋ってくれ。どうか卑屈にへつらってくれ。お願いだから情けなく屈してくれ。

 

ジュッテをイーヒコの手が弱々しく掴んだ。ジュッテを振るうアイダの手が止まる。「イーヒコくん……!」「アィ…………」穢らわしい安堵と仄かな失望がジュッテの鏡面に歪んで映る。惨めで、卑屈で、情けない顔だった。「……ィィィ……」瞬間、イーヒコの鋼鉄が強く握りしめられた! 

 

「……ヤァァァーーーッッッ!!!」背筋を床に叩きつけ上半身を跳ね上げる! 同時に腹筋を引き絞り鉄腕を捻り突く! なんたるデントカラテのカラテパンチ原理を血肉とした起き上がりコボシめいた一撃か! 「アバーッ!?」アイダの顔面は漫符めいて凹み、カトゥーンめいて吹き飛ぶ! 

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ」倒れたアイダへ目を伏せて、震えながら立ち上がるイーヒコ。過剰感電の影響か、息をするだけで喉も肺も焼けるように痛む。立っているだけで意識が飛びそうだ。足元の壊れた眼鏡を拾うのも難しいだろう。だがイーヒコは立った。そしてパニッシュメントを睨んだ。

 

「……そうか」パニッシュメントの両眼から憎悪が噴き出た。「アィェェェーッ!?」溢れる憎悪に曝されて誰かが尿と共に意識を排泄した。余波だけで屈強なオスモウ戦士が失禁して失神するほどの圧力だ。それを直射されたら恐怖で文字通り心臓が止まりかねない。

 

ドック! ドドクン! ドッ、ドクン! 「ハァーッ! ハァーッ! ハァーッ!」事実イーヒコの心臓は今にも不整脈で心停止しそうだ。突き付けられたのは確定した死で、確実な死で、確実に死ぬ。かつて見たジゴクと現実が重なる。

 

『燃え盛るヒョットコ達が迫り来る』怖い。

『身を顧みずヨージンボへ妹が走る』恐い。

『発狂ヨージンボへ立ちはだかる兄』コワイ。

『何一つできないまま震えてる自分』コワイ! 

『泣き喚いて漏らしてるだけの自分』コワイ!! コワイ!! コワイ!! 

 

 

『コワイに、勝ちたい』

 

 

だから学び、鍛え、振るい……挑むのだ! 「来いッ!!」イーヒコは震えるキツネサインを突き上げて、震える手足でカラテを構える。その目は小揺ぎもしていなかった。

 

「そうか。死ね」パニッシュメントが腰を落とし、拳を床につける。バッファロー轢殺特急鉄道のエンジンに火が入った。パニッシュメントの視線上に死のレールが敷かれる。運命のオスモウ車輪はゼロコンマ数秒でイーヒコを轢き潰すだろう。

 

「…………!」その視線が分岐器めいて向きを変えた。新たに敷かれたレール上にあるのは、置き石というにはあまりにも巨大なカラテの巌。産まれては崩れ、伸びては砕ける前衛的オブジェを引き連れながら、東の方角より黒錆びた殺意がゆっくりと歩み寄る。

 

発する殺意からは想像もつかぬほど優しく、黒錆の影はイーヒコを抱きしめた。「よくやったな。自慢の弟だ。俺の誇りだ」「へへ」年相応した無邪気な笑みがこぼれた。兄に身体を預ける安堵と共に、イーヒコの意識は虚空に溶けた。彼を黒錆のフートンで包むと影はパニッシュメントへと向き直る。

 

「選べ。スモトリとして潔くセプクするか。テロリストとして見苦しく殺されるか」そこに慈悲はない。家族の敵に慈悲などない。ただ殺意のみがある。影はスリケンめいて写真を投げつけた。

 

「……そうか」そこに写るのは刑場の罪人めいて縛り上げられた男たち。パニッシュメントは全員に見覚えがあった。リョウゴクコロシアム爆破殺戮作戦の準備要員だ。それがお縄を頂戴している。つまり全てが終わったということだ。

 

「選ぶ。死ね」堕落オスモウ界断罪計画の望みは潰えた。つまりパニッシュメントの最後のタガが外れた。抑えなき怒りが熱となって溢れ出す。「そうか。殺す」陽炎と共に噴き上がる憤怒に、黒錆の影から純粋なる殺意が返された。

 

「ドーモ、パニッシュメント=サン。“ブラックスミス”です」

「ドーモ、ブラックスミス=サン。パニッシュメントです」

 

立ち会うのは漢が二忍。怯える人々で輪っか(リング)を描けば、そこが土俵(リング)だ。「イヤーッ!」「ドッソイ!」BOOOM! 発揮揚揚の掛け声もなく、シャウトのみを合図に怒れる二柱の半神は衝突した。

 

ーーー

 

ガチンコ。それは現在のオスモウ界から縁遠い、ヤオチョやブックがない本気のぶつかり合いを示すオスモウ用語だ。その由来はこのような……「イヤーッ!」「ドッソイ!」BAAAMG!! ……二人の雄がぶつかり合う轟音に由来する。

 

立ち合いの次は手四つに組んで制し合うのが一般的なオスモウの流れだ。だがこれはオスモウvsカラテの変則マッチ。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「ドッソイ! ドッソイ! ドッソイ! ドッソイ!」チョップとハリテ、パンチとテッポウが飛び交う打撃戦が続く! 

 

「イヤーッ!」「ドッソイ!」断頭を狙うチョップをハリテが弾く! 「ドッソイ!」「イヤーッ!」頚椎狙いのテッポウをカラテパンチが迎え撃つ! チョーチョー・ハッシ! 「イヤーッ!」「ヌゥッ!」当身の打ち合いならばブラックスミスのデントカラテに有利がつくか? 

 

「イヤーッ!」「ヌゥッ! ドッソイ!」故にパニッシュメントは覚悟の被弾で接近を試みる。一度捕まえればオスモウの圧倒的優位が確定するだろう。「イヤヤヤヤヤヤヤヤァーッ!!」「ヌゥゥゥーーーッッッ!! ドッソイ!」一撃必倒の連打でも損害無視のバッファロー戦車戦列めいた突貫は止まらぬ! 

 

ならば一撃にさらなる威力を! 「イィィィヤァァァーーーッッッ!!」「グワーッ!」ドッォオオンッ! 喉輪を狙うパニッシュメントの体内だけに致死の轟音が響く! これぞデントカラテ奥義『セイケン・ツキ』である! これで倒れぬニンジャはいなかった……今までは! 

 

「ナニィーッ!?」「ヌゥゥゥッッッ!!」苦痛の声を上げにじり下がるが、深手こそあれどパニッシュメントに致命傷はない! なんたる中空装甲と流体装甲の性質を併せ持つスモトリ戦士の脂肪・筋肉複合装甲か! スモトリニンジャの分厚い肉弾防御はセイケンツキ爆心点を遠ざけ衝撃力を受け止めたのだ! 

 

……大小サンシタ実力者の差はあれど、対峙した幾多のニンジャをブラックスミスは降してきた。『原作』上位層には未だ遠く及ばずとも、マスター位階に爪の端くらいは引っかかったと思っていた。いや、思い上がっていた。

 

(((実際はこのザマか)))確かなオスモウ強者とは言え、対ニンジャ経験もさほどないだろうパニッシュメント=サンを押し切れない。純粋なカラテ、頼れる切り札の数、コトダマ空間知覚能力。足りないものが山ほど見える。それを補う時間も足りない。ネオサイタマ市長選まで約一年しかない。

 

だから、この程度でつまづいてる暇はない! パニッシュメント『ごとき』倒せなければソウカイヤを打ち倒せる訳も、家族を守れるはずもなし! 「来いっ!」ZING! 赤銅色のガントレットを打合せ、たぎる殺意の純度を高める! 

 

「死ね」蒸気を噴き上げ赤熱する肉体が告げる。バッファロー絶滅暴走超特急全力のぶちかましだ。最早セイケンツキでも止まるまい。カラテ衝撃波が炸裂するより先に轢殺されるだろう。ならばどうする? 「ドォォォッソイッッッ!!」「ヌゥゥゥーーーッ!!」真正面から受け止める! 

 

胸郭をジツ製のスリケン外骨格で補強し、カラテパンチ原理の踏み込みでベクトルを逸らした。「オゴッ」にも関わらず内臓はひっくり返り、人の輪ごとタタミ十枚は押し出された。「ドッソイ!?」それでもブラックスミスは倒れることなくぶちかましを受け切った! 

 

「ドッソイ!」故にパニッシュメントはそのままがっぷり四つに組んで投げ飛ばしにかかる。組み・極め・投げにおいてオスモウが負ける筈はなし! だが殺人技術としてならデントカラテも負けず劣らず! 「イィィィ……」そしてデントカラテのゼロ距離殺人奥義こそがセイケン・ツキなのだ! 

 

故に腰を引き込むパニッシュメントへと今度こそセイケン・ツキ……ではない!? 「ドッソイ!?」伝説のチャドー暗殺奥義『ジキ・ツキ』めいて弓引くが如くに引き絞られたこの構えは一体!? 

 

……敵体内にカラテ衝撃波を残すセイケン・ツキでは分厚い肉弾装甲スモトリ戦士に効果は薄い。なればその肉弾装甲そのものを撃ち抜くべし! 圧縮されたカラテ衝撃力を残すのではなく、押し込み、突き込み、突き抜ける! 骨肉の向こう側まで!! 

 

「……ヤァァァーーーッッッ!!」「アバーッ!?」ドヒョーを形作る人々は円柱の衝撃波とくり抜かれた心臓を見た。そこに音は無い……否! BAAANG!! 遅れてカラテ砲撃音が響き渡る! (ブラックスミス)のカラテ、(インディペンデント)のヒサツワザ、殺戮者(ニンジャスレイヤー)のチャドー。三位一体の一撃は音を置き去りにしたのだ! ゴウランガ! 

 

背中の大穴から血と髄液が溢れる。「アバッ……そう……か……」流れ落ちる命と共にソーマトリコールが流れだす。

 

オスモウ少年がいた。絶対のヨコヅナに憧れ鍛えに鍛え、チャンコ072無しにリキシリーグにまで上り詰めた。

リキシ・スモトリがいた。腐ったリーグから下野し、正しいオスモウを新たに築くのだと息巻いた。

 

元スモトリがいた。ヤクザと権力に膝を砕かれ腱を断たれて、二度とオスモウをとれない絶望に屈した。

スモトリニンジャがいた。変わらなかったオスモウ界、変えられなかったヨコヅナ、変わってしまった自分。絶え間ない怒りだけが残った。

 

そして今、全ては過去になった。クラブの真ん中でパニッシュメントが、絶対者が崩れ落ちる。「サヨナラ!」爆発四散の風が吹いた。勝者ブラックスミス、キマリテは……『真拳突き(シンケン・ツキ)』だ。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

イーヒコはそっと頬に触れる。オスモウクラブが終わってから随分と経った。方眼紙めいた傷の数々も随分と薄れた。青赤黄紫と多色刷りだった顔も概ね肌色一色に戻っている。

 

カワイガリのあの日。自分が気を失った後、どうなったかは細かく知らない。パニッシュメント=サンがニンジャだったこと、兄の手で爆発四散したこと、クラブは解散したこと。そのくらいだ。

 

廃地下倉庫も解体され、今やオスモウクラブは思い出と傷くらいしか残っていない。その傷も半ば癒えかけてる。一夜の夢かワサビの香りか。熱く燃えていたトリクミの日々は儚く遠い。

 

(((自分も意外とクラブが好きだったんだなぁ)))感傷的な自分を笑いながらイーヒコは今日も一人で帰路に着く。一人だ。よくよく連れ添っていたアイダとはクラブの解散以降、話もしてない。あの日のわだかまりは未だ解けていない。

 

いや、それ以前から溝はあった。それが明確に現れたのがカワイガリの時だったというだけだ。このまま縁もユウジョウも消えていくのだろうか。ショッギョ・ムッジョな青い春に思いを馳せる。

 

そうして遠い目をしていたイーヒコの足が止まった。曲がり角から僅かに覗かせた顔を見たからだ。当のアイダだった。無視すべきか、アイサツすべきか、先日のことを話すべきか。正解のない選択肢がニューロンで踊る。

 

だがイーヒコが選ぶより持ち時間切れの方が早かった。「な、なぁ!」アイダが引きつった顔で声をかけてきたのだ。「あ、あぁ」イーヒコも上ずった声で返す。「「…………」」初めて女の子を紹介された時よりも重い沈黙が流れる。

 

「………………その、あの、こないだは、その、ホント、悪かった。イーヒコ=サン、ゴメンナサイ!」先んじてヘドロめいたアトモスフィアを破ったのはアイダだった。90度直角に下げられた後頭部をじっと見るイーヒコ。

 

アンコシチューめいてぐちゃぐちゃの感情が混沌と煮えている。それは怒りか、ユウジョウか、哀れみか。イーヒコ自身にもどれがどれだかわからない。だが、それを正しく解き放つ方法を一つ知っている。それは兄から教わって、クラブで学んだ。

 

「アイダ=サン、顔上げて」「アッハイ」テッカイナはないがちょうどいい。「一発な」「ハイ?」自分も相手も痛い。それでいい。「イヤーッ!」「グワーッ!?」腰の入ったカラテフックがアイダのみぞおちにめり込んだ。

 

「…………ッ!」「これで終わりな」ハニワめいた顔でLの字に痙攣するアイダ。陸揚げマグロめいた呼吸困難が落ち着くのをしばし待つ。「……もう少し優しくしない?」「しない」恨めしそうな、でも何処かホッとしたような目でアイダが見上げる。それを見下ろすイーヒコの顔にもまたやさしみがあった。

 

「……なぁ、イーヒコくん。これからどーするよ」「美味いメシ食いに行こうよ」「お前の金で?」「お前の金で」半目でねめつけるアイダだが、イーヒコはどこ吹く風と笑うばかり。「さっきのでチャラじゃないの?」「それはそれ、これはこれ」「ひっでぇ」ケラケラと笑い合い、二人は家路を辿る。

 

『誇り高くオスモウ破壊者に挑んだビッグオゼキ……果敢な凶器攻撃を防がれ、残虐なシタテナゲにより惜しくも斃れ……ヨコヅナは111連勝。オスモウ人気は更なる低迷を……』通りの電気屋ではモデルTVがヨコヅナの勝利を不服げに伝えていた。

 

【スペースモンキーズ・オン・ドヒョーリング】おわり。



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第三話【ザ・ハンドミキサー・マーダー・イン・ザ・ニチョーム】

【ザ・ハンドミキサー・マーダー・イン・ザ・ニチョーム】

 

 

“プロセッサー“が捕らえられた。

 

そのニュースはビル風の如くにニチョーム・ストリートを吹き抜けた。そして後に続くのは長い安堵の吐息だ。もう邪悪なる連続ハンドミキサー殺人鬼を恐れることはないのだと、誰もが胸を撫で下ろした。

 

緊張が緩めば口も緩む。プロセッサーとは誰だったのか。何故凶悪犯罪に手を染めたのか。出所不明支離滅裂な噂は瞬く間に広まっていく。やれカチグミ良家御曹司の隠れた残酷趣味だ、やれ純潔カルティストが浄化を気取った。酷いものになるとニンジャがニンポの練習台にしただなんて言い出す始末。

 

“ボクト”もそんな噂に引き寄せられた一人だ。噂が気になって仕方なくて、夜も眠れず昼寝が酷くなった。だから当然、新しい噂を耳にした途端に彼は居ても立っても居られなくなった。

 

新しい噂はこうだ。捕らえられた犯人……『プロセッサー(仮)』は犯行を否認し続けている。そして犯人はこう言った。真犯人を、本物のプロセッサーを知っていると。

 

これは確かめねばなるまい。すぐさまボクトはゲイバー『絵馴染』に足を運んだ。ドアを開ければ同じ考えをお持ちの面々が既にひしめいている。「アータたちねぇ! 見せ物じゃないのよ! まったく……!」ニチョーム顔役である“ザクロ”が長い息と気炎を吐いていた。

 

「だがねぇ、ザクロ=サン。ワシらも身内を殺されてるんだ」「そうだよ! せめて犯人の顔くらいは……」「それにそいつは他に犯人がいるなんて言ってるそうじゃないか! 詳しく聞かせてほしい!」集まった人々はそれでもと食い下がる。

 

無理もない。プロセッサーの被害者はどれも目を覆わんばかり有様だった。目撃者は誰も彼もネギトロがしばらく食べられなくなったほどだ。『捕まりました。もう安心です』とだけ言われても納得しがたいだろう。

 

よくわかるとボクトも深く頷く。捕まった『プロセッサー(仮)』の詳細と、口走った本当のプロセッサーとやらについて知るまでとてもじゃないが帰れない。

 

何故ならば、連続ハンドミキサー殺人鬼「プロセッサー」の正体は……ソウカイニンジャであるボクトなのだから。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

コツ、コツ、コツ「これは重要なミッションだ」神経質に机を叩く音、神経質に掠れた声。目線すら神経質に張り詰めている。「ネオカブキチョに比べればチンケな歓楽街の制圧に過ぎない。だがショーギの一手目めいて後々に大きな意味と価値を持つ」余程失敗がイヤなのか、この話も既に三回目だ。

 

付き合わさせる身にもなってみろと言いたい。だがボクトは言えない。テルテル・ボンズめいた目の前の“ハイド”が、どれほど恐ろしいニンジャなのか知っているからだ。日照り乞いのおぞましき生贄儀式に相応しく、一度敵対すれば慈悲なく容赦なく命もない。

 

カツ、カツ、カツ「ゲイトキーパー=サンのお考えは俺にも把握しきれん。お前もわかるまい」ボクトの苛立ちと恐怖を無視して、光学迷彩ポンチョ姿のハイドは机を指打つ。「だが間違いなくラオモト=サンの助けとなる。ゲイトキーパー=サンは間違えないからだ」

 

(((そのシックスゲイツ名誉構成員は大いに間違えて帝王の不興を買ったが?)))ボクトは胸中で鼻を鳴らした。ハイドの目が細まる。「何か不満でも?」ハイドの殺意は感じられない。気配も感じられない。感じられるのは、手の届く距離にいながら映像にすら思える非存在感だけだ。

 

「……何も、ありません」殺意に気づくのは自分が死んだ後だろう。虚無に似た恐怖をボクトは必死に飲み下す。「なら続ける。ミッションはニチョームを崩すことだ」渡された資料を思い返す。チンケなモータルの、そのまたチンケなマイノリティの寄せ集め。だが連中には危機感がある。

 

「唯一のニンジャを中心に、惰弱な非ニンジャが結束する。ニチョームは正しい戦術を取っている」コレを制圧するのは骨が折れるだろう。下手を打てば費用対効果が下回りかねない。義侠心で動く理解不能なニンジャを相手取るなら尚更だ。

 

「故にまずは結束を乱す。偏って血を流せ。縋るべきニンジャの無能を見せつけろ」特定の人間だけが死ねば不和の種になる。そこに恐怖の水を注ぐ。唯一のヨージンボが頼れなければ自力救済しかない。それは内乱の芽になる。そこでソウカイヤが救いの手を差し伸べて、ニチョームを総取りするのだ。

 

「やり方はお前にも任せる。プロセッサーの名を広めろ。ただし正体は見せるな」ハイドの輪郭がぼやける。色は消え、影が透けていく。「知れば恐れは薄まる。怒れば怖れは塗り潰される。抵抗不能の未知にこそ、真に人は畏れるからだ」コッ、コッ、コッ。指打つ音は遠のき、声は囁きより小さい。

 

コッ……「これは重要なミッションだ」そのセリフを最後にハイドは消えた。机の向こうには無人の椅子だけが残っている。ボクトは恐怖混じりの息を、長く長く吐いた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

ボクトがたどり着いた時点でストリップ雑居ビル「ゼン・トランス」はものものしいアトモスフィアに包まれていた。ここの旧サイバー海鮮ストリップ劇場「大きい烏賊」跡地に『プロセッサー(仮)』が捕らえられたとの情報は既にニチョームに出回っていたらしい。

 

『人食いマグロの目』『やりすぎてしまう』『殺しに現実感がない』サイバーサングラスに流れる恐ろしいコトダマで、警備員が野次馬を牽制する。幸い自治会員で()()のタケモト=サンが取りなしてくれたおかげで、黒錆色の門番はすんなりと通してくれた。

 

自治会の会議場でもある「大きい烏賊」跡地に足を踏み入れると、既に自治会の主要メンバーは出揃っていた。「ボクト=サン? ナンデ?」自治会員でもないボクトの登場に周囲は首を傾げるが、()()のヒコロク=サンがすぐさま説得にかかった。

 

その間、ボクトは壇上の主役へと視線を向ける。安っぽいパイプ椅子に座った姿勢で後ろ手に縛り上げられた人物。黒錆色の目隠しで顔上半分はようと知れないが、僅かに見える整った歯並びと均一な日焼け肌が出身のカチグミっぷりを告げている。

 

()()の説得で自治会メンバーも一応は納得したらしい。視線はボクトから舞台の『プロセッサー(仮)』へと映った。「それで、アータはプロセッサーの正体を知ってるそうね? それもアータじゃなくて」ザクロがニチョームを代表して問いかける。

 

「ああ、知ってる。僕は詳しいんだ」合成マイコ音声でもドラッグ焼けでもない、よく通るオーガニックの声だ。カチグミとのボクトの見立ては間違いあるまい。「で、誰なの?」ザクロが圧を強めた。空気が張り詰める。

 

「プロセッサーは……ニンジャだ」緊張しきったアトモスフィアが一瞬で弛緩した。フィクションの悪影響だ。自治会の殆どが呆れた顔を浮かべている。ボクトの顔だけが僅かに引き攣っていた。

 

―――

 

「ニンジャだって? コイツはとんだイディオットだ!」誰かが嗤った。ボクトは上手く笑えなかった。ザクロが嘲笑を視線で制し、続きを促した。「ニンジャはいる。それはいいね?」「よくはないけど、そうしないと話が進まなそうね」ザクロの溜息に『プロセッサー(仮)』は大きく頷く。

 

「そうだ。ニンジャはいる。そして真犯人はニンジャだ」「それで一体、どこをどうやってそういう答えになったのかしら?」周囲の自治会員も同じ疑問を抱いている。トノサマの死体を前に、ビヨンボの虎が殺したと訴えるようなものだ。理解不能である。

 

「まず五番目と六番目の殺人を思い出してほしい」それは白昼堂々街中での犯行であった。まず路地裏で客待ちをしてるオイランの心臓がハンドミキサーで撹拌された。その僅か数分後、十数キロ先の街角で客引きしてるポンビキの顔面がハンドミキサーで撹拌された。

 

「整理しよう。問題は速度だ」死亡時刻と位置関係からして犯人の移動速度は100km/hを超える。それでいながら目撃者は皆無。不可能犯罪である。「だがニンジャ運動能力なら可能だ。僕は詳しいからわかる」確かにフィクションの住人なら不可能ではない。存在しないという点を除けば、だが。

 

「犯人が二人いればニンジャを出さなくても理屈が通るぞ?」ヒコロクが当然の疑念を示した。推理小説の十戒にはこうある。『登場人物に超能力者(ニンジャ)を出すな』パルプフィクションにすら否定される屁理屈だ。自治会の面々を納得させるには無理がある。

 

「すると共犯者が野放しってことよね?」「……」だがザクロの台詞にヒコロクは詰まった。「それに事件の日は帯域が全部潰れてたわ」その日、どこぞのテクノギャングにLAN汚染され、ニチョームは大騒動になっていた。だから事件を目撃者はなく、通信も出来なかった。

 

そして連絡を取り合えない状況でどうやって同期殺人をしでかすというのか。「……先に死体を用意しておけばいい。死亡時刻はゴマカシが効く」ヒコロクが理屈を絞り出す。確かに事前に死亡時刻を調整した死体があれば同期殺人に見せかけられるだろう。確かに筋は通る。

 

だがそれは理屈を通す為の理屈、トリックの為のトリックだ。「理由は?」ヒコロクの理屈に納得しかかっていた自治会員たちは、『プロセッサー(仮)』の一言で止まった。連続ハンドミキサー殺人鬼は小細工なしで司法と私刑の手を逃れ続けたのだ。アリバイ工作は不要である。

 

「…………チッ」やりとりを見ながらボクトは腹の底で舌打ちを零した。確かにニンジャの力で五番目と六番目の殺人を犯した。だがそれはニンジャ運動能力による不可能連続殺人ではない。

 

……真相はこうだ。ボクトは無関係の二人に、グレーター・ゼゲンジツでハンドミキサー殺人を行うよう命じた。無論殺し方から後始末まで命じておいたのだが、両殺人時間の調整だけは失念していたのだ。ウッカリ! 

 

その結果、偶然にもニンジャ運動能力必須な超常的殺人事件となってしまった。幸いプロセッサーの異常性を示す結果でもあったためボクトは放置していたが、そこからニンジャを導き出す狂人が出てこようとは。しかもその独演会を聞く羽目になるとはブッダも知るまい。

 

「いっそ拷問……いや、確かに理屈は通らん」ヒコロクは叫ぼうとする自分を制した。感情的な否定は逆効果だからだ。「だが、それだけだ。一つの異常値からフィクションに飛びつくのはナンセンスだ」論理と常識で納得させる方が確実だ。ニンジャを肯定させるよりよほど容易い。

 

「なら、次は十二番目の殺人を例に挙げようか」しかし意気消沈した様子もなく『プロセッサー(仮)』は新しい説を謳い始めた。「整理しよう。あれは密室殺人だった」出入口一つの地下室で、粗挽きネギトロになった被害者。吸気口は掌大で窓も無い。当然、出入口は施錠済みだ。

 

「だが、ニンジャのジツなら殺せる。僕は詳しいんだ」「テレポ・ニンポでも使ったとでもいうのか?」ヒコロクの問いには呆れすら含まれていた。しかし『プロセッサー(仮)』の声は真剣だった。「いや、ドトン・ジツだ。地面を透過して侵入、攪拌、退避する。セキュリティは無意味だ」

 

「吸気口からハンドミキサーを打ち込めばニンジャは要らないが?」ヒコロクが当たり前の道理を語る。神学者のコトワザにはこうある。『必須でないなら半神(ニンジャ)を説明に入れるな』既存の道具で説明可能なら隙間埋めの神は不要。哲学者の剃刀で切り落とすべきだ。

 

逆を言えば必要なら付けるべきと言える。「血と傷は?」「…………」ヒコロクは『プロセッサー(仮)』の言葉に再び押し黙る。ハンドミキサーをカタパルトで打ち込めば周囲に血が飛び散る。それに打ち込んだ傷と攪拌された傷は異なる。ヒコロクの説ではどちらも説明し難い。

 

「生分解性の弾で事前に仕留めてから、傷口ごと攪拌したらどうかしら?」意外なことに反論はザクロからであった。「吸気口は近かったし、棒に付けて押し付ければ攪拌できるわ」訝しむヒコロクの視線に彼女は肩をすくめて見せる。ザクロが求めるのはニチョームの平穏だ。ニンジャの登場ではない。

 

「…………フン」二転三転する推理劇を前にボクトは胸の内で嗤った。確かにボクトはニンジャのジツで十二番目の被害者を死に追いやった。だがドトン・ジツによる超常殺人ではない。

 

……真実はこうだ。ゼゲン・ジツをかけられた被害者は、自ら出入り口を施錠し、自らハンドミキサーを手にして、自ら心臓をミキシングしたのだ。つまり正しくは殺人事件ではなく自殺強要と言えよう。ビックリ! 

 

「なら一度対象を変えよう。二十番目の殺人を「いい加減にしたまえ」苛立ちの篭ったヒコロクの声が叩きつけられる。「幾つかの被害者に不審点があることは判った。しかし荒唐無稽な猿芝居で煙に撒こうとしても君の疑いが晴れるわけではない!」

 

「そもそも君が真犯人を知っていると言い出したのが始まりだろう! ならそいつは何処にいる!? 「目の前だよ」ニンポで消えた……と……で……」SIZZLE! 突如、黒錆色の目隠しが紅蓮に燃え上がった。その放射熱で炙られたかのように、ヒコロクの威勢が見る見る溶けていく。

 

猛火の奥から放たれるのは焼き殺さんばかりの熱視線。放射熱という単語の通り、燃える視線の矛先はヒコロクではない。「…………ッ!?」ボクトだ。反射的に辺りを見渡す。「動くな!」「「グワーッ!?」」ヒコロクとタケモトが……ゼゲン・ジツの内通者が他の自治会員に制圧されていた。

 

CRACKLE! 焼け付く音に視線を戻せば、黒錆の拘束を焼き切り立ち上がる影。手のひらを合わせて首を垂れる。「ドーモ、ボクト=サン。いやプロセッサー=サン。僕は“インディペンデント”です」アイサツは神聖不可侵の礼儀作法。古事記にも書かれている。

 

アイサツをされたなら返さねばならない……そう、ニンジャならば! 「……ドーモ、インディペンデント=サン。俺は“クイジナート”です」歯を軋ませてボクト、すなわちクイジナートは合掌した。

 

―――

 

「ドーモ、クイジナート=サン。ご存知の通りアタシは“ネザークイーン”です。ニチョームナメッテンジャネッゾオラァーッ!!」ザクロ、すなわちネザークイーンが獰猛に凄む。『ご存知の通り』。そう、全てはインディペンデントとネザークイーンの作戦であった。

 

……真意はこうだ。ニンジャでも追跡不能な連続殺人にネザークイーンはニンジャの影を見出した。対ソウカイヤにおける後背地を求めたインディペンデントらと協議して共謀し、犯忍を引き摺り出し自治会内通者を炙り出す大芝居を仕組んだのだ。ドッキリ!

 

「ニンジャでも追えない時点でネザークイーン=サンを警戒してるのは明らか。だからニンジャの単語をちらつかせればモスキートめいて飛び込んで来るのは簡単に予想できたよ」何故、悪党が陰謀の種明かしを好むかよくわかる。いいように踊らされたのだと理解した顔は、実に愉快で痛快だ。

 

「茶番劇に乗り込んできた時点で犯忍は確定。内通者を見つける方がよっぽど難しかったな」インディペンデントの喉がクツクツと鳴る。クイジナートの歯がキリキリと鳴る。ネザークイーンの拳がボキボキと鳴る。

 

「マッタ! マッタ! 俺の所属を知らないのか!? 俺はソ「イヤーッ!」グワーッ!?」クイジナートが言葉を発する前に、ネザークイーンの重々しいカラテパンチが顔面にめり込んだ! 「シッカコラーッ! テメェは腐れ殺人鬼だ! 腐れ殺人鬼として死ね! イヤーッ!」「グワーッ!」

 

ネザークイーンのそれはニチョーム住民としての正当な怒りであり、またニチョーム顔役としての老獪な判断であった。クイジナートを正体不明の殺人鬼の正体として爆発四散させる。それにより、背後にいるであろうソウカイヤへ敵対しない関係をアッピールするのだ。

 

冷徹に憤激するネザークイーンの流れるようなマウントポジション連打がクイジナートを襲う! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ! グワーッ!」得物のブレンダーを抜くこともできず、クイジナートはモチめいてパウンドされる一方だ! 

 

イクサというには一方的な光景に肩をすくめるインディペンデント。自治会員は避難済みで、やることもない。「こりゃ手伝いは不要かな……っと!」「イヤーッ!」「グワーッ!?」苦痛の声を発したのはネザークイーンの方だった。カジバ・フォースのたまものか、クイジナートが投げ飛ばしたのだ。

 

だが所詮はピュロスめいた一瞬の優勢に過ぎない。「アリガト」「ドーモ」宙を舞ったネザークイーンは、インディペンデントに受け止められほぼ無傷。「ア、バ……」一方、クイジナートの顔面はマウントポジションからの容赦なき連打で荒々しく攪拌されている。

 

徐々に不利(ジリープア)どころではない。数秒先に死が見える有様だ。その前には内臓を抉り出すようなインタビューも待っていよう。「イヤーッ!」「「!?」」そして数秒後に最期は訪れる……誰の予想もしない形で。

 

「アバ?」無い。心臓が無い。いや、有る。目の前に有る。抉り出された心臓が有る。「ナン、デ?」「()()()()()()()()()()()()、そう言ったぞ」背中を貫通した手から心臓が滑り落ちる。思わず手を伸ばし、クイジナートはそのまま死んだ。「サヨナラ!」

 

「イヤーッ!」カトン・スリケンが爆発四散するクイジナートの背後に叩きつけられる。だが手応えはない。有るのは微かな気配とノイズめいた半透明の影のみ。正体どころか下手忍の顔すら不明だ。

 

「イヤーッ!」ネザークイーンの手から鉄の四錐星が飛ぶ。だが幻より朧げな影が相手。走り去るそのまた影を捉えるのがやっとだ。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」それでも不慣れながら次々にスリケンを打ち込み、回避機動に制限をかける。

 

「イヤーッ!!」キゴーン! そこにインディペンデントの弾道飛びカラテが襲い掛かった! 爆発めいた粉塵の中、ブロックノイズが放射線めいた亀裂にめり込む! 手応えは……やはりない。「ブッダム!」拳の下には偽装に使っていた光学迷彩ポンチョだけが残されていた。ワザマエ! 

 

「何処に!?」カラテ警戒をかけるネザークイーンに問うが首は横に振られた。敵の位置は不明。存在すら不明瞭だ。どうやってアンブッシュを防ぐのか。神経を炙られるような焦燥感に焼かれながら、二人はカラテ警戒を張り巡らせる。

 

一分、二分、三分。「逃げられたか……?」「……みたいね」十分、二十分、三十分。反応はない。カラテ警戒に引っかかるものもない。二人はゆっくりと警戒を解いていく。

 

「……アイサツ無しとは随分なシツレイマンだ」インディペンデントは不愉快を皮肉で笑い飛ばす。緊張をほぐすようにネザークイーンも乾いた笑みを浮かべた。「……ええ、長居しておきながら一言も無しなんてとんだ不作法よ」

 

狙い通りに目的は果たした。連続ハンドミキサー殺人鬼誘き出しと排除、殺人鬼に操られた内通者炙り出しと排除、殺人鬼の背後にいるソウカイヤ干渉の排除。これらを通したニチョームとの反ソウカイヤ連携。

 

だがシャリに砂利が混じったような不快感が残る。クイジナートの心臓を抜き取った未知の敵がいた。恐らくは推理劇の前から潜み、アイサツを交わす暇も与えずに逃げおおせた。

 

これは局地戦が一つ終わっただけなのだ。未だ大きなイクサの渦中にあると言う事実を、二人は苦々しく噛み締めた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

一時間、二時間、三時間。偽装推理劇の後始末も終わり、「ゼン・トランス」は普段の平静を取り戻した。かつてのサイバー海鮮ストリップ劇場「大きい烏賊」も常と変わらない静けさだ。その埃っぽい静寂が僅かに揺らいだ。

 

天井から現れたのはノイズめいた影だ。蜃気楼めいた揺らぎが無人の劇場を駆ける。足音はない。足跡もない。痕跡一つ残さず、影は建物を後にする。

 

ニチョームを離れ、ネオカブキチョの路地裏に入り、ようやく影は迷彩を解いた。表通りから漏れるネオンに照らされて、テルテル・ボンズめいたシルエットがあらわになる。

 

「ドーモ、ゲイトキーパー=サン。ハイドです……この度は誠に申し訳ございません」直角のオジギと後悔が滲む声で、ハイドはIRC端末向こうへ謝罪した。「ドーモ、ハイド=サン。ゲイトキーパーです。謝罪は要らぬ、報告せよ」「ハッ! この度のミッションに於きまして……

 

……の結果、クイジナートを処分いたしました」「つまりはニチョーム完全支配は失敗に終わったか」「ゴメンナサイ」「……まぁいい。予定通り、真綿を口に詰め込んでいくとしよう」ゲイトキーパーの声が潜められた。「それで、()()はどの程度果たせた?」

 

それはゲイトキーパーの望む真のミッション。ハイドの心身が引き締まる。「ハイ、推定ニンジャキラーのニンジャネームと外観情報を得ております」そう、全てはソウカイヤに仇なす『敵』を明らかにする秘匿作戦なのだ。「詳細についてはフロッピーで直接手渡せ。それで、奴は何と名乗った?」

 

 

「『インディペンデント』です」

 

 

【ザ・ハンドミキサー・マーダー・イン・ザ・ニチョーム】おわり



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第四話【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#1

【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#1

 

ドクロの月が天頂に触れた。

 

時刻は深夜数分前。眠らない都市ネオサイタマにとっては真昼に等しい時間帯だ。ハイウェイの入り口に特徴のない黒バイクが一台、二台、三台。どんどん増えていく。

 

地味で無個性なモーターサイクルの群は、まるでネオサイタマを抉る透かし彫りだ。灰色の原色に満ちたこの街では、数が集まれば空隙の闇めいてことさらに目立つ。

 

だから誰かしらは気づいたかもしれない。アイドリングするエンジン音が録音であることに。絡みつくケーブルが車体に描く紋様に。

 

日が変わるまであと数十秒。統一的なまでに抑制的なバイカー達がカウントを始める。行軍前の兵士めいて時計を合わせ、リズムを同期させていく。

 

残り10、9、8、7、6……

 

それはスターターピストル直前の陸上選手めいた撓められた緊張感。弾け飛ぶ瞬間を待ちわびて引き絞られた弓に似る。

 

……5、4、3、2、1。日が変わる。

 

 

瞬間、反転

 

 

透かし彫りから浮き彫りに、爆音から無音に、空隙の闇から満ちたるネオンに。全てがひっくり返った。電動モーターバイクの群が蛍光色の輪郭を得る。ヒィィィィン……ネオンサインを纏い、無音の暴走が始まった。

 

雷神紋、ダルマ、アゲハチョウ、マネキネコ、フクスケ、福禄寿、ホタル。モーターバイクを無数のモチーフネオンが彩る。それを駆るライダースーツは光の骨格めいたインプラントを内包し、漏れ見える肌にもネオンタトゥーが企業ロゴを描く。

 

ハイウェイを駆ける姿は生きるネオン流体そのもの。「ワォ! マジか!」「ウォ! マジだ!」併走する若者達は蛍光色に輝く姿に目を輝かせる。キィィィンッ! 歓声をも置き去りにしてネオン光の魚群は高速道路を泳ぎゆく。

 

後の世ならば「ネオンズ」の名で呼ばれるだろう電飾暴走集団……『ネオンサイタマ』は今、ネオサイタマの若者間で最も涼しく熱いイルミネーション・バイカークランだ。

 

────

 

フィィィィン……電気モーターが浮遊音めいた口笛を鳴らし、耳元を吹き抜ける風切り音が伴奏を響かせる。夜景、街灯、ネオン、イルミネーション。無数の電灯が光の線となって流れ去っていく。きっと走り去る自分たちも同じように見えているのだろう。

 

虹めいた流星群がいつか見た古いSF映画のワープシーンと重なる。まるでくだらない現実を離れ、ネオンの純粋な輝きに満ちた別次元にいるようだ。今、自分はネオンの流体となって都市の脈動を感じている。ああ、この瞬間が永遠ならいいのに……

 

……当然だが永遠などない。夢物語はあっさり覚めてファッキンな現実がやってくる。「朝……かぁ……」”リン・マーガレット”がベッドから這いずりだした。寝不足で頭も重いし、これから登校で気分も重い。それでも学校に行かないわけにはいかない。

 

母親が用意したアンコトーストを脱脂豆乳で流し込む。アンコも嫌いだし豆乳も嫌いだ。日本人は何故そんなに豆が好きなのか。それよりバターと牛乳にすべきだ。そっちの方が断然旨い。文句を朝食と一緒に無理矢理ねじ込む。

 

顔を洗いつつアイロンで爆発四散した赤髪を整える。青みのかかった目は充血で蜘蛛の巣が張り、色素の無い肌はニキビにまみれている。鏡に映るのは日本人離れしたバタ臭い、でもコーカソイドと言うには薄っぺらい顔。ハーフ・ガイジン。日本人でもガイジンでもない、中途半端などっちつかずの顔だ。

 

鏡に映る中途半端な顔を睨みつけ、その向こうの母に恨みを込める。ナンデこの国に来た? ナンデこの国で産んだ? 鏡は答えず、にらみ返すだけ。いつもの二分間憎悪を終えたリンは登校という名の苦行に移る。

 

「オハヨ、マーガリンちゃん!」「今日もバタ臭いわねぇ」「……」コミュニケーション気取りの揶揄に殺意を込めた視線で返し、タトゥーイスト資格テキストに視線を沈める。

 

赤い髪、白い肌、青い目。電子戦争前ならいざ知らず、今のネオサイタマなら地味とすら言えるだろう外観だ。だが人間は違いを探したがるもの。そして違いを排したがるものだ。周囲は異なる出自を持つ彼女(ハーフガイジン)を積極的にあげつらう。

 

……電子戦争と磁気嵐で取り残された在日外国人の多くは、帰国をあきらめ鎖国日本に根を下ろした。そうして異境で生まれた二世達の多くは根無し草の浮き草ばかり。故郷を知らず日本に馴染めず、ハーフガイジンの拠り所はどこにもない。あるのは差別と排斥ばかりだ。

 

いにしえの詩人は言った。『人は蝶、蝶は人、夜の夢が本物』だから彼女は今日もノートにネオンの刺青を描き、ネオンの暴走を夢に見る。電飾の夢だけがリン・マーガレットの居場所なのだ。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

リン・マーガレットはネオサイタマの今をときめく『ネオンサイタマ』のメンバーだ。彼女がそれを誰かに告げることはない。だがそれは常に心の真ん中に鎮座している。繰り返される差別と侮蔑の中で、彼女にまっすぐ歩き続けるガッツを与えてくれているのだ。

 

しかし、それが常にすばらしい結果を与えてくれるとは限らない。例えば、昼なお薄暗い路地裏へ踏みいる無謀さを彼女に与えてしまうことだってある。

 

「ヤメテ……ヤメテ……!」「君は溶かしたマーガリンだ、エヒヒヒ。切って塗って炙ったトーストを前後するんだよ、オハハハ」そして女と肉に飢えたヨタモノにその両方を一緒に得る機会を与えてしまうことだってある。

 

FRIZZLE……! 改造バーナーに炙られて、赤毛のくせっ毛が音を立てて丸まる。

STROKE……! 改造チェンソーが冷え切った刃でメラニンの少ない肌を撫でさする。

「アイェェェ……!」「イヘヘヘ」ハーフサイズにカットされたロースト・ガイジンができあがるまであと少しだ。

 

気高く名高き『ネオンサイタマ』の一員としては余りに相応しくない死に方だろう。しかし排斥されたハーフガイジンの一人としては余りにありふれた死に様だ。そしてデス・オムカエはどちらとして終わらせるか迷った挙げ句……結局連れていかないことにしたらしい。

 

「アバーッ!?」「えっ」BANG! ハーフサイズにカットされたロースト・ヨタモノが宙を舞った。何をしたのか彼女にはまるで判らない。紅蓮の風が吹いた次の瞬間には、真っ二つのヨタモノが燃え上がりながら吹き飛んでいたのだ。

 

「ドーモ、はじめまして。ここはアブナイよ」「あ……ド、ドーモ」そしてヨタモノの代わりに彼女の肩を抱いているのは、一目で判るほどにカチグミな男だった。こんがりと太陽灯でローストされた肌に、バリバリにカットされた両腕の筋肉。金と健康の臭いが漂ってくるようだ。

 

「心配しないで。安全な場所まで案内して上げよう」「……助けてくれてありがとうございます。サヨナラ」そしてリンはその臭いが大嫌いだ。ハーフガイジンに生涯手に入らないものを、当然と享受する上級国民を好きになるはずもない。肩に回す手をどけるとそのまま足早に立ち去る。去ろうとする。

 

「女ぁ!」「肉ぅ!」向こう側から新たなヨタモノが出て来てそれは不可能になった。後方のカチグミ、前方のヨタモノ。前者の方が幾らかマシだ。顔を歪めて振り返る。「アブナイっていったろう? こういうことさ」「……」今度は腰に回される手。幾らかマシだと思いたい。

 

「こういう淀んだ場所は君に似合わない、よっと!」「…………っ!?」抱き上げられると同時に風景が霞んだ。「ほら、風が吹き抜ける所なら、なおのこと君はステキだ」「!!?」ネオサイタマの曇天がリンの視界一杯に広がっている。

 

「女ぁ!?」「肉ぅ!?」遙か下で獲物を見失ったヨタモノが首を傾げている。リンもやっとわかった。ここはビルの上だ。だが、人一人を抱えて一瞬で? 軍用サイバネでもしているのか。だとしても生身にしか見えない外観でその出力を出せるのか。

 

「ここの三階からつながる空中回廊に、人気のクレープ屋台があるんだ。奢るよ?」確かなのはこのカチグミ男が本気なら逃げようはないということだ。それに救われたのも確かである。観念したリンは長い息を吐いた。「……アタシはマーガレット」「薫り高い名前だね。僕は”セイジ”。どうぞよろしく」

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

ドルルル! ドルルル! 低いエンジン音が小さなガレージに響く。うなり声を上げる巨体のビーグルに空間の大半を占められて、狭いガレージがなおのこと狭く感じる。その下で整備に精を出す人影は、まるで機械の巨獣の下でもがく獲物のよう。

 

「よう、久しぶり」だがその人影は食われる側ではなく食う側の存在だ。セイジはそれをよく知っている。自分も()()だからよくわかる。「おう、久方ぶり」巨獣のハラワタから機械油で真っ黒な顔が飛び出した。ナチュラル太陽灯で焼けたセイジより油黒い顔の”カナコ・シンヤ”が白い歯を見せて笑う。

 

「元気そうじゃないか。童話よろしくカラテ王子は泣いて暮らしてると思ってたぜ」「お前こそ僕がいなくて寂しかったんじゃないのか、カワラマン?」あだ名で呼び合い茶化しあう。いつものルーティン、いつものやりとり。ずいぶんとしばらくぶりだ。

 

……セイジとシンヤ、二人はニンジャだ。そして彼らはネオサイタマを闇から支配する巨大ヤクザ組織『ソウカイヤ』と敵対している。二人は強大なるソウカイ・ニンジャたちを恐れはしない。恐れるのは後背地への攻撃、すなわち守るべき者達への直接干渉だ。

 

故に安全地帯となり得るニチョームとのご縁作りのため、先日は推理ごっこを通してソウカイヤの陰謀を暴き立てた。だがやはりソウカイヤは侮れぬ。名前どころか顔すら見れぬソウカイヤの影は推理劇のさなかに潜み、セイジの顔を見てニンジャネームを聞いてみせた。

 

「まさか。けど”ヨシノ”はな」「……あの娘には手紙でも送るよ」だからセイジは跡を辿られぬようシンヤとのコンタクトを最小に抑えた。シンヤの家族が住まうトモダチ園を守るためであり、そこに移り住んだ妹分のヨシノの安全のためだ。だがそれは同時にヨシノを寂しがらせることになった。

 

守りたい人を守るために、その心を傷つける皮肉。苦い笑みがセイジの整った顔に浮かぶ。察したシンヤは話題を変えた。「それで……急に顔見せるなんてどうした? やっぱり恋しくなったか?」「別件さ。僕にそっちの気はないんでね。恋するならカワイイ娘にかぎるさ」

 

「そんなことばっか言ってるとまた庭でドゲザだぞ」「……まぁなんとかするよ」脂汗がセイジの整った顔に浮かぶ。察したシンヤは表情を変えた。「まーた女の子ひっかけたのかよ。今度はなんだ、カラテ王子? お嬢様か? 高級オイランか?」

 

「ハーフガイジンの娘でね。カネモチ相手だからって簡単に靡かないあたりがくすぐるんだ」「お前そのうち刺されるぞ?」シンヤの呆れ顔に肩を竦めて答えるセイジ。「ニンジャだからダイジョブさ。そういうカワラマンは変わらず独り身かい?」「いーや、今はこっちのセクシーな娘を手懐けてる処さ」

 

そういってシンヤが叩いたのはどっしりと太いオフロードタイヤだ。ざらついたAHMAR+++塗装の骨太シャーシが性的で、ほの見える雷神紋のエンジンが眩しい。オムラ自動車(モーター)が誇る軍用重二輪(ヘビィモーター)の傑作『馬動力(モーターウマ)』。「ワォ……性的に過ぎる……!!」男の子であるセイジの鼻息が荒いのも当然だろう。

 

……後に予定されるソウカイヤ相手のオオイクサ。『原作』通りならトコロザワ・ピラーへの高速強襲作戦が待ち受けている。それに求められる機動力を得るため、シンヤはコーバ・フェデラルのコネを用いて、モーター整備職人の手伝いをしつつモーター技術を学んでいるのだ。

 

「ブッダム! カワラマンのくせに随分な美人を捕まえやがって!」「ハハハ! 悔しかったらこの娘の改造(おめかし)でも考えてみやがれ!」オートバイという言葉では物足りない巨体をとっくりと眺めるセイジ。新鋭映画女優と高級モーテルにしけ込んだ夜よりも目が輝いている。

 

「そうだね、僕なら……エンジンは浪漫的(ロマンティック)にカリッカリのチューン。そして折り畳み翼とロケットを仕込んで、アルティメット・ヘンケイからの弾道飛行をさせるね!」「飛ぶのか?」「飛ぶのさ!」目を丸くした親友へ悪ガキの笑みを向ける。シンヤの喉から同じ色の笑みが漏れ出す。

 

「ハハハ、俺には出ない発想だな! 女のケツとアニメの追っかけには一日の長ありか!」「ケツは余計だよ。それで、この鉄色ハチミツダンゴちゃんにはどんな素敵機構を仕込んだんだい? なぁ聞かせろよ!?」「カラテ王子のご想像どおり特定回転特化(カリカリ)のフルチューンは当然よ!」

 

「ホウホウホウ!」「それに加えてニトロ、それもダブル・ニトロを搭載!」「ダブル!?」「ダブル!! さらに加えて空力制御のオート・ヘンケイ外装! エンジンも二気筒マックス・ヘンケイ! トドメに浪漫機構シークレット・ヘンケイを投入だァッ!!」

 

「オゥ! WASSHOI!!」「WASSHOI!!」「「WASSHOI!! WASSHOI!! WASSHOI!!」」体の大きなガキンチョ二人がオーボンの夜めいて踊り狂う。護摩の火代わりにオートバイを回る姿を家族が見たら、笑うだろうか呆れるだろうか。

 

たぶん呆れ顔の苦笑いに間違いあるまい。何せガレージ前で突っ立っているモーター整備士もその通りの顔をしているのだ。「「WASSHO………………ドーモ」」「ドーモ。入っていいか?」「「アッハイ、ドーゾ」」

 

【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#1終わり。#2に続く。



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第四話【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#2

【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#2

 

ドクロの月が天頂を越えた。

 

時刻は深夜プラスワン。一般的な社会人にとってはフートンにくるまれてないと明日が辛くなる時間帯だ。ハイウェイにはゴテゴテと飾り付けた異形の改造バイクが一台、二台、三台。どんどん増えていく。

 

クラッシック・ボーソ・クランはこのハイウェイを支配する暴力的バイカークランだ。いにしえのモーターギャングに準え、ポンパドールを膨らませた異様な髪型がずらりと並ぶ。ロード・総長が羽織る伝統的難読漢字コートはその画数だけで敵対者を震え上がらせるだろう。

 

「あ、あれとやるのかよ……」「ナンデ、ナンデこんなことに!?」事実、ネオンサイタマのメンバーは恐怖に包まれていた。彼らは暴走行為を好むが暴力行為には否定的だ。善良なネオサイタマ市民からすればどちらも等しく迷惑だが、彼らは暴力的モーターギャングと一線を画しているつもりであった。

 

ならば何故ここで、ネオンサイタマは地獄天使めいた暴走族と対峙しているのか。それにメンバーの手元には角材、鉄パイプ、自転車チェーン、釘バットと言ったDIY凶器が握られている。『暴力的でない』がネオンサイタマのモットーだったはず。暴力方面に方針転換でもしたのか? 

 

それは正しい。より正確には暴力方面に方針転換『させられた』のだが。最前列で腕組みをする影がその理由だ。夜光塗料で無数のネオンモチーフが刻まれたライダースーツ。鉄のマスクにネオンサイタマのロゴが光る。頭髪すら夜光塗料で染め上げられ、もはや人型のネオンサインめいてすらいる。

 

恐怖、嫌悪、諦念、失望。その背中に向ける視線は様々だが概ね否定的な色だ。当然だろう。彼の意向でネオンサイタマはモーターギャング相手に抗争する羽目になったのだ。だが”ネオンサイタマリーダー”へ反対の声を上げる者はいない。向こうのモーターギャングより、彼の方が恐ろしいからだ。

 

……数週間前。ネオンサイタマのメンバー間に無数のIRCが走った。大事故により意識不明となっていたリーダーの意識が回復したのだ。大恩人の復活にネオンサイタマの誰もが歓喜の声を上げた。居場所のないハーフガイジン達にネオンの夢を見せたのは彼だった。

 

だからメンバーは次々に病室を訪れリーダーの回復を祝った。だがその目を見たとき、誰もが一瞬言葉に詰まった。まるで瞳孔の奥で稲妻が走るような異様な目に、遺伝子の半分に刻まれた本能的恐怖を抱いたのだ。

 

その恐怖は間違いではなかった。異常な速度で回復を見せたリーダーはこれまた異常なカラテを見せ、ネオンサイタマに恐怖政治を強いた。暴力を知らないネオンサイタマメンバーが逆らえるはずもなかった。

 

そして今、メンバーはモーターギャング相手に無意味で無謀な抗争をしかけている。誰も彼も絶望的心境で、しかしながら唯々諾々と従うしかできない。その原因であるリーダーは腕組みを解き、インカムに向けて告げた。

 

「新しい世界を見せてやる。今のまま終わりたくない奴だけついてこい」ネオンサイタマ結成時の伝説的演説を唱い、リーダーはアクセルを捻った。夜光塗料で染め上げられた頭髪がイオン風に揺らめき、背負ったネオンサイタマのロゴが残光の尾を引く。疾駆する姿はまさしく人型のネオンサインか。

 

そしてネオンの人型が駆るのもまたネオンの徒花だ。オナタカミ・エレキ製の競技用電動二輪(レーサーモーター)に電飾を纏った逸品。最速のみを求めた恐竜的進化の産物は、場違いなイクサ場をネオンの色彩と共に駆ける。

 

「ヤッゾコラーッ!」「「「スッゾコラーッ!」」」単騎で飛びかかる無謀なリーダーに、モーターギャング達はいきり立つ。一対十以上。数の差は圧倒的ですらない。多勢に無勢のラットイナバッグ。ネズミ袋は囲んでボーで殴られ死ぬ。実際死ぬ。その筈だ。

 

だがしかし! 「イヤーッ!」「グワーッ!」電動チェーンソーで切りつけたリーゼント構成員が真横に吹き飛ぶ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」電動ドリルで突き込んだブリーチ構成員が真上に吹き飛ぶ! 「イヤーッ!」「グワーッ!」電動グラインダーで殴りつけたスキンヘッド構成員が斜めに吹き飛ぶ! 

 

ネオンの残像が棚引く度にモーターギャングがスマートボールめいて弾け飛ぶ異常。「アィィィ……」「……ゥゥゥ」尋常ならざる光景を前にしてネオンサイタマメンバーの歯は鳴り、骨が震える。

 

このジゴク絵図は初見ではない。つい先日、知っている首がピンボールの球になった。メンバーの脳裏に浮かぶのは、リーダーに反旗を翻した気骨ある数人の顔。そして……彼らの余りに残虐なデスマスクであった! 

 

「「「アイヤァァァァッ!!」」」悲鳴と雄叫びの合いの子が迸しる。絶叫に任せてメンバーは次々にアクセルを捻った。ネオンサインをストロボ明滅させDIY凶器を振り回す。「ゥゥゥワァァァア!」「ス、スッゾコラーッ!」ネオンを纏った狂気がモーターギャングへと躍り掛かった! 

 

BANG!! 「アィヤーッ!」「グワーッ!」

BIFF!! 「シャッコラーッ!」「グワーッ!」

BUMP!! 「ェイヤーッ!」「グワーッ!」

BEEOW! 「シネッコラーッ!」「グワーッ!」

BONK!! 「イヤーッ!」「グワーッ!」

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」チンピラと一般市民に力の差はない。双方の捕食関係を決めるのは暴力への抵抗力と抵抗感だ。「グワーッ!? グワーッ! グワーッ!! アバーッ!?」暴力に逆らえなければ一方的に殴られる。暴力を振るえなければこれまた一方的に殴られる。

 

そして狂人に抵抗があるはずもない。狂人に抵抗できるはずもない。「ヤメロー! 「イヤーッ!」グワーッ!」「オタスケ! 「イヤーッ!」グワーッ!」「ニゲロー! 「イヤーッ!」グワーッ!」ネオン色の狂気が振るう捨て身の暴力を前に、モーターギャング達は抵抗すらできず踏みつぶされていく。

 

「ドスンスカ!?」「総長!」「ロード!」恐慌状態のモーターギャング達は本能的に総長へとすがりついた。「ザッケンナ!」「グワーッ!」「ザッケンナ!」「グワーッ!」「ザッケンナコラーッ!」「グワーッ!」そして総長は本能的にモータギャング達を殴りつけた。暴力と恐怖が統制を生むのだ。

 

だが統制を取り直した処で負け戦に違いはない。「ザッケナテメシネヤコラーーーッッ!!」ならばと起死回生を狙い、総長はチョッパーめいた異形バイクで突貫する。「イヤーッ!」「「「グワーッ!」」」標的はモーターギャングの攪拌に忙しいリーダーだ。

 

リーダーが駆る電動二輪は競技用であり強度限界まで軽量化を施されている。改造バイクが衝突すれば一溜まりもあるまい。そして二輪がなければ囲むのもボーで殴るのも容易い。リーダーをフクロにすれば暴力と恐怖を失ったネオンサイタマは簡単に崩れるだろう。

 

「……!」近づく影に気がついたのか、小回りにものを言わせてリーダーは瞬時に迎撃態勢を整える。だが遅い。WHIZZ! 「ヤッコラーッ!」風を切りながら総長は勝利を確信した。すでに速度は十分。触れただけで電動二輪は壊れる。触れた。

 

瞬間、総長に電流走る。ZZZTTT! 「アババーッ!?」比喩ではない。文字通り大電流が彼を焼いたのだ。電動二輪のバッテリーから流したのか? だがどうやって? ケーブルを延ばすそぶりすらなかった筈だ。

 

総長は痛みの出所を反射的に辿る。そこには雷めいた意匠の鉄片が突き立っていた。それはまるでフィクションの住人が使う超常の武器のように見える。それはまるで……スリケンのように見えた。

 

「アィェーッ!? アィェーッ! アィェェェ!!」理解外の暴力と恐怖に総長の精神はついに統制を失った。「「「アィェェェーーーッ!!」」」総長の悲鳴がトドメになり、追いつめられていたモーターギャングたちの精神がへし折れる。

 

「アィェーッ!? 「イヤーッ!」アバーッ!」「アィェーッ! 「イヤーッ!」アバーッ!」「アィェェェ!! 「イヤーッ!」アバーッ!」泣き叫びながら逃げまどうモーターギャングと、狂い叫びながら追い回すネオンサイタマ。

 

「アィェーッ! アィェェェ!」自身の軍団が崩れていく光景に背後に、泣き叫ぶ総長はアクセルを捻る。そこにはロードとしての誇りも捕食者としての意地も何も無かった。有るのは恐怖だけだ。

 

そう、恐怖はある。彼の背後にある。ピッタリと背中に張り付いて離れない。「アィェーッ!?」ヒィィィン! ネオン光をした恐怖が追ってくる。

 

逃れようと限界までアクセルをふかし、焼き切れんばかりにエンジンを回す。焼き切れかけているのは総長も同じだ。「アーッ! アーッ! アーッ!」涙と洟と涎を棚引かせ、エンジン音よりも高らかに悲鳴を上げる。

 

グィン! グィン! 「アイェーッ!」総長は地面に触れんばかりに全身を振る。クランお得意のジグザグ蛇行運転だ! 極めて危険である! 「ウワーッ!」BOOM! 「グワーッ!」避けようとしたハイウェイ走行車が巻き込み事故! 「アイェーッ!?」だが総長の背後には変わらずネオンの影が! 

 

ギャリリ! ギャリリ! 「アイェーッ!」総長は併走車両の隙間に前輪をねじ込む。クランお得意の力ずく割り込み運転だ! 極めて危険である! 「ウワーッ!」BOOM! 「グワーッ!」避けようとしたトラック輸送車が巻き込み事故! 「アイェーッ!?」だが総長の背後には変わらずネオンの幽霊が! 

 

パラリラ! パラリラ! 「アイェーッ!」総長は前方車両へと騒音公害クラクションを鳴らす。クランお得意の挑戦的あおり運転だ! 極めて危険である! 「ウワーッ!」BOOM! 「グワーッ!」避けようとしたスポーツ遊技車が巻き込み事故! 「アイェーッ!?」だが総長の背後には変わらずネオンの死神が! 

 

「アイェェェェーーーッッッ!!」ネオンの執拗なる追跡に総長の精神は限界を超えた。ネオンのない方向へとチョッパー改造バイクは限界を超えて加速する! だが過剰広告が偏在するネオサイタマには、ネオンサインのない土地などない! 

 

ふわり。「アッ……」だから総長は空中へと飛び出した。引き延ばされた時間の中、地面へ向けて虚空をひた走る。意識が虚無に帰るまで数瞬、総長の脳裏にあったのはネオンから逃れた安堵だった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

ギュィィィン……! 過電流モーターが悲鳴めいた金切り声を上げ、耳元を通り抜ける銃声と不協和音を響かせる。流血、暴走族、企業広告塔、失望の目。無数の光景がマグロツェペリンに映るスライドショーめいて流れていく。きっと外から見た自分たちも同じような死んだマグロの目をしているのだろう。

 

血に塗れた街路が夜中のTVで見たB級モンスター映画のワンシーンと重なる。まるで現実から逃げだそうと、暴走するカイジュウの背にしがみついているかのようだ。今の自分はいずれ踏み潰されて死ぬ虫けらだ。ああ、これが悪い夢ならいいのに……

 

望み通りにそれは悪い夢だった。そして悪い夢は覚めても、最悪の現実は消えてくれない。「ウゥ……」リンはベッドの上で膝を抱いて震えが収まるのを待つ。必死に待つ。だがはちきれんばかりに味わった恐怖は一夜明けてもそう簡単に収まってはくれない。

 

リンには理解できない。強大なマンモス・レンゴウ・クランの戦闘部隊と殺し合う理由が理解できない。知恵を絞ったネオンモチーフを捨て、企業広告ネオンを強制される理由が理解できない。反抗的メンバーにイジメリンチで転向を強要した末、恐るべき暴力で物言わぬ死体にされる光景が理解できない。

 

そして、その全てを指示するリーダーがまるで理解できなかった。かつて憧れ、淡い思いを抱いたリーダー(ひと)が一片たりとも判らない。だが離れることもできなかった。家にも学校にもメガロシティのどこにも居場所がないリンにとって、ネオンサイタマだけが唯一の居場所だからだ。

 

それはメンバーであるハーフガイジン達の多くにとっても同じだった。だから誰もがネオンサイタマという名の暴走カイジュウにしがみつく。まるで破滅の崖にフルスロットルで迫るチキンゲームめいている。だがこのゲームにはサレンダーはない。最期の瞬間までシートに鎖で繋がれたままだ。

 

逃げようのない現実から逃げ出そうとリンはバイクに跨がる。登校の時間だが学校など最早どうでもよかった。そんなどうでもよいものを考えられる余裕など無かった。かつての憧れと尊敬が唯一の居場所をねじ曲げていくジゴク絵図。目を背けようとひたすらにアクセルを引き絞る。

 

WHIRRR!! 「ウゥゥゥ……!」徹夜明けのメガロシティは夜と違って随分と静かだ。そんな時間帯にフルスロットルで駆ければ否応なしに目を引いてしまう。それも紅毛碧眼のハーフガイジンとくれば尚更だ。

 

「ハイ! ガイジンちゃん、どこいくの!? お家? いっしょしていい? いいよね!」甘味に集るハエめいて、すぐさま余計な連中が寄って来る。併走するのは外観のみに拘ったナンパ専用スタイリッシュバイク。サイバーヘルメットには『実際安全』『楽しい時間』の欺瞞的文字列が朝の風景とともに流れる。

 

「……ッッッ!」だがリンに答える気はない。そもそも応える余裕などない。騒音源から距離を取ろうと、顔を伏せたままバイクを加速させる。その姿がナンパバイカーに火をつけた。

 

「ザッケンナコラーッ! 上下スッゾコラーッ!」人間、他人より大きい車に乗ると気が大きくなるものだ。肥大化した自尊心を見せつけるべく護身用チャカ・ガンを抜き放ち……「ハイ、そこまで」「「え?」」あっさり奪い取られた。

 

拳銃を取り上げた腕は、バイクとは言い難い鉄の塊から延びている。「ハートを撃ち抜くのに鉛弾使っちゃダメでしょ」「アッハイ」人間、自分より大きい車に寄られると気が引けるものだ。併走するナンパバイカーは大人しく首を上下させる。

 

「オ、オタッシャデー!」「ハイ、オタッシャデ」先までの勢いは何処へやら。急ハンドルで逃げ去る影に手を振り、拳銃を投げ捨てる。「ドーモ、ゴブサタしてます」「あ……」ようやくリンは顔を上げた。鉄塊を駆る顔に見覚えがあった。小麦色したカチグミの顔。

 

前にもこんな風に助けられた。「ナンデ……?」「気になってる子が襲われかけてたら助けるでしょ?」巨大バイクに跨がるセイジは子供のように笑っていた。その顔を見てリンは子供のように泣き出した。「アブナイよ。とりあえず止まってからね」セイジの声に従いゆっくりとアクセルをゆるめながら。

 

――――

 

……リンは正直、このままセイジに退廃モーテルへと誘われるものと思っていた。それでもかまわないとも思っていた。緊張と恐怖の毎日に心の底から疲れ切り、自暴自棄で投げ遣りになっていた。だがセイジは紳士だった。それ以前に子供(ガキ)だった。

 

「……れでさ、このバイクを『切火(セッカ)』て名付けたんだ! アイツの『撃鉄(ウチガネ)』ってネーミングも悪くないんだけどさ、敢えてソリッドにキメたいじゃない? ゴツいにゴツいをかけてもモッサリ野暮天になるけどさ、そこでエッジを利かせればそのギャップが涼しくなるんだ!」「ソーダネ」

 

正直、幼い弟の新しいオモチャ自慢を聴かされてる姉の心地だ。弟を持った覚えはないが多分こんな気分だろう。「でしょ! ノダチ・カタナっていえばわかりやすいかな? 巨大に鋭さをプラスすることで存在の質量感が切れ味を増して……」「ソーナノ」バカバカしくて、ウンザリで、どこか微笑ましい。

 

「そこ右に曲がって」「アイアイ……それでリアル系メックめいたエッジ感と質量感のバランスをコンセプトにヘンケイモーションをリデザインさせたんだ。やっぱりアイツいい仕事してるよ。センスはないけどね!」ささくれだった重苦しい気持ちが穏やかに軽くなっていく。不思議な心地だ。

 

「今回の『切火(セッカ)』に問題点があるとすれば機能を詰め込みすぎて小型化に「ウンウン、ついたよ」……ここが目的地かい?」「うん」視線の先には高架地下鉄に蓋されたコンクリートの枯れ谷が広がる。ここは若者の聖地シブタニ・ストリート、その一角。

 

そこにはまだ朝早いにも関わらず「ネ」「オ」「ン」、そして「や」「す」「い」の暖簾が無数にはためいている。シブタニといえば百八ビルが有名だが、共に語られる名物がネオンタトゥー屋台長屋だ。109を優に越える色とりどりのネオンテキヤは、日本中の女子高生から憧憬を集めて止まない。

 

「そこ?」「ここ」セイジの手を引きリンは屋台へと足を踏み入れる。勝手知るといわんばかりにその足取りに迷いはない。リンの顔を見た店主もまた迷い無くタトゥーデザインのカタログを差し出した。

 

「どれ?」「これ」だがリンは手渡されたカタログから選ばなかった。代わりにリンが差し出されたのは手書きのタトゥーデザイン。ハイウェイを駆けるネオンの影が戯画めいた線で描かれている。

 

「これを?」「これを」店主の顔に困惑と不快感が浮かんだ。シブタニのネオンタトゥー屋台は、タトゥーイストの人生すごろくで言えば『あがり』だ。それだけに屋台長屋のタトゥーイストは皆自分のデザインに自負と自信を抱いている。客持ち込みのデザインは好まれない。

 

「オネガイシマス」「……」当然リンはそれを理解している。だが敢えて自分のデザインで頼み込んだ。店主の視線は深く下げたリンの頭から隣のセイジへと移る。「オネガイシマス」「…………」そしてセイジがオジギと共に差し出したブラックなカードへと移った。それは彼の自負心より高価だった。

 

WHIRRR……! 滑らかなモーター音と共に生分解性ネオンインクが白い肌に刻まれていく。「私、ネオンタトゥーイストになりたいんだ」モーター音にかき消されそうな小さな声でリンは呟いた。

 

――――

 

……リン・マーガレットはハーフガイジンだ。

 

ガイジンとは外国人(フォーリナー)の略称であり、海『外』の『人』を指す。つまりリンは日本人ではなく、ネオサイタマの人間でもない。だが彼女は鎖国日本のネオサイタマで産まれた混血児だ。だから帰るべき国も故郷もない。だからこの国に居場所がない。だからこの街(ネオサイタマ)が大嫌いだ。

 

だけどネオサイタマの夜を彩るネオンは美しかった。その美しさを肌に刻んだとき、少しだけこの街を好きになれた気がした。その美しさを纏って夜を走るとき、一瞬だけこの街の一部に成れた気がした。

 

だからネオンを描く人間に、ネオンタトゥーイストになりたかった。そうなればきっと、この街が自分の居場所になると思えた。家族にも、学校にも、誰にも彼にも笑われた夢。

 

その夢を笑わずに聴いてくれたのはリーダーが初めてだった。そしてリーダーも初めて夢を話してくれた。『コウモリの国』という自身の夢を。

 

「コウモリ?」「うん、イソップのコウモリ」寓話のコウモリは、鳥の前では鳥の真似をして、獣の前では獣の振りをして、最後には誰からも信用されずに洞窟へと逃げ込んだ。「もし初めから最後までどっちかに属していたら、コウモリは獣か鳥の仲間に成れたと思う?」

 

「……多分、無理だね。最後は群から蹴り出される」鳥からすれば卵を産まずクチバシも無い獣の仲間で、獣からすれば翼で空を飛ぶ鳥の仲間だ。甲斐甲斐しく尽くしても結局は異物(フォーリナー)でしかない。冷めた白い目が追い出す機会を待っている。

 

「だからコウモリの国が要るんだってリーダーは話してた」彫りかけのネオンタトゥーにそっと触れる。戯画化した夜を駆けるネオンサイタマの図案。先頭を走る背中はリーダーのそれだ。「コウモリの国があれば、獣でも鳥でもない『コウモリ』として胸を張れる、生きていけるって」

 

「その第一歩がネオンサイタマなんだね」「……うん、そうだった」過去形だ。ネオンの篝火めいてネオンサイタマを導いていたリーダーはいない。今、ネオンサイタマを駆り立てているのはリーダーの姿をした恐ろしいオバケだ。オバケに追われるまま、戻れない場所まで連れて行かれてしまう。

 

「わたし、怖いの」俯いたまま絞り出した微かな声。声と同じく震えた肩をセイジがやさしく抱きしめた。「僕が止める。リーダーを止めるよ」文字だけ見れば何の保証もない口先だけのナンパ台詞だ。だがその奥には確かな熱があった。その熱を信じ、リンは肩に頭を預けた。

 

「…………」ネオンをタトゥーを刻む店長は胡乱げに二人だけの世界を見ていた。

 

【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#2終わり。#3に続く。



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第四話【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#3

【モス・ベイル・トゥ・ネオン】#3

 

WHIIIZ!! 風防の風切り音とモーターの回転音が無数に重なる。悲鳴めいた音響に包まれながら夕闇のハイウェイを残光が駆け抜ける。それはネオンに光るゴーストライダーの軍団だ。

 

『ネオンサイタマ』……かつては敬意と憧憬をもってそう呼ばれていた。今は狂気と恐怖をもってそう名乗っている。そして彼らを率いるリーダーはまさしく狂気と恐怖の具現であった。いや、リーダーの狂気と恐怖がネオンの輝きめいてネオンサイタマを染め上げたのだ。

 

狂った目の狂った男に連れられて狂った集団が狂ったようにバイクを走らせる。その行く先も狂気に彩られていることだろう。

 

事実、その目的は敵対企業墳墓への強襲なのだ。リターン皆無、リスク極大のカチコミ行為。得られるモノは怒髪天を突く愛社戦士の憎悪だけである。狂気以外の何物でもない。

 

だがリーダーはそれを命じた。逆らう者はいない。皆死んだ。故にスポンサー企業の意向に従い、ネオンサイタマは敵対企業墳墓への強襲へと湾岸道路をひた走る。『10Q社葬場前JC』看板がドブ色の水平線上を流れ去った。次のジャンクションを越えれば目的地までは後少し。

 

突然、暴走が止まった。

 

長城めいた不可視の圧力がブレーキを引かせたのだ。圧力の出所は巨獣めいた軍用モーターサイクル。その乗り手からだった。呼応したように同質の圧力がリーダーからあふれ出す。

 

みしり。超常の存在感で空間が歪む幻聴が響く。人外の圧をぶつけ合い、二人のライダーが対峙する。余波を浴びたネオサイタマメンバー複数人がしめやかに失禁した。

 

雄弁なる無音の中、先に動いたのは軍用重二輪のライダーだ。軍用らしく無骨で分厚いヘルメットを脱ぐ。その下には無字のメンポが、そしてニンジャ頭巾があった。つまり彼は……! 

 

「ドーモ、ネオンサイタマの皆さん。はじめまして。”インディペンデント”です」

 

そう、ニンジャである! インディペンデントのオジギに対し、リーダーは無言で両の拳を打ち合わせ返礼する。アイサツをされれば返さねばならぬ。古事記にも書かれている。ただし、それはニンジャならばの話だ。つまり彼も……! 

 

「ドーモ、インディペンデント=サン。ネオンサイタマの”ノクターナル”です。10Q社の企業ニンジャが首を届けにきたか」

 

そう、ニンジャである! ネオンサイタマリーダーは大事故を経てニンジャとなっていたのだ! 「「「アィェェェ……!」」」目を逸らし続けていた真実を目の当たりにして、ネオンサイタマメンバー複数人がNRS(ニンジャリアリティショック)を発症する。

 

「僕は企業ニンジャじゃない。タノシイ夢物語はそろそろエンディングだ。スポンサーの食い物にされるぞ?」インディペンデントからリーダーへとA4の冊子が投げ渡される。表紙にはこうあった。『ネオンサイタマリフレッシュ企画(仮)』吹き付ける海風にページが流れる。

 

『完全な企業広告集団……より従順なリーダーへ交換し……生殺人事与奪の確保……』リーダーはニンジャ動体視力でその内容を読みとった。反社会広告活動を指示していたスポンサー企業は約束を守るつもりなどなかった。『コウモリの国』に必要なカネと土地は夢と消えたのだ。

 

だが、細字のネオンメンポから覗くリーダーの表情に変化はない。「ご存じだった?」「予想はできた」「なら夢物語をやめたら?」「やめない」「一人で『コウモリの国』は作れるの?」「作る」そりゃあご立派と肩を竦めるインディペンデント。

 

「一人で国は作れても、一人じゃ国にはならないだろ? 国民予定のメンバーから、貴重なご意見のお伺いを勧めるね」インディペンデントが指差す方へとゆっくりと振り向く。メンバーの中から進み出てくるのはリン・マーガレットだった。

 

「リーダー、アリガト。でも、もういいんだよ」リーダーに沢山新しい世界を見せてもらった。夢を見せてもらった。ネオンをまとい、ネオンになって、ネオンを走った。排斥と差別ばかりの人生でネオンサインめいて鮮やかに輝いた時間。「今があるのはリーダーのおかげ。本当にありがとう。これで終わりにしよう。新しいものを見に行こうよ」

 

「……終わりには、できない」メンポから漏れるその声は震えていた。仄見える目も揺れていた。脳裏に浮かぶのはカラテ殺したネオンサイタマメンバーのデスマスク。自分に逆らった。それだけなら許せた。夢に逆らった。殺すしかなかった。なのに夢を止めていいはずがない。

 

「俺は逝く。最期まで行く。今のまま、終わりたい奴だけ付いてこい」かつて口にした台詞と似て非なる言葉。メンポ越しの目を見てリンはようやく理解した。もうリーダーは止まれないのだと。「リーダー……サヨナラ……!」涙のように微笑みが零れた。微笑みのような涙が溢れた。

 

「リン、みんな、サヨナラ……サヨナラ! イヤーッ!」リンとメンバーを後に残し、ツカハラめいた跳躍で電動二輪に飛び乗る。そこにもうネオンサイタマのリーダーはいない。そこにいるのはネオンめいたニンジャ装束をまとう、ノクターナルであった! 

 

過電流の火花を散らし、ノクターナルが駆る競技用電動二輪(モーターレーサー)が飛び出す。「せめて約束は守らなきゃな……イヤーッ!」ニンジャを追えるのはニンジャのみ。そして止められるのもニンジャのみだ! インディペンデントが跨がる軍用重二輪(ヘビィモーター)が排煙を噴いてその背を追う! 

 

オナタカミ・エレキ製競技用電動二輪(レーサーモーター) “電動街道” 電飾改善(ネオンドカスタム)

夜光蝶(ヤコウチョウ)

 

オムラ自動車製軍用重二輪(ヘビィモーター) “馬動力(モーターウマ)” 徹底改善(フルチューンド)

切火(セッカ)

 

電光をまとい、白煙をたなびかせ、二頭の鉄騎がハイウェイを駆け抜ける! 

 

────

 

ZOOOM! 燐光めいた雷光を瞬かせながら夜光蝶(ヤコウチョウ)が駆ける。VROOOM! 紅蓮のタテガミをなびかせて切火(セッカ)が追う。

 

ノクターナルの狙いは10Q社屋。元より標的、奪うべきカネと証券の在処は調査済みである。企業中枢に強襲をかけて財貨を奪い、それを元手に夢をもう一度走らせる。

 

計画というにはあまりに杜撰な、マケグミの夢想めいた夢物語だ。それでよかった。夢以外の全ては置き去りにしてきた。あとは夢に向かって突っ走り、夢を見たまま一夜の夢となるだけだ。

 

だがインディペンデントはそれを許さぬ。デント・カラテで捕らえて、リン・マーガレットの前に連れて行く。それが約束だ。カッコつけた死に様などくれてやるものか。ブザマな生き恥を晒すがいい。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」小手調べに機体に直立したインディペンデントから紅の流星群めいたスリケンが次々に放たれる! カトンを帯びた超常の四錐星は容易くエレキバイクをできたてホヤホヤのスクラップに変えるだろう。

 

WHIZZ! 「イヤーッ!」WHIZZ! 「イヤーッ!」WHIZZ! 「イヤーッ!」WHIZZ! だがそれは直撃すればの話だ! 鋭角を繰り返しながらネオンの二輪はスリケンを避ける! 避ける! 避ける! 被弾なし! 

 

なんたるニンジャバランス感覚とニンジャ器用さの両立による反重力UFOめいたバイク操縦か! だが如何に卓越したバイクテクニックと言えども速度低下は免れない。接近されれば至近のカラテに長けるインディペンデントの圧倒的有利だ。

 

()()()ノクターナルは夜光蝶(ヤコウチョウ)を急接近させる! 急カーブにあわせてのアウト・イン・アウト強襲! 「イヤーッ!」「イ、ヌゥッ!?」CRACK! さらにインディペンデントが振るうデント・カラテより速く離脱! 大型獣を襲う一匹狼めいた自殺的ヒットアンドウェイだ! 

 

だがこのリスキーな一撃離脱こそが最適解。インディペンデントが駆る切火(セッカ)は素敵改造を施した重量級の軍用単車だ。夜光蝶(ヤコウチョウ)ほどの小回りは利かず、故に受け身にならざるを得ない。連続でヘイキンテキを崩され続ければ失速ないし落車もあり得るだろう。

 

このままならば『負けを待っての犬死』のコトワザどおりに徐々に不利(ジリープア)だ。故に今こそ浪漫機構を使うとき! 

 

「イヤーッ!」インディペンデントが『危い』ボタンを力強く押し込む! KABOOM! 亜酸化窒素が吹き込まれたピストンが爆発的上下運動を開始! 「イヤーッ!」インディペンデントが『更に危い』ボタンを力強く押し込む! KABOOM! 羽めいてヘンケイした外装がニトログリセリンを噴霧点火! 

 

KARA−TOOM! 爆音ともにダブルニトロ推進の鉄馬が電気二輪を置き去りに加速する! 夜光蝶(ヤコウチョウ)が如何に動き回ろうと、先をゆく切火(セッカ)からは丸見えである。直立するインディペンデントからは必要な偏差角も最低限。バイオネギを担いだグースめいて狙い放題だ! 

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」インディペンデントから火山爆発めいたスリケン速射が襲いかかる! ノクターナルは恐るべき操車で襲い来るスリケンを避ける! WHIZZ! 「イヤーッ!」避ける! WHIZZ! 「イヤーッ!」避け切れぬ! WHIZZ! 「イ「イヤーッ!」グワーッ!」被弾! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」紅蓮のスリケン群に打ち抜かれノクターナルが赤く染まった。意図的に急所を外されてはいるが徐々に不利(ジリープア)。このままでは捕縛は確実だ。

 

それで夢物語が終わる。終わり。一巻の終わり。

否、終わらせない。死ぬまで。死んでも! 

 

「イィィィヤァァァッッッ!!」噴き出す血にアークの稲妻が走った! 電孤の鎖がノクターナルと夜行蝶を繋げる。SCREEEEEECH! 瞬間、過聴音域の悲鳴を上げて夜行蝶が異常加速した! 過剰電圧に機械寿命をすり減らし、夜行蝶はカタログスペックを凌駕した速度をひねり出す! 

 

二輪の稲妻と化した夜光蝶(ヤコウチョウ)は瞬く間に切火(セッカ)に接近し……接触通電だ! 「イヤーッ!」ZZZTTT! 「グワーッ!」己も敵もネオンめいた蒼雷に焼かれながら、ヤバイ級ハンドルテクニックで感電衝突を繰り返す! 「イヤーッ!」ZZZTTT! 「グワーッ!」

 

「イヤーッ!」ZZZTTT! 「グワーッ!」「イヤーッ!」ZZZTTT! 「グワーッ!」「イヤーッ!」ZZZTTT! 「グワーッ!」「イヤーッ!」ZZZTTT! 「グワーッ!」このままでは徐々に不利(ジリープア)どころか感電ヤキニクは確定だ。

 

ならばさらなる速度をもってノクターナルを再びお祭り屋台のスリケン的にすべし! 「イヤーッ!」直立したインディペンデントがハンドルをニンジャ脚力で無理矢理押し込む。BAM! 装甲も、シートも、ダブルニトロ機構までもが爆発ボルトで吹き飛んだ。

 

後に残ったのは二輪車というより、車輪とハンドルをポン付けした黒錆色の葉巻形。インディペンデントは鉄の筒にまたがりカトンジツの具足を纏う。ノーズコーンを突き出した円筒へ紅蓮を注ぎ込みタービンを回す! 

 

「イヤーッ!」KARA−VROOOM!! 圧縮空気をカトンで燃やし、紅蓮の火の玉と化した切火(セッカ)が爆音と共に大気を引き裂いた! 切火(セッカ)に組み込んだ最後の浪漫機構『カトン・ジェット』が瞬く間に二輪の距離を引き剥がす! 

 

「イヤーッ!」ZZZAAAPPP!! 生命をすり減らし、ネオンの稲妻と化した夜光蝶(ヤコウチョウ)が雷鳴を轟かして加速する! 焼き切れるニューロンに焼け付くモーターコイル。引き換えに得たガウスライフルめいた非人道的加速力で、夜光蝶(ヤコウチョウ)が食らいついた! 

 

ハイウェイを二色の流星が絶叫し、加速し、交差し、衝突し、飛翔し、炸裂する! 

 

「「イィィィヤァァァッッッ!!!」」

 

そして双方の二輪から、二色の影が飛翔し、絶叫し、交差し、衝突し、カラテする! 

 

交錯は一瞬、決着も一瞬。コンクリートに降り立ったのは……インディペンデントである! 「アバッ」そして地に倒れ伏したのがノクターナルであった。これで夢は終わり。「ア……バ……」そして命も終わろうとしていた。

 

……ノクターナルはデッドヒートの最中、カデン・ジツを注ぎ続けた。故に血中カラテは消費し尽されており、最後のカラテ衝突は致命的となった。それを理解していたインディペンデントは捕縛のカラテを振るった。だがノクターナルは拒否のカラテで応じた。それが死をもたらすと知っていながら。

 

「そんなに死にたかったのかい」割れ砕けたネオン電球が火花を散らして明滅する。最早助かりようはない。「夢と、共に、逝く、つもり、だった」だから約束は守れない。表情を歪め、インディペンデントは拳を引き絞る。

 

「……待ってくれる人がいてもか」「託、して、置い、て……きた。もう……戻ら、ない……もど……れ……ない」脳裏に浮かぶのはリンの涙、そして微笑み。「ハイクは?」返答の代わりに砕けたバイクの破片を指し示す。『ネオンサイタマ』のロゴ。ネオンサイン。

 

「イヤーッ!」「サヨナラ!」

 

爆発四散の光が墨より黒い海面に照り返す。応えるようにバイオ夜光虫がざわめき、夜の底が青白く輝いた。それは十を数えるより早く消え、後にはただ闇夜だけが残っていた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

WHIRRR……! 滑らかすぎて微かなモーター音が狭い屋台に広がる。蓄光ダルマ、夜光フクスケ、そしてネオンサインに彩られ、テキ屋に夜景を閉じ込めたようだ。「ハイ、おしまい」「ワー! スゴーイ!」そして客である女子高生の肩にもまた夜景が閉じ込めてある。

 

遅咲きのネオンタトゥーイストであるリン・マーガレットの人気は上々だ。彼女が描くモチーフはレトロみがあってクールと評判を呼んでいる。ちょっと前までは古臭いと嗤われていたのにひどい違いだ。「アリガトゴザイマス!」「ハイ、アリガト」苦笑を浮かべながらリンは客を見送る。

 

客がめくったノーレンから夕日が覗いた。落日より眩しいネオンサインが徐々に街を満たしていく。そしてネオンを纏った若者たちが夜に繰り出していく。水着と見間違う夜光ハッピや蓄光浴衣で最新モードのネオンタトゥーを見せびらかしてる。

 

ネオンズ。もしもネオンサイタマが今に居たら、彼ら同様にそう呼ばれていただろう。そしてリーダーに率いられて最先端を突っ走っていたに違いない。リンの苦笑に切ないほろ苦さが混じる。もしもの話だ。ネオンサイタマは解散した。リーダーは死んだ。

 

あの日、ドゲザしたインディペンデント、つまりセイジからそう告げられた。約束は守ってもらえなかった。なのに何故か怒りはなかった。代わりに冬めいた寂しさがあった。理由もわからない涙と微笑みと共に流れていた。

 

今ならわかる。リーダーはネオンに溶けて消えたのだ。ネオサイタマをコウモリの国に、せめてコウモリの居れる国にするために。ネオサイタマの血流であるネオンの流れと一つになったのだ。

 

無論、妄想だ。事実には程遠い。けれども信じる。リーダーは無意味に死んだのではない。この街を変えるために死んだのだ。それが自分にとっての真実だ。

 

それを信じて生きてきた。生きている。生きていく。胸を張って生きていく。ハーフガイジンとして、コウモリとして。

 

気づけば日は落ち切って、月光が力強く微笑むリンを優しく照らす。

 

インヤンの月が摩天楼に触れた。時刻は暮れ六つ。電飾に輝くメガロシティにとっては夜明けに等しい時間だ。

 

夜の街はネオンに満ちて星空のよう。誰もがネオンを浴びてネオンと共に流れている。鳥も、獣も、日本人も、ガイジンも、コウモリも、ハーフも。誰もが居て、誰もが生きてる。

 

ここはネオサイタマ、ケオスの地だ。

 

【モス・ベイル・トゥ・ネオン】終わり



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第五話【アンダードッグス・ノクターン】#1

副題「〜マケグミの僕がカミサマに願ったらチートを貰って雌犬を飼うことになりました〜」


【アンダードッグス・ノクターン】#1

 

 

オジギが2回

手を叩いて2回

オジギをもう1回

 

モージョーめいた作法を終えて、“キミト”はなけなしのトークンを放る。投げたトークン2枚は放物線を描いて洗濯板めいた格子をすり抜けた。CLINK! CLINK! 昼過ぎの寂れたジンジャ・カテドラルに甲高い音が響いた。手のひらを合わせてキミトは希う。5円に10円。ご縁が十分ありますように。

 

放電ネオンめいて暗黒日常生活と眩しい美顔が脳裏に明滅する。『マケグミ! それ捨てとけよ!』『いつもこの時間に通られるんですね』『お客様の前に出てこないでください。ビルの評判が下がります』『毎日お掃除ごありがとうございます』『オベンキョしないとあんな風になりますよ?』『道を綺麗にするのは私も好きです。大事なお仕事ですね』

 

(((“キヨミ”=サン……!)))久方ぶりの休日を潰してまでご縁を願うのは、愛しく恋しいパステルの仏花。早朝にダイトク・テンプルの門前を掃く姿が脳裏に浮かぶ。不意に花咲く笑顔が、十連夜勤に疲れた脳を違法オハギめいて蕩けさせる。バリキよりもタノシイよりも遥かにいい。

 

だがキミトはマケグミである。マケグミに使えるカネはなく、叶う恋もなく、手に入るチャンスもない。嫌というほど知っている。だから寂れたジンジャ・カテドラルで必死に神頼むのだ。ブッダ、オーディン、あの男、なんでもいいから叶えてくれ。

 

『賽銭トハ感心ダ。クレテヤル』「え?」必死の祈りと絞り出した賽銭に『何か』が応えた。CLINK! オサイセン・ボックスの上にトークンめいた何かが落ちる。いやトークンにしては大きい。手のひら大はある円盤だ。歴史の教科書で見た覚えがある。

 

「銅鏡?」『他人ニ翳セ。命ジレバ好キニデキル』「これを? 好きにって? それに貴方は一体?」『フッフッフッ……』意味深な笑い声は答えることなく去っていった。残ったのは何も変わらぬ寂れたジンジャと、何もわからぬ奇妙な銅鏡だけだ。「なんだコレ」キミトはお試しにと覗き込む。

 

……目が有った。自分のモノとはまるで違う。カタログで見たミハル・オプティ社の最新鋭美容サイバネめいた碧眼。ゾッとするほど蒼い目が鏡の中から覗いている。

 

「なんだコレ……」奇っ怪な感覚に思わず目を逸らす。視界の端で病んだ夕日がビルの影に消えていく。「え」今は昼過ぎだった筈。なのに夕方? ナンデ? 目の前の光景は認め難いが、丸太めいて疲れ切った足は数時間の経過を告げている。

 

「なんだコレ……!?」ごた混ぜになった恐怖と不安と興奮が満ちていく。この銅鏡がこのタイムスキップめいたフシギを引き起こした。それは確かだ。そしてその間、自分は銅像めいて停止していた。ならばコレを他人に翳せば同じことが起きる筈だ。

 

それだけではない。声は『命じれば好きにできる』って言っていた。停止中に命令すれば何が起きるか。恐らくは受けた命令の通りに従うのだろう。かざして命令すればカチグミでも美女でもヨタモノでも従う。それもマケグミの自分に従うのだ。

 

「なら、キヨミ=サンも……」背徳感と罪悪感に背筋が震える。実際非合法で邪悪な脱法行為に違いない。だが法と倫理を無視すれば叶わぬ恋に手が届く。ラブメンテナンス重点どころかラブ&ボディをオーバーホールできてしまう! 

 

「ヤバイヤバイヤバイヤバイよ!」血走った目のキミトは銅鏡を懐に捩じ込んだ。その様は分厚い財布を拾ったマケグミそのもの。周囲全てが懐を狙うヨタモノに見えて来る。チーズを咥えたバイオドブネズミめいた早足でジンジャ・カテドラルを後にする。

 

その背中に嘲るような嗤うような視線が突き刺さる。だがキミトは気づきもしない。祭神がいる筈の本殿から、『何か』がじっと見てたことに気づかない。それは真っ青な、人ならざる碧眼で見つめていた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

(((オーガニックの目を狙う、効果は一度に一人、使用出来るのは3回以内)))受けた説明を反芻しながらキミトは手中の銅鏡を握りしめる。ガチガチに固まったキミトの様を『カミヘイ』の先輩が笑った。「緊張してんなぁ。ダイジョブ、ダイジョブ! ヤれはデキるって!」

 

すがるように先輩へキミトが視線を向ける。彼が羽織っているのはAAHMR+++の重層レインコート、それと合成繊維の作業員ジャンプスーツとわかりやすく安物だ。顔には外仕事で浴びた重金属酸性雨の痕がアバタめいて散らばる。自分と同じマケグミの典型的な姿だ。

 

「アアン……アタシ、体温、何度……?」だがマケグミの肩に枝垂れかかる美女は典型的とは言い難い。カチグミワナビーが低層労働者相手に頬を擦り寄せる光景はオーガニック絶滅危惧種より希少だ。キミトに見せつけるように二人は口づける。

 

「羨ましいか? ならうまくヤれよ!」瞳孔が開いたカチグミワナビーと睦み合う先輩の手にはキミトと同じ銅鏡が握られている。先輩は『カミヘイ』の一人だ。そして今はキミトもその一人だ。

 

……いったいどうやって知ったのか。キミトが銅鏡を手に入れた翌日にはカミヘイを名乗る集団から誘いがあった。曰く『カミサマ』から特別な力(チート)を授かった者たちだと言う。誘われるままにカミヘイに加わったキミトは、こうして悪行のOJT(オンザジョブトレーニング)を受けていた。

 

標的は変色したガードレールに腰掛けるゲイシャパンクス。銅鏡で洗脳してアジトに連れて帰れば研修完了だ。(((ホントにヤルのか!? ヤっちゃってイイのか!? ヤっちゃうのか!?)))緊張と興奮で呼吸が荒ぶる。血走った目で背後から近づく姿はまるで変質者だ。実際催眠して誘拐して前後する狙いなのだから正しく変質者と言えよう。

 

(((ええぃ! ヤっちゃえ!)))「あ「待った!?」「うん、待った!」迷いに迷った声が喉から飛び出すより早く、ゲイシャパンクスの待ち人が飛び出した。ノースリーブ改造灰色スーツのマッチョなサラリパンクス。腕はキミトより格段に太い。ケンカも格段に強いだろう。

 

「ウッ」「それでさ……」「だからね……」思わず怯むキミトを尻目に、二人は連れ添って歩き去った。もう鏡を見せるチャンスはない。キミトは悄然の顔で見送るだけだ。

 

「ハハハ! まぁ最初はこんなもんだよ」「ハイ」「来週もツき合ってやるから気をオトすなよ」「ハイ」「じゃ、俺はちょっとシテくるから後は適当にヤッとけよ」「ハイ、オタッシャデー」ヒラヒラと手を振って先輩は洗脳カチグミワナビーと雑踏に消える。その背中も悄然の顔で見送る。

 

「はぁ〜」長いため息が溢れ出た。ブッダデーモンが彫られた銅鏡裏を眺める。特別(チカラ)を得た筈だ。何でも思い通りの筈だ。なのに何でか上手くいかない。そもそも何で研修しなきゃならんのだ。カミヘイの先輩も気に食わない。初めから最強で自分一人だけがいい思いするからズル(チート)なんだろ。

 

「ブッダム、ブッダミット、ブッダ」「ワン!」ブツブツと垂れ流される文句が止まった。音源を辿れば小汚い野良犬が一匹、物欲しそうにキミトを見ている。バイオ皮膚病か、重金属酸性雨焼けか。剥げた毛皮が痛々しい。傷だらけでわかりにくいが多分シバイヌだろう。

 

「餌はないぞ」「ワン!」キミトは手を振って追い払おうとするが、犬は千切れた尻尾をふりふり寄ってくる。ネオサイタマ育ちの野犬にしては無警戒過ぎやしないか。明日にはヨタモノに犬鍋にされてそうだ。或いはヨロシサンの都市浄化チームに捕まって実験動物か。

 

だったら自分が使ってやったっていいだろう。「ほれ」「ワ……ン」不用心に近寄った犬の眼前にキミトは銅鏡をかざす。途端に犬の顔が力を失った。試しておいて何だが犬でも効くんだな。益体もない感想が浮かぶ。それで、どうしようか。

 

「……お手」「ワ……ン」「おかわり」「ワン」「お座り」「ワン!」「待て」「ワン!!」「三回まわってワンと言え」「ワンワン!!」「チンチ……なんだメスか」「ワンワンワン!!」

 

思いの外、素直に命令は通った。命令を理解できる辺り、ちゃんと躾けられた上流の飼い犬だったのだろう。キミトは想像する。きっとマケグミの自分よりオーガニックな飯を食って、我が家の万年床より清潔なベッドで寝ていたに違いない。

 

そう、マケグミはカチグミのペットより実際安いのだ。「ブッダム」「ワン?」キミトの顔が歪む。だがそんなカチグミの飼い犬は、「元」の字を頭に付けて、不衛生な重金属酸性雨を存分に浴びている。首輪をしてない辺り、逃げ出したのではなく捨てられたか。

 

「そう変わらない、か」一時は持て囃されても、カワイイが薄れればダシガラめいて棄てられる。一瞬でも自分の日がある方か。それとも栄光との落差がない方か。どっちがマシか。どっちもクソだ。

 

「お前もマケグミなんだな」「ワン!」無責任な同情心とちっぽけなやさしみがキミトの手を伸ばした。

 

「なぁ、ウチ来るか?」「ワン!」「飯は不味いぞ?」「ワン!」「寝床は臭いぞ?」「ワン!」「それでもいいか?」「ワンワンワン!」

 

顔を撫でられて楽しげに半分取れた耳をパタつかせる。理解してるのかしてないのか。自分のエゴだ。どちらでもいい。「なら行くか」「ワン!!」予備の使い捨てレインコートを被せると、一人と一匹は自宅に向けて歩き出した。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

買ったばかりのワイシャツはゴワゴワと肌に馴染まず、奮発した流行りのチノパンはサイズを間違えたのかギッチギチ。それでも普段のバイオ汚物に染まった作業着よりは百倍マシの筈だ。

 

「ワン! ワン! ワン!」「マテ! マテだぞ!」先へ先へと行こうとする元野良の同居犬……“イルカ”を引き止めつつ、キミトはガードレールの鏡で身だしなみを整える。

 

「ヨシ! ヨシだ!」「ワン!」息も整え覚悟も決めてダイトクテンプルの角を曲がった。「あら、キミト=サン。ドーモ、オハヨございます。今日も早いですね」パステルカラーの菊がふんわりと花開いた。

 

「あ、ど、ドーモ、キヨミ=サン。本日もお日柄がよく」「あらあら、冗談がお上手ですね」空は重苦しい曇天に覆われて、今日も今日とてネオサイマタは重金属酸性雨模様だ。お日柄が良かったのはいつの話か。

 

「ワン!」「あらあらあら?」「おい! 待て! 待てって言ってるだろ!」ヘタレな飼い主の躊躇なぞ飼い犬が知る由もなし。イルカは嬉しげに吠えて短い尻尾をふりふりキヨミへ駆け寄っていく。

 

「カワイイワンちゃんですね」「へへへ、スミマセン。イルカって言います。最近飼い始めまして」二本足ウィリーで進もうとするイルカを引き留めつつ、下手くそな愛想笑いを浮かべるキミト。幸いキヨミは犬嫌いではないようだ。

 

「カワイイ、カワイイ」「ワン! ワン! ワン!」わしゃわしゃと耳後ろや顎下を撫で回すキヨミ。返礼にイルカは胸に手を掛けて顔を舐め回す。顔中が涎にまみれ、ふんわりと豊満が歪む。キミトの目は血走っている。そこを代われ、今すぐ代われ。俺にもやらせろ。俺にヤらせろ。

 

……それはできる。無意識にポケットへ突っ込んだ指が冷たい金属円盤に触れる。この銅鏡(チート)を使えば今すぐにできる。イルカがやってる畜生なヘンタイ・プレイだって思いのままだ。ヤろうと思えばいつだってヤレる。そう、今すぐにでも。

 

(((……なら今でなくてもいいだろ)))ゆっくりとポケットから手を引き抜く。いつでもずる(チート)は出来る。だから今しか出来ないことをするのだ。

 

「ス、スミマセン。ウチのイルカが迷惑をかけまして」「いえいえ、ダイジョブです。私も犬が好きなんです」今しか出来ないこと、すなわちテヌギーで顔を拭うキヨミの美姿をとっくり眺めるキミト。初めて見る姿もいい。とてもイイ。はるかにイイ。

 

「ワン!」キミトを見上げて尾っぽをフリフリ。イルカのおかげでしょ! とでも言いたいのだろうか。概ね事実である。「……今日はカリカリじゃなくてデジプロティンの缶詰を開けてやる」「ワンワン!」因みにキミトのパックスシ一食分より高い。御馳走の予感に尻尾の往復が加速する。

 

不意にキヨミが振り返った。「あらあらあらあら、もうこんな時間。ゴメンナサイ、そろそろ行かなくちゃ」「いえいえ、オジャマしました」どうやら時間切れのようだ。もっととジャレたいとねだるイルカを押し留め、キミトは頭を下げる。

 

もっと話していたいが仕方ない。それに銅鏡を使えばいつでも永遠にできるのだ。だから今はしなくてもいい。キヨミに近づけた幸福感と、敢えて銅鏡を使わない全能感。「ワン! ワン!」悦楽に浸りながらキミトはイルカを連れ歩く。

 

今日は最高だった。明日はもっと良い日だろう。

 

 

【アンダードッグス・ノクターン】#1終わり。#2に続く。

 




執筆が遅れましたが恥ずかしながら帰って参りました


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第五話【アンダードッグス・ノクターン】#2

【アンダードッグス・ノクターン】#2

 

 

今日は最低だった。明日はもっと悪いだろう。

 

「…………」「ワン! ……ワン!?」ケミカル排水だまりのドブめいた顔。飼い主の異常にイルカも困惑の色を隠せない。パワハラ上司に5時間ネチネチ詰められた夜より顔色が酷い。イルカは心配げに擦り寄るが、死体めいた面構えのキミトは邪険に足でどかすだけだった。

 

「ア"ー」湿った煎餅布団に身体を投げる。漏れる声はバイオチキンの断末魔めいていた。キミトの心境としては大体同じだ。このままだと首を落とされ内臓を抜かれる。正しくはカミヘイをクビになり、ケツから臓腑を貫かれて殺される。涙で濡れた枕を噛み締め、キミトは今日の絶望を思い返した。

 

……「カミサマのお力なんだぞ!」「ハイ、スミマセン!」「お前のためを思って言ってるんだ!」「ハイ、スミマセン!」「聖人ぶりやがって! 俺たちを見下してるのか!?」「ハ……イエ、スミマセン!」閉ざされたシャデン・カテドラルの中。床へ擦り付けた頭に、カミヘイの先輩方からありがたいオセッキョが降り注ぐ。

 

何もしてないのにナンデと問いたくなる。

だが、その答えは『何もしてないから』なのだ。

 

キミトはイルカを飼い始めてから悪行OJTの参加を断わっていた。死なすつもりならともかく、ネオサイマタの貧乏人が生き物を飼うのはなかなか難しい。バイオ感染症の予防注射にたらい回しのペット登録。どれにもこれにも時間とカネばかり掛かる。

 

後知恵だが銅鏡を使って獣医や役所受付を操れば良かったのかもしれない。だがモッタイナイで躊躇われた。それにこんな理由で使ったらキレられるのではとの恐怖もあった。結局は使わなかったから、参加しなかったからとキレられたが。

 

「そこまでにしておきなさい」威厳めかした声がLED傘めいて説教の豪雨を止めた。声の主は御神体を背後にカンヌシめいた格好で鎮座している。話したこともないカミヘイのボス。でも助けてくれるのでは? キミトは縋る目で見つめる。

 

「彼にも事情がある。少しだけ待ってあげましょう」望み通りブッダめいて蜘蛛の糸が垂らされた。ただしネオサイマタにおいてブッダはゲイのサディストだ。スカム問答にもそう書かれている。「無論、成果を出せばの話ですが」実際、ボスは容赦なく蜘蛛の糸に鋏をかけた。

 

「成果、ですか……?」「ハイ、最終試験を通過しなさい。それで様子を見てあげましょう」悪行OJTの最終試験は中流層以上のファックエンドサヨナラ(男女問わず)だ。手を付ければ最早言い訳は効かない。NSPDから無条件射殺対象の重犯罪者に成り果てる。

 

「期限は三日です。三日以内に成果を撮影して持ってきなさい」「出来なかったら……?」怯えたキミトの質問に、ボスはビヨンボで隠された部屋の一角を指差した。「おおブッダ……!」そこには使い捨てられた被害者が汚物に塗れて転がっている。半分はもう動いてない。もう半分はもうそろそろ動かなくなる。

 

つまり、ファックエンドサヨナラ出来なければ、ファックエンドサヨナラされてこの動物性産廃置き場に打ち捨てられることになるのだ。絶望感に真っ白になるキミトに、ノウ・オーメンめいた笑顔でボスは繰り返した。「三日ですよ。いいね?」「アッハイ」頷くしかなかった。

 

促されるままに死体予定のキミトが死体めいた顔で退出する。当然、御簾向こうの御神体から覗く蒼い目が見えるはずも無かった。水に沈められるラットイナバッグを眺めるような、嘲笑に歪んだ目を。

 

 

―――

 

 

……かくしてキミトは煎餅布団を涙と共に噛み締める。

 

どうしよう。どうしようもない。ヤるしかない。でもヤれば後戻りは出来ない。催眠して連れ帰るのとは違う。『これは自由恋愛だから、いいよね?』との言い逃れようはない。NSPDに見つかり次第鉛玉をご馳走される重犯罪者だ。けどそれが嫌なら後ろの穴を広げて汚物塗れで死ぬしかない。

 

どちらがマシか。どちらもクソだ。「ブッダ……ブッダム……ブッダミット……!」覚者を罵倒しながらキミトは薄い寝具の中で懊悩する。だが何一つ事態は進まない。ただ時間だけが過ぎて行く。頭痛と吐き気と胃の痛みが増すばかり。

 

そんなウンウン唸るキミトをまんまるな黒目がじっと見つめる。「ワン!」「……なんだよお前」こっちを見ろと一鳴きするとイルカは煎餅布団に滑り込んだ。

 

「ワン!」「…………だからなんなんだよ」膝を抱えるキミトにひっついたイルカ。たっぷりとブラッシングしてもごわつく毛皮が肌に擦れる。ヒヤリと冷たい鼻面を頬に押し付ける。漏れる吐息がドッグフードくさい。

 

「………………なんだよもう」「ワッヒ! ワッヒ!」力無い文句を無視してイルカは顔中を舐め回す。ざらついた感触が割と痛い。だがキミトはされるがままだ。顔中が涎まみれになっても舐められ過ぎて肌が赤くなっても、押し退けようとも逃れもようともしない。代わりにイルカの背に手を回す。暖かい。

 

「……………………なぁ、もしかしてお前、慰めてくれたのか?」「ワヒ?」そんなわけないか。苦笑の顔で粗い毛皮を撫でさする。いい加減満足したのかイルカは腹にくっついたまま丸くなった。いったい体温は何度あるのか。暖かいを通り越して暑いくらいだ。

 

「まぁ、いいか……」気づけば銅鏡も悪行もキミトの脳裏から消えていた。暑苦しい温もりを抱いてキミトは眠りに落ちていった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

重金属酸性雲向こうの太陽は随分と高く、病んだ日光を弱々しく放っている。それを見上げるキミトは普段なら仕事をしている時間のはずだ。しかし今のキミトは作業服ではなく普段着で、ここは現場ではなく街中で、手には清掃用具はなく手ぶらである。

 

「やっちまったなぁ……」つまるところ寝坊であった。寝付くまで煎餅布団の中で悶々としてたのが良くなかったのか、或いはイルカの体温で寝過ぎたのか。なんにせよ朝起きて、時計を見て、全部諦めて、こうして一人街を歩いている。

 

今日の仕事と言い、三日後の約束と言い大問題大有りだ。だから考えないことにする。なんとかなる、はず、きっと、たぶん、そのうち。

 

ひたすらに自分に言い聞かせ、夜勤明けに通るいつもの道を歩む。いつもの道を曲がった先には、いつも心安らぐあの笑顔が待っている。何を話そうか。またイルカのことにしようか。それとも仕事の話にしようか。心配とかしてくれるだろか。

 

想像上のキヨミは困った顔で心配げに語りかけてくれる。キミトはその手を取りキアイと男気をアッピール。そして仮想のキヨミは安心した笑顔を浮かべ……

 

 

 

「それでシンちゃんはお夕飯どうするの?」

「んー、今日はこっちで食べるよ」

 

 

 

笑顔だ。

キヨミ=サンが笑っている。

見たこともない顔で。

見たこともない奴に。

 

陽光を浴びたバイオミミズめいてキミトは後ずさる。「あら?」気づいたキヨミがこちらを向く。無自覚なよそ行き用のお愛想笑い。いつもの色鮮やかなパステルが重金属酸性雲の曇天めいてくすんで見える。

 

「キミト=サ「……ッ!」キミトは掛けられた声よりも早く振り向いて駆け出した。否、逃げ出した。逃げ出さずにはいられなかった。

 

あの笑顔。見たことのない笑顔。艶やかで、愛おしげで、奥ゆかしく、完璧に、美しい。それを見知らぬ誰かへ当然のように捧げている。

 

「ハァーッ! ハァーッ! ハァーッ!」呼吸中枢が破壊されて息ができない。運動中枢が破壊されて足がもつれる。記憶中枢が破壊されて先の光景が無限リピート。分泌中枢が破壊されて涙が止まらない。「ハア”ーッ! ハア”ーッ! ハア”ーッ!」脳がネギトロめいて破壊された。

 

「ヴアーッ!」そう、確かに破壊された。白昼夢めいて夢見ていた甘い妄想が、安物ガラス細工めいて砕け散ったのだ。「グワーッ!?」砕けた夢物語に蹴つまづいたのか、キミトは段差に足を引っかけて思い切り転げた。

 

CLINK! ポケットから飛び出した銅鏡が甲高い音を立てて転がった。倒れたキミトの目の前でクルクルと回り、ちょうど手の届く位置で静止する。『チャンスがあるとでも思ったのか?』背面の浮き彫りブッダデーモンがこっちを向いて嗤っていた。

 

……カネもなく、コネもなく、顔も悪く、頭も悪い。そんなマケグミにチャンスがあると思っていたのか? そんなものはない。お行儀よくしてても試合にも出れない。違法行為(チート)をしなければドヒョー・リングに立つことすらできず、試合開始前にマケグミ確定だ。

 

わかっていた、わかっていた、わかっていた。自分にチャンスなんて無いとわかっていた。彼女が好くのは自分でないとわかっていた。わかっていたのだ。

 

なのに都合のいい夢を見てしまった。その夢は覚めた。諦めるしかない。それが現実だ。「いやだ……いやだ!」暗がりに落ちた銅鏡へと手を伸ばす。暗い瞳と浮き彫りなデーモンの視線が重なる。ルールに従っても不戦敗確定なら、負けが決まってても勝ちたいなら……反則をする他にない。

 

そのための(チート)はある。手の中にある。全部手に入る。銅鏡を握りしめてゆっくりと立ち上がる。暗い目のキミトは歩き出した。向かう先は無論ダイトクテンプル。そこにいる。キヨミがいる。もう一人は帰ったのか姿が見えない。好都合だ。

 

「あ、キミト=サン! 急にどうされたんですか? ダイジョブですか? 少し休まれますか?」キヨミの慈しみ溢れる問いかけにキミトは答えない。代わりに銅鏡を握りしめる。全部手に入る。全部手に入れる。ルールに従えば永遠にマケグミ、ルールを無視すれば遂にカチグミ。キミトは銅鏡をキヨミに向けて振り上げ……

 

『ワン!』

 

……振り下ろし、叩きつけ、踏みつけた!

 

「ア”ーッ! ア”ーッ! ア”ーッ!」「ど、どうかされたんですか!?」「ア”ーッ! どうかしてたんです! ア”ーッ!」STOMP! STOMP! STOMP! どうかしてるとしか思えない奇声を上げてキミトは銅鏡を繰り返し踏み躙る。全くもってダイジョブではない。

 

「スミマセン! スミマセン! ホントスミマセン! サヨナラ!」「あの、ちょっと!」困惑するキヨミを置いてキミトは駆け出した。その目からは止めどなく後悔の涙が溢れ出していた。

 

わかっていた、わかっていた、わかっていた。もう二度とチャンスなんて無いとわかっていた。彼女に好かれることなんてないとわかっていた。わかっていたのだ。

 

なのに雑種犬一匹のぬくもりに目が眩んだ。ドッグフード臭いヨダレまみれの自尊心が手を振り下ろした。ALAS! 今日の行いを死ぬまで悔いるだろう。今この時だって心底後悔している。だけど……だけど! ALAS! ALAS! 

 

「アア”ーッ! アア”ーッ! アア”ーッ!」ぐちゃぐちゃに破壊された脳みそがぐちゃぐちゃな思考を撒き散らす。脳裏でゴワゴワの毛皮と菊花めいた笑顔が明滅し、冷たい鼻面と涼やかな声がぐるぐる回る。

 

(((もう辞めよう、カミヘイ辞めよう)))ここに関わったからおかしくなったのだ。だから全部投げ捨てて、安酒をしこたま飲んで、暑苦しい飼い犬を抱いて、フートンに包まるのだ。涙と鼻水と涎を垂れ流し、キミトは訳もわからぬままひた走った。

 

その走り去る後ろ姿をキヨミは困惑と心配の入り混じった顔で見つめるばかり。「エット……ホントにダイジョブなのかしら……?」追い掛けるほどの理由もなく、さりとて見放すほどに薄情にもなれない。

 

口から溢れたそんな心境に、テンプルから表れた黒錆色が応えた。「ダイジョブ! 俺が見てくるよ」「シンちゃん? オネガイしていいの?」「いいよ!」サムズアップで軽快に答える声。それを聞いてキヨミはようやく安堵の息を漏らす。

 

そんな彼女は気づかない。キミトの首を刎ねる筈だった黒錆色のスリケンが握りつぶされたことに。それを握りつぶした黒錆色の影が浮かべた複雑な表情に。「……踏み留まったんだ、スゴイな」漏れた言葉と共に黒錆色の風は瞬く間に消えた。

 

 

【アンダードッグス・ノクターン】#2終わり。#3に続く。



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第五話【アンダードッグス・ノクターン】#3

【アンダードッグス・ノクターン】#3

 

 

「辞めます」「……なにを?」ドゲザは母親とのファックを強要され、それを記憶素子に収められるに等しい精神的苦痛をもたらすという。だがキミトには床に頭を擦り付けることに躊躇はなかった。それ以上の脳破壊を味わったばかりだからだ。

 

「カミヘイを辞めます」「…………ナンデ?」違法行為に縋るしかない現実を叩きつけられ、自暴自棄な欲望に身を任せようとし、安いペットのぬくもりに目が眩み、ラストチャンスを失った後悔を噛み締めている。めくるめくドンデン返しの連発はキミトの許容量を遥かに越えていた。

 

「ファックエンドサヨナラできません。違法行為できません。カミヘイ続けられません。カミヘイ辞めます。サヨナラします」「………………」だから全部投げ出すことにした。だからこうして頭を床に擦り付けている。ただし、その行いは少々軽率に過ぎたようだ。

 

カミヘイのメンバーはゆっくりと互いの顔を見、ゆっくりと水揚げマグロめいた顔をキミトへ向ける。「「「……………………ケンナ……」」「えっ?」無表情の群れがノウ・オーメンめいて転じた。「「「ザッッッケンナコラァァァーーーッッッ!!!」」」「アイェッ!?」ハンニャ・オーメンに転じた! 

 

「スッゾコラーッ!」「アッコラーッ!」「シャレジャマネッコラーッ!」「ナッコラーッ!」「テメッコラーッ!」「ワメッコラーッ!」「ナマッコラーッ!」「チャースイテッコラーッ!」「チェラッコラーッ!」「ソマシャッテコラーッ!」ヤクザスラングの大合唱だ! コワイ! 

 

「アィェェェッ!?」突然の恐怖に煽られて後ずさるキミト。だが無数の手が引き摺り込む! 「スッゾコラーッ!」「グワーッ!」「アッコラーッ!」「グワーッ!?」「コラーッ!」「グワーッ!!」スクラムめいてケリ・キックの嵐! フットボールの残虐なる起源を思い出さずにはいられない! 

 

……カミヘイの構成員とキミトにそう変わりはない。犯罪する勇気がない程度に善良で、周りの目に従う程度に慈悲がある。だから簡単に与えられた特別(チート)に酔っ払い、違法行為に耽溺する。そんな彼らがヨタモノに成り下がった現実に耐えられる筈もない。故に現実を否定する。現実を見せつけるキミトを否定する。

 

「お前の家族とお前のオンナとお前のペットとお前をヤってヤる!」「ファックエンドサヨナラエンドファック懲罰!」「惚れた相手の目の前で洗脳して前後して洗脳解いて前後してもっぺん洗脳して脳破壊だ!」なんたる下半身後部に極めて危険を感じる陵辱的発想か! 臀部が危い! 

 

「ヤメロー! ヤメロー!」泣き叫ぶキミトの顔が無数の腕に無理矢理固定される。その目の前に突きつけられた銅鏡が怪しくひかった。鏡面に映る青い目がキミトを見つめ、全ての感覚が失せ、サイバーボーイ以上の白痴的静寂に……「イヤーッ!」……ならない! 「アイェッ!?」SNAP! 分断された青い目が宙を舞う! 

 

ッターン! 更に本殿のショウジ戸が音を立てて開いた。ハーフサイズにカットされた銅鏡が逆光に滲む黒錆の影を映す。その影はブラックベルトを締めていた。黒錆色の装束を纏っていた。赤錆めいたメンポを着けていた。

 

つまりそれは、紛れもなく、間違いなく、正しく…………「「「ニンジャ! ニンジャナンデ!?」」」ニンジャであったのだ! 

 

「ドーモ、はじめまして。“ブラックスミス”です」合わせた掌を離して鼻を鳴らす。その目は見えないが蔑みと呆れを映しているに違いない。「モータルの後ろに隠れてもアイサツ一つできないのか? 名乗れよ、臆病者のシツレイ者」吐き捨てる言葉と語調がそう告げている。

 

アイサツにはアイサツを返さなければならない。古事記にもそう書かれている。だがそれはモータルのルールではない。「……ドーモ、“ファミリア”デス」故にルールに従いアイサツを返す御神体は、偶像でもモータルでもなく……ニンジャであったのだ! 

 

「死ネ! ブラックスミス=サン! 死ネ!」叫び声と共に幾つもの銅鏡が天井からぶら下がる! その全てに青い瞳が映っている! 「「「アババーッ!?」」」カミヘイたちはゼゲン・ジツ亜種に操られるままに喉を掻き切った! 「ヒサツ・ワザ! 自ラせぷくスルガイイ、バカ者ノ惰弱者ガ!」無事はブラックスミスの影になったキミト一人だけか!? 

 

否! 「ナニィーッ!?」ブラックスミスは無事である! その目は初めから黒錆色のロクシャク・ベルトで覆われている! そう、目隠しをしていれば目は見えない! 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」SNAP! SNAP! SNAP! 更に銅鏡の群れにスリケンが次々と突き立ち分断! なんたる視覚を塞がれようとも標的一つ外さぬニンジャ四感の合わせ技か! 

 

「ヌゥーッ! 覚エテオレ!」トラディショナルな捨て台詞を残して脱出を図るファミリア。目隠しを投げ捨てたブラックスミスはそれを追うでもなく、懐から奇妙なクナイ・ダートを抜き放った。いや、その柄は短剣(ダート)ではなく長剣(ソード)のものだ。対して刀身は作業用ナイフめいて短い。

 

その短い刃に刻まれたルーンカタカナとエンシェントの銘が妖しく光る。「お前ごときにはモッタイナイ道具だが特別にお披露目してやる」ブラックスミスは握る手と逆の掌にゆっくりと突き立てた。「人様のセリフ……じゃないが、生で拝んで死にやがれ」突き立てた刃を腰だめに構えた姿はイアイドーのそれか。

 

「……ッ!?」地下通路を走るファミリアのニンジャ第六感と生存本能が大音量で警鐘を鳴らす。だがもう遅い。「斬ル(キル)……! 伐ル(キル)……! 切ル(キル)……!」弟に手渡したテッカイナに次ぐ、最新鋭の手製レリックは既にファミリアを射程に収めている。ニンジャの血を啜り、今『キル・ザ・クナイブレイド』が超自然の力を現す! 

 

 

KILL(キル) YOU(ユー)!!」

 

 

瞬間、キレた。

 

 

部屋が、建物が、空間が、大地が……そしてファミリアが! 真一文字に切れたのだ! そして苦無(クナイ)の名のとおりそこに苦痛の声はない。 「サヨナラ!」ただ断末魔だけが響いた。

 

これ自体がジツと呼んでも差し支えない、エピックに値する自作ニンジャレリック。それだけに支払うべき代償は高い。CLAP! CLAP! CLASH! 「ッッッ!」振り抜いたキル・ザ・クナイブレイドは瞬く間にひび割れ、亀裂は握る腕にまで走る。

 

「フゥゥゥ〜〜〜ッ!」血を噴く腕を抱えてブラックスミスは長く長く息を吐く。ただ一振りで一帯を真っ二つにしたレリックは、ただ一振りで塵へと返った。残ったのはオープントップに改装された社殿、殺戮を終えた黒錆色、そしてもう一人。

 

偶然か必然か、キミトは生き延びた。ただ一人の生き残りへ、殺人マグロめいた両目が向けられる。「アイェェェ……」キミトは空っぽの膀胱を更に搾った。尿が僅かに漏れた。黒錆の影がキミトへと近づく。そして……

 

「貴方を尊敬する。オタッシャデー」「え」傍らを通り過ぎる黒錆の手が肩を叩いた。驚愕のまま肩と影を二度見するキミト。二度目の視線を向ける頃にはもう黒錆の影も形もなかった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

今日は良くはなかった。別に悪くもなかった。明日もきっと似たような日だろう。「ただいま〜」新職場で当たり前の過労働日を終え、疲れた身体を引きずり安アパートの扉を開ける。

 

「ワン! ワン!」返事してくれるのは、これまた当たり前の毛むくじゃら。尻尾をふりふり下手くそな二足歩行で愛犬イルカがお出迎えだ。

 

『おかえりなさい、キミト=サン』耳の奥に幻聴が響く。犬っころの吠え声だけではなく、あの涼やかな美声を聞きたい。だが聞けない。あの日からダイトクテンプルには行ったことがない。操ろうとしたのだ……それもファック狙いで。合わせる顔も無い。

 

けれど思い出すのは淡い菊花めいた美姿。そして自分にはけして見せてくれなかったあの笑顔だった。(((もしもあの日、キヨミ=サンにチートを使ってれば……)))何度も考える。何度でも後悔する。

 

だが同時に思う。(((もしそれをしたなら、あのニンジャは俺を生かしたか?)))喉をぱっくりと開けた故カミヘイたち。土地ごと真っ二つの廃ジンジャ・テンプル。おそらくは一緒に両断された御神体ニンジャ。

 

ぬくもりに目が眩んでチャンスをふいにした。チャンスをふいにしたから生き延びた。フォーチュンロープに引かれるサイオーホース。死んでも望みが叶う方がマシか、望みが叶わぬとも死なない方がマシか。

 

キミトにはわからない。わかるのは一つだけ。もうチャンスは来ない。チートは捨てたのだ。捨ててしまった。そして命を拾った。自分と愛犬、二つの命を。

 

「お前のせいなんだぞ」「ワン?」責任を押し付けた愛犬は首を傾げるばかり。「お前のせいなんだからな」「ワン!」抱きしめると加速した尻尾がパタパタ当たる。

 

どれほど『もしも』を願おうと、あるものしかない。だから今はただ、選んだこの温もりを味わっていよう。「ワン! ワン! ワン!」「臭いぞお前」ドッグフード臭い舌に舐め回されながら、キミトは静かに目を閉じた。

 

 

【アンダードッグス・ノクターン】終わり。



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第X話【ハードボイルド・ラーメン】#1

物は試しと本編外のスマホ執筆始めたら思いのほか早く書けてしまいました。
今後、スマホメインにしようかしらん。


【ハードボイルド・ラーメン】#1

 

 

冷え切った重金属酸性雨が降りしきる、灰色のメガロポリスの片隅。半壊したビルの死骸の中で、2つの影がアイサツを交わした。

 

「ドーモ、”フレット”です。毎度ありがとうございます」「ドーモ、”ブラックスミス”です。毎度お世話になっております」

 

墨絵の雷文が掌を合わせ、黒錆色の闇が頭を垂れる。2人は初めて互いの名を知った。そして、これが最後とも……知った。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

遡ること数週間前。

 

ニンジャは残虐無慈悲で一切の共感を持たないと言う。実際それは正しい。「スンマセン、ホントスンマセン!」ドゲザするポイズンフロッグの真摯な命乞いを聞いても、首を踏みつける影はいささかも力を緩めない。

 

「なんでもします! スンマセン! なんでもあげます! スンマセン! 助けてください!」「なんでもか」足元からの泣き叫ぶような声に対し、黒錆色の声音は鉄めいて無関心で平板だった。

 

「金払います!」「別に欲しくない」「オイラン手配します!」「……特に必要ない」「ソウカイヤに口利きます!」「それはゴメンだ」「じゃあ何ですか!?」全ての手札を出し尽くしたポイズンフロッグには問うことしか出来ない。

 

「当ててみな。お前らはそうしてたんだろ?」問いには問いが返された。答えを探して必死に視線を走らせる。辺りにはポイズンフロッグが相棒と共に弄んだ元オイランが転がっている。そして相棒の爆発四散痕もまた。

 

煮オモチめいた半崩れの死体と、壁に焼きついたヴェノムパイソンの痕跡。答えの代わりに末路を告げている。「で、答えは?」「マッタ! マッタ!」「ああ、待ったぞ。それで?」「アー、エー、その……コレだ! イヤーッ!」

 

最後の奥の手。舌と一体化したドク・バリを放った。その筈だった。だが黒錆色の足が頸椎を踏み砕く方が遥かに早かった。嫌な音が頭蓋の内に響いた。「コレが答えか? 残念賞だ。ジゴク行き特急券で我慢しろ」嘲りすらない、不快感だけの声が最期に聞こえた。

 

「サヨナラ!」爆発四散の風が僅かに死臭を拭った。影はしかめた顔を変えることなく、マネキネコ型UNIXにケーブルを差し込む。スコルコピー。場にそぐわない気の抜けた電子音。場にそぐわないヤクザ調度品。場にそぐわない幼いオイランの死体。

 

元はカネモチの高級住宅。それがヤクザの手に渡った。そのヤクザは数寄者で、ソウカイヤに都合が悪い情報を得ていた。だからこうしてニンジャアサシンが派遣され、ついでと居合わせたロリータオイランがオモチャにされて死んだ。

 

よくある話だ。よくない話はこの場にソウカイヤと敵対するニンジャ……ブラックスミスが来たことだろう。オマケ付きの安いミッションを終えて悠々直帰のはずが、ブラックスミスのカラテでアノヨに直行する羽目になった。不運極まりない。

 

ニンジャも、ヤクザも、オイランも、誰も彼もが不運だった。それだけの、よくある話だ。キャバーン! ジングルが鳴った。セキュリティが抜かれてデータが抜かれたのだ。これにて依頼は終了。手持ちのIRC端末からケーブルを抜く。後は帰宅までがミッションだが、残る作業は無い。

 

だからコレはミッションとは無関係な自己満足だ。子供と呼べるオイランの瞼を閉じて、黒布を溶かされた顔にかける。死者が蘇る訳でも、誰かが救われる訳でもない。片方だけの手にトークンを握らせたのも、ただの気分だ。共感も同情もない。

 

あるのは一欠片の感傷と、不快感。それだけだった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

腹が無遠慮な音を立てた。吐き気に似た空腹感を自覚すると不快感が更に増した。重ね着したコートでも防ぎきれない冷気が胃袋まで染み入ってきてる。黒錆色の外套をきつく閉じ、襟を立てる。だが凍える冬の汚染雨は体温をしめやかに奪い取っていく。

 

空腹と冷気が合わさり、風邪にも似た悪寒が芯から這い上がって来るようだ。ガス欠の肉体に何か入れようと辺りを見回す。薄暗い街灯に照らされるのは溶けかけの白けたブロック塀と、酸性雨でまだらに抉れたアスファルト。

 

時刻はウシミツアワー。しかも繁華街から程遠い中流層向けファミリー地区だ。コケシマートも店仕舞い、無人スシバーも見当たらない。食える場所はどこにも無い。なのにますます腹は減る。

 

とうに食い飽きた我が家のオソバすら恋しい。いっそドンブリ・ポンの虹色マグロドンブリでも構わない。何か、何かないか。脳裏にレッドライトが灯っている。焦燥感すら伴う飢えに苛まれて角を曲がった。

 

視界に赤く柔らかな光が飛び込んだ。甘辛い香りと真っ赤なチョーチンに『らぁめん』の文字。店舗と言うには余りに簡素な吹きっ晒しに、年季が入りすぎて錆び塗れなパイプ椅子が並んでいる。

 

飲食に適してるとは言いがたいが、ともかく飯が食えることに違いはない。胃袋の命じるままに急ぎ足で色抜けしたノレンを潜った。「……ラッシャイ」愛想の無い店主のアイサツに片手で答えて、軋むパイプ椅子に腰を下ろす。

 

「なに?」恐らく『何を頼みますか?』の頭文字だろう。しかしメニュー表は無い。壁張りのメニューもない。となれば……「ラーメンをください」「どの?」種類があるならメニューを寄越せ。

 

「何があります?」無愛想な店主は左右の寸胴鍋を指差した。だから中身はなんだ。ただでさえ気が急いているのに、店主の無愛想で余計に腹が立って来る。焦るんじゃない、俺は腹が減っているんだ。

 

「ハハハ!」「!?」隣の男が笑った。存在に気がつかなかった。いや、気がつけなかった。一瞬、額の裏に針が刺さる幻痛があった。隣客はカウンター隅に置かれた写真立てめいて、アトモスフィアが馴染みきっている。まるで店の一部だ。

 

「どちら様で?」「シツレイ、ただの常連だよ。オヤジはつっけんどんでいかんね。右がテリヤキ、左がショーユだ」「ドーモ、アリガトゴザイマス」一応の礼を返し、テリヤキの鍋を指す。

 

「アイヨ」店主は中央の寸胴で麺を茹でる。その合間にテリヤキソースとオダシをカクテル。流れる川めいて淀みなく動く。まるでやる気の無い返事に対して、湯切り一つにも確かなワザマエがあった。

 

「オマチ」短くも長い待ち時間。端的な言葉と共にラーメンドンブリが差し出された。甘辛い蒸気が顔を洗う。「フーム」ドンブリは粘つく蜜色で満ちている。琥珀と赤銅を溶かし合わせたようなスープにチャーシューと麺が沈んでいた。悪くない。

 

「イタダキマス」掌を合わせ一礼と共にレンゲを手にした。まずはスープだ。掬ったスープは重量感を覚える粘度で、口に流し込めそうにない。箸で無理矢理啜る。「ズッ! ズズーッ! ズッ!?」少々下品な音を立ててスープを啜り込むと驚きが口に入って来た。

 

(((熱い!?)))粘性の高いスープが、寒空の下でも強烈な熱を保持していたのだ。更にスープにたっぷりと混ぜられたシチミペッパーが口中に火をつける。心音が急激に高まり、全身の汗腺が開く。凍えていた肉体が溶かされるようだ。

 

熱い上に辛い。だが、美味い。甘口に仕上げられた熱々のスープ。そこに合法バイオトウガラシの辛口が加わって、ただ一口で冷え切った身体が点火する。反射的にひっ掴んだお冷を煽った。キンキンに冷えた業務用枯山水が喉を駆け抜けていく。

 

それでも火のついた食欲は消えてくれない。迸る熱情に身を任せて中華麺を手繰る。太い。そして強い。固茹での麺だ。歯を立てるとヨコヅナめいた力強いコシが顎を押し返す。そして力を込めればヨコヅナめいて優しく受け止めてくれる。噛み切る瞬間までヨコヅナめいて歯切れ良い。これまた美味い。

 

不意にチャーシューを齧れば、蕩ける脂の甘みに力強い肉のウマミ。しっかりと煮込まれた豚肉は口に入れれば瞬く間に消え失せるほど柔らかだ。しかし麺にもスープにも負けない美味が、不在の煮豚を後から後から喧伝してくる。これは最早、ゼンだ。

 

もう、こうなれば止まらない。胃袋の熱に浮かされるまま、スープを啜り麺を手繰りチャーシューに食らいつく。ウオン、まるで俺は暴走機関車だ。腹の炉心にラーメンを注ぎ込む度、熱が吹き上がりエンジンを加速する。

 

気がつけばドンブリを満たしていた麺もスープも姿を消していた。代わりに脳は多幸感で満ちて、全身を心地よい熱が駆け巡っている。至福のひととき。

 

「美味そうに食うね、アンタ」「実際、美味いんですよ」隣の客は楽しそうに笑う。それに返す言葉をひり出すだけで億劫だ。今はただこの悦びに浸っていたい。

 

「だろ? オヤジのラーメンは絶品なんだ。俺はここの常連でね。リピーターが増えてくれると嬉しい」「常連になるかはわかりませんけど、少なくともファンにはなりました」蕩けんばかりの弛緩と法悦。そこから僅かに戻ったシンヤは心底の同意でうなづいた。

 

その前にギョーザ・ダンプリング入りのスープが差し出された。「そいつはチョージョー。そしてコイツは奢りだ」「いいので?」「俺じゃない。そういうオヤジなのさ」店主は後ろを向いて作業をしていた。無言の背中に深く礼をする。

 

「ドーモ、アリガトゴザイマス。イタダキマス」店主は答えない。耳と頬が赤いのはきっと寒さのせいだろう。そういう事にして、シンヤは熱々のギョーザをいただく事にした。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

哭いている。哭き叫んでいる。哭き声を上げている。だが何一つ聞こえはしない。耳に届くのは雨音に似たノイズだけ。画面の中の絶望はディスプレイの向こう側で、現実には一声たりとも届かない。

 

CRTと対峙する現実は凪いだ虚無だ。表情の無いフルメンポが、カメラアイめいて画面上のジゴクを傍観している。時折、安アルコールのコップを傾ける。美味いどころか味を感じてるそぶりさえない。中身を泥水に変えても大差ないだろう。

 

天然色で描かれる悪夢は佳境に入った。ベルーカのVを生体LANから注ぎ込まれた父親は、最早家族の守り手ではなかった。膨れ上がる人造の憎悪に引きずられ、彼は遂に子供達を殴り殺すに足りる理由を見いだす。

 

それが如何なる理屈か、サイレントの視聴者には解らない。解る必要もない。解るのは憤怒の悦楽に昇天しながら、子供達が昇天するまでボーを振り下ろす父親だけ。それだけで十分だった。

 

屋根裏に潜むブラックスミスにも十分だった。充分すぎるほどに不快で不愉快だった。だが目を逸らす訳にはいかない。ファミリースナッフのVHSと同じ金庫に必要な情報素子は入っているのだ。自爆機能付きの機械式金庫を破るにはビデオ交換時しか機はない。

 

地獄絵図のエンディングが始まった。憎悪をオフされた父親がひたすらに頭を床に打ち付けてる。それは謝罪か、自殺か、両方か。もうそれしかないのだろう。生きる理由はついさっき足元のミンチにしたばかりなのだから。

 

ブラックスミスの脳裏に巌めいた人影が浮かんだ。浮浪者キャンプのヨージンボー。サカキ・ワタナベ。彼も同じ絶望を味わった。違いは手元にオハギが、逃げる先があったこと。薬物の快楽と欺瞞の記憶は彼を永らえさせた。その僅かな長生きは彼に贖罪と救いの機会を与えた。

 

だが、この父親にそのチャンスはない。主催者から手渡された拳銃を力無く咥える。家族を手にかけさせた相手に憎悪も憤怒も見せなかった。その気力すら喪われていたのだろう。

 

僅かに口が動いた。何を口にしたのか。鉛玉以外に何を口にするというのか。BLAM!ぶちまけた脳漿が子供達のミンチと混ざる。だが、当たりどころが悪かったのか、父親は痙攣を続けていた。死に逃げる事すら出来ずに痙攣を続けていた。

 

スタッフロールが流れ出し、無骨な戦闘用テッコが電源を切った。取り出されたVHSをクロームメタルの指が摘む。ダイヤルを回し、番号が揃い、金庫が開く。終わりだ。「イヤーッ!」黒錆色の影は、天井をぶち抜きながら背丈より大きいクナイ・パイルを生成。アンブッシュで脳天に打ち込む。

 

「グワーッ!」「チィッ!」外された。膝下サイバネの車輪を無理矢理回して体勢を変えたのだ。だが、深い。無感情に見下ろす胸元には袈裟懸けの亀裂が走る。血とニューロンの代わりにオイルが溢れて火花が散る。

 

「ドーモ、ブラックスミスです。ビデオの趣味がいいですね」「ドーモ、”ロケッティア”です」先手を取ってアイサツ。皮肉への返事は無し。無言で組んだ両手を突き出した。同時にノズルが展開。両肩各一つ、背中に二つ。足元のホイールは急空転し、バーンアウトの白煙が上がる。

 

対してブラックスミスは深く腰を落とした。弾道跳びカラテパンチの予備動作。燃料噴射するロケッティアと同様に、カラテに火を点ける機を図る。点火プラグが火花を発した。噴き出す燃料からポテンシャルが解放される。

 

「イヤーッ!」ロケッティアはバックファイアの羽根を背負った。時間が圧縮され、一瞬が引き延ばされる。空気が引き裂かれるより早く重サイバネの巨体が迫る。断熱圧縮で赤熱する鋼に対し、ブラックスミスは赤銅色の拳を背負った。踏み込む。

 

「イヤーッ!」弾道跳びカラテパンチ……ただし、跳躍はなし。代わりにガントレットが弾道の赤い弧を描く。質量打ち上げ分の出力は全て右手に込めた。三つの拳が交差する。二つは虚空を、一つは胸郭を打ち抜いた。

 

「アバーッ!」互いの交差速度はそのまま破壊力に転じた。赤銅色のガントレットは亀裂を押し広げ、心臓を潰し、背椎を砕き、背面から飛び出した。大穴の空いた重合金胸甲が中身ごと真っ二つに砕けた。ズドム。壁に叩きつけられた上半分が部屋を揺るがす。

 

「アバッ」ロケッティアの四分の一がハラワタめいた内臓部品の中に崩れ落ちた。残りの四分の三は既に流血に等しいオイルの海に沈んでいる。ザンシンを解いたブラックスミスがロケッティアの最期を見つめる。

 

「ハイクは?」「ない」無感情な問いに無関心な答えが返される。「イヤーッ!」振り上げられた赤銅色が、虚無をあるべき場所……否、『無い』べき場所へと送り届けた。

 

「サヨナラ!」ヘルムが砕けた一瞬。絶命のゼロコンマ前。ロケッティアの顔が見えた。それはビデオの父親に酷く似ていた。確認する術はない。確認する気もない。

 

情報素子を奪い、ブラックスミスは去った。粉微塵に砕かれた死体とVHSの残骸だけが部屋に残されていた。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

啜る。啜る。啜る。「ズズーッ! ズルッ! ズルーッ!」ラーメンとは何か。偽物と呼ぶ人もいる。情熱と呼ぶ人もいる。シンヤにとってラーメンとは『熱量』だ。冷え切ったエンジンに火を入れて、凍りついた神経を熱く溶かしてくれる。

 

飲む。飲む。飲む。「ゴッゴッゴッ!」それは肉体を駆動する燃料であり、それは精神を賦活する妙薬である。故に熱量は悦びであり、熱量は幸福である。汝、脂を讃えよ。糖分を讃えよ。カロリーを讃えよ! そう、美味しいモノは脂肪と糖で出来ている! 

 

「クハーッ!」世のうら若き女性達に殴り殺されそうな妄言と共に、シンヤはドンブリのラーメンスープを飲み干した。「毎度毎度美味そうに食うねえ」「実際美味いんですよ」隣の客と毎度毎度のやり取りを交わす。

 

リピーターになるかは解らないと以前に口にしたが、今や立派な常連客だ。「そういう貴方はそんなに食べませんね」「いや、楽しんでるよ。ただ、ゆっくりと楽しみたいのさ」レンゲに乗せたミニラーメンをつつき、隣客はケモビールを啜る。

 

「酒と一緒に、ですか。アルコールの味はわかりませんけど、美味しいんですか?」「そりゃぁもう。これこそ人生の歓びってもんだ。ドラッグだけじゃなく酒も飲まないなんて珍しいな。ナチュラリストか何かなのかい?」

 

「いや、何て言うんですか、こう、悪いことしてる気がして、飲む気になれないんですよ」未成年の身で酒なんか飲んだら、キヨミに怒られそうだ。居ないキヨミがどうやって怒るのかは知らないが。

 

「ハハハ! 若い子は悪い子したがるもんだが、アンタは随分と良い子だな!」「ワルぶったアウトロ・ワナビーが格好いいとは思えませんので。真面目に生きてる人間が一番涼しいですよ」

 

「そうか……そうだな、それが一番だ」隣客の纏う空気が色を変えた。シンヤは一瞬躊躇ってから言葉を口にした。「……それに家族に胸を張りたいんで、酒はやめときます」兄貴でございと踏ん反り返ってオセッキョしている身なのだ。大黒柱がワルを気取っちゃ格好がつかないし、何よりカッコが悪い。

 

「……そうさ、それがいい。そうしときな」隣客はそう呟くと無言で安サケを傾けた。店主も手を止めていた。しめやかな空気が店を満たしていく。メガロポリスの猥雑が遠く聞こえる。雄弁な静寂が響く。

 

「皆オサケ飲んでますカァー!」それを破ったのは雑音に等しい嬌声だった。不快と書かれたしかめ面三つが音源に向けられる。マケグミというには段違いに高級なスーツ、カチグミというには場違いな丑三つのらぁめん屋。

 

「ココおさけ飲めますカァー!」酒に呑まれた中流層だろうか。千鳥足な酔っ払いは錆びたパイプ椅子へと無遠慮に腰を落とす。「ねー、店長! オサケ! サケ! ないの! ?」キイキイ椅子と一緒に耳障りな鳴き声をあげる姿は、駄々をこねるお子様に等しい。

 

最早、アトモスフィアには奥ゆかしさの欠片もなかった。「ない」「エー!? ナンデー!? こいつ飲んでるじゃん! ナンデナンデ!?」店主のオブラート入り退出勧告にも気付く様子はない。奥ゆかしさの代わりに敵意と苛立ちが空気に混じり出す。

 

「ほれ、サケだ。これやるから帰んな」気を利かせた隣客が、ため息混じりにサケを差し出す。これで帰るなら重畳だろう。恐らくは帰らないだろうが。「要らな「やめな」アアッ!?」予想の通り、酔っ払いは帰ろうとはしなかった。

 

「オイオイ、サケを粗末にするんじゃない」「何すんだテメーッ! クビスッゾコラーッ!」そして今度は怒り上戸だ。腕を掴んだ隣客へ真っ赤な顔で怒鳴り散らす。当然、サケを投げ捨てようとした数秒前の記憶は綺麗さっぱり揮発している。

 

「弊社どこと思ってるワケ!? 御社どこよ! 四季報乗ってんの!?」だめだこりゃ。酔っ払いは脳髄まで安アルコールが回ってるようで、新種のサラリマンスラングをまき散らしている。こいつを物理的に黙らせるべく、シンヤは席を立とうとした。

 

「フリーランスだよ。それと……お 静 か に」隣客の動きはそれよりも早かった。ネクタイを締め上げて、安酒に濁った両目を覗き込む。「アッ、アッ、アッ、アィェッ!?」酔いは瞬く間に抜けた。主に股間から。

 

「アィェーッ! アィェーッ!」尿で移動経路を記録しながら元酔っ払いは逃げ去った。往路とは打って変わって、帰路は確かな足取りだった。「おいオヤジ、モップかなんかないか?」店主は答えずにモップをかけ出した。それと隣客の席に、サケとオツマミを追加する。

 

「いいよ、やるって……そう言ってもオヤジは聞かないよなぁ」二度目の嘆息は少し甘かった。口元の苦笑も柔らかい。「オヤジ、アリガト」「おう」 初めて耳にする店主の会話に、初めて目にした店主の反応だ。だがそれに驚くよりも先に、シンヤは考えるべきことがあった。

 

隣客は、ニンジャだ。酔っ払いを締め上げる動きでやっと確証を得られた。超感覚の訴えにようやく実証が出たのだ。さて、どうする。イクサか? 無意識が黒錆色した四錐星を手の裏に産み出す。隣客の箸が止まる。弛緩したアトモスフィアが再び張り詰めていく。

 

そしてシンヤは……意識的にスリケンを握り潰した。やめた。隣に居るのはラーメン好きの常連客。それだけだ。隣客がニンジャでもモータルでも何者でも同じだ。ここはラーメンを食べる場所であって、イクサの場所ではないのだから。

 

「お冷をいただけますか?」無言で差し出された冷水を煽り、トークンを置いて席を立つ。「ドーモ、ゴッソサンです」「マイド」店主の代わりに隣客の挨拶が聞こえた。片手を振って応えながら、シンヤは路地裏に消えた。

 

 

【ハードボイルド・ラーメン】#1おわり。#2に続く。



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第X話【ハードボイルド・ラーメン】#2

【ハードボイルド・ラーメン】#2

 

 

液質の琥珀に零度の氷晶が浮かぶ。男は口をつけることなく、ウィスキーのグラスを回した。カラン。硬質な音が手の中に響いた。グラスを通したバーの光景はセピア色に歪んでいる。

 

「飲まないのですカ?」「見てるのが好きなんだ」聞き覚えのある、耳障りな合成音声。男は振り返りもせずに答える。「面白い趣味をされてますネ」「アンタの顔ほどじゃないさ」

 

向かいに座ったブローカーは文字通りの能面顔だ。マネキンの顔をサイバネでそのまま貼り付けている。灰色スーツと合わさって紳士服売り場に置かれてても違和感がない。いつ見てもこの顔のままだ。死ぬ時もこの表情のままだろう。

 

「で、何を? それとも誰を?」余計な会話は要らない。依頼、仕事、報告、報酬。いつも通りだ。「これでス」一緒、男は目を見開いた。差し出された写真は見覚えのある顔だった。ここ最近、見覚えた顔だった。

 

「いつも通りに標的の居場所は連絡しまス。口座もいつも通りでス。報告書もいつも通りのアドレスに送って下さイ」マネキン顔はいつも通りの台詞を再生する。いつも通りならここから金額交渉に入る。だが男はいつも通りに返さなかった。

 

「……なあ、この依頼は何処からだ?」「聞いてどうするんですカ?」好奇心がネコ殺し。ネオサイタマならネコだけでは済まない。それでも男は聞いた。「知りたいんだよ」

 

「そうですカ。依頼は上からでス」「だから何処だ? タケダか? それとも城6エレキ?」近隣最大手のヤクザクランと企業城下町の主を挙げる。だがマネキンは首を横に振った。

 

「イイエ、一番上でス」「一番? ……いち、ばん?」「ハイ、一番上でス」息が止まった。それは万人を轢き潰す雷神紋か、或いは遺伝子を改竄する福禄寿か。それとも、ヤクザ帝王の持つクロスカタナか。どれもこれも裏社会の支配者達だ。一介のツジギリスト兼アサシンにとっては雲上の主。

 

「聞いた以上、わかってますネ?」「……ブッダ。わかったよ」この件を蹴れたらと思った。だが、蹴れないとわかった。どうにもならないともわかった。一息に火酒を呷る。腹の底が琥珀の火で焼けるようだ。好みじゃない。いつもの安酒とラーメンが恋しい。

 

「ああクソ、ラーメンが食いたい」「頼めばよいのでワ?」送る先の無い独り言に空気を読まないマネキン顔が合いの手を入れる。「食いたいラーメンがあるんだよ。オヤジのやつさ」そう答えると、会話を拒否するようにグラスの氷を噛み砕いた。酷く凍える心地がした。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

「……ラッシャイ」「ドーモ」シンヤが店に来たのは珍しく日が変わる前だった。「ドーモ」「ドーモ」隣客と挨拶を交わし席に着く。珍しくサケを飲んでいない。遠い目をしてお冷をちびりちびりと啜っている。

 

「テリヤキ・ラーメンをお願いします」「オヤジ、ショーユ・ラーメンをくれ」注文を終えれば残るのは無言だった。先日のしめやかな静寂とは違う、重苦しい沈黙だ。問いはしない。お互いにただの客に過ぎないのだから。

 

質量を帯びた空気の中、ただ待つ。ラーメンを待つ。「オマチ」「「ドーモ」」差し出されたドンブリを同時に受け取り、同時に礼を返す。「イタダキマス」雰囲気で食事の味は決まるというが、テリヤキ・ラーメンは変わることなく美味い。隣客もラーメンを啜り出した。

 

再びの沈黙、再びの無言。聞こえるのは時折鍋をかき混ぜる音と、繁華街の遠い喧騒。「ズーッ! ズズーッ!」「ズルルーッ! ズゾーッ!」そして麺を手繰り、スープを啜る音だけだった。ひたすらにラーメンを食らう。世界は自分とラーメンだけ。孤独でありながら、心から満たされる時だ。

 

TELLL! TELLL! 「ズルーッ! ……モシモシ?」隣客の受信音も気にならない。「ああ、わかった。知ってる。すぐに対応する」電話越しの会話も意識の端にも留まらない。

 

芳しい香りが鼻を抜け、暖かな湯気が顔を濡らす。視界は溶岩めいたスープで埋まり、唆る音が耳を塞ぐ。そして温度、歯ごたえ、喉越し、辛味、塩味、甘味、酸味、旨味。口中に満ち溢れる幾多の味わいでニューロンが満ちていく。

 

「美味しい」とは『味』が『美しい』と書く。今、その意味がやっとわかった。オーケストラのように、ロックンロールのように。絵画のように、グラフィティーのように。これが美なのだと。これこそが、美味なのだと! 

 

最後の一滴をレンゲで掬い取る。ドンブリにはネギの一片すらなかった。「美味そうに食うね」「実際美味いんですよ」毎度毎度のやり取り。恐らくはこれが最後になる。隣客の目を見ればわかる。想像はつく。理由は聞かない。

 

「待ちましょうか?」「いや、俺も食べ納めたところだ。行こう」代金のトークンを置いて二人は店を出る。その背に声が届いた。「……マタキテネ!」シンヤは振り返り、頭を下げた。隣客は振り返ることなく、片手を上げた。

 

店長が二人を見たのはこれが最後だった。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

冷え切った重金属酸性雨が降りしきる、灰色のメガロポリスの片隅。半壊したビルの死骸の中、2つの影がアイサツを交わした。

 

「ドーモ、フレットです。毎度ありがとうございます」「ドーモ、ブラックスミスです。毎度お世話になっております」

 

墨絵の雷文が掌を合わせ、黒錆色の闇が頭を垂れる。2人は初めて互いの名を知った。そして、これが最後とも……知った。

 

フレットが突き出した手に太陽紋めいた亀裂が走る。五本の指が掌を軸に円周を描いた。特殊な戦闘用サイバネか。掌中に走る稲妻がスリケンへと変ずる。雷神系クランのソウルに、サイバネを加えて補強している。

 

キュィィィーンッ! 如何なる電磁力学的作用か、スリケンは掌から浮いたまま空転を始めた。レトロフューチャーの丸鋸めいたサイバネが突きつけられる。対するブラックスミスは僅かに眉根を寄せた。機が、読めない。

 

それこそがこの武器の役割であった。駆動部品を極限まで排除した構造、半永久的な電磁加速。そこに論理トリガを加えて、射出タイミングを示す一切の機は排除された。正に殺しの武器だ。

 

加えてブラックスミスに見せつける様に逆の手を背に隠す。後ろ手は二の手三の手を明確にアッピールしている。突きつけた「見せ札」で動きを封じ、見せつける「切り札」で疑心暗鬼を産む。

 

焦燥のままに動けば、後の先を取り「見せ札」が風穴を開ける。怯え竦めば先手を打った「切り札」で相手は『負けを待って犬死』。これぞ、フレット必殺の形である。これで殺せなかった相手はいない。

 

……つまりそれは「殺せない相手と戦ったことがない」とも言えよう。深く腰を落としたブラックスミスがその一人目になるか。フレットのこめかみに、雨に似て冷たい汗が流れた。

 

焦りもなく恐れもなく、しめやかに奥ゆかしくヘイキンテキを保つ。張りつめたカラテと合わさった姿は鋼鉄の弩弓めいてすらいた。これほどのニンジャを相手取るのはフレットにとって初めてだった。

 

ジリジリと時が過ぎる。スリケン回転の風切り音、降り止まぬ雨音、お互いの呼吸音。不意に弾ける火花だけが流れた時を数える。長い一秒一秒に炙られて、冷たい汗が量を増す。今や『負けを待って犬死』はフレットの側であった。

 

モータースリケンの半永久的な電磁加速。それは永久ではない。時間制限があるのだ。人体サイズのサイバネに恒久的な電源なぞない。欲しいなら近所のコンセントから有線でも引くほかないだろう。

 

いずれエナジーが不足し、電磁回転が乱れ、隙が産まれる。ブラックスミスは悠々と待てば良い。『走らないと周回遅れ』いつかの夜、屋台業に安寧する父をコトワザでそう嘲笑った。

 

そして今、フレットは必勝を失い乱れる己を嗤った。感傷に振り回される自分の様を笑った。安易に逃げた自身のツケを笑い飛ばした。そして機を図る。自らの呼吸を計る。相手の脈動を計る。

 

試作アラゴ円盤原理式開放誘導型モータースリケン射出兵装……シャーテック流出技術の落とし子が、加速する時計めいて廻る。廻る。廻る。

 

機が、来る!! 

 

PING! 「イヤーッ!」フレットのシャウトに先んじて論理トリガーが引き絞られた! 回転磁場の偏りに従い、一切の予兆なくモータースリケンは宙へと飛び出す! 射出を告げたのは電光の残像と後を追ったカラテシャウトだった。

 

サンシタどころか、並みのニンジャでもこれ一つで兜割り死ぬ。並みでないなら? 「イヤーッ!」当然、目の前のように避ける! だから『切り札』がある! 「イヤーッ!」打ち振る後ろ手が、掌から10倍に膨れ上がる! 

 

これがもう一つのサイバネ、ネットハンドだ。基本的にネットランチャーと役割は変わらない。敵を捉えて電撃で怯ませる。重要なのはサイバネという点だ。「!」つまり、広げたネットが指として動く! 

 

並み以上のニンジャも、点の狙撃から面の制圧には対応仕切れない。ネットで縛られ、電気で痺れて、スリケンで刎ねられる。これで必勝だった。これまでは必殺だった。だが、この世に必ずは無い。

 

「イヤーッ!」ネットハンドめいて打ち振るわれた黒錆色が、押し包み縛り上げる筈の天網を遮った! これがブラックスミスのジツだ。視認より速く脱ぎ捨てた装束が、10倍に膨れ上がり身を守ったのだ。そして打ち振るわれた黒錆色の下から、殺意が心臓を標準する。

 

隠し続けた『最終最後の札』を切る、その時が来た。最後の最後に頼るカラテはいつもコレだった。一番憧れ、一番鍛え、一番振るった始まりのカラテ。ドラッグに溶けたセンセイの脳髄に、ただ一つ残っていた本物のカラテ。

 

初めて人を殺した日も、両手を失い逃げ延びた日も、奪われた四肢の報復を果たした日も、このカラテで仕事を果たした。その名は……「イィィィヤァァァーーーッッッ!!!」……胴回し回転蹴り(フライング・ニール・キック)!!!

 

空を引き裂くこの踵が幾多の首を刎ねた。どの首もフレットを見ることなく宙を舞った。だが黒錆色の影は見ている。振るわれる踵を見ている。その軌道を、その速度を、その威力を、見切っている! 

 

だから、ここで『最終最後の札』を切るのだ! 脚部サイバネの爆薬発電機に点火信号を叩き込む。BLAM! マイクロ秒で生じた100MJにも届かんエナジーがサイバネを焼き切りながら踵のブレードに与えられる。

 

精緻に重ねられた特殊合金のミルフィーユが一瞬で昇華し、一瞬の刃を作り上げる。一度限りのファイブカード。最初で最後のブラックジャック。オナタカミ試製電磁場刀身生成装置(エナジーイアイユニット)“ライジン”。これがフレット最後の一枚札だった。

 

ZZZAPPP!! 10倍射程のプラズマがイオン光で電弧を描く。瞬電の切っ先は闇と共に黒錆色を切り裂いた。真っ二つの影が宙を舞い……「!!?」……吹き込む重金属酸性雨に旗めいた。閃光が刎ねたのは、ネットを弾いた装束に過ぎなかった。ではブラックスミスは何処に? 

 

「イヤーッ!」其処に! 刎ね飛んだニンジャ装束の下半分から、黒錆色の弾丸が地を滑り迫る。ドクン! ニンジャアドレナリンが致命の刹那を引き延ばす。ドクン! ソーマトリコールが過去から生存の答えを探し回る。

 

……仏頂面な父の手料理。息が止まったケイコ。震えて踏み込んだ裏路地。脚に残った人殺しの感触。ドラッグと過信。勉強代の両腕。モータルからの離脱。報復のサイバネ。ツジギリな日常。思いもかけない再開。同じ趣味との出会い。最後のラーメン。

 

解答は無かった。代わりに人生が有った。愚かで、無意味で、馬鹿馬鹿しい。自分の人生が其処に有った。「イヤーッ!」「グワーッ!」赤銅色の拳がゆっくりとフレットを轢き潰す。

 

ドッォォォオオオンッ! 死が響き、人生のエンディングが聞こえた。

 

 

―――

 

 

気づけば雨は止んでいた。白けた月光が瓦礫の隙間から差し込む。ドクロの月はフレットの致命傷を露わにし、インガオホーと嘲り笑う。だが月は黒錆色の影に遮られた。死をもたらした若いニンジャは、憎悪でも悲嘆でも後悔でもない顔でフレットを見ている。

 

「……言わなくて、よかったんですか?」不意に視線が流れた。向けられた先は酸性雨に溶け崩れたコンクリ塊。否、遠い目はその向こうの屋台を見つめていた。「何を言ってる? 俺はただの客だ。オヤジのラーメンが好きなだけの、常連客さ」

 

ブラックスミスはしめやかに頷いた。「ええ、店のラーメンは実際美味しかった」「だろ? オヤジのラーメンは絶品なんだ。ガキの頃から大好物で、いっつもオヤジにねだってた」フレットは笑った。笑う度に喀血が溢れた。

 

「ハイクを詠みますか?」「……ダメだ、思いつかない。学が、ないんだ」暫し考えたが首を横に振った。学んだのは親の家業と人殺し、そしてカラテだけだ。家業は捨てて逃げ出し、人殺しも二流かそこら。今のザマを見ればカラテも底が知れる。

 

冷え切った空気に晒されて、弾けて溢れた内臓から湯気が立つ。「……らぁめんノ/湯気立チ上リ/夜ニ溶ケ」「ポエット。いいじゃないか」屋台の光景が目蓋の裏に浮かび上がる。実際、名句と感じた。

 

「即興ですよ?」「だから、いいのさ。オヤジの、ラーメンみたくは、なれなかった、からな」立ち上る湯気が徐々に薄らいでいく。熱量が喪われていくのが判った。酷く寒い。意識が焦点からぼやけていく。

 

ブラックスミスも気づいた。だから赤銅色の拳をカワラ割りパンチに構える。「カイシャクは……」「たの、む」最後に脳裏に浮かぶのは真っ赤なチョーチンと、無愛想なオヤジの顔。

 

「イヤーッ」ああ、オヤジのラーメンが食いたいな。あの固茹で麺とショーユのスープが美味いんだ。何度食ってもそう思う。「サヨナラ!」最期までそう思った。

 

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

 

視界の端に赤いチョーチンが灯った。「ラッシャイ!」つい視線を向ける。店舗と言うには余りに簡素な吹きっ晒しに、年季が入りすぎて錆び塗れなパイプ椅子が並んでいる。そして真っ赤なチョーチンには……『そでん』の文字。

 

「おぅ、にいちゃん! 一杯飲んで食ってかない!?」「スミマセン、食べたい店があるんで」「ウチのネリモノは何処よりも美味いし、きっと其処よりも美味いぜ!」「ラーメンの店なんですよ」「じゃあシラタキヌードルはどうだい!? ヘルシーでサケが進むよ!」

 

しつこい呼び込みに、シンヤは苛立ちを込めた視線で答える。「俺は、ラーメンが、食いたいんです。いいね?」「アッハイ」そでん屋にはニンジャ圧力を帯びる目を見てなお声を掛ける意志力はなかった。

 

別のミッションで遠出してから帰ってみれば、らぁめん屋台は姿を消していた。移動したのか、廃業したのか、判らず終い。いつか家族を連れて食べに行きたかったが、夢物語で終わりそうだ。

 

それでも赤いチョーチンを目にする度に、シンヤの視線は引き寄せられ、あの光景が脳裏に浮かぶ。無愛想でワザマエな店主、蜜色のテリヤキ・ラーメン、気のいい隣客。

 

記憶の味はいつまでも美味いままだ。いや、思い返せば思い返すほどその美味しさを増してくる。「ああ、あのラーメンが食いたいな」溢した言葉は、屋台から立ち上る湯気と共に夜に溶けて消えてった。

 

 

【ハードボイルド・ラーメン】おわり。



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