人外男と検体女子高生 作:スド
「それじゃあ邪魔するぞ」
『わかったわかった』
靴を並べ、先にリビングへと進んで行く。私もその後に続く。
『………』
「……」
彼女に背を引かれてるせいで酷く靴が脱ぎにくい。…振りほどくような真似は流石にしない。人外慣れができていない状態で彼のようなタイプの人外と会わせるのは――――少し早いかもしれなかった。
(…あまり悠長なことも言ってられないか)
しかしそろそろ人外の姿形にも慣れていくべきかもしれない。私のような人間寄りの人外はそこまで多くない。友人のような姿もいれば、殆ど獣に近い者もいる。少しずつ、徐々にでも慣らしていくべきだろう。いつまでこうして過ごせるかも、分からないのだから。
「悪いな。コーヒーまで貰って」
『流石に何も出さない訳にはいかないだろう』
早速友人はカップに手をつける。その間に買ってきた物品を整理しておく。その中に本は無かった。彼女が寝室に持って行ってしまったからだ。…やはり、まだ早かったらしい。人外慣れにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
カップを置いたところで話を切り出した。
『それで、何があった』
「大したことはなかったさ」
『嘘だろう』
流石に嘘だと私でも分かる。大した目的もないのにずっと玄関先で待っている奴がいるだろうか。
「いや、それが本当なんだな」
しかし否定は続く……嘘を言っているようには見えないのが妙だった。
ならば、と聞いてみる。
『……じゃあどうして玄関先で待ってた?』
目的が分からなかった。何の理由も無しにどうして、と思っていた。
「どうせお前のことだから遠出はしないだろうし直ぐ帰って来ると思ったから。目的は、アレだ。しっかり休めたか確かめるためだ」
『…本当にそれだけのために?』
「疑り深いな。しつこいぞ。全部本当だって」
『……そうか』
「そうだよ」
ああ、と察した。そういえばこういう男だったと思い出した。彼に関する事項の全ては深く考えたら負けだったことを思い出した。
頭を掻く。
『……休めは、した』
「そうか。なら、良かったな。見たところ、検体も連れ歩いたらしいな」
友人が寝室に顔を向ける。今頃、買ってきたばかりの本に夢中になっている筈だ。
『…外にも慣れさせようと思ったんだ。何かあったときに外を知っている方がいいと思って』
「良い心がけなんじゃないか?そういうのって全部一任されてるんだろ……あ、何も問題はなかったんだよな?」
『問題はなかった。毛髪で人間の目は隠して動いて貰ったから問題ない。…そもそも私以外の人外がほぼいない」
「平日だもんな」
『皆が働いているのに私だけ遊び歩いているんだ。正直、罪悪感はあったさ』
細かい奴、と呆れられた。
話題が途切れて少しして、話を切り出したのは彼の方だった。
「そういえばだけど、前に比べて表情も良くなったんじゃないか?」
『…彼女のことか?』
「彼女?……ああ、検体のことか。そうそう、その彼女」
『…笑ってるのか?』
「いいや?別に?ほら、続けろ続けろ」
『…表情は……少なくとも、初日よりは断然良くなってきている。食欲もあるし、発作も最近は………ん?なんで昔の彼女を知ってる。前に会わせたことあったか』
まるで前から知っていたような口ぶりに疑問を抱く。しかし、逆に困惑しているような口調で返された。
「会社で会ってるよ。ほら、あの検体がいた部屋ってガラス張りだろ。見えたんだよ」
『……ああ…そうか』
初めて彼女と出会った場所を思い出す。確かに、あそこはガラス張りだった。
「それより、お前への嫌がらせの件だけどな」
『そっちの方は私としてはどうでもいい』
「まぁ聞けよ。誰がやったかは分かったんだ。動機は"アレ"だ」
アレ―――――妙な"気遣い"に思わず苦笑する。今更だというのに。
『まだアレなんて言ってるのか。普通に言えばいいだろうに』
アレ。隠してはいるが、要は私が人間寄りの容姿をしているのが気に喰わないからという意味だ。私が気にしているとでも思っているのか、友人はこのことについて必ず"アレ"という。
昔は人間に似た人外は差別の対象だった。その名残が未だに残っているということだ。別に不思議な話でもない。差別はいつの時代も消えないのが世の常だ。
「…それは兎も角、そういう理由でやったらしい。で、やったのは別の部署の女。十中八九、人外至上主義だな。…どうせお前だ。あまり問題にされたくはないだろうから、厳重注意で一応は済ませたぞ」
『悪い。ありがとう』
「ありがとうじゃねーよ。寧ろもっと厳しくって言っていいんだよ、こういうのは。一度性根を――――――」
『……まぁ、考えとくさ』
「どうせ考えるだけだろう」
呆れたような溜め息が聞こえた。
「………とりあえず部署内の空気は大丈夫だ。誰も特に気に留めていない。明日からは普通に出勤しろ。本当に何事もなかったことになってる」
『部長か?』
「手回したんだよ。オレともお前とも、結構長い付き合いだ」
『お礼言わないとな』
「いらないってよ。こんなことで感謝するなって言ってたさ」
『でもありがたいことだ』
「…あ、そういえば今日―――――――」
暗い話は一旦切り上げ、関係のない話を始めていく。私としてもそういう話は正直気が進まない為、丁度いいと話に乗った――――――軽い話を続けて行くうちに、向こうが少し気になることを切り出した。
「……なんかお前、良い感じになってきたな」
と、言われた。言葉の意味に、困惑する自分がいた。
『……いい感じってなんだ』
意味が分からず質問してみたが、向こうも向こうでなんだか歯切れが悪い。
「変な意味じゃねーよ。性格的な面だ。前よりも…なんかよくなった」
抽象的なのが変わらず、さらに困惑させられていく。
『…具体性がないな』
「俺も詳細を上手く摘まめてないんだよ――――――ま、原因は見えてるが」
『なんだ』
「検体の世話をし始めてからさ。それまでと今じゃあ"何か"が決定的に違う」
『どうせその"何か"もよく分かんないんだろう』
狂暴性とか偏屈なところとか、そういうものかと予想するが、彼が言葉にできないということは、そういうものではないのだろう。
「わかんないな。でも、悪い意味じゃないさ。大方、世話をする奴がいるから生活にもメリハリがーとかだ」
『そうか。それならいいことだな』
「いいことだ」
寝室に目を向ける。彼女と暮らし始めてそこそこの時間が経った。それは私にも少なからず影響を与えていたのだろう。
「……ほんと、いいことだよ」
『そうか』
やはり、悪い気分ではない。
『色々と悪かった』
「気にするようなことじゃない。もっかい言うけど、明日は普通に過ごせよ。部長も言ってたけど、変にお礼を言ったりするなって」
『それじゃあ電話かメールだけでもしておく』
「…お好きに」
玄関先での会話だった。彼が来てから一時間。そろそろ帰ると言って今に至る。
靴を完全に履き終えたところで彼の仕事鞄を渡す。
「悪いな」
『こっちこそ、悪かった』
「もう気にするなよ……じゃ、また明日」
『また明日』
そう言って見送る。たまに振り返っては手を振って来るので一応振り返す―――――やがて何も見えなくなったところでドアを閉めた。
『…あ、来てたか』
リビングに目をやれば先程まで座っていたソファに彼女がいた。テーブルには本が積み上げられていた。
コーヒーでも淹れようかと台所に足を運ぶ。二つカップを用意してお湯を沸かす。その間、考えごとに耽ってみる。彼女との一日。私の性格の変化。彼女による影響――――――色々なことが頭をめぐる。
(あ…出張のこと、相談すればよかった)
話しておけばよかったと後悔する。もうあまり時間がない筈だった。
お湯が沸くまで休もうと思い、ソファに座る。隣には彼女がいる。
(慣れたな)
思い返してみれば、前はこうして隣に座ることすらできなかった。その時に比べれば良好な関係になっているのだと思う。
平積みされた一冊を拝借する。どれもこれも、画集関係の本ばかりだ。言葉が分からない以上、絵を見るくらいの楽しみしかないから…なんて理由だとは思うが、絵そのものが好きな可能性もある。
見るのが好きなのか描くのが好きなのかは分からないが、描きたいのなら明日の帰りにでも買ってこようかと考える。
(絵具……鉛筆………いっそセットで買ってこようか)
あくまで見るのが好きなだけで描くのはあまり――――――というケースがあるかもしれないが、まぁその時はその時だ。私が使えばいい。
隣を見れば、真剣な顔で本を読む横顔が見える。私と同じ白髪に、色の反転した目。髪はもう八割近くが白く染まり、人外化の着実な進行が見て取れた。
前に彼女関連の資料で見た記述を思い出す。年齢、素性、好み…色々なことがあそこには書かれていた。特に年齢。一応人間の基準では大人にかなり近づいている年齢……らしいが、まだ彼女が子供であることに違いはない。
無理やり連れてこられ、無理やり実験台にされ、無理やり人間を止めさせられた彼女の心境は―――――――決して良いものではない筈だ。
気付けば、彼女の頭に手を置いていた。
「……――?」
『………』
「…………」
不思議そうに見つめられる。私はそれに無言で返す。ついでに頭を撫でてみたところで……お湯が沸いたのに気付いて立ち上がった。
彼女の頭から手を離し、歩き出す。頭を撫でたのは―――――――何故だったのか、私にも分からなかった。同情や可哀想とか、簡単に言い表せないものがどこかにあった。
(……別に分からなくてもいいか)
今は保留で済ませることに決めた。無理やり理由づけると、陳腐な意味になりそうだった。だから、止めることにした。…それでも尚、無理に理由をつけるのなら、それはきっと「なんとなく」だ。
とりあえず、そう思い込むことにした。
外に出て少し歩く。家から何十メートルも離れたところで、携帯電話を取り出した。そのまま電話帳からコールを始める。
一つ目のコールで電話先が反応した。
「今終わりました……――――ええ――――ええ――――――元気そうでしたよ」
歩きながら話し続ける。
「前に比べればかなり良くなりました。同居者がいるといないとでは全く違う」
振り向いて、なんとなく家を見つめて、再び前を向いた。
「………あぁ、そうだ。言われた通り、処理は終わりました。彼には嘘の犯人像、犯人には厳重な注意を……ええ、いつものように」
電話先からの質問が続く。
「処理についてはいつも通りです。ちょっとした脅しを掛けました。多分、もう"ああいう"ことはしないでしょう……様子は、さっき言った通りです。元気で笑顔が増えてましたよ。楽しそうだ。少なくとも、簡単に笑うような奴じゃなかったのに」
納得したらしく、それ以上は踏み込まれない。
「…それじゃあ…はい、切りますね」
通話を終えたところで、後ろを向く。彼の家は、既にはるか遠くにあった。
「……――――…」
踵を返し、夜道を歩く。ため息が宙に消えていく。
「………似た者同士…」
そう呟いて影に消えていく。その背中は、酷く小さかった。