北斗駅から車で10分ほどの距離にある市立北斗中央病院は、日本でも有数の大きさを誇る病院である。
小高い丘を丸々1つ使った広大な敷地の中に、オフィスビルかと見紛う全面鏡張りの建物が幾つも隣接している。そんな巨大な建造物の中には全部で30以上もの科が存在しており、それぞれに最新式の設備を取り揃えている。そこで働く医師もかなり優秀で、中には世界にその名を轟かせる者もいるくらいである。
しかし、充実しているのは医療だけではない。敷地内にはコンビニや銀行や郵便局などはもちろん、果てはエステなんてものまで完備している。それはまるで、この病院自体がさながら1つの街のようだ。
食事面もかなり充実している。喫茶店から本格的なレストランまで、様々なジャンルの料理が幅広く揃っている。これらは主にお見舞いに来た人向けのものであるが、食事療法の対象外である患者ならば利用できるし、病室までデリバリーすることも可能だ。
さて、これだけ充実した病院ともなると、当然利用客もかなりの数になる。現にどこのテーマパークかと思うくらいに広い駐車場は午前中にも拘わらずほとんど埋まっているし、駅から無料で出ているシャトルバスも入れ替わり立ち替わりで駅と病院を往復している。
そして今も、駐車場から、そしてバス停から多くの人々が病院の入口へと向かって歩いており、長い行列を作っていた。どこかしら具合の悪い人が集まっていることもあり、その足取りはやけにゆっくりだ。
そんな中、その人々の間を縫うように颯爽と歩く1人の少女がいた。
染み1つ無い白い肌に艶やかな長い黒髪の映える、まるで高級な日本人形のような少女だった。今はどこかの学校の制服を着ているが、さぞ着物が似合うだろうと、見たこともないのに確信できてしまう。そんな美少女が肩で風を切って歩く姿は、それだけで絵になる光景だ。
そんな美少女・安倍あやめは、入口の大きな自動ドアを潜り抜け、吹き抜けとなった開放的なロビーを歩いて受付へと向かった。この受付もかなり立派なもので、一流企業のそれと何ら見劣りしない。
「すみません。松山清音さんの友人なんですが、病室はどちらでしょうか?」
あやめの言葉に受付の女性は「少々お待ちください」と言って、目の前のパソコンに文字を打ち込んでいった。一瞬にして画面が切り替わり、入院患者のリストが表示される。
「3005号室です。正面をまっすぐ進んだ先にエレベーターがあるので、3階まで上がってください」
「ありがとうございます」
あやめは優雅な所作でお辞儀をすると、女性の言った通りにロビーを抜けた先にあるエレベーターに乗って3階まで上がった。
エレベーターの目の前は多くの看護師が忙しなく行き交うナースステーションであり、彼女はたまたま目の合った看護師に会釈してからその場を離れた。チラチラとドアの脇にあるプレートに目を遣りながら廊下を歩いていくと、やがて“3005”と刻まれたプレートの貼られたドアの前までやって来た。6人が入れる大部屋だが、現在は1人しかいないようだ。
そこには、“松山清音”と書かれていた。
あやめはそれを確認すると、軽くノックをしてそのドアを開けた。
「清音さん、大丈夫ですか?」
「おぉ、来てくれたんだね、あやめ!」
あやめの呼び掛けに応えたのは、聞いているこちらが脱力しそうな程に気の抜けた声だった。
「いやぁ、入院って本当に暇なんだねぇ! これだと、怪我が治る前に退屈で死んじゃいそうだよ!」
「骨折なんですから、当たり前でしょう。その調子だと、怪我の具合は深刻ではなさそうですね」
「まぁね。1週間くらい安静にしていれば、普通に退院できるみたい」
「そうですか。何よりです」
あやめはそう言いながら、清音の右腕に装着されているギプスに視線を移した。
清音が怪我したことを春から知らされたのは、昨日の夜のことだった。
昨日の夜は強い風を伴った強い雨が降り注いでおり、そのせいで清音の自宅の屋根に取りつけられたアンテナが曲がって、テレビが観られなくなったらしい。普段はそのような修理は父親の役目なのだが、すぐにテレビを観たかった清音が屋根に上って修理しようとし、うっかり足を滑らせて腕を骨折したという訳だ。
「いやぁ、骨折って初めての経験だけど、すっごく痛いんだね。救急車で運ばれてる間、ずっと叫んでたよ」
「ですが、大事でなくて良かったですね」
「おっ、ひょっとして心配してくれたの? ありがとう、あやめ!」
そう言って抱きついてきた清音を、あやめは両腕で突っぱねながら「はいはい」とぞんざいな返事をした。
と、そのとき、病室のドアがガラリと開かれ、見知った顔の少女が入ってきた。
「あっ、安倍さん来てくれたんだね」
「おはようございます、春さん」
おそらく一足早く清音のお見舞いに来ていたであろう春が戻ってきた途端、清音が大きく手を挙げて「ねぇねぇ!」と大声で呼び掛けてきた。
「せっかく3人揃ったんだからさ、ここじゃなくてどっか別の場所に行かない? この時間テレビは面白いのやってないし、病院だからケータイも使えなくて暇なんだよ」
「うーん……、安倍さんはどうする?」
「良いですよ。腕の骨折なので、多少歩くくらいなら問題無いでしょうし」
「よしっ! そうと決まればレッツゴー!」
普段から学校でも騒がしい彼女にとって、入院生活は想像以上に過酷なようだ。
おおはしゃぎする清音の姿に、春とあやめは顔を見合わせて笑みを漏らした。
* * *
いくら腕の骨折とはいえ入院患者である清音が自由に外を歩き回れるはずもなく、病室を出た3人は清音の案内で病院内を歩き回ることとなった。たかが1日病院にいただけなのに大丈夫か、とあやめは最初思ったが、実際彼女はその1日で建物が幾つもある広大な病院を完全に把握したらしく、地図も無いのに迷うことなく案内してみせたのには2人も驚いた。
病院の中も、外観に負けず素晴らしいものだった。最新の設備が整っていることもそうだが、それ以上に患者を第一に考えた手厚い医療システムが目を惹いた。例えば1階には“総合診療科”と呼ばれる場所があるが、ここはどの科で受診すれば良いか分からない人のために、最初に簡単な問診を受ける場所である。これにより、原因が分からずにあちこちの科をたらい回しにするといった事態がほとんど無くなったそうだ。
現在あやめ達3人は、その総合診療科の前に置かれたソファーに並んで座り、自動販売機で買ったジュースを飲んでいるところだった。そこには一度に300人くらいは座れそうなほどにソファーがズラリと並んでいるが、そのほとんどが人で埋まるほどの盛況っぷりだ。
「それにしても、今まで来たこと無いから分からなかったけど、この病院ってこんなに大きかったんだね。まさか銀行とか郵便局まであるなんて……」
「私も看護師さんから聞いたんだけど、実際この病院って結構凄いみたいだよ。最新のヤツが揃ってるから、市内だけじゃなくて県外からも患者さんが来るんだって」
清音の言葉に、あやめは缶のウーロン茶を口にしながら周りへと目を遣った。確かに清音の言う通り、ざっとロビーを見渡しただけでも多くの人々の姿を見掛けることができる。
看護師に呼ばれて診察室に入っていく人。
それの順番が回ってくるまで、ソファーに座って手持ちぶさたに待っている人。
右腕に繋がっている点滴をからからと動かして散歩する、ここに入院しているのであろうパジャマ姿の人。
それとは別のパジャマ姿の男性と一緒に喫茶店でコーヒーを飲んでいる、彼を見舞いに来たのであろう人々。
先程ここの駐車場を“テーマパーク”と形容したが、ひょっとしたら、ここはそれ以上に賑わっているのかもしれなかった。
「確かに、この病院はかなり有名ですからね。私もここに引っ越してくる前から、この病院の評判は耳にしていましたよ」
「へぇ、そうなんだ?」
「はい。実際にこうして見てみると、この病院はかなりのものですね。設備も整っていますし、病院自体の規模もかなり大きい。それに何より、患者に対する配慮が隅々まで行き届いているのが見て取れます。こんな素晴らしい病院、私は初めて見ましたよ」
「ふーん、小さい頃からこの街に住んでるから、そういうのは全然気にしなかったなぁ。まさかここが、こんなに凄いものだったとはねぇ……」
感心したように頻りに頷く春を横目に、あやめは再び周りへと視線を移した。
その表情には、傍目には分からない程に微かな影が差していた。
彼女は先程、この街に来る前からこの病院をのことを知っていた、と話していた。
それは当然だろう。なぜなら彼女は、この病院があったからこそ、この街を修行の場として選んだのだから。
日本でも有数の大病院であるここは、春が言った通り、周辺の街に住む患者を一手に引き受けている。外来患者数、入院患者数、稼働率、どれを取ってもこの病院は他のそれを圧倒的に上回っている。
だからこそこの病院には、そしてこの街には、他の街に比べて桁違いに多いものがある。
それは、死人の数である。
大きな病院ともなると、扱う患者の数もかなりの数に上る。すると必然的に、死亡する患者の数も他の病院に比べて多くなる。そうすると当然のように、成仏せずに現世に留まる幽霊の数も多くなる。
除霊師としての経験を積むには、数をこなすのが一番だ。ならば、幽霊の数は多いに越したことはない。だから除霊師が修行を行うとき、よく人が死ぬ場所を選ぶのである。ちょうど、この街のように。
とはいえ、“大きな病院があるから”というのは、死人が多い理由としてはまだマシな方だろう。大抵は“自殺の名所だから”とか“昔そこに処刑場があった、または今もあるから”なんて縁起の悪い理由が大半なのだから。
あやめはこの街に来る前、除霊の対象である幽霊に言われたことがある。
『おまえら除霊師は、死んだ人間をタネに飯を食っているハイエナだ。おまえのやってることは、単なる死者の冒涜だ』
まったくその通りだ、とあやめは思わず鼻で笑った。
「――さん! 安倍さん!」
ふいに体を揺さぶられる感覚がしたかと思うと、耳元で思いっきり名前を叫ばれた。いつの間にか思考に気を取られてしまい、知らず知らずの内に2人の声を無視してしまったらしい。
「……どうかしましたか、春さん?」
「安倍さんこそ、どうしたの? 急に黙っちゃって。こっちが話し掛けても全然返事してくれないし」
「ごめんなさい、考え事に夢中になっていました」
あやめがそう言って頭を下げると、清音が申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「……えっと、ひょっとして疲れてる? そうだよね。あやめは学校だけじゃなくて、夜は除霊師の仕事もしてるんでしょ? だったら、せっかくの休日くらいゆっくり眠りたいよね……」
「大丈夫ですよ。普段から体調管理には気をつけているつもりですし、今日は何の予定も無かったので、むしろ良い暇潰しになりました」
「ちょっとー! 私のお見舞いは単なる暇潰しだったの? ひどいなぁ」
あやめを責めている口調ではあったが、清音の表情はホッと胸を撫で下ろしたようだった。
「それで、何の話ですか?」
「いや、大した話じゃないんだけどね。そろそろお昼だし、せっかくだからこの病院のレストランで何か食べようか、って思って」
「ここって凄いんだよ! 和食とか中華とかイタリアンとか、色んなレストランが揃ってるの! どっかのショッピングモールかってくらい!」
「そうですね。もう正午をとっくに過ぎていますし、せっかくですからここのレストランにでも――」
どこか嬉々とした様子でそう話していたあやめだったが、突然、その声が途切れた。不思議そうに眉を寄せた春と清音が、あやめの顔を覗き込む。彼女は険しい表情で、或る一点を凝視していた。
その視線を追うように、2人もそちらへと視線を移す。
そこには、少年と少女がいた。
歳は2人共10歳前後で、顔つきが似ているのでおそらく兄妹だろう。2人共車椅子に乗っていて、そして2人共気が抜けたようにぼんやりと前を見ていた。
「大丈夫。リハビリを続けていれば、絶対にまた歩けるようになるから」
「そうよ。そしたら、また2人でいろんなところに自由に行けるようになるんだから、それまで一緒に頑張ろう」
「…………」
「…………」
そんな2人の車椅子を押しながら、2人の看護師が明るい声で少女達に話し掛けていた。しかしそれを聞いているのかいないのか、2人からの返事は無かった。
4人が、あやめと春の前を通り過ぎていく。
そのとき、少女とあやめの目が合った。あやめはただその少女を見ていただけなのだが、少女はその視線から逃げるようにすぐさま目を逸らしてしまった。
やがて4人は角を曲がり、あやめ達からは見えなくなった。
「どうしたんだろう、今の子。何だか“心ここにあらず”って感じだったけど……」
ぽつりと呟いた春の疑問に、あやめは答えなかった。腕を組んで、何かを考え込むように目を瞑っている。
「あやめ、どうしたの?」
「いえ、今の2人、変だなと思いまして」
「変? どこが?」
清音と春の見たところ、特に変わった様子は見受けられなかった。確かに少し虚ろなようにも思えたが、リハビリが上手くいかなくて落ち込んでいると考えれば何ら不思議は無い。
「何なんでしょうね、この違和感は……」
「……ひょっとして、幽霊が取り憑いてるとか?」
「いえ、そうではありません。この違和感は、むしろ逆ですね」
「逆?」
ますます訳が分からなくなって混乱する2人を尻目に、ふいにあやめが立ち上がった。その足は、先程少女達が曲がっていった角へと向けられている。
「あやめ、ひょっとして、あの2人のことを調べるの?」
「はい。どうにも気になるので。――2人は気にせずに、お昼を食べてて大丈夫ですよ」
そう言ってその場を立ち去ろうとするあやめに対し、清音と春の2人もソファーから立ち上がって歩き始めた。
2人の足は、あやめと同じ方向を向いていた。
「…………」
「ねぇあやめ、私も一緒についていって良い?」
「……私が席を外してほしいと頼んだとき、素直に応じてくれますか?」
「うん」
力強く頷く2人に、あやめは小さく溜息を吐いた。
「それならば良いですよ。行きましょうか」
あやめはそう言って、先程4人が曲がっていった角へと向かう。
除霊師としての経験を積むために。