除霊師・安倍あやめの非日常的日常譚   作:ゆうと00

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愛の力(1/3)

 太陽が地平線の向こう側へと姿を隠し始め、空も街も真っ赤に染まる黄昏時。

 街と同じ真っ赤に染まった制服姿のあやめが、家路を大股で歩いていた。彼女の足元から伸びる長い真っ黒な影が、彼女に合わせてヒョコヒョコと揺れ動いている。

 

「まったく、随分と遅くなってしまいましたね……」

 

 あやめは呆れたようにそう吐き捨てると、歩くスピードをさらに速くした。帰宅部であるために授業が終わるやすぐに学校を出て自宅に向かう彼女にとって、こんな遅い時間に下校するなんてことは今まで一度も無かった。

 ではなぜ今日はこうしているかというと、色々と事情が重なったのである。

 例えば今日、あやめはクラスで日直だった。学級日誌を書いたり明日の授業の準備をしたり、日直には放課後にも幾つか仕事があるので、ある程度帰りが遅くなることは彼女も覚悟していた。しかし日直は通常2人1組で行われるものであり、仕事を分担すれば普通そこまで時間は掛からないものである。

 しかしあろう事か、もう1人の日直である女子生徒が放課のチャイムが鳴って早々に下校してしまったのである。自分が日直だったのをド忘れしていたのか、はたまた憶えていてわざとサボったのかは知らないが、結局彼女はその仕事を1人でやる羽目になった。

 そしてやっとの思いで日直の仕事を終え、さて帰ろうとあやめが思い立ったその瞬間、担任の森田にプリントの整理を手伝うよう頼まれてしまった。一応彼も「何か用事があればそちらを優先して構わない」と言っていたが、大量のプリントが机に所狭しと並べられている光景を見てしまっては、テキトーな理由をでっち上げて帰るなんて彼女にはできなかった。

 結局その仕事も手伝うこととなり、終わった頃にはすっかり外が真っ赤になっていた、というわけである。

 

「とりあえず今日は依頼も無いですし、帰ったらのんびりと過ごすことにしましょう……」

 

 もう少しで辿り着く自宅までの気力を奮い立たせるためか、あやめは無意識にそんな独り言を呟いていた。夕食はレトルト食品で済まして、ゆっくりとお風呂に入って、毎週チェックしているドラマを観て、と頭の中でこの後の予定を組み立てながら、真っ赤に染まる道路の端っこを歩いていく。

 そうこうしている内に、彼女の自宅が視界に飛び込んできた。女子中学生が1人暮らしをするには少々広すぎるように思える、ファミリータイプの一軒家である。

 

「ん?」

 

 そんな自宅の入口辺りに目を遣ったあやめは、思わず疑問の声をあげた。

 門扉の傍――『除霊屋』と書かれた看板の真下に、(うずくま)るようにして座る男がいたからだ。

 

「…………」

 

 あやめは嫌な予感がしながらも、渋々といった表情で彼に近づいた。というより、そうしなければ家に入れないのだから、近づく以外の選択肢が無かった。

 彼女の足音に気づいたのか、その男がふいに顔をあげた。歳は若く、20歳前後のように見える。しかしその顔には生気が無く、無精ひげの生えた頬は少しやつれている。着ている服がよろよろにくたびれて汚れているところから、何日も家に帰っていないのかもしれない。

 できることならば、関わり合いになりたくない見た目である。しかしあやめは彼のそんな姿を見て、自分の嫌な予感が当たったことを悟った。なぜなら彼女の家を訪ねてくる依頼者は、怪奇現象に悩まされているせいで彼のようにやつれている場合はほとんどだからである。

 

「あの……、あなたが……、ここの……?」

 

 男が掠れた声で、看板を指さしながら訊いた。

 あやめは口を開きかけて一瞬迷う素振りを見せたが、すぐに「はい、そうです」と答えた。

 その瞬間だった。

 

「お願いします! 助けてください!」

「――――!」

 

 あやめの答えを聞いた直後、男は目で追うのがやっとの速さで立ち上がってあやめに詰め寄り、どこにそんな力が残っていたのかと思うような強さであやめの肩を掴んできたのである。

 予想外の反応に、さすがのあやめも警戒して体を強張らせた。

 

「あ、あの――」

「追われてるんです! 殺されそうなんです! 助けてください!」

 

 男は必死の形相で叫びながら、今度はあやめの肩をガクガクと揺らし始めた。

 それに合わせて、彼女の首も一緒にガクガクと揺れた。

 

「あの、ちょっ、と、止め、て」

「お願いします! お願いします!」

「良、いか、らち、ょっ、とや、め」

「お願いします! お願い――」

「やめてください!」

 

 痺れを切らしたあやめは、思いっきり男を突き飛ばした。男は吹き飛ばされながら地面に倒れ込み、がごんっ! と大きな音をあげて後頭部を強く打ちつけた。

 あやめは肩で息をしながら、乱れた襟元を正した。そして、倒れたまま動かないでいる男を睨みつけて、

 

「……落ち着いたら、中に入ってください」

「……はい」

 

 男はバツが悪そうにゆっくりと立ち上がって、深々と頭を下げた。

 あやめは溜息をついて、先程まで頭の中で思い描いていた予定を掻き消していった。

 

 

 *         *         *

 

 

「少しは、落ち着きましたか?」

「はい。先程は本当にすみませんでした」

 

 男を家に上げた後、あやめは着替えるために一旦席を外した。これからのことを考えると、制服のままでいるのは色々と都合が悪いからである。

 男はその間、リビング兼事務所のソファーで縮こまるように座って待っていた。

 

「あの……、除霊師さんは――」

「安倍です」

「あ、はい。――安倍さんは、ひょっとして、学生なんですか?」

「ええまぁ。中学生です」

「へぇ、その歳で……。それは凄いですね」

 

 驚いたように目を見開いて、男はそう言った。

 あやめはその反応を見て、意外そうにほんの少しだけ目を見開いた。言葉だけならばこれまで幾百回と聞いてきた有り触れた反応だが、大抵は不審や奇異といったネガティブな感情が含まれているものである。しかしその男にはそういった感情が一切無く、純粋に感心しているように見えた。

 その事実が、あやめの緊張を幾分か和らげた。

 

「あの、私のことよりも、あなたのことを訊きたいのですが」

 

 あやめの言葉に、男は「すみません」と言って頭を下げた。教師に叱られた生徒のようなその行動に、彼女は溜息をつきそうになって、咄嗟に止めた。

 

「先程、あなたは『追われている』と仰っていましたよね?」

「はい」

「誰に、追われているのですか?」

「幽霊にです」

「…………」

 

 それはそうだ。むしろそれ以外の用事でここに来る者はいない。もし追いかけてくるのが生きている人間だとしたら、男が行くべきなのはここではなく警察だ。

 

「……どのような人ですか? 年齢だったり、見た目の特徴だったりとか」

「分かりません」

「…………はい?」

 

 思わず変な声をあげてしまったあやめだが、男はそれに構う様子も見せず話し続ける。

 

「残念ながら、と言えば良いんでしょうか、今まで1回も姿を見たことが無いんです。でも、頭の中から直接呼び掛けてくるように、はっきりと女性の声が聞こえてくるんです」

「……それで、それがどうして幽霊だと?」

「そいつが僕に言うんです。『あなたも“こっちの世界”においで』って。“こっちの世界”って、つまり“あの世”ってことでしょう! だから僕、怖くて怖くて!」

「…………」

 

 あやめは、判断に困っていた。

 全ての幽霊には独特の気配、いわゆる“霊気”が発せられており、除霊師はこれを感知することで幽霊の存在を確認する。一般的に“霊感”と呼ばれる能力であり、あやめはこれが他の除霊師と比べても格段に優れていた。

 しかしそんなあやめをもってしても、目の前の男からは、そのようなものは一切感じなかった。つまり、少なくともこの男は幽霊と接触していないことになる。

 そこから導き出される結論は、可能性としては次の3つ。

 1つ目は、この男が嘘をついている場合。こういう仕事をしていると、面白半分で相談に来る輩というものは割といたりする。それでも相談料だけはしっかり貰えるので、あやめ自身としては別に問題ではない。

 2つ目は、怪奇現象だと勘違いしている場合。実はこれが一番多かったりする。そんなときは親身になって話を聞いてやり、相手を納得させれば良い。これも彼女は慣れたものなので、別に問題は無い。

 しかし一番厄介なのは、精神的に病んでいる場合である。これが一番面倒臭く、いくら病院に行くことを勧めても聞く耳を持たない。そういう人間ほど、自分を正常だと思い込んでいるからだ。

 あやめはとりあえず、話を続けることに決めた。

 

「その声が聞こえたのはいつからですか?」

「えっと、大雨のあった日ですから……、確か4日くらい前ですね」

「その声は、どれくらいの頻度で聞こえてきますか?」

「まちまち、です。5分おきに聞こえるときもあれば、何時間も聞こえないときもあります」

「そのとき、体に何か異常はありますか? 頭が痛いとか、変に動かしづらいとか」

「特にはありません」

 

 ――何だか、精神科の診療をしているみたいですね……。

 

 ふとそんな考えが頭に浮かび、あやめは思わず口元に笑みを浮かべそうになり、すぐさま引き締めた。

 

「『殺されそう』というのは?」

「え?」

「目に見えない何かに話し掛けられて、殺すのを仄めかされたとしても、大抵は気のせいだと放っておくのが普通です。“逃げる”という行動に移ったということは、実際に何かされたということなんですか?」

「僕に何かした、というのはありません。でも、間接的には、あります」

「間接的、というのは?」

 

 あやめが尋ねると、男は一瞬だけ話しづらそうに顔を俯け、すぐに顔を彼女に向けて口を開いた。

 

「僕が外を歩いていたときに、そいつが『早く“こっち”に来てくれないと、私、こうしちゃうから』って言ったんです。そしたら次の瞬間、僕の傍にあったショーケースがいきなり割れたんですよ!」

 

 そのときのことを思い出したのか、男は体の震えを抑えつけるように自分を抱きしめた。

 あやめはそれを、どこか冷めたような視線で見つめていた。

 

「偶然とは考えられませんか?」

「3回も起きたんですよ! 偶然なんてことはありえません!」

 

 男はあやめの目をまっすぐ見据えて、力強く言い切った。

 

「そうですか……」

 

 今の男の様子で、彼が嘘をついているという可能性は消えた。また状況的に、何かを勘違いしているとも考えにくい。

 ということは、

 

 ――まさか、本当に心を病んでいるなんてことはないですよね……。

 

 どう対応すべきか、あやめは悩んでいた。このまま男の話を聞くべきか、それとも早々に切り上げて病院へ行くことを勧めるべきか。そして彼女は、今度の休みに精神療法に関する本を買うことを秘かに心に決めた。

 

 異変が起きたのは、そんなときだった。

 

 がたんっ!

 

「――――!」

 

 突然、あやめのすぐ傍で大きな音がした。あまりにも突然の出来事に、怪奇現象に慣れているはずの彼女は思わず肩を震わせた。

 音のした方へ顔を向ける。すると、男がソファーから転げ落ちて床に尻をつき、怯えたような表情で辺りをキョロキョロと見渡していた。

 あやめはそれを、完全に呆れたような視線で見つめていた。

 

「……どうしたんですか?」

「聞こえた……」

「え?」

「幽霊が僕に話し掛けてきたんです!」

「…………」

 

 もちろんあやめにはそんな声は欠片も聞こえなかったし、幽霊らしき存在がいる気配も感じなかった。

 その気になれば街中の幽霊の動向を即座に把握できるほどに霊感の高い彼女が、である。

 

「……何て、言ってるんです?」

「『その女は誰だ』って……」

「そう、ですか……」

 

 あやめは先程よりも集中して、感覚を研ぎ澄ませてみる。しかしこの部屋どころか、周囲数百メートルの範囲内ですら、霊気は一切感じ取れなかった。

 

「あの、ここに幽霊はいないんですけど……」

「そんなはずありません! 今まさに、僕に話し掛けてきてるんですよ! しかも何だか、かなり怒った感じに!」

「いや、そう言われても――」

 

 ばりぃん――!

 

「――――!」

「――――!」

 

 突然の音に、あやめと男はほぼ同時にそちらへと顔を向けた。

 庭へと通じる大きな窓が粉々に割れ、大きな穴がぽっかりと空いていた。夜になって冷え込んだ空気が、風に乗ってそこから吹き込んでいる。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 

 ばりぃばりん! ばりぃん!

 

 リビングから見える位置にある窓が次々と、先程と同じように割られていく。

 それも傍目には何の力も加えられることなく、まるで窓が自分の意思でそうしているかのように。

 

 ばりぃん! ばばりぃばりばりぃん!

 

「ひぃっ!」

 

 さらにそれは目に見える範囲の窓を割った後も収まることなく、別の部屋や2階からも窓の割れる音が聞こえてきた。ひょっとしたら、家中の窓が割れているのかもしれない。

 

「ちょ、ちょっと! 何とかしてくださいよ!」

 

 男は涙目になりながら、怒鳴るようにあやめに縋りついた。女子中学生に助けを求める成人男性という、何とも情けない光景だったが、生憎2人共それに構っている余裕は無かった。

 あやめは腰にしがみつく男を引き剥がしながら、険しい表情で周囲を隈無く睨みつけている。しかしいくら探しても、霊気らしきものは見つからない。

 しばらくそうしている内に、窓の割れる音が鳴り止んだ。男が、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 しかし次の瞬間、

 

 がたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがた――

 

「――――!」

「う、うわぁ!」

 

 まるで巨大地震が来たかのように、家全体が激しく揺れ始めた。しかしその揺れは地震のような自然災害のときのじわじわ来るそれとは違い、いきなり大きく横に揺れるものだった。それはまるで、ビルほどもある巨大な生き物が家を揺らしているようだった。

 あまりの大きな揺れに、あやめは立っていることができずその場にしゃがみ込んでしまった。

 

 がたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがた――

 

 揺れはますます大きくなり、煽られた本が棚からばらばらばらと零れ落ちていく。台所でも同じように食器が棚から飛び出し、ガシャガシャと激しい音をたてて崩れていく。

 

「やめてくれ! 助けて!」

 

 畳み掛けるように起きる異常現象に、男はとうとう床に蹲ってしまった。何も見たくないと額を床に擦りつけ、何も聞きたくないと両手で耳を強く塞いでいる。

 

「ここは危ないです! 一旦逃げますよ!」

 

 あやめは男の腕を引っ張ってそう呼び掛けるが、彼は完全にパニックになっており、まったく動こうとしなかった。

 

「いい加減にしてくれ! なんでこんな思いをしなきゃいけないんだ!」

「ちょっと! 今はとにかくここから離れて  」

「僕が何をしたっていうんだよ! 何が目的なんだ!」

「いいから、早く動いて――」

「もう嫌だ! こんな思いをするくらいなら、いっそ――」

「ああもう!」

 

 次の瞬間、ばしんっ! という小気味良い音が、周りに負けないくらいに大きく響き渡った。あやめが、男の頬を思いっきりひっ叩いたのである。

 突然の痛みに、男はようやく落ち着きを取り戻した。彼の力が弱くなったのを見計らって、あやめが彼の腕を引っ張り上げてむりやり立たせる。

 

「逃げますよ」

「……はい」

 

 すっかり大人しくなった男を連れて、あやめは未だに揺れの激しい家から這い蹲るようにして何とか外へと出た。

 そしてその瞬間に、足元の揺れが収まった。後ろを振り返ると、あやめの家は巨大地震に襲われたようにガタガタと家全体が揺れ動き、中から皿や窓などが割れる音が鳴り響くのが聞こえているというのに、近所の家はそれとは対照的に平然としており、いつも通りの夜を過ごしている。

 もちろん自然の地震ではありえない、その界隈では“ポルターガイスト”と呼ばれる心霊現象である。

 

「まったく、訳が分かりませんね……」

 

 あやめは眉を寄せて忌々しげに呟くと、すっかり暗くなった住宅地を男と共に走り抜けていった。


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