除霊師・安倍あやめの非日常的日常譚   作:ゆうと00

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除霊師・安倍あやめ(2/7)

 4時限目終了を知らせるチャイムが、学校中に鳴り響いた。つまりそれは、待ちに待った昼休みの訪れを意味している。教師が次の授業までの宿題を話している最中も、生徒達はどこかそわそわと落ち着きが無いように見える。

 

「よし、それじゃ今日はここまで。ちゃんと復習しとけよ」

 

 日直の号令に合わせて、生徒達が一斉に立ち上がって礼をした。それを皮切りに、途端に教室中が騒がしくなった。

 北戸中学校には給食が無いため、昼食は各自で弁当を持ってくるか、1階にある購買で買うことになっている。しかし購買といっても総菜パンか菓子パン程度しか置いてないため、大多数の生徒は前者となる。

 そして、昼食を摂る場所に特に決まりは無い。教室でも良いし部室でも良いし、何なら教師から鍵を借りて屋上で食べても構わない。

 なのであやめも、自分の弁当を持って席を離れ――

 

「安倍さん、一緒にお昼食べよ?」

 

 ようとしたのだが、クラスメイトの少女があやめの席へ駆け寄ってきたせいで、それは阻止されてしまった。

 あやめは困ったように笑いながら、

 

「すみません。私は――」

「あ! 私も一緒に食べるー!」

「何? 私も混ぜてー」

「私もー」

 

 あやめの発言を遮るように、周りの少女が次々と声をあげて次々と駆け寄ってきた。あっという間に、結構な人数の少女が彼女を取り囲んでしまった。そしてその様子を、中に入りたくても入れない少年が数人、少し離れたところから羨ましげに眺めている。

 

「ねぇ安倍さん、前は京都にいたんでしょ? 京都の学校ってどんな感じなの?」

「どうと言われましても――」

「前は何の部活をやってたの? 私、陸上部なんだけど、一緒にやらない?」

「えっと――」

「安倍さんって、携帯持ってるよね? メアド交換しようよ」「あ、私も交換したいー」

「あの――」

「安倍さんの髪って綺麗だよねー。どんなケアしたらそんな風になるの?」「ねぇ、ちょっと触らせてー」「私も私もー」

「…………」

 

 少女達は必要以上に大きな声で、あやめに返事の時間を与えない勢いで次々と質問を繰り出してきた。中には断りも無く、彼女の髪を触りまくる少女もいる。

 

「ねぇねぇ、安倍さーん」「“安倍さん”って、何か他人行儀だな。“あやめ”って呼んで良い?」「あ、ずるーい! 私も“あやめ”って呼んで良いよね!」「ねぇ、あやめー。今日の放課後一緒に遊ばない?」「ねぇ、あやめー」「あやめー」

「…………」

 

 どんどん騒がしくなる周りと反比例して、あやめはすっかり顔を俯かせて黙り込んでしまった。彼女の肩はプルプルと震え、黒髪の隙間から覗く口元はヒクヒクと引き攣っている。

 しかしお喋りに夢中になっている少女達がそんなことに気づくわけもなく、むしろ返事が返ってこないのはあやめが聞こえていないからだと、さらに声の音量を上げて呼び掛ける始末だった。

 そしてついに、

 

 ばんっ!

 

「!」「!」「!」

 

 あやめは両腕を振り上げて、それを自分の机に思いっきり叩きつけた。突然のことに教室中の生徒が肩を震わせて驚き、一斉に彼女へと顔を向けた。

 先程まであんなに騒がしかった教室がしんと静まり返る中、

 

「私、お昼は一人で頂きたいので」

 

 あやめは無表情でそう言い放つと、自分の弁当が入っている巾着袋を持ち、呆然とするクラスメイト達の間を擦り抜けて、教室を出ていってしまった。

 

「……何なの?」

 

 誰かの呆気にとられた声が、教室をフワフワと漂った。

 

 

 *         *         *

 

 

 この中学校は、普段生徒達がいる“教室棟”と、実験室や職員室などが集まった“特別棟”の2つが向かい合わせに建っている。そしてその二つの間を、一階部分が昇降口になっている渡り廊下が繋いでいる。

 現在あやめはその渡り廊下を、眉間に若干皺を寄せて大股ぎみに歩いていた。右手に握られた弁当入りの巾着袋が、大きく振られてカタカタと鳴っている。

 

「まったく、人の話を聞かないで、自分のことしか頭に無い人ばかりですね……。――でもまぁ、これで話し掛けてくる人は大分減るでしょうか……」

 

 怒りを吐き出すようにそう呟くあやめだったが、それに反してその表情は能面のように冷たいものだった。人形のように整った顔立ちの彼女による無表情は、思わず背筋が寒くなるほどに恐ろしい印象を与えるものになる。現に、先程あやめと擦れ違った女子生徒は、あやめの顔を見た瞬間「ひぃっ」と小さな悲鳴をあげていた。

 と、そのとき、ふとあやめが足を止めた。

 

「…………」

 

 そしてうんざりしたように大きく息を吐き出すと、再びスタスタと歩き始めた。

 

 

 

 

 そんなあやめを、柱の陰から覗き込むように眺める人物が2人いた。1人は長い茶髪を後ろで縛っている背の高い少女で、もう1人は背の低い黒髪の少女だった。

 清音と春である。

 

「安倍さん、どこ行くんだろ……」

「分からない。でも、いきなり話を止めたり、かと思えばいきなり机を叩いたり……。何か興味をそそられるなぁ……」

「えぇっ? 止めなよ。怒られるよ」

「だったら春は先に教室に帰ったら良いじゃん。あやめは私1人で尾行するから」

「……私もついてく。だって清音、絶対安倍さんに迷惑掛けるもん」

「大丈夫だって。ばれないようにするから」

 

 2人が小声で言い合っている間にも、あやめは渡り廊下から特別棟へと入り、廊下の突き当たりを右に曲がって姿を消そうとしていた。

 

「ほら、早くしないと見失っちゃう! 行くよ!」

 

 清音は柱から勢いよく飛び出すと、渡り廊下を駆けていった。

 

「……まったく」

 

 春は呆れたように、あやめの、というよりは清音の後を追った。

 

 

 *         *         *

 

 

 特別棟というのはその名の通り、何か特別な用が無い限り生徒が近づくことは無い場所だ。ましてや授業の無い昼休みに来ることなど滅多に無く、教師もどこかの部屋で昼食を摂っていることがほとんどなので、あやめが廊下で誰かと擦れ違うことは無かった。

 

「さてと、どこでしょうね……」

 

 あやめはそう呟きながら、部屋の前に差し掛かる度に歩みを止めて、ドアの窓から中を覗き込んでいく。そして数秒ほど中の様子をじっと見つめると、ふいと視線を外して次の部屋へと向かっていった。

 やがてその階の部屋を全て見終わると、階段を昇って上の階へとやって来た。そしてまた端の部屋から、先程と同じ行動を繰り返していく。

 

 そうして繰り返すこと、11部屋。

 12部屋目に差し掛かったとき、今までと同じようにすぐに視線を外すのかと思いきや、あやめは途端に眉間に皺を寄せ、10秒ほどじっと中の様子を眺めていた。

 その部屋のプレートには、“理科実験室”と書かれている。

 

「…………」

 

 あやめは口を閉ざしたままスタスタとドアへ歩み寄ると、それを勢いよく開けて中へと入っていった。

 前方の壁には大きな黒板があり、その前には教卓を兼ねた横長のテーブルがある。さらにそれと同じものが生徒用に12脚並び、奥の壁には蛇口と洗面台、そして実験器具が収められたガラス戸の棚などが設置されている。

 他の学校とほとんど代わり映えのしない、何の変哲も無いごく普通の実験室。

 

 今は昼休みなので、当然ながらそこには誰の姿も無かった。

 しかしあやめは険しい表情でゆっくりと中を見渡すと、部屋の中央まで歩みを進めた。

 そして、ぽつりと呟いた。

 

「成程、“地縛霊”ですか……」

 

 

 

 

「何してるんだろ……」

 

 1つ1つ部屋を見渡していったかと思うと、突然理科実験室へと入っていき、部屋の中央で険しい表情で何かを考え込み始めたあやめを見て、清音は思わずそう呟いた。

 清音と春は今、階段近くにある柱に身を隠し、そこからあやめのいる理科実験室を眺めていた。2人からは、腕を組んで静かに俯く彼女の後ろ姿が、窓ガラス越しに見えている。

 

「もう、清音……。いい加減にしないと、これ以上は安倍さんに失礼だよ……」

「そんなこと言って、本当はあやめのことが気になってきたんでしょ? 私よりも身を乗り出してるよ」

「そ、それは……、私の方が後ろにいるんだから、より身を乗り出さないと清音が壁になって見えないというか――」

「ほら、見たがってんじゃん」

「えっ! いや、あの、それは……」

 

 わたわたと慌てた様子で何やら言い訳している春を無視して、清音は視線を理科実験室へと戻した。

 

「あれっ?」

 

 すると、先程まで確かにあったあやめの姿が忽然と消えていた。

 

「あやめ、どこ行ったんだろ?」

「えっ、いないの?」

 

 2人は柱から離れ、理科実験室のドアまで駆け寄った。ドアから中の様子を伺うが、テーブルやら洗面台やら実験器具やらが見えるだけで、あやめの姿は無い。

 

「まさか、もう帰っちゃったとか?」

 

 清音はそう言いながら、ドアを開けて中へと入った。春もそれに続く。

 あやめは、ドアのすぐ脇にいた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 あやめはドアのすぐ脇で壁に寄り掛かって立ち、2人を鋭い視線で睨みつけていた。そこはちょうど、部屋の外から盗み見ていた2人からは死角になっている場所だった。

 

「えっと……、いつから気づいてた?」

「そうですね……、朝、清音さんが私のことを職員室までつけていた頃から、ですね」

「そ、そこからですか……」

 

 気まずそうに目を逸らす清音に、今度はあやめが尋ねる。

 

「2人はこんなところで、何をしているのですか?」

「えっと……、あの、そ、そういうあやめは何してたの?」

「私ですか? お弁当を食べる場所を探していました」

 

 あやめはそう言って、右手に持つ弁当箱を軽く上げた。

 それを見てピンときたのか、清音は口元が若干引き攣った笑顔を浮かべて、

 

「そ、そうなんだー! わ、私達もそうなんだー! あ、そうだ! 良かったらここで一緒に食べない?」

「……別に良いですけど、2人の弁当はどこにあるのですか?」

「へっ? し、しまったー! 私としたことが、弁当を忘れちゃうなんてー! それじゃあ、今から取ってくるから、春はここで待ってて!」

「えっ? 私も行く――」

「良いから良いから! 春の弁当は私が持ってくるから、春はここであやめと待っててよ! それじゃ!」

 

 清音は早口でそう捲し立てると、そそくさと部屋を出て、そのまま廊下を駆けていってしまった。どたどたどた、という清音の足音がだんだん小さくなっていき、そして聞こえなくなった。

 一方、取り残された春は頭を抱えたくなった。清音の先程の言葉は、言い換えるならば『あやめが逃げないように見張っておけ』となるからである。

 春はチラリとあやめの方を見た。あやめは澄ました表情で椅子に腰掛け、巾着袋の紐を解いている最中だった。

 

「えっと……、安倍さん、私も座っていいかな……?」

「どうぞ」

 

 あやめの言葉を受けて、春はあやめの正面に腰を下ろした。いや、正確にはそこは真正面ではなく、春から見てちょうど体1つ分右にずれていた。あやめと真正面から向き合う勇気は、彼女には無かった。

 

「…………」

「…………」

 

 重苦しい空気が、2人を包み込む。

 

 ――何か、話題を探さないと……。

 

 その空気に居たたまれなくなった春は、とにかく何か話題は無いかと、部屋をキョロキョロと見渡した。

 ふと、あやめの手元にある弁当が目に入った。ご飯とおかずの2段構造となっているそれは、ハンバーグの脇に色鮮やかなミックスベジタブルが綺麗に配置された、とても見栄えの良い弁当である。

 

「わ、わぁ! 安倍さんのお弁当、綺麗だねー!」

「そうですか? ありがとうございます」

「お母さんが作ってくれるの?」

「いえ、自分で作ります」

「へぇ! 安倍さんって料理できるんだ! 凄いね!」

「そんなことありませんよ。これだって、全部冷凍食品ですし」

「そ、そうなんだ……」

「…………」

「…………」

 

 重苦しい空気が、2人を包み込む。

 それから1分ほどの時間が流れた。春にとって、10分にも1時間にも感じる1分だった。

 春が、恐る恐る口を開く。

 

「えっと……、ごめんね、安倍さん。後をつけたりなんかして……」

「春さんは悪くありませんよ。清音さんに無理矢理連れ回されただけなんでしょうから」

「よ、よく知ってるね。ひょっとして見てた?」

「いいえ。でも彼女とあなたの性格からして、そうではないかなと考えただけです」

「あ、そうなんだ……。大当たりだよ、あははは……」

 

 春が乾いた笑い声をあげても、あやめは表情を崩すことなく、清音が帰ってきていないにも拘わらず弁当を食べ始めてしまった。

 その様子をじっと眺めていた春は、やがて意を決したようにあやめをまっすぐ見据え、

 

「……安倍さんは、その……、何をしてたの?」

「何をしていようと、春さんには関係の無いことですよ」

 

 あやめは春に一切視線を向けることなく、即座にそう答えた。きっぱりと放たれたその言葉に春は一瞬怯みかけるが、ある程度予想していたのかすぐさま口を開く。

 

「そうかもしれないけど、それでも教えてほしいの。私、安倍さんのこと、もっと色々知りたいから」

「それは、清音さんに唆されたからですか?」

 

 視線を一切向けないでの質問だったが、それは春にまっすぐ突き刺さった。

 春は小さく深呼吸をすると、意を決したように口を開いた。

 

「……最初は、そうだったのかもしれない。でも今は違うよ。私が自分の意思で、安倍さんと仲良くなりたいと思ったんだ」

 

 春のその言葉に、あやめは初めて彼女に視線を向けた。

 毅然とした表情であやめをまっすぐ見つめる春の姿が、あやめの目に映った。あやめが僅かに視線を鋭くしても、春は微動だにしない。

 

「……もし私が『友人なんて必要ありません。勝手なことをしないで頂けますか?』と言えば、春さんは大人しく引き下がってくれますか?」

「もし安倍さんが本気でそう思っているなら、私は無理強いはしない。――でも、清音はどうだろうね? 幼馴染みの私が言うのも何だけど、あの子は一度でも興味を持ったら、どこまでもしつこく食い下がるよ。それこそ、安倍さんが拒絶すればするほどに」

「……ええ、そうでしょうね」

 

 あやめはそう呟くと、フッと口元に笑みを浮かべた。それは春が初めて見た彼女の笑顔であり、春は思わずそれに見とれてしまった。

 

「今から話すことを、少しでも馬鹿馬鹿しいと思ったら言ってください。すぐに止めますから」

 

 あやめのその言葉に、春は真剣な表情で頷いた。

 それを受けて、あやめも真剣な表情でこう尋ねた。

 

「春さんは、“幽霊”って存在すると思いますか?」


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