午後の授業は突然降り出した大雨のせいで無くなった。
より正確に理由を語るなら、何者かが呼び出した分厚い雨雲が紅魔の里に降らせた雨のせいで、里の近くの森にある邪神を封印している墓の装置を何者かがいじくり回したせいで、邪神の封印が解けかけていたらしい。
封印自体は可能なものの、封印の効果が薄い下僕が出歩いていないかとか、念の為その調査に学校の教師陣含め里の大人達が向かう事になったので、俺たちの授業はしていられなくなった。ということらしい。
邪神の封印が解かれかけたとか、その下僕が出て来たかも知れないとか、普通なら呑気に微睡んでいる様な事態ではない筈なのだが、調査に向かった大人達のウキウキ顔を見たら、なんだかとても心配するのが馬鹿らしくなった。
なんなら邪神の封印を解いて再封印までの流れ自体が、大人達のマッチポンプの可能性ですらある。というか多分そうだろう。
この里の大人達は皆、厨二病なのだから。こういうノリは大好物だ。こんな主人公になれる機会、滅多に無いしな。
みんな今頃、主人公を逃してなるものか、といきり立っている筈。
俺も大概厨二病だと自負しているが、流石にわざわざピンチを演出する為だけに、邪神の封印を解くのはどうかと思う。
そんなクソみたいな理由で解放された挙句、高位の魔法使い達に囲まれて、容赦無くリンチされる邪神の気持ちも少しは考えて欲しい。
いい年して邪神如きではしゃいでんじゃないよ、みっともない。
「……げ、よろろん。君、こんなとこで何してんの?」
「なにって……。邪神探し」
里の近くの森の中。
茂みの中から現れたのは熊でも邪神でもなく、知り合いの靴屋のせがれの自宅警備員であった。
俺は怪訝な顔で見てくるぶっころりーに片手を挙げて挨拶をする。
「よっす、ぶっころりー。どう? 邪神いた?」
「ノリが軽いなぁ。そんな迷子の犬猫探してるんじゃないんだから、もう少しシリアスしてくれよ。俺たちが相手にしてるの一応邪神だよ?」
さっきから邪神の扱いが軽過ぎる件について。
ま、こんな里の近くに封印されている邪神が悪い。世間を騒がせてる魔王軍の魔物ですら、恐怖を感じて近づかないこの土地が、そこら辺歩いてるおばさんですら上級魔法をバリバリ操れるこの里が悪い。
どーせ日が暮れる前には解決してそう、と危機感が薄いのは俺のせいじゃない。
「というかなんで森に入って来てるんだよ。学生は危ないから近づくなって言われた筈だろ」
「逆に聞くけどさ、ぶっころりー。俺がそんな言いつけを守ると思う? 邪神の下僕がいるかも知れないとか聞かされて」
「いや全然。寧ろ決まりごととか嬉々として破るタイプの子供だもんね、君」
流石唯一のご近所さん。俺の事を良く理解していらっしゃる。
ぶっころりーは深くため息を吐くと、
「……しょうがない。追い返しても絶対諦めないだろうし、見回りに連れて行ってあげるから俺の側を離れない様に。あと大人しくしてる事。邪神とかモンスターがいても勝手に斬りかかっちゃダメだよ」
「おい、人を誰彼構わず斬りかかる頭がおかしい奴みたいに言うんじゃない。……でもまあ、同行を許可してくれた事については感謝しますぜ。さっすがぶっころりーの兄貴。話がわかるぜ。よっ、太っ腹。イケメン。紅魔族随一の自宅警備員」
「はっはっは。よせやい。事実だとしても照れるじゃないか」
自宅警備員も褒め言葉でいいのか。
言っといてなんだけど驚きだ。まあ、気分を良くしてくれたならそれでいいか。
俺は先に進むぶっころりーについて行く。
「そういや、ぶっころりー。あの墓に封印されてた邪神ってどんな奴なの?」
「なんだ。そんな事も知らずに邪神探しに来てたのか」
「いやどんなのでも、見たって言えば箔が付きそうじゃん? 邪神って。明日学校で盛り上がる話題に出来そうじゃん?」
「君の中では本当に邪神の扱いが珍獣レベルまで下がってるんだね」
邪神ってやっぱり悪魔系なんだろうか?
だったら腕がなるぜ。前世の俺は有名なデビルハンターとしてもバリバリ言わせてからな。スタイリッシュにぶった斬ってやるぜ。
「まあ、アレだよ。良くある邪神さ。人に害なす悪い奴。多分黒色」
「情報がふわっとし過ぎじゃないですかね。さてはぶっころりー、邪神の詳細知らないな?」
「ははははははははは」
笑って誤魔化すぶっころりー。
最初から大して当てにしてなかったから別に良いんですけどね。
どんな奴が来ようと我が魔剣で両断してやるさ。木剣とは違う背中に感じる確かな重さに、俺はニヤリと笑う。
「……なんだよ、よろろん。ニヤニヤしちゃって。女の子のパンツでも見えたのかい?」
「それよりも、もっと良いモノさ。……見たまえ、ぶっころりー。我が魂の現し身の輝きを」
台詞と共に、俺は背中に背負っていた革製の鞘から出来立てほやほやの剣を引き抜く。
広がる木々の葉の間から差し込む光に照らされて、抜き身の刀身が鈍く黒く輝いた。
俺が握る両刃の剣は、所詮ブロードソードと呼ばれる形状の剣。
その名はーー
「『ダーク・ソウルブレイド』。紅魔の里、随一の鍛冶屋が心血を注いで鍛えた一振り。黒く光る刃は邪悪な魂を吸い込み、より深く光るという……」
「おお、刀身が真っ黒だ。かっこいいね。これを持ってたから、今日はヤケにテンションが高かったのか。……でも一体どうやって入手したんだい? よろろん、こんなかっこいい剣買えるほどお金持って無いだろう?」
「……ふっ。俺くらいの剣士になると何故だか惹かれあっちまうのさ。血を啜る魔剣とはいえ切れ味は本物だ。例え呪われていようとも、俺が使うにはもってこいだろう?」
「いやこの剣、良く見たら刃が無いじゃないか。やたら重いだけで特別な魔力も感じないし、ひょっとしてこれ鍛冶屋の失敗作を在庫処分的に押し付けられたんじゃ」
「それ以上言うなら俺たちは殺し合う事になる」
どうしてこのニート、変なところで勘が良いのだろうか。
普段からそれだけ頭が働けばニートなんてやってないだろうに。
「まあ、とにかく。早く邪神を見つけようぜ。さっきから騒ぐんだよ。俺の魔剣が魂を喰らいたいってな……。邪神の魂ならこいつも満足してくれるだろう。斬りごたえがありそうだぜ」
「いやその剣じゃ大根も切れないと思うんだけど」
ぶっころりーを無視して、俺は先を急いだ。
♦︎
「お帰り兄ちゃん! お腹へった!」
邪神の探索を終えて帰宅した俺を出迎えたのは、魔性の妹こめっこだった。
開口一番飯の催促とは。いや別に食べ盛りだしご飯の催促をする事自体は間違ってないんだろうけど、普通こういうのって帰宅した側が家で待っていた側に言う台詞だろう。
帰って来て早々、飯をねだられるとは。我が家の冷蔵室には今日も食べ物は入っていないらしい。
「ただいま、こめっこ。でも残念ながら今日はご飯持って帰ってこれなかったんだ。ごめんな」
こめっこの頭を撫でながら言う。
本当なら狩ってきた邪神で腹一杯にするつもりだったのだが、ぶっころりーと森の中を探し回っても邪神は見つからなかった。暗くなってきたので探索は打ち切った。
本当に邪神などいるのだろうか。里の大人がそういう設定で魔物狩りをしてただけではないのだろうか。よろろんは訝しんだ。
「じゃあ仕方ないね。今日の晩ご飯はこれにしよう!」
こめっこが鍋を持ってきて、その蓋を俺に見せつける様に開いた。
中に入っていたのは一匹の小さな子猫だ。
黒い毛並みをぷるぷる震わせて、妹のよだれを啜る音を怯えた様子で聞いている。
「……なあ、こめっこ。この猫、どこで捕まえてきたんだ?」
「森! 長くけわしい死闘だったよ!」
「人の土地から勝手に持って来た訳じゃないんだな?」
「うん! ちゃんと森で捕まえてきた!」
首輪の様なものは見られない。
誰かの家の飼い猫という訳ではなさそうだ。
なるほど。なら問題は無いな。
「よし。じゃあ今日のおかずは猫のからあーー」
「こら待て。こめっこに変な物を食べさせようとするんじゃない」
後頭部を叩かれた。
振り返るとそこにいたのは姉さんだった。
姉さんは呆れた様にため息を吐くと、
「……全く。なにバカなこと言ってるんですか貴方は」
「あー、ごめん。唐揚げじゃ無くて煮付けの方が味が染みてご飯が美味しくーー」
「違う。猫を食べようとするなと言っているんです。というかなんで真顔でそんな頭のおかしな事が言えるんですか? バカなんですかそうだバカなんでしたね」
猫は好物じゃなかったのか、食べようとしたら姉さんに怒られた。
仕方ない。猫を食べるのは諦めよう。前世の記憶的にもNGな感じするしな。今日は大量に肉が食えると思ったのだが。
「……ほら、こめっこ。返してきますからその毛玉をこちらに渡して下さい。そんなもの食べたらお腹を壊しますよ」
「い、いやっ。お別れするなんていやっ。この子は唐揚げにするの。私からこの子を奪わないでっ」
「ほら言わんこっちゃない。こめっこが変な事を言い始めてしまったではないですか」
姉さんに睨まれる。
いや唐揚げの部分は俺が悪いと思うけど、他は俺の所為ではないだろう。そんな理不尽な。
「……姉ちゃん、どうしても、ダメ?」
「私が見るにその子はまだ可食に適した大きさでは無いと思います。しばらくウチで餌を与えて、太らせてから食べる事にしましょう」
チョロい。なんだこの姉、チョロいぞ。
こめっこが涙目で小首を傾げたらすぐに折れやがった。このシスコンめ。
「それにこめっこ。お腹が空いたなら良いものがあります。じゃじゃん、お土産の子羊肉のサンドイッチです。そんな猫では無く、これを食べるといいでしょう」
「わーい! お肉だー!」
「その猫は私が預かりましょう。いいですか?」
「いいよ!」
姉さんからサンドイッチを受け取ったこめっこは、にこにこ笑いながら齧り付く。
鍋に入った猫のことなど、調理されたお肉を前にして、すっかり忘れてしまった様だ。
こめっこがサンドイッチに夢中になっている間に、姉さんの手に渡った猫は、どこか安心した様子で丸くなった。
「……んで。どーすんだその毛玉。ウチで飼うのか?」
「このまま捨ててきても、またこめっこが拾って来そうですし、しばらくはウチで面倒を見ましょう。……もっとも、空腹のこめっこの前に出したらまた齧られてしまうかも知れませんが」
齧られる、と聞いた猫が震える。
齧られたのか。ウチの妹に齧られたのか、コイツは。
……流石に生食は控えるべきだとこめっこに教えよう。何でもかんでも口に入れてから考えるのは、人間の思考の仕方では無い。
と、言うことで。我が家に新しい家族(非常食)が出来た。
因みに俺の分のサンドイッチはこめっこに食べられていた。悲しい。