学校に向かうと眠そうな顔の教師が、開口一番自習を言い渡してきた。
なんでも里のニー……、暇を持て余した大人達を集めて今からモンスターの討伐に向かうらしい。
この頃何故だかモンスターの活動が活発になっており、里の近くまで危険なモンスターが近づいて来ているので、ここらで大規模な掃討作戦を行うようだ。
なので俺たちには構っていられない。図書室で本でも読んどけ。
と、いうことらしいので。俺は現在学校の図書室にいた。
因みに今読んでいるのは『ドラゴン・ナージャ』と呼ばれる冒険小説だ。
主人公が低身長なのに頑張るところに、特にシンパシーを感じる。でもなんだか、前世でも同じ様な内容の本を読んだ事があるような。
俺の前世の記憶は結構曖昧で、思い出せない事が結構ある。前世で剣士をやっていたのに、剣術を何一つ思い出せないのもそのせいだ。
その癖、魔法の呪文はしっかりと覚えている。前世で魔法使いに煮え湯を飲まされ、その対策として呪文を頭に叩き込んだのだろうか。
そんな俺が今では魔法使いの子供とは。因果なものである。
「おや、よろろん。君もここに来ていたのかい?」
「おお、あるえ。てことは女子もやっぱり自習だったのか」
俺の隣に座ったのは姉さんのクラスメイトの一人、同年代の中じゃ男子含めても一番背が高いんじゃないかと噂されているあるえだ。
その身長を三分の一でも良いから分けてくれないだろうか。姉さん共々チビだから羨ましい。
そんな俺より頭一つ背が高い彼女は、今日も眼帯で片目を隠し、物憂げな雰囲気を演出している。
「こうして話すのは久しぶりな気がするね。どうだい? 剣術の修行は順調かい? 最近はなんだか随分力を入れているみたいだけど」
「……ま、まあ。順調といえば順調、だぜ」
言えない。毎朝毎朝、美人で噂の里一番の占い師の修行で死にかけてるとか言えない。
しかも師事した理由が食い気とか口が裂けても言えない。確実に馬鹿にされる。
話題を逸らすために、今度は俺からあるえに話を振る。
「そ、そういや今回の邪神の騒動、中々決着つかないよな。まあ、多分里の大人達が遊び半分で真面目に調査してないのが原因だろうけど」
「……いや、そうとも限らないんじゃないかい? 本当に今回の邪神は手強いのかも知れないよ?」
意味深な顔をして言うあるえ。
同調されると思っていた俺は虚をつかれ、思わず息を飲む。
「……こんな話を聞いたことがないかい? この里の近くには邪神から始まり数多くの危険なモノが眠っている、と」
「そ、そういや。確かにそんな話を父さんから聞いた事があるような」
記憶を探るため、目を瞑る。
あれは確か、珍しく父さんの作った魔道具が高値で売れて祝いの席を設けていた時、上機嫌な父さんが語った武勇伝が、確か里に封印されてる邪神との壮絶な戦いの様子だったような……。
ウチの食卓には滅多に並ぶ事のない食材の数々に、姉さんとこめっこの目が談笑中なのに一切笑っていなかったのが印象的だった。今思い出せば誰も話を聞いていなかったな。
思い出した俺は言葉を続ける。
「里の周りには強力な悪魔とか、信仰を失った傀儡の術を使う神とか、今騒ぎになってる邪神とか。それこそ紅魔族が束になって掛からないと太刀打ち出来ない様なヤツが封印されてるって」
「我々紅魔族は基本的に戦闘能力が高いからね。しかも様々な魔法に精通している人材も多い。万が一暴れ出した場合でも、すぐに対処出来るからこの里には危険な代物が国中から集められているのさ」
ふっ。と、あるえが意味ありげに笑う。
流石同学年で一番歴史の成績が良いあるえだ。誰も興味を示さない里の歴史にまで詳しいとは。
「その中の一つ、今回封印が解かれた邪神はかなりヤバいヤツらしくてね。王都の近衛騎士団、我々紅魔族、エリス教のアークプリースト、魔王軍の幹部。そんな腕利き達でも全く歯が立たない、最強最悪の邪神。ソイツが今、里の近くに潜んでいるらしい」
「なっ……!?」
衝撃の事実だった。
俺はてっきり、邪神退治だーとか言いながら暇な大人達が遊んでるのだとばかり……。
まさかそんな大ごとになってるなんて……。
俺は動揺を隠せないままあるえに問う。
「ど、どうするんだ。このまま放っておいたらーー」
「ーーああ、間違いなく。里は蹂躙されてしまうだろうね。件の邪神の手によって」
あるえの口から絶望的な言葉が吐き出された。
俺は思わず絶句する。言葉が出ない俺に代わって、あるえが更に言葉を繋ぐ。
「紅魔の里だけで済めば、良い方だろうね。彼の邪神は力は強大だ。封印が解け、従来の力を取り戻したのなら、おそらくその邪悪な力は国内全域を支配するだろう」
「お、王都からの応援は……!」
「既に要請しているみたいだが、到着する前に邪神は復活してしまうだろう。この辺りの森は険しく、生息しているモンスター達も手強い。
そんな道を急いで来て疲弊した彼らが私達以上の戦力になれるとは思えないな」
わかりきっている事を諭す様に、柔らかな口調であるえは言う。
まるで癇癪を起こした子供を言い聞かせる様な声色だ。
その態度に、逆効果になってしまうとわかりきっているのに、俺は叫ばずにはいられなかった。
「なら、どうすんだよ! このまま黙ってやられるのを待ってろって言うのかよ!!」
思いの丈を叫ぶ。
ヒートアップする俺を見るあるえの瞳は、対照的に酷く冷たい。
叫んでも怒っても状況は好転しない。無理なことは無理なのだ。それを俺に示す様な怜悧な瞳だ。
そんなのわかってる。俺が憤ったって何も変わらないくらい知っている。
だけど、こんなの……。納得出来るかよ……!
「……なあ、あるえ。何か手はないのか? 封印出来なくても良い。王都からの応援が来るまでの時間を稼ぐだけでも良いんだ。……頼む。なんでも良い。教えてくれ。このまま黙って見てるだけなんて出来ないんだ……!」
「……残念ながら策は無い。私達に出来る事は何も無い、……と言いたいところだが。まあ、一つだけ。君にも出来る事がある」
「……っ!? それはーー」
「だが危険な策だ。命の保証は出来ない。……それでもやると言うのかい? その命を、魂を賭けて戦うと言い切れるかい?」
あるえの問いに笑って答える。
答えは既に決まっていた。話を聞いた時から、俺は戦う覚悟を決めていたのかも知れない。
「勿論だ。この里だけじゃなく世界の危機なんだろ? だったら怖気づいてる暇なんて無い。そうだろ、あるえ?」
「……ふっ。参った。負けたよ。君の熱意には頭が下がる。……全く。諌めるつもりで来た私の気持ちをこうも熱くさせてくれるとはね。向こう見ずのお人好しも、偶には役に立つということかな?」
あるえが肩を竦めて言う。
どうやら彼女も戦う覚悟を決めたらしい。これ以上無く心強い仲間が出来たって訳だ。
状況は変わらず絶望的なのに、自然と笑みが溢れる。
「それでは、覚悟は出来ているみたいだし、早速準備に取り掛かろうか。自体は一刻を争う。ハードだがここから先は休んでいる暇は無いぞ?」
「心配すんなよ。これでも結構鍛えてるんだぜ? そっちこそ、本ばっか読んでて体がなまってんじゃないのか?」
「ふっ、言ってくれるな。それだけ口が回るなら心配する必要は無さそうだ。……では行こうか。ーーまず手始めに、世界を救うとしよう」
「ーーああ、了解だ」
俺とあるえは立ち上がる。
それにつられて、先ほどからチラチラ此方の様子を伺っていたゆんゆんも、慌てて立ち上がった。
「あ、あのっ! そういうことなら私もっ! 魔法も使えないし、よろろんみたいに剣術も扱えないけど……。それでも私も、紅魔の里の為にーー」
時折言葉に詰まりながら、ゆんゆんが言ってくる。
俺たちの話を聞いて、いてもたってもいられなくなったのだろう。
優しく、責任感が強い娘だ。そしてなにより、場の空気に流されやす過ぎる気がする。
「ーーという事態が裏で起こっていたら良いとは思わないかい、よろろん? 勿論今まで話していた内容は百パーセント私が捏造したエピソードなのだけど」
「確かに。里の危機に戦う覚悟を決める子供達。物語の導入にはぴったりだな。別にそんな事態は全然起こってないけど」
「……え? ……えぇぇぇぇぇぇっ!?」
ゆんゆんが絶叫した。
他に俺たちの話を聞いていた生徒たちは、『ああやっぱり』みたいな顔で読書を再開し始めた。勿論、今のやり取りは百パーセント嘘である。
久しぶりにこういう遊びを仕掛けて来たからか、あるえのフリについつい本気で乗ってしまった。
だがまあ、楽しかったぜ。お前との『故郷の危機に立ち上がる熱血タイプの主人公と、それを諌めるクールキャラ』ごっこ。
俺とあるえは固い握手を交わした。
「……ふっ。この切り返し、やはり腕は鈍っていなかった様だね。流石よろろんだ」
「あるえこそ、事実無根なエピソードを瞬時に捏造するその実力、大したもんだ」
「ちょ、ちょっと! 邪神の復活は!? 紅魔族の危機は!? 世界のピンチはどうなったの!?」
「落ち着いてくださいゆんゆん。あの二人の言葉を真に受ける方がいけないんです。それに考えてみてください。そんな危険な状態だったら流石にこうして学校になんてこれませんし、一大事ならまず族長の元に話が行く筈でしょう? その娘の貴方が話を聞かされてない時点で嘘に決まってるじゃないですか」
「そ、そうだけど! そうだけどおおおおおおっ!!」
図書室にゆんゆんの絶叫が木霊した。