午後の授業はまたしても無くなった。
森で俺と死闘を繰り広げたあの魔物が、邪神と関わりが強いのではないかと、里の暇人と学校の教員たちで再び調査が行われる事になったからだ。
普段おちゃらけている先生達が割と真剣な表情をしていたのを見ると、それなりに大変な状況になって来たのかも知れない。あるえと語り合った妄想ストーリーが現実味を帯びてきたな。
そう不安以上の期待に胸躍らせながら、俺は帰路についていたのだが……。
「…………」
「…………っ! ひゃっ!?」
視線を感じて振り返る。
先ほどから俺の後をつけて来ていた誰かさんは、黒いローブを翻しながら慌てて物陰に姿を隠した。
なかなか素早い身のこなしだ。今回も顔を見ることが出来なかった。
しかし、一体どちらさんだろうか。俺に用事があれば普通に話しかけてくれればいいのに。
学校を出てからここまで大体十分。いくらでもチャンスはあったと思うのだが……。
そう首を傾げながら先に進む。
しばらく歩くと再び俺背中に向けて視線が生まれた。
また尾行を再開したらしい。俺は素早く振り返る。
「……っ!」
「……ひっ、ひゃあっ!?」
再び身を隠す誰かさん。
またしても顔を見る事が出来なかった。
……くっ、素早いやつめ。この俺の反応を超えるスピードとはなかなかやるじゃないか。
だが遊びはここまでだ。次は本気だ。本気で振り返る。
魔力の強化を施してでも、貴様のその顔、絶対に拝んでやろうしゃないか。
息を吐き、魔力を体に纏わせると、俺は素早く振り返った。
「……っ!!」
「……っ!? あ、危なっ……!」
すんでのところで奴の顔は隠れてしまった。
……野郎、俺に対抗して魔力強化してきやがった。
とことん俺に顔を見られたくないらしい。
……ふっ、いいだろう。そっちがその気ならこっちも本気でやるとしよう。
「……っ!!」
「あっ、またっ!!」
「……っ! ……っ!!」
「こ、今度はフェイント……!?」
「…………………。…………っ!!」
「……は、早いっ!? で、でもっ! まだまだ……!」
繰り返される命懸けの攻防。
振り返る方と隠れる方、どちらも一歩も譲らずギリギリの戦いは続いていく。
……へへっ。やるじゃねぇか。出会いがこんな形じゃなかったら、俺たちゃ友達ってやつになれてたかも知れねぇな……。
と、一対一、タイマンで『だるまさんがころんだ』をしていた俺に電流が走る。
……しまった。俺とした事が。こんな大事な事を忘れていたなんて。
なんで今まで気がつかなかったんだ。呑気に『だるまさんがころんだ』で遊んでる場合じゃなかったろうに。
自身の間の鈍さを恥じながら、俺は前を向き自宅に向けて進めていた歩みを止めた。
「……ふっ。俺とした事が。まさか今の今まで、こんな尾行にも気づけなかったとはな。随分と勘が鈍ったもんだ。……そこで隠れてるヤツ、出て来たらどうだ?」
「…………い、今まで執拗に振り返って来てたのに気づいて無かったんだ……」
俺が出て来やすくなるよう、声を掛けても俺を尾行中の誰かさんは出てこなかった。
なにやらボソボソ呟いていた様だが、少し距離があるせいでその声は俺の耳に届かない。
……まだ足りないのか。俺は更に言葉を続ける。
「……だんまり、か。俺も随分嫌われたもんだ。だが、お互いいつまでもこうしているのは不毛だと思わないか? そろそろ腹を割って話そうぜ」
「…………私はちょっと楽しかったんだけどな」
またも誰かさんは出てこない。物陰でボソボソ呟くだけだ。
……俺が直接様子を見に行くパターンをそれがお望みなのか。仕方ない。叶えてやろう。
そうこうしてる内にもう家の近くまで来ちゃったしな。
俺は静かにそいつの元に歩いて行く。
「……やれやれ。手間をかけさせてくれるじゃないか。煩わしいのは嫌いだが、今回は特別だ。俺が直接、その顔を見てやろう」
「…………っ!?」
がたん。と、物陰から何かが倒れる音が聞こえてきた。
そんなに慌てなくても。別にいきなり殴り掛かったりとかはしないけど……。
しかし勢い良く転んだな、今。怪我してないだろうか? ちょっと心配になってきた。なので普通に声をかける。
「……大丈夫か? 結構派手に転んだみたいだけど……」
「……い、いたたた。あ、うん。大丈夫。少しお尻を打っちゃっただけだから、大した怪我は……」
物陰を覗き込んだ俺の目と、尾行していた誰かさんの目が合う。
目が合ったそいつは、顔を真っ赤に染めて口をパクパクさせている。
その見知った顔を見て俺は再び声をかけた。
「よっす、ゆんゆん。俺になんかよ」
「ひ、ひゃあああああああああああっ!?」
俺をつけて来ていた少女は、俺が言い切る前に素っ頓狂な声を上げた。
学校から俺をずっと尾行し続けていた犯人の正体は、姉さんの友達のゆんゆんだった。
♦︎
「……ご、ごめんなさい。あんまりよろろんと二人で話した事ないから、声掛け辛くて……」
「お、おう。そうだったのか」
自宅に帰った俺は、我が家にゆんゆんを招き入れていた。
最初は姉さんに用があって俺をつけまわしているのだと思ったのだが、今回は俺に用があるらしい。
一体どんな用事があるのだろうか? 首を傾げる俺の隣で、胡乱な瞳の姉さんが口を開いた。
「……で。用件はなんなんです? まさか理由も無く弟をストーカーしてた訳じゃないですよね?」
「す、すすすす、ストーカー!? ち、ちがっ、別にそんなつもりじゃっ!?」
「……あー、もう相変わらずメンドくさい娘ですね貴方は。別に本気で言ってる訳じゃないですからそんなに気にしないで下さいよ。で、用件はなんなんです?」
「えっ、あっ、それは……、その……」
姉さんの問いに口ごもるゆんゆん。
此処では言い難いような案件なのだろうか。例えばそう、……俺を闇討ちする為の隙を見つける為に尾け回していたとか!
「早く答えないとアレですよ、ゆんゆん。この弟がとんでもない結論を勝手に出して一人で満足し始めますよ。あの顔はなにか素っ頓狂な事を思いついた時の顔です。気をつけて下さい」
「おい、人の考えを勝手に素っ頓狂呼ばわりしないで貰おうか」
「だったら今なに考えてたか聞かせて下さいよ」
「……え? いや、ゆんゆんはきっと俺に不意打ちを仕掛けてくる為に隠れて隙を窺ってたんじゃないかなかって……」
「ほら見て下さい。変な事を考えていたでしょう?」
「ち、ちがっ! 私そんな、よろろんの寝首をかこうだなんて……!!」
俺が思い至った結論は、姉さんには白い目で見られ、ゆんゆんには全力で否定された。
「じゃあ、どうして俺の後ろをずっとついて来てたりしたんだ?」
「……う、うぅ。……そ、そのっ」
「そんなの一つしか無いじゃないですか。男の背中を女が追っかける理由なんて。ーーゆんゆんは貴方のことが好きなんですよ」
「ぶふぉわっ」
ゆんゆんが飲んでいた出涸らしのお茶(我が家ではこれがデフォ)を噴き出した。
口から噴き出されたお茶は、全て対面に座っていた姉さんにかかる。
お湯を沸かしたて、淹れたてアツアツのお茶をかけられた姉さんはその場に転げ回る。
「ぎ、ぎゃああああああああっ!? な、ななな、何するんですかゆんゆん!! いくら私に勝ちたいからっていきなり毒霧で勝負を仕掛けてくるなんて卑怯ですよ!!」
「あ、ご、ごめん……。……って元はと言えばめぐみんが悪いんでしょ!? 何よ毒霧勝負って! そんな戦い挑まないわよ! 急に変な事言わないでよ! そ、それにっ……! わ、わた、私がよろろんのことを好きだとかっ……! そ、そんな……」
ちらちらと俺を顔を赤くして見てくるゆんゆん。
ゆんゆんは俺の事が好き。なるほど。そういう理由で俺を尾け回してたのか。
なら俺の答えはこうだ。片手で顔を隠しながら、俺はニヒルに答える。
「……ふっ。悪いな、ゆんゆん。俺はその想いには答えられない。君の気持ちは大変ありがたいと思う。本当に嬉しいよ。……だけど俺には、出来ないんだどうしても。誰かを好きになるなんて。そんな尊いこと……」
「……えっ。ああ、うん。そっか、そうなんだ……。こっちこそ、ごめんね。いきなり変なこと言っちゃって……。……って、気がついたらなんで私が振られてるの!? まだ告白もしてないのに! というか別に今日はよろろんに告白しに来た訳じゃ無いわよ!」
「じゃあなんでこの愚弟の後尾け回ってたんです?」
姉さんが聞くとゆんゆんは再びおし黙る。
我が家のリビングを沈黙が支配する。
俯くゆんゆん。見守る俺たち。
暫しの静寂。それを打ち破ったのは何かを決心した様に頷いたゆんゆんの声であった。
「…………そ、そのっ。…………今日、授業中に、よろろんに助けて貰ったから、そのお礼をしたいと思って……」
「……なんだ。そんな事を言う為にわざわざ家までついて来たんですか。相変わらずぼっち拗らせてますね」
「ぼ、ぼっち拗らせるってなによ!? というかぼっちぼっちって、めぐみんだって人の事ぼっちって言う癖に友達いないじゃない! 今日の実習の時だって私がふにふらさん達と組んだから余ってた癖に!」
「な、なにおう!? 実習はちゃんと一人で暇そうにしてたあるえと組みましたよ! ぼっちじゃないです! 貴方と一緒にしないで下さい!!」
「…………いや、どっちもぼっちなんじゃないかな」
「……そんな生意気な事を言う口はこれですか?」
「い、いひゃいいひゃいっ!? や、やめひょ! ぼうりょふはよくにゃいっ!!」
姉さんに全力で頬を引っ張られる。
どうやら図星だった様だ。確信を捉えた俺の発言に怒り心頭の姉さんの腕からなんとか離脱した俺は、痛む頬を撫でながら、ゆんゆんに向き直る。
「いや、ゆんゆん。お礼とかそんな気にしなくていいって。俺もただ『ここは任せて先に行けっ!!』ってやりたかっただけだし」
「……え、うん。……でもよろろんに助けられたのは事実だし」
「ならお返しに何か奢ってやればいいんじゃないですか? それで貸し借り無しで」
「そ、そんなっ。命を助けて貰ったのにそんなお返しじゃ……」
「あ、うん。ならそれでいいや。ご馳走になります」
「い、いいのっ!? そんなに簡単に納得していいの!?」
驚愕の表情を浮かべるゆんゆん。
っつてもなぁ……。本当に大した事してないし。ゆんゆんを助けたのも偶々だし。
寧ろお礼を貰えるのがなんかむず痒いというか。場違いな気がするというか。
と、頬を掻いていた俺に、ゆんゆんが頬を赤くしながら言ってきた。
「……じゃ、じゃあ。お礼にこ、こんど……。が、がっきょ、がっ、こぅ……」
「……ゆんゆんが学校の近くの喫茶店でご飯をご馳走してくれるみたいですよ。良かったですね、よろろん」
「お、そうなのか。それはそれは。ありがとうございます」
俺が頭を下げると、顔が真っ赤なままのゆんゆんも黙って頷いた。