【完結】光ささぬ暗闇の底で   作:御船アイ

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第一部 光ささぬ暗闇の底で
第1話


「はぁ……」

 

 逸見エリカは、その日何度目か分からないため息をついた。頭を抱えながらも彼女が視線を向けた先には、やる気なさそうに立つ黒森峰の制服を来た複数人の女子生徒が立っている。

 彼女らは、訓練の終了した黒森峰の戦車格納庫に無断で侵入し、あまつさえそこで菓子を食べていたのを、偶然忘れ物を取りに来たエリカに発見されたのであった。

 無論、規律の厳しい黒森峰ではそのような行為許されるはずもない。

 

「あなたたち……自分が何をしたか分かってるの?」

「はい……すいませんでした、“隊長”」

 

 言葉だけみれば謝罪をしているが、まるで反省の色が見られないその口調に、再びエリカはため息をつく。

 現在のエリカは三年生であり、西住まほの後を継ぎ黒森峰の隊長を任されていた。

 しかし、それまで統制のとれていたはずの黒森峰戦車隊の規律は、彼女が隊長に就任してからというもの堕落の一途を辿っていっていると言っても過言ではなかった。

 理由としては、まず西住まほの隊長としてのカリスマ性が高すぎたというのがある。

 卓越した指揮能力と有無を言わせない威圧感を持っていた西住まほに憧れを抱いていた生徒は、その後続についたエリカと西住まほを事あるごとに比較し、エリカを蔑んだ。曰く「西住隊長ならばもっと上手くやれた」、「西住隊長と違って今の隊長には才能がない」などと。

 また、一部の生徒、さらには黒森峰戦車道OG会などから、エリカは“疫病神”扱いされていることも原因の一つとしてあった。

 黒森峰は現在二年連続で優勝旗を掴むことが出来ず、二年連続で準優勝止まりという、高校戦車道の王者黒森峰としては恥ずべき結果を残しているが、その原因をエリカがいるせいであると風潮するものがいた。

 もちろん、黒森峰準優勝の影にはどちらの大会にも“西住みほ”の存在が大きく影響しているのだが、現隊長となったエリカを批判したいものにとって、そんなことは瑣末なことであった。

 そしてエリカは、自らがそのような風評に晒されていること、その結果、黒森峰戦車隊の風紀が大きく乱れていることを理解していた。

 だからこそ、エリカは目の前の部下達のあからさまな態度にも、強く怒れないでいた。

 曲がりなりにも、そうなった責任は自分自身にあるのだから。

 そう思うと、エリカの中では目の前の彼女らへの怒りよりも、自分自身への不甲斐なさが勝ってしまうからである。

 

「……とにかく、このような行為が発覚した以上、処罰があることは覚悟しなさい。少

なくとも、明日の練習試合には出られないと考えなさい」

「はいはい、分かりましたよ。“隊長”。それで、私達はそろそろ帰らせてもらってもよろしいでしょうか?」

「……あなたたち、随分な態度じゃないの」

「そんなことはありませんよ、我々は此度の事を深く反省し、自室で謹慎していたいと思っている所存であります」

 

 エリカの高圧的な態度を意に返さず、ただ淡々と言うその口調に、エリカは奥歯を強く噛みしめる。

 

「っ……そう、だったら、はやくここを立ち去りなさい。言っておくけど、そうそう軽い処罰で済むなんて思わないことね」

「了解しました、“隊長”」

 

 最後までエリカを馬鹿にする態度を隠すことなく、部下達はその場を去っていく。

 そして格納庫にエリカ一人になったとき、エリカは右手で強く握りこぶしを作ると、大きく振りかぶり、目の前の戦車に強く拳を叩きつけた。

 

「ふざけんじゃないわよ……!」

 

 叩きつけた拳を強く握り直し、歯を強くこすり合わせながら、エリカは唸った。

 

「何よ、人が下手に出てれば調子に乗って……! 確かに私が悪いかもしれないわよ。だからといってあの態度は何!? 規律を重んじる黒森峰の戦車道が聞いて呆れるわね!」

 

 そう言いながらエリカは何度も拳を戦車に叩きつける。

 何度も、何度も。

 そして手の皮が破け戦車の装甲が真っ赤な痕がついたところで、エリカは肩で息をしながらも腕を止めた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 呼吸を整え、ゆっくりと体を落ち着ける。

 すると、いつの間にかエリカの瞳からは、じわじわと涙が溢れだしていた。

 

「ごめんなさい、隊長、私が、私が不甲斐ないばかりに……」

 

 さめざめと泣き出すエリカ。広く暗い格納庫に、ただ彼女の静かな泣き声だけが木霊する。

 どれほどの間泣いていただろうか、エリカは流れ出る涙を傷ついた手で無理やり拭うと、いつもの気丈な相貌を浮かべた。

 

「ダメね、こんなんじゃ。明日はアイツとの試合だっていうのに、これじゃみっともなくてアイツに合わせる顔がないわ」

 

 そう言ってエリカは目元を赤く腫らしながらも、持っていたハンカチで戦車にこびりついた血を綺麗に拭い去ると、ゆっくりと格納庫を後にする。

 厳しい苦境に立たされているエリカだが、そんな彼女にも譲れないものはあった。

 その一つが、翌日の練習試合にあった。相手校に、エリカが拘る一人の少女がいるからである。

 彼女の前では、無様な姿は晒すことはできない。彼女の前では、黒森峰の隊長として強者でいなければならない。

 それだけが、今のエリカを立ち直らせる原動力となった。

 

「……まってなさいよ、みほ……!」

 

 大洗女子学園三年、西住みほ。

 西住まほの妹にして、かつてのエリカの戦友であり、憧れであった少女。

 その彼女と戦って、自分自身という存在を認めさせること、それが、今のエリカにとって最も大きな目標の一つであった。

 

 

  ◇◆◇◆◇

 

 

「くそっ! くそっ!」

 

 エリカは狭い車内の中で、隠すこと無く大声で悪態をついた。

 大洗との練習試合は、一方的な戦況を呈していた。

 殲滅戦のルールで行われたその練習試合において、大洗は巧みな連携と奇抜な作戦によって黒森峰を翻弄。一方の黒森峰は、エリカの指示を聞かずに突貫する戦車が続出し、次々と撃破されるという事態に陥っていた。

 結果、大洗側は動ける戦車がまだ多く残っているのに対し、黒森峰側は殆どが白旗を上げ、まともに動けるのはエリカのティーガーを含め僅か数台といったところまで追い詰められていた。

 

「どうして、どうしてこうなるのよっ!」

 

 包帯を巻いた右手を強く自らの太ももに叩きつける。

 エリカは、互いの練度の差、そしてなにより統制力の差をひしひしと感じていた。

 一糸乱れぬ動きで連携を取りつつ、正確な射撃を見せる大洗。

 各隊の連携どころか、上官命令にすら従おうとせず、戦車の性能にあぐらをかいた戦い方をする黒森峰。

 その差は歴然だった。

 明らかな敗因。濃厚な負け戦。

 それがはっきりとすればするほど、エリカを苛立たせた。

 

「何なのよこれは! これが黒森峰の戦い方だって言うの!? こんなんじゃ、隊長にも、アイツにも顔向けできないじゃない!」

「た、隊長! 落ち着いてください!」

「わかってるわよそんなこと! ……そうよ、落ち着きなさい逸見エリカ、まずこの状況で最善を尽くすのよ。ここまでついてきている車両は、少なくとも私の命令は聞いてくれるから、例え数が少なくともここから挽回する策を……」

 

 そうエリカが思案しているときだった。

 目の前に、大洗のⅣ号戦車が――エリカにとって、とても大きな存在である“彼女”が乗る戦車が飛び出してきた。

 それによって、それまで冷静になろうとしていたエリカの脳は、一気に熱を帯びた。

 

「っ!! 前進! あの車両を追いかけなさい! 他の部隊と合流する前に、なんとしてもあの車両だけは仕留めるのよ!」

「はっ、はい!」

 

 Ⅳ号戦車を追って前進するエリカのティーガー。しかし、Ⅳ号戦車を追い続けていくうちに、エリカは気づいた。Ⅳ号戦車の砲塔が、いつの間にかティーガーに向けられていることを。

 

「しまっ――!!」

 

 気づいた時にはすでに遅く、Ⅳ号戦車の砲塔はティーガーめがけて勢い良く火を噴く。

 エリカのティーガーは、Ⅳ号戦車によっていつの間にか射撃に最適な状況へと持ち込まれていたのであった。

 激しい衝撃が車体を揺らす。ティーガーは黒煙を立ち昇らせ、白旗を上げる。

 

「うっ、うう……」

 

 強く頭を打ち付けた操縦士が、ゆっくりと上体を起こす。彼女は、自分たちの敗北を悟り、大きく落胆すると共に、これから自分たちの隊長がどんな癇癪を起こすか戦々恐々としながら、背後に目を向けた。

 しかし、そこで彼女が見たのは、予想外の光景だった。

 

「あ、ああああああああああ……」

 

 そこには、紅い液体を垂れ流している目を覆いながら、苦しげに声を上げている、自分たちの隊長の姿が、そこに転がっていたのだから――。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

「うっ、うぁ……?」

 

 エリカは柔らかい感触に包まれながら意識を取り戻した。

 目の前には真っ暗な闇が広がっており、今自らがいる場所が何処か知ることができない。

 しかたないので、あたりに手を伸ばすと、ふかふかとした触り心地が続き、それから冷たい鉄の棒に触れることができた。腕だけでなく足を伸ばしてみるも、帰ってくる感触は同じようなものだった。

 エリカは自分の体の感覚とこれまでの経験を照らしあわせて、どうやら自分はベッドの上にいるのでは? と推察した。

 次に自分の体に触れていくと、今自分が着ている服は、試合中に来ていたジャケットではなく、裾口が大きく広がっている、薄い布製の服であることがわかり、自分が今ベッドの上で寝ているという状況から考えて、着ているのはきっと病衣であろうと判断した。

 そして指を自分の顔にもっていったとき、そこでエリカはとある違和感に気づいた。

 自分の目の周りを、何かが覆っている。ざらつきと柔らかさを感じるそれは、どうやら包帯のようであった。

 どうして自分の目に包帯が?

 エリカは不思議に思いながらも、視界を取り戻そうと、手探りで、半ば無理やり、その包帯を外していく。

 そして包帯をすべて外し終えたとき、エリカは混乱した。

 

「え……?」

 

 包帯を外したはずなのに、一向に視界が戻ってくる気配がないのだ。目の前には、未だすべてを飲み込むような闇が広がっている。それは夜よりも深く、まるで黒い絵の具で塗りつぶしたようであった。

 

「どうして……」

 

 そこでエリカの耳に、コツコツとこちらに歩いてくる音が聞こえた。その音は嫌に大きくエリカの耳に響いた。

 だんだんと大きくなってくるその音は、一旦止まったかと思うと、ガラガラと引き戸を開く音が聞こえる。

 そして、一瞬ハッっと息を呑む声が聞こえたかと思うと、足音はエリカの元から走り去って行き、そしてしばらくした後に、二つの足音が近づいてきた。

 今度の足音は止まることなく、エリカの元まで近づいてきたかと思うと、唐突に声がかけられた。

 

「逸見エリカさん。あなたに、伝えなければいけないことがあります」

「え? あ、はい……」

 

 深刻そうなその声に、エリカはただ応えることしかできない。

 しかし次の言葉は、エリカを混乱と絶望の淵に陥れるには十分な一言であった。

 

「単刀直入にいいます。逸見エリカさん。あなたの視力は、先刻あった事故により、失われてしまいました。……僅かながら回復することはあるかもしれませんが、基本二度と視力が戻ることはないでしょう」

 

 え……?

 

 どういうこと……?

 

 エリカの脳内は、まるでひっくり返したゴミ箱のようにグチャグチャになる。

 

「どうやら誰かが戦車の内部に仕掛けをしていたらしく、砲撃の衝撃と共に内部の装甲が炸裂するようになっており、その炸裂した装甲がエリカさんの目を襲い――」

 

 失明? この私が? どうして? なんで?

 

「……ちょっと、それどういうことなのよ……どういうことなのよ!!!」

 

 エリカはわけもわからないまま、激しい感情に身を任せて声の主のほうに飛びかかる。しかし、そのままベッドの上から転げ落ち、硬い床が彼女の頬を冷やした。

 

「ねぇ、嘘だって言ってよ……嘘でしょ? 嘘なんでしょ……? ありえないわよね? わたしが失明だなんて? ねぇ、ねぇ、ねぇ?」

 

 床に這いつくばりながらも、エリカは呟くように言う。しかし返ってくる言葉は――

 

「残念ながら……」

 

 とても冷たく感じる、その一言だけであった。

 

「うぁ、あ、あ、あ……うわああああああああああああああっ!!」

「っ! まずい! 君! 人を呼んできてきてくれ!それと鎮静剤を! エリカさん! 落ち着いて! 落ち着いてください!」

「これがっ、これが落ち着いてだなんてっ! ああっ!! がああああああああああああああっ!!!!」

 

 泣きじゃくりながら闇雲に手足を振るうエリカ。

 何も見えないため腕を振るうたびに何かに当たって痛みが襲ってくるが、それどころではなかった。

 大勢の足音がエリカの元へと押し寄せてくる。そしてエリカの体を羽交い締めにしたかと思うと、エリカの腕にチクリとした痛みが走った。

 

「あっ? あ、あああ……」

 

 エリカの意識がだんだんと闇へと落ちていく。消え行く意識の中で、エリカはただ何故? どうして……? と、あまりの理不尽な運命に対して、疑問を投げかけることしかできなかった……。


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