【完結】光ささぬ暗闇の底で   作:御船アイ

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第15話

 ――二年後。

 

「それでは本日のゲストに登場していただきましょう。戦車道界の期待の新星。東美帆さんです!」

 

 きらびやかなセットの元、噴射されるガスの中から美帆はタレントや観客の拍手を受けながらその姿を表した。

 美帆はその日ゴールデンタイムに放映されているバラエティ番組にゲストとして呼ばれていた。美帆は黒森峰での三年間の生活を終えた後、プロリーグのチームにスカウトされ、そのままプロの戦車乗りとしてデビューした。プロリーグでもその頭角をメキメキと表した美帆は、いつの間にか戦車道期待の新星と呼ばれるようになっていた。

 そこに目を付けた彼女の所属するチームと日本戦車道連盟は、戦車道の知名度アップと競技人口の増加を狙って、美帆を売り出すことにした。幸いにも、美帆の美人よりの外見は、お茶の間にとって受けが良かった。

 美帆は次々に露出を増やしていった。テレビ出演のオファーは可能な限り受け、時には肌を晒す仕事も受けた。

 美帆は次々と言い渡される仕事を拒否することはなかった。いや、拒否するという考え自体が思い浮かばなかった。今の美帆は戦車道以外の事に関しては主体性がなく、チームと連盟の言われるがままの人形と化していた。

 

「いやーこうして会うのは初めてですが、いつもテレビで見る以上にお綺麗ですねぇ」

「ありがとうございます」

 

 美帆は司会者とカメラに向かって笑顔を向ける。

 チームや連盟に練習させられて覚えた笑顔だ。無愛想なままではテレビ受けが悪いからである。

 今の美帆は練習を重ね、好きなときに笑顔や悲しげな表情を浮かべることができるようになっていた。もちろん、そこには美帆自体の感情は一切乗っていない。

 番組の収録はつつがなく進行した。他のタレント達と一緒にひな壇に座り、適度に笑い、適度にコメントを返していく美帆。

 初めて彼女を見たものからすれば、ただの礼儀正しい女性にしか見えないだろう。だが、少しでも彼女のことを深く知れば、その姿に違和感を覚えるだろう。

 彼女の歪さは、完全には隠しきれるものではなかった。

 その日の収録も終わり、美帆は楽屋ですぐさま帰り支度をしていた。すぐ後に訓練が控えていたからである。

 そのとき、トントンと扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「はい」

 

 美帆が応えると、扉を開けてきたのは美帆と懇意にしているテレビ局のプロデューサーだった。

 

「いやー東さん今日もお疲れ様です。テレビ出演にも大分慣れてきましたねー」

「いいえそんなことは。まだまだ学ぶべきことは多いです」

 

 美帆は笑顔で返す。人と話すときは笑顔で話せと日頃から注意されているからだ。

 

「いやー勉強熱心ですねー東さんは。ところで、ちょっと予定を伺いたいんですが……明日、空いてますかね?」

「明日ですか? 問題ありませんが」

「ならよかった! 実はね、会ってもらいたい人がいるんですよー! いやね、その人にはずっとオファーをかけてたんですがずっと断られていまして。それがこの前、東さんとの共演ならオッケーだって言われまして! それでその条件として、前日東さんとお話したいって言うんですよー。どうにかお願いできませんかね! ねっ! どうかこの通り!」

 

 プロデューサーがわざとらしく拝み倒すように両手を合わせる。

 もとより美帆が断るとは思っていないが、形ばかりでもそういう態度を取るのがこのプロデューサーの癖だった。

 美帆はそんなプロデューサーの様子をまったく気にせずに応える。

 

「ええ、いいですよ。ところで誰なんですか? 私と話したいという人は?」

「それがですね、ふふっ、なんと、あの日本戦車道界に名を残す名選手、西住まほさんなんですよっ!」

 

 

 翌日、美帆はテレビ局にある指定された小部屋へと向かっていた。美帆が歩いている廊下には、せわしなく人が行き交うテレビ局にしては、珍しく人通りが少ない。まほは条件として、なるべく他人に話を聞かれない場所を指定したらしい。そして、その小部屋は殆ど使われていないらしく、一対一で話すのに適しているらしく、まほの求める条件に適しているようだった。

 小部屋の前に着くと、美帆は一応の礼儀として扉をノックする。すると、

 

「どうぞ」

 

 という声がしてきたので、美帆はそのまま扉を開けた。

 小部屋の中は、いくつかの椅子と、少し大きめの長方形のテーブルが置かれており、そのテーブルの真ん中ほどの位置にくるあたりの椅子に、まほは座っていた。

 

「おはようございます」

 

 美帆はまほに頭を下げ挨拶する。まほもそれに答え、

 

「おはよう」

 

 と表情を変えずに返した。

 美帆は頭を上げると、そのまままほの対面に来るように椅子に座った。

 

「お久しぶりですね、西住さん」

「ああそうだな。二年ぶりになるか。東美帆と言うんだね、君の名は。不思議な偶然もあったものだな。まさか自分の妹と同じ名の少女だったとは。そして、君がここまで有名な選手になるとは思っていなかったよ」

 

 まほは厳し目な表情のまま言う。美帆は、どこか以前に会ったまほとは違う印象を受けた。

 

「はぁ……その、みほさんというのが、まほさんの妹さんの名前なのですか?」

「……そうか、やはり憶えていないんだな」

「……?」

 

 美帆にはまほの言っていることがイマイチ分からなかった。美帆にとっては、偶然出会い、ただカレーを食べさせてもらった人、というのがまほの印象だったからだ。少なくとも彼女の記憶の中では。

 

「……担当直入に言おう。東さん。私は、君を救いに来た」

「……は?」

 

 救う? 私を? この人は何を言っているんだろう。今の私の生活には、何一つ問題はない。誰かに救ってもらうような事はないはずだか。

 美帆が頭に疑問符を浮かべているのを気にせず、まほは話を続けた。

 

「一年前、偶然武部さんに会ってね。私が君に出会っていたことを知ると、事の次第をすべて話してくれた。武部さんは本当に辛そうだったよ。会ったのは久しぶりだったが、見るからに憔悴していた。それで、どうにか君を助けられないか、私に相談してきたんだ。それで、私達は一緒になって必死に考えた。君のためにも、みほのためにも、そしてなによりエリカのためにも。そして、武部さんがとあることに気がついた。武部さんからそれを聞かされたとき、私もそれしかないと思った。そして、私は必死にそのために必要なものを探した。探せるのは、エリカの地元にいる私じゃないとできなかったからね。そして一年という時を費やして、やっと見つけ出したんだ」

 

 まほはそこまで話すと、懐から何かを取り出した。そして、それをテーブルの上へと置く。

 それは、長方形の、手のひらに収まるほどのコンパクトな機械だった。小さな液晶画面と、スピーカーが付いている。それは、使ったことはなくとも誰もが知っている機械だった。

 

「……これは、ボイスレコーダー?」

「ああ。雑多に処分されかけていたエリカの遺品の中から、なんとか見つけ出した。随分とエリカの家族には迷惑をかけたが、すべては仕方のないことだ。……実はな、エリカは誰にも内緒で、音声日記をつけていたらしいんだ。そのことを知っていたのは、エリカの生活の面倒を事細かに見ていた、武部さんだけだった。だから、今まで忘れられていた。……だが、今の君にはこれが必要なんだ。どうかこれを聞いて欲しい。これは、君のためなんだ。お願いだ、この通り」

 

 まほは座りながら、テーブルに手を着き美帆に向かって頭を下げた。

 正直、美帆には訳が分からなかった。なぜ、見ず知らずの人間の日記を聞かなければならないのだろう? それが、一体なぜ自分のためだというのだろうか?

 あまりにも訳の分からないその頼みは、本当なら断ってもおかしくなかった。だが、まほは知らない相手というわけでもないし、何より自分より一回りは上の世代の人間に頭まで下げさせておいて、それを断るというわけにもいかなかった。

 

「……分かりました。とりあえず、聞くだけですよ」

「……ありがとう」

 

 そして、美帆は疑いながらも、ボイスレコーダーのスイッチを入れた。

 そして聞こえてくる。ノイズ混じりながらも、どこかで聞いたことのある懐かしい声が。

 

 

『三月十七日。今日は図書館で不思議な子と出会った。その子は目の見えない私を避けるどころか、私のことを手伝いたいと言ってきた。正直戸惑ったが、久々に沙織達以外から受ける他人からの善意というのも気持ちがよかったので、受けることにした。その子は、私がもういいよと言うと、すごくガッカリした様子で帰っていった。本当に不思議な子だ。まだ世の中にはあんな奇特な子もいるものだと、少し感心してしまった。

 三月十八日。今日は学校で講師をしに行ったのだが、なんと昨日のあの子に出会った。しかもその子の名は、美帆と言うらしい。……美帆、あの子と同じ名前……動揺しなかったと言えば嘘になる。その子が、戦車道を教えて欲しいと言うのだから、尚更だ。私はその子の願い出を承諾したが……彼女と混同してしまわないか、不安だ。

 三月二十三日。彼女との約束の日だ。彼女は、私がくるずっと前に待ち合わせ場所で待っていたらしい。真面目というかなんというか……。とにかく、私は彼女に自分の知識を教えた。彼女はとても覚えがよく、また聞き上手だった。おかげで、こちらも気持ちよく教えることができた。帰りに彼女は、私のことを送って行きたいと言い出した。本当にいい子なのだな、と私は思った。だから、素直に彼女の厚意を受けることにした。最後まで送ってもらったというのに、彼女は明るく私に別れを告げた。彼女の明るさは正直、気持ちが良い。

 三月二十四日。まさか、彼女がみほが助けた子供だったなんて……。その告白を聞いたとき、私は気がどうにかなりそうだった。まさに運命の悪戯としか言い様がない。彼女は私の生活の手助けをしたいと言い出した。私は迷った。本当にこの子に関わっていいものなのかと。だが、その後気付いた。みほの生命は、この子の中に生きている、生命は、繋がっているのだと。だから私は、彼女の願いを聞き入れることにした。彼女と関わることで、止まっている私の生活が何か変わるかもしれない、そんな気がして。そんな私の内面を知らずに喜んでくれた彼女の声を聞くと……今でも、心が痛む。

 三月二十五日。彼女が家に来てくれた。彼女は、とてもテキパキと私の家を掃除してくれた。最近掃除ができてなかったから、とてもありがたかった。その後、簡単に美帆に戦車道のことを教えてから、彼女の料理を頂いた。彼女の料理はとても美味しく、久々に手作りの料理の良さを味わった。出された料理がカレーだったので、ふと私が自分の過去を――視力を失った経緯を話すと、彼女は我が身のことのように怒ってくれた。ここまで私のことで親身になってもらったのは、初めてかもしれない。その気持ちがとても嬉しくて私は彼女を……美帆のことを、抱きしめた。互いの血の通う感覚が伝わるというのは、案外、悪くない。

 三月二十七日。美帆と一緒にいるところに沙織がやってきた。沙織は、私が美帆をみほの代わりにしているのではないかと問い詰めた。私はそれにすぐさま違うと言った。そう、美帆とみほは違う。美帆はとても感情豊かで、でも決して他人には暗い感情を見せようとはしないで、人の心の機微にはとても敏感で、戦車道に関しては人一倍熱心で、料理洗濯なんでもできて、でもどこか抜けている一面があって……そしてなにより、一緒にいると、なんだかとても安らぐ。みほと一緒にいたときとは、また違った安らぎが、そこにはある。まだ出会って一ヶ月も経っていないが、これだけは分かる。彼女は、とてもいい子だ。できるだけ一緒にいたい。そう思えるほどに。

 四月二日。美帆が一緒に陸に行きたいと言い出した。それを聞いたとき、私は少し考えた。私はみほを待つために学園艦にいる。それなのに、学園艦から離れていいのかと。だが、少し離れるくらいならいいのではと思い、美帆の提案に乗ることにした。不思議な子だ。十二年間こだわり続けてきたことを、こんなにも簡単に崩すだなんて。私にとって、美帆とはいったいどんな子なのだろうか。みほとはまったく違うのに、一緒にいたいと思うこの子は。分からない、でも、嫌な気分ではない。……もし、もしもだ、もしもこのままずっとみほが帰ってこなかったとしたら、私は……いや、やめよう。私はみほを待つためにここにいるんだ。それはこの先も変わらない。でも、そのために美帆と離れるのは……辛いな。……ああもうやめだやめ! 我ながら辛気臭い! それよりもだ! 明日のことを考えよう! 明日は久々の陸の上なんだ。こうなったら思いっきり楽しんでやるんだから! 美帆と一緒に回る大洗、楽しみだな……』

 

 

「…………あれ?」

 

 すべてを聞き終えた後、美帆は異変に気がついた。

 自分の瞳から、大粒の涙が、つつっとこぼれ落ちているのだ。

 どうしてだろう? どうして私は泣いているんだろう? どうして私は……。

 

「……エリカさん」

 

 そうだ、エリカさんの声を聞いていて、そして、エリカさんの日記を聞いていたら、それで……。

 

「……見ててくれたんだ、私のこと。私のこと、憎んでなんかいなかったんだ」

 

 エリカさんはみほさんを奪った私のことを憎んでなんていなかった。

 私をみほさんの代用品として見ていたわけじゃなかった。

 エリカさんは……。

 

「エリカさんはちゃんと、私のこと、見ててくれたんだああああああああああああっ!!!」

 

 美帆は大声を上げて泣きだした。

 それほどまでに嬉しかった。エリカがちゃんと、自分の事を見ていてくれたことが。

 それほどまでに悲しかった。エリカのことを信じきれなかった自分が。エリカのことを忘れていた自分が。

 失っていた感情がどっと雪崩のように襲い掛かってくる。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、形容しがたい色になっている。

 美帆は泣いた。とにかく泣いた。泣くことしかできなかった。

 まほはそっとそんな美帆を抱いた。美帆はその日一日中、体力が尽きるまで、まほの胸で泣き続けた。

 

 

 その日、美帆は夢を見た。

 ずっと忘れていた、大昔の夢だ。

 それは三歳ぐらいの頃、まだ美帆が川に溺れてしまう前の記憶。

 

「……おかーさん、あれなにー?」

 

 美帆はテレビにべったりとくっついていた。そこに映しだされていたものが、とても格好良かったから。

 

「ああそれはね、戦車って言うのよ。これはその戦車を使う戦車道っていう競技なのよ」

「へー……」

 

 美帆が見つめるテレビ画面の向こうにある戦車から、一人の少女が現れた。その少女は、漆黒のパンツァージャケットをまとい、輝く長い銀髪を靡かせ、鋭く青い眼光を輝かせている。

 幼い美帆は、一瞬にして魂をテレビの向こうに持って行かれた。

 

「んっ!! んっ!!」

「あら、どうしたの美帆ちゃん?」

「おかーさん! わたしきめた! わたし、おおきくなったらせんしゃのりになるの! そして、このてれびのむこうのひとみたいに、かっこよくなるの!」

 

 母親は興奮気味な美帆を見て、ふふっと笑った。

 

「あらそうなの、もうこんなに早く将来の夢が見つかるなんて、未来が楽しみだわぁ」

 

 微笑む母を尻目に、美帆は画面の向こうの女性から目が離せないでいた。

 いつかこの人のようになろう、この人のようなかっこいい戦車乗りになろう。美帆は幼い心に、そう誓った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 某日、熊本。

 美帆は照りつける太陽の下、人通りの少ない通りを一人歩いていた。美帆の目当ての場所は、そんな人気のない場所にあった。

 美帆は一件の古びた建物の前に止まると、勢い良くその建物の扉を開いた。カランカランと、ベルの音がする。

 

「いらっしゃいませ」

 

 美帆を迎える声が飛んでくる。カウンターに立っている、まほの声だ。

 そう、美帆はまほのカレースナック『ゴン』へと再び訪れていた。

 そして、美帆を待っていたのはまほだけではなかった。

 

「あらどうも、待っていましたよ東さん」

「待っていましたぞー東殿!」

「……おぅ」

 

 そこにいたのは五十鈴華、秋山優花里、そして冷泉麻子だった。

 

「どうもみなさん、お久しぶりです」

 

 美帆は笑顔で頭を下げる。ちゃんと、心からの笑顔だ。

 美帆と華達は、美帆が心を取り戻した後に、大洗で沙織を仲立ちとして出会っていた。初めは色々と驚かれたが、それでも美帆はすぐ三人と仲良くなった。美帆の持つ元来の人当たりの良さと、彼女が戦車道で一線で戦っていることが話を潤滑にうまく回したのだ。

 

「ほら、挨拶もそこそこにそんなところにつっ立ってないで、早く座ったらどうだ東」

「あ、はい!」

 

 美帆はまほに促され三人の隣へと座る。三人は興味津々に美帆を見ていた。

 

「えーっと、沙織さんはまだ来ていないんですね」

「ええ、沙織さんはどうも少し遅れているようですね、どうしたんでしょうか」

「さぁー……それよりも東殿! 今日もプロリーグについて詳しく聞かせてくださいませ! 私、楽しみにしてきたんですよ!?」

「秋山さん。ぐいぐい行き過ぎだ。東さんが困ってる」

「ははは……」

 

 美帆は優花里に向け苦笑いを浮かべる。最初は面喰らったものだが、今ではもう慣れたものだった。

 

「そうだ東、これを」

 

 まほが詰め寄られている美帆に向けてペラペラとした紙のようなものを差し出してきた。優花里はそれを見ると、反省したように顔を伏せながら自分の席へと戻っていく。

 美帆はまほが差し出したものを受け取った。

 

「これは……」

 

 それは写真だった。そこに写っているは、黒森峰時代のみほとエリカのツーショットだった。

 

「前にエリカの写真が欲しいと言っていただろう? それで探したんだが……あいにく、それ一枚しかなくてな。それでよかったか?」

「……はい! とっても嬉しいです! 大事にします!」

 

 みほは写真を傷つけないようにしながらも、力を入れて写真を親指と人差し指、中指で挟んだ。

 そのとき、カランカランと扉のほうから音がした。

 美帆が懐に写真を入れて扉のほうを見ると、そこには待っていた客がいた。

 

「ごめーん遅れちゃって! この子がぐずっちゃって!」

 

 そこには、沙織がいた。否、沙織だけではない。沙織は子供を連れていた。五歳ぐらいの女の子だった。その子は、もじもじと沙織の背中に隠れている。

 

「お久しぶりです沙織さん。その子がお子さんですか?」

「あっ、そっか、美帆ちゃんは初めてだもんね。そう、この子が――」

「マシーン大元帥!!」

 

 その瞬間、沙織の背後に隠れていたはずの子供が、大声を上げた。何事かと思うと、その子は美帆を指さしながら必死にもう片方の手で沙織の服を引っ張っている。

 

「ママ! 見て! 本物のマシーン大元帥だ! 本物! 本物だよママ!」

「こら、ちゃんと美帆さんて呼びなさいって言ったでしょ!?」

「あ、あはは……」

 

 美帆はそんな沙織の子供を見て苦笑する。華と麻子は、突然のその状況についていけずに頭に疑問符を浮かべているようだった。

 

「あの、東さん。その、マシーン大元帥とは一体……」

「ああ、それは私から説明しましょう!」

 

 そこで、優花里が得意げな顔をして立ち上がった。

 当の美帆は、顔を真っ赤にしながら俯いている。

 

「マシーン大元帥とはですね、東殿の機械のようなクールさと的確な指揮から付けられたあだ名でありまして! 主に一般的な層からそう呼ばれることが多いのですよ! そもそもマシーン大元帥というのはその昔――」

「うう、もうやめてくださいよー……」

 

 まるで自分のことのように解説する優花里に、美帆はさらに顔を赤くさせて頭を抱えていた。

 

「今の私はそんなんじゃないのにずっとその名前で呼ばれるんですよ……。他の方につけられた鋼鉄参謀とか荒ワシ師団長とかはそこまで浸透しなかったのになぜ私だけ……」

 

 一人美帆が呻いていると、ちょんちょんと美帆は服を引っ張られる感覚がした。

 何かと思ってみると、沙織の子供が色紙を持って美帆を見ているのだ。

 

「あの……サイン下さい!」

「え?」

 

 色紙を突き出す子供を見て唖然としている美帆に、沙織が笑いながら説明を始める。

 

「あはは、この子ね、美帆ちゃんのファンなんだよ? 最初は三歳ぐらいの頃だったかなぁ。衛星放送で見た高校戦車道の試合を見てから、ずっと。そりゃもうそこらのファンなんてびっくりするぐらいの筋金入りなんだから」

「へぇー……」

 

 美帆は改めて沙織の子供を見る。沙織の子供は、目をキラキラさせて美帆を見ていた。

 それを見て、美帆はとても嬉しい気持ちになる。こんな子供に応援されるなんて、嬉しくないわけがない、そう思った。

 

「はい、いいですよ。では、さらさらら……と」

 

 美帆は慣れた手つきでサインを書くと、沙織の子供に渡した。すると沙織の子供は、サインを両手で掲げて「わーいわーい!」とぴょんぴょん跳ね回りながら喜んでいた。

 

「さ、みんなそろったんだ。そろそろ出してもいいかな」

 

 まほはそこでカウンターに全員分のカレーを出した。いたって普通のカレーだ。だが、今はそれがとても美味しそうに見える。

 沙織は子供を持ち上げ席に載せた。ちなみに、沙織の子供には甘口カレーが出されている。

 

「さて、それでは……」

「「「「「いただきます」」」」」

 

 美帆達は、一斉に食事を始める挨拶を口にした。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 夕方、美帆は一人エリカの墓前に立っていた。あの後、美帆は沙織達と熊本観光をし、日が落ちてきたところでそのまま別れたのだ。

 そして美帆は一人帰らず、こうしてエリカの墓参りに来ていた。

 

「エリカさん……私、やっと気づきました。私の生命は、ずっと繋げられて来たんですね。みほさんと、あなたに……。私の生命は、私だけの生命じゃない。死んだみほさんやあなたや、そして妹の分まで精一杯生きていかなきゃいかない」

 

 美帆は懐からみほとエリカの映った写真を取り出し、それを見つめながら語りだす。

 

「私は一時、あなたに憎まれているものだと思った。でも違った。あなたは、ちゃんと私のことを見てくれていたんですね。それだけで、十分です。例え、あなたが想っていた相手が、最後に手を握り、名前を呼んだのが、私でなくても……」

 

 美帆は再びエリカの墓に視線を移す。そして、写真をその墓に見せつけるように突き出した。

 

「エリカさん、見つけましたよ。私の戦車道。だから……そちらの世界では、みほさんと仲良くしてくださいね。そちらの世界では……」

 

 そして美帆は、写真の端を両手で持ち、そして――

 

「そう、そちらの世界では、ですけどね」

 

 そのまま、エリカとみほを引き裂くように、写真を破いた。

 

「あなたがみほさんのことを好きなことに今更何かを言うつもりはありません。でも、この此岸では、生命あるこちらの世界では、あなたは私のものです。私が生きている間は、エリカさん。あなたは、私の想い人です」

 

 そして、エリカの写った写真を懐にしまうと、ポケットからライターを取り出し、みほが写った側の写真に火を付けた。

 

「愛していますよエリカさん。あなたは、私のものです……」

 

 美帆は燃え盛る写真から手を離す。写真は、白い灰となり、風に乗ってどこかへと散っていった……。




『光ささぬ暗闇の底で』本編はこれにて終了となります。
これからはIFルートのアフターを綴っていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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