「いい天気ですね」
私、東美帆は大洗にあるとある屋外カフェテリアにて、コーヒーを片手に言いました。
太陽はさんさんと輝き、九月になったというのを感じさせない暖かさを感じさせてくれます。
「そうだねー、もうそろそろ秋だって言うのに、全然そんな感じしないよ」
私の言葉に、私の正面に座っている沙織さんが言います。
沙織さんはコーヒーを口にしながら運ばれてきたショートケーキに目を輝かせていました。
「うーんここのショートケーキ、何度来ても食べたくなっちゃうんだよねー」
「はい、わかります。ここを使い始めたのは高校からなのですが、最初はその美味しさに驚きましたよ。いやぁ絶品ですねぇ」
その最初に来たときというのはエリカさんとのデートのときだったのですが、まあそれはまた別の話です。
私も目の前にあるショートケーキをフォークで切り分け、口に入れます。
うん。美味しい。
「…………」
私は黙々とケーキを食べます。
いやあ美味しいですねケーキ。この美味しさだともう一つ頼んでしまいそうです。でも乙女たるものそんなに過剰に甘いものをとっては体に毒というもの。いえ、しかしここはもう一つ頼むというのも作戦としては十分考慮すべき――
「で、相談って何かな美帆ちゃん?」
……はい。今ここに私は現実から逃げていたことを告白いたします。
だって、これからの相談は、ちょっと今更なことすぎて少し口に出すのに勇気が必要なんですから……。
「その……」
「うん」
「あのですね……」
「うんうん」
ああ、沙織さんが凄い笑顔で私を見ています! そこにはなんの邪心もありません! 私の質問を静かに待ってくれている顔です! 呼び出したくせにこんな言いよどんでいる私に対して! 聖母ですかあなたは! 母親になってください! と言いたくなっちゃうじゃないですか!
いやそれでは本題からズレてしまいますね……仕方ありません、腹を決めましょう。
「……決められてないんです」
「決められてない? 何を?」
「……その、進路、を……です……」
ああ、沙織さんが呆気にとられています……。
それから少しの間、私と沙織さんの間で微妙な沈黙がありました……。
「……と言うとつまりこういうわけ? 美帆ちゃんは未だに大学進学かプロリーグの選手になるかで悩んでる、ってこと?」
「はい……」
ああ、顔から火が出そうです。高校三年の夏を過ぎたと言うのに、未だに進路が定まっていないなんて。本当に恥ずかしい限りです……。
「……一応、大学進学ってことで学校には言ってるんだよね?」
「はい、さすがにそうしておかないといろいろまずいので……ですが、今スカウトが来てるのも事実なんです」
私達大洗女子学園は夏の全国大会で優勝しました。そして、その直後私はプロリーグにある数々のチームからスカウトを受けることとなりました。
私としては大変喜ばしいことです。ことなんですが……。
「でも、美帆ちゃんとしてはそこが悩みどころなんだ」
「はい」
「どうして? プロでまで戦車道はやりたくないの?」
「いえ、そういうわけではないんです。むしろ、プロでやれるならこれほど喜ばしいことはありません。でも……」
「でも?」
「そうすると、エリカさんと一緒にいる時間がなくなってしまう可能性が……」
そう、それこそが私の危惧することなのです。
エリカさんは今、大洗学園艦に住んで生計を立てています。プロになって大洗学園艦を離れると、エリカさんとはなかなか会えなくなります。もちろん大学に入ってもエリカさんとは離れ離れにはなります。しかしそれは四年間の我慢であって、大学を卒業すればまた大洗に戻ってくるという選択肢を取ることができます。でも、プロになったらそれ以上の期間、エリカさんと離れ離れになってしまうことになるんです……」
「なるほどねぇ……」
沙織さんは呆れることなく私の話を聞いてくれました。
なんだかんだで、沙織さんは私とエリカさんのことをずっと見てきてくれました。だからこそ、私が本当に悩んでいることを分かってくれたのでしょう。
「でもさ、えりりんはもし美帆ちゃんがプロになるって言ったりしても、大丈夫だとは思うよ? 一緒についてきてくれるんじゃない?」
「はい、それは私も一応そんな気はしてるんです。多分、エリカさんは私と一緒についてきてくれるって」
「だったら」
「でも、私はそのことでエリカさんを大洗学園艦から引き離すのが心苦しいんです。エリカさんにとって大切な思い出のある、あの場所から……」
エリカさんにとって大洗学園艦はただの学園艦ではありません。そこは、エリカさんが見えなくなった目のことで絶望していた状況から救われた場所であり、そしてなにより、エリカさんの大切だった人が守った場所でもあるんですから。
「……そっか。ちょっと意外。美帆ちゃんならえりりんが一緒についてきてくれるならてっきり喜ぶかと思った。『エリカさんは私のこと選んでくれたんだー!』って感じでね」
「……私ってそんなバカっぽいですか?」
「うん、わりと」
「うぐぅ」
思わず声を上げてしまいました。
確かにエリカさんが私のこと選んでくれたら嬉しいですが……。私のことだけ見てて欲しいとは常日頃から思っていますが……。
「……多分、どこか遠慮してるんだと思います。その……みほさんに」
西住みほさん。私の命の恩人で、かつてのエリカさんの想い人。
「私はかつて、エリカさんから直接愛していると言ってもらいました。でもやっぱり、どこかみほさんには勝てないと思っている部分があるんだと思います。エリカさんが最初に選んだのは、私ではなくみほさんですから……」
もし私が最初に会っていたら、なんて仮定はしないでもありません。でも、やっぱり現実としてエリカさんが最初に選んだのはみほさんということは変わりません。
私がうつむきながらこぼしていると、沙織さんはいつの間にか立ち上がり、ぽんと私の肩を叩きました。
「美帆ちゃん」
そして、沙織さんは笑いながらいいました。
「やだもーバッカみたい!」
「え、えええええええええ!?」
ちょ、この流れでそれですか!? いきなりひどくないですか!?
「だって本当にバカバカしい悩みなんだもん! えりりんの初恋が何さ! 今えりりんが好きなのは美帆ちゃんなんでしょ? だったらそれでいいじゃん! 今を大事にしてもらえばさ!」
「で、でも……」
「でもじゃないの! もー美帆ちゃんってば思い詰めすぎだって! そんなんだったら、えりりんがもしいなくなったら死んじゃうんじゃない?」
「当然です。エリカさんがいない人生なら私は私を殺します」
「ははは……。でも、そういうことなんだよ」
そう言って、沙織さんは再び椅子に座りました。
私はよく意味が分からず、首をかしげます。
「そういうこと……?」
「うん、そういうこと。美帆ちゃんにとってもうえりりんはいないことがありえないぐらいに大切になってるんだよね? それはきっと、えりりんも一緒だよ。えりりんもきっと、美帆ちゃんのこともうかけがえのない存在だと思ってるはずだよ」
「そうでしょうか……」
「そうに決まってるって! ずっと二人を見てきた私が言うんだから間違いないの!」
沙織さんはそう言って、私にウィンクをしました。
とても自分の倍生きている人間のウィンクとは思えない、愛くるしいものでした。
「あ! 今失礼なこと考えたでしょ!」
「い、いえ決して」
「まあ話を戻すとして。もう二人はさ、どうしようもなーくべったりになっちゃってるんだから、美帆ちゃんがどんな道を取ろうと、きっと後悔しないしそれはもう当たり前のことになってるんだよ。むしろ、そうして美帆ちゃんが悩んでることを怒るかもよ?」
「怒る、ですか……」
私は想像します。
私のために怒ってくれるエリカさんを。
あ、なんかこれはこれで幸せ……じゃ、じゃなくて! ちょっと申し訳ないです。
でも、確かにその情景がありありと浮かべることができます。本当に、当然のことのように。
「……はい、怒るでしょうね。エリカさんは」
「でしょ?」
沙織さんはふふっと笑います。そして、わしゃわしゃと私の頭を撫で始めました。
「あなたはまだ子供なんだから、自分のことだけ考えてればいいの! 子供のわがままを聞いてあげるのが、大人の役目なんだから!」
「わ、分かりましたから撫でるのやめてください! 恥ずかしいです!」
この歳になって頭をなでなでされるのはさすがに抵抗があります!
ああ、周りの人達がクスクス笑ってるじゃないですか……うう、恥ずかしいです。
「はいはい」
そうして沙織さんは私の頭から手を離しました。
うう、顔が真っ赤になっているのが自分でも分かります……。
「……分かりました! 私、今回は……いえ、今回も、ですかね。わがままになろうと思います! 私……プロになります!」
「おお! 良かったー! おめでとー!」
沙織さんは自分のことのように喜んでくれました。ああ、本当にいい人です、この人は……。
「ふぅ、これで人生相談はおしまいかな?」
「はい。ご迷惑おかけしました」
「いいっていいってこれぐらい。気にしないで。それより、私ずっと気になってたんだけど……」
と、そこで沙織さんが真剣な面持ちで私を見ました。
はて、何かあったのでしょうか?
「はい? なんでしょうか?」
「……美帆ちゃん、コーヒーに砂糖とミルク入れすぎじゃない?」
「え?」
そんなことないと思うんですけどねぇ。
私は六個目の砂糖と二個目のミルクを入れながらそう応えました。
◇◆◇◆◇
「……エリカさん! 私、プロになります!」
私はその日の夜、家に帰ると、エリカさんと向き合って言いました。
沙織さんと話して決めたとはいえ、とても緊張しています。
「……だから、私と一緒についてきてくれませんか!?」
そして続けざまに私は言います。
私の言葉に対し、どうエリカさんは反応するでしょうか。沙織さんは大丈夫と言ってくれました。でも、万が一断られたら――
「本当!? 良かったわ美帆がそう言ってくれて。美帆がそう望むなら、ついて行くに決まってるでしょ! さあ、美帆、色々と詳しい事を教えてちょうだい!」
エリカさんは、笑って応えてくれました。
満面の笑みで、肯定してくれました。そのことが、私にはとても嬉しくて、嬉しくて……。
「ちょ、美帆!? なんで泣いてるの!?」
どうやら私はあまりにも嬉しくて、涙を流してしまったようです。
私はすぐさま涙を腕で拭きます。
「えへへ……エリカさんの言葉が、嬉しくて」
「ふふ、もうバカな子なんだから」
そう言うと、エリカさんは私に近づき、私の涙をペロッと、舌ですくい上げました。
「あっ……」
「美帆の涙、美味しい」
「か、からかわないでくださいエリカさん! こんなときに!」
「からかってなんかないわよ。美帆があまりにも可愛いものだから私、もう我慢できなくなっちゃった……」
そう言って、エリカさんは私を近くにあったソファーの上に押し倒しました。
「あっ……」
「美帆……」
「……はい」
「大好きよ」
そう言って、エリカさんは私に口づけをします。
エリカさんの味が、私の口にいっぱいに広がってきました。
ああ、もうだめです。私、幸せでどうにかなっちゃいそうです……。
その夜、私とエリカさんは激しく燃え上がりました。
何はともあれ、私の進路は決定しました。あとは、その進路に向かって突き進むのみです。私とエリカさん、二人の未来のために歩むべき道を目指して……。