邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません 作:ellelle
英雄は道化と踊る
それは私にとって予想外でしかなかった。鋭い目つきで睨んでくる彼女と、その後ろで困惑している間抜け。
彼女が私という人間を見つけるまで、少なくとも一カ月はかかると思っていた。
いくら優秀な人間であっても、あれだけでは難しいだろうと。
だからこれほどの短期間で、しかも
今にも襲い掛かってきそうな猛獣に、私は主人公君との会話を思いだす。
それはシアンが攫われた時のこと、彼が語ったその生い立ちについてだ。
「私はイザベル=ラインハルト。アルフォンスの姉で、トライアンフギルドの冒険者をしてる。
まあ、今更自己紹介なんて必要ないわよね?
だって、あんな伝言を残すくらいだから、私がやってくるのも想定内でしょ?」
これで彼女が懇意にしている王族というのが誰で、御姫様と主人公君との関連性もわかった。
全てが繋がっているというなら、私の計画も修正が必要だろう。
まずは彼女の記憶がどこまであるのか、それを確かめなければならない。
「ええ、あの伝言はそのために残したものです。
あの時は私も約束があったので急いでいましたし、なにより貴女が捕まった時のことを考えると、あのような形で逃がすしかありませんでした」
「約束?」
ふむ、いきなり襲い掛かってこないあたり、フォールメモリーは役に立ったというべきか。
私が意味深な言葉を発すれば、案の定彼女は食いついてくる。
殺気でカモフラージュしようとしても、その人間性までは誤魔化せない。
少なくともあの日の記憶はないと仮定して、とりあえずは
今回の舞台に彼は呼んでいないし、なにより使い勝手が悪すぎる。
「はい、ですが知らなくても不思議ではありません。
この事を知るのはトライアンフのマスターと一部の人間、ただの冒険者でしかない貴女が知らないのも当然です」
「へぇー、なかなか面白いこと言うわね」
おそらく彼女が主人公君を頼ったのは、他に手立てがなかったからだ。
それは彼を人魔教団との争いから遠ざけ、学園に通わせていることからもわかる。
彼の生い立ちと学園での立ち位置、その全てを鑑みれば辻褄が合う。
どうして主人公君が序列入りしていないのか、その素性を周りに話さない理由もそうだ。
彼女は主人公君を守りたいのだろう。だから彼の前から姿を消し、王都の安全な学校に通わせている。
ただ……まあ、そんな気遣いも徒労に終わっているがね。
代表戦の時に私の試合を邪魔して、彼は一躍有名人となっていた。
御姫様と仲が良かったことや、元々目立つ存在であったのもその理由だ。
「言いたくないならここで強引に聞いてもいいけど……どうする?
悪いけど、弟の同級生だからって容赦しない」
緋色の剣士にとって彼がどれほどの存在か、それを推し量る良い機会である。
価値があるなら利用すればいいし、ないのなら今後の参考にもなる。
私は彼女の問いに対して、視線を主人公君へ向けて答えた。
「トライアンフが壊滅した今となっては、味方は一人でも多い方がいい。
それが貴女ほどの実力者であれば、私としても助かりますからね。
ただ、貴女は良いとしてもそこの彼は違う。――イザベル=ラインハルトさん、私の言いたいことがわかりますか?」
私の投げたボールに対して、彼女は辛そうな表情をしていた。
それは弟を巻き込んでしまった罪悪感か、それとも私に対する警戒心か、いずれにしても予想は当たっていたようだ。
張り詰めた緊張が少しだけ緩み、彼女の殺気が弱まったのを感じる。
「アル、残念だけどこいつの言う通りだわ。あんたにはまだ早すぎる」
「そんな、なんで……ベル姉! 僕だってみんなの役に立ちたいんだ!」
剣のように鋭かった雰囲気が、徐々に丸みをおびていくのがわかる。
どうやら私の予想通り、彼女は弟のことが大切らしい。
まあ、その気持ちが当の本人に伝わっていないこと、それが彼女にとっての不運である。
「あの日、ベル姉が帰ってきたときに約束したじゃないか。今回は僕にも手伝わせてくれるって!
記憶が混乱してるベル姉のために、あの事件についてターニャにも調べてもらった。
確かに僕たちはまだまだ力不足だけど、それでもなにかの役に立ちたいんだ」
全く、ライトノベルだとお決まりの展開である。少し考えれば気づくだろうに。
確かに御姫様はその地位を利用して、私たちをバックアップすることは可能だ。
しかしただの学生にすぎない彼は、それこそ足手まといでしかない。
どれだけ力説してもそれは変わらないし、そもそも彼が舞台へ上がるのは避けたかった。
このままでは彼女が説得されて、私の計画が破綻する可能性すらある。
ふむ、だから……というわけでもないが、このイレギュラーな状況に対して、私は強引な手段に出るしかなかった。
いつも通りそれを願うことで、私の世界はセピア色に染まる。
これは彼を排除すると同時に、緋色の剣士に対して実力を見せる良い機会だ。
殲滅戦の記憶がない彼女は、私の強さを知らないからね。
主人公君が説明していたとしても、所詮は高校生から見た実力に過ぎない。
一流の冒険者である彼女にとって、その情報はちり紙のようなものだ。
だからこそ、これからのことも考えれば、ここで私の実力を見せるのも悪くない。
全てが黒く染まった世界の中で、私は彼女が腰に差している剣を抜き、それを主人公君の足元に突き刺す。
後は再び動き出した彼に対して、私はこう問いかけるのだ。
「今のが見えたか? 先ほど役に立ちたいと言っていたが、今の君にできることなどなにもない。
君が私たちに協力したいと言うなら、これ以上この件に深入りしないことだ。
君はあの御姫様を守っていればいい。ある程度の事情は知っているようだが、今一番危険なのはおそらく御姫様だ。
君に頼まれて彼女は教団について調べようとした。それがどれだけ危険な行為か、君ならば知っているはずだ」
見えるはずなどない。なぜならあの世界で動けるのは私だけ、誰であろうとそのルールは絶対だ。
うるさいくらいの静けさの中で、緋色の剣士は鋭い目つきで私を睨み、主人公君は悔しそうにうつむいている。
床に突き刺さった剣に映る歪んだ笑顔、視線の先には道化たちが踊っている。
「アル……アルフォンス。ここはお姉ちゃんに任せて、あんたはターニャちゃんを守りなさい。
彼の言う通り、ターニャちゃんにも万が一ってことがある。
あんたは私の心配なんかより、あの子のことを考えなさい。
大丈夫、私は教団の奴らになんか負けないから。それに、なかなか頼りがいのある仲間も見つかったしね」
ブラヴァツキー領にいた彼なら、私の言い分もわかるはずだ
教団に故郷を滅ぼされた彼は、その危険性を誰よりも理解している。
人魔教団がどれだけ危険であるか。そして御姫様を巻き込んでしまったこともね。
だからこそ、彼女の言葉に彼は動いたのである。
弟思いの姉がその頭を強引に撫でて、彼は悔しそうにその拳を握った。
そして、微かな嗚咽がこぼれたかと思えば、小さな後ろ姿と共にドアが開かれる。
弟を慰めて見送る姉と、全てを理解したうえで屋敷を出ていく弟――ああ、なんともくだらない光景である。
これなら連続ドラマの最終回だけ見て、適当な感想文を書いた方が有意義だ。
「ねぇ、あんた」
主人公君が去ったあと、剣を引き抜きながら彼女は言う。
その背後に大量の光が現れ、そこから無数の切っ先が顔をだす。
これは殲滅戦で彼女と戦った時、私が苦戦させられた魔法だ。
「今回は許してあげるけど、次アルフォンスに剣を向けたら……わかってるわよね?」
正確には召喚術の類だったか、その光景を前に苦笑いしてしまう。
どうやら怒らせてしまったらしい。全く、想像以上に弟思いのようだ。
「ああ、勿論だとも。
だが、ああしなければ彼は引き下がらない。私としては同級生を守りたかっただけで、こんな風に剣を向けられるのは心外だな」
「そうね。あんたの言うことが本当なら、お姉さんがあんたの頭も撫でてあげる。
だけど、あんたは普通の学生じゃない……そうでしょ?」
少なくとも合格点は頂けたらしい。私はわざとらしくため息を吐いて、彼女は持っていた剣を鞘にしまう。
相変わらずその目つきは鋭いものだが、それでも先ほどよりは好意的だ。
「さっきの動きを見ればわかる。
私も自分の腕には多少自信があったけど、まさか弟と同い年の子に出し抜かれるとはね。
一応話は聞いてあげるけど、少しでもおかしな真似をしたら容赦しない。
勘違いしないでよね。私はあんたのことを信用していない。弟がいたからあんな風に言ったけど、いなかったら最初の時点で切りかかってるわ」
なんというか、第一印象は最悪らしい。
個人的には酷い誤解なのだが、それを説明したところで無駄だろう。
こんな私でも彼女の考えていることはわかる。記憶を失った彼女にとって、もはや私を頼るしかないのだ。
得体の知れない人間から情報を引きだすか、もしくは御姫様と弟を巻き込むかの二択。
先ほどのやりとりを見れば、彼女がどちらを選ぶかは決まっている。
「取りあえず、あの日のことを教えてもらうわよ。
あんたとグリフォンさんの関係や、教団のことをどれだけ知ってるかもね」
そう言って再び殺気を放つ彼女に、私は心の中で声援を送っていた。
精一杯の虚勢を張るその姿は、どこか悲しそうでもあった。
ふむ、彼女の境遇には同情の余地がある。目覚めれば帰るべき故郷や、頼るべき仲間も失ったのだ。
その絶望がどの程度のものか、こんな私でもなんとなくわかる。
他人の信頼を勝ち取るのに必要なのは、適切な場所と然るべきタイミングである。
「さて、まずはあの日のこと――私とギルドマスターの間柄から説明しよう」
私は緋色の剣士を執務室に案内し、そこでくだらない物語を騙る。
なんてことはない。全ては私という人間の妄想であり、そこに彼女が求めている答えはない。
派手な表紙ともっともらしい言葉を使い、わかりやすい内容で伝えよう。。
大丈夫、なんの問題もない。なぜならそれを確かめようにも、彼女の仲間はすでに腐っている。
だから始まりはこうしよう。私は人魔教団に恨みを持つ者として、グリフォンから仕事をもらっていたことにする。
教団と敵対する中で彼と出会い、そして同じ目的を持つ者として、陰ながら協力していたわけだ。
私が教団から救いだしたことになっているメイド、セシリアを使えば信憑性も生まれる。
彼女に私の話を確かめる手立てはないし、それを行おうにも時間がない。
「あんたが教団と? なんていうか、さすがに信じられないわね。
弟の同級生があいつらと戦い、しかも生きているなんて」
「こう見えても私は強い。……いや、強いからこそ生きている。
私の生い立ちは少々複雑でね。君の想像以上に汚れているし、そうしなければならなかった。
それこそ奴隷のようなものだ。人を楽しませるために人を殺し、気がつけば全てを受け入れていた」
だからこそ彼女は私という人間に深入りできない。なんてことはない、セシルを説得した時と同じだよ。
それっぽい内容で誤魔化しつつ、徐々に論点をすり替えるのだ。
彼女が知りたいのは私の生い立ちではなく、あの日なにが起こったのかだ。
「しかし私だって人間だ。いや、人間だと思いたかった。
だから……というわけでもないが、教団と敵対する道を選んだのだ。
私のような人間が生まれないためにも、原罪司教は全員殺すべきだとね」
全て予想通りだった。彼女は自身のことはなにも語らず、私から情報を引きだそうとする。
記憶を失っているのに、そのことを隠したまま対等に振舞う。
悪くはない、むしろ合格点と言ってもいい。私たちの友達は愛と希望ではなく、警戒心と強かさである。
「あの日、私がトライアンフを訪れた理由は簡単だ。
トライアンフのギルドマスター、グリフォン=バードから連絡があったのだ。
プライドに関する決定的な証拠を見つけた、サラマンダーギルドの裏帳簿を手に入れたとね」
さて、諸君にはもう少しこの話に付き合ってもらおう。
この日のために私はスロウスの兵隊を使い、わざわざ行商人を襲撃したのである。
自らの手で奴隷どもを処分し、ここまで大掛かりな舞台を整えた。
全てはサラマンダーギルドを乗っ取り、プライドを排除するための計画だ。
ここがある種の分岐点、彼女の協力がなければ私は全てを失う。