煕子がボンゴレ邸で暮らすようになって数日が経過した。元々、日本で窮屈な思いをしていた為か自分に深く干渉せず「門外顧問のお嬢様」として一定の距離を置いて世話をする周囲に対してある種の安堵感を抱いており、自分を奇異の目で見ることなくスポンジのように吸収する優秀な頭脳を面白がってどんどん知識を詰め込んでくる家庭教師の存在も手伝ってある一つの問題を除いて快適に過ごしていた。
「ジューリア少し外に出て来きます。」
「はい、お嬢様。先日も申し上げましたが、庭園から外に出てはいけませんよ。」
「はい。」
ジューリアは煕子がボンゴレ邸に来てすぐに煕子の世話係に任命されたメイドである。メイドの中でも年若く親しみやすく落ち着いた人柄から日本から来て間もなく心細いであろう少女の慰めになればと周囲の配慮により選ばれたのだ。少し遅い朝食を済ませ、用意していたトートバックを持つと昨日も訪れたボンゴレ邸のよく手入れが行き届いた庭園へと向かう。昨晩予習は済ませてきたが、とても役に立つとは思えなかった。半ば義務のように庭園へと足を運ぶ気分は今までの戦歴を思い返して少し憂鬱だった。
「おはようございます。」
「・・・・・。」
噴水の近くのベンチに座っていた昨日とは違い、今日は薔薇の茂みの陰になっている芝生に目つきの悪い少年が腰掛けて本を読んでいた。9代目の息子であるザンザスである。彼は自分に挨拶をよこす日本人の少女にジロリと目線をやったのみだった。煕子はその視線にたじろぐことなくジッと見返していた。それは、研究員がマウスを眺めているような非常に無機質な視線でありその視線がますますザンザスを不愉快にさせた。
「何の用だ。」
「お友達になってください」
幼い少女が白々しく告げる言葉は昨日と同じもので無機質な視線と相まって非常に不気味であった。ザンザスは自分が一目見て無力だと断じた少女が世間の常識の枠の中にいないことをこの数日で実感していた。たった数日で何人の家庭教師が彼女に慄いて屋敷を去ったか知れない。今や彼女に付き合えるのはあの変わり者の数学者のみである。優秀な有識者達に「化け物」と言わしめる頭脳は勿論脅威的であるが、それよりもザンザスの気に障ったのは今も自分に向けられる視線であった。無機質であるが正確にこちらを把握しようとジッと観察しているのだ。ザンザスは自分が子供の枠におさまっていない自覚はあったが、目の前の少女よりは人間である自信があった。
「断る。失せろ」
強い語気で言い放ったが、目の前の少女には堪えていない。
「頑ななあなたのために今日は先人の知恵を借りて来ましたよ。」
涼しい顔で言い放った煕子は持って来たトートバックから「じゃじゃ〜ん」と気の抜けた効果音を口にしながら一冊の本を取り出した。眼前に突きつけられたそれに思わずザンザスは目を剥いた。
「ッッ!!?」
それはポルノ雑誌だった。しかも、ティーンが読むようなグラビアではなくとても口に出来ない部位が露わになっている過激なものでザンザスは真っ白になった頭で引ったくるようにポルノ雑誌を奪うと自らの炎で灰も残らぬ火力で燃やした。ボンゴレの炎をこんな事に使うのはなんとも情けない気分であったが、年端もいかぬ少女とポルノ雑誌を見ているところを誰かに見られでもしたら9代目の息子としての己の沽券に関わる。
変な汗をかきながら煕子を睨むが本人はキョトリと目を瞬かせただけだった。珍しく人間らしい表情であるが、そんなことに構っている余裕はザンザスにはなかった。
「なんのつもりだ。」
まさか己を貶めようとしているのかと邪心してしまうほど悪意のある差し入れであった。
「先生が男と友情を深めるならこれと言って貸してくれました。」
彼女が「先生」と呼ぶ存在は一人しかいない。ザンザスの頭には自分が回答を間違えるのを楽しそうに眺めるあの面と笑い声が思い出され「一体どうしてやろうか」と沸々と怒りを煮え滾らせていた。
「今回も失敗ですかぁ」
横から残念そうな声が聞こえザンザスの意識が切り替わる。先に片付けなくてはならない問題があった。
「お前はこの間からなんなんだ。何が目的だ。」
「お友達になろうとしただけですよ。」
この間までまともに取り合っていなかったが、次にどんなことを仕掛けてくるか考えれば先にこの少女をなんとかするしかなかった。
「友達なんて必要としてねぇだろ。」
「お母さんからのお願いですから」
「いちいち、言いつけなんて守るタマじゃねぇだろ。」
「いいえ、言われたことは守ります。」
そうやってあの家庭教師の言葉を鵜呑みにして自分にあんなものを差し出して来たのかと思うとザンザスは頭が痛かった。
「それに先生が何事も経験が一番だと言っていました。」
「・・・・・。」
「あなたは友達がいますか?」
「ボンゴレで暮らしててそんなもん出来るわけないだろう。」
「そうです。だから、身近にいるあなたに目をつけたんです。」
「諦めろ」
ザンザスはバッサリと切り捨てるが、煕子は少し思案する素振りを見せた。最近、変わり者の家庭教師の影響か煕子自身の思考の幅が広がった。選べる選択肢が多くなるとその中でも「楽しみ」を見出せる選択をするようになった。完全に悪影響でしかなかったがそれは煕子に新鮮な満足感をいつも与えてくれた。
「なら、ごっこ遊びをしましょう」
見た目と不釣り合いな頭脳を持つ少女が口にするにはあまりに不吉な単語だった。
「・・・何をする気だ。」
「ただの遊びですよ。」
本当に自分は人間と話しているのかザンザスはこの数分でドッと疲労感が蓄積されているのが分かった。そもそも、その「ごっこ遊び」の全貌が見えないことにはyesもnoも言いたくなかった。
「何かを共有するとそこから友情に発展する場合もあると先生が言っていました。」
「・・・・・・・。」
「だから、一緒にゲームをしましょう。」
「・・・・・チェスやカードってわけじゃないだろう。」
「けど、きっと楽しいですよ。」
「・・・・・なんだ。」
もうザンザスは一刻も早くこの会話を切り上げたかった。しかし、次に飛び出して来た単語に頭の中のスイッチがカチリと切り替わるのを感じた。
「ネズミ捕りですよ。」
もちろん額面通りの意味ではないことは察した。思わずザンザスはまじまじと煕子の顔を眺めてしまう。果たして、自分が気付かなかったネズミにこの日本人の少女が本当に気付いたのか。いや、それを確かめるのもゲームなのか。
「ねぇ、スリルは楽しいことなんでしょう?」
そう淡々と言い放つ挑発めいた言葉にジワジワと自分の口角が上がるのをザンザスは感じていた。
いい子だからお手玉とかで遊んでて
主人公がスラスラ喋り出したのはイタリア語になれたのと「先生」のせいです。