ネタバレ
【公理協会 100層】
「お言葉ですが、最高司祭様」
キリトの声を遮った鋭く凛とした声の主は整合騎士アリスであった。
後ろで三つ編みで纏めてある金髪を一歩前に進み出る際に揺れ、きらっと月の明かりに反射して光り、それは正に目の前にいるアドミニストレータの艶やかな銀髪に対抗するかのようだった。
「きたるべき闇の軍勢の総侵攻に、現在の整合騎士団では抗しきれないとお考えだったのは、騎士長ベルクーリ閣下も、副長ファナティオ殿も御同様でした。そして……私も。無論、我ら騎士団は、最後の一騎までも戦い抜き散り果てる覚悟でしたが、しかし最高司祭様には、騎士団なきあと
ホールへと響く騎士アリスの悲痛な叫びにアドミニストレータは笑みを薄め、少し意外そうな表情でじっと黄金の騎士を見下ろす。
ユージオも一歩前に出て、青いマントをはためかせているアリスの言葉に衝撃を受けていた。
整合騎士アリス・シンセシス・サーティ。
ユージオの大切な幼馴染、アリス・ツーベルクの体に宿る、仮の人格。
彼女は数日前に学院の大講堂でユージオの頬をしたたかに打ち据えたように、冷徹な法の執行者だった筈だ。あの時のアリス中にはかつてのアリスが持っていた沢山の感情も優しさも無邪気さも、とりわけ愛情は微塵も存在してなかったはずだ。
“筈なのに……まるでーー”
アドミニストレータを見据え、静かに憤る騎士アリスが発した言葉はまるでかつてのアリスがそのまま整合騎士として成長し、発したように思えた。
息を飲むユージオの視線に気づくことなく、黄金の整合騎士は床へとカァン! と音高く金木犀の剣を突き立て、再度言の葉を言い募る。
「最高司祭様、私は先刻、あなたの執着と欺瞞が騎士団を崩壊させたと言いました。執着とは、あなたが人界の民たちからあらゆる武器と力を奪ったことであり、そして欺瞞とは、あなたが我ら整合騎士すら深く謀っていたことです! あなたは我らを親から……妻や夫、兄弟姉妹たちから無理矢理に引き離し、記憶を封じておきながら、ありもしない神界より召喚したなどという偽りの記憶を植え付けた……」
そこで言葉を切り、俯いたアリスはすぐに背筋を伸ばすとより一層毅然とした声で続けた。
「……この世界を、民たちを守るために必要なことであったのなら、今は咎めますまい。ただ、どうして我らの、公理協会と最高司祭様に対する忠誠と敬愛すらも信じてくださらなかったのですか! なぜ我らの魂に、あなたへの服従を強制するなどという、汚れた術式を施されたのですか!!」
そう言いのけたアリスの適度に整っている横顔に一筋ポロリと内から溢れてくる感情に促されるように透明な雫が流れ落ちるのをユージオ、そしてカナタは見る。
青い瞳と蒼い瞳はだんだんと丸くなる、二つの瞳に満ちるのは複数の複雑な感情。
青い瞳は再会した時は全ての感情を失ったと思っていた彼女が見せる感情に戸惑ったから……蒼い瞳は常に冷静な彼女が今の感情を言の葉へと載せてぶつけてくれていることに喜びを感じたから………。
「あらあら、アリスちゃん」
しかし、アリスの氷のつららのように冷ややかで鋭い訴えを鮮やかな笑顔で応じたアドミニストレータの表情に罪悪感など微塵もない。
故に彼女は何処までも人界の支配者であり、リアルワールドに住まう者たちに似通うものがあるのだろう……。
“ふぅ……おちつけ、あたし。ここで怒ったってなんの意味のないだろ”
カナタは数回深呼吸してから再度空中を漂うアドミニストレータを睨む。
その蒼い瞳の奥に見え隠れする感情はここにいる誰も気付くことは出来ないだろう……。
「ずいぶんと難しいことを考えるようになったのね。まだたった五年……六年? それくらいしか経ってないのにね……あなたが造られてから」
冷淡な美声によって綴られる言の葉は微笑を含ませながら、ホールの中へと響き、カナタ達の耳へと流れ込んでくる。
「……私が、あなたたちインテグレータ・ユニットを信じなかった、ですって? ちょっとだけ心外だわ。とっても信頼してたのよ……歯車仕掛けで健気にカタカタ動く、かわいいお人形さんたちですもの。アリスちゃんだって、大事な剣が錆びたりしないように、こまめに磨いてあげるでしょう? それと同じことよ。あなたたちにプレゼントした
そう言い、薄紫色に光る三角柱をくるくると指先で回転させる、それは先程ユージオのひたいから抜き出した改良版の敬神モジュールだ。
敬神モジュールを見ていた鏡のような無機質な瞳がアリスを貫き、続けて黒髪の少年・キリトの横に佇み、こちらを見上げるカナタへと流し目を送る。
「かわいそうなアリスちゃん。きれいなお顔をそんなにくしゃくしゃにしちゃって。悲しいのかしら? それとも怒っているのかしら? ……私のお人形のままでいれば、そんな無意味な感情を味わうことは永遠になかったのに……でも、安心し–––」
真珠色の唇が言葉を紡ぐ前にガリガリと奥歯を噛み締めている瞋恚に満ち満ちた声が遮る。
「––––…………いい加減にしろよ」
「……カナタ」
金色の光沢を放つ鎧の上を流れ落ちていく透明な雫が床に落ちていく中、カナタは右手でギュゥと愛刀の鞘の形が壊れるほどに握りしめる。
「アリを……アリスを泣かしてるのはあんただろ」
「……」
ポタポタ……と静かになったホールへと響く水の音が聞こえる。
キリトはその音が自分の近くから響いていることに気付き、黒い瞳が見たのは
「泣いている理由も全部リセットしてあげるから安心しなさい? ホント、ふざけんなよ…あんた」
吐き捨てるように言ったカナタの髪の毛、触れれば折れてしまいそうな程華奢な身体から赤色エフェクトが出ているように思え、髪の毛も逆立っているように彼女の後ろにいるユージオとアリスは思った。
「苦しみ悲しみ悩むが下らないこと? ふっざけんなッ!! それは人として当然の権利であり………自身を進化させる為に必要なことだ!」
ブンと愛刀を掴んでいた右手を横に振るカナタはギュッと自分の橙の着物を握りしめ、下を向く。
「人は悩み苦しみ、時折間違え…学んでいく。その学びが重要なんだ。あんたが造ったこの世界は確かに正しい。ああ、認めるよ。初めて、この世界に来た時にこの世界に住む人と触れ合った時にどれだけ自分が汚れているか思い知らされたよ……だけど、それだけなんだ。平行、停滞……何処までも真っ直ぐで曲がる事もない真っ白で綺麗な道。誰もその道に沿って歩んで行っている……いいじゃないかってあんたは思うんだろ? だけどなッ、その道に沿って育った人間の中にもどうしようもない奴がいる」
下を向くカナタの脳裏に浮かぶのは、ニタニタと自分を見て嗤うセントラル修剣学院で同級生だった二人の少年。
赤と黄色の上級修剣士を着たその少年はカナタの後輩達へと許されない行いをした。
きっと彼らが行なったその行いによって傷つけられた彼女達の心は癒されることは一生無い……。
「……な、貴族ってそんなに偉いのか? お金を周りよりも多く持っているだけで何でそんなに偉そうに出来る? お金が沢山あったら、怯えている女の子を無理矢理押さえつけて襲ってもいいっていうのか…ッ。そんなの………そんなの、可笑しいだろッ!!!! 確かにその人達は努力して、お金を稼いだのだろう…その努力を、頑張りを、否定する気はない。だけどなッ、一時の気まぐれで一生消えない傷を作る人が居るんだ……」
ギュッと更に強く着物を握りしめるカナタの背中が微かに震えている事を隣にいるキリトも、後ろにいるユージオもアリスも気付く。
「……そんな奴らを作っている事をなんで気づいてくれないんだ……。確かに今注意するべきは闇の総侵攻だ。あたしだってアリスと叔父さん…ベルクーリ閣下、ファナティオ副騎士長の意見には賛成だ。だけど、ここはあんたに譲って、あんたの秘策は頼るとする……だけど、残った人界に残る民は蓋を開ければ、腐っている奴らが主だろう」
そこで言葉を切ったカナタは真っ直ぐアドミニストレータを見据える。
「そんな人界残して何になる? あたし達整合騎士は、この公理協会は正義の為に、人界に住む人々を守る為にあるんだろう……? ここまで言えば、分かっただろう……あんたの世界は産まれたその時からおかしかったんだ。あんたは人々に停滞しか望まなかった…だけど、人々には進化が必要だったんだ。あんたの愛はそれだけ安っぽくてちっぽけって事だ」
着物を掴んでいた手を離し、さっきよりも濃い敵意を込めた蒼い視線を鼻で嘲笑ったアドミニストレータは片眉をあげる。
「ふふふ。いつもに増して詭弁ね? 私と話すときはいつも物静かであまり喋らないのに……」
「……大切な仲間が泣かされたんだ、あたしだって流石に怒る。それにあんたのさっきの言い方はアリスやあたしだけじゃない。……ベルクーリ閣下を侮辱しているッ! 確かにあたしはあんたを出し抜く為に演技をしていた。それによって多くの人の信頼を裏切っただけど…ベルクーリ閣下の貴女への忠誠は本物だ。何故、あの人の忠誠すらも鼻で笑い、貶す?」
今だ静かに憤る橙の着物を着た整合騎士の問いをアドミニストレータは歪んだ笑顔で答える、橙の整合騎士と金色の整合騎士が怒りで肩を揺らす返答で。
ネタバレ
今更だけど、アリスちゃんが歌う【Meaning the start】っていい曲だよね…!