あと、これまでこっそりと立ててたフラグも回収していこうと思います。
ネタバレ
【公理協会 100層】
「壊れない程度にあたしとアリを痛めつける? そんな事、あんたに出来んの?」
勢いよく右側から
ニヤリと片頬を上げて笑うカナタの胸元には無機質に光る銀色の輪っかが彼女を見守るように揺れており、その輪っかを鏡のようにあらゆる光を跳ね返す銀色の瞳は一瞥する。
(……物質転換? いいえ、見たところ何も転換されてないようだわ)
真珠の唇がひっそりと笑みを浮かべる。
やはり、目の前の少女は面白い。このまま、分解してしまうのは勿体無い。時間は掛かるだろうがゆっくりと心を開き、今度こそ少女を従順な人形へと作り変えよう。もちろん、彼女だけじゃない、目の前にいる青年、少女等も同様に作り変えよう。
銀色の少女は"くくく"と嗤う。今から楽しみで仕方ないのだ、青年、少女等が自分に従順に従う姿が。
「出来るわよ。私にはとっておきがあるもの」
「ふーん、ならしてみれば」
興味なさそうにそう言った橙の整合騎士は肩を叩いていた水色の刃を持つ愛刀をアドミニストレータへと向ける。
「でも、タダでやられるほどあたしらは弱くない」
一方は不敵に笑い、もう一方は見下すような笑みを浮かべ、互いを睨む癖っ毛が多い栗色の髪と銀髪の少女達から視線を横に晒すと完全に置いてけぼりを食らっている青年、少女等の姿がある。
一人は橙の整合騎士の隣に立っている黒い騎士服を着込んでいる青年、彼の短く切り揃えられた黒髪と同色の瞳には一種の呆れの色が浮かんでいる。
彼女と多くの世界を旅してきた彼は普段から彼女の自由奔放っぷりに振り回されているのだろう。だが、瞳の奥の奥、信頼の光が差すのも彼と彼女が様々な世界で培ってきたものなのかもしれない。
一方、その後ろにいる青い騎士服に身を包んでいる亜麻色の髪を短く切り揃えている青年と純金を溶かした金髪を三つ編みにしている少女の青と
青年と少女は目の前でコロコロと表情を変える橙の整合騎士を見つめ、より困惑する。
さっきまで憤っていた彼女は次の瞬間、悩み苦しみを浮かべ、今はいつものように掴み所が分からない飄々とした表情にシフトチェンジしている。
「カナタ。一人で突っ張りすぎだ」
「お?」
「何だよ、人の顔をジロジロと…」
「キリってよく見るとめっちゃ可愛いんだね!」
「おまっ……今はそんな事は言ってる場合じゃないだろ……」
「こういう時だからこそ言うべき台詞でしょう。ほら、緊張が一瞬で消えたでしょう?」
「……代わりに頭が痛くなったがな」
「ちょい、それは酷くないかいっ」
ユージオとアリスは面を食らう、キリトをからかい、ケタケタと笑うカナタが二人には今だ宙に腰掛ける銀髪の少女と重なる。
人は自分達と異なるものをそう呼び。蔑み忌み嫌い恐怖する。自分たちと容姿が違うのが、相手の考えている事が分からないのが怖い。
きっと二人が感じているのはそういう恐怖だろう、こっちを振り返ってニカッと笑う橙の整合騎士に抱いている気持ちは–––––。
「さて、お別れの挨拶は済んだかしら?」
「お別れの挨拶なんて必要ないよ。必要なのはそっちでしょう」
そうきり返すカナタにアドミニストレータは"言ってなさい"と鼻で笑ってから高々に声を上げる。
「あなた達はとても幸運だわ。……喜びなさい。誰よりも最初に、あなたたちに見せてあげるから」
「見せる、何を?」
「術式よ。カナタとそこの坊や、そしてアリスちゃんが心配していたダークテリトリーからの総侵攻を食い止めるためのよ」
「食い止めるための……術式……?」
「私はね。このアンダーワールドをリセットさせる気も、況してや《最終負荷実験》さえも受け入れるつもりはないよ。そのための術式は、もう完成しているの。時間だけは私の味方だものね」
そこで言葉を切った最高司祭は"くすくす"と笑うと余裕に満ち満ちた表情で続ける。
この場にいるのは忠臣であるチュゲルキンを失い、わが身一つとなってしまった自身とその身を狙う四人の反逆者。自身の方が不利であるのは明白なのに、最高司祭……いいや、この世界の最高支配者は尚も余裕を崩さない。自身の方へと傾いている勝機が絶対揺るがないという自信。
「正直言うとね。騎士団はただの
「……なにを、言って……」
「!?」
唖然とするキリトの声、その横でハッとした様子で辺りを見渡すカナタを無視して、アドミニストレータは左手を高く掲げる。
そこに握られているのは妖しく光る紫色の三角柱。ユージオのおでこから引き抜かれた、
「愚かな道化だったけれど、チュゲルキンも少しは役に立ったわね。長ったらしいこの術式を、最後まで組み上げる時間をつくってくれたんだもの。さあ、目覚めなさい、私の忠実なら
その言葉を聞き、ユージオは悟った。
自分を取り戻し、この部屋に戻った時にベッドの奥でかすかに響いていた術式。途轍もなく長く、詠唱を意思力で省略することもできない、そんな最高司祭にとっても最大級の神聖術。それが今発動しようとしている。ふさがなくてはいけない出来事であることは既に起こってしまっていたのだ。
「クッソ」
そう悪態を吐く橙の整合騎士。それを見下ろしながら、ニンヤリと片頬を上げた最高司祭は声高らかにその二文字を叫ぶ。
「リリース・リコレクション!!」
武装完全支配術の
武器の記憶を解放し、どんな神聖術すらも超える力を引き出す、真なる秘術ーー。
その秘術を発動させる為の時間も余裕もカナタ達は彼女に与えてしまっていたのだ。
しかし、後方で黄金の整合騎士と共に宙を漂う最高司祭を見ているユージオの目には銀髪の少女の裸体しか見えず。眉をひそめる。
(……でも、アドミニストレータは何も持ってない)
"いや、最高司祭となると武器すらも召喚できるのか? いや、そんな事流石に最高司祭も出来ないはず……"考え込むユージオの耳に微かな、きん、きんと鉄と鉄が重なり合う音が聞こえる。
「……まさかっ!?」
勢いよく辺りを見渡したユージオの青い瞳が捉えたのは広大な広場を取り囲む何本もの柱。そこに取り付けられた…飾られていた黄金色に輝く大小様々な模造の剣が小刻みに震えていたのだった。
模造剣は最大のもので長さ三メルに及ぶものもあるだろう。この世界の支配者であろうとそんな代物は振り回さないであろうし、何より数が多い。三十。三十もの武器を完全支配する事がアドミニストレータに出来るのだろうか?
それに武装完全支配術は確か自分が使い込んだ一つの武器でしか発動できなかったはずだ。 自分の忠臣であったチュゲルキン、整合騎士達すらも只の道具しか思ってない最高司祭にそれ程多くの武器を支配できる事が出来るのだろうか…?
脳をフル回転させるユージオには目もくれず、次の瞬間、大小異なる剣たちは一箇所へと勢いよく飛んでいき、がきん、がきんと金属音を放ちながら接触し、組み合わさって、ひとつの巨大な塊を作り上げていく。ユージオはそれが、どこか人間に似た形であることに気付く。ずっと昔から遊びで作った人形のような……いいや、この姿は既に山脈を越えた先にあるダークテリトリーのもの……。
組み合わさったソレは中心を貫く太い背骨と左右に伸びる長い腕。下側にも脚も生えているが、これは人間の倍、四本という異様な形で成り立っていた。
容姿を見るに異様な巨人、怪物へと変化した剣たちに向けて、アドミニストレータが握られた
"あの三角柱が、最高司祭の記憶解放術の要だ"とユージオが思うよりも先に二つの影が動く。視界の先で揺れるのは黒い騎士服と橙の着物。
「「ディスチャージ!!」」
二人が放ったのは数ある熱素攻撃術の中の一つ、《バードシェイプ》。標的を自動的に追いかける性能がある。
二人の指から放たれた炎の鳥は最高司祭を挟むように飛んでいき、その最高司祭は今は黄金の巨人に頭部を見ており、キリトとカナタの攻撃には気付いてない。
"これなら当たる"とユージオが思った瞬間、巨人がゆっくりと脚の一本を上にあげた刃に触れた途端、二つの炎の鳥は呆気なく消えてしまった…。
其方を見ることもなく、アドミニストレータはふわりと左手の三角柱を巨人へと放ち、紫の三角柱はたちまち巨人の背骨を構成する三本の剣の内側へと吸い込まれた。
吸い込まれた三角柱から漏れ出る紫の光がゆっくりと登り始め、人であれば心臓に位置するところで停止するとひときわ大きな光を辺りへと撒き散らした。
そして、丸みを帯びていた無数の剣がきんっ! と音を立てると鋭利な刃を得た。
くす、とアドミニストレータがほくそ笑むのを感じる。
その瞬間、ユージオは……いや、この場にいる四人の反逆者は最高司祭の術式が完成してしまったことを本能で感じた。
身長5メルある黄金の巨人は背骨や肋骨、二本の腕から四本の脚に至るまで、全て黄金の模造ーーいや、実剣で組み上がっている。
「……あり得ない……」
出来上がった巨人を見て、そう呟いたのはユージオの隣にいるアリスだった。
彼女の美しい横顔が、蒼い瞳が驚きで極限まで挟まり、小刻みに震えている。
「同時に複数の……しかも三十もの武器に対して、これほど大がかりな完全支配術を使うなど、術の
アリスの呟きはアドミニストレータにも届いていたのだろう、愉快そうに笑うと巨人へと視線を向ける。
「うふふ……ふふ、ふふふ。これこそ、私の求めた力。永遠に戦い続ける、純粋なる攻撃力。名前は……そうね、《ソードゴーレム》とでもしておきましょうか」
聞いた事がない神聖術に眉をひそめるユージオとアリスの耳に二つの呟きが聞こえてきた。
「剣の……」
「自動人形」
黒い剣士と橙の整合騎士が訳した単語はあっていたようでアドミニストレータはくすと小さく笑ってから二人へと話しかけている。
「ふふ。さすが坊やとカナタね。神聖語……いえ、エイゴに詳しいわね。騎士が嫌なら書記官にしてあげてもいいわよ。今すぐ剣を置き、非礼を謝罪し、私に永遠の忠誠を誓えば、だけどね」
「残念ながら、あなたが俺の誓いの言葉を信じてくれるとは思えないな」
「そそ。あたしに至っては一度裏切ってるわけだしね。念入りに記憶の消去とかしてくるんじゃないかな」
「それに……俺達はまだ、負けを認めたわけじゃない」
「坊やもカナタもその気の強いところは嫌いじゃないけど、でも、お馬鹿さんなのは頂けないわね。まさか、私のゴーレムに勝てる……なんて思ってるのかしら? 剣の一本一本が神器級の優先度を持つこのお人形に? 私が、貴重な記憶領域をぎりぎりまで費やして完成させた、最強の兵器に……?」
兵器。
その単語にユージオは聞き覚えがあった。
そう、確かあれは……副騎士長であるファナティオと戦った時に彼女か言っていたのだ。
千枚もの鏡でソルスの光を一点に集め、神聖術を使わずに超高温の炎を生み出そうとした。最高司祭はその試みを《兵器の実験》と言っていた、と。
アドミニストレータにとっての兵器とはつまり、神聖術を超えるほどの力を発揮する道具。
そして、目の前にいるこの歪な形をした巨人こそが彼女が追い求めていた兵器というわけなのか。
「さあ、戦いなさい、ゴーレム。お前の敵を滅ぼすために」
アドミニストレータの命令は喜びに満ちていた。
この命令をずっとしてみたかったと言っているようにホールに響く命令に黄金のゴーレムはぎし、ぎし…と鉄と鉄が擦れ合う音を辺りへと響かせながら、こちらへと歩いてくる無機質な巨人にユージオの歯はガタガタと震える。
それは恐怖なのだろう、心臓を氷を押し付けられたような本能に呼びかける恐怖。動かなくてはいけない、と頭では分かっているだが両足が床にくっついて動かないのだ。
しかし、そうしている間にもユージオ達の近くまで歩いてきたゴーレムは三本ずつの剣でできた両手を振り上げる。
その動作にいち早く反応したのはユージオの隣にいた騎士アリスだった。
黄金の疾風は果敢にも真正面からゴーレムを迎え撃つつもりなのようで
「やああああッ!!」
両手で握った金木犀の剣をアリスは全身を限界まで反らして振りかぶった。
その時点、キリトもまた動き始めていた。右斜め前へと飛び出し、ゴーレムの側面に回り込もうとする。
二人の行動にユージオはハッとする。
二人ともゴーレムに弱点があるすれば、それは背骨と四本脚の接合部、人間なら骨盤に当たる場所だと判断したのだ。だからとて、正面からの攻撃は危険すぎる。だから、アリスが囮となって、キリトがその箇所へと攻撃を放つ。
事前に何の相談もしてないのに、瞬時に連帯技を開始したキリトとアリスに感動の声と胸が締め付けられる気持ちになりながら、ユージオは二人の攻撃を見守る。
金木犀の剣がソルスの光にも似た眩い軌跡を描き、怪物の右腕もまた、迎え撃つように振り下ろさせーーーー金色に輝く大小の刃が激突した瞬間、戦闘と呼ばれるものは終わりを迎える。時間にしてわずか二秒。
アリスの金木犀の剣がーー《
アリスの細い背中から、凶悪なまでの巨大な剣の切っ先が現れ、真紅の雫を撒き散らした。長く美しい金髪が鮮血に濡れ、ふわりと宙へと流れた。
「ゴホッ……くっ………」
左右に分裂された黄金の胸当てが、瞬時に天命を失って粉々に砕け、騎士の右手から金木犀の剣が抜け落ち、床に転がった。
そして、最後にゴーレムの左腕が無造作に引き抜かれ、黄金の整合騎士は前のめりに倒れた。
たちまち、彼女から流れ出す鮮やかな赤い水たまりにユージオの震えは深まっていく。
「う……ああああッ!!」
そんなユージオの耳に響いたのは、悲鳴にも似た絶叫。
巨人の右横に回り込んだところだった黒髪の剣士は、両目に異様な光を浮かべ、右手に持っている黒い剣が鮮やかな青の光を放つ。
あれは秘奥義《バーチカル》。
背骨にはめ込まれた
剥き出しのあそこを狙えば、巨人は動けなくなり、背骨にはめ込まれている紫の三角柱を破壊できる。
そう考えたキリトの剣が動き始めたその瞬間、巨人もまた動き始める。上半身は背骨を軸として、猛烈な勢いで回転した。人間には不可能な動きで真横を向いた巨人の左腕が横薙ぎにキリトを襲った。
「くっ」
衝撃に耐えられず、キリトの体がぐらつく。すかさずゴーレムの左後ろの脚が繰り出され、無防備な懐へと吸い込まれる。
「……ごほっ」
キリトは真横に吹き飛ばされ、東側の窓に激突した。恐ろしいほど大量の鮮血がガラスを染めてから、黒い剣士はずるりと床に崩れ落ちた。
黒い騎士服を濡らしていく赤い血と床へと広がる赤い水たまりにユージオの足はいよいよ動かなくなる。
騎士アリスとキリトはいまや人界最強とさえ言える使い手だ。
敵が異形の怪物、《兵器》だったとしてもこんな風にやられない。やられるはずがない。
だから、すぐに起き上がって、目の前の巨人へと立ち向かうはず……。
だが、ユージオの願いはゴーレムがこちらに向かって歩いてくるぎし、ぎし…という不気味な音と"くすくすくすくすくす"と床へと倒れるキリトとアリスを見下ろし、愉快そうに笑うアドミニストレータの笑い声によって掻き消された。
"もう無理なのか""幼馴染であるアリス・ツーベルクを連れて、ルーリッド村に戻るという夢はここで砕けてしまうのか…?"とユージオが諦めかけていたその時、この場にはこの絶体絶命な状況を楽しんでいた者がいた。
“やれやれ、もう少し温存しておきたかったんだけど……アレをするとしましょうか”
「もう勝ち誇った気でいんの? クィネラさん」
そう言い、ニヤリと片頬をあげ、ホールへとアルト寄りの声を響かせるのは橙の整合騎士カナタ・シンセシス・サーティワン。
彼女は癖っ毛の多い栗色を揺らし、桜色の唇がいつものように不敵な笑みを浮かべるのをユージオの青い瞳は見る。
そうだ、キリトとアリスと肩を並べるほどに彼女もこの人界一の使い手だ。
かくいうユージオも彼女から複数の技を教えてもらった。彼女の突拍子のない剣筋ならばゴーレムと互角に……いや、無理だ。彼女と同じほどの強さを持っていた二人の剣士、騎士が呆気なく倒されたのだ。彼女もきっと彼らと同じような目にあってしまう。
「……カ、カナタ……」
自分の方に歩いてきていたカナタへと震えた声を漏らすユージオの頭をぽんぽんと叩いたカナタはニカッと笑う。
「大丈夫。あたしがやるだけのことをしてみるからさ。だから、ユオは後ろに下がってな」
肩をユージオの緊張を振り払うかのようにとんとんと優しく叩くカナタの笑顔を見ていると何故かこの絶体絶命な状況もなんとかなってしまうのでないかという甘い考えが浮かんでしまう。
"しかし、その考えに騙されてはダメだ!"とユージオはかんぶりを横に振ると離れていこうとする彼女の右手をギュッと掴む。
「……やるだけのことをするって何をするのさっ! アリスもキリトだって倒れてしまったんだよ。カナタだって……カナタだって倒されてしまうよッ」
「ユオは優しいな。あたしのこと心配してくれるんだね。でも、ノープロブレムッ!」
「ノープロブレム……って、今は巫山戯ている場合じゃ……」
「ノンノン、チェリーボーイ。あたしが巫山戯る時はいつもの勝利を確信しているその時だけさ」
もう一度ニカッと笑ってから右肩をチラッと見るとこっそり声をかける。
「ってわけで、シャーはあたしの万が一の時に備えて、ユオのところにいて」
『……カナタ』
ユージオの耳に艶っぽい女性の声が届く。聞いたことがない女性の声だ。カナタの知り合いなのだろうか?
訝しむユージオを蚊帳の外に、カナタと謎の女性の会話が進んでいく。
「あたしなら大丈夫。だけど……もしも二人みたいになった場合はユオをお願い。君の主人ならきっと絶体絶命をなんとかしてくれる」
『ええ、分かったわ』
「あんがとね」
カナタは短い会話を終えるとゆっくりとした足取りで赤い水たまりの上に横たわる黄金の整合騎士の元で歩み寄っていく。
その背中からぴょんと飛び降りて、ユージオの元へと飛んできたのは爪の先ほどしかない、漆黒の蜘蛛だった。
τ
キリトは全身を走る激痛に冷や汗を流していた。
肉体的痛みになれたつもりだった。だが、実際には何も克服してなかったことを知る。
キリトがルーリッド村にいた時、カナタとユージオと共に北の洞窟に足を踏み入れ、そこでダークテリトリーから侵入してきていたゴブリン達と対峙したことがある。隊長ゴブリンの蛮刀に左肩を斬り裂かれた時、あまりの苦痛のあまり……苦痛を感じる恐怖のあまり、足が竦み動けなかった。
おそらく、それはアミュスフィアが備えているペイン・アプソーバ機能によって痛みが取り除かれた世界で長時間戦っていたからだとキリトは悟り、このアンダーワールドでの自分が克服せねばならないのはこの"痛みによる苦痛"だと知った。
その体験以降、キリトは修剣学院でユージオとカナタとの稽古の時に木剣で叩かれた時に感じる痛みで脚を竦まないように自分を律してきた。その結果、整合騎士達との激戦の時は深い切り傷を負っても立ち止まることなく戦えた。このアンダーワールドでは手脚、胴体が分離されようとも天命がゼロにならない限り、完全治癒が可能だから……。
だがーー。
霞む視界に捉えるゴーレムにキリトは苦い顔をする。
アドミニストレータが作り出した《ソード・ゴーレム》なるものはこの世界の
故にゴーレムが放つ横殴りの攻撃を防御したのはキリトでさえも奇跡だと思うし、ゴーレムの足によって斬り裂かれた上半身と下半身を分離された今、意思力があるのが不思議なくらいだ。
全く力が入らない下半身、上半身に広がる灼熱の暑さに歪む視界で辺りを見渡すとこちらへと背を向けて、黄金の整合騎士へと歩み寄っている橙の華奢な背中が見える。
黄金の整合騎士、アリスはきっとキリトよりも重症なはずだ。彼女はゴーレムの刃を正面から受け、胸を鋭利な刃が貫くのをキリトは見ている。心臓は逸れたようだが、血液の水たまりの量はキリトよりも多い。
“…?”
『……カナタ』
そんなキリトの耳に艶やかな調が届く。
ピクと黒い眉が動く。間違いない。これはシャーロットのものだ。賢者カーディナルが、情報収集のためにキリトに取り付けていた小さな蜘蛛の使い魔。
しかし、そのシャーロットが何故ここにいるのだろうか? キリトの記憶が正しければ、彼女は主人であるカーディナルから監視の
キリトが疑問を抱く中、橙の整合騎士は赤い水たまりに沈むアリスへと優しい声音で何かを囁くと傍らに横たわっていた黄金の剣…金木犀の剣を右手で掴み、ゆっくりと立ち上がるのだった。
τ
「……ごめんね、アリ。君の金木犀の剣借りるね」
そう言ってから床に転がる金木犀の剣を右手に握りしめたカナタはゆっくりと立ち上がる。
そして、こちらへと歩み寄っていた黄金のゴーレムが動きを止めていることに気づき、巨人の後方でこちらを見下ろしている銀髪の少女へと一応お礼を言っておく。
「わざわざ待ってもらってすいませんね、最高司祭様」
「いいのよ。どうせすぐに決着がつくのだもの。何分、何秒待とうとも私には些細なことでしかないわ」
キリトとアリスを一瞬で葬れたことがアドミニストレータの
「さて、そろそろ決着を付けると致しましょうか?」
「行きなさい、ゴーレム」
ぎしぎしと音を立て、カナタへと近づいていくゴーレムを蒼い瞳で見つめながら、カナタはグッと腰を屈める。そして、ぐわっと蒼い瞳を見開く。次の瞬間、喉を壊すほどの大きな声で吠える。
「リリース・リコレクションッ!!!!」
その術は武器完全支配術の神髄。
神髄には神髄で対抗しようというのだろうか? しかしならば、何故アリスから剣を借りる必要があったのだろうか? 武器完全支配術は心を通じあわせた武器でしか行えないもの……ならば、カナタは愛刀である泉水しか扱えないはず。金木犀の剣を借りてもただの飾りになりかねない。いや、借りたのは支配術を行う間ガラ空きになる懐を守ろうとして……? いや、そんなことはーー。
橙の整合騎士が行う行動はユージオの考えの右斜めをいく、延々と考えても答えなど出てくるわけがない。カナタという少女はユージオにとって出会った時からそういう存在だった。
「ハァァァッ!!!!」
身を屈め、両手に持つ刀と剣を持って、ゴーレムへと走り寄る橙の疾風へとたちまち音速を超える黄金の刃が迫る。それを端に取られた蒼い瞳とほぼ同時に水色の刃を持つ刀が淡い光を放ち、迫ってくる刃へと鋭い一撃を食らわせた。
刀スキル《辻風》
懐から一撃相手に食らわせるこの技をカナタは好んで使用していた。だが、その技でゴーレムの強力な一撃を受け止められるはずはなく…。
ガチャンッ! と大気を揺らす音がホールへと響き、一人と一体が起こす風はユージオの身体を叩きつけ、ぐらつく足元を耐えたユージオが見たのは数分前に見た光景だった……。
鋭い衝撃にカナタの細い身体をよろけ、その華奢な身体目掛けて無造作にゴーレムの右手が突き刺さり、橙の着物を引き裂く。
“あ、あ"………ぁ”
カナタならなんとかしてくれるなんてやはり甘い考えだったのだ。彼女になんと言われようとも止めるべきだった。今の自分達ではアレには勝てない、と。
ふふふふふふ……
絶望するユージオの耳に響くのは勝ち誇った笑い声。有利な立場から逆転。側から見てもユージオ達に勝ち目が残されてないことは明白だった。
ゴーレムに胸を刺され、下を向くカナタの表情はアドミニストレータでもユージオでも目視出来ない。長い前髪が邪魔をしているからだ。
だが、アドミニストレータにとって、それは些細なこと。誰も自身が生み出したゴーレムに勝てないと分かったこと。最大の邪魔ものであったカナタ、キリト、アリスの三人を戦闘不能に追い込めたことが何よりも喜ばしい。あとは後方で震えているユージオを倒すだけ……アドミニストレータの笑みが更に深くなる。
「……」
カナタと胸を貫いた黄金の刃がゆっくりと引き抜かれ、彼女の華奢な身体がぐらつく…。
完全に引き抜かれた瞬間、カナタはアリスのように仰向けで床へと倒れることだろう。橙の着物が鮮やかな血痕で色づく様をユージオは思い浮かべ、両脚の震えが強まっていく。そして、アドミニストレータは完全な勝利を確信して、真珠の口元に深い笑みをのぞかせ………青と鏡の瞳が見ている中、橙の整合騎士から遂に完全に黄金の刃が取り除かれた。
バシャッ!!!!
音を立てて、弾け飛んだのは液体。しかし、青と鏡が見たのは鮮やかな赤でなく半透明な橙。
"へ?"と驚きの声をあげたのはユージオとアドミニストレータのどっちが早かっただろうか?
驚愕する二人の前で忽ち半透明な橙の雫へと変貌した橙の整合騎士はパァン! と音を立てて、弾け飛ぶ。
すると忽ち、辺りが濃い霧に包まれ、甘い金木犀の香りがホールの中にたちこめる。
金木犀の香りがする霧の中、動く影を見てゴーレムは両手の刃を振るがそれは空振りと終わる。
“何処、何処にいるの? カナタはーー”
アドミニストレータが銀色の髪を揺らしながら、辺りを見渡していると真後ろからアルト寄りの声が響いた。
「何かお探しですか? 最高司祭猊下」
「!?」
声がした瞬間、本能が右に避けろと言い、アドミニストレータは勢いよく首を右へと避ける。
その瞬間、二つの刃が左肩を引き裂くのを見て、首から蒼の宝石がついた銀色の輪っかを下げている癖っ毛の少女が舌打ちしながら床へと落下していく。
ごと、とアドミニストレータの左腕共に床へと落ちた癖っ毛の少女を視界に収めたユージオは泣きそう顔をする。その少女は先程、ソード・ゴーレムに胸を引き裂かれた筈のカナタだった。
濡れる髪を揺らしながら、真珠の唇を噛み締めて、忌々しそうにこちらを見下ろすアドミニストレータへと片眉を上げて、答える。
「……
とんとんと左右に持っている泉水と金木犀の剣で肩を叩いたカナタはこちらへと刃を振り下ろしているゴーレムに向けて、辺りにたちこもっていた霧を一箇所に集結させ、一つの半透明なので橙の水たまりを作る。その作った水たまりを攻撃を避けながら、ブンッと振るうとゴーレムの身体……弱点であろう足と足の接合部へとぶつける。だが、幾ら二本の神器が作り出す水たまりでもゴーレムを傷つけることは構わず鋭い刃が触れた瞬間、半透明な橙の水たまりは弾け飛び、ホールへと雨を降らせる。
「ふふふ。何? これは……技なのかしら? 目くらましになるかもだけど、それでは私のゴーレムには当たってないようだけど? もしかして、いい香りで私を楽しませてくれようとしているのかしら?」
アドミニストレータはほくそ笑む。
自分の左腕を切り落とした刃……恐らく水で出来た泉水で奇襲を狙い、攻撃したまでは良かった。だが、その時確実に自分を仕留めなくてはいけなかったのに…カナタはそれを失敗し、自分を危機に追い込んだ合体技もソード・ゴーレムの耐久性の前では薄っぺらい紙切れ同然だ。
やはり自分の勝利は揺るがない。さあ、焦ることもなく、橙の整合騎士が絶望する様を見下ろすとしよう。
「いや、これでいいのさ。今回のこの技はゴーレムも攻撃するものじゃない。クィネラ、あんたそうやってすぐ勝ち誇ろうとするから、足元をすくわれ、勝機を逃す」
だが、アドミニストレータの余裕な表情を一瞥したカナタは"ふん"と鼻を鳴らす。そして、静かに言った瞬間、橙の雨に打たれたキリトとアリス、そしてユージオの身体が忽ち淡い水色のエフェクトを見て、最高司祭は"まさか"とキリトとアリスを交互に見る。
するとキリトとアリスの周りにあった赤い水たまりは薄くなっていき、驚きに満ち満ちた二人が負っていた傷が塞がっていくのを見て、カナタの本当の目的を知る。
「こ、これは……」
「……カナタの泉の……」
「癒しの力……治癒か?」
そう、彼女は元からゴーレムを破壊するのではなく、ゴーレムに攻撃させることによって半透明な橙の水たまりを辺りへと弾け飛ばすのが目的だったのだ。ゴーレムの攻撃で致命傷を負ってしまった仲間、そして切り傷などで天命が減っている自分とユージオを治癒する為に。
「キリト、アリス! もう大丈夫なのかい?」
「ああ、心配かけたな、ユージオ」
キリトとアリスがユージオの元に集まるのを見て、カナタはニカッと笑う。
「もう分かってると思うけど…あたしの泉の力で二人を復活させること……。そして、あわよくば、あたしとユオの天命を回復させること」
そこで言葉を切ったカナタは自分へと振りかぶってくる黄金の右手を身を屈め、交わしてからその黄金の刃に乗っかるとアドミニストレータ目掛けて走り出す。
「数百年、数千年、寄り添った金木犀と泉は互いのことをよく知っている。互いの弱点を補っている。それを人は愛っていうんじゃないかな………ま、あんたにとってはそれすらも"下らない"ことなんだろうけどなッ!!!!」
吠え、飛躍するカナタを視界に収めるアドミニストレータの鏡の瞳が微かに揺れる。
「あり得ないっ。あり得ないわ!! この私が、ソード・ゴーレムがお前みたいなガキに負けるわけがない!!!!」
ヒステリックに叫ぶアドミニストレータを捉える瞳はいつもの秋空のような澄んだ
「ーー終わりだ、アドミニストレータ」
「……くす」
「?」
自分の首へと迫るカナタの刃を見ても驚くどころか、愉快そうにくす笑うアドミニストレータに眉をひそめるカナタ。
だが、その理由は1秒後知ることとなる。
アドミニストレータの首まであと数センチと迫っていたカナタの刃は停止することになる。
理由は飛躍する彼女を横殴りするかのように黄金の刃が通り、唖然とするカナタを次の瞬間南の窓目掛けて振るい、キリトとユージオ、アリスが見ている中、彼女の華奢な身体はそよぐ紙のように呆気なく窓へと叩きつけられる。
「ゴホ……ッ」
肺溜まる空気を吐き出し、桜色の唇から血を吐き出すカナタの身体目掛けて、もう一度音速を超えたゴーレムの右腕が突き刺さる。
「ガハ……」
もう一度口から吐き出せる血の量、ゴーレムが刺しているところを見たキリトとユージオ、アリスの三人は本能的に理解してしまうカナタの天命は今まさに尽きようとしている、と。
「パルファン・ヴァッサー? 愛? そんなものにこの私が、私のゴーレムが負けるわけないじゃない」
無造作に刃を引き抜かれた橙の整合騎士はペチャと耳を塞ぎたくなるような水の音を響かせ、床へと
「……愚かな子。貴女こそ変な意地を張らず、私の人形であり続ければ、苦痛を感じる酷い死に方をしなくてよかったのに、ね」
アドミニストレータにそう呼びかけられる橙の整合騎士はもう動かない。
彼女から出るドロっとした赤黒い液体はゴポゴポと音を立てながら、彼女の生命を減少させていく……。
力無く瞼を瞑る白い横顔が青白くなっていくのを見ていくうちにアリスの中でナニカが音を立てて壊れていく。
「う……あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッ!!」
悲痛な叫び声をあげながら、ソード・ゴーレムに青いマントをはためかせながら突っ込んでいく黄金の整合騎士の悲しみを表すかのように橙の花弁はごうごうと音を当ててながら激しく彼女の周りを回る。
そして、我を失っているアリスをサポートする為にキリトが走り出し、ユージオは震えて動かないでいる自分を情けなく思いながら、胸元にあるナイフを握りしめるのだった。
故に、この場にいるキリト、ユージオ、アリス。そして、アドミニストレータは気づかないでいた。
床へと倒れこみ、鮮やかな血を床へと広げている橙の整合騎士の血痕に濡れる着物の袖から見えている筈の銀色の輪っかが
カナタが預かっていたアリスの剣が
ネタバレ
ふぅ……これでなんとか【WoUの2クール】が放送させる4月までに"WoU編"に入れそう……。
久しぶりに長文書いたよ……疲れた……(ぐでー)