「エリカ、黒森峰を頼むぞ」
それが、私の尊敬する隊長、西住まほが託してくれた、最後の言葉だった。
季節は秋。
殆どの高校で戦車道を行っている三年生が、受験の準備のために後輩に役職を引き継ぐ時期であり、それは機甲科という戦車道に重きをおいている科目がある黒森峰女学園でも同じことだった。
いくら戦車道に注力していたとしても、生徒達には生徒達のそれぞれの未来がある。
プロリーグが設立されるとはいえ、早めに進路への準備をしておくに越したことはなかった。
それゆえ、隊長も黒森峰の戦車隊からいなくなってしまう。
黒森峰の戦車道において多大な影響力を持った西住の娘ですら、いなくなってしまう。
その隊長が、私に黒森峰を頼むと言ってくれた。
私に、隊長職を譲ってくれた。
このことは、私にとって隊長がいなくなる悲しみを覆すほどに嬉しかった。
「はい……任せて下さい!」
私は涙を流しながらも、笑顔でそう隊長に言った。
隊長はそんな私を見ると、ふっと笑顔を浮かべて、私の肩を叩いた。
「ああ、期待しているぞ、エリカ」
期待している。
その言葉がどれだけ嬉しかったことか。
私はずっと隊長の背中を追って戦ってきた。
その隊長に、私は期待されている。
だからこそ、私は誓ったのだ。隊長の目の前で。
「私が黒森峰に、再び優勝旗を取り戻してみせます! 大洗を……みほを倒して! 隊長から……いえ、まほさんから受け継いだ、私の戦車道で!」
そう、誓ったのだ。
そして私は、この誓いを果たせるものだと思っていた。
そう、このときは、まだ。
◇◆◇◆◇
「全員、傾注!」
私の声で隊員達が一斉に身を引き締める。
この感触、悪くない。
「これよりプラウダとの練習試合を行う! この練習試合は、我が黒森峰が新体制になってからの初めての試合となる。総員、気を引き締めてかかれ!」
『はいっ!』
ぴったりと揃った声が私に帰ってくる。
先程も言ったように、今日はプラウダ高校との練習試合の日だ。
まだまほさんが隊長をやめてから一ヶ月も経っていない。急な試合だった。だがプラウダとは因縁浅からぬ仲、お互い新体制になってどれほど力が通用するか試したかった部分があり、すんなりと試合の日取りは決まった。
私は興奮していた。
今、私は初めて隊長として実戦の指揮を振るう。
私の指揮がどれほどにまで通用するのか、それを確かめるのがとても楽しみなのだ。
私は、いつの間にか自分の腕がわなわなと震えているのに気がついた。
これが武者震いというやつか。
私はその手を隊員にバレないようにそっと押さえ込み、再び隊員達に視線を向ける。
「では総員、搭乗!」
私の一声で隊員達がそれぞれの戦車に乗っていく。
私もまた、自らの戦車へと入っていく。
戦車の中にはすでに乗り込んでいた他の乗員が今か今かと私の命令を待っていた。
私は全車に伝わるよう、マイク越しに、それでも大きな声でいった。
「これより所定の位置につく。全車、パンツァーフォー!」
私は思わず笑みを零した。
これから私の戦車道が始まる。
そう考えるだけで、私はどんどんと高揚していった。
だが、いくら私の気分が天高く登ろうとも、非情な現実は私の目の前にそびえ立つ。
結果から言おう。私達は、負けた。
完膚なきまでに、敗北した。
完全にこちらの手の内を読まれていた。
私が展開した戦車の行く先々に、プラウダのソビエト製戦車が立ち塞がり、次々とこちらの戦車を撃破していった。
プラウダは今までのプラウダとは違った。
今までのプラウダは、私達黒森峰と近い、戦車の数と質で押す戦法を取っていた。
だが、今回のプラウダは、非情に柔軟に私達の動きに対応していた。
以前のプラウダに柔軟性がなかったわけではない。実際、前隊長のカチューシャは咄嗟の判断もこなせる難敵であった。
だが、今のプラウダにはそのカチューシャも、副官のノンナもいなくなったはずなのに、いや、いなくなったからこそなのか、動きが見違えるように変わっていた。
私は完全に判断を謝った。
相手をするのは、以前のプラウダだと思っていたのだ。
迂闊だった。
隊長が変われば、戦術も変わるに決まっているじゃないか。
私は記念すべき隊の初試合を、黒星で染め上げてしまったのだ。
「クソっ……!」
私はプラウダとの礼を終え、戦車を格納庫に戻した後に、一人格納庫で戦車に自らの拳を叩きつけた。
鈍い音が格納庫に響き渡る。
「私が、もっとしっかりしていれば……!」
黒森峰は高校戦車道の王者。
決して敗北することなど許されない。
前回の大会では隊長の妹であり、かつての私の戦友、西住みほの手によって優勝旗を奪われたものの、来年の大会では必ず奪い返すつもりでいた。
今回の練習試合は、そのための地盤作り、王者のプライドを取り戻すための戦いのはずだった。
だが、私はそう考えるあまり、相手を侮っていたのかもしれない。
心の何処かに、奢りがあったのかもしれない。
それが、今回の敗北だ。
実に情けない話であった。
「今度は、負けない……!」
今度は、決して油断などしたりはしない。
全身全霊を持って、相手と渡り合う。
そして、勝利して見せる。
それが、まほさんから黒森峰を託された、私の役目なのだから。
「絶対に勝ってみせる……私の、戦車道で!」
そう、まほさんから受け継いだ、私の戦車道で。
それを、全国に証明するのだ。
私の戦車道こそが、黒森峰の戦車道こそが、日本一であると。
◇◆◇◆◇
「…………」
私は今、電灯が少ない薄汚れた資料室の中で、目の前に積まれた資料と向かい合っている。
その資料を目の前にして、私は思わず渋い顔をしてしまう。
資料の量は膨大だった。
だが、私の顔を歪ませているのはその量が問題なわけではない。
問題は、その内容だった。
「どうして……」
その資料はいわゆる戦譜というものだった。試合の事細かな内容が記された資料だ。
私の手元には、複数の戦譜が並べられている。それは、古いものと、新しいものとが混在していた。
私が主に目にしているのは、新しいほうの戦譜だ。
「どうして、勝てないのよっ!」
私は机を力いっぱいに叩いた。
私が見ていたのは、つい最近の練習試合の結果が書かれた戦譜だった。
その結果は、どれも敗北。
相手は様々な高校だった。プラウダに敗北した後、私は様々な高校と次々に戦車道の練習試合を組んだ。黒森峰がかつての栄光を取り戻すには、実戦あるのみだと思ったからだ。
だが結果はというと、聖グロリアーナ、継続、サンダース……そのどの高校にも、黒森峰は負けていた。
勝利した相手など、戦車の質も数もないような、明らかな格下である高校相手ぐらいであった。
有名校相手には殆ど負けているのが、現状だった。
「どうしてよ……どうして……!」
分からなかった。
本当に分からなかった。
なぜ王者黒森峰が、ここまで無様な結果を残さなければならないのか。
私は何も間違った指揮はしていないはずだ。
まほさんからの教えを、西住流を、私なりに解釈し、まほさんが作り上げようとしていた「新たな黒森峰」を作ろうと私は努力してきた。
戦車と数と質で押しながらも、足早に戦場を駆け巡り、戦車に乗った各員に状況ごとに独自に考えさせ戦う。
それが私とまほさんが新たに作り上げようとしている黒森峰の姿だ。
そしてそれは間違っていないはずだった。
だが、結果は連敗。
敗北という冷たい現実が、私の目の前に積み上がっていた。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
私は机を何度も叩きつける。
私の何がいけないというのか。私は私なりに努力している。それでもまだ私の努力が足りないというのか?
ならば、もっと努力をするべきなのか。
正直、現在は隊員にもかなりきつい訓練をさせている自覚はある。
だがそれは、次代の黒森峰をより強固なものにするための基礎固めなのだ。みんな、それを分かってくれているはずだ。
だが、今こうして敗戦という結果が積み上がっている現実がある。それを改善するには、さらなる訓練しか……。
「……ふぅ」
私はひとまず落ち着くために、軽く息を吐いた。
だめだ、興奮した頭でものを考えても何もいいことは思いつかない。
まずは冷静になろう。
そして、じっくりこの敗戦という結果と向き合わなければならない。
私はそう思い、部屋の隅にあるコピー機に戦譜を持っていくと、それをコピーした。
それなりの量があったため時間はかかったが、すべてをコピーし終えると、私は元の戦譜を本来置かれていた場所に戻し、机を綺麗にし直すと、コピーした戦譜を持って部屋を出た。
「あ、エリカさん……」
と、そこで私の名を呼ぶ声がした。
声の方向を見てみると、そこにいたのは私の長らくの戦友であり、現在副隊長を任せている、赤星小梅だった。
「あら小梅、どうしたの」
「エリカさんこそ……えっと、戦譜の確認ですか?」
「ええ、そんなところ」
私は笑って小梅に返す。
だが小梅は、心配そうな顔を私に見せてきた。
「その……大丈夫ですか、エリカさん?」
そして、次に小梅は私にそんなことを聞いてきた。
「え? 大丈夫って、何がよ?」
私は質問に質問で返す。
小梅の質問の意味が分からなかったからだ。
「いえ、一人で背負い込みすぎてないかなって……私、副隊長なんですからいっぱい頼ってくれてもいいんですよ?」
ああ、何だと思えばそんなことか。
私は思わずふふっと笑いをこぼした。
「エリカさん?」
「ごめんなさい。随分深刻そうな顔で聞いてきたから、何かと思って……でも大丈夫よ。こんなの、無理のうちに入らないわ。だって、西住隊長はもっとたくさんの責務を一人でこなされてきたんですもの。その後継たる私が、これぐらいのことでへこたれるわけはないでしょ?」
私は小梅に力こぶを作って見せて笑いかける。
そんな私の姿に、小梅も一応の安心を見せたのか「分かりました……無理だけはしないでくださいよ?」と言って、私の横を通り過ぎていった。
「まったく、心配性ね」
私は誰もいなくなった廊下で一人呟いた。
まったくもって小梅は心配性だ。
私は一人でも大丈夫。
だって、まほさんだってずっと一人でやってきたんだから。
私が副隊長だったときには、作戦の確認以外のことは殆どまほさんがやっていた。自分が副隊長だということが疑わしくなるぐらいだった。
だから、私もそんなまほさんを見習って一人ですべてをこなさないといけない。
私がしっかりと黒森峰を受け継いだという証明をしなくてはならない。
それが、私が隊長になったときに誓った誓いの一つでもある。
「……よし!」
私は自分に気合を入れ直し、戦譜を確認しながら自室に戻ることにした。
もう何回も見た戦譜。
それを見るたびに、敗北の苦味が口の中で広がっていく。
「……本当に、酷いものね」
しかし、私は先程よりも冷静にその戦譜を見ることができた。
小梅と話してリラックスできたのかもしれない。
後で小梅に感謝の言葉を言っておこう。
「それにしても、どの高校もらしくない戦い方をしているわね……やはり、新体制だとどこも色々と変わるものなのかしら」
戦譜から確認できる相手の戦術。
その部分を部屋に帰ったらよく吟味しなくてはと思いながら、私はゆっくりと歩みを進めるのであった。
◇◆◇◆◇
「よし、今日の訓練はこれにて終了とする! 総員、解散!」
私は集まった隊員達の前で大きな声でそう告げる。
隊員達は、私の言葉に大きな声で「はい!」と応えると、それまでの緊張が抜け楽な姿勢になっていった。
連続した敗北から数週間。
私は結局、訓練をより困難なものとする道を選んだ。今日のこの訓練も、授業とは別の放課後の自主的な――と言っても、半ば強制の――訓練だ。
強固な体制は厳しい訓練から生まれる。私はそう信じている。
その過酷さからか、訓練を終えた隊員達の顔には大きな疲れが見えた。
一年生などはとてもぐったりしているようだった。
だが、これぐらいで音を上げてもらっては困る。私の理想とする黒森峰に至るには、もっと数多くの苦難を乗り越えてもらわねば困るからだ。
私は互いに労う隊員達に背を向け、一人幹部用の作戦室に複数枚紙の挟まったクリップボードを持って入る。今日の訓練の内容をまとめた資料だ。隊長として、一日の訓練の内容を理解、把握しておかなければならない。
「ふむ……第一班の出来上がりは上々ね。第三班もまあまあ。第二班はもうちょっと頑張ってもらう必要があるかしら……。ああ、あと戦車の整備ももっと急がせないと。ちょっと過酷に使いすぎているとはいえ、ダメージが大きいのは問題よね」
私は資料を一枚一枚しっかりと確認していく。どれも大切な内容が書かれているため、見落としがあってはならない。
「んっ……!」
そうして私はすべての資料を見終えると、ぐっと体を伸ばした。
凝り固まった体を伸ばすとやはり気持ちがいい。
そして私は体を伸ばしながらふと時計を見る。すると、もう訓練の終了から一時間半が経っていた。
「あら、もうこんな時間……。そろそろ帰らないと」
時間を忘れるのは物事に集中している証拠だが、あまり学校に残りすぎてもあとから先生方に色々と言われてしまう。
私は荷物をまとめ、自分のロッカーへと向かった。
そして、ロッカールームでタンクジャケットから学校の指定制服へと着替え、ロッカールームを出る。
そして、自分の寮へと戻ろうとしたときだった。
「そうだ……携帯、忘れちゃった」
私は作戦室に携帯電話を忘れたのを思い出した。
訓練のときは、普段携帯電話は鞄にしまっているのだが、今日はたまたま作戦室から他校との新たな練習試合との相談のために電話をかける必要があったため、作戦室に携帯電話を持ち込んでいたのだった。
もう日も落ちてきて暗くなってきたが、さすがに携帯電話を学校に置きっぱなしというのは気持ちが悪い。
私は携帯電話を持ち帰るために、作戦室へと向かった。
作戦室へと行くには、一旦格納庫を通る必要がある。そのために、私は一度帰った格納庫へと再び訪れた。
「ん……?」
そして格納庫へ入ろうとしたとき、私は頭を傾げた。
格納庫へと通ずる扉が、わずかにだが開いていたのだ。そして、うっすらと格納庫の中から光が漏れていた。
確か、私が最後に出ていったときはしっかりと閉めたはずだし、電気も消したはずだ。
私は中を伺うようにそっと扉を開けた。
すると、そこには何人かの黒森峰の生徒がたむろしていた。しかも、よくよく見るとそれは隊の隊員であった。
隊員達は私に気づかずに何かを話している。
私は本来注意すべきだったのだが、何故か彼女らの話が気になり、戦車に身を隠しながらそっと彼女らの元へと近づいた。
「……でさー」
「へー」
「だよねー」
聞こえてくるのは普通の世間話。特に特別な内容ではない。
やはり注意すべきかと私は戦車の影から出ようとした。そのときだった。
「それにしてもさぁ、最近の隊長の訓練厳しすぎない?」
「っ!?」
それは私に関する話題だった。しかも、最近の訓練についてのだ。いわゆる陰口というやつを今、私は聞いているのだ。
私はその言葉を聞いた瞬間、体が固まり動き出すことができなくなった。
「あー分かる。なんか最近めっちゃ厳しくなったよね」
「多分練習試合で負けたことが響いてるんだと思うよぉ。逸見隊長、すっごい悔しそうだったもん」
「やっぱそれだよねぇ。でもさぁ、正直負けたのは隊長の指揮のせいだと思うんだよね」
……え?
「うんそれ私もそう思う! 私達はベスト尽くしたよ! というか、みんなそれ思ってると思うよ? 悪いのは隊長なのに、こっちに責任擦り付けてるって」
「うわ、言うねぇあんた」
「いいじゃん別に。本人が聞いてるわけでもないし」
「はっ、それもそうかぁ! だって西住隊長のときはちゃんと勝ててたもん! それが急に勝てなくなるのって、やっぱ隊長に責任があるよねぇ」
「うんうんうんうん! もーマジありえない。うちら王者黒森峰だよ? それが今じゃ他校に普通に負ける有様……なんていうか、他の高校の進化に追いつけて無いっていうかさぁ」
「あっ、ソレ分かる! なんかいつまでも古臭いままって感じだよね!」
「ちょ、きっついねぇあんた! ははは!」
古臭い……? まほさんから受け継いだ、私の戦術が……!?
私はその言葉を聞いた瞬間、思わずその場から飛び出して言った隊員を殴りに行きそうになった。
だって許せなかったのだ。
私のことはいい。だが、私の戦術が古臭いということはそれを教えてくれたまほさんを侮蔑してるのと同じだ。
そんなこと、絶対に許せなかった。
だが――
「あーあ、西住隊長と西住副隊長なら……まほさんとみほさんならこんなことはなかったんだけどなぁ」
……!?
その言葉で、私の動きは止まった。
「まほさんはまさに進化し続ける西住流って感じだし、みほさんは変幻自在の戦術を見せるって大洗で証明したし……なんていうか、格が違うよねぇ」
「まあね……だって逸見隊長、ぶっちゃけお下がりで副隊長になってそのまま繰り上がったみたいなものだし……」
「みほさんのほうがなんか正直うまくやれたんじゃないかなとは思うんだよね、なんとなくだけど」
「あっ、分かるーなんかそんなイメージある!」
「ま、言ってもどうにもならないことだけどねぇ」
「だねー。……そろそろ帰ろっか。私お腹空いちゃった」
「そうだね、帰ろっかー」
「帰ろ帰ろ」
彼女達はそこで唐突に話を切り上げ、帰路についていった。
私はというと、彼女達がいなくなったのに以前その場に立ち尽くしていた。
「私じゃなく、みほのほうが良いって言うの……? あの、裏切り者のほうが……!」
私は痛いほどに唇を噛んだ。
裏切り者。
私の口から出た言葉。
今でも本当にそう思っているわけじゃない。でも、昔は本当に思っていたことが、今、言葉として現れてしまった。
私はみほのことが嫌いだった。だって、彼女はすべての責任から逃げて、黒森峰から出ていったんだから。
家の事情があったのは分かる。あのときの判断を責める気もない。そもそも、本当に悪いのは水没した戦車に乗っていた私達だ。
でも、許せなかった。事情や経緯は関係なく、感情が彼女を拒絶した。
大会を終えてそういった負の感情は消えたが、すべてのしこりがなくなったかと思えば嘘になる。今でも、敵として立ちはだかる彼女に思うところがある。
何より、私はみほに負けたくない。みほに勝ちたい。ずっとそう思ってやってきた。私が一方的にライバル視していると言えばそれまでなのだが、とにかくみほの背中を見たくはなかった。彼女と横並び、いや彼女に背中を見せるほどにはなりたいと常々思っている。
そう思っているのに、周りからの評価が今の会話だった。
私は、みほより下に見られている。
しかも、そう評価していたのは、顔と声から判断するに、我が隊のレギュラーの隊員だった。
つまり、主要なメンバーがそう思っているということは、他の隊員もそう思っていても何もおかしくないということだ。
「……くそっ!」
私は更に唇を噛む。
鋭い痛みが唇に走った。
どうやら出血してしまったらしい。
だが、心の痛みと比べれば、そんなもの痛くないのと変わらなかった。
「くそっ! くそっ! くそっ! 絶対に、絶対に見返してやる! 私の……戦車道で!」
そうだ。私の戦車道で、彼女らを見返してやるんだ。
私がまほさんから受け継ぎ、自分流に昇華させた私の戦車道で。
それは私自身の存在証明だ。逸見エリカここにありと、全国に喧伝するのだ。
それこそが私の夢であり、野望であった。
「……ふぅ」
決意を新たにすると、だんだんと落ち着きが戻ってきた。
そうだ。怒るようなことじゃない。ただ、私がもっと頑張ればいい話だ。そう、今はそれでいい。
「……ただ、訓練の内容はもっと見直したほうがいいかもしれないわね……」
別に悪口を言われて日和ったわけではない。
ただ、現状レギュラーからすらも不満を持たれるような訓練内容ではいけないと思った、それだけだ。
それは、私自身の力量で黒森峰を勝利に導くということにも繋がる。私の実力の証明ともなるのだ。
「うん、明日からは少し訓練は緩くしましょう。その代わり、私の居残り時間をもっと増やすべきね」
私はそう言葉にして確認すると、携帯電話のことを思い出し、コツコツと足音を響かせながら作戦室へと向かったのであった。
心に残る一抹の不安をかき消すために。
◇◆◇◆◇
「全車、一〇〇メートル前進! その後、第一中隊と第二中隊で左右に別れ対象を包囲せよ!」
この日は、それぞれ隊を二つに分けての実戦訓練だ。私の指揮する大隊と、小梅の指揮する大隊との模擬戦闘である。
私は開けた平野で小梅の大隊を鶴翼の陣で包囲殲滅する手段を取ることにした。
数量、質ともに同じではあるが、私はあえて数量と質、そして速さで圧倒する動きを取った。
これこそが黒森峰の伝統的な戦い方であり、私の好む私の戦い方であった。つまり、私の戦車道だ。
私は自分自身のやり方を貫き通す。そうすることにした。それがいつかきっと勝利に繋がるはずだと、私は信じていた。
もちろん、戦術、戦略は状況によって様々な色をつける。だが、基本は変えない。量、質、速さを揃えた西住流の戦い方だ。それこそが、私の信じる道なのだ。
私の隊が小梅の隊を素早く囲み始める。完全に囲んでしまえば私の勝ちも同然だ。そして、小梅の隊は依然動きを見せない。
私は勝利を確信した。
が――
「なっ!?」
ついに我が隊が小梅隊を囲もうとしたその瞬間、小梅隊の一斉砲撃が右翼を襲った。
それは見事なタイミングであった。その代わり、左翼側の攻撃を受け、小梅隊もただではすまない。だが、小梅隊はそれをもろともせず、撃破した右翼側から着実に車両を撃破していき、中央に迫ってきた。
「まさか、読まれてた……!?」
私は驚愕する。
確かに小梅とは長く一緒にいたし、今は副隊長として戦略について色々話したりもする。だが、まさかここまで完璧に読まれていたとは思ってもいなかったのだ。
だが、いつまでも驚愕しているわけにもいかない。
私は指揮を飛ばした。
「第二中隊! 突撃してくる小梅隊に攻撃! 雑魚には構うな! フラッグ車のみを狙え!」
相手は蜂矢の陣で突撃してくる。フラッグ車はその真ん中にいた。一気に中央を突破するつもりらしい。
だが、後方には私の展開した左翼の部隊がいる。それが後ろに回れば一気に壊滅できる。
なら私のすることは、中央でできるだけ時間稼ぎをすることだ。
「我ら第三中隊は後進しながら迎撃する! フラッグ車を狙いつつも、深追いはするな! 注意を引ければいい!」
小梅の速さが勝つか私の守りが勝つか。時間との戦いだった。
急いで後方を追う左翼の部隊。それから逃げるように中央を突破しようとする小梅。そして、迎撃する私。
じりじりと状況は変化していく。まるで追いかけっこのように。
そして、小梅の隊の先鋒が我が部隊の中央を突破しようとしたそのときだった。
後方からの部隊が追いつき、小梅のフラッグ車に一斉射撃を浴びせかけた。
そこで、勝負は決まった。
ついに後方の部隊が小梅のフラッグ車を捉えたのだ。私はなんとか勝利を収めた。
私達は互いに撃破された戦車を運搬し、戦車を格納庫へと戻していく。
そして、その後大作戦室へと全員で移り、反省会を行った。
反省会では、主に小梅チームの敗因と、互いの全体的な戦略、戦術の確認を行った。私のチームは勝利側だったため、あまり全体から意見を取る際において顧みられることはなかった。
それは、私が我が方のチームについての意見を求めたときも変わらなかった。
だが、私はもっと意見が欲しかった。勝利したとはいえ、私の作戦が完全に読まれていたのだ。気になるのは当然のことだと思った。
それゆえ、私は反省会が終わった後、小梅にひっそりと聞いてみることにした。
「え? 何故エリカさんの作戦が分かったか、ですか?」
「ええ」
「そうですね……」
小梅は考え込むように顎に手を置く。そして、少しの間を置いて、こう答えた。
「なんというか……エリカさんの戦法は、よく知っている戦法なんですよね。あ、別に悪い意味で言っているわけじゃないですよ! とても伝統的というか、馴染み深いというか……そう、西住隊長に近い感じがするんですよ!」
西住隊長に近い。
そう言われて、私は喜んでいいのか分からなかった。
憧れの人に近いと言ってもらえることは嬉しい。だが、それが分かりやすいと言われていることは、あまり良いこととは思えなかった。私の戦法がまほさんに近いというのなら、なぜそれでああも敗北の危機が訪れるのだろうか? 私に何か、足りないところでもあるのだろうか。
私は、自分自身の欠点が見いだせずにいた。それは、選手としては三流もいいところだ。私は自分で自分が恥ずかしくなる。
こうなれば、ゆっくりと自分の欠点を見つけるために向き合うしか無いと、模擬戦の映像を撮っている記録班に出向こうと思い、私は資料室へと足を向けた。
その日の夜、私は戦譜と撮影した映像のコピーを突き合わせて見ながらじっくりと自分の欠点について考えた。
映像は、ヘリで撮影した上空からの俯瞰視点での戦車の動きが映し出されており、互いの全体的な動きが見て取れた。
私はそれを何度も巻き戻して見る。そして、戦譜と突き合わせ、ノートに色々とメモ書きをする。
このときの判断は正しかったのか、戦略的に見逃していることはないか、各員の練度はいかほどのものか、などを記入し、総合的な見地から自分の戦車道を見つめ直そうという試みだ。
そうしていくことで、自分の欠点というものがだんだんと見えてくるような感覚があった。
「ふむ……ここは少し取り乱しすぎたかしら……もうちょっと判断のスピードを早くして……」
そんなときだった。
何の前触れもなく、ピンポーンという、インターホンの音が部屋に鳴り響いたのだ。
「ん……? 誰かしら、こんな時間に」
私は時計を見る。
時間はもう夜の七時を回っていた。
私は手元にあったノートを開いたまま机の上に置き、パソコンで再生している映像を一旦止めて玄関に向かった。
「はい、今出ます」
私は無造作に扉を開ける。すると、そこには一人の女性が立っていた。その女性の出で立ちは、なんというか、学園艦には不似合いだった。
灰色のスカートスーツを纏ったその姿はどこかの秘書か何かのようで、学生が主体で動かす学園艦らしくなかった。
髪は長く背中まで届いており、前髪が目にまで掛かっておりその瞳を疑うことが出来ない。
「あの……」
「こんばんは、逸見エリカさん。私は陸上自衛隊に所属している黒田といいます」
「陸上自衛隊!?」
なぜ自衛官がこんなところに!?
そんな私の驚愕が顔に出ていたのか、それとも私の質問を先に読んでいたのか、目の前の黒田という女性は微笑みながら口を開いた。
「落ち着いて下さい。逸見エリカさん。私は今日黒森峰のOGとしてあなたに会いに来たのです。詳しい話はこちらで」
「黒森峰の、OG……?」
そう言うと黒田は玄関の外、寮の手すり壁の下に見える黒塗りの車を指差した。
私は混乱しながらも、その黒田という女性についていくことにした。
黒森峰のOGという彼女が、わざわざ私に会いに来たと言うのだ。何か重要な話があるのは火を見るより明らかだった。
「は、はい……」
私は彼女の後ろについていく。
そして、彼女に促されるまま、車の後部座席に座った。黒田もまた、車の後部座席、私の隣に座る。
車の運転席には深く帽子を被った運転手が座っていた。その運転手が車を出す。車は、学園艦の広大な敷地をゆっくりと移動していた。
「…………」
「…………」
沈黙が支配する。黒田は笑みを浮かべ私の隣に座っているだけだった。私はどうしていいか分からず、妙に座り心地のいいその後部座席で座っているのみだった。
「ときに」
と、私は外の明かりに目を移し出したときに、黒田は口を開いた。
「は、はい!」
「ときに、この度の練習試合では勝利を収めたようですね、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます……」
私は軽く頭を下げる。
「しかし」
しかし、そこで黒田は言った。
「随分と危ない試合運びだったようですね……黒森峰の隊長として、それはどうなのでしょう」
「え……?」
私は黒田の言葉の意味が分からなかった。いや、分からないふりをしていたというのが正しいかもしれない。これから黒田の言うことが予想できているからこそ、その言葉を信じたくなかったのかもしれない。
「そもそも、最近の練習試合は敗戦ばかり……。王者黒森峰も、随分と落ちぶれてしまいました」
彼女は一緒だ。
口調は丁寧だが、私の陰口を叩いていた隊員らと同じく、私を責めているのだ。
隊員からの陰口はまだ耐えられた。だが、彼女は黒森峰のOGだ。その彼女が、わざわざ私のところに来たということは、つまりそういうことなのだ。
黒森峰の後援会たるOG会――黒森峰が戦車道をやっていくに際して、大きな助力をしてくれている彼女らが皆、私が隊長をしているということに不満を持っているということなのだ。
「あ……わたし、は……」
「黒森峰の戦車道は王者の戦車道。そこに敗北という文字は許されません。それが、昨年の大会からというもの、その地位は地に落ちてしまいました。それはとてもとても悲しいことです……」
喉が渇く。手が震える。視界がぼやける。私の足元にある土台がどんどんと崩れ去っていく音が聞こえる。
隠すことのない直接的な悪意。大人から向けられるその悪意に、私の体は耐えられなかった。
「すみません、私は物事をはっきりと言う人間でして。だからこそ私がメッセンジャーとして選ばれたのでしょう」
依然として黒田は笑みをたたえていた。
その言葉には謝罪の意思は感じられない。むしろ、当然のことを言っているかのような口ぶりだった。
「それは……私に隊長を辞めろ、ということなのでしょうか」
「いいえ、そこまでは言っていません」
黒田はゆっくりと首を一回振るう。
「私達はあなたが努力していることも分かっています。あなたの戦い方は、実に伝統的な黒森峰の戦い方です。それこそ、少し前なら問題なく戦えたでしょう」
そこまで言うと「ですが」と黒田は言った。
「あなたの戦い方は、もはや過去の遺物なのです。今戦車道は新たな変化のときを迎えている。それに、逸見さんの戦い方はついていけないのです」
「そんな……!?」
私は言葉を失った。
私の戦い方が古い……!? 黒森峰の伝統的で、まほさんから受け継いだ戦い方が……!?
「私の戦い方は……まほさんの、黒森峰の……」
「ええ、承知しています」
私がかろうじて振り絞った勇気で反論しようとすると、黒田はそれを止めた。
そして、私に諭すように話し出す。
「しかし、西住まほはすでに新たな戦い方を模索しています。彼女の本家たる西住流もその変化に対応した教えをし始めている。各校も、どんどんと新しい戦い方を模索している。あなただけですよ? 取り残されているのは」
「そんな……」
私の戦車道は、もはや通じない。
つまりはそういうことを彼女は言っているのだった。
それは、私にとってあまりに衝撃的だった。
「私は……私の戦車道で勝利を……」
「ええ、それは戦車乗りなら誰でも憧れることでしょう。自らの力で、勝利を掴み取る。みんなが夢想することです。ですが、それを行えるものは一握りの天才だけなのですよ……西住みほのようにね」
「っ!?」
またか、またみほか!
彼女の影がまた私にちらつく。彼女は常に私の前に現れる。私がいくら彼女の前を走ろうとも、彼女と肩を並べようとも、まず追いつくことすらできず私の前にちらつく。
それが、西住みほ。
私の中で、黒田に責められている絶望の黒と共に、怒りの赤が混じり始めた。
「私は、選ばれていない人間だと言うんですか……!」
「はい」
黒田はあまりにもはっきりとそう言った。
「残念ながら逸見エリカさん。あなたは、『よく出来る凡人』なのです。天才ではないのです。あなたはそれを理解しないといけません」
「……っ!」
黒田は本当に歯に衣を着せぬ言いようだった。
そこまで言われてしまうと、もはや相手が目上の人間だろうと感情が高ぶってくる。
「では、私にどうしろと言うんですか! 私の戦いが今の戦いに合わないというのなら、辞めないでどうしろと言うのですか!」
私はもはやヤケになって言った。本当に辞めたいわけではない。だが、まるで辞めろと言わんばかりの黒田の言い方に、私は口を開かざるをえなかった。
「ええ、だから私が来たのです」
黒田はそう言うと、側に置いてあった鞄から、数冊の本を取り出した。それは、丁寧に装丁された黒革張りの本で、表紙と思われる場所の端に『黒森峰OG会著』と書かれていた。
「これは……?」
「これは、我々OG会が長年の研究によって生み出した、戦略、戦術論です。あなたにはこれを憶えてもらいます」
「これを?」
「ええ。これを頭に叩き込めば、あらゆる状況に対応できるようになるでしょう。それこそ、今変化しつつある戦車道にも」
これは、それほどの代物なのか。
私は恐る恐る本を手に取り、表紙を捲る。そこには、図付きで事細かに様々な戦い方が記載されていた。
「す、凄い……」
「でしょう。これを覚えれば、あとは機械的に状況に対応する戦術、戦略を選ぶだけでいいのです。いわばプログラムのようなものですね。これさえあれば、あなたは考える必要はありません」
「考える必要が、ない……?」
「はい。あなたはその本に従えばいい。考えを捨てて単純作業として戦車道を行えばいい。それこそが、この集合知の力。凡人が天才に勝つための手段。この集合知に、プログラムに従えば、少なくとも高校戦車道ではあなたは勝者となりえるでしょう」
黒田の言うことは、あまりにも信じられない言葉だった。
だって、彼女はこう言っているのだ。
お前は機械になれ。人間を辞めろ。黒森峰のための道具と化せ。
と。
それは決して冗談ではないと、黒田の前髪から覗き見える、口元とは反対に笑っていない冷たい瞳からも窺い知れた。
「そ、そんなこと……!」
「受け入れられませんか? それはそうでしょうね、拒否感があるでしょうね。でも、このまま黒森峰を敗北者とするわけにはいかないんです。少なくとも、あなたが勝利を収められない現状では」
「う……!」
私は言葉に詰まった。確かに私は勝てていない。黒森峰は転落の一途を辿っている。
だが、だからと言って。
「……だったら、勝てばいいんですね!」
私の口は、いつの間にかそんな言葉をこぼしていた。
「……ほう?」
「ならば、私は勝ちます! 次の練習試合で、勝ってみせます! そうすれば、この話はなかったことにしてもらえますね!」
私は黒田相手に啖呵を切った。まるでみほやライバル達に言うかのように、大きな声で言った。目上の人間に対する態度ではとてもなかった。
だが、黒田はそんな私を見て、ふふっと笑った。
「……分かりました」
その言葉は無駄なあがきと思ってのことなのか、それとも必死に抗う私に期待してのことなのか分からなかった。
「それで、どこなのですか? 次の練習試合の相手は。弱小校では証明になりませんよ?」
「それは大丈夫です。次の練習試合の相手は……」
私は一旦呼吸をしてから、その高校の名前を言った。
「大洗女子学園、です……!」
◇◆◇◆◇
「……エリカさん、あんまり無理をしないほうが……」
椅子に座り、机の上の資料と向き合う私に、小梅が心配するように言った。
私はその言葉をまったく意に介すつもりはない。私は私のやることをやるだけだ。
「……エリカさん!」
「……うるさいわね。私は勝たないといけないのよ、大洗に」
「でも、でも……」
小梅はおどおどとした声で、しかしはっきりと言う。
「エリカさん、もう三日は寝てないじゃないですか……!」
私は黒田と約束してから、ずっと対大洗戦のことを考えていた。
どうすれば大洗に勝利することができるかだけを思案していた。
大洗も三年生が抜けて弱体化するはずだ。だが、私はどのチームが三年生なのかを詳しく知らない。
それゆえ、あらゆるパターンを考えて作戦を構築しなければいけない。そのためには、いくら時間があっても足りないのだ。
しかし、それはそれとして気になることはあった。
「……あなた、どうして私が寝てないこと知ってるのよ」
「そんなの、顔を見れば分かります……目の下のクマ、ひどいですよ……」
「…………」
小梅は妙なところで観察力がある。それゆえ小梅にはバレたのだろう。だが、いくら小梅に言われてもこれだけはやめることはできない。
私の戦車道がかかっているのだ。寝ている暇などない。
「どうしてそこまで勝ちにこだわるんですか。確かに大洗は因縁の相手です。ですけど、ここまでするほどじゃないと思うんです……!」
「……確かに、ね」
確かに普通に見ればそうだろう。誰も私と黒田との間で交わした契約を知らないのだから。
私と黒田の契約は誰にも話してはいけない決まりになっている。それゆえ、私はなぜこうまでなっているのかの理由を話すことができない。
「だったら――」
「でも」
私はそこで小梅の言葉を遮った。
「私は今回の試合はどうしても勝ちたいの。練習試合とはいえ相手は大洗。黒森峰にとって因縁の相手。今まで敗北続きの黒森峰に、もはや敗北は許されない。だから、私達は勝利する必要があるの」
もちろん、これで誤魔化せたとは思っていない。
小梅の複雑そうな顔が、それを物語っている。だが私が、やはり真実を話すことはできない。だから、先程言ったでっち上げの理由で押し通すしかないのだ。
「そういうことなのよ、小梅。分かった?」
「……分かりました」
絞り出すような声が小梅の喉から漏れる。それは明らかに納得していないという態度の現れのようであったが、私はあえて無視した。
そこを私が突っ込んでも何も意味はないだろう。
「じゃあこれで――」
「でも!」
今度は小梅が私の言葉を遮ってきた。
私はつい驚いた顔をしてしまう。
「今日、今このときだけはどうしても休憩を取ってもらいます! これは副隊長として隊長への進言です! 隊長が体を崩してしまっては元も子もないですから!」
小梅の言葉からは非情に硬い意思が感じられた。どうやら覆そうにない。
私は「……はぁ」と軽く溜息をつくと、机の上に広げていた資料をそのままに、椅子から立ち上がった。
「分かったわよ。時間が勿体無いから、とりあえず今だけよ。そうね、お腹が空いたからどこかに何か食べに行きましょうか」
「……はい!」
小梅はとても明るい笑みを私に見せて返事をした。そんな小梅に、私は思わず苦笑いを浮かべる。思うに、この子は私のことをとてもよく想ってくれているのだと思う。ならば、一応それに私も答えなければいけないだろう。
「それじゃあ、最近できたファミレスに行ってみましょうよ! エリカさんの好きなハンバーグが美味しいそうですよ!」
「あら、それは楽しみね」
こうして私は、小梅と一緒にファミリーレストランへと向かうこととなった。久々に食べたハンバーグの味は、よく分からなかった。
「……んん」
酷い眠気の中、私は目を覚ます。窓からは太陽の明かりが差し込み、私の目を刺激する。
「えっと……私、いつの間に寝たのかしら」
私は目をこすりながら周囲を確認する。どうやら、私は自室のベッドの上にいるようだった。だが、私はベッドに入った記憶も、そもそも寮の自室に帰った記憶もない。とりあえず、私は時計で時間を確認する。
「って、ちょ!? もう朝練の時間じゃない!?」
私は飛び起きた。
なんで!? どうしてこんな時間まで眠っていた!? 大洗対策はどうした!?
私は必死で昨日のことを思い出す。もちろん、出発の準備をしながらだが。
ええと確か、昨日は小梅と一緒にファミリーレストランに行って、それでハンバーグを食べて、それから……それから?
そこから、私の記憶がない。
私は不思議に思いつつもとにかく学校に行かなければと家を出て、学校まで走った。学校に着くと、すでに早朝訓練は始まっていた。
「しまった……!」
隊長が遅れるなんて、なんてことだ。みんなにどう謝ろう。いや、そもそも私抜きだと、色々と指揮がいかなくなり大変なはずだ。だというのに、皆訓練を行っている。こうして私抜きで訓練を進められるということは、私の変わりに指示を出している人間がいるということだ。
今の隊でそれができる人間は、一人しかいない。
私が着いてから少しして、戦車が格納庫に戻ってきた。そして、戦車からそれぞれ隊員達が降りてくる。
降りてきた隊員達は私を見ると普通に「おはようございます」と挨拶をしてきた。
そして、最後にやってきた戦車から降りてきたのは、小梅だった。
「おはようございますエリカさん」
「……これはどういうこと、小梅」
私は小梅を問い詰める。
「どういうこと、というと……」
「昨日私に何があったのか、そしてどうして訓練が始まっているか、ということよ」
私の言葉を聞くと、小梅は笑顔で答え始めた。
「ああそのことですか。昨日エリカさん食事の途中で寝ちゃって……。それで、昨日はエリカさんを家まで運んだんですよ。起こしても悪いと思って。そして今日はエリカさんには朝休養を取ってもらうということで勝手に訓練を始めさせてもらいました。本当は伝えられたらよかったんですが、手段がなくて……」
「どうして……」
「え?」
「どうして、そんな勝手なことするのよ!」
私は大きな声で小梅を怒鳴りつけた。
小梅や周りの隊員は唖然としていたが、そんなのは関係なかった。
「寝たなら無理にでも起こしてよ! 私は小休止のつもりだったのに! それが朝になるまで寝てしまい、しかも朝練をすっぽかすことになるなんて、とんだ失態だわ……! 私はもっと研究と、それをもとにした訓練をしたかったのに……! 昨日あなたの言葉に乗ったのは間違いだったわ!」
「エリカ、さん……」
私は肩で息をする。小梅はわなわなと震えている。周りの隊員はただただ私達を見ている。嫌な静寂が、一帯を支配した。
「ごめんなさいエリカさん、私、そんなつもりじゃ……」
うつむきながら謝る小梅だったが、私はそんな小梅に背中を向け、早足で格納庫を出ていくことにした。
もう彼女の顔も見たくなかった。
そして、出て行く際に私は小梅に言い放った。
「戦車道では頼りにしているわ。でも、それ以外でもう私におせっかいを焼こうとしないで。私も、もう戦車道以外のことであなたの助言を聞く気なんてないから」
そのとき、小梅のはっと息を呑む声が聞こえたが、背を向けているため顔までは見えなかった。
だがどうでもよかった。どうせ見たって不快になるだけだ。
私は扉を叩きつけるように閉めて、格納庫を出た。
◇◆◇◆◇
それからしばらくの間、私と小梅は殆ど口はきかなかった。会話は、戦車道に関連する事務的な内容のみ。小梅は時折チラチラとこちらのほうを見て何か言いたげにしていたが、私はその小梅をあえて無視した。
勢いでものを言ってしまったのを反省はしている。だが、現状でそこから関係改善をする気にもなれなかった。また休憩を取れなど、言われたくなかったからだ。
隊員達からも好奇の視線で見られた。だが、それも叱責する気にはなれなかった。身から出た錆である。甘んじて受け入れいることにした。
そうしていくうちにあっという間に時間は流れていく。
私は研究と訓練をとことん重ねた。我ながら、万全な状態を整えた。
そうしてついに、大洗との練習試合の日がやってきた。
「今日はよろしくお願いします!」
互いのチームの隊員と戦車が横並びに並ぶ中、大洗の隊長であるみほが、笑顔で私に頭を下げてきた。
私も礼儀としてみほに礼を返す。戦車道は礼に始まり礼に終わるのだ。
「……よろしくお願いします」
そして頭を上げると、みほは笑顔のまま私を見て、「ふふっ」と笑い声を出した。
「……何よ、何かおかしいの?」
私は少し癇に障り、あたりの強い言葉でそう聞く。
「あ、ごめんなさい! でも、エリ……逸見さんとこうして試合ができるのが嬉しくて……今日はいい試合にしようね、逸見さん!」
みほはそう言うと、右手を差し出してきた。どうやら握手したいということらしい。
正直それに応じたくなかった。今のみほは、私にとって倒すべき敵でしかない。だから握手を拒否することもできたが、それはあまりにも態度が悪すぎる。
私は渋々握手に応じた。
「……ええ、互いに頑張りましょう」
「うん!」
私の社交辞令に、みほは本当に嬉しそうに頷いた。
イライラする。
何故この子はこんなに楽しそうなんだ。どうして戦車道でここまで笑顔になれるんだ。分からない。私には、分からない。
そんな感情がうずまきつつも、私達は互いに自分達の戦車に乗り、それぞれの初期配置についた。
さあ……いよいよ試合だ。この試合に勝って、私達は、私は勝利を手に入れ、私の戦車道を貫き通す。それが、今回の目的だ。
私は頬を両手で挟み込むように叩き、自分に気合を入れ直す。
相手の戦車はいくつか欠けていた。特に、大会で苦しめられたポルシェティーガーがないことがとても印象深かった。
これはとても幸先が良い。厄介な相手がいなければ、勝率はぐんと高まる。
私は様々にシミュレートした内容を頭に浮かべながら、高らかと宣言される試合の開始コールを耳にした。
「さあ、行くわよ……全車、パンツァーフォー!」
激戦になると予想していた。
色々な作戦を立てた。夜も眠れなかった。不安で仕方がなかった。
負けてしまうかもしれない、そんな恐怖がつきまとう試合だった。
そのはず、だった。
「…………」
私の目の前には、白旗を上げた一台の戦車が横たわっていた。その戦車には、ピンと伸びるフラッグがつけられていた。
「……勝った、の?」
私は信じられなかった。
試合はあっさりと勝敗がついてしまった。
私は全力で挑んだ。大洗に数と質、速さの古典的と言われた私の戦法で挑んだ。大洗はどんな奇策で挑んでくるかと非常に慎重に戦いを進めた。
だが、圧殺できてしまった。数と質で、押し切れてしまった。
それは、あまりにもあっけなかった。
勝利の実感はなかった。ただ私にあるのは、虚無感と、徒労のみ。
私は戦車を降り、みほと試合後の挨拶をする。みほは負けたというのに笑顔だった。そして私に言った。
「うーん負けちゃた。やっぱり逸見さんは強いや。私ももっと頑張らないと」
頑張る? 私の全力を相手にして、出た感想がそれだけ? そんな、笑って流せるような内容だったの?
私がそう思っていると、みほの周りに彼女の友人達が集まってきた。
「負けちゃったねぇみぽりん。やっぱ三年生の先輩方が抜けた穴は大きかったねぇ」
「ですねぇ。でも、黒森峰と再び試合ができて楽しかったです!」
「はい、撃破できた車両はわずかでしたが、とても心震えました……」
「こちらの手の内は前の大会で知られているからな。もっと新しい戦い方をしていく必要があるだろう」
わいわいと話す彼女らは、とても楽しそうだった。ひとりぼっちの私とは、まるで違った。
そして、みほは言った。
「うん、そうだね。でもやっぱり、戦車道は楽しいね! ここでやる戦車道が、私の戦車道なんだなって、改めて思ったよ!」
私の……戦車道?
みほの、のびのびとした、負けても笑顔でいられる戦いが、彼女の戦車道とでも言うのか? 自分の戦車道を貫いた結果が、笑顔なのか? ああ、そうなんだろう。誰だって、自分の好きにやれたら、楽しいに決まってる。では、私はどうだ? 私は私の戦い方をした。そして勝った。でも、そこに残ったのはなんだ。何もない。あるのはただの虚しさと疲れのみ。みほは楽しく戦車道をやった。私は苦しみながら全力をかけて戦車道をやった。お互い自分の戦車道をしたはずなのにこの差はなんだ……? ああ、そうか、これが……これが……。
「これが、天才と、凡人の、差、なのね……」
自分のやりたいようにやって楽しく戦える。そしてその戦い方が新たな道を切り開く。それが天才の歩む道。地べたを這いずり回る凡人には、決して歩めない道。
私の戦車道は対してどうだ。先人の、天才の作った道を辿っているだけ。しかも、辿っているだけなのにひどく苦しい。とてつもなく痛い。考えれば考えるほど、努力すればするほど、出血していく。こんなの、耐えられるはずがない。
ああ、そうか……だからなのか。だから彼女らは、あの本を作ったのか。
「ん? エリカさん? どうしたの?」
みほが不思議そうな顔でこちらを見た。
私はそんなみほに、優しく笑いかける。
「いいえ、なんでもないの。ありがとうみほ、今日はとてもいい試合だったわ。おかげで、私も踏ん切りがついた」
「え、踏ん切りって……」
みほへの返答をすることなく、私はみほに背を向けた。
そして、それぞれ話している隊員達の間をすり抜け、殆ど人のいない観客席へと向かう。そこにいる、一人の女性と話すために。
「おめでとうございます。素晴らしい勝利でしたね」
観客席にぽつんと座っていた女、黒田は私に言った。
「では、約束通りあなたはあなたの戦車道をする、ということで――」
「待って」
私は黒田を制止する。
黒田はそれが分かっていたかのように、私に笑みを見せる。
「はい、なんでしょうか?」
「その本を……あなたたちが研究してきたという戦いを、私に教えて」
「……いいのですか?」
白々しい。大洗と戦うとなったときから、こうなることは分かっていただろうに。
「……ええ、いいのよ。だって」
私は、先程思った正直な気持ちを、彼女に伝えた。
「もう、馬鹿馬鹿しくなったのよ。考えること。努力すること。何が私の戦車道よ。そんなもの、はじめから無かったんだわ。だから、私をもう楽にさせてちょうだい……私を、考えなくていい人形にして……」
黒田は私の告白を聞くと、こくりと頷いた。その一瞬見えた瞳は、笑っていた。嘲りではなく、自愛に満ちたような印象を受ける瞳で。
「はい、それでは……」
黒田の手元から、本が渡される。
私はそれを、しっかりと受け取った。
こうして私は、戦車道において、思考することを放棄した。
◇◆◇◆◇
――一年後。
『黒森峰女学園の勝利!』
試合会場に高らかな声が響き渡る。
場所は、全国戦車道高校生大会決勝戦会場。
我が黒森峰が、久々に優勝旗を取り戻した瞬間だった。
『わあああああああああああ!』
隊員達が勝利の喜びを分かち合うかのように、戦車から降り互いに抱き合ったり、笑いあったり、泣きあったりする。
副隊長の小梅も、自分の戦車の乗組員と一緒に、涙を流しながら喜びを分かち合っているところだった。
皆、本当に嬉しそうだった。それはそうだろう。およそ二年ぶりの優勝だ。黒森峰が、王者黒森峰としての栄冠を再び手にしたのだ。嬉しくないわけがないだろう。
だが、私は正直どうでもよかった。それよりも、早く帰ってネットサーフィンをしたいという気持ちのほうが強かった。
「やりましたね! 隊長!」
「え? ああうん……」
私は話しかけてきた隊員に生返事をする。
面倒臭い……早く終わらないかしら……。
私はそんな気持ちで勝利後の撤収作業に移る。そして、優勝旗を受け取り、相手校との礼を済ませ、いち早く帰路につこうとする。
「エリカ」
そのとき、私の名を呼ぶ声がした。その声はとても懐かしい声で、私は思わず振り返ってしまう。そこにいたのは――
「まほさん……」
「久しぶりだな、エリカ」
そこにいたのは、今は大学戦車道や世界大会で活躍している、まほさんだった。
まほさんは以前よりも自然な柔和な笑みを私に見せた。
「ええ、久しぶりですね」
しかし何故だろう、久々の再会だと言うのに、私の心は突き動かされなかった。
「さっそくだが、優勝おめでとう。見事な試合だった」
「ありがとうございます」
「それにしても、随分と戦い方が変わったな。以前のお前はもっと攻撃的な戦法をとっていたが、今では変幻自在の戦い方をするようになった」
それはそうでしょう。私は教本によって指示されている戦い方に従っているだけなんですから。
そう言いたかったが、私はなんとかそれを飲み込んだ。OG会からの本については、次代の隊長に受け継ぐときまで誰にも秘密ということになっている。明かしていいのは次代の隊長のみ。
そのため、私は適当に誤魔化すことにした。
「あー……そうですね、はい。まあいろいろと」
「そうか。……しかし、優勝したというのにあまり嬉しそうにないな、何か思うところでもあるのか?」
「それは……」
まほさんの質問に、私は詰まった。私自身にも、よく分からないことだったからだ。あの本を手にすると決めてから、何に関しても無感動になってしまった。心を動かされるということがなくなってしまったのだ。
まあ、それもどうでもいいことなのだが。
ただ、そんなことが言えるわけもない。
「いやまあ、喜んでいますよ。ただ表に出すのが恥ずかしいだけです」
なので、私は嘘をつくことにした。
今はとにかくまほさんとの話を終わらせたかった。
「なるほど、可愛いところがあるじゃないか、エリカ。フフフ」
そんな私の言葉を信じたまほさんは微笑む。
まほさんは私の言うことをすべて信じている。それほど私のことを信頼しているということなのだろう。昔の私なら、心が痛みつつも喜んだかもしれない。
だが、今はただそうなのかと思うだけだった。
「しかし、本当に良かった……私の変わりに黒森峰を優勝させてくれてありがとうエリカ。見つけたんだな、お前の戦車道を」
「私の、戦車道……」
私の戦車道。
その言葉が、それまで無関心だった私のこころにチクリとした痛みをもたらす。
この痛みは一体何だ?
「ん? どうかしたのか?」
「……私の戦車道なんて、ありませんよ」
私の口から、そんな言葉が自然と漏れていた。
「エリカ……?」
「……失礼しました。それでは私はいろいろと業務があるのでこれで」
私はハッとし、まほさんから逃げるように背を向けた。
どうしてあんなことを口にしたのかは分からない。
ただ、有り体に言うなら、イラついたのかもしれない。まほさんの、さっきの言葉に。
私の戦車道なんてない。
それを持てるのは、一部の選ばれた人間だけだ。私のような凡人には、関係のない話なんだ。
一体この世の中に、自分の生きたいように生きられる人間がどれほどいるのか。自分で自分の進む道を選べる人間が、どれほどいるのか。
道を切り開くのは、選ばれたものだけ。私達はその出来上がった道を歩いて行く。ただ、それだけ。
「……そう、それでいい。それでいいのよ」
私はそうして生きていく。
自分で考えて頑張るなんて馬鹿馬鹿しい。これからは、用意された道を歩いて、生きていく。
これからどんな道を歩んでいくかは分からない。
少なくとも黒田が、卒業後の進路は保証すると言ってくれた。恐らくその道に沿って進んでいくことになるだろう。
私は振り返る。そこにはすでにまほさんはおらず、あるのは運搬されている戦車のみ。
それを一瞥した後、私は再び歩き出した。
私の道は、そこにはない。