「正月の予定、ですか?」
新年も目前となった頃、ノンナはカチューシャからそんなことを聞かれた。
「そうよ! ノンナは実家に帰ったりするのかしら?」
「いえそんなことはありませんが……」
「だったらちょうどいいわ! 私も正月は学園艦に残っているんだけど、ノンナ、私の部屋に来なさい。正月は一緒に過ごすわよ!」
ノンナはカチューシャのその言葉を聞いて嬉しかった。ノンナはカチューシャのことが好きだった。人としても、恋愛対象としても。
だから、そのカチューシャと長く一緒にいられる時間が増えることは、とても素敵な提案だった。
「はい。もちろんご一緒させて頂きます」
「ふふ、ノンナならそう言うと思ったわ! 実はね、ミホーシャからお餅を貰っているの! それを一緒に食べましょう! イクラやキャビアやピロシキもいいけど、たまには日本風の正月を味わってみるのもオツだと思うのよ!」
「そうですね、カチューシャ」
笑うカチューシャに対して、ノンナもまた笑いかけた。
ノンナの本音としては、どんな正月でもカチューシャと一緒に過ごせるというだけで最高のものになると感じていた。
カチューシャが望むなら、どんな新年の形でもいいと思った。
「じゃあさっそく準備しないと! 今から楽しみだわー! ふふふ!」
カチューシャは幼子のように笑う。
その笑顔だけで、ノンナはカチューシャの提案の受け入れて良かったと思った。
「準備ですか。では私も……」
「あ! ノンナはダメよ! 今回の準備は私一人でやるわ!」
カチューシャがノンナが予測していなかったことを言った。
ノンナはその言葉に意外な顔をする。
「一人で、ですか? カチューシャが……?」
「ええ! いつもはノンナに世話になっているものね。たまにはこのカチューシャがノンナにいいことしてあげようと思うのよ」
「でもカチューシャ、料理はあまり得意ではなかったはずでは……?」
「え、ええ……。で、でも練習すればうまくいくかもしれないじゃない! だから待ってなさいノンナ! このカチューシャの料理の腕が達人クラスになるのをね!」
ノンナはその言葉だけで泣きそうになった。
自分の大切な人が、自分のために努力してくれようとしている。
こんなに喜ばしいころはなかった。
ノンナはそれをなるべく表情にするのを我慢した。感動しているのがバレるのが、なんだか気恥ずかしかったからだ。
「ありがとうございます、カチューシャ」
なのでノンナは、短いお礼の言葉だけですませた。
本当は、体を使って、涙を流しながら感謝したいところだった。
「ふふ、楽しみにしていなさいよね!」
カチューシャは自慢げに言った。
ノンナは、その日を楽しみに待つことにした。
それからというもの、ノンナは楽しみで心をうきうきとさせていた。その気持を表面に出さないようにするのに、実に難儀した。
そのせいか、普段ならしないミスを戦車道の訓練中にしてしまうこともあった。
「ちょっとノンナ! たるんでるわよ! 何やってるの!」
「すいません、カチューシャ」
ノンナはカチューシャに叱られながらも、やはり幸せを感じていた。
これもまた、いいものだと思っていた。しかしカチューシャを煩わせてしまうのも申し訳ないので、なるべく戦車道の訓練中は冷静でいることに努めた。
だが、どうしても浮かれているのが表に出ているときもあるようで――
「最近の副隊長、なんか浮かれてねぇべか?」
「そうだなぁ。なんか、いつもの鉄仮面って雰囲気がない感じがすっべ」
などと、隊員達に噂される程であった。
ノンナはその話をこっそりと聞き、一人顔を赤らめた。
――恥ずかしいものですね、どうも……。
だが、それはそれとしてやはり自分の感情を抑えるのは難しいらしく、しばらく隊員達の話の種になってしまうこととなった。
そうしていくうちに、だんだんと年末、そして新年は近づいてくる。
ノンナは、その日を今か今かと待ち続けた。
そんなある日のことだった。その事件が起きたのは。
「…………」
その日の夜、ノンナは一人外出をしていた。
カチューシャと一緒に過ごすときのための、食べ物や飲み物を買い貯めるためである。
さすがにカチューシャ一人にすべてを用意させるわけにはいかないとノンナは思った。カチューシャは「こういうときは私を頼ってくれればいいのに!」と言っていたが、そこはなんとか説き伏せた。
ノンナにとって、カチューシャ一人にすべてをさせるのはあまりにも心苦しかったのだ。
なので、ノンナはこうして、寒空の中買い出しに出ていたのだ。
「さて、だいたいのものは買い終えましたね……他に買い残しは……ないですね」
ノンナは道中、何度もそのように買ったものの入っている袋の中身を確認していた。
買ったものはなんの欠落もない、完璧な買い物だとノンナは思った。ただ、浮かれている気持ちを抑えられないがために、そうして何度も袋の中身を確認しているのであった。
そうして夜の学園艦を歩いて行く。
プラウダ学園艦はすっかり雪景色となり、白い銀世界が一面に広がっていた。
ノンナはその寒さに身を震わせながらも帰路につく。
そうして、ノンナが雪の積もった地面を歩いて、学生寮の前までたどり着こうとしていたときだった。
「……?」
学生寮の前がにわかに騒がしかった。
ノンナは何かと思い、その集団に近づく。
「何かあったのですか?」
ノンナは近くにいた、同じ戦車道を取っている隊員に聞く。
「あっ副隊長! それが、寮で火事があって……」
「火事?」
「はい。さっきまで凄い炎で燃え盛ってたんですよ……幸い、数部屋燃えただけで済んだらしいんですけど……」
「そうなんですか……」
ノンナは寮の方向を見る。すると、確かに部屋の幾つかが真っ黒になっているのが見えた。
「不用心なこともあったものです……ね……?」
そこまで言って、ノンナはとあることに気がついた。
外から見える、真っ黒になっている寮の窓。その中の一室に、ノンナは見覚えがあったからだ。
その部屋は、ノンナが敬愛し、今そのために買い物をしてきた人の部屋の場所で――
「あっ! 寮から人が出てきましたよ!」
隊員が指差す。
ノンナはその方向を、いやまさか、と思いつつ見る。
そして、ノンナは見てしまった。
「はぁ……はぁ……」
真っ黒に焼け爛れた皮膚になって担ぎ出されている、カチューシャの姿を。
原因はカチューシャの火の不始末だった。
料理に慣れていないカチューシャは、火の取扱を間違ってしまったらしい。その結果、炎はあっという間に部屋を包み、カチューシャの体を焼いたのだと言う。
被害がカチューシャだけだったのは不幸中の幸いだと言われた。その炎の勢いから、寮全体が燃えていてもおかしくなかったと言われた。
だが、当然の如くノンナはそう思わなかった。
ノンナは、カチューシャが被害にあったのを確認した瞬間、気を失った。
その後、近くにいた隊員達に介抱され、目を覚ました後、激しく動揺した。
「カチューシャは!? カチューシャは無事なのですか!?」
その乱れようは、誰も目にしたことのなかったノンナの姿だったという。
周囲は冷静になれと言ったが、ノンナは聞かなかった。ノンナはすぐさま病院に走った。そして、病院の看護師達に止められながらも、手術室の前まで案内された。
ノンナはそこで待った。何時間も待った。状況は予断を許さないらしい。ノンナは身を震わせた。
――神よ、どうかカチューシャをお救いください……!
ノンナは生まれて始めて、神に祈った。
そして、朝になるほどの時間帯に、ようやく手術室からカチューシャが運び出されてきた。
そのカチューシャの姿は、とても痛々しいものであった。全身に包帯が巻かれており、隙間から見える肌は真っ黒に焼け焦げている。
カチューシャはまさに虫の息といった呼吸で、医師達の顔も暗い。
ノンナは、その姿を見て、今度は意識あるまま床に倒れ込んだ。
そしてカチューシャは、陸の上の病院に移され、それからずっと病院で生活することを余儀なくされた。
ノンナは毎日のようにカチューシャの見舞いに来た。
学校など知ったことではなかった。ノンナも陸の上に移り、カチューシャを毎日のように見舞った。
最初は他の隊員達も大勢見舞いに来た。
クラーラやニーナ、アリーナなどは涙を流しながらカチューシャと話した。
だがカチューシャはとても話せるような状況ではなく、学校が始まる関係で次第に見舞いも減っていった。
そんな中、ノンナは一人カチューシャを見守り続けた。
寝食を忘れ、時間が許す限りカチューシャの側にいた。周囲の人間はもういい、と言ったが、ノンナは聞かなかった。ノンナは、みるみる痩せ細っていった。
そうして数週間程が経った頃だった。
その日もノンナはカチューシャの見舞いに来ていた。
「カチューシャ、おはようございます……」
返事が帰ってこないのを分かって、ノンナはカチューシャに挨拶をする。ノンナはその挨拶を欠かしたことはなかった。
しかし、その日は違った。
「……ノンナ、おはよう……」
「っ!? カチューシャ!?」
カチューシャが、火傷を負って以来一言も喋らなかったカチューシャが、初めて言葉を口にしたのだ。
ノンナは驚きと喜びが入り混じった複雑な感情に囚われた。
「カチューシャ! 大丈夫なのですかカチューシャ!」
ノンナはとりあえずカチューシャに話しかけることにした。
すると、しばらく間を置いて、カチューシャの唇が動いた。
「……ごめんなさいねノンナ……あなたとの約束……お餅を一緒に食べるって約束……守れなかった……」
「そんなこといいんですカチューシャ! 私は、あなたが生きていればそれで……!」
ノンナは涙を流しながら言った。本当は手を握りたかったが、火傷で爛れた手を握ればカチューシャが痛みを感じると思いそうしなかった。
するとカチューシャは、ぽつりぽつりと喋り始めた。
「……私ね、ノンナのこと、好きだったの」
「……え?」
「人間としても、恋愛対象としても……ノンナとずっと一緒にいたいと思ってた……だから、新年を二人っきりで祝って、そのときに告白しようって、ずっと思ってた……」
「カチューシャ……私も、私もカチューシャのことを愛しています……!」
ノンナが涙を流しながら言うと、カチューシャはうっすらと笑みを見せた。
「……ふふ、よかったぁ。ノンナも同じ気持ちだったんだ……嬉しいなぁ……これで私、もう思い残すことないや……」
「……カチューシャ? 何を言って……」
「私、もう多分ダメなんだ……ごめんねノンナ。ノンナを残して逝っちゃうことを、どうか許してね……」
「……嫌。嫌です、カチューシャ。お願いしますなんでもしますからそんなこと言わないでくださいまたいつでもカチューシャをおぶりますカチューシャの好きな子守唄もいつでも歌いますカチューシャの好きなものはなんでも作りますだから、だからそんなこと言わないでください……」
しかし、カチューシャは一筋の涙を流すと、言った。
「……ごめんなさい。さよなら、ノンナ」
そうしてカチューシャは、静かに瞳を閉じた。
その瞬間、近くにあった心電図が、『ピーッ』という甲高い音を鳴らした。
「……カチューシャ? カチューシャああああああああ!」
ノンナは一人雪原に立っていた。
さんさんと輝く太陽光を反射する美しい銀世界。静かに降り続ける雪。まさに冬ならではの素晴らしさがある見事な雪景色だった。
その中で、ノンナは立っていた。
その手には、人形が握られていた。ボロボロになった、金髪の人形だ。
「ふふ、カチューシャ見てください。今年も美しい雪景色になりましたよ……」
ノンナは人形を肩車しながら言った。その目には、光がなかった。
「来年も一緒にお餅を食べましょうね、カチューシャ。そして、いつまでも一緒に戦車に乗り続けましょう。ずっと、ずっと……」
ノンナは虚ろな笑みを浮かべながら人形に話し続けた。
人形はクタリと頭を垂らしている。
「おやカチューシャ? おやすみですか? 仕方ないですね、今子守唄を歌います……」
ノンナは子守唄を歌い始める。
その美しい歌声は、銀世界広がる雪景色に、寂しく響き渡っていった……。
「