「エリカさーん!」
太陽も傾きかけた夕方頃、とある戦車道競技場近くにある建物の廊下で、紺色の制服を身にまとう逸見エリカを後ろから呼ぶ声がした。
エリカを呼ぶのは、エリカと同じ制服を着た女性、西住みほだった。
みほは笑顔で手を振ってエリカのもとに駆け寄ってくる。
「みほ」
エリカもまた笑顔でみほのほうに振り返る。
二人が同じ制服を着ているのは、二人が同じ戦車道のチームに所属しているからだ。
「エリカさん、今日の試合もエリカさんのおかげで勝てたよ! ありがとう!」
「私のおかげって、隊長はあなたじゃない。誇るなら自分を誇りなさいよ」
「ううん、エリカさんが副隊長としてみんなに気合を入れてくれるから勝てるんだよ。私一人だと、ああはうまくいかないな」
二人が所属しているのは、プロリーグのチーム、しかも上位クラスに安定して入っているチームだ。
二人が高校を卒業してから、五年ほどの時間が流れていた。
「まったく、そうやって謙遜するのは昔から変わらないんだから……まあでも、昔の卑屈な謙遜とは違うから、そういう意味ではいいと思うけど」
「そうかな?」
「そうよ。今のあなたはちゃんと、自分に自信があるって分かるもの。私、今のあなたのそういうとこ好きよ」
「……もう、エリカさんの馬鹿」
みほは少し困った風にしながらも笑みを浮かべる。
そうして、二人はとても親しげに会話を弾ませる。
「……ねぇ、エリカさん」
「うん? 何、みほ?」
高校のときに比べ、二人がそれほどまでに仲睦まじくなったのには理由があった。
それは単純なことでありながら、その事実を知っているものは少ない事であった。
「……したく、なっちゃった」
「……もう、しょうがないわね。あそこの影でならいいわよ。あそこなら、あまり人が来ないし」
エリカとみほは、廊下の奥の物陰に行くと、お互いに向き合い、そして互いの体に手を回した。
「……エリカさん」
「……みほ」
そして二人は、ゆっくりと口づけを交わした。
そう、エリカとみほは、女性同士でありながらも、二人は付き合っているのだ。
最初にお互いを意識し始めたのはいつだったか、二人ともはっきりとは覚えていない。
だが、いつしかエリカとみほはお互いに惹かれ合っていた。
そして、紆余曲折ありながらも結ばれた。
それは、二人がプロリーグで同じチームになってからのことであった。
恋人同士になってからの二人は、同じ時間をできるだけ共有するようになった。
二人で一緒に遊びに行ったりするだけではなく、二人で一緒に住むようにまでなった。元はエリカの部屋だった場所に、みほが一緒に住むようになったのだ。
そして、その場所で体を重ね合わせたのも一度や二度ではなかった。
エリカとみほは、心身共に深く繋がり合っている関係性となっていたのだ。
そんな二人の関係性を知っているものは少ない。かつての友人達や、みほの姉の西住まほぐらいである。
二人は別に秘密にすることでもないと思っているが、公にするようなことでもないとも思っていた。そのため、自分達で関係を喧伝することはなかったが、関係について聞かれれば素直に答えた。
そうして二人は蜜月の時を過ごしてきた。
エリカとみほは、すでに切っても切り離せない間柄になっていた。
「んっ……あっ……」
「あむっ……んむっ……」
エリカとみほは互いに舌を絡ませ合いながら深い口付けを交わす。
そうして一分間ほどの間、二人はずっとお互いの舌を絡ませあっていた。
やがて二人はゆっくりと口を離す。その口の間には、よだれで出来た橋がかかっていた。
「……名残惜しいけど、これぐらいにしないとね」
「そうね……いつ人が来るかも分からないし……」
二人はそのまま物陰から出て、先程と同じように並んで歩き出す。
しかし、互いに顔は紅潮していた。
「…………」
「…………」
口づけしたばかりであるためか、あまり会話が弾まない。
しかし、それでいて二人とも気まずいというわけでもなく、どこか満ち足りた様子で歩く。
「……あ、そうだ」
と、そこで途端にエリカが口を開いた。
「ん? どうしたのエリカさん?」
「ごめんなさい、今日は先に帰ってもらえるかしら。ちょっとした用事があるのを思い出したの」
「えー何かあるなら手伝うよ?」
「いいわよ、別にそこまでの用事じゃないし。すぐ帰るから心配しなくていいわ」
「うーん……分かった! 待ってるからね! 早く帰ってきてね!」
「はいはい」
エリカとみほはそこまで話すと、建物の玄関で別れた。
そしてみほは車で同棲しているマンションへ、エリカはタクシーで街へと向かった。
エリカは街の商店街へとタクシーを移動させると、とあるジュエリーショップの前でタクシーを止め、そこで降りた。
「ありがとう。帰りは歩きでいいわ」
そうしてエリカはタクシーに運賃を私、ジュエリーショップに入る。
「いらっしゃいませ」
ジュエリーショップの店員が笑顔で迎える。エリカはその店員にさっそく話しかけた。
「どうも。記念日に渡したいペアリングを探しているんだけど……」
「どのような記念日でしょうか?」
「大切な人と一緒にいられたことを祝う記念日なの」
「そしたらこちらはどうでしょうか」
ジュエリーショップの店員がいくつかの指輪をエリカに見せる。
エリカが探しに来たのは、みほとの同棲記念日を祝う指輪だった。みほとエリカが同棲を開始した日が、そろそろ近づいていたのだ。
「ふむ……どれもいいわね……あ、これいいかも」
エリカが選んだのはダイヤモンドの指輪だった。ダイヤモンドが、店の暖かな明かりをキラキラ反射して輝いている。
「お目が高いですねお客様。ダイヤモンドはその硬度から『永遠の絆』という宝石言葉を持っており、大切な人との永遠の絆を保証してくれるものなんですよ」
「へぇ……いいわね。決めたわ、これにする」
「ありがとうございます!」
エリカはそうしてダイヤモンドの指輪を購入すると、一人いつしか夜になっていた街へと足を向ける。
そして、そのまま帰路に付く。
エリカは笑顔だった。笑顔で、買ったダイヤモンドの指輪を見ていた。
「ふふっ……みほ、喜んでくれるかしら」
笑い続けるエリカが帰り道の途中の人気のない公園に差し掛かった、そんなときだった。
「おい」
「えっ? ……きゃっ!?」
エリカは突然後ろから話しかけられたかと思うと、無理やり後ろから拘束され、そのまま脇にある草むらの中に押し倒された。
「なっ……何を……」
「あんたをずっと見てたんだよ俺……」
押し倒してきたのは、屈強な体をした男だった。その目は、常軌を逸していた。
「見てたって……」
「ずっと一人になるタイミングを待ってた。そしてついにそのときがやってきたんだ。……もう我慢できねぇ!」
「な、何を……嫌あああああああっ!?」
エリカは必死で抵抗するも、男の力は何か薬物をやっているのが分かるほどに強く、身動きは取れない。
そして、そのままエリカは服を破かれる。
「やめて……やめてええええええええええっ!」
エリカの悲鳴が、夜の公園に響き渡る。しかし、誰もやってくる気配はない。
そして、そのままエリカは――
◇◆◇◆◇
「……エリカさんっ!」
みほが病院に駆け込んだのは、夜も更けてのことだった。
みほが一人家でエリカを待っていると、突如電話が鳴り響いた。それは警察からだった。そして、警察はみほに驚くべき事実を告げた。
「逸見エリカさんが、性暴力被害にあいました」
性暴力被害。つまり、強姦である。
エリカが強姦された。犯人は薬物中毒者であり、エリカの通報により事件が発覚、その後即逮捕されたらしい。
だがそれを聞いた瞬間、そんな事件の仔細を忘れ、みほはその場に立っていられなくなりそうになった。しかしなんとか踏みとどまり、警察から話を聞いて、エリカが送られたという病院に向かった。
そしてみほは今、その病院のエリカがいる病室へと駆け込んだのだ。
「……みほ」
「……っ!?」
みほは絶句した。そこにいたのは、顔や体に包帯を巻いて、生気のない顔をしているエリカだったからだ。
「……エリカ……さん……」
「来てくれたのね……ありがとう……」
エリカは力ない声で言った。その声と姿は、とてもいつものエリカからは想像できないものだった。
「エリカさん……その……大丈夫……?」
「……これが大丈夫に見えるの?」
エリカがうつむきながら言う。そこでみほは、自分の言った言葉が失言だったことに気づいた。
「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃ!」
「……いいのよ別に。そう、いいのよ……」
「…………」
「…………」
それ以上、エリカとみほは会話することができなかった。
ただただみほは病室で立ち尽くし、エリカはベッドの上うつむいているだけだった。
それから少し後、エリカはみほの待つ同棲生活をしている部屋に帰ってくることができた。
体の怪我はすぐに治るものであり、処置後すぐに退院していいと病院から言われた。
エリカはそれに応じ、病院から荷物を持ってみほと一緒に病院を出た。
そしてエリカは帰ってきた。みほと共に、二人で生活する部屋に。
「エリカさん、おかえりなさい」
みほはエリカの横でエリカの手を握り、一緒に部屋に入りながら言った。
「……ただいま」
エリカはそれに小声で答える。そして、部屋の中に入ると、みほの手を離し、すぐさま自分の部屋に入って、戸を閉めた。
「あの、エリカさん……」
「ごめんなさい、少し一人にして欲しいの。大丈夫、食事とかになったら出てくるから」
みほが扉越しに話しかけると、エリカはそう返した。みほは仕方なくエリカの言葉通り、エリカを一人にすることにした。
しかし――
「……うっ……っぐ……」
扉の向こうから、エリカのすすり泣く声がみほの耳に聞こえてきたのだ。
その声があまりに辛すぎて、みほは耳を塞いだ。
「……私があのとき、無理にでも一緒についていっていれば……」
そして、みほは後悔をし始めた。
自分がついていっていれば。一人にしなければ、こんなことにはならなかったはずなのに。
耳を塞いでも聞こえてくるエリカの泣き声を聞きながら、みほもまた、自分を責め一人涙を流した。
それからというもの、エリカとみほの生活は一変した。
かつて笑いの絶えなかった二人の時間は、無言で苦しい時間へと変わった。
エリカは部屋に引きこもることはなかったが、たいてい居間のソファーに膝を丸めて座ってぼおっとしているか、テレビを見ていることが多かった。
そんなエリカを見て、みほは黙るか、自責の念から「……ごめんなさい、エリカさん……」と謝るかのどちらかだった。
みほが黙っているときはエリカも黙った。また、みほが謝ってきたときは「別にあなたわ悪くないのよ……」と同じように返した。
二人で取る夕食の時間も、かつては暖かい楽しい食事だったのが、お互いにただ黙って食事を取る、無味乾燥なものへと変わった。
食事においてエリカとみほはかつては当番で食事を作る係を変えていた。しかし、エリカが病院から帰ってきた後はもっぱらみほが作るようになった。最初はエリカも自分で作ると言った。しかしみほは言った。
「お願い、私に作らせて……これから料理は、ううん、家事全般は……エリカさんの生活は私が面倒を見る。それが、私にできるエリカさんのためにできる数少ない事だから……」
その言葉通り、みほはエリカの生活のすべての世話をした。
掃除、洗濯、料理。
かつて共同でやってきたそれらのことを、すべてみほがするようになった。
ずっと家に引きこもるエリカとその世話をするみほの姿は、まるで介護のようですらあった。
また、一番大きな変化として、エリカは戦車道の試合に出なくなった。
たまにみほと共に外出はするものの、それ以外のときはずっと引きこもっているエリカである。それは、戦車道も例外ではなかった。
「今は、とても戦車道をする気にはなれないの……ごめんなさい」
エリカはみほに戦車道をやらない理由をそう話した。
みほはエリカを養わないといけないため、戦車道の試合に出るが、その間エリカのことが気が気でならず、戦いに以前のような精彩が欠けた。
結果、みほのチームは以前のように勝てなくなってしまった。
その姿を、エリカはただ黙ってテレビで見続けた。
そんな生活を、二人は二ヶ月ほど続けた。
「エリカさん……」
その日もエリカは、今のソファーに膝を丸めて座り、テレビを黙って眺めていた。
みほはそんなエリカに話しかける。
だが、エリカはみほに反応しない。
しかたなく、みほは話し続ける。
「……その、今日も試合行ってくるね……。あ、それと……今日はお姉ちゃんが留守中に来るから」
「……まほさんが?」
そこでようやくエリカが反応した。
みほはエリカが反応してくれたことを少しだけ喜びつつも、話を続ける。
「うん、なんかお姉ちゃん、こっちに用事があるらしくて……それで、せっかくだからエリカさんの様子が見たいんだって」
「まほさんも忙しいでしょうに……」
みほの姉、まほもまた戦車道のプロリーグの選手として活躍していた。
エリカやみほと違うのは、国の代表としていろんな国に飛んで回ることが多いということだった。
そんなまほが、久々に日本に帰ってきて、エリカの元にやって来るという。
以前のエリカなら喜んだことだった。しかし、今のエリカはそれも素直に喜べなかった。
「あなたのいない間に来るの?」
「うん……時間が合わないらしくて……」
「……そう、分かったわ」
「……じゃあ、そういうことだから……」
それだけ話すと、みほは暗い面持ちで足を引きずるように歩く。
「……それと……」
そして、扉を出る間際で、みほは言う。
「……ごめんなさい……」
それは謝罪の言葉だった。みほの積もり積もった後悔の念から、いつも口にする謝罪の言葉。
「……っち」
それを聞いたエリカは、小さく舌打ちをした。
だが、その舌打ちはみほには聞こえなかった。
「……それじゃあね」
みほはエリカの態度の変化に気づくことなく部屋を出て行く。
一人部屋に残されたエリカは、先程までのように黙ってテレビに目を向ける。
だが、その目はテレビの光を反射しているが、テレビを見ているという訳でもなかった。
「……うっ……ううっ……」
そして、エリカは突然うずくまって泣き始めた。
肩をぷるぷると震わせ、涙を静かにこぼした。
エリカの心の傷は、まったくといっていいほど癒えていなかった。むしろ、今なおエリカの心は傷つけられているのだ。
いくら日が経っても、犯された日のことを忘れることができない。むしろ、眠る度に夢に見るせいで、どんどんと記憶が色濃くなっていった。
いくら気の強い選手だったとはいえ、エリカもか弱い女性であった。それゆえ、癒えない傷口はさらに広がっていっているのだ。
そんなときだった。
インターフォンの音が、部屋の中に鳴り響いた。
「……まほさんかしら」
エリカはみほの話に聞いたまほかと思い、玄関へと足を向ける。その途中で、わずかに足がすくんだ。
――もし男だったらどうしよう……。
そんな恐怖が、エリカの体を震わせた。
エリカはあの日以来、医者や警察を除いた男性と会っていない。そもそも、医者や警察ですら、恐怖の対象に思えていた。
エリカは、すっかり男性恐怖症になってしまっていたのだ。
びくびくとしながらも、エリカは扉の覗き穴から外を見た。
そこにいたのは、間違いなくまほだった。
エリカはまほの姿を見て安心する。
そして、そのままゆっくりと扉を開けた。
「やあエリカ、久しぶり」
「どうもまほさん。お久しぶりです。さあ、中へ」
エリカは、なんとか無理して笑顔を作り、落ち着いた声でまほを中に上げた。
まほはエリカとみほの部屋を珍しいものを見るかのように首を回して見回していた。
そして、エリカがソファーの近くに椅子を用意し、そこにまほが座る。
エリカはいつものようにソファーに座る。
「それにしても本当に久しぶりですね、まほさん」
「そうだな、前の試合以来だから……それなりになるな。元気……ではないよな、すまん」
「いえ、いいんです……」
エリカの無視をして作った笑顔が少し陰る。
そんなエリカを、まほは心配そうな表情で見る。
「大変だったろう……ひどい世の中だと思ったよ、話を聞いたときは……」
「ありがとうございます、心配してくれて……」
「ああ、他でもないお前の事だからな」
そこでまほはエリカに笑顔を見せる。
その笑顔に、エリカは心から癒されるような気持ちになった。
「ありがとうございます……うっ……」
そして、そのことがあまりに嬉しく、エリカは涙を流す。
そんなエリカの背中を、まほはエリカの横に移動してきてさすった。
「ああ、大丈夫、大丈夫だよ、エリカ……」
「うう、まほさん……」
エリカは泣いた。気が済むまで泣いた。その間、まほはずっと付き合ってくれた。
そしていつしかエリカが泣き止むと、まほはエリカに聞いた。
「なあ……みほはこうして慰めてくれないのか? なんだか、あまりこういうことに慣れていないようだが……」
「みほは……そうですね。みほは私のことで自分を責めるばかりで、私とうまく距離を詰めることができていないようなんです……なんていうか、こっちとしてはそれがもどかしいような、いらつくような……そんな感じがして、最近みほとはうまくいっていません」
「そうなのか……」
まほはそこまで聞くと、エリカのほうに向き直った。そして言った。
「ならエリカ。私と……私と、付き合わないか?」
「え……ええっ!? ま、まほさん……冗談ですよね?」
「冗談ではない。エリカ、私はお前が好きだった。高校のときからな。だがお前とはすぐに離れ離れになってしまって、この思いを伝えることができなかった……。そして、そうしている間にみほがお前と結ばれてしまった。私は大変悔しかったよ。先にエリカのことを好きだったのは、間違いなく私だったと言うのに。でも、今なら言える。エリカ、私と付き合ってくれ。みほと別れて、私を選んでくれ」
まほの目は真剣だった。真剣な目でエリカの目を見て、エリカの手を握ってきた。
そのあまりの訴える力に、エリカは思わず「はい」と答えたくなってしまう。
しかし、エリカはその気持ちをぐっと抑えた。そして、答えた。
「すみません……まほさんの気持ちには、お答えできません……」
「……私がこんなになって頼んでいるのにか?」
「……はい」
「そうか……」
まほはエリカの手を握ったまま目を伏せる。
「ならば――」
そしてそのまま、物凄い力で握っているエリカの手に力を加えた。
「痛っ……!?」
「こうするまでだ」
さらに、まほはエリカをベッドの上に押し倒した。
「きゃっ!?」
エリカは悲鳴を上げる。この無理矢理押し倒される感触に、エリカは既視感があった。
そう、それはまるであのときのような――
「ま、まほさん……?」
「お前がうんと言わないのなら、私はお前の体を貪るまでだ。もう何年も我慢し続けてきた。もう、我慢できない」
「嫌……嫌あああああああああああああああああああっ!!」
エリカの頭の中で、犯された夜の事がフラッシュバックする。
その記憶の中の男とまほがあまりに瓜二つに重なるため、エリカは完全にパニックになってしまった。
「やめてえええええええっ! やめてえええええええええっ! 助けて! 誰かああああああっ!」
「ふふっ、誰も来やしないよ。昼のこんな時間だ。みんな出払っている」
「助けてえええええええええええっ! 誰かああああああああああああああっ! 助けてええええええっ!」
エリカは完全にわけもわからなくなり泣きわめいた。
そのことが、まほの心を荒立てる。
「ふふっ、そんなに私に犯されるのが嫌か……! お前を愛してやまない私だと言うのに、そんなに嫌なのか! 私はずっと自分を殺して来たんだぞ! ずっと、ずっとだ! 西住の家に生まれてからずっとだ! そんな私にやっと執着できるものができた! お前だ! だと言うのにお前は私を拒絶する! そんなの……そんなの、私が嫌だ!」
そこまで言うと、まほはエリカの服を無理矢理脱がせた。
エリカの下着が露わになる。
「あああああああああああっ! うわあああああああああああっ!」
もはや言葉にもならない声でエリカは叫んだ。
エリカの悲鳴を聞いて、まほは口元を歪ませる。
「ふふふ……すっかり犯されることがトラウマなようだな。ならそのトラウマに、新たな一ページを書き加えてやろう。私のことを、永遠に忘れられない体にしてやろう!」
まほの手がエリカの下着にかかる。
「嫌ああああああああああああああっ!」
エリカの悲鳴は、虚しく部屋に響いていった……。
「うっ……ううう……」
一時間後、ソファーの上には、さめざめと着衣の乱れた泣くエリカが横たわっていた。
その側には、ほとんど裸のまほが立っている。
「いいかエリカ。今日のことを誰にも言うんじゃないぞ。言ったら……分かるな?」
「ひっ……!? は、はい……」
まほのあまりに恐ろしい言葉と視線に、エリカは頷くしかなかった。
「ふっ、よろしい」
まほは笑顔になりながらも自らの服を着直していく。そして、服を完全に元通りに着直すと、そのまま泣くエリカを尻目に部屋から出ていった。
だが、部屋から出る直前にまほはこう言った。
「また来るからな」
その言葉は、エリカを絶望させるに十分だった。
◇◆◇◆◇
その日から、まほは定期的にエリカとみほの家を訪れるようになった。
すべて、みほのいない日を狙ってである。
そして来る度に、まほはエリカを犯した。
エリカは為す術なく犯されるしかなかった。不定期だが必ずまほはやってきてエリカを犯す。
そのため、エリカはみほがいない日が非常に怖くなっていた。
だが、みほがいる日でさえ、エリカは心が落ち着かなかった。
決してエリカとの距離を詰めようとせず、一線を保ち続けるみほに苛ついていたからである。
まほに犯され心が荒んでいるのもあった。だがそれ以上に、みほの態度はエリカを苛つかせた。
みほは事ある度に言うのだ。
「エリカさん、ごめんなさい……」
と。
その謝罪が、エリカをいらつかせた。
――なぜあなたが謝るの? どうしてそんなに卑屈なの? どうして私を助けてくれようとしてくれないの?
そんな怒りと悲しみが、みほと一緒にいるときのエリカを支配した。
やがて、エリカに心安らぐ日はまったくと言っていいほどなくなってしまった。
起きているときはみほに苛つくかまほに犯され、眠るときは夢に犯されたあの日のことを夢見る。
もはやエリカは限界だった。
そんなある日のことだった。
その日も、エリカはまほに犯されようとしていた。
「ふふふ、エリカ。美しいぞ……ああ、エリカ……」
まほの舌が下着姿にされたエリカの腹を舐める。
そのおぞましさにエリカは体を震わせたが、どうすることもできなかった。
「さあ、今日も楽しませてくれ……」
そうしてまほがエリカの下着を脱がせようと、エリカの下着に手が触れたときだった。
「お姉ちゃん……? エリカさん……?」
二人の後ろに、人影が立っていた。
まほは驚いて後ろを向く。エリカはそのまま顔を見上げる。
そこにいたのは、みほだった。
「み、みほ!? ど、どうして……」
「チームのみんなが、最近私が元気ないからたまには休めって言って……それより、お姉ちゃん、何してるの……?」
「こ、これは、その……」
言葉に詰まるまほ。その瞬間、エリカは渾身の力を振り絞って、まほを突き飛ばした。
「きゃあっ!?」
まほがみほのほうに吹き飛ぶ。そして、エリカはその隙をついて、部屋の隅へと逃げ込んだ。
「エ、エリカっ!?」
「エリカさん!」
まほとみほがエリカの元に駆け寄ろうとする。だが――
「近寄らないでっ!」
エリカは、二人に向けて言った。
「みほもまほさんも嫌い! 大嫌い! もう私に関わらないでよ!」
「エリカ、さん……?」
「エリカ……」
エリカは部屋の隅のカーテンにしがみつき、目をぎゅっとつむりながらも涙を流して言う。
「まほさんはずっと私の体を貪って! 私がレイプされてそういうのを怖がっているってのに付け込んで! 最低! 本当に最低の人間だわ! 私、まほさんがそんな人間だなんて思わなかった!」
「お姉ちゃん……そんなことを……」
「し、しかしエリカ……これもすべて私を受け入れてくれないお前が……」
「うるさい! この性犯罪者!」
エリカはピシャリと言う。その言葉とみほの軽蔑するような視線から、まほは動けなくなった。
「とりあえず、警察を呼ぶね……お姉ちゃん、もう私、お姉ちゃんのことお姉ちゃんだとは思わないから」
そうして、みほが携帯電話を取ったときだった。
「みほ、あなたもよ!」
「え?」
みほは自分にもエリカの怒りが向けられているのに驚き、電話を掛けようとした手の動きが止まった。
「みほ! あなたはずっと自分が悪いって自分を責め続けていたけど、それって結局そうすれば自分が楽だからしてるんでしょ!? 私のことなんてなんにも考えてない! そんなあなた大嫌いよ! 私が好きになった西住みほは、そんな子じゃなかった!」
「エ、エリカさん、何を言って……」
「私が好きになったみほは、もっと前向きで、明るくて、不可能も可能にするような子で……それが今のみほは何!? 後ろ向きで自罰的でその癖自分の事しか考えてなくて! まるで黒森峰が負けたときみたいな、私の嫌いだったころのあなたそのものよ! 今のあなたなんて……大嫌い!」
「そ、そんな……私はそんなつもりじゃ……」
みほはあまりのショックに携帯電話を床に落とした。そして、がっくりと膝を床についた。
「もう二人とも出ていってよ! ここは元は私の家よ!? 出ていって! そして二度と私に関わらないで! 出ていってよおおおおおおっ!」
エリカの叫びが部屋に轟く。
西住姉妹はなんの反論もすることができないまま、エリカの叫びを聞くことしかできなかった。
◇◆◇◆◇
――一年後。
エリカは大量のゴミに埋もれた部屋の中心で、電気もつけずにテレビを膝を抱えながら見ていた。
すぐ脇にはスナック菓子が置いてあり、それをポリポリと貪っている。
あの後、エリカは本当に西住姉妹を部屋から追い出した。
まほは警察に通報し逮捕され、みほは別のマンションへと引っ越していった。
そして、エリカは本当に一人になった。
一人になったエリカは本当に引きこもるようになってしまった。
必要最低限外に出ず、戦車道の試合にも出ない。
いつしか戦車道のチームからも除名され、プロ時代に稼いだお金と契約金で生活していた。
それだけで十分生活できるほど、プロ時代のエリカは稼いでいた。
そして、エリカは一人になった。
人との関係を最低限まで断絶し、かつてあった交友関係はすべて捨ててしまった。
エリカは、人と関わることが恐ろしくなってしまったのだ。
誰かと触れ合えば心も体も傷つく。そうとしか思えなくなってしまったのだ。
だからこそエリカは一人を選んだ。選べるほどの環境が整っていた。
「はあ……つまんない番組」
エリカはテレビを見ながら呟く。
そして、おもむろに立ち上がった。
「トイレ行こ……」
そうして歩き始めるエリカ。そのとき、何か硬いものを踏みつけた。
「痛っ……!」
エリカはそれを拾い上げる。
「これは……」
それは箱だった。小さな指輪ケースだった。
「…………」
エリカはそれを開く。そこに入っていたのは、ダイヤモンドのペアリング。
そう、みほに渡そうとしていた、ペアリングだ。
「……こんなもの……!」
エリカはそれをゴミ箱に投げ入れようとする。
しかし、その手が途中で止まる。
「……う……ううう……!」
そして、その場で泣きながら崩れ落ちてしまった。
エリカの手から、ダイヤモンドの指輪が落ちる。
「うあっ……ああ……!」
エリカは泣きながらそれを拾う。
そして拾った指輪を握りしめ、さらに泣き続ける。
「誰か……誰か私を助けてよぉ……」
エリカがかつて求めた永遠はもう二度と手に入らないものになってしまった。
そして、代わりに別の永遠が彼女につきまとった。
体を穢されたという事実が、瑕となり永遠の証として彼女の体に刻み込まれているのだ。
その証は決して消えることはないだろう。そして、その証が残り続ける限り、彼女は孤独と恐怖と後悔に震えながら人生を過ごしていくのだ。
エリカの苦しみは、これからも続く。彼女の命潰える、そう遠くない日まで。
「誰か……助けて……」