ガールズ&パンツァーダークサイド短編集   作:御船アイ

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桃ちゃんがお銀さん達と出会うお話です


Bottom of the Bottom

 河嶋桃が彼女と出会ったのは、高校一年のときだった。

 桃はその日、親友の角谷杏や小山柚子と、学園艦の下を探検しに来ていた。船の上については中等部からいるためもうよく知った場所だったが、船の下に関して彼女達はまだ知らないことが多かった。

 そのため、桃達は興味がつきない船の下を自分達の足で探ってみることにしたのだ。

 しかし……

 

「どこ行ったの二人共ー! うわああああん!」

 

 桃は一人はぐれ、船の底でひとりぼっちになってしまったのだ。

 船の底は複雑な構造となっており、道に慣れていない彼女がはぐれてしまった場合迷うのも無理はなかった。

 桃は涙を流しながら、暗い船底を彷徨っていた。

 

「うう……なんでこんなことに……」

 

 桃は暗い面持ちで涙を拭う。携帯電話は通じていたために連絡は取れたが、あいにく桃が自分のいる場所がよく分かっていなかったため、正確な場所を教えられずにいた。

 

「それにしても荒れてるな……学園艦の船底がこんなことになっていたなんて……」

 

 桃は船の底の荒れ様を見て言う。

 船の底は、明かりすらまともに照らされず、壁は落書きされ放題。周囲にはゴミが散乱しているなど目も当てられない状況だった。

 

「ううう……」

 

 桃はそんな雰囲気に飲まれ、今にも泣き出してしまいそうだった。

 

「おいお前」

「ひっ!?」

 

 と、そんな桃に突然声がかけられた。桃は人がいるとは思っていなかったため驚いて情けない声を上げてしまう。

 

「見ない顔だな。何者だ」

「わ、私は怪しいものではないぞ!? わ、私は……!」

 

 桃は必死に弁明しながらも声のしたほうを向く。

 すると、そこには長い黒髪を後ろでまとめ、羽根付き帽子を被ったロングコートの褐色の女生徒が立っていた。

 

「お、お前こそ何者だ! 船舶科の生徒か!?」

「ん? まあそんなところさ。それよりお前、陸の上の生徒だろう? 陸の上の生徒が、どうしてこんなところに?」

 

 船の上を陸の上と呼んでいるのを桃はなんとなく察した。

 妙な呼び方をするものだとこっそり思ったが、それを口に出して言うことはなかった。

 

「わ、私はその……迷って……」

「ふっ、迷い込んだ魚というわけか、面白い。興味が沸いた。ちょっとついてきなよ、ここは陸の上の子にとっては、少し危ない」

 

 褐色の生徒はそう言うと、桃に背を向け歩き出す。

 

「お、おい待て!」

 

 桃はその背中を慌てて追う。そしてその道中で、他の生徒も見た。

 そして桃は驚いた。そこにいる生徒達は、皆非常に荒れており、今にも桃に襲い掛かってきそうな雰囲気をもった、野獣のような生徒ばかりだったからだ。

 そこには規律や風紀と言ったものは存在せず、たた無秩序な空間だけが広がっていた。

 桃はその光景に怯えて声も出せず、ただ目の前の褐色の生徒にぴったりついていった。

 そして、桃は人気のない空き教室のようなところに案内された。

 

「ここならいいだろう。さ、座れ」

「お、おお……」

 

 桃は促されるまま座る。

 すると、褐色の生徒もまた、桃の前に向かい合うように座った。

 

「さあ、何から話そうか。せっかく陸の上から来たんだ。陸の上のこと、いろいろ教えてくれよ。そうしたら、ここの出口を教えてあげるからさ」

「わ、わかった……」

 

 桃は怯えながらも陸の上、つまり普通の学園艦の生活について教えることにした。

 最初は教えることなどあるのだろうかと思ったが、桃が話す内容を目の前の褐色の生徒は嬉々として聞いてくれた。

 そうしていくうちに、桃はだんだんと怯えがなくなってきた。

 目の前の褐色の彼女が話しやすい雰囲気を作ってくれたおかげかもしれない。

 そして、ある程度話すと、褐色の彼女は満足気に頷いた。

 

「なるほど、ありがとう。やはりこちらとは随分環境が違うな」

「そうなのか……」

「ああ、正直こっちの生活は肥溜めみたいなものさ。……さあ、私は満足した。だから、ここの出口を教えよう」

「ありがとう……なあ」

 

 褐色の生徒が立ち上がったとこで、桃は彼女を呼び止めた。

 

「ん? なんだ?」

 

 そして、聞いた。

 

「名前、教えてくれるか? せっかくの縁なんだ。私もお前のこと、少しは知りたい」

「ふっ、名前を知りたかったら、まずは自分から名乗るのが礼儀なんじゃないか?」

「……それもそうだな。私は桃だ。河嶋桃」

「桃か、いい名前だな。私はお銀。竜巻のお銀」

 

 それが、桃とお銀の出会いだった。

 

 

 桃はその後お銀によって案内され船底を脱出するも、どうしてもお銀の事が頭から離れなかった。誰も船底にいる船舶科の生徒達について何も知らなかったからだ。

 友人の杏や柚子はもちろん、船の上層にいる船舶科の生徒達ですら底の生徒達に関しては知識がなかったのだ。

 桃はこれを異常だと思った。

 唯一知っていたのは、風紀委員の生徒だった。風紀委員の生徒曰く、船底は「大洗のヨハネスブルグ」などと呼ばれており風紀委員ですら近寄らない場所なのだという。

 だが、どうしてそんなことになっているかと聞くと、風紀委員もそれは分からないと答えた。

 桃はますます気になった。なので、今度は自分の意志で船の底へと行き、話を聞きに行くことにした。

 今度はしっかりと道順を覚え、地図も確認したために迷うことなく船の底へと行くことができた。

 

「……これは……」

 

 桃は改めて船底に行って唖然とする。

 意識をして見ると、本当にひどい荒れ様だった。まず空気からして、上層とは違う。

 下層の空気は非常に淀んでおり、気分が悪くなりそうなものだった。

 このあからさまな環境の差は、いったいどういうことかと考えた。

 しかし、そんなことで足踏みはしていられないと桃は思った。桃は船底の奥に進み、お銀を探すことにした。

 他の生徒の目が痛く、恐ろしかったが、桃はなんとか無視して進んだ。

 

「おい」

 

 すると、以前と同じように、突然桃に声がかけられた。

 

「ああ、お銀! 会いたかったぞ!」

 

 そこにいたのはやはりお銀だった。桃は顔を明るくして言う。

 

「どうした? また迷ったのか?」

「いいや違う。今回はお前に会いに来たんだ」

「私に? 面白いことを言うものだな。私に会っても何も面白いことなどないぞ」

 

 お銀は不敵に笑いながら言う。

 桃はその言葉に頭を横に振った。

 

「いいや、それを決めるのはこの私だ。とにかく、お前の話を聞かせてくれ」

「ふむ、おかしなことを言う……まあいい。ついて来な。ここはちょっと危ない」

 

 お銀はそう言って以前と同じように桃を先導する。

 やがて桃は以前と同じく誰もいない空き教室へと案内された。

 

「それで、私の話を聞きたいって?」

「ああ、ぜひ教えてくれ。ここのこと。そして、お前のことを」

「酔狂なことを言うな。どうして知りたいんだい?」

「どうしてって……それは……とにかく、知りたいんだ!」

 

 桃ははっきりとした理由を言うことができなかった。

 とにかく知りたい。それが今の桃に言える言葉だった。

 こんなあやふやな理由では答えて貰えないのではないか、と桃は思った。しかし、桃の言葉にお銀は笑った。

 

「はははっ。面白いね。いいよ、教えてやろう。私達のこと、そしてこの船底のことを」

 

 そうしてお銀は語り始めた。

 その内容は、驚くべきものだった。

 

「ここは船舶科でも一番の汚れ仕事をするところなのさ。いわゆる過酷な肉体労働とかだね。上層の子達じゃとてもできないような、それはそれは辛い仕事さ」

「どうしてそんな仕事をお前達が……」

「さあ」

「さあって……」

「実際、理由なんてないよ。私達は生まれたときからこの船底にいて、そうやって働くことを決められていたんだから」

「生まれた、ときから……!?」

「ああ。私達は親の顔も知らない。ただ、生まれたときからこの暗い船底にいて、働くことを宿命付けられていた。私達は、生きた歯車なのさ」

「そんな……」

 

 桃は言葉を失う。

 学園艦というものが、そんな非人道的な労働を容認していることを桃は信じられなかった。

 桃にとって学園艦は素晴らしい場所だった。しかし、今こうしてお銀の事情を聞くと、そのイメージが破壊されていった。

 さらにお銀は話す。船底の劣悪な環境について。

 

「ここは衛生環境も悪い。体力がないやつはすぐに病気になってしまう。そして、あっという間におっ死んじまうのさ」

「死ぬって……そんな簡単に……」

「簡単なことなのさ。私達は、ここでは消耗品なんだ。言ったろう? 私達は生きた歯車だって」

 

 桃はもう言葉を継ぐことすらできなかった。

 聞くべきではなかったのではないか。そんなことすら思い始めた。しかし、桃はぶんぶんと頭を振って、その考えを頭の中から出した。

 

「認めない……私は認めないぞ!」

「ん? 認めないって、何を……」

「そんな環境がまかり通っていることをだ! 私は学園艦が好きだ! だから、そんな環境があることなんて許せない! 私は、絶対に許さない」

「許さないからってなんなのさ。その環境を変えることができるとでも?」

「できる!」

 

 桃は大きな声で言った。

 お銀は、その剣幕に気圧される。

 

「……随分と啖呵を切るねぇ」

「当然だ! 私はやってみせるぞ! いや私一人の力では無理かもしれないが……それでもやってみせる! 待っていろお銀、今に目のもの見せてやる!」

 

 そう言って桃は船底から出ていった。

 その背中を見て、お銀はふっと笑った。

 

「なんだか、面白い人だ……」

 

 

「二人共! 頼む! 私と一緒に生徒会に立候補してくれ!」

 

 桃はその日の夜、杏と柚子にそう言って頭を下げた。

 

「えっと……どうしたの河嶋、突然さ?」

 

 杏が頬を書きながら言う。当然だろう。突然船底に行ったと思った桃が、さらにいきなりそんなことを言い出したのだから。

 

「お願いだ! 私にはやりたいことができた! この学園のために! でも、馬鹿な私じゃ一人では何も出来ない! そのためには、二人の力が必要なんだ! 頼む!」

 

 桃は頭を下げながらも、声を張り上げて言った。

 そんな桃を見て、杏と柚子は顔を見合わせる。

 そして、その頭を下げる桃の肩を、ぽんと柚子が叩いた。

 

「……うん、いいよ。桃ちゃんがそこまで言うなら、やってあげる」

「本当か!?」

「うん、私もいーよー。会長って好き勝手できて楽しそうだしねー」

「二人共……ありがとう!」

 

 こうして、桃と杏、柚子の三人は生徒会選挙に出馬し、一年でありながら圧倒的な人気を集めて生徒会選挙に当選することとなった。

 そして、それから桃は生徒会として力を尽くした。

 学校の生徒達が心地よく生活できるよう、様々な配慮を杏達と共にしていった。

 そして、それと同時に桃が生徒会役員になろうと決めた目的のためにも動き出していた。

 それは、船底の環境改善だった。

 桃は広報という身でありながらも柚子に協力してもらい費用の流れなどを調べた。

 すると、船底の生徒達には殆ど資金が回っていないことを突き止めた。

 桃はこれこそが船底の環境悪化の原因の一つだと思った。船底は本当に放置されている状況を改善せねばと思った。

 そこで桃は、会長となった杏に掛け合い、船底の環境改善のための資金を用意するように掛け合った。

 それは最初、なかなかうまくいかなかった。大洗学園艦は裕福な学園艦とは言えない。そのため、使える資金には限りがあった。

 しかし、そこは副会長となった柚子の上手な工面のお陰で、ある程度資金が浮いたために、そのお金の殆どを船底に回すことができた。

 結果、船底の環境改善を図ることができるようになった。

 なので、桃はさっそく環境改善に取り組むことにした。

 

「おい、お銀はいるか?」

 

 桃は船底にまたも行き、今度は恐れることなく自分からお銀を探した。

 

「あぁ? なんだてめぇ? お頭になんの用だぁ?」

 

 ガタイのいい生徒が桃に因縁をつけてくる。桃は正直怖かったが、それでも船底のためにと勇気を振り絞り、言う。

 

「私はお銀に大切な用があってきた。生徒会広報の河嶋桃だ。お銀はどこだ」

「ふっ、そう簡単に教えるわけには――」

「そこまでにしておけ、ムラカミ」

 

 そこで、ムラカミと呼ばれたガタイのいい生徒の後ろから、お銀が現れた。

 お銀は相変わらず悠然とした様子で立っていた。

 

「やあ桃。久しぶり……というほどでもないね。どうしたんだい今日は?」

「ああ、実はお前達に提案があって来た」

「提案?」

 

 お銀は不思議そうな顔で返す。そんなお銀に、桃は言った。

 

「学園艦下層部の、環境改善だ!」

「環境改善……?」

「ああ。私は生徒会になり、この船底のための資金を集めてきた。あとは、どんな改善をすればいいか計画を立て、それを実行するだけだ。だから、そのための知恵をどうか貸してくれ、お銀」

「あんた、本当に私達のために……!?」

「当然だ。言っただろう。こんな環境、私は認めないってな」

「……ふふっ、あっはははははははは!」

 

 お銀は大声で笑い始めた。そして、少しの間笑い続けると、笑いによる涙を拭って、言った。

 

「あんた、本当に凄い人だね! 尊敬するよ……よし、その話乗った。私もあんたに協力させてくれ、いや、させて欲しい。お願いだ桃、いや……桃さん」

「ああ、当然だ」

 

 二人はそう言ってガッチリと握手を交わした。

 

 

 こうして、学園艦下層部の改造計画が始まった。

 最初にお銀が船底の設備について説明した。船底の環境は桃が思っていた以上に荒れていた。その修理には、大規模な工事が必要だった。

 桃はそれを柚子の助けを借りて見積もってみたが、予算的にはあまり問題はなさそうだった。

 そのため、さっそく他の生徒会や学園艦にいる各部活に協力してもらい改造工事を行うことにした。

 最初に取り掛かったのは水回りの工事だった。学園艦下層部は、まずもって水質が酷かった。

 しっかりと浄水された水が使われておらず、それは病人が出てもおかしくないものだった。

 なので、まずは水を学園艦上層部と同じ水準にまで引き上げた。

 そしてその後は、空気の循環を正常にした。学園艦下層部は、空気循環も劣悪であり、汚れた空気がかなり溜まっている状況だった。

 それを、しっかりとした換気装置を取り付けることにより改善した。

 そしてさらに改造を行ったのが、彼女ら船舶科の生徒達の仕事場だ。桃は仕事場を観察して驚いた。その仕事が、かなりの部分で人力に頼っていたからだ。桃はその仕事場に多くの機械を導入した。どうしても人力でやらなければいけない部分が多々あるため機械を入れられたのはごく僅かなところであるが、それでも労働環境はマシになった。

 あいにく、水と空気、そして労働環境の改善に大部分のお金を使ってしまったため、汚れた壁面や廊下の掃除にまでは手が回らなかった。

 それは、お銀が壁や廊下はそのままでいいと言ったのもある。

 

「小奇麗すぎると逆に落ち着かなくてね。ここにいる連中には、これぐらい汚いほうがいいのさ」

 

 桃は最初それでいいのかとも思ったが、お銀が少しばかり残った予算を使いたい道があると言ったので、それを了承することにした。

 しかし、桃はお銀のその予算の使い道で驚くことになる。

 

「な、なんだこれは!?」

 

 桃は驚いた。なんと、船底にいつの間にかバーが作られていたからだ。

 

「なんだって、バーだよ。こういう場所がどうしても欲しかったのさ。大丈夫、従業員は確保してある」

 

 お銀がそう言って指差した先には、ヒラヒラのカチューシャをかぶりベストをまとった生徒がシェーカーを振っていた。

 

「……生しらす丼のカトラスです、よろしく」

「あ、ああ……よろしく……じゃなくて!」

 

 桃は流されそうになりながらもなんとか気を取り直し言う。

 

「他に使い道はなかったのか!? もっとこうしたいとか、ああしたいとか、いろいろあったんじゃないのか!?」

「いいや、私達にはこれで十分だよ桃さん。仕事終わりの疲れを一杯のノンアルコールカクテルで癒やす場所があれば、それでいい……そう、それでいいのさ」

 

 そう言って、お銀はカトラスから渡されたノンアルコールカクテルをぐいっと一杯飲んだ。

 その様子に、桃は苦笑いしながらも、そういうものかと自分を納得させた。

 こうして、学園艦の下層部は大きく環境が改善された。あいにく生徒達の風紀は改善されはしなかったが、少なくとも下層にいる船舶科の生徒達が日々の生活に余裕を持って生活できるようになった。

 桃は一度の改善で満足せず、生徒会において杏に掛け合い、下層部用の費用枠を作り上げた。下層部の環境の維持、改善に努めるための費用だ。

 そうした桃の努力あって、船底は以前よりもかなり住みやすい環境へと変わっていった。

 桃は船底に定期的に見回りを行うようになった。そうしていくうちに面白い変化があった。

 桃が船底にいくと、普段荒くれている船舶科の生徒達が皆桃に頭を下げるのだ。

 それだけ、船舶科の生徒が桃に感謝をしているということであった。

 それはお銀達もそうであった。

 

「ああ! 桃さん! いらっしゃい!」

「ああ、来たよお銀」

 

 お銀が余った費用で作ったバー『どん底』の常連客に桃はなっていた。

 そこでは、お銀が明るく桃を迎えた。

 

「漕いでー。漕いでー」

「おっ、フリント。今日もいい声してるな」

 

 桃は『どん底』で歌っている長髪のスレンダーな生徒、フリントに向かっていった。

 フリントは歌いながら桃に向かって会釈した。

 

「あっ桃さん! ちぃーっす!」

 

 バーのカウンターでそう言ったのはラムという生徒だった。もこもことした頭が印象的だ。

 

「やあラム、今日も飲んでるな」

「そりゃもう! へへー」

「それで桃さん。今日はどんな用で?」

 

 お銀が桃に聞く。

 

「いや、これといった用はないよ。ただ、ちょっとみんなの顔を見に来ただけだ」

 

 桃はそう答える。

 そうして、カトラスに一杯のノンアルコール酒を頼む。

 それが、桃の生活の一部となっていた。

 船の底での時間は、桃にとって大切な時間の一つとなっていた。こうした時間が続けばいい。桃は船の底でそう思った。

 そうしていくうちに、あっという間に二年の時が流れた。

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……廃、艦……?」

 

 桃は言葉を失った。目の前の役人の言った言葉が信じられなかった。

 

「ええ、だから大洗学園艦は、今年度を持って廃艦になると決定しました」

 

 話はこうだった。文科省は学園艦の再編を執り行っており、その最初の対象に大洗学園艦が選ばれたのだと。

 一体どうすれば廃艦が免れるのか。桃達は役人に食い下がった。

 そこで会長である杏が、役人に戦車道の大会で優勝すれば廃艦はなしだと約束を取り付けた。

 話はそこでひとまず終わりだと思った。

 だが、帰り際で役人は言った。

 

「そうそう、あなた達は船の下層部に費用を回していたようですが、それは今からでもやめたほうがいいでしょう。はっきり言ってその予算の無駄遣いが大洗学園艦の廃艦の理由の一つになったとも言えます」

「な、なんだと!?」

 

 桃は怒り心頭となり立ち上がった。

 

「下層部の生徒のためにお金を使うことの一体何が無駄だと言うんだ! あいつらだって大洗の大切な生徒なんだ! それを無駄だなんて……!」

「……はぁ」

 

 桃がそう言うと、役人はこれみよがしにとため息をついた。

 

「一応聞いておきますが、下層部に資金を回そうと考えたのは誰ですか?」

「……私だが」

 

 桃が嫌々ながらに言う。

 すると、役人は無表情に言った。

 

「……そうですね。あなた達には一応話しておきましょうか。学園艦の下層部というもののことを」

「……は? 一体どういうことだ……?」

「まあまて河嶋。……教えてもらおうじゃありませんか、その話」

 

 杏が桃を止めて言った。

 すると、メガネをクイと上げて役人は話し始めた。

 

「いいですか。学園艦の運営というものには莫大な費用がかかります。そのために削れるものは削っていかなければなりません」

「なんだ!? そのためにあいつらには犠牲になれっていうのか!? それは教育機関としてどうなんだ!」

「河嶋」

 

 桃が食いつくも、杏が手を出して制止する。どうやら役人の話にはまだ続きがあるあらしい。

 

「そして、学園艦という巨大な船を動かすには人手がいります。しかし、上層部の仕事ですら生徒で回すような学園艦に、下層に回す人的余裕はありません。そのために、我々は作ったのです」

「作った……? 何を……」

「『人間』を、ですよ」

「は……?」

 

 桃達は最初その意味が分からなかった。だが、役人の次の言葉に、桃達は目を見開くことになる。

 

「だから我々は作ったのです、人工的に『人間』を。正確には母体となる人間から細胞を抽出し、そこから未受精卵にその細胞核を移植することによって作り上げる……ようはクローンと言われる技術ですね」

「ちょ、ちょっと待て!? じゃあ何か!? あいつらは、試験管から生まれたとでも言うのか!?」

「察しが良くて助かります」

「そ、そんな馬鹿な話……!」

 

 桃は否定しようとするも、役人はとても冗談を言っているようには思えなかった。

 

「あなたが信じても信じなくてもこれは事実なのです。そして、彼女らの命は非常に短命。おそらく、二十歳を迎える前に死ぬでしょう」

「な……!?」

 

 桃達三人は、あまりに衝撃的すぎる事実に言葉を失った。

 そんな三人を前に、役人は淡々と述べる。

 

「だからこそ、無駄だと言ったのですよ。消耗品にすぎない彼女らのために資金を回すなど、無駄もいいところです。というか、そうでもなければ人間をあんな劣悪な環境に押し込むわけがないでしょうに。もう廃艦になる学園艦ですが、残り僅かな期間を有意義に過ごせるように、忠告しておきますよ。それでは」

 

 そう言って役人は去っていった。

 応接間には、突然衝撃の事実を告げられ、唖然とした三人だけが残った。

 

 

「…………」

「どうしたんだい桃さん? 今日は暗いね」

 

 その日の夜、桃はバー『どん底』に来ていた。

 突然いろいろなことを通告され、頭がパンクしそうになっていた彼女は、いつしかそこに訪れていたのだ。

 

「……ああ」

「何かあったのなら話して欲しい。私達は桃さんに恩義を感じているんだ。できることなら、力になりたい」

「そうですよ! 私達、桃さんのおかげでこんな楽しい生活ができてるんです! いつでも力になりますよ!」

「はい! なんでもいってください桃さん!」

 

 お銀に続いてフリントとムラカミが言った。

 桃はそんな彼女らを見てつい聞いてみたくなってしまう。

 ――お前達は自分の命が短いのを知っているのか? と。

 だが桃はその言葉をぐっと抑えた。

 知らなかったら非常な現実を彼女らに教えることになるし、知っていたら今までの関係が崩れかねない。そうなってしまっては、彼女らにとってこの憩いの場となっている空間を壊してしまうかもしれない。

 桃はそれが嫌だった。そして何より、そのことを聞いて現実を受け止めることが、桃は怖かった。

 

「……いや、なんでもない。ちょっと疲れているだけだ」

 

 だから桃は嘘をつくことにした。彼女らには最後のときまで楽しく生きて欲しい。それが桃の願いだった。

 そして、そのためにはどんな手段を使っても学園艦を存続させなければいけない。学園艦というもののシステムを変えなければいけない。

 桃は心の中でそう誓った。

 しかし、どうすればいいのか桃達には分からなかった。だが、そこで桃達にとって救世主が現れた。

 それは、西住みほという生徒であった。

 戦車道の名門である黒森峰の元生徒であり、戦車道の名家である西住流の娘。そのみほがいれば勝利は間違いない。そう思い、桃達は強硬手段を取ることになった。

 そこには、学園艦のために、そして、お銀達のためにという強い意志があった。

 そしてみほによって大洗は救われることとなる。

 その後、また一つ大きな騒動があるとも知らずに。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……相変わらず何度読んでも心外だ!」

 

 桃は大声を上げて、渡された新聞を見た。

 そこにはこう書かれていた。

 

『河嶋桃さん、留年決定か!?』

 

 大洗がみほの活躍によって無事大会で優勝、さらにその後に訪れた大学選抜チームとの戦いでも勝利を収め、学校の存続が決まった。

 しかし桃はそれでも盤石ではないと思い、日々学園艦のために奔走した。

 その結果、桃は勉学が疎かになってしまい、入れる大学がないという状況になってしまった。

 それを、大げさに新聞部が捉えたらしい。桃はそのことに頭を抱えた。

 

「あの馬鹿共め……!」

「まあまあ河嶋。これも河嶋の勉強不足のせいだしさー」

 

 怒り心頭になっている桃に杏が言う。

 杏に言われ、桃はなんとか頭を冷やした。

 

「うう、しかし、入れる大学がないのは辛いとはいえ、学園艦のために尽力していてはどれだけ時間があっても足らないというのに……」

 

 それはお銀達のことを思ってのことだった。

 桃はお銀達が楽しく過ごせるように毎日のように気を配った。その結果、船底の環境はかなり改善され、今では風紀がかなり乱れていることを除けば上層とあまり変わらない環境になりつつあった。

 しかし、いくら環境を改善しても彼女らの寿命が伸びるわけではない。

 そう考えると、桃はどこか虚しさを感じる部分もあった。

 

「……なあ河嶋。あいつらのことを考えるなら、より一層大学に入るべきだと、私は思うぞ」

「な、なぜですか!?」

「いいか、問題の根はかなり深い。それこそ、学園艦というシステムの根幹に関わってくるんだ。それを変えるには、偉くなるしかない。そして偉くなるには、最低限大学を出る必要がある。そうだろう?」

「な、なるほど……」

 

 桃は杏の言葉に納得した。大学は自分だけの問題だと思っていた。しかし、そこにあるのはもっと大きな問題だった。

 お銀達のような人間が世界中にいて、それを救うことができるならば、大学に行く必要が出て来ると桃は思った。

 

「ただいま戻りましたー!」

 

 そんなときだった。生徒会室の扉を、現在の生徒会副会長である秋山優花里が力強く開いた。その後ろには、みほ、友人の冷泉麻子、現生徒会長の五十鈴華、広報の武部沙織がいた。

 

「おお、戻ったか」

 

 桃は出迎える。

 みほ達は戦車を探しに船底にまで行っていたのだ。本当は桃が行きたかったのだが、桃は勉強をしていろと周囲の人間に言われたために諦めた。

 

「それで収穫は……」

 

 と、そこまで桃は言って驚いた。

 そこには、陸の上では初めて見る者達が立っていたのだ。

 

「お銀……!」

 

 そこにはお銀達、バー『どん底』の常連が立っていた。

 

 

「……本当にいいのか」

 

 桃は、地上に上がってきたお銀達を人のいない空き教室に個人的に呼び出していた。

 沈痛な面持ちの桃に比べ、彼女らは余裕と言った笑みを浮かべている。

 

「いいって?」

「無限軌道杯に参加することだ! お前達にとっては面倒事でしかないんだぞ?」

「それはそうだが……でも、これは私達が桃さんのためにしたいと思って決めたことだ。私達はむしろやらせて欲しいとすら思ってる」

「しかし、こんな馬鹿な私なんかのために……」

 

 桃はそう言いながら俯く。

 そこには、お銀達のために何もできない自分への不甲斐なさがあった。

 そんな桃の肩をお銀が叩く。

 

「桃さん、どうしてそんな自分を卑下するんだ。桃さんは立派だ。船底でくすぶっているしかない私達に、人並の生活をくれた。それだけで、私達は返しきれない恩義を感じているんだ」

「だが……だが……」

 

 桃はそれでも納得できなかった。

 彼女達の残り少ない命を、自分のことで消費してもらいたくなかった。

 

「……もしかして、私達の寿命が短いことで悩んでるのか?」

 

 しかし、突然お銀から言われたその言葉に、桃は驚愕した。

 

「なっ!? し、知っていたのか!?」

「ああ、私達は生まれたときから本能的にそのことを知っていた。しかしなぜかは分からなかった。だから調べた。生まれてからずっと下層にいる船舶科の生徒が卒業してからの足取りがまったくつかめないからおかしいとは思っていてね。上層の船舶科の生徒で偉くなったやつがいたから連絡して調べてもらったことがあったんだ。そして……知った」

 

 お銀は教室の窓から外を眺めながら言った。

 フリント達は教室の机の上に座ったり、壁に背中を預けていたりしている。

 皆その表情に、普段の快活さとは違った、影のある笑みを浮かべていた。

 

「最初知ったときは、思った以上に心が波立たない自分がいて驚いたね。むしろ納得したのさ。どうしてこんな船底で私達はくすぶっているのか、ってね。以前見たある映画で言っていた。『卵は自分の運命を知らない。鶏になるのか卵焼きになるのか』とね。しかし私達はそれを知っていた。つまり、私達は卵よりも哀れな存在というわけさ」

「どうして……どうしてそのことをそんな笑って話すことができるんだ!」

 

 桃はお銀に掴みかかった。

 その桃の顔は、泣いていた。涙を流しながら、お銀の胸ぐらを掴んでいた。

 

「お前達の命なんだぞ!? かけがえのない、大切な命なんだぞ!? それを、それを……!」

「桃さん……」

 

 お銀は自分の胸ぐらを掴む桃の手にそっと自分の手に重ね、言った。

 

「ありがとう」

「……っ!?」

 

 そのお銀の顔は、とても穏やかなものだった。

 

「私達には、それで十分なんだ。桃さんが使い捨てにすぎない私達のために頑張ってくれたことだけで、私達は救われた。だから、桃さんが涙を流す必要なんて、ないんだよ」

 

 その口調は普段の雄々しいお銀からは考えられない、穏やかなものだった。

 まるで泣く赤子をあやすかのようなものだった。

 そこに桃は、もうお銀達が自分の運命を受け入れていることを悟った。

 

「こんなの……こんなのあるかぁ……こんなことが、こんなことが……」

 

 桃はお銀を放すと、床にがっくりと崩れ落ちる。

 お銀は床にぺったりと座る桃に視線を合わせ、ぽんと肩を叩いた。

 

「でも、そうだな。一つだけお願いがある。私達に、生きた証を作らせてくれ」

「生きた、証……?」

「ああ、そうだ。それは桃さんが私達のことを忘れずに生きてくれることだ。桃さんが私達の力で大学に行って偉くなってこのふざけた制度をどうにかしてくれ。そうしてくれれば、私達が生きたことは無駄じゃなくなる。意味が生まれる。だよな、みんな!」

「ああ!」

「もちろん!」

「その通りだ!」

「……うん」

 

 お銀の言葉にムラカミ、フリント、ラム、カトラスがそれぞれ答える。

 桃は、光差し込む教室で、彼女達がそれ以上に眩く見えた。

 

「お前たち……」

「さあ、顔を上げてくれ桃さん。桃さんが立ち上がってくれなきゃ、私達は頑張れない。私達に、生きる勇気を与えてくれ」

「……ああ、分かった。私は生きる。そして努力する! 私がお前達生きた証明になる! それが、今の私にできる全力だ!」

 

 桃は涙を拭い立ち上がった。

 その目には、力強い意志が篭っていた。

 

「ああ、それでこそ私達の桃さんだ!」

「桃さん最高!」

「桃さん万歳!」

「桃さん! 桃さん!」

 

 お銀達のコールが桃を囃し立てる。桃はその声を聞いて、顔を赤くした。

 

「や、やめろ恥ずかしい!」

 

 桃は両手を振りながら照れ隠しをする。しかし、その表情には確固たる意志があった。

 こうして桃達は、無限軌道杯に桃の進学をかけて挑むこととなった。

 

 

「……うっ!」

 

 その空き教室での桃との誓いの帰り、お銀は船の下層の通路で壁にもたれかかった。

 

「お頭!?」

 

 ムラカミがお銀に駆け寄る。

 

「お頭! 大丈夫ですか!?」

「ああ、大丈夫だ……」

 

 お銀はなんとか体を起こしながら心配するムラカミ達に手を向ける。

 その額には、玉のような汗をかいていた。

 

「そんな、大丈夫そうには……」

「いや、いいんだ。大丈夫じゃなきゃならないんだ。桃さんが勝利を手にするまでは……!」

 

 お銀達に残された時間は、残り僅かだった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

『大洗女子学園の勝利!』

 

 試合会場に高らかと審判の声が響き渡る。

 その日、大洗女子学園は勝利した。無限軌道杯の決勝戦に、である。

 

「やったあーーーーー!」

 

 みほ達大洗の生徒達は勝利の喜びに声を上げる。

 その中、主役であるはずの桃は一人走っていた。

 これまでずっと協力してくれた、お銀達の姿がいつの間にか見えなくなっていたのだ。

 桃はそのことになんだか嫌な予感を感じ、お銀達を探していたのだ。

 桃はくまなく探し回った。試合会場には戦車だけはあったが彼女達の姿はなかった。そのため、桃は学園艦を探すことにした。

 少なくとも学校では彼女達を見つけることはできなかった。

 いったいどこにいるのか。桃は考えた。そして思いついた。

 桃は、学園艦の下層部へと向かった。

 そして、桃の勘は当たった。桃が訪れた場所は、最初に桃がお銀に連れられた空き教室だった。

 

「お銀……!」

「ああ、桃さん……」

 

 教室にはお銀だけだった。桃はそのお銀の姿を見て、言葉を失った。

 お銀は暗い教室の中で、ぐったりと椅子に座っていたのだ。

 

「お前、もしかしてもう限界が……!」

「……そうだね。他の奴らはもうすでにそれぞれの逝く場所を決めて、去っていった。……私達が暗い船の底にいるのは、もう一つ理由があってね」

 

 お銀はなんとか立ち上がり話そうとするも、転びそうになる。

 桃は、そのお銀の体を支えた。

 

「お、おい……!」

「私達の体は、外の太陽の光に長い間耐えられないようになっているらしいんだ。そういう風に、遺伝子をいじられているらしい……まったく、本当に意地が悪いね……!」

 

 お銀は桃に支えられながらも、ガクリを膝を落とし床に倒れそうになる。

 それを、桃は間一髪のところで支え直した。

 

「そ、そんな……じゃあ、それを知って私を助けに……?」

「ああ、そうだ……」

「……馬鹿! たかだか私の大学のためなんかに、そこまでする必要なんてないだろう!?」

「言っただろう桃さん。私達は、生きた証が欲しかったのさ。このまま船の底で命の炎を燃え尽きさせるぐらいなら、何か華を咲かせたい。そう思った。それに、桃さんと一緒に戦いたかったというのもある。それを果たせたことで、私は満足なのさ……」

 

 お銀は桃に連れられながらゆっくりと教壇に向かって歩く。そして、教壇の中からあるものを取り出した。

 それはいつもお銀が咥えていたパイプだった。

 お銀はパイプを咥えようとするも、それをポトリと床に落とした。

 

「……すまない、そのパイプを拾ってくれないか桃さん。最後には、パイプを吸っていたい……」

「あ、ああ……」

 

 桃はパイプを拾い上げ、お銀の口に咥えさせる。

 

「ああ、クソ。死にたくないなぁ……。せっかく楽しくなってきたところだっていうのに……」

 

 お銀の瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 それは、今まで誰にも見せたことのない、お銀の弱さだった。

 

「お銀……」

「……でも、こうして尊敬する人に最後を看取ってもらえるなら……それも……悪くは……な……」

 

 そう言いかけたところで、お銀の口からパイプが落ちた。

 

「お銀……? お銀ーっ!」

 

 桃の叫びが、学園艦の下層部に虚しく響き渡った。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……は?」

 

 桃は自分の耳が信じられなかった。

 その言葉は嘘だと思いたかった。だが、目の前の男は非常にもその宣告を桃に告げた。

 

「ですから、あなたのAO入試には無限軌道杯の結果は考慮しないと言っているのです」

 

 目の前の男は文科省の人間だった。無限軌道杯を終えた桃に、直接そのことを通告しに来たのだ。

 

「な、なんでだ!? 無限軌道杯では優勝しただろう!?」

「ええ。しかし、それはあなたの実力ではなく西住みほさんの指揮によるものでしょう? そこの調べはついているのですよ。学校側としてはそういった不正を許すわけにはいきません」

「不正って……た、確かに私の実力ではないが……!」

 

 桃は焦った。自分のことだけなら問題ない。しかし、自分が大学に進めないことはお銀達の努力が無駄になるということである。

 それだけは避けたかった。

 

「お、お願いだ! そこをなんとか……!」

「無理ですね。お諦めください」

 

 男はそう言って来訪した学園艦の応接間から出ていこうとする。

 桃はその体にしがみつき、引きさがった。

 

「お願いだ! そこをどうにか頼む! 私一人の問題ならいい! でも、私以外のみんなが頑張ってくれたことなんだ! あいつらが、命をかけてくれたことなんだ! だから!」

「残念ですが……ああそうだ、言っておきましょう。下手にシステムを変えようとすると、手痛いしっぺ返しを食らう、とね」

 

 そう言って男は桃を振り払った。

 

「うっ! き、貴様ぁ!」

 

 振り払われた桃は、応接間の床に尻もちをつく。そんな桃に目もくれず男は出ていき、部屋には桃一人が残った。

 

「うっ……うわああああああああああああああっ!」

 

 桃は応接間で一人泣いた。

 それは、紛れもなく悔しさからの号泣だった。

 結局何もできなかった、自分のふがいなさからくる涙だった。

 

 

 ――数年後。

 桃は、未だに学園艦にいた。

 

「おい河嶋ぁ! もっと速く!」

「は、はい!」

 

 もちろん生徒としてではない。今の彼女は、学園艦に住み込みで働いていた。

 桃は学校を卒業後、学園艦に住み込みで働くことを決めた。

 それは、就職の進路の道が限られていたのもあったが、一番の決め手は下層部の生徒達の事だった。

 お銀達が死んだ後、桃はどうしてもお銀達の事が頭から離れなかった。

 そして、お銀達の事を思えば思うほど、桃は学園艦から離れることができなくなっていた。

 桃の中では、もうお銀達はかけがえのない一部になっていた。

 だから桃は、学園艦に住み込みで働くことを決めた。

 彼女達が過ごした場所で、彼女達が経験した苦労を味わうことが、彼女達に近づく道だと桃には思えたからだ。

 

「ふぅ……」

 

 その日も桃は仕事を終え、帰路についていた。

 その日は深夜の仕事だったため、朝帰りになっていた。

 桃の帰り道には、反対方向から多くの生徒が歩いている。ちょうど通学時間のようだった。

 

「…………」

 

 桃はその生徒達を見て、胸に懐かしさがこみ上げる。

 昔の楽しい学園生活、そしてお銀達との出会い。そのことを考えるだけで、桃は泣きそうになった。

 

「――でさー」

 

 と、そのときだった。

 桃の目の前からやってきた生徒に、桃は目を見張った。

 そこにいたのは、長い黒髪を揺らす褐色の生徒だったからだ。

 

「お銀!?」

 

 桃はその生徒に駆け寄り、肩を掴む。

 しかし、その生徒は突然自分を掴んできた桃を驚いた目で見ていた。

 

「えっとー……お姉さん、誰ですか……?」

 

 そこで桃は気づく。

 その子は、お銀によく似てはいるが別人だ。

 

「あっ……すまん……」

 

 もしかしたら、クローンの元の親の子供かもしれない。

 しかし、彼女がお銀とはまったく関係ないのは事実だった。

 目の前の彼女の怯えた瞳が、それを証明していた。

 

「すまなかった……知り合いにとてもよく似ていたものだから……」

「そうなんですか……それでは……」

 

 その子は桃に奇異の目を向けながらも学校に向かって歩いていった。

 桃はその後一人でフラフラと歩き、自宅につく。

 そして、戸を開け玄関に付くと、そこにガクリと膝をついた。

 

「うああああああ……お銀……お前に会いたいよ……!」

 

 桃はそう言って泣いた。

 

「会いたい……お前に会いに行きたいよ……」

 

 桃は正直に言えばもう生きることが辛くなっていた。

 自分だけ一人生き残っていることが、言葉にできないほどに辛かった。

 しかし、桃は生きていかねばならない。桃が死んでしまっては、本当にお銀達の死が無意味になってしまうからだ。

 だから桃は生きる。生き地獄と化した学園艦の底の底で、必死に働きながら生きるのだ。

 それは、人の歩む道としても底の底なのかもしれない……。

 


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