みぽりん達の戦車道を見て憧れた二人の少女の物語。
あれは、まだ小学校に上がったばかりの頃だったと思う。
私、
テレビに映し出されていたのは、戦車道の試合。高校の全国大会の決勝戦だ。
出場高校は、優勝候補ナンバーワンの黒森峰女学園。対するは、その年に戦車道を復活させたばかりだと言うのに、数ある優勝候補校を退け決勝戦に進んだ、大洗女子学園。
その二校の戦いに、私達は釘付けになっていた。
「わぁ……すごいね、陽子!」
「うん、すごいよ風子!」
画面の向こうには、数も戦車の性能も劣る学校が、優勝常連校を手玉に取っている姿が映し出されていた。
大洗女子学園を指揮するのは、かの西住流の娘、西住みほ。
戦車から頭を出して指揮するその凛々しい姿に、私達はすっかり虜になっていた。
「戦車道って、凄いんだね……」
「凄い……私も、あんな風になってみたい……」
私の言葉に、陽子が画面を見続けながらポツリとこぼした。
「……なろう、こんな風に」
「え?」
「だから、なろうよ! 今からでもさ! 二人で戦車道始めよ? そして、二人で一緒の高校に入って大会で優勝するの! その後も、ずっと二人で戦車道やって、勝ち続けるの!」
「いい、それいい!」
私達は興奮気味に話す。
そうしているうちに、試合はどんどんと進んでいき、ついにはそれぞれの隊長車同士の一騎打ちとなる。
「…………」
「…………」
その様子を、私達はお互いの手を繋ぎながら固唾を飲んで見守る。
隊長車同士の戦いは熾烈だった。
お互いに息をつかせぬ攻防を繰り広げ、私達はその一挙一動をハラハラしながら見守る。
そして、ついに決着がつく。
最後は、お互いの戦車が急接近し、ほぼくっつくような距離から砲撃しあった。
そして――
『大洗女子学園の勝利!』
試合は、大洗の勝利に終わった。
「わああああああああああっ!」
「きゃあああああああああっ!」
私達はその結果に黄色い歓声を上げる。両手を絡ませあい、立ち上がってテレビの前ではね飛んだ。
「凄い、本当に勝っちゃった!」
私は興奮気味に言った。
「うん! 本当に凄い!」
陽子もまた、とてもはしゃいだ様子で言う。
私達はそれしか感想を口にすることしかできなかった。今だったらもっと色々な語彙で感想を述べることができたんだろうけど。でも、今見たらこのときほどの感動はなかったとも思う。
「……絶対やろうね! 戦車道!」
「うん! やろう! 絶対!」
私と陽子はそう誓いあい、お互いに小指を絡ませあう。
『ゆーびきーりげんまーん嘘ついたら針千本飲―ます!』
そうして私達は約束をした。
あの幼い頃の夏の日。一緒に戦車道をやろうと、そう誓いあった。
それから私達はすぐに町の戦車道クラブに入り、必死に練習した。
小学校時代の空いた時間はずっと戦車道に費やしてきた。その結果あっては、私達はすぐにレギュラーになることができ、少し大きな大会で優勝をすることもできた。
中学校は二人で一緒に大洗を選んだ。あの大洗女子学園で戦車道をやりたいという気持ちが私達にあったため、共に大洗女子学園中等部へと進学した。
幸いにも、大洗はあの優勝以降、戦車道に力を入れていたために、中学でも戦車道を続けることができた。
中等部でも私達は活躍でき、陽子に関しては中学三年になると中学での隊長に選ばれ、大きく活躍をした。私は普通の車長だったが、素直に陽子の活躍を喜んでいた。
高校でももちろん戦車道を履修。二人であの夢の舞台に立とうと誓いあった。
だが、高校に入ってからだった。私達の関係に差ができ始めたのは。
高校は全国から戦車道を履修しようという子達が大勢入ってきた。その結果、大洗では試合に出る事のできる一軍と試合には出ることのできない二軍に生徒が分けられた。それを振り分けるための最初の試験で、私と陽子は別れたのだ。
陽子は一軍、私は二軍に。
私は最初、陽子の一軍入りを素直に祝った。
「すごいね陽子、一年から一軍だなんて」
「そんなことないよ。風子だって時間が経てば、すぐに一軍になれるって」
だが、そんな陽子の言葉とは裏腹に、私はいつまで経っても一軍には上がれなかった。
一年の間、私はずっと二軍の一車長として戦車に乗っていた。
それに対し、陽子は一軍の車長でありすでに有望な選手として一軍の中でも頭角を現し始めていた。
最初の年の試合で、陽子はレギュラーとして参加したぐらいだ。
私はそれを、応援席から眺めていることしかできなかった。
二年になっても、私は二軍のままだった。二軍において紅白戦をするときも隊長として抜粋されることはなく、ずっと平隊員のままだった。
だが、私がそうして二軍でうだつが上がらない一方で、陽子は二年にして副隊長に選抜されていた。
そのときからだったと思う。私が陽子に抱く感情が、純粋に祝いの気持ちだけではなくなってきたのが。
陽子は副隊長として隊長を補佐しながら、新しく入ってきた一年生に対しバリバリと指導している。いや、一年生だけではなく、時折私達二軍に対しても色々と指導をした。
同じ志を持ってずっと一緒にやってきたのに、陽子は教える側で私は教えられる側。
そんな関係に、どんどんと心のモヤモヤが溜まっていった。
だから、私は必死に練習した。車両の指揮の勉強をいっぱいして、戦車を自由に動かせるように頭を働かせた。車長の訓練だけでなく、装填や操縦の訓練もたくさんした。もしかしたら、一軍には車長以外の役職であがるかもしれないとも思ったから。
でも、私がどんなに努力しても、私の戦車はうまく動かず、相手に撃破されることが多かった。
休み時間や放課後の時間をすべて戦車道に費やしているというのに、結果が出てくれなかった。
私がそうやって戦車道に時間を消費したせいか、私と陽子は普段もあまり喋らなくなってしまった。
陽子の練習はあくまで大洗の生徒としては一般的な練習量で、特に放課後居残り訓練などすることなく、空いた時間を女子高生らしく過ごしているようだった。
最初は、陽子は私が居残り訓練をしている間も待っていてくれた。私と一緒に帰りたいからと。
でも、いつからか私は陽子がそんな風に待っていてくれることが嫌になった。
だって惨めじゃないか、自分よりもずっとうまいし上にいて、なにより幼馴染である人間が、私のために自分の自由な時間を無駄にして私を待っているなんてことは。
だから私は陽子に言った。
「……陽子、もう、私の練習を待ってくれなくていいから」
「えっ、でも……」
「いいの、陽子はあなたの時間を過ごして。せっかくの副隊長に放課後無駄な時間使わせるわけにはいかないしね」
私はなんとか笑顔でその言葉を言った。
私が陽子にそう言うと、陽子は少し落ち込みながらも「……うん」と頷き理解してくれた。
その日から私はまた一人になったのだが、だからと言って結果が変わるということはなかった。
そんな風に公式戦にでることはなく、三年になった。三年になっても私は相変わらず二軍のままだ。
同期の子達で、二軍のままの子は殆どが戦車道を辞め、他の選択必修科目に移っていった。
でも私は二軍でも戦車道に残り続けた。それは意地だった。陽子が頑張っているのに、私がリタイアするわけにはいかない。そう思ったのだ。
一方、陽子は当然の如く大洗の隊長に就任した。陽子は優れた指揮をし、みんなからも慕われる理想の隊長となっていた。
誰にでも笑顔をふりまくその姿は、まるで太陽のようだった。
でも、その笑顔は私にとっては眩しすぎた。その頃の私は、まともに陽子の顔を見ることができなくなっていた。
陽子ともまったく話さなくなってしまった。クラスも私が二軍、彼女が一軍ということを考慮されてか別々のクラスになっていたため、普段の学校生活でも殆ど話す機会を失ったというのもあるが、一番は私が陽子を避けるようになったということにあった。
彼女と一緒にいると、自分が惨めで仕方ないし、ついに私は彼女に嫉妬するようになっていたため、とても一緒にはいられなかった。
そんな風に私はどんどんと卑屈になりながらも、なんとか戦車道の訓練だけは続けた。
周囲はそんな私を、哀れみの目で見ていたように思う。
ある日、寝たふりをしていた私の近くでこんな話をしているところすら聞いたことがある。
「北野さんって、可哀想だよね。ずっと二軍のままでさぁ」
「もう三年なのにね。北野さん、一度も公式戦に出たことないんでしょ?」
「なんで戦車道続けているんだろう……私だったら辞めてるなぁ」
「そうだよねぇ。先生も隊長も北野さんのこと試合に出してあげればいいのに」
その会話から滲み出てくる憐憫の感情。それが私にとっては馬鹿にされるよりもずっと辛くて、私はひっそりと泣いた。
そんな生活を送り続けて半年、その年の全国大会がやってきた。
私は当然応援席。陽子は隊長として試合会場に立つ。
そんな陽子を見て、一回戦のとき、私は表面上彼女を応援しながらもつい思ってしまった。
負ければいいのに、と。
そんなことを少しでも考えてしまった私は自分が恥ずかしくて、先生に途中具合が悪くなったと嘘をついて、会場から逃げ出した。
後に、陽子が学校に戻り保健室でふて寝する私を見舞いに来たが、私はそれを寝たふりをして無視した。
その年の大会は陽子が大洗を優勝に導いて終わった。
結局、私はあの夢の舞台に一度も立つことができなかった。
だが、一番辛かったのはその後だった。大会の祝勝会だ。
私はできればまた逃げ出したかったのだが、祝勝会は基本強制参加だったし、また体調不良と嘘をつくのも疑われるかと思い、参加することにしたのだ。
だが、その判断は間違いだった。
だって、私は祝勝会場で、うっかり興奮と感動で感極まっている陽子と会ってしまったのだから。
「あ……陽子……」
「風子……」
私達は出会ったとき、気まずい沈黙で口をつぐんだ。
しばらく話していなかったのだ。それも当然だった。
「その、風子、試合、見てくれた……?」
その沈黙を破ったのは陽子だった。陽子は、なんとか私と会話をしようと努力している様子だった。
「え? まあうん、応援してたし……」
「そ、そうだよね! ごめん変なこと言って! ……その、私、勝ったよ……」
「うん……」
「私、あの夢の舞台で優勝できたんだ……あのとき、一緒に見た試合みたいに……。風子が一緒じゃなくて少し残念だったけど、でも、私とっても嬉しくて……」
「……よかったじゃん」
私は、なんとか言葉を探している陽子に、軽く笑って言った。
「え?」
「だから、よかったじゃんって言ってるの。私も、陽子が勝ってくれて嬉しいよ。私は二軍だけど、一応大洗の一員だし。だから、一緒にこうやって祝えて、嬉しいよ」
心にもないことを。
私は自分に心の中で毒づいた。
「……風子、ありがとうー!」
そんな私の内心を知らずに、陽子は私に抱きついてきた。温かく柔らかい胸の感覚が、私の胸と擦れ合う。
「私、ずっと風子と話せなくて寂しかったんだ……! それで色々と不安なことがあったけど、こうして風子が祝ってくれて、そんな変な考え全部消えちゃった……! ありがとう風子! これからも一緒にいてね……!」
「……ええ」
私はそんな陽子を抱き返すことはせず、ただ反射的に答えただけだった。
その祝勝会の後も、私は公式戦に出ることは叶わず、最後の最後にお情けとして小さな大会に卒業する三年全員が出してもらえただけで、私の高校生活は終わった。
その後の明暗は、よりくっきり別れた。
陽子はスカウトされてプロリーグへと入った。そう、陽子はプロ選手になったのだ。大手チームにトップでの入団だった。
一方、私は二流大学へ進学。そこでも一応戦車道をすることにはなった。
なったのだが、正直あまりやる気はしなかった。
戦車道を純粋に好きとは言えなくなり、陽子も一緒ではなくなった今、戦車道をやったのは単に惰性としか言い様がなかった。
良かったことと言えば、私は名門大洗の選手だったことで、少しばかりちやほやされ、また進学した大学があまり戦車道は強くなかったために、レギュラーにはなれたことだった。
ただ、テレビの向こうで活躍する陽子を見るたびに、私は鬱屈とした感情をどんどんと膨らませていくことになるのだが。
接点が殆どなくなった私と陽子は、お互い忙しいというのを――と言っても、私は避ける理由付けのようなものだったが――言い訳に、まったく会わなくなった。
そうして私はキャンパスライフをあまり楽しむこともなく中規模の会社へと就職。
そして、現在――
◇◆◇◆◇
「北野さーん」
「はい?」
パソコンに向かって仕事をしていた私は、突然後ろから声をかけられたために振り返った。
声をかけてきたのは、私の上司に当たる女性だった。
「あ、部長。どうしましたか?」
「例のまとめておいて欲しい資料、どうなったかな?」
「あ、あれですか。あれならもうできてますよ。後でメールでお送りする予定でしたが、今お送りしましょうか?」
「ありがとーそうしてもらえると助かるよ。それじゃあお願いね」
「はい、分かりました」
私はパソコンを操作し部長のパソコンに資料を添付したメールを送る。
「良かった良かった。それじゃあ邪魔したね……と、あ、そうだ。ねえ北野さん」
「はい? なんでしょう?」
「今度の土曜って空いてる?」
「ええ、空いてますが」
「良かったー。だったら今度の戦車道の集まり是非出て欲しいんだ。というのもその日はプロのほうから講師が来るからできるだけ会社としては面子を揃えておきたいんだよねー」
部長からの頼み事とは言え、私は逡巡した。
私は一応、会社の社会人戦車道チームに入っていた。入ったのは、大学で戦車道をやっていたからやって欲しいという頼みを断りきれなかったからだ。
とは言え、私は殆ど練習には参加せず、ほぼ名前だけ登録しているような状況だった。
だから、こうして参加して欲しいと誘われることもあまりなかったのだが。
「……ええ、いいですよ」
悩んだ結果、私はその頼みを受けることにした。
これも、社会人の付き合いだ。そう思うことにした。
「本当? ありがとー待ってるよー!」
部長は嬉しそうに私の側から離れ、自分の席へと戻っていった。
「……はぁ」
私はそんな部長の後ろ姿を見ながら、軽くため息をつく。
「プロからの講師ね……誰が来るんだろ」
そんなことを考えながら、私は仕事に戻ったのだった。
土曜日。
私は広い野原に他の会社の人間と一緒に並んでいた。
服装は会社から支給されたタンクジャケットだ。
「いやー楽しみだねー講師」
私の横で部長が言う。部長もまた戦車道チームの一員だった。
「……そうですね」
私は作り笑いをしながら言う。正直言えば誰でも良かった。誰が来ようとも、適当に流すだけ。そう思っていた。
「あ、来たみたいだよ」
部長が指をさす。私はその方向をつられて見る。
「……え?」
そこで私は驚いた。
なんで、どうして。まさか。
そんなことがあるなんてと、私は少し困惑した。だって、来たのは他の誰でもなく、陽子だったから。
陽子は笑顔でチームの隊長に連れられ、私達の前に立った。
「みなさんこんにちは。私が今回講師をさせていただく、南原陽子です。よろしくお願いしま……」
と、笑顔で挨拶する陽子と、私は目が合った。
陽子もまた、私を見つけて驚いているようだった。当然だ。だって陽子には、どこの会社に就職したかなんて伝えてないし、そもそも大学を卒業して以降まったく連絡を取っていなかったから。
「どうしましたか? 南原選手」
「……あ、いえ! なんでもないです! よろしくお願いします!」
陽子は隊長から心配され、すぐさま表情を戻して挨拶する。私も、周りと一緒に挨拶する。
そうして、講習中はあくまでお互いに接触することなく訓練を行った。
しかし、訓練が終わった後、すぐさま帰ろうとする私に、陽子は声をかけてきた。
「風子! ねぇ風子でしょ!」
私はそこで帰れないと思い、諦め心地で彼女のほうへと振り返った。
「……ええ、久しぶりね、陽子」
「やっぱり風子だ! まさかと思ったんだけど、本当に風子だ! うわぁ本当に久しぶり! ごめんねー連絡取れなくて!」
陽子は何も変わっていなかった。太陽のような明るさが溢れている子だ。
そんな陽子の前で、私は必死に作り笑いをした。
「いいの、気にしなくて。私も忙しかったしおあいこだよ」
「本当にごめんねー。でも風子、元気そうで良かったわ!」
「陽子こそ」
「ふふっ、まあね。うーん話したいことがいっぱいあるよぅ。……そうだ! ねぇ風子、今日風子の家に連れて行ってもらっていい? 久々にいっぱい話したいんだ!」
正直、私は嫌だった。今の彼女を家に上げたくはなかった。
だが、彼女の純粋な喜びに満ちた思いを裏切るわけにもいかず。
「……うん、いいよ。会場の外で待ち合わせしよう」
そうして私は、陽子を家に入れる約束をしてしまった。私は、心の中でそのことを沢山後悔した。
「うわぁ、風子の部屋綺麗。相変わらずだね」
家に上がった陽子の最初の言葉がそれだった。
「別に、何もないだけだよ」
私は言った。私は正直、あまり何かにお金を使うような質じゃない。それは、高校を卒業してからよりそうなってしまっていた。
「ううん、そんなことないって。私の部屋なんて汚くてねぇ」
「陽子は片付けられない女だからね」
「そ、そんなこと! ……ないかも」
私の一言に少ししょげる陽子。だが、陽子はすぐさま明るさを取り戻し、私が案内するクッションの上に座った。
「それじゃあ、コーヒーでいい?」
「うん、大丈夫だよ」
私は陽子に聞いてから、コーヒーを入れ、彼女に出す。もちろん自分の分も用意する。
それから私達は、いろいろと話をした。とはいえ基本は陽子がずっと喋って私が相槌を打つだけだったが。
陽子はいろんな話をした。普段の生活のこと。今までのことなど。
そして、話はいつしか戦車道の話へと移っていった。
「……それでね、この前の試合だったんだけど、かなりギリギリでさぁ」
「……へぇ」
私はそれを聞き流すように聞いていた。真剣に聞く気はなかった。戦車道の話など、正直プライベートではしたくなかったから。
「それにしても、風子もまだ戦車道をやっていたなんて、私、嬉しいよ」
その言葉に、私はピクリとコーヒーを飲む手を止めた。
「……そう。でも別に陽子には関係ないじゃない」
ああ、だめだ。こんなトゲのある事を言ってはいけない。
そうは思いつつも、私は陽子のその言葉にそう言わずにはいられなかった。
「ううん、そんなことないよ。私、風子が戦車道やっていてくれて嬉しい」
陽子は私の黒い意思に気づかず、笑顔で返した。
私は手に持っていたコーヒーカップを机の上に置く。
「……どうして?」
「え?」
「どうして、私が戦車道をやっていて嬉しいの?」
私はそんな風に聞くしかできなかった。一体私が戦車道をしていて何が嬉しいのか。そのことが気になってしまったのだ。
すると、陽子は言った。
「どうしてって……だって、私、風子に戦車道続けて欲しかったんだもの。一緒にまた、戦車道やりたかったし」
「……一緒に?」
「うん。昔約束したじゃない。一緒に戦車道やろうって。私、今でも風子と一緒に戦車乗りたいって思ってるよ? そりゃあ立場は変わっちゃったけど、でも、戦車に乗る機会なんてプロの場以外にも色々あるし。私は風子と一緒に戦えたら、きっと楽しいって思うの」
「……やめて」
「だって風子は私の大切な親友だもん。一緒に乗ったら絶対に楽しいに決まってるよ。だから私、風子が戦車道を今でもやってくれてて、戦車を好きでいてくれてて嬉しいなって――」
「やめてっ!」
「っ!?」
私はいつしか小声から大声になって陽子を怒鳴りつけてしまった。
陽子はビクリと体を震わせ、口を閉じる。
「何!? さっきから私と一緒に乗れたら嬉しい、楽しいだなんて!? 私は嫌だよ! 陽子と一緒になんか、戦車乗りたくない!」
「……え? 風子、どうして……」
「どうして!? 決まってるからだよ! 陽子と一緒にいると、惨めでしょうがないの! 嫉妬してしょうがないの! あなたという存在が、憎くてしょうがないのっ!」
「私、が……?」
「そうよ! 高校のときからずっと思ってた! 私は全然戦車道が駄目なのに、どうして陽子だけできるのって!? どうして一緒に始めたはずなのに、ここまではっきりと差がつくのって!? それが嫌で嫌で、いつしか陽子が嫌いになって、私……!」
「……私が、嫌いに……? 風子が、私を嫌いに……?」
陽子はとても蒼白とした顔をしていた。
その表情を見て、私はやっと、自分の言ったことに、初めて心のうちを明かしたことに気づいた。
「……そうよ、嫌いになったのよ、私。あなたも、戦車道も……今戦車道を続けているのは、ただの惰性。会社の付き合い。ただそれだけなの……」
「……そっか。私、知らないところで風子のこと、傷つけてたんだ……そっか、馬鹿だなぁ、私……はは……」
陽子は絶望した表情のまま、乾いた笑いを口からこぼれさせる。
「……ごめんなさい」
「……謝らないで」
「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
「謝らないで……!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「……だから、謝らないでって言ってるでしょ!」
私は、うつむき謝ってくる陽子に怒った。
怒って、彼女の頬を叩いた。
陽子は叩かれるまま、顔を横に向ける。
その陽子の瞳から、涙が流れる。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
陽子は私に叩かれても相変わらず謝り続けていた。
それが私の神経に触った。
どうして謝るの? どうして才能あるあなたが謝るの? どうして私より優れたあなたが謝るの? どうして、どうして……!
「……帰って」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「帰ってよ! 私の目の前から消えて! もう二度と現れないで!」
私は陽子の手を掴み、彼女を玄関から外に突き飛ばした。そして、靴を彼女に投げつけ、扉を閉める。
そして私はそのまま玄関に背中を預け、ゆっくりと床に尻を着いた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
扉の向こうから、依然として涙声の彼女の謝る声が聞こえてくる。私はそれを聞かないように、耳を両手で閉じ、ぎゅっと目を瞑った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
それでも耳に入ってくる彼女の泣き声。
私はその日ずっと、そうして彼女の懺悔から逃げ続けた。
◇◆◇◆◇
それから、しばらくして。
私はその日、一人家で缶ビールを開けていた。
電気は付けず、明かりはガヤガヤと騒音を立てるテレビ画面のみ。
あの日以降、私はある意味踏ん切りがついたのか、会社の戦車道チームをやめ、ただ仕事をして家に帰って酒を飲んで寝る生活になった。
日常で、何か趣味を始めようとか、そういう考えにはならなかった。
仕事以外のことを、する気になれなかったのだ。
「…………」
私はただ黙ってテレビに視線を向け続ける。テレビも、静かに酒を飲むよりも、何か耳に入っていたほうが楽だという理由からつけているだけだ。
「…………」
私は飲む。暗い中飲み続ける。酒を飲む合間にタバコを吸う。こうして酒とタバコをやっている間だけは、心が落ち着く。
そんな気がするのだ。
テレビに映っていたバラエティ番組が終わり、いつしかニュース番組になる。
すると、そのテレビに私の気持ちを揺さぶるものが映し出された。
陽子だ。陽子が、ニュース番組に映し出されていたのだ。
「……っ」
私はチャンネルをとっさに変えようとする。彼女の顔など見たくなかったからだ。
だが、そこに表示されていた文字に、私は手を止めた。
『南原陽子選手、突然の引退宣言』
「……は?」
私は思わず声を上げた。
引退? なんで? どうして?
私は頭の中が疑問でいっぱいになり、テレビを見続けた。
テレビの中では、引退宣言をする陽子が映し出されていた。
「私、南原陽子は、この度チームを辞め引退させていただきたきたいと思っています。理由は、戦車道に対する情熱を失ってしまったからです。昔から支えにしていた思いが、大切にしていた気持ちが消えてしまったからです。ファンの方々、チームのみんなには大変申し訳なく思っています。でも、この気持ちだけはどうすることもできませんでした。本当に申し訳ありません」
「…………」
私は絶句した。
それは、きっと私のせいだった。
私のせいで、彼女は思った以上に思い詰めていたのだ。私のことを気に病み、ついに耐えられなくなったのだ。私の、私のせいで――
「……馬鹿じゃないの」
私はテレビに向かって言った。
「……陽子が辞める必要なんて、何一つないよ……私が勝手に自滅していれば、それでよかったのに……本当に、馬鹿じゃないの……!」
ああ、今気づいた。
私は確かに彼女が憎かった。彼女に嫉妬していた。彼女のせいで、自分が惨めに思えて仕方がなかった。
だが同時に、それは心のどこかで彼女を羨んでいたということでもあるのだ。
輝く彼女の姿も、どこかで認めていたのだ。
しかし、そんな彼女の輝きを私は奪ってしまった。私の心無い言葉によって、陽子という太陽の暖かさを、多くの人々から奪ってしまったのだ。
私が、私があのとき苦しみを打ち上げてしまったから――
「……ああ、やっちゃったんだなぁ。私。……どうして、どうして我慢できなかったんだろう……私一人で苦しんでいれば、それでいい話だったのに、どうして……」
気づくと、私の瞳から涙がこぼれ落ちていた。
私は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。私は何もかも失った。大切な幼馴染という、かけがえのないものを、今こうして駄目にしてしまったのだ。
ああ、くそ。こんなことなら。こんなことなら。
「……ああ、こんなことなら、戦車道なんて好きになるんじゃ、なかった……」
私は後悔した。
あの日のことを、後悔した。
でも、いくら後悔してもこぼれた水は元には戻らない。
「ああ、くそ。くそっ……」
私はこれからも後悔し続けるだろう。もし後悔が終わるなら、それはきっと、私が終わるときだ。
ああ、どうせならそのときは陽子と一緒がいいな。最後ぐらいは、せめて、一緒に。