「私が隊長で大丈夫でしょうか……」
「あなたはあなたは戦車道を見つければいいのよ」
逸見エリカの苦悩は、たった一言で一蹴された。
エリカは、突如黒森峰の隊長として任命された。
それは、今まで彼女が尊敬していた隊長、西住まほがドイツの大学へと留学したことが契機だった。
まほがエリカを隊長として任命したとき、彼女の中には嬉しさよりも不安と不満のほうが強かった。
不安はこれから訪れる隊長としての責務に自分が耐えられるかだろうか、という不安。
そして不満は、黒森峰の隊長は西住であるべきだという彼女の信条があったからだった。西住流こそが最高にして最強。それを体現する存在こそが西住家の人間であり、そうあるべきだと。
どちらも彼女にとって大きな感情だったが、後者のほうがより大きなしこりとして彼女の心に引っかかっていた。
だが、人前でその不安と不満を見せるわけにはいかない。これから自分の部下となる仲間達に不甲斐ない姿は見せられない。
そう思ったエリカは、まほからの任命を素直に受け入れた。
しかし、彼女がうちに潜めた不満と不安はどんどんと大きくなっていく。
それが発露したのが先の会話だった。
無限軌道杯を目前とした彼女が、初の隊長として活躍する公式戦。
その舞台を前に、エリカはまほに相談する。
だが結果は、彼女の期待を裏切る返答。
その非情とも言える返答にエリカはただ、
「……はい!」
と気丈を装い答えることしかできなかった。
ゆえに彼女の退路は断たれる。
彼女は戦うことだけを仕向けられる。逸見エリカとして、黒森峰の隊長として。
だが、彼女はその中でも選択できる手段があった。
それは――
「……撃て!」
西住まほを、真似ることだった。
逸見エリカではなく西住まほをエミュレートした一人の模倣者として戦うこと。
それが、彼女の信念を突き通す戦い方だった。西住こそ至高にして絶対という、彼女の信念を。
「お見事です、隊長! 今回も私達の勝利ですね!」
試合後、隊員がエリカに駆け寄り言ってくる。
「ああ、そうだな」
それに対しエリカはそっけなく答える。
かつてのまほが自分にそうしたように。できるだけまほらしく。できるだけ西住らしく。
「隊長の采配お見事で……私、感激しちゃいました! 来年こそ黒森峰に優勝旗を取り戻しましょうね!」
そんなエリカの素振りにも構わず、隊員は嬉しそうに言う。
エリカはそれに静かに頷く。だが、内心は穏やかではなかった。
西住を欠いた優勝になんの意味があるのだろうか? いや、いずれまほは消え隊から西住は消える。それは予定されていた未来だ。だが、それにしても自分達は西住の西住たるすべてを継承していない。さらに言えば、本来はこの場に西住がいたはずなのだ。
西住みほという、もう一人の天才が。
みほがいればエリカは西住という栄光と共に三年間を過ごすことができた。だが、それは叶わなかった。不幸な事故で可能性は消え去ったのだ。
そのとき、エリカはみほのことを恨みすらした。西住の名に泥を塗った彼女を。だが、夏の大会は結果として西住の名を上げる結果になったため、エリカはみほを許した。
西住と西住が戦えば、どちらにせよ西住が勝ち西住の名声は取り戻される。
それはエリカに取って満足のいく結果だった。さらに西住姉妹は大学選抜チームとの戦いを勝利に導き、ライバルたる島田流に差を見せたのだ。それはエリカの西住信仰をより確固たるものにするのには十分だった。
「エリカさん、お疲れ様です」
先程の隊員とは入れ違いに、別の隊員がやってくる。副隊長のポジションを与えた、同期の赤星小梅だ。
「次はいよいよ決勝ですね。相手は大洗。いわゆるリベンジマッチ、になるんでしょうか」
「……そうね」
傍に置いていた水を口にしながら答えるエリカ。できるだけまほのように、というのを心がけながら。
大洗との戦い。それを思うとエリカの心は乱れる。なぜなら、相手はあのみほである。
とても勝てるとは思っていなかった。だが、それを仲間達に見せるわけにはいかない。故に、エリカは――
「大丈夫だ。きっと勝てる」
そう小梅を勇気づけるように言った。
決して心からの言葉ではない。嘘偽りで塗り固められた、虚構の言葉だ。
だが、小梅はエリカのその言葉にぱぁっとエリカになる。
「はい! そうですよね! 勝てますよね! いいえ勝つんです! エリカさんから言葉をもらえて、私自信が湧いてきました!」
小梅の嬉しそうな表情と声。それに合わせて笑みを作るエリカ。
だが、その内心エリカは小梅を哀れんでいた。
――西住に勝てるわけがないのに。
もちろん自分が黒森峰もとい西住に泥を塗らないために全力は尽くす、が最終的にその力に敗北するのは目に見えていることだ、と。
エリカはそう思っていた。その内心をまほの真似という仮面を被って隠しながら、小梅と笑いあった。
◇◆◇◆◇
「そこまで! 黒森峰女学園の勝利!」
勝った。
勝ってしまった。
エリカは白旗を上げているフラッグ車を目の前にしながら、絶望した表情をしていた。
「……ありえない」
静かに、誰にも聞こえない声で呟くエリカ。
――ありえないありえないありえない! だって、西住が負けるわけない。模倣品である私が、西住に勝つなんて、あるわけない。こんなの何かの間違い。狂ってる。歯車が狂っている!
「……完敗だよ、エリカさん」
と、そのとき、キューポラから煤けた姿の少女が顔を出す。
みほだ。
「すごいなぁエリカさんは。完全に裏をかかれちゃった。でも、すっごく楽しい戦いだった! ありがとうエリカさん! 最高の試合だったよ!」
満面の笑みで言うみほ。
全力をぶつけた少女の顔だ。
それを見てエリカは、みほが全身全霊を出して、そしてそれに勝ってしまったことの現実を、受け止めてしまった。
「ええ、そうね……」
ひとまず笑みを作り頷くエリカ。もちろん、心からの笑みではない。作り笑いだ。
だがみほはそれに気づかず、エリカと握手をする。そしてそのまま両選手が並び立ち、試合終了の礼をする。
エリカはそれを流れ作業のようにこなす。心は空っぽのままで。
「ありえない、ありえない、ありえない……」
解散後、ぶつぶつと呟きながら一人歩くエリカ。
未だショックから抜けきれないでいた。
「よくやったわね、エリカ」
と、そこで聞き慣れた声が耳に入る。
うつむいていた顔を上げて見てみると、そこにいたのは、なんとドイツにいたまほだった。
「まほ、さん……? どうして……?」
「あなたの隊長としての試合、優勝のかかった試合をこの目で見たくてね。ドイツから飛んできてしまったよ。エリカ、あなたはすごいわ。よくやったわ」
「ありがとう、ございます……」
――違うんです。ありえないんです。これはただのまぐれなんです。
「あの勝利は決してまぐれなんかじゃない。あなたがもぎ取った勝利。私の勝てなかったみほに、あなたは勝った。これは、とても凄いことよ。あなたは――」
――やめてまほさん。その先を、言わないで……!
「――私を越えたわ。見つけたのね、あなたの戦車道を」
「あ、ああ……え、ええ……」
エリカはしどろもどろになりながらも、一応その場を取り作るように首を縦に振って見せる。
だが、次第に耐えられなくなり、
「うっ……ううっ!」
エリカはその場から駆け出し、逃げた。
「おっ、おい!? エリカ!?」
突然走り出すエリカに驚くまほ。そんな彼女の声が耳に入ること無く、エリカは駆け去っていく。
「あれ!? お姉ちゃん、来てたの!?」
そこで、突如みほがその場に訪れる。みほはその場にまほがいることに驚いていたようだった。
「ああ、みほ……」
「『ああ、みほ』じゃないよお姉ちゃん! 帰ってくるなら言ってよね」
「ごめんごめん。ただそれよりみほ、さっきまでエリカがいたんだが、私が優勝を褒めたら急に駆け出してしまったんだ。どうしてかわかるか?」
「えっ? もうお姉ちゃんは鈍感だなぁ。エリカさんはお姉ちゃんのこと大好きだから、直接褒められて感極まっちゃったんだよ。それぐらいきづいてあげようよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。それにしても、やられたなぁ。完敗。でも、これぐらいの試合があれば河嶋先輩のAO入試も大丈夫だろうし、全部出しきれて楽しかった最高の戦いだったよ」
「ああ、あんな試合ができてお前が羨ましいよ、みほ」
「ふふっ、そうだね。エリカさんはきっとこれから最高の選手になってくれそうだよね。将来、肩を並べて戦う日が楽しみだなぁ」
「あら、これからも戦車道を続けていくつもりなのね、みほ」
「うん、もちろん! こんな楽しい試合があるなら、いくらでも続けるよ! いつか、三人で一緒に戦おうねお姉ちゃん! 約束だよ!」
「ああ、約束だ。将来が楽しみだな……」
楽しく将来を思い描き笑い合う西住姉妹。
その日を境に、逸見エリカは戦車道を止めた。