ガールズ&パンツァーダークサイド短編集   作:御船アイ

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エリカが痴漢にあうお話です。


秘め事の満員電車

 逸見エリカにはひとつの悩みがあった。

 それは、彼女が陸にある大学に通うようになって少し経ってから抱えるようになった悩みだった。

 エリカは大学からは少し離れた位置にあるマンションから通っていた。

 立地的には通学には少々不便だったが、寮で共同生活を送るのには性に合わなかったし、何より郊外であるため家賃が安く、その割には広い部屋であることが彼女の心を決めた。

 そのため、エリカは大学に通うため電車で通学していた。

 エリカの悩みは、その電車内で起こる出来事が原因だった。

 

「……あっ、今日、も……」

 

 エリカは早朝、満員の電車の中で、小さいながらも悲痛な声を上げる。彼女は今、他の乗客と同じように吊り革に掴まって多くの人混みに揉まれながら立っている。

 そして、その人混みの中から、誰とも分からない手が、エリカの臀部を触っていたのだ。

 

「……んっ!」

 

 そう、エリカの悩みとは痴漢被害だったのだ。

 エリカが大学に通うようになってから、ある日突然エリカは痴漢にあうようになった。

 初めて痴漢にあったとき、エリカはあまりの恐怖で声が出なかった。

 確かにエリカは気が強い性格ではあったのだが、それは男性がいない女子校という特殊な空間での話だった。

 エリカは、男性に対する免疫というものを持ち合わせていなかったのだ。

 自分の性的な箇所を、ゆっくりと、いやらしい手つきで揉みしだいてくるその手に、エリカは恐怖以外の感情を抱くことができなかった。

 怒りも何も湧いてこない。ただただ、圧倒的な生理的嫌悪感が彼女を支配した。

 その手は、エリカが電車を降りるまでのおよそ三十分間、ずっと彼女の臀部を掴んでいた。

 初めて痴漢被害にあったその日は、あまりの気持ち悪さと恐ろしさに、電車を降りた途端その場に座り込み涙で駅のホームを濡らした。

 何人かの人や駅の係員がエリカに事情を聞いてきたが、痴漢にあったとは、彼女の羞恥心が邪魔をして言うことができなかった。

 そしてその日以降、毎日のようにエリカは痴漢の魔の手にかかるようになった。

 講義の関係でエリカが電車を乗る時間を変えても、必ずと言っていいほどエリカの臀部にはその淫欲に塗れた悪魔の手が襲いかかってきた。

 まるで、エリカの行動を逐一把握しているようであった。

 電車に乗る時間をずらそうとしても、大学との距離と電車のダイヤの関係上、そうそう簡単には時間をずらすこともできなかった。

 いっそのこと大学に近い場所に引っ越そうとも考えたが、金銭という現実的な問題によって阻まれた。

 大学で仲の良い男友達に相談しようかとも思ったが、やはり恥ずかしかったのと、自分のことでその男友達に迷惑をかけたくないという気持ちからなかなか切り出せずにいた。

 エリカはその男友達が気に入っていたし、彼もその気があるように見えた。

 だが、まだそこまでのことを相談するほど深い関係に至っていないのも確かだった。

 

「……やく……はやくついて……!」

 

 エリカは歯を食いしばり、今にも涙を零しそうな瞳をぎゅっと閉じて必死に耐える。

 淫らな手つきはエリカの臀部をわしわしと揉む。

 ――気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い!

 エリカの体はぷるぷると震えていた。揉まれている間は、まるで時間が止まっているのではないかと思うぐらいにゆっくりと時間が流れた。

 

「……っ! ……っ!」

 

 時に乱暴に、時に優しくエリカの臀部を揉むその手は、明らかに愉しんでいた。

 それもエリカには嫌で嫌でたまらなかった。

 自分が誰かの性の玩具にされている。

 それは耐え難い苦痛であった。

 

『まもなく◯◯駅ぃー、◯◯駅ぃー』

 

 次の駅を告げる車内アナウンスが流れる。エリカははっと目を見開き、ぎゅっと吊り革を握りしめた。

 ――あと少し……あと少し……!

 そう思い最後の時間を必死に耐える。ギリギリになると、痴漢の手つきはより一層いやらしくなるため、耐えるのにはかなり精神をすり減らさねばならなかった。

 僅かの時間が引き伸ばされる。窓から見える、通りすぎてゆく町並みがスローで過ぎてゆく。エリカは耐えた。無限とも言える時間を必死に耐えた。

 そして、ついに電車がその速度を落とし、ゆっくりとその動きをとめ、ドアを開く。

 エリカはドアが開いたと共に走って電車の外へと出た。

 

「はぁ……! はぁ……!」

 

 エリカは駅のホームで息を乱しながら、自分の胸に手を置いて今にもしゃがみ込みたくなる自分の体を必死で支えた。

 電車はすぐさまエリカのいる駅から去っていく。エリカはその電車に目もくれることもなく、ずっと荒い呼吸を続けていた。

 

 

 その後、エリカは平静を保ち大学に登校し、普段通りに講義を受ける。臀部からはあの気持ち悪い感触は抜けないが、それでも慣れてきたためか、講義自体は普通に聞くことができた。始めの頃は、講義をまともに聞ける状態ではなかった。

 そして、すべての講義を終え、所属しているサークルに顔を出しに行こうとしていた、そのときだった。

 

「ねぇ、エリカさん……?」

 

 エリカの名を呼ぶ声が彼女の背後から聞こえた。

 聞き覚えのあるその声の主のほうにエリカは振り返る。

 そこにいたのは、エリカが昔からよく知っており、そして今でも同じ大学に通う友人の姿があった。

 

「みほ……」

 

 西住みほ。

 かつてエリカにとってライバルであり、目標であり、憧れであった・・・女性。今でもかけがえのない友人の一人。

 

「ねぇエリカさん……もしかして、何か悩んでない? とっても、辛そうだよ?」

 

 みほが心配そうな顔でエリカに聞いてくる。エリカはぎょっとしたが、すぐさま彼女から目を逸らし、平静を装った。

 

「……別に。何もないわよ」

「そんなことないよ。ここ最近、ずっとエリカさん変だもん。ねぇ教えて? 私達、友達でしょ?」

「……別に、何もないって言って――」

 

 エリカが必死になって否定しようとしたときだった。

 みほが、エリカの手をぎゅっと握ったのであった。

 

「エリカさん。私、エリカさんの力になりたいの。今はちょっと会う機会が少なくなっちゃったけど……それでも、エリカさんの力になりたいの! お願い、私を信じて……」

 

 みほの手は暖かかった。

 みほの目は、優しさに満ちていた。

 みほの顔は、慈しみに溢れていた。

 ――彼女になら、同性である彼女になら……。

 エリカは、みほを見ていると、そんな気持ちになっていた。

 自分の悩みを明かそう、誰にも内緒にしていた、自分の苦しみを明かそう、そんな気持ちに。

 

「……わかったわ。誰にも聞かれたくないから、私の家に来てくれる?」

 

 

 二人はそのままエリカの家へと向かった。その日顔を出すつもりだったサークルは、サボることにした。

 エリカは家につき、みほを上げると、ゆっくりできるようにとベッドの側で少しだけ沈黙の時間を作った後、みほに事情を話した。自分がずっと痴漢被害にあっていること。誰にもそのことを打ち明けられなかったこと。ずっと怖い思いをしてきたこと。

 みほはただ黙ってエリカの話を聞いてくれた。

 そして、エリカがすべての話を終えたあと、なんとみほの瞳から、一筋の涙が流れた。

 

「エリカさん、辛かったんだね……苦しかったんだね……」

「そんな、あなたが泣くほどじゃ……」

「そんなことないよ! エリカさんはずっと苦しいの我慢してきたんだもん! ずっと、ずっと……」

 

 エリカは嬉しかった。みほが、こんなにも自分のことで心を動かしてくれていることが。

 ずっと忘れていた、みほへの様々な感情が、エリカの中で蘇っていくような気がした。

 

「……ありがとう、みほ」

「……うん。ねぇ、エリカさん。今でも……気持ち悪い?」

 

 みほの問いの意味がイマイチ分からなかったが、エリカはもう隠す必要もないと、素直に答えることにした。

 

「……ええ、まあね。未だにあの感触が残っているような気がして……」

「そう……だったら」

 

 すると、みほは急にエリカをベッドの上に押し倒した。

 

「え!? ちょ……みほ……!?」

「私が、エリカさんの体に上書きしてあげる。そんな汚らしい感情じゃなく、綺麗な思い出を……」

 

 みほはエリカの服をゆっくりと、だが力強く脱がしていく。

 エリカはされるがままであった。

 それはみほの気持ちが嬉しかったのもあるし、何より、今のみほになら、自分の体を預けてもいい。そんな気がしたからだ。

 

「みほ……」

「エリカさん、好きだよ……」

 

 みほがエリカに囁く。そう言うみほの顔は、今まで見たことのないほどに心安らぐ笑顔だった。

 今のエリカには、まるでみほが天使のように見えた。どうしようもなく追い詰められていた彼女にとって、みほは希望の光だった。

 縋るものがなかった彼女の前にたらされた蜘蛛の糸だった。

 

 もうすべてを彼女に委ねてしまおう。そうすれば、きっと楽になれる。

 

 地獄の淵で見た光へと続く糸を握ったエリカは、そう思った。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 みほの傍らであられもない姿になったエリカがすやすやと寝息を立てている。

 みほはそんなエリカの姿を見て、静かにほくそ笑んだ。

 

 すべて、うまくいった。

 

 みほは心の中で、そう呟いた。

 

 

 みほにとってそれはあまりに衝撃的なことであった。

 エリカとぶつかった高校時代最後の戦車道全国大会。そこでみほはエリカに勝利し、再び大洗に勝利をもたらした。

 その戦いは、みほの戦車道人生の中でも最高と言っていいほどの名勝負だった。

 試合中にみほは幾度と無く滾った。これほど楽しい戦車道は初めてだと思った。

 だからこそ、みほは再びエリカと刃を交えることを望んだ。エリカという一個人を心から望んだ。

 だが、エリカはそうでなかった。

 エリカは、すっかり燃え尽きてしまっていたのだ。

 エリカにとってそれはすべてをかけた戦いであった。エリカにとっての戦車道人生すべてをかけた戦いであった。だが、負けた。

 そしてエリカは知ったのだ。いかに努力しようと、決してみほには届くことはない、と。そのことを悟ったエリカは、戦車道を辞めた。

 もう二度と戦車に乗ることはない。そうみほに言い残して。

 みほにとってそれは絶望であった。

 エリカはもはやみほにはなくてはならない人間という認識になっていたのだ。

 そんな人間が、戦車道を辞める。自分との接点を捨ててしまう。それが、みほには耐えられなかった。

 それからずっとみほは、エリカのことを想い続けた。寝ても覚めても、エリカのことばかりが頭に浮かんだ。

 最初は戦車道を通じての健全な気持ちだったそれは、いつしか、愛欲塗れた、恋愛感情までに昇華、いや、歪んでいた。

 みほはとにかくエリカと一緒にいたいと思った。そのためにみほはエリカの進学する大学を密かに調べあげた。その大学は幸いにも戦車道にもそこそこ力を入れている大学だった。

 ここならば、自分が入学してもきっと違和感は持たれない。

 みほは何の迷いもなく、エリカと同じ大学に進学することを決めた。

 大学に進学した後、みほは何事もなかったかのようにエリカと接した。エリカはみほが同じ大学に来たことに最初は驚いていたが、戦車道から離れた結果、性格が以前よりも丸くなっていたエリカはすんなりとみほのことを受け入れてくれた。

 戦車道とは関係ない、西住みほという一個人を。

 そのことがみほには嬉しくて堪らなかった。エリカが自分のことを一人の人間として見てくれている。それだけで嬉しかった。

 生憎戦車道を中心に生活しているみほと普通の大学生として生活するエリカでは学科など様々なすれ違いがあったが、それでもみほはエリカと一緒にいられるのが嬉しかった。

 だがしかし、みほにとって一つの誤算が生じた。

 エリカが、他の男の学生達ととても仲良くしている姿を見てしまったのだ。

 特に、同じサークルだという男とはかなり親密な関係になっているようだった。

 それを見て、知った瞬間、みほの心は嫉妬と憎悪で塗りつぶされていった。

 ――私のエリカさんなのに、私が愛したエリカさんなのに……! どうしてエリカさんはそんな男達に笑顔を向けるの……? どうして、どうしてそんな女々しい顔をするの……!?

 それはみほにとってあまりに許しがたきことであった。

 その日から、どうすればみほはエリカが自分だけを見てくれるか考え続けた。どうすれば汚らしい男達から引き離せるか悩み続けた。

 そしてみほは一つの結論に至った。

 そう、エリカに徹底的に恐怖を与え、自分に依存させるように仕向ければいいと。

 みほはそのことを思いついた翌日、さっそく行動に移した。

 朝まだ日が登らないうちに起き、エリカが乗るであろう電車に一足先に別の駅から乗り込み、エリカを車内で見つけると、痴漢を装って彼女に恐怖心を与える。そしてエリカが電車から降りると、一つ先の駅でみほも降り、何食わぬ顔で大学に出る。

 それがみほの企てた計画だった。

 結果として、みほの企みはうまく言った。エリカはすっかり痴漢の恐怖に怯え、誰にも相談できずに抱え込んだ。

 みほは獲物を狙う蟷螂のようにエリカを観察し続け、パンクする寸前となったところを狙って、エリカに声をかけた。

 エリカは面白いようにみほの思惑に乗った。

 みほはエリカに自分を、依存すべき対象と認識させることに成功したのだ。

 みほは裸で、そっとベッドの上で寝息を立てているエリカの体を撫でる。

 

「エリカさん、綺麗……」

 

 ――もう彼女は私のもの。誰のものでもない。あんな男達のものでは、決してない。私の、私だけのエリカさんなんだ!

 みほはエリカの顔に自分の顔を近づけると、そっとエリカの唇に自分の唇を重ねた。

 触れ合うようなキス。エリカの記憶には残らない、静かなキス。

 その唇をゆっくりと離すと、みほはエリカに囁くように、言葉を漏らした。

 

「大好きだよ、エリカさん……。ずっとずっと、一生エリカさんは、私のものだから……」

 

 窓の外には満月が輝く。

 その怪しい光は、退廃的な世界へと陥り始めた二人を包み込んだ……。


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