ハピメアーone's light mindー   作:zero beyond
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前回までのあらすじ


小さな変化のある日常の中で和真は所属する軽音部に顔を出した。そこでキーボードを担当している柏木 美穂に弥生のことを聞かれで戸惑う。理由を話すと美穂は深く詮索することなく早く仲直りするようにと釘をさす。
部活後の帰り道、香織の態度に和真は姉のように振る舞わなくても良いと告げる。彼女の気遣いは嬉しいがそのために彼女自身が消えてしまうことを案じてのことだったが香織の独白に和真は内側から溢れる感情ー『恐怖』のあまり、その場を走り去る。
家族を一度に無くした時の絶望と虚無感、『他者から向けられる愛情とその愛情を失った時の恐怖』が和真のトラウマとなって心に根付いていた。
その後、姉であった藤宮 梨花のプレゼントであるハーモニカを吹く和真は家族のことを思いながら眠りにつく。
そして目を覚ましたその先に広がっていたのは自室ではなく森の中だった。進んでいくと和真の目に映っていたのは幼い頃の自分と家族との最後の記憶だった。
家族が分断され、消えていく中でふと声を耳にする和真は別のビジョンを目にする。気がつけば豪華すぎる部屋の椅子に座り、茶会の会場にいた。
部屋の観察を済ませた後、視線の先にある大きな扉に目を向けるとその奥から聞き覚えのある声を聞く。開かれたそこに立っていたのは十年前、事故で亡くなったはずの姉の梨花だったー。


第三話

「姉ちゃん、なのか…?」

必死に出した言葉はそんな短く確認するようなものだった。だが、姉ちゃんは十年前の事故で死んだはずだった。

なのに、目の前にいるのは成長なんて言葉じゃ当てはまらないくらいに綺麗な顔立ちをした俺の実姉だった。

「そう、わたしだよ」

そう言って姉ちゃんは軽い足取りで俺の前に立つ。その動きはまるで瞬間移動でもしたような速さで姉ちゃんが目の前にいることに気づけなかった。

すると、姉ちゃんはそっと頬を撫でてくる。驚きと・・・恐怖のせいで体はちっとも動かなかった。

「……大きくなったね、和真」

そんなことを言って姉ちゃんは嬉しそうに笑った。眩しくて無邪気なその笑顔は大好きだったあの時の姉ちゃんそのものだった。

(ああ、そうだ…前も、こんな風に笑っていたっけ)

無意識に右手が、頬に触れている姉ちゃんの手を取った。この優しさと温もりが俺はずっと大好きだった。

「さ、座って?お茶とかお菓子も用意したの。和真のお話をたくさん聞きたいわ」

姉ちゃんは手を離して俺を席に座らせる。近くの椅子に座って持たれながら大きく安堵の息を吐いた。

ただ、ここは一体どこなんだ?普通に寝ただけなのに、夢にしては感覚がリアルだ。目に見えるものも部屋を満たすハチミツを焦がしたような甘すぎる匂いも何もかもが夢とは思えないくらいだ。

「どうしたの?さっきから落ち着きがないけど」

姉ちゃんのその声にハッとなって視線を上げると、姉ちゃんが慣れた手つきでポットからカップに紅茶を淹れていた。でも姉ちゃんって料理とかってできたっけ?そのあたりは記憶にない、かといって不器用ではなかったと思うけど…。

「さ、召し上がって。熱いから気を付けてね」

目の前に出されたティーカップを呆然と見ながら、俺はそのカップと姉ちゃんを交互に見る。

「大丈夫よ、変なものは入れてないから」

そう言ってまた笑顔で答える姉ちゃんを見て、俺はカップを手に取る。両手から伝わる熱と湯気と一緒に立ち込める香り、恐る恐るカップに口を付ける。

「おいしい?」

感想がほしいのか、姉ちゃんが首を傾げながらジッと見てくる。正直、紅茶はあまり飲まないからこれがどんなものなのかもわからないし明確な感想は伝えられないけど…。

「…すごい、あったかい」

一番最初に感じたことは味とかじゃない、身体の芯からジワジワと伝わる温かさだった。

というか、これって感想って言えないよな?どうしよう、姉ちゃん怒ったかな…。

そう思ってゆっくりと姉ちゃんを見た。

「そう、ならよかったわ。おかわりもあるから遠慮しないでね?」

感想とも言えないものには触れず、姉ちゃんは満足げな表情を浮かべていた。

本当に変わらない、あの時から少しもーー。

小さい頃に俺がどんなわがままを言っても、それをそのまま受け入れるところ。見た目はとても綺麗になったと思う。生きていれば今年で二十歳だったよな、オトナの魅力ってやつかな?香織とかルーティー先輩とは一線を画すものがある気がする。

「うん、我ながらよくできたわ」

椅子に座って姉ちゃんは自分で淹れた紅茶を飲んで一息ついていた。

「なぁ、姉ちゃん。ここは一体どこなんだ?俺は普通に寝て、普通に起きる予定なんだけど…」

ここに来るまでに見た十年前の事故、そして再会した姉ちゃんーー。

明らかに関係があるとしか思えない。姉ちゃんならなにか知っているかもしれない、俺は勇気を出して尋ねた。

俺の言葉を聞いてから姉ちゃんの顔に真剣みがました。カップを置いて俺の目をジッと見据えていた。

「ここはあなたが望んだものが形になったもの」

「え…?」

「あら、ここに来る前に何か考えていないかしら?」

今度は見透かしたような言葉を口にして妖艶な笑みを浮かべてた。姉ちゃんの言葉に俺はこめかみに手をサッと当てて思考を巡らせた。

帰ってからみあさんが来てそれから夕飯食って風呂に入ってハーモニカを吹いてて、それから・・・。

ーーーそうだ、俺は…。

家族のことを考えていたんだ。もう一度、あの時に戻れたらってーー。

「思い出したのね、和真」

姉ちゃんの言葉に俺は沈んでいた視線を起こすと、姉ちゃんは目の前にいた。さっきと同じ、優しい笑みを浮かべている。

「姉ちゃん…」

「和真…」

無性に胸の中から溢れる嬉しさに言葉が出なかった。すると、姉ちゃんは俺を胸に抱え込むようにして腕を回してくる。

泣いてた頃もこうして抱きしめてくれたっけ。これって夢なのか?

夢なら・・・夢なら醒めないでくれ。

「愛してるわ、和真」

囁く声が聞こえて俺は姉ちゃんの背に腕を回した。この温かさを手放したくなかった、誰にもあげたくないような独占欲にも似たものだった。

姉ちゃんだ、大好きな姉ちゃんを俺はこの手でしっかりと抱きしめているんだ……!

「愛してるわ、和真ーーー『殺したいほどに』」

え…?

体も思考も一瞬で止まった。今、姉ちゃんはなんて言った?

殺してしまいたい……?

「……ッ!?」

しばらくして体に悪寒が走った。力が入らない腕を懸命に動かして姉ちゃんの腕を振りほどいた。

息ができなくて苦しい、視界がグニャリと揺れて足もうまく動かない。テーブルに手を付いたがバランスを崩して倒れ込む。テーブルクロスを握っていたせいで置いてあったティーセットや菓子が床に飛び散った。

どうにか逃げようと姉ちゃんから後ずさるようにして腕と足を動かす。姉ちゃんは呆れたように溜息を吐いて俺を見下ろしてきた。

そうだ、やっぱりーーー。

ーー姉ちゃんは俺を恨んでいたんだ。

「ハア、ハア……!」

謝りたい、なのに声が掠れて出なかった。首を絞められているように感じるくらい苦しかった。

姉ちゃんはゆっくりと近づいてしゃがみ込む。そして、再び俺の頬に手を伸ばしてくる。

「和真…」

柔らかい姉ちゃんの声が催眠術や子守歌に思える。瞼がゆっくりと重くなってきて意識がなくなってしまいそうだった。

もういいや、こうなることが運命だったのかもしれない…。

だとしたら、俺はそれを喜んで受け入れよう。姉ちゃんがそれを望むのなら、俺はここで死んでもいい。

そう思って目を閉じようとした時だったーー。

「ダメ!ここで眠ったらもう戻れない!君は本当にそれでいいの!?」

それはハッキリ、そして凛とした声だった。そのおかげで少しだけ意識が保たれる、瞼が重いのは変わらないが…。

「全く、いいところなのに…マナーのわからない子」

姉ちゃんは今まで見たことないくらいに苦虫を噛み潰したような顔をしていた。姉ちゃんのこんな顔を見たのは初めてだった。

おかげで目が醒めかけるが体には力が入らなかった。

「姉ちゃん…」

「和真、またね。ここで待ってるから」

名残惜しそうに姉ちゃんは呟いて、俺の額にキスを落とす。姉ちゃんが勢いよく立ち上がると周りの景色がガラスが割れるように粉々に砕け散った。

同時に訪れる浮遊感にデジャブを感じながら、俺の意識は暗転していったーーー。

 

 

 

 

 

 

 

「……ハッ!」

思わずベッドから起き上がる。そこに広がるいつもの自分の部屋、いつの間にか夜を明かしていたのか窓から燦々と陽が射し込んでいる。

「なんだったんだ、一体…」

『殺してしまいたいほどに』

「ウッ……」

何があったか思い出そうとした時だった。姉ちゃんの声が蘇ってきた。同時に込み上げる吐き気に口を押さえてベッドから飛び出てトイレに駆け込んだ。

「ウェ…エェ、ゲホッ…ペッ」

トイレに突っ伏して胃の中のものを吐き出した。吐けるだけ吐いて、口の中に残るドロドロとした嫌な感覚を唾と一緒に吐き捨てた。

トイレの水を流して重くなった体を無理やり立たせてキッチンに移動する。水道の蛇口をひねってコップに注いで一口飲んだ。

その一口だけで満腹になったように、胃が何も受け付けようとしない。コップの水を流してシンクに放置しておく。

「木曜、か…」

幸いにも今日は体育のない日だった、こんな日に体育があったらマッハで学校に連絡を入れたい。朝食なんて食べる気にならない、もう今日はこのまま学校に行こう。

香織がまだ来ていなくてよかったと心の底から思った。昨日は喧嘩別れしたような形で連絡もしてないし、昨日の今日でこんなことになっていたんじゃ余計にキツイ。

制服に着替えて、もしものことを考えてカバンには適当にタオルや着替えを突っ込んでいく。カバンのジッパーを閉めて、部屋を出ようとする。

出ようとしたのに、俺は棚に飾られた家族の写真を見てしまう。

あれは姉ちゃんの本心だったのか…?いや、姉ちゃんだけじゃなく父さんや母さんも………本当は俺のことを恨んでいるんじゃないのか…?

「ちくしょう……」

短く呟いて、今度こそ俺は部屋を後にしたーー。

昨日よりも早い登校でなんだか風が少し冷たく感じた。まだ四月だし、こんなものかとも思うが…まぁ。大して気にするようなことでもないだろう。

歩くのはなんとか大丈夫だった。走るとなるとまた胃の中のものが出てくるかもしれないから極力、控えるようにしたい。

「はぁ…」

重い体を引きずって何とか学校に着いたものの、ため息しか出ない。ルーティー先輩がいたら…。

『またため息なんかついて、幸せと酸素が減っていくわよ?』

…とか言うんだろうな。部室の整理も途中で完璧ではないからな…。

「やべ、立ちくらみだ」

廊下の壁に体を寄せて、どうにか体を支えた。

「どうなってんだよ…」

そんな愚痴をこぼして階段を登って自分の教室に向かった。教室の扉を開けるとそこには誰もいなかった。

「…日直より早く来るとか」

なぜかおかしくなって笑ってしまう。こんなに早く学校に来たのはいつ以来だろう、中々に新鮮な気持ちだった。

まぁ、やることなんて何もないんだけど。いいや、机に伏せて寝て居よう。何故か今日は眠い、寝たという感じがない。ずっと起きていて朝を迎えた時みたいだ、前は哲ちゃんとか陽が泊まりに来てずっと起きていたことがあったけど…あれは次の日がキツい。

椅子を引いて腰を下ろした俺は早速、体を突っ伏した。コンディションは最悪だ、朝から吐いて朝飯も摂ってないから視界が少し歪んで見える。音楽でも聞いていればそこまで気にならないだろう、そう思って机の横にかけてあるカバンの中に手を入れて漁る。

「うわ、イヤホン持ってくるの忘れた」

そう言えば前にカバンから出してしまった覚えがない、今日はついてないみたいだな……。

ーーガラガラ。

そんなことを思っていると教室の扉が開く音がする。日直だろうけど首だけ動かして、誰が入って来たかを確認する。

「……珍しいな、お前がこんなに早く学校にいるなんて」

「琴浦…」

教室にやってきたのは意外にも琴浦だった。肩にカバンをかけて、脇に日誌を抱えている。今日の日直は琴浦だったのか、どうりで早いわけだ。

「明日は雨か雪だな」

「なんだそれ」

控えめに笑いながら琴浦はそんな冗談を言って来た。昨日から少し距離が縮んだとは思ってたけど冗談を言える仲になっていたとは驚きだ。

琴浦は席に座ると日誌を置き、カバンを机の横にかけてその中から小さいビニール袋を取り出した。

中から取り出したのは有名な某ブロック栄養食だった。

「お前もそういうの食べるんだな」

「ん?ああ、今日は少し寝坊して朝は何も食べてなかったからな。昼もコンビニ弁当だ」

そう言って箱を開けて中からスティック状の栄養食を取り出して食べていく。朝からあんな事があったから俺はその光景に胸焼けがして顔を伏せた。

そんな時だったーー。

グゥゥゥ…。

突然、俺の腹が鳴った。体は正直だ、朝から何も食べてないのだからこうなるのは当たり前か。

「お前、朝飯は?」

「起き抜けにリバースして食う気にならなかった」

「…なら、なんで学校に来たんだよ」

呆れてため息を吐く琴浦。本当だよ、なんでこんなキツイのに重い体を引きずって学校に来たんだろう……。

「食べるか?」

「いらない、固形物が喉を通る気がしない」

ブロック栄養食の一欠片を差し出してくるが首を横に振って断る。だるくて体に力が全く入らないし、動く気にもならない。

「これなら食えるか?」

琴浦が袋の中をゴソゴソと漁って取り出したのはゼリー飲料だった。こいつ、どれだけ買って来てるんだ…?

「いや、そこまでしてもらわなくても…」

「いいから食え」

有無を言わさず琴浦はゼリー飲料のキャップを外して、飲み口を俺に差し出してくる。ここまで心配してくれるとは、本当に琴浦はギャップというか意外の塊だ。

顔を上げて、組んでいる腕に乗せると俺はそのままゼリー飲料にかぶりつく。

「ング、ゴク、ゴク…」

少しずつ吸っていくとちょうどいい速さでゼリーが流れ込んで来た。よく見ると琴浦が握っていてゼリーを押し出してくれていた。

「…ング、プヘ!」

俺はパッと飲み口から口を離した。腹はさっきに比べて大分、楽になった感じがする。

「溜まったか?」

「何秒かわかんないけどチャージはできたと思う」

「そうか、それはやるよ。残りは欲しい時に飲めばいい」

「また、借りが出来たな」

「前にも言っただろ?キッチリと返してくれれば文句は言わない」

そう言って琴浦は体勢を戻して日誌に目を向けていた。腹が少し溜まったからか、俺は瞼が重くなってそのまま目を閉じる。眠気も少しあったし、このままだと爆睡するかもしれない。

「琴浦、ホームルーム前になったら起こしてくれ」

「ああ、わかった。それまでゆっくり寝てろ」

琴浦の声になんだか安心して俺は本格的に眠りに入ったのだった。

あれから琴浦に起こしてもらって今日も学校の一日が始まった。朝から哲ちゃんと朝日は心配してくるし、香織はめちゃくちゃ怒ってるし別の意味でぐったりした。

午前の授業は移動もなかったから本当にありがたい。何とか昼休みまで持ちこたえて来たが体のだるさは相変わらずだった。

「ハァ…」

溜息を吐いて席を立つ。昼飯を食べる気にもなれないし何も食べずに教室にいるのも面白くないし周りに心配かけたり、ああだこうだと言われるのも嫌だ。

「今日も弁当じゃないのか?」

「ああ、まぁ…ちょっと、ね」

哲ちゃんに聞かれて有耶無耶な答えで返してしまう。さすがに夢の中で実の姉に会って気分が悪くなったとか言えないしな…。

「本当に大丈夫?顔色悪そうだけど」

「ああ、大丈夫。ホントに大丈夫だから」

朝日の素直な心配に心が痛くなってくる。本当にルーティー先輩の妹かっていうくらいに優しいし素直なんだよな。

二人に軽く手を振って俺はカバンから琴浦に貰ったゼリー飲料を出してポケットにしまうと、そそくさと教室を後にしたーー。

 

 

 

 

 

 

 

「あいつ、本当に大丈夫なのか?」

「うん、なんだか辛そう…」

和真が教室を出てからというものの哲也と朝日は和真のことを心配していた。朝からいつもより元気がなく、顔色が悪いのは見てとれた。

だが、本人が言うには大丈夫らしいがそれでも周りは本人が思っているよりも心配なのだ。

「香織ちゃん、和真くんから何か聞いてない?」

「ううん、なにも」

朝日がこの中で和真と最も近しい関係の香織に尋ねるが、香織は首を横に振った。香織も知らないとなるとあまり和真の力にはなれないかもしれない。

「でも、大丈夫だよ。和真も言ってたし…」

「…本当に大丈夫なのか?」

香織の声を遮るようにして三人の元に声が投げられる。不思議に思った三人はその声の方を見る。そこに立っていたのは意外にも琴浦 光だった。

「こ、琴浦くん…」

意外な人間が入って来て朝日は驚きを隠せなかった。

「どういう意味…?」

少し怒気の籠った香織の声が光に投げられた。光が香織の方を見ると香織の目がキッと鋭くなっているが、光はどこ吹く風というように毅然とした態度をとっていた。

「俺は今日、日直だったがあいつは俺より早く来ていた」

「え、そうなのか…?」

「ああ、それどころか朝から吐いて朝は何も食べていなかったみたいだ」

光の言葉に三人は戦慄していた。香織はその言葉に罪悪感を感じていた、昨日の帰りに和真と二人でいたのは自分だ。そして、自分の考えが和真を傷つけたのだとしたらーー。

「本人は周りに心配をかけまいとしているみたいだがな、幼馴染なんだろ?あいつのことを一番知っているのはお前だろ」

光の言葉が香織の心に刺さり、何も言い返せなかった。それだけ言い残して光は三人のグループから離れて教室を出て行った。

三人の間に思い沈黙が流れる。哲也も朝日も香織にかける言葉が見当たらず、気まずい表情を浮かべていた。

香織は光の言葉に何も言い返せない自分が悔しくて仕方なかったーー。

 

 

 

 

 

 

 

「ウェ、エエ…ゲホッ、ゲホッ」

教室を出てから早速、俺はトイレに駆け込んで朝と同様に吐いていた。教室を出た瞬間に胃の中からこみ上げる感覚がめぐってきて、速足でトイレに向かった。

一体、俺に何が起こっているんだ?昨日まではあんなリアルな夢を見ていなかった、そもそも死んだ姉ちゃんが夢に現れるって…どういう事だよ。

「ああ、ちくしょう……!」

やり場のない悔しさと虚しさからか、そんな言葉が口からこぼれていた。

水を流してトイレを後にする、保健室に行こうかとも考えるがそこまで行くような気力がないほどに俺はボロボロの状態だ。

ここから一番、近くて俺が安心できる場所ーー。

あそこしかない…か。

俺は若干、諦めるようにしてフラフラとした足取りで歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

木曜日の科学準備室、科学部の部長である弥生・B・ルートウィッジは最愛の妹である朝日からもらった弁当を広げておかずを箸で突つきながら後輩がまとめた書類に目を通していく。

どこにでもいるような男子高校生で少し科学の成績が良くて時々、力を借りているというだけ。軽音楽部のボーカル担当で、その技量は素人目から見ても悪くはない。

そして、裏表のある自分に変わらない態度で接してくれる異性で自分が信頼する稀有な存在でもあった。

ふとコーヒーを飲みたくなって準備をする。立ち上がってコーヒーの粉末が入った瓶を取り出す。

「ゲッ……」

その瓶を見て弥生は苦い表情を浮かべてた。瓶の中にはコーヒーが入っておらず空だったからだ。

「そういえば、昨日の分でキッチリ使い切った覚えが…ああ、ホントについてないわね」

自分の行動に嫌気がさして弥生は再び溜息を吐いた。仕方なく自販機まで足を運ぶしかなくなった。制服の上に着ている白衣を脱いで椅子にかけて立ち上がる。財布を手に取って弥生は科学準備室を出ようと扉に手をかけたその時だった。

ーーガラガラガラ。

突如として目の前の扉が開いた。突然のことで弥生の動きはピタリと止まった。開いた扉の前に立っていたのは後輩である和真だった。

「そっちから来るなんて珍しいわね、なにか…」

和真の来訪に驚きつつも弥生は和真の様子を悟った。自分よりも小さなその体が震えていた、息を切らしていた和真は俯いたままで表情までは窺うことができない。

「どうかしたの?」

「た、助けて…」

「は?って、ちょっと!?」

その瞬間、和真は糸が切れた人形のように倒れそうになり足に力を入れたがかえって災いして弥生の方へ倒れ込んだ。

どうにかそれを支えた弥生だが、この状態の和真を放置することも出来ず、仕方なくコーヒーを諦めることにした。

 

 

 

 

 

 

とりあえず座るように言われて、俺はルーティー先輩から離れて長椅子に腰掛ける。机を挟んでもう一つ備え付けられた椅子に座った先輩が仕方なくといった感じでため息を吐いた。

「それで?なにかあったのは確かよね?」

「えっと、まぁ…はい」

捕まえたことに怒っているのか先輩の口調は少し強かった。俺は正直に今日の出来事を話した。

夢の中で見た過去のトラウマ、死んだはずの姉ちゃんに会ったことをーー。

「死んだはずのお姉さん、ね」

「姉ちゃんに言われたんです。愛してる、殺したいほどに…って」

思い出しただけで体が震える、俺は思わず両手で肩を抱く。

「その時、思ったんです。姉ちゃんは…俺のことを恨んでるんだって。そう思ったら、怖くて……」

あの時、姉ちゃんの手を取ることができていたら…もしかしたら姉ちゃんは、生きて俺の側にいてくれたんじゃないか。

あれから何度も繰り返した自問自答、そんなことを考えても答えなんか出ないことはもうわかってる。わかってるはずなのに……!

すると、先輩は椅子から立ち上がり俺の隣に座った。

そしてーー柔らかい腕を回して俺を抱きしめた。

「ま、先輩、やめ…!」

昨日の香織と同じだ、途端に体の内側から訪れる悪寒にも似た感覚が俺の体を駆け巡る。引き剥がそうとしても先輩は俺から離れてくれなかった。

なんで…なんでみんな、そうやって…。

ーーこんな俺に優しくしてくれるんだよ…。

「大丈夫」

「…え?」

素の時とも猫を被っている時とも違う優しい声が俺の耳に届いた。キュッと力が込められた腕の中で俺は動けなかった。

「今は、私が側にいてあげられるから」

「あ……」

その言葉が俺の中で感情を塞きとめるダムを壊した。途端に目から涙が壊れる。

「あ、あああ、あああぁぁぁ……!!」

ポロポロと次第に雨のように涙がこぼれ落ちていく。情けなく声を上げて、先輩の胸に顔を埋めた。

ーー辛かった。『他人から向けられる愛情』が、ただただ苦しかった。それを掴んでしまえば、受け入れてしまえば…またあの時のように失ってしまうんじゃないかって考えてしまう。

だから俺は、受け入れなかった。あの時のように失うくらいなら、最初から求めなければ失うこともないと思っていたからーー。

それなのに、またこうして求めてしまう。その温もりが嬉しくて、その優しさが愛おしくてーー。

その感覚に身を任せて、俺は目を閉じて意識さえも手放していたーー。

 

 

 

 

 

 

 

和真を抱きしめた弥生はしばらくの間、彼の頭や肩を優しく撫でる。それは母親が子供に愛情を注ぐように、温かみのあるものだった。

「さて、スッキリした…?って、和真?」

嗚咽も止まってもう大丈夫だと思って声をかける弥生だが、当の本人は規則正しく寝息を立てていた。

「まったく…」

自分の制服を離さないようにしっかり掴んでいる手を見て弥生は思わず笑みをこぼす。たが、このままでは予鈴がなってしまう。どうにかしないといけないが、和真を起こすことも躊躇われる。

「夢の話で終わらせればいいのに、本当に仕方のない後輩なんだから」

そう言って和真の頬を指でつつく弥生はポケットからスマートフォンを取り出して、操作を行う。メールのアプリを開いてメッセージを作成していく。

ーー宛先は妹である朝日に向けてだった。

『和真の体調が悪そうだったから捕まえて保健室に連れてく、先生に伝えといて』

「これでいいか」

文面を見直して、それを朝日のスマートフォンに向けて送信した。送信されたことをしっかり確認してスマートフォンを膝に置くと、再び和真の頭を撫でる。

和真の体から何か発しているのかというくらい、撫でていて気持ちいいと感じる弥生だった。

その時、着信を伝えるメロディとともに弥生のスマートフォンが震えた。手に取ると表示されていたのは朝日からの返信だった。

『わかった、和真くん大丈夫かな?朝から調子悪そうだったからゆっくり休むように伝えてね』

朝日の送ってきたメッセージを見て思わず微笑んでしまう弥生、他人を思いやることのできるいい妹だと感心していた。

すると、スマートフォンの振動にも似た音が部屋から鳴る。弥生は自分のスマートフォンを見ると画面には通知は何も来ていない。自分のスマートフォンからではないとなると和真のスマートフォンからだと思った弥生は失礼ながらも和真のブレザーを漁って内ポケットから和真のスマートフォンを取り出した。

画面には誰かからのメッセージの着信が表示されていた。

チラリと和真を見るが和真はまだ眠ったままだった。勝手ながらも弥生は和真のスマートフォンを操作してメッセージの画面を開いた。

そのメッセージの差出人は意外にも、自身のクラスメートにして和真と同じ部活に所属している柏木 美穂からであった。

弥生は画面をスクロールしてメッセージの内容を確認していく。

『弥生ちゃんがまだ帰って来ないんだけど、何か知ってる?』

「なんで本人に連絡しないのよ…」

和真のスマートフォンに送られた美穂からのメッセージの内容に弥生は苦笑いを浮かべた。

心配してくれているのはよくわかる。美穂は朝日のように周囲に気を遣うことのできる人間だ、その性格に弥生は何度も助けられていて恩義さえも感じている。

だが、本人ではなく和真にこのメッセージを送ってくるのは何か裏がらあるのではないかと勘違いしてしまいそうだった。

弥生は自身のスマートフォンを操作して朝日に送ったメッセージと同じような文面で美穂に送信した。

程なくして美穂から了解の返信が来たことを確認してスマートフォンをしまい込むと同時に五限の授業の開始を告げる鐘が鳴り響くー。

 




『あ、これから『眠り姫様』のとこに行くのかい?』



『和真くんも私の子供みたいなものよ?夫とは男の子と女の子が一人ずつ欲しいって話してたけどね』



『私の名前、お前じゃなくて有栖』



『初めまして、藤宮 和真』


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