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「なぁ明石さんや」
「なんでしょう湊さんや?」
「そこで笑ってる大淀もだ。 山城もそれ以上笑うと殴るぞ」
湊は鏡を持った手を震わせながら周囲で笑い続けている少女達を睨みつける。
「あっ、その表情好きかもしれません」
「ちょっとポーズ取ってみなさいよ」
女が3人集まれば姦しい。この言葉を作った人は本当に天才か何かだなと実感している湊を他所に少女達3人は目を輝かせていた。
「新しいお名前はどうしましょう? 一応大本営からはこちらで決めても良いという連絡を頂いていますが」
「もう好きにしてくれよ……」
「元が湊ですし、早く慣れるためにも近しい名前の方が良いのでは?」
「むしろその見た目だったら同じ名前でも誰も気づかないと思うわよ?」
「なぁ、俺はどうしてこうなったんだ……?」
一年前の深海棲艦の襲撃によって湊の身体は日常生活を送るにも不自由する程の傷を負った。大本営や明石の協力もあって義手等を用意するという計画だったのだが、新しい試みを試したいという明石の提案もあって今では無事に肌理の細やかな肌を持った手足を湊は手に入れていた。
「ん~……、分量は結構ギリギリを狙っていましたしやはり身体の大部分を修復ってなると無茶があったのかも知れませんね」
「知れませんねじゃねぇよ。 手足が治ったのは嬉しいけど、他の場所までいじれとは誰も頼んじゃいねぇだろ!?」
「別にいじっていませんよ? 恐らくは移植した細胞と修復材による効果が原因じゃないかなぁと」
「……元の顔に戻せないですかね?」
「修復材は傷を治すというより、元あった形に再成形すると表現したほうが近いので湊さんにとって今の状態が元の状態になったんだと思います」
「つまり?」
「無理ですね」
湊は笑顔で答えた明石に枕を思いっきり投げつける。予想以上の速度で飛んで行った枕は明石の顔面に当たり明石は大げさに痛がるようにして逃げて行ってしまった。
「良いじゃない。 女の私から見ても……、綺麗だと思うわよ?」
「うるせぇ!」
湊に行った治療は半ば生体実験に近いものだった。艦娘が傷ついた際に使用する事ができる修復材、それを通常の人間にも使用する事ができないかという明石の提案だった。
「いっその事名前はそのままで性別を偽っておきます?」
「まぁ余程の事がない限りバレないでしょうね」
「もう好きにしてくれ……」
明石の実験は単純だった。艦娘の負担にならないように少しずつ体の一部を分けてもらい、1年かけてゆっくりと移植しながら湊の身体に馴染むように修復材を使用して行った。
「良かったわね、ミナトちゃんなら違和感ないわよ?」
「……不幸だな」
「もしかして私の真似なのかしら?」
結果として湊の身体は炭になった腕を含めて全て完治する事ができた。副作用として体の半分近くが女性である艦娘の物となってしまったために、多少見た目が女性よりに変わってしまっていた。
「いくら修復材で治るからって痛みは伴いますし、それでも快く了承してくれた子達に感謝した方が良いですよ」
「……そうだな」
「今度こっそり挨拶に行きます?」
「絶対に嫌だ」
「相変わらず変なところ意地っ張りなのね。 それと、女性って方向で行くなら言葉遣いは直したほうが良いわよ?」
「それも嫌だ……!」
「全く、こんな奴の面倒を1年も見てたなんて不幸だわ……」
「明石も義手じゃなくどうにか湊さん……、じゃなくミナトちゃんの腕が元に戻るように努力したんですけどね」
「無くなった腕ができるどころか胸ができたわ!! ふざけんじゃねぇぞ!?」
数十分にかけて騒ぎ続けていた湊だったが、下半身に自身を男性だと証明するものの存在がある事に気づいてどうにか今後の予定を話する事ができる程度には落ち着いた。
「それで、どうするのよ」
「まずは横須賀の続きだな、まだ行ってない基地や鎮守府がある」
「基地や鎮守府では無いですけど、ここから近い場所ですと江田島に艦娘の訓練施設があったはずです」
「じゃあまずはそこで。 俺……、じゃなかった。 私も身体を動かさないと流石に鈍ってる気がする。 何より手足や身長が変わってるのがまずい……、わね」
身体能力自体は以前よりも向上しているのだが、自身のイメージと動作が一致しないというのがミナトにとっての1番の不安だった。その証拠に騒いでいる間散々山城に殴られ続けていたのだがその殆どを避ける事ができていなかった。
「私はどうしようかしら。 この1年で退役した艦娘もそこそこ居るみたいだし、普通にしていても良いのよね?」
「そこで山城さんにお願いなのですが、私はちょっと大本営の方でやる事があるのでミナトさんが今の身体に慣れるまでサポートをお願いできないでしょうか?」
「……拒否権は無いのかしら?」
「ありません」
「不幸だわ……」
笑顔の大淀と落ち込んでいる山城を見ながらミナトは今後の事を考える。鹿屋に居た少女達、大湊で世話になった少女達、佐世保で会った少女、命を救ってくれた女性。自分は死ぬんだと思った瞬間もっと沢山言葉を交わしておけば良かったと後悔した。
「なぁ、手紙くらいは書いても良いよな?」
「問題にならない程度でしたら」
大淀の言葉を聞いて湊はベッドに倒れこむ。久しぶりに騒ぎすぎた体中の倦怠感に身をゆだねるようにして目を閉じた。
「提督になるって約束を守らないとな」
「そうですね、皆さん湊さんの事をお待ちしていますよ」
湊はその言葉に満足そうに頷くと静かに寝息を立て始めた。それを見た大淀と山城は少し前まで目つきの悪い青年だった人がここまで可愛らしくなってしまった事に小さく笑ってしまったが、本人が気づけばまた機嫌を損ねると思い静かに寝室から出て行った───。
「それで、こっちが普通の痛み止めでこっちが小分けにした修復材です。 どちらも痛むようでしたら使用してもらっても大丈夫ですけど、可能であれば入渠施設を使わせてもらった方が良いですね」
「なんというか、昨日は悪かったな。 枕投げて」
「気にしなくても良いですよ! 私だって艦娘なのであの程度なんともありませんし!」
「そっか。 それとありがとう、こうして誰かと握手できるのも明石さんのおかげです」
「私は横須賀に戻りますが、何かあれば……、じゃなく何か無くても顔くらい見せに来てくださいね!」
ミナトと明石は軽く握手を交わすと互いに向かう方向の違う船に乗り込む。
「すごいな、てっきり陸路だと思ったけど船なんだな」
「あんたが寝てる間随分とこの海も変わったのよ」
「あいつらも頑張ってるんだな」
「そうね」
潮風を懐かしむようにミナトと山城は目を閉じる。お互い海に関してはあまり良い思い出は持っていないのだが、懐かしいと感じて安堵したのは本当の気持ちだった。
「ふむ、随分と可愛らしい姿になったな」
「色々ありまして」
船は江田島の訓練所に向かう前に1度呉で停泊した。一応世話になったという事もありミナトの意思で呉の提督に挨拶に向かったのだが大淀に用意してもらった書類を見せたら驚く程早く提督に合うことができた。
「いきなり訪ねて申し訳ありませんでした。 しかし、随分すんなり入ってこれましたが大丈夫だったんですか?」
「問題無い。 むしろ貴様には礼を言わねばと思っておったからな」
「礼なんて要りませんよ。 呉からの救援が無ければどうしようも無かったので」
それからは雑談というよりもミナトの軍内の立ち位置についての話が多かった。本来ありえないのだが湊は1年前の作戦で命を落とした。大本営が裏を回して完全に死亡として扱う事になったため少佐から大佐へと二階級特進してしまったという。
「俺……、じゃなく私が大佐ですか。 全然実感沸かないですね」
「所属は現在は海軍というより大本営になっておる、大本営から大佐が訪れたとなれば他の者も随分焦っただろうな」
「妙にバタバタしてたのってそういう事ですか……」
何よりも大本営の人間が私服で鎮守府を尋ねたとなれば秘密裏に何か作戦が行われたと勘違いした人間も多かった。
「軍服はこちらで用意しよう」
「何から何まですみません。 それと、もう1つお願いがあるのですが」
呉の提督に挨拶というよりはミナトにとってここからが本題だった。
「この鎮守府に『長門』が所属していると思います、合わせて頂けないでしょうか」
「……礼なら彼女も要らんと断るだろう」
「私があの人を見て気付かないと思いましたか? 以前私がここを訪れた時にも居たんですよね?」
1年前、湊の薄れゆく意識の中で聞こえた声。長門と名乗るその姿を決して忘れることは無かった。
「ふぅ……。 別に貴様に意地悪がしたくて会わせないと言っておる訳では無い、貴様にとっても彼女にとっても会わせぬ方が良いと総合的に判断しておるだけじゃ」
「話くらいは聞かせてもらっても良いですよね?」
「断ると言っても貴様は聞かんだろうに。 会わせてやる、付いてこい」
ミナトは黙って頷くと呉の提督の後ろをついて歩く。艦娘に合わせると行った以上は宿舎か何かに向かうと思っていたのだが向かった先は老朽化に伴い使用されなくなった地下の施設だった。
「なんだ、提督か? すまないが早く扉を閉めてくれないか」
「あぁ。 調子はどうだ」
「なぁに。 連合艦隊旗艦を務めた私だ、出撃となれば這ってでも出撃してみせよう」
扉を閉めれば真っ暗な施設の中で部屋の隅から聞こえる声と提督が話を続ける。ミナトはその声を聞いただけで瞳から涙を零した。
「隊長……?」
「ん? 他に誰か居るのか。 客人とは珍しいな」
「俺です! 湊です! 分かりますか!?」
湊は素性を明かさないようにと大本営から指示されている事を忘れて声をあげる。
「……すまない。 初めて聞く名前だ」
「そうですか……」
艦娘になった際に起きる記憶の欠落。以前明石さんとこの事について話し合った事もあったが、今は体調が自分の事を覚えていないという事実が湊にとっては辛かった。
「提督、どうして隊長は、長門はこんな暗い場所に居るんですか?」
「場所を変えようか。 長門、また来る」
「あぁ、分かった」
ミナトは提督の言葉に頷くと奥歯を嚙み締めたまま何年も追いかけ続けていた人に背中を向けて歩き始めた。
「あの者の艦娘としての適性はずば抜けておった。 それこそ大本営が暗殺紛いの事をしてでも手にしたくなる程にな」
「兵士としても優秀な人でしたので」
「そして長門という艦を貴様がどれほど知っておるか分らぬが、人の身でその名前を背負うという重圧は通常の艦娘の比では無かった」
日本海軍と聞けば『大和』の名前を出す人は多い。しかし、秘匿されていた大和とは違い長門は当時の日本の要として何十年も何千何万の人の期待を受け続けた。
「勘違いしてもらっては困るが、長門自身があの場所を望んでおる。 誰にも言わぬが光を嫌っておるのかもしれんな。 それでも貴様の救援もそうじゃが深海棲艦が出たと聞けば顔色一つ変えずに堂々と出撃しおる」
「どうして光を?」
「歴史の授業をするつもりは無いが、長門の最後は米国による核実験の標的艦として幕を閉じておる。 人の身の儂らには分らぬ光景がそこにはあったのかもしれん」
核という単語を聞いてミナトは広島や長崎の事を考える。大勢の人が亡くなったと知識として知っていたが、その痛みを、辛さを、熱さを、苦しさを直接味わうという恐怖は知らない。
「どうにかできないんですか?」
「そこばかりは長門自身が乗り越えるべき問題だろう。 儂らは見守る事しかできん」
辛そうに煙草を取り出して口に咥えた提督を見てミナトは頭を下げる。
「なんじゃ、貴様も吸うか?」
「いえ、会わせたくなかった理由に気付いたので我儘を言ってしまった事への謝罪です」
「……ほれ、吸え」
ミナトは煙草を咥えると火を付けて大きく煙を吸い込む。提督がミナトと長門を会わせなかった理由、ミナトにとって長門が自分の事を覚えていないという事実は傷にしかならない。同じように長門になる前の彼女にとって教え子であるミナトに先ほどのような弱さを見せたくないだろうという心遣いだった。
「ふむ、良い女は煙草を咥える姿も絵になるな」
「見た目だけで性別は変わっていませんよ」
場を和ませようとする提督なりの冗談だったのかもしれないがミナトは笑えなかった。その後は女性用の白い軍服を渡されて着替える事になった。姿を見ないなと思っていた山城が以前の巫女服を改造したような着物姿で現れたので懐かしさを感じて笑ってしまった。
「なんだ、艦娘に復帰するのか?」
「まさか……」
「提督が単身で動き回るというのも不可解じゃろう。 護衛兼、秘書艦として山城を連れて鎮守府や基地を視察しているという事にした方が話が早いのじゃよ」
「そういう事ですか……」
一応は山城も納得して着替えたのだろうが、その表情は複雑そうでぎこちない笑みを浮かべていた。
「江田島の訓練所には儂から話をつけておいた。 向こうに付いたら大井に案内させるように伝えて置いたから土産の1つでも持って行ってやると良い」
「分かりました、その辺で適当に何か買ってから行くことにします」
「あんた、お金持ってるの?」
「元々金を使う方じゃなかったってのもあるが、殉職による二階級特進と死亡退職金で私の貯金は凄い事になっている」
「自分が死んだお金ってどうなのよ……」
「確かにな」
そんな馬鹿みたいな話をしながら呉鎮守府を後にするとフェリー乗り場の売店で適当に甘味や雑誌なんかを買いあさってからミナトと山城は江田島へと向かった───。