ふたりのルイズ 作:うささん
厨房。そこは腹ペコたちの宝の山。今日も誰かの胃袋と食欲を満たしてくれる素敵空間。
「るんたった、たりらりら~ん」
廊下の向こう側から漂ってくる匂いは美味しい香り。それだけでお腹が減ってくる不思議。ああ、よだれが出そう。
グーグーなるお腹はもはや我慢できないの~っと厨房の扉に駆け寄りノブに手をかける。
「ちーすっ!」
メイド・エトワールが勢い余って厨房の扉を開けた瞬間──そこは修羅場だった。
飛び交う怒声。
弾け散る油。
ジュージュー焼ける肉の音。
熱気と喧噪がやかましい。
どんと置かれた皿に同時にサラダの盛り付けが開始される。
トントン踊る包丁から切りだされたものがポンと跳んで皿の上に順番に並んでいく。
まさに芸術的な技が繰り広げられる厨房では料理人たちが存分に腕を振るっている。
おおう何ということでしょう。厨房は今や戦場の戦火の最中であります。
トントコトンと包丁が踊っては、また別の食材が刻まれては鍋に放り込まれ炎がブワッと舞い上がるのです。
「あんのぉ~?」
「そこっ! 遅い遅いっ! 次の皿をセットしやがれっ!」
「チーフっ! デザートリーフ不足ですっ!」
「何かすごい……」
エトワールの存在も呟きも完全無視である。
「馬鹿野郎っ! 言うのおせえよっ! レッドブロッコリー茹でろっ!」
「はい!」
「はいっ!」
あっけにとられるもつかの間、盛られた皿がカートに並べて置かれるとメイドたちが高速で向こうの扉を開けて駆け抜けていく。
そして入れ違いに戻って来たらしいメイドがテーブルに立つのである。
目線を料理長へ向ければ、その指示で機械的に他のコックが動いて食材のサラダが用意されていく。
熱い湯気を立てる鍋に茹で野菜が放り込まれる。
火のあるあちこちでジューっと立ち上がる蒸気で厨房全体を見渡すのは困難。というか熱い。恐ろしいまでの熱気にじわりと汗がにじんでくる。
あちこちで同時に何かが作られている光景が広がっています。こんがり焼いた肉にトロリなソースがかけられ、盛りつけたサラダはその色彩を互いに主張しながら目にも鮮やかな芸術品へと姿を変えるのです。
何ということでしょう。ここはスーパー鉄人たちの厨房だったのです。
観てるだけでお腹減るなぁ……つーか、あたしのご飯は?
「すんませ……あ、いあ、さいならぁ」
ぶっちゃけ、何だか面倒くさそうと思ったので戸を閉めようとする。
「おい、そこのっ!」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
思わず飛び上がる。なにせ強面の厨房人が分厚い片刃包丁を片手にこっちに突きつけているんである。コックのでっぷり突き出したお腹がやたら目立つ。
「新人かっ!?」
「あ、あたしはヴァリエールの……」
専属メイドっす! これからお世話になるっす。さようならで終わらせようと用意していた台詞はおっさんの一言によって邪魔される。
「手が空いてるならさっさと入りやがれっ! 五番セット入るぞ。ちんたらすんじゃねえっ!」
「はひ?」
見ればテーブルに新しい皿が並んでいる。トッピングし終わった皿を載せたカートをメイドさんたちが一斉に持っていく。
それと入れ替わるように先発隊のメイドが戻って皿の前に並んでいた。
はやすぎっ!
スタンバイしているメイドとコックは次の仕上がりに備えて構えの形を取っていた。まさに手慣れたプロの動きだ。
ヴァリエールの厨房も広かったがここまで組織だっていない。ちょっと見惚れてしまう。
「急げ、急げぇ! これを付けろよ!」
「た、ただいまぁ~~」
白いエプロンを押し付けられ慌ててそれを付ける。断る空気ではない。あたしって割と流されるタイプ?
何でこんなことに巻き込まれてるんだ? 挨拶しに来ただけなんすけどぉ~
「あんた、初めて?」
「あい~ よろしくおねがしやすぅ~」
新人メイドの振りしてメイドさんたちの列に割り込む。お皿の前に立ち先輩諸氏の手に注目する。
「見てないで、ちゃんとやってよ? こっちのやってる順番通りに並べる」
最初のボウルがどんと置かれ一斉に手が伸ばされる。盛り付けの仕事がメインのようだ。
んじゃさっそく。
「ちっがーう! まず、これ! こう、こう、んでこうっ! わかった?」
「オッケオッケ~ こうこうこう?」
もう見よう見まねだが開き直ることにする。どうせ食っちまうんだから多少のミスはご愛嬌である。
赤、緑、黄色とバランス良く配置されるサラダたち。きれいなものだが、この後結局食い散らかされる運命にある。
「まあ、そんな感じ。手を休めんな」
「はい、先輩っ!」
働かざるもの食うべからず。生存原理主義に則った素敵な言葉である。そんな言葉など気にもとめないのがこれを食う貴族どもである。
見よ、ここに労働システムのカーストの縮図があるのだ!
ハーハッハハ~~! ヤバイくらいテンションが上がるのはここの雰囲気のせいだ。きっと、たぶんそうに違いない。
「次の皿入りまーすっ!」
「まだあんの……」
ちょっとした絶望感。これ、すっごい運動になるな……
並べ終わった我が作品達がカートの棚に載せられ大きな扉の向こうに消えていくのを見送る。
また来た皿に並べ終えるとメイドさんたちが一斉に動き出す。
これで終わりかしらん?
「先輩、もう終わりっすか?」
「なわけねーべ、これから給仕!」
「ですよね~」
どうも最後の皿であったらしく一斉にカートに載せた後に廊下に出てそれを押して運び出す。
見よう見まねでカートを押して追いかける。
「えっさ、ほっさ」
そいや……まあ、いいか。持っていけばルイズに会うに違いない。
アルヴィーズの食堂にメイドが使う通路を抜けて入る。ここだけは貴族も通らない使用人用の通路だ。規模でいうなら大きなお城の厨房を超えているだろう。
食堂のくせに無駄に豪華で天井が高い。格調高い雰囲気の場所で思わず鼻がムズムズしてくるほどだが、待ち受けるのは食い盛りのガキどもである。
「新人、もたもたすんな! 生徒さんが来る前に並び終える! いや、あんたは食器並べなっ!」
「へーい」
任されたのはフォークやナイフの設置である。記憶が正しければ、いつも公爵家で食ってる通りに並べればいいだけだ。
家の作法は貴族の家で微妙に違うが、食事の作法はあまり変わらない。これは食卓の常識だ。
いつもは食う方で並べるのは初めてだが基本的な並びは記憶しているので問題ない。ちゃっちゃか動いて席の端から端まで並び終えちまおう。
「えっと、えっとぉ……」
「あん?」
目の前でどうしたらいいのかよくわからないという動きのトロイのがいた。こっちと食器を同じように並べているのだが置き方があべこべである。
「おい、逆だ逆」
「え?」
顔を上げたのは黒髪そばっかす娘だ。実に田舎者の匂いをさせる雰囲気だ。まさに苛められそうな典型。
「ああ!? ごめんなさい!」
黒髪娘が謝り、対面のエトワールが並べた食器の位置を確認している。
やっぱ新人か……
自分のことは棚に置いて新人メイドのぎこちなさを眺めるのだった。
いかんいかん、さっさと並べよう。つーか、こいつおせえ……
「遅い、遅い、もっと効率よく物を持てよ」
「は、はい、すいませんっ!」
そんなこんなで端っこまで並べ終わる。トロい娘っ子のおかげで時間ギリギリだ。
それが終わるとメイドは給仕のために壁の端に立つ。時間になって生徒らがやってくる足音が響いて晩餐の宴が初められるのだった。
やつらは一斉にやってきた。飢えたガキどもの宴開始だ。
さっきの先輩があんたはここの区画をやんなさいと指示を下してくる。
あっしは新人なんすけど……
「あ、あの、ありがとうございました!」
エトワールの隣に立った新人メイドがペコリと頭を下げる。あのそばかす黒髪っ子である。
どんくさい新人だけど食器並べは憶えたようである。
「別にいいけど、もっと効率的にやらないと、先輩に怒られんぞ?」
「はいー、昨日も怒られてます。てへへ……」
ぶっちゃけこの娘の鈍くささは一般メイドレベルからするとかなり平均レベルを下げる。ヴァリエール家の鍛錬されたメイドとは比べ物にならない。
まあ、新人だからだろうが普通に皿を並べてた方が優しい仕事のはずだ。
食器の並べが基本とはいえ、きちんと覚えさせろよと思うのだが、これはおそらく新人メイド苛めであろうことは難くない。
そうやって苛められるメイドなど公爵家にいたときによく見たものだった。なお、イジワルなことをするのはエステルの専売特許であったのだが……
「ほら、そこ。無駄話しない!」
「は、はい!」
「へーい」
じゃあ、小声で。
エトワールは黒髪っ子に身を寄せる。
「ここでやんの初めてなんだけど?」
「はい、そうですよね。私と一緒にやりませんか? その方が覚えやすいし」
「ええよぉ、それでさっきのはチャラにしてあげる」
「え、は、はい。頑張りましょう」
黒髪っ子がにへらと笑ってみせる。尖った八重歯が少し見えた。
食堂に生徒が揃って座っていく。その中に我らのルイズの姿がないか眺めるがスープを盛り付けるために鍋と一緒にスタンバるのだった。
これが終わるまでがまた一仕事となる。
あ、ルイズ見っけ。
一つ向こうのテーブルにルイズの姿を見つける。向こうも気がついたようでこっちを見て唇を尖らせる。
『ちょっと、どういうこと?』
悪いなルイズ! この食堂でお前一人に給仕は無理! 不可能だっ!
公爵家みたいにお行儀の良い食堂ではない。食いざかりのガキどもが集う修羅場である。
貴族の慎ましやかさなどどこに行ったのか、祈りの後に一斉に食べ始める。中にはフライングして肉にかじりついているのもいた。
皿をわたしのために確保できるのかも怪しい。食い散らかした後の残飯がいいとこの報奨であろう
幸い、騒々しさを食事で口に封をしてくれたので、しばらくは食器をフォークやナイフで打ち付ける音が響く。
ときたまの雑談と、笑い声が上がる程度でデザートまで食い尽くした頃にはテーブルは散々食い散らかされた後だった。
「エトワールっ!」
「はい、何でしょう。お嬢様」
混乱が落ち着いた頃合いを見図りルイズの近くにようやく近づく。
「何であなたがここの人たちに混じってるのよ? わたしの給仕をしてって言ったじゃない?」
この惨状を見て理解しないのか……まあ、わからんか……
「いや、ちっと無理……巻き込まれたんだよ……」
ルイズにあそこの仕事は……まあ飯時は行かないよう注意しとこう。
「ねえ、お姉さんっ! もっとシチューとパンお代わりちょうだいっ!」
「はーい、ただいまぁ。またね~」
ルイズに手を振ってどの鍋に残ってるのかを確認してそれを押していくと、僕も! あたしもお代わり! と皿を掲げたガキどもが声を上げる。
やりがいがあるが……泣けるくらい忙しい。
鍋が空になり、クソガキどもが腹を満たした頃、メイドたちはさらなる片付けのために動き出す。
もうひと踏ん張りだ。
すべてが終わって、食器を載せたカートを押して帰る頃には疲れ果てている。他のメイドはきびきび動いているのが恐ろしい。
何だか基本体力が違うのである。さすが本職。この娘もだ。ドン臭いと思っていた黒髪っ子は疲れた様子を見せない。
「お疲れ様でしたぁ~~」
黒髪メイドがまた話しかけてくる。
「あーい、てか、まだこれ洗ったりすんだろ?」
カートの食器がガチャガチャと音を立てる。この量は殺人的だ。
「お皿洗いは交替制ですから。私はこの後はご飯ですよ」
「フーン」
「あ、そうだ」
「あい?」
「お名前、まだ聞いてませんでした。私はシエスタですっ! えっと、新しい人ですよねえ?」
シエスタがエトワールを伺うように見る。
あれだけ一緒に仕事をして名乗るのはこれが初めてだ。
「エトワール。ヴァリエールの専属メイドっす」
「ええ? あなたがそうなんですか? 私、てっきり……」
「まあ、新人といえば新人だし」
「ごめんなさい。失礼なことを」
シエスタがペコリと頭を下げる。田舎くさいけど育ちはよいみたい。一番育ちがいいのは胸だけど。
「全然、仕事教えてもらったしね」
「いえ、下手くそでごめんなさいっ!」
「お腹減った……なあ……」
「あは、一緒に晩ご飯食べましょう!」
「オッケーオッケ~ なんでも食うよぉ」
二人は厨房の扉をくぐる。カートの終着地点だ。厨房ではすでに火を落としているが熱気は十分に残っていて食器を洗う音が響いていた。
「マルトーさーん。新人さん一人追加ですよ~~」
「ああん? どこに行ってたんだ。その新人は?」
シエスタの一言で振り返ったのは丸い、丸い……マルトーだった。
先ほど扉を開けたエトワールに包丁を突きつけた本人様だ。でっぷり張り出したお腹とぶっとい腕。豪快さではここ一番みたい。
「ヴァリエール家のエトワールっす。よろしくです」
「おう、さっきの姉ちゃんか。専属だって言うから部屋にこもって出てこないのかと思ったぜ!」
「挨拶に来たら修羅場でした! 美味しいご飯くださいっ!」
労働の報酬を要求する権利を主張するわたし。腹と背中はくっつきそうだ。
メイドって体力勝負っぽい。わかっていたけど実際はもっとすごかった。いや、ここがハードなんだろう。
数百人の貴族の坊やを食わせるわけだし。お給金は良さそう。ついていけたらだけど。
「おう、腹いっぱい食わしてやらあ。皿取ってきな!」
「はーい」
「へーい」
そんなこんなでメイド一日目を何とか過ごすのだった。
お腹いっぱいにシチューと残飯肉を食らってエトワールはエネルギーを補給する。
下手な貴族の厨房より豪華だった……
シエスタとはメイドの寮がある手前で別れた。わたしはゲップしながら学生寮がある塔の方へ歩き出す。
あそこはさすがにルイズは無理だな。体力面ではわたしよりへっぽこだし。
帰ればルイズが待っていて、お疲れ様と言ってきた。はい、お疲れさんでした。
ルイズも学院一日目でここの空気を理解したようである。慣れていくまで大変そうだが、初日は顔も覚えてもらえたしわりと不味くない出だしだ。
今日のことをお互いに教え合い、交代でお風呂に入った。
エトワールの眼鏡を外してエステルに戻る。いや、ルイズにだ。まあ、どっちでもいいや。人と顔を合わせたらルイズの振りをするだけだ。
何だろう。一人三役くらいやってる感じだな。そのうち慣れると思うけどさ。
寮の風呂はでかかった。実に素晴らしい。トリステインでこれだけ大きい風呂はないだろう。
その後は疲れていたのか、先にベッドに入っていたルイズの隣に潜り込む。
今日はしゅらばらばな一日でした!
目を閉じればあっと言う間に眠りに就いていた。明日のご飯を楽しみにしながら。