6-1 お兄ちゃん
七月一日。
トーナメントは事故により中止となったようだ。
優勝者は一年の部に簪と潤が名前を連ねたものの、他の決勝は行われなかったらしい。
数日が経ったこともあり、元々肺が傷ついていたわけでもなく、手術によって消耗した体力が戻った後は人工呼吸器が外された。
さりとて全身の倦怠感と激痛は健在で、痛み止めやら何やらの薬は手放せずに常に倦怠感がある。
体力もなければ気力もない、当然魔力も生成できずに常にグロッキー状態。
寝ては起き、寝ては起き。
食事も出来ず、本も読めず、テレビもなければラジオもない。
「……暇だ」
流れ行く雲を見送って、反対側のビル屋上にいる黒服に目を向ける。
護衛、お疲れ様です。 どうせなら世間話の相手になっていただきたいのですが。 無理ですか、そうですか。
目が合う前に物陰に隠れた彼から意識を背け、再び目をつぶった。
ドアの開く音に目を覚ませば、現れたのはラウラだった。
あれからラウラは頻繁に病室を訪れて、面会ギリギリまで話をして帰っていく。
部下との接し方から、女だと公表した後にルームメイトとなったシャルロットとの付き合い方、クラスメイトとの立ち位置、織斑教官の弟の和解というような、割かし真面目な話。
ご飯の内容から、日本の文化について、高まってきた気温の話など割とどうでもいい話まで。
あの刺々しい雰囲気から一転、懐いた犬の様な状態になっている。
「お姉様、元気だったか?」
「――――は? お、お姉様?」
「そうだ。 我が隊シュヴァルツェ・ハーゼの副隊長、クラリッサというのだが、隊員からはお姉様と呼ばれ慕われている。 私も潤に親しみを込めてお姉様と……」
「却下だ」
未練も躊躇もなく切り捨てる。
潤は男である、潤は男である。 大事な事なので二回言いました。
姉って、ラウラの見かけ的に妹というのは同意できるが、姉はない。
「何故だ!?」
「何故だ、じゃない。 俺は男だ、姉にはなれん。 それと様付けで呼ばれるのは嫌いだ、虫唾が走る」
「な、なんだと、では何と呼べば……」
驚愕と呆然、ちょっと残念な気持ちを顔全体に表して落ち込む。
その目がほんの少し涙目になっていたのは気のせいではないだろう。
しかし、仮にもラウラは軍属の人間。
すぐさま立ち直って、潤と物理的な距離を置くとISのプライベート・チャネルを開いた。
『――受諾。 クラリッサ・ハルフォーフ大尉です』
「シュヴァルツェ・ハーゼ隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
ラウラの送信先、副隊長クラリッサ・ハルフォーフだった。
年齢は二十二で部隊内の最高年齢。
十代が多い隊員達を厳しくも面倒みよく牽引する、頼れる『お姉様』である。
『ラウラ・ボーデヴィッヒ隊長、何か問題が起きたのですか?』
「緊急事態ではない。 昨日の話の続きだ」
潤相手にお姉様と呼ぶのを誘導したりしたのも大体クラリッサが原因である。
昨日もラウラは潤の呼び名について彼女から助言を貰っていた、それが『お姉様』という呼び方である。
クラリッサは他にもラウラに頼られ、多くの助言をした。
『ふむ、お姉様と呼ばれるのは嫌と……』
「ど、どうしたらいい、クラリッサ? こういう場合は、どうすべきなのだ?」
『ふむ、姉と様付けは駄目と。 では、『お兄ちゃん』と呼べばいいのではないでしょうか?』
「おにいちゃん?」
『小栗潤は日本人か定かでありませんが、少なくとも日本文化に馴染があるのは確かです。 そして日本の男性達は妹と呼ばれる存在に少なからず憧れを抱いています』
「なんだと……?」
『兄を敬う呼び名は様々ですが、一番ポピュラーなのは『お兄ちゃん』です』
「そうか、感謝する。 通信終了」
プライベート・チャネル切断後、ラウラがお兄ちゃんと呼んで誰かの後をついていく姿を想像した副隊長が、悶え苦しんだのは完全な余談である。
「ふむふむ、お兄ちゃんか――」
「……お兄ちゃん、お兄ちゃんか――」
「駄目か?」
「もういいよ、それで」
一体全体どうなっているのだろうか、ラウラのバックにいる人物は。
日に日にラウラが色物キャラになっていく。
潤の目頭がほんの少し熱くなった。
それから暫く取りとめのない会話をしていたら、珍しくIS学園教員とラウラ以外の来客、癒子、ナギ、本音の何時もの三人がやってきた。
「やっほー、小栗くん、元気してる? って、うわっ、ミイラ男だ」
「来ちゃった。 ってホントに酷い怪我だね? 大丈夫?」
「おぐりん、部屋で一人はいやだよー、早く帰って来てよー、寂しいよー」
「本音、引っ付くな。 痛い」
女三人寄れば何とやら、静かだった病室は急に喧しくなった。
どうやらクラスには潤の容態は話されていないらしく、ほぼ全身に巻かれた包帯と、鼻腔栄養での補給はされていないものの栄養接種の為に何本も点滴がなされている。
寝ているだけで四人と話すのも礼儀が悪いと思ったので、上体を起こす。
強烈な痛み止めのせいで体が鈍いが、起き上がれる程度に痛みを和らげてくれるので今の状態でも何とか座れる。
「どけ、お兄ちゃんが痛がっている」
左腕にしがみついていた本音をラウラが引きはがす。
引きはがされた本音は、その行動よりラウラが言い放った潤の呼び名の方が気になったらしい。
一瞬きょとんとして唖然となったものの、ナギと癒子と顔を見合わせて一斉に笑い出した。
「お兄ちゃん? 小栗君がお兄ちゃん? あはは、私も今度からお兄ちゃんって呼んでいい?」
「おぐりんが、お兄ちゃん。 はまり役過ぎる」
「ふむ……変だったか?」
「良いんだ、ラウラ。 いいんだ……」
ナギが悪乗りしてお兄ちゃん、お兄ちゃん、連呼してくる。
ラウラがお兄ちゃんというのはまだ理解の範疇だが、ナギに呼ばせると若干犯罪臭がする。
同じ黒髪なので兄妹に見えなくもないし、肉体的に大人な彼女に言われると、そういうプレイに見えてしまう。
潤が入院してからの事を四人から、何気ない調子で尋ねる。
どうやら決勝戦は一年以外中止になったので、優勝者は男子と付き合えるという話は無しになったらしい。
潤のお見舞いが今日から申請者のみ解禁になったものの、お見舞い希望者が三十人位いたらしく申請用紙の争奪戦になったとか。
陸上部が奪い合いした挙句、リアルマネー取引が発生、千冬から雷が落ちたとか。
「陸上部も来たがっていたのか、なんか意外だな。 一緒にトレーニングするマネージャーみたいな立ち位置で、部員からは腫物を扱うような関係だったが」
「いや、私の予想では、興味が無いようでも陸上部全員興味津々と見た!」
「環境が特殊だったから恋愛は諦めていたのに、急に男子が入ったから、学園全体が恋愛に傾倒しやすくなっているみたいだしね」
「去年の今頃、IS学園に男子生徒が二名入学するなど、ドイツでは誰も信じんだろうからな」
「それは世界中でそうなんじゃないかなー」
「は、はは、そうだな……」
乾いた笑い声を上げる潤にも、それは当てはまる。
日本の小学六年生当時、来年異世界に飛ばされるなんて誰も信じなかっただろう。
異世界で人を殺しまわっている時に、来年は平和な学校生活を謳歌しているなんて信じなかっただろう。
事実は小説よりも奇なりである。
「あ、また誰か来たっぽい……、って、かんちゃんだー」
病室前をうろうろしていた人影を目敏く見つけ、本音が駆け寄っていった。
擦りガラス越しに判断できるとは、何時ものほほんとしている割に洞察力やら観察力やら高い本音らしい。
というより、簪も来たのか。
意外だった。
「かーんちゃん、やっぱりおぐりんのこと心配だったんだね。 えへへー」
「や、やめて……抱きつかないで……。 あっ、あっ……」
本やら花やら持って簪が入ってくる。
本音に抱き付かれて動きにくそうにしていたが、ようやく顔が見られる所まで入ってきた。
IS学園の制服、相変わらず華奢な体つき、そして、怪我は――。
「うん、怪我は無さそうだな。 安心した」
「えっ? ……何で――こんな、大、怪我……」
潤の包帯姿を足から顔までゆっくり見て簪が呟く。
実際UT状態のISと交戦したパートナーにも話していなかったのか、簪も潤の容態は知らなかったようだ。
全身の打撲、筋肉も炎症筋挫傷やその他多数、骨折はほぼ全種類コンプリート。
右肘と右膝は患者の体力の関係、そして今後の容態次第では命の危険性もあり、切り落としてしまった方が安全だ、という医師の勧めもあったほどの重症。
そのことはラウラや潤にも通達されていない、学園側だけが知っている頭の痛い案件だった。
そのギプスで固定されている足やら腕やら、点滴の管を何度も見比べて――――
「あぅっ」
顔を真っ青にした挙句、割かしかわいらしい声を上げて倒れ込んだ。
潤の、足の部分に。
「かんちゃん!?」
「いっつ!?」
「あっ、お、お兄ちゃん!? 衛生兵、違う、ナースコールが必要か?」
「大丈夫、大丈夫だ。 部屋隅にある脚部エレベーティング仕様の車椅子を持ってきてくれ。 本音、簪をベッドに。 ラウラ、椅子に移るから手伝ってくれ」
「ベッドから出て大丈夫なの?」
「右腕と右足以外は二月もあれは治る程度だしな、それに少し風も浴びたい」
むしろ全然大丈夫でないが虚勢を張るのは男の特権である。
起き上がって話を出来る程には回復したが、全身錆び付いたブリキ人形の様で、痛くてたまらない。
「しかし、何故倒れたんだ?」
「多少気のある男子が、自分を庇って大怪我してミイラ男になっていたら、普通の女の子ならショックだよ?」
「そういうものか……」
なまじ本物の軍属だったので、怪我に対する意識が普通と違うのは仕方がないと納得した。
潤が車椅子に移動した後、本音が簪をベッドに寝かせる。
点滴はキャスター付きで一緒に移動可能と条件も良く、ナギが後ろから押し、久しぶりに病室以外の風景を見ることとなった。
「おっ、潤。 って、すげー怪我だな」
「ミイラ男みたいですわね……」
「あの状態で、あんな機動していたのか? 人体とは不思議なものだな……」
「うわー、もう車椅子に乗って大丈夫なの?」
「いや、絶対やせ我慢よ、それも我慢は男の特権とか思っているわね」
本音に簪を任せて移動し、廊下に出た矢先に一夏達五人と合流する。
その後ろにも陸上部の面々が数人いた。
「黙ってろ、鈴」
「何、図星? やっぱ単純だわ、あんた」
カラカラ笑いながら車椅子の操縦を奪う鈴に、何とか首を傾げながら反発するも暖簾に腕押し状態である。
しかし、どうにも鈴と話すと違和感を覚える。
魂魄の能力は使用出来ず魔力もなし、この状態では碌に異常を調べることすら無理なのが辛い。
点滴の台も奪った鈴は、屋上に向かって颯爽と駆け出した。
「ちょっと待て、ガタガタ揺らすな、痛いっての!」
「あはは、その何時になく必死な表情、逆に面白いわ」
生まれてこのかた生の重症患者など見たことなどないセシリアは潤の容態など分からないだろうが、それ以外の面々は戦々恐々である。
もし倒れでもしたら、そう考えたナギと癒子は急いで二人を追いかけていった。
「それにしても、潤って笑顔が似合うタイプだよな」
「そういえば、笑っていましたわね」
「潤の笑顔なんて僕は初めて見たかも。 あっちの方がいいね、話しかけやすいし」
「笑顔になると印象が良くなるのか? ふむ……」
「なんにしても、お見舞いに来て元気になってくれれば、来た甲斐もあったってもんだ。 俺たちも急ごうぜ」
鈴の奇行を伺っていた一夏達も、急ぎ足で廊下を歩く。
ふくよかな婦長に見つかり、無茶をしていた潤諸共かみなりを落とされている先行メンバーを見つけるまで時間はかからなかった。
「じゃあな、潤。 無理しないでゆっくり休めよ」
「陸上部一同待ってるからねー」
手を振ってお見舞いにやってきたメンバーが一斉に帰っていく。
日が落ちて騒がしかった病室が途端に静かになる。
簪はお見舞いに来たのに気絶してベッドを占有した気恥ずかしさから、起きてすぐ本音と一緒に帰ったらしく病室にはいなかった。
IS委員会の息がかかった人員が看護をしているので、滅多な事では誰も来ない。
ほぼ女子高と言える華やかなIS学園にいるせいか、一人でいると妙に寂しくなる。
――しかし、魂魄による制御が出来ないと、ついつい感情が表に出てしまうな。
紫色に変化した黄昏の空を見て思い浮かべるのは、何時も通り昔の事。
戦い続ける中で感情の揺れ動きは必要ないと思って打ち消していたが、生憎今は制御の源たる魔力が欠片もない。
生の感情をさらけ出して戦うなど品性に欠ける、と誰かは言ったがそれ以前に不必要な感情は敗北の要因である。
そうだったのに――、少し感情制御が出来なくなるとすぐこれだから困る。
「駄目だな、さっさと寝てしまおう」
起きているだけで体力を奪う現在の容態は、言うなれば何時でも休息を必要としていると同義。
少し目を瞑って休もうとすれば、たちまち体は休息に入った。
ただ最後に――、簪とは印象の違う、水色の髪をした女性を見た気がした。
次話は、金曜か土曜日に更新します