ムシウタ:re   作:上代 裴世

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第二話

 

 

 

雲間から差し込んだ月明かりが、暗闇を切り裂く。

真夜中の人通りが少ない路地裏で爆音が響き渡り、土煙が通路を覆う。

爆発音が止み、土煙が晴れるとそこには帽子とマフラーで顔を隠した小柄な人影が、地面に倒れる十代前半位の少年を見下ろしていた。

 

「コイツも違う……」

 

悔しそうに呟き唇を噛みしめる。

爆発の余韻に混じり、サイレンの音が遠くから聞こえてきた。連日発生する爆発事故に慣れ、対応が早まってきている。

人影の身体から銀色の触手が分離し、白衣に松葉杖という姿に変わった。

触手は収束し、銀色の蝶の形態を取ると人影の肩に止まる。

 

「はぁ…はぁ…」

 

人影が息を上げ、杖でふらついた身体を支えようとする。

だが、身体全体にのしかかる脱力感のせいで上手く支える事ができず、バランスを崩しゆっくりと地面に向かっていこうとしたその時……

 

「……病人は静かにしてるものだろ?」

 

何者かが人影の身体を優しく支えた。

路地裏に注がれた月明かりがその人物の姿を淡く照らす。

 

「……裴晴…?」

「人の忠告を素直に聞くものだと思う、けど!」

 

人影…花城摩理の身体をお姫様だっこに抱き抱えると、裴晴は静かにその場から跳躍し、建物の壁面を足場に駆け上がると夜の雑居ビル群を屋上伝いに移動する。

 

「…離して…」

「煩い。大人しくしてろ」

 

移動間、恥ずかしげに腕の中で愚図る摩理へ、彼らしからぬ苛立ちを含んだ一言を言い捨てながら、赤牧市中央集合病院に到着した。一息に壁を乗り越え、敷地内に侵入すると摩理の病室へ向かう。電気も点けず室内に入ると、裴晴は腕に抱えた摩理の身体をベッドに横たえ、勝手知ったる動作で枕元の棚に置かれたガラス瓶に手を伸ばした。

瓶の中にあった錠剤を三粒ほど取り出すと、横たわる摩理の身体を起こして彼女の口に含ませる。

側にある水差しを手に取り、咽ない様に摩理の口の中へ流し込み、しっかりと薬を嚥下させた。

 

「落ち着いたか?」

「…はぁ…」

 

呼吸を安定し、動悸が和らぐ。

少しずつ摩理の身体に活力が戻ってきた。

自分の力で身を起こすと、摩理は裴晴を親の敵の様な目つきで睨みつけながら言う。

 

「着替えるから出ていって」

「わかってるよ」

 

裴晴は摩理の敵意の眼差しと口調を肩を竦めて受け流すと、言われたとおり、一度病室から退散していった。裴晴が病室から出ていくと、帽子とマフラー、そして身を包む衣装を乱暴に脱ぎ捨てクローゼットへと仕舞う。代わりにベッドに投げ出していった……今は何故か綺麗に畳まれている入院服に袖を通す。

入院服を身に纏うと、廊下に出て病室の扉前で立っている裴晴に声を掛けることなく、摩理はベッドに潜り込み、布団を頭から被った。

呼べば病室に入ってきて、彼が自分に説教してくるのがわかっているからだ。

 

「こら。狸寝入りするな」

 

裴晴は摩理が着替え終わり、ベッドに入り込んだ僅かな音を感じ、病室へ再び戻った。

足早にベッドの横に立つと、布団の上から摩理へ声を掛け、説教が始めようとしたが、

 

「摩理」

 

一瞬躊躇する素振りを見せながら、真剣な口調で名を呼び、布団から僅ずかに覗く彼女の頭に触れた。

ぴくりと身体を身じろがせたが、摩理は返事をすることなく、彼の次の言葉を耳を傾ける。

 

「もう狩りはやめろ。君の身体がもたない」

「…嫌よ…不死の虫憑きを見つけるまで止めるつもりはないわ」

「その前に君の身体の時間が尽きる。頼むからこれ以上、無茶するのはーー」

「時間がないのよ!」

 

ベッドの中で摩理が大声で怒鳴る。

真夜中の病室で騒ぐのは不味く、既に面会時間と消灯時間が過ぎているのに、病室に病人以外の人間がいるのは問題だ。バレればただでは済まないはずだが、裴晴は冷静な態度で摩理の言葉を聞き続ける。

 

「身体にちっとも力が入らなくなっているの!一昨日よりも昨日、昨日よりも今日の方が……!きっと明日はもっと!どうなってるのよ、私の身体は!どうしてこんなーー」

 

シーツを掴み、内心の恐怖と不安を吐き出して行く。

苛立ちからくる震えではなく、純粋な"死"への恐怖をそこに感じた。

裴晴は布団の中に手を忍ばせ、震える摩理の手を握る。

 

「君だけじゃない。今この時、この瞬間、ここではないどこかで他の誰かも同じ事を思っている。重要なのは恐怖に打ち克ち抗うか、負けて死ぬかだ」

「だから私は抗ってるのよ。不死の虫憑きを探して、その不死性の秘密を明らかにすれば、きっとーー」

「いいや、君は抗ってない。負けている。じゃなければ、こんな自殺行為に等しい事を連日連夜行いはしない」

 

賢い彼女が無茶無謀な狩りを強行する理由は別にある。

 

「君が心変わりしないなら力尽くで止める事になる」

「出来るの?貴方に…?」

「例え虫と同化しても病んだ女の子相手に負けるつもりはない」

 

確かに摩理は他の虫憑きと類すれば、最強と言ってもいいだろう。だが、虫憑きとなった今の裴晴の前ではその最強の看板も薄らぐ。

現時点、全ての虫憑き中、真に最強で"最凶'と呼ばれるに相応しい虫憑きは裴晴なのだから。

 

「…なんで…なんで…そこまで邪魔をするのよ…?」

「俺のエゴだ」

「なによ…それ」

 

摩理の疑問に裴晴は答えない。

自分の想いをここで吐露するのは簡単だが、それを今、口にすれば彼女をきっと苦しませる。

だから、言わない。

 

「帰って……」

「君が眠ったら帰るよ」

「今日はもう外に出ないわ」

「前にも同じ事言って抜け出したろ?君への信用は俺の中で現在進行形でガタ落ちだ。文句を言わずに寝ろ」

 

そう言って裴晴はベッドの側に備え付けられた丸椅子に腰掛けて摩理が眠りに落ちるのを待つ。

大変不満そうな雰囲気をひしひしと飛ばしながらも、数分くらい経って、穏やかな寝息が布団から聞こえてきた。狸寝入りではなく、完全に就寝したのを確認すると、裴晴は病室を後にした。

廊下に出て、誰にもバレない様に病院から抜け出そうと足を踏み出そうとしたがーー

 

「盗み見は止めろと以前、忠告しなかったか?」

 

振り返らずに裴晴は先程までそこには居なかった人物へと尋ねた。身体から放たれる殺気をその人物へと指向する。

 

「死ぬか?"先生"」

「勘弁してほしいね。直接でも関接的でも君を敵には回したくないよ」

 

裴晴の背後に続く廊下の中央にボォっと人影が浮かび上がり、返事が来た。

 

「摩理の調子はどうだい?」

「俺に聞かなくても知っているだろ?最悪だ。期限までに間に合うか怪しい」

「どれくらい"喰らったんだい"?」

「今日の成果を含めれば、20匹ほどか。計画を実行に移すには質も量も足りない」

「まだ……力を蓄えるのかい?」

「当たり前だろ?俺の能力は知っている筈だ。弱り果てた摩理の身体を健常なものに復元するにはまだ足りない」

 

裴晴の望みを叶えるには不足。

返ってきた疑問に対する返答に現れた人影…'先生"と呼ばれた男は顔を歪めた。

 

「摩理もそうだが、君も止めるんだ。そんな事をしても誰も救われない」

「いや、一人は確実に救われる。数多の犠牲を産もうとも俺は止まらない。例え地獄に落ちようとこの望みと"夢"は死んでも譲らない」

 

確固たる決意を持った口調でそう言うと、裴晴は歩みを再開させた。

 

「邪魔をするなら"先生"。貴方であろうと容赦はしない。夢を喰う以外に能がない奴は引っ込んでいろ」

 

摩理を救うのは自分。

人間を敵に回そうと。

同族を敵に回そうと。

世界総てを敵に回そうと。

裴晴は己の願いを叶える為に歩みを止めない。

邪魔するものは排除するのみだ。

 

次の日。

摩理起きた時には彼は居なくなっていた。

時計を見ると時間は昼を既に回っている。

どうやら、泣き疲れて寝過ごしてしまったらしい。

ドアを軽くノックする音で目を覚ますと、摩理は毛布をどけて上半身を起こす。

時間帯的に主治医の問診か、裴晴が見舞いに来る頃なので、ノックは彼か主治医のものだと思い、身なりを整えた。

 

主治医ならともかく、昨日の夜の事もあって顔を合わせづらいが、狸寝入りすれば悪戯されるのが目に見えている。自分の頬に涙の跡がないことを確認して待ち構えるが、一向に病室に入ってくる様子がない。

 

「……?」

 

暫く待っているとまたノックが聞こえてきた。

摩理は眉を潜める。いつもならすぐに手土産持参で病室に入ってくるはず。

何度もノックするなど彼らしからない。

摩理が入室を許可しなくても彼は入ってくる。

彼女自身の病状が病状なだけに倒れている可能性も否定できないからだ。

だから、返事がない場合、恐る恐るだが、裴晴は病室へ許可なく足を踏み入れる事が偶にある。

それを鑑みると二度もノックするなんてあり得なかった。

すると、ドアの外から、ぶつぶつと誰かが呟く声が聞こえた。

 

「寝てるのかしら…そうなるとわざわざ起こしちゃ悪いわね。何事も第一印象が大事っていうし……ってそんな、お見合いじゃないんだから……」

 

ますます摩理は眉根を寄せる。

声色からして裴晴には似ても似つかない少女のもの。

 

「まさか、具合が悪くなって倒れてるとか……?いやいや、まさか…でも、でも、もしそうなら、こうしてる場合じゃないわ!」

 

慌てた声が聞こえたかと思うと、バンっ!と勢いよく病室の扉が開いた。

 

「……」

 

摩理は唖然としてその珍客を見詰めた。

 

「……」

 

ドアの取っ手を掴んだまま、珍客の方も摩理の顔を凝視していた。

見つめ合った状態で両者に沈黙が落ちる。

…だれ?と摩理の頭の中は疑問符でいっぱいになる。

だが、直後、それらは一瞬にして吹き飛んだ。

 

「…こんにちは!」

 

自らの奇行を誤魔化そうとしたのか、少女が満面の笑みと共に言った。

摩理は一言も声を発さずにただ一点の曇りない笑顔に見入ってしまった。

それが摩理とその少女…一之黒亜梨子との出会いだった。

 

 

 

@@@

 

 

 

いつも通り見舞いに来ると病室から賑やかな声が聞こえてきた。

摩理の声ではない同年代の少女の声。

聞き覚えのない声であるのは確かだ。

自分以外に摩理の病室に訪問者とは珍しい。

彼女の両親でさえ、見舞いに来るなど天変地異が起こる位の珍事に等しいというのに。

一体、自分の他に誰が摩理の見舞いに来たのか興味をそそられつつ、裴晴は普段通りの調子で病室に足を踏み入れた。

 

「こんにちは、摩理。今日はいつもより賑やかだけど誰か来たのかい?」

「っーー」

 

朗らかに笑みながら病室に入ってきた裴晴を、ベッドで身を起こしていた摩理が反射的に見つめ返した。

ベッドの側に備えられた椅子に座る見知らぬ制服の少女も裴晴の方に振返り見てきた。

 

「初めて見る顔だね。摩理の知り合いかな?」

「…学校のクラスメイト…らしいわ」

「あぁ…一応籍は置いてる中学校のか?まだ一度も通った事ないのに良くクラスメイトが君の事を知ってたな」

 

摩理からの返答に裴晴は相槌を打ち、納得しながら椅子に座る少女へ視線を移した。

 

「初めまして。摩理の友人の千堂 裴晴だ」

「は、初めまして。花城さんのクラスメイトの一之黒 亜梨子です」

 

お互いに自己紹介を交わすと、裴晴は土産として持ってきた数冊の本を入れた紙袋ごとベッド側の机に置いた。

 

「はい。今月出た新刊分。本棚を増やさないともう納まり切らないんじゃないか?」

「…ありがとう」

 

摩理は裴晴の土産を一瞥すると、顔に戸惑いの色を顕にしながら視線で裴晴に「助けて」と訴えてくる。

病院の敷地内から出たことが殆どなく、極小というより親しい交友関係が裴晴以外に居ない摩理にとってクラスメイトの少女は己の箱庭に紛れ込んだ闖入者に感じるのだろう。

 

「一之黒さんは摩理に何の要件でここに?」

 

学校に登校した事もないクラスメイトの元に態々赴くというのは余程の理由があると思い聞いた。

すると、亜梨子は摩理にも同じ説明を再び身振りを混じえて一方的に話し始めた。

裴晴が来るまでそうだったのだろう、亜梨子の奇妙なマシンガントークに裴晴と摩理は終始圧倒され、看護師に面会時間終了を告げられるまで続いた。

 

「また明日も、来てもいい?」

 

椅子から立ち上がると、亜梨子が無邪気に尋ねてきた。

 

「えっ……」

 

摩理が戸惑い、口籠る。生まれて初めての問いになんと答えて良いのか分からないようだ。

珍しい彼女の反応に裴晴は窓際で可笑しそうに口元に笑みを浮かべながら成り行きを見守る。

 

「負担に…なるといけないし、別に来なくても……」

 

小さな声で無意識に答える。

どういう想いを抱いてそう返答したのかは、裴晴には予想するしかないが、卑屈な思考をしているに違いない。

亜梨子が不思議そうな顔をした。

 

「なんで?私は問題ないわよ。それじゃあ、また明日ね」

 

と、言い残し、亜梨子が去っていた。

その後ろ姿を摩理と裴晴は見送った。

 

「さて…俺も帰るかな」

 

裴晴も病室から立ち去ろうと動き出し、扉へ向かっていった。

 

「待って」

 

摩理に呼び止められ振り返る。

 

「どうした?」

「もう少し居て」

「別に俺は構わないけど…面会時間がーー」

 

裴晴は一向に問題はなかったが、もう面会の時間は過ぎていて、これ以上留まると主治医や看護師から咎めを受ける。

流石にだめだと断ろうとしたら主治医が亜梨子と入れ替わる様に病室へ問診に来た。

 

「構わないよ。裏の救急外来の入口は空いているからね。私が一報しておこう」

 

やり取りが聞こえていたのか簡単に許可が降りた。

少しの面会延長くらいは出資者の娘の我儘としては軽いもので、融通の効く範囲だからだろう。

主治医の許可が降りた為、裴晴はもう少しだけ摩理の相手をすることにした。

問診が終わり、主治医や看護師が退出すると、パイプ椅子に腰掛け、摩理へ尋ねる。

 

「どうしたんだ、急に。らしくない」

「別に構わないでしょう?今日はあの子の話を聞き続けていたから挨拶以外で貴方と話していないし」

 

それだけの理由で呼び止められたとは考えづらい。

 

「そんな理由で君が引き止めはしない。大方、一之黒さんの事だろ?」

 

そう指摘すると摩理の肩がぴくりと跳ねた。

 

「良かったじゃないか。俺以外の見舞い客が来て。これから退屈しなくて済むじゃないか」

 

裴晴は優しく微笑んで言った。

摩理は頬が熱くなるのを感じると、誤魔化す様にベッドに横になり、裴晴から顔を背けた。

 

「よくなんて…ないわ…」

「何故?」

「私にはただ元気な自分を見せつけに来たようにしか見えなかった……!あの子がここに来たのだって、同情以外の何物でもないじゃない!」

 

顔を歪めて荒々しく言い放つ。

今まで深刻に身体を壊した事が無さそうな健康優良児の亜梨子の姿は病弱で死と隣り合わせに生きてきた摩理には酷く眩しかった事だろう。

私もあの子みたいに、と思っても不思議でない。

 

「なら俺はどうなる?別に元気な姿を君に見せつける為にこうして足を運んでる訳じゃないんだが?」

 

同情して来ている訳ではない。

 

「もし、元気な姿をした人間が来るのが辛いならもう見舞いに来ない様にするけど?」

 

何気なくちょっとした意地悪で裴晴がそういうと、横になっていた摩理の身体がベッドから跳ね起きる。

 

「駄目っ!!」 

 

最近見たことがないほど必死な顔をして、身体を起こすとパイプ椅子に座る裴晴へ手を伸ばしてきた。

予想外の反応に裴晴は固まる。こんな冗談の延長でしかない軽口に取り乱すなんて今までの彼女を知る人間としては想像だにしなかった。

縋り付く様に服を握りしめ、自分の胸に顔を伏せる摩理を裴晴は戸惑いつつ、背中に手を回して優しく抱きしめる。

 

「ごめん…。悪ふざけが過ぎた」

「………」

「本当にごめん」

 

謝ると、襟首辺りを掴む摩理の手がきゅっと更に引き絞られた。

その後、一言も話をすることもなく。

互いの存在がここに在ることを再確認するように、看護師が呼びに来るまで抱擁は続いた。

二人共に頬を紅くし、顔を合わせづらそうに別れたのは言うまでもない。

 

 

 


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