刀風見聞録   作:海のあざらし
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一斬之宴之二

「おさけおいしいです」

 

「どうしたんだ、こいつ」

 

 据わらない目でちびちびとワインを飲むお狐様を見て、漸く席に戻ってこれた魔理沙は何があったのかと訝しむ。

 首も座っておらず、まるで生まれたての赤子のように傾いている。それに、何故か話す言葉が片言だ。正直な感想を述べるのであれば、下手な妖怪より得体が知れない。

 

「私達をぶった罰が当たったんでしょ。お天道様は全ての行いをしっかり見てるってことの良い例だわ」

 

「随分陰湿なんだな、お天道様ってのは。これじゃあ九尾の狐じゃなくて羞恥の狐だ」

 

 うふふー、とらしくないにも程がある不気味な笑みを浮かべながらワインをゆっくりと減らしていく大妖怪。奇しくも恐ろしくて訳が分からないという妖怪の本質をこれ以上無く正確に体現してしまっているが、何も彼女はこの宴会の場において妖怪の何たるかを知らしめたいわけではない。

 

「あいつは不注意から触れちゃったのよ。侵すべからざる禁忌ってやつに、ね」

 

「はたてまで何を言ってるんだか」

 

 変な妖怪達だぜ、と呆れ顔で盛ってきた肉をぱくつく魔理沙は知らない。つい数分前、ここで二度に渡る凄惨な首折り事件があったことを。

 如何に強大な九尾の狐と雖も、連続して首を外されれば只では済まない。直ちに回復できない甚大なダメージは、藍の頭をわるわるにしてしまったのだ。何がどうなってそんな因果関係を見出せない結果がもたらされたのかは、折った当人のみぞ知るというものである。

 

「変じゃなかったら妖怪であれないわよ」

 

 はたても知らなかった妖怪の定義を語った霊夢は、魔理沙と同じく分厚い肉をもぐもぐと食べ進めている。彼女達は丁度食べ盛りを迎えるくらいの歳だ、何も気にすることなくたらふく食べて欲しいものである。元より弾幕ごっこなり何なりで一般的な人間の少女に倍する運動量を誇るのだから、付くはずのものもそう多くは付かないはずだ。是非とも安心して頂きたい。

 

「ほぉ、妖怪退治の専門家サマがそう言うんならそうなんだろうな。まぁ確かに、主たる妖怪連中は皆が皆変わった奴ばっかりだが」

 

「あら、酷いこと言うわぁ」

 

ひっ!?」

 

 霊夢に合わせて軽口を叩いた魔理沙の鎖骨辺りを、そっと細い指がなぞる。瞬時に全身を走った電流のような怖気に、魔理沙が素っ頓狂な声を上げて仰け反る。

 すわ何事かと後ろを振り返ると、いつやって来たのか大陸の道士のものに似た服に身を包む麗人がにこにこ楽しげな笑みを浮かべていた。魔理沙は、この相手とそれなりに面識がある。

 

「あらぁ、可愛い反応ねぇ。敏感さんかしら」

 

「ゆ、紫。驚かせないでくれよ」

 

 はたてにとってはまたまた参上、傍に這い寄る混沌(カオス)・八雲 紫である。幻想郷の妖怪で変な奴と言えばいの一番に名前が挙げられる存在で、本人もそんな不名誉であるはずの状況を何処か楽しんでいる節すら見受けられるのだからいよいよ質が悪い。

 

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのよ」

 

「嘘つけ」

 

「ただ、妖怪には私のように人に近しい思考をする個体もいるってことを言いたかっただけよぉ」

 

 人に近しい思考。例えば、他人の物を奪ってはならないとか、他者との協調性を重んじるなどがある。要するに、倫理観や道徳を基底として成り立つ考え方だ。…寧ろかなりかけ離れているように思うのは、はたてだけだろうか。

 紫は、基本的に合理性や論理に基づいて行動することが多い。そして、その過程で生じる如何なる犠牲も『必要経費』であるとして厭わない。このことは、はたても身をもって知っている。

 別に、感情のない機械仕掛けの妖怪というわけではない。彼女だって友人や式神と共に過ごす時間はきっと好きであろう。そうでなければ、わざわざ自分からはたてや霊夢達の元へ行ったりはしないはずだ。

 

 だが、彼女には大事な友にも増して守るべきものがある。それが、この幻想郷そのものである。理由は明らかでないが、紫は幻想郷の安寧を大きく乱そうとする者に対しては強い忌避感を示す。故に、どれだけの代償を払おうとも彼女はこの世界の保護を最優先事項と定めているのだ。

 そう、例え()()()()()()()()()()()()()()

 

「はたて、三百二十五秒ぶりですわね」

 

「数えてたのね。暇してるのかしら」

 

「誰も話しかけに来てくれないのよねぇ。何でなのかしら」

 

 とは言っても、ずっと一人でいるのはやはり寂しいらしい。ご丁寧に椅子も持ってきているので、はたて達の集団に参加するつもりなのだろう。

 勿論賑やかになるのは良いことなので歓迎するが、その前に折った自分の式神の首を何とかしてやったらどうか。幾ら藍に落ち度があったとはいえ、妖怪の賢者に仕える大妖怪がこのざまでは色々と不味かろう。

 

「初めて海鼠(なまこ)を見た人間が、それを食べようと思うかしら。増してその海鼠が、見るからに毒々しい紫色をしていたとしたら」

 

「あら、食わず嫌いは感心しませんわぁ」

 

「人も妖も、口に入れるものには気を付けるのよ」

 

「良薬口に苦しと言うのにねぇ」

 

 良し悪しなど超越した劇薬が、何を言うか。食事をしながら二人の話を聞いていた霊夢も、半眼で紫を見る。

 

「ま、いずれ私の効能も世に知られることとなるでしょう。そうなれば、皆が私とお友達になろうとしてくるはずだわ」

 

「あんただけ焼酎でも飲んでたの?」

 

「失礼ねぇ、まだまだ素面よ」

 

 そう言いつつ、手元に小さなスキマを開いて中をごそごそと探る。何を取り出すのかと思って見ていると、出てきた手に握られていたのは三本の酒瓶であった。

 

「というわけで、ほろ酔うために持ってきてあげたわ。かなり上等な年代物だから、飲めることに感謝して飲むのよ」

 

「あら、ありがと。でも私まだ肝心のご飯を食べていないのよ。空きっ腹にお酒入れるのは好きじゃないし、悪いけどちょっと待ってて貰えるかしら」

 

「仕方ないわねぇ。椅子は押してあげるから、戻ってきてから四十秒で食べ終わること」

 

 まーたこの妖怪は、実現不可能なことを要求してくる。苦笑いを浮かべて、はたては急かす言葉と裏腹にそっと動き出した椅子に揺られて ──

 

「食事中……でもないか。はたて、済まんが少しこちらに時間を割いて貰うぞ」

 

 背後から、最近よく聞くやや幼めの声に引き止められた。さて、宴会も佳境真っ只中のこの時分に何か用でもあるのだろうか。

 

「何よレミリア、見せつけるみたいに仲睦まじくしちゃって。私、今からご飯を取りに行くんだけど」

 

「なに、お前にどうしても謝りたいと言うのがいてな。聞いてやってくれ」

 

「謝るって、()()()が?」

 

 レミリアの背中に備わる黒い翼から、細い枝のようなものがはみ出ている。会場の照明の光を反射してきらきらと輝くアクセサリーの付いたそれは、彼女の後ろで隠れるように縮こまっている少女が有する翼だ。

 何かに怯えるように、姉に縋る妹。体格は大差ないはずなのに、どうしてか一回り小さく見えてしまう。そんな様子が小動物のようで愛らしく思えるのは、きっと幼い少女だけに与えられた特権なのだろうと、はたてはちょっとだけ羨ましく思った。

 

「ほら、フラン。いつまでも私の後ろで震えてるんじゃない」

 

「……うん」

 

 おずおずと姉の盾から身を出したのは、フランドール・スカーレット。姉であるレミリアが最大限に無償の愛を注ぎ込む、人形のように愛くるしい少女であり。

 

「あ、あのっ。……あの時は、ごめんなさい」

 

 数日前にスペルカードルールに則ったとはいえはたてと激闘を繰り広げ、その末に彼女の片腕を焼失させた張本人でもある。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ご飯を取りながら話を聞きたいというはたての希望があって、フランドールはご飯選びに付き合うことになった。紫が椅子を押し、はたては気になった品を見つける度に椅子を止めてもらって取り皿によそっている。

 勿論、ただ何の目的もなくフランドールを同行させているだけではない。この館の当主様の妹君にそんな扱いをするのは、不敬というものであろう。ご飯選びの最中でも、はたてと彼女はしっかりと話をしている。

 

「しっかし、見れば見る程可愛いわね。レミリアが溺愛してんのも納得だわ」

 

「ありがとう……?」

 

 訂正しよう。話は、している。先の一件についてのものではないが。

 何故かさっきから、フランドールを褒め殺しているのだ。やれ髪が綺麗だの、やれ可愛いだの。分からない話ではないにせよ、それは果たして今すべき話なのか。紫には、とてもそうは思えなかった。

 

「これは、私が独自に調査した幻想郷の愛くるしい少女ランキングにも変動があるわね。誇りなさいフランドール、あんたは間違いなく三本指に入るわ」

 

「そ、そんなことないよ」

 

「自覚のない可愛さってところも、高評価ね。良いなぁ、私ももっと愛らしい顔立ちしてたら今頃……あら」

 

 まだまだ年相応のあどけなさを残しているとはいえ、同年代の少女と比べればはたての目はきりっと細い。このまま成長すれば、和装と刀の似合う凛々しい大和撫子になることだろう。それを嫌とまでは言わないにせよ、偶にはフランドールのようにぱっちりとしたきらきらおめめに憧れもする。だって、女の子だから。

 隣の芝生は青いと言うが、実際に青いのだから羨ましく思うのも仕方ない。これは来世に賭けるしかないかとやや気落ちしながらサラダを取ろうとしたはたてだが、ボウルには一枚のレタスも残されていなかった。

 

「はたてさん、それを食べるの?」

 

「食べたいけれど、無いんじゃあ仕方ないわね」

 

 紫や霊夢達と喋っている間に、全部取られてしまったようだ。来るのが遅かったかと、はたては残念に思った。最初に霊夢や魔理沙と取りに来た時に、自分の分を確保しておくべきだった。

 この人数、しかも殆どが女子なのだから、サラダが怒涛の勢いで品薄になるのは見えていたというのに。怪我をしてからどうにも頭が回らなくていけないと自虐的に苦笑するはたてだが、まだ彼女には美味しいサラダを食べる道が残されていた。

 

「良かったら、追加で作れないか咲夜に聞いてこようか?」

 

 嗚呼フランドール、あんたは見た目だけじゃなくて心までも天使なのね。抱き締めて撫でくりまわしたい衝動に襲われたが、それをすると姉の目が怖いので自制することにした。

 

「咲夜。あぁ、紅魔館のめ、めい……何だっけ」

 

「給仕をしてくれる人間のことを、メイドって言うの」

 

「成程。山育ちの小娘に、外来語は良く分からないわ」

 

 妖怪の山で生まれ天狗社会の中で十余年を過ごしてきたはたてにとって、結界を越えさらに海を越えた先にある国々の言葉に馴染みなどない。だからこそ、日本と呼称される国の中のみで発展したに過ぎない言葉を特に不自由もなく扱うレミリア達の教養の高さに驚かされもした。

 十年前のあの大異変の時点で、彼女達は既に日本の言葉で自分達と会話をすることができていた。彼女達の母国の言語を用いなかったのがレミリアなりの流儀だったのかは分からないし尋ねようとも思わないが、何にせよ紅魔館の面々が日本語をほぼ完璧に話せるまでの勉強を重ねたのは紛れもない事実である。もしはたてが海の向こうの言葉を一つ学べと言われても、そこまで精力的にはできない。

 

「うーん。もしあんたが良いって言うなら、ちょっと聞いてきてもらっても良いかしら」

 

「大丈夫だよ」

 

 じゃあ少し待っててね。そう言い残して、フランドールは足早に会場の外へと出ていった。場には可動椅子に座るはたてと、それを補助する紫が残された。

 

「……で?」

 

 さて、これで漸く差し合いでの話ができる。フランドールを蚊帳の外に置くようで申し訳なさもあるが、こいつは彼女がいる限り絶対に口を開かないだろう。折りよく彼女に席から外れてもらう機会が巡ってきたのは、僥倖と言える。

 

「何か言いたげね」

 

「気遣いが全て相手を助けるとは、思わない方が良いわ」

 

 思慮に耽っている時、紫はぷつりと糸が切れたかのように黙り込む癖がある。今回は何を考えていたのかと遠回しに聞いてみれば、返ってきた答えは自らの態度への忠告のようなものであった。彼女の言う気遣いが何を指しているのか、はたては理解している。

 

「いや別に、フランドールを慮ってあの話題を避けてるわけじゃないわよ」

 

「それでは、他に言及しない理由があると?」

 

「えぇ」

 

 本音を言えば、多少その辺りにも配慮はしている。だが、主たる理由とはならない。はたてがフランドールにあの日の死闘についての話を切り出さない理由は、他にある。

 紫なら、躊躇なく開口一番で話題に上げていただろう。彼女は真っ向から衝突した相手のことを敵と見なすから。いや、敵と見なしたからこそ衝突するのか。いずれにせよ、彼女は一度敵と見定めた者に対して決して容赦しない。肉体的にも精神的にも、戦闘においても後のことにおいてもだ。

 

「是非教えて頂きたいわね」

 

「大したものでもないわ。当たり前のこと過ぎて、話すのがちょっと恥ずかしいくらいよ」

 

「笑いませんから、どうぞ」

 

 あんたの顔見たらそれくらいは分かる。はたては喉元までせり上がってきた言葉を何とか飲み込むことに成功した。今余計なことを言ってしまうと、心に刺さる一言をぶち込まれそうで怖い。口が滑らないうちに、ちゃっちゃと話してしまうことにした。

 

「仕方ない。……彼女は初めに、謝ったでしょう」

 

「そうね」

 

「だからよ」

 

 説明には、十秒も要しなかった。謝罪があったから許した、はたてはそう言っただけであった。

 

「何よ、珍しくぽかんとしちゃって」

 

「それだけの大怪我を負わされて、謝られたから許すというのは如何なものかしら」

 

「時間はかかるけど、治るじゃない。かりかりしなくたって良いわ」

 

 いつも通りの声の調子で、あっけらかんと彼女は言った。二度と元に戻らない大怪我を負わされたわけでもないのだから苛々する必要もないというのが彼女の立場のようだが、紫からすればあまりに危機感に欠けた楽観であった。

 

「あのね、はたて。一時的にとはいえ妖怪が片腕を失うというのが、生存する上でどれだけ不利なことか分かるかしら。増して貴女は剣士、腕の喪失は致命的よ」

 

「平気よ、怪我が完治して剣の腕が戻りきるまでは戦わないし」

 

「貴女がそう考えていたとしても、その通りに事が運ぶとは限らないわ。貴女の年齢にそぐわない強大な妖力を疎む者達からすれば、ここから数ヶ月が寝首を搔く絶好の機会となるのよ」

 

 勿論紫は、己の威信に賭けてはたてを守り通す所存だ。加えてある程度の段階までは紅魔館で療養することが決まっているので、これ程安全な療養生活はないとはたてが舌を巻いたくらいである。

 だけど、不測の事態が起きないとは言えない。どれだけ堅牢に固めた防壁でも、時には僅かな抜け穴を突かれてしまうことがある。もし客人を装った刺客が紅魔館に来た時、その全てを見破ることができるだろうか。もし命を省みない鉄砲玉がピンポイントにはたての部屋を襲撃してきたとして、彼女を守り切れるだろうか。物事を数手先まで見通す大賢者たる紫だからこそ、そうした悪い可能性に目を瞑ることはできなかった。

 

「ねぇ」

 

 はたては、紫程の頭脳を有していない。馬鹿ではないが、取り立てて賢いというわけでもない。彼女の最も飛び抜けた技能である剣技は、その真価の半分も発揮できないような状態だ。そもそも駆けることすら困難な体では、満足に逃げることもできまい。

 今、彼女を討とうと思えば多くの妖怪がそれを達成できるだろう。今のはたては、鎧を脱いだ人間の如く弱く脆い妖怪でしかない。

 

「あんた、疲れてる?」

 

 それでも、彼女は紫より冷静だった。

 

「いっつもあちこちで深謀遠慮張り巡らせてるから、物事を単純に捉えられなくなりつつあるんじゃないかしら。一旦落ち着いて、頭の中に余裕を持たせてから考えなさいよ。仮に私が浮かぶ言葉の限り彼女を罵ったとして、()()()()()()()()()

 

「……それは」

 

「腕がみょーんと生えてくるわけでもなければ、私が片腕で今まで以上の剣技を扱えるようになることもないでしょ。ただフランドールの気が滅入って、私の気分が悪くなるだけじゃない」

 

 どうしてそんな悪影響しかないことをしなくちゃいけないのよ。心底嫌だと言わんばかりに、顔を顰めてはたてはそう言った。

 目から鱗の落ちる思いだった。成程、確かにフランドールを詰ったところで状況が好転するわけでもない。それによくよく考えてみれば、はたての腕の喪失は弾幕ごっこの中での不運な事故だ。はたて曰く、全く故意ではなかったとのこと。無論フランドールにはしっかりと反省してもらう必要があるが、だからと言って声を荒らげて怒鳴り散らすのはどうなのだろう。

 

「私が思い上がってないんだったら、きっと心配してくれてたんでしょう。私は幸せ者ね、色んな人妖に身を案じてもらえるなんてそうそうあることじゃあないわ」

 

「……貴女の意思は、尊重されるべきよね」

 

 この言葉に、紫の思いがぎゅっと集約されていた。はたてが紅魔館の面々に対して何らかの償いを望んだのなら、彼女は可能な範囲でその要求に応えただろう。だけど、生命線とも言える腕を一時的に無くしてしまった天狗娘は直接の謝罪もあったことだしと一件を水に流してしまった。わざわざ泳いで拾いに行くのは、野暮というものなのだろう。

 はたてに諭されたことで、紫も冷静さを取り戻すことができた。この一連の騒動の当事者は彼女なのだから、彼女本人の判断に任せるのが良い。自分にできるのは、安心安全な療養生活に寄与することだけだ。紫が自身の為すべきことを再確認したのとフランドールがぱたぱた走って戻ってきたのは、殆ど同時の出来事であった。

 

「はたてさん」

 

「お、帰ってきたわね。どうだったかしら」

 

「咲夜に聞いたんだけど、今次のお皿を持っていくから少し待ってて欲しいみたい」

 

「わざわざ作って持ってきてくれるの。優しいわねぇ、あんたのとこの……えぇと、めいどさんって」

 

 それじゃあここで待って、お礼も言わないと。言いつつはたてが、紫の方に目配せをする。もう少しここで待機していても良いか、尋ねたかったのだろう。

 

「私は構わないわ。フランドール、貴女はどうするのかしら」

 

 ごく自然な流れで、彼女に会話を振る。はたても矛を収めっぱなしなので、既に彼女のことを咎めるつもりはない。別に紫自身が危害を加えられたわけでもないので、仲良くできるのならばそうしておくのも良いだろう。

 フランドールは、紫の友人知人に今までいなかった常識人幼女である。見た目幼女なら一人いるが、酒と喧嘩にお熱でスキマが裂けても常識ある賢人とは言えない。そもそも良識あるまともな知り合いが殆どいないのだが、これは類が友を呼んでいる典型的な例と捉えても良いのだろうか。

 

「私もここで待っておくね」

 

「それで良いのよ。私の癒しとなっててちょうだいな」

 

「あら。私にその役は、務まらないと?」

 

「冗談きついわ」

 

「はっ倒すわよ」

 

 こりゃ失礼、と笑いながら戯けるはたての頭をぺしっと叩いてから、紫は会場に入るための扉のうち前方のものを見る。上質な木でできているらしい扉はゆっくりと開かれており、小さく銀色を確認することができる。これまた早いご到着だとメイドのスピードに感心しつつ、紫は自分もサラダを貰っていこうと取り皿を自分の席から取り寄せた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「ほらほら酒が足りないわよぉ!」

 

「足りないわよぜぇ!」

 

「わたしやくもらん」

 

 何だこれ。

 

「そこの酔いどれ人間二人。その酒を誰が持ってきたのか知らないけれど、こんな強力なやつを水みたいに飲むものではないわ」

 

「うるしぇーなこのおっぱい図書館わよぉ。飲みてぇもの飲んれなーにが悪いんだ!」

 

「酒癖が途方もなく悪いじゃない」

 

 いやほんとに、何だこれ。サラダを無事取り分けて、急遽調理をしてくれたメイドに感謝を伝えてからほくほく顔で席まで戻ってきたが、この光景には流石に閉口せざるを得なかった。

 ふと可動椅子が揺れているように感じたので紫の方を見てみれば、押し手を持つ彼女の手がかたかたと小刻みに震えていた。その視線は一点に、掻き集めても一口にもならないくらいしか残っていない酒瓶に収束していた。

 あ、とはたても思い出す。そういえばこいつ、この酒を持ってきた時に『かなり上等な年代物』だとか言っていた。基本的に欲しいものを何でも手に入れられる彼女がそう言ったのだから、さぞかし貴重で高価で美味な酒だったのだろう。

 

「……あー」

 

 それを、あろうことか三本とも開けた上に空けてしまったのか。はたて達と共に飲むために用意された銘酒を、まるきりすっからかんにしてしまったというのか。あと藍の幼退化は、まだ続いているのか。何とかして大妖怪としての誇りを取り戻してほしいものである。

 

「フランドール、はたてを頼むわ」

 

「えっ?う、うん。分かった」

 

 彼女の可動椅子の世話をフランドールに任せ、紫は酒に呑まれて乱痴気騒ぎを続ける二人の元へ歩いていく。途中で光の宿らない目を虚空に定めていた藍に神速のアッパーを食らわせたのは、きっと彼女を正気に戻したかったが故の行動だろう。まさか滲む激情を適当なところにいた式神で発散したなどということはないはずである。

 手元に影が差したので、魔理沙はふと横を見た。当然そこには紫がいるわけだが、その表情は笑顔であった。何だそんなに怒ってはいないのかと頓珍漢な安堵に身を浸すには、あまりにも邪悪な微笑であったが。紫からひしひしと発せられるどろりとした怒気に、堪らず近くにいた妖精の一団が席を立って後方へと避難した。

 だが哀れ、今の魔理沙には身の危険を察知するという本能が欠けている。命知らずにも空の酒瓶を指し、けらけらと笑いながら話しかける。

 

「おっ、紫も帰ってきたな。この酒がまた、上手くてなぁ。生憎こいつは飲み干しちまったが、まだ紅魔館お手製ワインが残ってるから飲み゙っ゙」

 

 鶏の首を握り潰すかのように、紫は片手できゅっと魔理沙の細い首を締めた。どれだけの力でどう握ったのか、一瞬で白目を剥いた魔理沙はがっしゃーんと椅子から引っくり返ってしまった。そら見たことかと言わんばかりに、大図書館が彼女を呆れたような目で見ている。

 ここに至って、酒の効果で有頂天に昇っていた霊夢も漸く思い出した。そうだ、この酒は紫の持ってきたやつだ。気持ちの良い酔いがざぁっと引いていき、替わって身も凍る寒さが彼女の全身を襲った。

 

「妖杯『無窮』。妖怪が飲めば際限なく杯を傾けられる程に口当たりが良いことから、そう名付けられた珠玉の一本ですわ。私の友人の一人であるとある妖怪が造るこの酒は、十年に一本目にすることができれば幸運と言える希少なもの。伝手が功を奏したのか、暫く前に三本譲ってもらえたのよ。こんなこともあるものなのかと、年甲斐もなく心が踊ったのを覚えているわ」

 

 一般的に良い酒と呼ばれるものと比較してすら、群を抜く特級品ではないか。そんな酒を、三本も思慮なく飲み干してしまったという事態の危険性に気がつかないまま逝った魔理沙は、ある種運が良かったのかも知れない。

 

「……さ」

 

 言葉を選び損ねたら、自分も魔理沙のようにやられてしまう。霊夢は直感的にそれを察した。多分、下手に謝っても効果はない。ここで自分にできるのは、当意即妙な言葉の数々で紫を煙に巻き、この場を無事に切り抜けることだけだ。

 勿論、紫をだまくらかすのがどれ程困難なことかは如何にさっきまで酔いど霊夢と化していた彼女でも理解しているつもりだ。だが、やらねばやられるのは明白。覚悟を決めて、霊夢は一世一代の大博打に打って出た。

 

「酒はみんなで、美味しく飲んだわ」

 

「そうみたいねぇ。美味しかったなら、良かったわ」

 

「いやぁ、こんな凄い酒はそうそう飲めないわ。魔理沙も草葉の陰で今生に悔いはないぜとでも言っ」

 

「── 黄泉路の寂しさも紛れるような、軽快で甘美な味だったでしょう

 

 おかしいなぁ、語彙力と勘を総動員して最適解を見つけ出したはずなのに。全く、本当に必要な時に鈍るからこの勘というやつはいけない。主人の危機に知らん顔とは、それでも私の強みの一つかと説教でもしてやりたいくらいだ。

 霊夢はもう、半分諦めの境地に入っていた。足掻くことなくあるがままを受け入れてしまおう。敷かれた運命のレールから外れることなく、そのままを行けば良いではないか。やはりこいつを口八丁で霧中に迷い込ませるのは、齢十と少しの自分には無理だったのだ。

 

「怖がらなくて良いのよ」

 

 ぽふっと柔らかい手が霊夢の頭に置かれる。その優しい所作は、あたかも母が慈しみをもって子の頭を撫でるかのようなものであった。がっつりと掴んでいるように見えるのは、多分気のせいである。

 

「刹那の苦痛すら感じることはないもの」

 

 やっぱり気のせいではなかったようだ。頭を掴む指に、ほんの少しだけ力が加わったような気がした。こんなとんでもないことを口走る母親なんぞいて堪るか。

 まだ半分は一縷の希望に縋っているからか、霊夢は言い得ない恐怖を感じていた。何故だろう、そうするとは一言も明言されていないのに頭が弾けた栗のようにされる気がして仕方がない。

 

 だが、そんな霊夢の怖い想像は外れることとなる。流石に素晴らしい酒を飲む機会を逸したとは言っても、怒り余って博麗の巫女の頭を砕き割らないだけの理性は残されている。

 肩にがしっと手を置いて、瓶の蓋を開ける時のように紫は霊夢の首を捻った。ごりっ、という鈍い音が近くにいた者達に聞こえたが、当の捻られた本人である霊夢がその音を聞くことはなかった。何故なら鈍音が彼女の鼓膜を揺らす頃には、既に魂は彼岸へとぶっ飛んでいたからである。






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