戦国恋姫~偽・前田慶次~   作:ちょろいん

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急ピッチで仕上げたので文章がおかしいかもしれません。



二十七話

 早朝。

 

 日が地平線の彼方から顔を出した頃、連合軍は陣を引き払い越前へと進軍していた。織田浅井の将兵は越前の門とされる敦賀城へと攻め入り松平は平城の手筒山城を攻め落とす構図であった。

 妙な静けさを保ちながらも将兵たちの顔つきは厳かだった。一歩また一歩と足を進める度に彼らの顔つきはより強張ったものになっていく。

 そんな連合軍の先頭に立つ剣丞隊の隊長、剣丞は彼らとは裏腹に困り顔で腰を労わるように擦っていた。

「痛い‥‥‥」

「どうしたんだ剣丞?」

 剣丞隊と共に進軍していた慶次が微笑みをたたえながら尋ねた。その瞳は「知っているよ」とでも言いたげな優し気なものだった。

 実は慶次、剣丞隊の護衛を任されたのである。そのため彼らと共に行動しているのだ。勿論、慶次も森衆から兵を五十ほど引き連れて来た。

 

「い、いやさ。寝相が悪くてね‥‥‥はは」

 力なく自嘲気味な笑いを漏らした。

「ったく。しっかりしてくれよ。‥‥‥なぁ?お前らもそうは思わねえか?」

 慶次は詩乃たちを見据える。

 妙に艶のある肌が際立っていた。慶次の視線を受けた彼女たちは狼狽した。

「で、でもお頭は毎日頑張っていますから!昨夜だってあんなに……」

「う、うんうん!だから多分疲れが出たんだと思います!ね?詩乃ちゃん!」

「‥‥‥そうですね。剣丞さまは多忙なお方ですから。疲労のせいかと」

 

「はーん。‥‥…ま、そう言うことにしとくわ」

 相も変わらず優し気な瞳を彼らに向ける慶次は親のようでもあった。

 

「剣丞さまー!」

 行軍している剣丞の元に鹿耳フードの少女が満面の笑みを浮かべながら駆け寄って来た。

「あれ?綾那。どうしたんだ?」

「えへへ。ちょっとお耳を貸して欲しいです」

 腰をゆっくりと落とした剣丞の耳元で綾那は何やら囁いていた。

 

「今だな。よし‥‥‥おまえらちょっといいか」

 慶次は詩乃たちに手招きした。 

「慶次さま?どうかされましたか?」

「どうかってほどじゃねぇんだ。ま、黙って聞いててくれさ‥‥‥」

 すぅと覚悟を決め込んだように息を吸い込み、彼は真剣な面持ちで口を開いた。

「‥‥‥剣丞がこの世界にやって来てからかなり経った。お前らも知っての通りあいつのいた世界は戦がない平和な世界だったらしい。まぁつまりは‥‥‥」

 慶次は重い顔で言い淀んだ。

 ため息をつき、再度口を開いた。

「あいつは‥‥‥剣丞はまだ身近な奴の死を知らねぇ。まだ将の死を知らねぇんだ。今回の戦は少なからず、織田松平浅井の将に犠牲がでると俺は思ってる。それは桐琴かもしれねぇ壬月かもしれねぇ‥‥‥俺かもしれねぇ」 

「慶次さま、それは‥‥‥」

 ぐっと握りこぶしを作りながらひよが悲痛な顔を浮かべた。違うとでも言おうとしたのだろう。

「そうなれば剣丞は責任を感じることは間違いねぇ。俺がこの世界に来たからこうなった、なんて腑抜けたことを抜かすだろうな。」

 だからと慶次は続けた。

「‥‥‥詩乃、ひよ、ころ。これからも剣丞を支えてやってくれよ。友が一人欠けて‥‥‥剣丞がふさぎ込んでも、倒れても‥‥‥また立ち上がらせて前に進ませてくれ。これはお前らにしか出来ねえことだ。頼んだぞ」

「‥‥‥」

「‥‥‥はい」

 悲痛な顔を浮かべてひよところは頷いた。

「‥‥‥慶次さま‥‥‥まさかとは思いますが」

 考える素振りを見せていた詩乃が目を見開いた。

「‥‥‥」

 慶次はそれ以上はだめだと言うようにはにかんだ。

「‥‥‥それが慶次さまの覚悟、なのですね」

 

 

「じゃあじゃあ約束ですよ!剣丞さま!」

「うん。約束だ。楽しみにしてるよ」

「えへへへへへへ!剣丞さま!一乗谷でお会いするですよ!」

 喜色満面な笑みを浮かべた綾那は剣丞に手を振りながら手筒山城の道へ駆け去っていった。

 

 

「ふむ‥…慶次」

 慶次たちの背に掛けられた厳粛さを感じさせる声。

 振り返れば不機嫌そうな怒りをたたえたような雰囲気の一葉と付き添いであろう幽がいた。幽はいつも見るような飄々とした雰囲気だがどこか刺々しくもあった。

 

「あん?一葉と幽じゃねえか。どうしたんだ‥‥‥あ!?おい、こら!引っ張んな」

「‥‥‥少しこやつを借りる」

 慶次の腕を掴むと足利衆が集う軍まで強引に連れられて行った。

 

「おいおい、なんで今日はそんな乱暴なんだ?」

「‥‥‥慶次どの」

「幽、なんか言ってくれよ」

「‥‥‥まだ気が付かれないのですか」

 幽は冷たい視線を送る。

 慶次は何のことなのか気付き、苦い顔をした。

「‥‥‥聞いてたのか」 

「そうじゃ。一言一句余さずにな」

 薄く開かれた一葉の針のような視線が刺さる。

 一葉は慶次に詰め寄った。彼女の染み一つのない白い肌が目に映る。だがそれよりも怒りを覗かせる紫水の瞳が目を引いた。

「死ぬとは‥…死ぬとはどう言うことじゃ。まさかとは思うが主は‥…」

 陰る彼女の顔。伏せられた瞳は涙を見せまいと、弱い所は見せられないと我慢をしているように思える。

「そんな顔をすんなって。さっきのは例えだ、例え。俺が死ぬわけねぇだろう?」

「‥‥…」

「織田の鬼なんて大層な渾名付いてんだ。何も心配はいらねぇさ」 

 慶次は笑いながら気丈に振舞った。

「‥‥‥そうじゃな。お主は死なん。うむ、お主はそう言うやつじゃ」

 うむうむと頷いた一葉は慶次に笑顔を見せる。

「ま、お互い頑張ろうな」

「‥‥‥余はそ、その頑張るためにあれをして欲しい‥‥‥ん」

 ごほんと咳払いした一葉は目を閉じ、ぷっくりと膨らむ桜色の唇を突き出した。

 小刻みに震える一葉の華奢な身体。慶次は震えを止めるように一葉の肩を掴む。

「一葉‥‥‥」 

「よ、余は準備出来ているぞ」

 彼女の声は震えていた。

 そして彼女の唇に近付く慶次の‥‥‥‥‥人指し指。

 押し付けられた指の感触に一葉は目を開いた。

「まぁ、接吻は戦から帰った後だな」 

「むぅ‥‥‥残念じゃ。据え膳食わぬは男の云々と言うだろうに」

 拗ねた一葉は子供のように可愛らしく頬を膨らませた。

「おいおい、んな顔を見せんな。‥‥…我慢出来なくて‥‥‥襲っちまうぞ?」

「なんとっ!?」

「ハハハ。俺は剣丞たちのとこに戻るわ。一応護衛なんでな」

 一葉たちを背に手を振ると歩き去った。

 

 残された二人。ふと一葉が呟いた。

「‥‥‥幽」

「なんですかな?公方さま」

「聞き間違いでなければ慶次は余を襲うと言って‥‥‥」

「はい、言っておりましたな」

「‥‥‥っ!!!」

 一気に顔を染め上げる一葉だった。

 

 

 

>>>

 

 

 たった二刻だった。

 

 そんな短時間で敦賀城は落城してしまった。それと時を同じくして手筒山城もである。どちらも被害がない無血開城だった。

 松平と合流した連合軍は駆ける足で一乗谷へと軍を進める。先鋒を森衆に加え織田浅井松平の猛将を配置し、剣丞隊は本陣後背の守護と言った構図だ。剣丞隊の面々に加え 慶次を含めた五十名の森衆。そして梅と雑賀庄が開発した大筒もどきの「御煮虎呂死」を配置した。

 

 連合軍は警戒を怠らずに一乗谷へと進軍していた。周辺の地理を事細かに記載しながら進み、目と鼻の先に一乗谷が見える頃にはすでに夜の戸張が降りていた。連合軍の各々が陣幕を張り、篝火を立てる。

 

 剣丞隊の陣幕内で剣丞は険しい顔で唸っていた。妙に落ち着かない様子でチラチラと進軍路を振り返り考える素振りを見せていた。

「‥‥…」

「剣丞さま?どうかしましたか」

「‥‥‥いや‥‥…実はねどうも上手く行き過ぎてる気がするんだ」

 剣丞が心の内を吐露すると詩乃は最もだと言うように頷いた。

「なるほど‥‥…私も常々考えてはいましたが‥‥‥」

「うん。多分詩乃と同じ。奇襲があるかもしれない」

 剣丞は進軍路を見据えた。

 

「剣丞。」

 彼の背に声が掛かる。

「慶次。どうしたんだ?」

「一応って形だがそう言うことは先に言っておけ。お前らだけが知っていても意味がねぇ。生死を分けるかもしれねぇしな」

 いつもの慶次にしては語気が強かった。

「‥‥‥ごめん」

「わかりゃあいいさ。ま、他の奴らに聞かせてやりな」

「うん」

 剣丞は立ち上がり近くの床几台に腰掛けるひよたちの元へと歩いて行った。

 

「慶次は剣丞の親みたいじゃな」

「あん?そうかぁ?あんまり意識したことはねぇが‥‥‥」

「ふふっ。今のを見ていればそう見える」

「お前ら‥…」

 慶次の目に映るのは楽し気な表情を見せる一葉と久遠だった。

「しかし剣丞の考えは的を得ている。我も思っていたが抵抗がなさすぎる。確実に何かあるとみていい」

「だが今さら引くにも引けん。前に進むしかないのじゃ」

「ま、心配はいらねぇだろうさ」

「‥‥‥やはり慶次に言われると不安が和らぐな」

 久遠は和やかに微笑んだ。

「流石慶次じゃ。こうにも容易く久遠を笑顔にさせるとは。織田に於いて慶次の影響力は途轍もないらしい」

 一葉はくくっと笑った。

「はは。まぁ俺としてはお前らがいるからこうして強くいることが出来んだ。こう言うのもなんだが俺も男だからな。女守りたいって一丁前に恰好付けたいわけだ。まぁ詰まる所お前らが俺の力の源ってとこか」

 慶次は凛々しい顔で握り拳を作る。

「ふふ。我は慶次のような臣を持てて幸せ者だ」

「全く。慶次はたらしじゃ」

 二人は機嫌良く頬を弛ませていた。

 

 

 

 

 

 それから時は過ぎ、丑三つ刻になる。

 将兵たちは寝静まり辺りは虫の音一つ聞こえない怖いほどの静寂が包んでいた。

 慶次は自身の寝所から抜け出すと得物を手に取り陣幕の外へ出た。

 夜空に煌めく星々に目もくれず慶次は一人陣幕から離れ、開けてた場所へと赴く。

 月光が彼を照らす中、彼は槍を構える。

 目を閉じた慶次は微動だにせず、佇んでいた。

 

 ヒュン。

 

 慶次が槍を横一閃に振り、風を切る鋭い音が鳴った。槍を握る手をさらに固く握り返した。それから何度も何度も槍を振るい空を切った。焦燥しているようにそれは速くなる。

 舞踏のような華麗な槍捌きではなく、まさに野生という暴力的なものだった。

 

「どうにも荒々しい気配がすると思い来てみれば、慶次か」

 不機嫌さを感じさせる声音でむすっとした表情の桐琴が立っていた。

「‥‥‥桐琴か。悪りぃ。起こしちまったか」

「‥‥‥」

 桐琴は無言で慶次に歩み寄る。

「?っ、おいおいおい。こんなとこで脱ぐな」

 

 慶次はあわてて桐琴が脱いだ羽織と袴を手に持とうとしたがそれは桐琴の華奢な手に遮られた。

 

「なんだ。貴様は女にここまでさせて置いて腑抜けたことを抜かすのか」

「‥‥‥」

「滾っているのならワシに言え。いつでも相手をしてやる」

(そう言うことじゃねぇんだがなぁ‥‥‥だがまぁ‥‥‥)

 据え膳食わぬは男のなんとやらだった。

 年齢を感じさせない豊かな肢体。肩が上下に動き、吐き出す吐息は艶やかさを感じさせる。桐琴の熱を冷ますように涼し気な風が吹き、彼女の長い髪が胸の谷間に掛かる。

 酷く扇情的な姿に慶次は背筋をゾクゾクと震わせた。

「‥‥‥いいのか?」

「フン。もう何度もまぐわっているではないか。それに貴様は森家の伴侶、つまりはワシの婿だ。今さら遠慮することはあるまい」

「‥‥‥そうか‥‥‥桐琴」

 慶次は桐琴を抱き締めた。

「ぅ‥‥‥ん‥‥…」

 桐琴の艶めかしい声が慶次の耳に入った。

 そして優しく口付けを交わし‥…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 情事が終わった彼らは近くに生える木の下に腰を下ろしていた。

 慶次は背を木に任せると左腕で桐琴を抱き寄せる。桐琴は色っぽく赤く染まる顔に微笑を浮かばせながら彼の手に身を任せていた。

「お前といると心が落ち着くな」

 ふと胸に浮かんだ言葉が口から出てくる。一緒にいる時間かそれとも目的のための人物だからなのか。

「奇遇だな。ワシも同じ気持ちだ」

 桐琴はこてんと彼の肩に頭を乗せた。

 いつもらしからぬ手弱女(たおやめ)のような彼女の姿に慶次の心は高鳴った。

 ふっと自嘲気味に笑うと慶次は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 翌朝になり連合軍は足羽川の向かいにある下城戸に向かって動き始めた。下城戸を超えれば目先にあるのは険しい山々や緩急の激しい坂に守られる一乗谷城である。

 陣太鼓が鳴れば地を揺らすほどの叫び声が響き渡った。

「森一家のクソ馬鹿どもーっ!人間捨てる覚悟は出来たかーっ!」

 森一家が。

 時を同じくして松平でも。

「三河の勇者たちよ。松平家のためだけでなく、この日ノ本のためにその命を私に捧げてください!」

 

「「「うおぉぉぉぉおおお!!!」」」

 怒号のような雄たけびが将兵たちから上がった。

 

 

 

「ったく。よく聞こえるな、あいつらの声」

 慶次は前線で鬼を薙ぎ払っている彼女たちを想像した。おそらく喜々とした表情なのだろう。慶次は苦笑を漏らした。

 本陣にほど近い場所に布陣した剣丞隊‥‥‥慶次はその護衛であった。

 長方形を作るように布陣し前方を森衆、後方を足利で埋め中心から左右に掛けて鉄砲隊で囲んだ。

「慶次たち森衆は鉄砲隊の前にお願い」

「おうさ、任せときな。」

 

 

「剣丞さま」

 突然、剣丞の傍に小波が現れた。

「どうだった?」

「そ、それが‥‥‥四方一帯さぐり探りましても鬼の姿は全く見当たらず」

「‥‥‥勘が外れた、か。なら良かったけど‥‥‥」

 少しばかり息を吐くが顔は曇った。

「私たちが後方を警戒していることを知っている‥‥‥そのように考えるならば‥…」

「………敵は思惑を外した策を取って来る」

「ええ。そうな———」

 

「おい」

 一際低い声に詩乃の声は遮られた。

「下だ。森衆っ!下だ!地面に警戒しろ!剣丞をなんとしてでも守れ!」

 

「した?地面って‥‥‥っ!?」

 剣丞が地面を見つめた直後。

 

 腹の底から揺らすような地響きが響く。

 

 それが鳴りやんだかと思えば踏みしめている大地が窪み、そこから鬼が‥‥…蜘蛛のように這い出て来た。

 

 運が悪く、一番手に外に出た鬼は剣丞狙う。

 

 咆哮を上げた鬼は剥き出しにした牙で剣丞の頭から丸呑みにする勢いで飛び掛かった。

 

「あ‥‥‥」

 剣丞は懸命に反応しようと手に掛けた刀を振ろうにも間に合わない。

 

 そうしている間にも鬼の牙が目の前に———来てはいなかった。

 

 鬼の口から飛び出るどす黒い液体の付いた槍。

 

「剣丞っ!ぼーっと突っ立ってんな!後退しろ!」 

 慶次は槍を引き抜き、振り向きざまに鬼を刺し殺す。

 慶次の一喝で戻って来た剣丞は腹の底から声を張り出した。

「みんな!後退だ!詩乃!」

 

 剣丞が視線をやれば詩乃は力強く頷く。

 

「これより剣丞隊は撤退を開始する!みな!旗の下へ集え!」

 混乱した状況の中、声を張り上げた詩乃。

 気付いた剣丞隊の面々が集まって来た。 

 

「詩乃!、殿は俺がやるっ!」

 血濡れた槍を振り回した慶次が目もくれずに叫んだ。

 

「‥‥‥ならば余も慶次と」

「なりませぬぞ。一葉さま」

 一段と低い声で一葉睨み付ける幽。

「‥‥‥わかっておる」

 

 

「足利衆!八咫烏隊!血路を切り開いてください!」

 

「「承った」」

「鉄砲隊ばんばん打っちゃってー!」

 こんな状況にも関わらず彼女たちは笑っていた。まるで心配はいらないとでも物語っているように。

 

 二人の剣舞に加えて高速の鉛玉が鬼たちを襲っていた。

 

 鬼が怯み、彼らを囲う鬼たちの包囲が一瞬だけ解ける。

 

「! 今です!突撃!」

 詩乃の叫び声で剣丞隊は全速力で駆けた。

 

 鬼がそれを追いかけようにも慶次がそれを許さなかった。

 

「森衆ーっ!まだまだいけるなぁーっ!」

 ひたすらに得物を振るいながら慶次は声を張り上げた。

 彼の鼓舞する声が響く。

 

「「おーー!!!」」 

 周囲を見渡せば襲い来る鬼。

 その体躯は一般兵の二回りほどの大きさから人が四、五人ほど集まって出来たような大きさの鬼まで様々だった。

 

 

 それから半刻ほど経ったとき。

 

 

 鬼の攻勢がぴたりと止んだ。

「ほう。中々骨のあるやつがいるようだ」

 喉が瞑れたようながらがらとした声が響き、囲んでいた鬼が一本の道を作るように道を遠のいた。

「あん?喋る鬼だぁ?」

 慶次の目の前に現れたのは周囲の鬼よりも一際大きい体躯の鬼だった。両手に二本の刀を持ち頭には白かったであろうハチマキが巻かれていた。今ではそれも返り血でどす黒く染まっていた。

 

「貴様の名を教えろ。人間」

 不気味な光を湛えた双眸が慶次を見据える。

「‥‥‥前田慶次だ」

 鬼に鋭い視線を浴びせながら槍を構えた。

「なるほどぉ。織田の鬼、か」

 ぐぐぐと静かに牙を見せて笑う。

「儂の名は‥‥‥十河一存。織田の鬼よ、一試合願おうか」

 十河は二刀を構える。

「はん。いいねぇ。音に聞こえた鬼十河がどんなもんか見せて貰おうじゃねぇか」

 

「人間の分際で言い寄る。しかし……その威勢もすぐに消えるわぁ!!!」

 言葉とも聞こえない声で叫ぶとその体躯を揺らしながら地面を蹴った。

 

 揺れる地面に慶次は微動だにしていなかった。

 

 慶次に振り下ろされた二本の刀身。

 

 

 

 

 ザシュッ。

 

 

 

 

 

 

 ゲホっと咳と共に血が吐き出された。地面に付いたそれはどす黒い血だ。

「鬼の‥‥‥力を持っても‥‥‥儂は」

 ドシンッ!と前のめりに倒れた。

「鬼十河とはいえこの程度か。呆気ねえ」

 ふんと鼻で笑うと槍を引き抜いた。

 

「お、鬼が‥‥‥引いて」

 森衆の一人が呟いた。

「あん?」 

 囲むようにしていた鬼は引く波のように去って行った。

 

「‥‥‥剣丞隊の後を追うぞ」

 

 

 

 

 

 

>>>

 

 

 暗い森の中ひたすら進んでいた。時折聞こえる剣戟の音に耳を傾け、必死に剣丞たちを探す。

 便りは月光のみ。だがその月光も煩雑に生える木々に遮られ目の前にかろうじて獣道が見える程度だった。

 

「慶次さまっ!」

「どうした」

「ここより北に鏑矢が上がりました!」

「よし、いくぞ」

 

 

 慶次たちの目に映ったのは鬼の大群だった。知性ない鬼はただただ目の前にいる人間を手当たり次第に襲う。

 

 今にも崩れそうな剣丞隊の陣形を一葉と幽の剣戟で均衡を保っていた。彼女たちは互いを背にしながら鬼を切り裂く。最早剣舞と、一種の美しさをも感じる。

 

 彼女たちの後方では指揮を執る詩乃と雫が必死に声を張り上げていた。

 放たれる鉄砲に、入れ替わるように矢が放たれる。そして突き出される槍に合わせ、鞠のお家流が放たれる。それが繰り返されながら後退していた。

 

「森衆!獲物だ!」

 

「「「ひゃっはー!!」」」

 

 

 

 

 

side 剣丞

 

 

「まずいな。今はまだ元気だけど後詰めがないこの状況じゃあ‥‥‥」

 剣丞は苦虫を嚙み潰したような顔すると腰に番えている刀に手を掛けた。

 だが刀に掛けた手を止めるように詩乃の手が触れた。

「いけません」

「で、でもっ!‥‥‥っ」

「分かってくださいっ!」

 詩乃の悲痛な叫びが剣丞に浴びせられた。

 彼女の瞳から溢れ出る涙に剣丞は息を呑んだ。

「あなたはっ!剣丞さまを守るために散って逝った者たちの覚悟を無駄にするおつもりですかっ!ここで剣丞さまが死んでしまったらあの者たちの覚悟が無駄になりますっ! だから‥‥‥だから‥‥‥」

「‥‥‥ごめん」

 剣丞は刀にやっていた手を降ろした。力なく提げられた腕とは裏腹に剣丞の顔は険しく悲壮感を漂わせていた。

 

「‥‥‥小波。周囲の状況はどう?」

「はっ。お待ちを‥‥‥っ!」

 小波は目を閉じた。

 はっと目を開いた小波は叫ぶように剣丞に言った。

「剣丞さまっ!お味方です」 

 

 

 

「「「ひゃっはー!!」」」

 

「おらぁ!!」

 威勢のいい声と共に飛び込んできたのは慶次率いる森衆だった。

 鬼の左翼に嚙み付くと衣服に広がる染みの如く駆ける勢いで瞬く間に鬼の数を減らしていった。

 暗闇の中、蠢く森衆の影が鬼を襲っていた。

「慶次さまだ!!ころちゃん!」

「うん!うん!慶次さまが来てくれたね!」

 だが減った鬼の頭数も束の間、暗闇の奥から水のように溢れ出て来た。

「森衆!通さねぇでいくぞ!」

 慶次はちらりと後方の剣丞を一瞥した。

「行けっ!走れ剣丞!」

 

「っ!今です撤退します!」

「みんな!撤退だ!」

 そうして剣丞が慶次に背を向けたときだった。

 剣丞たちから見える山の岩肌に()奴等がいた。岩肌に爪を突き立てて闇夜に光る双眸が明らかに剣丞たちへと狙いを定めていた。

「お、お頭」

 不安げな声を出すころに剣丞は微笑んだ。

「大丈夫だよ。絶対に。ほら‥‥‥」 

 剣丞が鬼のいる方に視線を向けると小さな影が林の中から出て来た。

「小夜叉流ぅぅ! 刎頸二七宿ぅぅー!!!」

 彼女の身体が眩い光に包まれる。煌めく流星のように見える小夜叉は途轍もない速度で鬼へと突撃をしていった。

 

 振り回される槍か、それとも小夜叉の光からなのか吹き飛ばされていく鬼たちは地に身体を打ちつけていく。

 岩肌に張り付いていた鬼はものの数十秒で消え失せた。

 

 岩肌を駆け下りてくる小夜叉は涼しい顔をしていた。

 槍を両肩に乗せ、剣丞を見るなり軽快に笑った。

「よっ!無事みたいだな!剣丞。」

「なんとかね。‥‥‥それで桐琴さんは‥‥‥」 

「んー?そろそろ来る頃じゃね?」

 

「ひゃっーーーーはっはっはっはっはー!」

 甲高い笑い声が響いた。 

 

 

 

 

side 慶次

 

 

 甲高い笑い声と共に森衆の本隊を引き連れた桐琴が鬼たちの脇腹へと噛みついた。

「桐琴。無事だったか」

 

「はん。こんな奴等にワシが遅れを取るわけないだろう」

 ククと笑うと桐琴は鬼へと一撃を加える。

「よし、なら後退するぞ。剣丞たちと一先ずは合流しねぇと」

「おう!」

 

 慶次と合流した森一家は一撃を加えながら後退していった。

 小夜叉と一部の森衆に鬼を抑えてもらい、短い時間の内に慶次は剣丞の元へ赴く。

「慶次っ!桐琴さんっ!」

 胸を撫で下ろしたように、はにかんだ剣丞は慶次たちへ駆け寄った。

「おう、剣丞」

「孺子!よくぞ無事だったな」

 ガハハと豪快に笑う桐琴は剣丞の背中を叩く。

「あ、あはは。元気そうでなによりです」

 どこか嬉し気な表情で苦笑を漏らした。

「剣丞。これからどうする?」

「うむ。我ら森一家は孺子に預ける、好きに使え」

 

「それなんだけど加賀を抜けて、越中に。そして信濃をぐるっと回って美濃に向かうつもりだよ」

「………なるほど。直接美濃に向かえば本拠地に鬼を引き寄せることになるからか」

「そう。だから信濃まで回るわけなんだ。といっても今はこの場をどう切り抜けるかだけど……」

 剣丞が考える素振りを見せたそのとき。

 

 ヒューン!!

 北東の夜空に鏑矢が上がった。

 

「鏑矢が!?これって」

 剣丞は詩乃に視線をやった。

 詩乃は頷くと口を開いた。

「おそらくこの鏑矢は‥‥‥救援のものかと」

「くっ‥‥‥どうすれば‥‥‥」

 剣丞は顔を苦渋色に染めた。

「……俺が行く。桐琴と小夜叉がいんだ。ここは任せられる」

「‥‥‥」 

 思案顔を見せる剣丞だが顔を上げた。

「……分かった。慶次頼む。俺たちもすぐに追いつくから。‥‥‥小波」

「いいの‥‥‥ですか?」

「うん。もしかしたら葵たちかもしれないからね」

「っ!!ありがとうございますっ!」

 言うや否や小波はシュンと消えた。

「‥‥‥桐琴、百名ほど森衆を連れてく」

「あぁ。構わん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

side 葵

 

 

 暗闇の中の撤退戦だった。

 刻一刻と時を刻む度に兵が倒れていく。数千もいた兵達がいまでは目視できるだけでも五十余名にまで数を減らしていた。足場は悪くはないものの、金ヶ崎から全速力で駆けて来たのだ。足軽の体力が心配だった。

 先ほど放った鏑矢に気付いてくれることをただ祈るしか出来なかった。

「しつこいですー!」

 綾那が槍を振り回し鬼の命を刈り取った。一見乱暴に振り回しているように見えるがすべては的確に急所を切り裂いていた。

「綾那!後ろ!」

 歌夜が叫ぶと綾那に迫る鬼を一刀両断。返す刀でさらに切り裂いていく。

「歌夜!助かったです!」

「お互いさまだから!」

 彼女たちを殿に後退を始めているが如何せん鬼の数が多すぎた。抑えようとすれども溢れる鬼が葵を付け狙うのだ。

 葵のすぐそばにいる綾那は苦い顔を浮かべながら必死に襲い来る鬼をいなしていた。

 歌夜は悠季の指示により兵を従えて陣形を立て直し計り、葵を中心に円陣を作り四方の鬼に対応していた。

 

(誰も救援は‥‥‥)

 葵が少しだけ目先のことから思考をずらしたときだった。 

「葵さまっ!」

 歌夜が叫ぶ。陣形に無理やり入り込んだ鬼が葵の目の前にいた。

 

「っ!!」

(また‥‥‥)

 葵は目を閉じた。

 

「葵さま!」

 刹那鋭い声が響いた。

 鬼をクナイの嵐が襲う。針のムシロのようになった鬼は力なく膝から崩れ落ちた。

 

「小波!」

「お怪我の方は」

「私は大丈夫です。それよりも小波がいるということは近くに剣丞さまたちが?」

「はい、時期に援軍が参ります」

 

「「ひゃっはー!!」」

 薄暗い森の中に響いた荒武者の叫び声。飛び込んで来た男たちは暗闇の中で鬼を一方的に蹂躙していた。

 その戦い振りは松平の兵では考えられないほどの凶悪さと凄惨さを持つまさに悪鬼羅刹。

 葵たちを囲んだ鬼を一刀の元に斬り伏せ、率いる兵たちと共に苛烈とも謂わんばかり。鬼の勢いは瞬く間に衰えていった。

 

 

 

 

 


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