愛しの青   作:はるのいと

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第十三章「博多女の心意気」

 うーん……あれは流石にまずかったなあ。後先考えず行動に移すこの性格は、相変わらず健在なようだ。正直いっていまの私は、相当に危機的状況にある。

 絶対怒ってるよだろうなあ……ああ、マジでどうしよう。私は地下鉄に揺られながら、小さく溜め息を漏らした。そして溜め息の原因となった出来事を、瞼を閉じながら思い起こした。

 

 青が有名財閥の御曹司。その事実はおおいに私を動揺させた。理由は自明だ。なんせそのお坊ちゃまを私はこの手で……ま、まずい。いいや、こえはまずいってレベルを遥かに超えてる。

 どうすんの? ねえ、どうすんの奈々っ! どうするっていわれてもさあ……こればっかりは、どうしようもないっしょ。

 いやいや、開き直らないでちゃんと考えなさいよっ! 考えても無理なもんは無理っ! だってあの子としちゃった事実は消えないんだから。たしかにそうだけど……私が無言のまま脳内会議を繰り広げていると、川崎さんは静かに口を開き始めた。

 

「祐氏の息子といっても、葵君は正妻の子ではありません」

 

「えっ、というと?」

 

「ようするに ”外で出来た子” ということです」

 

 川崎さんは声のトーンを落とすと、静かに私を見つめてきた。青は小鳥遊家の当主が、愛人に産ませた子らしい。テレビドラマなんかではよくある話だけど、実際に聞くのは初めてだった。

 

「青……じゃなくて、葵君はどうして家出をしたんですか?」

 

「小鳥遊家の長男である時生さんが、飛行機事故で亡くなったのはご存知ですか?」

 

 そういえばこないだテレビで葬儀の中継がされてた。たしか事故から数週間たって、機体が見つかったらしい。そしてようやく数日後に、死亡が確認されたんだっけ……。私はあの日の朝食のことを思い出していた。

 

「小鳥遊家の次期当主は時生さんがなるはずでした。ですが不慮の事故で、それは叶わなくなった。ですから祐氏は、唯一血のつながった息子である葵君を呼び戻したわけです」

 

「呼び戻した、って一緒に暮らしてなかったんですか?」

 

「はい。彼は母親の親戚のもとに引き取れていました。因みに母親の方は、2年前に他界しています」

 

「小鳥遊さんはどうして葵君のことを、引き取らなかったんですか?」

 

「正妻に気を使ったのでしょう。それに後継者は一人いれば十分ですからね」

 

 後継者が亡くなった途端、いままでほっといていた青を呼び戻した。100%自分の都合で……それでも親なの?

 

「……最低ですね、小鳥遊家の当主って」

 

「ええ、そうかもしれません。ですがこういった話はよくあることですよ」

 

 よくあること? 悪いけど私には理解できない。あの日、小鳥遊家の葬儀中継を見ながら私はなに気なくこう呟いた。

 ”ああ……出来ることなら、こんな家の子に生まれたかったなあ” すると青は少し寂しげにこういったんだ。 ”こんな家のどこがいいの? ” って……ほんと、あの子のいう通りだ。

 

「先日、私は葵君と会いました。理由は小鳥遊家に入るよう説得をするためです」

 

「あの子はなんて?」

 

「あの家に入るくらいなら死んだほうがマシだ、といわれました」

 

 そりゃそうでしょうよ。青にとって小鳥遊家の当主は、父親でもなんでもないのだから……。

 

「諦めたほうがいいんじゃないですか?」

 

「いいえ、そういう訳にはいきません」

 

「葵君が小鳥遊家に入るとは思えませんけど……」

 

「たしかにそうですね。だからこそ貴女の力が必要になってくるわけです」

 

「私の?」

 

「はい。葵君は貴女のいうことなら聞くはずです」

 

「まさか……」

 

「いいえ、彼にとって貴女は特別な存在なんですよ」

 

 特別な存在? 私と青の関係――ご主人様と性奴隷。まあ、特別な存在といえば特別な存在だけどさあ。

 

「買い被りすぎだと思いますけど……」

 

「そんなことはない。貴女といるときだけは、あの笑顔を忘れた少年が幸せそうに微笑むんですから……一体どんな魔法を使ったんですか?」

 

 笑顔を忘れた少年って……あの根明な青が? 私が知ってるあの子は、いつも無邪気に笑っていたけど……。

 

「笑顔を忘れたって、どういうことですか?」

 

「いったままの意味です。母親が亡くなって以来、彼は笑顔をみせなくなった。まあ、思春期の子にはよくある話ですよ」

 

 私の問いかけに、川崎さんは業務報告書を読むように事務的に答えた。まあ、当然といえば当然だろう。この人にとっては只の仕事なのだから。でも私にとって青は……。

 

「私に葵君を説得してほしい、ということですよね?」

 

「ええ。勿論、お願いできますよね」

 

「ごめんなさい。あの子が嫌がってる以上、あなたたちに協力することはできません」

 

「28歳の独身女性と16歳の少年が同棲……博多のご両親や会社の同僚たちが聞いたらさぞかし驚き、そして同時におおいに悲しむことでしょうね」

 

 川崎さんはテーブルの上に手を組むと、静かに私を見据えてきた。その表情は、先程と同様にとても自信に満ち満ている。私の身元関係もすっかり調査済みですか……流石に高給取りは違いますね。

 

 しかもこのオッサン、おもいっきり私のこと脅してきてるわね。それにしても同僚はまだしも、年老いた両親を取引材料の引き合いに出すのは反則でしょ……。

 

 ブチっ……頭の中で小さな破裂音がこだました。このオッサンのいうことをきかないと、恐らく会社はクビになるだろう。野郎とその後ろ盾は、それだけの権力を持っている。アラサー女が無職になり、ショタコンの烙印をおされる……考えただけでも寒気がするわね。

 

 でもまあ、しょうがないわね。博多女は情があついから……それにあんな優しい子を売るような真似は絶対にできない。そしてなにより、いまの私は久々にブチ切れ真っ只中だ。この思いだけは止まらないっ!

 

「ほんにおたくは、せからしか男やねえ。そげなちんけな脅しで、うちが驚くっち思うとるん? オッサン、博多んおなごをなめよったらいかんとよっ!」

 

 グラスに入った水を手に取ると、向かいに座る男の顔めがけぶっかけてやった。すると野郎はニヤリと口角を上げると、冷たい微笑みを私に向けてきた。

 

「なるほど。激情すると、貴女は地元の方言が出るんですね」

 

「……そうかもしれませんね」

 

 図星をつけれた私は努めて博多弁を封印した。

 

「これが貴女の出した答え、ということですね? 後悔することになりますよ」

 

「そうしたくないから、この選択を選んだんです」

 

 私は素早く席から腰を上げると、びしょ濡れの最低弁護士を見下ろした。そして軽く頭を下げると ”ごちそうさまでした” といってレストランをあとにした。

 

 以上回想終了――その時丁度よく電車が駅に到着した。ああ、沈んだ心のせいで、まるで足枷をされたみたいに体が重い。重い心とは別に単純に太っただけ、っていう意見もあるけど……。

 いやいや、いまはそんなお気楽なことを考えている場合じゃないのよっ! はあ、これからどうしよう……私はがっくりと肩を落とすと、青(仮名)の待つマンションへと歩みを進めた 。

 


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