愛しの青   作:はるのいと

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第二十章「嘘つきからの手紙」

「おかえり」

 

 振り返るとジャングルジムにちょこんと腰を下ろす、青の姿があった。あんたはお猿さんかい? 私は溜め息交じりで彼を見上げた。

 

「そんなところでなにやってんのよ」

 

「奈々を待ってた」

 

 青は微笑みながら、当たり前のようにいってのけた。愚問だったか……まあ、わざわざ聞かなくても分ってたけどね。

 

「そんでご用件は?」

 

「作り置きしといた料理も、そろそろ切れる頃だと思ったから」

 

 はにかみながら、青は食材の入ったビニール袋をかざした。まだたっぷりあるっつうの……私はそう思いつつ、目の前の元性奴隷を見つめた。

 

「あんたとはもう会わない。お父さんにはそう伝えたはずだけど?」

 

「……うん、聞いてるよ」

 

「じゃあ、どうして――」

 

「料理を作るくらいべつにいいじゃんっ!」

 

「青……」

 

「それに大事な話もあったし……」

 

「大事な話?」

 

「僕……もうすぐ留学させられるんだって」

 

「留学って……どこに?」

 

「イギリス。若い頃に海外で色々なことを学んだ方がいいって、あの人が……」

 

 青がイギリスへ留学……確かに海外で様々なことを学ぶ、というのは素晴らしいことだ。異なる価値観に触れ、多様な考え方を受け入れることができるようになる。以前読んだ本にもそんなことが書いてあった。

 それにいまや、青は大財閥の御曹司。今回の留学はこれからの彼の人生に、必ずプラスになることだろう。恐らくあの父親もそう考えたはずだ。

 

「イギリスかあ……いいとこじゃない」

 

「奈々、行ったことあんの?」

 

「いや、ないけどさ……でもテレビとかでは見たことあるわよ」

 

「そんなの僕だってあるよ……」

 

 青はがっくりと肩を落とすと、ひょいとジャングルジムから飛び降りてきた。そして私の目の前まで来ると、真剣な表情で見つめてきた。

 

「奈々は僕が海外に行っちゃってもいいの?」

 

 真摯な問いかけ――それはとても茶化せる雰囲気ではなかった。

 

「それがあんたの為になるのなら……」

 

「ずるいよ、僕はそんなことを聞いてるんじゃない」

 

「大人の女はね、ずるいくらいのほうがちょうどいいのよ」

 

「もう、こうやって気軽に会うことも出来ないんだよ? 僕が作った料理も食べられなくなるんだよ? それでもいいの?」

 

「青、私たちはもう会うべきじゃないのよ」

 

「僕は……僕はそんなの嫌だっ!」

 

 青はそう叫ぶと、口を真一文字にして俯いた。ったく相変わらず駄々っ子なんだから……私は心の中でそう呟くと、ゆっくりと彼を抱きよせた。

 

「大丈夫。時間が経てば、私のことなんてすぐに忘れるから……」

 

「そんなことないっ!」

 

 悲しいけど、そんなことはよくあることなの。あんたはまだ子供だから、分らないかもしれないけどね……。

 

「奈々は……奈々は僕のこと好きじゃないの?」

 

 愚問中の愚問。そんなの好きに決まってるでしょうが……でもね、好きだってだけでは、どうにもならいこともあるのよ。私はどう頑張っても ”メロディ” にはなれない。ごめんね、青……。

 

「もうこれ以上、うちば困らせんでよ……」

 

「……そっか、そうだよね」

 

 暫しの沈黙のあと、青は力なく呟いた。するとその時、二人きりの公園に雪が降り注いできた。ったく、どおりで寒いわけだわ……私たちは暫く無言まま抱き合った。

 それはまるで別れを惜しみながら、互いの体を温めるかのように。恐らく、もう二度と出会うこともない、そう心の中で呟きながら……。

 

 

 

 青が旅立って2週間が経過した。私は相変わらずのずぼら生活を送っている。だがそんな私でも、一つだけ変わったことがあった。それはなんと、料理教室に通いだしたのだ。

 青の手料理で甘やかされた舌は、美食でなければ受けつけてくれなくなっていた。まったくもって、厄介な体質にしてくれたものだ。因みに今日も会社帰りに料理教室へと向かった。

 

 本日のメニューは牛すね肉の赤ワイン煮と、付け合わせのマッシュポテト。はじめは不器用な私では、料理なんて無理無理って思っていた。だが回数を重ねていくうちに、意外にもそれなりの物が作れるようになるものだ。

 

 自分で作った物が美味しいとなると、その喜びは倍に跳ね上がる。そして次は誰かに食べさせたくなるのだ……まあ、いまは親友の有紀くらいしかいないんだけどね。私は自嘲気味に心の中で呟きながら、地下鉄に揺られた。

 

 

 

 マンションに着くと、メールボックスを覗き込んだ。中には数枚のチラシと、一通の手紙が入っていた。差出人に目を向ける――若いくせに手紙とはなんとも古風な……。

 部屋に戻ると、取りあえずバスルームへと向かった。今日も一日頑張った体をお風呂で癒すのだ。本音をいうと、すぐにでも青からの手紙を読みたかった。だけどなんか必死みたいで……。

 

 誰に見られてるわけでもないのに……本当なにやってんだろう。浴槽に潜りながら、私は心の中で溜め息を漏らした。

 お風呂上りはいつものように、ビールを片手に髪の毛を乾かした。その間もテーブルの上の手紙が、気になってしょうがない。っていうか、早く読めやっ! もう一人の私が、耳元で叫んできた。

 

 よしっ、髪の毛も無事乾いた。喉のほうもビールで潤っている。ではいざ――封筒を開き便箋に目を向ける。あの子の字は意外といってはなんだが、とても綺麗だった。

 

 親愛なる奈々へ。

 元気? 寒さにやられてない? お酒、飲み過ぎてない?

 

「子供じゃないんだから、心配し過ぎだっつうの……」

 

 こっちは寒いし、天気は悪いし、挙句の果てにご飯は激マズ……正直いって最悪だよ。でもね、取りあえず僕のほうは、なんとか元気でやっています。

 どうしていきなり手紙を? いま奈々はそう思ってるだろうね。ぶっちゃけていうと、この手紙は奈々への懺悔なんだ。

 

「懺悔?」

 

 ごめんなさい。僕は奈々にとてつもない嘘を吐いていました。面と向かっていったら怒られそうなんで、手紙にしときます。結論からいうと、僕と奈々との間に男女の関係はありませんでした。だってああでもいわないと、追い出されちゃうからね。

 

「あ、あのガキ……」

 

 奈々がべろべろで僕の前に現れたあの日、僕は小鳥遊の家に行くはずだったんだ。でも父親のもとに行くのはどうしても嫌だった。だからあの夜、あそこの通りでナンパ待ちをしてたんだ。

 正直、泊めてくれるなら誰でもよかった。いろんなお姉さんたちが声をかけてきたよ。おじさんも何人かいたかな。露骨にホテルに誘ってくるお姉さんもいた。

 

 そんな時ね、たこ焼きを持った千鳥足の奈々が現れて、こういい放ったんだ。 ”いい歳こいたおなごが、子供になんばいいよるんっ!” いきなりのお説教。しかも博多弁で。当然、周りにたお姉さんたちはドン引きしてたよ。

 

「全然、覚えてないし……」

 

 その後、奈々の迫力にまけたお姉さんたちは、すぐさま消えて行った。僕一人を残してね。すると奈々は僕に視線を合せると、こういったんだ。 ”子供がこげん遅くに、なにやっとるん。父ちゃん母ちゃんが心配ばするから、はよ家に帰りんさいっ!”って。

 

 帰る家なんてない。僕は素直に事情を説明した。どうして見ず知らずの人にそんなことを話したのか、その時は分らなかった。でもいま思うと、母親のように叱りつけてきた奈々が、頼もしく見えたのかもしれない。

 この人はさっきのナンパ女たちとは違う、そう思った。そして僕の話をすべて聞き終えた奈々は、悲しげにこういったんだ。 ”酷か父ちゃんやね……ばってん恨んじゃいかんよ”

 

 どうして? 僕は貴女に尋ねた。 ”恨んでもなんも、よかこつなんてなか” 奈々は諭すようにいうとね、僕にたこ焼きを差し出してきたんだ。

 少し冷めた、たこ焼き……でもめちゃくちゃ美味しかった。 ”味のほうはどげんと? 僕が ”美味しい” と答えると奈々は優しく微笑んだ。

 そして僕の頭を撫でると、こういったんだ。 ”美味しいもんば食べて、そげな良い顔が出来んなら、あんたは大丈夫たい” 奈々はそういい残し、タクシー乗り場のほうへと向かって行った。

 

 僕は千鳥足で歩く貴女の背中を見つめながら、この人と一緒にいたいと思った……嘘を吐いてでもね。それからの生活は僕が16年間生きてきたなかで、一番楽しかった。ずぼらな性格のうえに、しかも料理下手。嘘が下手くそで、お酒でいつも失敗続き――。

 

「ほっとけっつうの……」

 

 でも年上とは思えないくらいに、とっても可愛らしいとこもあって……どんどん貴女のことが好きになっていった。こんな生活がいつまでも続けば……本気でそう思ったよ。

 

「私だって……」

 

 奈々はあの日、公園でいったよね。 ”時間が経てば、私のことなんてすぐに忘れるから……” 本当にそうなのかな? 僕はいまだにそうは思わないけどなあ……あっ、そうだっ! ひとつ賭けをしない?

 

「賭け?」

 

 奈々は否定するけど、僕はこれからもずーっと貴女のことが好きだと思う。だからいつの日か出会うことがあったとして、もしもその時に僕の気持ちがまだ変っていなかったら――賭けは僕の勝ち。

 だからその時は年の差のこととか世間体とか、そんな面倒なことは一切考えずに僕の告白に素直に答えてください。

 貴女の青より。

 

 あの子がどうして、こんな平凡な私を選んだのかずっと不思議だった。でもいまようやくその疑問が解けた。それにしても……随分とまあ、泣かせる手紙を書いてくれちゃって。私は微笑みながら涙をぬぐった。そして瞼を閉じると、静かに屈託のないあの笑顔を思い浮かべた


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