β Ewigkeit:Fragments   作:影次

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はい。エロガッパ祭り明けの投稿ですが、今回は説明回です。
アカン要素を詰め込んだ闇鍋よく分からない系ごった煮オリ主ヴァルターくんについてその1。
ピロートークはこの案件に決着がついてからになります。
なるべくエロ見なくても分かるようにしているつもりではある。


凍てつく心の奥底で:α

 暗い。

 暗い闇の底だった。

 光差さぬ眠りを誘う闇の中にあって、ベアトリスは誰に促されるでもなく目を開ける。

 ぼんやりとあたりを見渡して。

「……うーん。何というか、ここ最近別世界に縁がありまくってるなあ」

 周囲の黒を見渡して、光一つ無い割に自分自身の手が鮮明に見えることを自覚して。

 ああ、要するにまたなのね、と一人納得する。

 思考は冴えないけれど、それだけは慣れからか理解してしまう。

 あのヴンダーカンマーも、ペルクナスと出会った場所も、時間牢獄と呼ばれたおぞましき紫影の世界も、それらを経験した故に、ベアトリスは今の自分の状況を起き抜けに把握した。

(さて、こういう場合は直前の出来事が原因なのは明白だし。私、何してたっけ……)

 鈍った頭を回転させるようにこめかみを指で叩き、言葉にして思い出す。

「そう、ナウヨックス少佐に拉致されて……ヴァルターさんを助けに行って……あの時間牢獄から脱出して……ヴァルターさんを、ヴァルターさん……」

 フラッシュバックする記憶。

 彼の手を握る私。

 目覚めない先輩。

 魂の供給の手段。

「……ふぁ?」

 先輩を抱きしめる私。

 頬に手を触れる私。

「…………」

 唇を重ねる私。

 それから、それから。

 体をも、重ね――

「ぬわああああああああああああ!!!???」

 ベアトリスは悶絶した。

 誰もいない闇の中で頭を抱えゴロゴロと転がりまわった。

 冷静になった分自分のやらかした事のアレさが一気に襲い掛かってくる。

「はっ、そうだ服!? って、あれ?」

 状況が状況なので、自分の身を確認するが。

 ベアトリスの姿はキズ汚れ一つ無い黒円卓の軍服のままだった。

「……やっぱりここ、夢、みたいな感じなのかな」

 物理的に存在した空間よりは、あのペルクナスと出会った空間を思い起こさせる。

 それは何処かの意識と繋がった故の交感現象。

 その仮定を事実とするなら、その相手は一人しかいない。

「……!」

 突如、周囲の闇が急激に色づき始める。

 まるで木の葉のざわめきのように、黒がめくれ上がっていく。

 それは一枚の絵画の完成への過程を追っているような。

 やがて、黒に覆われた世界はかたちを変えて。

 

「森?」

 

 そこは、鬱蒼とした森だった。

 闇の中ほどではないにせよ、光の届かぬ森の奥。

 一つの大きな切り株と、川の清流が足元を通る。

 それ以外の周囲は木々が密集する、まるで、誰か一人がただ静かに眠るためだけに誂えられたような、そんな雰囲気をベアトリスは感じた。

 微かな葉のざわめきと、川の流れの音だけが耳を打つ世界。

 あまりの静謐さに、常人であれば長時間いれば気が狂うと錯覚しかねない。

「……誰?」

「……えッ!?」

 そこに、人間の声が混ざった。

 背後からかけられた言葉にベアトリスは驚き振り返る。

 誰の気配も感じなかった、戦士としての自負がある故の不意打ちだった。

「……誰かって、聞いてるんだけど」

 抑揚のない声。

 その声をベアトリスにかけたのは、一人の少年だった。

 十歳に満たないであろう、幼い少年だ。

 くすんだ灰色混じりの金髪の少年。

 絶望を宿した深海の如き瞳が、三白眼でベアトリスを睨んでいる。

「私は、ええと、その」

 ベアトリスは逡巡する。

 何者か、というその問いは、素直に名前を告げればいいだけの話とは思えなかった。

 この少年は驚くべきことに、そういうことを聞いているんじゃ無いのだろう。

 暫くどうしたものかと口を開きかけて、閉じて。

 そんな様子を見た少年は、ふ、と小さく息を吐き、視線を外す。

「迷い込んできたんだか何だか知らないけど。こんな所、人の来る場所じゃないよ。川の流れに逆らっていけば表に出られる、道はないけどね」

 だから、さっさと失せろ。

 言外にそう言っているような気がした。

 この場所を辛辣に形容した少年は、切り株に座りぼんやりと川の流れを眺めている。

「君は?」

「自分は名乗らないくせに人のことは聞くの? 図々しいな、お前」

「うぐっ……わ、私は、ベアトリスっていうの。君はなんて名前なのかな?」

「知らない名前だな。だから教える義理もない」

 こ、このクソガキ。

 言いかけた言葉をベアトリスは飲み込んだ。

 落ち着け、落ち着くのよ、いくら生意気な小僧だからと言って十にも満たない子に対し威嚇するなんて情けないことを騎士はしない。

 マレウス相手じゃないんだから。

 ベアトリスは一先ず呼吸を整え、目の前の少年を観察する。

 その髪色を見て、瞳を見て。

「…………」

 既視感があった。

 まさか、とベアトリスは思う。

 だが、この世界のこと、直前の考察を顧みて。

 自然と、その名前が口を出る。

「ヴァルター、さん?」

 その呼びかけに、少年は僅かに反応する。

 訝しげに振り返り、その目を細めて。

「何で僕の名前知ってるの」

「え、っと。君、ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク?」

「……そうだけど」

 驚いて、まじまじと顔を見てしまう。

 確かに、面影がある。

 その目は、その絶望の瞳が以前の彼を思い起こさせて。

 しかし、幼少の頃だと言うのに闇はそれ以上に深くて。

「何、母さんの知り合い? こないだ来た、ローゼンクロイツとかいう奴と同じ?」

「母さんっていうのは、カテリナさん?」

「…………」

 ヴァルターは暫し警戒するようにベアトリスを見ていたが、やがて意味のないことかと睨むことをやめる。

「そう、母さんの知り合いか。どうせ母さんが僕の名前を出していたんだろうけど。僕の名前、フリードリヒまで出すような人はあの人しかいない」

ヴァルターは立ち上がると、木々の隙間、恐らくここまで来た道のりだろう、そこを指し示す。

「野盗とかじゃなさそうだし、母さんに用があるなら案内するけど。まあ、この森で迷うなんてよくあることだしね」

「そうなんですか?」

「この森に。シェレンベルクの森に来る人なんて、それこそ年に一度あるかないかだよ。だから、客を迎えるような整備なんてされてない」

 そう言って歩き出す。

 彼の中ではベアトリスは母の知り合いで、森に来たはいいが迷子になった奴という認識になったらしい。

 ベアトリスもここにいても仕方ないと思いそれに続く。

 薄暗い森に、ざくざくと土の上の枯れ葉を踏みつける音が続く。

 先導する少年は無言で、ベアトリスも母の知り合いだと認識された手前あれこれ聞くのは怪しまれるだけだと思い口を噤んでいる。

(ここは……彼曰く、シェレンベルクの森。彼は、小さいけどヴァルターさんで。カテリナさんもいるらしくて)

 それを省みるに、ここは過去、それに類する場所なのか。

 そこまでベアトリスは推測して。

(……あれ、これまずいのでは?)

 致命的なやらかしに気付く。

 ここが過去で、あの少年がヴァルターの過去の姿で、彼の母も存命中であるのなら。

 ベアトリスは、未だカテリナ・リディア・シェレンベルクと出会っていない。

 彼女と出会ったのはあの黎明、ベルリンの家でのことだ。

 仮にここが過去の情景で、それに準じた対応をされるのだとするのなら。

 カテリナは未だベアトリスを知らず、初対面の誰かと認識して。

 ベアトリスは何故だか彼らの名前を知っていた不審者で。

「あっばばばばばば」

「何変な声出してんの」

「あっ、その、何でもないから気にしないで」

 どうしよう。

 ベアトリスは考える。

 何というか、この少年、ヴァルターから不審者の誹りを受けるのはすごく嫌だった。

 こうなれば出会い頭に勢いで丸め込んで知り合いっぽく見せかけて後から口裏を合わせてもらうべきか。

「あ」

 そんなことをベアトリスが考えていると、ヴァルターが立ち止まって。

 なので、ベアトリスも立ち止まりその先を見る。

 二人の足音とは別の、向かいからやってくる枯れ葉を踏む音。

 小さく、ゆったりとした足音が、暗がりの向こうから聞こえてきて。

「ヴァルター」

 それは、聞き覚えのある声だった。

 見覚えのある姿だった。

 彼に似た灰金の色の、滑らかな髪。

 海の青色を切り取った瞳が、優しげに揺らめいて。

 あの日、出会った時と寸分違わず変わらない、あまりに小さい母の姿だった。

「帰り道でしたか? お帰りなさい、寒くない?」

「大丈夫。それより、母さん」

 客人です、と言ってヴァルターは背後を指し示す。

 そこには当然ベアトリスの姿もあって。

「あっ。その、私はですね……」

 その状況にベアトリスは慌てふためく。

 なんとかしよう、とかいうせせこましい考えは無意味だった。

 彼女、カテリナの瞳はバツが悪そうにするベアトリスをじっと見つめて。

「その……」

「ええ、はい、待っていました(・・・・・・・)

 そう言って、笑顔を向けるカテリナに、ベアトリスはえ、と呆け声を出した。

「貴方が連れてきてくれたのね。ありがとう、ヴァルター」

「別に、褒められることじゃ、ないです」

「そう、けれど、母さんは貴方を褒めてあげたいの。ちょうどクッキーが焼きあがったのよ、余った分は貴方のものね」

「……他の皆に分けてください」

 頭を撫でるカテリナの手を、無表情だが拒まない。

 嘗てあった、母子の姿がそこにはあった。

 なすがままにされるヴァルターとを撫でながら、カテリナはベアトリスを見て。

お久しぶりです(・・・・・・・)、ベアトリスさん。アルフレート君も元気かしら?」

「! 貴方は……!」

「積もる話は、この先でしましょう。一先ずは、歓迎します。本当は、あまりそういうことを言ってはならない状況なのだけれど。また会えて、嬉しいです」

「あ……」

 そう言って、ヴァルターの手を引き先導する。

 ベアトリスは問いたい気持ちを飲み込んで、その小さな二つの背中に続いた。

 

 

 

 

「改めて、お久しぶりです。ベアトリスさん」

「はい、ええと、お久しぶりです」

 森の中、開けた場所に、長閑な木製のコテージがあって。

 ベアトリスは招かれるままにその中、何やら既視感を感じるテーブルの上で、カテリナと向き合っていた。

 小さなヴァルターは着くなりまるで興味が無いと何処か別の部屋に消えてしまって。

 ベアトリスはテーブルのクッキーと紅茶を勧められて、断れるわけもなく手にとって。

「私が消えた後、あの子のこと、気にかけてくれたみたいで。この良縁に感謝します」

「あの、カテリナさん、此処は、この世界は」

「ええ、はい。あまり困惑させるのもよくないから、まずは率直に説明しますね」

 カップを起き、瞼を伏せる。

 ひええ相変わらず絵になるなあなんですかこの美少女マザーはと内心思いながらもベアトリスは居住まいを正した。

「此処はあの子の、ヴァルターの記憶の世界。精神の深淵、魂の行き着く場所、とも言えるわ。そして私は、あの日からずっと此処にいる」

「……カテリナさん。教えてくれますか、何があったのか。貴方の魂は、ヴァルターさんの聖遺物の中にあるんですか」

 その問いに対して、カテリナはゆるりと首を横に振った。

「いいえ、いいえ。此処にいる私は、確固たる魂ではありません。カテリナ・リディア・シェレンベルクはあの日確かに死に、その魂は何処に向かうこともなく消滅したのです」

「じゃあ……」

「私は、『思い出』なのです。あの日、カテリナがヴァルターに注ぎ込んだ、『記憶』。決して、決して、魂ではないのです」

 そう言うカテリナは何処か寂しそうに微笑んで。

 まるでそれは、自分の至らなさを恥じ入るような。

「ですが、今それは重要な事ではありません。貴方がここに来た意味を、私は語らねばならない。余り、多くを語ることは出来ません。時間もありません。貴方は今現在も魂の深淵に向けて落ち続けているし、私はこの世界にあることを許されているだけで、この世界の真の君主は、あの恐るべき『黒の王』なのですから」

「黒の、王?」

「あれを一概に不純物と言うことは出来ません。あれもまた、あの子を形成する表裏一体の側面であり、運命であり、宿業でもある。あの漆黒の意思は、ヴァルターの、自身の抱える宿業を歓迎し、試そうとしている」

 カテリナはテーブルの上に手を置き、その指先を合わせる。

 やや、迷うような素振りがあってから。

「順番に、話していきましょう。先ず、貴方がここにいる意味について。貴方はヴァルターを救おうと手を尽くしました。ですがこのままでは、あの子は目覚めないのです」

「え……」

 それは。

 それは一体どういうことなのか。

「精神が割れてしまったことで、存在の根源から力が溢れ、黒の王の占める比重が大きくなっている。……いいえ、それも、あの子がエイヴィヒカイトを用い、更なる力を求めるのなら、いつか訪れる必然だったのかもしれません」

「どうすれば、私はどうすればいいんですか。教えてください!」

「方法を語るのは簡単なことです、けれど、貴方には、あの子のことを知っておいて欲しい。先程言った通り、私ではその本質までを語ることは出来ませんが」

 両手の指を放して、掌を上に向ける。

 するとそこには、赤く透き通る結晶の幻影が浮かんだ。

「ツァラトゥストラ、について、貴方はどこまでご存知ですか?」

 ツァラトゥストラ。

 その単語を、ベアトリスは知っていた。

 それはとある哲学者の用いた言葉であるが、しかし彼女ら、聖槍十三騎士団にとってはもっと別の意味を示す言葉である。

「貴方の思っている通りのもので合っています。メルクリウス、彼の語る、自身の腕であり指先、その意志を代行する存在についてです」

「!! カテリナさん、貴方は、一体どこまで……」

「貴方が、そしてドイツという国に聖槍を導とする騎士団が結成されるよりも前から。その計画は始まっていたのです。私については、また後程。今はツァラトゥストラがどういった存在かについて、語ろうと思います」

 この、少女の如き母は、一体何者なのか。

 否、こうともなれば、ベアトリスとてある程度察しはするものだった。

 今や自分が、恐らくは彼女と同じような存在なのだから。

「ツァラトゥストラとは、メルクリウスの代行者にして、彼の血を受け継ぐもの。彼自身の血液を媒介に創生される、一種の人工生命体を指します。しかし、それだけではありません。彼はこの途方もなく広い世界の中、自らの願いを叶えうる魂の性質の持ち主を見初め、その魂を回収する。そして、自らの血を以て形成した肉体という器に、その魂を入れ込むことで、ツァラトゥストラは完成するのです」

「な……!?」

 それは、ベアトリスをどこまでも驚嘆させた。

 メルクリウスの血を受け継ぐ分身、という部分には嫌悪を、しかし魂を入れ込むという部分には憐憫を、何故ならそれは、まるでツァラトゥストラも自分たちのように、水銀の魔に取り憑かれ、堕ちていってしまう哀れな誰かなのでは。

 だが、その先の言葉にこそ、ベアトリスは我を失いかける。

「あの子は、ヴァルターは。真のツァラトゥストラを作る前に試しとして作られた、ツァラトゥストラ・プロトタイプなのです。来るべきその日のために、運命を試すためにメルクリウスが創造した存在なのです」

「…………は?」

 その言葉を、ベアトリスは受け入れられなかった。

「……いやいや嘘ですよ、そんな、先輩が、あの水銀の? そんな馬鹿な」

「あの子はメルクリウスによって、『誰か』の魂をその器に注ぎ込まれた、水銀の使徒です」

「そんなはずない、嘘だ」

「ベアトリスさん」

 何かに怯えるベアトリスに、カテリナは毅然と言い放つ。

「貴方が何を考えているのかは分かります。ですが、どうか。あの子との縁を、悪なることだなんて思わないで。果たしてそれが仕組まれていたのか、そうでないのか。貴方も、そして私も、それを確かめるすべはありません。それでも、私は思います。実際に現実で見てきたのは僅かな間だったけれど。貴方とあの子の縁は、善きもの以外の何物でもなかったと」

 瞳と瞳が合う。

 動揺に揺れるベアトリスの瞳を、凪いだ海のようなカテリナの瞳が捉えて。

 ゆっくり、ゆっくりと、ベアトリスの瞳の揺れが、それに同調していって。

「……貴方は、本当に強い女性だ。カテリナさん、ごめんなさい。ヴァルターさんを、貴方の息子である彼のことを疑ってしまって、ごめんなさい」

「疑うことが悪いことなのではないわ。これは、ただの親バカのワガママ。あの子と仲良くして欲しいって、そういう単なるワガママです」

「……本当、負けますよ」

 ちろ、と舌を見せながら笑うカテリナの姿に、ベアトリスは改めて思う。

 母の姿、未だ幼いころ、自分も嘗て仰ぎ見た母の強さ、というものを。

「さて、話を続けますね、ここからは、もう少し分かりやすいかたちで」

 カテリナがその手を掲げると、淡い光の球体が現れる。

 それは数度瞬いた後、突然その周囲を巻き込むように弾けて。

 

 

「急にごめんなさい、驚かなかった?」

「はは、なんというか、ここ最近唐突に周囲の景色が変わることに慣れてしまいましたよ」

 そこは先程いたコテージの中、テーブルの上ではなく、森と荒野の境目だった。

「ここは心の世界、記憶の世界ですから。ある程度それを扱うことによってこうして何時か何処かの風景を再現することも可能なんですよ」

「それはまあ……色々と興味はありますが」

 並び立つ二人の前に、別の人影が現れる。

 それは、意識のない一人の幼子を連れる影法師であり、森から出てくる少女だった。

「メルクリウスは、自らが生み出したツァラトゥストラの雛形を、私に預けました。私はその子に、ヴァルター、と名前をつけ、家族として迎え入れました」

 影は消え、そこには幼子と少女が残される。

 心配そうに幼子を抱え、その額を撫でる少女は、幼子が僅かに瞳を開けたことに安堵して。

「私は……恥ずかしながら、人ではなく、その道を選びながら孤独に耐えられませんでした。森の奥で、世界から見放された子供たちを預かって、まるで手慰みのように家族の真似事をし始めて、それから一体どれだけの年月が経ったことでしょうか。数百、ひょっとすると、千。かつて正しい信仰の下、幸福を甘受していたはずの人間であった頃の記憶は、もう余り思い出せません」

「千……って……」

 それは黒円卓でも長命を豪語する魔女、ルサルカの数倍以上はある彼女の歴史だった。

「そんな私の弱さに付け込まれた、それは分かっていました。でも、私は。あの子がメルクリウスの大いなる計画の歯車だと知っても。あの子を害することも、捨てることも、できなかった」

 幼子を抱える少女が森の奥に帰っていって。

 そこから、流れるように風景も変わっていく。

 コテージの麓で楽しそうに遊び回る子供たちがいて。

 光の灯らない目で、それから遠ざかる灰金の子供がいて。

 テーブルの上、たくさん並べたお菓子を一つ一つ、どれが好きかと伺う母がいて。

 知らない、興味が無いと首を振る子供がいて。

 なら、今日はこれ、とそのうち一つを握らせて。

 毎日が、過ぎていく。

 光から離れるように森の奥にいれば、必ず誰も連れること無く彼の手を取りに行った。

 繋がりを厭うように振る舞っても、そこにいる人々はあまりに善良に過ぎた。

 子供たちは母の献身を認め、自分たちもそれに続こうと彼に構うようになった。

 人格者の長男がいた、遊び盛りの次男がいた。

 姉たちは母に混ざってお菓子の感想を聞きに来たし、新たに増えた妹はおっかなびっくりしつつもその手を握りに来る。

 善き人々の、善き世界、それを森のなかに切り取ったような。

 ある日、彼は言った。

 それでも、僕の視界に色は灯らない、と。

 それに、母は答えた。

 そう思うことができるのなら、貴方には既に善き人々の心が宿っている、と。

 カテリナは、そんな嘗ての自分を見ながら自嘲するように笑う。

「セヴァス、エド、ハインツ、ジェーン、ベル、ヨーゼフ、アーシェ、ケイン、マリー……皆、皆、あの子たちも。とても、とても善い子たちでした。私の勝手であの森に押し込めてしまったようなものなのに、皆、ああして。私は、あの子たちに慕われる資格なんて本当は無いのに」

「何でそんなこと言うんですか」

 ベアトリスは怒った。

 その言い草に、自分を卑下する言葉に怒りを抱いた。

「貴方のおかげですよ。誰が見たって、それに文句言うやつはぶん殴ってやりますよ。手慰みとか、真似事とか、それでも、あんなに皆を愛していたじゃないですか。あれを見てそれが嘘だなんて、そんなの、言える筈ない」

「…………」

「その先に何が待っていたって、私はそう思います」

「…………」

 それでも、カテリナはベアトリスの義憤に対し曖昧に微笑むだけだった。

「次は、私の話をしますね」

 また、手の内に光が溢れる。

 今度は世界を変えることはなく、光は輪のような形状になって。

 発光が収まる頃には、そこには一つの王冠があった。

「それ……ヴァルターさんの」

 ベアトリスはその王冠に見覚えがあった。

 嘗て、ヴァルターが彼女に見せた、形成位階のかたちからは想像もつかない聖遺物。

ロンバルディアの鉄王冠(コローナ・フェッレア)。私の守護していた聖遺物。私が、ヴァルターに継承した聖遺物です。これの謂れをご存知ですか?」

「えっと、はい、中世期の王冠で、その拵えには神の子を突き刺した釘を用いていたとか」

「ええ、はい、概ねその通りの認識で構いません。問題は、この王冠に用いられている神の子を突き刺した釘、とは、貴方もよく知る黄金の聖槍から分かたれた欠片だということです」

「え……」

 それが事実であるとするなら、その王冠はあの聖槍に匹敵する存在ということで。

 それが偶然、等とはとても言えるものではなかった。

「侵略の聖痕(スティグマ)を穿つ聖槍と対となる、結界の聖痕(スティグマ)を穿つのが、この王冠、その本質的には釘の権能です。当代の覇者にしか用いることの出来ない聖槍の起動に際し、それを押し留める役目に最も相応しい位置にいる存在に、これは継承される」

「それが、ヴァルターさん?」

「全て、メルクリウスは分かっていたのでしょうね。私が命の限界を迎えていたこと。聖槍を担う覇者が現れること。そして、あの子が私のもとに来て、王冠を受け継ぐ。聖槍の覇道を阻む王冠の求道は、目覚めに際し渇望とは真逆に、自己の意志を失っていく。だから、私はあの子の中に記憶を注ぐことによって、それを阻止して。けれど、けれど」

 王冠の中から漆黒の欠片が浮き出る。

 それは王冠を黒く染め、茨の棘が覆い尽くす。

「ああ、メルクリウスは、彼は。ヴァルターを生み出す際、もっと恐るべきものを彼の魂の中に混ぜ込んでいた。ツァラトゥストラの試金石であり、王冠の担い手であり。そして、その二つを以てしか留めることの叶わない第三の力が」

 黒より黒い、漆黒に染まる王冠が、心臓の如く鼓動し、そして、崩れ去って。

「それが、本題なのです。あの子がメルクリウスに生み出された第一のツァラトゥストラであることも、私の王冠を受け継いだ使徒であることも、重要なことではなかったのです」

 場所は、いつの間にかコテージの中に戻っていた。

 しかし素朴な木のコテージは黒い茨がはびこり、闇の瘴気の中にあった。

 窓の外は森も地面もひび割れ消え去り、宇宙の如き深淵の空が続いている。

「闇の底にある、神の如き王が、あの子の中には巣食っている。メトシェラなるこの世界の闇の神を食らい追い落とすことによって明確な姿を得た彼の力。ヴァルターが用いる黒の茨、黒の剣は、その王からこぼれ落ちたひとかけらに過ぎないのです」

 二人は、扉の前に立っている。

 その扉の上部にはシンプルに『Walther』と書かれていて、廊下を食い荒らす漆黒の茨が、その向こうから発生していることが分かった。

「あの子の心が壊れかけて、王冠の抑止が力を失って。黒の王の意思が現出しようとしている。……どうやら、時間切れみたいですね。私が語れるのはここまでのようです」

 扉が、開く。

 それと同時に、ベアトリスを奇妙な浮遊感が襲う。

 否、それはただ感じていなかっただけだ。

 この世界に落ちた時からずっと、ベアトリスは落ち続けていた。

 それの待つ深淵へと、落ち続けていたのだ。

「私は、この先には行けません。彼は、貴方だけを招いている。最早逃れることも出来ないでしょう。ヴァルターを救うにはこの先に座す漆黒の意思から、あの子を取り戻さねばならない」

 その先にある意思を、ベアトリスは感じた。

 さあ、来い、と獰猛に嘲笑う、しかし嘲笑う裏で色のない瞳でこちらを見つめているそれは、自分など歯牙にもかけない圧倒的な力を以てこちらを睨みつけている。

「もう、私には何も出来ない。記憶でしか無い私には。死地に行く貴方を見つめるだけの私には……この手は、何も掴めない。ごめんなさい、ベアトリスさん、ごめんなさい……」

「カテリナさん」

 カテリナの震える右手を、ベアトリスが掴んだ。

 その先にあるものがどういうものか、肌で感じて尚。

 彼女は、先ほどとは逆に、震えるカテリナの瞳と自分の瞳を合わせて。

「必ず連れて帰ってくるんで、待っててください」

「…………ベアトリスさん」

「関係ないです。記憶とか、魂とか。思いは確かにここにあった。なら、それは私が持って行きましょう。だから、信じて、待っててください。私、もう怖いものなんてありません」

「…………」

 腕の震えが止まって。

 握られた右手を更に上から包み込むように、互いに両手を握り合って。

「……ええ、ええ、信じます。他でもない、貴方であるのなら」

 一筋の雫を目元から流しながら、それを拭いながら、カテリナは美しく微笑んだ。

「どうか、どうか。私の息子を、よろしくお願いします」

 そして、ベアトリスもそれに応えるように快活にはにかんだ。

「何だか、こんなに信じられちゃうと、こそばゆいですね」

「あら、それは信じますよ。だって……」

 涙のあとを残しながら、雨上がりの太陽のように、カテリナは。

 

 

「だって、ベアトリスさん。あの子のお嫁さんになってくれるのでしょう?」

 

 

「ぶっふぉ、ごほっ、ごほっ!?」

 唐突に爆弾を投下した。

 ベアトリスは女にあるまじき汚いむせ方をした。

「なっ、ななな、何を、え、だって、その」

「気づきませんでした? 外でのこと、私全部知ってます。盗み見みたいで、申し訳ないけれど。貴方みたいなお嫁さんがついてくれるなら、あの子も安心。私にとっても、娘同然です。決断を急いだみたいになってしまったようだけど、ありがとう、あの子を愛してくれて」

「あ、あわわわわわわわたしわたしわたしあわわわわわわ……」

「……そうね、まだ、心の整理がつききってないってところかしら。でもね」

 握った両手に、僅かに力を入れて。

 それが、ベアトリスにも伝わる。

「今、ここで私に『待ってて』と言ってくれた貴方なら。確かな愛があると、信じてるから。頑張って、行ってらっしゃい。貴方のことも、愛しているわ。きっと、絶対に、絶対」

 そんな様子に、顔も覆うことが出来ないベアトリスは暫し困ったり恥ずかしがったり虚無ったりと著しい百面相をしていたが。

「……はい、行ってきます」

 確かに、応えて。

 そして、闇の扉がベアトリスを飲み込んだ。

 

 




次回、鬼畜裏ボス戦

難易度:クリティカルモード

ヴァルター・オルタを倒せ

勝利条件:真・創造を開放せよ


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