決闘クラブが終わって2週間。
その日は今年初のクィディッチの日だった。
城はどんどん冷え込んできていたし、決闘クラブも(半分は私のせいだけど)今ひとつな空気で終わってしまった。
でも、そんな空気を吹っ飛ばしてくれそうなパワーと人気がクィディッチにはある。しかもカードはグリフィンドール対スリザリン。
グリフィンドールチームはウッドが駆けずり回っていたけど、有力なシーカーは発見できなかったらしい。それでもチーム全員が昨年の雪辱を晴らそうと燃えていると聞いた。
ライバル寮同士のこの一戦はやはり盛り上がる。他の2寮の生徒もたくさん観戦に向かって、試合場は全校生徒がいるんじゃないかというほどの大混雑だったらしい。
らしいというのは、私は行かなかったからだ。
例によってロンたちに誘われたけど、今回は断った。
狂ったブラッジャーにまた突進された上、骨抜き(物理)になるのは勘弁願いたい。
残念だけど、今年は城でおとなしくしていよう。
ドラコがチーム入りしているはずなので、それを応援したい気持ちはあったけど……ごめん、来年以降で許してください。
競技場の歓声を遠くに聞きながら談話室の暖炉の前で待っていると、次第に生徒が帰ってきた。
みんな笑顔だ。どうやらグリフィンドールが勝ったらしい。
さて、私の勝負はここからだ。
クィディッチの試合の日は、原作ハリーが腕の骨をまるっと抜かれる災難な日である。と同時に、コリンがバジリスクに襲われる日だ。
なんとかコリンを護れないかと考えて、私は単純な結論に達した。
基本的に一人きりになったところを襲われていたはずだから、今日はとにかく一緒に行動すればいいのだ。
普段は避けようとしても1日に3回は会うし、こんな簡単なこともない。
……冷静に考えてストーカーかな? まあいいや。
でも、そもそも原作ではハリーのお見舞いに行ったときに襲われていた。今回私は入院してないし、何もしなくても大丈夫かもとは思うんだけど……やっぱり今日は目の届くところにいてくれると良い。
クィディッチの写真を撮りに行ったと聞いたから、待っていれば戻ってくるだろう。
そう思って暖炉の前のソファに陣取って寮の扉を見張っていた。
――帰ってこない。
人数とかは数えてないけど、もうほとんどの生徒が帰ってきたはずだ。
休日だしどこかで遊んでいるのかもしれないけど、普段は平日だろうと朝昼晩と1回ずつは写真を撮ろうとスタンバイしているのに。今日はもうお昼も過ぎて夕方に差し掛かってる。
まさか輝きか? 私に輝きが足りないから撮りに来ないのか?
ありえない苦悩をしていると、ジニーが談話室に入って来るのが見えた。
「ジニー!」
「あ、ハリー……どうしたの?」
ジニーは赤くなってもじもじと髪を弄りだした。
そんな可愛い反応されても。
「あー、あのさ、コリン見なかった?」
「え、コリン? 朝なら2階の階段の前でカメラ構えてたの見たけど……」
「2階……ガーゴイルの下の?」
「そう。またハリー待ちだと思ってそっとしといたわ」
「……お気遣いどうも」
目撃証言は得られたけど……朝のことか。
誰か他に、と思ったとき、ちょうどよくロンとシェーマスが連れ立って帰ってきた。
「ロン、シェーマス。コリン見てない?」
「君から探すなんて珍しいな。とうとう進んで撮られる気になったの?」
シェーマスが茶化してきたので睨んで威嚇しておく。
ロンが答えた。
「コリンなら2階の階段の前でカメラ構えてたの見たよ。お昼だけど」
「え。ガーゴイルのとこの?」
「そう。またハリー待ちだと思ってそっとしといた」
「……お気遣いどうも」
兄妹だよ君たち。
――って、朝からずっと?
「ちょっと行ってみる」
談話室を出た。
さっきから言っているガーゴイルは、原作で校長室の入り口だったはず。
ちょいちょい迷いながらも、なんとか目的のガーゴイルまで辿り着いた。
階段を降りていくと……いた。
もはや堂に入った構えで片膝を立て、ぴたりとカメラを構えたコリンがいた。
「探したよ、コリン。朝からそうしてるんでしょ」
階段を降りる。
……どうしたんだろう、コリン、返事しない。
「ほら行こう? そんな格好でずっと居たら固まっちゃうよ」
近づいて、ぽんと肩に手を置いた。
それは思ったより冷たく、そして硬かった。
そう、まるで石のように――
「石化してるじゃん!」
そういうことになった。
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ギャグっぽく発見してしまったコリンだったけど、彼が石化していると気づいたとき、私はものすごく恐怖を感じた。
コリンが助かったのは、たまたまカメラを構えていたからに過ぎない。
下手をすれば――。
他のみんなもそうだ。いくら鏡で見るよう注意していても、巨大な蛇に不意打ちで出て来られたらそんな余裕はないかもしれない。
それに原作とも展開が変わってきている。
コリンが石化した場所も時間も違う。それに、どうして気づかなかったんだろう、決闘クラブはこの後の話のはずだった。
原作がどこまで当てになるかわからない以上、私がひとつひとつ確認していくしかない。
確かめにいこう。
城の地下へ地下へと、パイプを滑り落ちていく。
間違いなくクィレルと戦ったところよりも深い。
顔が切る空気もどんどん冷たくなっていって、これ以上勢いがついたらヤバいと思い始めたころに、パイプから放り出された。
盛大に音を立てて転がる。
「うわぁ、湿ってる」
ハリエット・ポッター、秘密の部屋に侵入成功――。
コリンが襲われてから2日。
何度か鋭いパーバティに止められたり、嘆きのマートルに因縁つけられたりして失敗してきたけど、透明マントでベッドを抜け出してようやくここに入ることができた。
とはいっても、今からバジリスクを倒しに行こうなんて無謀なことは考えていない。
目的はあくまで秘密の部屋の確認。
蛇語を使う勘も掴んだし、パイプも多分安全に降りられることもわかった。
もし、ここに誰かが連れ去られるような事態になっても、助けに来ることができる。
もちろん、そうならないに越したことはない。連れ去られる「誰か」を探し出して、手遅れになる前に無理矢理にでもリドルの日記を奪って、ダンブルドア先生のところに持っていく。
その過程で原作知識がバレたり怪しまれたりしても、それは仕方ないだろう。
私の正気が疑われようが人命には代えられない。
あんまり長い間いなくなっているとパーバティやラベンダーが気づいてしまうかもしれない。
私は踵を返した。
身体浮遊魔法を使って、滑り降りてきたパイプの中をゆっくり昇っていく。
結構制御が難しい。原作でヴォルが飛んでたのはまた別の魔法なのかもしれない。
……あーダメだ、こんなことを考えている場合じゃない。
魔法のことを考え出した頭を振って、雑念を追い出す。
今、事態はかなり逼迫している。
私がするべきことは? とにかく、日記の持ち主を探すことだ。
というか持ち主が見つかりさえすれば万事収まる。
うん、ドラコに会いに行こう。お父さんの動向を聞くんだ。寮を訪ねてでも。
「結局、聞きに行くことになるんだ」
原作との奇妙な共通点に少し可笑しくなる。でも原作と違うのは、私とドラコが友達だということだ……ドラコは認めようとしないだろうけど。
パイプを潜り抜け、マートルの女子トイレに出た。
「よっ、と」
魔法を解除して地面に降り立った。
ようし。行動方針も決まったし、頑張りますか。
事件が起きるのは止められなかったけど、まだ死者は出てないんだ、大丈夫。
去年も乗り越えられたんだ。今年もきっといける。
そう自分に言い聞かせて、決意も新たに、私は足を踏み出そうとした。
「動くな」
女子トイレで聞こえてははならないはずの低い声が、すぐ真後ろから聞こえた。
後頭部に固く細い……たぶん、杖が当たる感触。
「やれやれ、なぜこんな辺鄙なところにあるトイレに行くのかと思えば……まさかまさかだね、ハリー?」
「……何でここに―――ロックハート」
「先生と呼びなさい。おっと、動いてはいけないよ」
頭に杖を強く押し付けられる。
気づかれたか。こっそり上げようとした杖を、後ろから伸びてきた手が捥ぎ取っていった。
「はは、これで君はもう何もできない。ただの小さな女の子だ」
からんからん、と杖が転がる音がした。トイレに投げられた。
「『生き残った少女』も形無しだな。さあ、振り向いて」
言葉に従って、ゆっくりと振り向く。
ギルデロイ・ロックハートが、月明かりに照らされて立っていた。
笑みを浮かべていた。
でもその笑顔は、普段浮かべているような爽やかなものではなかった。
なんというか、もっと、邪悪な――
不意に。
恐ろしい想像が頭を過ぎった。
目の前の邪悪な顔と、持ち主がわからない日記。
そしてそうだ、ナルシッサさんがこいつのファンだった……!
「まさか」
声が震えた。
「まさかあなた、なんですか? ……あなたが『スリザリンの継承者』?」
邪悪な笑みが深まるかと思った。
無表情になって静かにラスボス感を出すとか。
突然リドルの人格に取って代わられる、なんてことも想像した。
でもどれとも違って。
「何を言っているんだ?」
ロックハートは、心の底から不思議そうに、首を傾げた。
「『スリザリンの継承者』は君じゃないか。ハリエット・ポッター」
「は?」
「ここが秘密の部屋なんだろう? 誰も知らないはずの部屋の入り口をついさっき、君が開いて見せた。動かぬ証拠だ」
「…………………」
確かに!!!
側から見たら思いっきり私がスリザリンの継承者じゃん!
「え!? いやえっと、でも、そんな、えぇー……」
「反論の余地はないようだね?」
鬼の首を取ったように笑うロックハート。
い、いやいやいや大丈夫、大丈夫、落ち着け。問題ない。
一瞬パニックになりかけたけど、少し考えれば大丈夫だ。
例えばこのままダンブルドア先生の前に連れていかれたとしても、理由はつけられる。例えばバジリスクの声を追っていったらたどり着いた、とか。
嘘だと見抜かれるかもしれないけど、私は悪いことをしているわけじゃない。
堂々としていればいい。
そんなことより私が考えなきゃいけないのは、真の継承者が誰かだ。本当にロックハートじゃないのなら――
「ハリー、ハリー、ハリー」
妙に甘い声が、私の思考を遮った。
「こう考えているんだろう? 自分はハリー・ポッターだ。継承者などと言われたところで、いくらでも言い訳が立つ、と」
「………」
く、あながち間違いでもないあたり癪な……。
「私も考えましたよ。君をこのまま告発したところで、継承者を捕まえた英雄になれるかは疑わしい。確かに君はこの小さな学校で一定の信用を得ているらしい。私より君の言い分が信じられてしまうかもしれない」
顔が、いつもの綺麗な笑みに戻っているのが少し不気味だったけど……私は段々、別にこいつの話を聞かなくてもいいんじゃないかと思い始めた。
「それに君は……どうやったのか知らないが、私の秘密も握っている。君を告発すれば、醜くも――腹癒せに私の秘密も暴露されるかもしれない」
ロックハートは上機嫌な様子で話し続けている。
よし、いける。
深呼吸して、杖なしで魔法を使う集中に入る。
もう私は杖を持っていない、無力な少女だと思われているはずだ。つまり、不意打ちにはもってこいだ。
視線が逸れる。よし、今!
私は手のひらをロックハートに向けようとした。
その瞬間、パチン、という聞き覚えのある音とともに、身体が一切動かなくなった。
え?
「ですから、忘れてもらうことにしました」
ロックハートのその言葉が、突然はっきりと意味を持って私の脳に刺さった。
「こう見えても忘却術は得意中の得意でね。安心して、命までは取らない」
身体が動かない。
目と耳だけが働いている。
「そうだな……私ロックハートは聡明な頭脳で秘密の部屋を発見し、勇敢にも一人乗り込もうとした。しかし目立ちたがりで英雄願望のある愚かな生徒がこっそりと着いてきてしまった。怪物を見て恐怖で何もできず、あわや命を落とすところを私が救い出した。だが哀れにも! 生徒は恐怖で正気を失ってしまった……こんな筋書きはどうだい?」
動け、動け、動いてよ、私の手。
魔力を、練らなきゃ。
どうやるんだっけ、そう集中、集中、集中集中集中――
「恐怖で口もきけないようだね、可哀想に。でも君が悪いんですよ? 言ったでしょう? 少々おイタが過ぎましたね、と」
集中、しゅう、ちゅう……できない、できない!
嫌だ、嫌だ、こんなところで、こんな終わり方――
「それでは……ハリエット・ポッター。記憶に、別れを告げるがいい」
ロックハートの歌うような声が最後の記憶だった。
「オブリビエイト」
蒼い閃光が私の身体に突き刺さった。