私ハリーはこの世界を知っている   作:nofloor

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第12話 覚えのない記憶とそれについての考察

 

 クリスマスは、去年ほどの華やぎもなく過ぎ去っていった。

 

 新学期が始まってそろそろふた月経つ。ホグワーツでは「マンドレイクが思春期に入った」というよくわからないニュース以外はなにも起きていない。

 つまり、ジャスティンとニック以来、誰も襲われていなかった。

 先生たちの厳重な警戒に恐れをなしたのか、はたまた別の理由があるのか。 

 わからないけど、前者だと信じたい。

 

 ホグワーツに暖かな陽が射す時期になるのに合わせて、城の雰囲気も少しだけ明るくなってきた気がする。

 

 必要の部屋の特訓は、ジャスティン達が襲われてから警戒が厳しくてしばらくはできなかったけど、最近ようやく再開できるようになった。

 どうしてこんなことをしているのかは、わからないままだけど。

 

 常に、何かにせっつかれているように落ち着かない。

 なにかをしなければならないという焦りと、なにもできるわけがないという理性がせめぎ合って、時折頭が痛む。

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

「ハリー、クィディッチ見に行かないか!?」

「行こうぜ!」

「ああ、行こう!」

 

 談話室の暖炉の前にあるソファで本を読んでいると、例によって例の三人がスクラム組んでやってきた。

 

「今日はグリフィンドールなの?」

「そうだよ。ハッフルパフと」

「うーん……」

「ハリー、サッカーと一緒さ。見るのは楽しい」

「それは去年も聞いたけど」

 

 この間は私から誘っといて申し訳ないけど、今は行楽に興じられる気分じゃない。

 思ったより押しの強い誘いにぐずぐずと返事を濁していると、しばらくしてシェーマスが諦めたように肩を竦めた。

 

「なあ、もういいじゃないか。ハリーは行きたくないって言ってるんだし」

 

 ディーンも同意するようにロンの肩を叩く。

 

「ああ、そうだよロン、ムリに連れ出す必要ないさ」

「ロン? がどうかしたの?」

 

 聞きながらロンを見ると、ロンはバツが悪そうに赤くなった鼻の頭を掻いた。

 

「最近ハリーが元気ないから誘おうってロンが言い出したんだ」

 

 シェーマスがにやりと笑いながらロンの背中を叩く。

 ロンはその手を払いながら怒ったように言った。

 

「うるさいな、いいだろ」

「うん、全然いい。ありがと、ロン。気を遣ってくれて」

 

 素直に嬉しい。笑みを浮かべてお礼を言うと、ロンは顔を髪のように赤くして、誤魔化すように勢い込んで聞いてきた。

 

「それで? どうするんだよ?」

「うん、行くよ」

 

 無下に断るのも嫌だし、いい気分転換になるかもしれない。

 図書館から借りてきた本をぱたんと閉じて、部屋に戻しに立ち上がった。

 

 

 

 

 談話室を出て、4人で開けた廊下を歩く。

 麗らかな日の光と暖かい風が程よく入ってきて気持ちが良い。うん、誘いに乗って良かった。

 歩きながらロンを見上げて聞いてみる。

 

「今日は勝てそうなの?」

「うーん、どうだろう。やっぱりシーカーがネックかな。うちはチェイサーの中から捻りだしてる状態だし……」

「一方相手の方は優秀だ。セドリック・ディゴリーは悔しいけどかなりうまい」

「……セドリック・ディゴリー?」

 

 妙に、その名前が頭に残った。

 

「そう。ハッフルパフのシーカーさ。知ってるのか?」

「………いや、知らない」

 

 知らないはず。自信を持って断言できる。今初めて聞いた名前だ。

 それなのに、昔から私は何度も何度も、その名前に思いを巡らしていた。そんな気がする。

 

「ねえ、その人って――」 

 

 暗い水底から掬いあげようとした記憶は、私の手から零れていった。

 

 思考を凍りつかせるあの声が、またしても聞こえたのだ。

 

 

――殺してやる……引き裂いてやる……!

 

 

「ッ!!」

「ど、どうしたハリー?」

「おい、急に止まるなよ……何かあったのか?」

 

 聞こえていない。3人とも驚いているけど、これは突然身構えた私を見て驚いているだけだ。

 

 私にしか、聞こえない、声。

 背中を這い上る恐怖を堪えて、必死に耳を澄ませた。

 

 もしこの声が秘密の部屋の怪物のものなら、唯一と言っていい程の手がかりだ。

 

――す……ころ……て……

 

 声は不気味な響きだけ残して、あっという間に聞こえなくなってしまった。

 どっちに行ったのかもわからない。

 

 でも、前回と、今回で確信が持てたことがある。

 持っていた疑念が、今確信に変わったと言うべきか。

 

 あれは「蛇の声」だ。

 さっき私の耳は、蛇語である空気が漏れるような音を聞いていた。そして同時に、頭でその意味を理解していた。

 私は、蛇と話ができる。そしてそれは他の人には無い能力だ。だからこそ、声は私にしか聞こえなかった。

 

 

 でも、ここでひとつ、不可解な点が生まれる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 考えたことすらなかった。

 それなのに、どうしてだろう。蛇と話したのは初めてじゃない。

 注意深く記憶を辿ってみれば、何年か前にダーズリー家の庭で蛇と話をした記憶がある。

 

 ここ最近、頻繁に覚えていた違和感。もやもやした思い。記憶をつつかれる感覚。

 その正体がわかった。

 

 「知識の記憶」と「経験の記憶」がちぐはぐなんだ。 

 以前の私は明らかに、私が知らないはずの知識に基づいて行動していた。

 行動した記憶はあるのに、その理由が付けられないことがたくさんある。

 

 「記憶」と来れば……心当たりはある、というか一つしかない。

 なんとなく、どうしてこんな状態に陥っているかは察しがついた気がする。

 

 

 

「――リー、ハリー! 大丈夫かい?」

「……え?」

 

 声に、思考の海から引き上げられた。

 ロンが心配そうに除きこんでいる。

 後ろで、シェーマスとディーンも似たような顔をしてこっちを見ていた。

 

「急に黙っちゃって、どうしたのさ。それに、凄い汗だ」

「……わ、ほんとだね」

「やっぱり、嫌だったかい? 無理に連れてきちゃったから……」

「や、そんなことは全然ない! ほんとに、嬉しかったから」

 

 顔を青くするロンに向かって慌てて両手を振る。

 

「ごめん、大丈夫。さ、行こう。もう始まるよ」

 

 ロンに悪いし、考えるのは後にしよう。

 あの声を追おうにも、もうどこに行ったかもわからない。もし被害が出るにしても死ぬことはない、はず。

 

 そう思って歩き出す私を、ロンたちが慌てて追ってくるのを背中に感じた。

 

 

 

 

 

 

 そして、予定調和のように、クィディッチは中止になった。

 

 私はマクゴナガル先生に呼ばれて医務室へ行き、石になっているレイブンクローの5年生と、

 ハーマイオニー・グレンジャーを見た。

 

 

 見開いた目はガラス球のようだった。

 手に触れると、いつもの暖かさはない。氷のように冷たい。

 そりゃそうか、石なんだから。

 それでも私はその手をそっと握っていた。

 

「ハリー」

 

 後ろから声をかけられた。

 振り向くと、私と同じようにマクゴナガル先生に連れてこられたルーナがいた。

 

「……ハーマイオニー」

 

 ルーナはふらふらと、石になった身体に縋りつくように触れた。

 

「冷たい。……死んじゃった、わけじゃないんだよね?」

「そうだよ、大丈夫。あとひと月もすれば薬ができて、戻って来るよ」

 

 自分の言葉が、変に空虚に聞こえた。

 

「二人とも図書館の前で発見されました」

 

 マクゴナガル先生が感情を押し殺した声で言った。

 

「二人とも、これが何かわかりますか? 二人の傍に落ちていたのですが……」

 

 見ると、先生は小さな丸い手鏡を持っていた。見覚えはない。

 私は首を振ろうとしたけど、その前にルーナが答えた。

 

「私、知ってるよ」

「ミス・ラブグッド! 本当ですか?」

 

 ルーナは頷いて、私を見た。

 

「あんたが持つように言った鏡でしょ?」

「……私?」

「うん。ハーマイオニーは廊下を曲がるときとか、よく見てたよ」

「それは……どういうことですか、ポッター?」

 

 マクゴナガル先生が鋭く聞いてくる。

 

 そうだったっけ? 記憶を辿る……。

 ……そうだ。確かに、私が言ったんだ。

 

「ミセス・ノリスが襲われた後に」

 

 のろのろと答えた。うまく思い出せないないのもあって、自分の言葉に自信が持てない。

 

「怪物と鉢合わせしないために、鏡で確認したら、と、言ったと思います」

「なるほど、そういうことでしたか……」

 

 マクゴナガル先生の声には落胆が滲んでいた。

 手がかりになると思ったのだろう。

 

「結果的に襲われてはしまいましたが……友人を想うその行動は立派ですよ、ポッター」

「……ありがとう、ございます」

 

 ――本当にそうだったっけ?

 わざわざ鏡なんか使わなくても、魔法があれば十分じゃないか。ハーマイオニーなら敵を発見する魔法くらい、唱えることができただろう。

 どうして私は鏡で見ろって言ったんだろう?

 

 また思考の渦に飲み込まれて行きそうな私を、先生の声が断ち切った。

 

「ポッター、ラブグッド。名残惜しいでしょうが、そろそろ寮に戻らねば。私があなたたちを送って行きます」

 

 

 

 

 学校の中はまさに厳戒態勢といった感じだった。

 

 生徒は全員、夕方六時までに各寮の談話室に戻り、それ以降は寮を出ることは固く禁じられた。

 授業間の移動や、授業中トイレに行くときさえ必ず先生の付き添いが付いた。

 クィディッチの練習も試合もすべて延期となった。再開の予定はない。

 

 犯人が見つからなければ学校の閉鎖もあり得る、とマクゴナガル先生は言った。

 

 生徒たちはみんな衝撃を受けていた。

 上級生たちにとっても、こんなことは初めてらしい。

 

 

 混乱したまま一夜が明け、目覚めた私たちをさらに衝撃的なニュースが待っていた。

 ハグリッドが容疑者としてアズカバンに送られた。

 そしてダンブルドア先生が、一連の事件の責任を取らされ停職させられたという。

 

 ハグリッドと1度でも話したことがあるなら、誰もハグリッドが犯人だとは思わない。

 事件が終わると考えているのは余程の楽観主義者か、ただの馬鹿だろう。

 

 そして、ダンブルドア先生――当代最高の魔法使いがいることは、私たちにとって最も安心できることの一つだった。その先生が去ってしまった今、次の犠牲者は石化では済まないかもしれない。

 死人が出るかもしれない。

 

 マグル生まれの生徒は怯えて、中には部屋から出なくなってしまった子もいた。

 そうでない生徒たちも、誰も声を上げずにひっそりと過ごしていた。

 

 

 ホグワーツは、今までにない程暗く、暗く、落ち込んでいた。

 あったはずの活気は、影もなく消え失せていた。

 学校の閉鎖も時間の問題だと思われた。

 

 

 

 

 私は――。

 

 

 

 

 考えていた。

 一人、寮の寝室。窓から、雨が降る校庭を眺めながら。

 

 私の、この1年の、記憶と行動について。

 考えることは苦手だけど、今、そうしなければならないと思った。

 

 

 まず前提。

 

 「私の記憶はロックハートによって消されている」

 

 前に確認した通り、私の知識と経験がズレている。

 全く知らないはずのことを、知っていた記憶がある。

 できないはずのことを、やっていた記憶がある。

 

 例えば、蛇語を話せること。

 必要の部屋についてもそうだ。あんな部屋のこと、なんで私は知っていたんだろう? 偶然見つけたにしては、使い方を熟知しすぎている。

 『部屋の前で望みを強く思いながら3往復』なんて細かい条件を突き止めるには、2年生はあまりに早すぎる。

 かと言って誰かから聞いたわけではない。それは覚えている。

 

 記憶はちゃんとある。なくなってなどいない。

 多分、私は人より記憶力は良い方だと思うけど、辿って行っても不自然な切れ目は殆どない。

 ――ないことが、おかしい。

 

 ここまでのことを考えて、私はひとつの結論を出した。

 

 つまり、知っていたのだ。過去の私は。

 魔法だか占いだか予言だかはわからないけれど、知るはずのないことを知る手段があった。

 そしてロックハートの十八番、忘却術によって、その記憶だけをすっぽり抜かれた。

 

 そう考えれば辻褄が合う。

 

 苦しいかな? 的外れな推理だろうか?

 でも、これがしっくりくる。胸の内で燻る違和感が、それが正解だと示している気がする。

 

 

 それなら自問してみよう。

 私は、過去の私は。

 今年ホグワーツで起こる秘密の部屋に纏わる一連の事件、その詳細すらも知っていたのか?

 

 答えはイエスだ。

 知っていただろう。

 

 ルーナの言葉が気づかせてくれた。

 鏡を配って歩いたのはミセス・ノリスが襲われた直後。

 その時点で私は、秘密の部屋に何が潜んでいるのか知っていた。

 まだ殆ど情報がない段階から、私は石化が怪物の視線によるものだと決め打って鏡を持つよう促していた。

 魔法で探ったとしても、()()()()()()()()()の化け物が学校を跋扈するとわかっていた。

 

 「怪物」は、その視線で相手を殺す。そして蛇語を話す……つまり「蛇」である。

 そんな生物は、魔法界と言えど1種しかいない。

 

 秘密の部屋の怪物は、蛇の王バジリスクだ。

 

 誰も死んでいないのは、直接目を見ていないからだ。

 ミセス・ノリスは水浸しの床を見た。

 コリンはカメラ越し……カメラ構えてて助かるならいくらでも撮ってほしい。

 ジャスティンはほとんど首なしニック越しで、ニックは――よくわかんないけどゴーストだしそういうこともあるでしょう。

 そしてハーマイオニーとレイブンクローの先輩は、手鏡に映った奴を。……これはほんとによくやった、昔の私。ファインプレーだ。

 

 

 まあ、そもそも知ってたんなら事件が起こる前に止めてほしかったけどさ。

 いや、何かやったような気もするな……。学校が始まる前に、ドラコか、ジニーか――その辺りにも釈然としない記憶がある。

 まあ、昔の私でも私だ。素直に反省しとこう。

 

 

 

 さて。

 大体の私の行動に、帳尻合わせの理由がついてきた。

 

 残る疑問は、あとひとつだ――。

 

 

 

 

 踵を返して、寝室を出て談話室に降りる。

 階段を降りきる前から、普段は聞こえないくらいの喧騒の気配が聞こえた。

 

 談話室は何やら騒がしく、寮の生徒たちが全員居るかのようにひしめき合っていた。

 なにやらニュースがあったみたいだけど、聞き損ねたようだ。ただ、良いニュースでないことは皆の表情を見ればわかった。

 

 部屋の隅で、ジニーに寄り沿って立つロンを見つけて近づいた。

 

「ロン、何かあったの?」

「ハリー! 今までどこに居たんだ?」

「寝室。考えごとしてた」

 

 それで? という促す私の視線に頷いて、ロンが話し出した。

 

「リーが聞いてきた話なんだけど……とうとう、攫われたらしい」

「攫われた?」

「ああ、生徒が一人、秘密の部屋に連れ去られたって話だよ。ホグワーツの閉鎖も、避けられないだろうね」

「――誰?」

 

 囁くような私の問いに、ロンは大きく息を吸った。

 

「聞いて驚くなよ? 君は少し、ショックを受けるかもしれないけど……マグル生まれじゃないんだ。それどころか純血も純血さ。僕もまさかと思ったけど、どうやら確からしい」

 

 前振りも盛大に、ロンはその名前を言った。

 

「ドラコ・マルフォイ」

 

 

 

 ああ、なるほど。

 

 そう繋がるのか。

 

 うん、逆にすっきりした。

 

 

 残る疑問はひとつ。

 私は、過去の私は。

 秘密の部屋の入口がどこにあるかを知っていたのか?

 

 答えはイエスだ。

 知っていただろう。

 

 

 さあ、助けに行こう。

 

 

 

 


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