私ハリーはこの世界を知っている   作:nofloor

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第13話 止める者と進む者

 

 談話室の生徒たちはみんな怯えたり、沈んだり、逆に騒いだり、とにかく落ち着いている生徒は殆ど居なくて……つまり、こっそり抜け出すのは簡単だった。

 

 廊下は静かだった。 

 最近は常に先生たちが見回りをしていたはずだけど、その姿もない。一応透明になって走った。

 

 

 目的地はわかっている。

 嘆きのマートルのトイレだ。

 

 ロックハートが解雇された日、私はあのトイレに居た。

 でも、なぜそこに行ったかが思い出せない。多分唯一の、不自然な記憶の途切れがそこだ。

 覚えているのは、友達の眼を盗んでトイレに行ったところまで。次の記憶はロックハートにビンタで起こされるところだ。

 どうしてその部分だけ記憶が消えているかはわからないけど。

 

 何か目的があって私はそこへ向かったはずだ。用を足すためではない、何かの目的が。そうでなければ、わざわざ談話室から遠く離れた、しかもゴーストが棲みついているトイレに人の目を盗んで行きはしない。

 

 言ってしまえば、あそこが秘密の部屋の入口だろうと思っている。

 確証があるわけじゃないけど、私が事件の詳細を知っていたのなら、それ以外にそれらしい候補がない。

 まあ外れていても死にはしない。むしろ当たっていた方が死ぬ可能性はあるだろう。

 

 物騒なことを考えながら、口には笑みが浮かんでいた。

 階段をぽんぽんぽんと3段飛ばしで駆け下りる。

 不思議なことに、気分が良い。身体が羽が生えたように軽い。

 やるべきことと、やりたいことが重なった。そう感じる。

 

 最後の5段を一気に飛び降りて、きゅっと踵で方向転換してまた走り出そうとした。

 

 

 

 パチン、と音がして。

 金縛りにあったように、身体が動かなくなった。

 

 

 

「どうか、どうか、ハリエット・ポッター……」

 

 細く震える、甲高い声が聞こえた。

 

「行かないでください……行かないでください……!」

 

 すう、と枕カバーを着た妖精の姿が、溶け出るように廊下の先に現れた。

 その姿を見て、私は素手で金縛り術を解除する。

 

「――君が止めるなら、私はこの道で正解ってことみたいだね、ドビー」

「正解だなんて!」

 

 ドビーは大きな眼に大粒の涙を光らせていた。

 激しく頭を振って、涙が飛び散った。

 

「この先は秘密の部屋です!」

「そうだろうね」

「間違いなく危険が溢れています!」

「わかってるよ」

「なぜ、どうして!? 汽車に乗り遅れた! 記憶も失ったはずなのに! ハリエット・ポッターは自ら危険へ飛び込もうとする!」

「記憶を失ったのにも、君が噛んでいたの?」

 

 抜けている記憶の部分だ。でも言われてみれば、あのパチンという音、聞き覚えがあるような。

 首を傾げて見つめていると、ドビーは両手を組んで小さくなって私を見上げた。

 

「ハリエット・ポッターは優秀過ぎるお方です。あんな早くに秘密の部屋を見つけるなどドビーめは思いもしませんでした。……それで考えたのです、記憶を失って病院にいる方が、今よりは安全だと。ばつとして両手の指にアイロンをかけなくてはなりませんでしたが――」

 

 確かに全部の指に包帯が巻かれている。もうかなり前のことなのに、まだ治っていないようだ。

 

「でも、ドビーはそんなこと気にしませんでした。これでハリエット・ポッターは安全だと思ったのです。それなのに……」

「悪かったね、ピンピンしてて」

 

 客観的に見れば私は怒ってもいいような気もするけど、怒りは湧いてこなかった。

 ドビーを見ていて、1から10まで私のことを想ってしてくれたことがわかってしまったからかもしれない。

 

「気持ちは……ほんとに気持ちだけはありがたいよ。でも、これは私がやりたいことなんだよ。わかって、ドビー」

「ダメです!」

 

 ドビーはまた激しく首を振った。

 

「ダメです! ハリエット・ポッター! あなた様が私どものように、卑しい奴隷の、魔法界のクズのような者にとってどんなに大切なお方なのか、どうかおわかりください! あなた様が闇の帝王を倒してくれたことによって、私どもがどんなに救われたか!」

「うーん」

 

 それは私の成果ではないけど、それを言ったところでなあ。

 どうすれば説得することができるだろう。オンオン泣いている妖精を見て、私は考えた。

 

「ドビー」

 

 近づいて、しゃがんで顔を合わせて語り掛ける。

 妖精はしゃくりあげながら、大きな目で私を見た。

 

「君がどんなに止めても、私はこの先に行くよ」

「ダメでございます! このドビー、死んでも通しません! 一日に10回は殺すと脅されておりますので!」

「いやいや、違う」

 

 私はゆっくり首を振った。

 

「例えば私がここで君の言う通り帰って、結果ドラコが死んだら、私は多分、死にます。後悔の果てに塔の上から身を投げるよ」

 

 ドビーは大きな目をさらに見開いた。

 瞳に私の笑顔が映っている。どんな風に見えているのだろうか。

 何を言っているんだと思われてるかも。でもこれは紛うことなく、私の本心だ。

 

「別に、自分の命を蔑ろにしたいわけじゃないよ? パパとママから貰った大切な命だもん。でも、使いどころは決めてるの」

 

 記憶を失う前の私も同じようにするだろうか?

 わからない。けど、少なくとも今の私はこうする。

 ハリエット・ポッターという『私』の在り方。

 

「私が行けば助けられるかもしれない。無理かもしれない。でも可能性がある以上、私は行かないといけない。いや、行かないといけないじゃないや、私が行きたいんだよ」

「それは、ですが……!」

「行って普通に死ぬか、行かずに『私』としての在り方が死ぬか。どっちにしろ死ぬなら、私は前のめりに死にたい。友達を助けて死にたい。だからドビー、お願い。ここを通して」

 

 これでも通してくれないなら、無理矢理逃げるしかない。

 でもその必要はなさそうだった。

 ドビーはしばらく目を泳がせたり口をあわあわ動かしたり、挙動不審の極みといった感じだったけど、やがてがっくりと肩を落とした。

 

「……ハリエット・ポッターはずるいお方です」

「……うん」

「そして優しく、勇気のあるお方です。ドビーめが願うのはもう、たった一つです」

 

 ドビーは私のローブの端を強く握りしめた。

 見上げる顔は悲痛なほどに必死だった。

 

「どうか、どうか無事に帰ってきてください。死ぬなんて言わないでください。それだけが、ドビーの願いです」

「――がんばるよ」

 

 頷いて、立ち上がる。ドビーの手が離れた。

 

「私は『生き残った女の子』らしいから」

 

 私の強がりに、ドビーは深々とお辞儀を返して見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

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 女子トイレに入った瞬間、私の足はまっすぐに、手洗い台のひとつに向かって歩いていた。続いて私の口が、得体のしれないシューシューと言う空気の漏れるような音を発する。

 自分で言ったことなのに変な話だけど、その音を聞き取るに、どうやら「開け」と言っている。

 パーセルタング。蛇語だ。

 次の瞬間にはその手洗い台が動き出し、沈み込んだ後には、大人が入れるほどのパイプがぽっかりと口を開けていた。

 

 まるで予習してあったかのような手際の良さ。

 ……いや、実際に予習してたんだろうね、前に来た時に。

 こんなにパッと見つかるのは嬉しい誤算だ。

 

 

 さて。

 

 目の前の奈落へと通じる穴を見る。

 当然のように底は見えない。安全に降りられることだけ謎の確信があるけど、言ってしまえばそれだけだ。

 降りた後は、本当の未知の世界になる。

 

 深呼吸――はトイレだし気分が悪くなりそうだから、ただ目を閉じて心を落ち着かせた。

 集中よし。杖あり、杖無し、問題なく魔法が使える。

 気力、体力共に満ちている。

 

「よし」

 

 飛び降りた。

 

 

 

 

 

 城の地下へ地下へと、パイプを滑り落ちていく。

 

 間違いなく、去年クィレルと戦ったところよりも深くまで来ている。あれももう、丁度1年前くらいのことになる。

 顔が切る空気もどんどん冷たくなっていって、これ以上勢いがついたらどうしよう、と思い始めたころに、パイプから放り出された。

 ガラガラと盛大に音を立てて転がる。

 

「うわぁ、湿ってる……」

 

 ハリエット・ポッター、秘密の部屋に侵入成功。

 べたべたするローブにあまり触らないように立ち上がった。視界は不良――真っ暗だ。

 

 無言で杖先に光を灯し、ついでにもうひとつ呪文をかけておく。

 照らされるじめじめとした床、ぬるぬるした壁、それに一面に散乱している動物の骨。

 ……これを部屋と呼ぶなんて、スリザリンは随分良い趣味をしておられる。

 

 トンネルは蜘蛛の巣のようにパイプの分岐があるけど、中央の太い道はずっと一本だ。

 できるだけ音を立てないようにして進む。

 バジリスクがいつどこから出てくるかわからない。音が聞こえたらとりあえず目を瞑って音の方に攻撃呪文をぶっぱなそう。

 

 そう思って歩き続けていたけど、バジリスクどころか生き物一匹さえ出てこない。

 聞こえるのは、私一人の湿った床を進む足音と、小さな呼吸音。

 城の何十、下手をすれば何百メートルも地下で、真っ暗闇のトンネルの中を杖先の灯りだけを頼りに、歩く。

 

 去年は勢いで突破した感じがあるけど、地下を一人で歩くのは、正直言って怖い。

 この奥には何が待っているのだろう。スリザリンの継承者とバジリスクは、ヴォルデモートよりも恐ろしい敵だろうか。

 わからない。

 でも、ドラコが居る。それだけは確かだし、それだけで十分だ。

 友達を助けるためなら、この怖さを乗り越えられる。

 

 

 途中で巨大な蛇の抜け殻があったけど、その主はとうとう現れなかった。

 ただその大きさは私が予想していたよりもかなり大きかった。

 脱皮をしたってことは、本体は抜け殻よりも大きいはず――うん、考えたくない。

 

 歩き続けて、トンネルの終点まで辿り着いた。

 壁の行き止まりかと思いきや、中央に扉があった。2匹の蛇が絡み合った彫刻が施してあって、目には大きなエメラルドがはめ込んである。

 

『開け』

 

 自然と、掠れた空気のような声が口から漏れだした。エメラルドの眼がきらりと光ったように見えた。

 絡み合った蛇が金属質な音を鳴らしながら解け、扉がするすると2つに割れて開いていく。

 

 

 生唾を飲み込んで、足を踏み入れた。

 

 

 

 

 


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