私ハリーはこの世界を知っている   作:nofloor

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第16話 完璧な計画と誤算

 

 魔法の灯りに照らされて、不気味に揺れるぼんやりとした影だけが動いていた。

 今や完全に決裂し、いつ闘いが始まってもおかしくないはずの私とリドルは、10メートルほど離れて対峙して動かない。

 

 お互いに相手を見ていたけど、私は強く睨むのに対して、リドルの方は笑みさえ浮かべているような顔で蛇のような目を細めていた。

 空気が張り詰め、思考が加速し、杖を握りしめた手は小刻みに震えていた。

 

 平静を保て、私。相手は無策で勝てるような相手ではない。何せ、今世紀最悪の魔法使い、ヴォルデモート卿なのだから。

 去年は借り物の身体でありながら、恐ろしく多彩で強力な魔法を使ってきた。

 『記憶』である目の前のこいつと、どちらが強いか――なんて、余計なことは考えない。

 いつ、どんな攻撃をされようと対応して見せる。

 

 そんな覚悟を持って集中を高めていた私には、彼の取った行動にまるで反応できなかった。

 

 リドルはくるりと私に背を向けて、鼻歌を歌いながら散歩でもするかのように足取りも軽く、スリザリンの像の元に歩いて行った。

 

 

 ???

 

 

 高速回転していたはずの思考が、歯車に異物が詰まったかのように固まり、私は疑問符を浮かべて目で追うしかなかった。

 そんな私をリドルは肩越しに見て、薄く笑ったかと思うと、像に語りだした。

 

『スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最強の者よ。われに話したまえ』

 

 蛇語で。

 

「は!? 卑怯だぞお前!」

「やったもの勝ちさ」

 

 天下のヴォルデモートがそんな卑怯くさいことしないでよ!

 勝ち誇ったように笑う顔に腹癒せ交じりに呪いを4,5発撃ちこむ。しかしそれはリドルを突き抜けそのまま背後に抜けていった。

 

「おっと、残念だが呪いは効かない。僕は記憶の残像に過ぎないからね、あくまでも()()だけど」

「ふぁっく」

 

 ドラコの魂が潰える時、リドルは完全に復活するのだろう。

 クィレルといい、他人に寄生するのは一緒か。

 ちらりと足元に横たわるドラコを見ると、普段から良いとは言えない顔色がさらに悪く、シーツのように白くなっている。呼吸も浅く、胸が動いているのが辛うじてわかるくらいだ。

 あまり時間はかけられない。

 

 ごごご……と重たい岩が擦れ動く音。スリザリン像の口が開き、奥から這いずる音が聞こえてくる。

 蛇の王、バジリスク。ついに対面……したら、駄目なのだけど!

 

 滑り出てきた姿を確認する前に、私は踵を返して走っていた。

 ぼんやり見ていて何かの拍子に目が合ったらそれで終わりだ。

 石の床を通して、背後で巨大な蛇がとぐろを巻く様子が嫌にはっきりと分かった。

 

『あいつを殺せ』

 

 再びのリドルの蛇語に、バジリスクは歓喜の声を上げて真っ直ぐに私の方へ這い滑り出す。

 抜け殻よりもさらに大きい気がする。

 

 巨大な毒蛇を倒せってだけでも無謀なのに、私は敵を見ちゃいけないというハンデまで背負っている。普通ハンデは不利な方につける物でしょうに!

 毒づきながら走る。後ろから、弄ぶように右、左と蛇の這う音が近づいてくる。

 

 しかし! 敵がバジリスクだとわかっていたからには、無策で飛び込むような私ではない。

 あらかじめ作戦を考えてきてある。

 

 古来より、目から石化光線を出す敵は、鏡を見て自分が石化すると相場が決まっているのだ。

 つまり、壁際まで逃げおおせ、変身呪文で壁を巨大な鏡に変える。鏡を見たバジリスクは自分の目のビームで石化して死ぬ。

 うむ、完璧な作戦だ。今追いつかれつつあることを除けば。

 

「ちいっ……!」

 

 無駄かもしれないけど、肩越しに杖を振って妨害の呪いを飛ばす。正直効果がある気はしないけど、何でもいい、少しでも足止めになってくれ!

 

 そのとき、目の端をさっ、と赤と金が横切った。

 さっきの不死鳥――蛇を見ないように、薄目でその姿を追う。

 鋭く、でも優雅に飛ぶ不死鳥は、バジリスクの顔の周りでひらりひらりとからかう様に飛び回る。蛇は狂ったようにシューシューと叫び、不死鳥を排除せんと宙に噛みつき始めた。

 

「やめろ! 目障りな鳥め! くそっ――『鳥に構うな! 小娘を殺せ!』

 

 リドルが叫ぶと、不満げながらもバジリスクは私の方に向き直った。

 また追いかけてくるつもりだ。そう思って再び目を逸らそうとしたとき、不死鳥がその隙をついて急降下したのが見えた。

 鋭い爪がバジリスクの顔に突き刺さり、ずぶりずぶりと嫌な音を立てた。

 

 はっきりと苦痛の声を上げて、バジリスクがのたうち回った。

 身体がぐねぐねと暴れまわり、柱に2,3本ぶち当たり、大小の破片が降ってきた。

 

 それを避けることもせず、私は初めて、バジリスクと正面から向かい合っていた。

 

 体長は15メートルもあるだろうか。緑かかった黒の鱗は、確かにスリザリン寮を思わせた。

 大きく裂けた口、その中のたくさんの牙は黄色く濁り、鋭く尖り、ボタボタと毒が滴り落ちていた。

 

 そして、その両目は潰れていた。

 心なしか誇らしげに上空を飛ぶ不死鳥の下で、私はちょうど3秒、バカみたいにぽかんと口を開けて思考停止した。

 

 どうしよう、作戦が使えなくなった。

 

「不死鳥が……! 目は潰されたが、まだ匂いでお前の居場所はわかるぞ!」

「はっ!」

 

 正気に戻った。

 大丈夫、大丈夫。ハリーは強い子。突然の作戦変更にも動じナイ。

 

 いやほんとにどうしよう、正面からやりあっても勝てる気がしないから搦め手を考えてたのに。

 とにかく立ち止まっているのはまずい。また後ろを向いて駆け出す。とは言っても部屋の端はもうすぐだ。追い詰められるわけにはいかない。

 柱の陰に隠れたり、急な方向転換を入れたりしながら、何とか追い込まれないように走る。目が潰れたのもあってか、追いつかれはしない。けど、このままじゃジリ貧だ。私の体力が尽きて終わる。

 

 蛇越しにリドルが見える。

 ドラコのすぐ横で爽やかに笑いながらこっちを見ている。間違いなく、さっきよりも輪郭がはっきりしてきている。

 先にあいつを何とかした方が良いか? でも、それでバジリスクが止まる保証はない……って言うか十中八九止まらないだろう。それにそもそも片手間で何とかできる相手でもない。

 

「となると……」

 

 走りながら左手に持った古い帽子を見る。

 もうこれにすがるしかない。(多分)ダンブルドア先生からの救援物資だ。何かは起こる、はず。起こってください。お願いします。

 

 半ば祈りながらぐいっと帽子を被った。

 お願い、どうか……!

 

 走り続けで息が切れる。上げる足が普段の何倍もの重さに感じる。筋肉が限界だと悲鳴を上げているのがわかる。

 リドルの笑い声が聞こえる。

 ふらふらになりながら、古びた帽子を被って蛇から逃げる私はさぞかし面白いんだろう。

 

 それがなんだ。

 ぐいと目の端をぬぐって、両手で帽子をぎゅっと押さえた。

 私は今、正しいことをしているんだ。ドラコを、友達を助けて、地上に帰るんだ。笑いたければ笑え。

 惨めな思いなんて慣れっこだ。どれだけ無様でも、どれだけ怖くても、私が躊躇する理由にはならない。

 最後に笑ってやれば、私の勝ちだ。

 

 そう思ったとき、不意に帽子が暖かくなり、ぎゅっと縮んだ。

 そしてすごく重たいものが帽子の中に降ってきて、私の頭に激突した。

 

「いっだぁぁぁ!!」

 

 目から火花が散ったかと思うほどに視界が白黒に点滅して、足がもつれて盛大に転んだ。

 

「ぐう、いたい、でも……」

 

 重たく床に落ちた帽子の中に、眩い光を放つ銀の剣が見えた。柄には卵ほどもあるルビーが輝いている。

 一目見た瞬間に、ひやりとするほど素晴らしく出来が良い剣だとわかった。

 

「これなら……!」

 

 一筋の希望が灯った。

 杖を持っていない左手でその剣を掴み持ち上げようとして―――がくん、と止まった。

 

「は?」

 

 重い。

 

「うそぉ」

 

 灯った希望がふっと消えるのが見えた気がする。

 

 い、いやいや、それでもこれに頼るしかない!

 杖を仕舞って両手で踏ん張って、何とか腰のあたりまで持ち上げる。

 ……いや振れない振れない。

 

 もたもたしている間に、バジリスクが追いついてきてしまっていた。チャンスどころかピンチにしかなってない!

 はっと気づいた時には、恐ろしい速度で大蛇の顎が迫っていた。

 

「きゃっ!」

 

 尻餅をついた私の頭の上を、恐ろしい勢いでばくんと牙が閉じた。

 なんとか振った、というか置いておいただけという感じの剣は、当然のように弾き飛ばされて、部屋の隅へガランガランと転がって行く。

 でもその直後、ギイィ! という悲鳴がバジリスクから聞こえた。

 見れば、剣が当たったらしい顔の辺りから、新たにどす黒い血が流れている。

 使い手の私には刃がどっちに向いているかさえわからなかったのに、あの硬い鱗に傷をつけるとは、なるほど確かにあの剣は相当な業物だったのだろう。

 

 重すぎたがな!

 両腕がぷるぷるしておる。

 

「最後の希望もお終いのようだ」

 

 リドルの明らかに嘲弄する声が届く。

 いやまったく、いつから魔法界ってこんな体力勝負の世界になったんですか。

 

「幕を引こう……『もう少し下だ』

 

 直接指示を始めた!

 再び巨大な貌が、傷の恨みとばかりにさっきより増した速度で迫る。ふらつく身体に鞭を打ってなんとか転がった。

 

『右だ。もっと、もっと!』

 

 転がる私を、ばくん、ばくんと顎が追う。

 太い牙は私の腕ほどもある。捕まればあっという間に天国だ。

 転がりながら杖を抜いた。

 

「コンフリンゴ!」

 

 地面が爆発し、欠片が四散する。バジリスクにもあたるけど、大したダメージになっていない。それはいい、とにかく爆風で離れることができた。

 柱の一本を支えにして立ち上がる。どこか切ったのか、左目に血が入って見えない。

 癒しの呪文(エピスキー)を唱えたいけど、今は無理だ。

 

『奥、柱の前だ』

 

 リドルは容赦なく、蛇語で私の位置を伝える。

 バジリスクも素直に従い、一直線に私の方へ這いずって来た。

 

『行け!』

 

 忠実な猟犬のように声に従って、バジリスクは大口を開いて、私を噛み殺さんと突進してきた。

 今までで一番速い――でも、当然噛まれてやるわけにはいかない!

 

 射出魔法の力も借りて、勢いよく飛び退いた。片手を突いてバランスを取りながら、石の床を滑るように勢いを殺して顔を上げると、予想通りの光景があった。

 

 バジリスクが、柱に噛みついて離れなくなっている。

 胴体だけでもがいているけれど、ほとんどの牙ががっちりと……というか()()()()()柱に食い込んで抜けなくなっているのだ。

 

衰え呪文(スポンジファイ)か、小癪な……」

「その通り。ここまで予想通りいくとは思わなかったけど!」

 

 柱を背にしていたとき、無言で背中の柱に唱えておいたのだ。

 しばらくは抑えておけるだろう。でも、私の作戦はまだこれで終わりじゃない。

 剣を見つけなきゃいけない。確か、部屋の隅に転がって行ったはず……

 

「あった!」

 

 予想よりもかなり近くにあってくれた剣に嬉しくなって、私は一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 ――ぶん、と。大きなものが風を切る音がした。 

 

 

 

 

 痛みを感じたのは、左半身から柱に叩き付けられてからだった。

 

「あ゛っ、がっ……」

 

 肺が潰れたように呼吸ができない。ガラスに張り付いた蛙が落ちるようにべしゃりと、私は地面に崩れ落ちて、お腹を押さえて小さく丸まった。

 

「いたぃ、い゛、ぃ……」

「はははははははははははははは!」

 

 哄笑が遠くからガンガンと聞こえる。

 視界は濁って、耳もおかしい。痛みで正気を保っている。

 

 何が起きたかわかった、尻尾だ。

 ああ、そうだね。そりゃあ、あれだけ大きい蛇なら、尻尾を振るうだけで質量の攻撃になるだろうね。

 

「あは、ぐ、ぅ、」

 

 あまりの迂闊さに笑いそうになって、痛みで縮こまった。

 

 ずるり、ずるりと、地面を這う音が床を伝わって聞こえる――大きくなってくる。

 濁った視界を無理矢理凝らす。奇跡的に、杖は手放していなかった。

 骨が折れたのか、経験したことのない痛みが胴体のどこかを襲っている。それでも、このまま寝ていれば死ぬ。痛みに呻いていれば死ぬ。

 

 お腹を押さえたまま、ゆっくりと、肘をつき膝をつき、頭で身体を起こして、

 

 最後に見上げた目の前に、蛇の頭があった。

 

 息さえかかるこの距離で、毒の雫さえ数えられるこの距離で、目のない蛇と私は見つめ合っていた。

 

「さようならだ。ハリエット・ポッター」

 

 リドルの声が遠く聞こえた。

 

『やれ』

 

 その声に一瞬、反応しないかに思えた蛇は――次の瞬間大口を開けて、勢いをつけて私を、飲み込んだ。

 

 

 

 


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