初週の最後の授業は「闇の魔術に対する防衛術」の授業だった。
ルーピン先生の初授業だ。
先生の先導に従って、職員室へ向かった。職員室の端の棚がガタガタと生きがいい。
スペースを空けてみんなを集めて、ルーピン先生が話し始めた。
「今日は実地訓練だ。この中には
周りを見て誰も答えないようなので、私はピッと手を挙げた。
「ハリー?」
「えーと、
「……レイブンクローにも、一言一句同じ完璧な回答をしてくれた子がいた。さすが、学年首席を争う二人ということかな」
そうか、ハーマイオニーの方が先に授業を受けたんだ。
先生は笑顔で褒めてくれたけど、ごめんなさい、私の方はカンニングです。
でもさあ! 原作のカンニングだって、覚えていたらもう私の知識じゃないですか!?
私の情けない心の叫びを余所に、ルーピン先生は説明を続ける。
「ボガートが本当はどんな姿をしているのかは誰も知らない。私たちが目にするときは、もう変身した後の姿なんだ。つまりこの状況は既に私たちが大変有利だ。ロン、なぜかわかるかな?」
突然指名され、ロンは欠伸を引っ込めたようだった。
「へぇ、っと……僕たちの方が何人もいるから、何に変身したらいいかわからない、とか……」
「素晴らしい、その通りだ」
ロンは自信なさげだったけど、ルーピン先生は力強く肯定した。
「ボガートが混乱するからね。首のない死体に変身すべきか、人肉を食らうナメクジになるべきか? 私はボガートがまさにその過ちを犯したのを一度見たことがある――一度に二人を脅そうとしてね、半身ナメクジに変身したんだ。どう見ても恐ろしいとは言えなかった」
みんなその光景を想像したのか、笑い声が湧く。
「さて、ボガートを退散させる呪文は簡単だ。だが精神力が必要だ。こいつを本当にやっつけるのは笑いなんだ。みんなで言ってみよう。『リディクラス』!」
「リディクラス!」
ルーピン先生は満足そうに頷いた。
「そう、とても上手だ! でも呪文だけでは足りない。怖いものを想像して、その姿が滑稽なものに変わるようイメージするんだ。さあ、ネビル、君の出番だ」
ネビルの呪文で、ボガートスネイプ先生が女装させられて、それを皮切りに演習が始まった。
みんなが次々に恐ろしいものを面白おかしく改変していく。
ロンは蜘蛛、パーバティはミイラ、シェーマスはバンシー……。
私も早く考えないと。
私の怖いもの……なんだろう。
真面目に考えるなら「友人の死」とかだけど、そんな本気なものをこの雰囲気の中にぶっこむのも良くない。
原作通りにヴォルデモートや吸魂鬼を想像すれば、原作通り妨害されてしまうかもしれない。
折角だし、自分で倒してみたい。
「さあ、次はハリー!」
「えっ!?」
考えているうちに、いつの間にか順番が回ってきてしまっていた。
やばい、何も思いついていない……このままだとろくでもないものに変身してしまいそうだ。
怖いもの……怖い人……怖いこと――
「あっ」
果たして、ボガートは――
ぽん、と軽い音を立てて、一本の箒に変身した。
「ん?」
身構えていたルーピン先生が固まる。
一斉に噴き出すクラスメイトたち。仏頂面の私。
「あーもう! リディクラス!!」
途端、バーン!と爆発したように箒のお尻から火が噴射されて、ロケットのように部屋の中を狂ったように飛び回った。生徒たちが慌てて頭を抱える中、最後には盛大に床に突き刺った。
しばらくは頑張って抜けようと震えていたけど、やがて力尽きたのか、ボフンとたくさんの煙の筋のようになって消えて行った。
「よくやった!」
みんなが笑いながら拍手する中で、ルーピン先生が声を張り上げた。
「ハリー、素晴らしい! みんなもそう笑うものじゃない……。ボガートと対決した生徒につき5点! ハリーとロンは10点だ。私の質問に正確に答えてくれたからね。宿題は、ボガートに関する章を読んでまとめを提出してれ……月曜までだ。今日はこれでおしまい!」
がやがやと笑いを含んだ空気のまま、私たちは職員室を後にした。
私は仏頂面のままである。先生も言ってたけど、そんなに笑わなくてもよかろうに。
……前向きに考えれば、あの事故が笑い話になっているってことではある。首が180度折れたらしいあの大事故が。
相変わらず私の箒は地上60センチまでしか浮かないけどね!
*
しばらく防衛術のことでからかわれたけど、その度にフーッ!と威嚇していたらいつしか収まった。
最近の生徒たちの話題は、もっぱらホグズミードのことで持ち切りだ。ハロウィンの日に、ホグズミード行きが解禁となったのだ。
クラスメイトたちはワイワイと、ハニーデュークスでお菓子を買い込もう、三本の箒でバタービールを飲もう、などと話している。
原作ハリーはそれを寂しそうに聞いているだけだったけど、私は違う!
許可証に燦然と輝く「バーノン・ダーズリー」のサイン。もはやポケットに持ち歩いているほどに、私もホグズミードを心待ちにしていた。
しかし。
なんの因果か、あるいは強制力か。
ハロウィン前日の夜になって、私はマクゴナガル先生の事務室に呼び出された。
ノックして部屋に入れば、デスクに座って手を組んでいたマクゴナガル先生が、無言で前の椅子を示した。
下手をすればいつも以上に厳しい顔の先生。私も無言で椅子に腰掛け、ちらりと部屋の隅を見た。
スネイプ先生が、これまた無言で佇んでいる。2人の先生を交互に見るけど、どちらもスネイプ先生がいる理由を説明する気は無いみたいだった。
無言の時間が少しあって、謎のプレッシャーに押し潰されそうな私だった。
やがて、マクゴナガル先生が口火を切った。
「ポッター」
「ひゃいっ」
「落ち着きなさい」
水を勧められた。黙って飲む。
先生は一呼吸おいて続けた。
「度重なる職員会議の結果。やはりあなたがホグズミードに行くことは許可できない、という結論に達しました」
「――え?」
意味を汲むのに浅くひと呼吸、ふた呼吸……時間がかかった。
「行けないって――で、でも先生、ほら! 許可証にサインだってちゃんとここに――」
「シリウス・ブラックが目撃されたのです。ポッター、もはや隠すときではないと判断します」
許可証を掲げた両手が萎れた。
マクゴナガル先生がシリウスが私を狙っているんだと力説してくれている。
原作でウィーズリー叔父さんがしてくれていた触りだけの説明だ。
でも私は心ここに在らず、まだ見ぬおじさんに恨み言を発信していた。
シリウスおじさん……そんなのってないよ〜。
「おじさん犯人じゃないんで大丈夫でーっす!」ウインク!ピース!ポーーーズ!!! で心から叫びたい。
「あなたを無防備にも一人でホグズミードに行かせることはできない、という判断です」
マクゴナガル先生がそう締めくくった。
当然叫ぶわけにもいかない。ピースだけふにゃっと出かかっている右手を左手で押し戻した。
まあ、仕方ないか。そういうこともあるよね。
ふっと息を吐いて、先生を見上げて言った。
「わかりました……今年は部屋で大人しくしておけば良いんですね」
無意識に、かなり沈んだ声が出て驚いた。
自分で思っていたより、ホグズミードが楽しみだったみたいだ、私。
つん、と、鼻の奥が熱くなる。
「違う」
「……えっ?」
予想と真逆の返答が、マクゴナガル先生――ではなく、部屋の隅に佇んでいたスネイプ先生から聞こえた。
「一人で行かせることはできない、と言っただろう。ならば一人でなければ良い。護衛が付くのなら認める、というのが我々の判断だ、ポッター」
「まさか」
また先生たちをきょろきょろと交互に見てしまう。
マクゴナガル先生は渋い顔だった。
「私はあまり賛成できないのですが……セブルスが付いているのなら安全でしょう」
「先生……!!」
ぱっと立ち上がって、スネイプ先生に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます!!!」
「偶然手が空いていただけだ」
「……よく言います」
「ミネルバ、何か?」
「いいえ、セブルス。何も?」
謎のやり取りが行われているけど、私はホグズミードに無事行けることがわかってスキップでもしたい気分だった。
「明日は10時に玄関ホールだ。遅れるな」
「よろしくお願いします!」
来た時と正反対で、意気揚々と寮への道をスキップして戻った。
翌日。
「スネイプせんせい、今日は引率、よろしくお願いしますっ!」
スネイプ先生は10時ぴったりに玄関ホールに現れた。
私と言えば6時には起きて、邪魔な前髪をせっせとかき分け、お菓子を楽しみに朝食は控えめに、9時半には待機していた。
10時にもなればほとんどの生徒はもう出発していて、ホールは閑散としている。そんな中で勢いよく頭を下げた私を、先生は眉をひそめて見た。
「ポッター」
「はいっ」
「なぜグレンジャーがいるのだ」
「なんか1人で行きそうな雰囲気を出していたので」
二人でもう一人……ハーマイオニーの方を見る。
「べ、別に友達がいないわけじゃないんです。ただ、同学年に反りの合う子がいないだけで……」
なぜか聞いてもいない弁解を始めるハーマイオニー。
まあ、どんな言い訳をしようと一人でホグズミードにとぼとぼ向かおうとしていた事実がある。
ちなみに私も一人なのは、私から同行を遠慮したからだ。グリフィンドールの友達も、スネイプ先生がいたら窮屈だろう。
そんなわけで一人寂しく先生を待っていた私が、同じく一人寂しく歩くハーマイオニーを見つけて、ぼっち同士が融合したのである。
ハーマイオニーはレイブンクローだからか、原作のようにスネイプ先生と反目しあっているわけでもないようだし、丁度いい。
「あの、ご迷惑でしたか?」
ハーマイオニーが上目遣いで尋ねる。スネイプ先生は表情を変えずに答えた。
「……一人も二人も変わらん」
「いいってさ」
「あ、ありがとうございます!」
速報。セブルス・スネイプ、両手に花。空前のモテ期到来か――!?
あ、ごめんなさい、変なこと考えません。
一瞬で睨まれた。一流の開心術士の前では頭の中でも迂闊にからかえない。
まあともかく、そんな感じで私たち3人のパーティが完成した。
いざ、ホグズミードへ。
私とハーマイオニーが並んで先を歩き、数メートル後ろをスネイプ先生が影のように付いてくる。
何度か後ろを振り返っていたら、気にするなという風に睨まれてしまった。
それならと、ハーマイオニーと計画を立てながら歩いた。
「17時には戻らないといけないから、16時半に発つことにしましょう。お昼は三本の箒で食べるとして、他に行ってみたいのは叫びの屋敷ね。イギリスで一番怖い幽霊屋敷なんだそうよ。魔法界の幽霊屋敷ってすごく気になるわ。中に入れたりするのかしら? ハリーはどこか行きたいところはある?」
「そうだね。ハニーデュークスのお菓子の店とか、いかがでしょう」
「とか」とか言ってるけど、当然そこが本命だ。
この日のために検知不可能拡大呪文が掛かったポシェットまで下げて来ているのだ。これがあれば大型のトランク分くらいは持ち運びができる。
ちなみに去年必要の部屋で見つけたものだ。元々は中に明らかに違法だろという物が詰まっていたから焼却しておいた。
輸送体制は万全。資金も十分だ。普段は大して使わないお金だから、こんな時ぐらい盛大に散財しちゃっても良いだろう。
ククク・・・豪遊・・・! 圧倒的豪遊っ・・・!
「……お菓子は3シックルまでね」
「えええええ!? なんで?!」
「太るからよ」
当然でしょとばかりに言われた。
おかしい……こんなことはあってはならない。私の豪遊が……夢が……こんなにあっさり……。
愕然と目を見開く私の横で、スネイプ先生がハーマイオニーの肩に手を置いて深く頷いていた。
どういうことなの……。
棚という棚には、くどいほどに甘そうなお菓子がずらりと並んでいた。
ねっとりしたヌガー、ピンク色に輝くココナッツ・キャンディ、蜂蜜色のぶっくりしたトッフィー。手前の方にはきちんと並べられた何百種類ものチョコレート、百味ピーンズが入った大きな樽。
壁際には魔法界らしい奇妙な効果がかかったお菓子たちが並ぶ。浮上炭酸キャンディ、フィフィ・フィズピー、ドルーブル風船ガム、歯みがき糸楊枝ミント、黒胡板キャンディ、ブルプル・マウス、ヒキガエル型ペパーミント、綿飴羽ペン、爆発ボンボン――
他にもまだまだ、店の奥まで続いている。
こんなに、こんなに沢山あるのに……!
「選べと!?」
「いや、選びなさいよ」
「こっからここまで全部ください! ってやりたかったの……」
「食べ切れないでしょう? またクリスマスくらいに来れるはずだし、健康的に食べられるくらいにしときなさいよ」
「ママ……」
「誰がママよ」
言ってることが尤もなのはわかってるんだけど……むむむ、しかたない。
ここのお菓子は大体が量り売りだ。私はかつてないほど真剣に、3シックルギリギリの量を見極める作業に入った。
*
「ハリー、3シックルまでっていうのは、それ以上の値段を3シックルにまけて貰うってことじゃないと思うのよ」
「2クヌートだよ。これくらいは許してよ」
「まったくもう……」
文句を言われながらホグズミードの通りを歩く。
ちなみにハーマイオニーは歯磨き糸ようじミントを買っていた。両親に送るらしい。そういえば歯医者だったなと思い出した。
お昼も少し過ぎて、お腹が減ってきた。ふくろうで埋め尽くされている郵便局や、ゾンコの悪戯専門店を冷やかしながら、当初の予定通り三本の箒へ向かった。
スネイプ先生がまた外で待っていようとしたので、お昼くらいは一緒に食べましょうと言って引っ張り込んだ。
学生で遊んでいるところに厳しい教師が出くわすようなもので、店内にいた生徒たちはゲッ、という顔を見せた後に、両脇の私たちを見つけたのか、
厳しい教師に出くわしたと思ったら女子生徒を2人も連れていた……世が世なら完全にアウトだ。
「ローストビーフのランチをひとつ!」
「昼から重たいわね……サンドウィッチひとつ」
「ギリーウォーターを」
注文してしばらく座っていれば、周りの生徒たちも慣れたみたいで、騒がしさが戻ってきた。
相変わらず先生はまるで喋らない置物と化しているけど、私もハーマイオニーも無理に話しかけもしなかった。多分その方が良いだろう。
食事が運ばれてきて、いざ食べようとしたとき、ハーマイオニーからストップがかかった。
「ハリー。恒例のアレ、やらせてもらうわよ」
「恒例のアレ?」
ハーマイオニーは杖を抜いていた。
「何をする気だ、グレンジャー?」
「大丈夫です、危ないことはしません」
「……」
真剣な目をしたハーマイオニーに黙するスネイプ先生。
私もちんぷんかんぷんである。
「え、何? 何の話?」
「もう、しっかりしてよ。あなたの髪の話に決まっているでしょう?」
「決まってるの!?」
「食べる時に邪魔そうだし、丁度いいわ」
確かに、最近伸びてきて邪魔だなあとは思っていたけど。
というか今年でまだ2回目なのに恒例とは……来年以降へのやる気が見える。
「残念ながらまだ直毛呪文完成には至っていないのは、私の不徳の致すところ」
政治家みたいなこと言いだした。
「だから今年は方針を変えてみたわ。名付けて『髪除けの呪文』。あなたの行動に合わせて、さりげなく邪魔にならないように動いてくれるわ」
「ついに自立行動しだすの、私の髪?」
いつかしそうだとは思っていたけど、ついに。
「危険性はないと思うわ。去年みたいに、失敗もしないと思う……どうかしら?」
杖を両手で持って聞いてくるハーマイオニーに、私はばっと両手を広げて答えた。
「ばっちこい!」
「いくわよ! 『
私の髪が徐々に、うねうねうね、と形容しがたい――敢えて言うならタコのような動きを始めた。根元から毛先までそれが伝播していき、それが徐々に、徐々に収まって行く……そして。
「おおおお!」
「成功ね」
満足げに笑うハーマイオニー。
私の髪は、見事に、なんかこう、良い感じに邪魔にならなくなっていた!
……説明しづらいくらいに地味! 地味なんだけど、私からすれば大違いなんです!
「グレンジャー」
スネイプ先生が重々しく口を開いたので、私たちは驚いて見つめた。
先生はハーマイオニーの肩にぽんと手を乗せ……深く頷いた。
「その調子だ。直毛魔法の一刻も早い完成を期待している」
「? は、はい、頑張ります……?」
「変身術の観点からアプローチしているようだが、魔法薬学の観点から言えば――」
……まあ、お母さん、ストレートだったからね。仕方ない。
激励するスネイプ先生と戸惑うハーマイオニーを何とも言えない目で見ながら、ご飯の食べやすくなった私はローストビーフを頬張るのだった。