TSしてレイジー・レイジーのおともだち   作:k-san

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日間ランキングに載ってました。嬉しい。ありがとうございますのそらさん。


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宮本フレデリカ――4

 女子四人に啖呵を切った次の日、登校中に宮本に遭遇。宮本は俺を見かけるや否や走り出して、「そらちゃーん♪」ぐえっ。抱きついてきた。

 

「今日も元気だなあ」

 

 と俺は鬱屈した感情を隠してのんきな感じの感想をぽつり。

 すると宮本は突然「そらちゃん……?」と訝しげにこちらの顔色を伺ってきた。まるで俺の様子がおかしいのを心配するように。――まさか、たったいまので? 俺は焦って「便所行ってくるから先に教室行って」と逃げる。が、宮本は「そらちゃん!」と俺を引き留める。

 

「いいから先行ってて」

 

「でもそらちゃん」

 

「俺は構わんからさ」

 

「そうじゃなくて!」

 

 そうじゃなくてなんだ。俺は首を傾げる。

 

「そっち男子トイレだよ」

 

「うおっ」

 

 マジかよ久しぶりに間違えた。

 

 トイレにしばらくこもって宮本と時間差で教室に入ると騒がしかったのが急に静まり返ったとかそういうことは特になく教室はいつも通りに騒がしかった。どうやら宮本には昨日の出来事を悟らせない方向で行くつもりらしい。宮本が話の軸だったとはいえ、直接関わったわけじゃないし、宮本はクラスカースト的には最上位の存在なわけだから、今回の問題は底辺の俺を切り離すだけに留まるのが後腐れなく処理できると判断したのだろう。賢明だ。俺もそうしたかったので都合がいい。

 昨日の四人はあんなことがあっても宮本と当たり前のように談笑していた。虫酸が走る。クソが。だがここで突っかかっても不幸になるのは宮本なので俺は何も言わない。

 

 悶々としたものを胸に抱え無言で席につく。筆箱を取り出してからバッグをかばんかけに引っ提げる。そしてため息をひとつ。

 

「…………はあ」

 

 ――置き勉、やめた方がいいかもしれんなあ。

 

 悲惨になった引き出しの中身を見ながらそんなことを思った。

 

 

 ○

 

 

 女子を敵に回したら怖い。前世から思っていたことだけど、本当に敵に回してみてつくづくそう実感した。

 もうかれこれ一か月の間、影での嫌がらせが止まらない。

 俺が目を離した隙にものを盗んだりこそこそとそれでいてしかし確かに俺に聞こえるように悪口を言ったり宮本の死角であるいは宮本が席を外しているときに俺にものを投げたりとなかなか酷いもんだった。まあそれ以外にもされた嫌がらせはまだまだあるんだけどそのすべてを挙げるとキリがないのでここでやめる。ともかく、やつらの手口の多彩さには目を見張るものがある。

 なかでも一番頭にきたのは置いていた読みかけの小説を駄目にされたことだが――ったく、あいつら、小説が一冊いくらするのか知らんのかね。どうせ本屋に寄ったこともないんだろう。そんなんだから最低限の理解力も身につかないんだよ。一番心にきたのはまた別の嫌がらせなんだけどね。最近はずっとそのことに悩んでいる。

 

 ……それにしても、一人の人間に対し悪意を一ヶ月間も維持し続けて彼女らは疲れたりはしないのだろうか。一つの感情を誰かに継続して向け続けるのはなかなか骨のいることで、大変なエネルギーが必要だと思うのだが……。彼女らのいったいどこからそんな気力が湧き出てくるんだろう。どこに無限の泉があるんだ? まったく不思議な話だ。

 それが創作や勉強その他に対するモチベーションの泉なら最高なのに。

 俺にもちょっとその元気をわけてくれよ。

 

 

 彼女らは俺が何をされても顔色ひとつ変えないのが気に入らないようだった。日が経つに連れて嫌がらせはその熾烈(しれつ)さを増していき、ついにその矛先は俺自身にまで向かうようになった。

 こないだ廊下を歩いていたらすれ違いざま蹴られたし、後ろの女は授業中に背中をシャーペンで容赦なくつついてくるし。言っとくが、地味だけどそれ、立派な犯罪だからな?

 

 顔色ひとつ変えない人間は嫌がらせが効いていないとでも思っているのか?

 

 冗談じゃない。

 

 いくら俺が表情筋をぴくりともさせないからって、だから何も感じていないし動じてもいないなんて思うなよ。

 俺だって人間だよ。ロボットじゃねえんだから何されても堪えられるわけじゃない。本当は辛い。嫌味のひとつひとつだけで胃が痛くなる。裏で何を言われているのか想像するだけで吐き気がしてくる。でもお前らの嫌がらせに屈するのが癪だから我慢してるだけに決まってるだろうが。そんなこともわかんないとか馬鹿じゃねえのか。

 

 それでも、宮本がいたから。宮本がいたから俺は一ヶ月もこんな最悪を堪え忍ぶことができた。だけどそれも、いつまでもは続かなかった。まさか宮本の存在が引き金になるとは思わなかった。

 

 終わりはあっけなく訪れた。

 

 昼休みの時間。いつもみたいにひそひそ悪口を言われて、いつもみたいに紙くずを投げられて、俺はストレスをためていた。ああまた始まった。宮本がふらっと教室を出たとたんにこれだよ。めんどくさいなあ。もうちょっとは俺の気持ちを想像してみろよ、自分がされたら嫌だろうが。このバッグ投げつけてやろうか。パンパンに膨れ上がったバッグを掴み、やめる。

 だんだんとイラついてきた俺は、少しばかり意趣返ししてやろうと考える。この紙くずをなんでもない顔で拾い、ごみ箱に捨てるのだ。せいぜい悔しがってくれればいいくらいの考えでそれを拾う。その際、ちょっとした拍子にその中身が見えてしまった。次の瞬間、俺のなかで何かがぶち切れた。

 でもそれは爆弾じゃない。俺は激昂して暴れたわけでも、力任せに叫びだしたわけでもなく――むしろ全身からへなへなと力が抜けて、立っていられなくなって床にしゃがみこんで、それから大きな声でわあわあと泣いてしまった。

 十何年かぶりに号泣してしまった。

 

 断っておくが、俺が今日に限って泣き出したのはその日の嫌がらせが特別凄まじかったからではない。あったのはいつも通りの悪意だ。ただ、いままで溜めてきたものが今日のをきっかけに溢れ出しただけで。

 

『宮本はお前に迷惑してんだよ』

 

 紙くずにはそう書かれていた。それは、独りよがりとはいえ宮本のために怒り、宮本が拠り所だった俺にとって一番想像したくないことだった。

 

 いままで俺をいじめてきたやつらも涙には弱いのか戸惑った様子でいる。クラスの雰囲気が悪くなってなんだなんだと外から見物客がやってくる。何十人もの人間が俺の無様を目撃している。俺はいたたまれなくなって逃げ出した。もう教室にはいられなかった。教室を出るとき目を丸くした宮本と遭遇した。一瞬頭のなかが真っ白になる。宮本も言葉に詰まっている。俺は構わず走った。

 

 まだ二時ごろに手ぶらでしかも泣きながら帰ってきた俺に母はどうしたのかと血相を変えて訊いてきたが無視して部屋に入ってドアを閉めた。いまは誰にも会いたくないし何も聞きたくない。どうか一人にしてほしかった。できるなら、このまま。

 暗い自室のベッドの上で丸まって布団をかぶる。しばらく教室での出来事が頭の中をぐるぐると回る。

 泣いてしまった。教室で。人が見ているのに。しかもよりによって宮本に見られてしまった。すれ違った瞬間のあの宮本の顔が忘れられない。目に焼き付いたまま離れない。忘れたいのに。考えたくないのに。それに、宮本を疑ってしまった。あの言葉がきっかけで泣いたってことは、つまり俺は宮本のことを信じられていないということだ。

 

 ほら……やっぱり後悔したじゃないか。予想通り。あんなこと、言わなきゃよかったんだ。どうせ俺が何も言わずとも宮本に損はなかっただろうし、あれはこの世界の『普通』で、特別なことじゃない。それを俺は――衝動のまま投げやりになって、怒鳴って。考えなしに行動するからこんなことになったんだ。いまさら何言ったって遅いけどさ。

 そうだ。明日の学校はどうしようか。どんな顔で教室に入ればいいんだろう。あんな醜態を晒して。宮本にも見られてしまって。どうしたらいつも通りに登校できるんだろうか。

 あーあ、学校行きたくねえなあ。

 

 

 しばらく布団にくるまったままでいたらいつのまにか泣き疲れて寝てしまっていた。

 起きた頃には外は真っ暗になっていて日の光が射し込まないので明かりのない室内は何も見えず自分の姿すら見えない。肉体を手放して意識だけがここにあるみたいな感覚になった。暗闇のなかはまるで死んだみたいで精神的に参っていた俺は布団を頭からかぶったけど寝れなかったので仕方なく電気のスイッチを探して明かりをつけた。時計を見ると時刻は二十三時。こりゃ寝れないわけだ。

 何をするでもなくベッドの上で膝を抱えていると朝になった。いつもならすぐに支度するところだけど今日は学校にいくつもりがないのでのんびりパソコンでも開く。八時半になっても部屋から出ない俺に母がドア越しに「学校に行かないの?」と訊いてきたが俺はぶっきらぼうに「行かない」と答えた。すると「そういえば昨日、クラスの子がそらのバッグを持ってきてくれたんだけど」と声がして俺はほぼほぼ反射的に立ち上がった。誰が届けてくれたのかなんて考えなくてもわかる。宮本だ。宮本がわざわざ届けに来てくれたんだ。でもそのとき俺は眠っていた……。罪悪感に襲われるが、(かぶり)を振って振り払う。どうせどんな顔をして会っていいかわからず、まともに応対できなかったんだ。これでいい。立ち尽くしていた俺に母が「……ちゃんとお礼言いなさいよ」と言って部屋の前から去る気配がした。もちろん言いたいさ、その機会に恵まれれば。

 

 ずっと部屋にこもり続けるのも退屈なので散歩もかねてツタヤでDVDを借りてきた。計十二本。うち一本を取り出してパソコンで再生する。

 タイトルは『レザボア・ドッグス』。意味はわからん。すでに一度観ているが、それぞれのキャラが上手い具合に立っていてこれがなかなか面白い。特にホワイトが好きだ。結局は犯罪者なわけだが、とにかくいい男なんだ。「お前は医者か!?」とかどちゃくそかっけー。あとはブロンドの登場シーンも最高にクール。カメラの引きが気持ちいい。オープニングもスタイリッシュで、それからさ、それから――――

 ――何やってんだ、俺。

 こんなことしてたって、しょうがないのに。

 

 映画を観終わって、他のを観る気力が起きなくてツイッターを眺める。タイムラインの様々なツイートを流しながら、虚無感に水をやる。俺はどうしてこんなことをしているんだろう。この時間がいったいなんになるんだろう。でもじゃあ意義のある時間が存在するのか? と言われれば、たしかに意義のある時間なんてないように思えてくるが。そうやって人生を浪費していると、部屋のドアがノックされた。今度はなんだろうか。

 

「何?」

 

 ドアの方を向きもしないで言った。

 すぐに返事は返ってくる。

 

「……そらちゃん?」

 

 宮本の声だった。反射的に立ち上がる。

 首を絞められたような感じがして、急速に喉が乾いていく。舌がぴりぴりする。

 

「宮本か……?」

 

「うん、アタシだよー」

 

 相変わらずの陽気な声。だけど取り繕っているのがわかる。

 宮本も緊張している。

 

 しかしなんだって宮本が俺の家に――って、いや、そうだった。そういや昨日も来てたんだっけな。ここに。俺の家なんて知らないはずだが、まあバッグを持っていくためって名目で担任にでも訊いたのだろう。だが昨日来たわけはわかるとして、今日はなんのためなんだ? なんのために再び俺の家になんかやって来たんだ? 理由なんてないはずだが……。

 

「……なんだ?」

 

「あのね、そらちゃん今日、学校にいなかったから、心配になっちゃって」

 

 宮本は一言一言を用心深く確かめるように言う。

 俺は黙っている。

 

「それでね、月曜日学校に来てーってまでは言えないけど、ふつーに部屋から出て、ふつーにアタシとお喋りしてほしいなーって」

 

「無理だよ。あんな顔見せちゃったんだ。合わせる顔がない」

 

 それに、宮本を信じられなかった。

 

「合わせる顔がないって?」

 

「恥ずかしいんだよ。俺は、公衆の面前で泣きっ面晒すのは最低だと思ってる。自分を被害者にして、相手を悪者にしてしまうんだ」

 

 俺は、宮本に対する不信は伏せて答える。

 

「……話、聞いたよ? アタシのために怒ってくれたんだよね。ありがとう。そらちゃんは悪くないんだよ」

 

 知られていたのか。いよいよ自分が悲劇のヒロインにでもなった気がして、気持ち悪い。この自己嫌悪すら免罪符みたいで気持ち悪い。

 

 俺は言い返す。

 

「それでもさ。泣くっていうのはお互いにどんな経緯があったとしても、それを全部無視して、相手を否応なく悪人にしてしまう、卑怯なものなんだ」

 

「でも、そらちゃんは相手を悪者にしようとして泣いたわけじゃないんでしょ? 本当は泣くのを我慢して、だけど堪えられなくて泣いちゃったんでしょ? …………それにね、泣くのって全然悪いことじゃないんだよ。赤ちゃんはねー、産まれてくるときたくさん泣いて、泣けば泣くほど祝福されるんだよ。逆に泣かないと心配されちゃったり。赤ちゃんはいっぱい泣くほど愛されるんだよ」宮本の優しい声。「だから泣くのは悪いことじゃないんだよ」

 

「……俺赤ちゃんじゃないし」

 

「そうだけど――あれれ?」

 

 宮本は不思議そうに声を上げた。きょとんとして、可愛く首をかしげているところが容易に想像される。俺は少し笑ってしまった。

 やっぱり、宮本のいつも通りの謎理論は安心する。赤ん坊が泣くのと俺が昨日泣いたのをどうして『だから』で結び付けられるのか俺にはさっぱりわからないが、宮本にとってはそれが正しいんだろう。ただちょっと言語で説明しづらいというか。

 彼女の論理が人類共通のものになれば、きっと世界は平和になると思う。

 

 ただ、彼女の言うことがその通りだとしても、それでもいま宮本と顔を合わせるのは気まずい。あの教室から走って逃げだして引きこもってしまった以上、やはり合わせる顔なんてないんだ。でも彼女を拒絶するのは気が引ける。こんな風に差し伸べられる手を、強く叩いて弾くなんて俺にはできない。だから、

 

「……俺は、大丈夫だよ、宮本。本当はもう、落ち着いているんだ。どんなに理屈をつけてもさ、やっぱ泣いてるところを見られたのは恥ずかしくて……。それでちょっと教室に顔を出すのが気まずいっていうか。でもしばらくしたらこの気持ちにも整理がつく。そしたらすぐに学校に行けるようになる。遠い話じゃない」

 

「そうなの?」

 

 本当はそうじゃないけど、そうやって誤魔化した。

 

「そうなんだ。だから無理に連れ出そうとしなくてもいいんだ」

 

「そっかー……。うん、わかった。そらちゃんは強いんだね」

 

 そんなことないと叫びだしたかったが、それを言ってしまうとここで誤魔化した意味がなくなるので言わない。

 そのあと宮本は昨日の出来事には一切触れることなくしばらくくだらない話をして帰った。

 あんな風に言ったが、俺は学校に行くつもりはない。たぶん退学すると思う。宮本とも会えない。でももういい。どうでもいい。

 宮本が帰ったあと俺は何もする気になれなくて風呂に入ってご飯を食べてすぐ寝た。

 

 ――土曜日。

 時間が有り余っているので借りているDVDを消化していたら、

 

「やっほーそらちゃん」

 

 と宮本の声がした。俺はどきりとして叫ぶように言う。

 

「えっ! なんで宮本!?」

 

「来ちゃった☆」

 

 じゃねえよなんで来たんだよ。

 昨日来て俺の言葉に納得して帰ったはずだ。もうここに来る理由はないだろう。それともまだ説得を継続しようというのだろうか。

 

「何しに来たんだ?」

 

 わざわざ休日を返上してまで。

 尋ねると、宮本は、

 

「んー? 何しに来たってわけでもないんだけどねー。あっ、そういえば――」

 

 と、昨日の帰り際に話していたようななんてことない雑談を始めた。パリジャンのスーツはパリパリだとか、どこどこで可愛いお洋服を見つけたとか。しばらくぶっ通しで喋り続けて、満足すると帰る。しかし次の日にはまたやって来て、やはりとにかく喋り通して帰る。そんな日が毎日続く。

 

「前にねー、そらちゃんの真似して小説買って読んでたらママが『オー・ラ・ラ・ラ!』って! アタシの読書でフランス語思い出しちゃった!」「そらちゃん! 昨日、お家でフレちゃんテーマ曲を作ってきたんだけど、聞いてくれる? いくよー! フンフンフフーンフンフフー、フレデリカ~♪ ……どーかな!?」「エッフェル塔と東京タワーのどちらかを応援することになったらどっちをとる? って訊かれたときねー、何を応援するのかわからないし、なんで競争してるんだろーって思ったからとりあえず『フレーフレーフレデリカー!』って誤魔化したんだけど、あの人なんでアタシにイギリスのこと訊いてきたんだろうね?」「あ、そうそうそういえばこの間モデルの仕事やってみたんだー。お洋服着てー、ポーズをとってパシャパシャーって! でもどんなにアタシがトークしてもそっちは残んないからなんか違うなーって思ったんだけどね。だから本当は『あーっ! カタツムリツーンツーン♪』って言ってるところを撮った写真なのに、雑誌で『カレのほっぺをツーンツーン☆ ちょっぴり悪戯っ子ファッション』って書かれてたんだよー。アタシのカレはカタツムリ☆」

 

 いったいなんの目的があるんだろう? 金か? なんて、宮本はそんな人間ではないのだけど。しかしこんなにぶっ通しで喋っててよく話のネタが尽きないなーと感心する。

 でも実際、なんのために宮本は毎日俺の部屋を訪ねてくるんだろうか。登校の催促か? 直接言えないから、楽しい近況を語ることで「学校に行きたい」と思わせる狙いがあるのか。だとしたら、ちょっと鬱陶しい。

 悶々とした日々が続く。宮本と最初に家で喋ってからちょうど一週間目の金曜日。俺はついに言った。

 

「そうやって毎日毎日俺んとこに来て、何が目的なんだよ! そんなに俺を外に連れ出したいのか!?」

 

 怒鳴ってしまった。

 叫んだあとに、俺はすぐ我に帰って申し訳なくなる。俺を外に連れ出そうと働きかけるのは宮本の優しさなのに。本当は毎日毎日俺の家に来てくれるのを感謝しなきゃいけないのに。俺は宮本に当たり散らしてしまった。謝ろう。宮本に、ごめんって。でも言葉が出てこない。謝らないといけないのに。一度出してしまったものを引っ込めない。俺は本当に最――

 

「へっ? なんで外に連れ出すって話が出てくるの?」

 

「……え?」

 

 宮本のすっとんきょうな声。ショックを受けたというよりは、まるでとんちんかんな受け答えをされたみたいな反応だった。俺もわけがわからなくなる。

 

「えっと、宮本は、俺を外に連れ出すために――そんで最終的には俺を学校に連れ戻すために、毎日ここに通ってるんだろ?」

 

「えーっ? 全然違うよー! もしかしてそらちゃん、いままでそんな風に思ってたの?」

 

「じゃ、じゃあ……なんで?」

 

「なんでって言われても……うーん。確かにそらちゃんには早く外に出てきてほしいし、学校でまた一緒にお喋りとかしたいけど、前にそらちゃんが『もう大丈夫』って、『すぐに学校に行けるようになる』って言ってたから、そこはいいんだよね。そらちゃんのこと、信じてるから、アタシが特別何かしなくてもいいって思ってるよ」

 

 目頭が熱くなった。俺がその場しのぎで言った誤魔化しを、宮本は本気で信じてくれていたのだ。それなのに俺は、宮本の裏を想像して、宮本の安心感を怖がっていた――。情けない自分に怒りがわいてくる。

 でも、それ以上に宮本の気持ちが嬉しかった。

 

 だが、それならより一層、なんのつもりでここにやって来ているのか。恐る恐る確かめてみる。

 

「……な、なあ、宮本」

 

「なーに?」

 

「それならさ、結局、なんの目的でいつも俺のところに来てくれてるんだ?」

 

 俺の質問に、呆れたような声が返ってくる。

 

「だからー目的とかじゃないんだよー。もー。牛じゃないけどー。アタシはただ、そらちゃんとお話ししたいから、そうするために来てるだけなんだよ? 本当にそれだけ。だから言っちゃえば、そらちゃんとお話しするのがここに来る目的になるんだけどね。あ、あとね、そらちゃんは『来てくれてる』って言ってるけど、アタシは『来てあげてる』だなんて思ってないよ。アタシがしたくてしてることだから。そらちゃんにドア越しでもいいから会いたいんだよ。だってそらちゃんはアタシの――」

 

 

 ――友達だから。

 

 

 

 …………。

 

「…………え、どうしたの急に。なんで静かなの!? もしかして違った!? あ、アタシたち友達だよね? 一方通行じゃないよね!? えーっとえーっと――って、そらちゃん!?」

 

 ドアを開けると、宮本が真ん丸な目をさらに丸くしてこっちを見た。久しぶりに見た宮本は以前とまったく変わらなくて安心する。でも、この安心感すら、いつか裏切られるんじゃないかと思うと怖い。俺が変わらないと思っているものは、端から見方が違っているんじゃないだろうか。つまり、宮本が優しい人間だからって、それが宮本が裏で陰口を言わない証拠にはならないのかもしれないという不安。しかしそんな不安を否定する材料が見つからない。あの四人が宮本の陰口を言っているのを見てからは、ことさらそう感じる。

 

「……信じられないんだ」

 

 ぽつりと呟く俺を宮本の目がじっと見つめている。

 

「本人の見えないところで友達を悪く言うやつらを見てさ、わからなくなった。あいつら、陰口を言っておいて、それでも相手のことを友達だって本心から思ってるんだ。それで矛盾してないんだ。もしかしたら、どんなに優しいと思ってる人間でも――いや、実際に優しい人間でも、友達のことを裏で悪く言っているんじゃないかって思うと、宮本ですら信じられなくなる。友達の陰口で盛り上がらない人間なんて、この世にいないのかもしれないって思うと、誰とも干渉したくなくなる」

 

「……そらちゃんは、裏でアタシの悪口を言ったこと、あるの?」

 

「あるわけない」俺は、首を横に振って強く否定した。「そんなわけない」

 

「そっか。でも、それをアタシが確かめることはできないよね」

 

 そうだ。そういう問題なのだ。いくら俺が宮本の悪口を言ったことなんてないと主張しても、宮本はそれを確認するすべを持たないし、逆もまた然りだ。

 だが宮本が言いたいのはそれとは別のことらしい。ゆっくり続けた。

 

「でもさ、仮にそらちゃんの言うことが本当なんだとしたら、そらちゃんだけは自分の潔白を信じられるってことだよね。だったら――」

 

 宮本は俺を指差して、

 

「ほら――いたじゃん! 友達を悪く言わない人。こーんなに近くに! そらちゃんが証拠なんだよ、友達を信じられる。アタシもね、自分を信じられるから、みんなを信じられるんだー」

 

 友達の陰口を言うことは、自らも裏で陰口を言われているかもしれないという不安に繋がる。俺は四人にそう言った。宮本はほとんど同じことを、丸っきり逆の視点で見ていた。自分が友達を悪く言わないことで、友達を信じられる。俺にはなかった発想だ。

 

 俺は考える。

 こんな俺ですら、宮本の陰口を言ったことがない。これは自分のことだから絶対に信じられる。なら、こんな俺ですらしないことを、この純度100%の天然癒し系金髪娘がするだろうか?

 もちろんこんな考え方が絶対の根拠になんてならないが――ひとつの折り合いをつけるための判断材料にはなる。

 

 俺は宮本を、信じられた。それに気づいた瞬間、どっと肩の力が抜ける。

 

「お、俺っ……宮本のこと――信じられる……!」

 

「うん、うん、アタシもそらちゃんのこと信じてるよー」

 

 俺は感極まって泣いてしまった。また宮本に泣いているのを見られてしまった。最近は泣いてばかりいる。でも、恥ずかしいが嫌とは思わなかった。

 宮本は俺を抱き締めて背中をさすって慰めの言葉をかけてくれたが、だんだんその声に震えが混じってきて、最終的に宮本まで泣き出してしまった。

 俺んちの廊下はもはや収拾がつかない状態になっていて、様子を見に来た母が呆然としてしまう。なんだか間抜けな構図だなーと思った瞬間に涙が引っ込んでしまった。「……ご飯できたけど、宮本さんも食べる?」母が訊いた。涙を拭きながら、「……いいんですか?」

 

「もう作っちゃったから」

 

「あ、じゃあ――ちょっとママに訊いてから……」

 

 と、宮本はスマホを取り出して、

 

「もしもし、ママ?」「いまね、友達の家に来てるんだけど」「うん、そう。――で、その友達のお母さんからご飯食べないかって誘われて――」「うん、そう。いいかな?」「オッケー! じゃあね♪」通話を切って、こちらを向いて、「――――いただきます!」

 

 なんか、宮本と夕飯を食うことになった。

 

 リビングで宮本と一緒に野菜炒めを食べる。刺身もある。なんか、不思議な感覚だ。

 宮本は普段もっとおしゃれな食事をしていそうだが、口に合うだろうか。もやしをパクパク食べる宮本に、自分が作ったわけでもないのにそんな不安を抱いた。それも美味しそうな顔をする宮本を見てすぐに吹き飛んだが。

 宮本は食事の最中でもおしゃべりがやまないが、箸を休め休めなので見た目には下品ではない。ただし行儀がいいとは言えないけど。

 

「もやしって漢字で書くと燃やしなんだよ! たぶん」「パパとママは久しぶりにアツアツディナーだって♪ おでんかな?」「昔ねー、テレビの端に出てた『アナグロ』って文字をアナグロって読んでて、いまでもパパにからかわれるんだよねー。………………あれ? いま、アタシ『アナログ』って言ってた?」

 

 宮本の陽気な喋りに母が笑う。俺も笑う。

 俺はふと、思ったことをこぼした。

 

「本当に、宮本は喋らなければ美人なのになあ」

 

「それって、喋れば超美人ってこと?」

 

 身を乗り出して訊いてくる宮本。

 

「ん。――まあ、そうかもな」

 

 俺は否定しなかった。

 宮本は嬉しそうに目を見開いて、

 

「そらちゃんがデレたー!」

 

「ちょ、デレてねえから!」

 

「ツンデレだー! やほー♪」

 

「おい!」

 

 そんでもって夕食は終わって、「泊まってくの?」という母の一言で宮本が一泊していくことになった。宮本を俺の部屋に上げて、まあ何か特別なことがあるわけでもない。ただ友達と夜を一緒に過ごすってそれだけで興奮してこない? 普段は会わないはずの時間帯にその人と一緒なんだから。

 宮本は俺の部屋をぐるりと見まわして「わー! 本がいっぱいー!」と本棚を触ったり「これまな板?」とペンタブで絵を描いてみたり「初めまして、今晩一泊させていただく宮本です。よろしくお願いいたします」とフィギュアに話しかけたりフリーダムだった。

 他にあんまりやることもないので借りてきた映画を観る。『2001年宇宙の旅』。宮本は「ふーん?」とわけがわからなさそうにして、俺もわけがわからなかった。なんじゃこれ。ネットで解説サイトを見て宮本と一緒に深く頷く。んなもんよくわかるよなー。考察班はすげえ。

 

 そんな感じで夜は更けていく。なんとなく時間を確認して、「11:46」という表示を見て、DVDを見て、そして悲鳴を上げる。

 

「ああああ!」

 

「どすこい! どうしたの!?」

 

「そういえばこれ、返却日今日だ!」

 

 レシートを失くしたので正確な返却日はわからないが、先週の金曜日に借りてきたものなので、ということは最終返却日は今日となる。だが残された時間はあと十四――いや十三分。急いで返しに行かないと、延滞料金を払うはめになる。

 

「早くツタヤに返しに行かないと……!」

 

「たっちゃんに行くんだね!」

 

 たっちゃんお前だったのかよ。一年半越しの謎が解けてすっきりする、が――いまはそんなことを気にしている場合じゃない!

 

「すまん、俺行ってくるわ!」

 

 勢いよく部屋を飛び出す。

 

「あ、じゃあアタシも!」

 

 宮本もなぜかついてきた。

 俺と宮本は全速力で最寄りのツタヤまで走った。外は真っ暗で、人の通りがほとんどない。深夜徘徊は指導対象だが、ここは目をつむってくれ。

 

 感覚的に十五分くらい走って――それだと間に合わなかったことになるが――ツタヤにたどり着いた。俺はDVDを返却ポストに投函して、スマホで時間確認。時刻は「11:56」。

 

「間に合ったー!」

 

「はーっ! はー。ふう……よかったね♪」

 

「ああ、もう間に合わないかと思ったよ……。ありがとな、わざわざついてきてくれて」

 

「ううん、アタシがそうしたかっただけだもん」

 

 そのやりとりは、俺がながらく望んでいたものだった。俺がながらく望んでいた『青春』。

 宮本と俺が友達関係にあるかどうか、それはもう疑う余地のないことだが、その友達と青春を送れるかどうかと言えば、それはまた別問題だった。友達を作るのと青春を送るのではハードルの高さが全然違っていて、そして俺の価値観における青春とは友達の存在が前提だった。

 

 なんつーか、これ、青春っぽくね?

 

「……俺、リア充になったのかもしれん」

 

「え? 何? リア王?」

 

 やべ、声に出てたか。

 

「いや、なんでもない」誤魔化して、話題を探す。んー……あ、そうだ。「そういえば、バッグありがとな」

 

「ん? あっ、バッグね。どういたしましてー。……ところであれ、すっごく重たかったんだけど、何が入ってたの?」

 

 げっ。そういやそうだった。たしかあの日、俺、バッグにあれ入れてたんだっけか。うわー、なんてタイミングで俺は逃げだしたんだ。

 誤魔化して話題転換した先の話でまた誤魔化す。

 

「いや、ただの本だよ。ただの」

 

「ふーん?」

 

 一応嘘はついてない。宮本は俺の反応に不思議そうに首をかしげていたが、深く追究しようとはしなかった。

 ほっと一息つく。

 

 ――言えるわけねえよなあ。クラスの連中に『聲の形』を全巻読ませて、いじめについて考えてもらおうとしてただなんてあほみたいな計画。言えるわけねえよ。

 あんときはストレスで馬鹿だったんだ。


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