福音の鐘は誰がために鳴る   作:らーめんどんぶり

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第六話 加速するシナリオ、心の本懐

ゲンドウが部屋を去ったあと、レイは再び人形に戻ったかのように感情を押し殺してしまっていた。

 

 

“お前には失望した”

 

ゲンドウの声が脳内に響く。

 

いったいどういうことなのだろうか?

 

自分はリツコやシンジと共に衣替えを行ったにすぎない。それなのになぜ失望されなければならないのか。

 

ゲンドウの声を何度も反芻し、その言葉の真意を辿ろうとすればするほど訳がわからなくなっていく。

 

そして同時に、もっとも忌避すべき“圧倒的恐怖”が形を成していく。

 

 

それに至った切欠はシンジのある一言だった。

 

 

“綾波は普通の女の子らしく自由にしていいと思うよ”

 

シンジにとってはレイを気遣った何気ない一言にすぎないかもしれないが、レイにとって“普通”とは自分からかけ離れたもので、同時に強く望んだものだったために、その言葉にひどく感動したのを覚えている。

 

なぜその言葉を思い出したのかは分からないが、きっと自分の今の姿をゲンドウに肯定されたいという意思の表れだったのだと思う。

 

だが、思えばそれが間違いだったのだ。

 

自身の脳内に響くシンジの声はとても甘美で、神経を麻痺させるような破壊力を持っていた。

だが、レイはそれに浸ることは出来ない。幼少より虐待にも近いものを受けてきたレイにとっては信頼の先には裏切りがあり、愛情の裏には打算があることを知っていた。

もとい、体がそれを覚えていた。

 

だからこそ、シンジの言葉の裏側を探るためにシンジの言葉を否定する言葉を探した。

見つからなければ本望だ。だが、見つかったところでシンジが優しく騙してくれるならそれでもいい。

そう強く願う彼女の気持ちが募るほど、現実というのは残酷になっていく。

 

どんな言葉でもシンジの言葉なら受け入れようと思ったのに、頭の中から聞こえてきたのはゲンドウの言葉だった。

 

“お前は人間ではない、私のために道具となれ”

 

それがレイが生まれて初めての言葉だった。

 

その言葉を思い出したときレイの中で全ての思いが霧散した。

 

 

シンジに抱いた微かな愛情も、自身に芽生えた感情も、リツコに感じた優しさも、創造主(ゲンドウ)という圧倒的な存在の前に掻き消された。

 

 

同時に襲ってきたのは使命感と罪悪感。

 

ゲンドウの計画を遂行させなければという使命感と、自らシンジたちを拒まなければならない罪悪感に板挟みにされたレイの心はこの時既に疲弊しきっていたのだろう。

 

そしてやがて、最悪の形となってそれは現れることとなる。

 

 

 

学校

 

 

 

「おはよう、綾波」

 

「…」

 

やっぱりだ。ここのところ綾波は返事をしてくれない。

最初は何か悪いことでもしたのかなって思ったけど申し訳なさそうにうつむくところをみるときっと何か事情があるんだと言うことは分かる。

でも、それがなんなのかは見当がつかなかった。

 

僕には相談できない何かなのかな?

 

いや、そうだとしても挨拶くらいは返してくれてもいいはず。今の綾波は自分から人を避けている感じだ。

 

もちろん、人付き合いを好む性格では元々無いけれど、今までの綾波はどちらかと言えば必要のないことはしないって言うだけで人を拒んだりはしなかったはず。

 

うーん。分からないや

 

リツコさんに聞いてみるしかないかな。

 

 

 

ネルフ司令室

 

「赤木博士、どういうことかね?」

 

ゲンドウの重い声が響く。無駄に広いこの部屋だからこそ分かることだが、今のゲンドウの声色からして怒気というよりは焦りが感じられる。

 

何がそんなに気に入らないのかしら?

 

「どうしたのかね?」

そんな呑気なことを考えていると、冬月が催促してくる。

もちろん、彼はこちらの心配をしてくれているみたいだけど…

 

「いえ、私はレイに相応の感覚を備えさせようとしたまでですが?」

 

嘘だ。もちろん、そういう意味も含めているけれどこれはそんなに簡単なモノじゃない。

これがただの教育や子育ての一環ならこんなに責め立てられることはないのだから。

 

「我々はそれについて聞いているのだよ。質問の意味が分からないわけではあるまい?」

 

あら、どうやら相当乱心のようね。ま、無理もないけど。

 

「それはその通りですけど、エヴァのシンクロにはそれも必要だと考えます。」

 

ほう、と副司令がどこか感心したかのように眉を上げる。隣の司令は相変わらず何を考えているか分からないが一瞬苦い顔をしたのが見えた。

 

もしかしたら行けるかもしれない。

愚かにもそんなことを期待してしまう。

 

「まず、先日の直上会戦のデータからパイロットの心理状態とエヴァとのシンクロ、そして戦闘パターンの因果関係について。」

 

「レイの出撃時、レイの心理状態は特に問題もなく正常シンクロ率は起動指数ギリギリでしたがハーモニクスは60%とかなりの数値を叩き出していました。

しかし、戦闘時のエヴァの動きには最大コンマ2秒にも及ぶ多大なタイムラグがあり、また、攻撃に対する回避行動もあまりありませんでした。」

これは事実だ。実際、レイは初号機での活躍はほとんどできていなかった。

だが問題なのはシンクロのそれよりも、彼女は自分を蔑ろにし過ぎていることだ。それをなんとしてでも直さなくては。

 

「エヴァの神経伝達経路は脊髄からの反射を意識的に制御しているため、思考によって意図的に回避を選択しない限り捨て身になるのは自明の理。

レイは感情や自己防衛意識が多分に欠如してる為、このような結果になったと考えられます。現在のネルフの資金、そして国連軍や地上都市の被害から考えて、これは重大な問題だと判断しました。」

この辺りはもう適当だ。もちろん言っていることは事実だが、回避行動云々はその気になればMAGIの機械制御でどうとでもなるし、何より、有能な指揮者がいれば何ら問題はない。最も、その有能な指揮者がいないのが事実ではあるが。

 

ならば、叩くところは一つ、金である。

司令たちが金をつぎ込んでシナリオを進めることに躍起になっている反面、それを抑止しているのもまた金なのだ。

人が生きるのはエヴァだけにあらず。

その事をよく理解しているこの世界の重鎮たちはきっと現在進行形でこの問題に頭を抱えていることだろう。

 

つまり、被害が抑えられると聞いて無下に出来るほど彼らに余裕はない。

 

勝った!と心の中で呟く。

 

だが、、、

 

「構わん、予算については追加されることが議会で決まった。」

 

嘘だ。そんなはずはない。いや、それ自体はあり得ることだろうが、被害縮小は老人たちにとっても急務なはず。それなのにどうして…

 

まさか…

 

 

「じきに、弐号機が届く。戦闘のことは葛城一尉に任せておけばいい。」

そういって不敵に笑うゲンドウ。

 

やられた。老人たちの切り札とも言える弐号機が戦闘に参加するとなれば被害云々など考える必要もないということか。

 

しかし、これだけの早さで輸送すると言うことはアダムの確保を捨てたということになる。

シナリオの要を捨ててまでレイを?

 

いや、違う……もしや!

 

 

「被害の縮小に関してはレイの感性を変えずともパーソナルデータにMAGIシステムを干渉させ行動パターンに自己防衛を組み込むように改変すれば問題ない」

分かってはいたがやはりこの男も科学者である。

それもただの科学者とは違う。エヴァやMAGIのようなオーバーテクノロジーを扱う一流の技術者なのだ。

 

もちろん、自分から見ればなまじ権力を持っているために勘違いしている愚か者に変わりはないが、その権力が絶大なのもまた事実であるのがこの男のたちの悪いところである。

 

 

「使徒来襲のスケジュールが近づいている。初号機の修理はあとどれくらいかね?」

気持ちの悪い嫌みな声で訪ねてくる。

 

やっぱりだ。出来れば外れてて欲しかった予想が見事に当たってしまった。

 

だがそれももう遅い。このタイミングでこの質問をされたということは家に帰ることは出来ないだろう。

 

負けた。やはりこの男は何を考えているか分からない。

でも、それでも私は諦めたりは出来ない。

 

母の遺志を継ぎ、私が人類の未来を切り開くのだ。

 

「初号機の修理は明後日には間に合うかと」

今は我慢、と自分に言い聞かせながら絞り出したその言葉を聞くと、目の前の男は卑しい笑みを浮かべる。

 

その言葉を最後に私の長い夜が始まる…

 

 

 

 

 

 

リツコの家

 

「リツコさん今日も帰ってこないのか…」

リツコさんが帰ってこなくなって今日で3日目、本部で片付けなきゃいけない仕事があるらしい。

 

もともと一緒に住むと決めたときに言ってたことだから驚いたりはしないし、一人でも寂しくはないけれど、3日にもなると心配になる。

 

一緒に住んでみて分かったことだけど、リツコさんは家の仕事をしない。

もちろん料理は出来るみたいだし、ミサトさんみたいに家事がずぼらなわけでもない

けど。

 

よほど忙しいのか、家にあるものに手付けることは滅多になく、ずっとパソコンとにらめっこしてるものだから、部屋は散らかることはないし、洗濯も乾燥機付き洗濯機に入れるだけですむ。掃除はお掃除ロボットがしてくれて、食器は食洗機に入れればいい。

簡単に言えば、全自動である。

 

でも、休日にエプロンをかけて料理をしたり家事をしてるところを見ると、機械に頼りっきりなんじゃなくて、仕方なくそうなったんだなって思う。

 

少し話が脱線したが、僕が言いたいのは、リツコさんがちゃんと生活できているか心配だってこと。

 

ネルフには全自動で色々してくれる設備はないし、よほど忙しいはずだからご飯を食べているかすら怪しい。

それどころか、お風呂もシャワーで済ましたり、ほとんど眠ることもない生活をしている可能性だってある。

 

リツコさんははっきり言って働きすぎだ。

 

ただでさえ頭をよく使う仕事なのに、体力も使うようになってるのだからいつ倒れてもおかしくないだろう。

 

「何か出来ることはないかな?」

 

良いことを思い付いた。ご飯を食べていないならたべさせてあげればいい。

 

差し入れってことにしておけば無下に断られることもないと思う。

 

それから1時間後、栄養満点のお弁当と手作りのケーキを持って僕はネルフに向かった

 

 

 

技術部長執務室

 

 

「一体母さんはなんであんな人に惹かれたのかしらね」

 

司令が部屋を去り、音も光もなくなったベッドの上でそんなことを呟いてみる。

 

 

 

“母の友人の夫であり母の不倫相手”

 

そんな言うまでもなく外道である彼に惹かれるところなど恐らく何もないということは分かりきっている。

 

ユイさんがどうだったのかは分からないが、少なくても母は、決して心から愛してなどいなかっただろう。

 

もちろん、激情に焦がれることが好きな人であったし、女であるということへの執着の強い人であったから嫌々ではなかったのだろうが、それでもやはりそこには打算があったのは確かだ。

 

では、母はなにを求めていたのだろう?

 

一番に考えられるのは地位だ。

そもそも三賢者とまで言われた科学者の地位は約束されたものだろう。

 

となればそれだけでは到達できない地位、即ちゼーレということになる。

 

元よりずっと疑問に持っていることであるが、ゼーレの管轄下にMAGIを置かなかったのはそれが如実に表われていると思う。

 

第七世代コンピューターの先駆け、世界初の人格移植OSとして誕生したMAGIシステム。

その開発者であり脳そのものである母には、どういうわけか人類補完計画の情報が明け渡されていなかった。

 

人類補完計画の要であるはずのエヴァンゲリオン、そしてその零号機の開発すら行った彼女が知らないなどあり得ないと何度も思った。

 

だが、不自然なのはそれだけではない。

 

三賢者の中でも権力者であったはずの母は何故かゼーレと対立関係にあった。

 

学生時からゼーレの研究者として働くユイや、ゼーレのお膝元であるドイツで開発の全権を握るキョウコとは違い、母には特別な階級やゼーレからの信頼が無かった。

 

 

そもそも、母はゼーレの人間ではない。

 

というのも、母のネルフにおける貢献というのは、元々個人として開発を進めていたMAGIシステムの研究に目をつけた老人たちが半ば無理矢理にゲヒルンに引き込み、多額でそれを買い取ったに過ぎないからだ。

 

 

さらに、ああ見えて母は正常な性格と倫理観を持っていた。

 

故にユイの提唱したエヴァンゲリオン構想やゲンドウやゼーレの掲げる人類補完計画の存在に気付いたときは猛烈に反対したのだ。

 

尤も、それが文字通り命取りになったと後に知ったが母はそのことを悔いたりなどしていないだと断言できる。

 

 

それが、私の知る赤木ナオコであり、それが私の目指す場所なのだから。

 

 

母は最後まで科学と共にあり、最後まで人類のために生きたのだ。

 

 

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「科学はね、人のためにあるのよ。だから、人が科学に呑み込まれてはいけないの。それを忘れないでね」

 

この言葉を聞いたのは確か、自分が高校で主席を取ったときの夜だった。

 

科学に身を捧げ、夫も作らず仕事だけに没頭していた母が、どういう風の吹き回しか、寝ている私のベッドに座り込んでそんなことを呟くものだから、思わず心配になったくらい、新鮮な出来事だった。

 

思い返してみれば確かにその日の母はおかしかった。

いや、正確に言えば弱々しかった。

 

科学を語る母はいつも嬉々とした顔を浮かべ、仕事に没頭する母は鬼気とした迫力を持っていた。

 

しかし、その日の母が語る科学は決して人類の叡知などではなく、その日の母が語る仕事は夢と語るにはあまりに酷いものだった。

 

 

あの時の母ほど頼りない科学者はいないだろう。

だが、あのときの科学者(赤木ナオコ)は確かに赤木ナオコ(私の母親)であった。

 

 

その日初めて私は、幼い頃から私が求めてきたモノ(愛情)を貰うことが出来たと思う。

 

 

その日の母の話は要約してしまえば

“科学は決して万能ではない、触れてはならないものある。科学者とは人類に与えられた微かな叡知を引き出し、生きるために活用するために存在するのだ”

と、言うことだった。

 

その話は、これから科学者として生きていく私の不安を和らげ、憧れの人()との距離を縮めてくれた。

 

 

 

そして、私に、ゼーレと戦う遺志を託してくれた。

 

 

 

だが、私はあの夜に、すべてを誓ったあの夜に、彼―ゲンドウ―と身体を重ねた。

無理矢理にではあったけれど、それでも大きな罪を犯した。

行為が終わり、家に着く頃には人としてのナニカを失ってしまっていた。

 

そして、同時にあの日、母を失った。

 

 

人としての私は、赤木ナオコの娘である私はあの日死んだのだ。

 

 

だが、決して失ったらいけないものある。失いたくないものもある。

 

私がどんなに辛くても、辛い思いをしている彼らを助けることをやめてはいけない。

 

私がどんなに辛くても、人類のため、母のため、ゼーレと戦うことをやめてはいけない。

 

それが私の生きる意味。

 

それが私の生きる意志だから、母の託した遺志だから。

 

 

「弱い私はあの日に置いてきた。負けられないわよ、私」

 

虚空に向かいそう呟くと、私は再びパソコンの画面へと視線を落とす。

 

そこには誰から送られてきたのか、一言だけ

 

「お疲れ様、りっちゃん」

 

無機質なゴシック文字から溢れだす愛情に頬に冷たいものが滴るのを私は、止めることすらできなかった―――

 

 

 




ナオコやリツコの話は独自展開です。
ですが、原作で感じられた些細なことを引き延ばして考えればきっとこうだろうという、根拠のあるオリジナル回ですので、皆さんも是非アニメ新世紀エヴァンゲリオン第21話「ネルフ、誕生」をもう一度ご覧になって、解釈の幅を広めてみては?

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