びじょとやじゅう   作:彩守 露水

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閑話「幸せ模様クッキング」前編

 やかましい鳴き声で朝の到来を告げる目覚まし時計。その頭を叩き、黙らせて、美咲は大きく伸びをした。そのまましばらく体内に残った眠気と格闘をし覚醒を勝ち取った彼女は、枕元に置いてあった携帯端末を手に取った。

 慣れた動作で画面に指を滑らせて、就寝中のメッセージ履歴、今日の天気予報などを確認していく。こうして寝起きに情報の整理を行うのは、彼女の朝の習慣だった。

 

「んー……お?」

 

 日課をこなす最中とあるものが目に飛び込んでき、美咲は短く声を漏らした。

 それは祖師谷優からの一つのメッセージ。受信時刻は今から数十分ほど前、まだまだ美咲は夢の中を生きていた時間帯だ。

 

『今って何処にいる? 返信は手が空いた時でいいよ』

 

 まず美咲は小さく首を傾げ、それから二度三度と内容を読み返し、再度同じ動作をする。

 それは、どうにも妙なメッセージであった。まるで、いま美咲が何かに従事していることを前提としているような、そんな。

 しっくりとは来なかったけど別にそこまで変でもないか。しばらく考えたのちにそう思いなおした美咲は優にメッセージを返した。

 

『今は家だけど。どうしたの?』

『家っていうと美咲ちゃんの家かな? そうなんだ。ちなみに何してるの?』

『何してるのって言われたら何もしてないというか、今起きたばっかりっていうか……』

 

 すぐさま成された優の更なる返信はまたも、両者の間にズレを窺わせるものだった。

 訊かれたとおりに美咲が起きたばかりということを伝えると、十秒と経たずに手の中の携帯が電子音を鳴らす。しかしそれは、ここまでのものとは違い着信を示す音だった。

 

『も、もしもし! 美咲ちゃん!?』

「はいもしもし、なんか慌ててる感じだけど……どうしたの?」

『今起きたばっかりっていうのは、ちょっと前までぐーすかぴーで起きたのはまさに今だと、そういうことでいいの!?』

「うん、そうだけど。っていうかそう言ってるじゃん」

『ど、どど、どうしましょう!?』

「……ほんとにどうしたの?」

 

 完全なパニックに陥っている優を電話越しに落ちつけて、美咲はあれほど慌てていた事情をきき出す。

 曰く、優が目を覚ました時、弟の(みゆき)の姿が家になかったのだと。そのことに気が付いた彼女は母親にその所在を尋ね、『ちょっと前に出かけたみたいよ』という回答を得た。

 この時点ではまだ、優は特に慌ててはいなかった。

 隙間なく稽古の詰まっていた彼の生活に休日の概念が取り入れられてからしばらく、このように幸が外出をすること自体は近ごろ珍しくないことだったから。

 ただしそれは、美咲や花音、あるいは優などの誰かしらと一緒に、である。さらに言えば、これまでにあった彼の外出は必ず他者からの誘いが発端となっていた。

 こういった過去の事実から、優は母親の言葉を聞いても『あぁ、また美咲ちゃんとどっか行ってるのかな』としか思わず、メッセージを送ったのだって、『所在だけは一応把握しておこう』程度の気持ちだった。

 しかし、美咲からの返信は予想していたものとはかけ離れていた。その内容をどうにかかみ砕いた時には、優は思わず美咲に電話をかけていたというわけだ。

 

「あー、なに? つまり一人で出かけてる可能性が高いってことかな?」

『た、たぶん……。うぅ、怪我とかしてないといいけど』

(なるほどね。それは確かに慌てもするか)

 

 優のように取り乱しこそしていないが、美咲も胸内では心配を隠せないでいた。

 現状、家族である優を除けば美咲は、幸と最も繋がりの深い人物であると言える。ハロハピで活動をするときはもちろんのこと、それ以外の彼の外出も基本的には彼女が傍にいることが大概だ。

 そんな彼女の目から見ても、彼が一人で出かけたというのは意外が過ぎていた。出会った当初よりは幾分マシになったものの、人見知りの激しさが消えたわけではないし、何より、他者に誘われてではなく幸が自ら何かをしたいと口に出した場面を、美咲でさえもあまり見たことがなかったから。

 

『やっぱり心配だわ! ちょっと確認してくる!』

「確認するって、心配なら普通に電話すれば――」

 

 言葉が出し切られる前に、優は行動を開始したようだ。美咲の電話は音を吐き出さなくなり、そのまま一分ほど静寂を守り続けた。

 ミュートにしただけで通話自体は切れていないことから、戻ってくる気があるのだろうと考えて美咲は反応を待つ。そして、その推察通りに優はやがて通話へと復帰をした。

 

『もしもし。確認してみたんだけど、なんかあの子、今は商店街にいるみたい』

「へぇ、商店街……。ん? そもそも、確認ってどうやったの?」

『え? 適当に黒服さん呼んで幸に付いてる人に連絡とってもらっただけだけど』

「……あぁ、そう」

(やっぱりいるんだ、そういう人)

 

 家が裕福で、それに合った価値観が育まれているこころなどと比べると、幸は言動も考え方もまだ一般的な部類。それゆえ美咲はいつも忘れてしまいそうになるが、彼も立派なお金持ち、それも一人息子で跡取りなのだ。

 優が普通のこととばかりに示した方法でそのことを再認識させられた美咲は、なんとも言えない相槌を打つしかなかった。

 

『それで美咲ちゃん、この後って暇?』

「別に今日は予定入ってないけど……。え、祖師谷さんもしかして」

『よかった! じゃあそっちの家まで迎えに行くから、着替えとかの準備済ましておいてね!』

「待った待った! なに? 行方がわかってよかったー、で終わりじゃないの?」

 

 先ほどまでとは一転、今の優の言葉から滲んでいるのは心配ではなく、好奇だとか興奮だとか、その辺りのもっと明るいものだった。

 早口にまくしたてる彼女へ美咲が抗議をすると、優はとんでもないとばかりに声を大きくする。

 

『何を言ってるの美咲ちゃん! これはあの子が自分からする、いわば初めてのお出かけよ? 見守るしかないでしょう!?』

「それはまぁ、うーん……?」

『じゃ、よろしく!』

 

 そう元気よく言い残して、優は美咲がはっきりとした返事をする前に通話を切ってしまった。

 その性格や声色からも察せられる興奮具合を考えるに、優はきっと間もなくやってくるだろう。そう予測ができた美咲は、おもむろにベッドから腰を上げるとクローゼットを開いた。

 

(まぁ、幸があたしに何にも言わずに出かけた目的が気にならないこともないしね)

 

 もっとも、『優が強行したから仕方なく』が理由の十割かといえば、きっとそんなことはないのだろうが。

 

(……今の考え、我がことながらちょっとキモかったかも)

 

 

 

――――――

 

 

 休日が人を呼び、平時以上の賑やかさを孕んだ商店街。その中を幸は、一人ふらふらと歩いていた。

 ここは、彼が久方ぶりに家を飛び出したあの日、はじめにやってきた場所だ。

 当時のことを思い起こしながらもしかし、彼は少し、ほんの少しだけあの頃よりも行動的な様子を見せていた。

 駄菓子屋で買い物をし、話しかけてきた八百屋の店主になんとか返事をし、なんとゲームセンターの敷地に一歩だけ足を踏み入れたのだ。そのどれもが他の人からすれば何でもないような行動かもしれないが、彼にとっては勇気を振り絞っての一手だった。

 

 そんな彼だが、なんの目的もなくこの商店街にやってきたという訳ではない。ここまでにしてきた細々(こまごま)とした行動とは別に、目的地とも呼べる場所が彼の中にはあった。

 パン屋『やまぶきベーカリー』。彼にとって大きな意味を持つあの日の中でも、特に記憶に残っている場所だ。

 まっすぐと進む彼の足は、やがて目的地の前にたどり着いて動きを止める。

 その扉へと手をかける前に、幸は大きく深呼吸をしガラス張りの外側から店内の様子を覗き見た。

 ちょうど客のいない時間に居合わせたようで、店内は閑散としている。存在しているものといえば数多くのパンと、それらに囲まれてレジ台を守る山吹沙綾だけだった。

 まだまだ人見知りの激しい彼としては訪ねるのに好都合な状況だ。改めて気合を入れなおし店に入ろうとした幸であったが、その直前でふと沙綾の様子がおかしいことに気がついた。

 普段の人懐こい笑顔はなりをひそめ、その表情は険しい。今も虚空を見つめては時折ため息をこぼしており、見るからに思い悩んでいるという感じだった。

 

「えっと、お、お邪魔します……」

「あっ、いらっしゃいませ!」

 

 彼が控えめな声とともに扉をくぐると、沙綾は瞬時に表情を明るいものに差し替える。それから、入ってきた人物が祖師谷幸であることに気づくと、そこに驚きの色を浮かべた。

 

「あれ、キミは……」

「こんにちは、山吹さん」

「なんていうか……久しぶり、だね? や、ほんとはそうでもないってことは解ってるんだけどさ」

「そう、ですね。ふふ、最近そとに出る時はだいたいお姉ちゃんの恰好でしたから」

 

 なんとなく情けないような気分になって、幸は力なく笑う。

 近ごろ二人が顔を合わせたのは、美咲と三人でショッピングモールに行った日、そしてガルパの練習や本番の日くらいなものだ。そのすべてが彼は女装をしての外出だったため、こうしてきちんと祖師谷幸として沙綾と会うのは実は初対面のとき以来であった。

 

「時間的に今日もお昼ごはんを買いに来たのかな? あ、前みたいにさ、今回も選んであげよっか?」

「いえ、それには及びません! 今日という日のために、パン屋さんの利用方法についてはしっかり勉強してきましたので!」

「そ、そっか……」

 

 前回やってきた時はトレイとトングを使うことさえ理解していなかった幸が、今日は迷いない動きでそれらに手を伸ばす。そしてパン屋の標準装備二点を身に着けた彼は、したり顔を沙綾へと向けた。

 もちろん、彼女は反応に困る。まさかその程度のことで誇らしげにされるとは露ほども思っておらず、沙綾は面食らって覇気のない返事をするしかなかった。

 そんな彼女をしり目に、幸がパン選びに移る。あちらこちらに視線を動かし、様々なパンに興味を引かれながらも、自分の胃の容量を考慮して彼は最終的に三つのパンを選んだ。

 トレイをレジの沙綾へと手渡すと、彼は小銭を使ってぴったりの金額を支払う。そしてお店独自の紙袋に詰められたパンを受け取ると礼を言い、小さくお辞儀をした。

 その態度は、ともすれば店側が客へ対してするものよりも丁寧な可能性すらあるほど。なんだかなぁ、と沙綾は苦笑いを浮かべるのだった。




夏祭りイベを書いた時点で今更ですが、本編以外の話は季節順がくるったり、(学年が重要なファクターでもないかぎり)進級後のイベントが進級前に起こっていたりします。

改行具合、どのように感じましたか?

  • 地の文間もっと開けた方がいい
  • セリフ間もっと開けた方が
  • 上記二つとも
  • 特に問題ない

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