「桜ちゃん! 士郎をひっ捕らえてきたわよー!」
玄関から轟く聞き慣れた咆哮に、間桐桜は顔を輝かせた。
「本当ですか、先生!」
数日前、買い物に行くと言って出て行ったきり、消息が分からなくなっていたこの家の家主。彼の義父には風来坊の気質があったから、士郎にも伝染ったのかもしれないと言っていた藤村も日を追う毎に不安を抱き始めていた。今日、桜は警察に相談するかどうか話し合う為に家主不在の屋敷で藤村の事を待っていた。
慌てて玄関に向かうと、そこには笑顔の藤村が立っていた。喜び勇んで隣に立っている男へ駆け寄る。
「せんぱ――――、え?」
桜の表情が凍りついた。
「どうも、ドナルドです」
そこに立っていたのは、彼女の知っている少年とは似ても似つかないピエロだった。
第十話『帰郷』
「ぁ……、ぁぁ」
桜は恐怖した。別に、顔が怖かったわけではない。その存在の異質さに不気味さを感じた事は確かだが……。
その道化師の姿には見覚えがあった。ドナルド・マクドナルド。彼女も密かに愛してやまないバーガーショップのマスコットだ。
――――サクラ。どうやら、トオサカはドナルド・マクドナルドを召喚したようです。
はじめに耳を疑い、次にその発言の主の頭を心配した。けれど、彼女の言っていた言葉は真実だった。ドナルド・マクドナルドがサーヴァントの気配を放ちながら、藤村大河の隣に立っている。
桜の恐怖は、藤村大河に危害が加えられる事に対してのものだった。家主が消息を絶ち、残されたものは彼女のみ。その存在にもしもの事があれば、唯一の安息が失われてしまう。
「ライダー!!」
頭が真っ白になり、気がつけば令呪を発動していた。
魔術師であることも、マスターであることも隠して、聖杯戦争から逃げていた少女は、大切な宝物を守るために戦う意志を持った。
目の前に現れる長身の女性は桜に問う。
――――よろしいのですね?
答えは決まっている。
「先生を助けて、ライダー!! 先生だけは絶対に!!」
「かしこまりました、マスター」
困惑した様子を見せる大河に構わず、ライダーは初手から切り札を解放する。
――――
それは、ライダーが持つ宝具の一つ。対象を絶望と歓喜に満ちた悪夢へ閉じ込める結界宝具。
普段、彼女はこの宝具を武器としてではなく、自身の魔眼を封じるために使っている。
その眼球は宝石に例えられ、一度開かれれば、見る者すべてを石化させる。
「――――参ります」
ライダーが目の前の道化師と対峙するのは二度目だ。一度目は為す術無く圧倒された。
あの時は彼女自身が万全の状態から程遠いものだったが、この道化師はそれが言い訳にならないほどの実力を持っている。だからこそ、出し惜しみはしない。
「死になさい、道化師!」
石化に加え、ブレーカー・ゴルゴーンによる封印。並のサーヴァントならば指一本動かす事の出来ない凶悪なコンボだ。
ライダーは必勝を確信し、渾身の力でドナルドの首を狙う。
「……んー。どうやら、勘違いをさせてしまったみたいだね」
ライダーの目が見開かれる。釘剣で貫いた筈のドナルドの姿が掻き消えている。代わりに、その声が主の隣から聞こえてくる。
「――――貴様!」
恐怖の表情を浮かべる桜を見て、ドナルドに凍てつく殺気を放つライダー。
対して、ドナルドは言った。
「ドナルドに戦う気はないよ。君達も、本当は戦いたくないんだよね?」
「……どの口が! 藤村先生に何をしたんですか!」
怒鳴り声をあげる桜に、それまで置いてけぼりになっていた大河がそっと近づいて頭を撫でた。
「そこまでー。いろいろビックリな事を起きてるけど、とりあえず怒っちゃダメよー、桜ちゃん」
「ふ、藤村先生!?」
「まずは落ち着こうよ。ほら、深呼吸!」
「いえ、あの、今はそれどころじゃなくてですね!」
その時だった。玄関の扉が開き、一人の少年が入って来た。
「おい、桜! お前、一体――――」
入って来るなり怒鳴り声をあげる少年に、誰よりもはやく反応したのは桜ではなく、ドナルドだった。
「し、慎二……。しんじぃぃぃぃぃ!!!」
「はぁ!? えっ、は? ギャアアアアアアアアアアアア!?」
少年の悲鳴が響き渡る。
無理もない。いきなり不気味な道化師に抱きつかれたのだ。誰だって悲鳴をあげる。
だが、ドナルドはそんな当たり前の事にも気付かないで、ひたすら少年、慎二の名を呼び続けている。
「なんなんだ、お前は!? ……って、あれ?」
必死にドナルドを引き剥がそうと奮闘していると、慎二は違和感を覚えた。
不気味なフェイスペイントに驚かされたが、よく見ると既視感を覚える。
「……お前、衛宮か?」
「うそっ、分かるの!?」
中の混沌とした様相に踏み込むべきか躊躇っていた凛が玄関先で驚きの声を上げる。
「遠坂!? お前、なんでこんなところに……」
「私がドナ……、士郎のマスターなのよ」
「士郎って……、衛宮のマスター? なに言ってんだ、お前……」
「慎二!」
困惑した表情を浮かべる慎二の両手を掴むドナルド。
「っていうか、お前はどうしちゃったんだ!? なんだ!? なんか、嫌なことでもあったのか!? とりあえず、その不気味なフェイスペイントやめろ!!」
「ぅぅぅ、慎二だ。本当に慎二だぁぁぁぁ」
「なんなんだよ! その顔で泣くのやめろ! 怖いんだよ、馬鹿野郎!」
「慎二だぁぁぁぁ。その刺々しい口調、慎二だぁぁぁぁぁ!」
「馬鹿にしてんのか!?」
そのやり取りを呆気にとられた表情で見つめる桜達。やれやれと入ってくる凛。
「はいはい、そこまで! ストップよ、士郎。落ち着きなさい」
「あっ、はい」
凛の言葉に素直に従う士郎。解放された慎二はジト目で士郎を睨んでいる。
「……説明しろよ」
「いいわよ、もちろん。彼は私のサーヴァントであり、ドナルド・マクドナルドになった衛宮士郎なのよ」
「……なに言ってんだ、お前」
頭を抱え込む慎二に凛は「そうよね。そうなるわよね」と呟きながら靴を脱ぐ。
「とりあえず、お邪魔させてもらっていいかしら? ここだと落ち着いて話せないし」
返事も聞かずにズカズカと中へ入っていく凛。士郎と慎二は顔を見合わせた。
「……衛宮だよな?」
「ランランルー!!」
ドナルドはつい嬉しくなって、やってしまった。
「「「「ランランルー!」」」」
つられる四人。
「はっ! 私はなにを!?」
「はっ! なに、いまの!?」
「はっ! えっ、なんだ!?」
「……また、やってしまった」
「馬鹿やってないで、早く来なさい!」
ランランルーで更に混乱が加速していく玄関口に凛が怒鳴り声を上げる。
「行こう、慎二!」
「……お前、そんなフランクだったっけ?」
士郎は慎二の手を握ると鼻歌を歌いながら凛の待つ居間へ向かった。
「……あのドナルドが先輩?」
「そうだよ? だから、連れて帰ってきたんだもん! とりあえず、行ってみようよ!」
首を傾げる桜の背中を押しながら居間へ向かう大河。
「……ランランルー。いったい、なんなのでしょう」
額に手を当てながら桜と大河を守るように移動するライダー。
「来たわね」
全員がテーブルを囲うのを待って、凛は言った。
「とりあえず、藤村先生に一つお願いがあるんです」
「え? なに?」
「その……、色々と話す前に士郎に……、おかえりって言ってあげてもらえませんか?」
「いいよ? 元々、言うつもりだったしね! 士郎――――」
大河は士郎に笑顔を向けた。
「おかえり!」
その言葉に、士郎は涙を溢れさせた。
彼にとって、ずっと聞きたかった言葉。二度と聞けない筈だった言葉。その言葉が心に染み渡っていく。
「……ただいま、藤ねえ」