間桐慎二は目眩を感じた。
「……いま、なんて言った?」
「僕はドナルド・マクドナルドになるよ!」
満面の笑顔で意味不明な言葉を口にする士郎。
「病院に行くぞ、衛宮」
「ええ!? なんで!?」
「なんでもなにも、お前がトチ狂った事を言い出すからだろ! ドナルド・マクドナルドって、あのマックのピエロだろ!? なんで、そんなものになろうとしてんだよ! 世界を救うとか言ってたのは何だったんだ!」
「それだよ、間桐くん!」
「ほあ!?」
士郎は慎二の両肩を掴むと、燃えるような瞳で語り始めた。
「知っているかい? 『マクドナルドのある国は戦争をしない』という格言があるんだ! そう、マクドナルドこそ、平和の象徴だったんだよ!!」
「……お、おう」
「僕はドナルドになるんだ! そして、世界を平和にしてみせる!」
「お、おう……」
未だ嘗てないほどにイキイキとした表情を浮かべる友人に、慎二は喉元までせり上がっていた言葉を呑み込んだ。
――――ちげーよ。戦争が起きたらマックが撤退してるだけで、別にマックがあるから戦争がないわけじゃねーよ!
その残酷な真実を教えて、わざわざ士郎の笑顔を曇らせる必要性を慎二は感じなかった。
「それでね! ダンススクールに通うことにしたんだ!」
「……は?」
「ゆくゆくは演劇スクールにも通うつもりなんだ! なにせ、ドナルドになる為にはパフォーマンスをこなせるようにならないといけないからね!」
「お、おう……、そうか」
士郎の眼があまりにも本気過ぎて、慎二は他になにも言えなかった。
第十四話『夢に向かって』
士郎は本気だった。
「こっちの方がいいかな? これもいいなぁ。これか? これか? これかぁ? どれがいいと思う? 二人共!」
鏡の前でポーズを決めていた士郎が振り向いた先には大河と慎二がいた。
「うーん、わたしは最初のかなー。慎ちゃんは?」
「慎ちゃんって呼ぶな、バカ虎! ……強いて言うなら、三つ目だな」
「虎って言うなつってんでしょーが!!」
「うるせーな! だったら、慎ちゃんって呼ぶんじゃねーよ!」
「慎ちゃんがバカ虎って呼ぶからでしょ! やーい、慎ちゃん! 慎ちゃん! クレヨン慎ちゃん!」
「うるせーよ、バカ虎!!」
それは、ここ最近の衛宮家の新たな日常風景だった。
ドナルドになりたい士郎はダンススクールに通いつめていた。スクールの誰よりも熱心に取り組む士郎はまたたく間に技術を磨いていき、遂にはオリジナルのダンスを考えるまでになっていた。
その時に意見を求めたのがこの二人だ。
大河は二つ返事で引き受けた。
――――士郎のやりたい事なら、わたしはなんでも協力するよ!
慎二も、最初こそ渋ったものの、
――――暇つぶし程度に付き合ってやるよ。
と、頼めばいつでも付き合ってくれた。
「うーん。これは、いつものパターンだね。よし! 夕飯の仕度をしよう」
慎二と大河の喧嘩はいつもの事で、始まってしまうと中々終わらない。
はじめは仲裁しようとしていたのだが、なんだかんだで二人共楽しそうだから放っておく事にした。
喧嘩だって、度が過ぎなければ立派なコミュニケーションだ。
目指すべき
「士郎! 慎ちゃんが虐める!」
「衛宮! バカ虎をどうにかしろ!」
「二人共、今日の夕飯はハンバーグだよ!」
「「またかよ!?」」
マクドナルドはバーガーショップだ。ならば、ドナルドになる者として極めなければならない、究極のハンバーガーを!
士郎は日夜バンズやハンバーグ、ピクルスの研究に勤しんでいた。その結果、衛宮家の食卓はハンバーグばっかりになっていた。
「栄養が偏るだろ! お前、世界を救う前に成人病で死ぬぞ!」
「お姉ちゃん。たまには別の料理がいいなー……、なんてー」
「大丈夫! 今日のハンバーグはいつもと違う! 豆腐ハンバーグだよ! もはや、別料理! 付け合せのピクルスと合わせれば栄養もバッチリさ!」
「「……はい」」
二人共、家に帰れば食べたいものを食べられる環境にある。それでも、士郎が作った夕飯を食べないという選択肢はなかった。
「……美味いんだよなぁ」
「おいしいんだよねー……」
結局のところ、食べれば美味しいのだ。毎日食べても、完全に飽きることのない味だ。
「衛宮。来月から演劇スクールに通うんだろ?」
「うん! 演技力を磨いてくるよ! ドナルドになる為に!」
瞳をランランと輝かせる士郎に慎二は苦笑した。
「なんなら、付き合ってやろうか?」
「いいの!? うれしいなー! 慎二と一緒なら、絶対楽しくなるぞ―!」
「ムムッ! だったら、お姉ちゃんも一緒に通うよ!」
「バカ虎は来年から教師になるんだろ? 大人しく勉強しとけよ。生徒の前で恥かいても知らないぜ?」
「ムキー! わたしだって、士郎と一緒に習い事がしたいもん!」
「でも、藤ねえは勉強を頑張ったほうがいいと思うよ?」
士郎の言葉にガーンと言いながら塞ぎ込む大河。
「最近、士郎が慎ちゃんばっかり構う……」
「ハッハッハ! ザマァないな、バカ虎!」
「ムギャー! そこで躊躇いなく追い打ちかけるなんて、人の心がないのかな、慎ちゃんは!」
結局、士郎は慎二と一緒に演劇スクールに通うことになった。
あっという間にプロとして通用しそうなレベルに達する慎二。
「衛宮。そうじゃない! いいか? 遠くの人間に、囁きかけるようにセリフを言うんだ!」
「難しいよ、慎二……」
「いいからやれ!」
いつの間にか、教える側に回っている慎二。芸能事務所からの誘いも何度かあった。
「すごいな、慎二! 俳優にならないの? この前、オファーが来てたよね?」
「あーっと、考え中。いろいろとやらなきゃいけない事もあるからな。そういうのが片付いたら、やってみてもいいかな」
「ふーん。じゃあさ! 特撮ヒーローになってよ! ほら、マクドナルドって、仮面ライダーやスーパー戦隊とコラボしてるじゃん!」
「……だったら、さっさとドナルドになれよ。その時は、うん。なってやるかな、仮面ライダー」
「慎二はスーパー戦隊はダメなの?」
「あのピチピチスーツはイヤだ」
高校にあがる頃には士郎の演技力も中々のものになっていた。
「今日から藤ねえの生徒だね!」
「バカ虎が教師とか、今でも信じらんねぇ」
「ふふん! 言っておくけど、身内だからって贔屓はしないからね! 教師として、ビシバシ指導していくからね!」
教師になるにあたって、長かった髪をバッサリと切ってしまった大河。
士郎ははじめこそ違和感を覚えていたものの、ハツラツとした性格の彼女にはよく似合っていて、すぐに慣れる事が出来た。
「あっ、二人共! 部活動は弓道部ね! これ、決定事項よ!」
「……ああ、弓道部の顧問だっけ? なんで、剣道部じゃねーんだよ。冬木の虎の癖に」
「あら、聞きたい? そんなに聞きたいなら教えてしんぜよう!」
「いや、そこまで興味ねーや」
「聞きたいなら教えてあげましょう!!!」
賑やかな日々を過ぎていく。
「うわー、可愛いなー」
高校に入学してからしばらく経ったある日の事、士郎は初めての恋を芽生えさせた。
黒い髪を靡かせる学園一の美女。遠坂凛。その佇まいに、まさしく一目惚れだった。
「アイツはやめとけ」
「へ?」
「お前にはバカ虎がいるだろ」
「いや、藤ねえは家族だし……」
「とにかく、アイツはやめとけよ」
そう言う慎二の表情は、見たことがないくらい恐ろしいものだった。
怒りと憎しみの入り混じった彼の表情に士郎は困惑する。
「えっと……、慎二は遠坂さんが嫌いなの?」
「嫌いだね。アイツはドブ川みたいな……いや、ドブそのものだ。存在自体が忌々しくて堪らないよ」
「し、慎二?」
「とにかく、お前はアイツに関わるな。絶対にな! 約束しろよ」
「えっと……、その……」
「約束しろ」
「……はい」
そうして、士郎の初恋は始まる前に終わった。
更に月日は流れていく。
「そう言えば、慎ちゃんって妹さんがいるんだよね?」
「えっ、そうなの!?」
士郎にとって、慎二に妹がいるという話は初耳だった。長い付き合いなのに、そんな話は一度も聞いていない。
慎二は不機嫌そうに「それが?」と言った。
「一歳差なんだよね? 妹さんも穂群原?」
「……違うよ」
「そうなの?」
「ああ」
慎二は早く話を打ち切りたい様子だったが、士郎はどうしても気になった。
「妹がいるなら教えてくれればいいのに」
「……お前には会わせねーよ」
「え……?」
あまりにも冷たい言葉に士郎は戸惑った。
その様子に慎二はため息を吐く。
「ちょっと問題を抱えてんだよ。けど、心配するな。アイツを笑顔にするのは僕の役目だ。だから、衛宮は他の連中を笑顔にする事に集中しとけよ」
「……う、うん」
そして、数ヶ月後――――。
士郎はいよいよドナルドになる為に東京へ向かう決意を固めた。
オーディションの報せを持ってきてくれたのは慎二だった。なにやら、新しいスポンサーの意向で急遽決まった事のようだ。
「藤ねえ! 慎二! 雷画のじいちゃん! みんな! 僕、絶対にドナルドになるよ! そして、世界を救ってみせる!」
「うん! 士郎なら絶対なれるよ!」
「……がんばれよ、衛宮」
「行ってこい、坊主!」
藤村組の若い衆達まで勢揃いで見送りに出て来ている。
彼らに手を振り、意気揚々と出発しようとする士郎を大河が背中から抱き締めた。
「士郎。お姉ちゃんはいつでも士郎の味方だよ。不安になったら、その事を思い出してね。行ってらっしゃい」
「うん……。行ってきます!」
そして、今度こそ歩き出す士郎に、慎二が叫んだ。
「衛宮!! いつだって、僕はお前を応援してる。……忘れんなよ!!」
慎二らしくない、実に熱いエールに士郎は両腕を上げながら「うん!!」と返した。
そして、何度も振り返りながら士郎はオーディションの会場へ向かっていく。
最後に見た彼らの表情は輝かしい笑顔だった――――。