こわいユメを見た。炎に焼かれた街で、一人の少年が死を迎えようとしている。
すでにココロは死に、喉が熱に焼かれたことで肉体も終わろうとしている。
そこに、あのオトコが現れた。なにもかも失い、空っぽになってしまった少年を拾い上げて、うれしそうに……、うれしそうに笑う。
わたしには分かる。この地獄を作り上げた原因の一端は、このオトコにある。だから、彼は探し回っていたのだ。耐え難い罪悪感から逃れるために、己が救われるために、それこそ死に物狂いで。そして、見つけた。
『―――― 率直に訊くけど、孤児院に預けられるのと、初めて会ったおじさんに引き取られるの、君はどっちがいいかな』
笑ってしまう。わたしたちを捨てておきながら、オトコはなにも知らないシロウを養子に迎えて、家族ごっこに興じ始めた。
正義の味方が悪を討つことを忘れて、惨劇から目を逸らして、たのしそうに笑っている。
『―――― 僕はね、正義の味方になりたかったんだ』
その果てに、オトコは呪いを遺した。
実現することは不可能だと悟り、だからこそ聖杯を求めたくせに、自分自身が諦めた理想をシロウに押し付けた。
『―――― じいさんの夢は、俺が』
正義の味方を受け継いだ少年は、エミヤキリツグと同じものになっていった。
人を救うために人を殺す矛盾がココロを捻じ曲げていく。それでも、彼は立ち止まらない。何も持っていなかった彼にとって、キリツグの遺したものが全てだったのだ。
愛しいくらいに純粋だ。彼は親に憧れた。だから、親の為に頑張った。要は、それだけの事。純粋過ぎるくらい、純粋な感情。それが悪い事などと、誰が言えようか。だけど、彼の歩んだ道は血に塗れていた。
「許さない……」
ユメから覚めた時、わたしのココロは耐え難いほどの憎悪と怒りで満たされていた。
眠りにつくはずだった子供を安息から引きずり出して、叶わぬことが分かっている理想を植え付けて、自分だけ満足して死んだオトコ。
「エミヤキリツグ」
あのオトコの血が自分の身に流れていることがおぞましい。
「どうしたんだ、イリヤ」
霊体化を解き、実体を現すアーチャーのサーヴァント。わたしが召喚した、わたしのおとうと。赤銅色だった筈の髪は色素が抜け落ち、その肉体は長く険しい戦いの果てに変容してしまった。
「シロウ……」
「大丈夫か?」
優しい瞳で、優しい声で、まるで壊れ物を扱うかのような優しい手つきでココロを乱しているわたしを慰めようとしてくれている。
誰よりも純粋で、誰よりも優しい人。それなのに、あのオトコのせいで地獄を歩まされた。死んだ後も守護者として世界に使役され、愚かな人間共の尻拭いをさせられてココロを歪められ、その果てに自分自身を否定した。
「具合が悪いのか? 誰かを呼びに――――」
離れようとする彼の手を掴む。
「イリヤ?」
マスターとサーヴァントの間には霊的な繋がりがあり、睡眠時に相手の記憶層へ迷い込むことがある。けれど、召喚した直後に記憶の流入が起きることは滅多にない。それは、互いに心を閉ざしているからだ。絆を深め、ココロを開き合うことではじめて記憶は混じり合う。
それなのに、わたしは彼のすべてを見た。彼の記憶の中でも、そんなに長い時間を共有出来たわけでもないのに、彼はイリヤスフィールという存在に対してココロを開いてくれている。だからこそ、彼を知りたいと願うわたしの想いが届いたのだろう。
「……散歩に行きましょう」
「散歩? 構わないが、それよりもアインツベルンの当主に挨拶をするべきではないか?」
「必要ないわ」
わたしはシロウの手を引っ張りながら外へ出た。そこは、あのオトコとクルミの芽を探した場所だ。
「ねえ、わたしと競争しない?」
「競争?」
「うん。どっちがたくさんのクルミの芽を見つけられるか、競争よ」
「構わないが、ずいぶんと唐突だな」
苦笑するシロウの顔をじっと見つめる。
あのオトコとの記憶なんて要らない。あのオトコとの思い出なんて要らない。
「シロウ。よーい、ドン! でスタートよ」
「了解だ、マスター」
わたしにはシロウがいる。シロウ以外になにも要らない。
第二十一話『エミヤ』
イリヤスフィールが独断でサーヴァントの召喚を行った。そのような勝手な振る舞いをしないように慎重に調整を進めていたはずなのだが、やはり完全なホムンクルスとは勝手が異なるようだ。そもそも、イリヤスフィールは人間である衛宮切嗣がホムンクルスであるアイリスフィールを孕ませたことで生まれた奇跡の存在だ。二度とは再現する事が叶わぬアインツベルンの最高傑作。その思考回路は目的を持って生まれてくる同胞達とは異なり、自由奔放。
「……だが、我らには後がない。イリヤスフィールで駄目ならば、もはや我らに先はない」
そうなれば、この
「イリヤスフィールが自ら召喚したサーヴァント。如何程のものか……」
触媒を自力で用意したわけではないだろう。つまり、イリヤスフィールは己自身を触媒としたのだ。それにより召喚されたサーヴァント……。
「試してみるか」
◆
イリヤとのクルミの芽探しは彼女の方に軍配があがった。
「いや、参った。イリヤはすごいな」
「えへへ。コツがあるのよ、コツが! 情けないシロウにわたしが特別に教えてあげるわ!」
「それはありがたい」
摩耗した記憶の中でも、彼女の存在は明瞭に刻み込まれている。彼女の本来のサーヴァントも……。
彼女はバーサーカーのクラスでヘラクレスを召喚する筈だった。それなのに、召喚されたサーヴァントは
「シロウ?」
「ん? どうした?」
イリヤは可愛らしく頬を膨らませている。
「シロウってば、ボーッとしてた! わたしと一緒にいるのに!」
「すまない。少し、考え事をしていたんだ」
「ダメよ、シロウ! シロウはわたしだけを見ていればいいの! わたしのこと以外なんて、考えちゃダメ!」
「了解だ、マスター。だから、あまり怒らないでくれ。君は笑顔がよく似合う」
「……そう? なら、そうするね」
素直に頬を緩ませるイリヤを抱き上げる。
「一先ず、城の中に戻ろう。あまり長く出歩くと風邪を引いてしまう」
「……うん。そうね」
イリヤの体は軽かった。子供と変わらぬ体躯といえど、これでは軽すぎる。
彼女は生まれる前から聖杯になる為の調整を受けていた。その結果として、アインツベルンの最高傑作と呼ばれるに至ったが、代償は大きい。このままでは、聖杯戦争を生き抜いても、一年後を迎えることすら叶わない。
「イリヤ。このままでは、君は死ぬ」
「……ええ、わかっているわ」
「だが、君達が目指している第三法ならば、君を救うことが出来るのではないか?」
第三魔法『天の杯』は魂を物質化させ、この世界に定着させるもの。それは、言ってみれば死者の蘇生を可能とする奇跡だ。
「そうね。出来るかもしれないわ」
「そうか……。ならば、取らねばならんな」
わたしが召喚された時点で、この世界はわたしの識るものと異なる道筋を進んでいる。あるいは、穢れなき聖杯を得られるかもしれない。そうでなかったとしても、聖杯を願望器としてではなく、本来の用途で使用すればイリヤの命を繋ぐことは可能なはずだ。
イリヤのサーヴァントとして召喚された以上、彼女を死なせるわけにはいかない。如何なる手段を用いても、必ず勝利する。
「あれは……」
城へ戻ってくると、そこには老人がいた。おそらくは、彼こそがアインツベルンの当主、アハトの名で知られるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンなのだろう。わたし達は近づくと、彼は重苦しい口調で言った。
「イリヤスフィールよ。無断で英霊召喚を行うとは、どういうつもりだ?」
「会いたかったからよ。それ以外に理由なんてない」
そのイリヤの眼差しにアハト翁は驚いたようすを見せる。
「……我らの悲願を、よもや忘れてはおらぬだろうな」
「どうでもいいわ」
「なに?」
「アインツベルンなんて、どうでもいい。わたしにはシロウがいる。なら、もう他のことなんて全てがどうでもいいわ」
険しい表情を浮かべるアハトにイリヤは冷たい表情を向ける。
このままでは、面倒なことになりそうだ。
「聖杯は必ず手に入れる」
わたしが口を挟むと、ようやくアハトの視線がイリヤから外れた。
「イリヤは死なせない。彼女の未来を得るためには、第三法の力が必要だ。君達の目的も第三法ならば、我らの利害は一致している。多少のことは目を瞑ってもらえないか?」
「……貴様に勝ち抜けるほどの力があるのか?」
「もちろんだ。わたしはイリヤが召喚したサーヴァントだぞ。最強のマスターが召喚した者が、最強でない筈がないだろう」
イリヤを降ろす。
「シロウ……?」
「なにをするつもりだ?」
「わたしの真髄を見せよう。それを見て、判断を下してもらいたい」
この地は大聖杯から離れすぎている。それ故に大聖杯からのバックアップは望めない。けれど、それを補って余りある魔力が注ぎ込まれている。これならば、問題なく使うことが出来るだろう。
―――― I am the bone of my sword.
警戒心を露わにするアハトへ「心配するな」と声をかける。
―――― Unknown to Death.Nor known to Life.
これは世界に語りかける言葉だ。わたしの存在を刻み込むための詩。
魔術理論・世界卵による心象世界の具現、魂に刻まれた『世界図』をめくり返す奥義。
衛宮士郎という男に許された『一』にして、『全』。
―――― unlimited blade works.
広がる紅蓮は世界を分かつ壁となり、白亜の雪原は荒野に変わる。曇天から巨大な歯車が降りてきて、無数の剣が大地に突き刺さる。
これこそがわたしの世界、
「これは……、なんと」
アハトは突き刺さる無数の剣の真価に気が付き、慄いている。
「不安は取り除けたかね?」
「……なるほど、これがイリヤスフィールの召喚したサーヴァントの力か」
世界を閉ざし、五つの剣をアハトの前に並べ立てる。一本一本が最高位に位置する聖剣と魔剣だ。
「我々にいがみ合う理由も、時間的余裕もない。わたしを認め、力を貸せ」
「……いいだろう」
イリヤがわたしの手を握る。不安そうな瞳を向けてくる。
「大丈夫だ、イリヤ。君を死なせはしない。君を守ってみせる。わたしは君のサーヴァントだからな」
「シロウ……」
イリヤを守る。その誓いの為にあらゆる策略を巡らせた。切り札を揃え、敵の情報を蓄えた。そして、現在――――。
「―――― 君なんだろう、カーネル!!」
「……え?」
何故か、わたしの目の前にはバーガーショップのマスコットであるドナルド・マクドナルドがいて、わたしはケンタッキーの顔であるカーネル・サンダースに間違えられていた。