校舎に戻ると、凛はまだ誰もいない教室から窓の外を眺めた。登校してくる生徒達の顔を確認していると、徐々に教室が賑わい始め、やがて校門が閉ざされた。
『本当にドナルドのオーディションを受けに行ったみたいね……』
少なくとも、衛宮士郎は登校して来ていない。
『この世界の僕には、ドナルドになった事をみんなに伝えに来れるようにしてあげたいな』
士郎の言葉に凜は『その為にも』と心の中で語り掛けた。
『私と貴方で必ず勝利しましょうね?』
その言葉に、士郎は嬉しそうに返した。
『もちろんさー!』
士郎のお決まりの口癖に凜は心の中で苦笑し、授業に望んだ。
第四話『臨戦』
授業が終わり、空が暗くなり始めた頃、彼女は優等生の皮を脱ぎ捨て、魔術師としての遠坂凛にスイッチした。新都に繋がる橋の近くの公園に、凜と士郎は立っている。
「綺礼が私に言った事が本当なら、最初にアーチャー、次にランサー、そしてライダーとアサシンがほぼ同時期に召還されたらしいわ」
綺礼は凛の兄弟子にあたる男の名だ。新都の丘の上に建っている教会の神父でもあり、この聖杯戦争の監督役も兼任している。士郎を召喚する数時間前、凛はマクドナルドからこっそり出て来たところを綺礼に捕捉されてしまった。
――――太るぞ。
マクドナルドの袋を見た第一声に凛は右フックを炸裂させようとしたが、綺礼は巧みに避けてみせた。彼は魔術師としてだけでなく、中国拳法の兄弟子でもあるのだ。
その後、綺礼はさんざん凛をからかった後、聖杯戦争のサーヴァントが出揃い始めている事を凛に語った。まさか、サーヴァントが召喚された順番まで教えてくれるとは思わず、凛が渋々ながら礼を言うと、彼は「さっさと召喚する事だな」と言った。
――――遠坂の魔術師がバーガーにうつつを抜かし、聖杯戦争に参加し損ねたなどと……、とても君の御父君には聞かせられないからな。
綺礼は天才だ。相手を怒らせる事に関して、彼の右に出るものはいない。その言い方、顔、口調、すべてが凛を苛つかせた。
アレがなければ、もう少し冷静に召喚に臨めたと思う。少なくとも、バーガーの包み紙を召喚陣の傍に放り投げる事はしなかった筈だ。
そう、凛が内心で綺礼に対してグチグチ文句を言っていると、士郎は「んー!」と唸った。
「という事は、残るはセイバーとバーサーカーになるね」
その言葉に、凜は頷いた。
「とにかく、散策しながら敵を誘き寄せましょう。頼りにしてるんだからね?」
凜の言葉に、士郎は至高の0円スマイルで答えた。
「ランランルー! 任せてよ凛ちゃん。ドナルドはみんなの笑顔が大好きなんだ! 一緒に頑張ろうね!」
その言葉に、凜は満足気に頷いた。
「さぁ、行くわよ!」
気合を入れ、凜は新都に向って歩き出した。霊体になった士郎と共に、街の全体を見渡せる場所を探す。目立つ場所に居れば、敵を誘き寄せられるのではないかと考えたからだ。
新都の中心街に入ると、その瞬間に、士郎と凜は異変に気が付いた。
「これは!?」
凜はすぐに魔術回路を起動した。
「人が……、結界だね」
士郎の言葉に、凜は小さく頷いた。
そして、凜が油断無く周囲を警戒していると、突如凄まじい殺気が凜と士郎に襲い掛かった。
「!?」
一瞬早く、士郎は凜を抱えて跳んだ。
「サーヴァント!?」
凜と士郎が居た場所に、凄まじい土煙が舞い上がっている。そこには、銀の鎧と青き衣に身を包んだ少女が立っていた。
「まさか……、セイバー!?」
その圧倒的な存在感に、凛は直感した。これが聖杯戦争における最強カード。凛が望んでいた最優のサーヴァント、セイバー。
「あれ? おかしいな……、彼女の事が分からない……」
士郎が困惑している。士郎の持つ力の一つが不発に終わった事を悟った凛は舌を打つ。
「おそらく、相当な対魔力ね。あなたの能力は強力だけど、あくまでも魔術の範疇。具体的な事は分からないけれど、おそらくは解析魔術の一種。ライダーにも、正体がメドゥーサである以上は対魔力がある筈だけど効いた。……けど、そこまでが限界のようね」
士郎の動揺がラインを通じて伝わってくる。無理もない事だと凛は思った。
そもそも、士郎は戦士ではなく、バーガーショップのマスコットだ。ダンスと演技と心意気だけで世界を救った異色の英霊。あの夢の世界で見た限り、些細な喧嘩すらほとんど経験していない。
ライダーに対して優位に立ち回れたのは、英霊となった後に彼に付与された強力なドナルドの能力が機能したおかげだ。
「……大丈夫」
思い出せ。凛は自分に言い聞かせた。
――――これはわたしの聖杯戦争だ。
知らない内に、士郎に頼り切っていた事を自覚する。そんな自分を叱咤して、士郎を安心させる為に口を開く。
――――そうだ。わたしは彼のマスターだ。
「大丈夫よ、ドナルド。わたし達は負けない! そうでしょ!」
力強い鼓舞の言葉に、士郎は目を見開いた。己が不安に駆られていた事を遅れて自覚し、同時に凛の輝かしい0円スマイルが力を与えてくれている事に気がついた。
士郎は凛に負けない0円スマイルを浮かべる。
「もちろんさー!」
いつもの言葉で、いつもの自分を取り戻す。究極の修羅場は生前にも潜り抜けてきた。
いろいろな国で、いろいろな人々と出会い、危ない目にだってあってきた。それでも、諦めた事は一度もない。立ち止まった事もない。笑顔を絶やした事も滅多にない。なぜなら――――、
――――そうだ。僕は……、僕がドナルドだ!
士郎はセイバーに0円スマイルを向ける。
「――――こんにちは、ドナルドです!」
正々堂々とした自己紹介。対するセイバーは敵意と共に踏み込んでくる。何かを握っているように見えるが、何を握っているのか分からない。
不可視の得物。接触まで一秒もない。その刹那に、士郎は決断を下した。
「相手の事を知る第一歩はあいさつ! そして――――、」
瞬きの間に凛の目の前へ移動した士郎。対魔力のあるセイバーには使えなくても、凛に対しては能力を遺憾なく発揮する事が出来る。
「お話しようよ! 君はいつも何時におきるの? 君はサッカーやるのかな? 君はどんな絵を描くのかな? 君はどんな事が好きなのかな? ドナルドに教えてよ!」
両手を広げる士郎。同時に響き渡る不思議な声。
『Happy Meal』
その声と共に、無数の巨大ポテトが天を覆いつくした。数えるのも馬鹿らしくなる程のフライドポテトの豪雨。一本一本が丸太のように太く長い。その身からは食欲をそそる香ばしい香りがこれでもかという程放たれている。
「ポ、ポテト?」
凜は顔を引き攣らせながら天を覆うポテトの大群から後退った。
士郎が念話で『さがってて』と言ったのだ。
「行くよ!」
その掛け声と共に、無数のポテトが弾丸のように打ち出される。
セイバーは不可視の得物でポテトの軍勢を切り捨てていくが、その度に交差する芳醇な香りに胃袋を刺激される。微かなポテトの粒子が口に触れると、その塩味に、その触感に、その旨味に! もっと食べたいという欲求を刺激される。
逃れる事は出来ない。なぜなら、既に地面には無数のポテトが突き刺さっている。フライドポテトフィールドから放たれる香ばしい匂いに包み込まれ、セイバーの視線が揺れる。
「――――ック!」
苦しげなセイバーの声に、士郎は0円スマイルを向ける。
「食べてもいいんだよ」
「だ、黙れ!」
そして、気がつく。いつの間にか、士郎と凛は地上ではなく浮遊するポテトの上にいた。
「……ポテトに乗る日が来るなんて思わなかったわ」
そう言って、凛はドナルドが彼女の為に出した普通のサイズのポテトを齧っていた。
「それにしても、美味しいわね」
「――――ック!」
忌々しげにポテトを食べる凛を睨みつけるセイバー。
「……ほーら、美味しいわよ」
セイバーの反応が思いの外楽しく、凛は少し調子に乗った。これ見よがしに食べる凛に、セイバーは殺意を増幅させた。
「風よ……」
吹き荒れる烈風によって地面に突き刺さっていたポテトが舞い上がる。そして、ポテトと烈風の合間に黄金の光が姿を現す。
士郎と凜は見た。あまりにも美しい、黄金に輝く聖剣の顕現を。
人々の理想の結晶。彼の王が、死の間際まで共に駆け抜けた神造兵器。
「……アーサー王」
その剣を握る騎士など、一人しかいない。世界で最も有名な騎士物語。その主軸を担う王の中の王、アーサー・ペンドラゴン。
セイバーはエクスカリバーに膨大な魔力を注ぎ込んでいく。吹き荒れる魔力の奔流に、凜は堪らずに叫んだ。
「ドナルド!!」
その叫びに、士郎は凜に向かって、最高の0円スマイルを送った。
凜は不思議な気持ちだった。あまりにも巨大な死の具現の如き力を前にしても、士郎の0円スマイルは素晴らしい安心感を与えてくれるのだ。
「
セイバーはエクスカリバーを振り上げた。その勢いだけで、大地は蹂躙されていく。
コンクリートは罅割れて行き、街路樹は破裂していく。
対して、士郎はセイバーがエクスカリバーを放つ寸前に、『綺麗にする能力』『ハッピーセットを生み出す能力』『笑顔の為に直ぐに駆けつける能力』『CMで使うドナルド・マジックを使う能力』それらに続く最後の能力を発動した。
士郎の能力は、彼が生前に掲げていたモットーであり、彼の死後に信者達が作り上げた聖典の一番初めに書かれているモノでもある。
1、 マクドナルドは清潔に!
2、 ドナルドは愛情の具現であるハッピーセット以外は自分の手で作る!
3、 笑顔の為ならばどこにでも行く!
4、 ドナルドはみんなの笑顔の為ならどんなパフォーマンスもこなしてみせる!
5、 ドナルドはみんなと一緒に笑顔でいたい!
そう、士郎の最後の能力はみんなと笑顔でいる力。
ドナルドは両腕をクロスさせた。そして――――、
「ランランルー!」
両手を叩き、それを天に掲げた。
ドナルドは齢50を過ぎ、ドナルドを引退後もダンスとランランルーを毎日欠かさなかった。
そして、70歳になると、いつしかランランルーを全力でやった時、士郎は……、時を置き去りにするようになった。
それは、セイバーと凜には瞬きの合間ですらなかった。
まさしく一瞬。
その一瞬で、ドナルドは「ランランルー」をしたのだ。そして、凜とセイバーの体は、拒絶する事の出来ない誘惑に駆られた。ドナルドのランランルーはみんなの笑顔と共に育った力である。それは、魔術の力も持っていなかった頃から、人々を魅了して止まない動きだった。信仰の力によって更なる力を得た彼の力は、笑顔を作る回数が少ない者ほど抵抗出来なくなると言う概念を得た。
凜は魔術師として、遠坂として、心からの笑顔を作ることは少なかった。そして、セイバーも、王の責務の為に生前は心から笑う事など殆ど無かったのだ。
故に抗えない。他の能力に対しては抵抗する事が出来ても、この「ランランルー」だけは彼女の対魔力すら乗り越えてくる。その魅了は、エクスカリバーの発動すらも放棄させ、魔力は凄まじい波動となって霧散していく。
そして――――、凜とアルトリアはついやってしまった。
「「ランランルー!!」」
それと同時に、アルトリアは心に何故か暖かい物が流れ込んでくるのを感じたが、すぐに士郎を睨み付けた。
凜は、顔を赤らめながらも、恥かしがっている場合ではないと気を引き締めた。士郎に戦わせるだけではいけない。もし、アルトリアが士郎を攻撃するならば、少しでも士郎が戦いやすい様にフォローするのがマスターの役目なのだから。
だが、アルトリアは剣を消して、凄まじい速度で去って行った。
静まり返り、香ばしいポテトの香りだけが漂う戦場にポテトから降り立ち、凛は士郎に言った。
「お疲れ様。セイバー、行っちゃったわね」
「うん。お話がしたかったんだけど、それは今度だね」
ドナルドはポテトだらけの戦場に手を向ける。
「ドナルド・マジック!」
その瞬間、潰れたポテトに覆われていた中心街は綺麗になった。
セイバーのエクスカリバーの魔力分散によって崩壊した周囲も、全てが修復されていた。
「貴方のドナルド・マジックって、こんな事も出来るのね……」
呆れた様に言う凜に、士郎は「もちろんさー」と言った。
「ドナルドは綺麗好きなんだ」
その言葉に、凜はクスクス笑った。
「……とりあえず、今日は帰りましょう」
「うん」