Fate/Grand Order ~孤高の剣士~   作:黒ヶ谷・ユーリ・メリディエス

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序章:8 ~奇襲~

 

 

「――――ぐッ」

 

 倦怠感から敷布団へ倒れるように横になったキリトの視界一杯に映る、黒い切っ先。その刃は己の顔面を正確に貫く軌道を描いていた。

 反射的に体を左へ回しながら、キリトは右の拳を振るう。踏ん張りがきかないため威力こそ低いそれは、しかし天井から奇襲を仕掛けた輩の短剣を持つ手を正確に殴る。手許を殴られ、柄を握る指が緩み、短剣が襲撃者の手から離れた。

 先ほど立ち去ったマシュの話から、冬木に人間はおらず、居るのはスケルトン達かサーヴァントのみと把握しているキリトは、即座に襲撃者が敵対サーヴァントであると認識した。

 キリトは息を呑みながら、数秒前まで己が居た場所で膝立ちになっているサーヴァントの姿を見る。

 性別は男。背丈は非常に高く、体格も筋骨隆々としていてよく鍛えられていると分かる。身に纏う黒い外套を盛り上げる筋肉が、男が武人であると語っていた。

 髪は短髪、色は白。肌色は焼けた茶色。瞳の色は琥珀色。

 顔つきは日本人に思えるが、しかし容貌の色、体格がそうは思わせない。

 

 キリトが右手に使い慣れた愛剣エリュシデータを取り出し、構える最中、敵サーヴァントである男が何かを呟いた。

 

 突如、敵サーヴァントが殺気を向け動けないキリトの傍に落ちた短剣が爆ぜる。

 

「ぐ……ッ!」

 

 横合いから襲う強烈な爆裂。

 爆ぜる兆候に気付く事など出来なかったキリトはそれを諸に喰らった。

 幸いなのは、爆発の規模が比較的小さめであった事。

 《壊れた幻想》。俗に《ブロークン・ファンタズム》と呼ばれるそれは、神秘を内包した宝具を使い捨ての爆弾として用い、神秘そのものをぶつける英霊にとっての禁じ手だった。何せ使い捨て爆弾にするのだ、その宝具は二度と使えなくなると言っても過言では無い。

 だが、キリトを襲う敵サーヴァントの男にとって、《壊れた幻想》は主力の攻撃と言っても良い手段であった。贋作ではあるが、しかしれっきとした宝具を作り出す能力を持つ故に、どれだけ使い捨てようと痛くもなんとも無い故に。

 対するキリトは《壊れた幻想》の事を知らないので、男が持つ武器全てが爆弾と思い込む。

 その認識は一応正しくはある。男は武器を奪い取られたり落としたりすれば、その瞬間容赦なく爆発させる気でいたからだ。厳密には神秘を内包した宝具でなければ出来ない事だが、男の特殊性がそれを可能としていた。

 小規模だが、しかし爆発を諸に喰らったキリトは全身を貫く衝撃と痛みに悶えながら、しかし己を狙う敵から目を離さない。

 否。魔力を帯びていない攻撃は無駄と分かってはいるが、しかしそれでも衝撃で遠ざけられはするだろうと考え、両手に紫光の矢を装填されたボウガンを持つ。立て続けに、片手で秒間三回ずつ、都合六発の紫光の矢が男に迫る。

 

「――――む」

 

 流石の男も、己と同じ様に何も無い空間から武器を取り出す姿には瞠目した。続けて、エネルギー矢という予想外の武器を見て、やや驚きを抱く。

 しかし抱く感情とは別に、男は積み重ねた経験を以て冷静にそれらに対処した。

 蒼い靄から白と黒の双剣が現れる。陰陽の紋が鍔に刻まれた一対の中華剣を男は両手に携え、巧みに操り、己に迫る矢を弾きながら当たる軌道から脱する。

 男にとって、魔力が込められていない攻撃は本来意味など無い。

 しかし、男にとって未知の武器であるが故に、当たらない方が良いだろうと考えて弾いていた。

 

「ぬんッ」

 

 あまり時間を掛けていては面倒になるため、男は目の前にいるマスターたる少年の命を刈り取るべく、サーヴァントとしての速力を以て一瞬で彼我の距離をゼロへと縮めた。

 少年の眼前へ肉薄した後、男は左手に握る黒の剣を振り下ろす。

 それに抗するべくキリトは柄を両手で持ち、エリュシデータを縦に翳した――――が、刃が交わった瞬間、腕ごと剣が押される。

 ゴギ、と良くない音と共に、キリトの右手首が曲がってはならない方向へ曲がった。

 そのまま男は剣を振り抜き、少年を剣ごと吹っ飛ばす。華奢な体は容易に吹っ飛び、窓を突き破り、中庭を横切り、塀へと背中を打ち付けた。

 

「ッ……!!!」

 

 歯を食いしばり、悲鳴を押さえるキリト。肺から空気が押し出されて呼吸困難に喘ぐ。

 

 ――――だが、意識は手放さなかった。

 

「――――ァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

 

 マトモに呼吸が出来ないにも関わらず、キリトは腹の底から、肺の中に辛うじて残った空気の全てを怒号として発する。

 双眸は憤怒を抱いた鬼のそれ。磁器を思わせる白さの肌は、戦闘への興奮故に朱に染まっている。ギリギリと全身の筋という筋が収縮し、引き締められ、キリトの華奢な肉体が一回り膨れる。

 それは昔にキリトが編み出した窮地を脱する対処法。全身を痛みに晒され脱力した隙を無理矢理埋める荒業。

 全身の筋肉を無理矢理収縮させ、一時的に固定するそれは、持続的に痛みを齎す。

 どちらにせよ痛みはあるが――――しかし、体から力は抜けず、倒れる事は無い。

 痛みはある。しかし隙は晒さない。であれば生き残る事が出来る。

 そういう狂った論理により磨かれた、キリトが現実で使っていた技。使う条件としては、肉体の筋肉がしっかり鍛えられている事と、骨折などの身体的損傷を有さない事の二つ。これらさえ満たしていれば、何時でも使えるごり押し戦法。

 代償としては全身を苛む痛みの他、瞬間的に体力を消耗する事が挙げられる。

 しかし、その代償があって余りある程の優位性があった。初見であれば、まず間違いなく即座に行動出来るとは思えない故に、反撃が入りやすいのである。

 そのため、壁に叩きつけられてもすぐに復帰し、拳を振るうキリト。

 

「な、に……?!」

 

 男も英霊であるし、高い動体視力も相俟って拳を喰らう事は無かった。しかし驚きが無い訳では無く、距離を詰めるのを中断する。

 直後、キリトは右手に蒼の装飾がされた細剣を握り、下から上へと振るう。

 同時、男の足元の地面一体から、間欠泉の如く膨大な量の水が吹き上がった。

 

「ぬ、おおおおおおおおッ?!」

 

 魔力が伴っていないのでダメージこそ無いが、しかし物理的影響が無い訳では無く、水の勢いに押されて空中へ放られる男。

 キリトが握った剣は《水》を操る力を持つ細剣。《ⅩⅢ》を入手した際、最初から登録されていた特別な剣であり、銘をアクアリウムと言う。使い手の強いイメージに応じて水を操る事が出来る能力は強力の一言に尽きるだろう。

 

「――――坊や!」

 

 男が激しい水流によって空中へ放られたと同時、キリトのすぐ横に、転移魔術で駆け付けたメディアが姿を現す。

 メディアは内心怒りを抱いていた。神代の魔術を以て構築した結界にサーヴァントの反応はあったが、しかしそれで異変を察知して駆け付けるよりも先に、己のマスターに襲撃を許した己に。己の不甲斐なさがこの事態を招いた事に。

 神代の魔術師としての誇りを持つメディアにとって、この事態は自分自身にとって許せない失態だった。

 同時に、よもや今襲撃を仕掛けて来るサーヴァントが居ると思わなかった自分の甘さにも、怒りを抱いていた。せめて誰か一人くらいキリトの近くにサーヴァントを置いておくべきだったと猛省もする。

 

「な……っ」

 

 そう渦巻く感情を抱く己の視界に入る、己の幼いマスターの姿に瞠目する。

 召喚されて以来初めて見る、マスターの鬼気迫る殺気立った顔に瞠目したのではない。空中に放られたやや見覚えのある敵対サーヴァントへの追撃をしようとする、マスターの構えに瞠目したのだ。

 マスターは左手に鋼鉄製の洋弓を携え、左膝を立てた中腰の姿勢で、斜め上に構えた。

 弓に番えられた矢は、矢に見立てられた細身の蒼き剣。切っ先からは純度の高い水が溢れ出し、刀身を覆うように渦巻いている。傍から見れば水が螺旋を描いていた。

 その姿は――――過去、己を追い詰めた紅き弓兵と同じ。

 

「水天、逆巻け――――」

 

 悪鬼の如き険しい双眸。その黒き瞳が見据える先には、白髪の黒衣の男。

 その男へ殺意を届かせんとばかりに紡がれた言葉を契機に、細剣を覆う水に激しさが加わった。切っ先を中心に螺旋を描く流水は瞬間的に激しさを増すばかり。その勢いは周囲に烈風を起こす程。

 堪らず、メディアは目深に被るフードが飛ばされないように手で掴んだ。

 それでもメディアの眼は、己のマスターに注がれている。

 話には聞いていた、マスターの武具の性質。想起する内容のまま再現される性質は便利なものだとしか思わなかったが、しかし。

 

 イメージの幅と強さ、何よりも感情の深さによっては、それは災害級のものになり得る。

 

 ここでの『災害』とは、自然現象のそれでは無い。人間にとって理不尽とも言えるサーヴァントの事を指す。

 神秘という面では決してサーヴァントの攻撃に劣るが、しかし威力という面で見れば、サーヴァントと伍する規模を発揮する。

 サーヴァントにも格があるように、出来る事も千差万別。同じ剣士と言えど小次郎は一対一にこそ強いのに対し、騎士王は聖剣の光を使えば集団戦が可能なように。

 キリトはそれと同じなのだ。別次元のサーヴァントには敵わないだろう。しかし、同じ人間やエネミークラスの間であれば、キリトはサーヴァントに等しい別次元の扱いとなり得る。敵がサーヴァントでない限り、己のマスターは単独であれば勝ちを確実に拾える。

 メディアの経験から来る直感がそう断言していた。己のマスターは規模だけ見ればサーヴァントに比する力を持つと。

 そして、それだけ強く深い感情を有する事に不安を覚える同時。

 

 

 

「アクア――――リウム……ッ!!!」

 

 

 

 満を持して、波濤を纏う螺旋の剣弾が放たれる。

 飛翔する先には自然落下する敵対サーヴァント、その腹部。瞬きした時にはマスターが構える洋弓から高度百メートル以上のところにいる男へ到達していて、一秒経った時には男を巻き込み、彼方へと吹っ飛ばしていた。

 男が吹っ飛んだ事を目視で確認しつつ、メディアは己のマスターに戦慄する。

 現在、マスターの魔術回路は閉じているため、先刻のような膨大な魔力を垂れ流し武器に纏わせ攻撃するというゴリ押しは出来ない状態にある。つまり神秘を纏った攻撃しか受け付けないサーヴァントに決定打は入らない。

 だがしかし、マスターはそれをものともせず、己の力だけで退けてみせた。

 あの男にダメージは入っていないだろう、しかし確かに退けたのだ。自分や《キャスター》の支援魔術無しで。

 《ⅩⅢ》という武具が強力な性質を持っていたからでもあるだろうが、それを使いこなすマスターの力量がこの結果を叩き出したと見る方が正確だ。

 何て子なのか、とメディアは独語する。

 己のマスターがそれだけ実力ある者である事に喜ぶ感情があり、同時にそれだけの力を有するに至った経緯に戸惑いと不可解さを抱いた。

 ――――そんな魔女の耳朶を、人が倒れる音が打つ。

 慌てて視線を暗い曇り空からマスターへ向ければ、幼い少年はぐったりとして、地面にうつ伏せに倒れていた。暗くて見え辛いが、よく見れば顔色が悪く、表情も芳しくない。

 

「ちょ、坊や、大丈夫なの?!」

「う、ぅ……あたま、いたい……」

 

 慌てて抱き起せば、顔を顰めながら掠れた声で状態を端的に伝えて来る。どうやら感情と想起を強く起こし過ぎて脳が耐えきれなかったようだ。

 ……いや、それだけでなく、庭の塀に叩きつけられたのが響いているのか、と塀に入ったすり鉢状の罅を見て思い直す。どう見ても己のマスターが叩きつけられた跡である。

 ここからよく逆転出来たものだと思った。

 そう感心している間に、マスターはメディアの腕の中で眠りに就いていた。魔力枯渇で疲労しているところに襲撃を受け、応戦し、単独で退ける程に強く脳を働かせたのだ、体が睡眠を求めていたのだろう。

 

「……ふぅ、まったく……ホント、難儀なマスターに召喚されたものだわ」

 

 苦笑を洩らした後、マスターの回路の二割を開き、魔力を分けてもらう。既に全回復しているようなので閉じ続ける必要も無かった。

 流れて来た分で貯留魔力を回復した後、マスターに治癒の魔術を掛ける。見た目の上で怪我はないが内臓や骨は分からない。それに疲労回復を促す効果もあるから、していないより遥かに疲れは取れるだろうと考えての事。

 本当はそこまでするつもりは無かったのだが……魔力を使えない状態で、単独でサーヴァントを退けるという結果を叩き出したのだ。ならそれに見合う報酬はあった方が良いだろう。

 

「本人が知らない内にするというのは、私の捻くれ具合の顕れかしらね……」

 

 そう言って、また苦笑を洩らす。

 まぁ、何もないよりは遥かにマシだろうと区切りを付け、マスターを抱き上げ、バタバタと駆け付けて来たマシュ達へと意識を向けた。

 

 *

 

『ふぉーう』

 

 頭を横切る、獣の鳴き声。

 声量は決して大きくない。が、それでも何故か、無視できない何かを感じた。

 

「――――ぬ、ぅぐ……」

 

 汚泥のような、決して心地いいとは言えない感覚の微睡みから意識を浮上させ、瞼を開く。すると視界一杯に真白い小動物フォウの顔が入って来た。

 眼が合うと同時、ふぉう、と鳴かれ、ぺろりと鼻先を舐められた。

 心地いいとは言えない感覚は胸の上にフォウが乗っていたせいか、とキリトは察した。昔、胸の上に物を乗せて圧迫すると、夢見や寝心地が悪くなるとと聞いていたのだ。リソースは己を見捨てた実の兄。

 

「……フォウ、起きるから降りて」

『ふぉう!』

 

 起きようにも胸の上に乗られていては起き辛く、降りるよう頼むと、フォウは了解したと言わんばかりの鳴き声と共にぴょんと飛び降りる。飛ぶ際に一際強く胸を圧迫されたキリトだったが、予想していたために何とかそれに耐え、呻きを堪える。

 耐える為に僅かに起きるのが遅れたキリトを、フォウは何やっているのかと言わんばかりにふぉうふぉうと鳴いて急かす。

 本当に気儘だな、とキリトは苦笑して、上体を起こした。

 

「――――おはよう、坊や」

「うおぅわぁ?!」

『ふぉうふぉーう』

 

 起き上がったと同時に傍にいきなり現れたメディアに、本気で驚くキリト。フォウはおはようと言わんばかりに落ち着いていた。

 己のマスターの驚きぶりに一瞬呆気に取られたメディアは、少しして相好を崩した。

 

「ふふ、どうしたのよ坊や、そんなに驚く事?」

 

 クスクスと、口元に手を当てて笑うメディア。

 うるさい、とキリトは頬を朱に染め、眼を逸らした。

 恥ずかしかったからでもあり、同時にフードを取って素顔を晒したメディアに、義理の姉の面影を見て哀しくなったからでもあった。

 キリトの義理の姉もれっきとした人間だが、ゲームアバターは、プレイしていたゲームが妖精郷を舞台としていた事もあり、耳が尖り、翅が生えた姿をしていた。

 メディアはマントが翅の形になる。それでも似つかないが、しかし彼女の耳は尖っていた。

 容姿の共通点と言えば耳程度。しかしそれだけでも郷愁を覚える程に、今のキリトは精神的に疲れていた。

 表情に疲労が浮かんでいないのは、今は羞恥の方が割合を大きく占めていたからに過ぎない。戦闘の疲労があれば浮かんでいた表情は逆になっていただろう。

 一日に満たない付き合いであるため、流石のメディアもそこまでは把握出来ず、浮かんだ羞恥に胸中を喜悦が埋め尽くした。

 メディアにとって、現代の魔術師など己の足元にも及ばぬ存在。自分を見下す存在は基本的に蹴り落とすスタンスを取っている。そんな彼女がマスターとして認めるなら、利害一致の関係を意識した上で対等である事を弁えた魔術師か、魔術師としての常識が無くとも己が気に入る者のどちらか。

 キリトは己に向けて来る純粋な尊敬や憧れの感情があるため、メディア自身、存外気に入っていた。無論彼我の戦力を冷静に分析し、適材適所に役割を振ろうとする点も評価している。

 

「さて、起きたならリビングへ行きましょう。マシュから話を聞いたらしいけど、朝食を食べながら改めて話し合うから。鍛練はその後よ」

「分かった」

 

 頷いて立ち上がったキリトは、テキパキと馴れた動きで布団を片付けていく。メディアも手伝い、二人揃って《アーチャー》が作った朝食を食べに、リビングへ向かった。

 

 *

 

「さて、魔術回路のオンオフについてだけど」

 

 朝食を食べながら今後の予定を聞いたキリトは、現在、数刻前まで自分が眠っていた和室にて《アーチャー》と対面で座って話していた。

 部屋の隅には念のためとばかりにメディアが居る。

 庭には立香とマシュ、小次郎らがおり、戦闘訓練をしながら時間を潰していた。

 

「……そもそもの話、魔術回路ってまず本人が自分でそれを築いて、それからオンオフの意識付けを行うのよねぇ」

 

 話し始めた《アーチャー》は、いきなり遠い眼をする。

 いきなりの事に一瞬呆気に取られたキリトは、気を取り直した。

 

「……つまり順番がアベコベだと?」

「そうそう。だからちょぉっと手古摺るかもしれないかなぁってね、オンオフの意識付けなんて人それぞれだし。私が出来るのは、魔術回路を感じる手助け程度よ」

 

 そう言いながら、《アーチャー》は立ってキリトの背後へと回る。動こうとしたキリトに動かないよう指示し、右掌を背中に触れさせた。

 

「魔術回路っていうのはね、魔術師にとっての生命線、人間にとっての神経そのもの。魔術を使う度に魔力が通されるコレは使えば使う程に疲弊していき、損傷すれば二度と修復しないものよ」

「脊髄みたいなものなのか」

 

 神経と言われ、二度と修復されないと来れば、キリトからすれば大脳や脊髄神経が近しいものだった。大脳の損傷は多少機能回復が見込めるが、厳密には死滅した細胞が復活している訳では無い。

 その仮令に、《アーチャー》は頷いた。

 

「そう。だから一度の失敗が命取りと思いなさい、下手すれば死ぬわよ」

 

 そして、冷たさすら覚える声音で、《アーチャー》は告げる。

 

「今から私は、あなたの魔術回路に魔力を流す。あなたはこの時に回路の存在を感じ取るの。存在を把握すれば、オンオフの意識付けも容易になるし、魔力が流れる感覚を覚えられるわ」

「ちなみに私がしないのは、痛みがあった方が感覚を掴みやすいからよ」

 

 その痛みは激痛どころではなく、下手すればショック死してもおかしくはない。

 しかしメディアは先に挙げた理由があって鍛練を付ける役を辞退していた。加えて言うと、神代の常識が通用すると思えなかったので、現代の魔術師らしい《アーチャー》の方が適任と判断した為でもある。

 

「そういう訳でショック死の可能性がある鍛練な訳だけど……どうする、それでも続ける?」

 

 実際に教える前に最後の確認をする《アーチャー》。

 《アーチャー》としても無理にする必要は無いのでは、と感じていた。メディアが居れば調整が効くし、キリト本人の戦闘能力は昨夜奇襲を仕掛けた《アサシン》を退ける程あると把握している。無理にして死ぬ方が無駄なのではと思い始めていた。

 その問いに、キリトは首を縦に振った。

 

「やる。出来なくてもいいかもしれない、でも出来た方が生存率は上がるから」

 

 確固たる決意を感じさせる言葉に、《アーチャー》はそう、と短く応える。

 その姿に、かつての義弟を重ねていた。

 

「じゃあ流すわよ……耐えなさい」

 

 事前に一言言った後、《アーチャー》は魔力を流し込んだ。

 

「ッ……!!!」

 

 ビグン、とキリトの体が大きく震え、脈打つ。

 外套を脱いでいる為に見えている腕に蒼白い線が走る。線は肩、首、頬、額にも走っていた。

 キリトからすれば、その全てに激痛が走っている。それも神経に直接焼き鏝を当てられているが如き灼熱感がある。過去体験したあらゆる痛みの中でもトップランクに位置する激痛に、体は無条件に反応し、痙攣した。

 

「ッ……ッ…………!!!」

 

 しかし、ただの一度とて、キリトは呻きを洩らさなかった。室内に立つ音は畳の上をのたうつ体の音を除けば鋭い呼吸音のみ。

 ぶわっ、と穴という穴からキリトは汗を掻く。

 全身が灼熱感に苛まれ、総毛立ち、痛みに震え、痙攣する。

 しかし悲鳴や絶叫の類は一度たりとも洩れなかった。

 そのまま、都合十秒ほど《アーチャー》は魔力を流した。掌を離すと同時に灼熱感が遠のき、キリトは途中から半ば無意識に止めていた呼吸を再開させる。

 

「ぐ、ぅ……ハ、ァ、ぐ……っ」

「――――今のが、回路の存在よ。自分の魔力じゃないから痛みが走ったけど、キリト自身の魔力なら痛みは基本無いわ。酷使すれば話は別だけどね」

 

 薄れはしたが、しかし遠のきはしない灼熱感に苛まれながらも、キリトは師たる女性の言葉に耳を傾ける。

 

「次にキリトがするべき事は、その回路の開閉を意識する事。今は全て開いてるから、閉じなきゃいけない。その切り替えるスイッチのイメージをあなたが決めるの。脳内のイメージでも良いし、何かの文言でも良いわ。あなたがしやすいものでやりなさい」

「は、ぁ……く、分かっ、た……」

 

 隣に座った女性の言葉に、身を起こして頷いたキリトは、眼を閉じて想起に集中する。

 それだけで、キリトの全身を苛む灼熱感と激痛は一時的に遠のいていく。そして知覚されるのは、全身を這う灼熱感の線路、すなわち魔術回路。《アーチャー》の魔力により拒絶反応を起こしたそれらを意識する。

 意識した途端、それらに流れるナニカをキリトは知覚した。

 更にそれに集中すれば、それは体全体を流れ、回路を通り、体外へ放出されていくのを把握する。逆に体内に入り込む流れも把握した。

 そして今やるべき事は、体外へ流れる回路を閉じる事。

 

 ――――そのためのイメージ、オンオフの切り替え……

 

 浮かぶのは、蛇口とか、電気のスイッチとか。

 しかしそれらをイメージしても、キリトの回路に変化は無い。僅かに閉じそうな気配はあったが変化なし。

 これは自分の中でイメージの強さが足りないのだろうか、と考える。

 

 ――――なら、自分の中で一番強い印象のスイッチは……

 

 そこまで考え、キリトの中で浮かんだものがあった。

 それは元の世界で、浮遊城へと魂を飛ばす為に口ずさんでいたセリフである。それはどちらかと言えば開く意味があるので、閉じる意味として、キリトはセリフを考えた。

 その結果、出来上がったセリフは――――

 

「――――リンク・オフ」

 

 蘇る、遥か彼方と錯覚しかねない記憶。デスゲームになる前に経験していた、ベータテスト時代に幾度となく体感した、仮想世界から現実世界へ復帰する時にアバターの五感が遠のく感覚。

 それを想起しながら、回路を閉じるイメージを働かせると――――キリトの魔術回路は、スッパリと全てが遮断された。

 

「あら、一発で出来たわね! じゃあ今度は開いてみましょうか!」

「ん……リンク・スタート」

 

 上手く出来た事にテンションを上げた《アーチャー》の言葉に、キリトは頷いて、今度は仮想世界へ旅立つ際に口にしていたセリフをそのまま口にする。同時に回路を開くイメージを働かせた。

 そうすると、キリトの魔術回路は全て開通し、魔力が流れ、暖かな感覚が全身を包む。

 そこで、キリトはふと、二つの繋がりを感じ取った。一つはすぐ横に、もう一つは少し離れた位置に繋がっている。起きた時のメディアの話から、恐らくこれがサーヴァントとのパスなのだろうと察しが付いた。

 

 ――――そういえば、回路を閉じたら、サーヴァントへの魔力供給が絶たれるんだっけ……

 

 厳密に言うと、パスが魔力供給の線であり、回路が開いていればそちらに流れる形らしいが。

 試しにその流れに、魔力を押し込む。

 

「ん?」

「……あら」

 

 すると、キリトの近くで二人分の反応があった。魔力は流せたらしいと判断し、流すのをやめて自然な流れに戻す。

 続けて魔術回路を、メディアがしていたように数割開いたり閉じたりする自主鍛練へとキリトは移る。

 ――――自身と契約したマスターを、サーヴァントの二人は微妙な面持ちで見つめていた。

 

 


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