……飛鷹!
「えっ」
……彼女は名を呼ばれて、振り返る。
そこには、こちらを見る彼がいた。
驚愕の表情で、飛鷹を見る。
驚いたのは此方だ。嫌な予感が過る。
「て、提督……。いつから起きてたの?」
「……ごめん、分かんない。お前の声が聞こえた気がして、返事したらお前がいた。俺は寝ていたのか?」
聞かれているようだ。
報告をかねたお見舞いにきたはいいが、肝心の彼が俯いたまま寝入っているようで、どうするか迷いながら溢れた本音が。
彼女は表情を取り繕う。今は、彼の回復を喜ぶときではない。
秘書として、代理の運営している報告をしに来たと伝える。
彼は、表情を曇らせた。聞きたくなさそうな雰囲気だが、言わねばいけない。
軽く現状を説明する。
現在は運営は問題はなく、後始末にケッコンカッコカリの一件を皆に公表し、説明をしたと。
「そうか。……そうだろうな。ごめん飛鷹。辛い役目をやらせて」
本気で後悔しているのは見てわかる。彼女は取り敢えず事務的に接する。
ダメだ。言い出せない。知ってしまったこと。この一週間で調べてしまったことを聞けない。
禁句だと知っているし、その理由を知った。彼には苦しみを与えるだけ。
迷う飛鷹。どうすればいいんだろうか。何を言えばいいんだろうか。
飛鷹は必要なことを聞いて、喋って、黙った。会話が続かない。
こんなこと、初めてだった。
「……皆、失望しただろうなあ」
ふと、彼はそんなことを呟いた。
飛鷹が見ると、彼は窓の外を眺めて言ったのだ。
「俺さあ……何にも考えてなかったよ。皆のことを優先している気でも、女性として……艦娘として見てなかったからかな。無神経なことばっかりしてたと思う。無能のクソ提督だ」
そんなことはない、と言い切れない。実際彼に不愉快さを表した大井や北上がいる。
曙も、翔鶴も。彼の異性に対する無理解を嫌悪している。山城や比叡は単なる私怨。
金剛や扶桑に対する態度が気に入らないだけ。至って本人は気にしていないようだが。
青葉は堅苦しい彼が苦手なだけ。
後者はいい。問題は前者だ。彼のその言動の根本には……過去が関係している。
しかも、経験すれば恐らくは憎悪を抱いてもおかしくない。なのに、彼は何も言わない。
少なくとも、今は艦娘が嫌いなのではないようだ。艦娘と恋仲になり、愛し合うのが怖いのだ。
飛鷹も理解してきた。言われてみれば当然のこと。今は戦時中。
艦娘は戦場に出る兵士としよう。兵士に恋をした人がいるとする。
兵士は敵を殺せる。でも、恋した人は直接戦う術を持たない無力。
指揮をすれば戦えるだろう。でも、己が戦場に立つわけではない。
敵は化け物で、奪われた理由すら不明。敵討ちすら自分ではできない。
指揮した自分のせいで死なせてしまった。至らない弱い自分が殺した。
そう、感じるのだと思う。戦争ではよくある話だ。寧ろ日常であろう。
その当たり前に堪えられるような強い人なら救いはあった。
だが、彼の家族はそうじゃなかった。弱い人の分類だった。
だから終わらない復讐に走り、発狂して逃亡し、身代わりを使って怒りを買い殺された。
救いのない破滅に進んでしまった。
全ては、艦娘と結ばれたことでより大きい悲しみを背負って、滅んだ。
何度も見ていれば、恐れるのは自然なことなのではないだろうか。
常日頃、部下のお陰と言ったり自分は優秀じゃないと、卑下する彼なら尚更、女性と意識しない方がやりやすかったに違いない。
「ごめんなさい。私の責任だよね」
飛鷹は、彼に深く謝った。頭を下げて謝れば済まされる傷ではない。
それでも、出来ることはこれしかない。
「……えっ?」
提督は理解できないような顔で、飛鷹を見た。
自分が悪いと思っている彼には、信じられない言葉。
なぜ、彼女が謝る? だが、何かに気がついて……納得したように頷いた。
そして、問う。禁句としていた内容に触れた。
「ああ、そうか。飛鷹、親父の手紙見たんだな。俺がそうなった原因を調べるために。それで、俺のこと知ったんだね?」
悲しい笑顔で問いかけ、飛鷹は首肯。
「……勝手に私物を調べるのは良くないと思ったんだけど。今回のは、本気で驚いたから。みんなと向き合うって決めたばっかりの時におきた事が気掛かりで。ごめんなさい」
「いいよ。俺が言いたくなかっただけだから。ぶっちゃけ、艦娘の飛鷹にする話じゃないでしょ」
「でも、知っていれば……! 知っていればこんなことには」
「なってたよ。いつか、必ず。俺が目を背けていた限り、この現実は必ず訪れた」
彼は責めなかった。どこか、知られて安堵するような顔だった。
彼は彼女が知ってくれてよかったというのだ。
どの道、遅かれ早かれこうなっていたと言い切れると。
「みんなが死ぬよりはずっといい。被害が俺だけで済んでよかった」
「…………」
彼は、黙り視線を床に落とす飛鷹に、こう切り出した。
それは、彼が出した答えだった。
「飛鷹には、早めに言っとくな。俺、提督やめるわ」
……こうなることは予測していた。
錯乱するまで追い詰められた環境に何時までもいるわけがない。
指輪を回収したらとっとと辞任するという彼に、飛鷹は何も言わない。
医者にも言われているのは考えなくても分かる。
自分の身を案じるのは当たり前。
「あ、あれ……? 怒らないのか?」
「バカ言わないでよ。言いたいことは分かってる。……貴方が提督を辞めるなら、私も退役するわ。近代化改修に使って」
約束を破ったことや、逃げるような真似に彼はどやされることを覚悟していた。
然し、飛鷹は怒る権利はないとはっきりいう。そして自分も責任をとって、やめると。
飛鷹の決意は重かった。
「なんでさ!?」
「同罪よ、同罪。今回のは私も悪いもの。辞任するっていうのは予想してたわ。何時までも居ても、キツいのも分かる。……私も、人のこと言えないし。鎮守府を混乱に招いた首謀者だから。責任とって、解体か近代化改修じゃない」
提督は解体は即座に却下した。それは、死刑に等しい選択肢。決して選ばない。
ならば、己の全ての能力を他の艦娘に継承し、ただの無力な人擬きになる近代化改修の方しかない。
ただ、そのあとは何もなしに人間社会に放り出され、一人で生きていくことになるのだが。
責任は彼一人のものじゃない。加速させ、ばら蒔いた飛鷹だってある。
「……え、じゃあさっきのって……」
「聞こえていたんでしょ。私は貴方の……」
やっぱり、聞こえていたのだ。独白が。
だから飛び起きたのだろうし。ここで、彼女は考える。
……ダメだ。好きだと悟られたらまた二の舞になる。
ここは、自分の気持ちを圧し殺す場面。言葉を選ばないと。
「……貴方の、相棒よ。私にもいい加減、背負わせてよ。肝心なものだけ自分一人で担がないで、さ。今までのフォローだって、散々やって来ているじゃない。私は構わないし、巻き込んでくれていい。気にしないで」
……相棒という言葉で誤魔化した。まだ、今だけは絶対に知られてはいけない。
弱っている彼にこの心を悟られぬようにひた隠しにする。
「飛鷹……」
「貴方の事を知ったから、私は今まで以上に相談できるよ。償いにはならないけど、全力で助けるから。まだ、逃げることを選択しないで。今、貴方が居なくなったら……みんなが、貴方の怖がる思いをするはめになる」
分かっている。彼にまた苦行を強いることになることも。
でも、彼が司令官を辞退すればどうなるだろう。
飛鷹なら、間違いなく未練を絶ちきれず彼を如何なる方法をとっても追いかける。
彼の事を諦めることが出来ずに破滅してでもストーカーになっても。
少なくても、と飛鷹は言う。
「鈴谷は、酷いダメージを負うと思うわ。イムヤだって。艦娘と司令官の関係が、違う意味で破滅するだけ。鈴谷は特に。……狂うかもしれないわ」
彼女は認められるためにがむしゃらに努力した。
それで一度は沈んだような少女だ。彼が居なくなったら、どうなるか。
「……まさか」
彼は青ざめた。女心の鈍い彼でも、知っての通りになる。
鈴谷は、多分堪えられない弱い心の方だろう。
「ええ。きっと、貴方のお兄さんみたいになるわ。狂ってしまって、何をするかは私にも予想できない」
彼は絶句して頭を抱えた。提督を辞めることは出来よう。
然し、残された部下はどうなるか。答えは、彼だって知っている。
少なくても、辞職は最後の手段。安易に選ぶものじゃない。
「提督のままでいろとは言わない。でも、すぐに辞めるのは絶対にダメ。何人鎮守府の艦娘が暴走するか分からないわ。辞職は……最低でも、みんなに事情を説明して、それで嫌われてからにしましょう」
そう。どうせ、最低なことをしたのだ。ならばいっそ、後腐れなく嫌われてしまえばいい。
謝る事ぐらいはしなければ、責任を果たしたことにはならないと飛鷹は思う。
無論、他人事じゃない。飛鷹だって土下座でも何でもする。共に責任ある立場。
彼と共に、鎮守府を混乱させ、機能不全に陥れた落とし前はつける。
「……」
辞めれば全て終わると思っていたようで、彼はまたも女の心を分かっていなかった。
軽はずみな行動が、自分の一番嫌がる結果にさらになると指摘されて、呻く。
「また……自分のことしか考えてなかったのか……」
と、そこまでいってから気がついたように飛鷹に聞く。
「……待ってくれ、飛鷹。俺が指輪を複数持っていたのをみんなに知らせたんだよな?」
「ええ。全部貴方のしようとしていた事は明かしたわ」
「……皆の反応は?」
「他意はないって、説明したら……大体の娘は納得してくれたわ。普段から、貴方は私達のために頑張ってくれているのを知っている娘はね」
そう。彼は距離を離す為にコミュニケーションをとっていなかったが、行動は日頃から行っていた。
皆の希望するように装備を整え、資材をしっかりと管理し、余計ないざこざが起きないように配慮するなど、仕事上の彼が当たり前と感じていた事をしっかりと見ていた。
最早日常の出来事で、聞かない方が珍しい男性提督のセクハラも、一切ない。
……それは女として見ていなかったからであろうが、そういうことも彼女たちは見ている。
だから、あの堅物に悪意ある理由などないで納得してくれたのだ。
「大半?」
「大井とか、北上がね。ふざけんなって怒ってた。あと、曙と翔鶴も、無神経だって言ってたわ。……あんまり言い過ぎて、加賀とか朝潮とかと揉めたわ。あの娘たちは上方修正入ってるけど、強ち大井とかの言い分も間違っちゃいないのよ。だから、きっちり謝罪しないといけない。分かるでしょ、提督。……どういこうが、艦娘と向き合わないと責任は取れないのよ。他の長門や那智とかは、我慢してくれたけど。失望はされてないから、その辺は安心して」
彼女たちも、その無神経さに腹をたてているのであって、改めてくれれば引き摺らないと言質は素手にとってある。
様々な反応こそあったが、おおよそ謝罪してから誠意を見せるしか解決方法はない。
辞職を今すれば、今度こそ失望される。最後のチャンスなのだ。
ならば。真っ先に起こすべき行動とは、何か。保身のための逃亡か?
……違う。
己の過去を理由に、やけくそに行動したことから目を背けることか?
……違うっ!
今、最優先で彼がすべき行動とはっ!!
誠心誠意、心を込めて、今までの行動を悔いて、散々巻き込み迷惑をかけてしまった部下たちに詫びることである!
彼のメンタルは、飛鷹の言葉で復帰した。責任から逃げてはいけない。反省しなければいけない。
逃げるのはすべてを終えて、部下と向き合い、己の恥を彼女たちに己の言葉で、伝えるのだ。
――此度のような軽はずみな行動を起こし、皆に迷惑と混乱を招き申し訳ございませんでしたと。
――次からはしっかりと女性として意識し、艦娘として接して、改めていきますと。
目が覚めたような気分だった。
今まで何をやっていたんだ。
あまりにも自分を責めるのに忙しくて、見るべきものを誤っていた。
死ぬとか指輪の処分とか言っている場合ではなかった。
艦娘の愛とか恋とか言っている場合ではなかった。そんなものは自分の都合だ。
よい年した大人が、何を血迷っていたのだろう。
己の失態と自覚しておきながら、楽をして逃げる方向ばかりに目を向けていた。
違うだろう。それは、そんなものは後回しだった。
部下が、自分に最後に与えてくれたこの機会がラストなのだ。
あまりにも余裕がなくて、手前味噌なことばかりを言っていた。
飛鷹のおかげで、何をするべきか見えた。ハッキリした。
恋愛やら結婚やらの前に提督としてすべき行動があるではないか。
「分かった。辞職は後回しだ。いいや、そんなものはどうでもいい。辞職なんて今は忘れる。それよりも、急がないといけない。全く、ウジウジと悩んでいた俺が愚かだった。ありがとう飛鷹。おかげで俺は正気に戻れた。やっぱりお前は頼れる相棒だ。本当にありがとう。そして、今までの愚行で迷惑をかけて、申し訳なかった。これからは、皆ともっと接して、間違わないように、しっかりとコミュニケーションをとりながら、二度と繰り返さないように努力する」
……飛鷹も、ここまで効果があるとは思わなかったので面食らった。
天恵を受けたように、生気を取り戻した彼は彼女にも深々と礼を述べ、更に謝罪した。
凄い苦悩していた顔が、嫌われていない現状を知ると、彼はこれが最後のチャンスと感じたらしい。
艦娘全員に、誠心誠意の謝罪とできることへの償いをすると言い出した。
何やら違う方向に暴走を始めていた。確かに謝罪は必要だと思うが、なぜここまで元気になった。
「くそ、こんなデータなどいらねえ!! 恥ずかしいわ!」
何やら怒鳴りながら、彼は携帯をいじっていた。何かあったらしい。
自分が悪いと思っていたら、謝らないといけない。こんなの基本だ。
彼は兎に角、艦娘たちに直接顔を見せて、態度で示すと不安定だったメンタルが一気に安定していた。
……飛鷹はその様子を見ながら聞こうと思ってた事を思いきって聞いてみた。
「……ねえ。今だから凄く失礼なことを聞くけど……貴方、何で提督になったの? こんな風になるって、わかってたんでしょ?」
「ああ、それね。……ぶっちゃけると、理由はない」
過去に家族を艦娘で失っているとは思えない発言に飛鷹は目を見開いた。
彼自身も、ため息をついて説明する。
「飛鷹。お前が思っているような立派な人間じゃないよ、俺は。昔から何も自分じゃ考えないで、周りに流されてばっかでさ。親父の時も、兄貴たちの事も、艦娘を恨んでたのに、時間が流れていくとそれもどうでもよくなってさ。恨みを抱えても、居なくなった兄貴も死んだ兄貴も戻ってこないし、意味ないと思ってやめたんだ。親父は深海棲艦全滅させるから俺にも提督になって手伝えって言うし。なんも考えないで、当時就職に行き損ねた俺は親父に言われるまま、提督に入る道を進んでいた。で、自分が兄貴たちと同じ立場になったから、急に怖くなって……これだよ。俺はただ、自分勝手に振る舞っていたんだと思う。そりゃ親父も心配するよ。はぁ……ホント、どうしようもねえなあ……俺」
本当にどうしようもない男だった。
知ってしまえば、こういう勝手極まりない内容で。
飛鷹は、流石に呆れた。ことなかれ主義で提督になるなんて、あまりにもアホらしい理由だった。
「尚更、謝らないといけないわね。勝手な理由で、皆を振り回してしまったもの」
「うん。謝らないと、示しがつかない」
逃げることは今は許されない。
辛い過去を理由に勝手を振る舞うツケは、加速させた飛鷹と共に支払うべきなのだ。
「じゃあ、逃げないでよ。逃げたら艦載機に縛り付けても、鎮守府に連れ戻すから」
「お願い。逃げたら殴ってでも引きずってでも、俺に謝罪させて」
……決定だ。バカな理由で皆の気持ちを踏みにじった男と、彼の事を知らずにイタズラに彼を追い付けて鎮守府に多大な迷惑をかけてしまった二人は、皆に土下座をする事を決めた。
その為に、早く鎮守府に戻らなければ。彼は先に戻る飛鷹の背中に、別れ際言った。
「サンキュー、相棒」
「お礼には及ばないわ」
彼女はそう告げて戻っていった。
彼は出来ることをする。自分の都合など、もう知らない。
今するべきと思ったことのみに集中する。
メンタルケアの医者を呼び、もう大丈夫かどうかもう一度見てもらった。
医者も驚く劇的な変化。どんな特効薬を受ければこんな風になるのか。
何度も調べてもらい、一応は大丈夫ではないかと言った医者は様子見で、近々戻ることを許可した。
何かあれば戻ってこいと言われ、彼は己のするべきことに意識を傾ける。
逃げると言う選択肢は、単純になった今の頭からは、きれいさっぱり霧散しているのであった……。