真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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董卓包囲網編 第八話

 

 先陣は混乱の渦中にあった。まともな軍としての体裁を保っているのは劉備軍と曹操軍のみ。袁術や、袁紹が出した援兵は、呂布が現れたことや、汜水関の門が開いたことで戦意を喪失し、逃げ腰になっていた。

 抑えきれない。劉備軍の孔明はすぐに察した。張飛、関羽の力があれば奮戦はできるが、状況が状況だ。味方の援兵はもうすぐ逃走するに違いない。圧し潰される。敵ではなく、味方の逃散の所為で、だ。前線に残って、戦えば戦うほど、馬鹿を見るだけだ。

 しかし、ここで劉備軍が逃げれば、先陣の完全な崩壊を招くことになる。為すすべもなく敵に背を向ければ、その背を喰らいつかれるだろう。

 

 ―――この汜水関からの突撃が、長く続くはずもない。孔明はそう判断した。

 

 呂布の武は、恐らくこの戦場において誰よりも強いであろう。だとしても、である。張飛、関羽、趙雲の三人がかりならば、辛くも抑えることはできる。あとは、兵力の差と、士気の差を如何とするかだ。

 後詰を待てば、両方の問題は解決する。恐らく、袁紹の本隊が到着するだけでも互角で、曹操、袁術、張邈などの軍が到着すれば圧倒的に上回るはずだ。そこまで耐え凌げば、敵は撤退するだろうし、退き際を誤ったのならばその圧倒的兵力で包囲すればいい。

 孔明は少し悩み、決断した。四半時ほどでいい。完全に抑えきることは不可能だろうが、この戦場に留まるべきだ。

 無駄になってしまう。先陣に名乗りを上げ、敵兵が現れたら戦うことなく逃散した。そのような悪評が、主である劉備の名のもとに広まってしまう―――何たる恥辱だろう! そのような恥を、孔明、龐統はともかく関羽が認めるはずもない。

 

 留まるならば、目下の目標は二つ。

 当然、一つは呂布を中心とした董卓軍の攻撃をただひたすらに耐えること。

 二つ目は、逃走してくる味方から我が軍を守ることである。

 

 孔明は考え、すぐに決断した。彼女もまた、この場に置いて長考することの愚を弁えている。

 

「桃香さま」孔明は、こちらを不安そうに覗き込んでくる劉備に、堂々と宣言した。「程遠志さんと、合流しましょう」

 

 

 

 

 劉備軍から使者が来ている。程遠志はその伝令を聞いて、若干混乱した。

 程遠志は、よく軍を指揮していた。彼らしからぬ忠実さと勤勉さで、呂布に怯える兵士を慰撫し、時には持ち前の荒っぽさで脅し、戦意を保ったままにした。

 しかし、それはこの場に留まり戦うためではない。撤退するためだ。戦意を保ち、秩序を維持し、逃げる。そのためだけだった。

 

「なんでよ、この時期に伝令が来るんだ」

「頼みに来たんでしょ。逃げないで、って」

「俺たち千人だけ留まっても飲まれるだけだろうがよ」

「あるいは」張曼成は汗を流しながらも冷静だった。「また、別の頼み事かもしれない」

 

 事実、張曼成の言葉通りであった。

 伝令、と称して、数十人兵士たちに守られて、劉備軍から現れたのは孔明と劉備だった。まだ乱戦にはなっていないとはいえ軍と軍の間を渡ってくるとは。程遠志の混乱は、そこでさらに高まり、劉備が口にした「一旦、軍を合流させませんか?」という問いかけで、最高潮に達した。

 

「ちょ―――ちょっと待ってください。俺たちは逃げてもいいんじゃ?」

「この状況では、厳しいです」孔明は冷静に言った。「秩序を維持して撤退すればするほど、逃散する味方に踏み潰されるだけです。被害なく逃げるならば、軍を解体して各自散り散りに逃げるべきですが―――逃げた味方が戻ってこない恐れがあります」

 

 ならば、ここで耐え凌いだ方が被害が少ない。まさにそう言わんばかりであった。

 程遠志は周りを見回す。鄧茂、厳政はわからぬ、というように首を振った。張曼成を見る。彼もまた、思案しているようだった。

 

「どうだ、張曼成」

「理には適っている。適ってはいるが、危険だ」

 

 全滅の恐れがある。後詰の軍が先陣の混乱に気づき、来ることは間違いないだろうが―――それがいつになるかはわからない。

 程遠志が決めるべきだ、と張曼成の表情は言っていた。孔明の提案にも一長一短がある。どちらが正しいか、正しくないか。乗るか、乗らないか。逃げるか、逃げないか。無茶言うなよ、と程遠志は叫びだしたかった。今の、流れに乗ってねえ俺が決めたら、真逆のことが起きるぞ。そう言いたかったが、口を紡ぐ。鄧茂や張曼成、厳政の前で泣き言をいうのは兎も角、劉備たちの前で言うわけにはいかない。曹操軍から派遣された一つの軍の大将として、ある程度まで毅然と務める必要があった。

 

「―――よし、わかった」

 

 程遠志はすぐさま決断した。長考している時間はない、と程遠志も本能的に理解した。

 

「受け入れていただけるでしょうか」

 

 孔明は怜悧な瞳で見ていた。あどけない表情と、矮小な体躯。程遠志とまさに正反対であるが―――どこか薄ら怖くなるような迫力を彼女は有していた。

 程遠志は怖気を催した。逆らいたい、という、天邪鬼な心も出た。それでも今、考えるべきは軍全体のことである。曹操軍、という全体を見なければならない。どうすれば生き残れるか。どうすれば手柄を立てれるか。黄巾の時にはこんなこと思いもしなかったな、と苦笑した。

 

「受け入れる。ここに残り、援軍を待つ」

「あ―――ありがとうございます!」

 

 程遠志の言葉に、劉備は身体全体で喜びを表現した。頭を大きく下げ、顔を綻ばせる。

 孔明もまた「緊張しましゅた」と噛みながら年相応の笑顔を見せた。先ほどまでの迫力ある姿とはまるで別人で―――程遠志は毒気が抜かれる思いになった。

 

 

 

 

 張邈配下の衛茲が死んだ、との一報が入った。軍をまとめながらも、董卓軍右翼徐栄の猛攻を受け、張邈への忠誠を貫いて死んだ。宴会の折、程遠志たちも、劉備たちも一度見たことのある人間だった。それ故悼む心はあったが、今の状況はそう易々と感傷に耽ることを許さなかった。

 早々に劉備軍と合流したことにより、六千の兵士が強固な陣を引くことには成功した。伸びた横陣を止めて包囲の危険性もある方陣を敷いたことで、先陣の中でも隔絶した軍となり、董卓軍を受け止めることは適わないながらも味方の逃亡兵に踏みつけられることもなくなった。

 それでも、である。圧倒的な兵力差がある。呂布もいる。隔絶した軍というのは、すなわち孤立した軍ということでもあり、状況が芳しいわけでもなかった。先陣全体を、俯瞰的な目線から見れば、明らかに崩壊していたことだろう。その崩れた軍の中に、六千の殿を務める隊があるような状況だった。

 

「耐えろ!」程遠志は叫んだ。「もうそろそろ、後詰が来る。それまで耐え忍ぶのだ」

 

 明らかな嘘だったが、程遠志は叫び続けた。「援軍は来る」「後詰が来る」と。時間を稼ぐことが必要なのだ。ある程度までの詐称は許されるはずだ。

 程遠志自身、まだかまだかと切望していた。来てもおかしくはない頃合である。横陣を敷いて突撃してきた董卓軍は一部が劉備軍に当たり、残りは張邈、袁紹、袁術などの敗残兵を追い討ちしている。その軍隊が、この戦場に残り続ける劉備軍へ目を向けるのも時間の問題であった。そうなれば包囲の憂き目に遭うことは、容易に想像できる。

 それと対照的に、孔明は涼しい顔を浮かべていた。彼女の怜悧な頭脳は、先陣の崩壊と、それに合わせて動く諸侯の動きをまるで見ているかのように予測した。恐らく、最も早く動く者は、曹操のはずだ。そして、最速で動いたとすればもうそろそろ到着してもおかしくない――――――

 

 両者の顔色は真逆に等しかったが、願うことは同じだった。「早く来い」後詰を切望する思いは、どちらも変わりはしない。

 ―――そして、それに応えるように。

 程遠志と孔明の視界の端から、現れる軍があった。

 

 旗は「夏」。それが二つ。程遠志と孔明は同時に察した。曹操軍だ。後詰が来た。

 一瞬で、士気が上がった。劉備、曹操軍共に、である。曹操軍は夏侯惇、夏侯淵姉妹の強さを皆知っている。めざましい怒号を上げる者もいた。程遠志も叫んだし、鄧茂も歓声を上げた。張曼成は微笑を浮かべ、厳政も小躍りしそうになった。

 

 ―――それ故、最も気がつくのが早かったのは、曹操軍の人間ではなかった。

 

 まず、劉備軍の関羽が小首を傾げた。それに続いて孔明、龐統があれ、と思った。曹操軍総勢三万。主目標であるこの包囲作戦に、兵を温存する意味などない。だというのに、いささか兵士の数が少なく感じた。

 近づくに従って、それは誰の目にも明らかになった。二万いるか、いないか。本体である「曹」の旗は見えず、曹操軍の中でも多少のざわめきが起きた。

 ……何か、異常があったに違いない。孔明は気を取り戻した。問題ない。二万だろうが、一万だろうが、守勢に回ることは可能である。曹操が動き、次に張邈か袁紹が動くはずだ。陣が遠い袁術、孫策も、ここまで駆けつけるには時間がかかるだろうが、来ないはずもない。耐えられる兵力があれば、何の問題もないのだ。

 

 曹操軍は、圧倒的な速さで劉備軍へ近づいてきた。先頭にいるのは夏侯淵、夏侯惇。董卓軍や逃散する味方を歯牙にもかけず、合流を優先しようとした。

 何故か、夏侯姉妹の表情は、少しだけ強張っていた。なんだ、と程遠志は思う。いつも自信満々の夏侯惇。不敵な笑みを絶やさない夏侯淵。その二人がこのような顔になるなんて、一体どういうことだ。

 

「夏侯淵殿!」劉備軍の簡雍は手勢を率い、曹操軍を迎えに行った。「どうぞ、こちらへ」

 

 その誘導に従い、曹操軍は劉備軍の方陣に付き従う形で陣形を組んだ。董卓軍は新手だ、とばかりにいきり立ったが、まだかかってこない。張邈、袁紹の残党兵をしつこく追いかけていた。

 

「程遠志」夏侯淵は、その隙に程遠志の陣へ忍び込んだ。「どうだ、状況は」

「よくねえけど、この後詰でだいぶ楽になりそうだ」

「それについてだが、あまりよろしくない情報がある」

「よくない情報?」いつの間にか、孔明も程遠志の陣へ来ていた。「どういうことでしょう」

 

 孔明だけではない。龐統もいるし、夏侯淵を誘導した簡雍もいた。劉備軍の軍師を担当しているであろう人間たちが、程遠志の陣へ集まっていた。目当てが彼というわけではなく、夏侯淵とこれからの策について話し合いたいのだろう。その場が、この陣になっただけだ。

 夏侯淵は沈痛そうにも見える表情だった。程遠志も―――孔明も、龐統も、その真意が理解できなかった。守りながら後詰を待てばよいだけではないのか。

 

「つい先ほど、袁紹殿から報告が入った―――連合軍の背後から奇襲されたとのことだ」

「奇襲!?」程遠志は目を大きくする。「どういうことだ、汜水関に敵は集結してたんじゃ」

「前もって、外に待機していたんですね」孔明は冷静に頷いた。「汜水関の敵の動きから、何かあるのではないかとは警戒していました」

「うむ。華琳さまは、一万強の兵士を率いてそちらへ向かわれたらしい」

「成る程。二手に分かれたのですか」

 

 孔明は理解できた。良い判断だ。何の問題もない。

 ならば、何故夏侯淵はこんなにも微妙な表情を浮かべているのだ―――?

 

「私と姉者は他の袁紹、張邈軍とともにこの場へ向かう予定だったが―――そうはならなかった」

「ならなかった?」

「袁紹殿も、張邈殿も、こちらへは一兵たりとも回していない」

 

 な、と孔明はそこで初めて表情を変えた。どういうことだ? 背後の軍へ警戒するより、この先陣の方が距離が近いはず。何故来ないのだ。

 

「そればかりではない」夏侯淵は言葉を続けた。「その後ろにいる鮑信も、孔融も、劉岱も―――殆どの諸侯をもが、背後への援護に夢中になって先陣へ兵力を回していない」

「あり得ません―――どういうことですか」

「わからない。不条理で、不可思議だが、事実だ」

 

 どう考えてもおかしい、不幸な出来事だった。常識的に考えてあり得ない。

 二者択一である。前に行くか、後ろに行くか。前に距離が近い袁紹も、張邈も、鮑信も、孔融も、劉岱も。皆が後ろを自主的に選択した。まるで操られたかのようだった。

 

「流れだ」程遠志が呟くように言った。「明らかに、流れが悪い」

 

 流れ、など。孔明はそれこそあり得ないと思った。しかし、ならばこの状況はどう判断すればいい? 合理的で、冷静な思考を持つ彼女だからこそ。知でもって生きている彼女だからこそ、僅かな時間固まって、混乱した。

 どう考えてもおかしい、と吐き捨てた。龐統もまた、同じ思いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 








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