真・恋姫†無双~程遠志伝~   作:はちない
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董卓包囲網編 第九話

 

 

 

 董卓軍五万と、先陣二万強。二倍を超える兵力差と、呂布。六千で堪えていた時より幾分かは楽であるものの、状況は決して良くなったわけではない。

 孔明は混乱の渦中にあって尚、まだ冷静だった。最初の方針は変えるべきではない。後詰の兵が来るのを待つべきだ。袁紹、袁術の逃散兵を狩っていた董卓軍も、戦場に残り続けている劉備軍へ目標を変えつつある。今逃げれば、背中を喰らい潰される。決めたことを覆すべきではないのだ。

 夏侯淵、夏侯惇を主軸に、方陣を組み直す。既に会戦の最中であり、万全な陣形を構築することは困難であったが、それでも、孔明の巧みな指揮とそれを信頼した夏侯姉妹の手によって、成功した。この戦時下にあって、互いの能力を疑うべきではない、と両者ともに理解している。

 

 では、いつ後詰が来るのだろう。今、前面にいる董卓軍の数から、孔明は我が軍の後背を突いた董卓軍別動隊の数を推測した―――三万強から四万弱のはず。その予測はピタリと一致していた。奇しくも、実際に目撃している袁紹軍偵察と、即興で予測した孔明は同じ目算であった。

 先陣の劉備、曹操軍を除いても、連合軍は優に二十万程の軍隊を有している。この平野で軍隊が十全に展開できるわけではなく、当然遊軍も出るだろうが―――それでも、十数万対、四万だ。負ける道理がない。曹操も、孫策も、張邈も、袁紹も、決して無能ではない。別動隊の大将が高順でも、張遼でも、陳宮でも。誰だろうとも、負けることはあり得ない。

 しかし、一蹴できるかといえば、また話は別である。高順でも張遼でも陳宮でも。自身の軍へ連合軍の殆ど総力が向かってきていることに感づけば、時間を稼いで先陣が崩れ、挟み撃ちの様相を呈して来ることに望みを託すはずだ。

 

 すなわち、これは耐久戦である。先陣が崩れるか、董卓別動隊が崩れるか。五万と二万。二十万と四万。兵力比で見れば先陣の方が長く持ちそうであったが、連合軍には遊軍が多数あり、不意を突いた奇襲で浮足立っている隊があり、先陣が相手取る敵には飛将軍―――呂布がいる。果たしてどちらが崩れるのが先だろうか。

 

「微妙なところだよね、雛里ちゃん」

「うん。でも朱里ちゃん……そもそも、まだ、董卓の別動隊にすべての諸侯が向かった、とは限らないよ」

 

 龐統は言う。孔明も頷いた。夏侯淵の言う通り、袁紹や張邈、鮑信、孔融、劉岱など、ほとんどの諸侯が動いていないのかもしれない。だからとはいえ、誰も来ないと考えるのは早計だ。二十を超える諸侯の中から、どの軍かは先陣へ向けて動くのではないだろうか。

 希望的な観測ではない。寧ろ、誰も来ないと考える方が、悲観的な観測である。前か、後ろか。闇雲に決断しようとも、利をもって決めようとも。どの諸侯もが後ろを選択する確率など、天文学的な数字になるはずだ。

 それに合わせた策も用意した。方陣を組み、味方の後詰の登場に合わせて包囲する。殲滅するための包囲ではなく、相手の士気を下げ、退却を促すためのもの。今の兵力でできる最大限の策を、二人は考えついていた。

 

 後詰は来る。必ず。

 

 

 ―――小半時後、その予測が恐ろしいほど鮮明に外れるとは、今の孔明にも龐統にも予想できていなかった。

 

 

 

 

 

 小半時が過ぎた。程遠志は自ら剣を振るい、董卓軍に対抗しなければならない状況になったことに、苦笑を漏らした。

 状況は、どんどんと悪化の一途を辿っている。方陣の中央部を曹操軍、両翼を劉備軍が担当しているが、その中央の軍は押し込まれ、方陣は真ん中のみが凹み、安っぽい横陣のようにひしゃげてしまっていた。

 曹操軍が弱いからではない。寧ろ強いからこそ、董卓軍の主力―――すなわち呂布や徐栄など―――の突進を一身に受けていた。耐えきれぬ。持たぬ。そんな弱音を吐くことなく、程遠志は夏侯惇、夏侯淵共に奮戦していた。

 後詰は来なかった。小半時が経過して尚、来る気配はない。それは即ち、すべての諸侯がこの先陣ではなく後ろの軍へ向かったことを連想させた。少しずつ、それに気がついているのか、練度の高い曹操軍、士気の高い劉備軍も戦意を喪失しつつあった。

 孔明の策はまだか、と夏侯淵は思う。時期になれば、両翼の劉備軍が策をもって動きます―――とのことだったが、その号令がかかる気配はない。

 

「夏侯淵!」程遠志は叫んだ。「援護を頼む」

 

 目の前には董卓軍の兵士が五名ほどいた。そこに、一度に五本の矢を夏侯淵が放つ。すべて命中。若干混乱する董卓軍。穴が開いた、とばかりに、程遠志は十名ほどを連れて突貫し、その穴をさらに広げた。

 俺たち、中々相性が良いかもしれねえな、なんて程遠志が軽口を叩いたが、その頬からは汗が流れている。夏侯淵もまた、微笑を浮かべながらも頬が少しこけている。集中力、精神力、気力。そのようなものが削ぎ落されていく。まさしく死線であった。

 どれだけ耐えればいいのか。この耐久戦に活路はあるのか。将もそれを思ったし、一兵卒も疑問に思うことだろう。それを誤魔化し、戦意をギリギリのところで保たせる。耐久戦はそれが肝であり、夏侯惇も、夏侯淵も。あるいは程遠志も、上手く働いた。

 崩れそうで、崩れぬ。耐え続けていた。

 

「あ」そこで、鄧茂が呆然と呟いた。「やばいよ」

 

 目の前には「呂」の旗が近づいてきていた。呑気にも聞こえる鄧茂の声は平淡で、絶望の感情が含まれていた。練度の高い曹操軍も、「呂布だ」「飛将軍だ」と騒めく。そこに、突撃した。

 呂布は戟を振るうだけである。それで十分だ、というような立ち回りだった。一振りで、戦意を保った、練度の高い曹操軍が、十人は死んでいく。為すすべもなかった。努力や、あるいは生半可な才能でも届かないような、そんな差を見せつけられた。

 勝てない。兵士たちは心底恐怖した。負ける。負けてしまう。逃げだしたくなった。誰もが理解しただろう。勝てぬ。人間業ではない。夏侯淵も、一瞬躊躇し、腕を震わせた。

 

「来い」それでも、夏侯惇は逃げなかった。「来い、呂布ッ!!」

 

 彼女も理解していたのではないだろうか。呂布には勝てぬ、と。なぜ逃げず、腰が引けることもなかったのか。それが彼女の性質なのか、武人としての誇りなのかはわからない。それこそが夏侯元譲なのだ、と主張するようだった。

 夏侯淵が叫んだ。姉者、と言おうとしたのだろうが、言葉になっていなかった。すぐさま弓を構え、五本同時に射る。彼女の動揺とは裏腹に、それは正確に飛んだが―――そのうち一本は董卓軍の兵士が身をもって庇い、三本は付き従う徐栄に撃ち落され、一本は徐栄の左腕に命中した。兵士は死に、徐栄は苦悶の表情を浮かべた。しかし、呂布の動きを妨げることは適わなかった。

 呂布が戟を振り上げる。あれが振り下ろされれば、死ぬ。自然とそう皆理解できた。まずい、と張曼成は唸った。夏侯惇の存在は、この軍の大黒柱のような役割を果たしている。なくなれば崩れる。夏侯淵でも代替できるような存在ではない。死んでしまえば、この戦はその時点で終わってしまう。厳政は泣きそうになり、この状況は自分の不幸が招いたのではないか、とあり得ぬ妄想をした。

 鄧茂は周りの人間とほぼ同様の反応を示したが―――やがて、近くにあの男がいないことに気がついた。気がついて、そこで強く悲鳴を上げた。

 

 

 その男―――程遠志は、夏侯惇が呂布へ向けて足を止めた瞬間、走り出していた。

 

 

 不思議と、その一歩を踏み出したのは彼が一番早かった。

 脳内が暑かった。激しく回転している。走りながら様々なことを考えた。鄧茂のように「これはやばい」とも思ったし、張曼成のように変に冷静になって「崩れるかもしれない」とも考えた。厳政のように「自分の不幸の所為だ」などとは考えなかったが「辺りの流れの所為だ」と他に責任を擦り付けた。要するに、混乱していた。混乱しながらも、走らねばならないと思った。

 夏侯惇に武の修業をつけて貰ったことを思い出す。あの、誰よりも強く見えた女が、呂布の前には形無しだった。背中が小さく見えた。走馬灯のようなものだ、と理解しながらも、その妄想に程遠志は耽っていた。

 その後に考えたのは、夏侯惇のことでも、自分のことでもなかった。夏侯淵。いつも微笑を浮かべている、掴み処のない青髪の弓兵。彼女は夏侯惇が死んだら泣くだろう、と思った。そんな姿は見たくねえな、なんて、不意に感傷が込み上げてきた。柄じゃねえ。そう理解しながらも、程遠志は走り、咆哮した。

 

 呂布の近くの兵士が夏侯惇へ向けて矢を放つ。辛くも避ける彼女に、呂布は戟を振り上げた。狙いは頭部。左目。まるでその部位を狙うことが当たり前と、ここで夏侯惇の左目がなくなることが当然のことだと言わんばかりの一撃だった。ふざけるな、と程遠志は思う。

 走り始めが早かった。程遠志は間に合う、と確信して、飛んだ。避けるのは難しいことではない。呂布の戟が届く領域から、夏侯惇を引っ張りだせばいいのだ。

 夏侯惇を掴み、自分の方へ引き寄せ、呂布から遠ざけるように投げた。腕の中にいた刹那、夏侯惇の顔が困惑で包まれる。程遠志自身、驚くほどの膂力だった。火事場の馬鹿力だ。この緊急時の状況が、自分に奇跡を起こしたのだ―――と、一瞬、彼は興奮し、すぐに呆然となった。

 呂布の戟が、伸びていた。

 見誤ったはずもない。適正距離をある程度まで見抜き、その距離を保てていたはずだ。だというのに、程遠志のそんな下らない計算など無駄だ、と吐き捨てるように、呂布の無感情な一撃は呆然とする程遠志の身体に振り下ろされた。

 

「程遠志―――!?」

 

 鄧茂の甲高い声が、曹操軍全体に木霊した。

 

 

 

 

 呂布は戟を振り下ろし、小首を傾げた。それはこの凄惨な戦場に似つかぬほど、可愛らしいものだった。

 が、すぐにその表情は消える。十本の矢が飛来した。それを見て、呂布は僅かに目を見開いた。速い。すぐさま戟を振るい、その矢の殆どは叩き落しながらも、一本は彼女の頬を掠めた。初めて、この戦いで呂布が負った傷であった。

 

「呂布―――」夏侯淵が目を血走らせていた。「よくも」

 

 呂布は夏侯淵を見て、すぐさま馬首を返した。湿っぽいのは嫌いだった。敵討ちだの、弔い合戦だの。そのような目をした人間を斬るのは不快だったし、そういった隊長のいる軍がしぶといことも、よく理解していた。

 しかし、夏侯淵は止まらなかった。程遠志に投げられた夏侯惇、地面に倒れて動かない程遠志を真っ先に回収しながらも、執念深く、血走ったその瞳は遠ざかっていく呂布を見つめていた。逃がさない。

 

「お、おい、秋蘭」

「姉者、止めるな。呂布を追う」

「僕もです」いつの間にか、鄧茂も近くにいた。「追わないといけません、命に代えても」

 

 敵討ちだ、と互いの瞳は言っていた。中でも鄧茂は、死など怖くない、寧ろ生きる意味を失った―――などと考えていることが傍目にも読み取れた。夏侯惇は小さく怖気が走った。殆ど武官ではない鄧茂がここまでの殺気をもって呂布へ向かえるとは。

 だからこそ、止めねばならなかった。違うのだ、という必要があった。

 

「そうではない」夏侯惇は誰の耳にも聞こえるように言った。「程遠志は、生きている」

 

 夏侯淵と鄧茂は、一瞬ぽかんとした顔になった。そして、地面に倒れ伏す程遠志がぴくりと動いたのを見て、激しく動揺した。

 夏侯淵はうつ伏せで倒れる程遠志を慌ててひっくり返す。纏っていた鎧は壊され、中に着た服は解け、逞しい大胸筋からは血が滴っている。しかし―――それでも。その瞳は空いていた。「よお」と、程遠志は、自分を見てくる夏侯淵と鄧茂に呟く。「心配したか?」

 夏侯淵の手を払い、ふらふらと程遠志は立ち上がった。目は虚ろだったし、腹からは血が滴り落ちていたが、問題なく動ける。大丈夫だ、と示した。

 

「呂布の一撃を受けて―――無事なのか」

「ギリギリのところでよ、後ろに跳躍したんだ。寧ろなんでこんなに血が出るんだよ。完全に避けたはずだぞ」

 

 割に合わねえ、と青褪めた顔で程遠志は言った。確かに避けてたはずだろ、と情けない声で言う。

 ははは、と夏侯惇が笑った。引き攣った笑みだったが、それは兵卒たちにも移った。死に体だった夏侯惇が死なず、それを救った程遠志は生き延び、呂布は退いた。まだ耐えられる。まだ勝負はわからない! そんな意気込みを感じられる笑い声だった。その笑い声は曹操軍全体を包み込み、戦意を向上させ、劉備軍にも伝播した。目に見えた、士気向上だった。

 

「こ、これは」厳政は呟くように言った。「まさか」

「流れが変わった、と程遠志ならば言うのだろう」

 

 ―――張曼成が微笑しながら言った途端、である。

 

 けたたましい喚声が、遠くから飛んできた。それは次第に大きくなり、兵卒たちが耳を塞がねばならぬ程の音量となって、戦場に木霊した。なんだ、と夏侯惇は笑いを止めて見る。夏侯淵も振り返り、程遠志も虚ろな瞳で見た。誰もかもが―――程遠志を呆然と見守る鄧茂以外は―――そちらに目を吸い寄せられた。

 山の上で、旗が翻っていた。ぱたぱたとせわしなく動くその様子は、軍の戦意の高さを表すようだった。先頭にいるのは妖艶な笑みを零す女。その隣には眼鏡をかけた女がいて、紫髪の女が場の状況を驚きをもって見ていた。その兵士たちは今にも山を下らんとする長蛇の陣を引き、敵兵を睨み殺さんとばかりである。

 その旗に書かれた文字は「孫」。真紅の旗は雌伏する竜虎を表すようであった。先頭にいる女―――孫策は口を大きく広げて叫んだ。「吶喊!」

 

 それに合わせて、劉備軍、曹操軍の士気は更に高まった。来た、後詰が来た。反比例するように、鰻登りだった董卓軍からは動揺の声が漏れる。その隙を、劉備軍にいる軍師―――孔明は見逃さなかった。「今です!」と、叫び、策を起動する。劉備軍の担当する右、左翼が持ち上がった。

 

 

 

 ―――ここから、長かった『汜水関の戦い』も、ついに佳境を迎える。

 

 

 

 








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